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10-17 Mon , 2005
うつについて(その14)
先生に言いたかったのは2つのこと。「このままずっと寝てばかりいていいのだろうか」ということと「このままずっと実家にいなければならないのか」ということ。先生はわたしと彼女の関係を知らない。ただの同居人だと思っている。それだから気を遣わないで済む実家に帰れと行ったのだろう。そこでわたしが彼女との本当の関係を言うことによって東京にいることができないか、と言うことを相談したかったのだ。彼女が前に「私たちの関係を言ってもいいんだよ」と言ったのはそういうことだったのだ。

結局、わたしは彼女との本当の関係を医者に言った。しかし今、東京にいることは無理だとその前に察していた。早朝覚醒で早く起きるわたしと普通に寝ていられる彼女と起きる時間の差がありすぎてとてもじゃないが一緒に生活できないと思ったのだ。わたしはそのときはまだ一人で朝食を取ることができなかった。コーヒーさえ一人で沸かせないのだ。「これから一月はまだ実家にいます」とわたしは自分から医者に言った。

またやっぱり早朝覚醒があることに対しては今度は「朝食後15分くらい外に出て朝日を浴びてみなさい」と言われた。これにより体内時計が狂っているのが元に戻るそうだ。しかしそれを除いては今まで通り、寝て、十分休養を取ること、と言われた。

わたしはそれを聞いて納得した。東京では久し振りに彼女と遊びに行ったりして楽しく過ごした。それだけで病気がぐっとよくなり、実家に帰ったときに両親から「元気になったなあ」と言われたほどだった。

一時は何もする気がなくなって寝ているばかりの生活だったが、現在は新聞も読めるようになったし、このようにしてブログを書くことができるようにまで回復している。また、朝、気分が悪くなることもなくなったし、日中落ち込むこともあまりなくなった。あとはまだまだできることが少ないのと(食事が作れない、本を読めない等)、回復するのにはまだまだ時間がかかりそうなので、それを考えるとどうしても焦りの気持ちが出てくることがある。しかし、これを乗り切りさえすれば今は保留になっている未来のことも考えられるようになるのではないだろうか。

10月も半分過ぎた。まだまだ実家での静養の日々は続くが、できるだけ早く東京で静養できるよう、今、努力しているつもりだ。
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17:10 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その13)
次のときに病院に行ったとき「実家に戻ります」とわたしは医者に告げた。医者は納得し、年内くらいは実家にいること、薬は地元の病院に行くことを述べた。が、わたしはもう病院を変えることはいやだった。1ヶ月に1度でいいからこの先生に診てもらいたい、と思ったのでそのことを言った。先生は「本当は1ヶ月分の薬は出せないんだけど」と言いつつ、一月分の薬をくれた。(ここだけの話しね(^^ゞ)

9月4日、わたしは実家に戻った。実家ではわたしはご飯を食べる以外はほとんど寝ていた。(もちろん早朝覚醒はあったが)病院にいるときでもこんなに寝たことはなかった。もう何もしたくなかった。なんでこんなところにいるんだろうと思った。生きているのがいやだった。でも彼女には会いたかった。毎晩のように彼女に電話していた。

一月後、わたしは東京に戻って先生のところで診察を受けたいと思っていた。それと同時に彼女に会いに行きたかった。が、両親は「今東京に行くのはまだ無理だ」と反対した。「先生に電話して『来てもいい』と言ったら行ってもいい」と言われたのでわたしは先生に電話した。自分では戻れる自信があった。「先生と直にお話ししたいことがあるんです」と言い、先生はわたしがもう突然気分が悪くなって頓服を飲んでいないことを確認し「来てもいいです」と言った。わたしは嬉しかった。両親は渋々許してくれた。

16:29 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その12)
最初は今までと同じ医者だと思っていたが、今回の医者は2回目になっても3回目になっても十分時間を取って話を聞いてくれる医者だと言うことが分かってきた。しかもこちらが迷っていることや分からないことに対してはちゃんと考えた答えが返ってくることも分かり、とてもいい先生だと思った。

あるとき、早朝覚醒(朝早く目が覚めてそれ以上眠れないこと。鬱病の症状のうちの1つ)が治らないのでどうしたらいいか、と聞いた。そうしたら「午前中ちょっと寝るのを我慢したらどうでしょう」と言う答えが返ってきた。先生としてはできれば、という意味で言ったのだろう。

しかしわたしは非常に厳密にそれを受け取った。「絶対午前中は寝ちゃいけないんだ」と。だが今まで朝食後にすぐ寝ていた身体は言うことを聞いてくれない。すぐに眠くなる。わたしは「身体を動かせば眠くならないかも」と考え、一生懸命部屋の掃除や散歩をした。疲れてくたくたになるほどやった。しかし早朝覚醒は治まることはなかった。逆に睡眠不足になったわたしは急激に病状が悪化し、彼女に毎日「死にたい死にたい」というようになった。台所から包丁を持ち出そうとしたこともあった。今まで普通だった気分が突然悪くなり、泣き出したりすることもあった。

彼女はたまりかねて引きずるようにわたしを医者のところに連れて行った。「死にたいんです」というわたしに先生は「入院するか実家に戻るかどちらかにしなさい」と言った。わたしの選択肢としては実家に戻るしかなかった。だって今は会社も辞めて保険に入っていなかったから。

そこで一旦、実家に戻り、様子を見てどうするかを決めることにした。ぼろぼろになって実家に戻ったわたしを見て両親はびっくりした。一月前に実家に戻ったときはシフォンケーキを毎日作ったりして、とても元気だったのに一体どうしてしまったのだろうと思ったろう。わたしは毎日「死にたい死にたい」「生きていてもしょうがない」と言い、母親を困らせた。そのうち東京に帰る日が近づき、心配する両親を尻目に東京に帰った。

東京に帰っても相変わらずだった。そのときはちょっとした用事があって東京に戻ったのだが、事態は好転しなかった。わたしとしてはいやだけれども実家に戻って静養するしかない、と思うようになっていった。彼女に「先生に私たちの関係を言ってもいいんだよ」と言われたが、そのときはどうして彼女はこのようなことを言うんだろうと思ってあまり気にしなかった。
16:10 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その11)
新しい病院の医者は女性だった。彼女はわたしから前の病院からの紹介状を受け取り、話を聞いた。薬は今まで飲んでいた薬と同じだった。その他に特に強烈な印象は残っていない。今までと同じく普通の医者だな、とわたしは感じていた。

とーとつだが、わたしは病院に入院中、病院を抜け出してはしょっちゅう喫茶店でケーキを食べていた。中でもはまったのがシフォンケーキだった。わたしはネットでおいしいと言われる店を探しては食べにいっていた。東京でも同じだった。何カ所かのおいしいシフォンケーキ屋さんに行っては「これはおいしい」「これはまあまあ」と評価していた。友達からのおみやげさえ、シフォンケーキになっていた。そしてそのうち自分でもシフォンケーキが作りたくなってきた。彼女にシフォンケーキが作れる電子レンジをねだって買ってもらった。

しかしベーキングパウダーを使わないシフォンケーキはとても難しい。最初、実家にいる頃、何回か作ったがうまく膨らまなかった。そこでわたしはネットでシフォンケーキの作り方を教えてくれるお店を探しだし、そこに何度か通って作り方のコツを教わってきた。まだ納得できるようなシフォンケーキは作れなかったがある程度までは作れるようになっていた。

医者はケーキ作りをしていることをとても喜び、勧めていた。また、薬も従来の半分となり、体調の方もだんだん上向いてきたのが分かるほどだった。

彼女との生活も順調だった。彼女は鬱に関する本をたくさん読み、最大限の配慮をしてくれ、医者のところに一緒に付いてきてくれたり、わたしを疲れさせないようにしてくれていた。
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10-17 Mon , 2005
うつについて(その10)
12月に退院したあとは、実家で過ごすことになった。なんといっても食事の支度や掃除、洗濯などの細々したことは、その当時のわたしには無理だった。実家から会社に通い、引っ越しの準備もまた実家から自宅に通いながらやった。

引っ越しの準備は予想外に疲れることだった。引っ越し業者の選定、引っ越しの準備、また彼女と住む家を探すために東京に行ったりした。これらのことは頭と身体を使うことであり、病気のためにはよくないと分かっていたが、もうやるしかなかった。

3月の最後の週、わたしは荷物整理その他で会社を訪れた。もうその頃はわたしが会社を辞めることは職場の人達に知られわたっており、そのために壮大な送別会をしてくれた。たった7年間の会社生活だったが、本当に最後までお世話になった。そのことは感謝してもしきれないほどだと今でもわたしは思っている。

4月の中旬、わたしは東京に引っ越した。夢にまで見た彼女との生活、わたしは単純に嬉しかった。そしてとても幸せだった。病気に関しては無理した割には悪くもならず、わたしたちは新しい生活を楽しんでいた。

東京での医者探しは東京に住むわたしの叔母を通して行われた。彼女はとても顔が広く、いろんな人を知っている。「ここに電話して病院を紹介してもらってね」と叔母は言い、わたしは薬が切れる前に新しい病院の予約をした。
12:09 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その9)
唐突であるが、わたしには付き合って4年になる彼女がいる。最初から遠距離恋愛でずっと一緒に暮らしたい、と思っていた。どっちが来るかについては、わたしの出身地であり、知り合いも多くマイノリティでも暮らしやすい東京がいい、とすんなり決まったのだが、そうするとなるとわたしは会社を辞めなければならないことになる。これは非常に勇気のいることだった。わたしは同じ職場で働いている人達が大好きだったし、仕事に対しても特に不満はなかった。それに会社を辞めるには辞めるなりの理由が必要だ。会社を辞めて東京に行く理由を作る、わたしにとっては頭の痛いことだった。

考えは唐突にやってきた。6月に2週間、彼女の家に行ったとき、急に辞める理由が湧いてきたのだ。それは自分にとって厳しいと思われる道だったが、今までいろいろ考えた中で一番自分が納得できる考えだった。両親に会社を辞めることを告げたとき、彼らは反対した。それはそうだろう。今の会社に入るにあたっては散々苦労した挙げ句、やっと就職できたのだから。それに両親は彼女との関係をまったく知らない。唐突に「一緒に住む」と言われてびっくりしない方がおかしい。しかしわたしの方ももう限界だった。彼女と一緒に住みたくて、一緒にいたくてたまらなかった。

病気のことは関係なかった。たまたまそういう時期に病気にかかったわけで、辞める理由の中には病気は入っていなかった。逆に辞める前に病気になったことが悔しかった。職場の人に病気が原因で辞めると思われたくなかった。

上司には今年度限りで辞めることは12月頃に伝えた。上司もびっくりしていたが、そのあとの手続きは淡々と行われた。

こういう中での職場復帰であったが、わたしは最後に完全復帰してから有休を取り、引っ越しの準備やその他のことをやりたいと考えていた。なので3月末で辞めることになったが、1月から1ヶ月かけて職場復帰をし、2月の頭に終日勤務ができるようになってから2週間働き、2月の半ばから有給休暇の消化に入った。会社を辞めることは直前まで伏せてもらった。だから有休の消化に入ったときはまだ職場の誰もそのことを知らなかった。
11:43 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-17 Mon , 2005
うつについて(その8)
さて、話しを元に戻そう。

本来、2度目に入院したときは、よくなったら病院から会社に行こう、と考えていた。医者も同じ意見だった。しかし、上司が「退院してからでないと会社に来てはいけない」と言う。それならば区切りのよい1月から復帰しようと言うことで12月の末に退院した。

一般に鬱病にかかった人が職場に復帰する場合、最初は労働時間を短時間にし、それを徐々に長くして完全復帰するというやり方が最適とされている。最初から完全復帰すると前のわたしみたいに仕事に対して負担を大きく感じやすく、また病気が悪くなってしまう、ということになりやすいのだ。

医者によれば、最初は午前中のみ、それを2週間ほど続けてそれで慣れたら次は午後3時まで、それをまた2週間ほど続け、それから終日勤務にする、といった方法が患者にとって負担の少ない会社への復帰の仕方だという。つまり1ヶ月かけて完全に復帰するということだ。わたしもその方法を取ろうとした。しかし上司は「完全に病気を治して初日から終日勤務でないと困る」という。そういう点ではメンタルヘルスに関してまったく無理解の会社だった。

しかしいくら「困る」と言われても初日から終日勤務ができるはずがない。現にそれで一度失敗をしているのだから。なので有給休暇を使うことにした。午前中だけ働き、午後は有休を使う。3時まで働き、あとの2時間は有休を使う。(うちの会社は時間単位で有休が取れる会社だった)その方法を使ってわたしは会社に完全復帰したのだった。
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10-16 Sun , 2005
うつについて(その7)
カウンセリングの日が来た。わたしは今まであったことを手短に話し、これからどうしていいのかわからない、と言った。カウンセラーさんは「入院しながら会社に通う方法もありますよ」と言い、そういうことができる病院を教えてもらった。わたしは早速その病院に電話し、予約を入れた。

8月初め。彼女と一緒にその病院を訪れた。今までなんの薬をどれだけ飲んでいたか、どういう状態だったかを医者に詳しく説明した。医者は「3ヶ月は休んだ方がいいんだけどねぇ」と言ったが、結局はもうちょっと様子を見て悪くなるようだったら病院から会社に通うようにしましょう、ということになった。薬も今まで飲んでいたものは軽すぎると言うことで、何種類もの薬が追加された。

しかしわたしの身体はもう限界だった。1日会社に行くと次の日は起きあがれなくなっていた。身体が鉛のように重く、立つこともできなかった。こんなことを繰り返していたら絶対に治らない、わたしはようやく悟った。そして次に病院に行ったとき「入院します」と言ったのだった。取り敢えず3ヶ月休むことになり、上司へも報告した。

入院生活はこれといって何もない。入院した次の日は一日中寝ていたことと、ひまでひまでしょうがなかったことを思い出す。また、何をするのもやる気がなくなったのも入院してからだった。9時就寝で6時起床。お風呂になかなか入れないのが辛かった。この病院には8月中旬に入院し、10月に一旦退院したが、退院した2週間でまた悪くなってしまい、再入院。それから退院したときにはもう12月も終わりの方だった。
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10-16 Sun , 2005
うつについて(その6)
次の日。病院へは午後に行くことになり、午前中わたしはなんとかして入院しない方法がないものか、会社でいろいろ調べてみた。入院には3つの方法があるようだった。任意に入院するもの、親が同意すれば本人の意志ぬきで入院できるというもの、そして有無を言わさぬ強制入院。わたしは親に入院について同意しないよう、彼女から実家に電話してもらうように頼んだ。そして転院については会社から一番近い大病院にすることに決め、午後、病院に向かった。

医者は親に現在のわたしの状況を説明し、昨日わたしにしたような説明を繰り返し述べた。親はわたしの意思を尊重してくれ、入院はしないことになった。そして大病院への紹介状が渡され、わたしたちは病院を後にした。

7月になった。わたしは病気良くなろうと悪くなろうともうそんなことはどうでもよかった。医者に見放されたことがショックだった。大病院で「仕事を休んだ方がいいかどうか迷っている」と言ったのだが、医者は「その不安感が仕事のやりすぎを止めるのです」とかなんとかいって休ませようとはしなかった。わたしはますますどうでもよくなった。2度目に病院に行ったとき、医者はわたしに「あなたは鬱病には見えませんけどね」とまで言った。3分で診察は終わった。

わたしには近くに住んでいる同じ鬱病を患っている友達がいた。通っている病院は別だったが、彼女は前にカウンセリングに通っていて、それがなかなかよい、と言っていたのを思いだした。もうどうしてよいのかわからないわたしは、彼女にどこのカウンセリングに通っているのかを聞き、予約を入れた。7月は大きな出張が2つもあり、なかなか予定が合わなかったが7月の終わりに予約を入れることができた。
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10-16 Sun , 2005
うつについて(その5)
病院に着き、待合室で泣いていると受付のお姉さんが配慮してくれて奥の部屋に連れて行かれ、そこで待たされた。

わたしは医者から「休みなさい」と言われるかなと思っていた。が、それは甘い考えだった。医者は泣きじゃくるわたしに向かって冷たく「入院するなら親の同意が必要だから実家の電話番号を教えてください」と言ったのだ。入院!わたしはそのようなことを言われるとはまったく思っていなかったのですごくびっくりした。医者はわたしから実家の電話番号を聞くなり電話をかけ、家にいた何も知らない祖母に事情を説明し始めたのだった。祖母はびっくりし、父が帰ってきたら折り返し電話すると伝えたようだった。

実は会社には逐一自分の病気の状態を伝えていたが、実家には医者に行っていることさえ言っていなかった。実家とは疎遠の状態だったのだ。

実家からの電話を待つ間、医者は「ここは救急施設がないので転院してください」と言い、2、3の大病院の名をあげ、「明日までにどこにするか決めてきて下さい」と言った。わたしはびっくりした。自殺を企てようとしただけでもうここには通えないのか。「ここの病院はもう通えないのですか。わたしは転院したくありません。」というと「だから急に何かあったときはうちは対応できないのです。そんなことをいうなら自殺を企てなければよかったのに。」と冷たく医者は言い放ったのだ。わたしは絶望的な気分だった。何か裏切られたような気がした。

そのうちびっくりした親が電話をかけてきて、医者は事情を説明し、明日、わたしとともにここに来るように親に告げた。
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10-16 Sun , 2005
うつについて(その4)
しかし、わたしはそのときまったく知らなかった。鬱病が回復して会社に行くにはそれなりの段階をふまなければならないことを。。

仕事に復帰したわたしにはたくさんの仕事が待っていた。最初の2週間は普通に仕事ができた。しかし、時間が経つほど自分には自分に割り振られた仕事の負担が大きいような気がしてきた。なにしろ初めてやる仕事であり、そのためにはその分野のことをたくさん勉強をしなければならない。今までいた部署とまったく違っていたため、一から勉強し治さなければならなかったことも負担になる一因だった。

わたしは早速上司に相談した。「これとこれとこれはできるがその他は他の人に割り振って欲しい」とわたしなりの考えを上司に言った。上司は最大限の配慮をしてくれてわたしの言うとおりにしてくれた。しかしもうそのときはわたしにとって「自分ができる」と思ったことも実は無理だったのだ。わたしはどんどん憂鬱感を増していった。会社へも相変わらず週に1、2回は休んでいた。

6月の終わり頃だったろうか。彼女がうちに来ていたとき。その日、わたしは会社を休んでぼーっと台所の椅子に座って新聞を見ていた。ある有名人が自殺したという記事を見ていたときふと、「ここにある薬を全部飲んだら死ねるだろうか」と思った。しかし半分以上飲んでいた薬を全部飲んでも死ねるわけがないことは素人のわたしでも十分承知だった。ではどうしたらいいか。突然だったがわたしは死ねばすべてが楽になる、そう思い始め、台所から包丁を持ち出して自分を刺そうと思った。本当に突然のことだった。包丁で頸動脈を切るか、お腹に突き刺すか。頭はもう死ぬことしか考えていなかった。

彼女はびっくりし、「死にたい死にたい」と叫ぶわたしを制止し、台所から寝室に無理矢理連れて行った。そこで何時間取っ組み合いをしただろうか。「死にたい」「ダメ、死なせない」彼女は困り果て、医者に電話をした。そこで「なんにせよ、連れてこないと来ないとダメだ」と言われたらしく、わたしは彼女に無理矢理タクシーに乗せられ医者に連れて行かれた。
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10-16 Sun , 2005
うつについて(その3)
その頃からだんだんわたしは疲れやその他から「仕事を休みたい」と思うようになっていた。休みの間、寝たり自分の好きなことをして過ごせばこの憂鬱感や疲労感から回復すると思ったのだ。そこで医者に「2週間休みたい」と告げた。医者は簡単に診断書を書いてくれた。会社ではもう早くから上司や他の人に「自分は鬱病だ」と言っていたので、上司に診断書とともに休み中に起こりうることを書いたメモを渡してわたしはそれから2週間、東京の彼女のところに遊びに行った。

一般に「自分は鬱病である」ということは会社の人や上司には言いにくい、と考えられている。しかしそれは得策ではないとわたしは考えている。何しろ本人が辛いし、我慢に我慢を重ねた結果、長期の休みを突然取られると会社の方も困るからだ。それより普段から「自分は鬱病だからあまり無理はできないですよ」とさりげなく周囲にアピールし、上司には病院に言っていることを告げ、医者からどういう風に言われているのか、また今の自分の状態はどうなのかを逐一報告することによって周りの人の心の準備をさせておくことが重要ではないだろうか。

休みの間の2週間は本当に楽しかった。わたしは東京都出身であるので友達は東京の方が地元よりたくさんいる。わたしは彼女の家で休息を取りながら友達のところに遊びに行ったり、買い物に行ったりした。2週間後、病気はすっかり治ったように思われた。そしてわたしは仕事に復帰した。
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10-16 Sun , 2005
うつについて(その2)
実はわたし、以前に鬱病になったことがある。そのときはまだ学生だったのでしばらく実家に戻っていたら自然に治っていたのだが、そのときの苦しさは忘れることができなかった。

だから今回「この『憂鬱感』はあの感じだ」と気が付きすぐに心療内科の病院にかかることにした。これが去年の4月10日。病院はネットで調べ、よさそうなところにした。先生からは「憂鬱な気分が2週間以上続くと鬱病という病名が付きますが、あなたの場合はまだ2週間経っていないので『鬱状態』ですね」といわれ、2種類の薬が処方された。またその際、息苦しくならない呼吸法、と言うのも教わった。

息苦しさは1週間で治った。しかし憂鬱感は消えなかった。そして新たに「食欲不振」が出てきた。1週間で5キロも痩せた。先生は「これは薬の副作用です。薬を変えましょう」と言った。

その頃から憂鬱感に加え、疲労感も出てきていた。仕事も最初の1週間を除けば、1週間に2、3日休むようになっていった。わたしは先生から「休みましょう」と言う言葉を密かに期待していた。しかし先生の方針は「仕事に行きながら治療する」というものだったので「休みましょう」とは言われなかった。

GWは彼女が来てくれて家事一切のことをやってくれた。わたしは薬を飲み眠り続けた。毎日面白いように眠れるのだ。1日のうち起きているのは食事のときだけの2~3時間、という日々を送った。「それは薬の効きすぎです」と先生は言った。そして違う種類の睡眠剤が処方されることになった。会社は相変わらず休まず行けず、1日や2日、有休を使って休んでいた。
06:52 | うつの経過のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-16 Sun , 2005
うつについて(その1)
今日もばりばりの早朝覚醒で4時起き。何とか6時までは誤魔化せたけどこれ以上は無理なので起きてブログを書くことにした。

鬱病は「心の風邪」と最近よく言われる。けどそれは本当じゃない。鬱病はセロトニンやノルアドレナリンが出にくくなるれっきとした「脳の病気」なのだ。もちろん心因性が原因で鬱になることがある。けど圧倒的多数は原因不明だと読んだ本に書いてあった。

わたしの場合もよく「職場の人間関係が原因だろう」と言われたが、そんなことは全くなく、疲労が蓄積していったことが原因と言えば原因だと思われる。なんせ仕事の日以外は趣味のために各地に飛び回り、そして休む間もなく仕事復帰、では身体は本当に休むヒマがない。そういう生活を6年間続けてきたのだ。

病気の初めは「息苦しさ」だった。仕事してうちに帰ってテレビでも見ているとなぜか息苦しい。でもその「息苦しさ」はこれまでも何度も経験したことがあり、放っておけば治ると思っていた。けど現実はその逆だった。息苦しさを感じる時間がだんだん長くなっていき、ついには仕事中にも感じるようになってきてしまった。

最初は肺の病気か、と思ったがよく考えると何かに集中しているときや寝ているときは息苦しさを感じない。肺の病気なら四六時中息苦しさを感じているはずだ。それで肺の病気ではないと思った。では肺の病気ではないとしたらなんなのだろう。早速ネットでぐぐってみた。「息苦しさ」や「窒息感」をキーワードにしたら出てきたのは「自律神経失調症」だった。なるほど。それなら納得できる。だがだからといってどうすればいいのかはよく分からなかった。これが一昨年の秋から冬にかけてのことである。

引き金は職場の異動だった。最も行きたくないと思っていたところに異動が決まってしまったのだ。わたしはどんどん憂鬱になっていった。
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