12-31 Sat , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その3(駅からのメッセージ)
2016年中に書いておきたかったこれ!

2016.2.22に書いた「全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その2(盛り上がってた駅のようす)」の続きなのだが、メッセージが2年連続集まると、どうしても前年との比較が気になるので、1年目のようにザッと見てサッと書けなくて、一応駅のメッセージは全部比較しようとエクセルで表にまとめてそこからいろいろ分析しようと思ったら、そんなことしている時間がなかったので結局今になったという。。しかも、やっぱり体調はイマイチで、一昨日、昨日と頭が痛くて寝たきりだったので、これを書きたかったのに今になってしまった。。多分、年は越しちゃうだろうけど、これを今年最後の記事にしておく。

その2の続き。

1年目に比べると2年目は凝ったメッセージが多くなったように思えた。というのは、1年目は選んだキャラクターの名前すらなかった駅が

そもそも、メッセージの中にキャラクター名が全く含まれてない駅もあった。
・浜松町→ウルトラマンジャック
・高円寺→ニセウルトラセブン
・赤羽→グドン
・渋谷→スカイドン
・大崎→バルタン星人二代目
・水道橋→マグネドン
・上野→シーゴラス


これだけあったのに、今年は

・大崎→ベムスター
・高円寺→エースロボット
・赤羽→ゾフィー


の3駅のみになっている。あ、ちなみに1年目は64駅中52駅分のメッセージしか集められなかったので、単純に比較してはならないんだけど、それでも少なくなったことはこれで明らか。

その中でわたしが2016年、一番よかったと思ったメッセージはこれ。

「ミラクル星人」は「ウルトラマンタロウ」に登場し、地球に文化を学びに来た心優しい宇宙人です。日本のファッションの最先端の原宿は、日本だけでなく、海外からも、たくさんのお客さまがいらっしゃいます。「ミラクル星人」はそんなお客さまの象徴として、そして原宿がこれからもお客さまにとって魅力的で、また遊びに来てみたいと思える場所であり続けて欲しいという願いも込められています。「ウルトラマン」が放映していた頃から変わらない駅舎を保っている「原宿駅」です。過去からそして未来へずっと魅力的で愛される駅を護り進めてまいります。


20160123151341(原宿)


んー、でも確か、原宿駅って建て替えすることに決まったんじゃなかったっけ?よく覚えてないけど。

これを1番にしたけど、今回はいいのがたくさんあって、正直どれにしようかとても迷ったんだけど、最初に読んだインパクトでこれに決めました。

各駅のメッセージを分析してみた結果、「キャラクター紹介系」と「なぜそのキャラクターを選んだのか系」に分かれるような気がしたので、この2つに大きく分けた。あ、この2つが重複する駅ももちろん存在する。まずキャラクターを紹介して、その上でなぜそのキャラクターを選んだのかって説明する駅もあったからね。そして「なぜそのキャラクターを選んだのか系」を、「正統派系」と「こじつけ系」、「目指してる系」、「駅近辺キャラクター紹介系」に分けた。もちろん、全部がこの4つのどこかに所属するとは限らないメッセージもあるし、「キャラクター紹介系」に分類されるものでも「こじつけ系」はいくつかあった。

キャラクター紹介系→神田、秋葉原、御徒町、西日暮里、駒込、巣鴨、池袋、代々木、恵比寿、目黒、品川、田町、浜松町、御茶ノ水、市ヶ谷、四ツ谷、三河島、北千住、松戸、馬橋、新松戸、柏、北柏、我孫子、東十条、大森、蒲田、板橋、十条、新日本橋、天王洲

計31駅。

なぜそのキャラクターを選んだのか系→東京、上野、日暮里、池袋、目白、高田馬場、新大久保、新宿、原宿、渋谷、五反田、有楽町、水道橋、信濃町、千駄ヶ谷、東中野、中野、荻窪、亀有、金町、羽田空港第一ビル、新日本橋、尾久

計23駅。「キャラクター紹介系」との重複駅は、池袋と新日本橋の2駅。よって全65駅中、(31駅+23駅-2駅)=52駅、全体のちょうど80%が「キャラクター紹介系」と「なぜそのキャラクターを選んだのか系」で占められる。

「キャラクター紹介系」の駅からのメッセージってのは、だいたいこんなヤツ。

神田→ダンガーは「帰ってきたウルトラマン」に登場する怪獣です。初期にはツインテールやタッコングなどが登場する「帰って来たウルトラマン」の中でも、特にマイナーな怪獣と言えるのではないでしょうか。しかしながらそのコブがたくさんついている顔立ちは、他の怪獣にはない特長を持っており、横から見ると精悍な顔つきにも見えます。また迫力のある目つきもあいまって、怪獣らしい怪獣と言えるのではないでしょうか(後略)

馬橋→馬橋駅のウルトラマンスタンプは「コンドル1号」です。「ウルトラマンタロウ」シリーズで使用されていたマシンで、折り畳み可能なリング状の主翼が特徴的な主力高速戦闘機です。お馴染みの怪獣ではありませんが、皆さまに当時の頃を想いだして頂ければと思います(後略)

「なぜそのキャラクターを選んだのか系」の駅からのメッセージはこんなヤツ。

上野→(前略)今回、上野駅ではたくさんのお客さまにお越しいただきたい!という思いから、「ウルトラマンタロウ」のスタンプを用意しました。ウルトラマンシリーズは約50年の歴史があり、上野駅も負けずに約130年の歴史があります(後略)

これは「なぜそのキャラクターを選んだのか系」の中の「正統派系」。てか、ウルトラマンシリーズの歴史、約50年と上野駅、約130年の歴史を比較するのはちと無理がありすぎるのではないかと。。上野駅の方が圧倒的な勝利じゃん(笑)

目白→「プロテ星人」は当駅のお隣にある「学習院大学」と関係があります。地球侵略に必要な情報収集のため、「プロテ星人」は人間に姿を変え仁羽教授として京南大学へ潜り込んでいました。その京南大学の撮影舞台が、なんと「学習院大学」だったのです。作品内では、かつて大学内に実在したピラミッド校舎にてウルトラセブンとの戦闘が行われました。もしかしたら、仁羽教授に姿を変えた「プロテ星人」も皆さんと一緒にスタンプラリーを楽しんでいるかもしれませんね。

これも全くもって「正統派系」。なるほど、目白と言えば学習院大学、学習院大学と言えばプロテ星人ですか(って今、目白と言えば、目白御殿じゃんなどと考えたわたしは、やっぱり古い人間なのか。いやいや、ウルトラマンタロウときっと同じくらいの年代だよね!?)

亀有→亀有駅にちなみ、当駅のスタンプキャラクターは大亀怪獣一家にきめました。この怪獣は家族を守るためにやむなくタロウと戦う怪獣です。ちなみに、今ではウルトラの星で平和に一家そろって暮らしているようです(後略)。

一応、これも「正統派系」に分類。「こじつけ系」はもっとこじつけてるヤツだから。というわけで、「こじつけ系」。

こじつけ系→東京、池袋、渋谷、五反田、東中野、中野、阿佐ヶ谷、金町、大井町、十条

この「こじつけ系」のこじつけ度はスゴイ!!(カッコ内はその駅のキャラクター)

東京→この時期の夜空には冬の星座の代表「オリオン座」が輝いています(オリオン星人)
池袋→もう一つの選ばれた理由は、ホテルメトロポリタンの最寄り駅だからです(メトロン星人)
渋谷→渋谷駅長は秋田県の出身なのです(ナマハゲ)
五反田→駅構内で「ゴタンダ」「ゴタンダ」と放送していますが、言葉がにているので「ゴタンダダ」ということで決めさせて頂きました(ダダ)
東中野→臼でできた顔を持ち、お餅がおいしい寒い季節の今のぴったりの怪獣です(モチロン)
中野→そんなバキシムは…小さなイモムシから作られたんですよ。そして見てください!中央線カラーのオレンジ色の顔!(バキシム)
阿佐ヶ谷→ウルトラマンエース世代の社員が、「阿佐ヶ谷駅はウルトラマンエースでええっすか?」(ウルトラマンエース)
金町→金町駅にも食いしん坊の駅員がたくさんおり、食事の時間になると、「もっとぉ~」「もっとぉ~」という声が聞こえてきます(モットクレロン)
大井町→酒・歌・踊りが大好きな酔っぱらい怪獣ベロン。賑やかな商店街の雰囲気に誘われて、大井町駅に迷い込んできてしまいました。大井町駅周辺の飲食店には美味しいお酒や料理がいっぱいです。(中略)お父さんは飲みすぎてベロンベロンにならないように注意してくださいね(ベロン)
十条→ちなみに十条がジャンボキングになったのは、埼京と最強をかけ、超獣を反対から読むと「獣超」(じゅうちょう)・・じゅうじょう・・。無理ありますかね・・。(ジャンボキング)

東京、池袋、渋谷の選定理由なんてホント、よー分からん!(笑)まぁでも確か、1年目の東中野はマグラーって怪獣だったけど、確か駅長さんが眞柄さんでしたよね?あんな感じか。。ということは、東中野は2回連続して無理矢理こじつけ系ですね!(笑)わたしが2年連続「こじつけ系」だなあと思った駅は、五反田、東中野、阿佐ヶ谷の3駅でした!

「目指してる系」というのは、「うちの駅は、こんな駅を目指してます~」と書いてあるもの。1年目は結構これが多かったような気がするんだけど、2年目は減ったような気がする。

目指してる系→大塚、新大久保、原宿、田町、信濃町

大塚→大塚駅もお客さまとの信頼関係を大切にすることをモットーに皆さまから愛される駅を目指しています
新大久保→「百」にちなんで、ムカデ(百足)は、「足並みを揃え前進し、絶対に後ろに下がらない。」と言われ、お客さまと共に歩み、何事に対しても諦めず努力するという思いを込めて
原宿→過去からそして未来へずっと魅力的で愛される駅を護り進めてまいります
田町→愛らしい姿の怪獣パンドラ(チンペ)のように、田町駅は、お客さま・地域の皆さまに愛される駅を目指して邁進してまいります
信濃町→私たち信濃町駅の社員も「ウー」のように心優しく、そして雪ん子(お客さま)を守っていく存在になりたい願いから

ちなみに大塚駅の1年目のキャラクターは「ゴロー」で、ゴローに似た駅員さんがいるって書いてあったのがわたしの中ではとてもインパクトが強かったんですけど~(笑)2年連続「目指してる系」のメッセージは、田町、信濃町の2駅かな。

駅近辺キャラクター紹介系→日暮里、飯田橋

日暮里には「にゃっぽり」、飯田橋には「いいだべえ」(いいだべい?)というキャラクターがいるようです。そしてこの2駅は1年目も同じように地元のキャラクター推ししてます。ただ、飯田橋は1年目は「いいだべい」で、2年目は「いいだべえ」になってるんだけど、「いいだべい」と「いいだべえ」、どっちが正解なんだろう?

「キャラクター紹介系」と「なぜそのキャラクターを選んだのか系」以外で主なものは「駅紹介系」。

駅紹介系→田端、取手、赤羽

田端→女ヤプールが登場するウルトラマンAの放送が開始されたのは1972年(昭和47年)。当時の田端駅は広大な田端操車場を擁し、貨物列車の要塞として有名でした。かつて貨車が並んでいたヤードは新幹線の車両基地となり、景色も車両も変わりましたが今も昔も鉄道の聖地です。田端駅は今年開業120周年を迎えます。駅から少し足を延ばせば機関車から最新技術を結集した新幹線が皆様をお迎えし、田端駅の今昔を感じることができます(後略)
取手→取手駅は当スタンプラリー実施エリア内で唯一、茨城県にある駅で、12月には開業120周年を迎えます。ガッツ星人がウルトラセブンと戦った昭和43年の常磐線は、茶色の電車ばかりの中、103系と呼ばれるエメラルドグリーン色の電車が走り始めたばかり。3年後の昭和46年には地下鉄千代田線との相互直通運転も控え、新たな風が吹きつつあった頃です(後略)
赤羽→現在の赤羽駅は、ウルトラマンが放送されていた頃に比べると、当時の面影は無く時代の流れを感じますが、赤羽駅周辺には「昭和」を感じさせる商店やスポットが数多く残っています。ウルトラマンスタンプラリーにご参加の際は、是非お立ち寄りください。また、埼京線は、おかげさまで平成27年9月30日に開業30年を迎えることができました(後略)

わたしは鉄道には詳しくはないんだけど、こういう鉄道の歴史を感じさせるメッセージもいいなと思う。ちなみに赤羽は結構1年目と同じようなメッセージで(笑)、田端はまったく違う色のメッセージだった。取手は1年目のは見てこられなかったので分からない。

中で「今年もやったか」と思える駅が2つ。新橋と大崎。

20170101 151520


大崎の縦読み(笑)ちなみに1年目は「おおさきにきてね」2年目は「ことしもおおさきに」でした!

新橋はどうやらこの駅長さんが転勤になってしまったようです。

新橋


緊 急 事 態 発 生 !
新橋駅を守っていたウルトラセブン駅長が転勤になった!

2016020215423(新橋)


新たな駅長さんはなにしてる!(笑)


継続性と言えば、キャラクターを継続させた駅が4駅。

新宿→ウー→ウー(2代目)
四ツ谷→セミ人間→バルタン星人
尾久→バルタン星人→バルタン星人(2代目)
南流山→ウルトラマン→ウルトラマンジャック(帰ってきたウルトラマン)

新宿のメッセージの中の人はよほど「ウー」が好きなんでしょうね~。南流山は1年目はウルトラマンで、2年目は帰ってきたウルトラマン。主人公が好きってことでしょうか。それとも、ここの駅はものすごく行きにくい駅なので、敢えて主役系のキャラクターが配置されてるのかなあ?そして、四ツ谷と尾久のバルタン星人へのこだわり!!尾久はカシオペア号の車庫がある駅(1年前はさらに北斗星の車庫もあった)ということで、1年目も2年目も「名脇役的存在」ってことでバルタン星人を選んでいるらしいけど、四ツ谷の1年目キャラクター「セミ人間」は「四ツ谷駅周辺は自然豊かで毎年沢山のセミが集います」ってことがキャラクター選定理由だったような(笑)そして、四ツ谷駅のこだわりはこれだけじゃなく、こういうところにも現れていた。

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スタンプ台がバルタン星人!!どんだけバルタン星人が好きなんだよ、四ツ谷駅!!!えーと、多分、スタンプ台がバルタン星人なのはここだけだったような。。少なくとも尾久は違ったと思います(確かあとで確認しに行ったような)。

それから、1年目には浜松町駅以外なかったのが「他の駅紹介系」のメッセージ。「○○駅にもこういうキャラクターがいるよ」ってヤツ。1年目は「他の駅にもキャラクターはたくさんいます」程度だったけど、2年目はそれが増えていた。

他の駅紹介系→西日暮里、四ツ谷、阿佐ヶ谷、荻窪、北千住、新日本橋、羽田空港第1ビル

西日暮里→本物は柏駅にいます(ニセウルトラセブン)
四ツ谷→尾久駅のバルタン星人(二代目)、有楽町駅のバルタン星人Jr.など何作にもわたって愛されたキャラクターです(バルタン星人)
阿佐ヶ谷→ちなみに今回の「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」は2つお隣の西荻窪駅もヒーローであるウルトラマンがスタンプです(ウルトラマンエース)
荻窪→当駅が所在する杉並区内他駅のウルトラ兄弟との対決もお楽しみください(テンペラー星人)
北千住→北千住、松戸、馬橋、王子、駒込の5駅に設置しておりますので(タックアロー)
新日本橋→昨年当駅に登場したテレスドンは、羽田空港第1ビル駅で活躍しています。そちらにもお寄りください(グドン)
羽田空港第1ビル→新日本橋駅では同じ地底怪獣「グドン」が登場。是非、地底怪獣コンプリートを目指してみてください!(テレスドン)

四ツ谷のバルタン星人への愛はホントにすごいと思う!北千住はなぜ沿線5駅のみの紹介なのか、、これは謎。そして、新日本橋と羽田空港第1ビルはなんと「両思い」。ここに「両思いで賞」を差し上げたいと思います(なんのこっちゃ)。しかし、こういう「連携」を見られるのは嬉しい感じ。新日本橋、羽田空港第1ビルとも地下駅なんだけど、地下駅ってことに誇りを持ってるね!

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今度は角度を変えて、各駅の1年目と2年目のメッセージを比較してみる。前も書いたけど、1年目は64駅中52駅しかメッセージを集められなかったので、あくまでもその52駅の中でしか比較できない。同じ駅でも「これきっと、同じ人が書いたよね(笑)」というのと「同じ人が書いたかどうかは分からないけど、前年を踏襲してるね」というのがあった。もちろん「前年を全然踏襲してないね」ってのももちろんあった。

きっと踏襲してるだろうね系→神田、西日暮里、駒込、巣鴨、大塚、高田馬場、新大久保、新宿、恵比寿、大崎、品川、田町、新橋、有楽町、水道橋、市ヶ谷、四ツ谷、千駄ヶ谷、東中野、高円寺、西荻窪、金町、王子、板橋、十条、赤羽、尾久、南流山

多分踏襲してないだろうね系→東京、御徒町、上野、田端、池袋、目白、原宿、渋谷、目黒、信濃町、阿佐ヶ谷、荻窪、大井町

よく分かんないけど、一部そのまま踏襲した系→大森、蒲田

大森は「ウルトラマンが地球で存在できるのは3分です。都区内1駅間の所要時間も3分程度、この3分を利用して皆様お気に入りの怪獣探し」までが同じ。(その続き→1年目「の小旅行にお出かけ下さい」、2年目「にお出かけください」)蒲田は「是非、この機会にスタンプを集めてください。また、スタンプラリーご参加の場合は、便利でお得な「都区内パス」をご利用ください。」が同じ。ここ以外にも細々と同じなのがあったけど、この2つは「ああ、踏襲したね」というのがよく分かったので。大森、蒲田ともその他の部分は同じ人が書いたかどうかはよく分からない。ただ、沿線で文章がなんとなく似てるなあってのがあって、それが京浜東北線の大井町、大森、蒲田、そして常磐線の松戸、馬橋、新松戸だったんだけど、、なんか沿線で似てるなあって感じるのは、沿線同じだとメンタリティが似てくるとか(違)。

「きっと踏襲してるだろうね系」は、「2年ともレベル高いね系」と「まったく面白くない定型系」の2つに分かれる。

「2年ともレベル高いね系」は、断然、新大久保と田町。

2015・新大久保
キャラクター選定の際に、真っ先に思い浮かんだのが友好珍獣「ピグモン」でした。新大久保の街は韓流ブームと共に賑わいと活気にあふれ、かつては静かだった街が今では誰もが知る「コリアンタウン」として有名な街に生まれ変わりました。しかし、昨今の日韓情勢とともに訪れるお客さまが減少している今、日韓の友好を願わずにはいられません。また、様々な外国の方が訪れる、多文化共生の街でもある新大久保。国籍や言語、文化の違いを互いに尊重しあう、そんな世界を作りたいものです。そういったこともあり、真っ先に浮かんだのが友好の文字がある「ピグモン」でした。駅社員全員一致で決定、希望しました。他駅からの希望もたくさんあったキャラクターと聞いておりましたが、見事に当駅が当選を勝ち取りました。近隣にある皆中稲荷神社のご利益の後押しがあったのかもしれませんね。

2016・新大久保
新大久保駅は、一昨年開業100周年を迎え「これまでの百年」そして「これからの百年」を繋いで行きたい。また、当駅は新宿区百人町という街に所在し、江戸時代、百人組と呼ばれた江戸城の警護を担当する鉄砲隊の屋敷があったことに由来します。「百」にちなんで、ムカデ(百足)は、「足並みを揃え前進し、絶対に後ろに下がらない。」と言われ、お客さまと共に歩み、何事に対しても諦めず努力するという思いを込めて、ムカデンダー(百足怪獣)を選択しました。最後に、スタンプラリー参加の全てのお客さまが楽しまれる事を駅員一同、心より願っております。


2015・田町
時間と空間を超えて、現実から理想郷へ連れていってくれる「異次元列車」。2020年、当駅と品川駅の間に新駅が開業予定です。オリンピックイヤーとも重なり、近隣のお客さまの大きなご期待を感じています。当駅も今後大きな変革の時を迎えます。夢溢れる新駅と田町駅を繋ぐ列車は、今までも、これからも時間を超えてお客さまの日常に寄り添い続けたいと思っています。いつもご利用いただいているお客さまも、そうでない方も、この機会に是非「ウルトラマンスタンプラリー」をお楽しみください!

2016・田町
怪獣でありながら大変友好的な性格で、時には困っている人間を助けることもある心優しいカンガルー怪獣のパンドラ。そして、パンドラの腹袋で守られながら、その優しさを一身に受けている子どものチンペ。そんな姿にきっとあなたも癒されるはずです。愛らしい姿の怪獣パンドラ(チンペ)のように、田町駅は、お客さま・地域の皆さまに愛される駅を目指して邁進してまいります。「ウルトラマンスタンプラリー」へのご参加を田町駅スタッフ一同、心よりお待ちしております。


新大久保、田町とも、どうしてそのキャラクターを選んだのかって理由がしっかりしてる。「なるほど、うまいキャラクターの選択だよな」って思える。

「まったく面白くない定型系」は、巣鴨、高田馬場、品川、高円寺、西荻窪、赤羽

この中でワースト3を挙げれば、第3位巣鴨、第2位高田馬場、第1位高円寺。2位の高田馬場と1位高円寺の1年目、2年目のメッセージを並べて貼っておくね。1年目が上、2年目が下。なんだかね~。いや、これも駅の特色といえば特色なんだろうけど。でも高田馬場も高円寺もそれぞれ特色がある駅だと思うんだけどなあ~。

20170101132251.jpg  20170101132447.jpg


「踏襲してるけど、1年目と2年目は状況違ってきたのね系」は、恵比寿と新橋。新橋はもう紹介したから、恵比寿を紹介すると

1年目:当駅の社員は平均年齢が若くウルトラマンシリーズに詳しい社員もあまりいませんでしたが
2年目:恵比寿駅社員には幼少の頃に今回のウルトラマンシリーズに夢中になった30代・40代の社員が多く在籍します。

これってやっぱり新橋のウルトラセブン駅長さんと同じく駅員さんの転勤で?それとも2年目の対象が「ウルトラQ」がなくなって「ウルトラマンA」「ウルトラマンタロウ」が追加されたからかしら。。でも、2年目の恵比寿が選んだキャラクターって1年目もあった「帰ってきたウルトラマン」からなんだよねえ。。謎だ。

「多分踏襲してないだろうね系」の中では「2年目はぐんと面白くなった系」がある。

2年目はぐんと面白くなった系→東京、上野、田端、池袋、渋谷、大井町

1年目は大きな駅ほどメッセージが面白くない傾向があったと思うんだけど、2年目はそうじゃなかったところも多かった。特にこの中で挙げるとすれば池袋か。池袋、1年目は64駅の中で唯一、キャラクターのポスターを駅の中に貼ってなかった駅なんだけど、2年目はあちこちに貼ってあった!これを見たときは嬉しかったな。ただ、キャラクターのポスターを駅の中に貼ってない駅が2年目は3駅に増えてたけど(悲)

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見よ、池袋の1年目と2年目のメッセージの違い。池袋には「わたしが嬉しかったで賞」を差し上げます←

さて最後に。1年目も2年目も選ばれたキャラクターは何か。両方ともに選ばれたキャラクターって人気があるキャラクターか、心に残ったキャラクターと言ってもいいんじゃないだろうかってことで。ただし、1年目と2年目はキャラクターの選定範囲が違うので、これも一概に「そうだ」とは言えないんだけどね。それを踏まえた上で。

重複キャラクターは以下の22体。

・バルタン星人 尾久→四ツ谷
・レッドキング 信濃町→北柏
・アントラー 池袋→東十条
・ピグモン 新大久保→水道橋
・ジラース 御茶ノ水→品川
・バルタン星人二代目 大崎→尾久
・ザラブ星人 秋葉原→三河島
・テレスドン 新日本橋→羽田空港第1ビル
・ジャミラ 馬橋→巣鴨
・ゴモラ 板橋→お茶の水
・ダダ 西日暮里→五反田
・ウー 新宿→信濃町
・ゼットン 御徒町→浜松町
・ウルトラマン 南流山→西荻窪
・エレキング 飯田橋→大森
・ゴドラ星人 十条→御徒町
・メトロン星人 王子→池袋
・キングジョー 西荻窪→新松戸
・ガッツ星人 阿佐ヶ谷→取手
・ニセウルトラセブン 高円寺→西日暮里
・ウルトラセブン 新橋→柏
・グドン 赤羽→新日本橋
・ツインテール 千駄ヶ谷→新橋
・ベムスター 東京→大崎
・ウルトラマンジャック 浜松町→南流山

まぁ、わたしはウルトラマンシリーズはほとんど記憶にないので(タロウの歌を歌っていた記憶はあるけど、物語がどんなだったかは全然覚えてない)、キャラクターについてどうのこうのとは言えないのだけど。そして、わたしの年代だとタロウ以降、レオとかそういう方がもうちょっと記憶に残ってるんじゃないだろうか?レオは見てたような気がする。けどこれも記憶にはほとんど残ってなくて、レオの弟がアストラだってことしか覚えてない(笑)

去年の今ごろは既に「ウルトラマンのスタンプ今年もやるよ」って宣伝が駅のあちこちにあったような気がしてるのだけど、今年はやらないのかな。先月はほとんど家から出れてないので駅の様子がどうなのかはまったく分からないんだけど、ネットで探してもそれらしきものは見当たらないので。残念だなー。でもいつか機会があったら、今度はレオのキャラクターも含めたりしてやって欲しいな。

ともかく、2年目も大いに楽しませてくれた「ウルトラマンスタンプラリー」。今回もとても楽しめました!

ウルトラマンスタンプラリーに参加したJR東日本、東京モノレールの65駅の駅員さん、
楽しませてくれて本当にありがとうございました!
(今さらながらで申し訳ない)
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04-18 Mon , 2016
人工地震はなんのためにあるのか?
最近、非常に大きな地震が熊本で起こったよね。わたしは普段から自分とはまったく関係がない人のブログをたくさん読んでるんだけど、この地震が起こった後に読んだブログの中に、この地震との関係性は明確には書いてなかったけど、地震が起こったことについて書きながら、その下にいきなり人工地震について説明しているYou Tubeが貼り付けてある記事があって。5分だけあなたの時間をください、みたいなタイトルだったかなあ。。つい、見てしまった。人工地震を否定してるのかと思ったら、思いっきり肯定してた映像だったのでびっくりした。

まぁ阪神大震災や東日本大震災が実は「人工地震」によって引き起こされたものだった、という陰謀論みたいなのは今までもネット上で散見されてたのは知ってた。100%有り得ないけど、まぁ本震は「人工地震」が引き起こしたのだと仮定しても、頻繁に続く余震までご丁寧に人工地震なのかしらとか考えると「それは無理があるんじゃない?」ってすぐ思えない?東日本大震災の震源は海の中で深さ10kmのところだったけど、そもそも地中10km(しかも地上じゃなく海の中)でどうやって大量の人を送り込んで施設を作るのか。海底の一番深いところって約10km(10000m)です(マリアナ海溝)。そこに人間が行くことがどんなに困難なことか。めっちゃ水圧かかる中で。技術的に不可能です。

なんて、わたしは地震は研究対象ではなかったのだが、一時期地震と非常に近い分野にいて(ちょうど阪神大震災の頃)、観測機器の貸し借りとかやってたし(ちなみにわたしはGPSを使った観測をしてた)、そもそも研究室の対象は「海底」だったので、周囲に「しんかい6500」に乗った人とかたくさんいて、海底に行くことがどんなに困難なものなのかを少しは知ってる。ちなみに「しんかい6500」は文字通り深さ6500mのところまでしか潜れない。なぜかというと、水圧がすごいから。3人乗りで、操縦士、副操縦士は絶対に必要(1人に何かあったら困るから)、研究者は1人しか乗れない。そしてトイレもない。そもそもそういう「大きな」スペースは作れないのです。水圧の関係で。深海は非常に寒いのにトイレに行けないものだから、行くたびにとても緊張すると聞いた。

今、こんな現状なのにどうやって海底10kmのところに核施設が作れるんだろう??

まあそれはいいとして。

では「人工地震」はあるのか。と言われると、ありますね。ではなんのために?と言われると、地震研究のためです。決して破壊目的のために「人工地震」があるわけではない。

じゃあなんで、地震研究のために人工地震があるか、というと、これは地震学者が一体、何を知りたくて研究しているか、ってことです。

地震を研究しています、というと、地震予知のために研究してるんだろうと思うと思うけど(わたしもかつてはそうだった)、地震学者って、基本的に「地球の中は何でできてるんだろう?」ってことを知りたい人たちで集まってます。それとなぜ地震が結びつくか、なんだけど、人は中身が分からないものに対して、どのようにアプローチをかけるかを考えたとき。

あ、あそこになんか中身の分からない箱が置いてある→でも自分のものじゃないから開けられないしな→でも中身に何が入ってるのか気になる→ちょっと手にとって揺さぶって中に何が入ってるのか考えてみよう→箱をカサカサ揺らす→ん?こういう音がするんだったら硬いものが入ってる?→もっと知るためにはもっと大きく揺らさなきゃ→箱をガサガサ揺らす

まぁ、こういう感じのことをするでしょう。地震はそれと同じってこと。要するに「中身が分からない箱」=「地球」、「ガサガサ揺らす」=「地震」ってわけですね。このようにしてわたしは研究室の人から説明してもらいました、当時。まぁわたしは地震(というか地球物理なんだけど)については素人だったので、素人には分かりやすい説明をせねばと思われたんでしょうね(笑)だから地震学者が地震を研究することって言うのは、地球の中身がなんであるかを地震によって知るためなのね。もちろん、地震学者が観測してるのは地震波だけじゃなく、わたしが研究に使ってたGPSでも地震を観測してるはずです。今回の熊本の地震も91cm動いたとか言ってるけど、あれはおそらくGPSを使った観測でしょう。GPSというと車のナビゲーションシステムとか今はスマホのアプリとか、様々なところで使われてるけど、あれとはまた違う観測システムでそれこそmm単位で測れるような精度を持つ測位法がある(わたしはこっちの方が専門だった)。その他でも重力計とか、海底だったら電磁気とか、いろんなもので地震を観測している。ちなみに地中にある断層の存在がどうして分かるかというと、重力を測ることによって分かります。

けれど、地震学者でも大きな地震がいつ来るか、まったく分からない。何しろ、上に書いたように大きく揺れれば揺れるほど地球の中身がなんであるかが分かるんだから、彼らはいつ、どこで大きな地震が来るのかが一番に知りたいはず。が、そんなことは分かるわけがない(地震予知できてないんだから)。ので、大きな地震が来た後にすぐに現地に入って観測機器を設置する。なぜって?それこそ、余震を測りたいからですよ。大地震の後の余震はそれなりに規模が大きいし、頻繁に来るから。

てなわけで、人工地震がなんで地震学者のためにあるのか分かったでしょう。いつ来るか分からない地震を測るより、人工地震を起こして初めから終わりまで効率よく観測したい、これが目的。なんだけど、人工地震ってしょぼい規模でしかできない。あと、わざわざ地中深くに埋めて爆発させる必要性はないので、基本的に地上0mの地点になる。ということは、人工地震の波形は、直下型地震の波形と非常によく似てるのは、当然なことです。今回の熊本の地震の震源は確か深さ10kmだったと思うけど、地球の半径およそ6400kmに比べてその中の深さ10kmというと、ほぼ「地表」と考えていい。なので今回の波形も人工地震の波形と非常によく似てるはずです。中学校の理科で地震はp波とかs波って習うと思うけど、直下はp波とs波が同時なので、p波はほとんど観測されない(震源から遠くなればp波が先に届く)。

なぜか「○○大震災は人工地震だった」の根拠にこの理屈が使われることがあるみたいなんだけど、これは当たり前のことです。人工地震自体はいわゆる「小規模」な直下型地震なんだもの。この2つの地震波の波形が似てるのは当然のことなのね。

わたしが見た陰謀的な「人工地震」の映像では「人工地震がある証拠」として新聞の記事が挙げられてたけど、あの中に「人工地震が大きすぎた」って大きい見出しがあった。あれは人工地震を起こす火薬の量を間違えたのかな。とにかく「大きすぎ」って評価されると言うことは、それ以前に人工地震は「だいたい大きさこのくらいで」という見積もりをされてたはずで(おそらく人工地震を起こすためには事前の国の許可などが必要なはず。だって小規模でも爆発させるんだからね)、観測したらそれより大きい観測値が出てしまったので、記事になったんだろう。でもそれは逆に言えば起こされた人工地震は「観測される」ということが目的だったことを示してるよね。

いろいろぐぐってみると、人工地震の陰謀論とともに、人工地震のデマとか、いろいろ反論も出てきたんだけど、なんか「人工地震は地震学者が観測するためにあるもの」という根本的なことが書いてなかった。なのでこれでは「でも人工地震ってあるんでしょ?何の目的で人工地震があるの?やっぱり破壊兵器なんじゃないの?」という疑問は払拭されないと思ったので取り敢えず書いてみた。ただ、今は人工地震って日本ではほとんどやってないんじゃないかな?地下核実験場を持つアメリカとかではもちろん、核の実験とともに地球の内部のことを知るためにいろいろ観測機器で測ってると思うけど。でもあのエネルギーだって、自然の地震のエネルギーに比べると微々たるものです(こっち系で人工地震の陰謀論を否定しているウェブサイトの方が多かったかな)。

。。。まぁでも多分、「陰謀論大好き」な人は「そうは言ったって、自分の想像が付かないところで何かが行われてるはずだ!現実的に考えたらいろいろおかしいのかも知れないけど、でも本当は信じられないような技術がこの世には存在してて、それが人工地震なんだ」って思い込んでると思うので、こういうこと言ってもおそらく信じないでしょうね。だったら逆に「なぜ自分はそのような(非現実的な)陰謀論を信じられるのか」を考えると結構楽しいと思うけどね。
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02-22 Mon , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その2(盛り上がってた駅のようす)
その1の続き。

去年は時間がそんなに余裕があるわけではなかったので、じっくりと駅を観察してくることはなかったんだけど、それでもいくつかの駅に行くと「ああ、スタンプラリーを盛り上げようと思ってるな~」って思える駅があった。そして、今年も。まずは去年に引き続いて大崎駅。ここは去年に引き続いて今年も何枚か、独自のポスターを作ってた。

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大崎駅の今年のキャラクターはベムスターだったんだよね。ちなみにベムスターは去年の東京駅のキャラクター。まぁ、わたしはウルトラマンの怪獣や宇宙人などについてはほとんど興味がないので、どの怪獣が人気者だったのかとかまったく知らないんだけど。ああ、駅がどのようなキャラクターを選択しているか、これを分析すると結構面白かった。「人気キャラ好き」な駅とか、逆にマイナーなキャラクターを敢えて選択してる駅とか。大崎駅は、去年もそうだったけど、今年もかな~り力が入ってた駅のうちの1つでしたね。

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よーく見ると、こういうさりげないところにベムスターもいて。ちなみにこれはスタンプ台の反対側の後ろの方にあったチラシ置きのところに貼ってあったような。あ、あと、スタンプ台の上の方にもこんなのが。上にちょこんとベムスターがいますね(笑)大崎駅はきっと、こういうポスターの図案作るのが好きな駅員さんがいるのかな?

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あと、去年に引き続いての駅はもう一つ、御徒町駅。去年はゼットンで、今年はゴドラ星人。ちなみに去年は十条のキャラクターでした、ゴドラ星人。駅からのメッセージを読むと、去年の十条も今年の御徒町も「人の姿に変身して誰かを騙した」とか書いてあるので、きっと、印象深い宇宙人だったんだろう。ただ、去年の御徒町駅は駅中にそんなにベタベタ貼ってあった記憶はないんだけど、今年はすごかった。。

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こんな感じで下の方にある「ひとこと」と「つぶやき」が書いてあったんだけど、全部で何種類あったんだろう?一応、探せるだけ探してきたんだけど。。

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これが「ひとこと」。ビミョーに同じようなものも若干入ってるけど(笑)しかしこれだけでも8種類。さらに

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これが「つぶやき」。全部で6種類だと思うんだけど。。これ以上はわたしは発見できなかった。しかし、全部合わせて14種類。すごいです。ポスター、見て回るの結構楽しかった(笑)

しかし、実はこれよりすごい駅があったんだよね、今年。っていうか、去年はまったく印象にないのは、わたしが見落としてたんだろうか。じゃーん、有楽町駅。

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キャラクターはお馴染みバルタン星人、ではなく(笑)、バルタン星人の子ども、バルタン星人Jrだそうです。こんな感じで「(スタンプ台は銀座口改札だ!)」とか書いてあるんですが。。

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なぜか手書きのままのものもあり、上から貼ってあるのもあり、、これはこれで味があるんだけど(笑)そして「順調・快調・有楽町!」。。誰がこんなオヤジギャグを考えたんだろう(笑)まぁこれはここの駅を利用しているサラリーマンに向けた言葉なのかも知れません。順調!とか快調!とか無理矢理思い込まないといけないサラリーマンなんかがたくさんこの駅を利用してるんだろうな。。(余計なお世話か)尾久駅とか四ツ谷駅ってのは、バルタン星人とバルタン星人(二代目)がいるところで、バルタン星人については、これはわたしでも知ってるキャラクターだから、かなり有名でもあり、だからこのキャラにすごいこだわりを持つ駅があるんだろうなー、って今年の駅のキャラクターを見たときに思った。だって、尾久駅も四ツ谷駅も去年も「バルタン星人系」のキャラだから。四ツ谷が去年は「セミ人間」(バルタン星人の原型と言われている)、尾久は「バルタン星人」。四ツ谷と尾久のバルタン星人へのこだわりは並みではないっすね。そして今年のこの御徒町駅もすごかった。改札を出てスタンプ台のところに行くと、

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こんなのが。さらにスタンプ台に近づくと

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そんなに並ばない人がいるのか(笑)っていうか、「勝負はまだ1回の表だ!」というのはどうやらこの「バルタン星人Jr」の口癖だそうです。「1回の表」ってのは当然野球の「1回の表」だろうけど、これも駅なりに利用している人たちを励ましてるんだろうな。っていうのは、実はスタンプ台は銀座口にあるんだけど、中央口の方に行くと

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じゃーん、こんなんがあったのです。言っとくけど、中央口にはスタンプ台はないのよ。なのに、これ。すごいなあ、有楽町駅。そしてこのバルタン星人Jrのポスターの一つ一つに「ひとこと」が書いてあるんだけど。

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ホント、すごいねこれ。わたしはたまたま中央口に降りちゃったんでこれを発見したんだけど、もしかしたら他の駅もスタンプ台置いてない出口にこんなにすごいものがあったりしたのかなあ。もちろん全部の駅の全部の出口を見て回ることは不可能なんで、他のところは見て回らなかったけどね。多分、今年、駅の盛り上げ方No.1は有楽町駅だと思います。

その他、今年から参加した羽田空港第1ビル駅。

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見たところ、4種類のポスター。ここは地下駅なんだよね。そして、去年は同じ地下駅だった新日本橋駅のキャラクターでした。あと、こんなのもあった。これは目白駅と北柏駅。

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走る子どもが多いんでしょうか。しかし、わたしが見たところ、スタンプ押してるのは子どもより大人の方が圧倒的だったけど。。てか、子どもは親に連れられるような本当に幼い子どもで、例えば小学生同士とかそういうグループは見た記憶がないなあ(笑)そして取手駅。

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これ以外にそっけなく「西口改札外」って書いてあるポスターもあったんだけど、なぜかそのうちの何枚かは「お待ちしています」が貼ってあったという。こういう統一性がないのを発見するとつい、面白くて撮ってしまう。

で、そうそう。取手駅はスタンプ台の横にこんなのが。

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かわいいよね。そして、

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取手は唯一の茨城県内の駅。茨城県マスコット「ハッスル黄門」って初めて知った。その横の猫のキャラクターも。

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左と真ん中は北柏、右は南流山で。常磐線とか東の方はスタンプ台横にちまちま飾ってある系、って感じかな?そういえば、南流山といえば、去年はここ、ウルトラマンでした。で、今年はウルトラマンジャック。ヒーローが好きな駅だよね、ここは(笑)で、去年は「当駅のキャラクターはウルトラマン!」って誇らしげだったから、今年はどうかなーと思って期待してました。

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左が去年。右が今年。今年もウルトラマンじゃなかったにも関わらず、同じように貼ってました。んで、去年は気が付かなかったんだけど、こういうポスターも。

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確かに今年は「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」なわけで、そういう意味では「帰ってきたウルトラマン」であるウルトラマンジャックは、やっぱ今年のスタンプラリーの「主役」なんでしょうね。

それから、ここからは単発になるけど。まず千駄ヶ谷駅のアボラス。

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これ、実はスタンプ台の裏側で、駅の改札から見える方向なんだけど、かわいくてつい撮ってしまった。こういうちょっとしたことがわたしは結構好きなんだよね~。ああ、そういえば千駄ヶ谷駅は去年は独自の怪獣ポスターだったんだよね。

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こういう感じの。これは去年の全64駅でも1駅だけじゃなかったかなあ?ちなみに今年は独自の「怪獣」ポスター作ったところはなかったですね。

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そして五反田のダダ。駅の改札出る前の一角がコーナーみたいになってた。後日書く予定だけど、五反田のキャラクターの選定理由は今年も笑えました。去年はペスターで、ペスターはヒトデの怪獣らしいんだけど、ヒトデ=五角形=五=五反田、が選定理由だった。今年は、、なんとなく分かるでしょう(笑)ちなみにダダは去年の西日暮里駅のキャラクターでした。

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金町駅のキャラクター「モットクレロン」の人形。スタンプ台の横に置いてあった。こういうの、誰が作ってるんでしょうか。。

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今年、怪獣のポスターは1枚もなかった浜松町駅だったんだけど、ここには「ウルトラマンSHOP」ってのがあったらしいです。そこに飾られてたのが、このウルトラマンの人形。まぁこれは、駅自体が今年選定したキャラクターを盛り上げようって趣旨ではないと思ってるけどね。

あと、番外編で。浜松町駅、新橋駅では駅で押したスタンプを提示すると、参加特典で駅周辺のお店で割引があったりしたようです。

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わたしはこれしか発見できなかったけど、もしかしたら、他の駅にも参加特典があったかも知れないですね。でもこれって完全大人向けな感じ(笑)しかし、こうやって駅周辺のお店もどんどん巻き込んでいくのは面白いかも知れないです。

その3に続く。次はいよいよ「駅からのメッセージ」編です。
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02-21 Sun , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その1(ただしスタンプは押してない)
前に書いたように、1月12日から「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」というのをやってて、今年は去年と違って初めからやる気満々だったので、日にちに余裕を持って終わらせることができた。まぁ例によって画像処理に時間がかかってしまったので、今になっちゃったんだけど。これが集めたポスターの画像。

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全65駅中、62駅。去年は池袋だけ駅にポスターが貼ってなかったけど、今年はポスター貼ってないところが3駅に増えてた。ポスターが貼ってなかったのは、

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浜松町、馬橋、亀有の3つの駅。池袋駅は今年はあったのにね。。まぁこの中でも亀有は分かるのよ。亀有の今年のキャラクターは「クイントータス・キングトータス・ミニトータス」で、上の画像を見てもらえば分かるように、どうやらこの3匹(?)が一枚の画像になったものがなかったらしいんだよね。だから、作れなかったのかなあ?って気はしてる。けど、浜松町のゼットンなんか、去年は御徒町のキャラクターで、ポスターは作れないわけないし(しかも御徒町のポスターは独自のセリフが入ってて楽しかった)、馬橋も作るのは無理っぽいとは思えないんだけどな。まぁ馬橋は出口が1つしかないし、駅出たらすぐに分かるところにスタンプが置いてあったので、案内のポスターなんかいらないって思ったのかも知れないけど、ちょっと悲しかったな~。だって、同じく出口が1つしかない三河島は、

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出口案内が書いてあるところに「三河島駅」の文字。こういうのだったのよ。これでいいんだけどなあ。。

逆に池袋駅は今年もないだろうと思ってたら、結構あちこちベタベタ貼ってあったので、とても嬉しかった。っていうか、馬橋と亀有はまったく何もポスターが貼ってなかったんだけど、さすがに浜松町は、

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こんな矢印だけのポスターはあちこちにあり、、あれ。去年の池袋駅そっくり??ま、まさか、去年の池袋駅の駅長さん、浜松町駅に転勤したりしてないよね?(笑)

去年は「全駅集めよう」って決めて1日で全部回って(その前に集めてたのが21駅分あったので)、でも、途中で「駅からのメッセージ」も集めようって決めてからもう1回回ったので、スタンプラリーに使った日数は2日だったんだけど、今年は3日。それもわざわざこのためにだけ出たわけではなく、病院行くときとか、他の用事があったついでにその方面の駅を家を早めに出て回ったりしたもの。3日の内訳は、新宿から南側+新日本橋で1日、残りの山手線+総武線、中央線沿線で1日、残りの常磐線などで1日、という感じだったかな。

山手線の乗り間違えは今回は1回だけ。例によって電車が来てて出発しそうだったので、行き先も見ずに飛び乗ったら、今来た方向だったという。。これは去年、何回も同じことをしたので(アホですね)、今年は「1本乗り遅れてもいいから、今年は行き先を見てから乗ろう」と心に決めて、結局反対側に進んじゃうってことは、その1回しかなかった。てか、1回だけで十分って感じだよね。。同じこと何度も繰り返すなよって感じだよね。。しかし、常磐線は今年もよく分からないもんだから、何回か失敗した。快速と各駅の関係がよく分からん、あれは。あと快速も何種類かあるようで、最初はよく分からんもんだから、適当なのに乗って、取手まで最初に行ったのね。そこから東京方面に1駅ずつ戻ろうと思って。で、行きは各駅に止まって来たもんだから、帰りも全部止まるんだろうと思って取手駅に来たのに乗ったら、取手の次が柏でね。我孫子とか北柏とかすっ飛ばして戻っちゃった。まぁ、柏から我孫子行きが結構頻繁に出てるみたいだったので(千代田線経由の各駅の常磐線だよね、あれ)戻るのにそんなに時間はかからなかったんだけどね。

もう一つ。亀有から北千住でさぁ、着いた北千住の駅がどー考えても地下鉄で。「あれ?ここ出たら(地下鉄の駅でJRじゃないから)お金取られるんじゃね?」って思ってさぁ、もう一回亀有に戻ったのよ。でも、亀有って千代田線直通の常磐線しか止まらないみたいで。「???」って思いながらもう一回、北千住に戻って。これ以上行きようがなかったので、改札のところで「亀有から乗ったらこっちに来ちゃったんですぅ。本当は都区内パス持ってるから、JRなんですけど(汗)」って言い訳しようと思ってたら、北千住って、直接地下鉄とJRが繋がってるのね。。多分、去年も同じ間違いをしたはず。。去年は綾瀬から乗り換えられると思って、綾瀬駅のホームをずーっと歩いてたんだけど、全然行き先が違う電車の乗り換えホームだったってことしか覚えてなかったので、北千住で繋がってたことはすっかり忘れてた。てかあそこ、本当に普段乗り慣れてないと分からんわー。

去年「早く行ける」と思って使った埼京線の渋谷駅が飛んでもなく渋谷駅から遠いので今年は使わないようにしたとか、新日本橋に行くのに、総武線快速は東京駅で乗り換えると飛んでもなく遠く、しかも分かりにくかったので今年は品川から乗ったとか、そういう「改良」した部分もあったんだけどね。そうそう、去年迷った新松戸駅から武蔵野線乗り換えも今年はスムースに行った。

なので、今年は去年と違って割と全体的に余裕があったと思うんだけどな。疲労具合も去年は死ぬほど足が疲れたって感じだったのに、今年はそんなに疲れたとは思わなかったし。

ってことでその2に続く。今回は余裕があった分、駅に貼ってあるポスターなどもじっくり見て回れたので、その部分で発見したことなどを。

【追記】

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これにも書いたんだけどもさ。東京モノレールはわたしの出身大学の上を走ってて、大学在学中はよく大学の方からモノレールを見てたもんです。が、逆にモノレールに乗ることはなかったんで、いい機会と思って狙ったシャッターチャンス。これ、うちの大学のポンド側で停泊している「青鷹丸(せいようまる)」です。その手前にチラッと見えるのが「ひよどり」挺かな?うちの大学は3つ、大きな船を持ってて、この青鷹丸が一番小さくて約160トンだったか。一番大きいのは「海鷹丸(うみたかまる)」という船で、でかいので晴海に停泊してます。海鷹はわたしが大学生だったときは確か三世だったかな。1828.66トンだったか。しかし今は新しくてもっとでかいのができたはず。わたしは大学に入るまで、学校の中にポンドがあって、そして船が停泊しているということも知らなくてね。在学中はちょっと時間があるときは停泊中の青鷹丸に乗らせてもらったりしたもんでした(うちの学生だったら誰でも乗れたはず。まぁ当時の話で今はどうだかは知りません)。ちなみにポンドの反対側、モノレールの羽田進行方向の左側に大学のグラウンドや校舎が見えます。まぁそれも一瞬で通り過ぎちゃったけどね。

前に書いた天王洲アイルのことだけど。「随分昔の話になっちゃったんで、懐かしいかも」って思ったけど、よく考えたら当時は学校から歩いて行ったので(そういえば、当初は金網に穴が空いててすぐ行けてたんだけど、ほどなくして穴が埋められて遠回りせんといかんようになった)「天王洲アイル」駅で降りるのは初めてで懐かしさも何もなかった。。
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02-16 Tue , 2016
朝鮮大×武蔵美×芸大「となりあえば」展に行ってきた
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時間はぐっと今に戻って、今年2月の話。

わたしがこの展示会を知ったのは、instagramだった。最近わたしはtwitterのアカウントも持ってないし、FBも全く見ない。なのでこの手の情報はほとんど得られないんだけど、なぜかinstagramのほうで情報を流してくれた人がいて、それで知ることが出来た。というか、流してくれた人は全く知らない人なんだけど、こないだ日記に書いた去年の11月の武蔵美×朝鮮大の「突然、目の前がひらけて」展に、偶然、同じ日に行ったみたいなんだよね。「同じ日に行ったみたい」というのは、観に行ったあと、家に帰ってから覗いたinstagramにその人も「来てます」って画像をアップしてたからだった。これにはびっくり!「わたしも今日、行きましたよ~」ってコメントしたんだけど、同日同時刻に行ったとしても、元々知り合いじゃないんだから、どんな人だか分からない。なので今もどんな人か知らない人。で、多分、そういうこともあって、その人はこの展示会について知らせてくれたんじゃないだろうか。非常に有難いことなんですけどね。

ただ、今回は前回と違い、事前に「この日のこの時間に行きます」という連絡をしなければならなくなったらしい。が、どうもその連絡先はtwitterのアカウントで、それを持ってないわたしは連絡できない。とても図々しい話だけど、仕方がないのでわたしはその情報をinstagramに流してくれた人に「twitterのアカウントがない場合は、どうやって連絡を取ればいいんでしょう?」ってコメントした。そしたら親切にもその人がいろいろ向こうとやりとりしてくれて「こちらのメールアドレスにメールしてください」っていうことにしてくれた。なのでわたしは無事、そのメアドに連絡して、そして行けることになったのだ。

なんでそんなめんどくさいやりとりがあったかというと、会場が朝鮮大学校の中の展示室だったからだ。要するに、校門の前で朝鮮大学校の人が迎えに来てくれて、それで展示室まで一緒に行かなければいけない、そういうシステムになってしまった。帰りもそう。朝鮮大学校の人が校門まで送ってくれる。「なんでそんなことしなきゃいけないの?」って思う人もいるだろうけど、わたしはその部分はあまりなんにも思わない。まぁ向こうにも都合ってものはあるだろう。それに実際、このシステムはわたしにとっては結構よかったなと思っているのだ。なんせ、行き帰りの間に彼らと話せるんだから。前の「突然、目の前がひらけて」は、前の日記にも書いたけど、展示している側(武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科双方)が誰もいなかったので、一言も何も話せずに帰ってきた。それはとてもつまらなかった。だけど今回は違う。展示会をやってる人と話せるのだ。これはわたしにとってはとてもよかった。おかげでいろいろ思ってることを話したり聞いたり出来た。前の日記でわたしが気になった作品について、

> (そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

って聞けたのも、実はそのときだった。

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行きに玉川上水を歩いているとき、ふと、空を見上げたら美しかったので一枚。冬の空。

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玉川上水ってよく聞くけど、実際のところはほとんど知らず。こんなに長いものなんですね。ここは本当にいい散歩コースだと思う。

14時半に学校の正門のところで待ち合わせ、と約束した割に、向こうが来てなくて(笑)なかなか来ないもんで「正門のところで待ってます」ってメール入れて。10分くらい待ったかな。実はちょうどそのとき武蔵野美術大学から予約なしで来た学生がいて、受付の前で「予約してないと入れないんですよ、今回は」って言われてたんだけど、ちょうどわたしがいて迎えが来てくれることになってるし、じゃあ、まあいいでしょうってことになった。案外、臨機応変だった。

迎えに来てくれた人はどういう顔の人だったか全く覚えてないんだけど(いただいた「となりあえば」展のパンフレットの後ろにこの展示に関わった人の全身写真が載ってるのだが、この人だっけ?それともこの人だっけ?みたいな感じ、、、行きと帰りの人は多分違ってたと思うんだけど、それすら記憶曖昧)、いきなり「朝鮮大学校に来るのは初めてですか?」って聞かれた。もう一人の武蔵野美術大学の学生さんは初めてらしかったんだけど、わたしは去年の11月に来たのが初めてだった、と言ったら「今回はこういう(迎えに来るという)形になってしまってすみません」と言われた。

「でも、こうやって外部から観に来て下さる人がいると、わたしたちはやっぱりとても嬉しいです!」って言ってた。まぁそれはそうだろうね、、やっぱり自分の描いた作品は、一人でも多くの人たちに観てもらいたいって思うのは、そりゃあ描いた人の本能だろうからね。

会場に着いたんだけど、今回は、その作品を描いた人が多分、半分くらいはいたと思う。受付のテーブルの前に座ってた。で、展示会を観に来た人は、わたしの観てる途中何人もいたけど、受付の人と話してる内容を聞くと、割と武蔵野美術大学の人が多かったように思う。

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ご挨拶

この度は、朝鮮大学校美術科、武蔵野美術大学油絵科、東京藝術大学芸術学科有志によるグループ展「となりあえば」にお越しいただき誠にありがとうございます。
2014年秋、武蔵野美術大学油絵科に在籍する、日本学校で日々を過ごしてきた金真希が朝鮮大学校美術科1年生に送った、両校の交流を望む1枚の企画書からこの展示は始まりました。両校の学生は展示会に向けて交流を重ね、今自分が表現しようとしていること、自分のアイデンティティ、互いの日常などについて対話を行いましたが、その過程で直視せざるをえなかったのが異なる日常を送るお互いの「隔たり」でした。隔たりを意識すべきかせざるべきか、互いの関係を構築する中で導き出したのが「隣人」という言葉でした。
隣人とは、何らかの壁によって隔たれ、自分とは異なる日常を送る決定的な他者でありながらも、同時代に生きる者としてふとした瞬間に交わり、私たちの日常を彩ってくれる存在です。意識しようがしまいが、私たちは常に隣人、そしてその異なる日常に挟まれて生きているのです。
昨年秋、先輩方が企画した朝鮮大学校と武蔵野美術大学を会場として開催された『突然、目の前がひらけて』では、両校の間に学生によって展示期間中橋がかけられました。それは互いの隔たりを認めつつ、同時代に生きる「隣人」として行った一つの取り組みの象徴であると言えるのではないでしょうか。
今回展示します各作家の作品は、それぞれの日常の発露であるとともに、作品同士、作品と鑑賞者、鑑賞者同士など、様々な関係における「隣人」という存在の可能性を示唆しています。
「隣人」としての取り組みがさらに私たちとあなたという「隣人」への広がり、「隣人」のいる日常への気付きとなればと思っています。
「となりあえば」展一同



まぁ来てみないと分からないことだったが、この展示は決して去年の11月の「架け橋」の第二弾ではなく、交流自体はこちらの方が先とのことだった。しかもこちらの方は武蔵野美術大学の方も「ずっと日本学校で教育を受けてきた在日、大学に入るまで民族教育を受けてきた在日、そして日本人」とメンバーもバラエティに富んでいるようで、そういう意味で、前の「架け橋」は「武蔵美×朝鮮大」イコール「日本人×朝鮮人」だったわけなんだけど、今回はそうじゃなかった分、彼らの関係もまた「架け橋」とは違ったものになっているように感じた。あとは「交流の長さ」も影響してるよね、多分。それから「若さ」ってのはあまり関係がないかな?ただ、作品の作者らはまだ現在大学2年生で、「架け橋」に比べると確かに作品はまだまだ若かったです。でも、それがわたしにとってはとても「新鮮」に思えた。まだまだこの先変わっていく可能性が感じられる、とでも言えばいいのか。なんかとても上から目線で偉そうですけど(^^;

作品を観させてもらったけど、印象に残るものが多々あった。

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もっとも印象に残ったこれだけ撮って来た。題名は「表では読み取れない否定」。この人の一連の作品も飾ってあって、それぞれとても抽象的なものだったけど、わたしは分かりやすいのよりこういう絵が好きなんだよね~(笑)ただ、その中でもこれはとても分かりやすいと思う。でもね。「表では読み取れない」って言ってても、裏の部分で使われている色が表でも見え隠れしているという。表はそれを別の色で覆われたりもしてるけど。それは時折混じる「チラチラとした本音」を表してるんだろうか。

その他、今でも印象に残ってるのは(画像には撮っては来なかったんだけど)、多分、武蔵野美術大学の在日の人の作品だったと思う。自分のアイデンティティについて、小さなキャンバス(というの?)に何枚にも描かれた作品だった。絵の上にトレーシングペーパーが被せられてて、そこに多分、その人の思いを描いたのだろう。その中でもとても印象に残ってるのは友だちと並んでご飯を食べてる絵で、そこに「友だちが味噌汁を飲み終わったときに『ああ、日本人でよかった』という言葉の自分の感じる違和感」みたいな言葉が描いてある作品。「ああ、そうだろうな」って思うの、わたし。一方でこういう「日本人」の声も聞こえてくる。「そこまで自分は少数者に配慮しなければならないのか。だったらおちおち味噌汁飲んだ感想も洩らせないではないか」と。

違うんだよな。まぁこれを描いた人は本当はどう思ってるかは分からない。分からないんだけど、わたしが思うに、問題は「味噌汁が美味しいと感じるから日本人で良かった」という言葉そのものではないと思うのね。きっとそこには普段からの日本人の言動、「日本国内には日本人しか住んでいないと思っている発言」や「本当は日本国内には日本人以外の人もたくさん住んでいるのにそれが全く見えてない発言」が頻繁に彼らの口から発せられてるんだろう。それに象徴されたものとして「味噌汁が~」になってるんだと思う。だから、普段から何気ない一言の中に「日本には日本人以外の人たちもたくさん住んでるよね(そういう存在がいることをわたしは知ってるよ)」ということが入っていれば、多分、その人が味噌汁飲んで「日本人で良かった」といってもさして気にはならないだろう、と思うのだ。なんにせよ「いないもの」として扱われるのが一番つらいこと。もちろん、何故彼らが今ここにいるのか。どういう経緯があってここにいるのか。そういうことはもっともっと知られていかなければならないことなんだけどね(でないと、「在日です」「日本語うまいですね」という会話は永遠に繰り返されるだろう)。

ただ、この作品はちょっとストレートすぎてね~。わたしはもうちょっと「わけの分からない要素」ってのが好みなのでね。

で、もう一つ印象に残ったもの。これは東京藝術大学の人の作品。あの人は何を専攻してる人なんだっけ。作品は写真にキャプション付けたもの、それから自作の冊子。そこにも写真と文章が書かれてた。故郷の、多分もう亡くなったおじいさんの話と、おじいさんがかつて住んでいた家と、その回りの風景の写真。おじいさんは戦争体験者らしい。時に軍刀を取り出して、とかいう表現があったので、多分戦争でどこかに行ったんだろう。なんか、中身には具体的にどんなことが書いてあったかよく覚えてないのだが、寂れた風景と一風変わった家の写真とともに、とにかくとてもひんやりとする作品だった。

在日が「自分は一体何なのか」というアイデンティティを模索する作品は実は描きやすいと思っている。少数者とはそんなものだ。だが、マジョリティである日本人が「自分は一体何なのか」を表現しようとすると、それはかなり大変なことだ。だって、この日本で日本人であることは大多数で「普通」のことなんだから、普通はとても表現しにくい。だけどこの人は「自分の身内」を切り取ることによってその冷ややかな視線でそれは何か、を表しているような気がした。まぁ尤も、「自分は一体何なのか」が描きたかったわけではなく、本来愛すべき身内とされているものを、それとは別の感情で遠くから冷ややかに眺めている視線、それがわたしにとってはとても魅力的に感じたのかも知れない。決して感触はザラザラとしてはいない、むしろつるんとした冷ややかさというか、いや、そこは物体ではなく乾燥して冷ややかな空気と言えばいいのか。そのような感触がとても気になった作品だった。

それからこの展示会、真ん中に机が置いてあって、そこに数冊のファイルが置いてあったのね。ええと、4冊くらいあったかな。それが結構また面白くてね。朝鮮大学校の人が2人いたことは覚えてるけど、あとは1人だったか2人だったか。4冊ともその人の「作品集」みたいな感じだった。その中の1冊、ファイルがラップでグルグル巻きにしてあるのがあって、あれも印象深かったな~。ヌードの絵を描いてる人なのか、なんか自分がヌードになった絵を描いたみたいなのね。とにかく自分がヌードになるのが恥ずかしかった、そしてその画を人に見せるのが恥ずかしかった、だったら、ラップを巻いて分かりにくくしちゃえ!という。でも描いてる絵はかなり抽象的な絵なのよ。ちょっとやらしいチックなのもあったけど(やらしいという言葉はかなり語弊で、やらしくはないんだけど、なんというか、これは男女の絡みなのか知らん、と想像できるような作品があった)。

朝鮮大学校の2人のファイル、多分、そのうちの一人はわたしが上に挙げた「表では読み取れない否定」を描いた人のものだったような気がする(なんといっても、わたしは人の名前はすぐに忘れてしまうので、気になった人の名前も忘れてしまうのだ(涙))。でも、壁には非常に抽象的な作品ばかりだったものの、その人が高校(というか高級学校)時代に描いたというファイルの作品を見ると、これまた全然違うんだよね、、なんかイラストみたいな絵ばっかりだった。「へー、こういう絵を描いてた人が、ああいう絵を描くんだ」って、とっても面白かった。

そして面白いと言えば、その朝鮮大学校の2人のファイルは、習作、と言えばいいんだろうか。「授業でこういうのを描いて、それでこういうつもりで描いて、でもこういう風に書けばよかったかなあ」みたいなことが書いてある。これはかなり面白かった。

絵、というものは、描いた絵によって表現されるべきものであり、その絵について「これをこういうつもりで描きました」と文字や言葉で表現されるってのは本来おかしな話ではあるよね。だって、そうじゃないとなんで絵でわざわざ表現するの?って話になってしまう。そして受け取る側も本来はどういう受け取り方をするかは自由なはず。だがしかし、受け取る側はいつも不安なのだ。「これ、本当にこの解釈でいいのだろうか。描いた人は本当にこういう意図で描いているのだろうか」と。描いた本人は案外「どういう形で受け取られようが自由」って思ってる人が多いにも関わらず。わたしなんか何度も表現した人から「あ、そういう風にも思えるんですね~」と言われ、「あ、そういう意図で表現したんじゃなかったんだorz」って思う場面があり。だから本当にそれは気になるところなんだよね。

なので、こういうものを見せてもらえるととても有難いし、こういうものが見られるのは、とても貴重な機会なのだ。

中にね、朝鮮画の習作なんてのがあって、それもとっても興味深かった。朝鮮画っていうのは、そのファイルを見ただけの範囲だけど、水墨画のようで、でも多色なのよ。それがとっても鮮やかでね。習作なので決してうまいとは言い難かったが、それでも「こんな感じ」というのはよく分かって。それを観られたのも、とてもよかった。

わたしは本当は歴史より、朝鮮半島の古くからの文化や風習、あとは民族音楽、みたいなのに興味を持ってる。だけど、それを知ろうと思うと案外大変なのね。もしかしたらわたしはまだ「きっかけ」というものが掴めてないのに過ぎないのかも知れないのだけど。何しろ現在はいわゆる「北朝鮮」と「韓国」に分かれてしまっているので、古くからの文化や民族音楽がそこに「共通」してたのものなのかもよく分かんない。ただ多分、明確に分かれてしまったのがここ60年の話なので、そんなの、今までの歴史からするとほんの一瞬に過ぎないとは思うんだけど、それでもわたしは「別々のもの」と捉えざるを得ない。本当なら、別々なところから情報が来て、そこで「ああ、これは同じだ」とか「これが違う」とか判断できればいいのだけど、今の日本では韓国の方からは圧倒的に情報は得られても、いわゆる「北朝鮮」からはそういう情報はまず得られない。だからいくら韓国からの方のものを見ても、それは自分の中ではイコール「朝鮮半島の文化」でなく一旦「ペンディング状態」になる。それはとても悲しいとは思うんだが、まぁでもそういう状況を作ってしまったのはこの日本、というわけでもあり(もちろん100%とは言わない)、それを考えると「どうすればいいのだろう」ということになるのだが。

まあそんなこんなで、とにかく、わたしは中央の机に置いてあったファイルもとても良かったと思う。

で、帰りにまた校門のところまで朝鮮大学校の人に送ってもらったのだが、この展示会の感想など言ったり、またはちょっと聞きたかったことなど聞いたりして、それはとても楽しかった。今回のこのグループは全員大学2年生らしいので、今後交流を更に深めて、また展示会やってくれないかな~と思った。この人たちの絵がどういう風に変わっていくかを見たいと思った。

帰りの電車の中で、もらったパンフレットに書いてあったこのグループ展に関わった3人(朝鮮大学校、武蔵野美術大学、東京藝術大学)の対談(というか一人は司会なんだけど)を読んだ。対談を読んで、この展示会は前の「架け橋」の第二弾でもなんでもなくて、そういう位置づけをしてはならないんだろうけど、わたしは正直、こちらの方が肩肘張ってなくていいなあって思った。もちろん、この中でも「歴史認識」というのは重要な作業で、それなりにいろいろあったらしい。が、今回は武蔵野美術大学の方に多様な人たちがいたためか、それとも集まったメンバーの性格に因るのか、なんか「架け橋」の時に感じた悲壮感、困惑感ってのは全く感じなくて。なんかこのパンフレットによると「架け橋」の人たちはみんな「ストイックな性格」だったようですが(笑)そして本当のところはどうだったかはパンフレットだけではよく分からないんだけど、そういうところはこのメンバーでは軽々と乗り越えてしまった感はあった。もちろん「どちらの方がいい」という問題ではないのは分かってるけど。あとそれと。「架け橋」の方は、武蔵野美術大学側の一方的な思いで、朝鮮大学校側は果たしてどう思っているのか、それが直接的にはよく分からない感じになっていた。が、今回はパンフレットを読んで分かるように「双方の対話」が分かるのね(あ、パンフ自体は前の「架け橋」もあって、それを読むと双方の対談にはなってる。が、実はわたし、あれまだ全部読んでないのです(汗)時間がないのもあるが、細かい字でたくさん書いてあるので読むの結構大変そうなので後回しになってる)。なので、今のところの感想に過ぎないけど、こちらの方が親しみが持てる展示会だったな、と。そういう意味ではどうしてもこちらの方は「第二弾」ではないんだけど、第二弾として自分の中ではつい、位置付けてしまってます。「架け橋」から進化した、という意味で。いや、本当は違うのはよく分かるのよ。だけどつい、ね。

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帰りの玉川上水。そんなに長時間観てたってわけではないのに、もう夕方の雰囲気でした。
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02-11 Thu , 2016
第685回東京YMCA午餐会「ドイツの今」
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これも引き続き去年の11月の話。

まぁこれもひょんなところで知ったんだけどね。
てか、「午餐会」ってどう考えてもとってもキリスト教的な香りがするじゃん?
「午餐」の「餐」の字なんて「最後の晩餐」の「餐」と同じ文字だし(とてもくだらないこと言ってるような気がする)。
しかも場所がYMCAって、そりゃ、当然にキリスト教的なところでしょって。
なので、事前に予約するときに「キリスト教の信者じゃなくても参加できますか」ってメールで問い合わせしたら、
「信者じゃなくても全然構いません」
って回答が来たので、なら、参加しますってことで。
ご飯付きで参加費3,000円。

あー、参加の理由は単純な話。

「ドイツはなぜ今現在も謝り続けることができているのか」

これについて知りたかった。いや、もっと言えば、ドイツだって敗戦直後からずっと謝り続けていたわけではない。
強制的に働かされた人たちがアメリカの裁判所にドイツの企業を訴えた、ということだってあった。
(その昔、アメリカでは自分の国と全く関係ないものについても裁判できたそうな)
その補償は最初はごく一部の人たちだけだった(これは結構有名な話で、例えば強制収容所に入れられたユダヤ人の補償は真っ先に行われたが、同じように入れられた男性同性愛者についての補償はもっとずっと後だった)。
ドイツだって最初から率先して謝罪行為をしていたわけではない。
それがどうして、いつ、それが変わったのか。
どういうことがきっかけだったのか、その当時の国民の間ではどういう議論が起こったのか。
それが知りたかった。

というのも、この年の8月14日に「戦後70年 東アジアフォーラム-過去・現在・未来-」というイベントに出席してきたのだが
そのイベントにドイツから「記憶・責任・未来」財団の理事会アドバイザーって人が来ててね。
いろいろドイツのことについて話してくれたというか、わたしが印象的だったのは、第一部の記念講演の方ではなく、
課題別シンポジウムの方で話されたことなんだけど。

ドイツでは、今まで国防軍による「売春宿」(レジュメを翻訳した人によると、原稿を日本語に訳すときに「慰安婦」という言葉を最初は使っていたのだけど、どうも「慰安婦」という言葉にそぐわない。実態から考えると「慰安婦」よりも「売春宿」の方が適確だろうということで、この言葉に訳した、とのことだった)での女性強制性労働については全く注目されてこなかった。それはなぜか?「あった」んだけど、その他の方が中心となってしまって(ドイツはアウシュビッツなどの方が大きかったので)、それにかき消されてしまった、とは言っていたけど、やはりその中にも「その問題はとるに値しない問題」として放置されていた現状も確かにあった、みたいなのね。

で、その人は「この問題(慰安婦問題)は日本の方が進んでいます」と言っていた。
が、わたしは「そんなのすぐにドイツに追い抜かされるよ」って思った。
だって、その姿勢が全然違うもの。

しかし、そこでは「国民が自分たちが加害行為をしたことについて、どう思っているのか」ということは一切話されず、
というか、話す人が「そりゃ、謝罪するのは当然でしょ。で、どうすればそれが『謝罪』になるかなんだよね。それはやっぱり補償金払うことだよね」
という感じだったので、「こりゃ、次元が全く違うわ」と思い、
(しかし、補償金を払えばコトは済む、という趣旨で言ってるわけではもちろんなく、
根本に「謝罪し続ける姿勢」は絶対に忘れてはならない、その記憶は未来にも引き継ぐ、とのことでした)
それで「なんで日本とドイツはこんなに違いがあるんだろう?」と思って、
その後に一冊「日本とドイツ ふたつの『戦後』」という本を読んでみた。
なんか、そのことについて書かれてるかな、と思って。
んだけど、わたしが知りたかったことは全く書いてなかった。
(多分、これに関しては、別の本が出てると思うので読んでみたいのだが、今は時間が、、)

ちょうどその頃にこのイベントのことを知り、
「あ、じゃあ、ちょっといい機会だし、参加してみるか」って思ったのね。
だって、ドイツのこと、わたしは本当に何も知らないのだもの。
大学の第二外国語もドイツ語じゃないし。

会場に入ったら、その雰囲気の違和感に圧倒された。
まぁ、偏見と言ったら偏見なんだろうけど、ものすごく宗教臭い。
来てる人の雰囲気が、来てる人はほとんど高齢のおっさんばかりだったのだが、
なんというか、上品というか、穏やかというか、ちょっと気持ちが悪い感じ←
大声でゲラゲラ笑う下品なおっさんとか全くいない。

しかも会場の中ではうっすらクラシックのような上品な音楽が流れている。。
(こーゆーところは、わたしみたいなガサツな人間はそぐわない!!)って心の中で思った。

取り敢えず、お重のある席に座った。

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三段重ね。食べてるときに弁当の中身の画像を撮りたいと思ったんだけど、
それは恥ずかしいので止めました。まぁ普通の仕出し弁当でした。

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時間になり、式次第通りにコトは進んでいく。

最初の「開会の祈り(食前の感謝)」は、ホント困った。
って、もう何を話されたか具体的なことは覚えてないけど、雰囲気に違和感を感じて困ったことだけ覚えてる。
あ、例え他の人がみんな手を組んでお祈りしてても、わたしはしません。
だって信じてないんだもの。形だけマネしても意味ないし、第一信じてる人に失礼じゃん。
と思って、葬式以外の宗教行事に対しては、そういうときはただただボーッとしてます。

次の「Peace」ってのは、要するに「いただきます」ってのと同じことだと理解した。
「前と左右の方とご挨拶」と式次第には書いてあるが、
そうそう「Peace」とは言えんわな。

で、黙々とご飯を食べる。
てか、なんか緊張してご飯はどこに入ったのかさっぱり分からん感じだった。
だいたいわたしは人見知りなので、こういうときはまず誰かに話しかけたりはしない。
そして、わたしの外見はとても話しかけづらいのだろう。
誰かから話しかけられるという経験もほとんどない。
しかし、心の中では「誰か、わたしに話しかけてよ~。ここに迷える子羊ちゃんがいるんだから」と思っている。
まぁそんなことはどうでもいいか。

ご飯を食べ終わったらいよいよ、今回のゲストである小塩節さんって人のお話が。
てか、この人、結構有名な人らしいのよね~。
NHKのドイツ語講座とか担当した人らしい。
てか、その前に駐西ドイツ大使館公使、だったらしい。
大学の先生でもある。
1931年生まれって書いてあるから、結構なお年の人。

話は確か、日本とドイツの関係、から話したと思う。
てか、ほとんどもう覚えてない(^^;

最初にドイツに日本を紹介したのは、ケンペルって人で、この人は将軍綱吉に会った、とか。
で、そこで「小鳥だったら」という古いドイツの歌があるのだが(わたしはこの歌、小学生の時に習った)
それを将軍の前で歌ったらしい。
というわけで、そこで小塩さんはドイツ語で「小鳥だったら」を歌いはじめた!

小鳥だったら小鳥だったら飛びたいな
海を越えて 海を越えてどこまでも

青い空は青い空は広いんだ
だけど僕は だけど僕はチビだもの

大きくなったら大きくなったら飛行機で
世界一周だ 世界一周だ僕の夢

世界一周だ 世界一周だ僕の夢

ま、こんな感じの歌詞でわたしは習ったんだけど。
ただ、「飛行機で」とか、まぁ綱吉の時代にあるわけないから、
この日本語の歌詞はとってもとっても新しい、ってことだろう。
だけどメロディー自体はとても古くからある歌なんだってね。知らなかったけど。

あとはシーボルトとシュリーマン、だったっけな、日本と関係したドイツ人。
シーボルトはドイツに日本のイチョウを持って帰ったんだってね。

一番印象的だったのは、森鴎外の話だった。
てか、結局その話で分かるだろうけど、戦後のドイツの補償とか、そんなことについてはほとんど話さなかった。
まぁ、そうだよね。大学の専門、別にそういう関係ではないし。

森鴎外がドイツに留学して、そしてドイツ人の恋人がいたってのは有名だろう。
だって本人が「舞姫」とか書いてるもんね。
でも、どうやらその恋人を「捨てた」ってわけじゃなく、毎月お金を送金していた記録が出てきたとか?
それから、脚気の話もしたな。
当時、脚気の原因は分からなくて、陸軍の方はぴかぴかの白米が配給で食べられることが
当時の兵隊にとってはとても喜ばれて、でも、白米は配給でも、おかずの方は自費だったので、
みんな梅干し1つでご飯何杯も食べてたとか。で、脚気になっちゃった。
海軍の方は麦飯混じりで、それがとても不評だったけど、脚気の人はいなくて。
でも、不評だったので白米に変えたら、脚気が蔓延した、とか。
しかし、これと森鴎外の関係はなんだったか忘れた。
森鴎外は陸軍の軍医だったんだけどね。

あと、森鴎外の出身地は石見の国、だから島根県、になるのかな?
いや、津和野だから山口か。(津和野は島根県です!よく「萩・津和野」って観光地で一緒くたにされて、そして萩の方は山口県なので、津和野も山口だと思ってた時代があり)
彼の墓のことはとても有名だけど、
でも、生前、森鴎外は地元に1回も帰らなかったそうだ。

その理由はどうも、長崎から隠れキリシタンが津和野に連れて来られて、
そこで虐殺かなんか起こったんだよね。森鴎外の父親がそれに関係してたか、幼い森鴎外がそれを見たのか。
そこは忘れちゃったけど、どうやらそれですごい「贖罪の意識」があったらしい。
だから、死ぬまで故郷に帰らなかったんだと。

とはいえ、森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったらしいが、
しかし、著作の中に(なんだったか忘れた)とてもキリスト教的な一説があるらしい(それも忘れた)。
森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったけど、キリスト教的なものは彼の中にはあったのではないか、
そんな感じの話だった。

あとはドイツの経済的は話を少し。
あのときはちょうどフォルクスワーゲンの排ガス不正問題が大きかったときだったので。

てなわけで、今、覚えている話はこれくらいしかない、、、

まぁ、自分の知りたいこととは全く掛け離れてた話だったが。
しかし、「集団の中に入って感じる違和感」ってのが、この頃のわたしにとっては非常に面白く。
というのは、この国に住んでて、「違和感」を感じるときって、あまりないんだよねえ、わたし。
なので、この場所も結構わたしにとっては「おー、違和感、感じてる、感じてる」と思ってたんでした。

ただ、この頃は自分にとって割と違和感のあるところにばかり行ってたこともあり、
たまに違和感のない場所で、違和感のない人たちとしゃべると、とっても開放的なんだなあ
ってことも感じてて、人間って面白いなあって思ってました。
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02-10 Wed , 2016
武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展に行く
これ、去年の11月の話です(^^;

なんの記事にしてもそうだけど、画像を挿入する場合は、画像をそのまま使えなかったりするので(ここのブログの設定が、画像1枚2MB以内に決められてるのでそれに合わせないといけない)そういう作業で書くに至るまでの時間が結構かかる。旅行記が止まってる理由も同じです(^^;旅行記の場合は画像の選択などもあるので、その作業すらめんどくさい。。

という言い訳はこれくらいにして。

わたしが行った、この、武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展は、新聞記事などにもなってたので、結構色んな人が知ってたんじゃないかと思う。2015年11月13日から21日まで武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の共催で行われた展示会だ。といえども、実は展示会ではなく、両校の間に掛けられた「橋」の方に焦点が当てられていたような気がする。というか、わたしも行く前まで「橋」が作品だと思ってたし、行ったときにギャラリーに展示されてる絵はあったんだけど、ほとんど鑑賞するという感じじゃなかったから。行った後に「しまった、もう少し個々の絵をちゃんと見てくればよかった」って思ったほど。なので、当然のことながら撮って来た画像も橋やその周辺のことが中心になってます。そこのところは今でも本当に残念。。

さて。武蔵野美術大学と朝鮮大学校、当然のことながら(と言っていいのかは分からんが)今まで無縁だったので行ったことがないところです。正直、芸術系の学校なんて、本当に無縁なので「一体、どういう人たちが通ってるんだろう?」って思ってドキドキしたほど。ただ、最寄りの駅から歩いて20分ばかりかかるところにあるんだけど、行く途中は玉川上水のほとりをずっと歩く、本当に景色の素晴らしいとこだった。

展示室は学校の中にあるので、当然学校の門をくぐらないといけないのだが、迷わず武蔵野美術大学の方から入った。てかやっぱり朝鮮大学校にいきなり行くのは怖いって思いは確かにあったのは事実で。で、わたしが到着したときはお昼をちょっと過ぎてたので、お腹が空いててね。駅前はご飯が食べられるところが見つからなくて(かなり寂れてたので驚いた)、なので「あ~、どうせ学校の中には学食あるしな」って、展示を見る前に学食でなんか食べようって思った。で、校門のところにいる守衛さんに「今、朝鮮大と共同の展示会が、、」って話しかけたらすかさず「ああ、『かけはし』ね」って言われ。そのときに初めてこれが「架け橋」って呼ばれてることを知った。守衛さんはわたしに「あちらでやってます」って教えてくれたんだけど、その前に「すいません、お腹が空いたので学食に行きたいんですけど」と聞き直したら「じゃああちらです」って教えてくれた。「こういう形の建物で」って教えてくれたんだけど、初めて学校の中を歩く時ってなんであんなに緊張してしまうんだろう。

案内された建物の中に入って、地下1階の学食に行く。

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どうやら守衛さんに教えてもらったのは「第二食堂」らしい。てかなんで第二??第一はどこなん?「第九じゃない、第一だ!」ってかなり古い上にローカルなネタですが(笑)、まぁそれは全く関係がないとして、なぜ第二を教えてくれたのか、今でもそれは謎のうちの1つだったりする。。第一は古いんですかねー?別の校舎にあるんですかねー?

ショーウィンドウにいろいろな食べ物が載ってたが、こういうのから選ぶのはかなり苦手なので、無難なところで味噌ラーメンにする。こういうところで迷ってると部外者だとすぐにばれてしまうので(実際のところ本当に部外者なのだが)「いや、いつもここ使ってます」みたいな顔してようと思いつつ、やはり食堂のシステムがイマイチよく分からないので、まぁ思いっきり部外者でしたね(^^;

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確か「特製味噌ラーメン」だったか?味はまあまあだった。で、座って食べてると机の上にあったこんなのが目に入ってきた。

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「なにこれ?」と思って読んでみると、何故この学校に自分はいるのか、みたいなことが書いてある。一瞬「これって受験生向け?」って思ったんだけど、11月って全然受験の時期じゃないし。それに学校が作ったわけでもなさそう。家に帰ってから調べてみたら、これ作ったグループがあるみたいね。ただ、エピソードは今のところこれが最新みたい。残念、結構面白かったんだけどな~。でもこういうのを作って制作して学食に置く、なんてさすが美術系大学だなあ、なんて思った。

それ以外にも、これはまったく撮ってこなかったんだけど、学食の入ってる校舎はいろんなチラシが置いてあったり、貼ってあったりして、これも芸術系だなあって思った。いろんなチラシってのは、美術展もあったけど、なぜか演劇のお知らせなんかもあって、あー、こういう活動してる人が多いんだなあって思ったり。あと、学内のところに作品らしきものがちらほら見えたりして、そういうのを観察するのも面白かった。ただ、美術系の大学だからと言って、構内を歩いてる学生は他の大学とそんなに変わらない気もしたんだけどね。もっと派手な人とか歩いてるかと思ったのに(ってこれは偏見か(^^;)。

特製味噌ラーメンを食べた後、早速展示会の会場に。ただこの展示、学内に知らせるチラシなどは一切見当たらなくて「本当にこっちなの?」ってちょっと不安を覚えたよ。だいたい校舎の前ですらなんの知らせもないんだもの。。でも、そこの校舎に入るときに、ぷーんっていい木の香りがしてね。なんと言えばいいのか、えーと、材木置き場の匂い?それがとっても印象的だった。でも「なんで木の匂いが??版画とかで使ってるとか?でも版画の木でこんな校舎中匂うような木ってどんなに巨大な木なんだ?そんな版画があるんか?」ってわけが分からなかった。そんで誰に聞いたんだっけな、ああ、受付にいたあの子かな?「ここの校舎に入るときに木のいい匂いがしたんですが、あれはなんですか?」って聞いたら「木の匂いなんかしますかねー?ああ、多分彫刻学科でしょう」と言われた。彫刻!確かに版画より匂いそうだね←?

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これ、会場に着いたときに一番に目に入ったもの。でも、その横の展示室は

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これ、だったのよ。この時点でよく分からなくなってて。「え、橋じゃないの?橋はどこ?」って感じだった。結局、その場でいろいろ見た結果、橋はただ、両校の展示室を繋ぐものに過ぎない、ってことがようやく分かったのね。記事でもなんでも「橋が架かった」ってことに焦点が当てられすぎてて、そこに何か展示してるものがある、なんて知らなかったのよね。しかも、この橋を架けるということの作業が注目されすぎて、わたしもそのときはそこにしか目が行かなかったものだから。。画像には一切、人は写り込んではないんだけど、実際のところ結構人は来てた。思ってたよりたくさん。ちなみにわたしが行ったのは、17日(火)なので、平日の昼間にも関わらず、って感じだった。

取り敢えず中で何をやってるのか全く分からなかったが、中に入ってみた。展示してある絵は観たんだけど、あんまりしっかり観てない。。入口のところに橋を架ける際に話し合った年表(と言えばいいのか)と、そのときにメンバーが思ったことであろうことが付箋に書いてあってそれが貼ってあった。これも全体図を撮ってくるのを忘れた。。

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まぁ、こんな感じで書いてあったり貼ってあったりするものです。これが2mくらいあったかなあ?初めから読んでいると、もう、そのものが「わたしが思ったことがある」こと、だった。。この中には武蔵野美術大学側、の人たちが思ったことしか書いてないのね。朝鮮大学校の人たちの思いは直接自分で書いたものではなく、話し合ったときの印象深い発言を武蔵野美術大学の人が「書き留める」というだけ(例えば上の画像で行くと「チョンオギ『ふわふわとした嫌な気分』」の付箋など)。思いは一方方向、なのです。マジョリティー側の思い。最初の方は「会話噛みあわず 何を話せばいいのやら」とか「お互いを知るとは 一体どういうこと」などの途惑い。

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「ただ一緒に展示できればいいの?どういう展示にしたいの?」「展示会の意義を考える。どういう姿勢で?」「ちょんおぎが書いていた(書簡に)「多文化共生」「異文化交流」について ちょんおぎにとってそれらはどういうもの?」

まだまだここから始まったばかり、という感じ。でも当然のことながら、展示会、まぁ世の中にはいろんな美術作品の展示会があるけど、みんなこういうこと、真剣に考えてやってるんだろうな。共催となれば、ましてやいろんな立場が違い過ぎる人たちと一緒にやるということってね。

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「在日20世はどうなっていると思う?」

実は、わたしにとってはこの言葉がそのときはとても印象深かった。というのは、前の日記に金民樹さんのマダン劇「我が家のイヤギ」を観に行ったことを書いたんだけど、その劇の一番最後に年を取っておばあさんになった主人公がいうのね。「在日一世、二世、というのはこの日本で一歩、また一歩歩むということなのかも知れない」って。だからその言葉を借りると在日20世、ってのは、20歩歩んでる人、になるんだよね。これを見たときは「おお!」としか思わなかったけど、今はこの言葉はとても複雑な思いをわたしの胸の中に抱かせる。

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「在日問題、歴史認識について聞く 他人事みたいですよねといわれ凹む」「私の立場とは?」

両者間に避けては通れない話が出てくる。でも、わたしを含め、ここら辺の歴史認識、というものは圧倒的に知識がない。それはちょっと掘り返すだけで「日本の加害行為」が出てきてしまうからだ。なので表面的なことしか教えてもらえない。だから「他人事みたい」と言われてしまうのだろうし、逆に実際問題として最初は「他人事」の認識しか持てないのだろう。「自分がやったことではないのに」というのが、今、ほとんどの「日本人」(敢えてこの言い方)が思っていることだろうから。まぁでもそれを逆に「日本人側の被害者」としてよく扱われる「被爆者」に向かって同じことを言えるのかね?とは思う。「あなたが受けた被害はわたしにはなんの関わりもないからわたしには関係ありません。あなたの痛みはわたしには全く理解できません」と被爆者に向かって言えるかどうか。多分、そっちの方は言えないか、これを言ってしまえば自分はなんてひどい人間なんだって思ってしまうと思う。しかしなぜ一方では「わたしがやったんじゃないから関係がない」と言えて、もう一方には「関係ない」と言い切ってしまうことに躊躇いが起こるのか。「日本のやった加害行為はわたしには関係がない」と言い切れる人は、ちょっと考えてみた方がいいかもね。

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「大学の政治性というものをちょっと知る。うまく企画が運ば(れ)ない。」

この展示は自分たちの内面との戦いだけではなく、外側でも戦わないといけないものであったことが垣間見える付箋。確かにそういう部分は大いにあっただろう。特に「朝鮮大学校」とのやりとりに関して、自分たちの思うとおりに話が進まない、という場面は相当あったのではないかと想像されるし、「朝鮮大学校との共催」ということで(武蔵野美術)大学側、もかなり慎重になったのではないかと推測される。ここをどういう風に考えるのかは難しいと思う。わたしも一言では言えないし、ましてやこんなところには言わない(笑)ただ、わたしが今思うのは、まずやらねばならないのは「相手を知ること」だと思う。政治性は本当に難しいとは思うし、相手を知ったところで考え方は相容れないんだから、どうにもならないことももちろんあるのだが。。しかし、それでもまず、相手のことは知らなければならないと思う。

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「個と個の対話にこだわっていたが マイノリティ、マジョリティの枠にのっとって話すべき(?) (多分イライラしていた)」「結果、何もいえなくなった。はれものをさわるような感覚。これでは日本人と在日朝鮮人がとなりにいるヴィジョンが見えない」「自分が日本人であることがマジョリティであることに無自覚だった。(知らないことの暴力)きずつけていた」

ここら辺になると徐々にわたし自分がかつて同じことを思ったこと、その当時(これを見た去年の11月17日当時)も同じように思っていたことがどんどん出てくるようになる。でもわたしはこの人たちが羨ましかった。だって、彼らは「対話」を通してこのように感じているのだから。わたしはいろんなものを読んだり聞いたりして同じようなことを徐々に感じ始めてきたから、この思いは誰にぶつけることも出来なかった。もちろん、これを書いた人もだから相手にぶつけられた、ってわけではないと思うけど。自分が「マジョリティ」と気付いてしまったら、もうその気持ちは素直に「マジョリティ」の人たちにはぶつけられなくなってしまうのだから。でも、わたしは彼らが直接、人とかかわり合いになれるのが、とっても羨ましかった。わたし、自分の中にこういう感情を抱えているのが本当に苦しくてね。苦しくて苦しくて仕方がないときがあった。誰かに言いたくても誰にも言えなかった。相談したくても、相談出来なかった。

けど、もう一方の面から考えてみることがわたしにはできる。そう。「性的少数者である自分」としてからの面。相手を「異性愛者」として考えた場合、相手方の気持ちも分かってくるような気がする。「異性愛者」は何も苦労せずこの世を謳歌している。誰かを好きになって、向こうも自分を好きになり、つきあい始める。そのあと結婚という選択肢が目に入ってくる。そう、選択肢。「結婚する、しない」を「異性愛者」は自分の意志で自由に選ぶことが出来る。社会の仕組みが、自分が別にそう願ってなくても自然に整っている。「婚姻制度」の枠の中に入ってしまえば、相手は自分の配偶者となり、多大な権利が得られる。税金の仕組みの中にも相続の仕組みの中にも入れる。そういう法律的なことだけに限らず「妻です、夫です」と言えば、周囲はそれを完全に何の疑問もなく受け入れてくれる。相手が病院で意識不明になったときも「あなたは患者と血のつながりがないから病室には入れません」とは言われない。敢えて婚姻制度の枠の中に入らない人たちも、すべてではないが、ある一定以上のことは「結婚したもの」としてみなされる。そして「異性愛者」はそれを生まれたときから「当然」にあるものとして考えている。いや、もしかしたら「当然」とも思わないで暮らしているかも知れない。

そういう「異性愛者」の「あって当然」の無邪気な姿を見ると、わたしは無性に腹が立つ。「何も苦労せずに権利を得られるくせに、その上何も考えないで過ごせる身分なんて」と。しかし、それを言われた「異性愛者」はただ途惑うだけだろう。「え、だって、生まれる前からそれがあったんだし」って。そして逆に自分の持っている権利の大きさを自覚してしまったなら、持っていない相手に対して「自分という存在だけで相手を傷つけてしまうのではないか」と思って何も言えなくなるだろう。

結局、だいたいそういうことなんだよね。わたしは、この2つの立場を「日本人としてのマジョリティ」と「性的少数者としてのマイノリティ」という2つの面から見ることができるので、置かれた境遇についての双方の気持ちはちょっと理解できる。が、だからといって在日朝鮮人のこと全部分かるわけではないし、っていうか、だいたいそんな感じの気持ちだろうくらいで、その複雑な感情のすべては到底分かりっこない。在日朝鮮人の問題は、歴史問題が絡んでるし、戦後はすぐに国から一方的に日本国籍剥奪など、本当に理不尽な目に遭ってるのだから、そこのところは性的少数者の問題とは全く違う。そしてこんなことは有り得ないけど、それらのことが全部分かったとしても解決方法なんか見つかりっこない。マジョリティとマイノリティの間には、本当に深い溝があると思う。そこを埋めようと思っても埋められるものではないし、だから結局、「お互いの溝がなくなり、みな平和に暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」になる話ではないのだ。そしてそのことは、今回の「架け橋」に象徴されていることでもある。壁をなくせばいいという話ではない。壁は自分たちを守ってくれるものでもある、しかし、わたしたちは双方お互いに相手のことを知り合わなければならない。そして壁を「乗り越える」ということは、果たしてそこにどういう意味があるのだろう。そこのところを来た人たちにも考えてもらいたい、そんな展示だったのだろうと思う。

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「会って話すうちに以前にも感じていた居ごこちの悪さを思いだす。」「朝鮮大と武蔵美、そして境界にある橋。これだけで交流など内示的意味が成立する。」「『安易な友好ではない』というのは、ただ明るくポジティブな関係だけでなく、どうしても理解できないことがあったりして、何もトラブルなくスイスイと交流が進んできたわけではないという思いから。『交流』を全否定しているわけではないし、明るく楽しいことも色々あった」「北朝鮮という呼び方は日本が国として認めてない」「というハナシもあるが、、。差別語ではなく、今はふつうの呼び方として定着してきた感。」

きっと、これを読んでる人の中で「なんでこんな思いをして彼らと付き合わないといけないんだ、自虐的だ」って思う人もいるかも知れないと思う。が、本当にそれでいいのか?とわたしは思う。自覚していないマジョリティから、自覚し始めたマジョリティへ。そこに進むうちにどうしても「居心地の悪さ」というのは感じてしまう。わたしも「異性愛者」に言われたことがある。「性的少数者はいろんな人がいるので、自分が何かを話すと傷つけてしまうのではないかと思うと何も言えない。性的少数者のことを知れば知るほど、怖くなる」って。でもわたしはそれに対してどう答えればいいのかよく分からない。だって、それは「異性愛者」が今まで何も知らなかった、考えてこなかった証拠でしょう、って。今まで権力を持ちながらそれに無自覚だったのはあなたですよって。あなたたちは今までわたしたちを「いないもの」として扱ってきたでしょって。「いないもの」にされてわたしはどんなに悲しかったか、寂しかったか。そしてこれからもその思いはきっとまだまだ続くでしょう。でもマジョリティは「見て見ぬフリ」ができるから、「居心地が悪い」と思ったら、その場から立ち去ることが出来るだろう。そして一生、そういう人たちと関わらなければ、その人達が感じているつらさや生きづらさなんて無視して生きられるだろう。でもそれは、果たして「人間」として許されることなんでしょうか。「関わると自分がつらいから」という理由だけで見て見ぬフリをして生きていくのは人間として正しいことなんでしょうか?(本当は「正しい」という言葉を使いたくはないんだけど。この言葉嫌いだから)そこのところをもっとよく考えてくださいよ、と。

いわゆる「北朝鮮」という言葉。これがどうなのか、と判断することはとても難しいと思うし、実はまだ自分でもよく分かっていない部分がある。ただ、これも前の日記に書いたように、日本人(この言葉の使い方は本当に難しい)にとっては彼の地は「朝鮮半島」であって「韓半島」ではないわけなんだよね。そうするとただ「朝鮮半島の北の方にあるから」ってことで「北朝鮮」と読んでるだけ、という感覚なんだろうと思う、日本人はね。けど、「朝鮮半島」「韓半島」と2つ呼び名があるように、ここは政治的なイデオロギーが絡んできている問題である面がある。そしてそこの日本人の感覚ってのは「蚊帳の外」なわけで。なのでこの問題、あの国をどう呼ぶか、という問題については、わたしは今のところ本当のところは「よく分からない」んだよね。ただ、彼の国を「いわゆる『北朝鮮』」と呼ぶわたしは、やっぱり日本人としての感覚が主である、という認識を強くさせられることではある。。

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「歴史との向き合い方、受け止め方 まだどうやって関係すればいいのかわからない」「対話とは?不可能でも続けるとは?何かを知る、わかるってどういうことか迷走中、、、。わたしはずっとリエちゃんとチョンオギにとっては?マジョリティの市川なのか?」「在日問題について調べてもネットでまともなサイトを探すのが難しい」

ネットでこの問題について検索しても、マトモなサイトが見つからない、というのは本当にそうなんだよね。引っかかるのはおどろおどろしい「真実系」のサイトばかりで。まぁ確かにごく少数ですがまともなサイトは存在する。けども、手っ取り早いのは本を読むことかなあ。徐京植さんが書かれた「在日朝鮮人ってどんなひと?」なんかは中学生向けに書かれているので割と平易な文章で読みやすいと思います。

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「たくさん話した。バーっと吐き出すように話した気がする。」「2人にとってマジョリティとはと質問して意外とふわふわ?していた。未来の日本人も加害者なのか」「属性とは。切り離して考えることができること?」「自分の悪質な種?のようなものに気付く。はっきり分かったし、自ら認めた。その存在に」「マイノリティー/マジョリティー? 被害者/加害者? ずっともんもんとしていた土屋がその思いを言葉にできて嬉しそうだった。土屋もリエも身(ママ)をひらいたミーティングだと思う」「10月5日 話したいこと聞きたいことが話せて すごくよかった」「『あ!』りえちゃんとちょんおぎに自分がマジョリティとして自分が思っていたより強く?見られていることを実感する」

時は10月くらいらしいので、展示会のおよそ1ヶ月ちょっと前、というところだろうか。いろいろ話し合っていくうちに、徐々に何か発見するものや感じるもの、そしてそれを言葉に出して言えるようになった、ということだろうか。「悪質な種」、については、この人が感じたものとわたしが認識してるものはもしかしたら違うのかも知れないけど、わたしの中にも「悪質な種」と言えるものは確実にあるし、これはもう自分の中からは消し去れないだろうなと思う。けど、これを持っていることに気づけるというのは、自分のことをそれだけ客観的に見ることができるようになった、という意味でもないかと思ったりする。

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「立場的に相手の傷口にふれるようなことになってしまう それでもたとえ痛みをともなったとしても返事をしてくれた」「りえちゃんとカマキリの話」「マイノリティー・マジョリティーで考えたときの逃げ場のなさにとまどう」「『発言』というものへの恐怖心がどんどん大きくなる。私はいらぬことを言ってしまったのではないか。まちがっていることを言っているのではないか。。。 急に後ろめたさと後悔。 本当に「在り方」が分からなくなる。自分の告白に自信がもてなくなる。」

「分かった!」と思ったのに、また同じ思いが繰り返される。。でもそれは仕方がないんだよね。いくら話し合ったってお互いは「違う」ところにいるのだから。そしてそれが「マジョリティ/マジョリティ」という関係ならば、当然のこと、力を持っている方が少数者に対して「相手を傷つけてしまう。どうすればいいのか」と途惑うのは当たり前のことだよね。「こういう風な関係であればいい」なんていう答えはどこにもないわけなんだから。なんてわたしだって分かったような口を聞いてるけど、本当は分からないです。だけど人を絶対に傷つけない、というマニュアルなんてどこにもない。わたしはそのことがやっと分かったし、そして、自分が人を傷つけてしまう存在であるという覚悟だけはできたというか、ね。

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「橋が完成した夜にメンバーでへいのところに集まる。さくごしで話す。土屋さんと市川さん、ねころがる。灰原さんとチョンオギ、私はチョデミ側。で立っていた。あのとき初めて、『あっ、この空間いいかも、、、。』と思った。あの瞬間はとても良かった。」

なんかこの光景が目の前に浮かぶようだった。もちろんこれは到達地点ではなく、ただの「通過点」でしかないんだけど、でも、初めて空間が「いい」って感じることができたのは、今までのいろんな経験と思いがあったからだよね。

というわけで、この年表(?)を見るだけでもかなり時間がかかったのだが、しかし、これを読んだ後、じゃあなぜこの展覧会の名前が「突然、目の前がひらけて」になったのか、そこが引っかかった。だって、こんなことがあったあとでは全然「突然、」じゃない気がするんだけどって。まぁでも、両校との間に壁が出来たのは1960年代からだそうだから(武蔵野美術大学がこの地に来たのが1961年。朝鮮大学校はその前の1956年からあった)、その時間感覚で見ると「突然、」なのかも知れない、やっぱり。

で、橋。このギャラリーを出て、もうちょっと奥側に、それはあった。

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これは武蔵野美術大学側から見た橋。

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これが朝鮮大学校側から見た橋。

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そして誰もが撮るであろう、ボーダーライン。「こんなに薄いのか」と思う人もいるだろうし、「だけどものすごく厚い」と思う人もいるだろうし。「これを渡れるということにどういう意味があるのか」を感じる人もいるだろうし、ただただ単純に「渡った!」って人もいるだろうし。わたしは正直なところ、よく分からない。今だけ渡れたとして、それが何か意味があることなのか。しかしそれは今、評価できることではないとは思う。象徴的な「橋」はこの時点ではあったけれど、今(この日記を書いている時点)ではもうない。でも、これからこれがどこにどう繋がるかだよね。それは武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の関係だけではなく、ここの展示を観に行った人たちにも共通して。

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ちなみに武蔵野美術大学側にこれが置いてあり、一体これは何かと思ったら、夜間、橋の上に付けておく柵なんだそうだ。これは一体、誰のためになんのために必要だったのかはよく分からないが。。夜中に渡るなということでしょうか(笑)

で。武蔵野美術大学側から橋を渡って朝鮮大学校美術科に行くためには、この前に受付で名前と住所(いったっけ?)を書く必要があってね。で、番号がついた札を首からぶらさげないといけなかった。そして武蔵野美術大学側から入った人は、必ず武蔵野美術大学側から出ないといけない、ということだった。で、わたしも受付して、その後、この橋を通って朝鮮大学校美術科に行った。

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これは朝鮮大学校側の展示会の案内。

てっきり朝鮮大学校側にも武蔵野美術大学側と同じように受付があって人がいるのかと思いきや、そこには誰もいなかった。。。

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ただこんなものが置いてあるだけで。まぁでもこれは朝鮮大学校の学生向けでしょう。注意が朝鮮語で書いてあるし。朝鮮大学校教職員と学生は、とか読めるので、多分、こっちから行く内部関係者はこれを付けるようにっていうことでしょう。てか、偶然、ここに居合わせたときに、朝鮮大学校の学生と思われる子たちがこれを首にぶら下げて、一人が友だちに向かって「회사원~」って言ってるのが聞こえて(全部は聴き取れませんでした!(苦笑))、多分、首から札をぶら下げた姿が「会社員みたい」って言ってるんだろうなあ~と思ったら、なんかすごい微笑ましく思えてしまって。朝鮮学校はもちろん、学校内では朝鮮語を使わないといけないので、朝鮮大学校でもそれは同じこと、ましてやこうやって、わたしたちのような「部外者」が来るわけだから、なおのこと朝鮮語を使わなければならない状況だと分かってるけど(もちろん彼らはわたしたちと同じように日本語喋ってますけど、普段は)、でも、なんというか、やっぱりかわいいな~とか思っちゃってね。

ま、この展覧会で朝鮮大学校の学生と関われたのはここだけでした。あとは武蔵野美術大学も受付の人以外は全く誰とも関われなかった。美術展ってのは、そんなものなんだろうか。

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これが朝鮮大学校美術科のギャラリー。ちょっと寒々しいところでした(笑)武蔵野美術大学の方は武蔵美の学生、朝鮮大学校の方は、朝鮮大の学生、の展示かと思いきや、全然そんなことはなかった。ごちゃまぜでした。その中でかなり印象的だったのは、

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この絵だった。絵というか、まだスケッチのみなのか、それはよく分からなかったんだけども。

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これは一体、何を表しているんだろう?右側の人たちと左側の人たちが言い争っているのは分かる。しかしそれに混じってカメラを抱えた報道陣なんかの姿もある。とっても気になる作品でした。これはこれで完成品なんだろうか、とか。

しかし、この時点では分からなかったんだけど、これはこの時点ではまだ完成品ではなかったようです。というのも、今年の1月下旬に同じところで別の美術展があって、それにこれもまた飾ってあったそうです。わたしはその展示会のことを最終日に知って、それなので観に行けなかったけど。。これがどういう作品になってたのか。それがとても気になります(そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

朝鮮大学校側で作品を観ているうちにふと思った。「これって、朝鮮大学校側からも来られるんだよね?」って。だってさっき、武蔵野美術大学側のギャラリーに新聞が置いてあって、そこに「両方から入れる」って書いてなかった?と。で、武蔵野美術大学側の受付に戻って、そこにいた人に「朝鮮大学校側からも入れるんですかね~?」って聞いてみたら「多分入れないんじゃないかと思います」という答え。「えー?」と思ったが、やはりそこは試してみなければ。と思い、一旦、武蔵野美術大学側の受付に札を戻したあとに、武蔵野美術大学を出て(構内、迷ったヽ(;▽;)ノ)、そして朝鮮大学校の入口に向かった。

朝鮮大学校に向かう途中、ふと思いだした。ヤンヨンヒさんが書いた「ディア・ピョンヤン」の中で(映画の方じゃなく、著作の方)ヤンヨンヒさんが朝鮮大学校の学生だったときに、しょっちゅう学校を抜け出して演劇を観て、そして夜中に学校にまた忍び込む、みたいなことを書いてたよなって(朝鮮大学校は全寮制)。なんだー、この道かあーって。

で、学校の中に入ったら、受付があったのでそこで名前と住所書いて。そこで首からぶら下げる札と注意書きを渡されて。「写真、動画の撮影は美術科展示室内外と「橋」のみに限らせていただきます。」というところに赤い線を引かれて。

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まぁ確かに普段来ないところだから、撮りたくはなるよね。だけど、それをされると向こうがすごく迷惑、ってことも分かる。学校側がピリピリするのもいろんな理由があるんだよね。

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これが渡された通行書。こっちには番号とかは書いてなかったなー。

まぁでも展示会自体は既に観たものだったんでね。ただ、帰った後にもらったパンフレットみたいなものを読んでたら、そこで行かなかった場所があったことに気が付いた。てか、それはどこにあったんだか、今でもよく分からない。どうやったら行けたんだろう。どうやら2階っぽい??「アンケート用紙」って書いてあるけど(パンフレットに)、そこでアンケート書けたんだ!わたし、ここはそういうの全くないんだな?って思ってた。いろいろ思うところもあったのにー!ってことで、わたしはアンケート書いてません。いろいろな言いたい思いを抱えて全部持って帰ってきた。

とはいえ、ギャラリーの向こう側でちょっと扉が開いてたところを覗いてみたら、こんなものが。

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柿。朝鮮大学校の敷地内にある柿の木でできたものらしい。人には全く会えなかったが、この気持ちは嬉しかったです。なので、一ついただきました。

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家に帰って食べたけど、甘くて美味しかったよ!

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最後に。帰る途中、見かけた白い猫ちゃん。

しかし、事前に橋が架かることだけしか知らなかったので、創作したものが展示してあるとは思いもよらず。ちょっと本末転倒になってしまった感が否めない。しかも現地でその意図を把握出来なかった自分の失敗。「自分と同じ思いをしている」という嬉しさ、「でも同じことをこの人たちは大学生で感じることが出来たのだ」という羨ましさ。

その他、この展示会については本当にいろんなことを思って感じて。

でも、これはゴール地点じゃないし、これから先もまだまだ続くこと、なんだよね。
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01-12 Tue , 2016
今日から始まった!「ウルトラマンスタンプラリー2016」!!
ついこの間「忙しくて今年は何も出来ないかも!」なんて書いてたけど、やっぱ今年もこれが始まったら「うーん、今年はちょっと出来ない」とは思えない!!

てなわけで、12月の中旬に駅で見かけたこのポスター、発見したときは「おお、またやるのか!」と思って楽しみにしてたのよ。

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去年はなんとなしに駅に貼ってあるポスターの写真を撮ってたらそのうちに全部集めたくなって、全駅を回ることになってしまい、ほとんど全部集めた時点で「駅からのメッセージ」にはまり、これは全駅制覇とは行かなかったけど、ほとんど集めてそれぞれの駅の特徴なんか分かって面白いなーって思ったのよね(去年の日記→「全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー!その1(ただしスタンプは押してない)」「全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー!その2(駅からのメッセージ)」)。

それが今年もまたあるという。

「やってやろうじゃないの!今年こそ、全駅制覇だ!」


ってことで。

今日は用事があって渋谷と新宿に行ったので、そのついでにスタンプ台のところまで行ってきた。っていうか、スタンプ台の前にずら~って並んでてびっくりしただよ!!それも大の大人ばかり!(自分もそうだが、、)きっと、みんなわたしのように駅でポスター見かけて「やるぞ、やるぞ(わくわく)」って思ってたに違いない。去年は「全部集めよう」って決心したのはもう期間終了するギリギリのところだったから、スタンプ台の周囲を見まわす余裕などほとんどなかったけど、今回はまだまだ先があるので、じっくり見ようと。

まず行った渋谷。

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なんとなまはげ。つか、こんな怪獣いたんだね(笑)

で、スタンプ台のところへ行ったら、こんなのがずら~っと(左から右に4枚貼ってあった)。

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ぬぁんじゃこりゃ。なぜここまで秋田弁??と思って駅のメッセージを見ると。

渋谷


なんと、渋谷駅の駅長さんは秋田県出身なんだと。ほうほう、面白い理由でこの怪獣を選んだんですね~。てかその右の写真を見るとこれ、全部秋田県出身の駅員さん?こんなに秋田県出身の駅員さんがいたんだ、渋谷駅。へえ~っ。正直、去年の渋谷はあんまり記憶になかったりして。。

そしてスタンプ台には

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ウルトラマンエース(だよね?)が「今日は渋谷駅に来てくれてありがとう!!」と。くわ~、渋谷駅、今年は力が入ってますね!

そして新宿駅。一瞬、駅のポスターを見たときは「あれ?」って思った。だって、去年と同じキャラクター?(結構駅のキャラクターって印象深かったところは忘れてないものなんだなと思った)

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去年も「ウー」でした。しかし、今年はこのポスターよく見ると(二代目)って。去年は「ウー」で今年は「ウー(二代目)」なのか。渋いぞ、新宿!しかしどうしてこんなに「ウー」に拘ってるんだ(笑)ちなみに去年、新宿駅の怪獣だった「ウー」はどうやら今年は信濃町にいるようだ。この手の顔は結構「駅員に似たのがいます!」みたいなメッセージが書いてあったりするのだが、果たして信濃町はなんで「ウー」になったのか。ちょっと楽しみだ。

ちなみに去年の新宿駅のメッセージは、特に似た駅員がいたというわけではなく、この怪獣、どうやら優しい怪獣みたいね。

新宿


これが去年の新宿駅「ウー」のメッセージ。そして下が今年の。

新宿


やっぱり新宿駅はこの「ウー」が心優しいというところが好きみたいですね。てか、この怪獣の選定、同じ人がやったに違いない(笑)

今年もわたしはスタンプを押すつもりはないけど、こんな風にスタンプラリーを楽しむつもり。去年は64駅で今年は65駅だっけ?ただし、去年はあった南柏がなくなって、東京モノレールの天王洲アイルと羽田空港第1ビルが増えたんだよね。っていうか、東京モノレールかー!うちの大学の上を走ってるんだよな、東京モノレール。天王洲アイルはちょうど在学中に建設されてて、確か大学院の時にできたんだよな~。友だちとあそこで「メシ食おう」って行って、中華料理屋さんに入ったのはいいけど、高すぎて腹一杯食べられなかったのを思い出すよ(トホホ)
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11-13 Fri , 2015
ハードディスク入れ換え(備忘録)
わたしが初めて自分のPCを買ったのは学生時代で、それはインターネットをするためだった。高校生の時に既に家にはPCがあったのだが、当時のPCは使い方がよく分からず、ただBASICで円が描けて「わー」とかそういう世界だったし(逆に言うとわたしはそれくらいしかできなかった)、ゲームするにもテープ(カセットテープ)を読み込ませる時代だったし、それどころか、雑誌には機械語でゲームのソースが書いてあり(単なる数字の羅列)、それをチマチマ打ち込んでからゲームをするという、今から思うと信じられない世界だったのだ。うちのPCはほとんど「ワープロ」、一太郎を使うことしかPCらしいことはしてなかった。パソコン通信は当時からあるとは知っていたが、なんせお金が無い高校生だし、金がかかるので親には到底「やってみたい」とは言えなかったんだよね~。

ところが院生の頃からネットが盛んになって来て、最初は学校でやってたんだけど、次第に「家でやってみたい。チャットやってみたい」みたいな感じで、初めて買ったのは133MHzのノートPCだった。その当時で30万で、それでも結構安い方だった。それから2年前まで一貫してノートを使ってたんだけど、その理由は「家が狭いから、デスクトップを置くスペースがない」という理由でしかない。今は2人で住んでるからそれなりに広いし、ノートより断然安くてスペックも高いデスクトップにした方がいいよねってことで、今から2年ほど前だったかに初めてデスクトップにしたのだ。だいたいその前のノートPCは使ってるうちに画面が写らなくなって、それが保証期間が過ぎた直後だったんで無償で直してもらえなくて。だからモニタを買って接続して、そうするとキーボードも必要なのでキーボードも別につけて、ほとんどノートPCみたいじゃない状態だったんだよね、既に。初めて買ったデスクトップの機種はLenovoのThink Centre M93p SFF proってヤツだが、正直、中身のことはあんまりよく考えずに買ったんだよね~。だったんで、デフォルトのDVDがROMで、買った後に気が付いて「しまった」って思った。

しかも使ってるうちになーんか動きが遅くなってきたので、メモリを増設。ここからが始まりだった。今までノートPCもメモリは増設したことがあるし、そういうものをいじるのはそんなに抵抗感はないのだが、不思議とPCは自作しようと思ったことはなかったんだよね。まぁ自作しても大きすぎて部屋に置けない、というのがあったのだけど。ノートのメモリ換装は別に全部開けて基盤がバッチリ見える、みたいなものではなかったから、そう抵抗感はなかったのだが、逆にデスクトップは開けたら中身が全部見えるので、わたしにとっては結構事前のハードルは高かった。だけど実際にやってみたらメモリの増設は簡単だった。あらかじめメモリ増設の解説してあるサイトを探しておいて、なるほどね~みたいな感じ?ちなみにメモリ自体はいろいろ種類もあるし、ヨドバシに行って機種の名前を言って「これに合うもの」と言って買った。バルクにするかどうか、すっごく迷ったが、まぁ掛けだと思って安いバルクのメモリにした。PCを開けるときは「どうすればいいんだ?」って思ったけど、この機種って開けるの本当に簡単にできてて、ネジも手で回せるほど大きい。

開けたとき、思ったよりも中にホコリがたまっててびっくりした。もしかしたら動きが悪かったのはこういうのも原因だったかも知れない、と思った。元々キーボードの間のホコリを取るためにノズルからシューッと空気が出てくるヤツ(なんて言う名前なのか知らない)は持ってたので、それでシューッとしてホコリを吹き飛ばしたりした。メモリはそんなわけですんなり換装できた。

次はDVD。やっぱROMは使いづらかったので、RAMに替えた。DVD-RAMって結構安いのね。これも事前にいろいろDVDの入れ替え、というサイトを探してやり方を調べた。最近は親切な人がいて、調べたら結構簡単にやり方が出てくるので、本当に有難い。ケーブルがIDEかSATAかどうか事前に調べて、ってことだったのでPCを開けてみたけど、SATAケーブルだったです。まぁ今どきのPCはほとんどSATAらしいが。

これもやり方は簡単だった。といえども、サイトで説明してあった自作のPCにDVDを組み込む、というよりも、このLenovoのPCはネジも何もいらず、逆に「あれあれ、違うぞ?」って感じで最初はちょっと恐る恐るだったんだけど、なんとなく視覚で「ここをこうすればいいの?」って分かるようになってるので、それが分かればネジで止めることもなく、本当に簡単にできた。自作の場合はDVDを入れ換えるときに前面からDVDを取り出すのが一般的みたいなんだけど、このThink Centreのわたしのは前じゃなくて後ろ側から取り出すみたい。それが一番「これでいいのかなあ?」って迷ったところだった。でも逆に言うとそれだけだった。

それに気をよくして今度はハードディスクも入れ換えることにした。といっても、実際のところ、このPCって250Gしか用量がなく、その9割近くをもう使ってたのね。ノートPCのときは容量が足りないなんて思ったことは一度もなかったのだが、今のPCはほとんどが画像データだと思う。高尾にゃんとばこの画像を撮ったらほとんど全部PCに写してるし、同じ画像もいろんなところに重複してあったりするので(バックアップいろんな方法で取ってたらそうなった。Dropboxからのとか、iCloudからのとか。まぁ同じのが何枚あってもいいの。ファイルが壊れたときのことを考えると)、それが多分かなりの容量なんじゃないかな。自分の使っているPCの名前で検索して、ハードディスクを増設した人のブログがでてきたので「なるほど」と思い、まずはハードディスクを買った。今度はネットで買った。2Tとか3Tとか売ってたんだけど、やっぱそれなりに高いのね。ハードディスクって。DVD-RAMの値段の数倍はする。まぁ元々250Gだったんで、1Tでも4倍になる。まー、しばらくはそれでいいかな、ってことで、Amazonだったかで「WD HDD 内蔵ハードディスク 3.5インチ1TB Black WD1003FZEX」ってのを買った。あとはSATAケーブルも。参考にさせてもらったブログにはそれが必要だって書いてあったんでね。SATAケーブルは6Gbのに。ハードディスクは6Gb対応だしって、本当はマザーボードが6Gb対応じゃないとそこまでの速度は出ないと言うことらしいのだが、あとでマザーボードが何か、仕様書見て6Gbに対応してるって分かった。こういうのをいろいろ調べると知らないうちにPCの中身が分かってくるのね。

で、いざモノが届いて「さて、入れるか」と思ったら。わたしのPCには増設スロットがない。「あれ???」って思ったら、その人が持ってたのはミニタワーで、わたしのはスリムタワーだったので、増設スロットってものがないヤツだったのね。ってことは、増設じゃなく、ハードディスクを入れ換えないとダメなんだってことが分かった。そこからまたネットで「どうすりゃいいのよ?」って調べたら、古いハードディスクを新しいハードディスクに丸ごとコピーする「クローン」ってものを作れば、簡単にハードディスクの入れ替えができる、ただし、クローン作ってもうまくブート(起動)できないときもあるけどね、ということが分かった。ブートできないとなると、その対応はわたしはやり方を見ても理解できない(そこまでPCの内部には詳しくないので)。なのでそうなったらやっかいだなと思ったのだが、とにかく今のハードディスクの9割以上は消費してしまってるので、遅かれ早かれハードディスクは大きいものにしなくてはならない。しかもハードディスクはもう新たに手に入れてしまったのだし。

ということで、とにかくやるしかない。

しかし、クローンを作るってどうやってやるの?ってまず思った。クローン作成のためのソフトは無料の「EASEUS Todo Backup」が良さそうだったのでそれを使うとして、どうやって新しく買ったハードディスクを繋げばいいんだ、と思ったけど、よく考えたら外付けHDDのような形で外付けでくっつければいいのよね。ってことで、こちらの方はヨドバシにわざわざ買いに行きました。ネットでもいろいろ見たんだけど、イマイチ何がいいのかよく分からなかったし、価格.comなんかで一番安いの探しても、今まで買ったことのないところから買うのはなんとなく抵抗感となんかめんどくささを感じたし、それにこの手の製品って思ったほど高いのね。HDDケースにすると4000円くらいする。なので実際店頭に行って、いろいろ見て自分が一番いいと思ったのにしようと思って。

ヨドバシでいろいろ見たんだけど、その中で「オウルテック 2.5インチ/3.5インチSATA HDD用アダプタ ACアダプタ付 SATA⇒USB3.0 USB3.0 新IC UASP対応 ガチャポンパッ!でデータ移動 OWL-PCSPS3U3U2」ってのにした。アマゾンの値段よりヨドバシの方がちょっと高かったかな~。まぁそれでも2000円台で買えた。

家に帰って早速PCと接続。まずはハードディスクのフォーマットから。これも検索して分かりやすく書いてあったサイトに書いてあったとおりにしたの。コンパネから管理ツールに行って、コンピュータの管理→ディスクの管理、ね。しかし書いてあったようにすんなり行かず、いくら経っても「新しいスパンボリューム」ってところが有効にならない。でもPCの作業するときはいつも思うけど、カリカリしちゃいけないんだよね~。カリカリして無理矢理どうにかしようとすると、いつもひどい目に遭う。今のPCになってから、何をどうしようとしたのか忘れてしまったけど、一度、無料のソフトをダウンロードしようとして変なところをクリックして、変なソフトをダウンロードして変なウイルスもらってきてしまったことがあった。他のところに変なことはしないウイルスらしかったが、調べたらレジストリを書き換えられてしまうもので、そこを書き換えれば元通りになるらしかったが、そこを書き換えて元通りにしたとしても、なんかすごく気持ちが悪かったので、一回、すべてデータ消して最初からインストールし直したことがある。イライラしているときはあまり説明を読まずに目に付いたものをクリックしちゃうから気をつけなきゃなあって、そのとき思った。のに、やっぱりカリカリするといろんなことをしてしまうみたいです。

今回はWinの(あ、ちなみにわたしはWin7です。Win7なんだけど、32ビット版という。。これもよく調べて買わなかった報いですわ)中の話なので、変なことにはならなかったものの、結局あとから考えてみるとなんだかすぐにはそれが有効にはならなかったみたい。あるときひょっと見たら「新しいスパンボリューム」が有効になってて、それで無事にフォーマットすることが出来た。てか、フォーマットするだけでいろんなことがあり、、前途多難。

その後、先ほどの「EASEUS Todo Backup」を動かしてみた。なんかすっごい早さでクローンができたみたいだったので「もうできたのか」と思い、しかし、バックアップディスクを作った方がいいというので、ついでにこれも作る。DVDをRAMにしておいて本当によかった。ハードディスクを入れ換えた。これもネジなしで入れ換えることが出来る。簡単だった、と思ってスイッチをONにする。あれ。BIOSがうんたらかんたらと言っている。どうやら「起動ディスクがない」というのと「起動ディスクを探してます」って警告が交互に出るようで。。「F1」を押してBIOSの内容を見てみる。というとBIOSの使い方分かってそうだけど、実は全く分かりません(笑)ただ、BIOS上の「System Summary」からハードディスクを認識しているかを見たら、ちゃんとハードディスクは認識してるみたいだった。その程度のことなら分かるんだけどね。

で、ここで先ほど作ったバックアップディスクの出番だ!と思ったんだけど、確かに何か動いて画面が出てきたけど、わたしはここで何をどうすればいいのかさっぱり分からず。終わり方すら分からない。「あー、他にもうやりようがありません」と運を天に任せる気持ちでそのままスイッチオフ。怖いよね~、これ。BIOSってどうやって終わらせたらいいんだろう?これでPCがいかれたら目も当てられない。まぁ運がよく、壊れたりはしなかったけど。

「おかしいな」と思い、まず、ハードディスクを古いものに入れ換えた。もしかしたら新しくした6Gbのケーブルが原因だったりして?って思ったのだが、特にそれは問題がなかったようだ。で、先ほどの「ディスクの管理」でクローンが出来てるはずの新しいハードディスクの中身を見てみると。何も入ってない!クローンが出来たと思ってたけど、あの時間の短さは何もやってなかったんだと言うことが分かった。てか、できたあとはこうやって確認しないとあとでえらいことになる、ということを一つ学習した。

それからクローンを再度作ろうと「EASEUS Todo Backup」を動かす。使い方を書いたサイトもいろいろ見てみる。最近はこのソフト、日本語化されてて随分見やすくなったのだが、なかなか最新のバージョンのことを書いたサイトがなかった。で、動かして分かったんだけど、エラーが出るのね。最初のはすぐにエラーが出て終わっちゃったことが分かった。サイトにいろいろコメントが書いてあったんだけど、やっぱりエラーが出て止まるって書いてある。どうやら読み込み先に不良セクタがあって、それがあるとエラーが出てしまうみたいだ。その場合はWinのメニューのコンピュータから目的のハードディスクドライブを選んで、そこでプロパティ、ツールタブからエラーチェックをすればいい、って書いてあった。なので、これをしてみる。そして再度クローン作成へ。

次はいいところまでいったかと思っても、やっぱり途中でエラーが出る。何回も何回もエラーが出る。そのうち突然ソフトから「再起動します!」みたいなことを言われ、「再起動ヤだ」と言いたかったんだけど、そうするしかなかったので再起動をした。するとうまく立ちあがらずに今度はリカバリーみたいな画面が出てきて、それからどうするの?状態。このときもその後どうやって正常にPCを終わらせたらいいのか分からなかったので、運を天に任せてスイッチオフ。こういうのが一番怖い。。(考えると結構めちゃくちゃやってる)

毎回同じエラーなのかと思い、再度クローン作成。エラーが出たら書き留める。エラーの内容は「0x1760E077書き込みに失敗しました」って書いてあった。書き込みエラー?読み込みじゃなく?ってことは、読み込み先ではなく書き込み先に不良セクタが??ってことで、今度は同じ方法で新しく買ったハードディスクのエラーチェックを。これでまたクローン作成へ。今度は1時間以上動いて一番大きいパーティーションの内容が全部コピーできたみたいなのに、最後のパーティーションの途中でまたエラー。そういえばこっちのパーティーションの方はエラーチェックしてなかったと思ったのでやったりしたんだけど、なんかうまくできない。「EASEUS Todo Backup」はエラーがすぐ起きたあとに再度動かそうとしても、それ以降はちょっとするとすぐにエラーになっちゃって最後まで動きそうにない。そこでやり方が書いてあったサイトにコメントがたくさんついてるのを発見して、他の人はどうなんだか読んでみた。その中にやっぱりエラーが出てクローンが作れないと言ってた人がいた。その人に対してそこの管理人さんは「自分だったらHDDの検査ツールで検査する」って書いてあったので、HDDの検査ツールを探す。どうもWinに付属しているエラーチェックツールは弱いらしい。そこで探し出したのが「FromHDDtoSSD」。

これ、不良セクタに対してはかなり強力みたいなのだが、不良セクタを修復するモードってとっても時間がかかって、なんか27時間くらいかかるって書いてあったので、だいたい今まで使ったことないハードディスクにそんなに困難な不良セクタはないだろうと思って、普通モードで完全スキャンした。これ、複数のドライブもいっぺんにやってくれるみたいなので、今まで使ってた古い方のドライブもチェックして。終わるまでに6時間以上かかるみたいだったので、わたしはそこでお休みなさい。寝てる間にPCは働いてね、って感じだった。

で、朝になって起きたら終わってて、特に問題がなさそう。ていうか、正直「これでダメだったらどうすんだよ」って思った。まぁ、セクタバイセクタにチェック入れずにクローン作ってたんだけど、それにチェック入れる方法がまだあるよなあとか、ダメでもいろいろまだやる方法はあると思ってたけどね。

最後のクローン作成はもう祈るような気持ちだった。前日はエラーが出るまで最長で2時間後くらいだったが、今回は進度がすごく遅くて、4時間以上かかった。進み具合が分かる棒グラフみたいなのがあって「ここまで出来ましたよ」って少しずつ左から右へ色が付いていくのだが、見てたら前日は2分に1回くらいの頻度でちょっとずつグラフが進んでたにかかわらず、今日は時間を計ってみると6分に1度しか動かないときがある。ハードディスクに接続しているコネクタは緑の点滅してて、動いてるというのは分かるんだけど、グラフがなかなか動かないと途中で飛んだのか、と思ったりして。ホント、最後までヒヤヒヤした。

しかし、何がよかったのか、時間を掛けて不良セクタをチェックしたのがよかったのか、単に運がよかったのかは分からないけど、ついに最後まで進んでクローンが出来た。ただ、前にそのまま入れ換えて失敗したので、今回は慎重に。まず、ディスクの構成でちゃんとコピーできてるかどうかを見る。コピーは出来てるけど指定してなかったのに未指定のパーティーション(容量は少なかったんだけど)が出来てて「なにこれ?」って感じだったのと、ボディーとなるドライブに「ブート」って書いてなかったのが気になった。けど、これについては何がどうだったらいいのか調べてもよく分からなかったので、結局はまぁ一応コピーは出来てるみたいね、ということしか確認が出来なかった。

ハードディスク入れ替えのためにPCを開けること3度目。3度目はもう慣れたもので(笑)。でもスイッチを入れてちゃんと動くか、そこのところは本当にドキドキものだった。だってうまくコピーできても動かなかったら、今度はどこをいじればいいのか、それはわたしの理解を超える分野だからだ。

しかし、結局のところ、そこまで心配しなくてもよかった。ハードディスクを入れ換えただけでちゃんと起動した!わー、すげー嬉しかった。そして、未指定に区切ってあるパーティーションが気になったので、最後に「AOMEI Partition Assistant Standard Edition」という無料ソフトをインストールして、それで結合。やり方はとても簡単だった。未指定のパーティーションを「結合」にして結合先を指定、それから「適用」を押すだけだった。

「AOMEI Partition Assistant Standard Edition」もそのためにわざわざ調べたんじゃなく、クローン作成をするときにうまくいかなかったので、いろいろ調べていた最中に知ったソフト。まぁ今回のクローン作成のために、2つのソフトを補助的に使った、ということになる。

これでハードディスクの容量のことで「もうすぐいっぱいになっちゃうからどうしよう」ってヒヤヒヤしながら使わなくて済むようになったので一安心。しかし、おそらくハードディスクを換装しちゃったので、メーカーの保証は効かなくなっちゃったよね。。まー仕方ない。

結局今回時間がかかったのは、クローン作成のときにエラーが出て作成できないってことで、それは何種類かのディスクのエラーチェックを繰り返したからだった。根本的に相性が悪いとか、ブートできなかったとか、そういう問題ではなかった。やってみれば極めて単純な問題だったけど、やってる途中は本当にこれでいいのか、この方法がダメだったら他にどういう方法があるか、それをネットで探し歩いた。探せばまぁ、親切に説明してくれるサイトがいくつかあって、本当にそういう人、有難うございますって感じ。

ただ、デスクトップって本当に自分でバージョンアップさせたいと思ったらできるんだね~。いろいろ調べながら「あー、こういうこともできるんだ」と思ったりしたので、今度新たにデスクトップを買うときは、普通にタワー買っちゃうかも。

まぁ次にハードディスク換装するための備忘録でした。
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09-13 Sun , 2015
国立ハンセン病資料館に行ってきました
ハンセン病患者が隔離政策によって過酷な人権侵害を引き起こしていたことはなんとなく知ってたし、それに今年の3月に大阪の「リバティおおさか」に行ったときもハンセン病の差別の歴史についての展示を見たりして、1993年に「らい予防法」が廃止された後も九州の温泉旅館が宿泊を拒否するなどして未だにその差別がある、ということは知っていた。でもそのときは「療養所に行ってみたい」とは思いもしなかった。

「あれ、行けるんだ」と知ったのは、昨日に引き続き「パレードへようこそ」が原因なんだけど(笑)それを観に行ったときの予告に「あん」という映画があって「なんか面白そう」と思って観に行ったからだった。「あん」という映画(原作は同名小説)の中で、多磨全生園という療養所のロケのシーンがあったのだ。その後、わたしは小説の「あん」の方も読んだ。映画では確かに元ハンセン病患者に対する差別が描かれてはいたが、それに対して「ずいぶん昔に特効薬ができて今はもう治る病気になってる。だから元患者から感染することはない」ってことはほとんど強調されてなかった。わたしはそれがちょっと不満だったのだが、原作の方はそれがきっちりと書いてあったし、しかしそう書いてはあったが、登場人物は元ハンセン病患者の徳江さんが住んでいる多磨全生園を訪れたときに「移るのではないか」とビクビクしている描写もある。小説の方が人の差別感情、偏見に対してよりリアルな感じがした。映画はその部分ではちょっとマイルドだったかなあと言う感じ。

まぁ感想はこれくらいとして、そのときに初めて「行きたい」って思ったの。多分、家からそんなに遠くじゃないはず。だけど「いつか」って思ってた。が、先月の終わりだったか、東京新聞をなにげにめくってたら「多磨全生園『人権の森』散策ガイドの開催に伴う参加者の募集」という文字が。これはまたとないチャンスじゃん!と思って、早速応募した。先着50名ってことで大丈夫かなって思ったんだけど(わたしのように「あん」を見て「行きたい」って思った人って他にもいると思って)、でもなんとか先着50名の中に入れたようだった。

で、今日、行ってきた。集合場所が「国立ハンセン病資料館」だったので、まずそこに行ってきたんだけど、なんというか、国立ハンセン病資料館は、多磨全生園の中にあるのね。

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入口はこんな感じ。

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休館日を見ると、土日祝日ではなく、全部翌日とか月曜とかなので、休日は開いてますってこと。

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入口に今日の催し物の張り紙が。最初はここの「映像ホール」というところで市長の挨拶やら自治会の会長の挨拶やらボランティアの人の挨拶やら。てか、わざわざ東村山市長がこんなところで挨拶するって、これ、そんなにすごい行事だったんかと少しびっくりしたのだが、東村山はほとんど多磨全生園と歴史を共にしてきているらしく(東村山の歴史は126年で多磨全生園の歴史は106年って言ってたっけ?)、ここで人権啓発をきっちりやっていきたいようだった。3人の挨拶の後、資料館の職員さんだったっけ、多分そうだったと思うけど、その人が20分くらいのガイダンスを。ここに入所してくるときは本名を奪われ、ここで新しい名前を付けられて、そして死んでからも外に出られないのだ、と。わたしは今日初めて知ったんだけど「北条民雄」って人がいて、その人は23で亡くなったけど作家だったらしい。その人の生誕100年がつい最近だったらしいが、死後77年経って初めて本名が公表されたと。その他にも2年前に亡くなった詩人がいたんだけど、この人は弟さんが葬式に来たけど本名は名乗れなかったと(ただし、その後、弟さんが親戚を説得して自分ところのお墓に分骨できたらしいです)。「今でもこういう現実があるのだ」と教えてくれました。そして前で話してた誰もが言ってたんだけど「この施設は本当に広い。だから、今日、1時間やそこらで全部回るのは無理。なので今日をきっかけにして何度も来てください」って言っていた。

その後、5班に分かれてボランティアの人に説明をしてもらいながら、散策。50人だとしても1班10人だから、これまた少人数でじっくり説明してくれる感じ。散策ルートが書いてある地図をもらったが、確かに園内は広すぎて今回回れるのはごく一部って感じだった。

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まずは「永代神社」。確か「えいたい」ではなく「ながしろ」って読んだと思う。この神社、実は入所者の宮大工さんが建てたそう。っていうか、ここは隔離されてたんで本当に全部自分たちの手でやらなければならなかったみたい。この先のものも全部作ったのは入所者だったと言ってた。だいたい元々多磨全生園は今よりもかなり狭かったんだけど、入所者が増えてしまったので、入所者が働いたお金(園内で家畜を飼ったり作物を育てたりしてたらしい)で土地を買い、今のような35万平米の大きさになったらしい。だけど、土地を買っても自分名義で登記できない(本名名乗れないし、戸籍とかどうなってたのか分からないけど)ので、入所者が土地を買って国名義にしたのだとか。でもそういうのって「国有地」になるのだろうか?そこら辺、どう整理してあるのかよく分からないけれど。。今度行ったときに誰かに聞いてみようと思う。というわけで、土地からして自分で稼いで広くしたのだ。

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入所者の中には学齢期の子どももいたので、園内には学校があったらしい。1979年に生徒がいなくなって閉校になったあともしばらく校舎は残っていたのだが、老朽化のため2008年に取り壊されたそうだ。だから今はひろーい空き地みたいになってる。「出発」というのは、最後の生徒たちで作った記念碑らしい。

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「望郷の丘」と呼ばれるところ。ここはもちろん元々は平地だった場所なのだが、昔は隔離政策で脱走できないように周囲は全部堀があったらしいのね、というか、この堀も入所者が掘らされたのだが。その余った土をここに持ってきて丘みたいにしたんだと。そして木を植えてここの高いところから自分の故郷を思う、そういった場所だったらしい。今はぐるりに柵があって中には入れない。数年前までは入れたそうだが、子どもが落ちたとかで。ここから眺める景色はどんな景色だったんだろう。

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ちなみにこれが敷地内と敷地外を区切っている木々です。さっき言った堀もここに沿ってあったらしい。といっても、今はもう区切られてません。外から見ると(右側の画像)何やらまだ背の高い木が植わってるけども、それはもう施設内、なんです。元々の区切りは左の画像に見られる今は1mくらいになってしまったものです。この画像を見るだけだとなんか雑然と雑草が茂ってるだけに見えるかも知れないけど、ここは元々柊(ひいらぎ)の木が3mほど生い茂ってて、その上には鉄条網なんかも張り巡らされていたらしい。これは確か「あん」でも出てきたけど、柊の葉っぱってトゲトゲしているので痛くて突破できないのね。そういえば、今日、ここを案内してくれたボランティアのおじさんは地元で生まれ育った人なんだけど、子どもの頃は親から「ここには絶対に近づくな」と言われていたそうです。「病気がうつるから」と。

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ちょっと見にくい画像でごめんなさい。ここには「敷石道 この一帯は関東ローム層で、雨の日や霜柱が融けたときなどは、下駄がとられるほどぬかて、更に盲人たちは出歩くのに難渋した。1930年頃、道に石を敷く話がもちあがり、患者と職員とか費用を出し合って工事にかかった。しかし、これではとても足りず、「多磨」誌の前身である「山櫻」を通すなどして募金を呼びかけ、それぞれの不自由舎をつなぐとともに、医局や風呂場、礼拝堂などへの敷石道を造った。盲人たちは敷石を杖の先で探り探り歩いた。」と書いてある。その敷石道ってこれ。

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広い道も狭い道もずっと敷石が張り巡らせてあった。

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唐突だけど、園内には宗教施設がいくつかあった。これは聖公会のを適当に撮ってきただけだが、仏教(宗派は分からず、、)とキリスト教(カトリック、おそらく日本基督教団、そして聖公会の3つ)があった。やはりこういうところで暮らしていると宗教は心の支えになるんだろうね。しかし、様々な職業の人たちがいたからすべて入所者の手でやってきたと言っても、宗教者まで入所者とは思えず。でも隔離政策の中、坊さんや牧師さん神父さんたちはどうやってここの施設にいたんだろうか。まぁこれも次に行ったときに誰かに聞いてみよう。

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園内は本当に緑が多いんだけど、これは緑化委員会の人たちが植えたり、あとは1本5千円で個人個人が苗木を買って植えたものらしい。その木のところには名札が付いてたりした。この他、写真は撮ってこなかったんだけど、さくら公園と呼ばれる桜がたくさん植わってるところや、梅園などもあった。あと今回は行かなかったんだけど、恩寵公園というところもきれいらしい。そういう意味ではとても自然が残っているというか、この自然は意図して作られたものだから残ってるわけじゃないけど、ちょっと自然を感じたくなったらここに来るといいなあって感じ。森みたいなところもあった。

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そして、最初にも書いたけど、ここに来た人は死んだ後も故郷には帰れない人がたくさんいました。だからこうやって納骨堂も自分たちで作らざるを得なかった。右側の画像の「尊厳回復の碑」というのは、強制的に堕ろされた子供たちを偲んでだそうです。入所者は結婚できても強制的に断種手術をさせられて子どもを作らせないようにされていた。世界にハンセン病患者を隔離していた施設は多々あれど、断種手術まで行われていたのはただ日本だけだそうです。ちなみに堕ろされた子供は長い間ホルマリン漬けになってたらしい。碑の前におもちゃが置いてあるのは、子ども(にもなれなかった)霊を慰めるためでしょう。納骨堂とか、そういうものはあまり撮りたくなかったので撮ってこなかったんだけど(だってやはりとても神聖な場所だと思ったので)、この話を聞いて「これは撮るべきだ」と思って撮りました。もう二度とこういう目に遭う人を(親も子も)出してはならない。

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これが「いのちとこころの人権の森宣言」の碑。ボランティアの人が「どうぞ全文読んでください」と言っていた。東村山市内の小学生には見学に来た際に、この文を声を出して読ませたりするそうだ。ここにはもちろんまだ実際に住んでいる人がいる。200人くらいいるって言ってたかな。だから傍若無人に見学していいというわけではない。あくまでも住んでいる人の迷惑にならないようにして見学しなければならない。そしてこの地で何が行われていたか、それを勉強する地でもある。そして二度とこのようなことを起こしてはならない。それを十分肝に銘じるところでもある。東村山市には是非頑張ってここを保存して、そして一人でも多くの人が訪れるようにして欲しい。

こんな感じで時間としては約1時間ちょっとだったかな。説明を聞きながら回ったんだけど、あっという間だった。一つ一つもう少し丁寧に見たいと思ったんだけど、ボランティアの人は「自分がゆっくり回りすぎて、資料館見学してもらおうと思ったのにほとんど時間がなくなってしまった」って言ってたんで、これでもかなり時間を掛けて回ったんでしょうね。確かに散策が終わってから、資料館に戻ったんだけど見学時間はあと20分くらいしかなかった。ので、ほとんど資料館は見られず。でもいいんだ、また来るから。

終わりにまた映像ホールに戻って、そして市の人の挨拶聞いてアンケート書いて終了。

ここでは定期的に「お話し会」とか「清掃ボランティア」とか「お祭り」などという行事が行われているらしい。だから、そういうのをきっかけに行ってみるのもいいかも知れない。
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03-08 Sun , 2015
そういうふうにできてない
何日か前に「そういうふうにできている」という題名で日記を書いた。

「そういうふうにできている」と思ったきっかけは、実は「そういうふうにできてない」と思ったことがあったからだ。「そういうふうにできてないんだな」と思った先に「そういうふうにできている」というものがあったのだ。

「そういうふうにできてない」と考えたきっかけは、「人間は、言わなきゃ分からない」ということだった。言葉に出さないものはないものとみなされる。いくら心の中で強く思ってても、言わなければ伝わらない。

あ、でもこれ。いいとか悪いとかではない。別にだから「自分の意志をはっきり相手に伝えなければならない」と言いたいわけじゃない。単に現実として、そうなんだなというだけだ。人間は、声にしたことでしか相手に伝わらない。あ、もちろん態度なんかでも分かる場合はあるけどね。だけど態度より言葉にした方がより詳細に伝わるだろう(言葉を使わないジェスチャーでは自分の意志を明確に伝えるのが困難だし)。

それはひとえに、人間には「言葉を使わないで相手の言いたいことが分かる能力」を持ってないからだと思うのよ。以心伝心できないというか。

最初、このことを思ったときに「だから不便なんだよね」って思った。もしも人間に「相手が何も言わなくても何を考えているか伝わる能力」があるとすれば、すごい便利だなって思った。その能力があれば、人がどういうことを考えているかを想像しなくて済む。本音と建前の両方が分かる。自分も口に出していいにくいことをわざわざ口にしなくても済む。言いたくないことも相手に伝わる。もし、人間にこういう能力があれば、この世の中は今と全く別世界になっていたに違いない。

そう、この「別世界になっていたに違いない」というところから、「今の世界も別の世界から見ると『別世界』になるんじゃないの?」って思って、「そういうふうにできている」ことについて考えを進めたのだけれど。

実は、ここでわたしの考えることが2つに分かれちゃったんだよね。「そういうふうにできている」世界のことと「そういうふうにできていない」世界のことに。そして「そういうふうにできている」の方は、前に書いたけど。

「そういうふうにできていない」方のこと。「そういうふうにできてない」、今の世界はどうなんだろうかって。上に書いたように、以心伝心で伝わらないってことは、ある意味不便だし、「なかったこと」にされる恐れもある。以前、何かの本で読んだのだが、昔の(昔って大昔。豪族とかいた頃?)罪に対する一番重い刑は「死んだ後にその人の名前を言ってはいけない」ということだったんだそうだ。残された人は、その罪を犯した人の名前を言ってはいけない。すると、何代か後には、その人はまるでこの世に「存在していない」ことになる。誰も存在を知らない人になってしまう。それが刑だったんだって。まぁここには人間って自分の存在が死んだ後でも、いつまでも「この世に存在していた」と思われたい欲望があるのかなあとも思うんだけど(わたしなんかは自分が死んだ後はわたしのことはとっとと忘れて欲しいが)、言わなかったらいない人になってしまうんだよね。同様に、先の戦争においてもあまりに悲惨な体験をしたとか、加害の事実は言いたくないからと言って言わないままこの世を去ってしまった人たちがおそらく大勢いる。都合の悪い文書はすべて焼却してしまって、だんまりを決め込む。だからこそ、後世にその事実が伝わらない。伝わらないことによって、歴史はまた繰り返されようとしている。

この世の中「そういうふうにできている」。

一方、だからこそ「見せたい自分」だけを見せることができるのも事実だ。

ブログなんかで書き散らかしてるものなんか、本当にそう。ブログには見せたい自分しか見せない。一部「どこかに吐き出したくてたまらないから書いている」というのもあると思うけど、それだって「見せたい」とまでは言えないけど「絶対に他人には見せたくない」と思ったらブログには書かないだろう。吐き出すのは他人の目に触れられる可能性があるブログだけじゃなく、別に公開しないメモ帳に書いたって、手書きの日記だっていいのだから。

もちろんこのブログだってそうなんだけどね(笑)ただ、このブログ、今年の10月で10年続けてきたことになるんだけど(そう考えるとすごいな(笑))、ときによってスタンスが変わりまくってるよね。前は思いっきり何でもかんでも全部書いてたけど、今は自分が考えて「書きたいな」と思ったことは書くけど、事実について詳細なことはほとんど書かなくなったし。長い時間の中ではそのときどきによって「見せたい自分」が変わるんだなと思う。だから、過去の見せまくってた自分の書いたものはお蔵入りにさせてしまいたいと思ってたりもするんだが、そうするとどこまでお蔵入りにしてどこから出すかって判断するのが難しいんだよなー。それに正直、過去に書いた自分の文章はなんか気恥ずかしくてもう読みたくないってのがあるし(笑)

なんか段々話がずれてきたな。

ただ、こんな風に思ったのは、とある人のブログを読んでそう思ったんだよね。わたしは人のブログを読むのが結構好きで、いろんな人のブログを読んでるけど、一つね、忘れられないブログに遭遇してね。そのブログは探したんじゃなく、ただなんとなく猫ブログを読みたいなと思って、一つそれっぽいキーワードを入れたらたまたま出てきた、猫ブログとは全然関係ないブログだったのだけど。その人は残念ながらもうだいぶ前に亡くなられてしまったのだが、今でもその人のブログに出会えて本当によかったと思ってるし、もう再び更新されることはないであろうそのブログをブックマークしてときどき読んだりしてるんだ。ただ、最後の方に書いてあることを読むと「この人は敢えてこういう自分を見せたかったのだろうか」と思うことがある。それはわたしにとっては永遠の謎なのだが、きっと「そういう風に見せたい」と思ってたのであれば、それは多分成功してる。

人間には以心伝心の能力がないから、表現力に多様性があるのだ、とも言える。ただだからといって今の人間に「以心伝心の能力がなくてよかった」とは思わない。「以心伝心の能力があればよかったのに」とも思わない。上にも書いたし、前もそう書いたけど「どっちの方がいいか悪いか」ではなく、こういう現実が自分の前にただ横たわっているだけだから。

「そういうふうにできている」と「そういうふうにできていない」が組み合わさって、今の世界ができている。それは必然だったのではなく、単なる偶然だったと思う。ただ、物事には原因と結果があるというのはある種の真理だろうけれど(ここら辺になるととても仏教っぽくなるんだけども)。だけどいくら考えても分からない原因と結果を考えるより(考えて分かる原因と結果は考えなければならないけれども)「そういうふうにできてるんだなー」って、ただ淡々と事実を受け止めるのもいいのかも知れない。必然ではないって考えること自体、運命を否定していることになるのだが(笑)ただ、100%唯物史観で生きようとしてもなかなか難しいんだよね、これが。心のどこかに「絶対的」なものを求めてしまうのも、また人間なのであって、おそらくこれも「そういうふうにできている」のだろう。
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03-03 Tue , 2015
そういうふうにできている
ときどき思うことがある。

「もし人間の指が5本じゃなくて6本あるのが普通だったら」とか「腕が2本じゃなくて1本とか3本だったら」とか「平均身長が今より1m高かったり低かったりしたら」って。そうすればきっと、人々の概念や暮らしやその他ほとんどのものが今とは別の形になっていただろうなと。

例えば、今の世の中の大部分が十進法で出来ている。数字は10になると一桁繰り上がる。中国には古くから「陰陽五行説」というのがある。ではなぜ「10」進法や「陰陽」の「2」元論や「五行」の「5」かというと、きっと腕が2本であり、指が片方5本、左右併せて10本である結果なんだろうと思うのだ。よく人は「二元論」で考えてしまう。男か女か、いいか悪いか、右か左か。これはきっと、腕が2本しかない結果だろうと。もし腕が3本あったなら、人間はきっと「三元論」で考えることが基本になるんじゃないかと思ったりする。そうすると思想の世界も今とは全く異なっていたはずだ。
※ただし、この世界もまれに十進法でできてないことがある。例えば時間。干支。暦関係は十進法でできてないのはとても面白い現象だと思う。

平均身長が今より1m低ければ、わたしたちの住む家はもっと小さいものになってただろうし、1m高ければ、もっと高いものになっていただろう。今のような高さのものになっているのは、今の人間の平均身長がこのくらいだったから。それしか理由はない。それに、今使っている道具は「腕が2本、指が左右10本ある人」が使いやすいように出来ている。これが1本でも多かったり少なかったりするのであれば、そういう状態のときに使いやすいように作られるに違いない。

そう考えると、少しの条件が変わっただけで、世の中は概念からしてまったく別の世界になっていただろうと推測される。

だから、今、わたしたちが考えている「常識」なんてその程度のことだよ、とも言える。何か一つ条件が変わっただけで今の常識は常識ではなくなるだろうから。けど「そうはいっても、今の世界はこうなんだから、やはり常識は重んじられるべきだ」と考える人もいるだろう。まぁどっちもどっちというか、判断する対象でそのどちらを取るかということになってくるのだろうと思うが。

例えば常識は世界共通ではなく、国とか民族によって違う、ということはある。人間って不思議なもので「こうだ」と教えられて育てられれば、そういう風にしか物事が見られなくなる傾向にある。

例を挙げると、日本では一般的には茶碗は手に持って、口に近づけて食べる。一方、韓国(おそらくいわゆる「北朝鮮」でも同じだと思うが)茶碗は手に持って食べてはいけない。もちろん、日本では茶碗は陶器、朝鮮半島では金属で出来ている。日本ではご飯は箸で食べるが、朝鮮半島ではスプーンで食べる。この違いがそういう文化の違いとして現れてるんじゃないかとは思うが、でも、おそらく日本人からすると茶碗を手に持たないで食べるのは「犬食い」と言われるほど「やってはいけない」ことになっている。そして「犬食い」をやってる人を見るととても汚く思えてしまう。

でも裏を返せば、朝鮮半島の人は茶碗を手に持って食べると、やっぱり汚く見えてしまうのだろうか?って思ったりする。そこのところは、わたしはそういう風習で育てて来られなかったので、茶碗を持つとどういう風に言われるかとか、どういう風に見えるのかは想像が付かないけどね。きっと「器や皿は手に持って食べてはいけない。行儀が悪いことだから」と育てられてるんだろうね(皿は日本でも持って食べないか。。)。おそらく向こうは向こうで「器を持って食べると行儀が悪い」という理屈を持ってるんだと思う。そして器を持って食べるととてつもなく下品だったり汚く思えたりするんだろう。

もう一つの例。日本ではそばとかうどん、ラーメンなどは「ずずっ」と音を立ててすする。その音が「おいしそう」に思えたりする。音を立ててすすっても「下品だ」とは思われない。そういえば、食べ物じゃなくて抹茶なんかも最後は「ずずっ」って音を立てて飲み干すよね、わざと。しかし、日本のものではないパスタなんかはそうじゃないよね、同じ麺なのに。却ってすする音をさせるのは下品だと思われる。それはパスタだったらイタリアかな?その国の習慣がそうだってことだよね。

ってわけで、常識なんてどこでどう変わるか分かんないよ~ってことだよね。自分の持っている「常識」は全世界的に絶対的なものではないってことだよね。まぁただ「郷に入っては郷に従え」ということわざもあるように、その地で「常識的でない」という習慣をやっちゃったら、自分の人格が疑われたりすることもあるわけだが。とまぁ、別にこんなことが言いたくてこの話を始めたんじゃなかった(汗)別にわたしは常識云々の話をしたくてこの話を書き始めたわけではなく。

なんというのかな。ときどき「そういうふうにできてるんだな」って思うことがある。それは特に理由もなんもないことで、偶然が積み重なった結果、人間の指の数は5本になったんだろうし、腕も2本なんだろう。誰が決めたというわけでもなく。そして腕が2本なのも指が5本であるのは特に「そうでなければならなかった」という理由はなく。世界の習慣は、最初は誰かが何となく「そう決めた」んだろうが、その地域ではそうすることに一定の「理屈」はあるんだろう。しかし別にそれが「絶対に正しい」わけでもない。「誰かがそう決めた」のは、そのときにそこに住む人たちの感性がそうしたわけで、そう感じたことは特に絶対的な理由ではない。世界中が同じ習慣にならなかったのは、一つの物事の理由が全然別の角度からも理屈を付けて考えられるということだからだ。そうすると、この世界がなんだかとても不思議なものに思えてくるんだよね~。すっごく微妙なところでこの世界が成り立っている。この現実世界は一歩ずれてたら、現実世界ではないんだと思うと、この世界は強固な根っこを張っているわけじゃない。ふわふわと浮遊しているか、ぐらぐらと安定性がないか、そういうイメージを持つ。

だからこそ、この世界はいかようにも変えていけるんじゃないかと思うこともあるし、いやいや、それでも手の指が5本、腕が2本ある人が圧倒的な世界で、二元論や十進法を変えていけるのかとも思う(分野によっては十六進法の世界などもあるんだけどね。。)。

まぁ最近はこんなことを考えている。本当はここから発展させたのか、この元になる話しになるのかは分からないけど思うことがあって、それはまた今度。
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03-02 Mon , 2015
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー!その2(駅からのメッセージ)
前回からの続き。

それまでほとんどの駅では構内に貼ってあるポスターの写真を撮るだけだったんだけど、いくつかの駅ではスタンプ台のところまで行って、そこにある「○○駅からのメッセージ」に書かれた言葉の写真も撮ってたんだよね。そこには「なぜこのキャラクターを選んだのか」って理由が書いてあって、それを読むと結構面白かったから、「なんでここはこういうキャラクターなのかな?」って思う駅は、降りて撮ることにしてた。

けど、メッセージを集めているうちに、これまた「出来る限りのメッセージを集めてみたい」という気持ちになり、あと5駅でポスター全部集められるところで方針変更した。「今から集められるだけ、メッセージを集めてみよう」と。なので、ほとんどのところをまた、回ることになっちゃったんだよね~。ただ、こう決断したのは最終日から数日前で、もうわたしには1日しか集められる日はなかった。なので、ちょっと時間がかかりそうだった常磐線と総武線快速の駅は泣く泣く断念せざるを得なかった。

そうして集めたのは、全64駅中、常磐線の三河島、北千住、亀有、松戸、馬橋、新松戸、南柏、柏、北柏、我孫子、取手と総武線快速の新日本橋を除く52駅分。

駅のメッセージを集めるってことは、改札降りてスタンプ台の前まで行かなければならないってことで、これはスタンプラリーする人と同じ行動なのだけれど、これ、案外きつかった。駅の改札って絶対に階段を上り下りしないといけないんだよね。しかも、なるべく電車降りたら、次の電車が来るまでの間にスタンプ台のところに行って写真を撮りたい。そうすると時間との競争でね。大きい駅だと構内が広すぎるので次の電車にってのは無理だけど、構内が広い分、たくさん歩かないといけない。わたし、2度目の渋谷は埼京線で行ったんだけど、思いっきり後悔した。。埼京線の渋谷駅はほとんど「ニセ渋谷駅」って言っていいほどのところにあるのに!それは知ってたのに!!先に恵比寿に回って、そこから渋谷に戻ればよかったよな~って、歩きながら本当に後悔した。そして電車の中ではほとんどがたった1駅で降りるから、座ったりはしない。最後の方はもう、足がガクガクだった。それでもとても楽しかった。本当はもっと早く気が付いて、全部の駅を回ることが出来たらよかったのに、って今も思ってる。

52駅分しか集められなかった駅からのメッセージだけど、その中で一番心に残ったのは、新大久保駅だった。そこにはこう書かれている。

キャラクター選定の際に、真っ先に思い浮かんだのが友好珍獣「ピグモン」でした。新大久保の街は韓流ブームと共に賑わいと活気にあふれ、かつては静かだった街が今では誰もが知る「コリアンタウン」として有名な街に生まれ変わりました。しかし、昨今の日韓情勢とともに訪れるお客さまが減少している今、日韓の友好を願わずにはいられません。また、様々な外国の方が訪れる、多文化共生の街でもある新大久保。国籍や言語、文化の違いを互いに尊重し合う、そんな世界を作りたいものです。そういったこともあり、真っ先に浮かんだのが友好の文字がある「ピグモン」でした。駅社員全員一致で決定、希望しました。他駅からの希望もたくさんあったキャラクターと聞いておりましたが、見事に当駅が勝ち取りました。近隣にある皆中稲荷神社の御利益の後押しがあったのかもしれませんね。



新大久保


他の51駅で、こんなにキャラクターの選定理由がしっかりしたところはなかった。文中には「昨今の日韓情勢」とあるけれど、ここ、新大久保では何度もヘイト・スピーチが繰り広げられ、そばで聞かざるを得なかった駅員さんたちもそのことに胸を痛めてるんだと思う。「国籍や言語、文化の違いを互いに尊重し合う、そんな世界を作りたい」という新大久保の駅員さんたちの願い、本当に心を打たれた。そしてこのメッセージがこのスタンプラリーの期間中、約1ヶ月半、ここに表明され続けたのはとてもよかったと思った。

それ以外、「駅名からキャラクターを選定した」ってところがいくつかあった。
・金町→カネゴン
・駒込→ゴメス
・神田→ガンダー
・五反田→ヒトデの「五」角形から→ペスター

面白かったのは、「キャラクターと似ている駅員さんがいる」ってところも複数あったことだ。
・大塚→ゴロー
・有楽町→ギガス
・市ヶ谷→人工生命M1号

ちなみに、これがそれぞれのキャラクター。左からゴロー、ギガス、人工生命M1号。

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・・・ひどすぎる(笑)

それからたった一駅だけど、「駅長と名前が似ているから」という理由で選定されたキャラクターもいた。
・東中野→マグラー

ちなみに駅長さんのお名前は「眞柄(まがら)」なんだそうです。

その他のキャラクター選定理由としては、
・尾久→当駅は、JR東日本の看板列車「カシオペア」「北斗星」の車庫がある駅で、始発駅の上野駅へ整備して送り出す脇役的な存在。ウルトラマンシリーズで名脇役と言えば「バルタン星人」(バルタン星人)
・高田馬場→誰からもすぐ覚えてもらえるように可愛い名前のキャラクターを選択(バニラ)
・阿佐ヶ谷→今年(注:去年の間違えだと思う)の7月7日に発車メロディーが「たなばたさま」に変更になった。そこから1968年7月7日、七夕の日に「ウルトラセブン」で登場した「ガッツ星人」を当駅のスタンプキャラクターとした(ガッツ星人)
・原宿→原宿駅周辺の建物が映っている話である。キャラクターは金色のロボットで、竜から円盤状に変化するが、原宿駅も木々が立ち並んでいて季節毎に風景が変化する(宇宙竜ナース)
・四ツ谷→四ツ谷駅周辺は自然が豊かで毎年沢山のセミが集う(セミ人間)

阿佐ヶ谷駅、無理矢理過ぎる!!(笑)そして、たくさんのセミが集うからセミ人間を選んだ四ツ谷駅って笑えた!すごい無理矢理だけど、夏が来るたびにセミ人間と四ツ谷駅に集うセミのことを思い出しそう。

キャラクターを「駅の望み」に託したものも多かった。(五反田、阿佐ヶ谷は重複)
・信濃町→レッドキングのようにみなさまに親しまれ、愛される駅をめざす(レッドキング)
・東京→ベムスターに負けないくらい皆さんに愛される駅を目指す(ベムスター)
・田町→夢溢れる新駅と田町駅を繋ぐ列車は、今までも、これからも時間を超えてお客さまの日常に寄り添い続けたい(異次元列車)
・五反田→駅の社員も(キャラクターのように)連携プレーで一体となり、熱い思いを主食とし、見えない赤い炎をだしながらお客さまをお待ちしている(ペスター)
・日暮里→現代のゆるキャラブームのはしり?とも思われるキャラで、現在の日暮里駅のイメージキャラクター「にゃっぽり」とも併せて可愛がって下さい!(ゲスラ)
・東十条→「カプセル怪獣アギラ」みたいに、困ったときには頼りにしていただけるよう、そしてみなさまから愛される駅づくりを目指す(アギラ)
・阿佐ヶ谷→「ガッツ星人」に負けない様、これからも駅員一同明るく元気に頑張っていく(ガッツ星人)
・中野→今後もシーボーズのように皆さんに愛される駅を目指す(シーボーズ)

上に挙げたのは、まだ「なぜそのキャラクターを選んだのか」について触れられてるけど、中には理由がさっぱり分からない駅もあった。

そもそも、メッセージの中にキャラクター名が全く含まれてない駅もあった。
・浜松町→ウルトラマンジャック
・高円寺→ニセウルトラセブン
・赤羽→グドン
・渋谷→スカイドン
・大崎→バルタン星人二代目
・水道橋→マグネドン
・上野→シーゴラス

まぁ「駅からのメッセージ」なので、別にキャラクター選定理由が書いてなくてもいいんだけどね。。ただし、大崎駅は「その1」でも触れたけど、独自のポスターを作っていたり、この「駅からのメッセージ」も凝ってました。

大崎駅


縦読み(笑)

実は「駅からのメッセージ」で一番多かったのは、キャラクターの名前には触れているけれど、なぜそのキャラクターを選んだのかさっぱり分からない、というものだった。
南流山、池袋、板橋、十条、田端、王子、西日暮里、巣鴨、目白、目黒、恵比寿、秋葉原、御茶ノ水、御徒町、新橋、大森、大井町、品川、飯田橋、代々木、蒲田、千駄ヶ谷、新宿、荻窪、西荻窪

さっぱり分からないと言っても、まぁ「心優しい」とか「良い怪獣」とか「頼りがいのある」とか、怪獣の中でも「人気が高いから」とか「印象深いから」とか「社員から人気が高いから」とか、逆に「悪い星人だから」なんてことは一応書いてあったけどね。。その中でも笑えたのがこのメッセージ。新橋駅。

新橋


新橋駅のキャラクターは「ウルトラセブン」。そして新橋と言えばサラリーマンの街。このメッセージは完全サラリーマン向けだよね(笑)これはとてもうまいと思った。

キャラクター選定の理由がさっぱり分からないと言いながら、この中には2つ傾向があって、一つは「あんまりよく知らないんだもん」というところと、逆にそのキャラクターに思い入れがありすぎ、このスペースでは足らなかったのでは、と思えるところがあったような気がする。前者の典型的な例は、恵比寿駅。駅員が若いので、ウルトラマン世代はあまりいなかったよう。

恵比寿


逆にキャラクターを熱く語りすぎ、きっと大ファンだった駅員さんがいるんだろうなと想像できるのは、御茶ノ水駅、御徒町駅、荻窪駅。特に御徒町駅と荻窪駅はこれだけじゃ書くスペースが足らなかったんだろうと想像してる(笑)そういえば御徒町駅はポスターも独自のメッセージが書かれてたよね。

御茶ノ水


御徒町


荻窪


そして、荻窪駅。この駅はメッセージもそうだけど、このウルトラマンスタンプラリーで一番熱かったと思う駅だった。わたし、ここには最終日の3日前に行ったんだけど、スタンプ台のところに「最終日(2/27)まで、あと3日!!」(「3」は手書き)という文字とともにこんなメッセージが。

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まもなく(2/27)でウルトラマンスタンプラリーは終了します。この間、多くの皆様に我が姿をスタンプしていただき、うれしい限りです。地球を後にして早47年過ぎましたが、地球人の愛情には今だに(ママ)感謝しています。ラリーにご参加いただき、誠にありがとう。(>_<。)次回も どこかのこの地で 遭いましょう!



うーん、ここまでのことをしている駅は、荻窪駅以外はなかったように思う。っていうか、他の駅はそこまで注目してスタンプ台の上は見てなかったから、本当に荻窪駅以外はそういうことしてなかったかというと、それは断定はできないんだけど。でも、少なくともこれに気が付いたあとに見て回ったスタンプ台にはこういうところはどこにもなかったです(でもなんかいろいろなサイト見たら、最終日にはいくつかの駅でメッセージ出てたようですね)。

でね。最終日、この駅がどうなってるのか、とっても気になったのね。だから行ってみました。そしたらさらにすごくなってた(笑)一瞬、スタンプ台の上にあったこのメッセージがないって思ったの。それで見てみれば、、

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こんな風にでっかく前に貼ってあった!!!(これじゃ「駅からのメッセージ」が読めないよ~(笑))

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「まもなく」って書いてあったところが、ちゃんと「本日」になっていて、これ、最終日のためにわざわざ用意したんだなーって思った。荻窪駅の熱い思いがわたしに伝わってきたよ。

軽い気持ちで駅に貼ってあるポスターの写真を撮ることから始まって、最後は駅のメッセージを集めまくったウルトラマンスタンプラリー。スタンプは一つも押さなかったけど(笑)、途中からメッセージ集めという方針に変えたので、ほとんどのところは2回、3回行った。普段、何気なく利用している駅。そこで働く駅員さんたちはどういう人たちで、何を思い、どう働いているのか、外からではほとんど分からない。でも、こういうものによって「どんな人たちが集まってこの駅で働いているのか」がほんの少しだけだけど垣間見られたような気がする。若い駅員さんたちが多い駅、そうじゃない駅、こういうイベントに熱く参加する駅、そうじゃない駅。駅ってどこも同じようでそうじゃない。そういうことがよく分かったスタンプラリーだった。

とにかく、すごく楽しかった!できたなら、もう少し早く気が付いて、時間の余裕があるところで楽しみたかったなとも思うけど。あと、わたしがメッセージを読めなかった12駅、どんなメッセージが書かれてたのか気になります。

ウルトラマンスタンプラリーに参加したJR東日本の64駅の駅員さん、
楽しませてくれて本当にありがとうございました!
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03-01 Sun , 2015
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー!その1(ただしスタンプは押してない)
もう終わっちゃったんだけど、1月13日から2月27日まで、JR東日本の都内(いくつかの駅は除く)、常磐線の千葉(いくつかの駅は除く)と茨城の駅(といっても取手のみだけど)の64駅で「ウルトラマンスタンプラリー」というのをやってた。

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わたし最初ね、病院に通院してたときに駅でポスターを見てね。あ、上のポスターじゃなく、その駅の担当キャラクターのポスターなんだけど、「あ、こんなのやってるんだ」と思って、なにげなく写真撮ったんだよね。ちなみにこんな風なの。スタンプは改札外にあるんだけど、どの場所にスタンプが置いてありますよーっていう案内のポスターです。

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それが1月の下旬だったかな?それ以降はJRを使うたびに駅に貼ってあるポスターの写真を撮るようになった。そのうち、乗換駅とか、そういうところでも見かけるたびに写真を撮るようになって、それから通り道の駅でも写真撮ってみたいキャラクターがあったら一時的に降りて、ポスター探して写真撮ったりするようになった。で、あるとき数えてみたら、それが21駅分になってたの。そのとき「あ、1/3集められたんだから、もしかしたら全駅できるかも」って思ったのが運の尽き(?)。東は常磐線の取手、西は中央線の西荻窪まで、全部撮ってきたよ~(笑)

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9×7=63で、1枚足りない?と思った人は正解です。実は、池袋駅では、キャラクターの載ったポスターを見つけることはできなかったんだよね。。ポスターを探すために3回、池袋駅に行ったんだけど。。。もちろん、池袋駅はとても広い構内と、何番線もあるプラットホームを持っている駅であり、そこをくまなく探すと言うことはできなかったんだけど、でもいろんな駅でポスターを探し回った経験上、これらのポスターが貼ってあるのは、

1.ホーム
2.ホームから構内に降りる階段
3.構内

のどれかだって分かったので、そこを探したんだけど、キャラクターが載ってるポスターは貼ってなかったんだよね。で、池袋駅で見かけたのは、こんなポスターだった。これは構内に貼ってあった。

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ちなみに池袋駅はこういうキャラクター。

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スタンプ台のところにこういうボードが置いてあって、ここでスタンプを押すの。ちなみにスタンプはどこでもいいから10個押せば何かもらえて、全部押したらさらに何か別のものがもらえるんじゃなかったかなー?わたしはスタンプには興味がなかったので、一つも押してません。

池袋駅は何か理由があって、キャラクターのポスターは貼らなかったんだろうか。それとも初めは貼ってたけど、盗まれちゃってこういうのにしたのかなあ?とか、いろんなことを思った。でもね。いろんな駅を回ってみて思ったんだけど、このスタンプラリーに対する熱意がある駅とあんまり熱意を感じられない駅があるんだよね。ほとんどの駅ではポスターにラミネート加工がしてあったんだけど、これをしてないところとかね。そういうポスターは雨の水滴で印刷がにじんじゃったりしてて。。それと、大抵は「スタンプ台はこちらです」っていう矢印が書いてあるポスターだったんだけど、いくつかの駅ではオリジナルのポスターを発見した。おそらくこれ以外の駅でもあるとは思うんだけど、気が付いたところだけで。

御徒町駅。

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西日暮里駅。

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大崎駅。

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大崎駅はスタンプ台のところにもこういうのが。ちなみに大崎駅のキャラクターは「バルタン星人二代目」でした。

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それと、南流山駅のキャラクターは「ウルトラマン」だったんだけど、ここはウルトラマンに選ばれたことがとても嬉しかったらしく、構内はこんなになってた(笑)

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しかし、南流山駅に行くために、新松戸の駅で武蔵野線に乗り換えたんだけど、慣れない駅の乗り換えはよく分からなくてね。最初、適当なホームに着いて行き先を見てたらどうも反対側のようだってので、反対側に回ったら、実は最初の方が正しくて、気が付いたときはもう向こうに電車が来てて。。なんてことがあった。

常磐線は快速と千代田線直通の各駅(というのかな?)に分かれてて、綾瀬での乗り換えにすごくとまどってしまった。てか、そのまま乗って北千住だったかに行けばよかったのに、北千住の駅は千代田線の駅になってしまうと思って、ここで乗り換えできると思ったんだよね。ここら辺、今でもよく分かってない。けど、この線には長年東京に住みながら、乗ったの初めてだった。千代田線は綾瀬行きや我孫子行きがあるのは知ってたけど、そこまで乗ったことはなかったし。

山手線なんて、何度、内回りと外回りを間違えたことか。。。山手線は、大学が品川にあったもんで、大学時代は新宿から品川までは乗り慣れてるんだよね。でも、却ってそれが徒になりました。わたし、どうしても品川方面は「内回り」と思い込んじゃうのね、それがあって。でも、それが例えば上野から見ると品川は「外回り」になるわけで、なんかそれがものすごく違和感で違和感で。よく考えるとそうなんだけど、反射的に見ると違って見えちゃうんだよね~。で、逆方向に乗り間違えて。

まぁ多分、こういうのもいい思い出、なんでしょうねえ。

でね。スタンプ台の前にあるこのボードには「○○駅からのメッセージ」っていうのが書いてあるの。こんな感じで。

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このメッセージが案外面白いことに気が付いたのは、あと5駅で全部ポスターの写真が集まるってところだった。。(つづく)
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12-30 Tue , 2014
行ってきた
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わたしの母校、三鷹高校が第93回全国高校サッカー選手権大会の東京B代表になったそうで、今日、その試合が駒沢陸上競技場で行われたので行ってきた。

この大会、三鷹高校が出るのは7年ぶり2回目。前回初出場のときも開幕戦で今日も開幕戦。前回は国立競技場だったのかな?それも観に行って来た。でも全然覚えてない(笑)シドニーから帰ってきてものすごく腕が痛くて、歯もおかしくて、その原因を突き止めるためにいろいろ病院に通っていた時期だ。まぁ結局7年後の今もなんで腕があんなに痛くなったのかはよく分かってないし、歯に至っては今でも病院通ってて、でも治る見込みが全くないんだけど。。まぁそんな状態の時に観に行ったなあってことくらいしか覚えてない(笑)

今回、この大会に出場するって知ったのは、同窓会から「寄付のお願い」のハガキが来たからだった。これが来なかったら今でも知らなかったと思う(笑)甲子園の予選は毎回初戦敗退でもチェックするけど、サッカーは基本的に興味がないからね~。それに卒業してもう28年経つのか。なんでサッカー部が急に強くなったのか、そんなんも全然知らん。わたしがいた頃の鷹高はスポーツはそんなに目立った部はなかった。野球も弱かったし。まぁ唯一躰道部は強かったみたいだけど、その躰道部は今はないんだよね?わたしが入学する随分前はバレーボールが強かったそうだけど、わたしの頃は全然強くなかった。なんで、サッカー部が全国レベルと言われても正直、未だにあんまりピンと来てないんであった(笑)

まー卒業後は母校とは何の関わりもないし、同窓会報は来るけど、情報源はそれだけだしね。

サッカーのこともあんまり詳しくないんだけど、今回当たった東福岡ってところは強豪チームなんだってね。

確かにグラウンド(って言わないのか、サッカーでは。スタジアムっていうの?)で見た選手達の体格は全然違ってて、うちの高校の生徒はみんな貧弱に見えたし、東福岡の選手はでかくてごつくてびっくりした。

そうそう、今回で「三鷹高校」って校名は消えるんだそうだ。まぁそれは知ってたけど。来年の3月で鷹高の生徒は全部卒業して、あとはみんな中等教育学校の生徒になるらしいので。卒業生からすると「三鷹高校」って名前がなくなるのは本当に寂しくて残念なんだけどね。というわけで「三鷹高校」としての最後の大会だったらしい。

駒沢陸上競技場に着いたのは、試合の始まる15分くらい前だったんだけど、もういっぱいの人で座る場所を見つけるのにとても苦労したし、彼女と行ったんだけど、彼女とは並んで座れませんでした。天気はすごく良くて、前半は全く寒くなかった。後半になったら曇ってきてしまったので、寒かったんだけどね。

試合については、サッカーについては全く詳しくないし、まぁこの試合だけ見てあれこれ言うのはかわいそうなんで言わない。前半はよくボールが奪えたと思ったんだけど、それが全く次に続かなくて結局点が取れず。後半は向こうが本気出してきたのか、始まってすぐに1点取られ、その後一旦追いついたかに見えたんだけどオフサイドで幻のゴール。それから2点目が入れられて、2-0で負けた。まぁでも相手のシュート数は結構あったんで、よく2点で抑えられたと思った。キーパーは結構よく取ってたよね。

ま、そんなとこ。

来年から中等教育学校になるけど、どうなんだろうね~。高校から入ってこない分、6年間同じ環境で出来るのはメリットなんだろうか。そこんとこはよく分からない。

あ、そうそう。試合前に多分吹奏楽部だと思うけど(吹奏楽部はわたしの直接の後輩に当たるんだけどな!(笑))校歌を演奏してて、久しぶりに校歌、3番まで歌った。超なつかしかった。ま、このときかな。唯一母校と「繋がってる」って感じられたのは。
22:34 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-09 Sun , 2014
マジョリティとマイノリティと
今日は、国立オリンピック記念青少年総合センターってとこで「朝鮮学校差別に反対する大学生全国集会」というイベントがあったんで、行ってきた。

シンポジウムと活動報告と演劇があったんだが、その間、いろんなことを考えてた。自分の思考のパターンについて。わたしはこの手の話を理解するためには、必ず「性的少数者」というフィルターで物事を見て理解している。「ああ、これは性的少数者の話で言うとこんな感じだ」とか「これはちょっと性的少数者の問題とは違うな」とか。そうするととても理解しやすいことは理解しやすい。時折感じる疎外感は、おそらく性的少数者の中にいるアライ(Ally:性的マジョリティで性的少数者に理解がある人)みたいなもんなんだろう、とか。逆に「あー、性的少数者の中にいるアライってもしかしたらこんな気持ちなのかも」ってちょっと新鮮に思ったりした。

なぜか来ている人の中で「誰が日本人か」ってことがすごく気になったりした。別に誰が日本人で誰が朝鮮人でも全然構わないのだけれど、もしかしたらこの中では自分は少数者なのかも知れないと思うと、ちょっとドキドキしたりした。なんでなんだろう?別にだからどうだってことは、全くないのに。そんなので区別をする方がおかしいんだって思おうとした。けど、集会ではやっぱり「日本人の支援者の人たちが」とか言われる。そのたびに違和感を感じた。「向こうだって区別してるじゃん」って。

(これって例えば性的少数者のイベントで、異性愛者が周囲の人を見渡して「誰が異性愛者なのか」って思ったり、「もしかしたらこの中で自分はマイノリティなのかな」ってドキドキしたりして、「いや、でも別に襲われるわけじゃないし、異性愛者も性的少数者も区別ないじゃん」と思いつつ、周囲から「ノンケ(=異性愛者のこと)」とか言われて「やっぱ性的少数者の方は区別してるのかな~」って思うこととすごい似てると思う。それを考えると性的少数者側は「区別してます」としか言いようがない。。)

などと、自分の中でぐちゃぐちゃ考えてたりした。そんな風に考えていながらも「いや!やっぱり性的少数者のフィルターを通して見てはダメなんだ。」と思ったり。だってすべて性的少数者の問題と置き換えて考えることなんかできないし、そのフィルターを通して考えることによって、曲解したり誤解することもあるんじゃないかと思ったから。まぁでもつい、やってしまうのだけどね、、

「日本人の支援者」と言われるたびに複雑な気持ちがした。「朝鮮人が当事者として差別に立ち向かいましょう」と聞くと胸がざわざわした。

だって、これは日本人の問題じゃん!

って言いたい気持ちがした。何人かの人が、日本人がこの問題に対して支援する理由として「再びあの時代を来させないため」というのを挙げた。ニーメラー牧師の有名な「わたしは共産主義者ではなかったので、声を挙げなかった、、」という言葉を挙げた人もいた。

でも!

って思う。それじゃ、朝鮮学校の問題って「炭鉱のカナリア」みたいじゃんって。違うじゃん。日本人が、将来の日本人の生活に危害を及ぼされるから、今、朝鮮学校を支援するの?違うじゃん。

日本は戦前から一貫して、朝鮮人を差別してきた。当事者なのは、差別をしている日本人の方だ。わたしたち日本人が(わたしたち日本人はって言い方大嫌いなんだけど)、自分たちの問題として取り組まなければならないんじゃないの?わたしたちは学校で「人を差別してはいけません」って習う。けど、差別してんじゃん。国からして差別してるじゃん。「国は差別するな」となぜ日本人が主体的に問わないのか。

ただね、、これもやはり性的少数者の側から考えると「性的少数者を差別しているのは、シスヘテ(性別違和のない異性愛者のこと。意味としては先ほど出て来たノンケとほぼ同じ)だろう。だからシスヘテが差別当事者なのだ。だから差別をする方が主体になってこの世の中の法律や環境を変えろ」って言ってるのと同じなんだよね。でも、シスヘテ自ら「同性婚できないのは、同性愛差別です」なんて言ってくれない。放っておけば同性婚なんて永遠に話題にならない。だから「やはり痛い目にあっている方が声を挙げなければ、その声はマジョリティに届かないのだ」って結論になる、、、

でもさぁ。わたしも時々そうなるんだけど、声を挙げ続けることって疲れるんだ。「なんでいつも説明しなくちゃいけないのは少数者で、多数者は説明を受けて当たり前、みたいな顔してるわけ?」って思うんだ。だから学生たちが必死に声を挙げているのを聞くと、痛々しくて見ていられないんだ。。時に「疲れた」とか「もう止めたい」とか思うだろうなって。「主体的に動いていきます!」って言ってる裏で「なんでこんなことしなくちゃならないの?」って思ってないかなって心配になる。

集会は、一番最初にサなんとか?よく聴き取れなかったんだけど、全部で5文字くらいの、太鼓と鐘を集団で叩く、民族音楽というのだろうか?なんかよく分からないけど、そんなのから始まった。わたしはそういうのを初めて見た(聴いた)のだけど、なんかすごく興味深かった。

シンポジウムは鄭さんっていう明治学院大学の准教授が「無償化から排除されることと、朝鮮学校の教育内容は本来は関係ないこと」と言ってた。わたしもそう思う。民族教育が保障されることは、人権の一つだ。人権とは、人間が生まれながらにして持っている権利のことだ。それは誰もが侵害されてはならない。日本人は人権を持っているという意識が薄いので、他人の人権も尊重できないのかなって思うことがある。わたしだって朝鮮学校と北朝鮮の繋がりについては知っている。でもそれが何?繋がりを断てば保障される人権なんて、それは人権とは言わない。人権とは、生まれながらにして持っている権利だ。教育を受ける権利は誰もが持っている。しかも、少数民族は少数民族として教育を受ける権利をきちんと持っている。

正直わたしは、無償化問題についてはそれ以外の理由なんかいらないと思っている。今日ももちろん国際人権法上の権利とも説明されたが、それ以外のことについてもいろいろ理由が挙げられた。それはそうなのだろうが、わたしとしては「これは人権問題です」としか言いようがないような気がする。まぁ世の中「人権問題です」と言って「はい、そうですか」じゃ済まないのはよく分かっているのだが。。

シンポジウムではもう一人、藤永さんっていう大阪産業大学の教授が話したんだけど、主に全国で起こしている裁判の話だった。この人の話で一番心に残っているのが「最近、反日という言葉をすぐに投げかけられるが、その言葉を聞くと、戦前、戦中に言われた『非国民』という言葉を思い浮かべる」と。ああ、そうだよね~。そうやって人を排除する言葉なのだ、反日も非国民も。

最後にやった劇は、戦後(解放後)すぐに朝鮮学校ができて、それが'48年以後に弾圧されて閉鎖令が出てって話だったんだけど、なんて言うんだろう、時折すごく違和感を感じるの。劇中、何曲か歌を歌うシーンが出てくるんだけど、わたし、その歌全く知らない。背景も知らない。もしかしたら、朝鮮学校で習う歌なんだろうか?とか、誰もが知ってるポピュラーな曲なんだろうか、とか、歌詞がなに言ってるんだか全然わからないので、想像しようもない。あと多分日本語で「先生」とか「お姉さん」とか「お兄さん」とか「おばあさん」とか、そういう意味の言葉なんだろうけど、その部分だけ朝鮮語なの。わたしは朝鮮語は全然知らなくて意味分からないから、そういうところにすっごく違和感を感じた。

そう、わたしは先ほど「多数者は説明されて当たり前だって思っている!」と書いたが、何のことはない、わたしだって説明しろとは思ってないが、知らないのは当たり前、違和感を感じるのは当たり前、自分の持つ感覚は当たり前だと思って書いている。これってマジョリティの傲慢じゃん。。。なんか、書いてて嫌になるね、矛盾してて。

ただ、多数者の論理としては「どうやって知れっていうんだ」ってことだろう。だけど、少数者としては「本とかたくさん出てるんだから、それを読んで勉強しろ」なんだよね。。ええ、読んでますよ。でも、なんか難しいのだ。きっと性的マジョリティも「性的少数者の言葉は全然分かんない」って思ってるだろうな~。まぁ性的少数者の言葉は当事者にさえ難しいもんね。。なんて、結局ね、こうやって自分の中でマジョリティとマイノリティの論理を自問自答してるのだ。そして、それはたいていの場合は明確な答えなんかない。だから、、難しいね。

劇の中で、日本の警察官が出てきたのだが、その役をしてる人たち(2人)の衣装が高校の制服(学ラン)みたいだった。そして、劇が終わってから全員揃って観客に挨拶したときによく見たら、その二人とも、学ランの第2ボタンがないのを発見しちゃって「あ~、2人とも、第2ボタンは誰かにあげちゃったのかしら。。」とか、内容と全然関係ないことを思ってしまった(笑)

最後に。上にも挙げた大阪産業大学の藤永さんがシンポジウムの自分の発表の最後に「能力がある人は能力を、金がある人は金を、力がある人は力を出そう」って言葉を朝鮮語でスライドに出した。「学生は今のところ、能力も金も力もないだろうけど、将来、何かができるようになって下さい」って言ってたけどさ、わたしみたいな、歳を取ってしまって能力も金も力もない人間は、一体何ができるのだろうか。。


【追記】紹介されたニーメラー牧師の言葉。ただ集会では「諸説あるようですが」とのことで、下記の言葉とは少し違う内容が発表された(ナチスは自分を攻撃したが、もう誰も残っていなかった、みたいな感じだった)。下記は以前わたしが読んだ、斎藤貴男、森達也著「日本人と戦争責任―元戦艦武蔵乗組員の『遺書』を読んで考える」に書いてあったもの。

ナチスに逮捕され、収容所から生還した牧師のマルチン・ニーメラーの有名な証言。ボストンのホロコースト慰霊碑に刻まれている言葉。

ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分は社会主義者でなかった。そこでやはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行なわなかった。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。

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01-23 Thu , 2014
日本国に人種差別禁止法の制定を求めます
昨日、1月22日の午後、神戸の朝鮮学校に男が侵入して教員に「朝鮮人か」と言いながら鉄棒で殴りかかって怪我を負わせる事件が起こったとのこと。男が学校内にいたのをたまたま教員に発見されたが、これが見つからなくて教室に侵入し、生徒を襲撃したら、と思うと本当にゾッとする。いや、今回は生徒に対しては直接の危害が加えられなかったものの、生徒や関係者の人たちが現在もどんなに恐怖に脅えているかと思うと、本当にいたたまれない。

ただ、このような在日の人に対しての差別感に起因している事件、というのは悲しいことに今始まったことじゃない。日本が近代化の道を歩み始めて以降、近隣の国々に対する差別というのは連綿と行われてきたことであり、戦後(第二次世界大戦後)も国は国民に対してそれを正してこなかった。国を動かしているのも人だが、このことを考えると、国が近隣諸国の人々を差別しているというのは、結局日本人がそういう体質を持ってるからじゃないかと考えたくなる。もちろんこれは日本人だけの体質ではないだろう。が、先進諸国では人種差別をする人もいる一方、それはいけないと抑止する「人種差別禁止法」も存在するのだ。日本はそれが存在しない。いうなれば国が「人種や民族によって差別しても別に構いません」と表明しているのと同じだ。

昨日のこの事件が起こったと知ったとき、わたしは「自分に何が出来るだろうか」と考えた。もちろん、これまでも全く考えてこなかったわけじゃない。国や地方自治体が朝鮮学校に対して補助金を出さないこと(いわゆる無償化問題と言われるが、別に今までも国や地方自治体が朝鮮学校に対してお金を出して、授業料が無償化されたことなどない。国や地方自治体が朝鮮学校の授業料に対して「無償化しましょう」と言ったこともない。あくまでも一部に対して負担する「補助金」にすぎない。「無償化」という言葉はわざと国民の印象を操作しているのではないかとわたしは思っている。もちろん「無償化」の元は日本の公立高校に対する「無償化」ということが始まりというのも知っている)に対してもいろいろ考えてきたし、街頭で在日の人に対するヘイトスピーチが行われるたびに心が痛い。

では自分は何が出来るかというと、やった方がいいと思われるもの(例えばカウンター行動など差別者に対する直接行動)はすべてできるかというとそうではなく、自分の出来ることしか出来ないと思っている。まぁ自分のやっていることに対して、自慢たらしげに何をやっているかはここでは書かないけれども、わたしは嘆くだけ嘆いて全くなにもやってないわけじゃない。でももちろんこれで満足してるわけじゃない。いつも「何か出来たら」って思ってる。今回も自分は何が出来るかと考えたときに、思い付いたのがブログで自分の意見を表明すること、だった。

ただ、こういう事件が起きて、一体わたしは何を言えばいいのか、分からなかった。このような事件が起きてしまったのは、こういう風潮を作り上げたという点で、わたしも全く責任がないわけじゃないと思う。けどわたし一人の責任でもない。わたしには在日の友だちもいるけれど、だからといって「こんな日本にしてしまってごめんなさい」というつもりはない(本当はとても言いたい気持ちはするのだけど、それを言われたって困るのは向こうだろう。わたしが何か具体的に差別行動を行っていたのならともかく、やってない人間に謝られても向こうは何も言いようがないよね)。差別者に対して「差別は悪い」と言っても、多分彼らは考えを変えないだろう。人、それも自分の意見と反対の意見の人からあれこれ言われて意見をコロリと変えるような人は多分いない。そういう点においては、ネットで、例えば掲示板やツイッターで、いろいろ言ってもほとんど無駄だ。

差別者がなぜ差別するのかを考えても、正直わたしにはちっとも分からない。もちろんわたしの中に差別心が全くないとは言い切れない。気が付かないうちに差別をしたりしているだろうと思う。けど、差別したくて差別をするってことは、自分の中には全くないとは思う。それは自分が差別されたら嫌だからだ。同じように自分が傷つけられたら嫌なので、わたしは人を傷つけない(傷つけようと思ってわざと傷つけるようなことはしない)。あ、もちろん人だけじゃなく、犬とか猫などの動物とか、壁紙とかふすまとか、そういうのもそうだけど。。ただ蚊だけはね、、ごめんなさい、見つけたら殺しちゃいます。犬や猫は殺さないで蚊は殺すのか、それは矛盾してないかと言われるとそうなんだけど、それができたらわたしは悟りを開けて成仏できるよ、ホンマ(笑)(注:念のため。わたしは多分、どっかの檀家の信徒になってるだろうけど、わたしは仏教を信じてない、というか、どこからどこまでが仏教の教えなのかよく分からない、仏教の教えって何?状態なので、今のところは信じてないです)

まぁ話は逸れたが、差別者の心を話し合いによって変えるのはまず無理だし、できたとしても膨大な時間がかかるだろう。それにわたしは差別する人の気持ちが全く分からない。だからあれこれ分析することもできない。雨宮処凛さんが右翼時代の自分の気持ちを書いたりしているのを読んだことがあるが、そういうもんなんだとは思ったが、でもそれがすべてじゃないだろう。だからわたしは差別者の心情が分かって「でもね、そうじゃないんだよ」と言うことはできない。

と考えると、やっぱり法律なんじゃないかなと思うのだ。日本は国連に随分前から人種差別禁止法を制定するようにと勧告されている。でも政府はそれをずーーーーーっと無視し続けている。そりゃそうだよね。だって、戦後の憲法からも外国人差別の条項を削除しちゃったんだもの。GHQが日本に提案した憲法案の中には外国人差別禁止の条項が入っていたのにもかかわらず、当時の官僚と政治家が言葉巧みにそれを外させてしまった。結局そこなんだよね。わたしが最初に「日本人には外国人(主に朝鮮や中国の人たちに対するものだと思う)に対して差別してはいけない、なんてこれっぽっちも思ってないよね」っていうのはこれなのだ。押しつけと言われて一部から評判がよくない現憲法だが、なんのことはない、その当時の日本人の考えを反映した憲法にちゃんとなってるのだ。そしてその体質は今になっても全く変わってない。

今の日本の風潮を考えると、このことを提案しても通るのはかなり難しいとは思う。けど、このことを地道に言い続けていくのが、今のわたしに出来ることなんじゃないだろうか、と思う。日本国民の、有権者の一人として呼びかけていきたいと思う。
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12-30 Mon , 2013
こういう曲があったんだね


今からどのくらい前だったかな?

たまたまtwitterで、この動画がリンクされてて、いつもはリンクされてる動画なんかほとんどクリックすることはないのに、なんでかクリックしてみたんだけどね。初めて見たとき、うわーって思ったんだ。それ以降、何度も何度もこの画像が見たくなってその都度検索して見てたりする。

この曲は今年の曲なんだってね。これを見るまで全然知りませんでした。

歌詞が時折英語に翻訳されてるんだけど、最初は歌詞なんて把握してなかったの。でも字幕読んで「あれ?これって歌の歌詞を英訳したものでは?」と思ったら「わー」って来た。だってわざわざ英訳してるということは、少なくともそれをメッセージにしてるってことだし、それにその歌詞が、何とも言えないものだったんだもの。。

正直、これをがんにかかってる人が見てどう思うのかは分かんない。もしかしたらものすごく傷ついてしまう内容かも知れない。けど、少なくとも闘病を支えている人たちはこういう思いなんだろうなって。その思いについ、涙してしまう。傲慢な涙だよなと思いながらね。わたしは自分のこういうところが嫌いだ。
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01-01 Tue , 2013
波乱の幕開け
なんて大げさなことではないのだけれど、
新年早々、頭がひどく痛く、吐き気もして、
せっかくのお雑煮やらお屠蘇やらおせち(といえるようなものではないけれど、まあ、おせちの中の数種類)は
今になってもお預けのまま。

何かお腹の中に入れなきゃと思っても、みかんしか食べられなかった。。

それから薬飲んでひたすら寝て、

ようやく16時少し前に頭痛が治まった。とはいえ、まだなんとなく薬で抑えてるような気がするのだが。

仕方ないので、お雑煮その他は夕飯にすることにします。
お屠蘇を夜に飲むなんて変な気分。

まー、1月1日も普通の1日と同じ。

それによって「今年一年は。。」なんて占いません。

それより今年はついに45歳になる。
わたしは年齢はなぜか四捨五入で考えるので、今年50代突入~のイメージ。
信じれんわ。わたしが50代突入するとは。
40代まではまだなんとなくついていけたが、50代のイメージが湧かない。
まぁ人生もいよいよ後半戦にずっぽりもぐら、というところだろうか。
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12-31 Mon , 2012
大晦日
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今年ももうあと数時間で終わり。
はやっ。
振り返ってみると、あんまり何もしてこなかったので自分が嫌になる。

今年は「新春のケーキ」を作ろうと思い、久々に作った。
「新春のケーキ」は、わたしが実家にいた頃によく作ったものだった。母親と妹はおせち料理を作り、わたしはこの「新春のケーキ」を作ってた。
ケーキ作りは今まで失敗したことなかったんだけど。

今回は見事に失敗した(T_T)
原因は火力強すぎ。

家にあるオーブンでこういう形のケーキを作るのは初めてだったんだけど、
普段電子レンジで使ってるときは火力が弱いなと思ってたのね。
だから、標準よりちょっと長く焼いたんだけど。
途中で確認するべきでしたね、、
できあがったときはすっかり表面が焼きこげてて「やっちゃったー」って感じ。

まぁだけど、そのまま捨ててしまうのはもったいないので、
ホイップした生クリームと苺でデコレーションしてみた。
切りやすさを考えて、上の苺はちょっとだけなんだけど、
中に苺がたっぷり入ってます。

果たしてどんな味なんだろうか。
それは明日のお楽しみ。

これから年越しそば食って、紅白見て、行く年来る年を見て、新年を迎えます。
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12-04 Tue , 2012
それじゃダメだね
今は都知事選と衆院選の選挙活動期間の真っ最中。

先日ちょっと某知事候補がうちの近くに来るって言うので話を聞いてきた。

集まった人数はわたしが思った以上に多かった。ただ男女とも年寄りが非常に多くてね。「ああ、この候補者はこういう人が支持層なんだな」って思った。

本人の演説とそれを支持する人数人の演説を聞いてきたんだが。。あれじゃダメだと思ったね。

2007年、都知事選で敗れた浅野史郎の奥さんが選挙後に「あなたは結局マイノリティの人たちしか目に入らなかったのよ」みたいなことを言われた、というのをどこかで読んだ気がするが、まさに今の候補もそんな感じなのだ。

石原都政を批判するのは構わないと思うが、その石原氏を13年以上も支持してきたのは紛れもなく東京都民だ(わたしは違うけどさ)。その人たちはきっと自動的に石原の後継者に票を入れると見るのが妥当な推理だろう。石原は最後まで人気があったんだからさ。

そうしたら、今の支持者だけでは勝てないはずだ。「今まで石原に票を入れていた人をどうやって取り込むか」が一番問題になると思う。石原支持層は多分原発推進者が多い。推進とまでは言わなくても「脱原発なんて非現実的なことを言っても仕方がない。現実を見るべきだ」と思ってる人は多いと思う。その考えを如何にしてくつがえすか。それが今のその候補者に課せられた課題だと思うのだ(もちろん、原発イシューだけのことではないけれどね)。「どのような形で原発から自然エネルギーの転換をしていくのか、そのやり方や試算」「それによって都民の生活にどのような影響が及ぶのか及ばないのか」等、論理的に話さないと、ただただ頭ごなしに「反原発」を唱えても人は納得しない。考えは変わらない。

言い方が悪いかも知れないが、演説をわざわざ聴きに来るような人は黙ってたってその人に票を入れる。問題は「関心のない道行く人」に対してどう語りかけるかだと思う。「なるほど、この人の話をちょっと聞いてみようか」って思えるような演説の仕方。それが一番重要なことだと思うのだけれど、残念ながら、そのようなことはちっとも考えてないようだった。

それどころか支持者の話は石原を非難中傷するようなことばかりで、確かに石原が勝手に辞めて知事選が早く行なわれることが嬉しかったんだと思うが、あれでは「身内向けの話」であって、ああいう場所で話すべき話ではない。

うーん、これじゃ難しいな。

本当はわたし、この候補者に当選して欲しいんだよ。けどね、あのままでは投票締め切り後5分で後継者に当確がともりそうで。。あー、やだなー。
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01-28 Sat , 2012
ちょっと嬉しかったこと
寝る前にiPhoneでTwitterのTLを読んで寝ることが多いのだけれど、年末に書いた「半年くらいツイートしてなかった人」がつい先日、ちょっとだけツイートしてたのを発見してすごく嬉しかった。だからといって復活しそうなツイートではなかったのだけれど、でも生きてるってことだけでも分かって本当に嬉しかった。

嬉しさのあまり、しばらく眠れなかった(笑)
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09-09 Thu , 2010
ビッグイシューのおじさん
よく行く駅の近くでおじさんがビッグイシューを売っているのを発見したのはそんなに前じゃない。

前の号だったかを彼女がバックナンバー含めて数冊買った。その後、買い物をしてまた駅の方に戻ったとき、おじさんが人なつっこい笑顔でこっちを向いてお辞儀してくれた。なんだかとても嬉しかった。「おじさん、わたしたちのこと覚えてくれてるね」って言ったら「さっき何冊も買ったから印象的だったんじゃないの?」って彼女は言ったけれど。

今の号が出たときもそのおじさんから買った。そしたらまだそこで2回しか買ってないというのにおじさんは「いつも有難うございます」って言った。「(風が強いときは)飛んじゃうからバックナンバーが置けないんだよ」っておじさんは言ってた。歯がところどころ欠けているおじさんなんだけど、人と話すのが好きそうなおじさんだ。

今日、またその駅を通った。こないだと同じ号がまだ最新号だから、わたしたちはその前を素通りしたのだけれど、おじさんはわたしたちを見つけると以前と同じくこちらを見てお辞儀してくれた。

もちろん、どういった人だって、ビッグイシューを売ってる人には「早く住めるようになればいいね」って思うけど、買う人のことを覚えてくれているおじさんは特に応援がしたくなるよね。

おじさん、次の号もおじさんから買うからね~(と言っても買うのは彼女でわたしではないけど(^^;)
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09-07 Tue , 2010
昼間は確実に短くなっている
わたし、仕事のある日は朝5時に起きてるんだけど、なんか仕事行き始めた日に比べると朝がだんだん暗くなって来ている。今起きるとまだ外は薄暗いの。

「東京の日の出の時刻って何時なんだろう?」と思って、国立天文台の暦計算室ってところで調べてみたら、ちょうどわたしが仕事をし始める一週間前くらいから、日の出は4時台から5時台になっていて、今はだいたい1日に1分、日の出が遅くなっている、ということが分かった。

で、一番遅い日の出って何時ごろなんだろうって調べてみたら、1月の上旬辺りなんだよね。冬至が12月の22日辺りだから、そこが境になってるんだろうと思ってたら、日の出は先ほど書いた1月上旬辺りが境に、日の入りは12月の上旬くらいからどんどん日が長くなってる。で、トータルで見ると12月22日辺りが一番日が短い、ってことになってるらしい。

あれま。そんなに朝早く起きてなかった日の出の時刻はともかく、日の入りがそんなになってるとは知らなかった。しかし、なんで日の出の境と日の入りの境が1ヶ月間も違ってるんだろ?地軸の傾きのせい?(想像するのが不得意なんで、よく分かりません)

それにしても、まだまだ日中は暑くて「いつ秋になるんだよ!」なんて思ってるけど、季節は確実に冬に向かってるんだな~。
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09-03 Fri , 2010
明日は36度らしい
さっき、天気予報でそう言ってた。
残暑、にしては暑すぎる気温。

わたし、今年で42回目の夏を迎えるんだけど、正直、去年の夏のことすら覚えていないくらいで、一番暑かったと記憶のある2007年も、8月の末からシドニーに行っちゃって、その後のことは知らないし、今までこんなに夏が暑かっただろうか?って、今まで42回も夏を過ごしてきたのに、全然記憶にないなんて情けないーって思ってたら。

どうやら今年の夏って113年間で一番暑いとか?

道理でわたしの記憶にないくらいの暑さだと思った(って都合よくコロッと変わる(笑))。

それにしても暑い。

それでも夜は徐々に風が涼しくなっているような気がしているが、昼間の暑さはまだまだ。

早く涼しくなって欲しいなあ~って思う。
けど、涼しくなったら今度は寒くなるので、寒がりのわたしはそれもいやだあ、とも思っている(笑)

3ヶ月後のわたしが寒さに震えてるなんて今はまだ、全然想像できないけれど。
でも42回目の冬も直にやってくるんだよね、、
って思うと、まだまだ過ぎ去りそうにないこの夏も惜しい気がしてくる?

いや、まさかそんなことはないか。
早く秋にはなって欲しい、かな?
冬は来なくていいけど。
19:45 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-28 Wed , 2010
死刑執行
今日はちょっと重いテーマで書いてみる。

今朝、東京拘置所において、2人の死刑囚が死刑執行された。

わたしは最初聞いたとき「これは政治的判断だ」って即座に思った。だって、現法相が先の参議院選挙で落選したこと、前々から「死刑執行しないのは、法相としての責任を果たしていない」という国民の声があったということがあったからだ。まぁそれに加えて現法相は選択制夫婦別姓制度と外国人参政権に賛成であると言うことが非難の大元にあると思うんだけどね。そして、この3つをいっぺんにして考えるべきじゃないとわたしは思っている。「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」じゃないんだから。だけど、それを一緒くたに並べて考えている日本国民の多いのにはウンザリさせられる。

わたしはどちらかというと死刑制度に賛成だ。ただ、永久的に死刑存続せよ、と言うつもりはなく、将来的(近いとは思ってない。おそらくわたしが死んで以降の話になるんじゃないかと)には死刑は廃止した方がいいんじゃないかなと思っている。ただ、死刑制度存続に賛成、と言っているからには、それなりの覚悟をしておかなくてはならないと思っているし、ではその覚悟とは何かというと、例えば自分が冤罪で死刑になる可能性があること、死刑執行を刑務官に押しつけていることなどだ。そして今日死刑が執行されたということは、その重みを十分噛み締めてこれから生きなきゃならないこと、死刑存続に賛成をしているのならば、当然これらのことをすべて受け入れているということだ。

って、死刑のことを話題にするとき、どうしてこういう風に自分自身の考えを表明しなければ、議論できないのかなと思うのだけれどね。話が逸れるけど。

で、今日のタイミングは本当にまずかったと思う。これでは国民を黙らすために、または国民を納得させるために2人が死刑にされた、と考えられてもちっともおかしくないと思う。言うなれば、罪に対する死刑執行ではなく、国民に見せつけるための死刑執行だったのではないかと思うのだ。

また、現法相について、選挙で落選したものの、民間人起用としての大臣、になるのだからとそれはそれで構わないではないかと首相は言っているようだが、今日の死刑執行のために大臣の判子を押したのは、参議院議員の任期が切れる前の日だったから問題ない、とも民主党の幹事長が述べているようだ。しかし果たして参議院議員だったときと民間人になったときの法相は立場が違うというのか?民間人の法相なら、死刑執行に対する判子は押せないとでも言うのだろうか。なんだかこの解釈は解せない。法相という身分は、参議院議員であろうが民間人であろうが同じだろう。

この他に就任してから今まで死刑執行しなかった理由については、法相がいろいろ述べてはいるが、どれも説得力に欠ける。

しかし、わたしは法相が死刑の現場に立ち会ったことについては評価したい。これはなかなかできることではない。

また、これから報道陣に刑場の取材を解禁したり、死刑制度に対する勉強会を立ち上げることについては賛成だ。死刑制度を残された遺族がかわいそうだから、という安易な理由で賛成するのではなく(だったら、残された遺族がいなかったら誰もかわいそうではないから死刑はしなくていいのかということになるだろう)なぜ死刑制度が必要なのか、本当に死刑制度は必要なのかをもっともっと広く議論しなければならないと思う。多くの国で死刑制度が廃止されている。もちろん、だから日本も追随すべきだ、とわたしは思わない。しかし、世界の多くの国がなぜ、死刑制度を廃止しているか、という理由も一緒して検討すべきだと思う。国が人一人の命を奪うと言うことは、ひいては国民が、人一人の命を奪うことと同じなのだから。

わたしは死刑制度に賛成しているし、死刑制度がある以上、法相が個人的にどういう思想信条を持とうが、法相がすべき仕事はすべきだと思っている。だから、今回のことについては賛成する。だが、なんと言ってもタイミングが悪かったと思う。

もし、もっと以前に死刑を行なっていたら。そして、もっと早く死刑制度についての是非を国民に投げかけていたら。退任すると分かっている法相が、去り際にいくら投げかけていてももう遅いのではないか、と危惧する。

そういう意味では今回、このタイミングで死刑執行したことについては、非常に残念と言うしかない。
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04-30 Fri , 2010
今日出会ったキミ
始まりは唐突だった。
「東京へ行きます」というつぶやきに「あら、いらっしゃーい」と反応した。それだけだ。

斯くして二人は出会った。
予定では腹ごしらえをしてカラオケをするつもりだった。
ところが話が止まらない。

居酒屋を出たところで「カラオケするよりもっと話そう」と言うことになった。
「おっぱいバーありますよ」(アンタ誰に向かって声かけてんねん、ワシは男じゃねーぞ)
「オカマバーどうですか」(生憎オカマの知り合いはアンタよりは多分多いよ、以上魂の声)
という声をくぐり抜けて着いたのは、ドーナツ屋。

そこでまた話した。

不思議なことに、生まれた場所も育った境遇もまったく違った二人なのに、
経験した出来事に対する感覚が非常に似ていることがいくつもいくつもあった。
一つ話を聞くと「あ、それ、わたしも同じような思いをしたことがあるよ」と今度は自分の体験を話す。
何度同じことを繰り返しただろう。

あっという間に時は過ぎた。
「カラオケは、話すことがなくなってからね(笑)」と言って別れた。

帰りの電車の中で考えた。
プラトンの「饗宴」では、昔一つだった頃の「魂の片割れ」を人は探しているという。
でも、もしかしたらゼウスによって引き裂かれた丸い人間は、二つに割れたんじゃなくて、
いくつかに割れたのかも知れない、と思った。

今まで見つけたかけらをわたしは既にいくつか持っている。
そしてわたしは今日、そのかけらのうちの一つをまた見つけた。
これから生きていく間にいくつのかけらを見つけるのだろう。
わたしはそのかけらを見つけるために、生かされているのかも知れない(誰に?)。


またいつかどこかで会ったときはよろしくね。
23:59 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
04-13 Tue , 2010
一つ勉強になりました
世帯を同じくしている人は、その関係がどうであろうと(友だちだろうが同性カップルであろうが)生活保護を受ける場合は「一世帯(2人分)」として見てくれるんですね。

今日、初めて知りました。
21:35 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-27 Sat , 2010
41歳の春だから
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いやー、いつか、この題名で日記を書きたいと思ってたんだよね!(笑)

でも、いつを春に認定していいんだろうって悩んでて(そんなことで悩むわたし)、最初は「立春」にしようと思ってたんだけど、当日はコロッと忘れてて(苦笑)、で、それ以降も「うー」とか思ってたんだけど、まー「桜が咲く」=「春が来た」ってことで。まだまだ寒いけど。

ついにわたしも41歳の春を迎えたわけで(って、誤解を生むといけないから書くけど、今日がわたしの誕生日ではありません)。いや~。バカボンのパパと同い年になった!っていうか、見た目からすると意外に歳が若いわねと思ったんだけど、子どもの年齢から考えるとそんなに若いわけでもないんだよな。

今日は彼女と二人、「桜はどこまで咲いてるかツアー」(今考えついた題名)を決行。以前歩いた「桜通り」がどうなっているかを見てきた。あ、ついでに図書館にも行ったんだけどね。

うちの近所では桜を目にすることがないので、まだ全然咲いてないと思いきや、結構咲いてるでないの。まー、平均すると咲いてる木と咲いてない木の差が激しくて、彼女は「うーん、三分咲きくらいかな」って言ってた。

だけどこのくらいの咲き方って、逆に満開の頃を想像させてなんかわくわくしてくるんだよね~。「来週の今ごろはもう満開なのかな」なんて思っちゃったりしてね。

でもさ、昨日もちょっと書いたけど「桜だけ特別」な気持ちになってしまうのは、これって「刷り込み」によるものなのかなぁ~?いや、確かにわたしにとって桜だけが特別ではない。この時期に咲く沈丁花だって、秋に咲く金木犀だって、あとは彼岸花もわたしにとっては特別。だけどわざわざ「観に行こう」っていうのは桜だけ。あとの花は偶然を期待しているだけだし、それに沈丁花も金木犀もどちらも香る花で、観たいと思ってるわけじゃない。

それに、桜は「これでもか」って感じで植えてあるんだよね。だから「観に行こう」といって観に行ける花でもあるんだよね、桜って。

日本人にとって桜は切っても切れない関係にまでなってるような気がするけど、そういうことになったのは、桜の花自体が理由なのか。それとも「春が来る」ときにたまたま咲くから桜なのか。

まー、ここら辺について考察している本もありそうだけどね。

ともかく41歳の春を迎えたわたしなのだー。わたしはバカボンのパパじゃないのだー。でも冷たい目で見ないでね(笑)

元ネタが分からない人はこちら↓

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02-10 Wed , 2010
春を待つ
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今日、図書館に行く途中、通った道。

あー、そういえば、春になるとここ、桜並木だったなあと思い出した。

今日は寒い一日だったけれども、

この「桜通り」という文字を見て、

ここに咲く桜を想像したら、

ちょっと心があったかくなったような気がした。
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