05-09 Sat , 2009
デート?【3度目のMILK】
あー、今から4日くらい前だったかな、とあるフツーのゲイの人(笑)から「MILKのチケット、2枚あるから一緒に行かな~い?」って誘われて、昨日、2人でバルト9行って、わたしにとっては3回目の「MILK」を観てきた。

「あー、周囲から『ノンケカップル』に見えないかしら?(ドキドキ)」なんて思ってたのに、映画館の座席を決めるとき、係のおねーさんが「お二人で並んでみるとしたら、今だったらこの席しかありません」って、端の方とか前の方とか提示されたんだけど。そしたらあっさり「席は別々でいいです」と彼。「あ、それはいい考え!」と思いつつ、「あーん、ヘテロカップルごっこ(←?)があ(泣)」とかちょっぴり残念と思いつつ、「まー、別に隣に座って映画観てても、映画観てるときになにかするわけじゃないし(爆)」なんて口にしてて、はっと気が付いて「あ、いや、彼女と一緒に並んで映画観てても、なにもしないけど。。」などと言い訳したり、でも多分、彼には聞こえてなかったと思うけど(爆)

で、3度目の「MILK」の感想。

んー、今回はちょっとマニアックな見方をして、最後の役名で「HIMSELF」が3人いたので、それを探すことと、あと、アン・クローネンバーグ自身がハーヴィーの48回目の誕生日のパーティーに招待客として紛れ込んでいる、というのを2回目を観たときに買ったパンフレットに書いてあったので、それを探すこと。しかし、難しかった。。「HIMSELF」は、アラン・ベアードとトム・アミアーノとフランク・ロビンソンだったんだけど、アラン・ベアードは分かった。けど、トム・アミアーノは「これかな?」と思ったけど、確信が持てず、フランク・ロビンソンに至っては全然。。あと、パーティーのシーンで必死でアン・クローネンバーグを探したんだけど、分からなかった。。

って、これはまぁどうでもいいことで(笑)

そうだなー、始まってすぐ、白黒動画で警察によるバーの摘発のシーンが流れるんだけど、あのとき警察に摘発された人たちは、みんな下を向くか、手で顔を隠していて、そういう人たちが警察の車に乗り込んでいくのを観たら、なんか涙が出て来た。。ってわけで「もしかしたら、今回は泣けるかも?」ってちょっと思ったんだけど、話が始まってしまえば、普通に戻って、結局ね、ものすごく冷静に観ている自分がいた。

MILKはよくできた映画だと思う。観れば観るほどそう思う。何気ない一言の中に「ああ、この映画制作者はこのように考えて作ったんだな」と言うことが伝わってくる。そして、それがたとえ真実の出来事ではないとしても、全てにおいて「つじつまが合っている」。わたしはつじつまの合わない映画がとても嫌いで、そういう映画は何回か観て、「つじつまが合っていない」ことに確信を持てたら、もうその映画は二度とは観たくないと思ってしまうんだけど。この映画は初めて見たときは「本(ゲイの市長と呼ばれた男)と違う~!」と言うことがものすごく気になったわけだけど、この映画がアメリカの同性愛者の置かれてきた状態や、MILKという人がいたということを、一般大衆の人に如何に「観てもらえる映画」にするかを考えたなら、やはりこういう作りの映画にするのが「正解」だろうなと思うのだ。

ただ、3回目を観て思ったのは、やっぱり1回目に観たときに感じた「痛さ」がそのままよみがえってきたのと、ただし「カミングアウト」を迫るシーンは、観る毎に徐々に何も考えなくなってゆき。しかし「マイノリティー戦わなければいけない!!」と演説するシーンはやっぱり「あー」という疲労感みたいなのを感じたし、あと、MILKと言えば「希望を与える演説」なんだけど、彼は「希望だけでは生きていけないが(これって確か、ダイアン・ファインスタインが言ったのだ、希望だけでは生きていけない、と)、希望を持っていない人生は生きるに値しない」と言った。でも「希望」って一体何なのさ。希望なんて、非現実な儚い夢じゃないか。

わたしは希望など持たない。持っていてもその通りに行くとは思わないから。それよりも「自分のなりたいもの」に対して、どうやってなっていくか、具体的な方法を考える。具体的な方策がなければ「希望」はただの幻だ。だから、いくら「希望」の演説をされても、わたしの心は醒めていくばかりである。ってこれって多分、わたしは政治家じゃないからだな、と思う。「Yes,we can」と言われても、やるのは大統領だけでなく、あなたも「やらねばならない」。誰か人任せにしていれば、この世が自分の都合よくなどんるわけがない。そう思うからこそ、わたしは「マイノリティーは戦わなければならない」と言われるとものすごく強い疲労感を覚えてしまう。

だからこの映画って、わたしにとっては「MILKという人がいた」という話ではなく、今後の自分の生き方ややらなければならないことを想像させるので、疲れるんだよね。。

ま、感想はそんなところだけど。。

あー、でも、「ゲイの市長と呼ばれた男」の初っぱなに「本書でレズビアンが重要な役割を果たしていないのは、まぎれもない事実であって、ジャーナリストとしてその事実を変えることはできない。ハーヴィーは社会的にも政治的にも、レズビアンとそれほど接触していないかった」って書いてあるんだけど、映画でもね、本当にレズビアンってアン・クローネンバーグしか出て来ないんだよね。例えばクリーブ・ジョーンズが友達に電話して「デモ行進」のことを伝えるんだけど、その友達もまた自分の友達に伝える、、みたいに画面では16分割、いやもっとかも知れないけど、みんな電話でその情報を知らせるシーンがあるんだけど、見事に男ばっかりなんだよ。で、デモ行進の様子を見ても、女装の人はちらほら見かけるんだけど、女性って本当にいなかったの。

これって、あの当時もそうだったのかな。だったら当時のレズビアンは一体、どうしてたんだろう?そう思うと不思議でたまらないんだよね。。ただ、当時の映像で例えば「ゲイ・フリーダム・デー」のパレードのシーンを見ると、女性もいるんだよね。一体、あの時代のレズビアンって何をしていたんだろうかってこれはすごく不思議なのだ。

あと、、死の前日かなにかにハーヴィーがオペラを観に行くんだけど、ハーヴィーの左隣にいる女性がわたしにはどうしても「草笛光子」に見えてしまって、、(苦笑)あのあとハーヴィーがスコット・スミスに電話をかけて「今日のオペラで隣にいたの、誰だと思う?」って聞いたときに、わたしは「そりゃ、草笛光子だよ!!」って叫びたくなって困った(笑)いや、あの人、本当に似てるから。

あー、でもわたしにはオペラってものが全然分からないので、あそこでやっていた「Tosca」(だっけ?)ってオペラがどういうものなのか、どうして「Tosca」なのか、多分、あれはオペラを知っている人にとっては意味のあるシーンなんだろうな、としか思えなくてね。まー、残念というか。

ってわけで、3回目の「MILK」を観てきたわけだけど。。2回目の感想のときに「3度目はもうないだろうな」って書いたけど、さすがに4度目もないだろうな。。だいたい、3回観ても、金払ったのってたったの1回なのだ。。こういう「縁」も珍しいと自分で感じている。

フツーのゲイの人、誘ってくれてありがとう。ま・た・ね(はぁと)←橋本治風
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