01-29 Tue , 2013
佐藤家の朝食、鈴木家の夕食
昨日の夜にBSジャパンでやってた「佐藤家の朝食、鈴木家の夕食」。

見た。

言いたいことはたくさんあるのだが、果たしてそれが適切なものであるかどうかは分からない。というのもわたし自身の中には「一般の人に知って欲しいレズビアンマザー、ゲイファザー像」ってものがあって(その実わたしはレズビアンマザーの実体についてもよく分かってないのだが(汗))どうしても「啓発的」なものを「善」としてしまう傾向にある。なので感想には多分に「これじゃ一般の人に誤解を受けてしまう」ってことが含まれていると思うのだ。それが果たしていいのかどうかは分からない。一つの作品として見なければと思うが、他に同じような作品がいくつもあるのなら「まぁこの作品はこうだよね」と言えるのだが、作品がこれしかない以上どうしてもこれが「代表」として見てしまう。だからわたしの感想には当事者として「この反応はおかしいんじゃないの?」ってのと内容的に「キャラクターの心の動きが引っかかる」ってのと「ここ、こういう書き方したら誤解を受けるんじゃないの?」って少し啓発的なものがそれぞれ入り交じってるところがあると思う。それをごちゃごちゃにして感想を書いてみたい。

まず、最初に2つの家族がすきやきを食べてるシーンで、片方のカップルがゲイカップル(というか、片方はバイセクシャルだから厳密に言えばゲイカップルではないのだけれど、ここではゲイカップルって呼ばせてもらう)ってばれたとき、なぜレズビアンカップルの方は「実はうちもそうなんです」って言わないのかってこと。これ、当事者にしてみれば結構不思議。当事者というのは心のどこかで同類を求めていて、例えば街で女性同士、男性同士歩いてる人を見かけると「あれはカップルではないか」と思っちゃうんだよね、習慣的に。そして心のどこかで「カップルであるといいなあ」という期待感も同時にあったりする。だから片方がゲイカップルって分かったら「あー、実はうちもなんです」って絶対に言うと思うんだよね。なのになんであそこで「同性愛カップルは近年増えてますからね。うちはそういうの全然気にしませんから」とか「うちは違います」ってことを言うのか、それがとても不自然に思えて仕方がなかった。

不自然と言えば、その次、ゲイカップルとその子どもが帰った後、レズビアンの人が「複雑って言うか、なんか変な家族ね」って言うんだけど、それを自分たちが言うか?って感じ。正直不自然。この台詞をわざわざ言わせたのはそれを受けて子どもが「うちの家族も変じゃないか。母親が2人なんて」って、この台詞を言わせるための台詞としか思えない。この台詞を言うことで視聴者に対して「ああ、この子どもは親のことで悩んでいるんだ」ってことを分からせるための台詞だとしか思えない。だから無理矢理言わせられた感があるのだけれど、でもやっぱりどう考えても自分ところと同類の家族に対して「あの家族なんか変」って言うのはどうも変だと思ってしまう。

あとそうそう、すきやきのシーンでゲイカップルの一人(バイセクシャルの人の方)にレズビアンの人が結婚を勧めるシーンがあるんだけどあれもかなり不自然。まずヘテロであったとしても初対面の人にいきなり言うか?ってのと、多かれ少なかれレズビアン自身も周囲から「結婚しないの?」と言われた経験はあるはずで、それがどんなに嫌なことかは身に染みて分かっているはず。だから他の人が結婚していないからと言って「いい人いますよ、紹介しましょうか」なんて絶対に言わないと思う。だからあそこのシーンもわたしからするとかなり不自然。

レズビアンカップルの方の子ども(息子)はどうやら同性愛について嫌悪しているらしかったんだけど、それはわたし、この子自身「自分はゲイじゃないだろうか」って悩んでいるからホモフォビア(同性愛嫌悪)が強いんだと思ってた。ゲーセンで友達にお金を渡すシーンとか、友達の手と自分の手が当たったときに思わず自分の手を引っ込めるシーンとか、あと決定的だったのはゲイカップルの子ども(娘)に対して「俺なんか同性しか愛せない血が流れてるみたいだし」と言ったシーンがあったし、ゲイカップルのゲイの人に対して「本当に女とは付き合えないのか」って聞いたシーンもあったし(ちなみに「(もう片方の人は)どうなのか」と息子に問われ「それは人のプライバシーに関わる問題だから答えられない」と答えたゲイの人の回答は素晴らしいと思った)、だからこそ、息子はホモフォビアが強く娘より両親を受け入れられないんだと思ってた。

けど、ゲイカップルの子ども(娘)に「じゃあわたしで試してみる?わたし、女だよ」って言われてセックスしちゃうんだけど、あれを持ってめでたくヘテロだったってことになるのかしら?わたし、この物語ではここのところがきちんと回収されてないって思っちゃうんだよね。女とセックスできたらゲイじゃないの?それはちょっと安易すぎない?同性の友だちに対する思いは一体何だったの?女とセックスできたらそれは消えちゃうの?ここんとこ、息子の心理がよく分かんないんだよね~。もっとここのところは丁寧に描いて欲しかったなと思ったりする。自分がゲイではないってことと、自分たちの母親を受け入れるってことは別問題だと思うのね。でもそれがなんかいっしょくたになってしまっている。

いっしょくたといえば、教師が三倍体と遺伝子組み換えの問題をごっちゃにして話してるんだよね。わたし、生物はあんまり得意でないので合っているかどうかは少し自身がないのだけれど、三倍体は自然界でもごく少数に存在しているよね。三倍体=遺伝子組み換えではないよね。授業中の説明にもあったとおり、三倍体ってのは、四倍体と二倍体が結合してできるものであって、それは遺伝子を操作した結果ではないはず。授業中、教師が息子に質問したのはあくまでも三倍体に対する「問題は何か」って聞いたんだと思ったんだけど、それに対する教師の答えって「遺伝子組み換えの怖さ」ってなんか違わない?

しかも「同性愛は自然ではない」ってことと「人工的に作られたものは不自然である」ってことを一緒くたにして語らせてる場面もあったよね。あの子供たちが父親の車で逃亡して見晴らしの良いところに行って話すシーン。あそこでは「種なしスイカ」についての話だったけど、種なしスイカ自体は三倍体であって、決して自然界に存在しないものではない。ごく少数だけど自然に有り得る話だ。まぁ確かに不妊ではあるけれどもね。そして同性愛も不妊ではあるが決して自然じゃないものじゃない。同性愛者にとっては同性を愛することは自然なことであり、作られたものではない。「子どもができない組み合わせ」は決して不自然なことじゃないと思うのね。そこんとこを打破して欲しかったなーと思う。結局あのシーンは娘が「だけどわたしは種なしスイカは好き」ってところで終わっちゃってて、なんだよ、好き嫌いの問題かよって思ってしまう。

それにしても人工的に作られたものは不自然であるって誰が決めたんだろう?そして不自然なものがそんなにいけないことなんだろうか?しかし、人間が生活する上では人間の手で作った「不自然なもの」に囲まれているではないか?パソコンにせよ、ハサミにせよ、ちり紙にせよ、電卓にせよ(ってこれは今、わたしのPC机にあるものを並べてみただけ(笑))。「不自然なもの」に囲まれているクセになんで子どもや家族の関係は「自然なもの」じゃなきゃいけないのか?息子に「種なしスイカは人工的で不自然」って言わせたのは「同性愛は不自然」って言わせたかったためで、それを回収する納得いく言葉がなかったのはわたしにしてみればとても残念だった。それを回収する言葉が好き、嫌いという好みの問題にされたようでなんだかなぁと思った。

しかもこれはわたしが思いっきり気に入らないシーンなんだけど、娘がパパに迫って、それから父親に「パパとお父さんの子どもを産んだら、わたしたち家族になれるのかな」っていうシーンがある。これって思いっきり血縁に拘ってないか?血が繋がってなきゃ家族じゃないの?子どもがいなきゃ家族じゃないの?夫婦は血が繋がってないよ、普通。夫婦だけの家族は家族じゃないの?自然じゃないの?

実はわたし、娘はそこら辺のこと理解してると思ったんだよね。でも最後の方で実は母親(の手)が欲しかったんだとか、血が繋がってなきゃ家族じゃないと思ってるとかって分かってすごくがっかりしたんだよね。だったらあの最初のパパと父親に囲まれて幸せそうな姿をしてたあれは何?って思っちゃうんだよね。息子に対して「自分はパパとお父さんの子どもだ」って言い切った、あれは何?って思っちゃうんだよね。

わたしとしては、どうしても「こういう家族だってなんらおかしくない」ってところを少しでも見せて欲しいって思っちゃうんだよね。「血が繋がってなくても、母親が2人でも父親が2人でも家族は家族だ」ってことをもう少し肯定的に描いて欲しかったんだよね。それはさ、上で書いた「啓発的なもの」に該当すると思うのだけれど。でもこの作品を見ると、あんまりそういうのは伝わってこなくて、多分、そういうのは別に伝えなくていいって思ってんだろうなって見ながら思った(それとも他の人にはそういうことが伝わってくるのだろうか。わたしの感じ方がおかしい?)。

あとさ、ゲイカップルはお互い相手のことを愛し合ってて、そして結構娘のこと二人とも親バカで心配してて娘のことすごく愛してるんだろうなって分かるんだけど、レズビアンカップルの方はどうもキーキー言ってるばかりに思えてしまって仕方がなかった(冒頭に2人のキスシーンはありましたけどね)。息子がおじさんに「なぜ(お姉さんカップルに)精子提供することを承諾したのか」と言われて、おじさんが「姉さんは明るさだけが取り柄だったのに、、うんぬんかんぬん」って答えたけど、正直姉さんは明るさが取り柄って性格には思えなかったし、むしろ息子の態度でおろおろする頼りない母親に思えたんだけど。。子供を産んで性格が変わったのだろうか、という風に見えた。

それから最後の方、弟に結婚を勧めるシーンがあるんだけど「家族っていいものよ」って、独り身のままじゃダメなわけ?子供を持たないと「家族」じゃないの?もしかしてこの作品、そのことが「最も言いたかったこと」なのか?

ここんとこ、すごく幻滅したんだよね。まぁわたし個人としては「恋愛は絶対にしなければならないものなわけ?」とか「人を愛するのって無条件にすばらしいことなわけ?」とか思ってるので、こういう言い方をされるとすごく反感を持つんだよね。その人が本当に結婚したくてたまらないんだったら、誰かを紹介することはいいかも知れないけど、そういうことを言わない人に対してまで結婚を勧めるようなことは避けるべきだ。その人はもしかしたら異性愛者でないかも知れない、誰も愛さない人かも知れない、今の生活で十分満足って思ってる人かも知れないから。上にも書いたけどレズビアンって割と周囲から「結婚しないの?」とか言われて答えられなかったりして嫌な思いをしてきてるはずだから、まずこういう話は無防備にはしないと思うんだけどね、、

まぁこういう考えも多分に「啓発的」なのかも知れないし、この作品を作った人はそういうことは別に描きたくなかったのかも知れない。わたしはこの作品について「こうあるべきだ」という意見を押しつけるつもりはない。これはわたし個人の感想だ。だからこの作品がわたしと合わなかっただけ、とも言えるのだ。だけどやっぱりわたしが期待していたこととは別の方向に行っちゃってるので、わたし自身はこの作品については「うーん」って思うんだよね。まぁあと息子の性的指向を初めとして「回収してない話があるじゃん」とか「結局みんなこれで満足しちゃったの?」ってのはある。最後、収束した感じで終わってるけど、わたしはなんかあんまり収束したって感じを持てなかったんだよね。だからある意味「消化不良」に感じる部分がある。

それとこれは蛇足かも知れないんだけど、これってたかが3日やそこらの話だよね(詳しく数えたわけじゃないから分かんないけど。ただ数日間に起こったこと、ってのは間違いないと思う)。だけどなんか時間配分が悪いような気がしたんだよね。息子がおじさんと会って、実はおじさんの子どもだったって分かったときなんて、一体何時間あるの?って感じだった。一旦家に戻ってきたりおじさんとさらに会ってバッティングセンターに行ったり景色の良いところまで行ったり。その間、母親たちはずっと子どもの帰りを待って全然ご飯食べてないのもちょっと違和感があった。何時間も待たされて「先に食べてましょう」ってことにならなかったのかな。

それから、娘は生理になって数日間しか経ってないのに湯船に入ったり(別に入れないことはないけど)SEXしたりしてる(別にできないことはないけど)。そこは「女」の当事者として「えー、これはちょっと生理終わるの早すぎでは」とか思ってしまった(爆)まぁここら辺の感じ方は個人で違うかも知れない。

それから娘が息子に「性別なんかなければいいのに」みたいなことを言ったあとで「でもスカートはけなくなるからやだ」みたいなことを言ってたけど、わたしはその論理がよく分からなかった。それだったら男がスカートはけるようになればいいだけの話じゃない(笑)女からスカートを取り上げる必要はないじゃない。

最後にキャストについて言ってみると、まずはつみきみほ。これはもう「櫻の園」好きなわたしとしては「おー、あの杉山さん!」って思ったね。しかも歳取ってもしゃべり方はあんまり変わってないみたいだったから、杉山さんを彷彿とさせ、まるで杉山さんの未来がこうなってるような感じがした(ただし、杉山さんは高校時代は不良だったのでそこのところは齟齬はあるが)。ちなみに「櫻の園」ではわたしは志水部長が好きでした~(笑)

それから池田政典。わたし、この人のデビュー曲「ハートブレイカーは踊れない」のときを知ってるんだよな~。あれから25年くらい経って、こんなに渋くなってるとは思わなかった。今回、このドラマで唯一まともなキャラだったかなと思ったりした。いい役ではあったよね。

ってわけで、なんか文句ばっか書いた感想だけれど、やっぱりちょっと個々の人物(特に息子と娘)を描き切れていなかったような気がする。「なんでこれがこうなるの?」って場面がちょっと多かった。最後は息子も母親たちを受け入れられたようだけど、そこもあんまりよく分からなかったし。娘の「パパたちの子供を産めば血の繋がった家族になれるのか」という問いの答えはなかったような気がするし。しかも息子と娘はくっつきそうな予感で終わってるし(片方の子どもが娘で片方の子どもが息子だったことから最初からそういう予感はあったんだよねー)。娘の方は最初から息子に興味があったようだが、息子の方の同級生への思いはどこにいったの?って感じだったし。

ああ、ごめんなさい。せっかく日本でもレズビアンマザーとゲイファザーを題材としたドラマが出てきた!って思ってたのに、それをぶち壊すような感想の数々で。。まぁでもこのようなドラマがやっと日本にも、って気はしてるので、こういう作品がもっと数多く制作されればなあと思ってます。
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03-10 Sat , 2012
「もし同僚が同性愛者だったら」を見た
先月、朝日ニュースターで「ニュースの深層」という番組の中で「オネェだけじゃないLGBTの人生」を見たと日記に書いた。そうしたら今度は同じ「ニュースの深層」の土井香苗さんのときに「もし同僚が同性愛者だったら」という題で番組をやることを知り、それも見たのだけれど。

前回のゲストは知らない人だったんだけど、今回のゲストは木村真紀さんで、木村さんとは知り合いだ。ま、知り合いと言っても2007年以降は会ってないんだけどね。やはりわたしにとっては木村さん=尾辻さんの前カノ、というイメージを持っちゃってる。だから、あのときと比べて「あー、なんだか雰囲気が少し変わったなあ」とか、そういう余計なことを思ってしまって、番組の中で何を言っていたのか、十分集中しきれなかったところはあるし、それに番組を見ている最中、ワクチン打って調子を崩したうちの猫が吐いてしまったりしたものだから、聴き取れなかったところなどがあって、日記に書こうかどうしようか迷ったのだけれど。まあ見たことは見たので、それを残しておく。

木村さんは今、虹色ダイバーシティという団体の代表を務めているらしい。肩書きというか、テロップに流れてきたのは「関西学院大学非常勤講師」だったが、話の中では「コンサルタント会社に勤めており、会社ではカミングアウトしていない」と言っていたので「は?どういうこと?」と思ったのだが、実際はどういうことなんだろうね。カミングアウトしてないのに番組に出ちゃって、それを同僚が見ちゃったら、どうするんだろう?ってそんなことも思ったのだけれど。。まぁそれはそれでいいのかな。

しかし、こう言ってはなんだが、わたしの知ってる木村さんとはちょっと印象が変わったというか、なんかテレビのライトに照らされてたせいなのか、顔が輝いて生き生きしてるような感じがした。あとは着ている服のせいなのか、雰囲気が少しマニッシュになったというか。そして今は女性のパートナーさんがいらっしゃるようだ。

番組で話されてた順番を既に覚えてないのでぐっちゃぐちゃだろうけど、記憶にある範囲で書くと、

初めは「今日のニュース」の中にロシアのプーチンが大統領に再選されて、そして反プーチン派の身柄を拘束している、というのがあった関係と、今、ロシアのなんとかって都市で「反LGBT法」みたいなの(LGBTと表明してはならない、みたいな法律だったと思う)が策定されようとしていて、木村さんは国際会議の場所でロシアでパレードをやろうとしていた人と知り合ったが、次に彼を見たときは、彼が当局によって逮捕されている姿でショックだった、と語り、そしてそのロシアと日本とは共通点があります。G8の中で、同性パートナーシップ法がないのは、このロシアと日本だけなのだ、という話をした。

それから「LGBTってなんですか」という話から始まり、まぁLはレズビアンで、、という説明をしてたんだけど、ちゃんと「LGBTの中にもこの概念に当てはまらない人もいます」って言ってて、そこはさすがって感じだった。また「ダイバーシティ」については「多様性」を意味する言葉で「虹色」と言うのは、性の多様性を表わすものだ、と、まぁこれは、何も知らない人向けの用語説明だったわけだけど。ただなぜ性の多様性を表わすレインボーが6色なのかについては、パレードのときに二手に分かれなければならなかったから、と説明されてたけど、これは初めて聞いた。わたしは確かWikiで読んだと思うんだけど、最初はピンク色などを含む8色だったんだよね。ところがピンク色ともう一色は印刷しにくいってことで、6色に落ちついた、そう思ってたんだけどね。

そして会社ってところは、仕事だけをする場所だと思われているが、実は案外その人の家族のことなど話されている場でもあり、例えばその人に子どもがいたり、子どもがインフルエンザにかかっているとか、そういうことが意識しなくても「当たり前」に情報として伝わってきてたりするのだが、性的少数者としてカミングアウトしていないと、自分は独身だと思われており、しかも、パートナーが例えいても、そのことについては語れない、要するに異性愛者が気軽に自分の身の回りで起きたことを何気なく話しているのに比べて、性的少数者は「これを言ったらどう思われるか」を常に考えて、話さざるを得ないんだということを話してた。例えば今公開されている「人生はビギナーズ」という、父親がゲイとカミングアウトした話の映画(わたしも観に行きたいと思っているのだがまだ観てない)についての話を同僚としようと思っても「もしかして自分の感覚はヘテロの人と違ってたらどうしよう」などと思ってしまうんですよね、と木村さんは言っていた。

確かにわたしも会社に勤めてたときはまさに誰にもカミングアウトしてない状態だったから、彼女がいることは伏せてたし、そういうことは全く触れなかった。だから同僚からは「社会人野球一筋な人」と思われてたと思う。まぁわたしの場合は周囲から結婚だのなんだのと言われたことはないので、その点はすごく楽ではあったが。子どもの話をする同僚は確かにいたねえ~。そういう点でなにも隠す必要がない異性愛者はとっても気が楽だと思う。

そういう「気を使わなければならない環境」にあるLGBTは、仕事の能率にも影響を与えるそうで、例えばLGBTに対して理解のある職場で、その人が「ありのままの自分」を出せるところだと、出せない人に比べて5%だったか10%だったかくらいの仕事の能率が違うんだ、という統計があるそうだ。だから会社自体が「LGBTに対して理解がある」ようになれば、職場の5%くらいを占めると言われているLGBTの仕事の能率自体が上がり、それによって会社に利益をもたらす、という「いい循環」が生まれる、とのことだった。この職場の5%っていうのは、ゴールドマンサックスだったかでの企業調査によるものらしく、でもそういう中でも「カミングアウトしない人」もいるだろうから、実際にはもう少し多いと思ってると木村さんは言っていた。だけど日本で1万人以上従業員がいる、とある企業のお偉方の中には「うちにはそういう従業員はいません」ときっぱり言ったそうで(苦笑)、「1万人もいる中で絶対にそんなことは有り得ないのに」と思っていたそうだ。ってホント、日本の経営者って意識低いよねえ~、、

また、欧米だったか米国だったかで行なわれた「働きやすい会社ベスト100」の調査では、その100社とも全部、LGBTに対する差別禁止規定があったり、何らかの形でLGBTに対する配慮がある会社だったそうだ。特に「北米トヨタ」はランクも非常に高くて、米国ではこういう風にちゃんとLGBTに配慮している会社だそうだが、では日本のトヨタに関しては、というと、それはよく分からない、とのことだった。

そしてマーケティングの話では、可処分所得の高いゲイに対するアプローチも結構されていて、LGBTは一大マーケットとして見られているということだったが、確かにアメリカのゲイやレズビアン雑誌を見ると車の広告、しかも日本の車の広告なんかよく載ってるし、そういう意味では日本の車会社は欧米では「LGBTマーケット」を意識した戦略を立ててる証拠で、でもなんでそれを本国である日本に当てはめないのか、と思う。ただ、日本のゲイ雑誌の中で突然車の広告を出すのはちょっと無理があるが。日本のゲイ雑誌は基本、エロ雑誌だからね~。海外で見られる「エロ抜きのLGBT向けの雑誌」は今、日本ではわたしが知る限りに於いてはないもんね。

ただ、雑誌に広告を出す以外、例えばCMの中に異性愛者カップルや家族の中に同性カップルを紛れ込ませたものを作るとか、そういう方法はあると思う。LGBTはそういうものに非常に敏感なので「あ、ここの会社、自分たちを受け入れてくれている」と思えば、そこの会社の商品は買いたくなると思うんだよね。

あと、番組の中でも言ってたけど、国際レズビアン&ゲイ映画祭ではソフトバンクやBODY SHOPなどの会社の協賛が付いているそうだ。そうすると「ああ、ここの会社は自分たちの存在を知ってくれているんだ」と思えるよね。で、やっぱりそういう会社を応援したくなってしまう。これは人間心理だよね~。

ただし、LGBTはそんなに甘くもなく(笑)、その会社が会社の中でLGBTをどう扱っているのかも厳しく見ている、と言ってたな。

そしてLGBTについてのサポート体制が整っている会社は、業績も上がっているそうだ。だから、これはLGBTだけが得しているわけではなく、会社側にもメリットがあることなんだ、ということを強調していた。現に日本IBMはLGBTに対してのサポート体制が整っているということで割と知られている会社だが、LGBTについてのサポート体制を整えたのと同じ時期から会社の業績が上がり始めた、とのことだ(それまでは他の会社と同じく下がり気味の傾向にあったらしい)。「その理由はどうしてだと思いますか?」と土井さんに聞かれた木村さんは「既に市場が多様性だからだと思います」と答えてた。多様な人のニーズを把握するためには、会社内に多様な人がいないと対応できないと、そういうことらしい。

その「体制」の作り方についての説明もあった。これは先ほど挙げた「虹色ダイバーシティ」のウェブサイトにも載っているが、最初は「支援体制を作ろう」、これによって今まで「会社の中では自分しかいない」と思って孤立していたLGBTの人たちが「ああ、自分の会社にはそういう支援をしてくれるんだ」と思うことによって、何か悩みがあれば相談出来る体制を整える、ということ。次に「制度を変えよう」、例えば「LGBTの人に対して差別してはならない」などの規定を作ること。これは例えばセクハラだとかパワハラだとかを禁止するのと同じような感じで、その中にLGBTのことも入れ込む、ということだ。そうすると会社にいるLGBTの人は自分が差別されないことを知って、安心して会社の中にいることができるということに繋がる。LGBTの人の離職率も減る。すごく能力の高いLGBTの人が会社にいたとして、その人が「やっぱこの会社は居づらい」と思って辞めてしまったら、その会社はすごく損をすることになるよね。そして最後に「意識を変えよう」、管理者に研修を受けさせるなどして上司の意識を変えさせる。会社で「ホモがさー」とか「オカマがさー」という話題になったとしても、上司から「そういうことを言うのは実は差別なのだ」と指摘されるのをもし、LGBTの人が見ていたら「ああ、この人ならもしかしてカミングアウト出来るかも知れない」って思えるよね。そして会社の中にもLGBTの存在が明らかになって、そしてLGBT自体の繋がりも出来る。そういう体制を作りましょう、という話だった。

それから「よく同性愛者は社会に貢献してない」って言われるけど、木村さんは「そうとも限らない」って言ってた。だってカップルで暮らしてても「独身扱い」だから、扶養控除がない。とすれば、結婚している異性愛カップルよりも同性愛カップルの方が国に税金は多く支払っているのだ。これはうちにも当てはまる。わたしは仕事をしてないから、税金は払ってないけど、もし彼女の「扶養」ってことになったら、彼女の税金は「扶養者控除」を受けられる。けど、彼女は法律上独身なわけだから、そんな恩恵は受けられない。その分だけ多く、税金を支払っていることになる。まーこのことは事実婚の異性愛カップルには当てはまらないけどね。でも、異性愛者は「結婚するかしないか」を選択できるが同性カップルは選択できない。そこの違いだよね。

あとは木村さんはレズビアンってことで「女性と言うこととレズビアンと言うことのダブルマイノリティと認識している」と言っていたな。上に「ゲイの可処分所得は高い」と書いたが、日本では男性を100としたとき、女性の賃金は69.8(確かそのくらいだったと記憶している)しかならず、レズビアンカップルはゲイカップルに比べるとダブルで可処分所得が低い、つまり貧乏だってことだ。それはLGBTの問題ではなく、女性問題になってくるのだが、レズビアンはそういう問題も抱えている、と言っていた。

まあ、確かにそれは言えるのだろうけど、わたし自身の実感としては「自分は将来一人で暮らしていかねばならないのだから、それなりの仕事に就かねば」と思って、一人でも十分暮らしていけるような仕事に就いているレズビアンの人もいると思うんだけどね。ただ、そういう人は特に問題はないけれど、やはりカツカツで暮らしているレズビアンも多いことも事実で。それはもう、日本の労働環境を今とまるっきり違う体制にしていかないといけないと思ってるんだけど、日本はそういうところ、とても保守的だからねえ。。今の体制ではどうしても歪みが出てきてもうどうしようもない、となったときにしか体制は変わらないのでは、というちょっと悲観的な見方をわたしはしている。一時あんなに言われてたワークシェアリングなんか、今じゃ全然聞きもしないからね。とことんまで追いつめられないと政治家も経営者も分からないんだと思っている。

とまぁ、覚えている範囲ではこんな感じだったかなあ。とにかくLGBTがいやすい職場というのは、会社にとってもメリットがあるんですよ、ということを強調していたように思う。この番組、題名は「もし同僚が同性愛者だったら」だったが、実際にはLGBT全体の話になってた。まぁ木村さんはレズビアンなので「レズビアンの状況はどうですか?」と話をふられている場面もあったけれどね。

あとこれは余談だが、先月やった「オネェだけじゃないLGBTの人生」の番組に対してはとても反響が大きかったそうだ。反響が大きいってことは、次に繋がるってことなんだよね。まぁ今回の番組はそれを受けてなのかどうかは知らない。けど、CSで誰もが見られるってわけじゃないけど、でもLGBTに関して取りあげられる、というのは、わたしとしてはかなり嬉しいことだし、これからも時折誰かを呼んでLGBTに関する話題が放送されたらなあと思っている。土井さんは先月だったか、朝日新聞にも「朝日新聞はLGBTに対してのオピニオンリーダーになるべきだ」という記事を書いてたよね。まー、わたしは朝日新聞のみならず、他の新聞にもLGBTの話題が載ればいいなあと思っているクチではあるが。

まぁこの番組に対しては、知り合いが出てると話を聞くより「あー、木村さん、今はこんなになってるんだ」とどうしても思っちゃって、話にあんまり入り込めなかったというのもあるし、あと猫が吐きまくって大変だったと言うこともあって、前の「オネェだけじゃないLGBTの人生」に比べると忘れちゃった部分がたくさんあって申し訳ない。

んでも、こういう番組を見た経営者が「うん、そうか」と思って体制を整える動きをしてくれたらいいなー。決して「いない」わけじゃないんだから。少なく見積もっても人口の5%というと、20人に1人なんだから、それ以上の規模の会社では必ずいるってことなんだよね。だから、もし「うちの会社にはそんな人はいない」と思ってても、取り敢えずはLGBTに関する支援体制を作って、支援してますよ、という意志を見せるのが重要。そこからもしかしたら「うちの会社にもいたんだ」ということが分かるかも知れない(それでもまだカミングアウトできないって人もたくさんいるだろうとは思うんだけれども)。正直「支援体制なんか整ってなくても別に今のままで大丈夫」って人は多そうだ(わたしだったら多分そう思う)。それより「本当の自分が分かってもらえそうな人がいる」って分かった方が嬉しいけど、それって上の区分で言うと最終目標になっちゃんだよね。。やはり「そんな人はいない」って思われても最後まで体制は整えておくべきなんじゃないだろうかと思ったり。個人的にはね、そう思ったりもする。ただ、上に書いたように会社にとってもメリットがあるこの話、日本の会社でも是非実現していただけたらと願う(大手企業数社は既に導入したようではあるが)。
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02-15 Wed , 2012
「オネェだけじゃないLGBTの人生」を見た
今日の20時から朝日ニュースターでやった「オネェだけじゃないLGBTの人生」って番組を見た。というか、これは今回の題名で、本当は「ニュースの深層」って番組名だったかな?初めて見たんだけど、ヒューマンライツウォッチの土井香苗さんが司会をやってた。

ゲストに出てきた松中さんって人もその人が代表をやっている「グッド・エイジング・エールズ」って団体も初めて知って、へー、こんな活動してる人たちがいるんだ、って思った。まーわたしは最近、あんまり外出てないしね。そういう情報もあんまり集めてないしね。

わたしの知らない団体は多分、たくさんあるんだろうけど、いい傾向だ(笑)日本にも性的少数者がいろんな団体作って、いろんなことやればいいのにって思ってるからさ。今はそれぞれ「点」でしかないかも知れないけど、それがいつしか「面」になって、全体的に底上げされるのを期待しているんだけどね(って偉そう(^^;)。

番組自体は可もなく不可もなく、って感じだったかな。押さえるべきところはちゃんと押さえてると思ったし、それこそ「オネエ」しか知らないような人たちにとっては分かりやすい番組だったんじゃないかなと思う。

内容としては「昨日はバレンタインデーでしたねー」という話から始まり、「バレンタインデーにチョコをあげるのは男性から女性、女性から男性と思われているけれど、男性から男性へ、女性から女性へ、という場合もありうる。愛の形は一つだけじゃないんですよね」と話を同性愛に持って行く、という形だった。それからゲストの説明。ゲストの松中さんって人はゲイなのだが、いつゲイだと気が付いたか、とか。松中さんの場合、小学校高学年の頃から周囲が異性のことについて話しているのに、男性につい目が向いてしまう自分に「あれ?」と思い始め、「でもいつかは治るだろう」と中学、高校にかけて考えていたのに治らず、大学に入ったときに「観念」したそうだ。ゲイ雑誌を見て「自分と同じような人がいる」ということも知ったらしい。ただ、松中さんの場合は、自分がゲイであるということについてはそんなに悩まなかった、ということで、でも、中には自殺を考えるほど悩む人もいる、という話もしていた。

その後は「LGBT」って何?という話。ここでは身体の性と心の性、という表現の仕方をしていた。Lはレズビアンで身体の性は女性、心の性も女性だが、恋愛対象が女性の人のこと。Gはゲイで身体の性は男性、心の性も男性だが、恋愛対象が男の人のこと。Bはバイセクシャルで、身体の性は女性、心の性は女性で、恋愛対象は男女両方、または身体の性が男性、心の性は男性で、恋愛対象は両方の人、Tはトランスジェンダーで、身体の性と心の性が不一致な人、つまり女性の身体に生まれつつ、心が男性、男性の身体に生まれつつ、心が女性、そういう説明の仕方だったかな。

そして今、テレビに出ているいわゆる「オネエタレント」の人は、例えばマツコデラックスさんなどはおそらくゲイで、女装(特に女になりたいわけじゃなく、女の格好をしたいだけ)をしたい人であろう(本人に確認したので本当のところは分からないけど、という註釈付き)、逆にはるな愛さんは、男性の身体で生まれて女性になりたいというトランスジェンダーで、「オネエ」と一括りにされているけれど、ゲイとトランスジェンダーが入り交じった状態なのだと。

ただ、ゲイはすべてがオネエではなく、例えば同じ職場の同僚の中にもLGBTが含まれている可能性がある。ある会社が「あなたはセクシャルマイノリティですか?」というアンケートを取ったところ「そうである」と答えた人が全体の5%~8%いたそうだ(でもこれって、すごーくカミングアウトしやすい会社じゃないとこういう結果は出て来ないとわたしは思うんだけどね。これはおそらく外資系の会社か、LGBT先進国の会社のアンケートの結果じゃないかな。今の日本で同じアンケートを取っても、こんなに高確率でLGBTであると答える人はいないと思う)。松中さんは会社の一部で自分はゲイであると言うことをカミングアウトしているそうだが、LGBTにとって就職活動というのは、一つのハードルになっている。自分を異性愛者と偽って会社に入るという手もある(同性愛者の場合)が、自分を偽りたくない人の場合、どうやって自分のことを説明するのか。また、トランスジェンダーの人は、自分の戸籍上の性別と違う格好で就職活動をしたいけれど、そのとき、会社の人から不審な目で見られないだろうかと脅える場合がある。

外資系の会社の場合、例えば日本IBMなどは、会社を挙げてダイバーシティー(多様性)を認めているので、面接官に本当のことを言っても、彼らは訓練を受けているので、当事者が傷つかない対応をしてくれると思うが、日本の会社ではまだまだだろう、とのことだった。ただ、日本でもソフトバンクはゲイフレンドリーで、同居している同性同士の人であれば、家族割りが使えるとか、そういう話もしていた。

また、松中さんは広告代理店に勤めているそうだが、ある日本の車会社と一緒に仕事をしたとき、それまで男性だと思っていた人が、あるとき「これからは女性として見て下さい」と言われて、びっくり仰天したそうだ。そのときは松中さんは自分がゲイであることは認識していたが、まだ周囲にカミングアウトしていなかったときの話で、その社風を羨ましく思い、本気でその会社に転職しようかと思った、と言っていた。

会社全体の5%~8%いる、ということは、チームで仕事をしていた場合はもしかしたら、一人や二人、LGBTの人がいるかも知れない状況なのに、周囲はそれを知らない状況なので、言った本人は冗談かも知れないが、当事者にとっては全く笑うことの出来ないことも起こる、という話の中で、具体的に、ある会社の役員会だったかな、会議で禁煙をした人に対する嫌がらせ(?)で、わざとその人の前にメンソールの細い煙草を本人の目の前に置いておいたら、その人は「自分はこんなオカマの吸うような煙草は吸わない」と言い、実際、その会議の場にはゲイもレズビアンもいたので、周囲が凍り付いた、という話をしていた。でもこれって、見ながら彼女と話してたんだけど、どっちもどっちだよね、って(笑)確かにゲイを揶揄するような言葉遣いはどうかと思うが、それ以前に禁煙している人に対して嫌がらせするってのはねー(苦笑)

松中さんはそれまで全くのクローゼットだったが、カミングアウトしようと思ったきっかけは、会社の研修でアメリカのニューヨークに半年ほど行っていたとき、ゲイコミュニティーを見たり、周囲の人の中に自然とLGBTの人が溶け込んでいる雰囲気を自由に感じ、それで日本に帰ってきてから「グッド・エイジング・エールズ」を仲間と一緒に立ち上げた、ということだった。そして、そのときは両親にはカミングアウトしていなかったんだけど、あるとき父親が定年退職し、その後PCを買って、いろいろ検索している、ということを兄弟から知らされ(松中さんは3人兄弟の真ん中で、そのときは兄と弟にはカミングアウトしていたらしい)、これは早晩検索で自分のことがばれてしまう、そこでばれてしまうまえに自分から両親に直接カミングアウトしようと思って、正月帰省したときに自分で両親にカミングアウトした、とのことだった。

そのときの両親の反応は、父親は微妙な感じだったが、母親がすぐに受け入れてくれ、その場では松中さんの過去の恋人の話になったり、今まで聞いたことがなかった父親と母親との出会いなどの話になり、すごく楽しかった、と言っていた。ただその母親もお酒に酔ったときにポロッと「もしかして、小さい頃、叩いたことが原因で女の人が嫌いになったの?」と言われ、松中さんはそれを「全然そういうことじゃないから」と否定したって言ってたな。やはり今の日本ではどうしても子育ては母親が中心だから、母親が責任を感じちゃうんだろうなー。

その立ち上げた「グッド・エイジング・エールズ」は、性的少数者フレンドリーな老人ホームというか、お年寄りが暮らす場所を作りたいと考えているそうで、特に異性愛、同性愛、その他関係なく、独り身の人であったりした人でもOKな場所にしたいってことだった。そういう話を両親にしたら、父親があるとき「自分もそこに入っていいか」というメールを松中さんによこしたが、松中さん自身は仕事で忙しく、1週間くらい返事をしなかったら、母親から「お父さんが毎日メールボックスを覗いています」というメールが来たそうで、そのときはメールをせず、急いで電話を掛けたって言ってた。

「結婚は男女だけのもの」と今の日本では思われているが、欧米の先進国を中心に同性同士が結婚できる(同性婚)国もあり、その説明とか、あと結婚までは至らないけれど、同性同士のパートナーシップ制度を作っている国の説明とか、同性同士の関係でも法的に保障されている国がある、という話をしていた。

あとはグッド・エイジング・エールズでは、将来的に年寄りが集まって暮らす場所のことだけを考えているんじゃなく、去年の夏は葉山で土日のみ「カラフルカフェ」というLGBTが中心となったカフェで、LGBTフレンドリーの人なら誰でも来てね、というカフェをやったんだとか。ご近所さんのふれあいとか、あと、異性愛者のミュージシャンがそこでコンサートを開いたりとか、やっていたときは「土日しかない会社の休みをすべてカフェに使ってクタクタ状態」で「もうこんな大変なことはやらない」と思ったそうだが、喉元過ぎればなんとやらで、あの楽しさが忘れられず、おそらく今年も開催する、とのことだった。その「カラフルカフェ」のスポンサーはアルファロメオで、やってる期間、車を貸してくれたし、ぶつけて壊しちゃった修理代も全部持ってくれたって言ってたな(笑)

それから、日本にもいろんなLGBTの活動がありますよ、ってことで先月、1月15日に世田谷区でやった「LGBT成人式」のことが紹介されていた。世田谷区長を初め、区議の人もたくさん来てくれた中で、350人ほどのLGBTが集まり、その中で成人を迎えた人が「LGBTとして強く生きていく」ことを宣言したりしたってことだった。まぁLGBT成人式については、わたしも事前に知っていたし、知り合いも何人か行って、非常に感激して帰ってきたそうなので(LGBT成人式と言えども、対象は今年の新成人だけではなく、すべての成人対象だった。というのは、自分の成人式にどうしても出たくない、と考えて出なかったLGBTの成人が多いからだ。トランスジェンダーの人はそれが顕著で、例えば身体が男性であっても「振り袖を着て出席したい」と思う人だっているわけだが、実際の成人式でそれができるかというと、すごく難しい。だから自分の成人式は出なかった、という人も結構いる)、きっといい式だったんだろうなと思ってるし、ここまでやった早稲田大学のRe:Bitさん、すごいというか、きっとここまで来るにはとても大変な道のりだっただろうけど、よくやり遂げたと思ってるんだけどね。ただ、来年からはどうするんだろうと思ってたり。今年だけのイベントなのかな、これ。

そして最後に「日本のLGBTの人たちは全部でどのくらいいると思いますか?」の問いに「そんなん、全体が見えなきゃ割合なんか分かるわけないだろ、くだらん質問するな」とわたしは言いたいところだったが(笑)、松中さんは「存在的にはおそらくやはり5~8%くらいいるだろう。自分は自分がカミングアウトしているので、周囲にもカミングアウトしている人は多いけれど、日本全体で言うとまだまだ全然カミングアウト出来ない状況、多分、カミングアウトしている人は1割くらいしかいないんじゃないか」と答えていた。もちろん「カミングアウトすることが決していいということではないけれども」とも付け加えていた。そして「日本でもっとカミングアウトできるようになるにはどうすればいいか」という質問に対しては「おそらく法的な整備、同性婚までは無理かも知れないが、パートナーシップ制度の確立、といったものが必要だろう」と。それから日本の会社に対してはそういう「前例」はないかも知れないが、社員の中には必ず存在しているのだから、そういう人を意識した対応をして欲しい、と答えていた。

まぁ、だいたいわたしの記憶しているところではこんなところかな。番組全体で言うと、だいたいのことは網羅していると思う。そういう点で番組自体は「可もなく不可もなく」って感じ、とわたしは思った。

ただねー、やっぱりわたしはそこから漏れてしまう人たちのことをつい、考えてしまうんだよね。

トランスジェンダーでも、必ずしも反対の性になりたいって思ってる人ばかりじゃないとか(どちらの性にもなりたくない人、どちらの性かよく分からない人もいる;一般にXジェンダーと呼ばれる)、トランスジェンダーの中にもゲイやレズビアン、バイセクシャルがいる、とか、あとはあんまり恋愛はしたいって考えてない人、とかね、恋愛するけど性交渉はしたくないと思ってる人とかね。あと逆にどういう人たちも全部恋愛対象(両性愛者は「男」と「女」に惹かれるけど、どちらの性にもなりたくない人とか「男」「女」という枠に囚われない人にも惹かれる、という意味)の人、とかね。

LGBTを語るとき「愛にはいろんな形がある」ってよく言われるけど、でも中には愛のない人だっているわけで、だからわたしは最近「愛することは素晴らしい」とは手放しで言えなくなった。確かに人を愛することは素晴らしいけど、そうじゃなくったって素晴らしい、って、人を愛することだけがすべてじゃない、言うならそう言おうと思ってる。

だってわたしらは散々世間から「いないもの」にされてきたんだもん。いや、今だって「いないもの」にされている。けど、それでもLGBTの中では多数派だから、LGBTを語るときはまず無視されない。けど、そのLGBTを語っているときでもそれでもまだ「いないもの」にされてる人たちがいる、そういう人たちはどう思うだろうってさ、そう思っちゃうんだよね。

ただ、そういうことを言い出すときりがない、というのはある。何も知らない人からすると、余計頭が混乱してしまうかも知れない。性別は男で、でも女性になりたくて、でも女性が好きってどういうこと?とか。

でもだからといって「いないもの」にされる人がいていいんだろうか、と思う。

あと「身体の性」「心の性」という言い方、確かに分かりやすい表現なんだけれど、「心の性」って結局なんなんだろう?って今わたしは思ってるんだよね。「男になりたい」というのと「男らしくなりたい」というのは「心の性」と表現すると一致してしまう、ような気がする。でも厳密に言うと違うわけだよね。中には「男にはなりたくないけど、男らしくなりたい」って人だっているし、その逆の「女にはなりたくないけど、女らしくなりたい」って人だっているわけで。わたしなんかは「自分は女と思ってるけど、別に男らしくも女らしくもなりたくない」って思ってるわけだし「自分は男と思ってて、でも女らしくなりたい」って知り合いもいる。こういうのって厳密に言えばトランスジェンダーには入らない。けど、そういう人を呼び表わす言葉がない。性別違和があるわけじゃないからXジェンダーでもない。

そう考えると「心の性」という言い方は微妙だよなって思う。かといって、他に分かりやすい言葉があるかというと、それは難しいんだよね。。まず「性別違和」があるかないか。それによってトランスジェンダーかそうでないかが決まるだろう。そして「なりたい」のか「らしくなりたい」のか。トランスジェンダーはその両方を含むことになる。性同一性障害はどっちかというとそのうちの「なりたい」になるのかな、今は。ただ、性同一性障害も将来的には概念がどんどん変わってくるみたいなので、もしかしたらいつかは「トランスジェンダー」=「性同一性障害」になるかも知れないけど、でも「性同一性障害」って病名を付けられることにもなるから、嫌がる人もたくさんいるだろうね。なんて、ホント、トランスジェンダーはとても難しいのだ。人の数だけトランスジェンダーがある、って思った方がいいようにわたしは思ってるんだけどね。それから性別違和のないわたしみたいなのはこういう括りでは何とも言えない存在になる。

あ、別にこれは番組を批判しているわけじゃないよ。あれはあれでよかったと思うし、ただわたしの感覚はそうなんだよね。

それと、なんかかなり就職活動とか、ちゃんと就職してる人がいる団体って感じだったので、わたしのような40代にもなってまだ病気でふらふらしてる人間からすると、ちょっと接しにくいかなぁという感じが(苦笑)接しにくい、というか接点がない、というかね。

まー、そんなことを思ったのでした。これがCSの番組じゃなくて、地上波(ってもう言わないんだっけ?地デジ?)の番組だったら、もっとたくさんの人が見られたんだろうなーと思うと惜しい。オネエだけがゲイじゃないし、ゲイはオネエだけでもない。あとレズビアンとかバイセクシャルとか他の性的少数者ももっと出てくればいいのになーって思うんだけど、今の日本じゃまだまだ出てこない。出てこないんじゃなくて「出てこられない」んだろうけどね。「いない」って思われてるからさ。

それがちょっと悔しいね。
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11-03 Tue , 2009
ハートをつなごう「性同一性障害・特別編」2日目
1日目はありません(笑)

いやー、今日は鹿児島県に住む13歳の「まりあさん」って人の話だったけど、なんてのかな、最初はさぁ、「13歳で本当に性別違和感じるわけ?」ってちょっと疑問な部分がわたしにはあった。だってさぁ、わたしは13歳のときに男だの女だのってあんまり考えたことなかったんだよね(苦笑)でもこれって多分、わたしは性別違和を感じてなかったからだろうと思うんだけど、でも、それ以外にわたしの身体ってとても成長が遅かったのよね。身体だけじゃなく、多分、精神的にも幼かったと思う。だって「大人の身体になる」ということが、実はよく分かってなかった(苦笑)

んー、なんというか。実は焦ってたときもあった。小学校の高学年のときだけど。

わたし、それまでは幼稚園の頃からずーっと背は高い方で、だいたい後ろから2番目か3番目だったんだけど、小学校の高学年になってきたときね、今までずっとわたしより背が低かった人がみんなわたしの身長を越しちゃって、それですごく焦った時期はあったの。

でね。中学校は大阪に転校したわけだけど、中1のときの並ぶ順番がなんと、前から8番目!いや~、それまで生きてきてこんな屈辱感(身長に関しては今まであんまりあれこれ考えたことがないと思ってたけど、今考えるとやっぱ背が低いのは屈辱的だったんだなあ、、と今思った)を感じるのは初めてだった。まー、焦ったと言っても、特に何かをしたわけではなかったけどね。

で、そう思ってるうちに中1、中2と7cmずつ身長が伸びて、結局わたしは元の「後ろから2、3番目」という定位置に戻ったわけだけど。その間、初潮も迎えて。中2の8月だったよ(笑)一般的に言うと割と遅めなのかなあ~?よく分かんないけど。それまで女性には生理というものが来る、という頭での認識はあったんだけど、それがあんまり「自分に来る」とは思ってなくて(笑)だから初めて来たときは「あ、わたしも女だったんだ」ってそう思った(笑)でも、性別違和があるわけじゃないから「この先大変だなあ~」とは思ったけど、嫌悪感は別に感じなかった。

身長とか初潮とかっていう「目に見える形での成長(性徴)」は分かるんだけど、実はわたしには「胸が出て来た」という感覚が今、思い出そうにも全く思い出せないのね。それもさあ、わたしが「性別違和」を感じてない証拠なんだろうけど、実はわたしは「胸」より「わき毛」の方に注目(?)していて、ずーっと風呂に入るたびに「わき毛、生えてこないなあ~。いつ生えてくるんだろうなあ~」みたいな、今思うとすごく変なんだけど、それはよーーーーく覚えてる(笑)でも結局ね、わたし、あんまりわき毛生える体質じゃなかった(?)みたいで、今もあんまり生えてないんだよね~って変な話になった(汗)でもそう思ったのってわたしが高校の時だからさ(爆)なんか、考えてみるとチョー奥手だよねー、わたしって、、

ってまた話が逸れた(汗)

そういうことだったので、実際に番組を見る前は「うーん、13歳?」って思ってたんだよねー。

でも、番組ではまさしくそのことに「直面」している13歳で。「胸がないように見せるにはどういう風にしたらいいのか」なんて考えてる13歳だった。

母親は「子どもが生きやすくするには親としてどうやったらいいのか」って思ってる人だったし、父親は「自分がやりたいことをちゃんと口で説明してみろ、行動してみろ。そこで何かが起こって、親の出番になったら、お前のことをちゃんと説明してやる」って人だった。。

お姉さん2人は「わたしだって制服のスカート履きたくないよ。だって嫌いだもん」とか、まー、これが世間一般での普通の認識ってヤツなんだろうけど、もう、厳しいところをグサグサと突いてくるのね。「あー、そんなこと言っちゃいかんだろう」とか、見ててハラハラしてたんだけど、でもあれが家族ってものなんだろう、とも思ったわけで。

でもさぁ。13歳に「自分がどうしたいのか、口で説明させて、自分で行動してみる」というのは、かなり酷なことじゃないのかなーって感じたのも事実。だってさぁ。自分のこと考えてみると13歳じゃ、理路整然と話せないと思うよ、まだ。校長にかけあって、制服(セーラー服;どうしてFtMの人はいつも制服はセーラー服なのかって思う(笑)わたしはセーラー服が制服だったことないのに。なんか「セーラー服」が「着るのが嫌だった制服」の象徴のようなイメージがあるんだけど、わたし(笑))を着て登校したくない、なんて言える?って思ったんだよね。結局その子はそうしたんだけどさ。

だけどこの人、これから生きていくためには、こうやって「自分はどうしたいのか」を話して、そして周りに「受け入れて」もらいながらしかないのかなあ~と思ったら、うわー、これは生きていくのがつらいだろうな、と改めて思ってね。

誰もさ、楽に生きたいと思うんだよね。んで、大多数の人は取り敢えず制服ヤダ、とは思ってないわけで。自分のことを女扱い(男扱い)されてヤダって思う人も少ないわけで。そこのところを特に何も思わずに過ごせる人が圧倒的で。そういうわたしを含めた人たちと、性別違和を早くから感じてる人は、もう、すんごい違うだろうなと思って。意識からしてね。

でも、今のわたしには「性同一性障害です」「はい、じゃ、明日から自分のしたい格好で来て下さい」なんて世の中が来るとはあんまり想像できない。とすると、まりあさんみたいな人は、こうやって親や兄弟に叱咤激励されながら、自分で自分のことを考えてやるしかないんだよね。

最後、家族全員で話してるとき、親や姉にあれこれ言われて、泣いてるまりあさんの姿があったけど、そのときに父親が「何がしたいのか、泣くんじゃなくて、言葉で説明してみろ」と言って、周りのみなを黙らせて、そしてしゃべらせるんだけど。うーん、あれができる親ってのもなかなかいないかも。。と思った。で、まりあさんは最初一言「怖い」って言うんだよね。「男子制服を着て一人になることが怖い」と。男子の制服を着るのが自分にとっては本当なんだけど、周囲は自分を女だと見てるから、それが怖い、ってわけだよね。「女のクセになに男子制服を着てるんだ」って言われて男からも女からも仲間はずれにされるのが目に見えるし、それが怖い、わけだよね。。

「自分のしたいことは分かってる。だけど、自分の思い通りにすることは、今の社会に対して『おかしい』と思われることなんだ、だから怖くてできない」ことを13歳にして分かってしまってるわけだよね。。だから「どっちか」をなかなか選ぶことが出来ないんだよね、、でも、まりあさんは今後、こういうことを何度も何度も繰り返しつつ生きていかなければならないわけで、人ごとながら「大変なんだなあ~」って、まだまだ本人が若い分、そう思えてしまってね。

で、今回、この番組を製作した側の「番組を作っていく過程」が珍しく(?)現われてましたね(笑)それは8月31日に「明日からの学校は、制服で行くか、体操服で行くか」という選択を迫られたとき、「じゃ、明日のことはメールで教えて。取材カメラが入ったら体操服で行けって言ってるようなものでしょ」と言うディレクターさんの声が聞こえたのだ。ということは、多分、取材する方はまりあさんがもっと早めに選択できると思ってて、翌日はその登校姿を撮影するつもりだったんだろうなぁ~ということを伺わせた。

ただ、カメラが入ることによって決断を早くしなければならない、のは確かだったと思うし、それって仕方ないことなのかなあ~と思ったのは事実。カメラが入らなければ、もっとゆるやかに時が過ぎていったかも知れないし(家族会議等ね)、これはその本人と取材された家族しか分からないことだとは思うんだけど、よかったのかなあ~って。

この取材のあとにソニンさんが「みんなこういう道を通ってきてるんですね」って言ってて、多分、トランスジェンダーや性同一性障害の人の何割かは分からないけれど、確かに同じ思いをして来た人や、今、同じような思いをしている人もいるだろう。今、同じ思いをしている人にとっては、すごく勇気づけられる内容だったかも知れない。

だけどわたしの印象としては「うわー、酷だなあ」と思ったわけで。若干13歳で自分のしたいこと、やりたいことをちゃんと口に出して、自分で自分の道を切り開け、ってやっぱ家族じゃないと言えない言葉だよなって思う。多分本人は「なんで自分だけこんな目に遭うんだ」って思ってるだろうと思う。あ、でもここの家族は確かにお姉さんたちがちょっとギョッとするような厳しいことを本人に投げつけたりするんだけど、基本的には「お前がやろうとしていることは、正しい方向か間違ってる方向かは分からないけど、応援するぞ」という気持ちが存分に伝わってきて、それもまたすごいなあ、と思っているわけだけど。

うーん、これって今後も取材するのかなあ~?
知りたいような気もするが、そうすることによって本人や家族が苦しむことにならないかなあ、とも思う。これは「この人・この家庭」の場合だし、その人の環境によって何が一番本人のためにいいことかは、人それぞれだと思うし、だから難しいんだよね。答えにたどり着くための方法は決して一つじゃない。いや、一つでは有り得ないからこそ難しい問題なわけで。

でも、そういう人を「受け入れる社会」というのが今よりももっと柔軟性があれば、少しは楽になれるのかな、という思いはある。多分、わたしが考えなければならないのはそこだと思う。

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11-03 Tue , 2009
隠さなくてもいいじゃんか!
「ハートをつなごう」性同一性障害・特別編が、昨日と今日、2日連続でやったわけだけど、昨日のは今までの総集編+αって感じで、とりわけ何か書きたいと言うことはなく。まー、いろいろ考えて出した結果がそうで、これ以降まだどうなるか分からないんだよね、という感じだったかな。

たださー、胸オペして、乳房がなくなったわけじゃない?そうしたら、なんていうのかな、カメラ自身が「もう映しても大丈夫」みたいな「ホッとした感」みたいなのがあるような気がしてね。「乳房ってのはそんなに映しちゃいけないものなのかなあ~」なんてちょっと感じたのね。

んー、それは「やっと胸オペして元通りになった!これで上半身を堂々と見せられる」と感じたその本人の態度からそう思えたのかも知れないけど、これが例えばMtFさんだったら、胸ができたってことで、こんなに堂々と「乳房を付けました!」ってカメラの前に晒せるかなと思ったら、、なんか複雑な気分になった。

確かに女性が胸をさらけ出して歩いたりするのは、一般にまずい行為とされてるよねえ?法律には引っかからないかも知れないけど。それって「胸は男性に見られるから隠さなければならない存在だ」と社会的に「無言の圧力(?)」みたいなのがあるよね?わたしもそれは感じるんだけど。

でも一方で「隠さなきゃならない」ってことに対して「すげーめんどう」って思ってる自分もいてさ。「いーじゃん、別に胸出して歩いてもさあ~」なんてことも思ったりするのよ?別にそんなに「そそる」ような胸じゃないし、わたしの場合。人から見てもあるかないか分からないようなAカップだし(爆)これが誰が見ても「胸がある」って胸なら隠しても隠し甲斐があるけど(?)、なんか隠しても隠さなくてもどーせ誰も見ねーよ、わたしの胸なんて、って思えるほどしかないからさ、なんか隠し甲斐がない、というか、あんまり隠しても意味ないような気がしてるんだよねー。

でさー、Brass MIX!で演奏するときなどは、揃いのTシャツがあるんで、本番前に途中で着替えることが多いわけだけど、例えばパレードのときなんて、わざわざどこかのトイレに入って着替えなきゃいけないわけね。東京なんかはまだ公園の中というか、ステージの近くにトイレがあるから行きやすいんだけど(しかも女子トイレは空いている)、大阪なんかさー、困るのよ。「あれ、前にトイレ行ったことあるけどどこだっけ?」みたいに。だから、そんなん探すより、ここでえいやーで着替えちゃった方が楽じゃん?と思って、ま、今年なんかはそうしたわけだけど。

んでも彼女から「止めて欲しい」って言われてさー。「いや、誰が見るわけじゃないから別にいいじゃん、それにここ、ゲイだらけだし」と言っても「いや、そうじゃない。わたしが嫌なんだ」っていう。うーん、何が嫌なのかなあ?逆の立場で考えてみるけど、嫌なのは彼女の胸が知らない人の好奇な目線に晒されてた場合はいやかなあ~?と。

でも、わたしの胸は正直、あるかないか分からないようなものなわけで。一瞬の間に着替えてしまえばどーってことないわけで。だから、彼女が「ヤダ」という気持ちがイマイチよく分かんないんだよね。。

ってわけで、行きの中之島公園では彼女にブーブー言われながらもそこで着替えて、着いた先の元町中公園では、彼女がいないことをいいことに、ヘーゼンとそこで着替えちゃったけど(笑)

てーか、男は人前で上半身裸になっても誰も何も言われなくて、なんで女だったら隠せだの何だの言われなくちゃならないわけぇ?って考えてるわたしってどこかおかしいところでもあるだろうか?

って、あれ。
今日の「ハートをつなごう」の感想を書こうと思って、最初にちょっとだけ昨日のことに触れようかなって思ってたら、こんなに長くなってしまった(汗)

これはもう別のネタにした方がいいですね(笑)

あ、もしかしたら胸オペした人のことを何か言ってるんじゃ、と思ったらそれは完全に間違いです。性同一性障害で、胸オペをするのは、別に本人が考えて決めたことだし、そのことについては単純に「よかったね」と思うけど、わたしがこれを書いたのは、「社会的に考えられている胸一般」のことについてなので。逆に言えば、昨日の番組を見て、その番組の感想ではなく、わたしのこれまで考えてたことがポッと出て来たというか。この日記を書き始めたときは、こんなこと書くつもりじゃなかったです、ホントに(苦笑)
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06-02 Tue , 2009
ハートをつなごう LGBT第3弾 2日目
今日の放送は「公開収録」っぽかったですね。フェスティバルの雰囲気は昨日、伝えたってことでしょう。てーか、やっぱ今日の収録分は、当日はほとんど見てなかったみたい。彼女から「子ども5人育てたレズビアンマザーの人の話はみんな感心して聞いてた」って聞いてたけど、わたしにとっては見てないもんだから「どんな内容なんだろ?」って思ってた。あー、そういうことだったのね。

と言いつつ、今日の放送は、実はちょっと混乱してて。というか、混乱はしてないんだけど、なんていうかね、改めて「性同一性障害の人とは違うなあ」って思ったのね。いや、これは別にどっちがいいとか悪いとか言ってるんじゃなく、今回出てた人(中也さんって中原中也から取ったんだろうか?(笑))は、パートナーのことを普通に「妻」と言い、自分たちは「事実婚をしている」と言う。いや、それに文句を付けるわけじゃないんだけど、なんかねー、やっぱ違和感を感じちゃうんだよ。

確かに性同一性障害の人とそのパートナー、そしてその子ども、という関係は「新しい家族の関係」なのかも知れない。けど、一方では、自分のパートナーを「妻」と言い、戸籍変えてないから今の日本の法律では結婚できないから、事実婚だという。それって、結局、ヘテロの家族になろうとしてるんじゃない?って、いや、別にヘテロの家族が悪いと言っているわけじゃないんだけど、なんかね、どーしてもそういうところに引っかかりを感じてしまう、、

性同一性障害で、ヘテロセクシャルの人は、結局は既存の家族になりたがってるし、しかもなれるんだよな、と。いや、なんかそういうのが悪いって言ってるんじゃなくて、ただ、なんかねー、違和感を感じるんだよね。そこが、同性愛者と決定的に違うところだと思う。そういう意味では彼らは「性的少数者」ではないなあと思うわけ。いや、わたしから見るとね。

うーん、なんて書いたらこの複雑な気持ちを表現できるかな。別にそういうのが悪い、と言ってるわけではないんだけど、なんていうのか、例えばわたしと彼女の関係は、当然のことながらどちらが夫でどちらが妻ってわけではないし、もうそういう「概念」自体がない関係、と言えばいいのか。だから、わたしは彼女のことは「パートナーです」とは言えるけど「妻(夫)です」とは言えない。。そこんとこがやっぱり違うんだな、と思ったんだよね。。

今回の人の場合は、SRS(性別適合手術)はしてないらしいから、法律的な結婚はできないわけだけど、SRSして戸籍変更してる人で、ヘテロセクシャルだったら普通に結婚できるんだよね。。そのことはわたしにとってはとても羨ましいわけなんだけど。でも、中にはSRSして戸籍変えたことをパートナー以外には言わない人たちも存在するんだろうなって、今日のVTRを見て思ったんだけどね。

近くに自分の両親が住んでて、結構4人でご飯食べたりすることも多いみたいだけど、なんかVTR見てるとさー、この人のご両親は何か言いたいんだけど、それが言葉にならないか、それとも口に出してはいけないと思っているのか分かんないけど、見てて奥歯に物が挟まってるようなものの言い方に聞こえて仕方がなかった。そうじゃなかったらごめんなさいね~。でも、ホント、聞いてて意味の分かるような言葉じゃなかったんだもの。。「え、結局何が言いたいのかさっぱり分からんじゃん」って思ったんだもの。。

ただ、何回も書いてるけどそれが悪い、ってんじゃなくてさ。あー、まだまだ関係性としては発展段階にあるんだな、と思ってさ。

んーでも、それまで付き合ってた人とは将来のこと考えると、結局は別れることになったって言ってたけど、これってやっぱり性同一性障害の人と同性愛者の違いなんだろうかって思ったよ。だって、うちらはこのままだと子どもが出来ないのは当たり前でさ(でも同性愛者だって子供を持とうと思ったら持てるのだよ)、ずっと二人で生きていくわけでさ、でも、別に二人が一緒に暮らしたいんだからそれでいいじゃん?って思うわけよね。だけど、性同一性障害の人は、なんというか、世間一般で言う「ちゃんとした家族」にやっぱ憧れてるのかな、とかね。まー、一組のカップルだけで判断すべきことではないんだけど、なんかそういうところが同性愛者とは違うのかなーって、思ったの。

そういう意味では、最後、尾辻さんが読んだ33年間一緒に住んで5人の子どもを育て上げたレズビアンマザーの話はすごかったね。もちろん、日本にもレズビアンマザーと呼ばれる人たちがいるのは知ってるよ。けど、ああいう風に語られたら、すごーい、って思う。周囲にはほとんど二人の関係は言っていないらしいんだけど、それでも近所のおばあさんが「二人の関係はフウフやキョウダイよりも濃い」(ここんとこ、カタカナだったのが印象的だった)と言った、と言うのは、やっぱすごいと思う。そうやって生きてきた人も確実に日本にいるんだな、と。

今の日本ではレズビアンマザーと言えばまだまだ、一回結婚して子どもができた人が、自分はレズビアンだってその後気が付いて、という場合の方が圧倒的に多いと思う。けど、アメリカなんかでは'80年代から「結婚したことない」レズビアンマザーがどんどん増えてって、それが今の同性婚との話とも絡みついてきたりしてるわけだけど(なんてったって、法的保障がないと「カップル解消」した場合、もう一方の親は「自分の子どもの面会権」なんかないもんね)、そういう意味では、若い同性愛者のカップルさんは「親に孫の顔が見せられない」って思い込まない方がいいと思う(笑)うちも彼女がもうちょっと若かったらな~(って自分は産む気がまったくないです(苦笑))。

だから今回は、トランスジェンダーというよりは、性同一性障害と同性愛者、そして新しい家族像って感じで取りあげられてたけど、わたしは両者の間は似てるようで全然違うって思ったし、そういう事情を知らない人にはちょっと高度な内容だったかも知れない、って思ったりした。

まーでも昨日より今日の方が「公開録画」っぽかったかな、とは思う。雰囲気的には昨日の方が明るかったから好き(笑)

でも本当は、あの間にあったエイサーやブラミの演奏が紹介されてたら、もっともっと楽しかったんだよ、ってことが伝わったと思うのにね。それがね、とても残念なんだよね~。

そうそう、番組の最後の最後にやりましたね、あの「セクシュアリティ~♪」っての。アレの声、気持ち悪いから止めてくれ~(笑)
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06-01 Mon , 2009
ハートをつなごう LGBT第3弾 1日目
いやー、見た見た、ハートをつなごう「LGBT第3弾 1日目」。

わたしは、事前にNHKの人から「会場で流されたわたしの(IDAHOのときの)映像は今回使いません」というお詫び(本当にお詫びだったのよ、わたし別に番組に出たいとは思ってなかったんで「お詫びされる必要はないです」って返事しておいたけど)されてたんで、楽な気分で見ることができた。

てか、あの中で顔出しして映った人の中で、わたし、何人知ってたんだろう??「あー、あの人、あの人、あれ?これカップルじゃないじゃん!なんかカップルらしく見えるけど、いいのかな~(笑)」とか。まー、いろいろ楽しませてもらった(笑)

今回はタケシさんって人を中心にしながら、公開録画の模様を紹介している、みたいな感じだったけど、今回、ああいう場所に初めて来たら、最初は怖いかも知れないけど、でも直に開放感でいっぱいになるよね。「自分と同じ人たちがこんなにいる!」と思ったらさ、そりゃ、やっぱり嬉しいもんさ。普段は特に抑圧されているという感じはしないで暮らしているわたしでも、やっぱりパレードとか、そういう、性的少数者がたくさんいそうな場所では、本当に開放感に浸れる。東京なんかは二丁目があるけど、普段はほとんど行かないし、それにあそこが栄えるのはやっぱ夜だから。真っ昼間の明るいところで堂々と自分らしくいられると感じられる場所ってホント、滅多にないから、何回こういうところに参加してても慣れるってことはない。特に普段と変わる訳じゃないのに「あー、なんか解放されてる~」って思うもの。ましてや初めての参加だったら、強くそう思うだろうと思う。

ただ、まー、わたしはあの場にいて、頭痛いながらも薬飲んで彼女に膝枕をしてもらいつつ、目をつぶりながら聞いてたけど、ホント、ともすれば「カミングアウト礼賛」みたいになっちゃっててね。だから、途中で「カミングアウトすることが一番なんじゃない、時と場所を考えて」みたいな「注意」もあったんだけどね。それは既にあの場にいたときから思っていたし、今日の番組を見てもそういう感じがしたというか、あの番組だけ見れば、そういう印象はちょっと薄まってたかな、とも思うんだけど(その間間にいろんな人のメッセージが挟み込まれてたんで)、うーん、やっぱこういう路線か、あとは自分を受け入れられなくて悩んでいる、という2つのことしかないのかよ、って感じもちょっとする。

カミングアウトねー、確かに大きい問題ではあるのだけれど。。わたしもまだまだカミングアウトの問題を抱えている、というか、生きてる間はこの問題をずっと持っていかなければいけないわけだけど(わたしの場合は、もう出て来ちゃった人間だからね。今さら隠せないでしょ)、カミングアウトってのは、本当に本当にめんどくさいんだよねえ、、、といって、今さら新たに会う人には一切言わない、なんて生活はやっぱ無理だし。結局、前に所属してた楽団も、全く言わなかったんで、自分が自分じゃないみたいですごく嫌だったし、だからといって、言える雰囲気じゃなかったので、結局あれこれ理由付けて(わたしは今病気ですからね~)止めちゃったんだよね。ホント、最後の方は行くだけでつらかった。

今、空手の方がそういう感じで、でもまだ個人的なこととかそういうことは別に話したいとも思わないし、まだまだ他の人たちともそう仲がいい訳じゃないので、言わなくても平気なんだろうけど、これがもう少し経って、個人的な話もするようになったとしたら、そのときはどうなるかな、と思ってる。なんか、そんなことで自分のやりたいことができないなんて馬鹿げてると思われるかも知れないけど、わたしの場合はね、そのことを言わないと窮屈で窮屈で自分が自分じゃない感じがして、苦痛になってくるの。だから、カミングアウトってわたしにとっても本当に重大な問題なんだ。中途半端な関係だったらとても言えないと思うし、相手が1人ならまだしも、多数いたら、何がどう伝わるか分からないもんね。それこそ、一人一人にカミングアウトできるわけじゃないし。

わたし自身はそういう問題を抱えてる。普段の暮らしの中では多分、そう問題にはならないだろうけど、こういうときはちょっと負担だよね。

だからカミングアウトって初めてが一番緊張するわけじゃないわけなんだよね~。。何回やっても慣れないもん。で、わたしの場合は対相手が多数でなければ、カミングアウトした後は別にどう思われたっていい、って思ってるから(そういう意味では過去に関係を築き上げてきた人へのカミングアウトが多いってことかな)、だから元職場の人にカミングアウト、とかしちゃうんだよねえ~(笑)

あの「された側はどう反応していいのか分からない」ってのはね、こないだ、と言ってももう何ヶ月前になるんだ?元職場の人と彼女とわたしが飲んだときに、元職場の人は彼女をどう扱っていいのか分からないみたいで、ほとんど彼女に話しかける人もなく(笑)、まー、彼女としては無理に話しかけられなかったんでよかった、って言ってるんだけど、ああいう態度が一般的なんじゃないだろうか。わたしの方は昔の話とかで盛り上がってたりしたけど。だけど、最後の最後、バス停までみんな送りに来てくれて、彼女に向かって手を握りながら「○○(わたしの名)をよろしく」って言ってくれたことは、わたしはこれからも絶対に忘れないだろうと思う。普段はメールで連絡し合うこともぜーんぜんないんだけどね、でも「こっちに来たときは連絡せえよ」と言われてるので(笑)、そうしてるだけなんだけど、そういうつき合いもあるってこと、そういうつき合い方が出来るってことは、わたしの財産でもあると思う。

なんて。番組のことは差し置いて、自分のことをつらつらと書いてしまったけど。カミングアウトは人それぞれ、時と場合によってすべてストーリーが違うので、まー、NHKとしても、これからもいろんな形で取りあげるんだろうとは思う。けど、それが毎回毎回同じような切り口にならないで欲しいなとは思う。わたしがああいうところでメッセージを書けないのは、既にもう、いろんな形のカミングアウトをしてきて、こういうことが一言で書けないからなんだよね。

まー、今回は、会場の楽しそうな雰囲気が映ってよかったんじゃないだろうか、と。なんか、いつもいつも性的少数者は孤独で悲劇的で、って、わたしはあの番組に使われてる絵がね、なんでいつも黒と青ばっかなんだ、あれだけでもなんかすごーくくらい感じがしてヤダ!ってこれは今も思ってるんだけど、んで、あの絵だけはもっとカラフルにして欲しいって思うんだけど、実際、性的少数者のイベントでは「虹色」でいっぱいなんだ。そこでは手を繋ぎたい人と堂々と手を繋げるし、抱き合ってても大丈夫だし、場合によってはキスしてても、、(爆)そういう日が、この日本でも1年に何回かある、まー、わたし自身は当日、いろいろあったし、NHKが入ることによっていろいろ「めんどくさいなー」って部分はあったんだけど、まー、こういう日があるんだよ、ということが分かってもらえたらと嬉しいかな、と今になっては思う。んで、これがフェスティバルじゃなくてパレードだったら撮しにくかったと思うから、フェスティバルでよかったね、って感じだけどね。

さて、明日の内容はなんだろう。わたしは第1部の方は、頭痛いながらもなんとなく聞いてたわけだけど、第2部は、Brass MIX!のスタンバイで早くから舞台裏で待機していたので、内容は全く知らないんだよね。

あ、個人的にはハートがくるくる回って手を繋いでるような感じとか、花びらみたいになった挙げ句、その下に「LGBT」という文字と共に「セクシュアリティー~♪」って変な台詞(?)が流れなかったのがよかったと思う。あれ、会場で一番最初にやってみんな「はぁ?」って感じだったから。あれはいつ見ても「なんだかなあ~」って思ってたんで、今回の放送みたいに絵だけでなーんも台詞がなかったのはよかったと思うって、些細なことだなあ(笑)あとは、やっぱ、あの絵を変えて欲しいね。あの絵は、話がどんなに明るくても、印象がすごく暗くなるから。せめてもうちょっとベースになる色を明るい色にして欲しいと思うなぁ。
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04-28 Tue , 2009
ハートをつなごう ハートをつなごう4年目です 2日目
ああ、これは痛い。
痛い番組だった。。。
今日のテーマは「自殺」。

これねー、このテーマで「LGBT」の第2弾でやったんだよね。。特に2日目は自傷行為をしている女性の話で、わたし、ホント、人ごとじゃなく「これからこういう人が出ないようにするためにはどうすればいいんだろう」って本気で考えたほどだもの。

いやね、わたしは思春期のときに自分のことを気づいたわけではないし、性格的にも多分、自分が「レズビアンである」ということでは悩まなかったと思うのね。それはなぜだかはよく分からないけど。なんていうか、自分については昔から自己肯定感はとても高くて、別に他の人と違ったことをやろうが、自分は自分なんだから、それでいいやってずっと思ってたし。

だけどね、一方で、わたしはいつも「死にたい」と思っている人間でもある。んー、うつとかは関係なくね。うつ病治ってもわたし、いつも「死にたい」って思ってるもん。この世の中で生きることくらい苦しいことはないと思ってる。でも、わたしは血を見るのが嫌いだから、リストカットはしないし、リストカットだって何度もやったら死ぬらしいけど、1回もやりたくないリストカットは何度もできるわけじゃないし、あと、薬を多量に飲んでも、今は死ねない、却って病院で胃洗浄かなんかされるのがオチで、余計に苦しいじゃんか、とか、そこら辺はとても現実的なのね。だから、死ねない(苦笑)

ま、自分のことは置いておいて。

今日はゲイの男性で思春期のときにつらい思いをした、という話だったんだけど。。
なんていうかね、痛いのよ。身を切られるように痛い。「ああ、今、まさに生きるのがつらくて仕方がないLGBT(ごめんね、他のことで悩んでる人のことまでは考えられない)がいるのか」と思うと、大人であるわたしは彼らのために、なにかできないかと思ってしまう。これ、こないだやったLGBT第2弾のときも同じように思って、しばらく考えてたんだよね。。

シュウヘイさんだっけ、今日出てきたゲイの人は。スクールカウンセラーに「ゲイである自分」のことを話したら「あなたがそういう生き方を選ぶならそのままでいいんじゃない」みたいなことを言われてさらに傷ついたって言ってたけどね、これはねー、、ホント、実はものすごく難しいのね。多分、一見すると「なんでその発言で更に傷つくの?」って思うだろうけど。。

この世の中には、一見物わかりのよさそうな言葉ってのがたくさんあって、例えばその中に「恋愛に性別は関係ない」と言われることがある。そういう人って、異性愛者で一見、理解がありそうというか、自分では理解がある、と思っている人たちに多いんだけど。

でもね、同性愛者も異性愛者と同じく、恋愛に性別は大いに関係があるんだよね。恋愛に性別が関係ないのは、バイセクシャルの人であって同性愛者ではない。

でも、これを言うと「そこまで細かく考えないといけないの?」って言われるから、だいたいの場合は「はいはい、そうですね」で誤魔化す。そうしないと異性愛者の人も、何を話したらいいのか分からないと思うからさ。自分の掛けた言葉が自分の思いと全く違って、相手を傷つけるような言葉だと分かったら、もう、何を言っていいのか分からないだろうからさ。だから、一般の人の発言には、なるべく寛大でいようと思っている。

だけどね、これはわたしの場合でもあるんだけど、「ゲイ(レズビアン)である自分」のことを深く深く考えていくと、日常の何気ない言葉でも傷つくことがあって。それまでは何とも思っていなかった言葉がある日、自分を傷つける言葉に変わっている、なんてことは割としょっちゅうある。それは今までわたし自身が「レズビアンである自分」について、あまり考えてこなかったからだと考えられるんだけれど。ただ、わたしは既に自己肯定をしているから、「ああ、この言葉は傷つくな」って分かってても、それをやり過ごすことができる。

けど、思春期で自分の自己肯定ができていない人間に向かって言われる何気ない一言が、その人間を更に絶望の淵に追い込むようなことがある、ということを、主に学校関係者には知っておいてもらいたいと思う。なぜかというと、その様な悩みを持っている人が、一番最初に出会うのが、そのような学校関係者だからだ。

ホントはねー、、そういう悩んでいる若い人の受け皿があればいいのに、って思ってるんだよ。だけど、そういう仕組みを整えるためには、金がいるわけで。少なくとも学校関係者、チャイルドライン、それからいのちの電話、などの人たちには、性的指向や性自認で悩んでいる人から電話がかかってきたときの対応を考えてもらいたいと思う。ま、そのためにはわたしのような大人の当事者がそういう人たちに向けて「こういうことがあった場合は」というのを教えないといけないと思うんだけどね。

それから、番組の途中で出て来た「Reach Online」の結果。ゲイ男性及びバイセクシャル男性(本当はMSMで、バイセクシャルとはちょっと違うんだけど、まぁここら辺詳しく説明しても仕方ないんでこのままにしとく)が自殺をしようと思った人の割合とか、本当に自殺しかけた人の統計が出てたけど、このReach Onlineってのは、もともと厚生労働省のエイズ対策研究事業費から金が出てるのね。今、同性愛者及びバイセクシャルについて、国の金が唯一付くのが、このエイズ対策研究事業なわけ。同性愛者に対する調査なんて、ホント、これしかないわけ。で、これはもともとHIV/AIDSのための調査だから、この中にレズビアンとバイセクシャル女性は含まれてないわけ。

これっておかしいでしょ。っていうか、国はこのHIV/AIDS以外に性的少数者のために出してる金なんか、全くないんだよ。だから、この国の性的少数者の自殺率が本当に異性愛者よりも高いかなんて、本当は誰にも分からないことなのだ。ゲイ男性とバイセクシャル男性のアンケート結果からしか言えないのだ。

国から予算を獲得するためには、予算の根拠となるものが必要だ。しかし、調査なくてはそれについての実態なんか分かるわけない。確か、何年前か忘れたけど、内閣府が性的少数者についてアンケートを行なったって聞いたことあるけど、あれも同性愛者と性同一性障害を分けて考えられてなかったと聞く。もし、LGBTの若者の対して、何らかの対策をとらなければいけないと考えるならば、まずはきちっと統計調査をして、現状に即した対策をとってもらいたい、そう心から願う。

たかが人口の数パーセントに過ぎないじゃないか、と思われるかも知れない。だが、そこには確実にこのことについて悩み、死を考え、本当に死んでしまう人たちだっているのだ。わたしは少なくとも、性的少数者と言うことが理由で、自殺する人をなくして欲しいと思う。人によっては「それよりも重要な課題や問題がある」と思う人もいるだろう。けれど、わたしは当事者として、彼らの命を救うことが一番重要なのだ。

もちろん、あの場面では発達障害の笹森さんが「自分も小学校2年の時から死にたいと思ってた。でも死ぬなんて書けないから作文には『泡になって消えたい』って書いてた」って言ってたし、アルコール中毒の人も自分の存在価値が認められなくて、やはり死にたかったと言っていて、これも「生きにくさ」が共通してあるとは思うんだけれど(だから、共感はできる、もちろん)ただ、個々の対策はやはり違ってくるわけで。だから、そのような悩みを聴く人は、それについて当事者から話を聞くなりして、何を言われたら傷つくのか、それぞれによって違うことだから、勉強するのも大変だとは思うが、そういう「個別対応」でしかこれは解決できないのではないかと思う。

んー、なんかね、今日は「自殺」がテーマだったんだけど、主にLGBTの自殺についてやってたんで、わたしもそのことについて絞って書いたわけだけど。っていうか、何回も書いているが、この手の話になると「当事者」としてなにかできないことはないのか、と考えてしまうのだ。

ゲイの自分をなかなか肯定できない人たちのことを「内なるホモフォビアを抱えている」というが、このフォビアが少しでも早くなくなるように、いや、完全になくすることはできないと思う。わたしだって、まだ「ああ、内なるホモフォビアを抱えてるなあ~」って思うことあるから。でも、それが理由で死にたくなるようなほどのフォビアを早く解消させたい、という理由で、毎年5月17日の「国際反ホモフォビアの日(IDAHO:International Day Against HOmophobia)」に街頭に立って「性の多様性にYes!」を訴えている。今年は全国13ヶ所(メッセージ展を含む)で行われる予定だが、できれば、悩みを抱えた若い人たちに声がとどきますように。もしかしたら近くに寄ってくることさえ怖いかも知れない。でも、遠くからでもいい。少しでも自己の存在を肯定してくれる人のメッセージが届けば、それで少しは「この世の中にも自分のいる場所がある」と思ってくれれば、、、

シュウヘイさんは「2007年のプライドパレードに出たときに自分をもっと肯定できるようになった」と言っていたけれど、同じときに同じ場所にいて、同じ思いをしたものとして、本当によかったと思う。

さて、今日のミニバラとワイルドストロベリー。

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まー、いつも通りです(笑)
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04-27 Mon , 2009
ハートをつなごう ハートをつなごう4年目です 1日目
いやいや、見たよ、これ。
つか、見たけどとても感想を書きにくいのは、今日の「主役」だった笹森さんと会ったことないけど、ネット上での知り合いだから、ってのが多分にある(笑)

しかし、内容についてはほとんど知らないから、あれこれ書けるとは思うけどね。しかし「ハートをつなごう4年目です」ってのは、ベタな題名だよなあ~。これだけじゃ、内容がどんなんだかさっぱり分からないでないの。なんかね、「ハートをつなごう」って番組は今まで発達障害やら、性同一性障害やらゲイ/レズビアンやらLGBTやら依存症やらって、いろいろなシリーズがあるんだけど、そこに出ている出演者を集めて話しをさせたら、「共通の話題」で話せるんじゃないか、ってことでね、やったらしいんだけど。

今日は、奥さんと子どもが発達障害である笹森さん一家が主役で、右側に座っていて(テレビの画面から見てね)、左側は発達障害専門の精神科医、引きこもりでアルコール依存症の人、上川あや(これだけ名前で言うのは変だけど、性同一性障害当事者)、ゲイの精神科医、だったかな。

あ、4年目を迎えたってことで、スタジオが一新されて、毒々しいラフレシアの花がなくなってたわ(笑)あれ、なんであるのかな~って気になってたんだよね~。世界一大きな花らしいけど、わたしは毒々しいイメージしか持ってなくて。それが、なんだか海辺の雰囲気になってた。

共通点は「自分が分かるまでの生きづらさ」と「分かってからの生きづらさ」かなあ?それプラス、当事者のそばにいる人の受容の難しさ、かな。

ただね、細かい目で見ると「ゲイ/レズビアン」「アルコール依存症」と「発達障害」「性同一性障害」の悩みって違うんだよ。

ゲイ/レズビアンは「自分が何者であるのか?」っていう悩みはほとんどないと思う。もう既にゲイとかレズビアンって言葉は誰もが知ってることだからね。アルコール依存症とか、比較的有名な(?)依存症の人もどちらかと言えば、同性愛者に近いものだと思う。「もしかしたら、、かも知れないけど、違って欲しい」みたいな感じ?なかなか自分を受け入れることができない、ってのね。

逆に発達障害とか性同一性障害ってのは、新しい概念で、それまで「周囲の人と違うわたしは何?」「努力してもついていけないわたしは何?」って「自分が何者であるのか」が分からない人がポンと「あなたはこうですよ」と言われると、逆にすごくすっきりするんじゃないかな。そこが「ゲイ/レズビアン」や「アルコール依存症」とは違うところだと思う。

スタジオではそこら辺の話しはぐっちゃぐちゃだったけどね(笑)

ただ、これから発達障害も性同一性障害もだんだん一般的な言葉になっていってるから、当事者が「なに、これは」と生きづらさを感じつつ、自分が何者か分からないってことはだんだんなくなってくるんじゃないかなあとは思うのね。

で、同じ「受け入れる」でも、ゲイ/レズビアン、アルコール依存症の人と発達障害、性同一性障害の人とはやっぱり「受け入れ方」は違うと思うのよね~。って、わたしは発達障害と性同一性障害の人の気持ちはさっぱり分からないので、そこに「内なるフォビア」があるのかないのかは分からない。わたしの予想では、ゲイ/レズビアンやアルコール依存症の人よりはないんじゃないかと。上川さんも笹森さんの奥さんも自分が何者か分かって「ホッとした」と言ってるけど、もしこれから、最初から「発達障害」とか「性同一性障害」って言葉を知っている人にとっては、それがもし自分に当てはまるとしても、フォビアによる葛藤はないんじゃないかと。。

そういう意味では「ゲイ/レズビアン」や「アルコール依存症」なんかは「自分はそうでありたくない」って思う人は昔も今もあと、将来的にもあまり変わらないんじゃないかと思う。

ただ、「自分はこうである」と認識したあとも大変だ、と上川さんは言ってたけど、それはゲイやレズビアン、アルコール依存症、発達障害、性同一性障害、どれも共通する悩みだろうなとは思った。自分がそういう人間であることが分かった。さて、これからどう生きていくか。あー、アルコール依存症はある程度道はできているんだろうか。AAミーティングなど、自助団体がたくさんあるから、そこでみんなで助け合って、みたいなことはあるのかも知れない。それも大変なことだと思うけどね。でも、そういう道すらない(まぁ、人の人生なんて誰も筋書きなんかないけど)「同性愛者として、この世の中をどう生きていっていいのか」ってのは、誰も教えてはくれないよね。んで、人の人生に筋書きはないけど、ヘテロの人間はある程度、次はこうして、、みたいなのはあるよね。異性と出会って、ある程度付き合ったら結婚して、結婚したら子供が産まれて、、みたいなの。

そういうのがゲイ/レズビアンにはないし、性同一性障害の人は、これから自分が納得する姿はどこか、とかそういうものを決めたりしなくてはいけないので、これまた大変な話しだ。発達障害は、、よく分かんないけどね。

ただ、番組に出てた笹森さんの奥さんを見ると「自分が発達障害」って分かってから、自分自身はね、あ、そうか、そうなんだって納得して、それから自分を作り直すのにそんなに苦労はなかったんじゃないの?って感じがしたのね。多分、それまでの人生がものすごくつらかったからなんじゃないかなあ~。あのノートに走り書きで「死にたい」とか「生きている価値がない人間は殺して下さい」とかね、あー、これはわたし、うつ病やったことがあるから、ものすごくよく分かるのね、気持ちが。ま、わたしは血を見るのが嫌いだから、リストカットはできなかったんだけど。でもここまで追いつめられてて、その当時は生きるのが本当につらかっただろうな、と。だから、逆に「これは障碍のせいで、自分の努力の範疇を越えている」と分かってからは、自分を責めなくていいんだ、と分かって、それで相当すっきりしたんじゃないんだろうかって思う。ま、これはわたしの想像だけれど。子どもが発達障害と診断されてもすんなりと受け入れられたようだし、その子どもの人生も勝手に頭の中でどんどん線路を作ってしまっていってたみたいだし。却って「発達障害」って分かってからの方が、ものすごいパワフルな感じがした。これもまぁ、人によるのかも知れないけどね。

どっちかというと、ダンナの方がそれに付いていけなくて、頭が混乱がしているという感じだったけど、これが「当事者と非当事者」の違いなのかな、と思う。

笹森さんのダンナが「自分の子どもの発達障害を認めたくなかった」ってのは、分かる。「いつかは普通になる」と思ってた、なんて今の笹森さんのダンナさんを見ると(ってネット上のつき合いだけだけどね)「へー、今じゃ考えられない」って思うんだけれども。ただ、子どもに対しての奥さんとダンナの認識の違い、は分かったんだけど、それ以外もいろいろあって今の状態になるまでにいろんな葛藤があった、というところまではね、番組の中で言われてもちょっとわたしピンと来なかったんだよね。特に非当事者であるダンナの「困り感」ってのがわたしには分からなかった、具体的に。奥さんの発達障害が分かったあとに、夫婦間でも相当亀裂が入ったような感じなことをしゃべってたけど、ちょっとよく分からなかった、番組を見ただけでは。

そしてあの場では「非当事者」って番組の司会者たちはともかく、笹森さんのダンナと発達障害が専門の精神科医の人以外は全員なんかの「当事者」でしょ。だから「当事者」の声の方がどうしても大きくて、非当事者の「当事者と向き合う困り感」がね、あんまりよく分からなかったんだよね。ただ、なんてのか、当事者でもさっき「これとこれは別」って書いたけど、非当事者ってのは、当事者とどのような関係にあるか、でだいぶ違ってくると思うし、これはあんまり共通点はないのでは、という感じがする。

確かにね、親とか兄弟、配偶者がその当事者を「受け入れられない」ことがある、というのは分かる。けど、その「受け入れ方」はそれぞれで共通性はない、と思うんだよね。LGBTなんかには「親の会」とかあるけれど、そして例えば「発達障害の人を配偶者に持つ人の集まり」なんていうのもあるかも知れないけど、LGBTの受け入れられ方と、発達障害の受け入れられ方って全然違うと思う。

そこら辺がね-、、今日、見てて「当事者間の困り感はある程度共通性はあるかも知れないけど、非当事者は共通性がないんじゃないかな」と思ったの。で、やっぱりこれって当事者向けの番組なのかな~とか、なんのために集まって話したのかな~とか、ちょっと思っちゃった。当事者間はある程度共通の認識があるから、手を結んでいけますね、ってことなのだろうか。それこそ「ハートはつなげますよ」みたいな?でも、非当事者は?そこら辺はよく分からん。

明日はどんな話だろ?

あ、今日のミニバラとワイルドストロベリー。

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なんかホントに芽が出てくるのか、心配になってきた。.もしかして、注目しない方が種も毎日観察されてると思って緊張してるのがなくなって、芽が出てくるかな?なんて思ったりして。.

そうそう、彼女からのプレゼント。

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今日、買い物に行ってきたと思ったら「ろんたこへおみやげ」と言って渡された。「あー、かわいい、これなんの花?」って聞いたら「いや、『寄せ植え』としか書いてなかったから、、」という彼女。そういう彼女もかわいいと思う(でへ)
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01-28 Wed , 2009
「ハートをつなごう」LGBT第2弾、2日目
これは昨日、生放送で見たのだけれど。
結構、重い内容だった。一人のレズビアンと、一組のレズビアンカップル。

でもね。なんて言うんだろう、今まで「ゲイ/レズビアン」、「LGBT」とやってきて、昨日の内容はホント、重かったんだけれど大切な部分だ、って思った。

22歳になるというレズビアンの人は、小学校4年生のときから自分は同性を好きになると気がついたという。「自分は生物としてまちがっている」と日記に書き、そして苦しいことは口では言えないので、自傷行為をして誰かに「自分は苦しいんです」と気づいて欲しかったという。いや、この内容、本当に泣きそうになった。

わたしは自分のことに気がついたのが遅かったので、自己否定もしなかったし、悩んだりもしなかった。けれど、こうやって悩む人だっている。それは多分、早くから自分のことに気がついた人たちが多いんだろう。

わたしは、中学や高校の時は、女子同士でつるむのがとても嫌いだったので、一人だったときなんかも多かったし、それだからか「変わってる」って言われることも多かった。けどそれは平気だった。なぜなら、それは自分が「選んで」そうしてたから。わたしにとっては、グループの中で思ってもないことを言うこととか、ダラダラと行動することの方が耐えられないって分かってたから、わたしは友だちとは個人対個人で付き合ってるつもりだったし、周りの人は「変わっている」と言いつつも、わたしの好きなように付き合ってくれた。

それとね、この人と決定的に違うのは、「同性を好きになる」ってことは選択したものじゃないのよ。自分でもどうしてそうなのか分からないけれど、何故か同性を好きになる。しかし、周りの人はみな、異性を好きになるみたいで、同性を好きになる自分はどうも「ホモ」とか「レズ」とか言われて、周囲から蔑まれる人みたいだって思ったら、そりゃ、誰にも相談できないし、苦しいだろう。

性的少数者の苦しさというのは、一番に「誰にも言えないと思ってしまう」苦しさと、一大決心をして打ち明けたら、それを「否定される」苦しさの2つが大きいものだと思う。他の少数者って、おそらく既に親が知っていたり、言わなくても周りが知っていたりするものだろうけれど、性的少数者の場合は、言わなければ誰にも分からない。でも、分からないけれどつらい。だって「誰にも言えない」ということがまず、つらいからだ。そして、一番身近である親から否定されるともっとつらい。

この人は、まさにそうだった。そしたら全然救いがないじゃない。そして、そういう可能性を持った子供は多分、今でも相当な数の人がいるんだろうと思う。こういう子供たちに対して「同性を好きになってもいいんだ」ということと「あなたは一人じゃないんだ」と言うことをどうやったら伝えることができるのだろう?今、もし悩んでいる人がいたら、この2つの言葉を伝えたい。しかし、どうやって?

ネットには情報が溢れていると言うけれど、悩んでいる子供に対して、本当に必要な情報が提供できているのだろうか。悩むことで人は成長すると言うけれど、できればこんな悩みは持たない方がいい。なぜって、この悩みは「自己否定」につながり、そして、もしかしたら自分の命を絶ちかねないからだ。

そう、一昨日の番組で「性的少数者の自殺率は高い」って話をしてたけれど、この話はここですべきことだったんだとわたしは思う。ここのときに「内面的なホモフォビア」の話が出てきたよね。で、思春期に悩むと自己肯定力が低くなるって説明されたよね。で、出てきたレズビアンの人も、親友に打ち明けてそれで否定されたら、死のうと思ってたって言ってたよね。だから、自殺の話って一昨日のところでするべきではなくて、昨日のところで話した方が説得力があると思う。現に男性だけの調査ではそういう結果が出ているんだから。ただ、この調査はもっときちんとした形で国が行なうべきなんだ、ってわたしはそう思う。

また、早くから気がついても「悩まなかった」という人もいるだろう。でも、悩まない人はそれでいいのだ。だが一方で、こうやって死ぬほど悩んでいる人もいる。この人たちは早く助けて楽にしてあげたいと思う。本来なら、悩むべきことではないんだから。このために人生を悲観しなくてもいいのだから。

確かに性的少数者であることはしんどい。異性愛者だったらどんなに楽だろうって思うこともある。でも、「自分一人ではない」ってことと「分かってくれる人は周りにたくさんいる」ってことが分かれば、ちょっとは生きやすくなる、と思う。そこにまで行き着くまでに時間は短ければ短いほどいいと思う。だから、若い人が(子どもでもいい)すぐにアクセスできるなにかがあればいいなあと思う。そしてそれらを整備していくのは、国や自治体と当事者の団体、これがうまくミックスしてやれればなあと思う。ただ、国や自治体としては、根拠となるものが必要だから、それには、LGBTに関する調査をやらなければならないだろう。ってわけで、話は元に戻ってきたんだけどね。

ともかく、わたしはこれを見て「あー、こういう人がいっぱいいるだろうな」ってことと「そういう人たちに救いの手をさしのべたい」って柄にもなくそう思ったよ(笑)

で、次に出てきたレズビアンカップルの人たちだけど、この人たちは、10年一緒に住んで(田舎と言ってたけど)、そして毎朝犬の散歩に出かけるときに、近所の人たちに挨拶をしているという。でもそれは「自分が愛する彼女と犬と(あと猫もいたけどさ)幸せに一緒に暮らしたいから」やってることであって、別に「あなたの近所に性的少数者が住んでるんですよ」ということを「カミングアウト」したいわけではない、ということを言っていた。そりゃそうだよね~。んな、たとえ近所の人であろうと関係ないのに「自分たちはレズビアンカップルです」と言い歩く必要なんかないよね。その地域にどこまでとけ込むか、というのもそれぞれのカップルによって違うだろう。この人たちは、集まりがあれば出かけていくし、掃除があれば、朝早くから出て行く。そうやって周りの人にとけ込もうとしているのだろう。それはそれで一つのやり方だ。

うちは、、うちだって近所にはカミングアウトはしていない。ただ、同居してることは知ってるだろうけどね。で、どっちかというとわたしの方が印象悪いと思うけど。だって、ここに住んでから既に3回も救急車呼んでるし(爆)だからわたしは誰からなんて思われてるかと思うと、肩身が狭い思いをすること、あるのよ(爆)もしかしたら彼女はこの近所から「病気の同居人の面倒をみている献身的な人」とは絶対に思われてるだろうな。。と思う。彼女の方が圧倒的に近所の人と仲良しだし。わたし、誰と会っても挨拶しないし(爆)あ、階下の人にはするけど。顔見知りだから。

ってわけで、このカップルは、片方はセクシャリティーも割とオープンにして暮らしてるけど、片方が全くのクローゼットなので、だからこの番組にも顔はぼかしが入ってた。でもそれも「彼女と幸せに暮らすための選択」だから、いいんだそうだ。

うん、そう。それはそうだよね、と思う。

けど一方、やっぱりまだまだ「顔が出せない世界」なんだとも思うし、やはりこの番組を見ている人は今はまだ、そういう状態なのだと言うことを察して欲しいとも思う。

そして、こうやって彼女と暮らしていく一方、やはり不安はあるという。それは社会的な保障が一切されていない、ということ。セクシャリティーを理由にして仕事が来なくなったらどうしようか、ということ。これはね、やっぱり誰かしら大切な人ができると誰でもそう思うことだと思う。ま、わたしの場合は身内からなにから知っているし、わたしがどんなに彼女の迷惑かけてるか知ってるから、わたしがもしどこかで死んでも、身内は彼女に知らせてくれる、そう思ってる。けど、その逆がね、、彼女はやっぱりカミングアウトしてなくて、だから、そこのところはちょっと不安だけれど、でも、多分、これから生きていく上で、二人で話し合っていろいろ決めると思う。例えば公正証書を作ったりね。今、できることからやっていくことが大切だと思う。

それとともに、これはスタジオで石川大我さんが言ってたけど、やっぱり「パートナーシップ法」は欲しいと思う。

あと、それに加えて最後の最後で尾辻さんが言ってたけど、同性愛者の幸せ=誰かを見つけて一緒に暮らすこと、ではない、と。シングルの人でも暮らしやすい世の中にしていかなければ、と言っていた。これは同性愛者だけの問題じゃなく、異性愛者でも夫婦の片方が亡くなったらシングルになるし、結婚しなくてシングルの人もいるだろうし、シングルの人は同性愛者も異性愛者もないのよね。そういう人たちが、安心して暮らせる世の中になるってことが、実は一番みんなのためにいいんじゃないかと思う。

今までの番組では「なんで左側の人がいるんだろう」と思ってたけど(爆)、今回のこれに限っては「ああ、いいこと言うじゃん」と思いました。あと、一人で自傷行為をしているレズビアンの人に対しても上川さんが「自分のことを思い出した」って言ってたし、レズビアンカップルのことに対しては、野宮さんも「どういうカップルです、なんて表札を掲げているわけじゃないし」って言ってて、今回はなんかよかった、左側の人たち(笑)

ってわけで、この回については、実は結構満足してるわたし。まー、出てくる人はゲイやレズビアンばっかだったけど。内容は少し重かったけれど。でもやっぱりあの番組を見て、ちょっとだけ前の方にいるわたしは、やっぱり何か自分でできることはないのかな、って思ってしまうんだ。

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01-27 Tue , 2009
「ハートをつなごう」LGBT第2弾、1日目
昨日は出かけてたので、録画しておいてさっき見た。

んー、、今回は札幌の「親の会」の人を取りあげていたけれど。

途中でBrass MIX!(それも3年前の!2006年の第10回レインボーマーチ札幌)がちょっとだけだけど、出てきたんでびっくりした!まー、あそこで今回出ていた親の会の親御さんがステージで挨拶したのね、あのとき。だからBrass MIX!をわざわざ出したのか?って思ったけど、でもあそこで「あっ、ブラミ(Brass MIX!のことを「ブラミ」と略して呼んでます)だ。しかも2006年のだ!(2007年じゃなくて:2007年にもブラミはレインボーマーチ札幌に出ました。わたしはいなかったけど)」って思う人って、多分、あそこに出た人じゃないと分からないと思うので、なんでBrass MIX!の映像が使われたのかは不明。けどね、そのブラミの映像、

映ってた人、全員、顔にモザイクがかかっていた!

映ってたのはガードの人、指揮者のトヴィくん、そしてトロンボーンを吹いているうちらは、かなりはっきり分かった。あ、わたしは多分、トヴィくんの陰に隠れて顔自体映ってなかったと思うけど(笑)いや、別にね、顔にモザイクかかってたのは、NHK側が事前に本人たちに対して了承を取ってないので、ぼかしたんだと思う。まー、2006年のあの映像が誰かなんてNHKには分かんないだろうし、どこに連絡取っていいのか分かんなかっただろうからね、別にモザイクがかかってたことに対しては「まぁ仕方がないのかな」って気もするんだけどさ。でもね、こうも思えるのよ、というか、わたしはどうしてもこう思えてしまうのよ。

性的少数者って、何も言われないと顔をぼかされてしまう存在なんだ、それだけ「配慮される」人種(人種って言うのはとても変だけど)なんだ

ってね。そういう「配慮される人間」だって、無言で見せつけられているような気がして、わたしはとても貶められたような気がしたの、逆にね。だって、わたしはレズビアンと言うことを隠してないもの、日常でも。それが、なんだか顔をぼかされて、「ああ、この人たち、表に顔が出せないのね」って思われたら、とても悔しいし、とても心外だ(しかも「Brass MIX!」自体も、基本的に顔出しについては、自分で責任をとってね、顔出ししたい人はそのままでいいし、顔出ししたくない人は自衛策を取ってくださいってことになってます)。

で、後の方のパレードの様子は、誰も顔がぼかされてなかったよね。あれは多分、去年の映像なんだと思う(去年はBrass MIX!出てません)。で、事前にNHKの方からカメラが回ってます、もしかしたらテレビに映るかもしれないから、顔出ししていい人だけ中に入ってください、とかなんとか言われたんで、あそこに映ってる人たちはみんな顔をぼかされてなかったんだろう。

でもさぁ、何も知らない人が見たら、あのパレードの様子は、1つのパレードって思うよね。まさか間に2年間も間があいてるなんて分かるわけないだろう。ってわけで、時間にして数秒しかないあの「Brass MIX!」の映像が、わたしは一番ショックだった(笑)

あと、まぁ他人が言ったことについて文句付けるのもアレなんだけど、気になったのは親の人がね「困難でも自分で決めた道だから」みたいなことを言ったと記憶してるんだけど、あれ聞いて「何も、好きこのんで困難な道を選んだんじゃないよ」と思った。まー、ただ、親の会の人は「だから、子供の生きやすい世界にしよう」と思ってる人たちもたくさんいて、だから、いろいろ活動してるんだと思うけどね。

だけど、やっぱり当事者として思っちゃうんだよね。「自分の生きたいように生きることも困難だし、だからといって、異性愛者のフリをして生きていくのはもっと困難。どっちにしろ、自分の人生は困難なんだ」ってね。それで「こんな自分に産んだのは誰だ」とか、逆に親を逆恨みしたくなる(笑)

まー、これは親の責任でも子の責任でもないわけで。あるとしたら「生きにくいこの世の中」に責任があるんだけどさ。でも、生きにくいからって、そのままにしてたら、いつまで経っても生きにくい世の中であることには変わらない。だから、誰かがこの世の中を「住みやすい世の中」に変えていかなくちゃならないと思うのね。それは別にみんなが「活動家」である必要はなく、みんな、できることからちょっとずつやってけばいいと思うのね。カミングアウトなんかもする必要ない。匿名だってできることはたくさんあるわけで。

親の会の人ってのは、当事者も勇気づけられる存在だし、カミングアウトされた親にとってもありがたい存在だと思う。ただ、親にもいろいろあって、うちの親のように「こういう親の会があるから(わたしの場合は、LGBTの家族と友人をつなぐ会を紹介したんだけど)、なにか相談事があったらここにできるよ」というつもりで紹介したら「自分たちはこういうところで活動するつもりはない」とか言われて、「はぁ?」ってなもんだった。だから、ここに入って活動して欲しいなんていう気はさらさらなくて、ただ悩んでいるんだったら、こういうところがあるよって紹介しただけなのに。。。だいたい、活動するしない、なんて、人に強制されてやるもんじゃないだろ!正直、わたしは悲しくなったね。

あと、前にも書いたことがあるけど、やっぱり「育て方が間違ってる」と思ったりするんじゃないかなと思って、必死に「そうじゃない、ここまで育ててくれて感謝している」ってメールを何通も送ったんだけど、母親の携帯はその当時500文字までしか受信できない携帯で、そのことについて一言も「途中で切れている」と知らせてくれなかったので、随分とあのわたしが送ったメールは全部母親のところに届いているもんだと思っていたら、そうではなかったことをひょんなことから知って、それについても大ショックを受けた、という経験がある。

わたし自身はこういう経験があるけれど、しかし、親からこんなふうに拒絶される人って少なからずいるんだろうな、と。だから「親の会」をやってる人はとても貴重だと思っているし、そういう「親の会」が全国、津々浦々にできれないいのに、と思っている。

しかしね、中にゲイの子供が原因不明で自殺しちゃったって親がいたのね。その人は親にカミングアウトもし、母親と一緒に親の会で活動してた。けど、ある日、突然自殺しちゃったらしい。今でもなにが原因で亡くなったのかは分からないそうだ。何が原因で分からないって言ってるのに、番組では「同性愛者等の自殺率が高い」になっちゃってて、おいおい、そこは違うだろって思った。

確かに「REACH Online」や、あとなんだっけ、大阪のアメ村でもそういうアンケートとったことあるらしいというのを見たことがあって、そこでは「異性愛者に比べて、同性愛者等の性的少数者は自殺を使用と思った割合が高い」という結果が出てるのは知ってる。けどね、「REACH Online」は、もともとHIV/AIDS関連の調査だから、調査対象はゲイ男性とMSM(Men who have Sex with Men:男性とSEXする人)なのね。そこに女性は入らないの。で、番組の中でも「ちゃんとした調査が必要だ」って言われてたとおり、国ではLGBTの自殺率の調査とか、自殺に関するアンケート調査とか、まーったくやってない。だから「LGBTの自殺率は高い」って一般に言われてるけど(海外での調査を元にはできるけどね)、日本でそれが言えるのかなんて、今のところ、誰にも分かんない。

しかし、それと、この原因不明で自殺したゲイの人は、本来なら別の話。だって、原因不明なんだもの。ただ、ゲイの人が自殺をしたことは事実だけれど。だから、ここんとこ、すごくこじつけたように感じたのよね。だって、わたしだっていつもいつもだいたい希死念慮があるけれど、それはわたしが同性愛者だからってことが理由じゃない。今、もし自殺するとしたら、それは病気を苦にして、になるだろうと思う。でももし、わたしがこの先突然自殺しちゃったとして、その原因が「同性愛者だったからだ」って思われるの、イヤなのね(笑)そういうところでこじつけをしないで欲しい。だから、わたしは死ぬときはちゃんと遺書は残そうと思ってるけどさ(笑)

いくらLGBTの自殺率が本当に高い、としても、今のところは誰にも分かんないんだから、性的少数者が自殺した=性的少数者であることが原因、みたいに結びつけて欲しくないんだな。。だから、わたしはしっかりした調査を今後、国や研究機関に求めるね。LもGもBもTも全部入れた調査をね。

あ、あと、なんかハートがぐるぐる回って、それがなんか人の顔だったり手だったり、最終的に葉っぱ?になるアニメーションが新しくできたみたいなんだけど、あれの最後に「LGBT」という文字と共に「セクシャリティー」って声が入るんだけどさ、あれ、なに?みたいな(笑)突然「セクシャリティー」って言われてちょっと戸惑ってるわたし(笑)あれは「LGBT」で今後も使い続けるアイキャッチなんだろうか。。いや、あまりにもトートツに「セクシャリティー」って言われたんでびっくりしただけだけど。「セクシャリティー」ってすんごく自分には難しい言葉に感じられるのよ。本を読むと分かった気にはなるんだけど、いつの間にかまたよく分かんなくなってる。。(多分、これを「頭が悪い」と言うんだろうと思うけどね(苦笑))だから、なんであんな難しい言葉をいきなり、、なんて思ってしまうのだ。

それから最後に。番組の中で「ゲイであると言うことが分かって孫が抱けない」と思ったお母さん、そんなことはありません(爆)

同性愛者だから子供が持てない、なんていうのは、過去のこと。今は欲しいと思った人は、いろいろ試したりしてますよ~。アメリカではそれこそ「レズビアンマザー」とか「ゲイファザー」はたくさんいるし。こないだのNHK特集の「女と男」の第3回で、そんなことやってたらしいですよ!(わたしは見てないけど(笑))

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01-26 Mon , 2009
「ハートをつなごう」LGBT第2弾
「ハートをつなごう」LGBT第2弾が、今日と明日の夜8時からあるらしいです。

ハートをつなごう(NHKのサイト)

「1日目は、カミングアウトを受けた親の悩み・本音と当事者の思いを語り合います。

2日目は、周囲から自分の存在を認めてもらっていないと感じ、自分を傷つけてしまうことがあると語る若い世代の当事者の悩み、そして地方の街でパートナーと暮らすレズビアンカップルの思いをお届けします。 」

だそうだけれど。。
実は今日はこの時間、家にいないわたし(笑)

そして、なんていうかな、別に感想はもう書かなくてもいいかな、なんて。
この番組に何を期待してるのか、よく分からなくなっちゃった、ってところがあって。。

なんかね、この番組って、わたし見なくてもいいんじゃないかな~って思うのね。
この番組の「対象者」ではない、というか、対象者じゃない方がいいと思うのよね。

まぁ「見ない」ということはないだろうけれど。
まーでもわたしの性格から言って、見たら一言なにか書きたくなるだろうなあ(苦笑)

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11-02 Sun , 2008
ETVワイド「LGBT」を見て
昨日の夜、9時半から2時間やった「ETVワイド LGBT」を見た。

まー、「ハートをつなごう ゲイ/レズビアン 第1弾、第2弾」「LGBT 第1弾」「性同一性障害 第5弾」の内容をそのまままた再放送した部分が、だいたい約半分以上で、ここからの後日談と新ネタが2つほど、という感じかな、内容は。関パレのときに取材に来てたって聞いたから、ちょっとはやるのかと思ってたら、なんと番組の最初にちょこっと使われただけだった(苦笑)あれじゃ、パレードの様子だって分からないよね、出てない人には。で、同じ内容のVTRを見さされて「あー、またこれ?」って正直思った。

ただ、これを見てはっきり分かったのね。「ああ、これはわたしみたいな『すれっからしな』同性愛者(性的少数者)はターゲットとしてないな」って。これはね、LGBT(性的少数者)のことを何も知らない人たち向け、それから今、自分が性的少数者かどうか悩んでいる人たち向け、の番組なんだな、と。それと、やはり「同性愛者であること」についてほとんど全くといって悩んでこなかった、わたしのような人間は、これを見ると「あ、なんかこのことに悩んでこなかったわたしって、何も言う資格がないのかな?」って感じてしまうのね。

悩む人間もいるし、悩まない人間もいるだろう。しかし、悩んでいる人間、過去に悩んだことがある人間は悩んでいることに対して何か言う「権利がある」。しかし、そのことについて悩んだことがない人間にとっては何も言う「権利がない」。それを強く感じてしまうのね。「そんなこと、悩む必要ないよ」って言うことすら言うことがはばかられる、みたいな感じかな。それって逆に「(悩んでこなかった)疎外感」みたいなのを感じてしまうんだよね(苦笑)

まぁ、番組の作りとして、まだ「LGBT」というのは、始まったばかりだから、「LGBT」という用語の説明からしなくてはならない、というのは分かる。しかし、見ていたらそれすらもしかしたら正確には伝わってないんじゃないの?って思わせる部分があった。それは「同性愛者」と「性同一性障害」の違い、のところで、上川さん(MtFヘテロ)と野宮さん(MtFレズビアン)についてのところだったんだけど、野宮さんが「レズビアン」ということを明確に言わなかったために(男性にも女性にも惹かれる、っぽいことを口にしていたような。その割にテロップには「レズビアン」って書いてあった)、そこにいた司会の町永アナ(この手の番組は初出演だったらしく、「初心者」ということになっていた)が、やっぱり明確に理解してないような感じだったのね。それがね、ちょっと気になった。「頭では理解できた」とあとで言ってたけど、ホントに理解したの?って。

ここんとこは、実はとても大切なところだとわたしは思うのよね。「同性愛」と「性同一性障害」ってのは、簡単に言ってしまうと「次元が違う」話なわけ。今、テレビに出ている性同一性障害の人って、ほとんどヘテロ(異性愛者)の人だと思うから、それはたまたまその人がヘテロであるだけなのに、一般の人は「同性同士で好きになることはおかしい→片方が性別を変えて、異性愛者のカップルになる」という図式の方が分かりやすいと思うのね。それは自分が同性愛者かな?と思った人でも「もしかしたら、自分は将来、異性に『性転換』したくなるのかな?」と思わせてしまうほど、この世の中って「男」と「女」の世界なのだ。だけど、「自分の性がどちらかであるか」というのと「自分がどちらの性を好きになるのか」はまた別問題なのだ。「初心者用」に番組を作っているのなら、そこら辺をもっと強調すべきだと思ったし、あの程度だと一瞬、頭が「???」にはなるとは思うけど、その後、なにもなかったようにスーッと番組が進んでいってしまったので、多分、今までそんなことを思ったことのない人にとっては、多分、あれは理解されてはいないと思う。

で、相変わらず「自分のことを同性愛者として認められなくて悩む」若者ばかりが出てきて、上にも書いたけど「性的少数者は一度は悩むもの」って固定されてしまっているのね。そこに「わたしは悩みませんでした」って人もいてもいいじゃないか、って思うんだけど、それをやると番組がグチャグチャになるからかなあ。悩んでいない人間は話になりにくいからかなあ。けど、実際、そんなに悩んでいない人間もいると思うんだよね。

なんかさ、悩んでる、悩んでる、ってずっと聞かされると「あー、なんてかわいそうな人たちなんだ」って思われるようでイヤなんだよね。。で、ちょっと番組の中で出てきたけどその「悩み」は、別に悩んでいる人の責任じゃないんだ、悪いのは「異性愛強制社会(とは実はあまり思ってないんだけどね、わたし(笑))」である「この世の中が悪い」んだよね、実は。性的少数者であるということは、本人の責任ではないんだから。なのに、やっぱり悩んでしまうんだよね。

ただ、これは、多分、どんな「性的少数者先進国」であっても、悩む人は悩むんだと思う。例え「同性婚」が認められている国だって、やっぱり自分が育っていく過程で「人とは違う」「(もしかしたら自分は)人からからかわれる存在である」と分かったら、それを隠したいと思うだろうし、人には相談できないと思うだろう。例え、LGBT青少年に対しての環境が整っていたとしても、本人がそこに行かなければ、その恩恵は受けられないのだ。既に「その場所に行く」ということが、その本人にとってどんなに怖いか。その怖さだけは、わたしは分かるつもりだ。だから、この問題って時代が進もうが何しようが変わらない問題だと思うのね、正直言って。「他の人に相談しよう」と本人が思えるまでは、やっぱりその人は「孤独」なんだよ。そして、そこのところは他人にはどうしようもないのだ。ま、わたし自身は悩んだことはないけど、だけど、やっぱり「自分と同じ同性愛者という人」に会うのはものすごく怖かった。

悩んでいる人は「同性を好きになるなんて、この世(この日本)に自分一人ではないか」と思ったりするらしいが、わたしの場合は、この世に同性愛者がいっぱいいることは分かっていたし、自分もそこに属する人間なんだな、ということは悩むことなくすんなりと理解した。が、自分と同じ同性愛者と会うまでに、何年かかっただろう?レズビアンのミニコミ誌を取るまでに数ヶ月悩んで、それから転送手紙で知り合った人に会うまで、実に半年の時間を費やしている。その間、やりとりは手紙だけ。電話さえ怖くて掛けられなかった。たった1度だけ、時間を決めて(それも手紙でね)、そして電話をしたことがある。そのときの緊張したことといったら。。。正直言って何を話したのかよく覚えてない(苦笑)けど、電話したあとで手紙で「やっと電話できたね!」なんて書いてたんだよ。向こうもホント、「初心者」だったんで、お互い、少しずつ、少しずつ近づいていった、って感じなんだよね。今の自分からすると、ホント、笑い話みたいな話だけどね。

だけど、今は昔よりは確実に他人と連絡を取りやすくなっているだろう。ネットの普及もあるし。わたしの時代はそのような情報に触れるには、ミニコミ誌を取るくらいしか選択の余地がなかった(もちろん、直接二丁目に行く手もあるけど、びびりのわたしにそんなことはできなかった(笑))けど、今はネットで簡単に検索できるし、探そうと思ったら、本当にいろんなサイトに出会えることができる。その点は、時代は確実に進歩したと言える。だから、問題は「自分の中の悩み」から外に出ることなんだよね。それはもう、悩んでいる本人次第でしかない。これは古今東西、共通していることだと思う。それは性的少数者が「少数者」である限りは仕方がないことだ。そして性的少数者は、どんなに頑張っても(?)多数派の中には入れないのだもの。だから「社会が悪い」といいつつ、その社会を変えるのはやっぱりすごく大変なことだと思う。そういう意味では「性的少数者が(一般の異性愛者と同じように)ありのままでいられる世界」なんてまだこの世の中には存在しないと思う。

ただそこで「悩んでない人」の存在も一方では「いる」ってことも明確にしておかなければならないんじゃないかなって思うんだよね。まー、まだ始まったばかりの番組にそこまで期待してはならないのかも知れないけど、わたしが悩んでなかったので、そこはものすごく気になるのだ。

んで、、わたしが一番気になったのが「ロールモデルがいない」と言った人。でもね。わたしの周りにはそれこそ十何年、って同性同士で一緒に暮らしている人が何人もいるし、十年まではいかないけど、わたしたちも含めて十年近く付き合って、そして一緒に暮らしている人もたくさんいる。そういうのが全く「見えてない」のね。だから「ロールモデルがいないから不安だ」ってことになっちゃう。そして本来は経験が豊かである左側に座っている人たちが「そんなことはないよ、何十年一緒に暮らしているカップルもいる」って言えばいいのに、そういうこと、一言も言わなかったんだよね(言ったかも知れないが、放送はされてないのは事実)。ここでさぁ、なんていうか「同じところグルグル現象」と言えばいいのか、上の世代と下の世代の分断、を感じるんだよね、わたし。上の世代は確かに何十年って一緒に暮らしているカップルがいるにもかかわらず、そういう人たちは既にこの番組には興味がない(笑)誰か、十数年、一緒に暮らしているカップルがでてくればいいのに、って思ったりするけど、そういう人たちは既に自分の生活がそれで安定しているから、別にこの手の番組を見ようなんて、さらさら思ってないし、多分、こういう番組の存在さえあまり知らないのではないかと思ったりする。

だけど、あそこの左側に座っている人たちは、中に十数年も一緒に暮らしているカップルの人の存在は絶対に知ってるはずなんだよ。本人たちはどうなのかは知らないけど。そういえば、あそこの左側に座っている人たちは、あまり自分たちのことについては触れないんだよね。付き合っている相手がいるのかすらよく分からない。しかし、あそこの場に座っているのならば、少なくともそういうことで悩んでいると分かったのならば、何か、言わなければならないのではないか?まさか「今からわたしたちと一緒に『ロールモデル』を作っていきましょう」ではないだろう。まぁ、あそこに座っていた人たちって、多分、わたしと同世代の人って上川さんくらいしか知らなくて、他はわたしより若い人たちだから、全体的に「あー、若いね」って思うんだよね(笑)

例えばわたしがあの番組に出演するとしたら?右側に座るのだろうか、左側に座るのだろううか?ってふと思うときがあるのね(別に出演するつもりもないし、その前に声もかからないだろうけどw)。そうしたら、若い人の中に入るわけないじゃん、って思うから、まず右側はあり得ない。とすると、左側しかないでしょ。しかし、左側に座っている人って、今までそれなりになんか活動してきた人たちで、なにも活動していないわたしがあの中に座れるわけはない。

しかしね。これは今後の話でもあるけれど、別に左側に座っている人は「この世界で有名な人たち」でなくてもいいと思うのね。同性カップル同士で十何年一緒に暮らしてきた、活動もなにもしていない普通の人を座らせてもいいと思うんだ。そうしたらより具体的に見える「ロールモデル」がいるじゃない?そして「いや、特に同性同士で住むことについては、なんてことなくて、多分、結婚している異性愛者のカップルと同じように暮らしてます」って言えば、「ああ、そうなのか」っていっぺんで分かると思う。そう、わたしたちの生活は、同性愛者だからと言って日々抑圧されて暮らしているわけじゃない。一般の異性愛者カップルと同じように幸せに暮らしている。

ただ、、問題なのは、何十年一緒に暮らしていようと、法的保障はなにもされないってこととか、男性同士じゃ住むところを探すのに苦労する、とか、病院で面会謝絶の時にはパートナーに会えないとか(病院とあとはその関係を親族がどう思っているかによるが)、そういう話はあるよ。本当はこれが一番重要な問題だとわたしは思っているから、この問題をなんとかしたいと思っているのだが、まぁ、所詮、この番組は「福祉番組」であり、この話を突然「人権番組」にするわけにはいかないとは思う。でも、多分、行き着くところは「人権」なんだとわたしは思っているけどね。

この時点でね、わたしは「ああ、この番組はわたしのような人間はターゲットにされてないな」って思うわけね。

例えば、「ゲイ/レズビアン 第2弾」で出てきたレズビアンカップルの話。後日談が出てきて、カナダで結婚をして婚姻証明書をもらった、という。「これは日本だとただの紙切れになるけれど、わたしたちの間ではただの紙切れじゃない」という。まー、そういう考え方もあるから、否定はしない。日本でも婚姻届に名前を書いてそれを役所には出さず保管している人だっているんだから。でも結局「わたしたちにとってはただの紙切れじゃない」ってのは、日本の婚姻届に名前を書いて判をつくのとほとんど変わらないじゃん。確かに同性婚が認められている国を旅行すれば、カップルとはみなされるけど、言っちゃ悪いけどそれだけの話だよね。

それだったら「なぜ、日本では結婚できないだろう?」っていう言葉が一言でも出てこないのか。日本では結婚できない、ということが既に「前提」になってないか。日本で結婚することに対して諦めてはいないか。わたしはつい、そう思っちゃうんだよね。。ただ、この問題を取り上げちゃったら「福祉番組」じゃなくなると思うけど(笑)

あと、前見たときには気がつかなかったけどね。「性同一性障害 第5弾」でやった、イギリスに語学留学した人の話をもう一回見ることになったわけだけど(笑)、ホストファミリーに「○○がいい人間だから受け入れた」って言われてるんだよねー(苦笑)そりゃ、ホストファミリーにとっては、性同一性障害の人であろうがなかろうが、ステイする人間がいい加減な人間だったら受け入れられないだろう。なんそれとごっちゃにしてないか??いい人間しか少数者は人に受け入れられないのか、というか、受け入れるという言葉自体が既に「上から目線」なんだよね。もうね、いい人間かどうかに関わらず、性的少数者って存在するのよ。だから、その人が「自分は性同一性障害(同性愛者)です」って言えば、その人の存在は拒否できないの。「受け入れる」「受け入れない」はまた別の次元の話。それはその人と自分の「関係性」に過ぎないから。どうもね、そこんとこをもう一回考え直した方がいいんじゃないの、当事者も、非当事者も、って感じがするんだよね。

なんといわれようが、同性愛者であるわたしは今、この世に存在しているの。

でも、それを全世界の人間に言って「受け入れられよう」とも思ってないし、「受け入れられるべきだ」とも思ってないの。だって、小学生じゃあるまいし「みんな、ケンカせずに仲良くしましょう」の世界じゃないでしょう、この世界。それにこっちだって友達は選ぶ権利があるのよ(笑)いつもいつも「選ばれる」だけじゃないんだよ。それをなんか間違ってない?って思うんだよね。

「この世に存在する」ことと「その人と仲良くやっていきたい」って思うのは、別問題なの。逆にわたしから「あなた、いい人間だからあなたの存在を認めてあげる」って言われたらむかつくでしょ?それと同じなの。確かにその人の人格にかかわらず、「性的少数者を受け入れられない人」も中にはいるでしょう。そのことはわたしたちは知っておかねばならないとは思う。けど、そういう人はそこまでの人。「あ、心の狭い人なのね」って逆にかわいそうに思ってあげましょう、って感じ。そういう人は、他の場面でも絶対に自分から世界を狭くしている人間だと思う。まー、それで本人が構わないのならそれでいいんだけどね。少数者だからって(憐れんで)受け入れてもらって「ありがとう」なんて涙する必要なんかないんだよ、本当は。

ただ、カミングアウトが当事者にとって難しい問題なのは確か。

友人にね、カミングアウトして受け入れられなかったとしても「しょうがないなあ、ま、そういうヤツだったのね」で済むけれど、親へのカミングアウトはそうではないから。親って一番カミングアウトしたい人間にもかかわらず、一番カミングアウトしにくい人間であり、そして、一回のカミングアウトでは通じない人間。

スタジオや録画で子供が「全く理解してない!」って言ってる人が何人かいたけれど、まさにそう(笑)もちろん親側もどうにか理解したいとか、しかし、頭では分かってても、、って部分はあると思う。やはり「親」として今まで自分の子供に接してきたのだから、自分のこと以上に心配するのは確かだったりするし、理解するための努力だってしてるのかも知れない。が、当事者に言わせると「あー、ここまで説明したのに、まだ分かってないんだ」って何回も何回も奈落の底に突き落とされる。肉親であるだけにそのショックは大きい。逆に親の方も「分かってない」と言われる度に混乱するだろう。ただね、当事者として言いたいのは、頭じゃなくて、心で分かって欲しい、と思うんだ。自分がもし、子供の立場だったら、と想像してみるのが一番だと思う。でね、これがやりやすいのは、やっぱ母親なんだよね。父親はなぜかそれができない。あ、これはうちの場合。

もううちは別件のこともあるし、既に分かって欲しいとかそんなことは思ってないし、今度いつ会うかなんてことさえも知らない。だから、諦めちゃった人間が言うべきことではないとは思うけど。親へのカミングアウトは本当に慎重にした方がいいと思う。確かに言ったら楽になる部分もある。けど、カミングアウトは1回では終わらないと思っておいた方がいい。そして、何回も何回も失望感に襲われると思う。それでも、例えば二人で幸せに暮らしている姿を見れば、少しは理解してくれるようになるのではないだろうか、と思う。親はなんだかんだいって、子供の幸せを一番に願うものだと思うから。

もちろん、親へカミングアウトしても全く問題なかった、って人もいると思う。そして、そういう人はこう言う話を聞くと「わたしにはカミングアウトに対しては語る資格はない」って思っちゃうんだろうな。。でも、そういう人もいるってことも世間に伝えるのも無意味なことじゃないと思う、わたしは。この世の中、いろんな人が存在するんだから。同性愛者だとしても、その人の生きざまはさまざまだし、周囲の環境もさまざまで、「一つの統一した同性愛者像」なんて存在しないのだ。そこのところがまだ、この番組は描き切れていない、と思う。これはまぁ、今後の課題なのかな。。この放送をどういう方向にしていきたいのかはわたしには分からないのだけれど。

あと。社会的な性、いわゆるジェンダーについて、社会に出たときにどう生きるか、という話もあったんだけど、これって、性同一性障害の人にとっては、確かに重要な問題だろう。なんせ、戸籍の変更をしていない限り、履歴書に書いてある「男性」「女性」と、今の自分の姿が、まぁ一般的に異なるんだから。そこのところをクリアするのは大変だと思う。いちいち説明しなければならないこともあるし、それにこの場合は企業側に選ぶ権利があるので、なるべくなら「不利」なことは言いたくないだろうし、企業側に「めんどくさい」と思われたくないってのはあるだろう。でもそれは、実はその本人の問題ではなくて、やっぱり「社会の問題」なんだよ。そういうところで「差別」されてはいけないのだ。だけど、そこには明らかに差別があって、今の日本は、そういう差別を規制する法律がない。そこが問題なんだよね。といいつつ、企業はいくらでも言い逃れできるとは思うので(男女雇用機会均等法ができても、男女の給与の差はあるのは事実だろうし、それに対して女性側が訴えても企業側は「本人の能力の問題」にするに決まっている。そこをどうやって裁判で勝つか、が問題だと思う)、言い逃れできないようなシステムを考えるべきだと思うのだけれど。。

でも番組で「性的少数者であるということなんか、吹き飛ばすくらいに『この人間を取りたい』と企業に思わせる実力を持った人間にならなくちゃいけないんだ」って言った人がいたけど、悲しいけどこれが現実なのかも知れない。

とはいえ、わたしの場合だと、まず、確かに就職活動のときは、いわゆる「リクルートスーツ」と言われるもので試験や面接に臨んだけど、「まー、仕方ないな」って感じだったし、それに、就職しちゃってからは、色の付いている(茶系統とか、コールテンとか)ジーンズで行ってて、本人は「まー、ジーンズだとは分からんだろう」と思ってたのに、周囲ではバレバレだった、とか(爆)それに、わたしは滅多に洋服を変えない人間だったけど、別に周囲からはなーんも言われなかった。仕事に関しては、入った途端に「つなぎ」を注文し、つなぎ着て、安全靴履いてっていう「現場ファッション」で仕事をしてたので(出張の時は)、男女差ってのを感じたことはなかったのよね。まー、わたしの場合は思いっきり特殊な分野だから、ってのはあったんだけど。。

あとは会社の人とは個人的に仲良くなりたいとは思ってなかったから(爆)、自分のプライベートな話はほとんどしなかったしね、野球を観に行った、という話以外は。会社の人に飲みに行くのを誘われても絶対に断わってたし、そんなのね、自分を押し殺してやりたくないことまでしなくていいのよ。あ、与えられた仕事はその代わりちゃんとやらなきゃいけないのは、社会人として当然のことだけれどもね。それ以外のことは、別に自分の思ったままにすればいいのだ。どうして周囲の目をそんなに気にしてしまうんだろう?って思ったよ。周囲の目なんか気にしなくても、自分が思ったまま突き進めば、周囲の人は「この人はこんな人なんだろう」って、もう何も言わないはず(笑)

そんで、そこんとこは職種によって違いはあるだろうけど、あまり「男らしさ」とか「女らしさ」って会社は求めないと思うんだよね。。それより仕事できる人間を求めてると思うし。んー、これはホント、企業によって違うだろうから何とも言えないんだけど。だけどわたしの経験から言ってしまうと「そんなに肩肘張らなくても大丈夫だよ」とは言いたいわけで。「自分が思ったように、やりたいことやってりゃいいじゃん」って(敢えてもう一回書くけど、与えられた仕事はちゃんとこなすのは当然のことだから。わたしが言っているのは、仕事以外のプライベートなことの話)。

わたしの場合、就職するのにものすごい制約があったんで、ホント「自分のやりたい仕事」じゃなく「なんとかして一人で食えるような仕事」でなおかつ「自分が受けられるところ」ってんで、実はその中にNHKも入ってました(爆)でも最初の試験か面接で落とされた(爆)まー、動機が思いっきり不純だったからなー。

てなわけで、やっぱりね、これってわたしのような人間向けの番組じゃない、ことがはっきりしたことは確かで。結局、このまま番組が進んでいったとしても「ハートをつなごう」が福祉番組である限りは、わたしが「あー、なるほど」とか「そうそう、そうなんだよね」って思えるような番組にはならないだろうなって思ったのよね。。。

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10-02 Thu , 2008
ハートをつなごう LGBT第1弾、2日目
はーっ、今週は本当に「性的少数者週間」だった「ハートをつなごう」でしたねえ(笑)
もう、検索でひっかかりまくり。ってことは、それだけ見た人が多かったのか、はたまた昨日の最後の方に書いた「そういう番組があることは知ってるけど、見れなかった」人たちが検索してきたのか、、もし「後者」の人だったらごめんね~としか言いようがないな(苦笑)特に「こういう番組でした」という番組の報告、ではないので。

で、今日の番組。出てきましたねー、ブリストル市の若いLGBTと思われる人たちとレインボーカレッジの人の交流会の話。これは「LGBTユースエクスチェンジ」というのが、この8月に行なわれて、それについての話だったんだけど、公開イベントじゃなくて、ワークショップの様子がどうだったのかが取材されてたので、そのことがまずよかったと思った、というのは、公開イベントの方はakaboshiさんのブログ(フツーに生きてるGAYの日常)で、多分、まだまだ公開途中なんだろうけど、正直言って、この内容はひどくてね。全然見てても面白くない。というのは、日本とイギリスの現状の説明なんかしてるんだけど、例えば「イギリスでは今、性的少数者に対する法律がこんなにできています」ってブリストルの若者の発表を聞いても「それは、既にあるものであって、あなたたちが作ったわけじゃなく、あなたたちはその恩恵を受けている側でしょ。このような法律ができた経緯について、国ではどういう動きがあったかとか、そっちの方が知りたい」って思うわけ。今、既にあるものを「これだけあります」と言われても「ふーん、進んでるね」としか言いようがないじゃない。なので、この「公開イベント」はYou Tubeを見ても全然面白くないのだけれど(今んとこは)。

でも、今日の放送は、日英の若者同士がどうやって交流したか、多分、ほんの一部だろうけど垣間見れてよかったとは思う。

けどね。わたし、はっきり言わせてもらうと、若者同士の交流よりも実はブリストルならブリストル市の役人(数人来ていたようだが)と、国はちょっと規模が違いすぎるだろうから、せめて都道府県レベル、それか市区町村の役人同士の交流の方が、有効ではなかったのかなという気がしている。

というのは、この番組でもちょっと豊島区の教員や区の職員とブリストル市職員とその若者との「教育関係の話」、例えば悩んでいる若者に対して、教員はどういう態度を取ればいいとか、そういう具体的な事例について話し合っていたところがあったけれども、これが最も有益なことだったとわたしは思っているのね。だって、物事を動かすのは行政だもの。いくら若者同士が「ああだの、こうだの」って交流しても、まぁ多分、日本側の若者の意識は若干変わるだろうけれど、それでもやっぱり番組の最後の方で語ってた人が「自分は中学の頃に自分のことに気づいて、高校の時は死ぬか逃げるか隠すかの三択しかない、死ぬのは怖いし、逃げるには金がない。だから隠すことにした。今はたくさんの人にカミングアウトしてオープンリーにしているけれど、今の中高生の現状は、わたしが昔いた頃とちっとも変わっていない」と言っていたよね。そう、多分、この人がそういってるんだから、今の中高生の現状は変わっていないのだろう。そして、それを変えていくための、一番手っ取り早い方法は、日本の教育行政に訴えること、これしかないだろう。しかし、変えていくといっても、日本の教育行政は変え方を知らない。なんといってもそういう「現状把握」さえできていない状況なのだから。だから、わたしは、一番効果的な方法は、若者同士の交流ではなく、イギリスの市職員と日本の市区町村職員の交流、または都道府県や市区町村の教員の交流だと思うのね。今回、なぜ豊島区だけ交流できたのかは分からないけれど、今後やるのなら、そっちの方にターゲットを移した方がいいとわたしは思っている。

そして、今回の放送については、主に教師が見ればいいのに、って思わせる内容だった。日本ではまだまだ若いうちに気がついた人はそのことについて悩み、誰かの助けを求めている。そして「家族とはこうあるべきもの」という「一つの価値観」しか教えられなかったら、そこから外れる人間は、というか生徒はとてもつらいはずだろう。そういうことも語っていた学生がいたけれど。そこで登場するのは、やはり「教師」なんだよね。んで、最後の最後に石田衣良さんが「学校の先生も参加して欲しい」って言ってたけど、それはその通りだと思う。これだけの学生が、「中学、高校のときはつらかった」と言っている。その声を聞いてやれるのは、やはり教師なのだろう。教師は基本的に子供が好きな人だと思っているので、自分がかわいがっている生徒が悩んでいれば、やはり助けたくなるものではないのだろうか。とすれば、今はそういうことを全く想定していない教師を、そのように悩んで苦しんでいる生徒の存在がいるということを「教育」しなければならない。

これは、多分、国レベルの、、例えば「同性婚」などのシステムを日本に導入することを考えるよりも随分ハードルは低いと思われる。なぜって、やはり国よりも都道府県や市区町村の方がよっぽど「小回り」がきくと思うからだ。特に法律を制定するわけでもない、ただ、予算をどう取るか、などの問題はあるだろうが、それは外国から学べばよい。「同性婚」などの話になると、これは「先進国」からは学べないのね。なぜかというと、その国、その国の背景が日本と全く異なっていて、単純に先進国の歴史をそのまま日本には当てはめられないからだ。だから「同性婚」などの問題は、日本独自のやり方、方法を考えて、どうすればいいのか考える必要があると思う。が、しかし、教育の場はそれに比べると圧倒的に変えやすいとも思う。確か「人権教育・啓発に関する基本計画」というのがあって、その中でちゃんと「(12)その他」の中に「以上の類型に該当しない人権問題,例えば,同性愛者への差別といった性的指向に係る問題や新たに生起する人権問題など,その他の課題についても,それぞれの問題状況に応じて,その解決に資する施策の検討を行う。」と明記されているのだ。ただ、これ、今の段階では思いっきり「形骸化」してると思うけど。

しかし、このようなものが今の日本では既に整備されているのならば、それを楯にとって予算を獲得するという道は開けている。また、その予算の獲得のやり方は、上に書いたとおり、例えば外国ではどういう風に説明し、予算を獲得しているかを教えてもらえばよい。そして、その予算をどのように使っているかも同じように教えてもらえばよい。日本側はその通りにはしなくても、自分たちができる範囲でやれることがあるだろう。そういう意味では、こういうところから、今の性的少数者の置かれている現状を変えていける、と考えることもできるだろう。少なくとも、あのスタジオで半分泣きながら「(異性愛者の友達に)レインボーカレッジのことを話したとき、その友人は自分のことを『普通の人』という言い方をした、、だったらわたしは、、(絶句)」なんてことにならないと思うし、「どうも自分は『LGBTの一員』と言うのに抵抗を感じる。そこには『異性愛者』は入ってこないから。もっと異性愛者も一緒になって話せるような場が欲しい」という「願い」も全く叶えられないということはないだろう。

だからね、この「プロジェクト」は「ユースの交流」じゃなくて「役人の交流」をメインにした方がよかったんじゃないかと個人的には思ってるんだけどね。。って思いっきり「プロジェクト」の話になってしまった(苦笑)

しかし、今日の放送を見ると、完全に左側にいる「大人たち」はいなくてもよかったよね(苦笑)ほとんど何も喋ってなかった(という編集をされていた)しね。これから、この「LGBT」はどうなっていくのかは分からないけど(それはこの放送を見た人の感想によって決まるのだろう)、少なくともこの「LGBT」第1弾で分かったことは、「レインボーカレッジ」というものの存在がある、ここに所属している人は、中高生の時、自分のことについて、思いっきり悩んだ、そのとき、誰か助けてくれる人が欲しかった、仲間も欲しかった、と考えていた、ということだろう。そして、まるっきり同じ悩みを共有することはないにしても、同じように悩んで苦しんでいた人間が集まって、そこでまた更に話し合うことによって、自分が今後、どうありたいのか、そういうことを考えるヒントになる場なのだろう。

ただ、見ていると「日本も動いていないと思いつつ、今の若い人とわたしたちの間にはこんなに差がある」ってことがとてもはっきりした。例えば、わたしらの年代は「既婚者ゲイ」や「主婦レズ」と呼ばれる人たちがたくさんいる(と言われている)。これは、自分がゲイやレズビアンだと分かっていながらも、周囲の結婚圧力に耐えきれずに、結婚してしまった人たちのことで、そういう人が今(も昔も)「出会い掲示板」に「恋人募集」していたりする。

この間、FtMの人がレズビアンの恋人募集掲示板に現われると「FtMで女性を恋人にしたい人は、レズビアンじゃないんだから、書き込みするな」という言い争いがしょっちゅう起こると書いたが、この既婚者とわたしたちのような未婚のレズビアンの間にも、実は言い争いが起こる(ゲイはよく知りません(笑))。「既婚者でレズビアンの恋人を求めていると言うことは、浮気をするってことではないのか」という意見が未婚側の圧倒的多数の意見だ。それに対して、既婚者の人は「自分は既婚者になってからレズビアンと気がついて、既に子供もいて別れられない。そういう人はどうすればいいのか」という意見が書き込んであったりする。未婚だと思って付き合ってみたら、実は既婚者で、会うことが非常に制限されて辛い思いをしている未婚のレズビアンだっている。

んとね、これはレズビアンだけの話だけど(っていうか、レズビアンの掲示板しか見ないので、他の状況がどうなってるのかはわたしは知らないのよね)、レズビアンだけでも少し挙げてみるだけでこれだけの問題を抱えている。今後、こういう問題が取り上げられるのかどうかはよく知らないが(だって、主婦レズの人が番組に出たいとは思わないだろう、多分。出るとすれば、未婚のレズビアンの方だな)、果たしてこの「ハートをつなごう」は、こういう世界まで入り込んでくるのか。あ、あとHIV/AIDSの問題も避けられないと思う。これは男性同性愛者及びMSMの人にとっては大変大きな問題だしね。そういうところまで話題にされるのか。

また、何度も何度も書いているが、同居しているカップルとその身内や周囲との付き合い、そういう「大人の問題」についてはどう取り上げていくのか(これはわたしが一番今、関心を持っていることでもある。だってそういう問題にわたしは直面しているんだから)。そう考えると若い人たちが「これから周囲に隠さずにLGBTとして生きていきます~♪」というミョーに明るい雰囲気のノリだけでは、もちろん済まされないのよね。この「LGBT第1弾」は、若い人が出ただけあって「なんかすごく明るくていいね」って思ったけど、実際は上に書いたようにもっともっと違う「暗い」部分も孕んでいるのだ。それを正直「ゲイ/レズビアン」の問題とすればいいのか、「LGBT」の問題とすればいいのか、よく分からない。要するにNHKに意見するときは「どちらに意見すればいいのか全く分からない」のがわたしの思うところだ。「LGBT」を「性的少数者」として一括りにして捉えるのはいいのだが、L、G、B、T、それぞれ全く違った問題を抱えていて、実は一括りにはできないんだよね。L、Gの問題は「ゲイ/レズビアン」にして、その他の、例えば今は全く出てきていない、バイセクシャルの人の問題とか、全性愛、無性愛、非性愛者の問題なんかは「LGBT」にする、とかそんな風になったりするのかな。

。。。なんて、そのうちわけ分からない番組になっていったりして(苦笑)
でも、正直言って「性的少数者」は一括りにできないほど、わけ分からない世界だとも思うけどね。

今後、この「ハートをつなごう」の「ゲイ/レズビアン」も「LGBT」もそして「性同一性障害」もどういう方向に行くか全然分からないけど、まぁ、今後の動向には注目しておこう。

それよりも、関西レインボーパレードが今月19日に迫ってきたよ!
まだ全然練習してなーい(汗)どうしよ、どうしよ。。

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10-01 Wed , 2008
ハートをつなごうLGBT第1弾、1日目
すごいですね。「ゲイ/レズビアン」に引き続きの新テーマ、「LGBT」。
ってわけで、一体「ゲイ/レズビアン」とどう違いを見せるの?と思ったら、大学生の性的少数者の団体である「レインボーカレッジ」のメンバーを中心とした話だった。

もう、画面に写る大学生は若くて若くて。「はぁ~、大学生のノリだなあ~」って感じ。さすが、あの中には入っていけないだろう(笑)というか、わたしは大学生の時も、あまり「大学生っぽい」のは好きじゃなかった。世間ってさ、大学生にはとても甘いんだよね~。そういうのがね、あんまり好きじゃなかったのね。その割には学生としてモラトリアムをやった期間は人一倍長かったりもするんだけどね(苦笑)

で、わたし自身は自分の気がついたのは、大学を卒業してから。だから、もしわたしが今、大学生だったとしても、自分の性的指向には全く気がついていないわけだから、そういうものと出会うことすらなかっただろうと思う。っていうか、これ、「ゲイ/レズビアン」ともずっと共通してるんだけど、みんなそんなに自分のことに気がつくのが早かったんだろうか?なんかさぁ、中学の時とか高校の時に気がついて「一人で悩む」って、ここでは「当たり前」みたいに語られてるけど、そこから外れる人間だってちゃんと存在するわけで。わたしも彼女も両方とも、気がついた歳がすごく遅いんだよね。だから、正直言って悩むことはなかったし、「レズビアンかどうか確かめたい」とも思わなかった。特にわたしは自分がレズビアンだって気がついたのは、具体的な誰かを好きになったからじゃなくて、過去の自分を振り返ったときに「あ、そういえば、わたしが好きになっていたのは、女性が多かったな」ってことと、自慰行為をするときに女性の身体を思い浮かべてたから。これはずっと「エロ小説が男目線で書かれてたからだ」と思ってたけど、実はそうじゃなかったんだよね(苦笑)だって、女目線で書かれてる宇能鴻一郎のエロ小説は好きじゃなかった(爆)だって「わたし、○○なんですぅ~」ってバカみたいじゃん。てーか、別にバカみたいだから嫌いってわけでもなく、単に女目線なのが気に入らなかっただけだけど(笑)

ただやっぱりちゃんと「あー、わたしって同性愛者なんだね」って思うのは、SEXしたときだよね(苦笑)これは正直言って、今でも思うんだ。だからわたしは別に自分が同性愛者である、という疑いはもうないわけで、全く揺らいでないんだけど、それでも不思議なんだよ。何が不思議って「自分が少数者であるんだ」ということが不思議なの。だって、わたしにとっては、この今の自分は自然のごく当たり前の姿なのに、それが社会の中に入っていくと「少数者」と呼ばれる部類に入るんだもの。それがね、不思議で不思議でたまらないんだ。異性愛者だったら、まず感じないであろう、この不思議な気持ち。それをわたしはSEXするたびに感じてる。

あ、話はちょっとずれたけど、なもんで、「ハートをつなごう」で「○○さんがゲイ(レズビアン)と気がついたのは中学生(高校生)の時」というナレーションが入ると「またかよ~」って思ってしまうのよね。だってそこから語られるのは、いわゆる「同性愛者の王道」なんだもん。。それで、そのときはひとりぼっちで悩んでて、それから大学に入ると一気に開花~!って感じ?なんかそういう経験がないわたしは、まるで「語る資格がない」と言われているみたいで、いや~な気分になるんだよねー。もう何回も同じフレーズを聞かされてるからさ。

ただ、今回よかったと思ったのは、2点。一つはレインボーカレッジのメンバーであるゲイ男性が、男子寮に入っていたときの先輩と話をするところ。その先輩は言う。「カミングアウトした前と後でお前が変わるわけじゃない。大した問題じゃない」と。そしてカミングアウトした側も「俺も大したことじゃない問題にしたかった」と言う。これは明らかに昨日の「ゲイ/レズビアン」の受け入れられ方(?)と違っているよね。そう、カミングアウトなんか大した問題じゃないんだ、本当は。ただ「大した問題だ」と思わされているだけなのかも知れないんだよね。

もう一つは、野宮さんっていう、トランスジェンダーでありながら、レズビアンって人が出てきたことだ。わたし、実はこの人出てこないかな~って思ってたんだよね。本当はトランスジェンダーっていうのは、前にも書いたけど、生物学的な性と自分の心の性(性自認)がずれている状態で、このことを「性別違和を感じる」という。そしてこのことは、本人の「性的指向」とは関係がない。要するに「自分は男で、男を好きになるから、女にならなくちゃいけないんだ」と思って、女性になるわけじゃないのね。今回、上川さんも言ってたけど「最初、自分は男性が好きだから、ゲイの集まりに行った。けど、そこには自分のように『性別違和』を感じている人がいるわけではなかった。だから、自分はゲイじゃないって思った」と。昔は情報がなかったんで、本当に大変だったんだな、ってわたしはこの言葉を聞いて思った。野宮さんは、性別学的な性は男性の身体で生まれてきたけれど、性別違和を感じて女性になった。でも、好きなのは女性なんだよね。これって、あまり今まで言及されたことがないので、初めて聞く人は多分、頭がこんがらかるだろう。

そう、男性として生まれてきて、生物学的な性は男性だった。で、女性が好きだった。それだったら、今の日本ではめでたく(?)結婚もできるわけ。だけど、彼女は「性別違和」を感じていて「女性として女性を愛したい」と思っていた。で、性別適合手術をして女性になってしまい、本人の性的指向は女性だから、同性愛者。今の日本では残念ながら結婚できない。なんか変な話だと思うでしょ?(笑)でも現実に、そういう人たちはいるのだ。MtF(Male to Female)の人たちは、半数が異性愛者で、半数が同性愛者だという。だから、そんなに珍しくもないわけだけれどね。で、野宮さんの彼女とは、実は知り合いだったりする、昔ね(笑)今は付き合いないけどさ。その関係で野宮さんとも1回会ったかなあ~?遠い昔に(笑)多分、向こうも覚えてないと思うけどね。

つか、例えばね「発達障害」なんかは、画面向かって右側に若い人、左側にその人たちよりも年齢が高い人が座って、そして、年齢が高い人の方がいろいろ経験しているので、若い人たちに対してアドバイスをしたりする。が、この「LGBT」に限っては、逆なんだよね。左側に座ってる年齢が高い人が逆に「いいなあ~、今の世代は」なんて言ってる。そう、だからずっと書いてきたように、年齢が高い人には「ロールモデル」がない。だいたい、年齢が高い、っていっても、あの左側に座っていた人の中でわたしより歳が上の人って、、はっきりしているのは1人(笑)。上川さんとは同い年だった。。初めて知った、この事実(笑)ってことは、わたしらの年代はまだまだトランスジェンダーの人たちは大変だったってことなのよね。「レズビアン」とか「ゲイ」に対しては、情報はあったものの、わたしが気がついた20代中半には確か「TG」(トランスジェンダー)とか「TS」(トランスセクシュアル)って言葉が出始めだったような気がする。だって、わたしが取っていたミニコミ誌「LABRYS」にはその頃「FTM日本」って団体ができた、って書かれているから。でもこれは「FTM」のための情報であって、「MTF」ではない。わたしはその頃は全くゲイの世界は知らなかったし、今でも知らないので、その頃に「FTM日本」に該当する団体があったのかどうかすら知らない。

日本も遅々としてだが、時代は変わってきているとは思う。過去を振り返るとね。

しかし、この「LGBT」は一体、誰のために放送しているのだろうか、とふと気になった。いや、これは「ゲイ/レズビアン」にも言えることなんだけど、当事者向け?それとも非当事者向け?それとも当事者の若い人向け?それがね、イマイチはっきりしないのだ。

例えば、昨日までやってた「ゲイ/レズビアン」。これ、当事者の目から見ると、不満だらけだ。「同性愛者の王道」を行くような人たちを取り上げて「同性愛者像」を作り出そうとしているように思えてならない。しかし、非当事者向けならば、まだ話はこの程度でとても分かりやすいものだろう。そして、、どうやら「LGBT」は若い(大学入学以前の)当事者向けなのかな?って最後の方に見て思ったのだが、、正直言って、中学生や高校生で例え自覚があろうが、これを親と一緒に見ることなどできるのだろうか?と思う。多分事前に情報を得て「見たい」と思っても、親は「何でこんなものを見るんだ」と聞くだろうから、怖くて見たくても見ることができないはずだ。それとも今の時代は、一部屋に一台、テレビがあってこっそり見れたりするのだろうか?この放送を何も言わずに堂々と見れる環境ってね、当事者だけがいる環境(わたしらみたいに)、非当事者でも「興味ある」と思ったチャンネル主導権のある大人、じゃないかなって思うのね。だから「来たれ、高校生!」と言っても、その高校生はその番組を見ていない可能性が高いと思う。まぁもちろん、今の時代はワンセグで録画、ってこともできないわけじゃないから、そういうことをひっそりやっている中高生もいるかも知れないけどね。

まー、まだ始まって1回目だからね、今後、どういう方向性の番組になっていくか。
それを見守っていくとしよう。

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10-01 Wed , 2008
ハートをつなごう ゲイ/レズビアン第2弾、2日目
えー、昨日のことになってしまったが「ハートをつなごう ゲイ・レズビアン第2弾」の2日目を見た。今回の内容は、2,400人が住む島で、ゲイとして生きていっている人(という言い方は少し変だと思うが)の話だった。

一昨日か、日記には書かなかったんだけど、彼女とあとで話していたことがある。それは「周りにカミングアウトしたとき」の当事者の反応。なんていうかね「受け入れてもらってありがとう」みたいな感じなんだよね。。それはわたしにもよーく分かる。わたしだって、何人もの友達にカミングアウトしているんだもの。やっぱり受け入れられたと思ったら、とても嬉しいに決まってる。けど、カミングアウトに関する考えは、わたしはだんだん変わってきて、今は「受け入れられるも受け入れられないもここにわたしという存在がいる、ということは確かなんだから、受け入れられてもらってありがとう」というのは、なんかおかしいんじゃないかと。

この考え、ある意味とても「進んでいて、あるところまで行き着いてしまった」人間の意見かも知れない。けど、わたし自身は、受け入れるとか受け入れられるとかじゃなく、ただそこに「レズビアンとしての自分がいる」だけで十分じゃん、人から受け入れられようと受け入れられまいと、わたしがここにいるのは確かなことで、受け入れられなかったらそれまでの関係だったんだろうし、それにわたしだって、言っちゃ悪いけど、すべての人と仲良くできるとは全く思っていない。むしろ、わたしは人間の好き嫌いが激しいし、わたしが向こうを「受け入れられない」ことだってある。

この日の番組を見てね、一昨日見たときよりも更に強くこのことを感じてしまった。

確かに人口が2,400人の島で自分を隠さずに生きていこうとする姿勢はすごいと思ったけど。実はわたしも昔、働いていたときに島への出張が本当にたくさんあって、今回、2,400人の島ってだいたい、わたしが行っていた島のうち、どれに相当するんだろうかと思って、ちょっと調べてみたら、ちょうど適当な島があって「ああ、ここら辺のレベルか」って思ったのね。わたしはその島には出張でしか訪れたことがないし、もちろん住んだことはないんだけど、だいたい島の雰囲気は分かる。で、確かにわたしがあそこでカミングアウトして住むのは、大変なことだろうなと言うことは多分、他の、島に行ったことない人よりはよく理解できると思う。大抵の島は、ほとんどが高齢者である確率は高い。多分、昨日出た人が住む島も(どこかは知らないけれど)、高齢者が多いと思われる。そこで「ゲイ」としてカミングアウトするのは、大変だろうな、って気もする。が、島の人たちって人付き合いの密度が濃いので、逆に「受け入れられやすい」かも知れないとも思う。だいたい、そこで仕事を持って暮らしているのに、島中がその人を「村八分」にすることなどは、考えるとそちらの方が難しいと思うからだ。しかも、確かに同性愛者であるけれども、多分、高齢者となると、むしろ「そういう人もいるだろう」程度にしか受け止めないのではないのかと思う。

んー、わたしが昨日の番組を見て、とても違和感があったのは「同性愛者とかってそんなに『品行方正』に生きなきゃ人から同性愛者として認められないの?」ってこと。

あの人の母親も話してたけど「ゲイだけれども、よく気がつく子で、うんたらかんたら。。」と話してたけど、同性愛者(っていうか、この場合、性的少数者でもいいんだけど)ってそんなに「いい人間」じゃないとダメなの?「こういう個性を持って生まれてきた」って言ってたけれども、同性愛って「個性」なの?じゃ、同様に異性愛も「個性」なの??左利きに生まれ来たらそれも「個性」なの?なんか、違うんじゃないの?同性愛者はただ、性的指向が同性に向いているだけで、それは「個性」とかそういう問題じゃないんじゃないの?「個性」ってもっと別のことを指すんじゃないの?よく障碍者の人たちにも「個性」という言葉が肯定的に使われるけれども、それって「個性」とは言わないんじゃないの?って思う。障碍があるその人ってのは、やっぱりその部分は「障碍」なんだと思う。でもその「障碍」を持つ上でその人の「個性」というものが育まれていくだろうけれど、「障碍」の部分だけを指して、それが「個性」なわけじゃないと思う。わたしはわたし自身が「同性愛者」だってことは、自分の中で確かにある一定の部分を占めて、それによって自分を発展させてきた部分もある、とは思う。けどそれはわたしの一部であって、全部じゃない。それに「同性愛者」だけでそれが「個性」と思われるなど、とても心外だ。わたしは「同性愛者」という部分だけで生きているわけではないのだから。

またスタジオで披露された手紙にも「○○さんだから、受け入れます」とか「これからももっと島のために働いたら、それをみなが見て、受け入れられるだろう」みたいなことが読まれたけれど、わたしはそれを聞いていて、なぜか「泣いた赤鬼」を思い出した。同性愛者が受け入れられるためには、この「泣いた赤鬼」のような「赤鬼」にならなきゃいけないのだろうか?つまり、みんなから「同性愛者として受け入れられる」ためには、みなよりも一生懸命働いて、そして善良な人間で、他の人に危害を加えない人と分からせないと、受け入れてもらえないというのだろうか?それは、違うだろう。同性愛者だからって、特別に他の人よりも頑張って「いい人」じゃないと受け入れられない、というのは明らかにおかしい。彼は、彼のままで、そしてその人が人として島の人にどうやって受け入れられるか、ってことの方が大きいんじゃないのか?そして、その人はたまたま「同性愛者だった」。それだけのことだ。

確かに島の人は今まで「自分は同性愛者です」なんていう人間は見たことがないだろう。だからびっくりはされるだろう。わたしも元職場の人にカミングアウトしたとき、定年退職した元上司に「そういう『告白』をされたのは初めてだ」と言われ(その「告白」というのがミョーに胸に残っている(笑))、それから「そういう決断をしたのなら、これからはしんどい道のりだろうが、それは○○さん自身がそう決めたことで、自分は助けてやれない」と言われたことがある。わたしは「上司らしい言葉だな(笑)」って思ったけれど、それは確かにその通りなんだ。けど、わたしはもう、カミングアウトすることがしんどいこと、だなんて思わない。受け入れる人だけが受け入れ、受け入れられない人は受け入れられなくてもいい、と思っている。わたしが善良な人間かどうかで、同性愛者として受け入れられる、受け入れられないなんて判断されるのはまっぴらだ。わたしはどういう人間であろうが、同性愛者であるのだ。わたしは「泣いた赤鬼」の「赤鬼」ではない。

この世の中はまだまだ「異性愛社会」で、それに対しては、確かに歯がゆい思いがする。この世の中にいるのは「異性愛者」だけで、その他の人は「いない」ことになっている。そして「いる」としても、それは、実像とは全く違った、虚像だったりする。そのことに対しては、偏見を解いていかなければならないとは思う。そして、若い性的少数者をなるべく生きやすくすることは大切なことだと思う一方、今のわたしのような年齢の同性愛者の生き方も重要なことだと思っている。なにしろわたしより上の年代の同性愛者の生き方を示した「ロールモデル」がないので、わたしたちは、自分でその道を切り開かねばならないのだ。身内との付き合い方、二人の関係、身の回りの人との関係、そういうことはこれから、いやが上にも直面せざるを得ない問題である。もちろん、カミングアウトはその一歩ではあるのだけれど。だけど、カミングアウトだけが大切なことではないのだ。

とはいえ、わたしはカミングアウトしないって言う人には別にカミングアウトは勧めない。確かにカミングアウトして生きるのはしんどいことでもあるからね。そして、その一歩を踏み出すのは、やはり大変なことだと分かっているから。けど、間違えないで欲しいのは、自分が人から受け入れてもらうためにいい人であろうと努力することじゃないってこと。もちろん、この世の中、偏見があって、離れていく人もいるだろう。が、そんな人は「所詮そこまでの人」なのだ。性的少数者である自分が悪いわけではない。親しかった人が離れていくのはつらいだろうが、仕方がない。そして、カミングアウトして「受け入れられてもらった」としても、別にお礼など言う必要はないのだ。

って別にこの人を非難しているわけじゃないけど、なんかね、1日目の番組からちょっと思ってたんだけど「同性愛者は、周囲から受け入れてもらって生きるもの」ということがなんか強調されているような感じがして、「そうじゃないんじゃないの?」とは思ったから。HIV/AIDSの「Living Together」じゃないけれど「もう既にわたしたちはここにいる」わけで、そのことをただ表にしているに過ぎない。

けれど、この人は「自分がゲイであること」によって、もしかしたらその島にいる性的少数者の「救い」にはなるかも知れない。それはとても重要なことだとは思う。ただ、島は子供は少ないだろうし、どういう島かは知らないけれど、高校になったら、多分、自分の家を離れて、本土の学校に行くってパターンが多いとは思うけど。。ただ、同性愛者ではないその島の子供は、少なくとも身近に「同性愛者」を見るわけで、そこから偏見がなくなればいいなとは思う。とすると、やはり「品行方正な生活」は避けられないのか、、、

パートナーはイギリス人だと言っていたし、画像も見たけれど。
今の婚姻制度の整っていない日本で、どういうビザで来て、どのように暮らすのだろう。人のことながら、そちらの方が心配になってしまう。それだったらいっそのこと、制度の整っているイギリスの方が暮らしやすいんじゃないの?とも思うけど、それは二人で話し合った上でそう決めたのだろうから、そのことについては、何も言わない。

今回の番組で一つだけ共感したところがあるとしたら、「異性の結婚式は何とも思わなかったけれど、同性の結婚式に参加したら『ああ、参加している』という気分がした」というところかな。それも形だけでなく、国が認める正式な結婚だったら、わたしはまだそういうところには参加したことがないけれど、本当にそう思うだろうな、と思う。

なんて、今回は文句ばかりつけてしまったが、まだ第2弾なんだけど、どうもね、今までのテレビの取り上げ方とは違った「等身大の同性愛者」を作っているようで、でもやっぱりそれはある意味、今までとは取り上げ方が違っているけれどもやはり「パターン化された同性愛者像」を作っている感じがするんだよね。「幼い頃、自分に気がついて孤独だった」「同性愛者であることが分かって自殺をしようと思った」とかね。そういう同性愛者ばかりでもないんじゃないの?ってわたしは思ったりするんだよね。どうも「悲劇のヒーロー/ヒロイン」みたいな形を作り上げてしまっている。それが今は過去のことは克服して「立派な同性愛者になりました」と、そんな感じ。そういう同性愛者だけじゃないってわたしは思う。そうじゃなければ、番組が作りづらいのも分かる。ある意味、若い頃悩んで、、っていうのは「同性愛者の王道」だと思うもの。けど、そういう人だけじゃないってわたしは思うし、そうでない人もやっぱりこの番組に出て欲しいと思う。

今回の感想はちょっと厳しかったが、第1弾、第2弾を見ると「もう一つの作られた同性愛者像(悲劇のヒーロー/ヒロインバージョン)」を作りたがっているのかな、という気がしたものでね。

そして、、今日はなんと「LGBT」第1弾。
何か今週はとてもNHKの「ハートをつなごう」は「性的少数者週間」って感じがするけれども、どういう番組になるか、正直、テーマが「ゲイ/レズビアン」と「LGBT」の2つを作った目的はなんだろうと思っているので、その違いを見てみたい。と言いつつ、本当は「LGBT」の中に「ゲイ/レズビアン」は含まれているから、違いもなにもないんだけど、NHK側が別テーマとして作った以上、どこかに違いがなければ、当然、それはおかしいものになるだろうから。

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09-29 Mon , 2008
ハートをつなごう ゲイ/レズビアン第2弾、1日目
えー、当然のことながら、「ハートをつなごう ゲイ/レズビアン第2弾」の1日目の放送を見たんだけど。いや~。なかなかよかったと思いました。第1弾の2日目がひどかったからな~(苦笑)

今回は、第1弾の1日目の放送のように、一つのテーマに沿って、丹念に作った、という感じの放送だったな。そのテーマとは「レズビアン 結婚」だったんだけれど、前に発達障害のときに「発達障害 結婚」というテロップが同性愛者のわたしとしては、痛かった、と書いたけれど、まさかもう「レズビアン 結婚」ってテロップが出てくるとは思いもしなかったよ(笑)だけどね。「結婚」って言っても、日本では認められていない「結婚」なので、本当の結婚と言えるかどうか、、ってのがやっぱ、わたしの胸中を複雑にしたね。

そのレズビアンカップルは、秋にカナダで結婚証明書をもらってくるらしいんだけど、式は日本でやるらしい。それも自分の勤めている会社の同僚とか友達とか呼んでやるそうだから、結婚式としては、本物だよね。ただ、日本ではカナダ政府が発行した結婚証明書はもちろん「ただの紙切れ」。当然法的拘束力はない。

しかし、わたしより随分若そうな二人だったけれど、二人とも随分苦労(ってのか?)してきたようで。。まぁ、一方の人は中学の時に母親にカミングアウトしちゃったってんだから、すごいよな。わたしなんか中学の時はまだまだ子供で「人を好きになる」なんてことちっとも思わなくて、毎日アニメばっかみて、友達とギャーギャーしゃべってた、くらいしか思い出せない(苦笑)もう一人の方は、それよりも遅く自分がレズビアンだって気がついたらしいんだけど、付き合う相手、相手が「一生を共にしたい」って思わずに「やっぱり結婚(異性結婚)を。。」ってんで、別れを繰り返してたみたいで。わたし、今でもさー、「同性愛はいけないものだから、一生一緒にいられない」って思う人っているんだってそのとき思った(笑)そんな人、いるんだって。わたしは今の彼女と出会ってからは「一生この人といよう」って自然に思ったから、そういう点では全然悩みもしなかったし、彼女の方も当たり前に「一緒にいようね」って言ってるし。んー、わたしらの方が脳天気なんだろうか??

ただ、中学の時に母親にカミングアウトした人は、「わたしの人生は一生孤独だ」って思ってたって言ってたけど、それはわたしもずっと思ってたんだよね。わたし、自分がレズビアンだと気がつく前(物心が付く頃だから、本当に幼い頃ね)には、両親に対して「わたし、結婚しないから」ってずーーーっと言ってたんだよね。それだけはもう鮮明に覚えていて、なんていうか、大人になったときを想像してみると、わたしが男の人と一緒に暮らしている想像ができなかったのよね。なんていうかな、家庭を持つという想像ができなかったというか。子供も嫌いだし。一人で生きていく方が楽だって思ってたし、一人で生きていく想像ばかりしていた。でもそれは、わたしにとっては自然なことで、一人で寂しい思いをするだろうとか、そんなことはちっとも思わなかった(笑)

で、実際、自分がレズビアンと気がついたあとも、なかなか彼女できないし「もういいや、別に一人でも。野球観てればそれで幸せだし」って思ってて、仕事は定年になるまで続けて、野球は仕事と両立して、そんで、定年後は野球三昧しようと思ってた(笑)それで幸せだったしね、実際にも。だから、本当にわたしは一人で生きていこうって思ってたんだけど、まー、人生何が起こるか本当に分からないもので。彼女と出会ってしまい、またわたしの人生設計は根本から崩れてしまった(苦笑)んー、こないだのオフ会で彼女いない人からすると「なんて贅沢」って思われるかも知れないけど、実際、一人で暮らしてても寂しいと思ったことはなかったし、まぁ、同じレズビアンの友達がどうしても見つからなくて、そういう話ができないことはちょっと悲しかったけど、それは野球で十分カバーできてたからね。「同性愛者だから一人で生きるんだ」とも思ってなかったしね。「まー、こんなに探しても見つかりそうにないし、第一、わたしを好きになるような物好きな人はこの世には存在しないだろう」と思ってたので、それが当たり前の心境だったというか。

「結婚式をする」というと周りは「おめでとう」って言ってくれると言ってたけど、それは本当だと思う。例えばカリフォルニア州で同性婚を挙げた、ジョージ・タケイについてのmixiでのニュースで日記を書いた人のほとんどが「おめでとうございます」とか「日本でも同性婚ができればいいのに」と言った感想で、否定的な意見ってほとんど見あたらなかったんだよね。これが、例えば「the L word」のニュースだと「ホントにレズビアンって存在するの?」とか書いてあるし、HIV/AIDS関連のニュースだと(こないだの北京五輪で、選手村にコンドームが配布されたというのがあった。それは選手のためではなく、選手の意識を高めてもらうために配布される、という趣旨のニュースだったが)それをすぐ「ゲイ」と結びつけて「うほっ」だの「やらないか」だの「アッー」だのというタイトルが氾濫する。ちなみに「うほっ」と「やらないか」は山川純一(ヤマジュン:「薔薇族」でかつてマンガを描いていた)の「くそみそテクニック」に出てくる言葉で、「アッー」というのは、かつて六大の選手がゲイのポルノビデオに出演したってんで、この選手がドラフトにかかる前にそのことがばれて、結局その選手はその年にはどこの球団にも指名がかからなくて、渡米して野球を続けたという事件で、その選手がビデオで発していたという言葉が、どこかで「アーッ」じゃなくて「アッー」だったことが、まぁ受けて、それが今でも覚えている人たちには覚えられていて、「ゲイ」というと必ずこの言葉を使いたがる人たちがいるのね。さもそれを知っているとゲイの世界を知っている、みたいな感じでね。ホント幼稚くさいと思うんだけどさ。わたしからすると「だから何?」って言いたくなるような3つの言葉だ。そのどれも「ゲイ」を性的な存在としてしか見てないのね。ゲイも一般の人と同じようにしゃべり、同じように働き、同じように食べて寝る、って全然思わないのね。ゲイは一日中SEXしてるとでも思ってるのかね???って感じ。

ってわけで、どうもニュースによって「人が感じる具合」が違うんじゃないかと思っている今日この頃なんだけどね。

わたしの友達のレズビアンカップルでもやっぱり、結婚式を挙げた人がいる。わたしはそのときシドニーにいたんで、彼女だけが出席したんだけどさ。そこには母親も出席していたって話だ。今日のカップルさんは、片方がウェディングドレスで、片方がタキシードだって言ってたけど、友達のカップルさんは両方ウエディングドレスだったそうだ。で、式場の人も「こういう結婚式もいいですね」って気持ちよくやってくれたとかで、やろうと思えば案外、簡単に受け入れてやってくれるんじゃないかと思っている。向こうだって商売なわけだしね。ま、一つの区切りではあるよね、結婚式ってさ。

わたしらは、、(苦笑)
両方、結婚式には興味がないのでしない、今のところ。「結婚式、やるんだったら、やってあげる」っていう知り合いの牧師さんとかもいるんだけど、まー、わたしの方がなんと言っても「わたしの神」は存在しないと思ってるんで、それはちょっと難しいかも(笑)披露宴も「見せ物」みたいでヤダーと、今のところはそう思ってるけどね。でもやるとしたら、両方タキシード、でなく(爆)、両方ラフな格好だろうなー。せめてパンツスーツ、ってところかな。本当はTシャツとジーンズなんかでやったら最高なんだろうけど、それじゃ「ハレ」の日にはなんないだろうからなー。

ただもし、わたしがまだ会社に勤めていて、んで、彼女がわたしんとこに来て同居してて、で、わたしは職場にカミングアウトして「結婚式をする」と言ったら、面白かっただろうなーと想像してみる。まー、彼女の方はカミングアウトしてないんで、彼女の方の身内の出席は難しいかも知れないけど、うちの会社、結婚式には社長から「祝電」が届くんでね。かなーり、会社中の話のタネにはなったかも知れないけど、でも上司や同僚は快く出席してくれたと思うよ。ってことで、会社を辞めたのはちょっと惜しかったかしら?ってなんだか変な話になってしまった(笑)

今日の話はねー、二人、幸せそうだったし、そういうカップルはうちらを含めて、結構多いと思うんだよね。で、わたしの周り「一生一緒にいよう」っていうカップルの方が多いので(圧倒的にレズビアンカップルだけどね)、なにもこれが特別に進んでて特別なことをやってるんじゃないと思う。うちだって、指輪の交換はしてるんだしさ。そして、彼女とわたしの両親は、わたしの病気のせいもあって、お互い、何回も何回もやりとりしてるし。そういう意味では、今、わたしは自分の都合で身内とは一切、連絡を絶っているけれども、本当は「家族」として、それこそいろいろな行事に来れるんだよね。まー、彼女の方は来たくないだろうけど(苦笑)

そういえば、今日、Badi(ゲイ雑誌です)の2月号の「今日もいい天気」ってマンガを読んでて「ああ、ゲイ(レズビアン)カップルにとって『家族』ってなんだろう?」ってキュンと胸が切なくなっちゃったんだけどさ。ま、このマンガのストーリー(彼は実は前に結婚していて、奥さんと子供がいて毎月養育費としてお金を払っているのを知ったんだけど、主人公はそのことについて「いつか本当の家族になれればいいな」って、彼の向こうの子供を思うというストーリー)とはちょっと違うにしても、長年一緒に暮らしてても、結婚はしていないから、お互いの家族はわたしたちの関係を知らなくて、だから、ちょっとした身内の集まりには相手は絶対に呼ばれないしね。

ま、今「結婚をする」ってことは、この日本の「家制度」の中に入る、ってことで、どっちか一方の名字を名乗らなきゃいけないとか、いやなこともたくさんあるわけだけれど、異性愛者のカップルだって、実家との付き合い方は一つじゃないわけでさ。まさかみながみな、盆と正月に実家に帰るわけじゃないだろうし。そんなところでね「同性愛者の家族」として、身内との付き合いは模索していかなきゃならないだろうなーとは思ってるんだけどね。なんせ、わたし自身が今は身内とは付き合いたくないんでね、それは仕方がないんだけど。

この回の放送は、決して「特別な例」ではないんだよ、と言いたかったし、あとはやっぱり、日本でも同性愛者の関係が法的保障されるようにされたいって思った。もう最近のわたしはそればっかりだね(苦笑)わたしらも「カナダで結婚証明書もらおうか」って話はしたんだけど、やっぱり日本で認められなきゃ意味ないじゃん。わたしはそう思ってるけどね。

知人がこの夏にカリフォルニアで同性婚をしてから、わたしにとって「結婚」というものが本当に「身近」に感じられるようになった。昔は「どこか遠い国の話」だったのに。それがわたしの意識をすごく変えた。他の国でできて、なぜ、日本でできないのか。同性愛は異性愛を脅かす存在ではない。なぜならば、同性婚を認めたからといって、同性愛者が増えるわけではないからだ。同性愛者は自分がなりたくてなったのではない。知らないうちに、気がついたら同性愛者だった。親ももちろん、自分の子供を同性愛者として育てたわけではない。同性愛者は異性愛者の親から生まれるのだ。同性愛者が異性愛者のフリをして結婚をしたとするならば、それは「悲劇」としか言いようがない。もちろん、結婚後に自分は同性愛者だって分かる人も中にはいるんだけれど。。とにかく「同性婚を認めない人」は何か勘違いをしている人が多くて、それも全く当事者と話したことがないだろう、という意見なんだよね、聞いてみると。同性愛者を化け物や悪魔みたいに「悪の道に引きずり込む人たち」だと思っているとしか思えなくて。一回、当事者と話をすれば、上にも書いたけど、一般の人と何ら変わらない、ただ、性的対象としている人、同居している人が同性なだけだってすぐに分かると思うんだけどな。

あ、最後に番組を見て思った。この二人、まだ若そうだから「レズビアンマザーになればいいのに」って(笑)わたしらは、もう既にわたしも40になったんで、まさか40での初産はねー、ってことと、あとやっぱり子供が嫌いなので(苦笑)、レズビアンマザーにはなれないけれど。これからの若い世代のレズビアンカップルがどんどんレズビアンマザーになっていけばいいのにって思ったりした。あ、レズビアンマザーって、文字通り、レズビアンの母親ってことだけど、これは今の日本でも存在はする。それは、子持ちの既婚者が自分はレズビアンだと気がついて離婚して、同性のパートナーと一緒に子供を育てている、という例。多分、今の日本はこの例が最も多いだろう。が、外国では人工授精によってレズビアンマザーになる場合が圧倒的に多いそうだ。何も同性愛者カップルだからといって子供が作れないわけではない。最早「孫の顔が見せられない」同性愛者カップルではないのだ。そこのところも一つ、常識が覆されたというべきか。

今日の内容は、一つのテーマに沿ってやったので、とても分かりやすかったと思う。明日も楽しみにしている。

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08-21 Thu , 2008
テレビでIKKOって人初めて見た(笑)
うーむ。なかなか浮上してこない今日この頃でございます。気分的に滅入っているというか。まー、ちゃんとした理由はあるんだけど。で、こういう中で「続 きけわだつみのこえ」を読んでいると、余計に気が滅入ります。彼女が「もー、そういう本じゃなくてさぁ。もっと笑えるような本を読もうよ。ないの?橋本治でそういう本?」って聞かれるんだけど、橋本治で笑える本なんかあったっけ、って感じだし、結局治ちゃんの本を読んでも、まー、気は滅入らないけど、考え込んじゃうだろうな、と。結局どういう本を読もうが、気分が明るくなるようなものは読まないってことですね(苦笑)ちなみに「続 きけわだつみのこえ」は、以前買ってきたものですが、読了してないんだよねー。なんで、今回は終わりまで読みたいと思ってます。

で、ゴロリと話は変わって。今日、NHK教育で「ハートをつなごう 発達障害第10弾2回目」をやる予定だったんだけど、なぜかオリンピック放送が入ってきて、日曜日の16時30分からの放送になったとか。オリンピックの放送の方は、民放でもやってるみたいだし、別にNHKとNHK教育両方使ってやんなくても、、って思うんだけど。

そうそう、本題。今日、何気なく、NHK教育の「おしゃれ工房」を見てたらIKKOって人がメイクの仕方を伝授してた(笑)この人、去年「どんだけ~」で流行語大賞(だったっけ?)をもらったそうだけど、あの「どんだけ~」ってのは、本当は「リンカーン」って番組にBrass MIX!が出て、そのときに「二丁目の流行言葉」という名目で登場したのが始まりだったのよね。けどあれ、実は二丁目の流行言葉なんかじゃなくて、Brass MIX!の中の、その当時の「流行言葉」だったんだよね(爆)とにかくBrass MIX!はあのときは、パレードごとにいろんな流行言葉ができてた時期だったわけ。ま、わたしは「どんだけ~」が流行った時期のBrass MIX!には、うつ病がまだ治ってなくて無理できない身体だったから、いなかったわけだけど(従って「リンカーン」にも出てませーん(笑))。IKKOさんはどこでそれを知ったか知らないけど「どんだけ~」を使っていた人の中で一番有名だったらしいから、なんか彼が流行語大賞の表彰式に呼ばれたんだよね。

で、わたしは民放は見ないので、なんか「オネエ」の人ばっか出てくる番組があるらしいってのは知ってるけど、見たことないのね。ホント、NHKしか見ないからさ(笑)だから、今んとこ、カミングアウトしてる芸能人でテレビで見たことがある人って假屋崎省吾くらいしかいなくて。で、今回初めてまともにIKKOさんを見たんだけど。民放ではどんなしゃべり方してるか、それは全然知らないよ。けど、今日見たIKKOさんは、確かにスカート穿いてたし、最後の方なんか、すげードレス着てたから、まー、女装と言えば女装なんだろうけど、顔見てるとさ、普通に男の人なんだよね。ほら、わたし、ドラァグの人とか見てるじゃん、間近で。あれを考えると、化粧が薄い(笑)っていうか、なんか自然でね。「あー、女の人も化粧する人もしない人もいるんだから、男の人も化粧する人だって普通にいてもいいんじゃない?」って思うような感じだった。で、髪の毛は今はカツラで、カツラ取るとベリーショートの金髪だと言ってた(笑)

いろんな女性の悩み(目の下のクマが気になるとか、目の辺りの化粧をどうすればいいかとか)を「こうやってこうすれば」みたいにメイクを実際にやってて、その話し方を聞いても全然「オネエ」じゃないのね。確かに話し方は丁寧な言葉遣いなんだけど。しかも、そのメイク術もすごくて、目の下のクマがちょっちょいのちょい、で消えちゃうのだ。「あ、すげー」とか自然に感動しててさ(笑)自分は化粧しないけど、見てたら結構面白かった。なんかね、今日見たのは「おしゃれ工房」の2回目だったらしいのね。1回目も見たかったなーって思った。

で、最後に司会の、あれ誰だっけ、顔見たことあるけど忘れた。NHKのアナウンサーじゃないんだけど、確か漫才の「ピンクの電話」の背が低い人の方だったっけなあ?その人が「どうやったらきれいになれますか」とか聞いてて、わたしが「なんでこんなことをこの人に聞くんだー?」と言ってたら彼女に「だって、美人な女の人に同じ質問をしたら、見てる人、嫉妬するよ、多分」って言われてさ。あ、そーかーって。人間ってなかなか難しいもんだよね。同性から同じことを言われるとムカツクよね、多分。あそこに出てるIKKOさんは、特にオネエ言葉を使うわけでもなく、ただ女装してる人だったんだけど、やっぱ見られることを普段から意識しているのか、そういう点では普通の男の人とは違うんだよね。オネエ言葉を使うってことは、「普通の男というものから降りること」だと思ってるんだけど、女装してもやっぱそれは同じなんだよね。でも完全に女じゃない。だからこそ、見ているであろう女性にとっては、彼の言葉はすんなり受け入れられるんだと思う。ちなみにどんなことを言ってたかというと「年を取ったからと言って嘆くよりも、自分の一部分でもいいから好きになって」ってことだった。自分のいいところ(顔で好きなところとか)を見つけて、それを大事にしてそこから自信を付けていく。まー、そんな話だったかな。そんなに目新しい話でもないとは思ったけど、あそこに出てた限りで判断すると、とても自然な感じな人だったなーって思った。ただ「人から見られていること」に関しては、ものすごく普段から気を配っているんだろうなー。そして、そういうのも多分、好きなんだろうね。

ただ、ゲイはオネエだけじゃないからさ~。っていうか、本質はみんなもしかしたらオネエかも?って思わないこともないけど(笑)、少なくともゲイに対してゲイ受けするゲイは、見た目は決して「オネエ」じゃないんだよね。それこそ「レインボー祭り」に集まるような、どっちかというと「野郎系」に近い方がモテ筋なんじゃないかなって思う。あとはクマ系とかね。そこんとこで、世間とのギャップがあるわけだけど(苦笑)でも、野郎系でもクマ系でもない人だってたくさんいるし、見た目じゃ分からない、というのが本当のところ。ま、だから「ゲイはこういう人」とか「レズビアンはこういう人」ってわたしは外見では決めつけられたくないわけだけど。

でも今日見たIKKOさんは、多分、ああいう格好がしたくて、それが自分だって自信を持っているんだなって思ったから、それはそれでいいんだって思った。っていうか、ついにNHKにも呼ばれるようになったのかーとも思った(笑)

で、他に「オネエ」って言われてる人ってあと誰がいるっけ?って感じなのだが。。民放は見ないので、分かんないんだな(笑)あ、でも美輪明宏とかおすぎとピーコは知ってます(笑)
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07-29 Tue , 2008
NHK「ハートをつなごう」で「LGBT」が新たなテーマに
ふとした拍子に知ったんだけど。

NHKの「ハートをつなごう」が10月に新たなテーマ「LGBT」で始めるらしい。ただ、書いてあるのはTokyo Wrestlingのサイトだけで、NHKの「ハートをつなごう」ではまだ告知もなーんもされてない。

しかし、8月にゲイ/レズビアンの第2弾があるのは、まぁいいとして。
一体「LGBT」でどういうことを取り上げようとしているんだろう??だって、「ゲイ/レズビアン」は完全に「LGBT」の中に入ってるし、今までやってた「性同一性障害」だって「LGBT」の中に入るのだ。NHKは今後、「ゲイ/レズビアン」と「性同一性障害」と「LGBT」を別個に扱うつもりなんだろうか??

すげー知りたいんだけど、別に今から中身教えろ、とかそんなことは聞けないので、まぁ10月の放送は楽しみにしておこう。ただ、今までちらっと「日本とイギリスでどう違う!? LGBTの人々をとりまく環境」が出てきてて、その中に「LGBT」という言葉が使われているので、もしかするとこの「LGBTユースエクスチェンジ」のことを取り上げるのかなーとか、個人的には思ってるんだけどね。

ただ、こういった若い人たちへのサポート体制が整いつつある、というのは「いい世の中になったな」ってわたしなんか感じるわけで。「これからの若い人はいいな」って確かにちょっと嫉妬心がないわけでもない。

けどね。これは大学の時の話なんだけど、ふと思い出したんだ。うちの大学、男子寮はあったんだけど、女子寮がなくてね。で、毎年毎年入学してくる女子学生が「女子寮を作ろう」という提案をするわけ。でも、それは決して組織化することはなかったのね。それはなぜかというと「それが実現するときには自分たちは既に卒業の時期を迎えているから」なんだ。要は「自分のため」になることはしたいけど、後々入ってくる女子学生のためにやりたい、ってわけじゃないんだ。この嫉妬心はそれに似た気持ちなのかな、と思ったりしてるんだけどね。

でも、自分がその恩恵を受けないからといって、結局は何もしないのは愚かだとわたしは思う。それはこのプロジェクトにも言えることで。これからの性的少数者の人たちが、今まで、自分たちがつらい目に遭ったような、同じ目に遭わないことを望んでいる人たちがたくさんいる。そのことだけは事実だ。

ただね、じゃ、わたしのような「ユース時代」に自分のことについて気がつかなかった人はどうするんだろう?って思ったりもする。結婚して初めて自分がレズビアンだと分かった、って人だっているし、そういう人たちはどうすればいいのかな、なんてね。そういう人はどうすればいいんだろうね、って思う。

しかし、こういう地道な取り組みでちょっとずつ日本を動かそうと、わたしが生きている間は日本では同性婚はできないかも知れない。けど、それでもやっぱり自分では自分のやりたいことをしていきたいのだ。将来のLGBTの人たちに向けてね。

そういえば、またこういう話を思い出した。アメリカのカリフォルニア州で2004年に一度、同性カップルに婚姻許可証を発行したでしょ。あのときの第1号のカップルはレズビアンのカップルでなんと、両方とも80歳代の人たちだったんだ。そして今回、2008年に同性婚が認められるようになった。そのときの第1号も彼女たちだったんだ。そう、彼女たちは'50年代にレズビアンの組織である「ビリティスの娘たち」を作ったカップル。彼女たちは「結婚」したときに「自分たちが生きている間に結婚できるとは思わなかった」と言ったという。

そんな日がこの日本にも来るといいな。
そうしたら、どんな気持ちがするだろうか。
どんな気分がするか、味わってみたい。

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07-05 Sat , 2008
ゲイである必要はあるのか
ブログの方はなんとか一段落(笑)
しかし、やり過ぎなのか、体調はイマイチ。体調っていうか、口の中の状態ね。受診前に比べると、どんどん感覚が変わってくるのが分かるんだけど、、実は、PCで作業をしているときが一番集中できるのか、唾液が出ているのを忘れている。テレビを見ているときや本を読んでいるときは、気になって仕方がない。。んー。PCをやり続けるのはあまりよくないとは思うんだが。。でも唾液のことを考えない(=口の中の不快さを忘れている)のは、自分にとってはとても楽なんだけど。。

ま、それは置いておいて。

体調がイマイチなせいか、どうもちょっとしたことで「カチン」と来ちゃうことがあるようで。今日も昼間にFOXLIFE HDの「Queer Eye(日本だと「クィア・アイ♂♀ゲイ5のダサ男改造計画 シーズン3」って番組名なんだけど、なんで日本語だとこんな変なのになっちゃうんだろうね??)」を見てたんだけど、いつもは楽しめて見ているのに、今日は番組が始まった途端「なんで、ゲイじゃないといけないんだ!」って一人で怒りまくっていた。

この番組、わたしも毎回見ているわけじゃなく、今まで数回しか見たことないんだけど(それにあまり力を入れて見てないので、全部の内容を覚えてるわけじゃないんだけど(^^;)、毎回「ある依頼」があって(男女のカップルが記念日になにかしようとか、今日はなんというんだろう、ロータリークラブの一種と言えばいいのか、「地域の集会所」みたいなのでね、バーラウンジや玉突き場って古いなあ(笑)プール・バーというの?とかそういう部屋があって、多分そこでいろんな催し物があるんだろうけど、そこでは恵まれない子供のために寄付金を募っていて、そのための会員というか、場所というか。。うーん、日本ではそういうのは見かけないから、日本語でなんと言っていいのか分からないんだけど、わたしがシドニーにいた頃、ホームステイ先のすぐ近くにこんなのがあってね、腕が痛くなくなったら、そこでヨガをする予定だったんだけど。。ま、それはおいておいて、そこがあまり会員数も増えず、寄付金も集まらないってことから、なんとかしようということだったわけ。長い注だ)、「知性のコンシェルジェ」である5人のゲイたちが、いろいろ考えて、洋服を揃えたり、部屋の改装をしたり、料理を教えたり、まぁさまざまなことをして(このお金って一体どこから来るの?っていつも思う(^^;)、「センスの良いもの」(この場合、ソフィストケイトされたって言えばいいのかな)に変えていくのね。

で、最後は改装後の部屋に人が来て、その模様をそのゲイ5人は別のところで、そこに仕込まれたカメラで見て、あれこれ言って終わり、みたいな番組なんだけど(しかし、長い説明だ)。この番組、字幕放送で、そのゲイの中の1人(ファッション担当)だけ「オネエ言葉」で翻訳されてるのよね。あれ、実際、英語が分かる人が見てもあの人はオネエ言葉で話してるのかなってちょっと思ってるんだけどさ。

でもね、今日、ふと思ったのは「この5人、別にゲイじゃなくてもいいんじゃないの?」ってことで。。だって、ファッションセンスがある人だって、料理に優れた人だって、部屋の内装を考える人だって、別に「ゲイ」である必要性は全くないわけじゃん。「ヘテロ男性」だってそういう人、多分探せばいるんだろうし。。別に男性である必要性は全くなく、女性だっていいわけだし。

うーん、この5人がアメリカでどういう背景を持っている人たちなのか、わたしは全く知らないから、もしかしたらこの5人である必要性がどこかにあるのかも知れない。けど、なんとなく「ゲイはファッションセンスに優れている」とか「芸術性がある」っていう「ステレオタイプ」を一般の人に「植え付けてるんじゃないのかなー」って思わないこともないわけで。もちろん、ファッション界や芸術面でゲイの人がたくさんいるのは周知の事実だけど、これって本当に「物理的に」パーセンテージがヘテロセクシャルの人たちやレズビアンなんかに比べて高いのだろうか?ってふと思ったりしてね。

例えば日本なんかでは、まだカミングアウトしている有名人ってやっぱオネエ言葉使ってたり、どっちかというとファッションや芸術面での人が多いっていうか、それ以外の人いないし(苦笑)

でもわたしが知ってるゲイの人たちは特にそういう人たちばっかりじゃなくて。しかもオネエ言葉も多分、日常では使ってないだろうし(ふとしたときに出ちゃう人とかいそうだけどw)。全くオネエ言葉使えそうにない人も結構いるし。だから「マスコミに植え付けられているゲイのイメージ」って怖いと思うし、あと「イメージさえないレズビアン」ってのは、もっと怖いかも知れない(苦笑)だって一般の人が目にする「レズビアン」ってだいたいポルノビデオだろうしね~。。あとは「男に相手されそうにない顔」とか(笑)「見た目が男っぽい」とか(爆)←これ、わたしに当てはまるので、ちょっとシャクではある(爆)

でもあれだね、ゲイは「女に相手にされそうにない顔」って言われそうにないのに、なんでレズビアンはそういうイメージを持たれるのかねぇ?そういう理屈を付けた方がヘテロ男性のいい訳にでもなるのかな。でも理屈で「性的指向」は決まるわけじゃないので。。あとは男っぽい格好をする(=スカート全然穿かないとか)けど、別に「性別違和」は感じない、わたしはね。でも「性別違和」を感じる人は「本来の性別の格好」であろうとする傾向にあるようには感じる。その理由は簡単で「そういう格好をしなければ、そういう性別に見られないから」。でも本来「性別」ってそういうものなのかなぁ?わたしがどんな格好をしようと、どんな性格であろうと「女」であることは変わらないのと同じように、「性別違和」がある人がたとえ、その性別の格好に見えなくても、本人の思っている「性別」でいいじゃん、と思ったりもする。これ、以前の「ハートをつなごう」の性同一性障害第5弾を見て、そこに書こうと思って忘れてたことでもあるんだけど。ま、でもあそこでも書いたけどあれは「性同一性障害」で、トランスジェンダーのことじゃない。トランスジェンダーなら、トランスヴェスタイト(TV=異性装を好む人)とか、トランスジェンダー(=社会的なジェンダーが自分の肉体とは異なる人)とか、トランスセクシャル(TS=これが多分、性同一性障害にあたる)とか、それから、トランスジェンダーでも「男」でも「女」でもない(ある)(FtXまたはMtX)という人たちもいるし。。ただ、トランスジェンダーの共通点って多分「性別違和」を感じる人たち、なんだろうと思う。その行き着く先は個人個人で全く違うんだろうけど。そんで多分、その行き着く先が異なるのは、「性別違和」の感じ方の度合いなんだろうか、と思ったりもする。

って全然話が違う方向に逸れた(^^;

結局ね、わたしが言いたかったのは「ステレオタイプなイメージをマスコミによって作られてるんじゃないか」ってのがカチンと来る原因なのね。ただ、多分、アメリカと日本じゃ状況は異なるとも思うのね。ヨーロッパとも違うと思うのね(ヨーロッパなんかカミングアウトしてる政治家たくさんいるし)。だから、アメリカの一つの番組だけを取り上げてあーだこーだという必要性はないのかも知れないけど。でもこれが日本で見られるってことに、また日本での「ゲイのイメージ」っていうのができちゃうんじゃないかと思うと怖いのね。

でもあの番組のコンセプトはそのままにして、出演するメンバーをヘテロ男性5人とかヘテロ男性と女性の混合5人とかにすると、やっぱり番組としては面白くないのだろうか、と思う。確かに「ゲイトーク」は楽しくはあるんだけど、それをヘテロにした場合、それを上回るようなトークの楽しさってあるのかなぁ、とか。でもそれはその人達の個性としか言いようがないよね。。

彼女にこのことをブーブー文句たれてたら、「過渡期なんじゃない?」って言われたけど、本当にそうなんだろうか。「ゲイがゲイということを売り物にしない時期」は今後、来るのだろうか?

まぁ日本ではそれ以前に「一般的に持たれているゲイのイメージから掛け離れているゲイ」が公の場に出てくるか、ってことが問題なんだけどさ。「レズビアンもいますよ~」ってことが問題なんだけどさ。それをいうと「バイセクシャルもいますよ~」もそうだけどさ。

でも、そのことに関しても、ぐるぐると考えていることがあって。。それを書くとまた長くなるので、またの機会にでも。
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07-02 Wed , 2008
「ハートをつなごう」性同一性障害、第5弾を見て
一昨日と昨日、「ハートをつなごう」の性同一性障害、第5弾を見た。
んー、だけどね、わたしはこの「ハートをつなごう」に対しては、この4月の「ゲイ・レズビアン」で見たのが一番初めだったから、性同一性障害の第1弾から第4弾までは全く見てないんだ。だから、それまでどうこのテーマが扱われていたのかは知らない。ただ、一昨日と昨日の放送を見るに「手術するか、しなか」っていうことが一つの大きな問題になっているのかな?とは感じた。

性同一性障害は発達障害と同じく、司会を真ん中にして左側に「当事者の大人」(それも手術してしまった当事者)及び「精神科医」の人、右側は「性別違和を感じているが、手術をするかしないか悩んでいる若い当事者」みたいな感じだったかな。3人の若い当事者が出てきたが、すべてFtMだった。

一昨日の若い当事者は、自分の悩みを解決すべく、イギリスに語学留学し、その後も何カ国も旅行をしてきた人だった。持っていったビデオカメラで語学学校のクラスメートや先生、ホストファミリーなどの話を撮っていた。

んー、それを見るとね、わたしがシドニーに行った短いながら留学してたことと、すんごい状況が重なるんだな。あ、ただ、一つ違うのは、彼(と呼ばせてもらう)は「見た目」がどういう風に見られるのか、それが一番の問題なわけね。そりゃ「性別違和」を感じているんだから、自分の望む性で見られたい、というのはあるのに違いない。わたしはねー、「性別違和」は感じたことがないんだよね、もちろん。でもやっぱり望む性で見られたいわけね。「望む性で見られたい」という共通点はあるわけ。しかし、一方はそう見られるために「努力をする」。わたしは「努力しない」。それはさ、やっぱり自分の身体自体にわたしは違和感がないからなんだよ。「どういう服を着ようが、どういう髪型をしようが、わたしは女だから、見た目で判断して『男』と判断した方が間違っている」というのがわたし自身の大きな前提なんだ。

しかし彼は身体が女だ。「He?She?」とよく聞かれたと言っていたが、そう言われたら、彼は自分の説明をしなければならないだろう。そしてそれはわたしが英語でカミングアウトするのとは違って(だって、わたしの場合は「I'm gay.」だけで済むんだもん(爆))、身体は女だけど心は男だと言うことを、この、日本語でさえ言うのがめんどくさくなるような説明を英語でし続けてきたんだから、それは大変だよな、と思った。

あ、わたしの場合も男か女か分からない人たちがいて、それは中近東辺りからの留学生だったんだけど、ここら辺から来る人って結構不真面目な人が多くてね。授業に来たり来なかったり、来ても教科書はおろか、鉛筆なんかもぜーんぶ忘れてくるような人たちで、それでわたしはほとんどそういう人たちとは個人的には話さなかったんだけど、授業中ではペアを組まされたりするから、全く関わりがないってわけじゃない。すると彼らはわたしのことを「He」って言うんだよ(笑)で、先生から直されたりしてる。だけど、それが全く理解できないみたいで(絶対に女には見えなかったらしい?)、結局わたしはあの人達にとっては「He」だったのよね、最後まで。でも別にどーでもいいじゃん、って思ったから、わたしは訂正しなかった。

それからね、ホームステイ先からシェアハウスに行く際、2日ほどホテルに泊まったんだけど、1日目の夕飯は「マダム、マダム」と呼ばれて「あら~、わたしったら『マダム』なんだわ~」と思っていい気になってたんだけど、支払いの時にね、わたし、「クレジットカード使えますか」って聞いたんだ。そうしたらもちろん使える、と言って、わたしはそこでサインしてクレジット払いにしたわけ。

次の日ね、同じところに行って、同じように夕ご飯を食べたのね、そこで。そうしたらさ、前の人は違って、ウエイターさんが新聞持ってきたりするのよ。「No,thank you.(どーせ、持ってきても読めねーんだよ←心の中の叫び)」と言って断わったりしたんだけど、支払いの時にね、昨日と同じように「クレジットカードで払う」って言ったの。そうしたらね、「部屋の代金と一緒につけておきます」って言われたのよ。わたし、なんでだろう?と思ったんだけど、その翌日だったかなあ、請求書が部屋に来てて、見たら名前のところが「Mr.○○○○」になっててびっくりした。そういえば、なーんか人のことを「サー」って呼んでる感じがしたんだよね。。(←そのときには気がついてない)

でさぁ。同じところに同じように行っても、女性と男性の扱いってこんなに違うのねー、とかそんなことを感じてたんだけど。だからといってわたしの場合は「なーんだ、面白い体験しちゃった。日記のネタになるじゃん?」みたいな感じでしかなく、、実際に今、日記のネタにしてるのだけれど(苦笑)

でも彼らにしてみればただでさえ心と体の違和感があるから、そこら辺を間違われると傷つくのだろうか、と思ったりして。もうね、これは想像するしかないんだよね。心の性別で見られるのがやっぱり嬉しいんだろうなあ。そうじゃないときはどのくらい傷つくんだろう?とかね。一昨日の人は「砂漠で一人きりになってみたときに、やっぱり自分の身体が嫌で嫌で仕方なく思えて、手術をすることにした」って言ってたけど。。

昨日の放送の就職活動についてにしても、自分の時とオーバーラップした。

わたし、まともな就職活動というものはしてなかったんだけど、まぁそれでも面接とかはありますので、一応、リクルートスーツなるものを買ったのね。ええと、多分、女物。やっぱここで男物のスーツを着ると変じゃん?なので、まー、どーせ着るのは1回か2回だけよ、と思って着たんだけど。面接時は性別は間違われることはなく、というのは、名前みりゃ、女だって分かる名前してるからさ、わたし(外国人は分からないみたいだけどねw)。なーんも問題はなかったし、彼というのか彼女というのか、のように会社の人から「今後、スカートを穿かなければならなくなったときはどうしますか」なんてことは聞かれなかった。ま、当たり前よね。別にわたしは性別違和については言う必要ないし、そのときわたしはレズビアンだと自分で気がついてたけど、独り身だったから別に言う必要もなかったし。

で、入社式の時はそのリクルートスーツで行き、それから7年間はずーっとパンツっていうか、知ってた人は知ってたと思うけど、ジーンズで行ってました(爆)あ、本当にジーンズっぽいんじゃなく、色もののジーンズというか。。わたし、もともと一回着ると、その服が破れるほど着倒すので、会社に行くときも、自分で勝手に夏用のジーンズ(これはどっちかというとチノパン?)、冬用のジーンズとあと2本くらいあったっけ。上も同じ服を1週間くらい着て、それを4パターンくらいで回してました(爆)ま、サービス業ではあったけど、接客業ではなかったので、別にそれでもよかったのよね。逆に入社3年ほどは外行くときはつなぎ着て、油まみれになってたりしたよ(謎)

やっぱ職種によって随分違うと思うんだあ。うちはもともと女性が少ない部署だったので、ほとんど全く女性扱いされなかったから(夜中の3時に呼び出すなっつーの。自転車漕いで行きましたけどね、会社に。そのときは。行かなきゃいけなかったんで)、ほとんど職場での「男女差別」も「区別」もなかったように感じるし。。逆に「こっちは女なんだからさー、もっと大目にみろ!」とか思ってたりして(笑)

だから、思ったのは「性同一性障害(っていうより、もうテーマは「トランスジェンダー」なんじゃないの?)」と「同性愛」は、全然別のことなんだ。まぁそれはこっちは分かってるよね、もう。だけど見てる人で当事者じゃない人は、今後、「性同一性障害」と言うテーマと「同性愛」と言うテーマに対してごちゃごちゃになってしまう可能性があると感じた。だから、昨日の放送では尾辻さんが出てきたりしたんだろうけど。

で、気になったのは、昨日の「女性として就職する」って決めた人。今の日本は「性同一性障害」の方が「同性愛」よりも受け入れやすいから、自分は「性同一性障害じゃないか」って言ってたけど、そうなのか??ゲイやレズビアンでも自分の身体に少しでも「性別違和」を感じている人もいるのか?尾辻さんも割とそんなようなこと言ってたけど。。わたしは全く違う。うん、確か、親から聞かされたことで、わたしは全く覚えてはいないんだけど、すんごい小さいときに「立っておしっこをしていた」ことがあるという。そのとき、わたしは男になりたかったのだろうか?覚えていないことだから、そこのところがよく分からないのだけれど。。でも、第二次性徴を迎えたときは、全然違和感はなかった。んー、わたしの場合、あまり胸が発達しなかったし(-o-)、初潮も多分、遅い方だったんじゃないかな(中2の夏でしたから)。で、わき毛は全然生えてこないし(これは関係ない?(笑))、でも下の毛は知らないうちに生えそろってたし(ホント、気がついたら生えてたって感じ??)、保健体育の教科書で「女の人は身体に丸みを帯びてくる」とか書いてあったけど、わたし、それ以前に身長がボコボコ伸びていったので(中学に入るときは身長150cmあるかないかで、高校卒業したときは170cmはあったかな。それからまだ身長は伸び続け、今は172cmある)、なんかね、あまり「女になった」とは思えなかったんだよね。。(初潮を迎えたときはさすがに女になったと思いましたけど(笑))

レズビアンって自覚したのが、それよりもさらに遅かったからかなあ、わたしの場合。第二次性徴期と自分がレズビアンであると自覚したのにだいたい10年以上時間差があるから。だから、わたしの場合は自分のことを「性同一性障害(っていうか、トランスジェンダー)」って思わなかったのかも知れない。これが、自分の体つきは変わっていくわ、惹かれている性別が同性だったら、もしかしたら「(異性愛者であることが普通だから)自分は性を変えなければならないんじゃないか」と思う人も現われるのかもしれない。

あ、でも多分、わたしはそうは思わなかったと思う。だって、もう高校くらいの時から「わたしは女だ」って周囲に触れ回ってた(=それだけ男に間違われることが多かった)から。それは実は40歳になる今もほとんど状況は変わってない(涙)これから夏になると、Tシャツになるので、ない胸が強調されて周囲も女って見てくれるから、実は外出先でのトイレに行きやすい。これが冬になると最悪だ。だから、冬はほとんど外のトイレには行かないし、もし行かねばならない状況になると「男と間違われるんじゃないか」と思ってすごくドキドキする。そして自分が女子トイレの中に入っていくと、他の人の視線が一斉に自分に向いて「男が入ってきた!」って言われるんじゃないか、とかひそひそ話で「あの人、男じゃないかしら」って言ってるんじゃないかと本当に自意識過剰というのか、そうなってしまう。だから、冬にわたしがトイレに行くときは、身を縮こませ、なるべく上着は脱ぎ、ハンカチは女の人が持つような柄のものを持っていくとか、変なことに気を使ってしまう。前にまめたくんが「外出先でのトイレに苦労する」って言ってたけど、それはわたしも同じなんだよね。。

今思ったんだけど、これって多分「本来の性」に見られるために、性同一性障害の人と同じことをわたしもやっているのかも知れない。まぁ、でもわたしはスカートは穿かないけどね。スカートは生まれつき、好きじゃないんだな(笑)制服のスカートは好きだったけど。でも性別を間違えられる苦労はしているので、気持ちは分かるかも知れない。が、わたしはどんな格好をしても身体は女であることは確かなので「どういう格好をしようが女なんだよ!」と言える。けど、彼ら(彼女ら)は。。そこで「手術するかしないか」ってことになってくるのかも知れない。

話を元に戻そう。世の中に出回っている情報によって「同性愛」でなく「性同一性障害」ではないかと思う人もいる、ということが、昨日の番組を見て初めて分かったんだけど。確かに一般的には「異性愛者中心」の世の中だから、同性を好きになると、自分は異性に変わらなきゃならないって思う構図は、この世の中には比較的受け入れやすいのだろう。だから、同性愛よりも性同一性障害の方が法律ができるのが早かったのかも知れない(ここら辺のロビー活動については、全く知らないので憶測)。ドラマも同性愛ものはどうも当事者にしてみると「へん」なんだけど(一回ね「ロマンス」ってテレビドラマを見たんだけど「???」だったわ。それこそなんで同性を好きになったらいきなり「女装」しなきゃなんないのよ!と思ったわ)、性同一性障害をテーマにしたドラマは(ホント、見たことないんだけど(苦笑))、真面目に取り上げられているものが多いよね。。うーん、ここら辺の違いはなんなんだろうか。

しかし、一昨日の最後、レインボーカレッジの「LGBTユース」の問題だったかな、あれを放映しているのを見て「こりゃあ、今後、同性愛と性同一性障害を本当に厳格に分けなきゃ、番組がごちゃごちゃするぞ」と思った。しかも、テーマ自体「性同一性障害」でなく「トランスジェンダー」にした方がいいのでは。。とも思った。だって、性同一性障害はトランスジェンダーの一部でしかないんだもの。「性別違和」は感じつつ、手術を望まない人は、性同一性障害じゃないし、しかももちろん「同性愛者」でもない(「同性愛」とは関係がない)。でも「性的少数者」には入るのだ。でも、前にも書いたように先に「性同一性障害」って言葉が一人歩きした感じがするからな。。

性同一性障害と同性愛はもちろん、全然違う。性同一性障害であり、なおかつ同性愛者って人は存在するのだ。そういう人を番組に出して説明したら、分かりやすいかも知れないね。。もしテーマを「性同一性障害」から「トランスジェンダー」に変えたなら、わたしはそっちの方がすっきりする。けど、多分、一般の人に説明しようとしたら、30分番組が何回あっても分からないかも知れないな。けど、ひっくり返して言えば、それだけトランスジェンダーって難しいんだよ。多分、人の数だけ考え方があると思う。一括りにして言えないものなのだ。で、そこにはちょっと「フェミ」も入ってるので、わたしはそこら辺、ちょっと避けて通ってます。。(汗)

しかし、どうもトランスジェンダー(性同一性障害)の人ってやはり「自分」の問題だから、それを解決しつつ、そして他者との付き合い、主に恋愛なんかに向き合っていくのは難しいんじゃないかなあと感じた。だって、自分が揺らいでいるのに、他人との関係を構築していくのってすごく難しいと思うのだ。だからね、わたしはNHKにもう感想を送っちゃったんだけど(笑)、トランスジェンダー(性同一性障害)の人をパートナーとする人たちは、一体、どうやって相手を受け入れるのかなと思ったよ。

で、やっぱ「同性愛者であるわたし」は、性同一性障害の番組を見ながらも「この人は異性愛者なんだろうか、同性愛者なんだろうか」ってそればっかり思ってたんだよね。。レズビアンの出会い系サイトでは、トランス(FtM)の人がよく入ってきてて、それで議論になるんだよね。。トランスの人はすごく嫌われている。それは「女性のパートナーを探すのなら、レズビアンではなく、ヘテロの女性を探せ」と言うわけだ。レズビアンは相手の性別が女性でないといけないので、ノンケのFtMは対象外なんだよね。だからFtMでヘテロだったら、普通の男女の出会い系サイトに行け、というわけだ。

逆にゲイの出会い系サイトでMtFがパートナー募集とかやってんだろうか?と思ったりする。ゲイの出会い系サイトは覗いたことがないので(爆)、そういうことが起こったりしてるのかさえ知らないけれど。でも多分、なさそうな気がするなあ。

なんかだんだん混沌としてくるなあ、と思いつつ見ていた今回の「ハートをつなごう」だった。

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04-29 Tue , 2008
ハートをつなごう2日目
今日はストレートな題名で(笑)

テーマは「カミングアウト」。
まぁ、この番組の企画自体が「カミングアウト・レターズ」からって話だから(http://www.tokyowrestling.com/articles/2008/04/nhk_heart1.html)、カミングアウトは避けて通れない話だったのかも知れないけど、まぁこの本がなくても、同性愛者(性的少数者もだけど)にとって避けて通れないのはカミングアウトだと思う。

もちろん、誰でも誰にでもカミングアウトしなきゃならないとか、そんなことは思ってはいないんだけど。でも結構、今は誰にでもカミングアウトしちゃっている自分にとっては、おそらくカミングアウトをしたことがない人の気持ちは既に忘れてしまっているように思う。もう開き直っちゃってるからね~。最初に誰にカミングアウトしたかも忘れてるしね~。アウティングされてもいいとも思ってるしね~(笑)今、わたしには失うものは何もないからさ。

ただ、番組を見てたらやっぱ泣けた~。わたし自身、カミングアウトして今まで拒絶された経験ってのはないけど、想像はできるわけ。今はもう「いいよ、拒絶されても」と思ってるけど、やっぱ最初の頃は「この人だったら受け入れてくれるかも」って人に対してだけしてたし、前にも書いたけど、カミングアウトって異性愛者が自分の好きな人に「好きです」っていう行為に割と似てると思うのね。本当の自分の気持ちを言うわけだからさ。「あなたを信頼しています」ってこととカミングアウトは多分、同じような意味を持つんだと思う。で、それが拒絶されたら信頼している人を失うことになってしまう。やりきれないよね、これは。失恋に似てるんじゃないかな、と経験のないわたしが言うのもなんだけど(苦笑)

そういえば、番組の中で渡辺くんの異性愛者の友人が「異性愛者は人を好きになったときにその理由が『異性だから』ってことはまず言わないですよね」って言ったことが印象的だったな。顔とか、性格とか、、そういうことで好きになるのって、異性愛者も同性愛者も同じなんだよね、本当は。もちろん「前提として」相手が異性か同性かってのはあるんだけれども。でも異性愛者はそれを感じず、同性愛者はそれを感じる。まー、マイノリティーだからそれは仕方がないのかも知れない。好きになっちゃった人が異性愛者だってことも有り得るしね。。もちろん、確率的には少ないけれども好きになっちゃった人が同性愛者でっていう異性愛者の人もいるけどね。

しかし「同性愛」をテーマにしようとしてできなかった高校生に対して、教師が「ムーミン谷」を勧めたのは、ムーミンの著者のトーベ・ヤンソンは実はレズビアンだった、ってことを知ってたのかしら、とカミングアウト・レターズを読んだときから思ってたんだけど、どうなのかしら。。?そこんとこが疑問だ。。

最後は親へのカミングアウトの問題。あのレズビアンの子が「親に一回言ったけど理解してくれなくて」って話しているとき、画面の下に尾辻さんの顔がずっと写ってたんだけど、泣きそうな顔をしてたよね。わたしもあの気持ち、すんごくよく分かった。石川さんも「父親が分かるまでに何年もかかった」って言ってたけど、ホント、親へのカミングアウトって1回じゃダメなんだよね。。これはわたしも感じてる。で、どーせ本当のところは分からないんだろうなとも感じている。親への場合は友だちと違って、受け入れてくれなかったら関係が切れる、ってことはない。それこそ言いたくないことを何度も何度も言わないと分かってもらえない。それも時間を掛けてね。ま、パートナーが既にいれば、話は早く進むとは思うけど(笑)それでもやっぱり「うーん」って思うことがあるよ。まぁ、これはわたし、少し前に書いたことだからもう書かないけどさ。

親へのカミングアウトってしたら終わりじゃなく、それが始まり。そしてそれから親だけではなく、親戚や身内やいろんな人、どこまでどうするのかも考えなければならない。今、わたしはそういうところにいる。まぁこれも時間がかかることだけれども。しかもどこに向かうか全然分かってないけども。

そうそう、尾辻さんのお母さんが「NPO法人 LGBTの家族と友人をつなぐ会」のフリップを持って登場したのに、全然写してくれなかったよね(苦笑)あの会のHPは、

NPO法人 LGBTの家族と友人をつなぐ会

ここですだ(笑)尾辻さんのお母さん、ちょいと髪の毛黒く染めてなかったかな~?(爆)

番組としては昨日と今日、2回やったけれども、うーん、どうなんだろう。
「同性愛者としてのつらさ」は結構出ていたような感じもする。同性愛者の今置かれている現状、みたいな感じかな。ただ、、わたしとしては、こういうのは既に自分が経験したり、あとはその話についてもう知っていたりすることばかりだったので、実はあれを異性愛者やあと、自分が同性愛者じゃないかと思っている人たちがどう見てどう感じたかはよく分からない。1回目は自分が同性愛者じゃないかと思っている人たちにとっては結構勇気づけられるような話だったかなとは思うけど。。2回目は当事者のつらさとその当事者のつらさを分かってください、みたいな内容だったかなあ~。

もし続編があるとしたら「フツーに生きてるゲイの日常」(あれ、どっかのブログのタイトルじゃん(爆))みたいなことが取り上げられるといいなと思う。普通にカップルで暮らしている同性愛者の日常とかさ、多分、異性愛者のカップルとそうたいした違いはない暮らしをしてると思うし。けど、決定的に違うのは、法律で守られているか守られてないか、そこだってことね。まー、そこまで切り込むのは難しいかな。だいたいカップルで顔出しOKってところが難関だろうしねー。ホントは幸せに暮らしているカップルなんてゴロゴロいるのにね。。

しかし「ゲイ・レズビアン」というテーマなのに「新宿二丁目」という言葉が一切出てこなかったことは、もしかしたらすごく斬新だったかも知れない!オネエキャラもオカマ言葉もそれから一部、顔出していない人もいたけど、顔にぼかしが入っていたり、声が反転してなかったりしてなかったことは、画期的なことだったのかも知れない。まぁ、'90年代のゲイ・ブームのときもドキュメンタリーみたいな番組でこういうのはあったりしたんだけどね。。実は。あれ以降、今までほとんどこういう番組がなかったから、今度は少しずつでも継続して取り上げられたらいいなと思う。

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04-28 Mon , 2008
ありがとう
今日は、20時からNHK教育でやった「ハートをつなごう」の感想を書く人が多いだろうなと思ってるんだけど(笑)

わたしの方は、いろいろ。
今日は病院に行った。結論から言うと、朝と昼に飲んでいるレキソタンが減った。メイラックスを朝と晩、レキソタンを晩2錠、それと寝る前に睡眠剤。それだけになった。実はここ3日、ずっと頭が痛くて。。何回か市販の頭痛薬や偏頭痛薬を飲んだんだけど、そのときは効くのね。でも、時が経つとまた痛くなってくる。我慢しきれないほどの痛みじゃないけど、なんかズキズキする。もしかしたら薬の副作用じゃないかなと思ってたのね。で、主治医に聞いてみたら「あり得ますね」とのこと。わたしの身体って、便利にできてて身体がもうこの薬必要ないと思ったら、その薬の副作用が出てくるのね。。便利なんだけど、いきなり変な症状が現れるし、それも気持ちがいいものじゃないから、本人としてはいい迷惑。

まー、これで昼間の異常な眠さと頭痛が治まってくれればいいなと思っている。

で、病院から帰ってきてから、疲れて夕食までずっと寝ていたんだけど、気がついたらなんかメールが来ていた。件名が「M(仮名ね)です」って。。Mさんってわたしが勤めてた会社の元同僚で、仕事中、熱心に遊んでましたよねー(爆)ウソウソ。勉強の毎日でした。なんてったって、わたしは何も知らなかったので。。(苦笑)で、その人はシドニーに行く前の壮行会でカミングアウトしてる人だったのね。「Iさん(この人も壮行会に出てくれた人)がわたしがブログ持っているってことを言ってて、そのとき『ろんちゃん』と『留学』で検索かければ出てきます」って教わったって言うんだけど、その「ろんちゃん」を忘れてしまったらしい(苦笑)なので、知ってる事を並べて検索かけたら、見事に引っかかって(これってすごいよね(笑))、それで探し出してくれたらしい。

そうそう、そのIさんもわたしが日本に戻ってきていることを知っているみたいで、一度、メールが来たんだけど、わたし、そのとき一番体調が悪いときでPCさえ見てなくて、そのままにしてあるんだー(苦笑)そういえば、別のMさんからも一回電話があったんだよね、携帯に。あのとき、わたしの携帯は充電池が壊れてて5分と持たず、しかも誰とも話したくなかったんで、無視しちゃったんだけど(苦笑)、あー、やば。みんな、もしかしたら心配してくれてる????でも完治したらって思ってたんだよなー。。

3月はほとんど1ヶ月、実家に行ってたわけだけど、病院が実は会社の近くでさ、わたしの予約はいつも昼頃だったので、狭い街だし、もしかしたら誰かに会うかもーって思ってたら、案の定、病院から出たところでKさん(Kさんっていっぱいいますね(笑))に会っちゃって「あれ?今、オーストラリアに行ってるんじゃなかったっけ?」って言われちゃったんだよねー(苦笑)で、今年度からうちの会社、また組織改編があって、Kさん(わたしがそのとき会ったKさんじゃない)が課長になるんだよって教えてもらって、それから「こっちにいるんだったら寄りなさい」って言われたんだけど、わたし、元職場でカミングアウトしている人としてない人とゴチャゴチャになってて、しかも元の職場に何しに行けっちゅーんじゃ。みんな、仕事してるのに。。(笑)ま、そのお言葉は嬉しかったですけど。

で、あ、そうだ。数日前、会社の人事(といっても偉い人ね)が地元紙に載ってたんだと思ってチェックしてみたら、、よーわけの分からん組織になってましたね(苦笑)だけどIさん(上のIさんとは違う人で、この人はわたしの初任地でわたしの直属の係長さんでした)が出世してて、思わず「あー、、かわいそう」って思っちゃったのでした(笑)出世してかわいそうってことはないかも知れないけど、でも実際、上に立つ人の苦労ってすんごい大変だと思う。まー、仕事ができる人は仕方ないわな。。

でもそうそう、わたしのメアドに「masou」が付いていること、Mさんには見られたくなかったー(笑)「masou」ってね、サクラマスだったかなあ~、の学名なんだよね。よく人から「『あそう』さんかと思いましたー」とか言われますけど、masouって見る人が見たらすぐに「この人、水産関係の人だ」って分かってしまうので、ちょっとビクビクしながら使ってました(苦笑)つーか、これのメアドを決めるとき、どうにもいいものが浮かび上がらなかったんで「新水産ハンドブック」をえいっ!って開いて、適当に決めたんだよね。。(爆)ほら、学名って一般にはながーいけど、これは適当に短かったし。わたし自身、魚の学名は実は疎かったし。。(生物系じゃないもんでね)ま、ばれたんでばらしました(笑)

それから「ハートをつなごう」の感想。まー、なかなかよかったと思います。中でも「石田衣良」さんが「自分の子供も将来恋人ができたとして、それが同性でも異性でもよかったねと言ってやりたい」って言ったところが当事者としては嬉しかったかなー。なかなかね、人のこととして理解してくれる人はいるけれども、それを自分のこととして自分の子供がそうだったら、とか身内がそうだったら、と思う人って少ないと思うのね。だから、あの言葉には素直に感動した。

あと教師には「彼女(彼氏)できたか?」と聞くよりも「恋人はできたか?」って性を限定しない言い方をした方がいいって話されたとき、思い出しちゃった。。わたしさぁ、初任地の職場で隣の係長からかなり頻繁に「彼女できた?」って言われてたんだよねー。。わたしはその頃、もちろん、自分が同性愛者だとは分かってたけど、もちろんカミングアウトしてなかったわけで「なんでそんなこと聞かれるんだろう」と思いつつ、本当にその頃は彼女がいなかったので「できません」って答えてたんだけどさ(苦笑)彼女ができたあとにそう聞かれたら、わたしはどう答えてただろうね。。?

そうそう、Mさんとわたしが隣の席に座っていたときに、ある人の訃報が回ってきたことがありました。これ、前に書いたかも知れないけど。わたしはあの頃、結構同じ同性愛者の人のHPを探して読んでて、その人の日記にうちの職場以外使われない言葉が書いてあったので、つい、その人にメールしたのです。「あなたは○○に勤めてますか。わたしもそうです」って。そうしたら、やはりそうでした。わたしが○○の事務所に勤務している、と言ったら、彼もそこに過去、勤務したことがあって、お気に入りの男性がいたそうです。その人は総務畑の人だったので「もしかしたらいつか、同じ事務所になるかも知れませんねー」って書いてたんです。が、メールをやりとりするようになって数ヶ月後、彼は病気でなくなりました。病院から何回もメールが来たり、彼のHPには病気で入院している、と書かれてました。しばらく連絡ないな、と思ってあるとき、彼のHPを見たら、偶然、彼の友人の手で彼がガンで亡くなったと書いてありました。その翌日、職場に彼の訃報が回覧されました。

あなたは「なんでこの人亡くなったんだろうね?」とわたしに聞きました。そりゃ、30代で亡くなったから、普通はそう思うでしょう。わたしは、、何が原因でなくなったか、もちろん知ってました。が、わたしはそのとき「さぁ、どうしてでしょうね」と誤魔化すことしかできなかった。本当はメールでやりとりしていた人だったのに。そのことは今でも鮮明に思い出されます。わたしは怖かった。「いやあ、偶然、彼がHPを持ってることを知って、メールでやりとりしてたんですよ」って答えたかった。けど「どういうHP?」って聞かれたら、、「いや、たまたまゲイの人だったんですよ」という答えはわたしには思いも付かなかった。そういうHPを読む人は、そういう人だって、そう思われると思いこんでた。多分、当事者のつらさってそういうものだと思います。

今ではもし隠すのであれば(もう隠す気ないけど)「いやあ、自分の身近な人に性的少数者の人がいて、それでそういう人たちってどういう人たちなんだろうと思っていろいろ調べてたんですよ」とかなんとか言い訳できたのに、って思う。でも当時はそういう余裕はなかったです、わたしは。

わたしは自分がレズビアンであることについては、ほとんど悩まなかったけれども(今日の番組では学校の中でのゲイやレズビアンについていろいろ言われてたけど、わたし自身は自分自身のことに気がついたのは大学時代、それも4年の時だったのでそれ以前はなーんとも思ってなかったのですね。学校でアイドルの話なんかしなかったしね。こういう「奥手」のレズビアンもいます(笑))、それでも自分が気がついてからはやっぱり「人には言えない」と思ってました。ま、幸い長いこと恋人もいませんでしたしね(苦笑)でも多分、あのまま今も会社に勤めていたら、わたしは恋人の存在を隠し続けていたことでしょう。そんな気がします。

だって、あの頃だって、野球に夢中で、いろんなところに行って「ここに観に行きました、今度はあそこに観に行きます」って言ってましたけど、そしてそれは嘘ではなかったですけど、何も言わなかった週末や3連休は必ず彼女がうちに来ていたか、わたしが東京に彼女に会いに行っていました。でもそのことはわたしは何も言わなかった、いえ、言えなかった。そういう当事者がまだ、多分うちの会社にもいることでしょう。人権学習会では是非、特定の差別問題でなく、こういうことも取り上げて欲しいと思ってましたよ、いつも(笑)もし、今でもやってるんだったらわたし、話に行きますよ、喜んで(爆)

なんか昔話になっちゃったな。。

でもこうやって、昔の同僚が気に掛けてくれることって本当に嬉しいです。
Mさん、ありがとうございます。
って個人的にはまたメールしますね(笑)

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04-27 Sun , 2008
まだ眠い
今日は11時頃起きて、朝ご飯(わたしにとってはあくまでも朝ご飯!!←強調)を食べたあと、ちょっとしたら眠くなったので寝たら、起きたら3時過ぎてて、それから昼ご飯(あくまでも昼ご飯!!)。今ねー、薬飲んでるので、1日3食食べなきゃいけないんだよねー。。で、その後また昼寝。8時頃、篤姫見ながら夕食食べて、これから寝るとこー。

っていうか、なんでこんなに眠いんだろう。。
明日って多分、病院の日だったような。。ちゃんと起きなきゃ(汗)

そーいや、明日と明後日は「ハートをつなごう」が放映される日ですね。忘れずに見ないと。ま、NHKだから忘れないでしょう(爆)

ハートをつなごう

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