03-10 Sun , 2019
つきあい始めて何年経ったんだっけ?
3月10日は東京大空襲の日であり、わたしたちがつきあい始めた日というのは覚えてるんだけど、何年経ったっけ?
去年の日記の題名が「つきあい始めて丸17年」だったので、18年が過ぎ、これからは19年目に突入するらしい。 ここ最近はちょっといろいろあってすごく忙しい日々を過ごしており、今後もまだまだ忙しい日々が続きそうなので、特別に何かって考える余裕はちょっとないのだが、まぁ一応日にちは覚えてるってことで書いておく。 |
04-30 Mon , 2018
猫真菌症顛末記
今年が始まったばかりの1月5日のこと。うちの猫(陣馬)の目の上にハゲができていることに気が付いた。
![]() 翌日、すぐに動物病院に連れて行ったら、下のような薬が出た。この薬はケンカの傷も含め、幅広くハゲに効く薬らしい。ただ獣医さんは禿げたところに傷がないので、これはケンカ傷ではなく、真菌症による皮膚炎だろうと言った。毛が生えてくるのは月単位だから、そんなにすぐには生えてこないよ、とも言われた。 ![]() そのとき出た薬。これで薬を付けながら様子を見ていたのだが、獣医さんの「そんなにすぐには生えてこない」という言葉を信じて、なかなか治らないのも仕方がないと思っていたら、そのほぼ2ヶ月後の3月初旬、なんとハゲが広がっていた。 ![]() そういえば、この間、薬を付けているときはそんなに広がっている気がしないのだが、何日か薬を付け忘れると、ハゲが広がっているような気がしてたんだよね。。で、3月3日に再び動物病院に連れて行った。そうしたら「広がってますね-。今度は真菌症に特化した薬にします」と言って、下の薬が出た。 ![]() わたしはこの時点でハゲが広がってしまったことにとてもショックを受けてた。1月に動物病院に行ったときに獣医さんはそんなに大したことないような風に話してたので、薬を付けたらすぐに治るんだろうって思ってたんだよね。それが、「早期発見」したのにもかかわらず、ハゲが広がってしまって。。こりゃ、高尾にゃんが子猫の時に血尿になったときのように、ネットで対処法を勉強しないと、と思って、猫の真菌症でたくさん調べた。 そうすると、たいてい、猫の真菌症は、 ・免疫力の落ちた子猫か老猫がかかりやすい ・夏のじめじめした季節に菌が増殖する(人間の水虫と同じ) ・治すのは非常に厄介で、身体のあちこちにハゲができることがある ・真菌症は猫にも移るし、人にも移る。猫はそんなにかゆみがないが、人間がかかったら非常に痒い って書いてある。うーん、、、(汗)陣馬は今、5才の立派な大人の猫だし、じめじめするどころか乾燥しきってる冬になってるじゃん。免疫力が落ちてたから真菌症になったんだろうとはいえ、なんでこの猫が真菌症になるんだろう???って不思議だった。いや、不思議なのは今でもそうだけど。 でね。対処法としてハゲになってる部分を洗うだとか(しっぽとかだったらできそうだけど)、菌の進行を食い止めるためにフケを取り除くとか(フケに見えるのがどうやら真菌の塊っぽい)、とにかく「菌を取り除くのが先決」らしく、そのためのいろんなことが書いてあったので、「そっか」と思って一生懸命ティッシュとか綿棒などを使ってフケを取り除いてたの。そうしたら周辺の毛がいとも簡単に抜けちゃって、ハゲがどんどん拡大してしまった。しかもフケを取り除いたあとに薬を付けると、陣馬は気になるのかすぐに顔を洗い出す。「こりゃまずい」と思い、エリザベスカラーをペットショップで買ってきて、薬を塗ったあと2時間くらい付けたりしていた。エリザベスカラーを付けられた陣馬は首が重いのか、首をうなだれたままずっとその場で立ち尽くしている。見ているとかわいそうだった。 ![]() これは3月9日の状態。こんなに禿げると今度は塗る薬の量が大量になって来て、薬が見る間になくなってきた。仕方がないので薬をもらうために、陣馬本体は連れて行かず、ハゲ画像を何枚か撮って3月18日に動物病院に持って行った。なんせ、2回目に連れて行ったときに、真菌症だから周囲に移しちゃ大変だってことで病院の方がかなり他の患畜さんに気を遣ってるのかな?ってことが見て分かったからだ。 ![]() この画像、3回目の病院に連れてく前日、3月17日の画像だけど、このときが一番ひどかった(毛が生えているように見えるが、禿げているところの皮膚は黒くなっていて、その上に薬を付けているので黒光りしている)。この日はわたしが動物病院には行かず、彼女が連れて行ったのだが、獣医さんは撮った画像数枚じっくり見ていたそうだ。そして「普通、こんなにハゲが広がることはありません」と言われたそうだ。陣馬のハゲは炎症がひどくなったものらしかった。それは、薬が気になるのでそこの部分を触るのが原因、触ることによって周辺にどんどん炎症が広がってハゲが広がる、ということらしかった。そして対処法として ・薬を塗り、毛が生えてくるまでずっとエリザベスカラーを付ける ・薬を塗らずに放置 この2つだと言われた。毛が生えてくるまで月単位かかる、ということは、薬を塗るなら数ヶ月、エリザベスカラーを付けておくと言うことだ。たった2時間でも見てるのがかわいそうで仕方がないというのに、数ヶ月も付けてるのを見てるなんてできない、と思って、「本当に放置して大丈夫なのか??」と思ったけど、その日限りで薬を塗らずに放置しておくことにした。 しばらくはフケがずっと出続けているようだった。ネットで「これは真菌の塊」って書いてあったので、それによってハゲが広がらないかとても不安だったが、薬を付けないって決めたので放置しておいた。すると、半月ほどでフケが自然となくなり、うっすらと毛が生えてきた。 ![]() これは4月6日。うーん、陣馬を無理矢理抱っこして、綿棒でグリグリやってたあの時間は一体何だったんだろう。。?? ![]() これが4月16日。光の加減でちょっと薄くなってるように見えるが、順調に生えそろってきている。 ![]() そしてこれが今日、4月30日。まだもうちょっと「ああ、ここがハゲだったなあ」って分かるが、でもほとんど違和感がなくなっている。獣医さんから「月単位で」と言われたけど、一番ひどいときから毛がうっすら生え始めたのは半月後。ほとんど生えそろうのに約1ヶ月半。思ってたよりずいぶん早かった。 しかし、放置していいのだったら、最初から「放置しろ」って言ってくれよー獣医さん、って思うが、猫の中には薬を塗られてもまったく気にしない猫もいるってことで、薬を出したらしい。しかしそれだったら、2回目に行ったときに「触ってたら薬は塗らないでもいいよ」って言って欲しかった。。そして、これは今回のうちの猫の場合だが、 ネットの情報はときには危ういことがある ってこと。特にうちの猫は子猫や老猫ではない。子猫とか老猫ならそういう対処法を取った方がいいのかも知れない。けど、それは、もしかしたら一般的な方法じゃなかったのかも知れない。ただ、真菌症の対応を書いたネット情報は、禿げてる画像はたくさん載ってたが、「これを続けていたら治りました」って画像が見当たらなくて、「本当にこの方法が信用できるのかな?」って少し思ったことは確か。 ってわけで、うちの5才になる猫が冬に真菌症にかかったときの対処法は 敢えて何もしない ことで完治することが分かった。 |
03-10 Sat , 2018
つきあい始めて丸17年
毎年書いてるが、今日は東京大空襲だった日なのと、わたしたちがつきあい始めた日。
2001年の今日からなので、丸17年経ったことになる。 (17×365+4)=6,209(日) 6,209×24=149,016(時間) 6,209×24×3,600=536,457,600(秒) こういう風に数字で表すと、なんかすごい数字になってるのね。 特に秒で表すと、5億秒超えてるんだってさ。 とまあ、なんて長い年月、と思うけども、 この間、わたしの感情も結構変わったよな~というのをここ数年、毎年毎年書いているような気がしている。 「もしかしたら、わたしは一人でいた方が気楽なんじゃあ」って思うことも多々ある。 「なんで一緒に暮らしてるんだろ?」って思うことも多々ある。 もうだいぶ前からだけど「もし、わたしが自分のことをレズビアンだって気が付いたときに、アセクシャル(無性愛:恋愛しない性的指向)って言葉を知ってたら、レズビアン自認じゃなくアセクシャル自認だったかも知れない」って思うことがある。わたしはそれくらい、あまり人を好きになったりしない。 まぁただ、彼女のこと好きじゃなかったのかと言われると、そうではないのだけど。。 が、今は「一人になりたい」って考えるような時間があるわけじゃないし、 何より上に示したように、これだけの時間を積み重ねてきたという思いもある。 これだけの時間を積み重ねてきた関係というのは、ちょっとやそっとじゃ切れない感覚がある。 例え、法律的には何の関係にもならないにしてもね。 (そう、これだけ年月を重ねたとしても、 医療保護入院の際の同意は彼女にはできない 成年後見制度の申立人にも彼女はなれない これはほんの一部の例だけど、 法律はたいてい配偶者、○等親以内の親族、 ってなってて、法律関係のない人は原則赤の他人) まぁ今は、彼女との関係を振り返ったり考えるヒマがないほど、自分自身のことでキュウキュウしているので、落ち着いたらじっくり考えてみたいと思ってるんだけど、そんな日がいつか来るのかね~? 最近、身体の調子も精神の調子もめっちゃよくない。 身体はあちこち痛いし、疲れてるのに今月中に絶対にレポート3つ提出しなければならない。 おまけにこの国は相変わらず隠せばいい捨てればいい、時間引き延ばせばそのうち国民は馬鹿だから忘れるって思ってて正義なんてこれっぽっちもないし、 正義がなくても「別に自分は関係ない」とか「政治の話は興味ない」ってのほほんと暮らしてる人が多数だし。 そして、何より自分自身が調子が悪く、なにもできていないことに一番腹が立つ。 なんか息してるだけでも疲れる、今日この頃。 |
01-12 Fri , 2018
01-02 Tue , 2018
10-29 Sun , 2017
06-13 Tue , 2017
高尾にゃん、腎不全ではなかった?
今年2月膀胱炎になって動物病院に行って検査した結果、偶然、Creの値が高く「初期の腎不全です」と診断された高尾にゃん。
本来なら5月に再検査をする予定だったんだけど、5月のほとんどは昨日も書いたようにわたしの調子がすごく悪くて動物病院に連れて行けなかったため、5月の終わりの方だったかにやっと検査することができた。ちょうど行く前におしっこも採取できたので、おしっこも一緒に持って行った。 今回は高尾にゃんが採血するときは、わたしは診察室から出させてもらった。2月に採血したときに家に帰ってから丸1日暗くて寒いところにずっとうずくまってご飯も食べようとしなかったのは、身体の調子が悪いからだけじゃなく、「ままに自分が抑えつけられて屈辱的な姿を見られた!」というショックが大きかった気がしたからだ。 診察室を出て、再び呼ばれるまで不安だった。わたしがいなくても高尾にゃんはまたおしっこを引っかけたり、獣医さんに噛み付きそうになってエリカラ付けられたらどうしよう、、って思った。 少しして診察室に呼ばれた。獣医さんから「なんで出てったんですか?」って聞かれた。だから「2月の採血の時は暴れてエリカラを付けられたんだけど、わたしの見ている前で採血したのでそんなになったのかなと思ったからです」って答えたら、獣医さんに「飼い主さんの感は当たりましたね。すごくおとなしくてすんなり取れましたよ」と言われた。採血結果は外注なので、その日はすぐ出ない。数日後に来るように言われた。診察室を出てお金を払うときに動物看護師さんから「高尾ちゃんは犬みたいですね。犬も飼い主さんが見ている前では甘えちゃってうまく取らせてくれないときがあるので、飼い主さんに出ていってもらうことがあるんです」と言われた。わたしは「いや、高尾にゃんは甘えてるんじゃなくて、抑えつけられている恰好をわたしに見られるのが屈辱的って思ってるからなんだよ」って思ったけど、めんどくさいので言わなかった。高尾にゃんは昔から人に自分の弱いところを見せるのがとても嫌いなのだ。ばこはそう思わないみたいだけど。ばこの頭の中は「強い」とか「弱い」とかいう概念がまったくなさそうだ。なのでばこにも弱みを見せたくない高尾にゃんは、自分が見られたくない姿をばこに見られたと分かるとばこに向かって「シャー!」って怒り、それが強いとか弱いとかの概念とまったく結びついてないばこは、いつも「なんで怒られたんだろう?」という顔をする。猫もいろんな性格があるよなーといつも思う。 その後、家に連れて帰ってキャリーから出しても、高尾にゃんの様子は普段と変わらなかった。やっぱり高尾にゃんの場合は採血しているところをわたしが見てはダメみたいだ。 数日後、動物病院に結果を聞きに行った。今回、検査を外注したのはSDMAという猫の腎不全の新しい指標?みたいなのが最近できて、それがどうなっているかを調べるためだったが、正常範囲は0-14(μg/dl)のところ、高尾にゃんは5だった。ので、正常範囲に入っていた。また、今回のCreの値も1.5mg/dlで、ぎりぎりではあったが正常範囲に入っていた(1.6までが正常範囲)。 獣医さんの説明では、従来Cre(クレアチニン)が上がらないと猫が腎不全になってるかどうか分からなかったが、Creが上がってくる状態は腎臓の残存機能が33%しかないらしい。それが去年から新しい指標になったSDMAは腎臓の残存機能が4~5割のところで上がりだすために、Creより早い時期に腎不全が分かって、早めに手を打てるとのことだった。ただ、このSDMAはまだデータが蓄積されていないので、分からない部分も多数あるらしい。 また尿検査の結果は全くの正常、ただ比重が1.010とこの年齢にしては低く、腎不全の猫と同じくらい薄いおしっこだと言われた。が、うちは2月に異常が出て以来、1回に餌に混ぜて飲ませるお湯の量を40ccから60ccに増やしている。そのことも影響しているかもとは言っていた。 とにかく、今回の高尾にゃんの血液検査の結果だけを見ると「腎不全ではない」としか言えない、と言っていた。が、高尾にゃんは今までCreが2回、高かったことがある。それを考えると手放しで「腎不全ではないとは言い切れない」と言われた。それから、ヘモグロビン値が高い猫はCreも高くなることがあるらしい。高尾にゃんはわたしに似ずヘモグロビン値が高く(わたしはいつも貧血なのに。。)、そうだからかね~?みたいな話になったが、でもヘモグロビン値が高くてもCreは大抵正常範囲内だったので、整合性がない。2月から今までずっと毎日1錠、薬を飲ませていたが、それは血管拡張の薬で、その効果によるとも考えられるが、ただそれにしてもSDMAの値が全くの正常値なので、それも説明が付かない乃至よく分からない。結局、腎不全かどうかは今の時点ではグレーゾーンだと言われた。ただ、注意しておくに越したことはなく、薬を飲ますのもメリットだけでデメリットはない、と言われたので(そうは言ってもデメリットがない薬なんてあるわけないだろうと自分のことを考えてわたしなんか思うのだが)今後も飲ませることにし、ドライフードも腎臓療法食を続けてください、ということになった。次の検査は秋頃で、その結果からどうだかまた考えるって言われた。 でも、今回の結果で腎不全が確定的にならなくて本当によかった!!(^o^) なんてったってまだ6歳。年齢的には中年に差し掛かっていると思うが、腎不全と診断されるにはまだまだ若い年齢だ。薬は今はなんとか1日1回飲ませているが、次第に嫌になっていってるなあって思うときもある。秋にもしまた正常範囲なら、薬は当分いいって言えないかな~って思っている。 なかなか今の高尾にゃんの腎臓の具合はよく分からないけど、腎不全じゃなければいいよね、高尾にゃん。 |
05-16 Tue , 2017
ばこちん、4歳のお誕生日おめでとう!
![]() えーと、今、これを書いてるのは6月9日です(汗) 身体の調子を崩したり、日々の生活が忙しかったためになかなか書けませんでした。 取り敢えず、5月16日にばこは4歳の誕生日を無事に迎えました。 猫は1年に人間の4歳分の歳を取るんでしたっけ?(最初の1年で20歳に) なので、20+(3×4)=32ってことで、人間年齢で言うとばこ32歳? いい歳こいたおっさんになりました。 まぁでも全然おっさんには思えません(笑) 毎年、猫の誕生日には人間用の誕生日ケーキを用意してますが、予約するときはなかなか「猫の誕生日なんです」とは言えず、なんとな~く人間用なんですよ~って雰囲気を無理して漂わせてました、例年。 でも、今年はやりました!「猫の誕生日なんで、猫の絵を描いて下さい」ってちゃんと言えました! というのは、以前の高尾にゃんの誕生日の時に「たかおにゃん、おたんじょうびおめでとうというメッセージを付けて下さい」と言ったら「猫ちゃんの誕生日ですか?」って聞かれて、ビスケットの上にかわいい猫の絵が描かれてたんだよね。それがとてもかわいくて。なので、今年はこちらの方から「カミングアウト」してみました(笑)そうしたら、、じゃーん。 ![]() うををを。こんなに大きな猫の絵が!めっちゃうれしー!お店で確認を取ったときに思わず「わー!!」って言ってしまいました。 猫の飼い主を始めて7年目だけど、飼い主も徐々に成長(?)してますねー(笑) 最近のばこ報告。 相変わらずご飯の前後がうるさい。毎日毎日ごはんはぺろっと食べる。 宅配便のお兄さん、お姉さんが大好き。玄関先で頭を撫でてもらうのが大好き。 高尾ねーちゃんも大好き。遊んでもらいたくてたまらないが、高尾ねーちゃんはばこのことが嫌い。 だって、ばこってデリカシーに欠けるんだもん(食事の前だけ高尾にゃんはばこに頭をペロペロされるのを許すんだけど、そのうちばこが段々図々しくなってきていつも高尾にゃんの頭を自分の前足で抑えつけようとして高尾にゃんに怒られる)。 だけど、最近ばこはすごく高尾ねーちゃんに気を遣っていることが段々分かって来た。 わたしと遊ぶときも高尾ねーちゃんがどこにいるかずっと気にしてる。高尾ねーちゃんが遊びたいそぶりを見せたらばこは自分の遊びをさっとやめて高尾にゃんに譲る。 高尾にゃんは2月に初期の腎不全と診断されてから毎日薬を飲んでいるが、その薬は毎晩夕食の前に与えている。「フレーバードゥ」って嗜好性の高いお餅みたいなものに薬を包んで飲ませてるんだけど、それは高尾ねーちゃんだけがもらえるもので、ボクはもらえないものってちゃんと分かってるから、いつもおやつをもらうときのように「ボクも!ボクも!」って来ない。夕飯前の一番お腹が空いているときなのにちゃんと分かってる。 今まで「ばこだから仕方ないよねー、高尾にゃんとは違うもんね」って言ってたけど、どうしてなかなか、ばこも日々ちゃんと賢くなっている。 ただ、なぜかばこは「高尾にゃんボールラブ」で、せっかくブラッシングで集めた高尾にゃんの毛のボールを食べてしまうクセがあり(これで2回、かなり大きく育てた高尾にゃんボールを破壊された)、飲み込んだ高尾にゃんの毛をあとでゲーゲー吐いている。ばこは自分の毛玉を吐いたことはない。けど、高尾にゃんの毛を食べて吐く(←書いておくけど、高尾にゃんボールはばこに破壊されないように猫の手では開けられないと思ってた扉がある奥に隠してた。けど、あるとき2人で留守にしていた際に、ばこの執念によって扉が開けられて、中から高尾にゃんボールを取り出して食べていた。帰って来て、畳の上に毛が散乱してたからびっくりした)。 お誕生日のすぐあとに健康診断に行った。ばこは滅多に身体を壊さないので今まで血液検査を受けたことがない。なので異常が出ない若いうちに1回、ばこの健康な状態を知りたいと思っててずっと検査を受けさせなきゃって思ってた。 このとき同時に家で採取した尿を一緒に持って行った。以前ばこは尿道結石になったことがあって、それが治ってから一度も検査をしたことがなかったので。血液検査の結果は、意外にもCreがギリギリ上限値以内だったので、秋に今度はSDMAの検査をする。で、尿検査の結果、ストラバイトが出ていた(´Д` ) 今のばこは朝晩、ご飯とともに約100ccのお湯も飲んでいる。ばこはご飯に混ぜた水を飲むことを全く嫌がらない。なので、おしっこはたくさんしているのだが。。「療法食を食べさせた方がいいです」って言われ、食べさせ始めてから1週間後にまたおしっこ持って来て下さいと言われたのだが、タイミングが悪く、ばこの新しいドライフードの袋を開けたばかりで、それを食べさせないのはもったいないので、それを食べさせ終わり次第、もう購入してある尿疾患に配慮されたドライフードを食べさせる予定。 でもその間、何もしないのもかわいそうなので、尿を酸性にさせるため毎日遊んで運動させている。 |
03-14 Tue , 2017
高尾にゃん膀胱炎その後
この記事の続き。
前回の記事には、抗菌剤を飲ませ終わってから1週間後に再検査って言われてたんだけど、最近すっごく忙しくてなかなか動物病院に高尾にゃんのおしっこを持って行く時間がなく、先日、いい時間に高尾にゃんのおしっこが採取できたので、やっと動物病院に持って行けた。先日って1週間ほど前。 検査の結果は「結晶-、蛋白-、pH7.0、比重1.010、潜血±」だった。 要するに異常なし。比重はこれまでで一番低い値だったが、これは水をたくさん飲ませたことによる効果だろうと言われた。高尾にゃん、ウエットフードにお湯を混ぜて飲ませているが、ずっと60ccだったのが、あるときに嫌がってから40ccに減らしちゃったんだよね。それがまずかったのかも、、と思って、食欲が回復してから以前のように60ccに戻したのだ。やっぱり高尾にゃんはこのくらい水を飲ませなければならないのか。水の適正な量については、詳しくは聞かなかったけど、どうも水は飲ませれば飲ませるほど腎臓にとってはいいとは言われた。 あと、以前膀胱炎をしたときに、血尿がずっと出ていて、これについては「前の獣医さんは何も検査しなかったんですかねえ?」と言われてて、わたしはそれを聞かれた前回の診察の時は、検査したことなどすっかり忘れてたので何もやってない、みたいに答えたのだが、これを読むと、エコーもやったし、レントゲンもやったって書いてあるのね(ちゃんと記録は付けておくもんだ)。なので今回「エコーもレントゲンもやったけど、腎臓の中には石も何も見つからなかった、これ以上血尿が続くようであったら、専門的な病院に診てもらった方がいいと言われてた」と報告した。そして「前回、腎不全と判断されなかったのは、Creが高くてもBUNが高くなかったから、Creが下がったときに異常なしと判断されたみたい」と言っておいた。獣医さんはそれで納得したようだ。「もしかしたらこの猫は慢性膀胱炎なのかも知れない」って言われた。慢性膀胱炎の猫は結構多いそうだ。なので尿検査も今後4~5ヶ月に1回はやった方がいいと言われた。 今かかってる獣医さんだけに言えるかも知れないが、今までの尿検査の結果とか血液検査の結果を表にまとめておくと、獣医さん自身もいろいろ判断しやすくていいかも、と思った。前に血尿出したときと経過がほとんど同じだったから、こちらとしても説明に説得力があるので、よく聞いてもらえる気がした。 高尾にゃんは2月下旬から、ドライフードを腎臓の療法食に変えているのだが、ウエットフードまでは変えていない。ウエットフードまで腎臓の療法食に変えた方がいいかどうか聞いてみたら、尿検査の結果がよっぽどよかったのか(なぜ?そこはよく分からない)「今はまだウエットまでは腎臓の療法食にしなくていい」と言われた。 今後は5月くらいに尿検査と血液検査。この血液検査の結果で高尾にゃんは腎不全かどうかはっきり分かる、というか、もう今の時点で「もともと個体として、この猫は腎臓の機能が生まれつきあまりよくない」と言われてるけど。。でも、もし血液検査の結果、腎不全の兆候がみられなければ、もうちょっと美味しいカリカリもまた復活できるし、この先の長い(と願っている)高尾にゃんの猫生にとっても、その方が絶対にいいよねって思う。高尾にゃんは「まずいもの食べて長生きするくらいなら、美味しいもの食べて早く死にたいニャ!」って口がきけたら絶対に言うと思うんだよね、、 あ~あ、5月の血液検査、高尾にゃんはすっごく嫌がるだろうなあ。ごめんよ、高尾にゃん。 【追記】この話の続きはこちら |
03-10 Fri , 2017
16周年
今日は東京大空襲の日とわたしたちがつきあい始めた日。
ブログ始まって多分、毎年書いてると思うが。 というわけで、16年前の今日からわたしたちはつきあい始めた。 16年経つとなんだかもう、「今日は16周年記念だね」ということは何も言わず。 記念にどこかに泊まりに行くでもない、ご飯食べに行くでもない。 なんか単なるフツーの日になっちゃってる(^^; もしかしたら彼女の方は今日が何の日だか忘れちゃってんじゃないか?って思わないでもない。 ま、でもそんなものなのかもね~という気がする。 ただ、わたし自身は過去同居して約10年のうち、ほとんどがうつ病療養生活を送っていたものの、去年から少し進み始めた感じ。明日は社会福祉士養成課程の合格発表の日だし、そしてここには詳しく書いてないけど、1つ、行政書士事務所に今履歴書送ってるところ。多分、来週辺りに先方から連絡が来るはず(ドキドキ)。 これが2つとも決まると、さらに一歩進んだ感じになる。特に仕事が決まるのは大きい。まぁ仕事と言えども勉強しながらなので、フルタイムじゃなくパートなんだけど。しかし、わたしの条件が向こうにとっては都合が悪いものがあり(社会福祉士資格取得のため、約1ヶ月、実習期間なので休ませてくださいと書いた)、それを考えると無理かなあって思うんだよね~。競争率激しそうだしね(´Д` )ただ、わたしとしての希望先としてはこの上ない条件いいところで。そこに決まって欲しい、って心の底から思ってる。 というわけで、そうなるとまた徐々に二人の関係が変わっていくのかね~? いやいや、2つとも決めて変わっていきたい。 |
02-10 Fri , 2017
高尾にゃんが初期の腎不全と判明
![]() ちょうど1週間前のこと。 時間はもう23時半頃で、わたしは風呂に入り終わってもうあとは寝るだけ、だった。 突然高尾にゃんがトイレをあちこち行き来し始めた。頻尿だった。でもどうも見ていたら頻尿だけでなく、なんか粘液質のうんこもしてる。頻うんこって言葉はないと思うけど、頻尿と頻うんこ状態。そのうちトイレじゃない、ただの箱の中とかでもおしっこをし始めて、毛布の上なんかもし始めて大変なことになってきた。 なので慌てて夜間にやってる動物病院に電話。症状を言って、すぐに向かった方がいいかを聞くと、頻尿は膀胱炎、頻うんこは大腸炎の疑いがあるけど、特別ぐったりしてなければそんなに緊急性があるわけじゃないから、朝まで待ってみればと言われた。 そう言われても、そのまま寝ると高尾にゃんはどこでどんなことをしでかすか分からないので、取り敢えずばこが幼少期に使っていたケージを組み立てて、その中に高尾にゃんとトイレを2個、置いて寝ることにした。高尾にゃんは当初、尿意や便意でケージに閉じ込められたこと自体を認識してなかったようだが、少しして落ち着いてきたときに「自分はここに閉じ込められてる!」って気が付いたようで、そこからは「出して~出して~」って哀れな声を出して鳴いていた。彼女はその声を聞いて一晩眠れなかったと言った。 次の日の朝、すぐに動物病院に連れていったら、やはり膀胱炎か大腸炎でしょうと言われ、薬をもらって帰ってきた。そのときは嘔吐はなかったんだけど、家に帰ってご飯をやったら吐いちゃって、そこからずーっと何も口にしないでうずくまってたので、心配になってその日の動物病院が閉まる少し前に駆け込んで、吐き気止めが入っている点滴をしてもらった。 そしたらかなり気分がよくなったみたいで、その日の夕ご飯はペロペロって食べて、それが今週の火曜日(6日)まで続いたのかな。もうよくなったんだと思ってた。ところが火曜日にご飯を食べても吐いてしまうようになって、そしてだんだん元気がなくなって来ちゃった。なので心配で水曜日にまた動物病院に行って、今度は血液検査をしてもらったのね。あ、おしっこは火曜日に行ったときに「取れたら取ってきてください」と言われたんだけど、そのときは取ってなくて。 そしたら、その血液検査の結果で高尾にゃんのクレアチニンの値が2.3で(上限1.6)、獣医さんから「まだ若い猫だけど、腎不全の初期です。ステージは2です」って言われて。大ショック。あ、今回のこの頻尿と頻うんこの症状は腎不全とはまったく関係がなく、たまたま血液検査で見つかった、このステージで見つかることは滅多になく、本当に運がよかったと言われた。その日は点滴をしてもらって帰ったのに、夜もまったくご飯を食べてくれなくて。そしてどんどん調子が悪くなっているようで、微熱もあるようだった。高尾にゃんはしんどいのか、狭いところに入りたがって身を隠していたいようだった。 なので、その次の日(要するに昨日)の朝もご飯を食べないようだったら、もう一回連れていこうって思ってた。獣医さんも腎不全のためには点滴をした方がいいから、点滴は遠慮なくしに来て下さいねって言ってたし(もちろん、今の状況ではまだ輸液に通うほどではない)。その晩はとにかくわたしが不安で不安で。高尾にゃんはぐったり、というか、香箱座りで調子悪そうだし、朝まで持たなかったらどうしようと。 でも、翌日になったらちょっと熱が下がったみたいで、ご飯も半分いかなかったけど、少し食べてくれたんだよね。よかったー!って思って。そして、朝、高尾にゃんが12時間ぶりにトイレに足を運んだところをすかさずお玉を差し込んでおしっこ採取。これを動物病院に持って行った。すると、そこから潜血が出てることが分かり、やはり今回は膀胱炎でしょうって言われた。ちなみに頻うんこだったのは、症状が出た初日だけで、頻尿もすぐに治まってたんだけど。 膀胱炎と診断されて、家に帰って来てから思い出した。高尾にゃんは以前、突発性膀胱炎でしょうと言われたことがあって。そのときにやはり血液検査をしたら、クレアチニンが2.5もあったことがあって、びっくりしたことを。でもあのときは1ヶ月後かなんかに再検査して、1.1に下がってたんだよね。で、そのときの獣医さん(引っ越し前だったので今はかかってない)に「大丈夫です」って言われたので、今回も膀胱炎だしそのケースなんじゃあと思って、そのときの血尿や血液検査をまとめたデータを作って動物病院に持って行って獣医さんに説明した。 すると、腎臓に問題がない猫だったらどういう病気でもクレアチニンが正常範囲を超えることがない。なので高尾にゃんはもともと腎臓があまりよくない体質だったんでは、と言われた。1回でも正常範囲を超えたら、その腎臓の機能は多分、よくても50%くらいになってるだろうって。だから本当はその時点で要観察状態になっていたと。 がーん。 獣医さんが変わると言うことも変わるし、前の獣医さんも結構ベテランでいい獣医さんだと思ってるし、今もそう思ってるけど、高尾にゃんももう6歳過ぎたし、もちろん年齢的にはまだまだ若いんだけど、1歳のときにそう宣告されるより、今の方がまだいいんじゃないかって思った。それ以降血液検査を何度もしたけど、高い値でも上限値を超えることはほとんどなかったのよ(去年基準値を0.1超えてた←でもこのときは掛かり付けの獣医さんがちょうどお休みの日で、別の病院に行ったときに検査したもの)。獣医さんによるとステージ2を今からどの程度維持していくかで寿命が大きく違うらしく、ステージ3や4で発見されたら、あんまりその状態を維持はできないらしい。でもステージ2は多飲多尿が出てくる猫がいるくらいでほとんどは見た目では分からないとのことだった。中には多飲多尿にならない猫もいるらしく、高尾にゃんはもともと水を飲むのが好きじゃない猫なので、水を飲んでるところは今でも見た記憶がない。それで分かったんだから、いいにしておかないと。 今は膀胱炎で血尿を出しているので、抗菌剤は10日は続けて飲んだ方がいいと言われ、最初に病院に連れて行ったときからずっともう飲ませてたんだけど、それを追加で4日分処方された。抗菌剤を飲まし終えて、さらに無症状なようだったらそこから1週間後にもう一回尿検査をして確認をする。 そして、腎不全の方は、2~3ヶ月後にもう一回血液検査をして確認、今度はSDMAというのも検査した方がいいと言われた。このSDMAというのは、クレアチニンの数字が上昇する前から腎不全に反応するものらしい。これが高かったら、クレアチニンの値が下がってても腎不全だと言われた。 高尾にゃん、血液検査が大嫌いなんだよね。今回もものすごい嫌がって嫌がって。動物看護師さんから抑えつけられて。仕方がないことだけど、見ててとてもかわいそうだった。きっと帰っても元気がなかったのは、血液検査をされたのがとってもショックだったんだろうなと思っている。あと、今までの血液検査では、血を取られてもケロッとして帰って来てたんだけど、別室に連れて行かれてたからわたしの見ている前じゃなかったんだよね。きっとわたしが見てる前で身体を押さえつけられて血を取られることは、高尾にゃんにとっては耐え難い屈辱だったんだろう。なんて言ったって、とっても誇り高き猫なのよ、高尾にゃんって。だから今度から血液検査をするときは、わたしは事情を話して診察室から出させてもらおうと思った。 試練が続くけど、頑張っていこうね、高尾にゃん。 【追記】この話の続きはこちら 【追記2】どうやら腎不全の診断が怪しくなってきた?5月に再検査したときの話はこちら |
10-26 Wed , 2016
05-16 Mon , 2016
03-10 Thu , 2016
つきあい始めて丸15年
今日、3月10日はつきあい始めた記念日。2001年3月10日からつきあい始めたから、今日で丸15年になった。
ブログ始めてから、毎年この日には何らかの日記を書いてるはずだけど、当初から比べるとすごく意識が変わってるんじゃないかな。特にここ数年は。 なんというか、一緒に暮らしてるのは慣性というか、惰性というか、そんな感じ。こんなこと書いたら彼女から怒られそうというか、ムッとされるだろうけどね。それくらい、わたしは変わってしまった。 何が原因かというと、まぁ、わたしの人生観とか死生観が変わったんでしょう。あと性格の違いというのも確かにあると思う。わたしは悩みや解決が難しいことは、ただ聞いてもらうことだけですっきりしたりはしない。聞いてもらった上で、どう考えるか、それを教えて欲しいと思う。というのは、自分でいろいろ考えてるけど、自分で考えるのは限界がある。自分ではあらゆる面から見て検討していると思ってても、やはり一人の人間が考えることはどこか偏った面からしか見ていないはずだ。だから、自分と違う他人が別の角度から見るとどう考えられるか、そういうことが知りたい。自分の中で整理のついていない話だから他人に聞いてもらいたいわけじゃなく、自分とは違う角度から検討したらどうなるか、それが知りたい。だからわたしは彼女が悩んでることを聞くと、こうじゃないか、ああじゃないかと言ったりする。でもそれが彼女はうっとうしいんだと。彼女がわたしに話すのは、ただ聞いてもらえばいいからなんだと。それがすごい腹が立つんだよね。「ただ聞くだけでいい」んなら、こっちが真剣に話を聞かずに話半分で「うんうん」って相づち打っててもそれで満足なのか?わたしは単なる「聞くロボット」か?っていうか、ただ話を聞くだけでいい、という考え方がわたしにはよく分からない。んなら誰にだって話せばいいじゃん。まぁ話の内容によって話せる相手と話せない相手がいることは分かるが。「ただ聞くだけ」ってなんかとても生産性がなく、不毛な感じがするのだ。多分傾聴だけの「カウンセリング」がわたしに合わないのはそれが理由だろう。聞いてもらうだけで物事が解決できるなら、そんなに楽なことはない。そんな楽なことを悩んでいるのかと思えてしまう。 これ、よく「男性脳」とか「女性脳」とか「男女の考え方の違い」とかに押し込められてることだけど、必ずしも男女ってわけではない。わたしは特に自分が男性脳だとは思ってない。それよりも環境的なものが大きいと思っている。 まあそんなこんなで、わたしは彼女に相談することもなくなったし(しても無駄だから)、彼女から相談されることも多分ほとんどない。てか、もともとわたしは彼女から相談されることはほとんどなかったのよ。うつ病だったから。心に負担をかける相談なんて、彼女はわたしにできなかっただろう。わたしの長引く病気が二人の関係性を変えてしまったってことは多大にあるだろう。 ただ「言っても無駄」という考えは、わたしの中に広範囲に支配してて、今では悩みどころか、何を考えてるかということでさえ、ほとんど言ってないかもね。 なんというのか。わたしの中では彼女はとても「頭のいい人」なのだ。もうずっと。出会ったときから。で、わたしは自分で自分のことを相当に頭が悪いと思っているので、わたしが知っていることくらいは彼女が知ってて当たり前だという認識がどこかにあるのよね。だから、彼女がわたしの知ってることを知ってないとものすごい腹が立つ。彼女が(わたしにとってだが)「そんなの考えてて当然だ」とか「くだらない考えだ」とかをわたしに対して言うときにすごい腹が立つのだ。「そんな低次元な考えしか持ってないの?」って。それが態度に表れてしまうのか、わたしはよく「人を馬鹿にしたような態度だ」と言われる。が、それはまったく違う。わたしは、自分の頭が悪いから自分が知っていることは最低限だと思っている。それも頭が悪い自分がとても苦労して身に付けた知識だ。だけどそんなことくらい、頭のいい人は知ってて当然だと思っている。知ってて当然だと思うから知らないとものすごく落胆する。というか、こんなわたしでも知ってることなんだから、頭がいいアンタは最低限の努力ぐらいしてろよと思う。だから猛烈に腹が立つのだ。わたしは自分が上に立って馬鹿にしてるんじゃなく、下からそう見えるから無性に腹が立つのだ。むしろ上からだったら全然腹が立たないよ。他人が知らないことについて「知らなくて当たり前」だと思えるんだから。 でも多分彼女は言うだろう。「そんなの買いかぶりすぎだ」って。だけど、わたしはそれがダメなのだ。わたしが一旦好きになったり尊敬する人になった人って、「わたしより頭がいい人」認定してるってことで、だからわたしは彼女以外の人に対しても、わたしが知っているようなこと、考えているようなことは相手は当然のことながら既に知ってたり考えてたりするのは当たり前、と思ってしまう。尊敬できる人はいつまでも自分の上にいるのが当然って、なんかどこかで自分の中に染みついちゃってるんだよね。だから、一度落胆させられると自分の中にすごいダメージがあって「もういい」ってことになってしまう。ちなみにわたしは大抵の人は「自分より頭がいい」って思ってる。自分が「最低」という認識がすごくあるから。あとそして「頭が悪いから」って言って諦めて努力も何もしてない人もダメなのです。頭悪いなら努力くらいはしろよって思ってしまうので。 まぁ彼女に取ってみれば「なんなのそれ」ってことになるかも知れないけどね。 ってことで、性格の違いやらなんやらをここ数年でやっと自覚することができたから、二人の関係性が変わって来ちゃったのかもね。 毎年3月は一年中で一番気分的に楽で調子のいい月なのだけど、今年は全然そうじゃなく、ちょっと体調がめちゃくちゃになってます。毎日勉強しなくちゃいけないのも理由だろうし、ちょっと最近精神的にいろいろ来てたので、それも原因だと思うけど、今まで不調だった背中の痛みとか息苦しさに続いて今度はめまいがして来てしまって。。ここ1週間は勉強も止めて休んでたんだけど、休んでてもあまりよくならない。耳鼻科に行ったら「良性めまい」って言われて「良性めまいはめまいがしてても休んじゃダメ。動かないと治らない」って言われたけど、めまいがしてるのに動けってすごい怖い(笑) |
10-22 Thu , 2015
10-09 Fri , 2015
05-16 Sat , 2015
03-10 Tue , 2015
今日で付き合って14年。明日から15年目
今日、3月10日は東京大空襲の日だ。と毎年毎年書いている(笑)
ただ、わたしの身内で東京大空襲に遭った人はおそらくいないと思う。みんな広島住んでたし。 でもわたしは幼い頃から東京に住んでても、今日が東京大空襲の日だと教えてくれる人は全くいなかったな。 学校でもまったく教わらなかったな。 まぁそれはさておき、14年前の今日、わたしと彼女は付き合い始めた。 あれから14年経つ、というと「長い」って思うけど、実感としては「え、もうそんなに?」って感じだ。 なんか、一瞬のうちに過ぎ去った感じがする。が、一つ一つ思い返してみれば、やっぱり長い年月なんだなとも思う。なんか自分の時間の感覚とその中で経験してきたことが全く結びついていないというか、不思議な感じ。 ここ数年の3月10日の日記って、結構不穏当なことを書いてると思うが、今年もそんな感じ。 どうもここ数年、彼女とはとても「性格が不一致」なんじゃないかと思い始めてきている。前はその不一致さがお互いをカバーしていると思っていた。わたしの性格は結構細かくて、彼女は大らか。彼女の大らかさにとても救われている部分があると。 しかし、大らかってことは、鈍感なんだってことに気が付いた。いちいち言わないと分からない。毎回毎回言わないと分からない。同じものを見ても、わたしはすぐに気が付いてイライラするのに、彼女は気が付かない。わたしは彼女が気が付かないことについてもイライラし始め、余計にイライラする。 この正月、ぶち切れた。「もう別れたい」と言った。それ以降は彼女なりに気を遣っていると感じることもあるし、今、わたしの調子があまりよくなくて細かいところには目をつぶっているということもあるので、それ以上深刻なことにはなっていないが、「別れたい」と言ったのは、この14年間で初めてのことだった。 確かにわたしは自分のことを棚に上げている部分はある。彼女と付き合い始めてから2回目と3回目のうつをやって、そのほとんど、わたしは働けてない。そういう状態を誰かに話すと「彼女さん、大変だね」と言われる。かなりの高確率で。 でも、そんなことわたしに向かって言わないでよと思う。何のためにそう言ってるのかな。わたしに「彼女は本当は大変だったのだ」と自覚させるため?「もっとあなたはしっかりしなきゃ」って言うため?そんなん、もちろん分かってるに決まってる。彼女には本当に悪いと思っている。そして、しっかりしようと思ってできてたら、とっくの昔にしっかりしてるよ。それができないから病気なんじゃない。 「彼女さん、大変だね」とわたしに言うくらいなら、彼女と知り合いになって、彼女に直接言って下さいよと思う。 なんて書くと、わたしの心は荒みきっているように思われるかも知れないが、まぁ普段はそんなでもない。日常は彼女と猫2匹で幸せに暮らしている。ここには経過は書かなかったけど、去年の末から在宅で仕事をしようと(と言ってもフリーランスの在宅ワークだけど)いろいろと行動してて、合格して研修も終わったので、仕事来ないかな~と思っている。徐々に社会復帰の方向に進行中。ただ、身体の調子が悪く、行政書士の試験勉強は去年の12月末からほとんど何もやってない状態。。 まぁ自分のことを思うと焦ったり、歯がゆかったりするけど、彼女と猫との生活については、ずっとこのままでいたいと望んでいる。 そんな丸14年経った今日。 |
03-09 Mon , 2015
猫は人間から出てるオーラが見えるのか?
人間からオーラが出てるとは思わないけど(笑)、そういう風にしか思えないことはある。
高尾にゃん。前からよく吐く猫だった。毛の抜け替わる時期なんかは毛とともに吐いたりして。けど、最近は滅多に吐かなくなった。吐くときは、わたしの具合がよくないとき。前にも書いたけど。 今は病的な精神的なつらさはもう起こらないんだけど、日常生きてれば、人間関係とか経済状況とか、いろんな負担があるわけだよね。で、そういうときはずーんって落ち込むんだけど、高尾にゃんはそういうときに吐くの。落ち込んでるときは、わたしは無口になるから一言も話さない。落ち込んでる理由を彼女にわざわざ話すのもいやだし、できれば自分の中で消化したいと思うわけよね。もちろん彼女が原因の時だってあるし。一言も発しないから、彼女はもちろん気が付かないわけ(こういうときに、昨日書いた「そういうふうにできてない」ことに不便を感じたりするんだけど(笑))。だけど、高尾にゃんはどうもわたしが落ち込んでることが分かるみたいなのね。 一言も発してないし、態度も特に変えてるつもりはないのに、なんで高尾にゃんは気が付くんだろう?? それが不思議で不思議でたまらない。そういうことがもう3、4回続いてる。しかも最近はわたしが落ち込んでるときしか高尾にゃん吐かないから、偶然とも思えない。 うーん、精神的に落ち込んでるときは、わたしから出てるオーラの色が変わったりするのかな?(笑)緑が赤になるのかな?(信号じゃあるまいし(笑))ついこの間もすごく調子が悪くなったときに、高尾にゃんにあらかじめ「ままは調子悪いけど、高尾にゃんは吐いちゃダメだよ」って言ったのに、それからすぐに吐いちゃった。もう何ヶ月も吐いてなかったのに。 高尾にゃんも不安になって吐いちゃうんだろうか。それともなんか身代わりになって吐いてくれてるのかな。 というか、高尾にゃんが吐くと、わたしは高尾にゃんのことが心配になって、自分のことより高尾にゃんのことが気になっちゃうんだよね。それでちょっと自分のことを忘れられるというか。 そんな高尾にゃん。ときどきこういう踊りをするんだけど、よその猫もこういうことやるのかな。ちなみにばこはこういう踊りはしません。 こういう踊りは前からするのは何回も見てて、いつか動画に撮りたいって思ってた。で、こないだやっとやってるところを撮れたんだが、彼女に見せると「自分の前ではやったことがない。初めて見た」という。 うーん、どゆこと?? |
01-02 Fri , 2015
高尾にゃんがうちに来て4年
![]() 4年前の今日、1月2日は高尾にゃんがうちに来た日だ。うちって言っても一昨年引っ越したんで、今住んでる家じゃないけど。だから正確に言えば高尾にゃんと出会って4年ってこと。 高尾にゃんと出会った日のことは昨日のことのように覚えてるから「えー、あれからもう4年も経っちゃったの?」って感じだ。4年前の1月3日の日記を読んでもらえば分かると思うけど、高尾にゃんとはペットショップで出会った。なんか前々から猫を飼いたいって言ってて、それで急に思い立って年が明けてすぐの2日にペットショップに行ったんだよねえ。最初から「アメショを飼う」って決めてたから、ネットで検索して。当時住んでるところから電車で1時間くらい行ったところだったかなあ。 アメショは2匹いて、わたしはどっちがいいのか分からなかったんで、彼女に決めてもらったんだった。高尾にゃんにするって決めてからの手続きが長くてねえ。なんかもう家に帰り着いたのが20時頃で。本来なら猫トイレとか猫砂とか餌とかそういうもの一切も同時にそこで買ってくるものなんだろうが、わたしらの場合は電車での移動だったから、高尾にゃんの他、そういう重くてかさばるものを持って帰れなかったんだよね、物理的に。だからそういうのは家の近くのペットショップで買います、って言って、高尾にゃんだけを先におうちに連れて帰ってきたんだった。 で、帰ってきて速攻で高尾にゃんだけ家に置いて、ペットショップへ。ペットショップはもうほとんど閉まりかけてて、急いであれこれ買ったのを思い出す。 家に帰って早速ご飯を作って。なんか恐る恐る作ったよなあ、最初のご飯。確かミルクとふやかしたドライだったかなあ?高尾にゃんはそれを食べて、そして部屋の中をものすごく興奮して走りまわったんだ。あれは狭いケージの中から出られたって嬉しさだったのかなあ?って今も思う。そしてあまりにも興奮して走りまわりすぎて、食べたご飯を吐いちゃったんだよね(笑)あんなことは後にも先にもあれ1回しかなかったけど。 寝るときも大変でさ。わたしは高尾にゃんは段ボールの中で寝かせたかった。わたしはそれまで動物って金魚と鳥以外飼ったことがなくて、動物は動物の場所で寝るんだと思ってた。だけど高尾にゃんはどうやっても段ボールから出て来ちゃって。わたしらが寝てるベッドに来たがって来たがって。何回も段ボールに戻したんだけど出てくる。そしてまだまだ小さかった高尾にゃんはベッドの上に登ることすら難しかったのに、必死で爪を立てて登ってきて、わたしと彼女の枕元で寝たんだよね、結局。高尾にゃんは一体どういう気持ちで2人の枕元を寝る場所だって決めたんだろうね。きっと高尾にゃんは賢いから「ここが自分の家。この人たちがママ」って分かったんだろうなあ~。 飼い始めてからしばらくはわたしは全く慣れなくて。初日に付けた「高尾」って名前でどうしても呼べなくて、猫、猫って呼んでた。初めて「愛しい」って思えたのは、それからしばらくしてワクチンを打ちに行ったあとにぐったりと元気がなくなった姿を見てからだと思う。あのとき「ああ、守ってやらなきゃ」って思ったんだよね、自然に。それからはどんどん高尾にゃんにはまっていって。ここにも書いたけど、今では高尾にゃんとの出会いはどうしても偶然とは思えなくて、何か見えないものの力が働いてるんじゃないかとしか考えられなくて。それくらい、高尾にゃんはわたしにとっては特別な存在になっている。 ずっとずっと健康でいてねって思うけど、実は高尾にゃんはとても繊細な猫で、わたしが精神的に落ち込むと高尾にゃんもなぜか餌を吐いちゃったりするんだよね。わたしの調子が悪いと必ず心配そうな顔をしてわたしのそばにいる。いや、そういえばノロウイルスに罹患して吐きまくってたときはそばにこなかった。病院に行ってひとまず落ち着いたときに初めて高尾にゃんはそばに来た。なんかね、そういうのって単なる偶然とは思えないんだよね。きっと自分が力になれるときとそうじゃないときが高尾にゃんには分かってるんじゃないかと思う。 「いやいや、猫がそんなこと分かるはずがない」って思うかも知れないけど、でも、いろんな場面で「高尾にゃんはわたしのことを思ってくれている」ってことがすごく多いの。ばこからはそういうのは感じないんだけどね。。だから、高尾にゃんはわたしにとっては本当に特別な猫。 さてさてこのブログ。結構「猫 血尿」で検索されて引っかかることが多いんだけど、今の高尾にゃんは去年の10月の誕生日の時とちょっとお湯の量が違ってます。っていうのは、60cc、飲まなくなっちゃったんだよね。お湯が多いと「多くてこんなの食べられません」って顔してご飯食べるのを拒否するようになって。で、一時は30ccに減らしたのかな。それでようやくまた食べるようになった。けど、1回30cc、1日計60ccはちょっと少なすぎる。と思って、高尾にゃんには内緒でこそっと5ccずつ増やして、40ccずつにした。まぁ水を飲ませる目的は尿の中に結晶を作らせないためだから、pHを測ってそれなりに低かったら別に元の60ccに増やさなくてもいいだろうと思った。 で、しばらく40ccにしたところで尿のpHを測ったら、なんかすごく低くて6.0くらいだったかな。ちょっとね、これじゃ逆にシュウ酸カルシウムの結晶が出来るんじゃないかって心配するくらいの値だったんだけど。でもこれだとストルバイト結晶はできないpHなので、餌に混ぜるお湯の量は40ccにした。今のところ40ccだと拒否しないで食べてくれる。 朝:アーテミス(ドライ)10g、ジウィーピーク(ウエット)25g、お湯40cc 夜:アーテミス(ドライ)10g、ジウィーピーク(ウエット)25g、お湯40cc 体重は3.6kgで変わらずだけど、なんかちょっとあるとすぐに体重が減っちゃうので、おやつ(最近は猫用ジャーキーとか、ばこが昔まずくて食べなくなった療法食の残りとか(^^;)は少し多めにやってる。 そんなわけで、高尾にゃん、5年目もよろしくね。5年目だけじゃなくずっとずっとよろしくね。 【画像】昨日の高尾にゃん。鏡餅ならぬ猫鏡餅(笑) |
10-23 Thu , 2014
07-31 Thu , 2014
07-29 Tue , 2014
07-15 Tue , 2014
退院しました
昨日、手術が終わったあとに「痛い、痛い」と言ってたので、どうなるのかなと思ってたんだけど、今朝になったら痛みが引いたようで、今日、無事に退院しました。
昨日1日は歩いちゃいけなかったので、トイレも車いすで看護師さんが付いてきたらしいんだけど、今日になったらもう歩いていけたって言ってたので「人間の快復力ってすごいなあ」と思いました。まぁ患部はしっかりとなんかすごく幅広のテープでがっちり固定されてるから傷口は開いたりはしないとは思うんだけど、でもそうは言っても骨が見えるくらいまで切開したと思ったら、なんだか地面に足を付けるのが怖そう(^^; 今日は朝8時少し前に彼女から「多分退院できる」というメールがあったので、10時頃に病院に行って、会計が出るのを少し待って、その後お金を払って家に帰ってきた。 まーこれで一応、今回の件は一安心。2週間後に抜糸で、抜糸したら普通に歩いていいとのこと。 いやー、ここまで来るのは結構長かった。4月中旬だから3ヶ月以上?この間、外出はほとんど車いすだったし(彼女が一緒の場合)、怪我をする前は買い物係はどちらかというと彼女の役割だったのに、それがすべてわたしに回ってきて、それが外出嫌いなわたしにとっては結構大変だった。。 まぁでも、自分の負担が増えた割には、わたしの体調はすごく悪くなったわけではなく、多少の負荷をかけられても大丈夫だったってことが証明されたので、わたしとしても少しは自信になったかな。うつ病からの回復って、別に誰かに「こうしなさい」って言われるわけじゃなく、手順がないので、自分がそろりそろりとやっていくしかないんだよね。そういう意味ではいい試練にはなったかな。 |
07-14 Mon , 2014
手術終わりました
無事に手術が終わった~。
前回は骨が折れてたから歩けなくて手術室まで車いすで行ったんだけど、今日は歩いて手術室に入っていった。手術は前の人が終わってからってことで、一応11時からとは言われてたんだけど、11時半頃だったかなあ。前の手術のときは朝イチで、しかもなんか緊張の面持ちで手術室に向かったんだけど、今回は2回目だからか割と余裕がある顔をしてた。 しかし手術室の周辺ってなんで同じ臭いがするんだろうね。わたしは以前、今通ってる精神科の病院で「電気けいれん療法」ってのを10回やるために手術室に10回入ったことがあるんだけどさ、あのときの手術室に入ったときと同じ臭いがするから、なんかあそこの前を通ると自分が手術室に入ったときのことを思い出すんだよね~。なんていうの?臭いが青い感じがする。臭いには色はないんだよ!って思われるかも知れないけど、ちょっとひんやりしてて冷たい感じの臭いなんだよね。乾いた空気の感じの臭い。背中が少しぞくっとするような臭い。かなり大きな病院なので、手術室が一体いくつあるのかはついに最後まで分からなかったんだけど、10回も手術室に入ったので、すごく大きな手術室もあれば、「あれ?」って思うほど小さな手術室もあった。手術室に入るときは、手術を受ける患者のベッドがずらっと並んでて、まるで駐車場に入る車になったみたいだって思った。一度自動ドアの中に入ると待たされるところがあって、そこから「何番の手術室に入ってください」みたいなアナウンスがあって、それで手術室に連れて行かれる。 まぁ彼女の病院はそこまで大きくないから、駐車場に入る車みたいなことはないんだけど(第一、歩いて手術室に入るし)なんか臭いでそういうことを思い出してしまったりしていた。 その後はお昼ご飯食べたり、待合室で本を読んでたりした。終了予定は2時間後って言われたけど、前回は終了予定時間より30分も前に「終わりました」って声を掛けられたので、今回も早めに終わるかな?と思ったけど、きっちり2時間後に終わった。前回は待合室で待ってたら看護師さんに「終わりましたよ」って言われて、そこから手術室の前まで迎えに行ったんだけど、今日はなぜか最初に待合室に執刀医が来て「手術終わりました。ピンは全部取りました」などの説明があった。わたしが「あの、、本人は?」と聞いたら「まだ手術室です。わたしは終わってすぐにこちらに来たので」と言われたので「じゃあここで待っていればいいですか?手術室まで行かないで」とまた聞いたら「あと5分もすればこちらに来ると思いますので、ここで待っててください」と言われた。ので、エレベータの前で待ってたら、看護師さんに「終わりましたから手術室まで行きましょう」と言われたので結局手術室まで行ってきた。なんじゃらほい、、 手術室から戻ったらいつも思うんだけど「病人」になってるんだよねー。点滴の管に繋がれてるし、酸素マスクはしてるし。 病室に戻ってきてからは、彼女と話ができるわけでもなく(ずっとうとうとしてるので)すごくヒマだったんで、1時間くらいしてから家に帰ってきた。前回は酸素マスクを取って、水を飲むまで病室にいたんだけど、今回はもういいやと思って。ただ、わたしが病室を出るちょっと前から「足が痛い、痛い」って言ってたので「看護師さんに痛み止めを頼んでみる?」って聞いて、痛み止めの入った点滴を追加してもらった。 帰ってきてしばらくしてから彼女からメールがあったんだけど、痛みはあんまり取れてないみたい。あんまり痛いようだったら睡眠剤もらって強制的に寝るんだよって返事したんだけど、どうなってるかな。 取り敢えず、予定では明日退院なんだけど、あんまり痛いようだったら明後日まで退院を伸ばすみたい。 痛くなってないといいなー。 |
07-13 Sun , 2014
再入院しました
っていっても、予定通りなんだけどね!
4月の終わりの手術で足にピンを埋め込んだ彼女。あれから8週間以上経って、再びCTを撮ったところ、めでたく骨がくっついたということで、この度、その除去手術をすることになった。前回は諸事情があって10日ちょっと入院してたけど、今回は今日入院、明日手術、明後日退院の2泊3日。おそらくあっという間に家に帰ってくることだろう。 一応、明日は手術なので、わたしも前回同様朝から病院に行く予定。今日も入院したあとに彼女の病室に行ったんだけど、看護師さんはみんな彼女のことを覚えていたらしい。まぁ前回10日以上、入院したからねえ。。で、わたしのことも覚えていてくれたのか、明日手術の際に何時に病院に行ったらいいかとか、当たり前のように看護師さんに教えてもらった。 前回の手術はちょっと恐怖感あったみたいだけど、今回は2回目ということと、ピンを除去して早くせいせいしたいって気持ちが強いみたいで、どちらかというと「手術を待ち望んでる」って感じ?まぁ、わたしは経験したことがないのでよく分からないんだけど、足にピンを埋め込んでると地面に足を付けるとピンが折れそうな気がして怖いんだと。それからピンを埋め込んでるせいかどうか分からないけど、足の表面がときおり電気が走るみたいに「ピリッ」となるから、しょっちゅう「痛い、痛い」って言ってる。ピンを除去してそれがなくなってくれるといいんだけどね。 ピンを取り除くんだから、もう一回患部を切るみたいなんだけど、それでも再び松葉杖になることはないとか?うーん、もうすぐに地面に足を付けて歩いても大丈夫ってことなんだろうか。リハビリにももう来なくていいかも知れないと言われているらしい。今までかなり丁寧にリハビリしてきたんだけど、最後の最後はこんなものなのかなあ? まぁなんにしても、明日の手術はうまくいきますように。ピンを取り出すだけと言っても、全身麻酔なのでやっぱりちょっと心配なのは心配。 |
07-01 Tue , 2014
猫は天然の睡眠剤
もう今日から7月になっちゃったね。今年も半分終わったわけか。なんか早いような、、
わたしは前回の精神科の診察(先月17日)の数日後から睡眠剤を飲むのを止めている。「もうなくても眠れるだろうな~」って思ったので止めた。 飲むのを止めてから何か変わったってことはない。止めた日の眠りはすごく浅かったけど、あれっていつもそうなんだよね。でもわたしが飲んでるハルシオンは超短期しか効かない薬なので、眠りの深さには大して影響はないはずなんだよね。それでも止めた日はそういうことが起こるってことは、睡眠剤って精神的に影響するもんなんだよなって思う。いや、睡眠剤自体が精神への影響を及ぼしているんじゃなく、飲むという行為が安心感をもたらすというか。飲んでないと「眠れないんじゃないか」と不安に思う。不安に思うと本当に眠れなくなる。 睡眠剤を切るとき、一番やっかいなのがこれだ。飲んでも飲まなくても大して変わりないって思ってるのに、飲まないと不安になって眠れなくなる。睡眠っていうのは物理的に薬が効く以上に精神的なものの影響が強いと思う。 わたしはもう今まで何度も睡眠剤を切ってはまた使い、を繰り返してるので、睡眠剤を切ることにもある程度慣れている。睡眠剤を切るコツは「睡眠剤の力で寝ていると感じられるときは絶対に薬を止めないこと」かな。睡眠って本当に大切で、眠れないと今度は精神に影響を及ぼす。眠れないことで気分が悪くなって落ち込んだりする。それは本末転倒だから。「睡眠剤を飲まないと眠れない身体になるんじゃないか、依存症になるんじゃないか」って思いがちだけど、まぁわたしの場合の話だけど、数年飲んでても別に依存症にはならなかった。わたしは中途覚醒がひどかったので、導入剤だけじゃなくユーロジンなんかも飲んだけど、あれを飲んでも中途覚醒は治らなかったな。結局、中途覚醒を治すには、うつ病自体がよくならないと無理だった。睡眠剤はハルシオンの他にはドラール、マイスリー、ロヒプノール、ロゼレム、アモバンなんかを飲んだことあるかな。でもアモバンは苦くて1回で変えてもらった。ロゼレムは全く効かなかったのでこれもすぐ止めた。長く飲んだのは、ドラール、マイスリー、ロヒプノール、ハルシオンかなあ。もちろんいっぺんに処方されたわけじゃないけどね。一番酷いときは3種混合だったかな?ドラール、ロヒプノール、ユーロジンとか、マイスリー、ロヒプノール、ユーロジンとか。今は睡眠剤の3種混合はできないらしいけどね。ドラールは朝起きたときに頭が痛くなる副作用が出たので中止になったことを思い出す。あと、睡眠剤としてデパスが出ることがあるらしいけど、わたしはあれでは全く眠くならなかった。デパスは確か抗不安薬として1日3回飲んでた時期があったけど、結局効果は全く感じられない薬だったな。 睡眠剤じゃないけど、ジプレキサは眠りに多大な影響を及ぼした。寝ても寝ても眠くて全く起きられない。量を減らすと途端に睡眠が浅くなる。減らしたあと睡眠の深さが元に戻るまでに1週間くらいはかかったかなー。 まぁ「こんなに飲んでても大丈夫かな」って思っても眠れるうちはしばらくそれを続けてたほうがいいと思う。そのうち何となく「これ、なくても眠れるような気がする」って思うようになる。そしたら試しに飲んでる量の2/3にするとか1/2にしてみる。眠れなくて不安になったときは元に戻す。「まだ、今は減らす時期ではなかったんだ」と思って。わたし、別に薬使って眠れてるんならそれでいいじゃんって思うんだよね。だってその方が楽なんだもの。わたしが薬止めたいと思うのは、単に寝る前に薬飲むのがめんどくさいのと、薬の効果の前に眠れるようになっちゃうから、薬の意味をなさないなと思うから。そういう状態なのにわざわざ飲みつづけてるのって馬鹿みたいだからね。そして薬止めてて、また何かあって眠れないなと思ったら、頑張らずにすぐ薬は再開しちゃう。だって眠れない方がつらいんだもの。それに別に飲んでたって時が来たら止められるから。睡眠は精神の影響を受けやすいのでちょっとでも止めることに不安に感じたらそれはまだ時期じゃないってこと。決して焦らない。 毎日、コンスタントに眠れだすと、だんだん「薬飲まなくても眠れるんじゃないか」って思って来る。わたしの場合、薬止めても大丈夫かなって思い出すのは、薬を飲んだ直後なのに眠れること。薬って効き始めるまでに時間がかかるから、本来薬が効いて眠くなるのなら、15分から1時間くらい待たないとダメだ。けど、それ以前に寝ちゃうってことは、要するにそれは自力で寝てるってことなんだよね。それが実感できるようになればだんだんと「薬飲まなくても眠れる自信」が付いてくる。まあ睡眠剤の止めどきのタイミングってこんな感じかな、わたしは。とにかく睡眠剤を止めるためには「自力で眠れる自信」がなければダメだと思う。ここで焦って自信がないのに睡眠剤を止めちゃって、それで眠れないってことが分かると、精神的に余計に「睡眠剤がなきゃ眠れない」って思いこんでしまって(身体が自然にね)、逆に止めづらくなっちゃうんだよね。だからわたしはよほど自信がない時じゃないと「止めよう」とは思わない。 でもいっぺんに睡眠剤を飲まなくするのはちょっと不安なので、取り敢えず「止めよう」と思ったときは、それまで飲んでた薬を半分にして寝てみる。わたしは今回、金ハルだったのだけど、しばらくは半分に割ったのを飲んで寝てた。それでしばらく寝てみて、それでも眠れると思ったら、薬を止める。薬を飲む、飲まないっていうのは本当に安心感が違うんだよね。どんなに「半分にしても眠れたんだから飲まなくても大丈夫だ」って思っても、やっぱり薬を飲む行為ってなぜか安心感があったりするんだよね。それがたとえ半分でも。それを振り切るのは結構大変だ。 なので、話が最初に戻るが、薬を飲まずに寝た最初の日って眠りが異常に浅かったり、途中で目を何度も覚ましちゃったりするんだろう。ただ、次の日にはもう普通通り眠れるけどね。これで何日も眠りが浅かったりするようであれば、それはまだ身体が睡眠剤は必要だって言ってることなので、無理しないで薬を復活させた方がいい。復活させても「飲まなきゃ眠れない身体になっちゃったんだろうか」なんて思わない。今はまだ、自分は薬が必要なんだって、ただそれだけのこと。いつかは飲まなくて済む日が来るのは確かだから。 てなわけで、今は睡眠剤は飲んでないんだけど、その代わり最近いい睡眠剤を見つけてね。 それは、猫。 うちは高尾にゃんは拘束されるのがすごく嫌いなのでできないのだが、ばこは比較的従順に身体を撫でさせてくれる。なので、寝る前に「ばこちゃん、一緒に寝よ」と言ってばこをベッドに連れて行って、横で寝かせてあとはひたすら撫でる。 ばこの毛はふわふわでとっても気持ちが良い。それに撫でるとすぐにゴロゴロ言い出して、それを聞いてるわたしまで気持ちがよくなってきてしまう。そうしていると、知らないうちに半分くらい寝てたって分かるときがある。意識ははっきりしててあれこれ考えてるつもりだったのに、ふと我に返ると今考えてたことが何も思い出せない、みたいな。そうなるともうばこがいなくても大丈夫。すぐに眠れる。ばこは何分か経つと布団の中に入っているのが暑くて耐えられなくなるみたいで出ていく。残念ながら朝まで一緒に寝てくれることはない。ただ、ばこも撫でられているうちに眠くなるのか、布団から出たところでぱったり寝てしまうことはある。だいたいがわたしの枕元なんだけど、そうなるとばこに枕の大半を占領されてしまう。が、まあそれは全然構わない。 わたしが眠くならないうちにばこが出て行ってしまうことも多々ある。けど、それでも不思議とその後絶対に眠れるんだよね~。 というわけで、今のところ、睡眠剤代わりのばこがわたしを眠らせてくれる確率は100%。そう、一度たりとも眠れなかったことはないのだ。これってすごい。昨日なんか昼間にちょっと寒かったので、布団にくるまって、布団の中でiPadを見てたりしたのだが、ばこがぐるぐる言いながら布団の中に入りたいとやってきて(ばこは自ら布団の中に入ってくることも多々ある。撫でて欲しいのかな)布団の中に入れてやり、撫でてたら、別に昼寝する気は全くなかったのにその後、数時間眠ってしまった。。そう、ばこを撫でると寝たい、寝たくないにかかわらず、自動的に寝てしまうのだ。。 これは本当にすごい天然の睡眠剤だ!もうばこは手放せない!! ちなみに今飲んでる薬は、リーマス100mgのみ。ジプレキサも処方されてるんだけど勝手に止めてます。前々から0.5mg飲んでも効き目ないんじゃないの?って思ってたし(なんせ1/5錠だしね)、2月か3月にジプレキサが復活したのもうつが酷くなったというんじゃなくて、背中が痛くて仕方なくなっていやいや飲まされた、っていうのが理由だったので、痛くなくなった今、止めてみて、それでまた痛くなったらジプレキサが効いてたんだなって分かるから。わたしは背中が痛くなったのは、冬で寒かったからじゃないかなって思ってるんだけど、前回はタイミング的に重なってしまったのでよく分からなかったのだ(主治医と意見が対立した)。なので夏に一回どうなるか試してみたかったんだよね。まぁ次の診察の時に主治医には言います。睡眠剤は止めてみようと思ってるって言ったんだけど、ジプレキサについては言うのを忘れてしまったので。 ハルシオンには30日処方のしばりがあるので、これが出されてる間は1ヶ月に1回は病院に行かなければならない。それがとてもめんどくさい。そういうことも睡眠剤切りたいなって思う理由にはなっている。ジプレキサは今処方されてるのは0.5mgで、薬局で粉状にしてるみたいなのね。これがめっちゃ時間がかかるのよ、処方の時に。シートでほいっと出されるのは簡単なんだろうがね。それでわたしは薬局で長く待たされるのがものすごくいやなのだ(誰だって待たされるのは好きじゃないと思うけど)。ってわけで、こういうのも薬を切りたい理由の大きい理由になっていたりする。だいたいこの1年間以上、わたしは全く落ち込んでないのだ(小さな落ち込みはそりゃあるけど、それは生きてりゃ落ち込むこともあるだろうよ。この世で落ち込まない人などいるんだろうか?)。反復性うつ病は安定してからも数年病院に通わないといけないらしいが、その点はもう分かってるのでいいのだが、それでも飲む薬は最小限にしたいよなって思っている。 |
06-22 Sun , 2014
06-21 Sat , 2014
北海道、青森旅行5日目(青森で同性の婚姻届提出を見守る)
今回「旅行しよう!」って決めたのは、青森に住む友人から「6月に役所に婚姻届を出そうと思ってるんだけど、元気だったら見守りに来て」と言われたのがきっかけだった。
わたしはいつか、青森に行きたいと思っていた。今回のことがなくても多分行ってたと思う。もっと後になっただろうけど。それは以前、この友人とは違う別の地方に住む人がtwitterで「東京の人は自分の地元に行きたい、行きたいって言うけどほとんど来ない。地方に住む人ばかりが東京に何度も行っている」と呟いているのを見たことがあったからだった。 地方に住んでて東京に友だちがいるけど、結局いつも会うのは東京でばかり、という経験はわたしもしてる(わたしの場合は東京に住んでたことも地方に住んでたこともあるから両方経験してるけど)。確かに東京の方が人がたくさんいるし、ものもイベントもたくさんあるから、イベントに行くついでに友だちに会って、なんてこともできる。できるんだけど、自分だけがいつもいつも東京に行くっていうのは、なんだかなーって思ってしまう気持ちもあるんだよね。だからその友人には「いつか青森に行くね」って言ってたんだけど、ちょうどいい機会だし行ってみようって思ったのだ。 ちなみにその友人と初めて会ったのは、いつ、どこでだったのかちっとも覚えてない(笑)ただ、わたしがこっちに戻ってきたのは2005年だし、その翌年から性的少数者などの集まりに行きだしたので、おそらく2006年か2007年から知り合いだったんじゃないかなと思う。今回友人と「初めて会ったのはいつだっけね」と話をしたんだけど、双方とも覚えてなかった。ただ、それからもつかず離れずでその友人とは「すっごく仲が良い」ってわけじゃないと思う。いつも偶然どこかで出会って、少し話してからまた離れる、って感じ?だけど、わたしはその友人をとても尊敬してるし、信頼もしている。 その友人はとても目線が低い人。生まれ育ってきた環境が全く違うのでそれは仕方がないことだと思うのだけれど、わたしはいつもその友人の目線の低さに脱帽する。わたしは同じものを見てもその目線にはなれない。まぁそれはそれで仕方がないことだと思うけど、でも、いつも言ってることを聞くと「ああ、すごいな」って思う。そこら辺はうまく言葉では言い表せないんだけど、自分には持っていないものを持っている人。だから尊敬している。 実はわたしがレインボー・アクションって団体で、2年前かな?ゆるカフェとかもカフェってのをやってみようかなって思い始めたときに相談したのが、その友人だった。こういうものをやってみようと思ってるんだけどどう思う?って。もちろんレインボー・アクション内で事前に話し合ってもいたけど、そことは関係ないところで誰かに相談したいと思って思い浮かんだのが、その友人だった。 まぁその友人とは、そういう関係。 さて、旅行5日目。まず、函館から青森に向かった。 実は青森に行くのはこれで2度目だったんだけど、そのときは船で行ったので(昨日書いた大学3年生の時の漁業実習で、小樽に上陸した後、太平洋側を通って晴海に帰ろうとしたところ、台風が来ているということで陸奥湾に停泊ということになり、そのついでだから青森に上陸しようということになった。で、余談だがちょうどその日は「ねぶた」の日で街中すごい人、すごい鈴の音だったのを記憶している)陸路を通って青森に行くのは初めてだった。 ![]() ![]() 確か「スーパー白鳥」って電車だと思うんだけど、これで青森まで2時間くらい?間、30分くらいは青函トンネルの中だったかな?青函トンネルに入る前にもいろんなトンネルをくぐるんだけど、丁寧に「次は第一○○トンネル」だとかの表示が出た。青函トンネルに入ってるときは「この上は海なんだ」って思うと結構怖かった(笑)「トンネルが水圧で潰れたら、一瞬のうちに死んでしまうんだろうな」とか思ってた(笑)でも、こうやってどこでも地下では地続きなんだよなって思ったら、とても不思議な気持ちがした。そして人間は普段は地球の表面で細々と暮らしてるんだよな~って思った。 ![]() 青森駅に着いたんだけど、青森駅って業務用エレベータしかないんだって。だから車いすとともにわたしも普段は一般人が通れないところを歩いたんだけど、これは貴重な経験でした。チラシとか駅舎を季節ごとに飾る物(造花とか)がたくさん置いてあった。すごい古びた感じのところだった。まぁ一般客用のエレベータが整備されないくらいのところなんだから、職員用の通路なんかにはお金はかけられないんだろうね。 駅を出て、取り敢えずホテルに荷物を置いて、それから昼ご飯を食べて、友人のところに行った。前回いつ会ったのか思い出せないほどで(笑)、でもまぁ変わってなかった。他の人もたくさん来てたんだけど、みんな知らない人ばかり。わたしはこういうとき、知らない人に話しかけるのが苦手なんだよね~。そして多分「話しかけづらそうなオーラ」を出してるんだろう、絶対に向こうからも話しかけてこないんだよね(爆)以前はそれでも無理矢理こちらから話しかけて知り合いになりたいって思ったりもしたんだけど、最近はまぁいいや別にって感じなので、ほとんど黙ってた。そのうち幾人かと知らないうちに話したりもしたんだけど、どこの誰かを全然聞かなかったので、今になっても誰なんだか分からない人が結構いたりする。まぁ縁があったらまたどこかで会えるやね。 なんとなく役所に行くのは15時って決めてたみたいなんだけど、でも結局それより早く役所にみんなで行ったみたい。友人のパートナーさんは「緊張する~」って言ってたけど、わたしにはあんまりピンと来てなくて。 そもそも友人が「同性同士で婚姻届を役所に出そうと思う」って聞いたとき、わたしは「うわー、すごいな」って思ったの。前々から「日本で同性同士で婚姻届を役所に提出した話を聞いたことがない。誰かやればいいのに」って話は聞いてたし、わたしらもしてた。誰も提出していないところで「日本では憲法24条に『両性の合意』って書いてあって、だから結婚は男女しか認められてない」って言われてたけど、でも誰も提出してないんだから、本当に受理されないのかは分かんなかった。今まで分からないところで議論してたわけだよね。もしかしたら受理されるかも知れなかったんだから。きっと今まで同性同士で婚姻届を役所に提出した人たちはいたのかも知れないが、でも、その話は一般に性的少数者の活動をしている人の間では聞こえてこなかったんだよね。 わたしらも「婚姻届出そうか」って話はしたことがある。けど、わたしはともかく、彼女の方はカミングアウトしてない親や身内がたくさんいる。もし婚姻届を役所に提出したとして、カミングアウトしてない親や身内の人が知ったらどうなるだろう、って考えるととてもじゃないが怖くてそんなことはできなかった。だから「もし、わたしらがうんと歳を取って80歳とか90歳になってもまだ日本で婚姻届が出されてない状況だったらそのときは出そう。80とか90になればもう怖いものなんかないもんね」って話をしていた。 だから今回、友人らが婚姻届を出すって聞いたときに「すごいな」って思ったのだ。きっとそこからすぐに「裁判だ!」って考える人もいるだろうし、それ以前に「婚姻届を出すとは、婚姻制度を強化する恐れがあって許せん」って考える人もいるだろう。婚姻届を出すってことは、そんなぐちゃぐちゃところに自分の身を置くということだ。それを考えると、とてもじゃないがわたしには怖くてそんなことはできない。それを敢えてやるということがどんなにすごいことなのか、いやおそらく友人たちは「すごいこと」とは考えてなくて、ただ「やってみなきゃ分からない。今後なんてどうなるか知らない」って思ったのかも知れない。婚姻制度の強化については確かにそれはそうなのだが、でも、だからといってわたしらに「権利がない」状況は事実なのだ。いや、「権利がない」状況はもしかしたら「そう言われている」だけで、婚姻届を提出したら受理されて得られる権利なのかも知れない。今まで誰もそれをやってこなかったので、そういうことすら分かっていないのだ。だから受理されなかったとしても、それは今後のための第一歩。何も、誰も分からなかったことからの一歩なのだ。 役所に着いて、まず整理券を取った。そこから番号を呼ばれるまで結構待った。わたしは遠くにいたので聞こえなかったのだけど、友人のパートナーさんが「婚姻届を出しに来た」って整理券配ってる人に言ったら「おめでとうございますって言われた」って言ってた。 青森市役所は寒くってね。なんかすっごく風の通りがよくて寒かった。だけど、地元の人はほとんど半袖を着てた。。わたしは上着をホテルに置いてきたことをとっても悔やんでいた。一応、長袖Tシャツだったんだけど、それ1枚だったから本当に寒くて寒くて。。 そしていよいよ番号が呼ばれて友人たち2人が役所の人に婚姻届を提出した。 ![]() 総勢10人ちょっとで行ったと思うんだけど、みんな二人の様子を見るわけでもなく、知り合い同士で話すわけでもなく、ただ、受付の前にずらっと置いてある長いすに座ったままずっと前を見ていた。わたしは長いすの最後列の後ろでずっと立ったんだけど。おそらくあそこにいた一般市民の人は、誰も今、婚姻届を出した2人を見届けているなんて思わなかっただろうなと思う。 わたしは婚姻届を提出した二人と役所の人の会話を聞いたわけじゃないし聞こえてきたわけじゃないので、ここからはわたしの見たままなんだけど、役所の係の人はまず、二人の話を聞いた後、一旦奥に行った。これはおそらく推測なのだが、係長クラスの人に聞きに行ったんじゃないかと思う。そしてその後長い間戻ってこなかった。これもおそらく推測なのだが、自分でいろいろ考えてたんだろうと思う(受理できないのであれば、法律の根拠が必要なので)。 その間わたしたちは上に書いたとおりずっと前を見ていたのだが、全然関係ない役所の人数人が書類棚の影からちらちらっとこちらの方を見た。それもちらっと見てはすぐに書類棚の影に隠れる。こちらを見て「一体、どういう人たちなんだろう?」って思っているような好奇の目。わたしはすごく嫌な気がした。しかも、後であのとき来てたみんなと話したら、全員がその視線に気が付いていた。あそこでは誰も何もしゃべってなかったのに、みんなチラチラ見られていたことに気付いていたのだ。役所の人は隠れながら見ているので気が付かれないと思ってそういうことをやったのだろうが、全くそんなことはなく、みんな気が付いていた。役所には実に様々な人が来ると思う。「何か訳ありげ」な人が来たら、役所の人(おそらくその中でも数人だと思うけれど)はそのたびにああやって書類棚の影からちらちらと見てるんだろうか、、あれは本当に止めて欲しいと思ったし、誰が来たってちらちらと向こうから見られる筋合いはない。本当に感じが悪かった。 わたしはずっと係長らしき人の姿を見ていた。係の人が相談に行って、何かあるなら係長自身も動くはずだと思ったからだ。しかしその人はずっと動かなかった。途中で電話したり(電話があったのか自分から電話したのかは分からない)してたけど、それが今回の婚姻届と関係あるとはあまり思えなかった。 正直、係の人が奥に引っ込んでからこんなに待たされるとは思ってもみなかった。婚姻届を提出した二人はずっと受付のところに座ったままだし、係の人はいつ帰ってくるかも分からない。「こんなに待たせるんだったら『時間がかかるので何分後に来て下さい』って言って解放してくれよ~」って思った。戸籍の届出の待ち人数も、まぁ1人か2人だったが少し増えてたし、友人たちがいるところ以外の受付は1つしかなく、他に待ってる人にとってはかなり時間を取られたんじゃないかなと思ったからだ。 そうこうしてるうちにやっと係の人が戻ってきた。分厚い黒い六法全書らしきものを持ってきた。そこで友人たちはいろいろと係の人とまたやりとりをしていた。聞くところによるとここで「両性の合意の両性というのは、一般に男女のことです」って言われたらしい。 あー、あれからしばらく経ってしまったんで、ここら辺の記憶は薄いな。長く説明されたのか、短かったのかはよく覚えてない。もしかしたら、ここで友人が泣いてしまって、役所の人が後ろに置いてあるティッシュを取って渡したかも知れない。わたしはそれを見ながら「なんでここにティッシュなんて置いてあるんだろ」って漠然と思ってた。友人がなんで泣いたかは後で聞いたんだけど、覚えてない(^^;確か、役場の人にちょっと無遠慮なことを言われてそれで泣いたって言ってたような、、 しかし、役所の人が手に取りやすい後ろの方にティッシュが置いてあったってことは、ここで戸籍届や戸籍の変更届を出す人は、何かいろいろ事情があって泣かれるのかなあって後で思った。婚姻届が受理されてうれし泣きをする人がいるのだろうか、誰かと縁を切ってうれし泣きをする人がいるんだろうか、子どもの出生届をして嬉しくて泣くのかなあ?誰かが亡くなって、抹消届を出すときに悲しくて泣くんだろうか。そう考えると、日本人の人生の節目には戸籍が付いてくるもんなんだよね。なんか複雑。わたしは基本的にこんなんで人間の関係性を縛られたくないと思う。「家族」ってだけで誰かの面倒を見なきゃいけなくて、「家族じゃない」ってことで誰かの死に目にも会えない。家族かどうかを判断されるのは、すべて戸籍にどう書いてあるかによる。今、もし彼女が倒れて意識不明になって面会謝絶になったとしたら、法律的に家族(というか親族)じゃないわたしは病院側に面会を断られる可能性が大きい。わたしと彼女の関係はそういう危険性を常に孕んでいるってことなのだ。そしてこれが「権利がない」ってことなのだ。 というわけで細かいところはよく覚えてないんだけど、覚えてるのは「あと1時間くらいしたらまた来て下さい」って言われたことだった。そのときの時間はもう16時頃で「え、役所って17時までなんじゃないの?」って聞いたら「ここは18時までやってるって言われた」って言われたことだった。1時間待たされる理由は「婚姻届を受理できないのだが、今まで婚姻届の不受理の証明をしたことがないので、それについて内部の者と検討する」って言われたり「不受理すること自体がまだ分からないので、その点を含めて内部の者と検討する」って言われたり、どっちがどうなんだかわたしにはよく分からなかった。なのでこの時点では「もしかすると受理される可能性もまだ残ってるのかもよ?」って言ったりしてた。もし受理されたとしたら、わたしも彼女とここで婚姻届を提出しちゃおうか、なんてことを勝手に思ってたりした。 1時間待たされるというので、見守っている人たちと友人ら全員がそこを立って、近くの喫茶店へ行って時間を潰した。話がついたら携帯に電話がかかってくるとのことだったが、1時間と10分経ったときに、役所の人から電話があった。なので、もう一回、役所に向かった。 17時過ぎた役所はもうあまり人がいなかった。特に戸籍の受付は待ってる人は誰もいなかったんじゃないかな?なので係の人にすぐに呼ばれて、そしていろいろ説明を受けているようだった。もう結論は出ているので早かった。結果は不受理。なので提出した婚姻届は返された。不受理証明が出るので、希望するなら出しますよってことで書類を書かされたんじゃないかな?聞くところによると、1通450円だとか。勝手に不受理しながら、不受理証明は金取りますよ、っていうのはなんとも納得がいかないところであるけれど、まぁ市長の公印ついてるから仕方がないんだろうなあ、、 しかし、不受理証明をもらうまでがまた、時間がかかってね~。結局不受理証明を受け取ったのは17時40分頃だったかな。不受理の理由は「憲法第24条第1項」だった。そして役所として、地方法制局(要するに国の機関)に問い合わせたとのことだった。地方法制局から本庁(法務省)に問い合わせたかどうかは知らない。問い合わせ内容も不受理理由はこれでいいのかを聞いたのか、それとも不受理証明の書き方を聞いたのかは知らない。 ![]() 日本国憲法第24条第1項を根拠とする不受理というのは、要するに「両性の合意」の「両性」というのは、男女に限るもの、と解釈されたようだった。 不受理されたって分かったときに、一番に思ったのは「ああ、わたしと彼女の関係は国では認められないってことなんだな」ってこと。もちろん国に認められるだけがすべてじゃないと思うよ。別に国のお墨付きをもらわなくたって、わたしと彼女は付き合って14年目になるんだから。一緒に暮らして8年経つんだから。けど、上にも書いたように「認められない」ってことは、権利がないってことなのだ。財産をもらう権利がない。配偶者控除がない。公営住宅にも入れない。死に目に会えないかも知れない。彼女が判断能力を失ったとき、自分がどんなに彼女のためになるようなことをしたいと思っても、法的には無関係なのでできない。世間が彼女を「パートナー」として認めてくれない。男女という組み合わせであったら、そこには愛情など何もなくても紙切れ一枚で婚姻が認められ、夫婦としての権利が与えられる。わたしらはどんなに相手を思いやってもそれが認められない。もちろん、愛情があることが何にも増して一番だとは思わないけどさ。でも同性同士の婚姻は、双方がどんなに望んだとしてもこの国では認められない。 それが、この日、正式に分かったことだった。 もちろんわたしはこの判断はおかしいと思っている。この憲法が制定された時点で、なぜ第24条に「両性の合意」という文字が入れられたかという経緯を考えると、それは決して「同性婚の禁止」を意味していたわけではないからだ(ここら辺のことは「新憲法の誕生 (中公文庫)」を読むといい。この本は、現在の日本国憲法がどのように誕生したのかが非常に詳しく書いてある。一部の人が言うように、日本国憲法はGHQの押しつけでたったの1週間でできた、なんてことは全くない。逆に日本人の政治家や官僚がいかにして自分たちにとって都合の悪いものを現憲法から排除しようとしてきたかがよく分かる本だ)。「両性の合意」という文言は一般に「家庭生活における個人の尊厳」そして「男女平等の観点」から入れられたと言われている。 戦前の明治憲法下では婚姻は家と家同士の結びつきだった。婚姻は両家の家長同士で決めることができ、そこに結婚する本人たちの意志はなくても婚姻させることができた。だから現在の憲法では「両性の合意のみに基づいて成立」、すなわち本人たちの意志、本人たちの合意がなければ婚姻することができない、とされた。わざわざ「両性」という文言になったのは、その当時、同性で婚姻するということは想定外であったからだと思う。想定外であることは、すなわち憲法制定時には同性婚という概念がなかった、ということは、この憲法は同性婚を禁じているわけではない、と解釈されるべきではないか。まぁこれはわたしの考えじゃなく、わたしが自分で考えたわけでもなく、一般に同性婚を認めてもいいと思っている人たちの考えだけどね。 それから一般的に法律のことを考えるときには「立法の主旨」を一番に考えないといけないよね。「立法の主旨」とは「なぜこのような法律が作られたのかを考えろ」という意味だけれど、これを考えることなく、ただ法律に書いてあることの文言だけで判断されることは許されない。でも、今回のこれは、どう考えても「立法の主旨」は考えられていない。ただ文言が「両性」になっているから、「両性」とは一般的に男女を差すから、ってことでしか判断していない。明らかにこれは間違った判断だとわたしは思う。憲法は改正せずとも憲法24条の立法の主旨を考えたとき、これは同性婚は禁止していない、むしろ個人の尊厳を尊重し、法の下の平等を尊重する現憲法の理念に即して考えると同性婚は現憲法の下で認められているものと思っている。 それにしても、、悔しいよね。わたしは本当に悔しかった。それに悲しかった。わたしたちの関係が国から認められない。国は認めてくれない。それが本当に悔しくて悲しかった。 まぁだからといって、わたしが婚姻制度を欲しているかというとこれはまた別の問題なのだけどね。これをいうと読んでる人の頭がぐじゃぐじゃになっちゃうかも知れないのだが、実はわたしは特に彼女と婚姻したいとは思っていない。特に現時点の婚姻制度の下ではね。それは「夫婦同姓」ってことが実は大きい。わたし、彼女の名字になりたいとか思ったことないし、彼女に自分の姓を名乗って欲しいなんてことも全く思ってない。わたしが狙っているのは同性同士の事実婚の関係だ(彼女はどう思ってるのかはわたしは知らない)。しかし、今は同性同士の婚姻が認められない以上、同性同士の事実婚という概念も有り得ない。事実婚は法律婚あってのものだからだ。だから、わたしは同性婚を求める。もちろん事実婚はイコール法律婚ではない。事実婚は遺産相続が認められてない。そういう点があるけれど、でも、わたしは今のところは事実婚がいい。ただ、中にはやっぱり「同性婚したい」って人ももちろん多いだろう。異性愛者は結婚するかしないか、法律婚するかしないかを選ぶことができる。でもわたしらにはその選択肢は全くない。その選択をしないまでも選べるか、選べないかということは全然違うことなのだ。だからわたしは同性婚を求める。 わたしの友人がこの不受理を受けて今後どうするかは知らない。友人たちのことだから、この辺はしっかりと自分たちの考えの元に進んでいくと思ってるし、その判断をどうしようとわたしは友人たちの考えを尊重する。 わたしは今では全くtwitterを見なくなってしまったので、今回、いろいろ反響があったらしいことは知っているが、具体的に誰が何をどう言ってるかは全く知らない。でもやっぱり、いろいろな反響があったらしいと聞くと今後、友人たちの知らないところで何かがあったり、何かを言われたりすることがあるんじゃないかと心配している。 不受理証明を受け取って、役所を後にした。 夜は、お店を貸し切って「残念会」をした。手巻き寿司やらホタテの焼いたのやらがたくさん出て、とっても美味しかった。この頃には誰かは全然分かんないけど、来てた人と話すようになって、いろんな話をした。 わたしはまた、青森に来たいと思った。今度はこんな特別な日じゃなくって、何でもない日に行きたいと思った。多分、絶対にまたここに来る。そう思った。 夜の10時過ぎにみんなと別れてホテルに帰った。 いい日じゃなかったけどいい日だった。 翌日はいよいよ帰京する日。 この旅の終わりの日。 |
06-20 Fri , 2014