11-08 Sun , 2015
真実は一つじゃない
真実は一つだ、って思ってたときがあった。と言ってもそれは「わたしにとっての真実」であり「あなたのとっての真実」ではない。そこまでは分かってた。でも最近、自分の中であっても「真実とは一体なんだろう?」って思うことがある。自分の置かれた状況と気持ちが複雑すぎて、何が「自分にとっての真実」なのか、自分は一体どう考えるべきなのか、それが全く分からないことがある。

ちなみに。「あなたの真実」というのがいつも正しく、そこに対して誰も何も言えないかというとそう言うわけではない。なぜかというと誰にとっても「事実は一つ」だからだ。だから「あった」ことを「なかった」ということは、それは真実どころか事実でも何でもなく、それに対しては「あなたは間違っている」としか言いようがない。もちろんわたしが「あった」ことを「なかった」として「それが真実である」、としたときも当然わたしは間違っている。そのことは前置きの一つとしてあらかじめ書いておく。

さて。この夏は戦後70年だったってことで、その時期にいろんな催し物があったのだけど、わたしもその中でいくつか興味あるものに参加した。まぁそれ以前にその数ヶ月前に元日本軍「慰安婦」についての勉強会に参加したことがそもそものきっかけになっていたりする。その勉強会は全く知らない人に向けての勉強会だったので、とてもためになった。今まで元日本軍「慰安婦」関係の本は何冊か読んだことがあるのだけど、本を読むよりずっと分かりやすくて細かい話も頭に残っている。その後、公開された「『記憶』と生きる」という元日本軍「慰安婦」の人たちを撮影したドキュメンタリー映画を観たりしたので、わたしはまず、8月14日に行われた「戦後70年 東アジアフォーラム-過去・現在・未来-」というイベントに関心を持った。

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イベントを聞いてて感じたのは「これは、初級向けの内容じゃないじゃん!」ってことだった。まぁこういう話に初級も中級もないとは思うけど、全体的に話がとても難しくて、前提条件として「歴史を知っている(加害行為と言うよりも、その後の戦後補償の歴史など)」ということだったので、そういうのはほとんど知らなかったわたしには理解すると言うよりも「なんじゃこりゃ」という思いが強かった。しかし基調報告の中で「日本の外務省は、当時の連合軍捕虜の人たちを毎年何人か日本に呼んで、その人たちに毎年公式に謝罪している」ということが話されたんだけど、わたしはこのことを初めて知った。てか、巷でそのようなこと、今まで聞いたことありました?そしてその都度報道されてましたっけ?

2010年から年に2回ほど(当初は2回以上ある年もある)、元アメリカ軍兵士と元オーストラリア軍兵士を日本政府が招聘し、その中で毎年、外務大臣が公式に彼らに謝罪をしているらしい。わたしはそのことを聞いてすごくびっくりした。そしてそのことはわたしの中で妙に頭の中に残った。

このときは「東アジアフォーラム」での話だったので「こういうことがある一方、元日本軍『慰安婦』の人たちにはそのようなことは全くない。これは差別としか言いようがない」、そんな感じで出てきた話だった。

次に「話を聞いてみたい」と思ったイベントは、韓国・朝鮮人元BC級戦犯の人の話が聞けるという、むさしの平和のための戦争展「朝鮮半島と日本」というイベントだった。失礼ながら、そういう人たちがいらっしゃることをわたしは全く知らなかったし、おそらく今回の機会を逃すと聞くことは出来ないだろう、そう思ったから行った。

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てっきり元BC級戦犯の人だけの話が聞けるのかと思いきや、その前に「『戦後70年』・未解決の戦後補償を考える」という題での講演があり、またその話が前回の「東アジアフォーラム」よりも数段上の話で、なんだかもう本当に知らなかったことばかりだったし、今まで考えたこともないような「横断的」な戦後補償の話だったので、妙に感動して帰ってきた。わたしの中では今までは「補償問題」って元日本軍「慰安婦」の人たちとか、あとは在外被爆者の人たち、どっちかというと外国(っていうか、そのほとんどは日本の元植民地であるというイメージなのだが)から日本に向かってのこと、というイメージが強かった。国内でシベリア抑留されていた人たち、その中で亡くなった人たちのことのことが最近、話が動き出したことは少し知ってたんだけど、そういう人たちとか、それどころか日本で空襲に遭った民間人とかそういう人たちまで「戦後補償問題」に入ってるとは思いもしなかった。そしてその中にも元連合軍の捕虜の人たちの補償問題が入っている、ということ、そして何より元BC級戦犯というのは、戦争中の捕虜の扱いに関する「人道的な罪」によって極東裁判で死刑になったり懲役を科せられたりしてた人たちのことだ、ということをそのとき初めて知った。ちなみにこのとき元BC級戦犯として話をして下さったのはここで少し触れたんだけど李鶴来(イハンネ)さんという人だ。そう、わたしこの「若者から若者への手紙 1945←2015」という本を読む前に、直接、李鶴来さんからの話を聞いてたんだよね、偶然。

この戦後補償の話を聞いて思ったんだけど、戦後補償のことについていろいろ運動している人たちは、実にいろんな人たちを横断的に見ていて支援しているんだってことだった。元日本の植民地だった人たちだけじゃなく、元連合軍の人たち、そして今日本に住んでる日本人の人たち。あの戦争で被害に遭った人たち、すべての人に対して「国は補償すべきだ」と思って活動しているんだなと思った。なんかわたし、それがとっても新鮮だったんだよね。これまでに補償に対してどういう運動をしてきたかの説明もあったんだけど「わー、すごい」って単純に思った。司法だけでなく立法や行政、すべてにアプローチしている。どういう「立場」の人だったかは全く関係がなく、「被害者」という一点ですべて共通している人たちを支援している。しかしその運動の結果の動きを見ると、政府は補償する相手を選んでいる。誰にも何も補償していないわけじゃない。「何回謝罪すればいいのか」と言うことなく何度も謝罪している相手がきちんと存在する。一方、「当時は日本人だったから」と言って罪だけ償わせて、勝手に日本国籍を剥奪した挙げ句「今は日本人じゃないから」ということで補償は全くしていない人たちもいる。「何度も謝罪を繰り返すことは未来志向ではない」ということで切り捨てられる人たちもいる。そこに「差別」が厳然としてある。今までその「差別」の部分だけ見えてたんだな、わたしはそう思った。このことを知っただけでもわたしの世界は随分広がった。

で、これからが本題。あるときなにげに開いたウェブサイトから偶然に「元連合軍の捕虜の人で、日本に連れて来られて強制労働させられた人たちの話を聞く会がある」ということを知った。日本の外務省が毎年、何人かの元連合軍捕虜の人たちを日本に呼んで公式に謝罪しているという、それだ。そのことを知ったときに「そういう人たちの被害の話を聞いてみたい」、そのことを真っ先に思った。直接被害を受けたという人の話は、あと数年すると一生聞けなくなってしまうのだ。でも、そういう人たちがいる、と言うこと自体、8月14日の東アジアフォーラムに行っていなければ知らなかっただろう、元BC級戦犯の人の話を聞かなければ、その被害者の人たちの具体的なイメージも湧かず、たとえそのウェブサイトでそんな交流会があると知ったとしても、絶対に自分のアンテナには引っかかってこなかっただろう。そういう意味では一つ何かに参加してみたことが、次々に思いも寄らない方向に繋がっているんだと実感した。

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交流会会場に入った途端、すごい違和感を感じた。そこには英語が飛びかっていた。なんとなく英語が飛びかう空間って「陽気」なイメージがあるのだ、わたしには。とても「被害の話」がされるような雰囲気には感じられなかった。それって多分、自分が知らず知らずのうちに身に付けた「英語」のイメージなんだろう。そして、これはそのときまでになんとなく薄々感じていたのだけど、「戦勝国」でありながら、敗戦国の被害者である、ということが、わたしには複雑に感じられて仕方がなかった。いや、頭では分かる。国が戦争に勝つことと、自分自身が戦争の被害に遭うことは関係がない。関係がないことは頭では分かっているのになぜかとても違和感がある。そしてもう一つ。わたし自身は被爆二世で、アメリカが広島に原爆を落としたからこそ、自分はある意味、その「被害者」でもある。あ、今回来日したのはすべて元アメリカ軍兵士の人たちね。もちろん彼らが直接落としていないことは明らかだ。国と個人は次元が全く違う。そこのところは切り離して考えなければならない。そう、そのことは頭の中では分かってる。けど、心はなぜかとても複雑だった。しかし、その複雑さというのはこういう場面でもない限り滅多に味わうことは出来ない。わたしは自分の中でその複雑さに対してかなり興味深かった。こう表現することは語弊があるかも知れないが、実に「面白かった」。そしてその違和感は、会が進むにつれ大きくなっていった。

交流会が始まった。被害者の元日本軍捕虜たちの人はみな90歳を超えていて、みな家族や身内の人たちと一緒に来ていた。中には自分が話さずに、身内の人が代読する場面もあった。全部で9人の人たちが来ていたんだけど、最年少が90歳、最高齢が97歳。中には車いすの人もいた。

一人一人が自分が受けた被害について話す。あらかじめ用意した紙を見ながら話す人、紙など見ずに、それでも何年の何月何日にどこでこういうことがあって、その結果どういうことがあって、ということを蕩々と述べる人。いろんな人がいた。中に1941年12月8日の真珠湾攻撃の日から捕虜になった人が数人いて(当時の北京のアメリカ大使館を警護していた人たちが逃げる途中で捕まったらしい)、自分の中で「捕虜として捕まる」というイメージがなんか全然違っているような気がした。あと「自分は生き延びることが出来たのは神のおかげである」と神に感謝している人たちも結構いた。それから「空腹で仕方がなかった」ということを訴える人がほとんどだった。

当時の日本軍に対して何をされたかということについて具体的に言うのかと思いきや、「殴られたのはこういうことをしたときのただ一度きりで、それ以外は言うことに従っていれば何もなかった」という話や、逆に「労働の行き帰りに通る道になっていたマンゴーがすごく熟れていたときに、食べることを見逃してくれた兵隊がいた」という話もあった。戦争が終わって国に帰ったあとに妻と出会って子どもが出来て、とか、国に戻ったときに妻がちゃんと待っていてくれたとか、そういう家族に関する話も多かった。あと「軍でこういう働きをしてこういう功績を残し、表彰された」とか、なんというか、、、あと「日本人のヒーロー的な存在が自分の中にいる」って話した人もいた。その人は真珠湾攻撃の際に成功して「トラ・トラ・トラ」って打電した人。あとで質問時間の時に「なぜその人があなたにとってのヒーローなんですか?」と質問があったんだけど「勇気ある行動だったと思うから」って答えていて、わたしは逆に変な気持ちになった。なんか違う。うーん、なんというのか、本当の気持ちを言っていない、ようにも受け取れる。変に日本に対して「配慮」しているようにも思われる。しかし、穿った見方かも知れないがそれは「戦勝国」の人だから?いや、そうではなく「本音」を言うのはとてもつらいことだから、話せないのでは。。といろんなことを感じた。

それは質問時間に「ヘルシップ(地獄船の意味で、わたしは今回初めてこれも知ったのだが、日本に運ばれてくる船での彼らの扱いはとてもひどく、最終的には1坪当たりに7、8人という感じで押し込められ、それこそ身動きが一切出来なかったらしい)での話を聞かせてくれ」という質問があったときのことだった。誰が答えてもいいと言う質問に対しては、発言したい人が手を挙げて発言するのだが、この質問についてはまったく手が挙がらず。しかも「あなたたちは知らない方がいい」という人もいた。この発言は「配慮」とも受け取れるし「そのことは話したくない」ということにも受け取れる。結局、わたしだって複雑な気持ちだったが、彼らだって複雑な気持ちなんだろう、そう思った。だからこそ「その後は幸せだった」と強調したくなるのではないか、とすら思った。

一番驚いたのは日本では敗戦後の新憲法で「憲法9条」、すなわち「戦争放棄をしたこと」が憲法で定められたことを知っているか、という質問に対しての答えだった。元捕虜の9人のうち、そのことについて知っているのはたったの4人。同伴した家族、年代はちょうどわたしと同じくらいの人が多く、主に40代の人たちと思われたが、その人たちですら知っていたのは半数以下。元捕虜のうち知っている人の家族は知っている、という感じだったけど、中には「そんなこと全く聞いたことがないわ」という、わたしくらいの年代の人がいた。これにはすごく驚かされたし、会場内でもどよめきが起きた。日本に憲法9条があることを、日本はもう戦争をしないと70年前に誓ったことは、全く「世界の常識」ではなかったのだ(アメリカ=世界、でないのは分かってるけど、敢えて)。如何に今まで「日本には憲法9条があります」と世界に訴えて来なかったのだろう、わたしたちはその努力を怠っていたのだ、と思った。

が、そうなのだ。この人たちは「退役軍人」なのだ、って、彼らの話を聞きながらちょっとずつ思っていたときのことだった。「アメリカの退役軍人」、、、何かとても複雑な気がする。と思ったら。最後の最後に「原爆を落としたからこそ、戦争が早く終結したと言うことを理解して欲しい」と発言した人がいた。

その瞬間、わたしはちょっと頭を殴られたような感じがした。その言説がアメリカ内にある、特に退役軍人の人たちにとっては根強いものである、ということはもちろん知っていたが、わたしはこのことをまともに誰かから直接言われた経験はなかった。そしてこの言説についてわたしは、ある意味一種独特の考えを持っている、というか、よく分からないところがある。よく分からない、というのは、この発言を聞いて「その考えは許されない」と激怒する人たちがいる、それは主に被爆者の人たちである、ということだ。わたしは二世であるにも関わらず、身内があの原爆で亡くなっているにも関わらず、実はなぜ「その考えは許されない」ものであるのか、よく分かっていない。

戦争が終わったのは8月15日だ。これは事実だ(「ポツダム宣言受諾日」は8月14日で、「降伏文書」の調印は9月2日だけど)。

だから、8月16日以降に特攻する予定の人たちは助かった。8月15日に戦争が終わったから特攻せずに生き残れた、という人の話は今までたくさん読んだことがあるし、その日以降の空襲もなかったから、その日以降空襲で死んだ人はいない。8月15日に戦争が終わったから、死ななくていい人が死なずに済んだ、ということはある。

が、問題は「原爆が落とされたことによって8月15日に戦争が終わることになったのか」なんだけど、これは本当のところは誰にも分からない、というか、「本当のところって何?」と思う。15日に戦争を終わらせたい人たちと終わらせたくなかった人たちがいた。それまで中立宣言をしていたソ連が8月9日に参戦した。8月6日と8月9日に原爆が落とされた。日本各地で空襲があった。そのどれ一つ取って「このことが100%の原因で戦争が終わった」ということはないだろう。どれもが戦争が終わった原因たり得るし、そのどれもが100%戦争終結の理由にならない、ということも有り得ない。原爆投下だけを「戦争終結の理由ではなかった」とは言えないだろう。だとすると「原爆投下も戦争終結の一因であった」としか言えないのではないだろうか。だからわたしは「原爆投下したことが戦争の終結を早めた」という言説を真っ向から否定できない。

被爆者やその家族、原爆で身内をなくした人がこのことに対して猛反発する意味が実は全くわたしにはわからない。「戦争を早く終結させるために殺されたのか」と思うのであれば、では逆に「戦争を早く終結させると考えられていない、その他の空襲などで亡くなった人はどう考えればいいのか」と思ってしまう。人が一人死ぬ、ということは、そこには意味づけなどなーんもないと思っている。軍人が国を守るという意識の中で敵艦に突っ込んでいって死ぬのも、ジャングルで餓死するのも、空襲で爆撃されて死ぬのも、原爆によって一瞬の内にこの世からいなくなるのも、「水をくれ」と言いながら死ぬのも、「死」という意味ではみんな平等だ。誰の死が尊くて、誰の死はそうでなかったか、なんてことはないのだ(そしてもう一つ踏み込んで言うと、戦争で亡くなった人たちは言い方は悪いがみんな「犬死に」だと思っている。誰一人「死にたい」と思って死んだ人はいない。みな国によって無理矢理殺されたのだ)。そう考えると「なぜ、原爆投下が戦争を早く終わらせるという言説に問題があるのか」と思えてしまう。

ただ「戦争の早期終結の原因は原爆だった」と考えることがまずいことになるのは、「だから再び戦争に原爆が使われる正当な理由になる」、この一点だけだと思う。それは「再び自分たちのような目に遭う人が起きないように」と思っている被爆者や二世の人たちにとっては特に許せないことになるだろう。

が、わたしはそうは考えない。あ、もちろんわたしも「再び原爆が投下されるようなことがあってはならない」と思ってますよ。しかし、その理屈は上のようなものではない。確かに太平洋戦争において、原爆投下は戦争の早期終結に繋がっただろう。しかし、そうであったとしても、もう二度とそれを理由として原爆を投下してはいけない、そう考えている。人間は「自制心」というものを持たなければならない。いくら誰かが憎くてその人を殺したいと思ったとしても、その人を殺してはならない。それと同じだ。人間である以上、一定の「自制」必要で、「自制」はこのような場合にこそ使われるべきなのだと思っている。それが今のところのわたしの考えるところか(しかしこの考えだと核兵器は「抑止力」にならない、ということになるんだよね。持ってたとしても「使えない」んだから。ということは「核兵器は抑止力だ」と思っている人たちには「使わない」という自制心なんてものはないと考えられる。「使わない」という自制心を持たないアンタらは本当に「人間」なのかね?と言いたい)。

そう。わたしは「原爆投下が戦争を早期に終結させた」、この言説はある一定程度「真実だ」と思っている。頭の中ではそういう結論が出ている。しかし、自分の目の前で「原爆投下は戦争終結を早めた。それは理解して欲しい」その言説を聞いたとき。それは発言した人にとっては「真実」なんだろうと思った。そしてわたしだって一定程度「真実だ」とは思っている。しかしそう思っていても、「理解」していたとしても。気持ちはものすごく複雑だった。ともすれば「理解」などできないと思った。なぜなんだろう。なぜ自分はこんな気持ちになるんだろう。とても不思議に思った。それはやはりわたしが「被爆二世」だからか。身内に原爆で亡くなった人がいるからなのか。自分の気持ちが複雑すぎて、言葉では到底言い表せなかった。なんて考えていいのか全く分からない。このような状態になるのはなぜなんだろう、いっぺんにいろんな気持ちや思いが出てきて、頭が本当に混乱した。そしてそのようになる自分の現象がとても興味深かった。なかなかこんな状況になれるもんじゃない。その後、数日間はそんな感じだった。頭がクラクラしていた。

そして思った。その発言をした人は、中に原爆で身内を殺された人がいたと知っていてもその発言をしたのか。決めつけては悪いのだが、おそらく彼らは原爆のあのキノコ雲の下で何が起きたかおそらく知らない。だって憲法9条のことだって知らなかったんだもん(覚えてるけど、この発言をした人も9条のことは知らなかった)。しかし、原爆投下当時日本にいた彼らは、もしかしたら自分の上でその原爆が落とされた可能性があったのだ。現に原爆で亡くなったアメリカ人捕虜の人は存在する(偶然だが、11月4日の東京新聞朝刊にその記事が載ってた。丸木位里・俊さんの「原爆の図」の中に「米兵捕虜の死」という絵がある。その前で退役軍人が号泣したという話だった)。「原爆が戦争終結を早めた」という言説は特に問題ではないとわたしは考えているが、少なくとも、このような事実を知った上での発言だったら、もしかしたら少しは印象が違っていたのかも知れない。

あと一つ。わたしは今まで気が付かないうちに「被害者のイメージ像」というのを持っていたんだなあと改めて気が付かされた。今までは圧倒的に「被害者」=「この日本で差別されている人たち」だったから。この中にはもちろん性的少数者も含まれるよ。そういう人たちのイメージは共通していて、今までわたしは違和感を感じたことはない。けどもそのことは同時に自分の中で格差をつけていることにならないか。もちろん、相手のことがあってではあるけど、なぜかこの交流会では「被害者」という感じが薄かった。それはいいとか悪いとかじゃなく、被害者はこうあるべきだとかそうじゃないとかではなく。でも多分、それは「格差」じゃないのかも知れない。「立ち位置」と考えた方がしっくりくるのかも知れない。でもやっぱり彼らは「被害者」であることには変わりはない。なのになんでわたしは違和感を感じてしまうんだろう。。

そんなこんなの交流会だったんだけど、でも、話が聞けたこと自体はとてもよかった。会の締めの挨拶に代表の人も言ってたけど、特に全く知らなかった「ヘルシップ」についてはもっと知らねばならないと思った。わたしはこのことについては本当に全く、その言葉すら知らなかったからね。ちなみに「東アジアフォーラム」で基調報告した人と、この会の最後の締めの挨拶をした人は同じ人でした。こうやって「戦後補償」全般に関わってる人なんだなあ~。本当にすごい人だなあ~って思った。

戦争被害者については、いろんな分野にたくさんの人たちがいる。わたしは今のうちにもっともっといろんな人たちの話が聞きたい。きっとこれが最後の機会となるだろう。そうしたら、わたしはもっともっと今以上に複雑な気持ちになるかも知れない。でも、戦争って、物事って多分、そういうことなんだ。一つの「事実」があらゆる「立ち位置」から見ることによって、全く別の「真実」があるはずなのだ。いろんな人の「真実」を見た上で、わたしは自分にとってどんな「真実」を得るんだろう。今のわたしはそんなことを思っている。
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11-10 Tue , 2015
いろいろ変わる薬
息苦しさについて書いたの、前回のいつだろ?9月23日の日記だから1ヶ月半ほど前?

結局のところ、あのとき「息苦しさが治りつつある?」って書いたんだけど、まだすっきり「治った」とは言い切れていない状態。

前回飲んでたセディールはダメだった。結局手足の汗はずっと飲みつづけてても治らなくて、しかもものすごく寝つきが悪くなった。寝つきが悪いだけでなく、眠れなくなった。なのでセディールを飲んでた1ヶ月間、寝不足から来る頭痛が頻繁に出て(もしかしたら、薬の副作用もあったのかも。でも分かんないけどね)何回頭痛薬を飲んだことか。

なので次に病院に行ったときは「効かないし、眠れなくなったから薬を変えて欲しい」と言って、結局またワイパックス0.5mgを1日朝晩2回、という処方に戻った。ただ主治医からは「ワイパックスはあまり長期間飲む薬ではないんですよね~」と言うことで、1ヶ月経ったらまた新しい薬を試す、ということにした。ワイパックスを飲んでいる1ヶ月間は、相変わらず息苦しさは改善されるということはないんだけど、手足の汗と寝つきの良さは戻ってきた。というか、わたし、このときは全く思ってなかったんだけど、すっごい寝つきがいいって思ってたら、これはどうもワイパックスの影響だったらしく。。

ワイパックスに戻して1ヶ月後、病院に行った。そのときに主治医から「作用機序が異なる薬はもうあと1種類しかなくて、それはあんまり。。その他は漢方薬で、もうその他にはない。これが効かなかったら薬じゃなく、その原因を取り除くための別の方法しかない」と言われたので「別の方法ってカウンセリングですか?でもわたし、今特に悩んでることもないし、正直、カウンセリングでは何も話すことはないです」って答えた。主治医には言わなかったけど、もし悩んでることがあったとしても、わたし、カウンセリングなんかじゃダメなんだよね。ただ話を聞いてもらっても「だからそれが何?」って思ってしまう。別にわたし、普段誰にも言えないことなんかないからさ。既にわたしの中では「悩み」ではなくなってるけど、問題はいろいろあるのは分かってる。でもこれ、正直誰に話したって簡単に答えが出るような問題ではない。わたしが欲しいのは「わたしが今まで考えも付かなかった斬新な考え」なんだけど、彼女に相談しようが何しようが、自分が今まで考えた域を超えるような「解決方法」って全くないのよ。カウンセリングも1年通ったけど、ほとんど傾聴だけでわたしはもう自分で考えて分かりきってることをなんでこの人にわざわざ説明しなければならないのかしら、しかもお金払って、ってずーっと思ってた。別に分かって欲しいわけではなく、わたしは「その解答」が欲しいのだ。もちろん、カウンセリングは解答を与えてもらうところではないところは十分に分かってる。解答は自分で導き出すものだって。でも、そのとっかかりすら分からないというか、わたしは誰かに話をすることによって頭が整理されていくタイプでは全くないんだよね。

まぁ、自分のことについて長年考えて行くうちに「これはもうどうしようもないことなんだ」って思って来た。なのでもう考えることは止めた。これが息苦しさに繋がってるとは思ってないし、その「問題」について再度誰かに話すのはもう嫌だ。だって不愉快なことだから話したくないもん。気分悪いし。なので、カウンセリングなんかは絶対に受ける気はない。

だもんで、医者にはほとんど「さじを投げられた」状態になってしまったんだけど、まぁ、今回は漢方薬を飲んでみましょうと言うことになった。それから「ワイパックスと同じ系統の薬では、もうわたしには効かないと言うことですかねえ。デパスは確かに飲んでも全く効いたことがないですけど、セルシンは結構自分では効くような気がしましたけどね~」とか言ってみた。そうしたら「ワイパックスよりは効き目が弱いけど、同じ作用機序の薬を出します」と言われ、結局、漢方薬は「半夏厚朴湯」、抗不安薬は「アルプラゾラム」が出された。半夏厚朴湯はわたしは初めて飲む漢方薬だったんだけど、まぁ今まで飲んだ抑肝散などはわたしはあまり効かなかったので。。

「アルプラゾラム」というのは、商品名ではソラナックスで、これも前に飲んだことはある。が、こういうの、うつ状態の時に飲んだからと言ってどのくらい効いたかはよく分からないのだ(多分、2回目のうつ病がひどかったときに飲んでた薬のうちの1つだと思う)。ただなぜかよく分からないけど処方箋には「アルプラゾラム」と書いてあったので、薬局が勝手に「ジェネリックでいいですね~」と言って「アルプラゾラム『サワイ』」って薬にしちゃった。まぁ別にいいけどね。

で、そのような処方になったその日の夜。前日まであれだけ寝つきがよかったのにまた全く眠れなくなった。「なんで??」って思ったんだけど、どうやらこれ、ワイパックスの離脱症状らしかったんだよね~。わたしは全く睡眠剤と意識してなかったんだけど、最近の寝つきの良さの原因はどうやらこれだったらしく。そういやワイパックスを飲んでいた1ヶ月間の中で、2回だけ飲み忘れたことがあったんだけど(次の診察日までぴったり処方されるので、その薬が余って最後に分かる)、その中で「いつもは眠れるのに何で今日は全く眠れなかったんだろう?」って日が1日あり。どうやらこの夜が飲み忘れた2回のうちの1回だったんだろうと思った。あとの1回はおそらく朝飲み忘れたんだろう。っていうか、睡眠剤って割と精神的なものにも作用してて「飲む/飲まない」という「行為」自体が睡眠「できる/出来ない」という精神作用に大きく影響すると思っている。けど、そんなこと全く思ってないのに眠れない、というのは、それは薬のせいというほかなく。わー、ワイパックスも結構怖い薬なんだなって思った。あ、でも、ワイパックスを飲んだのはこれが初めてでも何でもなく、今まで数え切れないほど何回も飲んでて(2回目のうつ病は息苦しさから始まったんだけど、そのときに初めてワイパックスを飲んだ。で、それから息苦しさって何回も起こっているので)でも止めたから眠れなくなったって思ったのは、前回が初めてだったから。その前まではワイパックスを止めたから眠れなくなったとは1度も思ったことはない。で、前回はそのまま新しい薬(セディール)のせいか、ずっと眠れなかったので、眠れないのはすっかりセディールのせいだと思ってた。実際、その後も眠れなかったのはそうだと思うけど。今回は眠れなかったのは最初の1日、状況から考えて寝てたとは思うんだけど全く寝た気がしなかったのがその後の数日、その後は前のようにまた寝つきの良さが戻っている。

思うにこれは、今飲んでるアルプラゾラムが効いてるのかも?と思ってたりもする。ワイパックスよりは弱いけど、作用機序は同じだからね。まぁでも、睡眠剤として効いてたとしても、徐々に量を減らしていけば自力で眠れることはもう分かってるので、特になんとも思ってません。睡眠剤は依存性があるとかいろいろ言われるけど、だからといって飲まなくて眠れないのは本当につらいし、それに眠れなかったら寝不足で頭が痛くなるからね、わたし。QOLがすんごく悪くなる。だから自分ではどうもならなくて眠れないときはやっぱり睡眠剤に頼るよ、わたし。で「薬がなくても眠れるかも?」と感じ始めたら、徐々に減量していけば止められるもん、睡眠剤。今まで何度もそうして来てるし。まぁ今回のこれは、特に睡眠剤として出されてるわけではなく、いわば「副作用」としての寝つきの良さなので、ちょっと違うんだけど、まぁ止められるのは変わりがないし。それより息苦しくなくなって生活しやすくなる方がわたしにとってはよっぽどいい。てか、息苦しくなくて生きられるのってこんなに楽なことはないよ。それが薬飲むことによって息苦しくなくなるのなら、わたしゃ薬飲む方を選ぶよ、絶対。

てなわけで、この2種類を飲み始めて2週間ほど経つかなあ。漢方薬は1ヶ月飲みつづけなければ効果が判定できないと言うことで、今、評価はまだできないと思う。思うんだけど、なんというか、息苦しさを自覚するためか、頻繁に深呼吸しないと気が済まなくなってたのが、あまり意識しなくなったような気がする。最近は、息苦しいと思って息を吸うとちゃんと息ができる、って感じまではよくなってたんだけど、なぜか息できるはずなのに息苦しさを感じて、だから相変わらず深呼吸の回数は減ってなかったんだよね。それが今は深呼吸の回数は減ってきたように思う。ただ完全に息苦しさがなくなったわけではないし(たまに息苦しいなと思うと気がある)、あと、息苦しさに伴ってひどいと思ってた肩こりや背中の痛みはまだ軽くなったとは思わない。まぁでも頻繁に深呼吸してたときに比べるとこれだけでも格段に楽にはなった。

思うに、わたしは人が飲む1/2~1/3くらいの量で薬の効果があるみたいだ、と前の主治医に言われてたが(だからジプレキサなんて1/5錠のときがあった)、もしかしたらワイパックスは強すぎて効果が出なかったのかもね。とすると、今のわたしにはリーゼ辺りがあってるのかも??と思ったり、、リーゼは弱すぎて過去、全く効かなかった薬だけど。で、きっとあのとき今の主治医は言わなかったが、わたしが「眠れなかった」というのは、ワイパックスの離脱症状と分かってたんじゃないかな~。だから、作用機序が同じ、少し軽めの薬を処方したのではないかと。まぁそれは当たってた、と言えるだろう。あのときわたしが挙げたデパスは作用は強めで効き目は超短時間、セルシンはすごい長時間らしいので、ワイパックスと同等の作用時間、効き目がちょっとワイパックスに劣るのが、ソラナックスらしい。なるほどね。わたしは薬に関してはわたしが「わたしの今の調子はこれこれこうです」と言ったら「じゃあこれで。この薬はこれこれこうでこういう感じです」ってパッと自分で決めてくれる医者の方が頼りがいがあって好きなんだけど、今の主治医とはなんだか、あれこれ話し合って薬を決めてる感じがするので、どうしてもそれが「頼りない感じ」に思えちゃう。でも、まぁ当たり前だけど薬に対する知識はあると思うし、なんというか「頭がいい」感じはするんだよね、あの主治医。ただまだ随分若いので、経験がないというか(って随分失礼な患者だね、わたしも(笑))。あとは、漢方薬がどの程度効いてくれるかだな。

ただ、この薬を飲んでも完全に息苦しさが治らなかった場合、どうするんだろうね~とは思っている。「もう薬じゃ治せない」って言われたし。カウンセリングやだし。どうなんのかね。

【現在の処方】
朝、晩:半夏厚朴湯、アルプラゾラム「サワイ」0.4mg×1錠
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11-13 Fri , 2015
ハードディスク入れ換え(備忘録)
わたしが初めて自分のPCを買ったのは学生時代で、それはインターネットをするためだった。高校生の時に既に家にはPCがあったのだが、当時のPCは使い方がよく分からず、ただBASICで円が描けて「わー」とかそういう世界だったし(逆に言うとわたしはそれくらいしかできなかった)、ゲームするにもテープ(カセットテープ)を読み込ませる時代だったし、それどころか、雑誌には機械語でゲームのソースが書いてあり(単なる数字の羅列)、それをチマチマ打ち込んでからゲームをするという、今から思うと信じられない世界だったのだ。うちのPCはほとんど「ワープロ」、一太郎を使うことしかPCらしいことはしてなかった。パソコン通信は当時からあるとは知っていたが、なんせお金が無い高校生だし、金がかかるので親には到底「やってみたい」とは言えなかったんだよね~。

ところが院生の頃からネットが盛んになって来て、最初は学校でやってたんだけど、次第に「家でやってみたい。チャットやってみたい」みたいな感じで、初めて買ったのは133MHzのノートPCだった。その当時で30万で、それでも結構安い方だった。それから2年前まで一貫してノートを使ってたんだけど、その理由は「家が狭いから、デスクトップを置くスペースがない」という理由でしかない。今は2人で住んでるからそれなりに広いし、ノートより断然安くてスペックも高いデスクトップにした方がいいよねってことで、今から2年ほど前だったかに初めてデスクトップにしたのだ。だいたいその前のノートPCは使ってるうちに画面が写らなくなって、それが保証期間が過ぎた直後だったんで無償で直してもらえなくて。だからモニタを買って接続して、そうするとキーボードも必要なのでキーボードも別につけて、ほとんどノートPCみたいじゃない状態だったんだよね、既に。初めて買ったデスクトップの機種はLenovoのThink Centre M93p SFF proってヤツだが、正直、中身のことはあんまりよく考えずに買ったんだよね~。だったんで、デフォルトのDVDがROMで、買った後に気が付いて「しまった」って思った。

しかも使ってるうちになーんか動きが遅くなってきたので、メモリを増設。ここからが始まりだった。今までノートPCもメモリは増設したことがあるし、そういうものをいじるのはそんなに抵抗感はないのだが、不思議とPCは自作しようと思ったことはなかったんだよね。まぁ自作しても大きすぎて部屋に置けない、というのがあったのだけど。ノートのメモリ換装は別に全部開けて基盤がバッチリ見える、みたいなものではなかったから、そう抵抗感はなかったのだが、逆にデスクトップは開けたら中身が全部見えるので、わたしにとっては結構事前のハードルは高かった。だけど実際にやってみたらメモリの増設は簡単だった。あらかじめメモリ増設の解説してあるサイトを探しておいて、なるほどね~みたいな感じ?ちなみにメモリ自体はいろいろ種類もあるし、ヨドバシに行って機種の名前を言って「これに合うもの」と言って買った。バルクにするかどうか、すっごく迷ったが、まぁ掛けだと思って安いバルクのメモリにした。PCを開けるときは「どうすればいいんだ?」って思ったけど、この機種って開けるの本当に簡単にできてて、ネジも手で回せるほど大きい。

開けたとき、思ったよりも中にホコリがたまっててびっくりした。もしかしたら動きが悪かったのはこういうのも原因だったかも知れない、と思った。元々キーボードの間のホコリを取るためにノズルからシューッと空気が出てくるヤツ(なんて言う名前なのか知らない)は持ってたので、それでシューッとしてホコリを吹き飛ばしたりした。メモリはそんなわけですんなり換装できた。

次はDVD。やっぱROMは使いづらかったので、RAMに替えた。DVD-RAMって結構安いのね。これも事前にいろいろDVDの入れ替え、というサイトを探してやり方を調べた。最近は親切な人がいて、調べたら結構簡単にやり方が出てくるので、本当に有難い。ケーブルがIDEかSATAかどうか事前に調べて、ってことだったのでPCを開けてみたけど、SATAケーブルだったです。まぁ今どきのPCはほとんどSATAらしいが。

これもやり方は簡単だった。といえども、サイトで説明してあった自作のPCにDVDを組み込む、というよりも、このLenovoのPCはネジも何もいらず、逆に「あれあれ、違うぞ?」って感じで最初はちょっと恐る恐るだったんだけど、なんとなく視覚で「ここをこうすればいいの?」って分かるようになってるので、それが分かればネジで止めることもなく、本当に簡単にできた。自作の場合はDVDを入れ換えるときに前面からDVDを取り出すのが一般的みたいなんだけど、このThink Centreのわたしのは前じゃなくて後ろ側から取り出すみたい。それが一番「これでいいのかなあ?」って迷ったところだった。でも逆に言うとそれだけだった。

それに気をよくして今度はハードディスクも入れ換えることにした。といっても、実際のところ、このPCって250Gしか用量がなく、その9割近くをもう使ってたのね。ノートPCのときは容量が足りないなんて思ったことは一度もなかったのだが、今のPCはほとんどが画像データだと思う。高尾にゃんとばこの画像を撮ったらほとんど全部PCに写してるし、同じ画像もいろんなところに重複してあったりするので(バックアップいろんな方法で取ってたらそうなった。Dropboxからのとか、iCloudからのとか。まぁ同じのが何枚あってもいいの。ファイルが壊れたときのことを考えると)、それが多分かなりの容量なんじゃないかな。自分の使っているPCの名前で検索して、ハードディスクを増設した人のブログがでてきたので「なるほど」と思い、まずはハードディスクを買った。今度はネットで買った。2Tとか3Tとか売ってたんだけど、やっぱそれなりに高いのね。ハードディスクって。DVD-RAMの値段の数倍はする。まぁ元々250Gだったんで、1Tでも4倍になる。まー、しばらくはそれでいいかな、ってことで、Amazonだったかで「WD HDD 内蔵ハードディスク 3.5インチ1TB Black WD1003FZEX」ってのを買った。あとはSATAケーブルも。参考にさせてもらったブログにはそれが必要だって書いてあったんでね。SATAケーブルは6Gbのに。ハードディスクは6Gb対応だしって、本当はマザーボードが6Gb対応じゃないとそこまでの速度は出ないと言うことらしいのだが、あとでマザーボードが何か、仕様書見て6Gbに対応してるって分かった。こういうのをいろいろ調べると知らないうちにPCの中身が分かってくるのね。

で、いざモノが届いて「さて、入れるか」と思ったら。わたしのPCには増設スロットがない。「あれ???」って思ったら、その人が持ってたのはミニタワーで、わたしのはスリムタワーだったので、増設スロットってものがないヤツだったのね。ってことは、増設じゃなく、ハードディスクを入れ換えないとダメなんだってことが分かった。そこからまたネットで「どうすりゃいいのよ?」って調べたら、古いハードディスクを新しいハードディスクに丸ごとコピーする「クローン」ってものを作れば、簡単にハードディスクの入れ替えができる、ただし、クローン作ってもうまくブート(起動)できないときもあるけどね、ということが分かった。ブートできないとなると、その対応はわたしはやり方を見ても理解できない(そこまでPCの内部には詳しくないので)。なのでそうなったらやっかいだなと思ったのだが、とにかく今のハードディスクの9割以上は消費してしまってるので、遅かれ早かれハードディスクは大きいものにしなくてはならない。しかもハードディスクはもう新たに手に入れてしまったのだし。

ということで、とにかくやるしかない。

しかし、クローンを作るってどうやってやるの?ってまず思った。クローン作成のためのソフトは無料の「EASEUS Todo Backup」が良さそうだったのでそれを使うとして、どうやって新しく買ったハードディスクを繋げばいいんだ、と思ったけど、よく考えたら外付けHDDのような形で外付けでくっつければいいのよね。ってことで、こちらの方はヨドバシにわざわざ買いに行きました。ネットでもいろいろ見たんだけど、イマイチ何がいいのかよく分からなかったし、価格.comなんかで一番安いの探しても、今まで買ったことのないところから買うのはなんとなく抵抗感となんかめんどくささを感じたし、それにこの手の製品って思ったほど高いのね。HDDケースにすると4000円くらいする。なので実際店頭に行って、いろいろ見て自分が一番いいと思ったのにしようと思って。

ヨドバシでいろいろ見たんだけど、その中で「オウルテック 2.5インチ/3.5インチSATA HDD用アダプタ ACアダプタ付 SATA⇒USB3.0 USB3.0 新IC UASP対応 ガチャポンパッ!でデータ移動 OWL-PCSPS3U3U2」ってのにした。アマゾンの値段よりヨドバシの方がちょっと高かったかな~。まぁそれでも2000円台で買えた。

家に帰って早速PCと接続。まずはハードディスクのフォーマットから。これも検索して分かりやすく書いてあったサイトに書いてあったとおりにしたの。コンパネから管理ツールに行って、コンピュータの管理→ディスクの管理、ね。しかし書いてあったようにすんなり行かず、いくら経っても「新しいスパンボリューム」ってところが有効にならない。でもPCの作業するときはいつも思うけど、カリカリしちゃいけないんだよね~。カリカリして無理矢理どうにかしようとすると、いつもひどい目に遭う。今のPCになってから、何をどうしようとしたのか忘れてしまったけど、一度、無料のソフトをダウンロードしようとして変なところをクリックして、変なソフトをダウンロードして変なウイルスもらってきてしまったことがあった。他のところに変なことはしないウイルスらしかったが、調べたらレジストリを書き換えられてしまうもので、そこを書き換えれば元通りになるらしかったが、そこを書き換えて元通りにしたとしても、なんかすごく気持ちが悪かったので、一回、すべてデータ消して最初からインストールし直したことがある。イライラしているときはあまり説明を読まずに目に付いたものをクリックしちゃうから気をつけなきゃなあって、そのとき思った。のに、やっぱりカリカリするといろんなことをしてしまうみたいです。

今回はWinの(あ、ちなみにわたしはWin7です。Win7なんだけど、32ビット版という。。これもよく調べて買わなかった報いですわ)中の話なので、変なことにはならなかったものの、結局あとから考えてみるとなんだかすぐにはそれが有効にはならなかったみたい。あるときひょっと見たら「新しいスパンボリューム」が有効になってて、それで無事にフォーマットすることが出来た。てか、フォーマットするだけでいろんなことがあり、、前途多難。

その後、先ほどの「EASEUS Todo Backup」を動かしてみた。なんかすっごい早さでクローンができたみたいだったので「もうできたのか」と思い、しかし、バックアップディスクを作った方がいいというので、ついでにこれも作る。DVDをRAMにしておいて本当によかった。ハードディスクを入れ換えた。これもネジなしで入れ換えることが出来る。簡単だった、と思ってスイッチをONにする。あれ。BIOSがうんたらかんたらと言っている。どうやら「起動ディスクがない」というのと「起動ディスクを探してます」って警告が交互に出るようで。。「F1」を押してBIOSの内容を見てみる。というとBIOSの使い方分かってそうだけど、実は全く分かりません(笑)ただ、BIOS上の「System Summary」からハードディスクを認識しているかを見たら、ちゃんとハードディスクは認識してるみたいだった。その程度のことなら分かるんだけどね。

で、ここで先ほど作ったバックアップディスクの出番だ!と思ったんだけど、確かに何か動いて画面が出てきたけど、わたしはここで何をどうすればいいのかさっぱり分からず。終わり方すら分からない。「あー、他にもうやりようがありません」と運を天に任せる気持ちでそのままスイッチオフ。怖いよね~、これ。BIOSってどうやって終わらせたらいいんだろう?これでPCがいかれたら目も当てられない。まぁ運がよく、壊れたりはしなかったけど。

「おかしいな」と思い、まず、ハードディスクを古いものに入れ換えた。もしかしたら新しくした6Gbのケーブルが原因だったりして?って思ったのだが、特にそれは問題がなかったようだ。で、先ほどの「ディスクの管理」でクローンが出来てるはずの新しいハードディスクの中身を見てみると。何も入ってない!クローンが出来たと思ってたけど、あの時間の短さは何もやってなかったんだと言うことが分かった。てか、できたあとはこうやって確認しないとあとでえらいことになる、ということを一つ学習した。

それからクローンを再度作ろうと「EASEUS Todo Backup」を動かす。使い方を書いたサイトもいろいろ見てみる。最近はこのソフト、日本語化されてて随分見やすくなったのだが、なかなか最新のバージョンのことを書いたサイトがなかった。で、動かして分かったんだけど、エラーが出るのね。最初のはすぐにエラーが出て終わっちゃったことが分かった。サイトにいろいろコメントが書いてあったんだけど、やっぱりエラーが出て止まるって書いてある。どうやら読み込み先に不良セクタがあって、それがあるとエラーが出てしまうみたいだ。その場合はWinのメニューのコンピュータから目的のハードディスクドライブを選んで、そこでプロパティ、ツールタブからエラーチェックをすればいい、って書いてあった。なので、これをしてみる。そして再度クローン作成へ。

次はいいところまでいったかと思っても、やっぱり途中でエラーが出る。何回も何回もエラーが出る。そのうち突然ソフトから「再起動します!」みたいなことを言われ、「再起動ヤだ」と言いたかったんだけど、そうするしかなかったので再起動をした。するとうまく立ちあがらずに今度はリカバリーみたいな画面が出てきて、それからどうするの?状態。このときもその後どうやって正常にPCを終わらせたらいいのか分からなかったので、運を天に任せてスイッチオフ。こういうのが一番怖い。。(考えると結構めちゃくちゃやってる)

毎回同じエラーなのかと思い、再度クローン作成。エラーが出たら書き留める。エラーの内容は「0x1760E077書き込みに失敗しました」って書いてあった。書き込みエラー?読み込みじゃなく?ってことは、読み込み先ではなく書き込み先に不良セクタが??ってことで、今度は同じ方法で新しく買ったハードディスクのエラーチェックを。これでまたクローン作成へ。今度は1時間以上動いて一番大きいパーティーションの内容が全部コピーできたみたいなのに、最後のパーティーションの途中でまたエラー。そういえばこっちのパーティーションの方はエラーチェックしてなかったと思ったのでやったりしたんだけど、なんかうまくできない。「EASEUS Todo Backup」はエラーがすぐ起きたあとに再度動かそうとしても、それ以降はちょっとするとすぐにエラーになっちゃって最後まで動きそうにない。そこでやり方が書いてあったサイトにコメントがたくさんついてるのを発見して、他の人はどうなんだか読んでみた。その中にやっぱりエラーが出てクローンが作れないと言ってた人がいた。その人に対してそこの管理人さんは「自分だったらHDDの検査ツールで検査する」って書いてあったので、HDDの検査ツールを探す。どうもWinに付属しているエラーチェックツールは弱いらしい。そこで探し出したのが「FromHDDtoSSD」。

これ、不良セクタに対してはかなり強力みたいなのだが、不良セクタを修復するモードってとっても時間がかかって、なんか27時間くらいかかるって書いてあったので、だいたい今まで使ったことないハードディスクにそんなに困難な不良セクタはないだろうと思って、普通モードで完全スキャンした。これ、複数のドライブもいっぺんにやってくれるみたいなので、今まで使ってた古い方のドライブもチェックして。終わるまでに6時間以上かかるみたいだったので、わたしはそこでお休みなさい。寝てる間にPCは働いてね、って感じだった。

で、朝になって起きたら終わってて、特に問題がなさそう。ていうか、正直「これでダメだったらどうすんだよ」って思った。まぁ、セクタバイセクタにチェック入れずにクローン作ってたんだけど、それにチェック入れる方法がまだあるよなあとか、ダメでもいろいろまだやる方法はあると思ってたけどね。

最後のクローン作成はもう祈るような気持ちだった。前日はエラーが出るまで最長で2時間後くらいだったが、今回は進度がすごく遅くて、4時間以上かかった。進み具合が分かる棒グラフみたいなのがあって「ここまで出来ましたよ」って少しずつ左から右へ色が付いていくのだが、見てたら前日は2分に1回くらいの頻度でちょっとずつグラフが進んでたにかかわらず、今日は時間を計ってみると6分に1度しか動かないときがある。ハードディスクに接続しているコネクタは緑の点滅してて、動いてるというのは分かるんだけど、グラフがなかなか動かないと途中で飛んだのか、と思ったりして。ホント、最後までヒヤヒヤした。

しかし、何がよかったのか、時間を掛けて不良セクタをチェックしたのがよかったのか、単に運がよかったのかは分からないけど、ついに最後まで進んでクローンが出来た。ただ、前にそのまま入れ換えて失敗したので、今回は慎重に。まず、ディスクの構成でちゃんとコピーできてるかどうかを見る。コピーは出来てるけど指定してなかったのに未指定のパーティーション(容量は少なかったんだけど)が出来てて「なにこれ?」って感じだったのと、ボディーとなるドライブに「ブート」って書いてなかったのが気になった。けど、これについては何がどうだったらいいのか調べてもよく分からなかったので、結局はまぁ一応コピーは出来てるみたいね、ということしか確認が出来なかった。

ハードディスク入れ替えのためにPCを開けること3度目。3度目はもう慣れたもので(笑)。でもスイッチを入れてちゃんと動くか、そこのところは本当にドキドキものだった。だってうまくコピーできても動かなかったら、今度はどこをいじればいいのか、それはわたしの理解を超える分野だからだ。

しかし、結局のところ、そこまで心配しなくてもよかった。ハードディスクを入れ換えただけでちゃんと起動した!わー、すげー嬉しかった。そして、未指定に区切ってあるパーティーションが気になったので、最後に「AOMEI Partition Assistant Standard Edition」という無料ソフトをインストールして、それで結合。やり方はとても簡単だった。未指定のパーティーションを「結合」にして結合先を指定、それから「適用」を押すだけだった。

「AOMEI Partition Assistant Standard Edition」もそのためにわざわざ調べたんじゃなく、クローン作成をするときにうまくいかなかったので、いろいろ調べていた最中に知ったソフト。まぁ今回のクローン作成のために、2つのソフトを補助的に使った、ということになる。

これでハードディスクの容量のことで「もうすぐいっぱいになっちゃうからどうしよう」ってヒヤヒヤしながら使わなくて済むようになったので一安心。しかし、おそらくハードディスクを換装しちゃったので、メーカーの保証は効かなくなっちゃったよね。。まー仕方ない。

結局今回時間がかかったのは、クローン作成のときにエラーが出て作成できないってことで、それは何種類かのディスクのエラーチェックを繰り返したからだった。根本的に相性が悪いとか、ブートできなかったとか、そういう問題ではなかった。やってみれば極めて単純な問題だったけど、やってる途中は本当にこれでいいのか、この方法がダメだったら他にどういう方法があるか、それをネットで探し歩いた。探せばまぁ、親切に説明してくれるサイトがいくつかあって、本当にそういう人、有難うございますって感じ。

ただ、デスクトップって本当に自分でバージョンアップさせたいと思ったらできるんだね~。いろいろ調べながら「あー、こういうこともできるんだ」と思ったりしたので、今度新たにデスクトップを買うときは、普通にタワー買っちゃうかも。

まぁ次にハードディスク換装するための備忘録でした。
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11-15 Sun , 2015
まだまだハマってる朝鮮語
半年に1度くらいしか朝鮮語のこと書いてないけど、実はまだ続けてる。去年の4月に始めてから1年半と少し。前の前の日記には、

で、来年の今頃はまた「騙されてたーーー!」って日記書いてるかも知れない(笑)

って書いたし、その前の日記にも

今後辞書を使えば「英語と同じ感覚だ」ってなって、嫌いになっちゃうじゃないかって不安がとても大きい。ああ、そんなことになりませんように。

なんてことを書いている。わたしには中学・高校の「英語嫌い」と大学時代の第二外国語で取った「ロシア語」の影響で「語学は自分に向いてないし、習ったらわけ分かんなくて絶望的な気分になる」という「決め付け」みたいなものが自分の中にまだあるのよ。だから、今はまだいいけど、いつか絶望的な気分になるんじゃないかと脅えているところがある。一番上の例で言うと、あのときからまだ約半年しか経ってなく「来年の今頃」にはまだなってない。だから、来年の今頃、すなわち来年の3月頃はそう思ってるかも知れない、まだそう思っているところがある。

しかし実際のところ、朝鮮語に対してはまだまだハマり続けている。辞書買って単語を調べ始めても嫌な気分にならなかった。嫌な気分にならないどころか、英語だと例えば単語の途中で「r」という文字があったとして(例えば「sovereign」とか)、そうすると「r?rってどういう順番だっけ、えーと、a、b、c、d、e、f、g、、、(頭の中でアルファベットの歌を歌う)」って未だにやらないと分かんないことがあるわけ。「それはお前がアホだからだ。何年間英語を勉強してたんだ」って言われると確かにそうなんだけど、どうしてもアルファベットの順番がすぐに出てこない。nはrの前だったか、後ろだったか、とか、sはmの前だったか後ろだったかとか。それが朝鮮語の場合はとても簡単に順番を覚えられるのだ。朝鮮語の辞書の母音の基本的な順番は「ㅏ→ㅓ→ㅗ→ㅜ→ㅡ→ㅣ」の順番なのだが、中には「ㅐㅔㅒㅖ」とか出てくる。でもこれらの順番まで入れて覚える必要はないのだ。その中の文字に基本「ㅏ」の文字が含まれていたら、その文字(ㅏ)の次を見ればいいから。

要するに「ㅐ」は「ㅏ」+「ㅣ」と考えられるので、「ㅏ」の次を、「ㅔ」は「ㅓ」+「ㅣ」と考えられるので「ㅓ」の次を見てみれば出てくる。「ㅒ」「ㅖ」も基本的には同じだ。「ㅒ」の文字は「ㅑ」+「ㅣ」だけども、「ㅑ」は「ㅏ」より一本棒が多いから「ㅏ」の次にあるのだ。ここでじゃあ「ㅐ」と「ㅒ」はどっちが先に出てくるかというと、「ㅐ」の方はあくまでも「ㅏ」が基本なので、こちらの方が先だ。

それに「ㅏ→ㅓ→ㅗ→ㅜ→ㅡ→ㅣ」の順番だって、「ㅏ」と「ㅗ」は陽母音、「ㅓ」と「ㅜ」が陰母音、ということさえ覚えておけば、縦長の陽母音のあとに縦長の陰母音、次も同じで横長の陽母音(ㅗ)のあとに横長の陰母音(ㅜ)、「ㅡ」「ㅣ」は両方陰母音だけども、「ㅜ」(ウ)の後は似てる読みの「ㅡ」(ウ)だと思えば(日本語と違い朝鮮語の「ウ」の発音は2種類あり、「ㅜ」は日本語より唇を突き出した「ウ」なんだけども「ㅡ」は唇を横に引っ張った状態で発音する「ウ」。日本語の「イ」の発音の口で「ウ」って言うような感じ)すっごく覚えやすいんだよね。覚えるというか、直感的に分かるって感じ?こういうところが実に合理的なの。

子音についてもよく「カナタラ~(ㄱㄴㄷㄹ)」って言うけど、最初の方はそれでいいとして、一番迷うのは「ㅈ」が「ㅅ」より前だったか後だったかなんだけど、わたしは「ㅇ」の前にあるのが「ㅅ」で後が「ㅈ」とだけは覚えてる。なぜ「ㅇ」を基準にしているかというと、「ㅇ」が出てくる文字が結構たくさんあるのよ。辞書で探してる最中「ㅇ」によく突き当たる。だから、それを知らない間に基準にしてた。

ただし、だからといってこれで全部すんなり辞書を引けるかどうかと言うとそうではなく。中に「ㅢ」とか出てくると「どっちを先に見ればいいんだっけ?」って迷うことはある。けど、順番の規則性を考えるより適当に探した方が早いので(あんまりこの手の文字が出てこないってこともある)そういう文字が含まれてたら適当に探す(笑)

要するに英語と違って文字の順番を「記憶のみ」に頼ることが少ないから、わたしには合ってるんだと思う。わたしは分からないものを分からないながらも丸のままに覚えるのがとても苦手。ただ、理屈を理解するとすんなり覚えられる。だから数学の公式なんかもそうなんだけど、っていうか、ああいうのはあまり「公式」として覚えようとは思ってなかった。しかし、理屈さえ覚えていれば公式は覚えなくても導けるんだけどね、ということをこの間会った人たちに話したところ「理系の人からはそう言われるんだけど、そもそもなんでxはxなんだかよく分からない。だから公式は分からなくても丸々暗記するんだ」と言われ。。確かにそこんところが分からなければダメなのかな。「x」って「何か分からないけど、まぁこういうのがあるはずです」みたいな感じだけどね。自分が知りたいもの、分からないもの、問われているものを「x」とする。そしてその分からないものがそこにあるようにして扱って式を立てる。すると式さえ導ければあとは四則演算等で計算してやれば、自然に分からないものが出てくるのよ。だから一度「x」の概念を導入すると、その前のそれを使わなかった時代(小学生の算数)の文章題は「x」を使わなければ解けなくなる。そんな感じなんだけどな、、、って話が逸れた。

4月からはクラスが1つ上がって初級の上、みたいなクラスになってる。ここでのメインは「下称形」と「間接話法」なんだけど、間接話法といったら「誰々がこれこれと言ってます」みたいな感じだったじゃない、英語では。でも朝鮮語の間接話法ってそうじゃなく、とても幅が広いみたい。「○○という△△」みたいなのも間接話法に入るんだって。要するに「富士山という山」みたいなものも「わたしは○○(名前)と申します」というのも間接話法の中に入る。「下称形」というのは、一般的に言うと「である」体のことで、小説や本、新聞なんかはこの文体なんだそうだ。今まで1年間やってたのはずっと「上称形」で、これは「ですます体」のこと。朝鮮語はこの「ですます体」が更に2つに分かれて「합니다体」と「해요体」に分かれる。あとはいわゆる「タメ語」の「해体」というのがあるはず(これはまだやってない)。で、なんで「下称形」と「間接話法」がセットになってるかというと、間接話法を使うにはまず文を下称形に変えられなきゃだめだかららしい。

あとは「기」とか「게」を用言につけて体言化(~すること)したり副詞化(~く、~に)したりする表現を主にやってるのかな。

わたしは元々、朝鮮語を始めたいと思った直接のきっかけがinstagramで猫を飼ってる韓国の人と繋がって、その人たちとコメントのやりとりをしたかったからなのだけど、そうすると「読む」「書く」ということが中心で、「聞く」「話す」はほとんど関係がない。それに書いてある文章の文法を分析して読む、ということの方がわたしは好きで、英語の時もそうだったけど、英語の場合はその文章の「構文」をまず分析してからってことをしてたので(これは大学受験勉強の影響がとても大きいと思う)朝鮮語もそういう方が慣れてると思うの。しかも、韓国ドラマとかK-popは全く興味が無いので、まず「聞く」ことがない。そして「読む」ことは音の変化もあって超苦手。未だに母音の読み方が違って先生から注意されるほど。。(トホホ)

授業は毎回、聴き取りから始まるんだけど(今やってるような内容ではなく、去年やってたような簡単な内容)これが聴き取れなくてね~。他の人たちは韓国ドラマを見ているからか、とても聴き取れるの。ていうか「なんでそんなに聴き取れるんですか?」って聞くと「ドラマを見てるからね~」って言われるの。確かに耳をそういうのに慣らさないと聴き取りってできないんだろうなと思ったんだけど、ドラマは興味がないから無理に見ることはできない。そこで考えたのが韓国のテレビとかラジオのアプリ。これ、探してみると結構あるのね。24時間ニュース専門とか。わたしは主に「KBS World Radio」または「KBSWorldOnair」というアプリでラジオを聴いてる。ダウンロードしたときはデフォルト言語が英語になってるけど、それを한국어にすると24時間放送が韓国語になる。それ以外にも「YTN」というニュース専門テレビのアプリもある。こっちの方は「字も付いてるよ」と教えてもらったのでダウンロードしたのだが、今のところまだどこに字幕が付いてるのか発見できず。少なくとも同じ画面ではないような気が。やはりすべて韓国語で書かれるとわけ分かりません。「設定」画面にしようとするとアプリ自体がすぐ落ちるので設定画面で何を設定するのかすら分かんないし。ドラマは会話だけど、ニュースは会話じゃないし、内容は結構難しいと思う。だけど、耳を慣らすために取り敢えずダウンロードして聞いている。それに先生によれば、ニュースは難しいようで案外「漢字語」を多く使われているので、日本語話者にとっては聞き取りやすいんだとか。確かに日本語でも難しい言葉は漢語になるよね。「取る」だって「取得する」になったり、「持つ」だって「所持する」になったりするもんね。確かに「取得する」「所持する」の方が一般的には硬くて難しいとされている言葉だけど、それを知っていれば、朝鮮語にもそれを流用できることが多いのかも知れない、ってことになるよね(と言いつつも、わたしもそこまで難しい単語を知っているわけではないので当然聞き取れはしないが。でも発音がなんだか似てて知らない単語でも「あれ?もしかして?」って思うことは少しだけあったりすることもある)。

ただ、ニュースでも分かるのは語尾だけ、ってこともよくある。さっき書いた体言化の「기」を使った「기 때문에(~のために、~のせいで)」という言葉は既に習ったのだが、これ「だけ」聴き取れることがよくある。しかしその前の言葉がわからないので「なんのために」なのかよく分からない。。「는데」(~なんですが)とかもそう。何が「~なんですが」かの具体的なことは分からないけど「なんですが」って言ってるなあ~とか。「부터~까지」(~から~まで)もよく言われる。でも何から何までかはよく分からない。。ちなみに「부터」は時間や順番に使われて、場所(例えば「ソウル駅から」とか)には別の言葉を使う。でもそこだけ聴き取れても具体的な意味がさっぱり分からないので、ストレスが余計にたまる(>_<)

あと聴き取れないのは数字。これは授業の中の聴き取りでもそうで、だからそれを克服したい!って思うんだけど、今のわたしはニュースの中でも数字の部分は「あ、これ、数字言ってる!」ってのは分かるのよ、なぜか。だけどそれが具体的な数字として頭に残らない。それに朝鮮語というのは連音化によって発音が変化しちゃうことが多く、例えば「100ウォン」だと、朝鮮語で書くと「백원(百ウォン、一文字一文字で発音すると、pek-won)」、これを連続して発音すると「배권(pegyon)」になっちゃうのよ。なぜかというと「백」の「ㄱ」が次の文字の「ㅇ」のところに入ってしまうのと、「ㄱ」の発音は語中に来ると濁っちゃうから。そうするとわたしの耳には全く知らない言葉のように聞こえてしまうのだ。まだ次に「パーセント」が付いた方が分かりやすい。パーセントは最初の子音が「ㅍ」だと思うので、これは連音化しないから。数字自体についてもこのことが言えて、例えば漢数詞「11」は「십일(십が十、일は一、一文字一文字発音すると、sip-ir)」なんだけど、これを発音すると「시빌(sibir)」となる(ㄹの発音については前も書いたけど、rなんだかlなんだかよく知りませんので適当な表記です。でもそういう類の発音にはなる)。ひどいのは「6」で、語頭の「6」だと「육(yuk)」だけど語中に来る場合の発音は「뉵(nyuk)」になっちゃう。日本語で電話番号をいうときは「ゼロサン サンハチロクイチ ロクイチゴウハチ」(数字は適当だからね!)って「6」はどこに来ても読み方は「ロク」だけど、朝鮮語だと「サンハチロクイチ」の「ロク」と「ロクイチゴウハチ」の「ロク」は違う読み方になる。これは鼻音化の関係だと思います。まぁ規則的と言えば規則的な発音のうちに入るけど。あと「16」とか「26」とか「十六」関係の発音はそれに加え更に鼻音化がもう一段階起こるので、ますます分からなくなる。「십육」の読み方が「심뉵(sim-nyuk)」だからね。

これに助数詞「日」がついて、例えば日付の「11日」なんかは「십일 일」(일は漢字の「日」でもある)になり、これを発音すると「시비릴(sibirir)」、要するにわたしの耳には「しびりる」と聞こえる。だからいくら11を「しびる」と覚えたとしても後に付く助数詞(上の説明で言うとウォンとか日とか。日本語も助数詞たくさんあるよね。本とか個とか)によってまた受ける印象が違って来ちゃうのだ。一番難しいのはさっき出た「十六」関係だけど、例えば「16日」は「십육 일(一文字一文字を読むと、sip-yuk-ir(=しっぷ ゆっく いる)」だけど、読み方は「심뉴길(=sim-nyugir=しんにゅーぎる)」になって「しっぷ ゆっく いる」とは全く別物。「しっぷ ゆっく いる」を早く読んで「しっぷゆっくいる」にしたとしても「しっぷゆっきる」くらいにはなるかも知れないが、絶対に「しんにゅーぎる」にはならない。だからもう「しんにゅーぎる」=「16日」って覚えるしかないのかなと。でも多分、別の助数詞が付くと全く分からなくなるな、これは。ちなみに「12」は십이で「しび」なんだけど、これが「12日」になると「십이 일」=「しびいる」で、「しびりる」の11日との違いが聞き取りにくい。。ということになる。日本語の発音で言われると分かるけどさあ。朝鮮語だったら分かんないわな、その違い。結局わたしはこの違いはまだ聴き取れてません。つい先日11日と12日だったので、ニュースでは随分この日付を言ってたような気がするけど、何が何だか分からなかった。それに、正解が何であるか分かるわけもないので、そこのところは聴き取れたとしても本当に合ってるかどうかは分からない。それが日本語字幕が付いてる韓国ドラマとの差かなあ~。

ただ。日本語では、助数詞に数字が付くと数字の読み方と助数詞の読み方、2つが変わってくるよね。例えば「一本」「二本」「三本」の読み方はそれぞれ「いっぽん」「にほん」「さんぼん」だ。「一」=「いち」と習っていても「いっ」になったりするし、「四」は「よん」って読むときもあるし、ものによっては「し」って読むときもある。「本」は基本は「ほん」という読み方だけど、付いてくる数字によっては「ぽん」や「ぼん」って読むことがある。まぁそういうのと似てるってことだよね。おそらく日本語を習っている人たちにとっては「なんじゃこれ!日本語ってこうなんだよ!!難しいよね!!!」って言いたくなるだろうな~と想像する(笑)日本語については考えたことがないんだけど、朝鮮語のように読み方に規則性はあるんだろうか。。でも「一日」(ついたち)「二日」(ふつか)「三日」(みっか)などを考えると規則性なんかない気がするんだが。それともこの読み方は「例外」なのかな?だいたい「一日」のどこまでが「つい」でどこからが「たち」か分かんないや。もしかすると「つ」「いたち」かも知れないし(まさか)。しかもだからといって「日」が「たち」と読むかというと、そんな読み方をするとは言えない気が。日本語を教えてる人はこういうこと、どうやって教えるんだろう?わたしが日本語を勉強していたとしたら「なんで一日は『ついたち』って読むのに、日は『たち』って読まないって言うんですか!ここで『たち』って読みがあるじゃないですか。なのになんで辞書には『たち』っていう読み仮名が書いてないんですか??」とか先生に聞きそう。。(調べてみたら「日」の読み方は「ニチ、ジツ、ひ、か」だそうです。。)多分、こういう理屈で考えても分からないことがあるから、わたしは語学が嫌いなんだと思うね。

ところでここで一旦話が逸れるが。今、読んでる本の中に「ゲーテは『外国の言語を知らない者は、自国の言語を理解できない』と言った。」と書いてあった。あ、これ別に語学関係の本ではないんだけど。そしてわたしは上に書いたように朝鮮語を勉強しながら、日本語のことをよく考える。これって英語を勉強していたときは全く考えたことがなかったんだけど。あまりにも言葉の構造が違い過ぎるので比較するとかしないとか思ったことがない。あとそれと「考え付かなかった」というのはあるかもね。若すぎて。例えば文章の構造の違いから思考の方向性の違いを考えるのは結構楽しいことなのかも知れない。主語が絶対にないといけない言語だとか、動詞が主語のすぐ後に出てくる言語だとか、名詞が女性名詞や中性名詞、男性名詞に分かれてる言語とか、どれも日本語の構造とは違っている。「そんなに性が大切なことなのか?」とか「なぜ男性名詞と女性名詞だけでなく中性名詞まであるんだろうか」とか、そういうことを考えるのは面白いことなのかも知れない。そこで「その言語を話す人たちの特徴」なんか分かるのかも知れない(一歩間違えると「●●は△△だ」と決めつけそうで怖いが)。きっとゲーテは幅広い意味で言ったんだろうね。言語ということだけではなく。思考回路という意味で。しかし、わたしは言語だから言語のことだけ考えている。そうすると日本語を勉強している人はこういうこと考えて話さなきゃならないのか~、結構めんどくさいのね、とかそんなことを思う。

日本語を勉強している人が日本語を勉強する上で「て形」ってものを教わるんだと調べて知った。「書いて」とか「買って」とかの「て」なんだけど、その前の文字がいくつかの種類に分かれるらしく「書いて」だったら「い」とか「買って」だったら「っ」とか「読んで」だったら「ん」とか、そういうことらしいんだけど、その説明を読んでてウンザリした。難しすぎる。どこやらの文字が何行(あ行とかか行とか)だったら「て」が付く、とかそんな感じだった。覚えるのがめんどくさすぎる。日本語を勉強している人は、そんなことを考えながら話してるのか、そんなことを思った。まぁでもゲーテが言ってることは合っている。わたしは朝鮮語を勉強することがなければ決して日本語のことだって知ろうとは思わなかったし、日本語を勉強している人の気持ちも考えたことがなかった。閑話休題。

そしてそれに加えて。朝鮮語には固有の数詞もある。日本語でも「いち」「に」の他に「ひとつ」「ふたつ」という数え方があるが、まぁそれと同じようなものなんだけど、日本語だとせいぜい「ここのつ」までしかないのに比べ、朝鮮語の固有数詞は99まである。しかも日本語では「ひとつ」「ふたつ」なんて、ものを数えるくらいしか使わないのに対し、朝鮮語は○時△分の「○時」の「○」、「●歳」の「●」は固有数詞なのだ(もちろんこの他にも固有数詞を使わなければならない助数詞はたくさんある)。日本語の「一つ」「二つ」に当たるものは「하나」「둘」「셋」「넷」、、だが、例えば「1時1分」は「한 시 일 분」(시=時で、분=分)になる。固有数詞「1」は「하나」なんだけど、このように次にすぐ助数詞が来ると「한」に変化する。そのように変化するものは1以外には2、3、4と20。そして。漢数詞は例えば「35」なら「三」「十」「五」と分けられるが、固有数詞は「三十」+「五」になる。要するに「十」(열)「二十」(스물)「三十」(서른)「四十」(마흔)「五十」(쉰)、、、という単語が「九十」(아흔)まであるのだ。だから、朝鮮語では99まで固有数詞で数えられる。で、これを覚えておかなければならないのは、年齢を言うときはこれを使わなければならないから。朝鮮半島において年齢っていうのは、敬語を使う上でとても大切な情報だ。だから、自分より年上か年下かを知るために割と出会ってすぐに年齢を聞かれるとか。なので「少なくとも自分の年齢は固有数詞で言えるように」と先生からずっと前に(固有数詞を習うのは随分最初の頃なので)言われました。。

ただ不思議と、わたしは他の数字は全く聴き取れないというか、いつ言ってるかさえ分からないのに「8」(여덟)「9」(아홉)だけは妙に聴き取れる。なので最近よく分からないけど、(韓国の)高校、8時10分から8時半、ということだけ聞き取れるニュースが何回もあり、始業時間が変わったのか知らん?とか、そういうことを想像してるんだけど、まぁその他のことは何も聴き取れないんだから、本当にこういう状態、イライラするー!ちょっとは分かって嬉しい反面。

数字の読み上げだけをするアプリなんかないのかしらって思って探したんだけど、あったよ、一応。でも助数詞付きではなかったのと、まったく連音化してなくて単独の数字しか読み上げないアプリだったので(日本語で言うと「十」「万」「五」「千」「三」「百」「八」「十」「五」みたいな)これは慣れるとすぐに聞けるようになってしまう。問題は連音化した言葉が聞けることだから、このアプリはあまり役には立たなかった。`

というわけで、本当に意外なんだけど、まだまだちょっとでも朝鮮語が知りたい、聞けるようになりたいと思って、いろんなアプリを探したり、何か分かりやすい参考書みたいなのはないかな~って探したりしている。最近「標準韓国語文法辞典」てのを買いました。やっぱこれから先の勉強は語尾だと思うので。。

そしてこんなにまだほとんど何も聴き取れないのに等しいのに、結構聴くのは楽しい。新しく習った文法、例えばさっき出てきた下称形や間接話法なんかも習うと面白い。英語だったら「もうやだ、、」って絶対に思うはずなのに、それを全く感じないのは多分、日本語にない概念がまだ出てきてないからかなあ。だって「時制の一致」とか「仮定法」とか「過去完了」とか、わたしは本当に嫌いだった。ああ「定冠詞」「不定冠詞」すら嫌いでした。もうね「a」をつけなきゃならないのかとか「the」かとか、分かんないよ、そんなの。そういうのが朝鮮語には一切ない。その点は日本語と同じ。これは本当に気が楽だよね~。ところどころ、動詞のあとに付く語尾と形容詞にのあとに付く語尾が違ったりするけど(しかも動詞と形容詞の区別も日本語とは少し違う部分があるけど)、そういうのはまだ理解できるから。

なのでinstagramにも半年前以上に書けることが多くなってる。てか、本当にそれが正しい韓国語なのかは分からないけど、自分の言いたいことを書いたあとに「韓国語はまだうまく書けないので、意味が分かるか心配です」みたいなことを最後に付け加えると「意味は分かりますよ~」とか「韓国語、上手ですね」とか返事を書いてくれるようになった(笑)ちょっとずつ進化してるようで、それはやっぱり嬉しい(最初は読めもしなかったんだから!)。ただ、やっぱり向こうの人が自分の画像につけてる韓国語は分かんないです。韓国にも「ネット言葉」みたいなのはあるらしいし、わたしはまだまだ文法も知らないことの方が多いからそれがネット言葉なのか、単なる文法を知らないのかも区別が付かない。で、こういうのを自分からわざわざ文法まで調べるようなことはしません。それやるとわけ分かんなくなって朝鮮語自体を嫌いになってしまう可能性があるから。今は習ったことだけしっかり身に付けようと思ってる。それだけでも結構大変なんだから。

というわけで、朝鮮語を習い始めてから1年半ちょっと。今のところはまだ大丈夫そう(笑)聴くことはこれでいいとして、あとは読みです。読むのも苦手。こればっかりは教科書を繰り返し読む練習しなきゃならないんだけど、あまりにも読めないんで一番気が重い。。でもこれも練習しやすいようにいろいろアプリ探してきた。「Audipo」ってアプリを使って最初は早さを0.75倍くらいにしてゆっくり目から練習して、1倍の速度で言えるように繰り返し読むのが一番わたしにとっては楽な方法かも知れない。でも正直あまりやってない。これはとってもまずい。クラスで一人で読まされる場面もあるんだけど、読めないと思うと余計に緊張して読めなくなる(>_<)。クラスは3人しかいないし(1年目の終わりまで4人だったのに2年目になったら1人辞めちゃった)、わたし以外の2人は本当によくできる人たちなので付いていくだけで精一杯。予習・復習はちゃんとやらないと付いてけないので、丸1日やんない日とかもあるけど、でも大抵の日は何かやってる。そう、まだまだやる気はある。

でも半年後くらいに「やっぱり語学は語学だったーーーーー!もうやだーーー!」って言ってるかも知れないとはまだ思ってる(笑)

【追記】ラジオはほとんど聴き取れないので、ここで触れる気はなかったのだが、、確かに「역사 교과서」(歴史 教科書」という単語はものすごい頻繁に聴き取れてて「これはかなり問題になってるな」とは思ってた。が、それ以上のことは残念ながら聴き取れる能力が今のわたしにはない。(日本語のニュースを読んで)わたしは歴史教科書を国定の1つに決めるべきではないと思うし、そういう意味ではデモに参加した韓国市民と意を同じくする。

もう一つ言うと、パリで起こったテロだが、こちらの方はちょっと複雑すぎて。。こちらの方は少し以前にアブドルバーリ・アトワーンさんという人が書いた「イスラーム国」という本を読んだのだが、もしこのテロについて単純に「テロは絶対に許さない」としか思っていなかったら、この本を読んでみることをお薦めする。この人はアラブ人の報道者なので非常に取材が行き届いている。変に情報が偏っていない。この人、殺されたりしないかしらと心配に思うほど。これを読むと(イスラーム国は欧米が生んだ、といわれる)欧米以外のアラブ諸国にもいろんな問題があると分かるし、そして何より思うのは、ここに関わっている国々は誰もみんな平和なんか望んでいないのだ、ということがすごくよく分かる。みんな自国の利益追求(石油、そしてお金)ばかり。なぜ今「イスラーム国」が生まれてしまったのか、そのことをもっとよく考えるべきだし、多分状況は複雑すぎてよく考えても解決方法なんかすんなり出て来っこない。「イスラーム国」自体も、原理主義ではあるが、原理主義ならネット使って情報拡散するなと言いたい。なんでこの部分だけ「現代的」なそれが許されるのか。自分たちにとって都合のいい解釈をするのであれば、それは「宗教を信じている」とは言えないのではないか(こんなこと無宗教者であるわたしになんか絶対に言われたくないと思うけど)。この本で、実は1つ日記を書こうと思ったんだけど(それくらい考えることはたくさんあった)、でも止めたんだよね~。もう図書館に返しちゃったし。約400ページとちょっと厚いが、この問題は少なくともこれくらいの分量がないと説明しきれないくらい複雑なのだ。

Pray for Korea.Pray for Paris.と書くのは簡単だ。だが、わたしはそれをしたくない。第一にわたしには祈るべき神はいないから。それも理由のうちの一つだが、こういう気持ちを書いて発散させるより、書きたい気持ちをぐっと抑えて自分に何が出来るのかを考えたい。人一人ができることはほとんどないのは分かっているけど、でもそれでもあがき続けて考え続けたい。
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11-16 Mon , 2015
子宮体がん検査受けてきた
先月書いた日記で、子宮口にポリープができてるのを取ったのと、ついでに子宮頸がん検査を受けたことを書いた。その結果を聞いてきたのだけど、そのときに子宮体がんの検査もしてもらった。あ、ポリープは悪性のものじゃなく、子宮頸がん検査でも異常なしだった。まぁポリープは前に1回できたものの再発で、1回目に取ったときも「病理に回します。1週間後、検査結果を聞きに来てね」と言われたのだが、めんどくさくて行かなかったのだ。どーせ、何か異常が見つかったら、こっちが行かなくても向こうから連絡来るだろうしね、、で、連絡も何もなかったので異常なかったんだなと思ってたの。だから今回も「多分、悪性ではないだろうな」とは思ってた。まぁでも、前回の日記にも書いたけど、だからといって丸っきり「シロ」だとは思ってません。じゃあ何のために検査受けたのよ、と言われると困るんだけど(笑)

検査結果を聞いた後、子宮体がん検査についての説明。何やら痛いとか、出血が何日か続くけど1週間以上止まらなかったら連絡しろとか、検査を受けると300人に1人の割合で腹膜炎だったかを起こす人がいるので、2、3日以内に腹痛が起きたら連絡しろだとか、なんか「こんな検査してホンマに大丈夫なんだろうか」と不安になって来た。てか、体がん検査がすっごい痛いってのは、わたしも何かどこかで聞いたことがあったんだよね。でも、こないだポリープ取ったときもめちゃくちゃ痛かったから(笑)あれ以上の痛さってどんな痛さなんだろうと少し興味もあった。

やっぱねー、一般の婦人科にある「内診台」と言われるものよりも、普通の診察台(とは言うものの、自動で上下する)の上に寝転がって股開く方がいいわ、わたし。あんまり屈辱的な感じもしないし。診察台で十分だとしたら、なんであれより高そうな内診台なんてあるんだろうか。あ、バスタオルは1枚、自分で持たされるけどね。

バスタオルを隔てているからか、まぁ物理的に目が付いている場所からは見えないところでやられてるからか、何をされてるのかはよく分かんなかったけど、最初にぶすっと器具を入れられた。これが痛かった。。。思わず「いて-」って言っちゃった。そしたら「まだ器具を入れただけだから、これからです」と言われた。「力抜いて、楽にして下さい」って言われたんで、あー楽にしなきゃなあと思って楽にした。で、そばにいた看護師さんに「消毒するものを」みたいなことを言ってて、それから「これから取りますね」みたいなことを言われて、どんなに痛いことが待ち受けてるんだろうと思ったら、何も感じないうちに「終わりました」と言われた。へっ?ホント?いつの間に?って思ったので「本当にもう取ったんですか?わたし、全然何も感じなかったんですけど」って言ったら「終わりましたよー。出血してるんで、ナプキンしますねー」って言われ、なんか独り言みたいに「器具入れるときが一番痛かったのね(笑)」って言ったのをわたしは聞き逃さなかったぞ!(笑)

終わってから「全然痛くなかったら、腹膜炎にもならないんですかね~」って聞いたら「感じ方は個人差がありますから。それとこれとは別です」と言われた。あ、でも結局その後もお腹痛くならなかったです。

家に帰ってから「ホンマにちゃんと採取できたんかな」と心配になった。だって注射より痛くなかったよ。注射とか採血のときに看護師さんに「チクっとしますね」って言われるけど、あれは本当にチクって感じるもん!てか、あの台詞、本当に大嫌いだもん。腕に意識のすべてが集中してしまって、痛くないものも余計痛く感じてしまうんじゃないかと毎回思ってるくらい。でも今回は本当に何も感じなくて。そういう人っているのかな?と思ってちょっとネットで調べてみた。

ええと。個人差がだいぶあるようです。あと体調にもよるらしい。医者の腕にもよると書いてあった。が、中に「子どもを産んだことがない人は痛い」って書いてあったのがあった。それは大ウソです。わたしゃ、子ども生んだことないもん。それに全然痛くなかったって人でも、検査を受けた後は下腹部に鈍痛が、と書いてあったのも読んだんだけど、わたし、それも全くなかった。検査を受けた前後で何かあったかと言われると、確かに少量の出血はあったよなー。けどポリープ取ったときの方が断然多かった。

検査を受ける前に医者から「この年齢だと毎年がん検査を受けた方がいい」と言われたのね。でもそれはなんの検査か分からなかったから「頸がん検査ですか?それとも両方ですか?」って聞いたら「まぁ両方毎年受けることに越したことはないけど、体がん検査は痛いので、2、3年に1回くらいでもいいですよ」って言われた。でもこれだったら毎年受けても全然大丈夫だわ、とは思った。体調にもよるそうだから、次に受けたときは痛いかも知れないけどね。まぁ本当に受けるかどうかは別問題として。だいたい、体がん検査は受けたとしても採取できる部分は一部だけなので、そこにがん細胞がないとがんって分かんないよーみたいなことらしいし。

そうそう、わたしはここ数年、基礎体温というものを計ってるんだけど(これはデータ集めてグラフにすると結構楽しい。今は計った後に数字記入するだけで自動的にグラフにしてくれるアプリがあるから本当に便利)、これまでは低いときでも36.6度くらい、高いときは37.4度くらいになって、なんでこんなに高いん?って思うことがしばしばあり。でも、先月はずっと低いままというか、下手すると今まで低かった36.6度より低い36.4度なんてこともある。そのことが不思議だったので、本当はそのデータを入れているiPad自体持っていけばよかったんだけど、忘れちゃったので仕方なく口頭で伝えると「それは排卵が来てないということです」と言われた。へー、そうなんだ。わたし、ずっと「どれが自分の『元の体温』と言えるんだろう」って思ってたんだけど、どうやら低いときが自分の体温らしいね。わたしは平均するとだいたい36.8度くらいだったので、ずっと平熱は36.8度だと思ってた。しかし、今はさらに低い体温になってるので、これは不思議。。

で、排卵が起きないと生理は順調に来ないそうだ。てか、なんだったっけ、排卵が来なくても生理が来るときはあるけど、それはある程度溜まったら、とかだったかなあ。なんかそんなわけで、周期的には来ないらしい。だから閉経に近くなると、生理が不順になるらしい。でも、それは「不正出血」かも知れず、その見分けが付かないから、閉経前後のわたしくらいの年齢は特にがん検診を受けた方がいいんだってさ。あとわたしの場合は筋腫もあるので、その大きさを確認するためにも1年に1度来た方がいいと言われた。あと筋腫があるとだらだら生理が続くときがあるが、2週間以上になるとさすがにまずいんで(少量でも)、そのときは病院に行ってねと言われた。

婦人科は、わたしにとって今までとても行きにくいところで、いろいろ知りたいことがあっても聞くことも出来なかったけど、やっぱ行ってみるものだと思った。でもそのためには自分のセクシャリティを向こうが分かってくれるところでないと、わたしは無理。婦人科ってとてもデリケートなところだから、やっぱ、気兼ねなく何でも言えるところでないと、自分が窮屈になっちゃう。

検査結果は1ヶ月後。でも本当は10日前後で出るらしく、わたしが行ってるところは1ヶ月に1度しか婦人科をやってない病院なので、また来月。「早く知りたかったら、別の内科の医師からでも伝えることはできます」と言われたけど、まだいろいろ聞きたいことがあるので、来月にした。でも、本当に何かあったら1ヶ月待たずにこっちに電話が来ると思うけどね。

会社の健康診断を初め、わたしは健康診断というものが大嫌いだった。その主な理由は「採血」だからだが、でも、そのデータの上がり下がりを見てると結構面白いので、わたしは最近年に2度、健康診断を受けている。なぜ年に2度受けられるかというと、東京に住んでいる被爆二世は無料で年に2度、健康診断を受けられるからだ。健康診断のうちの1度をがん検査に置き換えることも出来るらしいのだが、がん検査は異常のあるなししか分かんないし、そういうデータは集めても面白くないし。基礎体温を毎朝計ってるのも同じ。データ集め。これって実験観察みたいで本当に面白い。別にこの結果から「人間の身体はうまくできてるなあ」とは思わないけど、ただ生きてるだけでいろんな数字が出てくるのが面白い。これって多分、学生時代は実験系じゃなく、自然科学系だったからだろう。実験することで出てきた数字じゃなく、自然のものからデータを得る。そのデータから何か意味のあるものを読み取る。それってとても興味深い。

ちなみに今のところ、採血では貧血以外、全く異常はない。尿検査は毎度毎度引っかかる。なんでかはよく分からないけどね。一度、精密検査で腎臓のエコーをしたけど、腎臓には異常はなかった。異常がないので1年以上続いている息苦しさの原因も分かるはずはない。尿検査では毎度毎度潜血が出てるけど、どこから出血してるか分かんない。こういうのがあってもすべて「様子見」と言われる。未だにわたしの口の中はおかしい。口腔異常感症は全く治ってない。けど、検査してもどこも異常がないので「問題なし」。わたしはあのせいで起きてる間はずっと不快な思いをしてるんだけど、最近は誰にも何も言ってない。日記にもほとんど書いてないよね。でも一応、半年に1度は病院に行って先生に話してるよ。でもそれだけ。解決方法なし。薬さえ出ない。まー、わたしの口の中の不快さや、息苦しさによる生きづらさなんて、わたし以外は分かんないし、わたし以外は理解されようもないよね。「様子見」って言われて「こんなつらい思いをまだずっとし続けていかなければならないのか」って絶望し続けてる気持ちなんか医者には分かんないだろう。こういうことを言うとあまりよろしくないとは思うが、わたしは「典型的な症状」が出て「あなたはこの病気です」って言われることが結構羨ましいときがある。

健康診断ではどこも「異常ない」から健康体のはずだが、実際はこんなもん。だから「健康診断」はわたしにとってはただの「データ集め」に過ぎない。
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11-27 Fri , 2015
「蒼のシンフォニー」特別試写会に行った
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だいぶ前の話になるが、「蒼のシンフォニー」(そらいろのしんふぉにー)という映画の試写会に行った。

きっと「何その映画。全然知らない」という人が多いと思う。これは「ウリハッキョ」「60万回のトライ」と同様に朝鮮学校を扱ったドキュメンタリー映画だ。実は「ウリハッキョ」「60万回のトライ」にもちらっと出てくるが、実際の映像はほとんどなかった場面がある。それは朝鮮高級学校(日本の高校に相当する)の「祖国訪問」の場面だ。朝鮮高級学校においての「祖国訪問」というのは、おそらく日本の高校でいう「修学旅行」に当たるとわたしは認識してるんだけど、まぁ「祖国訪問」の行き先は当然のことながら朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる「北朝鮮」だ。

ではなぜ先の「ウリハッキョ」と「60万回のトライ」ではその映像がほとんどなかったかというと、「ウリハッキョ」の監督さんは本国の韓国の人で、当然のことながらいわゆる「北朝鮮」には行くことができない。「60万回のトライ」は2人の監督さんで、一人は本国の韓国の人、もう一人は在日だったと思う。しかし、この在日の監督さんは確か、朝鮮学校には通ったことがない人なんだよね。だからこの映画も監督さん自らいわゆる「北朝鮮」には行けなかったのだ。で、この「60万回のトライ」では一人の生徒にカメラを託してて、「祖国訪問」の様子がちょっとだけ映像であることはあるんだけど、まぁ生徒が撮ったものだから、当然のことながらきちっとしたものではないのね。

ところが今回の「蒼のシンフォニー」は監督さんがいわゆる「北朝鮮」に行って「祖国訪問」の様子を撮ってきたという。わたし、それがとても「興味深かった」のね。単純に「観たい」って思った。だから、この映画に対しての「後援金」、いわゆる映画の制作費に当たるものだと思うけど、その募集をしていたときに、応援の意味を兼ねて少額だけどもお金を出してたのね。今回はその特典。そしてこの映画の一般公開は来年の春になるということで、そんなに先まで待てないよってことで行ってきたのだ。

ただ、行った後、映画の感想がここまで長い間書けなかったのは2つ理由がある。一つ目は「素直なわたしの気持ちを書いたら、当事者(この場合は在日認識がある当事者)の気持ちを傷つけてしまう可能性があるのではないか」と思ったこと。もう一つは「わたしが素直な感想を書いたとして、そこに全く悪意がなくても、悪意を持とうと思った人に対してはどうやったって悪意を持てるような印象を与えてしまうだろう」と予想されるからだ。当事者の気持ちを傷つけるのは嫌だし、悪意を持った人に悪い意味での「宣伝」になって伝わるのはわたしの本意ではない。それでずっと「どういう風に書けばいいのか」を考えていた。「書かない」という選択肢はなかったが、その「書き方」をずっと悩んでいた。が、あるとき思った。「正直に書こう」と。ただ、誤解や悪意を持たれるのは嫌なので、その都度、わたしがそれに対してどう考えたかを長々しく書こう、と。それでもきっと、文章ではわたしの気持ちはすべて伝えられないだろう。そのことについては予め言っておく。そして多分、これは「映画のレビュー」にはならないと思う。わたしが映画を観て印象に残ったこと、それについて考えたこと、それが主な内容になるだろう。

しかし、既にここから長々しい説明の一端に入るけど、これはあくまで「朝鮮学校」に関わりがある人たちの話だ。「朝鮮学校」=「在日」ではあるけれど、「在日」=「朝鮮学校」ではない(朝鮮学校は在日の「部分集合」ということ)。むしろ、在日の中で朝鮮学校に関わっている人たち(関わるというのは、朝鮮学校関係者、いわゆる朝鮮学校の卒業生やら家族やらということ)は在日の中でも少数の人に過ぎない。朝鮮学校とは全く関わりのない在日の人たちはいるし、数からするとこちらの方が「多数派」だ。朝鮮学校は今、生徒数が減少している。戦後70年近くの民族教育を担ってきた朝鮮学校が今、このような現状を迎えているのは、わたしはとても悲しいと思う。人数が少ないコミュニティの中に子どもを入れたくない(狭い世界の人間関係しか持てないことを避けたい)という理由で朝鮮学校に通っていても途中から日本の学校に転校してしまう、という例もよくあるらしい。現にこの映画では一人、中学時代はずっと1人で過ごした、という生徒が出てくる。それまでは同級生は5、6人いたんだそうだ。が、自分一人を残してすべて別の学校に行ってしまったと。この人、映画の中では言ってなかったけど多分、以前わたしが観た「アフタースクール 東日本大震災 東北朝鮮学校の記録part.2」というドキュメンタリーで出てきた子だよね?この「アフタースクール 東日本大震災 東北朝鮮学校の記録part.2」という映画は「東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20」というドキュメンタリー映画の続編で、制作したのは先に紹介した「60万回のトライ」を制作した監督さんたちだ。東日本大震災で校舎が壊れてしまった東北朝鮮学校が、仮校舎を作って移転した先での話なのだけど、そこで中級部にたった1人だけで学んでいる生徒がいる話が出てくる。その子が多分、東北朝鮮中級学校を卒業したあとに、茨城の朝鮮学校に来たんだろう。

あ、大事なことを言い忘れていた。この映画の舞台となっているのは茨城朝鮮初中高級学校だ。そこの高級学校の生徒に焦点が当てられている。朝鮮学校がどこにどのくらいの規模である、ということはわたしはよく知らないのだが、初級から高級まですべてある学校っておそらく数が少ないと思う。前に出てきた東北の朝鮮学校は初級と中級しかない。その上に行くには、家から離れた高級部がある学校に行かなければならない。茨城朝鮮初中高級学校には生徒たちの寄宿舎がある。実家が遠くてとても通えない人たちのためだ。中には実家が新潟で、初級学校から1人、寄宿舎にいるという生徒も出てくる。初級学校といえば、日本の学校では小学校だよ。小学1年のときから親元を離れて寮生活って、本当にすごい。来た当初は寂しくて仕方がなかったそうだけれど。土日に親元に帰って、月曜日の朝、親が新潟から茨城まで車で送る。子どもも大変だけど、親も大変だったと思う。しかしこの子はとても面白い子だった。そういや「60万回のトライ」にも面白い子が1人いたな。いわゆるムードメーカーというか。その子はもともとそういう性格だったんだろうけど、でも、小学1年生、あ、違った。初級学校1年生って言えばいいのかな?からの寮生活でも伸び伸びと育てられたから、その子のもともと持っていた性格が発揮されたんだろうな。

というか。ここからずるずるといろんな話が出てきそうになるんだけど、話を元に戻す。というわけで、わたしが言いたかったのは「在日」=「朝鮮学校」ではないこと。むしろ朝鮮学校に通っていない在日の方が多数派であるということ。そして「多数派」にも関わらず、普段のわたしの目からはそれはほとんど見えない、ということだ。だから、この映画を観て在日の人はこういう人たちなんだーって思うのは違う。わたしはわたしの目からはほとんど見ることができない多数の在日の人に思いを馳せる。ただ、うっすらとだけど「内部は複雑」だろうとは察しながらもね。性的少数者もそうだけど、世の中で「透明人間」をやってるのもつらいことです。

朝鮮学校が目立っている理由というのは、わたしが言わなくても大半の人は分かるだろうと思うが、朝鮮学校無償化排除問題、というのが大きい。そしてその背景にあるのは「朝鮮学校は朝鮮総聯と関係があること」、そして「朝鮮総聯がいわゆる『北朝鮮』に結びついていること」、そしていわゆる「北朝鮮」の拉致問題、というのがどうしても出て来ざるを得ない。

ただ。わたしは基本的に朝鮮学校は民族教育権にあたると思っている。権利というものは制限が付けられないから権利なのであって、そこで「こういう教育はするな」と介入するものは権利ではないと思っている。もちろん権利は無制限ではない。しかし「無制限ではない場合」というのは、あくまでも「他者が持つ権利とぶつかり合う場合」にのみ何らかの制限が付けられるべきだ。だからいくら「表現の自由は無制限だ」と言っていても、そこに他人の人格を貶める発言(特にマイノリティに対して)を無制限にしていいはずはなく、そこでは一定の制限を設けるべきだと思っている、というか、これはわたしだけがそう思っているわけではなく、これが国際標準な考え方で、わたしが今言ってるのは単に「ヘイトスピーチ」だけの話ではないです。というかヘイトスピーチ自体が「表現の自由に当たらない」、だからヘイトスピーチは規制できるとする考えもあるだろう。そこら辺の細かな違い(ヘイトスピーチは表現の自由に当たり、しかし、公共の福祉(これは各人が持っている権利がぶつかり合ってしまった場合の話で、人に迷惑掛けるとかそういう意味では全くない)を考えると一定の規制が必要であるという考え方と、ヘイトスピーチ自体が表現の自由には当たらないのだ、という考え方)はさておき、どちらにしても、どういう表現方法でも「差別はしてはいけない」というのは当然のことだろう。

先ほど「国際標準」と言ったのは、その元になる国連の「人種差別撤廃条約」が既にそういうことを決めているからだ。そしてよく、これを持ち出すと「でも日本政府は第4条の(a)と(b)は留保しているからヘイトスピーチは規制できない」と言われるが、だいたい公人の差別発言を禁止した(c)は留保していないし、それより何よりこの条約の第4条というのは第2条に対して特別に「刑法で定めなさいね」ということを言っているに過ぎなく、その大前提になるのは第2条なのだ。もちろん、日本政府はここの部分は留保してない。ていうか、ここの部分を留保したら人種差別撤廃条約の締結国になった意味がない。第2条には「締結国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。このため」とある。そしてこのために第2条では具体的に(a)から(e)が規定されているが特に(d)では「各締結国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる。」と決められている。そして日本の裁判所は2009年12月に起きた京都朝鮮高校襲撃事件の裁判において、あのときに朝鮮学校の人たちに向けられた言葉はヘイトスピーチで、そのヘイトスピーチは「人種差別に当たる」とした(平成22年(ワ)第2655号 街頭宣伝差止め等請求事件、69ページ「5 本件活動による業務妨害及び名誉毀損が人種差別撤廃条約上の人種差別に該当すること」)。また裁判所は「このことから,わが国の裁判所は,人種差別撤廃条約上,法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うものというべきである。」(、63ページ「第3 人種差別撤廃条約下での裁判所の判断について」)としている。なお、この件に関しては2014年(平成26年)12月9日に最高裁が上告棄却して判決は確定している。

話を戻した割に、あんまり戻ってない感じがするが(汗)、なぜこのような話が出てくるかというと、この手の話をすると必ず「どっちもどっち」ということを言われるからだ。違う。圧倒的に差別をする方が悪いに決まっている。ヘイトスピーチを撒き散らす方が悪いに決まっている。そのことを一番最初に言いたいからだ。先ほど「朝鮮学校に通う子どもが少なくなっている」と書いたが、こういうところも影響しているとわたしは思う。差別の標的にされるようなところに子どもを通わせたくない、そう思う親もいるはずだ。だとしても、それは朝鮮学校が悪いわけではなく、そこに対してヘイトを撒き散らす人たちが悪いのだ。「だってそこには朝鮮総聯が絡んでいて、北朝鮮と繋がっていて、北朝鮮は日本人を拉致したから朝鮮学校は攻撃されるのだ」って意見が絶対に消えないことは分かっている。しかし、どういう理由にしたって「だから差別していいのだ」という理由にはならない。差別はどういうことがあってもしてはならないのだ。朝鮮学校が朝鮮総聯と関わっていること、朝鮮総聯はいわゆる「北朝鮮」側であること、いわゆる「北朝鮮」が他国に住んでいた人を拉致したこと、これは事実だろう。でも、そのことをなぜ「個人」が引き受けなければならないのか、と思う。だって、わたし自身のことを考えたとしても、わたし=国ではない。

だが、本当のところを言えば、わたしだってそこのところはどう考えていいのかよく分からない。分からないことは2つ。一つ目は、国と個人の関係。国はどこまで国で、個人はどこまで個人なのか。国と個人は明確に違うとは分かっていても、今のわたしにはその間にまっすぐな線を引くことは出来ない。わたしは「国」として、自分の意見を言うつもりはないけれど、もし相手が「国」として発言した場合はどうすればいいんだろう?この間体験した「原爆を落としたことで早く戦争が終わったことを理解して下さい」という言葉。あのとき感じたのは、これは個人の言葉ではなく、国の言葉だよなあということ。そのような言葉に対して、わたしは何をどう言ったらいいのか。

そしてもう一つ。朝鮮民主主義人民共和国、という国のこと。国の事情からしても、もともとあまり情報が入ってくるということはないのだけれど、今の日本に住んでいるとあまりにも「偏った情報」しか入って来ない。日本では日々「北朝鮮は悪い国だ」という情報ばかりが流れてきて、知らないうちに「洗脳」されている。そりゃもちろん言論の自由がない国とか独裁とか思うよ。No.2であっても気に入らなければすぐに粛正されてしまうとか、あるもん。でも、入ってくる情報と言えばそういうことだけ。あとは核問題か。今の日本に住んでて、そういう情報しかわたしたちには与えられない。これは「洗脳行為」に等しいだろう。だから、わたしは知りたいのだ、あの国の、それ以外のことが。何かを判断するためには、まず、多くのことを知らなければならない。だからわたしは知りたいのだ。どういう人たちがそこでどういうことをして暮らしてるんだろう、どういう風に暮らしてるんだろうって。多分「何を思って」ということを知るにはとてつもなく難しいとは思うけど。っていうか、おそらくそれは今のところはそれは不可能だと思うけど。あーそこで「でも近づきすぎたら北朝鮮に洗脳される」って言うよね、すぐ(笑)んなわけないじゃん。逆にわたしは今のこのような日本の状況で、自分がかなり「洗脳」されていることに気が付いている。ともすれば「悪意」を持って見兼ねない。先ほど上で「映画の感想を書くまで、こんなに長くなってしまった理由」の2つ目に「わたしが素直な感想を書いたとして、そこに全く悪意がなくても、悪意を持とうと思った人に対してはどうやったって悪意を持てるような印象を与えてしまうだろう」と書いた。けども、何のことはない、どうしてこういう見方ができるかというと、知らず知らずのうちにわたしだって「悪意」を持って見てしまう自分に気が付いていたからだ。「これは、わたしを洗脳させようと思ってこんなに都合のいい、きれいな場面をみせてるんじゃなかろうか」って、つい、そういう「疑いの目」で見てしまう自分がいることに気が付く。そういうことを考えている自分自身がものすごく嫌でなんとかしたいけど、でもこの「洗脳」はなかなか解けてくれない。。。わたしの場合、そっちの方が相当深刻だ。

いわゆる「北朝鮮」のことばかりについて言い過ぎたけれども、この映画の中にも出てくるけど、実は近年、朝鮮学校を支えようとする韓国の人たちがいる。「モンダンヨンピル」という、東日本大震災に遭った朝鮮学校を支援することがきっかけで団体なんだけれども、韓国の歌手とか俳優さんとかなんかいろんな人が支援していて、毎年1回、韓国から日本にやってきて、コンサートなんかを開いてる。高校無償化の問題も応援してくれている。なので朝鮮学校は今や、北と南、両国で支えられているのだ。わたしには分からないけど、きっと、双方でとても難しかったりすることがあるんじゃないかと想像したりもする。けど、この輪が韓国でもっともっと広がって、そして朝鮮学校のことを知る韓国の人が増えればいいなあと思う。

なかなか話が元に戻らない(汗)もはや、映画の中の話をしているのかそれともまだ始まってないのか分かんなくなってきたけど、取り敢えず自分の中ではまだ話は始まってません(汗)長かったけど、ここから話は始まります(汗)

この特別試写会の会場に着いたとき、わたしはすごい「違和感」を感じたのね。それは、言葉だった。わたしは今まであんなに日本語と朝鮮語をちゃんぽんにして話している空間にいたことがなく。そこから感じた「違和感」だった。けど、違和感というとなんか言葉が悪いけど、なんていうのか、悪い意味ではなく、興味深いとか面白いとか、そういう感覚だろうか。この日本に住んでいて、こういう経験なんか滅多に出来ない。来ていた人はおそらくほとんどが朝鮮学校関係者だろう。なんか、来ている人はわたし以外はみんな親しい知り合いなんじゃないだろうかと思うほどだった(でも多分、わたしみたいな人もいたはずだと思うんだよねー)。まぁこの映画は朝鮮学校を題材としてて、それを朝鮮学校出身者が作ってるんだから当然の話だ。要するにわたしは「同窓会会場」に「別の学校の出身者」として紛れ込んでしまったのだ。そう思えば理解しやすい。ただ、違和感に拍車を掛けているのは言葉なんだけどね。

以前わたしは「60万回のトライ」の感想を書いた日記で、

わたしは、その時折混じる「日本語と同じ発音のような朝鮮語(かも知れない?)」と「使い分け」によって話される日本語に、違和感をものすごく感じた。多分これはわたしが一カ国語でしかしゃべれないからだと思うが、多分在日の人たち、特に朝鮮学校に通ったことがある在日の人たちにとってはこれが普通なんだよね。



って書いた。この日記を書いたのは2014年の3月で、わたしはこのとき朝鮮語は全く知らなかった。わたしが朝鮮語を習い始めるのは、この翌月の4月からだ。そして1年半後。わたしは彼らが日本語と朝鮮語をちゃんぽんで話す理由がちょっと分かる気がする。なんていったって語順が同じだから、途中で言葉を挟みやすいのだ。だからきっと、彼らの頭の中では「思い付いた言葉」をただ発してるだけなんだね。朝鮮語、日本語関係なく。そして、使ってる言葉はそんなに難しくなかった(笑)「あー、わたしでも意味分かるなあ」って思った。

そうそう、映画の中にね、「60万回のトライ」とは逆に、朝鮮学校唯一の日本人教師である藤代先生、という人が話す場面があるんだけど、あ、この藤代先生という人は、サッカーやってる人なのね。「祖国と母国とフットボール」だったかなあ。以前読んだ本の中にもこの人出てきて、わたしはこの本で彼のことを知りました。んでね、この人が映画の中で喋ってた言葉がね、主に日本語ではあるんだけど、ところどころ朝鮮語が混じってるのよ。もうどんなこと喋ったかは覚えてないけど、一言「オプソ」って言った場面だけは覚えてて、オプソって、없어、日本語でいうと「~ないので」って意味になるのね。あれ、「~ないので」は「없어서」じゃないかなあ?まぁ、それはいいんだけど、とにかく本来日本人である彼がそういうような言葉遣いをしてたものだから、会場から思わず笑いが漏れてね。それがとっても印象的だった。

でね、多分、わたしは「60万回のトライ」を観たときよりも言語に対しては意味が分かるようになっているし、言葉にしてもどうしてそういう言葉遣いになっちゃうかも分かるような気がするので、そちら方面は格段に理解力が上がったから、そういう面では「みんな、わたしの知らない言葉を喋ってる!」って感じではないのよ。だからあのときと比べると違和感は少なくなるはずなのに、実際自分がいる場面で、日本語と朝鮮語がちゃんぽんな場って今まで体験したことがなかったから「60万回のトライ」を観に行ったときよりもその場の違和感が強くて(あのときはどういう人たちが観に来てるかは全然分かんなかった)。でもね、なんだか分からないけどわたしはそういう「違和感」っていいなあと思うのよ、自分で。あのときわたしは違和感を感じながら「今の時間は貴重な体験だなあ」って思ってた。だって別の学校の同窓会に紛れ込むことなんてまずないじゃない(笑)ただ裏返せば、人生のほとんどの時間を違和感なく過ごせているこの空間では、わたしは紛れもなく「マジョリティ」側なんだなあと。うーん、細かいところを言えばちょっと違うところもあるけれどってこれについても、あとで書きます。

会場はほぼ満員でね。映画は確か日本語字幕付きだったか。まぁ字幕はいいんだけど、どういう人が話しているという身分とか名前とか出てくるんだけど(ドキュメンタリーに付きものの)、あの色彩のコントラストがちょっと見づらくて、結局誰が誰なのやらよく読めなくて分からなかったという。。それが残念でした。

映画自体は確か100分ちょっとではなかったかと思うんだけど、おそらく半分以上が「祖国訪問」のシーンだったかな。案外長かった、というのが正直なところ。わたしは「ウリハッキョ」や「60万回のトライ」のように祖国訪問はその映画の「ワン・シーン」みたいな位置づけかと思ってたから。

そしてこの映画、監督自らがナレーションやってるんだよね~。結構監督があれこれしゃべってるところも多かったけど、これはどうなのかな。例えば会場でもらったパンフの中に「韓国籍の生徒の両親に送られてきた1通の文書-『北韓(北朝鮮)を訪問した場合、国家保安法により処罰される可能性があります。パスポートが必要なら、朝鮮学校をやめさせてください』」と書いてあるんだけど、映画の中ではこれがほとんどそのままナレーションで説明される。朝鮮学校に通う子どもの国籍はさまざまで、韓国籍、朝鮮籍、日本国籍が入り交じっている。ちなみに朝鮮籍はいわゆる「北朝鮮」の国籍を持っているということではないのでご注意を。これは日本政府がかつて植民地時代に強制的に与えた日本国籍(その実、戸籍制度やいろいろな面で差別してたんだけど)をあるとき突然「あんたたち、外国人とみなすから」と言って取り上げて、取り上げた相手を勝手に「朝鮮籍にする」って決めたもの。だから、朝鮮籍自体は記号みたいなもので、国を表すものではない。いわば「無国籍」状態なわけだ。これ、外国に行って何かトラブルが起きたとしてもどこの大使館にも駆け込んで助けてもらえないと言うこと。とてつもなく怖い状態のままに置かれているのだ。まぁだけど、いわゆる「北朝鮮」には入国できる、朝鮮籍の人たちは。だが、いわゆる「北朝鮮」に入国できるのは実は日本国籍を持ってる人でも可能だ。

というか、いわゆる「北朝鮮」とは国交がないから日本国籍を持ったものは行くことができないって思ってる人も多そうだけど、実はそうじゃない。わたしだってお金払えばいわゆる「北朝鮮」に行くことができる。いわゆる「北朝鮮」は旅行することが可能な国だ。国交のあるなしは関係ない。だって、台湾だって日本は国交を持ってないけど(つか、日本は二つの中国を認めてないので台湾とは国交がない←てか、この件に関しても日本は台湾に対して本当にひどいことをしてるのだ。台湾を国と認めてた時期もあったんだからね)旅行できるでしょ。そしてもちろん日本国籍を持っているものは韓国にも行くことができるよね。でも「朝鮮籍」という記号を与えられた人は今現在、韓国に入国することは出来ない。李明博の前の政権、盧武鉉のときまでは朝鮮籍でも入国できたらしい(盧武鉉のときまでというか、金大中から盧武鉉までのたったの8年間のみ)。が、李明博以降、その流れを汲む今の朴槿恵も入国は出来ない。渡航はその時期の政権によって左右されるのだ。だから要するに、両国を何の問題もなく行けるのは、日本国籍を持ったものだけ、ということになる。韓国に住む韓国人は北にはもちろん行けないし、いわゆる「北朝鮮」に住む人たちだって南に行くことはできない。これを考えるとわたしは本当に複雑な気分になる。

というわけで、高級学校に通っているみんながみんな「祖国訪問」できるわけではないのだ。そのようなことを初めて知る。ついでにナレーションに話を戻すと、この場面ではそのことだけがサラッと伝えられ、それに伴う画像などは一切出て来ない。そりゃ当たり前のことだけど。プライバシーあるし。だからある程度、そういうことを説明するナレーションは必要だったと思う。が、最後の最後まで、あんなにしゃべるかなあ。まぁ、わたしはドキュメンタリーにはあまりナレーションは必要がないと考える人間なので、どうしてもそう思ってしまうのだけどね。あそこが一番、この映画で監督が言いたかったこと、ということなんだろうけど、もうちょっと自由にさせてもらいたかったな、というのが正直なところ。ネタバレになるのでここは具体的に何を言ったかには触れないけど。

平壌のホテルに着いたらすぐにテレビ付けて「テレビのチャンネルが2つしかない!!」って騒いでる生徒がなんともおかしくてね。でもきっと、日本で生まれ育った彼らにとっては、そのような部分を目の当たりにして考えることも多いだろうなと思った。

ただやはり、祖国訪問をして生き生きとしている姿は何というか、、どう理解すればいいのだろうと思う。確かに画面に写るいわゆる「北朝鮮」の人たちはとても親切で優しくて、素朴な感じがする。あんなに一緒に歌ったり、歌を熱く指導されたりすれば、別れるときは涙が出るだろう。しかし悪意を持って見るとそれがとてつもなく悪意を持って見れてしまう。「彼らは所詮『お客さま』扱いなんだろうし」とか「これで祖国に対して良い印象を持たそうと思ってるのか」とか「どうせ彼らにはいい部分しか見せないんだろう」とか「案内員と称して監視された中での行動だろう」など。もしかしたら「やはり朝鮮学校の生徒はみんな『洗脳』されてるんじゃないか」って印象を持つかも知れない。

だけどね、こうも考えたりする。わたしはいわゆる「悪意を持て」と洗脳されている人間だ。物事の片側しか知らされていない。しかし、彼ら(朝鮮学校に通っている生徒)は生まれたときから日本で育ってきてある程度裕福で自由な世界も知っている。彼らの方がわたしよりずっとずっと「両面」から物事を見ているはずだ。そして多分わたし以上に長く「国とは」とか「自分は」と悩み、考えているに違いない。上で「悪意を持って」と考えた部分なんか、きっと彼らだって十分そんな風に思える感覚も持っているに違いない。その部分は表には出せないけれど。

なお、なぜ朝鮮学校がいわゆる「北朝鮮」と関係するかは、戦後(彼らにとっては解放後)すぐに在日の人たちは子どもたちに朝鮮語を教える「国語講習所」というものを作った。ただ、設立の目的は「いつか本国に帰ったときに子どもたちが朝鮮語で話せないのはまずいから」という理由だったらしい。だが、歴史上、ここからいろんなことがあって彼らは本国に戻るよりも日本に残ることを選択した。そして、その後、朝鮮学校もいろいろな困難を乗り越えて今がある。その、一番苦しい、貧しい時代に在日の人たちに「彼らは我が国の同胞である」からと言ってお金を出してくれたのが、朝鮮民主主義人民共和国の金日成だったのだ。その当時の大韓民国は彼らのためには何もしなかった。だからこそ、今の朝鮮学校がある。

ということは、わたしは知識として十分知っている。ただ、当時の貧しい中、日本政府も韓国も自分たちを見捨てた中で、いわゆる「北朝鮮」だけは見捨てなかった、そのことに対しての「嬉しさ」というか、「感謝の気持ち」というか、それはわたしは「実感」はできないの、当事者じゃないから。確かに「嬉しかっただろうな」というのはある程度は分かるよ。でも、それはあくまでも「想像」でしかなく、「実感」ではない。きっと多くの日本人(と敢えて言うが)も同じだろう。まず第一、わたしなんか「貧しい」というのがよく分からないし。「貧しさ」が実感できないのだから、その上にある「助けてもらったという感謝の気持ち」だって当然実感できないだろう。だから、彼らの姿が「洗脳されている」ように見えてしまうのだ。今の若い彼らも多分、わたしと同じように「貧しい」ということがどういうことかは実感できないに違いない。けれど、自分たちのおじいさん、おばあさんたち、もしかするとお父さんお母さんだったり、ひいじいさん、ひいばあさんかも知れないが、彼らはそれで確実に救われた。それを考えるとやっぱり今現在の若い彼らだって「当事者」なんだよね。

映画の中で板門店を訪れるシーンがある。監督は北側から南側を見ているある生徒に「今どんな気持ちか」って聞くのね。その子は南側にルーツを持つ子で、でも朝鮮籍だから今、韓国に行くことはできない。おそらく今でも親戚や血の繋がる人は南側に住んでいるだろう。けど、会えない。わたしは「なんて残酷なことを聞くんだー、止めてあげてよ!」って思ったんだけど。この場面を観ると分かるように、「国」が彼らに対して直面しているのは確実だし、そして何も板門店に来て初めて分かることじゃない。きっと自分が気が付かないほど幼い頃から「国とは何か」「自分とは何か」という問いに直面して生きているんだろうと想像する。

だからね、わたしはそう考えると「何も言えないな」とも思うのよ。わたしが考えることなんて、彼らにとっては「まだそんなことを考えてるんだ、その歳で」って思うような初歩的なことなんだろうなと。「お前に言われんでも分かっとる」(カープの前田(智徳)風)って多分、思ってるだろうと。

それともう一つ言えるのは。祖国での彼らは本当に生き生きしているということだ。この気持ちはわたしにも分かる。いや、分かるような気がする。というのは、上にわたしは「人生のほとんどの時間を違和感なく過ごせているこの空間では、わたしは紛れもなく「マジョリティ」側なんだなあと。うーん、細かいところを言えばちょっと違うところもあるけれど」と書いた「細かいところ」に相当すること。

基本、わたしはほとんどの日常を違和感なく過ごしている。が、実はそうじゃないと気が付かされるときがある。それは、性的少数者のお祭り「プライドパレード」の会場に行ったときだ。あの時間、あの場所でいつも感じるのは「ああ、ここでわたしはありのままの自分でいていいんだ」ということ。あの会場では性的少数者もそうでない人も両方いるけど、少なくとも「性的少数者を受け入れている人たち」が集まる場所だ。性的少数者であることを否定されない場。気持ちはとてもすがすがしくて自由で、そして安心感がある。裏を返せばわたしは日常、意識してないけど緊張して窮屈な気持ちで生きてるんだなと思う。日常に戻っていくとその緊張も窮屈な感覚もよく分からなくなるんだけど、パレードの会場に行くと毎回毎回気持ちが解き放たれる。そして毎回毎回思う。「ああ、日常生活知らない間に抑圧されてるんだな」って。

きっと祖国に行った彼らもそういう風に感じたんじゃないだろうか。性的少数者は日常生活で予期しない部分で突然揶揄される言葉が出て来たり、異性愛者とは話が合わない部分もあったりするので話を合わせたりしなければならないことがあるけど、しかし日常的にヘイトに晒されているということはない。その点では朝鮮学校に通う彼らとは負担が違う。しかも祖国では自分たちを本当に大切に思ってくれて接してくれる。そりゃ、生き生きとして幸せな気分になるのは当然のことだろう。

あとそれから。先ほど「とても親切で優しくて、素朴な感じがする」って書いたけど。これについては複雑な気持ちもするんだよね。なぜかというと彼ら(いわゆる「北朝鮮」に住んでいる人たち)については確かにそういう面を持ってると思うんだけど、それは、苦しい中で生きてるからじゃないかとも思うのだ。敗戦後、日本人だってみんな貧しくて肩寄せ合って暮らしてきたということがまるで「美談」のように話されることがある。貧しかったけど「お前は大学に行け」といって兄は自分は進学せずに働いて自分の学費を稼いでくれた。そのおかげで自分は頑張って勉強して大学に進学した、という話も「美談」になる。一昔前までは田舎の人は純情で素朴な人たちと呼ばれていた。きっとこれらの話は全部「共通点」がある。

それとは別に、この映画の中で初級学校のときにパソコン入力コンクールで全国2位を取った子の話が出てくる。そのときその子はなぜか表彰式に呼ばれなかったそうだ。そこで「優勝なら誰も文句は言わないだろう」と言って、すごく努力をしてその後、優勝を勝ち取った。それも「文部科学大臣賞」だったそうだ。彼らを高校無償化から排除している文部科学大臣からその子は表彰された。

それは確かに「よくやったね!」と思う。が、その原動力は間違いなく「逆境の中」であったことも一因だろう。彼らに対してそのような目に遭わせてしまっている有権者であるわたしが素直に「よかったね」と言えるんだろうか。だけど先ほど書いたようにわたしはわたしで国ではない。だけどわたしは高校無償化排除を(自分の考えとは違うが結果的には)許してしまっている有権者であって、、と考えるとわけが分からなくなる。そしてその「栄光」を褒め称えることは「逆境」であることを許してしまっていることにはならないかと。

いわゆる「北朝鮮」に住んでいる人たちのことも同じで、国の体制のことや、国自体が不便なこと(停電もしょっちゅうするみたいだし)、そのことが彼らを「素朴」で「優しく」しているんじゃないかとすれば。そのことは「わー、いい人たちですね」って単純に思ってしまってはいけないのではないかと。だって「人間関係が昔のように濃密になりたいから再び貧しくなりたい」という人がいるだろうか?「一生懸命勉強するために再び貧しい生活になりたい」という人がいるだろうか?そう考えると「わー、いい人たちですね」って単純に言うことは「お前たち、ずっとその生活のままでいろ」と言っていることにならないか。

だからね、わたしはこの映画を観て、本当に複雑な気持ちがしたんだよね。。会場では結構すすり泣きの声とか聞こえてきて、やー、わたしとは全然違った視点から観てるんだろうなあとは思ったんだけど。

あ、そうだ。わたしがもらった試写会のパンフにはこの場面のことについて「そして、手にした優勝トロフィーに刻まれていた文字とは?」って書いてあるんだけど、その部分、カットされてなかったですかねー?映画の前にこの部分を読んでてちょっと期待してたんだけど、とうとうその部分は出てこなかったような?映画が終わってから監督を始め、この映画を制作した人たちの舞台挨拶があったんだけど、なんでも監督は当日まで映画を編集していたそうで。だからきっとその部分、削っちゃったんだよね(悲)パンフ作ったときにはあったけど。一体どういう文字が刻まれてたんだろう。。とても気になります。

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映画が終わったあと、挨拶する監督さん。

監督さんは「一人でも多くの日本人にこれを観て欲しい」と言っていた。わたしもそう思う。が、中には「悪意を持って」観てしまう人もいるのではないかと心配になったりもする。なんせ日本人の大半は「洗脳」されてるからね。どうか、そんなことにはならないで欲しいと思う。

しかし映画が終わったあとは本当に「同窓会」みたいで、わたしは映画を観てこの複雑な思いを事前にもらったアンケート用紙にどうやって書けばいいかとか思ってたんだけど、みんな感想書かずにすぐに会場から退出してしまって(会場がもう時間いっぱいだったと言うこともある)、ロビーでわいわいやってた。わたしはもちろんその中には入れないので(誰も知り合いおらんかったし!)アンケート書いて帰ろうと思ったんだけど、その時間もスペースもなかったので、仕方がないからそのまま帰っちゃったよ!(苦笑)

でもあの場で感じた「違和感」、あれは本当に貴重な体験だった。きっとこの先、あんな場に行けることは滅多にないんだろうな。そういう意味でもあのとき本当に行ってよかったと思う。
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11-28 Sat , 2015
47歳
今年は47歳の年。

毎年1回は年齢についての日記を書いてるんだけど、去年は12月に「生誕17000日目」って題名で日記書いてるね。それを見ると、今日は生誕17361日目。あれから360日以上経ったんだね~。

去年、47って数字は素数なだけであんまり魅力がないって書いた。確かにそれはそうなんだけど、年齢のところに「47」って書くのが結構好きだったりする。数字自体には魅力がないのになんでだろう?とても不思議だ。

そして、今の時期になると来年の年賀状の印刷の受付、みたいなので、年賀状のサンプルを見るようになったんだけどさ。そこに印刷してある「申」って文字を見ると「あらっ」って思う。そう、来年は年女なんだよね~。つか、48という数字のことばかり考えてて、年女と言うことはすっかり忘れてた。てか、別にだからどうということもないが。。

しかし、45を2年も過ぎてるのに未だ、四捨五入して50とは考えられない。きっとわたしの中に「50歳」に対する強固なイメージがあって、そのイメージと自分が合わないからじゃないか?と思ったりする。「50」というと社会的にも落ち着いてて老人に片足突っ込んでるイメージが多分あるんだろうね(笑)今のわたしはまだまだ落ち着いてるどころの騒ぎじゃないからなあ~。。

去年の「生誕17000日目」の日記を読むと、病状がよくなってきただの、でもやる気が出るとか出ないとか書いてあるけど、んー、去年から今年の1年はね、とにかく息苦しかったね。正直、今も息苦しい。ただ、去年よりはちょっとは楽になってきたかな?って思ってたんだけど、最近の寒さのせいか、またひどくなってきてしまった。。肩こりというか、肩こりと背中の痛みとが合体して(これは去年からだけども)、それがちょっとよくなったかなと思ったらまたひどくなるの繰り返し。。先週までかなり楽だったんだけど、1週間前からまたひどくなった。なんなの、これ。これと息苦しさの相互作用で正直、身体の方はあんまり楽に動けるとは言い難い。

しかも15年来の座骨神経痛持ちでとうとう、足先からしびれが出てきた。その影響か、座骨神経痛で痛い方ではない反対の方の腰が痛い。

ということで、上半身も下半身もボロボロなわけですが。これって老化現象って言えるの?

ただ、なぜか精神の調子だけはOK。やる気というのは、出ないときに「なんで出ないんだろう」って思うものなのね。最近は「やる気」のことを考えることはほとんどない。確かにやる気が出ないときもあるんだけど、そういうときは「まぁいいか」って思える。というのは、仕事なんかで動かなきゃいけないときはやる気なくても動けるようになったから。きっとこういうのが「普通の状態」というのだろう。しかし、わたしの場合はそこからすぐに奈落の底に落ちて行く感覚を味わうことができるので、というか、もううつ病やりすぎて、自分の中のその感覚が忘れられなくなったというか、ただそういうことだけだと思うけど、今もある一定の条件が揃えば、多分すぐ、うつ状態に戻るだろうなあということはなんとなく分かっている。

でもここ数年で見ると、この1年はきっとかなり調子がいいとは思う。先週なんか、ほとんど毎日外出していたし。その頃は息苦しさも背中の痛みも結構なくなってきてたし。ところがね。「ちょっとは休まなきゃ」と思って休んだ途端、息苦しくなるわ、背中の痛みや座骨神経痛の痛みもひどくなるわで正直「休まなかった方がよかったのでは」と思ったほど。しかもわたしは休むと途端に何もしたくなくなる。まるで「慣性の法則」そのものじゃないかって思った。

外部から力を加えない限り、動いている物体は永遠に等速直線運動をし続け、静止している物体は永遠に静止している。

ってやつね。とにかく動いている間は次に動くのが簡単なのだけど、一旦休んじゃうと動き始めるのがとても億劫になる。精神科の主治医に「わたし、休むと体調悪くなるみたいなんですよね~」と言ったら「そんなことないです!」と言われた。主治医によれば、背中などの痛みは動いてないから血の巡りが悪くなってるんじゃないかと言ったけど、確かにそれはその通りかもと思うが、それ以来、外出しても楽になることはない。あー、ホンマ、休むんじゃなかったわ。

去年は「やる」と言っていた資格試験勉強、結局息苦しさでできず。今年は息苦しくてもやります。
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11-29 Sun , 2015
夏の東北旅行記 その1(出発!)
いつの話?と思われるかも知れないが、取り敢えず夏に東北を旅行したことは一応、書きたかったことなので。

ただ、もうあまりにも前の話のような気がしてて、あんまり覚えてないかも知れないので、撮った画像を中心に、淡々と書くつもり。

旅行期間は2015年8月1日(土)から8月10日(月)。主に「青春18きっぷ」で旅行したが、あれは5回限りなので、最後の日のみ普通の切符、つか、普通にSUICAを使った。

8月1日(土)
出発の日。8時22分、東京駅から東北本線に乗る。てか、電車の区別、何線なのか、実はよく分からない、複雑すぎて。鉄オタではないし。画像を見ると「上野東京ライン」とか書いてあるね。でも乗れればいいんです、電車は。わたしはそんな感じ。「何形」だとかは全く興味がありません。

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確か、この電車は割と空いてて、しかもボックス席だったような気がする。わたしのイメージだと「鈍行」=「ボックス席」だったので、それが当たり前だと思っていたというか、田舎に行くほどそうだと思ってた。だが違ったのね。ボックス席に座れたのは、ここだけで、これから先はほとんど全部長いすだったのだ。長いすはねー、外が見られないから嫌なのよね。わたしは鈍行列車で音楽を聞きながらボーッと流れていく車窓を見るのが大好きだから。

10時16分、宇都宮着。ここからさらに東北本線に乗る。10時26分発。

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わたし、宇都宮駅の看板を撮って気が付いたんだけど、駅の看板、漢字表記のところとひらがな表記のところがあるんだよね。東京駅は漢字だったけど、宇都宮駅はひらがな。統一されてないのが意外。駅名を漢字表記にするとかひらがな表記にするとか、どういう基準で決めてるんだろう?

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この電車の中には「とちまるくん」というキャラクターのシールがたくさん貼ってあって、栃木のそれぞれの名産とか名勝を紹介してた。撮った画像は駅員さんだったけど、宇都宮の餃子とか、日光東照宮の「見ざる言わざる聞かざる」とか、そんなのもあったんじゃなかったっけ。こういうキャラクターがいるの、ここで初めて知りました。てか本当に今、各地のキャラクターがあるよねえ。この旅でもいろんなところにいろんなのがあったよ。しかし、この電車はなぜかすごーく混んでた。。最後まで。

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11時17分、黒磯着。11時33分、黒磯発。さらに東北本線に乗って北上。この電車も混んでたんだよなあ~。しかもさっき書いたように最初に乗った電車以外はずっと長いすだったので、景色も見れず。ちなみに音楽はiPodに入ってる曲をランダムに聞いてたような。。てか、この旅は「ここではこの曲」というのはほとんどなく、ずっとランダムだったような。そうするとたまに面白い現象が起こるんだよね(笑)

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12時38分、郡山着。12時42分、郡山発。まぁね、ここは本当に記憶ないね。だいたい乗り換え時間4分だと、着いたときに駅の看板撮って、それからこれから乗る電車の画像撮ってたらそれだけで多分おしまい。てかそれだけのことができるか、かなりドキドキなんだよねー。

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13時28分、福島着。14時11分、福島発。ここで30分以上時間があったので、駅の改札を出て(青春18きっぷは乗り降り自由)すぐ近くにあった喫茶店みたいなところで昼ご飯を食べる。何食べたかな~。旅行中は基本、昼食抜きなんだけど、なんとなくお腹が空いたんだよね。でもそんなに食べたいとも思わなかったので、軽くサンドイッチを食べたんじゃなかったっけ。コンビニに売ってるようなサンドイッチだった。それとコーヒー。画像は撮ってなかったね。今気が付いたけど。

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15時36分、仙台着。取り敢えずこの旅行の目的地の一つ。なんか仙台駅はあちこち工事をしていて、看板も仮に付けた、みたいなのが多かった。しかし朝8時半から15時半まで7時間か。7時間というとすごく長い感じがするんだけど、感覚的には「あっという間」だった。しかしこの電車、気が付くと右側の画像のような「もし津波が起こったときは」という注意書きが貼ってあって「ああ、震災があったところなんだよなあ」って。

まぁそれは、この旅行の日程を組み立てるときから思ってたけどね。わたしは行きと帰りは同じ道を通って帰りたくない性分なので、いかに「一筆書き」で行って帰るかを考えながら乗る電車を決めてるんだけど、今、常磐線の一部がまだ動いてなかったり、山田線の一部が代行バスだったりで、日程を組み立てるのにかなり苦労したんだよね。てか、常磐線経由では絶対に戻れないので(原発の影響で電車が動いてない)、仕方がなく行きと帰りは同じ東北本線経由を使わざるを得なかった。ただ、わたしは生まれてから一度も鈍行で東北を旅行したことがないので、当然のことながら震災以降、ここら辺に来たのは初めてなのだ。

あ。しかし。仙台は行ったことがある。過去に1度。学会で。あと東北は「点」で行ったことがあるところが多くて。例えば先ほど乗り換えのために降りた郡山は友だちの結婚式で1度来たことがある。あとは青森。青森は今まで2回行ったことがある。大学の時の乗船実習で1回、去年1回。あとはなし。そのくらい、縁がうす~い土地なんだよね、東北って。わたしにとっては。福島から東北だから、東北って「結構近いんだなあ」と思ったのだが、実はまだまだこのときは分からなかった。東北ってものすごく広いんだということに。。

そして今の時点では震災の影響があったとは全く感じられなくて。まぁそういうところを通ってこなかったからだけど。

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太子堂。本日泊まる「道中庵YH」があるとこ。っていうか、上に仙台に来たことが一回あってと書いたが、そのときもここに泊まったんだよねえ~。ちなみに右側の看板の上に付いてるおむすびみたいなキャラクターは「むすび丸」というんだそうだ。これも初めて見た。

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来たのが昔過ぎてもう全然覚えてなかったんだけど、YHの入り口。ここはねー、かつて泊まったときは自家製のお米とか野菜とか、そんなのでご飯を作ってくれてたんだけど、今は朝食のみで夕食の提供はなしになってた。あのときはちょうど、お米が不作の年だったかで、安いタイ米か何かが大量に入ってきたときだったんだけど、ここでは自家製のお米を食べさせてもらったことを記憶している。というわけで、夕食の提供がないんだから、仕方がなく仙台に行って何か食べるか、ということにし、もう一度仙台駅へ。

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の前に、太子堂駅のすぐ近くにある「ヨークベニマル」。東北には縁もゆかりもないけど、ヨークベニマルを見ると「東北」って感じがする。というのは、昔、ヨークベニマルの社会人野球チームがあったからだ。

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仙台駅は7日から始まる七夕祭りのために、改札降りたらこんなふうになってた。

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駅のあちこちにこんなのがあってねー。70年連続開催できたのも、ずっと平和だったからだよなーとか、そんなことを思ってた。だって、予約投稿したからあの時点ではここにはアップされてなかったけど、8月6日の日記は既にもう書いてて、あの中で「高校野球が始まって今年で100年だけど、第97回なのは、途中、戦争の影響で中止になった年が何年もあったからだ」と書いてたから。この旅は平和について考える旅でもあった。というか、平和だから旅行できるんだなってずっと思いながら旅行してた。

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外から見た仙台駅。しかし仙台は東北一の大都市だからか、なんだかすげーでかかった。駅なんかもものすごくでかかったし。中国地方でナンバーワンであるはずの広島駅はこれに比べると格段にショボイんだが。。ってなんで広島駅が出てくるかというとよく分かんない(笑)きっと東京、大阪、名古屋以外で知ってる大都市は広島駅しかないからだと思う(笑)

夕食を食べる時間まではまだ少し早かったので、どこかに行こうと思ったのだが、どこかに行けるほどの時間の余裕はなく。本当なら青葉城址などに行ってみたかったのだが歩いて行くには遠すぎて。だとしたら、もうここしかないよね、ここ。

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「広瀬川~、流れる岸辺~、思い出は~、帰らず~♪」で有名な広瀬川。まぁ行ってはみたけれど、ただの川でした(笑)なんとかして面白いところはないかなあと思って脇の森みたいなところに入ってみた!

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遠くからみると「なんじゃあこりゃあ」って像が見えて、近づいてよく見てみるとこれはキリシタン殉教の碑らしい。「ふ~ん、そうなんだ」くらいしか思わなかったのだけど、キリシタンは九州のイメージが強いんだが、ここら辺にもキリスト教が入ってきてて殉教者っていたのね。で、像から離れて行こうとしたら。

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猫ちゃん!なんか小柄な猫ちゃんなのか、それともまだ仔猫なのかは分かんなかったけど、猫ちゃんがいた。あんまり近づくと逃げちゃうと思って望遠で。かわいかったー!

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森の中の道をざくざく歩いてたら、黒い羽根のトンボが(多分、思いっきり見にくいと思うが)。黒い羽根のトンボって初めて見たー!しかし、ここは工事中でその先は行けず。結局来た道を戻ることに。

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そうそう、仙台の街を歩いてるとこの銀行があるんだよね~。七十七銀行。ここも社会人野球チームを持ってる。前はなかなか全国大会に出てこられなかったけど、JTとかなくなってしまってちょこちょこ都市対抗などの全国大会にも出てくるようになった。てか、JTの応援は好きだったんだけどな、、、

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適当に歩いてたら、小学校があって、なんか土井晩翠の母校だとか。そこには「荒城の月」の作詞をしたって書いてあったけど、わたし、荒城の月=滝廉太郎で、作詞をしたのは誰か全く知らなかった。すいません、、、なんかこの学校の中に資料室があるらしいんだけど、まぁ、時間がなかったので(しかも夏休みだし)、行ってません。

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仙台の街はこんな感じだった。七夕祭り近しって感じなのかな?

で、夕飯なんだけど、仙台は「牛タン」しか思い浮かばなかったので、取り敢えず牛タン定食が食べられるお店に行って牛タン定食を。ありきたりなんだけど、事前情報これしか知らんかったんだもん。

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うーん、旅行中のメモが消えてしまったので詳細は忘れたけど、確かこれは特製じゃなく普通の牛タン定食で1300円くらいしたかなあ。特製のになるとちょっと高くて手が出ないよって値段だったので、普通のにしたんだけど、んー、なんかちょっと硬かった。特別美味しいとはあまり思わなかったな~。

YHに帰ったら、同室にもう一人の人が。なんかよく分からないけど、旅行しようと思ったんだけど、あまりにも暑かったのでめげて、地元のYHに泊まったんだとか。どこの人かはよく分からないけど、仙台のことについて詳しそうだったので、いろいろ美味しいとことか教えてもらったんだけど、地元で美味しいタイ料理とかカレー屋さんとか、うーん、、わたし、仙台でしか食べられないものが食べたいんだけど(笑)って感じでした。まぁ確かに地元に住んでる人と旅行客の行くところは違うよねえ。

というわけで、初日はこんな風にして終わった。その2に続く。
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11-30 Mon , 2015
夏の東北旅行記 その2(東北レインボーSUMMERフェスティバル)
その1の続き。

しかしなぜこの日程で東北旅行をしようと思ったかというと、「8月2日に仙台で『東北レインボーSUMMERフェスティバル』があるからそれを見に行くため」だったんだよね。わたしは地方に住んでたこともあったけど、セクマイの活動は東京以外ではやったことがなく、地方の人が地元でどんな活動をやってるか、地方のセクマイはどんな感じで暮らしてるのか、そういうのがずっと知りたかった。地方のセクマイの人がどんな思いをして日常生活を送っているか、しばしば耳に入っては来たけど、実際にその場に行ったことはないし、雰囲気も分からない。それに特に地方には長く活動をしている団体が数多くあり、そういうところから学ばせてもらいたいとも思っている。地方というのは仙台に限らずね。

それから、東京で行われるプライドパレードのときは地方からもたくさんの団体の人が来てて、そこでいろいろ話したりはするんだけど、いつもいつも東京でしか会わない、というのが嫌だった。だってそれは彼らにとっては「非日常」なわけで、わたしはそういう彼らの「日常」が知りたかった。それと東京のパレードなんかわざわざ行かないよ、って人もいるだろうからね。そういう人と会って話をしたかった。

東京に住んでる人は、ほとんど東京を出ることはない。いつもいつも地方から来る人を迎えるだけ。わたしが地方に住んでたとき、東京に住んでた友だちはいつも「今度はそっちに遊びに行くから!」って言ってたけど、実際は1度も来てくれたことはなかった。そりゃ確かにわたしが東京に行くのは友だちに会いに行くだけではなく、別の用事もあったりしたからだけど、だけどいつもいつも「こっちから会いに行く」のは不公平だと思った。東京の人は傲慢だと思った。そういう経験があるからわたしはそうはなりたくないって思ってるんだよね。こういう、いくつかの理由があって、わたしは今回東北に行ったのだ。

8月2日(日)
宿泊先の「道中庵YH」は夕食の提供はなくなっちゃったけど、朝食はあるので。

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お米は宮城県産のお米って書いてあったかな~。

「東北レインボーSUMMERフェスティバル」は13時からなので、YHにいられるギリギリ10時までは部屋でのんびりして、それから出る(YHは連泊でもチェックアウト時間以後に部屋にいることは出来ない)。

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YHの玄関先にあった「むすび丸」。かわいい。気に入ったんで撮っちゃった。

それから仙台駅まで行ってふらふらと~。仙台と言えば「萩の月」なので、そういうのを買ったり。しかし、よく考えてみれば仙台って帰りも通るところだったので、何もこの日に買わなくてもよかったんだよね。。。「萩の月」は本当にわたし大好きなんだけど、一つ一つ箱に入ってたりするのがあまり好きではなく。なんかどこかで簡易包装の「萩の月」が売ってると聞いてたので、ネットで調べてわざわざ買いに行く。と言っても仙台駅の駅ビルの地下だったっけ。

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「東北レインボーSUMMERフェスティバル」の会場は仙台市市民活動サポートセンターというところだったんだけど、そこで7月18日から8月9日まで「虹色七夕」という展示イベントもやってたのね。だからそれを見るためにちょっと早めに着いておこうと思って「萩の月」を買った後、そちらへ向かった。で、上の画像は全然関係ないですが、確かあおば通とどこか交差してる広い道を渡るときに、歩行者は地下に降りなくちゃならなくて、地下に行ったらそこにあったもの。これは一体なんなんでしょ?噴水の施設だったとか?冬になるとここから暖かい空気がぶわーっと吹き出すとか?(それにしても仙台はものすごく暑かったです!!)

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そして、会場の仙台市市民活動サポートセンター。なんだかすごーく立派な建物だった。そこの5階の展示スペースで「虹色七夕」をやってたので先にそれを見に行く。

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展示スペースは全体がこんな感じ。

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まぁ一角と言えば一角なんだけど、でも丁寧に読んでいくと全部読むのはかなりかかると思った。当事者のメッセージあり、東北地方のさまざまな団体の冊子あり、芸術作品みたいなのもあり。

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こんな感じ。そうそう、一番右の画像の下に貼り付けてあったのは、七夕に関する短い小説だったんだけど、読んでみたらすごく笑えて面白かったので全文撮って来ちゃった(いいのかしら?)。

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わたしはこれ系統の話が好きでね(笑)彦星は実はゲイって設定。まぁホントはこれじゃ織姫がなんだかいいヤツでかわいそうに思えてくるんだけどね~(一年中機織りなんて(涙))。

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「虹色天の川」という作品。確かこれ、学生団体の作品だったっけ?当事者かどうかは分からないけど、いろいろな人の願いが書かれてあった。中には「おにくたべたい」というのがあって、書いてるときにお腹が減ってたのかな?とか思ったり(笑)「同性愛は罪と言われた」というのは見ててつらいね、、

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やっぱり忘れちゃいけないのがこれ。なんだけど、時間がなくてほとんど読めなかった。ウェブサイトでも公開してると書いてあったので、読んでみようと思いつつ、まだ読んでない。

わたしがこの展示を見てるとき、他に1人だけいて、でもその人は当事者じゃなく、当事者のことが知りたかったから来てみたって言ってた。「東北のことはよく分かんないけど、多分当事者じゃなくても参加できる交流会とかたくさんあるんじゃないですかね~」って言っておいた。てか、このときはまだ知らなかったけど、実際、そうらしいです。

で、そろそろ時間になるかなーと思って今度は地下1階へ。

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エレベータ降りて会場の中に入るとこんな風船がたくさん。カラフルできれいでしたよ~。で、会場。

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なにやらここで話されるらしい。ただねー、会場全体の画像はありません。ていうのは、プライバシーの問題があって、誰が写り込むか分からなかったから撮れなかったんだよね。この舞台が一番前方として、その後ろに椅子が何列にも並べられていて、それを取り囲む壁際に地元の団体のブースがいくつか出てた。わたしが会場に着いたときはまだ全然客がいなくて「本当にこの座席、全部埋まるの?」って思ったんだけど、始まるに従って人が増える増える。結局席は全部埋まって、周囲に少し座るスペースがあったんだけど、そこまで人が座っているという、かなり盛況のようでした(確か、参加者108人だっけ?終わってから参加者人数発表の時に誰かが「煩悩の数と一緒」って言ってたことを思い出す(笑))。

でねー。実際、舞台の上でいろいろあったのも全部、画像には撮らなかったの。正直、どこなら大丈夫でどこがダメかよく分からなくて。うー、例えば名古屋のNLGRとかはそんなの気にしなくて誰にも聞かずにバシバシ撮っちゃってたけど、なんというか、「ここ」では誰が顔出ししてるかしてないか、ってのがよく分からず。なのでここからはほとんど画像はありません。わたしはステージイベントが始まるまでは各団体のブースに行って誰彼かまわず挨拶をしてました。かなーり変な人だったですね。すみません、、

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この会場がすばらしかったのは、こうやって耳が不自由な人のために話したことをパソコンに入力してこんな感じで出す、ってスクリーンがあったこと。これ、こんな感じでパソコンが4つあって、4人の人でやってました。どういう役割分担があるんだろう?って思った。

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こういうの、やってくれるシステムがあるようです、仙台って。見てたらなかなか大変そうだったけど、これだと一瞬聞き逃してもスクリーンを見れば分かるので、耳が聞こえても便利だった。

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これが始まったところ。ただしねー、フェスティバルは第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」、第2部「ステージ・パフォーマンス」だったのだが、このサービスは第1部だけだったんだよね。まぁ歌ったり踊ったりのステージ・パフォーマンスにはこういうのは必要ないのかなあとも思ったけど、でも、今、何をしているかちょっとだけ字幕の説明があった方が分かりやすいんじゃないかとは思った。リアルタイムで文字化しなくても、事前にどういうパフォーマンスをするかは分かってるんだから。

第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」は、武田こうじさんという人とあと地元団体の当事者、ゲイとバイセクシャルの人(確か女性自認の人だったか)の計3人のトークショーだった。地元では武田こうじさんは有名な人なのかも知れないけど、わたしは全く知らなくて。地元の詩人だったかなあ。時折、武田さんの作った詩を武田さん自らが朗読してた。

それが終わったあとは「Living Together in SENDAI」ということで、HIV/AIDSの手記朗読。なんか久々にこういうの聞いた感じ。わたしも以前、Living Together Loungeがあった頃はちょくちょく二丁目に行ってたんだけど、あれがなくなってからはHIV/AIDS啓発活動のイベントに行くことがなくなってしまって。名古屋のNLGRもとんとご無沙汰してるし。

そして第2部「ステージ・パフォーマンス」。最初は舞台の上で何人か出てきて女装姿で踊ってた。誰も知らない人なんで、その人たちの性自認などは全く分からないのだけど、男性に見えた人は4人くらいいて、女性に見えた人は1人いた。こういうところで男女混合で踊るのはかなり珍しいと思うけど、まぁわたしは最近、その手のイベントを見ることがないので、今現在それが珍しいのかどうかは分からない。踊りが終わったあとは一人で出てきて突然オペラを歌う人がいて、これはちょっと斬新。てのは、東京、大阪、名古屋などの大都市でやるイベントって性的少数者(主にゲイだと思うが)のパフォーマーがかなりいて、その人たちだけでできちゃうんだよね。この前にやった女装姿で踊るとか、あとはドラァグクイーンが出てきてパフォーマンスやるとか、それで一イベントできてしまうくらい人数がいる。だからこういうところで「ゲイ文化」の中には入ってないオペラを披露するってことはかなり珍しいのではないか。少なくともわたしはこれまで見たことはない。

なんていうのかな~。地方ではセクマイが少ないって言われる分、地域の人を巻き込んでいかないといけないのかなって思いつつ、でもこれはかなり重要で効果的ではないかと思う。セクマイはセクマイで固まってたって、理解者は全然増えないし、逆にセクマイで固まられると当事者でない人は中に入りにくくなる。けど、こうやって理解者を巻き込んで一つのイベントを作っていくのって、大変は大変だろうけど、別の理解者も増やすことになる。地方は人数が少ない分、そうやってやらなければならないんだろうけど、これは東京でもやってかなきゃいけないよね~。まぁ東京レインボーパレードでは、毎年大物ゲストを呼んで、コンサートみたいなのをやってるけどね。てか、わたしは東京で行われるこの手のパフォーマンスってあとは年末にやるgakuGAYkaiしか知らんわ。そういう情報、最近はホント集めてないから知らない。

まぁとにかく、このオペラのパフォーマンスは斬新でかなり気に入った(笑)

次は月子さんっていう、地元では有名なのかしら、ドラァグではないけど女装の人?がポールダンスのパフォーマンスをしたのだけど、その前に準備と言うことでその間に見た「青葉城恋歌」に合わせたPVが流れ。これがまたすごい笑えた。仙台駅とか、萩の月とか、青葉城址とか、広瀬川とか、仙台の有名どころが出てきて、月子さんと思われる人が男に振られるんだか振るんだか(よく覚えてない)、胸パッド代わりに萩の月入れてたり、それを食べたり、なんかすごく面白かった。「あー、仙台にとってはこういうのがベタで笑えるんだなあ」って思った。わたしはもちろん地元の人ではないから、同じものを見てても捉え方が違ってるとは思う。

ポールダンスって初めて見たんだけど、すごいね。本当はとてもとても画像に撮りたかったんだけど、撮っていいのか分かんなかったから、終わったあとの画像。

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あとで聞くと、後ろの方の人はバシバシ撮ってたそうです。が、わたしより前にいた人は一人もカメラ向けてなかったからな~。残念だった。これに垂直に身体を立てるのってすごい腕の筋肉が必要だよね。

てなわけで、ステージ・パフォーマンスも終わり、最後に抽選会。当たったらLGBTフレンドリーなスキー場だったっけ、そこのチケットがプレゼントされるとかだったけど、わたし、それに当たっても元々スキーやんないしってことで、「当たるな~」って思ってたら運よく当たらなかった(笑)ちなみにそのLGBTフレンドリーなスキー場、どこだったかは忘れた。会津とかだったっけ。なんか宮城県じゃないんだなあとは思った記憶はある。

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これが外れて持って帰ったチケットで~す。

会が終わって、前日同じ部屋に泊まった地元の人から聞いた回る寿司屋でも行くかと思ってたら、会場で知り合いになった人が親切にも夕飯に誘ってくれて、8人くらいで一緒に食べた。

そこでいろいろ地元の人の話が聞けて楽しかったけど、やっぱり震災の時の話になった。なんか地域によって全然違ったみたいだけど、地震起きてからライフラインが復旧するまでが大変そうだった。「1週間くらい風呂に入らなくても生きていけるって分かった」って話してくれた人がいるけど、そうなのか~って感じ。あとは「あの季節でよかった」って言った人も。電気が使えなかったから、冷蔵庫が役に立たなかったんだけど、まだ寒い時期だったから食べ物が腐らなかったって。それにこれから暖かくなる時期、というのも不幸中の幸いというか。住んでるところが基準以上に傾いたので全壊の対象になったとか、浸水してもう住めないのに半壊にしかならなかったとか、そういうことも聞いた。地震が起きてすぐに電気が来なくなったから、情報が全く来なくて、たまたま前の人がワンセグで見てたテレビをちらっと見たときに東京の画像が写ってたので、その人は「東京が震源地だったんだ!東京が壊滅したらどうなるんだろう」って思い込んでたとか。そんなことを面白おかしく話してたけど、まだまだあの震災に遭った人の記憶は鮮明なんだよね。

仙台ではいろいろ交流会などのイベントもあり、今度はそういうのに参加してみたいなあ~と思った。何回も行けるわけではないけど、1度は行ってみたい。

というわけで、楽しかったです、この日。お世話になった皆さん、本当に有難うございました。

その3へ続く。
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