10-01 Thu , 2009
「当事者性」からの解放
昨日の日記では、たくさんの人を驚かせたり、心配させたりしてしまって申し訳なく思ったりもするが、でもあの言葉というのは昨日、今日思ったことではなく、ずーっと溜まりに溜まったものがついに出て来てしまった、というものなんだよね。前々から、疲れる、疲れると思いつつ誤魔化しながらやってきたことが、結局誤魔化しきれなくなったというか、溜まりに溜まってどうしようもなくなっちゃったんだよね。

で、これは自分に向かないんじゃないか、別の道を探した方がいいんじゃないか、って、、思えたんだよね。だって、今、こんなにつらいことは将来にわたって続けていくことなんて絶対にできないと思ったから。

けど、ある人の言葉で「あっ」って思った。
今までつらいとか疲れるって思ったのは、わたしがまぎれもなくその「当事者」であり、当事者であるからストレートに自分の心に矢が突き刺さる。それでわたしって疲れてたんだって。

今まで自分は色々なことが知りたいと思ったから、いろんな本を読んだり、いろんなところに出入りしたりしてきたわけだけど、それは「趣味」でもありながら、しかしわたしはその「当事者性という檻」に自分から入り込んでしまって、だから苦しかったんじゃないかな、と。

もし、この「当事者性という檻」から解放されるとしたら、また、自分は別の角度からアプローチできるんじゃないか、そう思った。

では、自分から入り込んでしまった「当事者性の檻」からどうやって出ればいいのか。

このことを昨日の夜からずーーーーーっと考えている。
ま、この問題、そうすぐに解決は出来ないと自分でも思っているが。
でも、この「檻から出ること」を考え続ければ、いつかは答えが見つかるだろう。
今のわたしにはそう思える。

しかしそのためにはただ考えることだけではなく、やはり行動しながら考えなければそのものとの距離感がつかめないだろうな。

というわけで、他人の一言が自分を変えてしまうことって本当にあるんだなあって思う。
そういうインスピレーションをくれた人に感謝。
もちろん、他の人の共感や励まし(?)も嬉しかったけれど。。と今は言えるけど(笑)

ただしまだ解決した問題ではない。
ちょっと光が差し込んだかな、という程度。

まだまだ「檻から出る」ためには時間がかかるだろうが、
きっと出ることができると今は思っている。

「檻から出ること」については焦らない。
今はやはり自分でも随分疲れていると感じている。
だから、焦らずに休もう。
休みながら考えてみよう。
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