06-20 Tue , 2017
1回目のスクーリングが終わりました
6月17日から19日、すなわち昨日まで、初めてのスクーリングだった。

いや、もう、

疲れた~(´Д` )


最初の2日間は「相談援助演習」、3日目が「相談援助実習指導」という科目だったのだが、わたしのような「実習有り組」は3日間ばっちり、「実習免除組」は最初の2日間だけで終わりというシステムになっているらしい。

で、これらはすべて「チーム」で授業を受けることになっているみたいで、1日目行ってみたら、すでに自分がどこのチームに組み込まれているのかの表になってた。1チーム15人~20人くらいだった。うちは18人のチーム。すべての人が「実習有り組」(というか、もともと「実習有り組」と「実習免除組」は同じチームにならないみたい。免除組は3日目がないんだから当たり前か)。

演習は先生の自己紹介とか名前程度の各自の自己紹介があったあと、いきなり2人組になって自己紹介から始まり、4人組になって今度は他者紹介をするとか、わたし、初対面の人めっちゃ苦手なんで、きつかった~!しかもその後、グループを作って各自の意見を言い合い、それを発表する、の繰り返しで、静かに先生が講義をするのを聞いてる「座学」よりもめちゃくちゃ頭を使ったし、短い時間の中でいろいろ考えなきゃいけないし、自分の意見も言わなきゃいけないで、すんごく疲れた(´Д` )

しかも!3日目に実習先の下調べを提出せねばならず、わたし2日目が終わるまでそれが手つかずだったのね(資料は集めてあったし、ある程度下書きはできてたけど)。なので2日目は演習で疲れてるにも関わらず、夕食を食べた後23時過ぎまでそれを書いてて。しんどかった~。久しぶりに疲れで眠くて頭がクラクラしてきた。まぁ頭痛にならないことだけは気をつけたけど、ある程度身体って「次の日もある」と思うと本格的な頭痛にはならないようだ。3日間で頭痛の予兆は何回かあり、頭痛薬は2錠くらい消費したけど、幸い本格的な頭痛にならなかった。

演習の内容はチームごとに違うらしく、別の先生のチームは別のことをやっているらしい。うちは最初の方はKJ法とかやった。KJ法は割とあちこちでやってるのを聞いたことがあるんだけど、わたし自身やるのは初めてだった。ただなんにしろ、時間が圧倒的に足らない感じがして、本当だったらもうちょっといろいろ考えて言葉を分析して分類したかったんだけど、そういう時間がなく、なんかとても中途半端に分類してしまった。他の課題ものんびり考えている時間はなく、思い付いたことをパッパと書き出すくらいしかできなくて、反射神経がないととてもきつい。なんせ自分の意見や感想を事あるごとに言わねばならないのだ。そしてそれを発表させられる(もちろんグループという単位なのだが)。なので、反応できなければ自分の考えも言えず、結局ずっと黙ったまま、だけど、1グループが4~5人だとそういうわけにもいかない。これはかなりきつかった。今、この年齢だからまだやれてる部分はあって、同じことを学生時代にやったら、わたしは何も言うことができず、さりとて発言せねば周囲から発言を促されることになり、とても苦痛な時間だったと思う。あ、あと、うつ病の影響も今はほとんどないので、それでできるということもあるか。数年前のうつ病がひどくて苦しんでいた頃は、こんなことは絶対にできなかったと思う。

3日目の「相談援助実習」は、まずは大きな広い講義室で「実習有り組」の人たちが全員集まって実習の概要を聞いたのと、あと実習中に「巡回指導教員」って人が1週間に1度、実習先に来るそうなのだが、その先生たちとの顔合わせをした。それぞれ教員が前に出て一言自己紹介をしたのだが、それがとても心に残った。何人かの教員は「この実習で自分の人生が変わった」って言ってた。自分の実習はつらかったと言われる教員もいた。それを聞くとなんだかこちらもとても不安になるが、しかし実習を乗り越えると自信に満ちた顔つきになるという。まー、それは分からないでもないけどね。。

うちの大学(高校卒業したあとに入った大学ね)は、1年生の夏に「臨海実習」という、ものすごーいきつい実習が必修であった。海で遠泳をさせられるんだけど、実習始まる前に泳げない学生が、一週間して実習が終わる頃には1キロ泳げるようになっているという、とてもスパルタな実習だった。学校では「この実習を乗り越えなければ水大生じゃない、それまではただのお客さん」とよく言われたものだ。なんかつい、そのことを思い出してしまった。。

確かに乗り越えた今は「あの実習、いい経験だったな」と思うけど、やらされる身にとっては戦々恐々としかしない。実習やってる最中は死にものぐるい。まー何事もそんなもんだよね。しかも、今度の実習は1ヶ月。かなり長期戦だ。それに相談援助実習なんだから、最初に「人ありき」で、自分自身が頑張ればなんとかクリアできる体力的な実習とはかなり違う。

しかも入念な事前準備が必要で、これから実習計画書(案)を作らなければならない。

そのための昨日の授業だったのだが、なんか実習前にやること目白押し。これに日々のレポートが根底に流れている。きつい。とてもきつい。社会福祉士の受験資格を得るだけなのに、こんなにきついことやるの?って感じだ。確かに実習免除はそれと比べると楽は楽。スクーリング終われば日々のレポートのみだろうから。だが、「実習有り組」は普段自分が行ったことがないような、自分が関わったことのないような施設に行くわけで、そことの繋がりができる。また、昨日の教員の話を聞くと、先生方もこの実習にはかなり意欲的に取り組まれている感じがして、学生も頑張らなければ、という気にさせられる。そして今までの経験上、実習を乗り越えたあかつきには、やっぱり今までの自分とは何か違った自分になるような気がしている。

そう考えると、戦々恐々としている自分がいることも事実だが、少し楽しみにしている自分もいる。

そしてチームという存在。これがあるから脱落者が少ないだろうな。。社事大の社会福祉士一般養成課程の修習率は87.3%だそうだ(H26年度)。そして入学してくる人のうち、6割は実習免除組で、4割が実習有り組で、この比率は毎年ほとんど変わらないと言われた。修習率の内訳はどうなっているかは発表されていないので分からないが、一般的に実習免除組よりも実習有り組の方が修習率は低いだろうと考えられる。が、それでもかなりの修習率だ。もし仮に実習免除組の修習率が100%だったと仮定しても、実習有り組の修習率は約68%になる。実習有り組の人でも約7割の人は社会福祉士の受験資格が得られるのだ。

数年前に所属してた中央大学の通信課程は修習率は知らないけどかなり低いと聞いた。社事大通信の修習率が高いのは、ひとえに「チーム」という「人の力」なんだろうと思う。もちろん個々人では「社会福祉士の資格を取る」という目標があるのだが、それに向かって一人で頑張るのとそうでないのは大きく違う。

まーわたしもここまで「チームごと」に分かれてるとは思わなかったけどね。。

で、正直なところ、わたしはそういうのはあんまり好きじゃない。どこかに「所属する」とか、そこに「力が働いて」それが個人に影響する、とか。特に多数で一方の方向にのみ向くという状態は、わたしはとても違和感を覚えるし、危機感も覚える。なぜかというとその状態は「異論を言いにくくなる」雰囲気が醸し出され、誰か異論を持つ人を「排除する」方向に行きやすいからだ。チームの中で多様性を失わせないということは案外難しい。それはチームのみならず、何かの集団でも同じことだ。

また、わたしは「前向き」とか「ポジティブ」いうのが非常に苦手だ。苦手というか大嫌いだ。得てして一つの目標に向かって進んでいる人たちの集団は「前向き」「ポジティブ」がよしとされ、「後ろ向き」「ネガティブ」はあってはならないこと、とされる。が、ポジティブについてもわたしは危険性を感じている。ポジティブというのは「細かいことは気にしない。それよりも前を向いて進め」というもので、その「細かいこと」の中に実は重要な点が含まれているかも知れない。考えて嫌なことは「見ずに進め」「目を潰れ」というのだ。「ネガティブは何も生み出さない」という人もいる。が、ネガティブはわたしに言わせれば「考えるきっかけ」となる。その不安感を解消するにはどうすればいいのか。「もしもこうなったらどうしよう」ということは、一方で「危機管理」に繋がる。ことが起こって「想定外でした~。でも前を向いて生きなきゃね」ですませたら、また繰り返し同じことが起きる。わたしに言わせると「ポジティブ」という言葉が好きな人は「厳しい現実を直視したくない人、それに逃げている人」だ。一方、厳しい現実に立ち向かい考えることは非常に過酷でつらいものだが、「想定外」だったものは「想定内」になる。同じことは繰り返さない。細かいことに気が付いて、そこから逃げない。その不安が起きないためには将来どうすればいいのかを真剣に考える。「ネガティブ」もこう考えれば、否定するものではないと分かるだろう。「ポジティブ」もあってはいいが「ネガティブ」もあってもいい。だけど現実では「ネガティブ」なものに拒否反応を示す人は非常に多い。すると「ネガティブ」な人の居場所がなくなる。チームという「縛り」はそれをより鮮明にさせてしまう恐れがある。

だが、社会福祉士っていうのは、根っこのところで「チーム」でやらなきゃならないわけだよね、職業として。いろいろな人たちの繋がりを作ったり、チームとして誰かに関わっていくのが社会福祉士だ(もちろんそうじゃないこともあるだろうけどね)。まぁだからこの「チーム別に分けた」というのは一つの「事前訓練」でもあるんだろうか(単なる演習の都合上、ってところの方が大きいだろうけど)。

あとそれから、演習をやりながら何回か「もしかしたら、わたしは社会福祉士に向いてないかも?」って思う場面があった。まだまだちょっと言語化はできないんだけど。

2回目のスクーリングは9月に入ってから。それまでは日々の教科書読んでレポート書きと実習先のことをもっと調べて実習計画書(案)作り。

ひたすらやります。ただそれ以外にも行政書士の勉強会のためのレジュメ作りなんかもあって大変~(´Д` )
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06-15 Thu , 2017
ハードな6月下旬
昨日、予定通り「高齢者に対する支援と介護保険制度」のレポートを書いて提出した。

予定通り、といいつつ、本当の予定はもっと早く書き終える予定だったので、あんまり予定通りとは言えないんだけど。今回は資料を集めてまとめるのに時間がかかってしまった。

本来なら今日、5本目のレポート締め切り予定だったのに、まだ教科書すら読んでない(昨日出したレポートは4本目)。次は「障害者に対する支援と障害者自立支援制度」なんだけど、まだ5ページも読んでおらず、250ページ丸まま残っていると言っても間違いじゃない。わー。困ったペースになってる。が、今週末は第1回目のスクーリング!その前に実習先の事前学習をしておかないと!ってことで、それが終わらないと本格的に教科書に手が付けられないよ-。

前々から分かってたことだけど、6月下旬は結構ハードなのだ。学校のことだけじゃなく、いくつか別の件でやらねばならないことがあって、それもまだまったく手を付けていない。正直、行政書士の試験勉強をしてた方が楽だった(受験期直前を除く)。去年の今ごろはまだまだ余裕があったし、基本、試験勉強って家から出ないでできるので、頭使うだけで体力がそんなにいるわけじゃない。今年は締め切り日がちゃんと決まってるし、外に出て行かなきゃならないし、頭も身体も使わなきゃならないので結構きつい。なんか最近はしょっちゅう風邪引きそうになりながら、ギリギリでふんばってる感じがする。

まぁでもこのハードな6月下旬を乗り切れば、7月はレポートだけに集中できる(予定)。

今朝、ついに共謀罪が通ってしまった。今回は忙しくてほとんど何にも参加できなかった。忙しいと忙しいのにかまけて、ついついそれを言い訳にしてしまうんだなあと思った。尤も今回は他のことをする体力が皆無だったのは事実だが、これが自分の将来にどう影響してくるんだろうと思うと怖い。社会福祉士の理念は日本国憲法ができたことが非常に大きいなあと教科書を読んでいて思うのだが、将来的に立憲主義や国民主権でなくなると、社会福祉士の理念とかは一体どうなるんだろう?と教科書を読むたびにそう思う。
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06-10 Sat , 2017
実習先が決まりました
実習先が決定するのは5月31日頃、という通知が学校から事前にされてたんだけど、実際のところは5月31日には知らせは来ず、6月1日も知らせは来ず、来たのは2日だった。

わたしの周囲には社会福祉士の資格を取るために実習に行った人が何人かいて、その人たちはわたしの所属してる社事大ではなかったんだけど、「実習先は自分で選んで自分で交渉して決めた」って言っている。しかし、社事大は学校が本人の意志に関わりなく実習先を決めちゃうのね。だから、通知が来ないと自分はどこの施設に実習に行くか、全然分からない。願書提出前に一番注意することとして「実習が必要な人は、必ず事前に実習期間の1ヶ月、休みが取れるか職場に許可をもらった上で願書を提出すること」と出願資料に書かれている。まー資格取得に関連が全くない福祉系以外の普通の職場だったら、1ヶ月も連続して休めないので、ここが一番ネックになるもんね。実際、職場の許可を受けないで入学し、やっぱり1ヶ月は休めないので断念って人がいるのだと事前説明会のときに説明されたりした。

そして、社事大の場合、実習先に加え、実習の日程も学校にお任せになる。こちらに事前に伝えられているのは「2017年9月から2018年3月までの間のどこか連続した1ヶ月間実習がある。実習期間は後日分かる」ということだけなので、そういうあやふやなもので職場にOKをもらわなければならない。これ、上記に加え、かなりハードル高いんじゃないだろうか。幸い、わたしは雇う人の理解があって、そういう説明で大丈夫だったけど、繁忙期などがある職場だとその時期にもし1ヶ月間まるまるお休みしなきゃならないかもって考えると、その危険性だけで断念せざるを得ない人もいるだろう。こういう人は社事大のようなシステムはちょっと厳しいかも知れない。自動的に学校と施設が話し合って決めてくれるのは、一方では楽ではあるんだけど。

あ、ただし、実習が必要な人は出願時に「実習生個人票」「調査票」というのを出さなくてはならなくて、そこに社会福祉士を目指した動機だの社会福祉分野の中でどういう分野に興味があるかだの、自分の長所だの短所だの、いろいろ書かされたけどね。そこに書いてあることでおそらく学校側はどこの施設で実習させるか、ある程度参考にするんじゃないかな。でもこれは、自分で実習先を決めた人も同じようなことを書いて提出したと言っていたので、社事大だけ提出させるのではないらしい。逆に自分で実習先を決められる学校に通う人たちがなぜそういうことを書いて出さなきゃならないのか謎だ。学校が実習先を決めてくれるわけじゃないのに。

というわけで、

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6月2日に実習に関するものが届きました。ここには写ってないけど、実習マニュアルなどとともに。実習配属確認書を見ると、どうやら配属先は社協みたい。実習期間は10月中旬から。しかも、事前学習課題を6月19日のスクーリングの時までに書いて提出しろ、と書いてある。

ええー!?

んなこと初めて聞いたけど!!だいたい、日々のレポートに追われてるのに、それに加えてこれですか!だいたい社協の存在なんか、今までわたしは意識したことがなかったし、今でも社協が一体何をしている組織なのかさっぱり分からない。だからこその事前学習ってのは分かるけど、締め切りが今月19日って急すぎる。。

入学する前は2週間に1度、教科書読んで卒業までに計32本のレポートを書かなきゃ、くらいにしか思ってなかったんだけど、そのレポートも4期にきっちり分かれ、4ヶ月に8本必ず出さなければならないというノルマがあり、それに加えてスクーリングは遅刻も許されないだの(別の学校のウェブサイト見たら、細かく何分までは大丈夫など書いてあったんだけど)、スクーリングまでに実習先に関して事前学習をするだの、思ったより随分キツイ感じ。

今のところ、レポートは3本提出しているが、本来の予定では今の時期は5本目のレポートに取りかかっていなければならないのに、まだこれから4本目のレポートについて資料集めをする段階。「高齢者に対する支援と介護保険制度」って教科書が450ページと分厚く、しかも介護保険制度がめっちゃ分かりにくいのですごく読みづらく、読むのに時間がかかってしまったからなんだけど、今月は3本レポート書いて追い付こうって思ってたのにな。。

社会福祉士の受験資格を得るためだけでも大変なんだなーって今、感じてます。
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04-21 Fri , 2017
初めてのレポート提出
4月になって急にバタバタと忙しくなった。1週間があっという間に過ぎる。
まぁ週2日は仕事だし、それ以外の日は教科書を読んだりレポート作成のために資料集めをしたりレポート書いたりしてるんだから仕方がない。

というわけで、1本目のレポートを出し終えた。14日に1本のペースで書かないとまずいのだが、やはり最初のレポートは要領を得ないのか、予定より1週間遅れになってしまった(汗)ただ、14日までに教科書は読み終えていて、それ以降は2冊目の教科書を読んでいる。

教科書1冊読むのは結構しんどいものなのかと思ってたら、思ってたよりは楽だった。まだ試験を受けるとかそういうわけではないので、一応サラッと読み流す感じ。1冊目は「人体の構造と機能及び疾病」。今は「相談援助の基礎と専門職」。1冊目は相談業務とは直接関わり合いがない(ただし、医療関係者とチームを組んだときに必要な知識だが)分野だったので、あんまり実感が湧かなかったが、2冊目からはモロ専門分野なので、なんかちょっと楽しい。が、まだまだ慣れてない分野なのでちょっと読みづらい。まだ全体の1/3行ってない。

レポート課題は最大1200文字にするのが大変だった。なんせ原稿用紙3枚なので、短すぎる(笑)中央大学通信の時のレポートって何文字までだっけ、、2000文字くらいはあったんじゃないかな?でもあのときは何を理解して何を書いたのかさっぱり覚えてない。。やっぱりだいぶ病気だったんだろうな~って思う。病気なのに無理しちゃってたんだな。その間ちゃんと休めてたらもうちょっと早く復帰できてたかも知れないな~とは思うけど。まぁでもそれだったら今の事務所では絶対に働けてなかったからタイミングとしてはよかったのだが。あ、話が逸れた(^^;

それでもレポートを書くこと自体は数時間で終わった。下調べの方が時間がかかった。下調べをしながらレポートの構成を考えてってやってたら、数日かかった。参考文献何読もうとか、調べてる途中で疑問が生じてきて1回質問もしたし。でもそれ以前に「どうやってレポート書こうか」って思う方が長かったかもね。

今回の課題は法律関係が絡んでたのでちょっと楽しかった。あとはネットである程度調べられるので楽は楽かな。本当はちゃんと本を読みたいんだけど、「これが読みたい」と思って近くの図書館検索掛けてもないんだよね。都立図書館の検索を掛けてもなくて、結局大学の図書館しか置いてない。だけど、それを借りに清瀬までって時間もないしなぁ~って思って、結局は全部ネットで調べてしまった。ネットは便利な反面、何が信頼おける情報なのかを判断するのは難しいけど、まぁ今回はほとんどお役所のウェブサイトだったので大丈夫だろう。

2本目のレポート締め切り予定日は28日か。あと1週間後。なので逆算して週明けくらいまでには教科書読み終えたいな。読み終えたら前倒しで3冊目の教科書に入っちゃお。4冊目に読むつもりの「高齢者に対する支援と介護保険制度」の教科書がちょっと分厚いから余裕を持たせておきたい。
19:19 | 通信教育課程の大学生活 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
04-07 Fri , 2017
初出勤!
働くこと自体は何年ぶりか。バイトなら2012年以来か。
ただ、あの頃やっていたバイトは期限が付いてたり、将来的にずっと続けようと思ってやってたものではないので、気分的には全然違う。どちらかというと、正社員で勤め始めたときの気持ちと似ている。

やっとやっと社会復帰できた感じ。約20年前に正社員として入社したときも、うつ病からの復帰だった。わたしは学生時代に初めてのうつ病になって、学業が続けられなくなり、学校を辞める口実が欲しくて就職した(おそらくこれ読んだ人のほとんどが「それってどーよ?」と思うと思うが)。初めてのうつ病の時は、正直、いつ病院に行ったのか、いつ治ったのかということの記憶が全くない。26歳から28歳くらいだったように思うが、つらい思い出は記憶から消し去られるのか、うつ病でつらかったときの記憶はない(ただ感覚のみ残っている)。徐々に調子を崩していったのは22歳からだった。このきっかけはよく覚えてるので、忘れていない。

さて、初仕事。
業務内容は言わないけど、なかなか面白かった。
あっという間に時間が過ぎた。
これから覚えることももちろんたくさんあるし、自分で勉強してね、と言われたこともあったが、
前職と似たような部分もあり、やはりこの分野は自分に合ってるなあとは思った。

今のところは週2だし、このペースだったら徐々に社会復帰していけると思う。
問題は、社会福祉士の勉強をしながらってところで、これは今のうちにペースを作っておかないとあとでひどいことになりそうなので、今は極力仕事と勉強のみに集中することにする。

今、社会情勢など非常に気になることは多いのだけど。。
ただ自分でできることはしてるつもり。
21:29 | 仕事・バイトのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
04-06 Thu , 2017
ドサッと来た!
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教科書が来ましたよ、こんなに(´Д` )

7月31日までに8本レポート書かなきゃいけません。2週間に1本のペース。
あ、この教科書の山の1/4ほどだけどね、今回読まなきゃならないのは。

しかも、教科書を読んだあと、レポート課題のために数冊参考図書を読まないといけないそうな。まー律儀に教科書を読まなきゃならないのかとかいろいろあるみたいだけど、どうなるんだろう。しかし、1冊1冊が国家試験の1科目1科目に当たるらしいので、全部読まなきゃいけませんよ!みたいなことが「学習のマニュアル」に書いてあった(´Д` )

4月になり本格的に新しい生活に突入。
22:03 | 通信教育課程の大学生活 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-31 Fri , 2017
日商簿記検定試験3級の結果
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いつ結果が来るかなんて、すっかり忘れてたこの試験(^^;

予想通り不合格。でもあと7点だったんだね。それは意外だった(100点満点中70点以上で合格)。

てか、今回はすごく易しかったらしい。まーそれはわたしも思った!落ちておきながらなんなんですけど(^^;問題は、%の率を全部間違えてそのまま掛けてしまっただけで、これができたら合格してたってことだよね~。まぁ、普段はやったことがないことを試験ではやっちゃうって、本当にあるんだね~って思った。そういう意味ではいい経験だった。

今は6月に2級を受けるためにバリバリ勉強してる、、といいたいところなんだけど、ちっともできてない。
なんかね~、年3回受けられるのかぁなんて思ったら。次でいいかなあ~とか思わないでもない。が、2級は6月の試験と11月の試験って試験範囲が違うみたいなんだよね~。本来6月から変わる予定だったのが、11月に先延ばしされたらしい。でもまぁ実務では非常に重要な知識らしいんで、6月受験する人も将来的にはやっておいてねって分野らしいけど。

取り敢えず、4月から頑張ります(^^;
って4月ってもう明日だけど。
16:37 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-21 Tue , 2017
仕事が決まった!
前に書いたこれだが、先週は連絡が来なくて。これはもうダメだ~、落ちた~(´Д` )って思ってた。

ところが昨日の夜に突然電話がかかってきて「うちの条件に合いますから来て下さい」と言われ。ええー!あの条件が合ったのかヽ(;▽;)ノってびっくりした。

わたしはこの4月から資格取得の勉強をするから、週3回程度でお願いしますって書いた。他の人は最初からガッツリ働きたいとか、あと給与面で合わなかった人などがいたって聞いた。わたしは給料のことより、実習期間の1ヶ月間、休ませて欲しいって方が重要だったので。。給料のことは何一つ触れなかったというか、そこまで考えが及ばなかった。

しかし、自分では悪条件だと思ってたので本当にびっくり。取り敢えずは週2回からって言われた。それもこちらには好都合。いきなり週3で働けるかなとちょっと不安だったので。というわけで、3月末か4月からになるかどうかはまだはっきりしてないんだけど、

行政書士事務所で働きます!

分野もわたしがこれからやりたいって方向だし、わたしの方としては本当に願ったり叶ったりのところで。そして、もし社会福祉士の資格が取れたら、今度は行政書士としても登録して、その会社で働きたいという希望を持っている。行政書士は基本は独立開業の資格だけど、なんかわたしには独立して会社を経営するってことが、今はまだ全然よく分からないし、あまり会社経営とかには向いていない性格のような気がする。

それになにより、これから働きながら学べるってことがわたしにとってはものすごく大きいし、それだからとても嬉しい。毎月少しでもお金が入ってくる嬉しさ。前の仕事辞めて12年くらい経ってブランクはあるけど、やっぱり資格を取るってことはこういうことなのかとつくづく思ったりもする。ブランクも気にされなかったし、年齢も性別も関係がないみたいだった。

やっとやっと掴んだ第二の道。
もう頑張りはしない。ゆるゆるやっていく。
4回目のうつ病になるのはもうごめんだもん。
12:45 | 仕事・バイトのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-13 Mon , 2017
日本社会事業大学通信教育科合格
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日本社会事業大学通信教育科社会福祉士一般養成課程に合格した!\(^0^)/
合格通知発送日が11日だったんだけど、間に日曜日を挟んでたので、今日やっと通知が届いた!!\(^0^)/
「通信だから落ちないよ」とは聞いてたものの、やっぱり合格通知が来るまでは不安だった。

これから2年間、実習を含めて国家試験目指して頑張る。
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02-27 Mon , 2017
簿記3級落ちた~(´Д` )
昨日は簿記3級の試験だった。

最近のわたしはなぜか超忙しく、特に2月の中旬以降、一日中家にいた日って20日と21日、24日しかなくて。それ以外の日は全部外で用事があり、時に夜遅くなったり。通信の講義を聴き終わったのが確か21日だったか。で、23日に本屋に予想問題集みたいなのを買いに行き、24日に初めて予想問題を解きながら「簿記の試験ってこういう問題が出るんだ」と知ったという、まぁ非常に舐めた態度で試験に臨んだのでした。。

試験では一応、全部埋められて、数字も左右合ってたは合ってたんだけど、解答速報と数字が違う(´Д` )
てか、利子などのパーセントで計算する問題をすべてそのままの数字を掛けてしまうという「アンタは本当に小学校を卒業したのか!!!」と言われてしまうほどの馬鹿なミスを連発して、数字が全部一桁多かったのだった(要するに、0.15%をそのまま0.15掛けて出してしまった。0.15%なら、0.015を掛けなければならないのに)。こんなミスは普段の勉強でもやったことがなく、今思うと本当に「え???なんで???」って感じなのだが、まぁ、そういうことも起こりうるんだなあと。

帰って彼女に「パーセントをそのまま掛けちゃった」と言ったら「なんで電卓の%のところを押さないんだ」って言われたけど、そういう初歩的な電卓の使い方はよく分からないのだ。。いや、使ったことはあるんだが定着しないというか。メモリ機能なども覚えるには覚えたんだけど、結局使いこなせないままで忘れてしまった。使えると楽なんだろうけど、使えなくても不便ではあるが一応なんの問題もなく計算はできるのでね。

しかし、事前にほとんど勉強できなかったとはいえ、やっぱ試験に落ちるとショックだ。

まぁでも簿記って結局自分で手を動かして仕訳をして、自分で手を動かして計算機のボタンを押して、自分で手を動かして表の中の数字を埋めなければダメなんだってことがよく分かった。

もう一度3級の試験から受け直すのは嫌なんで、6月までに2級の勉強をして2級に合格したいと思います。
ただ、簿記はつくづく自分には合ってないなあと思う。行政書士の講義を聞いているときはまったく眠くならなくて、逆に法律すごく面白い!って思ったのに、簿記の講義は眠くならなかったことがなく。正直、すげーつまんないー、自分に向いてないー(´Д` )と思いつつやってる。だけどこれからの2級の勉強は独学でやるつもり。簿記にはこれ以上掛けられるお金もなく。本を買ってコツコツやりたいと思ってます。今後の問題点は興味ない簿記の勉強を独学でどこまでできるかだな~(´Д` )。

まぁでも将来的に企業の財政状況などが分かった方が仕事をしていく上で幅を広げることになるだろうと思うので、取り敢えず2級までは頑張ることにする。
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02-06 Mon , 2017
願書提出
今日、2月6日に大学の願書を提出した。

日本社会事業大学通信教育科社会福祉士養成課程。

願書と共に小論文を提出しなくてはならず、12月に願書を取り寄せたときから出された課題についてあれこれ考え、一旦考え付いたことをWordで下書きしてだいぶ寝かせて、再びあれこれ考え、ってことを何回か繰り返して数日前にやっと書き終えた。よく分かんない。あれでいいのかなあって感じ。というか、もしかしたら課題に対する答えになっているかどうかすら怪しい。

でもそれで合格不合格が決まっちゃうからなあ~。

合格発表は3月11日らしい。

ということで、こないだやっと行政書士試験の発表があったばかりというのにまた待ちの体制かー(´Д` )

あと1ヶ月以上あるよ(´Д` )
落ちたらどうしよ。
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02-01 Wed , 2017
行政書士試験の結果
昨日は行政書士試験の合否発表の日だった。
ネットで見たが、結果は合格。

そして今日、合否通知書が来て、あの試験で何点取れたのかが分かった。

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というわけで、246点取れてた。あの記述で50点もらえるとはね。多分民法1問目は満点で20点もらえたとは思っていたが、行政法1問目はA市長なのにA市と書いてしまい(ここ、最初はA市長って書いてたんだけど思い直して「長」を消して書き直し。。わたしのバカバカ)おそらく5点くらい減点で15点。とすると、あの民法2問目も15点もらえたのか??てか、あの答えでたったの5点しか減点されなかったのか??予備校の解答と全体的に主旨は同じようなものだったが、まったく法律用語を使って解答できなかったのに(あ、慰謝料は書けたか)。
【追記】あ、行政書士試験で奇数の点数は有り得なかったですね。とすると、どちらかが16点でどちらかが14点だったのかな~。(2017.2.2)

今年の行政書士試験は択一式が割と難しめだったので、記述式の点数が甘かったらしいとのもっぱらの噂だが、確かにそんな感じもする。

あと合否発表の直前まで気になって気になって仕方がなかったマークミスだが、どうやらマークミスもしていなかったようだ。よかった。

結果的には思ってもみない高得点で合格できたが、まぁ試験の点数と実際の実務の能力とはまた別の話だからね。それに行政書士の実務はなんといっても人見知りしない方が圧倒的に有利で、人見知りしてしまうわたしはどうもそこら辺は不利っぽい。まぁそれは持って生まれた性格だから仕方がない。人見知りの中でも我慢してやるしかない。

これで目標は1つクリアできたので、次の目標に進みます。

前からブログにも書いてるけど、当初からもう一つ資格を取ろうと思ってたので、そちらの方に向かうことにする。次の目標は社会福祉士。これはわたしのような今まで福祉とはまったく関係のない仕事をしてきた人間にとっては、国家試験が受けられるような福祉系の大学や専門学校に行って、その中で勉強し、そして約1ヶ月間の実習をした上でなければ国家試験が受けられない。

わたしは今、日本社会事業大学の通信課程に通うことを考えている(多分学費が一番安い)。その願書受付が2月6日からだったかな。一応入学選考があるらしく、小論文を書かなければならない。あとそれからなんか雑多ないろいろなことも書かなくてはならず、あと6日で出せるかな。まぁ受付開始と同時に出さなくてもいいんだけど。

簿記3級の試験勉強もあと少し。

なんかすっかり資格ホルダーっぽくなってるなあ(^^;
いやいや、実務に必要だと思ってるから取ろうとしてるだけなんだけどね。
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01-27 Fri , 2017
簿記の試験を目指す
行政書士試験が終わったあと、試験発表までどうやって過ごそうかなと考えていたところ、わたしは今のところ特に司法書士を目指すわけじゃなく(行政書士受かったら司法書士受けるって人結構いるみたい)、できればこの資格でなんとかやっていきたいと思ってるので、そうなったらお金の管理をするために簿記でも分かるようになっておいた方がいいかな~と思い、簿記の試験を受けることにした。

「どうせなら一気に簿記2級を目指しちゃえ!」と思って、それ用の講座を取ったのだが、教材が届いて「さてやるか」ってやり始めたところで大風邪引いてしまい、そもそもぎっちりなスケジュールのはずだったのに1ヶ月、まるまま勉強できなくなってしまったので、仕方がなく3級を目指している。あ、試験日は2月26日。

簿記の資格を取ろうとしたことが、行政書士試験を目指すずっと前に2度ほどあったが、すべて失敗している。どちらも独学で取ろうと思って勉強したりしたんだけど、簡単なんだかよく分からないんだかがよく分からず、結局途中で挫折してしまった。わたしはどうも独学は向いてないようだ。なので今回も予備校の通信講座を取っている。

1月も中旬くらいからやり始めたんだけど、イマイチ乗り切れなくてゴニョゴニョしてたらあっという間にあと1ヶ月後に試験が迫ってきた。というわけで、つい数日前から本気で勉強している。でもまだ半分くらいしか講座は聴けてないんだけど。できれば2級の分もできるだけやっておいて、次の試験(6月)には2級を受けたいなあと思ってるけど、それはやってみないとよく分からない。4月から他の勉強もしなくてはいけないし(これはあくまでも予定)、それ以外のこともやらなければならないので、簿記の勉強の時間が取れるかどうかよく分からないので。

3級の勉強も半分くらい進んできたんだけど、簿記って全然手応えがないのね。法律と違って面白いとかそういうのも全然なく。わたしは多分、こういう分野は向いてない。

ただ1年間、試験勉強を続けていたら、結構「勉強グセ」が付いているなあと感じる。1ヶ月丸まま休んでても特に勉強を始めるに当たって抵抗感はなかったし、勉強のリズムをつかめばそれこそ1日中だって勉強できるようだ。今は午前中に講義を聞いて、午後から復習をやる感じ。それで1日1つずつ講座を進めている。

うつになると、やる気が出ないのが当たり前になって、「やる気ってどうやったら出るんだろう?」ってずっとずっと考えてたけど、今は「やる気って別に出すものでもないんだなあ」って思う。何か行動を起こすまでに決断力も要しないし、どっかから飛び降りるような気持ちで行動するようなこともない。結局そんなことを思っているうちはまだ病気が治ってないので無理するなってことじゃないだろうか。

ただ「何もしていない自分は怠けている」と思ってしまうクセはまだ抜け切れていなくて、12月丸まま1ヶ月なにもできなかったことに対して「本当になにもできなくてよかったのか」と思い始めている自分がいる。風邪のつらさとか、頭が痛かったのでずっと眠りこけてたとか、吐いて吐いて苦しかったことが自分の中からすべて忘れ去られているらしい。なのでしょっちゅう彼女に「わたしは本当に12月は何も勉強できなかった状態だったよね?」と聞いて確認を取っている。まだまだ「何かできる状態だったのに何もしなかったのではないか」と自分を責める病気のクセは抜けきっていないようだ。
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01-26 Thu , 2017
あと5日
2016年度行政書士試験の合否発表日まであと5日。

なんか2週間前くらいから急にドキドキし始めててやな気分。

マークミスさえしてなければ合格確実ってのは分かってて、それは例えば「記述式○○点以上じゃないと合格できない」っていう人に比べたら、格段に安心できる状況なんだってことはもちろんよく分かってるし、今のわたしの状況でドキドキするって言ったら「とても贅沢な悩みだ」と言われるかも知れないのもよく分かってる。

でも、「もし一つずつずらしてマークしてたら」と思うと本当に死にそうな気分になる。

わたし自身の悩みって、人から理解されにくい悩みが多い。「それでもわたしが悩んでる今の気持ちは確実にあるんだけどなあ」っていつも思う。ギリギリのところまで頑張ってるのも事実だし、頑張りすぎて身体を壊したこともあるのも事実なのに、いつも軽く飛び越えているように思われてて困惑する。

少し前になるにわって団体がやってる「生きづらさからの当事者研究会(通称づら研)」が出してる冊子を読んだ。そこに「名前のない生きづらさ」について誰かが書いてた。その人も「こんなつまらないことで悩んでるなんて人には理解されないだろうから言いにくい」って書いてた。わたしは「わたしと同じことを感じてる人がいる」って思った。

別にわたしは誰かから自分の悩みについて「それはつらかったね」とか「分かるよ」って言ってもらいたいわけじゃない。ただ「あ、そういう悩みもあるんだね」くらいに受け止めて欲しいとは思う。
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01-24 Tue , 2017
九九が言えなくなっている
つい最近と言えるような最近ではないけど、多分、今年に入ってからのことだったような気がする。

新聞読んでたら「1から120まで順番に数える時間が30秒以内なら脳年齢が20代、35秒以内だったら30代、40秒以内だったら40代、45秒以内だったら50代」みたいなことが書かれてた。うーん、あんまりはっきり覚えてないので「以内」だったか「前後」だったか「台」だったかは忘れた。とにかく数字を数えるだけで脳年齢が分かると言うことだった。まぁその脳年齢とは何かってのはよく分からなかったけど。一種の老化現象のことなんだろうか?

やってみた。

でも、実際数えてみて、わたしは普通物を高速で数えるときは「十」を言ってないことに気が付いた。例えば31、32、33ならば「さんいち、さんに、さんさん」みたいに、いちいち「さんじゅういち、さんじゅうに、さんじゅうさん」って言ってないのね。数えてみながら「これって『じゅう』という言葉は抜かしていいのかな?もしかしてダメなのかな?」って言いながら考えてたら気が散って、120まで数え終わったときは40秒過ぎてしまってた。しかしそのほとんどを「十」飛ばしで言ったので、もしすべて「十」込みで言ったとしたら、軽く1分は超えてしまうような気がする。

しかし、いくら若くても「十」を入れて言ったとしたら、1から120まで30秒以内で言えなくない??脳年齢というのが何を指しているのか分からないけど、十を入れて言うとしたら、頭の回転と言うよりは早口言葉ができるかできないか、になってしまわないか?もちろん、舌を動かしているのも脳の一部なので、舌がうまく動かせることが頭の回転のよさに繋がり、それがすなわち脳年齢なのですと言われると、そうなのかなあという感じもしないが。

ちなみに2回目は十を飛ばして言おうと思って、いつもわたしが数字を高速で数えるように言ったら、30秒だった。どっちなんだろう?

そう考えているうちに「そういえばわたしは九九をどのくらいの速さで言えるんだろう?」とふと思った。九九は小学2年生で習った覚えがあるので、今から40年以上前?習った時分は「ににんがし」から「くくはちじゅういち」まで一気に高速で言う練習をしたもんだ。

と思って言おうとしたら、、見事に言えなくなっている!!口が回らない!!というか、考えながら言ってる!!

なにしろ「かけられる数」のイメージがすんなりいかなくて、「ににんがし、にさんがろく、にしがはち、にごじゅう、に、、えーと、五だったから次は六?」とか考えてしまって、そうすると頭の中に「2×6=12」というのがビジュアル的に浮かび、そこから「えーと、にろくじゅうに、か」って逆算する感じになってしまう。口から出任せに言うと絶対に「にくさんじゅうろく」になってしまう。いやいや!それは「しくさんじゅうろく」だから!

正直なところ、1から120まで数える、ということよりも九九が言えなくなっていることの方がショックだった。

というわけで、最近は九九をぶつぶつ呟いてたりする(笑)

そしてやっぱり言い慣れると早く言えるような気がする。
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12-11 Sun , 2016
風邪引いた(T_T)
試験が終わって1ヶ月まだ経ってないけど、徐々に気持ちが緩み始めたのか、6日起きたときに身体が熱っぽくなってて、数日寝とけば治るだろうと思ってたら、一昨日の夜から強烈な喉の痛みで再びダウン。

というか、わたしが風邪引くときは九分九厘、鼻の奥の方が痛くなるので、鼻の奥がちょっとむずがゆさを感じたらすぐに葛根湯を飲んで初期のうちに叩いてしまうのだけど、今回はそこじゃなく、喉の下の方というか、よく唾が飲み込めないほど喉が痛くなるって言うけど、それよりもっと下の方。だから唾を飲み込んでも全然痛くない。ここがこれほど痛くなるのは初めての経験だったので、最初のうちは「喉が痛いけど、風邪じゃないよね」って思ったので、放置してた。

が、夜寝ようと思ってベッドで寝ころぶと喉が痛すぎて眠れない。次第に「これって、、もしや風邪なのか?」と思い始め、一旦起きて痛み止めのロキソニンを飲んだら痛くなくなったのでそこから少しだけ寝た(すぐに痛いのがぶり返して起きちゃった)。朝起きたら熱が出てた。

風邪を引いたときはスチーム吸入器を何度もやれば、大抵気持ちよくなって風邪の治りも早い気がするのだが、今回のこれは吸入しても患部に届いたような気がしないので、全然気持ちよくならない。この痛い場所ってもしかすると気管支なの?とも思うが、気管支炎って風邪って言うんだろうか。気管支炎だったら耳鼻科じゃなく呼吸器科の方がいいんだろうか。まぁいずれにせよ、今日は日曜なんで病院休みなんだけど。今は熱はもうなくて、喉の痛みも昨日ほどではないけど、昨日に比べて鼻は出るわ、くしゃみは出るわでくしゃみするたびに喉が痛い。風邪の患部が広がってきたのか、それとも昨日、アレルギーの薬を飲んでないのでアレルギーのせいでくしゃみ出るのか。

それにしても、風邪を引くのが1ヶ月前じゃなくて本当によかった。1ヶ月前の今ごろだったら試験直前でパニックになってるだろう。

今年はあんまり日記が書けなかったので、今年の話は今年のうちに、ってことで、今月中に彼女のお父さんが亡くなったときにお葬式に参列してきた話と(彼女のお父さんが亡くなったのは今年だけどもう随分前のこと)、あと、つい最近、ある俳優さんが引退してしまったことで思うことがあったので書きたかったんだけど、風邪がもうちょっとよくなってからにする。でも今年のうちに書いておきたいなあと思う。
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12-01 Thu , 2016
48歳
今日から師走。
この1年はものすごく早かった。。

取り敢えずわたし、今年48歳になりました。
年齢の数字に異様な関心があるわたしは、もう数年前から「48」になりたくて仕方なかったんだけど、今年は「48」を楽しむ余裕がほとんどなくて、その点では惜しいというかなんというか、、

そもそも「48」ってなんでなりたかったかというと、「多くの数字で割り切れる」という理由だったわけで。要するに約数が多いよね、この数字。1、2、3、4、6、8、12、16、24、48。年齢を重ねるとこういう数字が増えてくるわけだけど(その代わり素数が減るけど)、まぁだから「48」歳を楽しみにしてたんだけど、、今年はほとんど出かけなかったから自分の年齢を書く機会もそんなになかったな~。

おお、そうそう。この数字を見れば分かるように、今年は「年女」だったんだった。が、これも意識させられたのは去年の年末くらい?去年の年の瀬に新宿に行ったら、小田急の改札のところにある柱に全部「申」「申」「申」って大きな字で書かれたポスターが貼ってあって、「おー、なるほど、そういえば来年は申年か」って思ったんだけど、年が明けてからはそれすら忘れてた(笑)

来年生きて誕生日を迎えられるとすれば、49歳になる。「49」は当然のことながら、7の2乗。6の2乗、36歳以来、13年ぶり。この「○の2乗」もだんだん間隔が空いてきたな~。これまで1から6までの2乗を過ごしてきたからか、あんまり「○の2乗」には重きを置いてなかったんだけど、次の8の2乗とか9の2乗が生きて迎えられるかとか、迎えられたとしてもあと「○の2乗」はせいぜい2回くらいしかないのかと考えると、これもこの数を噛み締めながら生きていかなきゃならんのかもね。

しかし、わたしは年齢は四捨五入で考えているので(20代からそのように考えてた)、45歳超えたら気持ちは50代で行こうと思ってたのに、なかなかそうなれない。。というか、今まで自分の中で考えてた「50代のイメージ」というのと、自分の50代になった姿というのがちっとも合わないからなんだけど。ということは、今まで考えてた「50代のイメージ」というのはあくまで想像上のものでしかなかった、ということで認識を改めなければならないと言うことか。

というわけで、ここ数年楽しみにしてた「48」になったことだし、次の楽しみの数字というと、やっぱ「51」かねえ。「51」はカープの背番号でも登竜門、と言われている背番号だ。江藤、前田、そして今は鈴木誠也。あのイチローの背番号でもある。あとは1、3、17の約数。なんかクールな数で割り切れていいねって感じ。

年齢に関する数字であれこれ思い始めたのは20代の頃からだけど、次にくる楽しみな数字を待ちながら生きていくというのも悪くないと思えるようになった今日この頃。
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11-23 Wed , 2016
試験が終わって10日
試験が終わって10日。
やっと身体に疲れを感じて眠ることができるようになった。

てか、試験前からずっと身体の疲れは出てたんだけど、少し休もうと思ってベッドで寝ころんでても「この時間がもったいない。この時間があればもっとあれとあれとあれの勉強ができる」と思うと、いてもたってもいられなくて起きてしまい、結局ずーっと疲れたまま、勉強してたんだよね。

それが試験が終わってもなかなか抜けなくて。やることなくて寝ころんでても、頭の中が「勉強しなきゃ」ってことが習慣になっててどうもそわそわして全く眠れない。眠れないどころか気持ちが落ち着かず、寝ころんでもいられない。

そうやってようやく疲れを感じて素直に眠れるようになったのは、今週の月曜からだったかな。こうなるまで丸々一週間かかった。逆に今はもう身体が疲れ切ってて日中はだるくて眠くてずっと寝てる状態。まぁこれで今までのたまりにたまった疲れが取れるだろう。よかった、ちゃんと休めるようになって。

試験終わったあと、行政書士の試験を受けた人のブログがあれこれ見つかって読んだりしてた。今年の受験生だけじゃなく、過去に受験生だった人のとか。試験中も「同じように受験する人はいないのかな」って思って探してたんだけど、なぜかそのときは全く見つからず、今回やっと「あー、ブログ書いてた人こんなにいたのね」って思った。しかし、行政書士の試験に受かった人のほとんどが司法書士を目指してるのねー。それともたまたまそういう人たちのブログしか目に付かなかったのかも知れないが。。

わたしは前もちょっと書いた覚えがあるけど、司法書士は目指してなくて、法律関係の資格は一旦これで終了。次に目指してる資格試験は法律関係ではない。そして今度取りたい資格は、行政書士みたいに独学とか予備校じゃなく、学校に通わなきゃならないみたいなんだよね~。それも国家試験受けるまで2年かかる。まぁ、通学じゃなく通信にするつもりだけど。今から7年前くらいか、中央大学法学部の通信課程で勉強したことがあって、それは結局最後まで続かなくて卒業できずに途中で辞めてしまったんだけど、思うにあれは病気だった部分が大きいのではないかと思っている(とはいえ、時期的には2回目と3回目のうつ病の間から始めて、3回目のうつ病にかかった1年後までなんだけど)。なにしろあの当時は教科書読んでもさっぱり理解できなくて、スクーリングにも行ったけどさっぱり記憶できなくて(スクーリング終了日にはテストがある)、そしてスクーリングが終わっても「終わった!」って達成感を全く感じられなくて。しかし今回は模試2回受けて、2回とも終わったあとは模試といえども取り敢えず「終わったー!」って解放感があったので、やっぱこっちが本来の自分だよね、って感じ。あ、でも本試験が終わったあとは解放感は全く感じずに、前回の日記に書いたように、試験前にあまりの疲労感いっぱいだったので「わたしは逃げ切れた」という思いの方が強かったんだけど。というわけで、今度は同じ通信といえどもちゃんと勉強できる自信がちょっとは、いやだいぶある。

なので今度はそれに向かって、と行きたいところだが、行政書士試験の合格発表がある前に大学の願書を提出してしまうことが少し怖くて躊躇してる。今の時点でマークミスさえしていなければ合格と分かってても、もしかしたら1つずつマークミスをしててほとんど点を取れてなかったらとか、そんなことを考えてしまって本当に合格しているかどうか分かるまではやっぱ安心できない。といえども、落ちててももう2度とあんな勉強はしたくないんですけどね、、

ついこないだ、行こうと思ってる学校の入学案内を取り寄せたら、願書受付が3期に分かれてて、既にもう1期の願書受付中なんだよね~。合格発表後だと3期になるんだけど、そのときまでに定員いっぱいになってたらどうすんだろ?と思ったりして。まぁ今度説明会があるそうだから、それに参加して質問してくるつもり。

法律の方の知識も試験終わったらこれで終わりというわけではないので(一応、行政書士としても開業を目指してるので)、こっちの方は内田の民法を合格発表日までにコツコツ読んで忘れないようにする。中央大学法学部の通信課程だったときに揃えた本だが、あのときは理解できてなかった。でも今回は民法は一通り頭に入ってるので、読むのが楽しい。予備校ではやっぱ試験に特化した勉強しかしてないので、いろんな学説とか読むと面白い。とはいえまだ詐欺のところが終わったばかり。取消し後の第三者ってなんでもかんでも機械的に「対抗関係になる」って覚えてたけど、詐欺取消し後の第三者って権利外観法理で94条2項類推適用って考えも有り得るのね。ていうかここ、判例と学説が違うのね。学説は詐欺取消し前の第三者に登記が必要(対抗関係という意味じゃなしに)、取消し後の第三者は不必要って判例と全く逆じゃん。そして心裡留保には第三者保護の規定がないって知ってて、94条2項類推適用で保護されると分かってたけど、94条2項類推適用だったら登記は不要だった。なぜか登記が不要とは思ってなかった。ここら辺、きちんと覚えてなかったわー。試験に出なくてよかった(笑)

合格発表日前までは身体の調子を整えながら、こんなことをして過ごす予定。
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11-14 Mon , 2016
行政書士試験受けてきました
行政書士の資格を取りたいと思い始めたのはだいぶ前のことだった。

実際に勉強を始めようとしたのは今から4年前くらい?でもそのときはまだうつの状態がよくなくて勉強を始めることすらできなかった。1年治すことに専念して、結局2年間やらず、次にチャレンジをしようとしたのは確か2014年だったか。でもこのときも勉強を少し始めたところで息苦しくなったり身体の調子が思わしくなくなって、まずは体調を整えてからまた勉強をしようと思ったのに、治らないまま1年が過ぎて。「あ、これは体調を万全にするのは無理だ、体調が悪い中でもやらなきゃいけないんだ」と悟ったのが去年の行政書士試験が終わって少ししたとき。11月下旬くらいだったかな。

なので、去年の今頃はまだ今年の受験を迷ってた時期で、勉強すら開始していない状況だった。勉強を始めたのは去年の12月から。
実質丸1年、勉強した。そして今年、ついに受験することができた。

行政書士の資格試験というのは、一般的な競争試験じゃなく、300点満点中180点以上取れれば誰でも受かるという試験だ。そういう意味では戦う相手は他人ではなく、自分になる。自分が180点以上取れる実力がつけば受かる。行政書士試験ってそんな試験だ。

試験科目は基礎法学、憲法、民法、行政法、商法の法令科目と政治経済社会情報などの一般知識等科目。ほとんどの問題は5肢択一式で、これは1問4点だが、全60問中3問は記述式。記述は行政法から1問、民法から2問出て、配点は1問20点。その他に多肢選択式という穴埋め問題みたいなのがあって、それは3問。1問につき4つ穴があって、語群から穴に埋まる言葉を選択する。それが1つ2点だから全部で12つの穴があって(3問×4つ)、計24点。これは憲法と行政法から出る。

ちなみに5肢択一式の問題数の振り分けは、基礎法学2問、憲法5問、行政法19問、民法9問、商法5問。一般知識等は全部で14問。そして一般知識等は6問、要するに24点以上取らないと全体で180点を超えても合格にならない「足きりライン」がある。

こう書くとなかなか複雑な感じに見えるね。

前回のブログに書いたけど、それまで2回受けた模試の前は2回とも失敗して模試前1週間はほとんど勉強ができなかった。だから今回は絶対に体調を崩さないと強く決心したんだけど、なんせ初めての体調を崩さない試験前1週間だったので、試験日に体調を整えることまで気が回らず、もう思いっきり疲労を残したまま本試験を迎えることになっちゃったんだよね~。なのでこの1週間は試験に緊張するというより、体調がいつ崩れるかも知れない不安と、もう疲れて疲れて一刻も早く終わって休みたい、それしか考えてなかった。

試験中、問題を解いているときは、なんか普段の模試よりも格段に頭が回らなくなってる感じだった。疲れもあったけど、さすがに本試験は緊張してるんだなと思った。読んでる文章が頭の中をグルグルしてきてわけ分かんなくなったりすることもあったし。頭の回転が悪いものだから、1問解くのにかかる時間が多くなっていつもより時間が足りないんじゃないかと思って焦った。試験は3時間だが(13時-16時)、2時間半過ぎたところで全部終わらなければ途中で切り上げて記述式の問題に行こうと決めていた。記述式は1問20点と配点が高いし、何か書けば部分点がもらえるかも知れない。時間が足らない中、1問4点の問題と格闘するより1問20点と格闘した方が点数がもらえる可能性が高い。なのでそう決めてたんだけど、実際のところ記述含めて全部解き終わったのは15時35分。試験開始後2時間35分で、模試のときとそんなに変わらなかった。

そこからはマークミスをしていないかどうか、問題文にチェックしたものとマークが合ってるかの確認と、5肢択一でちょっと難しくて一応答えは出したけどもう一回よく考えようという問題を考えていたら、それで終了。

終わったあとはなんだか全然手応えがなくて、何がどうだったんだかさっぱり分からなかった。「難しかった」という印象しかなかった。だって、あれも分からなくてこれも分からなかった、これは記憶があやふやでよく思い出せなかった、という問題がたくさんあったから。確かに確信を持って答えられた問題もあったけど、確信を持てても「本当にこれなの?なんかどこかでひっかかってない?」って気持ちが大きかったから(模試で散々引っかかった)。

終わったことへの実感が全くなくて。でも「もうこれ以上はできない」って思った。たとえ落ちたとしても、わたしはもうさらにこの生活を1年間続けることはできない。それくらいつらかった。いやつらかったのは精神的にではない。精神はどういうときでも「やらなきゃ」って思ってたけど、できなかったのは肉体的につらくてたまらなかったからだ。息苦しいし背中は痛い。腕が痛い。アレルギー鼻炎の悪化。足のしびれ。腰の冷え。そのうち脳の中の問題読んでて頭を使う部分とか、文字を読んで理解する部分が拒否反応を起こしてくる。なんの文字を読んでいても頭の中にちっとも入ってこなくて理解もできない。頭の中に全然入って来なくて意味も分からなくて表面的に字面だけ追ってる感じ。でも不思議と精神的にはつらくなかった。逆に「もっとやれ、もっとやることがいっぱいあるだろう」と思っていた。最初に自分が「これはやろう」と思っていたことが、身体の不調でできなくなってきて最後の方は「どこを選んでどこを削るか」で悩んだ。でもそういう部分は疲れなかった。「つらい、もうできない、休みたい」と思ってたのは身体と脳の一部だ。そして試験が終わって解放感でいっぱいになるかと思っていたら、それどころじゃなく、やっと休める、わたしは逃げ切れた、という気持ちの方が大きかった。

家に帰ってから、やっと休める、やっと終わった、という安堵感で泣いた。試験の出来はともかくとして。

しかし、夜になると試験の解答速報が出てくる。もし全然できてなかったらどうしよう、って思った。この生活はもう続けたくないと言っても、受からなかった以上、続けるか何か他の道を考えるしかない。答え合わせがとても怖かった。

結果。

基礎法学 2/2
憲法 4/5
行政法 16/19
民法 7/9
商法 3/5
一般知識等 11/14
多肢選択 12/12

合計192点。(計算しなおしたら196点だった(汗):2016.12.11追記)
一般知識等の6問(24点)もクリアしてるし、記述の点数抜きでも全体で180点以上をクリアしている。

ので、マークミスさえしていなければ、合格は確定的になった。
彼女に「多分合格した」って報告したら、今度は「よかった」という涙が出て来た。

正直信じられない気持ちで、今だってなんでこんな点数が取れたのかよく分からない。

模試の点数は2回とも同じ点数で、ぴったり200点だった。
それを考えると確かに模試の実力通り力を発揮できたと言えるのかも知れない。わたしは法令科目の択一式の成績が安定していて、模試では1回目124点、2回目120点だった。今回も124点だからほとんど変わらない(すみません。上記で計算すると合計128点です:2016.12.11追記)。難易度に多少差があっても(わたしの感覚でいうと1回目の模試は割と簡単で、本試験が一番難しく感じた)成績はほとんど変わらなかった。普通は簡単な方が点が取れるのにね。まぁ、1回目の模試より2回目の模試、そして本試験の方がたくさん勉強してるから、自分の知識量も多少上がってるとは思うんだけど、それにしてもここが安定してたのでよかったのかなと思う。

そして模試の1回目は記述が散々で、2回目は一般知識等の5肢択一が散々だった。それをお互いカバーしてたので模試は結果的には同じ点数だったんだけど、今回は一般知識等がすごくよくできたから、全体的に択一全体の点数が上がった結果になった。

ちなみに一般知識等の問題の中では「日本の多様性」の問題があり、ヘイトスピーチと同性パートナーシップ条例のことが出ていた。で、問題の中で同性パートナーシップ条例の肢、これが○か×か、を問われたのね。わたしは最初これ、「×」にしたのよ。だって、同性パートナーシップ条例って全然「結婚に相当する」じゃないじゃん。問題文の通り、結婚に相当してないから条例で定められるわけであるわけだけど(今のところ、同性同士の婚姻は法律で認められてないので)、でも実際の同性パートナーシップ条例だってあれのどこが「結婚に相当する同性の関係についての定め」なんだろう?実際の中身は病院で最後の看取りができるとか、公営住宅に応募できるようになっただけじゃん、って感じ、当事者としてはね。だから「どこが結婚に相当するんだ!」と思って「×」にしたんだけど、でもこれ、組合せ問題で5つの中から答えを2つ選んで、その組合せが正しいのを選ばなければならない。するとヘイトスピーチの問題と比較しなくちゃならなくなったのね(それとは別の肢が絶対に×だという自信があったので)。でもヘイトスピーチの選択肢は明らかに違ってたので(だって、ヘイトスピーチは法律で禁止されたって書いてあったんだもの。そうなったらどんなにいいだろうかって思うけど)、どう考えてもパートナーシップ条例の方が正しくなる。「えー、試験問題作る人の認識ってこの程度なの?」とここだけは、強く思わせていただきました。というか、こういうのがあるから自分の答えに自信がなかったんだよね。

一般知識等の政経社の問題は、今年は時事問題が多かった。そして「日本の多様性」についての問題が出たのからも分かるように、「この試験に受かりたいのであれば、このようなことには気を配っておきなさい」と言われているような気がした。

ま、同性カップルについての権利は当事者であるから関わらないという選択肢はないのだけど、ヘイトスピーチや人種差別問題については、もう試験も終わったことだし、また関わっていこうと思う。

ちなみに合格発表日は来年の1月31日。
その日が来て発表されるまで、本心から安心はできないんだけどね。

取り敢えず、わたしの試験勉強はこれにて終了。
ちょっと休んで今後どうしていくかを決めたいと思います。

あ、最後に書いておくけどわたしは独学ではありません。予備校行きました。行ったというか、通信クラスだけど。そこの講座で先生の言われるとおりに勉強した。だから勉強の方向性はすべて予備校任せだった。だけど「やれ」と言われたことはやったし、「ここは覚えろ」と言われたところは覚えた。そこにわたしの選択の余地はなかった。やる方法と覚える方法はいろんな先生がいろんなことを言ってるけど(それについてはいろんな先生の個々のブログなどを読んでいろんな方法があることを知った)、その中で自分がやりやすいと思う方法を選んだ。なので勉強の方向性について思い煩うこともなく、基本的には淡々と、その先生に付いていっただけだった。通信の授業時間を含めて勉強時間はトータル1000時間弱(987時間、うち講義を受けた時間は255時間)。でも実際にはもっと多いと思う。勉強時間を付けない移動時間や寝る前の時間、最後の2ヶ月は昼ご飯を食べている時間など、それこそすき間時間もずっと勉強してたから。

でも結果的にはあくまでもわたしにとってはだけど、これが最短の道だったように思う。
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11-08 Tue , 2016
怖くてたまらない
次の日曜日が試験の日。あと勉強できるのも正味5日だ。

しかし、わたしは試験日まで1週間を切った頃から怖くてたまらない。
怖いのは試験の日が来ることじゃない。怖いのは、この1週間に体調を崩して勉強ができなくなることだ。

わたしは今までに模試を2回受けた。2回とも、模試の1週間前の体調が最悪でほとんど勉強できなかった。

1回目の模試の前は、勉強時間を増やしたら眠れなくなった。眠れなかったら疲労も取れなくて、体調が悪化して勉強できなくなった。勉強時間を増やしたら眠れなくなることは前からの経験で分かってた。眠れるようになるには勉強を止めること。勉強を止めたら1週間程度で自然に眠れるようになるのは分かってる。けど、さすが、試験直前に眠るために勉強をしないわけにはいかない。だから、わたしは精神科の主治医に頼った。で、2回目の模試は勉強をしても眠れるようにする、というのを目標にした。

1回目の模試が終わってから眠れるようにいろいろ薬を調整したので、2回目の模試の前はちゃんと眠れてた。眠れるから大丈夫だと思った。けど、1週間前になり勉強時間を増やしたら2日目に風邪を引いた。その日の朝、彼女に「あれ、ろんたこの声、ちょっとおかしいよ」と言われたのだが、自分では全く自覚症状がなく、その日は普段通りに勉強したら、夕方になって熱が出てきて身体がだるくなった。「まずい」と思って次の日、1日だけ休んだ。でもわたしの身体は1日休んだくらいではよくならないのだ、いつものことだけど。体力がある人なら、1日休んで急激に良くなって、そして騙し騙しやってくことができるんだろうと思うが、わたしは1日休んだだけではあまりよくなることはなく、休んだ分くらいしかよくならなくて、そして騙し騙しやっていっても身体は騙されることなく負担がかかってまた段々悪くなる。それは分かってたのだが、なんせ試験1週間前に張り切って「これから試験前にやることリスト」を作ってたのだ。これを試験日まで1つずつ潰していこうと思ってた。が、2日分をやったところで体調を崩し、それどころじゃなくなったのに加えて、1日でやれるだろうと思ってたことができなくなった。

目の前にやらなきゃいけないことがあるって分かっててもできないことは、焦りを生む。ここで肝が据わってる人だったら「どうせできないのなら、思い切って休む方がのちのちのためだ」と思って焦らずによくなるまで休めるんだろうが、わたしはやらなければならないことがあることに焦りを感じ、「これがやれないまま試験日を迎えること」への恐怖感を抱いた。だから、やればやるほど体調が悪化することが分かっていながらやるしかなかった。

次の日が模試、って日に、読んでる文章の意味が全く分からなくなった。過去問を解いていて、過去にやったことがある過去問だったからできないわけではないと思うのに、もう、問題文が何を言ってるのかすら理解できなくなってた。問に関する答えが分からないのではなく、何を問うているかそれ自体が分からなくなっていた。頭はこれ以上何も入れたくない、入って来ないでと言っているようだったが、それでもわたしは休むこと、勉強できないことの方が怖かった。

そんなわけで、わたしは過去2回、試験前に体調を崩して納得のいく勉強がほとんどできていない。特に前回の2回目の模試の前は全くと言っていいほどできなくて、勉強ができないことへの焦り、怖さが身に染みた。

「2度あることは3度ある」という。今回がそのまさに3度目。そして本試験5日前。

怖くて怖くてたまらない。これから体調を崩して勉強できなくなるのではないかという怖さ。

試験日を迎えることが怖い、というわけじゃない。単にこの5日、体調を崩さずに勉強できるかということが恐ろしくてたまらないので、わたしの恐怖は本当は本末転倒なのだが(逆に試験となると、これはあんまり緊張しないんだよね。本番になると肝が据わって、いつもあんまりドキドキすることはなく、逆に楽しめちゃうわたし)わたしの勝負はあと5日。特にここ2日。

体調だけは崩さないようにしたい。自分が思ったように勉強したい。

「3度目の正直」なるか。
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10-17 Mon , 2016
4週間切った
今年の行政書士試験は11月13日。
要するに、4週間後の日曜日。今日は月曜日だからもう27日後。
先が見えてきた。

わたしが本格的に勉強し始めたのは去年の12月に入ってからで、約1年。
ここまで来るのにあっという間だった。6月に入って「え、もうあと半年ないの?」って思ったけど、それからここまでは感覚的にもっと短かった。

決して今までのんびりやってきたつもりはないんだけど、でも、やっぱり「まだ時間はある」と思ってたんだろう。でもあと27日はさすがに「まだ時間はある」とは思えない。やらなきゃいけないことが山積みで、それを27日で割ったとしても、到底できそうにない。

しかも、わたしは身体の無理が効かない。今までに2回模試を経験してきて、体調管理を1回目に失敗したので、2回目はうまくやろうと思っていたら、風邪を引いてしまい、1回目以上にラストスパートが効かなかった。この経験を考えると、ラストスパートをかけるためにはどうすればいいかを考えるんじゃなく、ラストスパートはかけないでどうやって乗り切るか、だろう。とすると、この27日は負担がかからない程度でまんべんなくやるという対策を立てるしかない。

とはいえ、今日はまだ休んでいる。風邪が治りきってないから。

確かに今、ちょっと無理をして勉強を始める、と言う手がある。けどそれは勉強をやると同時に身体を治せる人たちのことであって、わたしはこの両立は絶対に無理だ、今までの経験から。とすると、今勉強を始めてもまた体調を崩してどこかで勉強できなくなる可能性が高い。今1日休むのと、将来1日休まなければならない状態になるのとどっちがいいのかを考えると、それは完全に前者だろう。身体というものは調子が悪くなると、全然記憶できなくなる、理解力がなくなる、いやそれだけじゃなくその状態にすごく焦ってしまう、ということを2回目の模試直前で体験した。頑張りが足りないとか気力が足りないとかそういう話じゃないのだ。というわけで、思い切って今日もまた休むことにした。

丈夫な身体が欲しかったとつくづく思うが、まぁこれは仕方がない。わたしの努力ではどうもならないんだから。わたしはこの身体でできるだけのことをやるしかない。

この1年はとても充実してた。充実してたけどやっぱりつらかった。身体の調子がどんどん悪くなるから。もちろん試験に対するプレッシャーもある。この1年はなんとか頑張れたけど、来年もまた同じ生活を送るのはもうこりごりだ。こりごりっていうよりもう身体が限界に達しているのでもう耐えられない。ってことは、今年、必ず合格しなければならない。

そのためにはまず、風邪を治すこと。
焦る気持ちはもちろんあるけど、考えると眠れなくなる。
なので、今日は頭をからっぽにして休むことにする。
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08-12 Fri , 2016
ひさびさの一人暮らし
ただいま、一人暮らし満喫中。

何年ぶりだろ?おそらく2年ほど前に彼女が骨折して入院したとき以来。
まぁあのときは、家の近くに入院してたから、日中はお見舞いに行ったりして会ってたけど。
今回は彼女が旅行に行ったので、家を出たきり会ってない(当たり前か)。

家の中が汚れないとか、すぐに片付けられるとか、
ベッドで手足を伸ばして眠れるとか、
正直言うとそういうことが嬉しい。

というわけで、夜はベッドに大の字になって寝ている。

たまの一人暮らしだからいいのか、それとも一人暮らししたいのか。

それは今のところはよく分からない。
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06-24 Fri , 2016
今年は受けられるかな
資格を取りたいと思って2013年と2015年に行政書士試験の勉強を始めたつもり、だったのだが、2013年はうつ病からの回復がまだまだで全然やる気が起きず、去年は始めて早々に息苦しくなったり背中が痛くなったりで、それを治してからと思ってたら、結局1年経ってもよくならなかったので、もうこれはこの中でやるしかない、と思った2016年。

2年も勉強できなかったので、今年は相変わらず身体の調子は絶不調なのにもかかわらず、やる気だけは持続している。

今の時点では、まぁ科目の一通りは勉強したという感じか。でも記憶にはまだまだ定着してないけどね。

勉強を始めて分かったのだが、勉強しすぎると疲れて眠れなくなる。頭を使いすぎて興奮しちゃうみたいで。なので、夜遅く勉強すればするほど夜の寝つきが悪くなり、そして頭が痛くなる。そこで勉強を止めて休めば、また自然に眠れるようになる。なので本来の健康な状態(っていつのことになるんだろう?もう記憶の彼方くらい前のことだ)とはまだ程遠い状態なんだけど、それはもう自分の特性だと思うことにして、夜遅くまで勉強しないように注意してる。

それでも、去年の12月から試験勉強を始めたのだが、それまでは月60時間がやっとだったのに、先月辺りから月70時間を超えて勉強できるようになり、今月はまだあと1週間くらいあるけどもう70時間を超えている。4月は週に20時間以上勉強すると、次の週は疲れて1週間、何もできなかったんだけど、今はコンスタントに月20時間くらいは勉強できるようになっている。以前は「1週間に1日は確実に休む日を作ろう」と思って予定を立ててたら、1日休むと次の日も次の日もやる気が出なくて結局ずるずると休み続けてしまう、ということが分かった。ので、今は1日当たりの勉強時間を減らしてでも毎日やるようにしている。そのように決めたら月に70時間超えて勉強できるようになった。とはいえ、休みなしで勉強しているわけではなく、やっぱり何かの拍子に休んじゃう日はあるんだけど。

なので、何事も慣れとやり方で、ちょっとずつやっていくしかないんだよな、ということを実感している。特に健康を害している人間にとってはいきなり踏ん張りが効かないので、徐々にペースを上げていくしかない。しかも、上限はおそらく健康な人よりは限られているだろう。なんせ、疲れが溜まると眠れなくなってしまうのだ。疲れを溜めずに勉強するためには、どこかでブレーキをかけないといけない。そうすると1日当たりの勉強時間がどうしても限られてくる。なので、わたしが勉強できる時間はおそらく月80時間が上限に近いだろう。ということは、この限られた時間内にどうやって集中してやるか、なんだよね、これからの問題は。

行政書士試験の勉強は面白いかと言われると、まぁまぁかな。意外だったのは、民法が「面白い」と感じること。民法を勉強してると「なるほど、世の中はこういう仕組みになってたのか」って思う。要件、効果を覚えるのが結構楽しい。そして行政法はなんだかつまらなくて眠いということ。うーん、行政書士試験において、行政法がつまらないというのは結構まずいと思うんだけども(択一式の配点が行政法は一番高いので)。今後の勉強で行政法はまぁ楽しいと思わなくても、得意だと思えるようになるか、だよね。

勉強は予定通り進んでいるかというと、あんまりそういうことはなく、どれもこれも中途半端で終わってしまってる。これを今後、どうやってやっていくかが一番の問題。

まぁでも、やる気だけは今後も失われるとは思えないので(それより無理しすぎて物理的に勉強するのが不可能になってしまうことの方が怖い)、行政書士試験まであと150日切ったのかな?確か、来月の半ばくらいにあと100日だったと思うので、調子を崩さないように今後も勉強していこうと思っている。
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04-09 Sat , 2016
おれんまね
結局3月は1つしか書けなかった(^^;
のに加えて、1ヶ月間更新しなかったら変な広告がアップされて来ちゃったので。

てか、身体の調子がイマイチなのは相変わらずなんだけど、それにまったく比例せずにどんどん忙しくなってて。

ウルトラマンスタンプラリーの駅からのメッセージも、まとめてる途中で放り投げてるし、まとめると結構面白そうだということは分かってるんだけど、これはもう時間がなくて。どうやらだいぶ先になりそう。画像の加工も必要だしね。

資格試験の方は、順調とは言えないけど、こちらの方も諦めずにやってる。民法がやっぱり理解したり記憶したりするのに時間がかかってて、総論と物権はサクサクできたんだけど、債権総論で躓いてます。何がどう繋がってるのかで頭の中がわやになり、それを整理するのが大変というか。でも「あ、なるほど」って理解できたときは楽しいなと思う。分かったときに「いや~、民法ってよくできてるよな」って思うこともあるし、逆に「なにこれ、この制度」って思うこともある。ただ、債権総論もあともう少しで終わり。各論は総論より難しくないっていうから、ちょっとペースを上げてやっていきたいと思ってる。

自分自身に関することというか、まぁその周辺なことなんだけど、いろいろ動きがあって、この1週間は特にめまぐるしく動きました。また時間に余裕が出たときは書くと思うけど、どこまで書いたらいいのか少し悩むところではある。

書きたいことはいろいろあるけど、なんせ時間がないので今後は短めの記事をちょこちょこ上げる程度になるかな。
なんか今年は明けたときからまったく季節感がなくて、確かに暖かくなって桜も咲いて散り始めたけど、それがなにって感じでちっとも実感がない。季節の移り変わりのみで嬉しかったり楽しかったりできるのって条件が整わないとできないことなのかな。

ただ、今はやることが多くて、それはそれで幸せなことだと思うし、そういう自分の環境は楽しんでるつもり。
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02-09 Tue , 2016
書きたいことはたまってるんだけど
去年に引き続き、書いておきたいことはいくつかあるんだけど、なかなか時間が取れない。。

何かがあったときに書いてる記事を読んでもらえば分かるけど、わたしは書くと長くなってしまうので(笑)、やっぱ、時間はそれなりにかかるんだよね。そして、一気に書かないとそのときそのときで書きたいことが変わってくるので、数日間掛けて書くことが出来なくてね。なので、必然的にブログを書く量が減ってきてるわけだけど。

去年の終わりにも書いたけど、読書量もガクッと減った。今年はまだ1月に2冊しか本を読んでない。今月は0冊。何しろ時間がない。そんなに勉強ばっかりしてるわけではないけど、読書もわたしはまとまった時間に一気に読んでしまうタイプなので。まぁ図書館で借りた本は毎日ページ数決めて読んだりするけどさ、期限が来る前に読まなくちゃならないので。

てなわけで、去年までとは違った一日一日を過ごしてる。まぁ今のところはちゃんと資格試験の勉強は真面目にしとります。憲法終わってこれから民法。ノルマが決まってるので一度サボったら追いつくの大変。だから、他のことは差し置いてほとんどこればっかりなんだよね~。まぁ試験勉強なんてそんなものかも知れない。期日が来るからそれまで必死に勉強する。勉強は嫌いではないけど、覚えるのは苦手なのでそれがね~。っていうか、わたしはもともと記憶力があまりよくない方なので、年齢による衰えはあまり感じない。これはメリットかも知れない。覚えられる人にとっては「以前より確実に記憶力が衰えた」というのは結構ショックみたいです。わたしは今までの人生で「すごい、スラスラ覚えられる!」なんて一度も思ったことがないんで(^^;人の顔も覚えてないし、人の名前なんてもっと覚えてないし、よくテレビで「最近、人の名前が出てこなかったりしませんか?」などという老化現象を指摘するコマーシャルを見るけど、わたしは「そんなの、今に限ったことじゃないけど?」って感じ。それとももっと年を取らないとそう感じないんだろうか。。

そうそう、世に「記憶術」みたいなのがあり、例えば円周率を何万桁覚えてる、なんて人がテレビに出てきたりするけど。そこで言われるのが「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ってこと。でもわたし、あれ言われるたびに「そのストーリーはどうやって覚えればいいのか?」って思うんだよね。結局は何かを記憶しなければダメなんだよね。当たり前のことだけど。それが本人にとって覚えやすいものにする、ということなんだろう、結局。

そういえば、うちの最寄り駅の自転車置き場は、出すときに自分の自転車が置いてあるラックの3桁の数字を入力してお金を払うシステムになってるんだけど、わたし、あの数字を覚えるのは結構得意なんだよね。例えば「121」だと「11の2乗」って覚えておけばいいやとか、「324」だったら「3と3×8だな」とか、まぁ、置くときに「この数字は~」って分解して覚えやすくしてるんだけど(というか、こういう作業が実は好きだったり)、でも、ふと「じゃあ11ってどうやって覚えるんだろう?」って思うのね。「3とか3×8ってどうやって覚えるんだろう?」とかってね。でも、不思議なことにそれは忘れないの。それは覚える努力をしなくても覚えてるんだよね。なんでなのかは自分では分からない。

とすると、「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ことができる人は、もしかするとそのストーリーは覚えるものではなく、なんとなく頭の中に残ってるものなのかも知れないなあなんて思ったりして。でもそれって、記憶力自体がものすごくない?

なんてことは、あんまり勉強中には思ってません。そして最近、どんどん頭の中が飽和状態になっていってるのが分かる。。まあほとんど毎日、新しいことを頭に記憶しなくてはならないし、今まで記憶したことはもちろん忘れられないしね。

あー、6月くらいまでこういう生活続くんだけど、果たして途中で頭がパンクしないかな??ちょっと心配だったりして。
22:06 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-10 Sun , 2016
年明け10日
こんな言葉はないですね。「梅雨明け十日」をちょっと捩りました(笑)

「梅雨明け十日」って最近あまり聞くことなくなっちゃったけど、梅雨が明けると10日は晴天が続く、ということわざみたいなもんです。あ、あれか。最近は「今日、梅雨明けしましたー!」ってことは宣言しなくなっちゃったからかな、気象庁が。なんか「梅雨明けしたものとみられる」みたいな言い方になっちゃいましたからね。ん?だとすると、この言葉は気象庁が「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」をするようになって以降の言葉なのか?いや~、そんなことはない気もするなあ。どっちなんだろ?

てか、もう年が明けて10日も経っちゃったんですねー。思い返すと早い?いや、でも随分長かったような気もする?

ちょっと大変な正月ではありました。いろいろあって。

あと、12月から本格的(?)に来年度の行政書士資格の試験勉強を始めたので、まぁそれが最も忙しい理由かな。チャレンジ始めて3回目。しかし前2回はほとんど勉強できず。受験にすらたどり着けなくて。だからほとんど1回目の挑戦なんだけど、でも、意気込みが前2回とは違ってるので、今年はそれだけでも進歩した、ってことなんだろうか。特に去年は勉強やり始めたと思ったら息苦しくなって、で、息苦しいのを先に治そうと思って努力したけど結局は治らないまま1年過ぎてしまったので、もう治すのは諦めようってことです。息苦しいのを治してたら一生終わってしまう。

ただ今年、この試験勉強と朝鮮語3年目とあと時たま来る仕事、この3つやるだけで多分終わってしまうんじゃないかと。その他はほとんど手が回らない状況ではないかと。

本もここ数年は月3~4冊ペースだったけど、今年は無理かもなあ。去年いろいろ行ったイベントも今年は参加できないかもね。それより、旅行、今年も3月にどこか行きたいなあと思ってたけど無理かも。

なんてことを考えてたり。まぁでもいつかは何かやらなきゃ、この先進めませんからね。しかもこれに合格してももう一個その先に取りたい資格があるからね(司法書士ではない)。それ取るの、2年かかるそうだしね。とすると、最短でも3年かかり。一発で合格しないとそれ以上の時間がかかるということになる。。ただし、資格取ってもそれで食っていけるかどうかはまた別の話だけども。しかしそれでやりたいことができるようになるんだったら、まぁそれから先はそのときに考えればいいだろうってことで。

心配なのは、何かやろうとやる気を出すと体調を崩し、うつ病再発すること。これだけは人生の予定が狂うので勘弁して欲しい。なので、やりながら休むことも考えなければならないってことで、体力温存を第一に考えた方がいいだろうとは思ってるので、あまり無理しないようにする。けど、今年はもう既に無理しているような気がする、、、なんてったって、今年に入ってから、2日と連続して家にいたことがなく、今週も無理そうなんだよね。こりゃ疲れるわ。ただこの調子が続くと本気で体調崩しそうなので、今月後半は何も予定を入れないようにしよう。。(と言っても入ってきてはしまうのだけど)

取り敢えず今年の抱負というか、目標はこんなところかな。

まぁでも今でもかな~り体調悪いけどね。右腕が痛いのがすごくきつくなってきた。何年ぶりだろう、この痛み。2007年のシドニーに行ったときのことを思い出してしまう、、2008年の正月開けてからはほとんど寝たきりになってしまって。あんなことにはならないようにしたいけど、しかし、この腕の痛みもどうやって治まったのか覚えてない。あの頃は何もしてなかったので、きっとずっと休んでたんだろうけど(痛くてそれどころじゃなかったような気が)、あのときみたいにもう休めないしな。

正直、ちょっと困ってます。
23:00 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
12-30 Wed , 2015
もうこんな時期か
ブログに書きたいことはたまってるのに、忙しくて書く時間が全くないうちにもう年の瀬を迎えてしまった。
でも明日も忙しい予定だから、時間がある今日のうちに書いておく。

と言えども、最近はあまり季節感を楽しみたいと思うこともなく、365日(あるいは366日)普通の日で十分、という気がしている。まぁ猫の誕生日は祝いますけどね。

しかしまぁ、区切りではあるので、今年1年を振り返ってみると、今年はわたしにとって、とても不思議な年だった。

生きて考えてれば「なんでこれはこうなってるんだろう」と思うことが多々ある。本を読んでても疑問に感じることがあるし、日常を暮らしてても疑問に感じることはあるし、何かを見ても疑問に思うことがある。単純な知識問題ならともかく、何を手がかりに探せばいいのかさっぱり分からないこともある。

ところが今年はそれが「繋がる」ことがとても多かった。人に会ったり、イベント行ったり、学習会に参加したり、映画を観たり、劇を観たり、でもそれは特にその疑問を解決したいと期待して行ったわけではない。全く関係ないところで、でも自分の中で「あっ」って思うことがとても多かった。答えは見つからずとも、そのヒントになるものと出会うのだ。そのことをヒントにまた自分の中で思考を深め、そして行き当たる。しかしまた別のところでヒントと出会う。ヒントであったり、同じ思いをしている人に出会ったり。

今年はそんな、不思議な年だった。

ただ、だからといって「答え」が見つかったわけではない。というか、答えなんか見つかるような問題ではないと自分では分かっている。しかし、だからといってなぜ考えるのを止めないかというと、それは自分が人間だからだ、「人間は考える葦である」ではないか、なんて書くとカッコイイ~んだろうけどね(笑)別にわたしは人間だから考えているわけではなく、答えを探す行為が、今後自分はどうすればいいのか、自分は何が出来るのか、というある種の答えには繋がっていると思うからだ。要するに副産物で自分の行動が決められる、と言えばいいのか。疑問に思っている「答え」そのものは見つからないにしても。

多分、この中で一番大切なのは、疑問に思っている「答え」そのものではなく、「自分がどう行動するか」なんだと思う。ぐだぐだ自分の頭の中で考えてたって、それで世の中変わるわけはないんだもの。もちろん自分の行動には限界があって、行動したとしても世の中変わるわけはない。わたしは一声で世の中が変えられるような絶対的な権力者じゃないし、逆にそういう権力を持った人を忌み嫌っているから、自分は権力者にはなりたくないし。自分ができることは所詮、微々たるものだと思っている。けど「どうせ行動しても世の中変わらないよね」とブツブツ言ってるよりは、行動する方がよっぽどいい。それが自己満足に過ぎない、ということも十分承知だし、わたしはそれが自己満足であることに満足してるので、それはそれで構わない。とにかくわたしは行動をしなければならないと思う。そのこともはっきり分かった年でもあった。

わたしが主に考えていることは、過去のブログを読んでもらえば分かると思うが、「死刑」「宗教」「在日外国人(特に在日朝鮮人)」のことについてだけど、「死刑」については、今年、自分の考えに決着を付けることが出来た(もしかしたら、その結論についてはブログに書いてないかも)。「宗教」については、これは今も興味の対象。今年はいくつかイスラム教について書かれている本を読み、外観はどんな宗教なのかは一応分かったけど、でも人に出会ったわけではないので、まだ疑問満載。ただ、一つ一つの宗教についてではなく、「宗教」全体(なぜ宗教があるのだろうという疑問など)として考えるのもまた面白い。絶対に答えなんか出ないと分かってるけど、今のところは「人間がそれを必要としていた」と思っている。要するにひっくり返すと「宗教は人間が作った」なんだけど、それは仕方ないよね、わたしは宗教を信じてないんだから。また、わたしはずっと「宗教とは何か」という疑問もあったが、これはそれぞれの宗教、個々に「エッセンス」というものがあり、それは何かというものをそれぞれの教典から読み取っていく作業なのではないかと思っている。要するに、聖典に書かれていること一言一句が正しいのではなく、全体を読んだときに「共通する何か」があるんだろうと。そう考えると、おそらく仏教もキリスト教もイスラム教も(その他の細々した宗教についてはよく知らない)、根底に相通ずるものがあるのではないかと思う。

例えば聖書、キリスト教の教典である聖書だけども、旧約聖書の一番始めは「創世記」、いわゆる「天地創造」について書かれている(旧約聖書はキリスト教だけでなく当然ながらユダヤ教、そしてイスラム教の聖典でもある)。しかし、その1章と2章、全然違うことが書かれているのだ。1章では神は最初にいろんなものを創って、そして一番最後に人間を造った、と書いてある。それが6日目だったと。だがその直後の2章では、神はまず人間を造って、人間を助けるものを創ろうといって、他のものを創ったと書いてあるのだ。全く矛盾していることが書いてあるよね、直後に。しかも、大多数の人が読み始める最初のページ、おそらく一番読まれることが多いであろう箇所に。聖書ってどんなことが書いてあるんだろうと思っただけの信者以外の人だって1ページから普通読むだろうよ。これ、編纂するときになんでこんな矛盾しているものを載せてるんだろう、どちらか一方を削って「こちらが正解です」ってしなかったのはなぜだろう、そちらの方が都合がいいのになぜ敢えてそうしてないんだろう、と考えると、「聖書とは、一言一句を信じるものではないものである」と聖書自身が言いたいのではないかと思える。「聖書には矛盾していることも差別的なことも含んでいますよ。けども、それが聖書の本質ではないのです。しかし、この中には一本貫いていることは確実にあります。それが信じるものに値するものです」と言っているように思えるのだ。だから聖書で自分の都合のいいところのみを切り取ってそれを「聖書にはこう書いてある」と「教え」ている原理主義は、聖書自身が否定していることなのではないか、と。

尤も、わたしはだからといって聖書全部読んだことはありません(笑)ただ聖書というものは本当に奥が深い「読み物だ」とは思ってる。バベルの塔のところなんて、いつもいつも「よく昔の人がこんなこと考え付いたよなあ」って感心する(そういう意味ではわたしは聖書は「人が作ったもの」と思っている)。昨今の出来事で「バベルの塔」を思い浮かべることが、わたしはよーくあるから。

また、わたし、今年分かったことに「神(仏でもいいんだが、以下同じ)を信じる人は、神を通して人間を見ることができる人だ」ということがある。神を信じられない、わたしのような人間は「人間」でしかものが考えられない。別の視点から「人間」を見ることができない。しかし、神がいる人たちは、「神を通して人間を見ることができる」。このことが分かったときに正直「ちと悔しいな」って思ったのね。わたしは人間を「相対的」に見ることができない。わたしの中には「人間」しかないから。でも「神」という別の概念がある人は、神を通して人間を「相対的」に見ることができる。複数の視点を持っていることは、自己の考えを深められるだろう。そういう点で「悔しい」のだ。まぁだが、神を持っている人は「絶対的」なことが分かるかというと、そうじゃないけどね。神を信じている人たちの中の神は、やっぱり「相対的」なんだと思う。イメージ的には、この宇宙、絶対の座標軸があったとして、そこから見ると、個々の神の位置が違っている、みたいな感じになるかな。でもそれは仕方がないんだよね。人間自身が相対的なものなんだから。複数の視点が持てないから悔しいと思えども、神には出会わないと出会えない、ということもわたしは知っている。今後、出会うかどうかは今のわたしには分からない。出会ってないのだから、出会っていないまま、わたしは考えて行く。ただそれだけのことだ。

なんて話がとんでもなく抽象的なものになってしまったが、基本的に宗教とそこに住む人たちの文化や慣習、というものは非常に密接に関係してくるので、そういう意味でも個々の宗教を知ることは大切なことだと思っている。来年も個々の宗教を知ること、そして「宗教とは何か」「宗教はなぜあるのか」、この問題は引き続き考え続けて行きたい。まぁ、この疑問に答えなんかないと分かってるけどね(笑)

そして「在日外国人」、主に在日朝鮮人、在日韓国人、在日コリアン、なんて呼べばしっくりくるのかは分からないけど、その話。このことについて考えることは、本当にいろんなことを知らなければならない。歴史的な話だったり、法律的な話だったり、言語的な話(イメージ的には法的な論理というよりも感情的な言語を使用した論理と言えばいいのか)だったり、そしてその縁辺には元日本軍「慰安婦」の人たち(これについては現在、大きな動きがあったけれども、到底納得できない。だいたい謝罪する側が「このことは蒸し返すな」と言いつつする謝罪ってそれは本当に謝罪と言えるのか?まぁその他もいろいろ言いたいことがあるが)、そしてそこから「戦争被害」「戦争加害」、被爆二世としての自分、そして平和が脅かされている現在の「日本」。「在日」の問題を考えるとき、わたしの中にはこういうものがずっと連なって来ている。だからこそ、まずは「知ること」だと思っても、一度にたくさんのことを知ることは出来ないし、何しろ「知ること」といっても多岐に渡っているので膨大な量があるし、知ったらますます疑問が湧いてくるしで、そう考えると到底全部知ってから考えることなんて出来ない。だからこのことに関しては、今までわたしが「出会ってきた」人やものから少しずつ考えて行くしかないだろうと思っている。

ただ、今年に関して言えば、自分の中で一番はっきりしたのは「国とはなんだろう?個人とはなんだろう?国と個人との関係とはなんだろう?国と個人との線引きはどこなんだろう?」という疑問の方だった。これは今年わたしはいろんなものに出会ったけれど、何かに出会うたびにこの疑問はますます膨れあがってきた。そしてその答えは今のところ全く掴めてない。手がかりすらも分からない。しかしこのことが疑問になってきて、わたしは確実に前と変わってきていることを知った。わたしはつい最近、数年前に自分がこのブログに書いてたことを読んだ。そこには

わたしは決して、ジョン・レノンの作った「イマジン」のように「国が存在しなかったら」とは思わない。国家というものは必要なものだと思うから。ただし国家というアイデンティティを失わずに国と国とが緩い連帯を取ることはできないのかな、とは漠然と思っている。



って書いてある。このときは「国」というものに疑問を持っていなかった。でも、この考えは今年、変わった。上のことをわたしが書いたときに思っていたことは「もしこの地球が一つの国だったら」ということだった。でもこれは現実的に考えて有り得ないだろう。だって、一つの国になるとしたら、資本主義なの?社会主義なの?共産主義なの?とか、法律はどうなるの?とか通貨紙幣はどうなの?とか、そういう「現実的」なことを考えると「有り得ない」話だからだ。そういう意味でわたしは「国」というものに疑問を持たず「国家というものは必要だ」って書いた。

その理屈は今でも変わらない。しかし、一方、これまた現実的な話だが、国家が存在することによる弊害だってかなりあるのだ。「民主主義」とか「人権」という概念は、近年になり人間が発明したものだと思っているが、やはり根本的にこの世に生まれてきた人間は「人権」を持っているはずだ。幸福に生きる権利、自由に生きる権利は誰にでもあるはずだ(ただし「公共の福祉」に反してはならないと思う。「公共の福祉」って日本国憲法の文言だけど。で「公共の福祉」って「他人の人権を脅かさないこと」であって、単なる「人の迷惑にならない」とか軽い意味じゃないし、ましてや「国の都合の悪いこと」ではない)。ではその実現を果たすために「国」は絶対に必要なものなのか。「国」がなければすべての人は幸福に生きる権利、自由に生きる権利が持てないのかというと、全然そうじゃない。そのことの実現のためには特に「国」である必要性は全くないのだ。

ジョン・レノンの「イマジン」については、わたしはよく知らない。彼がどういう気持ちを込めて、この曲を作ったのかも全然知らない。けれど「国がないって想像してみて」というのは、まさにこういうことなんじゃないだろうかと。「地球上から国をなくす」というのは、アナーキストと言われるかも知れないが、わたしはそうじゃないんだよね。「人権」「民主主義」、そして「国家」このすべては人間が発明したものだとすると、わたしたちは国という概念を超える「何か」を発明することが必要なのではないかと。「この世に住む人たちがみんな自由に、幸せに生きている」そのことを想像しながら「では『国家』を超えるシステムとはなんだろう」って考えることが必要なのではないかと。

このことが、今年、わたしの分かったことで、去年までとはちょっと違ってきた部分だった。

「国と個人の関係」を考えたのは、正直、ここの部分だけの話ではなくね。ただ、今までは「国のイデオロギー」ってよく分からなかったんだけど、いろんなものに接しているうちにそれが見えてきた。と同時にわたし自身も知らないうちに国のイデオロギーによって洗脳されているんだ、ということも見えてきた。多分それはこの国で「日本人である」ということがどういうことか、少しながらも自分に「見えてきた」からだろうと思う。それまでは「日本人は日本で多大な権力を持っている」と言いつつ、でもそれは自分自身感じられなかった。が、そういう自分自身はべったりと「日本人の論理」で生きていた。そのことが少し感じられただけでも、わたしはとても嬉しかった。これを少し感じることができたということは、自分の「座標軸」をずらすことが可能だと言うことだから。

そしてこのずらした「視点」を保ちながら、来年に繋げていきたい。

最後に、うつ病的な視点から今年の自分を見てみる。

今年は比較的よく動けた年だった。多分、端から見ると「うつ病の人」には見えないだろう。そういう意味ではわたしも最早「うつ病」ではないと思っている。ただ、過剰に無理はしないように気をつけている。無理をしたら再発確実な反復性うつ病だからね。しかし以前と違ってきたのは「休んだら元通りになる」ってことだ。病気のときは身体がだるくてだるくて仕方がなかった。何をやるのもやる気が出ずに、多大に努力して動いていた、という感じがする。もう普通に動けていたときの状態が自分では分からなくなっていて「昔もやる気が出なかったけど、無理して身体を動かしていたのではないか」とずっと思っていた。何も考えずに身体がスッと動くなんて夢じゃないかって思ってた。

ところが、やっぱり身体って何も考えずにスッと動くものなんだよね。「やる気が出ない」というのは、出なかった頃は自分が怠けているのではないか、自分を甘やかしているのではないかってずーっと自分を責めてたけど、やっぱりそういうのは「病気の症状」だったのだ。そしてあのときは休んでも休んでも、寝ても寝てもずっとずっと身体のだるさは変わらないし、やる気も出たとは思えなかった。でも、今振り返って思うのは、やっぱり休んでも休んでも、寝ても寝ても身体が動かなかったりやる気が出ないときは、やっぱりそれは「休み方が足りない」んだってこと。休みが足りてきたら何も思わなくても身体がスッと動くし、何より何かやりたくなることができてくるのだ。

今も朝起きるとき、すごくだるくて起きる気がしない、起きるのが嫌な気分になることがある。そういうとき「あれ、自分はこれがデフォルトだったっけ?」って思う。だけど、その日、一日休むと翌日は動けるようになっている。朝、すんなり身体が動く。だから「あ、昨日はわたしは疲れてたんだ。だから起きれなかったのだ」って思える。うつ病のときは休んでてもあまりにも日々変わらなかったので、だるいのがデフォルト、みたいに思えちゃうのね。その感覚が今も残っているので、自分自身だるいときもそれは疲れではなく元からだと思ってしまうクセがある。けど、違うのね。今は一日で回復するようになったので、そういう意味でも「治ってきてるなあ~」って実感はあるし、身体がだるくて起き上がれなくても「今日は休もう」と素直に思える。

が、今ひとつ「治った」と言い切れないのは、疲れすぎると眠れないからだ。なぜか疲れすぎると眠れなかったり、眠りが浅くて全然寝た気がしなかったり、ってことは今でもある。なので「よくなってきている」けども「完全に治った」とまでは行ってないのだろう。だから、まだまだ油断大敵なのだが。。

今年1年は本当に充実した年だった。だが希死念慮は全然消えてない。むしろこれだけ活発に動いているのは「いつ死んでもいい。だけど悔いのない人生を送りたい」って思ってるからだし、もし明日死ぬとしても、わたしはそれで全然構わない。むしろその方が嬉しい。この世に自分が存在しているだけで苦痛だから。考えることも苦痛だから。息をしてるだけで苦痛だから。この世に未練なんか全くない。死んでこの世から早く消え去りたい。死んだら他人から自分のことを一切忘れられたい。この世にいたという痕跡を残したくない(死んだらこのブログも消去してもらう予定)。そしてわたしには「あの世」もない。「あの世」で自分が存在する、なんてそんな絶望的なこと、考えたくもない。わたしは「死んだら無になる」と思えるから、今、頑張れるのだ(だからわたしは宗教は信じたくても信じられない。宗教には「あの世」があるんだから)。死んでからいくら「あの世は何の悩みもない幸福な状況です」と言われても、自分が存在すると思っただけで苦痛なんだから、わたしにとっては幸福な状態であろうと苦痛なのだ。なんにせよ、わたしはわたしの存在自体をどこからも消し去りたい。これは明らかに「病的」なのは分かってるけど、これだけはもうどうしようもない。それは「病的」といっても、もうわたしの「一部」なのであり、そういう意味ではわたしは死ぬまでうつ病と「共存」していかねばならないのだろう。

よく他人から「生き生きしてる」とか「前に比べて元気になった」とか「顔色が良くなった」って言われるんだけど、確かに端から見るとその通りなんだろうと思うが、自分自身はあくまで「後ろ向き」に前に進んでいる感じだ。だって時間軸は前にしか向いてない。過去には絶対に戻れない。だとすると、前に進むしかないじゃないか。だけどわたしは自分が「生きたい」と思っては生きていない。自分で死ぬことができないから仕方なく生きている。だけど、生きている以上、悔いなく生きたい。「ああ、あれもやりたかった、これもやりたかった」「あそこに行きたかった、ここに行きたかった」と思いつつ死んでいくのはイヤだ。だから、わたしは今、できることを精一杯やる。一日一日を精一杯生きる。

来年もやりたいことはたくさんある。けど、それがいつ打ち切られても構わない。そんな思いを持って生きていく。

【追記】上の方で「創世記」云々、という話を書いたけど、あれは別にわたし自身が発見したことではない。このことについては、今年の不思議さを象徴するような話なのだが、直接的に「創世記」の1章と2章の書いてあることが矛盾している、ということについては今年読んだ「罪と死と愛と」という本に書いてあったものだ。そして「ではどうして矛盾しているものを直後に並べたのか」についての考察は、そこに書いてあったことを参考にわたしが大きく膨らませたものだ。実はここの部分、もう一つ、「男女」の造られ方が全く違う。このことについてはフェミニスト神学などが指摘しているということは以前から知っていたものの、問題はそこだけなのかと思っていたし、それがどういう意味を持つのかは考えたことがなかった。

そしてこの「罪と死と愛と」という本を知ったのは、「絞死刑」という大島渚の映画を観たからだった。そしてなぜそもそもこの映画を観ようと思ったかは、たまたま偶然チラシを見て知ったからだ。そう、順番を追って話すと、わたしはたまたまチラシを見て「絞死刑」という映画を知った。「観たい」と思ったのは、「小松川事件」という、これまたわたしは初めて知った事件だが(まあわたしが生まれる前の話なので)、貧しい在日の少年が2人の女性を殺害して死刑になった、という話を知ったからだった。事件は確か'56年頃起こって、'62年に死刑が執行された。死刑が確定した後、日本国内で助命嘆願が行われたらしい。それはあまりにも在日の少年が過酷な境遇におかれていたからだ。そして大島渚は'68年に「絞死刑」という映画を制作して上映した。'68年と言えば、ちょうどわたしが生まれた年だ。大島渚は「日本における在日朝鮮人の問題」としてこの映画を作ったらしい。わたしも「在日」のことについて描かれた作品だろうと思って観に行ったのだった。

ところが実際に映画を観ると「この映画のどこが在日朝鮮人に焦点を当ててるんだ?」という内容だった。わたしには「死刑制度について疑問を呈している」という映画としか思えなかった。そして内容も当時の人だったらそんなに細かい事件の背景は必要じゃないよね、というような映画だったので、事件自体のことははっきりしたことはよく分からないままの「なんか変な映画」だった。しかし観終わったときに、この映画を上映した主催の人が「小松川事件については、2冊の本が出ています」と教えてくれ、そのうちの1冊がこの「罪と死と愛と」だったのだ。ただこの本は少年死刑囚だった人と同じ在日の朴寿南さんという人との往復書簡集の一部だ。要するに手紙のやりとりのうちの重要な部分だけが抜粋されている本だった(重要な部分といっても、約300ページに2段組で書かれ、結構読むの大変だった)。そしてその他の1冊というのはこの2人の手紙のやりとりのすべてである「全書簡集」だ。けっきょく両方の本は手紙のやりとり、という形の本だったということだ。

「罪と死と愛と」を読んだら、これは在日というよりもキリスト教の話じゃないかと思った。そこに死刑囚ということは密接に絡んでいるが。というのは、この少年死刑囚は死刑が確定した後にキリスト教を信仰するようになっていたからだ。そこでは自分が死刑囚であるということと自分が犯した罪のこと、そして神とは信仰とは、ということが書いてある。確かに日本で生まれた朝鮮人、ということについても書いているが、この少年は生まれてから罪を犯して警察に捕まるまで、自分をあまり「朝鮮人」とは意識してないというか、本人は差別されるのでいつ周囲に自分が朝鮮人であるということがばれるか非常に恐れていたけれど、周囲は誰も彼のことを朝鮮人だと知った人はいなかったんだよね(雇い主は知ってただろうが。だって彼は就職の際も「朝鮮人だから」ということで大企業には就職できないのだ)。逆に「犯人は在日の少年だった」ということがクローズアップされすぎて本人はとても途惑っていただろうと書いてあった。彼は朴寿南さんとの手紙のやりとりにより、獄中、自分の民族意識に目覚めるのだ。だが、本を読んだ感想として、やっぱり主題は「信仰」にあるのではないだろうか、というのがわたしの感想だ。それくらい、信仰について書いてある内容が面白かった。上で「神がいる人は人間が客観的に見られて羨ましい」と書いたが、わたしがそう思ったのもこの本を読んでそう思ったからだ。

で、もうお気付きだろうが、なんとこの本は「死刑」「宗教」「在日」とわたしがそれまで別々に単独で興味を持ったことすべてが絡んでくる話で、その偶然さに非常にびっくりしたのだった。この話は今年、わたしに起こった「不思議さ」を象徴しているような話なんだけど、結局のところ、これは「象徴」に過ぎなくて、それ以外の分野でもあちこちで繋がったことが多かった。だから今年は本当にわたしにとって「不思議な年」だったのだ。
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12-09 Wed , 2015
子宮がん、検査を受ける目安
先々月に不正出血があり、そこでポリープが出来ていたので取ってもらったついでに、子宮頸がん検査と子宮体がん検査をしましょう、という話は以前に書いた。そして先月、ポリープの病理検査結果を聞いてきて、同時に子宮体がん検査をやってきたんだけど、その体がん検査の結果を最近聞きに行ってきた。まぁ、検査結果は10日で出るという話で、10日経っても電話がかかってこなかったので、異常なしなんだろうとは思っていた。

これで一連の検査等が終わったのだが、わたしは聞いておきたいことがあった。何しろ、婦人科なんてできるならお世話になりたくないところだ。多分、シスヘテ女性だって婦人科へはあんまり行きたくないところだろうから、レズビアンのわたしなんか本当に敷居が高い。行くたびに「わたしは女性とセックスする人間です」とは言いたくないから。かといって「異性愛女性前提」の話をされるのはきつい。問診票すら同性とセックスする人間のことを想定されてない。「いない」ものと想定されているわけだから、「いないもの」としてみなされている人間が「います」って言うことはとてもハードルが高い。今回行った病院は、まぁセクマイなら「ああ」って分かる病院なんじゃないだろうか。婦人科の診察が月に1回のとこ。ここはもともと「セクマイはいる」と想定されている、という安心感があるのでやはり心理的には行きやすい。そして婦人科の先生が来るのは月1回だけだからか、あの屈辱な体勢になる「内診台」がない。平坦なベッドの上に横たわって股開くだけ。これ、結構わたしにとっては楽だった。きっと体がん検査が全く痛くなかったのも、そういう心理的な面で緊張感がなかったからかも知れない。てなわけで、3回受診して話しやすくなってたところで常々「これはどうなんだろう」って思ってたことを聞いてきた。

まず、基礎体温計ってて疑問だったのは、基礎体温を測っていると排卵が起きていることは分かる。それによって生理が来るのも分かる。しかし、不正出血のときはそういう体温の変化に関わらず来るわけだから、それが不正出血なんじゃないの?って思ったが、無排卵の生理、というのがあるわけだから、体温に変化が無くても生理は来ますと言われた。そして、この年齢になってくるとダラダラと出血が続く傾向があるという。しかし、その出血が2週間以上続いたら、貧血になる恐れがあって止血しなければならないから、そのときは来てくださいと言われた。もちろん「何かある」可能性もあるという。なのでそれが病院に行く一つ目の目安。

もう一つは、頻繁に不正出血があること。数日おきに出血するなどのときも病院に来いと言われた。これが二つ目の目安。

以上が定期検査以外で「あれ」と思って病院に行く目安。

それ以外だと1年に一回は定期検査に来てね、と言うことになる。子宮頸がん検診はまず1年に1回、体がんは2~3年に1回かなあということ。これは体がんにかかりにくいからと言うことではなく、身体の負担を考えてとの理由なので、本当は体がんも1年に1回受けることが望ましいらしい。国保だと無料で検査が受けられるクーポンなんかが付いてくる年があるが、これの「子宮がん検査」は頸がん検査で体がんじゃないから、体がんを希望するならわざわざそう言わないとダメらしい。あ、体がん検査は40台後半くらいからね。体がんにかかりやすい年齢は、40台後半からだから。もちろんだからといってそれ以前の人は体がんにならないかというとそう言うわけではないが。まぁ40代後半以前はまれなことなので定期検査の必要性はないということだろう。

あと、気になってたのは卵巣がんなんだけど、これはひとまずエコーで腫れてるかどうかはチェックできるので、それが目安になるらしい。が、中には卵巣が腫れない卵巣がんもまれなんだけど、起こりうると。まぁもうそうなったら早期発見は無理ですってこと。今のところ医学にも限界はあるんだから仕方がない。わたしの場合は筋腫もあると言うことで、その大きさもチェックをしなければならないので、そのついでに卵巣は見てもらうことになる。

とまぁ、そんな感じで以前から聞きたかった子宮がんと卵巣がんについて聞いてきた。ちなみにわたしが行ってるこの病院は頸がん検査のキットは常時あるけど、体がん検査のキットはその都度持って来なければならないので、事前に予約するときに「体がん検査も受けたいです」って言わなきゃダメです。

しかしね~。前から思ってるけど「うちはセクマイフレンドリーです」って婦人科がもっと増えないかな。GIDの治療などで婦人科だってセクマイと全く関わりがないわけではないと思うんだよね(尤も、GIDはセクマイの中に入らない!という人もいるのは知ってます。そしてそれはそうだろうなという認識も持ってます)。婦人科の問診票で「セックス体験の有無」を聞くのは、単なる身体の中に入れる器具の大きさの違いだけって聞いたので(しかしそう考えると婦人科の医者は「セックス」というのは「女性器に男性器を挿入すること」としか認識していないということがよく分かるし、一人でもバイブで遊んでる人がいることなんか考えたりもしないんだろうと思ったりする)そこのところはもっといい聞き方をして欲しいなとか。最近「LGBTビジネス」という言葉が盛んに使われているけど(結婚式場とか保険とか)、こういうところだって「LGBTビジネス」の一つと言えるんじゃないだろうかね。
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12-01 Tue , 2015
夏の東北旅行記 その3(人生初!山形・秋田)
今日から師走なんだけど、季節を無視した日記を書いてます(^^;

その2の続き。

わたしは昔から「枕が変わると眠れない」体質で、うつ病になってからはさらに「疲れたときの方が覚醒して眠れない」体質(というんだろうか?)になってしまった。しかもこれまた「睡眠不足だと頭が痛くなる」体質でね。よく歳を取ると「若い時みたいに何日も徹夜できなくなったー!」って言う人がいるんだけど、わたしは既に高校生の時から徹夜は無理だった。一回ねー、定期テストの時に徹夜で勉強してみたのよ。科目は物理で、しかもそれでもうテスト終了、というから最後はちょっと無理してみよっかな、みたいな感じで。

。。。散々だった。眠くて頭が痛いわでテストどころじゃなかった。なので「あ、わたしは徹夜無理」と思って、それ以来完徹したことない(睡眠障害で夜眠れなかったのは除く)。

でさー。旅行行くと必ず持っていくのは頭痛薬。絶対にどこかで疲れて頭が痛くなるから。長い旅行で途中、頭が痛くならなかったことがない。

そして3日目の朝、頭痛が起きちゃうんだよな~。1日目と2日目、よく眠れなくてね。身体はとっても疲れてるんだけどね。

8月3日(月)
というわけで、起きてみたら頭が痛かった。でも朝食は確か7時半って決まってたので無理矢理食べる。

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前日とメニュー違うけど、ここのYHは基本、和食なのね。前に来たときもそうだったと記憶してるが。。和食、洋食と日替わりになってるYHもあるよね。

朝食後、本当ならそれからすぐに出て、途中、ちょっと2駅ほど歩こうかなってプランを立ててたんだけど、頭痛いし、これ以上体力使ったらこの先持たない、と思って、1本電車遅らせて、チェックアウトギリギリまでYHで寝てることにした。だってねー、東京で旅行のプラン立ててたときは、東北ってこんなに暑いとは思いもしなかったのよ。夏の東北に行くのは初めてで、東北ってもっと「涼しい」イメージを持ってた。ところが仙台はほとんど東京の暑さと変わらない!「騙されたー!」って思ったね。尤も現地の人に聞くと「今年は異様に暑い」って話だったけど。。暑いと余計に体力奪われるじゃん。しかも頭が陽に当たるとこれまた頭痛の原因になるので。。

ご飯食べ終わってから2時間ほど寝てたら、頭が痛いのが治まってきたので「よかった」と思いつつ、YHを後にした。

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YHの最寄り駅、太子堂を10時11分発。太子堂から仙台まではなんかいろいろな線があって、どれに乗ったんだかはよく覚えてない。東北本線の他にエアポートなんたらとか、いろいろあるらしいね。

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仙台!てか、是非とも「むすび丸」が付いてる仙台駅の看板を撮りたいと思ったんだけど、前の日記にも書いたように今仙台駅ってなんかとっても構内を工事してるんだよね。これ、見つけるの結構大変だった。

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12時11分、仙台駅から仙山線に乗る。これからいよいよ山形へ。といっても山形までは行かないのだけど。実は人生、初めての山形県。山形は花笠音頭で天童とか尾花沢という地名は知っているけど、ああ、あと天童市は将棋の街だとかね。さくらんぼもそうかな?でもそれ以外のイメージって全くなかったです。

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13時26分、羽前千歳着。この先が山形なんだけど、山形まで行くとうまいこと奥羽本線に乗り継げないのね。まぁここから先は仙山線と奥羽本線の重複路線だからだと思うけど。

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電車が来るまで10分以上あったんで、駅のホームをブラブラしてたら、こんなものを発見。ここで線路内に物を落としたらわざわざ山形駅に連絡してそれで駅員さんに取ってもらわないといけないみたいで。でもそんなこと律儀にしてたら時間がどのくらいかかるんだろうかと思ったりして。山形からここまで駅員さんは何で来るのかな~とか、電車に乗り遅れたら飛んでもない目に遭うだろうなとか。

しかしここは本当に暑かった!確かに山形のここら辺って盆地だから余計に暑いとは分かってたけど、確か今までの日本での最高気温って山形が記録してたと記憶してるけど。で、ここで偶然iPodから流れてきた曲は、細川たかしの「津軽じょんがら」で、それを聞いたとき、ビミョーな感じだった。まぁここは津軽ではなかったけど、「津軽は雪ん中~♪」と歌われても全く想像が付かない(笑)あ、ちなみにわたしは別に細川たかしのファンではなく、数年前の紅白で細川たかしが「津軽じょんがら」を歌ったときにそれが頭から離れなくなっちゃって、次の年(って紅白の次の日はもう新年だが)の正月にiTunes storeでこの曲だけ買って、iPodに入れてたのだ。あと上にちょっと書いた花笠音頭もiPodに入ってて、なんでこんな曲が入ってるかといえば、わたしは日本の「音頭」が好きで何枚かCD持ってるからだった。沖縄民謡も好き。ただ、沖縄を除く日本の民謡はイマイチ。やっぱノリがいいのが好き。河内音頭も好き。まぁわたしの音楽の好みはそれだけじゃないけど、基本、日本の民族的なリズムってのは好きなんだよね。かけ声とか。エンヤコラセードッコイセ、とか(って河内音頭じゃん!)。まぁでもこの季節に聞く演歌などは、地元に近いけど、季節感が全く違うのですごーく違和感があって、それがとても面白かった。

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13時39分、奥羽本線、羽前千歳発。ところがこの電車ねー。既にものすごい人が乗ってて、危うく乗れないかと思うほどだった。ものすごい人、というのは、どうやら高校生みたいで。この日、集団登校日だったのかしら。多分、山形から乗ってきたんだよね、この子たち。でさぁ。びっくりしたんで未だにこの電車の中の光景が忘れられないんだけど、みんな電車の中で勉強してるの!!!@@;大抵、今どきはゲーム機持ってたりスマホの画面見てたりするじゃん。違うの。なんかねー、大きい画板みたいのをみんな持ってて、それを下敷き代わりにして書いたりしてるの。座ってる子だけじゃなく立ってても。画板をみんな持ってるってことは、いつも電車の中で勉強してるってことだよね。なぜかみんな、英語ばっかりやってたけど。しかも、子ども連れのお母さんに席を譲ったりしてて。ええ子や~、キミら。わたしはこれで山形県のイメージが変わりました(大げさ)。

そんな劇混みだった電車内も、途中でみんな降りていき。

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14時42分、新庄着。ここで1時間近く次の電車を待ったんだけど、もう暑くて暑くて。

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なんと34.9度。暑すぎて朦朧としたので駅の外を出ようとも思わなかった。しかしここ、新幹線の始発駅なんよね~。初めて知った。ローカル線と同じ線路を新幹線が走ってる区間なのよね。

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15時37分、新庄発。ここからも奥羽本線。途中、

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これなんて読むん?みたいな駅があり。「及位」はどうやったら「のぞき」と読めるのか?「のぞ・き」なのか「の・ぞき」なのか?「湯沢」って新潟にあったんじゃなかったっけ。ここ、山形、いや、もう秋田か、秋田だよね?ああ、そういえば新潟の湯沢は「越後湯沢」だったっけ。「越後」って付いてるのは、ここと区別するためだったのかとか。そして乗ってるうちに気が付くんだよね。。

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辺り一面が田んぼなことを!

んーなんていうのか。わたし、これまでここまで一区画が大きな田んぼを見たことがなく。すごいきれいだったー。わたし、この区間の奥羽本線の風景、この旅行の中でも印象に残る光景のNo.1です。

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そして本日の宿泊地、大曲YHがある飯詰駅、17時16分着。

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ここの駅は、当然のことながら(?)、無人駅でして。そこから30分くらいかなー、YHまで歩くのは。そう大した距離ではないし、なんてったって、周囲が田んぼだらけで本当に「わー」と思いながら、道を歩いてた。

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右側の画像の黒い点々は、カラスです。なんでかよー知らんが、何も植わってないところにカラスがたくさんいた。何かの種が蒔かれてたんだろうか。

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あまりうまいことは撮れなかったのだが、一応パノラマで。そういえば、3月に安曇野に行ったとき、安曇野YHの周囲も田んぼだらけだったけど、こんな感じなんだろうかとふと思ったりして。しかし本当に一区画が大きかった。秋田と言えば「あきたこまち」をすぐに思い出すけど、これらはみんな「あきたこまち」なんかしらん?

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大曲YH。入口があまりにも普通の家の玄関みたいだったので、そこじゃなく、もっとYHの入口っぽいのがあるのかしらと思ってその先に行ってみたのだが、そんなものはなかったので「ここから入るのかー」と。ペアレントさんはよーく喋るおじさんでした。おじさんと言っても、わたしとあまり年齢は違わないんだけども(汗)

「急な客が来なければ、今日は部屋に一人です」と言われて案内されたのが

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じゃーん。クーラーなし!「でも開けっ放しにしておけば、外から涼しい風が入ってくるから」と言われ、え、開けっ放し???夜中でも?「まぁだいたい夜中にここを通る人なんていないから!徘徊老人以外は(笑)」え、ああ、そうなんですか。。。てか、プライバシー全くないじゃんかーって思ったけど、実際、泊まってる間は誰も入ってこなかったです(当たり前か)。でも、最初の方はちょっと落ち着かなかったな~(笑)

ペアレントさんから「今、秋田は竿灯祭りの最中だけど行かないの?盛岡でもさんさやってるよ」と言われ「ああー、ここは青森に行く途中でどこかに泊まらないといけなかったから来ただけなんです」と答える。「もうさー、この時期は東北は夏祭りだからね、どこでも!」と言われ、そっかー、そういや仙台もこれから七夕だったし、夏の東北ってそういう意味では「日常」ではないんだと思わされる。「日常?日常だったら冬がいいね。冬の方が日常だよ」と言われる。ここのペアレントさんは、地元出身の人ではないようで、埼玉出身の人だったかな?脱サラしてYHを経営してるらしい。とにかくしゃべり好きな人で、聞けば周辺のたくさんの見どころを教えてくれる。わたしは既にこのときまでに「今、わたしの体験してるのは、東北じゃないような気がする」と思ってたので、次に来るときは寒い時期に来てみようかなと思い始めてた。ので、ここの冬の行き場所を教えてもらったりした。冬はここらは横手でかまくら祭などがあるらしいのだが、それ以外はやはり温泉だとか。ただ、わたしのような公共交通機関を利用するとなると、その選択肢はぐっと減るみたい。

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この日の夕ご飯。ちなみに野菜類はすべて、ペアレントさんが自分で作ったものだそう。右上の黄色いのは食用菊だったかな。左上の汁物は秋田名物「きりたんぽ」だそうだ。普通、きりたんぽは冬のものなんだけど、まぁここでは夏も出してくれてるみたい。きりたんぽ、初めて食べました。

この日は朝、頭痛かったし、それまであまり眠れてないしで、ご飯食べた後早めに寝ようと思ってすぐ風呂入って布団の中に入ったのだが、なんかねー、消灯の少し前に新しい宿泊客が来て、その人とペアレントさんがずーーーっと食堂で話してるんだよねー。部屋、あけっぱなしにしてるじゃん?何を喋ってるのか、内容までは分からないけど、それがうるさくてさー。だいたい消灯過ぎたら静かにしなきゃなんないんじゃん、誰だって。それにこんなにうるさかったら誰かが注意するだろうよと思ってしばらく放っておいたのだが、12時近くになってもまだ喋ってる!なんかちょっとウトウトしかけたんだけど、声で起こされてしまって、わたし、これ以上眠れなかったら次の日も頭痛じゃん、こりゃ言わんと分からんわと思って仕方なく食堂まで行って「すいません、もう消灯時間、だいぶ過ぎてるし」と言ったら「ごめんなさい!」と言われてすぐに終わったけど、もー、どうなっとるん、ここのYH。ペアレント自ら消灯時間無視するなー。って、わたしも今まで眠れてなかったもんだからね、これ以上眠れなかったらという恐怖心もあったんで、どうも済みません。

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夜になれば、そこそこ涼しくなると言われ、確かに寝る前の時点で25度を割ってたけど、ちょうど明け方一番寒いときに起きたので「今は何度だろ?」と思ってみたら、22度台だった。確かにこれだとクーラーなしで行ける。ペアレントさんとはわたしが歯磨きしているときに少し話したんだけど(冬の見どころなどもそのときに教えてもらった)「こんなに暑かったらクーラー付けないとダメかなあ。でも、クーラー付けても稼動日数が年間10日くらいなものだし、付けたら維持費がかかるんだよね。。」と言ってたので、翌日「わたしは別にクーラーいらないと思いますけどね」と答えておいた。

ちなみにここのYH、わたしが泊まったときは全部で3人くらいしか宿泊客がいなかったと思うけど、その次の次の週だったか、大曲の花火の時は満員になるんだって。ただ、経営はかなり厳しいみたいですね~。YHってわたしが高校生の時は夏休みとなればどこもいっぱい、予約取れないところもたくさんあったのに、最近は本当の客が減ってるのね~。まぁこれだけの施設を数人で使うとホテルに泊まるより部屋は広いし、一人部屋だし、風呂もそれなりに広いし、これまた一人で十分浸かれるし、というので、今はかなり「穴場」になってると思う。ただ、同じ部屋に同じ旅行者がいないので旅の情報交換などができないのは、ある意味YHの醍醐味もなくなってしまってるというのが現状か。寂しいね。

その4へ続く。
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11-30 Mon , 2015
夏の東北旅行記 その2(東北レインボーSUMMERフェスティバル)
その1の続き。

しかしなぜこの日程で東北旅行をしようと思ったかというと、「8月2日に仙台で『東北レインボーSUMMERフェスティバル』があるからそれを見に行くため」だったんだよね。わたしは地方に住んでたこともあったけど、セクマイの活動は東京以外ではやったことがなく、地方の人が地元でどんな活動をやってるか、地方のセクマイはどんな感じで暮らしてるのか、そういうのがずっと知りたかった。地方のセクマイの人がどんな思いをして日常生活を送っているか、しばしば耳に入っては来たけど、実際にその場に行ったことはないし、雰囲気も分からない。それに特に地方には長く活動をしている団体が数多くあり、そういうところから学ばせてもらいたいとも思っている。地方というのは仙台に限らずね。

それから、東京で行われるプライドパレードのときは地方からもたくさんの団体の人が来てて、そこでいろいろ話したりはするんだけど、いつもいつも東京でしか会わない、というのが嫌だった。だってそれは彼らにとっては「非日常」なわけで、わたしはそういう彼らの「日常」が知りたかった。それと東京のパレードなんかわざわざ行かないよ、って人もいるだろうからね。そういう人と会って話をしたかった。

東京に住んでる人は、ほとんど東京を出ることはない。いつもいつも地方から来る人を迎えるだけ。わたしが地方に住んでたとき、東京に住んでた友だちはいつも「今度はそっちに遊びに行くから!」って言ってたけど、実際は1度も来てくれたことはなかった。そりゃ確かにわたしが東京に行くのは友だちに会いに行くだけではなく、別の用事もあったりしたからだけど、だけどいつもいつも「こっちから会いに行く」のは不公平だと思った。東京の人は傲慢だと思った。そういう経験があるからわたしはそうはなりたくないって思ってるんだよね。こういう、いくつかの理由があって、わたしは今回東北に行ったのだ。

8月2日(日)
宿泊先の「道中庵YH」は夕食の提供はなくなっちゃったけど、朝食はあるので。

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お米は宮城県産のお米って書いてあったかな~。

「東北レインボーSUMMERフェスティバル」は13時からなので、YHにいられるギリギリ10時までは部屋でのんびりして、それから出る(YHは連泊でもチェックアウト時間以後に部屋にいることは出来ない)。

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YHの玄関先にあった「むすび丸」。かわいい。気に入ったんで撮っちゃった。

それから仙台駅まで行ってふらふらと~。仙台と言えば「萩の月」なので、そういうのを買ったり。しかし、よく考えてみれば仙台って帰りも通るところだったので、何もこの日に買わなくてもよかったんだよね。。。「萩の月」は本当にわたし大好きなんだけど、一つ一つ箱に入ってたりするのがあまり好きではなく。なんかどこかで簡易包装の「萩の月」が売ってると聞いてたので、ネットで調べてわざわざ買いに行く。と言っても仙台駅の駅ビルの地下だったっけ。

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「東北レインボーSUMMERフェスティバル」の会場は仙台市市民活動サポートセンターというところだったんだけど、そこで7月18日から8月9日まで「虹色七夕」という展示イベントもやってたのね。だからそれを見るためにちょっと早めに着いておこうと思って「萩の月」を買った後、そちらへ向かった。で、上の画像は全然関係ないですが、確かあおば通とどこか交差してる広い道を渡るときに、歩行者は地下に降りなくちゃならなくて、地下に行ったらそこにあったもの。これは一体なんなんでしょ?噴水の施設だったとか?冬になるとここから暖かい空気がぶわーっと吹き出すとか?(それにしても仙台はものすごく暑かったです!!)

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そして、会場の仙台市市民活動サポートセンター。なんだかすごーく立派な建物だった。そこの5階の展示スペースで「虹色七夕」をやってたので先にそれを見に行く。

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展示スペースは全体がこんな感じ。

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まぁ一角と言えば一角なんだけど、でも丁寧に読んでいくと全部読むのはかなりかかると思った。当事者のメッセージあり、東北地方のさまざまな団体の冊子あり、芸術作品みたいなのもあり。

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こんな感じ。そうそう、一番右の画像の下に貼り付けてあったのは、七夕に関する短い小説だったんだけど、読んでみたらすごく笑えて面白かったので全文撮って来ちゃった(いいのかしら?)。

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わたしはこれ系統の話が好きでね(笑)彦星は実はゲイって設定。まぁホントはこれじゃ織姫がなんだかいいヤツでかわいそうに思えてくるんだけどね~(一年中機織りなんて(涙))。

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「虹色天の川」という作品。確かこれ、学生団体の作品だったっけ?当事者かどうかは分からないけど、いろいろな人の願いが書かれてあった。中には「おにくたべたい」というのがあって、書いてるときにお腹が減ってたのかな?とか思ったり(笑)「同性愛は罪と言われた」というのは見ててつらいね、、

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やっぱり忘れちゃいけないのがこれ。なんだけど、時間がなくてほとんど読めなかった。ウェブサイトでも公開してると書いてあったので、読んでみようと思いつつ、まだ読んでない。

わたしがこの展示を見てるとき、他に1人だけいて、でもその人は当事者じゃなく、当事者のことが知りたかったから来てみたって言ってた。「東北のことはよく分かんないけど、多分当事者じゃなくても参加できる交流会とかたくさんあるんじゃないですかね~」って言っておいた。てか、このときはまだ知らなかったけど、実際、そうらしいです。

で、そろそろ時間になるかなーと思って今度は地下1階へ。

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エレベータ降りて会場の中に入るとこんな風船がたくさん。カラフルできれいでしたよ~。で、会場。

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なにやらここで話されるらしい。ただねー、会場全体の画像はありません。ていうのは、プライバシーの問題があって、誰が写り込むか分からなかったから撮れなかったんだよね。この舞台が一番前方として、その後ろに椅子が何列にも並べられていて、それを取り囲む壁際に地元の団体のブースがいくつか出てた。わたしが会場に着いたときはまだ全然客がいなくて「本当にこの座席、全部埋まるの?」って思ったんだけど、始まるに従って人が増える増える。結局席は全部埋まって、周囲に少し座るスペースがあったんだけど、そこまで人が座っているという、かなり盛況のようでした(確か、参加者108人だっけ?終わってから参加者人数発表の時に誰かが「煩悩の数と一緒」って言ってたことを思い出す(笑))。

でねー。実際、舞台の上でいろいろあったのも全部、画像には撮らなかったの。正直、どこなら大丈夫でどこがダメかよく分からなくて。うー、例えば名古屋のNLGRとかはそんなの気にしなくて誰にも聞かずにバシバシ撮っちゃってたけど、なんというか、「ここ」では誰が顔出ししてるかしてないか、ってのがよく分からず。なのでここからはほとんど画像はありません。わたしはステージイベントが始まるまでは各団体のブースに行って誰彼かまわず挨拶をしてました。かなーり変な人だったですね。すみません、、

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この会場がすばらしかったのは、こうやって耳が不自由な人のために話したことをパソコンに入力してこんな感じで出す、ってスクリーンがあったこと。これ、こんな感じでパソコンが4つあって、4人の人でやってました。どういう役割分担があるんだろう?って思った。

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こういうの、やってくれるシステムがあるようです、仙台って。見てたらなかなか大変そうだったけど、これだと一瞬聞き逃してもスクリーンを見れば分かるので、耳が聞こえても便利だった。

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これが始まったところ。ただしねー、フェスティバルは第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」、第2部「ステージ・パフォーマンス」だったのだが、このサービスは第1部だけだったんだよね。まぁ歌ったり踊ったりのステージ・パフォーマンスにはこういうのは必要ないのかなあとも思ったけど、でも、今、何をしているかちょっとだけ字幕の説明があった方が分かりやすいんじゃないかとは思った。リアルタイムで文字化しなくても、事前にどういうパフォーマンスをするかは分かってるんだから。

第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」は、武田こうじさんという人とあと地元団体の当事者、ゲイとバイセクシャルの人(確か女性自認の人だったか)の計3人のトークショーだった。地元では武田こうじさんは有名な人なのかも知れないけど、わたしは全く知らなくて。地元の詩人だったかなあ。時折、武田さんの作った詩を武田さん自らが朗読してた。

それが終わったあとは「Living Together in SENDAI」ということで、HIV/AIDSの手記朗読。なんか久々にこういうの聞いた感じ。わたしも以前、Living Together Loungeがあった頃はちょくちょく二丁目に行ってたんだけど、あれがなくなってからはHIV/AIDS啓発活動のイベントに行くことがなくなってしまって。名古屋のNLGRもとんとご無沙汰してるし。

そして第2部「ステージ・パフォーマンス」。最初は舞台の上で何人か出てきて女装姿で踊ってた。誰も知らない人なんで、その人たちの性自認などは全く分からないのだけど、男性に見えた人は4人くらいいて、女性に見えた人は1人いた。こういうところで男女混合で踊るのはかなり珍しいと思うけど、まぁわたしは最近、その手のイベントを見ることがないので、今現在それが珍しいのかどうかは分からない。踊りが終わったあとは一人で出てきて突然オペラを歌う人がいて、これはちょっと斬新。てのは、東京、大阪、名古屋などの大都市でやるイベントって性的少数者(主にゲイだと思うが)のパフォーマーがかなりいて、その人たちだけでできちゃうんだよね。この前にやった女装姿で踊るとか、あとはドラァグクイーンが出てきてパフォーマンスやるとか、それで一イベントできてしまうくらい人数がいる。だからこういうところで「ゲイ文化」の中には入ってないオペラを披露するってことはかなり珍しいのではないか。少なくともわたしはこれまで見たことはない。

なんていうのかな~。地方ではセクマイが少ないって言われる分、地域の人を巻き込んでいかないといけないのかなって思いつつ、でもこれはかなり重要で効果的ではないかと思う。セクマイはセクマイで固まってたって、理解者は全然増えないし、逆にセクマイで固まられると当事者でない人は中に入りにくくなる。けど、こうやって理解者を巻き込んで一つのイベントを作っていくのって、大変は大変だろうけど、別の理解者も増やすことになる。地方は人数が少ない分、そうやってやらなければならないんだろうけど、これは東京でもやってかなきゃいけないよね~。まぁ東京レインボーパレードでは、毎年大物ゲストを呼んで、コンサートみたいなのをやってるけどね。てか、わたしは東京で行われるこの手のパフォーマンスってあとは年末にやるgakuGAYkaiしか知らんわ。そういう情報、最近はホント集めてないから知らない。

まぁとにかく、このオペラのパフォーマンスは斬新でかなり気に入った(笑)

次は月子さんっていう、地元では有名なのかしら、ドラァグではないけど女装の人?がポールダンスのパフォーマンスをしたのだけど、その前に準備と言うことでその間に見た「青葉城恋歌」に合わせたPVが流れ。これがまたすごい笑えた。仙台駅とか、萩の月とか、青葉城址とか、広瀬川とか、仙台の有名どころが出てきて、月子さんと思われる人が男に振られるんだか振るんだか(よく覚えてない)、胸パッド代わりに萩の月入れてたり、それを食べたり、なんかすごく面白かった。「あー、仙台にとってはこういうのがベタで笑えるんだなあ」って思った。わたしはもちろん地元の人ではないから、同じものを見てても捉え方が違ってるとは思う。

ポールダンスって初めて見たんだけど、すごいね。本当はとてもとても画像に撮りたかったんだけど、撮っていいのか分かんなかったから、終わったあとの画像。

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あとで聞くと、後ろの方の人はバシバシ撮ってたそうです。が、わたしより前にいた人は一人もカメラ向けてなかったからな~。残念だった。これに垂直に身体を立てるのってすごい腕の筋肉が必要だよね。

てなわけで、ステージ・パフォーマンスも終わり、最後に抽選会。当たったらLGBTフレンドリーなスキー場だったっけ、そこのチケットがプレゼントされるとかだったけど、わたし、それに当たっても元々スキーやんないしってことで、「当たるな~」って思ってたら運よく当たらなかった(笑)ちなみにそのLGBTフレンドリーなスキー場、どこだったかは忘れた。会津とかだったっけ。なんか宮城県じゃないんだなあとは思った記憶はある。

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これが外れて持って帰ったチケットで~す。

会が終わって、前日同じ部屋に泊まった地元の人から聞いた回る寿司屋でも行くかと思ってたら、会場で知り合いになった人が親切にも夕飯に誘ってくれて、8人くらいで一緒に食べた。

そこでいろいろ地元の人の話が聞けて楽しかったけど、やっぱり震災の時の話になった。なんか地域によって全然違ったみたいだけど、地震起きてからライフラインが復旧するまでが大変そうだった。「1週間くらい風呂に入らなくても生きていけるって分かった」って話してくれた人がいるけど、そうなのか~って感じ。あとは「あの季節でよかった」って言った人も。電気が使えなかったから、冷蔵庫が役に立たなかったんだけど、まだ寒い時期だったから食べ物が腐らなかったって。それにこれから暖かくなる時期、というのも不幸中の幸いというか。住んでるところが基準以上に傾いたので全壊の対象になったとか、浸水してもう住めないのに半壊にしかならなかったとか、そういうことも聞いた。地震が起きてすぐに電気が来なくなったから、情報が全く来なくて、たまたま前の人がワンセグで見てたテレビをちらっと見たときに東京の画像が写ってたので、その人は「東京が震源地だったんだ!東京が壊滅したらどうなるんだろう」って思い込んでたとか。そんなことを面白おかしく話してたけど、まだまだあの震災に遭った人の記憶は鮮明なんだよね。

仙台ではいろいろ交流会などのイベントもあり、今度はそういうのに参加してみたいなあ~と思った。何回も行けるわけではないけど、1度は行ってみたい。

というわけで、楽しかったです、この日。お世話になった皆さん、本当に有難うございました。

その3へ続く。
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