07-21 Tue , 2009
映画祭最終日
昨日終了日だった「第18回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」だったんだけれども、わたしは「この愛の果てに」「レインボー・リール・コンペティション」「クロージングイベント+『ストレートじゃいられない』」の3本を観てきた。

「この愛の果てに」は香港映画なんだけど、、主人公は最初は洋服屋さんの販売員で、そこで知り合った人と家でSEXしてたら、母親に見つかって、母親が激怒して「出てけ!」っていうから「出てくよ!」って言って出てったと思ったら、、、その母親は飛び降り自殺して死んじゃった。という、最初から「は?なにこれ」みたいな話だったが、そこからは転落の人生で、薬をやり始めたり、ウリを始めたり、、その主人公が好きな、洋服屋で会った男性(恋人)は「最初は父親の面倒を見なければいけないから、一緒に暮らせない」と言ってるんだけど、そうこうしているうちに、主人公がどんどんおかしくなっていくのでついに「一緒に暮らそう」と言うんだけど、主人公はそれを断わり。

なんというか、主人公は何を思ってか、ただ流されていくだけ。刹那的で快楽的なSEXを繰り返し、一体、どのようにしたいのか全然考えている様子はないので、全然救われない話だった。心配した恋人が警察に通報して、主人公は更生施設に入れられたりするんだけど、そこから出たあとも結局なんやかんやあって、また再び薬を始める。結局は、心配してくれる恋人を振り切り、そして更生施設で知り合ったヘテロ男性が女性に振られたことから、自殺し。。で、本人も、多分、、っていうところで終わるんだけど、結局あれって何が描きたかったのかさっぱり分からなかった。

かなり早い段階で「この人、自分の意志がよく分かんない人だから、いい方向に行くことは絶対にないだろうな」と思ってたけど。。んーでも、こういう「愛のないSEXを繰り返す」って映画は何回か観たことあるから、一種の「黄金パターン」かも知れないが、ちょっとでもこれって古い感じもする。

確かにレズビアン&ゲイ映画祭なんだから、どういう話があってもいいはずなんだけど、わたしは観たあとに幸せな気分になる映画が観たいんだって今回、分かったの。4日目に5本観終わったとき、わたしはとても幸せな気分だった。わたしには将来を共にしようと思ってる彼女がいる、映画のように「子供が欲しい」とは思わないけど、こうやって彼女と一緒にずっと生きていくんだって思っただけでなんとなく幸せな気分になったの。

別に「映画祭でやる映画がそうあるべきだ」とは言わない。けど、そういう気分にさせてくれるのはやっぱりこの映画祭なのかなとは思う。

とはいえ、最後の最後にやった「ストレートじゃいられない」。これも女性同士の恋を描いた映画なんだけど、こっちはあまりわたしの胸には響かなかった。というか、出てくる人がみんな長髪の女性で、正直、誰が誰だか見分けがつかなかったのよ!(苦笑)それに、イギリスに住むヨルダンの金持ち、とかインドの金持ちとか、金持ちばっか出て来て、なんか「自分の世界とは関係ない人たちの世界」に思えてね。なんかイマイチだったー。

あと「カミングアウト」という点から、昨日観た映画を考えたんだけど、香港の映画は「カミングアウト」というものすら出てこない。考え自体がない。例えば病気の父親を家に残して、家を出ようとする(そして恋人と一緒に暮らすつもり)理由は「30代になったからもう独立したい」だった。有り得ないけど、これがもしヨーロッパの映画だったら恋人と一緒に、父親の面倒を観る、という話になったかも知れない。だけどそういう話にならないんだよね。永続的な関係を続けたくても「カミングアウトをする」という概念はない。そこら辺は日本と似てるなと思ったけど。

それに比べて「ストレートじゃいられない」は、当初、男の恋人がいた両方の女性は、両親に対してカミングアウトするのよ。インド系の人は「わたしはゲイなの」と言った途端、母親から「神が許さない」だの「それは罪」だのとすごい剣幕で罵倒される(ただし「気持ちが悪い」とは言われなくて、あくまでも宗教を通しての発言だった)。その中で受け入れてくれるのは父親。また、もう一方の女性も「自分が素直に生きられるようになるには両親にカミングアウトするしかない」って言われ、悩んだ挙げ句、カミングアウトする。で、カミングアウトしちゃったらすぐ「親には子供を作るって言ってあるの」って、今度はすぐに「子供の話」だ。

んー、今のわたしの感覚からすると、親へのカミングアウトは一番やりにくい相手なわけで、安易にすべきじゃないとは思っている。けどね、今回、ヨーロッパの映画を何本か観たけれど、親は知ってて当たり前、なのだ。「この違いってなに?」って思う。

で、確かに親にカミングアウトすると、その後が違うんだよね、生き方が。まぁ、親が子供のカミングアウトに対して比較的寛容、と言うこともあると思う。あの「この愛の果てに」みたいに子供が男とSEXしているところを見ちゃったあとにすぐに飛び降り自殺する、なんてことはまずヨーロッパの映画では有り得ないような気がするけど。

この映画の作られ方の違いが、そのままその国の違いを表わしているのかなあ~、、、

刹那的なSEXを繰り返している分については、自分がカミングアウトする必要性はほとんどない。しかし、相手と「ずっと生きていきたい」「一緒に暮らしていきたい」と思ったときは、この「カミングアウト」の必要性が増してくる傾向があるんじゃないかと。んー、それは奇しくも「レインボー・リール・コンペティション」でやったドキュメンタリー「僕の彼氏と」に繋がってくると思うのよね。彼らも永続的な関係を続けたいがために(相手が外国人ということもあるだろうけど)最終的には両親にカミングアウトをする。もちろん、突然ではなく、パートナーは「仲のよい友だち」として既に紹介はしてあるのだが(ここの点はわたしの場合とも重なる(笑))。

ま、だけどわたしの場合は別に親にカミングアウトしたからと言って、どうこう、ってわけではないけどね。わたしの場合はカミングアウト以前に親とはいろいろあったので、カミングアウトしたあとは和解したかなと思ったこともあったが、結局根本的なことは変わらないどころか、自分への負担が出て来たので、トラウマに悩まされている。ま、言わないよりも言った方がよかったとは思っているが、、カミングアウトしたからと言って、それまでの親子関係が変わるかというと、変わらない(笑)だから、わたしの場合は「関係断絶」になったんだけどね。

でも長いパートナーシップを築きたいと思うのなら、やっぱりカミングアウト、特に親へのカミングアウトは避けられない問題なのか、、と思ったのも確かではある。

今回の映画祭で19本(しかし「福寿草」は違う弁士でやったので、それを違う映画と数えると20本)上映されたが、バルト9を含めてわたしが観たのは15本。去年とは観た本数がかなり違うので、単純に比較は出来ないんだけれど、今年のは結構どれも面白かったと思う。

特にヨーロッパの作品は、こういうところだけでしか上映されないのはとてももったいないような感じがする。あれはヘテロの人にも観てもらいたいなーって思うんだよね。確かに今の日本とは全く違った状況だから、観てて頭が混乱するかも知れないけど、でもそういう世界も存在するんだよ、ってことを知って欲しいなと思ったりしている。

今年は9月にAQFF(アジアンクィア映画祭)もある。これも今から楽しみにしている。

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