05-31 Sun , 2009
次郎物語 第5部
昨日「青臭い本を読んでいる」って書いたけど、それは「次郎物語」のことで、これは第1部が一番有名で、それが5部まであるってことを知らない人も多いと思う。でも、わたしはこの物語、最初の方はあまり好きじゃない。なんでこれが「子どもが読むべき児童図書」に挙げられてるのかさっぱり分からない。この話ってのは、第3部辺りから徐々に面白くなってくる、と自分では思っている。まー、わたしも最初に読んだきっかけは多分、児童の読む本として良書と挙げられていたからだと思うのだが、いつ、5部までの存在を知ったのか分からないし、初めて全部読んだときがいつだったのか、さっぱり思い出すことが出来ない。

でも、持ってる第5部の文庫本(新潮文庫)は昭和57年8月で第55刷だから、わたしが中学2年のときに買ったのだと推測される。実は、この「次郎物語」は、3部、4部、5部を先に買っていて、1部と2部が合わさった「次郎物語 上巻」(新潮文庫)は、その後で買い足したものだ。今は多分、「上巻」と「下巻」になっているのだろうと思う。

とにかく最後の方が好きだった、という印象しか持っていなかったが、今回、読み直してみて「ああ、やっぱわたしは第5部が一番好きだったんだな」と思ったのは、第5部の一文にエンピツで線が引いてあったからだ。それは「人間は大事な時ほど大らかでないと、的をはずしてしまうものだ。」という文章だった。いつ線を引いたのかは全く思い出すことが出来ないんだけど、過去にこの本を読んで、いつだか分からないけど、それを読んだときは、そういうことが大いに気に掛かっていたのかと思って少し笑えた。

今、40も一つ越えた、この歳になって、もう一度この第5部を読み返してみると、そんな一文じゃない、この第5部全体に渡って、この本を書いた「下村湖人」という人が、何を思ってこれを書いたのか、それが分かるような気がした。と言っても、この人、第5部を書いた1年後くらい('55年=昭和30年)に亡くなっているので、その後起こった日本の高度成長期なんかもちろん知らないだろうし、もう遠い遠い昔の話なんだけど、でも、今でも通じるところがある、というのは、日本人というものの性質ではなかろうか。

ちなみに第4部は5・15事件で主人公次郎が敬愛している中学校の教師、朝倉先生が諭旨退職、その少し後で次郎自身も中学を退学したところまで、その後、双方の東京での暮らしを描いたものが第5部で、ここには2・26事件が出てくる。いわゆる日本が戦争に突入していく時代を書いているのだが、わたしにはそれが「遠い昔の話」ではなく、むしろ今でも十分に通じる時代にまた逆戻りしているのではないかと、恐ろしい気持ちで読んでいた。

声の大きいものに、何の疑問もなくついて行ってしまう日本人の性質、お上(国)のやることに、今でもほとんど疑問を感じていない日本人の性質、精神論が好きな日本人の性質、そういうものすべてがあの戦争に飲み込まれていった背景ではないのか。

何かに異を唱えるとすぐに「反体制的」と言われる今の日本。反体制的ではなぜいけないのか、国が行なうことは全て正しいのか、それもほとんど考えないで体制側につく日本人。「愛国心」と言えば、国歌斉唱国旗掲揚だと思っている日本人、もっと「国を愛する」とはどういうことなのか、考えた方がいいのではないか。愛するものだからこそ、苦言を呈する、そのような愛し方もあるのではないか。

人間の基本的人権は、国家が保障しているものではなく、人間、そのものに与えられた普遍的な権利である。それを今、学校で教えているか?少なくとも、わたしの目には「昔の方が都合がよかった」と思っている人間に、将来国をになう若い人たちが、何も疑問を持たず、強い方に賛成し、弱いものへは自分の強さを見せつけていじめる、そんな教育を受けさせられているような気がしてならない。

そして、この本の魅力は、、その中で如何に生きていくべきなのかが随所に出てくることだ。確かにそれは一見「弱腰」に思えるかも知れないが、しかし、国全体が狂ってしまっているときに「これが正しい」と言うことは勇敢だけれども、しかしその人間は体勢に押しつぶされて殺されるだけである。そうではなく、来るべき「夜が明けた」ときにいち早く、新しい世界を作るために、自分自身を研ぎ澄ませておかなければならない、というのは、とても理に適ったことだと思う。わたしは今回、この本を読んでここの部分にハッとさせられた、ということがある。ただし著者は「ふたたび同じ道を歩まないように」という思いでこのような話を書いたのであろう。

そして、わたし自身は「いつか来た道」によってものも言えなくなる時代が再び来るとしたら、もうそれまでだと思っている。年齢的に言って、わたしは新しい世界を見ることはないだろう。だから、ますます「いつか来た道」の状態にしてはいけないんだと思う。

日本の教育にはもっと「人権教育」が必要だと思う。「権利が欲しい」と叫ぶ人々に、多くの目は「権利ばかり欲しがって義務を果たさない」と冷たい。それはとても悲しいことだとわたしは思う。なぜ、その人たちは権利を欲しがっているのか、自分はなぜ、その権利を持っているのか、権利を欲しがる人をすべて「反体制的」と非難する前に、「なぜか」ということを、自分の頭を使って考えて欲しい。どこかに書いてある意見をそのまま何も考えずに自分の意見にするんじゃなくて、そこにはどういうものが隠されているのかを考えて、自分の言葉として語って欲しいと思う。

もちろん、このことは誰かに向かって言ってるんじゃなくて、自分自身にも向けられた言葉だけどね。

ちなみにこの「次郎物語」は著者の構想では第7部まであったらしいが、それを永遠に読めないのは返す返すも惜しいところだと思う。わたしは次郎自身にはあまり共感はしないのだけれど、戦争中の次郎(とその周辺の話)と戦後の次郎(とその周辺の話)を読んでみたかった。それは、初めて全部通して読んだときの気持ちと変わらない。

なお、「次郎物語」はネットで全部読めるらしい。ちょっとびっくりしたけど、こういうものがあるとは知らなかった。
23:12 | (一般)本のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
はじめまして。
突然、昔の記事にコメント?と驚かれたかもしれませんが、
検索で出会えて、書いてらっしゃる内容すべてに納得、共感したので、
私のブログでも紹介させていただきたいなと思いまして・・・。
これから書こうと思います(ほとんど事後報告ですみません)。
追伸
私のリンク先にも、同性パートナーの方がいらっしゃいます。
私自身も長年、鬱病の治療中です。
プロフィールを読ませていただいて、お伝えしたいなと思ったもので。
上手く表現できませんが、記事を書いてくださってありがとうございました。。
Posted by: ナカリ母 at 2016/03/15 16:43 URL [ 編集] | page top↑
>ナカリ母さま
コメント有難うございます。
約7年前の記事ですね~。確かに次郎物語について書いたことは覚えていますが、書いた中身は全然忘れてました(^^;
この記事の内容を久しぶりにわたしも読んで見ましたが、
まぁでもこれは、今思ってることとそんなに変わってないですね。
むしろ、このときよりも危機感があります。
それくらい世の中は性急に動いているような気がします。

ブログでの紹介、どうも有難うございました。
ご家族に紹介して下さったんですね。
は、恥ずかしいです(^^;

ナカリ母さんのブログも読みに行きますね。
Posted by: ron at 2016/03/15 23:36 URL [ 編集] | page top↑
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