01-20 Tue , 2009
「それでもボクはやってない」を今さら観た
わたしの注目している監督に周防正行監督がいる。しかし、実際、何遍も覚えるほど観たのは「Shall we ダンス? 」だけで、ファンシイダンス」も「シコふんじゃった」も観たのは観たけれど、まー、こっちから何回も観たい!という映画ではなかった。

といえども、わたしが「観た」っていうのは、全部テレビ放送で、実際、映画館では観たことないんだけどね、、もともと映画館に行って映画を観る、ということは、わたしにとっては相当なことで、まー、だいたい「レズビアン&ゲイ映画祭」に行くくらいかな。巷で話題の、、という映画は多分、ほとんど観る気がない。

で、「Shall we ダンス?」がとても好きだったんだけど、この人って、随分長い間待たないと、次の映画を作ってくれないんだよね(笑)で、いつだろいつだろって思ってたんだけど、いつだったかな「次は痴漢えん罪ものです」ってことを聞いてから「えー、そうなのか」って思ってた。で、これもいつ、劇場で一般公開されたのか、ぜーんぜん知らなかった(笑)こないだ、TSUTAYAに行ったとき「あー、そういえばもうそろそろDVDになってないか?」と思って探してみたら、あったのだ。

周防正行の作品がどうして好きかというと、ちゃんと筋が通っているからだ。それも無理矢理にそういう行動をさせているのではなくて、かんがえてみれば自然にそうなるよな、という風に登場人物を動かしている。この「自然さ」が凄いところだと思っている。だいたいの映画って言うのは(まぁわたしが観た限りに於いてだけど)、「こういう結末やこういう場面(シーン)が取りたかったために、わざとこういう作りをしている、こういう風に人物を動かしている」っていうのがありありとわかって、それがいやなのね、わたし。で、筋に整合性が取れてなかったり、張ったはずの伏線が忘れ去られたりするのも嫌い。全部が全部、無理なく治まるとわたしはその作品に対して高評価をする。

で、何回も観て「ここはあとのこれの伏線だな」とか「これによって、この人がこう思い、あとでこのような行動をするんだな」という解釈を楽しめる作品が大好きだ。だから、飽きずに同じものを何度も何度も観るので、たいていわたしが好きなものは自分で持っている、ということになる。「Shall we ダンス?」もそんな作品で、これはこのまま再編集されてアメリカで上映されたんだよね。その上映されたビデオも持ってて、どこが削られたのかとか、どういうところを加えたのかとか、日本で公開されたものと比較するとこれがまた結構面白かった。

というわけで、まー、だから次の作品は期待してたんだけど。しかし、次の作品が痴漢えん罪ものって聞いたとき、実は「えー、これで『それみろ、やっぱり痴漢はえん罪が多いんじゃないか』ってことになったらいやだなあ」と思った。だってさ、やっぱり痴漢は捕まって欲しいもの。それがやったのに「やってない、やってない」って言い張ったらやってないことになってしまったら、とてもイヤだな、と思ったのだ。

実際、こんなわたしでも痴漢にあったことがあって、ホント、今考えても「アンタ、どこに眼がついてたの?」とか「よっぽど触る人がいなかったんじゃない?」とか思ってしまうのだが(わたしの身体触って楽しい人って彼女以外はいないと今でも思うもん(爆))、あれはいつだったか、ちょうど渋谷の東急ハンズに行った帰りに井の頭線に乗ってたのね。で、最初は全く気がつかなかったんだけど、ひょっと気がついたら、誰かの手がわたしの股間にピタッとくっついていて、わたしはすごくびっくりしたのね。で、すんごいびっくりしたもんだから、東急ハンズでちょうど金づちとか買ってきたときだったんだけど、その手に向かって、金づちでバシバシ叩いてたら、痛かったのか、手が離れたのよね。。すごいびっくりした。怖いとかそんなんじゃなくて、ただただびっくりした。んで、結局、誰が触ってたのか、全然わからずに電車降りちゃったんだけどね。でも、その後、すんごい不快で、捕まえてやればよかったと思ったんだけど、もう無意識で叩いちゃったからね、、

というわけで、こんなわたしでも痴漢に遭ったことはあるし、「この人痴漢です」って言うにはかなりの勇気がいるだろうなということも想像できるし、あとは逃げ場がないところで触られたら、怖いだろうなと言う気持ちもよく分かる。しかし、わたしのこの気持ちを見透かしたように、映画の中で弁護することになった女性弁護士が「痴漢事件は扱いたくない」と述べてるんだよ。それは、わたしがこの映画に思ってたことそのまま、って感じで。。多分、監督もそこら辺はよく分かっていたんだろう。

ってことで、ホント、この作品はどうしようかなと思ったんだけど、でも、この人の作品だったら、何か言いたいことが分かるに違いないと思って、それで借りたのだ。って借りるまでに長い説明だね、相変わらず(苦笑)

んー、この映画の結論については、わたしは正直、あまり重要でないものだと思っている。それは多分、監督もそう考えていると思う。だって「それでもボクはやってない」っていう題名だもの。この映画を最後まで観なくても「ああ、この人は有罪になるんだな。で、それで最後に『それでもボクはやってない』って言うに違いない」ってちょっと考えてみりゃすぐにわかることで。ま、実際その通りだったんだけどね(笑)

で、監督がなぜ「痴漢えん罪」を取りあげようと思ったのかは、映画の中で役所広司が言っている。「痴漢えん罪は日本の刑事裁判の問題点の縮図である」(まあ、こんな感じ)と。結局は、監督は「痴漢えん罪」についてを描きたかったのではなく「日本の刑事裁判の問題点」について、述べたかったのだと。だから、痴漢という犯罪について「えん罪が多い」とかそういうことを取りあげたかったのでない、ということね。それははっきりと理解しなければならないところだと思った。

だって例えば同じえん罪でも殺人のえん罪を映画にしようと思ったら、すごい大変だもの。そこら辺をまぁ、理解する必要はあると思った。

日本の刑事事件って99.9%は有罪なのだという。しかもその中で容疑者が否認しているものに限っても、有罪率は97%だという。なぜこんなに有罪率が高いかというと、これも映画の中で言っていたが「無罪にして喜ぶのは被告だけ。有罪にすれば、被害者や警察、検察の面目も潰さないで済む」ということらしい。んでは小学校の時に教わった「三権分立」って何?ととっさに思ったけどね。しかし、無罪を言い渡す裁判長はマスコミ受けも悪く、しかも裁判所の中でも出世はできないという。有罪を出すことが出世に繋がる裁判所って何?裁判所って公平に、客観的に裁いてくれる、と思ったら大間違いなんだそうだ。確かに国と市民が裁判所で争うと、だいたい、裁判所は国の味方なんだよね。一審で原告が勝訴しても、二審でひっくり返される、ということはよくあるもの。

映画の中では、最初の裁判官は無罪を出す人で有名な人だったのだが、その人が部屋に戻って司法修習生たちにに「刑事裁判の一番の指名はなんだと思いますか」と説いていたとき「最大の使命は、無実の人を罰してはならない、ということです」と言ったのだが、その光景をその上司らしき裁判官がチラッと見たのね。そうしたら、、次の公判のときは、その裁判官はどこかに飛ばされて、そのチラッとみた上司がその裁判の裁判長になっていた、という話。「検察の出してくる証拠で有罪と思えなかったら、それは無罪だ」と言いきっていた裁判官は、おそらく上司から「司法修習生に対して悪影響」と判断し、そしてどこかに飛ばしたのだろう、ということが察せられる。てか、裁判所ってホント、こんな世界なんだろうか??だけど、権力を持つ人が安易にその力を使いたくなるという気持ちは実はわたしには分からないでもない。が、本当は権力を持つ側ってのは、その権力を行使するときには細心の注意を払って使わなければならないのだが。。もうその権力を持ってることが当たり前の感覚になっちゃうのよね。だから、何でもそうだけど、権力を持っている人は、自分が持っている権力、というものが一体どういうものなのか、しっかり考える必要があると思う。そうじゃないと、危険なナイフを振り回す通り魔と同じだ。誰も裁いてくれないだけ、通り魔より、なおたちが悪い。

って、権力について熱く語ってしまった(笑)
続きね。

んで、刑事事件の弁護士って、あまりいないらしい。そりゃそうだよね。だって、裁判で争ったってほとんどの確率で負けるんだもの。そんな負けっ放しの弁護なんか、最初は「国家権力と戦う」という意欲に燃えていたとしても、負けっ放しだとモチベーションなんか上がるわけない。この映画では、最初に謁見した当番弁護士が、別の件で自信がなくなってしまったところで、この容疑者と会ったため、容疑者が「やっていない」というのにもかかわらず、示談を勧めたりしている。まー、これはあまり真実ではないような気はするが。そこで容疑者は混乱して、結局それで後手に回ってしまい、結局は無罪を勝ち取れなかった、という感じかな。

この中ではまだ「容疑者」の立場である人間をまるでもう罪を犯した人のように扱う警察や、いい加減な取り調べをする検察、無罪を有罪にしたててていく有様、など、結構観てて怖かったのよ。

被害者への尋問が終わった後に、容疑者は保釈されるんだけど、なんと保釈金200万円だそうで、わたしがもしこういうところに入ったとしたら、保釈金が用意できないじゃん、などと思ったりもした(苦笑)

それに、家宅捜索で痴漢もののエロビデオを見つけられてそれが証拠になるんだけど、そんなんだったら、わたしなんかヤバイことだらけじゃん!日記読んでりゃ分かるけど、わたしはエロいレズビアンだって何回も書いてるし、それにエロDVDを観た感想なんかも書いてるし。。

誓って言うけど、わたし、誰かに痴漢したいと、生まれてこの方いっぺんも思ったこと、ありませんから!!!

って何かあったときのために書いておきます(笑)

っていうかさ、わたしだって痴漢の罪に問われる可能性がないってわけじゃないんだよね~。例えば、まー、わたしは女性専用車には乗らないけれど、もし一般車両で「痴漢です」って言われたら、、「わたし、女なので女は触りません」と言ったらそれで返してくれるんだろうか、とか。もしわたしが「レズビアン」って分かったら、確実に返してもらえないのかな、とか。でも、わたしは確かにレズビアンではあるけれど、どういうときでも誰か不特定の女性に対してムラムラきて、その人の身体を触ってみたい、なんて思ったことないもの。。。でも、映画の中で痴漢もののエロビデオが出てくるだけで証拠になってしまう、ということは、こういうことも決して有り得ないことじゃないんだな、ということはよく分かったわけで。。

まー、なんというか、警察の口八丁手八丁には決して乗ってはいけないとかね、なんかそういうことは学びました(笑)

しかし、痴漢に遭うことはもちろんいやだけれど、そしてやった人は捕まって欲しいとは思うけど、しかし捕まったからと言って、すぐ認めて罰金払えばあとはおとがめなし、っていうのもやっぱ変だよね。ごねたらごねただけ損をするってのも変。問題が「真実は何か」じゃなくて、例えば「警察や検察の顔を立てている」とか「なるべく裁判官の心証を悪くしない方がいい」とか、どうでもいいことが凄く大切なことのように思われてて、やっぱりおかしい。

そしてただの容疑者なのに、罪人扱いってのはもっとおかしい。これは国際機関から何度も何度も日本に対して指摘されている事項なのに、日本政府は受け入れていない。なんでなのかな、これ?

映画自体はね、一つ欠点があるとすれば、留置場にいていろいろ教えてくれる人。NHKの「フルスイング」っていうドラマで桜台高校の教頭をしてた人なんだけど(名前は知らない(^^;)、この人がね、必然性がないんだよね。あなたはなぜここにいるのか、それが観ている人にはよく分からない。この人の素材意義は、何も知らない容疑者(と映画を観ている観客)に「当番弁護士というシステムがあるということ」や「これからの取り調べはこうなる」という説明をさせていることなんだけれど、この人がここにいる必然性が分からないのよね。だから、一言でもあの人が「ここにいる理由」を言ったらよかったのになあ、と思った。でも多分、それを言わせなかったってことは、緻密に計算立てて映画を作っている監督のこと、説明のしようがなかったんだろうなあ~って感じている。んー、「Shall we ダンス?」のときの「引っ越しのサカイ」に出てきてた人(名前知らん)も、社交ダンスについていろいろ説明する役柄ではあったけれど、あれは「先に入会している立場」としてああいう説明をするのは、矛盾すべき行為ではなかったからね。

ってことで、この作品。わたしは何回も観ようと思える作品じゃなかった。けど、こういう現状が日本にはある、ってことを知れたことはよかったのかな。あと、警察に捕まっても、不利益な言動は絶対によそう、と思わせてくれた映画だった(笑)って、なにがあって、めぐりめぐって自分は全然関係ないことでも、容疑者として捕まる可能性があるんだと思ったからね。そしてそんなことがないのを願うのみだけれどね。
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