----- -- , --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告 | page top↑
09-12 Sat , 2015
彼は秘密の女ともだち
昨日、観てきた。

この映画を知ったのは、6月だったか「パレードへようこそ」って映画を観に行ったときにその映画館にこの映画のチラシがあって。題名を観たときにすぐに「これはトランスっぽい感じだな」と思ったの。でも、その後、その映画館でこの映画の予告を観たときに「あ、なんだ。つまらなそ」と思って観に行くの止めたのね。それがまたなんで観ようと思ったかというと、友だちが「よかったよー、この映画。フランス映画だからか単純な話ではなかった」みたいなことを言ってきて。だから「んじゃちょっと観に行こうかな」と思って観に行ったのだった。

観た感想。面白かった。結末が「ああ、これが一番いい結末だよね」って思えるものだった。

どういう映画かというと、一口で言えば、MtFレズビアンと結婚後にレズビアンって気が付いた人のお話なんだけど、まぁ正直、今のわたしは誰か人を一口で「この人はこうだ」ってカテゴライズしてしまうことがとても危険だと思ってるので、ここにはわざとカテゴライズして書いたけど、本当はどういう解釈をしようがどーだっていいと思ってる。例えば結婚後にレズビアンだって気が付いたって書いたけど、もしかしたらバイセクシャルかも知れない可能性もあるし。パンセクシャルかも知れない。どちらかというとバイよりパンかもって気もする。きゃー、カテゴライズはしないって言ってるのに!(笑)

主人公は女性で、7歳のときに出会った親友とずっとずっと親しく過ごしてきた。その過程が映画始まってから5分くらいですんなり描かれる。が、最初の場面はその親友のお葬式の場面なのだ。主人公(クレールという名前)は親友(ローラという名前)の弔辞を読みながら、二人が出会って共に過ごしてきた日々を思い出す。大人になり二人とも何人かの男性と付き合って、それからそれぞれの男性と結婚する。ローラの方が先に結婚するのだが、複雑そうな顔を見せるクレール。クレールが結婚したときはローラは既にお腹が大きかった。そして子どもが生まれたときはローラは既に車いすに乗るようになってて、それからしばらくして亡くなる。

この二人が過ごしてきた場面でわたし「あれっ」って思ったのね。親友だとしても、お互いに手の平を傷つけて血を出してそしてその手と手を握り合って「永遠の誓い」なんかするかなあ、とか、木に大きなハートマークの中に自分たちの名前を彫ったりするかなあとか。確かに女同士には「シスターフッド」って概念があって、ものすごく親しい関係が想定されているけれど、その「友情」と「恋愛感情」の間って何が一体違うんだろう?って。これはわたしがレズビアンだからそう思うのかも知れない。わたしが「この人は友情止まり」って思う人と「この人とは付き合いたい」って考えるその「差」って、もしかしたら肉体的な欲求だけなのかな、とか。まぁこれは異性愛者も同じではあるんだけどね。異性はみんながみんな恋愛の対象ではないでしょう。「この人は友情止まり」って人だってもちろんいるよね。ただ、それが同性であると、付き合い方は異性より親密になるんだよね。友だちと一緒に旅行するというんだって、異性の友だちと一緒に旅行するというとなんとなくハードル高く感じるけど、同性の友だちとはすんなり行けちゃうもんね。そして同じ部屋に泊まるし、一緒に風呂入ったりして、同性の友だちは異性の友だちより「近い関係」になれちゃう。だからこそ、わたしは自分自身「親友と恋人の違いって、自分ではどこで区別を付けているんだろう?」と思うわけです。まぁこの映画は結局、そこら辺がすべて「鍵」だったわけなんだけど。

死んだローラはダヴィッドという男性と結婚したのだけど、このダヴィッド、結婚前から女装してたという。ローラはそれを知っていて「自分の前なら女装してもいい。けど、外ではしないで」と言っていたと。そのことを主人公のクレールはローラの死後、ダヴィッドの家を訪れたときに知るんだけど、最初はすごくびっくりしてそのことを拒絶する。

わたしは既に何人か女装して過ごしてる人を知ってるし、女装できないけど自分は女だと思うって言う人と何人か話したりしたことがあるので、正直、女装に対しては見てもなんとも思わない。ただ逆に世間から向けられる目の怖さを知ってるので「すごいなあ」とは思ってるけど。こういう感覚を持っているので、映画を観て「あ、フランスでも女装に対しては世間の風当たりは強いんだ」とちょっとびっくりした。だってフランスってPacs(市民連帯契約法)が一番にできて、同性同士の法的な保障がされるようになったかなり初期の国であり、同性愛にはかなり寛容な国のイメージがあったからだ。

このことはこの後の話にも出てきて、話が突然飛躍するんだけど、クレールのダンナ、ジルにクレールとダヴィッドが「女友達」として一晩泊まりに行ったことがばれたときに、クレールが考えたのは「ダヴィッドが女装している」という本当の話ではなく「ダヴィッドはゲイだと気が付いて自分に相談するために一晩一緒に泊まった」というウソの言い訳だったのね。それはジル自体も「同性愛は許せるけど、女装は許せないだろう」と考えてのことだった。ジル自体も映画の中で「周囲はみんなゲイだらけ」という発言をしてて、ゲイに対しては何も思ってないようだ。まぁ最初に取ったクレールの態度やジルの女装の受け入れなさ=フランスの現実かというと、それはわたしにはよく分からないけど、でも、少なくともそういう現実が少しはあるからこそ、こういう映画が作られるんだろうしね。

最初はダヴィッドの女装を受け入れられないクレールだったが、ひょんなことから女装したダヴィッドのことを「ヴィルジニア」と名づけて、その当たりから徐々に受け入れ始め、一緒にショッピングを楽しんだりして、かなり大胆な行動を取るようになる。ダヴィッドは自分がするのは「女装」ではなく、自分は「女なんだ」ということが分かってくる。ただし、性的指向は変わらずに「女性」なので、まぁカテゴライズはしたくないんだけど、MtFレズビアンってことになる。これねー、なんかどっかで「なんで女性になりたい人なのに女性が好きなままなの?」って感想のコメントを読んだんだけど、日本ではさー、異性愛者の性同一性障害の人しか出て来ないので「同性愛だとおかしいから、自分が異性になる」って理解してる人もいるんだよね。だけど性的指向(何の性が好きか)と性自認(自分の性別は何か)は別物なので、自分の性別を変えたい人であっても、好きになる対象は変わりません。実際、男→女に変わりたい人の中で、女性が好きな人の割合は約半数です。逆に女→男に変わりたい人の中で、男性が好きな人の割合は約10%くらいしかいなく、この差がなぜ生まれるかはまだ良く分かってない。けど、女性になりたい人で女性が好きな人は現実的にもかなりたくさんいます。この映画、そのまま受け取ればその事実を知らなくても「この人はそうなんだ」で済むんだけど、異性愛規範が強い人が観ると「え、なんで?」ってことになっちゃうんだよね~。映画を観る上でこのような予備知識は特に必要はないとは思うけど、観るなら自分の「固定観念」を外してみないとよく分からない映画になっちゃう恐れはある。

で、ヴィルジニアと「女同士」として楽しんでいるうちに、クレールにも変化が訪れる。ローラとの日々を思い出すのだ。そしてあることがきっかけでクレールは「ローラとはただの親友という気持ちではなかった自分」に徐々に気が付いていく。この辺の描写はかなりうまいと思った。この辺の気付かせ具合が複数のシーンに渡って出てくるの。これはねー、わたしのような割と歳を取って自分が同性愛者だと気が付いた人にとっては、自分の体験と重ね合わせてちょっと懐かしくなったりするかも(笑)クレールは自分が同性愛者(か、または女性も好きになることができるか、それ以外かは断定はできないけど)であることに気が付き始める一方、ヴィルジニアのことも好きになっていく。そのことに気が付かされるのは、ジルにダヴィッドがゲイであるって気が付いたみたいだから、自分は相談に乗っていると言った後、3人で一緒にテニスをした後にシャワーを浴びるシーン。ここでクレールは男性のシャワー室に忍び込み、ジルとダヴィッドが一緒にシャワーを浴びているところを覗き込む。ここの「妄想」ね。ここもうまいと思ったなあ~。結局この後、クレールは女装を辞めていたダヴィッドに「ヴィルジニアが恋しいの!」と告白してしまう。

あ、これはあらすじ通りに語ってません。わたしが語りたいと思った場面から語ってます(笑)なので、映画を観てない人にとっては「なんのこっちゃ?」って思うかも。

わたしが一番印象に残って、好きなシーンは、この「ヴィルジニアが恋しい」とダヴィッドに告白した後、ダヴィッドはヴィルジニアとなり、その名前の元となったヴィルジニアホテルにクレールを呼んだシーンです。彼女らは自分たちが愛し合っていると知り、部屋に行ってセックスをする。けど、身体をまさぐっている間にヴィルジニアの身体には男性器が付いている、ということに気が付いたクレールは思わず「あなたは男だ!」と言って部屋を出て行ってしまうのね。その言葉にヴィルジニアはベッドの上で涙をこぼす。

このシーンは本当にせつなかった。ヴィルジニアにとっては、別に身体に男性器が付いていようが自分は女なんだよね。シリコンの胸であっても自分は女なんだよね。でも、相手にとってはそうではない。そこの「ギャップ」なんだよね。

わたしはこの日記、過去にもよく書いてるけど「自分は女が好きだけども、では一体女とはどの範囲のことなんだろう」ってよく考えるのね。例えば染色体、性ホルモン、内性器、外性器がすべて「女性形」の完璧な女性しか女性として愛せないんだろうか、と考えると、特にそうと思えない。特に染色体とか性ホルモンとか内性器とか、外から見て分かんないものはそれの「あるなし」は判断しようがないし、あるから好きになって、なかったら好きにならないなんて保障はどこにもないと思う。のようなことを考えると「では胸がなかったら」とか「男性器が付いていたら」ということまで押し広げて考えることができる。まぁここは想像の世界でしかないけど、ここの部分は個人個人で異なってて「別に男性器が付いていても本人が女だって言ってるし、自分にもそのようにしか思えないからセックスできる」って人だって確実にいる。「やっぱり男性器が付いてたら女性とは思えないからセックスできない」って思う人もいるだろう。「胸はなくても男性器がなかったら大丈夫」って人もいると思うし、それは人それぞれだ。で、自分はどうなの?って思ったとき、まぁよく分かんないよね(笑)そうなってみなければ。ただ、基本、わたしは外見が「ボーイッシュ」な女性が好きなので、そういう外見をしたMtFを探すのはまず困難、ってことにはなる。ただ、MtFの人であれば、わたしは「どこから見ても女性にしか見えない人」はあんまり好きじゃなく(これはわたしが女性っぽい女性が苦手だと言うことがあるからだろう)本人はそう思ってないと思うけど周囲から気が付かれたりする「中途半端な女装」の人の方が好きなんだよね~ってこれ、すごい本人にとっては失礼な言い草であろうというのは百も承知です。

女装にもいろいろあって、本人がどのような「女の人」になりたいかはそれぞれだよね。みんながみんな「完璧に女を目指している」わけでもない。無精髭生えたままで女装したい人だっているはずだし、「それが女としての自分」って思ってる人だっているはず。そういう人がいる中で、わたしの好みは「無精髭生えたままで女装してる人」だったりするわけです。好きなのに理由はないけど、わたしはその中にとてもその人なりの「女性」を感じるんだよね~。わたしが評価するなんてすごくおこがましいんだけど「ああ、この人はこの姿で十分女性だ」と思う。

この映画に出てくるダヴィッドも実はあまりきれいな女装、って感じじゃない。けどそれが本当に魅力的。そういうのを見ると、今度は「性的な対象」ではなく「じゃあ、女性って何?」と思う。

ただし、ただしですけど、女性というのは「外見」だけじゃない。生まれてから「女性ジェンダー」で育てられたか、「男性ジェンダー」で育てられたか、というものすごい大きな違いがある。簡単に言えば「女としてしつけられたか」と「男としてしつけられたか」。MtFは「男としてしつけられた人」が大半だと思うので、物事への気が付き方などがやっぱり「男性だなあ」って思うことが多々ある。「男としてしつけられてきた人」は基本とても鈍感です。逆にFtMは「自分は男性だ」と思ってても、すごく周囲に気を使ったり、すぐに気が付いてくれることが多い。これは今までの育てられ方だから、本人のせいではないのだけど、外見さえ女らしくすれば女としてちやほやされるMtFとか見てると「女性のいいとこ取りだよな~」ってつい思っちゃうこともある。あ、でも生来よく気がつくんだろうというMtFの人ももちろんいるし、そういうのを自覚して振る舞ってるMtFの人も当然いるのは確かです。ただ数は少ない。まぁだから、わたしなんか生物学的な男女差はあるけど、社会的な男女差って本当に「作られてる」ものなんだなと思ってるんだけどね。で、そんなことをいうと「ジェンダーフリー」とか言って叩かれる。いや、だから、生物学的な男女差はあるんですってば。力の差などは歴然としてるし、体格差もあるし、そこのところは男女同等とは思ってない。けど、「女性はよく気がつく」とか「細かい」とか言うのは、持っている性質と言うよりはほぼ生まれてからの「しつけの成果」だと思う。もちろん男性だってよく気が付く男性や細かい男性がいる。だから、本質的にはそこは男女の差というよりも「気が付く人間と気が付かない人間の差」というだけで。そして「気が付かない人間もしつけをすることによってある程度は気が付くようになる」んだとわたしは思う。だから「よく気が付く人」は決して「女性らしい」ことではない。

とはいいつつ、わたしはやっぱり「女性ジェンダーとして育てられた人」としか付き合えないと思う。それは「男は泣くもんじゃない、感情を顔に表すな、耐えろ、強くあれ、物事に動じるな」と育てられた人は物事に対して鈍感になってて周囲に気が配れず、自分の大まかな感情は分かるけど細かい感情が認識できないってことを意味すると思っているから、それが抜け落ちている人はわたしは好きになることはないだろうなーということです。自分がそう育てられたことがないからどうしてそういう風に考えるのか理解できないってことがあるけど、わたしにとっての「同性愛」の「同性」は、こういう部分が一致してなければならないってことなんだろうなーって思ったりする。でも異性愛女性も「自分の好きな男性の範囲はどこまでなんだろう?」って考えることが可能だし、考えてみると案外面白いかも知れないですよね。まず、染色体、性ホルモン、外性器、内性器(って男性にはないよね?あ、前立腺があるか)が全部揃った「男性」しか男性として好きにならないかって考えて、ああ、案外外性器はあんまり関係ないかもって思えるかも知れないし、胸があってもいいかもと思えるかも知れない。女装する人であっても、性自認は男性の人もいるから、パートナーが女装してても許せるなって思う人もいるかも知れないし、いや、わたしは絶対に嫌って人もいるかも知れない。絶対に「男らしい」人でなきゃやだって人もいるだろうし、マッチョな人はあんまり好きじゃない人もいるでしょう。そんな感じで「性の概念」ってどんどん広がるもんだし、境界は本当に微妙なもんだし、個人的なもんだし、あいまいなものなんだっていうことです。

あ、映画と全然違った話になっちゃったね。ただ、このヴィルジニアのふるまいや気が付き方などがどこまで「女性か」は分かんないです、映画では。まぁそこまで細かくは描けないでしょう。この映画は「肉体」を介して性の概念の曖昧さを描いた作品だと思うし、それはとてもうまくいってると思う。

話は元に戻るけど「身体に男性器が付いている」という理由で「あなたは女性じゃない」と言われて涙したヴィルジニアの気持ちを考えると本当に胸が痛い。まぁ「女になりたいって思う人がなんで男性器を付けたままで平気なの?」って疑問を持つ人もいるだろうけど、これも個人差です。日本では今の法律で男性器が付いたまま女性の戸籍に変更はできないので、強制的に取られてるのが現状だけど、これはとても乱暴な法律で、外国では性別適合手術を受けなくても望む性に変更できたりするところもある。だからアメリカでは元女性の父親から子どもが生まれたりすることもあるんだよね。こう書くと「ええー、性の秩序が乱れている」と思う人もいるかも知れないけど、でも、子どもが欲しいのと自分が男性でありたい、というのはどちらを断念しなければならないものなんだろうか?「それが秩序だ」って考えたとして、ではその「秩序」を守ったからといって、得するのは誰でしょう。誰もいないよね。残るのは「秩序を守らせた」という人たちの自己満足と、子供を産めなくなった元女性の男性の悲しみだけです。しかもこのような人は本当にごく一部の人たち。その他多数の人は「性別を変えたい」とも「性別を変えた上で子どもを産みたい」とも思ってない。思ったこともない。それができるようになったからといって「そうしたい」と思うはずがない。だったら「秩序」の枠組みだって破壊されるわけではない。まぁだから、破壊されるはずのないちっぽけな「性秩序」を守るための今の日本の「性同一性障害特例法」はとても乱暴な法律なんだってことが言いたいわけだけど。

ではヴィルジニアには男性器が付いていた、だから男だ、だからクレールは男性器が付いているヴィルジニアは愛せないか、というところで事件が起こります。ここで交通事故を使うのは、とても安易だから、この部分はもうちょっと違ったものにならなかったのかなーって気はするけども。ただこの事故の直前のメールのやりとりでヴィルジニアがクレールに対して送った「わたしは女よ!」というメールも一つの「鍵」だと思います。この「鍵」を踏まえてクレールがここを乗り越えるためには、デヴィッド(ヴィルジニア)を意識不明にさせておく必要があるんだよね~。意識不明から戻すために、クレールは一つの行動に出ます。このシーンは亡くなったローズにデヴィッドがやった行為と対になる行為なのね。ローズにやった行為によってデヴィッドは再び女装しようと決意する。そしてそのデヴィッドにクレールがやった行為が、デヴィッドをヴィルジニアにする(=クレールがヴィルジニアを女性として受け入れた)という行為。登場人物の一つ一つの行為にすべて意味がある。こういう理屈っぽさはフランス映画っぽいって言えるのかな。ただ見てる分にはあまり理屈っぽさは感じられないけど。あとで振り返ったときに気が付くって感じ。

そしてヴィルジニアは意識を取り戻し、そして退院したヴィルジニアとクレールはジルの元に行く。「話があるの」と。そして7年後。

まぁ結末までネタバレさせたら面白くないのでここは伏せるけど、わたしとしてはとっても爽快な結末だったです。正直、現実的にかなりありそうな結末だなーと思った。ただ、この結末に対しては「意味がわからん?」って人もいるようです。まぁ上にも書いたように「異性愛規範」が強い人は「??」だらけの話だし、納得いかない結末なのかも知れないですね。

そうそう、あと一つ。わたしが気に入ったシーン。
上にクレールとヴィルジニアが一緒に泊まりに行く、というシーンがあったって言ったけど、そこで彼女たちは夜、女装の人がショーやってる性的少数者が集まる場所(なんて言うんだろう、クラブとも違うし)に行って女装の人が「わたしは女」とかいう歌を歌ってるのを聞いたり踊ったりしてるんだけど、そこで踊ってる最中に一人、わたしの好みのちょっと少年っぽいレズビアンの子がクレールに近づいて来てモーションかけるのね。でもクレールはその子には目もくれず、ヴィルジニアの方しか目に入ってないし、そのうちヴィルジニアと一緒に踊り出しちゃうの。だから、そのモーション掛けて来た女の子がすごい名残惜しそうにクレールのことを見てるんだけど、もー、そのシーンの女の子、すんごくかわいかった!!!思わずかわいくて笑っちゃった(笑ってる人他にいなかったけど)。こういう細かいシーンなど、本当にこの映画、よくできてます(ただわたしの好みの子が出てきただけか(^^;)。

だけどこの映画、もう封切られてかなり経つけど、セクマイ界でもほとんど話題になってないように思えるのはなぜなんだろう?「パレードへようこそ」はあんなに話題になったのに。これは「新しい家族の形」の話です。ストーリーに無理がなく(交通事故のところを除いては)登場人物の行動も突飛ではなく、心理描写もとても緻密に描けてると思う。本当にお勧め映画です。東京では18日までシネスイッチ銀座というところでやってますが、19日からはアップリンクでやるようです。関西近辺も18日まで梅田でやってたかな。それ以外の地方はこれからみたいなので、是非。
スポンサーサイト
16:39 | (性的少数者)映画のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
09-13 Sun , 2015
国立ハンセン病資料館に行ってきました
ハンセン病患者が隔離政策によって過酷な人権侵害を引き起こしていたことはなんとなく知ってたし、それに今年の3月に大阪の「リバティおおさか」に行ったときもハンセン病の差別の歴史についての展示を見たりして、1993年に「らい予防法」が廃止された後も九州の温泉旅館が宿泊を拒否するなどして未だにその差別がある、ということは知っていた。でもそのときは「療養所に行ってみたい」とは思いもしなかった。

「あれ、行けるんだ」と知ったのは、昨日に引き続き「パレードへようこそ」が原因なんだけど(笑)それを観に行ったときの予告に「あん」という映画があって「なんか面白そう」と思って観に行ったからだった。「あん」という映画(原作は同名小説)の中で、多磨全生園という療養所のロケのシーンがあったのだ。その後、わたしは小説の「あん」の方も読んだ。映画では確かに元ハンセン病患者に対する差別が描かれてはいたが、それに対して「ずいぶん昔に特効薬ができて今はもう治る病気になってる。だから元患者から感染することはない」ってことはほとんど強調されてなかった。わたしはそれがちょっと不満だったのだが、原作の方はそれがきっちりと書いてあったし、しかしそう書いてはあったが、登場人物は元ハンセン病患者の徳江さんが住んでいる多磨全生園を訪れたときに「移るのではないか」とビクビクしている描写もある。小説の方が人の差別感情、偏見に対してよりリアルな感じがした。映画はその部分ではちょっとマイルドだったかなあと言う感じ。

まぁ感想はこれくらいとして、そのときに初めて「行きたい」って思ったの。多分、家からそんなに遠くじゃないはず。だけど「いつか」って思ってた。が、先月の終わりだったか、東京新聞をなにげにめくってたら「多磨全生園『人権の森』散策ガイドの開催に伴う参加者の募集」という文字が。これはまたとないチャンスじゃん!と思って、早速応募した。先着50名ってことで大丈夫かなって思ったんだけど(わたしのように「あん」を見て「行きたい」って思った人って他にもいると思って)、でもなんとか先着50名の中に入れたようだった。

で、今日、行ってきた。集合場所が「国立ハンセン病資料館」だったので、まずそこに行ってきたんだけど、なんというか、国立ハンセン病資料館は、多磨全生園の中にあるのね。

20150913 120343  20150913 091423-1


入口はこんな感じ。

20150913 091501


休館日を見ると、土日祝日ではなく、全部翌日とか月曜とかなので、休日は開いてますってこと。

20150913 120308  20150913 091540


入口に今日の催し物の張り紙が。最初はここの「映像ホール」というところで市長の挨拶やら自治会の会長の挨拶やらボランティアの人の挨拶やら。てか、わざわざ東村山市長がこんなところで挨拶するって、これ、そんなにすごい行事だったんかと少しびっくりしたのだが、東村山はほとんど多磨全生園と歴史を共にしてきているらしく(東村山の歴史は126年で多磨全生園の歴史は106年って言ってたっけ?)、ここで人権啓発をきっちりやっていきたいようだった。3人の挨拶の後、資料館の職員さんだったっけ、多分そうだったと思うけど、その人が20分くらいのガイダンスを。ここに入所してくるときは本名を奪われ、ここで新しい名前を付けられて、そして死んでからも外に出られないのだ、と。わたしは今日初めて知ったんだけど「北条民雄」って人がいて、その人は23で亡くなったけど作家だったらしい。その人の生誕100年がつい最近だったらしいが、死後77年経って初めて本名が公表されたと。その他にも2年前に亡くなった詩人がいたんだけど、この人は弟さんが葬式に来たけど本名は名乗れなかったと(ただし、その後、弟さんが親戚を説得して自分ところのお墓に分骨できたらしいです)。「今でもこういう現実があるのだ」と教えてくれました。そして前で話してた誰もが言ってたんだけど「この施設は本当に広い。だから、今日、1時間やそこらで全部回るのは無理。なので今日をきっかけにして何度も来てください」って言っていた。

その後、5班に分かれてボランティアの人に説明をしてもらいながら、散策。50人だとしても1班10人だから、これまた少人数でじっくり説明してくれる感じ。散策ルートが書いてある地図をもらったが、確かに園内は広すぎて今回回れるのはごく一部って感じだった。

20150913 104102


まずは「永代神社」。確か「えいたい」ではなく「ながしろ」って読んだと思う。この神社、実は入所者の宮大工さんが建てたそう。っていうか、ここは隔離されてたんで本当に全部自分たちの手でやらなければならなかったみたい。この先のものも全部作ったのは入所者だったと言ってた。だいたい元々多磨全生園は今よりもかなり狭かったんだけど、入所者が増えてしまったので、入所者が働いたお金(園内で家畜を飼ったり作物を育てたりしてたらしい)で土地を買い、今のような35万平米の大きさになったらしい。だけど、土地を買っても自分名義で登記できない(本名名乗れないし、戸籍とかどうなってたのか分からないけど)ので、入所者が土地を買って国名義にしたのだとか。でもそういうのって「国有地」になるのだろうか?そこら辺、どう整理してあるのかよく分からないけれど。。今度行ったときに誰かに聞いてみようと思う。というわけで、土地からして自分で稼いで広くしたのだ。

20150913 105636-1  20150913 105423  20150913 105313-1


入所者の中には学齢期の子どももいたので、園内には学校があったらしい。1979年に生徒がいなくなって閉校になったあともしばらく校舎は残っていたのだが、老朽化のため2008年に取り壊されたそうだ。だから今はひろーい空き地みたいになってる。「出発」というのは、最後の生徒たちで作った記念碑らしい。

20150913 105728   20150913 111428-1


「望郷の丘」と呼ばれるところ。ここはもちろん元々は平地だった場所なのだが、昔は隔離政策で脱走できないように周囲は全部堀があったらしいのね、というか、この堀も入所者が掘らされたのだが。その余った土をここに持ってきて丘みたいにしたんだと。そして木を植えてここの高いところから自分の故郷を思う、そういった場所だったらしい。今はぐるりに柵があって中には入れない。数年前までは入れたそうだが、子どもが落ちたとかで。ここから眺める景色はどんな景色だったんだろう。

20150913 111639-1  20150913 120404-1


ちなみにこれが敷地内と敷地外を区切っている木々です。さっき言った堀もここに沿ってあったらしい。といっても、今はもう区切られてません。外から見ると(右側の画像)何やらまだ背の高い木が植わってるけども、それはもう施設内、なんです。元々の区切りは左の画像に見られる今は1mくらいになってしまったものです。この画像を見るだけだとなんか雑然と雑草が茂ってるだけに見えるかも知れないけど、ここは元々柊(ひいらぎ)の木が3mほど生い茂ってて、その上には鉄条網なんかも張り巡らされていたらしい。これは確か「あん」でも出てきたけど、柊の葉っぱってトゲトゲしているので痛くて突破できないのね。そういえば、今日、ここを案内してくれたボランティアのおじさんは地元で生まれ育った人なんだけど、子どもの頃は親から「ここには絶対に近づくな」と言われていたそうです。「病気がうつるから」と。

20150913 110632


ちょっと見にくい画像でごめんなさい。ここには「敷石道 この一帯は関東ローム層で、雨の日や霜柱が融けたときなどは、下駄がとられるほどぬかて、更に盲人たちは出歩くのに難渋した。1930年頃、道に石を敷く話がもちあがり、患者と職員とか費用を出し合って工事にかかった。しかし、これではとても足りず、「多磨」誌の前身である「山櫻」を通すなどして募金を呼びかけ、それぞれの不自由舎をつなぐとともに、医局や風呂場、礼拝堂などへの敷石道を造った。盲人たちは敷石を杖の先で探り探り歩いた。」と書いてある。その敷石道ってこれ。

20150913 110639   20150913 111308-1


広い道も狭い道もずっと敷石が張り巡らせてあった。

20150913 110907-1


唐突だけど、園内には宗教施設がいくつかあった。これは聖公会のを適当に撮ってきただけだが、仏教(宗派は分からず、、)とキリスト教(カトリック、おそらく日本基督教団、そして聖公会の3つ)があった。やはりこういうところで暮らしていると宗教は心の支えになるんだろうね。しかし、様々な職業の人たちがいたからすべて入所者の手でやってきたと言っても、宗教者まで入所者とは思えず。でも隔離政策の中、坊さんや牧師さん神父さんたちはどうやってここの施設にいたんだろうか。まぁこれも次に行ったときに誰かに聞いてみよう。

20150913 112337-1


園内は本当に緑が多いんだけど、これは緑化委員会の人たちが植えたり、あとは1本5千円で個人個人が苗木を買って植えたものらしい。その木のところには名札が付いてたりした。この他、写真は撮ってこなかったんだけど、さくら公園と呼ばれる桜がたくさん植わってるところや、梅園などもあった。あと今回は行かなかったんだけど、恩寵公園というところもきれいらしい。そういう意味ではとても自然が残っているというか、この自然は意図して作られたものだから残ってるわけじゃないけど、ちょっと自然を感じたくなったらここに来るといいなあって感じ。森みたいなところもあった。

20150913 112827   20150913 112908


そして、最初にも書いたけど、ここに来た人は死んだ後も故郷には帰れない人がたくさんいました。だからこうやって納骨堂も自分たちで作らざるを得なかった。右側の画像の「尊厳回復の碑」というのは、強制的に堕ろされた子供たちを偲んでだそうです。入所者は結婚できても強制的に断種手術をさせられて子どもを作らせないようにされていた。世界にハンセン病患者を隔離していた施設は多々あれど、断種手術まで行われていたのはただ日本だけだそうです。ちなみに堕ろされた子供は長い間ホルマリン漬けになってたらしい。碑の前におもちゃが置いてあるのは、子ども(にもなれなかった)霊を慰めるためでしょう。納骨堂とか、そういうものはあまり撮りたくなかったので撮ってこなかったんだけど(だってやはりとても神聖な場所だと思ったので)、この話を聞いて「これは撮るべきだ」と思って撮りました。もう二度とこういう目に遭う人を(親も子も)出してはならない。

20150913 112438


これが「いのちとこころの人権の森宣言」の碑。ボランティアの人が「どうぞ全文読んでください」と言っていた。東村山市内の小学生には見学に来た際に、この文を声を出して読ませたりするそうだ。ここにはもちろんまだ実際に住んでいる人がいる。200人くらいいるって言ってたかな。だから傍若無人に見学していいというわけではない。あくまでも住んでいる人の迷惑にならないようにして見学しなければならない。そしてこの地で何が行われていたか、それを勉強する地でもある。そして二度とこのようなことを起こしてはならない。それを十分肝に銘じるところでもある。東村山市には是非頑張ってここを保存して、そして一人でも多くの人が訪れるようにして欲しい。

こんな感じで時間としては約1時間ちょっとだったかな。説明を聞きながら回ったんだけど、あっという間だった。一つ一つもう少し丁寧に見たいと思ったんだけど、ボランティアの人は「自分がゆっくり回りすぎて、資料館見学してもらおうと思ったのにほとんど時間がなくなってしまった」って言ってたんで、これでもかなり時間を掛けて回ったんでしょうね。確かに散策が終わってから、資料館に戻ったんだけど見学時間はあと20分くらいしかなかった。ので、ほとんど資料館は見られず。でもいいんだ、また来るから。

終わりにまた映像ホールに戻って、そして市の人の挨拶聞いてアンケート書いて終了。

ここでは定期的に「お話し会」とか「清掃ボランティア」とか「お祭り」などという行事が行われているらしい。だから、そういうのをきっかけに行ってみるのもいいかも知れない。
23:59 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
09-14 Mon , 2015
今日は国会前へ
20150914 110921


今日、国会前に行きます。

わたし最近「この法案が通ったら自分の生活はどう変わるんだろう」と思うことがある。多くの人の戦争のイメージは、先の太平洋戦争の「本土決戦」なのかも知れないが、きっとこれからはそんなことにはならないと思う。

(あ、中国とか韓国とかいわゆる北朝鮮が攻めてきてっていうのは、最初から却下ね。あれはどう考えても現実には起こらないような気がする。だって、どういう理由があって日本を攻めてこようとするのかが全く分からないから。尖閣?あんな人も立てない(もちろん住めない)ような岩礁が欲しいと言って中国が日本を攻めるだろうか?あほくさ。日本を占領して中国にしたい?あんな広大な領土を持ちながらこんなちっぽけな島国を攻めて何か中国にメリットある?しかも地震は頻繁に起こるわ、災害は頻繁に起こるわ、火山は噴火するわ、デメリットはたくさんあるのに国土には資源が全くないところだよ、日本列島って。はっきりいってお荷物にしかならんだろうよ、こんな土地持ってても。考えられるなら海洋資源だろうが、これねー、日本近海に資源があるあるってわたしが大学生の頃から言われてるけど、これが開発されて「何かがありました!」って未だに聞いたことがないんだけど。。韓国も竹島のために日本を攻めてくる?日本海を東海って呼びたいがために攻めてくる?(笑)あー、あほくさ。いわゆる北朝鮮に至っては、あそこは韓国は敵だけど日本まで攻め込む余裕があるとは思えないんだけど(この言い方はいわゆる北朝鮮を非常に馬鹿にしていると思うので、あまりこういう言い方はしたくないんだけど)。ってことで、隣国がうんぬんについてっていうのは、ただ政府が馬鹿な国民に対して危機感煽りたいためだけのウソ方便だと思ってるのね、わたし。)

じゃあ政府は何のためにこの法案を通そうとしているかというのは、まぁアメリカのためだってのははっきりしてるよね。だってこの法案は「夏までに絶対に通します」って去年の12月の時点で自衛隊の偉い人がアメリカに対して勝手に約束して来ちゃってるんだし(国会軽視も甚だしい)。それに南スーダンへの自衛隊の派遣の手順も内部資料で出てきたじゃん。結局日本はアメリカの戦争を支援したいから、この法案を通そうとしてるわけです。

確かに反対派の言うとおり、日本が世界で戦争に加担できるようになると敵は増えるだろう。そしてテロの標的にもなるだろう。そういう意味でもしかしたらしばしば日本国内でテロが発生するようになるかも知れない。

けど、多分それだけ。過去のように空襲されたり原爆落とされたりってことは多分ない。だから、わたしの日常生活もほとんど変わらないだろう(運悪くテロに巻き込まれたりしない以外は)。

これって今のアメリカと同じ。アメリカは今まで本土が空襲されたことはない。だから多くの人びとは「戦争はどこか遠い国でやってる」もので自分は巻き込まれない。戦ってくれるのはアメリカ軍兵士。それも大学の奨学金が返済できないから軍隊に入らざるを得ない貧しい人たちが多く含まれている軍隊。ある程度お金持ってたら軍隊には行かなくてもいいし、そういう金持ちの人たちの周囲には貧しくて軍隊なんかに行ってる人はいない。戦ってる人たちは応援するし、国の名誉だと思ってるけど、基本的に殺されても身内じゃないから胸が痛まない。いや、もしかしたら胸は痛まないけど「アメリカがやられた!だからやりかえさなければならない」と思うかも知れない。その気持ちがさらに戦争を拡大していく考えだとも思わないで。

多分日本もそうなるだろう。戦争に行くのは「誰か」で自分じゃない。その「誰か」が勝手にどこかで戦ってくれてる。戦果を挙げれば「日本がやった!」と喜び、「誰か」が戦死すれば「日本がやられた!」と思う。まるでゲーム。自分はぜんぜん痛まない。戦争で「誰か」が亡くなっても「尊い命が失われた。もうこれ以上犠牲が出るのは耐えられないから戦いを止めよう」とは考えない。「こちらの尊い命が犠牲になったんだ。敵にもダメージを喰らわせろ」としか考えられなくなる。でも、自分は平和な日常生活。テレビ見て笑い、映画を観て泣く。音楽を聞いて愉快な気分になる。美味しいご飯をたらふく食べる。これまでとちっとも変わらない。

これが多分、現実。きっと日本政府も「あの法律を通しても大半の人の生活は変わらなかったでしょう?だから、あんなに反対することはなかったんですよ。これからも安心して政府に任せてください」と言うだろう。

もちろんその裏では力のない、声を挙げられない人たちがたくさん犠牲になる。でもそれは見て見ぬフリ。だって生活が貧しいのは仕事しないで怠けてるからでしょ。そんなの自己責任だよね。それに自衛隊に入れば運が悪かったら戦場に送られて戦死するかも知れないけど、生き延びれば給料はもらえるわ、奨学金はチャラになるわ、うはうはじゃん。それって結局「勝ち組」じゃん?貧乏な人はそうすりゃいいんだよ。自衛隊に行かないなんて「甘え」。

きっと日本はこういう世界になるだろう。

そういう世界が来て欲しいか来て欲しくないか。

わたしは来て欲しくないから今日、国会に行く。
12:05 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
09-15 Tue , 2015
昨日のこと
20150914 193152


昨日書いたように、昨日は国会前に行ってきた。今回は一人ではなく初めて彼女と二人で行った。

実はわたしは12万人が集まったと言われている8月30日にも行ってて、その日は初めて国会前の道路が開放された日だった。それまではずっと道路と歩道の間には鉄柵がびっしりと置かれて、そこに警官が道路に出ないように監視してたのだ。で、歩道の中が2つに区切られてて、人が集まる場所と人が移動する場所になってた。

ところが30日は人が多すぎてどこかで鉄柵が決壊して道路に出られるようになったらしい。気が付いたらそうなってた。30日はわたしは時間ちょっと前に国会前に着いてたけど、まぁいつもよりは人が多いなあとは思ったが、そこまで多いとは感じなかった。で、今回は入ったことがない憲政記念館の公園に行ってみようかなあと思って中に入ったのだ。そしてそこからいつもいる国会前の北側のエリアの方に向かって歩いてたら、どうもなんかいつもと様子が違う。「どうしたんだろ?」と思って横を見たら道路に人が出てる。「あれれ?今日は道路に行けるんだ」と思って、公園から外に出て道路に出たのね。

だから、30日の時はいつの間にかどこかで何かが起こってそうなったんだろう、としか分からなかった。すごい混み合っていたというイメージも何もない。本当に「あれれ?」という感じ。そして道路に出ると、もう主催者が何をやってるとかどこで誰が挨拶してるなんて全く聞こえてこないの。その日は坂本龍一が来てたらしいんだけど、それは家に帰った後で知ったくらい。周囲ではみんな思い思いのコールしてるし、本当にバラバラ。これから何がどうなるか、いつまでやってんだかとかさっぱり分からない。なので、適当にいたいだけそこにいて帰ってきたのね、30日は。

昨日は国会前に着く前から警官がすごかった。しかし人もすごかった。正直、30日より人口密度は高く感じられた。だからわたしは道路も時機に開放されるだろうと楽観的に思ってた。

いつもどおり国会の北側エリア(集会が行われているところ)を目指して歩いてたんだけど、途中から人がいっぱいで動けなくなった。と言っても後ろから人が来るのか、あと自分がいたところがあまり窮屈だったので前の方に行きたいと思ってたこともあったと思うんだけど、それでも前の方に進んでて、結果的にはステージからは少し遠いけど(だから誰が喋ってるか何も見えない位置だった)、救護車のところよりは前方にいる、という位置に多分いた。途中まで写真を撮る余裕はあったんだけどそれも時機になくなった。

当初から「道を空けろ」という声は出てた。だけどもステージでコールが始まるとそっちに引きずられて「道を空けろ」の声はなくなる。でも自分のいるところは本当に人でぎゅうぎゅうでちょっと空いてる満員電車のようだった(本当の満員電車って足が地面に着かなくなるからね。密室だからそうなるんだけど)。だからステージで誰が何を言ってるなんて全く耳に入らなくなった。そのうちどんどん押されるようになった。「道を空けろ」の声もどんどん大きくなった。わたしも「道を空けろ」ってコールした。実はわたしはこれまで何回も集会やデモに参加してるが、一度だってコールしたことはなかった。まさか初めてのコールが「道を空けろ」だとは思わなかった。この日は大江健三郎が来てて、そこで挨拶したらしいんだけど、そんなの全く聞こえなかった。道路側の鉄柵で挟まれている人たちから「押さないで」という声が聞こえた。っていうか、わたしも鉄柵の方にどんどん押されて鉄柵のすぐ近くまで行ってしまった。そこは歩道と道路の際で歩道との段差があるところみたいで(もちろん見えないから感覚なんだけど)、片足が着かない。すごく不安定な場所。「ここに段差があるから居づらい」と言ったら、代わりに誰かが場所を替わってくれて、わたしは少し中に入れた。その人は屈強な感じの人だったけど両手で大きな旗を持ってて、だからその後ものすごく押されてたときにめちゃめちゃ体勢を崩しててとてもかわいそうだった。。というか、場所を替わってもらわなければ、わたしがあそこにいたんだと思ってとても胸が痛かった。鉄柵の近くから「押さないでください」と言われても、自分は押してるつもりはない。けどどこかから力が掛かって自分の身体が動いてしまう。だからきっと誰かを押してたし、押すなと言われても「無理」としか言いようがなかった。

っていうか、こうなっている原因はただ一つで、それは鉄柵で歩道が囲まれてるからだった。歩道にいる人数がもう飽和状態をとっくに越しているのに行き場がないから人の押し合いへし合いになるのだ。そこにいる警官は人が道路に出ないようにしてて、警官も「押すな」と言っていた。「気持ちが悪くなった人がいます」「倒れた人がいます」と言われたが、その原因を作ってるのは他でもなく道路を解放しない側であって、押したり押されたりしているわたしたちじゃない。国会前の道路は別にそこを通らなければ行くことができないところがある道じゃない。だって国会前の道から国会に入っていく車なんて一台もないのだから。国会前の道はまっすぐ行けば国会だが、国会前で左右に分かれてて、どこかへの抜け道だ。とすれば、そこまで道路を守ることはないではないか。車は迂回させればいいだけの話だ。警官は一体、誰を、何を守っているんだろう?市民の安全ではないのは確かなことだった。

そのうち、どこかの鉄柵が決壊したのだろう。道路に人がどんどん出て来た。だけどわたしたちの前の警官はそれでも封鎖し続けていた。人が押し、押されてうねりがすごかった。そのうねりに乗りきれない人は倒れた。わたしのすぐ横の人も倒れてしまった。超党派議員で結成している「過剰警備監視」って旗を持ってる人たちが近くに来たんだけど、こちらを見て悲惨そうな顔をしているだけで誰も何もしてくれなかった(ようにわたしには見えた)。道路の向こう側の自分はゆったりしたところでこちらの状況を見ている。警官は「押すな」というばかりで開放するつもりはない。けどどこかではもう決壊してて人が道路にどんどん出てきてる。なのにわたしは行き場がない。道に出てる人がどんなに羨ましかったことか。「誰も助けてくれない状況」ってこういうことなんだなあって思った。

目の前にいる警官に思わず叫んだ。「あなたは誰を、何を守っているのですか?」と。周囲は騒然としてたから警官にその声が届いたかどうかは分からない。もちろんわたしだって子どもじゃないんだから警察官は正義の味方でいつも市民の味方だなんて思っちゃいない。いざとなれば市民を抑圧する直接の手を下すのはこういった人たちだと言うことは十分知っている。それでも「何で、誰のために?」とわたしは叫びたかった。わたしは自分が本当にちっぽけな誰からも守られない存在なんだって思い知った。そしてわたしが今立ち向かってるのは巨大な権力なんだってことも本当に実感した。もちろん当の警官だって「自分は何のためにこんなことをやってるんだろう」って思わないことはないと思う。だって彼らの「働き」は誰の何のためにもなってないんだから(決壊したからには権力のためにもなってないだろう。昨日は完全に権力側の敗北だった)。ただ、上からそういう命令が下されてそれが任務になってるだけだ。それは分かるが、既に道路が開放されても「死骸化」した命令がまだ生き残ってる、それを感じてわたしはものすごくゾッとした。

周囲はみんな悲鳴とか思い思いの叫びやコールで騒然として、今はどういう動きをしているのかさっぱり分からなかった。鉄柵の近くにはいたのだけど、鉄柵を開けようとしているのかどうかも見えなくて、誰が何をやっているのかもさっぱり分からなかった。でもそのうち鉄柵がどけられたらしい。どけられたといっても全然見えなくて、どけられたといっても人がそこからすぐに道路に出られるようになったわけではないらしくて、なんだかよく分からなかった。けど、そこにいた背の高いメガネを掛けた外国人らしき人が(この人もその直前押されてぐちゃぐちゃになってたんだけど)「もう大丈夫です。出られます」って言った声だけで鉄柵が破られたってことだけ分かった。

だからわたしはこのとき実感したの。「混乱してたら自分の周囲1mで起こっていることも分からないんだ」って。

そしてなんだかわけが分からないまま、わたしは道路に出た。道路ではあちこちで「安倍は辞めろ」というコールが自然発生的に起こっていた。警官は集団になってどこかに消え去った。分かっていたことだけど、警官は別に市民を守るためにいたんじゃなかった。

しかしわたしはこうも思う。「あれだけ人がいて、あれだけぐちゃぐちゃだったのによく暴徒化しなかったな」って。あとから一人、公務執行妨害で逮捕者が出たって知ったけど、あれも権力側からの「見せしめ」だろう。あとは「暴力的な人がいました」と対外的にイメージを付けるだけの。道路が開放されてからも特に暴力的なことが行われたわけではなく、みんなは思い思いのコールをしてただけだった。まぁ確かに主催者側としては全く統制が取れなかった集会だっただろう。が、本当に平和的な光景だった。まぁそういうのが「日本」ってヤツなんだろうな。それが権力者に有効であるかどうかは別として。

道路が開放されて1時間、わたしはプラカードを掲げてから家に帰った。
12:27 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
09-19 Sat , 2015
わたしは忘れない
このタイトルを思い付いたとき、「そういえば、こういうタイトルの小説があったよね」ってふと思い出した。有吉佐和子の「わたしは忘れない」。どういうきっかけがあったのか忘れたけど、最初読んだのは中学生だったかな。結構好きな小説だった。売り出し中のモデルが主人公で、最初は楽しいこと、きれいなこと、でも物を考えることや泥臭いことが大嫌いで避けていた人なのだが、CMの撮影か何かである離島(確か黒島だったっけ?架空の島だと思うが)に渡ったとき、そこに台風が来て船が運航できなくなって島に何日間か閉じ込められちゃうんだよね。で、閉じ込められてる間、いろんなことがあり(これについては具体的には忘れたけど、災害とかいろんなことが起こったと思う)島の人たちがその中で泥臭く、地道に懸命に生きていることを知り、考えが変わっていく、という話だった。多分まだ持ってるはずなので今度読み返してみよう。
【追記(翌日)】ちょっと読み返してみたら、ぎゃー、話が全然違ってた(笑)CMの撮影かなにかで島に渡ったのではなく、いろいろあって傷心な気分で自らその島に行ったんでした。

前置きが長くなった。というか、いい加減、早く旅行記を書きたいと思ってるのだが、どうもその気になれなくてここまで来てしまった。でもこの一週間は自分自身が異様な緊張感を持ってた。特に横浜の地方公聴会があった16日から眠れなくなった。国会で今、どういうことが起こっているのか気になった。「そのとき」が来るのが怖かった。通ると分かってても「そのとき」が嫌だった。だからドキドキして全く眠くならなかった。

ついに通ってしまいましたね、安保法案。まぁこれは「想定内」のことだったので、通ったからと言って特に落胆はしてない。わたしはこの件で国会前を始め何ヶ所かのデモや集会に参加したけど、デモに参加する前は「デモに参加して、何かが変わるんだろうか」と思ってた。よくデモを批判する人たちが「ただ騒ぎたいだけじゃないか。発散させて終わりじゃないのか。そんなことをしても何も変わらない。自己満足に過ぎない」って言うけど、わたしもデモに行く前は確かにそれは言えると思ったし、だからこそデモに参加するのはちょっとねと思ってたし、デモに参加した今も「そういうところもあるかもね」って思ったりもするけど、でもやっぱり何か違うんだよなあって思う。わたしはこれに関するデモや集会にしか参加してないけど、確実に「響くもの」はあったんだよね。

最初はデモや集会に参加して「頭数」となることで、政府与党の議員の中でちょっとは「造反議員」が出たり、内部で異論が出たりすることを期待していた。過去、いろんな問題において政府与党内でも造反議員が出たりってことはよくあったことだし、内部から批判の声ってのも聞こえてくることはあったから。それは市民のデモの成果ではなかったけれども。でも今回、国会前にあんなに人が集まっても、政府与党からは一人の造反者もいなく、内部からの批判の声すら出てこなかった。これはすごく怖いことだと思った。これは決して政府与党が「一枚岩」ってことではない。だって人にはいろんな感じ方があるし、政治家だったらみんな自分自身の考えは持っているだろうし、自分の信念に基づいた行動をしたいと思ってるだろうし、自分の意見は言いたいだろうと思う。外に向けては発信できなくても内部では「やっぱり少しこれはおかしいんじゃないか」って議員間で話されてもおかしくないと思う。そうじゃなくみんな同じこと(強行な採決の仕方は正しいとか、議会運営の仕方は正しいとか、法案は絶対に通さなければいけないとか)を思ってたら却ってそっちの方が怖いよ(笑)完全複製人間じゃん。ロボットじゃん。

けど、そうできなかったのはそれが多分全部封じられてたんだと思う、上からの圧力によって。「異なる意見は言ってはいけない、それが例え内部であっても」という雰囲気に充ち満ちてたんだと思う。異なる意見が言えなかった、行動に移せなかったのはあくまでも自分の保身のため。造反して次の選挙の公認が取れなかったらとか、そういう「自分の保身」のために自分の信念を曲げた議員は絶対にいると思う。「政治家が本当にそれでいいのか」って疑問に思うけど、逆にもう政府与党の中では平気で「言論弾圧」が行われてるんだろう。そう感じて本当に怖かった。

しかも日に日に増える国会前の警察官。カマボコと呼ばれる青い車両(正式名称は知らんけど)が国会前の道路をふさぐ形でずらっと並べられたときは本当にびっくりした。国会前の道路は2回決壊したことがあったのだけど、そういうことが起こると力ずくでさせないように命令する。実際に決壊できないように車を並べる。いくら人が集まっても車をどかさない。結局こうすることは、政府与党に全く余裕がなかったことの表れだと思うが、権力によって抑え込もうとする態度。本当に怖いと思った。過去の自民党というのは、もっともっと余裕があって、そのことが逆に「大きな権力を持っている」という気がしたものだ。今は小物の政治家がなりふり構わずに権力を振りかざしている、そういう印象しかない。

ただ、結果的にはこういう態度が市民の怒りを逆に噴出させることになってあれほどまでになったと思うけどね。そういうことをもし計算できなかったとしたら本当に頭が悪い政府与党と言うしかないし、それは分かっていたけどそういうことは力で抑え込めばいいと思ってやっていたとしたら「民主主義って何?」って本気で思うし怖い。そしてその裏に「どうせ法案が通っても次の選挙までには有権者は忘れるだろう」という考えがあるとしたら、これほど「国民なめんな」って思うことはない(「国民なめんな」コールについては賛否両論あって、わたしは「否」の方なんだけども)。

ということで、政府与党についてはデモや集会によっても「変えることはできなかった」と思う。でもまぁ、これについては「ひょっとしたら」って思う程度でそんなに期待してたわけじゃないから失望感もない。ただ怒りだけは増したけどね。

しかし一方で確実に「響いている」と思ったのは、野党の態度だった。法案採決までできることを精一杯やる、それがこちらまで十分に伝わってきた。確かに法案は廃案にはできなかった。「所詮は引き延ばしではないか」と思われるのも十分に分かる(なんで金曜日24時を越えたのにその後で採決されることになったんだろうって今も思ってるんだけど。当初の言われ方では金曜日24時過ぎれば連休後の週明けになると思っていたのだが)。けど地方公聴会後のあの粘り、そして委員長解任の動議、内閣不信任案動議、各野党の演説を聞いたらね、「ああ、わたしの言いたかったことを国会という場できちんと言ってくれてる、怒りの声を直接言いたかった人に言ってくれてる」、そう思ったよ。特に山本太郎が委員長解任の意見陳述のときに「まず国会議員から、防衛大臣から、総理大臣から戦場に行け!」って言ったけど、わたしはまさしくそれ、そのことを彼らに伝えて欲しかった。あれは本当に嬉しかった。そして彼らにそう言わせているのはこのわたしたちだと感じた。全国で集まって声を挙げている人が彼らを動かしているのだと。これが「間接民主主義」だと。本当に実感した。国会前で直接議員の演説を聞いてるから余計そう思うのかも知れない。国会前の自分たちの叫びが本当に野党議員の耳に届いている、そういう実感があったから余計そう思うのかも知れないけれど。

わたしは普段、国会中継なんかほとんど見ないし、議員がそこでどんな演説をしているか、聞いたこともなかった。面白そうじゃないので聞こうとも思わなかった。しかし、今回、いろんな人が長い長い演説をしたけれど、それが無駄に長いとは全く思わなかった。どの演説も本当に説得力があったし、聞き応えがあった。「フィリバスター」というのは元々演説を引き延ばす作戦で、その中で聖書を読んだり憲法を読んだりして時間稼ぎをする、そう聞いてたけど、そういう意味では「引き延ばし作戦」なんかじゃ全然なかった。「ああ、本来政治家ってこういう演説ができる人たちなんだ」って思った。単純に「あれだけ蕩蕩と淀みなく、理路整然と喋れてすごい」って思った。

委員会の議長解任の動議の賛否の演説はまだ時間制限が設けられてなかったけど、その後、いくつかの大臣の問責決議案などから時間制限が掛かり、本当にあれは信じられなかった。今までフィリバスターはあんまり聞いたことがなかったけれど、牛歩戦術などはかつて野党がやっていたことはわたしの記憶にちゃんとある。それを時間制限の発議で禁止した、なんてこと聞いたことがない。牛歩だってフィリバスターだって、戦術として認められていると言うことは、権力側がそれを「少数側の権利」として認めていたということだ。その対応策として時間制限があるならば、それは戦術とはなり得ないからだ。しかも国会で国会議員の演説に時間制限を設ける、これは今日の安保法案採決の時に民主党の福山議員が言ってたけど、言論の府である国会でそれを行うって、それは自ら言論の府である国会を否定しているに等しい。わたしだって彼らの演説を、彼らがやりたかった、話したかった演説を、話したいだけ話す演説をすべて聞きたいと思っていたのに。そのわたしの権利さえ侵害されたと思う。

しかし中では時間制限を無視して演説を続けた議員たちがいた。「ルール破りだ」というヤジがたくさん飛んでいたけど、何がルール破りだと思った。自分たちはどうなんだ、って。地方公聴会後の締めくくりさえせず、よく分からない採決繰り返して議事録にも採決結果が記録されていない。あれのどこがルール破りではないのか。「やったらやり返せ」はわたしは好きじゃない。だけどこの件に関しては「時間制限」というルールの方がおかしいのだ。そして議長の「時間制限をとっくに超えています。これ以上続けるのであれば発言を禁止せざるを得ません」というプレッシャーに負けずに演説を続けた議員たち、正直言ってあれこそが頑張っている姿として具体的に見えたと思う。山本太郎の一人牛歩だって同じだ。もちろん「あれは次の選挙のために今、頑張っておく姿を見せる作戦だ」という考えもあるだろう。山本太郎に至っては「完全なパフォーマンスでしかない」と思う人もいるだろう。でもさぁ。わたしはあれこそが「デモの成果」だったと思うのだ。彼らは本当に渾身の力を込めて演説をしていた。山本太郎の演説もすごかった。あれは単なる「パフォーマンス」じゃない。見ていて熱意が伝わってきたし「本気で頑張ってる」って感じた。「一分一秒でも採決を送らせたかった」という山本太郎の言葉は本当だろう。本気か、単なるパフォーマンスかは見ていればよく分かるものだ。でも彼らをそうさせたのは、わたしたちも本気だったからだ。

確かに「たったそれだけのためのデモなの?」って思う醒めた人もいるだろうなと思う。けど、今までデモしてて、その効果が目に見えて分かるってこと、なかったように思う(脱原発のデモは効果を挙げたみたいだけど)。それに演説の時間制限でも分かるけど、政府与党は数を力にして次々とめちゃくちゃなことをやってくる。そうしたらできることといったら、もうあんなことしかないじゃない。その他に何ができるというのか。

そういう点ではわたしは時間制限を超えて演説した民主党の議員の人たちはよくやったと思う。逆にそれをしなかった共産党、あと維新の党も入るのかな、なんでなのかなと思った。共産党はやっぱりエリートの塊なのかねえ。それとも党員がそういうことを許さない雰囲気があるのか。そこら辺のことはよく分かんないけど。

あとそうそう、これに関連して言いたいことがあった。これだけ全国の人たちが注目していたのに関わらず、国会中継をしないNHK!!NHKは一体何をやってるんだと。議長解任の動議の日は大量の抗議電話があってなのか全部流したけど、それ以降も内閣不信任案などが提出されていたにも関わらず、まったく中継をしなかった。ネットでしかその様子を見ることはできなかった。これってなんなの?電話で抗議が殺到しなければ中継をやらないのか?毎回毎回「中継してください」って電話掛けなきゃ中継しないの?本当にNHKはおかしいとしか言いようがない。あの野党の人たちの演説を多くの人に見られるのが怖かったのか。政府与党がめちゃくちゃな議会運営をしていることが直接分かってしまうから怖かったのか。上からの圧力で放送できなかったのか。

とにかくわたしが感じた「デモの成果」は野党が頑張ってくれたことだと思う。あそこまで議員の人たちと通じ合っている、そう感じたことは今まで本当になかったから。選挙前にちょっと演説聞いて投票する。でもその後、議員たちは国会で何を喋ってるのか、どういう行動をしているか、全く見えなかった。それが今回、見えたから(ただ、わたしが投票する人はほとんど当選した記憶がないところが悲しい。わたしは特定の支持政党がない完全な無党派層だけど、保守系政党には一度も投票したことがない、いわゆる「革新系」(この言葉は死語だよね)の無党派層であり、毎回投票には行くけど候補者が当選した経験はほとんどない。あ、市区町村議員は別ね)。

そういえばそのことでも言いたかったんだった。「デモに行く前にちゃんと選挙で投票してるのか」みたいな言葉をtwitterなんかでたくさん見たけど、ちゃんと毎回行って投票してるわ!しかし、投票した候補者が通らなかったら、わたしはわたしの意志を表す機会がないではないか。だって国会でわたしの「代弁者」はいないのだもの。

当初、デモや集会に参加しながらも、わたしは「自分がやりたくないと思ったことはしない」って決めてたからコールは一切しなかった。叫ぶことによって自分自身が高揚してコールの先導をしている人たちのことを熱狂した目で見てしまうことを恐れていた。確かに国会前に行き始めた頃はコールしてる多数の人がちょっと熱狂的で怖いなと感じたこともあった。けど、ここ2週間くらいかな。空気がどんどん変わってきたと感じてた。みんな、本気で怒ってコールしてるんだよなあって。誰かに先導されて踊らされてコールしてるわけじゃなく、本当に直接怒りを持って国会にいる国会議員、特に政府与党、中でもとりわけ総理大臣に向けて言ってるんだなあと。確かに「戦争反対」とか「安倍は辞めろ」とか「廃案」というコールは、わたしはこの法律が直接戦争に結びつくとは思ってないし、安倍だけが辞めればいい問題じゃないし、廃案は望んでても無理だというのは分かってた。だからそういうことで納得いかないコールではあるけれど、一人一人の力のない民衆が何か大きな権力に異議を唱えるにはこういう短くて端的なものでないと表せないんじゃないか、そう思うようになった。

それから抗議の声によって野党の人が力づけられている、そう感じたことは大きかった。「野党はがんばれ」と言うことで本当に頑張ってくれている、国会内にわたしたちの声が届いている、そう感じたからこそわたしは本当に最後の最後、行ったときにコールをした。だけどコールしたからと言って高揚感は全くなかった。頭はすごく冷静だった。発散されたとも思わなかった。「そんなものなのかな」って思った。まぁその日は土砂降りの雨の中だったからかも知れないけど。

さて。この法案が通ることは「既定路線」だった。とすると、今後はどうするか。それはもう、次の選挙で自分の意志を示すしかないでしょう(っていうか、わたしはこういうことがなくても毎回投票に行ってるけどね!)。今日の未明にあったことを来年7月の参議院選挙まで忘れない、そのことを「合い言葉」にしなければならないと思う。特に今まで保守系政党に投票したことがあって、この法案に反対だった人はどうかこの思いを忘れないで投票行動に繋げて欲しいと思っている。今まで「誰も入れたい人がいない」と言って選挙に行かなかった人も投票して欲しいと思っている。「棄権」は結局反対票にはならないのだから。

そして野党の人たちには是非選挙区では「選挙協力」して欲しい。去年の選挙でも総投票数は与党よりも野党の方が多い。にもかかわらずこういう結果になってしまっているのは、とりもなおさず選挙区制度の問題なんだけど、だからこそ野党が分散して候補者立てたら絶対に与党には勝てない。是非すべての選挙区において「与党候補者対野党候補者」の一騎打ちにして欲しいと思う。有権者に「自分が投票すれば変わる」と思わせて欲しい。これはかなり難しい問題だと思うけど、是非是非実現して欲しいと思う。比例区は好きな党に入れてもらっても、選挙区では複数候補者立てないでって思う。
【追記】これをアップするまで全然知らなかったんだけど、今日、共産党の中央委員会総会で「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現が提案されたんだってね。次の選挙で野党の選挙協力を呼びかけたとか。今後注目したい。っていうか、各党、いろんな思惑はあるだろうけど本当に頑張って欲しい。安保法の廃案と集団的自衛権行使容認の閣議決定を取り消したいみたいだから政権取らないとダメだけど、そのためには少なくとも4年後?の衆議院選挙まで待たないといけないってことだよね。今の状態で今の政府与党が衆議院を解散するわけないしね。

来年の7月までの約1年、きっと「戦争」は起こらないだろうと思う。そのときに政府与党はなんと言うか。「みなさんが懸念したように戦争状態にはなっていません。だからこれからも戦争にはなりません」と言うだろうよ。それに騙されてはいけない。当たり前だ。法律が施行されるまでは効力はないし、施行後にすぐに何かコトが起きればそれこそ怖い。そしてその間に軽減税率が実施されることになったとか(既にこの話題は今日の朝刊に載ってたよ)、そういう市民にとって「甘い汁」を少し吸わせておく。まぁそれで「チャラ」だと評価する人も中にはいるだろうけど、それはあくまでも彼らの「所詮有権者はこんなもの」という作戦だということに気が付かなければならない。そういう目先のことに騙されてはいけない。なんてったって、彼らは「違憲の法案」を通したのだから。それが許されていいはずがない。

今日のこの思いを自分の意志にしたければ、「わたしは忘れない」、これは絶対に肝に銘じておかなければならない。
17:20 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
09-22 Tue , 2015
若者から若者への手紙 1945←2015
このカテゴリの日記が続くね。でもこれはちょっと書いておきたかったことだから。

この本は「ころから」ってところから出てる本。わたしはこの本を図書館で借りて読んだ。と言っても割と出たばかりの本なので、読みたい人がたくさんいたみたいで、予約してたんだけど。で、順番が回ってきて借りられたわけ。

それがちょうど安保法案の採決への動きが激しくなってきたときだった。借りられる期間は2週間あるのだが、他の本の兼ね合いとか、家を出てて本が読めなかったりして、この本の大部分を読んだのは、ちょうど横浜であった地方公聴会が終わった日(9月17日)だった。そして翌々日未明に法案は可決されてしまった。

この本は1945年(終戦時)に若者だった人たちからの戦争に対する証言、その証言を読んだ今現在の若者が、1945年当時の若者だった人たちへの返事、という構成で成り立っている。確か全員で15人だったか(それに対する返事も15人)。証言者はいろいろな人たちだ。東京大空襲で家族を失った人、中国で何をやったかを話す人、広島の被爆者で顔がケロイド状態になって長く家から出られなかった人、フィリピンに行って飢えに苦しんだ人、731部隊に所属していた人、長崎で被爆者の看護をした人、沖縄の離島から離島に強制移住させられた人など。一般に言われる被害者もいるし加害者もいる。

わたしは「この法案では日常に巻き込まれるほどの戦争はそう簡単には起きないだろう」、そう思ってたんだけど、でもこの中でその当時教師をしていて、子どもたちと一緒に田舎に疎開した人の話の中で、真珠湾攻撃が起こった日(1941年12月8日)、朝、家を出るときに空を見上げて「この青い空の一体どこで戦争をしているんだろうと思った」という文字を読んで震えが止まらなくなった。今の、今までの平和な暮らしはどこまでも永遠に続く平和じゃなくて本当に薄氷を踏むようなものだったんだ、そう思うととても怖かった。

この教師のお父さんはこの日、真珠湾で戦争を仕掛けたことを新聞で知り「アメリカと戦争をするなんて、なんて馬鹿なことを」と叫んだそうだが、きっと少しの知識を持っていれば、そういう考えを持てたんだろうと思う。そしてそれから終戦に至るまで、こういう考えを持っていた人たちはどのように考えながら過ごしたんだろう。「勝てるわけがない」と思いながらも戦争に協力したんだよね、多分。

その一方、この時代に教育を受けた人はバリバリの軍国少年で、そういう人たちは「日本が負ける」とは信じてなかったし、戦争が負けて終わったと知っても、直後に戦争が終わって嬉しいとかそういうことは全く思わなかった、らしい。全部が全部ではないけど。「日本は勝つ」としか思ったことがなかったんだから、負けた場合のことなんて考えたこともない、そういうものだろう。改めて「教育」の恐ろしさを感じる。

あと印象的だったのは、一般に「加害者」って呼ばれている人たちは、どんなに冷酷無比なことをしていても全然そう思ってない、自分がどんなに恐ろしいことをしているかが分かったのは、もっともっと先のことなんだってこと。自分の罪に苛まれている加害者って、実はとても少数なんじゃないだろうかと思えてきた。確か今年の夏にどこかのテレビ番組で元日本軍「慰安婦」の人たちを取り上げてたのを見たが、そのときに「慰安所に行っていた」という元日本軍兵士の人がインタビューされてた。その人は慰安所に行っていたことに対しても「明日死ぬかも知れないんだから、まさに『突撃一番』です」(突撃一番とは、当時配られていたコンドームの名前)と全く悪びれずに答えていた。今でも「あのときは仕方がなかった」と考えていて、自分が加害者とは思っていないようだった。きっと、そういう人たちが圧倒的多数なんだろう。そして自分の加害を認識していたとしても証言まではする気がない人たちもたくさんいただろう。とすると、こうやって加害の証言を残してくれた人って本当に一握りしかいないってことだよね。それを思うと加害証言をするのもつらかったと思うが、本当に貴重な証言を残してくれて有難うございますと言いたくなる。

そしてわたしはこの本を読んで「戦争ってのは、一人の人の中にでも被害と加害が入り交じったものなんだ」ってことがよく分かった。確かに被害者の度合がものすごく強い人もいる。広島、長崎の被爆者もそうだし、沖縄の離島で強制移住させられた人もそうだろう。特にあの当時は女性には参政権がなかった。あの当時の人たちが「戦争は嫌だ」と思ってたかどうかは知らないけど、少なくとも国政に自分の意志を表明する機会はなかったわけで、そういう人たちの加害者度は少ないと思う。生まれた頃から軍国教育をされて「お国のために戦う。自分は長くは生きられない」と疑いもなく育てられた人たちもある意味被害者だと思う。あと戦地によってもだいぶ違うと感じた。戦争末期にフィリピンのジャングルに送り込まれた人は、そもそもフィリピンに着いたこと自体が奇跡のようなものだし(ほとんどの人は輸送船が撃墜されて沈没して死んでしまった)、既にそこは制海権も制空権もなんにもないところで、ただただジャングルを彷徨って食べ物でないものまで食べてやっと生き残った、という人たちだ。中国に行って中国人を無残に殺しまくっていた、という人たちとは加害度合は少ないだろう。

でも教師はどうなんだろう。疎開先で空襲を受けたりしたので一面は被害者と言えるが、子どもたちに軍国教育をして、その戦争を支えていたのは確かだ。「お国のため」と信じ込ませて戦場に送り込む。それは立派に加害の一面を持っていると言える。だから加害者は何も戦場で戦っていた人たちだけとは限らない。また、この証言者の中には当時植民地だった朝鮮半島の人で、そこから戦場に行って、そしてそのときの行為が「戦犯」だと言われて死刑判決を受けた人もいる(のちに死刑判決は撤回され、生き残れた)。この人は戦争中は捕虜の監視をする仕事だった。当時の日本軍は捕虜に対して過酷な労働とほんの少しの食べ物しか与えなかったから、完全なジュネーブ条約違反に当たるのだけど、そういうものがあるとは全く知らされていなかった。捕虜の扱いが甘いと見られれば、自分が上官からひどい目に遭う。それだけでも加害と被害が入り交じっていると思うが、もっと不条理なのは、戦後、1951年サンフランシスコ講和条約において旧植民地から来た人は「日本国籍剥奪」されたのに、その当時巣鴨プリズンで服役していた朝鮮半島出身の戦犯の人たちは「当時は日本国籍だったから」という理由で、その後もずっと服役をさせられていたということだ。しかもこれだけじゃない。巣鴨プリズンから出たあとは、日本国籍を持っている人であればいろいろ国の恩恵を受けることができた。が、日本国籍を持っていない(剥奪された)人たちには何もなかった。都合のいいときは「日本人だったでしょ」と言われ、都合の悪いときは「だってあなた日本人じゃないでしょ」と言われる。ものすごいひどい話だよね。

でも、こういう人たちだって加害と被害の両面を持っている。でないと戦犯にはならないわけで。しかし圧倒的多数の人は加害者の面を持っていてもこうやって裁かれることはなかったし、この人たちは服役して罪を償っただけでもその罪は消えているのかも知れない。そして当然、「自分は加害者です」と加害証言をしている人たちも100%加害者なわけではない。悲惨な戦場に送り込まれた上でのことだから、その点では被害者とも言える。いろいろな人の証言を読みながら「誰もが被害者で、誰もが加害者だ」、そんなことを思った。

ただし、だからといって「誰もが被害者で、誰もが加害者だったのです」というと、これまた「だからみんなで反省しなければならない」になるからやっかいな問題だ。この考えは、本当に戦争を始めようとした人や、自分は激しい戦場には行かないで、遠くから命令を下していた人たちなどの「加害性」を批判することができなくなる。そうじゃない。一般国民よりもっと悪いのはその当時、国を動かしていた人びとだ。そのことがはっきり追及されなかったので「一億総ザンゲ」になってしまったのだ。一般庶民は物事を動かせる権限は少ない。その少ない権限のうちでの加害、被害なのだ。わたしたちはそのことを忘れてはならないと思う。一番追及されるべき人間は、戦争を始めた当時、国を動かしている人間だったのだと。次に何かがあったときのためにもね。

15人の証言を読んで、わたしが一番印象に残ったのは品川正治さん、という人の証言だった。わたし、これを読むまでこの人全く知らなかったのだけど、戦後、日本の経済界の重鎮だった人らしい。

この人は旧制高校のときに召集されて中国に行った。普通だと旧制高校に行ってたら士官の身分で行けるんだけど、学校でいろいろあって「二等兵で行きます」ってことになったらしい。一二四〇高地で戦ったときに相手の迫撃砲で撃たれて、足にその破片が残ってる、レントゲンを撮ったときに写るって書いてあった。その後、戦争が終わった3ヶ月後に俘虜収容所に入れられ、5ヶ月後に復員船で日本に帰れたのだが、この人の証言で一番印象的だったのがこれだった。

1946年4月、やっと山口県の仙崎港に復員。上陸を待つ間、船の中で配られた新聞に「憲法草案」が出ていました。九条二項の「国の交戦権を認めない」というところ、最初は信じられなかった。だが、別の新聞にも同じことが書いてある。ぼくの部隊の人たちは、それを読んで全員泣きました。俘虜収容所で「われわれのこれからの生き方は、二度と戦争しない国をつくれるかどうかだ。でなければ死んだ戦友の魂が浮かばれない」と話し合ったのだから。しかしまさか、国家の成文憲法にここまではっきりと書いてくれるとは……。これがぼくの日本国憲法との出合い、一生忘れられない出合いなのです。
ぼくは、かつては「国家が起こす戦争」を前提に、ものを考えていた。でも、戦地で戦争の現実を目の当たりにし、すぐに疑問が湧いてきた。
「いったい誰のために戦っているのだろう」「勝ったとしても日本が幸せになるだろうか、こんなに中国の人を殺して」と。こんな戦争、やるべきではない。国民同士はなんの恨みもない……。
誰のために、何のためにと考えていたら、戦争を起こすのは国家という抽象的なものじゃない。満州にいた関東軍をはじめ、軍の中枢にいる人たちと日本の軍需産業、戦争をやればもうかる連中が仕掛けたのだ、と腑に落ちた。
戦争を起こすのも人間ならば、それを許さず止める努力ができるのも、人間なんです。ぼくは兵隊だったからそれがわかった。将校として戦争に参加し、最高の待遇を受けた人たちがのちに政界、財界の指導者になりましたが、彼らに戦争の悲惨さはわからない。実際に戦闘させられるのは兵隊だからね。



「戦争を起こすのも、そうさせない努力ができるのも人間」。憲法を変えると言っている今ならよく分かります。だれが憲法を変え、戦争を起こさせようとしているのか、今の日本でははっきり見えるから。
政治家も財界人も「日本はアメリカと同じ価値観を持っている」と言って憲法を変えようとしているけれど「憲法で戦争をしないと決めている日本と、絶えず戦争をして軍需産業が国を支えているアメリカとは、価値観が違う」とはっきり言えば、ベルリンの壁が崩れる以上に画期的なこと。言い切ったら、日本がふたたび武装することを心配しているアジア諸国との関係も変わってくる。何よりアメリカも、戦略を変えざるを得ない。
日本が憲法九条を捨ててしまったら、地球上にこの理念はなくなってしまう。しかし二十一世紀には否定できない理念だからね。今や旗はボロボロだけれど、「日本には九条が必要だ」と国民が選びとれば、いっぺんに金色の旗に変わるよ。



この部分を読んだらもう泣けてね。まさしく、今、まさしくわたしたちは憲法九条二項を捨ててしまおうとしている。旗はボロボロどころか穴が開けられる寸前だ。この人が今、生きていたら(この人は2013年8月29日に惜しくも亡くなられています)なんて思うだろうか。なんで人の命は長くてもせいぜい80年なんだろうか。前の戦争を体験した人がどんどんいなくなって、そして戦争を体験したことがない人たちが再び戦争をしようとしている。戦争は古代から繰り返されているけれど、どんどん技術が進んでいっぺんにたくさんの人が殺せる武器や爆弾、落としたあとも生物に被害を与え続ける兵器(核兵器)が開発されている。今や「原子力の平和利用」で各地に原発があり、その上に一発の普通の爆弾が落とされるだけでもどんなに周囲に被害が及ぶか。その被害がなくなるまで一体何年かかるのか。その間、人は住み続けられるのか。もうそんな時代になってしまった。

そして兵器を開発するのは抑止力のためではなく使うために開発されているのだ。開発するためには厖大な金が掛かるし、開発された兵器を買うのにも厖大な金がいる。そういうことで経済を回していっていいのか。経済についてはわたしは全く詳しくはないが、品川さんも書いているように、軍需産業に依存し始めればそこから抜け出すことは難しくなる。アメリカのように戦争をし続けなければ国が保てなくなる。あの法案が通ることで、日本はこの道を歩めることが可能になろうとしている。

この時期にわたしがこの本を読んだのは単なる偶然に過ぎない。でも、あのときに読んだからこそ、わたしはこの本に対して強烈な印象を持った。

証言者一人一人宛てて、今の若者からの返事がある。ほとんどの人が「そのときの状況じゃないので、本当のあなたの気持ちは分からないと思うのだけれど」と書いていた。中に「生きているうちに会いたかった」と書いている人がいた(この本で登場する1945年当時若者だった人たちはこの本が出版される前に既に約半数ほど亡くなられてます)。本当に、わたしも生きているうちに直接話を聞きたかった。だが、本人は既に亡くなられていても生きていたときに語られたこの本を読めば、思うことはたくさんあるはずだ。この本の中には一つの戦争によってさまざまな経験をした人たちがいる。今まで戦争の話で聞いたこともない人たちもいる(沖縄の離島から離島に強制移住させられて、その移住させられた島でマラリアにかかって移住させられた人の1/3が亡くなっていたと初めて知った)。それを知るうえでも是非多くの人に読んで欲しいと思う。

この本、最後に「あなたも手紙を書いてみませんか」と書かれていた。まぁ自分で買った本ではないので実際に送りはしないが、わたしはやはり品川さん宛てに書いてみたい。

「2015年9月18日未明、安保法案が可決され、あなたが『一生忘れられない出合い』と書いた憲法九条二項は効力を失いました。国民に託された旗はボロボロどころかもう穴が開いてしまいました。けれど、わたしはここからこの旗をみんなで金色の旗に変えてみせます」

ここからは蛇足なんで読まなくていいんだけど、この本の中で、中国で加害体験を語った人と731部隊にいて同じく中国の人たちに対して人体実験をした人の加害証言が載ってたのね。その人たちは戦争が終わってから2人とも「撫順戦犯管理所」ってところに送られている。その記述を読んでたらね、「なんかどーも、おじいさんの戦争体験として、わたしが親から聞かされた話によーく似てるなあ」って思い始めたのね。わたしは親から祖父は中国でひどいことをしてシベリアに送られた、そこで徹底的に反省したら認められてもう少しで戦犯になるところを免れた、しかし一番最後に日本に復員してきた、って聞かされてたのね。その「徹底的に反省して許される」ってところがとてもよく似てたのよ、祖父の話と。でもそこは中国であってシベリアではない。祖父はシベリア抑留されてたんだから、シベリアから帰ってきたはずだと。「一体どういうことかなあ」って思い、それでちょっと調べたんだけど、どうもシベリア抑留された人の中の1109人がシベリアから1950年に中国に移送されたらしいのね(Wikipedia「中国帰還者連絡会」による)。そして撫順戦犯管理所に送られてきた人の中に、愛新覚羅溥儀がいると。「ああ、うちのおじいさんもこの1109人の中に入ってたんだ」ってそのとき初めて分かったの。だって祖父は1990年代だったかに「ラスト・エンペラー」というこの愛新覚羅溥儀が主人公になった映画があったのだけど、それが公開されてるときにうちの叔母(祖父にとっては自分の娘、当たり前か)に対して「溥儀君か」と言って、その当時溥儀と一緒にいたって言ってたらしいのだ。わたしはその叔母からその当時、そのことを聞いた。この話は過去に日記に書いたことがあるんだけど。

ただ「日本に一番最後の復員船」は、Wikiを読むと1964年みたいなんだけど、それだと叔父や叔母が生まれたときを考えると計算が合わない。おかしいな~、と思ったら「1956年6月から7月の間に重要戦犯容疑者以外の容疑者たちは管理所内の臨時法廷で「起訴免除、即時釈放」の判決を受ける。」と書いてある(「中国帰還者連絡会」の項)。ああ、なるほど。「危うく戦犯になりそうだった」というのはこれか。祖父はここで起訴免除、即時解放になった人のうちの一人なのだ。ということは、親から聞かされてた「一番最後に復員した」というのはまぁ事実ではないけど、それ以外はこういうことだったんだ。

わたしは祖父と一緒に暮らしたことはなく、お盆とお正月の年に2回、会うだけだった。高校以降は「わざわざ行くのは面倒。それより家族でお正月がしたい」と帰省自体しなかったことも多々あった。だから、祖父に戦争体験を聞いたことは皆無だ。ただ、今、わたしが記憶している「祖父の雰囲気」は、ちょっと口では言い表せない独特のものがあった。わたしに対しては本当に優しいおじいさんだったんだけどね。その「雰囲気」は子どもながらに「そこは触れてはいけない」ように感じていた。まぁでもこれってわたしが本当に小さい頃の印象だから、今じゃ自分の中ではほとんど「おぼろげ」なのよ。だがそれは今思うと多分「加害の事実」に対してではない。「シベリア帰り」が復員後の日本でどういう風に見られていたか。多分わたしが受け取った雰囲気はそちらの方が大きかったのではないかと今、推測する。

そういう点でもこの本はわたしにとって、とても印象深い本になってしまった。
19:16 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
09-23 Wed , 2015
息苦しいのが治りつつある? ~息苦しさを自分で治そうと思う
過去に「息苦しさを自分で治そうと思う」って題名の日記をいくつか書いてるけど、直近は今年の3月だったようで、あれから半年経ってしまったのね。

3週間飲みつづけたワイパックスだったんだけど、結局手足に異様な汗をかく、のが止まったくらいで息苦しさも背中が痛いのも治らず。なので3週間後に病院に行ったときに「手足の汗以外はあんまり効かないです」って訴えた。主治医も「そのぐらいしか効果がないのはね~」と言って、次は「セディール」って薬になった。ワイパックスに比べるとそんなに強くはない薬だけど、ワイパックスとは作用機序が違いますと言われた。家に帰って調べてみたらセディールはセロトニンに関与する薬らしい。それを朝晩1錠ずつ。10mg×2回。

飲んで1週間以上になるけど、4日目くらいに手足の汗が復活してきて、しかも背中の痛みも復活。てか、背中の痛みは今まで全然治まってないと思ってたけど、そうじゃなかったってことが分かったところで、今さらなんだけどね。まぁこの時期は本当に精神的にも負担が掛かってるわ、毎日出かけてたわで、確かに身体にはものすごい負担が掛かってて、そのままワイパックスを飲みつづけてても同じように悪化してたかも知れない。まぁセディールは元々セロトニンをいじる薬なので効き目が現れるのに時間が掛かるんだよね、抗うつ剤と同じく。ちょうど薬を変えたくらいの時期に精神的に負担が掛かることがあったので、セディールにとってはちょっと不利な条件だったかもね。

その中で息苦しいのをホント、なんとかしたいと思っていろいろ考える。感覚としては「息を吸っても既に肺の中には空気があるのでそれ以上吸えない」というもの。そのためには息を吐かなきゃいけないんだけど、どうも吐けない。前に自律神経の整体で「横隔膜が上がってて下がらないから肺の中に空気が行かないんだ」って話をされて(自立神経の整体は高かったし、その割にあまり効果がないように感じたのでとっくに通うのを止めました。今は普通の整体だけ行ってる)、そっか、息を吐いたり吸ったりできないのはそのためなのかな、と思い、どういうキーワードか忘れたけど「横隔膜 下げる」だったかなあ。それで一番上に出てきたサイトの方法を試してみた。確か腹式呼吸で空気をお腹に溜めて、そこから息を止めてお腹を引っ込めて空気を肺の方にやる。そこで1秒。そこからまた空気をお腹の方にやって、それからまたお腹を引っ込めてってことを4回する、それが1セットとか書いてあったかなあ~。

これ、もしかしたら効果あったかも!直後からすっきりした、ってことはないんだけど、知らないうちに息苦しくてやだなって思わなくなったような気がする。

背中はまだ痛いし、手足に変な汗はかいてるし、座骨神経痛は痛いんだけど、取り敢えず以前のように「息苦しくて集中力がなくなって精神的には息が吸えないパニックになりかけ」みたいな状態にはほとんどならなくなった。それとともにストレッチポールで背中を伸ばし始めたんだけど、今までは結構「日中は息が吸えてても、寝る前(主に歯磨き後)から息苦しさが復活(多分一日の疲れが出てきてるんではと思った)」ってことが起こってて、寝るときに息苦しくて寝つきが悪くなってた。それを風呂に入った後、寝る直前にストレッチポールで背中を伸ばしてから寝ると、今はそんなに寝るときに息苦しくないんだよね~。

その証拠に、わたし、息苦しかったときはうつぶせで寝てたのね。そうすると自重で肺の中の空気が出ていくから却って息が吸いやすいの。ところが息が吸えるようになってからうつぶせで寝るとなんか苦しくなって眠れなくなってね。今は仰向けの体制の方が寝つきがいいのです。

ってことで、どうやら1年続いた息苦しさはこんな感じで対応できそうってことが分かってきた。もうちょっと早く対処法を見つけてたらなあって気もする。今までは「息苦しい ストレッチ」「肩こり ストレッチ」とかそういうので検索してたんだけど、それを試してみてもほとんど効果はわたしにはなかったのよね~。いわゆる「肩甲骨剥がし」みたいなストレッチ。ただ、息苦しさはある程度治まっても、背中の痛みとか他のことはこの呼吸法だけじゃよくならないみたい。まぁでも息苦しいのが一番嫌だったので、治まりつつあって本当によかった。

あとは次の診察に行ったときにワイパックス復活してもらうかなあ~。セディールも1日60mgまでは増やせるって聞いたのだけど、わたし、抗不安薬とはいえセロトニンをいじる薬はあんまり好きじゃないんだよね。わたし、抗うつ剤で何回もひどい目にあったことがあるんで(主にSSRI系の薬であって三環系はわたしはそんなに副作用はないんだけど)。

というわけで、これからも一つ一つ、身体の調子をよくしたいと思ってるけどどうかなあ。手足の汗はワイパックスで治まるとして、あと大きいのは背中の痛み。これもワイパックスで少し痛くなくなった気もしたが、結局は全部は取れなかったんだよね。ワイパックスとストレッチポールを根気よく続けていくしかないのかねえ~?

現在飲んでいる薬:セディール10mg×1日2回(朝、晩)。その他の薬は飲んでません。
14:23 | 病名が分かった後のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
09-27 Sun , 2015
境界線のないレインボーフラッグを見て考えた
ずっと前の日記に「わたし、この垂れ幕を去年の夏に発見して、そのとき気が付いたことがあった。この境界線のないレインボーフラッグらしきもの。でも画像を撮ってこなかったんだよね。なので今回は忘れず。これを見て何を思ったかをここに書くと長くなるので、このことについては後日別記事にすると思います。」

って書いてたのをすっかり忘れてたんだが、思い出したので書きます。

リバティおおさかで見た「境界線のないレインボーフラッグらしきもの」はこれ。

2145.jpg


発見したのは去年の夏。これを見て、わたしが一番に思ったのは「この中にない色がある」ということだった。正直今まで「境界線のある」レインボーフラッグは数えられないほどたくさん見てきたけど、このことに気が付いたのは初めてだった。

そのことに気が付いたのは、わたしは以前から自分のジェンダーのイメージは「灰色の丸」だったから。「レインボーフラッグに自分のイメージする色が入ってない」、最初、このレインボーフラッグらしきものを見て初めてそう思ったのだ。

が、実はこのことは「当然」のことでもある。だって、レインボーフラッグの定義は「6色の虹」であって、全部の色が初めから入ってないのだもの。最初は8色だったんだけど、印刷の都合などでピンクと紺色がなくなって今の6色になったと聞いている。その6色を「多様性の象徴」にしただけの話で、別にすべての色が入らないから多様性を表してないなんてことはない。だからある意味ない色があって当然のことだ。だけど、無意識にレインボーフラッグの中にはすべての色が入ってるんだなあなんて思ってたから、そうじゃないことに気が付いて少しびっくりしたのだ。

しかし、普通の6色に分かれているレインボーフラッグを見てもそんなことを思ったことなかったのに、なぜこの境界線がないレインボーフラッグらしきものを見て初めて気が付いたんだろうと思った。

少し考えてみて分かった。境界線がないことでレインボーフラッグより多様なものを表そうとしたからこそ、逆にない色が浮き出てきてしまったのだと。

もちろん、だからといって境界線がない方がいいとかあった方がいいとかそういうことではない。これは本当に自分にとっては興味深い現象だった、ただそれだけのことだ。

よく、性自認や性的指向を表すときに「男」と「女」が両端になって、男は青く、女は赤い色が付けられ、その間を赤と青のグラデーションで線が付けられているものがある。「人はこの間のどこかにいます」という説明がされるけど、それはウソだ。グレーはそのどこにもない。いわば、わたしのイメージする自分のジェンダーは男女の間にはない。世の中には「誰にも恋愛感情を抱かない」、そういう人も結構いる。その人たちはこのグラデーションスケールの中では表せない。「恋愛感情は抱くが肉体的な関係は持ちたくない」、そういう人もいる。これなんかもこのスケールの中でどう表せばいいの?って思う。

そもそもそれ以前に男は青で女は赤である必要もないのだ。「女は絶対に黒!」って思う人だっているだろうし、「男が赤だよね」って思う人がいてもいい。なんてったって「燃える男の赤いトラクター~♪」なんてCMがあったほどだし(随分古い(笑))。それに広島カープのチームカラーだって赤だ。これも「赤い炎」「燃える情熱」というイメージで'75年にそれまでの紺色のユニフォームから赤を基調にしたユニフォームに代わった。これを見れば分かるように、女=赤、では全くない。そして自分の「男」のイメージがパステルカラーであったとしても全然おかしくない。

「LGBTについて簡単に説明してください」と言われても、実はそんなに簡単なことじゃない。「何も知らない人にとってはそういうことは難しいので簡単に」と言われても、正直性はすっごく複雑なことで、まずは「簡単に男が青で女が赤でその間はグラデーションで」じゃなくて「いや、そういう風には表せないもっと複雑なことなんですよ」ということから説明すべきじゃないだろうかとわたしは思う。そうでないとそこからこぼれ落ちてしまう性的少数者が凄くたくさんいる。

そして大事なのは「じゃあ、あなたはどこにいますか」って、自分のことを考えることだと思う。「性的少数者は性の多様性を表している人たちだけど、わたしは異性愛者だからそうじゃない」というのは実は全然違う。性は一人一人違ってるのだ。何を男らしいか、何を女らしいかと感じるかだって、人によって全く違うのだ。だからこそ何が男らしいか、女らしいかという共通認識は実は持てないのだ。「誰を好きになるか」も今まで100%男性だったり女性だったりはおそらくしない。何よりも好きになった相手の性自認が自分の考えていた性自認とは違っていた場合はどうなんだろうか。それも人によりけりだろう。男性が好きになったと思ったら、実はその人の性自認は女性だった、それが許せる、許せない、人によって違うだろう。許せる人の性的指向はその場合は同性になるのか?

わたしの場合、性的指向は同性に向いているので自分はレズビアンだと思っているが、でも最近「男性も好きになる」ことに気が付いた。と言うよりも昔からわたしは男性には好みのタイプが存在している、ということは気が付いていたのだけどね。逆に女性には外見上の好みはほとんどない。まぁボーイッシュなタイプは好きなんだけども。。でも絶対にボーイッシュじゃなきゃダメってこともない(だいたい今一緒に暮らしている人はボーイッシュでは全くないし!)。まぁ恋愛対象である女性はわたしは割と「誰専」だったりする。

しかし逆に男性は好みのタイプがはっきりしてるので、一目で「あ、この人タイプ」って思う。電車の中で「おっ」って思う人も実際結構いる(言っておくと、男性に対しては基本「フケ専」。でもまれにそうじゃない人もいるが)。しかしここからが不思議なんだけども、好みの男性に対してわたしは近づきたいとか話したいとか一切思わない。逆に「その人の人生の中にわたしは入りたくない」と思う。でもその人がどういう人なのか、どういうことを考えて生きている人なのかは結構気になる。できるならずっとその人を追って見てたいなとか思う(本当にやるとストーカーになるのでやんないけど(笑))。でも相手にそういう自分を気が付かれたくない。なんせ自分の存在は知られたくない。ただ見守っていたい。別にその人が不幸になっても救いたいわけじゃなく、ただ見てたいだけ。

と言うことを以前誰かに話したら「究極の愛情だね」と言われたのだが、これって愛情?だいたいその人と知り合いになりたくない愛情なんてあるんだろうか。その人が別に幸福でも不幸でも構わないなんていうのは愛情と呼べるんだろうか。その人の人生の中に登場したくないくらいなんだから、当然のことながら性的な関係になんてなりたくないわけで。でも外見を見て「あ、いいなー」って思う人はいるのだから、この感情って一体なんなんだろうって思ったりする。

自分の性的指向を詳しく説明するとこんな風になる。けど、自認は「レズビアン」。「それでいいの?」って思う人もいるだろうけど、自認なんて定義に当てはまってなくても全然構わないと個人的には思ってる。自分がそうであると思えばそう。他の人が「それは定義に当てはまってない!」なんて言う資格ないと思う。第一、この今の自分の性質にどういう名前が付けられるというのだろうか。

「自分は異性愛者」って思う人は本当に自分は100%男(女)と思ってるのか、好きになる人は本当に100%異性なのか。自分は100%男らしいのか女らしいのか。まぁこれだけは別かな。だいたい「100%男(女)らしい」なんてことはこの世には存在しないから。人によって男らしさも女らしさも違うから。でも自分のことをちょっと考えると面白いかも知れない。異性愛者にだってその中での「多様性」はあるはずだ。それが例え名づけられていなかったとしても。
22:39 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |
AX
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。