01-01 Thu , 2009
神社に行った
今日、近くの神社に行ってきた。
近くと言っても、ま、電車には乗ったんだけど。
とはいえ、そこは結構近隣住民の間では有名な神社みたいで「電車混んでるなあ~」と思ったら、ほとんど全員がそこの駅で降りてやんの!げげっ、みんな行くの?みたいな(笑)

あー、わざわざ題名を「神社に行った」にしたのは、それは初詣でじゃない、という意味で付けた。神も仏もないわたしは、ただ、出店を見て歩いて、食ったり飲んだりしただけだった(苦笑)境内に向けて、長蛇の列が遠くからあったんだけど、全部無視無視(爆)取り敢えず、列から離れて「なんか面白そうな店ないかなあ~」と見て歩き、最初に綿あめを買って(綿あめ、好きなの。この歳になっても(^^;)それを食べ食べ、今度はなんだったかな~。中国の「お焼き」みたいなの。なんとかピン(餅)って書いてあったような気がしたけど、、それを食べた。結構うまかったよー。なんかね、具が餃子の具みたいなんだけど、それを皮の中に入れて、それをギュウギュウ潰して焼いたものみたい。ごま油の風味とニンニクも入ってたのかしら?

で、ずんずん歩いていくうちに神社の境内の中に入ったんだけど、そこで反対側に回って、そしてまた反対側のお店を見ながら今度は戻っていって、そんでおしまい。その間、境内の中で売ってた白酒を買って飲んだんだけど、ゲロまずだったー。それから、七味唐辛子の実演販売があって、辛いもん食べられないから、普段はそういうものには無縁なんだけど、その口上が面白くてついつい、見とれてしまった。一袋1,000円もしたんだけど、それを7袋だの2袋だの買ってく人がばんばんいて、びっくりしたっていうか、自分ももし七味唐辛子が食べられるんだったら、わたしもつい、買って帰ったかも知れない。。(笑)

しかし、出店も同じもの売ってる店がいっぱいあったんだけど、例えば、たこやきとかお好み焼きとか。なんで閑散としている店もあれば、行列のできてる店もあるんだろうね。たまたま偶然通りかかったときに、そこの店に人が集まってただけだろうか。

んなわけで、参拝とか一切してないんで、初詣でとは言えないと思うんだけど(笑)、ま、なんか他の人の姿とか(ちゃんと着物来てたり、あとは破魔矢を持ってる人がやっぱ多かった)人手を見てたら、なんとなく「あー、正月」って気分になってきた。それにしても人が多かったー。ここの神社にこの季節に行くことは今年初めてなので、例年はどうなんだか知らないけど、こんなに人がいるとは正直思わなかった。

わたしたちが行ったのは、比較的日が差している暖かい時間から日が暮れかけたときだったんだけど、それでもまだまだ人はひっきりなしに神社に来てたから、すごいなーって思った。これが明日、明後日と続くのかな。

普段は神や仏なんか、おそらく日常の中に入り込んでない信心の薄い日本人が、こういう時期だけこういう場所に集まるのって、それはやっぱ信心からじゃなくて、ただの「習慣」なんだと思う。なんていうのかな、年中行事の内の一つ、みたいな感じ?確かに賽銭箱の前では鐘鳴らして柏手打って「家内安全」(今だったら「不景気脱出」(?))とかなんとか祈ってて、そのあとは破魔矢交換したり、おみくじ引いたりするんだろうけどさ、これって「信心」からじゃなくて、単なる「習慣」なんだと思う。こういうことやって「あー、なんか正月が来た感じ?」がするんだろう。

ある意味わたしも毎年、12月31日には「紅白」を見て、それから「行く年来る年」を見るってのは、自分の身体に「新しい年が来ましたよ」と実感させるためであり、今日、初詣で、というか単なる神社に行っただけだけど、そういうことを「したい」ってのも、自分の身体に「新年が明けましたよ」ということを無理矢理認知させる行為だと思う。わたしにとっては、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。で、人によっては「やっぱ賽銭投げて、柏手打って、おみくじ引かなきゃね」って人もいるだろうし、それは多分、人によって違うのだと思う。わたしはそこまでの必要はないのでやらないだけだ。

多くの日本人が初詣でに行くのは「年の初めの一仕事」なんだと思ったりする。でなければ、誰が好きこのんであんな人混みの中にわざわざ出向くものか。
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01-02 Fri , 2009
初夢
1月1日の夜に見る夢を初夢という。
「一富士、二鷹、三なすび」と言われるように、富士とか鷹とかなすびが出てくる夢を見ると「縁起がよい」とされているってのは有名な話だけど、生まれて40年、初夢にこれらが出てくる夢を見たことはなく。まー、見ようと思って見られるもんじゃなしね(笑)

で、今日、見たよ、夢。
でも、覚えてるのはシチュエーションでしかなく。なんの夢を見たのかはまーったく覚えてないの。。orz

どんなシチュエーションだったかというと、わたしと彼女が高校生で同級生、ということ。このシチュエーションでどんな夢を見たのかはすっかり忘れている。でも、両方高校生であっても、今の関係は変わってないというか、お互いの姿も今のままだし(爆)、なんのためにこういう設定になったのか、さっぱり分からん。っていうか、分からないところが夢だと思うけど(笑)

で、なんでこんな夢を見たのかなあ~、もしかして、今、吉屋信子のことを書いた本を読んでるから?と思ったんだけど、もうこの田辺聖子の書いた「ゆめはるか吉屋信子」も、下巻の最後の方で、今、吉屋信子は「徳川の夫人たち」を書いているところで、「花物語」なんてはるか彼方にいっちゃったところなので、これも理由にはならないだろうなあ。。

あ、この「ゆめはるか吉屋信子」まだ、読み途中なんだけど、なんとなく田辺聖子がこれを書いた理由が分かったわって多分、書いた理由は、この小説を読んで、そのあとの「あとがき」読めばそれで分かると思うんだけど、多分、田辺聖子は、これだけの作品を残しながら、文壇であまり高い評価をされていない吉屋信子に対して、再評価をしようと思っていたのだろう。だって、この本読んでると吉屋信子の私生活というより、作品がどのようなきっかけで書かれたのかとか、文体がどーのこーのとか、ともすれば、作品の一部が引用されていて、なんかこの本を読んでたら、一緒に吉屋信子の本も読んでいるような気になってくるのだ。

吉武輝子の書いた「女人吉屋信子」はもうちょっと私生活について触れていたんだけどね。田辺聖子の方は、門馬千代を吉屋信子の「生涯のパートナー」と書きつつも、ただそれだけで終わっている(今のところ)。だから、田辺聖子にとっては、「小説家」としての吉屋信子に興味があり、それ以外のことはあまり関係ないのだろうなあと読みながら思っている。これもこれでちょっとわたしとしてはつまんないなーと思ってるんだけどね(笑)

ま、本を読み終えたらまた感想は書こうと思ってるんだけど。

って初夢から随分内容が逸れたな(苦笑)

とにかく、彼女と高校の同級生だった、っていうだけで、あとは何一つ覚えてないのよねー(苦笑)確か、長い夢一つというより、一挙○本だて、みたいな短編(?)いくつか見たような気がするんだけど。

ま、いやな夢でないことだけはよかった。初夢が悪夢だったなんて、最悪だもんね。
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01-03 Sat , 2009
食欲がおかしい
んー、最近、食事を食べたあとでも、なんか口寂しくて。なんか甘いものが欲しくてたまらない。といっても、チョコレートは口の中で溶けて、それがあまり口の中の気持ち悪さと被るので、食べたくはないんだけど、こう、なんていうの、サクサクしたものでなおかつ甘いものが欲しいので、キャラメルコーンとか、あとはチョコレート付いてるけど、チョコフレークとか食べてる。

ご飯が足りないと言うわけでもないんだけどなあ。

ここ最近、またよーく眠れるんだけど、いくら寝ても寝足りない、というか、起きるときに目が明かない。うーん、また寝る前の薬が効きすぎてきたか。。夜はそんなに遅く寝ていないはずなのだ、最近。けど、これだけ寝ても起きられない、日中は眠い、とくれば、やっぱり徐々に薬が効きすぎてるんだろうな~、、だけど、次の診察ってまだまだ先なんだよね。頭痛くならないだけマシなんだけど、でも、こんなに寝てても、実は頭、ちょっとだけいつも痛くて起きるのだ。しかも今回は右側ばかり。このままひどくならなきゃいいんだけどね。まだ、偏頭痛薬を飲むまでには至ってないから。

彼女もなんか「疲れた、眠い」を繰り返してるし、うちら二人は一体なんなのだ?

昨日も早く寝ようといって、そんなに早くは眠れなかったから、今日こそは早く寝てみよう。

それにしてもなんとなく腹減ってる。うーん、眠らないんだったら何か食べてもいいかも知れないけど、今から寝るんだったら食べない方がいいな。
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01-05 Mon , 2009
調子わる
今日は早朝から一仕事してくるかー!と思って、起きて、メシ食って電車に乗ったはいいが、座ってたんだけど、だんだん気分が悪くなってきて、、腹痛と共に頭から脂汗が出てきた、、ってこの症状、脳貧血じゃん、と思って、座りながらも頭を下にするが(カッコ悪いと思いつつ。でも車内にはそんなに人は乗ってなかったんだけど)、もう、気分悪すぎてどうしよう、しかしこれは下手して途中で降りるより、一旦、新宿に出て、それからちょっと駅務室(って言うのかしら?)で寝させてもらおうと思って、すんごいガマンして電車に乗っていた。

んー、去年一度、やっぱり電車に乗ってるうちに、腕が痛くて動けなくなっちゃって、そんで駅務室の中の救護ベッドで休んだことがあるのね。

で、ようやく新宿に着いたんだけど、降りて歩くどころの騒ぎじゃなくて。しばらく駅のベンチで横になって、でもここじゃただ寝てる人と間違えられると思って、取り敢えず、改札まで歩きだしたはいいんだけど、途中で動けなくなってうずくまってたら、しばらくして(どのくらい時間が経ったのかはよく覚えてない)駅員さんに「大丈夫ですか?歩けますか、それとも担架を持ってきましょうか」って声かけられて、大丈夫じゃないので「担架をお願いします」ってようよう答えて、それで担架に乗って救護ベッドまで行った(と思う)。

それからもう腹痛で苦しんで、2回ばかりトイレを貸してもらったのかなあ。それでもお腹が痛くて痛くて。しかも、立つと今度は吐き気までしてきて、こりゃあ、一人じゃどうもならん、と思ったので、しばらくしてから家に電話して「動けない。。」と彼女に泣きついて、迎えに来てもらった。

それから1時間くらいしてから彼女が来たんだけど、やっぱり動けなくてしばらく背中を揉んでもらっていた。しかし、いくらなんでも2時間もベッドにいるのは、他にも気分悪くなった人が来たらどうしようとか思ったんで(ちょうどその時間はラッシュ時だったんでね)、ちょっと不安だったけど「帰る」と言って、彼女と一緒に家に帰ってきた。

もー、今日はそれ以外にも人と会う用事があったのに。。
悔しいやら情けないやらで、気分は最悪。

取り敢えず、家に着いてちょっと食べてから寝たんだけど、さんざん腹痛だった後遺症か、胃が痛くて痛くて。一応、胃薬も飲んだんだけど、あんまり効かない。今日はこれからおかゆを食べる予定。。

あー、しかし、あまりの自分の体力のなさに愕然。
本当に情けなくて落ち込む。
わたしは人の迷惑しかかけられない人間なのか、、、、
帰ってきてから散々落ち込んで泣いた、いや、ホントは泣いてないけど、このクソバカヤロウな自分をどうにかして根性入れる方法はないのかとか、東京湾に沈める方法はないのかとか考えてた。
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01-07 Wed , 2009
「中国の植物学者の娘たち」を観て
去年の今ごろだったか「『中国の植物学者の娘たち』という映画が公開されています、病気がよくなったら観に行かれたらどうですか」というメッセージをもらっていたのだが、残念ながら、そのときから病気がどんどんひどくなっていったので、この映画を映画館で観ることはできなかった。

しかし、去年の12月の初め頃だったか、ふとそのことを思い出し、Amazonで調べてみたら、DVDが出ているとのこと(中国の植物学者の娘たち スペシャル・エディション [DVD])。観たいと思ったので、買ってみた。映画館ではもう上映されていないみたいだったので。

物語は非常に単純なものだ。

舞台は中国。1976年の唐山地震で、父が中国人、母がロシア人という両親を亡くした、リー・ミンという女性は頼る親戚もなく、3歳のときから施設で育てられる。そしてある時、1ヶ月半という短い期間、昆林医科大学の植物園にいるチェン教授の下で実習生として働くことになる。

そのチェン教授には娘がいた。母を10歳のときに亡くし、ずっと父、チェン教授の元で父の面倒をみながら過ごしていた。名前はチェン・アンという。施設でずっと孤独を抱えながら過ごしてきたリー・ミンと狭い植物園の中で父の面倒をみてきたチェン・アンはお互い、恋に落ちる。

あるとき、人民解放軍の兵士である兄が赴任先のチベットから戻ってくる。そのときにリーを見初める、アンの兄、タン。リーはアンに「お兄さんから求婚されたけど断わった」という。アンは「兄はただの兵士で士官ではないから、規定によって妻子をチベットに連れて行けない。だから、兄と結婚したら、リーはわたし(アン)と一緒に植物園で暮らせる」と提案する。

昆林の郊外にある山の寺院(よく植物採集に行くらしい)で、たくさんの鳥がカゴの中にいるのを見て、リーがそこにいる坊さんに「これはなんのためにあるのか」と聞く。すると坊さんは「観光客のためだ。観光客の願いこめて、この鳥をカゴから放つのだ。そうすれば願いが叶う。そして願い事によって飛ばす鳥の数が違う」と。そこでアンが「二人が一生愛し合うには何羽飛ばせばいいか?」と聞く。「64羽」と答える坊さん。次にリーが「二人が一生離れないためには、何羽飛ばせばいいか」と聞く。「108羽」と坊さんが答える。

二人はその後、寺院の放生台に行き、二人で愛を誓い合い、そして湖に向かって鳥をカゴから放つ。

アンの兄と結婚することになるリー。しかし、結婚式の前日にアンとリーはお互いに貞操を誓う。

結婚式のあと、ハネムーンに出るアンの兄、タンとリー。しかしリーは不安そうでアンに「付いてきて」と頼む。タンはあきれ果てて「ハネムーンだぞ」という。列車が発車する。いつまでも列車と共に走るアン。それを止める父、チェン教授。

ハネムーン先のベッドの上で「なぜ処女ではない」とタンから責められるリー。彼はリーを散々殴った挙げ句、怒ってリーの両手を縛り、天井からぶら下げたまま、自分は赴任先のチベットに戻ってしまう。

なんとかかんとか植物園に戻ってきたリー。アンは傷つけられたリーを見て父親に怒るが、父親は自分の息子がしたことだから、と取り合わない。

それからはアンとリーの幸せな日々が続く。しかしあるとき、チェン教授がアンとリーが植物園の中の温室で抱き合っている(本当は抱き合ってないけど)のを見て、リーに向かい「この魔物め!」と言って、近くにあったスコップを振り回し殴ろうとするが、逆にアンに倒されるチェン教授。

アンとリーは裁判所で裁かれる。

裁判長がこう述べる。「チェン教授が亡くなる直前、病院のベッドで教授が警官に供述した事件の概要を読み上げる」と。すると検察官が言う。「みなさんに問いかけたい。この事件がなぜここまで社会に大きな衝撃を与え、人民の怒りを買い、政府が重要視するかを。教授が亡くなる直前に語った証言によると、教授の直接の死の要因は教授の持病の心臓病ではなく、彼の娘と息子の嫁が患った病、その病気は同性愛、である、と」

裁判官が言う。「自然の摂理に反する同性愛が発端で、植物学者である父親を死に至らしめた、チェン・アン、リー・ミン。罪は明白。法的にも、道徳的にも、社会的にもその行ないは許し難く厳罰に処す」と。

そしてリーから生まれ育った施設の院長先生のところに手紙が届く。「わたしの裁判で先生が自分について誉めてくれたことが嬉しかった。それ以外の裁判はわたしにとっては何の意味もない。ただ、わたしを裁けるのは、チェン・アンだけ、あるいはわたしたちの愛情」「院長先生、施設の庭の手入れはできそうにありません。施設は自分にとって自分の家同然。だから2つお願いがあります。一つは自分の死刑執行で使われる銃弾の費用、7元8角。それから、処刑されたあと、チェン・アンと自分の灰を一緒にして、昆林郊外の山の寺院の放生台に行き、湖に撒いて欲しい」と。

院長先生は遺灰になったリー・ミンとチェン・アンを持って、寺院の放生台に行き、二人の遺灰を混ぜ合わせ、湖に撒く。その光景を見て祈る坊さん。湖の上で、鳥になったアンとリー・ミンの笑い声が響く。

まー、こんな内容(長くなった(^^;)。

んーとねー。率直に感想を言わせてもらうと、確かにこれ、とてもきれいな映画だったの。これを映画館で観たらとてもきれいな風景もあるし、その部分は感動するだろうなと思った。けどね、話の内容が、、確かにこの二人のなんというのかな、妖艶さはそんなにエロいことはやっていないにもかかわらず、とてもエロティックなのね、なまめかしいというか。ただ、身体を重ね合わせているだけなのに、ものすごくエロティックな感じがする。そういうところはとても上手いと思う。

けどね、なんというか、、わたしにはもう一つ心の中に入ってこなかったのは、そのシーンがただ美しかっただけだからかなぁと思う。この二人、会って、ごく自然に好きになっていくんだけど、そこの描き方がちょっと物足りないというか。確かにこの二人が会う以前は二人とも孤独だった。だから、お互いに孤独を埋めるために求め合ったのは分かるんだけど、それと「恋に落ちる」はまた別問題じゃないかと。恋に落ちるというのは、なんかそこまでに至るためらいとか不安とか(それは別に同性愛がどーとか、ってんじゃなくてね)、そういうものがあったりしてもいいんじゃないかと思うんだけど、そういうのは全くなかったんだよね。

だからね、逆に言うとすんなり惹かれすぎて、物足りないの。だから、二人が一緒にいて幸せそうな顔してたり、いろいろするんだけど、そこの印象が薄いのね。

で、ここの印象が薄いのに比べて、裁判のシーンはとても重い。ちょっと裁判のシーンだけ、日本語で言われたとおりを文字起こししてみたんだけど、これがね、まともにズシンと胸に来るのね。本来だと、二人が幸せそうに愛し合っている場面とこの裁判の場面ってのは、対局の位置にあるものでしょ。そのうちの二人が幸せそうに愛し合っている場面が、わたしにとってはちょっと貧弱だったために、逆に裁判のシーンがめちゃくちゃ重くてね。で、それは単なる重みでしかなくって、それが心まで響いてこなかった。

この映画はある意味「同性愛の悲劇」を描いたものだと思うんだけど、なんというかね、「あー、なんかありがち」って感じがしたのね。でもありがちなんだけど、あまりわたしの胸には響いてこなかった。

それと同時に沸々と疑問点が。「中国って、同性愛が罪になると死刑になる国だっけ?」とか(ILGA:The International Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender and Intersex Association のサイトにある「世界のLGBTIの権利マップ」←死ぬほど重いから、開けるのに注意。には、中国のLGBTIは日本と同じく、なんの保護もされてないし、何の罪にもならない、となっている。まぁこれはただの参考ね)、映画の中で「同性愛という病気である」と言ってるのなら、死刑じゃなくて病院送りじゃないのか、とかね。これほど社会を震撼させて、死刑になっちゃった人のね、遺灰を一緒にして湖に撒いて欲しい、なんて願いは普通だったら無視されるんじゃないか、いくら死刑囚の願いでも、それを聞き届けたら、今度は聞き届けた方の身が危ないんじゃないか、とかね。そういう疑問が湧き上がってくる訳よ、現実的な問題として。

で、もっと具体的なことまで書いちゃうと、リー・ミンは、結婚式の前日、チェン・アンに貞操を捧げているわけだけど、かといって、彼女たちはあんなところではまともにSEXなんかできなくて、せいぜいできて指入れられるくらいだろとか思うんだけど(分からない人はそのまま分からないでいいです(爆))、ハネムーンで夫から「なぜ処女じゃない!」って責められたのは、きっとその前に貞操を捧げたからだと観客には思わせたいんだろうなと思うんだけどね。えーと、別に処女が初めてSEXしたとて、全員が全員出血するわけじゃないしね、その前に指入れられて処女じゃなくなったとしてても(意味が分からなくてもいいです(笑))、そのために次に男とSEXしたときに、処女であるかないかなんて分からんじゃないの、って思ったりする(笑)要するに何が言いたいかというと「不自然」の一言が言いたいわけで(爆)なんだかなあ~、、ちょっと古くさい観念だよね、って思うのね。

ちなみにこのDVDにこの映画のメイキングの場面が40分くらいくっついてるんだけど、これ見たらね、どうもテーマがテーマだったので、中国本土では撮影許可が下りなかったらしい。なんで、すべてあれはベトナムで撮影したそうだ。で、監督は中国人なんだけど、両親が医者だったらしく、文革のとき17歳から3年ほど再教育を受けさせられて、その後、政府給費留学生としてパリに渡ったらしい。

その監督は、メイキングでこのようなことを言っていた。

「これは激しい同性愛の物語ではない。若い二人の女性があるとき、不意に愛を求めてしまうんだ。それが物語の本質で、脚本を書くときに一番苦労した部分だ」

。。。確かに「不意」過ぎて、わたしにはよく分からなかったっす(苦笑)そして、激しいものではなかったので、わたしにはちょっと物足りなかったのだろう。これは作る側とわたしの受け取る側が不一致だったのよね。だから、作る側はおそらくそれで十分だと思って作ったのだろう。

「自由のために作ったとは言わない。中国人の考え方を改めようなんて野心もない。第一、わたしは政治的なことを言う人々は信じない。彼らが真摯でもね。政治は権力に結びつくものだからだ。権力は腐敗しやすい。少なくともわたしの映画やわたしの書くものは権力を持つための手段ではない。わたしは単に個人的な探求をしている。あるいは個人の自由を探求している」

多分、この監督のこの発言は、監督自身がいろいろ背負わされてきたものによって、このように言わせているんだろうな、と思ったりする。いや、それならそれで別にいいのだ。この作品で声高に「同性愛は異常な愛ではない」と叫ぶために作ったわけではなく、ただ、あのような女性二人が自然に恋に落ち、そして国家によって理不尽な殺され方をしたけれども、最終的には彼女らの願いは叶えられ、二人一緒になって、永遠に生き続けるのだ、とそういうことを描きたかったのだろうと思う。この話に政治的なメッセージなどはないと思う。

だけどね。わたしとしてはその方法として「同性愛」を使って欲しくはなかったんだけどな(笑)

でね、DVDのジャケットにも「見つめあうほどに、ふたりの愛は濡れてゆく。禁断の同性愛を描く究極のエロティック・ラブストーリー!」って書いてあるんだけど、はいはい。ホント、その通りですよ。。もうこの言葉、使い古されて擦り切れるくらいに古いけどね。しかしこれを見ると、やっぱり「その通りですね」としか言いようがない。。

ただね、チェン・アンをやった人は中国人で、この役を引き受けると言ったら「勇敢だ」と言われたらしい。もっとも本人はその言葉を聞くまで問題だとは思っていなかったらしいが。そして、もう片方のリー・ミン役をやった人、この人は中国人とフランス人を両親に持つ人みたいなんだけど、どうやらこの役は本当は中国人がやる予定だったらしいのだ。それがその役に決まった人は中国政府の「忠告」により、出演を止めてしまったので、この人がやることになったらしい。で、脚本も急遽書き換えられたそうだ。で、この人はメイキングで言ってる。

「メッセージ性のある映画に出られてよかったわ。自国でタブーの愛もよそなら認められる。今は無理でも3~4年後には中国でも受け入れられる」ってね。

わたしはこの映画は決してメッセージ性があるとは思わないが。。しかし、彼女の言っていることはある意味本当で、この映画が撮影されたのは2005年3月だが、それから約3年が経とうとしている。中国では今「華人レズビアン連盟」が設立されただとか「親の会」もできたとか、いろいろな動きもあるらしい。時代は少しずつでも動いている、と感じる。

結局、映画についてはめちゃくちゃなことを書いたけど、おそらく、全般的に言えるのは、わたしにはこの映画はちょっと合わなかったかな、ってこと。おそらく監督としては十分に描ききったと思っているだろうけど、わたしにはちょっと物足りなかった。その物足りなさの分、メッセージを感じることはできなかったが、しかし監督は別にメッセージ性はこの映画には持たせた気はないのだろうから、それはある意味正しい見方をしたのかな、という気持ちがしている。

んー、わたし個人的には、メッセージを含ませた映画を観るのが好きなんだけどね。ただ「美しい」とか「悲しい」だけでは、物足りないのだ。それは本当に個人の好みだから仕方ないのだけれど。

しかし、全く激しいエロいシーンはないのだが、官能的なあやしいエロティックさは十分に感じられる作品で、そこはよかったかな、と思う。音楽も場面に合った艶めかしさがあったし。
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01-08 Thu , 2009
IDAHOの前に考えること
「IDAHOって何?」とか「IDAHOってまだまだ先じゃん!」って思う人もいるだろうけど、えーっとまず、「IDAHO」とは、「International Day Against Homophobia」、日本語で言うと「国際反同性愛嫌悪の日」のことを指す。そして、この日はいつかというと、5月17日。1990年の5月17日に、国際保健機関(WHO)の国際疾病分類、ICD-10から同性愛が削除された。要するに同性愛は病気ではない、だから治療の必要がない、とされた日だ。日本も確か'94年だったか、日本精神神経学会が正式に「同性愛は治療の対象ではない」ことを表明している。

で、日本では2006年から5月17日に「国際反ホモフォビアの日」ってことで「同性愛者を初めとする性的少数者に対する差別や偏見をなくそう」ということで、イベントなんかやってたりするんだけど。あ、これはね、全世界的に行なわれているものなのだ。こんなウェブサイトがあって、日本でもやってるってことが報告されてます。

んで、何で5月にあるものを今、考えているかというと、今年もやるのだ。5月17日にIDAHOのイベントを。そのミーティングが今月行なわれることになってて、で、わたしはその前に考えている、というわけ。

去年は病気で全くかかわれなかったけど、2年前のIDAHOのイベントで呼びかけ人の一人としてやったわけね、わたし。そのときからこの日は「反同性愛嫌悪」というよりも「多様な性にYesの日」ということでやってきた。それは「反」とか「嫌悪」とかネガティブなイメージを持つ言葉を使うよりも、肯定的なイメージでやりたいねー、しかも同性愛者への差別や偏見だけじゃなくて、他の性的少数者も一緒に入れたいねー、ということから、そのようにしたわけだ。で、一昨年と去年はこの路線でやってきた。

で、今考えている。「さて。多様な性って一体、何だろうか、どこまで含むのだろうか」と。

例えば、小児愛者。ペドフィリアとも言うが、性の対象が少年や少女の人。そういえば、伏見憲明の「欲望問題」の一番始めにゲイの小児愛者の人の話が出てくる。伏見憲明がゲイの小児愛者の人に相談されたんだけど、何とも言いようがなく困った、という話。これを読んだときわたしは「なんで同性愛者と小児愛者を一緒にするんだ!」って思った。「同性愛は病気じゃないじゃん。それに対して小児愛者は自分の欲望を満たそうとするとそれは犯罪者になるじゃん!」って。それに小児性愛は国際疾病分類の中に入っている。いわゆる「病気」である(国際疾病分類第10版F65性嗜好の障害の5)。

「病気でなくなった同性愛と、病気である小児性愛を比べてどうすんの?」とそのときは思った。が、あれから考えれば考えるほど分からなくなった。「一体、国際疾病分類に入ってるとか入ってないで『異常』とか『正常』に分けてしまっていいのかなあ」とか「もし、国際疾病分類に入っているのが『異常』だったら、性同一性障害も立派な『異常』だよね」とか(性同一性障害は、国際疾病分類第10版F64)。「でも性同一性障害は、心と体の不一致でそれを治すためにわざと「病気」(=治療が必要)になったんだよね」「国際疾病分類に性同一性障害の人が入っていたとしても、その人たちを差別したり嫌悪したりしていい、って根拠にはならないよね」「だったら、小児愛者だって、差別されたり嫌悪されたりしたりしていいって根拠にはならないよね。。」

「だってさぁ。同性愛者だって、いくら否定されても『わたしたちは既にここにいる』んだよね。小児性愛者だって、既にここにいる人だし、わたしが何で自分が同性愛者に生まれてきたんだろう??異性愛者の方が絶対に楽なのに!!って思うように、もしかしたら小児愛者も同じことを思ってるかも知れないな。。。」「小児愛者じゃない同性愛者だったら、まだ大人同士の合意で付き合ったり、身体の関係も持ったりでいるけど、小児愛者は自分の欲求さえ満たすことができなくて、もしその欲求を満たしたとしたら、それは犯罪で、その子供にも大きな傷が残ったりするよね。ということは、本当にその子供を愛したとしても、本当にその子供のことを思うのなら、無理矢理SEXなんかできやしないだろうな」「だけど、一生、自分の欲望を満たすことができない存在に対して、わたしはその人に対してどういう解決方法を提示できるというのだろうか」

また、こんなことも考える。

「一人の人が複数人同時に愛せる人を責めることができるのだろうか」「多くの人は、一人の人に愛を誓って、一人の人しか愛さないというけれど、中には複数の人を自分の心の中に住まわすことができる人もいるじゃないか、そういう人に対して『不道徳だ』とか『不倫だ』とか『浮気だ』と軽々しく言えるのだろうか」「確かに今の日本の法律では、重婚は認められていない。だから、浮気は離婚の理由にすることができる。けど、何人もの人を愛せる人は、それが理由で非難できるのだろうか。中には複数の人と恋愛できる人たちが集まって、複数の人たちで恋愛していれば、それはそれで構わないんじゃないか。これが一人しか愛せない人と複数の人が愛せる人の組み合わせだったら、いろいろと問題は起こるだろうけど、そうじゃない人たちの間で合意がなされていたら、それはそれでいいんじゃないか」と(専門的な言葉を使って言うと「モノガミー」と「ポリアモリー」の問題と言うことになる)。

そう考えていくと「性の多様性」って、ホント、どこまでもどこまでも行ってしまう。線が引けなくなる。そして「多様な性にYes!」ってことは、これらを全部認める、ってことなんだろうか、と。いや、認めるも認めないもないだろう。そういう人はもう既に存在しているのだから。

だったら、わたしは一体、どこまでの性に対して「多様な性にYes!」と言えばいいのか。

これをね、ここ、ずーーーっと考えてるんだけど、本当に分からないのよ。果たして「差別していい性」なんてあるんだろうか、とも思うし、一方では「そうは言っても、犯罪になるものはやっぱりダメなんじゃないか」とも思うし「だからといって、そういう人たちはもう存在してるんだよ。その人たちはどうすればいいの?」ってね。

これ、2年前には全く考えもしなかったこと。

今年はこれをどう解釈して、自分なりにどこまで受け止めてから、IDAHOの日に臨むのか。多分、答えは出てこないだろうな、と思ってはいるけれど。でもやるからには「何のためにやるのか」ははっきりさせておかねばならないだろう。

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01-09 Fri , 2009
仕事始め
ふー、やっと今年の仕事1号がキター!という感じです。
ただ、まー、あんまり金にはならない仕事だけど。。
でもないより断然マシ。だけど、1ヶ月に5万でいい、と思ってたけど、これはきついわ。。
といって、今はこれ以外やれることないしね。
というか、「あ、この仕事が取れればいいなー」って思った仕事が取れた試しがなし!
何がいけないんだろう。。

んー、これと受験勉強を両立しようと思ったらかなり大変かも。

やっぱ時間を決めて受験勉強した方がいいよなあ。。

ぶつぶつ、つぶやきでした、今日の日記。
22:09 | 仕事・バイトのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-10 Sat , 2009
は~どうしようかなあ~
なんか、最近は、つらつらと考えること多し。
別に建設的なことじゃなくて、取り留めのないことだったりする。
将来、やりたいことは決まってるのに、なかなか一直線には進まないなあ、とか。
ホント、何も考えずに自分のやりたいことだけやっていけばいいんだけど、
なぜか、別のことを考えちゃったりして。
そんなこと、本当は考えているヒマはないんだけどなあ。

思うに、もう少し頑張らなきゃいけないのかな。
今の考えが甘すぎるのかな。

ただ、、あまり頑張ると身体の方にね、あまりよろしくない影響が出てくるので、
わたしは目一杯は頑張ることができない。

あー、早くこの病気治ればいいのになぁ~。

最近は割と早く寝ているつもり。
睡眠もまあまあ取れているつもり。
なのにねー、劇的に症状が変わらないんだよねえ。。
まー、それは分かってることなんだけどねえ。。

ホント、わたしってなんで生きてるのかなってふと考えたりするよ。
死ぬまで生きなければいきなければいけないのは、ある意味しんどい。
22:26 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
01-11 Sun , 2009
寝てばかりの一日
今日は、なんか寝てばかりの一日だった。
昼ごろ起きて、ご飯を食べてちょっと仕事したら、気分が悪くなったので、ベッドで横になった。
それで数時間寝て、夕方に昼ご飯(といってもシュークリームを食べただけだけど)。
それからまた仕事やって、一応、ノルマは終えた。納期が明後日なので、見直し時間は十分に取れることが分かった。
その後、疲れたので、またベッドに。いろんな夢を見た。
今は、夢の中の方が楽しいかも知れない。。
起きたら9時近かった。
それから夕ご飯を食べた。

起きていると気持ちがどんどん暗くなっていく。
自分の人生を考える。
この先、いいことなんて何一つないような気になってくる。

今日は早く寝て、また、夢の中で幸せな気持ちになろう。
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01-12 Mon , 2009
ずっと考えてた
今日は仕事も一段落したことだし、ってことで、彼女と新宿に出かけた。
最初は南口の東急ハンズと紀伊國屋書店に行って、それから二丁目のcocolo cafeで悠くんの個展やってるってんで、それを観に。だいたいそういう計画をたてていた。

今日はずっとずっと考えてた。「わたしは何故、今、この人と一緒にいるんだろ」「なぜ腕を組んで歩きたいんだろ」「なんで彼女は身体をこちらにすり寄せてきて甘えてるんだろ」。。。って、そのときどきで「なぜだろ、なぜだろ」って考えていた。

付き合ってこの3月で丸8年を迎える。一緒に住んで4月で丸4年。遠距離恋愛だったときの時間よりこれからの時間の方が長くなる。その中で今、わたしは「なぜ、彼女と今、一緒にいるんだろうか」を自分の中で問い続けている。

今、一緒にいて不都合はない。あまりにも自然に二人で一緒にいる。「それって、一体どういうことなんだろう?」って少し前から思い始めた。正直言うとそれを一人になって考えたかった。けど、経済的にそういうことが許される状況じゃないし、それにもし、一週間なら一週間でも一人でどこかホテル暮らしをして、一日中、誰とも口を利かず、ずっとずっと考えたとしても答えは出てこないと思う。いや、多分、何をしても「これが彼女と一緒だったら楽しいだろうな」とか「今度、これを彼女と一緒にやりたいな」って思うに決まっている。だって、一人で外に出ていても、何かあれば「あっ、今度これを彼女と一緒に」って日常的に思ってるんだもん。

でもそれって、彼女が好きとかそういうんじゃなく、ただ惰性で一緒にいるからなんじゃないだろうか、と思い始めたら、自分が分からなくなった。惰性で一緒にいることがいいことなのか、悪いことなのかはよく分からない。けど、初めは「一緒にいたいからいる」と思っていたはずだ。それなのに今はいることが当たり前で、自分でも本当に彼女と一緒にいたいのかどうかよく分からなくなってしまった。

彼女と一緒に道を歩いていて、ずっと彼女を見ていた。「なんでわたしはこの人と一緒にいるんだろうな」と思っていた。ときどき腕を組んで歩いた。「腕を組むと暖かいね」って彼女が言った。わたしは洋服を通して伝わってくる彼女の暖かさは分かったし、多分、その暖かさは心まで温かくしてくれるような気がしていた。でもそれはなぜなんだろう、って思ってた。ずっと「彼女のことが好きなのかなあ」「これは惰性でそうしてるのかなあ」って思ってた。

そんなことを考えながらも、東急ハンズでは台所用品や洗剤といった「普通に暮らしてて当たり前に使うもの」を買ってる。最近、ようやくわたしが本来の役割分担で決めていた掃除や食後の皿洗いなどをやり始めて、それで、自分が使いやすい(今まで使ってた)ものを買いに行ったのだ。あ、わざわざ東急ハンズで買ったのは、そこでしか売ってないものが結構あったから。といっても特別なものではなく、和布(これで洗うと石けん使わなくても大体のものは洗える)とか、クレンザーとか、一昔前だったらだいたいどこでも手に入っていたものなんだけど、最近、クレンザーとかってとんと見かなくなっちゃったんだよねー。だから、わざわざ東急ハンズで買うのだ。「エコだねー」と言われるとそうなんだけど、別にこれ、自分でそうやろうと思った訳じゃなくて、母がそうしていたので、それをまねているだけだ。

わたしが一旦、品物を持ってレジで清算していたら、彼女が「こっちこっち」って呼んでいたので、行くとマグカップ売り場だった。わたしたちは前々から「お揃いのマグカップが欲しいね」って話してたのだ。で、いろいろあって見てたら、ムーミンのミーとスナフキンの絵が描いてあるマグカップがあって、思わず「これがいいね!」とお互い言い合って、即決定。

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「これで毎朝二人でコーヒーを飲むことになるんだろうな。。」って考えたけど、それによって幸せは感じられなかった。というか、最近、一体なにが幸せなんだかよく分からなくなってきている。。そういう気持ちさえもわたしは既に麻痺してるというのか。でも、二人で気に入ったマグカップがあって嬉しかったことは確かだ。

そのあとは紀伊國屋書店へ。なんか今日、16時半から椿姫彩名のサイン会があるってことで、なんか前に着物姿の人が歩いてて、それに向かってものすごい報道陣がいたんだけど、、しかし、その着物姿の人が椿姫彩名かどうかは分からず、というか、多分、正面見てもわたしにはわからなかっただろうけど(苦笑)

で、久々に行く本屋。案の定、本買ってしまった。ま、1万円は買わなかったけど。今回のバイト料がすっかりふっとぶくらいの金額。つか、今回は性同一性障害とかトランスジェンダーに関する本が結構多かった。同性愛は、、もう読み飽きた(苦笑)つか、あそこにあった同性愛関係の本はすべてもう持ってて読んじゃったものばかりだし。あとは国際人権法関係の本を一冊。

本屋では、わたしと彼女はたいてい別行動だ。というのは、お互いの興味のある分野が違うから。だから、わたしと彼女は「じゃあね」と言って別れて、それから自分の興味のあるコーナーにそれぞれ行って、そして用が終わったときに電話をかけて、また落ち合った。

そこから今度は二丁目に向かう。道を歩きながらもまた、一緒に腕を組んで歩いた。「なぜ腕を組んで歩くとちょっと嬉しくなるのかな」と思った。それでもやっぱり「これは惰性でそう思ったりするのだろうか」と思った。今は何をするのでも「これは惰性でやっているのだろうか。本当の本心からやっていることではないんじゃないだろうか」と考えてしまう。彼女がもたれかかってきたりするのも嬉しいし、そういう彼女がかわいかったりするけど、「なんで彼女はもたれかかってきたりするんだろう。これも惰性からなのかな」とついつい考えてしまう。

今日の二丁目は割と閑散としていて「誰もいないね」と話ながら歩いていたら、偶然知り合いと出会った(笑)本当にこの世界は狭い!(爆)腕くんで歩いてたから「ラブラブですね~」と言われたけど、わたしの心の中は結構「なんでかな」って思ってたんだよ(笑)

それからcocolo cafeに行き、悠くんの絵を見たりしてた。注文もせず(爆)禁煙席からわざわざ喫煙席の方まで行って絵を見て、それから自分たちの席に戻ってきて注文した。えーっと、スペシャルくまくまメニューにあった、「ひげくまレモン」を彼女が、「カフェ・ハニーポット」をわたしが注文。えーと、ハニーポット、甘かったっす(笑)

帰りがけに、くまくまグッズの中のカレンダーとカンバッヂを買おうとしたら、、わたしの欲しかった赤いクマのカンバッヂは好評に付き、売り切れ~、クマのカンバッヂ自体、全部売り切れ~ってことで「また、入荷するんですか~?」ってお店の人に聞いたら「ええ」って答えてたので、また今月中に行かないと。つーか、入荷したら教えてくれ>悠くん<って分からないか(笑)

その後、「ルミエール」に。ただ、まだわたし、Badiは読み終えてなかったので、今回は、ルミエールで売ってる誰も買いそうにない(爆)「レズビデオ」を見てですね、まー、14,100円(税抜き価格)がなんと、1,980円で売ってたので、買いました。つーか、今、Amazonで見たら、なんと中古で125円!オイオイ、どんなんや。。ちなみに題名は「ザ・レズ地獄 (6) [VHS]」つーのです。。あー、パッケージ見たときは結構楽しみと思ってたのに、中古で125円と知り、ちょっと気が抜けた(笑)

しかし、日記読んでる人なら知ってると思うんだけど、わたしはあそこでよく500円に値下げされたBadiを買ってるんだけど、今日、天井から「女性の方は男性同伴でも立ち読みしないでください」って書いてあったんでえらくびっくりした。彼女に「ねーねー、あんなこと書いてあるよ」って言ったら「女性二人だったらいいんじゃないの?」ってよくわけの分からないことを言っていたが。。ま、わたしは今回は買わなかったけど、取り敢えず去年の11月号までは500円に値引きされて売っているのを確認して、あ、あと彼女に「坊やよい子だキスさせて」を買わせました(爆)いや、これってBadiに連載されてるマンガなんだけど、面白いのよ。ええ、もう帰ってから全部読んだわ。2巻が12月5日発売って書いてあったのに、まだ2巻はなかったわよね。。。

それから、もう周りもすっかり暗くなったので帰ろうと言って、新宿駅に向かって歩いてたんだけど、途中で「ディスクユニオン」で中古の海外DVDが売ってる店に寄り道。かなり疲れてたんだけどね~。しかし、そこで思わず見つけて買ってしまった「変態家族 兄貴の嫁さん [DVD]」。見つけたときは「あーっ!」って言っちゃいましたよ(苦笑)

これって知る人ぞ知る、周防正行が監督やった最初の作品なんだよねー。わたし、彼の「Shall we ダンス?」がすんごい好きで、ビデオ持ってるし、あと、これがアメリカに行って英語字幕の作品になったのね。リメイクされたのはまだずーーーっと後の話になるわけだけど。その英語字幕の(んでもって、映画そのものは日本語で話してる)ビデオも持っているのだ(Shall We Dance (Sub) [VHS] [Import])。で、さっきみたら、どうやらDVD化されてるようだったので、買っちゃいました(苦笑)まー、欲しいものは欲しいんで。。ついつい買っちゃうね(^^;

そこではその他に「ヴォイス・オブ・ヘドウィグ [DVD]」とか「セルロイド・クローゼット [DVD]」なんてのが売られてたんで、彼女もついつい買ってしまったみたい(苦笑)特に「セルロイド・クローゼット」の方は、廃盤ってことで、少しプレミアが付いてた。新品で封も開いてないんだけどね。

ってことで、彼女は「今日は散財した~」って言ってたけど、そうなの。。わたし、最初の所持金が2,000円しかなかったんで、今日は彼女に1,000円払った以外、すべて彼女持ち。あ、本はクレジットカードで買ったんで、自分持ちだけど。ふう、やっぱり、二人の持っているお金の不均衡さもわたしはとても気になるところだ。こういうのってやっぱ、二人がフィフティーフィフティーでいたいじゃない。けど、今のわたしにはとてもそんなどころじゃなくて。。もちろん、彼女は何も言わないけど、それじゃわたしがイヤなのだ。働いていた頃の、ああいう状態に早く戻りたいと思う。。けどね、今のバイトじゃ絶対にそれは無理なわけで。それもわたしが考える二人の関係とはほど遠くて、だからわたしは自己嫌悪に陥る。

こうしてまた、二人は自分の家に戻ってきたわけだけど。。

わたしはまだまだ「二人でいること」について、こだわっている。本当に彼女が好きで、一緒にいるのだろうか、と。そういうことに今さらこだわるのはおかしいことだろうか?結婚しちゃった人は、配偶者と暮らしてて、ふと、そんなことは思わないものなのかなあ。。結婚という制度で縛られないからか、自分の頭の中には「別れようと思えばすぐに別れられる」って思ってる。これって結婚した人はそう思わないものなのかなあ。ま、子供とかできたら、それどころじゃなくなると思うけどね。。

まだまだわたしの悩みは続いていく。。
22:54 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-13 Tue , 2009
「ザ・レズ地獄6」を見たのだ
昨日、ルミエールで買った「ザ・レズ地獄 (6) [VHS]」を早速見てみた(*^^*)←?

はぁ~、一昔前のエロビデオってこんなんだったんだー、って、実はエロビデオ自体全くと言っていいほど見たことがなかったんで、ちょっと感動した(笑)わたしが今まで見たレズDVDとはちょっと違う。ってのは、多分、DVDの方は「オススメです」ってのを見たんで、一般的に言う「レズエロDVD」とはちょっと違うんでないかと思うけど。多分、わたしはあんまり~、、だったんだけど、「本物っぽさ」で選ぶなら、オススメのDVDはかなりいいもんなんだろうけど、わたしが萌えなかったのは、書くの恥ずかしいけど(笑)、要するにわたし、ディルド出てこないと萌えないみたい。。。ぽそ(-o-)

「なぜ、なんでだ。せっかく女性同士のSEXなのに、ディルドなんて男性器を模倣したものを使うSEXがいいんだ!」って聞かれても、ディルド付けた女性を見ると萌えるんだもん。なんかわくわくするって言うか、、(爆)これが本物の男性のモノだと、おそらく「ウエー(-o-)ぺっ」になるんだろうけどね←オイ

「女性同士のSEXは男性が入らないSEXだから、なんでわざわざ男性を彷彿とさせるものを持ってくるんだ」と言われても、わたしは女性のそういう姿を観たらすげードキドキするんだから、仕方ないじゃん!(爆)←もう開き直ってます

やっぱさあ、人によって「萌えるシチュエーション」ってもんは多分、あると思う。。それがわたしの場合ディルドなだけで。。

でね、この「ザ・レズ地獄(6)」はディルド付けた女性が出てくるから、ちょっとわくわくして見てたんだけど。。ま、この際、演技がどうとかは言いません。しかし、、モザイクが大きすぎる!!

この作品っていつ発売されたんだろうってAmazonを見てみたら、2002年だそうで。その頃はまだ「ヘア解禁」じゃなかったのかなぁ?なんかさ、前に見たDVDで「こんなもんかあ」って思ってたから、あのモザイクの大きさにはびっくりした!あれじゃ、正直言って、何やってるのかさっぱり分からん。。

物語(っていうのかな、いちお、筋はあるんだけどね(^^;)は、最初、男性カメラマンのアシスタントをやっていた女性が、男性カメラマンの被写体だった女性に対して「撮らせてください」って頼んだところから始まるんだけど、その女性カメラマン(きょうかさんなのか、きょうこさんなのか、これが役者の滑舌が悪くてよく分からんのだわ(^^;)がそのときのモデルをやってた「えりちゃん」を元々狙ってたみたいなのね。で、きょうかさんかきょうこさんは、どうもタチらしい。2人はどういうわけかSEXして(ま、こういうところの細かい部分がないのがAVなのよね)、んで、まりちゃんはきょうかさんかきょうこさんに惚れたのか、2人で一緒に仕事やるようになるんだよねー。モデルやってたえりちゃんは、今度はメイクさんとして。で、新しく被写体になってる「まりちゃん」か「まみちゃん」(これも、よく分からん)をリラックスさせるために(?)2人でディルドを使ってSEXして終わるんだけど、なんか筋のあるようでないようなストーリーなのは、まあいいのよ。そういうもんだと思うから。

けど、モザイクがなあ~!3人で絡んでたら、一体、何がどうなってるかさーっぱりわからん(笑)モザイクだらけで。あの当時、本当に14,000円も出して、あのビデオを買った人っているのかしら、、??

そういえば、「モザイク消し」なるものも売られてたけど、モザイクって、結局、モザイク掛けるところの情報を多分、平均化かなにかして、一つの情報にしてるんでしょ?その平均化したものを、元には戻せないと思うんだよなあ~。だってさ、(3+3+3+3+3)の平均は「3」だけど、平均が「3」だからといって、そのもとの成分は分からないでしょ。(3+3+3+3+3)かも知れないし、(1+2+3+4+5)かも知れない。モザイク消しってのは、結局その平均化された情報を元に戻す作業をするもんなんでしょ?わたしはそう理解してるけど。だとすれば、最初のデ-タがなんだったかなんて、分からないじゃん。なので、あのブツは結構怪しげなものではないかと思っているんだけど。。ただ、このモザイクをどうにかしたい!って思う気持ちはよく分かる(爆)

あー、でもねー、なんかさ、きょうかさんかきょうこさんは結構楽しんでやってるような気がするの。けどね、えりちゃんはディルドを付けてまりちゃんかまみちゃんと絡んでるんだけど、なんかねー、えりちゃん、楽しそうじゃないんだよね、全然。。なんかあの顔が気になってさぁ(爆)機械的にディルド付けて、それで腰動かしてるって感じ?全然気持ちよさそうじゃないの。まー、確かにディルドは付けてる側は物理的な刺激があるわけじゃないから、気持ちよくはないんだけどさ、でも、ホントは気持ちいいんだよ!その気持ちよさをどこで感じるかというと、ずばり脳内ってことで、まーねー、これってホントに好きなもの同士がやらないと、ディルド付けてる側の脳内麻薬は出てこんかも知れん。てーか、なんかいらないところで力説しているわたしめではございますが(爆)

まみちゃんか、まりちゃんもねー、ディルド体内に入れられてても気持ちよくなかったでしょ、アナタ!って感じがありありで、結局、一番楽しそうだったのは、きょうこさんかきょうかさんか知らないけど、あの人だけだったんじゃないかという。。胸の揉み方なんかもかなりエロティックだったし(笑)言葉責めも結構イケた。とか、はぁ~、、やっぱモザイクがもうちょっと小さければねえ~(はあ)っつー作品でした(爆)

あ、あと昨日買った「変態家族 兄貴の嫁さん [DVD]」も見たんだけど、こっちの方はモザイク一切ナシ、だったのね。そういう際どいシーンはなかったんで。しかし、パンティーの脱がせ方とか、パンティーの写し方、なんかはかなりエロティックで、あー、撮しようによっては、ああいうのも十分にエロティックに撮せるんだって、ちょっと感動(?)した。

というわけで、ルミエールに売ってるレズものビデオってさぁ。。あれ、場所取ってるだけで、誰も買わないのかな。誰も買わないと、いつまで経ってもビデオからDVDになんないのかしら、、って思ったり(笑)いらんお世話だけど。
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01-14 Wed , 2009
彼女が風邪引いた
昨日の夜だったかな、彼女が「なんか風邪引いたみたい」と言う。確かに咳が出てるようだった。もう遅いかなと思ったんだけど、うがいをさせて、それから葛根湯を飲ませたりドリンク剤を飲ませたりして一晩過ごしたんだけど。

朝、起きたらもっと悪くなってたみたい。熱が出ているという。なので、わたしが今日は朝食を作って、彼女に食べさせた。彼女は「もうそろそろ買い物に行かないと、食べるものがないんだよね」と言うので、わたしが買い出しに行くことになった。

あー、なんかこういうのって、二人暮らしし始めて初めてじゃないかなー?

一体、何を買ってきたらいいのか分からなかったので、彼女にリストを作ってもらって、それで買いに行った。夕食は「適当にお総菜買ってきて食べよう」と言うので「それだったら、作るよ」と言って、今日の夕飯はカレー(笑)。

いや、カレーしか作れないわけじゃないんだけどさ、わたしだって一応、10年は一人暮らししてきたんだし、わたしは外食するのが嫌いだから、ほとんど家で自分で作って食べてたし、まー、わたしの手間がかからないことと言えば、何日でも同じものを食える、ということかな。だから、一人暮らしのときはカレーを大量に作って、1週間連続夜はカレーなんてことも、1年に2回ぐらいはやっていた。なんでもっとやらなかったかというと、1週間連続カレーを食べると、次に「カレー食いたい」と思うまで半年くらいかかるのよ(笑)

で、この季節だったら、鍋なんだけど、どーも鍋は今、食べる気しなくてね。だもんで、カレーにした。わたしのカレーは自分で言うのもなんだけど、うまいのだ。つか、こういう煮込み料理は、時間を掛けたら誰でもうまくなるんだけどね(^^;

タマネギの大きいのを2つ入れて、それがなくなるくらいまで煮込んでおく。そうすると、とっても甘いカレーができるのだ。あ、ルーは中辛っす。で、人参にカレーの味が染みこんでるのがまたおいしいのよね。って、今回も結構うまくできたのだが、彼女は熱が38度以上になってしまって「おいしいかおいしくないかわからないの、ゴメンね」って言われちゃった。。

てか、普段、平熱が35度台の彼女だから、熱が7度とか8度になると、めちゃくちゃしんどいはずで、ふーふー言ってるから、わたしが買い物に出かける前「ちゃんと医者に行きなさいよ!もしかしたらインフルエンザかも知れないからね!」って言っておいたのだが、、なんか水曜日ってここら辺の医者が全て休診だったらしく「どこも休みだよー」ってメールが買い物してたら届いたんで、うーん。。インフルエンザだったら、早めに受診しなければいけないのになあ。。こんなとき、車でもあれば、大きな病院の救急にでも行くのだが、、

で、寝過ぎなのか熱が出たからか「腰が痛くて眠れない」という。その気持ちは十分よく分かるのよ。わたしも去年、寝たきりになったけど腰が痛くなったり、あとは座骨神経痛がよりによって出てきたりして、横になりたくてもなれない、というか、寝てるしかないのに一体、どんな格好をして眠ればいいのか本当にわからなくなっちゃって、すごいひどい目に遭ったからだ。でも、熱が出ているときに腰を揉むわけにはいかない。ので、シップを貼って我慢してもらうことに。

それから、熱が出たんで「まー、熱が出たってことは、身体がウィルスと戦うために出してるんだから、無理して熱下げなくていいね」って言ってたんだけど、でもやっぱり身体がつらそうだったんで、夕飯食べた後に一応、効くか効かないかは分からないけど、市販の風邪薬を飲ませた。

病人はつらいよ。わたしは彼女の病気を看病するのは、記憶に寄れば多分、初めてだと思うけど、看病してる方がずっと楽って思うもの。わたしは今まで彼女から看病されっぱなしだったけど、病人は寝てられるから楽でいい、なんて一つも思わなかった。やりたいことができないつらさ、身体がしんどいつらさ、もう、病人ってホント、存在してるだけでつらいのだ。だから、ちゃんと看病しようって思う。

と言いつつ、買い出しのついでにTSUTAYAに行って「レズエロDVD」を借りてきてしまったわたし(笑)←好きだね

カレーを煮込みながら見てたんだけど、彼女から「声がうるさい!」と言われてしまった。。で、音消して見てた。今回のは結構面白かった。つか、夕飯時にエロいDVD見るなんて、ホント、どうにかしてると自分でも思うんだけど、借りてきてすぐに見たかったのよ!けど、彼女のことを考えると、夜にこっそり見た方がよかったかも知れない。。ってことで、また夜にこっそり見よう。。あ、イヤホンもしなくちゃね。←もう既に一回見たのに!(爆)

明日はわたしの病院の日なんだけど、彼女はアサイチで病院に行かせなきゃ、と思っている。しかし、熱が8度超えて苦しそうなのだ。。うーん、水分補給はさせてるし、明日の朝までどうやったらちょっとは楽になるだろうか。。

それから、、インフルエンザじゃなきゃいいんだけどな。。ちょっと心配。
20:47 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-15 Thu , 2009
インフルエンザだったー
昨日の晩から今日の朝にかけて、彼女はあんまりゆっくり眠れなかったようだ。なんか横でごそごそしてるのが分かってたんだけど、わたしは眠いので寝てた。

でも昨日の夜、「明日は病院は9時からだからね!」って言ったのに、一向に行こうとしないから「なんで行かないの?」って怒ったら「身体がだるいから」って、、そりゃ、分かってるよ。けど「そういうときに行かなかったらどうするの、もしインフルエンザだとしたら、タミフル効く時間って限られてるんだからね!何もだるいところを電車に乗って行けって言うんじゃなくて、病院は近くなんだから早く行きなさいよ!」と言って、取り敢えずは朝食食べさせて、それから病院に行かせた。

っつーかね。わたしなんか本当に外に出たくなくて出たくなくて仕方ないときに電車に乗って病院行ったりしたもん。何度病院に行く途中に倒れたことか。。それに比べると、、なんて思うと、なんかすごく腹が立ってくるのよね。で、朝食食べてるときは「熱が6度台に下がった」って言ってたから「じゃあ、耳鼻科の方にする?」なんて言ってたんだけど。。

帰ってきたら「インフルエンザA型だった」と言って帰ってきた。「タミフル、まだ効くって?」って聞いたら「うん。」っていうからよかった。

で、入れ替わりに今日はわたしの病院の日。
まー、普段とあまり変わらず。というか、どうも病院は繁盛してるみたいで、今日も前に何人も人がいたし、予約も取りにくくなっちゃったのか、今月の診察は今日だけでお終い。まー、薬も何も変わらなかったからなあ。。っていうか「どうですか?」って聞かれて、自分の症状言うの、もう疲れたー。だって、なんていっていいのか、本当に分からないんだもの。。「噛み合わせがおかしい感じがする」とは言ったけど。で、今飲んでるワイパックスは、セレナールよりも頭痛は出ないし、ってことで、処方も今までと同じ。ってことはまた、劇的に変化はしないってことだぁね。ふう~、つらいっす。何がつらいって、先の見通しが全然立たないことがつらい。本当に治るのかどうか、ホント、全く分からないし。

多分、この世界では病名が分かっても、治しようのない病気はたくさんあるんだろうけど、ホント、そういうのはつらいよねえ。。。って思う。いや、まだ病名が分かるだけマシなのかも知れないけど。病名が分からなかったときはもっとつらかったもんね。

ま、彼女の方はタミフルが処方されたから、ひとまず安心ということで。

しかしこのわたし。今まで「インフルエンザなんてかかったことありませーん」って言ってたんだけど、こんなに身近にインフルエンザ患者がいるのは初めてなのだ。もちろん、予防接種なんかしてないし、まー、手洗いとうがいを励行して、あとは気合いで防ごうと。一体、インフルエンザの潜伏期間ってどのくらいなんだろう?いや、まだまだ彼女からはウィルスが出てるだろうから、しばらくは気は緩められないなぁ。

それと、明日からの夕食はどうしよう~(汗)
昨日作ったカレーは今日、ほとんど食っちまったので、明日の夕飯は何か作らないと。。
20:22 | 病名が分かった後のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-16 Fri , 2009
移ったかも???
今日、朝起きる前からなんか鼻が詰まってきてて、、今日、一日中、くしゃみと鼻水が止まらなかった。寒けもしたので、一応、熱を測ってみたら、36.8度。ってことは、平熱どんぴしゃ(笑)そう、わたしは彼女と違って、高体温の平熱なんだよねー。人によっては「微熱」になる体温が、わたしは平熱なのだ。

で、取り敢えず昼寝とかしたんだけど、まぁ、寒けがするのは治まってきたものの、やっぱり鼻水がずるずる。。うーん。風邪引いたのかなあ?よくなるわけでも悪くなるわけでもなさそうで、これはこれでとても気分が悪い。悪くなるなら一気に悪くなれー、じゃないと、週末に突入しちゃうじゃん!と思うんだけど、そんなこと身体は知ったことか、と思っているらしい。多分、このままで行くと、明日もビミョーな体調が続くんだろう。土曜日の午後、診察してくれる医者があればまだ心強いのだが、そういうわけにも行かず、なんてタイミングで調子が悪くなるんだ!と自分の身体を怒りたくなる。

だってさー、インフルエンザにかかってるって分かってても、一緒に寝るしかないじゃん。マスクして寝るのがイヤだっていうんだから、もしかしたら寝てる間にモロ、息が吹きかかってるかも知れないじゃん。しかし、そんなこと今さらブツブツ言っても始まらないことだし。

まー、今、持ち合わせの体力でなんとかするしかないでしょ。

今日の夕食は教えてもらった「お粥」を作って食べた。お粥はもちろん、何度も作ったことがあるけれど、今回教えてもらったような作り方をしたのは初めてで、それでも結構美味しく食べた。彼女もようやく回復してきたのか「おいしい、おいしい」と言っておかわりして食べてたし。

さぁて、明日の夕食は誰が作るのかな~、、、
21:53 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-17 Sat , 2009
違ったみたい
昨日、鼻が詰まってくしゃみと鼻水が止まらなかったわたしなんだけど、今朝も起きたとき、鼻は詰まってたんだけど、日中はほとんどくしゃみも鼻水も出なかった。んで、今は鼻づまりさえ治っている。

。。ってことは、一体、昨日のアレはなんだったんだ??まぁともかく、ひどくならなかったのだけは(今のところは)幸いだった、ということで。インフルエンザウィルス保菌者が家にいるので、まだまだ安心はできないんだけど。

ところで、わたし、最近なんだかイライラしてると思ったら、彼女とさぁ、全然触れ合ってないんだよね。彼女の方も移しちゃ悪いってんで、我慢してたし、わたしも寝るときは一緒に寝てるんだけど、いつもみたいにくっついて寝ないで、一人ずつ別の方向向いてよそよそしく寝たりしてたのね。

これってかなり、ストレス(?)がたまるわ~。いつの間にか、くっついて寝ることに慣れちゃってたのね、わたしたち。

でねー、今日の昼間はわたしがマスクして(彼女はマスクしたくないって言うんだもん!)、そんで、久しぶりにくっついて昼寝したの。それだけで満足だった。こうなんていうのかな、心の中のパズルのピースがはまった感じ?

って書くと「ラブラブだね」と言われそうだが、わたしにとってはこれが普通。って、それって贅沢なことなのかなぁ?

彼女の方は、2日くらい前はずっとベッドで寝てたのに、今はベッドに寝ころんで本を読んでる。「ちゃんと寝なさいよ!」って言ってるんだけど、まー、ここまで回復してきたのはいいことだよね。だけど、まだ立ちあがるとふらつくと言ってる。あと、タミフルの副作用なのか、目をつぶるといろんな人の顔がまぶたに浮かんでくるらしい。それが小学校のときの友達の顔とか、随分昔の、もう記憶から消え去ってしまったと思われる人の顔が次々と浮かんでくるらしく「なんか気分が悪い」という。だから、寝つきが悪いんだそうな。

うーん、これって本当にタミフルの副作用なのかな。まー、それもあと2日の我慢かな。

で、インフルエンザが治っても、ウィルスは2日くらい、身体から出てるそうだから、わたしはその後もしばらく用心しなけりゃいけない。インフルエンザの潜伏期間は3日くらいだそうだから、彼女が「治った」と言っても1週間くらいは用心しておかなくちゃね。

しかし、、これでインフルエンザにかからなかったとすると、わたしってホント「つける薬のない人」だよねえ~(苦笑)ま、それはそれでいいんだけどね。
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01-18 Sun , 2009
「ゆめはるか吉屋信子」と「女人吉屋信子」
もうだいぶ前に「ゆめはるか吉屋信子〈上〉―秋灯(あきともし)机の上の幾山河 (朝日文庫)」と「ゆめはるか吉屋信子〈下〉―秋灯(あきともし)机の上の幾山河 (朝日文庫)」(ともに田辺聖子著)を読み終わってたんだけど、もう一回「女人 吉屋信子」(吉武輝子著)を読み返してたので、感想を書くのが遅くなった。

うーん、別にこの2つを読み比べて感想を書こうと思ってるわけじゃないけど、一つの方は上下巻あり、しかも1巻が約700ページずつとかなり分厚いのに対して、もう一つの方は単行本で約300ページ。ま、情報量に格段の差があるのは読まずとも分かる。

が、田辺聖子の方はなんでこんなに長いのかというと、吉屋信子の書いたもの、そのものをたくさん引用しているからだ。なので、この本を読み終えると、田辺聖子の書いたものを読み終えた、というよりなんだか「吉屋信子の書いたものも一緒に読んだ」という気がする。もっとも、引用を多くしたのは、著者が意図的にやったもので、それはなぜかというと「あんなにたくさんのジャンルの本を書いた吉屋信子の本は、現在、一部を除いて入手しにくくなっている」からだという。

確かにAmazonで「吉屋信子」と検索を掛けてみると178商品出てくるが、そのうち約50作品は「現在お取り扱いできません」になっている。そして、現在でも入手可能なものは、ほとんどが「花物語」を代表とする、いわゆる女子学生同士の友情や淡く儚い恋愛を書いたもので、今現在、吉屋信子に対する評価は、ほとんどこの「花物語」に代表されるものと言ってよい、との現われであると言えるのではないか。

しかし、少女の頃からリアルタイムで吉屋信子に親しんできた田辺聖子は、「美文調で女子供しか読まない」とされる「花物語」は、吉屋信子の著作の中でも本の初期の部分で、吉屋信子は人生経験とたくさんの本を書き続けるうちに、美文調の文章はなりを潜め、女性が主人公のものが多かったけれども、男性も魅力的なキャラクターを作り上げることができるようになり、少女小説から家庭小説、大衆小説から歴史小説まで著作が及んだ「大作家」である、しかし、世間の彼女の評価は不当に下げられている、とのことで、この本を書こうと思ったという。

なので、この本は必然的に吉屋信子の書いた本からの引用が多く、そして、どのような過程で、どのような本を書いたのか、他の作家との付き合いはどうだったのか、を軸に彼女の日記と共に丹念に彼女の「歴史」を追っている作品になっている。また、彼女の日記も引用してはいるが、そのほとんどが1行か2行の短いものだ。

一方、吉武輝子が書いた「女人吉屋信子」は、田辺聖子の本に比べると、日記やプライベートな手紙が数多く載せられている。例えば、吉屋信子とそのパートナーだった門馬千代は一時の間、東京と下関で遠距離恋愛(というのだろうか?)をするが、その間飛びかった手紙を多数、載せている。これを読むと二人の関係の生々しさや、それと印象的には「随分長い遠距離生活だったのかな」とついつい思ってしまうが、実際には10ヶ月あまりのことなのだ(この間、150通にも及ぶ手紙のやりとりをしているというから、2日に1通の割合で手紙を書いていることになるが、、)。しかし、田辺聖子の方は淡々としており、手紙の引用はほとんどないと言ってもいい。あっても、生々しい部分ではなくただ二人の「会いたい気持ち」(吉屋信子の方は)「早く一緒に暮らしたいという気持ち」が強かった、くらいの印象でしかない。実際にはひどい手紙を書いたあと、翌日に電報を出したりすることも多々あったらしいと吉武輝子の本からは読めるが、田辺聖子の本にはそういうことは全く書いていない。

また、門馬千代と会う前に付き合っていたとされる「屋根裏の二處女」のモデルにもなった菊池ゆきえ(「女人吉屋信子」では、その後の消息をたどり許可を求める手だてがなかったため、塙十糸子という名前になっている。田辺聖子はこれを書くに当たって、遺族を探し許可をもらったのだろうか)との最後のやりとりも、吉武輝子の方はかなり生々しいことをのせているのにもかかわらず(相手に二人の関係を世間にばらすと手紙に書かれたり、相手の父親が来て、娘の将来を全面的に面倒見て欲しいと頼んだ等)田辺聖子の方は確かに父親が来たことは書いているが、吉屋信子とは会わなかったようだ、と書いている。

要するに、田辺聖子はそういう吉屋信子の「女性関係」ではなく、ただ単純に「大作家」としての吉屋信子が書きたかったようで、同性愛のことについても「同性愛」という文字は出てくるものの、基本的に田辺聖子はそのことに対してはなんの意見も述べてはいない。どころか、もしかしたら「同性愛」について触れたくなかったのではないか、とも思える。

一方、吉武輝子の方は、吉屋信子は「肉体的な結びつきよりも精神的な結びつきを重視していたこと」や「自分を金を稼いでくる男、相手は家を守る女という役割を求められることを強く拒絶していたこと」を書いている。そのため男女の結びつきを「肉体の結びつきでごまかし合う異性同士の愛」、それに比べ同性同士の結びつきを「それを抜きにした魂と魂の純粋な結びつきを同性愛に求めた」と吉屋信子は考えていると吉武輝子は書いている。これは日記の一部に「魂の結びつきの粗末さを、肉体のからみ合ひでごまかす気には、どうしてもなれぬ」と書いてあるからか。

しかし、そう日記に書いてあったとしても、吉屋信子は男女の愛について「肉体の結びつきでごまかし合う異性同士の愛」などとはどこにも書いていないのだ。ただ「魂の結びつきの粗末さを、肉体のからみ合ひでごまかす気には、どうしてもなれぬ」と書いているだけだ。なので、わたしはこういうところを読むと不当に同性愛を美化されたような感じがして「えー、なんだかなあ」と感じてしまう。だって、肉体の結びつきでごまかしている同性同士の恋愛だってたくさんあると思うし、わたしは同性愛を精神的な結びつきの方が強いなどとは決して思わないから。

この人は、他にも「山高(しげり)・市川(房枝)にかぎらず、ほとんど全部といっていいくらい、どの共同生活も、いっぽうに異性が登場したのを機に解体してしまっている。それこそ、死が二人を分かちあうその日まで、女同士の共同生活が継続されたケースは、わたしの知るところでは信子と千代をおいてほかにはない。何故、稀有なことをこのふたりは成し遂げることができたのだろうか」って書いてあるんだけどさぁ、、そりゃ、信子と千代は同性愛者で、その他は異性愛者だったからなんじゃあないのお?(笑)なんかすんごい馬鹿なことを(あ、ごめんなさい(^^;)大真面目で書いているので、とてもおかしいんだよなあ、「女人吉屋信子」。

だから「女人吉屋信子」の方は「女同士の結びつき」について、主に書かれているので、吉屋信子の作家としての評価はやはり世間と同じ「花物語程度」でしかない。それにこの本、途中、戦争時代に吉屋信子が従軍ルポ(主婦の友、特派員として)を書くために、何回も中国に行ったのだが、そういうことは一切書かれていない。ただ、戦時中は筆を折っていた、としか書かれてない。

そういうところをこの田辺聖子の方は丹念に追っている。というのは、この経験が後の作品に影響を与えたと彼女は考えているからである。

ただ、この2つの作品に共通しているのは、「吉屋信子は女性に優しかった」ということ。女流作家同士は足の引っ張り合いなどもあり、いろいろあったらしいが、吉屋信子だけはどういう人とも付き合いはよかったという。もちろん、明治時代の封建制度で女性には選挙権も与えられず、家父長制度の下、信子ももちろんのことながら、周囲の女性がどんなひどい目に遭っていたことかを目の当たりにしている。なので「女と女は助け合わないといけない」というのが吉屋信子の信条だったのだろう。この言葉を吉武輝子は吉屋信子から直接言われたという。なので多分、吉武輝子はこのことに対してものすごく感動して、だから同性愛をとても「神聖なもの」扱いするんだろうな、とわたしなんかは想像する。が、同性愛といっても女性同士だけじゃなく男性同士の同性愛もあるからねえ、、そこら辺はどう考えてたの?って思うけど、多分、男性同士の同性愛のことなんか考えもしなかったんだろうと思う(笑)

で、田辺聖子はあの時代「独身主義」を貫いて生きていた吉屋信子が、他の評論家や記者に対してどのように見られていたか、いくつかの例を挙げて書いている(これは吉武輝子の方も例は少ないが同じ)。「独身」=「男を知らない」=「だから、女子供しか読まないような小説しか書けない」という図式で吉屋信子を貶めようとしている。それは吉屋信子が生きていたときもそうだったし、死んだ後も同じである。しかも吉屋信子は生前に家を8軒も立てているような「大金持ち」だった。円本の印税が2万円入ってきたとき、吉屋信子と門馬千代は1年間を主にヨーロッパで過ごしている。こういうことも男性作家や男性評論家にとっては気に入らなかったのだろう。そういうときは、絶対に吉屋信子の顔について一言書いてある。もちろん美人とは書いていない。男にもてなさそうな顔だから、男と結婚できない、とでも言いたそうな文章で、とてもいやらしい。男の嫉妬がモロ出ている文章とでも言うのか。

ただ、吉屋信子の方は自分の作品を読まずにけなした小林秀雄に対しては、新聞社主催か出版社主催か忘れたけど、何かの折に会ったときに面と向かって「自分の作品を読まずになぜけなすのか」と言うことを堂々と述べてきたらしい。後年は何があったのかは知らないが、その小林秀雄ともうち解けていたらしいが。

こういった「図太い面」もあったらしいが、吉屋信子本人は、かわいらしいものが本当に好きで、それよりなにより美しい女の人が大好きだったらしい(笑)よく、「美しい人は大好きな信子である」とか「信子の好きそうな美人」とか、そういうことがたくさん出てくる(笑)

そして「花物語」から始まって、今度は家庭小説、「良人の貞操」を書いて大ヒット、ただ、ここに出てくる男性はまだ描き方がステレオタイプであまり魅力的でない、と田辺聖子は述べているが、、その後、戦争を挟んで、いくつかの短編、そして「安宅家の人々」から歴史小説「徳川の夫人たち」「女人平家」と続いていくうちに、一番最初に書いたように花物語のような美文調はすっかりなりを潜めて、すっきりとした文体で、男性の方も魅力に溢れた人物の描き方ができるようになってきたと田辺聖子は評価している。しかし、当時でも吉屋信子に付いたイメージというものが離れないのと、男なしでこれだけの人気がある、ということに嫉妬されてほとんどまともな評価を受けていない。これは本人も十分分かっていたようで「自分には賞とは縁がない」と思っていたようだ。しかし、仲のよかった菊池寛の「菊池寛賞受賞」はかなり嬉しかったらしいけれども。

最初にも書いたが、田辺聖子の本を読むと同時に吉屋信子の本を読んだような感覚にとらわれる。これはおそらく「思われていたような美文調ではない」ことを実物を持って現わしたかったのだろうか。それと日記の短い引用。それにはたくさん「千子」こと門馬千代のことが出てくる。吉屋信子は本当にずっとずっと門馬千代のことを愛し、感謝し続けている。吉武輝子の本には吉屋信子が同性でも結婚できるようにさせる、と日記に書いたことを引用していたが、田辺聖子の方はそう言うことについては一切触れていない。同じ日記を読みながらも、引用する部分が違うとこんなに違った印象を持つような作品になるものなんだな、と思わずにはいられない。

田辺聖子としては「女人吉屋信子」は「フェミニズムからの視点」として捉えていたらしい。なので、自分が今度は作家としての吉屋信子を評価しようとしてみたものらしい。なので、門馬千代との関係も「生涯の伴侶」と何回も書いてあるにもかかわらず、吉屋信子が亡くなったときの吉屋千代(この時は既に養子縁組していた)に対して、田辺聖子は「生涯の伴侶で莫逆の友」という表現をしていて、わたしとしては「生涯の伴侶って、普通は結婚している(それと同様な関係)人たちについて使う言葉じゃないの?それなのに、なんでそれと並行して『莫逆の友』という表現を使ったんだ?」と不思議でならなかった。だって、そういうことを書く、ということは、田辺聖子はこの二人を「友」としてしか見てないってことでしょ。普通、結婚している男女のことを「生涯の伴侶」とはいうけれど、間違ってもそれと並行して「莫逆の友」とは書かないよねえ?

わたしはここのところが一番不可解だった。。田辺聖子はこの二人を愛情で結びついた「婦婦」としては見なしていないのか、と。もちろん、同性愛を美化するのも嫌いだが、さりとてなかったものにされるのもわたしは不満が残るところだ。

文庫本の解説は斉藤美奈子が書いているが、そこには吉屋信子が不当な評価を受ける原因について「レズビアニズムへの不当な差別がひそんでいる」と解析している。周囲から「男を知らない」とか「独身主義」とか「もしかしたら同性愛者」(吉屋信子は、インタビューではそのどれについても上手く言い逃れているのだが)と見られていたであろうことは、この田辺聖子の書いた本を読めば明白なのに、田辺聖子は最後の最後でおかしいことを書いてるので、どうもこの本に対する評価もイマイチになっちゃったんだけどね、わたし。まぁ、その分を斉藤美奈子の解説で補ってあるような感じではあるが。

まー、同性愛に対する評価、というものができなかったんだろうな、田辺聖子。って感じはする(笑)でも、別に評価しようとかしないとかじゃなくて、ありのままの吉屋信子と門馬千代の生活を書けばそれでよかったんだと思うんだけどね、、で、この二人は家族だった、という認識で十分なんじゃないかなあと思う。

長々と書いてしまったが、実はわたしって、吉屋信子の本を1冊も読んでないんだよね(苦笑)あの「花物語」でさえ読んでない。読んだのは、「女人吉屋信子」と「ゆめはるか吉屋信子」だけ。んー、「花物語」はどう考えても自分には合いそうにない話だし、かといって、後期に書いた本は今は手に入らない。なんともそこら辺が歯切れを悪くしている感じがするが(笑)、ただ、作家としての吉屋信子はもうちょっと評価されてもいいんじゃないかなあとは感じている。この人さぁ、わたしが幼い頃に亡くなっているので、リアルタイムには知らないんだよね。だけど、書いた本や、生涯稼いだ額からすると、もしこれが男性だったら、日本を代表する作家、と言われているのかも知れないのよね。そう考えるとすごく惜しいと思う。

まぁ男性でも評価されない作家もいるけどね。一体、純文学が上で大衆文学が下、なんて誰が決めたんだろうね?
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01-20 Tue , 2009
「それでもボクはやってない」を今さら観た
わたしの注目している監督に周防正行監督がいる。しかし、実際、何遍も覚えるほど観たのは「Shall we ダンス? 」だけで、ファンシイダンス」も「シコふんじゃった」も観たのは観たけれど、まー、こっちから何回も観たい!という映画ではなかった。

といえども、わたしが「観た」っていうのは、全部テレビ放送で、実際、映画館では観たことないんだけどね、、もともと映画館に行って映画を観る、ということは、わたしにとっては相当なことで、まー、だいたい「レズビアン&ゲイ映画祭」に行くくらいかな。巷で話題の、、という映画は多分、ほとんど観る気がない。

で、「Shall we ダンス?」がとても好きだったんだけど、この人って、随分長い間待たないと、次の映画を作ってくれないんだよね(笑)で、いつだろいつだろって思ってたんだけど、いつだったかな「次は痴漢えん罪ものです」ってことを聞いてから「えー、そうなのか」って思ってた。で、これもいつ、劇場で一般公開されたのか、ぜーんぜん知らなかった(笑)こないだ、TSUTAYAに行ったとき「あー、そういえばもうそろそろDVDになってないか?」と思って探してみたら、あったのだ。

周防正行の作品がどうして好きかというと、ちゃんと筋が通っているからだ。それも無理矢理にそういう行動をさせているのではなくて、かんがえてみれば自然にそうなるよな、という風に登場人物を動かしている。この「自然さ」が凄いところだと思っている。だいたいの映画って言うのは(まぁわたしが観た限りに於いてだけど)、「こういう結末やこういう場面(シーン)が取りたかったために、わざとこういう作りをしている、こういう風に人物を動かしている」っていうのがありありとわかって、それがいやなのね、わたし。で、筋に整合性が取れてなかったり、張ったはずの伏線が忘れ去られたりするのも嫌い。全部が全部、無理なく治まるとわたしはその作品に対して高評価をする。

で、何回も観て「ここはあとのこれの伏線だな」とか「これによって、この人がこう思い、あとでこのような行動をするんだな」という解釈を楽しめる作品が大好きだ。だから、飽きずに同じものを何度も何度も観るので、たいていわたしが好きなものは自分で持っている、ということになる。「Shall we ダンス?」もそんな作品で、これはこのまま再編集されてアメリカで上映されたんだよね。その上映されたビデオも持ってて、どこが削られたのかとか、どういうところを加えたのかとか、日本で公開されたものと比較するとこれがまた結構面白かった。

というわけで、まー、だから次の作品は期待してたんだけど。しかし、次の作品が痴漢えん罪ものって聞いたとき、実は「えー、これで『それみろ、やっぱり痴漢はえん罪が多いんじゃないか』ってことになったらいやだなあ」と思った。だってさ、やっぱり痴漢は捕まって欲しいもの。それがやったのに「やってない、やってない」って言い張ったらやってないことになってしまったら、とてもイヤだな、と思ったのだ。

実際、こんなわたしでも痴漢にあったことがあって、ホント、今考えても「アンタ、どこに眼がついてたの?」とか「よっぽど触る人がいなかったんじゃない?」とか思ってしまうのだが(わたしの身体触って楽しい人って彼女以外はいないと今でも思うもん(爆))、あれはいつだったか、ちょうど渋谷の東急ハンズに行った帰りに井の頭線に乗ってたのね。で、最初は全く気がつかなかったんだけど、ひょっと気がついたら、誰かの手がわたしの股間にピタッとくっついていて、わたしはすごくびっくりしたのね。で、すんごいびっくりしたもんだから、東急ハンズでちょうど金づちとか買ってきたときだったんだけど、その手に向かって、金づちでバシバシ叩いてたら、痛かったのか、手が離れたのよね。。すごいびっくりした。怖いとかそんなんじゃなくて、ただただびっくりした。んで、結局、誰が触ってたのか、全然わからずに電車降りちゃったんだけどね。でも、その後、すんごい不快で、捕まえてやればよかったと思ったんだけど、もう無意識で叩いちゃったからね、、

というわけで、こんなわたしでも痴漢に遭ったことはあるし、「この人痴漢です」って言うにはかなりの勇気がいるだろうなということも想像できるし、あとは逃げ場がないところで触られたら、怖いだろうなと言う気持ちもよく分かる。しかし、わたしのこの気持ちを見透かしたように、映画の中で弁護することになった女性弁護士が「痴漢事件は扱いたくない」と述べてるんだよ。それは、わたしがこの映画に思ってたことそのまま、って感じで。。多分、監督もそこら辺はよく分かっていたんだろう。

ってことで、ホント、この作品はどうしようかなと思ったんだけど、でも、この人の作品だったら、何か言いたいことが分かるに違いないと思って、それで借りたのだ。って借りるまでに長い説明だね、相変わらず(苦笑)

んー、この映画の結論については、わたしは正直、あまり重要でないものだと思っている。それは多分、監督もそう考えていると思う。だって「それでもボクはやってない」っていう題名だもの。この映画を最後まで観なくても「ああ、この人は有罪になるんだな。で、それで最後に『それでもボクはやってない』って言うに違いない」ってちょっと考えてみりゃすぐにわかることで。ま、実際その通りだったんだけどね(笑)

で、監督がなぜ「痴漢えん罪」を取りあげようと思ったのかは、映画の中で役所広司が言っている。「痴漢えん罪は日本の刑事裁判の問題点の縮図である」(まあ、こんな感じ)と。結局は、監督は「痴漢えん罪」についてを描きたかったのではなく「日本の刑事裁判の問題点」について、述べたかったのだと。だから、痴漢という犯罪について「えん罪が多い」とかそういうことを取りあげたかったのでない、ということね。それははっきりと理解しなければならないところだと思った。

だって例えば同じえん罪でも殺人のえん罪を映画にしようと思ったら、すごい大変だもの。そこら辺をまぁ、理解する必要はあると思った。

日本の刑事事件って99.9%は有罪なのだという。しかもその中で容疑者が否認しているものに限っても、有罪率は97%だという。なぜこんなに有罪率が高いかというと、これも映画の中で言っていたが「無罪にして喜ぶのは被告だけ。有罪にすれば、被害者や警察、検察の面目も潰さないで済む」ということらしい。んでは小学校の時に教わった「三権分立」って何?ととっさに思ったけどね。しかし、無罪を言い渡す裁判長はマスコミ受けも悪く、しかも裁判所の中でも出世はできないという。有罪を出すことが出世に繋がる裁判所って何?裁判所って公平に、客観的に裁いてくれる、と思ったら大間違いなんだそうだ。確かに国と市民が裁判所で争うと、だいたい、裁判所は国の味方なんだよね。一審で原告が勝訴しても、二審でひっくり返される、ということはよくあるもの。

映画の中では、最初の裁判官は無罪を出す人で有名な人だったのだが、その人が部屋に戻って司法修習生たちにに「刑事裁判の一番の指名はなんだと思いますか」と説いていたとき「最大の使命は、無実の人を罰してはならない、ということです」と言ったのだが、その光景をその上司らしき裁判官がチラッと見たのね。そうしたら、、次の公判のときは、その裁判官はどこかに飛ばされて、そのチラッとみた上司がその裁判の裁判長になっていた、という話。「検察の出してくる証拠で有罪と思えなかったら、それは無罪だ」と言いきっていた裁判官は、おそらく上司から「司法修習生に対して悪影響」と判断し、そしてどこかに飛ばしたのだろう、ということが察せられる。てか、裁判所ってホント、こんな世界なんだろうか??だけど、権力を持つ人が安易にその力を使いたくなるという気持ちは実はわたしには分からないでもない。が、本当は権力を持つ側ってのは、その権力を行使するときには細心の注意を払って使わなければならないのだが。。もうその権力を持ってることが当たり前の感覚になっちゃうのよね。だから、何でもそうだけど、権力を持っている人は、自分が持っている権力、というものが一体どういうものなのか、しっかり考える必要があると思う。そうじゃないと、危険なナイフを振り回す通り魔と同じだ。誰も裁いてくれないだけ、通り魔より、なおたちが悪い。

って、権力について熱く語ってしまった(笑)
続きね。

んで、刑事事件の弁護士って、あまりいないらしい。そりゃそうだよね。だって、裁判で争ったってほとんどの確率で負けるんだもの。そんな負けっ放しの弁護なんか、最初は「国家権力と戦う」という意欲に燃えていたとしても、負けっ放しだとモチベーションなんか上がるわけない。この映画では、最初に謁見した当番弁護士が、別の件で自信がなくなってしまったところで、この容疑者と会ったため、容疑者が「やっていない」というのにもかかわらず、示談を勧めたりしている。まー、これはあまり真実ではないような気はするが。そこで容疑者は混乱して、結局それで後手に回ってしまい、結局は無罪を勝ち取れなかった、という感じかな。

この中ではまだ「容疑者」の立場である人間をまるでもう罪を犯した人のように扱う警察や、いい加減な取り調べをする検察、無罪を有罪にしたててていく有様、など、結構観てて怖かったのよ。

被害者への尋問が終わった後に、容疑者は保釈されるんだけど、なんと保釈金200万円だそうで、わたしがもしこういうところに入ったとしたら、保釈金が用意できないじゃん、などと思ったりもした(苦笑)

それに、家宅捜索で痴漢もののエロビデオを見つけられてそれが証拠になるんだけど、そんなんだったら、わたしなんかヤバイことだらけじゃん!日記読んでりゃ分かるけど、わたしはエロいレズビアンだって何回も書いてるし、それにエロDVDを観た感想なんかも書いてるし。。

誓って言うけど、わたし、誰かに痴漢したいと、生まれてこの方いっぺんも思ったこと、ありませんから!!!

って何かあったときのために書いておきます(笑)

っていうかさ、わたしだって痴漢の罪に問われる可能性がないってわけじゃないんだよね~。例えば、まー、わたしは女性専用車には乗らないけれど、もし一般車両で「痴漢です」って言われたら、、「わたし、女なので女は触りません」と言ったらそれで返してくれるんだろうか、とか。もしわたしが「レズビアン」って分かったら、確実に返してもらえないのかな、とか。でも、わたしは確かにレズビアンではあるけれど、どういうときでも誰か不特定の女性に対してムラムラきて、その人の身体を触ってみたい、なんて思ったことないもの。。。でも、映画の中で痴漢もののエロビデオが出てくるだけで証拠になってしまう、ということは、こういうことも決して有り得ないことじゃないんだな、ということはよく分かったわけで。。

まー、なんというか、警察の口八丁手八丁には決して乗ってはいけないとかね、なんかそういうことは学びました(笑)

しかし、痴漢に遭うことはもちろんいやだけれど、そしてやった人は捕まって欲しいとは思うけど、しかし捕まったからと言って、すぐ認めて罰金払えばあとはおとがめなし、っていうのもやっぱ変だよね。ごねたらごねただけ損をするってのも変。問題が「真実は何か」じゃなくて、例えば「警察や検察の顔を立てている」とか「なるべく裁判官の心証を悪くしない方がいい」とか、どうでもいいことが凄く大切なことのように思われてて、やっぱりおかしい。

そしてただの容疑者なのに、罪人扱いってのはもっとおかしい。これは国際機関から何度も何度も日本に対して指摘されている事項なのに、日本政府は受け入れていない。なんでなのかな、これ?

映画自体はね、一つ欠点があるとすれば、留置場にいていろいろ教えてくれる人。NHKの「フルスイング」っていうドラマで桜台高校の教頭をしてた人なんだけど(名前は知らない(^^;)、この人がね、必然性がないんだよね。あなたはなぜここにいるのか、それが観ている人にはよく分からない。この人の素材意義は、何も知らない容疑者(と映画を観ている観客)に「当番弁護士というシステムがあるということ」や「これからの取り調べはこうなる」という説明をさせていることなんだけれど、この人がここにいる必然性が分からないのよね。だから、一言でもあの人が「ここにいる理由」を言ったらよかったのになあ、と思った。でも多分、それを言わせなかったってことは、緻密に計算立てて映画を作っている監督のこと、説明のしようがなかったんだろうなあ~って感じている。んー、「Shall we ダンス?」のときの「引っ越しのサカイ」に出てきてた人(名前知らん)も、社交ダンスについていろいろ説明する役柄ではあったけれど、あれは「先に入会している立場」としてああいう説明をするのは、矛盾すべき行為ではなかったからね。

ってことで、この作品。わたしは何回も観ようと思える作品じゃなかった。けど、こういう現状が日本にはある、ってことを知れたことはよかったのかな。あと、警察に捕まっても、不利益な言動は絶対によそう、と思わせてくれた映画だった(笑)って、なにがあって、めぐりめぐって自分は全然関係ないことでも、容疑者として捕まる可能性があるんだと思ったからね。そしてそんなことがないのを願うのみだけれどね。
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01-21 Wed , 2009
まーなんだかんだ言って好きなんです(笑)
昨日書いた「それでもボクはやってない」と共にTSUTAYAで借りてきたのは、「本格レズ ルームシェア 女だけ秘密の館」というものだったんだけど(笑)

いやー、ホントはべつにエロDVDを借りてこようなんてことは、全く思ってなくて、昨日書いた「それでもボクはやってない」があるかどうか、見に行っただけなんだよね(言い訳?)。イヤ、ホント。TSUTAYAにも大人コーナー(?)ってのがあるなんて、実は初めて知ったのよ(苦笑)。前によく行ってたTSUTAYAもそれなりに広かったんだけど、でもあんなのれんなんかなかったと思ったし、、だからひょっとのれんを見つけたときに「あれ、TSUTAYAにもこんなコーナーがあるんだ」ってフラフラはいっちゃったのよね。イヤ、ホントだから、ホント!!って別に言い訳する必要もないとは思うけど(笑)

で、なんでこれにしようかと思ったかというと、パッケージにね、「ひとつ屋根の下で快感を共有しあうビアンたちの淫靡なSEXライフ」ってのを見てさぁ、「あれ、ビアンって書いてある!」って思ったのよ。

えーと、これ読んでる人で「ビアンってなに?」って人は、まぁまずいないと思うけど、日本のレズビアンは「レズ」と言われるのを極端に嫌っている人が多い。これは、「レズ」という言葉がものすごくいやらしい響きを持つから。要するにポルノ的な「レズ」を想像させるから、「自分たちはそんな目で見られたくない」っていうので、「レズビアン」の上2文字を取って「ビアン」と称する人が多いのだ。

もちろん、全員が全員じゃない。「レズ」っていう手垢にまみれた言葉をわざわざ引き受けている人も中にはいるし、わたしのように「ビアン」じゃ知らない人にはなんのことだか分からないだろうから「レズビアン」って略さずに言う人もいるし、それは人それぞれ。自分が「なんの言葉を引き受けているか」に寄るの。

だからね、レズエロDVDでパッケージに「レズ」じゃなくて「ビアン」って書いてるのを見てね、「あ、これはちょっとは知ってる人が作ってるんじゃないか」って思ったのね。それだから借りてきたのよ。

感想は、、まぁなかなかいいんじゃないでしょうか、冒頭を除いて(笑)

このDVDの設定って、オーナーがレズビアン(らしい)で、入居する人の条件はただ一つ、「レズビアンであること」なのだ。それなのにね、冒頭のシーンは、これまで入居していた人が去っていくシーンだったんだけど、その去る理由が「結婚」。オイオイ、レズビアンが結婚かよー。しかも残る居住者も「いいなあ、結婚」とか言ってる!えーとさぁ、ま、確かに既婚者レズになる、って可能性も否定できないけど、レズビアンは自ら進んで男とは結婚しないと思うよ?まー、よっぽど外圧がひどいとか、そういうのならともかく、、、なんかここで「え??」って感じがした(笑)できるんだったら、この場面は「彼女ができて同居することになりました~」だと、さらにポイントが高くなると思うんだが(笑)

で、残った人たちが「寂しくなったね」とか言いながら、一人はバイトで抜けちゃって、おばさん(オーナーね)と入居者一人が残るんだけど。。そこで「寂しい」と言いながら、入居者(美奈さんって言ったかな)がおばさんに甘えてきて、、「んもう、しょうがない子ねえ、、んじゃ、行く?」とか言いながら、ベッドルームへ。

ちなみにこのおばさんは完全ネコらしいです(笑)「おばさん(この人、自分のこと「おばさん」って言うのよ~(笑)、受け身しかできないから、、」などと言ってました(笑)で、おばさんと美奈さんのSEXが始まるんだけどね、最初はバックで指入れたり(どこかはご想像にお任せします(笑))してたんだけど、途中からバイブが出て来たのね。そのバイブ見てびっくり!あら、、かつてわたしが使っていたのと全く同じもの。。。(爆)あ、あくまでも「かつて」ですから!あれは壊れて動かなくなったので、だいぶ前に捨てた(笑)

で、この美奈さんって人、レズビアンかバイセクシャルなのかしら。。と思ったのね。なんでかっていうと、おばさんにバイブ挿入してるときに自らも腰動かしてて、えー、これが演技指導によるものだったら、かなりだわ、と思ったのよね(笑)まー、みんながみんなそうじゃないかも知れないけど、脳内麻薬が出てるときって、割となんでもなくても腰が自動的に動いてることが多いので。。(笑)ただし「おばさんぐちょぐちょ」と言いながら、そこに唾を吐きかけるのはね~、、っていうか、レズものって唾を相手に吐きかけたりすることが結構多いみたいなんだけど、あれを見て萌える男性が多いのかしら、、わたし、ちっとも萌えないんですけど(爆)逆に萎えるのよね、、あのシーンは。

んで、おばさん満足してさぁ、「新しい入居者が来週の月曜日に来るの」と言うのね。おばさんたら「新しく来る人はタチもできる人がいいんだけど。。」とか、自分はネコなんで美奈さんに「お願いね~」とか、はぁ、まぁ、そうですか、って感じ(苦笑)

で、すぐさま月曜日になり(爆)、新しい入居者(響子さん)がやってきたわけで。おばさんの言うとおり、響子さんを部屋に連れて行って、「ここに入居できる条件知ってるでしょ」と言って、そこでやっちゃう美奈さん。ちなみに響子さんは「まだ2、3回しか経験がなくて(だからタチできるか分かんない)」って答えたんだけど、まー、結局はリバでした(笑)あー、ここは道具は何も使わなかったんだけど、美奈さんの言葉責め(?←そんなにSMチックじゃないです)が結構自然な感じでいいかも(笑)タチってる美奈さんもいいんですけど、この人のあえぎ声って結構かわいかったです(笑)あとイク前も激しくてミョーにリアルだったし(笑)

しかし、この響子さんの声がうるさい、うるさい(笑)ネコのときもそうだけど、自分がタチってるときもすげー声あげてて「ちょっと、うるさいんですけど、、」って感じだった(笑)これも人によって違うと思うけど、タチってるときに、あんなあえぎ声出したりする人っているんだろうか??

その夜は、当然のことながら(?)乱交になるんだけど、なんせおばさん、ネコだからさぁ~(笑)美奈さんに「おばさん、乳首舐めさせてあげたら」とか指示してるし!(爆)っていうか、みんな美奈さんの指示で動いてるんですけど!

で、以前、わたしはディルドが出てくると萌える~♪って書いたんだけど、ここで出てくるのね。あ、美奈さんがディルド付けてるんだけど。しかし、なんとパンツはいたままディルドしてるのって、、ヤじゃない??わたしはヤです(きっぱり)

ま、話としては単純なんだけど、へんな貝合わせシーンとかなかったし、今まで見たレズエロDVDの中では一番見てて違和感なかったかも。爪もちゃんと短かったしね(ここ、結構重要なポイントなのよ、、)。まー、そうね、ディルド付けたときにパンツはいてたってところがちょっと個人的には「惜しい!」って思いました(笑)

それにしても3号室に住む「さくら」って人は、結局、バイトに行ったままで、3人で乱交してるときもいなくて、で、終わった後に帰ってくる、という役でまったく脱がなかったんですけど、こういうキャラもいるのね、って思ったのでした(笑)まぁ、響子さんによると「レズ(響子さんは自分のこと「レズ」って言っても平気らしい(爆))のSEXはエンドレスですから」ってことで、これから4人で乱交になりそうなところで物語は終了。

で、一番最後のクレジットに「Directed by Shinobu Okada」って書いてあったんだけど、この人、女の人なのかしら、、で、レズビアンなのかなあ~、などと思ったりして。しかし、美奈さんのアレは演技指導のたまもの、ってより、ホントにこの人、個人的にもこういうことやってんじゃないの?って思わせるようなもので。なかなか勉強になりましたけど、そういや、わたしは3人でSEXしたいと思わないから、無駄な知識が増えただけなのね(笑)

今まであれこれ「レズもの」と言われるものにいろいろ文句付けてきたけど、これは割と納得がいくものだったかな~。あ、一番初めを除いてね。
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01-22 Thu , 2009
彼女
インフルエンザでダウンした彼女。
もう処方されたタミフルも全部飲み終えて、傍目にはだんだん調子が戻ってきてるのかな、とおもってたけど。

今日の日中、気がついたら、ベッドで寝てた。「大丈夫?」と聞くと「眠い」と答えたので、そのまま寝かせておいた。

。。。起きたのは、夜の7時くらい。よっぽど眠かったのだろうか。

わたしは正直、6時くらいからお腹が空いて仕方がなかったのだけれど、起こすのはかわいそうだなあと思って起きるまで起こさないようにしてた。けど、、こんなとき、冷蔵庫にあるものをみて、ちゃっちゃとご飯を作れるようだったら、彼女はもっと楽できるのになあ、と思った。

わたしは冷蔵庫の仲を見て、ある材料でご飯を作ることはできない。「これを作る」と決めて、そのための材料を買ってきてじゃないと、ご飯が作れない。一人暮らしの経験は長いクセに、ついにあり合わせのものを使って作る、ということができなかったのよね。。どういう風にやったらできるのかさえ、分からなかった。だから、あり合わせのもので食事が作れるって、一種の才能だと思ってる。

結局、夕ご飯はもちろん彼女が作ったものを食べた。

。。。なんか自己嫌悪。

今、わたしはいろいろやることがたくさんあって、うわー、どうしよう、とか思ってるけど、彼女だって仕事してるんだよね。わたしはわたしのことで手一杯で、ほとんど動けない。けど、彼女は他のこともやってる。

思いっきり自己嫌悪。
これじゃ、彼女に面倒見てもらってるのと一緒じゃん。。
情けない、わたし。
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01-23 Fri , 2009
自己嫌悪
せっかく、最近はちょっとずつ食後の食器洗いとか、洗濯物を洗ったり(干すのは彼女だけど)、取り入れてたたんんだり、掃除機を2日に1ぺんくらい掛けられるようになってきたと思ってたのに。

どうも少し前から背中がかゆくてかゆくて。
最初は薬の副作用かと思って、何回か「かゆいです」って言って軟膏をもらったりしてたんだけど。
一向に治らない、どころか、背中から腕や手首、手の甲、足、などに飛んできて、全身がかゆくて仕方なくなってきた。

しかも、そのうち眼もかゆくなってきて、涙が出て出て止まらなくなってしまい、目やにも黄色っぽくなってきたので、この間、眼科に行ってきた。

「アレルギーですね。花粉症か何か持ってますか?」と言われたので「花粉症は持ってないけれど、ハウスダストならちょっとあります」と言った。血液検査をしてみないと、何のアレルギー科ははっきりしないと言われたが、特に血液検査は勧められなかったので、目薬を何種類か処方されて、今はそれを日に2~3回点眼している。

この眼科、行ったのは初めてのところだったが、いらん視力検査とか眼圧の検査とかしやがって、初診が2,400円以上もかかってしまった、もう、あそこには行かない。こないだの耳鼻科もそうだったが、なぜいらない検査をして金をふんだくろうとする医者が多いのだろうか。今、わたしはそれこそお金がなくてひいひい言っているのに。

しかし、手がかゆいと、食器を洗うことが出来なくなってしまった。手を水で濡らすと余計にかゆくなるからだ。

なので、今はまたほとんど何もやらないようになってしまった。

一体、なんなのか。わたしはやろうと思うことが、いつもいつも自分のなにかによって邪魔される。
こっちの方は、明日、皮膚科に行くことにしているが。。それにはまた金がかかる。わたしは自分の首を自分で絞めているとしか思えない。

わたしは彼女とは対等にいたい。だから、当初やると二人で決めていたことは、ちゃんとやるつもりだった。けど、できない。やろうとすると、すぐにできなくなる。もういい加減、ウンザリだ。

そればかりではない。やはりお金の面で、わたしは彼女に「養われている」ということが我慢できない。金は持っている方が強いのだ。彼女jはもちろん、そんなことは言わないが、それでも何に金を払っているかこっちは全部知っている。それを考えるといたたまれなくなって、仕事を本格的に探して、経済的に自立をしようかと思っている。それはもちろん、もう大学院は目指さない、と言うことに繋がるが。

けど、このまま何年も養ってもらうのはもう勘弁だ。わたしの心が卑屈になる。金というのは心を卑屈にさせるなにかを持っている。もちろん、金では買えないものもいくつかはある、とは思う。が、この世は金で動いているのは確かだ。金を持っていると言うことは、一つの権力だ。

わたしは先に経済的に自立した方がいいのかも知れない。その方が彼女との関係もよくなるかも知れない。
17:29 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-24 Sat , 2009
いつも思うのだ
今日、皮膚科に行った。
赤くなっている手とか背中とか足を見せた。病院に行く前にネットで問い合わせをしたときに「汗疱(かんぽう)」も指に出来ているって書いたんだけど、「汗疱はどれですか?」って聞かれたので「こことか、こことか、、」と言って見せたら「あ、そうですねー」と言われた。

今日は背中がかゆくて、夜中に起きたとか、そういう話もした。眼のかゆみで眼科に行って「アレルギーだ」と言われたことは知っている。でも「見たところ、アレルギーと言うよりも空気の乾燥から来ているような気がします」と言われた。空気が乾燥して肌がかゆくなり、掻いているうちにひどいところは湿疹化しているのだという。

「まずはこの湿疹を治さないといけないですね。ひどいので、副腎皮質ホルモンの入った軟膏を出します。首から下は強いものを、首から上はちょっと弱いものを、眼の周りもガサガサしてますか?ああ、そうですか。だったら、眼の中に入っても大丈夫な眼の周り用のも出しておきます。で、保湿剤も出しますので、かゆくないところにはこれを塗ってください。あと、かゆくて起きてしまうほどだったら、朝と晩に飲むかゆみ止めの錠剤を出しますね。

で、風呂に入るときは、高温の、例えば40何度もある風呂は肌を刺激しますので、もっとぬるめのお湯に入ってください。それから、タオルなどを使ってごしごしやると、かゆくなりますので、手に石けんを付けて、それで洗ってください。これで2週間様子を見て、まだ治らないようでしたら、眼科のお医者さんの言ったアレルギーが考えられますので、そのときに血液検査をしてみましょう。それから、保湿剤は市販のベビーオイルなんかを使うのもいいですよ」

と言われた。わたしは

「いやー、実は肌が弱くて、ベビーオイルでも湿疹ができるんですよね。前にケラなんとかってヤツを買って塗ったんですが、それを塗っているとかゆくなって。。」

と言ったら、

「ケラチナミンですね。あれは人によってきつい人もいるんですよ。そういうときは、食用のオリーブオイルを薄く肌に塗るといいです。オリーブオイルを塗ってトラブルを起こした、ということはあまり聴いたことありませんし。でもまぁそのような体質だったら、保湿剤もちょっと多めに出しときますね」

と言われた。ここも初めて行く病院だったが、結構親切ではあった。代金もそんなに高くなかったし。ただ、薬代は2,000円超えたが、、、orz

まぁこれでしばらくは様子見だが、今は薬を付けても薬を飲んでもかゆいかゆい!!医者の話によると、今年は特に乾燥しているのか、結構「全身がかゆい」と言って来る人が多いそうだ。うちは寝室に加湿器をずっとたいてるんだけど、彼女が「去年は70%とか行ってたのに、今年は40%のときもあって、そのときインフルエンザにかかったんだー」と言っていた。

昨日からの続きの話。

わたしは付き合うんだったら、独りでも十分住める人間同士が、敢えて一緒に住むんだ、と思っていた。実際遠距離の時はそうだったし。でも、今のわたしは独りでは住めない。そのことがわたしは悔しくて悲しくて、昨日はずっと泣いていた。仕事を辞めるんじゃなかったとさえ思った。彼女と対等になりたい、と思った。彼女は「対等じゃん」というが、どう考えても、今のわたしは彼女と対等じゃない。それま今でもそう思っている。わたしは彼女と暮らし始めてから(暮らす以前からだったけど)、ずっとずっと病気をしていて、病気でなかった時期なんてほんのちょっとだけだ。もしかしたら、彼女に甘えたいから、自分が自分で病気にしているのではないだろうかとか、そんなことを思ったりもした。そんな自分が許せないし、わたしはもっともっと強くなんないといけない、と思った。ただ、強くなったと言っても、この口の中の不快さには到底打ち克ちようもないのだが。。

あー、もう早く医者とはおさらばしたい。でもいつ治るのか、本当に治るのかよく分からない。一生、この状態のままだったらどうしようとさえ思う。この不快な状態で一生耐えられるのかと。たまに耐えきれなくなって気が狂いそうになる。それでも耐えねばならない。

問題は山積みで、解決できそうもない。自分でどうなったら、自分が本来の納得できる姿になれるのか、わたしはもう一回、全部最初からやり直した方がいいんじゃないかとさえ思っている。彼女に出会う以前から。。とはいえ、それはもう無理なことも分かってはいるのだが。せめて、精神的な独立をしてみようか。今の自分はあまりにも情けなさ過ぎて、嫌いだ。
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01-25 Sun , 2009
自分にとっての家族ってなんだろう
最近よく考える。自分にとっての「家族」とはなんだろうって。
幼い頃の家族とは、父がいて、母がいて、妹がいて、それとわたしがいて、それが家族だと思っていた。家族であることは当たり前で、それについて特に考えることもなかった。

しかし、あるときにわたしから父と母が離れていき、そして妹も去った。離れていても家族だと思った。家族とは心が通じ合うものだと思っていたというか、自分がありのままでいられる場所が家族というものだと思った。

だが一方、自分以外の人は例え家族であろうとも他人だと思っていた。だって、自分じゃないもの。自分以外のものはみんな他人だと思っていたし、これは今でもそう思っている。

だから、わたしは所詮、人間は一人なんだと思っている。だけど、一緒にいて安心できる、一緒にいたいと思える人間が家族だと思っていた。

今、わたしと血の繋がった人間で、わたしが家族と呼べる人間はいないと思っている。彼らの前でわたしは本当のわたしにはなれない。安心できない。散々傷つけられて(おそらく、わたしも彼らを傷つけたことだろうけど)、わたしは彼らの前に出ると自分が思ってもみないほど攻撃的になる。一時も気の休まるところではない。仕方がない。長い年月がそうさせたのだし、彼らも関係の回復を図ろうと思ったことはないようだし。わたしがどんなに孤独で苦しんでいようと、それは彼らには届くことがなかった。それだけだ。

そして、わたしは今の彼女を「家族」だと思っていた。というか、「家族だ」と思いこもうとしていた。が、わたしにとって「家族」とは一体なんなのだろうか。結局、わたしのイメージする「家族」というものは実はないのだ、ということに最近気がついた。だから、彼女と家族であろうとしても、わたしにとっては、なにが家族であるのか分からなかったので、彼女とは「家族だと思いたい」と思いつつ、心の底からは「家族である」と実は思ったことがないのに気がついた。だって「家族」がなんであるか分からないのだもの。どうしたら家族になれるのかとか、家族になりたいと思っても、目指すものが何か分からなければ、その先は一歩も歩けやしない。

ただし、彼女はわたしにとって、特別な存在であることは確かだ。肉親よりも特別な存在なのは確かなことだ。だけど、家族じゃない。人間は一人なのだ。一人の人間と一人の人間が、そばにいたいから、一緒にいるだけなのだ。ただそれだけだ。

だから、わたしと彼女は家族じゃない。自分以外は他人だ。ただし、どこまで気を許せる人間かはその人に寄るけれども。自分の中では彼女が一番近いというか、既にわたしの中に入ってきている存在だけれども。だからこそ、わたしと彼女は「特別な関係なのだ」とわたしは思っているけれども。

所詮、自分のことは自分にしか分からないのだ。何も言わずに相手に理解してもらおうなんて虫のいいことは考えない方がいい。期待するだけ無駄だ。二人でいい関係を作っていきたかったら、徹底的に相手と話し合うことだ。相手と話し合う気があることを、もしかしたら「愛情」というのかも知れない。

わたしは自分のために生きている。彼女のために生きているのではない。わたしのやることは、わたしのやりたいことで、彼女のやりたいことではない。その逆もしかり。彼女は彼女のために生きて欲しい。そしてわたしのことなど考えず、彼女のやりたいことで、彼女には自由に生きていって欲しいと思う。

ただ「お金の関係」が入ってくると「わたしはわたしでやりたいようにやるから、あなたもあなたでやりたいようにやっていって」と言うのが難しい。お金は人の心を卑屈にさせるから。養ってもらっている方は、養う方がどう思っていようが肩身が狭い。全額支払ってもらえば「ラッキー」と思う反面、相手に支払わせて悪いと思う。しかし、自分で支払うときは、自動的に頭が残金を計算して「あー、もうこれしか金なくなっちゃったよ」と思う。どちらにしても心は複雑だ。

「好きにやるから」と言いつつ、金は他人のもの、じゃムシがよすぎる。そんなことは百も承知だ。今のわたしは、自分の信念とお金の間に挟まれて動けなくなりつつある。お金が自分の口封じをしているような気がする。しかし、このようなことが長期化すれば、わたしは自分自身で勝手に疲労困憊してしまうだろう。何でも思ったことは口に出して話し合うことが信条の二人にとっては、致命的なことになるだろう。それは「愛情がなくなった」ということを意味するから。

わたしの口数が減っている最大の原因は、口の中の不快さだが、もしかしたら、このようなことも含んでいるのかも知れない、とふと思った。

とにかく、わたしと彼女は家族じゃない。お互い決して孤独ではないとは思うけれども。

人にはいろいろな「家族観」があるから、それは否定しない。だからわたしの持っている「家族観」も否定しないで欲しい。それによって「冷たい人間だ」と思われるのはもちろんその人の「自由」である。
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01-26 Mon , 2009
「ハートをつなごう」LGBT第2弾
「ハートをつなごう」LGBT第2弾が、今日と明日の夜8時からあるらしいです。

ハートをつなごう(NHKのサイト)

「1日目は、カミングアウトを受けた親の悩み・本音と当事者の思いを語り合います。

2日目は、周囲から自分の存在を認めてもらっていないと感じ、自分を傷つけてしまうことがあると語る若い世代の当事者の悩み、そして地方の街でパートナーと暮らすレズビアンカップルの思いをお届けします。 」

だそうだけれど。。
実は今日はこの時間、家にいないわたし(笑)

そして、なんていうかな、別に感想はもう書かなくてもいいかな、なんて。
この番組に何を期待してるのか、よく分からなくなっちゃった、ってところがあって。。

なんかね、この番組って、わたし見なくてもいいんじゃないかな~って思うのね。
この番組の「対象者」ではない、というか、対象者じゃない方がいいと思うのよね。

まぁ「見ない」ということはないだろうけれど。
まーでもわたしの性格から言って、見たら一言なにか書きたくなるだろうなあ(苦笑)

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01-27 Tue , 2009
「ハートをつなごう」LGBT第2弾、1日目
昨日は出かけてたので、録画しておいてさっき見た。

んー、、今回は札幌の「親の会」の人を取りあげていたけれど。

途中でBrass MIX!(それも3年前の!2006年の第10回レインボーマーチ札幌)がちょっとだけだけど、出てきたんでびっくりした!まー、あそこで今回出ていた親の会の親御さんがステージで挨拶したのね、あのとき。だからBrass MIX!をわざわざ出したのか?って思ったけど、でもあそこで「あっ、ブラミ(Brass MIX!のことを「ブラミ」と略して呼んでます)だ。しかも2006年のだ!(2007年じゃなくて:2007年にもブラミはレインボーマーチ札幌に出ました。わたしはいなかったけど)」って思う人って、多分、あそこに出た人じゃないと分からないと思うので、なんでBrass MIX!の映像が使われたのかは不明。けどね、そのブラミの映像、

映ってた人、全員、顔にモザイクがかかっていた!

映ってたのはガードの人、指揮者のトヴィくん、そしてトロンボーンを吹いているうちらは、かなりはっきり分かった。あ、わたしは多分、トヴィくんの陰に隠れて顔自体映ってなかったと思うけど(笑)いや、別にね、顔にモザイクかかってたのは、NHK側が事前に本人たちに対して了承を取ってないので、ぼかしたんだと思う。まー、2006年のあの映像が誰かなんてNHKには分かんないだろうし、どこに連絡取っていいのか分かんなかっただろうからね、別にモザイクがかかってたことに対しては「まぁ仕方がないのかな」って気もするんだけどさ。でもね、こうも思えるのよ、というか、わたしはどうしてもこう思えてしまうのよ。

性的少数者って、何も言われないと顔をぼかされてしまう存在なんだ、それだけ「配慮される」人種(人種って言うのはとても変だけど)なんだ

ってね。そういう「配慮される人間」だって、無言で見せつけられているような気がして、わたしはとても貶められたような気がしたの、逆にね。だって、わたしはレズビアンと言うことを隠してないもの、日常でも。それが、なんだか顔をぼかされて、「ああ、この人たち、表に顔が出せないのね」って思われたら、とても悔しいし、とても心外だ(しかも「Brass MIX!」自体も、基本的に顔出しについては、自分で責任をとってね、顔出ししたい人はそのままでいいし、顔出ししたくない人は自衛策を取ってくださいってことになってます)。

で、後の方のパレードの様子は、誰も顔がぼかされてなかったよね。あれは多分、去年の映像なんだと思う(去年はBrass MIX!出てません)。で、事前にNHKの方からカメラが回ってます、もしかしたらテレビに映るかもしれないから、顔出ししていい人だけ中に入ってください、とかなんとか言われたんで、あそこに映ってる人たちはみんな顔をぼかされてなかったんだろう。

でもさぁ、何も知らない人が見たら、あのパレードの様子は、1つのパレードって思うよね。まさか間に2年間も間があいてるなんて分かるわけないだろう。ってわけで、時間にして数秒しかないあの「Brass MIX!」の映像が、わたしは一番ショックだった(笑)

あと、まぁ他人が言ったことについて文句付けるのもアレなんだけど、気になったのは親の人がね「困難でも自分で決めた道だから」みたいなことを言ったと記憶してるんだけど、あれ聞いて「何も、好きこのんで困難な道を選んだんじゃないよ」と思った。まー、ただ、親の会の人は「だから、子供の生きやすい世界にしよう」と思ってる人たちもたくさんいて、だから、いろいろ活動してるんだと思うけどね。

だけど、やっぱり当事者として思っちゃうんだよね。「自分の生きたいように生きることも困難だし、だからといって、異性愛者のフリをして生きていくのはもっと困難。どっちにしろ、自分の人生は困難なんだ」ってね。それで「こんな自分に産んだのは誰だ」とか、逆に親を逆恨みしたくなる(笑)

まー、これは親の責任でも子の責任でもないわけで。あるとしたら「生きにくいこの世の中」に責任があるんだけどさ。でも、生きにくいからって、そのままにしてたら、いつまで経っても生きにくい世の中であることには変わらない。だから、誰かがこの世の中を「住みやすい世の中」に変えていかなくちゃならないと思うのね。それは別にみんなが「活動家」である必要はなく、みんな、できることからちょっとずつやってけばいいと思うのね。カミングアウトなんかもする必要ない。匿名だってできることはたくさんあるわけで。

親の会の人ってのは、当事者も勇気づけられる存在だし、カミングアウトされた親にとってもありがたい存在だと思う。ただ、親にもいろいろあって、うちの親のように「こういう親の会があるから(わたしの場合は、LGBTの家族と友人をつなぐ会を紹介したんだけど)、なにか相談事があったらここにできるよ」というつもりで紹介したら「自分たちはこういうところで活動するつもりはない」とか言われて、「はぁ?」ってなもんだった。だから、ここに入って活動して欲しいなんていう気はさらさらなくて、ただ悩んでいるんだったら、こういうところがあるよって紹介しただけなのに。。。だいたい、活動するしない、なんて、人に強制されてやるもんじゃないだろ!正直、わたしは悲しくなったね。

あと、前にも書いたことがあるけど、やっぱり「育て方が間違ってる」と思ったりするんじゃないかなと思って、必死に「そうじゃない、ここまで育ててくれて感謝している」ってメールを何通も送ったんだけど、母親の携帯はその当時500文字までしか受信できない携帯で、そのことについて一言も「途中で切れている」と知らせてくれなかったので、随分とあのわたしが送ったメールは全部母親のところに届いているもんだと思っていたら、そうではなかったことをひょんなことから知って、それについても大ショックを受けた、という経験がある。

わたし自身はこういう経験があるけれど、しかし、親からこんなふうに拒絶される人って少なからずいるんだろうな、と。だから「親の会」をやってる人はとても貴重だと思っているし、そういう「親の会」が全国、津々浦々にできれないいのに、と思っている。

しかしね、中にゲイの子供が原因不明で自殺しちゃったって親がいたのね。その人は親にカミングアウトもし、母親と一緒に親の会で活動してた。けど、ある日、突然自殺しちゃったらしい。今でもなにが原因で亡くなったのかは分からないそうだ。何が原因で分からないって言ってるのに、番組では「同性愛者等の自殺率が高い」になっちゃってて、おいおい、そこは違うだろって思った。

確かに「REACH Online」や、あとなんだっけ、大阪のアメ村でもそういうアンケートとったことあるらしいというのを見たことがあって、そこでは「異性愛者に比べて、同性愛者等の性的少数者は自殺を使用と思った割合が高い」という結果が出てるのは知ってる。けどね、「REACH Online」は、もともとHIV/AIDS関連の調査だから、調査対象はゲイ男性とMSM(Men who have Sex with Men:男性とSEXする人)なのね。そこに女性は入らないの。で、番組の中でも「ちゃんとした調査が必要だ」って言われてたとおり、国ではLGBTの自殺率の調査とか、自殺に関するアンケート調査とか、まーったくやってない。だから「LGBTの自殺率は高い」って一般に言われてるけど(海外での調査を元にはできるけどね)、日本でそれが言えるのかなんて、今のところ、誰にも分かんない。

しかし、それと、この原因不明で自殺したゲイの人は、本来なら別の話。だって、原因不明なんだもの。ただ、ゲイの人が自殺をしたことは事実だけれど。だから、ここんとこ、すごくこじつけたように感じたのよね。だって、わたしだっていつもいつもだいたい希死念慮があるけれど、それはわたしが同性愛者だからってことが理由じゃない。今、もし自殺するとしたら、それは病気を苦にして、になるだろうと思う。でももし、わたしがこの先突然自殺しちゃったとして、その原因が「同性愛者だったからだ」って思われるの、イヤなのね(笑)そういうところでこじつけをしないで欲しい。だから、わたしは死ぬときはちゃんと遺書は残そうと思ってるけどさ(笑)

いくらLGBTの自殺率が本当に高い、としても、今のところは誰にも分かんないんだから、性的少数者が自殺した=性的少数者であることが原因、みたいに結びつけて欲しくないんだな。。だから、わたしはしっかりした調査を今後、国や研究機関に求めるね。LもGもBもTも全部入れた調査をね。

あ、あと、なんかハートがぐるぐる回って、それがなんか人の顔だったり手だったり、最終的に葉っぱ?になるアニメーションが新しくできたみたいなんだけど、あれの最後に「LGBT」という文字と共に「セクシャリティー」って声が入るんだけどさ、あれ、なに?みたいな(笑)突然「セクシャリティー」って言われてちょっと戸惑ってるわたし(笑)あれは「LGBT」で今後も使い続けるアイキャッチなんだろうか。。いや、あまりにもトートツに「セクシャリティー」って言われたんでびっくりしただけだけど。「セクシャリティー」ってすんごく自分には難しい言葉に感じられるのよ。本を読むと分かった気にはなるんだけど、いつの間にかまたよく分かんなくなってる。。(多分、これを「頭が悪い」と言うんだろうと思うけどね(苦笑))だから、なんであんな難しい言葉をいきなり、、なんて思ってしまうのだ。

それから最後に。番組の中で「ゲイであると言うことが分かって孫が抱けない」と思ったお母さん、そんなことはありません(爆)

同性愛者だから子供が持てない、なんていうのは、過去のこと。今は欲しいと思った人は、いろいろ試したりしてますよ~。アメリカではそれこそ「レズビアンマザー」とか「ゲイファザー」はたくさんいるし。こないだのNHK特集の「女と男」の第3回で、そんなことやってたらしいですよ!(わたしは見てないけど(笑))

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01-28 Wed , 2009
「ハートをつなごう」LGBT第2弾、2日目
これは昨日、生放送で見たのだけれど。
結構、重い内容だった。一人のレズビアンと、一組のレズビアンカップル。

でもね。なんて言うんだろう、今まで「ゲイ/レズビアン」、「LGBT」とやってきて、昨日の内容はホント、重かったんだけれど大切な部分だ、って思った。

22歳になるというレズビアンの人は、小学校4年生のときから自分は同性を好きになると気がついたという。「自分は生物としてまちがっている」と日記に書き、そして苦しいことは口では言えないので、自傷行為をして誰かに「自分は苦しいんです」と気づいて欲しかったという。いや、この内容、本当に泣きそうになった。

わたしは自分のことに気がついたのが遅かったので、自己否定もしなかったし、悩んだりもしなかった。けれど、こうやって悩む人だっている。それは多分、早くから自分のことに気がついた人たちが多いんだろう。

わたしは、中学や高校の時は、女子同士でつるむのがとても嫌いだったので、一人だったときなんかも多かったし、それだからか「変わってる」って言われることも多かった。けどそれは平気だった。なぜなら、それは自分が「選んで」そうしてたから。わたしにとっては、グループの中で思ってもないことを言うこととか、ダラダラと行動することの方が耐えられないって分かってたから、わたしは友だちとは個人対個人で付き合ってるつもりだったし、周りの人は「変わっている」と言いつつも、わたしの好きなように付き合ってくれた。

それとね、この人と決定的に違うのは、「同性を好きになる」ってことは選択したものじゃないのよ。自分でもどうしてそうなのか分からないけれど、何故か同性を好きになる。しかし、周りの人はみな、異性を好きになるみたいで、同性を好きになる自分はどうも「ホモ」とか「レズ」とか言われて、周囲から蔑まれる人みたいだって思ったら、そりゃ、誰にも相談できないし、苦しいだろう。

性的少数者の苦しさというのは、一番に「誰にも言えないと思ってしまう」苦しさと、一大決心をして打ち明けたら、それを「否定される」苦しさの2つが大きいものだと思う。他の少数者って、おそらく既に親が知っていたり、言わなくても周りが知っていたりするものだろうけれど、性的少数者の場合は、言わなければ誰にも分からない。でも、分からないけれどつらい。だって「誰にも言えない」ということがまず、つらいからだ。そして、一番身近である親から否定されるともっとつらい。

この人は、まさにそうだった。そしたら全然救いがないじゃない。そして、そういう可能性を持った子供は多分、今でも相当な数の人がいるんだろうと思う。こういう子供たちに対して「同性を好きになってもいいんだ」ということと「あなたは一人じゃないんだ」と言うことをどうやったら伝えることができるのだろう?今、もし悩んでいる人がいたら、この2つの言葉を伝えたい。しかし、どうやって?

ネットには情報が溢れていると言うけれど、悩んでいる子供に対して、本当に必要な情報が提供できているのだろうか。悩むことで人は成長すると言うけれど、できればこんな悩みは持たない方がいい。なぜって、この悩みは「自己否定」につながり、そして、もしかしたら自分の命を絶ちかねないからだ。

そう、一昨日の番組で「性的少数者の自殺率は高い」って話をしてたけれど、この話はここですべきことだったんだとわたしは思う。ここのときに「内面的なホモフォビア」の話が出てきたよね。で、思春期に悩むと自己肯定力が低くなるって説明されたよね。で、出てきたレズビアンの人も、親友に打ち明けてそれで否定されたら、死のうと思ってたって言ってたよね。だから、自殺の話って一昨日のところでするべきではなくて、昨日のところで話した方が説得力があると思う。現に男性だけの調査ではそういう結果が出ているんだから。ただ、この調査はもっときちんとした形で国が行なうべきなんだ、ってわたしはそう思う。

また、早くから気がついても「悩まなかった」という人もいるだろう。でも、悩まない人はそれでいいのだ。だが一方で、こうやって死ぬほど悩んでいる人もいる。この人たちは早く助けて楽にしてあげたいと思う。本来なら、悩むべきことではないんだから。このために人生を悲観しなくてもいいのだから。

確かに性的少数者であることはしんどい。異性愛者だったらどんなに楽だろうって思うこともある。でも、「自分一人ではない」ってことと「分かってくれる人は周りにたくさんいる」ってことが分かれば、ちょっとは生きやすくなる、と思う。そこにまで行き着くまでに時間は短ければ短いほどいいと思う。だから、若い人が(子どもでもいい)すぐにアクセスできるなにかがあればいいなあと思う。そしてそれらを整備していくのは、国や自治体と当事者の団体、これがうまくミックスしてやれればなあと思う。ただ、国や自治体としては、根拠となるものが必要だから、それには、LGBTに関する調査をやらなければならないだろう。ってわけで、話は元に戻ってきたんだけどね。

ともかく、わたしはこれを見て「あー、こういう人がいっぱいいるだろうな」ってことと「そういう人たちに救いの手をさしのべたい」って柄にもなくそう思ったよ(笑)

で、次に出てきたレズビアンカップルの人たちだけど、この人たちは、10年一緒に住んで(田舎と言ってたけど)、そして毎朝犬の散歩に出かけるときに、近所の人たちに挨拶をしているという。でもそれは「自分が愛する彼女と犬と(あと猫もいたけどさ)幸せに一緒に暮らしたいから」やってることであって、別に「あなたの近所に性的少数者が住んでるんですよ」ということを「カミングアウト」したいわけではない、ということを言っていた。そりゃそうだよね~。んな、たとえ近所の人であろうと関係ないのに「自分たちはレズビアンカップルです」と言い歩く必要なんかないよね。その地域にどこまでとけ込むか、というのもそれぞれのカップルによって違うだろう。この人たちは、集まりがあれば出かけていくし、掃除があれば、朝早くから出て行く。そうやって周りの人にとけ込もうとしているのだろう。それはそれで一つのやり方だ。

うちは、、うちだって近所にはカミングアウトはしていない。ただ、同居してることは知ってるだろうけどね。で、どっちかというとわたしの方が印象悪いと思うけど。だって、ここに住んでから既に3回も救急車呼んでるし(爆)だからわたしは誰からなんて思われてるかと思うと、肩身が狭い思いをすること、あるのよ(爆)もしかしたら彼女はこの近所から「病気の同居人の面倒をみている献身的な人」とは絶対に思われてるだろうな。。と思う。彼女の方が圧倒的に近所の人と仲良しだし。わたし、誰と会っても挨拶しないし(爆)あ、階下の人にはするけど。顔見知りだから。

ってわけで、このカップルは、片方はセクシャリティーも割とオープンにして暮らしてるけど、片方が全くのクローゼットなので、だからこの番組にも顔はぼかしが入ってた。でもそれも「彼女と幸せに暮らすための選択」だから、いいんだそうだ。

うん、そう。それはそうだよね、と思う。

けど一方、やっぱりまだまだ「顔が出せない世界」なんだとも思うし、やはりこの番組を見ている人は今はまだ、そういう状態なのだと言うことを察して欲しいとも思う。

そして、こうやって彼女と暮らしていく一方、やはり不安はあるという。それは社会的な保障が一切されていない、ということ。セクシャリティーを理由にして仕事が来なくなったらどうしようか、ということ。これはね、やっぱり誰かしら大切な人ができると誰でもそう思うことだと思う。ま、わたしの場合は身内からなにから知っているし、わたしがどんなに彼女の迷惑かけてるか知ってるから、わたしがもしどこかで死んでも、身内は彼女に知らせてくれる、そう思ってる。けど、その逆がね、、彼女はやっぱりカミングアウトしてなくて、だから、そこのところはちょっと不安だけれど、でも、多分、これから生きていく上で、二人で話し合っていろいろ決めると思う。例えば公正証書を作ったりね。今、できることからやっていくことが大切だと思う。

それとともに、これはスタジオで石川大我さんが言ってたけど、やっぱり「パートナーシップ法」は欲しいと思う。

あと、それに加えて最後の最後で尾辻さんが言ってたけど、同性愛者の幸せ=誰かを見つけて一緒に暮らすこと、ではない、と。シングルの人でも暮らしやすい世の中にしていかなければ、と言っていた。これは同性愛者だけの問題じゃなく、異性愛者でも夫婦の片方が亡くなったらシングルになるし、結婚しなくてシングルの人もいるだろうし、シングルの人は同性愛者も異性愛者もないのよね。そういう人たちが、安心して暮らせる世の中になるってことが、実は一番みんなのためにいいんじゃないかと思う。

今までの番組では「なんで左側の人がいるんだろう」と思ってたけど(爆)、今回のこれに限っては「ああ、いいこと言うじゃん」と思いました。あと、一人で自傷行為をしているレズビアンの人に対しても上川さんが「自分のことを思い出した」って言ってたし、レズビアンカップルのことに対しては、野宮さんも「どういうカップルです、なんて表札を掲げているわけじゃないし」って言ってて、今回はなんかよかった、左側の人たち(笑)

ってわけで、この回については、実は結構満足してるわたし。まー、出てくる人はゲイやレズビアンばっかだったけど。内容は少し重かったけれど。でもやっぱりあの番組を見て、ちょっとだけ前の方にいるわたしは、やっぱり何か自分でできることはないのかな、って思ってしまうんだ。

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20:09 | (性的少数者)テレビのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-29 Thu , 2009
なんか最近
なんか最近、やりたいこととやらなきゃいけないことがいっぱーい。。
でも、どれも全然金に結びつかないどころか、下手したら金が出て行くことばっかりだ。。

あー、働いていた頃は、こんなこと考えもせず。
あの頃、今のようなことを考えていたら、ある程度できてたことなのかも知れないのに?
でも、あの頃はこんなことを考えるヒマはなく。

時間があれば、金がなく。
金があれば、時間がなく。

なんか、うまくいかないな。。

でも、時間だけは取り敢えずあるんだから、
その中でできることをやってくしかないのかな。
、、、しかし、そのうち、ちょっとでも金が稼げればいいんだけど。
なんかいい仕事、見つからないかな。

と思っている今日この頃。
20:25 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-30 Fri , 2009
今まで黙ってたけど、、、
いや、知ってる人もいると思う(笑)
けど、知らない人が大部分だと思うけど。

えーと、前々からね、「最近、どこ行っても会うメンツが同じなんだよ~」とか「なんか最近、性的少数者としか会ってないじゃん」とか、そういう部分がとてもイヤになってたのね、わたし。もちろん、同じメンツと会ったとしても、それはそれで別にそのときは面白かった、と思って帰ってくるんだから、別にいいんだけど。

でも「あー、新しい人と、今まで出会ったことのない人と出会いたい~!!!」って思ってて、だけど、もう性的少数者の集まりで自分のことについて語るのは飽きた(笑)「新しい人と出会いたい~!」と思っても、毎回毎回自分のことについて語るのは疲れた(笑)

んで、もう一つ気になってることがあったんで、それと組み合わせて、イベントというほど大きなものじゃないけど「会」をしようと思ったのね。

その名も「セクシャリティーフリーで聞き合う会」って言うんだけど、なんていうのかね、性的少数者が主に集まるところの異性愛者って、本人が「支援者」(今の言葉で言うとアライさん)って思ってる場合もあるけど、なんていうか知らない間に「支援者」にされちゃってるところがあると思うのね、本人はそんなこと思ってなくても。おまけに異性愛者の人は、性的少数者の使っている言葉の意味も分からないから「これ、どういう意味ですか」と聞くのもなんとなく聞きづらい。「これ、聞いたら傷つけてしまうんじゃないだろうか」って思ってなんとなく聞けない。「理解があるなら支援するのは当たり前だ」ってのは、性的少数者のワガママだと思うし(それか単に思い込み?)、性的少数者にしか分からない言葉を使っているのも、性的少数者が多数のところだと当たり前だから「これ、どういう意味ですか」とは聞きにくい(まぁちょっと調べれば分かるんだけどね)、「こんな質問をしたら傷つくだろうか」とかね、そんなこと思われるのヤなのね。でね、これってもうね、全部、「ネット上での付き合いの限界」だと思うのね。

異性愛者は性的少数者と出会いたいと思ってもなかなかリアルで出会えない。

これは、実はわたしが「在日のオフ会」に出たときに感じたことだった。わたしらは普通に異性愛者の人とは出会える。性的少数者だから、性的少数者とも出会える。在日の人とは、知り合いになりたいとは思ってはなかったんだけど(爆)、全然別の理由でコミュに入ったら、「ああ、知り合いになりたい」と思うようになった。で、オフ会に出た。こうやってどんどん知り合えるのよ。

けど、異性愛者と性的少数者が出会える場って、そんなにないことに気がついた。多分、知り合いになりたい人もいるだろうなと思ったけど、募集は全部性的少数者向け。もちろんセクシャリティーフリーの場もあるけれど、そこは別に知り合う場所ではない。だから、セクシャリティーフリーで、なんでも話し合って、あと、聞き合う会ってのをやることにしたの。

参加資格に制限はなし。性的少数者でもいいし、そうでなくてもいい、自分が何かよく分からなくてもいい。そこでね、自分の話したいことを話すの。セクシャリティー関係の話をしてももちろんいいし、その他にしたい話があったらそれをすればいい。何を話してもいいの。で、他の人は聞くの。もしその人がなんか悩みがあってみんなの意見を聞きたいってときは、それはみんなで答えるの。ただし人の意見を「それは間違っている」とか「こうするべきだ」というのはナシね、という話し合いの会。あ、そうそう、そしてこれは決して「性的少数者のことを分かってもらう会」ではない、ってことね。要するに、性的少数者とそうでない人の間にある「見えない壁」をとっぱらうための会なのだ。

これをね、2月1日にやります。

参加者10人。最高でも10人まで、と思って募集かけたら、結構何日もしないうちにわたしを含めて10人になった。今まで自分の日記で何も言わなかったのは、わたしが全く知らない人と出会いたかったから(笑)どういう人が集まるのかは、わたしも今の時点で全く知らない。集めるとき「別に自分のセクシャリティーを書かなくていいです」って言ったから、知らない人も多い。誰とも顔見知りじゃない。

ってわけで、結構楽しみだったりする(笑)し、好評だったら、継続してやりたいと思っている。

あ、だけどね。

本当はこういう会、やりたい人がやるべきだと思うの。「こういう会があるから参加したい」じゃなくて、自分が主催でやってみればいい。そうすれば、出会える機会も増えるでしょ。だからね、別に会の趣旨を全部マネされてもなんでもしていいから、やりたいなって思った人が人数集めてやればいい、と思ってる。やり方はそんなに難しいわけじゃない。人を集めて、どこでやるかを決めるだけ。それだけでできるんだから。

そういう場がたくさんあれば、素敵だと思う。

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01-31 Sat , 2009
在日コミュ新年会
今日は在日コミュの新年会だった。
年末に忘年会をやったんで、約1ヶ月ぶり。

今回は、始まるときに自己紹介なんかもあったんで、誰がどういう人なんだか、ってのは、だいたいわかった。ってーかわたしが「韓国とは、多分、なんも関係ない日本人です」って言ったら却って驚かれたかも(苦笑)あー、でも、わたしの分かる範囲では韓国とはなんも関係ないわけであって、顔つきは結構「渡来人」っぽくはあるのよね。要するに弥生顔というのだろうか。絶対に縄文顔とは言えないのよね、わたしの顔。。

んで今回は、韓国からの留学生や、8ヶ月日本に日本語の勉強に来ていて、もう来月帰っちゃう人とか、そういう人もいた。ま、そんなわけで、もしかしたら初めてじゃないかなあ~、日本にいながら「圧倒的多数じゃない日本人」(この言い方なんか変だけど)になった、と自覚したのって。

あのさ、在日の人って分かった。名前聞いたあと、絶対に出身地がどこかを聞くんだよ(笑)で、わたしはその答えを聞いても全然分かんないから(笑)、「一体どこのことを話してるんだろう、何レベル(日本だったら都道府県とか市町村レベルかとか)で話してるんだろう」っていつも不思議なの。

例えばわたしに「出身地どこ?」って聞かれたら「東京」と答えてそれで終わりなんだけど。。在日の人には続きがあるようなんだよなあ~。っていうか、在日の人って自分の生まれ育ったところじゃなくて、やっぱり出身地って韓国のどこかなのかなあ?それとも、こういう在日の人の中では特別に元の出身地を言うんだろうか。。そこら辺、聞いてくるの忘れた(笑)

日本だったら例えば、、「出身地どこですか」って言われて知ってるところだったら(例えば大阪とか)「大阪のどこ?」って聞くけど、突然「秋田です」って言われても、秋田に行ったことないわたしは「はぁそうですか」で済みそう。。だいたいこないだ「盛岡」って聞いて「青森県?」と答えるくらい、北の方の日本には常識がないわたし。。orz

ってのは、まぁいいとして(個人的にはよくないけど(汗))。

でも今日は、前回と違っていろいろなことを聞いて来ちゃった。うーん、なんだか複雑。
普段、差別に敏感だからか「えっ、そんなこと言われたら差別でしょ」って思うことでも「まー、相手はそんなに差別とか思ってないからさぁ」って。。このキャパシティってのは、わたしとあなた、の違いなんだろうか、とか、それとも差別され慣れてる(?)人の広さなんだろうか、とかまたそこでいろいろと考えてしまったよ。。あ、だけど、性的少数者関係のことについて「これこれでしょ」って言われて「なーんか違うんだよなあ」と思いつつ「ま、いっか。別に差別されてるわけじゃないし」って思ってるわたしとまぁ、同じようなものか(笑)

しかし、この会だけじゃないかなあ~、ノンケの割合がほとんどの会も(笑)ホント、最近わたし、性的少数者に会うことがものすごく多くって、そういう意味では普通の社会の中に生きてないし。。(苦笑)

話がさぁ、すぐ「結婚してる?」「彼氏(彼女)いるの?」ってなるんだよね(笑)超ノンケ世界だわ、って「はぁ~」と思いながら聞いてるわたし(笑)いや、これまでのわたしの身の回りにも、こんなにあからさまな世界、なかったから(爆)これが「在日」特有なのか、それとも今までわたしが接してきた社会が「特殊」だったのか、それはよく分からないんだけど。。(笑)

まー、具体的なことは書かないけど、なんか「へえー」って話が多かったなあ~。こういう、普段、全く接していない世界に入ると、なんかすごく楽しい。今まで接しなかった世界は果たして、わたしが「日本社会にどっぷり浸かっている」からか、それとも「一部の日本世界にしか接していなかったか」というのは、全然分からなくて、それを考えると「あれっ、あれっ、日本社会って???」って逆に混乱を起こしてくるのが、変なんだけど楽しかった。ある人によれば、同じ日本に育ちながらもやっぱり在日と日本人って違うんだという。わたしはそれはその人の個性とか、育ってきた環境なんじゃないかと思うんだけど、その人によると違うという。言葉では上手く説明できないけど、感覚でそういうものがあるんだ、とその人が言っていたら、その隣の人も「分かる分かる」って言ってたから、そういうものがあるのかなあ~?てーか、その「感覚」が全く分かんなかったから(当たり前だけど)、ちょっと悔しかったりもした(笑)

わたし自身、「自分が日本人であること」について、考えたくても一体、何から考えていいのかよく分からないので、結局分からないままなんだよね、まだ。性的少数者に対することは、すんごく考えられるのにね。まー、確かに在日の人は「なんで韓国籍なのにここにいるんだろう?」って考えたり聞かされたりするんだろうけど。一方、こっちは「なんでここに住んでいるのか」なんて、あんまり考えないもんね。あ、わたしの場合、親が東京で仕事をするために、東京に出て来たから、東京出身だってことは分かるけど、じゃあ例えば、親の出身地がなぜあそこなのかは誰にも何も聞かされてない。いつからそこに住んでるかもよく分からない、って言われたことはある。しかし、確かにそこはわたしの先祖代々から住んでいるところなので、わたしのルーツもそこなんだろうとは思うが、いかんせん、そこで幼い日々を送ったわけではないので、どうもそこはわたしの「出身地」とは思えないのよね。

しかし、在日の人にとっては、ある意味、先祖代々(親戚とか兄弟とか?)がそこに住んでいたってことで、そことの繋がりってのは、やっぱり深いものがあるのだろうか。

とすれば、そこのところの感覚というものは、在日の人とわたしとでは全く違うってことになるよね。で、それはわたし個人の感覚なのか、それとも日本人はそう思うのか、それはわたしにはよく分からない。

あー、でも出身地とは思えなくとも、例えば都道府県別対抗駅伝とか、高校野球とか、そういう都道府県別で戦うときは、やっぱり東京以外にいつの間にか気にしているところがあるので、そういう感覚なのかなあ、、、などと今、そんなこと思った(笑)

などと、わたしの普段考えてないいろいろな部分を刺激されるので、この集まりはわたしにとって結構楽しかったりする。

けど。。。今日はチゲ鍋?だったんで、辛くて食べられなかったよー(号泣)
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