12-23 Tue , 2008
在日コミュオフ会
今日(既に昨日になっている)はオフ会だった。わたしが入っている「在日コリアン」コミュのオフ会。

単純に感想を書くと、みんな初対面だったんだけど(そりゃそうだ。だって、わたしはあのコミュのオフ会は初参加だもん)、なんて言うのかな、取り敢えず、ハンドルネームを聞くと「ああ」ってみんな思うような人だったって言うか、わたしもそれなりに書き込みはしている(していた?)ので、まぁわたしがどういう人間かは分からないにせよ、レズビアンであることくらいは多分、みんな知ってたと思う(笑)

でもねー、確かに初対面は初対面なんだけど、で、わたしは誰も知り合いがいないオフ会ってのは、とても人見知りをするので苦手なんだけれど、でもなんだかよく分からないけど、とても楽しかった(笑)真面目な話からエロい話まで、ごっちゃごちゃで。

あ、初めて「マッコリ」っつーどぶろくみたいな酒も飲んだ。ちょっとだけね。あとはよく分からない食べ物もいろいろあったけど、辛くなくてすごいおいしいのもあった。けど、なんて料理か聞いてくるの忘れた。。orz

まー、わたしは病気療養中で、しかも仕事も今あるので、一次会で帰ったんだけど、帰りしなにいろんな人と握手して別れた。なんていうのかな、一言で言うと「とても暖かいオフ会」だったんじゃないだろうか。

帰りの電車の中で考えた。「日記どうやって書こう」と。

「在日コミュのオフ会だったんだけど、わたしは在日でも帰化した日本人でもない」って書くべきかどうか。それはもしかしたら「いらない情報」なんじゃないかと。だって、わたしはオフ会で誰が在日かとか、誰が帰化してるとか、誰が日本人かなんてこと、全く興味なくて誰にも聞かなかった。「別にそんなことどうでもいいじゃん、それによって態度を変える訳じゃあるまいし」と思ったし、今でもそう思ってるし。

ただね、じゃあ日記に「在日コミュのオフ会に出てきました」というと「あれ、Ronさんは在日だったんですか」と思われるんじゃないかな、と。そこでわたしは「んー、別に在日でも日本人でもどっちでも構わないじゃん」って態度も取れるわけね。だけど「いや、在日ではないんですけどね」と一言書きたい気持ちがするのはなぜなんだろう?と。別にわたしが在日って噂を立てられようが、残念ながら真実はただの日本人なので、痛くもかゆくもないのは確かなのだ。もちろんここで「実は在日でした」と書くこともあっただろう、わたしが在日ならね。でもわたしはそうじゃないから、それを書くとウソを書いたと言うことになるので、そんなことは書かないけど。

って書くとなんだか、いろいろ言い訳をしているように思えてくるのね。「在日であったってなくったっていいじゃないか!」と思っているのに、日記には「でもわたしは在日じゃないんですけどね」って書くのって、なんか言い訳がましくない?在日と日本人とそんなに分ける必要があるのか?とね。もしかしたら、わたしの中に「在日フォビア」ってもんが実はあるんじゃないか、とかね。在日の人と仲良くする一方で「でも、わたしは日本人ですから」ってのは、「在日であろうがなかろうが、とても楽しかったオフ会」を一方で否定していることにならないか、と。

わたしがこういう思いを抱くのには訳がある。

例えば、雨宮処凜の「生きさせろ!」という本がある。その本の130ページに、一人では暮らせないくらいの低賃金しか給料がもらえない男二人が、一緒に暮らしてなんとか生活していこうとする話なんだけど、部屋探しをするときに「『ホモなの?』ってうるさく言われる」と書いてあるんだけど、そこに一言雨宮処凜が「ちなみに二人はホモではない」って書いてるのね。

わたし、これ読んだときに「じゃあ、ホモだったらどうなの?」って思ったのね。ホモであろうがなかろうが、この話には一切関係ないじゃん、って。今は低賃金で一人で暮らしていけない人のことを書いているのであって、その人たちがホモであろうとなかろうと関係ないでしょ。まるでホモだったら家を探すときに「ホモなの?」って言われても当然のことで仕方ない、ホモでないのにホモと間違われてかわいそうと言われているようですごくむかついた覚えがある。

わたしはそれを思いだしたのね。そしてわたしが「いや、わたしは日本人なんですけどね」と書くことによって無意識にでも「差別されることから逃れようとしている」んじゃないだろうかって。言っておくと、法務省が平成14年3月に出した「人権教育・啓発に関する基本計画」の中には「人権課題」として「外国人」への差別、と「その他」の中に「同性愛者への差別」という言葉がちゃんと入っていて、要するに国としては、在日も同性愛者も差別される対象と見なしているのだ。

でね、あんまりこういうシチュエーションは想像できないんだけど、ノンケとLGBTと入り交じったオフ会をやったときにね、ノンケの人がオフ会出たあとに日記に「いやー、自分はノンケなんだけどゲイとかレズビアンとかがいるオフ会に行きました」と書くのと同じなのかなーとか。そこでどうしてそのオフ会に行ったのかとかいろいろ語っちゃったりするのかな、とか。いや、語りたくなるだろうなと(笑)

今ねー、どうやらLGBT支援者の人のことを「アライさん」(アライ=Ally=支持者、の意)って言うらしいんだけど、なんかね、これ、変なんだよね。これだとこの世界には「LGBT当事者」と彼らの支援者、それ以外の人は支援してない人、この世の中にはこの3種類しかいないことになる。あれ、でも自分は普通の友達になりたいのに?そういう人もみんな「支援者」なの?って。支援者は支援者であって友達ではないよね。では友達として付き合いたいって思う人は、一体なんなの?って。

そう考えると、なんかとてもこの世界(LGBTの世界)が窮屈に思えてくる。「LGBTもそれ以外の人もみんな同じ土俵で楽しもうよ!」そういう考えが出てくるのも納得できる。実際、そういう付き合いもたくさんあるだろう。友達がたまたま、LGBTだった、とかね。わたしのヘテロの友達はみんなそうだ(笑)

だけどね、だからといって、「あなたとわたしは同じだよねー。ゲイだってレズビアンだってみんな同じ人間じゃん」と安易に言って欲しくないのね。その言葉はわたしを傷つける。だって、ヘテロの人とは明らかに同じじゃないから。ヘテロの人には普通に与えられている権利が、LGBTにはないから。そのことについてもちょっとは考えて欲しいから。少なくとも考えた上で「同じだよね」と言って欲しい。そう思う。

ということは、また前に戻って、日本人というマジョリティーであるわたしが「在日も日本人も変わりないよー」と彼らに安易に言うべきではないだろう。わたしがたまたま日本人である、というだけで、持っている権利はたくさんあるのだ。わたしはそのことを常に頭のどこかに持っておかねばならない、と思う。そして、ほとんどのときはただの「友達」でもいいだろう、けど、ときには「支援者」に変わらねばならないときもあるかな、と思う。

こういう場合は、マイノリティーであることを考える方が楽だ、とつくづく思う。自分がマジョリティー側に立ったとき、マイノリティーの人たちに対して、どういう立ち位置を取ればいいのか、こっちの方が案外難しいと思う。

と同時に、また話はLGBTに戻るけど、今はつくづくLGBTの世界とノンケの世界が別々だと感じる。あ、もちろん、中にはカミングアウトしてない人とかそういう人もたくさんいるだろうけど、そういう人はまぁ、その人の考えでやればいいだけの話であって。わたしのような比較的オープンにしている人間は、もしかしたらもうちょっと「それ以外」のところに行くべきなのかな、と。今日みたいにね(笑)

今日は、なんか自分にとって久々ノンケに囲まれたオフ会で(笑)、会話が新鮮だったわー。奥さんとか子供の話なんて、しないよねー、レズビアンのオフ会じゃあ。ゲイともそんな話しないし(笑)会話がすごく「ヘテロへテロ」してて、逆にわたしはそれが新鮮だった。ってことは、わたし自身、どんだけLGBTの世界から出てなかったかってことよね。エロい人もいたけど(爆)、でも基本的にみんな真面目だと思う。「一人一人が生きやすい世の中になるのが一番だよね」と言って最後に別れたんだけど。そうだよね。在日もLGBTも。そうじゃない人ももちろん。

なんか、帰りの電車の中ではいろいろと考えをめぐらせてたんだけど、でもオフ会自体は、とても暖かで楽しかった。
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