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08-01 Thu , 2013
陣馬にゃん来たる
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昨日、うちにもう一匹猫が増えた。

まぁ予てから考えてたんだよね。3月に引っ越したのももう一匹増えても大丈夫なところに引っ越したい、という理由があったし。しかし、いろいろあって当初希望してたところから猫を迎え入れることは断念したのと、どうせそこから迎え入れられないのなら、前々から思ってた、保護団体から猫を引き取ろうと。いや、猫を引き取るというのは、初めて猫を飼うときもちょっと考えてた。だけど、保護団体から譲り受けるとき、適格審査みたいなの受けるじゃん。それでいきなり知らない人にわたしと彼女の関係をカミングアウトするのが怖かったんだよね。。実際、保護団体の条件の中には「同性カップルはお断わり」ってところもあって。カミングアウトしたにもかかわらず「条件に合いませんから」って言われたらどうしよう、と思って、結局、そういう条件はない、お金を払えば大丈夫なペットショップで猫を買ってしまったわけ。それとアメショをどうしても飼いたいなとも思ったし。

ちなみにペットショップで購入したことは全然後悔してない。だって、ペットショップで買わなかったら、今の猫との出会いはなかったわけだからね。もうすごくすごく今の猫はかわいくてね。姿もかわいいけど、性格もかわいい。家に彼女と2人揃ってるのが当たり前になってて、彼女がどこかに出かけるとすごく寂しがってわたしのあとをついて回ったりする。トイレに入った後は「きれいにして下さい」とばかりにニャーニャー鳴くし、わたしらが寝る前には必ずベッドのそばに来ておやつ(と言っても普段やってるドライフード)をねだる。本当にかわいいったらありゃしない。だから、今の猫をペットショップで買ったことは全然後悔してない。

今回、とある保護団体から譲り受けたわけだけど、やっぱり最初はカミングアウトするのが怖かった。だから問い合わせフォームに記入するときには詳しいことは書かなかった。でもそうしたら折り返しメールが来て「お二人はどういうご関係ですか」って。。仕方ないからカミングアウトしたメールを送ったけどね。ただ結果的に言うとその団体は同性カップルということで断わることはない、って言われた。最初のメールは第一関門みたいなもんで、実際に譲渡していいかを判断するのは直接面談してからなんだよね。その面談で聞いたんだけどさ。そこ、結構大きい団体なので、ぐぐったら出てくるはず。同性カップルで保護猫を迎え入れようとしている人は探してみたらいいと思います。

昨日、その保護団体が保護している猫を見に行ったんだけど(そこ、猫カフェみたいなことをやってるのでよかったら見に行くだけでもいいと思う)まぁわたしは猫選ぶのに向いてないと思った。正直、子猫は全然かわいいと思えなくて、かわいいと思ったのはうちじゃ引き取れない高齢猫だった。うちは既に猫がいるし、その猫との関係性を考えたとき、うちの猫より高齢の猫は引き取れない。でもすごくすごくかわいい猫だった。なんであの歳になってあそこに引き取られたのかは分からないけど。。いい人に巡り会えるといいなあって思った。

うちに連れ帰った猫はねー、まぁ人なつっこそうだったからかな。でも子猫の性格は変わりますからねって言われたけど。。どうなんだろう?

昨日の夕方、家に持って帰った直後は、うちの猫は「なんだなんだ?」って思ってたようだったけど、すぐに慣れちゃって、見向きもしなくなった。あ、新しい猫はしばらくはケージ暮らし。今、2ヶ月半くらいなんだそうだが4ヶ月になるまでは猫白血病が陽性か陰性か検査しても分からないんだそうだ。そしてこの病気は簡単にうつってしまうため、検査して陰性だって分かったあとじゃないと一緒にしないでくれって言われたんだよね。まぁうちの猫も猫白血病の検査は多分してないのでもしかしたらうちの猫の方が陽性なのかも知れないが。。(今度検査に行ってくる)

まぁうちの猫の性格からして、初対面ではシャーシャーいうことはないだろうと思ってたので予想通りかな。新しく来た猫の方はケージから出たがって出たがって、起きてるときはみゃーみゃー鳴いてうるさいのだけど、うちの猫はいくらみゃーみゃー鳴こうが全然お構いなし、って感じ。今はケージに近づこうともしない。新しい猫の方が部屋の中(もちろん一部屋のみ)に放すとおっかなびっくりって感じ。背中を丸めて毛を逆立てて走ってた。1日経ってだいぶ慣れたと思うけどね。保護団体で譲り受けるときに「この猫、ドライフードはあんまり好きじゃないです。だからウエットフードを上に少しトッピングしてやってください」って言われたけど、家に来て最初のご飯はよく食べました。おしっこは来てすぐにしたし、うんこは今日見たらやってたし。今のところは問題なしかな。ただちょっとおしっこの色が濃い気がするけど。。明日辺りに一回、健康診断に行ってくるので、そのとき先生に話してみようと思っている。

というわけで、これからは2匹になるわけだけど、どうなるかな。一緒にするのはまだ先のことだし、今は2匹飼ってると言っても別々なので、別個に飼ってる、って感じなのだ。だからまだ実感は湧かない。

それにわたし、つくづく子猫は苦手だ。。子猫は遊ぶと限りなく遊ぶような気がするのだが、わたしは1分くらいで飽きてしまって、あとは彼女に遊んでもらってる。彼女が遊ぶと30分くらいは遊んでる。すごいなー。

そうそう、名前は「陣馬」にした。うちの猫の名前が「高尾」だからね。本当は狭間とか山田とかにしよーよって言ったんだけどそれはすべて却下された。小仏とか景信はどう?って聞いたんだけど、それも却下された。。よって「まぁこれでいいかな」というのが「陣馬」だったわけ。別に登山が趣味ではないんだけど。

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18:59 | 二人と猫のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
08-06 Tue , 2013
8月6日午前8時15分
今年もこの日が来た。あの日から68年経った。

今日の広島市長の平和宣言で「結婚して優しかった義母が自分が被爆者だと分かると急に冷たくなって離婚させられた」というところがあったのだけれど、それを聞いて「うちの両親と少し似ている」と思った。

うちは父が被爆者なのだけれど、結婚するまで自分が被爆者手帳を持っていることを言わなかった。結婚して初めて母親に「自分は被爆者手帳を持っている」と言ったらしい。それを聞いてうちの母は「騙された」と思ったそうだ。ただ離婚するまではならなかったみたいだが。

確かに「被爆者差別」の一例、とも言えるだろう。そして「こういう差別はよくない」って言えばいいだろう。

けど。これまた今日の広島市長の平和宣言の中で「言われなき風評被害」と言ってたのだけど、これって本当にそうなのかな、、「放射能は移る」とか、そういうのは全くのでたらめだけれど、現実に被爆者は被害を受けてるじゃん。子どもにだって影響するかも知れないじゃん。わたし二世だから言うけどやっぱり不安です。「あー、近い将来、やっぱガンになるのかな。自分は人よりなりやすいんかな」って思う。それだってやっぱり「被害」じゃん。それを「風評被害」って言われたら「あなたの思っていることは全部ウソです。それは被害妄想です」って言われているような気がして、悲しくなる。

じゃあ被爆者や、その二世や三世が結婚差別を受けていいんか、と聞かれると、正直、わたしにはよく分からない、というのが今のところの答えで。。それはわたしが二世という当事者だからであって。。難しいです。

でも、今の日本は原発事故にせよ、なんでも「風評被害」にしたがって、放射能汚染をないものにしようとしているようにしか見えない。ないものにして、また「原子力は安全ですよ」って言って再稼働させようとしか思えない。でもさ、核のゴミ処理はどうなってるのか、その問題をうやむやにしたままで危険なゴミだけ増やしてもいいのか、そういうのはどうなるの?わたしは原子力技術に反対しているわけじゃない。けど、現実問題として、こんなに頻繁に地震の起こる国は原子力発電は向いていないと思う。地球上には今まで全く地震が起こったことのないところもたくさんある。そういうところは原子力発電でもいいと思う。ただ、先に書いたゴミ処理の問題。これをどうするか方法を決めた後での話だ。

話が逸れた。ただ、今、原子力のことを考えるならばやはり原発事故のことは避けて通れないと思う。原爆と原発は違う、という方向に話を持って行かれそうなのだが、どこが違うんですか?放射能に違いはあるんですか?原発の放射能はいくら漏れても人体に被害を及ぼさないんですか?

わたしの母は、わたしが二十歳になったときにわたしをガン保険に入れた。やはり母も自分の子どもが他の人に比べるとガンになりやすいんじゃないかと考えていたからだろう。

もうこんな人間を出さないで下さい。悲しい思いをするのはわたしらで終わりにして下さい。放射能爆弾は他の爆弾と違ってその人のみを殺すだけではないのです。その子孫にまで影響を及ぼすのです。

「平和を祈っているだけで平和が実現すると思っている」とか「護憲を叫べば平和が来ると思っている」などとよく言われているけれど、平和を祈って何が悪い。平和を訴えて何が悪い。平和憲法を守ってどこが悪い。平和は希求しなければ平和にならない。今の平和は過去の自分たちが勝ち取ったものである。勝ち取ったものは誰にも渡さない。

それだけだ。
17:56 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
08-09 Fri , 2013
8月9日午前11時2分
今日は長崎の原爆の日。

広島に比べると影が薄いと思ってしまうのだが、どうだろうか。まぁ昔のわたしも今日が長崎に原爆が落とされた日というのは知ってても、11時2分に黙祷なんかしなかったからね。気が付いたら過ぎてた、っていうのがいつものことだった。あとはやっぱりうちは広島の方に関係があるので、広島の記憶の方が強烈ってのはあるかも知れない。

例えば黙祷の時刻。広島の時は未だ行方不明な身内のことを考える。「あの日、あのときどこにいたのですか。どこで原爆に遭ったんですか」って。1分間、ずっとそんなことを考えている。しかし、長崎の場合は身内はいないし、そういう点で当事者じゃないからそういうことは考えない。だから却っていろんなことが頭の中をぐるぐるする。あのとき原爆に遭った人々。水を求めた人々。後遺症に苦しんだ人々。残された遺族。もう再びそんな世界にしてはならない。平和な世の中を作っていきますから見守っていて下さい、等々。。まぁおそらくだいたいの人と同じことを思ってると思う。

それと長崎には自分と関係のある身近なエピソードがない。だから、やっぱり影が薄い。

でも、、それだからこそ広島にも長崎にも無縁な人って原爆投下って言われてもピンと来ないんじゃないかなあ、とも思う。わたしも長崎はピンと来ない。広島の原爆のことは身を引きちぎられるような感じがするけれど、長崎は一般的な話としか感じられない。当事者じゃないってそういう感じなのかも知れないね。それはある程度は仕方ないと思う。けど、平和は誰しも無縁なことじゃない。平和な世の中があって、今の自分の暮らしがあるのだ。それを考えたとき、やっぱりもう少しは身近に感じて欲しいよなって思う。

何度目かの長崎の平和祈念式典(最近、特に気になって言うけど、広島は平和「記念」式典で、長崎は平和「祈念」式典で字が違うのよ)を今日、テレビで見て「ああ、いつか長崎の式典に行ってみたいな」って思った。中継時間の関係かも知れないけど、長崎は城山小学校の生徒が歌う「子らのみ魂よ」と純心女子高校の生徒が歌う「千羽鶴」があって、それがかなり後に残る。年に1回聞くだけだけど、メロディーを聞くと思い出す。その歌を、生で聞きたいなあって思ったのだ。広島の方は中継時間が35分しかないので、かなり忙しい感じだし、原爆投下時間前に流れる音楽がすごくおどろおどろしくてわたしは好きじゃない。できれば聞きたくない。あれが流れると「ああ、またこの曲を聞かなければならないのだ」って思ってしまう。以前、1回だけ広島の式典に行ったことはあるのだが、あれだけでもういいって感じ。それに比べると長崎の式典はなんだかさわやかな感じがするのだ。平和祈念式典にさわやかもおどろおどろしいもないと思うし、どっちがいいとか悪いじゃないけど、原爆投下時間の関係なのだろうか、なんだかそういう感じがするのだ。長崎の平和公園は1回行ったことがあるけど、もう一回、今度はじっくり周囲を見てみたいと思う。

それにしても今日の長崎市長の平和宣言はよかったと思う。広島よりよかったと思う。言ってることは大した違いは実はないのだが、長崎の方がきっぱりと政府に抗議していてよかった。アメリカ大統領とロシア大統領に核廃絶を呼びかける姿勢もよかった。そして被爆者による平和への誓いがとてもよかった。まぁ核兵器のみならず原発にも反対する、平和憲法を護るというわたしが考えていることと同じことを言ってくれた、ってのはあると思うけどね。しかし、後何年後かには被爆者による平和への誓いはできなくなるんじゃないかなあって、そんなことを思いながら聞いていた。広島は子どもに平和を誓わすんだけど、圧倒的に被爆者の話の方が説得力あるんだよね。だけど被爆者は年々少なくなっていくわけで。話せる被爆者がいなくなったら、長崎は一体どうなるんだろうなって思った。二世が話すにしろ、自分自身の体験じゃないからなあ。

それにしてもtwitterをしてるといろいろ目にするのがつらい文字列が目に入ってきたりする。被爆者はアメリカに抗議しろだの、悲しむより戦え、だの。アメリカに抗議しないのは「自虐史観」なんだそうだが、確かに日本は敗戦国であるということから、アメリカには抗議できない、という背景があったのは否めないだろう。抗議しても仕方がない、と思ってしまう部分はあると思う。が、被爆者が求めるのは「世界恒久平和」だ。アメリカ一国に訴えても仕方がない。逆に原爆に遭った「被害」のみを取り上げて、その原因を作ったアメリカに被害を訴えるというのみに「矮小化」させないでくれ、と思う。もちろん「自虐史観」って言う人は被爆者が「世界恒久平和」を訴えることこそが既に自虐的にねじ曲げられた結果だ、と言いたいんだと思う。しかしわたしは例えそれが事実だとしても、この世の中のためには「世界恒久平和」を訴える方がよっぽど人類のためになると思う。戦争は一部の人が莫大な利益を得るもので、大多数は不幸になる。自由は剥奪され、無理矢理戦いに駆り出される。それを人々は望んでいるのか?決してそうではないと思うのだが。

また、被爆者は悲しむより戦え、というのは、例えば「すべての同性愛者はカミングアウトして戦え」と言われているのと同じだ。まぁこれを言ったのはアメリカの映画監督だそうだから、同性愛者に対してもみんなカミングアウトして戦えと言うんじゃないかとは思うが。。戦う、戦わないは個人の自由だし、世の中に訴えたい人もいればそうでない人ももちろんいる。わたしなんかは戦うより悲しむ方だから「戦わなきゃダメじゃないか」と言われるのは非常につらい。逆になんでアンタにそんなこと言われなきゃならないのだ、と思って余計に悲しい。反論するのもつらい。でも言われっぱなしもつらい。どちらにしてもつらくて悲しいんだから、そういうことはどうぞ言わないでくれと思う。

ただアレだね、被爆者がアメリカに対して抗議しない、ということを捕らえて「従軍慰安婦も日本に被害を訴えるな」って思う人いるだろうな。。そこで「韓国も中国も日本に謝罪要求してもいい」って言うとまた「自虐史観だ」って言われるだろうな。だいたい「自虐史観だ」って言う人の思考って分かってて(笑)、まぁなんでも「自虐史観だ」って言って人を貶めてたら楽だろうなって思います(笑)

あのね、加害者は被害者に「アンタにはもう謝ったからこれでいいだろう」って権利はないの。それを決めるのは被害者なの。だから加害者は被害者が納得してくれるまで謝り続けなければならないの。原爆に対して言えば、加害者はアメリカで、だから、アメリカが被爆者に対してどうするか考えるべきことなの。例え被爆者が謝罪を求めてなくても。日本は日本で加害を加えたことがあるのだから、それについてひたすら考えるべき。こう言うと「加害の事実はない」とか「そんなこというから中国韓国に舐められるんだ」とかって意見が出てくるんだろうな。しかし、わたしの祖父は戦時中、中国でひどいことをしてシベリア送りになって戦後、長いこと日本に帰って来られなかったのだがね、、

なんか長崎の原爆の日からつらつらと思ったことを書いてしまった。

【追記】平成25年、長崎市長の平和宣言。

 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
  非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久


同じく、平成25年、被爆者代表の平和への誓い。

 今年もまた、暑い夏がやってきました。あの日のことは、私の脳裏から消えることはありません。当時、私は18歳、師範学校の2年生でした。毎日、動員学徒として三菱兵器住吉トンネル工場に通っていました。1945年8月9日、夜勤を終え、爆心地から北1・8キロのところにある寮に戻ったのが午前7時ごろでした。主食のカボチャを食べた後、すぐに寝ました。

 バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついた時には部屋の壁に打ちつけられていました。隣に寝ていた友人は血だるまになっていました。私自身も左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になっていましたが、はだしのまま20メートルほど先の防空壕(ごう)まで逃げました。

 防空壕の中はすでに人でいっぱいでした。その前には黒焦げになっている人、皮がペロリと垂れ下がっている人、鼻や耳がなくなっている人、息絶えたわが子を抱きしめ放心状態で座り込んでいる母親、全身焼けただれぼうぜんと立っている人々の姿がありました。まさに地獄絵図でした。

 やがて起こった火事に追われ、長与の臨時治療所にたどり着きました。その翌日から疎開先の自宅で療養しましたが、2カ月もの間、高熱と血便が続き、立つこともできず、脱毛と傷の痛みに悩まされました。近くに避難をしている人が次々と亡くなっていく話を聞くと、次は私の番かと恐怖の中で死を覚悟したものでした。私はそのときまだ、放射能の怖さを知りませんでした。

 幸いにして、私はこうして生き延びることができました。今、強く願うことは、この大量破壊・大量殺人の核兵器を一日も早く、この地球上からなくすことです。しかし、いまだに核実験が行われ、核兵器の開発は進んでいます。もし核兵器が使用されたら、放射能から身を守る方法はありません。人類は滅亡するでしょう。

 わが国は世界で唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ義務があります。私たち被爆者も「長崎を最後の被爆地に」をスローガンに核兵器廃絶を訴え続けてきました。それなのに、先に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同署名をしませんでした。私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません。

 その一方で、世界を震撼(しんかん)させた東京電力福島第1原子力発電所の事故で、新たに多くの放射線被ばく者がつくりだされ、平和的に利用されてきた原発が決して安全ではないことがあらためて示されました。それにもかかわらず、事故の収束もみえないのに原発再稼働の動きがあるとともに、原発を他国に輸出しようとしています。

 ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください。

 そして今、平和憲法が変えられようとしています。わが国が再び戦争の時代へ逆戻りをしないように、二度とあのような悲惨な体験をすることがないように、被爆者のみなさん、戦争を体験した世代のみなさん、あなたの体験をまわりの人たちに伝えてください。長崎では核兵器の廃絶と平和な世界の実現を願って活動を続けている高校生、若者がいます。彼らが集めた署名は100万筆になろうとしています。

 この高校生たちに励まされながら、私はこれからも被爆の実相を次の世代に伝えていきます。核兵器も戦争もない、平和な世界をつくることは、私たちすべての大人の責任です。

 ここに、私の願いと決意を述べて、平和への誓いといたします。

 平成25年8月9日

 被爆者代表 築城昭平

21:55 | 被爆二世・戦争などのこと | page top↑
08-15 Thu , 2013
8月15日におもう
正直今日は日記は書くつもりはなかった。
6日と9日に書きたいことは書いたつもりだし。

でも今日の正午に行なわれた「全国戦没者追悼式」をテレビで見て気が変わった。
首相の挨拶からはアジアの人に対する加害、反省の言葉がなかった。不戦の誓いもなかった。
あるのは「お国のために戦った」人への「美しい日本を守るため」「愛する家族のために」といった「美しい」言葉ばかり。表面的な言葉の羅列に背筋がゾッとした。「きけ わたつみのこえ(日本戦没学生の手記)」でも読んで学生たちがどんなに「死にたくない」と思っていたか知れ、と言いたかった。まぁこういう人は「生きたくても生きられなかったお国のために尊い命を捧げた立派な人たち(英霊)」という言葉に代わっていくのだろうね、この手記を読んでも。決して「反戦」には行き着かないんだろう。それを思うと絶望的な気持ちになる。

わたしは偶然、一昨日から昨日にかけて「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)という本を読んだ。この本を初めて読んだのはいつだったか、わたしは全く覚えていない。けど、ものすごく感動して自分の手元に持っておきたいと思って岩波文庫から出ているこの本を買った。その本の版が'83年12月(第8刷)ってあるから、少なくともわたしが中3の12月以降だってことが分かる。だからおそらく中学時代にこの本を初めて読んだんだと思う。

それ以来、わたしはこの本を幾度も繰り返し繰り返し読んだ。その割には内容をちっとも覚えてなくて毎回「ああ、そうそうこんな話だった」って思うのだが、今回は久々に読み返してその内容をちっとも覚えていない割には自分が生きるにあたって大切にしようと思っていることがこの本に書かれていたので逆に「内容は覚えていなくてもわたしの血となり肉となっているんだなあ」と感慨深かった。わたしも40代となり、それなりに「自分らしさとはなんなのか」について、ある程度答えが出てきているような気がした。

そしてこの本で最も重要な話だと思っている「雪の日の出来事」「石段の思い出」の章を読んで、今まで考えたことがない考えが思い浮かんだ。

この本の主人公はコペル君って少年なのだけれど、他に親しい友人が3人いて、そのうちの一人が普段の彼の言動から上級生に目を付けられてしまう。そして上級生が彼に制裁を加えるかも知れない、という噂を聞いたとき、コペル君を始め仲間の3人は「そういうことがあれば君を守るよ」って約束をしたのだけれど、実際そういうことが起きたとき、コペル君だけ逃げちゃったんだよね。「仲間がいたら出てこい!」って上級生に言われたんだけど、コペル君は怖くて出て行けなかったの。それが雪の日の出来事。

その日からコペル君は熱を出して肺炎になりかけ、半月くらい学校を休んじゃうんだけど、その間仲間の3人に対してどのようにすべきか、あれこれ考える。言い訳もたくさん考えて「これならつじつまが合うんじゃないだろうか」って思ったりする。けど、それによって相手は納得させられても、自分自身だけは本当は逃げたという自分を知っている。そしてついには「謝りたい」と思う。しかし、謝ったところで相手が許してくれるとは限らない。それが怖くてコペル君は手紙を出せずにいる。そしてそのことをコペル君の母の弟、おじさんに相談するのだ。

おじさんはすぐに「(上級生に目を付けられていた友人に)手紙を書きなさい。手紙を書いて謝りなさい」と言うのだけれど、コペル君は「それによって許してもらえるかな?」とおじさんに言う。おじさんが「それは分からない」というとコペル君は「じゃあ、僕、いやだ」と答えてしまう。そこからのおじさんの言葉がおそらく一番重要だ。

「潤一君!」

 叔父さんは、もうコペル君と呼ぶのをやめて、まじめに話しかけました。

「そんな考え方をするのは、間違ってるぜ。-君は、友だち同志の堅い約束を、破ってしまったじゃないか。黒川(上級生)のゲンコツがこわくって、とうとう北見君(コペル君の友だちで上級生に目を付けられている子)たちといっしょになれなかったじゃないか。そして、自分でも悪かったと思い、北見君たちが怒るのも仕方がないといっている。それだのに、なぜ、そんなことをいうんだい。なぜ、男らしく、自分のしたことに対し、どこまでも責任を負おうとしないんだい。」

 コペル君は、鞭でピシピシと打たれているような気持でした。叔父さんは、構わずはげしい調子でつづけました。

「北見君や水谷君(コペル君の友だち)から絶交されたって、君には文句いえないんだぜ。ひとことだって、君からいうことはないはずだぜ。」

 コペル君は、目をギュッとつぶって、切なそうな顔をしました。

「そりゃ、仲のよかった友だちと、こんなことから別れてしまうのはつらいさ。」

と、叔父さんは静かな調子に戻っていいました。

「北見君たちに仲直りしてもらいたいッて気持は、叔父さんだってわかるよ。でもね、コペル君、いま君はそんなことを考えていちゃいけないんだ。いま君がしなければならないことは、何よりも先に、まず北見君たちに男らしくあやまることだ。済まないと思っている君の気持を、そのまま正直に北見君たちに伝えることだ。その結果がどうなるか、それは、今は考えちゃあいけない。君が素直に自分の過ちを認めれば、北見君たちは機嫌を直して、元通り君と友だちになってくれるかも知れない。あるいは、やっぱり憤慨したまま、君と絶交しつづけるかも知れない。それは、ここでいくら考えて見たってわかりゃしないんだ。しかし、たとえ絶交されたって、君としては文句はいえないんだろう。だから-、だからね、コペル君、ここは勇気を出さなけりゃいけないんだよ。どんなにつらいことでも、自分のした事から生じた結果なら、男らしく堪え忍ぶ覚悟をしなくっちゃいけないんだよ。考えてごらん、君がこんどやった失敗だって、そういう覚悟が出来ていなかったからだろう?一たん約束した以上、どんな事になっても、それを守るという勇気に欠けていたからだろう?」

わたし、これ読んで「日本の戦争加害責任」というのが思い浮かんだ。前も書いたけど、この本は何度も何度も繰り返し読んでいる。しかし、この部分を読んでそんなことが思い浮かぶのは初めてだ。ちなみにこの本はそういうことは全然想定されて書いていない。なぜならこの本は1937年(昭和12年)に出版された本だからだ。それでもこの部分を読んで「日本の戦争加害責任」が思い浮かぶのは、わたしが日本がどうすればいいのかが明確に表わされているからだと思う。そして今の、いや、今までの日本がそうしてこなかった、そして今の日本がそうするつもりが全くない、というのが本当に悔しくてたまらないからだと思う。

「なぜ、男らしく、自分のしたことに対し、どこまでも責任を負おうとしないんだい。」
「しかし、たとえ絶交されたって、君としては文句はいえないんだろう。」
「どんなにつらいことでも、自分のした事から生じた結果なら、男らしく堪え忍ぶ覚悟をしなくっちゃいけないんだよ。」

まぁわたしとしては何回も「男らしく」って出てくるのが引っかかるんだけどさ(笑)わたしはこの言葉をそっくり今の日本で「いつまで謝ればいいんだ」とか「いつまでも謝り続けるのは自虐史観だ」とか「謝り続けたら日本人としての誇りが持てない」とか「謝り続けたら相手に付けいる隙を与える」って言ってる人に言って聞かせたい。我々はそういうことをしてしまったのだと。そしてその責任は我々で負わなければいけないんだと。そして「謝ったからもういいだろう」って思うこと自体が誤りなのだと。

だってさ、例えば自分自身のことで考えてみるけど、もし万が一、アメリカが「原爆落としてごめんなさい」って言ったとしても、わたし、許せないもん。許す気もないもん。そんなこと言われても父親が被爆者なのは変わりないし、わたしも被爆二世なのは変わりのないことだもん。「ごめんなさい」って言われるんだったら「だったら元に戻せ、それだったら許してやる」って言いたいもん。でもそんなこと絶対にできっこない。だからいくら言われても絶対に許せない。それと同じだと思うんだよね。いくら謝り続けたって、被害を受けた方は絶対に許すことは出来ない、自分自身のことを考えてもそう思う。

しかし、では一体その中で「謝り続ける」ということはどういうことなんだろうかと考えた。わたしがいくら被害者であるアジアの人たちに直接「ごめんなさい」と言っても所詮個人対個人の話でしかないし、そう言われた人たちは却って困ってしまうだろう。わたしが個人のアメリカ人に「原爆落としてごめんなさい」って言われてもなんとも言いようがないのと同じだ。ではどうすれば謝り続けることなのかなって思ったんだけど、それはやっぱり「もう二度とこのようなことはしません」ってことなんだろうと、わたしという個人としてできることはこれくらいしかないように思うのだ。

「できるのかな」「そこまでの覚悟はあるのかな」って思う。平和な世の中で「戦争反対」と言うのは簡単なことだろう。けれどもし、これからの日本が戦前のように言いたいことが言えない世の中になってしまって、国に不都合なことを言えば弾圧されて殺されるような時代が再び来たとしたら、その中でそれでも「戦争反対」って言い続けることはできるのかなって。正直、怖い。そこまでの強い気持ちが自分に持てるか、それはよく分からない。だけどそれを言わないといけないんだ、って、そう言えたらこの文章もちょっとはさまになってカッコよく見えるんだろうけどね(笑)、でも、わたしは嘘が書けない。もしそうなってしまっても「戦争反対」って言い続けることができる、って自信が今の自分はあるかどうか、よく分からないんだよ。。ない、というわけではないのだけれど。。

だからこそ、普段から言っておかなければならないんだと思う。段々、わたしの望むような日本でなくなってしまっているけど、今はまだ言える。だから今のうちに言っておかなければと思う。それがわたしにできること。わたしのアジアに対する人たちに「ごめんなさい」と言い続ける姿勢。それを認めてもらおうとは思っていない。ただ「ごめんなさい」と言うのみ。
18:10 | 被爆二世・戦争などのこと | page top↑
08-26 Mon , 2013
猫の気持ち
高尾2013.8.27


昨日の夜のことだった。

うちでは今、うちに来て約3週間経った陣馬にゃんのためにケージを買って、その中で過ごさせている。尤も一日中ずっと、ってわけじゃなく、日に何回かはケージの外に出して遊ばせている。といっても寝室の一部屋だけだけどね。そして部屋の中に放しているときは、上の猫、高尾にゃんと接触しないように部屋は閉め切っている。

昨日は夜、肌寒くて、でも、彼女は暑かったらしく部屋に冷房を入れていたので、わたしは寝室に逃げ込むことにして、ついでに陣馬にゃんをケージから出して、一人で遊ばせてた(余談だが、陣馬にゃんは一人でも際限なくオモチャに食らいついて遊ぶ猫だ)。わたしはベッドに寝ころびながらiPadの画面を見てた。

そのうち、陣馬にゃんは寝ころんでるわたしのお腹の上に登ってきて、座りこんじゃったんだよね。喉はゴロゴロ鳴ってた。実はこの行動、高尾にゃんもよくやるの。てか、高尾にゃんはわたしが寝る直前にわたしのお腹の上に乗ってくるのね。オヤツがもらえるから来るのだけど(オヤツといっても普段食べてるドライフード)。だいたい毎晩、こうやって寝る前に高尾にゃんがわたしのお腹の上に来て、来たら6粒、ドライフードをオヤツとして与えてるのだ。そして陣馬にゃんは当然のことながらこれを毎晩ケージの中から見てるわけで。まぁだから高尾にゃんのマネをしてやったとは言わないけどね。まだ小さいから覚えてるとは思えないし。

だけど、わたしはそのとき「陣馬にゃんもせっかく来たんだからちょっとやらなきゃ」と思って3粒だけやったんだよね。そのほかはわたしは全然陣馬にゃんには構って遊んでやったりはしなかったんだけど、彼女によるとかなり長い間、部屋を閉め切って陣馬にゃんと一緒にいたらしい。途中、隣の部屋から高尾にゃんがこっちを伺ってるような感じは分かってたんだけど。磨りガラス越しに高尾にゃんのシルエットが見えたし。そのとき高尾にゃんはかなり気にしてるなあとも思ったんだけど。

「さ、陣馬にゃんはもうケージの中に入ろうね」と言って、陣馬にゃんをケージに入れ、部屋の扉を開け放ったと思ったら。高尾にゃんがばーっと今までわたしが寝ころんでた枕付近に座って動かなくなった。「高尾にゃん、ごめんね~」って言いながらずっとなでなでしてたんだけど、全然動かない。10分くらいなで続けたらようやくそこから腰を上げたので、わたしはそのあとPCの前に座ってネット見てたりした。高尾にゃんはわたしと同じ部屋に来たんだけど、いつもなら膝の上に乗ってゴロゴロしたりしてるのに、昨日はこちらに背を向けて窓の外なんか見てる。

そのうち「もう寝なきゃね」と思って歯磨きしに洗面所に行って、歯ブラシ持って彼女のいる部屋に行ったんだけど、高尾にゃんも同じ部屋に来て、そしてなんと彼女の膝の上に乗った!高尾にゃんは彼女の膝の上には滅多に乗らなくて、乗るときはだいたいわたしがいなくて寂しいときだから、わたしが目の前にいるときに彼女の膝の上に乗ることなんてほとんどないのよ。そして彼女の膝に乗ったままずっと動かない。でも目線はわたしの方をずっと見てるのね。わたし、それ見て「あー、高尾にゃんはまだ許してくれてないんだなあ」って思った。それどころかもしかしたら高尾にゃんはわたしに嫉妬心を起こさせるために彼女の膝の上に乗ってるんじゃないかとすら思えてきた。じっとこっちを見続けてる高尾にゃんから「さっき、ままは高尾にゃんにどういう思いをさせたか分かってるの?」って言われてるようだった。

わたしはだいたい歯磨きはいつも30分くらいやってるんだけど、昨日は歯を磨いている間ずっと彼女の膝の上に乗っていた。それでもわたしが歯磨きを終えて洗面所に行ったときは彼女の膝から降りて洗面所まで付いてきたりした。そしてまた部屋に戻ったら、わたしからちょっとだけ離れた距離で座ってこっちを見てた。手を伸ばすとギリギリで触れるくらいの距離。わたしが手を伸ばして高尾にゃんに触りながら「ごめんね、ごめんね」って言った。そしてもう風呂に入ろうと思って「高尾にゃん、わたしはもうお風呂入るよ。高尾にゃんは来ない?」って言ったのね。高尾にゃんは不思議な猫で、いつもはわたしが歯磨きしてる間、ずっと浴室の風呂の蓋の上でじーっとわたしが風呂に入るのを待ってるんだ。そしてわたしが歯磨き終えて浴室に入ってシャワーを出すと、水が嫌いなのでサッサと出ていくのだ。だからわたしは昨日は「高尾にゃん、来ない?」って聞いたのだけど。

そしたら、まるでわたしの言葉が分かったように高尾にゃんはすたすたと風呂場に向かって歩き出した!これにはわたしもびっくり。そして浴室の中に入って、いつものように浴室のタイルの上でごろにゃんってして、そして出ていった。「高尾にゃん、許してくれたの?」って思った。

風呂から出たら出たで、いつもまだやることがあって(笑)、わたしが風呂入ってるときは高尾にゃんは部屋で一人で遊んでるらしいんだけど、わたしが風呂から出たって分かったら、再び洗面所に来て、そして洗面所に置いてある洗濯機の上に乗って身体を洗濯機の上に置いてある手ふきのタオルにこすりつけてごろにゃんするんだよね。まるで自分もタオルで自分の身体を拭いているように。昨日は風呂入りながら「風呂から出て、高尾にゃんがいつものように洗濯機の上でごろにゃんしたら本当に許してくれてるんだろうな」って思った。

果たして風呂から出たら、、高尾にゃんが来た!そしていつも通りに洗濯機の上でごろにゃんしている。「あー、よかった、高尾にゃん、許してくれたんだ」って思った。

それから寝間着着て、しばらく彼女のいる部屋で寝転がってた。そしたら高尾にゃんはわたしのお腹の上に乗っておとなしくしてた。でもその姿は「高尾にゃん、寂しかったんだよ」って言ってるように思えた。高尾にゃんは大抵、寂しいときに人の上に乗ってくるからね。「高尾にゃん、ごめんね」ってずっと撫でていた。

もう寝るのでベッドの上に寝転がったら、高尾にゃんはいつものようにオヤツをもらいにわたしのお腹の上に乗っかってきた。なのでいつも通り、オヤツを6粒やった。いつもなら食べた後は「もう用はありませんっ!」とばかりに走り去っていくのに、昨日は食べ終わった後もずっとわたしのお腹の上にいて、しかもケージの中にいる陣馬にゃんをじっと見つめている。陣馬にゃんも高尾にゃんのことを見つめている。

長い間、二匹で見つめ合ってたんだけど、いきなり高尾にゃんが陣馬にゃんのそばに行ってシャーって言いながら手を出した。びっくりした。今まで、ケージ越しにご対面をすることはもちろんあったんだけど、好奇心旺盛で恐れを知らない陣馬にゃんの方がいつも高尾にゃんに向かって手を出してたから。高尾にゃんの方はそれをちょっと離れたところ(陣馬にゃんの手が届かない範囲)で見つめて、決して相手しなかったのに。陣馬にゃんは向こうから手を出されて「なんだこいつ」と思ったのか、高尾にゃんに向かって手を出し始めた。わたしはどうしていいのか分からず、彼女に「高尾にゃんがー!」って言うだけだった。。

彼女が「なになに?」って寝室に来て、まだ何も言わないのに高尾にゃんは悪いことをしたと思ったのか、バーッと走って部屋の外に逃げていった。

ちょっとしてどこにいるか見てみたら、猫ベッドでいつも通り寝てた。

この一件でわたしは考えさせられた。高尾にゃんがどんなにわたしを大切に思っているか。わたしは今までも相当高尾にゃんばかりを敢えて、かわいがるようにしてた。けど、高尾にゃんはそういうわたしの態度では「高尾にゃんは大切にされてる」って思わなかったってことだよね。これには深く反省した。今回は、高尾にゃんが許してくれるまで謝れて、高尾にゃんも納得したようだけど、納得できなかったら身体の中にたまっていくんだろうなって思った。高尾にゃんは陽気な性格で誰にでもフレンドリーだけど、一方、ものすごい繊細な心を持ってるんだよね。陣馬にゃんが来て数日経ったときも全然飲み食いしなくなっちゃって、丸1日、おしっこに行かなかったときがあった。そのときはすぐに動物病院に連れて行って、そこでいろいろ検査してもらったりしたのだけれど。検査では異常はなかったけど、やっぱり精神的に混乱しちゃってたのかな、って思う。

でも逆にこの昨日の一件でわたしはすごく感動したの。高尾にゃんが何を考えて、どういう行動してるか分かるんだ!ってね。正直、言葉が通じない猫とここまで感情のやりとりができるとは思ってなかった。もちろん全部が全部分かるとは思わないけど、ある程度は通じるんだなって。でも「ある程度」って自分が思った以上だった。そしてこの一件で高尾にゃんはわたしのことをとても愛してくれていることがよく分かった。普段、なんともないときに抱っこしたり執拗になでなですると嫌がる猫なんだけどね。自分が寂しいときだけわたしのところに来て、なんて自分勝手!って思うんだけど、これが猫の愛し方なのかなあって。

高尾にゃんにとっては、陣馬にゃんを迎えてどうだったのか、それはまだよく分からない。将来仲良くなってくれるかも知れないし、全然そうじゃないかも知れない。陣馬にゃんを迎えたのは、100%、わたしたちの都合だから高尾にゃんには悪いことしたなあって思ってる。でももうそういう道を歩き出しちゃったし、高尾にゃんにはこれで納得してもらうしかないのだけれど。でも出来る限り高尾にゃんには負担が少ないようにって思ってる。陣馬にゃんにはちょっとかわいそうなんだけどね。。陣馬にゃんもとっても人なつっこい猫で、人間を見るとすぐにゴロゴロ言い出すんだよね。。すぐに噛み付くのが困りものなんだけど。

まぁ、というわけで、今回は悲しい思いをさせてしまったけど、これからも猫の気持ちが分かってやれる暮らしを続けたいと思います。猫はいいよね、犬と違ってちやほやしてもしつけとか関係ないから。思う存分ちやほやできる。もちろんダメなことはダメって言ってますけどね。猫はよく分かってるよ。ダメなことは人の前ではしないから。見てないところでやります(爆)でもそれも猫らしいって言えば猫らしいよね。
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