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10-15 Sat , 2005
やっとできた
あ~、やっとブログが完成した~。
そのまま使えるのかと思ったら字は小さくしなきゃいけないし、
その他諸々の設定があって、スタイルシートとか全然分からないし、、

昨日から熱中してやってたら彼女に怒られちったよ。
ま、今まで体調がよくなったらすぐに無理してまたぶり返す、ってことを
何度もやったからねぇ。。でもやり始めたら止まらないこの性格、
一体どうすれば変えられるんだろうね。

というわけで今日はブログのことが気になったのか、早朝覚醒ばりばり。
朝の4時半に目が覚めたよ。昼前にちょっと寝たけど、これ書いたらまた寝まーす。
おやすみなさい。。
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テーマ:ブログはじめました! - ジャンル:日記

15:06 | ブログを始めたこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-16 Sun , 2005
うつについて(その1)
今日もばりばりの早朝覚醒で4時起き。何とか6時までは誤魔化せたけどこれ以上は無理なので起きてブログを書くことにした。

鬱病は「心の風邪」と最近よく言われる。けどそれは本当じゃない。鬱病はセロトニンやノルアドレナリンが出にくくなるれっきとした「脳の病気」なのだ。もちろん心因性が原因で鬱になることがある。けど圧倒的多数は原因不明だと読んだ本に書いてあった。

わたしの場合もよく「職場の人間関係が原因だろう」と言われたが、そんなことは全くなく、疲労が蓄積していったことが原因と言えば原因だと思われる。なんせ仕事の日以外は趣味のために各地に飛び回り、そして休む間もなく仕事復帰、では身体は本当に休むヒマがない。そういう生活を6年間続けてきたのだ。

病気の初めは「息苦しさ」だった。仕事してうちに帰ってテレビでも見ているとなぜか息苦しい。でもその「息苦しさ」はこれまでも何度も経験したことがあり、放っておけば治ると思っていた。けど現実はその逆だった。息苦しさを感じる時間がだんだん長くなっていき、ついには仕事中にも感じるようになってきてしまった。

最初は肺の病気か、と思ったがよく考えると何かに集中しているときや寝ているときは息苦しさを感じない。肺の病気なら四六時中息苦しさを感じているはずだ。それで肺の病気ではないと思った。では肺の病気ではないとしたらなんなのだろう。早速ネットでぐぐってみた。「息苦しさ」や「窒息感」をキーワードにしたら出てきたのは「自律神経失調症」だった。なるほど。それなら納得できる。だがだからといってどうすればいいのかはよく分からなかった。これが一昨年の秋から冬にかけてのことである。

引き金は職場の異動だった。最も行きたくないと思っていたところに異動が決まってしまったのだ。わたしはどんどん憂鬱になっていった。
06:27 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-16 Sun , 2005
うつについて(その2)
実はわたし、以前に鬱病になったことがある。そのときはまだ学生だったのでしばらく実家に戻っていたら自然に治っていたのだが、そのときの苦しさは忘れることができなかった。

だから今回「この『憂鬱感』はあの感じだ」と気が付きすぐに心療内科の病院にかかることにした。これが去年の4月10日。病院はネットで調べ、よさそうなところにした。先生からは「憂鬱な気分が2週間以上続くと鬱病という病名が付きますが、あなたの場合はまだ2週間経っていないので『鬱状態』ですね」といわれ、2種類の薬が処方された。またその際、息苦しくならない呼吸法、と言うのも教わった。

息苦しさは1週間で治った。しかし憂鬱感は消えなかった。そして新たに「食欲不振」が出てきた。1週間で5キロも痩せた。先生は「これは薬の副作用です。薬を変えましょう」と言った。

その頃から憂鬱感に加え、疲労感も出てきていた。仕事も最初の1週間を除けば、1週間に2、3日休むようになっていった。わたしは先生から「休みましょう」と言う言葉を密かに期待していた。しかし先生の方針は「仕事に行きながら治療する」というものだったので「休みましょう」とは言われなかった。

GWは彼女が来てくれて家事一切のことをやってくれた。わたしは薬を飲み眠り続けた。毎日面白いように眠れるのだ。1日のうち起きているのは食事のときだけの2~3時間、という日々を送った。「それは薬の効きすぎです」と先生は言った。そして違う種類の睡眠剤が処方されることになった。会社は相変わらず休まず行けず、1日や2日、有休を使って休んでいた。
06:52 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-16 Sun , 2005
うつについて(その3)
その頃からだんだんわたしは疲れやその他から「仕事を休みたい」と思うようになっていた。休みの間、寝たり自分の好きなことをして過ごせばこの憂鬱感や疲労感から回復すると思ったのだ。そこで医者に「2週間休みたい」と告げた。医者は簡単に診断書を書いてくれた。会社ではもう早くから上司や他の人に「自分は鬱病だ」と言っていたので、上司に診断書とともに休み中に起こりうることを書いたメモを渡してわたしはそれから2週間、東京の彼女のところに遊びに行った。

一般に「自分は鬱病である」ということは会社の人や上司には言いにくい、と考えられている。しかしそれは得策ではないとわたしは考えている。何しろ本人が辛いし、我慢に我慢を重ねた結果、長期の休みを突然取られると会社の方も困るからだ。それより普段から「自分は鬱病だからあまり無理はできないですよ」とさりげなく周囲にアピールし、上司には病院に言っていることを告げ、医者からどういう風に言われているのか、また今の自分の状態はどうなのかを逐一報告することによって周りの人の心の準備をさせておくことが重要ではないだろうか。

休みの間の2週間は本当に楽しかった。わたしは東京都出身であるので友達は東京の方が地元よりたくさんいる。わたしは彼女の家で休息を取りながら友達のところに遊びに行ったり、買い物に行ったりした。2週間後、病気はすっかり治ったように思われた。そしてわたしは仕事に復帰した。
08:21 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-16 Sun , 2005
うつについて(その4)
しかし、わたしはそのときまったく知らなかった。鬱病が回復して会社に行くにはそれなりの段階をふまなければならないことを。。

仕事に復帰したわたしにはたくさんの仕事が待っていた。最初の2週間は普通に仕事ができた。しかし、時間が経つほど自分には自分に割り振られた仕事の負担が大きいような気がしてきた。なにしろ初めてやる仕事であり、そのためにはその分野のことをたくさん勉強をしなければならない。今までいた部署とまったく違っていたため、一から勉強し治さなければならなかったことも負担になる一因だった。

わたしは早速上司に相談した。「これとこれとこれはできるがその他は他の人に割り振って欲しい」とわたしなりの考えを上司に言った。上司は最大限の配慮をしてくれてわたしの言うとおりにしてくれた。しかしもうそのときはわたしにとって「自分ができる」と思ったことも実は無理だったのだ。わたしはどんどん憂鬱感を増していった。会社へも相変わらず週に1、2回は休んでいた。

6月の終わり頃だったろうか。彼女がうちに来ていたとき。その日、わたしは会社を休んでぼーっと台所の椅子に座って新聞を見ていた。ある有名人が自殺したという記事を見ていたときふと、「ここにある薬を全部飲んだら死ねるだろうか」と思った。しかし半分以上飲んでいた薬を全部飲んでも死ねるわけがないことは素人のわたしでも十分承知だった。ではどうしたらいいか。突然だったがわたしは死ねばすべてが楽になる、そう思い始め、台所から包丁を持ち出して自分を刺そうと思った。本当に突然のことだった。包丁で頸動脈を切るか、お腹に突き刺すか。頭はもう死ぬことしか考えていなかった。

彼女はびっくりし、「死にたい死にたい」と叫ぶわたしを制止し、台所から寝室に無理矢理連れて行った。そこで何時間取っ組み合いをしただろうか。「死にたい」「ダメ、死なせない」彼女は困り果て、医者に電話をした。そこで「なんにせよ、連れてこないと来ないとダメだ」と言われたらしく、わたしは彼女に無理矢理タクシーに乗せられ医者に連れて行かれた。
08:47 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-16 Sun , 2005
うつについて(その5)
病院に着き、待合室で泣いていると受付のお姉さんが配慮してくれて奥の部屋に連れて行かれ、そこで待たされた。

わたしは医者から「休みなさい」と言われるかなと思っていた。が、それは甘い考えだった。医者は泣きじゃくるわたしに向かって冷たく「入院するなら親の同意が必要だから実家の電話番号を教えてください」と言ったのだ。入院!わたしはそのようなことを言われるとはまったく思っていなかったのですごくびっくりした。医者はわたしから実家の電話番号を聞くなり電話をかけ、家にいた何も知らない祖母に事情を説明し始めたのだった。祖母はびっくりし、父が帰ってきたら折り返し電話すると伝えたようだった。

実は会社には逐一自分の病気の状態を伝えていたが、実家には医者に行っていることさえ言っていなかった。実家とは疎遠の状態だったのだ。

実家からの電話を待つ間、医者は「ここは救急施設がないので転院してください」と言い、2、3の大病院の名をあげ、「明日までにどこにするか決めてきて下さい」と言った。わたしはびっくりした。自殺を企てようとしただけでもうここには通えないのか。「ここの病院はもう通えないのですか。わたしは転院したくありません。」というと「だから急に何かあったときはうちは対応できないのです。そんなことをいうなら自殺を企てなければよかったのに。」と冷たく医者は言い放ったのだ。わたしは絶望的な気分だった。何か裏切られたような気がした。

そのうちびっくりした親が電話をかけてきて、医者は事情を説明し、明日、わたしとともにここに来るように親に告げた。
10:48 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-16 Sun , 2005
うつについて(その6)
次の日。病院へは午後に行くことになり、午前中わたしはなんとかして入院しない方法がないものか、会社でいろいろ調べてみた。入院には3つの方法があるようだった。任意に入院するもの、親が同意すれば本人の意志ぬきで入院できるというもの、そして有無を言わさぬ強制入院。わたしは親に入院について同意しないよう、彼女から実家に電話してもらうように頼んだ。そして転院については会社から一番近い大病院にすることに決め、午後、病院に向かった。

医者は親に現在のわたしの状況を説明し、昨日わたしにしたような説明を繰り返し述べた。親はわたしの意思を尊重してくれ、入院はしないことになった。そして大病院への紹介状が渡され、わたしたちは病院を後にした。

7月になった。わたしは病気良くなろうと悪くなろうともうそんなことはどうでもよかった。医者に見放されたことがショックだった。大病院で「仕事を休んだ方がいいかどうか迷っている」と言ったのだが、医者は「その不安感が仕事のやりすぎを止めるのです」とかなんとかいって休ませようとはしなかった。わたしはますますどうでもよくなった。2度目に病院に行ったとき、医者はわたしに「あなたは鬱病には見えませんけどね」とまで言った。3分で診察は終わった。

わたしには近くに住んでいる同じ鬱病を患っている友達がいた。通っている病院は別だったが、彼女は前にカウンセリングに通っていて、それがなかなかよい、と言っていたのを思いだした。もうどうしてよいのかわからないわたしは、彼女にどこのカウンセリングに通っているのかを聞き、予約を入れた。7月は大きな出張が2つもあり、なかなか予定が合わなかったが7月の終わりに予約を入れることができた。
11:18 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-16 Sun , 2005
うつについて(その7)
カウンセリングの日が来た。わたしは今まであったことを手短に話し、これからどうしていいのかわからない、と言った。カウンセラーさんは「入院しながら会社に通う方法もありますよ」と言い、そういうことができる病院を教えてもらった。わたしは早速その病院に電話し、予約を入れた。

8月初め。彼女と一緒にその病院を訪れた。今までなんの薬をどれだけ飲んでいたか、どういう状態だったかを医者に詳しく説明した。医者は「3ヶ月は休んだ方がいいんだけどねぇ」と言ったが、結局はもうちょっと様子を見て悪くなるようだったら病院から会社に通うようにしましょう、ということになった。薬も今まで飲んでいたものは軽すぎると言うことで、何種類もの薬が追加された。

しかしわたしの身体はもう限界だった。1日会社に行くと次の日は起きあがれなくなっていた。身体が鉛のように重く、立つこともできなかった。こんなことを繰り返していたら絶対に治らない、わたしはようやく悟った。そして次に病院に行ったとき「入院します」と言ったのだった。取り敢えず3ヶ月休むことになり、上司へも報告した。

入院生活はこれといって何もない。入院した次の日は一日中寝ていたことと、ひまでひまでしょうがなかったことを思い出す。また、何をするのもやる気がなくなったのも入院してからだった。9時就寝で6時起床。お風呂になかなか入れないのが辛かった。この病院には8月中旬に入院し、10月に一旦退院したが、退院した2週間でまた悪くなってしまい、再入院。それから退院したときにはもう12月も終わりの方だった。
11:44 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
閑話休題(自分について)
今朝は5時まで眠れたかと思って時計を見たら4時だった。一時は5時半まで眠れていたのになぜ最近は4時起きなんだろう?

ということは置いといて、ここで少しわたし自身のことについて説明しておこう。ちなみにわたしは別にフェミニストではないし、フェミニズム関係の本を読んで勉強したことはない。ただ自分が今まで生きるにおいて、自分自身の考えを述べるに過ぎない。それを最初に言っておく。

人の性質としてわたしは主に「生物的な性」「自己認識している性」「社会的な性(ジェンダー)」「性的志向」の4つがあると考えている。それぞれは男か女かという0と1しかないデジタルなものではなく、キンゼイ博士のあの有名な図のようなアナログ的なものだと思っている。ただ、あの図は両端に男と女が書かれていたが、その中に含まれないX的な要素(どちらでもない)も付け加えておかねばならないだろう。

また、この4つの性も固定的なものではなく、過去、現在、未来で変わっていくものだと思っている。(この辺の意見はconjuntoさんの「今は、こうです」の意見に賛成)

それを元にしていうと「今のわたし」は

生物的な性:女性
自己認識している性:女性
社会的な性:どちらでもない(男でも女でもない)
性的志向:女性(よって同性愛者)

である。

※一般的に女性同性愛者は「レズビアン」または「レズ」と呼ばれているが、どうもこの言葉には「禁断の愛」だの「女同士のいやらしい絡み合い」だのということを連想してしまいがちであり、使うのにはとても抵抗がある。わたし自身は「ゲイ」と言う言葉が一番好きなのだが、日本で「ゲイ」というと一般的に男性同性愛者を指すので使えない。また次にしっくりくる「女性同性愛者」は少し固すぎて使いづらい。よってこの世界(業界とも言う)で一般的に言われている「ビアン」と言う言葉を今後使っていこうと思う。

テーマ:同性愛 - ジャンル:日記

06:24 | (性的少数者)自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その8)
さて、話しを元に戻そう。

本来、2度目に入院したときは、よくなったら病院から会社に行こう、と考えていた。医者も同じ意見だった。しかし、上司が「退院してからでないと会社に来てはいけない」と言う。それならば区切りのよい1月から復帰しようと言うことで12月の末に退院した。

一般に鬱病にかかった人が職場に復帰する場合、最初は労働時間を短時間にし、それを徐々に長くして完全復帰するというやり方が最適とされている。最初から完全復帰すると前のわたしみたいに仕事に対して負担を大きく感じやすく、また病気が悪くなってしまう、ということになりやすいのだ。

医者によれば、最初は午前中のみ、それを2週間ほど続けてそれで慣れたら次は午後3時まで、それをまた2週間ほど続け、それから終日勤務にする、といった方法が患者にとって負担の少ない会社への復帰の仕方だという。つまり1ヶ月かけて完全に復帰するということだ。わたしもその方法を取ろうとした。しかし上司は「完全に病気を治して初日から終日勤務でないと困る」という。そういう点ではメンタルヘルスに関してまったく無理解の会社だった。

しかしいくら「困る」と言われても初日から終日勤務ができるはずがない。現にそれで一度失敗をしているのだから。なので有給休暇を使うことにした。午前中だけ働き、午後は有休を使う。3時まで働き、あとの2時間は有休を使う。(うちの会社は時間単位で有休が取れる会社だった)その方法を使ってわたしは会社に完全復帰したのだった。
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10-17 Mon , 2005
うつについて(その9)
唐突であるが、わたしには付き合って4年になる彼女がいる。最初から遠距離恋愛でずっと一緒に暮らしたい、と思っていた。どっちが来るかについては、わたしの出身地であり、知り合いも多くマイノリティでも暮らしやすい東京がいい、とすんなり決まったのだが、そうするとなるとわたしは会社を辞めなければならないことになる。これは非常に勇気のいることだった。わたしは同じ職場で働いている人達が大好きだったし、仕事に対しても特に不満はなかった。それに会社を辞めるには辞めるなりの理由が必要だ。会社を辞めて東京に行く理由を作る、わたしにとっては頭の痛いことだった。

考えは唐突にやってきた。6月に2週間、彼女の家に行ったとき、急に辞める理由が湧いてきたのだ。それは自分にとって厳しいと思われる道だったが、今までいろいろ考えた中で一番自分が納得できる考えだった。両親に会社を辞めることを告げたとき、彼らは反対した。それはそうだろう。今の会社に入るにあたっては散々苦労した挙げ句、やっと就職できたのだから。それに両親は彼女との関係をまったく知らない。唐突に「一緒に住む」と言われてびっくりしない方がおかしい。しかしわたしの方ももう限界だった。彼女と一緒に住みたくて、一緒にいたくてたまらなかった。

病気のことは関係なかった。たまたまそういう時期に病気にかかったわけで、辞める理由の中には病気は入っていなかった。逆に辞める前に病気になったことが悔しかった。職場の人に病気が原因で辞めると思われたくなかった。

上司には今年度限りで辞めることは12月頃に伝えた。上司もびっくりしていたが、そのあとの手続きは淡々と行われた。

こういう中での職場復帰であったが、わたしは最後に完全復帰してから有休を取り、引っ越しの準備やその他のことをやりたいと考えていた。なので3月末で辞めることになったが、1月から1ヶ月かけて職場復帰をし、2月の頭に終日勤務ができるようになってから2週間働き、2月の半ばから有給休暇の消化に入った。会社を辞めることは直前まで伏せてもらった。だから有休の消化に入ったときはまだ職場の誰もそのことを知らなかった。
11:43 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その10)
12月に退院したあとは、実家で過ごすことになった。なんといっても食事の支度や掃除、洗濯などの細々したことは、その当時のわたしには無理だった。実家から会社に通い、引っ越しの準備もまた実家から自宅に通いながらやった。

引っ越しの準備は予想外に疲れることだった。引っ越し業者の選定、引っ越しの準備、また彼女と住む家を探すために東京に行ったりした。これらのことは頭と身体を使うことであり、病気のためにはよくないと分かっていたが、もうやるしかなかった。

3月の最後の週、わたしは荷物整理その他で会社を訪れた。もうその頃はわたしが会社を辞めることは職場の人達に知られわたっており、そのために壮大な送別会をしてくれた。たった7年間の会社生活だったが、本当に最後までお世話になった。そのことは感謝してもしきれないほどだと今でもわたしは思っている。

4月の中旬、わたしは東京に引っ越した。夢にまで見た彼女との生活、わたしは単純に嬉しかった。そしてとても幸せだった。病気に関しては無理した割には悪くもならず、わたしたちは新しい生活を楽しんでいた。

東京での医者探しは東京に住むわたしの叔母を通して行われた。彼女はとても顔が広く、いろんな人を知っている。「ここに電話して病院を紹介してもらってね」と叔母は言い、わたしは薬が切れる前に新しい病院の予約をした。
12:09 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その11)
新しい病院の医者は女性だった。彼女はわたしから前の病院からの紹介状を受け取り、話を聞いた。薬は今まで飲んでいた薬と同じだった。その他に特に強烈な印象は残っていない。今までと同じく普通の医者だな、とわたしは感じていた。

とーとつだが、わたしは病院に入院中、病院を抜け出してはしょっちゅう喫茶店でケーキを食べていた。中でもはまったのがシフォンケーキだった。わたしはネットでおいしいと言われる店を探しては食べにいっていた。東京でも同じだった。何カ所かのおいしいシフォンケーキ屋さんに行っては「これはおいしい」「これはまあまあ」と評価していた。友達からのおみやげさえ、シフォンケーキになっていた。そしてそのうち自分でもシフォンケーキが作りたくなってきた。彼女にシフォンケーキが作れる電子レンジをねだって買ってもらった。

しかしベーキングパウダーを使わないシフォンケーキはとても難しい。最初、実家にいる頃、何回か作ったがうまく膨らまなかった。そこでわたしはネットでシフォンケーキの作り方を教えてくれるお店を探しだし、そこに何度か通って作り方のコツを教わってきた。まだ納得できるようなシフォンケーキは作れなかったがある程度までは作れるようになっていた。

医者はケーキ作りをしていることをとても喜び、勧めていた。また、薬も従来の半分となり、体調の方もだんだん上向いてきたのが分かるほどだった。

彼女との生活も順調だった。彼女は鬱に関する本をたくさん読み、最大限の配慮をしてくれ、医者のところに一緒に付いてきてくれたり、わたしを疲れさせないようにしてくれていた。
15:05 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その12)
最初は今までと同じ医者だと思っていたが、今回の医者は2回目になっても3回目になっても十分時間を取って話を聞いてくれる医者だと言うことが分かってきた。しかもこちらが迷っていることや分からないことに対してはちゃんと考えた答えが返ってくることも分かり、とてもいい先生だと思った。

あるとき、早朝覚醒(朝早く目が覚めてそれ以上眠れないこと。鬱病の症状のうちの1つ)が治らないのでどうしたらいいか、と聞いた。そうしたら「午前中ちょっと寝るのを我慢したらどうでしょう」と言う答えが返ってきた。先生としてはできれば、という意味で言ったのだろう。

しかしわたしは非常に厳密にそれを受け取った。「絶対午前中は寝ちゃいけないんだ」と。だが今まで朝食後にすぐ寝ていた身体は言うことを聞いてくれない。すぐに眠くなる。わたしは「身体を動かせば眠くならないかも」と考え、一生懸命部屋の掃除や散歩をした。疲れてくたくたになるほどやった。しかし早朝覚醒は治まることはなかった。逆に睡眠不足になったわたしは急激に病状が悪化し、彼女に毎日「死にたい死にたい」というようになった。台所から包丁を持ち出そうとしたこともあった。今まで普通だった気分が突然悪くなり、泣き出したりすることもあった。

彼女はたまりかねて引きずるようにわたしを医者のところに連れて行った。「死にたいんです」というわたしに先生は「入院するか実家に戻るかどちらかにしなさい」と言った。わたしの選択肢としては実家に戻るしかなかった。だって今は会社も辞めて保険に入っていなかったから。

そこで一旦、実家に戻り、様子を見てどうするかを決めることにした。ぼろぼろになって実家に戻ったわたしを見て両親はびっくりした。一月前に実家に戻ったときはシフォンケーキを毎日作ったりして、とても元気だったのに一体どうしてしまったのだろうと思ったろう。わたしは毎日「死にたい死にたい」「生きていてもしょうがない」と言い、母親を困らせた。そのうち東京に帰る日が近づき、心配する両親を尻目に東京に帰った。

東京に帰っても相変わらずだった。そのときはちょっとした用事があって東京に戻ったのだが、事態は好転しなかった。わたしとしてはいやだけれども実家に戻って静養するしかない、と思うようになっていった。彼女に「先生に私たちの関係を言ってもいいんだよ」と言われたが、そのときはどうして彼女はこのようなことを言うんだろうと思ってあまり気にしなかった。
16:10 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その13)
次のときに病院に行ったとき「実家に戻ります」とわたしは医者に告げた。医者は納得し、年内くらいは実家にいること、薬は地元の病院に行くことを述べた。が、わたしはもう病院を変えることはいやだった。1ヶ月に1度でいいからこの先生に診てもらいたい、と思ったのでそのことを言った。先生は「本当は1ヶ月分の薬は出せないんだけど」と言いつつ、一月分の薬をくれた。(ここだけの話しね(^^ゞ)

9月4日、わたしは実家に戻った。実家ではわたしはご飯を食べる以外はほとんど寝ていた。(もちろん早朝覚醒はあったが)病院にいるときでもこんなに寝たことはなかった。もう何もしたくなかった。なんでこんなところにいるんだろうと思った。生きているのがいやだった。でも彼女には会いたかった。毎晩のように彼女に電話していた。

一月後、わたしは東京に戻って先生のところで診察を受けたいと思っていた。それと同時に彼女に会いに行きたかった。が、両親は「今東京に行くのはまだ無理だ」と反対した。「先生に電話して『来てもいい』と言ったら行ってもいい」と言われたのでわたしは先生に電話した。自分では戻れる自信があった。「先生と直にお話ししたいことがあるんです」と言い、先生はわたしがもう突然気分が悪くなって頓服を飲んでいないことを確認し「来てもいいです」と言った。わたしは嬉しかった。両親は渋々許してくれた。

16:29 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その14)
先生に言いたかったのは2つのこと。「このままずっと寝てばかりいていいのだろうか」ということと「このままずっと実家にいなければならないのか」ということ。先生はわたしと彼女の関係を知らない。ただの同居人だと思っている。それだから気を遣わないで済む実家に帰れと行ったのだろう。そこでわたしが彼女との本当の関係を言うことによって東京にいることができないか、と言うことを相談したかったのだ。彼女が前に「私たちの関係を言ってもいいんだよ」と言ったのはそういうことだったのだ。

結局、わたしは彼女との本当の関係を医者に言った。しかし今、東京にいることは無理だとその前に察していた。早朝覚醒で早く起きるわたしと普通に寝ていられる彼女と起きる時間の差がありすぎてとてもじゃないが一緒に生活できないと思ったのだ。わたしはそのときはまだ一人で朝食を取ることができなかった。コーヒーさえ一人で沸かせないのだ。「これから一月はまだ実家にいます」とわたしは自分から医者に言った。

またやっぱり早朝覚醒があることに対しては今度は「朝食後15分くらい外に出て朝日を浴びてみなさい」と言われた。これにより体内時計が狂っているのが元に戻るそうだ。しかしそれを除いては今まで通り、寝て、十分休養を取ること、と言われた。

わたしはそれを聞いて納得した。東京では久し振りに彼女と遊びに行ったりして楽しく過ごした。それだけで病気がぐっとよくなり、実家に帰ったときに両親から「元気になったなあ」と言われたほどだった。

一時は何もする気がなくなって寝ているばかりの生活だったが、現在は新聞も読めるようになったし、このようにしてブログを書くことができるようにまで回復している。また、朝、気分が悪くなることもなくなったし、日中落ち込むこともあまりなくなった。あとはまだまだできることが少ないのと(食事が作れない、本を読めない等)、回復するのにはまだまだ時間がかかりそうなので、それを考えるとどうしても焦りの気持ちが出てくることがある。しかし、これを乗り切りさえすれば今は保留になっている未来のことも考えられるようになるのではないだろうか。

10月も半分過ぎた。まだまだ実家での静養の日々は続くが、できるだけ早く東京で静養できるよう、今、努力しているつもりだ。
17:10 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-18 Tue , 2005
今日はお休み
今日は彼女とのなれそめを書こうかな~、と思ってたんですが、
朝からの頭痛でお休みしまーす。
わたし、頭痛持ちなんですよね。偏頭痛。
最近は少し頻度も減ってきたんですが、一昨日、昨日と頑張りすぎたかな。
何せ一気に書いちゃったもんね。

しかし、今日は珍しく6時20分まで眠れたんだけどなぁ。。
先生のおっしゃっていた「朝日を浴びる効果」がでてきたんでしょうか。だと嬉しいなあ。
だけど変な夢ばっか見たのよね。
英会話学校で「Hello!」って言ったところで目が覚めた、とか
なぜか台所でスポンジにクレンザーつけて鍋を洗いながら泣いてた、とか。
まだあといろいろ見たんだけど。

あー、午前中寝てたんだけどまだ眠いや。
今日は一日寝る日にします。おやすみなさーい。。

テーマ:うつ日記 - ジャンル:日記

11:51 | うつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-19 Wed , 2005
今日はゆーうつ
今日は2時から眠れなかったせいか、朝の気分は最悪。
もーなんにもやりたくない。朝の散歩もお休み。

前回、調子がいい日が5日続いて2日憂鬱な気分だったでしょ。
今回も調子がいい日が5日続いて1日頭痛で今日は憂鬱でしょ。
今回は何日憂鬱な日が続くかは知らないけど。
今日はなんにもしないで寝ることにします。。おやすみなさい。。。

これこそ鬱々日記。(はぁ)
08:10 | うつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-20 Thu , 2005
復活!
おー、前回は復活するのに2日かかったけど、今回は1日で済んだ!
やっぱちょっとずつよくなっているのかな。

昨日は変な一日だった。日記書いてから午前中寝て、昼ご飯食べた後も寝て。そしたら3時頃には気分がよくなっていて「う、やった。今回は早い。」と思ったのもつかの間、午後6時過ぎにはまた気分が悪くなってしまって。。その気分の悪さは朝の鬱々とした気分と違って、久し振りに感じる、あの胸のあたりを鉄の棒でぐるぐるかき回されたようないやな気分。。

「頓服飲もうかな」と思ったんだけど、もうすぐご飯だし、そのあとどうせ薬飲むし、我慢することにして、夕飯を作っていた妹に「気分悪くなったから寝てくる。夕飯できたら呼んで」と頼んで2階に上がって布団にもぐり込んで気分の悪さをじっと我慢しておりました。

結局、夕飯後も気分は回復せず。気分の悪さは寝るまで続いた。

午後10時半就寝。寝てからはいっぺん午前3時頃に目が覚めて、そのあと4時45分まで眠れなかった。いや、眠れなかったというか眠りが浅かったというか。海の底を漂っているようなゆらゆらした気分や、学校の廊下を走ってスライディングしているような気分(注:わたしは学校の廊下は走ってましたが、スライディングまではしたことはありません(汗))がずっとしてて、加えて隣で寝ている父親のいびきに悩まされて。

このまま眠れないかなと思ったけど、そのあと6時15分まで眠れた!うれしー!!これも朝日を浴びてる効果なんだろうか。

今日の気分は普通に戻ってて、上々。朝の散歩もしたし、やったね!!
08:27 | うつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-20 Thu , 2005
彼女との出会い(その1)
気分もよくなったことだし、前々から言っていた、彼女とのなれそめを書こうと思う。

彼女と知り合ったのは、今は亡き「gaywalker」というサイトだった。中に「出会い」というコーナーがあって、男か女か、住所、年齢、ゲイかレズビアンかバイか、誰を求めているか(恋人とか友達とか)、好きなもの、嫌いなもの、あと一言などを登録しておいて、気に入った相手にWebメールを出せる仕組みになっていた。

当時のわたしは地元での友達が欲しくて、地元と分かると誰でも構わずにメールを送っていた。(結局誰とも続かなかったけど)

そのときだった。彼女からメールが届いたのは。2000年も押し詰まった12月の末のことだった。

わたしは最初、びっくりした。だって歳が11も上の人からメールが来たから。返事を出そうかどうか、かなり迷った。11歳も年上の人と何を話すのか、共通の話題があるのか、迷って迷って迷った挙げ句、当たり障りのないメールを送った。彼女がくれたメールの中にちょっと誤解する部分があって、そのことを説明するためでもあった。

それからまた彼女からメールが来、そうしてメールのやりとりが始まった。彼女は離れたところに住む、年下の友達が欲しいと思ってわたしにメールしたとのことだった。メールのやりとりは楽しかった。彼女はわたしが持っていない部分を持っていて、そのことに興味を持ったこと、それまでの生きてきた境遇が割と似ていたことがメールを頻繁に送る理由となった。
09:31 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-20 Thu , 2005
彼女との出会い(その2)
メールのやりとりが始まってから2ヶ月ほどして、わたしは別件で東京に遊びに行くことになった。メールでそのことを伝えると「じゃ、せっかくだから会いましょうか」という話になった。そのときはまだ、お互い普通の友達として会うつもりだったし、実際普通の友達として会ったのだった。

彼女と初めてあった印象は実はあまりよくない。これを書くと彼女がいやがるから書かないが「なんだかなあ」という印象だった。の割にはたくさんの話しをした。彼女はわたしの話にとても興味を持ってくれたようだった。

会ってからもわたしとしてはただの友達のつもりだった。しかし彼女の中ではわたしの存在が大きくなっていったようで、メールの内容も少しずつ変わっていった。わたしは少しとまどいも感じたが、今までのメール友達と違って話が合うというか、気が合うというか、悪い気はしなかった。ただ、わたしは今まで誰とも付き合ったことがなく、そのことで彼女は細心の注意を払ってメールを書いていたそうだ。
(これは後から聞いた話だが)

最初にあったときから1ヶ月後、わたしはまた東京に行く用事ができた。その頃はもう彼女の気持ちも分かっていたし、自分も付き合ってもいいかなと思っていたのでその気持ちを実際に確かめるために、彼女に会った。会ったときどうしたかは詳しくは書かない。(だって。。)結論は「付き合おう」と言うことになった。

しかし付き合い始めてから3ヶ月目にわたしは彼女に「別れよう」と言った。前にも書いたがわたしは人と付き合うのがまったく初めてで、自分の心の中に他人が入ってくることがとても怖かったのだ。自分が人と付き合うなんて思ってもみなかったし、それだから彼女と出会うまでは「一生一人で生きていこう」と決めていた。だから自分の心の中にどんどん彼女が入ってきて、わたしは怖いのと同時に「このまま付き合っていたら一人で生きていけなくなる」と思ったのだ。

「別れよう」と言ってから1週間、それまで毎日していた電話もメールのやりとりもせず、わたしは考えに考えた。一人で生きていけなくなるのはいやだったが、それ以上に彼女を失うことがいやだった。

1週間後、わたしは再び彼女と連絡を取った。2001年の6月のことだった。
09:50 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-21 Fri , 2005
うーん、まあまあかな
今日は夜中の3時25分に目が覚めた。
やった、2時起きじゃなくなったと思いきや、よく考えたら前の日の就寝時間が1時間遅かっただけなのよね。。

で、それからはずっと眠れず。朝日を浴びる効果も過渡期か。

この睡眠時間、前日寝る、寝ないにかかわらず、眠れたり眠れなかったりする。現に昨日なんかは午後2時頃からずっと起きてたし。

ちなみに今は医者から「よく寝るように」と言われているので昼夜問わず寝ている。朝の散歩をしたあと昼まで寝て、昼ご飯を食べてからも寝て。眠れないのは夜中だけ。うー、寝たいのは夜なのに。

世の中うまくいかないもんだ。

気分の方はまあまあ。だけど今日の夜は家族がみんな出かけちゃって一人になるのでちょいと不安。まあ、誰かが帰ってくるまで布団被って寝ておこう。。
08:49 | うつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-22 Sat , 2005
会いたいよー
2日前に「復活」したはずだったのだが、どーも心が晴れなくて。
まだまだ本格的には復活していなかったらしい。

加えて昨日、あるカップルさんのラブラブなブログを読んでいたら
急に彼女に会いたくなって「寂しいよー、会いたいよー」と電話をしてしまった。
電話した、と言っても毎日3回は電話で話してるんだけどね。

「先月の携帯電話料金は7万で、今月は10万いくかもよ。
だけど会いに行ったらそれ以上かかるからね。」と言ってくれる彼女。
家に帰るとどうも目がかゆくなったりくしゃみが出たりアレルギーの症状が出るんだけど、
それを今使ってる布団のせいにしたら、新しくアレルギー対応の布団を買ってくれた彼女。
「布団カバー、つけたいって言ったよね。買ってきたよ。ついでにシーツももう1つ欲しいかなって思ったから買ってきた。
そのままじゃなくて1回洗ってから使いたいって言ってたよね。だから帰ってくる前に洗っておくね」と言っていた彼女。
「朝、コーヒーの豆を挽くの大変だから挽いた豆を買ってきたよ。モーニングブレンドだよ。」と言ってくれた彼女。

わたしだけじゃないんだ。彼女だってわたしが帰るのを待っててくれてる。
こんなにわたしのことを思ってくれてる。

彼女と会えるまであと1週間。
次の診察のときには「もう東京で静養してもいいですか」と聞くつもりだ。

早く彼女に会いたい。
08:42 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-23 Sun , 2005
寒い
今朝、起きたら霜が降りていました。ってのは大ウソだけど。
めっきり寒くなりましたねえ。。起きるとき、布団から出たくない季節になっちゃいました。

だから、今日の朝の散歩は中止。または延期。もうちょっと暖かくなったら出かけることにしましょう。

このブログ、ウツウツ日記かビアン日記か分からなくなってきたけど、どっちの自分もわたしだし、しばらくウツウツが治るまでは両方の内容で書くことにします。

今日は2時半に起きてその後はうとうとしてたのかなぁ。なんか変な夢を見た気がするから。本人はちっとも寝た気がしてません。この後寝ます。うう、ぬくぬくのお布団が恋しい。。

しかし、気分というのは本当に不思議です。今日、父と妹が旅行に行き、火曜日まで帰ってこなくて、今日は母がいますが、月曜日と火曜日の大部分は一人で過ごさなければなりません。気分がよくないときは「一人でどうしよう」とそのことがすごく不安で不安でたまらなかったのに、昨日からは「まあなんとかなるさ」と思い始めました。わたしの頭の中はどうなってるのかなあ。まあ、不安な時期がこの時期と重ならなかったことはよかったけど。

今は不安なときでも他の人には平気に見えるらしいです。内心は不安で不安でたまらなくても顔つきは普通、と言われました。そこまでよくなって嬉しいことは嬉しいんだけど、普通と思われても困るんだよなあ。まだ。
07:55 | うつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-23 Sun , 2005
ビアンと気づいたきっかけ
bさん(2008年6月現在、既にこのブログはなくなってしまったようですね)がカミングアウトのことを書いていらっしゃるのを見て、わたしも書こうと思ったのですが、その前に自分がビアンと気づいたきっかけを書くのが先かなと思ってそれを書くことにしました。なお、これは、ぼせさんの「同性が好きかも知れない君へプロジェクト」にTBします(2008.6月現在、このプロジェクトももうなくなっているようですね)。

わたしがビアンと気づいたきっかけは、実はあまりはっきりしません。学生時代、同性を強烈に好きになったりすることはありませんでしたし、人を好きになること自体、ありませんでした。

よく小学校の高学年や中学校のときに「だれそれが好きだ」という話をしたり、聞いたりしましたが、わたしは「人を好きになること」自体がよく分かりませんでした。それでもあまり気にすることなく「いつかは好きになるだろう」位のことしかそのときは思っていませんでした。

ところが大学生になっても事態はちっとも変わらず、「わたしってちょっと変なのかも知れない」と思い始め、そこから自分の過去を振り返ってみたときに気が付いた、というのが真相です。

思えば小学生のとき、1学年上の女の人が好きでした。その人とはほとんど話しをしたことはありませんでしたが、気が付けばその人を目で追っている、と言う感じでした。その人が中学生になってふと出会ったとき、中学の制服がまぶしく見えたことは今でも忘れられません。それなのにわたしはそれが「好きだ」という感情と結びついていませんでした。今考えるとそれが初恋だったのだと思います。

また、高校生のとき、数学の先生が女の先生だったのですが、とてもとても好きで数学ばかり勉強していたことを思い出します。テスト前になると分からない問題を聞きにわざわざ職員室に行って聞いたりもして。。数学自体はあまり興味がなくて大学も数学関係ではなかったけれど、その先生のおかげで理系に進むことになってしまいました。卒業した後、数年後に高校を訪ねた際、先生に会って「あなたのことはよく覚えているわ」と言われたときにものすごく嬉しかったのを覚えています。

大学のとき、一人の同級生を好きになりました。その人は男の人でした。「これが好きという感情なのかなぁ」と思いながらも2年くらいその人をうじうじ思い続けていました。けどあるときめんどくさくなって「もういいや」と思ったら霧が晴れたみたいにぱーっとした気持ちになったのです。「今までなんだったんだろ」と思いました。それから2、3年はぱーっとしたまま明るい気持ちで過ごしました。

そこで話は元に戻ります。「わたしって誰も好きにならないなんて変かも知れない」と思い始めたのです。そこで上に書いたようなことを思いだして「そっか、わたしは女の人が好きなんだ」と初めて認識しました。もともと「女の人だってかわいい女の子をかわいいと思うのは当然だ」と思っていましたので、自分が女の人が好きだと気が付いたとき、ショックはありませんでした。

これが自分がビアンだと気が付いたきっかけです。

追記:高校生当時、Stevie Wonderの「Part time lover」と言う曲が流行りました。そのときにpart time loverが男の人は男、女の人は女だったらいいなあ(要するにポリガミーのバイセクシャルだったらいいなあということ)となんとなく思っていました。だからその当時から同性愛に関心を持っていたのかも知れません。原曲ではちゃんと「He and she,part time lover」と歌われて明確に否定されているんですが。

テーマ:同性愛 - ジャンル:日記

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10-24 Mon , 2005
さむ~
あまりにも寒いので今まで7時に起きていたのを7時半に変更。朝の散歩は8時から。
「なんでこんなに寒いんだよー。こないだまで半袖着てたのに」と思ったけどもうすぐ11月なんだね。。早いなあ。

今日は2時半に目が覚めたとき、お腹が空いて空いてたまらなかったんだけど、我慢してたら、ご飯食べてる夢ばっか見て「こりゃだめだ」と思い、3時15分に1階の台所に降りてごそごそ。バナナとチョコレートひとかけらを口に入れて、それからまた寝た。でも起きたのは結局5時。だってだって寒いんだもん。それから7時半まで電気ストーブつけて、布団の中でごろごろ。ああ、至福の時。

電気ストーブ、昨日から使ってます。わたしってちょー寒がり。んなもんで冬は大嫌い。早く春が来ないかな~と今から心待ちにしております。。ってちょっと気が早すぎ?(^^;
08:37 | うつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-24 Mon , 2005
今でも忘れられない人のこと
初めて会った、自分以外のビアンの人のことです。彼女のことは今でも忘れられません。今、彼女はどこで何をしてるんだろう。なお、これも「同性が好きかも知れない君へプロジェクト」にTBします(2008.6月現在、このプロジェクトはもうなくなっているようですね)。

あれからもう10年経つんだね。あなたは今、どこで何をしていますか?

出会いはあるミニコミ誌の文通欄。あなたの書いた文章を見て、わたしが転送手紙を送ったんだったね。(その当時は今のようなインターネットがなかったために、すぐに直接のやりとりができず、自分の気に入った人宛てにまず、ミニコミ誌の編集部に手紙を送り、編集部がその人に手紙を転送する、というやり方が一般的でした)わたしはあなたの書いた文章のどこに惹かれたんだろう。今はもう、思い出すことができないけど、でもあなたから初めての手紙が来たときのことはよく覚えてるよ。

出身地がわたしの実家と同じ県にあったこと、好きな球団が一緒だったこと。そのことがわたしにとってあなたを身近に感じさせてくれたんだ。

それからは手紙のやりとりが続いたね。あなたもわたしも自分以外のビアンを知らなくて、自分の今までのこと、どうしてビアンと気が付いたか、なんてことから始まって、いろんなことを書いて送ってたよね。航空便の薄い紙で12枚。それがその当時の最低料金、50円で送れることもそのとき知ったんだ。12枚でも書ききれなくて、2つに分けて書いて送ったことを思い出すよ。お互い、毎日のように手紙を書き続けてたね。そのうちどの手紙の返事か分からなくなっちゃったよね。でも何をそんなに書くことがあったんだろうね。今思うと自分探しのための手紙だったような気がするよ。

そのうちお互い、自分の好きな音楽を入れたテープのやりとりをし始めたんだっけ。わたしはそのとき初めてFrench popsというものを知ったんだ。それからなんだよ。France gallやMichel Polnareffを聞き始めたのは。偶然にね、今の彼女はフランス語を勉強した人なんだけど、わたしがあなたとのテープのやりとりをしなければ、わたしにとってフランスは遠い異国の地のように感じたろうね。あなたがいたから、今の彼女を最初から身近に感じることができたんじゃないかって思うんだ。

お互い初めて同士だったし、あなたは友達と一緒に暮らしているって言ってたから、しばらく電話するのも怖くてできなくてね。初めて電話したときは汗びっしょりになったことを思い出すよ。スキーの話しをしたんだっけ。

それから会うまでにさらに時間がかかったね。結局、最初の手紙のやりとりをしてから半年かかってやっと会うことができたんだ。わたしは最初だってのに遅刻しちゃって、もしいなくなってたらどうしようって焦ったことを思い出すよ。その当時は今みたいに携帯なんかなかったもんね。30分遅刻してもあなたは待っててくれた。そのあと、もう今はない新宿のマクドナルドで長い間話したんだっけ。でも何を話したのか、今ではもう、まったく思い出せないよ。

帰り際に鍵を渡されたんだよね。コインロッカーの鍵。開けてみると当時わたしが大好きだった橋本治が載っている「ビックリハウス」が何冊か紙袋に入ってた。粋なことをしてくれるなってそのとき思ったよ。

次は「パリ空港の人々」という映画を見に行ったんだよね。その後で感想を言い合ったんだっけ。

最後に会ったのは横浜スタジアムだったよね。その試合、途中まで勝ってたのに抑えが打たれて。わたしは残念がるふりをしてわざとあなたの膝にもたれかかったんだよ。気が付いた?そう、そのときはもうわたしはあなたを好きになってたんだ。帰り際、新宿で「またね」って言ったね。その言葉、今でも忘れられないよ。

それからそのあと実家に用事ができたから、って帰って行ったんだよね。実家からも手紙をくれてた。なのにそのあと急に手紙をくれなくなったのはなぜ?実家で何かあったの?それともその当時、結婚を言い寄られてるって人と結婚したの?心臓が悪いって言ってたからもしかして、、、

わたしは一度、短い手紙を書いたけど、それ以上のことはできなかった。ショックで今までやりとりしていた手紙も全部捨ててしまった。家に電話しようと思ったけど、友達が出てくるんじゃないかと思って怖くてできなかった。今思えば電話しとけばよかったと思うよ。それからあなたと話して告白しとけばよかったと何度思ったか知れない。わたしはあなたを失ってから、自分がどんなにあなたを好きだったかが分かったんだ。

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あなたの実家がお店をやっているって言ってたよね。わたし、電話帳で調べたり、あなたの実家のある町に行って探してみたりしたんだよ。でもそれらしきお店は見つからなかった。あなたの名字の家も見つからなかった。

あれから10年経って、わたしには今、最愛の彼女がいる。初めは彼女と付き合ってるときに急にあなたが見つかったらどうしよう、って思ってた。けど今は断言できる。あなたとわたしは縁がなかったんだ。それが10年経ってやっと分かったこと。

今、どこで何をしてるか知らないけど、元気で過ごしてたらいいなあって思ってるよ。もし、会うことがあるならずっと大切に持っている「ビックリハウス」、返すね。

テーマ:同性愛 - ジャンル:日記

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10-25 Tue , 2005
眠れない
昨日、夕方5時まで寝ていたせいか、今日は夜中の2時20分に起きて、それからまた寝たものの、2時間後の4時20分に目が覚めて、それからは眠れなくなってしまった。いろんなこと、考えたからかなぁ~。誰か起きてるだろうと思って2ちゃんのメンヘル板、早朝覚醒のスレ見ても誰もいなかった。。誰かなんか書けよ!←という自分が書け

朝、散歩を始めてそろそろ1ヶ月。全然効いてないじゃん。ああ、9時10時まで眠れてた頃が懐かしい。ああいう日々がまた戻ってくるのかしら、ららららん。

今日は久々町に出て銀行に行ってきます。歯医者に行ってるのでそろそろ金がなくなってきたのと、もうすぐ東京に帰るからね。そのお金をおろしに。でもホント、なんで銀行に行くためにわざわざ電車に乗って行かなきゃならないのかと思いますが、田舎だからしょうがない。都市銀がないのよ、ここらは。統廃合でどんどんなくなっていくし。

ってことで一人で町に出るのは何ヶ月ぶりだろう。。迷子になんなきゃいいけど。(なんちゃって)

今から昼までは寝ます。午後の体力を蓄えておかなくちゃ。
そいではおやすみなさい。。。
08:51 | うつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-26 Wed , 2005
どうしちゃったのかなぁ
どこからともなくキンモクセイの香りがしてくるようになりましたねー。
それはとっても嬉しい匂いなんだけど、なんかおかしい。
まだ調子がよくなって3日くらいしか経ってないのに気分が不安定で。

昨日、久々に町に出たからかなぁ、それともここ2日、一日の大部分を一人でいたから意識はしてなかったけど、精神的に緊張してたのかしら。昨日の夜はなぜか悲しくて、泣きはしなかったけど気分的に疲れて、ちょっとおかしかった。

夜だって、今日は疲れてるからよく眠れるかなと思って寝て起きたら、なんとまだ1時半!1時半だよ!!いつもより1時間も早く起きちゃった。最初、時計見間違えたかと思ったよ。それからちょっとして眠れたものの、2時半頃トイレに起きたし、結局は4時55分に起きて、それから眠れなくなってしまった。なんとか5時半まで布団の中でごろごろしてたんだけどね。

あ~、なんでかなぁ~。なんで眠れないんだろう。
なんか、少しもよくなってない気がして焦るよ。
ホント、彼女には申し訳なくて。。一生懸命、わたしのことを考えてくれてる。守ろうとしてくれてる。
そんな彼女のためにも早く、元気になりたいんだけど。
あーあ、いつになったら治るんだろう。。

今日はグチグチモードですんません。。
早くこの状態を脱するためには寝るしかないか。ふう。
08:54 | うつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-27 Thu , 2005
あと2日
今日はなんと1時起き!思わず時計だけじゃなくて携帯を見て確認してしまったよ。「よく寝たぁ~」と思ってもこの時間。そのあと続く夜の長さにぐったり。そのあとは2時に起きて、次が4時半で。そこからはいつもどおり布団の中でゴロゴロ。

でもね、わたしはブログのコメントを5時半から起きて書くんだけど、書き終わってから本格的に起きる7時半まではなんとなくうとうとできるのよね。だから魔の時間は4時台から6時くらいまで。うーん、なんとかならないのかなぁ。

しかしうちの父なんてひどいんだよー。「朝、早く起きてしまって眠れない~」と言うと「歳とりゃ誰だって朝早く起きるようになるんだ」って。ちょっと!うら若き30代をじじいと一緒にしないでよね!!(ぷんすか)早朝覚醒がうつの1つの症状ってのが理解できないみたい。うつに関しては割と理解のある親だと思ってたのにぃ。。

ところであと2日後に東京に帰って、1ヶ月ぶりに受診する。今、何を言おうか考えているところ。そういう点では日記のようにつけているこのブログが役に立つ。何時に起きたか、気分はどうだったか。それを頭の中でまとめてメモに書いて彼女と話し合って最終的に先生に何を言うか、決める予定。

今度の受診で「今後の静養は東京で行えないか」と聞いてみる予定だったが、今はちょっとその考えが揺らいでいる。それは今のここでの生活に慣れてしまったから。何も考えなくても1日にやることはここではもう決まってる。でも彼女とは一緒にいたいし。。どうしようかなあ。
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