05-10 Sun , 2009
希望と絶望
昨日の「MILK」を観た感想で「希望なんて儚い夢だ」と書いたんだけど、考えてみれば、わたしって希望は持ってないけど、絶望は持ってる。そのことに気が付いた。いつ、その絶望感を感じるようになったかも。

自分がレズビアンであることに気が付いたとき、わたしは悩まなかったけれども、その代わりというか、自分の中に「絶望感」が生まれたのに気が付いた。それは具体的に何に対する「絶望感」なのかはよく分からなかった(今でもよく分からない)けれども、あの当時「あー、もう自分の中で二度と消えることのない絶望を持ってしまった」と思った。

このことに気が付いて以来、わたしは「自分の中から二度と取り除かれないであろう絶望感」に対してどうしていいのか分からなくなり、多分、それが理由(のうちの一つ。これ以外にも理由はあるのよ)になって、わたしは1回目のうつ病になった。

その当時、まだ学生だったんだけど、とにかく人に会いたくなく、部屋(その当時、一人暮らし)でずっとどうすればいいんだろう、って泣いたり、それから外に出るのが怖かった。今で言う「引きこもり状態」になってたんだけど、だけど、一人暮らしだと、絶対に自分でご飯を作って食べなければならない、ということは、材料をどこかで買わないといけないわけで、もうね、外に出ることが一大決心だったの。何回も玄関に行っては靴を履いて、、でも外に出たくないから「どうしよう」って思って。外がすごく怖かった。

かといって、人とも接触したくなかったから、親からの電話とかも全部出なかったし(多分、電話線ごと引き抜いていたんじゃないかなと思う。その当時は携帯などはなかったので)、あるときとうとう電報なんか来て。でも、即座に捨てたけどね。誰にも会いたくない状態で、外に出られない状態で、本当にどうしようもなかったの。まあ、こうなったらもう絶望感云々じゃなくて、病気よね。

心配した親が上京してきて、わたしを心療内科に連れて行った。そうしたら「軽いうつ病ですね」と言われたんだ。「軽いうつ病って、、、こんなにつらいのに。。じゃあ、重いうつ病って一体、どんなんだろう?」って思ったのをよく覚えている。今では「うつ病」と言われるものは、あの時代は「軽いうつ病」って言われてたんだよね。

薬が処方されて、でもわたしは一人で既に暮らせない状態だったので、仕方なしに親元に行って。で、「薬を飲むと依存症になるから飲むな」と親には言われて薬を飲まずに、ずっと親元で過ごしてたんだけど。あ、学校の方は医者が診断書書いたんで、確か休学になったんだっけな?それともならなかったんだっけ、そこら辺はよく覚えてない。

とにかく毎日ずっと親元で過ごして、実はその当時のことなんてほとんど覚えてないんだけど、たった一つだけ覚えていることがある。テレビで「知ってるつもり」って番組があって、あるとき山本周五郎が取りあげられてたんだけど、番組の最後に「絶望は人間だけがもつことのできる黄金である」という山本周五郎の言葉が取りあげられて。わたしはその言葉を聞いたとき「あ、自分の中にある絶望感はずっと持っててもいいんだ。これは自分の中にある黄金なんだ」、そう思って、この言葉をずっと反芻して過ごした。それ以降はずーっと山本周五郎の作品を読み続けた。

この言葉、どこかの話の中で出てくるのかと思ったら、違うんだよね。「泣き言は言わない」って山本周五郎作品の中で使われた言葉や、メモ書きを集めた本があるんだけど、その34pに載っている。全文は「『絶望』は人間だけがもつことのできる黄金である。同じ意味で『酒』とよく似ている」なんだけど、わたしはこの後半部分についてはよく分からないから、そこまでは覚えてはいない。

けれど、この言葉を知ってから数日間、わたしは自分の頭の中で繰り返し、繰り返しこの言葉を反芻して、そしてずっと「この絶望感は持っててもいいんだ、いいんだ」って繰り返し思って、そしたら、いつの間にかうつが治っていた。薬を使わずに自分で治したんだけど、それ以来、この言葉はわたしの「座右の銘」になった。

「絶望」はあのときから自分の中では決して消えていないと思っている。けれど「じゃあ、具体的に何に対して絶望を感じているのか」というと、うーん、根本はやっぱり「自分は同性愛者だ」ってことになるのかなあ。。そのことについて悩んだことはないけれど、同性愛者として生きるってことは、生活のいろいろな面での「生きにくさ」を感じながら生きていかなくてはならないってことで、それを考えると途方もない疲労感に襲われる。「生きにくさ」ってのは、例えば自分が思い通りに生きたいと思ったら、周囲との摩擦が起きるだろうなってことで、実際、うつ病になったときは、周囲とのかかわること、イコール「摩耗してすり減っていく自分」と感じていたのね。

結局、わたしは「絶望感を持ち続けたままで生きていいんだ」って絶望感を肯定することで生きているわけだけど、そして、もうその「絶望感」からうつ病になったりはしないと思うんだけど、ときどき途轍もない「疲労感」を感じることはある。今はそういうのを誤魔化しながら生きていってる感じなのかな。

ちなみにその7年後くらいにわたしは2回目のうつ病をやったんだけど、まーこれはね、最初は身体の疲れだった。息をしても全然肺の中に空気が入っていかない感じがして、いつも息苦しかった。あー、あとね、この時は仕事をしてたんだけど、やっぱり一人暮らしでね。いつも会社帰りにその日の夕食を買って帰ってたんだけど、あるときから自分が何を食べたいのか、分からなくなったの。何も食べたくない気はするんだけど、まさか、何も食べないわけにはいかず(わたしって、絶対に夕飯は抜けないの)、毎日毎日、デパ地下を同じルートでうろうろ、何回も何回もするんだけど、全然欲しいものが見つからなくて、それで「おかしいな」って思ったのね。

で「あ、これはうつ病かも」と思って、割と早く医者に行ったつもりだったのだが(彼女の見解は違うんだけどね。わたしは病院に行くのを嫌がったらしい)、最初に処方された薬で息苦しさはなくなったの。でも、、そのとき、本当に運の悪いことに異動で別の部署に行かなくてはならないことになって、そこがまた、自分が初めて担当するようなところだったから、本当に一から勉強しなくてはいけなくて、そこで精神的に来ちゃったんだよね、、、これが異動なしで例年と同じに出来てたら、多分、2回目のうつ病がここまで悪くなって回復するまで長引いたとは思わないんだけどね。

2回目のうつのときは、もう自分の中に「絶望感を抱えている」ということが問題にはならなかったんだけど(それだけ絶望感が自分自身になってしまったということもあるだろう)、だから、2回目のうつが寛解した今もわたしは「絶望感」は絶えず自分の中にあるし、やっぱりこれって死ぬまで持ってるんだろうなあと思ったりもするし、逆に「絶望感」をなんとかしたい、ということがわたしの生きる原動力になっているのかも知れないなあと思う。

そうそう、ついこの間まで息苦しさを感じることがしばしばあって「やばいかな?」って思ってたんだけど、空手を始めてからそれは感じなくなった。何がよかったのかはよく分からないけどね。

空手はようやく道着を着て稽古できるようになり、ようやくスタート地点に立てた感じ?
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