06-22 Sun , 2014
北海道、青森旅行6日目(帰京)
さて、旅行6日目。いよいよ最終日。

昨日うっかりして書き忘れたが、実は青函トンネルを通るとき、わたしの頭の中では「津軽海峡、冬景色~♪」の音楽が鳴り響いていた。ホント、いつも思うんだが、ベタだよねえ。「津軽」って字を見るだけで自動的に頭の中で音楽が始まるんだもんね。だけど、どうしても歌い出しが思い出せない。彼女に「あおもりーえきはゆきーのなか、の前の歌詞、なんだっけ?」って聞いたんだけど、彼女も思い出せない。一生懸命考えてやっと「うえのはつのやこうれっしゃおりたときから」っていうのを思い出した。

しかし、この曲名曲だよね。今まで歌詞の意味も考えずに歌っていたが、今回、頭の中で歌詞を考えていて初めて「この人は青森駅から青函連絡船に乗って北海道に行く人の曲なのだ」って認識した。それまで津軽とか青森とかのイメージが強くて、そこからさらに北に行く人って理解してなかった。それになんだかよく分からないけど、わたしの中では北海道より青森や下北半島の方が寒くて暗いイメージがあって、そしてそれが演歌と結びついちゃってた。青函連絡船が通ってた時代のことはわたしは知らないが(大学3年のときには既に青森駅近くに八甲田丸が展示されてた)、この曲ができて以降は、青函連絡船に乗ったとき、この曲を思い浮かべた人は多いんだろうな~。しかし、そう考えると演歌って別に普段は意識してないのに、自分の身体に入り込んじゃってるなーって思う。尤も最近の演歌の新曲って全く知らないが。

さて、朝起きて、ご飯を食べに行った。札幌のホテルからずっと朝食はホテルに付いてる朝食バイキングなどを食べてたんだけど、函館までは全部朝食別料金だった。青森のホテルを探すとき、青森はどこのホテルも朝食付きだった。普通、朝食付きのときの朝食って結構しょぼいイメージがあったんだけど、わたしが泊まったホテルは今までのお金を払って食べた朝食バイキングと全然変わらないくらいの質だった。これには結構びっくり。まぁ、宿泊料金の中に朝食の代金が入ってるのかも知れないが、だからといって宿泊料金が他のところと比べて特別に高いってわけじゃなかったのよ。

そのホテルはフロントと同じ階に食堂があったんだけど、彼女と一緒に下に降りていったら、前日、わたしと同じく友人の婚姻届を見守ってた人がいたんでびっくり。「あ、同じホテルに泊まってたんですねー」って話をした。その人はもう既に朝食を食べたらしく「ここの朝食、おいしかったですよ」って教えてくれた。こういう偶然の再会みたいなの、わたしは好き。

ご飯を食べた後はしばらく部屋のベッドの上で寝てたが(疲れてるんだもん!)もうすぐチェックアウトぎりぎりの時間になるというので、ホテルをチェックアウト。友人のところに向かった。

友人のところでしばらくのんびりして、お昼近くになったのでお昼を食べに行こうってんで、なんかどっかのお店に行った。そこで確か、海鮮丼を食べたんだけど、これがすっごく美味しかった!わたし、普段は朝もお腹が空かないし、昼も動かないと全然お腹が空かないので、このときも実はあんまりお腹は空いてなかったんだけど、それでもあっという間に食べちゃった。海鮮丼を持ってくるときにお店の人が中に入ってる魚の名前を教えてくれたんだけど、地元名の魚が多くって、正直、何が何やら分からなかった。

ご飯を食べた後は「もう駅に行った方がいいよ」と言われたので、タクシーに乗って新青森駅に。車いすでなければ青森駅から電車に乗って新青森駅に行けたのだが、前日に青森駅の人に聞いたら「その乗り継ぎ時間では車いすだと難しい」って言われてたんだよね。確か、乗り継ぎ時間4分だったっけ、8分だったっけ。その1本前にするとものすごく前に青森を出なきゃならなかったので「タクシー使うかねえ?」って言ってたの。

札幌ドームの時もそうだったけど、電車で行けば数百円で済むのに、タクシーだと何千円もかかる(青森駅から新青森駅までは何千円もしないが)。車いすで移動っていうのは、つくづくお金がかかるもんなんだなと思った。

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青森駅と違って新青森駅は近代的だった。エレベータですぐに改札に行けて、そして改札で「車いすです」って言ったんだけど、なんと「ここの電車は全部バリアフリーだから自分で乗って下さい」って言われた。そんなこと言われたの初めて!一体、バリアフリーってどういうバリアフリーなん?って思ったけど、確かに段差はなかったが、列車とホームの間には溝があって、わたしは彼女を乗せた車いすが動かせなかったorz

どこがバリアフリーじゃヽ(`Д´)ノウワァァァン

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確か「はやぶさ」だったかな、新幹線。なんかやたら中がきれいだった。新車?って思ったけど、置いてあった公衆電話に「この電話は新札が使えます」って書いてあったので「新札??いつの話?」って思った。結局、新しかったんだか古かったんだかはよく分からない。。

でもここの車いす席はよかった。この旅行でいろんな車いす席に座ったんだけど、同行してるのに席が離れちゃう車両があって(車いすの人は隣の席がない)そういうのはつまんなかった。まぁ車両にはいろんな事情があるだろうけどね、、(新幹線みたいに3つの席が並んでるとは限らなくて、左右2席、2席しかないところがあるから)これができるのか可能かは分からないんだけど、彼女みたいに少しなら自力歩行できる人だったら、わざわざ車いす席を取らないで、車両の一番後ろの席を確保できれば、すき間に車いすを収納できて普通の席に座れるので、それがいいのかなって思った。

この日の青森は曇っていたが、東京に近づくにつれ雨が降ってきたり。わたしは東京から仙台までは新幹線で行ったことがあったのだが、この日ついに陸路での青森、東京間が繋がった。しかし、仙台の次が大宮って、、新横浜の次が名古屋みたいなもんか?

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というわけで、東京着。東京に着いたら雨がいっぱい降っててびっくりした。

東京駅ではホームでスロープを持った駅員さんが待っててくれた。やっぱりスロープは必要だと思った。

そこから乗り換えの電車のホームまで駅員さんが誘導して連れて行ってくれたのだが、東京駅はなんて複雑なの!!普段エレベータを意識してないからだと思うけど、あれは事前に分かってないとすごく迷うと思う。でも分かってないと、前にも書いたけど、途中でお店に入ってお土産や弁当は買えない。。駅員さんに誘導されるとどこにも寄れないのだ。東京駅って普段見ないお土産とか結構売ってるので、わたしは見て歩くのが好きなんだけどな~。弁当も最近、地方の弁当を売ってるので喜んで買ったりしてるんだけどな。まぁわたしの場合は今回だけだろうけど、ずっと車いす生活してる人はこういう場合はどう対応してるんだろう?

最寄りの駅に着いたらさらに雨が激しく降っていて、これは歩いて帰れないので(元々傘を持って行かなかった!)タクシーで帰ろうということになった。この旅行では本当にタクシーよく使ったな。

それにしても、この旅行では実に様々なことを経験できて、本当によかった。いろんなことを感じ、いろいろなことを思った。彼女ともたくさん話したし、いつもより身近に感じられて楽しかった。この旅行で思ったこと、感じたことを今後の自分の生活の中で生かしていきたいと思う。

天候に恵まれた旅行だったが、まさか帰ってきてから東京は丸一週間、雨が降り続けるとは全く思いもしなかった。。
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06-21 Sat , 2014
北海道、青森旅行5日目(青森で同性の婚姻届提出を見守る)
今回「旅行しよう!」って決めたのは、青森に住む友人から「6月に役所に婚姻届を出そうと思ってるんだけど、元気だったら見守りに来て」と言われたのがきっかけだった。

わたしはいつか、青森に行きたいと思っていた。今回のことがなくても多分行ってたと思う。もっと後になっただろうけど。それは以前、この友人とは違う別の地方に住む人がtwitterで「東京の人は自分の地元に行きたい、行きたいって言うけどほとんど来ない。地方に住む人ばかりが東京に何度も行っている」と呟いているのを見たことがあったからだった。

地方に住んでて東京に友だちがいるけど、結局いつも会うのは東京でばかり、という経験はわたしもしてる(わたしの場合は東京に住んでたことも地方に住んでたこともあるから両方経験してるけど)。確かに東京の方が人がたくさんいるし、ものもイベントもたくさんあるから、イベントに行くついでに友だちに会って、なんてこともできる。できるんだけど、自分だけがいつもいつも東京に行くっていうのは、なんだかなーって思ってしまう気持ちもあるんだよね。だからその友人には「いつか青森に行くね」って言ってたんだけど、ちょうどいい機会だし行ってみようって思ったのだ。

ちなみにその友人と初めて会ったのは、いつ、どこでだったのかちっとも覚えてない(笑)ただ、わたしがこっちに戻ってきたのは2005年だし、その翌年から性的少数者などの集まりに行きだしたので、おそらく2006年か2007年から知り合いだったんじゃないかなと思う。今回友人と「初めて会ったのはいつだっけね」と話をしたんだけど、双方とも覚えてなかった。ただ、それからもつかず離れずでその友人とは「すっごく仲が良い」ってわけじゃないと思う。いつも偶然どこかで出会って、少し話してからまた離れる、って感じ?だけど、わたしはその友人をとても尊敬してるし、信頼もしている。

その友人はとても目線が低い人。生まれ育ってきた環境が全く違うのでそれは仕方がないことだと思うのだけれど、わたしはいつもその友人の目線の低さに脱帽する。わたしは同じものを見てもその目線にはなれない。まぁそれはそれで仕方がないことだと思うけど、でも、いつも言ってることを聞くと「ああ、すごいな」って思う。そこら辺はうまく言葉では言い表せないんだけど、自分には持っていないものを持っている人。だから尊敬している。

実はわたしがレインボー・アクションって団体で、2年前かな?ゆるカフェとかもカフェってのをやってみようかなって思い始めたときに相談したのが、その友人だった。こういうものをやってみようと思ってるんだけどどう思う?って。もちろんレインボー・アクション内で事前に話し合ってもいたけど、そことは関係ないところで誰かに相談したいと思って思い浮かんだのが、その友人だった。

まぁその友人とは、そういう関係。

さて、旅行5日目。まず、函館から青森に向かった。

実は青森に行くのはこれで2度目だったんだけど、そのときは船で行ったので(昨日書いた大学3年生の時の漁業実習で、小樽に上陸した後、太平洋側を通って晴海に帰ろうとしたところ、台風が来ているということで陸奥湾に停泊ということになり、そのついでだから青森に上陸しようということになった。で、余談だがちょうどその日は「ねぶた」の日で街中すごい人、すごい鈴の音だったのを記憶している)陸路を通って青森に行くのは初めてだった。

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確か「スーパー白鳥」って電車だと思うんだけど、これで青森まで2時間くらい?間、30分くらいは青函トンネルの中だったかな?青函トンネルに入る前にもいろんなトンネルをくぐるんだけど、丁寧に「次は第一○○トンネル」だとかの表示が出た。青函トンネルに入ってるときは「この上は海なんだ」って思うと結構怖かった(笑)「トンネルが水圧で潰れたら、一瞬のうちに死んでしまうんだろうな」とか思ってた(笑)でも、こうやってどこでも地下では地続きなんだよなって思ったら、とても不思議な気持ちがした。そして人間は普段は地球の表面で細々と暮らしてるんだよな~って思った。

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青森駅に着いたんだけど、青森駅って業務用エレベータしかないんだって。だから車いすとともにわたしも普段は一般人が通れないところを歩いたんだけど、これは貴重な経験でした。チラシとか駅舎を季節ごとに飾る物(造花とか)がたくさん置いてあった。すごい古びた感じのところだった。まぁ一般客用のエレベータが整備されないくらいのところなんだから、職員用の通路なんかにはお金はかけられないんだろうね。

駅を出て、取り敢えずホテルに荷物を置いて、それから昼ご飯を食べて、友人のところに行った。前回いつ会ったのか思い出せないほどで(笑)、でもまぁ変わってなかった。他の人もたくさん来てたんだけど、みんな知らない人ばかり。わたしはこういうとき、知らない人に話しかけるのが苦手なんだよね~。そして多分「話しかけづらそうなオーラ」を出してるんだろう、絶対に向こうからも話しかけてこないんだよね(爆)以前はそれでも無理矢理こちらから話しかけて知り合いになりたいって思ったりもしたんだけど、最近はまぁいいや別にって感じなので、ほとんど黙ってた。そのうち幾人かと知らないうちに話したりもしたんだけど、どこの誰かを全然聞かなかったので、今になっても誰なんだか分からない人が結構いたりする。まぁ縁があったらまたどこかで会えるやね。

なんとなく役所に行くのは15時って決めてたみたいなんだけど、でも結局それより早く役所にみんなで行ったみたい。友人のパートナーさんは「緊張する~」って言ってたけど、わたしにはあんまりピンと来てなくて。

そもそも友人が「同性同士で婚姻届を役所に出そうと思う」って聞いたとき、わたしは「うわー、すごいな」って思ったの。前々から「日本で同性同士で婚姻届を役所に提出した話を聞いたことがない。誰かやればいいのに」って話は聞いてたし、わたしらもしてた。誰も提出していないところで「日本では憲法24条に『両性の合意』って書いてあって、だから結婚は男女しか認められてない」って言われてたけど、でも誰も提出してないんだから、本当に受理されないのかは分かんなかった。今まで分からないところで議論してたわけだよね。もしかしたら受理されるかも知れなかったんだから。きっと今まで同性同士で婚姻届を役所に提出した人たちはいたのかも知れないが、でも、その話は一般に性的少数者の活動をしている人の間では聞こえてこなかったんだよね。

わたしらも「婚姻届出そうか」って話はしたことがある。けど、わたしはともかく、彼女の方はカミングアウトしてない親や身内がたくさんいる。もし婚姻届を役所に提出したとして、カミングアウトしてない親や身内の人が知ったらどうなるだろう、って考えるととてもじゃないが怖くてそんなことはできなかった。だから「もし、わたしらがうんと歳を取って80歳とか90歳になってもまだ日本で婚姻届が出されてない状況だったらそのときは出そう。80とか90になればもう怖いものなんかないもんね」って話をしていた。

だから今回、友人らが婚姻届を出すって聞いたときに「すごいな」って思ったのだ。きっとそこからすぐに「裁判だ!」って考える人もいるだろうし、それ以前に「婚姻届を出すとは、婚姻制度を強化する恐れがあって許せん」って考える人もいるだろう。婚姻届を出すってことは、そんなぐちゃぐちゃところに自分の身を置くということだ。それを考えると、とてもじゃないがわたしには怖くてそんなことはできない。それを敢えてやるということがどんなにすごいことなのか、いやおそらく友人たちは「すごいこと」とは考えてなくて、ただ「やってみなきゃ分からない。今後なんてどうなるか知らない」って思ったのかも知れない。婚姻制度の強化については確かにそれはそうなのだが、でも、だからといってわたしらに「権利がない」状況は事実なのだ。いや、「権利がない」状況はもしかしたら「そう言われている」だけで、婚姻届を提出したら受理されて得られる権利なのかも知れない。今まで誰もそれをやってこなかったので、そういうことすら分かっていないのだ。だから受理されなかったとしても、それは今後のための第一歩。何も、誰も分からなかったことからの一歩なのだ。

役所に着いて、まず整理券を取った。そこから番号を呼ばれるまで結構待った。わたしは遠くにいたので聞こえなかったのだけど、友人のパートナーさんが「婚姻届を出しに来た」って整理券配ってる人に言ったら「おめでとうございますって言われた」って言ってた。

青森市役所は寒くってね。なんかすっごく風の通りがよくて寒かった。だけど、地元の人はほとんど半袖を着てた。。わたしは上着をホテルに置いてきたことをとっても悔やんでいた。一応、長袖Tシャツだったんだけど、それ1枚だったから本当に寒くて寒くて。。

そしていよいよ番号が呼ばれて友人たち2人が役所の人に婚姻届を提出した。

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総勢10人ちょっとで行ったと思うんだけど、みんな二人の様子を見るわけでもなく、知り合い同士で話すわけでもなく、ただ、受付の前にずらっと置いてある長いすに座ったままずっと前を見ていた。わたしは長いすの最後列の後ろでずっと立ったんだけど。おそらくあそこにいた一般市民の人は、誰も今、婚姻届を出した2人を見届けているなんて思わなかっただろうなと思う。

わたしは婚姻届を提出した二人と役所の人の会話を聞いたわけじゃないし聞こえてきたわけじゃないので、ここからはわたしの見たままなんだけど、役所の係の人はまず、二人の話を聞いた後、一旦奥に行った。これはおそらく推測なのだが、係長クラスの人に聞きに行ったんじゃないかと思う。そしてその後長い間戻ってこなかった。これもおそらく推測なのだが、自分でいろいろ考えてたんだろうと思う(受理できないのであれば、法律の根拠が必要なので)。

その間わたしたちは上に書いたとおりずっと前を見ていたのだが、全然関係ない役所の人数人が書類棚の影からちらちらっとこちらの方を見た。それもちらっと見てはすぐに書類棚の影に隠れる。こちらを見て「一体、どういう人たちなんだろう?」って思っているような好奇の目。わたしはすごく嫌な気がした。しかも、後であのとき来てたみんなと話したら、全員がその視線に気が付いていた。あそこでは誰も何もしゃべってなかったのに、みんなチラチラ見られていたことに気付いていたのだ。役所の人は隠れながら見ているので気が付かれないと思ってそういうことをやったのだろうが、全くそんなことはなく、みんな気が付いていた。役所には実に様々な人が来ると思う。「何か訳ありげ」な人が来たら、役所の人(おそらくその中でも数人だと思うけれど)はそのたびにああやって書類棚の影からちらちらと見てるんだろうか、、あれは本当に止めて欲しいと思ったし、誰が来たってちらちらと向こうから見られる筋合いはない。本当に感じが悪かった。

わたしはずっと係長らしき人の姿を見ていた。係の人が相談に行って、何かあるなら係長自身も動くはずだと思ったからだ。しかしその人はずっと動かなかった。途中で電話したり(電話があったのか自分から電話したのかは分からない)してたけど、それが今回の婚姻届と関係あるとはあまり思えなかった。

正直、係の人が奥に引っ込んでからこんなに待たされるとは思ってもみなかった。婚姻届を提出した二人はずっと受付のところに座ったままだし、係の人はいつ帰ってくるかも分からない。「こんなに待たせるんだったら『時間がかかるので何分後に来て下さい』って言って解放してくれよ~」って思った。戸籍の届出の待ち人数も、まぁ1人か2人だったが少し増えてたし、友人たちがいるところ以外の受付は1つしかなく、他に待ってる人にとってはかなり時間を取られたんじゃないかなと思ったからだ。

そうこうしてるうちにやっと係の人が戻ってきた。分厚い黒い六法全書らしきものを持ってきた。そこで友人たちはいろいろと係の人とまたやりとりをしていた。聞くところによるとここで「両性の合意の両性というのは、一般に男女のことです」って言われたらしい。

あー、あれからしばらく経ってしまったんで、ここら辺の記憶は薄いな。長く説明されたのか、短かったのかはよく覚えてない。もしかしたら、ここで友人が泣いてしまって、役所の人が後ろに置いてあるティッシュを取って渡したかも知れない。わたしはそれを見ながら「なんでここにティッシュなんて置いてあるんだろ」って漠然と思ってた。友人がなんで泣いたかは後で聞いたんだけど、覚えてない(^^;確か、役場の人にちょっと無遠慮なことを言われてそれで泣いたって言ってたような、、

しかし、役所の人が手に取りやすい後ろの方にティッシュが置いてあったってことは、ここで戸籍届や戸籍の変更届を出す人は、何かいろいろ事情があって泣かれるのかなあって後で思った。婚姻届が受理されてうれし泣きをする人がいるのだろうか、誰かと縁を切ってうれし泣きをする人がいるんだろうか、子どもの出生届をして嬉しくて泣くのかなあ?誰かが亡くなって、抹消届を出すときに悲しくて泣くんだろうか。そう考えると、日本人の人生の節目には戸籍が付いてくるもんなんだよね。なんか複雑。わたしは基本的にこんなんで人間の関係性を縛られたくないと思う。「家族」ってだけで誰かの面倒を見なきゃいけなくて、「家族じゃない」ってことで誰かの死に目にも会えない。家族かどうかを判断されるのは、すべて戸籍にどう書いてあるかによる。今、もし彼女が倒れて意識不明になって面会謝絶になったとしたら、法律的に家族(というか親族)じゃないわたしは病院側に面会を断られる可能性が大きい。わたしと彼女の関係はそういう危険性を常に孕んでいるってことなのだ。そしてこれが「権利がない」ってことなのだ。

というわけで細かいところはよく覚えてないんだけど、覚えてるのは「あと1時間くらいしたらまた来て下さい」って言われたことだった。そのときの時間はもう16時頃で「え、役所って17時までなんじゃないの?」って聞いたら「ここは18時までやってるって言われた」って言われたことだった。1時間待たされる理由は「婚姻届を受理できないのだが、今まで婚姻届の不受理の証明をしたことがないので、それについて内部の者と検討する」って言われたり「不受理すること自体がまだ分からないので、その点を含めて内部の者と検討する」って言われたり、どっちがどうなんだかわたしにはよく分からなかった。なのでこの時点では「もしかすると受理される可能性もまだ残ってるのかもよ?」って言ったりしてた。もし受理されたとしたら、わたしも彼女とここで婚姻届を提出しちゃおうか、なんてことを勝手に思ってたりした。

1時間待たされるというので、見守っている人たちと友人ら全員がそこを立って、近くの喫茶店へ行って時間を潰した。話がついたら携帯に電話がかかってくるとのことだったが、1時間と10分経ったときに、役所の人から電話があった。なので、もう一回、役所に向かった。

17時過ぎた役所はもうあまり人がいなかった。特に戸籍の受付は待ってる人は誰もいなかったんじゃないかな?なので係の人にすぐに呼ばれて、そしていろいろ説明を受けているようだった。もう結論は出ているので早かった。結果は不受理。なので提出した婚姻届は返された。不受理証明が出るので、希望するなら出しますよってことで書類を書かされたんじゃないかな?聞くところによると、1通450円だとか。勝手に不受理しながら、不受理証明は金取りますよ、っていうのはなんとも納得がいかないところであるけれど、まぁ市長の公印ついてるから仕方がないんだろうなあ、、

しかし、不受理証明をもらうまでがまた、時間がかかってね~。結局不受理証明を受け取ったのは17時40分頃だったかな。不受理の理由は「憲法第24条第1項」だった。そして役所として、地方法制局(要するに国の機関)に問い合わせたとのことだった。地方法制局から本庁(法務省)に問い合わせたかどうかは知らない。問い合わせ内容も不受理理由はこれでいいのかを聞いたのか、それとも不受理証明の書き方を聞いたのかは知らない。

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日本国憲法第24条第1項を根拠とする不受理というのは、要するに「両性の合意」の「両性」というのは、男女に限るもの、と解釈されたようだった。

日本国憲法第24条
一 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

不受理されたって分かったときに、一番に思ったのは「ああ、わたしと彼女の関係は国では認められないってことなんだな」ってこと。もちろん国に認められるだけがすべてじゃないと思うよ。別に国のお墨付きをもらわなくたって、わたしと彼女は付き合って14年目になるんだから。一緒に暮らして8年経つんだから。けど、上にも書いたように「認められない」ってことは、権利がないってことなのだ。財産をもらう権利がない。配偶者控除がない。公営住宅にも入れない。死に目に会えないかも知れない。彼女が判断能力を失ったとき、自分がどんなに彼女のためになるようなことをしたいと思っても、法的には無関係なのでできない。世間が彼女を「パートナー」として認めてくれない。男女という組み合わせであったら、そこには愛情など何もなくても紙切れ一枚で婚姻が認められ、夫婦としての権利が与えられる。わたしらはどんなに相手を思いやってもそれが認められない。もちろん、愛情があることが何にも増して一番だとは思わないけどさ。でも同性同士の婚姻は、双方がどんなに望んだとしてもこの国では認められない。

それが、この日、正式に分かったことだった。

もちろんわたしはこの判断はおかしいと思っている。この憲法が制定された時点で、なぜ第24条に「両性の合意」という文字が入れられたかという経緯を考えると、それは決して「同性婚の禁止」を意味していたわけではないからだ(ここら辺のことは「新憲法の誕生 (中公文庫)」を読むといい。この本は、現在の日本国憲法がどのように誕生したのかが非常に詳しく書いてある。一部の人が言うように、日本国憲法はGHQの押しつけでたったの1週間でできた、なんてことは全くない。逆に日本人の政治家や官僚がいかにして自分たちにとって都合の悪いものを現憲法から排除しようとしてきたかがよく分かる本だ)。「両性の合意」という文言は一般に「家庭生活における個人の尊厳」そして「男女平等の観点」から入れられたと言われている。

戦前の明治憲法下では婚姻は家と家同士の結びつきだった。婚姻は両家の家長同士で決めることができ、そこに結婚する本人たちの意志はなくても婚姻させることができた。だから現在の憲法では「両性の合意のみに基づいて成立」、すなわち本人たちの意志、本人たちの合意がなければ婚姻することができない、とされた。わざわざ「両性」という文言になったのは、その当時、同性で婚姻するということは想定外であったからだと思う。想定外であることは、すなわち憲法制定時には同性婚という概念がなかった、ということは、この憲法は同性婚を禁じているわけではない、と解釈されるべきではないか。まぁこれはわたしの考えじゃなく、わたしが自分で考えたわけでもなく、一般に同性婚を認めてもいいと思っている人たちの考えだけどね。

それから一般的に法律のことを考えるときには「立法の主旨」を一番に考えないといけないよね。「立法の主旨」とは「なぜこのような法律が作られたのかを考えろ」という意味だけれど、これを考えることなく、ただ法律に書いてあることの文言だけで判断されることは許されない。でも、今回のこれは、どう考えても「立法の主旨」は考えられていない。ただ文言が「両性」になっているから、「両性」とは一般的に男女を差すから、ってことでしか判断していない。明らかにこれは間違った判断だとわたしは思う。憲法は改正せずとも憲法24条の立法の主旨を考えたとき、これは同性婚は禁止していない、むしろ個人の尊厳を尊重し、法の下の平等を尊重する現憲法の理念に即して考えると同性婚は現憲法の下で認められているものと思っている。

それにしても、、悔しいよね。わたしは本当に悔しかった。それに悲しかった。わたしたちの関係が国から認められない。国は認めてくれない。それが本当に悔しくて悲しかった。

まぁだからといって、わたしが婚姻制度を欲しているかというとこれはまた別の問題なのだけどね。これをいうと読んでる人の頭がぐじゃぐじゃになっちゃうかも知れないのだが、実はわたしは特に彼女と婚姻したいとは思っていない。特に現時点の婚姻制度の下ではね。それは「夫婦同姓」ってことが実は大きい。わたし、彼女の名字になりたいとか思ったことないし、彼女に自分の姓を名乗って欲しいなんてことも全く思ってない。わたしが狙っているのは同性同士の事実婚の関係だ(彼女はどう思ってるのかはわたしは知らない)。しかし、今は同性同士の婚姻が認められない以上、同性同士の事実婚という概念も有り得ない。事実婚は法律婚あってのものだからだ。だから、わたしは同性婚を求める。もちろん事実婚はイコール法律婚ではない。事実婚は遺産相続が認められてない。そういう点があるけれど、でも、わたしは今のところは事実婚がいい。ただ、中にはやっぱり「同性婚したい」って人ももちろん多いだろう。異性愛者は結婚するかしないか、法律婚するかしないかを選ぶことができる。でもわたしらにはその選択肢は全くない。その選択をしないまでも選べるか、選べないかということは全然違うことなのだ。だからわたしは同性婚を求める。

わたしの友人がこの不受理を受けて今後どうするかは知らない。友人たちのことだから、この辺はしっかりと自分たちの考えの元に進んでいくと思ってるし、その判断をどうしようとわたしは友人たちの考えを尊重する。

わたしは今では全くtwitterを見なくなってしまったので、今回、いろいろ反響があったらしいことは知っているが、具体的に誰が何をどう言ってるかは全く知らない。でもやっぱり、いろいろな反響があったらしいと聞くと今後、友人たちの知らないところで何かがあったり、何かを言われたりすることがあるんじゃないかと心配している。

不受理証明を受け取って、役所を後にした。

夜は、お店を貸し切って「残念会」をした。手巻き寿司やらホタテの焼いたのやらがたくさん出て、とっても美味しかった。この頃には誰かは全然分かんないけど、来てた人と話すようになって、いろんな話をした。

わたしはまた、青森に来たいと思った。今度はこんな特別な日じゃなくって、何でもない日に行きたいと思った。多分、絶対にまたここに来る。そう思った。

夜の10時過ぎにみんなと別れてホテルに帰った。
いい日じゃなかったけどいい日だった。

翌日はいよいよ帰京する日。
この旅の終わりの日。
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06-20 Fri , 2014
北海道、青森旅行4日目(函館で百万ドルの夜景)
なんか旅行に出てから「車いすで外に出たことによる憤りの多さ」みたいなのが中心になってるなーって、今まで書いたのを読み返してみるとそう思うんだけど、実際、憤りを多く感じたのは確かです。彼女に腹を立てたのも事実。でも、それは瞬間湯沸かしみたいで、長続きしなかったんだよね。わたしの怒りって普通は一旦怒ってしまったらなかなか怒りがおさまらないで、数日続いてたのに。

これって案外怒りを数日続けると、とてもじゃないけど彼女の車いすを押すことができないって、頭のどこかで思ってたのかも知れない。怒りながら誰かの面倒をみるのは不可能だから。だから、わたしにしてみれば素晴らしく切り替えが早くなったんじゃないかってちょっと思ったりする。まぁ怒らないのが一番なんだろうけど、それは無理。

それに怒ってたばかりじゃなく、前にも書いたけど車いすを押しながらの方が彼女との会話がたくさんできて、今回は本当に今までのどの旅行よりも彼女とたくさん話した気がする。なのですっごい楽しかったのだ。まぁでもここにはそういう他愛ない彼女との会話は書いたりはしないからね、、(笑)

さて4日目。前の日も天気よかったけど、この日もよかった。

この日の午前中はホテルでのんびりし、10時半頃チェックアウト。そのまま歩いて札幌駅に出て、昼食の弁当などを買い、そして函館行きの電車に乗るために、改札前の待ち合わせ場所みたいな、長いすがずらっと並んでいるところで座って時間を潰していた。

すると彼女の方にいきなり駅員さんが声を掛けて来た。「函館にいらっしゃる方ですか?」って。まさにその通りだったんだけど、ちょっとびっくりした。わたしらだいたい20分くらい前に行けばいいかなって話してたのね。それより前にまさか向こうから声を掛けてくるなんて思ってもみなかった。

その駅員さんは親切に改札を通ってエレベータに案内してくれ、ホームまで連れて行ってくれた。駅員さんがいるとエレベータが非常に乗りやすい。他の乗客の人も「車いすの人がエレベータに乗ります」と言われると、先に乗せてくれるから。でも逆にね、いないと冷たいんだ。。もう何回も同じこと書いてるけどさ。「だから先導してくれる駅員さんが必要」なんじゃなくって、駅員さんがいなくてもエレベータに乗りやすい環境って作れないのかな。

駅員さんに先導してもらうのはとっても有難いのだが、これだと全く寄り道ができないのね。エレベータに乗る前にちょこっと売店に寄りたいと思っても(買うものが決まってるわけじゃなく、なんか面白そうなお土産物がないかな~とかちょっと見るだけ)、駅名の書かれた看板の写真が撮りたくても、駅員さんに先導されるとひたすらまっすぐに目的地(ホームや出口)に向かうだけ。わたしは個人的に

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こういう駅の看板(っていうのかな)を撮るのが好きなんだけど、駅に着いた途端、ホームで駅員さんが待ってて、そして出口に誘導してくれると、こういう看板の写真を撮るのが難しい。いや、歩いてる途中にちょっと見かけたら「ちょっと待って下さい」って言って撮れるのだけれど(実際そういうこともあった)、電車を降りてからすぐにエレベータがあったり、出口があったりすると、わざわざ逆行して看板のあるところまで行くのが難しいの。。いや、それはこっちが「駅の看板撮りたいんで」って言えばいいんだろうけどね。ただ、帰りに東京駅の地下で弁当買って帰りたかったんだけど、それはさすがに言えないなあと思ったよ。「弁当買ってくるまでここで待ってて下さい」とはねえ。だからといって、東京駅はとても複雑で、自分と彼女だけでは絶対に(乗り換えの)駅のホームまでたどり着けないと思った。

わたしら、普段何気なくどこでも好きに行けて好きなことをしてるけど、車いすで移動するとそれができないことが多々あるんだなあと思った。あ、でも駅によっては電車からスロープだけ用意してあとは勝手に行って下さい、ってところもあったし、「最後まで誘導しましょうか?」って聞いてくれる場合もあった。駅員さんが車いすを押してくれるところもあった。だからそれは駅によっても駅員さんによっても対応が違うんだろう。

まぁそんなこんなで電車に乗って出発。北海道の車窓を楽しんだ。天気がよかったので、本当にきれいな北海道の風景だった。ただ、地理にそんなに詳しいわけじゃないんで、どこを走ってるかはグーグルマップさんに教えてもらいました(笑)

洞爺湖辺りでわたしの頭の中に、あの例の「はーるばる来たぜ 函館へ~♪」って歌がグルグル流れ出し。おいおい、函館はまだまだじゃないかって思いと、なんてベタなんだろうってあきれる思いとでまたグルグルし。。そう、わたしの人生の中で初の函館訪問だったのだ。本当にはるばる函館に来ちゃったのだ。

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ちなみにここの駅はホームと通路と改札が全部バリアフリーなので、とても楽だったです。っていうか、こんなに楽なのに駅員さんが車いすを押してくれた。

しかし、函館は寒いのなんの!なんで札幌より南にあるのにこんなに寒いんだと思った。確かこれは白老に行ったときも感じて、、地形的な何かがあるのかも知れないけど、札幌が30度のとき、たった電車で1時間かそこらしか行ってないところ(白老)がその半分の15度だなんて、信じられなかった!でも、暑かったのは札幌のみで、実は次に行った青森も寒かったんでした、、ということは、札幌が例外なのか?

駅からすぐホテルにチェックインした。部屋に入って少し休んだり、夜は函館山からの夜景を観に行く予定にしてたんだけど、そこまでどこをどう行ったらいいかとかその他の見どころを彼女がホテルのフロントに聞きに行ったりした。ホテルの部屋もめっちゃ寒かったので、わたしはすぐに荷物から長袖Tシャツと上着を出し、それから部屋全体を暖めるために暖房を入れた。けどしばらく経ってもなかなか暖かい風が出てこなくて、、

まぁいいかと思い、結局、予定を立てたあとに外出したのだが。夜になってもまだ寒くて、でもエアコンからなかなか暖かい風が出てこなかったので、彼女がフロントに電話したら、なんと、もう中央操作でエアコンから暖かい風は出なくなってたんだってさ!「寒い寒い」って言いながら暖かい風が出るのを待ってたけど、結局それは冷房の風だったんだってさ!フロントの人に「外の方が暖かいと思いますよ」って言われたと彼女が言ってた。なんなんだよ、それは。。。

外に出る際にもあまりにも寒く、わたしは手袋をして車いすを押した。東京を出るときに「まさか、手袋まではいらないよね」と思いつつも、まぁ上着のポケットに入ってるから出すのが面倒でそのまま入れてきたんだけど、まさかそれが役に立つとは。。まぁしかし、手袋をして歩いてる人は他にだーれもいなかったのは事実だけどね。でもわたしはそれがあるおかげで随分助かった。

最終的には函館山に行こうと思ってたけど、途中にある教会とか寺院とかは坂がきつすぎて車いすでは無理でしょうってフロントの人に言われたので、それだったら海沿いの倉庫群の方を回ってみようってことになった。日没の30分後くらいの時間が美しいと言われたんで、その日の日没時間がだいたい19時だったかな。18時半目指して函館山のロープウエイに乗ろうってだいたい決めておいた。函館山のロープウエイについては、事前に車いすでも乗れることを確認していた。

倉庫群に行くまで、ずっと広い通りを車いすを押しながら歩いて行ったんだけど、朝に海産物を食べさせてくれるお店が多いのかしら?夕方通ったらもう全くお店は開いてなくて、朝の方が活気があるのかなあ~?だからなのか人通りもほとんどない。道を歩いてる人なんかいない。ただ、倉庫群に近づくにつれ観光客がいたような?彼らは一体どこから来たのかしら?歩いて移動してなかったのかしら。あ、街には至る所でタクシーが待ってた。道の角々というか、建物の出入り口ごとに何台ものタクシーが待ってた。なので実はとってもタクシーが捕まえられやすいところだったんだよね~。車いすの人にとってはこれはとても便利だった。乗りたいところで乗れるんだから。初乗りも札幌と比べると安かった。

倉庫群は海の近くで、海の近くにはこんな漁船が留まってた。

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この2つは角度を変えて撮った同じ船なんだけどね(笑)そう、イカ釣り船!集魚灯がたくさん並んでて、しかもイカ釣り機が両舷にずらっと。水大出身のわたしからすると、こういうのはもう見るの大好き!この船を見ながら操業しているところを思い浮かべる。これ全部にイカがかかってるところは壮大だろうな。ちなみにわたし自身、大学3年のときに学校の船(もちろん漁船。まぁ1,800トン以上ある漁船なんだけど)に乗って大和碓近辺(あくまでも近辺で大和碓じゃない)に行ってイカ釣り実習をしたことがある。大和碓近辺の深さ3,000m近いところでね。もう全くと言っていいほど釣れなかった(爆)むなしくイカ釣り機だけがぐるぐる回っててね。何分かに1回、イカが引っかかる程度しか釣れなかった。そういう思い出がわたしにはあります。

倉庫群に行って、倉庫の中に入ってどんなお店があるのか覗いてみたんだけど、わたしはあんまり興味は惹かれなかったなー。彼女は寒かったので靴下を買いました。でも買って正解だったみたい。このあとすっごく寒かったから。

時間もいい時間になってきたんで、タクシー拾って函館山のロープウエイ乗り場に行った。いやー、教会や寺院に行こうなんて思わなくて正解。めっちゃ急な坂の途中にあった。こんなんじゃとても車いすは押しては歩けない。雰囲気はとても異国情緒溢れるみたいなんだけど、、惜しかったな。また機会があって、彼女がそのときまでに歩けるようになってたら(歩けるようになってると思うけど)今度はこっちの方面に来たいと思った。

ロープウエイ乗り場は少しずつ人が多くなっているようだったけど、車いすで来たと言ったらすぐにエレベータのところに案内してくれたし、ゴンドラには優先して一番最初に乗せてくれた。おかげで一番いいところで外の景色を見ることができた。

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これがロープウエイで登っているときに見えた函館市街の景色。

頂上(っていうのかしら?)に着いたらね、展望台なんだけど、うわー、こんなに観光客がいたのかってほど人がいて、しかも夜景の景色のよさそうなところにずらっと人が貼り付いてた。で、展望台で一番高いところはそこからさらに階段を上らなきゃいけなくて、車いすでは行けなかったので彼女は車いすを降りて杖を付きながら上まで登っていったんだけど、これがすごく怖くてね。夜景のきれいな時刻になるにつれ、どんどん人で溢れかえってきて、なんか修学旅行で子どももいっぱい来てたし、階段から夜景がきれいに見えるもんで、階段に立つ人がたくさんいて登れるところがホント、人一人分くらいしか空いてなくて、しかもどんどん暗くなってくるもんだから怖くてね。彼女に付いて歩こうにもスペースがないもんだから結局、わたしは一人で先に行くことになってしまった。

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これが日が沈むところ。夜景がきれいな函館市街地とは逆の方向。こっちの方は割と人が少なかったんだよね。

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これが「百万ドルの夜景」と言われる函館市街地の夜景。確かにきれいだった。風がすごく強くて寒かったけどね。で、夜景ってそんなに長時間見るものではないから人がコロコロ変わっていくんだけど、スペース的にも車いすの人は到底入って行けないような雰囲気だったし、一体車いすでないと移動できない人はどうやってこの景色を見るんだろうって思った。そう思ったらね、やっぱり今の時間は無理なんじゃないかと。おそらくこの時間が一番人が来る時間だと思う。日が段々暮れて景色が変わるとき。徐々に暗くなっていく風景を一番見たいと思うだろうと思った。だって現にわたしらだってだからこの時間に来たんだから。

けどね、わたしらがそう考えたのは「何も障害がない前提」で物事を考えちゃったからなんだよね。前日の札幌の地下道や札幌ドームへ行く道もそうだったけど、わたしは車いすで街を移動したことがなかったから「フツーの感覚」と同じ感覚で街を歩こうとした。でも、そこは車いすにとってはとっても不便な街だった。おそらくこのままずっと車いす生活や車いすを押す人の生活を続けなきゃならないんだったら「車いすで街に出るのはこんなに不便だったんだ。じゃあもう街に行くのはよそう」って思ったと思う。だって普通に出かけるのよりも数倍疲れるんだもの。体力的なものだけじゃなくて精神的に疲れるんだもの。

だからきっと、この夜景を見るのもね、こんなに人がめちゃくちゃ多い時間じゃなくってもっと前後にずらすと思うの。夜景じゃなくて昼間の風景とか、もっと夜遅い時間とか。そうしたら人が減ってて車いすでも見やすくなるだろう。

けどさぁ。だったら車いすの人間は一番きれいな風景を観られないっていうわけ?

正直、わたしはどうすればいいのか分かんないのよ。人の群がるところで、一番前のスペースを確保しようと思ったら、健常者だって努力しなきゃならない。っていうか、あの場でわたしは「健常者の怖さ」を目の当たりにしたの。今まで他のどの場所だって「車いす」を見たら人は道を譲ってくれた(エレベータは除くけど)。でもそれは健常者に余裕があるときであって、こういう場所みたいな「早い者勝ち」な場所だと自分のことしか考えなくなるので、誰も譲ってはくれないし、身体が不自由なことも考慮してくれないので怖い。でもだからといって「譲ってくれ」「配慮してくれ」とは言えない。言いづらい。だってみんな余裕がないのだもの。

これと似たような状況がラッシュアワーの電車に座りたい人じゃないかなってちょっと思った。始発駅の電車に乗るときなんだけど、扉が開いた途端、みんな一斉に座席に向かう。みんな座りたいので殺気立ってるよね。あの場で「自分は今日はしんどいから席を譲ってくれ」とは言えない。逆に座れたときは誰にも席を譲りたくないって思うから。座れたことでホッとして「今日は座れてよかった」と思う自分がいるから。

でも一方、身体が不自由な人はこの時間を避けて電車に乗れというの?好きな時間に電車に乗れないなんて理不尽じゃないか。そうも思う。

譲りたくない人の気持ちも分かるし、でもそういう健常者に配慮して生きざるを得ない障害者の状況は心が痛む。わたしはこれまで散々「道を譲れ!」「エレベータに乗る車いすの人のことを配慮しろ!」って今まで言ってきたけど、でもこのような状況はどうすればいいのか。わたしは自分自身疲れているときにやっと座れた席を誰かに譲ろうとは思わない、いや、思えない。常に誰かに席を譲りたいなんて優しい心は持ってない。だからこの問題は正直なところ、今の自分にはどうすればいいのか分からない。

けどその分、車いすや身体の不自由な人はきっとどんどん街に出づらくなってる。「ちょっとでも人がいないところに」「ちょっとでも人がいない時間に」って思ってたら、どんどん外には出られなくなる。「あーまた外に出ると気を遣うのか」って思ったら外に行きたくなくなる。わたしも普段なら人がいる、いないとか、街が歩きやすいかそうでないか、そんなこと今まで全く考えたことがなかったけれど、そういうのを常に考えて行動している人たちがいるんだろうな、そして自分もそういう立場に置かれたらだんだんと行動範囲が狭くなっていくんだろうなって思った。

帰りのロープウエイは待っている人がものすごくたくさんいてどうなるのかと思ったんだけど、結局は「車いすです」って言ったら待たずに乗せてくれた。ただ帰りはゴンドラに一番先には乗せてはくれず、一般客と一緒に中に入ったんだけど、これまた夜景がきれいな場所を確保したい一般客が我先に入っていったんで怖くてね。健常者の怖さというのをつくづく感じたよ。

確かに行きも帰りもほとんど待たずにロープウエイに乗れて、特に帰りはおそらく車いすじゃなかったら2~30分以上は待ってただろうから、配慮されてよかったといえばよかったとは思うけど。でもさ、本音を言えばこの程度で配慮されてよかったとはちっとも思わなかったの。トータルで見れば、やっぱり車いすは割が合わない。体力も精神力も健常者より遣って、それでもやっぱり同じにはなれない。それって「当たり前じゃん」って思われるかも知れないけど、果たして同じじゃないことが当たり前でいいことなんだろうか。

そんなこんなで4日目も終わった。疲れていたので夜は一瞬の間に寝てしまった。

5日目に続く。。
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06-15 Sun , 2014
北海道、青森旅行3日目(札幌ドームでカープ観戦)
3日目。

この旅行を決めたとき、まず考えたのが「もしかしたら交流戦の時期じゃない?」ってことだった。わたしの頭の中ではかなり高い割合で「野球」が来る。シーズン中はそんなに観に行くわけじゃないけど、やっぱり何かあったときは、まず野球。ってことで、日程を調べたら、札幌行ってる間にちょうどカープの試合があるじゃん!「なんてラッキー!」と思い、チケット開始日に内野指定席を予約した。

しかし、その後に彼女が骨折してしまった。旅行は車いすで行くしかない。球場は?普通の席には座れない(席にたどり着くまで、階段がたくさんあるから)。どうしよう、、と思ったが、事情が事情だし、取り敢えず日ハム球団に電話して、指定席を車いす席に替えてもらえないか相談した(野球観戦自体を中止にする考えはこれっぽっちもなかった)。球団に電話したら「チケットのキャンセルはできません」と言われた。が「事情がありますし、内部でちょっと話し合ってみます」とそのあと言われた。一旦電話を切ったあと、しばらくして向こうから電話がかかってきた。「事情が事情なのでキャンセルできます。手続きして下さい」って。車いす席は球団が取り扱ってないみたいだ(ローソンチケットのみだったかな)。なので「今までの指定席を車いす席に振り替えることはこちらではできないので、こちらではキャンセルし、ローソンで車いす席を取り直して下さい。しかし、車いす席も残席わずかなので、こちらの指定席をキャンセルする前に車いす席を取りに行って、車いす席が取れたらこちらをキャンセルして下さい」と言われた。そのとき「いや、でも車いす席が取れなかったからといって、指定席に座れるわけじゃないんだよ~」と思ったが、別にここでそういうことを言っても仕方がないので黙ってた。

そして球団から言われたとおり、先にローソンで車いす席を予約した。それから指定席のキャンセル手続きをした。でもね、球団の人はとっても親切だったよ。その後に手続き方法を書いたメールが球団から来たんだけど、そこにはわざわざ「お大事になさってください」って書いてあったし。だからそのあとの続きに「今後とも、ファイターズへ熱いご声援を賜りますよう、何卒よろしくお願いいたします」って書いてあったのを読んだときは、思わず「カープファンでごめんなさい」って思っちゃった(笑)

ただね、車いす席ってどうも3塁側しかないみたい?(日ハムは3塁側がホーム側)車いす席自体は、1塁側、3塁側って分かれたチケットは販売してないです。チケット取ってみたら「3塁側」って書いてあって「あれ?」って思ったんだけど。。しかも車いす席は安いと思う。1枚1,500円だった。だからなのか、2人で来てて、2人とも車いすじゃない人がいた(大半は車いすの人か、車いすと付き添いの人だったけど)。

まぁこういうことが旅行に行く前にあったのだが。

旅行3日目ともなると、疲れがだいぶたまってきているのが分かった。特に足の裏が痛くてね。立っているのと押して歩くのが苦痛で。この日は夕方から野球がある以外はフリー。取り敢えず札幌駅目指して歩きましょうってことになったのだが。。ちなみにホテルは大通公園近くのホテルだったので、札幌駅までは結構距離があったんだよね。急ぐときはタクシーで行き来してたけど、この日は時間が豊富にあったので、歩いて行ってみようってことになったのだ。

しかしこの日の札幌は最高気温が30度越すってことで、本当に暑い!ちょっと車いすを押して歩いただけで首筋を汗が流れる。なので、大通公園から地下に入ることにした。ここからずっと札幌駅まで地下を通っていけるのだ。大通公園から地下に入るエレベーターはすぐに見つかって、地下道に行けたのだけど、車いすを押しながら気になったのは「車いす用の出口の少なさ」(要するにエレベーターの少なさ)だった。歩行者用の出入り口はそこここにあるのに全部階段のみ。「ここで災害が起こったら、わたしはどうやって外に出たらいいんだろう?」って何度も思った。

とにかく疲れがたまっていた。途端に不機嫌になる。「なんでわたしが車いすを押して歩かなきゃならないの?」「車いす押して歩くと人に気を遣ったり、道路の状態(段差とか)に気を遣ったり、もう体力だけじゃなく精神力も疲れてるのになんでこんなことしなきゃならないの?」。「なんで彼女が骨折して、わたしがこんな大変な目に遭わなきゃいけないんだよ」って思いが自分の中でどんどん膨らんできて。。結果、それは彼女に当たることになるのだった。。といっても当たっても仕方がないことは頭では分かってるんだけど、疲れてると自分の感情って本当にコントロールしにくいのね。まあその閾値が低いのは、相手が彼女だからなんだけど。。

札幌駅で昼ご飯を食べること以外、何も決めてなかったが、札幌駅に着く前に本屋があったので少し寄ってみたら、そう言えば前日行ったアイヌ民俗博物館のことを思い出し「北海道にならもしかしたらアイヌの本のコーナーがあるかも」と思って探してみた。が、そこはそう広くもない一般的な本屋さんだったので、そういや紀伊國屋書店とか大型の本屋さんがないかなと思って調べてみたら、札幌駅の近くに紀伊國屋書店があるって分かったので、そこに行った。

1階にはなさそうなので、2階かなと思ったのだが、エスカレータは目の前にあるのに、エレベータは見たところない。わたしがあまりにも機嫌が悪かったからか、彼女は「ろんたこはエスカレータに乗って2階に行って。わたしは自分で探して行くから」と言われ、わたしは言われたとおりにした。あとで彼女に聞いて分かったんだけど、紀伊國屋、1階のエレベータは一旦、店の外に出ないとダメなのね。2階は店の中なのに。もともと全く知らないところなのに、いきなり車いすで出かけるというのは、もしかしたらとても無謀なことをしているのかも知れない、と段々思い始めてきた。

結局、紀伊國屋では「アイヌの歴史――日本の先住民族を理解するための160話」って本と「アイヌ差別問題読本―シサムになるために (プロブレムQ&A)」って本、2冊を買った。ちょうどその前日「和人と交流する前のアイヌの歴史ってどうなってるんだろう?」って疑問に思ったので「アイヌの歴史」って本はタイミングが良かった。しかもこの本は5月末に発売されたばかりの本のようだ。あと差別についても知りたかったので「アイヌ差別問題読本」を買った。その他にもたくさんアイヌに関する本はあったんだけど、どれも割と高かった(「アイヌの歴史」も税込みで3,000円以上する)。

いろいろな本をパラパラめくってるときに、なんか「アイヌの真実」みたいな本があったので、なんの気なしに手にとって読んでみた。そしたら「アイヌの歴史のこれは嘘」みたいなことが書いてあったので「なんだこれは?」って思ったのだが、アイヌの歴史については全く知らないので、それが本当なのか嘘なのか分からないのでなんとも言いようがないなあと思ってたら、次に「和人によって差別されていたのは嘘」って書いてあって、その証拠に「差別しなかった和人も中にはいた」みたいなことが書かれてたので「ああ、要するに『関東大震災の時に朝鮮人を助けた日本人についてどう思いますか』って在日の人に聞いて『朝鮮人差別はなかった』って言わせたい人と同じなんだな」って思った。これ、本当に聞かれるんだよ。わたし、前にmixiで在日コミュに入ってたことがあったんだけど、本当にこんなことを聞く人がいてびっくりした。助けた人は誰の誰べえさんって名前がはっきりしてるみたいなんだけど、逆に名前が伝わってるってことは、すごく珍しかったってことじゃん?みんなが差別している中で、差別しなかったから名前とか記録が残ってるんだよ。差別してた人の名前が残ってないのは、差別していた人が大多数だからじゃん。

それに「差別はなかった」って人がいつも使うのは「差別してなかった人たち」でしょ?今で言うと例えばヘイトスピーチに対してカウンターを行っている人たちのことだ。もっとずっと将来に今の時代のことを「ヘイトスピーチをしていた人に対して、カウンターを行っている人たちもいた。だから差別はなかった」って言うの?それはすごくおかしいことじゃない?それに、その時代、差別をしてなかった誰の誰べえさんは、今現在「差別がなかった証拠」として差別主義者に名前を挙げられてるのはとっても不本意だと思うんだよねえ。。

ってことで、どこの分野でも同じような人がいるんだなあと思ったのだった。

紀伊國屋をあとにして、ご飯食べたりいろんなことをして、さて、いい時間になったので札幌ドームに行きますかって地下鉄の事務室に「福住駅に行きたいんですけど」って駅員さんに声を掛けたときだった。彼女が「あっ、しまった!!!チケット、ホテルに置いてきた!!!」って言い出した。そこでわたしが爆発。だってこれからホテルに戻ってまたさらに駅に行って札幌ドーム?

わたしさぁ。前の晩、彼女が「じゃあ明日は朝ゆっくりして、適当なところでホテルを出て、それから直接ドームに行こう」って行ったときから何回か「チケット、忘れてないよね?」って聞こうかなって思ってたんだよね。でもまぁ自分から言ってることだし、まさか忘れないよねと思ってその都度言葉を飲み込んでたんだけど。。ああ、やっぱり聞いておけばよかった、なんであのとき聞いておかなかったのか、聞いていればこんな目に遭わなかったのにと思って自分で自分が腹立たしく、その腹立たしいのを全部彼女にぶつけてしまった。

駅員さんには福住駅ではなく、大通駅までってことで急遽、行き先を変えてもらって地下鉄に乗ったのだが、札幌の地下鉄って、車いすが通れる幅の改札って本当にエレベータの近くにしかないのね!?適当なところで入ろうとしたら自動改札のところで車いすがはまっちゃって、結局、彼女には数歩歩いてもらって、車いすは折りたたんで通ったり、本当に踏んだり蹴ったりだった。もう腹が立って腹が立って。。車いすで自由に通れない地下鉄のシステムに腹が立って、初めて通るところだからエレベータもどこにあるか全く分からない、探すのに手間がかかって腹が立って、歩ける人よりもさらに遠回りすることにも腹が立って、そしてチケットを忘れてきた彼女にも腹が立って、チケットの確認をしなかった自分にも腹が立って。車いすを押しながら彼女をガンガン責めたりした。他に人が乗ってるエレベータの中でも怒りまくっていたので、周りがシーンとしちゃったりして、、

あのさー、わたしは東京の新宿の地下道や地下鉄がどうなってるとか、車いすで行ったことがないので分からないんだけど、札幌の地下鉄ってエレベータだけで外に出ようとするとすっごく大変なのだ。地下2階とか地下1階があって、地下1階でわざわざエレベータを乗り換えないと地上に出られないようになってたりするらしいのだ。エレベータにはちゃんと「EV地上乗り換え」って表示があったんだけど、それを見てわたしがその階を押して降りようとしたら、一緒に乗ってた人が「その上でも地上に出られますよ」って言ったもんで、それを信用して上まで行ったら、そこからはなんと階段しかなくって、車いすでは上がれない。「いい加減なこと言うな!!!」って本当にキレそうだった(ってキレたけど、彼女に)。

本当に、初めて行くところで何も下調べをせずに行くとこんな目に遭うんだと思った。けど、逆にこれって、いかに車いすのことを考えて地下鉄が設計されてないってことだよね?地下鉄だけじゃなく、ふらっと入れるお店もそうだ。わたし今回、札幌ラーメンを食べることを楽しみにしてた。けど、わざわざ行ったとしても車いすで入れるかどうか分からない。ラーメン屋といえば、人気店は人がずらっと店の前に並んでいたりする。その中で車いすだとどうなのか。お店だってバリアフリーとは限らない。ラーメン屋は店内がめちゃくちゃ狭いところもある。わたしはもうこれ以上、人に気を遣うのは嫌だった。ただでさえ道を通るだけでも相当気を遣って押して歩いているのに。なので今回はほとんどラーメンは食べなかった。きっと車いすの人はこうやってどんどん外に出ていきたくなくなるんだろうって思った。

ホテルでチケットを取ってきて、それからまた大通公園に向かう。ホテルの人から「ここら辺の近くではあのビルにエレベータがあって、そこから地下に行けます」と言われていたので、そのビルから行こうとしたが、なんとそこもエレベータで降りたあと、なぜかエスカレータで上がって地下に行くようになってた!なんのためのエレベータなんだか??仕方なく、彼女は立ってエスカレータに乗ってもらい、わたしは車いすを折りたたんでエスカレータに乗った。「もういやだ!!!!」って何度も思った。。確かに「車いすの人は係員を呼んで下さい」ってインターホンがあったりしたが、このためにわざわざ人に来てもらうって、そんな時間の余裕はなかったし、それにあれはとても心理的な負担が大きい。。1歩も歩けない人だったら呼ばないと無理だが、、

ようやく乗れた福住行きの地下鉄は、もうその日のカープ戦を観に行く人でいっぱいだった。そのときようやく気が付いた。「帰りはもっと混む」ことに。。試合終了後の電車がどんなに混むかは、今までの観戦経験からよく知っている。あの中を車いすで行くなんて、想像するだけで絶対に無理だ。そこでわたしは彼女に「帰りはタクシーにしよう」って言った。あ、タクシーを使うことは、彼女からホテルを出る際に「そんなに大変だったらタクシーで行こう」って言われてて、でもそのときは「タクシーはもったいないからやだ」って言ってたんだよね。だって、地下鉄だったら一人、240円で行けるけど、タクシーだと何千円ってかかるんだよ、、わたし本当は行きも帰りも地下鉄のつもりだった。けど、帰りは物理的に無理だと判断した。。

話は前後するが、前日、白老駅でこんなポスターを見た。

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そのときは「ふふん、受けて立つ!!」って思ってた。その前の試合、カープは勝ってたからね。で、わたしはさりげなく(?)、こんなTシャツを着て行ってた。

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2年前だったか、カープと赤い羽根の共同募金がコラボしたTシャツ。カープ坊やが赤い羽根に乗っている絵だ。

福住駅から札幌ドームまでは遠いと聞いてたんで(一回行ったことあるんだけどすっかり忘れてた)、だいぶ覚悟してたら、そんなに遠くは感じなかった。ただしここでも「エレベータはどこ?」って係員の人に聞いたりした。「この先ももう一つ階段がありますが、その横をずっと行くとエレベータがありますのでそれに乗って上に行って下さい」って係員の人に言われた。一つ目のエレベータは割と目に付くところにあったので、地元の人はよく知っているからか、車いすじゃない人がたくさん乗っていた。ところが二つ目のエレベータはかなり奥まったところにあって、そこまで行ってエレベータに乗ろうという車いすじゃない人は1組の夫婦(らしき人たち)しかいなかった。要するにそれ以外の人は「そこまで行ってまではエレベータを必要としない」人たちだったのだ。

まぁね、エレベータを必要とするかしないかを車いすかそうじゃないかで分けることはとても危険なことだと思っている。電車に座りたい人が必ずしも老人や身障者じゃないみたいに、目に見えない障害を持っていたり、わたしみたいにその日はとても疲れてて「どうしても座りたい」って思うように「ちょっとエレベータに乗りたい」って思う人もいるだろう。だから車いすを使ってない人がエレベータに乗ってたからといってそれは必ずしも非難されるべきことじゃないと思う。けどさ、やっぱり一方で便利なところにあるエレベータは使って、そうじゃないところのエレベータは使わずに階段でってなるなら、エレベータを使うしか選択の余地がない人のために空けてよって思っちゃいけないだろうか?

今回の旅行で思ったのは、使いやすいところにあるエレベータほど人がたくさん乗っていて、車いすの人は使いにくいってことだった。使いにくいところにあるエレベータは人は使ってない。けど「なんでわたし、こんなに回り道しなきゃいけないんだろう」って何度も思った。。うん、エレベータを使うことは問題ないことかも知れない。けど、車いすに乗っている人がいたら、その人を優先してあげようよ、、本当にね、「どうぞ」って降りる人、一人もいなかったの。みんな素知らぬ顔をして「車いすの人は乗れませんよ」オーラを醸し出してるの。だから、わたしは今後はエレベータは極力乗らない、乗ってたとしても、車いすの人が待っているときは率先して降りようって思ってる。何回やり過ごしても上から(下から)大量の人が乗ってきて途中からは乗れないってことが本当にあるんだよね。

ま、そういうわけでドームに着いて、座席を探したらこんなところだった。

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車いすの人はそのまま車いすで観戦、付き添いの人はパイプ椅子を持ってきて座るというものだった。確かにいつも観戦するような内野席よりは目の位置が高くて、選手はちょっと遠かったけど、その分、外野が広く見渡せて、外野の守備がよく見られたのでよかったかな。あと、座席の幅が普通の席よりもだいぶ広かったので足が十分伸ばせてよかった(笑)

カープファンは結構来てて、外野席の一角は赤く染まっていた。

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ただ、それ以外は全部日ハムファンだった。当たり前と言っては当たり前なのだが、関東のセ・リーグの試合って球場の半分くらいカープファンなので、実はあまりビジターって感じはしないんだよね。東京ドームはそうでもないと思うけど、わたし、基本的に東京ドームは行かないし。なので久々に「敵地で闘う!」みたいな感じだった。

試合が始まって早々に先発の篠田が自ら2点タイムリーを挙げて「おお!」と思ったのもつかの間。3回にすぐ同点に追いつかれたと思ったら、その後中田に3ランくらってあっという間に5ー2と逆転された。そこからもカープは日ハムの投手があんまりよくなくて散々出塁するんだけど、全く点には結びつかず。逆に日ハムはランナーを出すと必ずホームに戻ってくる。ってことでじゃんじゃん点を入れられ、結局10-2で負けたのだった。。(そして余談ではあるが、この日からカープはなんと9連敗!やっと今日、6/1以来の2勝目で連敗脱出した)

わたし、この試合観ながらね、「圧倒的多数の応援の中で負けてるチームを応援してるときの気持ちって、なんかマイノリティの気持ちと似てるな」って思ったの。圧倒的多数の勝ってるチームの応援者に「なんだ、弱いなこのチームは」って言われたときの気持ち。あ、もちろんこんなこと言われてないけどね(笑)でも「弱いな」って言われて言い返せない惨めな気持ちと、誰かに「同性愛者気持ち悪い」って言われたときの気持ちってちょっと似てるんじゃないだろうか。もちろん同性愛者であることの負い目なんかないけど、でもどこかで圧倒的多数の社会に対してビクビクしてしまう気持ちは持ってるんだよ、わたし。

テレビなら負けた途端に「相手のヒーローインタビューなんか見れるか、ケッ!」てなもんで、即座に消してしまうんだけど、まぁ滅多に札幌ドームなんか来られないからねってことで、最後の最後まで観てた。そしたらね、ヒーローインタビューが終わったあとに

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球場を暗くして、こんな花火が上がった。日ハムは、ホームで試合に勝ったら必ずこれをやってるのかしら?

というわけで、札幌の最後の晩は終わった。

4日目に続く。。
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06-09 Mon , 2014
北海道、青森旅行2日目(アイヌ民俗博物館)
2日目。

この日は白老町にあるアイヌ民俗博物館に行った。

わたし、北海道には何回も行ったことがあるけれど、それまでアイヌの人たちを意識したのはこのときの1回くらいしかなく。それ以降も何をどう知ったらいいのか分からなくて、気にはなってたんだけど、そのまま放置していた。

ところがね。つい最近「なぜ、いまヘイトスピーチなのか」って本を読んだら、その中の1章がまるまるアイヌについて書かれたものだったのね。アイヌの人たちの権利を明治政府がどのようにして奪っていったのか、政策を中心にして書かれた章だった。それを読んでさ、わたし「うわ、こんな歴史わたし全然知らんじゃん」って。アイヌの人たちに対して差別や偏見があるというのは知っていたけれど、こういう風にして一民族が滅ぼされていった、ということについては全く勉強不足だった(旧土人法くらいは知ってたけど)。んーでもね、そういうものがどういう本に書いてあるのか、どういう本を探せば自分の知りたいことが書いてあるのかがよく分からなかったんだよね。

実はこの本を読む前から「今回はアイヌ民俗博物館に行こう」って思ってた。友人と話してて「北海道に行くんだよね~。んで、1日丸まま空いてる日があるんだけど、どこに行こうかなって思ってるんだ」って言ったら「こういうのがありますよ」って教えてくれたの。そのときに行こうと決めてたんだけど、本当にタイミングがよくこの本を読んだ。この本を読んで「絶対に行かなければ」って思ったから。

んで、事前に白老までどうやっていくのか時間などを調べたんだけど、札幌から速い電車で行こうとすると午後になっちゃうんだよね。わたしは事前にアイヌ民俗博物館のウェブサイトを調べて、そこでお昼ご飯を食べたいと思ったので、苫小牧まで速い電車で、そこから30分待ち合わせして普通電車で行くルートを考えた。それだと午前10時台に白老駅に着くことが出来る。行きの電車は前日、札幌駅に着いたときに買って、そのとき車いすであることも同時に告げたんだけど(ただ、買うのにめっちゃ時間がかかった。1時間以上窓口で待たされた)、帰りの電車の切符を買うのをすっかり忘れてて、行きの苫小牧で待ってた30分の間に買った。

特急に乗ってるときは気が付かなかったんだけど、苫小牧からの普通電車に乗ってたら「そういや無人駅ではどうやって車いすで乗り降りするんだろう?」って気が付いた。旧国鉄の駅って、その当時から確か半分くらいが無人駅じゃなかったっけ?わたしは普段「駅には人がいるもの」って思って、それが当たり前の感覚なんだけど、実はそうじゃない駅が多数あるわけなんだよね。そのことに初めて気が付いた。

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白老駅では駅員さんがスロープを持って待っててくれた。その駅員さんに「帰りの電車は○時○分ので帰りますので、よろしくお願いします」って告げたら「その時間、白老駅は1人しかいないので介助できません」と言われた。そのとき「あ、そうなのか」って思った。自分でやるしかないんだなって。今の彼女は自力歩行は杖を伴ってはあるが、一応可能だ。だから電車には彼女は自分で杖を付いて歩いてもらって乗り、わたしは車いすを抱えて入ればいい。だけどそれが可能じゃない人は電車に乗せるのはかなり大変だよなあって。かなり大変どころか、車いすごと持ち上げて乗せるには数人いないと無理だ。まぁ田舎に住んでいる車いす生活の人って自分で車移動してて、電車なんかにはほとんど乗らないんだろうけどね。でも、車いすの人には「電車に乗る」という選択肢が一つ消えるのは確かだよね。そのような選択肢を消してしまっていいのだろうか、、と思った。ただ選択肢を消さないためには人員確保が必要で、そのためには費用がもちろんかかる。都会なら「頑強な男数人でなんとかしてやれよ」って思うけど、田舎の電車に乗っている人は人数も少ないからほとんどそれは期待できない(だろうと思う)。うーん、難しい。だからといってわたしは車いすの人の選択肢が狭められて当然とはまったく思わないんだけどなあ。ただこの旅行では、車いすで外に出ることはとても不便、ってことが本当に身に染みた。これはまだ始まり。

白老駅に着いた途端。「さむっ!」って思った。6月2日は札幌では最高気温が30度を超えると言われてて、実際、朝ホテルを出たときも全く寒くなかったんだよね。なので上着を持ってきてはいたんだけど「ま、いらないね」と言ってホテルに置いてきてしまったのだ。天気アプリで白老町の最高気温を見てみたら、15度くらいだった。「札幌の半分!」ってびっくりした。だって札幌より南にあるし、札幌から電車で1時間くらいのところだし、札幌とそんなに大差ないと思い込んでた。上着を持って来なかったことに対して、その日1日中後悔しました。。車いす押してるときは汗をかくほどだったんだけど、押さないと寒くてね。ただ、天気はすごくよかった。画像を見れば分かると思うけど、雲一つない晴天でした。空気が(寒かったけど)気持ちよくて、「ああ、北海道!」って感じがした。

白老駅からアイヌ民俗博物館まで、1kmほどあるっていうので、最初はタクシーで行こうかって話してたんだけど、白老駅で待っているタクシーなど1台もなく。まぁ別に歩いて行けばいいよねってことで、車いす押しながら向かった。少し寒かったけど、でも道は広かったし(少しボコボコしてて押しづらかったけど)景色は綺麗だし、とっても気持ちがよかった!近くには自然保養林などがあるらしく、車いすでなければちょっと行ってみたかったなって思った(また来ればいいんだけど)。

しかしそこで車いすを押していると、今まで思ったことがなかったようなことがふと、頭の中に思い浮かんだ。

クララの車いすを押して歩くハイジの姿とわたしが重なったのだ。

最初は「え?なんで突然、アルプスの少女ハイジが??」って思ったけど、どうやら北海道の自然とアルプスの自然が自分の中で結びついちゃったようで。思わず

なんて発想が貧困なんだ。。。

と苦笑した。しかもそのあとで、わたしの頭に思い浮かんだのは「北の国から」のさだまさしのあの音楽!ここでも

なんて発想が貧困なんだ。。。

って思いましたよ。ホント、ベタすぎるものしか思い浮かばないのね、わたし、、でも、正直、北海道に来てこの音楽が思い浮かんだのは、そう何回もないんじゃないかな。テレビで「北の国から」の連続ドラマをやったのは多分、わたしが中学1、2年の頃で「北海道の田舎」に対するわたしのイメージってのは、あそこでできあがったんだと思う。いやもう、ほとんどあれしかないと言っても過言ではないだろう。だから発想が貧困なんだよな~。典型的な都会人だよね。まぁほとんど都会でしか暮らしたことがないのは事実なんだけど。

1kmもあると思ってたのに、景色を見ながら彼女とあれこれ話してたらすぐに着いた。車いすってさ、前にも書いたんだけど、押す人と乗ってる人の距離感がいいの。押しながら話せる。今回はいつもより彼女と多く会話したような気がするし、並んで歩くのとはまたちょっと違って、もっと近い感じの距離感を楽しめた。それはよかったと思う。

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着いてチケットを買ってたら、係の人に「もうすぐ茅葺きの家(チセ)でコタンの解説とアイヌ古式舞踊をやる」って言われて、それで走ってその場所に行った。

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左がチセと呼ばれる茅葺きの家。このように5件ほど並んで建てられている。右がチセの中に吊ってあった鮭。去年の秋に近くの海で獲ってきたものだそう。それを冬の間は外に干して腐らないようにして、それから家の中に持ってきて天井から吊って、家の中のいろり(っていうのかな?)で自然に燻製にするそうだ。いろりの火は絶対に絶やさないって聞いた。この燻製は公演が終わったあと、チセを出たところで売ってたが、わたしらは酒を飲まないんで燻製はあんまり食べないんだよね。ってわけで、見ただけで買ってきませんでした。

公演は最初、男の人(って決めつけるのは嫌なんだけど、まぁ多分男性自認の人だと思う)が出てきてアイヌについてのいろんな説明があった。北海道の地名の8,9割がアイヌの言葉由来なこと、チセについて、アイヌの女の人たちは唇の周りに刺青をしていたこと、そんな話だったかな。とても落ち着いた声の人だった。だけど、わたしはいくつかの話でちくちく自分の心に突き刺さるものを感じた。

チセについて。実際のチセはこんなに大きくない。このおよそ1/3~1/4程度。このような建築物は今は建てられない。これは文化財として許可を受けたもので、今はアイヌはこのような家には住むことができない。

なのでアイヌは今は「あなたたちと同じ」ような家に住んでいる。

アイヌの女の人は12,3歳頃から少しずつ口の周りに刺青を入れることをしていて、これを完成させることが大人の女として認められることだった。しかし、この刺青は明治政府に禁止された。それでも刺青を入れる人も中にはいたが、今現在、生きているアイヌの女の人で刺青を入れている人はいない。

この人は「アイヌは和人から差別された」なんて一言も言ってない。同化政策をとられたとも一言も言ってない。だけど、この人はどんな気持ちで説明してるんだろう。1日に4度も5度も。それを考えるとたまらなくなってきた。このときはまだ、他の施設を回っていなかったので、どういうものがどういう風に展示されているのか分からなかったけど、回ってるうちに「ああ、ここは単なる『民俗博物館』なのだ」ということが分かってきた。確かにアイヌの民族や文化を紹介する施設なのだが、ではどうしてこれらのものが今に伝わってこなかったのか、なぜ「民俗博物館」として展示されるような対象になってしまったのか、それについてはほとんど何も書いていないに等しかったのだ。これを除いては。

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その人はまた、チセに積んである漆器の箱(容器?正式な名称は忘れた)について「これは和人が作ったもので、鮭100匹分や熊(何頭か忘れた)と交換したものです。この箱が多くある家ほど『狩りに優れた家』としてアイヌの人たちから賞賛されました」と説明した。わたしはそれを聞いてふと「和人が来る前のアイヌの生活ってどのようなものだったんだろう?」って思った。んだけど、それに関するものは一切なし。

確かにね。「民俗学」として調査の対象にならねばこういったものは残されなかったんだと思う。アイヌは自分自身の文字を持っていなくて、自分たちの歴史を紙に書いては残してこなかった。しかし、いろんなことを口伝えで伝えていっているのだ。それは今でもユーカラは残ってるよね。残ってるけどおそらくそれが全部ではないんじゃないか。それ以外にも口伝えで伝えられていたものはあったんじゃないだろうか。アイヌ民俗博物館にあったアイヌの文化や生活は「和人と交易」があって以降のものしかなかった。「それ以前」、アイヌの人たちはどこでどのように生きていたのか、どういう暮らしをしていたのか。そういうことには一切、触れられてなかった。

実はその疑問を博物館を出たところにある、ミュージアムショップのレジにいた人にちょっと聞いてみたのだ。アイヌの人が着ていた刺繍の入った服も布の生地は和人との交易で手に入れたものなんだとか。「それ以前はどういうものを着てたんですか?」と聞いたら「植物の繊維を編んだものだったと思います」と言われた。「そういえば、和人との交易以前のアイヌの人の暮らしって全然この展示じゃ分かんないですね」って言うと「それは分からないんです。今、調査中です」って言ってた。本当に調査中なのかは分かんない。もうどんどん同化が進んじゃってるなかで、今から突然何か新しい事実が分かるというのだろうか。調査中って、遺跡とかそういうものがあるんだろうか。

あと、博物館を見て回りながら思ったのは、この展示では「アイヌの人たちがどこでどうやってどのようにして暮らしていたのか」が全く分からないということだった。確かに文化や習慣などは分かる。なんだけど、一体、アイヌの人たちは和人が来る前は北海道のどこの地域に住んでいたのか。海の近くなのか、山の中なのか、平野なのか、それが全く分からない。かつてどういう地域にどうやって暮らしていたのかさっぱり見えないため、なんか分かったような分からないような、とても変な感じなのだ。文化だけ見せられて「ここでこういう人たちが暮らしていましたよ」と言われても。。例えば遺跡なんかで出土物だけじゃなく柱の穴とかあると「ああ、ここでかつて人が暮らしてたんだなあ」って想像ができる。だけど「北海道で」と言われても具体的なイメージがつかめない。まさかどこでどうやって暮らしているかすら分からなかったってことではないよね??

それが博物館の展示物を見ながら思ったことだった。

あと「アイヌの人たちと神」の関係が面白くてね。アイヌの人たちは自分の身の回りにある木や動物などは全部神の国から来たもの、と考えていたらしい。だから神の国から来たものはとても大切にしていたし、熊送りの儀式(イヨマンテ)などは動物を神の国に戻してやると考えていたらしい。ところが面白いのは、アイヌの人たちは死んだら神の国に行くとは思ってなかったようだ。少なくともアイヌの人たちの葬式の説明文にはそのような説明はしてなかった。なんだったっけな、この世と同じような生活をすると考えられてて、そのような生活ができるために日用品などを一緒に埋めてたらしいんだけど、そこは「神の国」だとは書いていなかった。ということは、アイヌの人以外は神の国にいて、アイヌの人たちは神とは繋がってないことになる。これってとても面白い考え方だなーって。自分たちが神にならないのはいいよなって(笑)

民俗博物館は結構人が来ていた。近くにとても大きい駐車場があるのだが、観光バスが何台も止まっていたし、1時間に1回ある公演も毎回人がそれなりに集まっていたようだった。博物館内のすべての説明文は、日本語、英語、中国語、韓国語がついていた。それだからか外国人も結構来ていたようだ。

博物館を出たあとは、ちょうどお昼だったので、博物館の前にあるミュージアムカフェでご飯を食べた。

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「オハウセット」ってやつと

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「ペネイモ」ってやつ。

オハウセットは塩味のつゆの中に人参、大根、じゃがいもなんかの野菜がたくさん入ってて、それに鮭が一きれ入ってる汁だった。ご飯は粟みたいなのが混ぜてあったかな。なかなか美味しかった。ペネイモはなんか素朴な味でほんのり甘かった。でもあんまり「じゃがいも」って感じがしなかったな。なんかちょっとしたデザートみたいな感じで食べた。

そのあとは、湖畔を見て歩いた。ここの場所って「ポロト湖」って湖の近くにあるんだよね。それが天気がいいのもあって、ものすごく綺麗でね。

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ただ、ここも元からアイヌの人たちが住んでた場所じゃなく、1965年に白老市街地にあったアイヌ集落をポロト湖畔に移設・復元したものらしい。うーん、どういう意図があって移設したんだろう。なんかそういうことがとても気になる、、

ここは手工芸の実演とか体験学習なんかもあるらしいんだけど、手工芸をやってるチセに行ったら「実演中なので中に入らないで下さい」って書いてあって見られなかったし、体験学習は事前予約なのね。。ってわけで、結局14時くらいで博物館を出て、それからまぁのんびり海を見たりしながら駅の方に行きましょうってことになった。ここ、本当に海の近くなのだ。って海のすぐのところを道が走ってるので、そこを目指して車いすを押して行ったのだが。

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室蘭街道、だったかな?ここに出るまでとても大変で、しかも車いすでは到底行けなかった(途中、舗装してない砂利道があったので)。だから、わたしだけ様子を見に行ったんだけどさ。道幅がものすごく広くて、そして横断歩道がないorz なので、車は恐ろしいほど飛ばしている。もう怖くて怖くて(^^;画像だけ撮ってそそくさと戻りました。

しかし、これだけ道幅が広くてさ、車も結構走ってたのに、道を歩いてる人がほとんどいなかった。。そこを車いすを押して歩くのは楽しかった。駅まですごい回り道して、しかも駅を通り越して商店街みたいなところまで行って、本当にこの日はものすごくよく歩いた。けど、疲れをほとんど感じなかった。しかし、そこで身体が疲れていないはずはなく、翌日は朝から足の裏が痛くなり、そしてわたしは不機嫌になっていくのだった。。

3日目に続く。
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06-07 Sat , 2014
北海道、青森旅行1日目
旅行から昨日帰ってきた。

前の日記の最後に「ずっと笑顔で旅行できればいいな」なんて書きながら、朝、家を出る直前、つまらないことで大喧嘩したわたしたち。あーあ、最初から何やってんのかねえって感じ。車いすで出るってことで、彼女の方はいつになく緊張していたようだった。

最寄りの駅には事前に電話した際に「当日30分前にお越し下さい」と言われてたので、きっかり30分前に行って「○○分の電車に乗りたいんですけど」と言ったら「ホームでお待ち下さい」と言われ、ほとんど30分、駅のホームで待った。すげーヒマだった。。まぁ空港まで何本も乗り継ぎしなきゃならないので、事前にどれに乗っていくかということは決めておかなきゃならないとは思うんだけど、わたしはてっきり改札通る前に待たされると思ったので、それはすごく意外だったし、本当に30分も時間が必要なのか?って思った。

日曜日の午前中に移動ってことで、電車は結構空いてた。ので、思ってたより楽だった。空港に着いてから、車いすで乗るってことを航空会社に申告しなければならなくて、窓口に行こうとしたんだけど、その窓口がめっちゃ混んでる。でもまぁこんなもんだろと思って待ってたら1列目になって窓口からよく見えるようになった途端、窓口の誰かが案内をする人に「車いす優先の窓口があるからそちらに案内してあげて」と言ってて、それでわたしたちは別の、もうちょっと離れたところにある優先窓口に案内された。そういう窓口が用意してあるなんて、全然知らなかった!優先窓口では車いすの人が結構いたので、車いすに普段から乗ってる人には有名な窓口なんだろうか。

優先窓口で搭乗手続きを済ませたあとは、車いすの乗り換え。なんか飛行機に乗るための普段の車いすより少し幅が狭い車いすがあるみたいなんだよね~。普段の車いすは他の荷物とともにそこで預けられた。車いすを乗り換えてから手荷物検査を受け、搭乗口に。そこで待ってたら係員の人に声をかけられて、いの一番に飛行機の中に案内された。しかもそこから飛行機の中までは係員の人が車いすを押してくれて。飛行機が新千歳空港に着いてからも荷物受け取りの場所までは全部係員の人が車いすを押してくれた。新千歳空港は車いすの場合、一旦、これから飛行機に乗る人の待合室のところに出るのね。多分、これしかエレベーターがないんだと思う。まぁ自分が押したわけじゃないから別にいいんだけど、でも普通に行くよりかなり歩いた。そう、この旅は本当によく歩いた!普段なら階段を使うところをスロープのあるところまで行かなければならない、スロープの坂はゆるやかにするために長い距離が必要だ。エレベーターが近くにない!1日目はまだそんなに疲れてなかったからなんとも思わなかったけど、3日目くらいになるとわたしはどんどん疲れていって、そして彼女とつまらぬことで言い合いになったりした。。

新千歳空港から札幌までは電車だったんだけど、改札で「車いすです」って言ったらすぐに通してくれて、全然待たずに電車に乗れた。旅はここからずっとJRで移動だったんだけど、JRはおおむねエレベーターも整備されてたし、駅員さんも親切だったし、結構快適だった。

ホテルに着いてから少し休んで(その日は朝早かったのですごく眠かった)それから少しプライベートな用事。

まぁいろいろ思ったことがあったし、それを書きたい気もするんだけど、プライベートなことなんで止めておきます(笑)

20時半ごろ終わってホテルに帰ってきて、ホテルに付いてるレストランでコーヒーを飲んだあと部屋に戻ってすぐ寝る用意。疲れてるはずなのに、なんかあんまり寝た気がしなかったな。

というわけで、1日目はおしまい。
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11-19 Mon , 2012
帰京しました
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本日無事帰宅しましたー。

フライトの時間が12時だったし、今まで新千歳空港の中を詳しく見たことがなかったので、できるだけ早く空港に着こうってんで、ホテルを8時30分くらいにチェックアウトし、札幌駅から電車に乗った。空港に着いたのは10時少し前くらいだったかな。

今回の旅行の目的の一つが「札幌ラーメンを食う!」ことだったので、最後に空港の中にあるラーメン屋さんに行こう!ってことになったんだよね。新千歳空港の中に「ラーメン道場」ってラーメン屋さんが10個くらいあるところがあって、そのうちの1つに行ってきた。

とんこつ味噌ラーメンってヤツだったんだけど、トッピングとしてチーズも入れるんだよね。それが意外と合うというか、マイルドな味がさらにマイルドになるって感じだった。麺はやっぱりわたしにとっては固くて、食べ終わるくらいにちょうどいい固さになるというか。。チャーシューが溶けるように柔らかく、わたしの好みだった。全体としてはまぁまぁ美味しかったかな。あまり塩辛くないスープだったので、結構スープも飲んだかも(塩分取りすぎになるんでわたしはラーメンのスープは余程じゃないと全部飲まない、というか飲めない)。

札幌ラーメン、今回は4食食べてきたわけだけど、一番美味しかったのは一番初めに食べたヤツかなぁ。ニンニクが効いたスープで、それがとても美味しかった。まーラーメンって人それぞれの好みがあるんで、本当に「ここが美味しい」と言われても、自分の好みじゃないラーメンの場合もあるんだなってことがよく分かったよ。しかし、札幌はわたし好みのラーメン屋さんがたくさんあって羨ましい~。欲を言えばもっと滞在してたくさんのラーメン、食べてきたかったよお。

中3日の旅行って最初は結構時間があるなと思ったけど、過ぎてしまえばあっという間だった。旅行中、短スクのことも何回か思い出して「あー」って思ったけど、でも自分の今の状態を考えると今回、このような旅行の方が良かったと思ったりもする。「旅行してリフレッシュしたか」と言われると、正直今は疲れてて、あんまりリフレッシュしたような気はしないのだけれど、今日は早めに寝て、疲れをとってから考えたらどうなるかな、と思う。

預かってもらってた猫も今日、連れてきてもらったし、明日からはまた日常生活が始まる。ただ相変わらずいつから勉強しようとかそういうことは考えていないが。。
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11-18 Sun , 2012
札幌4日目
今日の札幌は朝からみぞれ交じりの雨。気温もぐっと下がって寒い。

昼ご飯はいつもの通り札幌ラーメン。今日のラーメンはまあまあ美味しかった。チャーシューは角切りだったけど予想と違ってやわらかくて、わたし好みだった。麺は固めだったけど、この3日間食べたラーメンは全部そんな感じだったので、札幌ラーメンって麺固めがデフォルトなのかしら。あとタマネギが入ってることに初日はびっくりしたんだけど、これも3日間食べたラーメンの中すべて入ってたので、これもデフォルトなんだろう。今日のラーメンの汁はニンニクというよりショウガの味が強かったような気がしたんだけど、本当にショウガなのかどうかは分からない(笑)卵はサービスってことで、ゆで卵の殻をむいてラーメンの中に入れた。味付け卵じゃなく単なるゆで卵だった。

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食べたあと、彼女は別の用事があったため、わたしは2時間くらいホテルで休んでた。午後3時過ぎにまたホテルを出たんだけど、そのときは既にみぞれ交じりの雪からあられになっていた。それに加えて稲光と雷が。雪が降ってるときの雷って聞いたことないんだけど。まぁそれだけ一気に寒気が入ってきたということか。札幌駅で彼女と再度合流。

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出かけたのは小樽に行くためだったんだけど、寒くて仕方ないので途中、札幌駅の中にあるユニクロでヒートテックのレギンス(パッチみたいなもん?)を買う。ユニクロは人でいっぱいですごかった。一昨日の時計台のおねえさんが「北海道の人は下にたくさん着込んでるんですよー」って言ってたが、本当のことなんだなあと思った。中にはかごいっぱいにヒートテック買ってる人もいた。

ジーンズの下にヒートテックを着込んで、電車で小樽へ。小樽には猫を預かってくれてる友達へのお土産と寿司を食べに行ったんだよね。もっと天気がよければ他のところにも行けたんだけどね。まぁ小樽は4回目くらいなので、実はそんなに行くところもないんだけどねー。

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17時頃に着いたのだが、既に真っ暗。それから駅の近くの市場に行ってきた。17時過ぎにもう市場は閉まっちゃうみたいで、ギリギリのところで間に合ったんだけど、そこで「カニ、ここで千円で食べられるよ」と言われ、ゆでたタラバガニの足を食べた。「そのままで十分美味しいから」って言われたんだけど、わたしはカニはカニ酢で食べるのが好きなんだよなあ。まぁ、そのままでもそれなりに美味しかったけどね。しかしこの量で千円はどうなんだろうか。わたしはあんまり安いとは思わなかったのだが。。

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その後はまっすぐ寿司屋へ。今日の夕食は寿司。確かにすごく美味しかったんだけど、どちらかというと繊細な感じ。寿司の形もそうだけど、味も繊細な感じ。まぁ美味しかったんで文句はないんだけどね。

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それから近くの喫茶店へ。寒かったのでここでぜんざいを食べて暖まる。

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暖まったあと、早めに駅に向かう。途中、気温表示があったので思わず画像に取る。1度。東京の真冬の最低気温とだいたい同じだ。まぁ、事前に「東京の真冬並みの格好をしてきた方がいい」と聞いてたんで、手袋、マフラー、帽子を持参していったんだけどね。それは正解だった。しかもジーンズの下にヒートテックを着込んでいたので、そんなに寒い思いをせずに済んだ。小樽は着いたときは雪もあられも降ってなかったんだけど、帰りにちょこっとだけあられが降っていた。

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それから札幌に向けて帰ったんだけど、途中、昨日突然連絡が取れた友達がいたので途中下車して会って話した。会うのは久し振りだったんだけど、いろいろな話を聞いて楽しかった。今度はいつ会えるんだろうねえ。

てなわけで、札幌の最後の夜が更けている。
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11-17 Sat , 2012
札幌3日目
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今日は札幌は一日雨だった。

わたしたちは昼頃ホテルを出て、雨の札幌へ。傘を持ってき忘れたんだけど、そんなに降ってないし途中からは地下道だからと思ってそのまま歩く。地下道で「網走の物産展」みたいなのをやってて、ちょっと見てたらニポポ人形があったので買う。いや~、ニポポ人形って昔々、わたしが高校生の頃「オホーツクに消ゆ」っていうゲームがあってさ、そのゲーム、三鷹のNTTのキャプテンシステムから途中までタダでできたのよ。で、そのゲームの中に出てきたのがニポポ人形。ただそれだけのことなんだけど、すごく懐かしかったので買ってしまった。

それからビートって言う大根みたいなのから甘い汁が取れるんだけど、それをシロップ状にしたものが売ってて、それを見てたら売り場のおばさんが「ちょっとこれ舐めて」ってスプーンに少し取って渡してくれたり、ヨーグルトに混ぜたものを食べさせてくれたり、「この製品は札幌でもどこそこでしか買えなくて」とか「全くアレルゲンのない工場で作ってるから」とかなんかすごい人なつっこーい感じで話されてさ。「いや、わたしたち札幌の人じゃなく東京から来たから持って帰るの大変なんです」とか言ったんだけど「あらぁ~。東京ならなおさら。これはどさんこなんちゃらでしか取り扱ってないのよ!しかも東京じゃこの値段では絶対に買えないんだから」なんて言われて。東京だったら「売りたい一心で下心みえみえ」とか思っちゃうんだけど、なぜかそういうのを全然感じさせなくて。気が付いたら3本買ってました(汗)いかん、わたしはこういう感じの人にコロッと騙されるタイプなんだな、気を付けなきゃと思ったりして。

っていうか、昨日の時計台のおねえさんもそうなんだけど、北海道の人ってなんでこんなに人なつっこいしゃべり方するんだろう?人見知りが激しいわたしでもなんかすぐにうち解けて話せちゃいそうな感じがする。すごい不思議な感覚。

そして今日の昼ご飯も札幌ラーメン。ガイドブックを見ておいしそうだって思って行ってみたんだけど、正直食べてみて外れた、と思った。味噌ラーメンを頼んだんだけど、どこが味噌ラーメンなのかさっぱり分からず。彼女も「あれ、ホントに味噌ラーメン?間違って塩ラーメンが来たのかな?」って言ってた。なんか単なる油ぎとぎとの塩辛い汁としか思えなかった。。

その後は彼女の関係でいろいろと。今回の旅行の目的。

なんというか。カミングアウトしてない人たちには表面的なことしかしゃべることができないことを改めて実感した。何かを話す際にも「これは話していいことか、ばれることに繋がらないか」といちいち頭の中で考えなくてはならず「そういえば昔のわたしはこうだったな」という感覚を思い出した。あのときはこれが自然だった。けれど今はほとんど日常をカミングアウトして暮らしてるので「自分を隠す」ということが窮屈に感じられて仕方がなかった。

だからといってカミングアウトすることがすべてだとは思わない。カミングアウトする、しないは個人の自由で、それは強制されてやるものじゃない。だけどもしかしたらわたしにとってもそんなに遠くじゃないかも知れない間柄の人たちに「本当の自分を出せない」ことはとてもつらく感じられた。
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11-16 Fri , 2012
札幌2日目
今日は朝食を食べてから北海道大学へ。ここって立派な観光地なんだねー。観光客がいっぱいいてびっくりした。大学構内もそこがなんの建物なのかっていう看板がしっかりあって、とても分かりやすかった。まぁ建物の中には入れないんだけどね。わたしは全く知らなかったんだけど、北海道大学の中でも「ポプラ並木」が有名なんだそうで、そこに行ってきた。ただ、2004年の台風でたくさん倒木してしまったらしく、今は養生中でポプラ並木の中を歩くことはできなかった。

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その後もずっと北上していったら、農場があって、そこには羊が何匹かいた。農場ってさー、とても大学の中とは思えないほど広くてここでどんな研究をしてるんだろうって思った。残念ながら関係者立ち入り禁止で中でどんなことをやってるかを見ることはできなかったんだけどね。しかし関係者って北海道大学の学生だったらみんな関係者なんだろうか。それとも農学部の人しか関係者じゃないのかな。うちの大学は構内の中に「ポンド」っていうところがあって、そこには青鷹丸っていう船が停泊してるんだけど、うちの大学の学生なら誰でも船の見学ができたんだよね。まぁたかが150トンくらいの船とあの広い農場を一緒にはできないんだけどさ。なんか「関係者」ってところでそんなことを思い出していた。

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お昼ご飯は予てから念願の札幌ラーメン。札幌駅のなんちゃらっていう地下街の10階にある(地下街の10階って変なんだけど)「ラーメン共和国」ってところに行ってきた。食べたのは味噌ラーメンの卵のせ、だったかな?なかなかおいしかった。中にタマネギが入ってたのにはびっくりしたけど、あんまりタマネギが入ってます!っていう感じはしなかったし、ラーメンの汁はニンニクが効いておいしかった。麺はちょっと堅めかな。わたしは札幌ラーメンって太麺だと思ってたんだけど、そんなに太い麺じゃなかった。チャーシューはトロトロでわたしの好み(っていうかいろいろなお店のラーメンを見たんだけど一番チャーシューがおいしそうだったからそのお店にしたんだよね)だった。

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ラーメンを食べたあとは時計台へ。ここ、わたしは以前に来たことがあって、普段写真で見るよりも周りの建物に埋まってしまうほど小さいって知ってたんだけど、まだ中に入ったことがなかったので、今回は200円払って中を見学してきた。入ってすぐのところにあった「世界の鐘」というのを順番に聞いてたら、案内のおねえさんが近づいてきて「どこから来られたんですか?」って聞かれたあと、時計台は本当は農学校の演武場だったとか、演武場の2階で実は銃を撃つ練習をしてたんだとか、その噂が拡大してソ連(当時)に伝わって、北海道はソ連の脅威から守られたんだとか、なんかいろんな話をしてくれた。わたしたちは「はぁはぁ」って話を聞いてたんだけど、おねえさんの人なつっこさにはびっくりした。中に入ったら、観光ボランティアのおじさんが他の人に一生懸命展示物の説明をしてた。「そこに展示物があるだけ」っていう観光地の方が多いと思うんだけど、こういう対応のいい観光地はあんまりないかも知れない。そういうところに好感が持てた。

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時計台に行ったあと、一旦ホテルに帰って夕飯はどこで食べるかを考えた。結局行ったのは海鮮居酒屋だったんだけど、いろいろあって居酒屋っぽくない雰囲気の居酒屋みたいなところで食べた。刺身の盛り合わせで出てきた魚はホッケとかニシンとかさすが北海道、って思わせる魚だった。あとは彼女が生牡蠣を食べて(わたしは牡蠣は嫌いで食べない)ウニも食べて、あっ、「インカのめざめ」ってじゃがいもを使ったじゃがバタがすごくおいしくて2回注文しちゃった。その他いろいろ食べて、そして最後はカニ雑炊で締め。どれもすんごくおいしかったー!

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こんな感じで札幌の2日目が終わろうとしている。
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11-15 Thu , 2012
札幌1日目
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やってきました、札幌。

今日は午前中にうちを出て羽田に向かい、羽田で昼ご飯を食べたりのんびりして15時過ぎの飛行機に乗った。新千歳空港に着いたのは17時。そこから快速に乗って札幌に。

札幌に着いた途端、なぜかわたしの頭の中で「は~るばる来たぜ函館へ~♪」という歌がぐるぐると回り出す。ここは函館じゃなくて札幌なのに!!!って思うんだけど、もしかしたらわたしの中では函館も札幌も「北海道」というくくりで言えば同じなのかも知れない。。(って北海道の人に失礼だね、こりゃ。すみませんm(_)m>北海道の人)

ホテルに着いたのが18時過ぎ。それから1時間ほどのんびりしたあとに夕食を食べに出かけた。初めは札幌駅に行けば何かあるだろうと思っていたのだがあまり適当な店がなく、結局は地下鉄で3駅くらい行ったところにあるキリンビール園にジンギスカンを食べに行った。

わたし、実はラム肉って苦手なんだよね。昔大学生の時に生協食堂で「ラムフェア」があったので、食べたらまずいのなんのって!もうなんていうの?肉がものすごく変な臭いでね。それがトラウマになってしまって、それ以来ラム肉が食べられなくなってしまった。

なのでラム肉は聞くだけでも「苦手」って思ってしまうのだが、今日食べてみたら臭いなんか全然なくてとってもおいしかった。特に事前にタレに付けてある方の肉はとてもやわらかかった。食べる前に「食べ放題にしますか」って聞かれたんだけど、うちらは一人前ずつで十分。とてもお腹いっぱいになって帰ってきた。

さて、明日はいよいよ札幌ラーメンだ!まだどこに行くか決めてないけど。。
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09-24 Sat , 2011
温泉旅行
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前の日記にも書いたように、9月19日から1泊で秩父の温泉に行ってきた。

実は行く日に思ってもみなかったことが起こって。もう行く前にバタバタして大変だったんだけど。

それは、うちの猫が朝、突然血尿を出して、家を出る前に動物病院に急遽行ってきたんだよね。

うちの猫、5ヶ月くらいのときに近所の動物病院で無料の健康診断があって、診てもらったことがあるんだけど、そのときに血尿が出てたの。それ以降1ヶ月に1度は病院に尿を持って行って、血尿が出てないかとか、結晶(ストラバイトと言って尿がアルカリ性に傾いたときにできる結晶で、大きくなると結石になって怖いことになる)が出てないかを調べてた。家でも尿がアルカリ性に傾いているかどうかをチェックするために、pH試験紙を買って、定期的におしっこをチェックしてた。

今回も、朝、猫がトイレに行ったので、そこでいつものように尿をおたまに取ってみたら、いつものような黄色い色の尿じゃなくて、褐色の尿になってたのね。びっくりした。血尿は最初の健康診断以来のことだったから。あのときは血尿が出てるってことが全く分からなくて、なんの気なしに褐色の尿を持って行ったら「見た目からすぐに血尿が出てるって分かりますよ。猫のおしっこは黄色ですから」って言われて、そうだったんだ、と。だから今回はすぐに「血尿が出てる」って分かったの。

ただ、、そのときは何も考えずに取った尿のpHを測ったあとすぐに捨てちゃって。でも「このまま旅行に行っても大丈夫なんだろうか?」ってちょっと心配になって来たのね。症状はホント血尿だけで、猫が痛がる様子もなく(それは前もそうだった)頻繁にトイレに行くでもなかったから。血尿が出る状態って膀胱炎なんだけど、人間の膀胱炎も相当痛いらしいけど(わたしは経験無し)、猫も同じなんだって。けどうちの猫は普通におしっこしてるから、どうしようかなって思ったの。翌日帰ってきたあとでもいいんじゃないかって。でもやっぱり血尿が出てるとなると心配だし、この状態で旅行に行ってもきっと楽しめないよね、ってことで、急遽、動物病院に行くことにしたのね。

いつも行く動物病院じゃなくて、そこより1時間早く始まる、そこよりはちょっと遠い動物病院で、今までに別のことで一回お世話になってるところだったんだけど(なんて病気がちなうちの猫。。)、診療が始まる9時ぴったりに着いたら、既に前に7組、人が来てて、うちらは8番目。結局2時間以上たっぷり待たされた。

尿は捨てちゃったんで、病院で膀胱から絞り出してもらうことにして、あとは膀胱の中に結石がないか調べるためにエコーを撮ってもらった。いつも行く病院ではエコーは撮ってもらったことがなかったんで、ちょうどいい機会だと思ってね。で、結果は膀胱の中には結石は見つからず、白血球も特に多いわけじゃなかったから、細菌性じゃなくて、猫によくある突発性の膀胱炎でしょう、と言われた。ストレスがあると猫って膀胱炎になるらしい。もちろん、原因不明の場合もあるらしいけど。うちの場合はよく分かんない。旅行に行く前に確かにバタバタしてたところはあったと思うけど、それが原因とも考えにくいし。。pHはやっぱり高くて、そして結晶もちょっと出てた。血尿だから、赤血球は+++。薬を1週間分もらって帰ってきた。

そんなこんなで家に帰ったのは12時過ぎ。本当は鍾乳洞に行こうとか、宿の近くにある道の駅に行こうとか言ってて、朝の10時には出てる予定だった。それが予定より3時間くらい遅い、昼の1時に出ることになってしまった。出る前も猫に昼の餌やって、それから薬飲ませたりして、本当にバタバタ。これだけで疲れた。。ホントにこれから行くの?って気がした。

というわけで、すんごい長い前振りになっちゃったけど、出かける前にこんなことがあったのだった。

まーだけど、こんなとき、近場でホントよかった。これが乗る時間の決まってる電車だったらものすごく焦ったと思う。結局3時間遅れで行っても、鍾乳洞には行けた。道の駅は間に合わなかったけど。

鍾乳洞は橋立鍾乳洞ってところで、浦山口って駅から歩いて15分くらいのところだった。なんてか、ここ、竪穴の鍾乳洞なんだそうだ。入場料大人200円。最初、山の中の坂道を下っていって、鍾乳洞の入口に行くんだけど、入口に着いた途端、中から涼しい風が吹いてきてるのが分かった。「あ~、涼しい」って思ったんだけど、後から考えてみれば、最初だけだったな、そう感じたのは。あとはすんごい急な階段登ったりしたので、もう蒸し暑くてねー。メガネも曇るほどだった。

結構ハードな道のりで、わたしも彼女も鍾乳洞から出たときは、暑くて顔が真っ赤。久しぶりにこんなに足腰使ったーって感じだった。本当に縦穴の鍾乳洞で、狭くて急な階段をいくつもいくつも上った。中は結構楽しかった。いろんなものに見立ててて、例えば「下り竜の頭」とかね。それが本当にそう見えるんだよね。そういうのがいくつもあった。

鍾乳洞に行って駅にまた帰るまでちょうど1時間くらいだったかな。ハードだったけど時間がそんなに長くなかったので、適当に運動できて、温泉に入りたいーって気分になってきてた(笑)

泊まった宿の最寄り駅は武州日野。浦山口から更に2駅行ったところ。駅まで宿の人に車で来てもらった。歩いてもそう大して遠いところじゃなかったんだけど、もう疲れてたからね。駅から宿まで車で5分もかからなかったかな?

宿に着いて、部屋に案内してもらったんだけど、洋風の部屋の一角に畳が敷いてある部屋で、天井がすごく高かった。広かったし、きれいな部屋でね~。部屋の外の露天風呂はちゃんと2人、一緒に入れた。もう早速部屋に着いて一息入れたら風呂に入りました(笑)お湯はそんなに熱くなかったから、結構長い間入ってても湯あたりすることはなかったんだけど、わたしにとってはちょっとぬるかったかな。しっかり入ったつもりだったんだけど、結局のところ、足が冷えて寒い思いをすることになってしまった。ただ、部屋には足袋(風の靴下)が置いてあって、夜また風呂に入ったときは、出たあとにそれを履いてたので、寝るまで冷たくなることはなかったけど。

露天風呂に入ったあとは部屋で食事。なんだか細々したものがいっぱい出てきて、どれから食べたらいいのかよく分かんなかったんだけど、適当に食べた。山の中だけあって、肉はそんなに出てこなくて、野菜の煮たのとか、鮎とか、さしみこんにゃくとかそんなもの。わたしはどちらかというと「肉派」だから、ちょっと物足りなかったかなぁ~。あ、物足りないと言っても、お腹はすごくいっぱいになったけどね。翌朝が来てもお腹空かなかったくらい(笑)

6時ごろから夕飯だったんで、それ以降は夜が長くてねー。ネット関係のものは一切持っていかなかったので、PCに触ることもなく。久しぶりにゆっくりできた夜だった。夕食後は内風呂の方の温泉に入ってきたんだけど、そこは湯船が2つあって、一つはわたし好みの熱いお湯だったので、そこにゆっくり浸かって来れたのでよかった。彼女は2つある温泉を3回ずつ行ったり来たりしたせいか、風呂出たあといつまでも「暑い、暑い」と言っていた。

翌朝は一風呂浴びてから朝食。結局、3回風呂入ったかな~。本当は寝る前にもう一回露天風呂、と思ったんだけど、程なくして雨が降り始めてね。露天風呂の方のお湯はわたしにはぬるすぎて、入ったら風邪引きそうって思ったし、あともう疲れてて入れなかった。

朝食を食べたあとは、10時までにチェックアウトだったんだけど、猫のことも心配だったし、ちょっと早く出てきた。電車の乗り継ぎがね、ちょっと早く出るとうまく行ったもので。で、家に帰り着いたのは1時半ごろだったかなぁ~。ちょうどまる一日家を空けてた、って感じだった。

猫の方は大丈夫だった。わたしの方が寂しがってた感じ。宿でも猫がいないと寂しくてね。なんか彼女とは猫の話ばっかりしてたような気がする(笑)二人水入らずで「あー、楽ちん」とは全く思わなかった。

ま、そんなこんなでなんかバタバタして慌ただしかった2日間だったけど、でも夜はのんびりできたし、いい思い出になった2日間だった。でも猫がいる限り旅行はちょっともう無理かも。。
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09-18 Sun , 2011
温泉旅行
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明日から1泊、彼女と温泉旅行に行ってきます。

近場にして、その分宿は贅沢をしようと、交通費は1,000円台のところにしました。まー、埼玉なんだけどね。埼玉の温泉って大学の卒業旅行で飯能に行って以来だわー。今回は飯能よりもうちょっと奥地(?)の秩父です。そういえば、うちの高校の校歌の歌い出しは「都の空に陽は昇り 秩父の峰に映ゆるなり」だったんだけれど(どこにある学校やねんって感じだわ。三鷹だけど)、その頃から「秩父ってどんなところだろう~」って思ってたので、行くのすっごく楽しみ。宿に行く前に、鍾乳洞が近くにあるってことなので、そこも見学してくる予定。

宿は貸切露天風呂付きの部屋。彼女と二人、あーんなことや、こーんなことしてきます(*^^*)←?

それにしても肝心の天気なんだけど、明日は晴れるとして、明後日が雨。これはさっさと帰れと言うことなんだわ。

うちで留守番してる猫も心配だし。猫、今年の6月に名古屋1泊したときよりも大人になってると思うので、今回は友達にも頼まず、ずっと1匹きりにしておくつもりなんだけど、多分、大丈夫だよね。

楽しんで来まーす。
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09-18 Sat , 2010
北海道!
明日から2泊3日で北海道の新得で行なわれる「shintoku空想の森映画祭」に行ってきます。

偶然にも朝の電車の時間がいつも通勤してる電車の時刻と一緒なんだけど、この飛行機を予約した数ヶ月前は「こんなに早い時間、ちゃんと起られるのだろうか。。」って思ってたのよね。ああ、あのときはまさかこんなに朝早い仕事をするなんて思いもしなかったわー。

北海道、と言っても、道東の方にはこれまで行ったことがないので、どんな感じのところかちょっとワクワクしてたりして。でも寒いって話だから、着替えをしこたま持って行きます。超寒がりなんで。

映画祭の内容は、、当初は「苺とチョコレート」を観るのが楽しみの一つだったんだけど、新訳版の映画がつい1ヶ月ほど前、ケーブルテレビで放映されたときにビデオ撮ったんで、まーもうこれはこれでほぼ興味はなくなったというか、まー、大きいスクリーンで楽しむのは多分最後になると思う。

今の楽しみはなんと言っても双子の弟が監督してる「しみじみと歩いてる」の上映、でしょうか(にや)。

直後の監督トークのときに、厳しい質問をして監督を泣かせようと今から目論んで、、いるかいないかは秘密(爆)気になる人はここでチェック←オイ

てか、この映画の主人公らしい綾さんも前に「Ronとakaboshiの直撃トーク」でお世話になったので、映画を観る視線ってのは、おそらく「身内モード」になってしまうんじゃないかなあ~なんて思ってる。仕方ないよね。

というわけで、ほとんどが映画観ることに費やしてしまうと思うのだけれど、北海道、楽しんできます。出会いを大切に。そしてうまいもんが食いたいよ~。
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07-13 Tue , 2010
遠くとも一度は詣れ善光寺
昨日の題名といい、今日の題名といい、善光寺を盛んにPRしてるみたいですわね(笑)

えーと、無事、帰京いたしました。

今日の長野はずっと雨で。気温も低く、超寒かった(;_;)

ホテルのチェックアウトが10時だったので、10時にはもう外にほっぽり出され。およそ2km離れた善光寺まで、時にはザーザー降りの中を歩いて行った。って、昨日の晩、ほとんど寝付けなかったわたしは具合が悪く、途中彼女に「どこか寄って休んでいこう」って言われ、コーヒー飲めるお店へ。そこの店、なんだかソファが置いてあって、くつろげたので、1時間ほど寝る。なんだかとても気持ちがよかった。

そこからまた、歩いて善光寺へ。前日とは違って、お店も開いてて、仲見世をブラブラ買い物しながら歩く。ジャムだのそばだのいろんなものを買った、自宅用に(爆)

善光寺に着いて、楽しみにしていた「お戒壇巡り」をする。昨日も書いたけど、わたしは今まで3度善光寺に来てて、今まで3度、お戒壇巡りしている。だからこれで4回目。お戒壇巡りって何かというと、本堂の下に真っ暗な廊下があるんだけど、そこをそろそろ歩いて行くと、ご本尊の下に「鍵」があって、その鍵を触ると極楽に行けるという、まー、わたしは別に地獄とか極楽とか信じてないんで(←オイ)別にどっちでもいいんだけど(死んだあとのことは誰にも分からん)、わたしが気に入っているのはあの「暗さ」。なんていうのかな、本当に真っ暗、なのだ。一寸先は闇、って言うけど、一寸どころじゃない。目の前から真っ暗で、近くにいる人も何もまーったく分からん。そういうところって、ここしか経験したことない。だから、善光寺=お戒壇巡り、なんだよねー、わたし。何回歩いても飽きないというか。

で、今回は初めて彼女を連れて行ったんだけど、入口に「鍵を携帯電話の光で照らさないで下さい」って書いてあった。あ、そうか。20年前に来たときは、携帯電話なんかまだなかったから、鍵の形を見る手段なんかなかったけど、今はそういうことできるんだね。。って、でもそんなことやって何が楽しいんだろう、あれは手で触るしか実感できなくて、だから楽しいんじゃないかって思うんだけどね。

他の客がいなかったら、あーんなことや、こーんなことをしよう、と企んでいたが(←オイ)前にも後ろにも客がいて、結局素直に歩くしかなく。だって、止まってても後ろの人はわたしらが止まってるのは見えないんだからさ。みんな等速運動してなければ、ぶつかってしまう。というわけで、チェッ、チェッ、チェッ。ちょっと残念(←って何をしようとしてたのだ?)。でも、終わってから彼女が「楽しかった」って言ったので満足。

それから以前持ってた善光寺のお守りで気に入ったヤツがあったので、それが買えればと思って、お守りをずっと見てたりしたんだけど、なかった!お守りも時代によって変わってくるのね~。さっき携帯電話の話したけど、最近のお守りって携帯に付けられるストラップのお守りがあってびっくりした。そーねー、半分くらいはそういった感じのお守りだったかな。わたしは自分の口腔異常感症が治るように「おびんずるさまのお守り」を買ってきた。まー、この病気に関しては、もうなんでもいいからすがれるものにはすがりたいくらいなんだわ。本堂にあるびんずる尊者の口元も触ってきたし。

あと、気に入ったのはこの本。
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善光寺に関していろんな本が売ってたんだけど、なんかここでなきゃ買えない本みたいだったし、中身が面白そうなので買ってしまった。1,000円也。まだ最初の1/5くらいしか読んでない。帰りのバスの中で読もうとしたら、それより眠くて寝てしまったので。。

ってわけで、2日目は雨に降られてちょっと残念だったけど、まー、その前日、善光寺自体は十分堪能してきたんで、今日は今日でよかったかな。なんかね、雨だと古い木の匂いが強く匂ってくるような気がした。でね、善光寺の近くにはお香のお店とかあるわけで、その近くを通りすぎるとなんかすごく落ちつくような気がした。わたしも年なのかな~(笑)別に昔から線香くさいのが嫌いではなかったが、落ちつくとまでは考えなかった。うちには仏壇もなかったし、そう線香の匂いを身近に感じながら育ったわけじゃないけど、なんかどっか何かが身体に刻まれてるとか、そんな感じがするのはわたしが日本で育ったからなのか?

さて、明日からは日常生活に戻る。遊ぶだけ遊んで、ようやくまたやる気が戻ってきた。
まずは日本法制史のレポートからかな。早いところ書き始めなければ。けどまだ本(レポートのため図書館から借りてきた本)を全部読んでないんだよな~。。

頑張ろっ。
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07-13 Tue , 2010
牛に引かれて善光寺参り
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今、長野。

先週の終わり頃か、突然旅行したくなって、最初は京都に行きたかったんだけど、どういうわけか長野の善光寺に行くことになった。てか、長野、平日高速バスで行くと1人2,900円で行けるんだよねー。調べて初めて知ったんだけど。で、東京から高速バスを使って約3時間半かけて長野に来た。

長野の善光寺はわたしはこれが初めてじゃない。いろいろ思い返してみると、これで4度目。でも20年ぶりくらいかな。前にここに来たのは多分、大学生の時だったと思う。その前とその前は大学受験(笑)で、今まで3度ともぜーんぶ冬の寒い時期に来てる。この時期の長野は実は初めて。いや、長野の別のところはよく夏でも行ったことあるけど、善光寺は初めて。

今日の長野は夕方まで雨が降っていた。長野に着いたときは雨が降ってて、どうも外に出る気がしなかったから、ホテルでちょっとゴロゴロしたりしてた。で、夕方になって雨が止んだので善光寺に行った。

長野駅からずっと歩いて行ったんだけど、わたしの記憶の中の善光寺までの道のりと実際がぜーんぜん違ってたのでショックを受けた。彼女が「オリンピックがあったから変わったんだよ」って言ってたけど、わたしとしてはどこがどう変わった、というより、まるで初めて来たような感じだったので、とてもショックだった。記憶って変化するもんなんだねー、ホント。ってことは、今持ってるあの頃の記憶ってもしかすると全部ウソかも!?なんて思うとちょっと怖い気もするが。。

今の時期の善光寺は16時半までだそうで、わたしらが行ったのはその時間をとっくに過ぎていたので、境内は閑散としてほとんど人がいなかった。でもまだまだ外は明るくてね。そして雨上がりで、だからお寺の中の草木も青々としてて、なんだかとてもきれいだった。すごく静かでね。なんかとてもいい感じだった~。二人で「なんかいい感じ!」って何度も言いながら探索してきた。

善光寺からの帰り道、途中、メシ食ってきたんだけど、郷土料理の店、なのかな?山菜の天ぷら、とかサーモンのお造り、などがある定食と酒を少々飲んだのだが、サーモンのお造りがおいしかったんじゃなく、そこに付いてたわさびがおいしくてね(笑)「さすが長野だなあ~」って思った。漬け物もおいしかった(笑)ってこれじゃ他のものがおいしくなかったみたいだけど、そうじゃなく、どれもおいしくて、そして酒も入ってたからほろ酔い気分でそれも楽しくて、なんかそんなんでお腹いっぱいになって幸せになった、って感じ?

彼女とは「楽しいね、来てよかったね」って言いあってる。

あー、なんか最近、気持ちがくさくさしてたけど、ここ数日間遊んだんで、だいぶリフレッシュされたような気がする。

東京帰ったら、また頑張ろっと。って気持ちにだんだんなってきた。

というわけで、明日また善光寺行ってから帰京する予定。
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05-18 Tue , 2010
帰国
今日は朝5時に起きて、8時過ぎの飛行機に乗り、10時半頃羽田に着いた。
振り返ればあっという間の4泊5日(中3日)だった。

日本に着いたとき、今まで行った外国から帰ってきたときと違って、自分でも思ってもみなかった反応が出て来てちょっと面白かった(?)。

まずは看板。
駅の案内の看板(行き先とか乗り換えとか)。
当たり前なんだけど「字が全部読める」(笑)
韓国ではハングルはお手上げなので、必死で英語表記してあるものとか漢字表記してあるものを探すんだけど、当然のことながら字がすごく小さいのね。この小さい文字を探すという苦労をこの3日してたんだなあと実感。

次に言葉。
当たり前のことなんだけど「意味が全部分かる」(笑)
韓国語はね~、語尾の「ニダ」しか聴き取れなかったんだよね(苦笑)
だけど、逆にアナウンスにそれがないとちょっと寂しいと感じるほどになってしまった。ここ3日間で。
日本語全然分からない人にとって、日本語のアナウンスはどう聞こえるんだろうね~?と思ったりする。

そして混乱。
なんか韓国行っても日本に帰ってきても混乱ばかりしとりますが(笑)
これだけ近い(2時間弱のフライト)と頭の切り替えがうまくいかなくて、
文字や言葉が理解できる環境がすごーく不思議に感じる。
これ、ヨーロッパとかオーストラリアから帰ったときはそんなこと思ったこともなくて。
多分、フライトの間に頭の切り替えをしてるのではないかと思えたり、
日本とは全然違う雰囲気だから切り替えがうまくできるのかなと思ったり。

中3日韓国で過ごして。
辛いものが今までより断然食べられるようになった(と思う)。
んー、今まで唐辛子だとばっかり思っていた辛さが実はニンニクの辛さなんじゃないかと気が付いて。
あとに引くような辛さはまだ全然ダメなんだけど、
瞬間的にピリッと来る辛さは大丈夫なのね、わたし。
で、韓国ではどんなに辛いもの苦手ですと言っても、
赤い色をしてないものまで辛い。
そういう意味で、辛くないものを食べないことはほとんど不可能に近い、
ということで、最後の方はむしろ積極的に赤いものでも口に入れてました(笑)
結構食べられるものだな、と実感。
ただし、韓国の唐辛子は辛くない、とも聞くので、
日本では積極的に口に入れようとは思ってません(笑)

それから焼き肉三昧する予定が結局3日間のうち、1日目の夜しか焼き肉食わんかった。
韓国の食材自体、そんなに日本で食べるものと掛け離れたものじゃないのに、
なんかすっごくくどい印象がして、それでわたしは外国に行って初めて、日本のあっさりした食事が恋しくなったのだった。
遠く離れた西洋の国なら分かるが、まさかこんな近くの韓国で日本食が恋しく思うことになろうとは、まったく考えてもいなかったので、びっくりしてる。

人。
韓国の人は親切だった、と思う。
電車の中でわたし一人が座ってて、わたしの隣の隣の席が空くと、スッと隣の席を空けてくれて彼女と並んで座らせてくれる。そういうのが当たり前の国だった。日本ではそういうことはほとんどないに等しい。

「また韓国に行きたいか」と言われると、今はよく分からない。
でも、今よりももうちょっと韓国のことを勉強したら多分、また行きたくなるんじゃないかと思う。
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05-17 Mon , 2010
楽しんでいる、のかなぁ?
韓国に来て3日目の晩を過ごしてるところなんだけど。

なんというか、正直なところ、頭がすごく混乱してる。今まで行ったことのあるヨーロッパやオーストラリアでは、純粋な観光客気分でその国に対してどうこうとは考えなかったような気がする。なのにここでは自然と「この国とわたしはどう向き合えばいいのだろう」って考えちゃうんだよね。いや、この国というよりここの国の人たち、と言った方がいいだろう。わたしは別に韓国という国とは国としてつきあうわけじゃないから。

2日目に行ったところはミョンドンってところで、ここはものすごく日本人観光客の多いところだった。だから、店の看板には日本語が氾濫し、お店の人もほとんど日本語が通じる(と言っても片言程度だけど)。化粧品屋の呼び込みは韓国語と日本語両方で、そういう街を目にしてわたしは「なんなんだ、ここは」と、とてもとまどってしまった。ここにいるとまるで外国に来ているような感じがしないのだ。洋服屋とかいっぱいあるので、なんとなく原宿に似た街にいるような感じで。

もともとわたしは基本的に原宿には行かない。行かないって決めてるわけじゃなく、単なる無縁なだけなんだけど。で、そういうところに行くとすごくイライラする気分になってくるのね、自分と合ってないから。そういうことをすっかり忘れてミョンドンの街を歩いてくると、自分では無意識なんだけどイライラしてきてしまって。「なんでだろう、なんでだろう」って思ってたら、わたし、こういう街はあんまり好きじゃなかったんだった。彼女は「なんか、日本人観光客、って感じがする」と言って喜んでたけど。。

それに日本人に優しい街だと、逆にどうもカモにされてる感じもしてきて、あー、わたしはやっぱりそういうところで純粋に楽しめないんだなあと。ひねくれてると自分でも思うんだけどね。

今日は西大門にある、刑務所歴史館に行ってきた。

昨日とはうってかわって、日本人観光客がほとんどいなかった。というか、わたしたち以外であの中で日本語を聞くことはなかった。その代わり、子供がたくさんいた。学校単位で来てるのか、引率の大人がいて、いろいろ説明してたんだけど「イルボンサラム」「イルボンサラム」って言葉がいっぱい出てきて、逆にわたしはそれは分かるものだから、一体どういう説明を子供たちにしているのかがすげー気になってしまった。

日本語で説明してるところもあるにはあるんだけど、中の展示物やパネルなどはハングルでしか書いてないので、わたしは理解できない。そういうところがすごく歯がゆくてね。なんかすごく不完全燃焼、という感じだった。わたしが分かるのは人形を使った模型で、それで日本人が韓国の独立運動を起こした人に対してどんなに残酷な拷問をしたかとか、そういう文字を使わないものでしかなかったから。わたしはそういう表面的なことを知りたいわけじゃない。

逆に文字情報が入ってこない分、いろいろとまた考えてしまった。いくら日本人がやったとはいえ、拷問した人と同じに見て欲しくない、と思う気持ち。拷問した人も、本当にこんなに残酷なことをやりたいと思ってしたのだろうか、とか、いや、この時代はこれが当たり前の狂った世界だったのかも知れないから、何も思わずにやったのかも知れない、とか、やっぱり韓国の人にとっては日本人がやったことになるのだし、わたしはそれをやった国である日本から来てるのは確かなことなのだ、だけど、だからといってわたしはここで何か思う必要があるのだろうか、わたしはここで残虐な拷問をやった日本人の子孫(子孫と言うには時代が浅すぎる)です、あなたの国の人をこのような目に遭わせてごめんなさい、と謝るべきなんだろうか、しかし、それを言ってどうなる?向こうの人は言われてどういう気持ちだろう?この展示を見た子供は日本に対してどういう感情を持つだろう?

独立運動を行なって捕まり拷問されて殺された愛国志士たちはここで(おそらく)英雄視されているが、国のために命を捨てる、という行為がそんなに賞賛されるべきことなのだろうか、というか、国のために命を捨てなさいということにならないのだろうか、とか、でもこのときは本当に独立のために致し方なかった状態だったのだし、この歴史があってこそこの国の今日があるのだし、そのことに対して全くの部外者(というより加害者側と繋がっている)わたしがそんなこと思う必要はない(というか、そういうことを考える資格がない)じゃないか。

わたしは前の日に行った日本語があふれるミョンドンの街並みとこの刑務所歴史館で見た光景が頭の中で一緒になってグルグルと駆けめぐり、すっかり混乱していた。

その後もタプコル公園に行って、3・1独立運動のレリーフを見たりしたのだが、わたしはますます混乱し、そして無口になった。

彼女からは「ろんたこ、全然話さないからつまらない。二人で来た甲斐がない」と言われてしまうほどで、でもそんなこと言われても、何をしゃべっていいのか分からなくて、彼女には済まないと思いながらも無口でいるしかなくて。

ただ、その後に行ったインサドンは、韓国の土産物屋さんがたくさんあった割には日本語も少なく、ああ、ミョンドンみたいな日本語のあふれたところもあるし、こういうところもあるんだ、と思ってちょっとホッとしたのは確かだ。

というわけで、残された時間はあと明日丸一日。

結局頭が混乱したままなのか、混乱は解消されるのか。

なんか「楽しんでる?」と言われると、純粋に楽しんでるとは言えないかも知れない。けど、多分、わたしはわたしなりにこういう状態を楽しんでいるんだと思っている。
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05-14 Fri , 2010
韓国旅行
今日から二人で韓国旅行に行ってきます!
出発は成田じゃなく羽田から。

さて、どんな旅行になるか。。
ドキドキしてます。
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02-15 Mon , 2010
新潟行き(その1)
にいがた国際映画祭で「苺とチョコレート」が上映されるというので、14、15日と新潟に行ってきた。

14日は午前10時半に上映開始なので、なんと、午前5時50分起き。いつもは上映開始時刻くらいに起きているので、かなり気合いを入れないと難しいと思ったけど、前日、午後11時には寝てたので、極度の睡眠不足にもならず、割とすんなり起きて家を出ることができた。

東京駅で、上越新幹線に初めて乗った。

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「MAXとき307号」ってのに乗ったんだけど、これ、二階建て新幹線だった。「MAX」ってなんかどこかで聞いたことがあるんだけど、もしかして、ずーーーーっと昔に小泉今日子が宣伝してたヤツかしら?で、二階建て新幹線も初めてかなあと思ってたんだけど、どうやら乗った記憶があるのね。なんせ、二階建て新幹線の一階に乗ると、停車駅でホームに着くと、人の足元が目の前に見えて、なんだかあまりよろしくない景色だったことを思い出すのよね。。もしかして、これも昔、東海道、山陽新幹線で二階建て新幹線ってあったような???だって、新幹線って東海道、山陽新幹線しか乗った記憶がないんだもの。。でも今の新幹線(東海道、山陽ね)って二階建て新幹線ってもうないよね??

わたし、今まで本当に北の方には縁がなくて、北海道は飛行機以外で行ったことがないし、青森に行ったときは船で行ったし、仙台に行ったときは青春18切符で行った覚えがあるし、それ以外は郡山かあ~。あそこ、何で行ったんだろう?もしかして、郡山に行く新幹線ってあるのかしら?だとしたら、それには乗ったことがある可能性は大だけど。。

という、本当に指折り数えるくらいしか北の方には行ったことがないわたし。新潟はもちろん初めて。

なんだか、大宮過ぎて、まだ高崎に着く手前だってのに、周りがうっすら雪景色になっててびっくりした!そして、東京駅ではなんだか長いものを持ってる人たちが結構乗ってきたんだけれど、みんな越後湯沢で降りてしまい。そこで大半の客がいなくなった(笑)しかも、越後湯沢の駅を過ぎてひょいと外を見たら、スキー場!!うわー。知らなかった。結構簡単にスキー場に行けちゃうんだ。。つか、高崎の次がもう越後湯沢で、これでもう新潟県に入ってるんだから、すごい近いのね~。

で、それを過ぎるとだいたいこんな光景に。うわ。寒そう、、、
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しかし、2時間ちょっとで新潟に着いちゃうんだから、あっという間だよね。ただ、交通費は高いけどね。

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というわけで、9時52分、新潟着。そこから「シネ・ウインド」という市民映画館(?)に向かう。途中でこんなん発見。

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レインボータワーなんだとさ。新幹線からも見えたんだけど、まさかその前を通るとは思いもせず。レインボーってやっぱり見ると「え」って思う習慣が付いてるのでね、、(注:レインボー(虹)とは性の多様性を表わしていて、性的少数者のシンボルみたいになってる)でさ、あとで知ったんだけど、このレインボータワー、何かと思ったら展望台らしいのね。この画像では少し分かりづらいんだけど、上の方に白い円盤みたいなのがあって、それが下から上に移動して新潟周辺の町が見えるらしい。あ、だけどこれには乗りませんでした、時間がなくて。残念。

新潟駅からシネ・ウインドまでの地図を持って行ったんだけど、どうも目当ての建物の中には入ったようなのに、映画館が見つからなくて、こんなところで時間食って映画の上映時間に間に合わないとまずいので、ショッピング街みたいになってるところで、エスカレーターの手すりを拭いていた人に「すいません」と言って聞くと「あら、どうやって説明しようかしら。。」と言って、ずんずん歩いて行くので、「も、もしかして、全然違うところに来ちゃったのかな?」と思って焦った。そこで今度は警備してる人みたい、だったかなあ?その掃除をしていた人が「シネ・ウインドまでどうやって説明すればいいのかしら」って聞いて、そうしたらそこから案内してくれる人が警備の人になって、結局は同じ建物内にあるんだけど、繋がってないからここから行きなさいと、歩道橋の階段のところまで連れて行ってくれた。2人ともとても親切で恐縮してしまった。こんなとこ、読んでないだろうと思うけど、その節はありがとうございましたm(_)m

ってわけで、やっと「シネ・ウインド」に着いて、当日券買って映画館(?)の中に入ると、すげっ!始まる15分くらい前に行ったつもりなのに、ほとんど席が埋まってた。と言ってもそこ、すごく小さい映画館で、席が多分約100席くらい。しかし「苺とチョコレート」を観るためにこんなに朝早くからこんなに人が集まるなんて全然思いも寄らなくて。で、始まる頃には立ち見の人まで出てた。んで、びっくりしたのが客層で、こう言っちゃなんだけど、おじさんおばさんが多かった。わたしゃ、正直、この人たち、あの映画観て意味分かるのか(失礼!)、どういう感想を持つのか、と思ったらすごく怖かった。。そこら辺でやっぱり怖いって感じるのは当事者だからなんだろうなあ。でも、この映画を映画館で観るのは7回目だと思うんだけど「怖い」と思ったのは初めてだった。

わたしの中からはやはり「当事者」(マイノリティのね)って意識は消えないんだ、ってのが、当事者はイヤだなあと思い始めてから、やっと薄ぼんやりだけど分かって来ている感じが最近はしてる。「分かる」と言うより「分からされる」みたいな感じだけど。だから当事者性について納得した、というんじゃなくて、まだイヤだなあとは思ってるし、多分しばらくイヤだなあと思い続けると思うけど。

何がイヤだって、意識するのがイヤなのね。レインボーについ反応してしまう自分とか。性的少数者のニュースについて敏感な自分とか。そういうのはとても疲れるし、そういう風になっちゃった自分がすごいイヤ。だけど観に行った「苺とチョコレート」には同性愛者が出てくるし、多分、それだからこそ、この映画にここまで思い入れがあるんだろうし、わざわざ往復交通費約2万払ってこんなところまで観に行った。そういうのも紛れもない事実ではある。それはちゃんと自分の中に受け入れなければならないんだよなあ。

てなわけで、無事に上映開始時間までに映画館に着くことができ、定刻通り映画が始まったのでした。。(つづく)
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04-16 Thu , 2009
一緒に行って帰れる幸せ
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というわけで、今回の旅行も無事終わり、帰京したわけだけど。
彼女は東京に着いたとき「あっという間だったね」とポソリと言った。けど、わたしは旅行の終わりを惜しむより、彼女と一緒に行って、そして帰れたことの方が何倍も嬉しかった。

去年、、去年は同じホテルにもう一泊長く泊まったんだけど、帰りの日が近づくにつれ悲しくて悲しくて仕方がなかった。あのときは、わたしはまた、実家で静養しながら病院に通う、10日後くらいに東京へ戻る、という計画を立てていたからだ。親は「すべて治らないと帰さない」と言っていたが、そんなことしたら、いつまで経ってもわたしは家に戻れないような気がしていた。それに、彼女に会ったことにより、わたしはもう実家で過ごせなくなっていた。病気のことより精神的苦痛の方が数倍大きくなっていて、家族の誰とも顔を合わせたくない状態になってしまったからだ。

あのときは、ホテルをチェックアウトしてから、ホテルで自転車を借り、そしてホテルの周辺をぶらぶらしてたりしたんだけど、わたしの心は「あともう少ししたら、彼女と離れてしまう」ことばかり考えていて、ちっとも楽しくなかった。別れるその瞬間まで、刻々と別れが近づいてきていると思うと悲しくて悲しくて仕方がなかった。

結局は、一旦、わたしを実家に届けるように彼女も実家に寄り、そして1人で帰っていったんだけど。。ああ、あのときの気持ちは今だって思い出したくない。何かをして気を紛らわそうと思ったり、いろいろしたんだけど、「昨日のあの頃は、、」と思うたびに涙が出て仕方がなかったし、それは日が経つにつれ治まるだろうと思っていたのに、全然治まる気配がなく、、わたしは彼女が帰ってからたった3日後に「もう帰る」と言って帰ってきたのだった。前の日に母親に「もうここにはいたくない、明日帰りたい」と言い、母もわたしのあまりの落ち込みように「それがいいんだったらそうしなさい」と言うしかなかったんだと思う。

それを言ったら少しは気が楽になったのか、実家に行って初めて「よく眠れた」と思った。それまでの約1ヶ月って、睡眠剤飲んでても全然眠れたような気がしなかったんだよね。それで、次の朝早く、家を出て、こっちに帰ってきたんだけど。

今日は、昨日と違ってあんまり天気がよくなかったんだけど、ホテルの周りを散策しようと言って、チェックアウト後にクロークで荷物を預けて、そして去年よく散歩したコースをたどったんだ。そうしたら、あの、最後の日のことを思い出したのと、1人になったあと、一回、実家から自転車でここまで来たのね。その1人で来たときの気持ちがホント、「ぶわ~」っと思い出されてね、「ああ、今年は彼女と一緒に帰れるのだ」と思ったら嬉しくてね。「一緒に行って、一緒に帰れるって、どんなに幸せなことだろう」って思ったの。だから、今日はあまり天気はよくなかったんだけど、幸せだった。

今回の旅行は、どっちかというと「去年の思い出を払拭したい」って感じだったんだけど、それでも友達に会いに行ったり、元職場の人たちと飲んだりして、去年とは全く違った旅行ではあった。去年は身体の調子が悪くて、ずっとベッドで寝てたり、外に出るのもホテルの周辺だけだったりしたからね。だけど、朝食を食べに行ったり、温泉に入りに行ったりすることは、去年とは同じで。「あー、去年は朝食を食べるときに『あそこにかかっているのれんが怖い』とか、わけが分からない不安をたくさん口に出してたなあ~」なんて思ってね。いや、別にのれんに怖い絵が描いてあるわけでもなく、ただ、そこにかかってるだけなのに、見るとすごく怖い気がしたりするのだ。その恐怖心は、こっちに帰ってもますますひどくなって、その結果、眠れないので睡眠剤を貰いに行くのと同時に、不安解消のため、前にうつ病で通っていた病院にまた再度行くことになるのだが。。

今回の旅行は、「いやな思い出を払拭すること」と「人と会うこと」だと思うが、んー、正直言って、嫌な思い出は払拭できなかったと思う。ホント、あの体験は強烈で、わたしの中からはまだまだ出てきそうにない。だけど、人と会って、大声でしゃべって、そして笑ったら、これからわたしが始めなきゃいけないことへの不安が少し小さくなったような気がしている。

わたしの生活は、これからまた、新たに始まる。

これからも、ずっと一緒に歩いて行こうね>彼女
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04-15 Wed , 2009
忘れないでいてくれる人たちがいることはありがたいよね
今日は、元職場の人たちとの飲み会だった。もちろん、彼女も出席。彼女は前々から「緊張する」って言ってたけど、わたしは緊張するはずはなく。けど、だんだんと近づいて来るにつれなぜかわたしも緊張をしてしまって(汗)んー、旅行に来ているはずなのに、落ち込むことがあったのと、今日の夜に久々に悪夢を見て起きてしまったのと、将来に関すること。将来は遠いこともあるし、すぐ近くのことだったりする。これらが今、自分の中でぐじゃぐじゃになってて、本当に不安なんだ。だから、今日は気分悪くて、夕方になるまでずっとベッドで寝ていた。天気がよかったので、本当はホテルの周りを散策したかったんだけど。

飲み会の会場はすぐ分かったんだけど、入り口間違えて(苦笑)、そしたら同じように入り口を間違えた元同僚とばったり(笑)「あっ、○○さん」とか(笑)で、一緒に正しいお店の入り口にたどり着いたんだけど。もう来てる人とまだ来てない人がいた。昨日、わたしら含めて10人ほど、と聞いて、誰が来るかなと思って予想してたわけだけど、予想してた人たちとちょっと違った人が来てた。とはいえ、誰とも会いたかった人たちなので、嬉しかった。

んー、わたしが会社辞めてもう4年になるけど、組織も変わってしまって、今、誰がどこにいるかさっぱり分からなかったけど、なんか懐かしい雰囲気だった~。彼女は、わたしの隣に座ってたものの、最初に全然紹介などしなかったので、もしかしたら「あの人誰?」って思ってた人もいるかも知れない(苦笑)だけど、事前にカミングアウトしてた人も何人もいるから、まー、分かってた人と分からなかった人がいると思ったけど、誰も彼女に構う人はなく(笑)、彼女は却ってその方が気を遣われない分、楽だったと言ってた(笑)

それにしても、、わたしはつくづく幸せ者だと感じた。上の人は、わたしの今後のことについて気にかけてくれてるみたいだし、久々に会う人には「○○さんが来るって言ったら絶対に来ますよ!」って言ってくれた人もいるし、それは多分、お世辞ではなく本心からだと信じているが(笑)、そう言われると嬉しいものだ。そうやってあっという間に2時間過ぎてしまって。

店の外に出てから彼女を「一緒に住んでるパートナーです」と皆に紹介(最初にしろよな)。最後はホテル行きのバス停まで全員見送りに来てくれて(爆)。彼女なんかは「○○をよろしくお願いします」とか何人かに言われて握手されたり(わたしはその職場から嫁に行ったのではないぞ??(笑)何がよろしくなんだよ、とか思ってた)バスが来たら、恥ずかしげもなく「○○さん、ばんざーい」とか、ホント、恥ずかしい奴ら(苦笑)わたし、逆に「この人たちは○○で働いてる人たちですよー」って言おうかと思っちゃったよ、ホンマ。

「今度は直前じゃなくて少なくとも一週間前に連絡よこせ」と何回も言われたけど、まー、そんなに頻繁にこっちには来ないしね。次会えるのはいつかな。

でも、こうやってね、わたしのために集まってくれる人がいるんだなー、わたしのことを気遣ってくれる人がいるんだなーって思ったら、なんかね、ちょっとだけ頑張ろ、って気になったよ。わたしは「頑張る」という言葉を人からも言われたくないし、自分でも「頑張らなきゃ」って思うのもイヤなんだけど、なんかね、今は素直に「頑張ろ」って思うことができる。わたしを応援してくれる人はいっぱいいる、って思うとすごく胸が熱くなる。とても今は幸せな気分で、あー、ホント、みんなに会ってよかったな、と。

まー、ただ、あのまま仕事辞めないで続けてるとしたら、わたしはずっとクローゼットで、もし彼女の方がわたしのところに来たとしても、わたしは職場ではカミングアウトできなかっただろうなと思うから、今の方がいいのかも知れない。やっとわたしの「隠してた一面」を見てもらうことができたからさ。そしてそれはすごく「楽」なことだからさ、わたしにとっては。

明日はもう帰京するんだけど、
これから頑張ろ。
って最後の晩に思えて本当によかった。

来てくれたみんな、本当にありがとう。
また会える日を楽しみにしてます。
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04-14 Tue , 2009
旅行2日目
今日は、友達に会いに行った。と言っても、今まですれ違って挨拶することは多々あったものの、ゆっくり個人的に話したことがなかった、というのは、彼らと別れてから向こうからのメールに書いてあったことで。わたしは、それを読んで初めて「あー、そうだっけ?」なんて思ってたんだけど(苦笑)

いろんな話ができて楽しかったっす。
多分、わたしはオフ会みたいに多人数で集まって騒ぐより、少人数で話した方が向いているみたいってのは、前から分かってたけど(笑)ある程度歳取って(と言っても、わたしと同年代だ)、今までの自分の経験からの話を聞くというのは楽しいことで。ああいう話を聞くと「あー、わたしなんかこの歳まで生きてるけど、全然世間知らずだな」と思うわけで。まー、そういう生き方をしてきたから仕方がないんだけどね。一回きりの人生だから、もっといろんな経験してみたかった、という思いと、これからまだまだ経験できるじゃん、という思いと、でも若い頃はもう二度と帰ってこないんだよな~という思いと。そんな思いがぐじゃぐじゃになって自分の中にないまぜになってる。

いや、お会いして話してよかった。
また、どこかでお目にかかりたいです。
といえども、どこかでは会えるような気がするけど、やっぱりそのときはすれ違って挨拶かな、と(苦笑)

しかし、彼の地はわたしにとってもとても懐かしの地でもあり。
毎年、毎年よく通ったものだ。。(謎)

夕方過ぎてメールが。元職場の人からだったんだけど、明日、会う件について。声かけたら、わたしら含めて10人くらい集まるとのこと。わたしら抜いて、8人くらいって、、誰が来るんだよ、一体。「えー、あの人と、あの人と、、、」って考えても、8人にならないじゃんか(汗)

彼女が「緊張する」って言っている。まー、そりゃあそうだろう。まさか、わたしの元職場の同僚と会うなんて今まで思ってなかっただろうからね。わたしもつい一週間前までは思ってなかったし(爆)

しかし、わたしも戦々恐々としているのだ。わたしが職場で犯した数々のこと、、を彼女にばらされるんじゃないかって!!(爆)なんて、だいたいのことは彼女に話してあるはずだけど、なんか忘れてることでヤバイことってあったっけ、、、(汗)

あ~、ヤバヤバ。
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04-13 Mon , 2009
8周年記念旅行中
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付き合って8周年記念に旅行することにした、と言っても、記念日は言わずと知れた3月10日なので、ほぼ一月遅れの記念旅行なんだけど。まぁ、たいてい毎年あの時期は彼女も仕事が多忙期でとてもじゃないけど旅行なんかできない状態だし、まー、3月中は世間も春休みで混んでいる(=料金が高い)だろうということで、今の時期にした、と言っても本格的に決めたのはもう4月入ってからだったんだけどね。

で、ここを選んだ理由。

んー、実は、去年の3月の終わり頃に泊まったのだ、ここに。
あの時期、わたしたちは「このまま2人でいたら、お互いが倒れてしまう」と思い、わたしが決断して実家に行って静養してた時期だったのね。確かに「強い疲労」ってことで、週に3回くらい病院に通って、点滴を打っているうちに、ちょっとずつはよくなっているような感じはしたが、腕はまだまだ痛く、そして歯が変で、横になると腰と座骨神経痛が痛くて、もともと眠れないのに、さらに眠れずに、どうしたらいいのかさっぱり分からない頃だった。毎日、毎日が本当に不安で。

実家に来るときは、わたし一人で来れる自信がないので、彼女に付いてきてもらった。日帰りができるほど近い距離じゃないんで、一泊して帰ったんだけどね、彼女は。それから、わたしは毎日毎日「本当に治るのだろうか」という不安な気持ちと、彼女と会いたい、という気持ちでいっぱいだった。それで、多分、彼女に泣きついて、1ヶ月経ったら、一度、会いに来るって話になったんだと思う。わたしは母に「○○さん(彼女の名前)が来るよ!」と言ったら、、「ごめん、お母さん、○○さんはうちに泊められないわ。どこか、2人でホテルに泊まりなさい」って言われたのだ。。

普通、立って歩くことさえも気持ちが悪くなる(なぜか、耳の後ろから首の前にかけての筋肉がガチガチに固くなって、まるでゴムのチューブを付けているような感じだった。これが続くと頭が圧縮されるような感じがしてボーっとなり、気持ちが悪くなって立てなくなるのだ)ほどなのに、「彼女を泊めると緊張するから」という「自分の都合」を一番に考えて、人のことをちっとも考えてないんだなーと思ってすごく悲しかった。ただ、一方では家族に気兼ねすることなく甘えられる、ということは嬉しかったけれども。

ということで、彼女が一旦、実家に来て、そして父に車でホテルまで送ってもらった。「ここで気分が悪くなって倒れたら」と思うとわたしは不安で不安でたまらなかった。特に夕食は、毎回どこかに食べに行かなければ行けない。食べているときに気分が悪くなるときがしょっちゅうで、それを思うと「食べに行くのが怖い」と思った。結局、ホテルに泊まっている間中、毎日夕方が来るのが怖く、不安で不安で仕方がなかった。

ただ、ここのホテルは温泉があって、泡風呂なんかもあったので、毎晩行っては腰や臀部、腕を泡に当てて血流をよくし、そして温泉につかるとちょっとは気分もよくなり、わたしは一日のうちで一番好きな時間だった。

まあ、あと、いろいろなことがあった去年のこのホテルの思い出があり、今年もまたあそこに行こっか、ということでここに来たのだ。

うーん、ここに来ると、去年のことが本当に鮮明に思い出せる。うつ病だったときはねー、ほとんど覚えてないの(苦笑)。すごいひどかった時期があったとか、そういうのは覚えてるけど、そのときどういうつもりだったとか、どんな状態だったとかまるっきり記憶に残っていない。彼女に「あの頃はねー、こうだったんだよ。覚えてる?」って言われるんだけど、「え、わたしってそんなこと言った?(した?)」ってことばっかり。。(苦笑)うつは、あまりに脳が苦しいので、苦しかったときの記憶を飛ばしちゃうのかなーって思ったりするんだよね。それに比べて、今回は、うつじゃないので、ぜーんぶ覚えてるの。

今日も夕食食べたんだけど「去年は部屋から出るのが怖かったよなー」とか、「食べているときに気分が悪くなって立ち上がれなかったらどうしようって思ったよなー」とか、風呂に入っても「去年は腰が痛くて泡風呂に長く入ってたよな」とか、そういうことを思い出しまくり。

それに比べて今は、、、まだ完全によくなったとは言えない状態だけれど、よく、本当によくここまで回復したと。こんな日が来るなんて、1年前は考えることもできなかった。次の日が来るのが怖かった。それが、今は彼女とともにワインを飲んで、肉食ってる。。外でご飯を食べるのも怖くない。あー、確実に治っているんだって、ここに来て本当に思った。ありがたかった。

さて、本当は今日、元職場の人たちと会う予定だったんだけど、まー、こっちに来ることを土曜日に知らせて、月曜日ってんじゃ、来るの、数人いればいい方だろうなと思ったら「今日じゃなくて明後日にして下さい」とメールが。うわっ。何人来るんだ?しかも「暇だったらこちらに来ますか?明日も明後日も自分は職場にいます」って、、なんでわたしが元職場に仕事もないのにノコノコ行かんといかんのじゃあ!自分の机だってもうないのに。。だいたい、わたしが職場に行ったら、他の人が仕事できないだろってことで、ホント、よく分かんないな~(苦笑)勤めてた頃から会社行くの嫌いだったわたしが、会社辞めてわざわざ行くわけないだろ!と言うので「すいませ~ん」と断っておいた(笑)それにそんなにヒマじゃないのだ(笑)

明日は近くに住んでる知り合いの人たちと会う予定です。
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10-22 Wed , 2008
高校野球発祥の地
「関西レインボーパレード2008」の次の日は、実は何もしないで早く東京に帰ろう、ってことにしていた。だけど、なんとなく体力もあるみたいだし(今から考えると、あれは一種の「ハイ」な状態があの日も続いていたことが今ごろ判明。今はその反動で死んでます。。)、予てから行きたかったところに行くことにした。彼女の足の調子もちょっとずつよくなっているって言ってたし。

で、どこに行きたかったかというと、高校野球発祥の地と言われている「高校野球メモリアルパーク」(豊中市玉井町三丁目)。でもね、その前に間違って「豊中ローズ球場」に行ってしまった(苦笑)というか、当初はてっきりあそこにモニュメントがあると思ってたのよね。

なぜそんなところに行きたかったかというと、第1回と第2回の全国中等学校野球大会が豊中でやっていて、それが今の高校野球の始まりだと言われているんだけど、実はその第1回にわたしの身内が出場した、という話を父だったか、そこのところは思い出せないけど、でもそんなことを言うのは父だろうと言うことで、父から聞いてたのね。で、ずーーーーっと前になるんだけど、豊中に第1回目の大会に出場した選手の名前が載っていると言うことをニュースで聞いたのか新聞で読んだのか、そのことを知り、んで、本当に身内の名前が載っているのかどうか、そのときからすっごい気になってたのだ。

で、てっきり最初は「豊中ローズ球場」の中にあると思い込み、梅田から阪急電車に乗って、豊中ローズ球場の最寄り駅である服部駅で降りて、行ってみたんだけど。

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この庄内、服部、曽根、岡町、豊中ってところは、わたしにとっても懐かしい地名でね。というのは、阪急沿線には住んでいなかったものの、中1と中2のときは豊中市民だったので、わたし個人としても「とても懐かしい地名」だったのだ。このときはまだ「豊中」まで行くとは思いもしなかったんだけどね(苦笑)

で、服部に着いてから、宝塚方面に電車沿いに沿って歩くと、球場の照明灯が見えてきたので、適当なところで曲がり「豊中ローズ球場」へ。そこで関係ないけどこんなもの見つけた。

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なんだかよく分からないけど、被爆地、広島、長崎の各市の花が当時の市長から寄贈されたらしい。といっても、広島市長が荒木武、長崎市長が本島等と言ったら、随分古いよなー。だって、荒木武はもう10年以上前に亡くなってるし。

しかし、広島市が寄贈した夾竹桃はこんなにでかくなってるのに、長崎の紫陽花は、あるかないか分からないくらいの大きさで、並べてみると、ちょっと悲惨だった(苦笑)んー。なんでこんな違いが生まれたのか。不思議だ。もしかしたら、夾竹桃の大きさに紫陽花の方に日が当たらなくて、こんなになっちゃったのか??これじゃ、6月になっても紫陽花は咲かないだろうよ、、

で、球場を一回りしても「モニュメント」的なものが見あたらなかったため、誰かに聞こうと、ローズ球場の正面玄関から中に入ってみるとこんなものが。

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も、もしかしてこれ??聞いてた話と全然違うじゃん。選手の名前なんか書いてないじゃん。ちなみに「高校野球 豊中に始まる」と書いたのは、当時の高野連の会長、もう亡くなったけど牧野直隆だそうで。で、右側には「豊中ローズ球場の沿革」、真ん中の銅板に写してある画像は第1回目の始球式の様子、左側はなぜか「栄冠は君に輝く」の歌詞が書かれてあった。しかし、、だとすると、以前聞いた「選手の名前が書いてある」ところってどこだろ?と思って、携帯で慣れない検索をしてみた。んー、わたしって、携帯の通信プラン(っていうのかしら)に入っていないので、携帯では滅多にネットには繋がないのね。だから、携帯でネットに繋いで何かをすることはとても苦手なんだけど。「中等野球 モニュメント」で検索してみたら、どうやら豊中市の玉井町三丁目ってところに「豊中グラウンド跡地」のメモリアルパークがあるということが分かり、そこに選手の名前が書いてあるレリーフがある、って書いてあった。

ってわけで、もう一回、服部駅に引き返して今度は豊中駅に。しかし、どの駅も高架になってきれいになっててびっくり。豊中駅は住んでいた頃はほとんど行ったことがない場所だったんだけど、それでも当時とは全く違う様相をしていて(ただ、あの当時も豊中駅は高架で、下にバスのロータリーはあったという記憶はある)、何が何なんだか、よく分からなかったので、改札を出たところにあった「案内所」に入ってその「玉井町三丁目」がどこにあるかを聞いた。おねーさんが住宅地図を見せてくれて、日生(日本生命)の寮の一角に「高校野球メモリアルパーク」があることを知った。「日生」という文字を見ると自動的に「NSマーチ」が頭の中を流れるのは、まぁ、社会人野球ファンだったら仕方がないかな(苦笑)道は駅からまっすぐ行けばあるそうで、迷子にはならなそうだった。

で、その時点で既にお腹が空いていたので、彼女のリクエスト「大阪のうどんが食べたい!」という約束を果たすべく、近くの駅ビルに入るが、、うどん屋はうどん屋でも「讃岐うどん屋」だった。。。orz

そこでわたしは「生醤油エビ天うどん」を、彼女は「稲荷うどんセット」食べ、ちょっと休憩をしたあと「高校野球メモリアルパーク」に向かった。歩いて10分って携帯で調べたサイトには書いてあったけど、彼女と「何ここ~。独身寮?」「えー、なんか違くね?」とか「この家、一見高級っぽそうだけど、よく見るとちゃちいよね」「そーだよねー」(←オイ)とか話ながら歩いていったら、すぐ着いてしまった(笑)

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全体はこんな感じのところで、左側には、

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「豊中グラウンド跡地」、右側には、

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「高校野球発祥の地」と書いてある。で、正面には、

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これは、豊中ローズ球場にもあったけど、こちらは銅板の浮き彫りレリーフみたいで左上に「球史ここに始まる」と書いてある。で、このちょっと右側に「豊中グラウンドの沿革」が細かい文字で書いてある。中央にある銅板は、当時大阪朝日新聞社が出した大会の「社告」らしい。

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そして、

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と書いてある上の銅板に、第1回全国中等学校野球大会開催要項及出場校が。

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ええ、この中には「大会綱領」から始まり「試合規則」「審判規定」「審判員心得」(すごいね、これ)「試合日時割」「試合番組」(今で言うと「試合組み合わせ」になるんだろうけど、この当時はこういう言い方をしてたのか??)「大会役員」「参加選手氏名」が書いてあった。この中で出場校をまず探し、そしてそれから選手氏名を見ていく。。。あ、あった。本当に第1回の大会に出てたんだ。

この人は、おそらく(あんまり覚えてないんだけど(^^;)、祖父の兄に当たる人だと思う。うちの家系は、母方の方もわたしの祖父に当たる人は野球をやっていて、学生時代に雨の中、野球をやったため、結核になったとかで、戦後すぐ亡くなってしまったらしい。ということは、父方も母方も野球をやってた、という血を引くわたしがこんなに野球が好きなのも、なんというか、血筋なのかなあ、、(苦笑)ただ、わたしはやるのじゃなくて「観る」のが好きなんだけどね、野球は。。(でも、本当はもっとよく「観る」ために野球やりたいの、っていうか、昔、20代の頃は軟式野球チームに入ってたの、わたし。。それを復活させたいと思ってるんだけどね~)でも残念ながら、わたしはこの野球やってた2人には会ったことがない。一人は書いたけど、結核で戦後に亡くなってしまい、そしてこの祖父の兄は多分、原爆で行方不明になっている人だ。もし生きていたら、ってふと思う。話が聞けたのになって。

しかしわたしの祖父も記憶では、この話はしたことないし、多分、大正4年って、祖父は5歳だったはずだから(うちの祖父は、末っ子で、この人は確か長男だったはず)、兄がこんな大会に出たことは記憶にはほとんどなかったんだろう。でも、うちの祖父は身体が悪くて運動は一切できなかったにもかかわらず、野球は本当に大好きだったなー。そういう血も、わたしは全部受け継いじゃったんだろうな(苦笑)でも、うちの父は野球観るのは好きじゃないけどね。というか、わたしに言わせれば「負け始めるとチャンネルを変える」なんて本当の野球ファンじゃないと思ってるし、本人も野球を観るのは好きではないって言ってたからな。

ということで「噂(?)はやっぱり本当だった」ってことで、何となく確認できてホッとしたというか。一仕事終えた気がした(笑)

そして、再び豊中駅に戻り、阪急電車で梅田まで行き、それから新幹線に乗って東京に戻った。そうそう、わたしは「ICOCA」カード(JR東日本で言えば「Suica」ね)を持ってるんだけど、大阪でまず御堂筋線に乗るときに「これは一体、使えるんだろうか?」って思ったんだけど、「PiTaPa」とかいうカードは使えるって自動改札のところにも書いてあるのね。でも「ICOCA」については一切書いてなかったんで、使えないのかなと思って、わざわざ切符を買って乗ってたんだけど、前日、パレードに来てくれたマイミクさんに「ICOCAって地下鉄に使えるの?」って聞いたら「使えますよー」ってことで、使ってみたら、やっぱり使えた。「Suicaも使えますよー」って言われたんで、彼女が試してみたら、地下鉄には使えなかったそうだ。ってことで、大阪の地下鉄、ちゃんと「ICOCAも使えます」って書いとけ!!

ま、東京も私鉄や地下鉄に「Suica」とか「Pasmo」がちゃんと使えるって書いてあるかどうかは疑問だけど。。(苦笑)

今日で大阪から帰って2日目だけど、疲れがどっと出たのか、よく眠れるのにもかかわらず、偏頭痛がひどくて。昨日は右側。今日は左側。なので、昼間は本を読みつつ、眠くなったら寝るという生活をしていた。身体もどことなく筋肉痛な感じ。。バキバキってほどではないけどね。
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06-18 Mon , 2007
恋愛偏差値
今日は、北海道に住むマイミクさんカップルと会って話をした。
わたしと彼女、向こうのカップルと会うのは、去年の9月の第10回レインボーマーチ札幌以来かな??でもあのときは、わたしがBrass MIX!のパレードで忙しかったので、ロクに話もできず。少し、挨拶した程度だった。
ただ、彼女たちとは去年の5月にもカップル同士で話して、めちゃくちゃ楽しかった。

今回は、わたしはわたしで昨日のこともあり、気分が悪かったし、彼女は彼女で体調が悪かったので、最初は「大丈夫かな?」と思ったんだけど、、話しているうちにそんなこと、すっかり忘れていい気分になった(わたしって単純)。

だいたいの話は、どちらか一方が「分かる~」って感じだったんだけど、1つだけ、他の3人がうなずくのに、わたしだけが「え~、そうなの?」って話があった。それは、わたしと彼女が付き合うことになったときの話。

もう何度も書いているが、わたしと彼女はネット上で知り合った。向こうは離れたところに住む年下の友達が欲しくて、わたしにメールをしてきた。わたしはわたしで彼女からメールが来たときは正直言って、返事を出そうかどうか非常に迷ったのだが。。結局は、返事を出した。

友達としてのメールのやりとりをしてから約2ヶ月後、わたしが東京に遊びに行くことになり、そのついでに「会いましょうか」ということになって、わたしは彼女と会ったのだが、、会って以来、彼女からのメールがどんどん「怖いもの」になっていった。そう、はっきりといえば、彼女がわたしのことを気に入ってしまったのである。

実は、わたしは昔から「人から(恋愛感情として)好意を持たれる」ことに非常に抵抗感があって、そういうのはなるべく避けてきた。しかも、わたしは人を好きになりにくいタイプで、、おまけに「社会人野球」というわたしの生き甲斐とも言える趣味があったので、その当時のレズビアンの友達からは「Ronは野球の趣味がなくならない限り、彼女はできないね」と言われていた。まー、そりゃそうだろう。有休20日+夏期休暇5日すべて野球観戦につぎ込んでたんだから(もちろん、それに土日を含める)。で、年間、約7~80試合、多いときは100試合以上観ていた。会社にも「わたしは野球を観るために働いています」と公言してたし(よく雇ってくれたよ、こんなわたしを(苦笑))。

まぁ、その当時は「ずっと一人で生きていこう」と思っていたところではあったのだが。

それがふとしたことから、彼女に好意を持たれ、、わたしは以前に「今まで誰とも付き合ったことがない。人と付き合うのが怖い」って言ってたから、彼女としては、とても慎重に慎重にメールを書いていたらしい。が、わたしは正直言って、彼女からのメールが怖かった。なのに、こちらもメールのやりとりを続けていたのは、やっぱりどこかで話が合う人ではあるなと思ってたからだと思う。

3月になり、社会人野球の季節が始まったときに、わたしは再び東京に行った。そのときに「もう一回会いましょう」ということになっていた。彼女は「新宿御苑辺りで会わない?」と書いてきたんだけど、わたしは野球観戦でこの頃の寒さがどんなものか、死ぬほど知っていたので、新宿御苑になんか行ったら、寒くて凍え死んでしまう、と思って「寒いから、あなたの家に行きます」と返事を出した。

彼女はすごく驚いたらしい。が、わたしは寒いより暖かい方がよかった。ただそれだけだったんだけど。。今日話した人たちによると、それは完全に「間違った考え」だったらしい。要するに「飛んで火に入る夏の虫」だと。。「野球観戦と同レベルで考えるのがおかしい」と。。

マイミクさん曰く「Ronさんって偏差値の高い人だと思ってたのにー」だそうだが、まぁ、わたしの偏差値が高いか低いかは別として、恋愛の偏差値に対しては、非常に低かったと言うことを認めざるを得ないだろうな、と今になっては思う。そしてそれはおそらく、今でも同じだろう。

わたしは、人から恋愛対象の目で見られることが嫌いだったし、あとは、好意を持たれていることすら分からないほど非常に鈍い人間だ。

例えば高校の頃、友達経由で「アイツ、お前のこと好きだってよ」って言われたことがあるが、本人の口から何も言われない以上、別にそれで相手が本当にわたしのことを好きかどうかなんて分からないと思ってたし、大学の実習が終わった後に「一緒に帰らない?」って言われたときも「ううん。他の人と帰るから」と言って断った覚えがある。後(だいたい、わたしの場合、それから3年くらい経っている)で考えると「もしかして、あれは??」と思ったのだが(苦笑)。

そーなんだねー。わたしって結構男からも、もてたのだー(わーい)。

あ、女からはそれ以上にもててました。だって、高校の時、バレンタインデーに学校に行くと机の上にチョコレートが山積み、後輩からは屋上に呼び出され、チョコレートを渡され、、なんて感じで。カバンにチョコレートが入り切らなくて。はっきりいって、バレンタインデーに学校に行くのは憂鬱だった。そういう点では女の方が積極的なのかしらね??ただ、もらったチョコレートは気持ちが悪かったので(←オイ)、「これもらったから食べて」と言って家族に食べさせて、自分では一切食べなかったんだけど。。(サイテーなヤツだね、わたしも)

まー、そういうことがあったにもかかわらず、誰とも付き合ったことがなかったのは、ひとえにこの「恋愛偏差値」の低さであろう。。

ってわけで、わたしは普段から「彼女に襲われたのだー」と公言してはばからないが、他の人に言わせると「自業自得」なんだそうだ。
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06-15 Fri , 2007
わたしバカよね、おバカさんよね~、、
個人的に、この曲は嫌いですが(爆)
でも、ホントにバカなんだもん~。
バカすぎて呆れてます。。

去年、飛行機に乗れるか乗れないかで非常に焦ったので、今回はそういうことはないように、余裕を持って家を出て、去年のような人身事故もなく、すんなり羽田に行けたのは、まあいいとして。

しかし、飛行機の中では眠くてねー、いつ、離陸したのか覚えてません。ま、前日寝るの、3時過ぎてたし。。(←結局、最近はずっと3時過ぎとかその辺になる。野球を観たあとは、ものすごく興奮するのだ。。)で、朝8時頃に起きたので、睡眠時間、5時間なかった。。orz

新千歳空港に着いて、それから彼女の家に。で、ちょっと休んで札幌ドームに。観てきました、日ハム対横浜。内野指定席でした。つーか、札幌ドームって、なんで3塁側(レフト側)がホームチームの席になってるんだろう???普通のプロ野球って、1塁側(ライト側)がホームチームの席だよねえ?いつもそのつもりだったんだけどー?

しかし、長い試合でした。つーか、日ハムのスタメンにあの稲田(NKK-JFE西日本)が出てたので「やったーーー!\(^0^)/」って感じ。だって、稲田ってNKKに入ってきた頃から観てるもん!ずーっと、ずーっと、見続けてて、それでプロに行った選手だもん(そういう意味では、北川(川崎製鉄水島)もそうなんだけどさ。。)。あの時期は、NKKと川崎製鉄水島がJFEに合併する頃で、両チームともにショートがよかったから「これは合併したら、誰が使われるかな~」と思ってたら、合併する前に北川は横浜にドラフトで指名されたのだ。んで、稲田はそのままJFE西日本に行き、んで、確かJFE西日本1年目でドラフトで日ハムに行ったはず(手元に資料がないので、記憶のみ)。

横浜の方は、下窪が出てて、、これも「やったー\(^0^)/」って感じだった。って下窪は試合に出てたのは知ってるんだけどさ。

プロの試合を観るのって、いつ以来だろう?はっきり言ってよく覚えてない。。
でも、わたしはカープファンで、カープの応援しか知らなかったから、違和感が。カープの応援って「スクワット」だもん。ま、もうわたしはカープの試合に行ったとしてもスクワットはやらないだろうけどね。。昔、バリバリのカープファンだった頃は、もちろん、ライトスタンド(あ、市民球場ではね)の一番応援が激しいところに座って応援してた。東京に住んでる頃は、神宮、東京ドーム、浜スタ、よく行きましたよ。。

あの当時は、カープの選手の応援歌はもちろんすべて覚えてたし、歌えてた。で、あの当時横浜にいた選手の応援歌も結構知ってるんだな。ところがね、昨日、ホント、久々にプロ野球の試合を観たときに、周囲があまりにも選手の応援歌を知っているのでびっくりした。。っていうか、多分、それが当たり前のことなんだろうけど(わたしだって、今、社会人の応援曲やコールやそこら辺をほとんど知っているのと同じだろう)、なんかね「すごいなあ」と思ったのは確かで。。多分、日ハムも横浜も特にファンじゃないってことが大きな理由ではあると思うんだけど(多分、相手がカープだったら、やはり最早ファンではないと言いつつ、やはりどうしても「心の中で」応援してしまうだろう。これが「擦り込み」の怖いところだ)、それ以外に、わたしはなるべく「中立」の立場で野球を観ることについて慣れすぎた。なんかね、試合を観ながらつくづくそう思ったんだよね。。隣で熱く日ハムの応援をしている人たちをみながら「ああ、なんだか違うなあ」って。

で、試合の方。長かった。。ほぼ6時間の試合。途中、監督の退場あり、選手使い果たして、投手がピンチランナーに起用されたり。。まぁ、滅多に観られる試合ではなかっただろう。
んー。その3日前からずっと野球を観てきた。社会人と比べてプロはさぞかし、と思っていた。でもね、確かにすごいプレーや守備範囲の広さなど「やっぱプロだね」と思ったプレーもいくつかあったんだけど、観る位置がいつもの「自分の席」からじゃないので、最初の頃は、ホントに観にくくて。。はっきり言ってストレートなのか、変化球なのかも区別が付かなかった(恥)。が、途中から慣れてきたのか、分かってきたけどね。

わたしの注目は勝敗ではなく、ほとんど「社会人野球出身の選手」に限られていたので、デジカメでたくさん撮って、それを今日の日記にアップするつもりだった。が、なんと、あまりにも試合が長く、デジカメの充電池が全部なくなって途中で切れてしまった。試合終了後のスコアボードも撮ろうと思ってたのに、撮れなかった!!んで「ま、あとで充電すればいいや」と思い、帰ってきてからみると、、デジカメの充電器を忘れてた。。というわけで、今は、わたしのデジカメは最早単なる「箱(?)」でしかない。。ああ、明日、中日戦を観るっていうのに、どうすればいいんだろう。。

というわけで、わたしはバカだということが判明しました。ってどうせ最初から賢いとも思ってなかったんだけどさ。こんなにバカだとは思いませんでしたよ。。なんで充電器を持ってこなかったんだろうねえ?PCの充電器は持ってきたのにねえ。デジカメのPCへのケーブルは持ってきたのにねえ(こないだのNLGRでは、ケーブルを忘れたので、今回は持ってきたのに。。)

試合は取り敢えず、終わりまで観た。んで、深夜に彼女の家に戻ってきた。彼女のご両親は、既に眠られていて、なるべく音を出さないように歯を磨いて、フロに入って。。しかし、やはり居心地はよくない。1年前の自分がどうだったのかはよく覚えていない。でもあの頃は、わたしはほとんど「クローゼット」な状態だったし、病気の具合も今と違ってた。彼女は今でも「クローゼット」だし、わたしはそれに合わせて「友達」のフリをしている。それに非常に違和感を感じる。が、だからといってわたしはどうすればいいわけ??わけ分からないよ。。ただ、彼女は今回、滅多にしないレインボーバンドを付けている。もちろん、わたしは外出しているときは、付けて歩いているので、見る人が見たら「お揃い」ってのは、明らかなはずで。彼女は一体、どういうつもりで付けてきたんだろう?昨日は、ちょっとそのことを彼女に聞いてみたんだけど、明確な答えは返ってこなくて。それもちょっと混乱している理由かもね。

というわけで、北海道の1日目は終了した。
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03-14 Wed , 2007
疲れ果てました(笑)
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ってことで、帰ってきました。6周年記念旅行。行ったところは、画像を見てもらえば分かると思うけど、横浜。1周年記念に行ったところ。あのときは、まだ東横線の桜木町があった時代だったっけ?みなとみらいにあるホテルに泊まったんだけど、今回は、中華街の近くのホテル。もちろん、ダブル。(爆)

ただ、12日の日記の長さを見ればわかるように、実はあれ、尾辻さんのイベントに行ったあと、家に帰ってきてから書き始めたんだよね。んで、夜中の3時半頃になってもまだ書き終わらずに、続きは明日、ってんで、それから歯磨きして風呂に入って。。寝たのは多分、4時過ぎ。でも、人間やろうと思ったらできるもんなんだね。「9時に起きる」って思ったら、自然とトトロ時計の音楽が聞こえてきて、時計を見たらちょうど9時。そこからまた、続きを書いて。結局、書き終えたのは12時頃。その間、医者にも電話した。そうしたら「多分、かけ直せるのは治療時間が過ぎてからだと思います」との返事だったので、携帯の電話番号を教えて、そっちにかけてもらうようにした。

それから、こないだヤフオクで落としたカセットデッキの支払いに郵便局まで。これが、うちの近くにはなくて、隣の駅まで行かなきゃならないのよね。で、チャリで行って払い込もうとしたんだけど、何回やってもうまくいかない。「おかしいな~」ってんで、そこら辺のおっちゃんに「何回やってもうまくできないんですけど」って言ったら、窓口で相手の人の記号と番号を確認してもらった。そうしたら、なんと「そういう記号と番号は存在しません」って言われた!ええーっ。。せっかく睡眠時間5時間足らずで、しかも、ふーふー言いながら郵便局まで行ったのに。

で、早速帰ってきてからその人にメール。「もう一回、確認してください」って言って。できればもうチャリに乗って郵便局に行きたくなかったので、携帯の方にメールを送って下さいって書いて。

その間、仕事が忙しいっていうのに、彼女に呼びかけ文を見てもらった。どうしてもわたしの文章は硬くなりがちなので。で、郵便局から帰ってきてから、指摘されたところを直して、ブログにアップ。それから出かけた。

渋谷から東横線で、元町・中華街駅まで。途中、喉が渇いたのと眠たかったのと、寝不足で頭が痛くなりそうだったので「リポビタンD」を飲む。そうしたら、ウソのように元気になった(笑)んで、あまりにもお腹が減ってたんで、渋谷駅の中のコンビニでおにぎりと爽健美茶を買って、みっともなかったけど、電車の中で食べた。

ホテルには4時にチェックイン。ちょこっと休んでから、山下公園付近をお散歩。途中で発見した看板。「トビに注意」。笑えたので、普段滅多に使わない携帯のカメラを使って撮影。ちょっとビの次にィが抜けてるんじゃないの?って思ったけど、やっぱ「トビ」には注意しなきゃならないのね。(ぷぷ)

その後は無料休憩所で、缶コーヒーを飲みながらお話し。お互いの小さい頃の話とか。高校時代の話とか。「あの先生のせいで、○○が分からなくなったー」とか、実名を挙げての説明。でも、変な先生の名前ほどよく覚えていることが分かった。ってわたしは高校の時にすっごく好きな数学の先生の名前は絶対に忘れないけどね♪しかし、改めて彼女の頭の良さにびっくり。。誰かさんと同じで、超優等生だったらしい、彼女。わたしは自分のこと、優等生とか劣等生とかぜーんぜん考えてなかったから、ちょっと不思議な感覚。(これって、小学校の時、通知簿がなかったせいでは。。って結論)

で、もちろん、彼女は学級委員(うちの場合はクラス代表って言ってた記憶があるけどなー)なんかもやってたそうで。わたしは、というと、そんなもんには全く興味がなかったんだけど、いつもなぜか推薦で名前が挙がっていた。んで、挙手で決めるんだけどさ、いつも落ちるのよ(爆)ま、そんなめんどくさいことやりたくなかったんで、こっちはいつも落ちて「よかった、よかった」って思ってたんだけど(笑)だいたい、学級委員になったら遅刻できないじゃんか!!(爆)わたしの高校の通知簿を見ると、いつも遅刻のところに赤線が引かれて「遅刻が多すぎる」って書いてあったんだから。自慢じゃないけど。中学も目の前にあったんだけど、毎日「おしん」のテーマ音楽の「ここ」の部分で出れば間に合う、とか、あったのよ!ま、そのために毎朝走って学校に行ってたんだけどさ。あ、話が逸れた。

それから、懐かしき、産業貿易センタービルに。ここの3階にかつて「FM横浜」があったのだ。高校から大学にかけて、毎日書いていた葉書。「横浜市中区山下町2 産業貿易センタービル3F FM横浜 タイム・ゴー・ラウンド御中」だったかなあ。それとも「タイム・ゴー・ラウンド 山下くに子様」だったかなあ。もう忘れちゃったけど。で、2、3回、ここには来たことがあるのよね。1回はその当時、大好きだった天気予報のおじさんが来る、ってんで、事前に教えてもらって、それで会ってきた。(わたしったら、すげーミーハー(笑))で、中に入ってみたんだけど、よく覚えてなかった(爆)今は2階がパスポートセンターになっていて、3Fはどうやら空いている様子。

大桟橋には行かなかった。あの当時は大桟橋の先っちょにFM横浜の「スタジオ・シーガル」があって、そこで放送をやってたからねぇ。。そこにも何回か行った。番組が最終回の時ももちろん、行った。多分、そのときに撮った写真が今でも残っているはず。でも、大桟橋も全然変わっちゃって。。ってこれはもう、1周年記念に横浜を訪れたときには既に変わってたんだけど。でも「大桟橋」っていうと平山みきの「鬼ヶ島」にの中に入っている「蜃気楼の街」って曲を思い出すんだよな。「歩きましょう 大桟橋あたりを 風の中を 肩を寄せて 速い足で」って歌詞があるからね。。「振り向きはしない 決めたのあなたと 少年のように はばたくあなたと いつの日にか 旅立つ予感が 見上げてる」って「なんだか今の心境に似てる」とか思いつつ、歩いてた。

その後はMEIDI-YAに。わたし、ここの店、すごく好きなんだよねー。で、店に入った途端、ワインが目に付いたので、赤ワインのハーフボトルとチーズを。チーズは少量のものがいろいろ入っているヤツ。食事が終わったら、部屋で一緒に飲もうね、ってことにした。

それから部屋に帰ってきて、もうそろそろ病院の診察が終わるだろうってことで、待ってたんだけど、なかなか電話がかかってこず、、もしかしたら、間違えた携帯番号を教えちゃったかな、ということで、確認のために再度電話。そうしたら、あと1時間後くらいじゃないと診察が終わらないという。なので、食事中になるけどいいか、ってんで、早めに出かけることにした。

夕食は中華街で中華料理。ではなく、なぜか、別の場所で沖縄料理。マイミクさんに教えてもらった穴場的な場所。そこはちょっと離れていたんで、タクシーで移動。移動中に病院から電話がかかってきた。そこで、事情を話す。で「今は、風邪薬を含めて、一切の薬を止めてます。あ、睡眠剤は別ですけど」と言った。そうしたら主治医は何が気にくわなかったのか分からないけど「いいんじゃないでしょうか」って。ええと、何がいいんでしょう?よく分からなかったので「ええと、咳はまだ出るんですけど、風邪薬も飲まないってことですか」と聞いたら冷たく「ま、それでいいんじゃないでしょうか」と。こりゃまた、冷戦状態復活ですか。。でも、薬を飲まなくなって、イライラは治まったし、薬飲んだらイライラするんだし、こっちとしてはどうしようもない。ま、どうせ今日、診察日なんだけど。。なんか行くのいやな予感。

わたしは沖縄が大好きで、沖縄民謡とか聞いているから、それなりに沖縄料理を知っていて、だから、全面的にわたしにお任せ。らふてーとみみがーとゴーヤチャンプルーと豚足とあとなんだっけな、牛タンの塩焼きだったっけを頼んだんだけど、らふてーと牛タンがないって言われて、その代わり牛の代わりに豚のがある、って言われたので、それにした。で、向こうは泡盛の水割りでこっちはウーロン茶。わたしはどうしても、焼酎類は苦手なのだ。んで、それを食べたあと、〆に沖縄そば。ホントはわたしはソーキそばの方が好きなんだけど、なかったので。。で、お店に曙の手形と揮毫の色紙が飾ってあったので「あ、点が付いてるから横綱になったあとですね」と話した。そう、わたしは野球ファンになる前は相撲ファンだったのだ。。毎月「大相撲」を読んでいた。(ただし、今調べたら、曙が「点」を付けたのは、大関以降だったらしい。てっきり「天下を取った」ので横綱だと思ってた。それまで「天下を取る」っていうので、点を取ってたのよ、曙の揮毫って)そこではサッカーの話はするわ、野球の話(プロ、アマ問わず)するわ、なんかスポーツ話をしてたな。。彼女と(笑)

それからまた中華街にタクシーで戻って、今度は中華料理、じゃなくて、2人で台湾式整体に。(爆)アロマとか、そういうのじゃないのが、とてもうちららしい。途中で月餅なんかを買っちゃったりして。そう、わたしたちは「椰子(ココナツ)月餅」が好きなのだー。んで、整体は2人で30分コースをやってもらったんだけど、店に入った途端、応接セットの机の上に「神はいらした!」とか書いてある冊子が。。めっちゃやばいところに入ったんじゃないかと最初は警戒した。(笑)で、そこは基本的におじさんとおばさんしかいなくて、しかも先客がいたので、おじさんがどこかに電話して応援を頼んでいたみたいだった。(言葉が分からないので、何言ってんのか全然分からなかったけど)「すぐ他の人が来ます」って言われた。で、先客の足つぼマッサージはおばさんに代わり、わたしが先におじさんに揉んでもらうことになった。(彼女は酒が入ってたので、あとの方がいいと思って)

おじさんに「どこを揉んで欲しいですか」って言われたので、適当に肩と腕、と答える。なぜかこのところ、右腕が凝っていて。。(多分、PCのやりすぎ)で、揉んでもらったんだけど、意外と腰も凝っていることが分かった。で、しまった、おっちゃんに「腰も」って言えばよかったな、と思ったんだけど、おじさんは、何も言わないのに、腰も揉んでくれて。あとで終わったあと「肩も凝ってたけど腰も凝ってました」って言われて、ああ、こういう人はいわなくても分かるんだなーって感心しちゃいました。時間も大幅に延ばしてくれたみたい。彼女も腰痛持ちなんだけど、今日は痛くないって言ってた。さすが、本場の人は違うね。

で、彼女が終わるのを待っている間に、出してくれたお茶を飲みながら、そっと「人生の真の意義」って書いてある冊子(というか、紙)を彼女のかばんにそっと忍ばせた。わたし、この手のものを読むの、好きだから(笑)だいたい、人生の真の意義と神とどういう関係があるのか、知りたかったし(笑)しかし、2人とも終わって、お金を払ったあとに「これどうぞ」ってさっき彼女のかばんに忍ばせた紙をもらってしまった。こんなことなら、別に取るんじゃなかった(爆)やばい宗派かと思ったけど、そういう系統ではなかった。が、よくわけの分かんない宗派らしい。(キリスト教ってのは確かだけど)つーか、何もそういうことは書いてないんだもん。○○とか△△とは関係ありません、って書いてある以外。

それからホテルに戻ってきたのが10時少し前かな。そこからがある意味本番。(爆)そう、だって、6周年記念は「指輪の交換をする約束をする」のが目的だったから。なので、ワインで乾杯したあとに、指切りげんまんをした。「指切りげんまん、ウソ付いたら針千本飲まーす 指きった」って。。指切りなんかするの、何年ぶりだろう??これで、この記念の本番行事が終わった(爆)

そこからはワインとチーズでご歓談。何について話したかというと、フランスとその周辺国に於ける日本の評価、フランスとその周辺国についての歴史の話、中国の歴史と日本の歴史、邪馬台国の話、日本に於ける将来起こるであろう格差社会の話、、って一体、うちらは何を話してたんだ??(笑)っていうか、ある意味、こういう話ができる相手だから、わたしたちは一緒にいるわけで。2時間がすぐ経った。でも、ハーフボトルじゃ足りないから、もっと飲もうというので、ホテルのバーに行くことに。しかし!そこのホテルのバーは12時で営業を終了していたのだった。で、ルームサービスを取ろうとしたら、それも12時まで!しかし、そのルームサービスの赤ワインはハーフボトルで6,500円。一体、どんなワインだったんだろう。。MEIDI-YAで買った赤ワインのハーフボトルは800円くらいだったのに。。しかも、ボディが非常にしっかりしていてうまかった。

しかし飲み足りないわたし。結局彼女が「コンビニかなんかで酒買ってくる」というので(というか、わたしが「酒買ってこい」って言ったようなものだ)、わたしはその間に第1弾の歯磨き。

近所に24時間スーパーがあったらしく、そこで、またハーフの赤ワインと、125mlの赤ワインを彼女が買ってきて、まず、ハーフを開けて飲んだ。今度はわたしが歯磨き中に見た「安倍総理がもっと国が教育現場に関与すべき、と発言した」ってニュースで盛り上がった。。で、時間はあっという間に3時半過ぎてた。。連日、何時まで起きてるんだろうか。。でも、何か久しぶりに酔っぱらった気がした。これで、125mlのワインも飲めば、絶対に酔っぱらえたのにな。。

その後、わたしは第2弾の歯磨きをして、風呂に入って寝たんだけど、彼女が「酒入ってるから、睡眠剤を飲まない方がいいよ」と言うので、その通りにした。けど眠れない。しかも、連日無理をしたからか、風呂に入ったあとにまた鼻炎の症状が。最近、身体が疲れていると眠れない傾向があるのと、枕が変わったら眠れないってのがあるので、1時間ぐらいゴロゴロしたあとに、睡眠剤を飲んだ。隣で彼女は気持ちよさそうに寝ていた。。夜はもう明けかかっていた。。

「もう10時45分!」っていう彼女の言葉で目が覚めた。そう、チェックアウトの時間は11時。「やばやば」ってんで、すぐに起きて帰る支度を。しかし、起きてから15分でチェックアウトできるわたしたちもすごい(笑)

「次の日は中華街でお粥を食べよう」と決めていたので、1周年記念の時に散々待たされたお粥屋さんに行った。今度は待たずに入れた。んー、相変わらずあそこのお粥はうまい。

その後、近くの喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら「眠いね」って話してた。そりゃ、連日4時、5時でしたから。それからはその晩の夕食にする餃子や何かを買って、そんで帰宅。もう、疲れ果てました。帰ってから寝ました、2人で。(^^;

帰ってみたら、例のヤフオクの人から「どうもすいません。番号が違ってました」とのメールが。しかも、もう評価されてる!「非常によい落札者です」って。ちょっと、どんだけーーー!?わたし、まだお金払ってないんですけど(汗)今日、病院帰りに郵便局に寄って来なきゃ。。

というわけで、わたしたちの長いようで短い6周年記念行事が終わった。今回はケンカ一切ナシ!(去年のブログを読むと、結構ケンカしてるのよね。。あれ読むと、わたしまだまだ病気だったんだって思うわ。。)しかし、記念行事なんだから、もうちょっと甘い部分があってもよかったとは思うんだけど(汗)でも、ホテルでまったりとワインを飲みながら話せたし(話の内容はともかく(笑))とても有意義な時間を過ごせた。ただねー、泊まったホテル「すごーいオーシャンビュー」(爆;内輪ネタです)だったんだけど、風呂が狭くて、今回は2人じゃ入れなかったわ。

んで今日もハードスケジュール。病院に行って、一回家に戻って、夜は小学校のクラスメイト+α(謎)との飲み会。今回は何人集まるんだっけ。おそらく、小学校以来の人がほとんど。またみんなにカミングアウトするのかしら~?(笑)

そうそう、わたしにとっては嬉しいお知らせ。彼女は、今まで付き合ってた人のうち、一番長い人が6年だったんだけど、それをついに越えた!!もう、わたしにはそれが嬉しくてたまらない。もう、ずーっとそのことが気になっていたのね、わたし。彼女は「そんなの関係ない」って言うんだけどさ。でも、わたしは気にしてた。「いつかNo.1になってやる」と思ってた。で、わたしが名実ともに、No.1になりました~!(最後にノロケ?)
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07-18 Tue , 2006
帰ってきました
シドニーから無事、帰りました。帰ったといっても、昨日の今頃にはもう家に着いてたんだけどね。いつものごとく、飛行機の中で眠れなかったので、昨日は家に帰ってからすぐ寝てました。

しかし、時差1時間といえ、眠いものは眠いですねえ~。きっと旅の疲れもでてきたんでしょうが、昨日は夜の10時頃寝て、今朝は先ほど(10時頃)起きて。。なのにまだ眠い。今日は一日寝倒します。

シドニーは楽しかったです。「将来、ここに一人で生活するんだー」と思うとちょっと不安な部分もありましたけど。。道案内などはすべて彼女に任せ、わたしは付いて歩くだけ。地図もわたしはほとんど見ませんでした。いけませんね~。

シドニーでやろうと思ったことはすべてやって帰りました。タロンガ動物園やシドニー水族館でカモノハシも見たし、語学学校の見学も説明も受けたし、念願の(?)オックスフォードストリートにもニュータウンにも行って、ご飯も食べたし、MIXのバーで飲んだし。(わたしはジュースね)オックスフォードストリートでは、シドニー在住の、いつもわたしがブログを読んでいる方にも、ちょっとだけお会いしてお話しすることもできました。

あとはオペラ!オペラハウスに行くだけじゃなくて、本当のオペラを初めて見てきました。「Turandot」っていう、有名なオペラの初日でした。ただ、主役の一人であるCalafが初日の3日前に病気かなんかで出演不能になり、それから主宰者は世界中の歌手にあたりまくった挙げ句、開幕の48時間前にやっと出演者が決まる、というアクシデントがあった、と最初に告げられました。オペラは親切にも歌っているときに何を歌っているのか分かるように、舞台の上部に字幕が出てくるしくみになってました。が、もちろん英語で書いてあるから、わたしはほとんどなくっても構わなかったんだけど。。でも、簡単な英語で書いてある部分は分かりました。

で、寝るんじゃないかと最初は心配でしたが、そんなこともなく。っていうか、Turandotのあまりの「デブさ」にびっくりして寝るどころじゃありませんでした。(笑)Calafも豆タンクみたいだったし、どうやらオペラってそういう世界みたいです。どうもそこらへんの「美意識」の違和感が終わりまでずっとついて回りました。「あんなデブのTurandotに一目見ただけで恋するか??」なんてことずっと思ってました。あとは自分はトロンボーンをやっているので、それを吹いているのを見たり。。だけど、トロンボーンって普通、中音楽器ですが、あのオーケストラの構成では完全に中・低音を支えている、って感じでしたね。オペラっていつもそうなのかなぁ。ま、いろいろな視点から楽しめたのは事実でした。

天気は旅行の中盤は雨が降ったりしていたのですが、帰る日になったら天気がよくなったので、急遽、Manlyビーチに行くことにしました。そこでほとんど一日中サーフィンをしている人をボーッと眺めていたり、寝ていたり、ビーチを散策したり、結構それも楽しめました。しかし、こちらは寒くて寒くていっぱい着込んでいたのに、中には泳いでいる人(子供だけだったけど)いるんですねー。もうびっくり。

そう、わたしは寒さに弱いのです。だから、帰るまでずっと寒くて寒くて。向こうで防寒用の服も買っちゃったし(いい記念なんだけどさ)、手袋をして歩きました。急に暑い日本から行った、ってこともあるでしょうが、本当に寒かったー。でも、だいたいこの天候が一番寒いんだそうです。それを考えると日本の冬の方が断然寒いかも。

なんてことで、シドニー旅行、楽しんで帰ってきました!
今度は語学留学のときに一人で行くんだな。。ちょっとドキドキ。
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07-10 Mon , 2006
突然ですが
今日から17日までシドニーに旅行に行ってきます。

目的は、将来行くであろう、語学学校の見学、タロンガ動物園とシドニー水族園で「カモノハシ」を見ること、オペラハウスでオペラを見ること。(代わりにコンサートになるかも?)事前にモスラナルシス姐さんに聞いたんだけどねー、やっぱ荒川静香のは(トゥーランドット、だっけ)ほとんどキャンセル待ちでしたわ。

カモノハシ、好きなんです。だから、3年前の年末年始の休みのとき、ケアンズに行って、ツアーで野生のカモノハシを見に行ったくらいなんですけど。(そのときはばっちり見られました♪)今回はまぁ、動物園と水族館ということで。自然環境に近くしてあるから、見られるかどうかは分からないんですけどね。

外国ですから、この間は更新できないでしょう。(PC持ってかないし)
まぁ、ネットカフェでmixiのチェックするくらいかな~。

では行ってきまーす。
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