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05-28 Thu , 2009
三振野球と六振野球
えーと。わたしには「いぬちゃん」って知り合いがいるんだけど、いぬちゃんはねー、いぬのくせに(失礼!)フェミニストっぽいの。あ、本人は何だったかな-、フェミニストじゃない、だっけ。フェミニストの条件があって、それに一部当てはまらないから、本当のフェミニストじゃないって言ってるけど、わたしから見るとバリバリのフェミニストなの。で、日記に書いてることも正直言って、わたしにはよく分かんないの←堂々と言うなよ

でもね、そこで「いぬちゃん、わたし、これこれが分からないんだけどさぁ~」ってコメントすると、すっごく丁寧な例え話をしてくれて、その言葉はこういうことだよって教えてくれるの。わたし、フェミニストは怖いって、一方的に思い込んでたから、いぬちゃんと出会って「そうじゃない」ってことが分かったのは自分にとってもものすごくプラスになったなあって思ってる。

でね、こないだ、なんだったかな~。「詐欺行為」と「搾取」がなんたら~って書いてあったので(日記自体は全然違う内容だったんだけど、コメントでそれが出てきた)、「いぬちゃん、わたし『詐欺行為』とか『搾取』って言われても、それが具体的にどう言う意味を持つか分かんないよー」って書いたのね。

そしたら、いぬちゃんは、いぬちゃんが不得意でわたしの得意な「野球」にたとえて説明してくれたの。それがこの題名になってる「三振野球と六振野球」。このときは「男らしい」とか「女らしい」と今、言われているものは、昔からずっと不変のものだったわけではない、っていう、まぁそれくらいはわたしでも知ってることだったんだけど(笑)それのたとえだった。

多くの人々が「三振で1アウト」というルールの下で行われている野球が普通だと信じているけれど三振で1アウトでなければいけない、っていう理由はどこもなくて、それが例えば四振か五振で1アウトでもいいわけでしょってことで、そこに出てきたのが「六振で1アウト」という「六振野球」だったんだけどね。それを使ってどういうことが「搾取」なのかってことを教えてくれたの。

いぬちゃんはいつも「自分は野球なんか知らない。だって『バッチコイ』がどういう意味か知らなかったし」って言うけど、こっちにしてみたら「バッチコイ」なんか、草野球やってる人くらいしか知らないわけで。野球を観ているだけの人なら「バッチコイ」なんて、知らなくて当然なわけよね。あれは、野球をやってる人の言葉で、野球を観る人は別に全く知らなくても野球は観ることが出来るわけ。いぬちゃんがどこで「バッチコイ」という言葉を知ったのかは知らないけど、「バッチコイ」が野球を観る上で知らなくても全然構わない言葉だということすら知らないってことは、やっぱりいぬちゃんは野球についてはそんなに詳しくはないんだと思う(ゴメン、はっきり言って(苦笑))。

けどねー、そのもののことについて知らない人の方が、発想が自由なんじゃないかって、その説明を読んだときに思ってね。逆に知らないものの方が、想像力豊かに語れるんじゃないか、ってそう思ったのね。わたしは野球について現在ある形の野球が「野球である」と信じてるから、その形をどうやって崩せばいいのか、自分では思いつかない。ということは、逆にわたしが「こんなん当然じゃん」って思ってるものは、実は当然でも何でもなくって、ただ「そういうふうになっている」だけのものかも知れない。そんな風にわたしは思って、「もしかしたら、なんでも疑ってみないといけないな」って思ったのね。子どもの柔らかい頭ならともかく、もう人生半分くらい(半分以上?)生きちゃったわたしにとっては、それを考えることって難しいことなのかも知れないけど。

けどね。こうも思ったのね。「六振野球」ってもしかしたら「同性婚」とか「同性パートナーシップ法」に通じるものかも知れないって。今の日本は異性愛者しか結婚が出来ないし、それが普通だと周りからも思われている。それは、周りがみんな「野球には『三振野球』しかない」、って思い込んでるわけで、わたしは「いや、『六振野球』でもいいじゃないですか。『六振野球』でもちっともおかしくないですよ」って、多分、わたしは将来、そういうことにかかわっていきたいんじゃないかって。

したら、「六振野球」の妥当性だとか、必要性をもっともっと考えていかなくちゃいけないんだな、と。わたしは今のところ、どうやって「六振野球」にアプローチすればいいのか、実は全然分かってないんだけど、しかも、ただ「六振野球」についてだけ考えるのではなく、自分たちがもう既に手に入れている「道具」を使うことが条件の一つでもあって。ただわたしはそれが「道具」だということを認識はしているけれど、どうやって使えばいいのかよく分からない「道具」でもあり。「道具」の使い方をまず考えなければならないのね。

わたしは多分、これからまたいろいろ考えながら生きていくんだろうけど、「もうよく分かっている」と思い込んでいるものこそ、初心に帰ってもう一回「知らないもの」として考えてみたら、また別の可能性も開けてくるんじゃないかって、なんか今ね、そんなことをつらつら考えてるのよね。
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