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09-28 Mon , 2009
キューバ映画祭
26日からやってるみたいです。

わたしは前に書いたと思うけど「苺とチョコレート」という映画が大好きで、'94年に岩波ホールで上映されたとき、確か3回くらい観に行った記憶がある。その後、NHK-BSでやったのと、どのチャンネルだったか分からないけどCSとそれから、アップリンクが出したVHSのビデオを持っている。それプラス原作となった本と、岩波ホールでやったときのパンフレット、あとはサントラまで。しかし、一番欲しいDVDを持ってなくて。知らないうちに発売されて、知らないうちに廃番になっちゃったもんで。。今、買おうと思うとものすごいプレミア付いてて、買えないんだよね~。

その映画をこの映画祭でやるよ、って教えてくれた人がいて、昨日、彼女と一緒に観に行ったんだ。その前に「シュガー・カーテン」ってのも観たけど、やたら眠くて退屈な映画だった。。ってか、これってドキュメンタリーだったんだけどね。んー、社会主義(共産主義)国の言う「革命の勝利」とは一体何なのか、というのが未だに分からない。。一体、何に勝とうとしてるのか、敵はやっぱり資本主義なのかなあとか。

そう、わたし、根本的に「分からない」ことが多い。特に'94年に初めて「苺とチョコレート」を観たとき、分からないだらけだった。識字運動とか、亡命とか。。いや、言葉自体は知ってるけど、それってキューバの歴史を知らなければ、理解できないんだよね。「シュガー・カーテン」でそこら辺のところが「なるほど」って分かったんだけど、しかし、根本的に「国を出る」という意識がよく分からない。例えば、北朝鮮で「脱北者」というと、命さえ取られかねない。危険な行為、だけど貧しくてやっていけないから国から出たい、というのはよく分かる。

けど、キューバってなんかとっても亡命しやすそうで「え、なんで?」って今も思ってる。まあ、彼女の言うところによると今の人たちは亡命じゃなくて、国を出て国(キューバに住んでる家族)に送金すれば割と出やすいんじゃない?ってことだったけど、それでも国が国から出ることを奨励してるってのは、なんだかちょっと違和感を感じる。まぁ過去、日本も日本から移民することを奨励したりした時期があるのは知ってるけど、今はどちらかと言えば「『反日』は日本から出て行け」と言われることが多いような感じだからね。まー、何が「反日」的な行為なんだかはよく分からないけれども。例えば国旗掲揚国歌斉唱のときに立たなかったら、とかそういうのなんだろうけど、それだったらわたしは立派な「反日」だ(笑)でも、本来ならそういう「行為」を差して「反日」とかそうじゃない、みたいなのは違うと思うけどね。この日本をよりよくするためにはどうすればいいか、それには今の制度や仕組みが間違ってるかも知れない。それを指摘することだって立派な「愛国心」だと思うんだけど。。

ってことで、実はこの「苺とチョコレート」ってのは、「国には色々な愛し方がある。けれどもそれを認めない人たちがいる」ということが言いたいことの一つではないか、と思っている。

そうそう、「シュガー・カーテン」が始まる前に、後ろのおばさんたちが「苺とチョコレートって、、なんか同性愛の映画みたいね」「別に同性愛がどうとかわたしは思わないけど、別にこれはいいって感じだわ」とか言ってるのを聞いちゃった。それを聞いてわたしはよっぽど「苺とチョコレートは『同性愛映画』ではない!」って言おうかと思っちゃった。この映画、確かに同性愛者は出てくるよ。主人公だよ。けど、、決して「同性愛映画」ではない。これは、同性愛者と異性愛者の友情の物語でもあるんだ、すごく悲しい映画なんだ、って本当は言いたかった。「同性愛者が出てくる」と言うだけで判断して欲しくなかった。。

まーでも、一回観ただけならこの映画のどこがどう、好きなのかとかまでは分かんないと思うけどね。わたしはこの映画、ビデオも含めてもう何回観たか分かんないくらい観たから。字幕も岩波ホールでやった字幕、NHKが自分で付けた字幕、それぞれ違うことも知ってるし、今回は字幕はどうなんだろう?って思ってたのもわたしにとっては興味深いところだった。ええ、このどれとも違ってました。新しく訳し直したみたいです。訳し直すと、人によってどの情報が重大なのか、って分かるのね。ほら、英語だったら「あ、ここんとこ日本語にしてない」とかチラッと分かる部分があるんだけど、スペイン語は全く知らないもんだから、ホント、字幕しか頼るものがない。だから「ブラックリストに載った」が「職場を解雇になった」になってる、とか「岩波では訳されてなかったのに、ここでは訳されてる、そういう意味だったのか」とかね。あるんだよね、こう言うの。で、すべてまとめて理解しようとしている。そうじゃないとスペイン語はわたし、なんも分からないから。。

あ、それでわたし、この映画のストーリーとか全然解説するつもりなくて、ただ、自分がいつも観て感動するところだけを書くつもりなので、ネタバレと言えるか言えないか、、多分、ストーリーを知らない人は読んでもよく分からないと思うんで、そのつもりで(笑)

この映画がすごく好きなのは、いろいろな伏線を張られていること。そして話に破綻がなくて、すべてつじつまが合っていること。わたしが好きになる映画の条件はまず、最低でもこのことをクリアしておかなくちゃいけないんだけどね(笑)

最初、ダビド(ノンケの大学生)が「コッペリア」というハバナでも有名なアイスクリーム屋さんでアイス(多分、それはチョコレートアイスだったのだろう)を食べているときに、相席でディエゴというひまわりの花なんか持ってるものすごーくオカマっぽい仕草のオカマに話しかけられる。実はディエゴはダビドのことを以前から知っており、すごく好みのタイプだったので、狙ってたわけなのよね。で、ディエゴは苺のアイスクリームを食べていて「今日はツイてる!こんなに大きな苺が入ってた!」って、これまたすごくオカマっぽい感じで言うんだけど。

最後の最後。ディエゴが国を追い出されることが決まったあと、「コッペリア」で同じことをやる。しかし、ダビドはわざとそれぞれが注文したものを入れ換えて、初めてディエゴと会ったとき、ディエゴがやった同じ口調で同じ仕草をする。あ、もちろん別にダビドが同性愛者だったとかじゃないよ。いろいろな場面で、いろいろなことがあり、同性愛者も異性愛者も変わらない、同じ「革命の勝利」を目指している、ということがダビドには分かったのね。ただ、国の愛し方は違う。だけど、国を愛してるのは同じなんだ、って、もうここでは分かってるのよ。この場面はそれをはっきりと示しているシーンだと思う。

それから、、いつもこれを観て初めに涙するのは、ディエゴは友人の作品を大使館(どこの大使館かは知らない)の後援で展示しようとするんだけど、それが難しくなるのね。で、その友人は、展示をしてもよい、だけどその作品の中で2、3気に入らないのがあるから、それは展示しなければ、展示会ができると言われるわけ(誰に?国の人に?多分そうなんだろうけど)。それを聞いたディエゴは「全部展示しなければ意味がない!」と怒るんだけど、友人はその自分の作品を「僕が作った作品だ!」と言って壊し始めるの。。たいてい、ここで泣ける。自分が作った作品を自分が壊すという、いや、壊さざるを得ないという、その気持ちを想像するだけでも泣ける。わたしは芸術家じゃないけど泣ける。

それから、ダビドが失恋して、ディエゴの部屋で音楽を聞きながら酒を飲んで、結局そこで上半身裸でとても無防備な姿で寝てるんだけど。。(そのときは既にダビドはディエゴを友人だと思ってた)でもディエゴは彼の、その姿を観てすごく心を抑えてるんだよね。ここでのカメラワークっての?寝ているダビドの上半身の毛むくじゃらなところから、ヘソ毛から、ちょっと緩めてあるジーンズのボタンから、舐めるように、という感じで映し出されているんだけど、、それは多分、ディエゴの視線。だけど彼は襲うようなことはしない。もしかしたら襲いたかったかも知れない。でも、我慢して、ダビドに毛布を掛けてやる、あのシーン。ゲイがノンケに恋をして、友人までにはなれるけど、それ以上は何も出来ない、その苦しい思いがよく伝わってくる場面だと思う。

あと、あれだけこの作品観ながら、初めて分かったんだけど、革命ってその前の歴史を全部否定するわけだから、そこで歴史って断ち切れちゃうのね。だから、革命前に有名だった芸術家たちをダビドは知らない。しかしダビドはディエゴからそのようなことを教わり、そのような目でキューバの街を見る。このシーン、ハバナの今にも壊れそうな建物が映し出される、あのシーン、あれを観るとなぜか「美しい」と感じる。ディエゴは亡命することが決まり、ダビドはディエゴの「監視人」であるナンシーと結局恋人になっちゃうんだけど、そこのシーンも同じようにちょっと高いところからハバナの街を見下ろすような場所なんだけど、そこのシーンも好き。本当はもの悲しいんだけどね、ディエゴはこの国を好きで去っていくわけではない。しかし、自分がしたいようにはここでは暮らせない。一度きりの人生だから、自分を試してみたい、でもここでは試せない。。だから、彼は国を去らざるを得ないのだ。

しかしここでの彼らは明るくて、ダビドは生まれて初めてのSEXをナンシーとなんと、ディエゴのベッドの上でやった、と言う(笑)あ、このとき、ダビドは知らないんだけど「レサマ式ランチ」をディエゴの家で行なったあと、ディエゴは大使館に行くんだよね。おそらくここで亡命についての何らかのことをした、ということが分かるようになっていて。

そしてダビドは「ディエゴ、女の味は最高だよ」という。そしたらディエゴが「げー」って吐くマネをする。こういうちょっとしたところも好き。それでもディエゴは自分が去っていったあとのナンシーについて心配をしている。「ナンシーは一見強そうに見えるけど、本当はか弱い女性なんだ。誰かが守ってやらなければならない」って。そういうことを言うことによって、ダビドに今後のナンシーを託してるんだよね。ディエゴにとってはナンシーは恋敵だったわけだけど。

「友人としてここには遊びに来るけれど、、外では、、」とダビドが言いかけたときにディエゴが「分かってる。他人のフリをしよう」と言って、本屋で実際に会うんだけど、お互いがお互いのことを認識しながら去っていく。表には出せない関係。ディエゴはそんなことはとうに承知しているだろうが、そのあとダビドはどう思っただろう?

おそらくそれを受けて、彼はミゲル(大学の友だちで同じ組織の人。最初ダビドがディエゴのことを「怪しい」と伝えてからディエゴのことを探るように命令した人)に「偏見で見るな。他人を理解しろ」と言えるようになったんだと思う。しかも、このシーンは、ダビドがどうもディエゴと親しくしているらしいということで、ダビドを大学から退学させようと思い、ディエゴのサインを求めに行ってるときなんだけど(なんでそこにディエゴのサインがいるのか等はわたしは分からないけど)、ディエゴはダビドの知らないところでそんなことをやろうとしているミゲルに対して「ダビドの方が40倍も男らしい」って言うんだよね。これ、前も書いたと思うんだけど、なんで40倍なんだろう?っていつも思うんだよね(笑)日本人の感覚だったら、2倍とか5倍とか10倍とか100倍ってよく使われると思うんだけどさ、わざわざ40倍、とは言わないよね。。そこが結構いつも不思議に思うところなんだけどね。

で、そういうやり合いをしているときに、ダビドがディエゴのためにってんで、ひまわりの花を持ってきたときに鉢合わせしちゃうのね。そこで花なんか持ってるダビドを見てミゲルは「オカマ野郎に花か」とかなんとか言って、ダビドを激怒させるんだけど。ここのね、最初はディエゴ(同性愛者)に対してミゲルと同じように思っていたはずのダビドが、自分からひまわりの花を持ってくる、このシーンがまた好きなんだよね。。ああ、人って変われるんだって思う。「強い」ことだけがいいことじゃない、逆に「強さ」は鈍さなんだ、とね。「花を持ってくる」という行為がとても繊細で美しく思えてくる。それを押しつぶすのは「強さ」とか「強くあらねばならない」という概念なんだって。

そして、わたしが最も好きなシーン。いや、もう最後の最後なんだけどね。この映画の中ではダビドに対して一方的に「教える」ような、一見「いい」同性愛者、に見えるディエゴなんだけど。実は最初会ったとき、自分の部屋に誘うことに成功して、そこで湧かして出したコーヒーをわざとらしくダビドのシャツにかけて「しみにならなきゃいいけど」と言ってシャツを脱がし、洗って干したのね。その後、結局ダビドは怒って帰っちゃうんだけど。最後の最後、ほとんど何もなくなった部屋でディエゴが言う。「あれは友人のヘルマンと賭けをしていた。ダビドのシャツを外に干すことが勝利の合図。これでディエゴはダビドを落とすことに成功したと思わせ、友人がそれを触れ回った」と。そして自分は(それが違うと知っていても)そのことを否定せず、言いふらされるままにしていた、と。「自分はこういう汚い人間なんだ。何回も『抱いて欲しい』と言ったのは、そうされることによって、自分が清められる感じがするからだ」と。そう、ディエゴはダビドに告白をする。ディエゴは決して「いい」同性愛者なんかじゃないのだ。しかしダビドはその彼を「受け入れる」。抱擁する二人。友人として抱き合う二人。しかし、それが分かったときにはもう、二人は別れなければならない。ここではダビドが抱き合いながら泣いているところが映し出されて、すぐに画面は黒くなってクレジットになるんだけど。

もう、わたしはここで涙が止まらなくなる。なぜ二人は別れなければならないのだろう、同性愛者は異性愛者とも友達になれるのだ。こんなに信頼し合う友達になれるのだ。なのに、なぜ、と思うと、これ、もう筋なんか頭の中にぜーんぶ入ってるし、セリフだってある程度覚えているクセに、毎回毎回泣けるんだよ。昨日も泣いたよ。鼻すすって泣いた。けど、わたしのようにあからさまに泣いてる人はいなかったかなあー?恥ずかしいというかなんというか。。

この映画は決して「同性愛もの」ではない。キューバという国をめぐっての一人は共産党青年部のエリート大学生として、もう一人は監視人付きの同性愛者として巡り会って、でも、革命は一つの方向だけではなく、色々な方向の革命もあるんだ、ってことが分かる。今の「革命」で抜け落ちた部分もある、ということをこの映画で監督(もう亡くなっちゃったけどね)は指摘したかったのだと思う。

わたしにとっては、キューバはまだまだ謎の国で、これを観ても完全には理解したとは言い難いんだけど(その国の背景が分からないとやっぱり。。)、でも、この作品は大好き。

これをね、この映画祭の間(~10/9)まで、えーっとあと何回やるんだろう。4回か。あるんだけど、取り敢えずすべて観るつもり(笑)それプラス、その前後で興味ある作品を観ようと。

うーん、今ねー、特定のことに対して考えすぎてしまって疲れた自分がいて。ちょっと違うことを頭に入れたらどうかなと思って観に行くんだけど、でも、いくら「苺とチョコレート」は同性愛ものではない、と思っていても、やっぱり考えちゃうよね(苦笑)あれ。ちょっと失敗したかな?(笑)
22:07 | (性的少数者)映画のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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