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09-27 Sun , 2015
境界線のないレインボーフラッグを見て考えた
ずっと前の日記に「わたし、この垂れ幕を去年の夏に発見して、そのとき気が付いたことがあった。この境界線のないレインボーフラッグらしきもの。でも画像を撮ってこなかったんだよね。なので今回は忘れず。これを見て何を思ったかをここに書くと長くなるので、このことについては後日別記事にすると思います。」

って書いてたのをすっかり忘れてたんだが、思い出したので書きます。

リバティおおさかで見た「境界線のないレインボーフラッグらしきもの」はこれ。

2145.jpg


発見したのは去年の夏。これを見て、わたしが一番に思ったのは「この中にない色がある」ということだった。正直今まで「境界線のある」レインボーフラッグは数えられないほどたくさん見てきたけど、このことに気が付いたのは初めてだった。

そのことに気が付いたのは、わたしは以前から自分のジェンダーのイメージは「灰色の丸」だったから。「レインボーフラッグに自分のイメージする色が入ってない」、最初、このレインボーフラッグらしきものを見て初めてそう思ったのだ。

が、実はこのことは「当然」のことでもある。だって、レインボーフラッグの定義は「6色の虹」であって、全部の色が初めから入ってないのだもの。最初は8色だったんだけど、印刷の都合などでピンクと紺色がなくなって今の6色になったと聞いている。その6色を「多様性の象徴」にしただけの話で、別にすべての色が入らないから多様性を表してないなんてことはない。だからある意味ない色があって当然のことだ。だけど、無意識にレインボーフラッグの中にはすべての色が入ってるんだなあなんて思ってたから、そうじゃないことに気が付いて少しびっくりしたのだ。

しかし、普通の6色に分かれているレインボーフラッグを見てもそんなことを思ったことなかったのに、なぜこの境界線がないレインボーフラッグらしきものを見て初めて気が付いたんだろうと思った。

少し考えてみて分かった。境界線がないことでレインボーフラッグより多様なものを表そうとしたからこそ、逆にない色が浮き出てきてしまったのだと。

もちろん、だからといって境界線がない方がいいとかあった方がいいとかそういうことではない。これは本当に自分にとっては興味深い現象だった、ただそれだけのことだ。

よく、性自認や性的指向を表すときに「男」と「女」が両端になって、男は青く、女は赤い色が付けられ、その間を赤と青のグラデーションで線が付けられているものがある。「人はこの間のどこかにいます」という説明がされるけど、それはウソだ。グレーはそのどこにもない。いわば、わたしのイメージする自分のジェンダーは男女の間にはない。世の中には「誰にも恋愛感情を抱かない」、そういう人も結構いる。その人たちはこのグラデーションスケールの中では表せない。「恋愛感情は抱くが肉体的な関係は持ちたくない」、そういう人もいる。これなんかもこのスケールの中でどう表せばいいの?って思う。

そもそもそれ以前に男は青で女は赤である必要もないのだ。「女は絶対に黒!」って思う人だっているだろうし、「男が赤だよね」って思う人がいてもいい。なんてったって「燃える男の赤いトラクター~♪」なんてCMがあったほどだし(随分古い(笑))。それに広島カープのチームカラーだって赤だ。これも「赤い炎」「燃える情熱」というイメージで'75年にそれまでの紺色のユニフォームから赤を基調にしたユニフォームに代わった。これを見れば分かるように、女=赤、では全くない。そして自分の「男」のイメージがパステルカラーであったとしても全然おかしくない。

「LGBTについて簡単に説明してください」と言われても、実はそんなに簡単なことじゃない。「何も知らない人にとってはそういうことは難しいので簡単に」と言われても、正直性はすっごく複雑なことで、まずは「簡単に男が青で女が赤でその間はグラデーションで」じゃなくて「いや、そういう風には表せないもっと複雑なことなんですよ」ということから説明すべきじゃないだろうかとわたしは思う。そうでないとそこからこぼれ落ちてしまう性的少数者が凄くたくさんいる。

そして大事なのは「じゃあ、あなたはどこにいますか」って、自分のことを考えることだと思う。「性的少数者は性の多様性を表している人たちだけど、わたしは異性愛者だからそうじゃない」というのは実は全然違う。性は一人一人違ってるのだ。何を男らしいか、何を女らしいかと感じるかだって、人によって全く違うのだ。だからこそ何が男らしいか、女らしいかという共通認識は実は持てないのだ。「誰を好きになるか」も今まで100%男性だったり女性だったりはおそらくしない。何よりも好きになった相手の性自認が自分の考えていた性自認とは違っていた場合はどうなんだろうか。それも人によりけりだろう。男性が好きになったと思ったら、実はその人の性自認は女性だった、それが許せる、許せない、人によって違うだろう。許せる人の性的指向はその場合は同性になるのか?

わたしの場合、性的指向は同性に向いているので自分はレズビアンだと思っているが、でも最近「男性も好きになる」ことに気が付いた。と言うよりも昔からわたしは男性には好みのタイプが存在している、ということは気が付いていたのだけどね。逆に女性には外見上の好みはほとんどない。まぁボーイッシュなタイプは好きなんだけども。。でも絶対にボーイッシュじゃなきゃダメってこともない(だいたい今一緒に暮らしている人はボーイッシュでは全くないし!)。まぁ恋愛対象である女性はわたしは割と「誰専」だったりする。

しかし逆に男性は好みのタイプがはっきりしてるので、一目で「あ、この人タイプ」って思う。電車の中で「おっ」って思う人も実際結構いる(言っておくと、男性に対しては基本「フケ専」。でもまれにそうじゃない人もいるが)。しかしここからが不思議なんだけども、好みの男性に対してわたしは近づきたいとか話したいとか一切思わない。逆に「その人の人生の中にわたしは入りたくない」と思う。でもその人がどういう人なのか、どういうことを考えて生きている人なのかは結構気になる。できるならずっとその人を追って見てたいなとか思う(本当にやるとストーカーになるのでやんないけど(笑))。でも相手にそういう自分を気が付かれたくない。なんせ自分の存在は知られたくない。ただ見守っていたい。別にその人が不幸になっても救いたいわけじゃなく、ただ見てたいだけ。

と言うことを以前誰かに話したら「究極の愛情だね」と言われたのだが、これって愛情?だいたいその人と知り合いになりたくない愛情なんてあるんだろうか。その人が別に幸福でも不幸でも構わないなんていうのは愛情と呼べるんだろうか。その人の人生の中に登場したくないくらいなんだから、当然のことながら性的な関係になんてなりたくないわけで。でも外見を見て「あ、いいなー」って思う人はいるのだから、この感情って一体なんなんだろうって思ったりする。

自分の性的指向を詳しく説明するとこんな風になる。けど、自認は「レズビアン」。「それでいいの?」って思う人もいるだろうけど、自認なんて定義に当てはまってなくても全然構わないと個人的には思ってる。自分がそうであると思えばそう。他の人が「それは定義に当てはまってない!」なんて言う資格ないと思う。第一、この今の自分の性質にどういう名前が付けられるというのだろうか。

「自分は異性愛者」って思う人は本当に自分は100%男(女)と思ってるのか、好きになる人は本当に100%異性なのか。自分は100%男らしいのか女らしいのか。まぁこれだけは別かな。だいたい「100%男(女)らしい」なんてことはこの世には存在しないから。人によって男らしさも女らしさも違うから。でも自分のことをちょっと考えると面白いかも知れない。異性愛者にだってその中での「多様性」はあるはずだ。それが例え名づけられていなかったとしても。
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22:39 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-14 Sat , 2015
渋谷区「同性パートナーシップ証明」について思うこと
2月12日は朝から騒がしかったですね(笑)

というのも、渋谷区が3月議会で「男女平等および多様性を尊重する社会を推進する条例」についての案を出すそうで、この条例案の中に区が「同性パートナーシップ証明」を同性カップルに出して、区内で同性カップルを「婚姻に相当する関係」として扱うように「お願いする」というものが入ってるからだそうだ。

以下、共同通信の記事。わたしが確認したところによると、関東地方では東京と毎日の朝刊に載っていたそう。

--------------- ここから ---------------
 東京都渋谷区は、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例案を三月区議会に提出することを決めた。区によると、自治体が同性同士をパートナーとして証明する制度は全国で例がない。性的少数者(LGBT)の権利を保障する動きは世界的に広がっており、家族制度をめぐる論議が高まりそうだ。

 可決されれば四月一日施行、証明書は二〇一五年度内の開始を目指す。

 同性カップルがアパート入居や病院での面会を、家族ではないとして断られるケースが問題になっていることを踏まえ、区は区民や事業者に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう協力を求める方針だ。

 条例案は、男女平等や多様性の尊重をうたった上で「パートナーシップ証明」を定めた条項を明記。区内に住む二十歳以上の同性カップルが対象で、必要が生じれば双方が互いの後見人となる契約を交わしていることなどを条件とする。カップルを解消した場合は取り消す仕組みもつくる。

 条例の趣旨に反する行為があった場合は事業者名を公表する規定も盛り込むという。

 憲法は婚姻関係を「両性の合意」のみに基づいて成立すると規定。区議会では条例案が従来の家族制度を揺るがしかねないとする議員の反対も予想されるが、区は、法律上の効力はなく「全くの別制度と考えている」としている。

 渋谷区は昨年、有識者らによる検討委員会を立ち上げ、LGBTの区民からも聞き取りをして条例の内容を検討してきた。桑原敏武区長は「互いの違いを受け入れ、尊重する多様性社会を目指すという観点から、LGBTの問題にも取り組みたい」と述べた。

 海外の同性パートナーシップ制度に詳しい京都産業大大学院の渡辺泰彦教授(民法)は「公的機関が同性パートナーの存在を認め、直面する問題に対処しようとする点に大きな意味がある。ドイツやスイスではまず地方自治体がパートナーシップ制度をつくり国家レベルに広がった。国内でも同様の動きが出てくるのではないか」としている。

◆渋谷区条例案ポイント
▼男女および性的少数者の人権の尊重。
▼同性パートナーシップ証明書の発行。
▼条例の趣旨に反する事業者名を公表。
▼男女平等・多様性社会推進会議の設置。
▼条例は4月1日施行、パートナーシップ証明は別途定める。
--------------- ここまで ---------------

まぁこういう案が出来、報道されることだけでも「大きな一歩」には違いないと思う。

ただ心配なのは、これ、決して条例が可決されたわけじゃないんですよね。まだ案の段階。3月の議会で通らなければ、何も変わらないどころか、「こういうのはまだ日本では早い」とみなされてるってことが証明されてしまうってこと。むしろ今後の同様の動きも抑えられてしまうのでは、という危惧の方が強く感じられてしまって怖い。で、こういうのが出ると、必ず「バックラッシュ」も起こる。これが世の常。それをどうかき消していくかが問題。これについては完全に同性愛者の権利問題なのだけれど、今までの世の中を変えていくためにはなぜか「多数者」に「認めてもらわないと」いけない。まぁ多数決の論理からするとそうなんだけど、でもなぜ少数者の権利、当然認められなければならない権利を多数者に「認めてもらわないと」いけないのかなぁって常々思ってるんだけどね。

だってさ。わたしももうじき彼女と一緒に暮らして丸10年を迎えるんだけど、やっぱり彼女が突然意識不明になって病院に運ばれたとき、わたしは病院から「家族」として扱われるのか?「面会謝絶」になったときに彼女に会えるのか?万が一、亡くなるときには、わたしはそばにいてあげられるのか?万が一、亡くなってしまったときに、わたしはお葬式にどういう形で出られるのか?単なる「親しかった友人」として?「家族」としてじゃないの?彼女の家族から「アンタは家族じゃない」って言われたら?わたしは彼女のお葬式にすら出られないの?っていう不安はいつも絶えず抱えてるから(厳密に言うとこれは「法的な地位」は保障されないので、家族関係には反映されません。だから、病院では家族として扱われたとしても、お葬式の時に家族に拒絶されるとそれは拒めません)。
※ただし、今のところの家族状況を見ると、彼女の親族からわたしに対して「アンタ葬式くんな」と言われるよりも、わたしの親族が彼女に対して「ろんたこの葬式には来るな」って言われる方が可能性高そうで怖いんだけど(^^;

確かにこれまでの10年間、わたしも彼女もお互い入院したことがあるけれど、そのときは病院側に関係をきちんとカミングアウトして「家族」として扱ってもらえた。それはもしかしたらとても運がよかったのかも知れない。双方意識をなくしたことはないので、そういう場合は認められるのかも知れない。だけど前に「家族」として扱われたからといって、将来も「家族」として扱われる保障はどこにもない。

本当にとてもとても不安定な身分なのだ。これが男女の場合だったら、たとえ婚姻届を出していないにしても「事実婚」として扱われ、当然の如く「家族」として扱われるだろう。わたしたちは普段、男女カップルと大して変わらない生活をしているはずなのに、こういう危機的な状況、人生がガラリと変わるかも知れない状況の時にはこんなにも差が出るものなのだ。

こういう不安を常に抱えているにもかかわらず、わたしたちの「権利」って他人から決めてもらわないといけないものなの?って思っちゃうよね。男女カップルなら当然として認められている「権利」なのに。

まあ、そうは言っても「世の中そういう風に出来ている」わけだから、なんでと思いながら「多数者」に自分たちの権利を「認めてもらわないと」いけないわけだけどもね。というわけで、3月の議会がいつから始まって、いつこの件について審議されるかはよく分かんないのだけど、それまでは自分の出来ることはするつもり。

だってさ。こういった「証明」がされることで、少し、不安な状況がなくなるんだよ。ほんの少しだけだけどもね。「病院で看取れる権利」はホント、最低限。今までその「最低限」すら認められてなかったわけだから、常に不安を感じざるを得なかったわけだけど(と言っても今回のこれは「法的に認められた権利」になるわけじゃなく、あくまでも区が事業者に対して「お願い」してるだけに過ぎない)。でもそれがなくなると想像するだけで、自分の上にのしかかっていた石が少し軽くなるように感じたんだよね。今まで自分の上に石がのしかかっていたとは認識してなかったんだけどさ。軽くなった分だけ前の重さが分かるというの?まぁ、でも本当に軽くなったわけじゃなく、条例案通らなければ軽くはならないわけだけど(っていうか、それ以前にわたしはそこに住んでないから条例案通っても何も変わらないんだけども(笑))。

アパート入居については、女同士というのは割と不動産屋さんからも問題は問われないわけで、これによって大家さんから入居を拒否された、というのはあまり聞かない。わたしも彼女とは今まで2回、一緒に部屋探ししてるけど、別に「女同士」を理由に貸してもらえないってことはなかった。問題は男同士なんだよね。これはしばしば耳にする。男2人だと部屋が汚く使われるという理由などで貸してもらえないそうだ。しかしこの理由は口実で、ホモフォビア(同性愛嫌悪)も多分にあるんだろうな~と思ったりする。

わたしなんかは彼女と「一緒に住みたい」と思って、そのまますんなり一緒に暮らしてるわけだけど、それが困難だというのは想像が付かなくてね。なんにしろ「当たり前」のように思ってるから。だからもしかすると病院でも家族と認められるのは、男女カップルとしては「当たり前」のように感じられるものなんだろうか。それが「当然じゃない」のは、想像が付かないことなんだろうか。でも「一緒にいて欲しいときに一緒にいられない」のは、病院にせよ、同居にせよ、同じことだ。わたしらにはいざという時「一緒にいる権利」が保障されていないのだ。

あと、このことが報道されてから、いろいろな否定的な意見が出てるのは知ってる。渋谷区はホームレス排除してるじゃないかとか。いや、だから、そのことについては全く別の話で、たとえ渋谷区がこの条例案通したとしても、それによってホームレス排除が「免罪」されるわけじゃないよね。条例通過したとしても「渋谷区さん、有難う!!わたしはこれであなたのやってることには何も文句は言いません!」ってことじゃないよね。別にこの条例案に賛成したとしても、渋谷区に魂まで売ってるわけじゃないのだ。ホームレス排除の問題は、深刻な問題だし、これはこれでこの先も追及していかねばならないだろう。そんなの当然のことだ。

それから「婚姻制度が強化される」っての。確かにこれは分かる(笑)でもさ、だからといって、わたしは2人の間に何の法的な権利がない状態が好ましいとは思えない(何度も言うが今回のこれは法的な権利ではないのだけれど。これは法的な権利への第一歩に過ぎないことはよく分かってる)。「婚姻制度解体」を言ってる人もいるけど、じゃあ、具体的に「婚姻制度解体」に向けて何か行動してるんだろうかっていつも思う。その行動が全然見えてこない。日本で「婚姻制度に与したくない」という理由で結婚しない男女カップルがいる。が、そういう人たちでも男女であれば「事実婚」になってしまうのだ。事実婚は法律婚から遺産相続以外の権利はほぼ認められている。それはとりもなおさず「婚姻制度の恩恵を受けている」ということになる。だけど同性カップルは一緒に住んでいるだけでは事実婚扱いにはならない。それは同性カップルには「婚姻制度」がないからだ。本当にこの日本から「婚姻制度」を廃止させたいのであれば、婚姻制度廃止をもっと世の中に訴えなければならないのに、そういう訴えはほとんど聞くことはない。身内でごちゃごちゃ言ってるのが聞こえるだけだ。
【後日追記】男女の「事実婚」についてだけど、確かに「遺産相続」と「税金」以外は法的な保障が受けられるのだが、それ以外、例えば成年後見人の申し立てはできなかったり、あと、なんと病院での「看取り」は法的な保障ではないので逆に「家族」として扱ってもらえない場合も多いらしいです。「事実婚」の場合、逆に法的な保障以外のところで保障されないって初めて知った。
(参考)http://konkatsu-nomiss.info/indignity/

また「婚姻よりも個人としての保障が手厚い方がいい」っていう声も知ってる。けど、具体的に「個人の手厚い保障」ってなんなんだろ?って思う。だって、病院に家族として認められるとか、住居にカップルとして入ることが出来るというのは、一人一人の保障を手厚くすることによっても保障されない権利だ。一人の生活は確かに不安な面もたくさんあって、でもそれは二人の生活から生じる不安とはまた全然別のものなのだ。

ただ、そういうものを「婚姻制度」によって保障するかしないか、というのはまた別問題なんだけどね。この世界には「婚姻」とは別の概念「パートナーシップ」ってのがあって、そこで保障されればいいじゃんか、という話もある。

まぁこれを話すと話が長くなってしまうのだけど(笑)、例えばフランス、フランスは同性婚が認められる前に「Pacs法」というものが出来た。「市民連帯契約」というものだ。これは特に同性の関係だけでなく、男女だったり、友人でも可、というもので、これによって同性の関係が認められたんだから、別に同性婚はいいじゃないか、ってことも言われてた。これ、オーストラリアでも同じ。オーストラリアでは先に「パートナーシップ法」が出来た。でも、この2つの国は結局のちに、同性婚制度を導入した。

なぜかというと、それは「婚姻の平等」をこの国の人たちは求めたからだ。異性愛者の婚姻と同性愛者の婚姻の間に全く差はない、要するに異性愛カップルと同性愛カップルは同等なのだ、というものを求めたからだ(同性愛カップルは婚姻に「準ずる」という関係ではない、ということ)。それはとりもなおさず同性愛者の地位の向上を意味する。同性愛者は「二級市民」ではない、ということを示すためだ。

果たしてこの日本で、どこまで求めるか、という問題はこの先にはあるだろう。けど、今はまだそういう話では全くないのだ。だって何度も言うけど、この条例案は別に同性カップルの法的な保障とは関わりがないから。だけどとにかくこの一歩が踏み出せなければ、この先の話もクソもない。

それから「カップル志向になって、独り者が生きにくくなるのでは」という声がある。まぁ確かにそれは有り得るので、その点は注意しなければならないとは思うが、だからといって、一人でいたい人たちのために、二人で生きていく上で感じる不安を持ち続けなければならないのかというと、それはちょっと勘弁してよと言いたい。というか、同性同士の関係を認めることと「一人でも生きていっていい」という概念が広まるのは両立しないか?と思う。

あ、少子化に繋がるとかそういうのは、アホらしくて反論する気にもならないので(笑)同性婚を導入した国の出生率を見てもらえば分かるけど、導入後、少子化になってないから。結果はその逆だから。同性婚を導入した国はちょこっとだけど出生率も上がっている(下がっている傾向はない)。それに同性婚が認められたら少子化って、どんだけ同性愛者の数が多いと思ってるんじゃって感じだよね(笑)別に同性愛者がこの世の中を動かしてるわけじゃないから(爆)あと、アメリカで「同性婚論議」が発生した一つの理由は、レズビアンたちが産んだ自分の子どもに対して、何の保障もないので、それをどうにかして欲しい、というところから始まってるわけで、レズビアンマザーが増えたからこそ同性婚の議論が始まったのだ。だから同性愛者は子どもを持てないわけじゃないんだよね(ただ、これも「結婚したら子どもを持たなければならない圧力」に繋がる恐れがあるので、そこんとこは気をつけないといけないのだけれど)。

あとはそうだなー。だからといって、わたしは「この条例案はすばらしい!」ってキラキラしてるわけじゃないです。これは本当に「第一歩」に過ぎなくて、そしてこれが戦いの始まりなんだと思う。だから、自分でもやれることをやらねば。案は一人歩きして勝手に条例になるわけじゃない。それを支持することを表明して、その案が本当に必要であることを世間に表明しなければ。誰かが勝手にやってくれるわけじゃない。権利って言うのは上から自然に降ってくるものじゃないんです、お情けみたいに。

行動に起こす、というのはしんどいことだと思う。でもそれを誰かに任せてていいんだろうか。自分が行動を起こさないで誰かに期待して、それがもしダメだったとしたらそれも他人のせいにしてしまうのか?まぁそういう思いがあって、わたしはその第一歩として自分のブログで意見を表明しているのだけれどね。
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10-06 Sat , 2012
レズビアンと婦人科
ヘテロ女性(この場合シスジェンダーヘテロ女性)も進んで行きたいとは思わない婦人科って(シスジェンダー)レズビアンならもっと行きたくないんじゃなかろうか。というか、少なくともわたしは「何か」なければ絶対に行きたいとは思わない。
※シスジェンダーというのは、性自認と性別が同じ人のこと。性別が「女(男)」で自分が女(男)だと思ってる人。トランスジェンダーではない人。

わたしの場合、今まで「何か」というのが2度ばかりあったので、2度ほど婦人科と言われるところに行ったことがある。レズビアンがヘテロ女性と比べて「行きにくい」と思う理由の一つに「性行為の有無」を聞かれることがあると思う(男性医師だと嫌だというのはヘテロ女性も共通らしい)。なんてったって婦人科で言う「性行為」の定義が分からないのだ。というか多分向こうは世の中に「女と女がセックスしている」なんてことをつゆとも考えていないだろうなと思われる受診前のアンケート(って言うのかな)で思い知らされるのだ。そのアンケートを前にして「自分がこの世に存在していない悲しみ」や「具体的にどうやって答えればいいのか分からない途惑い」を感じるのだ。まだ「会ってもいない」医師に対してカミングアウトしたらどうなるんだろう?本当にカミングアウトして理解してくれる医師なのかどうか分からないうちにカミングアウトはしたくないのは当然だ。ましてや受付の人に「この性行為って女性同士の場合はどうなるんですか」なんて聞けないだろう。

なんて急にこんなことを書いているのは理由がある。もうなぜそんなブログに行き当たったのか覚えてないのだが、子宮頸がんになってしまった人のブログを読んだのだ。最初の人から次の人、みたいにしていくつもいくつもブログを読みあさっていたのだが、その中で一人、「子宮頸がんになっていない人のためにワクチンと検診の必要性」を必死に書いている人がいて(その人は残念ながらもう亡くなられたらしいのだが)それを読みつつ「レズビアンの場合はどうなんだろう?」って思ったからだ。

そこには必ず「性行為をした男女なら誰でも(HPVウイルスに)感染する可能性がある」と書いてある。HPVというのはヒトパペローマウイルスのことで、そのウイルスはHIVみたいに「どこにいる」と限定されているウイルスじゃないらしい。種類は350種くらいあって、その中でもガンを発症させるウイルスは18種だったかな、あるそうだ。ワクチンを接種しても(2種と4種という2種類のワクチンがあるらしい)全部防ぎきれるわけじゃないらしい(ガンを発症させるウイルスは18種あるわけだから)。だからその人は「ワクチンを接種しても性行為をしたならば検診を受けてくれ、検診も細胞診だけではなくウイルスに感染しているかしていないかが分かる検査も受けて欲しい」と書いていたのだ。

ちなみに子宮頸がんはもちろん(生物学的な)女性しかかからないが、このHPVウイルスによってそれ以外のガン(陰茎がん、喉頭がん、舌がんその他)にかかる可能性があるので、男性もワクチンの対象としている国もあるらしい(残念ながら日本は遅れているので男性へのワクチン接種は想定されていないし呼びかけられてもいない)。もしガンを引き起こされなくても尖圭コンジローマの原因になるので、これも男女関係ないってことになる。

さて。感染は「性行為」って書いてあるけどHPVウイルスは例えばHIVのように「○○に存在する」とは何を見ても書いてないのだ。ということは、普通に手足についてたりする可能性もあるんだろうか?(そこら辺がよく分からないのだが)しかも感染予防としてコンドームもあんまり功を奏しないらしい(だから普通に手足にウイルスが付いてるのかなと想像したのだが)。「性行為」が「ペニスとヴァギナの結合」を意味するのであれば(ウイルスがペニスとヴァギナにしか存在しないならば)レズビアンはHIVと同じく「ローリスク群」ということになる(あくまでも「ローリスク」であって可能性は「ゼロ」ではないのでご注意を)。けれど何を読んでも(わたしが探した範囲以内だが)HPVウイルスは「性器にしか存在しない」とは書いてない。むしろ「どこにでもいる」と書いてある。

ってことは、レズビアンでも性行為をすればかかる可能性があるってことだよね?

ただ「レズビアンの性行為」というのは、おそらく一般のヘテロ男女の性行為に比べると考えられないくらい種類が多いと思われるので、多分その中にも「ハイリスクな行為」と「ローリスクな行為」があるはず。ただいかんせん、どこにHPVウイルスがいるのか分からないので、何が「ローリスクな行為」なのかはよく分からない。。ただ言えるのは性器を使わない性行為をすれば子宮頸がんになるリスクはゼロだよね、、(これは男女のセックスにも言えると思うが)

ちなみにこの「性行為」という言葉について、最初にも書いたけど医学上の「(男女の)性行為」ってどういう定義なんだろう?って思う。それこそ「ペニスとヴァギナの結合」しかないのだろうか。だって男女の性行為だってそれ以外いろいろあると思うんだよね。それとも8割9割は「ペニスとヴァギナの結合」しかないんだろうか。そこら辺は誰にも聞いたことがないんでよく分からないけど。

個人的には「性的に気持ちがいいこと」ならなんでも性行為になりうると思ってるんだけど(だから性器を使わない性行為も有りだと思う)、それはただわたしがそう思ってるだけであって、やっぱり医学上の「性行為」ってきちんと定義されてるんじゃないかと思うのよね。でも「医学的な性行為とはこれこれです」って聞いたことがないのはなんでだろうか?考えなくても当たり前だから?

そういうことを「子宮頸がんのワクチン接種と性交後の検診」を訴えていた人に聞いてみたかったな、と思う。その人は本当に真面目に「もう自分のような目に遭う女性を出したくない一心」からブログを書いていた。真面目に聞いたら真面目に答えてくれたんじゃないかと思うのだけれど。。子宮頸がんのこと、本当にすごくよく調べて書いてたから。

しかし一方で「女性特有」であるからか、有無を言わさぬ「女性ジェンダーへの強制」ってのもいろんな人のブログを読むと感じるんだよね。。だから「もしわたしがこの病気になったら」って思うとちょっとゾーッとするのも確かで。

まぁこの話は次にしようかな。ただこれを書くと「女性特有のガンにかかった人に対して攻撃してる」と思われてしまう可能性もあるので、どうしようかな。

まぁわたしがここで書きたかったのは、レズビアンにも行きやすい婦人科があったらいいな~ってこと。こそっとでもいいからレインボーフラッグを飾ってあるとかね。そうすればギリギリまで我慢しなくても気楽に行ける病院ってことで、病気の早期発見にも繋がるのではないだろうか。
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09-06 Thu , 2012
心が女の子 -性の多様性について考える-
「心が女の子」っていう文章(?)をこないだどこかで見た。

女の子であるかどうかはともかくとして、これ見た途端、わたしは「あー、わたし違うなあ」って思ったのね。わたし、自分では「心が女」とは思えないなって。「じゃあ何よ」と言われると「分からない」としか言いようがない。それか「男でも女でもない」と言うか。

よく性同一性障害の説明なんかで「身体は○○だけど心は△△」っていうのがあるけど、あれってどうよって思うんだよね。そのような類の言葉で説明するなら、わたしの場合は「身体は女で、頭でも自分は女だと思ってるけど、心はよく分かんないか男でも女でもない」が一番感覚として近いんじゃないかなあと言う感じがする。

とすると今度は「頭と心の違いって何よ?」ということになる。ここがね、自分でもよく分からないというか難しいんだよね。突き詰めて考えれば心だって頭で考えた「何か」なんだから、自分の頭の中がどこかで分裂しているってことになる。でも自分の中では自分自身が矛盾してるとか混沌としてるという感じはなくて、ちゃんと分けられてるの。でもどこで分けられてるのかという実感がない。

そのようなことを少し前にtwitterでぶつぶつつぶやいてたんだけど、何人かの人に「分かるような気がします」って言われて「そういう感覚ってわたし一人じゃないんだなあ」と思った。

社会学的に言えば「頭と心」って「身体違和とジェンダー」なんだと思う。わたしには身体違和はないけどジェンダー違和はある、そういうことなんだと思う。

で、トランスジェンダーって身体違和がない、ジェンダー違和のみの人もいるそうだ。ってことは、わたしもトランスジェンダーに入ると思うんだけど、でもやっぱり自分では自分がトランスジェンダーとはあまり思えない。それはあまりにも「身体違和」が強調され過ぎちゃってるところがあるからだと思う。前にも同じようなことを書いたけれど、トランスジェンダーって言うのはアメリカのヴァージニア・プリンスって人が作った言葉で、その人は身体違和はなくジェンダー違和のみがある人だった。だから元々トランスジェンダーってのは身体違和ではなくジェンダー違和を感じる人のことだったんだけど、それが知らない間に身体違和がくっついて、今ではジェンダー違和より身体違和の方をまずありき、みたいになってしまっている(これは日本ではトランスジェンダーより性同一性障害の方が有名でよく取りあげられるからだろう)。わたしがこれまで読んだトランスジェンダーや性同一性障害についての本もトランスジェンダーについての歴史的経緯の話はされてても「(現在でも)身体違和のない、ジェンダー違和のみある人でもトランスジェンダーという」ということは一切書かれていなかった。もちろん、わたしはすべてのトランスジェンダーや性同一性障害に関する本を読んだわけではないので、その可能性は否定しないが、でも一般的に今読める本の中にはそう書いてある本に出会うことは非常に難しいんじゃないだろうか。

まぁそんなわけで、自分のことはあまりトランスジェンダーだとは思えないのだが、もし仮に自分がトランスジェンダーだったとしたら、では「レズビアン」ってカテゴリーはどうなるんだろう?って考えた。トランスジェンダーと同性愛は普通、トランスジェンダーの方は性自認で、同性愛は性的指向が関係するから、この両方は別の概念になる。だから、トランスジェンダーの人は異性愛者もいるし同性愛者もいるって説明をするわけだけれど(逆に言えば同性愛者の中にもトランスジェンダーの人はいる)、わたしの場合はジェンダー違和があっても、それは「男でも女でもない」「自分はどちらに入りたいのかよく分からない」っていう、いわゆる「Xジェンダー」に属するんだよね。無理矢理言えば「FtX」(Female to X)になるのだが、やっぱりこれってピンと来ない。だってわたしは身体違和がないからそういう面では「女」で揺るぎがないのに、Xって言われると「うーむ」となる。だから
むしろ「FtX(ジェンダー違和)」と書いた方が正確なんじゃないかと思う。

そしてXジェンダーだと性的指向がうまく表わせない。だって性的指向っていうのは「自分の性別」に対して(恋愛対象となる)「相手の性別」だからさ。自分の性別が「X」だと言い表わしようがないのよ。しかもわたしの場合は身体違和はないので、自分と同性である人が好きとも言える。だから「レズビアン」ではあるわけだ。だから無理して言えば「FtX(ジェンダー違和)レズビアン」ってことになるのかなあ?だけどこれってやっぱり変だよねって思えてしまう。

でね、これを考える際に「わたしは相手の性別を好きになるのか、それともジェンダーを好きになるのか」って思ったんだよね。だってトランスジェンダーが「身体違和」と「ジェンダー違和」の両方を含むのであれば、性的指向だって「性別かジェンダーか」と分けてもいいわけでしょ。

そうすると、わたしは考えてみると「女の身体を持った人が好きなんだ」ってことになるのね。残念ながら「心は女の人」でも身体が男の人だとわたしはおそらくその人は好きになれないと思う。ホント、悪いんだけどね。そればっかりは仕方がない。でもそれってわたしは「パンセクシャルじゃない」ってことなんだよね。パンセクシャルってのは日本語で「全性愛」と訳されて「男女の性別二元論に囚われずに人を好きになる人」のこと。バイセクシャル(両性愛)とはまた違うのね。バイセクシャルの人は男か女を好きになる人のことだからさ。その間っていうのはないのよ。だからバイセクシャルの人もわたしと同じく「男の体を持った人」か「女の身体を持った人」が好きになるわけ。「男の体だけどジェンダーは女」とかそういう人は対象にはならない。パンセクシャルって人の身体にはあまりこだわりがなくて、もしかしたらジェンダーで好きになるって人のことと言えるかも知れない。

ってことは、わたしは「FtX(ジェンダー違和)レズビアン(身体)」ってことになる。とするとこれまでに出てきたものを組み合わせると、

Maleヘテロ(身体(に惹かれる)):ヘテロセクシャル(異性愛者)
Maleヘテロ(ジェンダー(に惹かれる))
FtM(身体(違和))ヘテロ(身体):ヘテロセクシャル
FtM(身体)ヘテロ(ジェンダー)
FtM(ジェンダー(違和))ヘテロ(身体)
FtM(ジェンダー)ヘテロ(ジェンダー)
FtX(ジェンダー)ヘテロ(身体):ヘテロセクシャル
FtX(ジェンダー)ヘテロ(ジェンダー)

Femaleヘテロ(身体):ヘテロセクシャル
Femaleへテロ(ジェンダー)
MtF(身体(違和))ヘテロ(身体):ヘテロセクシャル
MtF(身体)ヘテロ(ジェンダー)
MtF(ジェンダー(違和))ヘテロ(身体)
MtF(ジェンダー)ヘテロ(ジェンダー)
MtX(ジェンダー)ヘテロ(身体):ヘテロセクシャル
MtX(ジェンダー)ヘテロ(ジェンダー)

Maleゲイ(身体):ゲイ
Maleゲイ(ジェンダー)
FtM(身体)ゲイ(身体):FtMゲイ
FtM(身体)ゲイ(ジェンダー)
FtM(ジェンダー)ゲイ(身体)
FtM(ジェンダー)ゲイ(ジェンダー)
MtX(ジェンダー)ゲイ(身体):ゲイ
MtX(ジェンダー)ゲイ(ジェンダー)

Femaleレズビアン(身体):レズビアン
Femailレズビアン(ジェンダー)
MtF(身体)レズビアン(身体):MtFレズビアン
MtF(身体)レズビアン(ジェンダー)
MtF(ジェンダー)レズビアン(身体)
MtF(ジェンダー)レズビアン(ジェンダー)
FtX(ジェンダー)レズビアン(身体):レズビアン
FtX(ジェンダー)レズビアン(ジェンダー)

Male(身体)バイ(身体):バイセクシャル
Male(身体)バイ(ジェンダー):パンセクシャル
MtF(身体)バイ(身体):バイセクシャル
MtF(身体)バイ(ジェンダー):パンセクシャル
MtF(ジェンダー)バイ(身体):バイセクシャル
MtF(ジェンダー)バイ(ジェンダー):パンセクシャル
MtX(ジェンダー)バイ(身体)
MtX(ジェンダー)バイ(ジェンダー)

Female(身体)バイ(身体):バイセクシャル
Female(身体)バイ(ジェンダー):パンセクシャル
FtM(身体)バイ(身体):バイセクシャル
FtM(身体)バイ(ジェンダー):パンセクシャル
FtM(ジェンダー)バイ(身体):バイセクシャル
FtM(ジェンダー)バイ(ジェンダー):パンセクシャル
FtX(ジェンダー)バイ(身体)
FtX(ジェンダー)バイ(ジェンダー)

になる。「:」以降は今一般に、どんな呼び名で呼ばれてるかということで、これを見ると名が付けられてるのは全体的に半分くらい?ただ、バイセクシャルの場合、パンセクシャルもこれに当たるので、バイセクシャル、パンセクシャルの場合は割と名付けられてるって感じかな。

ただ実際に

FtM(ジェンダー(違和))ヘテロ(身体)
FtM(ジェンダー)ヘテロ(ジェンダー)

このような場合(頭では自分は女だと思っていて、でもジェンダーは男性だと思っている人)が有り得ても、性自認はでは身体の方を取るのか、ジェンダーの方を取るのか分からないので、その人の性自認はどうなるのか本人にしか分からないという場合もある。

MtF(ジェンダー(違和))ヘテロ(身体)
MtF(ジェンダー)ヘテロ(ジェンダー)
FtM(ジェンダー)ゲイ(身体)
FtM(ジェンダー)ゲイ(ジェンダー)
MtF(ジェンダー)レズビアン(身体)
MtF(ジェンダー)レズビアン(ジェンダー)

以上の場合も同じだ。

そして例えば

MtX(身体)ヘテロ(身体)
MtX(身体)ヘテロ(ジェンダー)

のような場合は有り得ないということで除外した。「自分はどういう人が好きになるか」は分かっても、性自認は他人と自分の対象的な関係ということになるので、自分が(身体的に)Xジェンダーだと相手のことをどうみていいのか分からないんだよね。

ってことで一口に「性の多様性」とか言ってるけど、実際に考えてみるとちょっとしたことを付け加えるだけでこんなにたくさんの種類になるのだ。もちろん、概念は「身体違和」「ジェンダー違和」「身体を好きになるか」「ジェンダーを好きになるか」だけじゃないだろうから、そういうことを考えると本当に性は多様性だなって思うのだ。

なんて、自分のことを考えていたつもりが、最終的には「性の多様性」に行き着いてしまった。
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03-19 Mon , 2012
グレーゾーン
いつ頃からかはあんまり記憶にないんだけど、最近三ツ矢雄二がテレビに出るたびにさー「三ツ矢雄二 カミングアウト」で検索がドバッと来て、そんでわたしが2008年8月27日に書いた「'80年代のアニメ界って」って記事が引っかかるみたいなのね。

というか、わたしは逆にテレビ、特に民放は全くと言って見てないから、なんで突然「三ツ矢雄二 カミングアウト」で検索がたくさん来るんだろう?って思ってたんだよね。そしたらなんか最近、オネエタレントの一人(?)として、三ツ矢雄二が結構テレビに出てるらしいね。わたしなんかは逆に検索結果で「あ、また三ツ矢雄二テレビに出たんだ」って知るくらいでさ(笑)

だけど、わたしは彼がテレビに出てるところは全く見たことないんだが、、というか、わたしが「アニメトピア」を聴いてたのは中学2年から3年に掛けてで、それから約30年経ってるんだよね、もう。あの頃14、5歳だったわたしが既に43歳だよ。三ツ矢雄二は60近いはずだよね。それでなんかちょっと、、見るのが怖い(笑)っていうか、よく考えたらわたしは「動いてる三ツ矢雄二」は見たことないんだった(笑)アニメで声当ててるときか、ラジオで話してるときか、あとは写真でしか見たことない。だからかな、見るのが怖いのは。

んで、てっきりわたしは彼は今もゲイと公言してて、そんでオネエやってんだと思ってた。最近出てくる「オネエ系」と呼ばれている人たちはまぁゲイとかゲイの女装家とか性同一性障害の人がごっちゃにされてるらしいのは知っていて、折に触れ「ゲイはオネエだけじゃない」って言ってたけど、三ツ矢雄二は別。だって、中学んとき、あんだけ「オカマ」を連呼し、男探ししてて、オネエ言葉バリバリでしゃべってたんだもん。だからわたしの中の認識はとっくの昔から「三ツ矢雄二=ゲイでオネエ」なわけ。

だけど、ネットでぐぐってたら、彼、今は「グレーゾーンです」って言ってるんだってね。そうなんだ。まぁ、わたしはテレビを見てないので、オネエ丸出しでそう言ってるのか、それとも真面目に言ってるのか、それは分かんない。けど、あー、そうなんだ、彼の今のスタンスはそうなんだって知って、まぁちょっと寂しくも思ったけど、そうなんだって思うことにした。だってカミングアウトなんて自己申告じゃん。しかもかつては「オカマ」を公言してたかも知れないけど、もしかしたら本人は今はそうじゃないかも知れない。あれから30年も経っちゃったんだもん。性的指向にもゆらぎはあるからね。「グレーゾーン」にはいろんな解釈の仕方があって「本当はゲイだけど言いたくない」から「自分自身分かんなくなっちゃった」「本当はノンケだけど言いたくない」まで、すべて考えられる。でもその中で「言いたくない」のだけは共通してると思う。言いたくないんだったら、それ以上追及する必要はなく「グレーゾーン」を信じるしかあるまい。

あと三ツ矢雄二のブログも読んだけど、そこでは特にオネエ言葉使ってるわけじゃないし、男好きとも書いてない。だから「あの頃の三ツ矢雄二とはもう違うんだなー」って思うしかない。「あの頃」が大好きだっただけに、上にも書いたようにとても寂しいんだけど、それはしょうがないよね。

まぁはっきりと言わない、と言うのは「芸能界における作戦」なのかも知れない。それは考えるけど、でもそれはいくら考えたとしてもわたしには分かるわけないしね。

そういえば「アニメトピアIII」ってアルバムにね、「カルチャーショック・ティーチャー」って曲があるの。その曲の作詞は三ツ矢雄二なの。その曲の歌詞の中にね、

あら、ステキな人ね
まるでコケティッシュ・トッツィギャル
華やか にぎやか ビューティフル
親しくなるには 丸適(まるてき)マーク
(↑このパートは島津冴子が歌ってる)

あら どうも有難う
いつもおどけてフラッパー
カコクでシビアな芸能界
こうしているのがラクチンなの
(↑このパートは三ツ矢雄二が歌ってる)

という歌詞があるんだけど、それを思いだした。彼はあのときオネエでいて、自分を「あたしはオカマよ!」って言ってたことがラクチンだったんだなあと。

いやー、この曲、今でも大好きなんだけどねー。やたら楽しいし、わけ分かんない曲だし(爆)ただあの世界はもうないんだな、って思うとやっぱり正直寂しいよね。

そしてわたしが今思っているのは、わたしが2008年の8月27日に書いた日記で「あー、なんだ、彼はゲイなのか」って思わないで欲しいなということ。確かに30年前のあの時点ではああいうこと言ってたし、オネエ言葉バリバリでしゃべってたのは事実。だからといって、今もそうかというと、本人が言わない限りは決してそうじゃないってことだ。例え彼が今もオネエ言葉バリバリでしゃべってたとしても、それがゲイだとは限らないし、カミングアウトするしないは本人の自由だし、今はしてないんだから「ゲイとは言えない」という認識をすべきだろう。それに「疑惑」だのなんだの、ってのは、わたしはあんまり好きじゃない。たとえそれをウリにしてて人気が出てるにしてもね。

ま、わたしは30年前の三ツ矢雄二しか知らなくて、今はどういう言ってるのかを最近知って「ああ、そんなら」と思って書いてみたわけだけど。そりゃさ、彼がゲイだったら嬉しいなって気持ちはあるよ、当然。だけどそうじゃないんだったら、そうじゃないって認識変えないとね。カミングアウトっていうのはそれだけ個人が尊重されなくちゃならない繊細な話なのだ。
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03-17 Sat , 2012
女同士のセックス
だいたい毎日のようにタイトルのような「女同士のセックス」だの「女どうし セックス」「女同士 SEX」「女同士 セックス やり方」だのっていう言葉で検索にひっかかってるんだけど、こういう検索用語で来る人って、当事者なのか、それともレズビアンのセックスに興味があるノンケ(異性愛)男性(もしかしたら女性)なのか、そこのところまではわたしにはよく分からない。でも多分後者の方が多いんだろうなって気がする。

後者だと仮定するとすれば、なんでそんなものに興味があるのかって思う。まぁいわゆるAVの中でも「レズもの」という分野はあるので、そういうのが好きな人がいるんだってことは分かってるけどね。

言っておくけど、確かにこのブログの中にはSEXについての記述はたくさんしてる。HIV/AIDSのことだっていろいろ書いているし。けど、悪いけど「わたしと彼女」に関するSEXの記述はない。まあ中にはレズビアンのブログを書いてる人の中にはどうやってSEXしてるかを書いてるのもあるかも知れない。それはそれで個人の自由だから別に構わないと思う。けど、わたしはそういうのは公表するつもりはない。

だいたい、そういうものは二人の関係であって、二人が話し合ってやればいいこと。それに尽きる。別に自分がどこを感じるかなんて、SEXをする相手に把握してもらえばいいことでしょ。これ読んでる人には関係ないことじゃん。そしてこれはノンケのSEXにも当てはまると思うけど、百人いたら百人、みな、感じるところが違うってことだ。これは別に女だけじゃなくて男も当てはまんじゃないの?わたし、男じゃないからよく分からんけど。だから、レズビアンのSEXもノンケのSEXも基本的にはそんなに違わないと思ってる。だけどノンケカップルでSEXのやり方について二人で話し合って決めるってのはあんまり聞いたことがない。むしろAV見て勘違いしたノンケ男が女性に対して顔射してSEXは終わると思ってる、みたいな話を聞く。AVはあくまでもAVであって、あれは女は演技してるんだからね(男の方も多分演技してると思うけど)。多分最初からヒーヒー声を挙げたりはしないと思うよ、身体のつくりから言って。

それと同じくAVのいわゆる「レズもの」でされてる行為がそのままレズビアンのSEXかというと、これまた全然違うとわたしは思ってる。わたしもいくつかの日本の「レズもの」AVを見たけど、どれもあんまり好きじゃなかった。やたら長たらしいキスシーンとかさ。唾液交換とかさ。悪いけど見てて「気持ちわり~」ってわたしなんか思っちゃうね。AVは「見せ物」と思ってるんだけど、あんなに延々とキスシーン見せられて面白いのかね?わたしはキスシーンはつまんないんで飛ばしてる(爆)あとやってる人の爪がやたらと長いのが気になる。爪長くしたままやってるなんて、やられてる人のことをなんも考えてない証拠。

「レズもの」AVで決定的なのは「それじゃ全然気持ちよくないよね」と感じられることだ。演技してるのが丸わかり。だから正直楽しめない。もしかしたらこれはノンケもののAVでも同じなのかも知れないが、ノンケものを見る趣味はわたしにはないので、何とも言えない。あとディルド使ったAVは「男根主義」そのものだと思う。だいたいディルド擦ったり吸われたりしても気持ちいいわけないじゃん(笑)ディルド擦って「イク姿」なんて、ホント「見せ物」だなって思う。そういうのが男の幻想なんだろうか?ディルドなんてただの道具に過ぎないのに。ああいうところで「男根主義」を見せられると逆にこっちは萎える。ので、道具を使いたくないレズビアンは少なからずいるんだろうね。レズビアンのSEXには「男」を感じさせる部分は不要なんだからさ、というかあったらイヤだし(笑)

ってわけで「レズものAV」でやってる行為と実際のレズビアンSEXって多分全然違うと思う。それに実際やってるのを見たとしても、それはつまんないと思うよ(笑)だって「人に見せるためのSEX」じゃないからさ。AVは「人に見せるためのSEX」でしょ。それはノンケのAVと実際ノンケのやってるSEXが違うのと同じだよね、多分(両方とも見たことないけど)。

とにかくわたしはとにかくSEXは相手と話し合ってやるものだと思ってるので、感じないときは感じないと言う(しかしノンケのSEXで女が「感じない」というと男は傷つくそうだが、なんじゃそりゃって感じ)。本来はノンケ女の方も恥ずかしがらずに感じないときは感じない、そしてどこをどういう風にされたら自分は気持ちが良いのかというのをSEXをやる相手に伝える必要があると思う。そこを言わずに男性主導だから、女性の方はあんまりSEXが楽しくないとかできればやりたくないとか義務感でやってるって思っちゃうと思うんだよね。あともしかしたら「自分は何をされたら気持ちが良いのか分かんない」って思ってるノンケ女はもしかしたら予想する以上にたくさんいるかも知れない。もうね、それを知るためには自分の身体をよく知りなさい、としか言いようがないです(笑)日本の性教育は「卵子と精子が、、」って話ばっかで、肝心のSEXのこととか、自分の身体についてとかのことについては教えてくれない。でも本当に重要なのはそこだと思うんだよね、わたし。だってノンケのSEXだって目的は「子供を作るため」が全部じゃないでしょ。お互い「抱き合いたいな」って思うからSEXするんでしょ?だったら「もっと自分の身体についてよく知ること」をなんで教育しないんだって思う。自分の身体がどこをどうされると気持ちがよくなるのか、ということを知る、ということは、自分の身体が大切に思うってことと同じことなんだよ。それが頭の硬い教育委員会とかそこら辺の人たちは「SEXは恥ずかしいことだから教えるな」ってことになって、結局、日本人は自分の身体のどこをどうされると気持ちがよくなるのかも分からず、AVばっか見て結果的には男も女も自分の身体を大切にしないことになる。これって間違ってるんじゃないのって思う。

「自分の身体を知ること」って要するに自慰行為のことだけどね。これはとても重要なことだとわたしは思ってる。それをすることによって自分はどうされると気持ちが良いのかってことが分かるから。

あ、でもね。一つ別なことで大切なことがある。それは「自分の身体をどこをどうやっても気持ちいいと感じない」とか「自分でやると気持ちいいって感じるけど、人には触って欲しくない」って人も中にはいること。それを知ることも大切なことだ。自分の身体を知るという意味においてもね。そういう人は必ずいるし、それは特別異常なことじゃない。だからもし自分の身体を触ってみて「あんまりいい気持ちはしないなあ」と思ったら、それはそういう人間なんだって、それを認めること。決して「感じないから」って悩む必要はないからね。それに「感じるように努力する必要」もない。そういう身体なんだって、自分で自分を認めてあげてください。そういう人でも決してSEXができないんじゃなく、それを理解してくれる人がいればいい。それはそれで難しいことかも知れない。けど、きっと見つかると思うし、それ以前に「自分は人とSEXしたくない」って思うなら、それはそれでいい。SEXにはいろんなやり方がある。穴に棒を突っ込むだけがSEXじゃない。「どうやったら気持ちが良くなれるか」がSEXだから。それは身体で感じなくても心が気持ちよければそれでいいとわたしは思っている。

以上はノンケ男性(女性)に向かって書いたものだけれど、当事者にも当てはまることだと思ってる。まずは自分がどうされると気持ちが良いのか、それを知ること。そしてそれをSEXをする相手にちゃんと伝えること。それが一番大事なことだと思う。あと、SEXの話をするときは、必ずセーファーセックスのことも考えないといけないんだけど、ノンケのSEXもゲイのSEXもレズビアンのSEXもこれに分類できない人たちのSEXについても、セーファーセックスはちゃんとすること。まぁセーファーセックスと一口に言っても、やり方はいろいろあって、ここでは長くなるから説明しないけどね。でも特にノンケやゲイのSEXに関しては「コンドーム」を使うことは重要だ。ここでも「コンドーム付けて」と言ったら嫌われるとか、気持ちよくないからって言って断わられるとか、いろいろあるけれども、自分の身体を守るのは自分だからね。

もし生でやりたいのならば、まずお互い3ヶ月は誰ともSEXしないこと。HIVの抗体ができるのは最後のSEXをして3ヶ月、と言われている。この間にHIV/AIDS検査をしても抗体ができてないからはっきりとした結果は出て来ない。だから、3ヶ月間は待って、それからHIV/AIDS検査をする。そしてお互いに陰性だったら、生でして下さい。でもそれには条件がある。「特定の(検査をした)相手としかSEXしない」ことをお互いに約束すること。そうしなければ、感染の危険性が出てきてしまうからだ。ただこれはお互いが本当にお互いを信用できるか、という問題点も孕んでいる。「浮気はしてない」「遊んでない」と言っていても本当にそれが信用できるか。それはあなたとその相手の問題なので、そこのところはよく考えて下さい。

あと当事者の中では道具を使うかどうか、考えてる人たちもいるかも知れない。ノンケ男性(女性)はレズビアンのSEXに道具を使うかどうか、興味津々って人たちもいるかも知れない。答えは「使いたかったら使えばいい」。これもノンケのSEXと変わらない。ノンケだってレズビアンだって道具を使いたい人もいれば、使いたくないって人もいる。それはSEXをする相手と話し合って興味があれば使ってみればいいし、なければ使わなくてもいい。ただ、レズビアンの中には道具を使うことに対して、非常に毛嫌いしてる人たちがいるのも知ってる。それは上にも書いたけど、やっぱAVでは必ずと言っていいほど道具が出てくるからね。。あれを見て「レズビアンのSEXは道具を使うって思われてるからヤだ」って思う人もやっぱいると思う。あと、特に電マを使ってるのを見てると「ホントに気持ちいいって感じてるんだろうか」って思っちゃうのも確か。どちらかというとすごく痛々しく思えてしまうから。だけど、上にも書いたようにSEXは人に見せるものじゃない。相手と一緒にやるもの。だから興味があれば使ってみればいいし、それに道具は電マだけじゃないしね。ディルド(いわゆる「ペニスバンド」とか「ペニバン」って一般には言われてるヤツ)もあるしね。バイブとかローターもあるしね。ただ、またセーファーセックスの話になるけど、できれば道具に関しては共有して使わない方がいい。共有して使うのなら、コンドームをちゃんと付けること。

「そんなのどこで手に入るの?」って思ってる当事者、別にノンケ男性でも女性でも構わないけど、わたしは「ラブピースクラブ」をお勧めする。ここは女性なら誰でもお店に行けるし、男性は確か女性同伴じゃないとダメだったと思うけど、取り敢えずは行ける。ノンケカップルでもさ、レズビアンカップルでもさ、二人が「これ、ちょっと使ってみたいなー」「こっちはどうかなー」とか話し合いながら、道具を選んでる姿ってなんか素敵じゃない?残念ながら地方に住んでて「行けない」って人は通販使うしかないけど。ここの商品は女の人たちが、女の人のことを考えて売られてるものだから、女の人はすごく安心できると思う。それに本当に多種多様なものを売ってるしね。

ってわけで、果たして「女同士のセックス」で検索掛けて来た人がここまで読むかどうかは知らんが(爆)、取り敢えずはわたしが思っていることを書いてみた。
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01-21 Sat , 2012
踏んでいる足、踏まれている足
人間誰しも他人の足を踏んでいるし、また踏まれていると思う。

しかし、踏まれて痛い思いをしている人が「痛い!」とわざわざ声を挙げなければならないのはなぜだろう。足を踏まれていることだけでさえ苦痛なのに。苦痛であることに加えて更に踏んでいる側になぜ「痛い理由」を説明しなければならないのだろう。

「なぜ同性愛者は同性を好きになるの?」「在日であることでつらかったことは?それをどうやって乗り越えたの?」「なんで女性専用車両なんかあるの?」「うつ病って単に怠け病だよね?」,etc.etc..

「相手の身になって考えろ」とは言わない。その人が持っている「本当の痛み」はその人でないと分からないと思うから。

ただ「なぜ自分は足を『踏んでいる側』の人間なんだろう」ということについては考えて欲しい。「足を踏んでいる」ということはどういうことなのか、それを考えて欲しい。

それを考えた上で、踏まれている人に接して欲しい。

そういうわたしだって、もちろん足を踏んだり踏まれたりしている人間だ。いくら「足を踏んでいる」ことについて考えても、分からないことがある。しかしそう考えることによって、少なくとも無自覚にずげずげと更に相手の足を踏みつけることのないよう、気をつけたいと思っているのだ。
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12-30 Fri , 2011
年末ですね
といえども、なんか忙しくて全然年の瀬の雰囲気してないんですけど(苦笑)
ホントにあと少しで今年が終わるのだろうか。

ここで少し見ていただきたいYou Tubeがあります。もしかすると既にご存じかも知れません。一昨日、twitterでものすごく話題になったので。しかし、見て気分が悪くなる人もいるかも知れないので、絶対に見ろとは言わないですけど。。実際にわたしも見たのは1回だけです。かなりショックでした。



わたしはこれに関しては直接の「当事者」ではありません。でも、twitterでトランスジェンダー当事者が「自分は偽物なのか」「いらない人間なのか」とものすごく傷つき、悲しんでいるのを見て、涙が出て止まりませんでした。嘆いている人に対して何もできない自分が歯がゆくて仕方がありません(それは今もそう思ってます)。

しかし一方「これのどこが差別なの?」とか「表現の自由があるだろ」とか「この程度でなに騒いでんの?」という声もたくさんあります(You Tubeに付いているコメントでそれは分かります)。しかし「表現の自由」はあっても、弱者を笑いものにしてはならないと思います。笑いものにするのなら、強い、権力のある人に対してするべきだと思います。権力のある人は傷つかない。わたしは日本に住む日本人というだけで、この日本では多大な権力を持っています。そして日本で「日本人である」ということに対して笑いものにされても一向に傷つきません。しかし性的少数者であることに対して笑いものにされると怒りが湧き、傷つきます。同じ人間でも自分の中にいろいろな面があります。強者は絶対的強者ではないし、弱者も絶対的弱者ということはありません。ただ、弱い部分を笑いものにしてはならない。弱者は日常の生活でも傷つき我慢を強いられているのに、笑いものにされたとき「その程度のことは我慢しろ」というのは拷問に等しい。そしてなぜ弱者が「悲しい」「傷ついた」「我慢できない」と声を挙げてはならないのでしょうか。笑いものにされるだけで傷ついているのに、更に声を挙げると非難される。声を挙げた弱者は二重に傷ついています。

また、昨日、一昨日の騒ぎ(?)から、ネットニュースにもなりました。

「銀のさら」CMが「ひどい」とTwitterで話題に
http://news.livedoor.com/article/detail/6157161/

この中に「Web限定CM」とありますが、もう少し短いバージョンが実際のテレビで流されているらしいです。うち、民放見ないんで、今まで見たことがなかったのですが。しかしここについているコメントもひどいもので。これが「世間」なのかなと思うとトランスジェンダー当事者がどんなに生きづらい世の中なのか、ということが容易に想像できます。ま、同性愛者もそれなりに生きづらい世の中ではあるのですけれどね。「世間」ではトランスも同性愛者も一緒くたにされている現状もありますから。

その現状を踏まえた上で、ひどい、何かしたいと思われるのなら、今、いくつか方法が考えられます。

・このYou Tubeを「低評価」する
・You Tubeのアカウントを持っていたら、コメントを書く
・この「銀のさら」を運営している株式会社レストラン・エクスプレスのウェブサイトから抗議する(http://www.restaurantexpress.co.jp/inquiry/index.html
・このことに対して抗議行動をしようとしているレインボー・アクションが意見を募集しているのでそこに意見を送る(http://blog.rainbowaction.net/ra/me/2011/12/1082

もちろん、わたしも全部やったわけではありません。できる人が、できることをして欲しいと思っています。やりたくないのなら別にやらなくてもいいし。

ただ、このようなことがあると知って欲しいと思い、いろいろ書きました。

石原都知事の同性愛者差別発言のときはモロに当事者だったので、悲しみよりも怒りの感情が強く「どうにかしてやる!」と思ったものでしたが、今回はこれで傷つき嘆いている人の気持ちを考えると悲しくて「何もできない自分」が情けなくて仕方ないです。感情って不思議なものですよね。。
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09-09 Fri , 2011
「あさイチ」の同性愛者謝罪について
最近毎日、NHKの朝8時半から始まる「あさイチ」という番組を見ている。

というのは、その前のドラマ「おひさま」を見てるからなんだよねえ~(笑)この「おひさま」、始まった頃は昼の再放送を見てたんだけど、先月の終わり辺りから朝起きてみるようになった。で、続けてNHKを見てると、この「あさイチ」も自動的に見る、ということになってるわけ。

昨日は旅行特集だったのかな?小笠原村が紹介されてた。その中でね、視聴者から「旅行にまつわる『しまった』と思ったこと」の経験談を募集したんだよね。で、わたしはその番組、本編はなかなか面白かったので、彼女と二人で「行ってみたいねえ」とかなんとか言いつつ見てたんだけど、それが一息ついたところでテレビは付けっぱなしにして、自分の部屋に行って、PCを触ってた。

その番組の最後の最後、本当に最後の方だったんだけど、テレビから聞こえてきたのはある男性視聴者からの投稿で、その内容は「旅行の前日に、一緒に行くはずだった女性に『行けなくなった』と断わられたので、必死になって代わりに行く人を探したのだが、一緒に行った人はオカマだった」というものだった。わたしはそれを聞いて「は?」って思った。テレビの前にいなかったので、そのとき、スタジオの様子がどうだったのかはわたしは知らない。けど、この投稿のどこが「しまった」なのか、どこが面白くて紹介されたのかがわたしにはよく分からなかったし、一体、これを選んだ人は何を思ってこの投稿を紹介したんだろう?って思った。あとは「オカマ」って言葉を使ったのも嫌な気持ちにさせられた。だって、その投稿からして、決していい意味で使ってるとは思えなかったから。というか、まずテレビで「オカマ」というと、侮蔑や嘲笑の対象になるってことは自明なわけで、それをNHKがやっちゃうってことは、わたしからすると信じられないというか。

ま、でも、わたしとしては一瞬、そう思っただけで、特段、何をするわけでもなかった。

そしたらそしたら。

今日の「あさイチ」は、おひさまの陽子のダンナである和成役の人がゲストで出てくるからって、これはちょっと楽しみにして最後まで見てたんだけど。これまた番組の最後、視聴者からのメッセージを紹介するコーナーの一番最初で有働アナが「昨日、番組の中で同性愛者に対して不快にさせる内容がありましたが、お詫びします」みたいなことをサッと言及したから、これまたびっくり。

最初に思ったのが「あ、あれに対して抗議した人がいたんだ」ってこと。やっぱりあれを聞いて嫌だなあって思った人がわたしの他にいたんだってことがちょっと嬉しかった。でも二番目にね、「なんで同性愛者なんだろう?」って思ったの。だって、昨日の投稿内容は「オカマ」だったんだよ。同性愛者なんて一言も言ってない。なのに知らないうちに「同性愛者」になってる。あ、やっぱりテレビってのは「オカマ=同性愛者」なんだ、って、なんか目の前をガーンって殴りつけられたような気がした。まーこの際、同性愛者は男性だけじゃない、なんてことはわたしは言わない。もちろんそこで「女性同性愛者は本当に目に見えない存在なんだ」ってことに対してショックを受ける、ってこともあるだろうけど、わたしはそこはなんかもう諦めてるというか、あーまたかって感じで特になんにも思わなかった。

オカマ、って言葉はすごくビミョーだ。いや、ビミョーだとわたしは思っている。「オカマ」呼ばわりされたとしても、それは同性愛者を意味しないってわたしは思ってるから。「オカマ」って仕草が女っぽいっていう意味で使われているから、例えば異性愛者だってそう呼ばれたことのある人だっているだろうし、逆にトランスジェンダーや性同一性障害の人だっているだろう。少なくともわたしの中で「オカマ」ってのは、そういう認識だった。

けど、今回のことは完全に「オカマ」=「同性愛者」だった。今日の番組の謝罪の中で「同性愛者」って言葉を使ったのは、一種のPC(ポリティカルコレクトネス)だったんだろうと思う。けど、それは却って事態を悪化させたようにしかわたしには思えない。それは言い換えの効く言葉ではないからだ。あの謝罪によって却って「同性愛者」を傷つけた。わたしはそう思うし、実際、わたしは今日の謝罪で何とも言えない不快な気分を覚えた。なんというか「オカマ」って言っちゃいけない言葉、みたいな。そういう認識をNHKが持っているのが分かったというか。

確かにテレビ番組の謝罪、というのは一体何に対して謝罪してるのか分からないことが非常に多い。「先ほどの番組中、不適切な発言がありましたことをお詫びします」という「謝罪」がよくあるからだ。今回は「オカマ」を「同性愛者」に言い換えちゃったから、わけが分からなくなった。今日のあのお詫びを聞いて「あれ、昨日そんなことあったかなぁ?」って思った人も多分多かったと思う。ま、大抵の人は「オカマ」なんて聞いても聞き流しちゃってるから、最初から分からないかな、、

で、内容なんだけど、今回の謝罪はね「不適切な発言」という言葉ではなかった。実は一言一句明確に覚えているわけではないけれど、わたしは「オカマ」という言葉についての表現について「不適切だった」という「お詫び」には聞こえなかった。だったらなおさら「同性愛者」なんて言葉は使わず「オカマという言葉に対して不愉快な思いをした人に謝ります」でよかったんじゃないかと思うんだよね。「同性愛者」で括られたんで、びっくりしちゃったというかね。あら、わたしも入るのかしら、とかね。まぁ、わたしも「オカマ」という言葉に不愉快な思いをした人には違いないので、両方入ると言えば入るのだけれどもね。

まぁなんで「同性愛者」ってわざわざ言い換えたのかなぁ。。全然PCになってない!!!

そうそう、この一連のことをtwitterでつぶやいたのだが、そのリプライで「もしかしたらその男性は旅行中に女性とセックスするつもりだったのでは?だから、女性から断わられてもまた次の女性を探したのかも」というのがあった。わたしはそれを読んで「あー、なるほど」って始めて思ったよ。あの「オカマでした」って言うのが、どういう意味だったのか、なんでそれで「しまった」なのか、わたしは全然分からなかったから、「なんでこんな面白くもない投稿が選ばれたんだろう?」って思ってた。けど、そういうことだったら分かる。分かるけど、、それって「しまった」と思うことなんだろうかってやっぱり思う。「しまった」って思うことが当たり前のことなんだろうかって思う。それもわざわざテレビで内容を紹介するような「しまった」なのかって。

やっぱり「オカマ」はバカにされる存在なんだろうか。同性愛者も同じなんだろうか?

わたしはね、もう長いことNHKしか見てないけども(あ、野球中継は別)、NHK、アンタもだったのか、って言いたい気分だよ。
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08-24 Wed , 2011
フォションのレインボーエクレア
P1010931.jpg   P1010932.jpg


先日、twitterで「FAUCHON(フォション)でレインボーエクレアというものがゲイプライド期間限定ものとして8月末まで売っていて、これは、LGBT仕様の『レインボー』だということを店員さんに聞いてみたんだけどちゃんと知ってた」みたいなツイートが流れてきたので、月曜に病院に行った帰りに新宿高島屋のフォションに行って買ってきた。

わたしが行ったときは既に1つしかなくて、あと、別に店員さんわざわざ「これ、ゲイプライドを記念してのことですか」とかなんとか聞くのもめんどくさいなと思ったので(その店員さん、もしかしたら何度も聞かれてるかも知れないし、、)なんにも聞かずにただ「ください」と言って買ってきた。

家に帰って彼女と二人で半分に分けて食べたんだけど、クリームはなんだかブルーベリー味のような感じ?だけどクリーム自体は紫色じゃないから、なんだかよく分かんない。なんというか、、ちょっとビミョーな味だった。あと、外観が結構毒々しく見えるんだよね~(苦笑)なんか、食べ物じゃないみたい。

ただ、「フォション レインボーエクレア」でぐぐると結構出てくるのね。説明は「ポップなエクレア」ってことになってて、そこには「ゲイプライド」だの「LGBT」だのって言葉は一つも出てこなかったけれども。そこはなんというか、ちょっとは宣伝して欲しかったかなって思う。だってこれじゃあ「知る人ぞ知る」商品、ってことだもんねー。せっかくそういうコンセプトが根底にあってできた商品なんだから、それを正しく伝えて欲しかった。一般の人にも「6色のレインボーはこういう意味もあるんだよ」って知って欲しかった。

ちなみにフォションは新宿とか名古屋、あとどこだっけ、忘れたけど、数カ所ある高島屋の中にあるってことだった。8月末までだから、あと1週間もないけれどね。来年も同じ期間中にまた出てくるのかなぁ?

こういうものがどんどん出てくるといいな、という願いを込めて。
23:39 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
12-17 Fri , 2010
石原都知事の発言に対して何かしたい人の会はここまで進んでます
自称?仮称?「石原都知事の発言に対して何かしたい人の会」は、15日にakaboshiさんと会って、取り敢えずは以下のチームに分かれて、それぞれ連携しつつ行動していこうということになりました。

●東京都議会ロビイングチーム
都議会で何をお願いするか、議員は誰から接触すればいいかなどを調査し、実際にロビイングするチーム。

●請願・陳情チーム
請願・陳情の仕方を調べてブログに紹介するための文章を考えるチーム。

●集会・シンポジウムチーム
マスコミに注目してもらうためにシンポジウムを開催するチーム。

●デモの可能性を探るチーム
文字通り、デモの可能性を探るチーム。

●外圧チーム
パリ市長やベルリン市長に送るメールの文案を考えるチーム。

●メディア投書チーム
本や雑誌などのメディアの投書場所を探して投書するチーム。

●ブログ管理チーム
ブログを管理するチーム。
ブログの体裁を整えたり、ブログへの投稿を行なう。

●メール担当チーム
ブログから投書されたメールを管理し、対応するチーム。
外国語で来たメールに対しては、翻訳チームに回し、解読して対応する。

●翻訳チーム
ブログの文章を英語(他の言語ができれば尚可)に訳すことや、
外国から来たメールを翻訳するチーム。

●twitterチーム
ブログの最新情報がアップされたり、情報を広げたいことがあったら自由にツイートするチーム。

今、大々的に(?)このチームへの参加者を募集してます。

遠方の人からの問い合わせも今、割と来てるわけだけど、遠方の人には「請願・陳情」チームがオススメ。月曜日の上川さんの話によると、請願とか陳情って各議会によって扱いが異なっているらしい。請願は憲法に保障された権利で、日本人以外でも未成年にも誰にでも「請願権」は持っていて、誰でも請願できるんだけど、議員の署名が必要なんだって。それに対して陳情は議員の署名は必要じゃないんだけど、議会によってはただ素通りされてしまう可能性があるという。だから、その扱いに関する情報を集めてブログ上で情報共有しましょう、ということなのね。請願や陳情の文面は各個人で考えて書いてもらうとして、まずは請願や陳情をどういった方法でやればいいのかを地方の人を含め、調査してみたいと思っているので、遠方の人、よろしくお願いします!

で、この件に関してはこれ専用に一つメアドを作りました。

ishiharakougi@gmail.com

もし「このチームでやってみたい」という人がいれば、ここ宛てにメール下さい。締め切りは一応、18日(土)24時までになってます。実は既に一回締め切ったんだけど、ちょっと手薄な部分があったので、再度募集してるのね。今のところの募集状況は以下のとおりになってます。

ロビイング:7名
請願・陳情:6名
集会、シンポジウム:8名
デモの可能性を探る:6名
外圧:3名
メディア投書チーム:6名
ブログ:5名
メール:5名
翻訳:5名
twitter:16名

そしてこれを受けて、20日(月)の19時から21時45分まで、中野ZEROにて顔合わせを行なう予定。ここでは荒く各チームの役割(今わたしが考えてるところのね。でもそれはやってるうちに変わってきてもいいの)とか、チーム間での連携がおそらく必要なのでそういう話とか、あとは各チームで集まってもらって、どういう人が同じチームなのかだとか、まぁまずは何から考えたらいいのかだとかを話し合ってもらう予定。

てなわけで、少しずつ動き出してるわけなんだけど、正直怖い気もするのね。でも、別にわたしとakaboshiさん二人でやるわけじゃない、チームに分かれたらそのチームの好きなようにして欲しいと思うので、取り敢えずはチームが動くまでは面倒はみなきゃいけない責任は感じるけど、あとは適当にやってもらおうって思ってます(笑)

よろしくお願いします!
20:26 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
12-14 Tue , 2010
石原都知事の発言に対してなにかしたい人の会が開催されました
近いうちにakaboshiさんとこで、昨日やった会の一部がYou Tube公開されると思うけど、ひとまずは報告とお礼を兼ねて、日記を書こうと思う。

昨日、パフスペースで行なわれた自称?仮称?「石原都知事の発言に対してなにかしたい人の会」は、40人を越える人たちが集まり、主に石原発言の今までの経緯や上川あやさんのお話を聞き、その後は質問や意見を言い合ったりしました。

上川さんのお話は、主に議会や行政に対してどういうことができるか、ということで、都議会に対して請願や陳情をしてみること、地方に住む人が自分の住んでいる地域の議会に対して働きかけて、国でないとやることが難しい案件に対して(例えば性的少数者の人権を尊重するための具体的な行動計画など)議会から意見書を国に送ってもらうように働きかけてみるとか、姉妹都市であるパリ市長やベルリン市長に訴えかけて東京都の協賛イベントをボイコットさせるとか、まぁだいたいこんな内容だったか。

それに対して、来ている人からの質問や意見もあり、会は2時間の予定だったんだけど2時間じゃ収まる気配はなく、正直なところ、わたしはどうやって意見集約すればいいのか、この動きを次にどうやって持っていけばいいんだろうって実のところすごく困った(苦笑)結局会はテキトーに終わらせたんだけれども(爆)←いいのかそれで

そういう意味ではわたし自身もまだまだ方向性は見えてなくて、これからどうしようという思いは今でも持っている。

終了間際に来て下さった人にアンケートを書いてもらっていろいろと意見をもらったので、それも含めて、akaboshiさんと話し合い、今後の方向性を決めていく予定です。

昨日来て下さったみなさん、本当にありがとうございました。いや、来て下さった人だけでなく来られなかった人たちにも。でもまだまだ始まったばかりだからね!(笑)みんなで頑張りましょ。
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12-10 Fri , 2010
石原発言に対して何かしたいと思っている人、集まりましょう
なんか長たらしいタイトルだね(笑)でも、全くこの通りです。

石原都知事の同性愛者への差別とも取れる発言について、わたしはこれまで法務局に電話したり、都民の声に投書したりしたんだけど、都民の声に投書しても効果が薄い、いやもっというと全然効果がないらしい、ということをakaboshiさんのtwitterでの発言で悟り、今日、たまたまtwitterで見つけたどなたかの発言にびっくりしてしまって、思わずその人に主任さんって法務省のですか?と話しかけてしまったほど。なんとどうやら法務省の方にも全く話が通じてないことが判明。失望やら怒りやらでいろいろと複雑な思いをしてるとこ。

そんな中、何か他に出来ることはないか、ということを考える場があってもいいんじゃないか、ということになり。会を開催することにしました。名付ける必要はないんだけど自称?仮称?「石原都知事の発言に対してなにかしたい人の会」。もしかしたらこれを契機に継続的に集まる可能性はあります。

日時:12月13日(月)
時間:19:00~21:00(予定)
場所:パフスペース

http://www.pafspace.com/…東京メトロ東西線早稲田駅下車、馬場下口(2or3b)より2分。
馬場下町交差点を文学部の方向(左)に曲がり3軒目のビル。
ドコモショップ横の階段を上がり3階。
■地図はこちら
TEL&FAX:03-5991-6117(浜田)

世田谷区議の上川あやさんがいらっしゃる予定。上川さんを交えて「これから自分たちに出来ることはないか」をさぐっていく予定です。

石原発言に対して憤っているんだけど、自分ではどうしようもない人、何か自分でできることはないかと考えている人、どうぞお越し下さい。

また、地方に住んでて残念だけど来れない、だけど、こういういい方法があるんじゃないだろうか、こういうことやってみたい、と思う人はここ宛てにメールくださいませ。
19:24 | 性的少数者に関すること | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
12-08 Wed , 2010
石原発言に抗議しよう
東京都石原知事の発言については、以下のとおり。

------------- ここから -------------
都青少年健全育成条例改正案:PTA団体など、都に成立求め要望書 /東京

◇反対派も会見

 都内のPTA団体などが3日、都青少年健全育成条例改正案の成立を求める要望書を都に提出した。石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。

 要望したのは、都小学校PTA協議会(都小P、加盟248校)▽都私立中学校高等学校父母の会中央連合会(同246校)など5団体。都小Pの新谷珠恵会長が「児童を性的対象にすることが野放し状態。子供を健やかに育てるため、社会の力を借りないと環境整備できない」と説明した。

 一方、学者や評論家らは改正案への反対を訴えて都庁で記者会見した。藤本由香里明治大准教授は「時代物やSF漫画のキャラクターにも現代日本の刑罰を適用するのか。現実とフィクションを区別しない危険な発想だ」と強調した。児童文学者の山中恒さんは「日本の官僚は拡大解釈にたけている」と危惧した。【真野森作】

毎日新聞 2010年12月4日 地方版
------------- ここまで -------------

この記事中の「テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている」という発言が「同性愛者差別ではないか」との意見があったが、それについて更に追い打ちを掛けるような記事が12月8日付け毎日新聞朝刊28面に載った。

------------- ここから -------------
石原都知事:同性愛者「やっぱり足りない感じ」

 東京都の石原慎太郎知事は7日、同性愛者について「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と発言した。石原知事は3日にPTA団体から性的な漫画の規制強化を陳情された際、「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」と述べており、その真意を確認する記者の質問に答えた。

 7日の石原知事は、過去に米・サンフランシスコを視察した際の記憶として、「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」と話した。同性愛者のテレビ出演に関しては、「それをことさら売り物にし、ショーアップして、テレビのどうのこうのにするってのは、外国じゃ例がないね」と改めて言及した。【真野森作】

毎日新聞 2010年12月7日 23時08分(最終更新 12月7日 23時54分)
------------- ここまで -------------

なんということでしょう(爆)あきれてものが言えん。

わたしはこの発言云々、より、東京都知事としての発言、というところに問題があると感じている。折しも今は人権週間(10日まで)で、その中にはきちんと

> 性的指向を理由とする差別をなくそう

と書いてあるのだ(みんなで築こう 人権の世紀―考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心―22年度啓発活動強調事項より)。このページは単なるお題目に過ぎないのか?この事項を掲げている東京都のトップの発言として、このようなことがまかり通っていいのだろうか?

わたしはこの発言が許せなくて、この件に関して抗議をどこにすればいいのかとの問い合わせをするために、法務省人権擁護局の中の「人権相談」窓口である東京法務局に電話をしてみた。

担当者Nという人が対応してくれたが、この発言については全く知らないようだった。そして相談窓口については東京都の都民の声総合窓口、各市町村の行政相談を非常に心許ない感じで教えてくれた。そして、このことについては、法務省の人権擁護部に情報を挙げ、人権擁護部が本当に差別発言があったか、これは差別発言に当たるかを判断し、差別発言となれば、直接石原知事に注意が行くとのことだったが、ま、悲観的な見方かも知れないが、ここまでいくことはまず、ないだろうと考えている(ただし、法務局に電話を掛けて抗議する人の人数が多ければ多いほど問題視されていくとは思う)。

今、ネット上(のごく一部)では、この話で持ちきりだ。しかし、それを一歩越えると、そんな発言はなかったかのような雰囲気で時が過ぎている。確かにこの問題は同性愛者の問題だ、とも言える。しかし、誰かが誰かによって(しかもそれは個人じゃなくて公人だ)こんなにはっきり差別されてもいいのだろうか。こんな発言が許されるだろうか?

この発言に憤りを感じた人は、限られたネット空間ではなく、是非直接抗議して欲しい。いや、抗議じゃなくても意見だけでもいい。真意を問いただすのもいい。「この発言ってあんまりじゃ?」って思う人は声に出して欲しい。わたしはこのことを同性愛者当事者だけではなくそれ以外のマジョリティ、異性愛者にも呼びかける。前の記事にも書いたけど、マジョリティはそれ自体でマイノリティよりも多大な力を持っている。是非、その力を貸して欲しいと思う。

意見先としては、次のものが挙げられる。

東京都都民の声総合窓口(東京都の公式ウェブサイトの右側中央に「都民の声」の中の「都民の声相談窓口)

東京都総務局人権部人権施策推進課 03-5388-2588

東京都民以外で東京都には意見しにくいという人

法務省人権擁護局 人権相談常設相談所 東京法務局 03-5213-1372
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11-14 Sun , 2010
twitterにおけるゲイなどの用語の使われ方について
最近、twitterで「ゲイ」「ホモ」「ビアン」「レズビアン」「同性愛」などと言った言葉で検索を掛けて遊んでいる。これが結構面白い。一体、どのくらいの人がこれらの言葉を使ってツイートしてるんだろう、って思うほど「ゲイ」とか「ホモ」は頻繁にツイートされる。一日にどのくらい?と思って数を数えようとしたが、まともに数えるには数が多すぎてそれは断念。なので30ツイートされるのに何分かかるか、というのを簡易的な物差しにした。なぜ、と言われると、わたしの使ってるiPhoneのEchofonというアプリだとちょうど1つのページの読み込みが30ツイートだからだ。

で、ヒマなときに30ツイートされるのに何分くらいかかってるかを見てみるんだけど、なんと「ホモ」と「ゲイ」は大抵5分以内。「レズビアン」「同性愛」は1時間、「ビアン」は数時間。そんな感じ。

とすると、「ホモ」とか「ゲイ」を使っているツイートって単純計算すると1日になんと8640もあり、10秒に1度は「ホモ」「ゲイ」を使ったツイートをされてるってことになる。

で、言葉の使われ方なんだけど、確かに「ゲイ」に比べて「ホモ」は差別的な感じで使われている感じ、、もするが、でも実際思ってたよりはホモフォビアな発言は少ない。単に「ゲイ」って言葉を知らなくて「ホモ」って使っている感じがする。「ゲイ」だと当事者が発言してる場合が多い。あとは診断メーカーみたいなもの?は割と同性愛ネタが多く(○○さんが同性愛者だと思う人手を挙げなさい、と言ったものなど)、そういう結果が出た人はその結果を喜んでアップするような感じもした。

「レズ」「レズビアン」はエロビデオとかエロ動画とか、そういうのに関係のあるツイートが多い。「ゲイ」でもエロ関係のツイートはあるが、それよりも一般のツイートの方が数が圧倒的の多いので、そんなに多いという感じはしないのと、ゲイのエロ関係はゲイ向け、しかしレズビアンのエロ関係はノンケ男性向け、に思える。まー、レズビアンも見ちゃいけないってことはないだろうが。。

「ビアン」はレズビアン当事者しか使ってないのかと思いきや、そうでない人も割と使っているような感じで、もしかして徐々に「ビアン」という言葉が一般に浸透しているのではないかと思わせられた(中でも自分を「腐」と呼んでいる人が多く使っている感じもする)。

これらのツイートを見てみると「ゲイ/レズビアンの友人がいるのだが」という内容のツイートが思いの外多いのに気づく。まだまだカミングアウトしていないゲイやレズビアンが少ないと言われている日本だが、なかなかどうして、といった感じだ。一方「身の回りにゲイやレズビアンなんていない」とつぶやく人もいる。が、感覚的にはこちらの方が少ない感じがした。また「ゲイとホモはどう違うのか」とか「レズはなんでビアンと呼ばれるのか」といった基本的な質問も多く見られる。

これらの用語をフォビアっぽく使われているのでよく見る例としては「(自分は)同性愛者/ゲイ/レズじゃない」というツイートと、相手に対して「同性愛者/ゲイ/レズなんじゃない?」というツイート。ツイートの前後が分からないので、なぜ突然「同性愛者/ゲイ/レズじゃない」と言いたがるのかはよく分からない。印象としては突然「同性愛者/ゲイ/レズじゃない」と突発的に言っているように見える。また、そういう「嫌悪感」とは別に「レズじゃないけど女の子が気になる」といったツイートもよく見られるが、不思議なことに「ゲイじゃないんだけど男が気になる」というツイートは見たことがない。

ごくごく少数だが「ビアンかも知れない」や「ビアンなんだけど、他の人と出会ったことがない。どうやって出会えばいいのか」等のつぶやきも見られる。しかしゲイで「どうやって出会えばいいのか」というツイートは見たことがない。twitterは、そういう自分のことがまだよく分かっていない人や、まだ自分以外の同性愛者と出会ったことのない人でも気軽に同じような人たちと繋がることが出来る道具だと思う。例えばそこでいろいろな人と「交流」して、情報を仕入れ、自信を付け、一歩踏み出すことも出来るだろう。

以上を総合すると、わたしが想像していた以上に一般の人の口に「ゲイ」などの言葉が上がっているんだな、という気がする。そしてゲイネタ関係のツイートで興味をひきそうなことは一瞬の間に次々とリツイートされて広まっていく。これはとても強力な力になる一方、間違った情報が「常識」となってしまう危険性もある(尤もこのことはなにも「ゲイネタ」だけに限ったものではない)。使い方次第で武器にも刃にもなり得るだろう。また「ホモ」「レズ」という一般的には侮蔑語と呼ばれている言葉でも、そういったニュアンスで使われていることは思ったほどなかった、という印象だった。また、カミングアウトしているゲイやレズビアンも結構いる、という印象も持った。全体的に当初悲観的に思っていた部分というのがほとんどなかったのには少し驚かされた。

以上、ここ一月ほど観察して見た結果を並べてみた。感想はいずれも主観的なものであり、同じものを読んでも全く別の感想を持たれる可能性があることを付け加えておく。
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09-01 Wed , 2010
複雑
昨日の日経新聞の夕刊に同性間のDV(ドメスティック・バイオレンス)に対して地方裁判所が「事実上の婚姻状態」と認めて、相手方に接近禁止命令を出した、というニュースが載っていたらしいが(ただし、この話は2007年のことらしい)。

わたしはこのニュースを知ったときから素直に喜べない。そりゃあ、この件についてはよかったと思うよ、心から。でもDV、ということを抜きにしてただ「同性間の関係が異性愛者の婚姻状態と同じように認められた」ということだけを取りあげるのはちょっと。。って思う。

確かにこの判決が出る、出ないにかかわらず、同性間のDVはあると思うし、この判決が出たからこそ、今、同性間のDVに苦しんでいる状態の人には一筋の光が見えてきた、ってこともあるだろう。それはそれで喜ばしいことだ。

だけどね。わたしみたいな全然関係ないのが「わーっ」って喜ぶのはどうかと思うのよね。「今後、こういう判例が続けば」なんて願うのは以ての外だと思うし。それって「誰か不幸にならないかな~」って願ってるのと同じことなんじゃないかと思うし。

できればDVのない世の中になって欲しい。誰も不幸になって欲しくない。現実にあることを無視して、わたしはそんなことを願う。

けど、現実は違う。今後も同じようなケースが出てくるのは確実だと思う。でもだからといって「裁判起こせ」とは思わない。やむを得ずそこまで行くのなら仕方がないと思うけど。。

ただいずれにせよ、この裁判を起こした人には感謝したいと思う。どういう判決が出るか見通しがない中、勇気を持って裁判を起こしたことに対して「すごい」と思うから。そして、今、平穏で無事な生活を送られていたらいいなあと願わずにはいられない。
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05-10 Mon , 2010
パブコメで意見募集中(5月12日まで)
人づてに知りました。

現在、内閣府が「第3次男女共同参画基本計画策定に向けて(中間整理)」に関して意見を募集してます。この第7分野「高齢者、障害者、外国人など様々な困難を抱える人々が安心して暮らせる環境の整備」の「Ⅱ」(←これ、機種依存文字だからMacの人には別の文字に見えるかも知れないけど、ローマ数字で「2」を表わしてます)の「今後の目標」の中に

また、性的指向(異性愛、同性愛、両性愛)に関して困難を抱えている場合や性同一性障害などを有する人々については、人権尊重の観点からの配慮が必要である。



という文章があるのね。まー、これ読んでなんて思うかは人それぞれだと思います。取り敢えずわたしはその次の「Ⅲ」(←ローマ数字で「3」)の「施策の基本的方向と具体的な取組」の中に、まったく触れられてないのが問題だと思ったんで、それについての具体的な取組をいくつか書いておいたんだけど。

まぁそれ以外に「配慮が必要である」って書いておきながら、具体的な配慮方法についてまったく触れてないってことに腹が立ったりもしたんだけど(笑)てか、配慮、必要なのかなあ?って思うんだよね、わたし。配慮よりも教育とか啓発だろうとわたしは思うのだが。なんか「配慮」のイメージって「腫れ物に触るように扱いましょう」って言われてるようで好かない表現だ。そしてそれで終わってる、ってことは、結局腫れ物に触るように扱われてそれでお終い?みたいな感じもするのね、わたし。

てなわけで、正直、この文言には腹が立ってる(笑)上っ面の表現でしかないし、本当にどうにかしようという思いも伝わってこないって、まぁ、役所の出す文章は往々にしてこんなものだけれどね(笑)

で、これに対するパブリックコメントを書くためには、フォームがあるんだけど、これ、探すの結構大変だったので貼り付けておく。あ、ただこれはあくまでも第7分野に対するフォームなので、それ以外のところへ何か書きたいことがあるんだったら、それは適当に探して下さい(爆)

第7分野へのパブコメフォーム

でもさ、いつも思うんだけれど、こういう性的少数者に関係があるフォームを作るんだったら、性別のところは男女だけでなく「分からない」とか「答えたくない」を増やすべきなんじゃないだろうか、それが「配慮」だろ、と思うわけで(笑)そういうところが全然分かってないよなーと思う。というか、逆にそういうのはこちらから「こうですよ」と教えなければ向こうは気が付かないわけで。ま、向こうが気が付いてないことをこちらが気が付かせてあげましょうというのが、パブリックコメントの役割なのかなと思っている。その割にこういうことは一言も書かなかったりするのだが(笑)

12日まであと数日もないので、何か一言言いたい、という奇特な人は送って下さい(笑)

わたし、最近この手のことはあんまり告知したりしてないし、それ以前に情報が来てたとしても最近は全然自分の目に止まらなかったりするんだけど。そしてこれは今になってやっと知ったことで、そしてやっぱ国の動きに絡んでくることは自分たちの生活に関わってくることだからと思ったんでね。もしかしたらもう散々呼びかけされてるかも知れないけれど、一応自分ところでも呼びかけしておきます。
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12-21 Mon , 2009
来年の卓上カレンダー
いや、来年じゃなく、もう今月から始まってるんですけど(笑)

こないだTOKYO FMに行ったときに受付付近でこれまで出た手記なんかと共に、今年の(12月1日、世界エイズデーから始まった)HIV/AIDS啓発キャンペーン「できる!」の卓上カレンダー2種類が置いてあったので、1種類もらってきた。それがこれ。

P1030875.jpg


左に手記が、真ん中にカレンダーが、そして右に男性が写っている。もう一種類は右の写真が風景になってるヤツだそうだ。って何が嬉しくてこっちの方を選んだというと、大した意味はないんだよね、これが(笑)ただ、ここに載ってる12人の男の人、ある一定の傾向を示しているというか。。ええ、太めの人多いです。ガリはいません。ヒゲ生やしてる人、メガネかけてる人、ちょっと若くないなあ~って感じの人がたくさん。一般的に「イケメン」と言われる人には入らなさそう。。これって、、おそらく「ゲイ受け」するタイプなんでしょうね~。同じ「男好き」でも、ヘテロの女性には受けない感じ。ってことは、ヘテロ女とゲイ男は男の取り合いをしないってことなんだろうか(笑)あ、もちろん、ゲイ受けする男性はゲイ全員に対して受けるわけではなく、ガリが好きなゲイもイケメン好きのゲイもいますけどね~。だから、そういう人が好みのゲイは、このカレンダーもらってもあんまり嬉しくないかも知れない(爆)

というわたしも、自分のタイプとは全然違うので、まー、そういう意味ではあんまり楽しめないわけではあるが←オイ

と言いつつも、これ、卓上カレンダーとしては、結構質がよくて金かかってるなあ~って感じ。これ、ゲイ向けイベントとかMIXイベントで配られるらしいです。

しかし、12月始まりなので、当然11月終わり。うーん、来年も新たなキャンペーンで同じような卓上カレンダーが作られるといいのだが。11月で終わって後はなし、だったらちと悲しい。
23:50 | 性的少数者に関すること | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
11-24 Tue , 2009
改めて、分かったこと
つい数日前に「女同士のセーファーセックス」について書いたんだけれど、しかもその中に

> SEXって2人で模索していくものだと思ってるからさ。

と書きながら、あのときのわたしの頭の中は「だから、セーファーセックスも2人で模索していくもの」という考えがすっぽり抜け落ちてたことに気が付いて、それでちょっと呆然としてたりもするんだけど。

わたしは今までHIV/AIDS関係に関心があったから「セーファーセックス」についてはだいたい人並みの知識は持っていると思ってた。でもさ、それは単なる「知識」に過ぎなくて、本当の「セーファーセックス」については実は考えたことがなかった、という事実に唖然としている。

そういう意味では「今さらながら気が付いた事実」について、ホント、穴があったら入りたいくらいの恥ずかしさを感じてるんだけどさ。なんでこんな簡単なことが頭の中で結びつかなかったのだろう??

過激な言い方になるかも知れないけど、セーファーセックスって必ずしも必要ではない、んだよね。それは別に「性感染症にかかってもいいや!」との思いから危険なSEXをすることではなく、例えば決まり切った相手とSEXをする場合は、お互いが「自分は何の性感染症にも罹っていない」という証明がなされれば、性感染症予防の対策はとらないSEXをしても構わない、ってこと。ただし、性感染症に罹っていないとしても、どういう行為をするかによって、性感染症予防の対策をとらなくてはならないものもあるだろうね。

だから、実はカップルの数だけセーファーセックスの数もあるじゃん、ってことで。その中には「感染の確率を減らす」んじゃなく、「感染の余地はない」という「セーフセックス」もあるだろう。だけどちょっと注意したいのは、HIV感染者の手記でほとんどと言っていいほど出てくる「危険と言うことは分かっててもなんとなく『自分は大丈夫だろう』と思ってSEXしてた挙げ句、感染してしまった」という、これがやっぱ一番怖いだろう。

そういう意味で「セーフセックス」については「本当に大丈夫か?」ということをくどいほど考えなければならないとは思うが、でもどういう場合でも絶対に「セーファーセックス」をしなければいけない、なんてことはないんだよね。。

ただし。女性同士のセーファーセックスについては、やっぱり方法自体確立していないような気がしてならない。どう考えたって「あれで感染が防げるのか?」って自分では思えてきてしまう。だって、今ある「女性同士のセーファーセックスに対する道具」ってのは、デンタルダムと医療用手袋、あとはコンドーム?そのくらいしかないもの。

例えば。レズビアン漫画に絶対と言っていいほど出てくる「貝合わせ」。まー、あれをやってるレズビアンカップルが実際、どの程度いるのかはもちろん知らないよ。やってる人は結構少ないんじゃないかとは思うけど(爆)でもさ、あれを「セーファーセックス」の観点からすると、一体どうやって「セーファーセックス」すればいいわけ?デンタルダム一枚敷いてやるのがまぁ今簡単に思いつく方法だけれど、あれで本当に感染を予防できるのかと言われると、なんだかすごく怪しい感じもするよね~。

逆にクンニリングスしないカップルであれば、ほとんど感染予防の道具はいらない、って言うことだよね。ただ、肛門を使ったSEXをする場合は(肛門を使ったSEXはゲイのSEXと思われがちだが、病気でもしない限り肛門は誰にでもあるので、やろうと思えば誰でも肛門性交は可能なのだ)やっぱり感染予防の道具は必要だよね~とか。

うー、多分、今までわたしがもらったHIV/AIDSの資料の中には「相手ごとに違うセーファーセックス」って出て来たと思うんだ。それを読んでいたはずなのにごっそり頭から抜け落ちてしまってたことが恥ずかしい。

でも、だからといってわたしがこれを書いたのは「性感染予防の道具なんかいらない!」というつもりでは全くないので誤解しないように。わたしが言いたかったのは「SEXと同じようにセーファーセックスも相手と模索していかなければならないものなんだね」ってこと。

このことに気が付かせてくれた人、どうもありがとう!

テーマ:同性愛 - ジャンル:日記

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11-18 Wed , 2009
女性同士のセーファーセックスって
と言うわけで、前回の続き。

いや、実はその日、偶然というか何というか昼間にね「ろんたこ~、LPCってとこからなんか郵便物が来てるよ」って言われてね。「○○さん、それはラブピースクラブからだよ~!」って言ったんだけど、えーと、ラブピースクラブってのは、女性向けアダルトグッズショップのことで、わたしは結構昔から知ってて、お店にも行ったことがある。

というか、去年だったか今年の初めだったかに本郷の今のお店に行ったんだけど、そこは初めてで「あら、わたしが前に行ったのってここと違う店だったわ」と思ってたのね。そうしたら偶然、代表の北原さんがいらっしゃってて、わたし「いやー、わたし、彼女と一回、お店に行ったことあるんですけど、ここじゃないみたいですね~」と話しかけたら「どういうお店でした?」って北原さんに聞かれたんで「えーと、なんかマンションの一室みたいで、確か2階だったような。」と言ったら「それは前の前のお店ですね~」と言われた(笑)そんなに前からお世話になってたんですねえ~(しみじみ)

っていうか、正直、同じ製品をもっと安くネット通販で手に入れることは出来るのだが(ラブピースクラブの価格は正価で一切値引きされていないような気がする)、やっぱりここのはなんか安心できるんだよね~。確かに別のところからも買ったことはあるんだけど(何を?(笑))、なんというか、違うんだよね。送ってくるときの商品の包み方とか、あと諸々のことがね。あとはこれはつくづく感じるんだけど、やっぱ実物を見てから買いたい、というのがある。画像ではやっぱり分からないことが多すぎて、例えば何センチとか書いてあってもピンと来ないのよね。。だもんで、だいたいはサイトを見て「おっ」と思ったものがあったら、直接お店に行って見てから買うと失敗がないという(笑)

あれ。話が逸れた。

というわけで、本来だったらそこで郵便物の中身をわくわくしながら見るはずが(どうせ中身はカタログだろうと言うことは想像付いてたし)、なんせ頭痛だったんでね~、、仕方ないので封も開けずに寝室にパサッと置いたきりにしておいたんだけど。

その時点でもう頭の中が「エロエロ~」くなってたわたしは、「カタログ見るぞー!」てな感じで、封筒をバリバリ開けて、見てみた!うーん、基本はあんまり変わってないはずなんだけど、でも、去年に比べると品揃えが充実してるというか、えーと分野がね。フェティッシュ関係のグッズがとても多くなってたのと、FtM用の商品が去年にも増して増加してた(あら、なんか変な日本語ね)こと、要するに扱う範囲が増えたってことかしら。。んー、わたしが使いたいものとか欲しい!って考えてる分野はあんまり変化なかった、というかちょっとそっち方面(どっち方面?)は種類が少なくなってたような気が。まー、もう新たに買う気は今はしてないのだけどね(爆)

でさぁ。わたしはずっとラブピースクラブの商品の変遷を見てたわけじゃなく、随分間が空いて、去年、またお世話になることになったんだけど、前に比べるとコンドームの種類がとても増えてたのね、というか、前はデンタルダムはあったけど、コンドームってあったかなあ?って感じ。あ、デンタルダムというのは、一応女性同士でセーファーセックスを行なう際に用いるもの、とされている。ホントの用途は名前通り、歯医者で使うものらしいけど(でもあれをどう使うのかは不明)。

それ以外に結構たくさんのコンドームを取り扱うようになったのは、ヘテロ男女向け、ってことが主なんだろうけどね。でもここのコンドームって、例えば市販のコンドームとはちょっと違うような気がするんだよね。あ、市販のコンドームと言ってもわたしが知ってるのは例えば今年のNLGRで選ばされた(爆)コンドームのようなものだけど。

まー、わたしもコンドームは全く関係ないわけではないので、全然知らないもんじゃない(今や)。だからラブピースクラブで取り扱ってるコンドームを見ると「あ、これ使ってみたい。。」などというコンドームがたま~にあるのね(笑)ま、ただしわたしの場合、コンドームを何に使うかというと、特定のバイブに被せて使うので、正直どんなコンドームでもいいわけだけどね。

しかし、前に書いた「デンタルダム」がねー、、正直「これで感染症予防になるんだろうか」と思うのよ、使ってみると。あ、どうやって使うかは自分で調べて(爆)じゃなく、はっきり書くと「クンニリングスをするときに局部に当てて使うもの」なんだけどさ。

なんで感染症予防にならんのじゃないの?って思うかというと、使ってるうちに表と裏が分からなくなってくる(爆)まー、これは袋を開けた直後にマジックで「表」とか書いておいたら分かるだろうとは思うんだけど、あんまりそんなことやりたいとは思わないよね~(笑)

あと、やっぱ「これ、使ってもねー」って思う理由は、なんと言っても分厚い。コンドームに比べるとホント、随分分厚い。例えると「かゆいところを洋服の上から掻いてるような感じ」?。まー、そんな感じなんで、あんまり楽しくないのよね~、これが。あのさ、わたしはSEXって五感をフルに使ってやってるな~って思うことあるんだけど、これを使うことによって確実に五感が四感に減るのよ。これはね、例えばデンタルダムの代わりにラップを使うのも同じだと思うんだけどね。やっぱ一枚あるのとないのとでは全然違う。

でもね。それを言うと(男女、または男男のSEXで)「コンドーム付けてフェラチオすんのやだー」って発想と同じなんだよね。。んー、わたしは去年のNLGRだったかなあ、HIV陽性者の手記の中で「自分はたった一回のSEX、それもフェラチオをやってるときの先走り液によって陽性者になった」というのが読まれたんだけど、それを思い出しちゃうんだよね。。女性の場合は膣分泌液の中にウィルスが含まれてて、でも普通クンニリングスでは別に膣を舐めるわけではないわけで。だけど「あっ」って思うことあるよね?(ってここで何人同意してもらえるんだか、、(苦笑))だから、感染症予防にそういうものが必要なのかなあ、という気もするんだけど。

それにしてもデンタルダムはやっぱちょっと、、なので、だから「コンドーム、裂いて使ってみよっかなあ~」などと考えたりもしてるんだけど、でも、あの潤滑油が付いてるコンドームってあんまり舐める気がしないというか、舐めるとまずそうなんだよね、、舐めたことないんでよく分かんないんだけど。ってわけで、話を元に戻すと、ラブピースクラブではいろんなコンドーム売ってて「あー、これだったら使ってもいいかなあ」ってのがあるわけね。なんかすごく話が長くなったけど。

んで、わたしは女性同士のセーファーセックスにはもう一つ、手袋がいると思ってるんだけど、ラブピースクラブでは確かに手術用の薄いラテックスの手袋を取り扱ってるのだが。。これ、第一カタログの中にはフェティッシュの中に入っててセーファーセックスの中にはないのだ。しかも説明が「アナルセックスなどハードな作業のときに向いています」って、、えー、アナルセックスじゃなくてもフツーに指を使うSEXだったら、やっぱりいるんじゃないの?って思うんだけどね。。あとは手袋じゃなくて指に付ける「フィンガードム」もあるけれど、あれはちと中指とかは短すぎるんではないかと。。まあこれも実物は見たことあるし、別の用途で使ったことはあるんだけど(爆)、指にはめて使ったことないから本当のところはよく分からない。

ってわけで、ラブピースクラブのカタログを見ながら、なぜか女性同士のセーファーセックスについて考えてたんだけど、でもねー、ゲイと違ってレズビアンってそもそも、そんなにSEXする回数ってないと思うのよね。ハッテン場もハッテン公園も聞いたことないしー。まぁ、バーとかクラブで出会って一夜限り、って人も中にはいるだろうけど、レズビアンの人で「三桁」だの「四桁」だのと言う人はわたしは全然聞いたことがない。

だから、というわけではないけれど、女性同士の場合はお互い付き合う前に検査をして、それで両方なんともなかったら、別にセーファーセックスの道具って使う必要ないんじゃないかなあと考えててね。ただ、条件としては、当たり前なんだけど、浮気はしないというか、するとしたら浮気相手もちゃんと「なんともない」という証明をしてもらわないと困るというか。まぁその前に、付き合ってる相手に「浮気してもいいか」って聞く必要があるとは思うけどね(笑)やっぱりポリアモリーであろうと、相手に誠実にならなきゃいけないと思うんだよなあ~、わたし。

なんて、結局はわたしの結論としては「今あるセーファーセックスの道具でホントにセーファーセックスできんの?」って疑問があり、そして「それだったら付き合うと決めた時点で検査受けて来たらどうかなあ~」って思うんだよね。その結果、例えば片方が性感染症に罹患してたりしたら、それはまぁセーファーセックスするしかないのかな~とは思うけど、その場合は、いろいろ試しながらかなあ。とは言えども、わたしもこれだけいろいろ言えるのは、今まで割と試したことがあるからで、全然やったことがない人は分かんないだろうな~って感じがするので、やっぱ経験しておいた方がいいのかなあ、セーファーセックス。これもその人たちがどういうSEXをやるか、だけどね。

ってわけで、あんなこんなを考えてたら、結局9時半にはベッドに入ったのに、寝たのは日にちを超えてお化けが出て来そうな時間になってたのでした。。。

終わり。

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11-17 Tue , 2009
わたしの欲情する身体ってなんだろ
やー、15日はイベントが終わって、で、昨日は頭痛で一日中ダウン。

昨日の夜は21時半にはベッドの中にいたんだけど。。15日、イベント終了後、ゲストのトヴィくん初め、お客さんとしてきてくれた人何人かとサイゼリアでいろんなこと話してたんだけどね。

その中で、何の話だったかなあ~。「最近の日本は~」みたいなことから始まって、「でも'90年代のバブルの頃は」みたいな流れになったのかなあ~?よく覚えてないけど。で、そのときわたしの親と歳の違う双子の弟が「'90年代のあのときって、ノンケ女性が『男の裸が載ってる~』というので、ゲイ雑誌買ってる人がいたんだよね」と言ったので「えー、それ見て欲情できたわけ?」って聞くと「うん」というから敢えて反論せず「それはねーだろ」と心の中で思ったのだった(笑)←オイ

「それはねーだろ」と思ったのはね、女の裸が載ってる本や雑誌は世の中に多々あれども、わたしはそういうところに載っている女の人の写真に関しては全く「萌えない」からだ。あの半分開いた口やとろーんとした目つきはこっちを誘ってるどころか「わたしアホです」と言ってるとしか思えない。だから逆に「こんな姿を晒すのは止めてくれえ~!」って思う。でも「これってノンケ男性を誘っているような顔つきか、ノンケ男性がそそられるような顔つきなんだろうな~」と思うわけね。だからこの女の人たちからわたしは誘われた気はしないし、逆にアホっぽい顔つきは萌えるどころかわたしにとっては見るに耐えないもので萎えてしまう。

ま、ゲイ雑誌に写ってる男性モデルは、少なくとも「アホ」には見えないが、でもグラビアを見てノンケ女性が「わたし、誘われてる~!」って思うかと思うと、そういう風には思えないんだよなあ。まー、わたしの場合、最初の方(ゲイ雑誌のね)はなんとか大丈夫だけど、ページ数が進むにつれ「うわ、グロ」って思うので、男性の身体を見て欲情するゲイ男性やノンケ女性の気持ちはこれっぽっちも分からないのだが(爆)でもそれを言うとゲイ男性だって女性の裸を見たら「グロい」って思うでしょ?多分それと同じだ(笑)

んでさぁ、その話がベッドに寝ころんで寝ようとしているわたしの頭の中に「ポカッ」と浮かんだわけ。で、考えたわけ。「だったら一体、わたしが欲情するような女性の写真ってどんなんだろ。。。?」って。いろいろ考えてみるんだけど、あんまりよく分かんないのよね(苦笑)だから「うーん」と思ってさらに考えてみちゃったりしたわけだけど(爆)←ホントに頭痛かったんか

確かに好みの体型などは分かるのだが、、その人がどういうポーズをしたら、どういう顔つきだったら自分は欲情するんだろう?って考えてみてもよく分かんないのよ(苦笑)そのうち、唯一出て来たのが「わたしの好みの身体の女性(これは具体的には書きません(爆)がディルドを付けてそそり立つ姿」とか?おそらくこれだったらかなりの確率で萌えそうな予感がするということが分かってきた(←オイ)。

でも「なぜディルドなの?」と言われると、これまたよく分かんないんだよねえ~(苦笑)もちろん、本物の男性器のそそり立つ姿(もちろん、墨のせしてありますですよ(笑))を見ても「げ。グロい。見るんじゃなかった」としか思えないんだけど。。なんだかよく分からないけど、わたしの中では完全に「別のもの」と捉えてるようで。ま、物理的にも別のものなんだけどさぁ(笑)なんての。ディルドはやっぱ「道具」としか思えないわけね。特に男性器を模倣したとか、そういう感じはわたしは完全に持ってない。

昔は「レズビアンのSEXは道具を使うものだ」と一般的には考えられていて、だから「女性同士のSEXには道具なんか使わない!」とか「男の形をしたものがいるわけない!」っていう言論が非常に多かったような記憶がある。だけどさぁ~、そんなの勝手じゃない?そりゃ、そんなの使わなくてもSEXできますよ。わたしだって、毎回毎回使ってるわけじゃないし。だけどさ、ときには「使いたいな~(じゅる)」って思うこともあるわけですよ。これって、「だからSEXには男が必要なんだ」ってわけじゃ全然なくて、ディルドはただの「SEXのバリエーションの一つ」でしか過ぎないんじゃない?とわたしは思うわけ。二人でいろいろ話して「これ、使ってみたら楽しくSEXできそうだね」ってことなわけよ。

だから一般に言われてる「レズビアンのSEXは道具を使うものだ」というのは、ときに合っているけれども、ときには違っている。そしてそれを意識しての「女性同士のSEXには道具なんか使わない!」ってのも、「まー、使いたくないんだったら使わなくてもいいけど、そーいう理由で頭から『使わない!』っていうんじゃ、SEXの楽しみ方の一部を放棄してるようなものじゃない?」と思う。使ってみて「やっぱあんまりよくなかった」って言うのなら別に構わないんだけどね。使いもしないで頭から「そんなもんは邪道だ」って言うのはちょっと了見が狭いかな、って感じる。

中には「実は興味あるんだけど、そんなこと言ったら相手からどう思われるか分からないから言えない」なんて人もいるかも知れないけど、でもさー、わたしとしてはなんで言えないのかよく分からないのよ。SEXって2人で模索していくものだと思ってるからさ。

なんたことを考えてるうちに、なんか頭がエロエロになってきて、わたしは次第に眠れなくなってしまったのでした(苦笑)

つづく。←え?

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09-08 Tue , 2009
異性愛者向けのHIV/AIDS啓発動画ってあるんだね
えー、昨日、東京に帰るまでに時間があったので、彼女ととある繁華街に出かけていって、そこでメシ買って外で食ったんだけど。

つーか、そこのコンビニ(多分、ampmだったかなあ?)で爽健美茶を買ったんだけどね。例の「女Tシャツ」着て。んなのに、そこのレジのにーちゃんは青い「50」を押しやがった!ちょちょっと。性別も間違えてるわ、年齢も間違えてるわ、めちゃくちゃじゃん!「50」押されたってことは、50歳以上に見られたってことで、そーとーショック。つか、こんな50歳越えた男がいるかなあ???

というわけで、どうもコンビニでは「女Tシャツ」を着ていても、ほとんど関係ない感じ。

逆に効果てきめんなのは、女子トイレ。だいたいいつも、わたしが入ると「じろー」って見られて、親切な人に「ここは女性用ですよ」と言われる。ところが、この「女Tシャツ」を着てると、いつものように「じろー」とは見られるんだが、「女」マークを見て安心(?)するのか、誰も何も言わないの!これは便利~!

あ、話がどっか行ってた(苦笑)

えー、そんでね。近くの公園みたいなところの階段に座って、彼女と2人、メシ食ってたんだけど、その公園の前にね、でっかいモニターみたいなのがあって、いろいろな宣伝とか歌手の紹介とかそんなんを映してたんだけど、その中にちょっと長めのCMみたいなのがあった。わたしは最初の方はコンビニに行ってて見てないんだけど、彼女に言わせると、男の子と女の子が赤ちゃんのときからずっと一緒に育っていって、っていうストーリーだったんだって。わたしが見たときはその2人は既に大人になってたんだけど。2人で道を歩いていると、そこに急に医者と看護婦が出て来て採血する。注射器が嫌いなわたしは一瞬、目を背けたんだけど「なんじゃこりゃ」と思ってたら、それぞれの医者が片方に「HIV陽性」に○を、片方に「HIV陰性」に○を付けて、それぞれその結果をその男女に渡したのね。

どっちがどっちかってのは、画面上からは分からないんだけど、その後のその男女の様子を見ていたらどうも男性が陽性で女性は陰性だった模様。

これを見て初めて「あー、これ、異性愛者向けのHIV/AIDS啓発のCMなんだ」って気が付いた。

自分がHIV陽性と知り、がっくり膝を落とし、悲観する男性を女性が抱きしめていた。辺りは道じゃなくて沼みたいなドロドロなところになっていた。そして過去がフラッシュバックされ。

しかしこの二人は結婚して子どもに恵まれ、その子どもも成長して離れていき、また二人で歩き出す、と言ったような筋の動画だった。つか、帰ってからYou Tubeで探したら簡単に見つけ出すことができた。



これ。で、この動画には載ってないんだけど、でっかいモニターで見たときは最後にURLが載ってた。全部思い出せないんだけど、どうも「エイズ予防情報センター」のURLぽかった(最初のapi-netってところを覚えてたんで)。でも、この映像はかなり昔に作られたものみたいで、調べてもどの団体が作ったのかとか、そういうのは一切分からなかったの。ただ、この歌は「エイズ予防啓発を目的に作られたRED RIBBON LIVE 2006スピリチュアルソング」らしい。しかし、この曲を使って動画が作られた、という情報は探し出せなかった。

でね。別にこのストーリーに文句を付けるわけじゃないんだけどって、実は文句付けたいこともあるんだよね。「なんで男性がHIV陽性で、女性はHIV陰性なんだ」って。

もちろん、この男性がなぜHIVに感染したのかは分からない。性行為以外でも注射とか母子感染とか感染経路が不明なこともある。ただ、この動画の途中で明らかに二人が「別れていた」時期があることははっきりしている。そのときに感染したのかどうか、ってことは、まぁこの動画から明確なことは言えないんだけどね。

だから一概にこの男性がこの女性の他の人と付き合ってたときに感染した、とは言えないのだけれど。しかもこれを「性行為で感染した」と思い込まされたくないのだけれど。でもどこかでそう思ってしまう自分がいる。そして、女性の気持ちを考える。「なんで『受け入れる側』が女性なの?」って。もしも性行為で感染していたのなら、彼女自身は「自分以外の人と付き合ってた人がいた」というショックに加え、この男性がHIVであるというショックと、二重にショックなわけ。男性は自分がHIV陽性でショックを受けるだけだけど。女性はこの二重なショックを乗り越えて、この男性を「受け入れる」わけ。まぁ、最後にめでたしめでたしの話になるんだから、ここで二人は別れずに、その問題を一緒に乗り越えて行こうってことになるのは分かるんだけど、なんで受容するのはいつも女性なんだろう?って疑問も湧くわけね。これ、逆だったらどうなんだ、と。

ただね、「平成20年エイズ発生動向年報」の「HIV感染者及びAIDS患者の年次推移(国籍別、性別、感染経路別)」を見てみるとね、日本の男女、異性愛者の感染者数を見ると男性の方が圧倒的に女性より多いのだ。しかも、その一番多い感染経路は「性的接触」。

ということは、この動画で最も考えられるのはやはり、「男性が性的接触によってHIVに感染した」ということなのだ。ってことは、結局実際でも受け入れるのはやっぱり女性、ってことなんだよね、、、

ただ、ここで不思議に思うことがある。わたしは今まで、HIV/AIDSの「感染者の手記」をもらって帰ってて、多分、今出てるほとんどの「感染者の手記」の冊子は持っている。もちろん、これはゲイ向けに作られたのが主だから、手記もほとんどゲイ男性なんだけれど、中にほーんの1つか2つ、いや、2つは覚えがないな。1つか。女性と思われる手記が見られる。でもね。異性愛者の男性の手記って今まで見たことないの、わたし。だからわたしは今まで「異性愛者は女性の方が感染者数多いのかなー」って思ってたの。だからこの動画を見て「なんで感染するのは男性なの?」って思ったの。でも実状は全然違うじゃない!これって一体どういうことなんだろう?って思ったね。

もちろん、手記を書きたくない人もいて、それはそれでその人の意志は尊重されなければならないと思う。けど、それにしても異性愛者の男性の感染手記を見たことがないっていうか、ないのって、なんかすごく不自然な感じがするんだよね、、なんでないんだろう?ってものすごく疑問に思う。。わたしが見てないだけなのかな。

そしてね、この「HIV感染者及びAIDS患者の年次推移(国籍別、性別、感染経路別)」を見てくじゃない?1985年から2008年までのHIV陽性者の合計は圧倒的に男性同性愛者及びMSM(Men who have Sex with Men:男とSEXする人でバイセクシャルとは限らない)が男性異性愛者に比べて多い。しかしね、AIDS患者数の合計は実は異性愛者男性の方が多いのだ。まぁAIDS患者数の中には、初めからAIDS患者って分かった人と、HIV陽性者がAIDS患者になったってのの2種類含んでるんだと思うんだけど、それにしてもHIV陽性者がものすごく多い男性同性愛者の方が割合的に言ってもAIDS患者に移行する人が多いと考えられるわけで。しかしそれでも男性異性愛者の方がAIDS患者数が多いってことは、これはどう考えても「異性愛者はAIDSを発症しないと分からない」ってことでしょ。ってことは、HIV陽性である男性異性愛者は、潜在的には今の1824人から5005人いるかも知れない、という計算になる(AIDS患者における男性異性愛者の割合が38.9%なので、男性同性愛者のHIV陽性者数が4928人という数字が正しいと仮定して、この割合が男性同性愛者のAIDS感染者数と同等である38.3%として計算した)。ってことは、単純に言うと、男性異性愛者のHIV感染者数ってのは、今分かっている人の2.4倍はいる計算になる。

結局、それだけ男性異性愛者のHIV/AIDSにおける意識が薄いということが、この表だけである程度言えちゃうんだよね。これってすごい怖いことじゃない?それだけ異性愛者向けにはHIV/AIDSの啓発が浸透してないってことが現われてるじゃない?

わたしはあの動画を見たとき「ああ、異性愛者向けの啓発もされてるんだ」と思ったけれども、実はもっともっとやらなくてはならないんじゃないだろうかって思う。まー、これはわたしの持論でもあるんだけどさぁ。性的接触による感染が一番高い割合ならば、実はHIV陽性の男性異性愛者から女性異性愛者に移すことが十分考えられる。そうして、異性愛者は男性も女性もお互い移し合って、どんどんHIV陽性者が増え続ける。これってすごい怖いことじゃない?だから、国はもっと異性愛者に向けてHIV/AIDSの啓発をしてかなきゃならないんだと思う。なのに前も書いたとおり首都圏、関西圏へ向けての異性愛者向け啓発の研究は中止されてしまった。これに変わる研究があるのだろうかと、不安に思っている。

あの、動画だけでは絶対に足りない。

最後に。これは男性同性者及びMSM向けの話なんだけど、今年も「Reach Online」をやるらしい、というか、今、募集してるらしい。ただし例年と違って

1.16歳以上の男性であること
2.過去6ヶ月間に男性とコンドームを使わないアナルセックスがあったこと
3.現段階でHIV陰性あるいはHIV感染状況を知らないこと

の人たちがアンケートの対象らしい。しかも例年はすごい長い期間の中のアンケートだったけど、今回は9/1~9/30の間しか募集してないらしい。

実は去年、何だったか忘れたけど、やっぱり日記でHIV/AIDSについて取りあげたときに「Reach Online 2008」のことを紹介したら(っていうか、問い合わせしたんだっけー?忘れた(笑))、なんとこの結果の中の「Reach Online 2008リンク協力先サイト一覧」のホントーに最後の最後になんかリンクされてた(笑)つか、アクセス解析でここから来た人がいたんで、わたしはこれを発見したわけだけれど(苦笑)でも、あそこから来た人はびっくりするだろうな。多分、レズビアンのサイトに行き着くとは思ってもみなかっただろうってことで、びっくりしちゃった人、ごめんなさい(笑)

でも確かに女性同性愛者及びWSW(Women who have Sex with Women:女とSEXする人のことで、バイセクシャルとは限らない)間でのHIV感染者数、AIDS患者数は、1985年から2008年までを合計してもたった5人しかいないわけだけれどもさ、でもこれって「わたしは女性同性愛者だから関係ない」って問題じゃないと思うんだよね。で、男性同性愛者だけの問題でもない。今、この世に生きてる人、全員に関係ある問題なんだよ、やっぱ。だから、わたしはこだわる。

それだけなんだ。
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08-02 Sun , 2009
なぜこのようなことが起こるのだろう
共同通信社のニュースによると、イスラエルのテルアビブで1日夜、同性愛者の集会所に押し入った男が銃を乱射し、少なくとも3人が死亡、10人以上のけが人が出たらしい。

わたしは、、このニュースを知って本当にやりきれなかった。
そりゃもちろん、この地球上で同性愛行為によって死刑になったり罪になったりする国があるのは知っている。
しかし、だからどうしたというのだ。たとえそれがその国の法律に触れなくても、わたしと同じ同性愛者が殺されているのだ。

なぜ?どうして?
同性愛者が何をしたというのだ。何をすると言うのだ。
ただ、人が、人を愛するだけだ。それが異性でなく同性であるだけだ。
異性を好きになる人より同性を好きになる人の方が少ないだけだ。
異性愛者が何も考えないうちに異性を好きになるように、同性愛者は同性に惹かれるように出来ている。ま、それがすべてだとは言わないが、多分、大半の同性愛者は「同性を好きになる選択」などはしていないはずだ。
それの何が罪なのか。なぜ殺されなければならないのだろうか。

わたしは悲しい。
なぜ人は自分とは違う人に対して寛容になれないのだろう。
「気持ち悪い」と思われたっていい。どうせそういう人は襲われたりはしない。
わたしたちは、自分が好きになった人と好きなように愛し合いたいだけだ。
もう一度言う。それが「気持ち悪い」と思われてもいい。
別にわたしはあなたのことを愛するわけじゃない。

「同性愛者が殺される国に生まれなくてよかった」とは思わない。
わたしたちの仲間が殺されることが悲しい。

どうすればいいのだ?
どうすれば、同性愛者が殺されない国、いや、同性同士が異性カップルと同じように認められる日がいつ来るのだ?

そのために、わたしはどうしたらいいのだ?
もう、この世から同性愛者に対するヘイトクライムが起こらないようにするためには。
原理主義の宗教指導者の考えを返させるには。

悲しい。
悲しい。
わたしはとても悲しい。
------------- ここから -------------
【エルサレム共同】イスラエル警察によると、同国中部テルアビブで1日夜、同性愛者の集会所に押し入った男が銃を乱射し、少なくとも3人が死亡、約10人が重軽傷を負った。警察は逃げた犯人の行方を追っている。同性愛者を狙った犯行との見方が強い。

 地元メディアは目撃者の話として、黒ずくめの服装で覆面をした男が、ビルの地下にある集会所で自動小銃のようなものを乱射したと伝えた。当時、10代の同性愛者の集会が開かれており、死傷者の多くは未成年者という。

 テルアビブは欧米的な世俗都市で、同性愛者が集まる場所も多いが、ユダヤ教保守派は同性愛者の活動に批判的。
------------- ここまで -------------
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07-15 Wed , 2009
コンドームを持った写真はそんなにスキャンダラスなのか
日テレ夏目アナが避妊具を持つ写真が流出
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090714-518220.html

民放は見ないので、この人が誰なのかは知らないが、なんでこれでノンケが大騒ぎするのかよー分からん。

わたしなんかむしろ性感染症について意識が高い人なんじゃないの?って思うけど。

性感染症の一つである、HIV/AIDSについてのイベント等によく行くようになってから、コンドームってのは、自分のすごく身近にあるものになった。わたしはSEXするときはコンドームは使わないけど(でもデンタルダムも使いにくいのよねー)別の用途で使うので(笑)うちには色とりどりのコンドームがあったりする。二丁目に行けばタダで持って帰れるし。啓発イベントに行けば必ず配られるし。

しかし、このHIV/AIDS啓発イベントもほとんどがゲイかMSM(Men who have Sex with Men;男性とSEXする男性で、ゲイとは限らない)のためのもので、大多数のノンケ(ヘテロとも言う。異性愛者のこと)に対してのHIV/AIDSの啓発イベントってないに等しい。

厚生労働省は、エイズ予防研究として、2つの研究課題、1つはゲイやMSMに対しては「ハイリスクグループ」として、啓発に力を入れている。しかし、異性愛者に対しては啓発活動は行なわれていない。やっているのは広報活動のみだ。しかも、首都圏、関西圏に住む人だけが対象である。

というか、今調べて驚いた。ノンケ向けのエイズ予防研究が評価Cで、中止されているという。つか、中止された理由が

テレビで広報した直後に、登録検査施設の受け入れ能力を上回るHIV検査の受検希望者が殺到し、検査が受けられないケースが発生。登録していない検査施設でも検査が多く行われたために、受検者数増加の効果検証が困難となるなどの問題が生じた。首都圏の研究でも、必要な検査体制の確立が困難であることや、研究費用が予想を大きく上回ることも判明。


って、これって、検査態勢が整ってないからと、費用がかかりすぎるからってこと?それで中止なの??いいのか、それで??受け入れ体制が出来てなくて、金がかかるからって、研究止めていいの?なんだか中止の理由がおかしくない?それだけ本格的に研究するためには金が必要だと思うし「金がないから」という理由で国民を見殺しにするつもりか??

なんと言っても、年に4回エイズ動向委員会が「エイズ動向委員会報告」と称してHIV/AIDSの感染者数等について発表されているが、新規HIV感染者数は男性同性愛者及びMSMがかなりの割合を占めているのに対して、新規エイズ患者数は男性同性愛者及びMSMと男女異性愛者の数はほとんど変わらないか、ときによっては男女異性愛者の方が多かったりするのだ。

新聞はいつも「新規HIV感染者数」しか発表しないため、異性愛者はHIV/AIDSを身近に感じないだろうが、実はエイズ患者でHIV感染が初めて分かるというのは、それまでにHIV/AIDSのことなど全く考えもせず、それゆえ検査も受けず、体調がいよいよ悪くなって入院して発覚、ということを意味している。

それに対して男性同性愛者及びMSMの人は、少なからず自分たちがハイリスクグループだと言うことを知っているし、啓発活動も各地で行なわれている。なので、定期的にHIVの検査を受ける人も多い。なので、新規HIV感染者数はそちらの方に多く出るのだ。異性愛者がHIV感染者で分かるのが少ないというのは、感染者が本当に少ないのではなく、あまりにも関心がなく、検査に行く人が少ないのでは、と思っている。ただこれは憶測に過ぎないんだけどね。

エイズ動向委員会報告に「HIV検査を受けた人のうち、どのくらいの割合でHIV、及びAIDSの感染者が確認されるか」、すなわち検査を受けた母数(検査を受けた人の数)が分からないと「潜在感染者数」は想像できない。

もし、新規HIV感染者数が一番多いと言われている男性同性愛者及びMSMの検査した人の数(検査総数)が、異性愛者のそれよりも10倍くらい多かったら、感染している確率は同じだとしても、数から言えば、男性同性愛者及びMSMの感染者数の方が10倍、異性愛者より多くなるはずだ。

また、新規AIDS患者数が、異性愛者の検査した人の数(検査総数)が、男性同性愛者及びMSMのそれよりも少なかったとしたら、異性愛者のAIDS発病者数は男性同性愛者及びMSMの人たちよりも割合が高い、ということになる。そしてこのことは異性愛者のHIV感染者数も男性同性愛者及びMSMの人たちよりももしかしたら高い確率で感染しているのではないかと言うことが考えられる。

全体の検査件数が公表されていない以上、このことは憶測でしかないし、わたしなんかからすると、このようなことが分かるとめんどくさくなるのでわざと検査総数を発表しないのでは、と勘ぐっている。だって、異性愛者にHIV感染者数が多いかも知れない、という疑いが出てくれば、今以上のHIV/AIDSに対して金を掛けないといけないからね、国は。

しかし、この中でただ一つ、異性愛者の中にもHIV感染が広がっていることを示すデ-タと考えられるものもある。それが「献血件数及びHIV抗体・核酸増幅検査陽性件数」だ。

一番左に10万件当たりのHIV感染件数が載っているが、それを見ると年々件数が増加しているのが分かる。献血は、、今の日本では男性同士が性交渉を持った人は献血はできない。それゆえ、この結果はほとんど異性愛者の感染数が増えているということを示しているとわたしは思っている。

HIV/AIDSはもう男性同性愛者及びMSMだけの問題ではない。異性愛者だって、十分に気をつけなければならない。言いたくはないが、先進国の中でHIV/AIDS患者が増え続けているのは日本だけとも言われている。

それなのに、、異性愛者はまるで他人事。アナウンサーがコンドームを持っている写真だけでスキャンダルと言わんばかりのマスコミ。

最も問題なのは、厚生労働省の年間予算はここ数年ずっとプラスなんだけれど、エイズ対策に対しては年々減ってきているのは事実。

なんと情けないことだろうと思う。

------------- ここから -------------
日本テレビの看板アナ、夏目三久アナウンサー(24)がコンドームを手にしたプライベートショットが流出したことが13日、分かった。14日発売の写真週刊誌「フラッシュ」が、口元にコンドームの箱を近づけニッコリと笑う写真などを袋とじで掲載している。「御曹司との■■写真流出!」と題した4ページの記事の中に写真が6枚載っているが、写真が流出した経緯は不明だという。

※■はハートマーク
------------- ここまで -------------
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07-05 Sun , 2009
神戸から戻れなくなった(汗)
神戸から東京に戻るような歌が思いつかないので、題名が神戸から戻れてません(汗)←?

ふと思ったこと。
三人称単数で人を表わす日本語って「彼」「彼女」しかないよね?
性自認が「X」の人って三人称じゃ呼べないよね、ってことに今さらながら気が付いたわけで。
そういう場合、どう呼べばいいんだろ?
もちろん、その場合「○○さん」と名指しでは書ける。
けど、匿名さんにしておきたい場合は?「Aさん(匿名)」としか書けないのか?

わたしは性自認男性の人に対しては「彼」って書いてるし、女性の人に対しては「彼女」って書いてる。あー、あと自分の彼女のことも「彼女」って書いてるね(笑)なんでかというと、普段の生活ではわたしは彼女のことを「名字+さん」で呼んでいるので、それをそのまま書くと名字がバレバレになるから、それを隠すためってのもある(笑)でも、「X」の人はそういう風に手軽に隠せないんだよね?

「その人が」とか、そういう言い方になるのかなあ~?
日本語って割とそういうところがぬるい感じがしてたけど(主語が略せるとか、男女の区別もあまりはっきりさせないで話せるとか)、わたしは「彼」「彼女」って割と普段から使う方でね。「X」の人に対してはどう書けばいいのかな、なんてふと思ったんで。

と言えども、わたしは「X」の友だちはあまりいないのだけれど(汗)
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06-27 Sat , 2009
ルミエールってさー
いや、こないだ映画祭のチケット買いに、ルミエールに行ったんだけど(あ、あとBadiも買いました(笑))。

今までさぁ。「レズ地獄」なんかのビデオが置いてあった棚が一掃されちゃって、ゲイ関係の本に取って代わられてて、レズビアン向けの雑誌や本(って既に全部休刊、または廃刊になっちゃったけれども)が全くなくなっちゃった。外の方にちろりと「Carmilla」の売れ残りがあったそうだけど(彼女によると)。

で、「女性の方は男性同伴でも立ち読みはしないで下さい」って書いてあるの!ちょっと!!わたしは立ち読みはしないわよ!けど、Badi買うときは、中身を確かめるために見本誌をチラ見することはあるわよ!!それさえもいけないと言うのだろうか、、、

てーか、もともと入りづらかったルミエールがもっと入りにくくなっちゃったじゃんか。。

確かにゲイの人にとっては、ルミエールに女性が入るとやりにくいこともあるでしょーよ(苦笑)けど、こっちだって気軽にゲイ雑誌を買えるところといったら、ルミエールくらいしかないのよ。「なんでレズビアンがゲイ雑誌読むんだ!」って言われるかも知れないけど、いいじゃん、そういうものでしか得られない情報もあるんだから。別にだからといって、彼らの世界を荒らそうと思っているわけではないし。それに、付録のDVDはほとんど見たことがない。。グラビアまでは大丈夫になったけど、DVDはおそらく無理だと。。

それもこれも、レズビアン向けの雑誌や情報誌がないからなんだよねえ~とも思うし、あったとしても多分、ゲイ雑誌1誌くらいは多分、知識を増やすために読むだろうなと思う。

ただ、今回初めて「成人向け雑誌」になったBadiを読んだんだけど。大判になったのは読みやすいが、随分薄くなっちゃって、しかも、そのまた中身の半分が広告という、えらく内容も薄くなったなあ~って思った。小説の本数とか、絶対に減ってるし。もーびっくりしてしまった。

あ、Badiがどうなったかは別にいいとして。いや、でもちょっと規模縮小?って感じはしてて、やばいんじゃない、、って思ったりしてるんだけど。まぁ、時代はやっぱりネットで、もう雑誌の時代は終わったのかねえ。。ってちょっと寂しい。

ルミエールももうちょっとレズビアン向けのもの置いてよって思うんだけど、多分、買う人いないんだろうなと思う。あと、やっぱり女性には入って欲しくないのかねえ~、、「男性同伴でも」って書いてあるってことは、ノンケカップルがゲイ雑誌冷やかしに見に来るのかしら、って思ったり。まさか、腐女子の人がキャーキャー言いながら見てたんだろうかと思ったり。ただ、張り紙自体はこないだ初めて発見したわけではなく、ずっと前から貼ってあったんだけどね。。でも、その一角にレズビアン向けのビデオとか置いてあったんで、まだ「居場所」があるんだなとは感じてた。でも今回、それが全部なくなっちゃってて、なんか女性自体、入ってはいけないところみたいになっちゃったというか。。

うーん、寂しいです。
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05-27 Wed , 2009
彼らはいつまで戦い続けなければならないのか
同性婚禁止の住民投票は有効=既存「夫婦」の婚姻は認定-米加州最高裁

事前の予想どおりの結果だったらしいが。。こういうニュースは本当に気が滅入る。

もちろん、これはアメリカのことで、直接わたしに関係があるわけではないし、日本で同じこと(=同性婚や同性パートナーシップ制導入)が議論されるようになったとしても、こういう状況にはならないとは思う。ので、わたしがそこまで悲観的にならなくてもいいと思うんだけど。

でもね、こういうニュースを読むと強い疲労感に襲われるのだ。別にわたしが活動しているわけでもなんでもないのにね、不思議だ。

ここのニュースにも書いてあるように、同性婚推進派はこれからもまだまだ戦い続けるようだが。。一体、彼らを突き動かすものってなんだろうと思う。カリフォルニアでは同性婚が認められ、その後、それが覆されると言うことが何度も起きている。同性婚推進派は覆されるたびに、戦ってきているわけだが。。「我々はいつまで戦わなければならないんだろう」と思わないのだろうか。覆されるたびに絶望感に襲われることはないのだろうか。

物事に対する「怒り」を持続させることは並大抵なことではない。ものすごく気力がいるものだ。彼らはなぜそんなにタフなんだろう?わたしはそのことがとても不思議でたまらない。わたしには、そんなに頑張る気力がない。そこまで頑張れない、と思う。

この問題は人ごとだけど人ごとじゃない。

今の世界の動向を見れば、同性婚はいつかは認められることだと思う。しかし一方、彼らの闘いはいつまで続くんだろうか、と思うといたたまれない気分がする。

------------- ここから -------------
 【サンフランシスコ26日時事】米カリフォルニア州最高裁は26日、「結婚は男女間に限る」とした昨秋の同州住民投票を有効とし、投票行為が「平等な人権を定めた州憲法に違反する」とした同性婚推進派の主張を退ける判断を示した。推進派は来年にも改めて合法化の是非を問う住民投票案を提出する意向で、係争は長期化が予想される。
 住民投票の手続きについて州最高裁は、「法的問題はない」と結論。投票結果に基づき即時発効した非合法化措置についても、法的効力を認めた。ただ、同性婚自体に関し踏み込んだ司法判断は避けた。
 一方で、発効前に婚姻届を提出した同性の「夫婦」約1万8000組については、婚姻を有効とし、夫婦としての権利を認めるべきだと判断、一定の配慮を示した。 
------------- ここまで -------------
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05-16 Sat , 2009
同性愛は個性か
数日前にこれについて考えるきっかけがあったもので。んで、わたしはこの意見を書くことによって、人に自分の意見を押しつけたいわけじゃないことだけは最初に書いておく。

「障碍は個性だ」って言う人がこの社会にたくさんいることも知ってるし、当事者もそういう風にとらえている人がいることも知ってる。でもわたしはそういう風に思っていない。だけど、そういう人たちは別にそう思ってる人はそういう風に思えばいいと思っている。だって、そういう風に考えた方が、自分はしっくりくるし、自分が生きていくのに生きやすいのならば、それでいいと思う。

同じように同性愛者に対しても「同性愛は個性だ」っていう人がいるのね。これは当事者がそう言っているのはあまり聞いたことがなくて、ただ、周囲の人にそう言われることが多い。だけどね、わたしは「同性愛は個性だ」と言われるたびに、何か違和感があったんだよねえ、前々からね。それを今回、ちょっと突き詰めて考えてみようと思ったのだ。

まず、同性愛が個性だったら、異性愛も個性になるのかな?と考えたんだけど、まぁ、異性愛を個性と捉えてる人は、まずいないだろう。それはなぜか、と考えたら、異性愛者の方がこの世界では圧倒的多数だからだ。大衆ファッションは「個性的」とは言われないよね。だから「何かの特徴のうち、少数の特徴を持っていれば、それは個性なのだろうか」ということになる。

例えば右利きの人より左利きの人の方が圧倒的に数は少ないよね。でも「左利きは個性」って言うかなあ?あんまり聞いたことないよね。あまり、というか全然わたしは聞いたことがないんだけれど。日本で少数者と言えば、在日の人だってアイヌの人だっているけれど、在日って個性?アイヌって個性?これもなんだか違うような気がするよね。在日であることだけが、その人の「個性」ではないよね。同性愛もこれと同じだと思う。

でも「障碍が個性」と言われるのは(そして、当事者たちにこの考え方が支持されてるのは)「生まれつきそういう性質を持っていて、それは健常者(この言い方、嫌いなんだけどね。でもこれしか言いようがないので)より数は少ない」からでしょ。

いや、障碍が個性、と言われる意味は分かるよ。「生まれついた障害を持っている人は、それだけで他の人と違う、障碍ってネガティブに捉えられるけれども、逆に『自分にしかないもの』とポジティブに捉えて『個性』と言おう」という考えなのだと思う。でもね、これに対して敢えて反論するならば、中途で障碍者になった人は、その時点で「障碍は個性だ」って言うわけ?それっておかしいでしょ。

「個性」ってさ、ある一つの特質だけを挙げて「それが個性」とは言わないような気がするんだよね。「個性」ってさ、生まれつきにあるものじゃなくてさ、生まれつきに何かは持っているけれども、それを生きていく間に自分なりに変化させたものが「個性」なんじゃないかなって思うんだよね。

わたしは子どもの頃からずーっと「個性的な子ども」って言われてた。「ユニーク」とも言われてたし、通知簿にもそう書かれてた。だけどさ、わたしは自分のどこが個性的なのか、実は昔からさっぱり分からないんだよね。それが分かった時点でもう個性的じゃない、と言われたけれど(笑)でもね、わたしのこの「個性的だね」と言われるのは、わたしが同性愛者だからじゃないと思うのよね。だって、子どもの頃はわたし、自分が同性愛者なんて知らなかったもん。

確かにね、自分が同性愛者である、と分かった時点から、わたしの中の一部は「同性愛者である」ということに占められるようになった、と思う。そして「同性愛者である」というフィルタ通して物事を見たり、考えたりすることもかなり多くなったと思う。でも、これって個性じゃないんだよね。わたしはこれによって考え方が結構変わったかも知れないけど、個性自体には大して影響を及ぼしたとは思わないんだよね。

ま、中には子どものときから既に同性愛者であることに気が付いて、それがあったために人格形成の時点で影響を及ぼされた、って人も中にはいるだろうけどね。しかし、人格形成が個性なのだろうかというと、これもまた違うと思うんだよね。

一体「個性」ってなんやねん、ってことで、手持ちの辞書である、学研国語大辞典と新明解国語辞典で調べてみた。「個性」で引くと、学研国語大辞典の方には「その人・物だけにそなわった特有の性格・性質。パーソナリティー。」、新明解国語辞典の方には「個個の・人(物)をそれぞれ特徴づけている何か。」とある。

正直、新明解の方はよく分からない(笑)だって、「(特徴づけている)何か」なんだもん。何かが何か分からないと、こっちだって具体的には理解しにくいじゃん。ってわけで、学研国語大辞典の方をもうちょっと詳しく調べてみることにした。「性格」「性質」「パーソナリティー」ね。

「性格」→「ある人物の感情や意志の動きに表れる(特有の)傾向。」参考として「先天的な素質である気質に後天的な影響が加わって形成される」と書いてある。ということは、やっぱり「生まれつき」のものだけではそれは「性格」とは言えない、ということだ。生まれつきのものに加え、自分の経験や身の回りに起きたことによって、その人が知らず知らずのうちにその人なりの「性格」を身につけていくのだ、と言うことだと思う。

「性質」→「その人に(生まれつき)備わっている気質。たち。性分。」と書いてある。おや、ここで(生まれつき)と書いてある。なら「気質」「たち」「性分」は何かというと、

「気質」→「気性。性向。気立て。また、ある社会集団特有の類型的な性格。かたぎ。」ってかいてあるけど、この「ある社会集団の、、」以降はこの場合とほとんど関係がないだろう。ここでまた「気性」「性向」「気だて」が増えた(笑)

「気性」→「生まれつきの心の性質。気質。気象。」と書いてあり、気性というのはあくまでも「心の性質」であり、外見的な性質とか、その人が持って生まれた障碍とか、持って生まれた性的指向なんてものではないだろう。あとは「気質」だの「気象」だのって、循環してるから、これはここでお終い。

「性向」→「(その人の)性質上の傾向。気質。」と書いてあり、これは、「性質」が重複し、「気質」=「気性」なので「生まれつきの心の性質。」という意味を含んでいる。

「気だて」→「生まれつき持っている気持の傾向。(ふつう、よい場合に使う)」と書いてあり、ここでもやっぱり「気持ち」の傾向であり、ほとんど「心の性質」と変わらないと見ていいだろう。

あ、元に戻って「性質」から出てきた「たち」→(人それぞれによって異なる、生まれつきの)性質・体質。あ、ここで「体質」が出てきた(汗)

「体質」→「(医学上からみた)その人が生まれつきもっているからだの性質」と書いてある。身体の性質、と来ては、「心のみの性質」とは言えないな、、ということは、生まれつき身体的に障碍がある人は、それが「個性」ということになるのか。

「性分」→「生まれつきの性質。たち。」だから、「性質」は循環してるし、「たち」という意味を含んでいるのなら、身体的な性質も含んでいるということだろうね。

最後に。「パーソナリティー」→「個人にそなわっている特有の性格。その人のもちあじ。個性。」とあるから、これは完全に「持って生まれたもの+後天的な影響」と言うことを示しているだろう。

ってことで、辞書的に言うと「障碍は個性」もあながち間違っているとは言えない、ということだけれど、それでも意味を調べてみると、身体的なものよりも心のものの方が比重的には大きいのではないかという感じはする。

まぁ、障碍にもいろいろあって、全部が全部身体的なものとも限らないけれども、でもね、ここまで調べておいてナンだけど、「障碍を持った自分」だけがその人全てを言い表しているわけじゃないと思うの。これは「同性愛」についても同じことなんだけれども、誰も「同性愛者」という部分だけで人は生きていないと思う。もちろん、「障碍を持っている自分」とか「同性愛者である自分」は根本のところに持っていて、それがその人の性格に影響を与えることはあると思うのよ。ま、わたし自信はあまり自分が同性愛者であるということと、自分の性質は関係があるとは思えないんだけどね。

わたしは自分がよく「個性的」と言われるけれど、どこが個性的かは自分ではよく分からない、と上に書いたけれども、例えば自分の性格はどこで形成されただろうと考えると、正直よく分からない(苦笑)わたしはウソが付けない人間なんだけれども、なんでウソがつけないのか、よく分からない。。ただ、ウソをつく、とか、人に世辞を言うことなんかを想像してみると、ものすごく嫌な気分がして「それは自分ではない」と思う。これ、別に親から「ウソ付いちゃいけません」って教育されたせいでもないと思うんだけどね。「世辞を言うな」と言われたこともないし(普通、ないわね)。

もともと曲がったものが大嫌いで(あ、キューリとかは好きです(笑)でも太くて曲がってないキューリも好きかも。。←?)、「これをやったら自分じゃなくなる」と思うことは、今までたくさん経験してきて、でもときには正論ばかりじゃ通らないということも知ってる、知ってるけど、そういう場面でもわたしは一応、通そうと努力する。多分、そこがわたしの経験なんだろうし、曲がったものが嫌いな性格は、余計曲がったものが嫌いな性格になるんだろう。まー、ここの部分が人から個性的と言われているのかどうかは分からないけど、自分の性格として、いろいろ考えて出てきた例がこれだったので(笑)

「同性愛」というのは、確かに生まれ持った性質、なのかも知れないけれど、わたしが言いたいのは、「同性愛」これ自体は「個性にはならない」ということ。本当は「障碍者」に対しても「在日」に対しても「アイヌ」に対しても、それが言いたいのだけれど。それは生まれ持ってきたものだけど、その人全てを表しているんじゃない、人間はもっと複雑なところで成り立っている、と考えたかったの。

この世の中、少数者は生きにくいと思う。で、ずっとずっと「生きにくいなあ。やだなあ」って思うより、「自分はもともとこういう性質を持っているし、それは多くの人には持っていないんだから、ポジティブに生きよう」と思うのは、いいとは思うんだけど、わたしはそれは消極的じゃないかなと思う。この世の中が今のところ、多数者が生きやすいようにできているのは、ある程度仕方がないと思う。しかし、それに対して少数者はもっと「自分も生きやすい社会にしていく」ことを世間にアピールしていく必要もあると思うのだ。ハーヴィー・ミルクみたいに「少数者は戦わねばならない!」と声高に叫ぶと、これまた疲れてしまうので、ここまでは言いたくないんだけど(苦笑)、でも、この世の中が生きにくいのって、自分のせいじゃないじゃない?生きにくい社会に窮屈な思いをして自分をはめ込んでいくよりも、ありのままの自分が生きて生きやすい世界にすること、わたしが悪いんじゃなくて、世の中が間違っていると言うこと、それをね、わたしは強く思っていて、なんとかしたいと思っているのだ。

その小さな一歩が明日、5月17日、反同性愛嫌悪の日(IDAHO)のアクションだと思っている。一部の地域では、新型インフルエンザの影響を受けて、時間が変更になっちゃったところとかあるけれども(すいません、ここで確認して下さい)、そして、明日の東京地方はあまりいい天気ではないらしいけれども、わたしはわたしの生きている世界がもっと自分にとって生きやすいところになればいいなと思って、行ってくる。

こういう考えは、おそらくわたしが「同性愛者である」と言うことから獲得していったものなんだろうな、と今、ふと思った。

あ、それに今、読み返してみたら最初に言ってることと一番最後に言ってることに矛盾がある。。(笑)いや、「○○は個性」と思ってる人はそのまま意見を変えなくても、もちろんいいんです(笑)
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05-05 Tue , 2009
OKAMAのような彼女
たまには「植物観察日記」は止めにして、別の日記を書こう。
と言っても最近の自分が思ってることだとかは、今書きたくない心境なので(苦笑)、全く別の話。

わたしがかつて大ファンだったパール兄弟の歌の中に「OKAMAのような彼女」という曲がある(「六本木島」収録)。このCDが出たときに記憶してるのは、大学3年のときの夏の乗船実習(1ヶ月)のときに船内で聴いた記憶があるから、わたしが22歳のときか。あ、その頃はまだ、自分はレズビアンだって気が付いてないときね(笑)わたしは大学を卒業してから自分の事に気が付いたんで。

で、この「六本木島」のアルバムの中に「OKAMAのような彼女」という曲が収録されているんだけど、わたし、これ聴いた当初から「サエキけんぞう(注:パール兄弟のボーカリストで作詞もしてる)が言ってる『OKAMA』ってどういう人のことなんだろうか?サエキけんぞうはOKAMAについて、どう思っているんだろうか」って疑問でね。歌詞を紹介したくて、いろいろ歌詞のサイトを見てみたんだけど、この曲、あまりにマイナーすぎるのか(というよりパール兄弟自体がマイナーでほとんどなかったのよ)ネット上では歌詞公開してないみたいで、残念。

まず、表記が「オカマ」じゃなくて「OKAMA」なのね。だけど、この「OKAMA」について、歌詞の中では

・OKAMAのような彼女 とても優しい
・OKAMAのように綺麗 黒いペデュキュアで

とあるから、どうも「OKAMA」は「優しく」て「綺麗」らしい。そして

・何が男の子なのと 聞かれたら

という歌詞があるから、「OKAMA」は「男の子」、「男性」らしい。ということは、今抜き出した歌詞だけで考えると、サエキけんぞうの考える「OKAMA」とは、どうも「女装をした男性」っぽいんだよね。

んー、世間で言われている「オカマ」は特に女装した男性だけを指しているわけではないので(女性っぽい男性という意味が「オカマ」だと個人的には思ってるんだけど、、違う?)、集合記号使っちゃうけど、「オカマ⊇OKAMA」となるわけだよね。あ、でも「オカマ」って言葉は男性同性愛者だけではなく、MtFも含んでるのかな。「オカマ」って言葉の定義も曖昧だから、何とも言えないんだけど、まー「オカマ」とはなんぞやを分析すると、もっとコトは複雑になるので、そんなに複雑に考えなくて、ま、各自持ってる「オカマ」のイメージでってことで(ということは、これはわたしが「オカマ」に対してどう考えているか、もある程度分かるのかな)。

あともう一ヶ所

・だけどプラトンも 驚くような 想い出を料理してみせる

という歌詞もあって、「プラトン」と言えば、「プラトニックラブ」のプラトンで、「饗宴」書いたプラトンで、「ソ、ソ、ソークラテスか、プラトンか」のプラトンで(古)、まー、あの時代は年上の男性と年下の男性の関係が普通にあったという(なんかすごく適当な説明だな。多少違ってても許して(笑))ことで、サエキけんぞうもわざわざ「プラトン」を出しているってことは、やっぱりこれも「OKAMA」=「男性」と考えている証拠かな、と。プラトンも驚くような想い出って、具体的にはどういうことか分からないけど。なんせ、プラトンの本を読んだこともないし(「饗宴」は途中で挫折)、彼が年下の男性とどういう「想い出」を作ろうとしてたかなんて知らないもんね。

で、わたしが気になったのは、サエキけんぞうが「OKAMA」という言葉をどういうニュアンスで使ったか、なんだけど、普通「オカマ」てーと、嘲笑的な感じやバカにした感じ、人によっては差別的に感じると思う言葉なんだけど、わたしはこの歌を聴いていて、そういう感じは全然しなかったのね。それは上に書いた歌詞もそうだけど、その他には

・OKAMAのような彼女 ひどくいとしい
・OKAMAのような彼女 青いマスカラで
・OKAMAのような彼女 離せはしない
・OKAMAのような彼女 大事な女(ひと)よ

という風に歌われているので、これって別に「OKAMA」に対してネガティブな感じは持たせてないでしょ。それどころか「いいイメージ」として使っているような感じさえ見受けられる。これがね、普段「オカマ」に対してどうしてもネガティブなイメージとして捉えていると、頭の中が混乱するんだよね。

サエキけんぞうが「オカマ」と表現せず「OKAMA」にしたのは、そういうイメージにしたかったのかな、と。日本語は取り敢えずローマ字表記すれば、ちょっと格好良く見える、ってのがあるから(爆)

しかし、ここでやっぱりわたしが「複雑な思い」を抱くのは、「オカマ」=「女装した男性」とは言えないということね。いや、もっと詳しく書くと「オカマ」=「男性同性愛者」=「女装した男性」とは言えない、ってことなんだけど。「オカマ」=「MtF(Men to Female)」=「女装した男性」は、「男性同性愛者」=「女装した男性」よりも確率は高いと思うけど、それにしてもMtFの人すべてが女装しているわけではないし、と思うと、やっぱり「うーん」って思う歌詞なんだよね。

そうそう、女装する男性のことを「女装子(じょそこ)」って言うけど、これって、女装している本人の性的指向は一切関係ないからさあ。異性愛者男性でも女装する人いるからさ。だけど、女装している異性愛者男性のことを「オカマ」とは言わないよね。

わたし、そこに引っかかってるんだなあ~。「オカマ」って言葉は、やっぱり「男性同性愛者」を指す、というイメージがものすごく強いというか、それもネガティブなイメージがする言葉だと思ってるから、たとえ「OKAMA」と書かれていようが「オカマは別に女装する男性のことじゃないんだよ~!」って言いたくなるのね。多分、わたしの根本はここにあって、だから、この曲で「OKAMA」は嘲笑的に使われてない、むしろいいイメージで使われていると頭では分かってるとしても、やっぱりダメなんだよ。

ちなみに、サエキけんぞうは、もう今はなくなってしまった「赤坂・FANGSONG CAFE」でライブをすることもあったみたいなので「へー」と思ってました。まー、あの人、いろいろ知り合い多そうなので(笑←何も知らないわたしが言うな)、まー、ゲイやレズビアンの友達もたくさんいるだろうなとは思ってたけど。

ただ、本人は多分、バリヘテ(バリバリヘテロ)だと思う。作ってる曲なんか見ると。「○。○○○娘」とか「ハレ・はれ」とか「快楽の季節」(どれも1stアルバムじゃないか~)とかね。まー、イイんすけどね。それがサエキけんぞうだった、と思ってるから。あ、「過去形」にしたのは、パール兄弟でも後期の曲になると、ヤラシめの歌詞ではなくなって来るんでね。ま、「PANPAKAクルージング」なんかも歌詞はバリヘテだけど。。あれはやらしくないので(笑)(ってここら辺、パール兄弟知ってる人じゃないと、何言ってるか全然分からない文章だね)

ってわけで、「OKAMAのような彼女」は、わたし自身から「OKAMA」=「男性同性愛者」という図式ではなく、「女装子」とイコールになれば、「おお」って曲になるんだと思う(笑)

サエキけんぞう自身がこの曲について語っているのは聞いたことないので(わたし、ファンクラブの「あこや会」にも入ってたけど、このアルバム「六本木島」の意味については語っているけど、それ以外は記憶にない)、彼が「OKAMA」をどのようにあらわしたかったのかは、謎なんだけどね。もしかしたら、彼自身は世間一般での「オカマ」の意味を壊したくて、作ったのかも知れない。ステレオタイプな目で見ると「オカマ」は侮蔑的な言葉だから、それをそういう意味を持たせない「OKAMA」にして、一般の人の頭を混乱させようとした、とか。

、、、ちょっと考えすぎかな(笑)

ま、考えすぎて別の意味で混乱してしまったわたしもいますが。
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02-27 Fri , 2009
こんなことしてみたい
ふと思った。

「結婚できない同性カップルに対して、法的な保障は必要だと思いますか」

って街行く人に聞いてみるの。今、日本でこのことについてどう思っているかのアンケート。
といえども、なんかこれだけじゃ面白くない感じがする。なので考えた。

1.何も言わないで「アンケートにご協力ください」と言って答えてもらう方法

2.「わたしは実は同性愛者でパートナーもいるのですが」という前置きをした上で答えてもらう方法

これのね、結果に有意な違いが出てくるかどうかって、なんかとても興味があるー。

ってさ。結局これだと「日本で同性カップルに対する法的保障が必要か否か」に対するアンケートではなく「当事者か当事者じゃない人(何も言わなければ当事者じゃないと思われるだろう)が聞くことによって、答える側の心理に何か影響を及ぼすか」って実験になっちゃうよね。

あとで統計処理する際に、どのくらいの母集団が必要かだとかは、まぁ、統計の本かなんかを見て計算すればいいことで、あとは地道に聞けばわたしにもできないことはない、と思うけど、、、でもやっぱ考えてみるとヤなのだ。なぜかというと同性愛者と明かした上で、質問したときに、「そんなのは必要ない!」って面として言われたら、その都度、傷つくと思うのよね、やっぱ。。逆に隠してたときに「そんなのは必要ない!」って言われたときの方が、一緒になって「そうですよねー」とかへらへら言える気がする。。

ってんで、この実験はわたしにはできないなぁと(苦笑)

しかしアレだね。わたしはつくづく社会学的な考え方って自分に合ってないな、と思う。この実験思いついたのも、図書館で「戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書)」を借りて読んでてね、そこには3人の女装者のライフヒストリーが載ってて、それに関して、いろいろと社会学的に分析されてるんだけど、なんかね。一人の人のライフヒストリーだけで、分析しちゃっていいのかなあ~とか思っちゃうのよね、ついつい。多分、社会学的にはこれでいいんだと思うんだけど、でもなんか個人の体験が一般化されちゃうようで怖い、って思う部分もあって。わたしってつくづく社会学的な研究は無理だー、と思ったのでした(笑)

あ、でもこの本、すごく分厚かったけど、面白かったっす。面白かったから、分厚くてもペロッと読めてしまった。同性愛者と違う、女装者の世界があったんだな、と。中に1つだけレズビアンについて触れている部分があるんだけど('70年代から'80年代に掛けて、日本の雑誌はレズビアンについてどう扱ってきたかを通して、日本社会がその頃、レズビアンに対してどういう感覚を持っていたのかをさぐる)、あれ、どうも前編があるらしいんだよね。あれはどこかで公表されてないのかな~。なんだか学会誌に載ってるらしいんだけどね。
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