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04-11 Sat , 2009
努力することをカッコ悪いと思う気持ち
TOEFLの試験が終わったときは「あ、なんかこれで英語の勉強ができるかも」と思ったのだけれど、それは淡い夢になりかかっている。

国際法だの国際人権法だのって本は、実はこないだ図書館に行ったときに何冊も借りてきて、取り敢えず2週間のうちに読んでしまわないと、って気になっている。まー、うちんとこの図書館は、他の人の予約が入っていなければ、2週間を2度、延長することができるから、最長でも1ヶ月半ではあるんだけど。でも、こんな本は早く読んでしまうに限る、と思っている。んで、国際人権法の前に国際法のことを知っておいた方がいいかな~と思って、今はそっちの本を読んでいるんだけど。

それと、どうも英語を勉強することが両立できないというか、既に「英語を勉強」ってだけで自分の気持ちが萎えるのが分かる。なんでだろう、なんでだろう、って考えているうちに「もしかして、努力することをカッコ悪いって思ってないか?」って思いついた。あ、思いついたってのはウソね。これはこないだ読んだ本にそれらしきことが書いてあって、そのときから「あー、もしかしたら」と思ってたので。ちなみにその本の名前は忘れた。最近、ホント、読める本はあっという間に読んじゃってるので、どこでそれが書かれたものかを記憶する余裕がない。まー、自分では「あれとあれとあれの中を見てみれば、どこかに載ってるだろうな」くらいは分かるけど。

ただね、例えば他のものを勉強するときって「努力することをカッコ悪い」とは思わないんだよね。わたしは比較的(?)知らないことは「このことについては全く分かりません」と表明することができるし、それがカッコ悪いとは思わないし、今はこの状態でも、取り敢えず勉強すれば分かるようになる、と思っている。だから、全くそれを知らない状態で始めて、それについて勉強することは「カッコ悪い」とは思わない。

ところがね、英語は違う。「できない」ということは割と簡単に表明しちゃうんだけど、そこからできるようになるまで「コツコツと努力する」ことはとてもカッコ悪く感じられてしまう。なぜなんだろう?って昨日からずっと考えてるんだけど、明確な答えが分からない。ただ言えるのは、今まで中学生から英語を始めて、わたしは一回も英語に対して「達成感」が得られてないのね。いつもなんか好きじゃないけど、どーにかこーにか、点数が悪いなりにやり過ごしてきた。英語に関しては、そういう印象しかない。「英語(というか語学)は、最初は全く分からないまま、それでもやりつづけると、ある臨界点に達したとき、突然分かるようになる」って聞くんだけど、今まで英語を勉強しててそんなことを感じたことがないので「ホントにそんなことがあるんかいな」と懐疑的なのもある。

そして、もしそういう「臨界点」みたいなのがあったとしても、何をどれだけやったら、それに達するのか、一度も臨界点に達したことのないわたしは、大げさに言うとそれが永遠のように感じられるのだ。そして、その永遠のために、毎日毎日、努力するって、、なんだかすごくカッコ悪いような気がするんだよね。この「カッコ悪い」というのは、「分からないままの姿」で、そういう自分を見せたくないって思ってしまう。

そう、数学とか物理とかは一つ「きっかけ」があれば、理解できるようになる。だから、わたしがもし、今さら「微分方程式をやれ」と言われれば、まー、錆びた頭ではあるけれど、やってるうちにできるようになるだろうな、という「想像」は付く。で、それに対して努力するカッコ悪さ、ってのは、人に見せても平気だと思う。やったらやっただけできるようになる、と思ってるからね。

ところが英語は上に書いたけどそうじゃない。一番の理由は「やったらやっただけ本当にできるようになるのか?もしかしたら、永遠にカッコ悪く勉強をし続けなければならないんじゃないか。そしてそんなに勉強しても、やっぱり結局は『分からない』ままで終わるんじゃないか」と思うと、あー、カッコ悪いのやだ、って思う。二番目の理由は、それに付随しているものだけれど、他人から「えー、お前、こんなに英語、勉強してるのにまだできないのかよ」と言われるのがヤダ、というのがある。逆のことを言われても同じ。「その歳になって英語、勉強し続けるなんてスゴイですね」というヤツ。前者と後者では、前者は多分有り得ないだろうけど、後者は有り得る。だけど、わたしにとっては前者も後者も、受け取るものは同じなのだ。それはわたしには「あなた、カッコ悪いですね」と言われているように感じるのだ。

普段、別に人からどう言われよう、何を思われようと、かなりな部分では平気だとは思うんだけど、なぜこの問題に限ってそう言われるのがイヤなんだろう、、、、

ああ、そうか。分かった。わたしは「努力してもできないこと」がイヤなのだ。「努力しているけどできないこと」が周囲に分かるのもイヤなのだ。だから英語(語学)を勉強する姿に対して「努力することをカッコ悪い」と思うんだ。「努力しても、できなかったらカッコ悪いじゃん?」って、多分、そういうことなのだ。

要するに、わたしは他のことに対しては「勉強すれば、取り敢えずは人並みに理解できるようになる」というある種の「自信」みたいのが既に自分の中にあるのだ。それは決して「わたしが頭がいい」と言いたいわけではないものの、「やったらできる」と思うと言うことは、それなりに「自分に自信がある」、ということだと思う。

他の科目はだから、カッコ悪くても大丈夫。やったらやっただけ「成果」があるから。「成果」があったらそれはそれで既に「カッコ悪い」状態から脱却しているから。そして、例えば運動などはわたしは苦手で「やってもできない」ことがかなりある。でもそれでも「わたし、カッコ悪いからやだな」って思わないのは、まぁ、今の生活でスポーツができようとできまいとあまり関係ないから、ってのもあるし、それが即、将来に繋がるわけでもないので、要するに無理してやらなくてもわたしが生きていく上ではあまり影響がないからだ。

ところが、、英語(多分、語学と言い換えても可)の場合は、やったらやっただけの「成果」なんか出て来ないから、いつまで経っても「カッコ悪い」ままだし、今後の自分の人生に関わることだから避けて通れない。そこのところで「やらなくちゃ、でも。。」って矛盾した気持ちが生まれてくるのだ。そして英語の勉強を始めることすらできない自分に対して苛立ちを覚えるのだ。

よし、取り敢えず、昨日から考え続けて、どうして英語の勉強に対しては「努力をすることがカッコ悪い」と思うかが分かってきたぞ。結局は「やって自信になる」「やっても自信にならない」の違いだと言うことが。

で、「やっても自信にならない」というのは、そうか、他人からそう思われることではなく、自分自身が「わたしって頭悪いよな」と具体的に見せつけられるのがイヤだ、ということだ。とはいえ、わたしは自分で「自分は頭がいい」と思って生きてはいないが(わたしより頭がいい人なんて、それこそごまんといるわけで)、そうかといって「自分は頭が悪い」とも思って生きていない。うーむ、なんというんだろう。根本的なところで「自分に自信があるかないか」というのは、こういうところで決まってくるのかも知れない。

もちろん、学校の勉強だけが人生の全てではない。それ以外のことだって、重要なことはいくらでもある。しかし、少し言いすぎるかも知れないが、わたしはそのほとんどに対して「まぁやったらなんとかなるさ」という「自信」があるのだ。それがたとえ最初は根拠のない自信だったとしても、また本当は自信なんか全くない場合に対しても、やってやれなかったことって、実は今まですぐに思い出せるような記憶はない。だから、わたしは自分が知らないことに対して「知ったフリ」をするの方がとても恥ずかしいことだと思っているし、知らないことはこれから勉強したり、人から教えてもらえばいいことであって、そうすれば、ある程度のことは分かるようになる、と思って生きているのだ。自信がないことでさえ、自分の今までの経験によって取り敢えず考えたことをすれば、ある程度失敗せずにできる(成功したかどうかはともかくとして)、ということも知っているのだ。

それが多分、わたしが自分のブログに理由もなく自分の意見を偉そうに書いてる理由なんじゃないかなと思うし、それってなんだかんだ言って、わたしは自分に自信があるのだ。

だから、やってもやっただけ成果が見えない、とかやっても分からない、という印象がくっついている英語(語学)に関しては、「やろう」と思うんだけど、どうしてもやる気になれない、というか行動に繋がらないのだ。

あー、そうか。そういうことか。

ということは、わたしは自分の持っている「自信」を一回、撤回した方がいいのかも知れない。といえども、見に染みついてしまった「自信」はすぐにはぬぐい去れないだろうし、ぬぐい去ったら「自分に自信のない自分」だけが残ることになり、それは好ましくない。ということは、、、「やってもできない」「自分に自信がない部分がある」ということの存在を自分自身が認めて、それを肯定してやることか。

であれば、「努力することをカッコ悪い」と思う気持ちはある程度ぬぐい去れるのではないか。それは「できないこともあるのだ」ということを自分で受け入れることか。しかし、将来的には「できるようになっておかなければならない」ことは明白なので、どこかで「やればできる」というものを掴まなければならないのではないか。とすると、「うそでもいいから、いつかはできると信じてやろう」になるのか。ただ、そうやって自分を誤魔化すには、もうわたしは十分大人になってしまった。。とも思う。

んー、難しいところだな。
結局、これだけ考えても結論は出なかったってわけやね(苦笑)
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