04-07 Mon , 2014
マウスピース作った
一旦、書きかけたブログが飛んでしまい、同じ内容のものを書くのが苦痛だったのでちょっと放置してた。しかし、もう一回、同じことを書くという行為がなぜこんなに苦痛なのか、、同じものは二度と書けないからってことなのかな。

ええと、マウスピースを作ったというか、3月末の歯科受診のとき「今のままだと苦痛で耐えられない。マウスピースを作って欲しい」と言ったのだけれど。

今のわたしの歯科受診は半年に一度。行ってわたしの歯の苦痛を話すだけ。治療方法がないから向こうは話を聞くだけ。それでなぜかわたしの方がお金を取られる。カウンセリングじゃないからっていうか、カウンセリングで苦痛が取れたらすごいと思うけど、もちろん話をしただけでは全くすっきりすることもない。苦痛を話してどうこうってことじゃないのだ、この症状は。なのにお金を払う。なんだかな~って毎回思っている。なのでもう医者通いはいいかなって思ってるんだけど、向こうがなんだかんだ言って引き留めるのだ。ってことで、ここ1年半くらいは半年に1度の受診になっている。

マウスピースの話は、前に一度したことがあって、でもそのときは作ってくれなかった。その理由はよく分からないけど、作ったとしてさして効果がないってことだったと思う。だけどわたしはあのとき無理矢理にでも苦痛を訴えて作ってもらえばよかったと思っている。だって結局マウスピース、作ることになったんだもん。わたしの場合、上の歯と下の歯を噛み合わせると、歯が溶けたように感じられ、そこからぶにぶにした味の付いた(酸っぱい!)冷たいものが口の中にどろ~っと出てくるような感じがする。それはもう寝てる間もそうだし、起きてる間はもちろんそうだし、1日24時間、感覚が変わることはない。せめて味さえ付いてなくて、普通の唾液みたいだったらいいのにって思うんだけど、もう、口の中に溶けてなくなることはない酸っぱくてまずい飴を舐めているような感覚なのだ。これがずっと続くんだから、本当に不快で気が狂いそうだ。

とにかく、歯と歯を合わせたくないんだけど、出てくるぶにぶにしたものが気になってつい、歯と歯を合わせてしまう。本能的にそのぶにぶにしたものを取り去りたいがために絶えず歯と歯を噛み合わせて舌で舐めている。そうすると他のことに全く集中できない。本を読んでてもテレビを見てても何をしても絶えず口の中が気になる。口の中に半分集中力を取られながら、いつも何かやっている(例えば今だってブログを書いている)。これでは何かに本気を出したくても、全然集中ができないから、いつも何かに気を取られたような気がして不完全な感じがするか、いつも以上にもっと集中しないと集中できないので極度に疲れる。

多分ね~、この病気にかかる前は、普段でも上の歯と下の歯はそんなに合わせてなかったんじゃないかって思うのよ。唾液もこんなに気になったことはあまりないし。なのに、ぶにゅぶにゅ出てくるもののせいで、それが気になって気になって仕方がない。つい、上の歯と下の歯を合わせてしまう。そして多分これも半分歯が溶けたように感じられるのでよく分からないんだけど、きっと普通の状態だったらきつく噛んだりしてるんじゃないかって思ったりする。だって、わたしそれで頻繁に頭が痛くなるんだよね。顎が疲れるまでは感じないのだけれど。あと口の中がとても狭くなったように感じる。なんというか、いつも口をぎゅっとつむった状態だから、口の中の頬の肉にシワが寄ってしまって取れないんだよね~。だからやっぱり今の状態って不自然なんだと思う。だけど意識して自然な状態ってできないもんで。というか、最早自然な状態がなんだったか分からないもんで。

上の歯と下の歯が物理的に合わない状態にしたらぶにぶにしたものが出て来なくなるんじゃないかと思って、それでティッシュを噛んだり、アイスクリームの平たい棒を細かく切ったものを右の歯と左の歯に2箇所入れてそれを噛んだりしたこともあった。でもね~、ティッシュはすぐに唾液でベタベタしてくるし、アイスクリームの棒は噛んでないと外れちゃうんだよね。ティッシュにしてもアイスクリームの棒にしても外れるから、結局いつも歯と歯を噛み合わせてないとダメなんだよね。絶えず歯と歯を噛み締めてるのも案外疲れるのだ。それにこれだと結局やっぱり口の中が気になって仕方がない。

ってわけで、今回、主治医には「このままだとつらい」ってことを強調して、だから「マウスピースが作りたい」と言ったのだが、前回は「うーん」って言ったくせに、今回は「是非作りましょう!」ってすぐに言われて「えっ、えっ?」ってなったのだが。。まぁだけど主治医によると、ティッシュ噛んだりアイスの棒噛んだりする人は結構いるみたいで。「あー、みんな考えることが同じだよな」って思った。だいたい身近な材料ってそれくらいしかないよね。で「マウスピースはアイスの棒よりちょっとマシ程度ですけどね」って言われた。うん、分かってる。もう元通りに戻るなんて期待しちゃいないし、思ってもいない。でも「ちょっとマシ」になるだけでも、全然違う。とにかく歯と歯を噛み合わせない方法が欲しい。そうすれば、ぶにぶにしたものがなくなるし、変な味の付いたものを飲み込まなくても済む。もうわたしのこれは、治療方法がない。治らないと諦めている。けど、それなら対症療法でどうにかして気にならない方法はないか。もう、そういう考えで行くしかない。

ってわけで、その日歯型を取ったのだけれど。はー、しんどかった。ちなみに上の歯だけね。

それから一週間後。歯科に行った。マウスピースはできあがってて、あとは少し調整するのみってことだった。

できたマウスピースは透明で固く薄いプラスチックのものだった。「喉は強い方ですか?」と言われ「いえ、弱い方です」と答えたのだが、、マウスピースを付けるとオエッとなってしまったので、端っこをちょっと削ってくれた。あんまり削りすぎると強度が足りなくなって割れるとのことで、本当にちょっとだけ削ったので、最初と大して差はないと思った。あとはマウスピースについての説明をちょこっとされたかな。「付けたままご飯は食べない方がいいです」と言われたが、正直、これを付けたままご飯って食べられるんだろうか。。わたしは絶対に無理。付けたままだとご飯が飲み込めずにオエッとなる、多分。。それに、わたしはご飯を食べてるときはあんまり歯が気にならないんだよね。歯と歯だけを合わせると、歯が溶けている感じに思えるのに、ご飯を食べたときだけはそうは思わないの。なので「マウスピース付けたままご飯は食べません」って答えたのだけど。

ちなみにこのマウスピースは保険が効いて5000円弱くらいだと思う。その日の診察料含めて5000円ちょっとだったので。

マウスピースができてから、今日で約一週間くらい?主治医に「アイスの棒よりちょっとマシ程度」って言われたんだけど、まぁ当たらずとも遠からずって感じかな。確かにぶにょぶにょしたものは歯と歯が合わさってないから出てこない。それはすごい楽。でも、なんか唾液は相変わらず味があるんだよね。口の中に入ってるプラスチックの板はまるで溶けないあめ玉を舐めているようだし。あと、上の歯と下の歯を噛み合わせると噛み合わなくてとても変な感じ。あのね~、本当はわたし、上の歯と下の歯を噛み合わせて落ち着きたいんだよね。それがこれだとちょっと無理って感じ。マウスピースって上の歯と下の歯を噛み合わせることができるヤツってないのかな。

わたしが考えて「これが楽そう」って思うのは、マウスピースとは呼ばないかも知れないが、塩ビかなにかのちょっと柔らかい素材で歯の半分くらい被せるもの、なんだけど、こういうのってどうやったら作れるのかなあ~って思う。わたしの場合、前側の歯は合わせてもぶにぶにしたものが出てこなくって、奥歯がそうなので、奥歯だけ被せるものがあったらなって思ったりする。誰かわたしと共同開発してくれないかな~って思うけど、でもそんなん開発しても需要がないよね、、

まだちょっとねー、マウスピースの圧迫感はある。だから、マウスピースを入れてはしゃべりにくい。すぐにオエッとなってしまう。まぁマウスピースって多分、付けたまま生活することを想定されてないよね。いろいろぐぐって調べてみたんだけど、ほとんどは寝てる間に使えってことになってるようだし。これって慣れるのかな。よく分かんない。

ただ、本当にティッシュとかアイスの棒よりはマシな感じはする。

ちなみに知らなかったんだけど、マウスピースは使ってるうちに亀裂が入ったり、擦り切れて穴が空いたりするらしい。消耗品なのね、これ。

まぁ一件落着じゃないけど、これでちょっとは集中できるようになって欲しい。。歯のことばかり気になるのは本当につらい。

取り敢えずまた半年後に再受診。
17:42 | 病名が分かった後のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
04-09 Wed , 2014
春が来た
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今年も春が来た。

てか、もう街のソメイヨシノは散っちゃったかも知れないけど、うちの桜は満開だ。ついでにわたしが植えたんじゃないが、毎年咲くらしいチューリップも咲いた。去年は咲いた途端に強い風が吹いて、すぐに花びらが散ってしまったんだよね。だから、今年は長持ちして欲しいんだけど。。

今年は珍しく、ソメイヨシノが満開の時に、花見を数回やった。花見と言っても散歩がてらとか病院帰りとかに桜が沢山咲いているところに行って花を見てきただけなんだけどね。改めて、日本は(日本と言っては大げさかも知れないが、少なくとも東京は)桜がこんなに大量に植えてある国なんだなあって思った。

なんかね、今年は桜を見ながら「この光景をよく目に焼き付けておこう」って思ったのね。「例えば、この桜がわたしにとって最後の桜になるかも知れないけど、この光景を覚えておいたら別にいいよね」って。いや、別に自分がすぐに死んだりはしないと思うけどさ(笑)、でももし最後だとしても別に悔いはないよねって。あ、いや、別にだからといって死にたいとかそんなんじゃないよ。いや、違うか。まぁ絶えずすぐにでも死にたいとは思ってますけどね(笑)、でも別に死ななくったっていいんだけど、なんかそういう気持ちで日々生きていくのがいいのかなって、最近なんかそんなことを思っている。

「精神状態あんまりよくないんじゃないか」って思われるかも知れないけど、特に悪いわけでもなく。

ただ、わたしは4月が嫌いだ。中学の時から、4月は組替えがあって、人見知りなわたしはそれが苦痛でたまらなかった。2学期が終わる頃になんとなくクラスに溶け込めて、3学期は天国みたいに感じるのに、また4月になると組替えがあって地獄に突き落とされる。これの繰り返しだった。「なんで毎年組替えがあるんだろ」ってずっと思ってた。これは社会人になっても同じだった。4月は異動の時期で、前年と同じメンバーなんてことはまずない。中高生のときみたいにクラスに知らない人が大半ってことはなかったけど、なんとなくやりづらかった。

そういうのを毎年毎年繰り返すたびに4月が嫌いになっていった。今はどこも属してないから、そういうのとは関係がないはずなのに、世間が4月ってだけでなんか嫌な気分になる。世間的には「新生活でわくわく」ムードなんだろうけど、わたしはそれが不安な気持ちに翻訳されてしまう。条件反射ってやつだ。

まぁそういうのは、蓋して通りすぎるのを待つのみなのかな。
22:45 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
04-11 Fri , 2014
非当事者であること/ルポ京都朝鮮学校襲撃事件を読んで
「ルポ京都朝鮮学校襲撃事件」って本を読んだ。

図書館で借りてきた本だったので、期日前に読まなければいけなかったのだが、最初の一週間ほどは読むのがつらくて最初の一章だけ読んで、ほとんど放置していた状態だった。けれど、それでは期限が来てしまう。意を決して続きを読んだ。苦しかった。何度も泣きそうになった。いや、実際涙が流れた。けれど不思議と「続きが読みたい」って思わせるような本だったので、残りは2日ほどで読めた。

んーなんて言えばいいんだろう。「差別を受けるってこういうことなのか」って改めて思わせられる本だった。この本には差別を受けた人の心理状況がどうなっていくかが丁寧に書かれている。それは「いじめを受けた子どもの心理」だったり「DVを受けている人の心理」だったりに、ものすごく似ていると思ったりする。過去にいじめにせよ、DVにせよ、被害者の心理状態を綴った本を読んだり、テレビを見たことがある。だから「差別を受ける」ってことはどういうことかについて、これが初めて読む本じゃない。初めてじゃなかったんだけど、大きな衝撃を受けた。もちろんだからといって、わたしは特に「朝鮮学校が受けた差別はいじめやDV被害と比べてもひどい」って言うつもりは全くない。わたしはこれらを比べるつもりはない。ただ「心理状態が似ている」って思っただけだ。

そしてこのような朝鮮人差別は今に始まったことではない、というか、昔からずっとずっとあって、戦争が終わってからもあって、そして恥ずかしいことに今も続いている。そう、これは恥なのだ。政府や警察、裁判所、文科省、国のすべてが朝鮮人差別をしている。国民の大半はそれを黙って見ている。一部の国民は直接朝鮮人差別をする。これが恥じゃなくて一体何が恥なのか。

人間には本能として「誰かを差別したい」って気持を持っていると思う。わたしにだってある。わたしだって「人を差別してはいけない」ってこういう場所で書くけどさ、実際はしてると思うよ(笑)人の心なんて裏では何を考えてるか分かんないよ(笑)黒くてドロドロしたものが自分の中にあることをわたしは自分で知っているし、そういうものを持っていることについてはいけないことだとは思わない。でもわたしはそれを絶対に表には出さないでおこうと思っている。表に出さないことが「自分のプライド」だと思っているから。まぁこの「プライド」に対してもいろいろあるのだけれど、まぁそれは自分が書きたくないことなんで書かない(笑)

だから「差別はしてはいけない」と書いても、実際は「差別は自分の表に出すな」ってことだと思ってるんだよね。

あ、差別をすることと人を嫌いになるってことは違うことだと思っている。自慢じゃないが、わたしには嫌いな人がたくさんいる。今、現在でもね。わたしは人を好きになることは滅多にないが、嫌いになることはものすごくたくさんある。よく「好き嫌いが激しい」っていうけど、わたしは好きがなくて「嫌いが激しい」人間だ。そして「嫌いな人と嫌いあう」ってことは「好きな人と好きあう」ってことよりも嬉しいって思ってる。中学生の時にクラスですごく嫌いな人がいて、向こうもわたしのことが嫌いみたいだったので、とても嬉しかった。今でもその人の名前と顔を覚えてるくらいだから、嫌いあってたことがよほど嬉しかったのかしらね。ただ、それはあくまで「個人対個人」のことだ。誰かを味方に付けて「一緒にあの人を嫌いあおうよ」と誘ったりはしない。人の好き嫌いなんて、極めて個人的なものだからだ。

差別と嫌いの違いって、「人間としての尊厳を傷つけるか否か」ってことじゃないかって思う。「人間としての尊厳」、まぁ別に「人間としての」って付けなくてもいいかなとは思うんだけど、「自分が自分であること」というのが尊厳なのかなあ。そして「自分であること」は決して「変えられない属性」じゃないと思うの。以前「自分で変えられない属性について差別するのは止めましょう」ってツイートがどこからか流れてきたときにわたし、「だったら変えられる属性について差別するのはいいのかなあ?」って思ったんだよね。自分で変えられない属性ってのは、人種だったり民族だったり性的指向だったりするわけだよね。じゃあ、変えられる属性って何だろう?って思ったんだけど、例えばね、人間が太ってるとか痩せてるとか、そういうのかな?って思ったんだよね。まぁいくら食べても太らない人は属性が変えられないかも知れないが、太ってる人は食べるの制限したら痩せられるでしょ。でもさ、太ってる人に「デブ」って言ったら言われた方は傷つくよね。それってゲイが「ホモ」って言われて馬鹿にされて傷つくのと同じだと思うの。そこに「変えられる属性」と「変えられない属性」の違いはないよね?それにさ、今や性別だって変えられるわけだよ?性別が変えられるから女を差別していいってことにはならないよね。

だからさ、結局さ、どういうことでも、変えられる属性でも変えられない属性でも、それについて差別することを表に出してはならないのだとわたしは思う。

なんかいつも感想を書くつもりが、話が変な方向に飛んじゃうんだけど(苦笑)

この本、よくできてて「ルポ」っていいつつ、いろいろな登場人物の過去の話とかうまく絡み合っててね。でもわたし、人の名前を覚えるのが苦手でね。日本の名字とか名前はそれでもあまり忘れないんだけど、不思議なことに名前が漢字でも横に朝鮮読みのフリガナが振ってあると途端に覚えられなくなる(笑)なので、取り敢えず申し訳ないんだけど勝手に漢字を「日本語読み」させてもらっている、この手の本は、、そして何度も登場人物が出たり入ったりするんだけど、これがね~。「あれ、この人誰だっけ?」って思うのよ、毎回。特に朝鮮の人は「金」って名前の人が多いもんですごく戸惑う、、まぁ半分くらい読んだら「ああ、この人だったよね」って思い出すけどさ。

しかし登場人物の過去の話などを読むと、本当に日本は昔から国を挙げて朝鮮人差別してたんだなと思うし、在日の人はこんな誰も味方がいない中でよくここまでやってこられたなあって思う。周りに味方がいなかったから、結束力が強いのだろうし、身内意識も強いのだろう。

わたしさ、この「結束力」や「身内意識」を目の前にすると、ああ、わたしはどんなに仲間に入りたくても仲間になれないなって思って寂しい気持ちがするの。それはわたしは決して「当事者」にはなれないってこと。前はそれが理解できなかった。なんとか一生懸命努力して認められたら「当事者」の仲間入りができるかなって思ってた。けど、逆に考えてね。アライ(=性的少数者を支持したり支援したりする多数者)が当事者になれるかというと、それは絶対に無理だから。第一、差別されて差別される気持ちは痛いほどに分かっても、それは自分に突き刺さってこない。差別されて身を引き裂かれるようなつらさは当事者じゃないと絶対に分からない。だから「所詮、シスヘテ(=シスジェンダーヘテロセクシャルのこと。シスジェンダーとは身体と自分が考えている性別が一致している人のこと、ヘテロセクシャルは異性が好きになる人のこと。要するに世間一般の人のこと)はシスヘテだよね」って心の底で思っちゃう。結局のところ、それなのだ。いくら、わたしが朝鮮の人に理解を示そうと、わたしは彼らにとって「差別する側の人間」なのだ。そういう危険性を持っている人間を身内扱いなど絶対にできないだろう。

でも。ってわたしは思う。非当事者なら、非当事者にしかできないことがあるのではないかと。それがね、この本には結構書いてあるのよ。ヒントがいろいろ。そういう意味ではこの本はとてもわたしの役に立ったし、今後、わたしは自分自身どうしていけばいいのかが少しだけ分かったような気がしている。

「当事者」と「非当事者」っていうのはね、いろんな場面でわたしの中に出てきて考えさせられる。わたしは「性的少数者当事者」だけど、非当事者であるものの方が圧倒的に多い。当たり前だけど。例えばさ、「凶悪犯罪被害者」について、わたしは非当事者だ。「自死遺族」についても非当事者だ。「北朝鮮拉致問題」に対しても非当事者だ。世の中の、ほとんどのことに対して、わたしは「非当事者」だ。

だからね、わたしは「非当事者」であることを貫きたいと思う。物事の、一つ一つによって自分の思いから立ち位置が変わってくると思うんだけど、一つ一つのものに対して「どういう角度で物事に向かうか」というのを意識的にやっていきたい。

世間は一般に「当事者(被害者)の気持ちになって」考えがちだ。例えば凶悪犯罪で重罰化をして欲しい、という被害者や関係者がいる。死刑制度存続を訴えたり、加害者を死刑にして欲しいと考える人たちもいる。それはそれでいいし、そういう思いは止められないと思う。けど、被害者や関係者以外の「非当事者」まで「同じ」になることはないと思う。非当事者は、非当事者であるからこそ、「加害者の犯罪に至った境遇、同じ事件を起こさないためにも社会をどう変えていったらいいのか」や「死刑制度があっても犯罪の抑止にはならないこと、であれば、どのようにしたら犯罪が減るのか」など、様々な視点からアプローチすることができる。もちろん中には被害者に寄り添う人もいるだろう。非当事者に課せられた使命は、長期的な展望で「どうやったら悲しむ人が減るのか、生きづらい人が減るのか、多くの人が住みやすい世界になるのか」を考えることだと思う。

それは「北朝鮮拉致問題」でも同じでね。っていうか、在日の人は「加害者」でもなんでもないんだから、攻撃する先が間違ってると思うけど、あんまりにも被害者寄りの人が多いと思うのよ。非当事者として何ができるか、この問題に関しては非常に難しいと思う。基本、国と国の問題だし。だけどさ、だからといって、在日の人を責めるのは間違ってる。もちろん彼らの中には北朝鮮を支持する人がいるだろう。けど、それはね、今までいろんな政治的な事情に翻弄されてきたっていうのがあるわけなんだよね。人の心っていうのは、そう簡単にすぐには変わるもんじゃない。もちろんわたしはその気持ちを「変えるべきだ」とは思わない。それは個人の自由だもの。ただ、誰が見ても国による拉致はいけないことだよね。それは多分、分かってると思うし、だからこそ複雑な思いを抱いている人もきっと多いんじゃないかと想像する。そういう気持ちは全く無視して、ただ拉致被害者とその周辺の人のことしか考えてなくて、在日の人を非難中傷していいものなんだろうか?

非当事者というのは、当事者じゃないから双方の気持ちや状況を考えることができるんだよね。それはきっと非当事者「特権」なんだろうと思う(笑)

こういうことを言うとね、すぐに「自分が被害者になったらどうするんだ」とか「被害者の気持ちを考えろ」って言う人がいるんだよね。それはね、被害者になったときに考えるよ。もちろん、今のわたしとは全く整合性が取れない考えになるかも知れない。だけどそれはそれでいいじゃないと思う。当事者になって、当事者でなければ分からない苦しみや痛みを持ったときに、わたしがどう考えるかは、今のわたしじゃ分かるわけがない。加害者が憎くて憎くて「死刑にして欲しい」って考えるかも知れない。でもそうじゃないかも知れない。それはそのときになってみないと分からないことだ。

少なくとも、今の「非当事者」としてのわたしは、非当事者のうちに非当事者の立場でやっていきたいって思ってる。もちろんできる範囲のことでしかやれないけどね。

また本の話に戻るけどねー。わたし、一番グッと来たのが「裁判を起こすかどうかの話し合い」のところだった。わたし、もっともっと軽く考えてた。そういう意味では「裁判所は公正だ」って思ってたの。もちろん、いろいろな思惑があって裁判所が公正じゃないことは知っていたが、でもまだどこかでそういうものに対しての「信頼」があったんだよね。でもさぁ、そこでも国を始めいろいろな人に痛めつけられた人たちは、躊躇してしまうんだよね。「そうなのか」って思ってちょっとショックだった。そして前に書いたけど今、朝鮮学校無償化排除問題で、全国で何ヶ所か、裁判を起こしている学校や生徒たちがいる。その裁判を起こすときも、こういう悩みや苦しみがあったんだろうなと推測される。わたしはあのとき「生徒が痛々しい」って書いたけれど、そして本当にそう思ったのだけれど、そういうのは通り越してるんだ、そう思ったらショックだったし、涙が出て来て仕方がなかった。だって理不尽なんだもの!どう考えても理不尽じゃん。国もそこに住んでる国民も誰も味方してくれないんだよ。味方どころか国を挙げて自分たちを攻撃してくるんだよ。わたしはなんで無条件に人が差別されている土地に平然と暮らしているの?誰かが傷つけられてて、それをどうして黙っていられるのか。

こういうこと書いてると「朝鮮人に味方する反日」とか「嫌なら日本を出て行け」とか思ってる人もいると思う。正直、わたしは「国」という枠組みは好きじゃない。「国」という枠組みがあるせいで、わたしたちは「国」からいろんなことを管理され、抑圧される。だから「国」という概念なんて滅びてなくなれって気持ちもある(かといって、アナーキストと言ったら全然違うのだが。。っていうかそこまで深くは考えていない)。しかしね、今現在「国」という枠組みがある以上、「こういう国でありたい」「こういう国であったらいいな」っていうのをわたしは持っている。今の日本はそれからどんどん外れて行ってるの!国はそこに住む人々のためにあるものであって、決して国があるから人々がいるわけじゃない。わたしは人々に寛容な社会であって欲しいと思う。人権が護られる国であって欲しいと思う。それは引いては「わたしが住みやすい社会」に繋がっているから。わたしが「こういう国になって欲しい」という要求は、それはやっぱりこの国が好きになりたいんだという思いがあるからだと思う。今の世の中が嫌いだからと言って、すぐ出ていくか、出ていかないかと考えるのは、わたしはよく分からない。好ましくない状態だからこそ、好ましい状態にしたい。ただそれだけだ。

この本ね、読んでて2箇所違和感があった。

1回目、学校が襲撃されたあとにバザーをやるんだけど、やった後にね、近隣住民に挨拶に行ったときにこう言われるの。

応対した(マンションの)副会長の対応は違っていた。大人たちのマナーの悪さを指摘しつつ、彼は言った。「ここのマンションは鴨川沿いで景観が良い、環境が良いということで入居してくる。新興住宅地のような感覚で入ってくる新しい人たちは、在日が多い地域だとか、歴史的経緯とか何の予備知識もない。だからこの公園や学校の様子を見てびっくりして反応してしまうのもやむを得ない側面もある。誤解、偏見から悪感情を持ってしまうところもある」。そして付け加えた。「努力せなアカンで」(51p)


終了後、地域に挨拶に回った。「行ってもいいのものかアカンものか分からなかったけど、『やっぱり行かなアカンやろ』って、二、三人で組んで、一組二、三ヶ所を回った」という。すると地域住民の何人かはバザーにも来て、物品を購入していた。ある年配の女性にこう言われた。「こんなんやったら全然問題ないんや。アンタら大人がちゃんとせなアカンねん。子どもらはきちんと挨拶するええ子ばかりやで」
 一緒にいたオモニ数人で思わず声を出して泣いた。「(略)でも会ってみると、何のことはない同じ人間だったんですよね。同じように、人間として、同じ目線で、年長者として私たちを諭してくれたのがうれしくて。私たち、何か自分たちを一段下のところで考えてしまってたのかなって。学校の問題だけじゃないと思う。在日ってどこか根無し草みたいなところがあるから。ほっとしたら涙が出た」(51p-52p)

読んで「えっ!?」っと思ったのね。これを書いた人でさえ、どうやらこの住民たちの発言を好意的に受け取っているようだ。でもさ、この本を読むと本当に朝鮮学校の教師を始め、保護者たちは近隣住民に対して理解を求めようといろんな努力してるのね、ずっとずっともう何十年も。もうそれは涙ぐましいほどで。なのにまだ「努力しなきゃならないの?」。わたしさぁ、これ読んで本当に腹立たしかったんだよね。歴史的経緯とか予備知識がないのは、それは誰の責任だよと。性的少数者のことでもさ、マジョリティは「知らないのが当たり前。教えられるのが当たり前」って思ってる人がいるけど、そんなん冗談じゃないよ!ちゃんと本読めよ!たくさん出てるよ!!知らないことを恥と思えよ!「分からないので教えて下さい」っていう気持ちで教えてもらえよ!もう、こういう「マジョリティの横暴さ」が嫌でさ。まぁ言われた在日の人たちの反応を責める気はなくて、本当によくやってるなと思うんだけど、こういうね、近隣住民の「横暴な」発言。さも「認めてやった」と言わんばかりの発言。わたしすごーく腹立った。

あと2箇所ほど気になるところがあった。それは金尚均さんのところで

金尚均も彼のパートナーも

って書いてあるのが2箇所ほどあるのよ(1箇所は39p、もう1箇所は63p。)。

これさぁ。ドキッとしたよ。「えっ、彼はゲイなの?」って。「パートナー」っていう言葉はわたし、どうしても「同性パートナー」に結びつけて考えてしまうところがある。そういうところに「ゲイダー」がピピピッと働く。まぁこんなのはゲイダーとは言わないかも知れないけどさ(笑)だけどね、続きを読むと彼には4人も子どもがいることが分かるの。ああ、なんだ、ノンケさんね。。(ふっ)みたいな(爆)

でもね、この本、他の人の夫婦関係のときに「パートナー」という言葉は使ってないのだ。しかも1箇所だけじゃなく2箇所ともなると、この金さんは取材を受けるときに「ここ、こういう風に書いて」って著者に注文付けたんじゃないだろうかって想像したりする。となると、金さんがこういうところの表現に気を配ってるってことは、例えばジェンダーの問題なんかにも気を配ってる人なんじゃないかと推測する。

それからねえ、1箇所、誤植を見つけた。

「朝鮮人が井戸に妻を入れた」(76p)

これさぁ、見つけたときに思わず不謹慎だったけど、笑っちゃいました。妻じゃないよね。これさぁ~、なんでこうなっちゃったんだろうね。字が似てるからかな?なんにせよ、次の版が印刷されるなら、改めておいた方がいいんじゃないかなと思います。

結局のところ、この事件に対しては裁判が行われ、一審では勝訴したものの、裁判所は「民族教育権」について全く触れなかったというところに、もうなんていうかね、国の機関の汚さを感じるというか(これを認めると後の「朝鮮学校無償化排除裁判」に不利になると予想される)この期に及んでまだ朝鮮人差別するのかって思って情けなかった。それに「ヘイトスピーチ」を犯罪とすると表現の自由と絡んでくるそうだ。もしそういう法律ができたとしても国に逆手にとられて「正統な批判」が犯罪になってしまう恐れがある、と。確かにそうだよね。でもだったらさ、ヘイトスピーチを犯罪にするんじゃなくて、わたしが前に書いたように「人種差別禁止法」の制定を目指すのはどうだろうかと思ったりする。もちろんこれでは性的少数者に対するヘイトスピーチは取り締まれないことになるけれど、でも、正直、わたしは今、一番問題なのは「外国人に対する差別」だと思っているから。もうずっとずっと100年くらい続いた(日韓併合が1910年だからね)朝鮮人に対する差別、もうこんなこと止めようよ。本当に切に切に願う。
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04-15 Tue , 2014
セクマイの映画祭
わたしが所属しているレインボー・アクションという団体が主催で、ゴールデン・ウィークに映像祭をやるそうです。

正直、どの作品がどういう作品なのかって全然把握してないので、どれがオススメとは言えないのですが(笑)、まぁわたしは前々から見たかったけど、見逃してた「百合子、ダスヴィダーニヤ」が見てみたいかな。題名の「百合子」っていうのは、宮本(中条)百合子で、この人と湯浅芳子って人の話なんだけど、わたしが湯浅芳子を知ったのは'90年に出た別冊宝島の「女たちを愛する女たちの物語」ってムック本だった。この頃はまだ湯浅芳子は生きてたんだよね。インタビューが載ってた。この頃('90年代)の印象としては、レズビアンの世界はウーマンリブの影響が強くてね、正直なところ「女同士の恋愛」と「女同士の連帯」がごちゃごちゃになってる感がするんだけど、まぁそれは歴史的な背景から仕方なかったような気はする。湯浅芳子なんて、女には選挙権すらなかった時代で、その中でいろんな女の人たちが自分たちの権利拡張についての活動をしてるときだったから、今というより'90年代とも単純に比較はできないと思うのだけれど、ただその中にも確かに「女を愛する女」は存在していたわけよね。湯浅芳子はこのインタビューの中で「自分はレズビアンだ」とは明確に言ってないのよ(そう言われるとそうかも知れない程度)。だけどまぁ生きてきた歴史を考えると仕方がないのかなって気はする。

そしてこの「女を愛する女たちの物語」と同時期に、この映画の原作本「百合子、ダスヴィダーニヤ」が出版されたんだよね。わたし、この本リアルタイムで本屋で見たんだけど「買おうかな」って迷ってるうちに手に入らなくなってしまった。で、ずっと古本を探してたんだけど見つからなくてね~。手に入ったのは数年前だった。それでまぁ読んだんだけど、ほとんど細かい印象は忘れてしまってて(汗)、大きな印象としては「吉武輝子の『女人吉屋信子』に似ている」というものだったんで、正直、あんまり面白くなかったんだろうと思う←オイ

吉武輝子の「女人吉屋信子」はねー、女同士の恋愛ってより、連帯の方をものすごく強調してる本で、それは別に女同士の恋愛を否定してるってわけじゃないんだけど、この人あんまり女同士の恋愛について考えてないんじゃないだろうかって思えたんだよね。わたしら別に自分を虐げる男が嫌いで女同士でいるわけじゃないから。まぁでもこの感覚は本当に新しいんだと思うよ、そう考えてみると。今では「同性愛は異性愛と性的な指向の向きが逆なだけで、恋愛感情は同じです」って言うけどもさ、ことに女同士の関係ってのは、今よりももっと権利のない時代だからね。必然的に女同士が力を合わせて生きていかなきゃならない時代だったわけよ。なので、ある意味仕方ないんだと思う。ただこの本、あまりにも「おいおい」ってところが多かったんで、逆に印象に残ってるんだよね~(笑)

てなわけで、この映画(百合子、ダスヴィダーニヤ)ができた、ってときももちろん知ってたんだけど、体調悪かったりなんかして、結局観に行けなかったんだよね。この映画の中には、わたしの大好きな俳優さんのうちの一人である大杉漣さんが出てるので、そういうのも含め「見たいなあ」とは思ってる。

あとの作品は知らんです。けど、この映像祭初上映のものがあったり、大画面で見ることができる機会であったりするらしいです。詳しい告知はこちら

--------------- ここから開催告知 ---------------
このたび、レインボー・アクションでは「第1回レインボー・アクション映像祭」を開催します。

セクシュアル・マイノリティの視点から、現代の社会を問い直す、
国内外の映画・映像を上映し、同時に、関係者によるトークイベントも実施します。

映画・映像を通じて生まれることばや思考を大切に、
普段はなかなか語りにくいことについても語れる場を提供する映像祭です。

多くの方のご参加をお待ちしております。

●日程 2014年5月4日(土・祝)~6日(火・祝)
●会場 東京ウィメンズプラザ ホール

上映予定作品
『 ジェリー・フィッシュ 』(監督:金子修介)
『 百合子、ダスヴィダーニヤ 』(監督:浜野佐知)
『 for you 』(監督:ペ・フィギョン)*本作は日本初公開です
『女として生きる』(監督:江畠香希)

*この他の作品も上映する予定です。詳細は現在調整中です
*監督や関係者によるトークイベントも実施予定です

●料金 前売り券:1,000円/1プログラム 当日券:1,200円/1プログラム
*全日フリーパスも発売予定です。購入方法等は決まり次第ブログにてご案内します。

◎最新情報はこちらからご確認ください◎
http://rainbowaction.blog.fc2.com/blog-entry-194.html


☆プレイベントも実施決定!
●日時 2014年4月29日(火・祝)19:00~21:30(18:30開場)
●会場 アップリンク ファクトリー

*内容等の詳細については、決まり次第発表いたします

☆レインボー・アクション Xラウンジによる関連イベントも合わせて実施します!

「性自認ってなに??いろんな性自認の人の話を聞いてみよう!」

●日時 2014年5月4日(日・祝)18:30〜20:30(18:00開場)
●会場 都内公共施設(お申し込みの方にお知らせします)
●資料代 500円

◎詳細はこちらからご確認ください◎
http://rainbowaction.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

関連イベントのみ、定員制のため、事前の申し込みが必要です。
参加ご希望の方は、rainbowaction.xlounge@gmail.comまでご連絡をいただければと思います。


(本映像祭は株式会社ラッシュジャパンのLUSH JAPANチャリティバンクによる助成を受けて実施されます)
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08:47 | (性的少数者)映画のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
04-23 Wed , 2014
彼女が入院しました
なんと今、彼女が入院している。

コトの始まりは先週の月曜日。午後に二人で買い物に行って帰ってきたときのことだった。自転車で出かけたのだが、家の前で彼女が自転車ごと倒れてしまったのだ。確か左足だったっけ、左の方向に倒れて左足が自転車と彼女の身体の下敷きになり、ぐぎっといってしまった。彼女はよく足を捻挫したりするのだけど、それにしても倒れてから起きあがるまで相当かかったし、何よりすごく痛そうだったので、すぐに近くの整形外科を受診した。

彼女は「捻挫だよ」って言ってたんだけど、整形外科でレントゲンを撮ったときに医者から「レントゲンでは映らないんだけど、どうも骨折っぽい感じがするから、もうちょっと大きな病院に行ってCTを撮ってもらった方がいい」と言われた。「明日、大きな病院を紹介するからもう一回うちに来て、それからデ-タを持って紹介先に行って下さい」と言う。

なので、翌日また病院に行って簡単な診察をしてもらい、デ-タをもらって大きな病院に行こうとしたら「今日は予約は取れなかった。最短で金曜日の午前中です」と言われ、仕方なくその日はそれで帰ってきた。

金曜日、大きな病院に紹介状を持って行った。見るなり「骨折っぽいですね、これは」って言われてCTを撮った。そしてその後また診察室に入って結果を見たら「やっぱり骨折です。これは手術した方がいいから入院して下さい」と言われ、入院するために入院前検査って言って、血液検査やら肺のレントゲンやらいろんな検査をして、もう一回診察室に入った。もう、このとき何時になってただろ?あの日は午前中に病院に行ったのに、ほとんど一日中病院にいたような気がする。。

で、診察室に入ったら医者に「検査の結果が悪くて、これじゃ手術ができないかも知れない。今の時間はもう診察できないから明日また来て別の科の診察を受けて下さい」と言われ。。結局土曜日も病院に行った。そこでこの検査結果を見せたら「こんなんじゃ手術どころじゃない。今すぐ入院して下さい!!」と言われ、なんと土曜日から入院。。

結局月曜日に手術の予定だったんだけど(だから金曜日の時点で「日曜日に入院して下さい」と言われていた)、やっぱり一週間延期した方がいいって言われ、今は別の病気の治療をしている。

足だから「自分で勝手に病院に行ってね」ってわけにはいかない。それにうちは車を持ってないので移動はすべてタクシー。それなりに大変だ。しかも病院では「ご家族の方ですか?」と言われ続け(当たり前なんだが)、でも「はい」っていうと娘さんだの息子さんだのって全然違うことを言われるので、そのたびにカミングアウトしなきゃならなくて、それがとてもめんどくさかった。一言「パートナー」って言ってもすぐに理解してもらえないんだよね。そこに「同性の」って付ければ「ああ」って分かるみたいなんだけど。やっぱまだまだ見えない存在なんだなと、実感させられる。

わたしは入院してからも毎日お見舞いに行ってる。昨日はわたしも自分の病院の日で、新しい精神科の主治医に話をしてきたんだけど、彼女が入院してからというもの、身体が疲れてるのに入眠しづらかったり、あとは寝てると思うのに全然寝た気がしなかったりしてるので、取り敢えず睡眠剤を復活させたと言った。それから食欲がほとんどない、と。わたしは何かあるとすぐに食べられなくなっちゃうんだよねー。お腹空いてるのが快感になって、食べ物を見ると気持ちが悪くなっちゃう。精神的に非常に興奮状態にあるようなんだけど、まぁ眠ったらなんとかなるかなと思うのと、わたしの場合、ちょっと薬をいじるとすぐに副作用が起きてしまう可能性があるので、まぁそれは今後も興奮状態が治まらなかったり、精神的に不調になったら考えましょうってことになった。彼女も入院して5日か。昨日初めてちょっと寝た気がしたけどね。ただ身体はめっちゃ疲れてるような気がするのに、あんまり疲れた感じがしない。。あとで疲れがドッと来ないといいけど。

取り敢えず彼女の手術は来週の月曜の予定だ。でもそれはまだ本決まりじゃない。それに手術したとしても、転科して別の病気の治療になる予定。なので、いつまで入院するんだか。。まぁそんなに長くはないだろうけど。

わたしは今まで自分が入院することはあっても、身近な人が入院したことはあまりない。人を毎日見舞うなんて、初めての経験なのだ。うーん、これから年を取るにつれ、こういうことが多くなるのかな。なのでわたしもいつまでもうつ病じゃいられないよね、、なんて思っている。思っていたからといって、うつ病が早く治るわけじゃないけどね。

現在の処方(もちろんわたしの)。リーマス100mg、ジプレキサ0.5mg(夕食後)、金ハル(就寝前)
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04-27 Sun , 2014
手術前夜
わたしがじゃなくて、彼女の手術前夜だけどね。

当初の予定通りというか、本当は予定より1週間遅れなんだけど、でもまぁその翌週に受けられることになって本当によかった。明日の午前中に手術室に入るみたい。全身麻酔で3時間の予定だって。結構かかるのね、、

わたしは「家族の人、来て下さい」ってんで、朝から病院に行って説明やらなんやら聞いて、その後は手術が終わるのを待ってる。何の本、持っていこうかな~。

ところで、わたしの体調があんまり良くない。前に比べると眠れるようになったというか、逆に起きるのが嫌で、1日の半分くらい布団の中にいるような生活をしている。食欲はほとんどない。無理矢理1日に1食は食べるようにしてるけど。。(っていうか、最低でも1.5食くらいは食べるようにしている)。

わたしの場合、とてもややこしい性格をしていて、食べるときは普通に食べる。好き嫌いもメジャーな食料はあんまりないというか、嫌いなのはミョウガとか牡蠣とかはんぺんで、そんなのは毎日毎日食べるもんじゃないし、外食でも普通に出てくるものじゃないので、避けて通っていけるようなものだ。食べることは嫌いではない。嫌いじゃないんだけど、食べ物に関してはなんだかいろんなところにプレッシャーがあってね。

例えば、お腹いっぱいの時は食べ物を見たくない。食べ物を見ると「食べろ」って迫って来るみたいで、お腹いっぱいの時に食べ物の買い物はできない。売ってるものだから買わないと迫ってくることはないのに、迫ってくるみたいに見えるの。だから買い物はお腹が空いている時じゃないとできない。これ、回転寿司でもそうでね。ものすごくお腹が空いているうちは寿司も食べられるし見れるけど、満腹になると回ってる寿司を見るだけで気持ちが悪くなってくる。別に自分が皿を取らなければ食べなくていいのに、ダメなんだよね。だからすぐに「出よう」ってことになる。

これがね、食欲がなくなると同じなの。食べ物を見ると気持ちが悪くなる。家に何か食料があると「これを食べなきゃいけない」ってプレッシャーがすごい。そのプレッシャーで逆に食欲がさらになくなる。消費期限が短いものなんか、ものすごい負担。期限が長いものでもある程度負担。冷蔵庫の中にものがあると思うと負担。あと、食べ物の話もダメ、、食欲ないのに食べ物のことを考えると気持ちが悪くなって、逆に精神的な負担がひどくて動けなくなっちゃう。

「だったら食べなきゃいい」

確かにその通り。お腹空かないんだから、お腹空くまで食べなきゃいい。んだけど、そうするとなにか道に外れた気がするんだよね。最低でも、1日1.5食は食べないと悪いことをしたような気分になる。.5食というのは、まぁいつもの半分くらいの量ってことで、今は昼間にいつもの半分くらいの量のご飯を食べて、夕食が1食分、まぁ少なめの1食だけど、そんな感じ。

「道に外れた気がする」っていうのは、自分でもよく分かんないんだけど、それをきちんと守らないと罪悪感があるというか、なんていうのかな~?もうとにかく絶対に無理矢理でも食べないといけない感じがするの。なんでそうなったかは自分じゃ全くよく分からないのだ。。これがなければ食べることへのプレッシャーも感じずにすんで、もっと楽に生きられるのになって思う。

ちなみにわたしは食事を作るのが大嫌いで、作るのにはとても精神力がいる。でも外食は嫌いなの。とんでもないややこしいヤツなんだけど、でも自分の作る料理は自分の口によく合っていると思う。なんだけど、作るのは嫌いなんだよね。掃除や洗濯はそんなに苦じゃなくできるのに、料理だけはダメなの。自分でも「なんで?」って思うんだけどね。

あと、ここにきて「見捨てられ不安」のトラウマが再発してしまっている。別に今回は一人でも寂しいとか不安ってことは全くないのに、身体が全然動かない。。これは過去にいろいろあってね。あのときは立ち直ろうと自分で考えられるいろんなことで自分を鼓舞して頑張ったんだけど、結局うつ病を発症してしまった。。一生懸命自分を鼓舞して頑張っても結局は立ち直ることなんかできず、頑張っても頑張っても浮上するどころかどんどん下降していった経験があるから、今ではもう頑張ることすらできず、すぐに身体が動かなくなってしまうんだよね。何をする気力も全く湧かない。一日寝てるだけ。でも、そうするとあのときのものすごいつらい気分が蘇ってきて、、もう20年以上前のことなのに、昨日のことのように思い出せる。完全にトラウマだと思う。

それとセットで思うのは、なんでさ、わたしはいつもいつも「会いたい」って言う方で、誰かに「会いたいから絶対に会いに来て」って言われないんだろう。。と。なんかわたしっていつも誰かのお荷物で、いらない人間じゃん、って。おそらくこれがわたしが「この世からいなくなりたい」って思い始めたきっかけかもね。まぁ普段は別に誰かから絶対に必要とされたいとは思ってないけど、でも、自分が弱っているときって、誰かから必要とされたいと思うものなのかも知れないね。それは自分が誰かを必要としてるから。でもわたしはもう誰かに「助けて」とは言えない人間になってしまった。。だってそれを言って一時的に誰かに助けられたとしても、それは一時的に気が紛れるだけで、根本的な解決方法じゃないから。誰かはわたしのことを絶対にずっと(といっても永遠ではないのだけど)は気をかけてはくれないのだ。一時的に助けられて、そして放っておかれて、ということをわたしは何度も何度も繰り返している。そして放っておかれるたびに絶望的な気分になる。わたしは「助けて」と言い続けなければ誰も助けてはくれないのかと。そういう思いをするくらいなら、ずっと寂しくても一人の方がいい。
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04-28 Mon , 2014
手術が終わりました
毎度のことながら、自分じゃなくて彼女が手術受けたんだけどね。

今朝は9時に手術室に入ると聞いていたので、8時半ちょっと前に病院へ。しかし前の晩は2時半過ぎまで起きていたので、超眠かった、、←自業自得

病室に行ったら既に看護師さんが来てて、あれこれやってた(怖いのであんまり見てない)。そして9時ちょっと前に病室を車いすで出発。わたしも手術室前まで付いていった。んー、手術前は何を話したのかあんまりよく覚えてない。。前日、全身麻酔で3時間って聞いてたんだけど、看護師さんに手術室から別の部屋で待ってろと言われ、そのときに「どのくらいの時間になりますか?」って聞いたら「2時間半の予定です」って言われたからそのつもりでいたら、実際のところ、2時間後に「手術は終わりました」って呼ばれて、そんでまた手術室前に行って、彼女を迎えに行った。

まぁ全身麻酔ってさー、一瞬で気を失うので、本当にその間何やられてるかは全然分かんないんだよね。わたし、3年前に口腔異常感症の治療のために「電気けいれん療法」ってのを受けたんだけど、それで計10回、全身麻酔やったんだよね(ちなみにその治療で病状が楽になったかというと全然変わりませんでした)。あのときに全身麻酔ってすごいな~って思ってね。手術室に入って麻酔医の人に「ちょっと沁みますね~」って言われ、本当に点滴のところから腕が沁みるなーって思った瞬間、ボンって目の前がシャットダウンするというか、真っ暗になって意識を失って、あの感覚は結構気持ちがよくてわたし好きでね(笑)今回も彼女に「麻酔のかかる瞬間って楽しいよ」って言ってたくらい。んで、どーせ、その後のことは分かんないからね。わたしの場合、いつも目が覚めたらもう病室に戻ってきてて、どこでどうやって手術台から自分のベッドに戻されてるんだか、結局最後まで分からずじまいだった。

手術後、手術室から出てきた執刀医でもある主治医から、手術室の前で説明を受けた。説明って言ってもものの1分か2分だけだけど。。左足の甲に小さいピンみたいなのを数本、大きいピンみたいなのを3本埋め込んだんだって。小さいのはもう取り出さないらしいけど、大きいのは8週間後に取り出すって言われた。ってことは、7月にまた再入院ってことだね。で、ピンが入ってる間は足を付かないで歩いて下さいって言われた。

その後、病室に戻って、彼女の顔見てた。彼女は麻酔からまだはっきり覚めてないみたいで、眠いって言って半分寝てた。麻酔がかかる瞬間が楽しいってわたしが言ってたので、期待してたらしいんだけど、彼女は知らないうちに眠ってしまってたと言っていた。酸素マスクもしてたけど、それは術後2時間で取れたかな。お腹を切ったわけじゃないので、水も4時間後に飲めた。水が飲めた時点で、わたしは家に帰ってきた。それ以上いてもあんまり役には立たないし、それに何より、わたし、すごく眠かったので。。

ちなみにわたしといえば、今日はお昼ご飯を病院の食堂で久々に1食がっつり食べたためか、お腹がびっくりしてしまい、そのおかげでその後腹痛を起こし、病院のトイレに立て続けに4回も行ってしまったのだった、、

彼女は明日の朝まで点滴はやり続けているようだ。わたしが病室にいたときは足のあちこちが痛い、って言ってたけど、帰ってメールしてたら「今は傷のところしか痛みがない」って書いてあった。まぁ早い人は手術の翌日に退院らしいので、こういうのってすぐに傷が塞がってしまうんだろうな。ちなみに彼女はまだ少し入院して様子見だそうだ。でも少なくとも今週中には退院できるだろうとのこと。あともう少しだ~。
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