02-02 Thu , 2012
うーむ
今日は「カウンセリングに来ていいです」と言われてから初めてのカウンセリングの日だった。

「どんな感じだろう?」と思ってちょっと楽しみだったのだが、問題の核心には触れず、その周辺のことを聞かれた、という感じで少々肩すかしを食った感じ。「そんなことがメインじゃないのにな~」って思いつつ答えたんだけど、これでいいのか知らん?

わたしの悩みに対する「答え」ってのは明確なんだけど、ではそこまでにどのようにしていったらいいのか、と言うのが問題なのだ。それが分からないためにわたしはカウンセリングを受けているのだ。もちろん、カウンセラーに「その方法を教えてくれ」と言ってるわけじゃない。自分で考えても煮詰まって答えが出てこない。他人から見たわたしの考え方「以外」の見方とか、考え方があるんじゃないか、それを相談するためにカウンセリングに通っているのだ。

心は複雑なもので「こうすればいい」と分かっていながらも、どうしてもそれをすることができない、ということがある。その「できない」ことをどうしたら「できるようになるか」が問題解決への道だと思っている。

それには「なぜできないか」ということを考える必要がある。

まー多分、わたしの考えるところはそこなんだろうな。ってカウンセラーさんからは一切そんなこと言われてないけど。

問題は、次のカウンセリングは先方の都合があって3週間後ってことだ。
わたしゃ、3週間、何考えたらいいのか、よー分からん。
カウンセラーさんからは「3週間何か考えついたことを次に話しましょう」と言われているが。。
何を考えたらよー分からんのになんか考えることあるんだろうか?

それより何より今は、本を読むのに忙しくて、自分のことを考えているヒマがない。
ここ数日間は1日2冊のペースで本を読んでいるが、読みたい本が次々と溜まっていくため、どんどん本が増えている状態。昨日なんぞは4冊も本をAmazonで買っちゃったよ。。やり過ぎは禁物と思うが、やり過ぎてしまうのがこのわたしで。。

この性格、なんとかならんか知らん?
そのこともカウンセラーさんに相談した方がいいんだろうか(笑)
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02-03 Fri , 2012
LGBTIサポートブック
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機会があったので読んでみた。

基本、質問・回答形式の本なんだが、章の終わりにコラムが挟んであって、正直、そっちの方が役に立つって感じというと言い過ぎか。まぁこの本はLGBTIのことを全然知らない人向けに書いてあるんだもんね。「レズビアンとはどんな人のことですか?」って回答を読んでも、わたしにとっては「今さら」だよね(笑)

ただ、わたしにとっては「レズビアンとはどんな人のことですか?」の回答は気にくわなかった。「レズビアンは男っぽい格好をしている人だと思われがちだけど、実は女っぽい格好をしている人の方が多数派」って、あんまり決めつけないで欲しいなぁ。。確かに世間の常識を覆したいという意図は分かるのだけれど。。見た目では分からないことを強調したいのは分かるのだけれど。。それから「トランスジェンダーとはどういう人のことですか?」というのを「生まれたときに法律的・社会的に割り当てられた性別とは異なる性別を生きる人」というのはちょっと違うんではないかな。「社会的に割り当てられた性別」って要するにジェンダーのことだよね。確かにトランス「ジェンダー」なわけだけど、ここは生まれたときの性別に違和感を持つ人って説明できなかったのかな。

というのは、この説明だとわたしもトランスジェンダーってことになっちゃうんだよね。。わたしは社会的に割り当てられた性別=ジェンダーがない、というかどちらにもなりたくないって人間だからさ。。

あ、性自認は女だよ。でもそれってわたしにとってはただの「記号」みたいな感じなんだよね。生物学的に女だから女って感じ。それ以上でもそれ以下でもない。いわゆる「女っぽい」格好はしたくない。化粧にもおしゃれにも全く興味が無い。化粧は無駄だし肌に悪いって思ってるし、一年中同じ服装でも平気。ま、日本は春夏秋冬あるから、その季節によって洋服は変えないと暑かったり寒かったりするからそこは仕方ないとは思ってる。けど、余裕で1シーズン、同じ服装でいられる自信がある(爆)まー実際は何回か着替えますよ、着てるうちに汚れてくるからね、服が。でもできれば汚れたりすり減ったりしない洋服があればなぁって思ってる。そうしたらずっとそれを着て過ごすのにって。それくらい、おしゃれには興味がない。

で、そういうわけだから、わたしはスカートは全然はかないんだけど、そうなると着る服が必然的にズボンになってくるわけだ。でもわたしは「男になりたい」わけでもない。逆に男に見られるとすごくいや~な気分がする。ズボンとスカート以外に、なんかどっちにも見えない洋服があれば一番いいんだろうけど、洋服って見事にズボンとスカート、要するに男女のものしかないんだよね。。ってわけで、わたしは別に男に見られたいわけじゃないんだけど、ズボンはいてて、しかも身長がそれなりにあるのでいつも男に間違われて、、それがとってもやだ。外ではすぐに間違われるのでトイレには極力行かない。仕方なく行かなきゃならないときは「どうぞ、人が中にいませんように」と祈りながら入る。

こういうところはとてもトランス的なんだけどね。でもわたしは女。

まぁこういう感じなんで、長くなったけど、だから上のようなトランスの説明はちょっと、、って思うんだよね。

この本を読んでみた全般的な感想は、LGBよりトランスやDSD(この本では「I」=「インターセックス」って書いてあるけど、今は「DSD」=「性分化疾患」って呼ばれる方が一般的になってきた)の人の方が医療に関係してくる分切実なのかなって。まぁだからといって、LGBが無関係とは言わないよ。確かに医者にカミングアウトしたくないって思う人もいるだろうし、そのせいで病院行きたくないって思ってる人もいるだろうし。。あとゲイやバイ男性(MSM)の人の場合はHIV/AIDSのこともあると思うけど。

わたしの場合は風邪なんかで病院行くときはもちろんカミングアウトなんかしないけど(笑)、今かかってる精神科と歯科にはカミングアウトしてる。もちろんカウンセラーさんにもね。それで対応が変わったとかそういうことは一切ない。まー今まで散々調子悪いけど病院行かなきゃいけないってときには彼女に付いてきてもらってたし。診察室にも一緒に入ってもらったりしたし。そのとき「同居人です」って答えてるし。仕方ない部分はあったんだけどね。

あ、だけど、一つ「そうそう!」って思ったことはあった。それは婦人科に行ったとき。今まで2回ほど行ったことあるんだけど、最初書く問診票になんて答えていいか分からないことはあった。「付き合ってる人はいるか」とか「性体験をしたことがあるか」という質問は、どう考えても「異性愛」を前提にした質問としか思えなかったんで、どう書いていいのか迷った。で1回は「性体験なし」って答えて、1回は「性体験あり」って答えたら。。。詳しくは書かないけど「性体験なし」って答えた方がいいんだって思いました(笑)

それから、婦人科を選ぶときは必ず女性の医師を選ぶかな。男性の医師には悪いけど診てもらいたくない。男にはね、医師とは言えやっぱ触って欲しくないです(笑)ま、これは人によって違うでしょうけどね。

あとこの本ね、医療従事者向けってことだからか、医療に関することは割と詳しく載っていて、そういう点では「へー」って思うところはあった。

でさ、ちょっと気になったのは、巻末に「全国医療施設アンケート」ってのが載ってて、全国467の医療施設に質問を送ったんだそうだ。で、返ってきたのはたったの96施設。。この本には何にも書かれてなかったけど、この回答率の低さはなに!?って思ったね。いろいろ理由はあるんだろうけど、やっぱ無視される存在なんだなぁって。そしてこの本に「載せてもいい」って回答した医療施設が載ってるんだけど、もちろん(?)わたしの今かかってる病院は載ってませんでした。まー、でっかい病院は答えづらいだろうけどね。医者一人一人、看護師一人一人に「偏見持ってないか」って聞けるわけないし。ただ、お世話になる確率が高そうな精神科とか婦人科とか泌尿器科とかそういうところだけでもよかったのになー。

しかしこの本、実際に医療従事者は何人読んだのかな。それが気になるところ。一人でも多くの医療従事者に読んでもらいたいって思う。確かに気にくわないところもあるけど、でもそれ以上に性的少数者の存在を知って欲しいし、対応も知っておいて欲しい。特にでかい病院じゃなくて、個人で病院やってるような人にね。ただ問題は、どういうきっかけがあってこの本に巡り会うかなんだよね。。果たして何も下地がないところでこの本に巡り会って読む、なんてことが起こりうるのか。そういうこと考えちゃうんだよね。
20:41 | (性的少数者)本のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-04 Sat , 2012
「同性愛の謎」の驚くべきトンデモさ
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竹内久美子という人が書いたこの本、最近出た本のようだが、こんな本が本当に出回っていいのか?と思ってしまうようなトンデモ本だ。これを何も知らない人たちが読んで信じてしまったら、と考えると怖いくらいだ。

ツッコミどころが多すぎて、どこから書いていいのか分からないんだけど、全体的に書きようが大げさだ。「なんと!○○だったのだ!」とか、とにかく「!」が多い。だけど、ここに書いてあることって、さも新しげで「最新情報」みたいな感じがするけど、実は既にどこぞに書いてあることなんだよね~。新しくもなんともない。しかも、なんといっても著者が同性愛者の理解について圧倒的に足らないか未熟。

まぁ気になったところ、最初から挙げてきましょか。

まず「キンゼイレポート」で有名なキンゼイなのだが、同性愛者って書いてある。わたし、今までいろんなキンゼイについて書いてある本を読んだことがあるけど、同性愛者って記述は初めて見た。というか、ジェンダー・スタディーズ(大阪大学出版会)の42ページに「キンゼイは、人間はみな基本的に両性愛、それも一生固定しているのではなくて、流動的なものだと考え、0が100%異性愛で10が100%同性愛という尺度でいえば、クライド(キンゼイの助手)は3、キンゼイは1と診断する。」と書いてある。まぁ実際、キンゼイレポートによる異性愛と同性愛の尺度は0から6の7段階で、なんでここでは0から10って書いてあるのかは謎なんだけど、この記述を見るとキンゼイはどちらかというと異性愛者寄りであり、同性愛者だとは言えない。このクライドって助手とキンゼイはクライドの誘いで性的関係を持つんだけど、それが「同性愛」と判断されたのかなぁ?でもキンゼイには妻もいるんだけどね。

あとペニスの大きさが大きい方が、ゲイの間では魅力の一つって書いてあるんだけど、まぁそれについては本当なのかどうなのかは知らない。でもこの人、「ゲイのセックス」=「アナルセックス」としか思ってないようだ。なんかオーストラリア人のゲイが日本のゲイとセックスしたときにペニスの大きさが足りなかったので何の満足も得られなかったとか、ゲイの主流はバイセクシャルで、そのバイセクシャルの行なう同性愛行動は、実は異性愛行動のための練習だとか。同性愛関係の本(特に「同性愛って何?」みたいな基礎知識本)には必ず「ゲイの行なうセックスはアナルセックスだけではない」って書いてあるわけで。オーラルのみとか、しごきあいとか、そういうセックスの仕方もあるわけなんだよね。わたしも見てきたように言うけどさ(笑)、実際、そういうセックスしかしないって話をゲイの人としたこともあるんだよね。だから「ゲイのセックス」=「アナルセックスのみ」と思わせるようなこれらの表現は、ゲイの間違った知識を植え付ける役割もしているわけで。その罪は大きいと思うよ。

それからドイツの性科学者であるヒルシュフェルトは自身が同性愛者で、同性愛について研究し、その原因が生物学的な問題であることを主張していたのに、男性同性愛者のことを自ら「倒錯者」と言い、そのことについて「それにしても倒錯者とは・・・。同性愛が病気ではないとWHOが見なしたのが1990年。ヒルシュフェルトについてはまだ時期が早すぎたというべきか。」と書いてるけど、あの時代は同性愛者は倒錯者と呼ばれ、同性愛行為は犯罪とされたり治療の対象になっていた。だから、ヒルシュフェルトは生物学的な原因だから治療しても治らない、と言ったのだ。しかし結局、そのことさえ逆手にとられて、ナチスに「障害者(劣性遺伝子を持つもの)」と見なされ「断種されなければならない存在」とされて強制収容所にぶち込まれ虐殺の対象になってしまった。そういう「歴史的な背景」を全然知らないのか、この人は、って感じだ。何が「時期が早すぎた」だ。同性愛が病気でないとされるまでの同性愛者たちの過酷な歴史や努力を全く書こうともせず(もしかして知らない?)、ものすごく呑気(あるいは脳天気)としか言いようがない。

「知らない」と言えば、ヘテロの被験者とゲイの被験者を集め、父、母、一番年長のキョウダイ、一番年下のキョウダイ、という4人に絞り、以下の4つの質問をした実験。(1)これら4人の住んでいる場所から、それぞれどれくらい離れた場所に住んでいるか。(2)彼らと、過去1ヶ月に何回会っているか(電話で話した回数も含める。)(3)彼らと過去1年間のうちにどれだけお金が動いたか(あげた、ともらった、の両方で。単位はUSドル)(4)彼らとどれほど心の距離があると感ずるか。1(とても近い)から7(とても離れている)までの7段階で答える。

この結果(1)はあまり違いがなかったけれど、(2)で差が出て、ゲイグループは電話も含め、父母に会う機会が少ない、(3)は省略、(4)心の距離はゲイグループの方が心の距離がある、と出たそうだ。で、その結果を受けて「血縁者の繁殖を助け、間接的に自分の遺伝子のコピーを残そうとしているのだという『ヘルパー仮説』には信憑性がなくなってくる。」って書いてあるけど、なんでこの人「同性愛者にはカミングアウト」という問題があることを考えないのだろうか?このゲイの被験者はカミングアウトしているかどうかには全く触れていないので、何とも言えないのだけれど、家族との距離感が遠いのは、カミングアウトしていないせいとも考えられるし、カミングアウトしたものの、家族から拒否されて家族と会わないって人もいるだろう。「ヘルパー仮説」云々を本当に証明したいのであれば、被験者のゲイは全員家族にカミングアウト済みで、家族との関係も良好な人たちを選ばなければならない。しかもこのことは「実験条件」として明白に書かれなければならない。こんなの全然「科学実験」でもなんでもない。こんな実験をしてこんな結果が出てくるのは、ある意味「当然」のことだ。

それと同じことが言えるのは、ある実験において、ゲイについてはゲイコミュニティーと'94年にトロントで行なわれたゲイとレズビアンのパレードに参加していた男性、異性愛者については「ロータリークラブ」のような社会奉仕団体の組織をいくつかと2つの大学のキャンパスにビラを貼って集めたそうだ。そして条件に合ったのは736人で、これらの人々にいよいよ性的指向を訊ねたら、2つの例外があった、と。「ゲイパレードの際に集めたのに、自分は異性愛者だと答えた例と、社会奉仕団体で集めたが、自分は同性愛者だと答えた例だ。前者についてはどういうことなのかわからないが、後者の場合に同性愛者が一例しかないというのも、考えてみれば不思議だ。社会奉仕団体のメンバーは性的指向に関係なく集まってくるはずである。とすれば、キンゼイ報告やその他の調査でわかったように、社会奉仕団体においても男の数%が同性愛オンリー、十数%がバイセクシャル、というような結果が現われても不思議はないはずなのだが。」って書いてあるんだけど、これ読んだときに、呆れて何も言えなかった。

あのさぁ。ゲイパレードはゲイだけのものじゃないんですけど。ゲイパレードにだって異性愛者はたくさん参加してるんだよ?同性愛者の親も参加してるし異性愛者の友達も参加してる。もしかしたら誰も知り合いはいないけど、ゲイパレードは楽しいから、また、ゲイの権利を応援したいから参加したいって思って参加する人もいるかも知れない。そういう「アライ」さん(異性愛者でLGBTフレンドリーな人たちのこと)がいて、そういう人たちもパレードに参加していることをこの人全く知らない。ゲイパレードに参加するのは当事者だけだと思い込んでいる。なんて無知なんだろう。そして、同性愛者が一例しかないというのも、そんなに人に簡単にカミングアウトするなんて人はいない、と考えるべきなんじゃないの?こんなの全然不思議でもなんでもない。だって、突然あまり親しくもない人から「あなたの性的指向はなんですか?」って訊ねられて素直に「わたしはゲイです」なんてオープンに答えられる人なんかそうそういないはずだ。そういう「同性愛者の置かれた状況」について、この人は本当に全く知らない。それでよくこんな本書けるもんだと思うね、全く。

それから遺伝子の問題。「人間には22対の常染色体と一組の性染色体がある。性染色体は男でXY、女でXXの状態である。男は父親からYを受け継ぐ都合上、Xは必ず母親由来のものを受け継ぐことになる。このX上に問題の遺伝子があると、男では症状が現われてしまうのだ。一方で女が全員セーフなのは、性染色体がXXだからだ。どちらのXにも問題の遺伝子が乗っていなければ、もちろん問題は起こらない。そしてたとえ問題の遺伝子を乗せているXを一つ受け継いでいても、もう一つの正常なXがちゃんと働くので、問題が発生しないようになっているのである(ちなみに、2つのXのどちらにも問題の遺伝子が乗るという事態は、この一族のようなケースでは近親交配を行なわない限り起こり得ない)。」そして血縁者の誰に同性愛者が多いかどうかをあれこれと書いているが、結論として「どうやら男性同性愛に関わる遺伝子のうち最も重要と思われるものは、母から息子へと伝えられているらしい。父から息子へは伝わらないようだ。」「男性同性愛に関わる遺伝子の一つが、性染色体のXに存在することはほとんど疑いようがない。他の人々の研究によっても、男性同性愛者の母方に男性同性愛者が多いことが確かめられていて、それはX上に男性同性愛遺伝子の一つが存在することの動かぬ証拠だからである。」と書いてある。

あのー。この理論だと、女性同性愛者、いわゆるレズビアンは存在しない、ということになってしまうのだけれど。女は症状が出てこない「保因者」でしか有り得ないんでしょ。レズビアンであるということは、XXはどちらとも「異常」(敢えてこの言葉を使う)ということなんだけど(この説によればね)、XXが異常な場合って近親交配の結果でしか起こり得ないんでしょ?だったらレズビアンはなぜ生まれてくるの?レズビアンはみんな親が近親交配した結果なの?少なくともうちは違うけど?(笑)

それから、男性異性愛者と男性同性愛者のキョウダイの数を比較した研究では「姉の数も、弟の数も、妹の数も違いはなかった。違いがあったのは、兄の数のみである。同性愛グループには兄が多い!」(この本、こういう風に「!」を多用してるのよ)「このように、すべての被験者を兄の数によって分類すると、兄の数が多い場合ほど、同性愛者の占める割合が高くなっていくことがわかる。」「ブランチャードらによると、兄が一人増えるごとに、男の子が将来同性愛者になる確率は33%増していく勘定になるという。」「ともかく理論上の計算によれば、男性同性愛者の7人に1人は、兄がいることが原因となっている、とブランチャードらは結論しているのである。」「それにしてもなぜ、兄の数なのか?姉はなぜ関係ないのだろう?それは…兄が男であるのに対し、姉は女だからである!」(また「!」かよ。。)そしてその理由としては「そもそも女が子を身籠もること自体、大変な出来事だ。胎児は自分と相手の男の遺伝子を半々に受け継いだ存在で、いわば半分は自分であり、半分は他人である。その他人の部分においては異物であり、免疫的に拒否反応が起きても不思議はない。しかし、そうはならないよう我々の身体はできている。胎児と母親とがつながっている場所である胎盤は、まさに関所のような役割を果たしており、栄養以外の物質はなるべく通れないようになっている。もっともそれでも解決できていない問題が微妙に残されている。それらのうち、最大の問題の一つが、女が男の子を身籠もった場合だ。男しか持たない性染色体、Yからつくられる、男しか持たない物質が、この関所を通り、母親の体内に侵入してきた場合、異物とみなされてしまうのである(男の性染色体はXY、女の性染色体はXXという状態)。その物質、H-Y抗原は、男の体の細胞の表面などに存在している。母親が男の子を身籠もっているとき、母親の血液の中にこの抗原に対する抗体がつくられることがある。それは男の胎児を免疫的に攻撃し始めるわけだが、H-Y抗原は何と、脳の細胞表面に特に多く存在するという。つまり、母親の抗体が男の胎児の脳を攻撃し、彼の脳の男性化を阻止するかもしれないー。攻撃の確率は、女が男の子をより多く身籠もるほど、高くなっていく。兄が多い男の胎児ほど、母親から免疫的に攻撃され、脳の男性化が阻止される確率も高くなるだろうというわけである。」

呆れてものも言えないトンデモ理論だが。。これもね、じゃあなんでレズビアンは生まれてくるの?って回答にはなってないよね。母親が女の胎児を身籠もっている場合、胎児の遺伝子はXXなわけだから、Y遺伝子が持つというH-Y抗原が胎児の脳を攻撃することはないわけでしょう、この理屈からすると。そもそもXX遺伝子を持つ胎児はH-Y遺伝子は持ってないわけなんだから。XX遺伝子を持っている胎児の脳は攻撃される対象を持ってない。攻撃されてないんだから、脳は一般の異性愛者女性と全く同じでレズビアンは生まれてこないってことになるよね。この理屈も上の理屈と同じく、レズビアンの場合は全く説明が付かないのだ。この説も「男性同性愛者のみ」で考えられており、そこに「女性同性愛者」がいるってことは全く考えられていない。

以前散々言われた「ホルモンシャワー説」(母親が妊娠中にストレスを受けて、男性ホルモンが少なくなったからゲイが生まれるという説)とか「脳梁説」(ゲイの脳梁は女性と同じくらい太いという説)と同じなんだけどさ、これじゃレズビアンの場合は成り立たないんだって(「脳梁説」の場合、レズビアンは男性と同じという可能性はあるが、それに触れられている論文は今まで見たことない。それに脳梁の太さがただ「同じ傾向」があるというだけで、同性愛と結びつける因果関係がはっきりとしない)。こういう実験でいつも気になるのは、対象は「ゲイ」で「レズビアン」のことはまるっきり無視されてることだ。科学者って、わたしも理系だから経験あるんだけどさ、ありとあらゆる場合を想定して、それでも成り立つ、ということを証明して初めてその説が「普遍的」に成立するんじゃないの?同性愛者は男性だけでなく女性もいるんだよ?あと、同性愛者だけでなく両性愛者(バイセクシャル)もいるけど、その人たちの場合はどう考えればいいんだろうね?(ちなみにすべての人間が同性愛、異性愛、両性愛だけに分けられるだけではなく、その他に全性愛、無性愛、非性愛、その他があり、「脳の○○によって△△愛者になる」という結論が出したいのであれば、これらすべてのパターンに当てはめてもおかしくない理論を打ち立てなければ「普遍的」とは言えない)

【後日追記】もう一つ。仮に、あくまでも仮にだが、「女性化(男性化)した脳を持つ男性(女性)」=「ゲイ(レズビアン)」ならば、性別違和を持った人の脳はどうなっているのだろうって疑問が湧いてこないか?この世界には性別違和を持つ人がいる。生まれたときの外性器の形で性別は決められるが、大きくなるにつれ、自分の性別が自分の決められた性別とは違うと感じられる人たちだ。属に「身体の性と心の性が一致しない人」とか「性同一性障害(GID)」とも言われる(※)。まぁそういう人たちがいるってことも完全に無視しちゃってるよね、この本は。「女性化(男性化)した脳を持つ男性(女性)」=「性別違和を持っている人」とも考えられないことはないよね。っていうか、逆に女性化(男性化)した脳を持ってるんだから「同性が好き」ってよりは「女性(男性)になりたいんだ」って考えた方が理屈として通るんじゃないか(っていうか、これはあくまでも反論するために考えた理屈であり、何を持って「女性化(男性化)した脳」と判断できるのかは今のところ誰にも分かっていないということです。脳の重さとか、脳梁の形とか、目に見えるものでしか判断していない。脳の中身の方が重要かも知れないのに、脳の中身については全く研究されていない)。

(※)「性同一性障害」というのは病名であり、それにともなって何らかの医療行為を受けたい人が医療行為を受けるために病院に行ってそういう診断名を付けてもらうわけで、性別違和を感じる人が全員「性同一性障害」なわけではありません。そもそも性別違和を感じる人が全員「異性になりたい、異性として暮らしたい」と思っているわけではありません。ここのところは千差万別で、「その原因は何なのか、どこから来るのか」ということを解明するのは非常に困難だと思います。また、性別違和を感じている人は必ずしも異性愛者ではありません(同性愛者もいます)。なので、こういった原因を追及していくのであれば、「同性愛者」と「性別違和を感じている人」はきっちり分けて考えておく必要があります。【追記終わり】

そして、何も知らず、というか「もしや自分の息子はゲイなのでは」と思っている母親がこれを読んだらどんなに傷つくか。。何も知らない母親は「自分のせいだ」って思っちゃうよ、これ。実際、子どもにカミングアウトされて混乱している親が「何か知りたい」と思って同性愛について書かれた本を探す、ということがある。そのときにもしこの本を手に取ってしまったら。。。悲劇が起こるよ。(子どもにカミングアウトされて困惑されている親御さんのために。カミングアウト・レターズ(太郎次郎社エディタス)という本があります。これを読んでみて下さい)

ちなみに「ゲイ遺伝子説」については、同性愛入門(編・伏見憲明、ポット出版)の41ページから43ページで触れられてて(というか、ゲイ遺伝子説だけでなく、脳の違い説も載ってて、この「同性愛の謎」に書かれている内容はほとんど既に2003年の時点でこの本に書かれている)、同じ実験をカナダで行なったところ、X染色体に遺伝子がありそうだという結果を得ることはできなかった、と書いてあるし、科学で分かる男と女になるしくみ(サイエンス・アイ新書)に至っては「ゲイ遺伝子に関する研究は進められているが、そのたびに結果が違う。結局のところ、同性愛男性に共通する『ゲイ遺伝子』があるかどうかも、あるとしたらどこにあるかもはっきりとしていない、ということだ。」(82ページ)と書いてある。だから、ゲイ遺伝子については、こんなにはっきりと「X染色体に原因がある」とは言い切れないのだ。これしか読んでない人はこれ信じちゃうと思うと怖いよ、ホント。

あとまだあるんだよ(笑)

「男性同性愛者は男性異性愛者と体格に差がなくても、ダーツ投げ、ボール投げが全般に苦手で、それは女性異性愛者と同じくらいのレヴェルだったのである。1991年に双子研究を発表したベイリー&ビラードも、いくつかの質問の中に、こどもの頃、スポーツにどれほど興味があったかという項目を設定している。するとやはり、男性同性愛者は男性異性愛者ほどにスポーツに興味がなかった。そもそもスポーツが苦手だから興味がないと言うことなのかも知れない。」と書きながら、別のページでは「ワールド・アウトゲームズとは、LGBTによるスポーツとカルチャーの祭典で、この時92カ国から5518人が参加している。陸上、水泳、バドミントン、バレーボール、テニス、サッカー、アイスホッケー、フィギュアスケートといったオリンピックにある種目の他に、ゴルフ、ダンス、エアロビクス、カントリー・ウエスタンダンスなどもある」と書いてある。

あの~。ゲイがスポーツ苦手で興味なかったら、そもそもこんな大会やらないんじゃないの?それとも参加してるのはすべてレズビアンなの?確かにゲイは子供の頃、ボール投げなどが不得意で、野球なんか全然興味がないっていう人もいるよ。でもさ、それがすべてじゃないんだよ?中には身体動かすのが好きなゲイもいっぱいいるよ。だって、ジムに通って身体鍛えてるゲイの人って本当にたくさんいるんだから。それなのになんで「ゲイはスポーツが苦手で興味がない」って決めつけるの?それって「ゲイは女性的」と思ってる、いわゆる「偏見」ってやつなんじゃないの?

あとこういう記述もある。「メイクアップアーティストやスタイリスト、美容師、華道家、編み物の先生、ダンサー、作家などにずば抜けた才能を持つ男性同性愛者が多く存在するという印象があるが、そうだとしたらこうした背景(女が得意とする分野が得意。)があるからかもしれない。」

そういう分野でゲイが目立つのは、今のところは事実かも知れない。けれど、それは誰かがカミングアウトしたことによってカミングアウトしやすい環境なのかも知れないよ。現に今、日本には男性歌手で正式にカミングアウトした人は存在しない。音楽を含むアーティストなどにゲイが多いのだったら、日本の男性歌手の中にもゲイがたくさんいるってことでしょ。でも、今のところ誰も存在しないことになってる。それって日本の男性歌手はみんな異性愛者だからなの?それだと「アーティストに多い」って記述と矛盾しない?あのね、今、日本では「ゲイ」=「オネエ」だと思われているの。オネエじゃないゲイはゲイと「認められてない」の。オネエじゃない日本の男性歌手は、まだ日本ではカミングアウト出来ない存在、そう考えることはできないだろうか?そしてそれを一般論に広げると、芸術の分野以外ではゲイがいてもまだまだカミングアウト出来ない。だからいないことになってる。ホントはいるけどただ見えないだけ。だから実はゲイはどこにでも存在する。そうは言えないか?だいたい「ゲイ」=「オネエ」ってのも偏見なのよ(「ゲイ」=「女っぽい」と思われているのと一致する)。きっと実際には「女っぽくないゲイがいる」と分かったら、異性愛者の人は脅威を感じたり混乱したりするからなんだろうね。だって異性愛者の頭の中は「男(っぽいもの)と女(っぽいもの)が惹かれ合う」という図式しか頭にないのだもの。「男(っぽもの)と男(っぽいもの)が惹かれ合う」とか「女(っぽいもの)と女(っぽいもの)が惹かれ合う」と考えると理解不能で怖いんだろう。それと「ゲイは女をしのぐ才能がある」ってのも偏見。確かにそういう人は存在するだろうけど、その割合がずば抜けて高いなんて、同性愛者の全貌が見えない限り、今のところ誰も何も言えないのだ。

そして「偏見」といえば「左右の脳の大きさの違いという点においては、男性異性愛者と女性同性愛者が似た傾向にある一方で、男性同性愛者と女性異性愛者が似た傾向にあるのだ。」「ともあれ、男性同性愛者は女性的な脳を持ち、女性同性愛者は部分的に男性的な脳を持つことがわかった。あくまで平均的な話ではあるが、巷間で言われている、男性同性愛者が女っぽく、女性同性愛者が(男役の人に限られるかも知れないが)、男っぽいことの理由の一つが解明されたようである。」

あの、、どこが解明されたのかさっぱり分からないんですけど。ただの脳の大きさでなんで性的指向が決められちゃうの?そこにはどういう理屈があるの?脳の大きさと性的指向の関係を理論的に説明して欲しいものです。基本的にこの手の研究は「男性同性愛者の脳」=「女性的な脳」、「女性同性愛者の脳」=「男性的な脳」を持つ、と決めつけているけれど、それ自体果たして真実かどうかは疑わしいのだ。だって誰も明らかにしてないんだもん、その関連性。「男が好きなら女の脳」「女が好きなら男の脳」って最初から決めつけてるんだよね。それは上にも書いたとおり、異性愛者の頭の中には「男と女が惹かれ合うのが当たり前」が基本であって、そのことに何の疑いも持ってないのだもの。本当はそこのところから解明すべきじゃないの?その「当たり前」と思っていることをまず疑ってみれば?

しかも女性同性愛者の「男役」って。。まぁ、昨日の日記には文句付けたかも知れないけど、こういうこと書かれるから「レズビアンとはどんな人ですか?」という質問の答えに「重要な点は、男性的な女性=レズビアンではないと言うことです。同性愛者は必ず異性装をするわけではありません。異性装をしていても性的指向は異性愛である人も多くいます。逆にごく普通にスカートをはきロングヘアーというような、外見上女性のステレオタイプである人にもレズビアンはたくさんいます。むしろそういう人のほうがレズビアンの中では多数派です。外見上の特性と性的指向とはあまり関係がないと考えて、先入観を捨ててください」(医療・看護スタッフのためのLGBTIサポートブック(メディカ出版) (14-15ページ))って書かなきゃならないんだろうね。。ホント、悲しいよね。こういう本を読んだ人が「レズビアンってやっぱり男っぽいんだ」と思う。偏見を植え付けているようなものだよね。

まだあります(笑)

ドミニカ共和国の首都、サント・ドミンゴの西にある、人口4300人ほどのサリナス村の人々の調査をしたところ、24人の偽両性具有の男性が見つかった。「彼らは性染色体の上では男、つまりXYの状態にある(女の場合、性染色体はXXである)。しかし、生まれたときにペニスがなく、というか、クリトリスかと思うような小さな突起があるだけ。睾丸はあるが、腹腔の中に留まっていて、陰嚢へは降りてきていない。さらにヴァギナ(膣)のような行き止まりの袋状の構造や、陰唇のような形の部分もあるのだ。その外見から女の子と見なされ、女の子として育てられるが、やがて思春期を迎えると、声が急に低くなり、筋肉も付いて男らしく、たくましくなってくる。ペニスが発達し、睾丸も陰嚢の中へ降りてきて、射精も可能となって男へと大変身。ちゃんと精子もつくっていて、性的にも女に惹かれる。こうなると正真正銘の男と言える。」この章の題は「性転換する一族!?」って書いてあるんだけど、これ、知ってる人が読めば、性転換じゃなく、明らかにDSD(性分化疾患)だよね。「偽」両性具有ではなく、「真性」両性具有(とは今は言わないけどね)だよね。

ちなみに前に紹介した科学で分かる男と女になるしくみ(サイエンス・アイ新書)にもこの話が載っていて、そこにはこの人たちはテストステロンという性ホルモンをDHT(ジヒドロテストステロン)に化学変換するための酵素(5α還元酵素2)を十分につくることができない人、5α還元酵素2欠乏症の人たちだと書いてある。だから決して「性転換」などではなく、DSDの人たちなのだ。しかも、精子は作られているらしいが、ペニスの先端から精子が出るわけではないので(彼らは元々未熟な膣を持っていて、そこから出るらしい)、体内受精で女性を妊娠させることはできないらしい。ああ、この「同性愛の謎」にも最後に取って付けたように「彼らはテストステロンをジヒドロテストステロンに変える酵素に欠陥がある。そのためにテストステロンの効果は現われるが、ジヒドロテストステロンによる効果は現われないということだった。」と書いてある。てか、それ分かってるなら「性転換」とは言えないだろうが。。まさか、DSDの人たちが存在するってことを知らないで書いたわけじゃないよね?なんか「性転換」という一瞬過激で「ドキッ」とするような言葉で表現するのって止めて欲しいと思う。第一、この人たちはそういう身体に生まれついてしまった以上、それが「自然」なことなのだ。決して「異常」なことではない。それにもかかわらずこのような表現方法をするということは、DSD(性分化疾患)の人を傷つけるばかりでなく、性同一性障害への偏見、ということにも繋がってくる。まるで性転換するのが衝撃的なことで、異常、みたいな。。

最後ね。

同性婚やパートナーシップ法のことも触れてるんだけど、その中で気になったのがフランスのPacs法の記述。「1999年に成立し、施行されたが、2005年に税制や子どもの親権について、男女が結婚した場合とほぼ同じ法的優遇措置がとられるようになるや、異性愛カップルがどっとなだれこんだ。パックスには同性愛者限定という項目がなかったからだ。」って書いてあるんだけど、これ、すごく違和感あるんだよね。だってPacs法って別に同性愛者のパートナーシップを目的に作られたものではなく「連帯民事契約」と訳されるように、ある一定の条件(18歳以上であること、直系親族間、直系婚姻間、三等親以内の傍系親族間でないこと)を満たせば、誰でも契約を結ぶことができるんだから。だから、友だち同士だって構わないわけ。あと、フランスでは元々男女の同棲(事実婚)関係がすごく多かったから、それでパックスを結ぶってイメージがわたしにはあった。

で、実際にこれは2004年に出た本なんだけど、パックス―新しいパートナーシップの形(緑風出版)って本があって、その中には「(1999年から)2001年3月31日までにパックス全体の数は3万7千件に達し、その中の6割は異性愛者のものであると見積もっている。異性愛同棲カップル(250万組)の割合は3万から5万と推測される同性愛同棲カップルの割合よりずっと多いはずであるから、パックスの統計はただ単にこの統計上の現実を反映したものである。」(13-14ページ)と書いてあって、「同性愛の謎」に書かれたような「2005年になって初めて異性愛のカップルもパックスを結ぶようになった」みたいなイメージはない。この本はいちいち「大げさ」なんだよね。なんか「衝撃的」なことを書いてやろう、書いてやろうとして誤解や偏見に加担している、そんなイメージを持つ本だ。

ってわけで、なんかすごく長々と書いて来ちゃったけど、この本を読んで「これが同性愛の実態だ!」なんて思われるとものすごく迷惑なわけ。こういう本が平然として新刊で売られてるんだから、日本もまだまだだよなって思うよ、ホント。同性愛を対象とする本を書くのなら、もっともっと同性愛者のおかれていた歴史や現在の現状、性的少数者一般への知識、を持ってちゃんとしたことを書いて欲しい。

というか、わたし自身「なぜ同性愛者が生まれてくるのか」を解明するより「同性愛者が存在することは自明なのだから、その同性愛者がどうやってこの世の中で生きやすい世界を作るか」を考えた方がよっぽど建設的だと思うけどね。「なぜ同性愛者が生まれてくるのか」が解明できたら、同性愛者が生きやすくなる世界になるとでもいうのだろうか。逆にナチスのように「同性愛者を根絶やしにするため」に利用されるのではないかと危惧する。

ちなみに同性愛のことを知りたいと思うのなら、わたしは今のところ同性愛と異性愛(岩波新書)がお勧めだ。これは別に同性愛になる理由、などは書いていないが、今の(主に)日本における同性愛者の置かれた状況や、今に至る状況などが割と詳しく書かれている。内容も比較的新しいし、どうせ読むならあんなトンデモ本じゃなく、こちらのほうを勧める。
23:50 | (性的少数者)本のこと | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
02-08 Wed , 2012
悩みまくり
今日は新聞に書いてあったある記事が元で、少しパニック気味になり、今後のことをいろいろと考える機会になった。

いろいろ方法は思いついたものの、それをやる精神力というか、いや、精神力はきっとあるのだろうけど、自分の心の中で本当に納得してできるか、といった不安は残る。

こういうときにカウンセラーさんと相談したいと思うのだが、次のカウンセリングはまだ2週間以上も先の話。

いらちなわたしは2週間もこのまま待っていられない。とすると、見切り発車でやるしかないか。。そしたら何のためのカウンセリングなんだろう?って気もしてくる。まー、カウンセラーさんが回答をくれるわけじゃないけどね。

そして結局のところ、大学の勉強がほとんど進んでいない、というのが気になる。2月に入ってから既に10冊本を読み終えたものの(もうすぐ11冊目が読み終わる)、大学の方の勉強は全くやってないに等しい。これをなんとかしなければ、この先にも進めないのはよく分かってるのだが、なぜかやる気がしない。。決して興味がないわけじゃないのに。。どうすればいいんだろう。その点でも悩んでいる。
19:05 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-11 Sat , 2012
12年目
今日、オフ会(セクマイ系とは関係ない)で彼女との出会いについてしゃべってたら思いだしたんだけど、12年前11年前の今日か昨日(どっちだったか忘れた)、彼女と初めて会った日なんだよー!建国記念日を挟んだ3連休に、わたしは東京に遊びに来たついでに彼女と会ったのだった。

そのときは、単にメールをやりとりしてるだけの友達として会ったんだけどね。あのときのことはよーく覚えてて、何を話していいのかさっぱり分からず、わたしが大学時代にやってた研究の話とか、その当時読んでた「変化球の曲がり方」の本の話とか、そういう話を一人でべらべらしゃべってたのを思い出す。

それから約1ヶ月後につきあい始めるわけですが。まさか、あのときはつきあうとは思ってもなかったし、こうやって同居するなど考えもせず。あのときわたしの人生が変わったのだなあと今振り返ってみるとそう思う。

いやー、12年というと干支一回り。 ←昨日の時点では12年と思ってたけど、12年は来年(汗)【2/12訂正】

でもあっという間だったような。。
12:00 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-13 Mon , 2012
病院の日
今日は病院の日だった。

精神科の主治医に「なんとか眠れるようになったけど、食欲が全くない」と言ったら、それはなんとかしなければ、と言われた。眠れないと訴えたときより深刻に対応されたなー。わたしとしては、食欲ないより眠れない方がよっぽどつらいからなんとかして欲しかったのに(眠れないのに布団でゴロゴロしてるのは本当につらい)。

なんでも、脳に栄養が行かなくなったら、うつを引き起こす原因になるかも知れないってことだった。「体重は減ったか」と聞かれ「測ってないので分かりません」と答えたが、わたしが「まぁでも、わたし結構蓄えてますから(笑)」と言ったら「え、蓄えてるんですか?(笑)」とちょっと笑われたが、それでも体重が減ると危ないらしく、体重を頻繁に測って様子を見るよう言われた。

あと、食欲増進のためにドグマチールを飲むかと言われたが、わたしはドグマチールを飲んでもあんまり食欲が出たことがないので、別のレメロン15mgを半錠、寝る前に飲むことになった。ただこの薬、一緒に眠気も起こす薬みたいで、今まで飲んでたマイスリー5mgはなしになった。もともとマイスリーなくても眠れると思うんだけどね。で、レメロンは長期間効く薬らしいので、もし朝になってもまだ眠いようだったら止めてくださいってことだった。まーそりゃ、止めるのは構わないけど、そうしたら食欲増進の方はどうなるんだろうね、と思ったが、何も言わなかった(笑)

歯科の方は相変わらず。精神科と併せて2週間に1度にしても、ほとんど変化が無いので「変わりません」というほかなく、まー、次は1ヶ月後になった。どうせ薬も出てないし、今の自分の状況の報告だけだからね。

しかし、食欲がないってのはホントに楽なんだよね。食べる負担が減るというか。今は食後に薬を飲まなきゃならない関係で、仕方なく牛乳1杯は飲むようにしてるんだけど、薬なんか飲まなきゃいいんだったら、わたしは1日飲み食いしない。身体に悪いのは分かるんだけど、でも身体が「食べるの拒否」を欲してるんだもんなあ。わたしは素直にそれに従ってるだけ。「何か悪い?」って感じなんだけど。。
19:27 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-15 Wed , 2012
「オネェだけじゃないLGBTの人生」を見た
今日の20時から朝日ニュースターでやった「オネェだけじゃないLGBTの人生」って番組を見た。というか、これは今回の題名で、本当は「ニュースの深層」って番組名だったかな?初めて見たんだけど、ヒューマンライツウォッチの土井香苗さんが司会をやってた。

ゲストに出てきた松中さんって人もその人が代表をやっている「グッド・エイジング・エールズ」って団体も初めて知って、へー、こんな活動してる人たちがいるんだ、って思った。まーわたしは最近、あんまり外出てないしね。そういう情報もあんまり集めてないしね。

わたしの知らない団体は多分、たくさんあるんだろうけど、いい傾向だ(笑)日本にも性的少数者がいろんな団体作って、いろんなことやればいいのにって思ってるからさ。今はそれぞれ「点」でしかないかも知れないけど、それがいつしか「面」になって、全体的に底上げされるのを期待しているんだけどね(って偉そう(^^;)。

番組自体は可もなく不可もなく、って感じだったかな。押さえるべきところはちゃんと押さえてると思ったし、それこそ「オネエ」しか知らないような人たちにとっては分かりやすい番組だったんじゃないかなと思う。

内容としては「昨日はバレンタインデーでしたねー」という話から始まり、「バレンタインデーにチョコをあげるのは男性から女性、女性から男性と思われているけれど、男性から男性へ、女性から女性へ、という場合もありうる。愛の形は一つだけじゃないんですよね」と話を同性愛に持って行く、という形だった。それからゲストの説明。ゲストの松中さんって人はゲイなのだが、いつゲイだと気が付いたか、とか。松中さんの場合、小学校高学年の頃から周囲が異性のことについて話しているのに、男性につい目が向いてしまう自分に「あれ?」と思い始め、「でもいつかは治るだろう」と中学、高校にかけて考えていたのに治らず、大学に入ったときに「観念」したそうだ。ゲイ雑誌を見て「自分と同じような人がいる」ということも知ったらしい。ただ、松中さんの場合は、自分がゲイであるということについてはそんなに悩まなかった、ということで、でも、中には自殺を考えるほど悩む人もいる、という話もしていた。

その後は「LGBT」って何?という話。ここでは身体の性と心の性、という表現の仕方をしていた。Lはレズビアンで身体の性は女性、心の性も女性だが、恋愛対象が女性の人のこと。Gはゲイで身体の性は男性、心の性も男性だが、恋愛対象が男の人のこと。Bはバイセクシャルで、身体の性は女性、心の性は女性で、恋愛対象は男女両方、または身体の性が男性、心の性は男性で、恋愛対象は両方の人、Tはトランスジェンダーで、身体の性と心の性が不一致な人、つまり女性の身体に生まれつつ、心が男性、男性の身体に生まれつつ、心が女性、そういう説明の仕方だったかな。

そして今、テレビに出ているいわゆる「オネエタレント」の人は、例えばマツコデラックスさんなどはおそらくゲイで、女装(特に女になりたいわけじゃなく、女の格好をしたいだけ)をしたい人であろう(本人に確認したので本当のところは分からないけど、という註釈付き)、逆にはるな愛さんは、男性の身体で生まれて女性になりたいというトランスジェンダーで、「オネエ」と一括りにされているけれど、ゲイとトランスジェンダーが入り交じった状態なのだと。

ただ、ゲイはすべてがオネエではなく、例えば同じ職場の同僚の中にもLGBTが含まれている可能性がある。ある会社が「あなたはセクシャルマイノリティですか?」というアンケートを取ったところ「そうである」と答えた人が全体の5%~8%いたそうだ(でもこれって、すごーくカミングアウトしやすい会社じゃないとこういう結果は出て来ないとわたしは思うんだけどね。これはおそらく外資系の会社か、LGBT先進国の会社のアンケートの結果じゃないかな。今の日本で同じアンケートを取っても、こんなに高確率でLGBTであると答える人はいないと思う)。松中さんは会社の一部で自分はゲイであると言うことをカミングアウトしているそうだが、LGBTにとって就職活動というのは、一つのハードルになっている。自分を異性愛者と偽って会社に入るという手もある(同性愛者の場合)が、自分を偽りたくない人の場合、どうやって自分のことを説明するのか。また、トランスジェンダーの人は、自分の戸籍上の性別と違う格好で就職活動をしたいけれど、そのとき、会社の人から不審な目で見られないだろうかと脅える場合がある。

外資系の会社の場合、例えば日本IBMなどは、会社を挙げてダイバーシティー(多様性)を認めているので、面接官に本当のことを言っても、彼らは訓練を受けているので、当事者が傷つかない対応をしてくれると思うが、日本の会社ではまだまだだろう、とのことだった。ただ、日本でもソフトバンクはゲイフレンドリーで、同居している同性同士の人であれば、家族割りが使えるとか、そういう話もしていた。

また、松中さんは広告代理店に勤めているそうだが、ある日本の車会社と一緒に仕事をしたとき、それまで男性だと思っていた人が、あるとき「これからは女性として見て下さい」と言われて、びっくり仰天したそうだ。そのときは松中さんは自分がゲイであることは認識していたが、まだ周囲にカミングアウトしていなかったときの話で、その社風を羨ましく思い、本気でその会社に転職しようかと思った、と言っていた。

会社全体の5%~8%いる、ということは、チームで仕事をしていた場合はもしかしたら、一人や二人、LGBTの人がいるかも知れない状況なのに、周囲はそれを知らない状況なので、言った本人は冗談かも知れないが、当事者にとっては全く笑うことの出来ないことも起こる、という話の中で、具体的に、ある会社の役員会だったかな、会議で禁煙をした人に対する嫌がらせ(?)で、わざとその人の前にメンソールの細い煙草を本人の目の前に置いておいたら、その人は「自分はこんなオカマの吸うような煙草は吸わない」と言い、実際、その会議の場にはゲイもレズビアンもいたので、周囲が凍り付いた、という話をしていた。でもこれって、見ながら彼女と話してたんだけど、どっちもどっちだよね、って(笑)確かにゲイを揶揄するような言葉遣いはどうかと思うが、それ以前に禁煙している人に対して嫌がらせするってのはねー(苦笑)

松中さんはそれまで全くのクローゼットだったが、カミングアウトしようと思ったきっかけは、会社の研修でアメリカのニューヨークに半年ほど行っていたとき、ゲイコミュニティーを見たり、周囲の人の中に自然とLGBTの人が溶け込んでいる雰囲気を自由に感じ、それで日本に帰ってきてから「グッド・エイジング・エールズ」を仲間と一緒に立ち上げた、ということだった。そして、そのときは両親にはカミングアウトしていなかったんだけど、あるとき父親が定年退職し、その後PCを買って、いろいろ検索している、ということを兄弟から知らされ(松中さんは3人兄弟の真ん中で、そのときは兄と弟にはカミングアウトしていたらしい)、これは早晩検索で自分のことがばれてしまう、そこでばれてしまうまえに自分から両親に直接カミングアウトしようと思って、正月帰省したときに自分で両親にカミングアウトした、とのことだった。

そのときの両親の反応は、父親は微妙な感じだったが、母親がすぐに受け入れてくれ、その場では松中さんの過去の恋人の話になったり、今まで聞いたことがなかった父親と母親との出会いなどの話になり、すごく楽しかった、と言っていた。ただその母親もお酒に酔ったときにポロッと「もしかして、小さい頃、叩いたことが原因で女の人が嫌いになったの?」と言われ、松中さんはそれを「全然そういうことじゃないから」と否定したって言ってたな。やはり今の日本ではどうしても子育ては母親が中心だから、母親が責任を感じちゃうんだろうなー。

その立ち上げた「グッド・エイジング・エールズ」は、性的少数者フレンドリーな老人ホームというか、お年寄りが暮らす場所を作りたいと考えているそうで、特に異性愛、同性愛、その他関係なく、独り身の人であったりした人でもOKな場所にしたいってことだった。そういう話を両親にしたら、父親があるとき「自分もそこに入っていいか」というメールを松中さんによこしたが、松中さん自身は仕事で忙しく、1週間くらい返事をしなかったら、母親から「お父さんが毎日メールボックスを覗いています」というメールが来たそうで、そのときはメールをせず、急いで電話を掛けたって言ってた。

「結婚は男女だけのもの」と今の日本では思われているが、欧米の先進国を中心に同性同士が結婚できる(同性婚)国もあり、その説明とか、あと結婚までは至らないけれど、同性同士のパートナーシップ制度を作っている国の説明とか、同性同士の関係でも法的に保障されている国がある、という話をしていた。

あとはグッド・エイジング・エールズでは、将来的に年寄りが集まって暮らす場所のことだけを考えているんじゃなく、去年の夏は葉山で土日のみ「カラフルカフェ」というLGBTが中心となったカフェで、LGBTフレンドリーの人なら誰でも来てね、というカフェをやったんだとか。ご近所さんのふれあいとか、あと、異性愛者のミュージシャンがそこでコンサートを開いたりとか、やっていたときは「土日しかない会社の休みをすべてカフェに使ってクタクタ状態」で「もうこんな大変なことはやらない」と思ったそうだが、喉元過ぎればなんとやらで、あの楽しさが忘れられず、おそらく今年も開催する、とのことだった。その「カラフルカフェ」のスポンサーはアルファロメオで、やってる期間、車を貸してくれたし、ぶつけて壊しちゃった修理代も全部持ってくれたって言ってたな(笑)

それから、日本にもいろんなLGBTの活動がありますよ、ってことで先月、1月15日に世田谷区でやった「LGBT成人式」のことが紹介されていた。世田谷区長を初め、区議の人もたくさん来てくれた中で、350人ほどのLGBTが集まり、その中で成人を迎えた人が「LGBTとして強く生きていく」ことを宣言したりしたってことだった。まぁLGBT成人式については、わたしも事前に知っていたし、知り合いも何人か行って、非常に感激して帰ってきたそうなので(LGBT成人式と言えども、対象は今年の新成人だけではなく、すべての成人対象だった。というのは、自分の成人式にどうしても出たくない、と考えて出なかったLGBTの成人が多いからだ。トランスジェンダーの人はそれが顕著で、例えば身体が男性であっても「振り袖を着て出席したい」と思う人だっているわけだが、実際の成人式でそれができるかというと、すごく難しい。だから自分の成人式は出なかった、という人も結構いる)、きっといい式だったんだろうなと思ってるし、ここまでやった早稲田大学のRe:Bitさん、すごいというか、きっとここまで来るにはとても大変な道のりだっただろうけど、よくやり遂げたと思ってるんだけどね。ただ、来年からはどうするんだろうと思ってたり。今年だけのイベントなのかな、これ。

そして最後に「日本のLGBTの人たちは全部でどのくらいいると思いますか?」の問いに「そんなん、全体が見えなきゃ割合なんか分かるわけないだろ、くだらん質問するな」とわたしは言いたいところだったが(笑)、松中さんは「存在的にはおそらくやはり5~8%くらいいるだろう。自分は自分がカミングアウトしているので、周囲にもカミングアウトしている人は多いけれど、日本全体で言うとまだまだ全然カミングアウト出来ない状況、多分、カミングアウトしている人は1割くらいしかいないんじゃないか」と答えていた。もちろん「カミングアウトすることが決していいということではないけれども」とも付け加えていた。そして「日本でもっとカミングアウトできるようになるにはどうすればいいか」という質問に対しては「おそらく法的な整備、同性婚までは無理かも知れないが、パートナーシップ制度の確立、といったものが必要だろう」と。それから日本の会社に対してはそういう「前例」はないかも知れないが、社員の中には必ず存在しているのだから、そういう人を意識した対応をして欲しい、と答えていた。

まぁ、だいたいわたしの記憶しているところではこんなところかな。番組全体で言うと、だいたいのことは網羅していると思う。そういう点で番組自体は「可もなく不可もなく」って感じ、とわたしは思った。

ただねー、やっぱりわたしはそこから漏れてしまう人たちのことをつい、考えてしまうんだよね。

トランスジェンダーでも、必ずしも反対の性になりたいって思ってる人ばかりじゃないとか(どちらの性にもなりたくない人、どちらの性かよく分からない人もいる;一般にXジェンダーと呼ばれる)、トランスジェンダーの中にもゲイやレズビアン、バイセクシャルがいる、とか、あとはあんまり恋愛はしたいって考えてない人、とかね、恋愛するけど性交渉はしたくないと思ってる人とかね。あと逆にどういう人たちも全部恋愛対象(両性愛者は「男」と「女」に惹かれるけど、どちらの性にもなりたくない人とか「男」「女」という枠に囚われない人にも惹かれる、という意味)の人、とかね。

LGBTを語るとき「愛にはいろんな形がある」ってよく言われるけど、でも中には愛のない人だっているわけで、だからわたしは最近「愛することは素晴らしい」とは手放しで言えなくなった。確かに人を愛することは素晴らしいけど、そうじゃなくったって素晴らしい、って、人を愛することだけがすべてじゃない、言うならそう言おうと思ってる。

だってわたしらは散々世間から「いないもの」にされてきたんだもん。いや、今だって「いないもの」にされている。けど、それでもLGBTの中では多数派だから、LGBTを語るときはまず無視されない。けど、そのLGBTを語っているときでもそれでもまだ「いないもの」にされてる人たちがいる、そういう人たちはどう思うだろうってさ、そう思っちゃうんだよね。

ただ、そういうことを言い出すときりがない、というのはある。何も知らない人からすると、余計頭が混乱してしまうかも知れない。性別は男で、でも女性になりたくて、でも女性が好きってどういうこと?とか。

でもだからといって「いないもの」にされる人がいていいんだろうか、と思う。

あと「身体の性」「心の性」という言い方、確かに分かりやすい表現なんだけれど、「心の性」って結局なんなんだろう?って今わたしは思ってるんだよね。「男になりたい」というのと「男らしくなりたい」というのは「心の性」と表現すると一致してしまう、ような気がする。でも厳密に言うと違うわけだよね。中には「男にはなりたくないけど、男らしくなりたい」って人だっているし、その逆の「女にはなりたくないけど、女らしくなりたい」って人だっているわけで。わたしなんかは「自分は女と思ってるけど、別に男らしくも女らしくもなりたくない」って思ってるわけだし「自分は男と思ってて、でも女らしくなりたい」って知り合いもいる。こういうのって厳密に言えばトランスジェンダーには入らない。けど、そういう人を呼び表わす言葉がない。性別違和があるわけじゃないからXジェンダーでもない。

そう考えると「心の性」という言い方は微妙だよなって思う。かといって、他に分かりやすい言葉があるかというと、それは難しいんだよね。。まず「性別違和」があるかないか。それによってトランスジェンダーかそうでないかが決まるだろう。そして「なりたい」のか「らしくなりたい」のか。トランスジェンダーはその両方を含むことになる。性同一性障害はどっちかというとそのうちの「なりたい」になるのかな、今は。ただ、性同一性障害も将来的には概念がどんどん変わってくるみたいなので、もしかしたらいつかは「トランスジェンダー」=「性同一性障害」になるかも知れないけど、でも「性同一性障害」って病名を付けられることにもなるから、嫌がる人もたくさんいるだろうね。なんて、ホント、トランスジェンダーはとても難しいのだ。人の数だけトランスジェンダーがある、って思った方がいいようにわたしは思ってるんだけどね。それから性別違和のないわたしみたいなのはこういう括りでは何とも言えない存在になる。

あ、別にこれは番組を批判しているわけじゃないよ。あれはあれでよかったと思うし、ただわたしの感覚はそうなんだよね。

それと、なんかかなり就職活動とか、ちゃんと就職してる人がいる団体って感じだったので、わたしのような40代にもなってまだ病気でふらふらしてる人間からすると、ちょっと接しにくいかなぁという感じが(苦笑)接しにくい、というか接点がない、というかね。

まー、そんなことを思ったのでした。これがCSの番組じゃなくて、地上波(ってもう言わないんだっけ?地デジ?)の番組だったら、もっとたくさんの人が見られたんだろうなーと思うと惜しい。オネエだけがゲイじゃないし、ゲイはオネエだけでもない。あとレズビアンとかバイセクシャルとか他の性的少数者ももっと出てくればいいのになーって思うんだけど、今の日本じゃまだまだ出てこない。出てこないんじゃなくて「出てこられない」んだろうけどね。「いない」って思われてるからさ。

それがちょっと悔しいね。
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02-17 Fri , 2012
読んだよ
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少し前「ブックマーク整理」という題の日記を書いてから、同じ職場で亡くなってしまった人からもらったメールを読んでいた。そのとき彼からもらった最後のメールの最後の最後に

> 昨年東京で行われたLGパレードの報告本がでました。僕の拙い文章も載ってるのでもし見掛けたら笑ってね

って書いてあるのを初めて発見。「報告本って?」と早速Amazonで調べたら、おそらくこの本だろうということで早速入手。届いたので読む。

どきどきしながら読んだんだけど、果たして彼の文章は載っていた。読んだよ、Mさん。あれから11年後にね。笑わなかったよ。でも泣きもしなかったよ。

あの当時、LGパレードと言われてもなんのことやら分からなかったわたし。その6年後からまさか自分がパレードに参加するとは思ってもみなかったな。

Mさん。あなたがもしずっと生き続けていたら、わたしの人生変わってたかな。仕事は辞めないで、Mさんと一緒に活動し、彼女を自分のところへ呼び寄せてたかな。そんなことを思ってるよ。。

【追記】LGパレードとは「レズビアン&ゲイパレード」のことで、2006年までは東京で行なわれていたパレードはこのような名称でした。2007年から「プライドパレード」に名称変更しています。
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02-23 Thu , 2012
カウンセリング
今日は3週間ぶりのカウンセリングだった。
3週間前は「こんなに長い時間待てるだろうか」と思ってたんだけれど、実際過ぎればあっという間だった。

と言うのは、わたしはここ最近、勉強と本とあと新聞ばかり読んでいて、それであっという間に1日が過ぎちゃうからだ。おかげで法哲学の教科書は読み終えてこれからレポートを書く段階に入ったし、国際法の教科書の読み直しもあともう少しで終わるから、これもレポートを書ける。刑法(総論)は、「たのしい刑法」を読んでるんだけど、ちんぷんかんぷん。。ただ、これを読み終えないと教科書に行けないので、毎日少しずつでも読んでいる。来週は法哲学と国際法のレポートを書きに図書館に通う予定。まぁ毎日通うのは疲れるから、2日に1回か3日に1回にして、あとは家でまた本や教科書を読んで過ごそうかと。そして新たに民法1と国際私法を始めるつもり。

なんてことをしてたら、あっという間に3週間が過ぎたのだ。

で、今日「この3週間にどんなことを考えましたか」と聞かれたのだが、なんかよく分かんないんだけど、「そのもの自体」を考えるのは嫌だったんで考えないことにしてたのだが、問題の解決方法だけはなぜかよく分かんないけど考えつき、それから少し自分の精神の負担が減ることも考えて、精神の負担が減る方法の方は実行しかけてる。問題解決方法の方は、少し問題があるので、カウンセリングを行ないながら、できるようになったらやろうかなと思ってる、と話した。っていうか、これってカウンセリング効果とは言えないと思うのだが?でも今まで散々考えてきてずっと解決方法が分からなかったのに、突然この3週間の間にいろいろ思い付くって、どういうことなんだろう?

ってわけで、そういうことを話したり、あとは全く関係ないというか、関係ないわけでもないんだけど、わたしはどうも「息抜き」というものができない。息抜きとか気分転換をすれば、全体的に見ると効率がいいように思われるのに、どうしても息抜きの時間がもったいなくてずっと本を読んでたり勉強してたりってことになってしまう。そしてすんごい焦るんだよね。「あー、あれやんなきゃ、これやんなきゃ」って。

「どうすれば息抜きが出来るようになるんですかねー。昔はこんな性格ではなかったんですけど」という話もしてきた。まー結局、こういうことと、この3週間で決めたこととかやってることについて話したりしてたら、カウンセリングの時間のほとんどはわたしがずっとベラベラしゃべってる状況だった(汗)

だけど、このわたしの「息抜きが出来ない」というのと、元々持ってた問題への対処方法というのは、実は一致しているのではないか、との意見をもらい、次週はそれについて考えてみましょう、ってことになった。

まー、これからは1週間に1度の頻度なので、取り敢えずは何も考えず、今週はずっと突っ走るつもり(笑)1週間くらいなら、身体も持つだろう。
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02-24 Fri , 2012
おじいさんと草原の小学校
彼女は毎日家で仕事。わたしは昨日の日記に書いたとおり、一日中家で勉強したり本を読んだりしてる。そして休めない性格をしている。だから意識的に「休みの日」を決めなければ、休めない。

というわけで、今週の火曜日だったか、二人で映画を観に行ってそれから夜はどこかで食べて帰ろう、ってことになった。映画は気分が楽しくなるようなほのぼのした映画がいいね~となったものの、二人の性格からしていわゆる「普通の娯楽映画」は絶対にほのぼのするどころか、文句たらたらになるだろう、ということで、彼女が「名画座」で検索して出てきたのがこの「おじいさんと草原の小学校」という映画だった。題名がすごくほのぼのしているし、映画の中身も「ケニアで初等教育の無料化に伴い、84歳になるおじいさんが文字が読みたい、という理由で学校に通う物語」って書いてあって、なんとなくほのぼのしそうだね、ってことでこれに決めたのだ。ただ、そこに付いていた「PG-12(小学生には助言・指導が必要)」マークがちょっと気になったところではあったけれども。。

見終わって愕然とした。ほのぼのするような内容では全くなかった。

もう正しい部族の名前とか地名とか人の名前なんかは全く忘れてしまったのだけれど、そこにはアフリカ(正確に言えばケニアなんだけど)が植民地時代に支配者からどういう支配をされていたのか、反政府軍(というより、わたしの目には反政府「団」くらいにしか思えなかった)がどんな仕打ちを受けてきたのか、そして現在のケニアの状況。わたしにとっては「アフリカ大陸」というのは今まで学校でもそんなに教わってこなかったし(不自然にまっすぐな国境線は列強の勝手な思惑で決められた、ことくらいは知ってたけど)イメージ的には「難民がたくさんいて特に子どもの食糧やワクチンが足りない。たった○円で子どもが何日食べられるとか、1回ワクチンを受けられる」と言った「寄付」関係のものが大半で、「歴史」についてしかもその「歴史」というのは、たった数十年前、そしてそれが今、まさに続いていることなんか考えもしてなかった。

映画の内容。上にも書いたとおり、部族の名前等は覚えきれなかったし、内容についてはわたしの誤解も多々あるかも知れないけれど。

2003年にケニア政府は「初等教育の無料化」を打ち出した。「出生証明書を持ってこい」という政府に対してどっと押し寄せる子供を持つ国民達。定員50名のところ、200人もの生徒が集まって、小学校が作られる。そこに84歳になるという老人が学校に現われ、授業を受けたい、と言う。「学校はただでさえ子どもでいっぱいなのだから、老人には受けさせられない」「学校は子供たちのものだ」「学校に来るためにはノートと鉛筆がいるのだ」「学校には制服を着てこなければならない」そんな理由で毎日毎日拒否される。

しかしあるとき、そこの学校の校長(女性)が「なぜそこまでして学校に来たいのか」を問う。老人は「文字が読めるようになりたいのだ」と答える。老人には以前、とあるところ(実は大統領政府なのだが、彼は字が読めないので分からない)から一通の手紙が来ており、その内容を読みたいのだ、ということが映画の中で示される。老人は断わられる度にノートと鉛筆を用意し、学校の制服も買い、そして校長の独断で「学校に来て勉強してもいい」という許可を受け、勉強を始める。毎日学校へ通う姿を近所の人が見て冷やかす。それでもアルファベットの「a」から、数字の「1」から教わる老人。

そういう「現在」と、この老人が若いときに経験した「過去」の回想が交互に出てきて、映画の中では何も言わなくてもこの老人は若い頃「マウマウ」と呼ばれた反政府「団」に誓いを立て、そして白人(イギリス人)の家を襲撃し、その罪によって政府に捉えられ、目の前で奥さんと子どもを殺され、自身は囚人として収容所で逆さ吊りなどあらゆる拷問に掛けられ、マウマウの誓いを破棄するよう求められた過去を持つことが明らかにされていく。

特に奥さんと子どもを殺されるシーンは残虐としか言いようがない。支配層であるイギリス人が政府に協力しているある部族(赤い帽子を被っている)に命じて、必死で2人の子どもを離すまいとする奥さんから子どもを引き離し、夫がマウマウであることを言えと言われるが無言で拒否すると、こめかみに銃口が向けられ一発で殺される。そのそばで泣きわめいている子どもも同じく銃で殺される。それを目の前で若い頃の老人が見ていて、気が狂わんばかりに叫ぶ。

わたしは無知で全く知らなかったんだけど、現地の統治の仕方は帝国がそのまま支配するのではなく、現地のある選ばれた部族が支配層の帝国に優遇されて統治していたのだよね。帝国は自らの手を汚さない。部族と部族が憎み、争うように仕向ける。人間ってなんて卑劣なことができる存在なんだろう、そのことがわたしの頭の中を離れない。

校長は老人が教育を受けることを許可する一方、あれはどういう位置の人なのか、校長より上の存在なのか、よく分からないんだけど、老人が学校に来ることを強硬に反対する男性がいる。「あの老人は元マウマウだ」「マウマウは危険だ」と言い、そしてことあるごとに校長に「老人を学校の中に入れるな」と言う。しかし「学校は子どもだけが通っていいとは言われていない」「今は部族と部族が対立する時代ではない、みんな一つのケニアなのだ」とつっぱねる校長。老人もその男性は過去に拷問を受けた部族であることから「ヤツなんかの授業は受けたくない」と厳しい口調で言う。

校長はあるとき、老人が手首に数字が刻印されている金属のリングがはめられていることを発見し、聞く。「自分は昔、囚人だったんだ」と老人は答える。

そしてなぜか84歳で小学校に通う老人がいる、ということを世界中が知り、老人に世界中の記者が殺到する。老人は「ペンは力だ」と答える。そのことで一躍世界中に有名になると、ケニア政府自体はそれを喜ばしいことと歓迎し、あらゆるところに老人の顔写真と「ペンは力だ」という老人の言葉を載せた「看板」を立てる。

しかしそういう中でも学校の中ではまだ老人を排除する動きがある。それと同時に老人が記者に取りあげられたことに対して校長が何らかの「袖の下」をもらったのではないか、という声も上がり、校長が自宅にいるときに「今、お前は家の外にいるだろう。いつも見張っているぞ」という携帯電話がかかってきたり、少し離れたナイロビで単身仕事をしている夫に対しても「お前の奥さんはお前がいないときに浮気をしている」などという電話がかかってきたりして、校長を混乱に招き入れようとする。

老人を学校から排除する動きに対して、仕方なく校長は老人には授業を受けさせないことにする。が、その代わり「自分の助手」となってもらうことにする。

一方、最初は一人だったおじいさんはそのうち生徒らとも仲良くなり、おじいさんは子どもに「自由が一番大切なんだ」ということを教えたりする。おじいさんの隣の席に座る子どもはどうしても数字の「5」が覚えられず「授業に付いてこられない生徒は放り出せ」と言われているのを聞き、他の生徒に暴力をふるったり(それはおじいさんが止めた)暗い目をして一人ぽつんといたりするんだけど、あるときおじいさんが「やせっぽちさんにふとっちょさん、その上に帽子を被せてそれが『5』だ」と、おじいさんが突いている杖で「5」の書き方を教える。その子に杖で「書いて見ろ」というおじいさん。子どもはその歌を歌いながら「5」の字を何回も書く。子どもは笑みを浮かべる。

学校に老人を居続けさせることをよしと思わない勢力はついに校長を「転任」させることにする。その地からさらに何百キロも離れたところの学校に赴任させようとする。校長の夫は「今でも離れたところに暮らしているのに」と不満を言うが、校長は「わたしは赴任する。わたしは絶対に辞めない。今でも離れているのだから、それが何キロ離れようと一緒だ」と言い切る。

校長は事前に老人の家を訪ね学校を去ることになった、と告げる。老人は校長に対して「あなたはどこの部族ですか」と聞く。校長が部族名を答えると「湖の部族か。。(ああ、ここでなに言ったのかもう忘れちゃったよ)」と言う。

学校では校長のお別れ会が開かれ、みんなさまざまな贈り物をして校長と別れる。が、新しい校長が赴任してくるとき、その校長や校長を迎えようとして学校の外に出ていった「前校長反対派」の男性に対して、その「5」を書けなかった男の子が学校の校門に鍵を掛け、新しい校長やその男性を学校の中に入れるのを拒否し、そして学校の中から「ジェーン先生(前の校長の名前)を返せ」とみんなで一斉に石や物を投げつけて抵抗する。新しく赴任してくるはずの校長は「こんな学校では教えられない」とさっさと自動車で引き返してしまう。

一方老人はヤギをお金代わりとし、車に乗ってナイロビに向かう。途中、皮肉にも自分の写真が入っている看板とすれ違う。「議長に会わせてくれ」と老人は受付の人に訴えるが「今会議中です」と言われる。が、老人は勝手に中に入っていく。「今会議中だから困ります」という受付の人を無視し、会議室に入っていく老人。そして会議中の議長の前に立つ。「すぐに外に出しますから」という受付の人に対し「いや、いい」と答える議長。そして老人はおもむろに着ている服を脱ぐ。そして背中を向ける。そこにはムチで打たれたのか、背中にくっきりとした3筋の傷跡が残っている。「自分には足の指も全部切られてなくなった」と言う。「もう見せなくてもいい」という議長に対し「校長を学校に帰して欲しい。どうしても必要な人だ」と議長に訴える。

学校に校長が帰ってくる。喜ぶ子供たち。その子供たちがいなくなったあと、老人は校長に1通の手紙を見せる。「自分はまだ難しくてこの文章が読めない。だから代わりに読んで欲しい」と言う。校長はその手紙に目を通し、そこにいた助手に向かって「読んであげて」と言う。そこにはその老人が囚人として受けた仕打ちに対する政府の「補償金」が受けられることが書いてあった(最初の大統領府からの手紙の内容がこれだった)。それを黙って聞く老人。「これからどうするの?」という校長の問いに「まだまだ学校に通うよ。獣医になりたいんだ」と答える老人。そしてその後、この老人は国連で教育の大切さを訴えたこと、2009年まで生きたことなどが紹介され、映画は終わる。

この映画は実話に基づくフィクションなので、どこが事実の部分でどこがフィクションなのかは分からない。なぜあそこまで老人が学校へ来ることを拒んだ人がいるのか、それがよく分からない。しかし、この映画を作ったのはなんとBBC(英国放送協会)なのだ。わたしはまずそれに驚いた。かつてその地域を残虐な方法で支配していた国でこのような映画が作られる。ある意味、自分の国の「負の歴史」を語っている映画だ。そこにイギリスという国の「深さ」を感じた一方、ではイギリスは自国民に対して、例えば歴史の授業なんかで自国の「負の歴史」についてどのくらい教えているのか、それがものすごく気になった。イギリス人はこの映画を観て、一体どのようなことを思うのだろう?それも気になった。

そして、教育はかつての支配国であった「英語」が教えられる。そうしないと部族間の言葉では部族外へは通じない。この映画では頻繁に老人と同じ部族に対しては老人は部族語でしゃべる一方、校長など部族が違う人たちに対しては英語で話す、という場面が見られた。英語じゃないと通じないのだ。かつての「支配国」(宗主国?)について、現代に生きるケニア人がどう思っているのか、それはこの映画からは分からない。憎しみは「支配国」自体より、支配国に支持されたある部族の方に向けられているのではないかと感じる。だけど独立して「ケニア」となった以上、部族対立はなくして、すべて「ケニア人」として生きていかなければならない。

わたしは今まで国際法の「民族自決の権利」は崇高な理念だと思っていた。もちろんそれが当てはまる国もあるだろう。けど、民族自決の権利など薄っぺらい、美辞麗句に過ぎない国も存在するんだ、ってことを知って、なんて言っていいのか分からないくらい複雑な思いを抱いている。

そして首都ナイロビと老人の住む地域(どのくらい離れているのかは分からないが、車で数時間くらいだと思われる)の生活の違い。携帯電話を使う人がいる一方、電気さえない掘っ立て小屋みたいなところで住む人たちもいる。その格差。

だが、なぜかわたしは映画を観てケニア全土がナイロビみたいになればいいとはあまり思わないのだ。ナイロビみたいになることがすべてのケニア人にとって幸せかというと、なんだかそうは思えないのだ。それはあの映画で醸し出されるアフリカ特有の雰囲気、例えばすぐに踊り出したり歌い出したり、、そういう光景を見ると、あの人達は、ああいう風に生きていくのが幸せなんじゃないか、そう思えてしまうのだ。

ただもちろん教育は必要だ。教育を受けて、国民がある一定のレベルに達したとき、あの国はどうなるんだろうな、そんなことを思った。

この映画、PG-12な理由が分かったよ。だけど小学生が実際観たとして、理解できるとは到底思えないが。

そして映画を見終わったあと「こんな内容だったら、あんなにほのぼのとした映画の題名を付けるなよー」と文句を言いつつも、その後入った喫茶店であれこれ話したわたしたち。彼女は実際、この老人のモデルとなった人が国連で話したことがニュースになったのをなんとなく覚えていた、という。結局わたしたちにはこういう映画が似合っているのかも知れない。

それでもわたしに「こういう世界がある」と知らせてくれたこの映画。どうしても日常を生きていると自分の身の回りのことしか考えが及ばなくなってくる。そういうものを打ちのめしてくれた映画だった。
12:53 | (一般)映画・演劇のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-27 Mon , 2012
病院の日
今日は病院の日。

2週間前に比べて、というか、2週間前の診察でレメロンという抗うつ剤が食欲増進の目的で出てから、飲み始めて3日後にわたしは突然眠れなくなった。最初はホント、一睡も出来なかった。今は寝られるけど3時間で起きて、その後はうとうとして寝てるんだか起きてるんだかよく分からない。「あ、今夢見てたから寝てたんだな」くらいの認識で、寝ている意識は全くない。しかも、変な夢を見て起きてしまう。人を殺した夢とか、財布が盗まれた夢とか。。それでハッとして目が醒めて、すごく嫌な気分がする。

食欲はそれなりに戻ってきたし、取り敢えず眠れない方がすごくつらいので、レメロンは1週間も飲まないうちに中断した。でもおかしいんだよね。レメロンって副作用として異様に眠くなるっていうのはあるけど、眠れない、なんてのは聞いたことがない。今日、そのことを話したら、主治医も不思議がっていた。

「食べられるようになったのはよかった」と言われたので、「それより眠れない方がつらいんです!!」と言ってきた。食欲がないとうつ病を引き起こす、とは言われたけど、眠れないのは引き起こさないのかしら。。?だからといって、眠れない方がホント、よっぽどつらいんだけどね。

で、レメロンは中止。セロクエルが1錠から2錠に増えた。けど、これも「朝になっても眠くて起きられないようだったら、半錠にするなどして量を調節して下さい」と。わたしの場合、予期せぬ副作用が出るので、主治医も薬を出しにくいらしい。というか、飲んだあと自分で判断しろってことよね。

こういう感じで最近は主治医が一方的に薬を出してわたしが飲む、という感じではなく、相談しながら薬を決めていくという感じ。まぁ、睡眠剤とか食欲に関する薬とか、そういう系統に限られてるけど。抗うつ剤の部分はもうずっとおなじままだ。いつまで飲まなきゃいけないんだろうとは思うけど、その点についてはわたしも触れない。だいたい睡眠と食欲がおかしいってことは、まだ何かあるんだろうから、それが落ちついて数ヶ月しないと抗うつ剤が変更になったりすることはないんだろうというのがわたしの考え。一時は薬飲むのがめんどくさくて、早く抗うつ剤を減らしたいと思ったものだったが(とはいえ、今飲んでる抗うつ剤はアモキサンだけ。あとは抑肝散という漢方薬)今は根本的に治療して治そうという気になっているので、そんなに焦ってない。

歯科の方は今日はなし。だいたい診察してもこちらが一方的に「こういう状態です」というだけで、薬も出るわけじゃないので、1ヶ月に1度くらいのペースの診断ってことになった。まーこっちの病気はもう治らないと思ってるので、いつまで通うんだろうね、といった感じでいる、今は。
20:40 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-29 Wed , 2012
なるほど
先日、うちのホントに近所、自転車で15分のところでちょっとしたイベントがあり、その中に「セクシャルマイノリティ」に関する講義がある、というので行ってきた。

それは性的少数者以外の人に向けての話だったんだけど、始めに性的少数者について「知る」ってことで、セクシャルマイノリティとはどういう人のことか、という話だった。

それによると人の性を「性別」「性自認」「性表現」「性的指向」の4つに分けて、それぞれ男寄り、女寄り、という風にグラデーションになっている、とのことだった。なるほど、確かに今までは「性別」と「性自認」と「性的指向」でしか考えないと、わたしみたいに「ジェンダーがどちらとも言えない」って思ってる人はどうなるんだろう?どう表現すればいいんだろう?って疑問が湧いてくるけど、「性表現」という「自分は男らしくなりたいか、女らしくなりたいか」というものを加えると「あー、わたしはそのどちらでもないのね」ってことになる。

ふーん、そういう分け方もあるのか。ってなんだかすごく感心してしまった。

そして、そのどれにも当てはまらない人、決めたくない人、決められない人などがいるってことで、ちゃんとXジェンダーやAセク、DSDの人の説明もしてたので、こういう説明なら多分ほとんどの人を網羅しているんだろうなと思った。

ただ、例えばFtMとかMtFとかXジェンダーとかっていう「専門用語」は一切使ってなかった。まーただでさえ「性別が男で性自認が女で性表現が男で性的指向が女だったら?」などと考えると頭がごっちゃになるので(この場合は男っぽいMtFレズビアンってことになるだろう)、そこは敢えてそういう用語を使うのは避けたんだろうけどね。

でもそうは言ってもわたしみたいにある程度知っている人間だと「なるほど。そういう説明の仕方があるのか」と思えるけど、初めて聞く人はどうかな~、とは思った。このことを話した講師が聞く人に対してどの程度の理解を求めているかはよく分からなかったんだけどね。その後には性的少数者の自殺率が高いとかそういう話が続いたので「いろんな人がいるんだな」って思ってもらえればよかったのかも知れない。

まーわたしは、今までちょっとどういう風に自分を表現すればいいのか分からなかったので、なんだか疑問が解けたようで、少し嬉しかったんだけどね。ってカテゴリーに入りたがっているわけじゃないけど、やっぱり「自分ってどういう人間なんだろ?」ってつい、思っちゃうからね。。
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