12-06 Wed , 2017
実習が終わった
長かった実習がやっと終わった。
実習後にやらなきゃいけない諸々のことも終え、今は一息ついている。

実習が半分終わった時点で悩んでたことも関わってもらったさまざまな人たちのおかげで解決し、実習全体を振り返ってみれば、当初考えてたよりずっと実習は楽しかったと思う。それに当初考えていたよりずっとずっと教わるものが多かった。

確かに実習生は実習先にお金を払って実習を受けている。そういう意味では払った金額に見合う「何か」を得ないと実習生は損をすることになる。そう思って一つでも多くのことを学んでやろうとこっちも本当に必死に努力していろんなことを感じ、いろんな疑問を持ち、そしていろいろ考察もしたんだけど、わたしの実習先というのは、学ぶ方が真剣であれば、それに本気で答えてくれるようなところだった。それは最後まで一貫してそうだった。なのでわたしは「こういうことが福祉なんだな」とか「こういうことが支援なんだな」って感じることがたくさんあった。もちろんこれは実習先を通して感じたことであり、それによって福祉「全体」のこととか支援「全体」のことが分かったわけではないのだけどね。

それから社事大通信の場合、帰校日というものがないので、実習中に4回、先生が実習先に来て巡回指導をする。4回って言うと、ほぼ1週間に1度。しかもこれはわたしの先生だけかも知れないけど、4回ともぜーんぶ先生が実習先の実習担当の人も同席を望んだので、わたしなんか1週間に1回はわたしと学校の先生と実習担当の人で三者面談していた。それも1回に付き絶対に1時間以上話してたからなあ。。1週間に1度、自分が今何を学んでいるかをチェックされるので、これは少々きつかったですね(笑)ただそこで先生や実習担当から受けたアドバイスというのは、その後の実習に大いに役立ったのは確かだったけど。そういう面で大学自体も実習と本気で向き合ってくれるのが分かるというか。社事大、費用面では他の通信制大学に比べると非常に安いんだけど(その代わり学士の称号は得られない。養成課程だから)、安くてもホントしっかり面倒みてくれる大学だなあと思ってます。いや、大変ですよ。実習中に4回も三者面談があるのは。

まぁわたしの場合、実習先も真剣に答えてくれるところで、学校も真剣にやってくれるところで、それが両方こっちに向かってくるので、学生の側からすると非常に大変だったのよ。。でもおかげでこちらも本当に真剣にやらなきゃなーって思ったし、その気持ちを最後まで全うできたのは、こういう人たちのおかげだと思ってます。

そういうわけで実習は確かに大変だったんだけど、その大変さに拍車を掛けた理由は、わたしは実習前に11月30日までに学校に提出しなきゃいけない科目のレポートを3本残して実習に突入したからなんだよね。いや、ホントは実習前に2本は書くつもりだったんだけど、実習前の気の重さとか実習前に疲れてやる気を失ってたとかで全く書けなかったのよね。これが提出期限までに書けないと、受験できるのが1年延びてしまうので、レポート提出の方も実習中に必死に書いた。「実習あり」組は、普段のレポート提出もこなしながら実習をやらなければならないので、「実習免除」組より格段に大変な気がする。実習なしだと4ヶ月に8本、淡々とレポートを出し続ければいいだけだもんね。

というわけで多分最大の山場であろう、実習がやっと終わった。学校の方はこれからまだあと16本残っているレポートと、2回残っているスクーリング。それから国家試験。来年の今ごろは必死で試験勉強をしてる頃だろう。先のことを考えるとまだまだやることあるなあ、、という感じだけど、

でもひとまず、お疲れさんでした!
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12-07 Thu , 2017
第3学期突入
社事大の第2学期は11月30日まで。その翌日12月1日からは第3学期が始まる。

第3学期に課されるレポートは、「現代社会と福祉1」「相談援助の理論と方法3」「地域福祉の理論と方法2」「社会保障1」「就労支援サービス」「権利擁護と成年後見制度」「更生保護制度」「相談援助演習3」の8科目。

前の2学期のとき「課題自体、何を言ってるのか今のところはよく分からない」と書いたが、実習を経験したからか、課題の内容は今全く勉強してなくても、ある程度なんとなく何をやらなきゃならないのかが分かっているような気がするが、これ、本当にやるとしたらかなりめんどくさい。。。(´Д` )

しかし、社事大のカリキュラムってのは本当に面白くて、最初に個別の制度を学ばせた上で、徐々に「福祉とは何か」みたいな科目になるのよね。各論から総論、みたいな感じ?これは個人的には非常に分かりやすいカリキュラムだと思う。ま、大学の講義なんかはたいてい総論を初めにやって各論をあとでやるカリキュラムじゃないかなと思うんだけど。わたしが大学生の時の講義なんて(分野も何も全く違うけど)まさにそうだったから。で、総論からやるとこれがまた全然分からないんだわ。。話が抽象的なのでね、総論って。

という風に、なぜかここ最近ずっと社事大を誉めまくっているような気がしているのだが??まぁ別に誉めたからってここで受験資格がもらえるわけでもなく。ただ、個人的には勉強しやすいカリキュラムになってるなと本気で思うだけで。それに何よりここの学校に決めたのは前にも書いたけど、学費の安さのみでカリキュラムがどーとかってちっとも考えてなかったし。

今学期はいよいよ「権利擁護と成年後見制度」と「更生保護制度」が学べる。これ、当初から勉強したかった科目だ。その他の「現代社会と福祉」と「社会保障」も今になって徐々に興味が湧いている科目。で、第1学期からわたしはどうも相談援助関係の科目が苦手(社会福祉士なのに!)。なんというか、どういう資料を探せばいいのか分からないのが一点。教科書に書いてあることが理論として確立されているかどうか分からないというのが一点。でもレポート書くのにそこまで追究して勉強しなければならないのかというのが一点。結局あやふやなままでレポートを書かなければならないので、それがとても苦痛な作業なのだ。

そういや全然話が変わるけど、昨日、実習総括レポートの様式をダウンロードしようと思って学校のサイトに行ってみたら、今年の入学願書が受付中って書いてあった。あれからもう一年か~早いな~。で、そこには社会福祉士一般養成課程の修習率は91.1%って書いてあった。確かにね~、他のクラスメイトも次々と実習に突入してるみたいだし。で、実習終えたらもう学校は辞めたくないわね、ここまで来て。

というわけで、まずは「現代社会と福祉」から。
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12-08 Fri , 2017
少しは自信が付いたかな
実習前に一番心配だったこと。

それは「実習終わるまで、無事に体力が持つだろうか」ということ。

結果的には実習中、風邪を引くこともなく無事に終えられた。ただ途中で一気に寒くなり、何回か風邪引きそうなヤバイ状態になったけど、そのたびに腰にカイロを貼ったり、葛根湯を飲んだらどうにかしのげた。

あとは頭痛。なんか去年の行政書士試験の試験勉強してた8月の終わり頃からだったと思うけど、どうも不眠傾向にあるのよね。で、結局今年の6月までずっと睡眠剤だけ処方してもらうために病院に行ってたけど、その睡眠剤は副作用に深刻な食欲不振を引き起こすために飲めなくなって。で、試せる睡眠剤は一応試してみたんだけど、どうもどれもダメで。結局病院に行くのは止めてしまった。

というか、普段は眠れるんだよね、普通に。わたしの不眠というのは、何かある前日になると途端に眠れなくなる、という不眠だ。例えば翌日から実習が始まる、とかね。案の定、実習が始まる前の日は一睡もできず、実習初日は頭痛薬を何錠飲んだかなあ。わたし、幼い頃から睡眠不足から絶対に頭痛になるという体質で。だから今まで徹夜は高校時代に1回しかやったことがない。そして特に今年の6月~7月頃から、眠れてても疲れるともう夕方頃から頭が痛くなってきてしまい。わたしの頭痛は本当にしつこくて、薬飲んだだけじゃダメで、同時に肩や首を揉んでもらったあとに風呂入ってぐっすり寝るとか、そういうことをしないと治らないのだ。それに場合によっては気絶するほど頭が痛くなることがあって、そういうことが外で起きたら、と思うととても怖い。そこまでひどい頭痛じゃないときでも大抵吐き気が起きるので頭痛の時は外に出たくない。

そんな頭痛が眠れなければ必ず来るので、眠れないと頭が痛くなる恐怖、がわたしにはものすごい強い。

不眠解消のサイトを読むと大抵「気になることは忘れましょう。一晩眠れなくても死にはしません」みたいなことが書いてあるのだが、わたしの場合、気になることが「眠れなければ頭が痛くなる」ということだし、眠れなければ絶対に頭痛が起こるので、死なないのは分かってるんだけど、「死なないから大丈夫だ」という呑気な気持ちにもなれない。また「頭痛が起こっても大丈夫だ」とは到底思えない。実際、大丈夫じゃないからね。

というわけで、実習中も何度か頭痛薬でしのいだ日もあった。

ただ。

実習やってたら体力が付いたらしく、一晩眠れなくても頭痛は出なくなった。二晩眠れなかったときは3日目に頭が痛くなって1日実習を休んだ日もあったが、それ以降は二晩眠れなくても頭が痛くなることはなかった。で、さすがに3日連続眠れないってことはなく、3日目に少し眠れてそれ以降は眠れるようになる、というパターンになった。

そうしたら普通は「一晩眠れなくても頭が痛くなることはないから大丈夫だ」って安心して眠れると思わない?

ところが、やっぱり眠れないのよね。「眠れなくても頭痛くならないから大丈夫!」って思いながら目をつぶってるんだけど、何が原因なんだか全く眠れなかった。なので一睡もせずに実習に行くってことが何度もあった。そんな感じだったので、一晩や二晩眠れなくても大丈夫だという自信だけが、この実習では付いたのだった。
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12-12 Tue , 2017
添い遂げるということ
最近なんとなくよく考える。「添い遂げるとはどういうことなんだろうか」って。

太古の昔からいつの時代でも同性愛者はいると思うので、周囲にそうと気が付かれなくとも、周囲からなんとなく変と思われようと「添い遂げた」カップルはいたとは思う。

が、今や多くの国で同性婚ができるようになった時代、未だかつてないほど「添い遂げる」カップルは多くなるだろうと思われる。

しかし、「添い遂げる」ってどういう意味なんだろう。

今、わたしはギリギリ40代だが、もし彼女が亡くなり一人になったとする。その後、誰とも恋愛しないで一生一人で生きたとしたら、それは添い遂げたということになるのだろうか。

10年後、わたしが50代の時に彼女が亡くなって一人になったとする。その後、誰とも恋愛しないで一生一人で生きたとしたら、それは添い遂げたということになるのだろうか。

20年後、わたしが60代の時に彼女が亡くなって一人になったとする。その後、誰とも恋愛しないで一生一人で生きたとしたら、それは添い遂げたということになるのだろうか。

30年後、わたしが70代の時に彼女が亡くなって一人になったとする。その後、誰とも恋愛しないで一生一人で生きたとしたら、それは添い遂げたということになるのだろうか。

40年後、わたしが80代の時に彼女が亡くなって一人になったとする。その後、誰とも恋愛しないで一生一人で生きたとしたら、それは添い遂げたということになるのだろうか。

このように10年単位で考えたとき、「添い遂げた」ことになるのは、70代80代になってからなのかと思ったりする。ということは、その後のわたしが同じようにその後の人生を一人で生きたとしても、あと30年経たないと「添い遂げた」ことにはならないのか?

そう考えると「添い遂げる」という言葉はとても不思議な言葉だなと思う。
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12-16 Sat , 2017
早く来い、冬至
今年は夏以降、すごい変な天気続きだったような気がするんだけど「今年は○○年に一度の異常気象」って言われた記憶がない。これは単に今年一年嫌なニュース続きだったから、わたしがほとんどのニュースも何も目や耳にしていないからなのか?

正直なところ、今年ほど雨が降って、洗濯物が洗濯できない、どーしよー?と思った年はなかったし、今まで部屋干しって言っても「いや、別に変な臭いしないし、なんで部屋干しじゃダメなの?」って思ってたけど、今年初めて「いい加減、洗濯物をおひさまの元に干してぱりっと乾かしたい!!部屋干しだとなんか気持ちが悪い」って思ったほどだったのに。

しかも、秋という季節を楽しむヒマもなく、ある日突然木枯らしが吹いて(この日は実習で外出したのでよく覚えてる。めっちゃ寒かった(T_T))そこから急に寒くなってもう秋じゃなくなった。暦の上ではディセンバー、じゃなく(古)、暦の上ではまだ10月だったような??

んで、ここんとこの寒さ!最低気温が0度続きって、真冬並みというか、真冬でも東京の場合、0度続きってのはほとんどなく、たいてい2度前後はあるはず。真冬でも最低気温0度が一週間続いたことなんかない。まぁとはいえ最高気温の方はフタケタいくので真冬並みではなく、一日の平均気温自体は真冬並みじゃないにせよ、最低気温だけみると、真冬並みより寒い。

冬は一年中で一番嫌いな季節で、その理由は寒いから。寒いと筋肉が固まるし、寒いから外出るのが億劫になるし、寒いと何より手足がかじかんで感覚がなくなるし、冷えると生命の危険を感じる。「だから冬は大嫌いだ-!」っていうと、彼女は「夏の方が暑くて生命の危険を感じる」という。わたしは夏に生命の危険を感じたことはなかったので、これはとても意外だった。なんせわたしは冷房の利きがよすぎるところは夏でもすぐに手足がかじかんでくるのでダメなのだ。で、クーラーを消すとあるところで「ぼわっ」と暑くなる。あの暑さが来ると「生き返った-!」って気になる。だからクーラーをつけるのは、あの消した後で「ぼわっ」とする楽しみがあるから付けるわけで、「ぼわっ」の前に「暑くなった」と言ってクーラーを付けられると、わたしは夏でも生命の危険しか感じなくなる。

例年、12月は冬なのだけど、毎年「12月の寒さはそんなでもないな」と思ってた。ところが今年は11月の間から寒くなっちゃって、あと何ヶ月我慢すればいいんだよ?と思う。そして例年はそんなに寒いとは感じない12月なんだけど、それでも毎年毎年楽しみにしてる日は冬至。一年で一番日照時間が少ない日。この日を過ぎれば日に日に昼間の時間が長くなる。夏が日に日に近づくのが実感できる。

今年は特にこれを楽しみに生きてる感じ。その冬至まであと1週間を切った。

そして冬至を過ぎれば次の楽しみは立春。この時期が一年中で一番寒く、この日を過ぎれば段々暖かくなる。なので本当に待ち望んでいるのは立春。

しかし、今既にこんなに寒くては、本格的に寒くなる来月下旬からはどんなに寒くなるんだ!?と思ったりするし、この寒さが底だとしても、これから2ヶ月近くこの底が続くと思うと気が滅入る。この気候のどこが地球温暖化なんだよ-!?って言いたくなる。
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12-17 Sun , 2017
韓国地上波ドラマ初、同性愛者を扱った「美しき人生(인생은 아름다워)」
韓国地上波ドラマ初、と言えども、この作品はそんなに新しいものではない。このドラマは今から7年前、2010年に韓国で放映されたドラマだ。

で、わたしがこのドラマを初めて見たのは確か3年ほど前になる。3年前は朝鮮語を習ってて、その影響で「なんか面白い韓国ドラマがないかな~」って探してて、偶然この番組を見たのだ。確か最初見たのは8話だったと思うんだけど、8話まで物語が進んでいても、登場人物が結構多かった割には1話見ただけで誰と誰がどういう関係ってよく分かったので「見よっかな」と思ってたところ、これもたまたまそのチャンネルでこの番組の番組宣伝を見たときにちらっと「同性愛」って聞こえたので「えええ?」と思っていろいろ調べたら、このドラマは韓国の地上波ドラマでは初になる同性愛者を真正面から取り上げたドラマだってことが分かったのだ。それまではそういうドラマがあるとはつゆとも思ってなかった。韓流ドラマって日本でも結構流行ってると思うのだが、2010年のときにそういうドラマをやってる、ってことは全く情報が伝わってこなかったように思う。

で、録画して一通りDVDにも落としたのだが、それ以降見返すことがなくて忘れ去ってたのが、実習中に気分転換がしたくて、何かいい気分転換の材料はないか、、と思って思い浮かんだのがこれだった。全63話なので、実習中に全部見きれないだろうと思ったからだ(終わるとまた次の気分転換の材料を探すのがめんどくさかったから)。

3年ぶりに見返すと、1回目に見た内容はほとんど忘れてた(笑)

この作品は大家族の話で、その中の子どもの一人がゲイという設定なのだが、途中、カミングアウトするシーンなどもあり。でもなんせ、初めて親にカミングアウトするのが20話くらい、その後、40話以上続くわけだから、カミングアウト後の誰までカミングアウトするか(例えばおばあさんにはしないでおこう)、とか、弟が結婚する際にその配偶者になる人へのカミングアウト、とか、そういう点についても描かれていた。こういうことは現実にも有りうることであり、そういう点でも不自然さは全く感じない作品だった。そして作品全体としては非常に穏やかなストーリーでいいドラマだったと思う。穏やかすぎて韓国ドラマらしくないという評価もあるらしい。日本の同性愛者が出てくるドラマって、すぐ思い浮かぶのが'90年代の「同窓会」などだが、イメージ的にはゲイのセックスシーンとか、そういう変なところばかりが強調される、とてもじゃないが「見たい」と思うドラマではなかったので、初めての同性愛者が正面から取り上げられたドラマがこういう穏やかな真面目なドラマだったことがちょっと羨ましい。日本のドラマってなぜ同性愛も「人生の一部だ」って描き方をしてくれないのかなーと思う(といえども、わたしはここ20年くらい日本のドラマはほとんど見たことがないので、それ以降の同性愛者が出てくるドラマがあるかどうかすらよく知らない)。

このドラマはそういうのとは本当に逆で、セックスシーンはおろか、キスシーンもない。まぁ韓国ドラマ自体が男女でさえセックスシーンはあまりない?ない?よく分かんないけど、今まで見たドラマ(これを含め全部で4つ見てる)では皆無だったので、まぁ韓国では男女でもセックスシーンというのは御法度なのかも知れない。が、ゲイの恋人同士なのにキスシーンもないっていうのは、ちょっと見てて不自然だった。抱擁はするんだけどね。まぁこれに関しては、本当は結婚式のシーンがあったとか、その中でキスシーンがあったとか読んだけど、これがいろいろ世間に物議を醸し出して放映されなかったらしいとどこかで読んだが。なので、画面を見ただけではなんか高校生同士の付き合い?みたいな感じが否めなかった。今どき高校生だってキスくらいするか(笑)

ドラマはこの人がメインってわけじゃなく、ドラマ自体でいくつもの恋愛が進行するのだが、ただ、物語全般にわたって親が子どもたちや未婚の親族に対して結婚結婚言い過ぎて、それがややウンザリ気味だった。結婚だけが、結婚式だけが人生のメインイベントなのか?初めて見たときは確かそんなこと感じなかったんだけど、今回見たときはそう感じた。

ま、だけど、同性愛者に対しては偏見がないストーリーで、そしてドラマの中では同性愛に対して偏見を持つ人間も何人か出てきたりするのだが、そういうある程度のリアリティはあるように感じた。乗ってたタクシーの運転手から突然「降りろ!」って言われたり、付き合ってる恋人の方の家族が強硬に偏見を持ってたりね。

この物語自体は、本当にいろんな人の「人生」が出てくる。同性愛はそのうちの一部にしか過ぎない。これって結構当たり前なことなのに、ドラマとしてはそんなに当たり前に描かれている作品って少ないように感じる。

そういう点では貴重なドラマなのかも。
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12-19 Tue , 2017
49歳はビミョーな年齢
最近、49歳ってビミョーな年齢だなと思う。

というのは、アンケートなどで「40代」のところに丸を付けるのが非常に申し訳ないような感じがするとて、50代に丸するのはねー、、いや、許されるならとっとと50代に丸したい気分なのだけど、もし万が一「じゃあ何歳ですか?」って聞かれたときに、「49です」って答えたらウソの年代を答えたことになるよなと。

しかし、29とか39を経験したことがあるのに、一体なぜ49で初めてこんな気持ちが湧き起こってきたのだろう?

って考えると、それはよく分からない。

ただ、40代は40から49までで、40代と答えると、40近辺を含むと言うことが、今のわたしには違和感があるのだと思う。

というのは、なぜか自分の中で「40歳と一緒にしないでよ」って気持ちがどこかにあるのだ。40のときの自分と49歳の現在の自分は、多分違う。この9年間に、わたしは自分なりにいろんなことを考えてきて、時には分からなすぎて涙を流したこともあったけど、それなりに自分が成長していると思っているからだろうと思う。

よく、「えー、60うん歳が40に?」みたいな「いかに実年齢から若く見られるか」という価値観しかないテレビCM(注:わたしが現在見てるのはケーブルテレビのみ)を見ることがあるが、60うん歳がなぜ40に見られて嬉しがってるのかちっとも分からない。だって、40に見られるってことは、40年しか生きてない、実際の20年分の経験がないように他人から見られてるってことじゃん。それってなんか悲しくないか?中身がぎっしりつまった60代に見える方が、人間として価値があるようにわたしは思えるのだけど??

でも多分、若く見られた方が絶対にいいって思ってる人(日本には多くいそう)は、そういうところに価値観を置いているのではなく、「見た目」が若ければ若いほどいいって価値観なんだろうね。そういう人は一体自分が何歳に見られたら納得するんだろう。20代?10代?って考えると気持ちが悪くならないのかな。

わたしは20代で物事の大半について、自分がどう思うか、どういう態度を取ればいいのかが分かった、と思っていた。これは前にも書いたと思うけど、「こういう事象にはA」「ああいう事象にはB」という一次的な観点でしかなかった。一次的というのは「こういう事象」と「ああいう事象」は無関係、ってことだ。ところがよくよく事象を捉え直してみると、「こういう事象」と「ああいう事象」は表面上は異なって見えるけれど、何か本質的な部分で共通しているところがあるんじゃないか?と思えるようなものもあるってことが次第に分かって来た。これまで点と点でしかなかった事象が、いろんな事象と関わり合って「面」みたいなものを作っているのではないか、と思うようになった。そして、「こういう事象」についてはAという結論を出し、「ああいう事象」にはBという結論を出したけど、これってちょっと矛盾してるんじゃないか、とか整合性が取れないものがあるとか、そんなことに気が付き始めた。そして現実はそんなに単純でないこと、様々な矛盾をはらんでいること、がやっと40代で分かるようになってきた。現実は矛盾をはらんでいて、どう考えればいいのか分からないことがあること、なぜこんな風になってしまうのだろうと考えても分からないことがあること、わたしの40代はほぼそういうことを考えてきたと言ってもいいんじゃないかと思う。

とすると、今後もしあと20年生きたとしたら、今捉えられている「面」が「立体」に思えるようになるときがあるのではないか?って思ったりもするんだよね。20代のときは傲慢にも「もうこれでいっぱしのことが考えられるようになった、これ以上考えることはないだろう」って思ってた。が、実は違った。となると、点が面に見えてきた今だって、もしかすると面が立体に見えるための発展途上なのかも知れない。だからわたしは20代のときみたいに「もうこの世の中分かってる」って顔はしない。何にせよ、今自分が考えていることは、今現在の自分が思ってること、将来どうなるかは分からない、ということでしかない。

50近くになってようやくこのような境地に達した。多分、こういう思いが40代に丸を付けるのに抵抗感がある理由なのではないかと思う。
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12-21 Thu , 2017
コーヒー中毒なのかなあ?
コーヒー中毒のイメージって一日に5杯も6杯も飲むってイメージなんだけど、わたしはもともと一日に2杯か3杯、たまーに「今日は飲みたいなあ」って思う日が4杯くらいで、そんなに多く飲んでるとは思ってない。

が、あるとき、今年のいつ頃だったっけな、5月か6月だと思うんだけど(確か胃の調子が悪くてコーヒーを飲む気にならなかった頃)、なんか頭痛いときがあって、そのときなぜか彼女から「コーヒー飲んでないんじゃない?」って言われて飲んでみたら、スッと頭痛がなくなったときがあって。「むむ?わたしはこれしか飲んでないのにコーヒー中毒なのか?毎日飲めてるうちは別に問題はないと思うけど、災害が起こったときとか、毎日飲めなくなったときに頭が痛くなったら困るぞ」と思って、それ以来、回数は減らしてないんだけど飲む量を半分くらいにして飲んでいる。

ので、今は一日に1杯か1杯半くらいなんだよね、せいぜい。朝カップ半分、夕飯食べた後にカップ半分、それに加えて飲むときは昼間にカップ半分。

ところがさ。わたしは今も漢方医院に通っているのだが、わたしが「朝起きたときに一番くしゃみとか鼻水鼻づまりがひどい」って言ったら「コーヒー飲んでませんか。一日にどのくらい飲んでますか」って聞かれて、「朝と晩にカップ半分飲むから、1杯くらいです」って言ったら、取り敢えず晩に飲む分減らせません?って言われたので、昨日は夕飯後は代わりにお茶飲んだのよ。まぁわたしはコーヒー好きなんだが、飲むなと言われると無理って答えるが、まぁ晩のみ減らすのは特にそこまでのこだわりはないので。

でさぁ。問題は今日の朝。なんかどーも頭が痛い。それも前頭葉全体が痛い。わたしの頭痛は大抵右か左かどちらかから始まることが多く、前頭葉全体が痛くなって始まる頭痛ってそんなに多くはない。しかも、前頭葉全体から始まる頭痛は急激にひどくなる頭痛のことが多い。が、それにしてはなんか変なんだよね。そこまで痛くないというか、なんか頭の前の方に重いものが埋まってるみたいな感じで、いつもみたいに目も開けられないみたいな頭痛ではない。

そして思い返すと、昨日の晩はコーヒーを飲んでない。

「まさか、コーヒー飲んでないから頭痛が来たの?」と思いつつ、朝、いつものようにカップ半分コーヒーを飲む。

しばらくすると重たいものが消え去った。ちょっと片側に移った感はあるのだが、それも気にしないでいたらそのうちなくなってしまった。

ということは、、あれはやっぱりコーヒー中毒による頭痛だったんだろうか??1日1杯しか飲まなくてもコーヒー中毒になるんだろうか?

コーヒー中毒の原因はカフェインと聞いた。が、それなら夜にお茶を飲むことは、カフェインを補充していることになるが、それは関係ないみたいだ。コーヒーの別の成分から来るコーヒー中毒ってあるんだろうか?
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12-22 Fri , 2017
実習総括レポート(案)提出
実習終了後1ヶ月を目途に提出しなければならない実習総括レポート(案)を実習担当の先生に提出した。
てか、実習終了後1ヶ月以内じゃなく、1ヶ月を目途なので、年末にかかるしちょっと伸ばしてくれないかな~って甘い期待を抱きつつ、先生に「正月になっちゃいますよね」と振ってみたところ、「うん、だから年内に出して」と(^^;

いや~、甘かったですね。逆に自分の首を絞めてしまった。

ただこっちも実習疲れがあるし、というのでしばらく何も考えない日が続いたところ、気が付いたら20日過ぎてたんで「やばい!」ということでようやく重い腰を上げて手を付けたという次第。まぁ分量がA4用紙2枚というちょー少ない分量だったので、そんなに時間もかからなかったんだけどね。てか数年前までは3枚だったみたいなのだが、今は2枚になったそうな。

しかしこれにて実習関係のものはすべて終了。あっ、今回出したのはあくまでも「案」なので、これがまた手直しされて戻ってくるわけですが。。まぁでも一からやり直しってわけじゃないだろうから、最初のたたき台だけ出せばなんとかなるのかなと言う感じで。

なので久々、気持ちが晴れ晴れしている(加えて今日は待ちに待った冬至で、明日からちょっとずつ昼間の時間が長くなると思うと気分がよい)。

で、本来なら第3学期のレポート1本は提出済みのはずが、実はまだ「現代社会と福祉」の教科書、2章までしか読んでない。。この教科書、結構分厚くて360ページくらいあるので、読み終わるまでまだまだかかりそう。しかも、このテーマ、今とても興味がある分野で、他の教科書のように分からなくても読み飛ばし~したくない。ただ、今期のレポートのテーマはどれもなんかめんどくさいことが分かってるので、さっさと1本目のレポートを書いてしまいたいという気持ちももちろんある。

うーん、でも、成り行きに任せてずるずると時間食うのは避けたい。

適当に目標期限を作っておかなきゃならないかも。
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12-24 Sun , 2017
今年やった一番アホなこと
うちの最寄りの駅の近くには、何ヶ所か自転車置き場がある。

その中の一部を除いてほとんどは、自転車を止めたラックの番号を後から自動精算機に入力して清算する仕組みになっている。

わたしは止めたラックの番号を覚えることはそんなに苦ではなく、むしろ「どこの場所に自転車を止めたか」を記憶することが苦手だ。なのでいつも、自動精算機に番号を入力してお金を払った後に、その番号はどこにあったかを探すことになる。

その日も自転車置き場に自転車を止めた際、番号を見た。今でも覚えてるけど、28番だった。

数時間後、用事を済ませたあとに戻ってきて自動精算機の28番を押して、100円を入れた。で、28番のラックを探したら、自分の自転車じゃない自転車がそこにあった。焦った。「なんでなんでなんで。。。」って考えてみたら、置いた自転車置き場自体を間違ってることに気が付いた。

そう、わたしは自分の置いてない自転車置き場に行って、見も知らぬ誰かの自転車のためにお金を払ってしまったのだった。別の自転車置き場に行ったら、ちゃんと28番のところに自分の自転車が止めてあった。100円損した。

止めた自転車置き場の場所くらい覚えてろよ~って思うけど、それが案外自分にとっては難しい。あのときから「本当にここに自分は自転車を置いたのか?」を考えてからお金を払うようにしている。
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12-26 Tue , 2017
悲しいというかなんと言うか
自転車のブレーキが両方効かなくなったので危ないと思って自転車屋さんに行ったら、「これ、直すより新しく買い替えた方がいいですよ」と言われた。

ついに、言われてしまった。。

思い返すと今の自転車はかれこれ30年は乗っている。詳細な時期は覚えていないが、多分、大学に入ってすぐに今は亡き成城の無印良品で買った自転車。その後、わたしの移動に伴い、あっちこっちに連れてった。今でも思い出すのは、以前引っ越すときに、引っ越し屋さんに「自転車がある」と申告するのを忘れて置いて行かれて、仕方ないので引っ越し先まで約20キロだったか、車の行き交う国道を自転車でえっちらおっちら移動したこと。途中で雨が降りだしてえらいひどい目に遭ったこと。

物持ちはいいし、一つのものに愛着が湧くとずっとそれを使い続けるという習性があり、「新しく買い替えろ」と言われると無性に悲しい。まぁただ、ほとんど油も差さずに乗っていた自転車で、至る所で錆び付いてるから、ブレーキだけ新しくしても仕方がない、と言われるのは自業自得でもある。

あーでも悲しいし寂しいな~。

おそらく次の自転車を買うとすれば、それはわたしの人生において最後の自転車となるだろう。だって今の自転車、30年持ったんだもん。いくらわたしでも80まで自転車に乗ることはできまい。というか、80まで生きてるかどうかだって分からない。
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12-28 Thu , 2017
惜しい人
確か1年前の今ごろ、ジョージ・マイケルが死んだ!ってびっくりしてた頃だ。

そして今年亡くなった人の中で。

一番ショックだったのは、エンケンこと遠藤賢司が亡くなったこと。確か実習中だったのであまり関連するニュースも見れなかったのだが。

数年前に確かガンだって公表したよな、と思って今年に入ってからWikipediaのエンケンのページを見たりしたことがあったんだけど、ガンを公表したという記述が全くなくて「あれ?気のせいだったかなあ?」って思ってたんだよね。それが、確か体調不良ということでライブが中止になったんだっけ。そのすぐ後でしたよね、亡くなったのは。。そしてこれはいつ頃だったのか詳しく覚えてないけど、ガンを公表した後に「今度は頑張れって言って欲しいとエンケンが言ってる」というのを読んで、さすがにエンケンも苦しいんだなあと思った記憶があるのだが、今、その記述はどこにあったのか探しても出てこない。もしかして、これはわたしの記憶違いか、ニュースのミスリードだったかも知れない。なんせ、エンケン、まだ亡くなってないのに「亡くなった」って情報が先に出て来たというミスリードもあったそうだし。

「頑張れって言って欲しい」というのは、もちろん、エンケンの「不滅の男」の中で「頑張れよなんて言うんじゃないよ 俺はいつでも最高なのさ」という歌詞に対してのことで、だからこそ「ああ、エンケンはそれほど苦しいんだなあ」って思ったのだが、でももしかしたら、そういうときでも別に頑張れよなんて言って欲しいと思ってなかったんじゃないかなって、今さらながら残されたエンケンのブログを読んだりしてそう思ったりしている。

ただわたしはエンケンの大ファンってわけじゃない。持ってるCDはたったの3枚だし、あっ、シングルCD含めると4枚か。そして結局1回も本人のライブには行かなかった。だから「生エンケン」は見たことがない。

なんでエンケン聴き始めたのかな~って考えると、確か'80年代の終わりか’90年代の初めかに、エンケンの「東京ワッショイ」と「宇宙防衛軍」がCDで再販されて。その当時、わたしは「東京」へのこだわりがものすごい強くて。東京っていうものは一体何なんだろう?って考えてた時期でもあって、東京タワーにも何度ものぼったし。なので曲の名前に「東京」が付くものを探していたことがあった。エンケンと出会ったのはそれがきっかけ。あとは、自分が聴いてたパール兄弟周辺にいた人だからってのもある(この言い方はエンケンに対しては失礼なんだけど、わたしとエンケンよりパール兄弟のメンバーの方が年代的に近かったので仕方がない)。1枚だけ持ってるシングルCDは「エンケンのミッチー音頭」ってヤツだけど、このコーラスにサエキけんぞうが出演してたりするし。そういえば、ミッチー音頭の青山ミチさんも去年だったかお亡くなりになったんですよね(後で調べてみたら、今年の初めだった)。わたし、この人のこともこのエンケンのミッチー音頭でしか知らない。だいたいわたしの好む音楽って、'70年代くらいのものも多く、その曲がリアルタイムで歌われてた時期には生まれてたけど記憶がほとんどないときなので、その歌が歌われてた当時、その曲がどのように評価されてたかとか、その当時歌ってた人はどうだったのか、みたいなことは全く知らなくて。'80年代後半~'90年代前半のことなので、今のようにネットですぐに検索したら何かが出てくるってわけでもなかったしね。だからわたしは純粋にその曲のこと、しか知らないのだ。

そしてわたし自身の音楽の聞き方、というのは、ジャンルがなんであるかは全く気にしないというか、自分が聴いている曲がなんのジャンルに属しているかと言うことについては全く興味がない。気に入った曲が好きな曲、というだけだ。それ以外のことは考えたことはない。なので、わたしは今までエンケンの曲を繰り返し聞いてても「これはどういうジャンルの曲かな?」なんて考えたこともなかった。でもよく考えてみたら、この人自身の音楽性って広いジャンルを持ってた人だったのよね。フォークっぽかったり、ロックっぽかったり。ただわたしが好むのは、日本民族っぽい音楽というか、そういうと雅楽とかそういう古来の音楽かなと思われるかも知れないが、わたしが好きなのはそうじゃなく、音頭とか、なんというか、ガチャガチャした音楽の中にかけ声かなんかが入ってる音楽が好きなのよね。あとはネオ歌謡曲。ネオ歌謡曲というジャンルは多分ない。そんなものができるまえに歌謡曲はどっかに行っちゃった。ネオ歌謡曲をやってた近田春夫が大好物だったのだが、これを知ったときは近田春夫自身、もうパンク?ラップ?の方に行ったあとだった。なのでわたしはいつも「ああ、なんであと10年早く生まれてこなかったのだ」と思っていた。

話が逸れたが。

まあそういうことで、「東京ワッショイ」という名に惹かれてエンケンのCDを買ったわけだが、このCDは好きだった。「東京退屈男」の、音調は純日本風なんだけど、電子音楽っぽくもあり、ちょっと変な雰囲気から始まるこのCD。「東京ワッショイ」の中にある東京への変な肯定感が好きだった。東京ってところは東京出身者にとって故郷と成り得る存在なのか。当時そんなことを考えてたわたしは、このエンケンの「東京ワッショイ」の「東京」という感じではない東京を感じながら「好きさ東京 おお我が街 おお我が友 トゥリョト トトトトトトトト 東京!東京!東京!」ってCDを聴きながら気持ちを高ぶらせたりしていた。「続東京ワッショイ」は「東京だよ おっかさん」だからさ、ちょっと古めかしいセリフがあって好きだった。「ホームランだよ 後楽園」って、わたしが聴いてたその当時は既に後楽園はなくなって東京ドームになってたりしてたから。

それから「不滅の男」。この曲はマッチョな感じの歌詞なので、本来、あんまり好きではない曲なのだが、結構好きだった。この曲の中で歌われてる「男」とかはどうでもよかったので、わたしはカラオケで「男」の部分を「女」に変えて歌ったりしたこともあった。「俺」という言葉は言い換えができないのでちょっと違和感ありますがね。。

♪まるであいつは 勝ち誇ったように
ついに この俺に こう言ったぜ
「おい お前も頑張れよ」って冗談じゃないぜ馬鹿野郎
そうすりゃ お前みたいになれるのかいお前はお前 俺は俺
頑張れよなんて 言うんじゃないよ
俺はいつでも 最高なのさ

まぁこの曲の間奏の「きゃーきゃー」いう女の人の歓声は笑えるけどね。「K・E・NJI」ってかけ声も。。
でもわたしもこの歌を歌いながら、気力を奮い起こしてたのは確かですよ。。その結果うつになりましたけどね(笑)

わたしの持っている「東京ワッショイ」のCDには、ボーナストラックとして「ミスター・タンブリン・マン」と「終わりの来る前に」という曲が入っている。これがわたしはすごく好きでね。

♪周りで何か言ってるけど それは誰のことでもないさ
そのうちわかるさ 空には垣根なんかないもの

これは「ミスター・タンブリン・マン」の歌詞。あ。当然のことながら、本家本元のボブ・ディランの「Mr. Tambourine Man」は聴いたことがありません。こんな歌詞なのかどうかもよく知らん。それから「終わりの来る前に」。実はエンケンの歌の中ではこの曲がわたしは一番好きだったりする。なんかこのCDに入ってるのは8分以上あって、途中ハウリングしたりなんだかよく分からない音がたくさん入ったよく分からない状態の曲なのだが、なんだかこれがとても好きだ。

♪ねえアイスクリームをくれないか
頭の先まで凍るような
ねえなんか言葉をくれないか
頭の先をぶっとばすような
なんでもいい なんでもいい 本当にくれるなら
ねえお酒を飲まないか
頭の先まで燃えるような

これはわたしの持っている「黎明期ライヴ」の中にも入ってるんだけど(こちらの方は10分以上!)、これと「東京ワッショイ」に入ってる「終わりの来る前に」は同じものみたいです。なんで「黎明期ライヴ」の方が2分長いのかというと、前振りが2分長いから。「どうせこの世の二人では 花の咲かない枯れすすき」という「昭和の枯れすすき」みたいな歌詞が入ってる。(「東京ワッショイ」の方は「さあ電気を消せ」から)

「哀愁の東京タワー」は「東京ワッショイ」のCDにも、「宇宙防衛軍」のCDにも入っているが、わたしは「宇宙防衛軍」の方が好き。「宇宙防衛軍」のCDの方が楽曲としては整っている感じがして、歌がとても歌っぽい(という表現していいのだろうか?でも多分これが面白くない!って人もいるんだろうね)。てか、今CDの歌詞カード見たら、この「哀愁の東京タワー」の女の人の声は、平山三紀だったのか!!この曲、「東京ワッショイ」ではエンケン1人で歌っていたが、「宇宙防衛軍」ではデュエット曲になっている。

上にも書いたが、一時期東京タワーはわたしのとても気になる場所だった。大学が東京タワーの比較的近くにあったので、大学から何回も歩いていったこともある。夜の東京タワーを見ながら、「哀愁の東京タワー」を思い出したこともあったな。

♪そっと 君の肩 抱き寄せ
そっと あなたに寄り添えば
東京タワーの 赤い灯が

ちなみに平山みきの「鬼ヶ島」というアルバムはわたしの好きなCDの中でもかなり上位に入ってる。セールス的には全然だったそうだが。。モロわたし好みの曲が多数。というのは、これは近田春夫が大いに関わっていたからで。そういう意味でも「あの頃」の近田春夫のプロデュースする曲って、ホントわたし好みの曲だったんだよなあ~。しかしそっか~、これは平山三紀の声だったのか。全然分からなかった。

エンケンといえば、代表曲は「カレーライス」とかなんだそうだが、わたしはホント、この前後のエンケンの曲って全く聴こうとも思ってなかったので、そんなに印象深くない。「黎明期ライヴ」の中に入ってて、全く知らないというわけではないのだけど、あんまりピンと来なかった。わたしが「東京ワッショイ」と「宇宙防衛軍」のCDを何回も何回も繰り返し死ぬほど聴いたのは、その後の「夢よ叫べ」なんかを出す前で、ほとんど新曲を出してない頃だった。ライブ活動は活発にやってたらしいんだけどねえ、、

もう一つエンケンの代名詞みたいになってる「不滅の男」なんだけれども。「不滅の男」のイメージが強いから、エンケンってマッチョなのか?と思うとそうでもなく。猫が随所に出てきて、にゃ~ん、とか。それこそ「カレーライス」にも出てくるよね、猫。そしてすっごい繊細な心細そうな声をしてて。多分、本当はすごい繊細な人だったんじゃないかな~なんて想像したりする。本当にマッチョだけな人は心細そうな声は出せないけど、心細そうな人は無理すればマッチョになれるからね。それこそ「俺は不滅の男だ!」ってわざと心を奮い立たせるようなね。確かこないだ、エンケンのブログを見たときにスケッチブックに「いつもそばにいるよ」という付箋だったかが貼ってある画像が載ってたのを見て、ああ、エンケンってこういう人だったのだよね、と思った。

結局一回もライブに行くことはなかったけど、どんな感じだったのかなと思ったりもする。存在感バッチリの人だったんだろうか。存在感バッチリというと思い出すのは、パール兄弟のライブにゲストで来てたかまやつひろし(ムッシュかまやつ)なんだが、あの人はすごかった。パール兄弟のライブだったのに、わたしはかまやつひろしに目が釘付けになったもん。それくらい存在感があった。「わー、このおっちゃん、すげーなー」って思ったもん。そういえばそのかまやつひろしも今年、亡くなったんだったっけか。でもわたしはこの人自体の音楽はエンケンとは逆で聴かなかった。なのでただそのライブでの存在感のみが記憶に残っている。あー、かまやつひろしももういないんだな~、、あの人の笑顔はなんだか好きだったよ。

しかし「終わりの来る前に」の終わりって一体何なんだろうね。
死を持って「終わり」とするのか。
それとも精神崩壊か。
いや世界の終末期なのか。
それ以外に何か「終わり」があるのか。

♪どうせ一緒に なれないのなら心中しよう
でも さらしものに ならないよう
何かでああ何かで バラバラにしよう
首のない ビーナスの下で アレをしよう
首のない ビーナスの下で 誰でも抱こう
終わりの 来る 前に
終わりの終わりの終わりの来る前に

つい先日、エンケンのことを調べてたら、25日に発売のユリイカがエンケンの特集だというのを知って、ユリイカ買っちゃった。

多分これでわたしは今まで知らなかった「遠藤賢司」をたくさん知ることになるんだろうな。
で、「ああ、惜しい人を亡くした」って思うのだろうな。。
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12-29 Fri , 2017
サンタは大阪に来なかった
Googleで12月24日、「サンタを追いかけよう」って企画みたいなのをやっている。わたしが発見したのは去年からなんだけど、確か去年も今年も12月24日の日本時間19時ごろだったか、北極にあるというサンタ村を出発して、そこから丸1日以上かけて世界一周してプレゼントを配りまくる、というヤツ。

わたしはなんかこれを見るのが好きで、去年も今年もサンタが日本に来てプレゼントを配りまくる様子を見ていた。

各国を縦横無尽に移動しまくるサンタなんだけど、これがものすごい非効率的な回り方で、カムチャツカ半島まで配り終えた後、なぜか急激に南下し、オーストラリア大陸まで行っちゃうのだ。そこから北上して日本はまず、沖縄からサンタがやってくる。これがだいたい日本時間で24日22時から23時くらい、だったかな?

で、日本の各地にサンタがプレゼントを配るのだが、これがまたとてもよく分からない都市に配る。

沖縄→神戸→京都→名古屋→富士山→綾瀬→横浜→東京→仙台

メモ取ってないのでもしかしたらいくつか覚えてないところがあるかも知れないけど、こんな感じ。確か去年もプレゼントを配った都市は同じだった。

これを見ると分かるように、日本第2の都市、大阪にはサンタは来ない。なぜ神戸に行って京都に行くのに、大阪には来ないのか謎。また、わざわざ富士山にプレゼントを配りに行くのだが、富士山ってわざわざプレゼント配りに行くほど人がいるのか??確かに日本一高い山だけどさ。。そして、綾瀬という「え、なんでここが?」ってところが入ってるのも謎。だったんだが、綾瀬は多分、ここに米軍厚木基地があるからだろうと思われる。なんてったって、Googleはアメリカの企業だしね。沖縄も多分そうなんだろう。でも調べてみると厚木基地はこの綾瀬市と大和市と海老名市の3市にまたがってるそうだから、なぜこの中で綾瀬市が選ばれたのかはよく分からない。もしかすると綾瀬市における面積が一番大きいのかも知れない。調べてないけど。

そしてサンタは仙台に行った後、進路を西に変えて朝鮮半島の方に行く(確か)。北海道は無視される。なんかとっても理不尽なサンタのルート。。

で、サンタがプレゼントを配り終えるのはいつか。去年は気が付いたらなくなってたけど、今年は最後の方はずーっと見ていた。日本時間の12月25日の朝はヨーロッパでプレゼントを配っていた。その後アフリカ大陸を回って、夜にやっとアメリカ大陸に行った。そしてカナダに行き、アラスカ半島に行き、いよいよ帰るのかと思ったら、いきなり南下してハワイ諸島に。ハワイ諸島でサンタは「なんでこんな!?」って思うほど丁寧にプレゼントを配りまくっていた(全然知らない町の名前がたくさん)。多分ハワイも米軍基地がたくさんあるからなんだろうと推測。

そして、ハワイ諸島でプレゼントを配り終えた後、サンタは一気に北極にあるサンタ村まで北上し帰って行く。これがだいたい日本時間で25日20時少し前くらい。

丸1日配ったプレゼントの数は、確か70億6527万いくつかだったような、、、これもメモを取ってなかったのでうろ覚えの数字だが。ただこの数字を見ると、サンタは全世界の人にプレゼントを配りましたよってことなんだろうかと思う。

というか、この数字は宗教の違う、例えばイスラム教の人だったり仏教の人だったり何も信じてない人だったりにも配ってることを意味していて、これを見るととっても傲慢でいやな感じがするのよね。。イスラム諸国を回るのは、いつも日本時間24日深夜から25日にかけてらしく、わたしが25日の朝に起きるともうすべて回った後なので、サンタが配る様子を見ることはないのだけど、こういう傲慢さがイスラム諸国にとってアメリカをいや~なイメージにしてるんだろうなと思ったりもするのよね。もちろん、サンタのこれが直接的にどうこうというわけではなく、こういう姿勢が多方面にも現れてるんだろうなと思うのよね。

というわけで、見るたびになんか複雑な思いがする「サンタを追いかけよう」って企画だが、多分、来年も12月になったらそんなことすっかり忘れてて「おお、今年もこれやるのか」って思ってみちゃうんだろうな。今年もそうだったからな。

ちなみにずっと見ていると、裏で流れている音楽が頭について離れません。24日の夜から既に4日経った今でも、あの音楽はわたしの頭の中で鳴り続けている(^^;
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12-31 Sun , 2017
来年のことを話しても鬼が笑わない
それは一体いつ頃からなのだろうか、とふと考えたりして。
感覚的には10月くらいですかね。2ヶ月後くらいの話は普通にするかな。

とはいえ、わたし自身は去年もそうだったけどまったく年末な感じがしない。
明日から新しい年が始まるという実感がない。

正月の準備などまったくしていない。
昨日も今日も明日も明後日も同じ一日。
(ただし、明日、明後日は生きてるかどうかは分からない。未来のことは誰にも分からない)

まぁこの世の中にはそんな感じの人もいていいんじゃないですかね?

20171230 174824


とーとつだけど、昨日の晩の月。

満月ではありませんでした。
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