05-01 Fri , 2009
続々出てきてます!
昨日、ワイルドストロベリーと思われる芽が、1つだけ出てきたのだが。
今日は、なんと3つに増えていた!\(^0^)/

P1030138.jpg     P1030139.jpg


3つとも同じ形をしてるっぽいので、どうやら「どこかから飛んできた雑草の種」ではなく、ワイルドストロベリーの芽だと思われる。

しかし、、そんなに隅っこの方で芽が出てくれてもねえ、、アンタ、間引かれる確率高いよ。。ま、間引いたあとも捨てたりはしないけどね。

これからも続々と芽が出て来たらいいなあ~。
ミニバラの方はまだかな?

ところで、今って「ゴールデン・ウィーク(G.W.)」って呼ばれてる週の真っ最中なんだね。さっき、ニュースで「G.W.も後半に入りましたが」って言っててびっくり。わたしの意識の中では全然、G.W.じゃなかったから。。まー、社会的にはまだまともな生活をしてないので、仕方ないんだけどねー。

で、これから何連休?5連休の人が多いのか。わたし、その間、毎日空手の稽古がある。。。orz実は水曜の29日も空手の稽古があって、そこではいつもと違って、一般の白帯の人たちと同じ稽古をしたんだよね。したらさー、全身筋肉痛状態(苦笑)今までは理論が多かったからなあ~。

ってことで、いきなり「平安初段」だの「平安二段」だのって四段までやらされて(汗)、そんなの全く知らなかったんで、ホント、見よう見まねでやったけど。。ちゃんと指導してくれるんだろうなあ???

身体を動かすのはめんどくさいって思う性分なんだけど、武道は別なんだよね~。これって面白い。んで、今まで5日間もぶっ続けで身体動かすなんて、大学の合気道部時代以来だから、大丈夫かな。まぁ、5日後には筋肉痛も取れてるだろうけどね。筋力は付くのかどうかは知らないけど。

ただ、以前に比べて足の筋肉が固くなっているのが分かってね。上半身の筋肉はそんな風には感じなかったんだけど。あー、こうやって足とか腰が動かなくなっていくのかなってちょっと思ってる。

そうそう、もう5月なんだよね~。。なんて月日の経つのは早いんだ!
今年はやることいっぱいあるから焦るよ。。

今読んでる国際人権法の本(国際人権法入門―国連人権NGOの実践から)が結構面白くてね。G.W.中に読んでしまいたいなあ~って、木曜日に返さなきゃいけないんだった(汗)ま、もう2週間延長はできるんだけど、別の本もあるからね。。

ってわけで、あれー、あと楽器の練習もやんなきゃ(汗)
もうこっちはしばらくロングトーンからだな。

あー、なんかやることいっぱい。
20:36 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-02 Sat , 2009
懲りないねえ
昨日は病院の日だったんだけど、その帰りに新宿をぶらぶらと。そしたら、こんなの売ってるの発見。

P1030140.jpg


なんというか、、わたしの大好きなひまわりだー!\(^0^)/
特にミニひまわりを育てることは大好きで、過去に1度、挑戦したことがある。ま、こんなキットではなかったんだけど、そのときは。どうもこれはこの麻袋(?)の中に土を入れて育てるらしい。袋の中身はこんなの。

P1030141.jpg


説明書と、土と種が入ってる。まず、袋の上の端を2、3回折り曲げて、袋状にする。そこに土を入れる。一人でやると難しかったんで、彼女を呼んできて、袋の口を開けてもらって、その中に土を入れた。

P1030142.jpg


土を入れ終わったら、こんな状態。

P1030143.jpg


この中に水を注いで、土に水分を与える。しかし、土の水はけがめっちゃいいのと、麻袋からすぐ出ちゃうんで、受け皿が必要って書いてあった。あ、もちろん、受け皿は自分で用意するんだって。

P1030145.jpg


それから、種の袋を開ける。5粒のミニひまわりの種が中に入ってた。

P1030146.jpg


5粒ってことで、土に5ヶ所、穴を指で開けて、その中に一粒ずつ、種を入れる。

P1030147.jpg


こんな感じ。しかし、説明書には、ある程度育ってきたら間引きをして、1つだけ残すようにって書いてあったんだけど。。この土の容積だと1つしか育てられないのかしら。なんか、袋にいくつもミニひまわりが咲いている想像をしてたんで、なんとなくがっかり。。ま、もちろん5つ全部芽が出てくるかどうかは分からないけどね。で、この種を上から土を被せて、いないいないする。

P1030148.jpg


これでひとまず出来上がり。こんな感じで受け皿を買ってきて、外の日当たりのよいところに置いた。

P1030153.jpg


ま、この芽が出てくるのは1週間ほど?楽しみ、楽しみ。食えないけどね(笑)ただ、ミニひまわりって咲いたからその種を取っておいて、それを蒔くと、だんだん「ミニひまわり」じゃなくて普通のでかいひまわりになっちゃうんだよね~。。

あ、今日のミニバラとワイルドストロベリー。水を2日に1ぺんの割合でやってるんだけど、上からやると、土が削れて前みたいに埋めてた種が出て来ちゃうので、マイミクさんに教わったとおり、洗面器に水を張って、その中に漬けて、下から水を吸わせることにした。これだと30分も漬けないうちに、土の表面が湿ってくるのが分かるのね。

P1030149.jpg


で、今日の様子なんだけど。。

P1030150.jpg


ミニバラの方は相変わらず、変化なし。ワイルドストロベリーの方は、1つ、芽が出かかってる感じ。これで計4つの芽が出て来たってとこかな。

P1030151.jpg


2日前に出てきた芽は、ちゃんと双葉が育ってるようで。かわいー。

さて、G.W.の後半に突入したみたいだけど、わたしの方は仕事が来て、それどころじゃなくなった(汗)G.W.の間は毎日空手の稽古があるし、仕事もあるし、あら。本読む時間ととトロンボーンの時間を確保しておかないと(汗)

しかしなんだな、最近の日記は植えたものの「けえかほおこく」日記になってるなあ~、、(苦笑)いや、こういうの、個人的には大好きなんでね~。前の職場の人は知ってると思うけどね(でもここは読んでないと思うけどね(笑))。
20:36 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-03 Sun , 2009
なんかちっともG.W.らしくない
毎日、空手に行って、汗流して、それから一眠りして仕事。
なんか、いつも以上に忙しい感じがする。

今日の空手は騎馬立ち(漢字はこれで合ってるのか?)、前屈立ち、後屈立ち、と下半身の基礎練習って感じで、もう、ももが死ぬほどフルフルしてました、稽古中。ま、だからといって、筋肉痛はもうなくなったと思うんだけど、よく分からない。普通、筋肉痛だったら日常生活で気が付くと思うんだけど、あんまり痛さも感じないので、治ってきたのかな。

ま、でも毎日適度な運動をして汗をかくって、なんて健康的だこと。「健康的」という言葉がこんなに似合わないわたしだってのに、このG.W.中は随分健康的な生活をしてるよな~。

今日のミニバラとワイルドストロベリーとミニひまわり。

P1030154.jpg


これじゃ分からないけど、もしかしたらミニバラの芽が出て来たかも知れないっす。ワイルドストロベリーみたいに緑の双葉じゃないみたい。

P1030155.jpg


ワイルドストロベリーの方は、芽がいっぱい出てきて今、6つくらい?今後、どのくらい出てくるんだろうなあ~?

ミニひまわりの方。

P1030156.jpg


ま、変化あるわけないっすね。
21:54 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-04 Mon , 2009
ミニバラの芽が!
なんか最近、「植物観察日記」になってるけど、まー、しょうがない(苦笑)
実際のわたしは、今日は疲れているくせにあまり眠れなかったのと、仕事がやばい状態に陥っているので、空手の稽古は休んで、ほとんど一日中仕事してた。ヤマはまだ超えてなくて、今日中にヤマを越したいと思ってるんだけど、何時になるんだか(はーっ)。

そうそう、ついにミニバラの芽が出ました!昨日、なんか土の盛り上がりがあって「こんなのあったっけ」と思ってたんだけど、今日になったら、立派な双葉になってた!

P1030157.jpg


やっぱり、種が大きかったからか、双葉も大きくて、なんかこれからぐんぐん育ちそうで楽しみ。一方、ワイルドストロベリーの方はと言えば。

P1030158.jpg


なんか小さいのがごじゃごじゃ生えてます(笑)適当に種を蒔いたんで、なんか偏りがあるなあ~(笑)

で、ミニひまわりは。

P1030159.jpg


変化なしっすね。

あー、早く仕事終えて本読みたいよお~。
20:57 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-05 Tue , 2009
OKAMAのような彼女
たまには「植物観察日記」は止めにして、別の日記を書こう。
と言っても最近の自分が思ってることだとかは、今書きたくない心境なので(苦笑)、全く別の話。

わたしがかつて大ファンだったパール兄弟の歌の中に「OKAMAのような彼女」という曲がある(「六本木島」収録)。このCDが出たときに記憶してるのは、大学3年のときの夏の乗船実習(1ヶ月)のときに船内で聴いた記憶があるから、わたしが22歳のときか。あ、その頃はまだ、自分はレズビアンだって気が付いてないときね(笑)わたしは大学を卒業してから自分の事に気が付いたんで。

で、この「六本木島」のアルバムの中に「OKAMAのような彼女」という曲が収録されているんだけど、わたし、これ聴いた当初から「サエキけんぞう(注:パール兄弟のボーカリストで作詞もしてる)が言ってる『OKAMA』ってどういう人のことなんだろうか?サエキけんぞうはOKAMAについて、どう思っているんだろうか」って疑問でね。歌詞を紹介したくて、いろいろ歌詞のサイトを見てみたんだけど、この曲、あまりにマイナーすぎるのか(というよりパール兄弟自体がマイナーでほとんどなかったのよ)ネット上では歌詞公開してないみたいで、残念。

まず、表記が「オカマ」じゃなくて「OKAMA」なのね。だけど、この「OKAMA」について、歌詞の中では

・OKAMAのような彼女 とても優しい
・OKAMAのように綺麗 黒いペデュキュアで

とあるから、どうも「OKAMA」は「優しく」て「綺麗」らしい。そして

・何が男の子なのと 聞かれたら

という歌詞があるから、「OKAMA」は「男の子」、「男性」らしい。ということは、今抜き出した歌詞だけで考えると、サエキけんぞうの考える「OKAMA」とは、どうも「女装をした男性」っぽいんだよね。

んー、世間で言われている「オカマ」は特に女装した男性だけを指しているわけではないので(女性っぽい男性という意味が「オカマ」だと個人的には思ってるんだけど、、違う?)、集合記号使っちゃうけど、「オカマ⊇OKAMA」となるわけだよね。あ、でも「オカマ」って言葉は男性同性愛者だけではなく、MtFも含んでるのかな。「オカマ」って言葉の定義も曖昧だから、何とも言えないんだけど、まー「オカマ」とはなんぞやを分析すると、もっとコトは複雑になるので、そんなに複雑に考えなくて、ま、各自持ってる「オカマ」のイメージでってことで(ということは、これはわたしが「オカマ」に対してどう考えているか、もある程度分かるのかな)。

あともう一ヶ所

・だけどプラトンも 驚くような 想い出を料理してみせる

という歌詞もあって、「プラトン」と言えば、「プラトニックラブ」のプラトンで、「饗宴」書いたプラトンで、「ソ、ソ、ソークラテスか、プラトンか」のプラトンで(古)、まー、あの時代は年上の男性と年下の男性の関係が普通にあったという(なんかすごく適当な説明だな。多少違ってても許して(笑))ことで、サエキけんぞうもわざわざ「プラトン」を出しているってことは、やっぱりこれも「OKAMA」=「男性」と考えている証拠かな、と。プラトンも驚くような想い出って、具体的にはどういうことか分からないけど。なんせ、プラトンの本を読んだこともないし(「饗宴」は途中で挫折)、彼が年下の男性とどういう「想い出」を作ろうとしてたかなんて知らないもんね。

で、わたしが気になったのは、サエキけんぞうが「OKAMA」という言葉をどういうニュアンスで使ったか、なんだけど、普通「オカマ」てーと、嘲笑的な感じやバカにした感じ、人によっては差別的に感じると思う言葉なんだけど、わたしはこの歌を聴いていて、そういう感じは全然しなかったのね。それは上に書いた歌詞もそうだけど、その他には

・OKAMAのような彼女 ひどくいとしい
・OKAMAのような彼女 青いマスカラで
・OKAMAのような彼女 離せはしない
・OKAMAのような彼女 大事な女(ひと)よ

という風に歌われているので、これって別に「OKAMA」に対してネガティブな感じは持たせてないでしょ。それどころか「いいイメージ」として使っているような感じさえ見受けられる。これがね、普段「オカマ」に対してどうしてもネガティブなイメージとして捉えていると、頭の中が混乱するんだよね。

サエキけんぞうが「オカマ」と表現せず「OKAMA」にしたのは、そういうイメージにしたかったのかな、と。日本語は取り敢えずローマ字表記すれば、ちょっと格好良く見える、ってのがあるから(爆)

しかし、ここでやっぱりわたしが「複雑な思い」を抱くのは、「オカマ」=「女装した男性」とは言えないということね。いや、もっと詳しく書くと「オカマ」=「男性同性愛者」=「女装した男性」とは言えない、ってことなんだけど。「オカマ」=「MtF(Men to Female)」=「女装した男性」は、「男性同性愛者」=「女装した男性」よりも確率は高いと思うけど、それにしてもMtFの人すべてが女装しているわけではないし、と思うと、やっぱり「うーん」って思う歌詞なんだよね。

そうそう、女装する男性のことを「女装子(じょそこ)」って言うけど、これって、女装している本人の性的指向は一切関係ないからさあ。異性愛者男性でも女装する人いるからさ。だけど、女装している異性愛者男性のことを「オカマ」とは言わないよね。

わたし、そこに引っかかってるんだなあ~。「オカマ」って言葉は、やっぱり「男性同性愛者」を指す、というイメージがものすごく強いというか、それもネガティブなイメージがする言葉だと思ってるから、たとえ「OKAMA」と書かれていようが「オカマは別に女装する男性のことじゃないんだよ~!」って言いたくなるのね。多分、わたしの根本はここにあって、だから、この曲で「OKAMA」は嘲笑的に使われてない、むしろいいイメージで使われていると頭では分かってるとしても、やっぱりダメなんだよ。

ちなみに、サエキけんぞうは、もう今はなくなってしまった「赤坂・FANGSONG CAFE」でライブをすることもあったみたいなので「へー」と思ってました。まー、あの人、いろいろ知り合い多そうなので(笑←何も知らないわたしが言うな)、まー、ゲイやレズビアンの友達もたくさんいるだろうなとは思ってたけど。

ただ、本人は多分、バリヘテ(バリバリヘテロ)だと思う。作ってる曲なんか見ると。「○。○○○娘」とか「ハレ・はれ」とか「快楽の季節」(どれも1stアルバムじゃないか~)とかね。まー、イイんすけどね。それがサエキけんぞうだった、と思ってるから。あ、「過去形」にしたのは、パール兄弟でも後期の曲になると、ヤラシめの歌詞ではなくなって来るんでね。ま、「PANPAKAクルージング」なんかも歌詞はバリヘテだけど。。あれはやらしくないので(笑)(ってここら辺、パール兄弟知ってる人じゃないと、何言ってるか全然分からない文章だね)

ってわけで、「OKAMAのような彼女」は、わたし自身から「OKAMA」=「男性同性愛者」という図式ではなく、「女装子」とイコールになれば、「おお」って曲になるんだと思う(笑)

サエキけんぞう自身がこの曲について語っているのは聞いたことないので(わたし、ファンクラブの「あこや会」にも入ってたけど、このアルバム「六本木島」の意味については語っているけど、それ以外は記憶にない)、彼が「OKAMA」をどのようにあらわしたかったのかは、謎なんだけどね。もしかしたら、彼自身は世間一般での「オカマ」の意味を壊したくて、作ったのかも知れない。ステレオタイプな目で見ると「オカマ」は侮蔑的な言葉だから、それをそういう意味を持たせない「OKAMA」にして、一般の人の頭を混乱させようとした、とか。

、、、ちょっと考えすぎかな(笑)

ま、考えすぎて別の意味で混乱してしまったわたしもいますが。
22:12 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-06 Wed , 2009
今年もやります、IDAHO(国際反ホモフォビアの日)イベント!
IDAHO1.jpg  rainbow(横)  IDAHO4.jpg

このイベント、日本では2006年から始まり(そのときの日記はこれ)、2007年からは呼びかけ人のうちの一人となって、このイベントに関わってきたわけだけど(あ、でも去年は病気のため、ほとんど関われなかった)。

今年も準備が着々と進んでおります。
このイベント、最初は東京だけだったのに、毎年毎年、開催地が増え、今年はなんと全国13ヶ所(メッセージ展を含む)に広がりました!

・札幌
・青森(メッセージ展)
・仙台
・千葉
・中野(シンポジウム)
・新宿
・浜松
・名古屋
・大阪
・甲子園
・愛媛(メッセージ展)
・福岡

正直、続けていくことって大変なことなんだなと思いつつ、それでも続けていくとこんなに輪が広がるんだなということも実感しており、今後も続いていくようなイベントであって欲しいと願いつつ、それでもやっぱり、続けていくことは難しい、と。改めてそんなことを感じたりしてます(イミシンだな、、)。

てーか、個人的なことをここで書いてしまうと、今年のわたしのモチベーションはとても低いです(あーあ、言っちゃった。。。)。なんというか、毎年、割と同じようなことを繰り返すことに疲れ気味、というのが多分、一番。あとは、わたし自身のこれからのことについて、今、まさに考えなければならない時期に当たり、それどころではない、ということもある。で、これって全く個人的な理由で、ホント、申し訳ないんだけどね、他のメンバーの人に対して。。

今年は仕事をいろいろ分担して、一人の人に仕事を集中させないようにしたりといろいろ改善したつもりだったけど、蓋を開けてみたら、ギリギリにならないと動けない自分がいて、そこら辺はとても申し訳ないですって、こんなところで反省しても仕方ないんだけど。

なんて言ってないで、ちゃっちゃとIDAHOについて説明しておくと(ここ、テストに出ますよ!(ウソ))、5月17日は、国際反ホモフォビアの日(IDAHO:International Day Against HOmophobia)となっていて、1990年、WHO(世界保健機関)の定めている「国際疾病分類」ICD-10から、「同性愛」が削除された日なのだ。

これはどういうことかというと、「国際疾病分類」から削除されるということは、同性愛は病気ではない、だから治療の対象ではない、と国際的に認められた、ということ。で、このICD-10が出版された年が1993年なので、中には「1993年に削除された」と書いてあるものもあるんだけどね。同性愛が病気ではないとされたのって、ホンの20年弱に過ぎないのだ。もっとも、アメリカではもっと前(1973年)からリスト(DSM)から削除されてるし、逆に日本ではWHOより遅く、1995年に日本精神神経学会が「同性愛は性的逸脱とはみなさない」という公式な見解表明を行っている。

「同性愛は病気じゃない」ということから、あるフランスの活動家が「この日を社会に巣食っているホモフォビア(同性愛嫌悪)に対して『NO!』と言おうじゃないか、と提唱し始め、この日は世界的に同じようなイベントがされているようなんだけど、正直、最近のことはよく分からない。サイトが完全に停滞状態なのでね。と思って見てみたら、新しくなってた!(笑)ホモフォビアだけじゃなくてトランスフォビアも新しく加わってるし!2009年の情報とか載ってるじゃん。世界で50数カ国アクションがあるって書いてあるけど、、この中に日本は入ってるんだろうか(笑)

「同性愛嫌悪」とは、その名のとおりなんだけど、例を挙げると「同性愛者に対して気持ちが悪い」と言ったり(思うことは自由だとわたしは考えてるけど。しかしそれを言うことによって傷つく人がいる、ということ)、女っぽい男の人を「オカマ」と呼んだり(昨日の日記じゃないけど)、「ホモ」とか「レズ」という言葉を侮蔑的に使ったり、まー、そういう差別的なことは止めましょうと。同性愛者は人口の数パーセントいるわけで(他の性的少数者(バイセクシャル、トランスジェンダー等)を合わせるともっといるだろう)、それはそのような人があなたの周りにいるかも知れない、ということを意味しているのね。

もし、自分の友達が自分が同性愛者である、ということをひた隠しにしていたら、、、例えば「オカマネタ」で一緒に笑うことを強制されるよね。笑わないと「なんで笑わないんだ」ってことになっちゃうから。で、その人は「オカマ」に対して笑っているのと同時に、自分自身に対しても笑っていることになって、二重の苦しみを受けるのだ。そして、そういう友達には決して自分の本当のことは打ち明けられない、と固く思うだろうね。

わたし自身も、大学時代にあまり親しくない人から突然、「あなたってレズ?」って正面切って言われたことがあり、そのときは自分でも気が付いてなかったんで「違うよ」と言い返したけど、あとで自分がレズビアンであると分かったときに「なぜあのときそう言われたのか」と傷ついて、大学時代の友人にはまだ一人もカミングアウトをしてない。「あのとき隠してたんだ」って言われそうで怖いから。実際はまだそのときは自分はレズビアンだって思ってなかったから、「違う」と答えたのは本当のことだけど、だけどなんかイヤなんだよね、「やっぱりそうだったんだ」って思われるのが。ま、もしかすると、わたしにあんなことを聞いた当人は、今ではすっかり忘れてるかも知れないけどね。言われたわたしは、今でもグッサリくるほど胸に残ってるんだよね。だから、それだけ繊細な気持ちにならざるを得ないことなんだよ、これって。

また、以上は「外からのホモフォビア」と呼ばれるものだけど、性的少数者(っていうか同性愛者)は、自分の中に「内なるホモフォビア」を持っていると言われてる。「同性愛者である自分を受け入れられない」のは、「内なるホモフォビア」の最たるものだけど、でも、上に書いたわたしの大学時代の話で、わたしがなぜ彼らにカミングアウトできないかというと、それはやっぱりわたしも「内なるホモフォビア」を持っているから。わたしの場合、例えばカミングアウトする前や、知らない人(性的少数者ではない)と友達になるときは「自分のこと、言いたくないなあ」と思ったり、「否定されたら怖いなあ」と思ったり、、おそらく死ぬまでそのような気持ちはなくならないだろうと思ってるけど、それでもわたしはこの「内なるホモフォビア」に対してやっぱり打ち克って生きたいのね。「内なるホモフォビア」に打ち克つ、というのは「わたしが自分らしく堂々と生きていきたいから」だったりもする。わたしがこのイベントに関わってるのも、元はと言えば、こういう理由から。

イベント前は怖いよ、やっぱ。知らない人の前でメッセージを読み上げたり、画像を持っていたりするんだもの。聞いている人の顔がものすごく気になる。んで、そこに露骨に嫌な顔をする人を発見すれば、やっぱり心は痛むだろう、「あ、受け入れられてないんだ」ってね。もちろん、すべての人が受け入れられるとは思ってないけど、でもやっぱり目の前で嫌な顔をされたら、それは傷つく。もし「変態」とでも言われたら、その場からすぐに立ち去りたくなるだろうね。でもわたしは、やっぱ、そういう「現実」と立ち向かっていかなければならない。そういう「現実」を知らなければならない。ほとんど「ショック療法」に近い感覚だけど(苦笑)、ホント、このイベントに向かう際は、すごくすごく怖くて行くのイヤなんだけど、でも勇気を振り絞って行ってる。わたしはやっぱりこの世の中から「性的少数者に対する差別」をなくしていきたいからさ。性的少数者であることに悩んでいる人には、一人でも「こんなわたしでも生きてていいんだ」と思って欲しいから。そして一人でも「あ、同性愛者(性的少数者)って本当にいるんだ」って思って欲しいから。

で、わたしは東京に住んでいるので、東京の情報しか載せないけど(各地の情報を知りたかったらここで。これが日本のIDAHOの公式サイト(やっぱ愛ダホ!Idaho-net.です)、東京では5月17日に中野と新宿の2ヶ所でアクションが行われる。

・中野(シンポジウム)
タイトル:IDAHO2009 ~社会の中で、つながるということ~
会場:カサデオリーバ(丸の内線 新中野駅 徒歩5分) 
時間:13:45開場、14:00開始~16:00終了
参加費:500円

ゲストスピーカー:大江千束さん(LOUD 代表)
           佐藤浩子さん(立命館大学大学院先端総合学術研究科 大学院)
           砂川秀樹さん(東京プライド 代表)

・新宿(アクション)
場所:新宿駅東南口(予定)
時間:17:00~19:00(予定)

新宿のアクションでは例年どおり、「性の多様性にYes!」のメッセージ、それから今年は「○○でよかった、○○で残念」という2種類のメッセージを読み上げる予定。また、これも例年どおりだけど、性の多様性をあらわす虹色を主体とした画像を募集し、展示する予定。

ただいま、メッセージと虹色画像の募集をしてます。
実は今年、メッセージの数が少なくてですね(もう、内輪話ばっかりだわ(苦笑))、正直困ってますのよ。。(トホホ)

メッセージについては「IDAHOメッセージ掲示板」で募集してるし、mixiならば「ホモフォビアにNO!」コミュなどの性的少数者関係のコミュにトピックスを立てたので、もしそういうコミュに入ってたら、そちらから投稿して下さい。あ、またidaho_message@yahoo.co.jpでも受け付けてます。締め切りは5月14日(木)の夜12時まで

「○○でよかった、○○で残念!」、わたしだったら

東京に住んでてよかった!
理由:東京は、性的少数者が比較的他の場所に比べて多いから。仲間がいっぱいいて嬉しい。

東京に住んでて残念!
理由:わたしの大好きな、穏やかで、島々の重なりが美しく、魚もおいしい瀬戸内海が遠すぎるから。

んな具合かな。メッセージは性的少数者当事者のみではなく、当事者以外の人からのメッセージも募集してます。集められたメッセージは、5月17日に東京だけでなく、各地で読み上げます。もし、自分の住んでいる町でアクションが行われていなくても、メッセージを送ることによって、このイベントに参加することになるし、もし、自分の住んでいる町でアクションが行われていても、当日そこに行く勇気がない、と言う人もメッセージを送ることによって参加することになるでしょう。

あ、akaboshiさんの作った宣伝用You Tube動画も載せておこう。



あと、「IDAHO虹色掲示板」があり、そこでは虹色画像を募集してます。ここでは、当日のアクションに使わせていただく画像や、そしてこれも毎年恒例になりつつある「5月17日はmixiのトップ画像を虹色にしよう!」という動きと連動してます。上に挙げた画像は、わたしが作ったもの。わたしは完全に素人なので、こういう「直情的」なものしか作れないけど(しかも、毎年使い回し(爆))、上手い下手や素人、玄人に関わらず、虹色画像を作って投稿してみませんか。

ってことで、IDAHOのイベントについてのお知らせとそれに対するわたしの思い、そしてメッセージ、画像大募集のお知らせ、をいっぺんにやりました(笑)

テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記

23:21 | (性的少数者)イベントなど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-07 Thu , 2009
ミニひまわりの芽が出かかってる!(けえかほおこく)
久々と言っても2日ぶりか。「植物観察日記」っす。

植えてからまだ1週間も経ってないはずなのに、もうミニひまわりの芽が出かかっているのを発見。う~ん、最近は雨続きで(梅雨にはまだ早いよなあ。。)あんまり日光に当たってないのに-。前にミニバラの芽が出かかってたときも、色は違ったけど、こんな調子で(ただ、画像には収めてなかったのよね)、翌日には立派な双葉ちゃんになってたので、今回はシャッターチャンスを逃すまいと思って撮っておいた。

P1030164-1.jpg


この、赤い円の中に芽らしきものがある。多分、これ、明日の朝になったら、双葉に成長しているはず!!(違ったらどうしよう、、、)

一方、ミニバラとワイルドストロベリーだけど、

P1030165.jpg   P1030166.jpg


ワイルドストロベリーは、なんだかもしゃもしゃ出てきてるんだけど、ミニバラが1つしか出てきてないんだよねー、まだ。で、出てくる兆候も見られない。うーん、種は10粒くらいあったと思うんだけど、それにしても発芽率が悪すぎる。。。地中深くに埋めすぎたのかなあ?

最近は、ホント、雨続きだから、水もやってなくてね。このまま放置してるんだけど、いいんだろうか。
20:38 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-09 Sat , 2009
デート?【3度目のMILK】
あー、今から4日くらい前だったかな、とあるフツーのゲイの人(笑)から「MILKのチケット、2枚あるから一緒に行かな~い?」って誘われて、昨日、2人でバルト9行って、わたしにとっては3回目の「MILK」を観てきた。

「あー、周囲から『ノンケカップル』に見えないかしら?(ドキドキ)」なんて思ってたのに、映画館の座席を決めるとき、係のおねーさんが「お二人で並んでみるとしたら、今だったらこの席しかありません」って、端の方とか前の方とか提示されたんだけど。そしたらあっさり「席は別々でいいです」と彼。「あ、それはいい考え!」と思いつつ、「あーん、ヘテロカップルごっこ(←?)があ(泣)」とかちょっぴり残念と思いつつ、「まー、別に隣に座って映画観てても、映画観てるときになにかするわけじゃないし(爆)」なんて口にしてて、はっと気が付いて「あ、いや、彼女と一緒に並んで映画観てても、なにもしないけど。。」などと言い訳したり、でも多分、彼には聞こえてなかったと思うけど(爆)

で、3度目の「MILK」の感想。

んー、今回はちょっとマニアックな見方をして、最後の役名で「HIMSELF」が3人いたので、それを探すことと、あと、アン・クローネンバーグ自身がハーヴィーの48回目の誕生日のパーティーに招待客として紛れ込んでいる、というのを2回目を観たときに買ったパンフレットに書いてあったので、それを探すこと。しかし、難しかった。。「HIMSELF」は、アラン・ベアードとトム・アミアーノとフランク・ロビンソンだったんだけど、アラン・ベアードは分かった。けど、トム・アミアーノは「これかな?」と思ったけど、確信が持てず、フランク・ロビンソンに至っては全然。。あと、パーティーのシーンで必死でアン・クローネンバーグを探したんだけど、分からなかった。。

って、これはまぁどうでもいいことで(笑)

そうだなー、始まってすぐ、白黒動画で警察によるバーの摘発のシーンが流れるんだけど、あのとき警察に摘発された人たちは、みんな下を向くか、手で顔を隠していて、そういう人たちが警察の車に乗り込んでいくのを観たら、なんか涙が出て来た。。ってわけで「もしかしたら、今回は泣けるかも?」ってちょっと思ったんだけど、話が始まってしまえば、普通に戻って、結局ね、ものすごく冷静に観ている自分がいた。

MILKはよくできた映画だと思う。観れば観るほどそう思う。何気ない一言の中に「ああ、この映画制作者はこのように考えて作ったんだな」と言うことが伝わってくる。そして、それがたとえ真実の出来事ではないとしても、全てにおいて「つじつまが合っている」。わたしはつじつまの合わない映画がとても嫌いで、そういう映画は何回か観て、「つじつまが合っていない」ことに確信を持てたら、もうその映画は二度とは観たくないと思ってしまうんだけど。この映画は初めて見たときは「本(ゲイの市長と呼ばれた男)と違う~!」と言うことがものすごく気になったわけだけど、この映画がアメリカの同性愛者の置かれてきた状態や、MILKという人がいたということを、一般大衆の人に如何に「観てもらえる映画」にするかを考えたなら、やはりこういう作りの映画にするのが「正解」だろうなと思うのだ。

ただ、3回目を観て思ったのは、やっぱり1回目に観たときに感じた「痛さ」がそのままよみがえってきたのと、ただし「カミングアウト」を迫るシーンは、観る毎に徐々に何も考えなくなってゆき。しかし「マイノリティー戦わなければいけない!!」と演説するシーンはやっぱり「あー」という疲労感みたいなのを感じたし、あと、MILKと言えば「希望を与える演説」なんだけど、彼は「希望だけでは生きていけないが(これって確か、ダイアン・ファインスタインが言ったのだ、希望だけでは生きていけない、と)、希望を持っていない人生は生きるに値しない」と言った。でも「希望」って一体何なのさ。希望なんて、非現実な儚い夢じゃないか。

わたしは希望など持たない。持っていてもその通りに行くとは思わないから。それよりも「自分のなりたいもの」に対して、どうやってなっていくか、具体的な方法を考える。具体的な方策がなければ「希望」はただの幻だ。だから、いくら「希望」の演説をされても、わたしの心は醒めていくばかりである。ってこれって多分、わたしは政治家じゃないからだな、と思う。「Yes,we can」と言われても、やるのは大統領だけでなく、あなたも「やらねばならない」。誰か人任せにしていれば、この世が自分の都合よくなどんるわけがない。そう思うからこそ、わたしは「マイノリティーは戦わなければならない」と言われるとものすごく強い疲労感を覚えてしまう。

だからこの映画って、わたしにとっては「MILKという人がいた」という話ではなく、今後の自分の生き方ややらなければならないことを想像させるので、疲れるんだよね。。

ま、感想はそんなところだけど。。

あー、でも、「ゲイの市長と呼ばれた男」の初っぱなに「本書でレズビアンが重要な役割を果たしていないのは、まぎれもない事実であって、ジャーナリストとしてその事実を変えることはできない。ハーヴィーは社会的にも政治的にも、レズビアンとそれほど接触していないかった」って書いてあるんだけど、映画でもね、本当にレズビアンってアン・クローネンバーグしか出て来ないんだよね。例えばクリーブ・ジョーンズが友達に電話して「デモ行進」のことを伝えるんだけど、その友達もまた自分の友達に伝える、、みたいに画面では16分割、いやもっとかも知れないけど、みんな電話でその情報を知らせるシーンがあるんだけど、見事に男ばっかりなんだよ。で、デモ行進の様子を見ても、女装の人はちらほら見かけるんだけど、女性って本当にいなかったの。

これって、あの当時もそうだったのかな。だったら当時のレズビアンは一体、どうしてたんだろう?そう思うと不思議でたまらないんだよね。。ただ、当時の映像で例えば「ゲイ・フリーダム・デー」のパレードのシーンを見ると、女性もいるんだよね。一体、あの時代のレズビアンって何をしていたんだろうかってこれはすごく不思議なのだ。

あと、、死の前日かなにかにハーヴィーがオペラを観に行くんだけど、ハーヴィーの左隣にいる女性がわたしにはどうしても「草笛光子」に見えてしまって、、(苦笑)あのあとハーヴィーがスコット・スミスに電話をかけて「今日のオペラで隣にいたの、誰だと思う?」って聞いたときに、わたしは「そりゃ、草笛光子だよ!!」って叫びたくなって困った(笑)いや、あの人、本当に似てるから。

あー、でもわたしにはオペラってものが全然分からないので、あそこでやっていた「Tosca」(だっけ?)ってオペラがどういうものなのか、どうして「Tosca」なのか、多分、あれはオペラを知っている人にとっては意味のあるシーンなんだろうな、としか思えなくてね。まー、残念というか。

ってわけで、3回目の「MILK」を観てきたわけだけど。。2回目の感想のときに「3度目はもうないだろうな」って書いたけど、さすがに4度目もないだろうな。。だいたい、3回観ても、金払ったのってたったの1回なのだ。。こういう「縁」も珍しいと自分で感じている。

フツーのゲイの人、誘ってくれてありがとう。ま・た・ね(はぁと)←橋本治風
16:38 | (性的少数者)映画のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-09 Sat , 2009
ミニひまわりの芽が(涙)(けえかほおこく)
こないだ「ミニひまわりの芽が出て来た!」って日記に書いたんだけど、それからずっと天気が悪かったからか、それとももっと別の原因があるのかも知れないけど「なかなか大きくならないなあ~」とは思ってて心配してたんだけど、芽が出かかってから今日で3日目?なんか、これ以上大きくならないような気がしてきた。心なしか、葉の部分よりも根っこの部分が土の上に出てしまっているように見える。う~ん、、特に上からひどく水を掛けたりはしなかったんだけどな。

P1030173.jpg


なんかこの画像見ると、これ以上は生長しないような気がする。うーん、、もったいなかったよなあ。ってわけで、取り敢えずこれは今後どうなるか分からないからこのままにしておくけど、他に芽が出てくることを期待していよう。

で、ミニバラとワイルドストロベリーなんだけど、ミニバラは相変わらず1つしか芽が出てないんだけど、双葉からまた葉っぱが出てきて、着実に生長しているのが分かる。これは結構愉しみ。ワイルドストロベリーの方も、双葉の中から葉っぱが出てきてるのがたくさん。これ、間引くと大変そうだなあ~。まだまだ大きくなってからでいいんだよね?>間引き

でも、もうそろそろ間引きしたものを植え替える準備をしておいた方がいいかも知れない。プランターはあるから、土を買ってきて入れておこうかな。その前にプランターに今入っている土をどうにかせねば、なんだけど(笑)

土とかって捨てたり拾ったり(?)するのって、結構大変なんだよね。近所の人から不審な目で見られるし。以前、手っ取り早く土が欲しくて、その当時住んでいた家の近くに川が流れてたんだけど、雨の日にそこに行って、誰もいなかったんで、河川敷の土を拝借してきたんだけど、これって河川法か何かにひっかかるらしいね。

ただ、それ以上に「河川敷の土は使っちゃダメだ」と思ったのは、せっかく種を蒔いても、ある一定の大きさになると生長が止まるんだよ。全部、ある程度伸びた芽がクタッとなるので、おかしいなと思って引き抜いてみたら、根っこが全部なくなってて。あれ、と思って土の中見たら、なんと、芋虫みたいなのが土の中にいっぱいいて!!こいつらがどうも根っこを根こそぎ食べてたらしい。なので、土を新聞紙にぶちまけて、芋虫探しをして、それからまた種を蒔いたりしたんだけど、やっぱ同じことが繰り返して起こり。「もーええわ」と思って、土は河川敷にまた戻してきた。そんで土が売ってるってことが分かって、それからはそういうことないけど。

P1030170.jpg   P1030172.jpg


今日は、久々に晴れたんで、水やりをした。
ミニひまわり、5つ種を植えたけど、あとの4つ、出て来ないかなあ~?
21:30 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-10 Sun , 2009
希望と絶望
昨日の「MILK」を観た感想で「希望なんて儚い夢だ」と書いたんだけど、考えてみれば、わたしって希望は持ってないけど、絶望は持ってる。そのことに気が付いた。いつ、その絶望感を感じるようになったかも。

自分がレズビアンであることに気が付いたとき、わたしは悩まなかったけれども、その代わりというか、自分の中に「絶望感」が生まれたのに気が付いた。それは具体的に何に対する「絶望感」なのかはよく分からなかった(今でもよく分からない)けれども、あの当時「あー、もう自分の中で二度と消えることのない絶望を持ってしまった」と思った。

このことに気が付いて以来、わたしは「自分の中から二度と取り除かれないであろう絶望感」に対してどうしていいのか分からなくなり、多分、それが理由(のうちの一つ。これ以外にも理由はあるのよ)になって、わたしは1回目のうつ病になった。

その当時、まだ学生だったんだけど、とにかく人に会いたくなく、部屋(その当時、一人暮らし)でずっとどうすればいいんだろう、って泣いたり、それから外に出るのが怖かった。今で言う「引きこもり状態」になってたんだけど、だけど、一人暮らしだと、絶対に自分でご飯を作って食べなければならない、ということは、材料をどこかで買わないといけないわけで、もうね、外に出ることが一大決心だったの。何回も玄関に行っては靴を履いて、、でも外に出たくないから「どうしよう」って思って。外がすごく怖かった。

かといって、人とも接触したくなかったから、親からの電話とかも全部出なかったし(多分、電話線ごと引き抜いていたんじゃないかなと思う。その当時は携帯などはなかったので)、あるときとうとう電報なんか来て。でも、即座に捨てたけどね。誰にも会いたくない状態で、外に出られない状態で、本当にどうしようもなかったの。まあ、こうなったらもう絶望感云々じゃなくて、病気よね。

心配した親が上京してきて、わたしを心療内科に連れて行った。そうしたら「軽いうつ病ですね」と言われたんだ。「軽いうつ病って、、、こんなにつらいのに。。じゃあ、重いうつ病って一体、どんなんだろう?」って思ったのをよく覚えている。今では「うつ病」と言われるものは、あの時代は「軽いうつ病」って言われてたんだよね。

薬が処方されて、でもわたしは一人で既に暮らせない状態だったので、仕方なしに親元に行って。で、「薬を飲むと依存症になるから飲むな」と親には言われて薬を飲まずに、ずっと親元で過ごしてたんだけど。あ、学校の方は医者が診断書書いたんで、確か休学になったんだっけな?それともならなかったんだっけ、そこら辺はよく覚えてない。

とにかく毎日ずっと親元で過ごして、実はその当時のことなんてほとんど覚えてないんだけど、たった一つだけ覚えていることがある。テレビで「知ってるつもり」って番組があって、あるとき山本周五郎が取りあげられてたんだけど、番組の最後に「絶望は人間だけがもつことのできる黄金である」という山本周五郎の言葉が取りあげられて。わたしはその言葉を聞いたとき「あ、自分の中にある絶望感はずっと持っててもいいんだ。これは自分の中にある黄金なんだ」、そう思って、この言葉をずっと反芻して過ごした。それ以降はずーっと山本周五郎の作品を読み続けた。

この言葉、どこかの話の中で出てくるのかと思ったら、違うんだよね。「泣き言は言わない」って山本周五郎作品の中で使われた言葉や、メモ書きを集めた本があるんだけど、その34pに載っている。全文は「『絶望』は人間だけがもつことのできる黄金である。同じ意味で『酒』とよく似ている」なんだけど、わたしはこの後半部分についてはよく分からないから、そこまでは覚えてはいない。

けれど、この言葉を知ってから数日間、わたしは自分の頭の中で繰り返し、繰り返しこの言葉を反芻して、そしてずっと「この絶望感は持っててもいいんだ、いいんだ」って繰り返し思って、そしたら、いつの間にかうつが治っていた。薬を使わずに自分で治したんだけど、それ以来、この言葉はわたしの「座右の銘」になった。

「絶望」はあのときから自分の中では決して消えていないと思っている。けれど「じゃあ、具体的に何に対して絶望を感じているのか」というと、うーん、根本はやっぱり「自分は同性愛者だ」ってことになるのかなあ。。そのことについて悩んだことはないけれど、同性愛者として生きるってことは、生活のいろいろな面での「生きにくさ」を感じながら生きていかなくてはならないってことで、それを考えると途方もない疲労感に襲われる。「生きにくさ」ってのは、例えば自分が思い通りに生きたいと思ったら、周囲との摩擦が起きるだろうなってことで、実際、うつ病になったときは、周囲とのかかわること、イコール「摩耗してすり減っていく自分」と感じていたのね。

結局、わたしは「絶望感を持ち続けたままで生きていいんだ」って絶望感を肯定することで生きているわけだけど、そして、もうその「絶望感」からうつ病になったりはしないと思うんだけど、ときどき途轍もない「疲労感」を感じることはある。今はそういうのを誤魔化しながら生きていってる感じなのかな。

ちなみにその7年後くらいにわたしは2回目のうつ病をやったんだけど、まーこれはね、最初は身体の疲れだった。息をしても全然肺の中に空気が入っていかない感じがして、いつも息苦しかった。あー、あとね、この時は仕事をしてたんだけど、やっぱり一人暮らしでね。いつも会社帰りにその日の夕食を買って帰ってたんだけど、あるときから自分が何を食べたいのか、分からなくなったの。何も食べたくない気はするんだけど、まさか、何も食べないわけにはいかず(わたしって、絶対に夕飯は抜けないの)、毎日毎日、デパ地下を同じルートでうろうろ、何回も何回もするんだけど、全然欲しいものが見つからなくて、それで「おかしいな」って思ったのね。

で「あ、これはうつ病かも」と思って、割と早く医者に行ったつもりだったのだが(彼女の見解は違うんだけどね。わたしは病院に行くのを嫌がったらしい)、最初に処方された薬で息苦しさはなくなったの。でも、、そのとき、本当に運の悪いことに異動で別の部署に行かなくてはならないことになって、そこがまた、自分が初めて担当するようなところだったから、本当に一から勉強しなくてはいけなくて、そこで精神的に来ちゃったんだよね、、、これが異動なしで例年と同じに出来てたら、多分、2回目のうつ病がここまで悪くなって回復するまで長引いたとは思わないんだけどね。

2回目のうつのときは、もう自分の中に「絶望感を抱えている」ということが問題にはならなかったんだけど(それだけ絶望感が自分自身になってしまったということもあるだろう)、だから、2回目のうつが寛解した今もわたしは「絶望感」は絶えず自分の中にあるし、やっぱりこれって死ぬまで持ってるんだろうなあと思ったりもするし、逆に「絶望感」をなんとかしたい、ということがわたしの生きる原動力になっているのかも知れないなあと思う。

そうそう、ついこの間まで息苦しさを感じることがしばしばあって「やばいかな?」って思ってたんだけど、空手を始めてからそれは感じなくなった。何がよかったのかはよく分からないけどね。

空手はようやく道着を着て稽古できるようになり、ようやくスタート地点に立てた感じ?
20:54 | 過去の自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-11 Mon , 2009
高尾山登山
今日は高尾山に登ってきた。あの、「恨ミシュラン」、もとい(^^;、「ミシュラン」で3つ星を取ったという「高尾山」だ。ハイキングシーズンだからか、平日にもかかわらず、すごい人が来てた。さすが高尾山。

P1030199.jpg


わたしゃ、5月1日は病院行って、2日、3日、5日、6日は空手で、7日は広東語で、8日はデートで、9日、10日はまた空手で、今日は高尾山。家にいた4日は一日中仕事してけど、

か ら だ う ご か し す ぎ

極めつけ、今日の山登りで膝から下がパンパン。今までほとんど家の中にいる生活だったのに、ここ2ヶ月の間でものすごい変化していて、自分でもびっくりしている。

取り敢えず、次に休めるのは明後日、13日だ~!
20:23 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-12 Tue , 2009
「黄金」とは
先日の日記で「『絶望』は人間だけがもつことのできる黄金である」という言葉にわたしは救われた、と書いた。しかしわたしはその「黄金」を「よきもの」として「絶望とは黄金なんだ、黄金は『よきもの』だから、わたしの『絶望』は自分の中にあってもいいのだ」という風に解釈したのではない。

わたしのこの言葉にある「黄金」のイメージとは、これまたすごく特殊だと思うのだが、自分はもしかしたらレズビアンかなと思い始めた'94年に岩波ホールで「苺とチョコレート」という映画を観て、その映画にあった台詞、「落ち葉の中に純金が光ってるよ」、というこの言葉のイメージなのだ。この映画は舞台がキューバで、同性愛者の男と共産主義者の青年の「友情の物語」だとわたしは思っているが(多分、昔、この映画のことは詳しく書いたと思う)、この映画はわたしの好きな映画のトップ3には絶対に入っている映画だ。

ではわたしがなぜ「絶望」が「黄金である」と言われたとき、その絶望感が自分の中にずっとあってもいい、と思えたかをここ数日ちょっと考えていたのだが、「絶望感」という目には見えないものを「黄金」という現実に存在する物体に置き換えたとき、その存在が「実存するもの」と理解されたからではないか、というのが現時点でのわたしの結論だ。

例えば自分の中にある「絶望感」、絶望感を感じるということは、わたしにとって「疲労感」や「打ちのめされた感じ」「もう二度と立てない感じ」がする。それは今でも同じだ。だから映画「MILK」を観てわたしがある場面について「途轍もない疲労感」を感じるのは、わたしが自分の中に持っている「絶望感」によって感じさせているのだろうという気がする。

ところがわたしはその「絶望感」を「落ち葉の中に光っている純金」と想像することが出来る。「絶望感」とは、わたしの全てではなく、わたしの一部であるが、その、他の部分にいつも埋もれている「絶望感」がたまに「自分はここにいるのだ」と「光る」。その「光」のイメージというのは、「なにか暖かいもの」と感じることが出来る。なので「わたしはこれを持っていてもいいのだ」と感じることが出来る。

ただし、「絶望感」が「光る純金」に変わり、「何か暖かいもの」に変わることはできるが、だからといって「絶望感」が「何か暖かいもの」になるわけではない。そういう意味で三段論法は使えないのだけれど(笑)、わたしの中ではやはり「絶望感」は「絶望感」であって、それがプラスのイメージに変わるわけではない。

「純金(黄金)」はごくごく小さいもので、落ち葉の中にまぎれて数カ所で時折光っている、というイメージを持っているが、ん-、「どういうときに光るか」というのは、自分では分からない。これが「自分が『内なるホモフォビア』を感じたとき」とでも言えば、随分、つじつまが合っていて、しかも光景的にもきれいな感じがするが、実際、そのようなときにこのようなことを思ったことはなく。ただ時折この言葉を思い出しては、そのようなイメージが頭の中で展開されるだけだ。

山本周五郎がどのようなイメージをもって「『絶望』は人間だけがもつことのできる黄金である」と書いたのかは知らない。が、わたし自身のこの言葉のイメージというのは以上のようなものである。
21:42 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-13 Wed , 2009
どれもそれぞれ大きくなってます(けえかほおこく)
あー、なんか久々このネタ。
っていうか、最近、少しずつだけど生長著しく(どっちだよ?(笑))、取り敢えず、毎日デジカメには撮ってるんだけどね。

ミニひまわりの最初の芽がダメになっちゃって、他のが生えてこないかな~と思ったら、今度こそは大丈夫そうなのが出てきた!明日も明後日も晴れて欲しい~!

P1030230.jpg


画面左のヤツは、多分、明日には立派な双葉ちゃんになってるんじゃないだろうか、と期待。前に出て来た芽は色がもやしみたいに白かったんだけど、この芽はちゃんともう緑色なんだよね。

で、赤丸をつけたところが、もしかしたら他の芽ではないか、と。まだよく分からないんだけどね。しかし、全部で5つ種があって、1つダメになって、今、芽が出かかってるのが3つだから、かなりの発芽率だよねえ。。

発芽率が悪いといえば、ミニバラ。結局植えてから3週間半くらい経ってるわけだけど、もう、新しい芽が出ることはあるまい。というわけで、たった一つしか出て来なかったけど、でもこれはこれで順調に育っているので、期待大。ただ、欲を言えば、もうちょっと真ん中に生えてきて欲しかったってそれは無理か(笑)

P1030232.jpg


もう、双葉どころじゃなく、新しい葉っぱが次々と出てきてて、この生長ぶりはなかなかだと思う。これから楽しみ。

んで、ワイルドストロベリーの方は、

P1030231.jpg


なんか、すごいことになってるんですけど、、、真ん中に集中して生えていて、これ、このまま行くとまずいよね。。とはいえ、今の時点で間引きをしたら、間引いた苗(?)はひょろひょろすぎて新しい土に馴染めるかどうかよく分からない。。もうちょっと大きくなればいいとは思うんだけど、でもこのままだとなんとなくお互いに「阻害」し合っているような気がするんだけど。育て方の缶には、いつ間引くって書いてあったっけ。。明日、確認しよう。
19:00 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-14 Thu , 2009
2日連続した休みが欲しい
もー、言いたいことはすべて題名に現れている!!(爆)

だけど、カレンダー見ると、今月はそれが無理っぽい。。orz

たまには落ちついて本を読みたい~!

こういう自体になった元凶は、土日に空手をやることになったからだけど、でも今週末はIDAHOのイベントがあるし、来週の土曜日はTOKYO Pride Festivalがあるし、空手はその日は休まなくちゃいけないんだけどね。

しかも、わたしの仕事って土曜日の朝に来て、だいたい月曜の夕方に納品するんだけど、今週来週はこの通り、イベントがあるんで「誰か他の人を探してもらうか、納品日を1日ずらすかにして欲しい」と言ったら、納品日が延びてもいいことになって、わたしはイベントが終わっても、休むヒマなく仕事せんといかん。きついぞ~、これは。

仕事があるってことは、お金に繋がることだから嬉しいことなんだけどね。

まーでも、IDAHOとTOKYO Pride Festivalが終われば、ちょっとは日常が安定してくるかな。

あ、そうそう。IDAHOのメッセージは本日24時までです。こちらからどうぞ。「今年はあまり集まらないのでは」と心配してたけど、なんやかんやで100は行きそうです。で、今年は各メッセージ、読み応えあり!だから、絶対に当日、マイクは持たないんだ、わたし。だって泣きそうになると思う、絶対。
21:12 | (性的少数者)自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-15 Fri , 2009
間引き(けいかほうこく)
今日、起きてから、いつもそうしているように、ミニバラとワイルドストロベリーの様子がどうなっているか観察したんだけど、なんか、ワイルドストロベリーが狭いところにぎゅうぎゅう、って感じだったので「こりゃあ。。もう間引かないといけないかも」と思って、それから土を買いに行ったり、ついでに讀賣新聞を買ったり(讀賣新聞15日朝刊23面にIDAHOのイベントのことが載っている)、、

今日は久々休みの日だというのに、なかなか「休む」ってことができないわたし。彼女から「ちょっとは何もしないでボーッとする日を作った方がいいよ」と言われてるんだけど、そんでわたしも本当は本でも読んでいたいところなんだけど、こないだの休みの日は、ずっと気になってた家中の部屋の掃除をしたし、今日は今日で花の苗の植え替えか?なんてね。つくづく、貧乏性だなあ、、って(苦笑)

P1030251.jpg   P1030252.jpg


ね。なんかワイルドストロベリーの方はどれもだんだん大きくなっていってるから、そのうち日がよく当たる苗ばかりが生長しそうで、だから、あまりまだ差がないうちに、と思ってさ。あと、よく分かんないけど、缶の隅っこの方に芽を出しちゃったヤツもなんかかわいそうだったんでね。あー、そういえば、缶の説明には、いつ頃間引きしろ、ということは書いてなかったのよね。間引きして1つや2つにすれば、大きく育ちます、とは書いてあったけれども。

んだから、プランターを用意した。2種類。あ、もともと持ってたヤツなんだけどね。取り敢えず、前に入っていた土を取り除いて、ある程度きれいきれいにして。

P1030245.jpg   P1030247.jpg


買ってきた土はこれ。標準的な土らしい。14リットル480円だった。店は家の近所にあるんだけど、これ持って帰るの、重かった(笑)

P1030242.jpg


で、袋を開けて、プランターに土を入れる。

P1030246.jpg   P1030248.jpg


流石にこれだけじゃまずいだろと思って、水を掛けておいたんだけどね。ただ、この土の入っていた袋によると、あんまり水をやりすぎると肥料の養分が流れでちゃうから、注意、って書いてあったんで、そこら辺はやり過ぎないようにテキトーに(この日記と同じ(爆))

P1030249.jpg   P1030250.jpg


ところがねー、見て分かるように、右側の丸いプランターの方は、あんまり水掛けなかったというのに、すぐ下から水が漏れだして。あ、なんかびっくり、みたいな。

で、四角いプランターの方は、将来、ミニひまわりを間引きするときの植え替え用に、今回は丸い方のプランターに植え替えることにした。ほら、なんかワイルドストロベリーって丸いって感じしない?ミニひまわりは四角いプランターって感じがしない?いや、特に根拠はないんだけど、なんとなく自分ではそれが合ってるかなあと思ったんで(^^;

まずは端っこの方に生えているヤツの移植を。スコップで根を切らないように、割と大きめに土を取って、

P1030254.jpg


それから、手でつまんで取る。

P1030255.jpg


これを新しいプランターに移し替え。

P1030256.jpg


この工程を何回か繰り返して、元の缶の中に生えているのは2本にして、あとは全部プランターに植え替えた。

P1030257.jpg   P1030260.jpg


と言っても、植え替えた方は小さくて見えないだろうから(苦笑)、拡大。

P1030261.jpg   P1030263.jpg


取り敢えず赤い丸の中が植え替えした芽なんだけど、一つ、同じ芽が2枚共に写ってるんで、実際は全部で6つ、ってところかな。もしかしたら、缶の中の環境よりこっちの方がよかったりして。肥料もこの土に含んでるっていうし。まぁ、根付いてくれたらありがたい。

そうそう、今日のミニひまわり。

P1030253.jpg


なんか、芽が出そうでなかなか出て来ないんですけど。。どうしてこんなに生長が遅いんだかよく分かりません。。昨日は風は寒かったけど、一応晴れてたし、今日は結構穏やかに晴れているのに。。これから天気が崩れるみたいだから、ちょっとばかり心配。ここまで芽を出しておいて、それ以後生長が止まっちゃったら、わたしゃ、野口雨情の「シャボン玉」歌いながら泣きますよ。
15:58 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-16 Sat , 2009
同性愛は個性か
数日前にこれについて考えるきっかけがあったもので。んで、わたしはこの意見を書くことによって、人に自分の意見を押しつけたいわけじゃないことだけは最初に書いておく。

「障碍は個性だ」って言う人がこの社会にたくさんいることも知ってるし、当事者もそういう風にとらえている人がいることも知ってる。でもわたしはそういう風に思っていない。だけど、そういう人たちは別にそう思ってる人はそういう風に思えばいいと思っている。だって、そういう風に考えた方が、自分はしっくりくるし、自分が生きていくのに生きやすいのならば、それでいいと思う。

同じように同性愛者に対しても「同性愛は個性だ」っていう人がいるのね。これは当事者がそう言っているのはあまり聞いたことがなくて、ただ、周囲の人にそう言われることが多い。だけどね、わたしは「同性愛は個性だ」と言われるたびに、何か違和感があったんだよねえ、前々からね。それを今回、ちょっと突き詰めて考えてみようと思ったのだ。

まず、同性愛が個性だったら、異性愛も個性になるのかな?と考えたんだけど、まぁ、異性愛を個性と捉えてる人は、まずいないだろう。それはなぜか、と考えたら、異性愛者の方がこの世界では圧倒的多数だからだ。大衆ファッションは「個性的」とは言われないよね。だから「何かの特徴のうち、少数の特徴を持っていれば、それは個性なのだろうか」ということになる。

例えば右利きの人より左利きの人の方が圧倒的に数は少ないよね。でも「左利きは個性」って言うかなあ?あんまり聞いたことないよね。あまり、というか全然わたしは聞いたことがないんだけれど。日本で少数者と言えば、在日の人だってアイヌの人だっているけれど、在日って個性?アイヌって個性?これもなんだか違うような気がするよね。在日であることだけが、その人の「個性」ではないよね。同性愛もこれと同じだと思う。

でも「障碍が個性」と言われるのは(そして、当事者たちにこの考え方が支持されてるのは)「生まれつきそういう性質を持っていて、それは健常者(この言い方、嫌いなんだけどね。でもこれしか言いようがないので)より数は少ない」からでしょ。

いや、障碍が個性、と言われる意味は分かるよ。「生まれついた障害を持っている人は、それだけで他の人と違う、障碍ってネガティブに捉えられるけれども、逆に『自分にしかないもの』とポジティブに捉えて『個性』と言おう」という考えなのだと思う。でもね、これに対して敢えて反論するならば、中途で障碍者になった人は、その時点で「障碍は個性だ」って言うわけ?それっておかしいでしょ。

「個性」ってさ、ある一つの特質だけを挙げて「それが個性」とは言わないような気がするんだよね。「個性」ってさ、生まれつきにあるものじゃなくてさ、生まれつきに何かは持っているけれども、それを生きていく間に自分なりに変化させたものが「個性」なんじゃないかなって思うんだよね。

わたしは子どもの頃からずーっと「個性的な子ども」って言われてた。「ユニーク」とも言われてたし、通知簿にもそう書かれてた。だけどさ、わたしは自分のどこが個性的なのか、実は昔からさっぱり分からないんだよね。それが分かった時点でもう個性的じゃない、と言われたけれど(笑)でもね、わたしのこの「個性的だね」と言われるのは、わたしが同性愛者だからじゃないと思うのよね。だって、子どもの頃はわたし、自分が同性愛者なんて知らなかったもん。

確かにね、自分が同性愛者である、と分かった時点から、わたしの中の一部は「同性愛者である」ということに占められるようになった、と思う。そして「同性愛者である」というフィルタ通して物事を見たり、考えたりすることもかなり多くなったと思う。でも、これって個性じゃないんだよね。わたしはこれによって考え方が結構変わったかも知れないけど、個性自体には大して影響を及ぼしたとは思わないんだよね。

ま、中には子どものときから既に同性愛者であることに気が付いて、それがあったために人格形成の時点で影響を及ぼされた、って人も中にはいるだろうけどね。しかし、人格形成が個性なのだろうかというと、これもまた違うと思うんだよね。

一体「個性」ってなんやねん、ってことで、手持ちの辞書である、学研国語大辞典と新明解国語辞典で調べてみた。「個性」で引くと、学研国語大辞典の方には「その人・物だけにそなわった特有の性格・性質。パーソナリティー。」、新明解国語辞典の方には「個個の・人(物)をそれぞれ特徴づけている何か。」とある。

正直、新明解の方はよく分からない(笑)だって、「(特徴づけている)何か」なんだもん。何かが何か分からないと、こっちだって具体的には理解しにくいじゃん。ってわけで、学研国語大辞典の方をもうちょっと詳しく調べてみることにした。「性格」「性質」「パーソナリティー」ね。

「性格」→「ある人物の感情や意志の動きに表れる(特有の)傾向。」参考として「先天的な素質である気質に後天的な影響が加わって形成される」と書いてある。ということは、やっぱり「生まれつき」のものだけではそれは「性格」とは言えない、ということだ。生まれつきのものに加え、自分の経験や身の回りに起きたことによって、その人が知らず知らずのうちにその人なりの「性格」を身につけていくのだ、と言うことだと思う。

「性質」→「その人に(生まれつき)備わっている気質。たち。性分。」と書いてある。おや、ここで(生まれつき)と書いてある。なら「気質」「たち」「性分」は何かというと、

「気質」→「気性。性向。気立て。また、ある社会集団特有の類型的な性格。かたぎ。」ってかいてあるけど、この「ある社会集団の、、」以降はこの場合とほとんど関係がないだろう。ここでまた「気性」「性向」「気だて」が増えた(笑)

「気性」→「生まれつきの心の性質。気質。気象。」と書いてあり、気性というのはあくまでも「心の性質」であり、外見的な性質とか、その人が持って生まれた障碍とか、持って生まれた性的指向なんてものではないだろう。あとは「気質」だの「気象」だのって、循環してるから、これはここでお終い。

「性向」→「(その人の)性質上の傾向。気質。」と書いてあり、これは、「性質」が重複し、「気質」=「気性」なので「生まれつきの心の性質。」という意味を含んでいる。

「気だて」→「生まれつき持っている気持の傾向。(ふつう、よい場合に使う)」と書いてあり、ここでもやっぱり「気持ち」の傾向であり、ほとんど「心の性質」と変わらないと見ていいだろう。

あ、元に戻って「性質」から出てきた「たち」→(人それぞれによって異なる、生まれつきの)性質・体質。あ、ここで「体質」が出てきた(汗)

「体質」→「(医学上からみた)その人が生まれつきもっているからだの性質」と書いてある。身体の性質、と来ては、「心のみの性質」とは言えないな、、ということは、生まれつき身体的に障碍がある人は、それが「個性」ということになるのか。

「性分」→「生まれつきの性質。たち。」だから、「性質」は循環してるし、「たち」という意味を含んでいるのなら、身体的な性質も含んでいるということだろうね。

最後に。「パーソナリティー」→「個人にそなわっている特有の性格。その人のもちあじ。個性。」とあるから、これは完全に「持って生まれたもの+後天的な影響」と言うことを示しているだろう。

ってことで、辞書的に言うと「障碍は個性」もあながち間違っているとは言えない、ということだけれど、それでも意味を調べてみると、身体的なものよりも心のものの方が比重的には大きいのではないかという感じはする。

まぁ、障碍にもいろいろあって、全部が全部身体的なものとも限らないけれども、でもね、ここまで調べておいてナンだけど、「障碍を持った自分」だけがその人全てを言い表しているわけじゃないと思うの。これは「同性愛」についても同じことなんだけれども、誰も「同性愛者」という部分だけで人は生きていないと思う。もちろん、「障碍を持っている自分」とか「同性愛者である自分」は根本のところに持っていて、それがその人の性格に影響を与えることはあると思うのよ。ま、わたし自信はあまり自分が同性愛者であるということと、自分の性質は関係があるとは思えないんだけどね。

わたしは自分がよく「個性的」と言われるけれど、どこが個性的かは自分ではよく分からない、と上に書いたけれども、例えば自分の性格はどこで形成されただろうと考えると、正直よく分からない(苦笑)わたしはウソが付けない人間なんだけれども、なんでウソがつけないのか、よく分からない。。ただ、ウソをつく、とか、人に世辞を言うことなんかを想像してみると、ものすごく嫌な気分がして「それは自分ではない」と思う。これ、別に親から「ウソ付いちゃいけません」って教育されたせいでもないと思うんだけどね。「世辞を言うな」と言われたこともないし(普通、ないわね)。

もともと曲がったものが大嫌いで(あ、キューリとかは好きです(笑)でも太くて曲がってないキューリも好きかも。。←?)、「これをやったら自分じゃなくなる」と思うことは、今までたくさん経験してきて、でもときには正論ばかりじゃ通らないということも知ってる、知ってるけど、そういう場面でもわたしは一応、通そうと努力する。多分、そこがわたしの経験なんだろうし、曲がったものが嫌いな性格は、余計曲がったものが嫌いな性格になるんだろう。まー、ここの部分が人から個性的と言われているのかどうかは分からないけど、自分の性格として、いろいろ考えて出てきた例がこれだったので(笑)

「同性愛」というのは、確かに生まれ持った性質、なのかも知れないけれど、わたしが言いたいのは、「同性愛」これ自体は「個性にはならない」ということ。本当は「障碍者」に対しても「在日」に対しても「アイヌ」に対しても、それが言いたいのだけれど。それは生まれ持ってきたものだけど、その人全てを表しているんじゃない、人間はもっと複雑なところで成り立っている、と考えたかったの。

この世の中、少数者は生きにくいと思う。で、ずっとずっと「生きにくいなあ。やだなあ」って思うより、「自分はもともとこういう性質を持っているし、それは多くの人には持っていないんだから、ポジティブに生きよう」と思うのは、いいとは思うんだけど、わたしはそれは消極的じゃないかなと思う。この世の中が今のところ、多数者が生きやすいようにできているのは、ある程度仕方がないと思う。しかし、それに対して少数者はもっと「自分も生きやすい社会にしていく」ことを世間にアピールしていく必要もあると思うのだ。ハーヴィー・ミルクみたいに「少数者は戦わねばならない!」と声高に叫ぶと、これまた疲れてしまうので、ここまでは言いたくないんだけど(苦笑)、でも、この世の中が生きにくいのって、自分のせいじゃないじゃない?生きにくい社会に窮屈な思いをして自分をはめ込んでいくよりも、ありのままの自分が生きて生きやすい世界にすること、わたしが悪いんじゃなくて、世の中が間違っていると言うこと、それをね、わたしは強く思っていて、なんとかしたいと思っているのだ。

その小さな一歩が明日、5月17日、反同性愛嫌悪の日(IDAHO)のアクションだと思っている。一部の地域では、新型インフルエンザの影響を受けて、時間が変更になっちゃったところとかあるけれども(すいません、ここで確認して下さい)、そして、明日の東京地方はあまりいい天気ではないらしいけれども、わたしはわたしの生きている世界がもっと自分にとって生きやすいところになればいいなと思って、行ってくる。

こういう考えは、おそらくわたしが「同性愛者である」と言うことから獲得していったものなんだろうな、と今、ふと思った。

あ、それに今、読み返してみたら最初に言ってることと一番最後に言ってることに矛盾がある。。(笑)いや、「○○は個性」と思ってる人はそのまま意見を変えなくても、もちろんいいんです(笑)
22:33 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-17 Sun , 2009
行ってくる
今日は5月17日。IDAHO(国際反同性愛嫌悪)の日。

東京では14時から、中野でシンポジウム、そして17時から、新宿駅東南口で街頭アクションが行われる

もちろん、わたしはその両方に行く。

中野のシンポジウムはただの客だと思うけど、新宿の街頭アクションも、多分、そこらにいるだけだと思うけど、こちらの方はなんとなく怖い。。って、行ってしまえばそんなことも感じないんだろうけど、開催場所に行って声を出すまでが怖いのだ。だから「当日は楽しんでやりましょう」とは到底わたしは言えない(そこら辺がパレードと違うところなんだよね。パレードは行くときはワクワクしっぱなしで、初めからものすごーくテンション上がってるんだけどね(笑))。

だけど、この日のために託されたメッセージが130通弱ある。
どれも心のこもったメッセージで、このメッセージを託されたわたしは逃げるわけにはいかない。

わたしはこれから家を出る。

シンポジウム、アクション共にうまくいくことを願って。今日、IDAHOのアクションをやる、すべての開催地の成功を願って。

では、行ってきます。

テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記

12:03 | (性的少数者)イベントなど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-18 Mon , 2009
初心を忘れた
昨日やった東京のIDAHOのシンポジウムとアクションのことだけど。

結果的に言えば、わたしはすっかり「初心を忘れてしまっていた」と思う。
会場の場所がうちからちょっと行きにくい場所だったんだけど、どうやって行くか、迷いに迷い、新宿からバスで行った。もうほとんど家を出た時点で遅刻が確定していた。まぁそれは、15分程度の遅刻だったのだけれど。。

わたしはシンポジウムの受付をやって、その仕事は滞りなくやったつもりだ。
また、シンポジウムは大成功で、だいたい最大40名を想定していたところに51人もの人がいらしてくれて、やった側としては大成功だったと思う。

内容については、いろいろと興味深かったのだが、さすがに受付をやりながらは聞くことが出来ず、ところどころ欠落している話がある。ま、最後の方はほとんどもう人が来なかったので、聞くことは出来たのだけれど。

その後、新宿駅東南口まで移動したのだが、、メッセージの原稿をわたしが持っていたのにもかかわらず、なぜか移動するみんなとは別行動になってしまい、一人で新宿に行くことになったんだけど、さて、新宿駅の行き方がよく分からない。来たときのように、バスに乗っていこうと思い、バス停を探すが別の場所行きのバス停は見つかるが、新宿行きがない。

仕方なく、近くのコンビニに入って、昼メシ(わたしはその時点でまだ昼メシを食べてなかった)を買いがてら、店員さんに「新宿行きのバス停はどこですか」と聞いたのだが、その店員さんでは分からず、わたしの次に並んでいたお客さんに「こっちをまっすぐ行って。。」などと親切に教えてもらって、それで探したのだが、やっぱりない。。「どうしよ」と思ったところで、偶然、コンビニのその人が通りかかり「そっちじゃないですよー、あっちです」と。助かった。が、ちょうどバスが行ってしまった直後で、わたしはそこで街頭アクションの始まる17時を迎えてしまったのだった。

程なくバスが来て、乗ったがいいが、結局30分も遅刻。

。。。わたし、昨日一体、何ボーッとしてたんだろ?

途中、マイクを持ってメッセージを読み上げた。今回は2年前と違い、割と冷静に読めたはずだった、最後のものを除いては。途中、何人か、知り合いの人のメッセージがあるのは分かっていたけれど、それは全く普通に読めたのだけれど、そのメッセージは、そのメッセージの背景を知っていたもので、みるみるうちに喉が収縮して、塞がった声になり、、、そして、わたしは読めなくなった。もう、泣きそうで泣きそうで仕方がなくなってしまった。聞いてる方はびっくりしたろうね。今まで普通にメッセージ読んでたのに、突然声をつまらせてしまったんだから。だから「すいません。これは知人のメッセージで、状況を知っているだけに。。」とか、多分、そんな言い訳をしていたように思う。結局、しっかりとした声で読みたかったメッセージが台無しになってしまった。。ごめんよ。

そして、わたしがこの日、一番反省したこと。
「わたしは一体、誰に向かってメッセージを届けようと思ったのか」。
新宿に着いたとき、いつもより多いカメラの数にびっくりはしたのだけれど、撮している人から見て、知り合いとかNHKのハートをつなごうの人だとかだったので、「ああ、そうか」とは思ったものの。

わたし、そのカメラに向かってメッセージを伝えようとしてなかったか?

このメッセージは、街を歩いている人に、そして、メッセージを聞こうとしている人に向かって読み上げなければいけないメッセージのはず。それなのに。。カメラから撮されていることがどうしても気になり、わたしはカメラに向かってメッセージを読み上げてしまった気がする。

このことに気が付いて、わたしは「ああ、なんてことをしてしまったんだろう」と本当に深く反省している。わたしが取るべきだった態度は、あくまでも街を何気なく通りすぎていく人に、もしかしたらその場所に「たまたま通りかかったフリ」をして来ていたかも知れない人に向けてメッセージを読み上げるべきだったのだ。カメラなんか無視すればよかったのだ。いや、カメラは無視しなければいけなかったのだ。

わたしは「カメラで撮られている」ことに対して少しでも「カメラからどう写っているか」が頭をかすめなかったか。「カメラの前でよどみなく読み上げよう」と思っていなかったか。わたしはそのとき、完全に初心を失っていた。その場にいる人を無視して、一体、何をやっていたんだろう。本当に最低な野郎だ。

ああ、メッセージを託して下さった人に申し訳ない。わたしが読んだ分は多分、20くらいだったと思うけど、それでも申し訳ない。

もし、もしも来年また、IDAHOのアクションをやるとすれば、わたしは今日反省したことを絶対に忘れない。

これが2009年のわたしのIDAHOだった。

テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記

21:19 | (性的少数者)イベントなど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-18 Mon , 2009
ミニひまわりが、、、、(泣)
昨日はものすごく風の強い日だった。
その中で夜遅くまでわたしは出かけていたわけだけど。
今、外に出している植物たちがすごく心配で、だけど彼女に聞いたら「中の方に入れておいた」と言ったので、安心してた。

で、今日、朝、日が当たっていたので、外の方に出そうと思ってミニバラとかその他を外に置いたんだけど、なんか一つ足りない。。あれ、ミニひまわりだ。ベランダのあちこちを見たんだけどなくって、彼女に「ねー、昨日、ミニひまわり、どこに置いた?」って言ったら「同じところに置いたよ」って言われたんで「いや、探してもないよ」と言って二人で探したんだけど見つからなくて。

そうしている間に、ひょこっとうちの真向かいに花壇があるんだけど、そこに目をやったら。ミニひまわりを入れていた麻袋が花壇の中に放り込まれているではないか!

あわてて1階に降りて、拾いに行った。
予想はしてたけど、、もう、中に入っている土が半分くらいしかなくて、上の半分はどこに行ったのか全く分からない状態だった。多分、うちのベランダの上から風で飛ばされて1階の道路にたたきつぶされて、それをそこを通った人が邪魔だと思って花壇に麻袋を投げ入れたんだろう。下に敷いていた白い受け皿は探したんだけどついに見つからなかった。

というわけで。

P1030300.jpg


ショックでかいです。もうすぐちゃんとした双葉になるのが1つと、あと2つ、芽が出かかっていたのに。。。

自分自身の調子もあまりよくなく、喉がものすごく痛くて声が出ない。仕事があるっていうのに、全然集中できず、間違えばっかで、なんとなく体温が上がっている様子。熱測ったら7度4分だった。わたしにしては結構ある。

しかし、、仕事、まだまだあるんだけど、どうしようかな。

もう、昨日のIDAHOのことといい、今日のミニひまわりのことといい、ちょっとショックでかくて立ち直れそうにないです、しばらく。。この土曜日にはTOKYO Pride Festivalがあるというのに。
22:26 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-19 Tue , 2009
声が出ない
いやー、完全に声が出なくなりました。。
っていうか、かすれ声は出るけどね。だけどハスキーボイスどころじゃない、ホント、かすれ声。ちょっちセクシー?(←コラ)

っていうか、昨日の晩は喉が痛くて痛くて、ほとんど眠れず。それで朝一番に医者に行った。どうやら一ヶ月前も喉が痛くて行ったらしい。「まだ治ってないんですか?」ってアホかい!一ヶ月もこんな状態でほっとくわけないじゃんか。「いえ、昨日からです」って答えたよ。アホくさ。で、一応、喉の炎症を抑える薬とかいろいろもらってきた。

んで、体調も本当に悪かったんで、昨日の夜に仕事の納入先に「すみません、風邪を引きました。納期を延ばしてもよろしいでしょうか」というメールを送っておいたんだけど、昼近くになっても返事が来ない!!

彼女から「直接電話して聞いてみた方がいいよー。きっとその声聞いたら、風邪引いたのウソじゃないって分かるし」と言われたんで、電話した。案の定、担当者びっくり(笑)「すぐ検討してご連絡差し上げますから」って言われて、おい、今まで本気にしてなかったのかよ、みたいな(苦笑)

確かに仕事をしているときに調子を崩すのは仕事をしている人間としては失格だが、しかし、こういう状態でふらふらになりながら仕事をやっても効率はよくないし、間違える率も高かろう。ってわけで、今日一日は安静にしてて、仕事は一切してない。

彼女に「そういえば、一緒に住んでから、わたしがここまで声が出なくなったのは初めてだよね?」と言ったら「うん、そうかも」と言われた。それでもね、わたしは時々全く声が出なくなる風邪を引くことがあって、身体は元気だから仕事は出来るだろうと、勤めてたときは、なるべく年休は野球観戦に費やしたかったので(爆)、声が出ないまま行ってたんだけど、電話対応がねー。「外線は出ないよ」と言ってあったんだけど、うちうちで電話がかかってきたときは、みんなに「どうしたんですか、その声は!!」と言われ、いるけど電話は繋がないで欲しいと言ったんだけど、それは流石に無理みたいで。「電話に出れないから帰れ」と言われて、んでもデスクワークは出来るのにぃ、、くすん、くすん、と言って早退したことが数回ある。

うー、IDAHOが終わったら、楽器の練習だ、と思ってたのに、全然できないじゃんかよ。。
つーか、TOKYO Pride Festivalの会場にさえ行けるのか、心配になってきた。
20:33 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-20 Wed , 2009
ながい坂
山本周五郎の代表作の一つに「ながい坂」があるが、あるときまでは、わたしはこの作品が山本周五郎の中では一番好きだった。

が、あるとき読み返して初めに読んだ時の印象とちょっと違うことに気が付いて「あれ、こんな話だっけ」と思って、それ以来はあまり好きじゃなくなった。

今、、、もう一回読み返したら、またあのときとは違う印象を持ちそうだと思う。

読むべき本はたくさんあるんだけど、やはりもう一回読もう。
20:19 | (一般)本のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-21 Thu , 2009
順調に育ってるとは思うけどさ(けいかほうこく)
多分、ミニバラはここ数日ですごく生長してると思う。っていうか、葉っぱがバラらしくて素敵。つか、ミニバラもやっぱりバラと同じでトゲがあるのかしら。。バラの一刺し、もとい、蜂の一刺しだった(古)。

P1030311.jpg


ワイルドストロベリーの方は、やっぱり移植すると、かなりその苗にダメージを与えるんだなあということが分かった。缶の中に生えてたときは、どれも同じような感じだったのに、今、缶の中で残ってる2株は、移し替えたのよりかなり元気に、そんで大きくなってるから。

P1030312.jpg


間引きして植え替えた方は、6つあったんだけど、その内の一つはもともとすごく小さい双葉だったんで、根付かずに消えてしまった模様。で、今は5つ残ってるんだけど、真ん中に植えてるヤツが根付いてるかどうかビミョー。あんまり元気がないんだよね。もしかしたら、根付いてくれないかも知れない。。

P1030313.jpg


こう見ると、前は緑が見えなかったけど、今はなんとなくどこにあるか分かるでしょ。周囲の4つはちゃんと新天地に根付いてるし、元気いいんだけど、真ん中のが、、あまり元気がないので心配。

あ、そういえば、なんだか分からないんだけど、

P1030314.jpg


プランターに植え替えたら、よくわけの分かんない植物が2つ3つ生えてきて(この赤い矢印の先)、一体、これは何やねん?って感じ。この「何やねん?」ってのが2種類生えてきてるの。これはその内の一つだけど。アンタ、今までどこでなにしよったん?

雑草だと分かりつつ、正体が分からないので、このまま一緒に育てようかなー(とか(笑))。いやー、分かってるもの以外を「雑草」と呼んで抜くけどもさぁ、彼らもちゃんと「雑草」じゃない名前があるんだろうし、あと育つのに必死なのよね。っていうか、育ち方を見てるとこの、わけ分かんない植物(取り敢えず雑草って呼ぶ)って生長がものすごく早いんだ!ワイルドストロベリーは1日や2日見なくてもどこが生長したか、よく分からないほど生長するのが遅いんだけど、この雑草は、1日で生長したのがよく分かる!なにか花が咲くんだったら、嬉しいなあ。

というわたしは、今日はどこにも行かずに一日のんびりしてた。。
でも明日は出かけなきゃいけないし、次の日はTOKYO Pride Festivalだわ。。
わたし、ホントに今の体力で楽器持ってウロウロできるんだろうか。←吹けよ
22:13 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-22 Fri , 2009
ぎゃー
明日は11時から代々木公園で「TOKYO Pride Festival」が行われるんだけど、そんでもって、わたしは例の如くBrass MIX!でトロンボーンを吹くんだけどさ。

IDAHOが終わってから楽器の練習すればいいや~と思ってたら、翌日から風邪引いて、結局何も出来なかった。。orz

しかも、明日は8時半に集合で、どうも19時まで拘束されるらしい??
風邪がまだ完治してないところで、楽器吹くのつらいわ~とか、いや、それ以前に全然練習してないから吹けるのか~?とか、朝、そんなに早く行けるのか?とか、もう、いろんな不安要素ばっかりだけど、取り敢えずは行ってきます。。

ちなみにBrass MIX!は初っぱな11時からもう出番ですんで、見に来る人は早く来てね~。

今日は病院の日で、よく考えればIDAHOの日以来の外出(その間、近所の医者に風邪診てもらったのは除く)だったんだけど、結構マスクして歩いてる人が多くて、びっくりした。主治医もマスクしてて、だけど「こんなの無理矢理付けさせられて」とか言ってたんで、わたしが「マスクって予防にならないですよね?だって、ウィルスがすき間から入り込むじゃないですか」って言ったら「まったくそうなんですけどね」と言われた。

わたし、今回、自分が風邪引いて強く思ったのよ。外から帰ってうがいとか手洗いはもちろん、病気にかからない有効な手段かも知れないけど、一番大切なのは、体力を低下させないってこと。だってわたし、風邪引かないようにずっと外出後は手洗いとうがいと欠かしてなかったのに、風邪引いたもん。だから、一番大切なのは、よく食べてよく寝ることだとわたしは思う。

と言いつつ、せっかくの休みの日に、彼女から「今日は一日休みなさい!」と言われても、ついつい掃除だの洗濯だの始めてしまうわたしは、彼女から言わせると風邪引くのも「自業自得」なんだってさ。「ろんたこは病弱なんじゃなくて、動きすぎなの!」と今日、こっぴどく言われてしまった。。

ああ、明日は早起きが出来て、んで、練習だけで唇が死にませんように。あと、、体力がずっと持ちますように。って誰に願ってるんだか。

練習は諦めて、今日はもう寝よ。
22:07 | (性的少数者)自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-24 Sun , 2009
TOKYO Pride Festival
あ~、終わった。TOKYO Pride Festival。
なんというか、パレードとはまたひと味違った感じ、という感じを持ってるんだけど、終わった後はパレードよりは充足感がなく、かといって、別にパレードの方がよかったとは思わないんだけど、なんというか、実はこれがある前にちょっと個人的にいろいろあったのよね。。しかも、当日、思いも寄らないことを言われて、ますますわたしの心は複雑な気持ちになっていったんだけど。

あとは「ハートをつなごう」の公開録画、でもあったわけだけど、やっぱ、そういうのが入ると、なんてーかね、向こうさんの都合でMCが引き延ばされたり、短くなったりするでしょ。見てて司会の2人がちょっとかわいそうだった。ていうか、このフェスティバルって一体、誰の為に、何の為に行われたの??って、そう思ってしまう部分がわたしの中にあって、今もそれがありつづけるのよね。

まー、と言えども、パレードではなかったので、こちらも時間的な余裕が結構あって、いつもは全然見ることができない各ブースを見ることができたり、ステージで何が行われているかもちょっと見ることができたり、そういう「新鮮さ」もあったけどね。

朝8時半に代々木公園に着いたわけだけど、パレードのときなら野外ステージ横にパレードの各フロートの車が並んでて、その車に飾り付けをしてる人がいっぱいいて、それを横目に楽器持って移動するのが常だったんだけど、今回はもちろんなーんにもなくて。ガラーンとした道を歩いてて「あ、今日はパレードはやらないんだな」ということが目で見て初めて実感できたというか。やっぱり何にもないガラーンとした道は寂しかった。

いつもの場所(?)で一通り通した後は、舞台上でリハーサル。んで、すぐフェスティバル開始。

最初のオリンピックファンファーレは、あはは。一番最初に吹いたときが一番まともに吹けた(苦笑)それから、その後はまーまーだったけど、最後の「DREAM GIRLS」はバテバテで吹けなかった(←オイ)

それからは一旦、楽器を片付けて、彼女と合流。もう、腹減って仕方なかったので、買ってきてもらった弁当を食べながら、シンポジウムを見てた。と思ったら、知ってる人が偶然隣にいたり、知ってる人に見つけられたり(って別に見つかってよかったのよ(笑))、あとは遠くに座ってる知り合いを見つけて「こっち向かないかな~」と思ったら、偶然、こっち向いてくれて、向こうもこっちのことを分かってくれたり。

それからは、知り合いと彼女と一緒に、各ブースを見てたんだけど、もう既に立ちっぱなしだったので、足が痛くて、最後の方は適当に空いてた椅子に座ってた。そうこうしている間に「"みんな"でブラス」の集合時間になったので、楽器を出して、スタンバイ。今回、トロンボーンは6人いたのかな?「威風堂々」と「CENTURIA」っつー曲を吹いたんだけど、威風堂々の1stトロンボーンが、なんと1人しかいなかった(笑)あ、わたしはもちろん、両方とも2ndでございます(笑)しかし、正直、初見で吹いたんだけど(ただ、前の晩、階名を楽譜に書いておいた)、隣の人がとてもうまく吹いてくれたので、わたしはそれと楽譜を見合わせて「あー、ここ吹いてるのね、今」と思いつつ吹いたってサイテー(爆)

んでさぁ、なんだか分からないけど、恒例のサプライズ演奏が今回もあって(それってサプライズとはもう言わないんじゃないかと思うんだけど)、今回は「銀河鉄道999」だった。2007年は「ルパン三世」で2006年は「キューティー・ハニー」で、なんでアニメソングが多いんだろう??しかも、この譜面、コーダとダルセーニョと繰り返し記号がめちゃくちゃで、最初の方はちゃんと吹けてたんだけど途中からどこを吹くんだかさっぱり分からないで適当に吹いてたら、指揮者に「ここ、トロンボーン」とか言われて、ちょー恥ずかしかった。。(苦笑)結局みんな、どこ吹いてるのか分からなかったのね。。で、結局、この曲、最後まで吹けなくて、自然消滅してしまった感じ?つか、初見でそれはないだろーって、なんかね、毎年毎年難易度が上がっている感じがするんですけど、それは気のせい??(笑)

で、最後の「CENTURIA」は、2ndは結構単純で、音がほとんど「シ」と「ド」しか出てこない(ただし、わたしの場合、B♭を「ド」という風に読んでる)のは、前の晩に階名を書き込んでるときから分かってて、なんで、まー、それなりに吹けた?かなあ。。。かなりあやしいけど(笑)

あ。その前に。実は「みんブラ」のとき、舞台横の道路で楽器持って待機してたら、NHKの人が近寄ってきて、挨拶されたの。っていうのは、IDAHOの次の日にね、NHKの人からメールもらってたのよね。それは「IDAHOのときにわたしがマイク持ってたときの映像を、これとこれとこれの3つのうちのどれかに使う可能性があるけど、使っていいか」という問い合わせのメールだった。そのうちの一つが「TOKYO Pride Festivalの会場で流す映像」だったのよ。で、わたしは使うとしたら、絶対に、あのうるうる来て泣き声になったヤツだと分かってたんだけど、「別に何に出してもいいですよ」と回答してたのね。その件で、NHKの人に「今日、会場で流します」って言われて。「いつ、どういう場面で流されるのか」とかいろいろ詳しく聞いて、んで「あー、自分の姿なんか見たくない」と思いつつ、どういう場面が映されるのか、かなーり気になってたんだけど。

「みんブラ」が終わってからは、また楽器をしまって自由時間だったんだけど、なんか日に当たりすぎたのか、頭がしくしく痛くなってきて。「ハートをつなごう」の公開録画が始まってすぐ、市販の頭痛薬を飲んで、彼女に膝枕してもらって、ベンチで寝てた。なんで、ほとんど公開録画は見てなくて、話だけは聞いてたつもりだったんだけど、起きたら、よく覚えてなくて。だから、うとうとしてたのかなー。第一部が終わって、新虹(あらぬーじ)さんが出てきたときに起きて、で、彼らのパフォーマンス(というのかな)を見てた。

それから舞台上では「ハートをつなごう」の第二部が始まったんだけど、わたしはほどなくBrass MIX!の集合時間になるんで、また楽器を組み立てて、それからずっと待機。あ、その前にわたしが読んで泣いた元のメッセージを書いた匿名さん(笑)にメール連絡。いやー、だって、その人も責任の一端はあるしね。わたしを泣かせたっていう(爆)

それからBrass MIX!の2回目のステージ。もうさ、全部知ってる曲だったんで、あやしいところは多々あったんだけど、1回目と同様に、指揮者の顔だけ見て吹きましたよ。んでも、指揮者は全然こっちの方を向いてくれず。こちらの一方的な片思いだったわ。。。実は1回目の最初の方は指揮者の顔見ながら「あー、彼は今、とても複雑な思いを抱いて指揮してるんじゃないだろうか」ってちょこっと思ったりした。途中からは吹っ切れたみたい(?)だったけどね。で、最後の曲「世界に一つだけの花」を演奏してる途中で、泣きそうな顔してるのも見逃さず(笑)、これって、実は客席にいる人には絶対に見えないんだよね。その顔が見れるのって、楽器吹いてる人たちじゃないと分からない。わたしは指揮をしている彼の姿を見るのはとても好きだから、んー、だから、今もBrass MIX!で吹き続けてるのかも知れないな、なんて思ってる。

ホント、わたしはあなたが大好きですよ!>ブラミの指揮者さん
ってレズビアンに言われても嬉しくないだろうけどさ(爆)

2回目のステージは、ばてることなく、最後まで吹ききって、だから満足した。で、終わってから指揮者に「なんでトロンボーンの方、全然向いてくれなかったのよー」って抗議しておいた(笑)わたしって思ったことはほとんど口に出して言っちゃうからなあ~(爆)でも、その方が自分がすっきりするのよね。「あのとき、ああ言えばよかった」と思うのはイヤだから、だから、たいていの場合、引っかかればそこで問いただしてみる。んー、わたしのいい面かも知れないし、悪い面かも知れない。けど、言わないと相手が気が付かないのだ。ま、言っても「わたしがどうしてそのことに対して問うているのか」をずっと誤解する人たちもいますが(笑)、ま、人間にはいろんなタイプの人がいるってことで(謎)

で、あとは楽器を片付けて、彼女のいるところに向かう。そこではわたしがメッセージを読んだ「匿名さん」も来てた(笑)もう帰ろうと思ってたんだけど、わたしのメールを見て、いることにしたんだって。もー、まったく罪深い女だわ、わたし。

それからのスタンバイとか、時間のかかることかかること。「時間がこんなにかかってるんだから、みんな帰っちゃえ!」と勝手に「帰れ~、帰れ~」と念じていたわたし(爆)で、最後のショー(?)が始まって。いろんな人の、いろんなメッセージが舞台上にセットされた大型モニタ(って言うの?)に流れた。途中、生で読むメッセージもあり、しかしやっぱ、この路線か。と思うと、複雑な気分。「自分が何者か分からない」というメッセージ、「カミングアウトしなければならないのか」というメッセージ、「この気持ち誰にも言えない」というメッセージ、、、、今日、会場で撮影したと思われる映像もあったし、去年のIDAHOの映像、同じく去年の札幌パレード、関西パレードの映像もあったし、そして今年のIDAHOの映像もあった。

わたしは、、、本当に最後の最後の方に出てきた。わたし、あのメッセージを読みながら、途中で言葉につまって「これは知り合いの人のメッセージで。。」と言うところはすべてカットされて、その前後がつなぎ合わされてた(笑)だから、正直言って「あ、これなら見ても分からないや」って思った。あと、すごーく近くで撮されてたので(本人は実は気が付いてなかった、あの角度で撮られていたことには)、あまりわたしの顔とすぐに分かるような映像じゃなかったので、ちょっとホッとした(笑)ただ、、会場からはわたしの声が流れるわけだから、「わー」とか「うぎゃー」とか言ってたらしい(笑)あとで彼女がそう言ってた。

あれならわたしを知ってる人でも分かるまい、と思ったら、急に気が楽になってきた。あそこの部分は、わたしが言い訳してるところとか、言葉につまるところとか、それまで撮さないと絶対に分かんないと思う。でも、それをやると、ものすごい時間になっちゃうので、カットせざるを得なかったのだろう。ふふふ(←?)

で、最後の最後、舞台の上に今回のフェスティバルのボランティアの人が舞台上に立って、そして「来年、また会いましょう」で終わった。

それから「夕飯でも食べて帰るか」と言いつつ、会場を去ろうとしたら、舞台で司会やってる人(女の人の方)にタイミングよく出会えて。実は、その人、毎年、舞台で司会やってるんだけど、知り合いなのよね、古くからの。で、パレードのときはいつも出会えなくて、こっちが舞台上にいるとき、向こうは舞台の前で話してたりして、本当に近くにいるのに、話も出来ず(当たり前)、いつか、会いたいと思ってた。それが、今年はようやく出会えて。向こうと会うのは随分久しぶりだったんだけど、彼女はわたしがBrass MIX!で吹いてることに気が付いてたみたい。こういう再会はとても嬉しい。

おお、嬉しいと言えば、ノンケマイミクさんも来てくれたっけ。彼には渡すものがあったので、それを渡し終えて、とてもよかった(笑)アレをどうやって送ろうかといろいろ考えたんだけど、なんか中途半端な大きさだったので、とても送りづらかったのよね。途中で穴が空いたりしたらまずいし(謎)

ってわけで、なんかつらつらと思い出したことを書いたけど、今回はテレビの公開収録ってことで、すごく特殊な環境だったと思う。それがいいことなのか、悪いことなのかはわたしには分からない。ただ、、そのことがわたしにとって複雑な思いを抱かせたのは事実だ。

彼女は「パレードよりフェスティバルの方がいいんじゃない?」って言ってる。いや、今回の会場の女子率って結構高かったように思う。これがどういう理由でなのかはいろいろと考えてみてるんだけど、イマイチはっきりしたことは分からない。けど、確実にパレードのときより女の人は多かったと思う。そして、パレードのときよりブースの数は多くて(多分。わたしはパレードのときのブースはみたことないので)、多岐にわたっていた(ビッグ・イシューのブースとか、アムネスティー・ジャパンのブースとか、シューレ大学のブースとか、おそらく今まで出したことのなかっただろうブースがたくさんあった)。その点は評価できると思う。

来年はパレードをするらしいけど。。
いや、来年のことは考えまい。

取り敢えず、TOKYO Pride Festivalは終わった。
今はただ、それだけだ。

テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記

00:06 | (性的少数者)イベントなど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-24 Sun , 2009
精も根も尽き果てた
今日は、行けたら空手の稽古に行こうと思ってたけど、もうそれどころではなく。たとえ稽古場所に行ったとしても、身体が動かないと思ったので休んだ。本当は見学くらいはしたかったんだけど、2時間正座することはわたしには不可能なので、諦めた。

起きてからも、頭が痛くなって昼寝をするわ、なんかだんだん身体が重くなってきて、動かなくなりつつある。

さすが、ここまで突っ走ってきて、今月の最大のイベントが昨日のTOKYO Pride Festivalだったんで、どうも身体もそこまでは無理してたようだが、終わった途端、無理が利かなくなったらしい。

ただ、、、明日も出かける用事があるんだよね~。
でも、正直身体が動くかどうか分からないので、外に出かけられるかどうか。

今日は早く寝よう。
22:20 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-25 Mon , 2009
しんきまきなおし!(けえかほおこく)
風が強かった、IDAHOのイベントの日。わたしの植えたミニひまわりは風に飛んで下に落ちて行ってしまった。。

しかし、わたしはどうしても夏に咲くミニひまわりが見たい!ってことで、また買ってきましたよ、ハイ。もうどういう手順で植えたかは、前に細かく説明したので、もう一回同じことはしないけど、同じ手順でもう一度、ミニひまわりの種を植えた。

P1030343.jpg   P1030344.jpg


さて。今度はいくつ芽を出すか。今から楽しみ。というか、もう二度と風に飛ばされないように気をつけなくっちゃ。

で、最近のミニバラとワイルドストロベリー。缶のヤツ。

P1030350.jpg   P1030349.jpg


このように、順調に育っております。ミニバラ、実は、一回、洗濯物が風に飛ばされてこのミニバラの上に落っこちてて、ちょっと折れちゃった茎なんかあったんだけど(汗)、それにもめげず、割と順調に大きくなってます。ワイルドストロベリーの方も間引きしたら急にでかくなったような気が。ま、それでも苺はまだまだみたいだけど←その前に花が咲くだろ

んで、移植した方のワイルドストロベリーは、

P1030345.jpg


こんな感じ。んー、前に心配してた、中央に植えた苗なんだけど、葉っぱが枯れてきてるんだけど、それにしてはまだ生きてるようにも見えて。正直よく分かりません。ま、この画像からはほとんど見えないけどね。他のは結構これ見ても大きくなってるのが分かるだろう。

で、一緒に大きくなっている「雑草ちゃん」(雑草くんでもいいけど)。ごめんね~、わたし、あなたの名前知らないので「雑草」ひとまとめにしちゃって。こうなったら、なんか名前付けようか。

P1030346.jpg   P1030347.jpg


この、こないだ双葉だったヤツ(左側)は「治ちゃん」、前は撮さなかったけど、もう一種類、ピュッと伸びてるヤツ(右側)は「治子ちゃん」。いや、名前に別に深い意味はないです、ええ。ただ、今、横の本棚見たら、「治」って字が並んでたんで取り敢えず(爆)

この治ちゃんと治子ちゃんは、大きくなったら一体、どういうものになるんでしょうか。
それも楽しみだったり(笑)

しかし、ワイルドストロベリーは治ちゃんと治子ちゃんに比べると生長が遅いようです。んー、缶の中よりも広くて環境はいいと思うんだけどなあ~?やっぱ、移植するダメージって大きいのかなあ?いつかは缶の中のよりもでかくなるのかなあ?
22:55 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-27 Wed , 2009
彼らはいつまで戦い続けなければならないのか
同性婚禁止の住民投票は有効=既存「夫婦」の婚姻は認定-米加州最高裁

事前の予想どおりの結果だったらしいが。。こういうニュースは本当に気が滅入る。

もちろん、これはアメリカのことで、直接わたしに関係があるわけではないし、日本で同じこと(=同性婚や同性パートナーシップ制導入)が議論されるようになったとしても、こういう状況にはならないとは思う。ので、わたしがそこまで悲観的にならなくてもいいと思うんだけど。

でもね、こういうニュースを読むと強い疲労感に襲われるのだ。別にわたしが活動しているわけでもなんでもないのにね、不思議だ。

ここのニュースにも書いてあるように、同性婚推進派はこれからもまだまだ戦い続けるようだが。。一体、彼らを突き動かすものってなんだろうと思う。カリフォルニアでは同性婚が認められ、その後、それが覆されると言うことが何度も起きている。同性婚推進派は覆されるたびに、戦ってきているわけだが。。「我々はいつまで戦わなければならないんだろう」と思わないのだろうか。覆されるたびに絶望感に襲われることはないのだろうか。

物事に対する「怒り」を持続させることは並大抵なことではない。ものすごく気力がいるものだ。彼らはなぜそんなにタフなんだろう?わたしはそのことがとても不思議でたまらない。わたしには、そんなに頑張る気力がない。そこまで頑張れない、と思う。

この問題は人ごとだけど人ごとじゃない。

今の世界の動向を見れば、同性婚はいつかは認められることだと思う。しかし一方、彼らの闘いはいつまで続くんだろうか、と思うといたたまれない気分がする。

------------- ここから -------------
 【サンフランシスコ26日時事】米カリフォルニア州最高裁は26日、「結婚は男女間に限る」とした昨秋の同州住民投票を有効とし、投票行為が「平等な人権を定めた州憲法に違反する」とした同性婚推進派の主張を退ける判断を示した。推進派は来年にも改めて合法化の是非を問う住民投票案を提出する意向で、係争は長期化が予想される。
 住民投票の手続きについて州最高裁は、「法的問題はない」と結論。投票結果に基づき即時発効した非合法化措置についても、法的効力を認めた。ただ、同性婚自体に関し踏み込んだ司法判断は避けた。
 一方で、発効前に婚姻届を提出した同性の「夫婦」約1万8000組については、婚姻を有効とし、夫婦としての権利を認めるべきだと判断、一定の配慮を示した。 
------------- ここまで -------------
14:31 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-27 Wed , 2009
自慢じゃないが
わたしには、「姐」と「妹」がいる。そして「双子の弟」もいる。そしてなんてったって「両思い」の人が2人もいる。。。

不思議なことに、「姐」「妹」「双子の弟」に対しては、身内みたいな感覚で、「これ書いたら傷つくだろうな」って分かっていながらもついつい書いてしまう。あっ、「妹」に対しては優しい「姉」ですけどね。「姐」は結構、反発の対象だったりする(笑)で「双子の弟」は、ホント、対等な立場で色々なことが話せる。わたしにとっては貴重な相手。

で、2人の「両思い」の相手は、、好きなんだよね、やっぱ。「あなたのことが好きです」って言えちゃう。「姐」「妹」「双子の弟」に対しては、この言葉は言えない。好きとかそういう感じじゃないから。「好き」って言った途端「おえー」ってなりそう(笑)←オイ

好きな人には「好き」ってあられもなく言ってしまうわたしだけど、この「好き」がどういうものかというと、まー、恋愛感情ではないのよね。恋愛感情ではないんだけど、好きなの。姿見たりとか話してると「あー、わたしはこの人が好きなんだな」って思う。だから「好きだよ」って言ってしまう。。

これがねー、全部「ゲイ」だってのがミソだよね(笑)

でもね、レズビアンの友だちでは、そういう関係の人は今は誰もいないんだ。。彼女以外。いや、彼女は特別なので、もう彼女以外の存在はないけど、それでもわたしは、彼女には言えない悩みを言えるようなレズビアンの友だちは今んとこいなくて、それはすべて「身内」の方に行ってしまう。。「両思い」の人には行かないの(笑)

んー、やっぱ、女性を恋愛対象として見てしまうので、「好き」と言ったら誤解される、とか、あとは知らないうちに恋愛感情に発展してったら、、って思ってるのかも知れない。でも、わたし、女の友情も全然否定してないんですけど。。

彼女に「なんでわたし、ゲイの人ばっかとこんな関係になれるのかなー?」って話したら「ろんたこの頭は全部女じゃなくて、男の部分があるからだよ」って言われた。なんでも彼女と話してるとき、彼女が「女ってさー」って女を一括りで話しても、わたしは「そうだよねー」って同意するらしいんだけど、「男ってさー」って男を一括りで話すと必ず「そうじゃない人もいるんだから一括りで話すな!」って言うらしい。。。自分ではまったく気が付かなかった(笑)

あ、両思いの人のうちの一人にもうすぐ会えるの。遠距離(?)だから、せいぜい会えて1年に1回なんだけど、今回は2年ぶり、かなあ。

お会いできるのを楽しみにしておりますよ。
おみやげも持っていきますんで、お楽しみに(笑)
21:45 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-28 Thu , 2009
三振野球と六振野球
えーと。わたしには「いぬちゃん」って知り合いがいるんだけど、いぬちゃんはねー、いぬのくせに(失礼!)フェミニストっぽいの。あ、本人は何だったかな-、フェミニストじゃない、だっけ。フェミニストの条件があって、それに一部当てはまらないから、本当のフェミニストじゃないって言ってるけど、わたしから見るとバリバリのフェミニストなの。で、日記に書いてることも正直言って、わたしにはよく分かんないの←堂々と言うなよ

でもね、そこで「いぬちゃん、わたし、これこれが分からないんだけどさぁ~」ってコメントすると、すっごく丁寧な例え話をしてくれて、その言葉はこういうことだよって教えてくれるの。わたし、フェミニストは怖いって、一方的に思い込んでたから、いぬちゃんと出会って「そうじゃない」ってことが分かったのは自分にとってもものすごくプラスになったなあって思ってる。

でね、こないだ、なんだったかな~。「詐欺行為」と「搾取」がなんたら~って書いてあったので(日記自体は全然違う内容だったんだけど、コメントでそれが出てきた)、「いぬちゃん、わたし『詐欺行為』とか『搾取』って言われても、それが具体的にどう言う意味を持つか分かんないよー」って書いたのね。

そしたら、いぬちゃんは、いぬちゃんが不得意でわたしの得意な「野球」にたとえて説明してくれたの。それがこの題名になってる「三振野球と六振野球」。このときは「男らしい」とか「女らしい」と今、言われているものは、昔からずっと不変のものだったわけではない、っていう、まぁそれくらいはわたしでも知ってることだったんだけど(笑)それのたとえだった。

多くの人々が「三振で1アウト」というルールの下で行われている野球が普通だと信じているけれど三振で1アウトでなければいけない、っていう理由はどこもなくて、それが例えば四振か五振で1アウトでもいいわけでしょってことで、そこに出てきたのが「六振で1アウト」という「六振野球」だったんだけどね。それを使ってどういうことが「搾取」なのかってことを教えてくれたの。

いぬちゃんはいつも「自分は野球なんか知らない。だって『バッチコイ』がどういう意味か知らなかったし」って言うけど、こっちにしてみたら「バッチコイ」なんか、草野球やってる人くらいしか知らないわけで。野球を観ているだけの人なら「バッチコイ」なんて、知らなくて当然なわけよね。あれは、野球をやってる人の言葉で、野球を観る人は別に全く知らなくても野球は観ることが出来るわけ。いぬちゃんがどこで「バッチコイ」という言葉を知ったのかは知らないけど、「バッチコイ」が野球を観る上で知らなくても全然構わない言葉だということすら知らないってことは、やっぱりいぬちゃんは野球についてはそんなに詳しくはないんだと思う(ゴメン、はっきり言って(苦笑))。

けどねー、そのもののことについて知らない人の方が、発想が自由なんじゃないかって、その説明を読んだときに思ってね。逆に知らないものの方が、想像力豊かに語れるんじゃないか、ってそう思ったのね。わたしは野球について現在ある形の野球が「野球である」と信じてるから、その形をどうやって崩せばいいのか、自分では思いつかない。ということは、逆にわたしが「こんなん当然じゃん」って思ってるものは、実は当然でも何でもなくって、ただ「そういうふうになっている」だけのものかも知れない。そんな風にわたしは思って、「もしかしたら、なんでも疑ってみないといけないな」って思ったのね。子どもの柔らかい頭ならともかく、もう人生半分くらい(半分以上?)生きちゃったわたしにとっては、それを考えることって難しいことなのかも知れないけど。

けどね。こうも思ったのね。「六振野球」ってもしかしたら「同性婚」とか「同性パートナーシップ法」に通じるものかも知れないって。今の日本は異性愛者しか結婚が出来ないし、それが普通だと周りからも思われている。それは、周りがみんな「野球には『三振野球』しかない」、って思い込んでるわけで、わたしは「いや、『六振野球』でもいいじゃないですか。『六振野球』でもちっともおかしくないですよ」って、多分、わたしは将来、そういうことにかかわっていきたいんじゃないかって。

したら、「六振野球」の妥当性だとか、必要性をもっともっと考えていかなくちゃいけないんだな、と。わたしは今のところ、どうやって「六振野球」にアプローチすればいいのか、実は全然分かってないんだけど、しかも、ただ「六振野球」についてだけ考えるのではなく、自分たちがもう既に手に入れている「道具」を使うことが条件の一つでもあって。ただわたしはそれが「道具」だということを認識はしているけれど、どうやって使えばいいのかよく分からない「道具」でもあり。「道具」の使い方をまず考えなければならないのね。

わたしは多分、これからまたいろいろ考えながら生きていくんだろうけど、「もうよく分かっている」と思い込んでいるものこそ、初心に帰ってもう一回「知らないもの」として考えてみたら、また別の可能性も開けてくるんじゃないかって、なんか今ね、そんなことをつらつら考えてるのよね。
21:38 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-29 Fri , 2009
教授さんと社長さんが加わりました(けえかほおこく)
最近、ずっと雨続きで、植木には水をやらず、毎日観察してるだけなんだけど、気に掛かるのは植えたばっかりの「ミニひまわり」で。。植えてから最初の1日は日が当たったけど、それ以降はずっと雨なので、土の中で種が腐ってなきゃいいなあと思っているが、わたしには何ともしようがないので、そのまま。

そんな折り、ワイルドストロベリーを植え替えた鉢に共に育っている、治ちゃんと治子ちゃんの生長が著しくて。治子ちゃんなんか、今、こんなになってる。右のは、つい、4日前の治子ちゃん。ワイルドストロベリーの大きさはほとんど変わらないような気がするんだけど、その隣の治子ちゃんは毎日すごく生長している。

P1030366.jpg   P1030347.jpg


彼女が「このまま行くと、治子ちゃんがのさばるんじゃないか」って心配してるけど、まー、もう今さら抜くのはねえ、、かわいそうな気がするので、このままにしておくけど。治子ちゃんは一体、どういう名前の植物なのかねえ。。どういう花が咲くのかねえ。。それとも花が咲かない植物じゃないよねえ。。

で、実は鉢の中に、治ちゃんと治子ちゃんの兄弟と思われるものが、また生えてきていて。

P1030367.jpg


治ちゃんは画面中央の4つ、葉っぱが出てるヤツだけど(その右側にワイルドストロベリーが植わってる)、治ちゃんの後方左側には治ちゃんの兄弟と思われるものが、治ちゃんの後方右側には治子ちゃんの兄弟と思われるものが、気が付いたら出てきてて。ただ、治子ちゃんはとっても背が高いんだけど、治子ちゃんの兄弟は割と身長が短いみたいで。一見、治子ちゃんの兄弟には見えないんだけどね。

で、まさか治ちゃんと治子ちゃんだけ残しておいて、その兄弟を無残にも殺してしまう(=抜く)のはやっぱりかわいそうなんで、これにも名前付けて育てることにした(笑)

その名前なんだけど、治ちゃんの兄弟と思われるヤツには「教授」、治子ちゃんの兄弟と思われるヤツは「社長」って名前にした。なんで治ちゃんと治子ちゃんは人っぽい名前なのに、教授さんと社長さんは役職名にしたかというと、実験よ、実験(笑)

いや、植物を人の名前っぽく呼んだときと、役職名で呼んだとき、なんか自分の中に違う感覚が出てくるのかなって、ただ、それが疑問だったのでそう付けてみたまでで。

というわけで、教授さんと社長さんという仲間が増えました。
これからもよろしくお願いします(って誰に向かって言っとるんじゃ)。
21:22 | 育てているもののこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム | 次ページ
AX