02-09 Tue , 2016
書きたいことはたまってるんだけど
去年に引き続き、書いておきたいことはいくつかあるんだけど、なかなか時間が取れない。。

何かがあったときに書いてる記事を読んでもらえば分かるけど、わたしは書くと長くなってしまうので(笑)、やっぱ、時間はそれなりにかかるんだよね。そして、一気に書かないとそのときそのときで書きたいことが変わってくるので、数日間掛けて書くことが出来なくてね。なので、必然的にブログを書く量が減ってきてるわけだけど。

去年の終わりにも書いたけど、読書量もガクッと減った。今年はまだ1月に2冊しか本を読んでない。今月は0冊。何しろ時間がない。そんなに勉強ばっかりしてるわけではないけど、読書もわたしはまとまった時間に一気に読んでしまうタイプなので。まぁ図書館で借りた本は毎日ページ数決めて読んだりするけどさ、期限が来る前に読まなくちゃならないので。

てなわけで、去年までとは違った一日一日を過ごしてる。まぁ今のところはちゃんと資格試験の勉強は真面目にしとります。憲法終わってこれから民法。ノルマが決まってるので一度サボったら追いつくの大変。だから、他のことは差し置いてほとんどこればっかりなんだよね~。まぁ試験勉強なんてそんなものかも知れない。期日が来るからそれまで必死に勉強する。勉強は嫌いではないけど、覚えるのは苦手なのでそれがね~。っていうか、わたしはもともと記憶力があまりよくない方なので、年齢による衰えはあまり感じない。これはメリットかも知れない。覚えられる人にとっては「以前より確実に記憶力が衰えた」というのは結構ショックみたいです。わたしは今までの人生で「すごい、スラスラ覚えられる!」なんて一度も思ったことがないんで(^^;人の顔も覚えてないし、人の名前なんてもっと覚えてないし、よくテレビで「最近、人の名前が出てこなかったりしませんか?」などという老化現象を指摘するコマーシャルを見るけど、わたしは「そんなの、今に限ったことじゃないけど?」って感じ。それとももっと年を取らないとそう感じないんだろうか。。

そうそう、世に「記憶術」みたいなのがあり、例えば円周率を何万桁覚えてる、なんて人がテレビに出てきたりするけど。そこで言われるのが「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ってこと。でもわたし、あれ言われるたびに「そのストーリーはどうやって覚えればいいのか?」って思うんだよね。結局は何かを記憶しなければダメなんだよね。当たり前のことだけど。それが本人にとって覚えやすいものにする、ということなんだろう、結局。

そういえば、うちの最寄り駅の自転車置き場は、出すときに自分の自転車が置いてあるラックの3桁の数字を入力してお金を払うシステムになってるんだけど、わたし、あの数字を覚えるのは結構得意なんだよね。例えば「121」だと「11の2乗」って覚えておけばいいやとか、「324」だったら「3と3×8だな」とか、まぁ、置くときに「この数字は~」って分解して覚えやすくしてるんだけど(というか、こういう作業が実は好きだったり)、でも、ふと「じゃあ11ってどうやって覚えるんだろう?」って思うのね。「3とか3×8ってどうやって覚えるんだろう?」とかってね。でも、不思議なことにそれは忘れないの。それは覚える努力をしなくても覚えてるんだよね。なんでなのかは自分では分からない。

とすると、「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ことができる人は、もしかするとそのストーリーは覚えるものではなく、なんとなく頭の中に残ってるものなのかも知れないなあなんて思ったりして。でもそれって、記憶力自体がものすごくない?

なんてことは、あんまり勉強中には思ってません。そして最近、どんどん頭の中が飽和状態になっていってるのが分かる。。まあほとんど毎日、新しいことを頭に記憶しなくてはならないし、今まで記憶したことはもちろん忘れられないしね。

あー、6月くらいまでこういう生活続くんだけど、果たして途中で頭がパンクしないかな??ちょっと心配だったりして。
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02-10 Wed , 2016
武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展に行く
これ、去年の11月の話です(^^;

なんの記事にしてもそうだけど、画像を挿入する場合は、画像をそのまま使えなかったりするので(ここのブログの設定が、画像1枚2MB以内に決められてるのでそれに合わせないといけない)そういう作業で書くに至るまでの時間が結構かかる。旅行記が止まってる理由も同じです(^^;旅行記の場合は画像の選択などもあるので、その作業すらめんどくさい。。

という言い訳はこれくらいにして。

わたしが行った、この、武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展は、新聞記事などにもなってたので、結構色んな人が知ってたんじゃないかと思う。2015年11月13日から21日まで武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の共催で行われた展示会だ。といえども、実は展示会ではなく、両校の間に掛けられた「橋」の方に焦点が当てられていたような気がする。というか、わたしも行く前まで「橋」が作品だと思ってたし、行ったときにギャラリーに展示されてる絵はあったんだけど、ほとんど鑑賞するという感じじゃなかったから。行った後に「しまった、もう少し個々の絵をちゃんと見てくればよかった」って思ったほど。なので、当然のことながら撮って来た画像も橋やその周辺のことが中心になってます。そこのところは今でも本当に残念。。

さて。武蔵野美術大学と朝鮮大学校、当然のことながら(と言っていいのかは分からんが)今まで無縁だったので行ったことがないところです。正直、芸術系の学校なんて、本当に無縁なので「一体、どういう人たちが通ってるんだろう?」って思ってドキドキしたほど。ただ、最寄りの駅から歩いて20分ばかりかかるところにあるんだけど、行く途中は玉川上水のほとりをずっと歩く、本当に景色の素晴らしいとこだった。

展示室は学校の中にあるので、当然学校の門をくぐらないといけないのだが、迷わず武蔵野美術大学の方から入った。てかやっぱり朝鮮大学校にいきなり行くのは怖いって思いは確かにあったのは事実で。で、わたしが到着したときはお昼をちょっと過ぎてたので、お腹が空いててね。駅前はご飯が食べられるところが見つからなくて(かなり寂れてたので驚いた)、なので「あ~、どうせ学校の中には学食あるしな」って、展示を見る前に学食でなんか食べようって思った。で、校門のところにいる守衛さんに「今、朝鮮大と共同の展示会が、、」って話しかけたらすかさず「ああ、『かけはし』ね」って言われ。そのときに初めてこれが「架け橋」って呼ばれてることを知った。守衛さんはわたしに「あちらでやってます」って教えてくれたんだけど、その前に「すいません、お腹が空いたので学食に行きたいんですけど」と聞き直したら「じゃああちらです」って教えてくれた。「こういう形の建物で」って教えてくれたんだけど、初めて学校の中を歩く時ってなんであんなに緊張してしまうんだろう。

案内された建物の中に入って、地下1階の学食に行く。

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どうやら守衛さんに教えてもらったのは「第二食堂」らしい。てかなんで第二??第一はどこなん?「第九じゃない、第一だ!」ってかなり古い上にローカルなネタですが(笑)、まぁそれは全く関係がないとして、なぜ第二を教えてくれたのか、今でもそれは謎のうちの1つだったりする。。第一は古いんですかねー?別の校舎にあるんですかねー?

ショーウィンドウにいろいろな食べ物が載ってたが、こういうのから選ぶのはかなり苦手なので、無難なところで味噌ラーメンにする。こういうところで迷ってると部外者だとすぐにばれてしまうので(実際のところ本当に部外者なのだが)「いや、いつもここ使ってます」みたいな顔してようと思いつつ、やはり食堂のシステムがイマイチよく分からないので、まぁ思いっきり部外者でしたね(^^;

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確か「特製味噌ラーメン」だったか?味はまあまあだった。で、座って食べてると机の上にあったこんなのが目に入ってきた。

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「なにこれ?」と思って読んでみると、何故この学校に自分はいるのか、みたいなことが書いてある。一瞬「これって受験生向け?」って思ったんだけど、11月って全然受験の時期じゃないし。それに学校が作ったわけでもなさそう。家に帰ってから調べてみたら、これ作ったグループがあるみたいね。ただ、エピソードは今のところこれが最新みたい。残念、結構面白かったんだけどな~。でもこういうのを作って制作して学食に置く、なんてさすが美術系大学だなあ、なんて思った。

それ以外にも、これはまったく撮ってこなかったんだけど、学食の入ってる校舎はいろんなチラシが置いてあったり、貼ってあったりして、これも芸術系だなあって思った。いろんなチラシってのは、美術展もあったけど、なぜか演劇のお知らせなんかもあって、あー、こういう活動してる人が多いんだなあって思ったり。あと、学内のところに作品らしきものがちらほら見えたりして、そういうのを観察するのも面白かった。ただ、美術系の大学だからと言って、構内を歩いてる学生は他の大学とそんなに変わらない気もしたんだけどね。もっと派手な人とか歩いてるかと思ったのに(ってこれは偏見か(^^;)。

特製味噌ラーメンを食べた後、早速展示会の会場に。ただこの展示、学内に知らせるチラシなどは一切見当たらなくて「本当にこっちなの?」ってちょっと不安を覚えたよ。だいたい校舎の前ですらなんの知らせもないんだもの。。でも、そこの校舎に入るときに、ぷーんっていい木の香りがしてね。なんと言えばいいのか、えーと、材木置き場の匂い?それがとっても印象的だった。でも「なんで木の匂いが??版画とかで使ってるとか?でも版画の木でこんな校舎中匂うような木ってどんなに巨大な木なんだ?そんな版画があるんか?」ってわけが分からなかった。そんで誰に聞いたんだっけな、ああ、受付にいたあの子かな?「ここの校舎に入るときに木のいい匂いがしたんですが、あれはなんですか?」って聞いたら「木の匂いなんかしますかねー?ああ、多分彫刻学科でしょう」と言われた。彫刻!確かに版画より匂いそうだね←?

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これ、会場に着いたときに一番に目に入ったもの。でも、その横の展示室は

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これ、だったのよ。この時点でよく分からなくなってて。「え、橋じゃないの?橋はどこ?」って感じだった。結局、その場でいろいろ見た結果、橋はただ、両校の展示室を繋ぐものに過ぎない、ってことがようやく分かったのね。記事でもなんでも「橋が架かった」ってことに焦点が当てられすぎてて、そこに何か展示してるものがある、なんて知らなかったのよね。しかも、この橋を架けるということの作業が注目されすぎて、わたしもそのときはそこにしか目が行かなかったものだから。。画像には一切、人は写り込んではないんだけど、実際のところ結構人は来てた。思ってたよりたくさん。ちなみにわたしが行ったのは、17日(火)なので、平日の昼間にも関わらず、って感じだった。

取り敢えず中で何をやってるのか全く分からなかったが、中に入ってみた。展示してある絵は観たんだけど、あんまりしっかり観てない。。入口のところに橋を架ける際に話し合った年表(と言えばいいのか)と、そのときにメンバーが思ったことであろうことが付箋に書いてあってそれが貼ってあった。これも全体図を撮ってくるのを忘れた。。

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まぁ、こんな感じで書いてあったり貼ってあったりするものです。これが2mくらいあったかなあ?初めから読んでいると、もう、そのものが「わたしが思ったことがある」こと、だった。。この中には武蔵野美術大学側、の人たちが思ったことしか書いてないのね。朝鮮大学校の人たちの思いは直接自分で書いたものではなく、話し合ったときの印象深い発言を武蔵野美術大学の人が「書き留める」というだけ(例えば上の画像で行くと「チョンオギ『ふわふわとした嫌な気分』」の付箋など)。思いは一方方向、なのです。マジョリティー側の思い。最初の方は「会話噛みあわず 何を話せばいいのやら」とか「お互いを知るとは 一体どういうこと」などの途惑い。

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「ただ一緒に展示できればいいの?どういう展示にしたいの?」「展示会の意義を考える。どういう姿勢で?」「ちょんおぎが書いていた(書簡に)「多文化共生」「異文化交流」について ちょんおぎにとってそれらはどういうもの?」

まだまだここから始まったばかり、という感じ。でも当然のことながら、展示会、まぁ世の中にはいろんな美術作品の展示会があるけど、みんなこういうこと、真剣に考えてやってるんだろうな。共催となれば、ましてやいろんな立場が違い過ぎる人たちと一緒にやるということってね。

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「在日20世はどうなっていると思う?」

実は、わたしにとってはこの言葉がそのときはとても印象深かった。というのは、前の日記に金民樹さんのマダン劇「我が家のイヤギ」を観に行ったことを書いたんだけど、その劇の一番最後に年を取っておばあさんになった主人公がいうのね。「在日一世、二世、というのはこの日本で一歩、また一歩歩むということなのかも知れない」って。だからその言葉を借りると在日20世、ってのは、20歩歩んでる人、になるんだよね。これを見たときは「おお!」としか思わなかったけど、今はこの言葉はとても複雑な思いをわたしの胸の中に抱かせる。

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「在日問題、歴史認識について聞く 他人事みたいですよねといわれ凹む」「私の立場とは?」

両者間に避けては通れない話が出てくる。でも、わたしを含め、ここら辺の歴史認識、というものは圧倒的に知識がない。それはちょっと掘り返すだけで「日本の加害行為」が出てきてしまうからだ。なので表面的なことしか教えてもらえない。だから「他人事みたい」と言われてしまうのだろうし、逆に実際問題として最初は「他人事」の認識しか持てないのだろう。「自分がやったことではないのに」というのが、今、ほとんどの「日本人」(敢えてこの言い方)が思っていることだろうから。まぁでもそれを逆に「日本人側の被害者」としてよく扱われる「被爆者」に向かって同じことを言えるのかね?とは思う。「あなたが受けた被害はわたしにはなんの関わりもないからわたしには関係ありません。あなたの痛みはわたしには全く理解できません」と被爆者に向かって言えるかどうか。多分、そっちの方は言えないか、これを言ってしまえば自分はなんてひどい人間なんだって思ってしまうと思う。しかしなぜ一方では「わたしがやったんじゃないから関係がない」と言えて、もう一方には「関係ない」と言い切ってしまうことに躊躇いが起こるのか。「日本のやった加害行為はわたしには関係がない」と言い切れる人は、ちょっと考えてみた方がいいかもね。

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「大学の政治性というものをちょっと知る。うまく企画が運ば(れ)ない。」

この展示は自分たちの内面との戦いだけではなく、外側でも戦わないといけないものであったことが垣間見える付箋。確かにそういう部分は大いにあっただろう。特に「朝鮮大学校」とのやりとりに関して、自分たちの思うとおりに話が進まない、という場面は相当あったのではないかと想像されるし、「朝鮮大学校との共催」ということで(武蔵野美術)大学側、もかなり慎重になったのではないかと推測される。ここをどういう風に考えるのかは難しいと思う。わたしも一言では言えないし、ましてやこんなところには言わない(笑)ただ、わたしが今思うのは、まずやらねばならないのは「相手を知ること」だと思う。政治性は本当に難しいとは思うし、相手を知ったところで考え方は相容れないんだから、どうにもならないことももちろんあるのだが。。しかし、それでもまず、相手のことは知らなければならないと思う。

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「個と個の対話にこだわっていたが マイノリティ、マジョリティの枠にのっとって話すべき(?) (多分イライラしていた)」「結果、何もいえなくなった。はれものをさわるような感覚。これでは日本人と在日朝鮮人がとなりにいるヴィジョンが見えない」「自分が日本人であることがマジョリティであることに無自覚だった。(知らないことの暴力)きずつけていた」

ここら辺になると徐々にわたし自分がかつて同じことを思ったこと、その当時(これを見た去年の11月17日当時)も同じように思っていたことがどんどん出てくるようになる。でもわたしはこの人たちが羨ましかった。だって、彼らは「対話」を通してこのように感じているのだから。わたしはいろんなものを読んだり聞いたりして同じようなことを徐々に感じ始めてきたから、この思いは誰にぶつけることも出来なかった。もちろん、これを書いた人もだから相手にぶつけられた、ってわけではないと思うけど。自分が「マジョリティ」と気付いてしまったら、もうその気持ちは素直に「マジョリティ」の人たちにはぶつけられなくなってしまうのだから。でも、わたしは彼らが直接、人とかかわり合いになれるのが、とっても羨ましかった。わたし、自分の中にこういう感情を抱えているのが本当に苦しくてね。苦しくて苦しくて仕方がないときがあった。誰かに言いたくても誰にも言えなかった。相談したくても、相談出来なかった。

けど、もう一方の面から考えてみることがわたしにはできる。そう。「性的少数者である自分」としてからの面。相手を「異性愛者」として考えた場合、相手方の気持ちも分かってくるような気がする。「異性愛者」は何も苦労せずこの世を謳歌している。誰かを好きになって、向こうも自分を好きになり、つきあい始める。そのあと結婚という選択肢が目に入ってくる。そう、選択肢。「結婚する、しない」を「異性愛者」は自分の意志で自由に選ぶことが出来る。社会の仕組みが、自分が別にそう願ってなくても自然に整っている。「婚姻制度」の枠の中に入ってしまえば、相手は自分の配偶者となり、多大な権利が得られる。税金の仕組みの中にも相続の仕組みの中にも入れる。そういう法律的なことだけに限らず「妻です、夫です」と言えば、周囲はそれを完全に何の疑問もなく受け入れてくれる。相手が病院で意識不明になったときも「あなたは患者と血のつながりがないから病室には入れません」とは言われない。敢えて婚姻制度の枠の中に入らない人たちも、すべてではないが、ある一定以上のことは「結婚したもの」としてみなされる。そして「異性愛者」はそれを生まれたときから「当然」にあるものとして考えている。いや、もしかしたら「当然」とも思わないで暮らしているかも知れない。

そういう「異性愛者」の「あって当然」の無邪気な姿を見ると、わたしは無性に腹が立つ。「何も苦労せずに権利を得られるくせに、その上何も考えないで過ごせる身分なんて」と。しかし、それを言われた「異性愛者」はただ途惑うだけだろう。「え、だって、生まれる前からそれがあったんだし」って。そして逆に自分の持っている権利の大きさを自覚してしまったなら、持っていない相手に対して「自分という存在だけで相手を傷つけてしまうのではないか」と思って何も言えなくなるだろう。

結局、だいたいそういうことなんだよね。わたしは、この2つの立場を「日本人としてのマジョリティ」と「性的少数者としてのマイノリティ」という2つの面から見ることができるので、置かれた境遇についての双方の気持ちはちょっと理解できる。が、だからといって在日朝鮮人のこと全部分かるわけではないし、っていうか、だいたいそんな感じの気持ちだろうくらいで、その複雑な感情のすべては到底分かりっこない。在日朝鮮人の問題は、歴史問題が絡んでるし、戦後はすぐに国から一方的に日本国籍剥奪など、本当に理不尽な目に遭ってるのだから、そこのところは性的少数者の問題とは全く違う。そしてこんなことは有り得ないけど、それらのことが全部分かったとしても解決方法なんか見つかりっこない。マジョリティとマイノリティの間には、本当に深い溝があると思う。そこを埋めようと思っても埋められるものではないし、だから結局、「お互いの溝がなくなり、みな平和に暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」になる話ではないのだ。そしてそのことは、今回の「架け橋」に象徴されていることでもある。壁をなくせばいいという話ではない。壁は自分たちを守ってくれるものでもある、しかし、わたしたちは双方お互いに相手のことを知り合わなければならない。そして壁を「乗り越える」ということは、果たしてそこにどういう意味があるのだろう。そこのところを来た人たちにも考えてもらいたい、そんな展示だったのだろうと思う。

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「会って話すうちに以前にも感じていた居ごこちの悪さを思いだす。」「朝鮮大と武蔵美、そして境界にある橋。これだけで交流など内示的意味が成立する。」「『安易な友好ではない』というのは、ただ明るくポジティブな関係だけでなく、どうしても理解できないことがあったりして、何もトラブルなくスイスイと交流が進んできたわけではないという思いから。『交流』を全否定しているわけではないし、明るく楽しいことも色々あった」「北朝鮮という呼び方は日本が国として認めてない」「というハナシもあるが、、。差別語ではなく、今はふつうの呼び方として定着してきた感。」

きっと、これを読んでる人の中で「なんでこんな思いをして彼らと付き合わないといけないんだ、自虐的だ」って思う人もいるかも知れないと思う。が、本当にそれでいいのか?とわたしは思う。自覚していないマジョリティから、自覚し始めたマジョリティへ。そこに進むうちにどうしても「居心地の悪さ」というのは感じてしまう。わたしも「異性愛者」に言われたことがある。「性的少数者はいろんな人がいるので、自分が何かを話すと傷つけてしまうのではないかと思うと何も言えない。性的少数者のことを知れば知るほど、怖くなる」って。でもわたしはそれに対してどう答えればいいのかよく分からない。だって、それは「異性愛者」が今まで何も知らなかった、考えてこなかった証拠でしょう、って。今まで権力を持ちながらそれに無自覚だったのはあなたですよって。あなたたちは今までわたしたちを「いないもの」として扱ってきたでしょって。「いないもの」にされてわたしはどんなに悲しかったか、寂しかったか。そしてこれからもその思いはきっとまだまだ続くでしょう。でもマジョリティは「見て見ぬフリ」ができるから、「居心地が悪い」と思ったら、その場から立ち去ることが出来るだろう。そして一生、そういう人たちと関わらなければ、その人達が感じているつらさや生きづらさなんて無視して生きられるだろう。でもそれは、果たして「人間」として許されることなんでしょうか。「関わると自分がつらいから」という理由だけで見て見ぬフリをして生きていくのは人間として正しいことなんでしょうか?(本当は「正しい」という言葉を使いたくはないんだけど。この言葉嫌いだから)そこのところをもっとよく考えてくださいよ、と。

いわゆる「北朝鮮」という言葉。これがどうなのか、と判断することはとても難しいと思うし、実はまだ自分でもよく分かっていない部分がある。ただ、これも前の日記に書いたように、日本人(この言葉の使い方は本当に難しい)にとっては彼の地は「朝鮮半島」であって「韓半島」ではないわけなんだよね。そうするとただ「朝鮮半島の北の方にあるから」ってことで「北朝鮮」と読んでるだけ、という感覚なんだろうと思う、日本人はね。けど、「朝鮮半島」「韓半島」と2つ呼び名があるように、ここは政治的なイデオロギーが絡んできている問題である面がある。そしてそこの日本人の感覚ってのは「蚊帳の外」なわけで。なのでこの問題、あの国をどう呼ぶか、という問題については、わたしは今のところ本当のところは「よく分からない」んだよね。ただ、彼の国を「いわゆる『北朝鮮』」と呼ぶわたしは、やっぱり日本人としての感覚が主である、という認識を強くさせられることではある。。

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「歴史との向き合い方、受け止め方 まだどうやって関係すればいいのかわからない」「対話とは?不可能でも続けるとは?何かを知る、わかるってどういうことか迷走中、、、。わたしはずっとリエちゃんとチョンオギにとっては?マジョリティの市川なのか?」「在日問題について調べてもネットでまともなサイトを探すのが難しい」

ネットでこの問題について検索しても、マトモなサイトが見つからない、というのは本当にそうなんだよね。引っかかるのはおどろおどろしい「真実系」のサイトばかりで。まぁ確かにごく少数ですがまともなサイトは存在する。けども、手っ取り早いのは本を読むことかなあ。徐京植さんが書かれた「在日朝鮮人ってどんなひと?」なんかは中学生向けに書かれているので割と平易な文章で読みやすいと思います。

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「たくさん話した。バーっと吐き出すように話した気がする。」「2人にとってマジョリティとはと質問して意外とふわふわ?していた。未来の日本人も加害者なのか」「属性とは。切り離して考えることができること?」「自分の悪質な種?のようなものに気付く。はっきり分かったし、自ら認めた。その存在に」「マイノリティー/マジョリティー? 被害者/加害者? ずっともんもんとしていた土屋がその思いを言葉にできて嬉しそうだった。土屋もリエも身(ママ)をひらいたミーティングだと思う」「10月5日 話したいこと聞きたいことが話せて すごくよかった」「『あ!』りえちゃんとちょんおぎに自分がマジョリティとして自分が思っていたより強く?見られていることを実感する」

時は10月くらいらしいので、展示会のおよそ1ヶ月ちょっと前、というところだろうか。いろいろ話し合っていくうちに、徐々に何か発見するものや感じるもの、そしてそれを言葉に出して言えるようになった、ということだろうか。「悪質な種」、については、この人が感じたものとわたしが認識してるものはもしかしたら違うのかも知れないけど、わたしの中にも「悪質な種」と言えるものは確実にあるし、これはもう自分の中からは消し去れないだろうなと思う。けど、これを持っていることに気づけるというのは、自分のことをそれだけ客観的に見ることができるようになった、という意味でもないかと思ったりする。

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「立場的に相手の傷口にふれるようなことになってしまう それでもたとえ痛みをともなったとしても返事をしてくれた」「りえちゃんとカマキリの話」「マイノリティー・マジョリティーで考えたときの逃げ場のなさにとまどう」「『発言』というものへの恐怖心がどんどん大きくなる。私はいらぬことを言ってしまったのではないか。まちがっていることを言っているのではないか。。。 急に後ろめたさと後悔。 本当に「在り方」が分からなくなる。自分の告白に自信がもてなくなる。」

「分かった!」と思ったのに、また同じ思いが繰り返される。。でもそれは仕方がないんだよね。いくら話し合ったってお互いは「違う」ところにいるのだから。そしてそれが「マジョリティ/マジョリティ」という関係ならば、当然のこと、力を持っている方が少数者に対して「相手を傷つけてしまう。どうすればいいのか」と途惑うのは当たり前のことだよね。「こういう風な関係であればいい」なんていう答えはどこにもないわけなんだから。なんてわたしだって分かったような口を聞いてるけど、本当は分からないです。だけど人を絶対に傷つけない、というマニュアルなんてどこにもない。わたしはそのことがやっと分かったし、そして、自分が人を傷つけてしまう存在であるという覚悟だけはできたというか、ね。

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「橋が完成した夜にメンバーでへいのところに集まる。さくごしで話す。土屋さんと市川さん、ねころがる。灰原さんとチョンオギ、私はチョデミ側。で立っていた。あのとき初めて、『あっ、この空間いいかも、、、。』と思った。あの瞬間はとても良かった。」

なんかこの光景が目の前に浮かぶようだった。もちろんこれは到達地点ではなく、ただの「通過点」でしかないんだけど、でも、初めて空間が「いい」って感じることができたのは、今までのいろんな経験と思いがあったからだよね。

というわけで、この年表(?)を見るだけでもかなり時間がかかったのだが、しかし、これを読んだ後、じゃあなぜこの展覧会の名前が「突然、目の前がひらけて」になったのか、そこが引っかかった。だって、こんなことがあったあとでは全然「突然、」じゃない気がするんだけどって。まぁでも、両校との間に壁が出来たのは1960年代からだそうだから(武蔵野美術大学がこの地に来たのが1961年。朝鮮大学校はその前の1956年からあった)、その時間感覚で見ると「突然、」なのかも知れない、やっぱり。

で、橋。このギャラリーを出て、もうちょっと奥側に、それはあった。

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これは武蔵野美術大学側から見た橋。

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これが朝鮮大学校側から見た橋。

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そして誰もが撮るであろう、ボーダーライン。「こんなに薄いのか」と思う人もいるだろうし、「だけどものすごく厚い」と思う人もいるだろうし。「これを渡れるということにどういう意味があるのか」を感じる人もいるだろうし、ただただ単純に「渡った!」って人もいるだろうし。わたしは正直なところ、よく分からない。今だけ渡れたとして、それが何か意味があることなのか。しかしそれは今、評価できることではないとは思う。象徴的な「橋」はこの時点ではあったけれど、今(この日記を書いている時点)ではもうない。でも、これからこれがどこにどう繋がるかだよね。それは武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の関係だけではなく、ここの展示を観に行った人たちにも共通して。

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ちなみに武蔵野美術大学側にこれが置いてあり、一体これは何かと思ったら、夜間、橋の上に付けておく柵なんだそうだ。これは一体、誰のためになんのために必要だったのかはよく分からないが。。夜中に渡るなということでしょうか(笑)

で。武蔵野美術大学側から橋を渡って朝鮮大学校美術科に行くためには、この前に受付で名前と住所(いったっけ?)を書く必要があってね。で、番号がついた札を首からぶらさげないといけなかった。そして武蔵野美術大学側から入った人は、必ず武蔵野美術大学側から出ないといけない、ということだった。で、わたしも受付して、その後、この橋を通って朝鮮大学校美術科に行った。

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これは朝鮮大学校側の展示会の案内。

てっきり朝鮮大学校側にも武蔵野美術大学側と同じように受付があって人がいるのかと思いきや、そこには誰もいなかった。。。

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ただこんなものが置いてあるだけで。まぁでもこれは朝鮮大学校の学生向けでしょう。注意が朝鮮語で書いてあるし。朝鮮大学校教職員と学生は、とか読めるので、多分、こっちから行く内部関係者はこれを付けるようにっていうことでしょう。てか、偶然、ここに居合わせたときに、朝鮮大学校の学生と思われる子たちがこれを首にぶら下げて、一人が友だちに向かって「회사원~」って言ってるのが聞こえて(全部は聴き取れませんでした!(苦笑))、多分、首から札をぶら下げた姿が「会社員みたい」って言ってるんだろうなあ~と思ったら、なんかすごい微笑ましく思えてしまって。朝鮮学校はもちろん、学校内では朝鮮語を使わないといけないので、朝鮮大学校でもそれは同じこと、ましてやこうやって、わたしたちのような「部外者」が来るわけだから、なおのこと朝鮮語を使わなければならない状況だと分かってるけど(もちろん彼らはわたしたちと同じように日本語喋ってますけど、普段は)、でも、なんというか、やっぱりかわいいな~とか思っちゃってね。

ま、この展覧会で朝鮮大学校の学生と関われたのはここだけでした。あとは武蔵野美術大学も受付の人以外は全く誰とも関われなかった。美術展ってのは、そんなものなんだろうか。

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これが朝鮮大学校美術科のギャラリー。ちょっと寒々しいところでした(笑)武蔵野美術大学の方は武蔵美の学生、朝鮮大学校の方は、朝鮮大の学生、の展示かと思いきや、全然そんなことはなかった。ごちゃまぜでした。その中でかなり印象的だったのは、

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この絵だった。絵というか、まだスケッチのみなのか、それはよく分からなかったんだけども。

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これは一体、何を表しているんだろう?右側の人たちと左側の人たちが言い争っているのは分かる。しかしそれに混じってカメラを抱えた報道陣なんかの姿もある。とっても気になる作品でした。これはこれで完成品なんだろうか、とか。

しかし、この時点では分からなかったんだけど、これはこの時点ではまだ完成品ではなかったようです。というのも、今年の1月下旬に同じところで別の美術展があって、それにこれもまた飾ってあったそうです。わたしはその展示会のことを最終日に知って、それなので観に行けなかったけど。。これがどういう作品になってたのか。それがとても気になります(そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

朝鮮大学校側で作品を観ているうちにふと思った。「これって、朝鮮大学校側からも来られるんだよね?」って。だってさっき、武蔵野美術大学側のギャラリーに新聞が置いてあって、そこに「両方から入れる」って書いてなかった?と。で、武蔵野美術大学側の受付に戻って、そこにいた人に「朝鮮大学校側からも入れるんですかね~?」って聞いてみたら「多分入れないんじゃないかと思います」という答え。「えー?」と思ったが、やはりそこは試してみなければ。と思い、一旦、武蔵野美術大学側の受付に札を戻したあとに、武蔵野美術大学を出て(構内、迷ったヽ(;▽;)ノ)、そして朝鮮大学校の入口に向かった。

朝鮮大学校に向かう途中、ふと思いだした。ヤンヨンヒさんが書いた「ディア・ピョンヤン」の中で(映画の方じゃなく、著作の方)ヤンヨンヒさんが朝鮮大学校の学生だったときに、しょっちゅう学校を抜け出して演劇を観て、そして夜中に学校にまた忍び込む、みたいなことを書いてたよなって(朝鮮大学校は全寮制)。なんだー、この道かあーって。

で、学校の中に入ったら、受付があったのでそこで名前と住所書いて。そこで首からぶら下げる札と注意書きを渡されて。「写真、動画の撮影は美術科展示室内外と「橋」のみに限らせていただきます。」というところに赤い線を引かれて。

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まぁ確かに普段来ないところだから、撮りたくはなるよね。だけど、それをされると向こうがすごく迷惑、ってことも分かる。学校側がピリピリするのもいろんな理由があるんだよね。

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これが渡された通行書。こっちには番号とかは書いてなかったなー。

まぁでも展示会自体は既に観たものだったんでね。ただ、帰った後にもらったパンフレットみたいなものを読んでたら、そこで行かなかった場所があったことに気が付いた。てか、それはどこにあったんだか、今でもよく分からない。どうやったら行けたんだろう。どうやら2階っぽい??「アンケート用紙」って書いてあるけど(パンフレットに)、そこでアンケート書けたんだ!わたし、ここはそういうの全くないんだな?って思ってた。いろいろ思うところもあったのにー!ってことで、わたしはアンケート書いてません。いろいろな言いたい思いを抱えて全部持って帰ってきた。

とはいえ、ギャラリーの向こう側でちょっと扉が開いてたところを覗いてみたら、こんなものが。

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柿。朝鮮大学校の敷地内にある柿の木でできたものらしい。人には全く会えなかったが、この気持ちは嬉しかったです。なので、一ついただきました。

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家に帰って食べたけど、甘くて美味しかったよ!

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最後に。帰る途中、見かけた白い猫ちゃん。

しかし、事前に橋が架かることだけしか知らなかったので、創作したものが展示してあるとは思いもよらず。ちょっと本末転倒になってしまった感が否めない。しかも現地でその意図を把握出来なかった自分の失敗。「自分と同じ思いをしている」という嬉しさ、「でも同じことをこの人たちは大学生で感じることが出来たのだ」という羨ましさ。

その他、この展示会については本当にいろんなことを思って感じて。

でも、これはゴール地点じゃないし、これから先もまだまだ続くこと、なんだよね。
16:55 | その他 | トラックバック(0) | page top↑
02-11 Thu , 2016
第685回東京YMCA午餐会「ドイツの今」
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これも引き続き去年の11月の話。

まぁこれもひょんなところで知ったんだけどね。
てか、「午餐会」ってどう考えてもとってもキリスト教的な香りがするじゃん?
「午餐」の「餐」の字なんて「最後の晩餐」の「餐」と同じ文字だし(とてもくだらないこと言ってるような気がする)。
しかも場所がYMCAって、そりゃ、当然にキリスト教的なところでしょって。
なので、事前に予約するときに「キリスト教の信者じゃなくても参加できますか」ってメールで問い合わせしたら、
「信者じゃなくても全然構いません」
って回答が来たので、なら、参加しますってことで。
ご飯付きで参加費3,000円。

あー、参加の理由は単純な話。

「ドイツはなぜ今現在も謝り続けることができているのか」

これについて知りたかった。いや、もっと言えば、ドイツだって敗戦直後からずっと謝り続けていたわけではない。
強制的に働かされた人たちがアメリカの裁判所にドイツの企業を訴えた、ということだってあった。
(その昔、アメリカでは自分の国と全く関係ないものについても裁判できたそうな)
その補償は最初はごく一部の人たちだけだった(これは結構有名な話で、例えば強制収容所に入れられたユダヤ人の補償は真っ先に行われたが、同じように入れられた男性同性愛者についての補償はもっとずっと後だった)。
ドイツだって最初から率先して謝罪行為をしていたわけではない。
それがどうして、いつ、それが変わったのか。
どういうことがきっかけだったのか、その当時の国民の間ではどういう議論が起こったのか。
それが知りたかった。

というのも、この年の8月14日に「戦後70年 東アジアフォーラム-過去・現在・未来-」というイベントに出席してきたのだが
そのイベントにドイツから「記憶・責任・未来」財団の理事会アドバイザーって人が来ててね。
いろいろドイツのことについて話してくれたというか、わたしが印象的だったのは、第一部の記念講演の方ではなく、
課題別シンポジウムの方で話されたことなんだけど。

ドイツでは、今まで国防軍による「売春宿」(レジュメを翻訳した人によると、原稿を日本語に訳すときに「慰安婦」という言葉を最初は使っていたのだけど、どうも「慰安婦」という言葉にそぐわない。実態から考えると「慰安婦」よりも「売春宿」の方が適確だろうということで、この言葉に訳した、とのことだった)での女性強制性労働については全く注目されてこなかった。それはなぜか?「あった」んだけど、その他の方が中心となってしまって(ドイツはアウシュビッツなどの方が大きかったので)、それにかき消されてしまった、とは言っていたけど、やはりその中にも「その問題はとるに値しない問題」として放置されていた現状も確かにあった、みたいなのね。

で、その人は「この問題(慰安婦問題)は日本の方が進んでいます」と言っていた。
が、わたしは「そんなのすぐにドイツに追い抜かされるよ」って思った。
だって、その姿勢が全然違うもの。

しかし、そこでは「国民が自分たちが加害行為をしたことについて、どう思っているのか」ということは一切話されず、
というか、話す人が「そりゃ、謝罪するのは当然でしょ。で、どうすればそれが『謝罪』になるかなんだよね。それはやっぱり補償金払うことだよね」
という感じだったので、「こりゃ、次元が全く違うわ」と思い、
(しかし、補償金を払えばコトは済む、という趣旨で言ってるわけではもちろんなく、
根本に「謝罪し続ける姿勢」は絶対に忘れてはならない、その記憶は未来にも引き継ぐ、とのことでした)
それで「なんで日本とドイツはこんなに違いがあるんだろう?」と思って、
その後に一冊「日本とドイツ ふたつの『戦後』」という本を読んでみた。
なんか、そのことについて書かれてるかな、と思って。
んだけど、わたしが知りたかったことは全く書いてなかった。
(多分、これに関しては、別の本が出てると思うので読んでみたいのだが、今は時間が、、)

ちょうどその頃にこのイベントのことを知り、
「あ、じゃあ、ちょっといい機会だし、参加してみるか」って思ったのね。
だって、ドイツのこと、わたしは本当に何も知らないのだもの。
大学の第二外国語もドイツ語じゃないし。

会場に入ったら、その雰囲気の違和感に圧倒された。
まぁ、偏見と言ったら偏見なんだろうけど、ものすごく宗教臭い。
来てる人の雰囲気が、来てる人はほとんど高齢のおっさんばかりだったのだが、
なんというか、上品というか、穏やかというか、ちょっと気持ちが悪い感じ←
大声でゲラゲラ笑う下品なおっさんとか全くいない。

しかも会場の中ではうっすらクラシックのような上品な音楽が流れている。。
(こーゆーところは、わたしみたいなガサツな人間はそぐわない!!)って心の中で思った。

取り敢えず、お重のある席に座った。

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三段重ね。食べてるときに弁当の中身の画像を撮りたいと思ったんだけど、
それは恥ずかしいので止めました。まぁ普通の仕出し弁当でした。

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時間になり、式次第通りにコトは進んでいく。

最初の「開会の祈り(食前の感謝)」は、ホント困った。
って、もう何を話されたか具体的なことは覚えてないけど、雰囲気に違和感を感じて困ったことだけ覚えてる。
あ、例え他の人がみんな手を組んでお祈りしてても、わたしはしません。
だって信じてないんだもの。形だけマネしても意味ないし、第一信じてる人に失礼じゃん。
と思って、葬式以外の宗教行事に対しては、そういうときはただただボーッとしてます。

次の「Peace」ってのは、要するに「いただきます」ってのと同じことだと理解した。
「前と左右の方とご挨拶」と式次第には書いてあるが、
そうそう「Peace」とは言えんわな。

で、黙々とご飯を食べる。
てか、なんか緊張してご飯はどこに入ったのかさっぱり分からん感じだった。
だいたいわたしは人見知りなので、こういうときはまず誰かに話しかけたりはしない。
そして、わたしの外見はとても話しかけづらいのだろう。
誰かから話しかけられるという経験もほとんどない。
しかし、心の中では「誰か、わたしに話しかけてよ~。ここに迷える子羊ちゃんがいるんだから」と思っている。
まぁそんなことはどうでもいいか。

ご飯を食べ終わったらいよいよ、今回のゲストである小塩節さんって人のお話が。
てか、この人、結構有名な人らしいのよね~。
NHKのドイツ語講座とか担当した人らしい。
てか、その前に駐西ドイツ大使館公使、だったらしい。
大学の先生でもある。
1931年生まれって書いてあるから、結構なお年の人。

話は確か、日本とドイツの関係、から話したと思う。
てか、ほとんどもう覚えてない(^^;

最初にドイツに日本を紹介したのは、ケンペルって人で、この人は将軍綱吉に会った、とか。
で、そこで「小鳥だったら」という古いドイツの歌があるのだが(わたしはこの歌、小学生の時に習った)
それを将軍の前で歌ったらしい。
というわけで、そこで小塩さんはドイツ語で「小鳥だったら」を歌いはじめた!

小鳥だったら小鳥だったら飛びたいな
海を越えて 海を越えてどこまでも

青い空は青い空は広いんだ
だけど僕は だけど僕はチビだもの

大きくなったら大きくなったら飛行機で
世界一周だ 世界一周だ僕の夢

世界一周だ 世界一周だ僕の夢

ま、こんな感じの歌詞でわたしは習ったんだけど。
ただ、「飛行機で」とか、まぁ綱吉の時代にあるわけないから、
この日本語の歌詞はとってもとっても新しい、ってことだろう。
だけどメロディー自体はとても古くからある歌なんだってね。知らなかったけど。

あとはシーボルトとシュリーマン、だったっけな、日本と関係したドイツ人。
シーボルトはドイツに日本のイチョウを持って帰ったんだってね。

一番印象的だったのは、森鴎外の話だった。
てか、結局その話で分かるだろうけど、戦後のドイツの補償とか、そんなことについてはほとんど話さなかった。
まぁ、そうだよね。大学の専門、別にそういう関係ではないし。

森鴎外がドイツに留学して、そしてドイツ人の恋人がいたってのは有名だろう。
だって本人が「舞姫」とか書いてるもんね。
でも、どうやらその恋人を「捨てた」ってわけじゃなく、毎月お金を送金していた記録が出てきたとか?
それから、脚気の話もしたな。
当時、脚気の原因は分からなくて、陸軍の方はぴかぴかの白米が配給で食べられることが
当時の兵隊にとってはとても喜ばれて、でも、白米は配給でも、おかずの方は自費だったので、
みんな梅干し1つでご飯何杯も食べてたとか。で、脚気になっちゃった。
海軍の方は麦飯混じりで、それがとても不評だったけど、脚気の人はいなくて。
でも、不評だったので白米に変えたら、脚気が蔓延した、とか。
しかし、これと森鴎外の関係はなんだったか忘れた。
森鴎外は陸軍の軍医だったんだけどね。

あと、森鴎外の出身地は石見の国、だから島根県、になるのかな?
いや、津和野だから山口か。(津和野は島根県です!よく「萩・津和野」って観光地で一緒くたにされて、そして萩の方は山口県なので、津和野も山口だと思ってた時代があり)
彼の墓のことはとても有名だけど、
でも、生前、森鴎外は地元に1回も帰らなかったそうだ。

その理由はどうも、長崎から隠れキリシタンが津和野に連れて来られて、
そこで虐殺かなんか起こったんだよね。森鴎外の父親がそれに関係してたか、幼い森鴎外がそれを見たのか。
そこは忘れちゃったけど、どうやらそれですごい「贖罪の意識」があったらしい。
だから、死ぬまで故郷に帰らなかったんだと。

とはいえ、森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったらしいが、
しかし、著作の中に(なんだったか忘れた)とてもキリスト教的な一説があるらしい(それも忘れた)。
森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったけど、キリスト教的なものは彼の中にはあったのではないか、
そんな感じの話だった。

あとはドイツの経済的は話を少し。
あのときはちょうどフォルクスワーゲンの排ガス不正問題が大きかったときだったので。

てなわけで、今、覚えている話はこれくらいしかない、、、

まぁ、自分の知りたいこととは全く掛け離れてた話だったが。
しかし、「集団の中に入って感じる違和感」ってのが、この頃のわたしにとっては非常に面白く。
というのは、この国に住んでて、「違和感」を感じるときって、あまりないんだよねえ、わたし。
なので、この場所も結構わたしにとっては「おー、違和感、感じてる、感じてる」と思ってたんでした。

ただ、この頃は自分にとって割と違和感のあるところにばかり行ってたこともあり、
たまに違和感のない場所で、違和感のない人たちとしゃべると、とっても開放的なんだなあ
ってことも感じてて、人間って面白いなあって思ってました。
13:24 | その他 | トラックバック(0) | page top↑
02-12 Fri , 2016
God Bless Baseball(作・演出:岡田利規)
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これまた去年の11月の話。
てか、11月の話、どのくらい溜め込んでたんだっていう。。
(それもこれも結局は画像処理がネックだったってことで)

題名の「God Bless Baseball」というのは、演劇です。
これ、作った人は「日韓関係」を描きたかったみたいです。
といっても、いわゆる「歴史問題」とこの作品は全く関係がないです。
「野球」というものを通して、日韓とそしてアメリカ、の関係を描いてます。
どちらかというと、わたしは「日韓関係」というより「アメリカ」と「日韓」の関係を描いた作品だと思いました。

てか、わたしは大学生の頃、友だちがある小劇団(といってもかなり有名だった。今でもその劇団はあるみたい)に入ってて、
友だちに「今度これやるから観に来て」と言われては、
別の友だちと連れだって下北沢までよく観に行ったものだった。

その劇は、解釈が難解で、正直「結局この劇は何が言いたかったのだろう?」というものばかりだったが、
しかし、何が何だかよく分からないけど、なんとなく考えさせられることが面白かった。

この「God Bless Baseball」もちょっとそんな香りのする演劇だった。
とはいえ、そんなに難解な劇でもなかったとは思ってるけど。

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いつのことだったかは忘れたが、偶然、豊島区の中央図書館のある建物の前を通ってたときだった。
建物の前の柱に、この「God Bless Baseball」のでっかいポスターが貼ってあった。
それに気が付いて「へー、こんなのやるんだ、面白そうだな」って思ったが、結構高かったので最初は観に行かないつもりだった。
が、とてもとても気になった。第一、わたしは根っからの野球好き。
野球好きといっても、日本の野球にしか興味はなく、大リーグは全く興味が無いし、
韓国の野球については、若干興味があって、'90年代によく買ってた「週刊ベースボール」の中に
今は知らないが、その当時は1ページずつ韓国の職業野球、台湾の職業野球のページがあり、
それはわけが分からないながらも毎回読んでいた。だから、その当時、韓国にどういう名前のチームがあるか、くらいは知っていた。まぁそんな程度の野球好き。

しかし、この作者は野球は好きじゃないという。
一体、どういう視線で野球が描かれるのか。
それにとても興味があった。

すごくすごく考えて、そして「やっぱり観に行こう」って思った。
だって、映画だったらリバイバルの可能性はあるけど、
演劇って、多分ほとんど可能性はない。
あとで「やっぱり観に行けばよかった」って後悔するのが嫌だったから。

演劇に関して、どこまでネタばらしをしていいのかはよく分からない。
いつ、どこでこの劇がまた再演されるか分からない。
しかも、この劇、わたしが観に行った時点で既に韓国では上演されていたが、
アメリカでの上演は今年だという。今年のいつかは知らないけど。

舞台装置が、面白かった。
舞台装置を作ってる人も有名な人なんだそうな。そのときは知らなかったけど。
高嶺格さんって人。

舞台中央の上部にでっかい白い太陽みたいなのがあって。。
それは、「アメリカ」であり「父」であり。
最後はその「化けの皮」を剥がすのか、それとも解体させるのか。
あれは結構象徴的な行為で面白かった。

てか、わたしがこう書いても、観てない人にとってはなんのことやら分からないなあ、これでは。

トータルで言うと舞台上に4人の人が、そして実態は現れないけど「声だけ」の人が1人、出てきます。
舞台の上の4人は、2人が日本語を話す人、2人が韓国語を話す人。1人が男性、2人が女性、そして1人がイチロー。
「声だけ」は英語。英語しか話さない。
日本語、韓国語、英語がすべて分かる人が観客ではないので、台詞の大半は舞台の左右に1つずつあるスクリーン(?)で
日本語字幕、韓国語字幕、英語字幕が写るようになってた。

面白かったのは、日本語話者=日本人、韓国語話者=韓国人、じゃなかったところ。
劇を観る人の先入観としてそういうものがある。
その認識を見事に覆してくれて「わー、面白い」と思った。
とすると、舞台上に出てきた人たちの役は、日本人はイチロー含めて2人、韓国人が1人、国籍不明が1人、ということになるのか。

最初、「野球なんてルールが難しくて全く分からない」ということが蕩々と述べられる。
んー。イライラ。。
確かにサッカーと比べるといろいろ難しいかもね。
しかし「なぜ3ストライクで1アウトなんだ」とか「なんで表と裏があるんだ」とか「なんで9回まであるんだ」と言われても、
そこに明確な理由などないわけで。だって、そういうルールなんだから!
スポーツってものは、ルールがあるからこそスポーツで、しかも野球はそんなに難しいルールではない。
わたしは野球のルールが難しいと思ったことがない。小学生の頃、テレビを見て自然に覚えた。
ただ、野球があまり好きではない人にとっては、「野球好きじゃない理由」として、
そういうところにいちいち引っかかりたいのかな、という気はした。

てか、ここまで書いて、ほとんど「話の筋」を覚えていないことに気が付いた。
印象的な場面はここそこにあるんだけど。どこでどう繋がってたのか、もうほとんど覚えてない。

日本と韓国、それぞれの野球が始まった話。
野茂英雄とパクチャンホの話。
ヘテ・タイガースの話。
「みんな背番号51を付けてイチローになろう」
イチローの背番号51と台湾の51クラブの話。
「危ないから傘の中に入っていろ」というイチローの脅し。
アメリカの声は父の声でもあった。
「本当は野球なんて好きじゃなかった!父に無理矢理に野球チームに入らされた!」と叫ぶ日本人(しかし韓国語話者)の男性。
終始傘の中に入るのを拒否し、舞台装置に立ち向かう、国籍が明らかでなかった女性。
徐々に壊れてドロドロになっていく舞台装置。

野球、を巡っての話のはずだが、国の関係性も象徴している。
そういう意味では日本も韓国も同じ。

だから最初に書いたように「日韓関係」というよりは「アメリカ」と「日韓」との関係を描いた作品のように思えた。
だって「日韓」の配役と言語は入れ換えられるけど、「アメリカ」の言語は他とは入れ換えられない。
「アメリカ」は「英語」じゃなくちゃいけない。

面白かったです。
11:58 | (一般)映画・演劇のこと | トラックバック(0) | page top↑
02-16 Tue , 2016
朝鮮大×武蔵美×芸大「となりあえば」展に行ってきた
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時間はぐっと今に戻って、今年2月の話。

わたしがこの展示会を知ったのは、instagramだった。最近わたしはtwitterのアカウントも持ってないし、FBも全く見ない。なのでこの手の情報はほとんど得られないんだけど、なぜかinstagramのほうで情報を流してくれた人がいて、それで知ることが出来た。というか、流してくれた人は全く知らない人なんだけど、こないだ日記に書いた去年の11月の武蔵美×朝鮮大の「突然、目の前がひらけて」展に、偶然、同じ日に行ったみたいなんだよね。「同じ日に行ったみたい」というのは、観に行ったあと、家に帰ってから覗いたinstagramにその人も「来てます」って画像をアップしてたからだった。これにはびっくり!「わたしも今日、行きましたよ~」ってコメントしたんだけど、同日同時刻に行ったとしても、元々知り合いじゃないんだから、どんな人だか分からない。なので今もどんな人か知らない人。で、多分、そういうこともあって、その人はこの展示会について知らせてくれたんじゃないだろうか。非常に有難いことなんですけどね。

ただ、今回は前回と違い、事前に「この日のこの時間に行きます」という連絡をしなければならなくなったらしい。が、どうもその連絡先はtwitterのアカウントで、それを持ってないわたしは連絡できない。とても図々しい話だけど、仕方がないのでわたしはその情報をinstagramに流してくれた人に「twitterのアカウントがない場合は、どうやって連絡を取ればいいんでしょう?」ってコメントした。そしたら親切にもその人がいろいろ向こうとやりとりしてくれて「こちらのメールアドレスにメールしてください」っていうことにしてくれた。なのでわたしは無事、そのメアドに連絡して、そして行けることになったのだ。

なんでそんなめんどくさいやりとりがあったかというと、会場が朝鮮大学校の中の展示室だったからだ。要するに、校門の前で朝鮮大学校の人が迎えに来てくれて、それで展示室まで一緒に行かなければいけない、そういうシステムになってしまった。帰りもそう。朝鮮大学校の人が校門まで送ってくれる。「なんでそんなことしなきゃいけないの?」って思う人もいるだろうけど、わたしはその部分はあまりなんにも思わない。まぁ向こうにも都合ってものはあるだろう。それに実際、このシステムはわたしにとっては結構よかったなと思っているのだ。なんせ、行き帰りの間に彼らと話せるんだから。前の「突然、目の前がひらけて」は、前の日記にも書いたけど、展示している側(武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科双方)が誰もいなかったので、一言も何も話せずに帰ってきた。それはとてもつまらなかった。だけど今回は違う。展示会をやってる人と話せるのだ。これはわたしにとってはとてもよかった。おかげでいろいろ思ってることを話したり聞いたり出来た。前の日記でわたしが気になった作品について、

> (そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

って聞けたのも、実はそのときだった。

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行きに玉川上水を歩いているとき、ふと、空を見上げたら美しかったので一枚。冬の空。

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玉川上水ってよく聞くけど、実際のところはほとんど知らず。こんなに長いものなんですね。ここは本当にいい散歩コースだと思う。

14時半に学校の正門のところで待ち合わせ、と約束した割に、向こうが来てなくて(笑)なかなか来ないもんで「正門のところで待ってます」ってメール入れて。10分くらい待ったかな。実はちょうどそのとき武蔵野美術大学から予約なしで来た学生がいて、受付の前で「予約してないと入れないんですよ、今回は」って言われてたんだけど、ちょうどわたしがいて迎えが来てくれることになってるし、じゃあ、まあいいでしょうってことになった。案外、臨機応変だった。

迎えに来てくれた人はどういう顔の人だったか全く覚えてないんだけど(いただいた「となりあえば」展のパンフレットの後ろにこの展示に関わった人の全身写真が載ってるのだが、この人だっけ?それともこの人だっけ?みたいな感じ、、、行きと帰りの人は多分違ってたと思うんだけど、それすら記憶曖昧)、いきなり「朝鮮大学校に来るのは初めてですか?」って聞かれた。もう一人の武蔵野美術大学の学生さんは初めてらしかったんだけど、わたしは去年の11月に来たのが初めてだった、と言ったら「今回はこういう(迎えに来るという)形になってしまってすみません」と言われた。

「でも、こうやって外部から観に来て下さる人がいると、わたしたちはやっぱりとても嬉しいです!」って言ってた。まぁそれはそうだろうね、、やっぱり自分の描いた作品は、一人でも多くの人たちに観てもらいたいって思うのは、そりゃあ描いた人の本能だろうからね。

会場に着いたんだけど、今回は、その作品を描いた人が多分、半分くらいはいたと思う。受付のテーブルの前に座ってた。で、展示会を観に来た人は、わたしの観てる途中何人もいたけど、受付の人と話してる内容を聞くと、割と武蔵野美術大学の人が多かったように思う。

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ご挨拶

この度は、朝鮮大学校美術科、武蔵野美術大学油絵科、東京藝術大学芸術学科有志によるグループ展「となりあえば」にお越しいただき誠にありがとうございます。
2014年秋、武蔵野美術大学油絵科に在籍する、日本学校で日々を過ごしてきた金真希が朝鮮大学校美術科1年生に送った、両校の交流を望む1枚の企画書からこの展示は始まりました。両校の学生は展示会に向けて交流を重ね、今自分が表現しようとしていること、自分のアイデンティティ、互いの日常などについて対話を行いましたが、その過程で直視せざるをえなかったのが異なる日常を送るお互いの「隔たり」でした。隔たりを意識すべきかせざるべきか、互いの関係を構築する中で導き出したのが「隣人」という言葉でした。
隣人とは、何らかの壁によって隔たれ、自分とは異なる日常を送る決定的な他者でありながらも、同時代に生きる者としてふとした瞬間に交わり、私たちの日常を彩ってくれる存在です。意識しようがしまいが、私たちは常に隣人、そしてその異なる日常に挟まれて生きているのです。
昨年秋、先輩方が企画した朝鮮大学校と武蔵野美術大学を会場として開催された『突然、目の前がひらけて』では、両校の間に学生によって展示期間中橋がかけられました。それは互いの隔たりを認めつつ、同時代に生きる「隣人」として行った一つの取り組みの象徴であると言えるのではないでしょうか。
今回展示します各作家の作品は、それぞれの日常の発露であるとともに、作品同士、作品と鑑賞者、鑑賞者同士など、様々な関係における「隣人」という存在の可能性を示唆しています。
「隣人」としての取り組みがさらに私たちとあなたという「隣人」への広がり、「隣人」のいる日常への気付きとなればと思っています。
「となりあえば」展一同



まぁ来てみないと分からないことだったが、この展示は決して去年の11月の「架け橋」の第二弾ではなく、交流自体はこちらの方が先とのことだった。しかもこちらの方は武蔵野美術大学の方も「ずっと日本学校で教育を受けてきた在日、大学に入るまで民族教育を受けてきた在日、そして日本人」とメンバーもバラエティに富んでいるようで、そういう意味で、前の「架け橋」は「武蔵美×朝鮮大」イコール「日本人×朝鮮人」だったわけなんだけど、今回はそうじゃなかった分、彼らの関係もまた「架け橋」とは違ったものになっているように感じた。あとは「交流の長さ」も影響してるよね、多分。それから「若さ」ってのはあまり関係がないかな?ただ、作品の作者らはまだ現在大学2年生で、「架け橋」に比べると確かに作品はまだまだ若かったです。でも、それがわたしにとってはとても「新鮮」に思えた。まだまだこの先変わっていく可能性が感じられる、とでも言えばいいのか。なんかとても上から目線で偉そうですけど(^^;

作品を観させてもらったけど、印象に残るものが多々あった。

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もっとも印象に残ったこれだけ撮って来た。題名は「表では読み取れない否定」。この人の一連の作品も飾ってあって、それぞれとても抽象的なものだったけど、わたしは分かりやすいのよりこういう絵が好きなんだよね~(笑)ただ、その中でもこれはとても分かりやすいと思う。でもね。「表では読み取れない」って言ってても、裏の部分で使われている色が表でも見え隠れしているという。表はそれを別の色で覆われたりもしてるけど。それは時折混じる「チラチラとした本音」を表してるんだろうか。

その他、今でも印象に残ってるのは(画像には撮っては来なかったんだけど)、多分、武蔵野美術大学の在日の人の作品だったと思う。自分のアイデンティティについて、小さなキャンバス(というの?)に何枚にも描かれた作品だった。絵の上にトレーシングペーパーが被せられてて、そこに多分、その人の思いを描いたのだろう。その中でもとても印象に残ってるのは友だちと並んでご飯を食べてる絵で、そこに「友だちが味噌汁を飲み終わったときに『ああ、日本人でよかった』という言葉の自分の感じる違和感」みたいな言葉が描いてある作品。「ああ、そうだろうな」って思うの、わたし。一方でこういう「日本人」の声も聞こえてくる。「そこまで自分は少数者に配慮しなければならないのか。だったらおちおち味噌汁飲んだ感想も洩らせないではないか」と。

違うんだよな。まぁこれを描いた人は本当はどう思ってるかは分からない。分からないんだけど、わたしが思うに、問題は「味噌汁が美味しいと感じるから日本人で良かった」という言葉そのものではないと思うのね。きっとそこには普段からの日本人の言動、「日本国内には日本人しか住んでいないと思っている発言」や「本当は日本国内には日本人以外の人もたくさん住んでいるのにそれが全く見えてない発言」が頻繁に彼らの口から発せられてるんだろう。それに象徴されたものとして「味噌汁が~」になってるんだと思う。だから、普段から何気ない一言の中に「日本には日本人以外の人たちもたくさん住んでるよね(そういう存在がいることをわたしは知ってるよ)」ということが入っていれば、多分、その人が味噌汁飲んで「日本人で良かった」といってもさして気にはならないだろう、と思うのだ。なんにせよ「いないもの」として扱われるのが一番つらいこと。もちろん、何故彼らが今ここにいるのか。どういう経緯があってここにいるのか。そういうことはもっともっと知られていかなければならないことなんだけどね(でないと、「在日です」「日本語うまいですね」という会話は永遠に繰り返されるだろう)。

ただ、この作品はちょっとストレートすぎてね~。わたしはもうちょっと「わけの分からない要素」ってのが好みなのでね。

で、もう一つ印象に残ったもの。これは東京藝術大学の人の作品。あの人は何を専攻してる人なんだっけ。作品は写真にキャプション付けたもの、それから自作の冊子。そこにも写真と文章が書かれてた。故郷の、多分もう亡くなったおじいさんの話と、おじいさんがかつて住んでいた家と、その回りの風景の写真。おじいさんは戦争体験者らしい。時に軍刀を取り出して、とかいう表現があったので、多分戦争でどこかに行ったんだろう。なんか、中身には具体的にどんなことが書いてあったかよく覚えてないのだが、寂れた風景と一風変わった家の写真とともに、とにかくとてもひんやりとする作品だった。

在日が「自分は一体何なのか」というアイデンティティを模索する作品は実は描きやすいと思っている。少数者とはそんなものだ。だが、マジョリティである日本人が「自分は一体何なのか」を表現しようとすると、それはかなり大変なことだ。だって、この日本で日本人であることは大多数で「普通」のことなんだから、普通はとても表現しにくい。だけどこの人は「自分の身内」を切り取ることによってその冷ややかな視線でそれは何か、を表しているような気がした。まぁ尤も、「自分は一体何なのか」が描きたかったわけではなく、本来愛すべき身内とされているものを、それとは別の感情で遠くから冷ややかに眺めている視線、それがわたしにとってはとても魅力的に感じたのかも知れない。決して感触はザラザラとしてはいない、むしろつるんとした冷ややかさというか、いや、そこは物体ではなく乾燥して冷ややかな空気と言えばいいのか。そのような感触がとても気になった作品だった。

それからこの展示会、真ん中に机が置いてあって、そこに数冊のファイルが置いてあったのね。ええと、4冊くらいあったかな。それが結構また面白くてね。朝鮮大学校の人が2人いたことは覚えてるけど、あとは1人だったか2人だったか。4冊ともその人の「作品集」みたいな感じだった。その中の1冊、ファイルがラップでグルグル巻きにしてあるのがあって、あれも印象深かったな~。ヌードの絵を描いてる人なのか、なんか自分がヌードになった絵を描いたみたいなのね。とにかく自分がヌードになるのが恥ずかしかった、そしてその画を人に見せるのが恥ずかしかった、だったら、ラップを巻いて分かりにくくしちゃえ!という。でも描いてる絵はかなり抽象的な絵なのよ。ちょっとやらしいチックなのもあったけど(やらしいという言葉はかなり語弊で、やらしくはないんだけど、なんというか、これは男女の絡みなのか知らん、と想像できるような作品があった)。

朝鮮大学校の2人のファイル、多分、そのうちの一人はわたしが上に挙げた「表では読み取れない否定」を描いた人のものだったような気がする(なんといっても、わたしは人の名前はすぐに忘れてしまうので、気になった人の名前も忘れてしまうのだ(涙))。でも、壁には非常に抽象的な作品ばかりだったものの、その人が高校(というか高級学校)時代に描いたというファイルの作品を見ると、これまた全然違うんだよね、、なんかイラストみたいな絵ばっかりだった。「へー、こういう絵を描いてた人が、ああいう絵を描くんだ」って、とっても面白かった。

そして面白いと言えば、その朝鮮大学校の2人のファイルは、習作、と言えばいいんだろうか。「授業でこういうのを描いて、それでこういうつもりで描いて、でもこういう風に書けばよかったかなあ」みたいなことが書いてある。これはかなり面白かった。

絵、というものは、描いた絵によって表現されるべきものであり、その絵について「これをこういうつもりで描きました」と文字や言葉で表現されるってのは本来おかしな話ではあるよね。だって、そうじゃないとなんで絵でわざわざ表現するの?って話になってしまう。そして受け取る側も本来はどういう受け取り方をするかは自由なはず。だがしかし、受け取る側はいつも不安なのだ。「これ、本当にこの解釈でいいのだろうか。描いた人は本当にこういう意図で描いているのだろうか」と。描いた本人は案外「どういう形で受け取られようが自由」って思ってる人が多いにも関わらず。わたしなんか何度も表現した人から「あ、そういう風にも思えるんですね~」と言われ、「あ、そういう意図で表現したんじゃなかったんだorz」って思う場面があり。だから本当にそれは気になるところなんだよね。

なので、こういうものを見せてもらえるととても有難いし、こういうものが見られるのは、とても貴重な機会なのだ。

中にね、朝鮮画の習作なんてのがあって、それもとっても興味深かった。朝鮮画っていうのは、そのファイルを見ただけの範囲だけど、水墨画のようで、でも多色なのよ。それがとっても鮮やかでね。習作なので決してうまいとは言い難かったが、それでも「こんな感じ」というのはよく分かって。それを観られたのも、とてもよかった。

わたしは本当は歴史より、朝鮮半島の古くからの文化や風習、あとは民族音楽、みたいなのに興味を持ってる。だけど、それを知ろうと思うと案外大変なのね。もしかしたらわたしはまだ「きっかけ」というものが掴めてないのに過ぎないのかも知れないのだけど。何しろ現在はいわゆる「北朝鮮」と「韓国」に分かれてしまっているので、古くからの文化や民族音楽がそこに「共通」してたのものなのかもよく分かんない。ただ多分、明確に分かれてしまったのがここ60年の話なので、そんなの、今までの歴史からするとほんの一瞬に過ぎないとは思うんだけど、それでもわたしは「別々のもの」と捉えざるを得ない。本当なら、別々なところから情報が来て、そこで「ああ、これは同じだ」とか「これが違う」とか判断できればいいのだけど、今の日本では韓国の方からは圧倒的に情報は得られても、いわゆる「北朝鮮」からはそういう情報はまず得られない。だからいくら韓国からの方のものを見ても、それは自分の中ではイコール「朝鮮半島の文化」でなく一旦「ペンディング状態」になる。それはとても悲しいとは思うんだが、まぁでもそういう状況を作ってしまったのはこの日本、というわけでもあり(もちろん100%とは言わない)、それを考えると「どうすればいいのだろう」ということになるのだが。

まあそんなこんなで、とにかく、わたしは中央の机に置いてあったファイルもとても良かったと思う。

で、帰りにまた校門のところまで朝鮮大学校の人に送ってもらったのだが、この展示会の感想など言ったり、またはちょっと聞きたかったことなど聞いたりして、それはとても楽しかった。今回のこのグループは全員大学2年生らしいので、今後交流を更に深めて、また展示会やってくれないかな~と思った。この人たちの絵がどういう風に変わっていくかを見たいと思った。

帰りの電車の中で、もらったパンフレットに書いてあったこのグループ展に関わった3人(朝鮮大学校、武蔵野美術大学、東京藝術大学)の対談(というか一人は司会なんだけど)を読んだ。対談を読んで、この展示会は前の「架け橋」の第二弾でもなんでもなくて、そういう位置づけをしてはならないんだろうけど、わたしは正直、こちらの方が肩肘張ってなくていいなあって思った。もちろん、この中でも「歴史認識」というのは重要な作業で、それなりにいろいろあったらしい。が、今回は武蔵野美術大学の方に多様な人たちがいたためか、それとも集まったメンバーの性格に因るのか、なんか「架け橋」の時に感じた悲壮感、困惑感ってのは全く感じなくて。なんかこのパンフレットによると「架け橋」の人たちはみんな「ストイックな性格」だったようですが(笑)そして本当のところはどうだったかはパンフレットだけではよく分からないんだけど、そういうところはこのメンバーでは軽々と乗り越えてしまった感はあった。もちろん「どちらの方がいい」という問題ではないのは分かってるけど。あとそれと。「架け橋」の方は、武蔵野美術大学側の一方的な思いで、朝鮮大学校側は果たしてどう思っているのか、それが直接的にはよく分からない感じになっていた。が、今回はパンフレットを読んで分かるように「双方の対話」が分かるのね(あ、パンフ自体は前の「架け橋」もあって、それを読むと双方の対談にはなってる。が、実はわたし、あれまだ全部読んでないのです(汗)時間がないのもあるが、細かい字でたくさん書いてあるので読むの結構大変そうなので後回しになってる)。なので、今のところの感想に過ぎないけど、こちらの方が親しみが持てる展示会だったな、と。そういう意味ではどうしてもこちらの方は「第二弾」ではないんだけど、第二弾として自分の中ではつい、位置付けてしまってます。「架け橋」から進化した、という意味で。いや、本当は違うのはよく分かるのよ。だけどつい、ね。

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帰りの玉川上水。そんなに長時間観てたってわけではないのに、もう夕方の雰囲気でした。
16:12 | その他 | トラックバック(0) | page top↑
02-17 Wed , 2016
ゴールが見えてきたかも
先日、病院に行ってきた。

主治医に「薬、頓服程度にしか飲んでません」って言った。前回28日分出てたんだけど、主治医から「薬は好きに切ってね」と言われたので、調子がいいときは飲まず、なんかとっても息苦しいなあってときだけ飲んでたのだ。トータルして10錠は飲んだかな。なんだけど、7錠目くらいに「薬飲んだらだるくて起き上がれなくなる」ようになったので、そこからは半分に割って、半分だけ飲むことにしてた。そのことを主治医に言ったら「起き上がれないほどになっちゃいますか、あの量で」みたいなことを言われた。確かに、あれを1日1錠飲んでたときは、そんなことなかったんだけどね。まぁ考えられる原因とすれば、前に飲んでた薬より今回の方が軽かったので、前から続けて飲んだときはそんなに副作用がなかったけど、今回は頓服的に飲んだから、ってのと、あとは薬の成分が蓄積されると副作用が少量で起きやすくなる、んだったかな?ただ、後者の理由はちょっと考えにくい。その少し前まで飲んでて副作用は出て来なかったんだからね。だから多分、前の薬、ワイパックスが次の薬、アルプラゾラム「サワイ」0.4mgよりも随分強かったから、ワイパックスから移行したときはだるくなったりしなかったんだろうね、と思う。

で、今回はそんなわけで薬の処方はなし。ついに飲む薬がなくなっちゃった。

思い切って主治医に「いつまで病院に通うんでしょうか」って聞いてみた。そうすると「うーん、難しいんですよね~」って。だから「それは、うつ病3度目が治っても再発率が高いからですか?」って聞いてみたら「そうなんですよ」と言われた。まぁ、3回目から4回目の再発率って90%だとどこかに書いてあったので、まぁもう寛解状態になってるとしても、ほとんど再発確定なんだよね、、「予約が取りづらいので、このまま通い続けるという手もありますが」と言われたけど、わたしはもう5年近く病院通ってて、もうしばらくは病院と縁が切りたいので「いや、一回、病院通わなくてもいい時期が欲しいんですけど」って言った。わたしは安定した時期がもう3年以上続いてるから大丈夫だって思ってたけど、薬飲みながらの安定だったので、それはどうやらカウントしないようだ。あくまでも薬を飲まなくなってから、どのくらい安定しているかをみるらしい。「どのくらい安定してたら病院通わなくていいですか」って聞いたら、「まぁ次の診察の時にまたそれは考えてみましょう」って。相変わらず息苦しいのとか、背中がバリバリで痛いのとかあるので、少し暖かくなってどうなるかみてみましょうと言われた。次の診察は来月の終わり頃になった。

ということは、最短だと次の診察で終わりってことになるのかな。ちょっとゴールが見えてきたかも。

ただ、今、最近ちょっと過活動だったのか、ぶっ倒れてる。熱があって(と言っても、微熱なんだけどね)そして頭が痛い。今日は1日中寝てたけど、薬が切れるとまた頭が痛くなる。だるいくせにあまり眠れない。風邪なのかなあ。インフルエンザではないと思うんだよね。熱もそんなに高くないし。やることたくさんあるから、早く治って欲しいんだけどなあ。。

【現在の処方】
なし
22:48 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-21 Sun , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その1(ただしスタンプは押してない)
前に書いたように、1月12日から「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」というのをやってて、今年は去年と違って初めからやる気満々だったので、日にちに余裕を持って終わらせることができた。まぁ例によって画像処理に時間がかかってしまったので、今になっちゃったんだけど。これが集めたポスターの画像。

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全65駅中、62駅。去年は池袋だけ駅にポスターが貼ってなかったけど、今年はポスター貼ってないところが3駅に増えてた。ポスターが貼ってなかったのは、

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浜松町、馬橋、亀有の3つの駅。池袋駅は今年はあったのにね。。まぁこの中でも亀有は分かるのよ。亀有の今年のキャラクターは「クイントータス・キングトータス・ミニトータス」で、上の画像を見てもらえば分かるように、どうやらこの3匹(?)が一枚の画像になったものがなかったらしいんだよね。だから、作れなかったのかなあ?って気はしてる。けど、浜松町のゼットンなんか、去年は御徒町のキャラクターで、ポスターは作れないわけないし(しかも御徒町のポスターは独自のセリフが入ってて楽しかった)、馬橋も作るのは無理っぽいとは思えないんだけどな。まぁ馬橋は出口が1つしかないし、駅出たらすぐに分かるところにスタンプが置いてあったので、案内のポスターなんかいらないって思ったのかも知れないけど、ちょっと悲しかったな~。だって、同じく出口が1つしかない三河島は、

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出口案内が書いてあるところに「三河島駅」の文字。こういうのだったのよ。これでいいんだけどなあ。。

逆に池袋駅は今年もないだろうと思ってたら、結構あちこちベタベタ貼ってあったので、とても嬉しかった。っていうか、馬橋と亀有はまったく何もポスターが貼ってなかったんだけど、さすがに浜松町は、

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こんな矢印だけのポスターはあちこちにあり、、あれ。去年の池袋駅そっくり??ま、まさか、去年の池袋駅の駅長さん、浜松町駅に転勤したりしてないよね?(笑)

去年は「全駅集めよう」って決めて1日で全部回って(その前に集めてたのが21駅分あったので)、でも、途中で「駅からのメッセージ」も集めようって決めてからもう1回回ったので、スタンプラリーに使った日数は2日だったんだけど、今年は3日。それもわざわざこのためにだけ出たわけではなく、病院行くときとか、他の用事があったついでにその方面の駅を家を早めに出て回ったりしたもの。3日の内訳は、新宿から南側+新日本橋で1日、残りの山手線+総武線、中央線沿線で1日、残りの常磐線などで1日、という感じだったかな。

山手線の乗り間違えは今回は1回だけ。例によって電車が来てて出発しそうだったので、行き先も見ずに飛び乗ったら、今来た方向だったという。。これは去年、何回も同じことをしたので(アホですね)、今年は「1本乗り遅れてもいいから、今年は行き先を見てから乗ろう」と心に決めて、結局反対側に進んじゃうってことは、その1回しかなかった。てか、1回だけで十分って感じだよね。。同じこと何度も繰り返すなよって感じだよね。。しかし、常磐線は今年もよく分からないもんだから、何回か失敗した。快速と各駅の関係がよく分からん、あれは。あと快速も何種類かあるようで、最初はよく分からんもんだから、適当なのに乗って、取手まで最初に行ったのね。そこから東京方面に1駅ずつ戻ろうと思って。で、行きは各駅に止まって来たもんだから、帰りも全部止まるんだろうと思って取手駅に来たのに乗ったら、取手の次が柏でね。我孫子とか北柏とかすっ飛ばして戻っちゃった。まぁ、柏から我孫子行きが結構頻繁に出てるみたいだったので(千代田線経由の各駅の常磐線だよね、あれ)戻るのにそんなに時間はかからなかったんだけどね。

もう一つ。亀有から北千住でさぁ、着いた北千住の駅がどー考えても地下鉄で。「あれ?ここ出たら(地下鉄の駅でJRじゃないから)お金取られるんじゃね?」って思ってさぁ、もう一回亀有に戻ったのよ。でも、亀有って千代田線直通の常磐線しか止まらないみたいで。「???」って思いながらもう一回、北千住に戻って。これ以上行きようがなかったので、改札のところで「亀有から乗ったらこっちに来ちゃったんですぅ。本当は都区内パス持ってるから、JRなんですけど(汗)」って言い訳しようと思ってたら、北千住って、直接地下鉄とJRが繋がってるのね。。多分、去年も同じ間違いをしたはず。。去年は綾瀬から乗り換えられると思って、綾瀬駅のホームをずーっと歩いてたんだけど、全然行き先が違う電車の乗り換えホームだったってことしか覚えてなかったので、北千住で繋がってたことはすっかり忘れてた。てかあそこ、本当に普段乗り慣れてないと分からんわー。

去年「早く行ける」と思って使った埼京線の渋谷駅が飛んでもなく渋谷駅から遠いので今年は使わないようにしたとか、新日本橋に行くのに、総武線快速は東京駅で乗り換えると飛んでもなく遠く、しかも分かりにくかったので今年は品川から乗ったとか、そういう「改良」した部分もあったんだけどね。そうそう、去年迷った新松戸駅から武蔵野線乗り換えも今年はスムースに行った。

なので、今年は去年と違って割と全体的に余裕があったと思うんだけどな。疲労具合も去年は死ぬほど足が疲れたって感じだったのに、今年はそんなに疲れたとは思わなかったし。

ってことでその2に続く。今回は余裕があった分、駅に貼ってあるポスターなどもじっくり見て回れたので、その部分で発見したことなどを。

【追記】

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これにも書いたんだけどもさ。東京モノレールはわたしの出身大学の上を走ってて、大学在学中はよく大学の方からモノレールを見てたもんです。が、逆にモノレールに乗ることはなかったんで、いい機会と思って狙ったシャッターチャンス。これ、うちの大学のポンド側で停泊している「青鷹丸(せいようまる)」です。その手前にチラッと見えるのが「ひよどり」挺かな?うちの大学は3つ、大きな船を持ってて、この青鷹丸が一番小さくて約160トンだったか。一番大きいのは「海鷹丸(うみたかまる)」という船で、でかいので晴海に停泊してます。海鷹はわたしが大学生だったときは確か三世だったかな。1828.66トンだったか。しかし今は新しくてもっとでかいのができたはず。わたしは大学に入るまで、学校の中にポンドがあって、そして船が停泊しているということも知らなくてね。在学中はちょっと時間があるときは停泊中の青鷹丸に乗らせてもらったりしたもんでした(うちの学生だったら誰でも乗れたはず。まぁ当時の話で今はどうだかは知りません)。ちなみにポンドの反対側、モノレールの羽田進行方向の左側に大学のグラウンドや校舎が見えます。まぁそれも一瞬で通り過ぎちゃったけどね。

前に書いた天王洲アイルのことだけど。「随分昔の話になっちゃったんで、懐かしいかも」って思ったけど、よく考えたら当時は学校から歩いて行ったので(そういえば、当初は金網に穴が空いててすぐ行けてたんだけど、ほどなくして穴が埋められて遠回りせんといかんようになった)「天王洲アイル」駅で降りるのは初めてで懐かしさも何もなかった。。
22:19 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-22 Mon , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その2(盛り上がってた駅のようす)
その1の続き。

去年は時間がそんなに余裕があるわけではなかったので、じっくりと駅を観察してくることはなかったんだけど、それでもいくつかの駅に行くと「ああ、スタンプラリーを盛り上げようと思ってるな~」って思える駅があった。そして、今年も。まずは去年に引き続いて大崎駅。ここは去年に引き続いて今年も何枚か、独自のポスターを作ってた。

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大崎駅の今年のキャラクターはベムスターだったんだよね。ちなみにベムスターは去年の東京駅のキャラクター。まぁ、わたしはウルトラマンの怪獣や宇宙人などについてはほとんど興味がないので、どの怪獣が人気者だったのかとかまったく知らないんだけど。ああ、駅がどのようなキャラクターを選択しているか、これを分析すると結構面白かった。「人気キャラ好き」な駅とか、逆にマイナーなキャラクターを敢えて選択してる駅とか。大崎駅は、去年もそうだったけど、今年もかな~り力が入ってた駅のうちの1つでしたね。

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よーく見ると、こういうさりげないところにベムスターもいて。ちなみにこれはスタンプ台の反対側の後ろの方にあったチラシ置きのところに貼ってあったような。あ、あと、スタンプ台の上の方にもこんなのが。上にちょこんとベムスターがいますね(笑)大崎駅はきっと、こういうポスターの図案作るのが好きな駅員さんがいるのかな?

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あと、去年に引き続いての駅はもう一つ、御徒町駅。去年はゼットンで、今年はゴドラ星人。ちなみに去年は十条のキャラクターでした、ゴドラ星人。駅からのメッセージを読むと、去年の十条も今年の御徒町も「人の姿に変身して誰かを騙した」とか書いてあるので、きっと、印象深い宇宙人だったんだろう。ただ、去年の御徒町駅は駅中にそんなにベタベタ貼ってあった記憶はないんだけど、今年はすごかった。。

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こんな感じで下の方にある「ひとこと」と「つぶやき」が書いてあったんだけど、全部で何種類あったんだろう?一応、探せるだけ探してきたんだけど。。

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これが「ひとこと」。ビミョーに同じようなものも若干入ってるけど(笑)しかしこれだけでも8種類。さらに

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これが「つぶやき」。全部で6種類だと思うんだけど。。これ以上はわたしは発見できなかった。しかし、全部合わせて14種類。すごいです。ポスター、見て回るの結構楽しかった(笑)

しかし、実はこれよりすごい駅があったんだよね、今年。っていうか、去年はまったく印象にないのは、わたしが見落としてたんだろうか。じゃーん、有楽町駅。

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キャラクターはお馴染みバルタン星人、ではなく(笑)、バルタン星人の子ども、バルタン星人Jrだそうです。こんな感じで「(スタンプ台は銀座口改札だ!)」とか書いてあるんですが。。

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なぜか手書きのままのものもあり、上から貼ってあるのもあり、、これはこれで味があるんだけど(笑)そして「順調・快調・有楽町!」。。誰がこんなオヤジギャグを考えたんだろう(笑)まぁこれはここの駅を利用しているサラリーマンに向けた言葉なのかも知れません。順調!とか快調!とか無理矢理思い込まないといけないサラリーマンなんかがたくさんこの駅を利用してるんだろうな。。(余計なお世話か)尾久駅とか四ツ谷駅ってのは、バルタン星人とバルタン星人(二代目)がいるところで、バルタン星人については、これはわたしでも知ってるキャラクターだから、かなり有名でもあり、だからこのキャラにすごいこだわりを持つ駅があるんだろうなー、って今年の駅のキャラクターを見たときに思った。だって、尾久駅も四ツ谷駅も去年も「バルタン星人系」のキャラだから。四ツ谷が去年は「セミ人間」(バルタン星人の原型と言われている)、尾久は「バルタン星人」。四ツ谷と尾久のバルタン星人へのこだわりは並みではないっすね。そして今年のこの御徒町駅もすごかった。改札を出てスタンプ台のところに行くと、

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こんなのが。さらにスタンプ台に近づくと

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そんなに並ばない人がいるのか(笑)っていうか、「勝負はまだ1回の表だ!」というのはどうやらこの「バルタン星人Jr」の口癖だそうです。「1回の表」ってのは当然野球の「1回の表」だろうけど、これも駅なりに利用している人たちを励ましてるんだろうな。っていうのは、実はスタンプ台は銀座口にあるんだけど、中央口の方に行くと

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じゃーん、こんなんがあったのです。言っとくけど、中央口にはスタンプ台はないのよ。なのに、これ。すごいなあ、有楽町駅。そしてこのバルタン星人Jrのポスターの一つ一つに「ひとこと」が書いてあるんだけど。

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ホント、すごいねこれ。わたしはたまたま中央口に降りちゃったんでこれを発見したんだけど、もしかしたら他の駅もスタンプ台置いてない出口にこんなにすごいものがあったりしたのかなあ。もちろん全部の駅の全部の出口を見て回ることは不可能なんで、他のところは見て回らなかったけどね。多分、今年、駅の盛り上げ方No.1は有楽町駅だと思います。

その他、今年から参加した羽田空港第1ビル駅。

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見たところ、4種類のポスター。ここは地下駅なんだよね。そして、去年は同じ地下駅だった新日本橋駅のキャラクターでした。あと、こんなのもあった。これは目白駅と北柏駅。

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走る子どもが多いんでしょうか。しかし、わたしが見たところ、スタンプ押してるのは子どもより大人の方が圧倒的だったけど。。てか、子どもは親に連れられるような本当に幼い子どもで、例えば小学生同士とかそういうグループは見た記憶がないなあ(笑)そして取手駅。

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これ以外にそっけなく「西口改札外」って書いてあるポスターもあったんだけど、なぜかそのうちの何枚かは「お待ちしています」が貼ってあったという。こういう統一性がないのを発見するとつい、面白くて撮ってしまう。

で、そうそう。取手駅はスタンプ台の横にこんなのが。

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かわいいよね。そして、

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取手は唯一の茨城県内の駅。茨城県マスコット「ハッスル黄門」って初めて知った。その横の猫のキャラクターも。

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左と真ん中は北柏、右は南流山で。常磐線とか東の方はスタンプ台横にちまちま飾ってある系、って感じかな?そういえば、南流山といえば、去年はここ、ウルトラマンでした。で、今年はウルトラマンジャック。ヒーローが好きな駅だよね、ここは(笑)で、去年は「当駅のキャラクターはウルトラマン!」って誇らしげだったから、今年はどうかなーと思って期待してました。

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左が去年。右が今年。今年もウルトラマンじゃなかったにも関わらず、同じように貼ってました。んで、去年は気が付かなかったんだけど、こういうポスターも。

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確かに今年は「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」なわけで、そういう意味では「帰ってきたウルトラマン」であるウルトラマンジャックは、やっぱ今年のスタンプラリーの「主役」なんでしょうね。

それから、ここからは単発になるけど。まず千駄ヶ谷駅のアボラス。

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これ、実はスタンプ台の裏側で、駅の改札から見える方向なんだけど、かわいくてつい撮ってしまった。こういうちょっとしたことがわたしは結構好きなんだよね~。ああ、そういえば千駄ヶ谷駅は去年は独自の怪獣ポスターだったんだよね。

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こういう感じの。これは去年の全64駅でも1駅だけじゃなかったかなあ?ちなみに今年は独自の「怪獣」ポスター作ったところはなかったですね。

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そして五反田のダダ。駅の改札出る前の一角がコーナーみたいになってた。後日書く予定だけど、五反田のキャラクターの選定理由は今年も笑えました。去年はペスターで、ペスターはヒトデの怪獣らしいんだけど、ヒトデ=五角形=五=五反田、が選定理由だった。今年は、、なんとなく分かるでしょう(笑)ちなみにダダは去年の西日暮里駅のキャラクターでした。

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金町駅のキャラクター「モットクレロン」の人形。スタンプ台の横に置いてあった。こういうの、誰が作ってるんでしょうか。。

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今年、怪獣のポスターは1枚もなかった浜松町駅だったんだけど、ここには「ウルトラマンSHOP」ってのがあったらしいです。そこに飾られてたのが、このウルトラマンの人形。まぁこれは、駅自体が今年選定したキャラクターを盛り上げようって趣旨ではないと思ってるけどね。

あと、番外編で。浜松町駅、新橋駅では駅で押したスタンプを提示すると、参加特典で駅周辺のお店で割引があったりしたようです。

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わたしはこれしか発見できなかったけど、もしかしたら、他の駅にも参加特典があったかも知れないですね。でもこれって完全大人向けな感じ(笑)しかし、こうやって駅周辺のお店もどんどん巻き込んでいくのは面白いかも知れないです。

その3に続く。次はいよいよ「駅からのメッセージ」編です。
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