12-01 Tue , 2015
夏の東北旅行記 その3(人生初!山形・秋田)
今日から師走なんだけど、季節を無視した日記を書いてます(^^;

その2の続き。

わたしは昔から「枕が変わると眠れない」体質で、うつ病になってからはさらに「疲れたときの方が覚醒して眠れない」体質(というんだろうか?)になってしまった。しかもこれまた「睡眠不足だと頭が痛くなる」体質でね。よく歳を取ると「若い時みたいに何日も徹夜できなくなったー!」って言う人がいるんだけど、わたしは既に高校生の時から徹夜は無理だった。一回ねー、定期テストの時に徹夜で勉強してみたのよ。科目は物理で、しかもそれでもうテスト終了、というから最後はちょっと無理してみよっかな、みたいな感じで。

。。。散々だった。眠くて頭が痛いわでテストどころじゃなかった。なので「あ、わたしは徹夜無理」と思って、それ以来完徹したことない(睡眠障害で夜眠れなかったのは除く)。

でさー。旅行行くと必ず持っていくのは頭痛薬。絶対にどこかで疲れて頭が痛くなるから。長い旅行で途中、頭が痛くならなかったことがない。

そして3日目の朝、頭痛が起きちゃうんだよな~。1日目と2日目、よく眠れなくてね。身体はとっても疲れてるんだけどね。

8月3日(月)
というわけで、起きてみたら頭が痛かった。でも朝食は確か7時半って決まってたので無理矢理食べる。

76.jpg


前日とメニュー違うけど、ここのYHは基本、和食なのね。前に来たときもそうだったと記憶してるが。。和食、洋食と日替わりになってるYHもあるよね。

朝食後、本当ならそれからすぐに出て、途中、ちょっと2駅ほど歩こうかなってプランを立ててたんだけど、頭痛いし、これ以上体力使ったらこの先持たない、と思って、1本電車遅らせて、チェックアウトギリギリまでYHで寝てることにした。だってねー、東京で旅行のプラン立ててたときは、東北ってこんなに暑いとは思いもしなかったのよ。夏の東北に行くのは初めてで、東北ってもっと「涼しい」イメージを持ってた。ところが仙台はほとんど東京の暑さと変わらない!「騙されたー!」って思ったね。尤も現地の人に聞くと「今年は異様に暑い」って話だったけど。。暑いと余計に体力奪われるじゃん。しかも頭が陽に当たるとこれまた頭痛の原因になるので。。

ご飯食べ終わってから2時間ほど寝てたら、頭が痛いのが治まってきたので「よかった」と思いつつ、YHを後にした。

77.jpg   78.jpg


YHの最寄り駅、太子堂を10時11分発。太子堂から仙台まではなんかいろいろな線があって、どれに乗ったんだかはよく覚えてない。東北本線の他にエアポートなんたらとか、いろいろあるらしいね。

80.jpg


仙台!てか、是非とも「むすび丸」が付いてる仙台駅の看板を撮りたいと思ったんだけど、前の日記にも書いたように今仙台駅ってなんかとっても構内を工事してるんだよね。これ、見つけるの結構大変だった。

81.jpg   82.jpg


12時11分、仙台駅から仙山線に乗る。これからいよいよ山形へ。といっても山形までは行かないのだけど。実は人生、初めての山形県。山形は花笠音頭で天童とか尾花沢という地名は知っているけど、ああ、あと天童市は将棋の街だとかね。さくらんぼもそうかな?でもそれ以外のイメージって全くなかったです。

83.jpg


13時26分、羽前千歳着。この先が山形なんだけど、山形まで行くとうまいこと奥羽本線に乗り継げないのね。まぁここから先は仙山線と奥羽本線の重複路線だからだと思うけど。

84.jpg


電車が来るまで10分以上あったんで、駅のホームをブラブラしてたら、こんなものを発見。ここで線路内に物を落としたらわざわざ山形駅に連絡してそれで駅員さんに取ってもらわないといけないみたいで。でもそんなこと律儀にしてたら時間がどのくらいかかるんだろうかと思ったりして。山形からここまで駅員さんは何で来るのかな~とか、電車に乗り遅れたら飛んでもない目に遭うだろうなとか。

しかしここは本当に暑かった!確かに山形のここら辺って盆地だから余計に暑いとは分かってたけど、確か今までの日本での最高気温って山形が記録してたと記憶してるけど。で、ここで偶然iPodから流れてきた曲は、細川たかしの「津軽じょんがら」で、それを聞いたとき、ビミョーな感じだった。まぁここは津軽ではなかったけど、「津軽は雪ん中~♪」と歌われても全く想像が付かない(笑)あ、ちなみにわたしは別に細川たかしのファンではなく、数年前の紅白で細川たかしが「津軽じょんがら」を歌ったときにそれが頭から離れなくなっちゃって、次の年(って紅白の次の日はもう新年だが)の正月にiTunes storeでこの曲だけ買って、iPodに入れてたのだ。あと上にちょっと書いた花笠音頭もiPodに入ってて、なんでこんな曲が入ってるかといえば、わたしは日本の「音頭」が好きで何枚かCD持ってるからだった。沖縄民謡も好き。ただ、沖縄を除く日本の民謡はイマイチ。やっぱノリがいいのが好き。河内音頭も好き。まぁわたしの音楽の好みはそれだけじゃないけど、基本、日本の民族的なリズムってのは好きなんだよね。かけ声とか。エンヤコラセードッコイセ、とか(って河内音頭じゃん!)。まぁでもこの季節に聞く演歌などは、地元に近いけど、季節感が全く違うのですごーく違和感があって、それがとても面白かった。

85.jpg


13時39分、奥羽本線、羽前千歳発。ところがこの電車ねー。既にものすごい人が乗ってて、危うく乗れないかと思うほどだった。ものすごい人、というのは、どうやら高校生みたいで。この日、集団登校日だったのかしら。多分、山形から乗ってきたんだよね、この子たち。でさぁ。びっくりしたんで未だにこの電車の中の光景が忘れられないんだけど、みんな電車の中で勉強してるの!!!@@;大抵、今どきはゲーム機持ってたりスマホの画面見てたりするじゃん。違うの。なんかねー、大きい画板みたいのをみんな持ってて、それを下敷き代わりにして書いたりしてるの。座ってる子だけじゃなく立ってても。画板をみんな持ってるってことは、いつも電車の中で勉強してるってことだよね。なぜかみんな、英語ばっかりやってたけど。しかも、子ども連れのお母さんに席を譲ったりしてて。ええ子や~、キミら。わたしはこれで山形県のイメージが変わりました(大げさ)。

そんな劇混みだった電車内も、途中でみんな降りていき。

88.jpg


14時42分、新庄着。ここで1時間近く次の電車を待ったんだけど、もう暑くて暑くて。

88.png


なんと34.9度。暑すぎて朦朧としたので駅の外を出ようとも思わなかった。しかしここ、新幹線の始発駅なんよね~。初めて知った。ローカル線と同じ線路を新幹線が走ってる区間なのよね。

89.jpg


15時37分、新庄発。ここからも奥羽本線。途中、

90.jpg   96.jpg


これなんて読むん?みたいな駅があり。「及位」はどうやったら「のぞき」と読めるのか?「のぞ・き」なのか「の・ぞき」なのか?「湯沢」って新潟にあったんじゃなかったっけ。ここ、山形、いや、もう秋田か、秋田だよね?ああ、そういえば新潟の湯沢は「越後湯沢」だったっけ。「越後」って付いてるのは、ここと区別するためだったのかとか。そして乗ってるうちに気が付くんだよね。。

91.jpg   94.jpg


辺り一面が田んぼなことを!

んーなんていうのか。わたし、これまでここまで一区画が大きな田んぼを見たことがなく。すごいきれいだったー。わたし、この区間の奥羽本線の風景、この旅行の中でも印象に残る光景のNo.1です。

97.jpg


そして本日の宿泊地、大曲YHがある飯詰駅、17時16分着。

98.jpg


ここの駅は、当然のことながら(?)、無人駅でして。そこから30分くらいかなー、YHまで歩くのは。そう大した距離ではないし、なんてったって、周囲が田んぼだらけで本当に「わー」と思いながら、道を歩いてた。

102.jpg   103.jpg


右側の画像の黒い点々は、カラスです。なんでかよー知らんが、何も植わってないところにカラスがたくさんいた。何かの種が蒔かれてたんだろうか。

106-1.jpg


あまりうまいことは撮れなかったのだが、一応パノラマで。そういえば、3月に安曇野に行ったとき、安曇野YHの周囲も田んぼだらけだったけど、こんな感じなんだろうかとふと思ったりして。しかし本当に一区画が大きかった。秋田と言えば「あきたこまち」をすぐに思い出すけど、これらはみんな「あきたこまち」なんかしらん?

107.jpg


大曲YH。入口があまりにも普通の家の玄関みたいだったので、そこじゃなく、もっとYHの入口っぽいのがあるのかしらと思ってその先に行ってみたのだが、そんなものはなかったので「ここから入るのかー」と。ペアレントさんはよーく喋るおじさんでした。おじさんと言っても、わたしとあまり年齢は違わないんだけども(汗)

「急な客が来なければ、今日は部屋に一人です」と言われて案内されたのが

111.jpg


じゃーん。クーラーなし!「でも開けっ放しにしておけば、外から涼しい風が入ってくるから」と言われ、え、開けっ放し???夜中でも?「まぁだいたい夜中にここを通る人なんていないから!徘徊老人以外は(笑)」え、ああ、そうなんですか。。。てか、プライバシー全くないじゃんかーって思ったけど、実際、泊まってる間は誰も入ってこなかったです(当たり前か)。でも、最初の方はちょっと落ち着かなかったな~(笑)

ペアレントさんから「今、秋田は竿灯祭りの最中だけど行かないの?盛岡でもさんさやってるよ」と言われ「ああー、ここは青森に行く途中でどこかに泊まらないといけなかったから来ただけなんです」と答える。「もうさー、この時期は東北は夏祭りだからね、どこでも!」と言われ、そっかー、そういや仙台もこれから七夕だったし、夏の東北ってそういう意味では「日常」ではないんだと思わされる。「日常?日常だったら冬がいいね。冬の方が日常だよ」と言われる。ここのペアレントさんは、地元出身の人ではないようで、埼玉出身の人だったかな?脱サラしてYHを経営してるらしい。とにかくしゃべり好きな人で、聞けば周辺のたくさんの見どころを教えてくれる。わたしは既にこのときまでに「今、わたしの体験してるのは、東北じゃないような気がする」と思ってたので、次に来るときは寒い時期に来てみようかなと思い始めてた。ので、ここの冬の行き場所を教えてもらったりした。冬はここらは横手でかまくら祭などがあるらしいのだが、それ以外はやはり温泉だとか。ただ、わたしのような公共交通機関を利用するとなると、その選択肢はぐっと減るみたい。

112.jpg


この日の夕ご飯。ちなみに野菜類はすべて、ペアレントさんが自分で作ったものだそう。右上の黄色いのは食用菊だったかな。左上の汁物は秋田名物「きりたんぽ」だそうだ。普通、きりたんぽは冬のものなんだけど、まぁここでは夏も出してくれてるみたい。きりたんぽ、初めて食べました。

この日は朝、頭痛かったし、それまであまり眠れてないしで、ご飯食べた後早めに寝ようと思ってすぐ風呂入って布団の中に入ったのだが、なんかねー、消灯の少し前に新しい宿泊客が来て、その人とペアレントさんがずーーーっと食堂で話してるんだよねー。部屋、あけっぱなしにしてるじゃん?何を喋ってるのか、内容までは分からないけど、それがうるさくてさー。だいたい消灯過ぎたら静かにしなきゃなんないんじゃん、誰だって。それにこんなにうるさかったら誰かが注意するだろうよと思ってしばらく放っておいたのだが、12時近くになってもまだ喋ってる!なんかちょっとウトウトしかけたんだけど、声で起こされてしまって、わたし、これ以上眠れなかったら次の日も頭痛じゃん、こりゃ言わんと分からんわと思って仕方なく食堂まで行って「すいません、もう消灯時間、だいぶ過ぎてるし」と言ったら「ごめんなさい!」と言われてすぐに終わったけど、もー、どうなっとるん、ここのYH。ペアレント自ら消灯時間無視するなー。って、わたしも今まで眠れてなかったもんだからね、これ以上眠れなかったらという恐怖心もあったんで、どうも済みません。

116.png


夜になれば、そこそこ涼しくなると言われ、確かに寝る前の時点で25度を割ってたけど、ちょうど明け方一番寒いときに起きたので「今は何度だろ?」と思ってみたら、22度台だった。確かにこれだとクーラーなしで行ける。ペアレントさんとはわたしが歯磨きしているときに少し話したんだけど(冬の見どころなどもそのときに教えてもらった)「こんなに暑かったらクーラー付けないとダメかなあ。でも、クーラー付けても稼動日数が年間10日くらいなものだし、付けたら維持費がかかるんだよね。。」と言ってたので、翌日「わたしは別にクーラーいらないと思いますけどね」と答えておいた。

ちなみにここのYH、わたしが泊まったときは全部で3人くらいしか宿泊客がいなかったと思うけど、その次の次の週だったか、大曲の花火の時は満員になるんだって。ただ、経営はかなり厳しいみたいですね~。YHってわたしが高校生の時は夏休みとなればどこもいっぱい、予約取れないところもたくさんあったのに、最近は本当の客が減ってるのね~。まぁこれだけの施設を数人で使うとホテルに泊まるより部屋は広いし、一人部屋だし、風呂もそれなりに広いし、これまた一人で十分浸かれるし、というので、今はかなり「穴場」になってると思う。ただ、同じ部屋に同じ旅行者がいないので旅の情報交換などができないのは、ある意味YHの醍醐味もなくなってしまってるというのが現状か。寂しいね。

その4へ続く。
22:43 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
12-07 Mon , 2015
「ふたつのイヤギ」(日本大学芸術学部演劇学科 平成27年度総合演習IIIA)を観た
これも少し前の話になる。

最初、この公演のチラシを見たときに「あっ」って思った。「イヤギ」というのは朝鮮語で「話」という意味だ(チラシでは「物語」になってるけど、多分、大した違いはない)。「ふたつのイヤギ」というのは、その通り、この公演は「ちゃんぽん」という作品と「我が家のイヤギ」という作品の2つの劇が連続して演じられて、それで1つの公演となっている。「あっ」と思ったのは「我が家のイヤギ」を作った人の名前を見たからだった。「金民樹(キムミンス)」となっている。

わたし、今年の5月に「航路(항로)」というドキュメンタリー映画を観に行って、その映画に出てた人のうちの1人がこの金民樹さんだったのだ。金民樹さんは韓国籍を持つ在日で、映画の中ではもう一人、朝鮮籍を持つ在日、金哲義(キムチョリ)さんって人が出てくる。彼らはそれぞれ自分の劇団を持っているのだが、2人で「航路」という演劇ユニットを結成しているらしく、彼らの作った演劇が何回か、韓国の済州島の劇団から招聘されるんだけど、朝鮮籍を持つ金哲義さんは今の政権では韓国に行くことができないのね。それは以前この日記にも書いたとおり。朝鮮籍の在日が韓国に行けたのは金大中と盧武鉉が大統領だったときだけで、李明博から今に掛けてまた渡航できなくなった。韓国大使館に行って申請しても旅行証明書が出ないのだ。しかも済州島は金哲義さんのおじいさんの出身地で、自分にとっては全く縁がない場所ではない。縁がある場所なのに自分が行くことができないのだ。だから、韓国籍を持っている金民樹さんだけ毎年行って、行けなかった金哲義さんの書いた文章をそこで代読している。

このドキュメンタリー映画「航路」の中で彼らの作った「マダン劇」というものが出てくる。マダン劇というのは、韓国(だけなのか朝鮮文化なのかはわたしは今のところよく知らないが)の演劇スタイルらしい。マダンとは「広場」という意味らしいのだけど、文字通り舞台と観客が一体化する、というなかなか面白い(観客にとってはちょっとドキドキする)演劇スタイルだ。またまた話は飛ぶけど、わたしが去年、在日がやるお芝居で最初に観に行った、きむきがんさんのひとり芝居「在日バイタルチェック」というのも、今考えるとマダン劇の要素を取り入れてるものだったんだな、と思う。観客が突然、舞台の中の役者の1人として取り込まれるのだ。「在日バイタルチェック」はこれはこれで、とても素敵な舞台だった。この「在日バイタルチェック」もそうだったが、この航路の2人が作っている劇も「故郷・朝鮮半島を離れ、日本でどういう思いをしながらここまで生きてきたか」という在日の歴史を伝える、というのが主な内容だ。このドキュメンタリーを観てるとね、「ああ、一回この舞台を観てみたいなあ」って思ったの。でも彼らのマダン劇は大阪でやってて、東京には滅多に来ない。しかも東京でやると赤字になるのだと。しかもわたしはいつ、どこそこで彼らのやるマダン劇があるという情報は入ってこない。だから、「ふたつのイヤギ」のチラシの中に「金民樹」という文字を発見したときに「これは絶対に観に行かねば!」って思ったの。

20151114 102338


日本大学芸術学部はとても有名だってことは知ってたけど(昔、ラジオオタクでもあったし)、実際のところ、行ったのは初めての経験だった。まぁわたしは芸術とかほとんど無縁だからね~(笑)

ホールに入るとき、係員がいやに「前の方に座れ」だのなんだの言ってるなあと思ったんだけど、これはマダン劇だからなのだということをすっかり忘れてた。普通のマダン劇っておそらくこういうホール形式のところではやらないはず。本来なら「広場」のようなところでやる劇で、舞台と観客席の間はホール形式のような「断絶」はないんだろう。だから特に今回は「前の方に座れ」って言ってたんだろうなあ。本来、演劇のときはどの席が一番いい席っていうんだろうね?映画だったら見やすさを考えて真ん中からちょっと後ろにかけて、とか、音楽だったら音が混ざり合う2階席の一番前、とかだったりするけど(1階だったらやはり後方か)。よく分かんなかったので、かなり前方の方に座ったんだけど、今考えてみるとすごく危うかった!(笑)

事前に配られたパンフを読んでみると、この2つの劇、途中でカットしている部分があるらしい、時間の関係で。まぁ確かに普段だったら1つの劇はそれだけで観るものだから、カットしてある部分があるのは当然のことだろう。だが、わたしはそのカットしてある部分がとても気になって気になって。。はい、この劇を観た後でいろいろ調べて「ちゃんぽん」の方は元の脚本を探して読みました。もう一つも台本を売っているらしいので後日入手する予定。

「ちゃんぽん」は韓国で1980年に「光州事件」というのが起こったのだが、それが舞台になっているらしい。光州事件というと韓国の民主化運動の際、国が国民を弾圧した、ということしか知らなかったのだけど、それがコメディで描かれているという。一見、「この事件をコメディってどう描くんだろう?」って不思議な気持ちだったんだけど、これ、観てると本当に笑えるんだよね。ていうか、始まり方がすんごく面白くて。

普通、劇が始まる前って「ただいまより開演致します」とかアナウンスが流れるじゃん?違うのよ、これ。時間になったら突然人が出て来ていきなり始まるの。すっごいびっくりした。しかも前の方に座ってる観客2人が突然舞台の上に上げられて、そこでちゃんぽんを食べさせられるのだ!!あ、舞台の上の設定は、中華料理屋さんで。観客は、そのお店に来た「お客さん」という役を与えられる。いきなり舞台の上に連れて来られた観客はそりゃびっくりするし、うろたえるよね。「え、なんで自分が!?」「どうすりゃいいのよ?」みたいに。それだけでねー、笑えるの。舞台と客席との一体感はこんな感じで生まれる。そこで機転の聞く人ならうまく「役」になりきったりして、そこでまた観客席から笑いが起きる。これってすごいうまい劇のシステムだよね。ちなみにきむきがんさんの「在日バイタルチェック」も前の方に座ってるといきなり脈を取られたりするから、ご用心!(笑)

「ちゃんぽん」も「我が家のイヤギ」もネタバレしちゃっても構わないよね。劇って今までほとんど観に行ったことがなくて、観に行ったことがあるのは大昔、大学生の頃に高校時代の友だちがとある小劇団に所属していて、その関係で観に行ったのが何回か。下北沢でやってる系の演劇で、これ一体、どういう解釈をすればいいんだかっていう難しい感じの劇ばかりだった。そのときはそんなこと思わなかったけど、劇って映画と違って「古い演劇をリバイバルする」ことってなかなかないことなんだよなと。しかも演じる人は生身の人間だから、そのとき、そのときのことで、映画みたいに「へー、この人、こんなに若かったのか」なんてことは絶対にないわけで。劇ってその瞬間のものなんだと。「観たい」と思ったときしか観ることは出来ないものなのだ、そのほとんどは。そんな当たり前のことを今回、初めて認識し。なので、ネタバレしたところで、「これからこの劇を観るつもりだったのにバラされた-!」って人はほとんどいないだろうということでざっとあらすじを書いておく。

先ほど「ちゃんぽん」は光州事件を描いた作品だと書いた。舞台は光州にある、とある中華料理屋。36歳の男性が若い頃から修行して、お金を貯めてやっとのことで持てたお店だ。彼には異性の恋人がいる(ちなみにこの劇には同性愛者は出てこない、多分)。彼の恋人は喫茶店のレジの仕事か何かをやってる。彼は観客に対して貯金通帳を見せながら「今、やっと150万ウォン貯まった。けれど結婚するためには結婚式にいくらかかって、あれが必要でこれが必要で。。」と言い「もっとお金を貯めなければ」と言う。お店の従業員は2人。一人は実の妹。もう一人は実の弟のように面倒を見ている男。この妹と男も恋人同士、らしい。

実はこの設定、あとで脚本を読んだときに「あー、そうだったんだ」って初めて知ったのね。あまりにも「実の弟のように」面倒を見てたり、実の弟に対するような態度だったので、本当の弟だと思ってて、3人兄弟なのかと思ってたのよ。ここら辺、韓国人同士の「近しい関係」って本当に兄弟のようで、わたしには見分けが付かないのかも知れない、と思った。

お店に4人(主人公;社長、その恋人、従業員の男、社長の妹)が集まり「明日はピクニックだ」と言っている。そのためにカメラを借りてきたという授業員の男。光州の街は民主化を求める人たちでデモが起こり、政府は軍隊をそこに送り込んで鎮圧しようとしている。そのようなときに一本の出前の電話が入り、従業員の男が岡持ちを持って出前に行く。出前に行く途中の道で、腹を空かせた軍人2人が出てきて従業員に「その岡持ちを置いていけ」と命令する。従業員の男は「出前を届けてお金をもらってこないと社長に怒られるから置いていけない!」と言って拒否するんだけど、そこでもみ合いが起こって、岡持ちの隅に頭をぶつけて1人の兵士が怪我をしちゃうんだよね。

従業員がお店に帰ってきた後にテレビを付けると、テレビでは「一般の国民に混ざって北のスパイが入り込んで兵士に怪我をさせました!」と言っている。「北のスパイが民衆を煽って暴徒化させています!」と言っている。「軍隊はみなさまがた国民を守ると政府は発表していますから安心してください!」みたいなことを言う。ここの場面はテレビからアナウンサーが出てきて面白いと言ったら面白いのだが、クソですよ、クソ。韓国の放送局も日本の放送局も同じなんだなと。日本の放送局はどんなに国会前で人が集まってデモをしようが全く報道しなかったよね。安保法制の採決が行われる直前しか。しかも報道するとしたら「○人の逮捕者が出ました」とまるでデモに参加した人たちは暴徒たちであったかように大げさに報道する。韓国の放送局もそう。わたし、ついこの間の歴史教科書問題の時に偶然、朝鮮語の聴き取りに慣れるためにずっとKBS Worldを聞いてたんだけど、デモが起きる前には盛んに「歴史教科書」「歴史教科書」という単語が聞き取れた。が、デモが起こった後で「どうなったんだろう?」と思って聞いてみても、全く触れられないようだった。確かにニュースサイトでニュースになってはいたけど、その後どうなったんだ、あれだけ騒いでた「歴史教科書」の単語が全く出てこない。結局、報道機関なんてそんなもんなんだ、日本も韓国も。特に光州事件の時は韓国は軍事政権だったしね。でも、昔も今もそんなに変わりがないって!?とちょっと唖然としたのだった。

「北のスパイ」にされた従業員の男はそれは事実ではないことを外に伝えに行こうとするが、社長に止められる。そこからなぜか時は進み、次の日、ピクニックに行って帰った夕方の場面になる。そのあといろいろあって、岡持ちがふつけられた兵士は実はちゃんとした軍の兵士ではなく、単なる防衛(事前にもらったパンフレットによると、防衛軍というのは政府軍の戒厳軍や市民軍とは異なり、国内の徴兵制度において身体に不自由がある人、多めのお金を支払い、短い期間軍事訓練を受ける人のことで、韓国内では笑われるほどに低い身分の存在、なんだと)で、しかも仕事をさぼっている間に部隊から置いてきぼりをくらっていたことが分かる。そこで社長は兵士から銃だけは取り上げて、「もう勘弁してください」と言っている兵士たちを解放する。すると社長の彼女が務めていた喫茶店の店主から電話がかかってくる。デモで集まっている民衆にせめてコーヒーを届けようと道庁に行ったところで、銃で撃たれて死んだという。

それを聞いて従業員の男が「このままじっとしていられるか!」といって兵士から奪った銃を持って店から出て行く。妹もその後を追って出てしまう。止める社長。そこで場面が一転して、ピクニックの日に戻る。

楽しそうな4人の姿。サイダーを飲んだり、踊ったり。そこで前日、従業員の男が借りてきたカメラで記念写真を撮る。「タイマーが付いてるんだよ」って言いながら、またそのカメラを一番前の席の観客に預ける(笑)「あ、写真撮ってもらえますか?」って言いながら。それが遺影になる。ただ一人、生き残った社長が言う。

またあの日がやってきました。今日はこの町内あちこちでなくなった方たちをお祀りする日です。あのいまわしい春がくると、頭が辺になりそうです。春が、春じゃなく冬です。こころが寒いです。あの日以降、しばらくは何も手に付かなかった。死ぬこともできず、三人の墓を作って、また店を始めたところです。これ、見覚えありますか?通帳です。(中略)150万ウォンさえあれば、わたしたちの夢が実現するのに、1000万ウォン超えたのに胸の片隅にぽっかり穴が空いたようです。(後略)



この台詞を聞いたとき、わたしはそれまで泣いてなかったのに、思わず涙が目からにじみ出てきた。それは、これがただ「悲劇」であることに泣けたのではなく、何より、この事件が起こった日、1980年5月18日という日は、わたしの12歳の誕生日だったからだ(厳密に言うと光州事件は5月18日に始まったけど、その日に終わらずその先もっと激化して死者がたくさん出た)。あのときから35年しかまだ経っていない。ということは、まだまだ遺族がたくさん生き残っていて、今でもこの社長のような思いをわたしが生まれてきた日にしているだろうと、想像が付いたから。わたしがおそらくその当時一緒に住んでいた家族から「おめでとう」と言われた日に、まさに市民と軍隊が激突して亡くなった人がいるのだ。

東京新聞に今年「平和の俳句」というのが毎日載っている。いつだったか、ふと目にした俳句が「8月6日に広島で生まれたという複雑さ」みたいな俳句が載っていた。そのときは「まぁそうだろうね」としか思わなかった。実際、広島旧市内にあるお寺の中のお墓の墓碑銘を見ると「昭和20年8月6日」に亡くなった人がものすごくたくさんいることが分かる。その日は今でも「鎮魂の日」だ。その日に生まれてきた人の思いはどんなに複雑なんだろう。その俳句を目にしたときは「そうだろうなあ」としか思わなかったけど、このシーンを見てわたしはその俳句を詠んだ人の気持ちが初めて実感できたのだ。

もちろん12歳の誕生日のことなんて全く覚えてない。けど、そのときは韓国でそんなことが起こっているなんて全く知らなかったし、何より光州事件というのを知ったのは、2007年に「光州5.18」という映画が作られたときだった。この時に初めて「え。わたしの誕生日!?」って知ったのだ。この映画、観たいと思ってまだ観てないのだが。。

面白かった部分はほとんど説明を省いてしまったが、こういう悲しい事件でも途中で笑える場面にできるのって、これも「演劇ならでは」なのかなあと思った。映画だとまずこういう作り方はできないと思う。役者さんたちは何年生かすらよく分からないのだけど、どの人も結構印象に残った。ただ、一人二役とかあったみたいで、脚本を見ると「この人とこの人は別人なんだよね?」って初めて分かるんだが、劇を観ているだけでは「あの、最初に出てきたちゃんぽん食べに来た客は実は兵士だったの?」と思えてしまって、そこで「うーんと、えーっと?」と思ったりしてたので(一応、事前にもらったパンフでは二役の役名は書いてあるのだが。。)そこのところがすごく紛らわしかったように思う。あとはこの劇に関して言えば、台詞を噛んじゃった人が割といて、それがちょっと気になったかなあ。。あと「これは脚本の通りに行っていないのでは?」と思われる場面があって(食堂で兵士を捕まえてグルグル巻きにして、その上うるさかったので口にガムテープをしようとした場面)、あとで脚本を読んでみると確かに「ジャンノ(社長)、カウンターからテープを持ってきて、軍人たちの口をふさぐ。マンシク(従業員の男)も手伝う」と書いてあるんだよね。あの場面、確かジャンノではなくマンシクがガムテープで口をふさごうとしてたけど、ガムテープが手にくっついちゃってうまくふさげなかったのです。でもあそこはとっさの機転で「ええい、もういい」みたいな形であとはちゃんと繋げられてたんだよね。そこはすごく自然だった。まぁなんで気が付いたかと言えば、あそこでガムテープが付かない設定って変だと思ったから。ただそれだけの理由でした。

まぁそんなわけで、1つ目の「イヤギ」が終わった。少し休憩後、いよいよマダン劇「我が家のイヤギ」。

在日一世のおじいさんがリヤカーを引きながら出てくる。どうやら片足が不自由らしい。でも何やら「この話は自分が知らなかったお話」とか言ってる。このしゃべり方が在日一世らしいというのか、実際のところ、わたしは在日一世の人がどんなしゃべり方をするのかは聞いたことがないので分からないのだけど、きむきがんさんの「在日バイタルチェック」でもこんな感じで話している場面があったので、きっとそんな感じなのだろう。そこから物語は始まる。

身籠もった母親が出てくる。まだうまく日本語が喋れない。夫が北海道にいるらしく、それを追ってきたらしい。しかし青森でいきなり産気づき、そこで女の子が生まれる。だったっけな、よく覚えてないけど。。女の子にはお兄さんがいる。おじいさん、お母さん、お父さん、お兄さんと自分。女の子は廃品回収をしていたおじいさんのリヤカーに乗りながら、故郷、済州島の言葉を教わる。そして朝鮮人のための学校である朝鮮学校に通い始める(そのときは既に大阪にいる)。故郷にいる親戚から手紙が来ても、みな字が読めない。ので、一番歳は若いが朝鮮学校に行って文字を教わっている女の子が読む。みんな集まってそれを聞く。返事も女の子が書く。

近所の人たちが集まって宴会をする場面。貧しい中でも肩を寄せ合って生きていく人たち。ここでも観客が数人、舞台上に連れられていく。「いやー、しばらくやったなあ」とかいろいろ声を掛けられてすっかり「近所の人」になる。こういうところが「マダン劇」。

おじいさんが足の悪い理由が分かる。済州島4.3事件。これ、わたしもあまりよくは知らないのだが、解放後、韓国で選挙か何かあったときに、済州島の人たちが「アカだ」って言われて殺されたりしたんだよね。そこでせっかく解放後に日本から帰ってきた人たちがまた日本に戻って来た、そんな事件だったと思う。おじいさんはそれで足を悪くして、そして再び日本に戻ってきたのだった。が、やはり故郷が忘れられない。先祖もそこにいる。墓もある。というわけで、おじいさんとお兄さんはあるとき、済州島に帰るのだ。

ちなみにわたしはここで「あれ、帰国事業じゃなくて、自分の故郷に戻った人もいたんだ」と思ったが、まぁ日本と韓国が国交を回復した1965年以後であり、朝鮮籍から韓国籍に変えたら当然のことながら、韓国に戻れるということだよね。わたしはそれまであまりにも「帰国事業で朝鮮民主主義共和国に行きました」という話ばかりを知っていたので、ちょっと混乱した(^^;

それから数年後、おじいさんが病気になる。お母さんが心配して済州島に行くという。一人だけ韓国籍に変えて。しかし、お母さんが済州島に行っている間に韓国政府が日本に残っている家族全員に「朝鮮籍から韓国籍に変えなければ、母親は日本に戻さない」と言う。父親は悩む。なぜって子どもを朝鮮学校に行かせているわけで、当然のことながら朝鮮民主主義人民共和国側に付いている人だから。が、母親が日本に戻ってきたということは、不本意ながら家族全員、韓国籍に変えたということだろう。そこから父親は酒に溺れていく。
(しかしこの話って、蒼のシンフォニーを観たときとほぼ似てる感じなんだよね。パスポートが欲しければ、朝鮮学校を辞めさせろという、韓国側の主張。それは国と国とのイデオロギーの違いだから不本意ながらも仕方がないことなのかも知れないけれど、でも国の都合で引き裂かれている人たちを見ると「国」とは一体なんだろう、「国」と「人」の関係ってなんだろうって本当に考えさせられし、複雑な気持ちになるし、一体それをどうすればいいのだろうという気持ちになる)

お兄さんの方は済州島に帰ってしまったが、妹は朝鮮学校に通い、「朝鮮人」という民族を誇りに思って過ごしていく。そして朝鮮学校卒業後は歌舞団に入る。

お父さんがお酒を飲み過ぎて身体を悪くする。お兄さんがお見舞いにやってくるが、父親は面会を拒否する。すっかりきれいになった(それでもおんぼろな)朝鮮学校にお兄さんを案内する妹。かつてはお兄さんもそこの学校に通っていたのだ。

そこの場面がわたしは忘れられない。

妹は当然のことながら、自分たちの民族の言葉を「朝鮮語」という。しかし、韓国に帰って行ったお兄さんは「韓国語」という。妹は「なんで?うちら朝鮮半島から渡ってきて、朝鮮民族なんだから朝鮮語じゃないん?」という。お兄さんは「元は大韓帝国だったから、韓国語なのだ」という。

わたし、ここで初めて分かったんだよね。わたしは自分が朝鮮語のことを「韓国語」と呼ばずに「朝鮮語」と呼んでいるのは、この2人とは別の理由なんだと。わたしの理屈は、日本では朝鮮半島のことは「朝鮮半島」と呼び、また朝鮮戦争も「朝鮮戦争」と呼ぶ。学校でもそう習う。だから朝鮮語は「朝鮮語」なのだ。ここだけ「韓国語」にするとまるで「韓国の言葉」のようなイメージになってしまって、朝鮮民主主義共和国を無視しているように思えるのだ。だが、韓国では朝鮮半島のことは「韓半島」と呼び、朝鮮戦争のことは「韓戦争」と呼ぶ。だから「韓国語」なのだよね。韓国では今は本当に限られた言葉(例えば昔からある「朝鮮日報」とか)そういうときでないと「朝鮮」という言葉は使われない。

わたしの理屈は一見すると朝鮮民主主義共和国の理屈とよく似ていると思う。が、違うのだ。わたしはそこに「朝鮮民族だから」とか「朝鮮人だから」という理由はない。単なる、日本では「朝鮮半島」と呼び「朝鮮戦争」と呼んでいるから「朝鮮語」なだけだ。そしてわたしは何も不都合なことがない限りは「朝鮮語」を使うけれど、例えば韓国人の前で「朝鮮語」は使わない。それは彼らにとってとてもデリケートな問題だが、わたしは何かイデオロギーがあって「朝鮮語」と呼んでいるわけではないからだ。わたしは何のためらいもなく「朝鮮語」と「韓国語」を使い分けることが出来る。

その元になっているのは、何のことはない、わたしが「日本人」(ここでは日本に住むマジョリティとしての日本人ということ)だからなんだよなと。「在日当事者」ではないからだからなんだよなと。

んとね、「マジョリティであること」というのは本当に自覚しにくいことだ。なんてったって「普通」で言い表せてしまうのだから。「普通」ということはほとんどの人と共通点があると言うことで、だからこそ何も感じない。何も感じないところを何か感じろということはとても難しい。わたしはそれまでずっと「日本において日本人であるとはどういうことだろうか」ってずっと考えてきた。でも考えても考えても全然分からなかった。

蒼のシンフォニーを観に行ったとき、わたしはとてつもない違和感を感じた。しかしそれは「周囲が在日で自分が日本人」という違和感ではなかった。あの日記にも書いたけど、あのときは「知らない学校の同窓会に紛れ込んだ」ような違和感だった。あの場でわたしは、自分がマジョリティではなくマイノリティだと感じていた(当然のことながら、だからといってわたしはあの場所で「マイノリティ」だったわけではない。マジョリティとはただ数だけの問題ではない)。

だが、この場面を見たとき「なるほど、マジョリティとしての日本人とはこういうことか」と初めて分かったのだ。やっと自分の「立ち位置」がはっきりしたような気がした。今までわたしはもちろん韓国に対しても、いわゆる「北朝鮮」に対しても「今は、できるだけ公平に見よう」と思って来た。「今は」というのは、わたしがこの2つの国について、全くよく知らないからだ。全くよく知らないのに一つの些細な事実を取り上げて「これが真実だ」と思うのは偏見だ。わたしは自分が偏見を持つことが嫌だ。だからこそ、いろんな知識を知って、その上で判断したい。だが、肝心の「自分がどの場所から見ているか」がずっと自覚できなかったんだよね。だからそのことが分かってわたしは本当に嬉しかった。あの場面を見ながら「ああ、そうなんだ」って。自分のいる場所があの場面を観た瞬間「すとん」と来たというか。そして今後、いろいろなことを考えて行く上での大きな「鍵」をもらったような気がしている。あの「すとん」と腑に落ちた瞬間の感覚を大切にしていこうと思っている。もちろん一言注意しておくけど、これはナショナリズム的な意味の「日本人」ではないです。あくまでもマジョリティとしての「日本人」な感覚。「在日ではない」という感覚。そんな感じ。ただもしかしたらこの言い方は在日当事者にとって失礼に当たるかも知れない。「だから何なの」程度の話だろう、多分。でもこのことはずっとずっと自分でも考えて、でもずっと分からないことだったから本当に嬉しかったのです。

劇の内容について戻ろう。妹は歌舞団に入り「打倒、朴正熙!」を叫んでいる。一方、お兄さんは韓国で朴正熙を応援する側になっている。同じ血を分けた兄弟の中で分断が起こっている。ここは正直、わたしのような「部外者」には最も見えない部分だ。見えにくい部分でもある。だって、とてもデリケートなことだから。わたしは在日の人に向かって無神経に「分断ってどういうこと?それでどういうことが起こっているの?」とは聞くことは絶対にできない。本当はこういうことすら「書いていいのだろうか」と躊躇われる。だってわたしは「当事者」じゃないんだから。当事者たちの経験とか複雑な思いとか、それは「実感」することができないんだから。決して立ち入ってはならない部分。それを無神経に聞いてしまうことは単なる興味本位にしかならない。それは分かってる。だが、いろいろ考えていてこの部分に突き当たってしまうことって結構あるんだよね。わたしには今「見えている部分」と「全く見えない部分」があることは感じている。「全く見えない部分」は想像すら付かない。

うーん、これだと悪意を持つ人から見るととてつもない勘違いをされそうな言い方になってるな。「全く見えない部分」というのは、例えば今現在、在日の中で見えてる部分は「朝鮮学校」を中心としたものが多いということだ。しかし、在日全体の中で朝鮮学校と関わっている人って本当にごく少数だ。その他の部分はわたしには「全く見えない」。例えば性的少数者でいうと(これまた単純には比較して言えないのだが、イメージとしては)表に出てすごく目立ってる人もいるよね。カミングアウトしてテレビに出たりして。わたしだってある程度カミングアウトして生きてるし。ところがその「見えている部分」だけが性的少数者かというと全くそうではない。全く見えない部分で息をひそめて、いや、息をひそめてという言い方は悪いかも知れないが、ひっそりと暮らしてる人だっているわけだ、いろんな事情があって。もちろんその事情というのは「ゲイと分かると差別されるからカミングアウトできない」というのから「いや、性的少数者は一生日陰者として生きなければならないんだ」って考える人まで人の数だけ理由はあると思う。そして数からすると絶対にひっそり暮らしている人の方が多いと思う。でも見えないから世間からは「いない」ことにされる。「ゲイは芸術感覚に優れて」とかよく言われるけど、それは今現在「見えてる部分」がそうなわけであって、そうじゃない人の方がむしろ多いと思う。わたしが在日の人たちについての「見えない部分」というのはそれに似た部分がおそらくあるだろうということだ。もちろん全く同じではないのは当然だが。

ただ、わたしはその人たちを表に引っ張り出したいわけではない。「性的少数者は全員カミングアウトしろ」とは全く思ってないように。わたしが願っているのは、誰もがみな「暮らしやすい」世の中になって欲しいなあと思うだけ。それはそうなんだけど、見えない部分の人たちがどういう思いをしながら今の世の中をひっそり暮らしているのかと考えても、それはわたしから見えないんだから分からないです。性的少数者なら、わたしも当事者だからそりゃひっそり暮らしている人とも会う機会はある。どういう思いをしながら暮らしているかもある程度聞ける。でも在日は当事者じゃないので出会えない、わたしの方からわざわざひっぱり出して会いたいとは言えない。だから「分からない」のだ。だが分からないのは「いない」ってことではない。最低限でもそのことは肝に銘じておきたい。

というわけで、やっぱりこの辺の話がくどくどなるのは、もちろん誤解されたくないのもあるけど、複雑で分からないところが多いからだと思う。でも、分からないということを忘れなければ、いつかは何かあってまた「すとん」と来るかも知れない。一生分からないかも知れない(多分当事者じゃないのでこちらの方だろうけど)。出会うか出会わないかは今後の偶然に任せるしかない。

劇の続き。お兄さんは言う。「小国は、大国の都合でいつも振り回される。だから統一は絶対に実現しない!」と。そして故郷の済州島に戻っていく。亡くなったお父さんの遺骨と共に。しかしお兄さんはその後大変な目に遭っていることが分かる。日本に行ったとき朝鮮学校を訪れたことがばれて、あやうく逮捕されそうになったところを、以前、弁論大会で朴正熙からもらった賞状が出てきて逮捕されずに済んだ、と。

「小国は、大国の都合でいつも振り回される」、これは本当にその通りだ。といっても日本だって「大国」のうちに入っているし、何より第二次世界大戦後、同じ敗戦国だったドイツは東西に分裂したが、日本はしなかった。だけど日本の植民地だった朝鮮半島が分裂してしまった。んー、正直、ここら辺の歴史的な経緯については本当に概略しか知らないので、わたしは今、どうということもできない。そして世界の中では一応大国の部類に入っている日本だってアメリカという大国の前では小国だし、自ら進んでアメリカの言いなりになって、全然国民を大切にしていないことについてはとてもとても憤りを感じる。が、きっと朝鮮半島に住む人たちにとってはそれ以上の思いがあるだろう。だって間に日本が絡んでて、その日本はのうのうとアメリカ庇護の下で経済大国になったんだもの。では一体、自分はその中でどうすればいいんだろう。もちろんわたし個人の力でどうすることができるというわけではないが、でもだからといって誰も何もしなければ、強いものの言いなりになるだけだ。「念ずれば花開く」とか「小さなことからコツコツと」などの言葉が頭に浮かんでくるが(笑)、こればかりは知識を蓄えて時を待つしかない。何かアンテナを張っていれば、いつかは必ずどこかに通じる。それを信じて地道に歩むしかない。それが自分の出来ることと信じるしかない。この言葉は劇中で何回か繰り返されるのだけど、それを聞くたびに胸が痛かった。

その後、お母さんもぼけて亡くなる。すっかり歳を取った女の子(と言っても、もう白髪だ)。子どももいるし、孫もいる。「一世、二世と言うけれど、それは一歩、二歩と在日が歩んでいくことなのかも知れない」と最後に言う。「ああ、そうなのか」と思った。が、それはどの方向に向かって歩んでいるんだろう。人は時代と共に歩んでいるから、いつも同じ場所にはいない。そして一世と二世の思いは違うだろうし、二世と三世の思いも違うだろう。きっとそれが一歩であり二歩であるのだろう。実は、この言葉はまた、その後日、とあるところで思い出されることになる。このときはもちろんそんなこと知らなかったけどね。

この話は、途中からもうボロボロ泣けてきて。自分でも何でこんなに泣けるのかよく分かんないほど涙が出て来て止まらなかった。そして上に書いた3つのこと、「(自分の中での)マジョリティの位置」を発見してとても嬉しかったこと、そして「小国は大国に振り回される。だから、統一は絶対にしない」というお兄さんの言葉、最後に「在日一世、二世といいうのは、一歩二歩と歩むことなのかも知れない」という言葉が深くわたしの心の中に沈み込んだ。この劇を観に来て本当によかったと思った。

ただこのマダン劇、途中で朝鮮語が使われてたり、あとは在日の歴史を少し知らないと難しいかもなとは思った。その点、きむきがんさんの「在日バイタルチェック」の方が何も知らない人も理解しやすいかも知れない。あの話も本当によくできていて、在日の歴史が解放後から今の「高校無償化」の問題まで全部入ってるんだよね。これはホント、何も知らない人たちでもお勧めです。「在日の歴史」と言うけれど、実は在日の歴史だって日本の歴史の一部なんだよね。だって日本で起こったことなんだもの(「同化」という意味で言ってるわけではないです)。だから在日の歴史も、日本の歴史の一部としてやっぱり知っておかなければならないんじゃないかって、わたしはそう思うんだよね。このようなルーツを持つ人たちもこの日本で一緒に暮らしている。在日の中にこういう文化があること、もっと広い人に知って欲しいし、逆に在日の人だけのものにしておくのは本当にもったいない(ってそんなに偉そうなことわたしが言っていいのかどうかはよく分からないけど。なにしろ、わたしだって偉そうに語ってるけど、数年前までは全く知らなかったことなのだから。出会ったのは本当に偶然に過ぎなかったんだから)。「在日バイタルチェック」、今後も東京でやるかどうかは分かんないけど、去年、今年と東京でもやってたみたいなので、今後もまたこちらでやる機会もあるかも知れないですね。その他、大阪でやってるマダン劇も是非、また東京でやって欲しいなと思う。赤字になってしまう問題があるかも知れないが、赤字にならないためにもっとたくさんの人が観に来ないかな。

話が逸れた。「我が家のイヤギ」の方なんだけど、これが劇団タルオルムという金民樹さんの劇団でやったときはおそらくほとんどの役は在日の人が演じたんだろうなと思う。ちなみにこれは金民樹さん自身の話ではないです。金民樹さんが別の在日の人の話を聞いて、それを元にこの話を作ったそうです。今回は大学生で、んで多分、在日でない人が多く演じてたのではないかと思う。しかも観に来てた人はおそらく「日本大学芸術学部演劇学科」の中の人たちを知っているという人たちとか、やっぱり演劇関係者が多かったのかな。ということは、こちらもおそらく在日でない人、の方が多かったと推測される。

もちろん在日の役を在日じゃない人が演じても全くおかしくない。むしろ劇ってそういうものだと思う。が、在日の人がやるマダン劇はあまりにも「当時者性」というものが強いイメージがあるので、わたしは逆に在日の人がやる「マダン劇」はどういった雰囲気のものなのか、それがこの公演を観て、さらに強く感じられたんだよね。ただ、その逆を考えると(逆の逆なので話は元に戻っています)、わたしはあの場の雰囲気は違和感はなかったのね。それは実状はどうであろうと、自分の中に「この場にいるのはわたしと同じマジョリティである日本人が多いだろう」という思い込みがあったから。だからこそ、わたしは「朝鮮語」「韓国語」双方の主張を聞いたときに自分の中で「すとん」と落ちるものがあったのかも知れない。これがきっと当事者である在日が演じたとしたら、それを思うより「分断」のことの方が強く感じられてしまったかも知れないと今、思ったりしている。だが、そのことは劇を演じる人にとっては失礼な言い草だよね。演じる人によって演技力以外のところで説得性が変わるとしてしまうならば。だが、まだ本当のマダン劇を観ていない立場で想像するなら、きっと、マダン劇が行われるところでわたしは、この間の「蒼のシンフォニー」と同じ「違和感」を持つんじゃないだろうか。なぜなら、観に来る人は圧倒的に在日で、しかも朝鮮学校の校庭でやったり講堂でやったりすることも多いからだ。とするなら、わたしはまた「別の学校の同窓会に紛れ込んだ人」になっちゃって、そこでは「マイノリティ」を感じることになる(実際のところは全然マイノリティではないんだけどね。マイノリティというのはただ「少数」という意味ではないのだから)。とすると全く同じものを観たとしてもわたしはそこで「すとん」とならなかったのではないか。それを考えると「日本人の手でマダン劇をやった」ってことは(注;本当に日本人の手でやったかどうかは、事実かどうかは分からない。ただ、わたしの感覚としてだけど)、これはこれで大変な意味を持つということではなかろうか。だとすると、わたしが「偶然」出会ったこのことは、とても貴重な経験だったのではないかと。

演じた学生たちはすごく勉強しただろうと想像する、この劇をやるに当たって。劇の役作りについてはよく分かんないけど、でもその人を演じるのであれば、その人がどういう人なのか、今までどういう風に生きてきたかとか考えたりするよね、多分。だからこの劇を演じる上では学生はきっと在日の歴史のことについてうんと勉強したと思う。そして上でも書いたけど、おじいさんの口調なんて、本当にうまかったと思うし。しかもこの人、お兄さん役と実は二役だったんだけど、正直、気が付かなかったんだよね。それはお兄さんの幼少の時の役の人が、わたしには「女の子」に見えてしまったことも一因だろう(実際、女の人が演じたのがあることと、朝鮮語の名前はわたしには聞いただけでは男性なのか女性なのか区別が付かないので当初「姉妹」とばかり思い込んでしまってたのよね)。大きくなって出てきたとき「なんとなく似てる」とは思ったんだけど、帰ってパンフをよく見てみるまでは二役とは思わなかった。これってどう考えればいいんだろう?

あのね、初めにやった「ちゃんぽん」で主要な役をやってた人も、このマダン劇のちょい役(例えばお葬式の場面で棺を持つ人など)で出てくるの。そうすると「あっ、さっき出てきたあの人だ」とか分かっちゃうの。全然違う格好してても。それがなんかとても違和感があってね。「さっきあんな格好で出てたのに」とか。その役が印象深かったと言えばそうなんだろうけど、しかし、同じ劇の重要な役をふたつやりながら、同じ人に思えなかったというのは、うーん、どう評価すればいいのか。おじいさんとお兄さんは別人なんだから、当然「違う人」に見えるのは当たり前で(外見が似てたとしても)、そこのところの区別が役を演じる上でうまく付いていたと言うことなんだろうか。なんか不思議な感じです。

わたしはこの「総合実習IIIA」という授業の位置づけがちっとも分からないので、どういう人たちが演じてどういう位置づけの実習だったかはちっとも分かってないのだが(しかもアンケートには「照明はどうだったか」とか「大道具、小道具はどうだったか」とかいう質問があったんだけど、そんなのわたしには評価できないよ。照明とか小道具がいいとか悪いとかってどういうことなのかも分かんないんだから。というかその質問を読んで初めて「あ、照明とか大道具、小道具も学生がやってるのか」って初めて認識したほどだし。そういう質問があったこと自体、観に来る人って演劇関係者が多いってことだろうか?)この公演自体はとっても面白かった。「普段は在日の人が主体になって演じられる劇をそうでない人たち(これ、何度も言うけど実状は分かりません。わたしがそう認識しているだけ)が演じること」って本当はなんかものすごく意味があることだったんじゃないだろうか。ただ、だからといって日常的に在日の人たちが作ったマダン劇を日本人が「取り上げる」ことには反対だ。マダン劇は彼らのものなんだから。そことこことはきっちりと「線」で区切っておかねばならない。

本当は韓国で「ちゃんぽん」を観てみたいけど、さっき書いたように演劇はそう簡単にリバイバルするものではないから、観ることはできないだろうな。でも、この劇を観に来ている韓国の人たちがどういう反応をしながら観るのか、そういうことにも興味があったりする。でももし観るチャンスがあるとしたら、それまでに朝鮮語がもっともっと分かるようにしておかねば!

ちなみに「ちゃんぽん」の方は脚本を読んだが(これコピーするためにわざわざ都立中央図書館まで行きました)、カットしてある部分はなるほど、カットされてても話自体には影響はあまりないところだったなという感じかな。夢の中の話のようでした。拷問されるシーンだったけど。
00:43 | (一般)映画・演劇のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
12-08 Tue , 2015
ええっ、気付いてなかったの?
少し前だけど、病院行った。いつもの精神科。

わたしが「いや~、薬変えて眠れなかった原因ってワイパックスを断薬したこともあったみたいですよ~」って、前に書いた日記の内容のことを報告したら、主治医に「それはマズイ!」って言われた。。

てか、前回の時点で気が付いてなかったのか~、主治医~!みたいな感じ。。

ただ、何がマズイかというと、わたしは元々、睡眠剤なしで眠れていたのに、薬の効果で眠れていたのがまずかったみたい。まぁワイパックスと同系統のアルプラゾラムを飲んでるせいか、今回はセディールの時と違って3日ほどで元に戻ったのだけど、もしかしたらその眠りもアルプラゾラムの副作用で眠れてるのかも知れないというのはマズイらしい。そりゃ、元々眠れなくてそういうのが出てるのならともかく、自力で眠れてたんだから、その能力を削いでしまうってことになるのかも知れない。確か、眠れなくなってしまった人に対してこれまた同系統であるデパスなんかを処方されることがあるけど、わたしは2回目のうつがひどいときにあれを1日3回飲んでたけど、眠くもなーんともならなくて、不安もあんなので取り除けるとも思ってなくて「なんでこれ、出てるんだろ?」と思いつつ飲んでた。しかし同時期、父親が、眠れないときに飲むんだと言って、デパスをお守りのように持っていたが「あれで眠れるなんて信じれん」と思ってた(しかも半錠飲めば効くそうな)。きっと、眠れないときに処方されるのは本人の睡眠力を補うという意味で悪くはないんだろう。まぁ当たり前の話。

で、前回、アルプラゾラムの他に半夏厚朴湯も出てて、今回初めて「ちょっと息苦しいのが治まりつつあるかも」って状態になったものの、同時に飲み始めたので、どちらが効いているか分からない。。でもやっぱりアルプラゾラムの影響で眠れてるんならまずいよねってことで、アルプラゾラムを減らすことになった。1日朝晩2回だったのをまぁ1回減らす、みたいな?(ただし、減らし方は自由ですと言われて、一応処方上は1日2回で出てる)

なんだけど、現状のところ、朝1錠、夕食後半錠、という感じでアルプラゾラムは飲んでる。夕食後の半錠がなぜか減らせないというのは、これによって眠れなくなってたわけではなく、どうも寝る前に一番息苦しいのが出てきて「もしかしたら、これはアルプラゾラムを半錠にしているせいか?」と思ったりもするからだ。という時点でまず、半夏厚朴湯は効いてないんだな~という結論が出る。しかし、思い返すと別にアルプラゾラムを1日2回飲んでたときだって、疲れが一番たまる時間である夜の寝る前は息苦しいときはあったんだよね。ってことは、アルプラゾラムももしかしたら効いてないんじゃあ?って思わないこともない。しかし、これが精神病の難しいところで、薬を止めると息苦しいのがもっと復活してくるんじゃないの?と思えて止めることを躊躇ってしまう。というわけで夕食後は半錠なのだ。

正直、精神の薬はある程度「プラセボ」ってものがあると思ってる。偽薬ともいう。要するに小麦粉をカプセルに入れたものを「これはすごくよく効く薬ですよ」って言って飲ませると、それを信じた人は小麦粉でもある程度よくなる、という現象。だから「病は気から」って言われるんだけど、わたしはこの言葉、嫌いです。だってその「気」が病気になるんだもん。「気」が出ないのに、どうやって「気」を出すのよ。それは本人にとって苦しいことこの上ない。精神の病にとって一番回復の道に繋がるのは「楽になること」、これじゃないかとわたしは思う。だから、苦しいときは薬に頼ってもいいのよ、当たり前だけど。で、その効果が一定の「プラセボ効果」であってもいいの。楽になることが一番なんだから。

ただ、わたしがこう言えるのは「自分が依存になるほど薬は飲めない」体質だからって知ってるからだと思う。まず、身体が「この薬はもういらない」と判断したときは必ず身体に変な副作用が出てくる。それまで飲んでても全く起こってなかったことが。で、その副作用のおかげでその薬とは縁が切れる。そんなことを繰り返してきたので「楽になるなら薬を飲もうかな~、プラセボでもいいし」って素直に思えるのだ。

で、おそらく、アルプラゾラムはわたしの睡眠にはあんまり影響してない。半錠に減らした日も眠れなくならなかったし、逆に半錠飲んでも眠れない日もあるのよ。頭がぐるぐるしちゃう日とかは。だから、夕食後は半錠から1錠に戻そうかと思うこともない。だって、寝る前に息苦しくなるから。だけど、1錠に戻すのも抵抗感があるんだよね~。アルプラゾラム自体が効いてない気もしてて。ただ本当に「これ、効いてないわ」って確信を持てるほどではない。

というわけで、正直、この後どうするのかな~という感じ。まぁ、素直にこのことを主治医に話すけどさ。まぁでも今現在、息苦しいのより、背中と肩がめっちゃ痛い方の方がつらくなってる。頭を後ろに反らすと背中(と胸)が痛くて反らせないほど。

【現在の処方】
朝:半夏厚朴湯、アルプラゾラム「サワイ」0.4mg×1錠
夕食後:半夏厚朴湯、アルプラゾラム「サワイ」0.4mg×0.5錠
14:26 | 病名が分かった後のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
12-09 Wed , 2015
子宮がん、検査を受ける目安
先々月に不正出血があり、そこでポリープが出来ていたので取ってもらったついでに、子宮頸がん検査と子宮体がん検査をしましょう、という話は以前に書いた。そして先月、ポリープの病理検査結果を聞いてきて、同時に子宮体がん検査をやってきたんだけど、その体がん検査の結果を最近聞きに行ってきた。まぁ、検査結果は10日で出るという話で、10日経っても電話がかかってこなかったので、異常なしなんだろうとは思っていた。

これで一連の検査等が終わったのだが、わたしは聞いておきたいことがあった。何しろ、婦人科なんてできるならお世話になりたくないところだ。多分、シスヘテ女性だって婦人科へはあんまり行きたくないところだろうから、レズビアンのわたしなんか本当に敷居が高い。行くたびに「わたしは女性とセックスする人間です」とは言いたくないから。かといって「異性愛女性前提」の話をされるのはきつい。問診票すら同性とセックスする人間のことを想定されてない。「いない」ものと想定されているわけだから、「いないもの」としてみなされている人間が「います」って言うことはとてもハードルが高い。今回行った病院は、まぁセクマイなら「ああ」って分かる病院なんじゃないだろうか。婦人科の診察が月に1回のとこ。ここはもともと「セクマイはいる」と想定されている、という安心感があるのでやはり心理的には行きやすい。そして婦人科の先生が来るのは月1回だけだからか、あの屈辱な体勢になる「内診台」がない。平坦なベッドの上に横たわって股開くだけ。これ、結構わたしにとっては楽だった。きっと体がん検査が全く痛くなかったのも、そういう心理的な面で緊張感がなかったからかも知れない。てなわけで、3回受診して話しやすくなってたところで常々「これはどうなんだろう」って思ってたことを聞いてきた。

まず、基礎体温計ってて疑問だったのは、基礎体温を測っていると排卵が起きていることは分かる。それによって生理が来るのも分かる。しかし、不正出血のときはそういう体温の変化に関わらず来るわけだから、それが不正出血なんじゃないの?って思ったが、無排卵の生理、というのがあるわけだから、体温に変化が無くても生理は来ますと言われた。そして、この年齢になってくるとダラダラと出血が続く傾向があるという。しかし、その出血が2週間以上続いたら、貧血になる恐れがあって止血しなければならないから、そのときは来てくださいと言われた。もちろん「何かある」可能性もあるという。なのでそれが病院に行く一つ目の目安。

もう一つは、頻繁に不正出血があること。数日おきに出血するなどのときも病院に来いと言われた。これが二つ目の目安。

以上が定期検査以外で「あれ」と思って病院に行く目安。

それ以外だと1年に一回は定期検査に来てね、と言うことになる。子宮頸がん検診はまず1年に1回、体がんは2~3年に1回かなあということ。これは体がんにかかりにくいからと言うことではなく、身体の負担を考えてとの理由なので、本当は体がんも1年に1回受けることが望ましいらしい。国保だと無料で検査が受けられるクーポンなんかが付いてくる年があるが、これの「子宮がん検査」は頸がん検査で体がんじゃないから、体がんを希望するならわざわざそう言わないとダメらしい。あ、体がん検査は40台後半くらいからね。体がんにかかりやすい年齢は、40台後半からだから。もちろんだからといってそれ以前の人は体がんにならないかというとそう言うわけではないが。まぁ40代後半以前はまれなことなので定期検査の必要性はないということだろう。

あと、気になってたのは卵巣がんなんだけど、これはひとまずエコーで腫れてるかどうかはチェックできるので、それが目安になるらしい。が、中には卵巣が腫れない卵巣がんもまれなんだけど、起こりうると。まぁもうそうなったら早期発見は無理ですってこと。今のところ医学にも限界はあるんだから仕方がない。わたしの場合は筋腫もあると言うことで、その大きさもチェックをしなければならないので、そのついでに卵巣は見てもらうことになる。

とまぁ、そんな感じで以前から聞きたかった子宮がんと卵巣がんについて聞いてきた。ちなみにわたしが行ってるこの病院は頸がん検査のキットは常時あるけど、体がん検査のキットはその都度持って来なければならないので、事前に予約するときに「体がん検査も受けたいです」って言わなきゃダメです。

しかしね~。前から思ってるけど「うちはセクマイフレンドリーです」って婦人科がもっと増えないかな。GIDの治療などで婦人科だってセクマイと全く関わりがないわけではないと思うんだよね(尤も、GIDはセクマイの中に入らない!という人もいるのは知ってます。そしてそれはそうだろうなという認識も持ってます)。婦人科の問診票で「セックス体験の有無」を聞くのは、単なる身体の中に入れる器具の大きさの違いだけって聞いたので(しかしそう考えると婦人科の医者は「セックス」というのは「女性器に男性器を挿入すること」としか認識していないということがよく分かるし、一人でもバイブで遊んでる人がいることなんか考えたりもしないんだろうと思ったりする)そこのところはもっといい聞き方をして欲しいなとか。最近「LGBTビジネス」という言葉が盛んに使われているけど(結婚式場とか保険とか)、こういうところだって「LGBTビジネス」の一つと言えるんじゃないだろうかね。
12:32 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
12-30 Wed , 2015
もうこんな時期か
ブログに書きたいことはたまってるのに、忙しくて書く時間が全くないうちにもう年の瀬を迎えてしまった。
でも明日も忙しい予定だから、時間がある今日のうちに書いておく。

と言えども、最近はあまり季節感を楽しみたいと思うこともなく、365日(あるいは366日)普通の日で十分、という気がしている。まぁ猫の誕生日は祝いますけどね。

しかしまぁ、区切りではあるので、今年1年を振り返ってみると、今年はわたしにとって、とても不思議な年だった。

生きて考えてれば「なんでこれはこうなってるんだろう」と思うことが多々ある。本を読んでても疑問に感じることがあるし、日常を暮らしてても疑問に感じることはあるし、何かを見ても疑問に思うことがある。単純な知識問題ならともかく、何を手がかりに探せばいいのかさっぱり分からないこともある。

ところが今年はそれが「繋がる」ことがとても多かった。人に会ったり、イベント行ったり、学習会に参加したり、映画を観たり、劇を観たり、でもそれは特にその疑問を解決したいと期待して行ったわけではない。全く関係ないところで、でも自分の中で「あっ」って思うことがとても多かった。答えは見つからずとも、そのヒントになるものと出会うのだ。そのことをヒントにまた自分の中で思考を深め、そして行き当たる。しかしまた別のところでヒントと出会う。ヒントであったり、同じ思いをしている人に出会ったり。

今年はそんな、不思議な年だった。

ただ、だからといって「答え」が見つかったわけではない。というか、答えなんか見つかるような問題ではないと自分では分かっている。しかし、だからといってなぜ考えるのを止めないかというと、それは自分が人間だからだ、「人間は考える葦である」ではないか、なんて書くとカッコイイ~んだろうけどね(笑)別にわたしは人間だから考えているわけではなく、答えを探す行為が、今後自分はどうすればいいのか、自分は何が出来るのか、というある種の答えには繋がっていると思うからだ。要するに副産物で自分の行動が決められる、と言えばいいのか。疑問に思っている「答え」そのものは見つからないにしても。

多分、この中で一番大切なのは、疑問に思っている「答え」そのものではなく、「自分がどう行動するか」なんだと思う。ぐだぐだ自分の頭の中で考えてたって、それで世の中変わるわけはないんだもの。もちろん自分の行動には限界があって、行動したとしても世の中変わるわけはない。わたしは一声で世の中が変えられるような絶対的な権力者じゃないし、逆にそういう権力を持った人を忌み嫌っているから、自分は権力者にはなりたくないし。自分ができることは所詮、微々たるものだと思っている。けど「どうせ行動しても世の中変わらないよね」とブツブツ言ってるよりは、行動する方がよっぽどいい。それが自己満足に過ぎない、ということも十分承知だし、わたしはそれが自己満足であることに満足してるので、それはそれで構わない。とにかくわたしは行動をしなければならないと思う。そのこともはっきり分かった年でもあった。

わたしが主に考えていることは、過去のブログを読んでもらえば分かると思うが、「死刑」「宗教」「在日外国人(特に在日朝鮮人)」のことについてだけど、「死刑」については、今年、自分の考えに決着を付けることが出来た(もしかしたら、その結論についてはブログに書いてないかも)。「宗教」については、これは今も興味の対象。今年はいくつかイスラム教について書かれている本を読み、外観はどんな宗教なのかは一応分かったけど、でも人に出会ったわけではないので、まだ疑問満載。ただ、一つ一つの宗教についてではなく、「宗教」全体(なぜ宗教があるのだろうという疑問など)として考えるのもまた面白い。絶対に答えなんか出ないと分かってるけど、今のところは「人間がそれを必要としていた」と思っている。要するにひっくり返すと「宗教は人間が作った」なんだけど、それは仕方ないよね、わたしは宗教を信じてないんだから。また、わたしはずっと「宗教とは何か」という疑問もあったが、これはそれぞれの宗教、個々に「エッセンス」というものがあり、それは何かというものをそれぞれの教典から読み取っていく作業なのではないかと思っている。要するに、聖典に書かれていること一言一句が正しいのではなく、全体を読んだときに「共通する何か」があるんだろうと。そう考えると、おそらく仏教もキリスト教もイスラム教も(その他の細々した宗教についてはよく知らない)、根底に相通ずるものがあるのではないかと思う。

例えば聖書、キリスト教の教典である聖書だけども、旧約聖書の一番始めは「創世記」、いわゆる「天地創造」について書かれている(旧約聖書はキリスト教だけでなく当然ながらユダヤ教、そしてイスラム教の聖典でもある)。しかし、その1章と2章、全然違うことが書かれているのだ。1章では神は最初にいろんなものを創って、そして一番最後に人間を造った、と書いてある。それが6日目だったと。だがその直後の2章では、神はまず人間を造って、人間を助けるものを創ろうといって、他のものを創ったと書いてあるのだ。全く矛盾していることが書いてあるよね、直後に。しかも、大多数の人が読み始める最初のページ、おそらく一番読まれることが多いであろう箇所に。聖書ってどんなことが書いてあるんだろうと思っただけの信者以外の人だって1ページから普通読むだろうよ。これ、編纂するときになんでこんな矛盾しているものを載せてるんだろう、どちらか一方を削って「こちらが正解です」ってしなかったのはなぜだろう、そちらの方が都合がいいのになぜ敢えてそうしてないんだろう、と考えると、「聖書とは、一言一句を信じるものではないものである」と聖書自身が言いたいのではないかと思える。「聖書には矛盾していることも差別的なことも含んでいますよ。けども、それが聖書の本質ではないのです。しかし、この中には一本貫いていることは確実にあります。それが信じるものに値するものです」と言っているように思えるのだ。だから聖書で自分の都合のいいところのみを切り取ってそれを「聖書にはこう書いてある」と「教え」ている原理主義は、聖書自身が否定していることなのではないか、と。

尤も、わたしはだからといって聖書全部読んだことはありません(笑)ただ聖書というものは本当に奥が深い「読み物だ」とは思ってる。バベルの塔のところなんて、いつもいつも「よく昔の人がこんなこと考え付いたよなあ」って感心する(そういう意味ではわたしは聖書は「人が作ったもの」と思っている)。昨今の出来事で「バベルの塔」を思い浮かべることが、わたしはよーくあるから。

また、わたし、今年分かったことに「神(仏でもいいんだが、以下同じ)を信じる人は、神を通して人間を見ることができる人だ」ということがある。神を信じられない、わたしのような人間は「人間」でしかものが考えられない。別の視点から「人間」を見ることができない。しかし、神がいる人たちは、「神を通して人間を見ることができる」。このことが分かったときに正直「ちと悔しいな」って思ったのね。わたしは人間を「相対的」に見ることができない。わたしの中には「人間」しかないから。でも「神」という別の概念がある人は、神を通して人間を「相対的」に見ることができる。複数の視点を持っていることは、自己の考えを深められるだろう。そういう点で「悔しい」のだ。まぁだが、神を持っている人は「絶対的」なことが分かるかというと、そうじゃないけどね。神を信じている人たちの中の神は、やっぱり「相対的」なんだと思う。イメージ的には、この宇宙、絶対の座標軸があったとして、そこから見ると、個々の神の位置が違っている、みたいな感じになるかな。でもそれは仕方がないんだよね。人間自身が相対的なものなんだから。複数の視点が持てないから悔しいと思えども、神には出会わないと出会えない、ということもわたしは知っている。今後、出会うかどうかは今のわたしには分からない。出会ってないのだから、出会っていないまま、わたしは考えて行く。ただそれだけのことだ。

なんて話がとんでもなく抽象的なものになってしまったが、基本的に宗教とそこに住む人たちの文化や慣習、というものは非常に密接に関係してくるので、そういう意味でも個々の宗教を知ることは大切なことだと思っている。来年も個々の宗教を知ること、そして「宗教とは何か」「宗教はなぜあるのか」、この問題は引き続き考え続けて行きたい。まぁ、この疑問に答えなんかないと分かってるけどね(笑)

そして「在日外国人」、主に在日朝鮮人、在日韓国人、在日コリアン、なんて呼べばしっくりくるのかは分からないけど、その話。このことについて考えることは、本当にいろんなことを知らなければならない。歴史的な話だったり、法律的な話だったり、言語的な話(イメージ的には法的な論理というよりも感情的な言語を使用した論理と言えばいいのか)だったり、そしてその縁辺には元日本軍「慰安婦」の人たち(これについては現在、大きな動きがあったけれども、到底納得できない。だいたい謝罪する側が「このことは蒸し返すな」と言いつつする謝罪ってそれは本当に謝罪と言えるのか?まぁその他もいろいろ言いたいことがあるが)、そしてそこから「戦争被害」「戦争加害」、被爆二世としての自分、そして平和が脅かされている現在の「日本」。「在日」の問題を考えるとき、わたしの中にはこういうものがずっと連なって来ている。だからこそ、まずは「知ること」だと思っても、一度にたくさんのことを知ることは出来ないし、何しろ「知ること」といっても多岐に渡っているので膨大な量があるし、知ったらますます疑問が湧いてくるしで、そう考えると到底全部知ってから考えることなんて出来ない。だからこのことに関しては、今までわたしが「出会ってきた」人やものから少しずつ考えて行くしかないだろうと思っている。

ただ、今年に関して言えば、自分の中で一番はっきりしたのは「国とはなんだろう?個人とはなんだろう?国と個人との関係とはなんだろう?国と個人との線引きはどこなんだろう?」という疑問の方だった。これは今年わたしはいろんなものに出会ったけれど、何かに出会うたびにこの疑問はますます膨れあがってきた。そしてその答えは今のところ全く掴めてない。手がかりすらも分からない。しかしこのことが疑問になってきて、わたしは確実に前と変わってきていることを知った。わたしはつい最近、数年前に自分がこのブログに書いてたことを読んだ。そこには

わたしは決して、ジョン・レノンの作った「イマジン」のように「国が存在しなかったら」とは思わない。国家というものは必要なものだと思うから。ただし国家というアイデンティティを失わずに国と国とが緩い連帯を取ることはできないのかな、とは漠然と思っている。



って書いてある。このときは「国」というものに疑問を持っていなかった。でも、この考えは今年、変わった。上のことをわたしが書いたときに思っていたことは「もしこの地球が一つの国だったら」ということだった。でもこれは現実的に考えて有り得ないだろう。だって、一つの国になるとしたら、資本主義なの?社会主義なの?共産主義なの?とか、法律はどうなるの?とか通貨紙幣はどうなの?とか、そういう「現実的」なことを考えると「有り得ない」話だからだ。そういう意味でわたしは「国」というものに疑問を持たず「国家というものは必要だ」って書いた。

その理屈は今でも変わらない。しかし、一方、これまた現実的な話だが、国家が存在することによる弊害だってかなりあるのだ。「民主主義」とか「人権」という概念は、近年になり人間が発明したものだと思っているが、やはり根本的にこの世に生まれてきた人間は「人権」を持っているはずだ。幸福に生きる権利、自由に生きる権利は誰にでもあるはずだ(ただし「公共の福祉」に反してはならないと思う。「公共の福祉」って日本国憲法の文言だけど。で「公共の福祉」って「他人の人権を脅かさないこと」であって、単なる「人の迷惑にならない」とか軽い意味じゃないし、ましてや「国の都合の悪いこと」ではない)。ではその実現を果たすために「国」は絶対に必要なものなのか。「国」がなければすべての人は幸福に生きる権利、自由に生きる権利が持てないのかというと、全然そうじゃない。そのことの実現のためには特に「国」である必要性は全くないのだ。

ジョン・レノンの「イマジン」については、わたしはよく知らない。彼がどういう気持ちを込めて、この曲を作ったのかも全然知らない。けれど「国がないって想像してみて」というのは、まさにこういうことなんじゃないだろうかと。「地球上から国をなくす」というのは、アナーキストと言われるかも知れないが、わたしはそうじゃないんだよね。「人権」「民主主義」、そして「国家」このすべては人間が発明したものだとすると、わたしたちは国という概念を超える「何か」を発明することが必要なのではないかと。「この世に住む人たちがみんな自由に、幸せに生きている」そのことを想像しながら「では『国家』を超えるシステムとはなんだろう」って考えることが必要なのではないかと。

このことが、今年、わたしの分かったことで、去年までとはちょっと違ってきた部分だった。

「国と個人の関係」を考えたのは、正直、ここの部分だけの話ではなくね。ただ、今までは「国のイデオロギー」ってよく分からなかったんだけど、いろんなものに接しているうちにそれが見えてきた。と同時にわたし自身も知らないうちに国のイデオロギーによって洗脳されているんだ、ということも見えてきた。多分それはこの国で「日本人である」ということがどういうことか、少しながらも自分に「見えてきた」からだろうと思う。それまでは「日本人は日本で多大な権力を持っている」と言いつつ、でもそれは自分自身感じられなかった。が、そういう自分自身はべったりと「日本人の論理」で生きていた。そのことが少し感じられただけでも、わたしはとても嬉しかった。これを少し感じることができたということは、自分の「座標軸」をずらすことが可能だと言うことだから。

そしてこのずらした「視点」を保ちながら、来年に繋げていきたい。

最後に、うつ病的な視点から今年の自分を見てみる。

今年は比較的よく動けた年だった。多分、端から見ると「うつ病の人」には見えないだろう。そういう意味ではわたしも最早「うつ病」ではないと思っている。ただ、過剰に無理はしないように気をつけている。無理をしたら再発確実な反復性うつ病だからね。しかし以前と違ってきたのは「休んだら元通りになる」ってことだ。病気のときは身体がだるくてだるくて仕方がなかった。何をやるのもやる気が出ずに、多大に努力して動いていた、という感じがする。もう普通に動けていたときの状態が自分では分からなくなっていて「昔もやる気が出なかったけど、無理して身体を動かしていたのではないか」とずっと思っていた。何も考えずに身体がスッと動くなんて夢じゃないかって思ってた。

ところが、やっぱり身体って何も考えずにスッと動くものなんだよね。「やる気が出ない」というのは、出なかった頃は自分が怠けているのではないか、自分を甘やかしているのではないかってずーっと自分を責めてたけど、やっぱりそういうのは「病気の症状」だったのだ。そしてあのときは休んでも休んでも、寝ても寝てもずっとずっと身体のだるさは変わらないし、やる気も出たとは思えなかった。でも、今振り返って思うのは、やっぱり休んでも休んでも、寝ても寝ても身体が動かなかったりやる気が出ないときは、やっぱりそれは「休み方が足りない」んだってこと。休みが足りてきたら何も思わなくても身体がスッと動くし、何より何かやりたくなることができてくるのだ。

今も朝起きるとき、すごくだるくて起きる気がしない、起きるのが嫌な気分になることがある。そういうとき「あれ、自分はこれがデフォルトだったっけ?」って思う。だけど、その日、一日休むと翌日は動けるようになっている。朝、すんなり身体が動く。だから「あ、昨日はわたしは疲れてたんだ。だから起きれなかったのだ」って思える。うつ病のときは休んでてもあまりにも日々変わらなかったので、だるいのがデフォルト、みたいに思えちゃうのね。その感覚が今も残っているので、自分自身だるいときもそれは疲れではなく元からだと思ってしまうクセがある。けど、違うのね。今は一日で回復するようになったので、そういう意味でも「治ってきてるなあ~」って実感はあるし、身体がだるくて起き上がれなくても「今日は休もう」と素直に思える。

が、今ひとつ「治った」と言い切れないのは、疲れすぎると眠れないからだ。なぜか疲れすぎると眠れなかったり、眠りが浅くて全然寝た気がしなかったり、ってことは今でもある。なので「よくなってきている」けども「完全に治った」とまでは行ってないのだろう。だから、まだまだ油断大敵なのだが。。

今年1年は本当に充実した年だった。だが希死念慮は全然消えてない。むしろこれだけ活発に動いているのは「いつ死んでもいい。だけど悔いのない人生を送りたい」って思ってるからだし、もし明日死ぬとしても、わたしはそれで全然構わない。むしろその方が嬉しい。この世に自分が存在しているだけで苦痛だから。考えることも苦痛だから。息をしてるだけで苦痛だから。この世に未練なんか全くない。死んでこの世から早く消え去りたい。死んだら他人から自分のことを一切忘れられたい。この世にいたという痕跡を残したくない(死んだらこのブログも消去してもらう予定)。そしてわたしには「あの世」もない。「あの世」で自分が存在する、なんてそんな絶望的なこと、考えたくもない。わたしは「死んだら無になる」と思えるから、今、頑張れるのだ(だからわたしは宗教は信じたくても信じられない。宗教には「あの世」があるんだから)。死んでからいくら「あの世は何の悩みもない幸福な状況です」と言われても、自分が存在すると思っただけで苦痛なんだから、わたしにとっては幸福な状態であろうと苦痛なのだ。なんにせよ、わたしはわたしの存在自体をどこからも消し去りたい。これは明らかに「病的」なのは分かってるけど、これだけはもうどうしようもない。それは「病的」といっても、もうわたしの「一部」なのであり、そういう意味ではわたしは死ぬまでうつ病と「共存」していかねばならないのだろう。

よく他人から「生き生きしてる」とか「前に比べて元気になった」とか「顔色が良くなった」って言われるんだけど、確かに端から見るとその通りなんだろうと思うが、自分自身はあくまで「後ろ向き」に前に進んでいる感じだ。だって時間軸は前にしか向いてない。過去には絶対に戻れない。だとすると、前に進むしかないじゃないか。だけどわたしは自分が「生きたい」と思っては生きていない。自分で死ぬことができないから仕方なく生きている。だけど、生きている以上、悔いなく生きたい。「ああ、あれもやりたかった、これもやりたかった」「あそこに行きたかった、ここに行きたかった」と思いつつ死んでいくのはイヤだ。だから、わたしは今、できることを精一杯やる。一日一日を精一杯生きる。

来年もやりたいことはたくさんある。けど、それがいつ打ち切られても構わない。そんな思いを持って生きていく。

【追記】上の方で「創世記」云々、という話を書いたけど、あれは別にわたし自身が発見したことではない。このことについては、今年の不思議さを象徴するような話なのだが、直接的に「創世記」の1章と2章の書いてあることが矛盾している、ということについては今年読んだ「罪と死と愛と」という本に書いてあったものだ。そして「ではどうして矛盾しているものを直後に並べたのか」についての考察は、そこに書いてあったことを参考にわたしが大きく膨らませたものだ。実はここの部分、もう一つ、「男女」の造られ方が全く違う。このことについてはフェミニスト神学などが指摘しているということは以前から知っていたものの、問題はそこだけなのかと思っていたし、それがどういう意味を持つのかは考えたことがなかった。

そしてこの「罪と死と愛と」という本を知ったのは、「絞死刑」という大島渚の映画を観たからだった。そしてなぜそもそもこの映画を観ようと思ったかは、たまたま偶然チラシを見て知ったからだ。そう、順番を追って話すと、わたしはたまたまチラシを見て「絞死刑」という映画を知った。「観たい」と思ったのは、「小松川事件」という、これまたわたしは初めて知った事件だが(まあわたしが生まれる前の話なので)、貧しい在日の少年が2人の女性を殺害して死刑になった、という話を知ったからだった。事件は確か'56年頃起こって、'62年に死刑が執行された。死刑が確定した後、日本国内で助命嘆願が行われたらしい。それはあまりにも在日の少年が過酷な境遇におかれていたからだ。そして大島渚は'68年に「絞死刑」という映画を制作して上映した。'68年と言えば、ちょうどわたしが生まれた年だ。大島渚は「日本における在日朝鮮人の問題」としてこの映画を作ったらしい。わたしも「在日」のことについて描かれた作品だろうと思って観に行ったのだった。

ところが実際に映画を観ると「この映画のどこが在日朝鮮人に焦点を当ててるんだ?」という内容だった。わたしには「死刑制度について疑問を呈している」という映画としか思えなかった。そして内容も当時の人だったらそんなに細かい事件の背景は必要じゃないよね、というような映画だったので、事件自体のことははっきりしたことはよく分からないままの「なんか変な映画」だった。しかし観終わったときに、この映画を上映した主催の人が「小松川事件については、2冊の本が出ています」と教えてくれ、そのうちの1冊がこの「罪と死と愛と」だったのだ。ただこの本は少年死刑囚だった人と同じ在日の朴寿南さんという人との往復書簡集の一部だ。要するに手紙のやりとりのうちの重要な部分だけが抜粋されている本だった(重要な部分といっても、約300ページに2段組で書かれ、結構読むの大変だった)。そしてその他の1冊というのはこの2人の手紙のやりとりのすべてである「全書簡集」だ。けっきょく両方の本は手紙のやりとり、という形の本だったということだ。

「罪と死と愛と」を読んだら、これは在日というよりもキリスト教の話じゃないかと思った。そこに死刑囚ということは密接に絡んでいるが。というのは、この少年死刑囚は死刑が確定した後にキリスト教を信仰するようになっていたからだ。そこでは自分が死刑囚であるということと自分が犯した罪のこと、そして神とは信仰とは、ということが書いてある。確かに日本で生まれた朝鮮人、ということについても書いているが、この少年は生まれてから罪を犯して警察に捕まるまで、自分をあまり「朝鮮人」とは意識してないというか、本人は差別されるのでいつ周囲に自分が朝鮮人であるということがばれるか非常に恐れていたけれど、周囲は誰も彼のことを朝鮮人だと知った人はいなかったんだよね(雇い主は知ってただろうが。だって彼は就職の際も「朝鮮人だから」ということで大企業には就職できないのだ)。逆に「犯人は在日の少年だった」ということがクローズアップされすぎて本人はとても途惑っていただろうと書いてあった。彼は朴寿南さんとの手紙のやりとりにより、獄中、自分の民族意識に目覚めるのだ。だが、本を読んだ感想として、やっぱり主題は「信仰」にあるのではないだろうか、というのがわたしの感想だ。それくらい、信仰について書いてある内容が面白かった。上で「神がいる人は人間が客観的に見られて羨ましい」と書いたが、わたしがそう思ったのもこの本を読んでそう思ったからだ。

で、もうお気付きだろうが、なんとこの本は「死刑」「宗教」「在日」とわたしがそれまで別々に単独で興味を持ったことすべてが絡んでくる話で、その偶然さに非常にびっくりしたのだった。この話は今年、わたしに起こった「不思議さ」を象徴しているような話なんだけど、結局のところ、これは「象徴」に過ぎなくて、それ以外の分野でもあちこちで繋がったことが多かった。だから今年は本当にわたしにとって「不思議な年」だったのだ。
17:59 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |
AX