06-05 Tue , 2012
レズビアンになったきっかけ?(その3)
だいぶ間があいちゃったけど、その2の続き。

あ、その前に「その1」でも「その2」でも書いてた「ジェンダー受容体」って言葉はわたしの造語だ。ジェンダーというものはヒトが育つ過程で自然と身についていくもの、と考えられているが、自然と身についていくためには親を始め周囲から「男らしくしなさい」「女らしくしなさい」と言われながら育つと思われる。でも身につくためには「言われる」だけじゃダメなんだよね。本人がそう言われたことによって「男(女)らしくしなきゃ」と思ったり「男(女)らしくしたくないなあ」って思ったりすること、反応することがないと本人は「ジェンダー」を取り入れたり意識することはないのだ。そういう「男(女)らしくしなさい」という言葉に反応するかしないかが「ジェンダー受容体」があるかないかってことなんだと、わたしは自分の過去を振り返りながらそう思う。

わたしの場合、自分が育つ過程でおそらく「女らしくしなさい」とかそういう「ジェンダーのシャワー」みたいなのを他の人と同じように浴びてきたと思う。別に特殊な育ち方をしたわけじゃなく、自分だけ浴びなかったってことはないと思うしね。確かに両親からは強く強制されたという覚えはないけれど、、それなりに「女らしい格好をしろ」とか言われた記憶はあるし、、ただ、言われてもわたしには「ジェンダー受容体」がなかったので、右から左だったんだよね。他の人からも全く言われなかったわけじゃないと思う。けどそれに対しても右から左で、、要するにあんまり記憶にない。あんまり記憶ないから「わたしにだけそういうことはなかったんじゃないだろうか」ってずっと思ってた。けど上にも書いたとおり、わたしは決して特殊な育てられ方をされたわけじゃないし、自分の周囲を取り巻く環境も自分だけ特別だとは思えないのよね。だからそれなりに「ジェンダーシャワー」を浴びて育ったとは思うんだけど、それが自分の中に取り込まれたような気がしない。

「ジェンダー受容体」のイメージというのは、DSD(性分化疾患)の中で「ホルモン受容体」があるなしのイメージだ。もちろんDSDの場合、そういうものはあるとされている。が、ジェンダー受容体の場合はわたしの造語だからそれが本当にあるかないかは分からない。ただ便宜上そう考えると考えやすい、というものだ。

で、わたしはこれまで「性同一性障害30人のカミングアウト」を初めとするさまざまなトランスジェンダーの人のライフヒストリーとか、あと「女性同性愛者のライフヒストリー」を初めとするさまざまなレズビアンのライフヒストリー(「その2」にも書いたけど、池田さんや尾辻さんや笹野さんの本とか。しかしトランスジェンダーに比べると数は少ない)を読んでみたのだけれど、レズビアンのライフヒストリーに対してはどれも自分とは全く掛け離れていたため「あ、そうそう」「自分もそうだった」と思うことはなく、ただ「ふーん、そうなんだ」と思っただけで心を動かされることはなかった。でもトランスジェンダーは自分がトランスジェンダーでないにもかかわらず、「あー、この気持ち分かる」とか、逆になんかね、読んでるとだんだん違和感でもやもやした気持ちになってくるのよね。なんでかっていうと、レズビアンのライフヒストリーは「同性が好きになる自分」が焦点に当てられてて、ジェンダーにはほとんど触れられてないというか、触れてあっても「ふーん、そうか」くらいなものなのよね。「女らしくしなさい」と言われて自殺したいほど悩んだ、なんてことはほとんど書いてない(もちろん「悩んだ」くらいの人はいる)。まーわたしもそう言われて悩んだことはないのだけど。

だけど、トランスジェンダーの場合、「男(女)らしくしなさい」と言われて自殺したいほど悩んだ人はたくさんいる。そう言われて「自分は違う!」と思った人ばかりだし、FtMの人の手記などを読むと「あ、わたしもそうだった」って言うところが結構たくさんある。例えば子供の頃、どんなオモチャで遊んだかとか、どういうものが好きだったかとかね。だけど、一方、わたしが読んでもやもやするところがある。というのは「この人とわたしは同じようなオモチャを好んだり、あまり女らしくない行動をしたりしてるのは似てる。けどこの人は周囲に『女らしくしなさい』と言われて随分悩んでる。でもわたしがそう言われても全然悩まなかった。考えてみると結構『男っぽい』ことしてきて、周囲からも『変人』とか言われたけど、全然気にならなくて、自分の好きなようにしてきた。この違いはなんだろうか?」ということなのね。それはトランスジェンダーのライフヒストリー(FtM)を読むと必ずわたし、そう思うのよ(ただし、わたしには性別違和がなかったので、そのことがFtMの人とは決定的に違うのだけれど。
)。だからこそ、わたしは「ジェンダー受容体」という言葉を作りだしたのだけれど。悩む人はジェンダー受容体がある人なんだよね。そして未だかつてジェンダー受容体がないみたい、って人が自分以外実はいない。。。それはレズビアンでもトランスジェンダーでもね。。

そして例えばトランスジェンダーでトランジョン(性別移行)を始めた人は、例えば男女別に分かれているところ、トイレとかお風呂とか、そういうところへ行くことが非常に困難になる。またトランジョンしてない人であっても「自分は男なのに女子トイレに入るのはイヤだ」という人もいる。望む性のトイレに入り、周囲から何も言われずに出てくる、ということはヒヤヒヤものなんだけど、わたしも望む性(わたしは女だけど)のトイレに入り、周囲から何も言われずに出てくる、ということはヒヤヒヤなのだ。わたしが外でトイレに行くとまずじろじろ見られたり「ここは女性用ですよ」と言われたり、あとこれは被害妄想なのかも知れないが、何人かの人がわたしの方を見てヒソヒソ言ってるような感じがしたり。だから意を決してトイレに入って誰もいなかったら心の底から「よかった」と思ってホッとする。なのでここでも根本的なものは違うが、状況がすごくよく似てるんだよね。だから思わず「うん、うん、そうそう」って思っちゃう。ただトランスジェンダーの人からすると「自分は努力して見た目を自分の望む性にしてるけど、アンタは全く違うじゃないか」と思うだろう。中にはわたしが「生物学的な性」の上にあぐらをかいてることに憤りを感じるんじゃないかと思ったりする。

でもさあ。本来は「自分がそうしたいからする」んじゃないのかなあ。周囲の人から望んだ性に見られたくて過剰に望む性を身に纏わなくてもいいんじゃないかなあって思ったりもするんだよね。「それで望んだ性に見られれば苦労はしないわよ!」って思ってるトランスジェンダーの人っておそらくいると思うけど。。わたし自身は望む性に見られたくて過剰になるより「自分はこういう姿の男(女)なんです」って世間に訴える方がいいと思うんだけどな。まぁ、それやると疲れると思うけれども(わたしがそうなので)。

ってなかなか本題に入らないな(苦笑)

っていうか、純粋に性的指向だけで話をするとすると、

「いろいろあったけれど、あるときまで別に誰が好き、とか誰と付き合いたいって強く思ったことはなかったので、逆に20代半ばに『自分は人(この時は男だと思ってた)を好きにならないけど、なんでかなあ』と思って、自分の過去をいろいろ振り返ってみたら、実は女の人の方が好きだったんじゃん、ってことに気が付いた」

ってそれだけなんだよね(爆)まぁ気付き方なんて人それぞれだろうけど、今までわたしが読んだ本の中にはわたしのようなレズビアンは誰もいなかった。他の人はだいたい「あるときに女の人をすごく好きになり、でもこれは思春期には同性への憧れっていうものがあるから自分もそうで、いつかは男性を好きになるに違いないって思ってて、そして実際男性とも付き合ったりするんだけど、男性と付き合ってもしっくりいかず、思春期越えても女性が好きなままで、それでものすごく悩んだりするんだけど、他にも自分と同じような人がいることが分かって、あ、自分は女の人が好きなままでいいんだってことが分かった」みたいな感じかな。多少はもちろん各個人個人で違ってくるけど、ほとんどがこんな感じだった。わたしのように悩むほど女の人を好きになったわけじゃなくて、気が付いたときも特定の人が好きだったわけじゃちっともなく、ただ頭の中で考えて「あ、わたしはレズビアンなんだ」って思った人は、今のところ本を読んだ中では誰もいなかった。ただ、、わたしの彼女も確か今まで女の人と付き合ったことない割に「自分は女の人が好きかも」と思って気が付いた人だから、中には結構そういう人はいるのかも知れない。確かにわたしの話だと全然劇的でもなんでもないから、インパクトが重要な本とかお話とかドラマとかね、そういうのはしにくいだろうなとも思う。ただまぁ「女性同性愛者のライフヒストリー」は別にインパクト云々でできた本ではないけれどもね。でも「女性同性愛者のライフヒストリー」に話にある一定の共通性があるってことは、多分、レズビアンの中でもそういう風にして気づいた人が多いということではあるだろう。まぁ多くのレズビアンと自分が違ってるからと言って、わたしはそのことで悩んだりはしなかったけれど。

もう一つ、本で読んだレズビアンの人たちと違ってる部分がある。中・高校生のとき、同性に好かれたりする人がいる。わたしもそうだったんだけど、本で読んだ人たちはみんな「好かれて嬉しい」って言ってた。けど、わたしは好かれても全然嬉しくなかったし、嬉しいどころか逆に気持ちが悪かった。それはわたしがホモフォビア(同性愛嫌悪)だったからではなく、わたしを好きだった人たちというのが、悪いけどわたしを「男の代わり」に思ってたんじゃないかと感じたからだ。わたしを好きになってくれた人はみんなすごくおとなしくて、普段男子と全くしゃべったことがない、しゃべってるのを見たことがないような人たちだったからね。「男子としゃべったことがないけど、男性的なものに惹かれるから、その結果、そういう人たちにわたしは選ばれるのだ」と思ってて、でもわたしは自分のことは女以外に思われたくないので、すっごく気分が悪かったんだよね。あとはわたしの女性の好みが前にも書いたけど、全く逆なんだよね。当時はレズビアンの自覚は全くなかったけど、好みの点では自分にすごく忠実だったんだと思う。だから女性から好かれても全然嬉しくなかった。好みの人からそう言われたらどうだっただろうな。ただ、口に出して本人に言ったわけじゃないけど「気持ちが悪い」と思ってたのは、好いてくれた人には悪かったと思ってます。。そのバチが当たったのかどうかは知らないけど、レズビアンの世界ではわたしはもてたことはありません(爆)

ってことで、今回は核心部分に入れるかと思ったら、入れなかった(苦笑)その4へ続く。。
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06-06 Wed , 2012
レズビアンになったきっかけ?(その4)
その3の続き。自分では引き延ばしてるつもりはなかったんだけど、これだけ引き延ばしてたら「一体どんなにすごい話が待ってるんだろうか」って思われちゃうよね。だから、もう書くこと書いて、ちゃっちゃと終わらせよう(笑)

わたし、幼い頃から本を読むのが大好きで、周りの同い年くらいの子どもと一緒に遊ぶということがあんまりなかった。あと人見知りも激しかった。そのためか親はわたしを3年保育の幼稚園に入れたのだが、3年間、同じ幼稚園だったら親しい友達ができたかも知れないのに、寄りによって3年間で3回、幼稚園を変わらなくちゃいけなくて(親が1年ごとに住む場所変えた)、人に慣れるどころか、幼稚園というところに馴染めず、家から近い幼稚園だったときには、なんと園長先生が家まで迎えに来てくれるという「登園拒否児」だった。

まー、もともと幼稚園は大嫌いだったんだよね。なんというか、これを言われると「は?」って言われるんだけど、子ども扱いされるのが大っ嫌いだった。描きたくもない絵を描かされたり、踊りたくもない踊りを踊らされたり。。寝たくないのに昼寝させられたり。そういうのが全部嫌だった。

特にいつの幼稚園の頃か忘れたけど、発表会で踊りを踊らされることになり、それが男女に分けられてて、女の子って女っぽい仕草で踊らされるのが本当に苦痛で、しかも発表会のときはすごく女らしい格好をさせられるから、嫌で嫌で仕方がなかった。まぁ基本、わたしは踊るのが苦手で、踊りで許せるのは盆踊りとフォークダンスくらいなものか。

家に帰って一人で本を読むのが好きだったんで、だいたい幼稚園終わってからは部屋に一人で閉じこもってたんだけど、親にしてみればそれが気にくわなかったらしく、友達と遊べってうるさかった。まぁそれなりに友達はいたのだけれどね。3つ目の幼稚園のときに住んでたところは、その後ずっと大学院まで住んでたので、3つ目の幼稚園で友達になった人とはその後も結構長い間一緒に遊んだ(それこそ高校くらいまでね)。

本を読むほか、仮面ライダーなどの特撮も好きだった。確か5歳くらいの誕生日には当時流行ってた「ライダーベルト」をもらって、高いところから「変身、トゥ!」なんて飛び降りていた記憶がある。あと自転車も仮面ライダーが付いていたような。一方、人形遊びは時折やったが遊び方が少しおかしかった、というか、うちには叔母から譲ってもらったリカちゃん人形だのバービー人形などがホントたくさんあったのだが、わたしはその人形の首を全部もいだり、服を全部脱がせて手足をあられもない格好に曲げて楽しんだり、人間ができないような格好(膝の関節を反対方向に曲げたりとか)をさせて遊んでいた。傍目から見ると、ほとんど虐待としかいいようがない遊び方だったと思う。人形に対してはこんなもんだったが、ぬいぐるみとなると別で、いつだったか、モンチッチのぬいぐるみをもらったことがあって、それはホント、猫かわいがりしてどこでも連れて行った。どこでも持って歩くもんだから、ついに布が薄くなって、そこから詰め物が出て来ちゃったりなんかしたのを、母親に何度も繕ってもらったりして。そのくらい、気に入ったぬいぐるみに対しては愛着がすごかった。

あと「ごっこ遊び」は全くしなかった。「他の人になる」ということが、わたしは怖いというか大嫌いで、そういう意味で演劇も大嫌いなのだが、もうすごく小さい頃から「自分は自分である」「自分以外のものはいやだ」という思いは持っていたように思う。

小学校に上がるとき、密かに「赤いランドセルは嫌だなあ」と思っていた。赤より黒の方がかっこよさげだったから。そしたらたまたま、親に小学校受験させられて、それが運良く合格し、わたしは私立の小学校に通うことになった。私立の小学校って黒いランドセルなんだよね(笑)そのときは嬉しかったなあ。あと、制服で学校に通うことになるのだが、制服は大好きだった。もちろんスカートで、わたしは普段はスカートはほとんど穿かなかったのだが、制服は別だった。なんか「ちゃんとしてる(と自分が思った)」ものについては、わたしは抵抗感がなかった。トランスジェンダーの人でランドセルが自分のと違う色がいいって思う人もいるようだ。そこら辺は似てる。けど、わたしは制服は嫌だと思ったことがないので、そこら辺は似てない。

あ、あと。この頃の時期には七五三があった。親はそれを楽しみにしていたようで、着物着せられて、化粧されて、写真館で記念撮影をした覚えがあるのだが、これがすごく嫌だった記憶がある(でも無理矢理親に笑えと言われて笑っている写真が残っている。悲しい、、)。このときの経験が「成人式には絶対に振り袖は着ない」とわたしに決断させた。

それからこれはもっと前の幼稚園頃の記憶だが、なぜかわたしはこの頃から親に対して「自分は結婚しない」と言っていたような気がする。よく小さい子どもに「将来の夢は?」と聞いて、女の子だったら「お嫁さん」とか「お母さん」と答えさせられるが、わたしはなぜか大きくなってから誰かと一緒に暮らしたり、自分に子どもがいる、という想像がまったくできなかった。だからそのときから「一生結婚しない」って言ったんだろうと思う。わたしは今まで親に「結婚しなさい」と言われたことはないが、5歳くらいから「自分は一生結婚しない」って言い続けてるんだもんな、と思ったりしている。

小学校に上がってからは、学校が楽しくて楽しくて仕方が無くなった。ただ、わたしは女子と遊ぶより男子と遊んでいた方が多かった。低学年の頃はあんまり気にならなかったが、大きくなるに連れ、女子はグループを作りたがる。そういうのに入るのが大っ嫌いでね。いつも男子と遊んでいた。男子のうち、1年から6年までずっと一緒のヤツがいたんだけど、そいつが動きがちょっととろかったりしたものだから、ご多分にも漏れず「おかま」だとか言われてたんだけど、わたしは6年間通じてそいつと一番仲がよかった。あまりに仲がよいので、他の男子から「お前ら夫婦か」と言われたこともあったんだけど、当人たちは言われても全然気にならなかったので、卒業までずーっとそのまま仲がよかった(おそらくそいつも「ジェンダー受容体」が欠如していたに違いない(笑))。

トランスジェンダーの人は幼い頃、生物学的な性と反対の性の人と遊ぶのが好きだったり、ゲイやレズビアンの人でも異性と遊ぶ方が好きだったりする人が割と多いと感じてるんだけど(本を読むとだいたいそんな印象)、でもあるとき周囲からあれこれ言われてそれでお互い意識して遊べなくなっちゃった、なんてことが多い。それがわたしからすると「なんで?遊びたかったら遊べばいいのに。なんでそうなっちゃうの?」っていつも思うんだけど、「ジェンダー受容体」がある人にとって、周囲からあれこれ言われるとそのことに囚われちゃうんだろうね、多分。でもそう言われても全然気にしなければ、何も言われなくなるんだけどね。

ただ、わたしが仲がよかった男子はそいつだけじゃなく、他の人ともそうで、例えば小学校2年のときに別の男子が「のらくろ」という漫画を持ってたんで借りて読んだり、その男子の家に行ってプラモデルの戦車などで遊んだ記憶があるし、その頃からわたしもプラモデルを作り始めた。最初はもちろん戦車。ただ、戦車のプラモデルは翌朝目覚めたらほとんど父親が作っちゃってて、がっかりしたなー。中学はアニメにはまったので、これまたちょうど流行っていた「ガンプラ(ガンダムのプラモデル)」をたくさん作ってた。この頃にはただパーツを外してボンドを塗って形を作るだけじゃなく、その後、すき間にパテを塗ったり、それを耐水ペーパーで磨いたり、着色したり、結構本格的になった。ガンプラに飽きた後は車のプラモデルになって、それから高校の時はバイクのプラモデルになった。

あと、放課後、男子はだいたいグラウンドで「カラバット」(プラスチック製のバットとゴムボールを使った野球)をやってたんだけど、わたしも女子一人にかかわらず、中に入ってやってた。随分大人になってから、同じクラスだった女子に「あのとき一緒に野球をやりたかったんだ」って言われたけど、だったらなんで入ってこなかったのか、と思う。わたしは女子一人でも別になんとも思わないで野球やってたし、その他の男子も別にわたしを入れることはなんとも思わず(と思ってたのはわたしだけか?)普通にやってたから。やはり「ジェンダー受容体」がある人は、周りの目が気になって異性の中では遊びにくいのか?

そういえばうちの学校は4年以降になるとクラブ活動みたいなものがあるんだけど(ただし課外活動ではなく授業中だったような)、わたしは迷わず「野球団」に入った。そこでもわたしは女子一人だった。けど、全然気にならなかった。野球、やりたかったんだよね。「カラバット」はグローブなしでできる野球だったけど、野球団の野球はグローブを使った野球だったし。

グローブと言えば、小学校2年くらいのときに親から買ってもらった記憶がある。そして休みになると父親としょっちゅうキャッチボールをしていた。わたしが小学校1年のときに、カープが初優勝し、それ以来、わたしはカープファンでね。父親が会社の関係で野球のチケットをもらってきて、後楽園(当時(笑))にカープ戦を何回か観に行った。野球熱は大学院生の頃から盛り上がり、社会人になってからは野球観戦(社会人野球の)が趣味になった。

男女問わず遊んでたので、担任は面談時に親に「○○さん(わたし)がいるおかげでクラスの男女の仲がいいです」と言われ、それがとても嬉しそうだった。けど、わたしにとってみれば、別に男女の仲をよくしようと思って遊んでたわけじゃなく。ただ遊びたい人と遊んでただけで。

だいたいどの本を読んでても小学校高学年くらいになるとクラスの中で「誰が好き」という話になるらしいのだが、わたしはそういう話は一切しなかったし、聞かれた覚えもない。もちろん特別に好きな人、というのはいなかったので「誰が好き」と聞かれても「いない」としか答えようがなかったけど。でも「恋愛」という概念は知っていて「わたしもいつかは人のことが好きになるのかなあ」とは思っていた。

小学校のときはやけに積極的で、高学年になるとうちの学校はやたら団(クラスを4分割して、1団にする。1団は2班に分かれる)で行動させたんだけど、その団長にはよく立候補してた。けど、他の団員と一緒になって遊んじゃったりして、担任から怒られたこともしばしば。責任感はあんまりなかったな(笑)でもだからといってすごく目立つ生徒ってわけじゃなく、例えば学級会であれこれ意見を言える人はすごいって思ってた。わたしはひたすら退屈で「早く終わらないかな~」って思ってた。

劇もよくやる学校で、これはわたしにとっては非常に苦痛だったんだけど、なぜか主役級の役が回ってくることが多かった。中でも小学校5年かなんかに「セロ弾きのゴーシュ」のゴーシュ役をやらされたんだけど、この中で「俺も男だ、頑張って稽古するぞ」という台詞が嫌で嫌でたまらなかった。だって、わたしは女なのに。って、何かを演じることすら嫌だったのに、それに輪を掛けて男を演じさせられたのが嫌だったので、このことは非常に記憶に残っている。

小学校5、6年の担任はこの頃から成長期を迎える女子に配慮して、教室の一角を「女子更衣室」にしたんだけど、わたしはそれを使うのがなんだか嫌でね。女ばかりのところが恥ずかしいというか、窮屈だというか。とにかく使うのが嫌だった。だから結局1回も女子更衣室では着替えなくて、女子更衣室の横の教室の後ろの机のところで着替えてた。この女子更衣室は他の組にはなくて、他の組の女子がうちのクラスはいいなあって言ってたけど、わたしはどこがいいのかさっぱり分からなかった。

確かに周囲の女の子はどんどん成長期を迎えてて、どんどん身長が伸びていくんだよね。わたしは元々背は高い方で、後ろから3番目とかそんな感じだったのに、知らないうちにどんどん追い抜かれていった。中学に入ったら前から8番目になってて、それがすごくショックだったなー。

中学からは父親が大阪に転勤したので、大阪の公立の学校へ。実は私立の小学校は、エスカレーター式で高校まであるんだけど、中学から女子校になっちゃうんだよね。で、わたしは女子校に通うのは嫌だって思ってたので、これまたちょうどよかったのよね。決してその学校が嫌いだというわけじゃなく、ただ女子校は通いたくなかったの。なんでか知らないけど、女子だけの空間にはいたくなかった、という感じ?女子だけってなんかすごくドロドロしてる感じがして怖かったし、女子の中だったらわたしは多分「ボーイッシュ」と見られて、女の子が寄ってくるのが怖かった(そうなる保障はどこにもないんだけどね。ただこの当時「女の子が寄ってきてヤだ」と思ってしまったのは、前にも書いたとおり「男の代わりをするのがヤだ」と思ってたから。まだ「女同士」って観念がなくて、相手が女だったら自分は男に見られてると思ってたから)。

トランスジェンダーの中でもMtFの人が男子校出身だったり、FtMの人が女子校出身だったりするけれど、ただMtFでも人によって、男子校でも(椿姫彩名さんみたいに)「自分のいやすい場所」にしてしまう人と(佐倉智美さんみたいに)「男子の中では絶対ダメ」と共学校の高校に入り直してしまった人がいるんだよね。わたしはどちらかというと後者のタイプかな。まぁ、結局一生「女子校」とは無縁だったので、いざ入ってみてどうなったかは不明だけれど。

というわけで、大阪の公立の中学に入学するわけだ。その中学が巨大な中学でね。12クラスあって、1クラスはだいたい45人くらいだったろうか。3学年揃うと全校生徒が体育館に入りきれないほどだった。

その中で前にも書いたけど、わたしは背が伸びなくて、前から8番目っていう、今までからすると信じられないくらい前になってしまって、結構ショックを受けた。だいたい中学入学した頃の身長が150センチだったかな。それがね、中1、中2で7センチずつ伸びて、中3になったら165くらいになり、背の順も定位置の後ろから2、3番目になってね。それはそれでホッとしたものだったけど、まさかそれからさらに背が伸びて、結局身長が170センチ超えることになるとは思ってなかったね。大学院の時も毎年健康診断があるんだけど、毎年2、3ミリ程度伸びてるんだよね。「あれ、誤差かな」と思うんだけど、その誤差が3年続くと1センチになるからね~。結局大学院生の頃になっても身長は伸び続けてました。

大阪の中学のときは、東京から来たというので、最初の頃はなんかいじめられたり、いろんなことがあった。クラブは美術部で、そこでアニメにはまった。クラブは女子が多かったものの、男子もいてね。クラブの顧問の先生はとても変な人だったんだけど、それでも結構楽しかった。いじめられてるときはほとんどクラブが楽しみで学校に行ってるようなものだった。まぁそのいじめも2学期の後半くらいに治まるんだけど。

1年のとき、社会科の女の先生が好きになった。その先生は話が好きで、自分が行った外国の話とか、授業中にいろんな話をしてくれた。その話がものすごく楽しくて、他の生徒も何かあったら「センセー、話して」ってねだってた。そうなるとわたしはその先生から好かれたくて、テスト勉強は社会に始まり社会に終わる、といった感じで、ほとんど社会の勉強しかしなかった(笑)それ以降、わたしは何人かの女の先生を好きになるんだけど、いつもこのパターン。男の先生を好きになるのはほとんどなかったな~。中2のときの歴史の先生くらいか。別に女の先生を好きになることについては、なんとも思わなかったな。好きって言っても「成績が良くて気に入られたい」くらいのことしか思ってなかったしね。

それからわたしの髪型についてなんだけど、小学校に入った頃が多分、人生で一番髪の毛が長かったんじゃないかな。おかっぱ、っていうの?肩に髪の毛が付くくらい長かった。それは自分がそうしたいからじゃなくて、親がそういう風にさせてたんだよね。わたしは髪の毛が長いのは嫌だった。だから、それからはだんだん髪の毛が短くなった。とはいうものの、わたしはいつも「なるべく短く」って言うんだけど、そういうと美容師さんは「刈り上げるんですか?」って聞くんだよね。そう言われるとなんか刈り上げるのって特別なことなのかなと思い、そこまでの勇気はなかったから、いつも「いや、刈り上げじゃなくて、でもギリギリまで短くしてください」って言わざるを得なかった。だけどいつもすっきりした感じはなくて、なんか中途半端な感じだった。刈り上げたのはもっと大人になってからで、最初に刈り上げてもらったとき「なんだ、この程度だったらなんでもっと早く刈り上げてもらわなかったんだろう」って思ったほどだった。

髪型に関しては、中学の頃になるとよく女子は髪型のことがヤケに気になって、櫛とか持って歩いたり、休み時間には女子トイレの鏡で髪型を整えてたりしたのを見たことがあったけど、わたしはそういうのには全く興味がなく、髪の毛は楽なのでできるだけ短くしたいって思ってた。髪型には全く興味がなかった。それは今でも同じで、新しい美容院に行ってあれこれこうしてくださいっていうのはすごい苦手。だからいつも行きつけの美容室があって「いつものようにしてください」というのがわたしの理想。だいたい、前髪が眉毛にかかるとか、耳は出すかとか、いろいろ聞かれても、めんどくさいだけなんだよね。そしてなるべく美容室には行きたくないので、行くと「もうじゃんじゃん切って短くしてください」と言い、それから髪の毛が長くなって洗ったり乾かしたりするのがめんどくさくなるまでは延ばし放題だ。

まぁ自分の容姿をどうこうすることについては、今も昔も全く興味がなくて、化粧したのは上に書いた七五三のときだけ?今まで化粧をしたいと思ったこともない。「化粧をするのはエチケット」とか言う人がいるけど、なんでそれは女性にだけ課せられなきゃならないんだと思うし、人間、中にドロドロした汚いものをいっぱい抱え込んでるクセに、顔だけきれいにしたってどうにもならんだろと思う。とにかく「きれい」に見せたくない。もちろん敢えて汚く見せようとも思ってないけど、自分を飾ることがものすごく嫌いだ。人に自分の「虚構」を見せるのが嫌なのだ。それは昔も今も一貫している。

あと中学の時というと、やっぱり女子はグループで行動する人が多かったんだけど、わたしはそういうのは全く好きじゃなくて、どこのグループにも属さなかった。別に一匹狼でいいじゃん、って思ってた。休み時間にみんなで連れ立ってトイレに行くのは「アホくさ」って思ってた。みんながみんな、同じ時間に尿意を感じるわけじゃあるまいしってね。だからわたしと友達はいつも「一対一」の関係だった。あ、でも中にはすごく自分と気の合う友達もいた。けど恋愛として「好き」って気持ちは持ったことがなかった。友達は友達だった。

ただ面白いことに、そういう態度だと結構不良グループ(っていうのかな。スカートの丈を長くしてた人たち;当時はスカート丈を長くしてるのは不良とかつっぱりって言われてた)の女子からも気軽に声を掛けられたりして、わたしとしてはそれが不思議だった。

中3でまた東京に戻ってくるのだが、近所の公立中学でね。1学年3クラスしかなくてびっくりした。中3のときは幼稚園で友達になった人たちと一緒になった。文化部が演劇部しかなく、そんでたまたま幼稚園で友達になった人たちはみんな演劇部だったんだよね。で、なぜかやっぱりアニメファンで。だから遊ぶのはその人たちってわけで、わたしの人生では珍しく男子と遊んだりってことはしなかったし、クラスの中で何やってたかの印象はすごーく薄い(わたしの中ではこの時代は「中3」じゃなく「高校受験生」のイメージがある。先生方やたら「受験生」「受験生」って言ってたし)。嫌いなのに演劇部に入ったのは、何か部活に入ってないと内申に響くから、という受験生的な理由。でも「演じるのは嫌い」って言ったから、専ら効果音とか裏方さんで役は一切やらなかった。

で、中学でもやっぱり「誰が好き」って話はぜーんぜんしなかった。「アニメキャラのうち誰が好きか」という話をした覚えはあるが(笑)でもアニメキャラって、別に男性キャラが好きでも女性キャラが好きでも別に構わないんだよね。女子が女のキャラを好きと言っても「えー」ってホモフォビックのような感じにはならなかった。「へー、そうなんだ」とか「いいじゃん、わたしも好きだよ」とか言えるし。それにわたしらの中学時代って、前にも書いたけど「パタリロ!」や「アニメトピア」が流行ってた時代だったからねー。「同性愛」は自分には関係ないけど、そういうのはあるんだろうって漠然と思ってたし、気持ち悪いとかそんなことは全く思わなかった。

というわけで、長くなったのでその5に続く。。
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06-07 Thu , 2012
レズビアンになったきっかけ?(その5)
その4の続き。

高校受験は第一志望が都立だった。だけどこれだけじゃ不安なので私立も滑り止めに受けることにしたのだが、あの当時、私立は男女共学が少なくて(今はもっと多くなったって聞いたけど)、選ぶのに苦労した。女子校はどうしても行く気がしなかった。

結局は第一志望の都立に合格するのだが、その学校は制服がなかった。「好きな洋服で行ける」っていうのは、洋服をあれこれ着たい人にはメリットかも知れないが、わたしのように着る服にあんまり興味がない人間にとってはちょっと苦痛だった。最初の頃は母親にあれこれ服を買ってもらって、頻繁に着るものを変えたりしてたんだけど、そのうち「いつも同じ服でいいや」と思って、ほとんど同じような格好、下は通年ジーンズで上は冬はシャツの上にセーターかトレーナーを着て、その上に上着、夏はTシャツ1枚って感じになった。その格好は今も基本的に変わってない。

高校に入ってしばらくしてから今度は数学の女の先生が好きになった。その先生は授業が進むのが早くて、教え方もすごくパキパキしててカッコよかった。わたしは中学の頃からあまり数学は好きではなかったが、その先生のおかげでご多分に漏れず、数学ばかり勉強するようになった。とにかく先生に気に入られたくて、テスト前はずっと数学の問題集を解いていて、分からなかったら先生に聞きに行ったりした。その先生のおかげというかなんというか、数学が分かるようになったので、その後わたしは理系の分野に進むことになるんだけど、先生の影響力ってすごいと思う(笑)

うちの高校は今はどうだか分からないが、その当時はクラブには複数所属してはならないけど、クラブと同好会なら掛け持ちをしていいという決まりだったので、わたしはクラブと同好会に入った。なんせその同好会の顧問が好きだった数学の先生だったんでね(笑)しかもその先生は1年の時のクラスの副担任でもあった。高校生活が始まってからちょっとしてから「クラスの人と馴染むために」ってんで遠足があったんだけど、副担任だったからその遠足ではわたしと一緒のバスだった。わたしがその先生を好きになったのは、もっと後のはずなんだけど、そのバスの中で先生が「22才の別れ」を歌ったことが今でも忘れられないってことは、まだ「好き」という感じではなかったものの、気になってはいたのかな。

だいたいその先生を好きになった理由は「高校になったらグラフはグラフ用紙なんかを使わずに切片や頂点の位置を計算して適当に線を引きます」の「適当に」ってところが気に入ったんだから(爆)このブログのタイトルにも「テキトー」という言葉が入ってるけど、わたしはこの「適当」って言葉が大好きでね。「中学ではグラフ書くのめんどくさかったけど、高校では適当に書いていいんだ!」と思ってミョーに嬉しかったんだよね。それがこの先生を好きになったきっかけ。なんか変だけど。

高校は共学だったのに、わたしはなぜか同級生と下級生の女子からもててね。バレンタインデーに学校に行くと、わたしの机の上にチョコレートがどっさり、という感じだった。特に同じクラブの後輩からは直に屋上に呼び出されて「誰にも言わないで下さい」と言ってチョコレートをもらったりした。んだけど、前も書いたように、わたしはそういうのイヤでねー。同好会で一緒の男子(これがまた絶対にチョコレートをもらえないほど変なヤツらだったが(笑))にわざとチョコレートでいっぱいになったかばんの中身を見せつけて「いいだろー」なんて言ってたけど、家に持って帰ったら家族の人に「わたしは食べないから食べて」と言って、もらったチョコレートは全部家族に食べさせた(なんてヤツ!)。高3のバレンタインデーは大学入試があるから学校に行かなくていい時期だったので、ホッとしたのを覚えている。

特にクラブの後輩からはすごく気に入られたのか、しょっちゅう手紙もらったりして。で、実はその後輩の友達(その人も同じクラブだったからわたしの後輩)がわたしと同学年の女の人(同じクラブだったからわたしと同輩)のことが好きだったみたいで、部室にいると2人が必ずいるんだよねー。2人すごく仲よさそうで。「付きあってんのかな」って思ったりもしたんだけど。でも詳しくは聞かなかったな。それを聞いたらこっちに飛び火して来そうで。

で、このわたしと同学年の女の人なんだけどさー。3年間を通じて、わたしとはずっと「隣の組」だった。隣の組って、体育だったり家庭科だったりが実は一緒なのよね。その人は見た目からするとあんまり「女の人」って感じじゃなくて、だから「女の人」って表現するのが自分の中ではちょっと変なように思えちゃうんだけど、その人が謎でさー。3年間体育で一緒だったけど、一度も水着姿を見たことがないの。何やら病気だという話だったんだけど、でもその他の体育の授業は普通に出てて。それから家庭科で自分のスカートを縫ったんだけど、最後に自分の作ったスカートを着てファッションショーをやったのね。でもその人は「自分のお母さんのスカートを縫った」ってことで、自分の作ったスカートは穿かなかったの。自分の「性」を意識するところでことごとくそれを拒否してて。あれはちょっと不思議だったけどね。でも嫌なものだったら「嫌」ということで、いろいろ理由を付けて拒否する、ということは、例えばトランスジェンダーの人で「コレをするのは嫌だ」って思ってる人も「周りからどう言う目で見られるか」を考えずにいろいろ知恵を絞って「やらない/できません」とは言えないかなぁ、この人みたいにって思ったりもするんだよね。ちなみにその人のその後はどうなったかは知りません。同じクラブだったけど、そんなに話したことはなかったしね。

同好会で一緒の男子とは結構仲がよかった。といっても、なんか変なヤツばっかりでね。でも今思うとその中の一人は結構自分では好きだったんだと思う。でも好きと言っても二人だけで過ごしたいとかそんなことは思わなくて、このままこのメンバーでずっと仲良くできればいいなと思っていた。

で、そのわたしが好きだと思った男子もわたしのことが好きだったらしい(あとでヤツの友達から聞いた)。あるときなんかお芝居みたいなのを観に行かない?って誘われたんだよね。でもわたしは親に「行っていい?」って聞いたら親は「遅くなるからダメ」って言ったので、素直に「親にダメって言われた」と言って断わったのだけれど。あのとき一緒に行ってたらどうなってたかなあと今でも思うことはある。同好会の別の男子とは高校卒業して大学入って大学院生になってからも結構付き合い合ったんだけど(もちろん大学も大学院も別の学校)、それは完全友達としてで、それらしい話になったことは1度もなかったな。

高校の時というと、ぼちぼち誰と誰が付き合ってるとかいう具体的な話があるらしいんだけど、わたしの聞こえる範囲では全くそういう話はなく。また「誰が好き?」と聞かれたこともなく。でもわたしは小学校のときも中学校のときも同じだったからそれを不思議と思うことなく今思うと全く鈍感に過ごしてた。

そういや同好会の男子はロリコンなヤツもいて「なかよし」だとか買っては「○○ちゃーん」って言ってた。それを見たからではないけど、当時は「別にかわいい、というものには男も女もないよね。女がかわいい女の子を好きになっても別に構わないよね」って思ってたなあ。「かわいいというのは普遍的だ」とかね。なんかそんなことをミョーに考えてたりした。

高校に入ってから割とすぐに無線の免許取ってね。でもうちはマンションだったからアンテナが建てられるわけでもなし、高校生だからお金もないし。そこで物理部が無線やってるからってんで、ホントは別のクラブだったわけだけど物理部にも知り合いいっぱいいたし、隠れて使わせてもらったりした(笑)当時は「CQ Ham and Radio」や「初歩のラジオ」なんかの雑誌を毎月買って読んでいた。

高校時代の趣味は、やっぱり変わらぬアニメと(ただだいぶ下火にはなっていたが)、無線、それからラジオを聴くこと、だったかなあ。無線機をちょこっと改造すると警察無線が聞けたりしたもので(当時はね。今はデジタルになって聞けなくなった)よく家で聞いてたりしたな(笑)それから「○石ラジオ」なんかは小学生の頃からよく作ってて、秋葉にキット買いに行ったりしてた。半田ごては2本持ってるし(W数が違うもの)、テスターも持ってたし、このときは「大学に行ったら電気系統のことを学びたい」って思ってたんだよね。ただ、高3のときいろんなことがあって理系は理系だけど、別の方向に進むことになっちゃったんだけどね。

あ、そうそう。高3のとき、数学の好きだった先生は1年の担任になってしまい、もう数学を教わることもなく、ずっと会えないままだったのだが、文化祭のときかなー、偶然見かけてね。そしたらお腹が大きくなってて、それがやたらとショックで話しかけられなかったのを覚えている。なんでショックなのかはそのときは全然分からなかったけど、あんまりお腹の大きい姿は見たくないって思ったんだよね。まーその先生は結婚してることは1年の頃からもちろん知っていたのだけれどね。

大学は男女共学どころか、うちの学科は、女子1割、男子9割、という感じだった。女子の割合が高かったところでも4割くらい?別にそういう環境に狙って入ったわけではないけど、まぁ理系だとこんな感じになるのかな。これ以降、わたしの周りは男性ばかりになって、女性はどんどん少なくなっていくんだよね。まぁあんまり気にならなかったというか、自分にとってはそういう環境の方が過ごしやすいと思ってた。実際過ごしやすかったし。

男子が圧倒的に多いところでは男女別に分けることもできないから、中学や高校と違って体育の実技も同じだったし、その他の実習なんかも全部分け隔てなかったんだよね。それに女子がうちの大学で目立つようになってからまだ少ししか経ってなかったから、大抵のトイレは男子トイレの一角を急造で仕切られたような「女子トイレ」だったし、本当に男女別に分かれてるトイレと言ったら、新しい建物になった大学生協のトイレくらいしかなかった。ただその分、なぜか女子だけは各自ロッカーが与えられてて、それは便利だった。まぁ更衣室も兼ねてたからかな?

うちの学校は1年の夏休みの間に「臨海実習」という必修科目がある。事前に大学のプールで100m何秒で泳げるかによってAからF班に分けられて、1週間、大学の実習所の前の海でひたすら泳がされる、という実習だった。これもタイム別だから男女関係なく、わたしはB班だったけど、全然泳げないのでF班って男子もいた。でも最初は全く泳げない人でも1週間経つと曲がりなりに1kmは泳げるようになっている、というかなりスパルタな実習だった。おぼれてもおぼれても浮き輪を投げられてちょっと休んだら「ほら、また泳げ」みたいな感じで絶対に船の上では休ませてくれない(足が攣ったら別)。女子なんて途中で生理になっても「タンポンして泳げ」って言われるほどで。。まぁ「必修科目」だから泳がずに見学ってわけにもいかないんだろうけど。

こんな風に「女子が少ない」=「女子は特別扱い」なんて環境じゃこれぽっちもなく、むしろ今までやってた男子だけの伝統をそのまま女子もやれって感じだった。それはむしろわたしにとっては歓迎すべきことだったし、その中ではわたしはあんまり「女」ってことを意識することはなかった。他の人はどうかは知らんが。

2年の時には「漁業実習」ってのがあるんだけど、これは「臨海実習」に比べると楽でね。楽しかった。確かこの実習では名簿順に班に分かれたと思うのだけれど、この実習が終わった後に「一緒に帰らない?」ってわたしを誘った男子がいたんだけど、わたしは既に別の人と一緒に帰ることにしてたので、何も考えずに「ゴメン、もう一緒に帰る人は決まってるから」って答えて断わった。この男子とはその後もいろいろ話したりしたんだけど、あるとき、わたしの友達(男)でその人とはクラブも同じだったので「一緒に帰らない?」って誘ってくれた男子よりも仲がよかったんだけど、そいつから「ヤツはお前のことが好きなんだってよ」って言われた。「ふーん」とは言ったものの、それを聞いてもわたしはじゃあ、どんな行動すればいいんかよ、と思って放っておいたんだけどね。

高校の時もそうだったんだけど、本人は何も言わず、本人の友達からわたしに向かって「アイツお前のことが好きなんだってよ」って言われるんだよね。あれはわたしに何をして欲しいのか全然分からないんだけどね。だいたい今までのこと読んでもらえば分かるように、わたしは恋愛に疎い。疎いのに主導権なんか取れるか!っていうか、元々個人的には付き合いたいとも思ってなかったので、そういうチャンスは何回かあったんだけど、結局男性とは付き合わずじまいだったんだよねー。

大学生になってからはさすがに誰と誰とが付き合ってる、っていうのが目の前に現われて「あ、ホントに付き合う人っているんだー」って思った(笑)わたしに恋愛相談を持ちかけてくる人もいたけど(女子で)、わたしは人と付き合ったことないから、ほとんど自分の感想みたいなのしか言ってなかったように思う(笑)

大学のときに好きになった先生はいなかったな。基本的に女の先生はほとんどいなかったしね。だからそれ以降は「なんか気に掛かる人」ってのは皆無だった。

大学生の間に成人式があったんだけど、わたしは七五三のときに既に着物を着たり化粧をしたりすることに反発を覚えていたので、親にはいつからかは覚えてないけど「成人式は振り袖なんか着ない」ってずっと言ってたし、親の方も「一時の着付けでお金を払うのなら、その分、残るものを」というので、皮のフードの付いたコートを買ってもらった記憶がある。そしてそれを着て成人式に行った。成人式はなんだか中学の同窓会みたいな感じだったな。

大学院は事情により別の大学に机があったので、ついに女が一人になってしまった。けど、あんまり気にならず、今まで通りだったけどね。やることやってれば、別に男女関係ないし、逆に研究機材を船に積み込むときなんかは結構周囲が配慮してくれた覚えがある。わたしはそういうことは嬉しい反面、やっぱ力関係においては、女はどうしても男に負けるなあって思った。

そして大学院生のときに、ふと「そういえば、わたしって好きな人がいないよな」って思い始めたわけで。別にそれで悩んだわけじゃないけど「なんでかな」と思って、それから前に書いたように過去を振り返ってみたら、あら、好きになった人いるじゃない、それも全部女の先生で、ってことに気が付いた(^^;そこから「あれ、もしかしてわたしって男より女の方が好きなの?」って思ったんだよねー。

そこから別冊宝島の「女を愛する女たちの物語」とか、「ゲイのおもちゃ箱」だとか「ゲイの学園天国」とか、当時、ちょうどゲイブームでそういう本が出てた時期だったので、そういうのを読みまくり。「なるほど。男とは一対一で付き合いたいとかキスしたいとか思わないけど、女だったら一対一で付き合いたいとかキスしたいとかセックスしたいとか思えるかも」って、そこで悟った。当時「微熱狼少女」って小説が出たりしたんだけど、その中に出てくる三島先生が好きだった。本当にこんな人現われないかなーとか(笑)

ただねー、女が好きって気が付いても、周りは男性ばかり。それから何年かして入った会社でもわたしが入って3人目の女(ただし自分の部署で)だった。

よく職場で女子が少ないと雑用はすべて女性に回ってくるって聞くけど、うちの場合はそういうのがなく、食器洗いは当番制だったし「女だからどうしろ」とも言われなかった。「結婚は?」とも言われたことがない。ただ一度だけ、あれは冗談だったのかどうかは知らないが上の人からいきなり「彼女できた?」って言われてびっくりしたことはある。その頃はまだ彼女がいない頃だったので、正直に「いません」って答えたんだけど、いるときに聞かれたらどう答えたかなあ?

そして長い間男ばかりのところにいたんで、女ばかりのところがすっかり苦手になってしまい、それは今でも同じだ(レズビアンのクセに(笑))。女ばかりのところに行ったら、自分で何話していいのかさっぱり分からなくなる。あと踊るの苦手だからいわゆるレズビアン向けのクラブイベントなどもとっても苦手。今まで1回だけそういうところに行ったことあるんだけど、踊れもせず、ずっと「壁の花」で誰も話しかけてくれはせず。。それにTシャツ、ジーンズというわたしの格好はとても「場違い」で、、もう二度とそういう場所は行くもんかと思ってる。世間一般はどう思ってるか分からないけど、レズビアンって結構みんなおしゃれなのよ。。わたしみたいなのは特殊なのよ。。

恋愛に関してなんだけど、今までの話を読めば分かるように、わたしはかなり「自分から人を好きになりにくい」性質らしい。だから最初に「Aセク寄り」って書いたんだけどさ。しかも恋愛するのはあんまり好きじゃないみたい。恋愛のドキドキ感がたまらないって人がいるらしいんだけど、わたしにとっては恐怖でしかない。そこのところを知っていてうまくやってくれたのが、今のわたしの彼女なんだけどね。ただそれでも付き合って3ヶ月目に「まだ今なら一人に戻れる」と思って彼女に「ちょっと考えさせてくれ」って言ったしね。だから彼女を失ったら多分、わたしは二度と恋愛はしない(できない)と思う。

まぁこんなわけで、基本、あんまりジェンダーには囚われない生活をしてたのは確かでね。わたし自身は普通にしてたらそうなったわけだけど、でも本などを読むとあまりに自分と違うから、それはとても驚くし(だからわたしには「ジェンダー受容体」がないのだろう)、あとは「女らしく生きるのが当たり前」と思ってる女の人の気持ちが全く分からない。それと、今までこう書いてきたからといって「自分は女と掛け離れてるんだ、すごいだろ、へへん」とも思ってない。どう考えてもわたしは女だし、それを超えようとか特別な存在でありたい、なんてことは全く考えたこともない。ただ、ジェンダーで考えると、女でも男でもありたくないかな。「女だから(世間一般の)女らしくしろ」と強要されるのもイヤだし、だからといって「男になりたい」ってことも全くないし。自分がやってるこのままが「女としての自分」で、それを世間一般と照らし合わされて「女らしくない」と評価されるのは心外だ。

注意をもう一回書いておくと、これはただわたしの場合、というだけであって、これがレズビアンの代表的な育ち方や考え方と思われるととても困るので誤解の無きよう。わたしのような、レズビアンであっても女性の中に入るのがすごく苦手、って人は、確かに存在するかも知れないけど、少ないんじゃないかな?レズビアン向けの雑誌などを読むとなんかキラキラしてて、全然わたしとは別世界って感じだし。。「この世界に入って行けない」って思うしね。でも本当はそういう中でレズビアンとして違和感なく過ごしたい願望もあるんだけど、レズビアンの中に入ると「何話していいのかさっぱり分からなく」なるので、すごく憧れはあるんだけどもう諦めてる。。(誰かわたしを誘って(笑))それとレズビアンであっても、わたしはAセク寄りなので、恋愛感情はほとんどないに等しいし、恋愛するのも怖い。働いているときは「このままずっと一生一人で生きていくんだ」って思ってた。今の彼女に出会わなかったら、多分そうなってたはずだ。

だからこれはレズビアン一般のお話ではなく、あくまで「わたし」に関しての話なのだ。
18:54 | (性的少数者)自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
06-10 Sun , 2012
ぼちぼち
今年は2月中旬から3月の初めまでは勉強を始めたり、レポートを書いたりしていたんだけど、飛ばしすぎて早々に息切れしてしまって、それ以降は自分自身の身の回りにいろんなことが起きた(起こしたとも言う)ため、勉強どころではなくなってしまい、それに加えてなぜか5月の頭から体調が絶不調になり、一時はこの先はどうなるんだろうかと思うほどだった。

が、精神的に不調なときより身体が不調な方が、確かに身体にとってはつらいんだけど、精神的には楽なんだよね。精神的に不調なときはどうしても自分を責めてしまってそれがすごくつらい。「なんでこんなにつらいのに生きてなきゃいけないんだろ」とか「これからも生きていたっていいことなんかない」と自分を責めながら一日過ごすのは本当につらいことだ。まぁもちろん、わたしの場合、それに加えて一日中歯の違和感とも戦わなくてはならなくて、それは本当に身も心も消耗させる。歯さえ普通な状態だったら精神的にもどんなに楽かと思う。

ま、そんな感じで体調不良だと本当に何もできないけど「物理的に行動するのは無理」と頭が諦められて自分を責める必要はなくなるので、何度も書くけど精神的には楽になる。そして体調不良の方は休んでいればなんとかなりそうな具合になるし、その間、頭も何も考えずに休めるので、精神的にはかなり楽になった。

というわけで、まだまだ体調不良の面はあるものの、騙し騙しなら勉強もまた復活できるかも知れないと思い始め、少し前からぼちぼちと勉強をやり始めている。でも今回は今までのやり方を反省して、決してやりすぎないようにしようと思っている。わたしは始めてしまうと体調不良も押し切ってやりたいだけやってしまうので、そこを十分注意しなければならない。

今回はまず、午前中1時間、午後1時間の勉強、ってところから始めるつもりでいる。それで徐々に慣らしていき、最終的にはどこまでいくかはまだ考えてないけど、できるだけ長く勉強を続けられるように、あまり無理はしないつもりだ。

夏のスクーリングももうすぐ申込みの時期を迎えようとしてるけど、自分の体調と相談して、あまり無理をしないことにしようと思っている。といっても、憲法と国際法は既にレポートはクリアしているので、それは受講する予定。問題は刑法総論なんだけど、何度も勉強をやり始めては挫折してまた一からやり直している。だから、多分夏スクまでにはレポートの提出はちょっと難しいだろう。だから先に講義を取って、という方法で今回は行こうと思っている。もちろんそれまで教科書や参考書はできる限り読んでおきたいし、できればレポートも先に出せるなら出したいと思っている。ただ、絶対にレポート出さなきゃとは思っていない。

本当は民法1も同じようにして取りたいんだけど、夏スクでは多分3科目が精一杯だろう。

というわけで、これからは細いけど長く勉強を続けていきたいと思っているのだ。本当はもっともっと目一杯勉強したいところなんだけど、今の自分はどうしても体力的、精神的に無理なので、腹八分目じゃないけど、少し自分に余裕を持てるくらいの状態でやっていきたいと思う。今までとやり方が変わるので、その時々で考えながらになると思うし、今までは自分がやりたいだけ目一杯やってきたので、すごく自分が情けなく感じられるけど、仕方ないよね。
21:41 | 通信教育課程の大学生活 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
06-15 Fri , 2012
久々彼女とデート
5月のG.W.は2人で出かけられてたのにその後、少ししてから体調がすごく悪くなって、家から出られなくなるほどだったんだけど、ここに来てやっとこさ回復したかなと思える程度になったので、今日はこれまであれこれしたかった用事をしに新宿へ行った。と言っても、途中で疲れて動けなくなったらどうしようかという不安もあったので、彼女にも付いてきてもらった。

最初は新宿南口に行って用事を済ませたあと、今度は西口に回ってここでも用事を済ませ、それから東口へ。途中、休みを挟ませながら、疲れないように、疲れないように慎重に行動。まぁ今、彼女も膝痛いとか言ってるので、無理しないようにね。

そしてすべての用事を終えたときは17時半を回ってて。「この時間じゃうちに帰ってご飯の用意をするのはヤだ」と彼女が言うし、弁当を買って食べるのはわたしがイヤだということで、ちょっと早いけど中村屋でカレーを食べて帰ることにした。なんかG.W.のときと同じような。。

食べ終えてもまだちょっと物足りなかったので「どこか喫茶店みたいなところで甘い物食べたいな」と言ったら「んじゃ、下のTAKANOのフルーツパーラー行こうっか」ってことで、中村屋の下のTAKANOのフルーツパーラーへ(2012年6月現在、中村屋は改装中、TAKANOビル6Fで営業している)。しかし予想以上に高かったらイヤだなーってことで、お店に入る前にメニューを見せてもらい、値段を確認して入るというケチ臭さ(笑)だけどお店の人は嫌がらずにメニューを渡してくれた。

中に入って決めていたフルーツワッフルとコーヒーを1つずつ注文。そしてこちらの考えが手に取るように分かったのか、取り皿が2枚。フォークとかナイフとかも2つずつ。おかげでフルーツワッフルは彼女と取り分けて食べることができた。やっぱりフルーツパーラーって女性客が多いからかしらね、そういうサービスが行き届いてるのって。ただ、ちょっと気になったのがフルーツパーラーの奥にあるフルーツバーだったかなぁ。男性は女性と同伴じゃないと入れないみたいなの。ってことは、ゲイカップルは入れないんだよねー。なんでだろ?男性2人だと元取っちゃうからかなぁなんて話してたんだけどね。もちろん店側には「男性同士は入れません」ってことをゲイカップルの排除だとは思ってもないだろうとは思うのだけれど。。そこのところは少し気になるなぁ。

中村屋の会計は彼女がしてくれたので、TAKANOはわたしが会計したんだけど、なんと、フルーツワッフル単品とコーヒー単品を頼んでいたつもりが(2人だからね)、フルーツワッフルのドリンクセットになってて、考えてたより200円くらい安かった!ありがとう、TAKANOさん!と心の中で感謝した(笑)

だからまた行きたい、と言いたいところだが、実はわたし、フルーツはあんまり好きじゃないんだよね(笑)今日のフルーツワッフルのフルーツもほとんど彼女が食べたし。なんというか、冷たいのがあまり好きじゃないというか、だからといって暖かくしたフルーツが好きってわけじゃないというか、好きなフルーツ以外好きじゃないというか。どちらかというと酸っぱいフルーツは大丈夫なんだけど、甘いのはダメなのよね。バナナとかはいいんだけどね。って食に対しては超保守的なので(笑)食べたことないものは食べてみようという興味が全然なくてねー。だから珍しいフルーツは一切ダメ。マンゴーすらダメ(なんか今月はマンゴー中心のようでした)。

TAKANOで結構のんびり過ごしたので、帰ったら8時半過ぎてた。

このくらい外で過ごせれば、もうほとんど大丈夫かな?って感じ。ちょっと体力に自信がついた。
22:44 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
06-28 Thu , 2012
「重重-中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち」安世鴻写真展@新宿ニコンサロンへ行ってきた
わたしの今の情報源は圧倒的にtwitterによるもので、この写真展のこともtwitterで知ったんだよね。当初ニコンがこの写真展を行なうと承諾したにもかかわらず、後になって「写真展は政治活動の一環」という理由で中止を申し入れて、それで写真家側が写真展を開催できるように場所の提供を認めさせることを裁判所に訴えたところ、その訴えが通って写真展が開催された、ということだけれど。あ、裁判所がこのことについて場所を提供するようにという仮処分をニコン側に命じた、というニュースはテレビでも見たな。

写真展は26日からで、開催直後はものすごい人が多いだろうなと思って、今日ちょっと出かけた来たついでに新宿に寄ってこの写真展を観に行ったんだけどね。警備で会場が物々しい雰囲気になっているってことは、twitterで流れてくる情報でも知ってた。けど、一部報道されてるようなセキュリティチェックがある、なんてことはわたしが見た時点ではなかった(わたしが行ったときはたまたまなかったみたいで、同じ日の夜に行った人はセキュリティチェック受けたそうです)。セキュリティチェックはなかったものの、新宿エルタワー28階のエレベーターを降りてから写真展の会場に着くまでのホンの数十メートルの間に5人もの警備員がいたのは、やっぱりどこか「普通じゃない」雰囲気を感じた。しかも会場には「スタッフ」って書いてあったけど、目つきの鋭いおじさんがいて、しきりに腕時計を見てたりして「この人一体何のためにここにいるの?」って感じがすご~くしたしね。

開催3日目で人、来てるかな~と思ったんだけど、思った以上に人が来ててね。来てる人も若い人はあまりいなかったように感じられたんだけど、割と年配の男の人や女の人が多かったかな。誰かと一緒に来たというより、個々に来てる人が多く感じられた。すーっと来てすーっと帰る人も中にはいたが、そういう人は結構少なくて、写真を見た後も中央の椅子に何冊かあった安世鴻さんの写真集をじっくり見てる人が結構多く(ご多分に漏れずわたしもだが)、またアンケートに答えたり、あと多かったのが主催者側と思われる人たちが入口近辺にいたんだけど、その人に対して「パンフレットみたいなのは置いてないのか」という質問をする人。主催者側の人は「ここでは配れるものは何もないんですよ」と答えて、しかしパンフレットを希望する人は「芳名帳」みたいなのに名前を書いた上に「パンフレット希望」って書けば、あとで送ってくれる(その代わりパンフ代に800円かかって、パンフと共に振り込み用紙が入ってるとのこと)って言っていた。写真展の開催を知らせるハガキが1枚置いてあったのだが、それも「配れない」とのことだった(まぁだから1枚しか置いてなかったのか?)。

会場に行って写真を見たんだけどさ、わたし、順路の逆から見たようで、最初に「この写真をどういう想いで撮ったのか」みたいに書いてあったのを一番最後に読んだんだよね~(苦笑)しかも、わたしはこの写真展の名前も全部把握してなかったようで、最初は韓国に住む元慰安婦の人だとばっかり思ってた。けど、どう見ても「これが韓国?」って雰囲気だったんだよね。一番最後に「中国に残された元慰安婦です」ってのを読んで、納得した。だって写真に出てくる家の雰囲気とか、わたしが知ってる限りにおいては「大地の子」に出てくる、あの貧しい中国の家そっくりだったんだもん。途中中国政府から発行された「入籍証」(?;そんなのあるの?)みたいなのとか、パスポートみたいなのを見せてる写真もあったんだけど、それ読んで「あー、そうか」って初めて納得した。っていうか、それを読むまで誤解していたのが恥ずかしい、、

しかしね、わたしも中国の一般の人がどういう暮らしをしているのか全く知らないのだけれど、明らかに「貧しい暮らしだなあ」って思われるような家や部屋ばっかりなんだよね。あと動きがある写真が多かったので「この写真を撮った人は一体どういうことを話しながら撮ったんだろう?」って思ったな。

一番印象に残った写真はね、部屋に東アジアの地図を貼ってあってね、おばあさんが韓国のところと日本のところに握り拳を置いてるの。あれ見たときとても複雑な思いがした。一体、この写真を撮られたときはどういう話をしてたんだろう?どういう気持ちだったんだろう?この人の人生はどういう人生だったんだろう?ってね。

残念ながら、わたしは無知なので中国に残されたままの元慰安婦の人が、どうして中国に残されたままなのか、戦後67年間(尤もこの写真が撮られたのはもっと前らしいが)いかにして生きてきたのか、その背景や実態を全く知らない。だからいくらでも悲惨な想像をしようと思えばできるのだけれど、でもそう決めつけてしまうのもなんだか失礼なことなんじゃないかと思ったりもするのだ。写真は一瞬の姿でしかないし、そこからその人の全部の人生が見えるわけじゃない。それがなんかすごくもどかしく感じられたんだよね。

写真はもっと暗かったり、何かを訴えようとしてたりするものかと思ってたけど、案外あっさりした印象があったので、そういう意味ではこの写真展はあんまり「政治活動的」な感じは持たなかったのだが。。まあもちろん「元従軍慰安婦の人が写ってる」ってだけで政治活動的なのかも知れないけどね。でも、上にも書いたとおり悲惨な想像をしようと思えばいくらでもできるけれど、そしてわたしは「慰安婦を作りだした」加害者の側に立つ国民なんだけれど、なんかね、写真からは「責められてる」とは感じなかったの。いや、もしかしたら責められてるのかも知れないけど、わたしの印象としてはそんな感じがしなかったんだよね。だからといって決して「楽しい」と思える写真ではなかったけれど。

「楽しい」と言えば、この写真家は最近、韓国と日本で「アジアシャーマニズム」の写真を撮っているそうで、わたしは去年発行された韓国の「グッ」という、えーとなんだっけ、祭祀みたいなのを撮った写真集を見たのだが、それはすごかった!それが見て「楽しいか」と言われるとなんだかちょっと違う気持ちもするんだけど「うわー、韓国ではこんなのがあって、こんな人がいるんだ」って思ったし「もし日本が取りあげられるのなら、どういうものを『シャーマニズム』として取りあげるのかなあ?」って思って、この人の今後に注目したいって思った。

来てる人の中には主催者側の人に「写真展が開催できてよかったですね」って声を掛けてる人もいた。

そうなんだよね。なんでこの程度(って失礼だけど(^^;)の写真展が中止に追い込まれなきゃならないのかなあ~って思ったよ。しかもニコンのウェブサイトにはまだ「6/26 (火) ~7/9 (月) 安世鴻写真展は諸般の事情により中止することといたしておりましたが、東京地方裁判所から、「ニコンサロンを安世鴻氏の写真展のために仮に使用させなければならない」との仮処分が発令されましたので、これに従って、安世鴻氏に対し新宿ニコンサロンを仮にご使用いただくことといたしました。(現在、東京地方裁判所へ保全異議申立中です) 」なんてことが書いてある。なんだかなあって感じだよね。

この次に行なわれる「李容夏写真展」は「政治活動的」じゃないのかね。ベトナムの枯れ葉剤の被害者に焦点を当てた写真展みたいで「作者は、本展をきっかけに“戦争なき平和”が世界中に定着することを望み、これ以上この地球上の人が互いに銃口を向けあい、命を奪い合う行動が起こらないことを望んでいる。」なんて書いてあるから、写真展で平和を訴えているみたいだけど、平和を訴えるのは「政治活動的」じゃないのか。

肌触りが悪いものは遮断して、心地よいものだけを残す。それではいくら写真を通して物事を伝えようとしても、都合の良い物事しか伝えていないということが分かってしまった以上、その訴えは半減するだろう。ニコンは今回そのことを世間に示してしまったと思う。
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