06-26 Fri , 2009
女子であること
21日のパフナイトは「男子であること 胸があること」という「トランス的」な特集で、最初に「男子であること」という映画を観たあとで、FtM、自分は一体なんなんだかよく分かんない、昔はFtMだと思ってたんだけど、今はどーでもいいというか、どっちでもないようなどっちでもあるような(という風にわたしは認識したんだけど)人たちが、トークをした。

といっても、前の3人が話してるだけじゃなく、時間が経つにつれて観客の人からも意見が出たりして(わたしもそのうちの一人ですが(笑))、なかなか面白い時間だったんだけど。わたしとしては、あの日を含め、頭痛に襲われっぱなしだったので、映画はあんまり真剣に観られなかったのが、残念と言えば残念。

そのあと、あの日、参加した人の日記を読んで、そこでもまたコメント付けたりして、あそこで個々が何を考えて話してたかとか、あとで振り返ってみたときとか、そういうのをずーっと考えさせられる1週間でね。ぼちぼち自分の中で溜まってきたんで吐き出したいと思ってるんだけど。

ただ、自分の頭の中で整理したことを書くんじゃなくて、今の状態は、むしろ自分の頭の中で整理できないから、取り敢えず出したいことは出して、それでなにか整理されるといいなあという状態でこれを書いている。だから、読んでる人はなおさら言ってることが分かんないかも知れない、というか、自分で自分の考えはこうだ、と人に説明する気で書いているんじゃないんで、多分、分からんと思う(笑)

基本的な自分の立場を書いておくと、わたしは生物学的には多分女性で、性自認は女性。女性であることに揺らいだという記憶はない。あと性的指向は女性、そのような自分が書いている。

そして性別違和を感じている人の本当の気持ちはわたしには分からない。ただ、今までいろんなものを読んだり聞いたりしてると、性別違和を感じている、ということは、自分の身体に違和感、ひどいときには嫌悪感を持っている人なのかなあと認識している。しかし、その度合はひとそれぞれで、それは人によって違うので、その人がそのときどきでどう言っているか、によってしか理解できないと思っている。この「理解」というのがすこし上から目線で気にくわないんだけど、ようするにその人が「自分はこれこれこうである」というのを素直に信じる、というか。そんな感じ。

だから、わたしは「その人が自分に対してそういってるんだから、何も文句を言う必要はないんじゃないの?」ってこと。だって、根本的なところで「性別違和がある」って言ってる人に対して「それはおかしい、間違っている」なんて言えないでしょ?それはわたしが同性愛者で「それはおかしい。同性愛者は間違っている」と言われることと同じことだと思っている。異性愛者はそれを問われないが、でも異性愛者だって同じだ。異性愛者に対して「それはおかしい。異性愛者は間違っている」と言われたら?ほとんどの異性愛者は「いや、そんなはずはない。この世の中は異性愛者が大半だからおかしくない」って言うだろうけど、それってただ「数が多いか少ないか」の問題だけじゃん。「多いから合っている」「少なければ間違っている」という理屈は理屈じゃないでしょ。

だって、学校に通っていたときのことを思いだしてみるといい。例えば数学や算数の答えで、引っかけ問題などで大多数の人は間違い、引っかからなかった少数だけ合っていた、って経験も誰もが何回かしているはずだと思う。だから「大多数がそうだからそれが合っている」ということではあるまい。もちろん、異性愛者も同性愛者も両性愛者もその他の人も「これが合っている」という答えすらないはずだが。結局は「その人によってどれも合っている」と考えるべきだと思っている。

って、なんか話が逸れたような気がする(汗)

でも、わたしがあの映画を観て、そしてその後のトークで人が言っている意見を聞いていると、「ある違和感」をずーーーっと感じてたのは確かで。それは多分、あそこでは「自分がどうしたいか」ではなく「他人の目から自分はどう映っているか」の方に偏ってたからだと思う。わたしはずっと「他人の目なんかどうでもいいじゃん」と思ってたし、今でも思っている。

あそこのトークでまめたくんが「'70年代のフェミニストがブラジャーを焼いているところを見て、それでその中にナベシャツもぶちこみたい」って言った気持ちは、多分、ここに繋がってくるとわたしは思っている。要するにナベシャツを付けてないとなんで男に見られないんだ、どういう自分でも自分は男なんだ、って、わたしはそういう風に彼が言っていると解釈したんだけど違うかな。

ただ、、わたし、この'70年代のブラジャーを焼く話は、少し前に彼女に聞いてて「それは違うんじゃない?」って言ったんだよね。んー、火の中にコルセットや、そういう、無駄に身体を締め付けるようなものは確かに焼いても構わないと思う。しかし、、女性にとってはブラジャーって、正直なくては困る人だっているのだ。胸がでかい人はブラジャーをすることによって胸の重みを直接肩に感じなくて済む、といった「しなければならない理由」がある人もいると思う。まー、わたしなんかは、自分の胸の重みなどはどう頑張っても感じることが出来ないし、ブラジャーなんかあってもなくても同じ、みたいな人にとっては、確かに火の中にブラジャー投げ込んで「はー、すっきり。これで一生ブラジャーとはおさらばだー!」って思えるよ。けど、胸の重みをブラジャーで軽減している人にとっては、火の中にブラジャーを投げ込んだあとも、ブラジャーは必要なものだ。「解放のため」に投げ込んだブラジャーをまた日常生活で付ける、ということに対して、この行為は虚しさを感じるだけなんじゃない?ってわたしは彼女に言ったんだけどね。だから、わたしは「ブラジャー」を焼くという行為については、よく分からないんだよね。。「ブラジャーは象徴なんです」って言う人もいるだろうけど、だったら、ブラジャーじゃなくて他の、それこそコルセットとかそういうものを象徴にすればよかったのに、って、わたしは思ったりする。

あ、また話が逸れた。

ただ、性別違和を持っている人が「自分がそうなりたいもの」と自分を見比べて、自分はどうしたいのか、と考えるのは自然なことだと思っている。そう思ってるんだけど、しかし一方、わたしは自分自身のことを考えると、ちょっと違うような気もする。多分、わたしはそう思うのは、わたしには「性別違和」がないからだと思う。

そう、わたしはあの後「自分が女子であることとはどういうことか」をずっと考えてたんだけど、どんなにいろいろ考えても、それに何か意味があるとは思えなかった。他の人がどう考えているかは分からないんだけど、わたしは自分の行為が「男らしいか」「女らしいか」によって決まるわけじゃなく、ただ「自分がこうしたいからこうする」と考えて行動してきた。

前の日記にも書いたけど、わたしは見た目、あまり女らしくないみたいだ。だからしょっちゅう男と間違えられる。で、それで怒っていると「女らしい格好をすれば間違えられないよ」と言われたこともあるが、なんで既に女であるわたしが「女らしい格好」をしなけりゃならないわけ??わたしは「女らしい」んじゃなくて、既に「女」なんだよ。この「女であるわたし」がどういう格好をしようが、わたしが女以外のものになるわけないじゃん、ってわたしはそう思って生きてきたんだけど、んじゃあ、そう思える根拠は何?って思ったのね。

そうすると、その根拠は、生まれたときに医者が外性器を見て性別を判断するのと同じ、なわけで。わたしが「女である証拠を見せろ」と言われたら、全部脱いでやるー!これなら文句ないだろ、とおそらく根本のところでそう思ってるからだろうな、っていうことに気が付いた。

けどね、では「胸があったら女の人なの?」って思ったのね。そうすると「いや、胸があったってなくったって女じゃん」って思えるのね。そしてその答えをどんどん押し広めていくと「いや、外性器の形だけで性別を決めちゃいかんでしょ」ってことになるのね。そうすると、、残ったものは「頭で自分は男か女か」と考えることが、その人の性別ではないか、という気がしてきたのね。

だったら、FtMの人もMtFの人も(FtXもすべて含めてね)「自分はこうです」って思ったことを主張していけばいいじゃん?って思ったのね。身体がどうあれ、自分の思ってるとおりにすればいいじゃん、って。

でも、これは一方で「違うんでないの?」とも思ったのね。それは、性別違和を感じている人は、多少なりとも自分の身体に違和感や嫌悪感を持っている人だってこと。「頭の中では自分はこうなんだから」って考えても、やっぱり自分の身体が自分の思ったような形にならないと、そういう人たちの根本的な解決にはならないんじゃないだろうか、ということが一つ。

もう一つは、他人から見たとき。

この考えをずんずん推し進めていったとき、一つ思ったことがある。「the L word」の1シーズンでリサっていう、身体は完全な男性なんだけど、心は女性で、性的指向も女性だから「レズビアン」って人が出て来たわけ。その人のことを考えたの。わたし、その人のことは多分「レズビアン」として接することはできると思う。けどね、これが自分の恋人だとしたら、、と考えたときに「それは無理だ」と思ったのね。だって、心がいくら女性でも、肉体は男性なんだもの。やっぱ、わたしは男の身体は抱きたくない。彼女に「ペニスをディルドだと思って(笑))」って言われたんだけど、わたしはディルドに萌えるが、ペニスには萌えない。「何が違うの?」と言われると「いや、だから取りはずし可能なものと可能じゃないものは違う」としか言えない。。

ってことは、やっぱ自分も「見た目」で判断してるんじゃないか、って思うんだけど、でも根本的に男性の身体には魅力は感じないんだもん。だからわたし、レズビアンなんだもん。ここで「心が女性だから、肉体は男性の体つきしてても大丈夫」と言える人は、レズビアンじゃなくて、パンセクシャル(全性愛)なんだと思う。。

ということは、パンセクシャルの人よりもホモセクシャル(同性愛者)の人の方が多分、圧倒的に多いだろうから、自分が恋愛対象になるためには、やはりある程度は身体を変えた方が恋人は作りやすいのかな、と思ったりね。。ただ、パンセクシャルの人にしても、初めから自分はパンセクシャルだって気が付くより、自分のパートナーが性を変えたいと言いだして、それで徐々に変えていっても、その人をパートナーだと思える、そこで初めて「パンセクシャルだ」って分かる人が多いような気がするけど。

って、また何が言いたいのか分からなくなってきたけど、要するに、このわたし自身もパートナーは「女の身体を持っている人」じゃないとダメってことなんだよね。あと、頭で「男性」と思っているようなFtMの人とも付き合えないだろうなと思っている。あ、この場合パートナーとしてってことで、友だちだったら多分、どういう人でも友達になれると思うけど。だから、わたしにはパートナーの条件としては「ある一定の」条件が必要だってことになる。

と、ここまでは分かった。

しかし、未だに分からないのは、性別違和を感じていない人で、異様に「男らしさ」とか「女らしさ」にこだわっている人。わたしの考えとすれば、もう肉体が男性(女性)であるんだから、それ以上に「男らしい」とか「女らしい」って考える必要ないんじゃないの?ってこと。そういう人は「男(女)らしくしなくちゃ男(女)になれない」と考えてるんだろうか。自分のやりたいことを「男らしさ」と「女らしさ」で見比べて「あ、こっちは男(女)らしいから、こっちを選ぼう」って感じてるんだろうか。だとすると、わたしにとっては非常に複雑な考え方をしているとしか思えない。「自分がやりたいからやる」じゃなぜいけないの?それが今の社会規範で「男(女)らしい」って判断されたとしても、男(女)である自分がやるんだから、たとえ女らしいことを男性がやったとしても、別に女性になるわけじゃないでしょ。そこんとこがわたしには全く理解できない。

しかし「なんで自分が理解できないのか」を考えると、これまたわけ分かんなくなってくる。

子どもの頃のことを考えてみる。わたしには、、実は母親から「小さいときは男になりたいって言ってて、立ちションしてたことがある」って聞いたことがある。しかし、わたしはそういう記憶が全くない。わたしはそれを聞くまで「自分が男になりたかったときがあった」とは思いもしなかった。今もそういう記憶自体がないので「本当なのかなあ?」という気がする。逆に母親の履いてる靴やバッグなどの持ち物を持って、妹と庭を歩いているような写真が残っているし(まさか本人は「女装だ」と思ってたとは思えないし(笑))。

あとは「男は黒、女は赤」っていうランドセル分けは子供心に「いやだな~」って思っていた。なぜって、わたしは黒いランドセルの方が格好良く見えたからだ。まー、こっちの方は、わたしが運良く私立の小学校に入れて、その小学校は男女ともランドセルは黒、だったので、それはすごく救われた。

ただ、、小学校4年から始めた剣道で、防具を注文するときだったと思う。男子はみんな「黒い胴」だったのに、わたしは女だからっていう理由で「赤い胴」を注文された。そのとき「赤い胴は赤胴鈴の助みたいでかっこいいぞ」と剣道の先生から言われたことが鮮明に記憶されている。けど、わたしは「赤い銅はカッコ悪そうで嫌だ、てーか、赤胴鈴の助みたいにカッコいいんだったら、なぜ男子にも赤い胴を付けさせないんだ」って思ってたんだけど、何も言えなくて、で、結局中3まで赤い胴を付けて剣道やってたんだけど。あのときくらいかな、自分の中で「不本意」だと思ったのは。

でもわたしは「赤」が嫌いだったわけじゃない。ただ、ランドセルとか、胴が赤いのは黒いのに比べてカッコ悪い、って思ってたんだよね。ということは、わたしには「カッコイイか」「カッコ悪いか」という基準で動いていた、ってことはあるかも知れないな。ただ、人からは「カッコイイ」とは言われたくなかったというこの矛盾(苦笑)

んで、それ以外は「男女」で分けられて「女だから」と言ってやりたくもないことをさせられた、という記憶はない。逆にやりたくない面倒くさいことはだいたい「男子だけ」って言われて「女に生まれてラッキー♪」ってことは何度もあった。わたしは注射が大嫌いで、できるなら避けて通りたかったが、予防接種のときは、名簿順で、男子が先だから「先じゃなくてよかった」と思ってたし(笑)

親はわたしのことをどう育てたかったのかはよく分からない。クリスマスプレゼントや誕生日プレゼントの中で覚えてるのは、なんか「子どもミシン」みたいな、糸で縫い付けるヤツじゃなくて、単なる木工用ボンドでくっつけるような仕組みをしてたミシンをプレゼントされたことがあって、それで遊んでた記憶もある。一方、その当時はやっていた「仮面ライダーV3」のライダーベルトなんかをプレゼントされて、「へーんしん、トゥ!」なんて、高いところから飛び降りたりしてた記憶もある。これはホント小さい頃ね。

あとは「人形遊び」はしたことがない。「ごっこ遊び」も嫌いだったんだけど、これはわたしの根本に「自分は自分以外しかなりたくない」って頑なに思ってた部分があるからだと思う。わたしは「演じる」ことが大嫌いなのだ。だから、小学校のときに演劇で何かの役をするのは、本当に本当にイヤだった。わたし、こんなこと言いたくないのに、なんで台詞言わなきゃいけないんだ、とか思ってたし。「自分じゃなくなるもの」になるのが、小さい頃から本当にイヤだった。

「人形遊び」はしたことない、って書いたけど、それは「一般に考えられている人形遊び」というものをやったことがない、という意味であり、わたしは自分なりの「人形での遊び」はしていた。すなわち、わたしのやり方はまず「人形の首を全部もぎ取る」「服を全部脱がす」「人間には有り得ない格好をさせる(関節を逆に曲げたりすること)」、こういうことがわたしの「人形遊び」だった。当時、足を引っ張るとスカートがブワッと広がるしくみのリカちゃん人形かなんかがあったのね。わたしはその「広がる仕組み」が知りたかった。だから、人形の洋服を全部、脱がせてみた。そうしたら、なんてことはない、腰から傘の骨みたいなのが出てて、それが動くだけだった。それ以上のことは人形を分解しなくちゃならなかったので、できなかった。人形を壊してまでその仕組みが知りたい、と思ったわけではなかった。

というのが、わたしの「人形」に対する「扱い」だった。ほとんど「非人間的扱い」だったんだけど(苦笑)

しかしこれがぬいぐるみとなると全然違っていた。ぬいぐるみは、、、溺愛した(苦笑)幼い頃「モンチッチ」を買ってもらったことがあるんだけど、それに「チッチ」って名前付けて、どこにでも持ち歩いていた。しかも、そのモンチッチが、あたかも自分の人格があるように設定して、わたしは一人遊びをしていた。そのうち、人形の布が擦り切れて中からなんか、プラスチックの粒みたいなのが出て来ちゃったりしたんだけど、そのたんびに母親に言って、今度はぬいぐるみの綿を入れてもらって、直してもらった。結局、あれはわたしがあんまりそれに執着しすぎるってんで、怒られたかなあ、、それともボロボロになってもう遊べなくなったのか。よく覚えてないけど。

実はわたしの「ぬいぐるみ好き」っていうのは、今でもずーーーーっと一貫してある。そして特に「ぬいぐるみ」じゃなくってもいいんだ、わたし(笑)なんとなく優しい肌触りのものが大好きで、ハンドタオルとか、そういうものにものすごく固執して偏愛していた。もちろん、名前も付けて。これが今でもずっと続いていると言ったら、驚きだろうか?

例えば、わたしはいつの頃からか覚えてないんだけど、寝る前のおやすみ用手袋の片方だけ、名前を付けてずっと一日中一緒だった。その手袋の名前は、、「ろんこ」(爆)。そう、わたしのハンドルネーム「ろん」ってのは、実はここから来てたりする。。よくハンドルネームのことで「なんで『ろん』って付けたんですか?」と言われて、今まで「ロンリーのろん、だよ」とか「ウーロン茶のろんだよ」とか適当に答えていたが。。実は「ろん」の「ろ」の字は「てぶくろ」の「ろ」の字から来てたりする(爆)

今ではmixi始め、ハンドルネームは「Ron」になってるが、ブログの題名を見ても分かるように、当初は(てか、セクシャルマイノリティーのサイトでのわたしのハンドルネームは)「ろん」だった(「Ron」でなしにね)。わたしは別に「ろん」という名前が、英語で言うと「Ronald」という男の名前の省略形だなんてまーーーーったく思わず、てぶくろ「ろんこ」がいたから、自分が「ろん」だったんだよね。なんでてぶくろが「ろん」で自分が「ろんこ」じゃないかというと、これは簡単で、わたしが単なる女性が好きってことだけだ(苦笑)「ろん」だとどうもあんまり女性じゃない感じがして、だからてぶくろに「ろんこ」って付けて、で、もともとどーせわたしは女だからどうでもいい名前「ろん」になったのだ。

「ろんこ」の話は途轍もなく長い話になるので省略するけど、今のろんこは象のぬいぐるみ「ぞお」と結婚して、「ぞうこ」(3歳)「ろんう」(2歳)「ろんぞ」(1歳)の3人の子持ち、という設定だ。で、今、実は「ぞうこ」は京都を旅行中、という、まさしく今でもわたしは「ぬいぐるみ」で遊んでるわけだけど。

こういうことが「女らしい」と判断されるものかどうか、なんて、わたしには関係ない。とにかくなぜか、ぬいぐるみやふわふわして肌触りがいいもの、については、わたしは名前を付けて、いつしかそれに性格もできて、その中で生きている。多分、これはずっと変わらないものだと思う。

一方、わたしは小学生の時から野球が好きで、放課後は男子に混じって野球やってたし、小学校の高学年になると、電気回路に興味を持ってお風呂ブザーを始め、ラジオなどを作ったりしてたし、高校に入学したら無線の免許を取って「CQ~」ってやってたし、夏の時期は「スポラディックE層(Eスポ)が出て、とんでもなく遠くのFM局の電波が届かないかな」とか、FMラジオのアンテナだけでなく、AMラジオのアンテナを買ってきたり、そこだけ見るととても「男らしい」趣味を持っていた。

そういえば、随分前に小学校の友だちとオフ会をしたとき、同じクラスだったある女の人に「あのとき自分も野球がしたかった」と言われた。「んじゃなんで参加しなかったの?」って聞いたんだけど、彼女は多分、彼女なりの考えがあって参加できなかったんだろう。っていうか、その考えは多分、わたしにはないもの、理解できないものなんだろうな、と思ったんだけどね。

制服は中学までだったけど、好きだった。うちの高校は制服がないから、自分の好きな格好をしていってたんだけど、多分、今とほとんど変わらないと思う。ただ、たま~に「女装」したくなるときがあって、そういうときは中学の制服のスカートを着ていったりした。そう、わたし、スカートってそれしか持ってなかったから(苦笑)で、そのときはクラスの人にびっくりされて「なんで?」とか言われて。「いやー、なんかこれ着たかっただけなんだけど」みたいな(笑)

普段ははかないスカートに対して、なぜ制服ならいいのかというと、わたしは「制服はきちっとしててカッコイイ」って思ってたんだよね。別に学ラン着たかったってことはないし。だから、例えば制服のある職場だったとして、それがわたしの目に「カッコイイ」って映れば、わたしは別にスカートでも構わないって思ってる。ただ、自衛官とか消防士、警察官の女性の制服って、、帽子がカッコよくないんだよね(爆)ただ、男性と同じ帽子だと、これまた女性には似合わないんだよね。。ってわけで、多分、わたしの価値観って「男」とか「女」じゃなくて、「何が自分にとってカッコイイか」なんだってことが、なんとなく見えてきたかも。。

ただ、前にも書いたけど、人から「カッコイイ」とはあまり言われたくない。。「かわいい」とは言われたいけど(爆)

わたしはわたしのことを「自分は女だ」って思ってて、それは多分、周囲からいつも「男性」と間違われているから余計に「わたしは女なんだよ!!!」って過剰に思っている部分があるかも知れない。だから逆に言うとわたしは「性別違和」は感じないのかも、と思ったり。「自分の性を疑え」ってことで、いろいろ疑ってみたりしたんだけど、それによってわたしの性自認が揺らぐことはまずない。わたしは自分が女であるということに違和感はない。逆に男であると思うとすごく違和感がある、というか違和感どころか嫌悪感がある。男でも女でもない、と思うと嫌悪感はないが違和感はある。

ってわけで、わたしは自分のどこからどう見ても「自分は女だ」としか思えないのよね。。

「女子であること」はわたしにとってはどう考えても疑うべきことではなく、だから「女子であること」にわたしはこだわるけれど、ただその「女子」の中身は、わたしがやりたいと考えたものならなんでもその中に入ると思っている。で、わたしの基準は「男か女か」ではなく、「(自分の中で)カッコイイかカッコ悪いか」の方が重要なのかな。

で、人にはそれぞれそういう「基準」みたいなのがあって、それは他人がとやかく言うものじゃない、って、根本的にそう思ってる、ってことなのかなあ。だから世間の基準で動いてる人に違和感を感じるんだと思う。多分。いまのところはそういう結論。ってこれって全然結論じゃなくて、既に分かっていることではあったんだけど(苦笑)

取り敢えず、何が言いたい文章なんだかよく分からないけれど、吐き出したかったので吐き出してみた。

テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記

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