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03-27 Tue , 2018
遠近両用
ここ数年、いつものメガネでどんどん近くが見えづらくなって来てたのは分かってたんだけど、遠くも見えなくなってきたのね。で、わたしはこれを「老眼が進んできてるからなんだ」と勝手に思ってた。というのは、わたしの母もわたしほどじゃないが近眼で、それが老眼になったときに「度が弱くなった。ほとんどメガネを掛けなくても見えるようになった」って言ってたからなのね。そこでわたしは「そっか、年を取ると老眼になるけど、その影響で近眼がよくなるんだ」って思ったのよ。

んなわけで、もうそろそろメガネのレンズを替えてもいいだろうと思って、メガネ屋さんに行ってきた。そしたら、近眼は進んでて、それに老眼が入る遠近両用のレンズを勧められた。遠くが見えなかったのは、単に近眼が進んだせいだと言われた。それで「えーっ!?」となってたら、メガネ屋さんはわたしが遠近両用のレンズを勧められたってことにショックを受けるだろうと思ったのだろう。「昔と違ってレンズの境目は全然分からないから」とか「この方が目に負担がかからないから」とかいろいろ言われた。

だがわたしはそんなこと既に知ってたし、年齢も年齢なので特に遠近両用のレンズになることで打撃を受けることはなかった。わたしが一番ショックだったのは

この歳になってもまだ、近眼の度が進む

ということだったのだ。なんせ、若い頃からずっとわたしの楽しみは「年を取ればメガネのレンズがちょっとは薄くなる」ってことだったからだ。まぁ確かにめっちゃ近眼なので、メガネを掛けなくても済むくらい目がよくなることはないとは思っていたが、それでも近眼がよくなることはわたしの夢でもあった。だいたい近眼の度なんて、ハタチ超えたらそんなに進まないって思ってた。なのに。。。この先生きてればまだまだ悪くなる余地があるのかよ(´Д` )

遠近両用レンズになるにあたって、最初は慣れないとか、横の部分が歪んで見えるとかいろんなこと言われたが、新しいレンズに替えても違和感はおろか、慣れるどころか、前のレンズとの違いすらまったく分からなかった。なのに、確かに近くを見るときにメガネを外す回数が減っている。あんまり近くが見えるようになったとかは思ってないのだけど。

そういえば近くを見るときは「レンズの下の方を見て調整しろ」とかなんとか言われたけど、もともとのメガネでは遠くを見ようが近くを見ようがどこもぼやーっとしてたので、少々今のレンズの視界に歪みがあったとしてもあんまり気にならないというか、歪みが認識できないというか。逆に遠近両用にして「うわ、歪みが激しい」って思う人は、それまでのメガネの度がぴったり合ってたってことなんじゃないかな?と思ったりする。

しかし、今までずっとずっと楽しみにしてた「近眼がちょっとよくなる」って望みが完全に失われたことへの打撃が大きい。うちの母は一体何だったんだ、それに母だけじゃなく、実際老眼になって「メガネがいらなくなった」って人の話はよく聞くのだ。その人たちとわたしの違いって一体なんなんだろう?
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15:05 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-28 Wed , 2018
ゴールボール!
1月行く、2月逃げる、3月去るというけど、2月ももう今日で終わり。まさに「逃げて」った感じ。。

さて、先月、「新しいこと始めようかな」という題名で日記を書いたけども、新しいことを始めましたよ!

20180224 214528


じゃ~ん。って、これで分かる人はまずいないだろうなー。

ゴールボール!

って言っても、知らない人が多いだろうなー。実際、今まで会った人にも言ったけど、誰一人として知ってる人いなかったもんな。この競技、パラリンピックの種目にもなってる、視覚障害者のスポーツです。わたしはこの競技を知ったのは、どうやらロンドンでパラリンピックをやってた時らしい。その日記がここに残っている。2012年だ。このとき以来、わたしは「いつか機会があったらゴールボールやってみたい」って思ってたんだよね。

ゴールボールっていうのは、上のようなゴーグルをつけて行う。視覚障害者であってもなくても。ということは、やってる人全員、「まったく見えない」状態になるわけで、これってすごく「平等」なんだよね。もちろん、普段目が見えてる人にとっては目が見えないことが逆にハンデになるわけだけども。なんかこういう公平さが気に入ったので、ずっとやりたかったんだよね、この競技。

で、どんなスポーツかというと、バレーボールのコートと同じ大きさだったっけ?のコートの両端にサッカーのゴールみたいなのがあって、そこにボールを投げ込んで点数を競う、というものです。自陣のゴールの前には3人いて、向こうがボールを投げてきたら、それがゴールに入らないように身体を張って阻止するの。こんな感じ。

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ボールの大きさはバスケットボールくらいで、バスケットボールより重いらしい。そして、このボールの中には鈴が入ってるので、鳴るのです。その音を頼りにボールの位置を想像して身体を張って阻止するの。で、阻止したら今度は攻撃になって、相手のゴールに向けてボールを投げる。でも投げると言っても、転がす、に近い。なぜかというと、自陣の中で一回、センターラインを超える前に一回、計2回ボールが地面につかないといけないから。これがつかないと反則になる。大抵の人は、ボールを投げると言うより、ボーリングようにボールを転がすような感じ?になる。あと反則と言えば、相手から来たボールを阻止してから10秒以内にボールを相手側に投げて、そのボールがセンターラインを超えてなきゃならないとか、試合中にゴーグル触っちゃいけないとかがある。

んでもって、わたしは先月始めたばかりなのに、つい先日、もう大会に出て来ちゃったんだよね(笑)出て来ちゃったと言うより出させられたという感じか。大会出るまでに3回しか練習できなくて「わたし、見学でいいです」って言ってたのに、人がいないってことでね、、でも聞くところによると、同じ大会に出たチームメイトは「練習2回目で試合に出た」とか言ってたので、そんなものらしい。

そして初めて出た大会で、3試合こなした。ゴールも何回か決めた。

が、この競技って、自分が投げた感覚は分かるのに、どうやってゴールに入ったか(当然のことながら)見えないという。。すごい不思議な感覚のする競技だった。だってね、初めて得点したときのボールを投げた感触は、ボールをちゃんと転がしたって感触がなく、逆に変な方向に曲がって行ってしまった、というものだったのよ。投げた瞬間、あっ、ラインを割ったなって思ったのね。それがちょっとしてからゴールを意味する「ピピー」という笛の音が鳴り、どうやら投げたボールがゴールに入ったらしいということは分かったのだが、一体なんであの失敗した感触のボールがゴールに入ったのか、どうやって入ったのかまったく分からないのね、見えないから。今でもよく分からないし。これは多分、他のスポーツでは味わえない感覚なんじゃないだろうか、、

しかも、この競技は割と地べたを這ってるような感じで過激にハアハアするスポーツじゃないが、地味に筋肉を使ってるみたいで、結構足とか腰とか腹筋とか腕とか筋肉痛になる。

練習は原則月1回で(今回は大会出るために自主練が2回あった)、そんなに負担にもならないし、教えてくれる人は元パラリンピックに出た選手らしい(次のパラリンピックの強化選手にも指定されてるらしい)。練習は面白かった。教えてくれる人は目が見えないので、当然のことながら時計が見えない。練習中は腕時計ができないし。なので「今、何時何分ですよ」って目が見える人が教える。練習をやりながら「あ、そっか、見えなかったら分からないんだ」って思うことがしばしばあった。でも逆にそう思うのは、それ以外の動きは目が見えないなんて思えなかったからで。

ゴールボールは障害者スポーツなんだけど、わたしが入ってるチームは別に視覚障害者が多いというわけではなく、ほとんど目の見える人ばっかり。でも、見えない世界ってなかなか体験できないから、面白かったり怖かったりする。なんせ、ちょっと動くと自分の位置が分からなくなるし!(ちなみにコートの線は、テープの中にひもが入ってて、触ったらどこが線なのか分かるようになってる。上の試合の画像で言うと、白い線の中にひもが入ってる)なので、ゴールを阻止したあと、ボールを向こうに投げるために何歩か移動すると、自分がどこにいるのか分からなくなるのだ!投げた位置から戻って守備につこうとしても、どこが守備位置なのかがまったく分からなくなる。

そういえば、こないだの大会は初心者向けの大会だったので、審判の人がチョー優しくて、自分の位置が分からなくなると「もっと右」とか「もっと左」とかって、自分の守る位置を教えてくれたりした(笑)自分の位置が分からないと、自分がどっちに向いてるのかも分からなくなってしまって、ボールを明後日の方向に投げてしまうこともあるらしい。そのため、ボールを投げる前はゴールまで戻ってゴールを触り、身体を真正面、要するに相手のゴール側に向かうようにするのだが、ゴールに戻るために移動すると、元いた自分の守備位置がどこか分からなくなる。

考えるととても怖いスポーツだよね。自分がどこにいてどこに向いてるのか分からないスポーツなんて!でも、そういう体験はこういうことでしかできないし、むしろ、日常生活において「障害者の気持ちが分かるため」とかいって、こわごわ目隠しして歩いてみるより、こうやって身体を動かさざるを得ない状況でわけの分かんないながらも感覚を磨くのは面白いんじゃないかなと思ったりする。

それと、目の前が真っ暗だと最初は頭がパニックになるらしく、耳は聞こえるはずなのに、周囲で何を言われてるのかすら分からなくなるんだってことが分かった。けど、少し慣れるとそんなことはなくなるし、ゴールボールのうまい人って、あのちょっと動くと自分の位置が分からなくなるところを、まるで目が見えてるような感じで縦横無尽に動けるようになるみたいなんだよね。こないだの大会では、最後にこの大会の審判してたうまい人の試合を見せてもらったのだけど、ホントに「すごーい!」って感じだった。


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これ。手前の人がすごい投げ方してるけど、普通こんな投げ方できません。たいていの人が向こうから投げる人のように球を転がす投げ方をしてる。ちなみにわたしたちに教えてくれる人も、こんなすごい投げ方をしてた。一回、本気で投げたところを見せてもらったことがあるんだけど、ものすごい破壊力だった。そしてみんな、何事もないように動いてるけど、全員ゴーグルしてるから目の前真っ暗で見えてません。慣れるとこんなに動けるようになるんだよね~。

まぁそんなこんなで新しく始めたスポーツなんだけども、結構楽しくやってます。
20:26 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-09 Tue , 2018
夜にコーヒー飲まないだけで
わたしは猫飼ってるのに猫アレルギーだ。

というか、順番は逆で、猫を飼ってから初めて自分が猫アレルギー(動物上皮アレルギー)だってことが判明した。

判明して以来、わたしはずっと耳鼻科で抗アレルギー剤を処方されて飲んでいる。2種類。これが、1ヶ月に3000円くらいかかるので、懐に痛い。だが飲まないと朝起きたときにくしゃみ、鼻水、そのうち鼻づまりが起こってきて、ひどいときは鼻水出し過ぎて頭がモーローとしてくる。

ただ、夏はそれでもちょっと調子がよく、1日1回の薬が2日に1回になったりする。耳鼻科の先生は「調子いいときは飲まなくていい」って言う先生なので、2ヶ月に1回受診したとしても「ああ、いいですね~」って言ってくれる。

さらに前にちょっと書いたが、今、漢方医院にかかっていて、去年の秋頃から「玉屏風散」って生薬を処方されるようになった。きっかけはわたしが「ちょっとしたことで風邪を引きそうになる」って言ったからだけど、この漢方はアレルギーにも効くらしく、気が付いてみたら2日で1回の抗アレルギー剤が5日に1回くらいでも大丈夫になってた。「玉屏風散」の方は1回の診療で42日分、金額も1500円程度なので、こちらの方がずっと安い。その代わり、1日2回飲まなきゃならないんだけどね。

で、ある程度暖かいときはそれでよかったのだが、寒くなってきたらまたアレルギーがひどくなってきて、2日に1回、抗アレルギー剤を飲まないと、朝起きたときにくしゃみや鼻が詰まるようになってきた。朝起きるときならまぁそれはいいかも知れないけど、最近また中途覚醒がひどくなってきて、夜中の3時に目が覚めたときに鼻づまりが起こると更に眠れなくなって困ってしまう。

なので前回の漢方医院の診察の時にちょっとそのことを言ったのだ。玉屏風散は状態がひどいときには1日4回まで飲んでいいってことだったので、どういう飲み方をしたらいいのか(1回2包ずつ2回でいいのか、1日1包を4回か)を聞いたのだ。その際に一番ひどいのは朝で、それ以外はそうでもないと言ったところ、先生から「コーヒー飲んでない?」って聞かれたんだった。で、前にも書いたけど、わたしはコーヒー中毒を恐れているので、今は1日カップに1杯か1杯半しか飲んでない。わたしがそう答えたら先生は「思ったより少ないな~」って顔をして、「じゃ、夜だけ飲まないようにしてください」って言った。

その日以来、夜はコーヒーじゃなくお茶を飲んでるのだが、なんと効果はてきめんだった。朝起きたとき、なんと言っても鼻がムズムズしない。鼻がムズムズしないからくしゃみが出ない。だから鼻水が出ない。すごく楽。

ただし、抗アレルギー剤をまったく必要としなくなったわけじゃない。なぜか鼻づまりにだけはなるので、5日に1回くらい、まだ抗アレルギー剤を飲んでる。でも1日1回の薬が5日に1回だと、病院通いが5ヶ月に1回になるのですごくいい。なんてったって、耳鼻科って花粉症の時期はものすごーい患者が増えるので、その時期に耳鼻科に行きたくないのよね、時間がかかるので。で、これは予想だけど多分もうちょっと暖かくなったら、もう少し抗アレルギー剤を飲む間隔が長くなるんじゃないだろうか。何もしなくても夏は2日に1回だったんだし。

なので、もし、朝起きたときにくしゃみや鼻水が出て困るって人は、夜に飲むコーヒーを止めてみたら、もしかすると少し朝が楽になるかも知れない。
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01-06 Sat , 2018
新しいこと始めようかな
わたしが何か、新しいことを始めるのって冬の季節が多いような気もしないではない。
なぜ、一番寒い、本来なら外に出て行きたくない時期に新しいことを始めたくなるのか、よく分からない。
一つ言えることは、この時期はなぜか一段落ついてるときが多いってことか。

前々からやってみたいなーと思ってたスポーツに今度挑戦することにした。
といっても、やってるのは月に1回らしいので、そんなに厳しい感じはしない。

ちょっと変わったスポーツなので、わくわくしている。
けど、新しい人の輪の中に入っていくのは超苦手なので、逃げ出したくなるかも知れない。
早いところカミングアウトできちゃえば、また別の話なのだけど。。

そういえば、去年の9月頃から、スポーツではないのだけど、ストレッチと筋トレしてる。
前々からここに書いてたけど、わたしの身体はボロボロで、もともと30代の頃から座骨神経痛を持っていたが、息苦しいのと背中が痛いのと、座骨神経痛がどんどんひどくなって左足の足先がしびれてきたのとか、右の腰が痛くなってきたとか、なんかもうめちゃくちゃだった。それをなんとかしたいと思い、今までいろいろ試してきたのだが、どれも決定的に治るものはなかった。で、ひょんなことからストレッチと筋トレで治す方法を教えてくれるところを知り、そこにずっと通っている。これは平均週1くらい。もちろんそれだけじゃなく、家でできることは寝る前に家でやってる。

そうするとなんだか最近ちょっとずつ変化がみられるような気もしないではない。
わたしのどこかあちこち痛いのは、左右の筋肉のバランスが悪いのと、あと、今まで身体を動かすことが嫌いだったので、筋肉が硬くなってるかららしい。確かに身体の筋肉にしなやかさがなくなった気がするし、しなやかさがなくなるのはおそらく老化現象なんだろう。今までは何もしなくても、一定程度はしなやかさを保てたかも知れないけど、多分これからは放置したらダメなんだろう。

もちろん、今は何かが完全に「治った」というわけではない。あ、息苦しいのは治った気がする。でも、これも背中がガチガチに固まると息苦しくなるんだけどね。背中はまだ痛い日の方が多い。が、筋トレした次の日は「まったく痛くないじゃん!」って日があるようになった。ただその次の日には元に戻ってるんだけどね。。また、始めたときはゴリゴリで首が回らなくなってた、というか、首を回そうとするとなぜか肩が上がる感じがするというか、上が向けなかったけど、最近ようやくスムーズに回せるようになった。ただまだ首の方向によっては痛みがあるが。

そんな感じで少しずつだけど変わっていっている。

少し前に彼女に「どういう風に暮らせたら楽に生きられると思うか」と聞かれたので「背中が痛くなくなったら随分楽に生きられると思う」と言ったら、「そんなの変だ」と言われた。が、背中が痛くない一日だけで、わたしは本当にすごい楽なのだ。背中が痛いと起きていられないくらい、本当に背中が痛いんだから。で、これはやっぱり揉んだり骨を調整したりするだけではダメなのだ(やってもすぐ元に戻る)。

これからの自分が身体を動かすことが好きになるとは思えないが、少なくとも、身体があちこち痛いのだけは治したい。
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12-28 Thu , 2017
惜しい人
確か1年前の今ごろ、ジョージ・マイケルが死んだ!ってびっくりしてた頃だ。

そして今年亡くなった人の中で。

一番ショックだったのは、エンケンこと遠藤賢司が亡くなったこと。確か実習中だったのであまり関連するニュースも見れなかったのだが。

数年前に確かガンだって公表したよな、と思って今年に入ってからWikipediaのエンケンのページを見たりしたことがあったんだけど、ガンを公表したという記述が全くなくて「あれ?気のせいだったかなあ?」って思ってたんだよね。それが、確か体調不良ということでライブが中止になったんだっけ。そのすぐ後でしたよね、亡くなったのは。。そしてこれはいつ頃だったのか詳しく覚えてないけど、ガンを公表した後に「今度は頑張れって言って欲しいとエンケンが言ってる」というのを読んで、さすがにエンケンも苦しいんだなあと思った記憶があるのだが、今、その記述はどこにあったのか探しても出てこない。もしかして、これはわたしの記憶違いか、ニュースのミスリードだったかも知れない。なんせ、エンケン、まだ亡くなってないのに「亡くなった」って情報が先に出て来たというミスリードもあったそうだし。

「頑張れって言って欲しい」というのは、もちろん、エンケンの「不滅の男」の中で「頑張れよなんて言うんじゃないよ 俺はいつでも最高なのさ」という歌詞に対してのことで、だからこそ「ああ、エンケンはそれほど苦しいんだなあ」って思ったのだが、でももしかしたら、そういうときでも別に頑張れよなんて言って欲しいと思ってなかったんじゃないかなって、今さらながら残されたエンケンのブログを読んだりしてそう思ったりしている。

ただわたしはエンケンの大ファンってわけじゃない。持ってるCDはたったの3枚だし、あっ、シングルCD含めると4枚か。そして結局1回も本人のライブには行かなかった。だから「生エンケン」は見たことがない。

なんでエンケン聴き始めたのかな~って考えると、確か'80年代の終わりか’90年代の初めかに、エンケンの「東京ワッショイ」と「宇宙防衛軍」がCDで再販されて。その当時、わたしは「東京」へのこだわりがものすごい強くて。東京っていうものは一体何なんだろう?って考えてた時期でもあって、東京タワーにも何度ものぼったし。なので曲の名前に「東京」が付くものを探していたことがあった。エンケンと出会ったのはそれがきっかけ。あとは、自分が聴いてたパール兄弟周辺にいた人だからってのもある(この言い方はエンケンに対しては失礼なんだけど、わたしとエンケンよりパール兄弟のメンバーの方が年代的に近かったので仕方がない)。1枚だけ持ってるシングルCDは「エンケンのミッチー音頭」ってヤツだけど、このコーラスにサエキけんぞうが出演してたりするし。そういえば、ミッチー音頭の青山ミチさんも去年だったかお亡くなりになったんですよね(後で調べてみたら、今年の初めだった)。わたし、この人のこともこのエンケンのミッチー音頭でしか知らない。だいたいわたしの好む音楽って、'70年代くらいのものも多く、その曲がリアルタイムで歌われてた時期には生まれてたけど記憶がほとんどないときなので、その歌が歌われてた当時、その曲がどのように評価されてたかとか、その当時歌ってた人はどうだったのか、みたいなことは全く知らなくて。'80年代後半~'90年代前半のことなので、今のようにネットですぐに検索したら何かが出てくるってわけでもなかったしね。だからわたしは純粋にその曲のこと、しか知らないのだ。

そしてわたし自身の音楽の聞き方、というのは、ジャンルがなんであるかは全く気にしないというか、自分が聴いている曲がなんのジャンルに属しているかと言うことについては全く興味がない。気に入った曲が好きな曲、というだけだ。それ以外のことは考えたことはない。なので、わたしは今までエンケンの曲を繰り返し聞いてても「これはどういうジャンルの曲かな?」なんて考えたこともなかった。でもよく考えてみたら、この人自身の音楽性って広いジャンルを持ってた人だったのよね。フォークっぽかったり、ロックっぽかったり。ただわたしが好むのは、日本民族っぽい音楽というか、そういうと雅楽とかそういう古来の音楽かなと思われるかも知れないが、わたしが好きなのはそうじゃなく、音頭とか、なんというか、ガチャガチャした音楽の中にかけ声かなんかが入ってる音楽が好きなのよね。あとはネオ歌謡曲。ネオ歌謡曲というジャンルは多分ない。そんなものができるまえに歌謡曲はどっかに行っちゃった。ネオ歌謡曲をやってた近田春夫が大好物だったのだが、これを知ったときは近田春夫自身、もうパンク?ラップ?の方に行ったあとだった。なのでわたしはいつも「ああ、なんであと10年早く生まれてこなかったのだ」と思っていた。

話が逸れたが。

まあそういうことで、「東京ワッショイ」という名に惹かれてエンケンのCDを買ったわけだが、このCDは好きだった。「東京退屈男」の、音調は純日本風なんだけど、電子音楽っぽくもあり、ちょっと変な雰囲気から始まるこのCD。「東京ワッショイ」の中にある東京への変な肯定感が好きだった。東京ってところは東京出身者にとって故郷と成り得る存在なのか。当時そんなことを考えてたわたしは、このエンケンの「東京ワッショイ」の「東京」という感じではない東京を感じながら「好きさ東京 おお我が街 おお我が友 トゥリョト トトトトトトトト 東京!東京!東京!」ってCDを聴きながら気持ちを高ぶらせたりしていた。「続東京ワッショイ」は「東京だよ おっかさん」だからさ、ちょっと古めかしいセリフがあって好きだった。「ホームランだよ 後楽園」って、わたしが聴いてたその当時は既に後楽園はなくなって東京ドームになってたりしてたから。

それから「不滅の男」。この曲はマッチョな感じの歌詞なので、本来、あんまり好きではない曲なのだが、結構好きだった。この曲の中で歌われてる「男」とかはどうでもよかったので、わたしはカラオケで「男」の部分を「女」に変えて歌ったりしたこともあった。「俺」という言葉は言い換えができないのでちょっと違和感ありますがね。。

♪まるであいつは 勝ち誇ったように
ついに この俺に こう言ったぜ
「おい お前も頑張れよ」って冗談じゃないぜ馬鹿野郎
そうすりゃ お前みたいになれるのかいお前はお前 俺は俺
頑張れよなんて 言うんじゃないよ
俺はいつでも 最高なのさ

まぁこの曲の間奏の「きゃーきゃー」いう女の人の歓声は笑えるけどね。「K・E・NJI」ってかけ声も。。
でもわたしもこの歌を歌いながら、気力を奮い起こしてたのは確かですよ。。その結果うつになりましたけどね(笑)

わたしの持っている「東京ワッショイ」のCDには、ボーナストラックとして「ミスター・タンブリン・マン」と「終わりの来る前に」という曲が入っている。これがわたしはすごく好きでね。

♪周りで何か言ってるけど それは誰のことでもないさ
そのうちわかるさ 空には垣根なんかないもの

これは「ミスター・タンブリン・マン」の歌詞。あ。当然のことながら、本家本元のボブ・ディランの「Mr. Tambourine Man」は聴いたことがありません。こんな歌詞なのかどうかもよく知らん。それから「終わりの来る前に」。実はエンケンの歌の中ではこの曲がわたしは一番好きだったりする。なんかこのCDに入ってるのは8分以上あって、途中ハウリングしたりなんだかよく分からない音がたくさん入ったよく分からない状態の曲なのだが、なんだかこれがとても好きだ。

♪ねえアイスクリームをくれないか
頭の先まで凍るような
ねえなんか言葉をくれないか
頭の先をぶっとばすような
なんでもいい なんでもいい 本当にくれるなら
ねえお酒を飲まないか
頭の先まで燃えるような

これはわたしの持っている「黎明期ライヴ」の中にも入ってるんだけど(こちらの方は10分以上!)、これと「東京ワッショイ」に入ってる「終わりの来る前に」は同じものみたいです。なんで「黎明期ライヴ」の方が2分長いのかというと、前振りが2分長いから。「どうせこの世の二人では 花の咲かない枯れすすき」という「昭和の枯れすすき」みたいな歌詞が入ってる。(「東京ワッショイ」の方は「さあ電気を消せ」から)

「哀愁の東京タワー」は「東京ワッショイ」のCDにも、「宇宙防衛軍」のCDにも入っているが、わたしは「宇宙防衛軍」の方が好き。「宇宙防衛軍」のCDの方が楽曲としては整っている感じがして、歌がとても歌っぽい(という表現していいのだろうか?でも多分これが面白くない!って人もいるんだろうね)。てか、今CDの歌詞カード見たら、この「哀愁の東京タワー」の女の人の声は、平山三紀だったのか!!この曲、「東京ワッショイ」ではエンケン1人で歌っていたが、「宇宙防衛軍」ではデュエット曲になっている。

上にも書いたが、一時期東京タワーはわたしのとても気になる場所だった。大学が東京タワーの比較的近くにあったので、大学から何回も歩いていったこともある。夜の東京タワーを見ながら、「哀愁の東京タワー」を思い出したこともあったな。

♪そっと 君の肩 抱き寄せ
そっと あなたに寄り添えば
東京タワーの 赤い灯が

ちなみに平山みきの「鬼ヶ島」というアルバムはわたしの好きなCDの中でもかなり上位に入ってる。セールス的には全然だったそうだが。。モロわたし好みの曲が多数。というのは、これは近田春夫が大いに関わっていたからで。そういう意味でも「あの頃」の近田春夫のプロデュースする曲って、ホントわたし好みの曲だったんだよなあ~。しかしそっか~、これは平山三紀の声だったのか。全然分からなかった。

エンケンといえば、代表曲は「カレーライス」とかなんだそうだが、わたしはホント、この前後のエンケンの曲って全く聴こうとも思ってなかったので、そんなに印象深くない。「黎明期ライヴ」の中に入ってて、全く知らないというわけではないのだけど、あんまりピンと来なかった。わたしが「東京ワッショイ」と「宇宙防衛軍」のCDを何回も何回も繰り返し死ぬほど聴いたのは、その後の「夢よ叫べ」なんかを出す前で、ほとんど新曲を出してない頃だった。ライブ活動は活発にやってたらしいんだけどねえ、、

もう一つエンケンの代名詞みたいになってる「不滅の男」なんだけれども。「不滅の男」のイメージが強いから、エンケンってマッチョなのか?と思うとそうでもなく。猫が随所に出てきて、にゃ~ん、とか。それこそ「カレーライス」にも出てくるよね、猫。そしてすっごい繊細な心細そうな声をしてて。多分、本当はすごい繊細な人だったんじゃないかな~なんて想像したりする。本当にマッチョだけな人は心細そうな声は出せないけど、心細そうな人は無理すればマッチョになれるからね。それこそ「俺は不滅の男だ!」ってわざと心を奮い立たせるようなね。確かこないだ、エンケンのブログを見たときにスケッチブックに「いつもそばにいるよ」という付箋だったかが貼ってある画像が載ってたのを見て、ああ、エンケンってこういう人だったのだよね、と思った。

結局一回もライブに行くことはなかったけど、どんな感じだったのかなと思ったりもする。存在感バッチリの人だったんだろうか。存在感バッチリというと思い出すのは、パール兄弟のライブにゲストで来てたかまやつひろし(ムッシュかまやつ)なんだが、あの人はすごかった。パール兄弟のライブだったのに、わたしはかまやつひろしに目が釘付けになったもん。それくらい存在感があった。「わー、このおっちゃん、すげーなー」って思ったもん。そういえばそのかまやつひろしも今年、亡くなったんだったっけか。でもわたしはこの人自体の音楽はエンケンとは逆で聴かなかった。なのでただそのライブでの存在感のみが記憶に残っている。あー、かまやつひろしももういないんだな~、、あの人の笑顔はなんだか好きだったよ。

しかし「終わりの来る前に」の終わりって一体何なんだろうね。
死を持って「終わり」とするのか。
それとも精神崩壊か。
いや世界の終末期なのか。
それ以外に何か「終わり」があるのか。

♪どうせ一緒に なれないのなら心中しよう
でも さらしものに ならないよう
何かでああ何かで バラバラにしよう
首のない ビーナスの下で アレをしよう
首のない ビーナスの下で 誰でも抱こう
終わりの 来る 前に
終わりの終わりの終わりの来る前に

つい先日、エンケンのことを調べてたら、25日に発売のユリイカがエンケンの特集だというのを知って、ユリイカ買っちゃった。

多分これでわたしは今まで知らなかった「遠藤賢司」をたくさん知ることになるんだろうな。
で、「ああ、惜しい人を亡くした」って思うのだろうな。。
22:52 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
12-26 Tue , 2017
悲しいというかなんと言うか
自転車のブレーキが両方効かなくなったので危ないと思って自転車屋さんに行ったら、「これ、直すより新しく買い替えた方がいいですよ」と言われた。

ついに、言われてしまった。。

思い返すと今の自転車はかれこれ30年は乗っている。詳細な時期は覚えていないが、多分、大学に入ってすぐに今は亡き成城の無印良品で買った自転車。その後、わたしの移動に伴い、あっちこっちに連れてった。今でも思い出すのは、以前引っ越すときに、引っ越し屋さんに「自転車がある」と申告するのを忘れて置いて行かれて、仕方ないので引っ越し先まで約20キロだったか、車の行き交う国道を自転車でえっちらおっちら移動したこと。途中で雨が降りだしてえらいひどい目に遭ったこと。

物持ちはいいし、一つのものに愛着が湧くとずっとそれを使い続けるという習性があり、「新しく買い替えろ」と言われると無性に悲しい。まぁただ、ほとんど油も差さずに乗っていた自転車で、至る所で錆び付いてるから、ブレーキだけ新しくしても仕方がない、と言われるのは自業自得でもある。

あーでも悲しいし寂しいな~。

おそらく次の自転車を買うとすれば、それはわたしの人生において最後の自転車となるだろう。だって今の自転車、30年持ったんだもん。いくらわたしでも80まで自転車に乗ることはできまい。というか、80まで生きてるかどうかだって分からない。
21:00 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
12-24 Sun , 2017
今年やった一番アホなこと
うちの最寄りの駅の近くには、何ヶ所か自転車置き場がある。

その中の一部を除いてほとんどは、自転車を止めたラックの番号を後から自動精算機に入力して清算する仕組みになっている。

わたしは止めたラックの番号を覚えることはそんなに苦ではなく、むしろ「どこの場所に自転車を止めたか」を記憶することが苦手だ。なのでいつも、自動精算機に番号を入力してお金を払った後に、その番号はどこにあったかを探すことになる。

その日も自転車置き場に自転車を止めた際、番号を見た。今でも覚えてるけど、28番だった。

数時間後、用事を済ませたあとに戻ってきて自動精算機の28番を押して、100円を入れた。で、28番のラックを探したら、自分の自転車じゃない自転車がそこにあった。焦った。「なんでなんでなんで。。。」って考えてみたら、置いた自転車置き場自体を間違ってることに気が付いた。

そう、わたしは自分の置いてない自転車置き場に行って、見も知らぬ誰かの自転車のためにお金を払ってしまったのだった。別の自転車置き場に行ったら、ちゃんと28番のところに自分の自転車が止めてあった。100円損した。

止めた自転車置き場の場所くらい覚えてろよ~って思うけど、それが案外自分にとっては難しい。あのときから「本当にここに自分は自転車を置いたのか?」を考えてからお金を払うようにしている。
10:42 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
12-21 Thu , 2017
コーヒー中毒なのかなあ?
コーヒー中毒のイメージって一日に5杯も6杯も飲むってイメージなんだけど、わたしはもともと一日に2杯か3杯、たまーに「今日は飲みたいなあ」って思う日が4杯くらいで、そんなに多く飲んでるとは思ってない。

が、あるとき、今年のいつ頃だったっけな、5月か6月だと思うんだけど(確か胃の調子が悪くてコーヒーを飲む気にならなかった頃)、なんか頭痛いときがあって、そのときなぜか彼女から「コーヒー飲んでないんじゃない?」って言われて飲んでみたら、スッと頭痛がなくなったときがあって。「むむ?わたしはこれしか飲んでないのにコーヒー中毒なのか?毎日飲めてるうちは別に問題はないと思うけど、災害が起こったときとか、毎日飲めなくなったときに頭が痛くなったら困るぞ」と思って、それ以来、回数は減らしてないんだけど飲む量を半分くらいにして飲んでいる。

ので、今は一日に1杯か1杯半くらいなんだよね、せいぜい。朝カップ半分、夕飯食べた後にカップ半分、それに加えて飲むときは昼間にカップ半分。

ところがさ。わたしは今も漢方医院に通っているのだが、わたしが「朝起きたときに一番くしゃみとか鼻水鼻づまりがひどい」って言ったら「コーヒー飲んでませんか。一日にどのくらい飲んでますか」って聞かれて、「朝と晩にカップ半分飲むから、1杯くらいです」って言ったら、取り敢えず晩に飲む分減らせません?って言われたので、昨日は夕飯後は代わりにお茶飲んだのよ。まぁわたしはコーヒー好きなんだが、飲むなと言われると無理って答えるが、まぁ晩のみ減らすのは特にそこまでのこだわりはないので。

でさぁ。問題は今日の朝。なんかどーも頭が痛い。それも前頭葉全体が痛い。わたしの頭痛は大抵右か左かどちらかから始まることが多く、前頭葉全体が痛くなって始まる頭痛ってそんなに多くはない。しかも、前頭葉全体から始まる頭痛は急激にひどくなる頭痛のことが多い。が、それにしてはなんか変なんだよね。そこまで痛くないというか、なんか頭の前の方に重いものが埋まってるみたいな感じで、いつもみたいに目も開けられないみたいな頭痛ではない。

そして思い返すと、昨日の晩はコーヒーを飲んでない。

「まさか、コーヒー飲んでないから頭痛が来たの?」と思いつつ、朝、いつものようにカップ半分コーヒーを飲む。

しばらくすると重たいものが消え去った。ちょっと片側に移った感はあるのだが、それも気にしないでいたらそのうちなくなってしまった。

ということは、、あれはやっぱりコーヒー中毒による頭痛だったんだろうか??1日1杯しか飲まなくてもコーヒー中毒になるんだろうか?

コーヒー中毒の原因はカフェインと聞いた。が、それなら夜にお茶を飲むことは、カフェインを補充していることになるが、それは関係ないみたいだ。コーヒーの別の成分から来るコーヒー中毒ってあるんだろうか?
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12-19 Tue , 2017
49歳はビミョーな年齢
最近、49歳ってビミョーな年齢だなと思う。

というのは、アンケートなどで「40代」のところに丸を付けるのが非常に申し訳ないような感じがするとて、50代に丸するのはねー、、いや、許されるならとっとと50代に丸したい気分なのだけど、もし万が一「じゃあ何歳ですか?」って聞かれたときに、「49です」って答えたらウソの年代を答えたことになるよなと。

しかし、29とか39を経験したことがあるのに、一体なぜ49で初めてこんな気持ちが湧き起こってきたのだろう?

って考えると、それはよく分からない。

ただ、40代は40から49までで、40代と答えると、40近辺を含むと言うことが、今のわたしには違和感があるのだと思う。

というのは、なぜか自分の中で「40歳と一緒にしないでよ」って気持ちがどこかにあるのだ。40のときの自分と49歳の現在の自分は、多分違う。この9年間に、わたしは自分なりにいろんなことを考えてきて、時には分からなすぎて涙を流したこともあったけど、それなりに自分が成長していると思っているからだろうと思う。

よく、「えー、60うん歳が40に?」みたいな「いかに実年齢から若く見られるか」という価値観しかないテレビCM(注:わたしが現在見てるのはケーブルテレビのみ)を見ることがあるが、60うん歳がなぜ40に見られて嬉しがってるのかちっとも分からない。だって、40に見られるってことは、40年しか生きてない、実際の20年分の経験がないように他人から見られてるってことじゃん。それってなんか悲しくないか?中身がぎっしりつまった60代に見える方が、人間として価値があるようにわたしは思えるのだけど??

でも多分、若く見られた方が絶対にいいって思ってる人(日本には多くいそう)は、そういうところに価値観を置いているのではなく、「見た目」が若ければ若いほどいいって価値観なんだろうね。そういう人は一体自分が何歳に見られたら納得するんだろう。20代?10代?って考えると気持ちが悪くならないのかな。

わたしは20代で物事の大半について、自分がどう思うか、どういう態度を取ればいいのかが分かった、と思っていた。これは前にも書いたと思うけど、「こういう事象にはA」「ああいう事象にはB」という一次的な観点でしかなかった。一次的というのは「こういう事象」と「ああいう事象」は無関係、ってことだ。ところがよくよく事象を捉え直してみると、「こういう事象」と「ああいう事象」は表面上は異なって見えるけれど、何か本質的な部分で共通しているところがあるんじゃないか?と思えるようなものもあるってことが次第に分かって来た。これまで点と点でしかなかった事象が、いろんな事象と関わり合って「面」みたいなものを作っているのではないか、と思うようになった。そして、「こういう事象」についてはAという結論を出し、「ああいう事象」にはBという結論を出したけど、これってちょっと矛盾してるんじゃないか、とか整合性が取れないものがあるとか、そんなことに気が付き始めた。そして現実はそんなに単純でないこと、様々な矛盾をはらんでいること、がやっと40代で分かるようになってきた。現実は矛盾をはらんでいて、どう考えればいいのか分からないことがあること、なぜこんな風になってしまうのだろうと考えても分からないことがあること、わたしの40代はほぼそういうことを考えてきたと言ってもいいんじゃないかと思う。

とすると、今後もしあと20年生きたとしたら、今捉えられている「面」が「立体」に思えるようになるときがあるのではないか?って思ったりもするんだよね。20代のときは傲慢にも「もうこれでいっぱしのことが考えられるようになった、これ以上考えることはないだろう」って思ってた。が、実は違った。となると、点が面に見えてきた今だって、もしかすると面が立体に見えるための発展途上なのかも知れない。だからわたしは20代のときみたいに「もうこの世の中分かってる」って顔はしない。何にせよ、今自分が考えていることは、今現在の自分が思ってること、将来どうなるかは分からない、ということでしかない。

50近くになってようやくこのような境地に達した。多分、こういう思いが40代に丸を付けるのに抵抗感がある理由なのではないかと思う。
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12-08 Fri , 2017
少しは自信が付いたかな
実習前に一番心配だったこと。

それは「実習終わるまで、無事に体力が持つだろうか」ということ。

結果的には実習中、風邪を引くこともなく無事に終えられた。ただ途中で一気に寒くなり、何回か風邪引きそうなヤバイ状態になったけど、そのたびに腰にカイロを貼ったり、葛根湯を飲んだらどうにかしのげた。

あとは頭痛。なんか去年の行政書士試験の試験勉強してた8月の終わり頃からだったと思うけど、どうも不眠傾向にあるのよね。で、結局今年の6月までずっと睡眠剤だけ処方してもらうために病院に行ってたけど、その睡眠剤は副作用に深刻な食欲不振を引き起こすために飲めなくなって。で、試せる睡眠剤は一応試してみたんだけど、どうもどれもダメで。結局病院に行くのは止めてしまった。

というか、普段は眠れるんだよね、普通に。わたしの不眠というのは、何かある前日になると途端に眠れなくなる、という不眠だ。例えば翌日から実習が始まる、とかね。案の定、実習が始まる前の日は一睡もできず、実習初日は頭痛薬を何錠飲んだかなあ。わたし、幼い頃から睡眠不足から絶対に頭痛になるという体質で。だから今まで徹夜は高校時代に1回しかやったことがない。そして特に今年の6月~7月頃から、眠れてても疲れるともう夕方頃から頭が痛くなってきてしまい。わたしの頭痛は本当にしつこくて、薬飲んだだけじゃダメで、同時に肩や首を揉んでもらったあとに風呂入ってぐっすり寝るとか、そういうことをしないと治らないのだ。それに場合によっては気絶するほど頭が痛くなることがあって、そういうことが外で起きたら、と思うととても怖い。そこまでひどい頭痛じゃないときでも大抵吐き気が起きるので頭痛の時は外に出たくない。

そんな頭痛が眠れなければ必ず来るので、眠れないと頭が痛くなる恐怖、がわたしにはものすごい強い。

不眠解消のサイトを読むと大抵「気になることは忘れましょう。一晩眠れなくても死にはしません」みたいなことが書いてあるのだが、わたしの場合、気になることが「眠れなければ頭が痛くなる」ということだし、眠れなければ絶対に頭痛が起こるので、死なないのは分かってるんだけど、「死なないから大丈夫だ」という呑気な気持ちにもなれない。また「頭痛が起こっても大丈夫だ」とは到底思えない。実際、大丈夫じゃないからね。

というわけで、実習中も何度か頭痛薬でしのいだ日もあった。

ただ。

実習やってたら体力が付いたらしく、一晩眠れなくても頭痛は出なくなった。二晩眠れなかったときは3日目に頭が痛くなって1日実習を休んだ日もあったが、それ以降は二晩眠れなくても頭が痛くなることはなかった。で、さすがに3日連続眠れないってことはなく、3日目に少し眠れてそれ以降は眠れるようになる、というパターンになった。

そうしたら普通は「一晩眠れなくても頭が痛くなることはないから大丈夫だ」って安心して眠れると思わない?

ところが、やっぱり眠れないのよね。「眠れなくても頭痛くならないから大丈夫!」って思いながら目をつぶってるんだけど、何が原因なんだか全く眠れなかった。なので一睡もせずに実習に行くってことが何度もあった。そんな感じだったので、一晩や二晩眠れなくても大丈夫だという自信だけが、この実習では付いたのだった。
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08-28 Mon , 2017
今日で18000日
このブログの左端の一番下のところに「この世に存在し始めて」という欄がある。

この世に存在し始めて18000日


今日で18000日。確か、17000日のときもブログを書いたような気がするけど、あれからもう1000日、2年半以上経つのね。2年半っていうと過ぎた年月の長さがなんとなく理解できるが、1000日前と言われてもそれが長いんだか短いんだかピンと来ないのはわたしだけか。

そういえば、広島に原爆が投下されてから今日まで約26,320日らしいのだが、それを知ったとき「え??もっと何万日も前じゃない?」って思ったのね。というのは、わたしがこの世に存在し始めた日は、原爆投下された日から1万日も過ぎてなかったってことが信じられなかったからだ。わたしにとって、広島に原爆が投下された日というのは、かなりかなり前の大昔のことだという認識がある。1万日経ってなかったって信じられない。

しかし、広島に原爆が投下されてから今年で72年。そしてわたしは49歳になった。ということは、この72年間の7割以上、自分はこの世に存在していた、ということになる。そう考えると、広島に原爆が投下されてからわたしがこの世に存在し始めるまでの方がだいぶ期間が短い、というのは理解するのだが、それにしても約8,300日しか経ってなかったのか。。大雑把に計算してみても、72年×365日=26,280なのだから、約26,320日はまったく妥当なんだけど、やっぱり今も心のどこかで「そんなはずはない、原爆投下はもっともっと大昔のことなんだから」と思っている。

というわけで、わたしも49歳になった。いやー、来年は50歳。っていうか、もうめんどくさいので自分の年齢を言うときは「だいたい50です」と言っている。

年齢って昔からなってみると案外「あ、こんなもんか」と思うものなんだね。それこそ小学校低学年の時に「小学6年生はみんなおとなだなー」って思ってたけど、実際6年生になったときは「あ、こんなもんか。全然おとなじゃないじゃん」って思ったし、20歳になったときも「あ、こんなもんか。全然おとなじゃないじゃん」って思ったし。40って不惑だけど、全然不惑じゃないじゃんって思った。

いやー、50も同じだね(笑)というか、「全然おとなじゃないじゃん」という認識より、逆に「30のときとあんまり認識が変わらないね」という風になってきたので、多分それが「おとな」になった証拠なんだろうな~。ええ、つい最近まで50歳ってすごいおじさんおばさんな年齢だと思ってたし、実際今もそう思うんだけど、その年齢を目前に控えている今現在考えるのは「えーと、30のときと(気持ちが)全く変わってない気がするんだけど」ってことで、わたしが20代30代だったときの「50歳だった人」も、もしかしたらそう思ってたのかな?と今、そんなことを考えている。

この歳になって一番衰えを感じるのは目で、老眼がだんだん進んできたなとは感じるが、それ以外はあまり衰えは感じない。わたしの場合、結構強い近眼なので、日常的に度の強いメガネを掛けているが、これでは焦点が合わせづらくなって本が読みづらくなってきた。かといって、メガネを外すと今度は強い近眼のために文字がぼやけて見える。なので、いちいち「読書用メガネ」をかけないと本が読みづらい。よく「老眼になると目がよくなる(=度が緩くなる)。近くのものがよく見えるようになる」と言われてたから、近くを見るのにはメガネがいらなくなるんじゃないかと期待してたけど、強い近眼の場合はあんまり恩恵がなさそうで残念。ただ、今のままの度は多分合ってないので、時間ができたらメガネ屋さんに行って度を合わせてもらいたいと思ってるんだけど。そのときに遠近両用を薦められるかな。。

あー、あと、本人は衰えだと思ってないけど、ここ数年で白髪は増えた。でもこの年齢で白髪が生えてないと年齢不詳になって困るので、ある程度年齢がいった人ですよって分かるためには、白髪はあった方がいい。あと、白髪が生えていると白髪がないより顔の印象が柔らかくなるので、そこのところはメリットだよなと思っている。

ただ、相変わらず性別は不祥のようだ。てか、男性に間違われているようだ。今日、図書館に行って本を借りてきたのだが「このカードの持ち主はどこにいらっしゃいますか」と聞かれた。「わたしが本人ですけど」って答えて「あっ、それはすみません」ってことになったのだが、これ、こないだTSUTAYAでDVDを借りたときも同じことを聞かれたような。。(笑)

ま、別に気にしなーい!
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08-20 Sun , 2017
健康までの道は程遠い
7月は身体がものすごくしんどかった。
これは明らかに自分の体力以上にやることが多すぎて動きすぎてしまった結果。
その中で「体力を付けたい」って頑張ったのだが、運動できるような体力は残ってないし、それならスーパー銭湯で体力を付けよう(=長時間風呂に入れる=体力が付く)と思って行ってみたら、入ったあとに風邪引いたり頭が痛くなったり(=体力使いすぎ)。

そんなこんなの日常。

えーと、精神科にはもはや通ってません。
どうせ眠れないだけだし、おまけに出される睡眠剤の副作用に振り回されて、結局出される薬はもうないだろうなーと思って行くの止めた。

その代わり、この体力のなさとか疲れて動けないとかだるいとか息苦しいとか背中が痛いとかどうかならんかと思って、先月から漢方薬をメインに処方してくれる病院に行っている。その病院には既に2回行った。

1回目の処方は、
十全大補湯(ツムラ48)、加味逍遙散(同24)がベースで加味帰脾湯(同137)、麻子仁丸(同126)が寝る前。頓服は柴胡加竜骨牡蛎湯(同12)。

十全大補湯は体力が弱っている人に効果があるらしい。加味逍遙散は以前、精神科で出されたことがあってずっと飲んでいた。ただそのときは効いてるか効いてないかよく分からなかった。加味帰脾湯は睡眠剤に近い効果。麻子仁丸は下剤。漢方ってどうしても「便を出す」ってことが基本になるらしい。この麻子仁丸の効き目はわたしには強かった。よく「便秘と下痢を繰り返す」っていうけど、まさにそれ。っていうか、出始めたら腸の中が空っぽになるまで出続けるので、ある程度溜まる時間が必要なだけで、それが「便秘」って表現されていいのかな~?とは思うけど。出てる間は腹痛を伴うのでたまったもんじゃない。
頓服で出た柴胡加竜骨牡蛎湯はイライラしたときに飲めと言うことだったが、1回分飲んだのみ。それも特にイライラしたからじゃなく、たまに背中にアカシジアみたいなムズムズするのが出るのだが、それが出たので「これに効くかな?」と思って試しに飲んでみただけ。(ちなみにそのアカシジアみたいなのは、いつも何もしなくても1時間くらいで自然に治まるし、背中のアカシジア自体滅多に出るものじゃなく、現にこれ以降は一度も出てない)

2回目の診察の前に、貧血だってことが分かり、そのことを報告。あとわたしは1年くらい前から腰が冷えるようになって、でもそれはずっとではなく、ときどき起こってたのだが、この診察の1週間くらい前からまた腰が冷え始めたのでそれも報告。あとは下剤が効きすぎることも報告。脈診の結果、ストレスは以前より減った脈をしてると。その結果、

十全大補湯(ツムラ48)がベース。当帰芍薬散(同23)は朝、加味逍遙散(同24)は夕。加味帰脾湯(同137)、潤腸湯(同51)が寝る前。頓服は呉茱萸湯(同31)。

前回の処方も「血が増える処方」だったと言われたが、これは前回よりもそれ以上なのか、同程度なのか。細かいところはよく分からないが、ストレスが減ったことで加味逍遙散が減り、当帰芍薬散が加わったっぽい。当帰芍薬散は飲んだら体温が物理的に上がった。もともと基礎体温はここ数年ずっと測ってて、それによるとわたしは元々結構体温が高く、低温期でも36.6度、高温期になると37.4度くらいになる。それが当帰芍薬散を飲んだら全体的に+0.2度くらい上がった。なので、ここ最近ちっとも暑くないのに汗ダラダラ。の割に腰は相変わらず冷えるので、これは身体の冷えとは関係がないのだろうか。あ、夜中にトイレ1回くらい行くことがしばしばあったけど、それは行かなくなった。夜中のトイレは冷えと関係がありそうだ。麻子仁丸の代わりに潤腸湯という下剤に変更されたが、名前の通りこれはちょっとマイルドかも。しばらーく出なかったけど、出始めたら毎日お腹痛くならずに便意で便を出したくなる。
頓服の呉茱萸湯は頭痛時。もう3回くらい飲んだか。うち2回は効いたが1回は効かなくて西洋薬の偏頭痛薬を飲んで治した。めっちゃにがー!!!な漢方薬。頓服でよかった。

で、これで結構順調に行ってるなあ~と思ってたんだが。

健康診断で貧血を指摘され、その場で精密検査となり、その結果を先日聞きに行った。典型的な鉄欠乏性貧血だった。フェリチンが正常値以下で絶望的に低かった。フェリチンって鉄を溜めとく場所にどのくらい鉄が溜まってるかという指標だそうだ。正常値は6-167で「普通二桁はあります」って言われた。その結果フェロミアという鉄剤を処方されたのだが、これねー、以前も飲んだことがある薬でわたし、2錠飲むと腹痛起こして腸の中空っぽになるまで出続ける、ある意味わたしにとっては「強力な下剤」と一緒なのだ。なので「2錠は飲めません」って医者に言った。そしたら「1錠じゃ鉄は溜まりません。本来ならあなたは4錠この薬を飲まなければならないんです!」って言われた。。

「お腹痛くなるんですけど」というと「じゃあ、下痢止め出します」って。「下痢止めでお腹痛くならないんですか?」と聞くと「。。。」で。じゃあ、お腹は痛くなるのに出ないんだったら、ずっと地獄の苦しみじゃん?その場合、止めることに何の意味があるのだろう??(外出時に下痢が出るよりマシってことか)

しかもわたしは今漢方で下剤を飲んでいる。その上に更に(わたしにとっては)強力な下剤(=フェロミア)を飲み、その副作用を止めるために下痢止めを飲めと。。わたしは便を出したいんだか出したくないんだか??だんだん頭がこんがらがってきた(笑)わたし、今ようやく潤腸湯で順調な排便できてたのに(しゃれか)。

医者にはとにかく、どういう方法でも、薬を割っても何してもいいから工夫して1日2錠は飲めと言われた。「そうじゃないと輸血しなきゃならなくなりますよ!!」と脅されて怖かった。。帰ってネットでいろいろ調べたけど、鉄欠乏性貧血の治療って、どうやってでもどんな副作用が出ても鉄剤を飲め!ってことらしいですね。。食事やサプリではもはやここまでの貧血は改善できないらしい。もちろん日々鉄を取るという姿勢は大切だけど。で、鉄剤で副作用に苦しんでる人も多いらしい。それからわたしも注射もあるよと言われたが、まだそんなに強くは薦められてない。まぁこれは今後、本当に鉄剤飲めなかったら考えなきゃいけないこと。あと別の貧血の薬もあるらしいが、わたしが診てもらっている病院はフェロミアしか出せないんだと(泣)

で、家に帰ってから2錠いっぺんはダメだから、1錠ずつ飲もうと思って昼食後に飲んだら、その後すぐにお腹が痛くなってトイレに何度も駆け込むことに。だけどその日の夕食後飲んだら痛くならなかった。ということは、どうやら1錠でもお腹がいっぱいになったときに飲まないとダメってことが分かった(昼食はそんなにたくさん食べない)。しかもその影響で翌日は胃痛に苦しんだ。食欲もなくなった。今年は5月下旬に極度の食欲不振で胃カメラ飲んだけど、まぁあのときほどではないがそれに近い胃と食道がスースーする感じがする。

食欲不振はやっと最近なくなったと思って喜んでたのに、1日で逆戻りかよ、と思うとこの先のことを考えて絶望した。よくなるのはじわじわ、悪くなるのは一瞬なんだからね。

そんな感じなのに、やっぱり鉄剤は飲まないといけないんだろうな~(泣)
2錠でもこれだから、4錠はとうてい飲める気がしない。
1ヶ月後に再度血液検査だそうだが、それまでに処方された薬を飲みきれない感じがするので気が重い。

まぁ次の漢方医院でちょっと相談してみる。

健康までの道のりは程遠い。
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01-24 Tue , 2017
九九が言えなくなっている
つい最近と言えるような最近ではないけど、多分、今年に入ってからのことだったような気がする。

新聞読んでたら「1から120まで順番に数える時間が30秒以内なら脳年齢が20代、35秒以内だったら30代、40秒以内だったら40代、45秒以内だったら50代」みたいなことが書かれてた。うーん、あんまりはっきり覚えてないので「以内」だったか「前後」だったか「台」だったかは忘れた。とにかく数字を数えるだけで脳年齢が分かると言うことだった。まぁその脳年齢とは何かってのはよく分からなかったけど。一種の老化現象のことなんだろうか?

やってみた。

でも、実際数えてみて、わたしは普通物を高速で数えるときは「十」を言ってないことに気が付いた。例えば31、32、33ならば「さんいち、さんに、さんさん」みたいに、いちいち「さんじゅういち、さんじゅうに、さんじゅうさん」って言ってないのね。数えてみながら「これって『じゅう』という言葉は抜かしていいのかな?もしかしてダメなのかな?」って言いながら考えてたら気が散って、120まで数え終わったときは40秒過ぎてしまってた。しかしそのほとんどを「十」飛ばしで言ったので、もしすべて「十」込みで言ったとしたら、軽く1分は超えてしまうような気がする。

しかし、いくら若くても「十」を入れて言ったとしたら、1から120まで30秒以内で言えなくない??脳年齢というのが何を指しているのか分からないけど、十を入れて言うとしたら、頭の回転と言うよりは早口言葉ができるかできないか、になってしまわないか?もちろん、舌を動かしているのも脳の一部なので、舌がうまく動かせることが頭の回転のよさに繋がり、それがすなわち脳年齢なのですと言われると、そうなのかなあという感じもしないが。

ちなみに2回目は十を飛ばして言おうと思って、いつもわたしが数字を高速で数えるように言ったら、30秒だった。どっちなんだろう?

そう考えているうちに「そういえばわたしは九九をどのくらいの速さで言えるんだろう?」とふと思った。九九は小学2年生で習った覚えがあるので、今から40年以上前?習った時分は「ににんがし」から「くくはちじゅういち」まで一気に高速で言う練習をしたもんだ。

と思って言おうとしたら、、見事に言えなくなっている!!口が回らない!!というか、考えながら言ってる!!

なにしろ「かけられる数」のイメージがすんなりいかなくて、「ににんがし、にさんがろく、にしがはち、にごじゅう、に、、えーと、五だったから次は六?」とか考えてしまって、そうすると頭の中に「2×6=12」というのがビジュアル的に浮かび、そこから「えーと、にろくじゅうに、か」って逆算する感じになってしまう。口から出任せに言うと絶対に「にくさんじゅうろく」になってしまう。いやいや!それは「しくさんじゅうろく」だから!

正直なところ、1から120まで数える、ということよりも九九が言えなくなっていることの方がショックだった。

というわけで、最近は九九をぶつぶつ呟いてたりする(笑)

そしてやっぱり言い慣れると早く言えるような気がする。
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12-11 Sun , 2016
風邪引いた(T_T)
試験が終わって1ヶ月まだ経ってないけど、徐々に気持ちが緩み始めたのか、6日起きたときに身体が熱っぽくなってて、数日寝とけば治るだろうと思ってたら、一昨日の夜から強烈な喉の痛みで再びダウン。

というか、わたしが風邪引くときは九分九厘、鼻の奥の方が痛くなるので、鼻の奥がちょっとむずがゆさを感じたらすぐに葛根湯を飲んで初期のうちに叩いてしまうのだけど、今回はそこじゃなく、喉の下の方というか、よく唾が飲み込めないほど喉が痛くなるって言うけど、それよりもっと下の方。だから唾を飲み込んでも全然痛くない。ここがこれほど痛くなるのは初めての経験だったので、最初のうちは「喉が痛いけど、風邪じゃないよね」って思ったので、放置してた。

が、夜寝ようと思ってベッドで寝ころぶと喉が痛すぎて眠れない。次第に「これって、、もしや風邪なのか?」と思い始め、一旦起きて痛み止めのロキソニンを飲んだら痛くなくなったのでそこから少しだけ寝た(すぐに痛いのがぶり返して起きちゃった)。朝起きたら熱が出てた。

風邪を引いたときはスチーム吸入器を何度もやれば、大抵気持ちよくなって風邪の治りも早い気がするのだが、今回のこれは吸入しても患部に届いたような気がしないので、全然気持ちよくならない。この痛い場所ってもしかすると気管支なの?とも思うが、気管支炎って風邪って言うんだろうか。気管支炎だったら耳鼻科じゃなく呼吸器科の方がいいんだろうか。まぁいずれにせよ、今日は日曜なんで病院休みなんだけど。今は熱はもうなくて、喉の痛みも昨日ほどではないけど、昨日に比べて鼻は出るわ、くしゃみは出るわでくしゃみするたびに喉が痛い。風邪の患部が広がってきたのか、それとも昨日、アレルギーの薬を飲んでないのでアレルギーのせいでくしゃみ出るのか。

それにしても、風邪を引くのが1ヶ月前じゃなくて本当によかった。1ヶ月前の今ごろだったら試験直前でパニックになってるだろう。

今年はあんまり日記が書けなかったので、今年の話は今年のうちに、ってことで、今月中に彼女のお父さんが亡くなったときにお葬式に参列してきた話と(彼女のお父さんが亡くなったのは今年だけどもう随分前のこと)、あと、つい最近、ある俳優さんが引退してしまったことで思うことがあったので書きたかったんだけど、風邪がもうちょっとよくなってからにする。でも今年のうちに書いておきたいなあと思う。
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12-01 Thu , 2016
48歳
今日から師走。
この1年はものすごく早かった。。

取り敢えずわたし、今年48歳になりました。
年齢の数字に異様な関心があるわたしは、もう数年前から「48」になりたくて仕方なかったんだけど、今年は「48」を楽しむ余裕がほとんどなくて、その点では惜しいというかなんというか、、

そもそも「48」ってなんでなりたかったかというと、「多くの数字で割り切れる」という理由だったわけで。要するに約数が多いよね、この数字。1、2、3、4、6、8、12、16、24、48。年齢を重ねるとこういう数字が増えてくるわけだけど(その代わり素数が減るけど)、まぁだから「48」歳を楽しみにしてたんだけど、、今年はほとんど出かけなかったから自分の年齢を書く機会もそんなになかったな~。

おお、そうそう。この数字を見れば分かるように、今年は「年女」だったんだった。が、これも意識させられたのは去年の年末くらい?去年の年の瀬に新宿に行ったら、小田急の改札のところにある柱に全部「申」「申」「申」って大きな字で書かれたポスターが貼ってあって、「おー、なるほど、そういえば来年は申年か」って思ったんだけど、年が明けてからはそれすら忘れてた(笑)

来年生きて誕生日を迎えられるとすれば、49歳になる。「49」は当然のことながら、7の2乗。6の2乗、36歳以来、13年ぶり。この「○の2乗」もだんだん間隔が空いてきたな~。これまで1から6までの2乗を過ごしてきたからか、あんまり「○の2乗」には重きを置いてなかったんだけど、次の8の2乗とか9の2乗が生きて迎えられるかとか、迎えられたとしてもあと「○の2乗」はせいぜい2回くらいしかないのかと考えると、これもこの数を噛み締めながら生きていかなきゃならんのかもね。

しかし、わたしは年齢は四捨五入で考えているので(20代からそのように考えてた)、45歳超えたら気持ちは50代で行こうと思ってたのに、なかなかそうなれない。。というか、今まで自分の中で考えてた「50代のイメージ」というのと、自分の50代になった姿というのがちっとも合わないからなんだけど。ということは、今まで考えてた「50代のイメージ」というのはあくまで想像上のものでしかなかった、ということで認識を改めなければならないと言うことか。

というわけで、ここ数年楽しみにしてた「48」になったことだし、次の楽しみの数字というと、やっぱ「51」かねえ。「51」はカープの背番号でも登竜門、と言われている背番号だ。江藤、前田、そして今は鈴木誠也。あのイチローの背番号でもある。あとは1、3、17の約数。なんかクールな数で割り切れていいねって感じ。

年齢に関する数字であれこれ思い始めたのは20代の頃からだけど、次にくる楽しみな数字を待ちながら生きていくというのも悪くないと思えるようになった今日この頃。
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08-12 Fri , 2016
ひさびさの一人暮らし
ただいま、一人暮らし満喫中。

何年ぶりだろ?おそらく2年ほど前に彼女が骨折して入院したとき以来。
まぁあのときは、家の近くに入院してたから、日中はお見舞いに行ったりして会ってたけど。
今回は彼女が旅行に行ったので、家を出たきり会ってない(当たり前か)。

家の中が汚れないとか、すぐに片付けられるとか、
ベッドで手足を伸ばして眠れるとか、
正直言うとそういうことが嬉しい。

というわけで、夜はベッドに大の字になって寝ている。

たまの一人暮らしだからいいのか、それとも一人暮らししたいのか。

それは今のところはよく分からない。
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12-30 Wed , 2015
もうこんな時期か
ブログに書きたいことはたまってるのに、忙しくて書く時間が全くないうちにもう年の瀬を迎えてしまった。
でも明日も忙しい予定だから、時間がある今日のうちに書いておく。

と言えども、最近はあまり季節感を楽しみたいと思うこともなく、365日(あるいは366日)普通の日で十分、という気がしている。まぁ猫の誕生日は祝いますけどね。

しかしまぁ、区切りではあるので、今年1年を振り返ってみると、今年はわたしにとって、とても不思議な年だった。

生きて考えてれば「なんでこれはこうなってるんだろう」と思うことが多々ある。本を読んでても疑問に感じることがあるし、日常を暮らしてても疑問に感じることはあるし、何かを見ても疑問に思うことがある。単純な知識問題ならともかく、何を手がかりに探せばいいのかさっぱり分からないこともある。

ところが今年はそれが「繋がる」ことがとても多かった。人に会ったり、イベント行ったり、学習会に参加したり、映画を観たり、劇を観たり、でもそれは特にその疑問を解決したいと期待して行ったわけではない。全く関係ないところで、でも自分の中で「あっ」って思うことがとても多かった。答えは見つからずとも、そのヒントになるものと出会うのだ。そのことをヒントにまた自分の中で思考を深め、そして行き当たる。しかしまた別のところでヒントと出会う。ヒントであったり、同じ思いをしている人に出会ったり。

今年はそんな、不思議な年だった。

ただ、だからといって「答え」が見つかったわけではない。というか、答えなんか見つかるような問題ではないと自分では分かっている。しかし、だからといってなぜ考えるのを止めないかというと、それは自分が人間だからだ、「人間は考える葦である」ではないか、なんて書くとカッコイイ~んだろうけどね(笑)別にわたしは人間だから考えているわけではなく、答えを探す行為が、今後自分はどうすればいいのか、自分は何が出来るのか、というある種の答えには繋がっていると思うからだ。要するに副産物で自分の行動が決められる、と言えばいいのか。疑問に思っている「答え」そのものは見つからないにしても。

多分、この中で一番大切なのは、疑問に思っている「答え」そのものではなく、「自分がどう行動するか」なんだと思う。ぐだぐだ自分の頭の中で考えてたって、それで世の中変わるわけはないんだもの。もちろん自分の行動には限界があって、行動したとしても世の中変わるわけはない。わたしは一声で世の中が変えられるような絶対的な権力者じゃないし、逆にそういう権力を持った人を忌み嫌っているから、自分は権力者にはなりたくないし。自分ができることは所詮、微々たるものだと思っている。けど「どうせ行動しても世の中変わらないよね」とブツブツ言ってるよりは、行動する方がよっぽどいい。それが自己満足に過ぎない、ということも十分承知だし、わたしはそれが自己満足であることに満足してるので、それはそれで構わない。とにかくわたしは行動をしなければならないと思う。そのこともはっきり分かった年でもあった。

わたしが主に考えていることは、過去のブログを読んでもらえば分かると思うが、「死刑」「宗教」「在日外国人(特に在日朝鮮人)」のことについてだけど、「死刑」については、今年、自分の考えに決着を付けることが出来た(もしかしたら、その結論についてはブログに書いてないかも)。「宗教」については、これは今も興味の対象。今年はいくつかイスラム教について書かれている本を読み、外観はどんな宗教なのかは一応分かったけど、でも人に出会ったわけではないので、まだ疑問満載。ただ、一つ一つの宗教についてではなく、「宗教」全体(なぜ宗教があるのだろうという疑問など)として考えるのもまた面白い。絶対に答えなんか出ないと分かってるけど、今のところは「人間がそれを必要としていた」と思っている。要するにひっくり返すと「宗教は人間が作った」なんだけど、それは仕方ないよね、わたしは宗教を信じてないんだから。また、わたしはずっと「宗教とは何か」という疑問もあったが、これはそれぞれの宗教、個々に「エッセンス」というものがあり、それは何かというものをそれぞれの教典から読み取っていく作業なのではないかと思っている。要するに、聖典に書かれていること一言一句が正しいのではなく、全体を読んだときに「共通する何か」があるんだろうと。そう考えると、おそらく仏教もキリスト教もイスラム教も(その他の細々した宗教についてはよく知らない)、根底に相通ずるものがあるのではないかと思う。

例えば聖書、キリスト教の教典である聖書だけども、旧約聖書の一番始めは「創世記」、いわゆる「天地創造」について書かれている(旧約聖書はキリスト教だけでなく当然ながらユダヤ教、そしてイスラム教の聖典でもある)。しかし、その1章と2章、全然違うことが書かれているのだ。1章では神は最初にいろんなものを創って、そして一番最後に人間を造った、と書いてある。それが6日目だったと。だがその直後の2章では、神はまず人間を造って、人間を助けるものを創ろうといって、他のものを創ったと書いてあるのだ。全く矛盾していることが書いてあるよね、直後に。しかも、大多数の人が読み始める最初のページ、おそらく一番読まれることが多いであろう箇所に。聖書ってどんなことが書いてあるんだろうと思っただけの信者以外の人だって1ページから普通読むだろうよ。これ、編纂するときになんでこんな矛盾しているものを載せてるんだろう、どちらか一方を削って「こちらが正解です」ってしなかったのはなぜだろう、そちらの方が都合がいいのになぜ敢えてそうしてないんだろう、と考えると、「聖書とは、一言一句を信じるものではないものである」と聖書自身が言いたいのではないかと思える。「聖書には矛盾していることも差別的なことも含んでいますよ。けども、それが聖書の本質ではないのです。しかし、この中には一本貫いていることは確実にあります。それが信じるものに値するものです」と言っているように思えるのだ。だから聖書で自分の都合のいいところのみを切り取ってそれを「聖書にはこう書いてある」と「教え」ている原理主義は、聖書自身が否定していることなのではないか、と。

尤も、わたしはだからといって聖書全部読んだことはありません(笑)ただ聖書というものは本当に奥が深い「読み物だ」とは思ってる。バベルの塔のところなんて、いつもいつも「よく昔の人がこんなこと考え付いたよなあ」って感心する(そういう意味ではわたしは聖書は「人が作ったもの」と思っている)。昨今の出来事で「バベルの塔」を思い浮かべることが、わたしはよーくあるから。

また、わたし、今年分かったことに「神(仏でもいいんだが、以下同じ)を信じる人は、神を通して人間を見ることができる人だ」ということがある。神を信じられない、わたしのような人間は「人間」でしかものが考えられない。別の視点から「人間」を見ることができない。しかし、神がいる人たちは、「神を通して人間を見ることができる」。このことが分かったときに正直「ちと悔しいな」って思ったのね。わたしは人間を「相対的」に見ることができない。わたしの中には「人間」しかないから。でも「神」という別の概念がある人は、神を通して人間を「相対的」に見ることができる。複数の視点を持っていることは、自己の考えを深められるだろう。そういう点で「悔しい」のだ。まぁだが、神を持っている人は「絶対的」なことが分かるかというと、そうじゃないけどね。神を信じている人たちの中の神は、やっぱり「相対的」なんだと思う。イメージ的には、この宇宙、絶対の座標軸があったとして、そこから見ると、個々の神の位置が違っている、みたいな感じになるかな。でもそれは仕方がないんだよね。人間自身が相対的なものなんだから。複数の視点が持てないから悔しいと思えども、神には出会わないと出会えない、ということもわたしは知っている。今後、出会うかどうかは今のわたしには分からない。出会ってないのだから、出会っていないまま、わたしは考えて行く。ただそれだけのことだ。

なんて話がとんでもなく抽象的なものになってしまったが、基本的に宗教とそこに住む人たちの文化や慣習、というものは非常に密接に関係してくるので、そういう意味でも個々の宗教を知ることは大切なことだと思っている。来年も個々の宗教を知ること、そして「宗教とは何か」「宗教はなぜあるのか」、この問題は引き続き考え続けて行きたい。まぁ、この疑問に答えなんかないと分かってるけどね(笑)

そして「在日外国人」、主に在日朝鮮人、在日韓国人、在日コリアン、なんて呼べばしっくりくるのかは分からないけど、その話。このことについて考えることは、本当にいろんなことを知らなければならない。歴史的な話だったり、法律的な話だったり、言語的な話(イメージ的には法的な論理というよりも感情的な言語を使用した論理と言えばいいのか)だったり、そしてその縁辺には元日本軍「慰安婦」の人たち(これについては現在、大きな動きがあったけれども、到底納得できない。だいたい謝罪する側が「このことは蒸し返すな」と言いつつする謝罪ってそれは本当に謝罪と言えるのか?まぁその他もいろいろ言いたいことがあるが)、そしてそこから「戦争被害」「戦争加害」、被爆二世としての自分、そして平和が脅かされている現在の「日本」。「在日」の問題を考えるとき、わたしの中にはこういうものがずっと連なって来ている。だからこそ、まずは「知ること」だと思っても、一度にたくさんのことを知ることは出来ないし、何しろ「知ること」といっても多岐に渡っているので膨大な量があるし、知ったらますます疑問が湧いてくるしで、そう考えると到底全部知ってから考えることなんて出来ない。だからこのことに関しては、今までわたしが「出会ってきた」人やものから少しずつ考えて行くしかないだろうと思っている。

ただ、今年に関して言えば、自分の中で一番はっきりしたのは「国とはなんだろう?個人とはなんだろう?国と個人との関係とはなんだろう?国と個人との線引きはどこなんだろう?」という疑問の方だった。これは今年わたしはいろんなものに出会ったけれど、何かに出会うたびにこの疑問はますます膨れあがってきた。そしてその答えは今のところ全く掴めてない。手がかりすらも分からない。しかしこのことが疑問になってきて、わたしは確実に前と変わってきていることを知った。わたしはつい最近、数年前に自分がこのブログに書いてたことを読んだ。そこには

わたしは決して、ジョン・レノンの作った「イマジン」のように「国が存在しなかったら」とは思わない。国家というものは必要なものだと思うから。ただし国家というアイデンティティを失わずに国と国とが緩い連帯を取ることはできないのかな、とは漠然と思っている。



って書いてある。このときは「国」というものに疑問を持っていなかった。でも、この考えは今年、変わった。上のことをわたしが書いたときに思っていたことは「もしこの地球が一つの国だったら」ということだった。でもこれは現実的に考えて有り得ないだろう。だって、一つの国になるとしたら、資本主義なの?社会主義なの?共産主義なの?とか、法律はどうなるの?とか通貨紙幣はどうなの?とか、そういう「現実的」なことを考えると「有り得ない」話だからだ。そういう意味でわたしは「国」というものに疑問を持たず「国家というものは必要だ」って書いた。

その理屈は今でも変わらない。しかし、一方、これまた現実的な話だが、国家が存在することによる弊害だってかなりあるのだ。「民主主義」とか「人権」という概念は、近年になり人間が発明したものだと思っているが、やはり根本的にこの世に生まれてきた人間は「人権」を持っているはずだ。幸福に生きる権利、自由に生きる権利は誰にでもあるはずだ(ただし「公共の福祉」に反してはならないと思う。「公共の福祉」って日本国憲法の文言だけど。で「公共の福祉」って「他人の人権を脅かさないこと」であって、単なる「人の迷惑にならない」とか軽い意味じゃないし、ましてや「国の都合の悪いこと」ではない)。ではその実現を果たすために「国」は絶対に必要なものなのか。「国」がなければすべての人は幸福に生きる権利、自由に生きる権利が持てないのかというと、全然そうじゃない。そのことの実現のためには特に「国」である必要性は全くないのだ。

ジョン・レノンの「イマジン」については、わたしはよく知らない。彼がどういう気持ちを込めて、この曲を作ったのかも全然知らない。けれど「国がないって想像してみて」というのは、まさにこういうことなんじゃないだろうかと。「地球上から国をなくす」というのは、アナーキストと言われるかも知れないが、わたしはそうじゃないんだよね。「人権」「民主主義」、そして「国家」このすべては人間が発明したものだとすると、わたしたちは国という概念を超える「何か」を発明することが必要なのではないかと。「この世に住む人たちがみんな自由に、幸せに生きている」そのことを想像しながら「では『国家』を超えるシステムとはなんだろう」って考えることが必要なのではないかと。

このことが、今年、わたしの分かったことで、去年までとはちょっと違ってきた部分だった。

「国と個人の関係」を考えたのは、正直、ここの部分だけの話ではなくね。ただ、今までは「国のイデオロギー」ってよく分からなかったんだけど、いろんなものに接しているうちにそれが見えてきた。と同時にわたし自身も知らないうちに国のイデオロギーによって洗脳されているんだ、ということも見えてきた。多分それはこの国で「日本人である」ということがどういうことか、少しながらも自分に「見えてきた」からだろうと思う。それまでは「日本人は日本で多大な権力を持っている」と言いつつ、でもそれは自分自身感じられなかった。が、そういう自分自身はべったりと「日本人の論理」で生きていた。そのことが少し感じられただけでも、わたしはとても嬉しかった。これを少し感じることができたということは、自分の「座標軸」をずらすことが可能だと言うことだから。

そしてこのずらした「視点」を保ちながら、来年に繋げていきたい。

最後に、うつ病的な視点から今年の自分を見てみる。

今年は比較的よく動けた年だった。多分、端から見ると「うつ病の人」には見えないだろう。そういう意味ではわたしも最早「うつ病」ではないと思っている。ただ、過剰に無理はしないように気をつけている。無理をしたら再発確実な反復性うつ病だからね。しかし以前と違ってきたのは「休んだら元通りになる」ってことだ。病気のときは身体がだるくてだるくて仕方がなかった。何をやるのもやる気が出ずに、多大に努力して動いていた、という感じがする。もう普通に動けていたときの状態が自分では分からなくなっていて「昔もやる気が出なかったけど、無理して身体を動かしていたのではないか」とずっと思っていた。何も考えずに身体がスッと動くなんて夢じゃないかって思ってた。

ところが、やっぱり身体って何も考えずにスッと動くものなんだよね。「やる気が出ない」というのは、出なかった頃は自分が怠けているのではないか、自分を甘やかしているのではないかってずーっと自分を責めてたけど、やっぱりそういうのは「病気の症状」だったのだ。そしてあのときは休んでも休んでも、寝ても寝てもずっとずっと身体のだるさは変わらないし、やる気も出たとは思えなかった。でも、今振り返って思うのは、やっぱり休んでも休んでも、寝ても寝ても身体が動かなかったりやる気が出ないときは、やっぱりそれは「休み方が足りない」んだってこと。休みが足りてきたら何も思わなくても身体がスッと動くし、何より何かやりたくなることができてくるのだ。

今も朝起きるとき、すごくだるくて起きる気がしない、起きるのが嫌な気分になることがある。そういうとき「あれ、自分はこれがデフォルトだったっけ?」って思う。だけど、その日、一日休むと翌日は動けるようになっている。朝、すんなり身体が動く。だから「あ、昨日はわたしは疲れてたんだ。だから起きれなかったのだ」って思える。うつ病のときは休んでてもあまりにも日々変わらなかったので、だるいのがデフォルト、みたいに思えちゃうのね。その感覚が今も残っているので、自分自身だるいときもそれは疲れではなく元からだと思ってしまうクセがある。けど、違うのね。今は一日で回復するようになったので、そういう意味でも「治ってきてるなあ~」って実感はあるし、身体がだるくて起き上がれなくても「今日は休もう」と素直に思える。

が、今ひとつ「治った」と言い切れないのは、疲れすぎると眠れないからだ。なぜか疲れすぎると眠れなかったり、眠りが浅くて全然寝た気がしなかったり、ってことは今でもある。なので「よくなってきている」けども「完全に治った」とまでは行ってないのだろう。だから、まだまだ油断大敵なのだが。。

今年1年は本当に充実した年だった。だが希死念慮は全然消えてない。むしろこれだけ活発に動いているのは「いつ死んでもいい。だけど悔いのない人生を送りたい」って思ってるからだし、もし明日死ぬとしても、わたしはそれで全然構わない。むしろその方が嬉しい。この世に自分が存在しているだけで苦痛だから。考えることも苦痛だから。息をしてるだけで苦痛だから。この世に未練なんか全くない。死んでこの世から早く消え去りたい。死んだら他人から自分のことを一切忘れられたい。この世にいたという痕跡を残したくない(死んだらこのブログも消去してもらう予定)。そしてわたしには「あの世」もない。「あの世」で自分が存在する、なんてそんな絶望的なこと、考えたくもない。わたしは「死んだら無になる」と思えるから、今、頑張れるのだ(だからわたしは宗教は信じたくても信じられない。宗教には「あの世」があるんだから)。死んでからいくら「あの世は何の悩みもない幸福な状況です」と言われても、自分が存在すると思っただけで苦痛なんだから、わたしにとっては幸福な状態であろうと苦痛なのだ。なんにせよ、わたしはわたしの存在自体をどこからも消し去りたい。これは明らかに「病的」なのは分かってるけど、これだけはもうどうしようもない。それは「病的」といっても、もうわたしの「一部」なのであり、そういう意味ではわたしは死ぬまでうつ病と「共存」していかねばならないのだろう。

よく他人から「生き生きしてる」とか「前に比べて元気になった」とか「顔色が良くなった」って言われるんだけど、確かに端から見るとその通りなんだろうと思うが、自分自身はあくまで「後ろ向き」に前に進んでいる感じだ。だって時間軸は前にしか向いてない。過去には絶対に戻れない。だとすると、前に進むしかないじゃないか。だけどわたしは自分が「生きたい」と思っては生きていない。自分で死ぬことができないから仕方なく生きている。だけど、生きている以上、悔いなく生きたい。「ああ、あれもやりたかった、これもやりたかった」「あそこに行きたかった、ここに行きたかった」と思いつつ死んでいくのはイヤだ。だから、わたしは今、できることを精一杯やる。一日一日を精一杯生きる。

来年もやりたいことはたくさんある。けど、それがいつ打ち切られても構わない。そんな思いを持って生きていく。

【追記】上の方で「創世記」云々、という話を書いたけど、あれは別にわたし自身が発見したことではない。このことについては、今年の不思議さを象徴するような話なのだが、直接的に「創世記」の1章と2章の書いてあることが矛盾している、ということについては今年読んだ「罪と死と愛と」という本に書いてあったものだ。そして「ではどうして矛盾しているものを直後に並べたのか」についての考察は、そこに書いてあったことを参考にわたしが大きく膨らませたものだ。実はここの部分、もう一つ、「男女」の造られ方が全く違う。このことについてはフェミニスト神学などが指摘しているということは以前から知っていたものの、問題はそこだけなのかと思っていたし、それがどういう意味を持つのかは考えたことがなかった。

そしてこの「罪と死と愛と」という本を知ったのは、「絞死刑」という大島渚の映画を観たからだった。そしてなぜそもそもこの映画を観ようと思ったかは、たまたま偶然チラシを見て知ったからだ。そう、順番を追って話すと、わたしはたまたまチラシを見て「絞死刑」という映画を知った。「観たい」と思ったのは、「小松川事件」という、これまたわたしは初めて知った事件だが(まあわたしが生まれる前の話なので)、貧しい在日の少年が2人の女性を殺害して死刑になった、という話を知ったからだった。事件は確か'56年頃起こって、'62年に死刑が執行された。死刑が確定した後、日本国内で助命嘆願が行われたらしい。それはあまりにも在日の少年が過酷な境遇におかれていたからだ。そして大島渚は'68年に「絞死刑」という映画を制作して上映した。'68年と言えば、ちょうどわたしが生まれた年だ。大島渚は「日本における在日朝鮮人の問題」としてこの映画を作ったらしい。わたしも「在日」のことについて描かれた作品だろうと思って観に行ったのだった。

ところが実際に映画を観ると「この映画のどこが在日朝鮮人に焦点を当ててるんだ?」という内容だった。わたしには「死刑制度について疑問を呈している」という映画としか思えなかった。そして内容も当時の人だったらそんなに細かい事件の背景は必要じゃないよね、というような映画だったので、事件自体のことははっきりしたことはよく分からないままの「なんか変な映画」だった。しかし観終わったときに、この映画を上映した主催の人が「小松川事件については、2冊の本が出ています」と教えてくれ、そのうちの1冊がこの「罪と死と愛と」だったのだ。ただこの本は少年死刑囚だった人と同じ在日の朴寿南さんという人との往復書簡集の一部だ。要するに手紙のやりとりのうちの重要な部分だけが抜粋されている本だった(重要な部分といっても、約300ページに2段組で書かれ、結構読むの大変だった)。そしてその他の1冊というのはこの2人の手紙のやりとりのすべてである「全書簡集」だ。けっきょく両方の本は手紙のやりとり、という形の本だったということだ。

「罪と死と愛と」を読んだら、これは在日というよりもキリスト教の話じゃないかと思った。そこに死刑囚ということは密接に絡んでいるが。というのは、この少年死刑囚は死刑が確定した後にキリスト教を信仰するようになっていたからだ。そこでは自分が死刑囚であるということと自分が犯した罪のこと、そして神とは信仰とは、ということが書いてある。確かに日本で生まれた朝鮮人、ということについても書いているが、この少年は生まれてから罪を犯して警察に捕まるまで、自分をあまり「朝鮮人」とは意識してないというか、本人は差別されるのでいつ周囲に自分が朝鮮人であるということがばれるか非常に恐れていたけれど、周囲は誰も彼のことを朝鮮人だと知った人はいなかったんだよね(雇い主は知ってただろうが。だって彼は就職の際も「朝鮮人だから」ということで大企業には就職できないのだ)。逆に「犯人は在日の少年だった」ということがクローズアップされすぎて本人はとても途惑っていただろうと書いてあった。彼は朴寿南さんとの手紙のやりとりにより、獄中、自分の民族意識に目覚めるのだ。だが、本を読んだ感想として、やっぱり主題は「信仰」にあるのではないだろうか、というのがわたしの感想だ。それくらい、信仰について書いてある内容が面白かった。上で「神がいる人は人間が客観的に見られて羨ましい」と書いたが、わたしがそう思ったのもこの本を読んでそう思ったからだ。

で、もうお気付きだろうが、なんとこの本は「死刑」「宗教」「在日」とわたしがそれまで別々に単独で興味を持ったことすべてが絡んでくる話で、その偶然さに非常にびっくりしたのだった。この話は今年、わたしに起こった「不思議さ」を象徴しているような話なんだけど、結局のところ、これは「象徴」に過ぎなくて、それ以外の分野でもあちこちで繋がったことが多かった。だから今年は本当にわたしにとって「不思議な年」だったのだ。
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12-09 Wed , 2015
子宮がん、検査を受ける目安
先々月に不正出血があり、そこでポリープが出来ていたので取ってもらったついでに、子宮頸がん検査と子宮体がん検査をしましょう、という話は以前に書いた。そして先月、ポリープの病理検査結果を聞いてきて、同時に子宮体がん検査をやってきたんだけど、その体がん検査の結果を最近聞きに行ってきた。まぁ、検査結果は10日で出るという話で、10日経っても電話がかかってこなかったので、異常なしなんだろうとは思っていた。

これで一連の検査等が終わったのだが、わたしは聞いておきたいことがあった。何しろ、婦人科なんてできるならお世話になりたくないところだ。多分、シスヘテ女性だって婦人科へはあんまり行きたくないところだろうから、レズビアンのわたしなんか本当に敷居が高い。行くたびに「わたしは女性とセックスする人間です」とは言いたくないから。かといって「異性愛女性前提」の話をされるのはきつい。問診票すら同性とセックスする人間のことを想定されてない。「いない」ものと想定されているわけだから、「いないもの」としてみなされている人間が「います」って言うことはとてもハードルが高い。今回行った病院は、まぁセクマイなら「ああ」って分かる病院なんじゃないだろうか。婦人科の診察が月に1回のとこ。ここはもともと「セクマイはいる」と想定されている、という安心感があるのでやはり心理的には行きやすい。そして婦人科の先生が来るのは月1回だけだからか、あの屈辱な体勢になる「内診台」がない。平坦なベッドの上に横たわって股開くだけ。これ、結構わたしにとっては楽だった。きっと体がん検査が全く痛くなかったのも、そういう心理的な面で緊張感がなかったからかも知れない。てなわけで、3回受診して話しやすくなってたところで常々「これはどうなんだろう」って思ってたことを聞いてきた。

まず、基礎体温計ってて疑問だったのは、基礎体温を測っていると排卵が起きていることは分かる。それによって生理が来るのも分かる。しかし、不正出血のときはそういう体温の変化に関わらず来るわけだから、それが不正出血なんじゃないの?って思ったが、無排卵の生理、というのがあるわけだから、体温に変化が無くても生理は来ますと言われた。そして、この年齢になってくるとダラダラと出血が続く傾向があるという。しかし、その出血が2週間以上続いたら、貧血になる恐れがあって止血しなければならないから、そのときは来てくださいと言われた。もちろん「何かある」可能性もあるという。なのでそれが病院に行く一つ目の目安。

もう一つは、頻繁に不正出血があること。数日おきに出血するなどのときも病院に来いと言われた。これが二つ目の目安。

以上が定期検査以外で「あれ」と思って病院に行く目安。

それ以外だと1年に一回は定期検査に来てね、と言うことになる。子宮頸がん検診はまず1年に1回、体がんは2~3年に1回かなあということ。これは体がんにかかりにくいからと言うことではなく、身体の負担を考えてとの理由なので、本当は体がんも1年に1回受けることが望ましいらしい。国保だと無料で検査が受けられるクーポンなんかが付いてくる年があるが、これの「子宮がん検査」は頸がん検査で体がんじゃないから、体がんを希望するならわざわざそう言わないとダメらしい。あ、体がん検査は40台後半くらいからね。体がんにかかりやすい年齢は、40台後半からだから。もちろんだからといってそれ以前の人は体がんにならないかというとそう言うわけではないが。まぁ40代後半以前はまれなことなので定期検査の必要性はないということだろう。

あと、気になってたのは卵巣がんなんだけど、これはひとまずエコーで腫れてるかどうかはチェックできるので、それが目安になるらしい。が、中には卵巣が腫れない卵巣がんもまれなんだけど、起こりうると。まぁもうそうなったら早期発見は無理ですってこと。今のところ医学にも限界はあるんだから仕方がない。わたしの場合は筋腫もあると言うことで、その大きさもチェックをしなければならないので、そのついでに卵巣は見てもらうことになる。

とまぁ、そんな感じで以前から聞きたかった子宮がんと卵巣がんについて聞いてきた。ちなみにわたしが行ってるこの病院は頸がん検査のキットは常時あるけど、体がん検査のキットはその都度持って来なければならないので、事前に予約するときに「体がん検査も受けたいです」って言わなきゃダメです。

しかしね~。前から思ってるけど「うちはセクマイフレンドリーです」って婦人科がもっと増えないかな。GIDの治療などで婦人科だってセクマイと全く関わりがないわけではないと思うんだよね(尤も、GIDはセクマイの中に入らない!という人もいるのは知ってます。そしてそれはそうだろうなという認識も持ってます)。婦人科の問診票で「セックス体験の有無」を聞くのは、単なる身体の中に入れる器具の大きさの違いだけって聞いたので(しかしそう考えると婦人科の医者は「セックス」というのは「女性器に男性器を挿入すること」としか認識していないということがよく分かるし、一人でもバイブで遊んでる人がいることなんか考えたりもしないんだろうと思ったりする)そこのところはもっといい聞き方をして欲しいなとか。最近「LGBTビジネス」という言葉が盛んに使われているけど(結婚式場とか保険とか)、こういうところだって「LGBTビジネス」の一つと言えるんじゃないだろうかね。
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11-28 Sat , 2015
47歳
今年は47歳の年。

毎年1回は年齢についての日記を書いてるんだけど、去年は12月に「生誕17000日目」って題名で日記書いてるね。それを見ると、今日は生誕17361日目。あれから360日以上経ったんだね~。

去年、47って数字は素数なだけであんまり魅力がないって書いた。確かにそれはそうなんだけど、年齢のところに「47」って書くのが結構好きだったりする。数字自体には魅力がないのになんでだろう?とても不思議だ。

そして、今の時期になると来年の年賀状の印刷の受付、みたいなので、年賀状のサンプルを見るようになったんだけどさ。そこに印刷してある「申」って文字を見ると「あらっ」って思う。そう、来年は年女なんだよね~。つか、48という数字のことばかり考えてて、年女と言うことはすっかり忘れてた。てか、別にだからどうということもないが。。

しかし、45を2年も過ぎてるのに未だ、四捨五入して50とは考えられない。きっとわたしの中に「50歳」に対する強固なイメージがあって、そのイメージと自分が合わないからじゃないか?と思ったりする。「50」というと社会的にも落ち着いてて老人に片足突っ込んでるイメージが多分あるんだろうね(笑)今のわたしはまだまだ落ち着いてるどころの騒ぎじゃないからなあ~。。

去年の「生誕17000日目」の日記を読むと、病状がよくなってきただの、でもやる気が出るとか出ないとか書いてあるけど、んー、去年から今年の1年はね、とにかく息苦しかったね。正直、今も息苦しい。ただ、去年よりはちょっとは楽になってきたかな?って思ってたんだけど、最近の寒さのせいか、またひどくなってきてしまった。。肩こりというか、肩こりと背中の痛みとが合体して(これは去年からだけども)、それがちょっとよくなったかなと思ったらまたひどくなるの繰り返し。。先週までかなり楽だったんだけど、1週間前からまたひどくなった。なんなの、これ。これと息苦しさの相互作用で正直、身体の方はあんまり楽に動けるとは言い難い。

しかも15年来の座骨神経痛持ちでとうとう、足先からしびれが出てきた。その影響か、座骨神経痛で痛い方ではない反対の方の腰が痛い。

ということで、上半身も下半身もボロボロなわけですが。これって老化現象って言えるの?

ただ、なぜか精神の調子だけはOK。やる気というのは、出ないときに「なんで出ないんだろう」って思うものなのね。最近は「やる気」のことを考えることはほとんどない。確かにやる気が出ないときもあるんだけど、そういうときは「まぁいいか」って思える。というのは、仕事なんかで動かなきゃいけないときはやる気なくても動けるようになったから。きっとこういうのが「普通の状態」というのだろう。しかし、わたしの場合はそこからすぐに奈落の底に落ちて行く感覚を味わうことができるので、というか、もううつ病やりすぎて、自分の中のその感覚が忘れられなくなったというか、ただそういうことだけだと思うけど、今もある一定の条件が揃えば、多分すぐ、うつ状態に戻るだろうなあということはなんとなく分かっている。

でもここ数年で見ると、この1年はきっとかなり調子がいいとは思う。先週なんか、ほとんど毎日外出していたし。その頃は息苦しさも背中の痛みも結構なくなってきてたし。ところがね。「ちょっとは休まなきゃ」と思って休んだ途端、息苦しくなるわ、背中の痛みや座骨神経痛の痛みもひどくなるわで正直「休まなかった方がよかったのでは」と思ったほど。しかもわたしは休むと途端に何もしたくなくなる。まるで「慣性の法則」そのものじゃないかって思った。

外部から力を加えない限り、動いている物体は永遠に等速直線運動をし続け、静止している物体は永遠に静止している。

ってやつね。とにかく動いている間は次に動くのが簡単なのだけど、一旦休んじゃうと動き始めるのがとても億劫になる。精神科の主治医に「わたし、休むと体調悪くなるみたいなんですよね~」と言ったら「そんなことないです!」と言われた。主治医によれば、背中などの痛みは動いてないから血の巡りが悪くなってるんじゃないかと言ったけど、確かにそれはその通りかもと思うが、それ以来、外出しても楽になることはない。あー、ホンマ、休むんじゃなかったわ。

去年は「やる」と言っていた資格試験勉強、結局息苦しさでできず。今年は息苦しくてもやります。
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11-16 Mon , 2015
子宮体がん検査受けてきた
先月書いた日記で、子宮口にポリープができてるのを取ったのと、ついでに子宮頸がん検査を受けたことを書いた。その結果を聞いてきたのだけど、そのときに子宮体がんの検査もしてもらった。あ、ポリープは悪性のものじゃなく、子宮頸がん検査でも異常なしだった。まぁポリープは前に1回できたものの再発で、1回目に取ったときも「病理に回します。1週間後、検査結果を聞きに来てね」と言われたのだが、めんどくさくて行かなかったのだ。どーせ、何か異常が見つかったら、こっちが行かなくても向こうから連絡来るだろうしね、、で、連絡も何もなかったので異常なかったんだなと思ってたの。だから今回も「多分、悪性ではないだろうな」とは思ってた。まぁでも、前回の日記にも書いたけど、だからといって丸っきり「シロ」だとは思ってません。じゃあ何のために検査受けたのよ、と言われると困るんだけど(笑)

検査結果を聞いた後、子宮体がん検査についての説明。何やら痛いとか、出血が何日か続くけど1週間以上止まらなかったら連絡しろとか、検査を受けると300人に1人の割合で腹膜炎だったかを起こす人がいるので、2、3日以内に腹痛が起きたら連絡しろだとか、なんか「こんな検査してホンマに大丈夫なんだろうか」と不安になって来た。てか、体がん検査がすっごい痛いってのは、わたしも何かどこかで聞いたことがあったんだよね。でも、こないだポリープ取ったときもめちゃくちゃ痛かったから(笑)あれ以上の痛さってどんな痛さなんだろうと少し興味もあった。

やっぱねー、一般の婦人科にある「内診台」と言われるものよりも、普通の診察台(とは言うものの、自動で上下する)の上に寝転がって股開く方がいいわ、わたし。あんまり屈辱的な感じもしないし。診察台で十分だとしたら、なんであれより高そうな内診台なんてあるんだろうか。あ、バスタオルは1枚、自分で持たされるけどね。

バスタオルを隔てているからか、まぁ物理的に目が付いている場所からは見えないところでやられてるからか、何をされてるのかはよく分かんなかったけど、最初にぶすっと器具を入れられた。これが痛かった。。。思わず「いて-」って言っちゃった。そしたら「まだ器具を入れただけだから、これからです」と言われた。「力抜いて、楽にして下さい」って言われたんで、あー楽にしなきゃなあと思って楽にした。で、そばにいた看護師さんに「消毒するものを」みたいなことを言ってて、それから「これから取りますね」みたいなことを言われて、どんなに痛いことが待ち受けてるんだろうと思ったら、何も感じないうちに「終わりました」と言われた。へっ?ホント?いつの間に?って思ったので「本当にもう取ったんですか?わたし、全然何も感じなかったんですけど」って言ったら「終わりましたよー。出血してるんで、ナプキンしますねー」って言われ、なんか独り言みたいに「器具入れるときが一番痛かったのね(笑)」って言ったのをわたしは聞き逃さなかったぞ!(笑)

終わってから「全然痛くなかったら、腹膜炎にもならないんですかね~」って聞いたら「感じ方は個人差がありますから。それとこれとは別です」と言われた。あ、でも結局その後もお腹痛くならなかったです。

家に帰ってから「ホンマにちゃんと採取できたんかな」と心配になった。だって注射より痛くなかったよ。注射とか採血のときに看護師さんに「チクっとしますね」って言われるけど、あれは本当にチクって感じるもん!てか、あの台詞、本当に大嫌いだもん。腕に意識のすべてが集中してしまって、痛くないものも余計痛く感じてしまうんじゃないかと毎回思ってるくらい。でも今回は本当に何も感じなくて。そういう人っているのかな?と思ってちょっとネットで調べてみた。

ええと。個人差がだいぶあるようです。あと体調にもよるらしい。医者の腕にもよると書いてあった。が、中に「子どもを産んだことがない人は痛い」って書いてあったのがあった。それは大ウソです。わたしゃ、子ども生んだことないもん。それに全然痛くなかったって人でも、検査を受けた後は下腹部に鈍痛が、と書いてあったのも読んだんだけど、わたし、それも全くなかった。検査を受けた前後で何かあったかと言われると、確かに少量の出血はあったよなー。けどポリープ取ったときの方が断然多かった。

検査を受ける前に医者から「この年齢だと毎年がん検査を受けた方がいい」と言われたのね。でもそれはなんの検査か分からなかったから「頸がん検査ですか?それとも両方ですか?」って聞いたら「まぁ両方毎年受けることに越したことはないけど、体がん検査は痛いので、2、3年に1回くらいでもいいですよ」って言われた。でもこれだったら毎年受けても全然大丈夫だわ、とは思った。体調にもよるそうだから、次に受けたときは痛いかも知れないけどね。まぁ本当に受けるかどうかは別問題として。だいたい、体がん検査は受けたとしても採取できる部分は一部だけなので、そこにがん細胞がないとがんって分かんないよーみたいなことらしいし。

そうそう、わたしはここ数年、基礎体温というものを計ってるんだけど(これはデータ集めてグラフにすると結構楽しい。今は計った後に数字記入するだけで自動的にグラフにしてくれるアプリがあるから本当に便利)、これまでは低いときでも36.6度くらい、高いときは37.4度くらいになって、なんでこんなに高いん?って思うことがしばしばあり。でも、先月はずっと低いままというか、下手すると今まで低かった36.6度より低い36.4度なんてこともある。そのことが不思議だったので、本当はそのデータを入れているiPad自体持っていけばよかったんだけど、忘れちゃったので仕方なく口頭で伝えると「それは排卵が来てないということです」と言われた。へー、そうなんだ。わたし、ずっと「どれが自分の『元の体温』と言えるんだろう」って思ってたんだけど、どうやら低いときが自分の体温らしいね。わたしは平均するとだいたい36.8度くらいだったので、ずっと平熱は36.8度だと思ってた。しかし、今はさらに低い体温になってるので、これは不思議。。

で、排卵が起きないと生理は順調に来ないそうだ。てか、なんだったっけ、排卵が来なくても生理が来るときはあるけど、それはある程度溜まったら、とかだったかなあ。なんかそんなわけで、周期的には来ないらしい。だから閉経に近くなると、生理が不順になるらしい。でも、それは「不正出血」かも知れず、その見分けが付かないから、閉経前後のわたしくらいの年齢は特にがん検診を受けた方がいいんだってさ。あとわたしの場合は筋腫もあるので、その大きさを確認するためにも1年に1度来た方がいいと言われた。あと筋腫があるとだらだら生理が続くときがあるが、2週間以上になるとさすがにまずいんで(少量でも)、そのときは病院に行ってねと言われた。

婦人科は、わたしにとって今までとても行きにくいところで、いろいろ知りたいことがあっても聞くことも出来なかったけど、やっぱ行ってみるものだと思った。でもそのためには自分のセクシャリティを向こうが分かってくれるところでないと、わたしは無理。婦人科ってとてもデリケートなところだから、やっぱ、気兼ねなく何でも言えるところでないと、自分が窮屈になっちゃう。

検査結果は1ヶ月後。でも本当は10日前後で出るらしく、わたしが行ってるところは1ヶ月に1度しか婦人科をやってない病院なので、また来月。「早く知りたかったら、別の内科の医師からでも伝えることはできます」と言われたけど、まだいろいろ聞きたいことがあるので、来月にした。でも、本当に何かあったら1ヶ月待たずにこっちに電話が来ると思うけどね。

会社の健康診断を初め、わたしは健康診断というものが大嫌いだった。その主な理由は「採血」だからだが、でも、そのデータの上がり下がりを見てると結構面白いので、わたしは最近年に2度、健康診断を受けている。なぜ年に2度受けられるかというと、東京に住んでいる被爆二世は無料で年に2度、健康診断を受けられるからだ。健康診断のうちの1度をがん検査に置き換えることも出来るらしいのだが、がん検査は異常のあるなししか分かんないし、そういうデータは集めても面白くないし。基礎体温を毎朝計ってるのも同じ。データ集め。これって実験観察みたいで本当に面白い。別にこの結果から「人間の身体はうまくできてるなあ」とは思わないけど、ただ生きてるだけでいろんな数字が出てくるのが面白い。これって多分、学生時代は実験系じゃなく、自然科学系だったからだろう。実験することで出てきた数字じゃなく、自然のものからデータを得る。そのデータから何か意味のあるものを読み取る。それってとても興味深い。

ちなみに今のところ、採血では貧血以外、全く異常はない。尿検査は毎度毎度引っかかる。なんでかはよく分からないけどね。一度、精密検査で腎臓のエコーをしたけど、腎臓には異常はなかった。異常がないので1年以上続いている息苦しさの原因も分かるはずはない。尿検査では毎度毎度潜血が出てるけど、どこから出血してるか分かんない。こういうのがあってもすべて「様子見」と言われる。未だにわたしの口の中はおかしい。口腔異常感症は全く治ってない。けど、検査してもどこも異常がないので「問題なし」。わたしはあのせいで起きてる間はずっと不快な思いをしてるんだけど、最近は誰にも何も言ってない。日記にもほとんど書いてないよね。でも一応、半年に1度は病院に行って先生に話してるよ。でもそれだけ。解決方法なし。薬さえ出ない。まー、わたしの口の中の不快さや、息苦しさによる生きづらさなんて、わたし以外は分かんないし、わたし以外は理解されようもないよね。「様子見」って言われて「こんなつらい思いをまだずっとし続けていかなければならないのか」って絶望し続けてる気持ちなんか医者には分かんないだろう。こういうことを言うとあまりよろしくないとは思うが、わたしは「典型的な症状」が出て「あなたはこの病気です」って言われることが結構羨ましいときがある。

健康診断ではどこも「異常ない」から健康体のはずだが、実際はこんなもん。だから「健康診断」はわたしにとってはただの「データ集め」に過ぎない。
19:09 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-07 Wed , 2015
不正出血
どーも8月辺りから変だったんだよね。

うんこをすると血が出てる。肛門からじゃなく膣から。紙で拭くとうっすらと潜血が。

ちょっと気になったので彼女に言うと「痔じゃない?」という。「いやー、だから違うんだってば!」と言ってたんだが、少し前に外出先で突然うんこが行きたくなって、仕方がないのでトイレに行って(外出先だったので時間を掛けたくなかったので)すんごいいきんで出して、その後、家に帰ってきてから見たら、かなり血が出てる。これはちとなんかやばいんじゃないの???と思って、婦人科に行ってきた。婦人科って言っても、1ヶ月に1回しかやってない婦人科です(分かる人には分かるだろう)。

一般の婦人科は異性愛者しか想定してない問診票で答えるのに一苦労、そして基本、男性医師には診てもらいたくないってことで、まぁ前々から何かあったときのためにって目を付けておいた病院ね。以前、そこの病院は皮膚科にかかったことがあって。診察券も持ってたし、たまたま婦人科の1ヶ月に1度の診察日が直近の週にあったので、これはいいぞと思って予約を入れた。

「どうしたんですか」と聞かれ「不正出血があるみたいなんです」と答える。「どういうときに出ますか」と言われたので、こういうこと答えるの恥ずかしかったんだが「いやー、うんこしたあとに。。」と答えると「それは痔じゃないですか」とここでも言われるーー;いーや、だから、違うだってば!自分のことなんだから、どこから出血してるかくらい、分かるんだって!でもそう言われた医者は「そんなこと信じられません」みたいな顔をしてたが。

で、去年、健康診断を受けたときに血尿が出て、精密検査で腎臓のエコーをしたときに「なんか子宮筋腫みたいなのがありますねー」って言われたことが気になったので「ここでは筋腫の検査もできますか」と聞いたらできるとのこと。あと、子宮頸がんの検査はもちろん、わたしくらいの年齢になると子宮体がんの可能性も高くなってくるので、そっちの方も検査した方がいいとのこと。「あーもうついでだから何でもやります」って行って検査室へ。

といえどもそこは月1回しか婦人科はやらないため、内診台などはなく。ただの診察台に寝転がって、そこで股を開くだけでした。正直、内診台より抵抗感なかったかも。

医者は見た途端「あー、なんかすごい大きいポリープがありますね。それも2つ」と言った。あー、ポリープ。今から10年くらい前に実はポリープが子宮口に出来て取ったことがあるんだよね。そのときに「再発しやすいからまたできるかも」って言われたの。やっぱり再発したのね。「すごく大きくて、親指の爪くらいのが2つありますねー。これ、取っちゃいますねー」って言われて、いろいろゴリゴリやられて痛かった(^^;正直、その間に子宮頸がんの検査もしたらしいが、どれが検査なんだかさっぱり分からないうちに終わってた。エコーで子宮筋腫を見たらすげーたくさんありますと言われた。どれも小さいらしいが。一番大きなので2.8cmくらいって言われた。まあ筋腫によって生活に支障が出るほど出血したり痛みが出てきたらなんとかしなきゃいけないらしいが、そうでないうちは経過観察なんだそうだ。ただし、まれに悪性の肉腫であることがあって、その場合は1年間にめちゃくちゃ大きくなったりするらしいので、1年後にまた検査した方がいいと言われた。

んでもって、取ったポリープは悪性じゃないかを確認するために病理に。これが9000円ちかくかかると言われ、財布の中がすっからかんになってしまった(それでもまだお金が足りていい方だよ。運が悪かったら財布の中、9000円入ってないときがあるからね)。

で、次の受診は1ヶ月後。そのときに子宮体がんの検査をするみたい。わたしが行ったときは検査のキットがなくてできなかったんだってさ。次は持ってくるって。

てなわけで、多分、不正出血の原因はポリープでしょうと言われた。まぁわたしもまさかまたポリープが出来てたとは知らなかったし、前にポリープが発見されたときはこういう症状じゃなかったからね。それを言われるまで全然再発したとは思ってなかった。

不思議なことに内診される嫌悪感というのはほとんどなく。ちょっとゴリゴリされてだいぶ患部は痛かったのだが、それすらもあまり恐怖心を感じず。これだったら目に見える注射や点滴の方が断然やだわ。子宮体がんの検査はちょっと痛いですよーと言われたが、それも特に今のところどうも思ってない。それにがん検査ってやったとしても実は信頼度100%というわけではないことも知ってて、検査で悪性腫瘍が見つかるのは「時の運」だと思ってるから、まぁ結果もそんなに緊張しない。「異常なし」だって本当に異常がないかと言えば、全然そんなことないし(なんて書くと「じゃあなんで検査受けるのか」ってことになると思うけど、まぁ不正出血の原因がポリープであるとは限らないってことと、まぁ当てにはならないけど1回くらい検診受けておいてもいいかなと思ったんで。でもあんまり理由になってないね)。

しかし、婦人科には女性医師しか診てもらいたくないってんで、今まで女の人にしか診てもらったことはないのだけど、当たった医者はみんなどちらかというと「しっかりした人」が多くて話した感じもぶっきらぼうでちょっと怖い(^^;優しい婦人科の女性医師って人はいないのかしら。。なんて思うけど、女性だから優しいとか思うのは多分偏見なんだろうなー。逆に一回、ピルをもらうためにレディースクリニックみたいなところに行ってきたんだけど、そこの男性医師の方がよっぽど優しそうだった。だけど男性医師に内診をされるというのは、心理的にとてもハードルが高すぎてわたしには無理。

ちなみに一般の婦人科で書かされる問診票について、性交の有無とかいろんなこと聞かれるのは単に膣の中に入れる器具の大きさの問題のみで、それ以上の意味はないらしい。わたしが「婦人科はどこからをセックスとみなしてるかよく分からないから問診票を記入するときにとても考えてしまう」って言ったら、そんなことを言われた。あー、そうですか、器具の大きさを決めるためにそういう質問すんのね。じゃあ、人とは未経験でも、バイブで遊んでたりしたら「経験あり」にできるのかね(笑)

まぁ聞いてみてよかった。
22:35 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-09 Thu , 2015
久しぶり
いやー、ブログを書くの、すごく久しぶりになってしまった。
春の旅行記を書き終えてないのに、夏にまた旅行に行く計画を立ててしまって、もうどうしよ、みたいな。

体調の方はあんまりよくないんだよねー。まだ息苦しい。

ので、精神科では2013年1月から飲んでたリーマス、一旦、休みになった。
「いろいろ原因探しまくってみつからなかったから、これくらいしかもう心当たりがない」というわけで。ただ、原因じゃなかったらまた再開するらしい。正直、これが息苦しい原因だとは思ってないけど、リーマスも効いてるという感じがあまりしないので、このままなくなって欲しいが、まーそうはいかないんだろうな。事実、リーマスを飲み始めてから病的な気分の落ち込みというのは起こってないわけで、でもわたしとしては、リーマス飲まなくても同じだったんじゃないかと思ったりするのだが、こればっかりは真実は分からないからね。一つだけ、リーマス再開しなくて済む方法は、息苦しさが治って「ああ、リーマスのせいだったんだね、やっぱり」って思わせることなんだけど、リーマス飲まなくなって1週間か、劇的に息苦しさが治ったってことはない。

背中と肩がバリバリに凝ってて、整体に行っても「時間内では調整しきれないので、間隔をあけずに来て欲しい」って言われてる。あ、今はそれでも2週間に1回のペースなんだけどね。ただ、行く頻度を上げると言うことは、それだけお金がかかると言うことで。。なかなか厳しいものがある。

まぁそんなところ。

春の旅行記の更新をぼちぼちやっていきたいと思ってるが、もう忘れてしまった部分も多いかも。
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04-30 Thu , 2015
まだまだ忙しい。。
今日で4月も終わるけど、まだまだ忙しい日々が続いてます。

てか、19日、25日に自分のイベントやっても、次の日26日は東京レインボープライドパレードだったんだよね。

わたし、去年は彼女が骨折して行けなかったけど、今年は行ってきた。
パレード会場でいろいろな人に会った。すっごい久しぶりに会う人もいた。
いろいろなところで、「今の状況はどうよ?」みたいな話を聞いてきて、ああ、なんかいろんなところでいろんなことが進んでるんだなあって思った。

それでね、結構刺激を受けた。

で、次の日もイベント行ってきて、その次の日は休んだけど、昨日もまたイベントに行ってきた。今日もこれからまた出かける。

まぁ確かに今「レインボーウィーク」ってこともあるかもです(笑)

イベント行くごとにいろんな人に出会えて、いろんな人の話を聞けて本当に勉強になる。自分がこれから考えていく上の「種」をもらえる。

多分もうちょっと忙しい日々がこれからも続きそうです。
って、旅行記途中なのに、やばいな。もう3月中旬が遠い昔に感じられる。。。
14:13 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
12-31 Wed , 2014
一年が終わるって気がしない
何か今年もあと数時間で終わるようなんだけど、今年はクリスマスもそうだったがどうも季節感がない。まぁそういうときもあってもいいよね。

ただ振り返ってみれば、今年はものすごく早く時間が過ぎたような気がする。1ヶ月があっという間に過ぎ去ってしまうのだ。時間を短く感じるというのは、充実していると言えるんだろうか。あんまり充実しているとは思わないんだけどなー。別に今年「これをやった」ってこともないしな。

あ、でも。一番「やった」と思えるのは、4月から朝鮮語を学び始めたことだった。始める際は特に何も感じなくてなんか「ちょっとやりたいな」程度だったんだけど、実際やってみると「あ、苦手な語学だったんだ(^^;」って思い出した(笑)1課終わるごとにやる単語テストにかなり振り回された。。今は17課を終わったところなんだけど、覚えた単語カードは8冊あるんで、約888個(単語カード1冊111枚なので)の単語は覚えたことになるかなあ。もちろん、記憶力が持続するわけはなく、覚えたらすぐに記憶から消滅するけどね。

ただ、1回のテストにだいたい50個~100個くらい覚えなきゃいけないんだけど、英語に比べると格段に覚えやすくてこれには本当にびっくりしてる。だから覚え初めの時は「一週間でこんなに覚えられるかなあ?」って不安だったけど、今は「あ、このくらいだったら大丈夫」って思えるようになった。

あと、それに伴って朝鮮語と日本語のニュアンスの違いや、韓国の習慣、文化などにちょっと興味を持ち始めて、いろいろ本を探して読んだりしてるところ。いや、本当は韓国だけではなくいわゆる北朝鮮の習慣や文化についても知りたいんだけど、それは知るのは難しいみたい。まぁここのところはいろいろと考えるところではあります。

ちなみに韓国語講座は来年3月終了だけど、できたらまた4月から継続して今度はレベル2の授業を受けたいと思ってます。語学っていうか英語は本当に大嫌いだったんで、授業が楽しみとか思ったことなかったんだけど、なぜか韓国語講座は楽しみなんだよね。もっと勉強してもっと知りたいと思うし、朝鮮語の文章読んでみたいと思う。ただこれがいつ授業についてけなくなって「嫌い」に変わるか、いつもヒヤヒヤしてるんだけど。。

それから8月だったかに来年資格試験受けるって書いたけど、あれも細々ながらやってる。本当は細々じゃいけないんだけど、8月下旬に調子崩して9月は休んで、10月に再開させたけどすぐまた休んで12月再開、12月も下旬になって息切れして今、少し休んでるところだけど。。(って休んでる方が本当に多いの~(泣))でも、12月は割と順調に進んだので、これからは慣れて継続して勉強していければって思ってる。

資格試験は、行政書士試験です。まぁこの資格を取ったとしてもすぐにお金が入ってくるわけじゃないってのはよく知ってるんだけど、自分のやりたい分野がいくつかあって、将来的にはそういうところで食って行ければいいなとは思ってます。いや、食う以前に別にお金稼げなくてもいいからやってみたいことがある、ってところかな。

法律は前から少し勉強してたし、もともと勉強したい分野なので、通信制の大学を辞めるときにそう決めてました。まぁ、公表しちゃったんでね(笑)これからは頑張ります。ちなみに伊藤塾の在宅講座です(笑)独学で勉強している人も多いみたいなんだけど、やっぱり自分の病気のこととか考えると独学はちょっとハードル高いかなと思ったので、取り敢えずペース配分がしやすい講座を受けることにしました。と言えども、それについていけるかどうか、すごーい心配なんだけどね。去年だったか、1回失敗してるしね(汗)

あとは健康面かー。実は今年、2回健康診断受けてて、1回目に尿検査で引っかかり、後日精検ってことで腎臓のエコーを受けたんだけど、その際の尿検査にも引っかかり、しかしエコーでは異常が発見されなかったのよね。あと細胞検査?ってのもやったんだけど、特に異常は見つからず。で、2回目の健康診断を今月受けたんだけど、やっぱり尿検査引っかかってしまった。しかも潜血が+++。げ。ひどくなってる?学生の頃からちょくちょく尿検査には引っかかってたんだけど、どれも再検査を受けると異常なしだったんだよね。こんなに連続して異常があったのは初めてで。でも、2回目の健康診断を受けたときの医者なんて「まー3人に1人は尿検査、引っかかりますからね~」みたいな感じで、特にこの先どうこうしろとは言われなかったので、今のところ放置してます。いいんかな、これ。まぁこれは今後も健康診断引き続き受けようと思ってるけどね。

うつの方はね-。どうかな。まだちょっと健康面に不安はある。息苦しいし。それに最近ちょっと気分が不安定になりかけることがある。これは再発の兆候なんだろうか。と思うと嫌な気分がするんだけど、まぁおかしいなと思ったらこまめに休みたいと思ってるけど、上にも書いたけど、試験勉強が。。。ここのところは本当に難しいよね。休んでたら確実に良くなるけど、そうすると生活していけない。。普通に動こうとするだけですぐにへばるので、本人としてはかなりもどかしく感じている。でも焦っても良くなるわけではないのは、身をもって分かっているので。。

まぁあとは日々いろいろと考えることがあるけど、それは書きたくなったときに書くってことで。

来年、とか実感ないんで全然思ってないんだけど、来年もよろしくお願いしますで一応締めくくっておきます(笑)
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12-24 Wed , 2014
クリスマスイブの日に
クリスマスイブの日にスーパーに行くと泣く。ここ数年特に。今年はスーパーに行かずとも既に泣いている。

そこには大量の鶏肉が売っている。もちろん「クリスマス用」として。その大量の鶏肉を見ると泣けてくる。

でも待って。別に「鶏がかわいそう」と思って泣くんじゃない。人間に食べられるために取られた命に対して泣くんじゃない。だったらわたしはとっくにベジタリアンかヴィーガンになってる。わたしは鶏肉含め、肉を食べることは好きで止めるつもりはないから、たとえほんの少し「わたしに食べられるために殺されるのか」と思っても、それは泣く理由にはならない。だってそれは仕方ないもの。人間は基本、食物連鎖の頂点にいるし、雑食性だから肉も野菜も穀物も食べる。そのように生まれついてきてるのだから、これは考えたって仕方がないし、わたしの中ではどうしても根本的に「動物がかわいそうだから肉は食べないって言っても、じゃあ穀物は食べられてかわいそうじゃないのか?」って思ってしまう。もちろん、ベジタリアンとかヴィーガンの人たちだって「穀物だからかわいそうじゃないから大丈夫」と思って食べてないだろうなと思う。人間は何かを食べないと生きていけない。しかもそれは穀物含め、他の命を食べないとダメなのだ。だったら最低限の食べ物を食べていこうと思って肉を食べるのを止め、仕方なく穀物と野菜を選んでいるに違いない。それはすごくよく分かるんだけれど、やっぱりわたしはそこに「命の選別」を見てしまう。だってその逆は成り立たないからだ。穀物や野菜の命を奪ってしまうことがかわいそうだから食べるのを拒絶して肉だけ食べる、なんて人はいないでしょう。もちろんそんなことすると人間自身の健康にはとても良くないとも思うが、でも、命の選別がなければ、肉ばかり食べるのを断つ、という人と、穀物や野菜を食べるのを断つって人が一定数いてもいるはずだよね。これってやっぱり「より人間に近いものが尊い」って考えられてるからじゃないかと。

なんていうのは、まぁわたしが「肉が好きで肉食いたいからゆえの言い訳」ってみてくれてもいいですが(笑)

じゃあなんで泣けるのか。その明確な理由はよく分からない。ただ、その売り場を見るといろんな人が見えるのだ。この日に合わせてどのくらいの鶏を飼育すればいいのかを考え、その日に向けて鶏を育て、そして出荷し、と畜し、いろいろな部位に切り分けてパックし、売り場に並べる人たちの姿を。一年の中で、今の時期が一番かき入れ時なんだろう。この日にどのくらい売れるかが今後、自分たちの生活に掛かってくる。たくさん売れるといいなあという期待。こうやって慌ただしく年の瀬が過ぎていって、正月を迎える。飼われている鶏は何も知らないで生まれてきて、何も知らないで殺される。スーパーの肉売り場で大量に鶏肉が売っているのを見ると、そのような人の思いとか、社会生活が動いている姿とか、ああ、世界ってこうやって動いているんだと思うとなぜかすごく無常を感じて、それで泣きたくなるのかも知れない。

そもそも、この日に鶏肉(七面鳥の地域もあるけど)を食べるような風習を作ったのは人間だ。そもそも「クリスマス」なんて概念を作ったのも人間だ(わたしは宗教は人が作ったものと思ってるからね。それはこことかここら辺に書いてある)。人間がこの日を「偉大な人が生まれた日にしよう」と決めて、「その日をみんなで祝おう」ということを決めて「その日には七面鳥を始めとするごちそうを食べよう」と決めて、そして大量の七面鳥や鶏がこの日に向けて飼育され殺されて食べられる。別に誰が悪いわけじゃない。動物の命を奪う人が罪深いわけでもない。それはすべて人間の営みの中から生まれてきたものだ。知らないうちに「そのようになっていた」のだ。しかしそのことを考えるとわたしは泣ける。これが世の中ってもので、これが生きているってことなんだなと。

そういえば、先月だったか「ある精肉店のはなし」ってドキュメンタリー映画を観てきた。これは牛を自分で育て、育てた牛を自分でと畜し、解体し、そしてその肉を自分の店で売る人たちの話だ(その中で部落解放問題についても触れられている)。最初の場面と最後の方で牛がハンマーで殴られて殺されていくシーンがある。わたしはそのシーンを見ながら不思議と「かわいそう」とは思わなかった。まぁそれは、わたし自身に背景があるからなんだけど、わたしは大学は水産で、大学1年での実習でその日は確か天候が悪かったので野外の実習が出来ず、屋内でえんえんとマグロの延縄の実習のビデオ(確か大学4年か専攻科の人がインド洋沖で漁業実習をやったときの様子)を見させられたんだけど、マグロの延縄は揚がってきたマグロを間髪入れずに心臓をえぐり取って、尾っぽを切って、えぐり抜いた心臓のところからホースで水をがーーーっと流し、血抜きをしなければならないのね。それをしないと肉の中に血が固まって、商品としての質が悪くなる(=高く売れなくなる)から。で、それが終わったら冷凍庫で急速冷凍をする。

わたしは個人的に血がものすごく苦手だ。採血なんて怖くて大嫌いで自分が血を抜かれているところは見たことがない。っていうか、怖すぎて見られない。他人の血ももちろんそうだ。点滴で繋がれてる人を見ると力が抜けて歩けなくなる。あそこの管は血管と繋がっている。点滴が逆流したら管の中には身体から血が出てきた血がたまる。想像するだけでも気持ちが悪い。よく点滴持ったままトイレに行けたり、点滴したまま眠れたりするもんだと思う。わたしうつで入院してたとき、寝る前に眠くなる薬を毎晩点滴してた。けど、絶対に終わるまで寝なかった。意識が朦朧としながら終わるまで絶対に起きてて、終わった瞬間にナースコールで看護師さんを呼んで、自分の身体から点滴の管を抜いてもらうまでは絶対に寝なかった。点滴を付けたまま寝たら、もしかして起きたときにベッド一面が血の海になってるんじゃないかと思うと本当に怖いから。まぁそれほど血に関しては弱い。

なのに。そのマグロの延縄の実習ビデオをえんえんと見させられていたら、自分の中で「人は人、マグロはマグロ」という認識ができてしまったようで、マグロの血抜きシーンを見てもなんとも思わなくなってしまった。だから魚だけは別に血を見ても全然平気だし、殺すシーンを見てもあんまりなんとも思わなくなった(ただ、躍り食いとかは好んではしたくないけどね)。

だから映画の中で牛を殺すシーンを見ても「マグロと似てるなあ」としか思わなかった。もちろんわたしはこれを映画で観てるだけで、その牛を育てたわけでもないし、それ以前の親しみが全くないからだと思う。だけど、当初思ってたほど「わー、かわいそうで見ていられないよー」ってほどじゃなかったので、それはちょっと意外だったな。

でね、その映画の中で主人公の弟さんだったかな、が言うの。「牛を殺すのは残酷って言われるけど、自分にとってはその殺された牛をにこにこしながらうまいって食べる方がよっぽど怖い」って。わたしさ、この映画を観て一番印象に残った言葉がこれだったの。「そうそう、全くその通りだよね!」って。あ、だけどこの人は映画の途中の方で「やっぱり自分が丹念に育てた牛をおいしいって言って食べてくれるのは嬉しい」とも言ってるけどさ。(ちなみにこの「ある精肉店のはなし」はとても良かったです。特に主人公のお兄さんの人柄にものすごく惹かれました。あの映画観て直接あのお兄さんがやってるお肉屋さんに訪ねて行っちゃう人の気持ちがよく分かる)

わたし、そのとき思ったんだ。結局「いただきます」って言葉は奪われた命に対して感謝して食べますって意味だろうけど、そんなん殺された生き物は言われたって全然嬉しくないよね。って。よく「おいしい、おいしいって食べたらその生き物も浮かばれる」みたいに言われるけど、おいしいって言われて感謝して食べられたとしても、「ああ、おいしいと思ってくれたから自分は死んだ甲斐があった」って納得する動物なんておらんだろうと。やっぱり自分が殺されるのはイヤだから、どっちを選べと言われたら、動物は感謝されずとも生きたいって思うだろうよ、って。結局「食べ物の命に感謝して食べましょう」っていうのも「おいしいって食べたら死んだ動物も浮かばれる」ってのも両方、人間が、いかにして自分の心を傷つけずに済むかの話でしかないんだなって。結局人間はそうやって何かうまく「誤魔化しながら」自分のやってることを正当化しているだけ。それは動物のためなんじゃじゃなく、自分たちの弱い心を守っているだけ。だって、そう考えてないと自分たちの心が痛んでやってけないから。

わたしはそれが「誤魔化し」であることを認識した上で受け止めたい。「そうやって自分の気持ちは誤魔化されて、守られているのだ」ということを認識して生きていきたい。

クリスマスイブの日に。そこで生活を営んでいる人たちを思い、殺された鶏を思い。誤魔化されない現実を感じながら、わたしは泣く。

【追記2014.12.27】
ちょっと追記。もしかしたら上の文章読んでわたしが「生き物殺して食べることに対して感謝しなくてもいい/感謝しても無駄なことだ」って受け取られたらイヤだなって思ったから。

奪ってしまった命に対して、と、自分が美味しく肉を食べられる状態にしてくれた人たちにはもちろん感謝をしなくてはならないと思っている。そのおかげでわたしは自分が食べたい肉が食べられるのだから。だから「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶はちゃんとしようと思う。しかし、わたしが言いたかったのは「美味しく残さず食べたらその動物も浮かばれるに違いない/または満足している」っていうような、そのような考えが嫌いだと。だって、それは動物のためではなく、人間が自分の気持ちを納得させる言葉に過ぎないんだもの。そう考えることによって人間は生き物を殺した罪悪感から逃れてしまっている。

そうじゃなく、やっぱり人間は他のものの命を奪って生きていかざるを得ない存在だということを深く心に刻み込んで生きていった方がいい。そのようにして生かされている存在だと。あ、だからといってそれが人間の宿命とか運命とか言うつもりはなく、ただそれが現実なのだってことだよね。そういう風に世界ができてるんだという。
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12-22 Mon , 2014
バイブ、捨てた~♪
少し以前にアクセス解析を見たら「バイブ 買った」って検索用語で引っかかってたので、自分もそれで検索掛けてみたら結構すぐ出てくるのね、このブログが。以前書いた「バイブ買った~♪」って記事だけど、今読んでみると結構開けっぴろげに書いたなあ~って感じで懐かしいな(笑)まぁ今も思ったことや感じたことはそのまんま書いてるけどさ。

で、今回の題名なんだけど、そうなんです。わたし、こないだバイブ捨てたんです。全部じゃないよ(笑)取り敢えずもういらないかなって思ったものだけ。前の記事でもリンク張ってたラブピースクラブに「バイバイバイブキット」ってのがあるの。それを使いました。

これはバイブを入れる袋(アルミ袋)とそれを送る用の白い袋が入ってて、アルミ袋の中にいらないバイブをいれ封をして、それを白い袋の中に入れて、そしてゆうパックで送ったのですが(別にゆうパックじゃなくてもクロネコとかでもいいんじゃないかな?)。郵便局でね。「品名」を雑貨にしてたんです。まぁこういうの普通「雑貨」にするじゃないですか。

ところがね、郵便局のおねえさんに「品名に雑貨は使えなくなったんです。具体的に何が入っているか書いて下さい」って言われちゃったの!!!!わたし心の中で「えーーーーーー!!!?????」って。

めっちゃ焦りました。でも焦ったり考えたりすると余計に怪しまれると思って怪しまれないようにしようと思ったんだけど、穏便な品名が思い浮かばない!で、焦りながら頭をフル回転させた挙げ句

「じゃ、『電気製品』で」

と言ったら「電気製品もダメなんですよ。具体的には何ですか?」って聞かれてさらに焦って。

だってだって、わたしが「電気製品」って答えた時点で中に入ってるものは「電気で動くものだ」って分かってしまったわけで。いや、だけどだからといってここで「バイブです!」って答えるのはやっぱりどうしてもどうしても無理だったんで、そこからまたすごく焦って「何がいいだろ、何がいいだろ。。」って考えて。。郵便局のおねえさん的には絶対に怪しい客だと思ったはず。

で、仕方なく「おもちゃ」って書いてもらった。これじゃあもう既に半分くらい本当のことが書いてあるだろ!上に「大人の」って付けりゃ、まさにその通りじゃん!と思ったら、顔から火が出ました。まぁでも普通の子どものオモチャでも電気で動くものはたくさんあるし、いろいろ書き渋ったのは実はこれは子どもへのプレゼントで、驚かせるために中身を具体的に書きたくなかったのだ、というシチュエーションも有り得るはずだ!と思って、それを心の支えにして郵便局から戻ってきました。

てか、郵便局のおねえさん、分かっていながら書かせてたとしたら、相当のサディストだー!!!(分かってるわけないけど)

次から捨てるときのいい教訓になりました。今度は家でじっくり考えてから突っ込まれないような品名を書きたいと思います(笑)

てか、この「バイバイバイブキット」は本当に便利です。どうやって処分すればいいのか悩まずに済むから。これで安心してバイブが買えるってもんだ(しばらく買おうとは思ってないけどね(笑))。
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12-12 Fri , 2014
初めてピルを飲んだときの話
わたし、これまでブログでほとんど自分の生理のことについて書いたことはないと記憶してるんだけど、これは別に書くのを躊躇ってたわけじゃなく、単に何も問題がないので書くことがなかったからだ。

世の中には毎月生理があることが疎ましく思えるくらいに苦しむ人がいるのはいろいろな人から聞いて知ってるけど、わたしに関して言えば、生理が始まって以来、これまでどんなに精神状態が悪かろうが、ほとんど狂ったことはなく(シドニーから帰った後、2007年12月頃に1回狂ったことはあるけど、逆に言えば本当にそれだけ)、生理になったとしてもお腹が特に痛くなることもなく、気分が悪くなることもなく、イライラすることもなく、毎月散々な思いをしている人からすると多分それだけで「人生得してるね」って言われるだろうなあと思うほど順調だ。

そんな風なので、生理に関しては「ずれる」ってことがまずほとんど有り得ない。もちろん、1日や2日、早まったり遅れたりはするよ。でもそれは許容範囲でしょう。わたしだって別にロボットじゃないし。だからだいたい「次はいつ」って計算はできるのだ。

実は今年、旅行を何回かしてきたわけだが、その中で「あー、旅行中に生理が来ちゃうなあ」ってときがあった。いつもだったら別にそれはそれで仕方がないかなと思うんだけど、今回は最初からモロ当たりそうだったし、生理中はいろいろ気遣うこともあったり荷物が多くなったりしてやだなあ~と思ったので、そうだ、一度生理をずらすってのをやってみよう!って思った。

そのときの基礎知識としてあったのは「旅行中にピルを飲みつづけて、旅行が終わったあとに生理を来させる」、いわゆる「生理を遅らせる」って方法だった。でも、いろいろ調べているうちに旅行中決まった時間にピルを飲むことの負担や、もしかしたらピルによる副作用が起こってしまうことや、遅らせた後の生理は重い、それなら逆に生理を早く来させてしまった方が、旅行中にピルを飲むこともなく、薬飲んでないんだから副作用も起きることはないので快適、ってことが分かった。

ただ、生理を早まらせるためには遅らせるよりも早めに病院に行かなければならないってことも知った。少なくとも前の生理が始まるくらいまでには行かなければならないらしかった。

なので、前の生理が始まる少し前くらいに、家から一番近い、総合病院の中の婦人科に予約して行ってみた。

わたし、基本、婦人科は大嫌いだ。まぁ好きな人はあんまりいないと思うけど、同性とセックスする人間がこの世に存在するということを全く認識していないところに行くのは毎回とても勇気がいる。今回は別にそういうのとは関係ないので、若干気は楽だったけど、やっぱり診察するに当たって問診票を書かされて、その中では「異性愛者」を前提として質問されているので、とても答えづらかった。どこまで誤魔化して、どこまで事実を言うか、その誤魔化しと事実の間に齟齬がないだろうか、そういうところまで考えて回答しなければならないからだ。

まぁそれはそれでいいとして、少し待って診察室に呼ばれた。呼ばれたらいきなり

「生理を調整するのは自由診療ですから。保険は効きません。これ、病気じゃないですから。」と言われた。

いやー、そんなことは知ってたけど、それ、いきなり言うか?みたいな。

そして「本当に旅行中に当たるのか」みたいなことを言われたので、わたしは事前にiPadに入れた情報(わたしももうすぐ閉経に近いので、なんかちょっとくらい乱れるのかなと思って、去年から今年にかけて数ヶ月くらい基礎体温を測ってiPadのアプリで記録していて、結局全然乱れてないみたいだったので、基礎体温は止めてたんだけど、生理の記録(開始日、終了日)はそれからずっと入力してた)を見せて「わたしは、毎月きっちり来るんで、多分当たります」って言ったら、医者はそれをチラッと見て「きちんと来るっていっても2日くらいずれてるときもあるじゃないですか」って言った!いやいや、2日くらいは許容範囲じゃないの??

それから「じゃあピルを処方します」ってことになったのだが、その後にも「毎日決まった時間に飲まなくちゃいけない。ピルを飲んだらひどい副作用が起こることがある。ピルを飲んでも生理が来ることがある、絶対に旅行中に生理が来ないという保証はできない、そして遅らせた後に来る生理は重くなります、、、」みたいなことをクドクド言ってきた。なんかそれを聞いてるとまるで「あなたが自分の勝手で生理を止めたいって言ってるんですよ!副作用もあるし、それに飲んだって効果がない場合があるんですよ、生理が重くなるのもそれはあなたがそういう風に選択したからですよ、それでもいいんですか!それでもやるんですか!」って責められてるような気がした。

そりゃ、わたしだってできればこんなことはしたくないが、生理があるないとでは旅行の快適さは全然違う。わたしは医者に「アンタは男だからそういう悩みはないだろうよ。いいご身分で!」って言ってやりたかった。

わたしはこの時期に前もって行くと言うことは、生理を早められる時期でもあるわけで、わたしとしては医者自らが「この時期なら早められますよ」って言ってくれるのを期待してた。けど、話を聞くと遅らせることしか考えてないようだったので「この時期なら早められると思うんですけど」と言ってみた。そしたら

「早めるのはたいてい失敗するからしません」

って言われてお終いだった。そしてまたクドクドと「血栓になる可能性が高まったり、胃がムカムカすることがあります」って副作用の説明をして「胃薬を出しますか?これも自由診療ですから保険が効きませんけど!だって病気じゃないんですからね!」って言われた。わたしはめっちゃ腹が立ったので「いりません」と答えた。

それで処方箋をもらって会計したのだが、6800円だったかな?まあ保険効かないんで仕方がないと思ったが、でもわたしはこんな医者が処方した薬を処方通りには飲みたくなかった。だって、今ならまだ早めることができるんだから。

と思って、処方箋はもらったが、薬局に行かずに捨てた。めっちゃ腹立った。あの医者は普段、女の人に対してどんな診察をしてるんだろう?って思った。なんか人としてじゃなくてモノとして扱われたような気がした。生理をずらすことってそんなに我が儘だったり自分勝手なことなんだろうか?

ちなみにその病院は婦人科は知らないけど、産科はとてもいい病院だと言われてるようだけどね。総合病院だからその他の科ももちろんあるけど、もうわたしはあそこには行く気がしない。

で、家に帰って今度は旅行のために生理を調整するということをちゃんと明記してある病院をネットで探した。そこは家からはちょっと離れたところにあったんだけど、生理を早める方法と、遅くする方法がちゃんと説明してあったし、早めようとするならいつ頃に来院してってことも書いてあった。また、ピル外来ってのがあって、それがちょうど都合がいいことにその週末にあったので、その日に行くことにした。ピル外来だとピルを必要とする人だけが患者になるので、普通の日に比べると混んでないらしい。

その日になって、受付時間の30分くらい前に行った。混んで待つのが嫌だったから。そしたら、着いたら1番だった(笑)受付で「生理をずらしたい」と言ったら問診票の他に「生理調整用カレンダー」って紙をくれて、そこに4ヶ月前までの自分の生理開始日と終了日、旅行の開始日と終了日を書くようになってた。なので、そこに○印やら×印やらを書いて、そして待合室で待ってたら、まだ開始時間の前だってのに、もう名前が呼ばれた。

「旅行中に生理に当たるからずらしたいんですね」と言われ、「生理調整用カレンダー」を見て「確かにこれだと旅行期間中に生理に当たっちゃうね」と言われた。「決まった周期で来てるみたいだし」って言われたので「やっぱり、1日2日ずれても問題ないんだろが」と思った。「今の時期だと生理を早めることができます」って言われた。わたしも「はい、そちらの方がいいです」って答えた。

医者は「生理調整用カレンダー」を見ながら「じゃあ、この日からこの日までピルを飲んで下さい。毎日決まった時間の方がいいですが、数時間ずれても大丈夫です。飲み終わったら、この日から生理が来るはずです。95%の可能性で来ますが、残りの5%に入ると来ません。この日までこなかったらもう一度来院して下さい。もうそうなったら遅らせるしか方法はありませんから、遅らせるためにピルをまた処方します」って言われた。

95%!!そんなに高い割合で成功するのか?あの、前の医者の「ほとんど失敗します」ってのは、あれはなんだったんだ??って思った。思ったんだけど、この時点ではまだ本当に成功するか分からなかったんで不安だった。なんてったって「ほとんど失敗する」と言ったのも、同じ日本の医師国家試験を受けて通った医者なのだ。

副作用や血栓の話もされた。まれにひどい副作用が起きる人はいるけど、そんなに心配しなくていい、血栓予防のために水をたくさん飲みなさい。ピルを飲んで以降も1週間くらいは血栓のことに注意してください。ただ血栓になりやすいと言っても、一般の人の3倍くらいのリスクになるだけで、5000人に1人くらいですと言われた。前の医者はピルを飲むとまるで毒薬を飲むみたいに人を怖がらせることしか言わなかったけど、この医者は具体的な数字を挙げながら客観的に話してくれたのでとても安心感があった。

そして問診票を見ながら「子宮癌検診を受けていないようだけど、生理が終わったら一度、検診に来た方がいいですね」と言われた。そういや前の病院でも問診票に子宮癌検診の有無の項目があったが、そんなことは言わなかったな。まぁ「保険適用外」だから、そんなの関係ないと思ったんだろう。

帰るときには「旅行を楽しんで下さいね」って言われた。あー、なんなの、前の病院との差は。最初からここに来ておけば、あんなに嫌な目に遭わずに済んだのに。ちなみにここは「診療」という形でお金を取られなくて「保険外金額」で税込み3240円(ピル代含む)だった。

で、指示されたとおりに10日間、ピルを飲んだ。それでもわたしは不安だった。だって「たいてい失敗する」と言われたのだ。「副作用が出ますよ」と散々脅かされたのだ。その言葉が呪いのようにわたしの中にあった。

ピルの副作用。あったかなかったかというと、多分あった。飲み始めて2日後だったか、風呂場でシャワー浴びてたときに急に心臓を鷲掴みにされたような感覚がして気持ちが悪くなった。けど風呂から出て寝ころんでたら治った。3日目は平気だった。4日目、また風呂場でシャワー浴びてたら心臓を鷲掴みにされたような感覚があった。けど風呂から出たあと寝ころんで休むほどではなかった。その後は全くなかった。あの「心臓を鷲掴みにされたような感覚」ってのは、後にも先にも感じたことがないので、多分、ピルが関係したのではないかなとは思う。が、これも「副作用が出てくるんじゃないか、副作用が出てくるんじゃないか」とビクビクしながらのことだったので、そんなこと思ってなければ「副作用?いや、なんもなかったけど」で終わったんじゃないかって思う。

そしてピルを飲み終えて3日後。「この日に生理が来るでしょう」と言われた日。

はいはい、来ました。きっちりと来た。「すごい」って思ったよ、わたしは。生理ってコントロール出来るんだってね。いやあ、自分の身体ってこうやってコントロールできちゃうんだ。

ご存じの人も多いと思うけど、ピルが厚生省(当時)で薬として認可されるまで、ものすごい時間が掛かっている。それに対してバイアグラの認可スピードはあっという間だったそうで、そこには「男は自分の性を楽しむこと」がことのほか重要視されていて、「女の身体は女自身でコントロールすること」をよしとしていない風潮が感じられる。この風潮はまだ続いていて、ピル自体は薬としてどんどん進化していっているのに(身体に負担が掛からないような低容量のピルがどんどん出てきてるのに!)、日本ではその承認がなかなか降りなかったり、世界では当たり前に「この病気に対して使われますよ」という病気に使われてなかったりするらしい。まるで女性に対する嫌がらせのように。

ピルに対しての異様なほどの「副作用があります」説明は、女性にとってピルを飲む恐怖感を植え付ける行為だ。何もピルだけが異常に副作用があるはずがない。そんな薬だったらまず認可されないだろうし、世界でこんなに飲まれてない。どんな薬でも一定数の副作用はある。それをいうなら、精神病の薬の方がよっぽど怖いとわたしは思う(わたし自身も何度も、何種類の薬で副作用が出たことか。中には一歩間違えていたら多分死んでただろう(飲んだら頭が痛くなるのと同時に冷静に死にたくなった)薬もあった)。これらみんな処方されるときに「こういう副作用が出ます」とは一切説明されていない。飲んでてなんか「おかしいな」と思ってあとで聞いてみると「それは副作用だから飲まないで下さい(または薬を変えましょう)」と言われる。「いちいち副作用の説明なんかしてたら、怖くて薬なんか飲めない」その通りだ。だったらなぜピルだけがしつこいくらいに副作用の説明をされるのだろうか。説明だけじゃない。紙まで渡された。「わたしは今、こういうピルを服用しています」という製薬会社の紙だ。「他の診療科、医療機関を受診する際には、このカードを必ず提示してください。」と書いてある。飲んでる間はこの紙を携帯してなくてはならないのだ。しかし、ピルで起こる血栓症、これって妊婦が妊娠初期に起こす血栓症よりも随分可能性は低いのだ。確か、妊娠初期に起こす血栓症は一般の12倍だったか。ピル飲んで血栓が起きる可能性は上にも書いたが一般の3倍だからね。

結局これらのことは「女性にピルを飲ませない、飲ませたくない」方針なのだ。なんのためって、それは女性自身で自分の身体をコントロールさせないためだ。ピルはもともと避妊薬だ。女性が子どもをいつ作るか、いつ生みたいか、ピルを飲んで生理をコントロールすることによってそれが可能になる。子供を産むのは女性だ。女性が自分の人生においていつ子どもを作って生むかを決定することは、その女性自身の人生にもかかわってくる。それがなぜいけないのか。邪魔されるのか。女性だって自分自身の人生を自分自身で決定して生きる権利がある。それが、この国ではこういう政策によって阻害されている。

何が「女性が輝く国へ」だよって思ってるよ!都合のいいときだけ女を利用するなよ!

医師の中にも女性を尊重する(っていうか、ただ普通に扱ってるだけだけど)とそうでない医師がいるんだということがこの件で明確に分かって、本当にいい経験になった。まぁ授業料の6800円は痛かったけどね。。

しかし、本当に女性にピル飲ませたくない医者っているんだね。それは本当に驚きだった。
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12-02 Tue , 2014
生誕17000日目
今日はわたしが生まれて17000日目の日らしい。

わたしにとってはただそれだけのことで、それ以上のことでもそれ以下のことでもない。
今日、たまたまこのブログを見たら左下に「この世に存在し始めて」ってコラムがあるが、それを見たらちょうど17000日だったので「そうか」と思っただけだ。

たまたま十進法で数えたら17000日だっただけで、十二進数だったら9A08で、十六進数だったら4268なだけだ。まぁ数字自体はこうやって見方を変えると「とんでもなくきりのいい数字」になるのもあれば、同じ数字でも全然パッとしない数字になるのもある。その人がどこに価値を置くかの問題だよね。「そうは言っても世の中は十進数で動いてるんだ!御託を並べやがって!」って思うかも知れないけど、一番身近なところで普段なんの意識もなく使ってる時刻は時間は○時は十二進法だし、○分は六十進法だ(ただ、この場合、厳密な意味での十二進法とか六十進法ではないと思う。ただ繰り上がりがそうであるだけで)。あとダースなんかもそうだよね。1ダース12本。あれも同じだし、コンピュータの世界においては完全に二進法が使われている。デジタルの世界も。あと十六進法も使われてるよね。

なぜ全部十進法じゃないかと言えば、十進法だと物事がややこしくなったりするんだろう、逆に。だから、ものに応じて一番都合のいいものを選ぶ。絶対十進法で考えなきゃいけないなんてことはない。だから、17000っていうのも、十進法で言えばたまたまそうだっただけ。そこに価値を置くかどうかはその人による。大抵の物事も多分、そんな風にできてるんじゃないかな~?

まあそれはさておき、わたしも46歳になった。
去年45歳になったときは「いつもなら四捨五入して考えるからもう50になったのに、違和感がある」って書いた。あれから1年経って46歳になったけど、やっぱり自分が50とは思えない。まぁでも去年より50であることの違和感が少なくなってきたかも知れないな。こうやって時が経つにつれ50でも違和感がなくなっていくんだろう。

46って数字自体は大して面白くなくて、偶数であっても2×23にしかならないのでつまらない。来年は素数かあ。。まぁこの数字になってくると、素数の割合も段々減ってくるわけだから、丁寧に過ごさなきゃならないなと思うけど、47は大して好きな素数ではないんだよな。。去年も書いたように48の方が楽しみだ。

特に46になったと言ってどうってこともなく。

でも、一昨年、去年に比べると病状がだいぶよくなってきたので、楽になってきたかも。あと、目標もできてかなりやりたいことも増えてる。去年の初め頃は「どうやったらやる気が出るんだろう」って思ってたけど、実際のところ、休んだらやる気が知らない間に出てきたというか。やる気を出すために休もうと思ってたわけじゃなく、何かやるたびに精神的に摩耗してしまって、すぐに「もうダメだ」って思っちゃう、少しエネルギーを蓄えてはすぐに消耗してしまう。これじゃあ長期的に何かできない、と思って、エネルギーを蓄えるために休んだのだ。休んだ期間は半年ほどか。この間、何してたのかはちっとも覚えてない。本読んでたっけなあ~?それすら覚えてない。

ただ、いつも不思議なのは「やる気」っていうのはいつ出るのか全く分からないってことだ。あるとき急にやる気満々になってるわけでもないし、急に何かやりたいって思い付くわけでもない。なんか日々過ごしているうちに徐々にやりたいことができてきて、それが今後の生きてくための目標になってたりするのだ。だからいつも調子が悪くなると「あのときはどうやってやる気を出してたんだろう?」って思うんだけど、調子がいいときは実はやる気なんか感じてない。そんなに一生懸命にもやってない。むしろ、状態が悪いときに一生懸命になる。やる気があるときは確かに「これがやりたい」って思うけど、一生懸命やりたいと思おうとは思ってない。ごく自然に思っている。だから難しいんだよね。きっかけとか何もない。気が付いたらそうなっている。だから過去から学べない。「回復の過程」が分かると調子悪いときの目標になったりもするんだけど。。それが分からないので調子悪いときはつらい。このまま一生、こんな状態でいるかも知れないって思えてしまうから。つらさが一生続くような気がする。

わたしにとって今のところ、歳を取って悪い気はしない。

老眼が進んでるのでめんどくさいなーって思うことはあるけど、老化はそれしか感じない。記憶力は昔から悪いから衰えたとも思わないし、むしろ4月から今まで朝鮮語の単語を800個以上覚えたけど、英語に比べると覚えるのがとても楽。50くらいの単語だったら2日あれば全部覚えられる自信が最近付いてきた。いや、ものによっては1日でも行けるかも知れない。記憶力がよくなったとは思わないけど、悪くなったとも特に感じない。

物事の考え方も前に「矛盾すること」って題名で日記を書いたのだけど、最近は「物事の境界は一体どこにあるのだろうか」ということについて考えていたりする。これは絶対にいいよね、これは絶対に悪いよねってものを両端から「じゃ、この条件をこう変えてみれば?」って徐々に近づけていって、自分の中の「いい」と「悪い」の間はどこにあるのだろう?っていう境界探し。これ、結構楽しいです。「許せない」と思っても徐々に境界に近づいて自問自答していると「あれ、さっきは許せないと思ってたのに?」って思うことがあって、境界が変わっていくのが分かることがある。

やっぱ、こういう思考実験ってある程度歳を取ってみないとできないんじゃないかな~って思ったりしてる。

だから、わたしは今のところ自分が歳を取るのは全然悪くないって思ってる。

もちろん、それ以前に「働けよ」ってのはあるんだが、正直まだ継続して働けるほどには体調はよくなってない。けど貯金の残高はどんどん減り続けてるので、まぁゼロにならないうちになんとかしなければとは思ってるんだけどね。

貯金の残高が減り続けていることを考えると本当に怖くて、そのことを考え始めると何も手に付かなくなるのは事実だ(何も手に付かないどころか、精神状態が悪化するんで病気が悪くなるきっかけになりそうで怖い)。でもそこをなんとか踏ん張って将来の収入確保のために、その前段階の資格試験受験しようとしてるし、まぁこんなんでも徐々に将来のことは考えている、ってことで。ただ、こんな歳になって仕事にありつけるのかって話がねー、、資格取っただけで食べていける職業なんかほとんどないしね。
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11-22 Sat , 2014
ノロウイルス罹患
いやー、初めての経験。

ノロウイルスに感染してひどい目に遭った。

てか、ウイルス検査してないので本当にノロかどうかは分かんないけど、まぁ典型的な症状なので、まず確実だろうと思う。一昨日の夜に突然吐いて、その後、何回も何回も吐いて。次第に体中がピリピリ、ゾクゾクしてきて発熱の兆候、そして下痢までは行かなかったけどお腹がぐるぐる言って。一昨日の夜は一睡もできなかった。

夜が明けてから、死ぬ思いでタクシーに乗って病院へ。「典型的な胃腸炎ですね」と言われ水分補給と吐き気止めの点滴を2時間。少し楽になって帰ってきた。

それからずっと寝てて、夜に少しおかゆを食べて寝たら、また嘔吐。食べたもの、飲んだもの(水分補給のためにお茶やらポカリスエットを飲んでた)全部出た感じ。「よく胃の中にこんなに残ってるね」と思ったほどたくさん吐いた。まぁその夜はそれ1回切りだったけど。。

次の日は頭痛で苦しむ。なんで頭痛が出てきたのか分かんない。わたしは偏頭痛持ちであるけど、頭の痛さには非常に弱くって、それですぐに吐き気が来る。なので、このときになるとお腹が気持ち悪くて吐き気がするのか、頭痛で吐き気がするのか、よく分かんなくなってた。

結局固形物は夜におかゆを食べたきり。それまでまったくお腹なんか空かなかった。夜におかゆを食べて初めて「なんかもっと味のあるものが食べたい」と思って、同時にコーンスープも飲んだ。きっと身体の中の塩分が足りなくなってたのかなと思う。

そしたら急激にお腹がいっぱいになって気持ちが悪くなった。食べたことを後悔した。けど、これは寝てたら自然に治った。しかし、一旦治ったと思われた頭痛がまたぶり返してきて。。

今日の明け方、頭痛で目が覚めた。気持ちが悪くて何度も吐こうとしたんだけど、もう吐けなかった。きっと胃腸炎はもう治ってきてるんだろう。薬を飲んで、それでも治らなかったので彼女を起こしてちょっと頭を揉んでもらって、そうしたら頭痛はスッと消えて、眠れた。

症状が出て3日目の朝を迎えるが、丸2日、ほとんど何も食べてないので身体に力が入らない。

回復するのにはもうちょっとかかりそう。

いやー、ひどい目に遭った。
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05-18 Sun , 2014
カープ、カープ、カープ広島、広島カープ
今年のカープは今のところ非常に調子がいい!

いや、調子がいいというよりも、ちょっと地力がついて強くなってきた感じ?
前は連勝してても「今は単に(投打の)噛み合わせがいい時期なんだな~」としか思えなかったけど、今の試合運びは本当にソツがない。少しのスキを付いて進塁する。守備のいい選手も出て来て、エラーも去年までみたいにポロポロしなくなった。

なので当初は「どうせ調子よくてもせいぜい鯉の季節までよ」と思っていた。カープのスタートダッシュ成功、でも鯉の季節まで、は定番だったからね。

けど今年、テレビで試合を見てると「おっ、これは?」って思うことがある。「今までとはなんか違う」と。今はまだ、まだまだ先は長くて期待するのも本当に早すぎると思うのだけど、ちょっとずつ期待がふくらみ始めてきた(だからまだ早すぎるのは分かってる(笑))。

去年、CSに出られるかも知れない、ってことでにわかに注目されたのが「関東のカープファンの女の人」、すなわち「カープ女子」だった。関東の球場がカープファンで埋め尽くされていると言われているけど、もともと外野席には毎回それなりのカープファンは集まってたんだよね。わたしが球場にカープを応援しに行き始めたのは'90年代なのだけど、既にその頃の神宮、浜スタ、東京ドームの外野は関東のカープファンでいっぱいだった。内野席までは及んでなかったと思うのだけどね。東京ドームなんていつ行ってもカープの外野応援席で席が取れたことがなかった。まぁそんなに気合いを入れて早くから行ったりしてなかったのも原因ではあると思うけど、東京ドームのビジターの応援席って本当に一角しかないので、それ以外のところに行くと全部讀賣ファンだらけなわけ。なので球場の係員の人に「2階はもう満員ですので3階に行って下さい」と止められても、袋に入れた赤い応援バットを見せ「わたしはカープファンなのでカープの応援席に行きたいです」って無理に入れてもらったりしたっけ。。(当然席は満員なので立ち見です)

神宮は「もしかしたらヤクルトファンよりカープファンの方が多くない?」みたいなことは当たり前だったし、わたしのイメージでは関東のカープファンはずっと昔から一定いた、って感じなのです。

ただ、去年浜スタとか神宮に行ったけど、確かに内野席でもあんなにカープファンがいたのは見たことがなく、ここにも来たかって感じだった。しかも内野でスクワットしまくるんで(スクワット=カープの応援はトランペットに合わせて立ったり座ったりする)観にくいったらありゃしない。。せめて内野席ではおとなしく観ようよ、って思うのだけどね。

ちなみにカープのスクワット応援は既に'90年代にはありました。わたしもその頃は20代だったので、やってましたよ~(爆)あれは他球団のファンから結構「やってみたい応援」になってたみたいで、わたしが球場で応援してるときに後ろの方で女の子たちが「スクワット応援、面白い!これ、やってみたかったんだ」ってキャーキャー言いながらやってたりするのを何回か見たことがあります。

わたし自身は'75年、カープの初優勝時からのカープファン。当時小学一年生。それまでは野球というものは全然知らなかった。カープが初優勝した翌日だったかな、親が駅のスタンドでスポーツ新聞全部買ってきて、それで野球というものとカープを知ったのだった。あ、親は広島出身なので当然(当然でもないか)カープファンね。わたしはそのとき以来、なんの疑いもなくカープを応援してきた。あ、でも'90年代に入るまで、わたしは野球そのものの面白さは全く分からず、ただ結果を見て「カープ勝ってるな」って思ってただけだったけど。

「江夏の21球」は小学校3年のときで、リアルタイムで(もちろんテレビだけど)見てた。すっごいドキドキして怖くて見れなかったので、障子の影からチラチラと見てたのを思い出す。あのときはカープ全盛時代だったな~。

東京でずっと育ったわたしなんだけど、周囲には必ず誰かカープファンがいて(周囲って親じゃなく友だち)、そんなにマイナーな感じもしてなかった。逆に讀賣ファンです、って言う人が全くいなかったので(讀賣ファンだったけど、選手をFAで取りまくる球団の体制に嫌気が差して横浜ファンになったって人はいた)わたしは一体東京ドームで応援してる讀賣ファンは一体どこから湧いてくるんだろう?って不思議に思ってたし、正直今でも不思議だ。。

野球そのものの面白さが分かったのは、'92年の日本シリーズ、ヤクルト対西武の7試合がめちゃくちゃ面白かったからだ。「ああ、野球ってこんなに面白いんだ」って思った。それ以来、熱心なカープファンになった。沖縄や宮崎のキャンプを見に行ったこともあるし、東京から毎年カープのファン感謝祭に行ってたりもした。特に好きな選手は大野投手だった。それから音選手と山田選手かな?とにかくバッティングが渋い選手が好きだった。音は前田(智徳)のバッティングの師匠と言われてたんだけどな。低めの球の打ち方がめっちゃかっこよかった。。音と山田は山本浩二が監督のときに星野(当時中日の監督)に「借りた選手だから返す」って行って中日に戻って行っちゃったんだけど、あのときはホント泣いた。。球場での応援は関東を中心に1年間に12、3試合ほどかな?東京ドームにはほとんど行かなかったからね。そして極めつけは「カープを応援したい!」ってことで、就職先を広島にしたことだった。ただ、そうやって広島に行った割には広島いたときは社会人野球にはまっちゃって、ほとんどカープの応援には行かなかったんだけど。

カープが最後に優勝したのは'91年(平成3年)。そう、わたしが熱心なカープファンになってから、カープはまだ1度も優勝したことがないのだ。その間メークドラマされたり(でもあのときは中日がすごかったイメージがあるのよね)、Aクラスにも全く入れない年が続いたりしたけど、一昨年、CS争いに絡めた頃からちょっとずつチームが変わってきた。

去年までは「堂林、ノムケンからひいきされとるんじゃない?」って思ってて「堂林は出すな」って思ってたけど、今年は「結構堂林いいじゃん」って思ってた。思ってた矢先にあんなことになってしまいましたが、、、

しかもカープの選手を見ると、なんかイケメンが多くなってるし!昔は石原みたいなんがゴロゴロしとったけどな~。時代は変わるな~。これだといわゆる「カープ女子」が増えるのも分かるよね、みたいなことを思ってたりしてる(笑)まぁカープファンが増えることはいいこと。確かに「にわかが」ってついつい思っちゃうこともあるけど、まぁ観に来てくれるファンが増えて収益が上がれば、もしかしたらいつかFAで選手が取れる日が来るかも知れない!などと、まぁカープは'90年代、「清貧球団」って言われてましたからね~。でもいつまでも清貧じゃ勝てんのよ。もうFAで選手が流出「のみ」するのはまっぴらじゃ(マエケンが次に流出しそうじゃけど。。)。たまには誰かをFAで取って欲しい!とわたしは思っている。

まぁペナントレースはまだまだ先が長くてこれから先、調子を落とす日々、負け続ける日々が絶対に来るのは分かってるけど、でも、、

今年はちょっと期待していい?
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