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08-06 Thu , 2009
8月6日 午前8時15分
今年もこの日が来た。
何度も何度も同じことを書いているが、こういうことは言い続けなければいけないことだから、書く。

わたしの親族の中には、原爆投下直後の広島の街の様子を語る人はいない。
なぜかというと、その日に限って爆心地付近に用事がある、と言って出かけて言った祖父の兄夫婦はその日を境に消えてしまったからだ。身内の間では、多分、原爆に遭ったのだろう、と言われている。

そして64年前の今日の朝、祖父は身体がだるくて昼から会社に行くことにして、そして午後、会社に向かったが、広島市内にはもう原爆が投下されたあとで入れない状態だった、と聞いた。

しかし、その兄夫婦が行方不明ということで、その後、広島市内に父と共に入り、被爆者になった。
祖父はもう十何年前に亡くなってしまったが、父は今でも生きている。

その父が唯一話してくれたのは、子供の頃、川縁を掘ったら人骨がたくさん出て来た、ということだった。きっと水が欲しいと思って、川にたどり着き、そして亡くなっていった人たちなんだろう。今はそれが予想もつかないほどきれいに整備されているけれど。

わたしはその父の子どもだから、被爆二世ということになる。実は母は結婚するまで父が被爆者だと言うことを知らなかったという。結婚後に言われてとてもショックだった、と聞いた。そして父が東京に住んでいるときは、被爆者健康手帳で医療費が安くなるにもかかわらず、差別を恐れて絶対にそれを使わなかった、と聞いた。

そういうことが断片的に、わたしには伝えられている(伝えられてる話はこれだけではないんだけど)。
そして、わたしは被爆二世ではあるが、今のところは普段の生活ではそういうことを意識しないで生きていられるほどは健康だ。まぁ、ここ数年は次々に病気に襲われるので、多分あまり関係がないだろうなとは思いつつ、それでもひょっとして、と思うことはあるし、多分、これからはがんの検査などはしっかり受けていかねばならないのだろうなとも感じている。

今日の8時15分、わたしは黙祷した。
あのとき、祖父の兄夫婦はどこで何をしていて、そしてどうなったんだろう、と思っていた。

その後、広島市長による平和宣言が読まれた。

人類絶滅兵器・原子爆弾が広島市民の上に投下されてから64年、どんな言葉を使っても言い尽せない被爆者の苦しみは今でも続いています。64年前の放射線が未(いま)だに身体を蝕(むしば)み、64年前の記憶が昨日のことのように蘇(よみがえ)り続けるからです。
 
幸いなことに、被爆体験の重みは法的にも支えられています。原爆の人体への影響が未(いま)だに解明されていない事実を謙虚に受け止めた勇気ある司法判断がその好例です。日本国政府は、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した援護策を充実すると共に、今こそ省庁の壁を取り払い、「こんな思いを他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきです。
 
今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。
 
それに応(こた)えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。
 
全世界からの加盟都市が3,000を超えた平和市長会議では、「2020ビジョン」を具体化した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、来年のNPT再検討会議で採択して貰(もら)うため全力疾走しています。採択後の筋書は、核実験を強行した北朝鮮等、全(すべ)ての国における核兵器取得・配備の即時停止、核保有国・疑惑国等の首脳の被爆地訪問、国連軍縮特別総会の早期開催、2015年までの核兵器禁止条約締結を目指す交渉開始、そして、2020年までの全(すべ)ての核兵器廃絶を想定しています。明日から長崎市で開かれる平和市長会議の総会で、さらに詳細な計画を策定します。
 
2020年が大切なのは、一人でも多くの被爆者と共に核兵器の廃絶される日を迎えたいからですし、また私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任さえ果したことにはならないからです。
 
核兵器廃絶を視野に入れ積極的な活動を始めたグローバル・ゼロや核不拡散・核軍縮に関する国際委員会等、世界的影響力を持つ人々にも、2020年を目指す輪に加わって頂きたいと願っています。
 
対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。その芽を伸ばし、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創(つく)る必要があります。例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、そして、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。
 
被爆64周年の平和記念式典に当り、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の多数派の市民そして国々と共に、核兵器のない世界実現のため渾身(こんしん)の力を振り絞ることをここに誓います。
 
最後に、英語で世界に呼び掛けます。
 
We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajority.
Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.
 
2009年(平成21年)8月6日
                    広島市長 秋 葉 忠 利



この4月にプラハで、アメリカは核兵器のない世界にする道義的責任がある、と言ったオバマ大統領のことについて触れられ、「オバマジョリティー」なる言葉も披露(?)された。しかも最後の締めくくりは「Yes,we can.」で、オバマ大統領に期待する気持ちはとても分かるものの、「何か違うんじゃない?」という気持ちも同時に起こさせた。世界の人に呼びかける意味ではとても分かりやすい言葉なんだろうけど(とは言え、やはり「オバマジョリティー」は恥ずかしい)、広島市長は広島市長としてもっと「自分の言葉」で語って欲しかった。しかし、2020年までに核兵器を廃絶するプランが明確に述べられていて、本当にこの通りにいけばいいなという感じだ。まぁその通りに行くにはとても難しいだろうけどね。

そしてまた、広島市長の次に広島の子供が「平和への誓い」を発表したが、この中で、

> 話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する、本当の強さを持つために、原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実を見つめます。

という一文の中の「本当の強さ」について、わたしの中に思い起こされるものがあった。戦後に新しい「日本国憲法」が出来たときに、その当時の中学1年生用の社会科の教科書として文部省(当時)が作った「あたらしい憲法のはなし」に出てくる文章だ。

六 戦争の放棄
みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、自分の国をほろぼすようなはめになるからです、また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

(「あたらしい憲法のはなし」より「六 戦争の放棄}



この部分は、当時の文部省の人たちが、戦争を体験する中で「何を次世代に伝えたいか」がよく表われている文章だと思う。そして、今日の平和の原点は、わたしはこの文章じゃないかとさえ思えてくる。

確かに今の世界を見渡したとき、この文章とは掛け離れたことが起き、日本もだんだんこの文章にかかれていることから遠ざかっているような気がする。「ここにかかれたことは単なる理想であり、現実社会はこんなことは通用しない」と思われる人もたくさんいるだろう。わたしもそう思わないことはないからだ。しかし「持たざることは正しくて、正しいことが一番強いのだ」ということを、再度思い直してみたい。

もう、核兵器で一人でも多くの被爆者を出さないためにも。被爆者の子供や孫や、その子孫たちが被爆者の子供であるわたしのように「(あるかどうかすら解明されていない)被爆の影響」で脅えながら暮らすことのないように。
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