02-06 Mon , 2017
願書提出
今日、2月6日に大学の願書を提出した。

日本社会事業大学通信教育科社会福祉士養成課程。

願書と共に小論文を提出しなくてはならず、12月に願書を取り寄せたときから出された課題についてあれこれ考え、一旦考え付いたことをWordで下書きしてだいぶ寝かせて、再びあれこれ考え、ってことを何回か繰り返して数日前にやっと書き終えた。よく分かんない。あれでいいのかなあって感じ。というか、もしかしたら課題に対する答えになっているかどうかすら怪しい。

でもそれで合格不合格が決まっちゃうからなあ~。

合格発表は3月11日らしい。

ということで、こないだやっと行政書士試験の発表があったばかりというのにまた待ちの体制かー(´Д` )

あと1ヶ月以上あるよ(´Д` )
落ちたらどうしよ。
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02-01 Wed , 2017
行政書士試験の結果
昨日は行政書士試験の合否発表の日だった。
ネットで見たが、結果は合格。

そして今日、合否通知書が来て、あの試験で何点取れたのかが分かった。

20170201160955.jpg


というわけで、246点取れてた。あの記述で50点もらえるとはね。多分民法1問目は満点で20点もらえたとは思っていたが、行政法1問目はA市長なのにA市と書いてしまい(ここ、最初はA市長って書いてたんだけど思い直して「長」を消して書き直し。。わたしのバカバカ)おそらく5点くらい減点で15点。とすると、あの民法2問目も15点もらえたのか??てか、あの答えでたったの5点しか減点されなかったのか??予備校の解答と全体的に主旨は同じようなものだったが、まったく法律用語を使って解答できなかったのに(あ、慰謝料は書けたか)。
【追記】あ、行政書士試験で奇数の点数は有り得なかったですね。とすると、どちらかが16点でどちらかが14点だったのかな~。(2017.2.2)

今年の行政書士試験は択一式が割と難しめだったので、記述式の点数が甘かったらしいとのもっぱらの噂だが、確かにそんな感じもする。

あと合否発表の直前まで気になって気になって仕方がなかったマークミスだが、どうやらマークミスもしていなかったようだ。よかった。

結果的には思ってもみない高得点で合格できたが、まぁ試験の点数と実際の実務の能力とはまた別の話だからね。それに行政書士の実務はなんといっても人見知りしない方が圧倒的に有利で、人見知りしてしまうわたしはどうもそこら辺は不利っぽい。まぁそれは持って生まれた性格だから仕方がない。人見知りの中でも我慢してやるしかない。

これで目標は1つクリアできたので、次の目標に進みます。

前からブログにも書いてるけど、当初からもう一つ資格を取ろうと思ってたので、そちらの方に向かうことにする。次の目標は社会福祉士。これはわたしのような今まで福祉とはまったく関係のない仕事をしてきた人間にとっては、国家試験が受けられるような福祉系の大学や専門学校に行って、その中で勉強し、そして約1ヶ月間の実習をした上でなければ国家試験が受けられない。

わたしは今、日本社会事業大学の通信課程に通うことを考えている(多分学費が一番安い)。その願書受付が2月6日からだったかな。一応入学選考があるらしく、小論文を書かなければならない。あとそれからなんか雑多ないろいろなことも書かなくてはならず、あと6日で出せるかな。まぁ受付開始と同時に出さなくてもいいんだけど。

簿記3級の試験勉強もあと少し。

なんかすっかり資格ホルダーっぽくなってるなあ(^^;
いやいや、実務に必要だと思ってるから取ろうとしてるだけなんだけどね。
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01-27 Fri , 2017
簿記の試験を目指す
行政書士試験が終わったあと、試験発表までどうやって過ごそうかなと考えていたところ、わたしは今のところ特に司法書士を目指すわけじゃなく(行政書士受かったら司法書士受けるって人結構いるみたい)、できればこの資格でなんとかやっていきたいと思ってるので、そうなったらお金の管理をするために簿記でも分かるようになっておいた方がいいかな~と思い、簿記の試験を受けることにした。

「どうせなら一気に簿記2級を目指しちゃえ!」と思って、それ用の講座を取ったのだが、教材が届いて「さてやるか」ってやり始めたところで大風邪引いてしまい、そもそもぎっちりなスケジュールのはずだったのに1ヶ月、まるまま勉強できなくなってしまったので、仕方がなく3級を目指している。あ、試験日は2月26日。

簿記の資格を取ろうとしたことが、行政書士試験を目指すずっと前に2度ほどあったが、すべて失敗している。どちらも独学で取ろうと思って勉強したりしたんだけど、簡単なんだかよく分からないんだかがよく分からず、結局途中で挫折してしまった。わたしはどうも独学は向いてないようだ。なので今回も予備校の通信講座を取っている。

1月も中旬くらいからやり始めたんだけど、イマイチ乗り切れなくてゴニョゴニョしてたらあっという間にあと1ヶ月後に試験が迫ってきた。というわけで、つい数日前から本気で勉強している。でもまだ半分くらいしか講座は聴けてないんだけど。できれば2級の分もできるだけやっておいて、次の試験(6月)には2級を受けたいなあと思ってるけど、それはやってみないとよく分からない。4月から他の勉強もしなくてはいけないし(これはあくまでも予定)、それ以外のこともやらなければならないので、簿記の勉強の時間が取れるかどうかよく分からないので。

3級の勉強も半分くらい進んできたんだけど、簿記って全然手応えがないのね。法律と違って面白いとかそういうのも全然なく。わたしは多分、こういう分野は向いてない。

ただ1年間、試験勉強を続けていたら、結構「勉強グセ」が付いているなあと感じる。1ヶ月丸まま休んでても特に勉強を始めるに当たって抵抗感はなかったし、勉強のリズムをつかめばそれこそ1日中だって勉強できるようだ。今は午前中に講義を聞いて、午後から復習をやる感じ。それで1日1つずつ講座を進めている。

うつになると、やる気が出ないのが当たり前になって、「やる気ってどうやったら出るんだろう?」ってずっとずっと考えてたけど、今は「やる気って別に出すものでもないんだなあ」って思う。何か行動を起こすまでに決断力も要しないし、どっかから飛び降りるような気持ちで行動するようなこともない。結局そんなことを思っているうちはまだ病気が治ってないので無理するなってことじゃないだろうか。

ただ「何もしていない自分は怠けている」と思ってしまうクセはまだ抜け切れていなくて、12月丸まま1ヶ月なにもできなかったことに対して「本当になにもできなくてよかったのか」と思い始めている自分がいる。風邪のつらさとか、頭が痛かったのでずっと眠りこけてたとか、吐いて吐いて苦しかったことが自分の中からすべて忘れ去られているらしい。なのでしょっちゅう彼女に「わたしは本当に12月は何も勉強できなかった状態だったよね?」と聞いて確認を取っている。まだまだ「何かできる状態だったのに何もしなかったのではないか」と自分を責める病気のクセは抜けきっていないようだ。
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01-26 Thu , 2017
あと5日
2016年度行政書士試験の合否発表日まであと5日。

なんか2週間前くらいから急にドキドキし始めててやな気分。

マークミスさえしてなければ合格確実ってのは分かってて、それは例えば「記述式○○点以上じゃないと合格できない」っていう人に比べたら、格段に安心できる状況なんだってことはもちろんよく分かってるし、今のわたしの状況でドキドキするって言ったら「とても贅沢な悩みだ」と言われるかも知れないのもよく分かってる。

でも、「もし一つずつずらしてマークしてたら」と思うと本当に死にそうな気分になる。

わたし自身の悩みって、人から理解されにくい悩みが多い。「それでもわたしが悩んでる今の気持ちは確実にあるんだけどなあ」っていつも思う。ギリギリのところまで頑張ってるのも事実だし、頑張りすぎて身体を壊したこともあるのも事実なのに、いつも軽く飛び越えているように思われてて困惑する。

少し前になるにわって団体がやってる「生きづらさからの当事者研究会(通称づら研)」が出してる冊子を読んだ。そこに「名前のない生きづらさ」について誰かが書いてた。その人も「こんなつまらないことで悩んでるなんて人には理解されないだろうから言いにくい」って書いてた。わたしは「わたしと同じことを感じてる人がいる」って思った。

別にわたしは誰かから自分の悩みについて「それはつらかったね」とか「分かるよ」って言ってもらいたいわけじゃない。ただ「あ、そういう悩みもあるんだね」くらいに受け止めて欲しいとは思う。
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01-24 Tue , 2017
九九が言えなくなっている
つい最近と言えるような最近ではないけど、多分、今年に入ってからのことだったような気がする。

新聞読んでたら「1から120まで順番に数える時間が30秒以内なら脳年齢が20代、35秒以内だったら30代、40秒以内だったら40代、45秒以内だったら50代」みたいなことが書かれてた。うーん、あんまりはっきり覚えてないので「以内」だったか「前後」だったか「台」だったかは忘れた。とにかく数字を数えるだけで脳年齢が分かると言うことだった。まぁその脳年齢とは何かってのはよく分からなかったけど。一種の老化現象のことなんだろうか?

やってみた。

でも、実際数えてみて、わたしは普通物を高速で数えるときは「十」を言ってないことに気が付いた。例えば31、32、33ならば「さんいち、さんに、さんさん」みたいに、いちいち「さんじゅういち、さんじゅうに、さんじゅうさん」って言ってないのね。数えてみながら「これって『じゅう』という言葉は抜かしていいのかな?もしかしてダメなのかな?」って言いながら考えてたら気が散って、120まで数え終わったときは40秒過ぎてしまってた。しかしそのほとんどを「十」飛ばしで言ったので、もしすべて「十」込みで言ったとしたら、軽く1分は超えてしまうような気がする。

しかし、いくら若くても「十」を入れて言ったとしたら、1から120まで30秒以内で言えなくない??脳年齢というのが何を指しているのか分からないけど、十を入れて言うとしたら、頭の回転と言うよりは早口言葉ができるかできないか、になってしまわないか?もちろん、舌を動かしているのも脳の一部なので、舌がうまく動かせることが頭の回転のよさに繋がり、それがすなわち脳年齢なのですと言われると、そうなのかなあという感じもしないが。

ちなみに2回目は十を飛ばして言おうと思って、いつもわたしが数字を高速で数えるように言ったら、30秒だった。どっちなんだろう?

そう考えているうちに「そういえばわたしは九九をどのくらいの速さで言えるんだろう?」とふと思った。九九は小学2年生で習った覚えがあるので、今から40年以上前?習った時分は「ににんがし」から「くくはちじゅういち」まで一気に高速で言う練習をしたもんだ。

と思って言おうとしたら、、見事に言えなくなっている!!口が回らない!!というか、考えながら言ってる!!

なにしろ「かけられる数」のイメージがすんなりいかなくて、「ににんがし、にさんがろく、にしがはち、にごじゅう、に、、えーと、五だったから次は六?」とか考えてしまって、そうすると頭の中に「2×6=12」というのがビジュアル的に浮かび、そこから「えーと、にろくじゅうに、か」って逆算する感じになってしまう。口から出任せに言うと絶対に「にくさんじゅうろく」になってしまう。いやいや!それは「しくさんじゅうろく」だから!

正直なところ、1から120まで数える、ということよりも九九が言えなくなっていることの方がショックだった。

というわけで、最近は九九をぶつぶつ呟いてたりする(笑)

そしてやっぱり言い慣れると早く言えるような気がする。
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12-11 Sun , 2016
風邪引いた(T_T)
試験が終わって1ヶ月まだ経ってないけど、徐々に気持ちが緩み始めたのか、6日起きたときに身体が熱っぽくなってて、数日寝とけば治るだろうと思ってたら、一昨日の夜から強烈な喉の痛みで再びダウン。

というか、わたしが風邪引くときは九分九厘、鼻の奥の方が痛くなるので、鼻の奥がちょっとむずがゆさを感じたらすぐに葛根湯を飲んで初期のうちに叩いてしまうのだけど、今回はそこじゃなく、喉の下の方というか、よく唾が飲み込めないほど喉が痛くなるって言うけど、それよりもっと下の方。だから唾を飲み込んでも全然痛くない。ここがこれほど痛くなるのは初めての経験だったので、最初のうちは「喉が痛いけど、風邪じゃないよね」って思ったので、放置してた。

が、夜寝ようと思ってベッドで寝ころぶと喉が痛すぎて眠れない。次第に「これって、、もしや風邪なのか?」と思い始め、一旦起きて痛み止めのロキソニンを飲んだら痛くなくなったのでそこから少しだけ寝た(すぐに痛いのがぶり返して起きちゃった)。朝起きたら熱が出てた。

風邪を引いたときはスチーム吸入器を何度もやれば、大抵気持ちよくなって風邪の治りも早い気がするのだが、今回のこれは吸入しても患部に届いたような気がしないので、全然気持ちよくならない。この痛い場所ってもしかすると気管支なの?とも思うが、気管支炎って風邪って言うんだろうか。気管支炎だったら耳鼻科じゃなく呼吸器科の方がいいんだろうか。まぁいずれにせよ、今日は日曜なんで病院休みなんだけど。今は熱はもうなくて、喉の痛みも昨日ほどではないけど、昨日に比べて鼻は出るわ、くしゃみは出るわでくしゃみするたびに喉が痛い。風邪の患部が広がってきたのか、それとも昨日、アレルギーの薬を飲んでないのでアレルギーのせいでくしゃみ出るのか。

それにしても、風邪を引くのが1ヶ月前じゃなくて本当によかった。1ヶ月前の今ごろだったら試験直前でパニックになってるだろう。

今年はあんまり日記が書けなかったので、今年の話は今年のうちに、ってことで、今月中に彼女のお父さんが亡くなったときにお葬式に参列してきた話と(彼女のお父さんが亡くなったのは今年だけどもう随分前のこと)、あと、つい最近、ある俳優さんが引退してしまったことで思うことがあったので書きたかったんだけど、風邪がもうちょっとよくなってからにする。でも今年のうちに書いておきたいなあと思う。
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12-01 Thu , 2016
48歳
今日から師走。
この1年はものすごく早かった。。

取り敢えずわたし、今年48歳になりました。
年齢の数字に異様な関心があるわたしは、もう数年前から「48」になりたくて仕方なかったんだけど、今年は「48」を楽しむ余裕がほとんどなくて、その点では惜しいというかなんというか、、

そもそも「48」ってなんでなりたかったかというと、「多くの数字で割り切れる」という理由だったわけで。要するに約数が多いよね、この数字。1、2、3、4、6、8、12、16、24、48。年齢を重ねるとこういう数字が増えてくるわけだけど(その代わり素数が減るけど)、まぁだから「48」歳を楽しみにしてたんだけど、、今年はほとんど出かけなかったから自分の年齢を書く機会もそんなになかったな~。

おお、そうそう。この数字を見れば分かるように、今年は「年女」だったんだった。が、これも意識させられたのは去年の年末くらい?去年の年の瀬に新宿に行ったら、小田急の改札のところにある柱に全部「申」「申」「申」って大きな字で書かれたポスターが貼ってあって、「おー、なるほど、そういえば来年は申年か」って思ったんだけど、年が明けてからはそれすら忘れてた(笑)

来年生きて誕生日を迎えられるとすれば、49歳になる。「49」は当然のことながら、7の2乗。6の2乗、36歳以来、13年ぶり。この「○の2乗」もだんだん間隔が空いてきたな~。これまで1から6までの2乗を過ごしてきたからか、あんまり「○の2乗」には重きを置いてなかったんだけど、次の8の2乗とか9の2乗が生きて迎えられるかとか、迎えられたとしてもあと「○の2乗」はせいぜい2回くらいしかないのかと考えると、これもこの数を噛み締めながら生きていかなきゃならんのかもね。

しかし、わたしは年齢は四捨五入で考えているので(20代からそのように考えてた)、45歳超えたら気持ちは50代で行こうと思ってたのに、なかなかそうなれない。。というか、今まで自分の中で考えてた「50代のイメージ」というのと、自分の50代になった姿というのがちっとも合わないからなんだけど。ということは、今まで考えてた「50代のイメージ」というのはあくまで想像上のものでしかなかった、ということで認識を改めなければならないと言うことか。

というわけで、ここ数年楽しみにしてた「48」になったことだし、次の楽しみの数字というと、やっぱ「51」かねえ。「51」はカープの背番号でも登竜門、と言われている背番号だ。江藤、前田、そして今は鈴木誠也。あのイチローの背番号でもある。あとは1、3、17の約数。なんかクールな数で割り切れていいねって感じ。

年齢に関する数字であれこれ思い始めたのは20代の頃からだけど、次にくる楽しみな数字を待ちながら生きていくというのも悪くないと思えるようになった今日この頃。
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11-23 Wed , 2016
試験が終わって10日
試験が終わって10日。
やっと身体に疲れを感じて眠ることができるようになった。

てか、試験前からずっと身体の疲れは出てたんだけど、少し休もうと思ってベッドで寝ころんでても「この時間がもったいない。この時間があればもっとあれとあれとあれの勉強ができる」と思うと、いてもたってもいられなくて起きてしまい、結局ずーっと疲れたまま、勉強してたんだよね。

それが試験が終わってもなかなか抜けなくて。やることなくて寝ころんでても、頭の中が「勉強しなきゃ」ってことが習慣になっててどうもそわそわして全く眠れない。眠れないどころか気持ちが落ち着かず、寝ころんでもいられない。

そうやってようやく疲れを感じて素直に眠れるようになったのは、今週の月曜からだったかな。こうなるまで丸々一週間かかった。逆に今はもう身体が疲れ切ってて日中はだるくて眠くてずっと寝てる状態。まぁこれで今までのたまりにたまった疲れが取れるだろう。よかった、ちゃんと休めるようになって。

試験終わったあと、行政書士の試験を受けた人のブログがあれこれ見つかって読んだりしてた。今年の受験生だけじゃなく、過去に受験生だった人のとか。試験中も「同じように受験する人はいないのかな」って思って探してたんだけど、なぜかそのときは全く見つからず、今回やっと「あー、ブログ書いてた人こんなにいたのね」って思った。しかし、行政書士の試験に受かった人のほとんどが司法書士を目指してるのねー。それともたまたまそういう人たちのブログしか目に付かなかったのかも知れないが。。

わたしは前もちょっと書いた覚えがあるけど、司法書士は目指してなくて、法律関係の資格は一旦これで終了。次に目指してる資格試験は法律関係ではない。そして今度取りたい資格は、行政書士みたいに独学とか予備校じゃなく、学校に通わなきゃならないみたいなんだよね~。それも国家試験受けるまで2年かかる。まぁ、通学じゃなく通信にするつもりだけど。今から7年前くらいか、中央大学法学部の通信課程で勉強したことがあって、それは結局最後まで続かなくて卒業できずに途中で辞めてしまったんだけど、思うにあれは病気だった部分が大きいのではないかと思っている(とはいえ、時期的には2回目と3回目のうつ病の間から始めて、3回目のうつ病にかかった1年後までなんだけど)。なにしろあの当時は教科書読んでもさっぱり理解できなくて、スクーリングにも行ったけどさっぱり記憶できなくて(スクーリング終了日にはテストがある)、そしてスクーリングが終わっても「終わった!」って達成感を全く感じられなくて。しかし今回は模試2回受けて、2回とも終わったあとは模試といえども取り敢えず「終わったー!」って解放感があったので、やっぱこっちが本来の自分だよね、って感じ。あ、でも本試験が終わったあとは解放感は全く感じずに、前回の日記に書いたように、試験前にあまりの疲労感いっぱいだったので「わたしは逃げ切れた」という思いの方が強かったんだけど。というわけで、今度は同じ通信といえどもちゃんと勉強できる自信がちょっとは、いやだいぶある。

なので今度はそれに向かって、と行きたいところだが、行政書士試験の合格発表がある前に大学の願書を提出してしまうことが少し怖くて躊躇してる。今の時点でマークミスさえしていなければ合格と分かってても、もしかしたら1つずつマークミスをしててほとんど点を取れてなかったらとか、そんなことを考えてしまって本当に合格しているかどうか分かるまではやっぱ安心できない。といえども、落ちててももう2度とあんな勉強はしたくないんですけどね、、

ついこないだ、行こうと思ってる学校の入学案内を取り寄せたら、願書受付が3期に分かれてて、既にもう1期の願書受付中なんだよね~。合格発表後だと3期になるんだけど、そのときまでに定員いっぱいになってたらどうすんだろ?と思ったりして。まぁ今度説明会があるそうだから、それに参加して質問してくるつもり。

法律の方の知識も試験終わったらこれで終わりというわけではないので(一応、行政書士としても開業を目指してるので)、こっちの方は内田の民法を合格発表日までにコツコツ読んで忘れないようにする。中央大学法学部の通信課程だったときに揃えた本だが、あのときは理解できてなかった。でも今回は民法は一通り頭に入ってるので、読むのが楽しい。予備校ではやっぱ試験に特化した勉強しかしてないので、いろんな学説とか読むと面白い。とはいえまだ詐欺のところが終わったばかり。取消し後の第三者ってなんでもかんでも機械的に「対抗関係になる」って覚えてたけど、詐欺取消し後の第三者って権利外観法理で94条2項類推適用って考えも有り得るのね。ていうかここ、判例と学説が違うのね。学説は詐欺取消し前の第三者に登記が必要(対抗関係という意味じゃなしに)、取消し後の第三者は不必要って判例と全く逆じゃん。そして心裡留保には第三者保護の規定がないって知ってて、94条2項類推適用で保護されると分かってたけど、94条2項類推適用だったら登記は不要だった。なぜか登記が不要とは思ってなかった。ここら辺、きちんと覚えてなかったわー。試験に出なくてよかった(笑)

合格発表日前までは身体の調子を整えながら、こんなことをして過ごす予定。
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11-14 Mon , 2016
行政書士試験受けてきました
行政書士の資格を取りたいと思い始めたのはだいぶ前のことだった。

実際に勉強を始めようとしたのは今から4年前くらい?でもそのときはまだうつの状態がよくなくて勉強を始めることすらできなかった。1年治すことに専念して、結局2年間やらず、次にチャレンジをしようとしたのは確か2014年だったか。でもこのときも勉強を少し始めたところで息苦しくなったり身体の調子が思わしくなくなって、まずは体調を整えてからまた勉強をしようと思ったのに、治らないまま1年が過ぎて。「あ、これは体調を万全にするのは無理だ、体調が悪い中でもやらなきゃいけないんだ」と悟ったのが去年の行政書士試験が終わって少ししたとき。11月下旬くらいだったかな。

なので、去年の今頃はまだ今年の受験を迷ってた時期で、勉強すら開始していない状況だった。勉強を始めたのは去年の12月から。
実質丸1年、勉強した。そして今年、ついに受験することができた。

行政書士の資格試験というのは、一般的な競争試験じゃなく、300点満点中180点以上取れれば誰でも受かるという試験だ。そういう意味では戦う相手は他人ではなく、自分になる。自分が180点以上取れる実力がつけば受かる。行政書士試験ってそんな試験だ。

試験科目は基礎法学、憲法、民法、行政法、商法の法令科目と政治経済社会情報などの一般知識等科目。ほとんどの問題は5肢択一式で、これは1問4点だが、全60問中3問は記述式。記述は行政法から1問、民法から2問出て、配点は1問20点。その他に多肢選択式という穴埋め問題みたいなのがあって、それは3問。1問につき4つ穴があって、語群から穴に埋まる言葉を選択する。それが1つ2点だから全部で12つの穴があって(3問×4つ)、計24点。これは憲法と行政法から出る。

ちなみに5肢択一式の問題数の振り分けは、基礎法学2問、憲法5問、行政法19問、民法9問、商法5問。一般知識等は全部で14問。そして一般知識等は6問、要するに24点以上取らないと全体で180点を超えても合格にならない「足きりライン」がある。

こう書くとなかなか複雑な感じに見えるね。

前回のブログに書いたけど、それまで2回受けた模試の前は2回とも失敗して模試前1週間はほとんど勉強ができなかった。だから今回は絶対に体調を崩さないと強く決心したんだけど、なんせ初めての体調を崩さない試験前1週間だったので、試験日に体調を整えることまで気が回らず、もう思いっきり疲労を残したまま本試験を迎えることになっちゃったんだよね~。なのでこの1週間は試験に緊張するというより、体調がいつ崩れるかも知れない不安と、もう疲れて疲れて一刻も早く終わって休みたい、それしか考えてなかった。

試験中、問題を解いているときは、なんか普段の模試よりも格段に頭が回らなくなってる感じだった。疲れもあったけど、さすがに本試験は緊張してるんだなと思った。読んでる文章が頭の中をグルグルしてきてわけ分かんなくなったりすることもあったし。頭の回転が悪いものだから、1問解くのにかかる時間が多くなっていつもより時間が足りないんじゃないかと思って焦った。試験は3時間だが(13時-16時)、2時間半過ぎたところで全部終わらなければ途中で切り上げて記述式の問題に行こうと決めていた。記述式は1問20点と配点が高いし、何か書けば部分点がもらえるかも知れない。時間が足らない中、1問4点の問題と格闘するより1問20点と格闘した方が点数がもらえる可能性が高い。なのでそう決めてたんだけど、実際のところ記述含めて全部解き終わったのは15時35分。試験開始後2時間35分で、模試のときとそんなに変わらなかった。

そこからはマークミスをしていないかどうか、問題文にチェックしたものとマークが合ってるかの確認と、5肢択一でちょっと難しくて一応答えは出したけどもう一回よく考えようという問題を考えていたら、それで終了。

終わったあとはなんだか全然手応えがなくて、何がどうだったんだかさっぱり分からなかった。「難しかった」という印象しかなかった。だって、あれも分からなくてこれも分からなかった、これは記憶があやふやでよく思い出せなかった、という問題がたくさんあったから。確かに確信を持って答えられた問題もあったけど、確信を持てても「本当にこれなの?なんかどこかでひっかかってない?」って気持ちが大きかったから(模試で散々引っかかった)。

終わったことへの実感が全くなくて。でも「もうこれ以上はできない」って思った。たとえ落ちたとしても、わたしはもうさらにこの生活を1年間続けることはできない。それくらいつらかった。いやつらかったのは精神的にではない。精神はどういうときでも「やらなきゃ」って思ってたけど、できなかったのは肉体的につらくてたまらなかったからだ。息苦しいし背中は痛い。腕が痛い。アレルギー鼻炎の悪化。足のしびれ。腰の冷え。そのうち脳の中の問題読んでて頭を使う部分とか、文字を読んで理解する部分が拒否反応を起こしてくる。なんの文字を読んでいても頭の中にちっとも入ってこなくて理解もできない。頭の中に全然入って来なくて意味も分からなくて表面的に字面だけ追ってる感じ。でも不思議と精神的にはつらくなかった。逆に「もっとやれ、もっとやることがいっぱいあるだろう」と思っていた。最初に自分が「これはやろう」と思っていたことが、身体の不調でできなくなってきて最後の方は「どこを選んでどこを削るか」で悩んだ。でもそういう部分は疲れなかった。「つらい、もうできない、休みたい」と思ってたのは身体と脳の一部だ。そして試験が終わって解放感でいっぱいになるかと思っていたら、それどころじゃなく、やっと休める、わたしは逃げ切れた、という気持ちの方が大きかった。

家に帰ってから、やっと休める、やっと終わった、という安堵感で泣いた。試験の出来はともかくとして。

しかし、夜になると試験の解答速報が出てくる。もし全然できてなかったらどうしよう、って思った。この生活はもう続けたくないと言っても、受からなかった以上、続けるか何か他の道を考えるしかない。答え合わせがとても怖かった。

結果。

基礎法学 2/2
憲法 4/5
行政法 16/19
民法 7/9
商法 3/5
一般知識等 11/14
多肢選択 12/12

合計192点。(計算しなおしたら196点だった(汗):2016.12.11追記)
一般知識等の6問(24点)もクリアしてるし、記述の点数抜きでも全体で180点以上をクリアしている。

ので、マークミスさえしていなければ、合格は確定的になった。
彼女に「多分合格した」って報告したら、今度は「よかった」という涙が出て来た。

正直信じられない気持ちで、今だってなんでこんな点数が取れたのかよく分からない。

模試の点数は2回とも同じ点数で、ぴったり200点だった。
それを考えると確かに模試の実力通り力を発揮できたと言えるのかも知れない。わたしは法令科目の択一式の成績が安定していて、模試では1回目124点、2回目120点だった。今回も124点だからほとんど変わらない(すみません。上記で計算すると合計128点です:2016.12.11追記)。難易度に多少差があっても(わたしの感覚でいうと1回目の模試は割と簡単で、本試験が一番難しく感じた)成績はほとんど変わらなかった。普通は簡単な方が点が取れるのにね。まぁ、1回目の模試より2回目の模試、そして本試験の方がたくさん勉強してるから、自分の知識量も多少上がってるとは思うんだけど、それにしてもここが安定してたのでよかったのかなと思う。

そして模試の1回目は記述が散々で、2回目は一般知識等の5肢択一が散々だった。それをお互いカバーしてたので模試は結果的には同じ点数だったんだけど、今回は一般知識等がすごくよくできたから、全体的に択一全体の点数が上がった結果になった。

ちなみに一般知識等の問題の中では「日本の多様性」の問題があり、ヘイトスピーチと同性パートナーシップ条例のことが出ていた。で、問題の中で同性パートナーシップ条例の肢、これが○か×か、を問われたのね。わたしは最初これ、「×」にしたのよ。だって、同性パートナーシップ条例って全然「結婚に相当する」じゃないじゃん。問題文の通り、結婚に相当してないから条例で定められるわけであるわけだけど(今のところ、同性同士の婚姻は法律で認められてないので)、でも実際の同性パートナーシップ条例だってあれのどこが「結婚に相当する同性の関係についての定め」なんだろう?実際の中身は病院で最後の看取りができるとか、公営住宅に応募できるようになっただけじゃん、って感じ、当事者としてはね。だから「どこが結婚に相当するんだ!」と思って「×」にしたんだけど、でもこれ、組合せ問題で5つの中から答えを2つ選んで、その組合せが正しいのを選ばなければならない。するとヘイトスピーチの問題と比較しなくちゃならなくなったのね(それとは別の肢が絶対に×だという自信があったので)。でもヘイトスピーチの選択肢は明らかに違ってたので(だって、ヘイトスピーチは法律で禁止されたって書いてあったんだもの。そうなったらどんなにいいだろうかって思うけど)、どう考えてもパートナーシップ条例の方が正しくなる。「えー、試験問題作る人の認識ってこの程度なの?」とここだけは、強く思わせていただきました。というか、こういうのがあるから自分の答えに自信がなかったんだよね。

一般知識等の政経社の問題は、今年は時事問題が多かった。そして「日本の多様性」についての問題が出たのからも分かるように、「この試験に受かりたいのであれば、このようなことには気を配っておきなさい」と言われているような気がした。

ま、同性カップルについての権利は当事者であるから関わらないという選択肢はないのだけど、ヘイトスピーチや人種差別問題については、もう試験も終わったことだし、また関わっていこうと思う。

ちなみに合格発表日は来年の1月31日。
その日が来て発表されるまで、本心から安心はできないんだけどね。

取り敢えず、わたしの試験勉強はこれにて終了。
ちょっと休んで今後どうしていくかを決めたいと思います。

あ、最後に書いておくけどわたしは独学ではありません。予備校行きました。行ったというか、通信クラスだけど。そこの講座で先生の言われるとおりに勉強した。だから勉強の方向性はすべて予備校任せだった。だけど「やれ」と言われたことはやったし、「ここは覚えろ」と言われたところは覚えた。そこにわたしの選択の余地はなかった。やる方法と覚える方法はいろんな先生がいろんなことを言ってるけど(それについてはいろんな先生の個々のブログなどを読んでいろんな方法があることを知った)、その中で自分がやりやすいと思う方法を選んだ。なので勉強の方向性について思い煩うこともなく、基本的には淡々と、その先生に付いていっただけだった。通信の授業時間を含めて勉強時間はトータル1000時間弱(987時間、うち講義を受けた時間は255時間)。でも実際にはもっと多いと思う。勉強時間を付けない移動時間や寝る前の時間、最後の2ヶ月は昼ご飯を食べている時間など、それこそすき間時間もずっと勉強してたから。

でも結果的にはあくまでもわたしにとってはだけど、これが最短の道だったように思う。
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11-08 Tue , 2016
怖くてたまらない
次の日曜日が試験の日。あと勉強できるのも正味5日だ。

しかし、わたしは試験日まで1週間を切った頃から怖くてたまらない。
怖いのは試験の日が来ることじゃない。怖いのは、この1週間に体調を崩して勉強ができなくなることだ。

わたしは今までに模試を2回受けた。2回とも、模試の1週間前の体調が最悪でほとんど勉強できなかった。

1回目の模試の前は、勉強時間を増やしたら眠れなくなった。眠れなかったら疲労も取れなくて、体調が悪化して勉強できなくなった。勉強時間を増やしたら眠れなくなることは前からの経験で分かってた。眠れるようになるには勉強を止めること。勉強を止めたら1週間程度で自然に眠れるようになるのは分かってる。けど、さすが、試験直前に眠るために勉強をしないわけにはいかない。だから、わたしは精神科の主治医に頼った。で、2回目の模試は勉強をしても眠れるようにする、というのを目標にした。

1回目の模試が終わってから眠れるようにいろいろ薬を調整したので、2回目の模試の前はちゃんと眠れてた。眠れるから大丈夫だと思った。けど、1週間前になり勉強時間を増やしたら2日目に風邪を引いた。その日の朝、彼女に「あれ、ろんたこの声、ちょっとおかしいよ」と言われたのだが、自分では全く自覚症状がなく、その日は普段通りに勉強したら、夕方になって熱が出てきて身体がだるくなった。「まずい」と思って次の日、1日だけ休んだ。でもわたしの身体は1日休んだくらいではよくならないのだ、いつものことだけど。体力がある人なら、1日休んで急激に良くなって、そして騙し騙しやってくことができるんだろうと思うが、わたしは1日休んだだけではあまりよくなることはなく、休んだ分くらいしかよくならなくて、そして騙し騙しやっていっても身体は騙されることなく負担がかかってまた段々悪くなる。それは分かってたのだが、なんせ試験1週間前に張り切って「これから試験前にやることリスト」を作ってたのだ。これを試験日まで1つずつ潰していこうと思ってた。が、2日分をやったところで体調を崩し、それどころじゃなくなったのに加えて、1日でやれるだろうと思ってたことができなくなった。

目の前にやらなきゃいけないことがあるって分かっててもできないことは、焦りを生む。ここで肝が据わってる人だったら「どうせできないのなら、思い切って休む方がのちのちのためだ」と思って焦らずによくなるまで休めるんだろうが、わたしはやらなければならないことがあることに焦りを感じ、「これがやれないまま試験日を迎えること」への恐怖感を抱いた。だから、やればやるほど体調が悪化することが分かっていながらやるしかなかった。

次の日が模試、って日に、読んでる文章の意味が全く分からなくなった。過去問を解いていて、過去にやったことがある過去問だったからできないわけではないと思うのに、もう、問題文が何を言ってるのかすら理解できなくなってた。問に関する答えが分からないのではなく、何を問うているかそれ自体が分からなくなっていた。頭はこれ以上何も入れたくない、入って来ないでと言っているようだったが、それでもわたしは休むこと、勉強できないことの方が怖かった。

そんなわけで、わたしは過去2回、試験前に体調を崩して納得のいく勉強がほとんどできていない。特に前回の2回目の模試の前は全くと言っていいほどできなくて、勉強ができないことへの焦り、怖さが身に染みた。

「2度あることは3度ある」という。今回がそのまさに3度目。そして本試験5日前。

怖くて怖くてたまらない。これから体調を崩して勉強できなくなるのではないかという怖さ。

試験日を迎えることが怖い、というわけじゃない。単にこの5日、体調を崩さずに勉強できるかということが恐ろしくてたまらないので、わたしの恐怖は本当は本末転倒なのだが(逆に試験となると、これはあんまり緊張しないんだよね。本番になると肝が据わって、いつもあんまりドキドキすることはなく、逆に楽しめちゃうわたし)わたしの勝負はあと5日。特にここ2日。

体調だけは崩さないようにしたい。自分が思ったように勉強したい。

「3度目の正直」なるか。
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10-17 Mon , 2016
4週間切った
今年の行政書士試験は11月13日。
要するに、4週間後の日曜日。今日は月曜日だからもう27日後。
先が見えてきた。

わたしが本格的に勉強し始めたのは去年の12月に入ってからで、約1年。
ここまで来るのにあっという間だった。6月に入って「え、もうあと半年ないの?」って思ったけど、それからここまでは感覚的にもっと短かった。

決して今までのんびりやってきたつもりはないんだけど、でも、やっぱり「まだ時間はある」と思ってたんだろう。でもあと27日はさすがに「まだ時間はある」とは思えない。やらなきゃいけないことが山積みで、それを27日で割ったとしても、到底できそうにない。

しかも、わたしは身体の無理が効かない。今までに2回模試を経験してきて、体調管理を1回目に失敗したので、2回目はうまくやろうと思っていたら、風邪を引いてしまい、1回目以上にラストスパートが効かなかった。この経験を考えると、ラストスパートをかけるためにはどうすればいいかを考えるんじゃなく、ラストスパートはかけないでどうやって乗り切るか、だろう。とすると、この27日は負担がかからない程度でまんべんなくやるという対策を立てるしかない。

とはいえ、今日はまだ休んでいる。風邪が治りきってないから。

確かに今、ちょっと無理をして勉強を始める、と言う手がある。けどそれは勉強をやると同時に身体を治せる人たちのことであって、わたしはこの両立は絶対に無理だ、今までの経験から。とすると、今勉強を始めてもまた体調を崩してどこかで勉強できなくなる可能性が高い。今1日休むのと、将来1日休まなければならない状態になるのとどっちがいいのかを考えると、それは完全に前者だろう。身体というものは調子が悪くなると、全然記憶できなくなる、理解力がなくなる、いやそれだけじゃなくその状態にすごく焦ってしまう、ということを2回目の模試直前で体験した。頑張りが足りないとか気力が足りないとかそういう話じゃないのだ。というわけで、思い切って今日もまた休むことにした。

丈夫な身体が欲しかったとつくづく思うが、まぁこれは仕方がない。わたしの努力ではどうもならないんだから。わたしはこの身体でできるだけのことをやるしかない。

この1年はとても充実してた。充実してたけどやっぱりつらかった。身体の調子がどんどん悪くなるから。もちろん試験に対するプレッシャーもある。この1年はなんとか頑張れたけど、来年もまた同じ生活を送るのはもうこりごりだ。こりごりっていうよりもう身体が限界に達しているのでもう耐えられない。ってことは、今年、必ず合格しなければならない。

そのためにはまず、風邪を治すこと。
焦る気持ちはもちろんあるけど、考えると眠れなくなる。
なので、今日は頭をからっぽにして休むことにする。
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08-12 Fri , 2016
ひさびさの一人暮らし
ただいま、一人暮らし満喫中。

何年ぶりだろ?おそらく2年ほど前に彼女が骨折して入院したとき以来。
まぁあのときは、家の近くに入院してたから、日中はお見舞いに行ったりして会ってたけど。
今回は彼女が旅行に行ったので、家を出たきり会ってない(当たり前か)。

家の中が汚れないとか、すぐに片付けられるとか、
ベッドで手足を伸ばして眠れるとか、
正直言うとそういうことが嬉しい。

というわけで、夜はベッドに大の字になって寝ている。

たまの一人暮らしだからいいのか、それとも一人暮らししたいのか。

それは今のところはよく分からない。
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06-24 Fri , 2016
今年は受けられるかな
資格を取りたいと思って2013年と2015年に行政書士試験の勉強を始めたつもり、だったのだが、2013年はうつ病からの回復がまだまだで全然やる気が起きず、去年は始めて早々に息苦しくなったり背中が痛くなったりで、それを治してからと思ってたら、結局1年経ってもよくならなかったので、もうこれはこの中でやるしかない、と思った2016年。

2年も勉強できなかったので、今年は相変わらず身体の調子は絶不調なのにもかかわらず、やる気だけは持続している。

今の時点では、まぁ科目の一通りは勉強したという感じか。でも記憶にはまだまだ定着してないけどね。

勉強を始めて分かったのだが、勉強しすぎると疲れて眠れなくなる。頭を使いすぎて興奮しちゃうみたいで。なので、夜遅く勉強すればするほど夜の寝つきが悪くなり、そして頭が痛くなる。そこで勉強を止めて休めば、また自然に眠れるようになる。なので本来の健康な状態(っていつのことになるんだろう?もう記憶の彼方くらい前のことだ)とはまだ程遠い状態なんだけど、それはもう自分の特性だと思うことにして、夜遅くまで勉強しないように注意してる。

それでも、去年の12月から試験勉強を始めたのだが、それまでは月60時間がやっとだったのに、先月辺りから月70時間を超えて勉強できるようになり、今月はまだあと1週間くらいあるけどもう70時間を超えている。4月は週に20時間以上勉強すると、次の週は疲れて1週間、何もできなかったんだけど、今はコンスタントに月20時間くらいは勉強できるようになっている。以前は「1週間に1日は確実に休む日を作ろう」と思って予定を立ててたら、1日休むと次の日も次の日もやる気が出なくて結局ずるずると休み続けてしまう、ということが分かった。ので、今は1日当たりの勉強時間を減らしてでも毎日やるようにしている。そのように決めたら月に70時間超えて勉強できるようになった。とはいえ、休みなしで勉強しているわけではなく、やっぱり何かの拍子に休んじゃう日はあるんだけど。

なので、何事も慣れとやり方で、ちょっとずつやっていくしかないんだよな、ということを実感している。特に健康を害している人間にとってはいきなり踏ん張りが効かないので、徐々にペースを上げていくしかない。しかも、上限はおそらく健康な人よりは限られているだろう。なんせ、疲れが溜まると眠れなくなってしまうのだ。疲れを溜めずに勉強するためには、どこかでブレーキをかけないといけない。そうすると1日当たりの勉強時間がどうしても限られてくる。なので、わたしが勉強できる時間はおそらく月80時間が上限に近いだろう。ということは、この限られた時間内にどうやって集中してやるか、なんだよね、これからの問題は。

行政書士試験の勉強は面白いかと言われると、まぁまぁかな。意外だったのは、民法が「面白い」と感じること。民法を勉強してると「なるほど、世の中はこういう仕組みになってたのか」って思う。要件、効果を覚えるのが結構楽しい。そして行政法はなんだかつまらなくて眠いということ。うーん、行政書士試験において、行政法がつまらないというのは結構まずいと思うんだけども(択一式の配点が行政法は一番高いので)。今後の勉強で行政法はまぁ楽しいと思わなくても、得意だと思えるようになるか、だよね。

勉強は予定通り進んでいるかというと、あんまりそういうことはなく、どれもこれも中途半端で終わってしまってる。これを今後、どうやってやっていくかが一番の問題。

まぁでも、やる気だけは今後も失われるとは思えないので(それより無理しすぎて物理的に勉強するのが不可能になってしまうことの方が怖い)、行政書士試験まであと150日切ったのかな?確か、来月の半ばくらいにあと100日だったと思うので、調子を崩さないように今後も勉強していこうと思っている。
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04-09 Sat , 2016
おれんまね
結局3月は1つしか書けなかった(^^;
のに加えて、1ヶ月間更新しなかったら変な広告がアップされて来ちゃったので。

てか、身体の調子がイマイチなのは相変わらずなんだけど、それにまったく比例せずにどんどん忙しくなってて。

ウルトラマンスタンプラリーの駅からのメッセージも、まとめてる途中で放り投げてるし、まとめると結構面白そうだということは分かってるんだけど、これはもう時間がなくて。どうやらだいぶ先になりそう。画像の加工も必要だしね。

資格試験の方は、順調とは言えないけど、こちらの方も諦めずにやってる。民法がやっぱり理解したり記憶したりするのに時間がかかってて、総論と物権はサクサクできたんだけど、債権総論で躓いてます。何がどう繋がってるのかで頭の中がわやになり、それを整理するのが大変というか。でも「あ、なるほど」って理解できたときは楽しいなと思う。分かったときに「いや~、民法ってよくできてるよな」って思うこともあるし、逆に「なにこれ、この制度」って思うこともある。ただ、債権総論もあともう少しで終わり。各論は総論より難しくないっていうから、ちょっとペースを上げてやっていきたいと思ってる。

自分自身に関することというか、まぁその周辺なことなんだけど、いろいろ動きがあって、この1週間は特にめまぐるしく動きました。また時間に余裕が出たときは書くと思うけど、どこまで書いたらいいのか少し悩むところではある。

書きたいことはいろいろあるけど、なんせ時間がないので今後は短めの記事をちょこちょこ上げる程度になるかな。
なんか今年は明けたときからまったく季節感がなくて、確かに暖かくなって桜も咲いて散り始めたけど、それがなにって感じでちっとも実感がない。季節の移り変わりのみで嬉しかったり楽しかったりできるのって条件が整わないとできないことなのかな。

ただ、今はやることが多くて、それはそれで幸せなことだと思うし、そういう自分の環境は楽しんでるつもり。
12:03 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-09 Tue , 2016
書きたいことはたまってるんだけど
去年に引き続き、書いておきたいことはいくつかあるんだけど、なかなか時間が取れない。。

何かがあったときに書いてる記事を読んでもらえば分かるけど、わたしは書くと長くなってしまうので(笑)、やっぱ、時間はそれなりにかかるんだよね。そして、一気に書かないとそのときそのときで書きたいことが変わってくるので、数日間掛けて書くことが出来なくてね。なので、必然的にブログを書く量が減ってきてるわけだけど。

去年の終わりにも書いたけど、読書量もガクッと減った。今年はまだ1月に2冊しか本を読んでない。今月は0冊。何しろ時間がない。そんなに勉強ばっかりしてるわけではないけど、読書もわたしはまとまった時間に一気に読んでしまうタイプなので。まぁ図書館で借りた本は毎日ページ数決めて読んだりするけどさ、期限が来る前に読まなくちゃならないので。

てなわけで、去年までとは違った一日一日を過ごしてる。まぁ今のところはちゃんと資格試験の勉強は真面目にしとります。憲法終わってこれから民法。ノルマが決まってるので一度サボったら追いつくの大変。だから、他のことは差し置いてほとんどこればっかりなんだよね~。まぁ試験勉強なんてそんなものかも知れない。期日が来るからそれまで必死に勉強する。勉強は嫌いではないけど、覚えるのは苦手なのでそれがね~。っていうか、わたしはもともと記憶力があまりよくない方なので、年齢による衰えはあまり感じない。これはメリットかも知れない。覚えられる人にとっては「以前より確実に記憶力が衰えた」というのは結構ショックみたいです。わたしは今までの人生で「すごい、スラスラ覚えられる!」なんて一度も思ったことがないんで(^^;人の顔も覚えてないし、人の名前なんてもっと覚えてないし、よくテレビで「最近、人の名前が出てこなかったりしませんか?」などという老化現象を指摘するコマーシャルを見るけど、わたしは「そんなの、今に限ったことじゃないけど?」って感じ。それとももっと年を取らないとそう感じないんだろうか。。

そうそう、世に「記憶術」みたいなのがあり、例えば円周率を何万桁覚えてる、なんて人がテレビに出てきたりするけど。そこで言われるのが「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ってこと。でもわたし、あれ言われるたびに「そのストーリーはどうやって覚えればいいのか?」って思うんだよね。結局は何かを記憶しなければダメなんだよね。当たり前のことだけど。それが本人にとって覚えやすいものにする、ということなんだろう、結局。

そういえば、うちの最寄り駅の自転車置き場は、出すときに自分の自転車が置いてあるラックの3桁の数字を入力してお金を払うシステムになってるんだけど、わたし、あの数字を覚えるのは結構得意なんだよね。例えば「121」だと「11の2乗」って覚えておけばいいやとか、「324」だったら「3と3×8だな」とか、まぁ、置くときに「この数字は~」って分解して覚えやすくしてるんだけど(というか、こういう作業が実は好きだったり)、でも、ふと「じゃあ11ってどうやって覚えるんだろう?」って思うのね。「3とか3×8ってどうやって覚えるんだろう?」とかってね。でも、不思議なことにそれは忘れないの。それは覚える努力をしなくても覚えてるんだよね。なんでなのかは自分では分からない。

とすると、「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ことができる人は、もしかするとそのストーリーは覚えるものではなく、なんとなく頭の中に残ってるものなのかも知れないなあなんて思ったりして。でもそれって、記憶力自体がものすごくない?

なんてことは、あんまり勉強中には思ってません。そして最近、どんどん頭の中が飽和状態になっていってるのが分かる。。まあほとんど毎日、新しいことを頭に記憶しなくてはならないし、今まで記憶したことはもちろん忘れられないしね。

あー、6月くらいまでこういう生活続くんだけど、果たして途中で頭がパンクしないかな??ちょっと心配だったりして。
22:06 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-10 Sun , 2016
年明け10日
こんな言葉はないですね。「梅雨明け十日」をちょっと捩りました(笑)

「梅雨明け十日」って最近あまり聞くことなくなっちゃったけど、梅雨が明けると10日は晴天が続く、ということわざみたいなもんです。あ、あれか。最近は「今日、梅雨明けしましたー!」ってことは宣言しなくなっちゃったからかな、気象庁が。なんか「梅雨明けしたものとみられる」みたいな言い方になっちゃいましたからね。ん?だとすると、この言葉は気象庁が「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」をするようになって以降の言葉なのか?いや~、そんなことはない気もするなあ。どっちなんだろ?

てか、もう年が明けて10日も経っちゃったんですねー。思い返すと早い?いや、でも随分長かったような気もする?

ちょっと大変な正月ではありました。いろいろあって。

あと、12月から本格的(?)に来年度の行政書士資格の試験勉強を始めたので、まぁそれが最も忙しい理由かな。チャレンジ始めて3回目。しかし前2回はほとんど勉強できず。受験にすらたどり着けなくて。だからほとんど1回目の挑戦なんだけど、でも、意気込みが前2回とは違ってるので、今年はそれだけでも進歩した、ってことなんだろうか。特に去年は勉強やり始めたと思ったら息苦しくなって、で、息苦しいのを先に治そうと思って努力したけど結局は治らないまま1年過ぎてしまったので、もう治すのは諦めようってことです。息苦しいのを治してたら一生終わってしまう。

ただ今年、この試験勉強と朝鮮語3年目とあと時たま来る仕事、この3つやるだけで多分終わってしまうんじゃないかと。その他はほとんど手が回らない状況ではないかと。

本もここ数年は月3~4冊ペースだったけど、今年は無理かもなあ。去年いろいろ行ったイベントも今年は参加できないかもね。それより、旅行、今年も3月にどこか行きたいなあと思ってたけど無理かも。

なんてことを考えてたり。まぁでもいつかは何かやらなきゃ、この先進めませんからね。しかもこれに合格してももう一個その先に取りたい資格があるからね(司法書士ではない)。それ取るの、2年かかるそうだしね。とすると、最短でも3年かかり。一発で合格しないとそれ以上の時間がかかるということになる。。ただし、資格取ってもそれで食っていけるかどうかはまた別の話だけども。しかしそれでやりたいことができるようになるんだったら、まぁそれから先はそのときに考えればいいだろうってことで。

心配なのは、何かやろうとやる気を出すと体調を崩し、うつ病再発すること。これだけは人生の予定が狂うので勘弁して欲しい。なので、やりながら休むことも考えなければならないってことで、体力温存を第一に考えた方がいいだろうとは思ってるので、あまり無理しないようにする。けど、今年はもう既に無理しているような気がする、、、なんてったって、今年に入ってから、2日と連続して家にいたことがなく、今週も無理そうなんだよね。こりゃ疲れるわ。ただこの調子が続くと本気で体調崩しそうなので、今月後半は何も予定を入れないようにしよう。。(と言っても入ってきてはしまうのだけど)

取り敢えず今年の抱負というか、目標はこんなところかな。

まぁでも今でもかな~り体調悪いけどね。右腕が痛いのがすごくきつくなってきた。何年ぶりだろう、この痛み。2007年のシドニーに行ったときのことを思い出してしまう、、2008年の正月開けてからはほとんど寝たきりになってしまって。あんなことにはならないようにしたいけど、しかし、この腕の痛みもどうやって治まったのか覚えてない。あの頃は何もしてなかったので、きっとずっと休んでたんだろうけど(痛くてそれどころじゃなかったような気が)、あのときみたいにもう休めないしな。

正直、ちょっと困ってます。
23:00 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
12-30 Wed , 2015
もうこんな時期か
ブログに書きたいことはたまってるのに、忙しくて書く時間が全くないうちにもう年の瀬を迎えてしまった。
でも明日も忙しい予定だから、時間がある今日のうちに書いておく。

と言えども、最近はあまり季節感を楽しみたいと思うこともなく、365日(あるいは366日)普通の日で十分、という気がしている。まぁ猫の誕生日は祝いますけどね。

しかしまぁ、区切りではあるので、今年1年を振り返ってみると、今年はわたしにとって、とても不思議な年だった。

生きて考えてれば「なんでこれはこうなってるんだろう」と思うことが多々ある。本を読んでても疑問に感じることがあるし、日常を暮らしてても疑問に感じることはあるし、何かを見ても疑問に思うことがある。単純な知識問題ならともかく、何を手がかりに探せばいいのかさっぱり分からないこともある。

ところが今年はそれが「繋がる」ことがとても多かった。人に会ったり、イベント行ったり、学習会に参加したり、映画を観たり、劇を観たり、でもそれは特にその疑問を解決したいと期待して行ったわけではない。全く関係ないところで、でも自分の中で「あっ」って思うことがとても多かった。答えは見つからずとも、そのヒントになるものと出会うのだ。そのことをヒントにまた自分の中で思考を深め、そして行き当たる。しかしまた別のところでヒントと出会う。ヒントであったり、同じ思いをしている人に出会ったり。

今年はそんな、不思議な年だった。

ただ、だからといって「答え」が見つかったわけではない。というか、答えなんか見つかるような問題ではないと自分では分かっている。しかし、だからといってなぜ考えるのを止めないかというと、それは自分が人間だからだ、「人間は考える葦である」ではないか、なんて書くとカッコイイ~んだろうけどね(笑)別にわたしは人間だから考えているわけではなく、答えを探す行為が、今後自分はどうすればいいのか、自分は何が出来るのか、というある種の答えには繋がっていると思うからだ。要するに副産物で自分の行動が決められる、と言えばいいのか。疑問に思っている「答え」そのものは見つからないにしても。

多分、この中で一番大切なのは、疑問に思っている「答え」そのものではなく、「自分がどう行動するか」なんだと思う。ぐだぐだ自分の頭の中で考えてたって、それで世の中変わるわけはないんだもの。もちろん自分の行動には限界があって、行動したとしても世の中変わるわけはない。わたしは一声で世の中が変えられるような絶対的な権力者じゃないし、逆にそういう権力を持った人を忌み嫌っているから、自分は権力者にはなりたくないし。自分ができることは所詮、微々たるものだと思っている。けど「どうせ行動しても世の中変わらないよね」とブツブツ言ってるよりは、行動する方がよっぽどいい。それが自己満足に過ぎない、ということも十分承知だし、わたしはそれが自己満足であることに満足してるので、それはそれで構わない。とにかくわたしは行動をしなければならないと思う。そのこともはっきり分かった年でもあった。

わたしが主に考えていることは、過去のブログを読んでもらえば分かると思うが、「死刑」「宗教」「在日外国人(特に在日朝鮮人)」のことについてだけど、「死刑」については、今年、自分の考えに決着を付けることが出来た(もしかしたら、その結論についてはブログに書いてないかも)。「宗教」については、これは今も興味の対象。今年はいくつかイスラム教について書かれている本を読み、外観はどんな宗教なのかは一応分かったけど、でも人に出会ったわけではないので、まだ疑問満載。ただ、一つ一つの宗教についてではなく、「宗教」全体(なぜ宗教があるのだろうという疑問など)として考えるのもまた面白い。絶対に答えなんか出ないと分かってるけど、今のところは「人間がそれを必要としていた」と思っている。要するにひっくり返すと「宗教は人間が作った」なんだけど、それは仕方ないよね、わたしは宗教を信じてないんだから。また、わたしはずっと「宗教とは何か」という疑問もあったが、これはそれぞれの宗教、個々に「エッセンス」というものがあり、それは何かというものをそれぞれの教典から読み取っていく作業なのではないかと思っている。要するに、聖典に書かれていること一言一句が正しいのではなく、全体を読んだときに「共通する何か」があるんだろうと。そう考えると、おそらく仏教もキリスト教もイスラム教も(その他の細々した宗教についてはよく知らない)、根底に相通ずるものがあるのではないかと思う。

例えば聖書、キリスト教の教典である聖書だけども、旧約聖書の一番始めは「創世記」、いわゆる「天地創造」について書かれている(旧約聖書はキリスト教だけでなく当然ながらユダヤ教、そしてイスラム教の聖典でもある)。しかし、その1章と2章、全然違うことが書かれているのだ。1章では神は最初にいろんなものを創って、そして一番最後に人間を造った、と書いてある。それが6日目だったと。だがその直後の2章では、神はまず人間を造って、人間を助けるものを創ろうといって、他のものを創ったと書いてあるのだ。全く矛盾していることが書いてあるよね、直後に。しかも、大多数の人が読み始める最初のページ、おそらく一番読まれることが多いであろう箇所に。聖書ってどんなことが書いてあるんだろうと思っただけの信者以外の人だって1ページから普通読むだろうよ。これ、編纂するときになんでこんな矛盾しているものを載せてるんだろう、どちらか一方を削って「こちらが正解です」ってしなかったのはなぜだろう、そちらの方が都合がいいのになぜ敢えてそうしてないんだろう、と考えると、「聖書とは、一言一句を信じるものではないものである」と聖書自身が言いたいのではないかと思える。「聖書には矛盾していることも差別的なことも含んでいますよ。けども、それが聖書の本質ではないのです。しかし、この中には一本貫いていることは確実にあります。それが信じるものに値するものです」と言っているように思えるのだ。だから聖書で自分の都合のいいところのみを切り取ってそれを「聖書にはこう書いてある」と「教え」ている原理主義は、聖書自身が否定していることなのではないか、と。

尤も、わたしはだからといって聖書全部読んだことはありません(笑)ただ聖書というものは本当に奥が深い「読み物だ」とは思ってる。バベルの塔のところなんて、いつもいつも「よく昔の人がこんなこと考え付いたよなあ」って感心する(そういう意味ではわたしは聖書は「人が作ったもの」と思っている)。昨今の出来事で「バベルの塔」を思い浮かべることが、わたしはよーくあるから。

また、わたし、今年分かったことに「神(仏でもいいんだが、以下同じ)を信じる人は、神を通して人間を見ることができる人だ」ということがある。神を信じられない、わたしのような人間は「人間」でしかものが考えられない。別の視点から「人間」を見ることができない。しかし、神がいる人たちは、「神を通して人間を見ることができる」。このことが分かったときに正直「ちと悔しいな」って思ったのね。わたしは人間を「相対的」に見ることができない。わたしの中には「人間」しかないから。でも「神」という別の概念がある人は、神を通して人間を「相対的」に見ることができる。複数の視点を持っていることは、自己の考えを深められるだろう。そういう点で「悔しい」のだ。まぁだが、神を持っている人は「絶対的」なことが分かるかというと、そうじゃないけどね。神を信じている人たちの中の神は、やっぱり「相対的」なんだと思う。イメージ的には、この宇宙、絶対の座標軸があったとして、そこから見ると、個々の神の位置が違っている、みたいな感じになるかな。でもそれは仕方がないんだよね。人間自身が相対的なものなんだから。複数の視点が持てないから悔しいと思えども、神には出会わないと出会えない、ということもわたしは知っている。今後、出会うかどうかは今のわたしには分からない。出会ってないのだから、出会っていないまま、わたしは考えて行く。ただそれだけのことだ。

なんて話がとんでもなく抽象的なものになってしまったが、基本的に宗教とそこに住む人たちの文化や慣習、というものは非常に密接に関係してくるので、そういう意味でも個々の宗教を知ることは大切なことだと思っている。来年も個々の宗教を知ること、そして「宗教とは何か」「宗教はなぜあるのか」、この問題は引き続き考え続けて行きたい。まぁ、この疑問に答えなんかないと分かってるけどね(笑)

そして「在日外国人」、主に在日朝鮮人、在日韓国人、在日コリアン、なんて呼べばしっくりくるのかは分からないけど、その話。このことについて考えることは、本当にいろんなことを知らなければならない。歴史的な話だったり、法律的な話だったり、言語的な話(イメージ的には法的な論理というよりも感情的な言語を使用した論理と言えばいいのか)だったり、そしてその縁辺には元日本軍「慰安婦」の人たち(これについては現在、大きな動きがあったけれども、到底納得できない。だいたい謝罪する側が「このことは蒸し返すな」と言いつつする謝罪ってそれは本当に謝罪と言えるのか?まぁその他もいろいろ言いたいことがあるが)、そしてそこから「戦争被害」「戦争加害」、被爆二世としての自分、そして平和が脅かされている現在の「日本」。「在日」の問題を考えるとき、わたしの中にはこういうものがずっと連なって来ている。だからこそ、まずは「知ること」だと思っても、一度にたくさんのことを知ることは出来ないし、何しろ「知ること」といっても多岐に渡っているので膨大な量があるし、知ったらますます疑問が湧いてくるしで、そう考えると到底全部知ってから考えることなんて出来ない。だからこのことに関しては、今までわたしが「出会ってきた」人やものから少しずつ考えて行くしかないだろうと思っている。

ただ、今年に関して言えば、自分の中で一番はっきりしたのは「国とはなんだろう?個人とはなんだろう?国と個人との関係とはなんだろう?国と個人との線引きはどこなんだろう?」という疑問の方だった。これは今年わたしはいろんなものに出会ったけれど、何かに出会うたびにこの疑問はますます膨れあがってきた。そしてその答えは今のところ全く掴めてない。手がかりすらも分からない。しかしこのことが疑問になってきて、わたしは確実に前と変わってきていることを知った。わたしはつい最近、数年前に自分がこのブログに書いてたことを読んだ。そこには

わたしは決して、ジョン・レノンの作った「イマジン」のように「国が存在しなかったら」とは思わない。国家というものは必要なものだと思うから。ただし国家というアイデンティティを失わずに国と国とが緩い連帯を取ることはできないのかな、とは漠然と思っている。



って書いてある。このときは「国」というものに疑問を持っていなかった。でも、この考えは今年、変わった。上のことをわたしが書いたときに思っていたことは「もしこの地球が一つの国だったら」ということだった。でもこれは現実的に考えて有り得ないだろう。だって、一つの国になるとしたら、資本主義なの?社会主義なの?共産主義なの?とか、法律はどうなるの?とか通貨紙幣はどうなの?とか、そういう「現実的」なことを考えると「有り得ない」話だからだ。そういう意味でわたしは「国」というものに疑問を持たず「国家というものは必要だ」って書いた。

その理屈は今でも変わらない。しかし、一方、これまた現実的な話だが、国家が存在することによる弊害だってかなりあるのだ。「民主主義」とか「人権」という概念は、近年になり人間が発明したものだと思っているが、やはり根本的にこの世に生まれてきた人間は「人権」を持っているはずだ。幸福に生きる権利、自由に生きる権利は誰にでもあるはずだ(ただし「公共の福祉」に反してはならないと思う。「公共の福祉」って日本国憲法の文言だけど。で「公共の福祉」って「他人の人権を脅かさないこと」であって、単なる「人の迷惑にならない」とか軽い意味じゃないし、ましてや「国の都合の悪いこと」ではない)。ではその実現を果たすために「国」は絶対に必要なものなのか。「国」がなければすべての人は幸福に生きる権利、自由に生きる権利が持てないのかというと、全然そうじゃない。そのことの実現のためには特に「国」である必要性は全くないのだ。

ジョン・レノンの「イマジン」については、わたしはよく知らない。彼がどういう気持ちを込めて、この曲を作ったのかも全然知らない。けれど「国がないって想像してみて」というのは、まさにこういうことなんじゃないだろうかと。「地球上から国をなくす」というのは、アナーキストと言われるかも知れないが、わたしはそうじゃないんだよね。「人権」「民主主義」、そして「国家」このすべては人間が発明したものだとすると、わたしたちは国という概念を超える「何か」を発明することが必要なのではないかと。「この世に住む人たちがみんな自由に、幸せに生きている」そのことを想像しながら「では『国家』を超えるシステムとはなんだろう」って考えることが必要なのではないかと。

このことが、今年、わたしの分かったことで、去年までとはちょっと違ってきた部分だった。

「国と個人の関係」を考えたのは、正直、ここの部分だけの話ではなくね。ただ、今までは「国のイデオロギー」ってよく分からなかったんだけど、いろんなものに接しているうちにそれが見えてきた。と同時にわたし自身も知らないうちに国のイデオロギーによって洗脳されているんだ、ということも見えてきた。多分それはこの国で「日本人である」ということがどういうことか、少しながらも自分に「見えてきた」からだろうと思う。それまでは「日本人は日本で多大な権力を持っている」と言いつつ、でもそれは自分自身感じられなかった。が、そういう自分自身はべったりと「日本人の論理」で生きていた。そのことが少し感じられただけでも、わたしはとても嬉しかった。これを少し感じることができたということは、自分の「座標軸」をずらすことが可能だと言うことだから。

そしてこのずらした「視点」を保ちながら、来年に繋げていきたい。

最後に、うつ病的な視点から今年の自分を見てみる。

今年は比較的よく動けた年だった。多分、端から見ると「うつ病の人」には見えないだろう。そういう意味ではわたしも最早「うつ病」ではないと思っている。ただ、過剰に無理はしないように気をつけている。無理をしたら再発確実な反復性うつ病だからね。しかし以前と違ってきたのは「休んだら元通りになる」ってことだ。病気のときは身体がだるくてだるくて仕方がなかった。何をやるのもやる気が出ずに、多大に努力して動いていた、という感じがする。もう普通に動けていたときの状態が自分では分からなくなっていて「昔もやる気が出なかったけど、無理して身体を動かしていたのではないか」とずっと思っていた。何も考えずに身体がスッと動くなんて夢じゃないかって思ってた。

ところが、やっぱり身体って何も考えずにスッと動くものなんだよね。「やる気が出ない」というのは、出なかった頃は自分が怠けているのではないか、自分を甘やかしているのではないかってずーっと自分を責めてたけど、やっぱりそういうのは「病気の症状」だったのだ。そしてあのときは休んでも休んでも、寝ても寝てもずっとずっと身体のだるさは変わらないし、やる気も出たとは思えなかった。でも、今振り返って思うのは、やっぱり休んでも休んでも、寝ても寝ても身体が動かなかったりやる気が出ないときは、やっぱりそれは「休み方が足りない」んだってこと。休みが足りてきたら何も思わなくても身体がスッと動くし、何より何かやりたくなることができてくるのだ。

今も朝起きるとき、すごくだるくて起きる気がしない、起きるのが嫌な気分になることがある。そういうとき「あれ、自分はこれがデフォルトだったっけ?」って思う。だけど、その日、一日休むと翌日は動けるようになっている。朝、すんなり身体が動く。だから「あ、昨日はわたしは疲れてたんだ。だから起きれなかったのだ」って思える。うつ病のときは休んでてもあまりにも日々変わらなかったので、だるいのがデフォルト、みたいに思えちゃうのね。その感覚が今も残っているので、自分自身だるいときもそれは疲れではなく元からだと思ってしまうクセがある。けど、違うのね。今は一日で回復するようになったので、そういう意味でも「治ってきてるなあ~」って実感はあるし、身体がだるくて起き上がれなくても「今日は休もう」と素直に思える。

が、今ひとつ「治った」と言い切れないのは、疲れすぎると眠れないからだ。なぜか疲れすぎると眠れなかったり、眠りが浅くて全然寝た気がしなかったり、ってことは今でもある。なので「よくなってきている」けども「完全に治った」とまでは行ってないのだろう。だから、まだまだ油断大敵なのだが。。

今年1年は本当に充実した年だった。だが希死念慮は全然消えてない。むしろこれだけ活発に動いているのは「いつ死んでもいい。だけど悔いのない人生を送りたい」って思ってるからだし、もし明日死ぬとしても、わたしはそれで全然構わない。むしろその方が嬉しい。この世に自分が存在しているだけで苦痛だから。考えることも苦痛だから。息をしてるだけで苦痛だから。この世に未練なんか全くない。死んでこの世から早く消え去りたい。死んだら他人から自分のことを一切忘れられたい。この世にいたという痕跡を残したくない(死んだらこのブログも消去してもらう予定)。そしてわたしには「あの世」もない。「あの世」で自分が存在する、なんてそんな絶望的なこと、考えたくもない。わたしは「死んだら無になる」と思えるから、今、頑張れるのだ(だからわたしは宗教は信じたくても信じられない。宗教には「あの世」があるんだから)。死んでからいくら「あの世は何の悩みもない幸福な状況です」と言われても、自分が存在すると思っただけで苦痛なんだから、わたしにとっては幸福な状態であろうと苦痛なのだ。なんにせよ、わたしはわたしの存在自体をどこからも消し去りたい。これは明らかに「病的」なのは分かってるけど、これだけはもうどうしようもない。それは「病的」といっても、もうわたしの「一部」なのであり、そういう意味ではわたしは死ぬまでうつ病と「共存」していかねばならないのだろう。

よく他人から「生き生きしてる」とか「前に比べて元気になった」とか「顔色が良くなった」って言われるんだけど、確かに端から見るとその通りなんだろうと思うが、自分自身はあくまで「後ろ向き」に前に進んでいる感じだ。だって時間軸は前にしか向いてない。過去には絶対に戻れない。だとすると、前に進むしかないじゃないか。だけどわたしは自分が「生きたい」と思っては生きていない。自分で死ぬことができないから仕方なく生きている。だけど、生きている以上、悔いなく生きたい。「ああ、あれもやりたかった、これもやりたかった」「あそこに行きたかった、ここに行きたかった」と思いつつ死んでいくのはイヤだ。だから、わたしは今、できることを精一杯やる。一日一日を精一杯生きる。

来年もやりたいことはたくさんある。けど、それがいつ打ち切られても構わない。そんな思いを持って生きていく。

【追記】上の方で「創世記」云々、という話を書いたけど、あれは別にわたし自身が発見したことではない。このことについては、今年の不思議さを象徴するような話なのだが、直接的に「創世記」の1章と2章の書いてあることが矛盾している、ということについては今年読んだ「罪と死と愛と」という本に書いてあったものだ。そして「ではどうして矛盾しているものを直後に並べたのか」についての考察は、そこに書いてあったことを参考にわたしが大きく膨らませたものだ。実はここの部分、もう一つ、「男女」の造られ方が全く違う。このことについてはフェミニスト神学などが指摘しているということは以前から知っていたものの、問題はそこだけなのかと思っていたし、それがどういう意味を持つのかは考えたことがなかった。

そしてこの「罪と死と愛と」という本を知ったのは、「絞死刑」という大島渚の映画を観たからだった。そしてなぜそもそもこの映画を観ようと思ったかは、たまたま偶然チラシを見て知ったからだ。そう、順番を追って話すと、わたしはたまたまチラシを見て「絞死刑」という映画を知った。「観たい」と思ったのは、「小松川事件」という、これまたわたしは初めて知った事件だが(まあわたしが生まれる前の話なので)、貧しい在日の少年が2人の女性を殺害して死刑になった、という話を知ったからだった。事件は確か'56年頃起こって、'62年に死刑が執行された。死刑が確定した後、日本国内で助命嘆願が行われたらしい。それはあまりにも在日の少年が過酷な境遇におかれていたからだ。そして大島渚は'68年に「絞死刑」という映画を制作して上映した。'68年と言えば、ちょうどわたしが生まれた年だ。大島渚は「日本における在日朝鮮人の問題」としてこの映画を作ったらしい。わたしも「在日」のことについて描かれた作品だろうと思って観に行ったのだった。

ところが実際に映画を観ると「この映画のどこが在日朝鮮人に焦点を当ててるんだ?」という内容だった。わたしには「死刑制度について疑問を呈している」という映画としか思えなかった。そして内容も当時の人だったらそんなに細かい事件の背景は必要じゃないよね、というような映画だったので、事件自体のことははっきりしたことはよく分からないままの「なんか変な映画」だった。しかし観終わったときに、この映画を上映した主催の人が「小松川事件については、2冊の本が出ています」と教えてくれ、そのうちの1冊がこの「罪と死と愛と」だったのだ。ただこの本は少年死刑囚だった人と同じ在日の朴寿南さんという人との往復書簡集の一部だ。要するに手紙のやりとりのうちの重要な部分だけが抜粋されている本だった(重要な部分といっても、約300ページに2段組で書かれ、結構読むの大変だった)。そしてその他の1冊というのはこの2人の手紙のやりとりのすべてである「全書簡集」だ。けっきょく両方の本は手紙のやりとり、という形の本だったということだ。

「罪と死と愛と」を読んだら、これは在日というよりもキリスト教の話じゃないかと思った。そこに死刑囚ということは密接に絡んでいるが。というのは、この少年死刑囚は死刑が確定した後にキリスト教を信仰するようになっていたからだ。そこでは自分が死刑囚であるということと自分が犯した罪のこと、そして神とは信仰とは、ということが書いてある。確かに日本で生まれた朝鮮人、ということについても書いているが、この少年は生まれてから罪を犯して警察に捕まるまで、自分をあまり「朝鮮人」とは意識してないというか、本人は差別されるのでいつ周囲に自分が朝鮮人であるということがばれるか非常に恐れていたけれど、周囲は誰も彼のことを朝鮮人だと知った人はいなかったんだよね(雇い主は知ってただろうが。だって彼は就職の際も「朝鮮人だから」ということで大企業には就職できないのだ)。逆に「犯人は在日の少年だった」ということがクローズアップされすぎて本人はとても途惑っていただろうと書いてあった。彼は朴寿南さんとの手紙のやりとりにより、獄中、自分の民族意識に目覚めるのだ。だが、本を読んだ感想として、やっぱり主題は「信仰」にあるのではないだろうか、というのがわたしの感想だ。それくらい、信仰について書いてある内容が面白かった。上で「神がいる人は人間が客観的に見られて羨ましい」と書いたが、わたしがそう思ったのもこの本を読んでそう思ったからだ。

で、もうお気付きだろうが、なんとこの本は「死刑」「宗教」「在日」とわたしがそれまで別々に単独で興味を持ったことすべてが絡んでくる話で、その偶然さに非常にびっくりしたのだった。この話は今年、わたしに起こった「不思議さ」を象徴しているような話なんだけど、結局のところ、これは「象徴」に過ぎなくて、それ以外の分野でもあちこちで繋がったことが多かった。だから今年は本当にわたしにとって「不思議な年」だったのだ。
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12-09 Wed , 2015
子宮がん、検査を受ける目安
先々月に不正出血があり、そこでポリープが出来ていたので取ってもらったついでに、子宮頸がん検査と子宮体がん検査をしましょう、という話は以前に書いた。そして先月、ポリープの病理検査結果を聞いてきて、同時に子宮体がん検査をやってきたんだけど、その体がん検査の結果を最近聞きに行ってきた。まぁ、検査結果は10日で出るという話で、10日経っても電話がかかってこなかったので、異常なしなんだろうとは思っていた。

これで一連の検査等が終わったのだが、わたしは聞いておきたいことがあった。何しろ、婦人科なんてできるならお世話になりたくないところだ。多分、シスヘテ女性だって婦人科へはあんまり行きたくないところだろうから、レズビアンのわたしなんか本当に敷居が高い。行くたびに「わたしは女性とセックスする人間です」とは言いたくないから。かといって「異性愛女性前提」の話をされるのはきつい。問診票すら同性とセックスする人間のことを想定されてない。「いない」ものと想定されているわけだから、「いないもの」としてみなされている人間が「います」って言うことはとてもハードルが高い。今回行った病院は、まぁセクマイなら「ああ」って分かる病院なんじゃないだろうか。婦人科の診察が月に1回のとこ。ここはもともと「セクマイはいる」と想定されている、という安心感があるのでやはり心理的には行きやすい。そして婦人科の先生が来るのは月1回だけだからか、あの屈辱な体勢になる「内診台」がない。平坦なベッドの上に横たわって股開くだけ。これ、結構わたしにとっては楽だった。きっと体がん検査が全く痛くなかったのも、そういう心理的な面で緊張感がなかったからかも知れない。てなわけで、3回受診して話しやすくなってたところで常々「これはどうなんだろう」って思ってたことを聞いてきた。

まず、基礎体温計ってて疑問だったのは、基礎体温を測っていると排卵が起きていることは分かる。それによって生理が来るのも分かる。しかし、不正出血のときはそういう体温の変化に関わらず来るわけだから、それが不正出血なんじゃないの?って思ったが、無排卵の生理、というのがあるわけだから、体温に変化が無くても生理は来ますと言われた。そして、この年齢になってくるとダラダラと出血が続く傾向があるという。しかし、その出血が2週間以上続いたら、貧血になる恐れがあって止血しなければならないから、そのときは来てくださいと言われた。もちろん「何かある」可能性もあるという。なのでそれが病院に行く一つ目の目安。

もう一つは、頻繁に不正出血があること。数日おきに出血するなどのときも病院に来いと言われた。これが二つ目の目安。

以上が定期検査以外で「あれ」と思って病院に行く目安。

それ以外だと1年に一回は定期検査に来てね、と言うことになる。子宮頸がん検診はまず1年に1回、体がんは2~3年に1回かなあということ。これは体がんにかかりにくいからと言うことではなく、身体の負担を考えてとの理由なので、本当は体がんも1年に1回受けることが望ましいらしい。国保だと無料で検査が受けられるクーポンなんかが付いてくる年があるが、これの「子宮がん検査」は頸がん検査で体がんじゃないから、体がんを希望するならわざわざそう言わないとダメらしい。あ、体がん検査は40台後半くらいからね。体がんにかかりやすい年齢は、40台後半からだから。もちろんだからといってそれ以前の人は体がんにならないかというとそう言うわけではないが。まぁ40代後半以前はまれなことなので定期検査の必要性はないということだろう。

あと、気になってたのは卵巣がんなんだけど、これはひとまずエコーで腫れてるかどうかはチェックできるので、それが目安になるらしい。が、中には卵巣が腫れない卵巣がんもまれなんだけど、起こりうると。まぁもうそうなったら早期発見は無理ですってこと。今のところ医学にも限界はあるんだから仕方がない。わたしの場合は筋腫もあると言うことで、その大きさもチェックをしなければならないので、そのついでに卵巣は見てもらうことになる。

とまぁ、そんな感じで以前から聞きたかった子宮がんと卵巣がんについて聞いてきた。ちなみにわたしが行ってるこの病院は頸がん検査のキットは常時あるけど、体がん検査のキットはその都度持って来なければならないので、事前に予約するときに「体がん検査も受けたいです」って言わなきゃダメです。

しかしね~。前から思ってるけど「うちはセクマイフレンドリーです」って婦人科がもっと増えないかな。GIDの治療などで婦人科だってセクマイと全く関わりがないわけではないと思うんだよね(尤も、GIDはセクマイの中に入らない!という人もいるのは知ってます。そしてそれはそうだろうなという認識も持ってます)。婦人科の問診票で「セックス体験の有無」を聞くのは、単なる身体の中に入れる器具の大きさの違いだけって聞いたので(しかしそう考えると婦人科の医者は「セックス」というのは「女性器に男性器を挿入すること」としか認識していないということがよく分かるし、一人でもバイブで遊んでる人がいることなんか考えたりもしないんだろうと思ったりする)そこのところはもっといい聞き方をして欲しいなとか。最近「LGBTビジネス」という言葉が盛んに使われているけど(結婚式場とか保険とか)、こういうところだって「LGBTビジネス」の一つと言えるんじゃないだろうかね。
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12-01 Tue , 2015
夏の東北旅行記 その3(人生初!山形・秋田)
今日から師走なんだけど、季節を無視した日記を書いてます(^^;

その2の続き。

わたしは昔から「枕が変わると眠れない」体質で、うつ病になってからはさらに「疲れたときの方が覚醒して眠れない」体質(というんだろうか?)になってしまった。しかもこれまた「睡眠不足だと頭が痛くなる」体質でね。よく歳を取ると「若い時みたいに何日も徹夜できなくなったー!」って言う人がいるんだけど、わたしは既に高校生の時から徹夜は無理だった。一回ねー、定期テストの時に徹夜で勉強してみたのよ。科目は物理で、しかもそれでもうテスト終了、というから最後はちょっと無理してみよっかな、みたいな感じで。

。。。散々だった。眠くて頭が痛いわでテストどころじゃなかった。なので「あ、わたしは徹夜無理」と思って、それ以来完徹したことない(睡眠障害で夜眠れなかったのは除く)。

でさー。旅行行くと必ず持っていくのは頭痛薬。絶対にどこかで疲れて頭が痛くなるから。長い旅行で途中、頭が痛くならなかったことがない。

そして3日目の朝、頭痛が起きちゃうんだよな~。1日目と2日目、よく眠れなくてね。身体はとっても疲れてるんだけどね。

8月3日(月)
というわけで、起きてみたら頭が痛かった。でも朝食は確か7時半って決まってたので無理矢理食べる。

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前日とメニュー違うけど、ここのYHは基本、和食なのね。前に来たときもそうだったと記憶してるが。。和食、洋食と日替わりになってるYHもあるよね。

朝食後、本当ならそれからすぐに出て、途中、ちょっと2駅ほど歩こうかなってプランを立ててたんだけど、頭痛いし、これ以上体力使ったらこの先持たない、と思って、1本電車遅らせて、チェックアウトギリギリまでYHで寝てることにした。だってねー、東京で旅行のプラン立ててたときは、東北ってこんなに暑いとは思いもしなかったのよ。夏の東北に行くのは初めてで、東北ってもっと「涼しい」イメージを持ってた。ところが仙台はほとんど東京の暑さと変わらない!「騙されたー!」って思ったね。尤も現地の人に聞くと「今年は異様に暑い」って話だったけど。。暑いと余計に体力奪われるじゃん。しかも頭が陽に当たるとこれまた頭痛の原因になるので。。

ご飯食べ終わってから2時間ほど寝てたら、頭が痛いのが治まってきたので「よかった」と思いつつ、YHを後にした。

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YHの最寄り駅、太子堂を10時11分発。太子堂から仙台まではなんかいろいろな線があって、どれに乗ったんだかはよく覚えてない。東北本線の他にエアポートなんたらとか、いろいろあるらしいね。

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仙台!てか、是非とも「むすび丸」が付いてる仙台駅の看板を撮りたいと思ったんだけど、前の日記にも書いたように今仙台駅ってなんかとっても構内を工事してるんだよね。これ、見つけるの結構大変だった。

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12時11分、仙台駅から仙山線に乗る。これからいよいよ山形へ。といっても山形までは行かないのだけど。実は人生、初めての山形県。山形は花笠音頭で天童とか尾花沢という地名は知っているけど、ああ、あと天童市は将棋の街だとかね。さくらんぼもそうかな?でもそれ以外のイメージって全くなかったです。

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13時26分、羽前千歳着。この先が山形なんだけど、山形まで行くとうまいこと奥羽本線に乗り継げないのね。まぁここから先は仙山線と奥羽本線の重複路線だからだと思うけど。

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電車が来るまで10分以上あったんで、駅のホームをブラブラしてたら、こんなものを発見。ここで線路内に物を落としたらわざわざ山形駅に連絡してそれで駅員さんに取ってもらわないといけないみたいで。でもそんなこと律儀にしてたら時間がどのくらいかかるんだろうかと思ったりして。山形からここまで駅員さんは何で来るのかな~とか、電車に乗り遅れたら飛んでもない目に遭うだろうなとか。

しかしここは本当に暑かった!確かに山形のここら辺って盆地だから余計に暑いとは分かってたけど、確か今までの日本での最高気温って山形が記録してたと記憶してるけど。で、ここで偶然iPodから流れてきた曲は、細川たかしの「津軽じょんがら」で、それを聞いたとき、ビミョーな感じだった。まぁここは津軽ではなかったけど、「津軽は雪ん中~♪」と歌われても全く想像が付かない(笑)あ、ちなみにわたしは別に細川たかしのファンではなく、数年前の紅白で細川たかしが「津軽じょんがら」を歌ったときにそれが頭から離れなくなっちゃって、次の年(って紅白の次の日はもう新年だが)の正月にiTunes storeでこの曲だけ買って、iPodに入れてたのだ。あと上にちょっと書いた花笠音頭もiPodに入ってて、なんでこんな曲が入ってるかといえば、わたしは日本の「音頭」が好きで何枚かCD持ってるからだった。沖縄民謡も好き。ただ、沖縄を除く日本の民謡はイマイチ。やっぱノリがいいのが好き。河内音頭も好き。まぁわたしの音楽の好みはそれだけじゃないけど、基本、日本の民族的なリズムってのは好きなんだよね。かけ声とか。エンヤコラセードッコイセ、とか(って河内音頭じゃん!)。まぁでもこの季節に聞く演歌などは、地元に近いけど、季節感が全く違うのですごーく違和感があって、それがとても面白かった。

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13時39分、奥羽本線、羽前千歳発。ところがこの電車ねー。既にものすごい人が乗ってて、危うく乗れないかと思うほどだった。ものすごい人、というのは、どうやら高校生みたいで。この日、集団登校日だったのかしら。多分、山形から乗ってきたんだよね、この子たち。でさぁ。びっくりしたんで未だにこの電車の中の光景が忘れられないんだけど、みんな電車の中で勉強してるの!!!@@;大抵、今どきはゲーム機持ってたりスマホの画面見てたりするじゃん。違うの。なんかねー、大きい画板みたいのをみんな持ってて、それを下敷き代わりにして書いたりしてるの。座ってる子だけじゃなく立ってても。画板をみんな持ってるってことは、いつも電車の中で勉強してるってことだよね。なぜかみんな、英語ばっかりやってたけど。しかも、子ども連れのお母さんに席を譲ったりしてて。ええ子や~、キミら。わたしはこれで山形県のイメージが変わりました(大げさ)。

そんな劇混みだった電車内も、途中でみんな降りていき。

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14時42分、新庄着。ここで1時間近く次の電車を待ったんだけど、もう暑くて暑くて。

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なんと34.9度。暑すぎて朦朧としたので駅の外を出ようとも思わなかった。しかしここ、新幹線の始発駅なんよね~。初めて知った。ローカル線と同じ線路を新幹線が走ってる区間なのよね。

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15時37分、新庄発。ここからも奥羽本線。途中、

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これなんて読むん?みたいな駅があり。「及位」はどうやったら「のぞき」と読めるのか?「のぞ・き」なのか「の・ぞき」なのか?「湯沢」って新潟にあったんじゃなかったっけ。ここ、山形、いや、もう秋田か、秋田だよね?ああ、そういえば新潟の湯沢は「越後湯沢」だったっけ。「越後」って付いてるのは、ここと区別するためだったのかとか。そして乗ってるうちに気が付くんだよね。。

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辺り一面が田んぼなことを!

んーなんていうのか。わたし、これまでここまで一区画が大きな田んぼを見たことがなく。すごいきれいだったー。わたし、この区間の奥羽本線の風景、この旅行の中でも印象に残る光景のNo.1です。

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そして本日の宿泊地、大曲YHがある飯詰駅、17時16分着。

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ここの駅は、当然のことながら(?)、無人駅でして。そこから30分くらいかなー、YHまで歩くのは。そう大した距離ではないし、なんてったって、周囲が田んぼだらけで本当に「わー」と思いながら、道を歩いてた。

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右側の画像の黒い点々は、カラスです。なんでかよー知らんが、何も植わってないところにカラスがたくさんいた。何かの種が蒔かれてたんだろうか。

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あまりうまいことは撮れなかったのだが、一応パノラマで。そういえば、3月に安曇野に行ったとき、安曇野YHの周囲も田んぼだらけだったけど、こんな感じなんだろうかとふと思ったりして。しかし本当に一区画が大きかった。秋田と言えば「あきたこまち」をすぐに思い出すけど、これらはみんな「あきたこまち」なんかしらん?

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大曲YH。入口があまりにも普通の家の玄関みたいだったので、そこじゃなく、もっとYHの入口っぽいのがあるのかしらと思ってその先に行ってみたのだが、そんなものはなかったので「ここから入るのかー」と。ペアレントさんはよーく喋るおじさんでした。おじさんと言っても、わたしとあまり年齢は違わないんだけども(汗)

「急な客が来なければ、今日は部屋に一人です」と言われて案内されたのが

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じゃーん。クーラーなし!「でも開けっ放しにしておけば、外から涼しい風が入ってくるから」と言われ、え、開けっ放し???夜中でも?「まぁだいたい夜中にここを通る人なんていないから!徘徊老人以外は(笑)」え、ああ、そうなんですか。。。てか、プライバシー全くないじゃんかーって思ったけど、実際、泊まってる間は誰も入ってこなかったです(当たり前か)。でも、最初の方はちょっと落ち着かなかったな~(笑)

ペアレントさんから「今、秋田は竿灯祭りの最中だけど行かないの?盛岡でもさんさやってるよ」と言われ「ああー、ここは青森に行く途中でどこかに泊まらないといけなかったから来ただけなんです」と答える。「もうさー、この時期は東北は夏祭りだからね、どこでも!」と言われ、そっかー、そういや仙台もこれから七夕だったし、夏の東北ってそういう意味では「日常」ではないんだと思わされる。「日常?日常だったら冬がいいね。冬の方が日常だよ」と言われる。ここのペアレントさんは、地元出身の人ではないようで、埼玉出身の人だったかな?脱サラしてYHを経営してるらしい。とにかくしゃべり好きな人で、聞けば周辺のたくさんの見どころを教えてくれる。わたしは既にこのときまでに「今、わたしの体験してるのは、東北じゃないような気がする」と思ってたので、次に来るときは寒い時期に来てみようかなと思い始めてた。ので、ここの冬の行き場所を教えてもらったりした。冬はここらは横手でかまくら祭などがあるらしいのだが、それ以外はやはり温泉だとか。ただ、わたしのような公共交通機関を利用するとなると、その選択肢はぐっと減るみたい。

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この日の夕ご飯。ちなみに野菜類はすべて、ペアレントさんが自分で作ったものだそう。右上の黄色いのは食用菊だったかな。左上の汁物は秋田名物「きりたんぽ」だそうだ。普通、きりたんぽは冬のものなんだけど、まぁここでは夏も出してくれてるみたい。きりたんぽ、初めて食べました。

この日は朝、頭痛かったし、それまであまり眠れてないしで、ご飯食べた後早めに寝ようと思ってすぐ風呂入って布団の中に入ったのだが、なんかねー、消灯の少し前に新しい宿泊客が来て、その人とペアレントさんがずーーーっと食堂で話してるんだよねー。部屋、あけっぱなしにしてるじゃん?何を喋ってるのか、内容までは分からないけど、それがうるさくてさー。だいたい消灯過ぎたら静かにしなきゃなんないんじゃん、誰だって。それにこんなにうるさかったら誰かが注意するだろうよと思ってしばらく放っておいたのだが、12時近くになってもまだ喋ってる!なんかちょっとウトウトしかけたんだけど、声で起こされてしまって、わたし、これ以上眠れなかったら次の日も頭痛じゃん、こりゃ言わんと分からんわと思って仕方なく食堂まで行って「すいません、もう消灯時間、だいぶ過ぎてるし」と言ったら「ごめんなさい!」と言われてすぐに終わったけど、もー、どうなっとるん、ここのYH。ペアレント自ら消灯時間無視するなー。って、わたしも今まで眠れてなかったもんだからね、これ以上眠れなかったらという恐怖心もあったんで、どうも済みません。

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夜になれば、そこそこ涼しくなると言われ、確かに寝る前の時点で25度を割ってたけど、ちょうど明け方一番寒いときに起きたので「今は何度だろ?」と思ってみたら、22度台だった。確かにこれだとクーラーなしで行ける。ペアレントさんとはわたしが歯磨きしているときに少し話したんだけど(冬の見どころなどもそのときに教えてもらった)「こんなに暑かったらクーラー付けないとダメかなあ。でも、クーラー付けても稼動日数が年間10日くらいなものだし、付けたら維持費がかかるんだよね。。」と言ってたので、翌日「わたしは別にクーラーいらないと思いますけどね」と答えておいた。

ちなみにここのYH、わたしが泊まったときは全部で3人くらいしか宿泊客がいなかったと思うけど、その次の次の週だったか、大曲の花火の時は満員になるんだって。ただ、経営はかなり厳しいみたいですね~。YHってわたしが高校生の時は夏休みとなればどこもいっぱい、予約取れないところもたくさんあったのに、最近は本当の客が減ってるのね~。まぁこれだけの施設を数人で使うとホテルに泊まるより部屋は広いし、一人部屋だし、風呂もそれなりに広いし、これまた一人で十分浸かれるし、というので、今はかなり「穴場」になってると思う。ただ、同じ部屋に同じ旅行者がいないので旅の情報交換などができないのは、ある意味YHの醍醐味もなくなってしまってるというのが現状か。寂しいね。

その4へ続く。
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11-30 Mon , 2015
夏の東北旅行記 その2(東北レインボーSUMMERフェスティバル)
その1の続き。

しかしなぜこの日程で東北旅行をしようと思ったかというと、「8月2日に仙台で『東北レインボーSUMMERフェスティバル』があるからそれを見に行くため」だったんだよね。わたしは地方に住んでたこともあったけど、セクマイの活動は東京以外ではやったことがなく、地方の人が地元でどんな活動をやってるか、地方のセクマイはどんな感じで暮らしてるのか、そういうのがずっと知りたかった。地方のセクマイの人がどんな思いをして日常生活を送っているか、しばしば耳に入っては来たけど、実際にその場に行ったことはないし、雰囲気も分からない。それに特に地方には長く活動をしている団体が数多くあり、そういうところから学ばせてもらいたいとも思っている。地方というのは仙台に限らずね。

それから、東京で行われるプライドパレードのときは地方からもたくさんの団体の人が来てて、そこでいろいろ話したりはするんだけど、いつもいつも東京でしか会わない、というのが嫌だった。だってそれは彼らにとっては「非日常」なわけで、わたしはそういう彼らの「日常」が知りたかった。それと東京のパレードなんかわざわざ行かないよ、って人もいるだろうからね。そういう人と会って話をしたかった。

東京に住んでる人は、ほとんど東京を出ることはない。いつもいつも地方から来る人を迎えるだけ。わたしが地方に住んでたとき、東京に住んでた友だちはいつも「今度はそっちに遊びに行くから!」って言ってたけど、実際は1度も来てくれたことはなかった。そりゃ確かにわたしが東京に行くのは友だちに会いに行くだけではなく、別の用事もあったりしたからだけど、だけどいつもいつも「こっちから会いに行く」のは不公平だと思った。東京の人は傲慢だと思った。そういう経験があるからわたしはそうはなりたくないって思ってるんだよね。こういう、いくつかの理由があって、わたしは今回東北に行ったのだ。

8月2日(日)
宿泊先の「道中庵YH」は夕食の提供はなくなっちゃったけど、朝食はあるので。

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お米は宮城県産のお米って書いてあったかな~。

「東北レインボーSUMMERフェスティバル」は13時からなので、YHにいられるギリギリ10時までは部屋でのんびりして、それから出る(YHは連泊でもチェックアウト時間以後に部屋にいることは出来ない)。

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YHの玄関先にあった「むすび丸」。かわいい。気に入ったんで撮っちゃった。

それから仙台駅まで行ってふらふらと~。仙台と言えば「萩の月」なので、そういうのを買ったり。しかし、よく考えてみれば仙台って帰りも通るところだったので、何もこの日に買わなくてもよかったんだよね。。。「萩の月」は本当にわたし大好きなんだけど、一つ一つ箱に入ってたりするのがあまり好きではなく。なんかどこかで簡易包装の「萩の月」が売ってると聞いてたので、ネットで調べてわざわざ買いに行く。と言っても仙台駅の駅ビルの地下だったっけ。

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「東北レインボーSUMMERフェスティバル」の会場は仙台市市民活動サポートセンターというところだったんだけど、そこで7月18日から8月9日まで「虹色七夕」という展示イベントもやってたのね。だからそれを見るためにちょっと早めに着いておこうと思って「萩の月」を買った後、そちらへ向かった。で、上の画像は全然関係ないですが、確かあおば通とどこか交差してる広い道を渡るときに、歩行者は地下に降りなくちゃならなくて、地下に行ったらそこにあったもの。これは一体なんなんでしょ?噴水の施設だったとか?冬になるとここから暖かい空気がぶわーっと吹き出すとか?(それにしても仙台はものすごく暑かったです!!)

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そして、会場の仙台市市民活動サポートセンター。なんだかすごーく立派な建物だった。そこの5階の展示スペースで「虹色七夕」をやってたので先にそれを見に行く。

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展示スペースは全体がこんな感じ。

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まぁ一角と言えば一角なんだけど、でも丁寧に読んでいくと全部読むのはかなりかかると思った。当事者のメッセージあり、東北地方のさまざまな団体の冊子あり、芸術作品みたいなのもあり。

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こんな感じ。そうそう、一番右の画像の下に貼り付けてあったのは、七夕に関する短い小説だったんだけど、読んでみたらすごく笑えて面白かったので全文撮って来ちゃった(いいのかしら?)。

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わたしはこれ系統の話が好きでね(笑)彦星は実はゲイって設定。まぁホントはこれじゃ織姫がなんだかいいヤツでかわいそうに思えてくるんだけどね~(一年中機織りなんて(涙))。

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「虹色天の川」という作品。確かこれ、学生団体の作品だったっけ?当事者かどうかは分からないけど、いろいろな人の願いが書かれてあった。中には「おにくたべたい」というのがあって、書いてるときにお腹が減ってたのかな?とか思ったり(笑)「同性愛は罪と言われた」というのは見ててつらいね、、

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やっぱり忘れちゃいけないのがこれ。なんだけど、時間がなくてほとんど読めなかった。ウェブサイトでも公開してると書いてあったので、読んでみようと思いつつ、まだ読んでない。

わたしがこの展示を見てるとき、他に1人だけいて、でもその人は当事者じゃなく、当事者のことが知りたかったから来てみたって言ってた。「東北のことはよく分かんないけど、多分当事者じゃなくても参加できる交流会とかたくさんあるんじゃないですかね~」って言っておいた。てか、このときはまだ知らなかったけど、実際、そうらしいです。

で、そろそろ時間になるかなーと思って今度は地下1階へ。

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エレベータ降りて会場の中に入るとこんな風船がたくさん。カラフルできれいでしたよ~。で、会場。

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なにやらここで話されるらしい。ただねー、会場全体の画像はありません。ていうのは、プライバシーの問題があって、誰が写り込むか分からなかったから撮れなかったんだよね。この舞台が一番前方として、その後ろに椅子が何列にも並べられていて、それを取り囲む壁際に地元の団体のブースがいくつか出てた。わたしが会場に着いたときはまだ全然客がいなくて「本当にこの座席、全部埋まるの?」って思ったんだけど、始まるに従って人が増える増える。結局席は全部埋まって、周囲に少し座るスペースがあったんだけど、そこまで人が座っているという、かなり盛況のようでした(確か、参加者108人だっけ?終わってから参加者人数発表の時に誰かが「煩悩の数と一緒」って言ってたことを思い出す(笑))。

でねー。実際、舞台の上でいろいろあったのも全部、画像には撮らなかったの。正直、どこなら大丈夫でどこがダメかよく分からなくて。うー、例えば名古屋のNLGRとかはそんなの気にしなくて誰にも聞かずにバシバシ撮っちゃってたけど、なんというか、「ここ」では誰が顔出ししてるかしてないか、ってのがよく分からず。なのでここからはほとんど画像はありません。わたしはステージイベントが始まるまでは各団体のブースに行って誰彼かまわず挨拶をしてました。かなーり変な人だったですね。すみません、、

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この会場がすばらしかったのは、こうやって耳が不自由な人のために話したことをパソコンに入力してこんな感じで出す、ってスクリーンがあったこと。これ、こんな感じでパソコンが4つあって、4人の人でやってました。どういう役割分担があるんだろう?って思った。

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こういうの、やってくれるシステムがあるようです、仙台って。見てたらなかなか大変そうだったけど、これだと一瞬聞き逃してもスクリーンを見れば分かるので、耳が聞こえても便利だった。

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これが始まったところ。ただしねー、フェスティバルは第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」、第2部「ステージ・パフォーマンス」だったのだが、このサービスは第1部だけだったんだよね。まぁ歌ったり踊ったりのステージ・パフォーマンスにはこういうのは必要ないのかなあとも思ったけど、でも、今、何をしているかちょっとだけ字幕の説明があった方が分かりやすいんじゃないかとは思った。リアルタイムで文字化しなくても、事前にどういうパフォーマンスをするかは分かってるんだから。

第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」は、武田こうじさんという人とあと地元団体の当事者、ゲイとバイセクシャルの人(確か女性自認の人だったか)の計3人のトークショーだった。地元では武田こうじさんは有名な人なのかも知れないけど、わたしは全く知らなくて。地元の詩人だったかなあ。時折、武田さんの作った詩を武田さん自らが朗読してた。

それが終わったあとは「Living Together in SENDAI」ということで、HIV/AIDSの手記朗読。なんか久々にこういうの聞いた感じ。わたしも以前、Living Together Loungeがあった頃はちょくちょく二丁目に行ってたんだけど、あれがなくなってからはHIV/AIDS啓発活動のイベントに行くことがなくなってしまって。名古屋のNLGRもとんとご無沙汰してるし。

そして第2部「ステージ・パフォーマンス」。最初は舞台の上で何人か出てきて女装姿で踊ってた。誰も知らない人なんで、その人たちの性自認などは全く分からないのだけど、男性に見えた人は4人くらいいて、女性に見えた人は1人いた。こういうところで男女混合で踊るのはかなり珍しいと思うけど、まぁわたしは最近、その手のイベントを見ることがないので、今現在それが珍しいのかどうかは分からない。踊りが終わったあとは一人で出てきて突然オペラを歌う人がいて、これはちょっと斬新。てのは、東京、大阪、名古屋などの大都市でやるイベントって性的少数者(主にゲイだと思うが)のパフォーマーがかなりいて、その人たちだけでできちゃうんだよね。この前にやった女装姿で踊るとか、あとはドラァグクイーンが出てきてパフォーマンスやるとか、それで一イベントできてしまうくらい人数がいる。だからこういうところで「ゲイ文化」の中には入ってないオペラを披露するってことはかなり珍しいのではないか。少なくともわたしはこれまで見たことはない。

なんていうのかな~。地方ではセクマイが少ないって言われる分、地域の人を巻き込んでいかないといけないのかなって思いつつ、でもこれはかなり重要で効果的ではないかと思う。セクマイはセクマイで固まってたって、理解者は全然増えないし、逆にセクマイで固まられると当事者でない人は中に入りにくくなる。けど、こうやって理解者を巻き込んで一つのイベントを作っていくのって、大変は大変だろうけど、別の理解者も増やすことになる。地方は人数が少ない分、そうやってやらなければならないんだろうけど、これは東京でもやってかなきゃいけないよね~。まぁ東京レインボーパレードでは、毎年大物ゲストを呼んで、コンサートみたいなのをやってるけどね。てか、わたしは東京で行われるこの手のパフォーマンスってあとは年末にやるgakuGAYkaiしか知らんわ。そういう情報、最近はホント集めてないから知らない。

まぁとにかく、このオペラのパフォーマンスは斬新でかなり気に入った(笑)

次は月子さんっていう、地元では有名なのかしら、ドラァグではないけど女装の人?がポールダンスのパフォーマンスをしたのだけど、その前に準備と言うことでその間に見た「青葉城恋歌」に合わせたPVが流れ。これがまたすごい笑えた。仙台駅とか、萩の月とか、青葉城址とか、広瀬川とか、仙台の有名どころが出てきて、月子さんと思われる人が男に振られるんだか振るんだか(よく覚えてない)、胸パッド代わりに萩の月入れてたり、それを食べたり、なんかすごく面白かった。「あー、仙台にとってはこういうのがベタで笑えるんだなあ」って思った。わたしはもちろん地元の人ではないから、同じものを見てても捉え方が違ってるとは思う。

ポールダンスって初めて見たんだけど、すごいね。本当はとてもとても画像に撮りたかったんだけど、撮っていいのか分かんなかったから、終わったあとの画像。

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あとで聞くと、後ろの方の人はバシバシ撮ってたそうです。が、わたしより前にいた人は一人もカメラ向けてなかったからな~。残念だった。これに垂直に身体を立てるのってすごい腕の筋肉が必要だよね。

てなわけで、ステージ・パフォーマンスも終わり、最後に抽選会。当たったらLGBTフレンドリーなスキー場だったっけ、そこのチケットがプレゼントされるとかだったけど、わたし、それに当たっても元々スキーやんないしってことで、「当たるな~」って思ってたら運よく当たらなかった(笑)ちなみにそのLGBTフレンドリーなスキー場、どこだったかは忘れた。会津とかだったっけ。なんか宮城県じゃないんだなあとは思った記憶はある。

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これが外れて持って帰ったチケットで~す。

会が終わって、前日同じ部屋に泊まった地元の人から聞いた回る寿司屋でも行くかと思ってたら、会場で知り合いになった人が親切にも夕飯に誘ってくれて、8人くらいで一緒に食べた。

そこでいろいろ地元の人の話が聞けて楽しかったけど、やっぱり震災の時の話になった。なんか地域によって全然違ったみたいだけど、地震起きてからライフラインが復旧するまでが大変そうだった。「1週間くらい風呂に入らなくても生きていけるって分かった」って話してくれた人がいるけど、そうなのか~って感じ。あとは「あの季節でよかった」って言った人も。電気が使えなかったから、冷蔵庫が役に立たなかったんだけど、まだ寒い時期だったから食べ物が腐らなかったって。それにこれから暖かくなる時期、というのも不幸中の幸いというか。住んでるところが基準以上に傾いたので全壊の対象になったとか、浸水してもう住めないのに半壊にしかならなかったとか、そういうことも聞いた。地震が起きてすぐに電気が来なくなったから、情報が全く来なくて、たまたま前の人がワンセグで見てたテレビをちらっと見たときに東京の画像が写ってたので、その人は「東京が震源地だったんだ!東京が壊滅したらどうなるんだろう」って思い込んでたとか。そんなことを面白おかしく話してたけど、まだまだあの震災に遭った人の記憶は鮮明なんだよね。

仙台ではいろいろ交流会などのイベントもあり、今度はそういうのに参加してみたいなあ~と思った。何回も行けるわけではないけど、1度は行ってみたい。

というわけで、楽しかったです、この日。お世話になった皆さん、本当に有難うございました。

その3へ続く。
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11-29 Sun , 2015
夏の東北旅行記 その1(出発!)
いつの話?と思われるかも知れないが、取り敢えず夏に東北を旅行したことは一応、書きたかったことなので。

ただ、もうあまりにも前の話のような気がしてて、あんまり覚えてないかも知れないので、撮った画像を中心に、淡々と書くつもり。

旅行期間は2015年8月1日(土)から8月10日(月)。主に「青春18きっぷ」で旅行したが、あれは5回限りなので、最後の日のみ普通の切符、つか、普通にSUICAを使った。

8月1日(土)
出発の日。8時22分、東京駅から東北本線に乗る。てか、電車の区別、何線なのか、実はよく分からない、複雑すぎて。鉄オタではないし。画像を見ると「上野東京ライン」とか書いてあるね。でも乗れればいいんです、電車は。わたしはそんな感じ。「何形」だとかは全く興味がありません。

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確か、この電車は割と空いてて、しかもボックス席だったような気がする。わたしのイメージだと「鈍行」=「ボックス席」だったので、それが当たり前だと思っていたというか、田舎に行くほどそうだと思ってた。だが違ったのね。ボックス席に座れたのは、ここだけで、これから先はほとんど全部長いすだったのだ。長いすはねー、外が見られないから嫌なのよね。わたしは鈍行列車で音楽を聞きながらボーッと流れていく車窓を見るのが大好きだから。

10時16分、宇都宮着。ここからさらに東北本線に乗る。10時26分発。

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わたし、宇都宮駅の看板を撮って気が付いたんだけど、駅の看板、漢字表記のところとひらがな表記のところがあるんだよね。東京駅は漢字だったけど、宇都宮駅はひらがな。統一されてないのが意外。駅名を漢字表記にするとかひらがな表記にするとか、どういう基準で決めてるんだろう?

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この電車の中には「とちまるくん」というキャラクターのシールがたくさん貼ってあって、栃木のそれぞれの名産とか名勝を紹介してた。撮った画像は駅員さんだったけど、宇都宮の餃子とか、日光東照宮の「見ざる言わざる聞かざる」とか、そんなのもあったんじゃなかったっけ。こういうキャラクターがいるの、ここで初めて知りました。てか本当に今、各地のキャラクターがあるよねえ。この旅でもいろんなところにいろんなのがあったよ。しかし、この電車はなぜかすごーく混んでた。。最後まで。

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11時17分、黒磯着。11時33分、黒磯発。さらに東北本線に乗って北上。この電車も混んでたんだよなあ~。しかもさっき書いたように最初に乗った電車以外はずっと長いすだったので、景色も見れず。ちなみに音楽はiPodに入ってる曲をランダムに聞いてたような。。てか、この旅は「ここではこの曲」というのはほとんどなく、ずっとランダムだったような。そうするとたまに面白い現象が起こるんだよね(笑)

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12時38分、郡山着。12時42分、郡山発。まぁね、ここは本当に記憶ないね。だいたい乗り換え時間4分だと、着いたときに駅の看板撮って、それからこれから乗る電車の画像撮ってたらそれだけで多分おしまい。てかそれだけのことができるか、かなりドキドキなんだよねー。

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13時28分、福島着。14時11分、福島発。ここで30分以上時間があったので、駅の改札を出て(青春18きっぷは乗り降り自由)すぐ近くにあった喫茶店みたいなところで昼ご飯を食べる。何食べたかな~。旅行中は基本、昼食抜きなんだけど、なんとなくお腹が空いたんだよね。でもそんなに食べたいとも思わなかったので、軽くサンドイッチを食べたんじゃなかったっけ。コンビニに売ってるようなサンドイッチだった。それとコーヒー。画像は撮ってなかったね。今気が付いたけど。

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15時36分、仙台着。取り敢えずこの旅行の目的地の一つ。なんか仙台駅はあちこち工事をしていて、看板も仮に付けた、みたいなのが多かった。しかし朝8時半から15時半まで7時間か。7時間というとすごく長い感じがするんだけど、感覚的には「あっという間」だった。しかしこの電車、気が付くと右側の画像のような「もし津波が起こったときは」という注意書きが貼ってあって「ああ、震災があったところなんだよなあ」って。

まぁそれは、この旅行の日程を組み立てるときから思ってたけどね。わたしは行きと帰りは同じ道を通って帰りたくない性分なので、いかに「一筆書き」で行って帰るかを考えながら乗る電車を決めてるんだけど、今、常磐線の一部がまだ動いてなかったり、山田線の一部が代行バスだったりで、日程を組み立てるのにかなり苦労したんだよね。てか、常磐線経由では絶対に戻れないので(原発の影響で電車が動いてない)、仕方がなく行きと帰りは同じ東北本線経由を使わざるを得なかった。ただ、わたしは生まれてから一度も鈍行で東北を旅行したことがないので、当然のことながら震災以降、ここら辺に来たのは初めてなのだ。

あ。しかし。仙台は行ったことがある。過去に1度。学会で。あと東北は「点」で行ったことがあるところが多くて。例えば先ほど乗り換えのために降りた郡山は友だちの結婚式で1度来たことがある。あとは青森。青森は今まで2回行ったことがある。大学の時の乗船実習で1回、去年1回。あとはなし。そのくらい、縁がうす~い土地なんだよね、東北って。わたしにとっては。福島から東北だから、東北って「結構近いんだなあ」と思ったのだが、実はまだまだこのときは分からなかった。東北ってものすごく広いんだということに。。

そして今の時点では震災の影響があったとは全く感じられなくて。まぁそういうところを通ってこなかったからだけど。

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太子堂。本日泊まる「道中庵YH」があるとこ。っていうか、上に仙台に来たことが一回あってと書いたが、そのときもここに泊まったんだよねえ~。ちなみに右側の看板の上に付いてるおむすびみたいなキャラクターは「むすび丸」というんだそうだ。これも初めて見た。

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来たのが昔過ぎてもう全然覚えてなかったんだけど、YHの入り口。ここはねー、かつて泊まったときは自家製のお米とか野菜とか、そんなのでご飯を作ってくれてたんだけど、今は朝食のみで夕食の提供はなしになってた。あのときはちょうど、お米が不作の年だったかで、安いタイ米か何かが大量に入ってきたときだったんだけど、ここでは自家製のお米を食べさせてもらったことを記憶している。というわけで、夕食の提供がないんだから、仕方がなく仙台に行って何か食べるか、ということにし、もう一度仙台駅へ。

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の前に、太子堂駅のすぐ近くにある「ヨークベニマル」。東北には縁もゆかりもないけど、ヨークベニマルを見ると「東北」って感じがする。というのは、昔、ヨークベニマルの社会人野球チームがあったからだ。

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仙台駅は7日から始まる七夕祭りのために、改札降りたらこんなふうになってた。

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駅のあちこちにこんなのがあってねー。70年連続開催できたのも、ずっと平和だったからだよなーとか、そんなことを思ってた。だって、予約投稿したからあの時点ではここにはアップされてなかったけど、8月6日の日記は既にもう書いてて、あの中で「高校野球が始まって今年で100年だけど、第97回なのは、途中、戦争の影響で中止になった年が何年もあったからだ」と書いてたから。この旅は平和について考える旅でもあった。というか、平和だから旅行できるんだなってずっと思いながら旅行してた。

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外から見た仙台駅。しかし仙台は東北一の大都市だからか、なんだかすげーでかかった。駅なんかもものすごくでかかったし。中国地方でナンバーワンであるはずの広島駅はこれに比べると格段にショボイんだが。。ってなんで広島駅が出てくるかというとよく分かんない(笑)きっと東京、大阪、名古屋以外で知ってる大都市は広島駅しかないからだと思う(笑)

夕食を食べる時間まではまだ少し早かったので、どこかに行こうと思ったのだが、どこかに行けるほどの時間の余裕はなく。本当なら青葉城址などに行ってみたかったのだが歩いて行くには遠すぎて。だとしたら、もうここしかないよね、ここ。

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「広瀬川~、流れる岸辺~、思い出は~、帰らず~♪」で有名な広瀬川。まぁ行ってはみたけれど、ただの川でした(笑)なんとかして面白いところはないかなあと思って脇の森みたいなところに入ってみた!

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遠くからみると「なんじゃあこりゃあ」って像が見えて、近づいてよく見てみるとこれはキリシタン殉教の碑らしい。「ふ~ん、そうなんだ」くらいしか思わなかったのだけど、キリシタンは九州のイメージが強いんだが、ここら辺にもキリスト教が入ってきてて殉教者っていたのね。で、像から離れて行こうとしたら。

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猫ちゃん!なんか小柄な猫ちゃんなのか、それともまだ仔猫なのかは分かんなかったけど、猫ちゃんがいた。あんまり近づくと逃げちゃうと思って望遠で。かわいかったー!

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森の中の道をざくざく歩いてたら、黒い羽根のトンボが(多分、思いっきり見にくいと思うが)。黒い羽根のトンボって初めて見たー!しかし、ここは工事中でその先は行けず。結局来た道を戻ることに。

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そうそう、仙台の街を歩いてるとこの銀行があるんだよね~。七十七銀行。ここも社会人野球チームを持ってる。前はなかなか全国大会に出てこられなかったけど、JTとかなくなってしまってちょこちょこ都市対抗などの全国大会にも出てくるようになった。てか、JTの応援は好きだったんだけどな、、、

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適当に歩いてたら、小学校があって、なんか土井晩翠の母校だとか。そこには「荒城の月」の作詞をしたって書いてあったけど、わたし、荒城の月=滝廉太郎で、作詞をしたのは誰か全く知らなかった。すいません、、、なんかこの学校の中に資料室があるらしいんだけど、まぁ、時間がなかったので(しかも夏休みだし)、行ってません。

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仙台の街はこんな感じだった。七夕祭り近しって感じなのかな?

で、夕飯なんだけど、仙台は「牛タン」しか思い浮かばなかったので、取り敢えず牛タン定食が食べられるお店に行って牛タン定食を。ありきたりなんだけど、事前情報これしか知らんかったんだもん。

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うーん、旅行中のメモが消えてしまったので詳細は忘れたけど、確かこれは特製じゃなく普通の牛タン定食で1300円くらいしたかなあ。特製のになるとちょっと高くて手が出ないよって値段だったので、普通のにしたんだけど、んー、なんかちょっと硬かった。特別美味しいとはあまり思わなかったな~。

YHに帰ったら、同室にもう一人の人が。なんかよく分からないけど、旅行しようと思ったんだけど、あまりにも暑かったのでめげて、地元のYHに泊まったんだとか。どこの人かはよく分からないけど、仙台のことについて詳しそうだったので、いろいろ美味しいとことか教えてもらったんだけど、地元で美味しいタイ料理とかカレー屋さんとか、うーん、、わたし、仙台でしか食べられないものが食べたいんだけど(笑)って感じでした。まぁ確かに地元に住んでる人と旅行客の行くところは違うよねえ。

というわけで、初日はこんな風にして終わった。その2に続く。
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11-28 Sat , 2015
47歳
今年は47歳の年。

毎年1回は年齢についての日記を書いてるんだけど、去年は12月に「生誕17000日目」って題名で日記書いてるね。それを見ると、今日は生誕17361日目。あれから360日以上経ったんだね~。

去年、47って数字は素数なだけであんまり魅力がないって書いた。確かにそれはそうなんだけど、年齢のところに「47」って書くのが結構好きだったりする。数字自体には魅力がないのになんでだろう?とても不思議だ。

そして、今の時期になると来年の年賀状の印刷の受付、みたいなので、年賀状のサンプルを見るようになったんだけどさ。そこに印刷してある「申」って文字を見ると「あらっ」って思う。そう、来年は年女なんだよね~。つか、48という数字のことばかり考えてて、年女と言うことはすっかり忘れてた。てか、別にだからどうということもないが。。

しかし、45を2年も過ぎてるのに未だ、四捨五入して50とは考えられない。きっとわたしの中に「50歳」に対する強固なイメージがあって、そのイメージと自分が合わないからじゃないか?と思ったりする。「50」というと社会的にも落ち着いてて老人に片足突っ込んでるイメージが多分あるんだろうね(笑)今のわたしはまだまだ落ち着いてるどころの騒ぎじゃないからなあ~。。

去年の「生誕17000日目」の日記を読むと、病状がよくなってきただの、でもやる気が出るとか出ないとか書いてあるけど、んー、去年から今年の1年はね、とにかく息苦しかったね。正直、今も息苦しい。ただ、去年よりはちょっとは楽になってきたかな?って思ってたんだけど、最近の寒さのせいか、またひどくなってきてしまった。。肩こりというか、肩こりと背中の痛みとが合体して(これは去年からだけども)、それがちょっとよくなったかなと思ったらまたひどくなるの繰り返し。。先週までかなり楽だったんだけど、1週間前からまたひどくなった。なんなの、これ。これと息苦しさの相互作用で正直、身体の方はあんまり楽に動けるとは言い難い。

しかも15年来の座骨神経痛持ちでとうとう、足先からしびれが出てきた。その影響か、座骨神経痛で痛い方ではない反対の方の腰が痛い。

ということで、上半身も下半身もボロボロなわけですが。これって老化現象って言えるの?

ただ、なぜか精神の調子だけはOK。やる気というのは、出ないときに「なんで出ないんだろう」って思うものなのね。最近は「やる気」のことを考えることはほとんどない。確かにやる気が出ないときもあるんだけど、そういうときは「まぁいいか」って思える。というのは、仕事なんかで動かなきゃいけないときはやる気なくても動けるようになったから。きっとこういうのが「普通の状態」というのだろう。しかし、わたしの場合はそこからすぐに奈落の底に落ちて行く感覚を味わうことができるので、というか、もううつ病やりすぎて、自分の中のその感覚が忘れられなくなったというか、ただそういうことだけだと思うけど、今もある一定の条件が揃えば、多分すぐ、うつ状態に戻るだろうなあということはなんとなく分かっている。

でもここ数年で見ると、この1年はきっとかなり調子がいいとは思う。先週なんか、ほとんど毎日外出していたし。その頃は息苦しさも背中の痛みも結構なくなってきてたし。ところがね。「ちょっとは休まなきゃ」と思って休んだ途端、息苦しくなるわ、背中の痛みや座骨神経痛の痛みもひどくなるわで正直「休まなかった方がよかったのでは」と思ったほど。しかもわたしは休むと途端に何もしたくなくなる。まるで「慣性の法則」そのものじゃないかって思った。

外部から力を加えない限り、動いている物体は永遠に等速直線運動をし続け、静止している物体は永遠に静止している。

ってやつね。とにかく動いている間は次に動くのが簡単なのだけど、一旦休んじゃうと動き始めるのがとても億劫になる。精神科の主治医に「わたし、休むと体調悪くなるみたいなんですよね~」と言ったら「そんなことないです!」と言われた。主治医によれば、背中などの痛みは動いてないから血の巡りが悪くなってるんじゃないかと言ったけど、確かにそれはその通りかもと思うが、それ以来、外出しても楽になることはない。あー、ホンマ、休むんじゃなかったわ。

去年は「やる」と言っていた資格試験勉強、結局息苦しさでできず。今年は息苦しくてもやります。
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11-16 Mon , 2015
子宮体がん検査受けてきた
先月書いた日記で、子宮口にポリープができてるのを取ったのと、ついでに子宮頸がん検査を受けたことを書いた。その結果を聞いてきたのだけど、そのときに子宮体がんの検査もしてもらった。あ、ポリープは悪性のものじゃなく、子宮頸がん検査でも異常なしだった。まぁポリープは前に1回できたものの再発で、1回目に取ったときも「病理に回します。1週間後、検査結果を聞きに来てね」と言われたのだが、めんどくさくて行かなかったのだ。どーせ、何か異常が見つかったら、こっちが行かなくても向こうから連絡来るだろうしね、、で、連絡も何もなかったので異常なかったんだなと思ってたの。だから今回も「多分、悪性ではないだろうな」とは思ってた。まぁでも、前回の日記にも書いたけど、だからといって丸っきり「シロ」だとは思ってません。じゃあ何のために検査受けたのよ、と言われると困るんだけど(笑)

検査結果を聞いた後、子宮体がん検査についての説明。何やら痛いとか、出血が何日か続くけど1週間以上止まらなかったら連絡しろとか、検査を受けると300人に1人の割合で腹膜炎だったかを起こす人がいるので、2、3日以内に腹痛が起きたら連絡しろだとか、なんか「こんな検査してホンマに大丈夫なんだろうか」と不安になって来た。てか、体がん検査がすっごい痛いってのは、わたしも何かどこかで聞いたことがあったんだよね。でも、こないだポリープ取ったときもめちゃくちゃ痛かったから(笑)あれ以上の痛さってどんな痛さなんだろうと少し興味もあった。

やっぱねー、一般の婦人科にある「内診台」と言われるものよりも、普通の診察台(とは言うものの、自動で上下する)の上に寝転がって股開く方がいいわ、わたし。あんまり屈辱的な感じもしないし。診察台で十分だとしたら、なんであれより高そうな内診台なんてあるんだろうか。あ、バスタオルは1枚、自分で持たされるけどね。

バスタオルを隔てているからか、まぁ物理的に目が付いている場所からは見えないところでやられてるからか、何をされてるのかはよく分かんなかったけど、最初にぶすっと器具を入れられた。これが痛かった。。。思わず「いて-」って言っちゃった。そしたら「まだ器具を入れただけだから、これからです」と言われた。「力抜いて、楽にして下さい」って言われたんで、あー楽にしなきゃなあと思って楽にした。で、そばにいた看護師さんに「消毒するものを」みたいなことを言ってて、それから「これから取りますね」みたいなことを言われて、どんなに痛いことが待ち受けてるんだろうと思ったら、何も感じないうちに「終わりました」と言われた。へっ?ホント?いつの間に?って思ったので「本当にもう取ったんですか?わたし、全然何も感じなかったんですけど」って言ったら「終わりましたよー。出血してるんで、ナプキンしますねー」って言われ、なんか独り言みたいに「器具入れるときが一番痛かったのね(笑)」って言ったのをわたしは聞き逃さなかったぞ!(笑)

終わってから「全然痛くなかったら、腹膜炎にもならないんですかね~」って聞いたら「感じ方は個人差がありますから。それとこれとは別です」と言われた。あ、でも結局その後もお腹痛くならなかったです。

家に帰ってから「ホンマにちゃんと採取できたんかな」と心配になった。だって注射より痛くなかったよ。注射とか採血のときに看護師さんに「チクっとしますね」って言われるけど、あれは本当にチクって感じるもん!てか、あの台詞、本当に大嫌いだもん。腕に意識のすべてが集中してしまって、痛くないものも余計痛く感じてしまうんじゃないかと毎回思ってるくらい。でも今回は本当に何も感じなくて。そういう人っているのかな?と思ってちょっとネットで調べてみた。

ええと。個人差がだいぶあるようです。あと体調にもよるらしい。医者の腕にもよると書いてあった。が、中に「子どもを産んだことがない人は痛い」って書いてあったのがあった。それは大ウソです。わたしゃ、子ども生んだことないもん。それに全然痛くなかったって人でも、検査を受けた後は下腹部に鈍痛が、と書いてあったのも読んだんだけど、わたし、それも全くなかった。検査を受けた前後で何かあったかと言われると、確かに少量の出血はあったよなー。けどポリープ取ったときの方が断然多かった。

検査を受ける前に医者から「この年齢だと毎年がん検査を受けた方がいい」と言われたのね。でもそれはなんの検査か分からなかったから「頸がん検査ですか?それとも両方ですか?」って聞いたら「まぁ両方毎年受けることに越したことはないけど、体がん検査は痛いので、2、3年に1回くらいでもいいですよ」って言われた。でもこれだったら毎年受けても全然大丈夫だわ、とは思った。体調にもよるそうだから、次に受けたときは痛いかも知れないけどね。まぁ本当に受けるかどうかは別問題として。だいたい、体がん検査は受けたとしても採取できる部分は一部だけなので、そこにがん細胞がないとがんって分かんないよーみたいなことらしいし。

そうそう、わたしはここ数年、基礎体温というものを計ってるんだけど(これはデータ集めてグラフにすると結構楽しい。今は計った後に数字記入するだけで自動的にグラフにしてくれるアプリがあるから本当に便利)、これまでは低いときでも36.6度くらい、高いときは37.4度くらいになって、なんでこんなに高いん?って思うことがしばしばあり。でも、先月はずっと低いままというか、下手すると今まで低かった36.6度より低い36.4度なんてこともある。そのことが不思議だったので、本当はそのデータを入れているiPad自体持っていけばよかったんだけど、忘れちゃったので仕方なく口頭で伝えると「それは排卵が来てないということです」と言われた。へー、そうなんだ。わたし、ずっと「どれが自分の『元の体温』と言えるんだろう」って思ってたんだけど、どうやら低いときが自分の体温らしいね。わたしは平均するとだいたい36.8度くらいだったので、ずっと平熱は36.8度だと思ってた。しかし、今はさらに低い体温になってるので、これは不思議。。

で、排卵が起きないと生理は順調に来ないそうだ。てか、なんだったっけ、排卵が来なくても生理が来るときはあるけど、それはある程度溜まったら、とかだったかなあ。なんかそんなわけで、周期的には来ないらしい。だから閉経に近くなると、生理が不順になるらしい。でも、それは「不正出血」かも知れず、その見分けが付かないから、閉経前後のわたしくらいの年齢は特にがん検診を受けた方がいいんだってさ。あとわたしの場合は筋腫もあるので、その大きさを確認するためにも1年に1度来た方がいいと言われた。あと筋腫があるとだらだら生理が続くときがあるが、2週間以上になるとさすがにまずいんで(少量でも)、そのときは病院に行ってねと言われた。

婦人科は、わたしにとって今までとても行きにくいところで、いろいろ知りたいことがあっても聞くことも出来なかったけど、やっぱ行ってみるものだと思った。でもそのためには自分のセクシャリティを向こうが分かってくれるところでないと、わたしは無理。婦人科ってとてもデリケートなところだから、やっぱ、気兼ねなく何でも言えるところでないと、自分が窮屈になっちゃう。

検査結果は1ヶ月後。でも本当は10日前後で出るらしく、わたしが行ってるところは1ヶ月に1度しか婦人科をやってない病院なので、また来月。「早く知りたかったら、別の内科の医師からでも伝えることはできます」と言われたけど、まだいろいろ聞きたいことがあるので、来月にした。でも、本当に何かあったら1ヶ月待たずにこっちに電話が来ると思うけどね。

会社の健康診断を初め、わたしは健康診断というものが大嫌いだった。その主な理由は「採血」だからだが、でも、そのデータの上がり下がりを見てると結構面白いので、わたしは最近年に2度、健康診断を受けている。なぜ年に2度受けられるかというと、東京に住んでいる被爆二世は無料で年に2度、健康診断を受けられるからだ。健康診断のうちの1度をがん検査に置き換えることも出来るらしいのだが、がん検査は異常のあるなししか分かんないし、そういうデータは集めても面白くないし。基礎体温を毎朝計ってるのも同じ。データ集め。これって実験観察みたいで本当に面白い。別にこの結果から「人間の身体はうまくできてるなあ」とは思わないけど、ただ生きてるだけでいろんな数字が出てくるのが面白い。これって多分、学生時代は実験系じゃなく、自然科学系だったからだろう。実験することで出てきた数字じゃなく、自然のものからデータを得る。そのデータから何か意味のあるものを読み取る。それってとても興味深い。

ちなみに今のところ、採血では貧血以外、全く異常はない。尿検査は毎度毎度引っかかる。なんでかはよく分からないけどね。一度、精密検査で腎臓のエコーをしたけど、腎臓には異常はなかった。異常がないので1年以上続いている息苦しさの原因も分かるはずはない。尿検査では毎度毎度潜血が出てるけど、どこから出血してるか分かんない。こういうのがあってもすべて「様子見」と言われる。未だにわたしの口の中はおかしい。口腔異常感症は全く治ってない。けど、検査してもどこも異常がないので「問題なし」。わたしはあのせいで起きてる間はずっと不快な思いをしてるんだけど、最近は誰にも何も言ってない。日記にもほとんど書いてないよね。でも一応、半年に1度は病院に行って先生に話してるよ。でもそれだけ。解決方法なし。薬さえ出ない。まー、わたしの口の中の不快さや、息苦しさによる生きづらさなんて、わたし以外は分かんないし、わたし以外は理解されようもないよね。「様子見」って言われて「こんなつらい思いをまだずっとし続けていかなければならないのか」って絶望し続けてる気持ちなんか医者には分かんないだろう。こういうことを言うとあまりよろしくないとは思うが、わたしは「典型的な症状」が出て「あなたはこの病気です」って言われることが結構羨ましいときがある。

健康診断ではどこも「異常ない」から健康体のはずだが、実際はこんなもん。だから「健康診断」はわたしにとってはただの「データ集め」に過ぎない。
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10-07 Wed , 2015
不正出血
どーも8月辺りから変だったんだよね。

うんこをすると血が出てる。肛門からじゃなく膣から。紙で拭くとうっすらと潜血が。

ちょっと気になったので彼女に言うと「痔じゃない?」という。「いやー、だから違うんだってば!」と言ってたんだが、少し前に外出先で突然うんこが行きたくなって、仕方がないのでトイレに行って(外出先だったので時間を掛けたくなかったので)すんごいいきんで出して、その後、家に帰ってきてから見たら、かなり血が出てる。これはちとなんかやばいんじゃないの???と思って、婦人科に行ってきた。婦人科って言っても、1ヶ月に1回しかやってない婦人科です(分かる人には分かるだろう)。

一般の婦人科は異性愛者しか想定してない問診票で答えるのに一苦労、そして基本、男性医師には診てもらいたくないってことで、まぁ前々から何かあったときのためにって目を付けておいた病院ね。以前、そこの病院は皮膚科にかかったことがあって。診察券も持ってたし、たまたま婦人科の1ヶ月に1度の診察日が直近の週にあったので、これはいいぞと思って予約を入れた。

「どうしたんですか」と聞かれ「不正出血があるみたいなんです」と答える。「どういうときに出ますか」と言われたので、こういうこと答えるの恥ずかしかったんだが「いやー、うんこしたあとに。。」と答えると「それは痔じゃないですか」とここでも言われるーー;いーや、だから、違うだってば!自分のことなんだから、どこから出血してるかくらい、分かるんだって!でもそう言われた医者は「そんなこと信じられません」みたいな顔をしてたが。

で、去年、健康診断を受けたときに血尿が出て、精密検査で腎臓のエコーをしたときに「なんか子宮筋腫みたいなのがありますねー」って言われたことが気になったので「ここでは筋腫の検査もできますか」と聞いたらできるとのこと。あと、子宮頸がんの検査はもちろん、わたしくらいの年齢になると子宮体がんの可能性も高くなってくるので、そっちの方も検査した方がいいとのこと。「あーもうついでだから何でもやります」って行って検査室へ。

といえどもそこは月1回しか婦人科はやらないため、内診台などはなく。ただの診察台に寝転がって、そこで股を開くだけでした。正直、内診台より抵抗感なかったかも。

医者は見た途端「あー、なんかすごい大きいポリープがありますね。それも2つ」と言った。あー、ポリープ。今から10年くらい前に実はポリープが子宮口に出来て取ったことがあるんだよね。そのときに「再発しやすいからまたできるかも」って言われたの。やっぱり再発したのね。「すごく大きくて、親指の爪くらいのが2つありますねー。これ、取っちゃいますねー」って言われて、いろいろゴリゴリやられて痛かった(^^;正直、その間に子宮頸がんの検査もしたらしいが、どれが検査なんだかさっぱり分からないうちに終わってた。エコーで子宮筋腫を見たらすげーたくさんありますと言われた。どれも小さいらしいが。一番大きなので2.8cmくらいって言われた。まあ筋腫によって生活に支障が出るほど出血したり痛みが出てきたらなんとかしなきゃいけないらしいが、そうでないうちは経過観察なんだそうだ。ただし、まれに悪性の肉腫であることがあって、その場合は1年間にめちゃくちゃ大きくなったりするらしいので、1年後にまた検査した方がいいと言われた。

んでもって、取ったポリープは悪性じゃないかを確認するために病理に。これが9000円ちかくかかると言われ、財布の中がすっからかんになってしまった(それでもまだお金が足りていい方だよ。運が悪かったら財布の中、9000円入ってないときがあるからね)。

で、次の受診は1ヶ月後。そのときに子宮体がんの検査をするみたい。わたしが行ったときは検査のキットがなくてできなかったんだってさ。次は持ってくるって。

てなわけで、多分、不正出血の原因はポリープでしょうと言われた。まぁわたしもまさかまたポリープが出来てたとは知らなかったし、前にポリープが発見されたときはこういう症状じゃなかったからね。それを言われるまで全然再発したとは思ってなかった。

不思議なことに内診される嫌悪感というのはほとんどなく。ちょっとゴリゴリされてだいぶ患部は痛かったのだが、それすらもあまり恐怖心を感じず。これだったら目に見える注射や点滴の方が断然やだわ。子宮体がんの検査はちょっと痛いですよーと言われたが、それも特に今のところどうも思ってない。それにがん検査ってやったとしても実は信頼度100%というわけではないことも知ってて、検査で悪性腫瘍が見つかるのは「時の運」だと思ってるから、まぁ結果もそんなに緊張しない。「異常なし」だって本当に異常がないかと言えば、全然そんなことないし(なんて書くと「じゃあなんで検査受けるのか」ってことになると思うけど、まぁ不正出血の原因がポリープであるとは限らないってことと、まぁ当てにはならないけど1回くらい検診受けておいてもいいかなと思ったんで。でもあんまり理由になってないね)。

しかし、婦人科には女性医師しか診てもらいたくないってんで、今まで女の人にしか診てもらったことはないのだけど、当たった医者はみんなどちらかというと「しっかりした人」が多くて話した感じもぶっきらぼうでちょっと怖い(^^;優しい婦人科の女性医師って人はいないのかしら。。なんて思うけど、女性だから優しいとか思うのは多分偏見なんだろうなー。逆に一回、ピルをもらうためにレディースクリニックみたいなところに行ってきたんだけど、そこの男性医師の方がよっぽど優しそうだった。だけど男性医師に内診をされるというのは、心理的にとてもハードルが高すぎてわたしには無理。

ちなみに一般の婦人科で書かされる問診票について、性交の有無とかいろんなこと聞かれるのは単に膣の中に入れる器具の大きさの問題のみで、それ以上の意味はないらしい。わたしが「婦人科はどこからをセックスとみなしてるかよく分からないから問診票を記入するときにとても考えてしまう」って言ったら、そんなことを言われた。あー、そうですか、器具の大きさを決めるためにそういう質問すんのね。じゃあ、人とは未経験でも、バイブで遊んでたりしたら「経験あり」にできるのかね(笑)

まぁ聞いてみてよかった。
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08-28 Fri , 2015
ま~旅行記でも書きましょうかね
なんせ最近、書くことがあまりない。
書くことがあまりないというのは「書きたいことがない」というわけではなく、書きたいことはあるのだが、書き始めるとめんどくさいほど長くなるかも知れなく、かつ、結論なんかない、ということだからだ。書いたとしても「現実って言うのは複雑なんだよね」という結論にしかならない。だからなんか書いたって仕方がないんじゃないかな~って思ったりする。

全然関係ないけど「断片的なものの社会学」(朝日出版社)という本がある。まだ新刊の部類に入ると思う。

著者は社会学者でわたしとほぼ同年代(向こうが1つ年上)なのだが、読んでみてとても面白かった。自分が今まで生きてきて考えていたこととリンクすることが多いし、同じように結論が出ていないというのが共感できる、というか、「ああ、この人もここまで考えてて、でも、やっぱり答えは出てないんだな」と思うとなんかとても親近感が湧く。

結局長く生きるということは、現実に起きていることはそんなに単純明快でスパッと答えが出るものよりも、なんかどう、考えていいのかさっぱり分からないことがたくさんあるってことを知るって言うことなのかなと最近よく思う。そこには明解に「善」と「悪」の線を引くことはできないし、何が正義で何が正義じゃないか、正義の絶対値なんかない。ただ生きてて「絶対」なのは、人間はいつか絶対「死ぬ」ことだけ。これだけがこの人生において「確実」なものなのだ。

だとすれば、その確実な「死」に向かってどう生きていけばいいのか。

わたしは自分がどういう死に方をするかまだ全く分からないにせよ、ある程度準備はしておきたいと思う。最近わたしが結構あちこち旅行しているのはそのせいだ。わたしは一つでも自分の心に残る風景を自分の頭の中に残しておきたいと思う。そして死ぬ前にその風景を思い浮かべながら死んでいきたいと思う。もちろん、そういう「死に方」ができるかどうかは今の時点では分からない。今まで生きてきた記憶なんか全部失って死ぬってこともあるだろうし、病気や事故で瞬間的に死んでしまって今までの人生を振り返る余裕なんかないかも知れない。でも、それだったらそれで別に構わない。今の時点で自分の最後が分かる人なんていないんだから。

「あの世に金は持っていけない」とはよく言われる言葉だ。でもさあ、持って行けないのは金だけじゃないんだよね。生きてるときに身に付けた知識だって経験だって資格だってすべて持って行くことはできないわけで。それらは「いかに自分が生きているときに生きやすい道具であるか」ってことだけで。「あ~、人生ってそういうもんなんだなあ」って最近よく思う。しかしそれは現実なんだから、それが寂しいとか虚しいとか、そこにそういう感情をくっつけることはないんじゃない?って思う。「物事はそういう風にできている」わけなんだから。まぁそこに寂しさとか虚しさとか、そういうことを感じると「文学」や「芸術」ってものに発展していくのかもね。

だから、わたしは自分の最後は自分が今まで見てきた美しい風景を思い浮かべながら死ねたらいいなと思っている。なので、今のうちに身体が動くうちに行こうという気力があるうちに、行きたいところにはどんどん行っておくのだ。最近、旅行ばかりしてますね、体調が良くなったんですねって言われるけど、まぁ、本人の意識としてはあくまでも旅行するのは死を意識してのことだし「後ろ向きに前に進んでます」という感覚だ。まぁそんなわけで。

夏の東北旅行、記録として残しておきたいと思う。

この旅行中に感じたことのキーワードは「平和」と「日常」だった。
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08-13 Thu , 2015
帰ってきました!
まぁ帰ってきたのは10日なんですけどね(^^;

翌11日は疲れて寝まくって、昨日はお土産を渡しに出かけて。

今回の旅行は東北方面でした。
仙台から秋田、青森、岩手、栃木と回ってきた。
とても楽しかったです。

が、日記はどうしようかな~。画像はいろいろ撮ってきたんだけどね。
なんせ10日間の旅行記って大変な量になりそうだし。
それに最近ほとんど旅行の話題しか書いてない(^^;

ちょっと考えてみます。
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07-31 Fri , 2015
一人旅してきた その8(旅が終わる)
その7の続き。いよいよ最終回。

3月22日。
実は前日、御前崎海洋センターのバス停に着く前にこういう看板があるのを見つけてね。

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そのとき「え、ねこ塚って何??」って思ったんだよね~。そういうものがあるとは、ここに来るまで全然知らなかったの。で、その後、散策に出たときに少し探したんだけど、なんだか見つからなくてね。途中で「これでは日が暮れてしまう」と思って、このときは断念して海の方に行ったのだ。なので翌日の午前中に行くことにした。観光地図にねこ塚のある場所が書いてあるのだが、なんだかよく分からなくて、結局ネット上で詳しい道案内が書かれてるサイトを見つけて、それを頼りにして行った。

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これがねこ塚のあるところ。なんか、畑の中にポツンとあって、ここは本当に本当に探すのが難しかったよ!しかも看板がほとんど出ていない。。

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これがねこ塚。なんかもう、ボロボロ。。耳なんか取れてて。でもちゃんと首輪が付けられてた。

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ねこ塚の由来。なんかお寺の和尚さんが猫を拾ってきて、その猫は、旅の僧に化けたネズミが和尚さんを襲ったところを助けて死んでしまったんだと。で、こんなに猫がボロボロになっちゃったのは、昭和7年に建立されたので今年で83年目だから。ここは海の近くできっと塩っ気の強い風だから余計にボロボロになっちゃったんだろうね~。まぁでも御前崎に来てみるまでこういうところがあるとは思わなかったので、なんかちょっと得した感じだった。

その後は御前崎灯台の周辺をぐるっとしてみた。

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静岡県最南端の地らしい。御前崎って、伊豆半島の石廊崎よりも南なのね。なんとなく伊豆半島の方が南っぽく思えたけど。ただ、ここは前日行った中田島砂丘のように海岸を歩いたりはできないんだよね。なんせ砂浜がなく、もう、すぐ道路なのよ。だから海をより身近に感じたいんだったら、中田島砂丘の方がいいかなあ~。(あ、ただ、すぐ近くに海水浴場があるみたいなので、そこに行けばいいのかも。今回、時間がなかったのでわたしはそこには行ってないけど)

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下の道路から見た御前崎灯台。こう見るとすごい崖沿いに立ってるのよね。海沿いの道をぐるっと回ってから、崖を登って御前崎灯台に出る遊歩道を上がった。

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御前崎灯台の横に立っていた看板。御前崎灯台自体はでかすぎてわたしのiPhoneのカメラでは撮れんかった。というか、撮っても前日のような画像しか撮れないからねえ。

御前崎灯台をぐるっと遊歩道が通ってて、その中に「ねずみ塚」というのがあるというのをいろいろ調べているうちに知って、まぁ猫も行ったんだから、ネズミも行ってみるかと。その途中でこんな猫ちゃんが!!

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この猫ちゃん、よっぽど人慣れしてるんだろうね。わたしの姿を見ても逃げもせず、こうやってゴロゴロ。。かわいかった。

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これがねずみ塚。なにこれ、ねこよりきれいじゃん、って、これは平成になってから建てられた物で、年数はそんなに経ってないものみたいだった。

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ねずみ塚の由来。てか、何この理由。改心して海上の安全と大漁を約束したから建てられたんだって!猫よりネズミの方が待遇良さそうでなんか腹立つわ(笑)

その後は高いところから海を眺めた。

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まぁ例によってカメラの視界って本当に狭く、海の大きさは全く撮れないねえ。

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パノラマを使ってもせいぜい見られるのはこのくらいか。ずーっと撮っても歪みが大きくなってしまってうまく撮れなかった。

御前崎灯台周辺散策は上記で2時間くらいかな。このくらいで割ともう十分って感じだった。まぁ時間があったら土産物とか売ってるところにも行ってみたかったんだけど、歩いて行くとかなり掛かりそうだったからそれは断念した。そして、いよいよ旅の終わり。周辺散策している間は荷物をYHで預かってもらったんだけど、それを引き取ってバス停へ。

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11時20分、御前崎海洋センター発。11時55分、浜岡営業所着。

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12時3分、浜岡営業所発。12時42分、JR菊川駅着。

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東海道本線、興津行き。13時1分、菊川発。13時42分、静岡で乗り換え。

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東海道本線、熱海行き。13時54分、静岡発。15時8分、熱海着。

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熱海に着いたとき、「ああ~」って思った。だって

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熱海からJR東日本管内。この見慣れた看板。そして「横浜、川崎、品川、東京、上野方面」って、「上野東京ライン」って、もうほとんど「帰ってきてる」じゃん。ちなみに「上野東京ライン」は、3月14日からの新路線だから、この表示はとても新しいはずなんだけどね。

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電車もこの通り。座席もボックスシートではなく、長いす。「あ~あ、もう帰って来ちゃったんだなあ」って感じ。まぁね、ここからは都会だよ。駅に着くたびに人がどんどん乗ってきて。だんだん「日常」に戻っていく。。15時27分熱海発、東京行き(ではないですね、宇都宮線直通って書いてあるし)の東海道本線。

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17時18分、東京着。旅が終わった。

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おまけ。東海道本線の「ゼロポスト」、すなわち「起点」。これ、東京駅の各ホームそれぞれにあるのかどうかは知らないが、いくつかあるらしいね。これはホームの真ん中辺にありました(結構探したんだ、これが(笑))。

まぁ既にこの旅を終えて数ヶ月経ってしまっているので、もうあまり感慨深い思いはないのだけどね。ただ、わたしはやっぱりこういう旅が好きなんだなあって、久々に、鈍行列車の旅をしてそう思った。だからこそ、明後日からまた旅に出るのだけど。

次の旅、わたしはどんなことを感じるんだろう。
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07-30 Thu , 2015
一人旅してきた その7(海が見たいの!)
その6の続き。

3月21日。
「晴れてたら朝6時頃にはここから名古屋市内が見れる」と言われたので、6時半に起きて外を観に行く。

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残念なことに雲があって見られず。空を見上げたら

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こんな空で、一瞬「秋の空!?」って思ってしまった。これって「いわし雲」だよね?

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朝食。わたしは日常生活では朝はパンなので、ご飯はちょっと重い感じがするんだけど、まぁ旅行中ってのは基本昼ご飯抜きなので、とにかくたくさん食べておかなくては。しかし、ここのお米は本当に美味しかったなあ~。

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バス停までペアレントさんに車で送ってもらいました。至れり尽くせりで本当に申し訳ないほど。またいつか、必ず行きますね~。ってわけで一路、JR岡崎駅まで戻るために来た道を戻る。まずは足助から東岡崎駅まで。

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東岡崎駅からJR岡崎駅まで。

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岡崎10時19分発、東海道本線、豊橋行き。このオレンジの線の電車は見飽きた(´Д` )10時54分豊橋着。

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豊橋11時3分発。ここから浜松へ。

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浜松で途中下車。11時38分着。向かうは中田島砂丘。

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遠鉄バス、11時53分浜松駅発。中田島砂丘までは12分。260円。

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じゃーん、中田島砂丘。実は、日本には「鳥取砂丘」しか砂丘はないもんだと思ってたんだけど、日本三大砂丘ってのがあって、鳥取砂丘、鹿児島県の吹上浜とここ、中田島砂丘なんだそうだ。浜松は以前からちょっと下車してみたいところだったんだけど、なんせ浜松と言えば鰻かヤマハかってイメージしかなかったもんで、どこか寄れるところはないだろうかって調べてみたんだよね~。で、出てきたのがここだったというわけ。まぁ、今までどちらかというと「山の中」な感じだったので、最後は「海だよね!」ってことで。というか、ここに来ようと決める前に既にこの日に泊まるのは御前崎にしてたので、本当はそこで海を見る予定だった。

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砂丘!というわけで、ここもほとんど人がいなかったな~。画像にしてみると一面の砂丘っぽく見えるけど、実は結構貧弱な砂丘だった。なんかね、砂が飛んじゃって年々貧弱になっていってるらしい。ので「堆砂垣」という生け垣みたいなのが至る所に埋めてあった。右の画像の真ん中辺になんか立ててあるのが見えるでしょ。あれが「堆砂垣」。風が吹いてもあそこに当たって砂が飛んでかないようにしてるらしい。まぁわたしは実は鳥取砂丘って今まで行ったことがなくて、砂丘がどの程度なのかよく分からない。ので、ここの砂丘を見て比較のしようがないのだけど、まぁ想像してたのよりは規模が小さかった。けど、砂は確かに砂丘だなあと思った。で、砂丘だけだったら本当にあまり面白くないところなんだけど(←オイ)、それを過ぎると海が!遠州灘が!!

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うーん、画像だとイマイチ迫力が。ホントは見渡す限り遠州灘が続いてるとこですからねー。それにしても人は避けて撮ったとはいえ、簡単に人がいない画像が撮れちゃうんだから、どれだけ人がいなかったのか!って感じだよね。

「あなたは山が好きですか、海が好きですか」と聞かれたら、実際のところは「海も山も両方好き」なんだが、でも、山の中に行くと無性に海が見たくなる。でも海を見たからと言って山の中に行きたいとは思わない。そういう感覚の違いはあるかな。山の中に行きたい気分になることはそう滅多にないけど、海を見たい気分になるのはしょっちゅう。あと今までのわたしの人生、海との関わりの方が深いからね。ただ、関わりも多かったのもあって「自分はこういう感じの海が好き」というのが決まっちゃってる。それを考えるとこの遠州灘はちょっと自分の好みとは違っている。ここはモロに太平洋って感じで波は荒いからね~。まぁでもこういう広い海の風景って滅多に見られるわけではないから。

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砂浜をずっと歩くと浜名湖の方まで行けるらしいのだが、まぁ、そんな時間はないので、適当なところに座って海を見ながらずっとパール兄弟の「バカヤロウは愛の言葉」を何回も歌ってた。っていうか、人はいないし、風は強いし、並みは荒いしで、大声で歌っても全然誰にも聞こえないんだもん。すげーすっきりしたわ(笑)あ、でも特に歌いたいからここに来たってわけじゃ全然なくてね。なんとなく音楽聞きながら砂浜を歩いてたら、歌いたくなっちゃったんだよね~。

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砂浜歩いてたときに見つけた風紋(っていうのかな?)。きれいだった。

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空はこんなにきれいで。やっぱここは解放感があったな。今頃の季節(夏)に行くとどうなんだろうね。まぁちょっとここでは泳げそうじゃないから(波が荒くて)やっぱ人は少ないのかな~。でも今行くと、もっと気持ちがいいだろうな~!!!

なんてことはそのときは全く思わなくて「どうやったら時間潰せるかな」としか考えてなかった(笑)バス停の近くに公園みたいなのはあったけど、時間が潰せる喫茶店みたいなのはないに等しかった。ってわけで、正味2時間くらいの滞在だったかな~。そのうち30分は歌歌ってたね!(笑)

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来た道をまっすぐ帰る、というわけでバスで浜松駅に(画像はない)。それから15時18分浜松駅発の東海道本線で菊川まで。

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16時、菊川着。この駅の左の「かなや」ってのは、大井川鉄道の乗換駅でもあり、大井川鉄道ってSLなんだよね。高校の時に乗りに行ったことがある。右の「かけがわ」ってのは、文字を見ると自動的に氷川きよしの「情け掛川みかんの小枝~♪」って歌を思い出す(笑)菊川で思い出すのはやっぱ、常葉菊川でしょうかね~。甲子園で結構お目に掛かる学校だよね。

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しずてつジャストライン、というらしい。昔は静鉄バスだったそうだが。JR菊川駅から終点の浜岡営業所まで。およそ40分くらい。660円。

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浜岡営業所から終点の御前崎海洋センターまで。なお、ここからは静鉄バスではなく、自主運航線というらしい。きっと採算が取れなくて静鉄バスは撤退したんだろうけど、バスがないと不便だから自治体がお金を出してるんじゃないかな?所要時間およそ35分、500円。浜岡営業所の浜岡ってどっかで何か聞いたことがあるなあ~と思ったら、あの浜岡原発があるところだったのね。途中、

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こういうバス停があったので「ああ、そうか」って思った。御前崎海洋センター着は16時5分。そこからこの日泊まる「御前崎YH」に。近いはずなんだけど、ちょっと道に迷ってしまった(笑)

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安曇野、あすけYHは割と近代的なYHスタイルって感じで、新大阪は都会のYHって感じだったけど、まぁここは古き良きYHって感じのところだったな~。なんかとても懐かしい感じ。でも、この日は泊まる人が少ないというので、特別に個室にしてもらえた(値段はもちろんそのままで)。というか、わたし別に個室じゃなくてもよかったんだけど、どちらにしても部屋には1人だと言われた。最近のYHの配慮の仕方ってこういうのなんだろうか。

夕食の時間まで少し時間があったので、近くを散策に。あ、周辺散策のための観光案内地図はYHでもらいました。転機がよかったから日の入りが見えるかなと思ったけど、どうやらその前に日が沈んでしまったようで。てか、この画像を見ると元々曇ってたから日の入りは見えなかったのかな。

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左側の画像で小さく映ってる灯台が御前崎灯台。日が沈む太陽が写ってる画像は多分、潮騒遊歩道を行った先の「夕日と風が見えるん台」で撮ったのかな。海の近くだから波の音が聞こえるかなと思ったんだけど、意外なことにあまり聞こえなかった。潮の香りもしなかった。まぁ、日中、波が荒いところにいてずっと波の音を聞いてたので、強い音に慣らされてあまり聞こえないのかな~?って思ったりした。で、YHに戻って。

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じゃーん、夕食。家族連れとかグループで来てる人が多くて、個人で来てたのは、わたしとあともう一人のおじさんだけだった。おじさんはテレビを見ながら食べてるし、だもんで、わたしは一人で黙々と食事。ご飯3杯食べたけど、前日までのあすけYHのご飯がすんごく美味しかったので、こちらはあんまり。。ちょっと水分多めなご飯だった。刺身が出るあたり、さすが、海の近くのYHって感じだけど。

ご飯を食べた後に、確かYHの食堂のわきに貼ってあった観光案内地図を見て、そこに「御前崎灯台は夜にライトアップされている」というのを見たので、一応YHの人に「今日もライトアップされてるんですかね」と聞いて「やってる」っていうから観に行った。ちなみに御前崎YHではミーティングの「ミ」の字も聞かなかったし、正直、ペアレントさんとも話すことはなかったです。

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いや~、YHから御前崎灯台に行くまでの道が案外暗くてね。近いんだけど。で、画像もこれまたあまりうまくは映らず。御前崎灯台の閃光を見ながら、わたしは大学3年の夏休みにやった「乗船実習」のことを思い出してた。

大学3年の時の夏休みの「乗船実習」は日本一周ならぬ「本州一周」で、晴海を出発して大阪、下関、伏木(富山)、小樽の港に寄って、それから太平洋岸を通って晴海に帰る、というルートだった。確か「沿岸航法」という割と沿岸に沿って進んで、灯台の位置なんかを参考にして自分の船がどこにいるかっていうのを確認しながら進んでたんじゃないかと思う。あんまりよく覚えてないけど。学生は6班に分かれて「ワッチ」(見張り)をするんだけど、その分担が0-4、4-8、8-0という3交代なのね。1日2回。要するに夜中0時から4時にワッチした班は、その日の昼の12時から16時もワッチに入る。4-8は朝4時からと夕方16時から。8-0は朝8時からと夜20時から。3班が見張りの時は他の3班はお休み。そういう感じでワッチ当番が組まれてた。とはいえ、港から港に着くまでは1日か2日しか掛からないから、本来だったら0-4の班はずーっと0-4なんだけど、この航海では頻繁に時間が変わった。班は5人編成だったかな。左舷見張り、右舷見張り、ログ、アッパーデッキ、それから舵を取る人、要するに船の運転手。夜の見張りがすごい記憶に残ってる。まっ暗い海に灯台の閃光が見える。海図に「この灯台の閃光は1分間に何回、とか、色は何色」とか書いてあるんで、あー、これかなとか思う(それ以前にレーダーを見れば分かるんだけど(笑))。夜の船橋の雰囲気ってなんかちょっと独特だったな。

まぁ灯台を見ながらそんなことを思い出していた。

その8(多分最終回)に続く。
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07-28 Tue , 2015
一人旅してきた その6(足助で春の妖精をみる・その2)
その5の続き。

続きを書くといって、既にこの旅行を終えて4ヶ月くらい経つんだけど。。
この間、なんか、いろいろあって、忘れてしまったことも多いだろうな~。
ま、忘れてしまったことは仕方がない。どーせ、人なんかあまり読みに来ないブログだし(笑)

というわけで、あくまで自己満足でぼちぼち行こうと思います。
きっとこの先は文章よりも画像が多くなると思うけど。
えっと、続きってどこからだっけ?
あー、まだ山の中を歩いてる途中だったね(笑)


前にも書いたけど、YHは山の割と上の方にあって、だから、ずっと下って行ったんだけど、気が付いたらすっかりモヤが晴れてた。

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そのうちにどうやら香嵐渓に近づいたようでね。

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こんな看板があって。ただ、鳥の鳴き声は聞こえなかったような。

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それからいきなり水仙が咲いてました。いい匂いだった~。

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この木、「みつまた」って書いてあったのよ。だから「おお、これがあの有名な和紙の原料のみつまたか!」と思って画像を撮ったんだけど、その後、YHに帰ってペアレントさんに撮った画像を見せたら、この画像を見て「なんで『みつまた』って言うか知ってる?」って聞かれたので、当然のことながら「知りません」って答えたら「みっつの又になってるからだよ」って説明された。分かるかな。枝が「三つ叉」になってるの。

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どうやら、YHから下って行った道は、香嵐渓の後ろだか横だかに出るみたいだったので、正面に回ってみた。てか、歩いて行くとそのまま正面に出た。

実はその前もちらほらカタクリの花が見えてたんだけど、さすがに正面からの方が圧倒的だった。上るルートは本来2箇所にあるんだけど、カタクリのシーズン中は一方通行みたいだった。向かって左側の道を上って、太子堂の横を下ってくるルート(と言っても地図がないから分かんないだろうけど)。この日はシーズン中と言えども、晴れるかどうかビミョーなところだったので人は結構少なかったみたい。

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まぁ、こんな感じで大半は花は閉じてたからねえ。これが全部咲いてたらどんなに壮観な光景かと思ったよ。

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こんな斜面がいくつもいくつもありました。正直、これだけ群生してると有難みがちょっと薄れてくるかも(^^;

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ちなみに題名にした「春の妖精」というのは、カタクリの花って英語で「Spring Ephemeral」と呼ばれてるから。一年中のうち、この季節にしか存在を主張しないんだって、カタクリは。あとはずっと地下に潜っているらしい。YHのペアレントさんがこの花に対してすごい優しい表現をしてたんだけど、あれはなんだったっけな~。あのペアレントさんはカエルでもなんでも「あの子」とか、そういう言葉遣いをする人でした。自然がものすごい好きで、すごく大切にしてる人なんだなって、話してるとそう感じた。

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取り敢えず、数少ない開いてたカタクリの花。写真家の人なのか、写真を撮るのが好きな人なのかは分からなかったけど、すごいでかいレンズのカメラを持ってた人が何人もいて、撮りやすい位置にある咲いてた花はそういう人たちに狙われてました(笑)これが満開だったら本当に写真撮りに来る人たちもすごいだろうな。実際そうらしいけど。。(斜面のあちこちに「立ち止まるな」という看板があったような)

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これがわたしが見つけた唯一、群生して咲いてるように見えたところ。まぁあとは想像で補うとして(笑)

ここまで歩きまわって、時間としてはもう12時過ぎてたんだよね~。なので、これまたペアレントさんに教えてもらったおいしい五平餅のお店で休憩することに。と言っても、3つくらい候補を教えてもらったうちの1つ。実はここ、カタクリの花が咲いてるところから少し距離があって、当初は行く予定ではなかったんだけど、行こうと思ってたお店がどうしても見つからなかったんだよねえ。なので、こちらのお店に。「びっくりや」ってところだったかな?なんせ京都に行ったときに歩きまわってたんで、マメが出来たりして足がボロボロでね。とにかく靴が脱ぎたかった。ここは持ち帰りもできるみたいだったけど、お店の中は畳で靴を脱いで座るようになってた。

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五平餅。味付けはいろいろあるみたいだったが、味噌が一番の人気だったみたいで「味噌でいいですね」って聞かれた。わたしはお店でゆっくりしたけど、車で観光に来てる人は車の中で食べるために持ち帰りにしてもらったり、お土産に十本くらい買って帰る人もいた。五平餅ってなんか長野のイメージがあったんだけど(ただし、長野でも北の方は「おやき」だけど)ここらへんも五平餅がある文化だったのね。知らなかった。

お店でゆっくり休んでから、今度は足助の町並み散策へ。なんか、ここは宿場町というか、塩を詰め替えるための商業地だったみたいなんだけど、今でも人が住んでてお店も細々ながらやってるみたい。洋服屋さんとか和菓子屋さんとか本屋さんとかあった(今はそのくらいしか覚えてないけど、もうちょっとあったような)。そういう今でも「現役」の町並みって少ないんだそうだ。

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確かここはマリリン小径っていうところだったような。「マリリン」ってのは、よく知らないけど、この突き当たりに「マリリン書店」ってのがあるからなんじゃないかな?ちなみにそこでコーヒーを飲みました(書店とギャラリーみたいなのが一緒になってる)。

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どれも同じような角度だな(苦笑)結構行ったり来たりして、いろんな画像を撮ったんだけど、なんせ、町並みが長すぎて。見た感じのようなうまい画像は撮れなかった。建物を見て歩くと微妙に時代とか違うようだった。が、画像見て分かると思うけど、ほとんど観光客はいなかったんだよね~。てか、地元の人を含め、歩いてる人が本当に少なかったよ。香嵐渓にカタクリの花を見に来る人はここまでは足を伸ばさないんかいな。

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ちなみにこんな感じで説明文が割とあったりした。

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なんとなくこういうのが好みだったり。あ~、そういえば裏道を入ったところになんか壮大なカラクリがあったなあ。画像は撮ってこなかったけど、その近辺に住む人が趣味でやってるみたいだった。ってわけで、結構この町並みはすぐに歩き通せるほど狭いところだったんだけど、わたしの方はなんせ、16時だっけか、まではYHには帰っても中に入れてもらえないんでね。同じところを何回も歩いたり、あとはすげー小さな道まで全部歩いたよ!急な細い道を歩いてたら突然墓地に出てびっくりしたりもしたよ!

というわけで、帰途へ。

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帰りはね、もうすっかり晴れてて。半日晴れが早かったらカタクリの花も咲いてただろうなあ~(午前中晴れてないと咲かないそうだ)。

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山の中に入っていくわけだから、こんなのがあったり。

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一応、iPhoneのカメラについてるパノラマモードで撮ってみたんだけど、小さいかな~(クリックしたら大きくなるよ!)。なんか日本の里山の風景ってこんなんだよねって思ったり。

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そして段々日が暮れていく。。

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YHに着きました。何度も言ってるけど、ここは標高450mの地点にあり、山の中腹と言った感じのところなんだよね。

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YHの、というか、ここはもともと小学校が廃校になったところだから、校舎のって言った方がしっくり来るんだけど、これ校舎のどっち側に当たるんだろうな~。入口と反対側なんだけど、崖になってるところから見るとこんな感じ。天気のいい晴れた朝はここから名古屋市内が見えるそうだ。

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YHの前は元校庭なんだけど、その校庭の端っこにこういう記念碑が建ってた。ここは「椿立小学校」という小学校だったらしい。自分が通ってた学校が廃校になってしまうっていうのはだいぶ悲しいことなんじゃないかなあ~って思う。わたしの母校は今のところ廃校になったところはないとは思うけど、高校は高校じゃなくなって中高一貫の中等教育学校になってしまったし(今年の春から。あ、でもそれに伴って高校は「閉校」したんだった)、大学は今もあるけど名称が変わっちゃったので自分の母校という感じがしない。それだけでもかなり悲しいんだから、なくなってしまったとしたら本当に悲しいに違いない。

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というわけで夕食。この日も当然一人だったのにちゃんとメニューの紙が作られてた。本当に親切なYHだ、ここ。で、この日のメニューもおいしかった。お米が本当に美味しい。ので、ご飯は3杯。

普通なら、一人だとこの後も寂しく一人で、ってなるんだろうけど、ここはこの日も21時過ぎまでペアレントさんが話しに付き合ってくれた。これもすごい。今までこんなことは初めてだ。なのでこの日回ったところを撮った画像とともに報告。おまけにその前に行った京都で撮った画像なども見せたりして。ここのYHは本当によかった。今度また、機会があれば泊まりに行ってみたい。そう感じさせるところだった。

その7に続く。。
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07-09 Thu , 2015
久しぶり
いやー、ブログを書くの、すごく久しぶりになってしまった。
春の旅行記を書き終えてないのに、夏にまた旅行に行く計画を立ててしまって、もうどうしよ、みたいな。

体調の方はあんまりよくないんだよねー。まだ息苦しい。

ので、精神科では2013年1月から飲んでたリーマス、一旦、休みになった。
「いろいろ原因探しまくってみつからなかったから、これくらいしかもう心当たりがない」というわけで。ただ、原因じゃなかったらまた再開するらしい。正直、これが息苦しい原因だとは思ってないけど、リーマスも効いてるという感じがあまりしないので、このままなくなって欲しいが、まーそうはいかないんだろうな。事実、リーマスを飲み始めてから病的な気分の落ち込みというのは起こってないわけで、でもわたしとしては、リーマス飲まなくても同じだったんじゃないかと思ったりするのだが、こればっかりは真実は分からないからね。一つだけ、リーマス再開しなくて済む方法は、息苦しさが治って「ああ、リーマスのせいだったんだね、やっぱり」って思わせることなんだけど、リーマス飲まなくなって1週間か、劇的に息苦しさが治ったってことはない。

背中と肩がバリバリに凝ってて、整体に行っても「時間内では調整しきれないので、間隔をあけずに来て欲しい」って言われてる。あ、今はそれでも2週間に1回のペースなんだけどね。ただ、行く頻度を上げると言うことは、それだけお金がかかると言うことで。。なかなか厳しいものがある。

まぁそんなところ。

春の旅行記の更新をぼちぼちやっていきたいと思ってるが、もう忘れてしまった部分も多いかも。
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