08-06 Thu , 2015
8月6日午前8時15分(69年目の真実)
このブログを始めて10年経ってるが、初めて予約投稿というものをやってみる。
というのは、おそらくこの日のこの時間はわたしは旅行中で、もう電車に乗ってるだろうから。
わたしは、広島から遠く離れた地で、どんな8月6日を迎えているのだろうか。

あの日から70年。
この日は毎年毎年同じ題名で同じようなことを書いているが、今年も同じような内容だ。
しかし、今年はここ数年よりもさらにさらに危機感が増している。
なんか最近参議院での質疑応答やtwitterでの安保法案賛成派の人たちの言ってることを読むと「ああ、この人たちは武力が抑止力とかそんなこと言ってたけど、結局はそうじゃなくて戦争がしたいんだなあ」と思う。だって想定してるのはホルムズ海峡なんかじゃなく、中国が敵国だって首相自らが言っちゃったし、日本が攻撃を受けるかどうか、向こうの意図が不明な場合でも(意図を隠している場合があるから)総合判断でこちらから攻撃できるって言っちゃったじゃん。しかもそれは「先制攻撃だ」という認識もあるらしい。しかも、これらはぜーんぶ「想定」に過ぎないのに、じゃあ、相手の国が放ったミサイルが日本の原発に向けられていたら、という質問については「仮定の話は答えられない」って、これって東日本大震災が起こる前に「想定外」だったことが実際に起きて今、こういうことになっている現実があるのに、それと全く同じではないのか?

政府のこのような答弁を受けて、twitterでの安保法案賛成派の人たちは「相手が攻撃してこようとしているのなら先制攻撃をするのが当たり前」だの「北朝鮮を攻撃しないと拉致被害者は救えない」だの、結局はあなたたちは平和を全く望んでるわけじゃなく、自分から進んで中国や北朝鮮を攻撃したくてしたくてたまらないんだろうと言いたくなる。それはもう集団的自衛権がどうのこうのという問題では完全にない。まぁ結局、それが本音だってことだ。

そういう人たちとは本当に意見の隔たりがあって、絶望的な気持ちになる。こういう人たちにいくら戦争の悲惨さや残酷さを訴えても、そういうのはその人たちには「そんなことは関係ない」んだから、何を言っても言葉が届かないんだろうなあと思う。

なのに何でわたしがやっぱり今年も同じような内容で書きたいかというと、去年の夏、戦後69年目にして分かったことがあったからだ。だから今回の題名は「70年目の真実」ではなく「69年目の真実」なのだ。

わたしは毎年ここに「原爆で行方不明になった親戚を捜すために祖父と父が入市して被爆した」と書いている。そして「未だに生死が不明だ」と何回も書いた。また過去に「たった1枚だけ残っていた写真を父が国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に収めた」と書いた記憶もある(もうだいぶ昔のことだけど)。わたしはそれを聞いてから一度、どういう形で収められているのかが知りたくて、行ってみたことがある。行方不明になった親戚というのは、祖父の一番上のお兄さん夫婦なのだが、当時収められていた写真は1枚の中に2人が写ってて、名前も検索したら二人いっぺん出てきた。で、説明文は「8月6日に市内に入って原爆に遭ったらしいがその後は行方不明」とかなんとか書かれていた記憶がある。

去年、もう一回ここに行ってみようと思ったのは、特にこれといった理由はないが、なんとなく収められているのを画像として撮っておきたいなと思ったからだ。で、去年の夏に広島に行ったので、寄ってみた。

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ここは確か入館料は無料で誰でも入れるし、一部は展示室や資料室みたいなのになってて、特に遺族じゃなくても利用できるようになっている。原爆資料館はかなりエグいものが展示されているが、ここはどっちかというと文字系の資料室って感じかなあ。ま、でも、わたしは展示物はさら~っとしか見なかったけどね。

で、地下2階に遺影コーナーってのがあって、ここで検索すれば収められた写真とか原爆投下時の様子などが書いてあるのが出てくるのだが、ここは知り合いなどがいないと検索する気が起きないだろうなあみたいな感じ?だいたいどういう名前で検索掛けるんだろうねって思うし。ただ、全体的なんだけど、前に入ったときとは全然違ってたような記憶がある。前は遺影が出てくるモニタは座って検索で来たような気がするし、部屋全体がなんかすごい暗かったイメージがあったんだけど、今回行ってみると全然そうじゃなく。「あれ?こんなんだっけ?」って思った。

早速モニターで検索してみると、あれれ?以前は二人一組で出てきたはずなのに、一人一人に分かれている。

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名前などはよく覚えてなかったので、本当にこの人たちだっけ?とは思ったのだが、被爆時住所が見覚えがある住所で。この人たちだよね~って思ってよく見たら、祖父のお兄さんの方には「被爆状況について」のところに

8月6日、原爆投下時、既に出勤し、西向きの窓際近くにいた模様。被爆後、社員と共に東裏の広島第一中学校のグランドに避難。重傷だった模様。翌7日午後1時頃、校内プールの端で息を引き取った。(後日、当時部下であったM氏より自分が最後に見とったと連絡を受けた。)



と書いてある。あれ~。初めて知る事実。まぁ今のわたしは事情があり、親とはほとんど連絡を絶っている状況なので、わたしが聞いていないのは仕方がないことなのだが、でも、少なくともここ10年くらい前までは「多分、広島市内に入ったんだろうね」としか聞いていなかったし、前に来たときはこんなことは書いてなかったはずだ(書いてあったらいくらなんでも覚えてるだろうよ)。ということは、戦後60年以上経ってから、この部下のMさんって人は父に連絡したのかしら。よく映画やドラマなどで生き残った戦地帰りの人が戦死した遺族に最後の状況を話したり形見を渡したりというシーンをよく見るのだが、それと同じことが起こったのね。

ちなみに「被爆時職業」欄には会社名も書いてあるのだが、ここっておそらくその当時祖父も同じ会社だったはず。うちの祖父は、これまたわたしが幼いときに耳にたこができるほど聞いたのだが、8月6日の朝はちょうど体調が悪くて少し遅刻して行ったそうだ。そうしたらもう原爆が落とされたあとで市内に入れなくなってた。もし体調が悪くなければ、祖父も同じ運命をたどっていた可能性がとても高い。一方は原爆で亡くなり、一方は生き残る。生き残ったわたしの祖父はこのことをどう思っていたのか。まぁ、まさかお兄さんが出勤してて職場で亡くなっていたことは、もう20年前くらいに亡くなってしまったわたしの祖父が知るわけはないのだが。

一方、お兄さんの奥さんの方の「被爆状況について」のところには

入市して探したが、消息不明。現在に至る。



と書いてある。ああ、奥さんの方は前と同じだ。ということは、今までわたしはてっきり夫婦一緒だったのだと思っていたが、そうではなかったのね。まぁここら辺のことは、いつになるかは分からないけど、今度父に会ったときに聞いてみようと思う。

ところで。「69年目の真実」って実はこれだけじゃないのだ。わたしは以前、2008年10月22日に「高校野球発祥の地」という題名で日記を書いたことがある。2008年10月に「第一回全国中等学校野球優勝大会」、要するに今の夏の甲子園のことだけど、これが開催された「豊中グラウンド跡地」に「高校野球メモリアルパーク」というのがあり、そこに行ってきたのだ。当時の写真。

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なぜわたしがここにわざわざ足を運んだかというと、身内の中に第1回の大会に出た人がいるって聞いたことがあったからだ。当時の日記の中にも「この中で出場校をまず探し、そしてそれから選手氏名を見ていく。。。あ、あった。本当に第1回の大会に出てたんだ。この人は、おそらく(あんまり覚えてないんだけど(^^;)、祖父の兄に当たる人だと思う。」と書いている。ここは第1回の大会に出場した学校名と選手名が全員、書いてあるのだ。で、話を聞いていたので本当のことなのかなと思って、ここに見に行ったのだ。

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そう。もう一つの「69年目の真実」というのは、自分の中でこの、第1回全国中等学校優勝野球大会に出ていた人と、原爆で亡くなった人が同一人物だと言うことに気が付いたということだ。今まで誰も教えてくれなかった。この2つが同一人物だと言うことに。「高校野球の1回目に出た人が身内にいる」ということと「原爆で行方不明になった身内がいる」ということは同じように親の口から語られていたけれど、それが同一人物であると言うことは語られなかった。わたしもこの人の名前は別々の所で見たけれど、名前が一致していることに全く気が付かなかった。まぁわたしにとっては祖父のお兄さんと言えども会ったこともない人なので、ある程度仕方が無いとも言えるだろうが。

このことに気が付いてから、はっ、と思った。この人は16歳で野球大会に出て、そのちょうど30年後に原爆で亡くなったのだ。その30年間の間にどういうことが起きたのか。

わたしは少し前に「国会前のデモに参加した」という日記を書いた。その中に「そして、わたしはこの法案が通ったからと言って今すぐ日本が戦争に巻き込まれるとは思ってない。(中略)ただし、戦争に巻き込まれる可能性がとても高くなる、とは思っているけれど。そういう意味では秘密保護法と合わせて日本は2歩ほど戦争への道に歩みを進めてしまったのだと思う。もちろん何歩後に戦争になるかは分からない。」と書いた。そう、すぐには戦争に巻き込まれない。けど、何年か後に巻き込まれる可能性はあるのだ。それはもしかしたら30年後かも知れない。この「30年」という具体的な数字を突きつけられたときに、自分の中で初めて「リアリティ」を感じたのだ。

もちろん、当時の状況と今の状況は世界の状況を含め何もかも違っているから、戦争が起きるのは30年後だとかそうじゃないとかそういう問題ではない。ただ、30年前に野球を楽しんでいた子どもが30年後に原爆で死んでしまう現実があった、ということが、そしてその人はわたしと血が繋がった人だったのだと言うことが、わたしにとってはすごく「リアル」なのだ。

奇しくも今年は高校野球が始まって100年目。1915年に第1回の大会が行われた。そしてその30年後に広島に原爆が落ちた。その100年後の今年。そしてその30年後には。この世界は、この日本はどのようになっているのだろうか。

今年の8月6日は、まさに今日は、その「第97回全国高等学校野球選手権大会」が始まる日でもある。100年経ったのに通算回数が97回なのは、他でもない、戦争のために中断されたからだ。

わたしたちは、過去の歴史に学ばなければならない。
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08-13 Thu , 2015
帰ってきました!
まぁ帰ってきたのは10日なんですけどね(^^;

翌11日は疲れて寝まくって、昨日はお土産を渡しに出かけて。

今回の旅行は東北方面でした。
仙台から秋田、青森、岩手、栃木と回ってきた。
とても楽しかったです。

が、日記はどうしようかな~。画像はいろいろ撮ってきたんだけどね。
なんせ10日間の旅行記って大変な量になりそうだし。
それに最近ほとんど旅行の話題しか書いてない(^^;

ちょっと考えてみます。
21:32 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
08-28 Fri , 2015
ま~旅行記でも書きましょうかね
なんせ最近、書くことがあまりない。
書くことがあまりないというのは「書きたいことがない」というわけではなく、書きたいことはあるのだが、書き始めるとめんどくさいほど長くなるかも知れなく、かつ、結論なんかない、ということだからだ。書いたとしても「現実って言うのは複雑なんだよね」という結論にしかならない。だからなんか書いたって仕方がないんじゃないかな~って思ったりする。

全然関係ないけど「断片的なものの社会学」(朝日出版社)という本がある。まだ新刊の部類に入ると思う。

著者は社会学者でわたしとほぼ同年代(向こうが1つ年上)なのだが、読んでみてとても面白かった。自分が今まで生きてきて考えていたこととリンクすることが多いし、同じように結論が出ていないというのが共感できる、というか、「ああ、この人もここまで考えてて、でも、やっぱり答えは出てないんだな」と思うとなんかとても親近感が湧く。

結局長く生きるということは、現実に起きていることはそんなに単純明快でスパッと答えが出るものよりも、なんかどう、考えていいのかさっぱり分からないことがたくさんあるってことを知るって言うことなのかなと最近よく思う。そこには明解に「善」と「悪」の線を引くことはできないし、何が正義で何が正義じゃないか、正義の絶対値なんかない。ただ生きてて「絶対」なのは、人間はいつか絶対「死ぬ」ことだけ。これだけがこの人生において「確実」なものなのだ。

だとすれば、その確実な「死」に向かってどう生きていけばいいのか。

わたしは自分がどういう死に方をするかまだ全く分からないにせよ、ある程度準備はしておきたいと思う。最近わたしが結構あちこち旅行しているのはそのせいだ。わたしは一つでも自分の心に残る風景を自分の頭の中に残しておきたいと思う。そして死ぬ前にその風景を思い浮かべながら死んでいきたいと思う。もちろん、そういう「死に方」ができるかどうかは今の時点では分からない。今まで生きてきた記憶なんか全部失って死ぬってこともあるだろうし、病気や事故で瞬間的に死んでしまって今までの人生を振り返る余裕なんかないかも知れない。でも、それだったらそれで別に構わない。今の時点で自分の最後が分かる人なんていないんだから。

「あの世に金は持っていけない」とはよく言われる言葉だ。でもさあ、持って行けないのは金だけじゃないんだよね。生きてるときに身に付けた知識だって経験だって資格だってすべて持って行くことはできないわけで。それらは「いかに自分が生きているときに生きやすい道具であるか」ってことだけで。「あ~、人生ってそういうもんなんだなあ」って最近よく思う。しかしそれは現実なんだから、それが寂しいとか虚しいとか、そこにそういう感情をくっつけることはないんじゃない?って思う。「物事はそういう風にできている」わけなんだから。まぁそこに寂しさとか虚しさとか、そういうことを感じると「文学」や「芸術」ってものに発展していくのかもね。

だから、わたしは自分の最後は自分が今まで見てきた美しい風景を思い浮かべながら死ねたらいいなと思っている。なので、今のうちに身体が動くうちに行こうという気力があるうちに、行きたいところにはどんどん行っておくのだ。最近、旅行ばかりしてますね、体調が良くなったんですねって言われるけど、まぁ、本人の意識としてはあくまでも旅行するのは死を意識してのことだし「後ろ向きに前に進んでます」という感覚だ。まぁそんなわけで。

夏の東北旅行、記録として残しておきたいと思う。

この旅行中に感じたことのキーワードは「平和」と「日常」だった。
15:36 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
08-29 Sat , 2015
ワイパックス再び
昨日の日記に「これからは旅行記を書く」って書いたものの、なんだかあれだけ読むと「こいつは死ぬ間際のために旅行をしとるのか」という印象を持たれるだろうな~と思うので、少し言い訳。

わたしは今別に旅行のためだけにのほほんと生きてるわけじゃなく、一応、少し在宅で仕事してる。本格的な仕事が来始めたのは4月以降だけど、まぁ、正直言ってそんなに稼げてない。前の仕事の出来によって次に繋がるということだけど、全然来ないこともないし、殺到することもない。向こうから打診がなければ仕事に繋がらないので、たくさんやりたくてもできない。まだまだ月に1万稼げればいい方なので、本音を言えば「なんじゃこりゃ」なんだけど、まぁ全然お金にならないよりはいいか。ただ、ずっとこのままでいいとは全く思ってないので、これからも何か考えなきゃ、といったところ。ちなみに行政書士は今でも目指してるけど、勉強の方は全然。

頑張れない一番の理由は、去年の夏の夏バテを今でも引きずってることで、夏バテが1年続くってそう滅多にないことなのではと思ってるんだけど、夏バテって1年続くんだね~。これにはびっくり。今年も去年と同じく、8月下旬になったらガクッと寒くなってきてしまったが、幸いというか、夏バテの上に夏バテになることはなく。去年感じただるさとか熱っぽさとか異様に汗かくとかそんなことは起こってない。あ、でも異様な汗かきと滅多に不順にならない生理不順にはなった。だけどこれはもしかしたら別の原因があるかも。婦人科行くの嫌だから行ってないけど。ただ1年前からずーっと続く息苦しさや背中の痛さは相変わらず。これが取れないと、わたしは通常の生活が送れない。机の前にそんなに坐っていることもできないし、集中力が続かない。だから、これをなんとかしたいと思って今までも散々努力してきた(日記にも書いてある)。でもどうにもならない。。

「旅行中はどうなの?」って話なんだけど、旅行中も息苦しいです。背中も痛いし。よくこれを耐えながら旅行行ったり日常生活送ってるもんだと自分でも感心する。もう息苦しくない、背中痛くない普通の状態ってよく分からない。

で、6月の終わりだったか、精神科に行ったときに「もう考えられるのはこれしかない」といって、飲んでたリーマスをなくしてもらった。リーマス、飲まなくなったことで背中の痛みや息苦しさが改善されたかというと、ほとんどそういうことはなかった。まぁ、リーマス自体の副作用にはそんなものはないわけだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。。

そして今週、再び精神科の受診日だったのだが、取り敢えず事情を話してワイパックスを再び出してもらうことにした。「1日2回では効かなかったので、それ以上出してくれ」と言ったのだが、ワイパックスはこれ単体で割と強い薬なので、1日2回までしか出せない、その代わりこれが効かなかったら次回は別の薬を出す、と言われた。「前と条件が違いますからね」と言われたのは、前にワイパックスを飲んだときは、リーマスと同時に飲んだでしょってことなのか。だとすれば確かにそれはそうなのだけど。次回は3週間後。「ワイパックスは30日間限度だから、30日分出しますか」と医者に聞かれたけど、別にオーバードーズする気もないので、21日分でいいですと答えた。どういうつもりで主治医が30日分出すと言ったのかはよく分からない。

今のところ、飲み始めて数日なんだけど、ちょうど仕事で頑張らなきゃいけないときと重なって、そのせいか、めっちゃ気持ちが悪くなってね。背中が痛すぎて気持ち悪くて仕事、どうなるかと思った。取り敢えず仕事を出した後は努めて何もしない生活を2日、送ったところ、気持ち悪いのはやっと今日、治まったかな。ただ、眠たくて眠たくて昨日も今日も昼間はずっと寝てた。でもこれでかなり楽になった。息苦しさは変わってないけど。

あと、7月の終わりだったかに「ストレッチポール」という棒みたいなのを買って、その上に寝ころぶようになった。これは背中の痛みを改善させるため。これですべてがすべて、よくなったとは言わないけど、それまで背中全体が痛かったのがこれをやったおかげかなにかで、背中の下半分の痛みはなくなった。で、長いこと上半分痛かったんだけど、それも昨日、今日とずっと寝たら、左側は痛くなくなって、右だけになった。要するに、今背中の痛みで残っているのは、右の上側。範囲はだんだん縮まっている、と考えられるのではないか。

それにわたしは加えて座骨神経痛によって右側の腰が痛かったり、左側のお尻の骨が座ったときに痛かったり、左足がしびれたりしてるんだけど、ストレッチポールを横にして腰を載せて、お腹の筋肉を伸ばしたら、右の腰が痛いのだけは治った。座骨神経痛までは治ってないけどね。そっちの方はそんなんでは治らないと思うし、治ったとしてももっと時間が掛かるはず。なんせ座骨神経痛自体は10年以上持ってるんだから。そっちの方は地道に整体に通ってる。だからといってよくなる兆候はほとんどないけどね~。

というわけで、結局なんだかんだ言いながら、息苦しいのと背中の痛みはまだ治ってなくて、いろいろやってるとこ。

取り敢えず3週間は、ワイパックス0.5mg×1日2回(朝、晩)。その他の薬は飲んでません。
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