01-02 Mon , 2012
猫・1年
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うちの猫、高尾をペットショップで購入したのは1年前の今日。

来た当初は「わけ分かんない」って思ってたけど、ここに来て、この猫の性格などがだいぶはっきりとしてきた。

【性格】
●甘えん坊
●食いしん坊
●物怖じしない

【好きなもの、好きなこと】
●緑のネズミちゃん(友達がうちに来たときにお土産に持ってきてくれたネズミのオモチャ。一回しっぽが取れて繕ったほどなんだけど、今でもオモチャの中では一番好き)
●耳かきの「綿毛」の部分(カジカジする)
●使用済みティッシュ(ゴミ箱に捨ててあるわたしの鼻水のついたティッシュをカジカジする)
●トイレ、台所、お風呂の水が流れるのを見ること
●わたしの膝の上(今も膝の上で寝てる)

わたしが餌係、彼女がトイレ係なんだけど、たまーにわたしが自分のために台所に立つと(人間の食事全般は全部彼女にやってもらってます(^^;)猫は自分の餌だと誤解して、眼をキラキラさせてやってくる。その姿はとってもかわいいんだけどねー、すごく困るんだよね(笑)

とにかく1日でも長く一緒にいたい、そう思いながら毎日暮らしてます。


【画像左】うちに来た翌日の高尾
【画像右】今日の高尾
18:25 | 二人と猫のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-13 Fri , 2012
世界は自分中心に回ってない
彼女は文系、わたしは理系。共に大学院修士課程を修了してるんだけど、文系と理系ってこうも違うのね、って話を夕食時からさっきまで延々と話してた(^^;

まー、文系も理系もいろんな人、いろんな大学があるから一概には言えないとは思うんだけど、それにしても大学のシステムから卒論、修論に至るまであまりにも違ってたので、唖然とした。

何事も自分の経験したことが「これが標準だ」って思っちゃいけないのね~。ま、同じ理系でも大学によっていろいろあるけどね。

自分が経験したことは、確かに自分が経験したことなんだけれども、それだけじゃない、全然別の世界があるんだって、再認識したよ。多分それは大学だけの話じゃなくて、この世の中、すべてにおそらく言えることなんだよね。

わたしは今まで生きてきた中で感じたことを話す(書く)。それは自分の中で経験して考えた結果だから、ある程度自信は持っている。けど、それが唯一で正しいわけではない、という考えも同時に常に持っておかねばならないんだなと思った。
21:53 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-14 Sat , 2012
「"私"を生きる」を観てきた
今朝、急遽思い立って彼女と一緒にこの映画を観てきた。
この映画をやってる渋谷の「オーディトリウム渋谷」を調べようとぐぐってたら、この作品が「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」の奨励賞を取ったって書いてあったから、あれれんと思ったら、akaboshiさんの「しみじみと歩いてる」と同時に奨励賞を取った作品だった。あら、すごい偶然(?)。

映画の内容は、卒業式の「国歌斉唱」のときに立たなかった教師と同じく卒業式の日にピースリボン(HIV/AIDSのレッドリボンみたいなもので、色が青色)を付けて出席した教師、そして職員会議で教職員が発言することを禁止する通達に対して反対を表明した校長の「生き方」のドキュメンタリー。この校長ってのが、わたしの母校、都立三鷹高校(鷹高)の校長だった人なんだよね。

正直、もう高校を卒業して25年になるが、映ってる校舎や体育館やなんやかやが懐かしくてー。思わず観ながら「懐かしい!」と声をあげそうになってしまった(笑)ただ、下駄箱が当時とは違って蓋が付いてるのになってたな~(って関係ない)。

印象的だったのは、前者の2人が「(自分の信念を曲げたら)自分が自分でなくなる」と全く同じことを言ったこと。そして2人とも都教委から処分を受けたり不当な扱いを受けたりして「自殺」を考えた、ということ。鷹高校長が「(管理職になるために)妥協できるところは少し妥協した」こと。そして「同性愛」という文字が1回、言葉が1回出てきたこと。これにはすごく驚いた。だってまさかこんな言葉が出てくるとは思いもしなかったから。「存在を無視されていない」ということがすごく嬉しかった。

逆に少し気になるところがあった。前者の教師2人は女の人だったのだけれど、子供の話は出てくるのだが、ダンナの話が全く出なかったこと。それに対して鷹高校長は「妻を愛している」と妻のことについて言及したこと。前者2人のダンナは奥さんの行動に対して全然協力しなかったってこと?って思ったし、もしかしたら離婚しちゃったのかなぁとか、そういう「下世話」なことも考えたりして。

気に入らなかったシーン。「世界のお母さんはみんな一緒、同じことを考えてる(多分、みんな自分の子供を愛していると言いたかったんだと思う)」みたいな歌を歌ってるシーンがあったけど、みんな同じなはずないじゃん、って思ったし、そこで「みんな同じ」って語ることは、なら「国歌斉唱」のところで「みんな」同様に立て、と言う人と同じ論理じゃん、って思った。それだったらなぜ「お母さん」はよくて「国歌斉唱」はダメなのか、ということにならないか。

わたしはここのところ「みんな一つ」とか「同じ」とか「普通」とかって言葉にすごく敏感に反応するようになっている。わたしはこれらの言葉は嫌いだ。「多数派が正しい」「多数派の意見に従え」「多数派は普通だ」と「多数派になること」を強制されているような気がする。なぜ一人一人の意見が違っていてはならないんだろうか。「みんな違ってみんないい」(金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」より)は賞賛されるのに、なぜ実際には「みんな一つ」を強制されるのだろうか。そこのところがわたしにはよく分からない。

この映画が終わったあと、監督と出演者3人の挨拶があったんだけど、監督は「この映画が『日の丸・君が代』に反対している映画だと捉えられたならば、この映画は失敗です」と言った。わたしはそうは思わなかった。この映画の出演者3人に共通して言えるのは「自分一人一人の頭で考える」こと「それぞれ違っていてもそれはいいことなんだ」という教育を行なっていること。そして3人ともその自分の考えを貫き通して生きている。「権力」に向かって。特に前者2人はね、すごいなあって思った。強い、という言葉は語弊があるかも知れないんだけれど、強いなあって思ったんだよね。一人はストレスで胃の中の血管から血が吹き出て病院に入院したらしいんだけど、よく精神的に壊れなかったよなって。1回でも精神的に壊れると治すのがすごく大変なことは、うつ病3回やってるんでよく分かってる。だから、精神的な病気にならずに本当によかった、そう思った。

「権力」にもの申すことは大変で、本人もそれを分かっているはず。だけど「もの申さない」と「自分が自分でなくなる」。停職6ヶ月の処分を受けて、それを裁判で訴えた教師は逆に裁判所から「世の中は自分の意に沿わない場合でも妥協して合わせていくのが世情である」と言われたらしい。なんじゃそりゃ。ここでも「多数派が正しい」という論理か。これが裁判所の意見だとすると、こういう裁判所で捌かれるのが怖いよ。「言論の自由」はどこに行ったんだ?憲法で保障されている「言論の自由」よりも「公務員としての職務専念義務」(と言う名の実際は上意下達)の方が尊重されるというのか?わけ分からん。

しかし、一方この映画では「このままこの教育が続いていくとするなら、どんなに怖い将来が待ち受けているか」ということも分かる。都教委は校長を「自分の意のままに操れるロボット」として扱い、各校長は各教員に「自分の意見を言わないように」と強要する。そんな自分の意見も言えない教員が自分が預かっている子供たちに向かって「自分の頭で考えましょう」なんて言うか。すると子供まで「自分の意見など考えず、上の人の言うなりにするのが一番いいことだ(楽だ)」と教わることになる。そうすると、一番上の人が「右向け右」と言ったら、全員が何も考えず右を向くわけだ。背筋がゾーッとする。そういう教育が実際に行なわれている。その子供たちが大人になったとしたら。。日本は再び過去と同じ道を歩むことになるのか。

そのことによって利益を受けるのは誰なのか?「右向け右」で一斉に右を向く国民を作って一体誰が得をするのか。「国民一人一人」ではないことは確かだ。過去の戦争がそのことを十分示しているではないか。そのことをよく考えろ、と言ったって、考える頭がないんだから絶望的だよね。

と、つらつらこの映画を観た感想を書き連ねてきたが、138分あるというこの映画、観る前は「2時間以上あるのかよ」と思ったが、見終わったらそれほど長くは感じなかった。そして当初の予定では1月27日までだったが、今日の人の入りがよかったらしく(ほぼ満席だった)、2月3日まで延長になったらしい。

わたしは退院後は病院か近場に買い物をするくらいしか出かけてなかったんだけど(出かける気力がなかった)、今日は久々にそれ以外のことで出かけることができて、少しだけ前の自分を取り戻せたかな。あとは映画を見終わった感想を喫茶店であれこれ彼女と話せてすごく楽しかった。
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01-15 Sun , 2012
膀胱炎
わたしじゃなくてうちの猫の話だ。

うちの猫、生後5ヶ月のときにたまたま「無料健康診断」を動物病院でやってることを知って受けさせたのね。ホンの軽い気持ちで。そしたら血尿と結晶(ストラバイト)が出てて、そこから今現在まで毎月尿検査で病院通いしてる。

まずは結晶を溶かさないとってことで、療法食って餌を食べさせたんだけど、これがやたらと塩辛くて、その塩辛さで無理矢理猫に水を飲ませて尿のpHを下げ(酸性にする)結晶を溶かすという原理の食べ物なのね。結晶って水飲まない猫に多く発生するらしい。うちの猫も療法食食べさせてる間はよく水を飲むんだけど、元の餌に戻すとほとんど水を飲まないことが分かって、そうするとすぐにまた結晶が出てしまう。

そういう猫はまず獣医さんから「一生療法食を食べさせて下さい」って言われるんだけど、あんなに塩辛いものをずっと食べさせていたら、ただでさえ猫は歳取ってきたら腎不全になりやすいのに、その確率が上がるんじゃないか、と心配に思って「療法食は食べさせたくありません」って言ってきた。これは去年の話だけど。

餌は、結晶の元になるマグネシウムを多く含んでなくて、餌自体のpHが低いものを一生懸命調べて探した。

そして水をどうしたらたくさん飲んでくれるか、ってことで、餌に水(今は寒いからお湯)を混ぜて強制的に飲ませることにした。朝はドライフードに水30cc、昼と夜はドライフードとウエットフードに水40ccを混ぜて。それから午後6時にカッテージチーズのおやつをやるんだけど、それに20ccの水を混ぜて、これだけで餌の水分を含んで1日約160ccの水を飲ませている。

幸いうちの猫はとても食いしん坊で出された餌はペロリと平らげてしまう。好き嫌いが全くない。ときには人間の食べ物を口にしようとしてゴミ袋に顔を突っ込んだり、台所に上がってフライパン(もちろん洗ったあとの)を舐めたりもする困った猫でもあるんだけど。まぁそれでも好き嫌いがある猫に比べると断然扱いやすいわけで。

で、先月は「これだけ飲ませりゃ結晶も出てないだろう」と思って検査を受けさせたら、確かに結晶は出なかったものの、血尿はまだ続いていて、獣医さんから「これは突発性膀胱炎ですね」と言われた。

猫の「突発性膀胱炎」で調べると原因はよく分からないけど多分ストレス、そして治療方法はこれまたよく分からないけどストレスをなくすことって書いてある。でもストレスって言っても、何が猫にとってストレスなんだか、こっちには全然分かんないし、フライパンを舐めたりすることに対して怒ったりするのがいけないのかな、と思ったり、それ以外はあまり思い付かず、途方に暮れたんだけど、取り敢えず猫のトイレをもっと大きいヤツにしてみようってことになった。それまで使ってたのは小さくて深めのトイレだったのね。うちの猫、トイレしたあと砂を掘り掘りするのが好きだと思ってたから。

それが少し浅めの大きいトイレに変えたら、それまで1日3回くらいしかトイレ(おしっこ)に行かなかったのに、突然4、5回に増えた。彼女とは「もしかしてトイレが狭くて今まであんまり行きたくなかったのかな?」って話はしてるけど、本当のところはよく分からないし、それがストレスだったのかもよく分からない。

おそらく今週中、また尿検査をしてくる予定。血尿が治まってくれてるといいんだけど。。
20:36 | 二人と猫のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-16 Mon , 2012
病院の日
今日は約1ヶ月ぶりに病院に行った。

精神科の主治医にはまず早朝覚醒がひどいことと食欲不振なこと、それが起こる原因と思われることを(割と包み隠さず延々と)述べた。ただ、気分自体は全く落ち込むことはなく、逆にやりたいことが次々と出てきている状態なのだが、身体がこんな調子ではやれない、とも言った。

早朝覚醒はねー。ひどいときには1日3時間しか眠れないんだよね。寝つきはいいんだ、ものすごく。ただ、3時間経ったら目が醒めてそこから眠れなくなる。今、なんや知らんが外部に対する刺激に対してものすごく敏感に反応し、それが頭から離れなくなるんだよね。そうすると眠れなくなる。たとえ頓服(睡眠剤)をそこで飲んだとしても、眠気よりも頭の中に占めてることの方が大きくて眠くならないんだよね。「なんか、頭を空っぽにする薬ってないんですかねえ~」と聞いたら「ありません」と笑って答えられちゃった(笑)頭を空っぽにできたら眠れると思うのだが。

食欲不振はよー分からん。朝は食欲がなくてもまあ一応コーヒーとパンを食べてる。昼間は割と健全にお腹が空いて食べるのだが、夜は全く食欲がない。これはまだ普通の状態ね。ひどいときは昼でも夜でも吐き気がして胃がムカムカして食べるどころの騒ぎじゃない。そういうときは市販の胃薬を飲んでたんだけど「それは効きますか?」と言われ「効いてると思います」って答えたら、胃薬が出た。

感覚が過敏なせいでこのような状態になっていると思っているのだが、主治医の考えとしては、まず眠れるようにすることが一番みたい。眠れるようになると感覚が過敏なのも治まってくるだろうと言った。あとは過敏になる元も避けた方がいい、と。ま、そういう方針でやってみることにした。

歯科の主治医の方には「上の歯と下の歯をかみ合わせると違和感があるので、知らないうちに歯を擦り合わせてしまっているので、歯がすり切れていないかどうか心配だ」と言ったら、すぐに今のわたしの歯の状態を見てくれて「今は大丈夫ですよ」と答えてくれた。「無意識のうちに歯を擦り合わせていたら、意識して止めるようにしてみれば」とも言われた。それから今回は割と今までの研究成果(?)を教えてくれて、なんと「むやみやたらといろんな薬を処方しても治る可能性は少ないということが分かりました」と言われた(爆)今まで一体なんだったんだよと言いたかったのだが、まぁそれだけ分かってない病気なんだから仕方がない。これまで以上に精神科と連携をとってやっていくと言っていたが、うつ病との関連性はあまりないと考えているらしい。で、これはわたしが別個にその前に精神科の主治医から聞いたのだけれど、わたしの今回のうつ病は、歯の異常とは関係ないだろうと言われた。ま、わたし、それ以上に抱えてるものがあるからね。

そんなわけで、日々の薬は変わらなかったが、睡眠剤の種類が少し変わった。これで眠れるようになるとすごーく有難いのだが。
20:28 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-19 Thu , 2012
やる気があっても身体がついてかない
ジレンマ持ってます(笑)相変わらず早朝覚醒はひどいしねぇ~。

ところで最近、大学の方の勉強を少しずつやろうかなと思えて来るようになってきて、まずはベッカリーアの「犯罪と刑罰」という本を読み始めた。

この本、一昨年だったかいつだか、スクーリングか支部会か、もう前のことで全然思い出せないんだけど、そこで講師の人から刑法を勉強するんだったら、まずこの本を読めと言われて買ったもの。今の日本の刑法の考え方の元になっている「罪刑法定主義」について初めて発表された本で、当初はフランス革命の25年前に著者は(弾圧されるため)匿名で書かれたものらしい。

わたし、元々民法は興味があったんだけど、刑法はどうも興味が持てなくてね。この本も随分前に買いながら、読む気も起こらなくてずっと放置していたんだけど、つい最近「人を殺すとか傷つけることに対しては、ある程度自分で説明できるけれど、人のものを盗んだりすることがなんで罪になるのかと言われたら、うまく説明できないな~」って思ったのね。それで刑法にもちょっと興味が湧くようになったわけ。

ただ、人を殺すとか盗むことがいけない、というのは刑法ではなく倫理的な問題だというのは言われなくても分かっている。そこで「犯罪と刑罰」を読むのももしかしたら方向性は違っているかも知れない。けど、その周辺をぐるぐるしたくなった、そういうことだ。もしかしたら、読んでいるうちになんとなく自分なりの考えがまとまるかも知れない。

ちなみにこの「犯罪と刑罰」を読み終わったら、今度は「たのしい刑法」という日本の刑法の入門書的なものを読んで、それから刑法の教科書を読む予定。なんだか随分遠回りしてると思うんだけど、せっかく勉強するんだもの、単位さえ取れればいい、とは思ってないので。
20:13 | 通信教育課程の大学生活 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-21 Sat , 2012
踏んでいる足、踏まれている足
人間誰しも他人の足を踏んでいるし、また踏まれていると思う。

しかし、踏まれて痛い思いをしている人が「痛い!」とわざわざ声を挙げなければならないのはなぜだろう。足を踏まれていることだけでさえ苦痛なのに。苦痛であることに加えて更に踏んでいる側になぜ「痛い理由」を説明しなければならないのだろう。

「なぜ同性愛者は同性を好きになるの?」「在日であることでつらかったことは?それをどうやって乗り越えたの?」「なんで女性専用車両なんかあるの?」「うつ病って単に怠け病だよね?」,etc.etc..

「相手の身になって考えろ」とは言わない。その人が持っている「本当の痛み」はその人でないと分からないと思うから。

ただ「なぜ自分は足を『踏んでいる側』の人間なんだろう」ということについては考えて欲しい。「足を踏んでいる」ということはどういうことなのか、それを考えて欲しい。

それを考えた上で、踏まれている人に接して欲しい。

そういうわたしだって、もちろん足を踏んだり踏まれたりしている人間だ。いくら「足を踏んでいる」ことについて考えても、分からないことがある。しかしそう考えることによって、少なくとも無自覚にずげずげと更に相手の足を踏みつけることのないよう、気をつけたいと思っているのだ。
20:59 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-25 Wed , 2012
わたしが日本に住む日本人である、ということ
ちょっとしたことがあり、とある朝鮮学校のブログを読む機会があった。

ブログの文章は主に日本語で書いてあるものの、突然朝鮮語の単語や文章がカタカナで出てきたりするので、朝鮮語が全く分からないわたしは「この単語、どういう意味なんだよ?」とか「この文章、全然分からんじゃん!」って思ったことも多々あったが、それ以上に読んでいるうちに段々と違和感が強くなってきた。

そのブログは画像が多用されているのだが、例えば運動会の様子、朝鮮半島が描かれたそばにチマチョゴリやパジチョゴリ(だっけ?男の子が着るヤツ)を着た子供や、朝鮮半島の統一旗を持った子供の姿が描かれ、そこにおそらく「紅組」「白組」と書かれているだろう(ハングルで書いてあるのでよく分かんない)点数表が貼ってある一枚の大きな絵(というかなんというか)の画像を見たとき、授業中の画像を見たとき、何より書いてあるブログの文章を読み、そこはわたしが思ってもみなかった「世界」があり「文化」が、今、自分の住んでいる「日本」にそういう「こと」が存在するんだということを知ったとき、そのことに対してわたしはものすごく「違和感」を感じた。

わたしはその「違和感」について考えてみた。

わたしはなぜそれらに対して「違和感」を感じるのだろうか?そのことを何日も考え続けてある日ハッと気が付いた。その「違和感」こそが、実は「わたしは日本に住む日本人なんだ」ということなんだ、ってね。今までわたしは「圧倒的なマジョリティである日本に住む日本人とは一体どういうことなんだろう?」ってずっと考えてきた。でも、それは自分にとっては当たり前すぎてよく分からなかった。ところが、こうやって別の「文化」を見ることで、今まで如何にわたしが意識せずに「日本文化」や「日本のしきたり」にどっぷり浸かって生きてきたかが本当によく分かった。

マジョリティの気持ちを理解することは難しい。なぜならそれが「当たり前」と思われているからだ。しかし「当たり前でない世界」に接したときに感じる違和感から逆に「当たり前」のことを感じる、そういうことが分かって少し嬉しかった。しかし「マジョリティであること」=「正常」というわけではない。わたしはそのことも強く心にとどめておかねばならない。

ただ、そのブログにはごく自然に(日本の)アニメやゲームの話についても書かれており、在日の人を取り巻く環境は学校だけではなく、日本文化ももちろん影響を受けていることを知り、わたしはその複雑さを感じたのだが、おそらく彼らにとってはそれが「当たり前の世界」なのだろう。
20:25 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-28 Sat , 2012
ブックマーク整理
昨日から今日に掛けて自分のウェブサイトのブックマークを整理した。

わたしは普段からあんまりサイトをブックマークするようなことはないんだけど(何度も見たりするサイトでもぐぐって探す習慣が)、それでもちょこちょこと増えていったり、あとは昔はよく見てたけど、今は全然、なんてサイトもあったんで、そのサイトがまだ残ってるかとか、まだ今後も見たりするかなーとか、そんなことを思いながらね。

でも一つ一つサイトを見ていくとねー、昔のわたしを思い出した。わたしは自分が同性愛者(レズビアン)であることは悩まなかったけれど、他の人はどういう風にして暮らしてるんだろうか、とか、どこで知り合えるんだろうか。それにもちろんその頃はゲイの友達なんかも全くいなかったわけだから、ゲイの人の生活、なんてのも知りたかったから、多分、当時は「すこたん企画」(現すこたんソーシャルサービス)にあった(今はない)「リンク集」から適当なサイトを探して、興味を持った人のサイトをずっと読み続けてたりしたよなあ。

今、自分がもしかしたら同性愛者かも知れない、とか、既に同性愛者であることに気が付いた、でも周りに誰も知り合いがいない、とか、同性愛者だけじゃなくて両性愛者とかトランスジェンダーの人でそういう人がいたら、まずどこにアクセスするんだろうか。ふと、そんなことを思った。

確かにわたしがまだまだクローゼットだった時代からすると、今は相談窓口もあるし、行くところに行けば、同じ仲間と会えるイベントなんかもあったりする。twitterで繋がる、なんて手もある。けど、、それには「勇気」がいる。ほんのちょっとの勇気なんだけれど、どうしても無理、って場合もある。相談窓口に出てくる人は、一体どんな人なんだろう、twitterの自己紹介のところに「ゲイ」とか「レズビアン」って書かれてる人をフォローしたら自分のことまで分かってしまうんじゃないか、そう思って相談したりフォローできなかったりする人がいるに違いない。そして本当に一人のときじゃないとゲイやレズビアンのブログなんかを覗いたりしかできない人がいるだろうし、家族にばれるのが怖くてブックマークできなくて、いつも検索で来て、来た後は履歴を消す、なんて人もいるだろう。

まさにわたしがそうだった。

わたしが地方に住んでたとき、うちの本当に近く(歩いて5分ほど)のところで、当時「すこたん企画」の伊藤さんだったかの講演会があったんだよね。わたしはそれに行きたかったんだけど、結局行かなかった。行かなかったんじゃなくて、行けなかった。それはもし、その講演会の会場に行く途中、知り合い(知り合い=職場の人、だったんだけど。わたしはその地での知り合いは職場の人しかいなかった)に出会ったら、そして「どこ行くの?」って聞かれたらなんて答えようか、って想像するだけで怖くて家を出ることすらできなかったんだよね。歩いて5分の間に職場の人と会う確率、なんて、考えられないほど低いって頭の中では分かってたんだけれど、確率はゼロじゃない。当時のわたしはそんなことまで考えてたんだよね。行った先でどういう人たちが来てるかも全然想像が付かなくて怖かった。もしかしたら自分も当事者だって思われるかも知れない(当事者なんだけどさ)って思うのも怖かった。すべてがなんでも怖かった。

今もきっと、そういう人がいるはず。ネットなら覗けるけど、実際に当事者が集まっているところに行くのが怖い、なんて人もいるだろう。そして東京ならともかく、地方となると自分以外の当事者と会えるなんてことがぐっと少なくなる。イベントもやってない。出会いたいけど出会えない。出会っても自分とは性格が合わない。話が弾まない。そういう人もいるはず(全部わたしの経験だ(笑))。

そういう人に「勇気を出せ」なんてわたしには言えない。言われたって勇気なんか出ないもの。一歩踏み出せるまでネットでいろんな人たちに触れて、自分なりにいろんなことを考えて、そして「これならできるかも」と思ったことからやればいい。わたしもこのブログを始めたのは、クローゼットだった自分をどこかで吐き出したかったからだ(それプラスうつ病、ってこともあったんだけど)。

今はそれなりにオープンに生きてて、知り合いも友達もいる、そんな姿はブログを始めた2005年当時では考えられなかった。もちろん、オープンに生きていくこと=正しいこと、ではない。本当に自分のことを知って欲しい幾人かの人だけにオープンにするって方法もあるし、全くのクローゼットでも構わない。本人が苦しくなければね。どこまでオープンにするかはその人次第なのだ。わたしは最早自分のことを隠すのが却って苦痛になって来たので、これから出会う人とはオープンで行こう、そう思っているだけなのだ。過去の知り合い(学校時代の友達など)には言ってない人も多い。彼女の存在をなくして自分の近況を語ることは不可能なので、カミングアウトしてない人とはそこで付き合いが途切れた人も多い。不本意だけどそうせざるを得ない。

いつの間にか自分の話になってしまったけど、今、自分のことについて悩んでいる人や、知り合いたいけど知り合えない人はいつの時代にもいるんだ、ってことをブックマークを確認しながら改めて思ったんだよね。最終的に勇気を出すのは自分なんだけど、そのハードルが時代と共に低くなることを願っている。

そして今回は、既になくなってしまったサイトやアクセスしなくなったサイトをばっさりと削除したわけなんだけど、それでもどうしても削除できなかった2つのサイトがある。

その2つとも、サイトは既になくなっている。なぜかというと、両方とも既にサイトの管理人が亡くなってしまったからだ。

2つともゲイの人のサイトだったんだけど、その当時、同じ県に住んでる人たちだった。1人は野球が好きな人のサイトだった。毎日日記を更新してて、それを読むのが楽しみだった。あるときパッタリと日記の更新がなくなって、どうしたんだろうと思ったら、そのサイトの掲示板にその人の友達だった人から、その人が亡くなった、という書き込みがされた。もちろん連絡を取ったこともない人だったけど、ショックでね。人ってそんなに簡単に死ぬんだって思った。日記を含むサイトはその後しばらくして消えてしまったんだけど、掲示板だけはその後もずっと残ってた。それをわたしはちょくちょく覗いてたんだけど、ある日、その亡くなった人の親御さんからの書き込みがあった。どうやら亡くなった息子のPCから見つけたらしかった。わたし以外にもその掲示板に元々書き込みしてた人も見てたらしい。それまで書き込みしてた人と親御さんとのやりとりが始まった。わたしはそれを見てた。しかしその掲示板もサイト元がなくなってしまったようで、消えてしまった。そのときもショックだったな~。もう永遠にどこの誰か分からなくなっちゃったんだな、と思って。

未だに夏が来ると「スイカバー」(ってアイスらしい)が好きな人だったことを思い出す。

もう一つは「すこたん企画」から知ったサイトだった。紹介文に「○○県に住んでいる人です」って書いてあったから読んでみたんだけど、その人の書いていることを読むと、どうやら同じ会社の人らしくてね。そこでわたしはその人に「もしかして、ここに勤めてませんか?」ってメールしたのだった。そしたら案の定、同じ会社に勤めてる人で、ただ、同じ会社ではあったけど、場所的には遠い人だった。だけど、分野が同じ人だったので「いつかは同じ職場になるかも知れませんね~」なんて話をしてたりした。しかし、それからほどなくして「病院に入院してます」という携帯メールが届いた。だけどそのメールの件名は「牛」だった。そのメールからでは何の病気か分からなかったけれど、それからしばらくしてふと、彼のサイトを覗いてみたら、彼の友人の手で彼がつい数日前にガンで亡くなった、という報告がなされていた。わたしは永遠になぜ、あのメールの件名が「牛」だったのか、分からずじまいになった。

彼がもし生きていて、わたしと会ってたとしたら、わたしは彼と団体作って会社の人にカミングアウトして活動してたかも知れないって思うことがある。わたしはその当時は全くのクローゼットだったけど、いつか何かしたいって思ってた。彼は別の少数者のための分野で活動してる人だったし、もし生きてたとしたら、性的少数者のための団体も作ってたと思う。彼には同じ性的少数者の仲間もたくさんいたようだし(ウェブサイトが更新されてたのも彼の遺言だろう)、ウェブサイトに書かれてたことがこれから動き出そうかな、とまさにそんな感じだったからだ。そうしたら、わたしの人生も変わってたかも知れないな~って、それは今でも思う。

そのサイトもしばらくしてなくなってしまったけれど、彼から来たメールは今でもわたしのPCに残っている。

もうなくなってしまった2つのサイトは二度と復活することがないサイトだけれど、わたしはどうしても削除することができなかった。
15:54 | (性的少数者)自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-28 Sat , 2012
ちょっと嬉しかったこと
寝る前にiPhoneでTwitterのTLを読んで寝ることが多いのだけれど、年末に書いた「半年くらいツイートしてなかった人」がつい先日、ちょっとだけツイートしてたのを発見してすごく嬉しかった。だからといって復活しそうなツイートではなかったのだけれど、でも生きてるってことだけでも分かって本当に嬉しかった。

嬉しさのあまり、しばらく眠れなかった(笑)
17:23 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-29 Sun , 2012
強くなりたい
世の中の不条理さを知る。
泣けて泣けて仕方がなかった。

だけど、泣いてるだけじゃダメなんだ。

自分は何ができるのだろう?
自分は何ができるのだろう?

その人と同じことを出来ないことは分かってる。

でも、だからこそ、
自分がやりたいと思ったことをやるんだ。
自分がやらなきゃいけないと思ったことをやるんだ。

強くなりたい。
18:53 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-30 Mon , 2012
病院の日
今日は病院の日だった。

今の状態は、食欲不振はそう気になるほどでもなくなってきたけど、早朝覚醒の方はまだもうちょっと気になるという感じ。昨日は一旦起きたものの、それから久々に「寝た」って感じがしたので「おっ」と思ったんだけど、今日は4時間で起きて、それからはあんまり寝た気がしなかった。。

ただ、ちょっと改善のきざしはあるようなので、あともう少しかなという感じはしてるのだけれど。

などという話を主治医にしてきた。あと、先々週カウンセリングに行ってきて、その結果、続けてカウンセリングしてもらえることになった、などという話も。

「マイスリー、勝手に1錠にしたんですけど、寝つきの良さは変わりません」と言ったら、マイスリー1錠(5mg)になった(笑)これはわたしの予想だけど、マイスリーはなくても多分、寝つきは変わらないと思う。なぜかというと、夜になるともう眠くて眠くて、ベッドに入って5分後にはもう寝てる、なんてことがよくあるので。あ、でもわたしが勝手に減らすのは睡眠剤だけで、抗うつ剤や抗不安剤はいくら状態がいいからといって減らそうとは思ってない。やっぱり病気の根幹に関わる薬は患者が勝手に増減するべきじゃないと思ってるから。

そうそう、夜の睡眠時間が短いので、今までは昼寝をしてたんだけど、ここ数日はあんまり眠くならないので昼寝はしてない。本人としては実感は伴ってないんだけど、夜の睡眠の質がよくなってきたのかも知れない。

それより何より最近は、いろいろとやりたいことができてきて、というか、とにかく本を読みたくてたまらなくなってきた。こないだ書いたベッカリーアの「犯罪と刑罰」は読み終えたので、近々大学の勉強の方に復帰する予定。それ以外にも興味があることがいろいろあって、複数の分野の本を読んでいる。とにかく今は自分の興味があることを頭の中に入れたくてたまらない。そんな感じだ。そういう点ではうつ病はもう治ってるな~って思う。

歯の方はねー。いろいろ自分を観察した結果、食後は歯の違和感を感じる範囲が狭まっているよう。ただこれも、食べ終わって数時間経つとまた元に戻ってしまうんだけどね。で、歯磨き後が一番状態が悪い。

そのことを歯の方の主治医に言ったら「いい傾向だ!いい方向に回り始めた!」って喜んでた。というか、わたし、今まで「歯の違和感がときによって狭まったり広がったりするけど、どういう状況でそういう風になるのかが全然分からない」って何度も言ってきたんですけど。。で、そのときはいろいろ観察しても、いつ、どういう条件で狭まったりするのかが分からなかったんだよね。そのことも言ってたんですけど。。でも範囲が狭まったり広がったりしていくうちに、狭まる時間が長くなってよくなって行く、ということも聞いた。だから、どういうときに狭まるか分かることはいいことなんだってさ。

まー、わたしはこの病気が完全に治るとはあんまり思ってないけどね。

しかしわたしは精神科は自分の気分や体調の状態、歯科の方は歯の状態、と分けて説明しようとしてるんだけど、精神科の方でも歯の状態を聞いてくるし、歯科の方でも気分の状態を聞いてくるので、2回、同じことを説明してる感じ。それだけ連携してきたってことなのかなーとは思うけれど。でも2回同じことを話すのはめんどくさい(笑)

ってわけで、薬の処方はマイスリーが1錠になった以外は変わらず。あ、頓服で出てたアモバンは1回飲んだら全然眠くならなかったにもかかわらず、12時間以上口の中がにが~くなったので、1錠飲んだだけで止めた。だからそれは今回は出なかった。朝4時5時に起きてしまったときは、マイスリーを飲んでもいいかもねって話にもなった。マイスリーはハルシオンより軽い薬なんだそうで。だから、先週出てまだ半分残ってるマイスリーを「頓服に使ってください」ってことになった。

病院帰りにまた新宿に行って本買ってきた。なんだか読む以上に本が増えてく感じがしてる。。
20:24 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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