07-01 Wed , 2009
太鼓の達人
今、Wiiの「太鼓の達人」にはまってる(笑)
もともと、ゲーセンで去年彼女と二人で「やってみようか」ってやったのが最初だったんだけど、その中でも知ってる曲ってものすごい限られてた。それがThe Blue Heartsの「TRAIN-TRAIN」と、誰が歌ってるか分からないけど「夏祭り」、それだけ(笑)わたしは「さくらんぼ」も知ってるんだけどね。って、この3つは社会人野球の応援によく使われてるから(爆) ただ、、「TRAIN-TRAIN」は、社会人野球の応援ってより、大学時代の合気道部の同級生がカラオケのたびにこの曲歌ってたので、だから知ってた。ってこの曲って1988年に作られた曲なんだねー。わたしがちょうど大学に入った年で、んじゃ、あの当時は新曲歌ってたのかってびっくり。ま、この曲を彼はずっと歌い続けてきたわけだけど。だから、この曲を聞くと歌ってたTくんを思い出すのよね~(笑) でもあのときは、歌詞も聞いてた(見てた)はずなのに、あんまり覚えてなくって、むしろ「太鼓の達人」をやり始めて太鼓叩きながら「あー、こういう歌詞だったのか」って思ってた。多分2番の「世界中にさだめられたどんな記念日なんかよりあなたが生きている今日はどんなにすばらしいだろう」から始まるところは、歌っている人から聞いている人が「肯定感」として受け取る、というよりも、わたしから彼女に対する「自分の気持ち」を歌った歌詞として認識してると思う。「見えない自由が欲しくて」云々ってところは、昔は共感してたと思う部分だけれど、今はそうだなあ~、「自由」ってその人によりけり、というか、わたしにとっては既に「欲しいもの」ではなくなった、と思う、なんとなく。既にある程度自由だと思ってるからかなあ~?でも、具体的に考えると、あんまり自由だとも思えないんだけど、でも逆に「何が自由なんだろ」とも思うのよね。そりゃ、いろいろ束縛されているものはあるけれど、それでもわたしの精神は比較的自由だと思う。それって、自分が大人になったのかなあって気はするけどね。でも、若いころ尖ってた自分もまだ自分の中には存在してると思うんだけどね。尖るところが若いころとは違ってきた、という感じなのかなあと、なんか言葉にしづらいんだけど漠然と思う。 とにかくこれを「太鼓の達人」の「ふつう」でやるのが好きで。「かんたん」の方はクリア(フルコンボ)しちゃって、今は「ふつう」でやってる。でも、これってかなりうるさいみたいで、一生懸命太鼓叩いてると階下の人から「ガンガン」(うるさい)って鳴らされるので、どうも力を入れて叩けなくて欲求不満度が増してきたので、今日は、ゲーセンに太鼓叩きに行ってきた。 昔は1player、200円だったのに、最近は100円なのね。わたしらいつも、2playerでやるので、これはラッキー。思う存分叩いてきた、つーか、彼女が「もう2,000円使ったから帰ろう」って言われてもわたしは「うーん、、」なんて思ってた(笑)ただ、手はボロボロになってて、両手の親指と小指の付け根と薬指の第2関節のところにマメが出来て、潰れてた。だから帰ってきてから手を洗ったら染みて染みて(苦笑) まーでもやっぱりWiiの太鼓より、ゲーセンの太鼓の方が叩き甲斐があって楽しかった。ただ、Wiiの方ではわたし、音(サウンド)を「もくぎょ」にしてるので、太鼓の縁を叩くと「チーン」って鳴るんだよね。あれはあれで結構面白いので好き。 ってことで、なんか最近日中は太鼓叩いて遊んでるわたしでした。やべやべ←? |
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