07-18 Sat , 2009
プレリュードと「アウトレイジ」
今日は「プレリュード」が四谷区民ホールで、Brass MIX!演奏終了後は急いで青山のスパイラルホールに行って「アウトレイジ」を観てきた。疲れたのなんのって、、、

プレリュードは開演は13時半だったのかな?実はよく知らないんだけど(苦笑)、わたしたちの集合時間は午前10時。そこからリハーサル室でリハーサルやって、その後、舞台に立って、だいたいの立ち位置を確認後、楽屋になってるリハーサル室で昼ご飯を食べつつ、時間を潰し、開場前にホールに集まり、HIV/AIDSのアンケートについての説明を受けた。と言っても、このアンケートは対象が男性なので残念ながらわたしは対象外なのだが。

で、その後はまたリハーサル、そして本番。

ここだけの話だけどさあ(ってここだけにならないか(^^;)、なんか「PROUD MARY」って去年のレインボー祭りんときから吹いてるクセに、今日、楽譜見てたら「あれれ?今まで譜面どおりに吹いてなかったじゃん」ってところ発見。。うひゃー。あれ、なんで今まで何度も譜面見て確認したのにー。こんな本番直前になって気が付くわけ???

しかも、舞台での立ち位置は最初、言われていたとおり、舞台の真ん前。ライトも当たらないほど真ん前!おかげで舞台の上から誰が聴きに来てるかよーく分かったわ(笑)つか、わたしはこういうところではあんまりというかほとんど緊張しないのよねえ。。自信があるから緊張しないわけじゃなく、自信はないのよ、だって下手なんだもの。あ、だけどこの日のために少なくとも1週間前から毎日何らかの形で練習はしてた。だからといって、それが即自信に繋がることはなく。まー、なんというか「音をまともに出したい」っていう自己満足のためね。おかげで唇はばてなかったので、やっぱ1週間でもやった意味はあったよなと。ただ、音自体はあまりきれいじゃなかったけど。。

んーでもしかし、最初から飛ばす飛ばす。「え、こんなに早くていいの?」ってくらいテンポが速かった。。つかさ、わたしの位置だと指揮者見えないわけ。指揮者はわたしの後ろにいるわけだから。で、わたしはパーカッションの音を聞きながら演奏するわけなんだけど、どーも途中、合ってないような気も大いにしてきて。。あの位置での演奏は結構難しかった。

ってわけで、本番はあっという間に終わってしまったわけだけど。
わたしはそれから「アウトレイジ」を観るためにスパイラルホールへ。その後の合同演奏、合唱はぶっちぎりました(笑)ま、それは事前に責任者には言っておいたんだけどね。

そしたら結構余裕で間に合って。双子の弟があとから来たんだけど「あれっ、もういるの?」なんて言われてしまった(笑)

で、2回目のアウトレイジ、観たんだけど。
あ、「アウトレイジ」というのは、アメリカの「クローゼットな議員」が同性愛者の権利推進に対してどれだけ悪影響を及ぼしているか、の検証映画とも言えるし、ある意味では告発映画とも言えると思う。

クローゼット議員を暴く人たちの論理は簡単だ。彼らは特にクローゼット議員の性的指向を表沙汰にしたい、ということではなく、クローゼット議員には「ゲイ疑惑」がついて回っていること、そして彼らは「同性愛者ではない」という理由に同性愛者に対する人権の法案(ゲイの権利、エイズ対策、同性婚など)にことごとく「反対」しているのだ。

結局、、同性愛者の人権を求めている人も、それに反対している人も、同性愛者なのだ。そしてクローゼット議員は「金と権力」によってその地位を守られている。しかし、大半の同性愛者にはそのようなものはあるわけがない。だから、彼らは「クローゼット議員」を暴くのだ。自分たちだけが「安全な場所」にいて、それ以外の人は「安全な場所」にはいない。同性愛者と言うことで、いつ殺されるかも分からない、そんな世界に住んでいる。だからクローゼット議員を暴く人たちはクローゼット議員のことを「偽善者」と呼び、自分の本当の姿を「カミングアウト」するように求める。

ま、だいたいはこんな映画なんだけどね。
わたしが初めてこの映画を観てびっくりしたのは、エイズがアメリカに拡大していたのに、誰も何も手を打たなかった(これは言い過ぎだが。一部の地域では対策がとられており、一部の地域では全く対策がとられていなかった)。「そしてエイズは蔓延した」を読んだとき、わたしは「エイズという恐ろしい病気に対してどこからも予算が付かなかったのは、その必要性を感じている科学者やゲイ団体が、予算執行の権利を持っている人たちを説得できなかったからだ」と思っていた。しかし、それは違っていたのだということが分かった。その「予算執行の権利」を持っている人たちが実は同性愛者だったのだ。そう、結局は「説得できなかった」わけではなく、いくら、なんと言おうと彼らはエイズに予算を付けるようなことはしない人たちだったのだ!最初、わたしはそれがショックでね。。でも、これで「なぜ彼らを説得しきれなかったのか」という謎が解けたような気がした。「説得できなかった」んじゃない。「説得するのは不可能だった」ということだったのだ。

この映画は色々な人の証言やテレビで過去に放送されたものでできてるんだけど、んー、確かに書きたいことはたくさんある。

・「クローゼットなゲイ議員」と結婚し、夫がカミングアウトして離婚した妻の話
・「同性愛者」と公表したら、必ず「同性愛者への人権拡大」の方向に転向してしまうのか?(映画では100%イエスと言っているが)
・本当に「同性愛者の人権に対してノー」と言っている人たちは、一部の宗教関係者とクローゼット議員しかいないのではないか
・しかしカミングアウトした議員や知事は、カミングアウトした途端辞任するのはなぜか
・本当に「ゲイの人権」が確立されるためには周囲の人に「カミングアウトする」しかないのか。カミングアウトせずに物事を進める方法はないのか
・上との関連性でクローゼットのままで「内なるホモフォビア」をなくす方法はないのか

おそらく、、この映画のみを観てこの上の点について述べることは比較的簡単なんだけど、しかし、物事はそんなに単純なわけでもないとわたしは思う。あ、でも離婚した妻の話はちょっとかわいそうだった。「夫に新しい女が出来たというのなら、わたしはまだ『過去に愛されていた』と思うことが出来る。けど、本当は最初から『愛』なんてなかったんだ」ってね。本人がゲイで苦しんでいるのは、分かるけれども、でもそれを隠すために自分たち(自分と子供)は人生を狂わされたとね。でもカミングアウトした当の本人はとても穏やかな顔をしてるので(もちろん、別の場所でのインタビューだと思うが)、元妻の思いはとても痛かった。

あとのことは、、わたしの中で結論が付いているものと、まだ全然分かってないものがある。

そして、、考えたのは、ヨーロッパとの違い。今回の映画祭のパンフレットを観ると、ヨーロッパで作られた映画のほとんどは「養子」や「自分たちの子供が欲しい」という内容の映画。しかし、アメリカでは「カミングアウトしましょう」映画だ。あ、「ドロール」は除くけどね。

うーん、この違いは一体何なんだろうかって考えさせられる。そして、日本は今後どのような方向で行ったらいいのかも同時に。

というわけで、明日からまた映画漬け。明日は4本か?
なんかね、今年は映画を観ながら「映画を必死に理解しようとしている自分」ではなく「映画を観ているうちに違和感を感じてくる自分」がいるのに気が付いた。その何が違和感なのか。だいたいはどういうものに「引っかかり」を感じるかは自分で見当は付いているんだけど、しかし、まだまだ言葉となって現われてこないものもある。

そういう意味で、今年のわたしの映画を観た感想ってのは、例年と違っていると思うし、しばらくこんな形が続くんだろうなと思っている。

突然だけど、プレリュードに出た人、お疲れさまでした~!
今度はレインボー祭りで会いましょう、かな?

テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記

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