12-01 Tue , 2015
夏の東北旅行記 その3(人生初!山形・秋田)
今日から師走なんだけど、季節を無視した日記を書いてます(^^;

その2の続き。

わたしは昔から「枕が変わると眠れない」体質で、うつ病になってからはさらに「疲れたときの方が覚醒して眠れない」体質(というんだろうか?)になってしまった。しかもこれまた「睡眠不足だと頭が痛くなる」体質でね。よく歳を取ると「若い時みたいに何日も徹夜できなくなったー!」って言う人がいるんだけど、わたしは既に高校生の時から徹夜は無理だった。一回ねー、定期テストの時に徹夜で勉強してみたのよ。科目は物理で、しかもそれでもうテスト終了、というから最後はちょっと無理してみよっかな、みたいな感じで。

。。。散々だった。眠くて頭が痛いわでテストどころじゃなかった。なので「あ、わたしは徹夜無理」と思って、それ以来完徹したことない(睡眠障害で夜眠れなかったのは除く)。

でさー。旅行行くと必ず持っていくのは頭痛薬。絶対にどこかで疲れて頭が痛くなるから。長い旅行で途中、頭が痛くならなかったことがない。

そして3日目の朝、頭痛が起きちゃうんだよな~。1日目と2日目、よく眠れなくてね。身体はとっても疲れてるんだけどね。

8月3日(月)
というわけで、起きてみたら頭が痛かった。でも朝食は確か7時半って決まってたので無理矢理食べる。

76.jpg


前日とメニュー違うけど、ここのYHは基本、和食なのね。前に来たときもそうだったと記憶してるが。。和食、洋食と日替わりになってるYHもあるよね。

朝食後、本当ならそれからすぐに出て、途中、ちょっと2駅ほど歩こうかなってプランを立ててたんだけど、頭痛いし、これ以上体力使ったらこの先持たない、と思って、1本電車遅らせて、チェックアウトギリギリまでYHで寝てることにした。だってねー、東京で旅行のプラン立ててたときは、東北ってこんなに暑いとは思いもしなかったのよ。夏の東北に行くのは初めてで、東北ってもっと「涼しい」イメージを持ってた。ところが仙台はほとんど東京の暑さと変わらない!「騙されたー!」って思ったね。尤も現地の人に聞くと「今年は異様に暑い」って話だったけど。。暑いと余計に体力奪われるじゃん。しかも頭が陽に当たるとこれまた頭痛の原因になるので。。

ご飯食べ終わってから2時間ほど寝てたら、頭が痛いのが治まってきたので「よかった」と思いつつ、YHを後にした。

77.jpg   78.jpg


YHの最寄り駅、太子堂を10時11分発。太子堂から仙台まではなんかいろいろな線があって、どれに乗ったんだかはよく覚えてない。東北本線の他にエアポートなんたらとか、いろいろあるらしいね。

80.jpg


仙台!てか、是非とも「むすび丸」が付いてる仙台駅の看板を撮りたいと思ったんだけど、前の日記にも書いたように今仙台駅ってなんかとっても構内を工事してるんだよね。これ、見つけるの結構大変だった。

81.jpg   82.jpg


12時11分、仙台駅から仙山線に乗る。これからいよいよ山形へ。といっても山形までは行かないのだけど。実は人生、初めての山形県。山形は花笠音頭で天童とか尾花沢という地名は知っているけど、ああ、あと天童市は将棋の街だとかね。さくらんぼもそうかな?でもそれ以外のイメージって全くなかったです。

83.jpg


13時26分、羽前千歳着。この先が山形なんだけど、山形まで行くとうまいこと奥羽本線に乗り継げないのね。まぁここから先は仙山線と奥羽本線の重複路線だからだと思うけど。

84.jpg


電車が来るまで10分以上あったんで、駅のホームをブラブラしてたら、こんなものを発見。ここで線路内に物を落としたらわざわざ山形駅に連絡してそれで駅員さんに取ってもらわないといけないみたいで。でもそんなこと律儀にしてたら時間がどのくらいかかるんだろうかと思ったりして。山形からここまで駅員さんは何で来るのかな~とか、電車に乗り遅れたら飛んでもない目に遭うだろうなとか。

しかしここは本当に暑かった!確かに山形のここら辺って盆地だから余計に暑いとは分かってたけど、確か今までの日本での最高気温って山形が記録してたと記憶してるけど。で、ここで偶然iPodから流れてきた曲は、細川たかしの「津軽じょんがら」で、それを聞いたとき、ビミョーな感じだった。まぁここは津軽ではなかったけど、「津軽は雪ん中~♪」と歌われても全く想像が付かない(笑)あ、ちなみにわたしは別に細川たかしのファンではなく、数年前の紅白で細川たかしが「津軽じょんがら」を歌ったときにそれが頭から離れなくなっちゃって、次の年(って紅白の次の日はもう新年だが)の正月にiTunes storeでこの曲だけ買って、iPodに入れてたのだ。あと上にちょっと書いた花笠音頭もiPodに入ってて、なんでこんな曲が入ってるかといえば、わたしは日本の「音頭」が好きで何枚かCD持ってるからだった。沖縄民謡も好き。ただ、沖縄を除く日本の民謡はイマイチ。やっぱノリがいいのが好き。河内音頭も好き。まぁわたしの音楽の好みはそれだけじゃないけど、基本、日本の民族的なリズムってのは好きなんだよね。かけ声とか。エンヤコラセードッコイセ、とか(って河内音頭じゃん!)。まぁでもこの季節に聞く演歌などは、地元に近いけど、季節感が全く違うのですごーく違和感があって、それがとても面白かった。

85.jpg


13時39分、奥羽本線、羽前千歳発。ところがこの電車ねー。既にものすごい人が乗ってて、危うく乗れないかと思うほどだった。ものすごい人、というのは、どうやら高校生みたいで。この日、集団登校日だったのかしら。多分、山形から乗ってきたんだよね、この子たち。でさぁ。びっくりしたんで未だにこの電車の中の光景が忘れられないんだけど、みんな電車の中で勉強してるの!!!@@;大抵、今どきはゲーム機持ってたりスマホの画面見てたりするじゃん。違うの。なんかねー、大きい画板みたいのをみんな持ってて、それを下敷き代わりにして書いたりしてるの。座ってる子だけじゃなく立ってても。画板をみんな持ってるってことは、いつも電車の中で勉強してるってことだよね。なぜかみんな、英語ばっかりやってたけど。しかも、子ども連れのお母さんに席を譲ったりしてて。ええ子や~、キミら。わたしはこれで山形県のイメージが変わりました(大げさ)。

そんな劇混みだった電車内も、途中でみんな降りていき。

88.jpg


14時42分、新庄着。ここで1時間近く次の電車を待ったんだけど、もう暑くて暑くて。

88.png


なんと34.9度。暑すぎて朦朧としたので駅の外を出ようとも思わなかった。しかしここ、新幹線の始発駅なんよね~。初めて知った。ローカル線と同じ線路を新幹線が走ってる区間なのよね。

89.jpg


15時37分、新庄発。ここからも奥羽本線。途中、

90.jpg   96.jpg


これなんて読むん?みたいな駅があり。「及位」はどうやったら「のぞき」と読めるのか?「のぞ・き」なのか「の・ぞき」なのか?「湯沢」って新潟にあったんじゃなかったっけ。ここ、山形、いや、もう秋田か、秋田だよね?ああ、そういえば新潟の湯沢は「越後湯沢」だったっけ。「越後」って付いてるのは、ここと区別するためだったのかとか。そして乗ってるうちに気が付くんだよね。。

91.jpg   94.jpg


辺り一面が田んぼなことを!

んーなんていうのか。わたし、これまでここまで一区画が大きな田んぼを見たことがなく。すごいきれいだったー。わたし、この区間の奥羽本線の風景、この旅行の中でも印象に残る光景のNo.1です。

97.jpg


そして本日の宿泊地、大曲YHがある飯詰駅、17時16分着。

98.jpg


ここの駅は、当然のことながら(?)、無人駅でして。そこから30分くらいかなー、YHまで歩くのは。そう大した距離ではないし、なんてったって、周囲が田んぼだらけで本当に「わー」と思いながら、道を歩いてた。

102.jpg   103.jpg


右側の画像の黒い点々は、カラスです。なんでかよー知らんが、何も植わってないところにカラスがたくさんいた。何かの種が蒔かれてたんだろうか。

106-1.jpg


あまりうまいことは撮れなかったのだが、一応パノラマで。そういえば、3月に安曇野に行ったとき、安曇野YHの周囲も田んぼだらけだったけど、こんな感じなんだろうかとふと思ったりして。しかし本当に一区画が大きかった。秋田と言えば「あきたこまち」をすぐに思い出すけど、これらはみんな「あきたこまち」なんかしらん?

107.jpg


大曲YH。入口があまりにも普通の家の玄関みたいだったので、そこじゃなく、もっとYHの入口っぽいのがあるのかしらと思ってその先に行ってみたのだが、そんなものはなかったので「ここから入るのかー」と。ペアレントさんはよーく喋るおじさんでした。おじさんと言っても、わたしとあまり年齢は違わないんだけども(汗)

「急な客が来なければ、今日は部屋に一人です」と言われて案内されたのが

111.jpg


じゃーん。クーラーなし!「でも開けっ放しにしておけば、外から涼しい風が入ってくるから」と言われ、え、開けっ放し???夜中でも?「まぁだいたい夜中にここを通る人なんていないから!徘徊老人以外は(笑)」え、ああ、そうなんですか。。。てか、プライバシー全くないじゃんかーって思ったけど、実際、泊まってる間は誰も入ってこなかったです(当たり前か)。でも、最初の方はちょっと落ち着かなかったな~(笑)

ペアレントさんから「今、秋田は竿灯祭りの最中だけど行かないの?盛岡でもさんさやってるよ」と言われ「ああー、ここは青森に行く途中でどこかに泊まらないといけなかったから来ただけなんです」と答える。「もうさー、この時期は東北は夏祭りだからね、どこでも!」と言われ、そっかー、そういや仙台もこれから七夕だったし、夏の東北ってそういう意味では「日常」ではないんだと思わされる。「日常?日常だったら冬がいいね。冬の方が日常だよ」と言われる。ここのペアレントさんは、地元出身の人ではないようで、埼玉出身の人だったかな?脱サラしてYHを経営してるらしい。とにかくしゃべり好きな人で、聞けば周辺のたくさんの見どころを教えてくれる。わたしは既にこのときまでに「今、わたしの体験してるのは、東北じゃないような気がする」と思ってたので、次に来るときは寒い時期に来てみようかなと思い始めてた。ので、ここの冬の行き場所を教えてもらったりした。冬はここらは横手でかまくら祭などがあるらしいのだが、それ以外はやはり温泉だとか。ただ、わたしのような公共交通機関を利用するとなると、その選択肢はぐっと減るみたい。

112.jpg


この日の夕ご飯。ちなみに野菜類はすべて、ペアレントさんが自分で作ったものだそう。右上の黄色いのは食用菊だったかな。左上の汁物は秋田名物「きりたんぽ」だそうだ。普通、きりたんぽは冬のものなんだけど、まぁここでは夏も出してくれてるみたい。きりたんぽ、初めて食べました。

この日は朝、頭痛かったし、それまであまり眠れてないしで、ご飯食べた後早めに寝ようと思ってすぐ風呂入って布団の中に入ったのだが、なんかねー、消灯の少し前に新しい宿泊客が来て、その人とペアレントさんがずーーーっと食堂で話してるんだよねー。部屋、あけっぱなしにしてるじゃん?何を喋ってるのか、内容までは分からないけど、それがうるさくてさー。だいたい消灯過ぎたら静かにしなきゃなんないんじゃん、誰だって。それにこんなにうるさかったら誰かが注意するだろうよと思ってしばらく放っておいたのだが、12時近くになってもまだ喋ってる!なんかちょっとウトウトしかけたんだけど、声で起こされてしまって、わたし、これ以上眠れなかったら次の日も頭痛じゃん、こりゃ言わんと分からんわと思って仕方なく食堂まで行って「すいません、もう消灯時間、だいぶ過ぎてるし」と言ったら「ごめんなさい!」と言われてすぐに終わったけど、もー、どうなっとるん、ここのYH。ペアレント自ら消灯時間無視するなー。って、わたしも今まで眠れてなかったもんだからね、これ以上眠れなかったらという恐怖心もあったんで、どうも済みません。

116.png


夜になれば、そこそこ涼しくなると言われ、確かに寝る前の時点で25度を割ってたけど、ちょうど明け方一番寒いときに起きたので「今は何度だろ?」と思ってみたら、22度台だった。確かにこれだとクーラーなしで行ける。ペアレントさんとはわたしが歯磨きしているときに少し話したんだけど(冬の見どころなどもそのときに教えてもらった)「こんなに暑かったらクーラー付けないとダメかなあ。でも、クーラー付けても稼動日数が年間10日くらいなものだし、付けたら維持費がかかるんだよね。。」と言ってたので、翌日「わたしは別にクーラーいらないと思いますけどね」と答えておいた。

ちなみにここのYH、わたしが泊まったときは全部で3人くらいしか宿泊客がいなかったと思うけど、その次の次の週だったか、大曲の花火の時は満員になるんだって。ただ、経営はかなり厳しいみたいですね~。YHってわたしが高校生の時は夏休みとなればどこもいっぱい、予約取れないところもたくさんあったのに、最近は本当の客が減ってるのね~。まぁこれだけの施設を数人で使うとホテルに泊まるより部屋は広いし、一人部屋だし、風呂もそれなりに広いし、これまた一人で十分浸かれるし、というので、今はかなり「穴場」になってると思う。ただ、同じ部屋に同じ旅行者がいないので旅の情報交換などができないのは、ある意味YHの醍醐味もなくなってしまってるというのが現状か。寂しいね。

その4へ続く。
22:43 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
11-30 Mon , 2015
夏の東北旅行記 その2(東北レインボーSUMMERフェスティバル)
その1の続き。

しかしなぜこの日程で東北旅行をしようと思ったかというと、「8月2日に仙台で『東北レインボーSUMMERフェスティバル』があるからそれを見に行くため」だったんだよね。わたしは地方に住んでたこともあったけど、セクマイの活動は東京以外ではやったことがなく、地方の人が地元でどんな活動をやってるか、地方のセクマイはどんな感じで暮らしてるのか、そういうのがずっと知りたかった。地方のセクマイの人がどんな思いをして日常生活を送っているか、しばしば耳に入っては来たけど、実際にその場に行ったことはないし、雰囲気も分からない。それに特に地方には長く活動をしている団体が数多くあり、そういうところから学ばせてもらいたいとも思っている。地方というのは仙台に限らずね。

それから、東京で行われるプライドパレードのときは地方からもたくさんの団体の人が来てて、そこでいろいろ話したりはするんだけど、いつもいつも東京でしか会わない、というのが嫌だった。だってそれは彼らにとっては「非日常」なわけで、わたしはそういう彼らの「日常」が知りたかった。それと東京のパレードなんかわざわざ行かないよ、って人もいるだろうからね。そういう人と会って話をしたかった。

東京に住んでる人は、ほとんど東京を出ることはない。いつもいつも地方から来る人を迎えるだけ。わたしが地方に住んでたとき、東京に住んでた友だちはいつも「今度はそっちに遊びに行くから!」って言ってたけど、実際は1度も来てくれたことはなかった。そりゃ確かにわたしが東京に行くのは友だちに会いに行くだけではなく、別の用事もあったりしたからだけど、だけどいつもいつも「こっちから会いに行く」のは不公平だと思った。東京の人は傲慢だと思った。そういう経験があるからわたしはそうはなりたくないって思ってるんだよね。こういう、いくつかの理由があって、わたしは今回東北に行ったのだ。

8月2日(日)
宿泊先の「道中庵YH」は夕食の提供はなくなっちゃったけど、朝食はあるので。

46.jpg


お米は宮城県産のお米って書いてあったかな~。

「東北レインボーSUMMERフェスティバル」は13時からなので、YHにいられるギリギリ10時までは部屋でのんびりして、それから出る(YHは連泊でもチェックアウト時間以後に部屋にいることは出来ない)。

47.jpg


YHの玄関先にあった「むすび丸」。かわいい。気に入ったんで撮っちゃった。

それから仙台駅まで行ってふらふらと~。仙台と言えば「萩の月」なので、そういうのを買ったり。しかし、よく考えてみれば仙台って帰りも通るところだったので、何もこの日に買わなくてもよかったんだよね。。。「萩の月」は本当にわたし大好きなんだけど、一つ一つ箱に入ってたりするのがあまり好きではなく。なんかどこかで簡易包装の「萩の月」が売ってると聞いてたので、ネットで調べてわざわざ買いに行く。と言っても仙台駅の駅ビルの地下だったっけ。

49.jpg


「東北レインボーSUMMERフェスティバル」の会場は仙台市市民活動サポートセンターというところだったんだけど、そこで7月18日から8月9日まで「虹色七夕」という展示イベントもやってたのね。だからそれを見るためにちょっと早めに着いておこうと思って「萩の月」を買った後、そちらへ向かった。で、上の画像は全然関係ないですが、確かあおば通とどこか交差してる広い道を渡るときに、歩行者は地下に降りなくちゃならなくて、地下に行ったらそこにあったもの。これは一体なんなんでしょ?噴水の施設だったとか?冬になるとここから暖かい空気がぶわーっと吹き出すとか?(それにしても仙台はものすごく暑かったです!!)

51.jpg


そして、会場の仙台市市民活動サポートセンター。なんだかすごーく立派な建物だった。そこの5階の展示スペースで「虹色七夕」をやってたので先にそれを見に行く。

52.jpg


展示スペースは全体がこんな感じ。

66.jpg


まぁ一角と言えば一角なんだけど、でも丁寧に読んでいくと全部読むのはかなりかかると思った。当事者のメッセージあり、東北地方のさまざまな団体の冊子あり、芸術作品みたいなのもあり。

57.jpg  64.jpg  65.jpg


こんな感じ。そうそう、一番右の画像の下に貼り付けてあったのは、七夕に関する短い小説だったんだけど、読んでみたらすごく笑えて面白かったので全文撮って来ちゃった(いいのかしら?)。

59.jpg   58.jpg


わたしはこれ系統の話が好きでね(笑)彦星は実はゲイって設定。まぁホントはこれじゃ織姫がなんだかいいヤツでかわいそうに思えてくるんだけどね~(一年中機織りなんて(涙))。

63.jpg   62.jpg


「虹色天の川」という作品。確かこれ、学生団体の作品だったっけ?当事者かどうかは分からないけど、いろいろな人の願いが書かれてあった。中には「おにくたべたい」というのがあって、書いてるときにお腹が減ってたのかな?とか思ったり(笑)「同性愛は罪と言われた」というのは見ててつらいね、、

60.jpg


やっぱり忘れちゃいけないのがこれ。なんだけど、時間がなくてほとんど読めなかった。ウェブサイトでも公開してると書いてあったので、読んでみようと思いつつ、まだ読んでない。

わたしがこの展示を見てるとき、他に1人だけいて、でもその人は当事者じゃなく、当事者のことが知りたかったから来てみたって言ってた。「東北のことはよく分かんないけど、多分当事者じゃなくても参加できる交流会とかたくさんあるんじゃないですかね~」って言っておいた。てか、このときはまだ知らなかったけど、実際、そうらしいです。

で、そろそろ時間になるかなーと思って今度は地下1階へ。

68.jpg


エレベータ降りて会場の中に入るとこんな風船がたくさん。カラフルできれいでしたよ~。で、会場。

67.jpg


なにやらここで話されるらしい。ただねー、会場全体の画像はありません。ていうのは、プライバシーの問題があって、誰が写り込むか分からなかったから撮れなかったんだよね。この舞台が一番前方として、その後ろに椅子が何列にも並べられていて、それを取り囲む壁際に地元の団体のブースがいくつか出てた。わたしが会場に着いたときはまだ全然客がいなくて「本当にこの座席、全部埋まるの?」って思ったんだけど、始まるに従って人が増える増える。結局席は全部埋まって、周囲に少し座るスペースがあったんだけど、そこまで人が座っているという、かなり盛況のようでした(確か、参加者108人だっけ?終わってから参加者人数発表の時に誰かが「煩悩の数と一緒」って言ってたことを思い出す(笑))。

でねー。実際、舞台の上でいろいろあったのも全部、画像には撮らなかったの。正直、どこなら大丈夫でどこがダメかよく分からなくて。うー、例えば名古屋のNLGRとかはそんなの気にしなくて誰にも聞かずにバシバシ撮っちゃってたけど、なんというか、「ここ」では誰が顔出ししてるかしてないか、ってのがよく分からず。なのでここからはほとんど画像はありません。わたしはステージイベントが始まるまでは各団体のブースに行って誰彼かまわず挨拶をしてました。かなーり変な人だったですね。すみません、、

69.jpg


この会場がすばらしかったのは、こうやって耳が不自由な人のために話したことをパソコンに入力してこんな感じで出す、ってスクリーンがあったこと。これ、こんな感じでパソコンが4つあって、4人の人でやってました。どういう役割分担があるんだろう?って思った。

70.jpg


こういうの、やってくれるシステムがあるようです、仙台って。見てたらなかなか大変そうだったけど、これだと一瞬聞き逃してもスクリーンを見れば分かるので、耳が聞こえても便利だった。

71.jpg


これが始まったところ。ただしねー、フェスティバルは第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」、第2部「ステージ・パフォーマンス」だったのだが、このサービスは第1部だけだったんだよね。まぁ歌ったり踊ったりのステージ・パフォーマンスにはこういうのは必要ないのかなあとも思ったけど、でも、今、何をしているかちょっとだけ字幕の説明があった方が分かりやすいんじゃないかとは思った。リアルタイムで文字化しなくても、事前にどういうパフォーマンスをするかは分かってるんだから。

第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」は、武田こうじさんという人とあと地元団体の当事者、ゲイとバイセクシャルの人(確か女性自認の人だったか)の計3人のトークショーだった。地元では武田こうじさんは有名な人なのかも知れないけど、わたしは全く知らなくて。地元の詩人だったかなあ。時折、武田さんの作った詩を武田さん自らが朗読してた。

それが終わったあとは「Living Together in SENDAI」ということで、HIV/AIDSの手記朗読。なんか久々にこういうの聞いた感じ。わたしも以前、Living Together Loungeがあった頃はちょくちょく二丁目に行ってたんだけど、あれがなくなってからはHIV/AIDS啓発活動のイベントに行くことがなくなってしまって。名古屋のNLGRもとんとご無沙汰してるし。

そして第2部「ステージ・パフォーマンス」。最初は舞台の上で何人か出てきて女装姿で踊ってた。誰も知らない人なんで、その人たちの性自認などは全く分からないのだけど、男性に見えた人は4人くらいいて、女性に見えた人は1人いた。こういうところで男女混合で踊るのはかなり珍しいと思うけど、まぁわたしは最近、その手のイベントを見ることがないので、今現在それが珍しいのかどうかは分からない。踊りが終わったあとは一人で出てきて突然オペラを歌う人がいて、これはちょっと斬新。てのは、東京、大阪、名古屋などの大都市でやるイベントって性的少数者(主にゲイだと思うが)のパフォーマーがかなりいて、その人たちだけでできちゃうんだよね。この前にやった女装姿で踊るとか、あとはドラァグクイーンが出てきてパフォーマンスやるとか、それで一イベントできてしまうくらい人数がいる。だからこういうところで「ゲイ文化」の中には入ってないオペラを披露するってことはかなり珍しいのではないか。少なくともわたしはこれまで見たことはない。

なんていうのかな~。地方ではセクマイが少ないって言われる分、地域の人を巻き込んでいかないといけないのかなって思いつつ、でもこれはかなり重要で効果的ではないかと思う。セクマイはセクマイで固まってたって、理解者は全然増えないし、逆にセクマイで固まられると当事者でない人は中に入りにくくなる。けど、こうやって理解者を巻き込んで一つのイベントを作っていくのって、大変は大変だろうけど、別の理解者も増やすことになる。地方は人数が少ない分、そうやってやらなければならないんだろうけど、これは東京でもやってかなきゃいけないよね~。まぁ東京レインボーパレードでは、毎年大物ゲストを呼んで、コンサートみたいなのをやってるけどね。てか、わたしは東京で行われるこの手のパフォーマンスってあとは年末にやるgakuGAYkaiしか知らんわ。そういう情報、最近はホント集めてないから知らない。

まぁとにかく、このオペラのパフォーマンスは斬新でかなり気に入った(笑)

次は月子さんっていう、地元では有名なのかしら、ドラァグではないけど女装の人?がポールダンスのパフォーマンスをしたのだけど、その前に準備と言うことでその間に見た「青葉城恋歌」に合わせたPVが流れ。これがまたすごい笑えた。仙台駅とか、萩の月とか、青葉城址とか、広瀬川とか、仙台の有名どころが出てきて、月子さんと思われる人が男に振られるんだか振るんだか(よく覚えてない)、胸パッド代わりに萩の月入れてたり、それを食べたり、なんかすごく面白かった。「あー、仙台にとってはこういうのがベタで笑えるんだなあ」って思った。わたしはもちろん地元の人ではないから、同じものを見てても捉え方が違ってるとは思う。

ポールダンスって初めて見たんだけど、すごいね。本当はとてもとても画像に撮りたかったんだけど、撮っていいのか分かんなかったから、終わったあとの画像。

73.jpg


あとで聞くと、後ろの方の人はバシバシ撮ってたそうです。が、わたしより前にいた人は一人もカメラ向けてなかったからな~。残念だった。これに垂直に身体を立てるのってすごい腕の筋肉が必要だよね。

てなわけで、ステージ・パフォーマンスも終わり、最後に抽選会。当たったらLGBTフレンドリーなスキー場だったっけ、そこのチケットがプレゼントされるとかだったけど、わたし、それに当たっても元々スキーやんないしってことで、「当たるな~」って思ってたら運よく当たらなかった(笑)ちなみにそのLGBTフレンドリーなスキー場、どこだったかは忘れた。会津とかだったっけ。なんか宮城県じゃないんだなあとは思った記憶はある。

75-2.jpg


これが外れて持って帰ったチケットで~す。

会が終わって、前日同じ部屋に泊まった地元の人から聞いた回る寿司屋でも行くかと思ってたら、会場で知り合いになった人が親切にも夕飯に誘ってくれて、8人くらいで一緒に食べた。

そこでいろいろ地元の人の話が聞けて楽しかったけど、やっぱり震災の時の話になった。なんか地域によって全然違ったみたいだけど、地震起きてからライフラインが復旧するまでが大変そうだった。「1週間くらい風呂に入らなくても生きていけるって分かった」って話してくれた人がいるけど、そうなのか~って感じ。あとは「あの季節でよかった」って言った人も。電気が使えなかったから、冷蔵庫が役に立たなかったんだけど、まだ寒い時期だったから食べ物が腐らなかったって。それにこれから暖かくなる時期、というのも不幸中の幸いというか。住んでるところが基準以上に傾いたので全壊の対象になったとか、浸水してもう住めないのに半壊にしかならなかったとか、そういうことも聞いた。地震が起きてすぐに電気が来なくなったから、情報が全く来なくて、たまたま前の人がワンセグで見てたテレビをちらっと見たときに東京の画像が写ってたので、その人は「東京が震源地だったんだ!東京が壊滅したらどうなるんだろう」って思い込んでたとか。そんなことを面白おかしく話してたけど、まだまだあの震災に遭った人の記憶は鮮明なんだよね。

仙台ではいろいろ交流会などのイベントもあり、今度はそういうのに参加してみたいなあ~と思った。何回も行けるわけではないけど、1度は行ってみたい。

というわけで、楽しかったです、この日。お世話になった皆さん、本当に有難うございました。

その3へ続く。
23:02 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
11-29 Sun , 2015
夏の東北旅行記 その1(出発!)
いつの話?と思われるかも知れないが、取り敢えず夏に東北を旅行したことは一応、書きたかったことなので。

ただ、もうあまりにも前の話のような気がしてて、あんまり覚えてないかも知れないので、撮った画像を中心に、淡々と書くつもり。

旅行期間は2015年8月1日(土)から8月10日(月)。主に「青春18きっぷ」で旅行したが、あれは5回限りなので、最後の日のみ普通の切符、つか、普通にSUICAを使った。

8月1日(土)
出発の日。8時22分、東京駅から東北本線に乗る。てか、電車の区別、何線なのか、実はよく分からない、複雑すぎて。鉄オタではないし。画像を見ると「上野東京ライン」とか書いてあるね。でも乗れればいいんです、電車は。わたしはそんな感じ。「何形」だとかは全く興味がありません。

1.jpg   2.jpg


確か、この電車は割と空いてて、しかもボックス席だったような気がする。わたしのイメージだと「鈍行」=「ボックス席」だったので、それが当たり前だと思っていたというか、田舎に行くほどそうだと思ってた。だが違ったのね。ボックス席に座れたのは、ここだけで、これから先はほとんど全部長いすだったのだ。長いすはねー、外が見られないから嫌なのよね。わたしは鈍行列車で音楽を聞きながらボーッと流れていく車窓を見るのが大好きだから。

10時16分、宇都宮着。ここからさらに東北本線に乗る。10時26分発。

3.jpg   4.jpg


わたし、宇都宮駅の看板を撮って気が付いたんだけど、駅の看板、漢字表記のところとひらがな表記のところがあるんだよね。東京駅は漢字だったけど、宇都宮駅はひらがな。統一されてないのが意外。駅名を漢字表記にするとかひらがな表記にするとか、どういう基準で決めてるんだろう?

5.jpg


この電車の中には「とちまるくん」というキャラクターのシールがたくさん貼ってあって、栃木のそれぞれの名産とか名勝を紹介してた。撮った画像は駅員さんだったけど、宇都宮の餃子とか、日光東照宮の「見ざる言わざる聞かざる」とか、そんなのもあったんじゃなかったっけ。こういうキャラクターがいるの、ここで初めて知りました。てか本当に今、各地のキャラクターがあるよねえ。この旅でもいろんなところにいろんなのがあったよ。しかし、この電車はなぜかすごーく混んでた。。最後まで。

6.jpg   7.jpg


11時17分、黒磯着。11時33分、黒磯発。さらに東北本線に乗って北上。この電車も混んでたんだよなあ~。しかもさっき書いたように最初に乗った電車以外はずっと長いすだったので、景色も見れず。ちなみに音楽はiPodに入ってる曲をランダムに聞いてたような。。てか、この旅は「ここではこの曲」というのはほとんどなく、ずっとランダムだったような。そうするとたまに面白い現象が起こるんだよね(笑)

8.jpg   9.jpg


12時38分、郡山着。12時42分、郡山発。まぁね、ここは本当に記憶ないね。だいたい乗り換え時間4分だと、着いたときに駅の看板撮って、それからこれから乗る電車の画像撮ってたらそれだけで多分おしまい。てかそれだけのことができるか、かなりドキドキなんだよねー。

10.jpg   11.jpg


13時28分、福島着。14時11分、福島発。ここで30分以上時間があったので、駅の改札を出て(青春18きっぷは乗り降り自由)すぐ近くにあった喫茶店みたいなところで昼ご飯を食べる。何食べたかな~。旅行中は基本、昼食抜きなんだけど、なんとなくお腹が空いたんだよね。でもそんなに食べたいとも思わなかったので、軽くサンドイッチを食べたんじゃなかったっけ。コンビニに売ってるようなサンドイッチだった。それとコーヒー。画像は撮ってなかったね。今気が付いたけど。

13.jpg   14.jpg


15時36分、仙台着。取り敢えずこの旅行の目的地の一つ。なんか仙台駅はあちこち工事をしていて、看板も仮に付けた、みたいなのが多かった。しかし朝8時半から15時半まで7時間か。7時間というとすごく長い感じがするんだけど、感覚的には「あっという間」だった。しかしこの電車、気が付くと右側の画像のような「もし津波が起こったときは」という注意書きが貼ってあって「ああ、震災があったところなんだよなあ」って。

まぁそれは、この旅行の日程を組み立てるときから思ってたけどね。わたしは行きと帰りは同じ道を通って帰りたくない性分なので、いかに「一筆書き」で行って帰るかを考えながら乗る電車を決めてるんだけど、今、常磐線の一部がまだ動いてなかったり、山田線の一部が代行バスだったりで、日程を組み立てるのにかなり苦労したんだよね。てか、常磐線経由では絶対に戻れないので(原発の影響で電車が動いてない)、仕方がなく行きと帰りは同じ東北本線経由を使わざるを得なかった。ただ、わたしは生まれてから一度も鈍行で東北を旅行したことがないので、当然のことながら震災以降、ここら辺に来たのは初めてなのだ。

あ。しかし。仙台は行ったことがある。過去に1度。学会で。あと東北は「点」で行ったことがあるところが多くて。例えば先ほど乗り換えのために降りた郡山は友だちの結婚式で1度来たことがある。あとは青森。青森は今まで2回行ったことがある。大学の時の乗船実習で1回、去年1回。あとはなし。そのくらい、縁がうす~い土地なんだよね、東北って。わたしにとっては。福島から東北だから、東北って「結構近いんだなあ」と思ったのだが、実はまだまだこのときは分からなかった。東北ってものすごく広いんだということに。。

そして今の時点では震災の影響があったとは全く感じられなくて。まぁそういうところを通ってこなかったからだけど。

15.jpg   16.jpg


太子堂。本日泊まる「道中庵YH」があるとこ。っていうか、上に仙台に来たことが一回あってと書いたが、そのときもここに泊まったんだよねえ~。ちなみに右側の看板の上に付いてるおむすびみたいなキャラクターは「むすび丸」というんだそうだ。これも初めて見た。

17.jpg  18-1.jpg  19.jpg


来たのが昔過ぎてもう全然覚えてなかったんだけど、YHの入り口。ここはねー、かつて泊まったときは自家製のお米とか野菜とか、そんなのでご飯を作ってくれてたんだけど、今は朝食のみで夕食の提供はなしになってた。あのときはちょうど、お米が不作の年だったかで、安いタイ米か何かが大量に入ってきたときだったんだけど、ここでは自家製のお米を食べさせてもらったことを記憶している。というわけで、夕食の提供がないんだから、仕方がなく仙台に行って何か食べるか、ということにし、もう一度仙台駅へ。

20.jpg


の前に、太子堂駅のすぐ近くにある「ヨークベニマル」。東北には縁もゆかりもないけど、ヨークベニマルを見ると「東北」って感じがする。というのは、昔、ヨークベニマルの社会人野球チームがあったからだ。

22.jpg


仙台駅は7日から始まる七夕祭りのために、改札降りたらこんなふうになってた。

23.jpg


駅のあちこちにこんなのがあってねー。70年連続開催できたのも、ずっと平和だったからだよなーとか、そんなことを思ってた。だって、予約投稿したからあの時点ではここにはアップされてなかったけど、8月6日の日記は既にもう書いてて、あの中で「高校野球が始まって今年で100年だけど、第97回なのは、途中、戦争の影響で中止になった年が何年もあったからだ」と書いてたから。この旅は平和について考える旅でもあった。というか、平和だから旅行できるんだなってずっと思いながら旅行してた。

25.jpg


外から見た仙台駅。しかし仙台は東北一の大都市だからか、なんだかすげーでかかった。駅なんかもものすごくでかかったし。中国地方でナンバーワンであるはずの広島駅はこれに比べると格段にショボイんだが。。ってなんで広島駅が出てくるかというとよく分かんない(笑)きっと東京、大阪、名古屋以外で知ってる大都市は広島駅しかないからだと思う(笑)

夕食を食べる時間まではまだ少し早かったので、どこかに行こうと思ったのだが、どこかに行けるほどの時間の余裕はなく。本当なら青葉城址などに行ってみたかったのだが歩いて行くには遠すぎて。だとしたら、もうここしかないよね、ここ。

28.jpg


「広瀬川~、流れる岸辺~、思い出は~、帰らず~♪」で有名な広瀬川。まぁ行ってはみたけれど、ただの川でした(笑)なんとかして面白いところはないかなあと思って脇の森みたいなところに入ってみた!

31.jpg   32.jpg


遠くからみると「なんじゃあこりゃあ」って像が見えて、近づいてよく見てみるとこれはキリシタン殉教の碑らしい。「ふ~ん、そうなんだ」くらいしか思わなかったのだけど、キリシタンは九州のイメージが強いんだが、ここら辺にもキリスト教が入ってきてて殉教者っていたのね。で、像から離れて行こうとしたら。

36.jpg


猫ちゃん!なんか小柄な猫ちゃんなのか、それともまだ仔猫なのかは分かんなかったけど、猫ちゃんがいた。あんまり近づくと逃げちゃうと思って望遠で。かわいかったー!

39.jpg


森の中の道をざくざく歩いてたら、黒い羽根のトンボが(多分、思いっきり見にくいと思うが)。黒い羽根のトンボって初めて見たー!しかし、ここは工事中でその先は行けず。結局来た道を戻ることに。

26.jpg


そうそう、仙台の街を歩いてるとこの銀行があるんだよね~。七十七銀行。ここも社会人野球チームを持ってる。前はなかなか全国大会に出てこられなかったけど、JTとかなくなってしまってちょこちょこ都市対抗などの全国大会にも出てくるようになった。てか、JTの応援は好きだったんだけどな、、、

40.jpg


適当に歩いてたら、小学校があって、なんか土井晩翠の母校だとか。そこには「荒城の月」の作詞をしたって書いてあったけど、わたし、荒城の月=滝廉太郎で、作詞をしたのは誰か全く知らなかった。すいません、、、なんかこの学校の中に資料室があるらしいんだけど、まぁ、時間がなかったので(しかも夏休みだし)、行ってません。

42.jpg


仙台の街はこんな感じだった。七夕祭り近しって感じなのかな?

で、夕飯なんだけど、仙台は「牛タン」しか思い浮かばなかったので、取り敢えず牛タン定食が食べられるお店に行って牛タン定食を。ありきたりなんだけど、事前情報これしか知らんかったんだもん。

44_20151129234239a1a.jpg


うーん、旅行中のメモが消えてしまったので詳細は忘れたけど、確かこれは特製じゃなく普通の牛タン定食で1300円くらいしたかなあ。特製のになるとちょっと高くて手が出ないよって値段だったので、普通のにしたんだけど、んー、なんかちょっと硬かった。特別美味しいとはあまり思わなかったな~。

YHに帰ったら、同室にもう一人の人が。なんかよく分からないけど、旅行しようと思ったんだけど、あまりにも暑かったのでめげて、地元のYHに泊まったんだとか。どこの人かはよく分からないけど、仙台のことについて詳しそうだったので、いろいろ美味しいとことか教えてもらったんだけど、地元で美味しいタイ料理とかカレー屋さんとか、うーん、、わたし、仙台でしか食べられないものが食べたいんだけど(笑)って感じでした。まぁ確かに地元に住んでる人と旅行客の行くところは違うよねえ。

というわけで、初日はこんな風にして終わった。その2に続く。
23:13 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
08-28 Fri , 2015
ま~旅行記でも書きましょうかね
なんせ最近、書くことがあまりない。
書くことがあまりないというのは「書きたいことがない」というわけではなく、書きたいことはあるのだが、書き始めるとめんどくさいほど長くなるかも知れなく、かつ、結論なんかない、ということだからだ。書いたとしても「現実って言うのは複雑なんだよね」という結論にしかならない。だからなんか書いたって仕方がないんじゃないかな~って思ったりする。

全然関係ないけど「断片的なものの社会学」(朝日出版社)という本がある。まだ新刊の部類に入ると思う。

著者は社会学者でわたしとほぼ同年代(向こうが1つ年上)なのだが、読んでみてとても面白かった。自分が今まで生きてきて考えていたこととリンクすることが多いし、同じように結論が出ていないというのが共感できる、というか、「ああ、この人もここまで考えてて、でも、やっぱり答えは出てないんだな」と思うとなんかとても親近感が湧く。

結局長く生きるということは、現実に起きていることはそんなに単純明快でスパッと答えが出るものよりも、なんかどう、考えていいのかさっぱり分からないことがたくさんあるってことを知るって言うことなのかなと最近よく思う。そこには明解に「善」と「悪」の線を引くことはできないし、何が正義で何が正義じゃないか、正義の絶対値なんかない。ただ生きてて「絶対」なのは、人間はいつか絶対「死ぬ」ことだけ。これだけがこの人生において「確実」なものなのだ。

だとすれば、その確実な「死」に向かってどう生きていけばいいのか。

わたしは自分がどういう死に方をするかまだ全く分からないにせよ、ある程度準備はしておきたいと思う。最近わたしが結構あちこち旅行しているのはそのせいだ。わたしは一つでも自分の心に残る風景を自分の頭の中に残しておきたいと思う。そして死ぬ前にその風景を思い浮かべながら死んでいきたいと思う。もちろん、そういう「死に方」ができるかどうかは今の時点では分からない。今まで生きてきた記憶なんか全部失って死ぬってこともあるだろうし、病気や事故で瞬間的に死んでしまって今までの人生を振り返る余裕なんかないかも知れない。でも、それだったらそれで別に構わない。今の時点で自分の最後が分かる人なんていないんだから。

「あの世に金は持っていけない」とはよく言われる言葉だ。でもさあ、持って行けないのは金だけじゃないんだよね。生きてるときに身に付けた知識だって経験だって資格だってすべて持って行くことはできないわけで。それらは「いかに自分が生きているときに生きやすい道具であるか」ってことだけで。「あ~、人生ってそういうもんなんだなあ」って最近よく思う。しかしそれは現実なんだから、それが寂しいとか虚しいとか、そこにそういう感情をくっつけることはないんじゃない?って思う。「物事はそういう風にできている」わけなんだから。まぁそこに寂しさとか虚しさとか、そういうことを感じると「文学」や「芸術」ってものに発展していくのかもね。

だから、わたしは自分の最後は自分が今まで見てきた美しい風景を思い浮かべながら死ねたらいいなと思っている。なので、今のうちに身体が動くうちに行こうという気力があるうちに、行きたいところにはどんどん行っておくのだ。最近、旅行ばかりしてますね、体調が良くなったんですねって言われるけど、まぁ、本人の意識としてはあくまでも旅行するのは死を意識してのことだし「後ろ向きに前に進んでます」という感覚だ。まぁそんなわけで。

夏の東北旅行、記録として残しておきたいと思う。

この旅行中に感じたことのキーワードは「平和」と「日常」だった。
15:36 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
08-13 Thu , 2015
帰ってきました!
まぁ帰ってきたのは10日なんですけどね(^^;

翌11日は疲れて寝まくって、昨日はお土産を渡しに出かけて。

今回の旅行は東北方面でした。
仙台から秋田、青森、岩手、栃木と回ってきた。
とても楽しかったです。

が、日記はどうしようかな~。画像はいろいろ撮ってきたんだけどね。
なんせ10日間の旅行記って大変な量になりそうだし。
それに最近ほとんど旅行の話題しか書いてない(^^;

ちょっと考えてみます。
21:32 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-31 Fri , 2015
一人旅してきた その8(旅が終わる)
その7の続き。いよいよ最終回。

3月22日。
実は前日、御前崎海洋センターのバス停に着く前にこういう看板があるのを見つけてね。

2395.jpg


そのとき「え、ねこ塚って何??」って思ったんだよね~。そういうものがあるとは、ここに来るまで全然知らなかったの。で、その後、散策に出たときに少し探したんだけど、なんだか見つからなくてね。途中で「これでは日が暮れてしまう」と思って、このときは断念して海の方に行ったのだ。なので翌日の午前中に行くことにした。観光地図にねこ塚のある場所が書いてあるのだが、なんだかよく分からなくて、結局ネット上で詳しい道案内が書かれてるサイトを見つけて、それを頼りにして行った。

2415-1.jpg


これがねこ塚のあるところ。なんか、畑の中にポツンとあって、ここは本当に本当に探すのが難しかったよ!しかも看板がほとんど出ていない。。

2412-1.jpg  2413-1.jpg  2416.jpg


これがねこ塚。なんかもう、ボロボロ。。耳なんか取れてて。でもちゃんと首輪が付けられてた。

2414.jpg


ねこ塚の由来。なんかお寺の和尚さんが猫を拾ってきて、その猫は、旅の僧に化けたネズミが和尚さんを襲ったところを助けて死んでしまったんだと。で、こんなに猫がボロボロになっちゃったのは、昭和7年に建立されたので今年で83年目だから。ここは海の近くできっと塩っ気の強い風だから余計にボロボロになっちゃったんだろうね~。まぁでも御前崎に来てみるまでこういうところがあるとは思わなかったので、なんかちょっと得した感じだった。

その後は御前崎灯台の周辺をぐるっとしてみた。

2419.jpg


静岡県最南端の地らしい。御前崎って、伊豆半島の石廊崎よりも南なのね。なんとなく伊豆半島の方が南っぽく思えたけど。ただ、ここは前日行った中田島砂丘のように海岸を歩いたりはできないんだよね。なんせ砂浜がなく、もう、すぐ道路なのよ。だから海をより身近に感じたいんだったら、中田島砂丘の方がいいかなあ~。(あ、ただ、すぐ近くに海水浴場があるみたいなので、そこに行けばいいのかも。今回、時間がなかったのでわたしはそこには行ってないけど)

2420.jpg


下の道路から見た御前崎灯台。こう見るとすごい崖沿いに立ってるのよね。海沿いの道をぐるっと回ってから、崖を登って御前崎灯台に出る遊歩道を上がった。

2423.jpg


御前崎灯台の横に立っていた看板。御前崎灯台自体はでかすぎてわたしのiPhoneのカメラでは撮れんかった。というか、撮っても前日のような画像しか撮れないからねえ。

御前崎灯台をぐるっと遊歩道が通ってて、その中に「ねずみ塚」というのがあるというのをいろいろ調べているうちに知って、まぁ猫も行ったんだから、ネズミも行ってみるかと。その途中でこんな猫ちゃんが!!

2426.jpg   2427-1.jpg


この猫ちゃん、よっぽど人慣れしてるんだろうね。わたしの姿を見ても逃げもせず、こうやってゴロゴロ。。かわいかった。

2432-1.jpg   2431-1.jpg


これがねずみ塚。なにこれ、ねこよりきれいじゃん、って、これは平成になってから建てられた物で、年数はそんなに経ってないものみたいだった。

2430.jpg   2433.jpg


ねずみ塚の由来。てか、何この理由。改心して海上の安全と大漁を約束したから建てられたんだって!猫よりネズミの方が待遇良さそうでなんか腹立つわ(笑)

その後は高いところから海を眺めた。

2434.jpg


まぁ例によってカメラの視界って本当に狭く、海の大きさは全く撮れないねえ。

2436.jpg


パノラマを使ってもせいぜい見られるのはこのくらいか。ずーっと撮っても歪みが大きくなってしまってうまく撮れなかった。

御前崎灯台周辺散策は上記で2時間くらいかな。このくらいで割ともう十分って感じだった。まぁ時間があったら土産物とか売ってるところにも行ってみたかったんだけど、歩いて行くとかなり掛かりそうだったからそれは断念した。そして、いよいよ旅の終わり。周辺散策している間は荷物をYHで預かってもらったんだけど、それを引き取ってバス停へ。

2438.jpg   2439.jpg


11時20分、御前崎海洋センター発。11時55分、浜岡営業所着。

2440.jpg


12時3分、浜岡営業所発。12時42分、JR菊川駅着。

2441.jpg   2442.jpg


東海道本線、興津行き。13時1分、菊川発。13時42分、静岡で乗り換え。

2444.jpg   2446.jpg


東海道本線、熱海行き。13時54分、静岡発。15時8分、熱海着。

2447.jpg


熱海に着いたとき、「ああ~」って思った。だって

2448.jpg


熱海からJR東日本管内。この見慣れた看板。そして「横浜、川崎、品川、東京、上野方面」って、「上野東京ライン」って、もうほとんど「帰ってきてる」じゃん。ちなみに「上野東京ライン」は、3月14日からの新路線だから、この表示はとても新しいはずなんだけどね。

2449.jpg


電車もこの通り。座席もボックスシートではなく、長いす。「あ~あ、もう帰って来ちゃったんだなあ」って感じ。まぁね、ここからは都会だよ。駅に着くたびに人がどんどん乗ってきて。だんだん「日常」に戻っていく。。15時27分熱海発、東京行き(ではないですね、宇都宮線直通って書いてあるし)の東海道本線。

2450.jpg


17時18分、東京着。旅が終わった。

2451.jpg


おまけ。東海道本線の「ゼロポスト」、すなわち「起点」。これ、東京駅の各ホームそれぞれにあるのかどうかは知らないが、いくつかあるらしいね。これはホームの真ん中辺にありました(結構探したんだ、これが(笑))。

まぁ既にこの旅を終えて数ヶ月経ってしまっているので、もうあまり感慨深い思いはないのだけどね。ただ、わたしはやっぱりこういう旅が好きなんだなあって、久々に、鈍行列車の旅をしてそう思った。だからこそ、明後日からまた旅に出るのだけど。

次の旅、わたしはどんなことを感じるんだろう。
01:07 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-30 Thu , 2015
一人旅してきた その7(海が見たいの!)
その6の続き。

3月21日。
「晴れてたら朝6時頃にはここから名古屋市内が見れる」と言われたので、6時半に起きて外を観に行く。

2344.jpg


残念なことに雲があって見られず。空を見上げたら

2346.jpg


こんな空で、一瞬「秋の空!?」って思ってしまった。これって「いわし雲」だよね?

2348.jpg


朝食。わたしは日常生活では朝はパンなので、ご飯はちょっと重い感じがするんだけど、まぁ旅行中ってのは基本昼ご飯抜きなので、とにかくたくさん食べておかなくては。しかし、ここのお米は本当に美味しかったなあ~。

2351.jpg   2352.jpg


バス停までペアレントさんに車で送ってもらいました。至れり尽くせりで本当に申し訳ないほど。またいつか、必ず行きますね~。ってわけで一路、JR岡崎駅まで戻るために来た道を戻る。まずは足助から東岡崎駅まで。

2353.jpg


東岡崎駅からJR岡崎駅まで。

2354.jpg   2355.jpg


岡崎10時19分発、東海道本線、豊橋行き。このオレンジの線の電車は見飽きた(´Д` )10時54分豊橋着。

2357.jpg   2356.jpg


豊橋11時3分発。ここから浜松へ。

2358.jpg


浜松で途中下車。11時38分着。向かうは中田島砂丘。

2359.jpg


遠鉄バス、11時53分浜松駅発。中田島砂丘までは12分。260円。

2361-1.jpg


じゃーん、中田島砂丘。実は、日本には「鳥取砂丘」しか砂丘はないもんだと思ってたんだけど、日本三大砂丘ってのがあって、鳥取砂丘、鹿児島県の吹上浜とここ、中田島砂丘なんだそうだ。浜松は以前からちょっと下車してみたいところだったんだけど、なんせ浜松と言えば鰻かヤマハかってイメージしかなかったもんで、どこか寄れるところはないだろうかって調べてみたんだよね~。で、出てきたのがここだったというわけ。まぁ、今までどちらかというと「山の中」な感じだったので、最後は「海だよね!」ってことで。というか、ここに来ようと決める前に既にこの日に泊まるのは御前崎にしてたので、本当はそこで海を見る予定だった。

2363.jpg   2364.jpg


砂丘!というわけで、ここもほとんど人がいなかったな~。画像にしてみると一面の砂丘っぽく見えるけど、実は結構貧弱な砂丘だった。なんかね、砂が飛んじゃって年々貧弱になっていってるらしい。ので「堆砂垣」という生け垣みたいなのが至る所に埋めてあった。右の画像の真ん中辺になんか立ててあるのが見えるでしょ。あれが「堆砂垣」。風が吹いてもあそこに当たって砂が飛んでかないようにしてるらしい。まぁわたしは実は鳥取砂丘って今まで行ったことがなくて、砂丘がどの程度なのかよく分からない。ので、ここの砂丘を見て比較のしようがないのだけど、まぁ想像してたのよりは規模が小さかった。けど、砂は確かに砂丘だなあと思った。で、砂丘だけだったら本当にあまり面白くないところなんだけど(←オイ)、それを過ぎると海が!遠州灘が!!

2365.jpg   2372.jpg


うーん、画像だとイマイチ迫力が。ホントは見渡す限り遠州灘が続いてるとこですからねー。それにしても人は避けて撮ったとはいえ、簡単に人がいない画像が撮れちゃうんだから、どれだけ人がいなかったのか!って感じだよね。

「あなたは山が好きですか、海が好きですか」と聞かれたら、実際のところは「海も山も両方好き」なんだが、でも、山の中に行くと無性に海が見たくなる。でも海を見たからと言って山の中に行きたいとは思わない。そういう感覚の違いはあるかな。山の中に行きたい気分になることはそう滅多にないけど、海を見たい気分になるのはしょっちゅう。あと今までのわたしの人生、海との関わりの方が深いからね。ただ、関わりも多かったのもあって「自分はこういう感じの海が好き」というのが決まっちゃってる。それを考えるとこの遠州灘はちょっと自分の好みとは違っている。ここはモロに太平洋って感じで波は荒いからね~。まぁでもこういう広い海の風景って滅多に見られるわけではないから。

2383.jpg   2376.jpg


砂浜をずっと歩くと浜名湖の方まで行けるらしいのだが、まぁ、そんな時間はないので、適当なところに座って海を見ながらずっとパール兄弟の「バカヤロウは愛の言葉」を何回も歌ってた。っていうか、人はいないし、風は強いし、並みは荒いしで、大声で歌っても全然誰にも聞こえないんだもん。すげーすっきりしたわ(笑)あ、でも特に歌いたいからここに来たってわけじゃ全然なくてね。なんとなく音楽聞きながら砂浜を歩いてたら、歌いたくなっちゃったんだよね~。

2385-1.jpg   2386-1.jpg


砂浜歩いてたときに見つけた風紋(っていうのかな?)。きれいだった。

2387.jpg


空はこんなにきれいで。やっぱここは解放感があったな。今頃の季節(夏)に行くとどうなんだろうね。まぁちょっとここでは泳げそうじゃないから(波が荒くて)やっぱ人は少ないのかな~。でも今行くと、もっと気持ちがいいだろうな~!!!

なんてことはそのときは全く思わなくて「どうやったら時間潰せるかな」としか考えてなかった(笑)バス停の近くに公園みたいなのはあったけど、時間が潰せる喫茶店みたいなのはないに等しかった。ってわけで、正味2時間くらいの滞在だったかな~。そのうち30分は歌歌ってたね!(笑)

2388.jpg   2389.jpg


来た道をまっすぐ帰る、というわけでバスで浜松駅に(画像はない)。それから15時18分浜松駅発の東海道本線で菊川まで。

2390.jpg


16時、菊川着。この駅の左の「かなや」ってのは、大井川鉄道の乗換駅でもあり、大井川鉄道ってSLなんだよね。高校の時に乗りに行ったことがある。右の「かけがわ」ってのは、文字を見ると自動的に氷川きよしの「情け掛川みかんの小枝~♪」って歌を思い出す(笑)菊川で思い出すのはやっぱ、常葉菊川でしょうかね~。甲子園で結構お目に掛かる学校だよね。

2391.jpg


しずてつジャストライン、というらしい。昔は静鉄バスだったそうだが。JR菊川駅から終点の浜岡営業所まで。およそ40分くらい。660円。

2392.jpg


浜岡営業所から終点の御前崎海洋センターまで。なお、ここからは静鉄バスではなく、自主運航線というらしい。きっと採算が取れなくて静鉄バスは撤退したんだろうけど、バスがないと不便だから自治体がお金を出してるんじゃないかな?所要時間およそ35分、500円。浜岡営業所の浜岡ってどっかで何か聞いたことがあるなあ~と思ったら、あの浜岡原発があるところだったのね。途中、

2393.jpg


こういうバス停があったので「ああ、そうか」って思った。御前崎海洋センター着は16時5分。そこからこの日泊まる「御前崎YH」に。近いはずなんだけど、ちょっと道に迷ってしまった(笑)

2394.jpg


安曇野、あすけYHは割と近代的なYHスタイルって感じで、新大阪は都会のYHって感じだったけど、まぁここは古き良きYHって感じのところだったな~。なんかとても懐かしい感じ。でも、この日は泊まる人が少ないというので、特別に個室にしてもらえた(値段はもちろんそのままで)。というか、わたし別に個室じゃなくてもよかったんだけど、どちらにしても部屋には1人だと言われた。最近のYHの配慮の仕方ってこういうのなんだろうか。

夕食の時間まで少し時間があったので、近くを散策に。あ、周辺散策のための観光案内地図はYHでもらいました。転機がよかったから日の入りが見えるかなと思ったけど、どうやらその前に日が沈んでしまったようで。てか、この画像を見ると元々曇ってたから日の入りは見えなかったのかな。

2396.jpg   2397.jpg


左側の画像で小さく映ってる灯台が御前崎灯台。日が沈む太陽が写ってる画像は多分、潮騒遊歩道を行った先の「夕日と風が見えるん台」で撮ったのかな。海の近くだから波の音が聞こえるかなと思ったんだけど、意外なことにあまり聞こえなかった。潮の香りもしなかった。まぁ、日中、波が荒いところにいてずっと波の音を聞いてたので、強い音に慣らされてあまり聞こえないのかな~?って思ったりした。で、YHに戻って。

2398.jpg   2399.jpg


じゃーん、夕食。家族連れとかグループで来てる人が多くて、個人で来てたのは、わたしとあともう一人のおじさんだけだった。おじさんはテレビを見ながら食べてるし、だもんで、わたしは一人で黙々と食事。ご飯3杯食べたけど、前日までのあすけYHのご飯がすんごく美味しかったので、こちらはあんまり。。ちょっと水分多めなご飯だった。刺身が出るあたり、さすが、海の近くのYHって感じだけど。

ご飯を食べた後に、確かYHの食堂のわきに貼ってあった観光案内地図を見て、そこに「御前崎灯台は夜にライトアップされている」というのを見たので、一応YHの人に「今日もライトアップされてるんですかね」と聞いて「やってる」っていうから観に行った。ちなみに御前崎YHではミーティングの「ミ」の字も聞かなかったし、正直、ペアレントさんとも話すことはなかったです。

2402.jpg   2405.jpg


いや~、YHから御前崎灯台に行くまでの道が案外暗くてね。近いんだけど。で、画像もこれまたあまりうまくは映らず。御前崎灯台の閃光を見ながら、わたしは大学3年の夏休みにやった「乗船実習」のことを思い出してた。

大学3年の時の夏休みの「乗船実習」は日本一周ならぬ「本州一周」で、晴海を出発して大阪、下関、伏木(富山)、小樽の港に寄って、それから太平洋岸を通って晴海に帰る、というルートだった。確か「沿岸航法」という割と沿岸に沿って進んで、灯台の位置なんかを参考にして自分の船がどこにいるかっていうのを確認しながら進んでたんじゃないかと思う。あんまりよく覚えてないけど。学生は6班に分かれて「ワッチ」(見張り)をするんだけど、その分担が0-4、4-8、8-0という3交代なのね。1日2回。要するに夜中0時から4時にワッチした班は、その日の昼の12時から16時もワッチに入る。4-8は朝4時からと夕方16時から。8-0は朝8時からと夜20時から。3班が見張りの時は他の3班はお休み。そういう感じでワッチ当番が組まれてた。とはいえ、港から港に着くまでは1日か2日しか掛からないから、本来だったら0-4の班はずーっと0-4なんだけど、この航海では頻繁に時間が変わった。班は5人編成だったかな。左舷見張り、右舷見張り、ログ、アッパーデッキ、それから舵を取る人、要するに船の運転手。夜の見張りがすごい記憶に残ってる。まっ暗い海に灯台の閃光が見える。海図に「この灯台の閃光は1分間に何回、とか、色は何色」とか書いてあるんで、あー、これかなとか思う(それ以前にレーダーを見れば分かるんだけど(笑))。夜の船橋の雰囲気ってなんかちょっと独特だったな。

まぁ灯台を見ながらそんなことを思い出していた。

その8(多分最終回)に続く。
01:03 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-28 Tue , 2015
一人旅してきた その6(足助で春の妖精をみる・その2)
その5の続き。

続きを書くといって、既にこの旅行を終えて4ヶ月くらい経つんだけど。。
この間、なんか、いろいろあって、忘れてしまったことも多いだろうな~。
ま、忘れてしまったことは仕方がない。どーせ、人なんかあまり読みに来ないブログだし(笑)

というわけで、あくまで自己満足でぼちぼち行こうと思います。
きっとこの先は文章よりも画像が多くなると思うけど。
えっと、続きってどこからだっけ?
あー、まだ山の中を歩いてる途中だったね(笑)


前にも書いたけど、YHは山の割と上の方にあって、だから、ずっと下って行ったんだけど、気が付いたらすっかりモヤが晴れてた。

2271.jpg   2273-1.jpg


そのうちにどうやら香嵐渓に近づいたようでね。

2281.jpg


こんな看板があって。ただ、鳥の鳴き声は聞こえなかったような。

2275-1.jpg


それからいきなり水仙が咲いてました。いい匂いだった~。

2283-1_20150728234509ade.jpg


この木、「みつまた」って書いてあったのよ。だから「おお、これがあの有名な和紙の原料のみつまたか!」と思って画像を撮ったんだけど、その後、YHに帰ってペアレントさんに撮った画像を見せたら、この画像を見て「なんで『みつまた』って言うか知ってる?」って聞かれたので、当然のことながら「知りません」って答えたら「みっつの又になってるからだよ」って説明された。分かるかな。枝が「三つ叉」になってるの。

2289-1.jpg


どうやら、YHから下って行った道は、香嵐渓の後ろだか横だかに出るみたいだったので、正面に回ってみた。てか、歩いて行くとそのまま正面に出た。

実はその前もちらほらカタクリの花が見えてたんだけど、さすがに正面からの方が圧倒的だった。上るルートは本来2箇所にあるんだけど、カタクリのシーズン中は一方通行みたいだった。向かって左側の道を上って、太子堂の横を下ってくるルート(と言っても地図がないから分かんないだろうけど)。この日はシーズン中と言えども、晴れるかどうかビミョーなところだったので人は結構少なかったみたい。

2285.jpg   2286.jpg


まぁ、こんな感じで大半は花は閉じてたからねえ。これが全部咲いてたらどんなに壮観な光景かと思ったよ。

2296-1.jpg


こんな斜面がいくつもいくつもありました。正直、これだけ群生してると有難みがちょっと薄れてくるかも(^^;

2295.jpg


ちなみに題名にした「春の妖精」というのは、カタクリの花って英語で「Spring Ephemeral」と呼ばれてるから。一年中のうち、この季節にしか存在を主張しないんだって、カタクリは。あとはずっと地下に潜っているらしい。YHのペアレントさんがこの花に対してすごい優しい表現をしてたんだけど、あれはなんだったっけな~。あのペアレントさんはカエルでもなんでも「あの子」とか、そういう言葉遣いをする人でした。自然がものすごい好きで、すごく大切にしてる人なんだなって、話してるとそう感じた。

2297.jpg  2298.jpg  2300.jpg


取り敢えず、数少ない開いてたカタクリの花。写真家の人なのか、写真を撮るのが好きな人なのかは分からなかったけど、すごいでかいレンズのカメラを持ってた人が何人もいて、撮りやすい位置にある咲いてた花はそういう人たちに狙われてました(笑)これが満開だったら本当に写真撮りに来る人たちもすごいだろうな。実際そうらしいけど。。(斜面のあちこちに「立ち止まるな」という看板があったような)

2302.jpg


これがわたしが見つけた唯一、群生して咲いてるように見えたところ。まぁあとは想像で補うとして(笑)

ここまで歩きまわって、時間としてはもう12時過ぎてたんだよね~。なので、これまたペアレントさんに教えてもらったおいしい五平餅のお店で休憩することに。と言っても、3つくらい候補を教えてもらったうちの1つ。実はここ、カタクリの花が咲いてるところから少し距離があって、当初は行く予定ではなかったんだけど、行こうと思ってたお店がどうしても見つからなかったんだよねえ。なので、こちらのお店に。「びっくりや」ってところだったかな?なんせ京都に行ったときに歩きまわってたんで、マメが出来たりして足がボロボロでね。とにかく靴が脱ぎたかった。ここは持ち帰りもできるみたいだったけど、お店の中は畳で靴を脱いで座るようになってた。

2305.jpg


五平餅。味付けはいろいろあるみたいだったが、味噌が一番の人気だったみたいで「味噌でいいですね」って聞かれた。わたしはお店でゆっくりしたけど、車で観光に来てる人は車の中で食べるために持ち帰りにしてもらったり、お土産に十本くらい買って帰る人もいた。五平餅ってなんか長野のイメージがあったんだけど(ただし、長野でも北の方は「おやき」だけど)ここらへんも五平餅がある文化だったのね。知らなかった。

お店でゆっくり休んでから、今度は足助の町並み散策へ。なんか、ここは宿場町というか、塩を詰め替えるための商業地だったみたいなんだけど、今でも人が住んでてお店も細々ながらやってるみたい。洋服屋さんとか和菓子屋さんとか本屋さんとかあった(今はそのくらいしか覚えてないけど、もうちょっとあったような)。そういう今でも「現役」の町並みって少ないんだそうだ。

2310.jpg


確かここはマリリン小径っていうところだったような。「マリリン」ってのは、よく知らないけど、この突き当たりに「マリリン書店」ってのがあるからなんじゃないかな?ちなみにそこでコーヒーを飲みました(書店とギャラリーみたいなのが一緒になってる)。

2311.jpg  2316.jpg  2318.jpg


どれも同じような角度だな(苦笑)結構行ったり来たりして、いろんな画像を撮ったんだけど、なんせ、町並みが長すぎて。見た感じのようなうまい画像は撮れなかった。建物を見て歩くと微妙に時代とか違うようだった。が、画像見て分かると思うけど、ほとんど観光客はいなかったんだよね~。てか、地元の人を含め、歩いてる人が本当に少なかったよ。香嵐渓にカタクリの花を見に来る人はここまでは足を伸ばさないんかいな。

2315.jpg


ちなみにこんな感じで説明文が割とあったりした。

2317-1.jpg


なんとなくこういうのが好みだったり。あ~、そういえば裏道を入ったところになんか壮大なカラクリがあったなあ。画像は撮ってこなかったけど、その近辺に住む人が趣味でやってるみたいだった。ってわけで、結構この町並みはすぐに歩き通せるほど狭いところだったんだけど、わたしの方はなんせ、16時だっけか、まではYHには帰っても中に入れてもらえないんでね。同じところを何回も歩いたり、あとはすげー小さな道まで全部歩いたよ!急な細い道を歩いてたら突然墓地に出てびっくりしたりもしたよ!

というわけで、帰途へ。

2329.jpg


帰りはね、もうすっかり晴れてて。半日晴れが早かったらカタクリの花も咲いてただろうなあ~(午前中晴れてないと咲かないそうだ)。

2328.jpg


山の中に入っていくわけだから、こんなのがあったり。

2331-1.jpg


一応、iPhoneのカメラについてるパノラマモードで撮ってみたんだけど、小さいかな~(クリックしたら大きくなるよ!)。なんか日本の里山の風景ってこんなんだよねって思ったり。

2335.jpg


そして段々日が暮れていく。。

2337.jpg


YHに着きました。何度も言ってるけど、ここは標高450mの地点にあり、山の中腹と言った感じのところなんだよね。

2338.jpg


YHの、というか、ここはもともと小学校が廃校になったところだから、校舎のって言った方がしっくり来るんだけど、これ校舎のどっち側に当たるんだろうな~。入口と反対側なんだけど、崖になってるところから見るとこんな感じ。天気のいい晴れた朝はここから名古屋市内が見えるそうだ。

2340.jpg


YHの前は元校庭なんだけど、その校庭の端っこにこういう記念碑が建ってた。ここは「椿立小学校」という小学校だったらしい。自分が通ってた学校が廃校になってしまうっていうのはだいぶ悲しいことなんじゃないかなあ~って思う。わたしの母校は今のところ廃校になったところはないとは思うけど、高校は高校じゃなくなって中高一貫の中等教育学校になってしまったし(今年の春から。あ、でもそれに伴って高校は「閉校」したんだった)、大学は今もあるけど名称が変わっちゃったので自分の母校という感じがしない。それだけでもかなり悲しいんだから、なくなってしまったとしたら本当に悲しいに違いない。

2341.jpg   2342.jpg


というわけで夕食。この日も当然一人だったのにちゃんとメニューの紙が作られてた。本当に親切なYHだ、ここ。で、この日のメニューもおいしかった。お米が本当に美味しい。ので、ご飯は3杯。

普通なら、一人だとこの後も寂しく一人で、ってなるんだろうけど、ここはこの日も21時過ぎまでペアレントさんが話しに付き合ってくれた。これもすごい。今までこんなことは初めてだ。なのでこの日回ったところを撮った画像とともに報告。おまけにその前に行った京都で撮った画像なども見せたりして。ここのYHは本当によかった。今度また、機会があれば泊まりに行ってみたい。そう感じさせるところだった。

その7に続く。。
23:43 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-27 Fri , 2015
一人旅してきた その5(足助で春の妖精をみる・その1)
その4の続き。

3月19日。
今日から関東方面に向かって戻る。関西本線経由で名古屋まで。ちなみにこの日は前日の夕方から降り出した雨がまだ止んでませんでした。雨の中の移動。

新大阪から大阪へ。

2230.jpg   2231.jpg


大阪8時22分発、奈良行き。これって関西本線じゃなく、大阪環状線の電車だよね。環状線の電車がなぜ奈良まで行くんだろうか。ここら辺、どういうしくみになってるのか、全く分からん(笑)(てかここら辺、なんか細かく細かく線の名前が分かれてるようなんだけど)

2232.jpg


奈良、9時19分着。9時37分、加茂行きに乗り換え。

2233.jpg   2234.jpg


雨が降っててガラスが曇っていたので、せっかくの窓の外があまりよく見られず。ホント残念。

2235.jpg


奈良の次の駅、平城山。

2236.jpg


高校の時、音楽で「ひとこうは かなしきものぞ ならやまに もとおりきつつ たえがたかりき いにしえも つまにこいつつ こえしとう ならやまのみちに なみだおとしぬ」という歌を歌ったよな~、そういえば、と思い出した。平城山ってこんなところにあったのか。


10時3分、加茂着。10時41分亀山行きに乗り換え。

2237.jpg   2239.jpg


この電車は今まで見たことのない色の電車だった。これは1両編成。もちろんワンマンカー。座席はベンチ式で結構お客さん乗ってた。

2240.jpg


伊賀上野。忍者の里!こんなところにあるとは知らんかったわ~。

12時5分亀山着。12時24分発の名古屋行きに乗り換え。

2241.jpg   2242.jpg


13時35分、名古屋着。13時47分発、東海道本線。

2244.jpg   2245.jpg


しかし、JR東海って、電車はどれもこれもこんな、白地にオレンジの線1本電車なのかしら。なんかつまらん~。

2246.jpg


本日の宿泊地の最寄りのJRの駅、岡崎。しかし、ここからが長いのだった(笑)

2247.jpg


まず、岡崎駅で名鉄東岡崎行きの名鉄バスに乗る。

2248.jpg


名鉄東岡崎駅で足助行きの名鉄バスに乗る。終点足助まで1時間10分。17時20分着。料金800円。

足助の駅から宿泊地である「あすけ里山YH」までは40分程度と言われていたが、全く知らない山道を(YHは標高450mの山の中にある)この時間に通るのは怖かったため、事前に電話で予約するときにペアレントさんに「迎えに来て下さい」とお願いしていた。足助のバス停で降りて少ししたらペアレントさんが車で迎えに来てくれたのでそれに乗る。

2250.jpg   2249.jpg


「あすけ里山YH」。ここは17年前に廃校になった小学校をYHに改装したもの。建物自体は確か昭和7年かだったかに建てられたものらしいが、中はすっごく新しい感じ。新しくて暖かい感じ。

2251.jpg


チェックインするときにペアレントさんから「2泊とも一人です」って言われた。ああー、また一人か。一人だと気楽でいいんだけど、やっぱちょっと寂しい。。

が、ここのYHのペアレントさんはめっちゃ面倒見がいい人だった。予約の電話をしたときに「2日目はどうされますか?」と聞かれて「そちらの近くに東海自然歩道というのがあるみたいなんですが、山の中を歩きたいのでそういうところを歩いたらいいかなと思ってます」って答えると「だったら、2日目の案内を前日の夜に話しましょう」みたいに言われて「えらい親切だなー」って思ってたら、その約束を本当に忘れてなくて、夕ご飯食べた後に「じゃ、20時に談話室で話しましょう」って言われた。

2252.jpg  2255.jpg  2253.jpg


本日のメニュー。てか、一人のためにこのメニュー書き作ってくれてるんだよ!!これにはとても驚いたし、すごい丁寧だって思った。安曇野の時は1人だとメニューは貼ってなかったし、そのことに対しては当然って思ってたので。

んでですね。ご飯が地元産のお米だったみたいなんだけど、これがものすごく美味しかった!!炊き方が美味しかったのかも知れない。当然のことながら3杯食べた。

で、20時になって、談話室(ご飯食べた部屋が談話室なんだけど)に行った。「こういう風に回ったらいいよ」ってペアレントさんが丁寧に教えてくれた。京都の町を歩いてるときに「ああ~、もうあと半月もしないうちに桜が満開になるのになあ」って思ってたんだけど、実はその前にここではカタクリの花が咲くらしい。しかもカタクリの花が群生して咲くのってとても珍しいのだとか。そういうことはここに来るまで全く知らなくて、ラッキー!って感じだった。「香嵐渓」ってところで咲いているらしいのだが、香嵐渓は紅葉の名所でもとても有名なんだそうだ。全然知らんかった、というか、香嵐渓という名前すら初めて聞いた。しかも、香嵐渓って文字を見ると自然に「かんかけい」って読んでしまうのだけど。。なぜ?と思い、かんかけいを調べてみたんだけど、小豆島にある寒霞渓?うーん、行ったことないんだけど、なんでこの名前だけは頭の中にくっきり残っているのだろうか。。謎だ。

ペアレントさんは話し好きな人なのか、気が付いたら明日の予定だけじゃなく、旅行の話とかしてた。ペアレントさんは地元の人ではなく、20年ほど前にここに移住してきた人らしい。「旅行が好きだったから、こういうこと(YH経営)を始めたんだけど、始めたら旅行ができなくなってしまった」と話していた。「それでも他の人の旅行の話を聞くのは楽しい」と。気が付いたら21時半過ぎてて、ここのYHの風呂の時間は22時まで、消灯22時半なので、急いで風呂に入って寝る。

3月20日。
7時半に朝ご飯。

2256.jpg


安曇野でも新大阪でも朝ご飯はパンだったし、普段も朝はパンを食べているので、朝からご飯は久しぶり。てか、納豆食べたの何年ぶりかな(笑)ご飯は相変わらず美味しかったのだが、朝からそんなに食べられなくて1杯半くらいしか食べられなかった。

午前9時頃YHを出発。前日まで降り続いた雨の影響か、辺り一面モヤってた。この日は割と晴れの予報だったのだが、、

2259.jpg  2261-1.jpg  2264.jpg


ただ、モヤってたんで、すごい幻想的でねー。それに木の匂いというか、山の匂いというか、雨上がりだったので余計にそういう香りがしてね。「あー、これこれ。この匂いがたまんないよな」って思った。YHを出てからしばらくは一応道路は舗装してあるんだけど、しばらく車は通ってないんじゃない?みたいな道を通った。それでもさ、道路は舗装してあるし、こんなところでも人の手って入ってるんだよなあと思いながら歩いてた。どこからともなくウグイスの鳴き声が聞こえてきたり、カエルの鳴き声がして来たり、ホント、ここの道は歩いてて楽しかった。

山を下っていく形になるのだが、下っていくうちに一つの広い道にぶち当たる。どうもそこが「東海自然歩道」みたいなんだけど、歩いててあまり面白くなかったかな。道が舗装されててきれいだったし、広すぎた。車も通るし。

2266.jpg


棚田。ここは中山間地域だからか、穂高に比べて田んぼ(畑)が圧倒的に狭い。わたしはここでも大阪でSさんと話した「日本人はどうして細かいところや繊細なところに行き着くのか」というのを思い出し、「これだけしかない土地をちまちま耕していたら、そりゃ繊細で細かい性格になるよな」と思ったのだが、こういうのは風土の特徴と言えるのか。そういう風土が本当に「民族性」に関わってるかは分からんけどね。

2268.jpg


これ、あまりはっきり撮ることが出来なかったんだけど「○○南無阿弥陀仏」と書いてあるように見える。そしてこの石の横には何体かの観音様?仏さま?の像が。こういうのが突然現れるんだよね。道ばたにこういうものを設置するというのは、仏教国だからなのか?他の仏教国でもこんな感じなのか?

2267-1.jpg   2269-1.jpg


やっぱりわたしはこんな風に苔むしたところが好きみたいなんだけど、こういうのを見ても「わびさび」とは思わないんだよな~。こういう感覚って一体どこから来るんだろう?前提として「山の中」という意識があるから?

足助、最後まで書きたかったんだけど、あまりにも長すぎるんで次に続く。。
23:59 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-26 Thu , 2015
一人旅してきた その4(そうだ、京都、行こう)
その3の続き。

今回の旅行で絶対にリバティおおさかの展示を見終えたいと思っていたので、事前に2日間行ける日程を組んでいた。が、予想に反して1日で見終えてしまった。そうなると、丸1日空いてしまう。。何すりゃいいの、どこ行きゃいいの、ってわけで、翌日行くところを考えざるを得なくなってしまった。

最初思い付いたのは万博公園の中にある「国立民俗学博物館(みんぱく)」だった。ここでも多文化共生に関する展示をやってるのを知ってたので、前々から「行きたいなあ」って思ってたのだ。けど調べてみたら水曜日休館!18日はちょうど水曜日。。思いっきりついてない。。

仕方なしに新大阪YHの談話室の前に置いてある観光資料を探してみた。う~ん、行ってみたいところがない。美術館巡りなんかの資料があったのだが、昔は結構美術館など行ってたものの、今はあまり興味がない。どうしようか?って思ってたところ、はたと気付いた。

「そうだ、京都、行こう」

って。京都は今まで友だちとか彼女と一緒に行ったことはある。中学の修学旅行も京都・奈良だったので、行ったことがある。それ以前も大阪に住んでいたときに家族で行った。なので、ほとんど有名どころは行ったことがあるのだが、一人で行ったことはない、というか、以前京都で学会があったときは宇多野のYHに泊まって、帰る間際に清水寺だけ行ったことがある。清水寺に行ったあと、近くに清水焼を売っているお店が並んでいて、そこにあった一つのお店にカップ&ソーサーがあって、それに目を惹き付けられて思わず買ってしまった。それは今も持ってて、だけど大きさがデミタスなんであまり使ったことがないのだけど。。でもわたしが陶器に一目惚れして買うなんてことは後にも先にもあれだけだし、なによりあのときの「不思議な感じ」が今でも忘れられないんだよね。。

そんなわけで純粋に一人で観光で京都と言うところには行ったことがないことに気が付いて。それにこういうときでもないと、わたしはわざわざ京都に行きたいとは思わないだろう。なんてったって、わたしはわざわざ人の多いところには行きたくないのだ、一人旅では。京都と言えば巨大な観光地。日本で一番有名な観光地だ。そんなところはおそらく今後旅行するときだって選ばないだろう。これも何かのチャンスなのかも知れない。それに京都だったらそんなにいろいろ考えなくても1日、十分時間を過ごせるよね、と思ったので、京都に行くことにした。行き先は金閣寺がすぐに思い付いた。なぜって、金閣寺、中学の時の修学旅行で行ったのだけど、そのときはちょうど修復中で被いされてて全然「金」じゃなかったのね。それに金閣寺に行ったのはこの1回しかなくて、それはきっと金閣寺は自分の好みのところじゃないだろうってところが大きいと思う。だけど今回は敢えてそういう場所を選んでもいいんじゃないか、そう思った。で、金と来たらやっぱり銀だろう。金閣寺の後は銀閣寺に行こう。そして哲学の道を通って、南禅寺まで行こう、そう思った。

一応そう考えてから寝たのだが、、この日も消灯時間を過ぎた12時過ぎに部屋の電気付けられて、しかも全然悪びれてない様子だったので「すいません、もう消灯時間過ぎているので電気消して下さい」と注意した。この人たちは前日とは違う人たちだったと思うんだけど、そのあと2泊、わたしとは一緒みたいでした。けど、この注意した件ですっかり脅えられちゃって、翌日、京都から帰ってきたときに部屋でちょこっと会ったんだけど、脅えた顔しててこっちが話しかけるどころじゃなかった(笑)

3月18日。
朝、9時過ぎに新大阪YHを出発。京都に着いたのは10時過ぎくらいだったか。右は京都タワー。でもここも今まで一回も行ったことないな~。

2155.jpg   2156.jpg


京都駅は人でいっぱいだった。「うわ、こんなに来てるんだ」って感じ。外国人観光客もたくさん。さすがに京都だわ~。

京都駅からぐーぐるさんで金閣寺まで行き方を教えてもらったが、徒歩で1時間半ちょっとかかるって書いてあった。まぁ、今回は別に急がない旅だし、それになんか思いっきり歩いてみたかったんだよね。そうそう、京都の町というのも、歩いて移動したことがほとんどなかったんで興味深い。京都の町は碁盤の目のようにして道が通ってるっていうけど、今日はその中でも細い道を選んで京都の町の光景を見てみたい、その中で人がどうやって暮らしてるか、そういうのを垣間見たいなって思った。

しかし、ぐーぐるさんって本当に便利。京都の細い路地は行き止まりが多くって、初めて歩くにはとてもやっかいなところだと思うが、ぐーぐるさんだと自分のいるところ、その周辺の道がどこにどう繋がっているのかが一目で分かる。一昔前は多分、こういう楽しみ方はやろうにもできなかっただろうな~と思う。

そう、ネットってものができて、旅行の計画も随分立てやすくなった。電車は時刻表に載ってるからいいんだけど、バス路線までは分からない。でも地方のバスは1時間に1本は当たり前だから、いつ来るか、最終は何時か、それがとても重要。今回はバスの時間まで事前に全部調べ上げて、もしこれに乗れなかったらこれ、って感じで、幾通りも方法を考えたりできたからね。本当に便利になったと思う。

2158.jpg


京都の住居表示。住んでない人にはとてつもなく分かりにくいが、住んでる人にはとてつもなく分かりやすいんだろうな~。住居表示に書いてある住所が京都らしくて、見つけたところはいくつか撮った。

2165-1.jpg  2166-1.jpg  2167-1.jpg


京都の町を歩いてると、時折こういった「お地蔵さん」を見かける。最初これをわたしは「なんなんだろ?」って思ってて、思いながらこの画像をinstagramに投稿してたんだけど、フォロワーさんの一人がこちら方面出身だったみたいで「それはお地蔵さんで、あちこちで子どもを見守ってくれていると聞いて育った。お盆には地蔵盆ってお地蔵さんに感謝する地域の行事があった」って教えてくれて「へー!そうなんだ!!」って。お地蔵さんについてはよく知らないが、やっぱこれって仏教から来てるんだよね~?

地域地域によってお地蔵さんが安置されている入れ物というか建物?の形が全く違ってとても面白かったんだけど、でもどこでも共通して言えることは、今、現在この時点でもとても大切に扱われているってこと。どこもきれいな花が供えられてたり、きちんと掃除されてたり、すごいなって思った。

でも、これはこの旅を続けていくうちに「京都だけじゃない」って分かったんだよね。画像は撮ってこなかったから今書くけれど、次に行った豊田の足助でもたくさんの「観音様」を見たんだ。この「観音様」は、旅人の安全祈願を込めて地元の人が設置したみたいなんだけど、それは今でも一体一体にきれいなよだれかけみたいなのが掛けられてて、今でも決して放置されてない。そういうのを見るとね、「ああ、この国はやっぱり仏教の国なんだな」って感じたよ。最近よく「自分は何も信じてないし~」みたいなことを言う人がたくさんいる。その割に正月には初詣したり、おみくじ引いたり、「どこが何も信じてないんだよ!?」って思ってるんだけど(笑)でも、こんなに少し歩いただけで地蔵やら観音様やらがぼこぼこ置いてある国ってあんまりないんじゃないだろうか。まぁ、わたしはよその国のことはあまりというか、ほとんど知らないのだけど、少なくともわたしが行ったイギリスとかフランスとかオーストラリアで道ばたに宗教の臭いがするものは置いてなかった(てか、本来キリスト教って偶像崇拝は禁止されてるけど。でも、カトリックはそういうの無視してるよね(笑))。まぁ、日本でも東京ではそういうものは見かけることはないので、都会はそうじゃないのかも知れないし(でも下町なんかはどうなのかなー?)、外国ではそんなに田舎に行ったわけではないので、もしかしたら外国でも田舎の方に行くと何かあるのかも知れない。けど、少なくとも外国の人がこういうのを見たら、日本って国は熱心な仏教の国だって思うだろうな~と。

で、確かにわたしなんかがこういうの見たら「わー、こんなところはこういうのがあるんだ」って思うけれど、でもそれも自然に受け入れられる。ってことは、やっぱりそういう「下地」があるってことだよね。昨日のジェンダーのところでも書いたけど、わたしはこの国で生まれて育ってきて、知らず知らずの間にこういうものが「あってもおかしくない」と感じられるようになってるわけだよね。まぁだからといってその宗教を受け入れるか受け入れないかは別の話なんだけども。今のわたしは既存の宗教はほとんど否定して生きてる。ただ、否定の仕方が宗教によってちょっと違っている部分はあって、仏教に対しては参拝もおみくじも、できれば寺になんか行きたくない。神道はもっと嫌で、日本古来の宗教なのは分かってるんだけど、でも明治以降の体制が大嫌いだし、その性質は今でもあまり変わってないような気がするから、神社なんかには絶対に行かない。でもキリスト教に対しては結構寛容で、去年の長崎でも早朝ミサなんかに出ちゃってるから、まぁ自分勝手と言えば自分勝手なのだけど、多分自分の中でキリスト教が一番遠い宗教だから「関係ないけど興味がある」という状態なんじゃないかと思ってる。ただ、既存の宗教は否定してるといいつつ、不思議とその観念を捨てきれない。どこかに何か絶対的なものがあるんじゃないかとどうしても考えてしまう。100%唯物的に生きられないのは、人間としての本能なのか、それともこういう土地、風土の中で育ってきたからか、どっちなんだろうって常に思ってる。だけど自分の中から宗教を取り除きたい、取り除かねば、とは全く思ってなくて、自然に任せてる状態?いつも「神とか仏とか信じてないのに、何か存在するような感じがするのはなんでだろー?不思議だなー?」と思いながら生きてる。わたしの宗教観ってこんな感じ。

まぁとにかく、この旅を終えて思ってることは、外国に住んでいる人から「日本は今でも仏教の国だ」って言われても、全然否定できないなーって思ったんだよね。

あ、そうそう。穂高駅の前にはこういう看板があったんだった。

2030-1.jpg


道祖神。これは仏教とは関係ないけど、やっぱり宗教的なものだよね。こうやって人間が「地域の神や仏に守られたい」って思う心は、人間の本能なんだろうか。。宗教っていうのはそもそも人間が「誰かに守られたい」って思うからできた概念なんだろうか。

2188-1.jpg  2189.jpg  2190-1.jpg


2193-1.jpg   2194-1.jpg


別に探したわけじゃなく、金閣寺に行く途中、銀閣寺に行く途中に見かけたもの。お地蔵さん巡りをしてみるのも楽しいかも知れない。

わたしがイメージしてた「京都らしい風情」っていうのは、下京区、上京区。小さな路地があって、小さそうな家がひしめいていて。それが金閣寺がある北区になると一つ一つの区画が大きくなって、なんか「高級住宅地」っぽくなってくる。少し歩いただけでこんなに違うんだ!って思った。

で、ついに金閣寺に到着。ぐーぐるさんでは1時間半ちょっとって書いてあったのに、あちこち楽しみながら歩いてたら、京都駅を出発して2時間半かかってた(笑)

2169.jpg


入場料は400円。お金を払う前の場所がこんなになってて。

2170-1.jpg


この苔むした様子!くー、たまらん。

2172.jpg


これが入場券。なんかお札みたいなのになってるのね~。これは困ったね。お札とかわたしはいらないのだが、というかあっても困るだけなのだが、やっぱりこれは「入場券だからただの紙切れ」とはどこか思えなくて、簡単にはゴミ箱には捨てれんじゃない。まぁただ、外国から日本に観光旅行してる人などに取っては「これぞ日本的」みたいな感じで嬉しいかも知れんね。

2174.jpg


初めて見る、きんきらきんの金閣寺。火を付けちゃうほど愛してる人がいる金閣寺(三島由紀夫はほとんど読んでないけど)。それよりも何よりも、わたしは子どもの頃アニメで見た「一休さん」を思い出して仕方がなかった。。子どもの頃に植え付けられたものは怖い(笑)

2178-1.jpg   2180-1.jpg


金閣寺の庭。こういうミニな滝とか、なんでこう、「ああー」って思っちゃうんだろうね。風情があってなんも言えないというか。

ただ、金閣寺って全然座れるところがないのね!2時間半歩き通しだったので、どこかに座って休みたいと思っていたのだが、座れるところがなかった。確か出たところにお茶屋さんみたいな赤い毛氈敷いてあるところはあったけど。

2181.jpg   2182.jpg


「金閣寺」の朝鮮語表記が気になってね。左の「킨카쿠지」っていうのは「きんかくじ」と日本語そのものの発音で書いてあるんだけど、右の「금각사」っていうのは、漢字の「金閣寺」そのものの朝鮮語表記になってる。これ、とっても面白い。でも次に行く「銀閣寺」の表記ってどうなってるんだろうとこのとき思ったんだよね。漢字「銀閣寺」は朝鮮語表記できると思うんだけど、「ぎんかくじ」という日本語の発音はハングルでは現せないはずなんだよ。だって、朝鮮語は語頭に濁点が付くことがないから。「ぎんかく」の「ぎ」の字はハングルでは現せない。だもんで、とっても気になった。

金閣寺を出て銀閣寺に行く途中、「どこかで休みたい!」って思った。けど、周辺ならともかく(そりゃまあ観光地ですし)、それを過ぎると喫茶店とか何もない。でもフラフラ歩いてたら、喫茶店ぽくはなかったけど、何やらコーヒーが飲めそうなところが。入ってみた。あれ?なんか、何かの施設っぽい、と思ったら「京都ライトハウス」という視覚障害者の施設みたいだった。200円でアイスコーヒーを頼んだ。もうね、この日京都は22℃くらいあって、冬物のコートを着てるわたしはめちゃくちゃ暑くてしんどかった!

2185.jpg


よく見たら、アイスコーヒーのコースターが点字の紙を使ってあるみたいだった。横では視覚障害者のパソコン教室みたいなのが開かれてて、いろんな人が出入りしてた。

15分くらい休憩して、銀閣寺に。この辺りから少しずつ曇ってきてたかな。なんせ、この日は夕方から雨の予報だったのだ。

2191.jpg   2192.jpg


鴨川。京都市民の憩いの場なのか、結構子ども連れの人が来てた。

2196.jpg


金閣寺から銀閣寺に行く道は、ほとんど東方向への移動で、しかも途中から(京都大学の横辺りから)銀閣寺への道は太い道一本になってしまうので、正直つまらなかった。ただ銀閣寺に近づくと大文字焼きの「大」が見えた。金閣寺に行く途中でもそういうのが見えたんだけど、わたし、大文字焼きって1ヶ所にしかないって思い込んでたんだよね~。全然そんなことないのね。

2199.jpg   2200.jpg


銀閣寺着。入場料500円。金閣寺より100円高い。ここでも入場券はお札。金閣寺のより一回り小さい。

2203.jpg


じゃーん、銀閣寺。まぁここはわたし好きで何遍も来てますからね、、、で、銀閣寺と言えば。

2204-1.jpg   2206-1.jpg


向月台と銀沙灘。わたし、ここに来るまで銀沙灘のことなんてすっかり忘れてたというか、そんなもの何年も思い出したことはなかったのに、ここに来て、これを見た途端「あっ、銀沙灘だ!」って思い出したもんね。中学校の修学旅行の時、確か、ここの人に「これはなんですか?」って質問して教えてもらったんだよね。銀沙灘なんて、普段は本当にいらない知識だけど、思い出せたらまた嬉しいもんだった(笑)

2209-1.jpg


しかし、美しいよね~、銀沙灘。言葉に言い表せないくらい美しい。わたしゃやっぱ銀閣寺の方が好きだわ~。そして美しいと言えば、この庭!

2210-1.jpg  2213-1.jpg   2212.jpg


2215-1.jpg  2214-1.jpg  2218-1.jpg


もー、もー、何とも言えないこの美しさ。この苔むした様子!これぞ、わびさび!!って感じで、くーーー、たまらん!!!!画像ではこんなにつまんなくなっちゃうけど、実物は本当にたまらなくいい!!銀閣寺の入場料が金閣寺よりも高い理由は、この庭を維持するためではないかと思ったりする。この庭、本当にたまらん!!

2220-1.jpg   2216-1.jpg


「しみじみとした趣のあるもの」のことを「もののあはれ」というって、中学の時に習ったけど。では、わたしはこの言葉を習ったから「しみじみとした趣のあるもの」に対して反応するのかな、と思ったりした。けど、だとしたら京都にこんなにたくさんの外国人観光客は来ないはずだ。けれど彼らの感じるものと、わたしが感じるものは同じようなものなんだろうか?わたしの感じている「わびさび」は本当の意味するところの「わびさび」なんだろうか。そしてそれを外国から来た人たちも同じように感じるんだろうか。

そもそも。大阪でSさんと話したときに「日本人はどうしてこう、細かくて繊細なところに行き着くんだろう」と話したのだけれど、銀閣寺の庭を見て、わたしにはわびとかさびが、その「細かさ」とか「繊細さ」に繋がっているのではないかと思われてならなかった。銀閣寺の庭の色は緑は緑、グリーンと言えばグリーンだけど、でも、そこに「緑」とか「グリーン」と言い切れるほど単純なものでないものも多分に含まれているような気がする。奥深い緑もあるし、浅い緑もあるし、そこではなんというか、言葉に表せない「細かさ」を感じることができるような気がするのだ。山にある「緑」もいろいろな緑で構成されているけれど、あんな風に「陽」な感じではなく。うーん、言葉ではうまく言い表せないのだけれど。。

でもそれって本当に「日本人」だけのものなんだろうか。では、同じように日本で生まれて育ってきた日本国籍じゃない人はわびもさびも感じない?いや、そんなことはなかろう。そもそも日本古来の文化だって、日本に住んでいる人たちだけが作り上げてきたわけではないわけで。渡来人だっていたはずだ。けど、確かにどこかの時点でここからは「日本の文化」って言えるようなものがあるはず。けどそれは「日本人」という血の問題ではなく、やはりここに生まれて育ってきた風土が作り上げているような気がする。うーんでも、だとしたら、日本で生まれて育ってない人たちはわびとかさびとか分からない?だけど、京都にはこんなに外国からの観光客が来てるし、フランス人で日本かぶれな人は「タタミゼ」とかいう言葉があるらしいほど日本文化が好きな人だっているって聞くけど。。

しかも日本人でも金閣寺作った義満とか、あと秀吉はきんきらきんが大好きだったじゃん?秀吉なんか特にわびさびの元祖、千利休を気にくわなくて殺しちゃったわけだからさ(別にわびさびが嫌いで殺したんじゃないけど)。同じ「日本人」と言っても、みんながみんなわびさびが好きってわけじゃなかろう。ということは、わびさびの精神は特に「繊細さ」「細かさ」に繋がってない、ってことなのかな?

とかなんとか、考えが堂々巡りになってわけが分からなくなってしまった。でも、そういう絶対に答えが分かりっこないことを一人でじっくり考えられるのは一人旅ならではなんだよね。そして、そういう時間がたまらなく楽しい。

銀閣寺の庭を歩いている途中で、とうとう雨が降ってきた。帰りは「哲学の道」を通って帰る。

2226-1.jpg   2227-1.jpg


雨が降っているのは降っていたけど、そう大した雨ではないのに、人っ子一人いなかった(笑)まぁ晴れてたらこうはいかなかっただろう。だけどわたしは哲学の道なら座れるところがたくさんあって、休み休み行こうと思ってたのに、雨が降っているせいでどこにも座ることができなくて、ここら辺ではもう足が痛くて参ってた。

2198-1.jpg


気になってた「銀閣寺」の朝鮮語表記。「긴카쿠지」という日本語読み表記になってた。ただ、銀閣寺の看板はこれしか見つけられなくて他の表記があるのかどうかは分からない。金閣寺のときは「킨」を使ってて、これは絶対に濁らない読み方しかできないのだが、銀閣寺は「긴」で、この文字が語頭に来てたら濁っては読まないんだけど、語中に入ると濁れる音なので、そっかー、まぁこの字を使うしかないのかな、と思った。しかし、ここの「哲学の道」表記も日本語読みなんだよね~。で、カッコ内の「강변을 따라」ってなんて書いてあるんだろう?「哲学の道」の意味自体を朝鮮語で表すなら「철학의 길」かなにかになるはずだと思ったんだけど、そんな表記とも全く違う。家に帰って調べてみたら、どうやら「川に沿う」って書いてあって、それは上の日本語の「川沿いに」というのをそのまま朝鮮語に直したものらしかった。なーんだ、、

一応南禅寺までは歩いて行って、そこからバスに乗って京都駅まで行こうと思っていたのだが、南禅寺に着いてもバス停がどこにあるかさっぱり分からなくて、というか、バスが走っているような太い道はどこー?って感じだった。で、ぐーぐるさん見てみたら、地下鉄東西線で「蹴上」って駅がそこから近く、それに乗ってJRの山科まで行けば、一本で大阪に戻れるじゃんって分かり。最後は足を引きずりながら蹴上駅に向かった。

蹴上駅から山科駅までは2駅程度だったが、1駅だけ座れ、でもそこで座ったらなんだか右足の薬指の先の方がめっちゃ痛くなってて「あれ?今まで全く痛くなかったのになんで??」と思った。で、山科駅からJRに乗ったんだが、もうちょうどラッシュアワーにかかってて、電車で座れなかったらどうしようって思ったんだけど(足の裏がジンジンして立っていられないほどだったので)、京都で結構人が降りて、そこからは座れた。座れたんで、気になった右足の指のところを見てみたら、薬指の腹のところにでっかい水泡が。あーこりゃ痛いわって感じ。だもんで、安曇野で買った絆創膏を貼った。しかし、こんなところにマメができたのは生まれて初めてだわ、、

大阪に着いたが、YHではその日の夕食は用意できないと言われたので(家で予約するときにね)、大阪では初めての一人メシ。

2228.jpg


大阪と言えば、お好み焼き。YH近くのお好み焼き屋さん(残念ながら一番近いところはその日貸し切りでダメだった)で食べたんだけど、美味しかった。しかも安かった。ミックス(豚、エビ、イカ入り)が850円だったかな?豚玉は650円だった。

そういうわけで、この日は本当によく歩いたよ。考えながら、よく歩いた。

その5に続く。
16:48 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
03-25 Wed , 2015
一人旅してきた その3(リバティおおさかで性的少数者の展示物が削除されたと聞く)
その2の続き。

中津川行きの電車で「ここ、空いてますか」と声をかけてきた人は、YHで出会った関西方面から来た人だった。前日松本で泊まって、今日、家に帰るという。昨日、絵本美術館のところで別れたときに「これから二度と会うことはないだろう」と思っていたので、2人して「びっくりした!」と言い合った。こういう偶然ってあるんだなあって思った。

その後は2人で別れたあとにどうしたかを報告し合った。向こうはわたしと別れたあと、穂高駅から松本に向かったとのことだった。わたしはあの後はどこにも寄らずにYHに戻ったこと、前日の泊まり客がわたし一人しかいなくて寂しかったと言った(笑)

でも正直わたしたちはもう、そのことを報告し合っただけで十分だった。それ以外にはもう話すことはない。なので向こうは電車の中の別の席が空いたときに「向こうに座る」と言ってそれ以降は別の席になった。

実はわたしはこの電車に乗るときにちょっと緊張していた。それはこの沿線に

2120.jpg


このような駅があるからだった(笑)既にこの駅には高校の時に1度来ていて、そのときは降りて周辺を歩いたりしたものだったけど、今回それをやると次の電車が来るまでこの駅で2時間過ごさなければならない。そうすると次の目的地に行けないことになるので、通りすぎることを選んだのだけど、でも通った記念に駅の看板の写真は撮りたいなーって思ってたのだ。運良く反対側の駅のホームに立っている駅の看板が目の前だったので窓越しに写真を撮る。

前にこの駅に来たときは、まだ国鉄時代で、この駅は無人化されたばかりらしかった。駅に「一言ノート」みたいなのが残されてて、それを読んだ覚えがある。地元の人から愛されてた駅だったんだなーって思った。あれから30年くらい経ったのか。現在のこの電車は2両編成で、しかも塩尻から先はワンマンカーになっていた。降りるときは先頭車両の一番前側のドアからしか降りられない(運転手さんにお金を払うため)。乗るのも車両の先頭と最後のドアしか開かず、2番目と3番目のドアは「開ける」ボタンを押しても開かない。そんな電車だった。

12時54分中津川着。13時20分の名古屋行きに乗り換える。

2122.jpg   2123.jpg


14時35分、名古屋着。15時発大垣行きに乗り換え。

2127.jpg   2128.jpg


名古屋のホームで、YHで一緒だった人にまた会った。というか向こうから声を掛けてくれた。これからも同じ方向の電車には乗るのだが、別に一緒に行動するわけではないので、ここがお別れの場所にするつもりだったんだろう。わたしも「昨日は本当に楽しかったです。声を掛けてくれてどうも有難う」と言った。向こうは「なんか無理矢理連れ回してしまったみたいで、強引だったかなあと思ってたんです」と言ったので「いやいや、全然そんなことなくて、むしろ感謝してます」って答えた。そっか、お礼の言葉をいい足りなかったなあと思った。一期一会なんだから、そういう気持ちはしっかりと伝えないとね。

15時32分大垣着。15時37分米原行きに乗り換え。

2129.jpg   2130.jpg


しかし、鈍行ってこんなにぶちぶち切れてたっけなあ、昔は。もうちょっと長い間電車に乗れたような気がするんだけど、これだと今、頻繁に走ってる一番長く乗れる区間って、東京~博多の新幹線?それとも四国とかはまだ長く乗れる区間の鈍行があるんだろうか。

16時12分、米原着。16時18分播州赤穂行きに乗り換え。

2131.jpg   2133.jpg


米原からJR西日本。ここから先は通勤の客などが多くなってきて、電車の中は混み混み。そんな中、のんびり旅行してるのは申し訳ない気分になってくるけど、、まぁでもわたしだって行けるときに行っておかないと、後で後悔するのは嫌だから。

2134.jpg


ついにこの日の目的地、この旅行の目的地でもある新大阪に。17時37分着。

2138.jpg


新大阪から歩いて5分くらいの「新大阪YH」。だけど、新大阪って東口が2つあるので、最初はどちらから行っていいのか迷った。出口の表示に「ココプラザ」って書いてある方から出ればいいって分かったのは、しばらく後のことでした(笑)(YHはココプラザの中にある)

前日の「泊まり客は自分一人」から、一転してここはほぼ満員状態。それも一人旅をしている、という人たちはほとんど見なくて、「友だちと泊まりに来ました」って若い人がたくさん。。まぁここはYH会員じゃなくても一泊3400円で泊まれるし、何人もの友だち同士で泊まれる場所としては最適なんだろうけど。ただ、大都会の公営YHって昔も今もこんなもんだよね。

2136.jpg


YHから新大阪駅の間で見かけた猫ちゃん。急いで道路を渡ってるところでした。

2139.jpg


夜は、大阪の友だちのSさんにホルモンの美味しいお店に連れて行ってもらった。十三の「あらい商店」ってところ。わたしは今までホルモンは特に嫌いではなく、それなりに食べていたんだけど、本当に美味しいっていうホルモンがどういうものか分からなかったのね。だから、一回、美味しいと言われるところで食べてみたかったんだ。ホルモンの串焼きはカルビを除いて全部食べたかな。本当に美味しかった!特に「コリコリ」って言われる牛の大動脈と「ネクタイ」って呼ばれる牛の食道、初めて食べたんだけど美味しかった。「コリコリ」は3本も食べてしまった。「ミノ」とかよく聞く名前の部位も、ホルモンってガムみたいに口の中で噛みきれないもんだと思ってたのに、全然そんなことはなかったし。一つ一つが小さかったからかも知れないけど、すっごく美味しかった。

でも、食べながらいろいろなことを思った。以前見た「ある精肉店のはなし」という映画の中で弟さんが話された「牛を殺すなんて怖いと言いながら、その牛をにこにこしながら美味しいと食べている。そっちの方がよっぽど怖いわ」というセリフを思い出した。牛の大動脈を食べながら「本当にそうだよな」って思った。「大動脈」って聞くと「うわ、なにそれ。そんなところ食べるん?」って思うよ。だけど、食べてみると本当に美味しい。自分、怖いじゃんって。そして「ある精肉店のはなし」の中で見た、と畜される牛の様子を思い浮かべた。と畜の方法はあの映画とは違っているだろうけど、ああやってこの牛も殺されたんだろう。それをわたしは「美味しい」と思いながら食べている。

別にこれは自虐じゃない。「美味しい」と思っていることは本当だし、人間はそうすることでしか生きられない。わたしはあの映画を観て以降「美味しいと感謝しながら食べれば殺された牛も浮かばれる」という考え方は絶対に止めよう、と思っている。人間に食べられる生き物は、人間に感謝されても殺されてよかった、ああ、食べられるために死んでよかった、なんて絶対に思うはずはないから。これはただ、わたしたちの「逃げ」だ。そう考えることで自分が生き物を殺して食べている罪深さから逃げている、誤魔化して正当化しているとしかわたしには思えないのだ。そうではなく、人間は他の生き物の命を奪って自分の命を生きながらえている。人間は「そういう風にできている」のだ。だから、そのことはそのこととして目を逸らさずに事実を受け止めなければならないと思っている。

しかし、だからといって感謝すべきことが何もないとは思っていない。わたしが感謝するべきなのは、このようにまで牛を育ててくれた人、牛をと畜して処理した人、ここまで美味しく加工してくれた人だ。この人たちがいなければ、わたしはまたこのように牛を「美味しい」と思って食べられないのだ。

ホルモンの語源は、「放るもん(ほうるもん)」から来たと言われている。牛の内臓は食べられず捨てられて(放られて)いた。そのタダ同然の部位を丁寧に洗って、食べられるようにしたのが在日の人たちだ。彼らは貧しくて食べられるものがなかった。しかし何か食べないと死んでしまう。だからこうやって「放られたもの」を食べざるを得なかったのだ。Sさんによれば、ホルモンはもともと脂だらけの部位で、洗ってその脂分を取るのだが、洗い過ぎると脂分が抜けてまずくなる。その加減が難しいのだと。貧しく過酷な歴史の中でいかに放られたものを美味しく食べられるか、という技術が今、わたしが食べている「ホルモン」に凝縮されている。わたしはそのような「恩恵」も受けているのだ。

そんなこと思いながら「美味しい」と言って食べた。この複雑な思いは到底言葉で言い表せなかった。

Sさんとはいろんな話をした。普段はネット上の付き合いしかないけれど、ネットだと文字を媒介してでないと自分の意見が伝えられない。でも、文字のみだとどうしても自分の複雑な気持ちまでは伝えることができない。会って話すということは、文字では伝えられない複雑な気持ちを伝えることなんだと思った。が、言葉にも表せない複雑な気持ちも当然ながらある。物事を深く知れば知るほど、単純な問題ではないことが分かる。その中で感じた自分の気持ちはどうやったって言葉では伝えられない。自分の思ったことに対して、言葉が持つ意味が単純すぎるのだ。

だけど、会って直接顔を見て話すことは、単純な言葉よりも多くのものが伝わる。Sさんとは去年の夏に1回会ったのが初めてで、今回は2回目だったんだけど、前回よりも日頃思っていることが話せたような気がする。その中で「なんで日本人って細かく、繊細な方向に行ってしまうのか」という話が出たんだけど、これはその後の旅の中でもしばしば考えることになる。

YHは風呂の時間も門限も決まっているので、遅くならないうちに戻る。ただ、新大阪YHの門限は0時、風呂の時間も同じ時間なので、他のYHに比べるとかなり遅い。普通はだいたい風呂は22時、消灯は22時半か23時だもんね。さすがに都会のYH。

なのに!わたしはこの日、午前2時過ぎに部屋に戻ってきた人たちに起こされてしまうのだった。ここ、消灯は23時なんだけど、あくまでも「お願い」でしかないので、電気は付くんだよね。しかも消灯といっても談話室は何時まででもいいみたいで、だから午前2時まで話してたんだろう。しかし、午前2時っていうのはどう考えても非常識な時間としか思えない!そういう人はYHでなく、どこかホテルに泊まってくれ~。

3月17日。
この日は「大阪人権博物館」(リバティおおさか)に行く日。1回目で全体の1/3程度、2回目で2/3程度見終えたけど、果たしてこの日に見終えることができるのか。

2015032515391192e.jpg


新大阪YHの朝食。安曇野のYHに比べると「うーん」って感じだけど、まぁ大規模YHってこんなもんだよね。朝食の料金安いし(税込み500円)。新大阪YHではこの他に2回、朝食を食べたんだけど、ちょっとずつメニューは変わっていたものの(3日目はパンケーキだった)ほとんど構成は同じだった。

2143.jpg


リバティおおさか最寄りの「芦原橋」の駅。駅の看板が去年の夏よりも新しくなってた。

2146-1.jpg


リバティおおさか。実はここに着く前に、こういう垂れ幕が見える。

2144.jpg   2145.jpg


わたし、この垂れ幕を去年の夏に発見して、そのとき気が付いたことがあった。この境界線のないレインボーフラッグらしきもの。でも画像を撮ってこなかったんだよね。なので今回は忘れず。これを見て何を思ったかをここに書くと長くなるので、このことについては後日別記事にすると思います。

リバティおおさか、今回はハンセン病のところから見たのかな~。館内は相変わらず閑散としてた。時折団体客が来てたようだけど、あっという間に見てるわたしを通り越して行っちゃう。一つ一つの展示やビデオを見ると、ここは1回の開館時間ではとても見きれないほどたくさんの資料が置いてある。

でもね。展示物を見ていて「あれ?」って思うところがあるの。「なんか薄められている」って。分かるんだ、見てて。あるところはとても詳細なのに、突然大きなパネルなどが出てきて説明がちょっと、とか突然「この人たちは大阪府出身の偉人です!」みたいなのが出てきて「なんでこんなのがここに置いてあるの?」みたいなものが時たまあるんだよね。「ああ、ここの部分が変えられたんだろうな」って思った。

展示を見てたらボランティアのおじさんらしき人が「何か質問はありませんか」と聞いてきたので「展示に関することですか?」って聞いたら「なんでもいい」というので、最初は見てたハンセン病の差別の歴史について疑問に思ってたことを聞いた。そのうちおじさんが「ハンセン病のコーナーも前はもっと別のものも取り上げていたんだけど」って言い出して。「ホームレスのコーナーも前は『ホームレスは大阪府が日本で一番数が多い』という統計を出していたんだけど、橋下市長が『こんな不名誉なものが出せるか』と言い出して、展示物から削除された。でも、ホームレスがあの当時日本で一番多かったのは、いくつかの理由があって、まずは阪神大震災で復興需要に湧いたとき、東京方面から片道切符でこちら方面に来た人が多かった。けど、復興需要は3年で終わってしまい、その後、再び職がなくなってしまった人がここに残るようになった。もう一つは小泉首相だったときに竹中が規制緩和で派遣法を改正したこと。あれによって今まで若い人たちの派遣労働が増え、年寄りに仕事が回らなくなってしまった。そういうのが理由なんです」と。そして「ここにはかつて性的少数者の展示があったんですが、全部削除されました。性的少数者の人権について取り上げている博物館は世界でも例がなかったみたいで、外国からの評価が高かったんです。外国から来た人にそう言われました」と。

あー、そうだったのか。それは全然知らなかった。しかし、なぜ性的少数者の展示が全部なくなったのか。一体何が不都合だったのか?聞いてみたけれど「それは分かりません」と言われた。
(注:ちなみに性的少数者の人権についての展示はすべてなくなったわけではなく、入口近くに移されてます。が、以前はそんなものではなく、もっと規模が大きかったようです)

「確かに展示物が変えられたところは見て分かります。こことか、こことかですよね」と言ったら、「そうです」って言われ、「かつての展示の様子は以前出した展示図録で分かります」と言われた。で、いきなり「こっちに来て下さい」って言われ、もう出口に近い資料を集めてるところに連れて行かれて「これです。かつてはこういう展示だったんですが、これがなくなって、これもなくなって。。」と説明された。「以前は『学ぶ権利』というコーナーがあったんですが、市長に『義務教育なんだから、権利じゃない。子どもは教育を受ける義務があるんだ』と言われて。。義務教育というのは、親が子どもに教育を受けさせる義務であって、子どもに対する義務ではないのですが」と言われた。きっと市長は市民が「権利」を持っていると思うのがたまらなく脅威を感じるのだろうなと思った。今の日本の施政者はみんなそうだよね。だから憲法を改正して国民の持っている権利をすべて奪い取って義務だけ課したいと思ってるんだよね。でも、同じこの国に生きている自分たちの権利はどうなんだろう。橋下だって安倍だってみんな等しく「権利」は持っているはず。国民の権利を奪うことは、自分たちの権利をも奪うってことなんだけど、彼らは自分たちの権利は特別で奪われないと思ってるのか知らん?

「この図録は残念ながらもう入手できなくて、でも、コピーなら2階で取れるので、欲しいところは言って下さい」そう言われた。わたしは「あー、残念ですね。じゃあそうします」って答えて別れたんだけど、その後わたしが展示コーナーに戻って展示を見てたら「数冊残ってました。帰りに言って下さい」と言われたので買わざるを得なくなっちゃったよー(笑)てか、言われなくても欲しかったけど。でも一番心配だったのは、買った冊子が荷物の中に入るかどうか、でした。

しかし、最後の方は本当に展示が薄まってたー。一番見応えがあったところは、真ん中の部分、ウチナンチュ、在日、アイヌ、水俣病のところだったような気がする。特にわたしは水俣病のところが印象に残った。水俣病は熊本大の原田医師って人がずっと患者と寄り添って国と戦ってきたんだけど、その人が「患者側に偏っていると言われるが、これは名誉なことだと思っている。そもそも『中立』とは何か。国と患者の間、等距離を保ったとしてもそれは『中立』にはならないのだ。国が圧倒的に強く、患者は圧倒的に弱い。そういうもの中間に立つということは、それはすなわち『国側に近い』ということを意味している。患者側の方に寄ることで初めて『中立』と言えるのではないか」みたいなことを言ってるのね。

わたし、それを読んで「あ、トルクとモーメントと同じだ」って思った。例えばやじろべえかなんかを思い浮かべてもらいたいんだけど、片方に重く、片方に軽いおもりがついているとしたら、バランスが取れるところって、(重さ×距離)が同じところでないと釣り合わないんだよね。決して(距離)だけの問題ではない。距離だけ中間の位置を取ったとすれば、重い方に傾くに決まっている。重い方、すなわち「強い」方だ。距離だけ中間を取って「中立」をきどっている、ということは、強い方に味方をしている、ということになるのだ。
(ただし、この考え方だとバランスを取るためには、軽い方に長い距離を取らなくてはならないことになるので、そういう意味では「弱い方に距離が近くなる(=寄り添う)」っていうイメージとは逆になっちゃうんだけど)

展示を見終わってトイレに行った。ここのトイレは女子トイレでも

2147.jpg


こんな感じ。ここ、色だけ見て男の人が女子トイレに入ってしまうのだそう。だから、上に

2148.jpg


こういう表示を付けたんだとか。これを見て「こんなめんどくさいことをするくらいなら、女子トイレの表示を他と同じように赤くすればいいじゃないか」という意見が絶対に出てくると思う。けれど、ここでわたしたちが気が付かなければいけないのは、「色を見て性別を判断する、ということをわたしたちは生まれてきてから教育されていて、意識しないうちにそういう風に動いている」ということだ。すなわちそれが「ジェンダー(社会的性別)」というものだ。便利とか不便とかそういうことではなく、自分の中に知らず知らずに「そういうものが植え付けられている」ということを気が付かせるものだ。そしてこれはジェンダーだけの問題でなく、人間は生まれてからいろいろなものを身に付けさせられて生きていく。民族の習慣だったり、常識だったり、風土だったり、、いろいろなものを。

もちろんそれがすべて「悪いもの」であり、そんなものがなくなればいいと言っているわけではない。ただ、普段「当たり前」のこととして意識していないもの、そういうものを少し意識すると、今まで見えなかったものが見えてくるのではないかと言いたいのだ。

2149.jpg


出口というか、受付というか、ミュージアムショップっていえばいいのか、そういうところで売っていたもの。画像では分かりにくいんだけど、後ろのごちゃごちゃしてるものは「ピンチ(洗濯ばさみ)」で、リバティおおさかの危機(ピンチ)と洗濯ばさみの(ピンチ)が掛けられてる。こういうところ、なんでも笑いにしてしまう大阪っぽいなーって思った。でももしかしたら「弱いものは時折自分の状況を笑いに変えて、力強く生きてきた」ってことを表したかったのかも知れない。しかし、こんな100円単位で応援になんてなるんだろうか。。と思いつつ、わたしは荷物が増えるとわたしの方がピンチになってしまうので、2個しか買えなかったのだけど。

思いがけず早く展示物を見終えてしまったので、18時に友人と待ち合わせをしていたのだが、それまでタダで時間を潰せるところをネットで探す。本当にスマホってこういうとき便利だなあと思う。

2150.jpg


阪急梅田ビル15階、スカイロビー。

今日の夕食も友人とともに。ヨドバシカメラの上の居酒屋。

2153.jpg


わたしと同じくセクマイの人なので、そういう関係の話をした。個人的な話とかもね(笑)なんか「ああー、わたしも頑張らなきゃな」って思ったよ(笑)

その4に続く。
17:38 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-24 Tue , 2015
一人旅してきた その2(穂高で忘れられない出会い~再会)
その1からの続き。

ぐーぐるさん(Google map)では穂高駅からYHまで徒歩47分って書いてあったような記憶があるんだけど、実際、景色を楽しみながらのんびり歩いてたら1時間ちょっとかかった。穂高駅に着いたときは14時半過ぎだったけど、YHが開くのは16時以降だから、駅前のそば屋でコーヒーを飲んで30分ほど時間を潰していったんだけどね。

YHに着いたのは16時半頃だったかな。夕食は19時だから、それまではヒマで。というより、昼食を食べてないからお腹が空いて死にそうだった(笑)わたし、旅行中はお昼ご飯は食べません。高校の時からそう。その理由は食べるものがない。食べるヒマがない。食べるものを考えたり用意するのがめんどくさい、から。だから、基本的には朝ご飯をしっかりと食べて出かけ、夕食はお腹を空かせてまたしっかり食べる。まぁそんな感じ。

2056.jpg   2057.jpg


最近は「本日のメニュー」とかって、ちゃんと用意されてるんだね。ちなみにこのYHは、ご飯が美味しいところが自慢だそうです。確かに豪華メニューで美味しかった。お腹が空いてたので、ご飯3杯食べた。この日の泊まり客はわたしを含め、3人でした。他の2人は知り合いで、一人が関東方面から、もう一人は関西方面からやって来て、ここで落ち合ったんだとか。ここのYHももう既に何回か来ているようで、周辺のことに詳しそうだった。今回は前回、お腹いっぱいで食べられなかった「ガレット」(そば粉でできたクレープみたいなん)を食べに来たと言ってた。

旅行先での話すきっかけは簡単だ。「どこから来ましたか?」「これからどこに行くんですか?」それさえ聞けば、あとは相手からいろんな話が出てくる。初めて会った人としゃべるのがとても不得意なわたしでも、この言葉さえあれば話せる。同じ旅行好きの人たちだから、あそこがよかった、ここがよかった、と旅の情報交換ができる。そしてそれは次回の旅への「種」となる。

20時半からおそらくミーティングだろうということで、わたしは一旦部屋に戻ってそして20時半に食堂に戻ってきたんだけど、他の2人はまだ食堂で話してて、しかもペアレントさんは来ませんでした。。(笑)わたし、次の日の予定は何一つ立てておらず、ペアレントさんにどこか楽しいところはないかって聞きたかったんだよね~。けど、ここのYHのペアレントさんはほとんどホステラーに関与しない人なのかしら。泊まった2日間、こちらが用があるときにだけ呼び出して、あとは放置でした。まぁそういうYHもあるよね、、「一人で静かにしていたい」って人にとってはちょうどいいところなんじゃないかな?

YHって夜はミーティングとかあって、交流しなきゃならないからそれがヤだ、って人もいると思うんだけど、基本、ミーティングがあるとこなんてほとんどない、と思う。中には談話室なんかがあって、そこで好き勝手に旅の情報交換をやる人はいるけど、それはあくまで自分の好きで参加不参加を決めていい。そういうところはかなり自由度はあるところなんだよね。YHっていうと「協調性が、、」って思う人はまだ結構いるみたいで、どこからそういうイメージが来てるんだろと思うんだけど、確かに門限守ったり消灯守ったりするような協調性は必要だけど、人と人との交流においては別に強制はされない。誰にも出会いたくなければ、部屋に籠もっていたって全然構わない。一言もしゃべらないで過ごすことだってできる。YHってそんなとこ。

ただ、一緒に泊まった人によると、このYHはビールの樽かコレクションか知らないけど、そういうのが食堂奥の別室にあって、それが開く日があるんだとか。きっと泊まり客が多い日は夜はバーみたいになるんじゃないかな。泊まり客3人だとやってくれなかった。まぁわたしはビールは苦手なので別によかったんだけど。

ペアレントさんが来なかったので、泊まり客3人で、途中からは一人眠くて帰ってしまったのでそこからは2人で、今まで行った旅行の話とかをしてた。わたしは20年ぶりくらいの一人旅だけど、考えてみるといろんなところに行ったんだなーって思い出しながら話してた。で、21時半頃になってお開き。そこから風呂入って寝た。

安曇野はまだ寒くてね。天気アプリ見たら午前6時がマイナス4度ってなってて、「げー、マイナス4度!」って思ってたんだけど、夜に目を覚ましたらちょうど5時58分で「そういや、今何度だろ?」と思って天気アプリ見たら、本当にマイナス4度だった。。あ、もちろん外気温だけどね。でも安曇野はやっぱ東京に比べると寒かったよ。。

2059.png


3月15日。
この日は天気が良かった。実は1週間前ほどからこの日の天気を気にしてたんだけど、当初は雨マーク付いてたんだよね。それが次第になくなって、そして当日は晴れ。わたし、去年の長崎のときから思ってたんだけど、結構な「晴れ女」みたいだ。

2060.jpg


朝のメニュー。リンゴジャムなんかは手作りだったんだろうか。パンは2つ食べた。

朝食を食べながら、他の2人と「まー、結局昨日はペアレントさんと話せなかったんで、予定はちゃんと決められなかったんだけど、今日は適当にどこかに行ってきます」としゃべってたら、いきなり「もしよかったら、一緒にガレット食べに行きませんか?」と言われた。こういうところがYHの旅の醍醐味だよね!「ありがとうございます!一緒に行きます」って答えた。この2人はわたしと違って連泊しない。この日の間に松本に移動するらしい。なので、途中まで行動を共にし、どこかで適当に分かれることになるはずだ。

「9時半にYHを出発することにしましょう」と3人で決めたので、9時半に出発。

2061.jpg


YHの前から見た北アルプス。白いのがそうなんだって。わたしは山のことには全く詳しくないので、どれがなんの山だとかは知らないのだけど、一緒に泊まった人のうちの1人は山に詳しいらしく、教えてくれた。しかも「あの角になってるところが鹿島槍で、その隣が爺ヶ岳で」と山の名前まで教えてくれた。でもわたしは「じいがたけ」って聞いても即座に漢字が思い浮かばず、「Gがたけ」ってなんだろ?って思ってた(笑)その人は夏にテント担いで7日間でそこを登ったと言ってた。

途中、地元の農産物が売ってるところを発見。

2065.jpg   2064.jpg


なんだかここ、当日かその前日に新装オープンしたらしく、無料でお汁粉を配ってた。もちろんいただきました(笑)甘かった~。んで、中に一つ餅が入ってたんだけど、これが伸びる伸びる。とても美味しかったです。

中には新鮮な地元産の野菜がたくさん。地元産じゃないのもあって「なんで茨城県産がここに?」っていうのもあったけどね。ここの近くの村では長芋が名産らしく、すごい立派な長芋が350円とかで売ってて、思わず「やっす~!」「これから帰るところだったら長芋、手で持って帰るのに!」って思っちゃった。その他にもいろいろな特産品が売ってたんだけど、どうしてもどうしても味噌が欲しくなってしまって、500gのヤツを1つ、買いました。もうね、出かけるときから荷物はパンパンで、すき間なんか全くなかったのね。だから本当に味噌しか買えなかった。荷物に余裕があったらもっといろんなものを買って帰りたかったのに!

そこを出て、さらに東の方に道沿いに歩く。そしたら穂高温泉郷の中の「しゃくなげ荘」ってとこの手前に「八面大王の足湯」というところがあり、そこは無料で足湯ができるというところだった。「温泉は湯冷めするからできないけど、足湯だったらやってく?」ってことで、足湯することに決定。こういう「無計画」な出会いも旅の醍醐味。そういや「無計画の計画」って昔読んだ小説の中に出てきたなー。あれは山本有三だったっけか、それとも下村湖人の「次郎物語」だったっけか?よく覚えてないけど「無計画の計画」っておぼろげながら思い出すと要するに仏教で言う「縁起」の概念と一緒のような気がする。こういう旅での出会いも「無計画の計画」なんだろうけど、わたしはそれは「偶然」だと思うようにしてる。

2066.jpg  2071-1.jpg


わたしたちがそこに行ったときは既に4人くらいいたかなー?わたしたちがいる間、何人かが行って、何人かが出て。「混む」というような感じじゃ全くないけど、でも誰もいないってわけでもなかった。

2073-1.jpg  2069-1.jpg  2067.jpg


八面大王って、こういうの。いろんな顔した八面大王がぐるっとなってる。お湯はそんなに熱くもぬるくもなく。ちなみにわたしはかなり「熱いのが好き」な方で、一緒に行った人は「熱い」って言ってました(笑)とっても気持ちがよくていつまでも浸かってたい感じだった。わたしはタオルを持っていくのを忘れてて(というか、こんなところでこういうことをするとは思ってもみなかったんで)ハンカチで足を拭いた。大きめのハンカチを持って行っててよかった。

2072.jpg


ここはホントに温泉で、成分表なんかもちゃんとあった。これによると「泉温69.3℃」ってあるから、かなりの高温が湧き出てるのね。

そこを出てさらに東の方向へ。ついにガレット屋さんに。

2076.jpg   2075.jpg


なんか「旅行中はお昼食べない」って書いたけど、この日はよく食べました(笑)ガレットって食事のガレットとデザートとしての甘いガレットの2種類あるみたい。2つセットになってて2000円だったかな。わたしは最初、甘いのを食べようかなと思ったんだけど、でも、食事の方のガレットが美味しそうだったのでそっちにした。他の2名はセットのを頼んでたんだけど、わたしはそこまで食べられそうになかったので食事のみ。食後のコーヒーが付いて1350円だったかな~。結構美味しくてペロペロって食べられた。デザートのガレットも美味しそうだった。2人からちょっとずつ分けてもらいました(笑)

お店の人はすっごく丁寧な人だった。まぁ人があまりいなかったってのもあるかも。シーズン中は外で客が並んでるほどなので、丁寧な対応ができないって言ってた。お店の人はここに移住して十数年って言ってたかな。お店を開いて5年目なんだそうです。安曇野って地元の人と移住者の割合が半々くらいなんだって。YHに何回も泊まってる同行者も「来るたびに家がぼんぼん建ってる」って言ってたし、お店でわたしらの隣に座ってた夫婦らしき人たちも「今度ここに移住してくるんです」ってお店の人と話してた。まぁ山が好きな人にとっては、ここは見渡す限り山に囲まれてるから天国みたいなとこなんだろうなー。冬は寒いけど。

そのお店でガレットを食べながら2時間くらい過ごしたかな。山に詳しい同行者は、たくさん山のことについて教えてくれました。山の名前の由来。春になると山の雪が溶け始めて「雪形」というのが見えるようになるんだとか。「雪形」っていうのは、雪が残ったところの形のことで、爺ヶ岳は山に老人のような形の雪形ができるためにそういう名前で呼ばれるようになったとか。また「白馬」というのが近くにあるけど、これはもともと田んぼで代掻きをする頃に見える雪形なので、本来は「代馬」(しろうま)なんだとか。それが読み方と漢字が変わって「白馬」(はくば)になったとか、そういうことを教えてくれた。ただ、その人自身も雪形は見たことがないから「いつか見たい」って言ってた。

こういう話って普段の人間関係からは多分聞くことのない話。偶然自分が旅行してて、相手も旅行してて、その中で偶然に出会って聞くことが出来た話。こういうのも一人旅ならではなのかなと思った。

今までの一人旅をして来た中で、出会った人たちがいる。名前も連絡先も聞かずに別れたので、もう二度と会うこともない人たちだが、わたしの記憶の中におぼろげながら、でも確実に残っている人たち。高校の時、初めての一人旅の時に中央本線である人に出会った。いろいろ話したんだと思うけど、今では「座間に住んでいる」と言われたことしか覚えてない。でも初めての一人旅で電車の中で話した、その楽しかった記憶は忘れてない。大学の時だったか、長野の善光寺に行ったことがある。善光寺の近くに教授院という宿坊のYHがあるのだが、そこで同室になった人。確か密教系の大学で修行してお坊さんの資格を持っている、と言っていた。実家がお寺みたいだったけど。厳しい修行について教えてくれた。何日も狭いところに入って、誰とも話さないと気が狂いそうになるとか。大学院の時は一人旅ではなかったんだけど、京都で学会があったので、宇多野のYHに泊まったことがある。そこは談話室があって、そこに陸上自衛隊の人が泊まってた。どうやら自分の大学でリクルートするために泊まっていたらしい。わたしに「自衛隊に入っても研究ができる」と勧めてくれた。が、わたしは当時海についての研究をしてたし、わたしは言っちゃ悪いが陸上自衛隊はあんまり好きではない(そういう問題かとも思うが)。「いえいえ、いいです」って断った。で、その人は富士の訓練場で行われる夜間行軍について教えてくれた。50キロくらい夜通し歩きまくるらしい。すごく過酷な訓練だと言っていた。

こういう話を聞けるのが、旅ならではなんだと思う。日常では絶対に出会うことのない人たちと出会える。自分の中で忘れられない記憶になる。きっと、こういうことが起こり得るから一人旅は楽しいんだと思う。

かといって、旅行の中でこういう出会いが必ずあるかと言えば、そうではない。何も起こらない方が圧倒的に多い。「誰かに会いたい」と思っても会えるわけではないのだ。一人旅は基本、自分一人でも行動できること。一人で行動しても楽しいと思えること。最悪、誰とも会えないかも知れない。いや、誰にも会えない可能性の方が高い。だから「誰かに会える」という期待は最初からしない。一人旅は一人で楽しむのが基本。だけどだからこそ、その中で誰かに出会えたら、嬉しさは格別。だから誰かと会ったという記憶はいつまで経っても残るのだろうと思う。

ガレットを食べた後、再び東の方向に歩き始めた。彼らとは「絵本美術館」のところで別れた。結局お互い名前すら名乗らなかった。「よい旅を」と言って別れた。きっと中には「そういう関係はつまらない」って思う人もいると思う。「出会った人たちともっと深く知り合いたい」って思う人もいるだろう。それはそれで別に構わないと思う。中には旅行中に出会って結婚にまで発展する人もいるんだし。そこまで行かなくてもせっかく出会ったんだから、そのあと長く友人として付き合いたいって人もいるだろう。そういう人は自分の信念に従ってそういう行動をすればいいんだし、わたしは自分のこの形が誰にでも最良の形だなんて全く思ってない。「旅とはこういうものであるべきだ」なんてものは一つもないんだから。一人一人が自分に合った「旅の形」で旅行すればいいと思っている。ただわたしの「旅の形」はこうであるだけだ。

2079-1.jpg   2080-1.jpg


一人になった後、「絵本美術館」に行った。絵本の原画などが置いてある美術館で、わたしが行ったときはわたしの全く知らない絵本作家3人くらいの絵が並べてあった。とても小さな美術館で一巡りするのに30分もかからないくらい。一巡りした後、受付でドリンク券を出すと飲み物がもらえる。わたしは確か野いちごの紅茶だったかなあ~?3つのお茶の中から選べたような気がする。そこでしばらくのんびりしてた。

2085-1.jpg


絵本美術館の前の道。まだまだ季節的には春にはなりきってないみたいで、緑の美しい季節に来たら、どんな感じなのかな~などと思いながら歩いた。

2087-1.jpg


田んぼにも雪が残っているところがまだあった。そういえば安曇野のここら辺って、冬季休業しているお店も多い。だから今の季節もあまり人は来てないみたいだったんだけど、冬にもやってるお店がありますよー、ってマップがガレットのお店に置いてあった。ちなみにガレットのお店も冬は休んでないそうだ。お店の人も言ってたけど、安曇野の冬はどこも閉まってると思われがちだから、もっとアピールしなきゃね。

絵本美術館を出てから烏川渓谷緑地ってところに行こうと思ったのだが、歩いて1時間半くらいだとグーグルさんが言ってるし、烏川渓谷緑地に行ってもそこからYHに戻るとしたら、ほとんどそこで過ごす時間がないまま引き返さないともう暗くなってしまう。なので、ここは素直にYHに戻ることにした。と言っても、歩いているときにどうも左足の親指の付け根が痛くなってて、もしかしたらこれはマメが出来るかも知れない、絆創膏はそんなに持ってきてなくて、もしマメが出来て潰れたらまずい。というわけで、前日YHに来るときに見つけた薬屋が中に入ってるホームセンターみたいなところに寄ってみることにした。しかし、後々この判断はとても助かることになる、、歩きすぎてマメが全く考えもしなかったところにできたから。

2090-1.jpg


周囲が山に囲まれた田んぼの中。きっと田植えの時期は田んぼが青々としてて、のどかな光景になるんだろうな~。

2095-1.jpg


田んぼの中を歩いていたら、ついに舗装された道ではなくなった(笑)

2094.jpg


田んぼの中で見かけた猫ちゃん。近づいたら逃げられそうだったので、ズームして撮った。

2101-1.jpg


なんかこんなところ歩いてたら、ナウシカの「その者蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし」って言葉を思い出した(^^;これはただの枯れ草なんだけどね。

2102.jpg


2日目のYHの夕ご飯。この日は泊まり客がわたし一人だった。なので、昨日みたいな紙に書いたメニューはなし。でも1日目とは違ったメニューでした。ご飯を食べていたら、ペアレントさんが「明日は何時に発ちますか?」と聞いてきたので「7時半頃に出ます」と答えたら「その時間は出てこられないので、すいませんが勝手に出てって下さい」みたいなことを言われる(笑)なので「分かりました。どうも有難うございました」と一応挨拶しておいた。

夜は前日と違ってヒマ。誰も相手してくれないのでヒマ。部屋にテレビがあるが、特に見たいとも思わず、早めに風呂に入って早めに就寝。ちなみにこのYHにはWi-fiがあるので、部屋の中でもそれなりにネットはできる。ただ、パスワードを聞かないと繋がんないけど。で、パスワード、聞かなきゃ教えてくれないけど(笑)

3月16日。
朝起きて、7時20分頃にYHを出る。玄関先にこんな紙切れが置いてあった。

2104.jpg


まぁ親切といえば親切なんだろうけど。。影が薄いペアレントさんだったな~、ここ(笑)

穂高駅の近くのカフェで朝ご飯を食べる。8時半にならないと開かなくて、しかも食べたかったカレーうどんがまだできてなくて食べられなかった(涙)仕方なくトーストで。

2108.jpg   2111.jpg


穂高から大糸線に乗って松本に戻る。9時5分発。松本着9時33分。

2114.jpg   2115.jpg


松本で中央本線に乗り換え。10時24分発中津川行き。

ここで思いもかけなかったことが起こる。

中津川行きの電車に乗って、ボックス席に座り、ぼーっと窓の外を見ていたら。「ここ、空いてますか」と声を掛けてきた人がいて、その人は、、

なんと、前日途中まで行動を共にした人だったのだ!@@;

感動の再会。

その3に続く。
18:01 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-23 Mon , 2015
一人旅してきた その1(高尾~穂高)
14日から22日まで一人旅をしてきた。

わたしはもともと一人旅が好きだ。一人で電車に乗って、流れていく風景をボーッと見つつ、音楽を聞くのが大好きで、そもそも一人旅を始めたのは中2だったように思う。ただ、あれは「旅」と言っても祖父母のうちに行くために大阪から広島まで鈍行で行っただけだった(その頃は大阪に住んでたので)。赤穂線経由で行ったのだが、窓の外に見える海がとても美しくて、それだけは鮮明に覚えている(その後、山陽本線に乗ったはずなんだがそれは全く覚えてない)。

泊まりがけの一人旅を始めたのは高校生の時だったと思う。春休みや夏休みに「青春18きっぷ」を使って、あちこち行った。あちこちって言っても、主には静岡、長野くらいで、そこで何泊かして、大阪に泊まって、目的地は祖父母が住んでる広島、みたいな?一度、四国経由で広島から福山まで行ったこともあるけど、わたしが四国に行ったのはそれが唯一だと思う。あのときは広島から四国に渡って、ぐるーっと四国を一周(と言っても3/5周くらいかな)、宇高連絡船(その当時は瀬戸大橋なんぞなかったので)に乗って岡山まで。岡山で1泊して、次の日は芸備線を使って福山に行こうと当初は考えてたんだけど、前日あまりにも電車に乗りすぎてお尻が痛くて次の日は素直に山陽本線に乗って福山に行ったことを思い出すんだけど(笑)なんて書くとまるで「乗り鉄」みたいなんだけど、わたしは「乗り鉄」じゃない。別に全線制覇したいとか思ったことはないし、一番最初に書いたように、ただわたしは電車に乗ってボーッとして音楽を聞くのが好きなだけだ。

で、泊まるのはすべてYH(ユースホステル)だった。一人旅の宿泊場所でもあるし、何より安かったからね。そこでの「瞬間の出会い」がたまらなく好きだった(今でもそうだけど)。お互い詳しい名乗りはしない。どこから来て、どこに行くのか。旅の情報の交換だったり、今まで乗った電車の話だったり、その人自身の話を聞くこともあった。でも、付き合いはそれきり。一期一会。もう二度と会うことはない。それなのに、自分の記憶の中にはいつまでも残っている。詳細な話は覚えてないけど「あそこであんな人と会って話をした」。それはとてもよく覚えている。そういう出会いがたまらない。

ただ、いつしか一人旅はしなくなっちゃって、野球見て回るのにYHは時折使ったりもしたが、それも次第にビジネスホテルになり、彼女と付き合い始め、旅行は二人で行くのが基本になった。

しかし、一人で行く旅行と二人で行く旅行は丸っきり違う。二人で美味しいものを食べて「美味しいね」と言い合ったり、素敵な風景を見て「素敵だね」と言い合うのもいいけど、一人旅はなんというかもっと自分の内面をえぐられるような、そんな深い旅ができるのだ。

わたしは去年の夏に一人で長崎に行ったのだけど(というか、行き先は長崎だけではなく、長崎、鹿児島、広島、大阪に行った)、一人旅の良さをまた思い出して、それで今回は高校の時のような一人旅がしたい、すなわち「青春18きっぷ」を使ってYHに泊まりたい、そう思って計画を立てた。

わたしの旅行は行き当たりばったりではない。出かける前にどの電車に乗るか、どこに泊まるか、泊まるところはすべて事前に確保して出かける。ただ、泊まるだけでは面白くないので、そこに連泊して1日はその地域を楽しむようにする。けれど、その計画は現地に着いてから立てることにしている。現地に着いてそこで泊まっている人や、ペアレントさん(YHの管理人さんのことをペアレントさんという)にどこがいいか教えてもらう。これはYHならではだと思う。

今回は、目的地は大阪にした。わたし、ブログでは書いてなかったと思うが、一昨年の春に1回、去年の夏に1回、大阪の「大阪人権博物館(リバティおおさか)」に行っている。なんでこんなに行ってるかというと、全部の展示物を見ることができなかったからだ。今回は3度目の正直。リバティおおさかは橋下大阪市長のせいでかなり「いやがらせ」をされている施設で、展示してあるものにいちゃもんを付けられ、それに応じて展示物の内容を変えさせられてきた。でも「もうこれ以上変えられない」ということで、今までは補助金を受けていたのだが、それに頼らない自主財政で維持することに決めた。なのに今年の4月からはさらに大阪市から「固定資産税を払え」と言われている。本当に今後の存続が危ぶまれているところなのだ。わたしはその展示を見ておきたかった。応援したかった。それで、何度も大阪に足を運んでいるというわけだ。

その大阪に行くまでの経路は、
1日目:高尾から中央本線に乗って松本、松本から大糸線で穂高。安曇野市にある「安曇野パストラルYH」に宿泊
2日目:周辺散策
3日目:穂高から中央本線に乗って名古屋、名古屋からは東海道本線に乗って新大阪。「新大阪YH」に宿泊
4日目:リバティおおさか
5日目:リバティおおさか(一応全部見るために2日時間を取った)

大阪からの帰りの経路は、
6日目:新大阪から関西本線に乗って名古屋、名古屋からは東海道本線に乗って岡崎。豊田市にある「あすけ里山YH」に宿泊
7日目:周辺散策
8日目:岡崎から東海道本線に乗って菊川。御前崎市にある「御前崎YH」に宿泊
9日目:菊川から東京

こんなルートにした。当初の計画では、豊田市には行かず、熊野古道(伊勢路方面)を歩く予定だった。が、どう考えても電車の乗り継ぎが悪いのと、周辺にいいYHがなく、しかもそのうち1泊は必ず民宿に泊まらなくてはならないみたいで。で、その民宿がなかなか高くてね。夕食に伊勢エビだのアワビだのが出るからだが、こういうのを一人で食べたってね~と思ってしまい(しかもそういうところは家族とか複数で来ることを想定していて、一人で泊まるって感じではなかった)、今回は止めることにした。その代わりに「どこか山の中を歩きたい」と思って探していたら、たまたま「あすけ里山YH」が見つかったんだよね。

とにかくわたしは久しぶりに「山の中」に行きたかった。歩きまわりたかった。彼女と二人だと、彼女はすぐに疲れてしまって「どこかで休もう」という。それはそれでもいいんだけど、でもわたしはしばらく自分の好きに歩きまわってない。いやになるほど歩きたい。そう思ったんだよね。

それから、やっぱり海も見たい。山の中に行ったら絶対に海が見たくなるはず、って思った。だってわたしは山より海の方が何百倍も好きだから。てか、そんなの比べる方が間違ってると思うが、わたしの中では海に勝るものはない。「なんで好きなの?」って聞かれてもよく分からない。山は「山の空気が好き」とか理由あるけど、海は理由などない。海が見えるだけで気持ちが「わー」っとなる。海を抱きたい。海に抱かれたい。自分でもなんでそんな気持ちになるのかよく分からない。まぁそれだからこそ、大学には海に関係するところに行ったのだけど。。で、最後に「御前崎YH」に行くことにしたんだよねえ。

ただ、この経路自体はもう今まで何度も通ったところで、そう珍しいものではない。わたしは同じ道を行って帰るのがあまり好きではないので、鈍行で大阪に行くときは行きは中央本線経由、帰りは東海道本線経由で帰ることが多い。今回もそのケースなのだ。ただ、寄るところは今まで寄ったことがないところなのだけど。というのは、YHって、閉鎖されちゃったところが多いんだよね~。なので、もう一度行きたいところもあるのだが、もう二度と行けなくなってしまったところも結構ある。なんせ、YHの会員自体が激減しているらしいのだ。確かに門限決まってたり、消灯時間はうるさかったり、アメニティはほとんどなし、タオルなども自分で持って行かなくてはならない。そこら辺はホテルとは自由度が違う。だけどYHはYHでまた別の楽しさがある。一人旅って本当に楽しいのにな。。

3月14日。
出発の日だ。そんなに早い時間ではないんだけど、高尾9時38分発、松本行きに乗る。

2023.jpg   2025.jpg


中央本線は、高校の時に初めて一人旅をしたときに乗った電車だ。あの当時はここをBeatlesを聞きながら窓の外を眺めていた。なぜそうなったのかは分からないが、高校の時たまたま友だちにBeatlesのアルバムをカセットに入れてもらったんだよね。46分テープ2本になったのだが、そのうちの1本目は繰り返し繰り返し聞いて。曲順がもうそれしか受け付けなくなっちゃって(笑)あの当時は「どんなアルバムか」とか「どんな曲名か」なんて、全部無視してただカセットに入れてくれるだけだったので、後々いろいろ検索して探した。結構有名な「赤盤」でした。今回はそれをiPodに入れて持って行った。

でね、松本に行く途中聞いたんだわ、Beatles。なんというか、、カセットって途中で曲が切れるじゃん?ああ、切れないように空白を作る方法もあるけど、わたしはカセットの無音部分を作りたくなくて、友だちに切れてもいいから全部入れてって頼んでたんだよね。だから、途中で切れるの。で、どの曲のどこで切れるかっていうのがもう頭の中にこびりついちゃってて(ちなみにA面は「I feel fine」の途中で切れて、B面は「Nowhere man」で切れる。こんなん書いてもいらん情報だけど)。で、1本目を繰り返して聞いてたもんだから、最後の方の「Peperback writer」とか「 Eleanor Rigby」ってあれは2本目のテープに入ってるのね。iPodは切れるところなんてないわけだから、それが聴き慣れなくてね(苦笑)なんか習慣って恐ろしいって思った(笑)だもんで、今回iPodではそんなに繰り返し聴けなくて、二回り目の途中で聴くのを止めて、その後は「The sound of music」のインストを聴いたりしてた。

電車の中はガラガラで、というか、高尾の次の相模湖で結構降りて、わたしはボックス席に座ってたんだけど、そこから松本の少し手前まではずっと一人だった。

2027.jpg   2026.jpg


松本で大糸線に乗り換え。大糸線はとても混んでて結局穂高まで座れなかった。14時36分穂高着。

2029.jpg


「安曇野パストラルYH」は穂高駅から歩いて約1時間のところ。わたし、今回はたくさん歩きたかったんで、駅から遠いYHにしたかったんだよね~。

2032.jpg


駅から歩くと最初は住宅地なんだけど、次第に周囲は田んぼだらけになって景色が良くなる。ただ、途中まで道は歩行者が歩きにくいくらい狭いスペースしかなくて歩きづらかった。車が結構通るので怖くって。そうそう、こんな看板を見つけた。

2034.jpg   2035.jpg


「ペットが見ている飼い主のマナー」って(笑)なんか笑えた。犬が自分のうんこ持って歩いてるこの絵も(笑)ただ、少し歩くと右側のように「穂高町」の上に「安曇野市」のシールが貼られてた。そうか。ここは安曇野市の前には穂高町だったんだな。

2045-1.jpg


周囲があまりにも山に囲まれているので、「パノラマ」にして撮ってみた。が、迫力はこんなもんじゃない。360度中、300度くらいが山に囲まれてる感じ?

2036-1.jpg   2038-1.jpg


この旅ではいろいろな「田んぼ」を見たんだけど、ここのはこんな風に全面が麦わら色をしてた。田植えが始まったら壮大な光景になるんだろうなーって思った。右の画像は穂高大橋だったかな?から撮ったもの。光の加減でちょっと暗めになってるけど、きれいな光景だった。ここは道の横の側溝におそらく山から流れてきているのであろう水がたぷたぷと流れてて、本当に水が豊かなところなんだなーって思った。

2050.jpg


YHの近くにあった、おそらくリンゴの木。知らなかったんだけど、リンゴの枝ってこうやってわざと下に向けて伸ばすのね。なんでだろ?収穫しやすいようにしてるのか?

2051.jpg   2053-1.jpg


ここのYHは周辺が田んぼに囲まれてます。すっごく近くに行くまではYHの看板がなくて、どれがYHか全然分からなかった。。まぁGoogle mapでたどり着けたけど。で、右の画像が1日目の宿である「安曇野パストラルYH」。部屋の中は

2054.jpg


こんなでした。結構天井が高くて部屋はきれい。しかも、3つベッドがあったけど、この日も翌日も1人でした。他に泊まり客がいたんだけど(あと2人)、全員一人部屋にしてくれたみたい。まぁわたしとしては、別に2人になってもよかったんだけど、ここら辺はペアレントさんの気配りなんでしょうね~。中に入って呼び出しボタンを押したら「おかえりなさい」と言われた。ああ、懐かしい~!YHは「おかえりなさい」で出迎えてくれて「いってらっしゃい」で送り出してくれるところです。

その2に続く。
23:28 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
11-29 Sat , 2014
彼岸花を見に(新美南吉記念館) その6
その5の続き。今度こそ、最終回、だと思う。

記念館を出たのは15時半過ぎだったかなあ~?わたしはその日、名古屋で友人と会うことにしてて、その待ち合わせ時刻が18時だったので、遅くとも17時くらいに半田口の駅を出たいと思っていたのだが、ちょっと中途半端に時間が余ってしまい、しかもかなり疲れていたので、その後、時間つぶしにそんなに歩きまわれそうもなく。なんせ記念館から半田口の駅まではそんなに遠くないんだよね~。一応、前にも書いたけど、事前にここで行きたいところをチェックして、どういう順番で回ろうかな~って考えてたのよね。しかし、それを全部回ったところでせいぜい1時間くらいにしかならないだろうと。それだったらもうちょっと電車に乗って海が見えるところまで行こうかなって思ったり。でも、電車の時刻を調べたところ、行って帰るだけでお終いになるギリギリの時間しかなく断念。まぁ時間がすごく余るだろうけど、どこかで休み休み行けばいいやと思って駅に向かって出発した。

記念館のすぐ前の大きい道をずっと駅方向に向かって歩くと途中で岩滑小学校がある。ここ、画像は撮らなかったんだけど、卒業制作レリーフみたいなの?そんなのが校門脇の塀みたいなところにずらーっと並んでた。新美南吉の作品をモチーフにしたレリーフみたいな感じだったが、ほとんどが「ごんぎつね」や「手袋を買いに」の中、一つだけ「うた時計」を見つけて「おお、こいつら分かっとる!」みたいな(笑)廉がおじさんのポケットに手を入れたらうた時計が鳴り出すところ。

「おじさんのオーバーのポケット、大きいね」
「うん、そりゃ、おとなのオーバーは大きいから、ポケットも大きいさ」
「あったかい?」
「ポケットの中かい?そりゃあ、あったかいよ。ぽこぽこだよ。こたつがはいってるようなんだ」
「ぼく、手を入れてもいい?」
「へんなことをいう小僧だな」
男の人はわらいだした。でも、こういう少年がいるものだ。近づきになると、相手のからだにさわったり、ポケットに手を入れたりしないと、承知ができぬという、ふうがわりな、人なつこい少年が。
「入れたっていいよ」
少年は、男の人のがいとうのポケットに、手を入れた。
「なんだ、ちっともあったかくないね」
「はっは、そうかい」
「ぼくたちの先生のポケットは、もっとぬくいよ。朝、ぼくたちは学校へいくとき、かわりばんこに先生のポケットに手を入れていくんだ。木山先生というのさ」
「そうかい」
「おじさんのポケット、なんだか、かたい冷たいものがはいってるね。これなに?」
「なんだと思う」
「かねでできてるね・・・・・・大きいね・・・・・・なにか、ねじみたいなもんがついてるね」
するとふいに、男の人のポケットから美しい音楽が流れだしたので、ふたりはびっくりした。男の人はあわてて、ポケットを上からおさえた。しかし、音楽はとまらなかった。それから男の人は、あたりを見まわして、少年のほかにはだれも人がいないことを知ると、ほっとしたようすであった。天国で小鳥がうたってでもいるような美しい音楽は、まだつづいていた。
「おじさん、わかった、これ時計だろう」
「うん、オルゴールってやつさ。おまえがねじをさわったものだから、うたいだしたんだよ」



ああ、画像、撮ってくるんだった~(笑)

岩滑小学校を過ぎるとすぐに岩滑郵便局があるのだが、その手前の細い道に折れる。ここは「そうれん道」というらしい。さきに紹介したサイトには、

現在、岩滑コミュニティセンターのある場所は、昭和8年まで岩滑の墓地でした。「ごん狐」でごんが六地蔵の陰から兵十の母の葬列を見る場所は、ここが舞台になっています。ここから光蓮寺に続くを「そうれん道」と呼んでいました。



と書いてある。これを見つけたとき、わたしは絶対にここに行かなきゃ!って思った。だって、ごんぎつねの中でわたしが好きな場面の一つだからさ。一番最初にも書いたけど、わたしが「彼岸花」で思い出すのは、真っ先にこのシーンだ。

お昼がすぎると、ごんは、村の墓地へいって、六地蔵さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠くのむこうには、お城のやねがわらが光っています。墓地には、ひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、村のほうから、カーン、カーン、と、鐘が鳴ってきました。葬式の出るあいずです。
やがて、白いきものをきた葬列のものたちがやってくるのが、ちらちら見えはじめました。話しごえもちかくなりました。葬列は墓地へはいってきました。人びとが通ったあとは、ひがん花がふみおられていました。



旧墓地、というのが岩滑郵便局の裏の方にあるのだが、そこから光蓮寺までの道が「そうれん道」らしいんだよね。ただ、わたしはもうそのとき歩き疲れて旧墓地までも行く気がしなかったので、そうれん道の半分くらいしか歩けなかった。「ごんぎつね」に出てくる「そうれん道」は彼岸花がずっと咲き続いていたらしいけど、そこには一本も彼岸花は咲いてなかった。

IMG_0573.jpg


お寺は奥の工事してるとこ。だから、ホントすぐの距離。ここの間で道のへりに彼岸花が咲いてるところを想像しようとしたんだけど、ちょっと難しかった(笑)わたしが想像してたのより道幅が随分広くってね。で、あっという間にお寺に。

IMG_0574.jpg


ここ、なんか工事してたのか、人が何人かいてとても入りにくかったので素通りした(^^;この「光蓮寺」ってのは、新美南吉が亡くなったときにここのお坊さんに戒名を付けてもらったということだ。中に入ってみれば、もうちょっとこのお寺についての詳しく書かれたものがあっただろうな~と思うんだけど、なんか中に入りづらかったんだから仕方がない。

このお寺の先は最早「そうれん道」とは言わんのだろうと思ったんだけど、でも、わたしの頭の中にあるごんぎつねの葬列の場面とどこかに何か、一致するもの、似てるものがあるんじゃないだろうかって、一生懸命探した。例えば

IMG_0575.jpg


こういう道の100年前を想像したり(笑)

IMG_0578.jpg


ああ、ここはちょっとわたしの想像してた姿に近いかなーって思ったり。

IMG_0581.jpg


わたしのイメージする彼岸花って、土手のじゅうたんみたいに咲いてる彼岸花じゃなくって、こんなんだよなって思ったり。

IMG_0577.jpg   IMG_0576.jpg


こういうところに上の画像のパラパラと咲いている彼岸花の姿を想像したり。まぁ思えばまるっきり怪しい人みたいに見えただろうな~(苦笑)なんでもない道を行ったり来たり。時には道ばたに座りこんでボーッとしてたり。おまけに画像どこで撮ろうかとかウロウロしたり。なんか何を撮りたいんだか分からないものを被写体にしてたり。だけど、ここはまさに、わたしにとっての「夢の国」、ごんぎつねの世界だったわけです。頭の中で40年弱、ずっとずっと描いてきたところ。頭の中で描いてきたものと現実の世界は全く違ったものだったけど、でも、わたしはずっとここに来たかった。それが今、ようやく叶ったわけです。きっと、40年間頭の中に暖めてきたものがこうやって現実の姿として目の前に現れる体験なんて、そうそうないはず。わたしは今、そういう極めて貴重な経験をしてるんだと、そう思いました。

そこから常福院ってお寺に行って、境内でしばらく休ませてもらった。ここの画像は撮ってこなかったんだけど、夏になると盆踊りをしてたところだって書いてあった。今現在のわたしの目から見ると、とても狭い敷地内でね。こんなところでみんなが集まって盆踊りしてたんだーって思った。あと確か、新美南吉の弟が戦死したのでここのお寺の招魂碑だったかに名前が書いてあるよーって書いてあったかな。探さなかったけどね。

常福院で少し休ませてもらったあと、「はなれの跡」に。ここは新美南吉と弟が暮らしていたところだそうだ。ただ、焼失して今は跡地に立っている看板のみ。周辺は普通の住宅地で、看板がなければ絶対に分かんないようなとこだった。

IMG_0579.jpg


ここから少し離れたところに岩滑八幡社という神社がある。ここの神社の前を南吉ははなれの家と実家を往復するときに通っていたそうだ(南吉はご飯は実家で、寝泊まりははなれの家でしていた)。岩滑八幡社の前の庭はかなり広くて、子どもが遊べそうな感じだった。

そこから、再び、南吉の生家に。その前にある常夜灯にも。常夜灯が出てくる作品もいくつかあるらしいんだけど、わたしは読んだことがない作品だった。

予定より時間がすごく余ってしまったんだけど、ここではもう時間が潰せないので、当初、速い電車(特急とか急行とか)で名古屋に向かう予定にしてたんだけど、のんびり各停で行くことにした。

IMG_0584.jpg


帰りはこの「ごん」がお見送り。今度来る機会があったら、ここを通り越して知多半島の先まで行って、海を見てきたいなあ~って思った。

IMG_0587.jpg


名古屋で無事に友人と合流でき、夕飯は一緒にしゃぶしゃぶを。3年くらいぶりに会うので、積もる話があるある。というか、3年って短いようでかなり長い時間なのだね。。報告されることにたまげてばかりでした。

IMG_0589.jpg


夜は予定通りに夜行バスに乗って東京へ。友人はわざわざ寒い中、バスの発車時間までそばにいてくれて有難かった。また会おうね~。たまにはこっち方面にも来て下さいな。

夜行バスってのは、スペース広くなったり椅子が座りやすくなったり、リクライニングもできたりするのになんであんなに寝にくいんだろうか。新幹線の座席は別に寝るようにできてないと思うけど、新幹線の座席の方がよっぽど座りやすい。新幹線では寝ようと思わないのに気が付いたら寝てたりすることあるし。あと、夜行バスは光が入ってこないようにするために窓にカーテンが引いてあって、それで外が全く見れなかった。これはかなり窮屈でした。どうせ眠れないんだったら、窓の外見てればいいやと思ってたから(真っ暗でもいいの)。

結局一睡もできず。浜松で一旦休憩したときは外に出なかったけど、足柄で止まったときは外に出てみた。

IMG_0590.jpg


辺りは真っ暗。吸い込まれそうだった。

そして、そこから2時間ちょっとだったかな。朝4時50分、ほぼ定刻通りに新宿に着いた。

IMG_0592.jpg


まだまだ暗い新宿駅西口。これから一日が始まるところ。

しかし、わたしはお疲れ。家に帰ってベッドの上で寝ました。

今回は「いつか行ってみたい」とずっとずっと思って来たところだったため、「やっとここに来られた」って思いと、あとは年月の移り具合を肌で感じた。新美南吉の世界はもう新美南吉の作品の中にしかないんだなーってつくづく思った。でも100年違いだけど新美南吉はまさにここで生まれて育って暮らしてたんだし、そう思うととても不思議な感覚だった。「ヒーロー」っていうと全然ヒーローなんかじゃないんだが、なんていうんだろうね、これらの作品はわたしの中の血と肉になってると言ってもいいと思うのよ。そういうものを子どもの時に植え付けられ、自分の中で段々育っていったものが今現在の自分の中に存在している。こういうものがあるってかなり幸せなことだよね。年月をかけないとこういう気持ちにさせるものはないもの。

そういう意味では、愛知県半田市岩滑ってところは、本当にわたしにとっての「夢の国」だった。
11:46 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
11-27 Thu , 2014
彼岸花を見に(新美南吉記念館) その5
その4の続き。多分、最終回。

「しんたのむね」辺りで既に足が痛くなってたんだけど、当然のことながらそこには休むところなんてない。ので、とっとと歩いて新美南吉記念館に向かった。途中、こんなん見つけた。

IMG_0561.jpg


「ごんぎつねの ふる里 岩滑」って書いてあって、上にちょこんとキツネが乗っている。

IMG_0563.jpg


ごんだ!ごんがびくの中を覗いて、いたずらしようとしているところだ!!

兵十はそれから、びくをもって川からあがり、びくを土手においといて、なにをさがしにか、川かみのほうへかけていきました。
兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんは、びくの中のさかなをつかみ出しては、はりきりあみのかかっているところよりもしもての、川の中をめがけて、ぽんぽんなげこみました。どのさかなも「どぼん」と音をたてながら、にごった水の中へもぐりこみました。



わたしは感動して、どうにかうまく写真を撮ってやろうと、カメラ(iPhoneですが)の向きをあちこち変えてたりしたときに、学校帰りかなにかだったのかな?小学生が何人か、自転車に乗って通りかかった。みんな白いヘルメットを被ってる。そのうちの一人がわたしを見て「こんにちは」って挨拶してくれた。まぁ行動から観光客ってバレバレだもんね、、(笑)でも、嬉しかったです。

そこから少し歩いて、いよいよ新美南吉記念館に来た。

IMG_0565.jpg


新美南吉記念館、ちょっと変な建物だったです。変というか、まぁデザインされた建築物というのか。この画像の左側にはうっそうと茂った森みたいなのがあって、散歩したら楽しそうだと思ったんだけど、足が疲れ切って一周してくることすら不可能でした。残念だった、、観光客はちらほらだったかな~。そんなに少ないってわけでもなかったけど、多いってほどでもなかった。

IMG_0566.jpg   IMG_0567.jpg


入口付近。この記念館があるところって、ごんぎつねの中に出てくる「中山さま」のところなんだよね。

これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。
むかしは、わたしたちの村の近くの、中山というところに、小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。



既にこの話の中でもお城があったことは過去の話なのだけど、なんかこの場所とお城が全く結びつかなかった(笑)でも、でも、「牛をつないだ椿の木」を読んでみても分かるように、ここら辺は昔は山の中だったんだよね??昔って言ってもせいぜい100年くらい前のことで、それを考えるとこれから100年後、この風景はどう変わってるんだろうか、、、なんてこと思った。

記念館は新美南吉の生涯を丹念に追っていた。なんせ南吉自身、たった29年の生涯だったんで、1年1年がものすごく密度濃いんだよね。小学生(とは言わんけどさ、当時は)の頃の通知簿貼り付けられてたり、卒業証書が飾られてたり、恋愛して誰それと付き合ったとか振られたとか、うーん、なんかちょっと複雑な気分だったよ(笑)だって、自分が死んでから100年経つのに当時の通知簿、不特定多数の人にじろじろ見られてさ(笑)恋愛とか失恋とか言っても、この人の場合、あんまり直接的に作品と関係ない気持ちがしたし、プライバシーなんかないじゃんって死人には最早プライバシーはないのか?(笑)わたしだったら死んだあとでも見も知らない人に自分の通知簿覗かれて、その中に何書いてあるか読まれるのはいやだな~、誰それといつ付き合い始めたって書いてあるけど、前に付き合ってた人とは別れたって書いてないのに次の人と?前の人と別れた理由に何か隠したいことがあったのかしらね?なんて思われたくないよな~とか(笑)特に恋愛は一人でするもんじゃないから、相手の人生もあるわけだし、書けなかったのかしらね、とか。死んだあとに知らん人から好き勝手に思われたくないよね~、「死人に口なし」と言えども(笑)

記念館内の写真はほとんど撮らなかった。別に撮ってきても仕方ないしね。ただ、この2枚だけはなんか、気になったので撮ってきた。わたしの琴線に触れるものって、実にしょうもないもんです(笑)

IMG_0569.jpg   IMG_0570.jpg


左は生前だいぶお世話になったらしい巽聖歌(わたしの持ってる文庫本2冊(角川書店、講談社文庫)とも解説は巽聖歌なんで、名前は知ってた)に宛てた手紙で、確か病気(結核)で東京から実家に戻らざるを得なくなって、実家から出した手紙だったかな。あれ、でもなんか印象として「一旦実家に戻っただけ」ってのがあるから、そうじゃなく、大学に入ったときだったかなあ?あー、忘れました(苦笑)ここだけ内容を読むと、まるでラブレターみたいだなあと思って思わず写しちゃった(笑)

右は「へー、そうなんだ」って思ったから撮った。ナフタリンかぁ~。わたしは「ナフタリン臭」で一番先に思い出されるのは「東京湾の臭い」なんだよね。大学生・大学院生の頃、晴海にうちの大学の船が置いてあって、そこからよく出航したんだけど、東京湾を出るたび、入るたびに目にするのは茶色い海の水と、あとなぜかナフタリンの臭いがしてね。でも、あるときからこの臭いを嗅ぐと「ああ、帰ってきたなあ~」って思うようになったの。なんか、こんな臭いで「帰ってきたこと」を認識するのって悲しいなと思ったんだけど、まぁそういうところで生まれ育ったんだから仕方ないよね、って思うようにした。鮭だって生まれた環境がどうあろうと、自分の生まれた川に戻ってくるんだもんね。

しかし、新美南吉の童話は、南吉が書いたそのままではなく、かなり巽聖歌の手が入ってるらしいね。(ちなみに「ごんぎつね」は鈴木三重吉の手が入ってるそうです)南吉の死後、巽聖歌が生前の南吉の作品を発表していくんだけど、南吉の書いたものは戦時色が強かったため(なんせ戦争終わらないうちに亡くなったからね)戦後の雰囲気に合わせて削除した部分も結構あるらしい。わたしが持ってる中で「あれ?」って気が付いたのは、「和太郎さんと牛」って作品なんだけど、この一番最後の部分。わたしが持ってる角川文庫の「牛をつないだ椿の木」(昭和43年2月20日初版発行、持ってるのは昭和53年6月20日18版)には

さて、この天からさずかった子どもの和助君は、それからだんだん大きくなり、小学校では、わたしと同級で、和助君はいつも級長、わたしはいつもびりのほうでしたが、小学校がすむと、和助君は、和太郎さんのあとをついで、りっぱな牛飼いになりました。そして、いまでは和太郎さんは、だいぶんおじいさんになりましたが、まだ元気です。おかあさんとよぼよぼ牛は、一昨年なくなりました。



って書いてあるのね。これが別の一冊、これもわたしが持ってる講談社Super文庫「新美南吉童話大全」(1989年8月21日第一刷)では

さて、この天から授かった子どもの和助君は、それからだんだん大きくなり、小学校では私と同級で、和助君はいつも級長、私はいつもびりの方でしたが、小学校がすむと和助君は和太郎さんのあとをついでりっぱな牛飼いになりました。そして、大東亜戦争がはじまるとまもなく応召して、いまではジャワ島、あるいはセレベス島に働いていることと思います。和太郎さんは、だいぶんおじいさんになりましたが、まだ元気です。お母さんとよぼよぼ牛は一昨年なくなりました。



になってて、なんと、和助君の結末が違っている。ちなみにこの本(講談社の方)は大日本図書「新美南吉童話集」を定本にしてあるそうだ。そして角川文庫の方の解説で、巽聖歌自身が

本書の編集にあたっては、従来定本とされてきたものに、さらに原稿のあるものは原稿に、それのないものは初発の単行本につきあわせ、完全を期した。しかしながら、制作年代を見れば分かるように、太平洋戦中に夭折した彼のことであるから、ミリタリズムでなかったにしろ、「軍帽」「聯隊」「将軍」といった種類のことばが、期せずして出てくる。時代に合わないそういう名詞は、なるべく避けるようにした。
それのみならず、戦時下の発表であるので、故意に誇張されている部面がある。戦時下では、不要不急のもの、戦意高揚する以外のものは、作品の発表すらできなかったからだ。「紙も弾丸」といわれた。
戦後、連合軍の占領下においては、これが逆転した。「飛行機」「軍艦」「戦闘」などということばが出てきても、厳しいGHQの追及があり、出版不許可になった。南吉の作品も、そういう波はくぐって、今日の生命を保っている、とはいっても、彼の書いたものは児童文学であったがために、ごく小部分の訂正削除ですんだ。今後も、でき得れば、このままのすがたで、残してやりたいと思っている。できない希望であるかも知れない。



と書いている。ってことは、「大東亜戦争~」の下りはGHQの目を気にしてのことだったんだろう。確かに新美南吉の作品は時代がまさに戦時中だったので、そういう類の話は割とある。ただ実際のところ、わたしが知ってる作品は「戦意高揚」とかそういう戦争を肯定するような話でもなく(もちろん否定するような話でもなく)、少佐が井戸に落ちて中国人に助けられた話(張紅倫)とか、朝鮮人と足袋屋のおばさんとのたわいない話(アブジのくに)とかで、逆にこの時代、差別が激しかったときにこういう作品を残してるんだよね。これって多分、特に意識して書いたんじゃないと思うんだよね。なんか自然にこういう人だったんだろうな~と思う。

あと、9月29日にはちょうど「南吉と良寛」って特別展をやっててね(もう終了しちゃったみたいです)、南吉の生涯の資料を見るだけで疲れ果ててたんだけど、なんかちらっと最後の方を見たら面白かったので、それで最初に戻って読んでみた。南吉の生前、出版された本は「おじいさんのランプ」と「良寛物語・手毬と鉢の子」だけだったそうで、それでこういう特別展をやったそうだ。面白そうだったので、「良寛物語・手毬と鉢の子」は記念館で買って帰っちゃった(入口のところでいろんな南吉の本が売られてます)。

で、あまりにも疲れたんで、記念館の2階のテ-ブルと椅子が置いてあるところで少し休んで。それから記念館を出た。

IMG_0572.jpg


入口のところにある「ごん」。あまりにもかわいい感じなので、わたしの中のイメージとは違うと思って、行きに見たときは「撮らなくていっか」と思ったのだが、なんか帰りに「まぁいいか」と思って撮ってきた(笑)

あ、最終回にしようと思ってたんだけど、なんか終わらなかった(笑)

その6に続く。。
14:12 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
11-26 Wed , 2014
彼岸花を見に(新美南吉記念館) その4
その3の続き。

さて、「しんたのむね」に来た。「しんたのむね」は新美南吉の作品のあちこちで出てくる地名だが、「しんたのむね」で一番に思い出されるのは「牛をつないだ椿の木」だろう。

「しんたのむねを下りたところにほったら、水が出るだろうかなァ」
と、ききました。それは、利助さんが牛をつないだ椿の木のあたりのことでありました。
「うん、あそこなら、出ようで、前の山で清水がわくくらいだから、あの下なら水は出ようが、あんなところへ井戸をほって何にするや」
と、井戸新さんがききました。
「うん、ちっとわけがあるだて」
と、答えたきり、海蔵さんはそのわけをいいませんでした。



海蔵さんは、水をのみにいっている間に利助さんの牛が椿の葉をくってしまったことを話して、
「あそこの道ばたに井戸があったら、いいだろうにのォ」と、いいました。
「そりゃ、道ばたにあったら、みんながたすかる」
と、いって、お母さんは、あの道の暑い日ざかりに通る人びとをかぞえあげました。大野の町から車をひいてくる油売り、半田の町から大野の町へ通る飛脚屋、村から半田の町へでかけてゆく羅宇屋の富さん、そのほかたくさんの荷馬車ひき、牛車ひき、人力ひき、遍路さん、乞食、学校生徒などをかぞえあげました。これらの人ののどがちょうどしんたのむねあたりでかわかぬわけにはいきません。
「だて、道のわきに井戸があったら、どんなにかみんながたすかる」
と、お母さんは話をむすびました。



わたしは、長い間これらの作品を繰り返し読みながらずっと「しんたのむね」の想像をしてきた。道はもちろん舗装してない砂利道かな、それとも土の道かな、わたしのイメージとしては黄土色の道だったので、多分土の道だと思ってるのだが、道のへりには椿の木が植えてあるくらいだから、きっと他の木もうっそうと茂ってるんだろう。崖になってるらしいから、すぐ近くに山があるんだろうか。あ、そういえば一番始めに「山の中の道のかたわらに」って書いてあったよな。だからここは山の中なんだ。きっと急な坂道なんだろう。だからみんな喉が渇くんだ。そしてそこの道をいろいろな人たちが行き交っている姿、せわしく行き来している姿、、を想像していた。

「牛をつないだ椿の木」は、以前にも書いたと思うがわたしの大好きな作品の一つだ。物語的にはちょっとお説教臭さというか、道徳の教科書的というか、そういうものがちらついて見えるのだけど、基本、わたしはこういう「人としての正しい行い」みたいなのに少し弱かったりする(笑)

金を持ってそうな利助さんが「その三十円をどうしておれが出すのかェ。おれだけがその水をのむなら話がわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸に、どうしておれが金を出すのか、そこがおれにはよくのみこめんがのォ」といって断るところ、それならと思って賽銭箱のようなものを椿の木に吊り下げて「ここに井戸をほって旅の人にのんでもらおうと思います。志のある方は一銭でも五厘でも喜捨してください」と書いた札を付けて、誰かが寄付してくれないか見ていたところ、札を読んでも誰も寄付しなかった場面。現実的にも大いにあることだ。昔、わたしが大学生の頃、大学には男子寮があったんだけど、女子寮がなかった。だから、遠方から通ってくる人が「女子寮を作りたい」って運動を始めたんだけど、結局「今運動して実現したとしても、自分たちが卒業するまでに寮が建てられるとは限らない」ことを知り、一瞬でその話は消えた。そういうことだよね。「今、こういう人たちがこういう目に遭って苦しんでいます。誰か助けて下さい」という話を聞いても「ああ、そうだね、かわいそうな人たちだね。悲しいね。涙が出るね。やりきれないね」と言って何もしない。そういうことだよね。

もちろんこれは、人のことを言ってるんじゃない。わたし自身のことだ。寮の話はわたし自身当事者でもあったしね。そしてもちろん、自分が聞いたすべての話に対してすべてかかわることは不可能だ。けど、それは何かをやらない理由にはならない。自分にできることは限られているけれど、できる範囲で何かをやる、やっていかねばならないとは思っている。なかなか難しいけどね。一番楽でやった気になれるのは金を出すことだけど、わたし、今、金、全然持ってないから、何か別の方法で、とは考えているけれど。

まぁ話を元に戻そう。

そして海蔵さんが「けっきょく、ひとはたよりにならんとわかった。いよいよこうなったら、おれひとりの力でやりとげるのだ」と決意し、いつもはお客を待っている間(海蔵さんは人力車ひき)、駄菓子屋でお菓子をつまむのが常だったんだけど、決意したあとは一切食べるのを止めてしまう。わたしは、ここの駄菓子屋のシーンがなんか好きでね。ついつい今までの習慣で駄菓子を食べたくなってしまう姿、それを必死で抑える姿。目の前にまざまざと光景が思い浮かぶ。新美南吉のすごいところは、文章のところどころで目の前にありありと思い浮かぶ、とても美しい表現があるところなんだよね。

例えば

秋の陽ざしは暖かく和んで、あちらの汲みたての水盤に水を飲みにくる蜂が、金色の糸をひいたように光った。(「良寛物語・手毬と鉢の子」より)



こんな表現。こういう美しい表現、目の前に浮かぶような表現があちこちにあるの、この人の作品。「おじいさんのランプ」の、わたしが一番好きなところ。

「わしの、しょうばいのやめかたはこれだ」
と、巳之助はひとりでいった。しかしたち去りかねて、ながいあいだ両手をたれたまま、ランプの鈴なりになった木を見つめていた。
ランプ、ランプ、なつかしいランプ。ながの年月なじんできたランプ。
「わしの、しょうばいのやめかたはこれだ」
それから巳之助は、池のこちらがわの往還に来た。まだランプは、むこうがわの岸の上にみなともっていた。五十いくつもがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのランプがともっていた。立ちどまって巳之助は、そこでながく見つめていた。
ランプ、ランプ、なつかしいランプ。
やがて巳之助はこごんで、足もとから石ころをひとつひろった。そして、いちばん大きくともっているランプにねらいをさだめて、力いっぱい投げた。ぱりいんと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「おまえたちの時世はすぎた、世の中は進んだ」
と、巳之助はいった。そしてまたひとつ石ころをひろった。二番めに大きかったランプが、ぱりいんと鳴って消えた。
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
三番めのランプを割ったとき、巳之助はなぜかなみだがうかんできて、もうランプにねらいをさだめることができなかった。



うわ、泣きそうだ、わたし。ここは何度読んでも本当に好きな場面で。このシーンは、わたしの頭の中で何回も何回も繰り返し想像してきたシーンだ。新美南吉の作品のすばらしさはこんなところにもあるとわたしは思っている。

あ、「牛をつないだ椿の木」の話だった(汗)

そして物語はこれで井戸を作ってめでたしめでたし、じゃないのだ。2年かけてお金を貯め、いよいよ井戸を掘らせてもらおうと地主の元に行くのだが、地主は「井戸を掘らせない」と言う。その地主はしゃっくりが止まらず、じきに死ぬだろうということで、地主の息子は「そのうちわたしの代になりましょうから、そしたらわたしが、あなたに井戸をほることを承知してあげましょう」と言うのだ。そこで家に帰って海蔵さんはお母さんに「あのがんこもんのおやじが死ねば、息子が井戸をほらせてくれるそうだがのォ。だが、ありゃ二、三日で死ぬからええて」と言ったところ、お母さんに「おまえは、じぶんの仕事のことばかり考えていて、わるい心になっただな。ひとの死ぬのを待ちのぞんでいるのは、わるいことだぞや」と言われる。海蔵さんはハッとする。ハッとして、まだ生きている地主のところに行く。そして「わしは、あやまりにまいりました。きのうわしは、ここから帰るとき、息子さんから、あなたが死ねば息子さんが井戸をゆるしてくれる、と聞いて、わるい心になりました。もうじきあなたが死ぬからいい、などと、おそろしいことを平気で思っていました。つまり、わしはじぶんの井戸のことばかり考えて、あなたの死ぬことを待ち願うというような、鬼にもひとしい心になりました。そこで、わしは、あやまりにまいりました。井戸のことはもうお願いしません。またどこか他の場所をさがすとします。ですから、あんたはどうぞ、死なないでください。どうぞなおってください」とまだ生きている地主に言う。

ただ、わたしはここの後半部分は嫌いです(笑)なぜ、自分が悪い心になったことをわざわざ地主に報告に行くのか。もちろん、そうしなきゃ話が進まないからだろうが、少なくとも言うべき相手は「地主の息子」であって、まだ生きている地主ではないと思う。悪い心を持ったことについては、反省すべきだが、その反省したことは別に人に言うことはないじゃない?反省したことを誰かに言うってことは、誰かに評価してもらいたい、という気持ちがどこかにあるんじゃないの?って、意地の悪いわたしはそう思ってしまうのだ。だから、わたしはこの後半部分は気にくわない。

あーでもこの話、うん、やっぱりどこか道徳的な話だよね(笑)けど、なぜわたしがそこまでこの話に惹かれてしまうのか、、それはやっぱりこの人の生き方に感動するからだと思うんだよね。

新美南吉の作品って、「ごんぎつね」は違うんだけど(「ごんぎつね」は分かり合えた瞬間に相手を失ってしまう、しかも自分の手によって、という不条理な話だよね)、「花のき村と盗人たち」とか「おじいさんのランプ」とかって、わたしが好きなのは、出てくる人の「生き方」が好きなんだな、結局。「おじいさんのランプ」は上の引用でだいたい分かると思うけど。

ちなみに「花のき村と盗人たち」でわたしが一番好きなシーンは

たいていの牛の子というものは、そこらをぴょんんぴょんはねまわって、持っているのがやっかいなものですが、この牛の子は、またたいそうおとなしく、ぬれたうるんだ大きな目をしばたたきながら、かしらのそばに無心に立っているのでした。
「くッくッくッ」
と、かしらは、わらいが、おなかの中からこみあげてくるのが、とまりませんでした。
「これで弟子たちに自慢ができるて。きさまたちがばかづらさげて、村の中を歩いているあいだに、わしはもう牛の子一ぴき盗んだ」といって、
そしてまた、くッくッくッとわらいました。あんまりわらったので、こんどはなみだが出てきました。
「ああ、おかしい。あんまりわらったんで、なみだが出てきやがった」
ところが、そのなみだが、流れて流れてとまらないのでありました。
「いや、はや、これはどうしたことだい、わしが、なみだをながすなんて、これじゃ、まるでないているのと同じじゃないか」
そうです。ほんとうに、盗人のかしらは泣いていたのであります。―かしらはうれしかったのです。じぶんはいままで人からつめたい目でばかり見られてきました。じぶんが通ると、人びとはそらへんなやつがきたといわんばかりに、まどをしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんが声をかけると、わらいながら話しあっていた人たちも、急に仕事のことを思いだしたように向こうをむいてしまうのでありました。池の面にうかんでいる鯉でさえも、じぶんが岸に立つと、がばっとからだをひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき猿まわしの背中におわれている猿に、かきの実をくれてやったら、ひと口もたべずに地べたにすててしまいました。みんながじぶんをきらっていたのです。みんなが自分を信用してくれなかったのです。ところが、このわらじをはいた子どもは、盗人であるじぶんに牛の子をあずけてくれました。じぶんをいい人間であると思ってくれたのでした。またこの子牛も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが母牛ででもあるかのように、そばにすりよっています。子どもも子牛も、自分を信用しているのです。こんなことは、盗人のじぶんには、はじめてのことであります。人に信用されるというのは、なんといううれしいことでありましょう。
そこで、かしらはいま、美しい心になっているのでありました。子どものころは、そういう心になったことがありましたが、あれから長いあいだ、悪いきたない心でずっといたのです。ひさしぶりでかしらは、美しい心になりました。これはちょうど、あかまみれのきたない着物を、急に晴れ着に着せかえられたように、きみょうなぐあいでありました。―かしらの目からなみだが流れてとまらないのは、そういうわけなのでした。



というところだ。ただし、これは特に「生き方」の場面じゃない。この場面もちょっとくさいところだけど、でも、わたしがここが好きなのは「何か努力をした結果、いいことが起こったわけじゃない」ってところなんだよね。なにか、自分が努力したわけじゃないのに、ふとしたことが起こり、心が変わる。ふとしたことに、敏感に心が反応する。わたしはこの話、これ以後の結末に至る話も好きなんだけど、でも、中でもこのシーンが一番好きで、「花のき村と盗人たち」というと、このシーンが一番に思い浮かんでくる。

もう一つ、わたしが好きな作品に「うた時計」があるんだけど、これは特に好きな場面ってのはないの。でも、全体的な話が好きなの。わたしはこの作品で「清廉潔白」って言葉を知った。

ああ、わたし、今まで新美南吉の作品に対する好みの共通点なんて考えたことがなかったけど、考えたら多分、それだったんだなー。。

あ、「しんたのむね」の話だけするつもりが、なんか大いに話がずれちゃった(笑)

で、今回、いろいろ回るに辺り参考にしたのがここなんだけど、この一番上の地図の中に「しんたのむね」ってあるでしょ。それをね、見た途端に「ここには絶対に行く!」って決めたの。これだけ思いがこもった作品に出てくるところだもの。これは絶対に行かなくちゃ!って思った。もう一つ、「半田池」も「おじいさんのランプ」の舞台になった、って書いてあるから、ここもすごく行きたかったんだけど、いかんせん、歩くしか手段がなかったもんで、ちょっと遠すぎて。。ああ、でも、ランプが吊り下げられて、ぱりいんって割られた、あの池、、いつか行ってみたい。。

で、「しんたのむね」付近に着いた。

IMG_0558.jpg   IMG_0559.jpg


「へ?ここ?」って思ったね。。あまりにも、あまりにも、想像してたのとは違いすぎてって。第一、全然山の中じゃないじゃん!って当たり前なんだけどさ。。。あの話は日露戦争前後の話だから、今から100年以上前の話だしね!そりゃ、全然違ってるのは当たり前だよね!だからせめてそこから「100年前の光景」を想像しようとしたんだけど、、ちょっと難しかった。やっぱここがかつて「山の中」だったことを想像することなんかできなかった。でも、ここがあの「しんたのむね」かと思ったら、なんか心が熱くなったよ。

IMG_0557.jpg


「しんたのむね」付近には、こういう看板が立ってた。そこに書いてある

「しんたのむね」の下の旧道から少し入ったところには、作品の通り、清水が湧いていて、茶碗が置かれ、道往く人々や学校帰りの子ども達が喉を潤していました。



というのを読んで、よっぽどもうちょっと道を下ってそこがどういうところか見に行きたかったんだけど、その続きに書いてあった「そうした光景も見られなくなりました」っていうのを読んで止めた。既にここに来ただけで、そうとう足が痛かったから。。昭和40年代か~。わたしが生まれた頃だもんなあ~。。

けど、わたしの憧れだった「しんたのむね」に行くことができて、本当に嬉しかった。

その5につづく。。
16:11 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
11-19 Wed , 2014
彼岸花を見に(新美南吉記念館) その3
その2の続き。今さらだけど記憶が薄れないうちに書いておかないと(笑)

彼岸花が植えてあるところは、矢勝川の高田橋ってところから弘法橋ってところらしい。わたしがスタートしたのは高田橋の方。その2の最後から2枚目の画像で橋が映っているが、これが高田橋。高田橋から弘法橋方面を望むと

IMG_0521.jpg


こんな感じ。もちろん、川が曲がりくねっているので、ここから弘法橋を見ることはできない。この画像を見ると「あれれ、そんなに咲いてないじゃん」って思われるかも知れないが、わたしも行って初めて知ったんだけど、彼岸花って場所によって咲いてるところと咲いてないところの差が激しいのね。わたしは桜みたいに咲き始めたら全部満開で、あとは一気に散る、というのを想像してたのよ。だけど、全然そんなんじゃないってことが分かった。その1にも書いたけど、旅行行く前にここのサイトで見頃をチェックしてて(ここのサイト、今は更新止まってるけど、まつりの前後は毎日開花状況を更新してた)、ほぼ咲きそろったと思ったところで行ったんだけど、正直なところ、もうちょっと早めに行けばよかったと。まぁもうちょっと早めというと、バスの値段が高い金曜日の夜に帰ることになったり、土日に当たったりしてしまう日程になるんで、今年はタイミング的に仕方がなかったのかなーという感じがするが。ちなみに今年は例年より咲くのが早かったらしい。ただ、全部咲きそろうことはないので、この時期でも十分楽しめましたよ、もちろん。

土手を少し歩くと「ででむし広場」ってのがある。「ででむし」って言うとわたしがすぐ思い出すのは

生(あ)れいでて
舞ふ蝸牛(ででむし)の
触覚(つの)のごと
しづくの音に
驚かむ
風の光に
ほめくべし
花も匂はば
酔(え)ひしれむ



この詩ですね。これは新美南吉が安城高女だったっけ?に勤務してた頃に、クラスで詩の文集かなんか作って、その最初にあった詩なんだよね。今回、この句碑がないかなあって探してたんだけど、この句碑は安城市の元安城高女のあった小学校にあるらしい。この詩、前にも書いたけど、わたしが小学校5年だったか6年だったかに、なんで新美南吉が出てきたのか覚えてないんだけど(もしかして「おじいさんのランプ」を習った関係?)この詩を先生から紹介されて、覚えさせられたのです(覚えさせられたって言うとなんか無理矢理みたいだけど、そういうわけじゃない)。その他に新美南吉で「ででむし」っていうと「でんでんむしのかなしみ」という作品もあるけど(こっちの方は童話の割に哲学的なお話)、「ででむし」っていうのと「でんでんむし」っていう言葉は、わたしの中でかなり印象が違ってて、やっぱり「ででむし」は「ででむし」なんだよね~。わたしにとっては小学校の思い出と共にある作品だから、これもまた、いつか安城に行って、直接句碑を見てきたいな(小学校にあるそうなんだけど、入れるのかな?)。

IMG_0523.jpg   IMG_0524.jpg


「ででむし広場」から望む。ここら辺はほぼ「満開」って言っていいんじゃないかと思う。まぁ、こんな感じで土手の斜面一面に彼岸花が咲いてるわけです。

IMG_0526.jpg


これは「ででむし広場」からしばらく行ったところ。結構「果てしなく」続いてる感じ。しかも、画像見て分かると思うんだけど、人がほとんどいなかった(笑)このずっとずっと先に「新美南吉記念館」があって、その周辺は確かに人が多かったんだけど、ここら辺まではわざわざ歩いてくるような人は少ししかいないみたいです。まぁあとは平日ってこともあると思うけどね、もちろん。

ただ、わたし、彼岸花を見ながら思った。「わたしのイメージしてたのは、川の土手の内側に咲いてる彼岸花なのにな」って。しかし、川は護岸工事で

IMG_0527.jpg


こんなになっていて、彼岸花を植えるすき間がないんだよね。。これは考えても仕方がないことなんだけど、物語が作られた昭和初期、の頃は全然こんなんじゃなくって、自然のままだったんだろうな、と。そこに彼岸花は咲いてなかったとしても、土手は草に覆われてたんだろう。そうだ、ここは「ごんぎつね」で兵十がウナギを獲っていた川じゃないのか。

ごんは、村の小川のつつみまで出てきました。あたりの、すすきのほには、まだ雨のしずくが光っていました。川はいつもは水がすくないのですが、三日もの雨で、水がどっと増していました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、はぎのかぶが、きいろくにごった水によこたおしになって、もまれています。ごんは川しものほうへと、ぬかるみ道を歩いていきました。
ふと見ると、川の中に人がいて、なにかやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩みよって、そこからじっとのぞいてみました。
「兵十だな」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくしあげて、こしのところまで水にひたりながら、さかなをとる、はりきりというあみをゆすぶっていました。はちまきをした顔のよこっちょに、まるいはぎの葉が一まい、大きなほくろみたいにへばりついていました。



平成26年になってしまった、今現在の川の姿からは想像するのがとても難しかったんだけど、かつてはこのようにしてウナギを獲っている人がいたんだよなって思いながら、土手を歩いていた。ああ、でも中には

IMG_0529.jpg


こういう、土手の内側で咲いているところもありましたよ。ここら辺はもう咲いたあとでほとんどしおれてたけど、

IMG_0531.jpg


中にはこんな感じで咲いてるところもあった。まぁ土手の内側で咲いてたのはほんの一部だったけどね。

こんな川にはもう、ウナギなんかいないだろうなと思いながら見てたら、

IMG_0542.jpg   IMG_0545.jpg


こんなコイがいたし、それからもっと歩いていたら、こんな看板もあった。そっか。ウナギも市民の手で放流してたりするんだなあ。。コイはこういうところでも結構生きていけると思うんだけど、ウナギはどうなのかな?

彼岸花の方に話を戻すと、一応、咲いてるは咲いてる。んだけど、遠くから見ると

IMG_0530.jpg


こんな感じで、どうもわたしが想像してたような「土手一面が彼岸花で真っ赤」に染まってる感じじゃないんだよね~。一面が真っ赤なのはどこじゃろ、どこじゃろ、と思いながら歩いてたんだけど、どこも一面が真っ赤なところはなく、咲いているところと咲いてないところ、既に咲いちゃったところが混在してました。ただ、本当に近づくと

IMG_0533.jpg   IMG_0538.jpg


こんな感じで、「彼岸花のじゅうたん」みたい。さらに近づくと

IMG_0534.jpg  IMG_0535.jpg  IMG_0536.jpg


こんな感じ。全面咲きそろってるように見えるかも知れないけど、よく見るとまだつぼみ状態のものもたくさん含まれてるんだよね。まだ咲いてないところは、

IMG_0539.jpg   IMG_0540.jpg


これがつぼみ状態のところ。でも多分、これが咲く頃には今咲いているところはもう枯れちゃってるだろうな。枯れると赤い色が褪せてきて、

IMG_0537.jpg


この画像の手前の花みたいになってくる。まぁ多分、咲き始め以降はみんなこんな感じで咲き終わったものと咲いているものとこれから咲くのが混在してるんだろうね。その中でどの状態が「満開」なのかを見極めるのは結構難しいと思った。そうそう、中にはこんな感じで

IMG_0548.jpg


白い彼岸花もあった。黄色いのは見た感じじゃなかったかな。ただ、ここら辺は歩いてもうだいぶ経ったところで、足は痛くなるしお腹は空いてきたしで、正直なところあんまり「彼岸花!」って感じでもなかったのよね(苦笑)で、この「まつり」の期間中は記念館の近くに「彼岸花案内所」ってものが設けられてて、そこはどうも休憩所でもあるらしかったので、そこで名古屋駅で買った「天むす」を食べようと思った。事前にここら辺でどこか食べるところないかしらと思ってお店を調べたりしたんだけど、車ならともかく、歩いて行くのはとてもめんどくさそうだったんだよね。なので新幹線降りてから名古屋駅で弁当を買うことに決めてたんでした。「彼岸花案内所」の方に折れていく前に、こんな案内板があった。

IMG_0546.jpg


画像じゃ光っててよく見えないけど「童話『ごんぎつね』の舞台」って書いてある。ちなみにここに書いてある「権現山」だけど、わたしにはどれかよく分かりませんでした(苦笑)付近には小さな山みたいなのはいくつかあって。多分これだろうなってのはあったけど。「ごん」が住んでいると思われる、権現山からここ、矢勝川まで。昭和の初め頃の風景を一生懸命想像してみようと思ったんだけど、無理でした。。ってより、わたしの何十年って頭の中で持ってる「景色」の方が強かったのかな、、

IMG_0550.jpg


案内所に着いて、天むすを。案内所は広場みたいなところで、地元の人なのかな?がいくつか、お店を開いて何か売ってました。弁当の類じゃなく、土産物か少しの食べ物、あとは洋服だったか?なんか、こういうと悪いんだけど「こんなところでわざわざ買うかなあ」って思うものが売ってたような気がした(済みません。。)。で、テント張ってある下に椅子と机がいくつか置いてあって、そこで弁当を食べてる人がたくさんいました。ほとんどが地元の人で、わたしが見たところ、結構歳いってる人が多かったなあ。地元の人かなって思ったのは、横で会話を聞いてると、なんか地元っぽい方言だったから。みんな2、3人のグループで来てて、わたしみたいに一人で来てたのは誰もいませんでした(笑)

しばらく休んだあと、記念館の方には向かわずに、取り敢えず終点の弘法橋まで行った。

IMG_0552.jpg


弘法橋から来た方向の高田橋方面を望む。弘法橋付近は全然彼岸花なかったけどね。で、わたしはそこから記念館に向かわずに「しんたのむね」に向かいます。「しんたのむね」に行く途中、ススキがあったり、あと、周辺は田んぼでちょうど借り入れ直前、という感じだった。

IMG_0553.jpg   IMG_0555.jpg


こういうのも「南吉童話」を構成しているものなのかなと。

その4に続く。。
18:22 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
11-18 Tue , 2014
彼岸花を見に(新美南吉記念館) その2
その1を書いてから半月以上経ってしまった(汗)9月29日に行ってきた旅行記を今頃書いても、って気もしてるけど、まぁ、書いて残しておきたい気もするんで、今のところは一応最後まで書く気でいます。

で、どこまで行ったんだっけ。あ、名古屋に着いたところまでか。いや、実は結構前に「その2」を書き始めてたんだけど、画像をアップする上でここのブログ、画像1枚2MBまでっていう制限があるんだよね。それにひっかかる画像が多くて、先に画像を加工してたらこんなに時間が経ってしまった、ということだったんだよね(汗)画像自体の加工は割とすぐに終わったんだけど、それが終わったら書く気と書く時間が失われてました(笑)

「新美南吉記念館」の最寄り駅は名鉄「半田口駅」なんだけど、ここに行くためにはまず、新幹線から名鉄に乗り換えなければいけないわけで、これが結構歩くんだよね。まぁ迷いはしませんでしたけどね。あ、でも名鉄がどこに行くのかよく分からなかったので(今でもよく分かってないが)名鉄乗り場の案内のところに飛行機のマークが書いてあって「あれ、これでいいのかな?」って不安に思ってしまったのは事実。名古屋から飛行機に乗ることはまずないので、飛行場自体どこにあるか分からないし、あと「半田口」って知多半島の方だから、なんかそれとイメージ合わなくてね。

で、名鉄名古屋駅に到着。てか、「名鉄」も駅名に入ってるのね。

201411181727157df.jpg


事前に電車の時刻を調べて行ったんだけど、少し前に着いちゃって(思ったより名鉄名古屋駅まで行くのに時間が掛からなかった)行き先の電光表示にまだ載ってなくて、ホームが本当にここでいいのか、かなり迷いました。だって名鉄って、同じホームでも乗る電車によって行き先が全部違うみたいなんだもん!その行き先がわたしが行こうとしている「半田口」と同じなのか、そうでないのか、地名だけでは判断できないので電車来て乗って、本当にそちらの方向に行くのか確認できるまで怖かったです。まぁ、初めて行くところだったしね、、

てなわけで、無事、半田口に到着。名鉄名古屋駅から40分くらいだったかな?1時間掛からなかったと思います。確か途中まで特急だか急行だか途中の駅を飛ばしていく電車で、その後各停に乗り換えた記憶が(ほとんど2ヶ月前なので既におぼろげにしか覚えてない(汗))。

201411181727173cb.jpg   IMG_0504.jpg


半田口には昼少し前に着いたんだけど、「まつり」の期間中だから、十数人は降りるだろうと思いきや、数人しか降りなかったのでちょっと拍子抜け。駅は「新美南吉」一色。まぁ当たり前か。

IMG_0508.jpg


こんなん、とか、駅を出て踏切を渡ろうとしてみれば

IMG_0510.jpg


こんなのがドーンって書いてあったりね。「ごんぎつね」のふるさとなんで、キツネの絵なんかががたくさん書いてあったり、立体の姿のキツネもたくさん見たんだけど、この先も。正直、どれもかわいすぎて、わたしの中の「ごんぎつね」とは掛け離れてた。わたしの中の「ごんぎつね」はもっと不細工な顔をしてます。

ごんは、「へえ、こいつはつまらないな」と、思いました。
「おれが、くりやまつたけをもっていってやるのに、そのおれにはおれいをいわないで、神さまにおれいをいうんじゃ、おれは、ひきあわないなあ」



こんなことを思ってしまう「ごん」だから。もっと眼が細くて、もっと口が尖ってて。不平、不満もたらたら言って。そういうのがわたしの想像している「ごんぎつね」。なにぶんにも、小学生の頃から繰り返し読んでいる「新美南吉」なので、わたしの中では何十年も繰り返し、繰り返し、想像されてきたものなんだよね。だから、描いてある「ごん」、飾ってある「ごん」はどれもかわいすぎるようにわたしには思えてならなかった。

駅を出て、彼岸花を見に、矢勝川に向かう途中でまず見たのがこれ。

IMG_0583.jpg


この画像自体は、帰るときに撮ったものなので夕方になっちゃってるけど。わたしはこの「岩滑」って文字を見て「ああ、やっとここに来たんだ」って思ったの。新美南吉の作品の中にはたくさん「岩滑」って地名が出てくる。この地名を初めて見る人は多分、これをどう読むのか分からないだろう。「岩滑」とかいて「やなべ」と読む。岩滑という文字ほど、わたしが「ここに来た」という実感が持てるものはなかった。これを見て、初めて「ここが多くの物語の舞台になったところなんだ」って実感した。

矢勝川に行く途中で、新美南吉の生家があるってことで、寄ってみた。

IMG_0514.jpg   IMG_0511.jpg


生家の中は入ることができたし、階段降りて1階(と言えばいいのか。ここは家の向こうが「がけ」みたいになってて、ここから見ると平屋に見えるんだけど、この部分は実は2階なんだよね。2階というか、ここが1階で下に降りて地下1階、というか。でも別に「地下」ではないので、、表現が難しい)も降りて台所とか、みんなでご飯食べてたところとか、風呂桶とかそういうのも全部見られる。とても小さい家でした。小さいと言えばいいのか、低いと言えばいいのか。ご飯食べてた部屋なんて、多分、わたしは背を伸ばして歩けないくらいの低さだったんじゃないかと思う。「生家」というのは、新美南吉は生まれて8歳くらいで母方のおばあさんの養子になるんだよね。まぁなんかおばあさんと2人暮らしが寂しくて、数ヶ月で戻って来ちゃうらしいんだけど。それから、大きくなってからは離れが近くにあって、弟と一緒に離れに暮らしてたらしいです。ご飯を食べるときに母屋に戻ってきてたとか。

生家に寄ったあと、なんか近くにトイレがあるって言うんで行ってみたら、でかい金木犀の木が植えてあって、それも満開だった。そうそう、これからずっと土手を歩いて行くんだけど、なんかずっと金木犀の香りが漂っていてね。そういうのも思い出の一つとして残ってます。

IMG_0516.jpg


生家に寄って矢勝川に行く途中、こんなのを見つけた。

IMG_0518.jpg


お地蔵さま。新美南吉の作品にはお地蔵さまの描写ってあったっけ?あったとしても具体的に今、すぐには思い出せないんだけど、ただ、作品とこういう風景はとても合っていて。「ああ、こういう中で南吉はあれらの物語を書いたのだ」って思った。ただ、もうちょっとこういうのに遭遇するかと思ってたんだけど、わたしが気が付いたのはこれだけだった。

IMG_0519.jpg


というわけで、ついに矢勝川に着く。ただ、すぐに土手を歩いたわけじゃなく、この進行方向、道路を挟んだ右側に「ごんごろ緑地」という公園みたいなのがあったのでそこに寄る。

IMG_0520.jpg


「ごんごろ」といえば、すぐに思い出すのが「ごんごろ鐘」という作品。もちろんこの緑地の「ごんごろ」というのは「ごんごろ鐘」のお話から取ったものだろう。この作品は特に好き、というものではないが、戦時中、鐘を供出するときの出来事を書いた話で、中でもとりわけ印象的なのが

紋次郎君とこのばあさんが、
「三河のごんごろうという鐘師がつくったと書いてねえかン」
と、きいた。
「そんなことは書いてねえ、助九郎という名が書いてある」
と、吉彦さんがこたえると、ばあさんはなにかぶつくさいって、ひっこんだ。



というところだ。「ごんごろ鐘」の「ごんごろ」の由来について、作った鐘師のぜんそくが移っただの、三河のごんごろうが作っただの、最初は「ごんごん鐘」と呼ばれていたのがいつの間にか「ごんごろ鐘」になったのだの、って話が最初の方に出てくるのだが、供出するに当たって鐘を下ろして中を見たときの場面だ。「ごんごろう説」を唱えていたおばあさんが自分の説が正しいと思って聞いてみたら、全然違う人の名前が書いてあったので、ぶつくさ言って引っ込む。ここの場面、本当に目の前に浮かんでくるような感じ(笑)わたしは新美南吉の、時折すごくリアリティがある描写がとても好きだ。

まぁ、だからといってこの公園には名前以外にごんごろ鐘を思い出させるものはなかったのだけど。あ、あとは画像は撮ってこなかったんだけど、なんか石碑(句碑?)みたいなのが入口にあったような気がするな。

というわけで、その3に続く。。

次からやっと、彼岸花の画像、出ます。今回もなんだか前振りみたいなものになってしまった。。まぁでも、わたしにとってはここは一種の「夢の国」みたいな感じで、既にもう気持ちはふわふわしてたんだよね。。
20:46 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
10-25 Sat , 2014
彼岸花を見に(新美南吉記念館) その1
日記を書こうと思って気が付いたんだけど、カテゴリが「二人で行った旅行」しかないのね。わたし、夏の旅行もそうだったんだけど、一人で旅行に行くことが増えてきたし、今後も一人で行くことが多そうなので、カテゴリ増やそうかな~。それともこのままで行くかな?特に従来のカテゴリも「二人」というところを強調しているつもりはなくって、単に「旅行」カテゴリのつもりだったんだよね。

ただ、以前は「二人で行くことが当たり前のこと」ってどこかで思ってたのが、「別に一人で行ってもいいじゃん」って認識に変わったのは事実だと思います。そしてそれの大きい原因は「猫」ってこともあるだろうね。二人とも出かけてしまうと猫の面倒を見られなくなってしまうので。。

そしてわたし、実は一人旅は昔から大好き、だったんだよね。一人旅は高校生の時から始めたんだけど、夏休みや春休みに青春18切符で電車に乗りまくる、宿はYHに泊まって、という旅行をしてました。二人であれこれ感じたことを言いながらの旅行もいいんだけど、一人で誰と話すこともなく頭の中で思考を巡らせながらの旅行はまた格別。YHではいろんな人と出会うのも好きだった。今はYHも高くなっちゃってほとんど泊まることはないけど「ああ、わたしはこういうのが大好きだったんだ」ということを思い出した。

ってわけで、夏は日記には長崎のことしか書いてないんだけど、東京→長崎→薩摩川内→広島→大阪、って旅行をしてきてかなり楽しかった。そして今回は愛知県半田市にある「新美南吉記念館」に行ってきた。行ってきたと言っても、もう1ヶ月前の話ですが、、その後いろいろ忙しくしてたらこんなになってしまった(汗)

新美南吉、と言えば、ご多分に漏れず、小学校の授業でやったわけだけど、確か低学年の時は「手袋を買いに」、中学年で「ごんぎつね」をやり、高学年で「おじいさんのランプ」をやったんじゃないかと記憶している。ただ、高学年の時の「おじいさんのランプ」は授業でやったのかそれとも個人的に読んだのか、それが定かではなく。。でもあの時期に南吉の「あれいでて 舞うででむしの 角のごと」って詩を知って覚えさせられたりしたので、高学年でも何らかの形で新美南吉のことをやったのは確かなんだよね。

低学年の時の「手袋を買いに」は、著者が誰とか全く気にしてなかったし、何よりこの作品はわたしはあんまり好きではなくて。「ごんぎつね」で著者が新美南吉って知ったような気がするけど、これも当初は「ふーん」って感じだった。「文学」の授業で本当に長期にわたって長く長くやったのを思い出すんだけど、正直、わたしは「文学」の授業はあまり好きではなかったので。。(うちの小学校は私立だったんで、文部省検定の教科書は使ってなくて、独自に「ぶんがく」という教材が作られてて、それを使って授業をやってた)。最後にごんが兵十に撃たれて死んでもあんまりなんとも思ってなかった。

新美南吉にはまりだしたのは、だから「おじいさんのランプ」を読んでからかなー?「わしの、しょうばいのやめかたはこれだ」のところからの一連の文章は思い返すだけで涙が出てくる(今も思い出して泣いてる)。湖のほとりに吊り下げられたランプが一つずつ割られていくシーンは、わたしの頭の中の想像のシーンしかもちろんないんだけど、ものすごく鮮明で、多分わたしが死ぬまでわたしの頭の中に刻み込まれてるんだろう。新美南吉の作品にはそういった「想像なんだけど、ものすごく鮮明に頭の中にあるシーン」がとても多い。

それ以来、わたしは新美南吉という人が他にどういう作品を書いたのかがすごく知りたくて、文庫本2冊とムック本1冊、これはあの当時、本の探し方など知らなかったので、適当に本屋で目に付いた時点で手に入れた。持っているのは、角川文庫「牛をつないだ椿の木」昭和53年6月20日十八版、講談社文庫「ごんぎつね、最後の胡弓ひきほか14編」1991年5月20日第34版、講談社Super文庫「新美南吉童話大全」1989年8月21日第一刷。新美南吉はおそらく全集が出てると思うんだけど、全集とは出会わなかった。全集が置いてあるような本屋には行かないか、行ったとしても全集が置いてあるコーナーなんて行ったことないからなぁ。全集というものがある、ということも多分全然認識してなかったんだろうと思う。こういうとき誰か大人が「こういうのがあるよ」って教えてくれたら、、って思うことが最近よくあるんだよね。興味を持ってても子どもの力では探せる範囲が限られてるから、どうしても狭い範囲で終わっちゃう。そのときに広い世界を知ったら、、また違った経験ができただろうな、と。まぁいいんだけど。

作品をたくさん読むうちに、自分が好きな童話がいくつも増えた。「おじいさんのランプ」はもちろん、「牛をつないだ椿の木」「花のき村と盗人たち」「うた時計」、まぁ一般に「いい」と評価されてる作品なんで、それはちょっとつまらないかなと思うんだけど、好きな作品を挙げろと言われると真っ先に挙げるのはこれらの作品。「九助君の話」から始まる一連の九助君話は正直なところ、わたしはあんまり好きじゃない。なんか背中がヒヤッとする作品なんだよな、あれ。なんか冷たいドロドロしたものが押しつけられてる感じがする話たちなんだよね。こどもたちの生々しい関係性、生々しい感覚の話。そういう感覚がわたしはあまり好きじゃなかった。ただ、今読んだらどうなんだろう、、もしかしたら読んでた当時と全然違った感覚を持つかも知れないです。

ってわけで、新美南吉は好きだったんだけど、ある日、新聞を読んでたら、新美南吉の生まれ故郷半田市に「新美南吉記念館ができた」というのが載っててね。「これはいつかは行きたい!」って思ったのね。多分、平成の初め頃だったと思う。

ただ、ずっと「行きたい」とは思ってたし、名古屋にはあれから何度も行ったけど、そこから足を伸ばしてってことにはならなかった。そのうち「ごんぎつね」にあやかって、矢勝川の土手に彼岸花が植えられて、それが季節になると土手いっぱいに咲いてる彼岸花が見られる、ってことを知った。

わたしは「ごんぎつね」を学校で習っているときは好きとか嫌いとか全然思わなくて、ただ自分の前を通り過ぎてった作品だったんだけど、いつの頃からか、ものすごくグッとくるようになってね。特に彼岸花の描写のところがものすごく好きになって、それで彼岸花って花自体も好きになった。さっき「ごんぎつねにあやかって」って書いたけど、彼岸花を植えてる新美南吉顕彰会の説明文などでは、ごんぎつねの彼岸花のシーンはわたしが好きなシーンとは別のシーンが例に挙げられてる。

墓地には、ひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。



一般的にはそちらのほうの彼岸花のイメージなのかな、、しかし、わたしが彼岸花のシーンで最も好きなのは、兵十のおっかあの葬式の場面に出てくる彼岸花なのだ。

人びとが通ったあとは、ひがん花がふみおられていました。



ってわけで、これはますます行きたくなって、そしてようやく今年「行こう」ってことに決めた。だって、いつか「行こう」と思わなきゃいけないところなんだもん。何かのついでとかは絶対に有り得なさそうなところなんだもん。それに最近思い始めたんだけど「行きたいときに行くことにする」なんだよね。「いつか行けるから」と思ってても、何かがあって行けなくなるかも知れない。そのとき「ずっと行きたかったのに」って悔やむのはイヤなのだ。

ただ!今年は6月に札幌、青森にも行ったし、8月には九州の方まで行ったし、旅行行き過ぎってことで、金がない。なので、「ぷらっとこだま」っておそらく新幹線の中ではもっとも安く行ける方法で名古屋に行って、それから半田まで行き、一日そこで過ごして、夜は高速バスで東京に帰ってくる、というルートにした。まーこれでも交通費1万以上にはなるけど、泊まらないのでその分料金安くあげられるってことで。安く行こうとすると時間が掛かって、結局はそこで泊まらなくちゃならなくなる。タダで泊めてくれる友だちがいればそれでもいいんだろうけど、そんなのはないし、例えばネカフェみたいなところで泊まるにしても、わたしはもともと枕が変わるだけで眠れないタチで、今はそれに病気(うつ病)のせいで輪を掛けて眠りづらくなってるので、泊まったとしても全然眠れないで次の日を迎えて、さらにそこで予定を詰め込むと身体に負担を掛ける、、ってことになるので、それだったら時間をお金で買うということで、行きは高いけど新幹線、帰りは寝れなくてもいいから夜行バスで、あとは帰ってきて家のベッドで寝ればいいやってことにしたのね。夜行バスとか手足のばせなくても普通に眠れる人ってホント、得してると思うわ、、

ってわけで、いつものことながら前置きが長くてなかなか旅行記が進まないんだけど(笑)、9月29日(月)の早朝、東京駅からこだまに乗った。

IMG_0491.jpg


どうしてこの日になったかというと、彼岸花の咲く日をずっとずっとここで確認してて、満開になったら行こうと思ってたのだ。もともとこの時期には「ごんの秋まつり」(今年は9月19日から10月5日まで)というのをやってて、人が結構来るそうなのですね。で、わたしは特に人が多いと思われる土日には行きたくなかったし、夜行バスの値段が上がる金曜の夜はイヤだったし、行くならやっぱり天気がいい日がいいよねってことで考えると案外条件が重なる日が少なくて。で、29日になったんですね。

IMG_0492.jpg


東京駅の新幹線のホームから見た空。もちろん天気がいい日を選んだからなんだけど、天気がいい日でした。

IMG_0493.jpg


ベタなんだけど、車窓から見た富士山。富士山を見ると自動的に小学校の時の校歌が頭の中を流れます。歌い出しで既に「ふじの おやまが にっこりと」というものなので。。(笑)ただ、富士山が校歌の歌詞で出てくる範囲ってどの程度なんだろうなっていつも思う。関東地方の学校だと確率高そうだけど、それ以外の地域は出て来ないよね、多分。いくら「日本一の山」でも見えないところの山を校歌で歌うってことはないだろう。

IMG_0499.jpg


ということで、こだまで4時間掛けて名古屋へ。4時間って言うとかなり長く思われるかも知れないけど、電車に乗ってぼーっとしながら車窓を眺めているのが好きなわたしにとって4時間ってのは、あっという間の感覚なのだ。鉄道好きな人でも「撮り鉄」とか「乗り鉄」とかに分かれてるっていうけど、わたしは電車に乗って、窓の外を見ながらボーッとすることがものすごく好き。音楽を聞きながら、頭の中は取り留めのないことを考えてる時間は、すごくのんびりできて気分転換ができてストレス解消になる。普段の生活の中で頭をからっぽにできないわたしにとってはとても貴重な時間なのだ。だけどこういう鉄道の乗り方が好きな人のことはなんて言うんだろう?「乗り鉄」は電車に乗ってることが好きって人ではないよね。全線乗るのが好きな人のことだよね?わたしは電車に乗ること自体が好きなんだけど。。

長くなりそうなのでここで一旦切って、その2に続く。。
12:57 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
| ホーム |
AX