11-15 Sun , 2015
まだまだハマってる朝鮮語
半年に1度くらいしか朝鮮語のこと書いてないけど、実はまだ続けてる。去年の4月に始めてから1年半と少し。前の前の日記には、

で、来年の今頃はまた「騙されてたーーー!」って日記書いてるかも知れない(笑)

って書いたし、その前の日記にも

今後辞書を使えば「英語と同じ感覚だ」ってなって、嫌いになっちゃうじゃないかって不安がとても大きい。ああ、そんなことになりませんように。

なんてことを書いている。わたしには中学・高校の「英語嫌い」と大学時代の第二外国語で取った「ロシア語」の影響で「語学は自分に向いてないし、習ったらわけ分かんなくて絶望的な気分になる」という「決め付け」みたいなものが自分の中にまだあるのよ。だから、今はまだいいけど、いつか絶望的な気分になるんじゃないかと脅えているところがある。一番上の例で言うと、あのときからまだ約半年しか経ってなく「来年の今頃」にはまだなってない。だから、来年の今頃、すなわち来年の3月頃はそう思ってるかも知れない、まだそう思っているところがある。

しかし実際のところ、朝鮮語に対してはまだまだハマり続けている。辞書買って単語を調べ始めても嫌な気分にならなかった。嫌な気分にならないどころか、英語だと例えば単語の途中で「r」という文字があったとして(例えば「sovereign」とか)、そうすると「r?rってどういう順番だっけ、えーと、a、b、c、d、e、f、g、、、(頭の中でアルファベットの歌を歌う)」って未だにやらないと分かんないことがあるわけ。「それはお前がアホだからだ。何年間英語を勉強してたんだ」って言われると確かにそうなんだけど、どうしてもアルファベットの順番がすぐに出てこない。nはrの前だったか、後ろだったか、とか、sはmの前だったか後ろだったかとか。それが朝鮮語の場合はとても簡単に順番を覚えられるのだ。朝鮮語の辞書の母音の基本的な順番は「ㅏ→ㅓ→ㅗ→ㅜ→ㅡ→ㅣ」の順番なのだが、中には「ㅐㅔㅒㅖ」とか出てくる。でもこれらの順番まで入れて覚える必要はないのだ。その中の文字に基本「ㅏ」の文字が含まれていたら、その文字(ㅏ)の次を見ればいいから。

要するに「ㅐ」は「ㅏ」+「ㅣ」と考えられるので、「ㅏ」の次を、「ㅔ」は「ㅓ」+「ㅣ」と考えられるので「ㅓ」の次を見てみれば出てくる。「ㅒ」「ㅖ」も基本的には同じだ。「ㅒ」の文字は「ㅑ」+「ㅣ」だけども、「ㅑ」は「ㅏ」より一本棒が多いから「ㅏ」の次にあるのだ。ここでじゃあ「ㅐ」と「ㅒ」はどっちが先に出てくるかというと、「ㅐ」の方はあくまでも「ㅏ」が基本なので、こちらの方が先だ。

それに「ㅏ→ㅓ→ㅗ→ㅜ→ㅡ→ㅣ」の順番だって、「ㅏ」と「ㅗ」は陽母音、「ㅓ」と「ㅜ」が陰母音、ということさえ覚えておけば、縦長の陽母音のあとに縦長の陰母音、次も同じで横長の陽母音(ㅗ)のあとに横長の陰母音(ㅜ)、「ㅡ」「ㅣ」は両方陰母音だけども、「ㅜ」(ウ)の後は似てる読みの「ㅡ」(ウ)だと思えば(日本語と違い朝鮮語の「ウ」の発音は2種類あり、「ㅜ」は日本語より唇を突き出した「ウ」なんだけども「ㅡ」は唇を横に引っ張った状態で発音する「ウ」。日本語の「イ」の発音の口で「ウ」って言うような感じ)すっごく覚えやすいんだよね。覚えるというか、直感的に分かるって感じ?こういうところが実に合理的なの。

子音についてもよく「カナタラ~(ㄱㄴㄷㄹ)」って言うけど、最初の方はそれでいいとして、一番迷うのは「ㅈ」が「ㅅ」より前だったか後だったかなんだけど、わたしは「ㅇ」の前にあるのが「ㅅ」で後が「ㅈ」とだけは覚えてる。なぜ「ㅇ」を基準にしているかというと、「ㅇ」が出てくる文字が結構たくさんあるのよ。辞書で探してる最中「ㅇ」によく突き当たる。だから、それを知らない間に基準にしてた。

ただし、だからといってこれで全部すんなり辞書を引けるかどうかと言うとそうではなく。中に「ㅢ」とか出てくると「どっちを先に見ればいいんだっけ?」って迷うことはある。けど、順番の規則性を考えるより適当に探した方が早いので(あんまりこの手の文字が出てこないってこともある)そういう文字が含まれてたら適当に探す(笑)

要するに英語と違って文字の順番を「記憶のみ」に頼ることが少ないから、わたしには合ってるんだと思う。わたしは分からないものを分からないながらも丸のままに覚えるのがとても苦手。ただ、理屈を理解するとすんなり覚えられる。だから数学の公式なんかもそうなんだけど、っていうか、ああいうのはあまり「公式」として覚えようとは思ってなかった。しかし、理屈さえ覚えていれば公式は覚えなくても導けるんだけどね、ということをこの間会った人たちに話したところ「理系の人からはそう言われるんだけど、そもそもなんでxはxなんだかよく分からない。だから公式は分からなくても丸々暗記するんだ」と言われ。。確かにそこんところが分からなければダメなのかな。「x」って「何か分からないけど、まぁこういうのがあるはずです」みたいな感じだけどね。自分が知りたいもの、分からないもの、問われているものを「x」とする。そしてその分からないものがそこにあるようにして扱って式を立てる。すると式さえ導ければあとは四則演算等で計算してやれば、自然に分からないものが出てくるのよ。だから一度「x」の概念を導入すると、その前のそれを使わなかった時代(小学生の算数)の文章題は「x」を使わなければ解けなくなる。そんな感じなんだけどな、、、って話が逸れた。

4月からはクラスが1つ上がって初級の上、みたいなクラスになってる。ここでのメインは「下称形」と「間接話法」なんだけど、間接話法といったら「誰々がこれこれと言ってます」みたいな感じだったじゃない、英語では。でも朝鮮語の間接話法ってそうじゃなく、とても幅が広いみたい。「○○という△△」みたいなのも間接話法に入るんだって。要するに「富士山という山」みたいなものも「わたしは○○(名前)と申します」というのも間接話法の中に入る。「下称形」というのは、一般的に言うと「である」体のことで、小説や本、新聞なんかはこの文体なんだそうだ。今まで1年間やってたのはずっと「上称形」で、これは「ですます体」のこと。朝鮮語はこの「ですます体」が更に2つに分かれて「합니다体」と「해요体」に分かれる。あとはいわゆる「タメ語」の「해体」というのがあるはず(これはまだやってない)。で、なんで「下称形」と「間接話法」がセットになってるかというと、間接話法を使うにはまず文を下称形に変えられなきゃだめだかららしい。

あとは「기」とか「게」を用言につけて体言化(~すること)したり副詞化(~く、~に)したりする表現を主にやってるのかな。

わたしは元々、朝鮮語を始めたいと思った直接のきっかけがinstagramで猫を飼ってる韓国の人と繋がって、その人たちとコメントのやりとりをしたかったからなのだけど、そうすると「読む」「書く」ということが中心で、「聞く」「話す」はほとんど関係がない。それに書いてある文章の文法を分析して読む、ということの方がわたしは好きで、英語の時もそうだったけど、英語の場合はその文章の「構文」をまず分析してからってことをしてたので(これは大学受験勉強の影響がとても大きいと思う)朝鮮語もそういう方が慣れてると思うの。しかも、韓国ドラマとかK-popは全く興味が無いので、まず「聞く」ことがない。そして「読む」ことは音の変化もあって超苦手。未だに母音の読み方が違って先生から注意されるほど。。(トホホ)

授業は毎回、聴き取りから始まるんだけど(今やってるような内容ではなく、去年やってたような簡単な内容)これが聴き取れなくてね~。他の人たちは韓国ドラマを見ているからか、とても聴き取れるの。ていうか「なんでそんなに聴き取れるんですか?」って聞くと「ドラマを見てるからね~」って言われるの。確かに耳をそういうのに慣らさないと聴き取りってできないんだろうなと思ったんだけど、ドラマは興味がないから無理に見ることはできない。そこで考えたのが韓国のテレビとかラジオのアプリ。これ、探してみると結構あるのね。24時間ニュース専門とか。わたしは主に「KBS World Radio」または「KBSWorldOnair」というアプリでラジオを聴いてる。ダウンロードしたときはデフォルト言語が英語になってるけど、それを한국어にすると24時間放送が韓国語になる。それ以外にも「YTN」というニュース専門テレビのアプリもある。こっちの方は「字も付いてるよ」と教えてもらったのでダウンロードしたのだが、今のところまだどこに字幕が付いてるのか発見できず。少なくとも同じ画面ではないような気が。やはりすべて韓国語で書かれるとわけ分かりません。「設定」画面にしようとするとアプリ自体がすぐ落ちるので設定画面で何を設定するのかすら分かんないし。ドラマは会話だけど、ニュースは会話じゃないし、内容は結構難しいと思う。だけど、耳を慣らすために取り敢えずダウンロードして聞いている。それに先生によれば、ニュースは難しいようで案外「漢字語」を多く使われているので、日本語話者にとっては聞き取りやすいんだとか。確かに日本語でも難しい言葉は漢語になるよね。「取る」だって「取得する」になったり、「持つ」だって「所持する」になったりするもんね。確かに「取得する」「所持する」の方が一般的には硬くて難しいとされている言葉だけど、それを知っていれば、朝鮮語にもそれを流用できることが多いのかも知れない、ってことになるよね(と言いつつも、わたしもそこまで難しい単語を知っているわけではないので当然聞き取れはしないが。でも発音がなんだか似てて知らない単語でも「あれ?もしかして?」って思うことは少しだけあったりすることもある)。

ただ、ニュースでも分かるのは語尾だけ、ってこともよくある。さっき書いた体言化の「기」を使った「기 때문에(~のために、~のせいで)」という言葉は既に習ったのだが、これ「だけ」聴き取れることがよくある。しかしその前の言葉がわからないので「なんのために」なのかよく分からない。。「는데」(~なんですが)とかもそう。何が「~なんですが」かの具体的なことは分からないけど「なんですが」って言ってるなあ~とか。「부터~까지」(~から~まで)もよく言われる。でも何から何までかはよく分からない。。ちなみに「부터」は時間や順番に使われて、場所(例えば「ソウル駅から」とか)には別の言葉を使う。でもそこだけ聴き取れても具体的な意味がさっぱり分からないので、ストレスが余計にたまる(>_<)

あと聴き取れないのは数字。これは授業の中の聴き取りでもそうで、だからそれを克服したい!って思うんだけど、今のわたしはニュースの中でも数字の部分は「あ、これ、数字言ってる!」ってのは分かるのよ、なぜか。だけどそれが具体的な数字として頭に残らない。それに朝鮮語というのは連音化によって発音が変化しちゃうことが多く、例えば「100ウォン」だと、朝鮮語で書くと「백원(百ウォン、一文字一文字で発音すると、pek-won)」、これを連続して発音すると「배권(pegyon)」になっちゃうのよ。なぜかというと「백」の「ㄱ」が次の文字の「ㅇ」のところに入ってしまうのと、「ㄱ」の発音は語中に来ると濁っちゃうから。そうするとわたしの耳には全く知らない言葉のように聞こえてしまうのだ。まだ次に「パーセント」が付いた方が分かりやすい。パーセントは最初の子音が「ㅍ」だと思うので、これは連音化しないから。数字自体についてもこのことが言えて、例えば漢数詞「11」は「십일(십が十、일は一、一文字一文字発音すると、sip-ir)」なんだけど、これを発音すると「시빌(sibir)」となる(ㄹの発音については前も書いたけど、rなんだかlなんだかよく知りませんので適当な表記です。でもそういう類の発音にはなる)。ひどいのは「6」で、語頭の「6」だと「육(yuk)」だけど語中に来る場合の発音は「뉵(nyuk)」になっちゃう。日本語で電話番号をいうときは「ゼロサン サンハチロクイチ ロクイチゴウハチ」(数字は適当だからね!)って「6」はどこに来ても読み方は「ロク」だけど、朝鮮語だと「サンハチロクイチ」の「ロク」と「ロクイチゴウハチ」の「ロク」は違う読み方になる。これは鼻音化の関係だと思います。まぁ規則的と言えば規則的な発音のうちに入るけど。あと「16」とか「26」とか「十六」関係の発音はそれに加え更に鼻音化がもう一段階起こるので、ますます分からなくなる。「십육」の読み方が「심뉵(sim-nyuk)」だからね。

これに助数詞「日」がついて、例えば日付の「11日」なんかは「십일 일」(일は漢字の「日」でもある)になり、これを発音すると「시비릴(sibirir)」、要するにわたしの耳には「しびりる」と聞こえる。だからいくら11を「しびる」と覚えたとしても後に付く助数詞(上の説明で言うとウォンとか日とか。日本語も助数詞たくさんあるよね。本とか個とか)によってまた受ける印象が違って来ちゃうのだ。一番難しいのはさっき出た「十六」関係だけど、例えば「16日」は「십육 일(一文字一文字を読むと、sip-yuk-ir(=しっぷ ゆっく いる)」だけど、読み方は「심뉴길(=sim-nyugir=しんにゅーぎる)」になって「しっぷ ゆっく いる」とは全く別物。「しっぷ ゆっく いる」を早く読んで「しっぷゆっくいる」にしたとしても「しっぷゆっきる」くらいにはなるかも知れないが、絶対に「しんにゅーぎる」にはならない。だからもう「しんにゅーぎる」=「16日」って覚えるしかないのかなと。でも多分、別の助数詞が付くと全く分からなくなるな、これは。ちなみに「12」は십이で「しび」なんだけど、これが「12日」になると「십이 일」=「しびいる」で、「しびりる」の11日との違いが聞き取りにくい。。ということになる。日本語の発音で言われると分かるけどさあ。朝鮮語だったら分かんないわな、その違い。結局わたしはこの違いはまだ聴き取れてません。つい先日11日と12日だったので、ニュースでは随分この日付を言ってたような気がするけど、何が何だか分からなかった。それに、正解が何であるか分かるわけもないので、そこのところは聴き取れたとしても本当に合ってるかどうかは分からない。それが日本語字幕が付いてる韓国ドラマとの差かなあ~。

ただ。日本語では、助数詞に数字が付くと数字の読み方と助数詞の読み方、2つが変わってくるよね。例えば「一本」「二本」「三本」の読み方はそれぞれ「いっぽん」「にほん」「さんぼん」だ。「一」=「いち」と習っていても「いっ」になったりするし、「四」は「よん」って読むときもあるし、ものによっては「し」って読むときもある。「本」は基本は「ほん」という読み方だけど、付いてくる数字によっては「ぽん」や「ぼん」って読むことがある。まぁそういうのと似てるってことだよね。おそらく日本語を習っている人たちにとっては「なんじゃこれ!日本語ってこうなんだよ!!難しいよね!!!」って言いたくなるだろうな~と想像する(笑)日本語については考えたことがないんだけど、朝鮮語のように読み方に規則性はあるんだろうか。。でも「一日」(ついたち)「二日」(ふつか)「三日」(みっか)などを考えると規則性なんかない気がするんだが。それともこの読み方は「例外」なのかな?だいたい「一日」のどこまでが「つい」でどこからが「たち」か分かんないや。もしかすると「つ」「いたち」かも知れないし(まさか)。しかもだからといって「日」が「たち」と読むかというと、そんな読み方をするとは言えない気が。日本語を教えてる人はこういうこと、どうやって教えるんだろう?わたしが日本語を勉強していたとしたら「なんで一日は『ついたち』って読むのに、日は『たち』って読まないって言うんですか!ここで『たち』って読みがあるじゃないですか。なのになんで辞書には『たち』っていう読み仮名が書いてないんですか??」とか先生に聞きそう。。(調べてみたら「日」の読み方は「ニチ、ジツ、ひ、か」だそうです。。)多分、こういう理屈で考えても分からないことがあるから、わたしは語学が嫌いなんだと思うね。

ところでここで一旦話が逸れるが。今、読んでる本の中に「ゲーテは『外国の言語を知らない者は、自国の言語を理解できない』と言った。」と書いてあった。あ、これ別に語学関係の本ではないんだけど。そしてわたしは上に書いたように朝鮮語を勉強しながら、日本語のことをよく考える。これって英語を勉強していたときは全く考えたことがなかったんだけど。あまりにも言葉の構造が違い過ぎるので比較するとかしないとか思ったことがない。あとそれと「考え付かなかった」というのはあるかもね。若すぎて。例えば文章の構造の違いから思考の方向性の違いを考えるのは結構楽しいことなのかも知れない。主語が絶対にないといけない言語だとか、動詞が主語のすぐ後に出てくる言語だとか、名詞が女性名詞や中性名詞、男性名詞に分かれてる言語とか、どれも日本語の構造とは違っている。「そんなに性が大切なことなのか?」とか「なぜ男性名詞と女性名詞だけでなく中性名詞まであるんだろうか」とか、そういうことを考えるのは面白いことなのかも知れない。そこで「その言語を話す人たちの特徴」なんか分かるのかも知れない(一歩間違えると「●●は△△だ」と決めつけそうで怖いが)。きっとゲーテは幅広い意味で言ったんだろうね。言語ということだけではなく。思考回路という意味で。しかし、わたしは言語だから言語のことだけ考えている。そうすると日本語を勉強している人はこういうこと考えて話さなきゃならないのか~、結構めんどくさいのね、とかそんなことを思う。

日本語を勉強している人が日本語を勉強する上で「て形」ってものを教わるんだと調べて知った。「書いて」とか「買って」とかの「て」なんだけど、その前の文字がいくつかの種類に分かれるらしく「書いて」だったら「い」とか「買って」だったら「っ」とか「読んで」だったら「ん」とか、そういうことらしいんだけど、その説明を読んでてウンザリした。難しすぎる。どこやらの文字が何行(あ行とかか行とか)だったら「て」が付く、とかそんな感じだった。覚えるのがめんどくさすぎる。日本語を勉強している人は、そんなことを考えながら話してるのか、そんなことを思った。まぁでもゲーテが言ってることは合っている。わたしは朝鮮語を勉強することがなければ決して日本語のことだって知ろうとは思わなかったし、日本語を勉強している人の気持ちも考えたことがなかった。閑話休題。

そしてそれに加えて。朝鮮語には固有の数詞もある。日本語でも「いち」「に」の他に「ひとつ」「ふたつ」という数え方があるが、まぁそれと同じようなものなんだけど、日本語だとせいぜい「ここのつ」までしかないのに比べ、朝鮮語の固有数詞は99まである。しかも日本語では「ひとつ」「ふたつ」なんて、ものを数えるくらいしか使わないのに対し、朝鮮語は○時△分の「○時」の「○」、「●歳」の「●」は固有数詞なのだ(もちろんこの他にも固有数詞を使わなければならない助数詞はたくさんある)。日本語の「一つ」「二つ」に当たるものは「하나」「둘」「셋」「넷」、、だが、例えば「1時1分」は「한 시 일 분」(시=時で、분=分)になる。固有数詞「1」は「하나」なんだけど、このように次にすぐ助数詞が来ると「한」に変化する。そのように変化するものは1以外には2、3、4と20。そして。漢数詞は例えば「35」なら「三」「十」「五」と分けられるが、固有数詞は「三十」+「五」になる。要するに「十」(열)「二十」(스물)「三十」(서른)「四十」(마흔)「五十」(쉰)、、、という単語が「九十」(아흔)まであるのだ。だから、朝鮮語では99まで固有数詞で数えられる。で、これを覚えておかなければならないのは、年齢を言うときはこれを使わなければならないから。朝鮮半島において年齢っていうのは、敬語を使う上でとても大切な情報だ。だから、自分より年上か年下かを知るために割と出会ってすぐに年齢を聞かれるとか。なので「少なくとも自分の年齢は固有数詞で言えるように」と先生からずっと前に(固有数詞を習うのは随分最初の頃なので)言われました。。

ただ不思議と、わたしは他の数字は全く聴き取れないというか、いつ言ってるかさえ分からないのに「8」(여덟)「9」(아홉)だけは妙に聴き取れる。なので最近よく分からないけど、(韓国の)高校、8時10分から8時半、ということだけ聞き取れるニュースが何回もあり、始業時間が変わったのか知らん?とか、そういうことを想像してるんだけど、まぁその他のことは何も聴き取れないんだから、本当にこういう状態、イライラするー!ちょっとは分かって嬉しい反面。

数字の読み上げだけをするアプリなんかないのかしらって思って探したんだけど、あったよ、一応。でも助数詞付きではなかったのと、まったく連音化してなくて単独の数字しか読み上げないアプリだったので(日本語で言うと「十」「万」「五」「千」「三」「百」「八」「十」「五」みたいな)これは慣れるとすぐに聞けるようになってしまう。問題は連音化した言葉が聞けることだから、このアプリはあまり役には立たなかった。`

というわけで、本当に意外なんだけど、まだまだちょっとでも朝鮮語が知りたい、聞けるようになりたいと思って、いろんなアプリを探したり、何か分かりやすい参考書みたいなのはないかな~って探したりしている。最近「標準韓国語文法辞典」てのを買いました。やっぱこれから先の勉強は語尾だと思うので。。

そしてこんなにまだほとんど何も聴き取れないのに等しいのに、結構聴くのは楽しい。新しく習った文法、例えばさっき出てきた下称形や間接話法なんかも習うと面白い。英語だったら「もうやだ、、」って絶対に思うはずなのに、それを全く感じないのは多分、日本語にない概念がまだ出てきてないからかなあ。だって「時制の一致」とか「仮定法」とか「過去完了」とか、わたしは本当に嫌いだった。ああ「定冠詞」「不定冠詞」すら嫌いでした。もうね「a」をつけなきゃならないのかとか「the」かとか、分かんないよ、そんなの。そういうのが朝鮮語には一切ない。その点は日本語と同じ。これは本当に気が楽だよね~。ところどころ、動詞のあとに付く語尾と形容詞にのあとに付く語尾が違ったりするけど(しかも動詞と形容詞の区別も日本語とは少し違う部分があるけど)、そういうのはまだ理解できるから。

なのでinstagramにも半年前以上に書けることが多くなってる。てか、本当にそれが正しい韓国語なのかは分からないけど、自分の言いたいことを書いたあとに「韓国語はまだうまく書けないので、意味が分かるか心配です」みたいなことを最後に付け加えると「意味は分かりますよ~」とか「韓国語、上手ですね」とか返事を書いてくれるようになった(笑)ちょっとずつ進化してるようで、それはやっぱり嬉しい(最初は読めもしなかったんだから!)。ただ、やっぱり向こうの人が自分の画像につけてる韓国語は分かんないです。韓国にも「ネット言葉」みたいなのはあるらしいし、わたしはまだまだ文法も知らないことの方が多いからそれがネット言葉なのか、単なる文法を知らないのかも区別が付かない。で、こういうのを自分からわざわざ文法まで調べるようなことはしません。それやるとわけ分かんなくなって朝鮮語自体を嫌いになってしまう可能性があるから。今は習ったことだけしっかり身に付けようと思ってる。それだけでも結構大変なんだから。

というわけで、朝鮮語を習い始めてから1年半ちょっと。今のところはまだ大丈夫そう(笑)聴くことはこれでいいとして、あとは読みです。読むのも苦手。こればっかりは教科書を繰り返し読む練習しなきゃならないんだけど、あまりにも読めないんで一番気が重い。。でもこれも練習しやすいようにいろいろアプリ探してきた。「Audipo」ってアプリを使って最初は早さを0.75倍くらいにしてゆっくり目から練習して、1倍の速度で言えるように繰り返し読むのが一番わたしにとっては楽な方法かも知れない。でも正直あまりやってない。これはとってもまずい。クラスで一人で読まされる場面もあるんだけど、読めないと思うと余計に緊張して読めなくなる(>_<)。クラスは3人しかいないし(1年目の終わりまで4人だったのに2年目になったら1人辞めちゃった)、わたし以外の2人は本当によくできる人たちなので付いていくだけで精一杯。予習・復習はちゃんとやらないと付いてけないので、丸1日やんない日とかもあるけど、でも大抵の日は何かやってる。そう、まだまだやる気はある。

でも半年後くらいに「やっぱり語学は語学だったーーーーー!もうやだーーー!」って言ってるかも知れないとはまだ思ってる(笑)

【追記】ラジオはほとんど聴き取れないので、ここで触れる気はなかったのだが、、確かに「역사 교과서」(歴史 教科書」という単語はものすごい頻繁に聴き取れてて「これはかなり問題になってるな」とは思ってた。が、それ以上のことは残念ながら聴き取れる能力が今のわたしにはない。(日本語のニュースを読んで)わたしは歴史教科書を国定の1つに決めるべきではないと思うし、そういう意味ではデモに参加した韓国市民と意を同じくする。

もう一つ言うと、パリで起こったテロだが、こちらの方はちょっと複雑すぎて。。こちらの方は少し以前にアブドルバーリ・アトワーンさんという人が書いた「イスラーム国」という本を読んだのだが、もしこのテロについて単純に「テロは絶対に許さない」としか思っていなかったら、この本を読んでみることをお薦めする。この人はアラブ人の報道者なので非常に取材が行き届いている。変に情報が偏っていない。この人、殺されたりしないかしらと心配に思うほど。これを読むと(イスラーム国は欧米が生んだ、といわれる)欧米以外のアラブ諸国にもいろんな問題があると分かるし、そして何より思うのは、ここに関わっている国々は誰もみんな平和なんか望んでいないのだ、ということがすごくよく分かる。みんな自国の利益追求(石油、そしてお金)ばかり。なぜ今「イスラーム国」が生まれてしまったのか、そのことをもっとよく考えるべきだし、多分状況は複雑すぎてよく考えても解決方法なんかすんなり出て来っこない。「イスラーム国」自体も、原理主義ではあるが、原理主義ならネット使って情報拡散するなと言いたい。なんでこの部分だけ「現代的」なそれが許されるのか。自分たちにとって都合のいい解釈をするのであれば、それは「宗教を信じている」とは言えないのではないか(こんなこと無宗教者であるわたしになんか絶対に言われたくないと思うけど)。この本で、実は1つ日記を書こうと思ったんだけど(それくらい考えることはたくさんあった)、でも止めたんだよね~。もう図書館に返しちゃったし。約400ページとちょっと厚いが、この問題は少なくともこれくらいの分量がないと説明しきれないくらい複雑なのだ。

Pray for Korea.Pray for Paris.と書くのは簡単だ。だが、わたしはそれをしたくない。第一にわたしには祈るべき神はいないから。それも理由のうちの一つだが、こういう気持ちを書いて発散させるより、書きたい気持ちをぐっと抑えて自分に何が出来るのかを考えたい。人一人ができることはほとんどないのは分かっているけど、でもそれでもあがき続けて考え続けたい。
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03-13 Fri , 2015
朝鮮語辞典買っちゃった!
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少し前に「わたしが朝鮮語にハマったわけ」って題名でブログ書いてそこの最後に「。。。辞書、買いに行くか。」って書いたけど、今日、ついについに朝鮮語辞典を買いました!

1年前、朝鮮語始めるときは「辞書が必要」なんてこと、思いもせず始めてしまって、しかもそこで先生が「しばらく辞書は必要ないです」って言ったので「そっか」と思い、単語は教科書の最後にまとめて載ってるものを辞書代わりに使ってた。当然のことながらそこには教科書で出てくる単語しか載ってないものだけど。

途中で「辞書欲しいなあ」って段々思うようになってきたのね。それは授業以外に朝鮮語に触れることが多くなって、例えばinstagramで韓国の人が書いてる文章が「読みたい」って思ったり、あとは去年の10月頃からちょこちょこと韓国ドラマを見始めて、今年の正月にやった「직장의 신(日本題:オフィスの女王)」(これは2007年に日本でやった「ハケンの品格」を韓国でリメイクしたドラマらしい) がものすごくよくて、そこで流れてたエンディングとか挿入歌とかが気に入って、CD出てないかなあ~と思って探したら出てたんだよね。で、そこに入ってる歌の歌詞をネットで探して、それを読みながら一緒に歌ってたりしたのだが、当然のことながら、単語知ってるのと知らないのがある。で、ネットの翻訳サイトに入れてどういう意味なのか調べたりしたんだが、ネットの翻訳サイトってあんまり頼りにならないんだよね~。辞書なら原形にして調べるけど、ネットの翻訳サイトだと原形にして訳せないのだ。

でね、「직장의 신」の最初の頃のエンディング(だったっけ?)に頻繁に流れてた歌が「아마도」って歌だったんだけど、これってわたしの耳には「amado」、要するに「雨戸」ってどうしても聞こえてしまうんで、本当はこれはどういう意味なんだろうって気になって、ネットの翻訳サイトで調べたんだよね。そしたら「おそらく」って出てきたの。その後、授業で「아마」って出てきて「多分、おそらく」って教科書の辞書に載ってたので「아마」と「아마도」の違いってなんじゃ?「도」があるなしの違いってなに?と思って、ネットの翻訳サイトで調べたら「아마」は「多分」、「아마도」は「おそらく」って出てきたの(笑)本当にこういう違いがあるんだろうか。。でもこれは辞書じゃないと多分違いとか載ってないよねと思って、ああ、辞書があったらなあ~って思ったんだよね。授業以外のことではしばしば翻訳サイトは当てにならなかったから、辞書が欲しかったの。授業以外に初級の本とか読みたかったし。

そういや全く関係ないけど、高校の時、Beatlesの「Please Please Me」を聞いてて、その中で「Come on come on」って歌詞があるのだけれど、それがどうしてもわたしには「家紋、家紋」と聞こえてしまって、「雨戸」を聞いたときにふとそのことを思い出した。まぁ「家紋」って思い浮かんだのは、いろいろと事情があるのだけどね(^^;

でも辞書は授業では先生がまだ必要ないって言ってるし、確かに勉強では教科書に出てくる単語さえ分かれば授業は問題ないので、いくら「欲しいなあ」と思っても頑なに買わなかった。ただ、教科書に出てくる単語でも「辞書にはどう説明してあるんだろうなあ。もっと詳しく知りたいなあ」って思ってたんだけどね。でも、買わなかった。なんか買ってしまうとその途端、朝鮮語に興味が薄れてしまうのではないかと怖かったんだよね。「欲しい」と思ってたうちが華なんじゃないかと思って。

そのうちネットでiPhoneの無料アプリ、Neverっていう辞典がいいって読んだんだけど、日本語バージョンがなくなってしまったらしく、でもそれなりに朝鮮語が分かる人ならそれでも全然構わないみたいだったんだけど、やっぱりそれだと初心者には使いづらくてね。なんせ、書いてある言葉が全部朝鮮語なのでそこからして読めやしない。単語は意味しか書いてないし。なので初心者はやっぱり紙の辞書なのかな~と思ってた。

「朝鮮語を勉強するなら、辞書はどれでもいいけど、でもその中に1冊は絶対に『朝鮮語辞典』があった方がいいです」って、いつだかの授業中に先生に言われて「そっか、じゃあ買うならこれだ」って思ってたんだよね。

で、ついに今日、新宿の紀伊國屋書店に行って買ってきた!本店8階の語学コーナーで。前からここにあるのは知ってたし、買うならここで買おうと決めてた。まぁそれは単にわたしが紀伊國屋書店が好きだからなんだけど(笑)なんで好きかというと、やっぱ高校の頃から通い慣れてるからかなあ~。本屋と言えばここだった。それは今でもそう。南口に本店よりでかい紀伊國屋書店ができたけど、駅から遠いし、なんかあそこでは「紀伊國屋書店で買った」って気がしない。本のカバーもここのが好き。他では「ブックカバーはいらない」っていうんだけど、ここのは欲しいときは被せてもらいます。

買うときはドキドキした。「ついに」と思って。だって、とてもとても欲しかったんだもの。買った直後に彼女に「ついに買った!」ってメールしたほど(笑)

というわけで、やっと手に入った朝鮮語辞典。

「これからもちゃんと勉強続けていけるよね?」って不安はまだある。だって、基本的にわたしは語学嫌いなはずなんだから。何度「英語ってホント嫌い!!」って思ったことか。今はまだ、朝鮮語は英語のように自分で辞書引いたりできないけれど、今後辞書を使えば「英語と同じ感覚だ」ってなって、嫌いになっちゃうじゃないかって不安がとても大きい。

ああ、そんなことになりませんように。
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03-06 Fri , 2015
わたしが朝鮮語にハマったわけ
わたしが朝鮮語を勉強し始めて、今月末で丸1年を迎える。

朝鮮語を勉強したいと思った理由は前にも書いたけど、instagramで猫飼ってる韓国の人と繋がって、その人たちの投稿した画像に何かコメントしたいと思ったのと、その人たちが書いた朝鮮語を読みたいと思ったからだった。しかし、こういう理由って珍しいのね。こないだ整体でなんて聞かれたのか忘れたけど、朝鮮語を勉強していると言ったら理由を聞かれたので、こう答えたら「うわ、ピンポイント!」って言われた(笑)確かに朝鮮語を始める理由って韓国ドラマとK-popがきっかけになってる方が一般的かも。実際、今通ってる韓国語講座のわたし以外の人は、韓国ドラマとK-popが好きな人たちだし。

わたしは朝鮮語を去年の4月に習い始める前は、朝鮮語のことは何一つ、全く知らなかった。もちろん字も読めなかった。で、事前の情報では、ハングル文字はローマ字に似てて、母音と子音の読み方さえ覚えれば意味分からなくても読めるとか、語順は日本語と同じだから日本語話者には勉強しやすい、って聞いてた。

えーと。文字の読み方については、基本的にはそうなんだろう。確かに一文字一文字はローマ字みたいに母音と子音が組み合わさっているので、読めないこともない。ただ、ローマ字と違うのは、日本語をローマ字にする場合は、ほとんどの場合は「子音+母音」で表されるのに対し(例外は「ん」だったり、詰まる音「っ」だったり、「ゃ」だったり)、朝鮮語の一文字は「子音+母音」の他に「子音+母音+母音」だったり「子音+母音+子音」だったり「子音+母音+子音+子音」だったりする文字も普通にあるってことだ。

「마」=「ㅁ」+「ㅏ」=子音+母音
「되」=「ㄷ」+「ㅗ」+「ㅣ」=子音+母音+母音
「박」=「ㅂ」+「ㅏ」+「ㄱ」+=子音+母音+子音
「읊」=「ㅇ」+「ㅡ」+「ㄹ」+「ㅍ」=子音+母音+子音+子音

しかもびっくりしたのは、語中に一定の子音があると(ㄱとかㄷとかㅂとかㅈ)、その読み方は濁って読むようになる、ということだった。「ㄱ」は日本語でいうと「か行」の発音に近いのだが(尤も「ㄱ」は平音なので、日本語の「か」よりも弱い音になるらしい。わたしはうまく発音できないんだけど。。)、例えば「기여(=寄与)」は「kiyo」なんだけど、その文字をひっくり返した「여기(=ここ)」は「yogi」になる。えー、みたいな感じ。そういえば、朝鮮の人の名前も名字から読むと名前の部分が濁って発音されるけど、名前だけの時は濁らない読みになるそうで、授業で「具体的に知ってる韓国の人の名前を挙げて考えてみましょう」って言われたとき、他の人は多分韓国の俳優さんの名前を言ってたような気がするんだが、わたしはどうしても「ソンドンヨル(=宣銅烈=선동열)」(韓国野球界の至宝と言われたピッチャーで、'90年代だったかに中日に来た)しか思い浮かばず、恥ずかしくて挙げることはできなかった。。(どうせ言っても「誰それ?」ってことになると思うし。。)それ以外の韓国の人は「チョーヨンピル」しか知らないし(ヨンピルは濁音にならない)、いわゆる「北朝鮮」では「キムイルソン」とか「キムジョンイル」とか「キムジョンウン」しか知らんからさ。。(ものすごい偏ってるな、わたし)

ちなみに「ソンドンヨル」=선동열、苗字は선、名前が동열、苗字と名前を続けて読むと「son-dong-yol」になるが、名前だけだと「tong-yol」になるはず(発音記号はめちゃくちゃです。「ㄹ」の発音、「r」なのか「l」なのか分からんし。ただ、「ㄴ」「ㅇ」「ㅁ」の発音は「n」「ng」「m」でいいはず。朝鮮語の「ん」の発音は3つある。日本語の「ん」も実は3つに分かれてるらしいが、日本語話者は意識して使ってない→「サンタ」と「ハンガー」と「新松戸」の「ん」は発音的には全部違う「ん」)。

まぁそんなわけで、「あれ、ローマ字みたいに読めるんじゃなかったの?」と思ってたことが徐々にガラガラと崩れ。。次に「えー」と思ったのが「連音化」だった。終声(「子音+母音+子音」だったら、最後の子音のことを終声という。例えば「음」の終声は「ㅁ」)の次の文字の子音が「ㅇ」だったら、その「ㅇ」のところに終声の子音が来ちゃうってこと。

例えば「음악(=音楽)」だったら、2文字目の「ㅇ」のところに1文字目の終声「ㅁ」が来て、発音としては「으막」(umak;ただし、「u」の発音は日本語の「う」じゃなく、口をもっと横に広げた「う」。「い」の発音の口で「う」という感じかな?)となる。ちなみに「음」「악」と一文字ずつ発音するときは「um(ウム)」「ak(アク)」になる。これが連音化。子音「ㅇ」はこれ自体、音がないって意味らしく、例えばローマ字での母音「a」「i」「u」「e」「o」は「아」「이」「우」「에」「오」となる。あっ、朝鮮語の母音は日本語以上にあって(日本語では「あいうえお」だけだけど)、「う」が2種類(ㅜ、ㅡ)、「お」が2種類(ㅗ、ㅓ)ある。「え」も2種類かな(ㅔ、ㅐ)。でも「え」の発音は今じゃ区別を付けないみたいで、発音自体は1種類(いわゆる「北朝鮮」では「ㅔ」と「ㅐ」の間の発音には違いがあるみたいだが)。まぁだけど、英語よりはマシだよね。英語は「あ」だけでも3種類くらいあったもんね。。しかも英語は同じ「a」って書かれてても読み方が単語によって違ったりしたよね。。

そしてそして。こんなことは「基本中の基本」であって。それ以外の発音規則がめっちゃあるので、本当にそれを覚えるだけでも大変。。鼻音化とか濃音化とか激音化とか側音化とか。。それ以外、漢字語の終声ㄹのあとの「ㅈㄷㅅ」は濃音で発音とか。。2文字終声のあとの平音は濃音になるとか。。はっきりいって発音変化を起こすものばかり。発音変化がない文章の方が絶対に少ないと思う。だからね、書いてある文章はぜーんぜんローマ字読みじゃないのよ。こんなん、すらすら読めるわけない。もともと基本的な字すら全く知らなかったところに、いきなり発音変化だからね。今でも読むのはすごく苦手。考えながら読まないと読めない。

そんなこんなで思ってたのとはだいぶ違ってたわけだけど。だけど、それでも今まで必死にやってこれたのは、やると結構面白いのよ、朝鮮語って。始めたときは、わたしと同じく全くの初心者の人と2人だったんだけど、その人が3週間くらいで来なくなっちゃって、入れ替わりくらいに1人来て、それ以降も何人か来て、結局4人になったんだけど、わたし以外の3人はみんなある程度独学で勉強してきた人たちで、レベルがわたしなんかとは全く違う人たちなのね(そういう人を「初級」に入れる方が間違ってる!)。で、わたしはそういう人たちについてくために必死でね。毎週ホントに泣きそうだった。朝鮮語始める前は、始めた後のことなんて考えなかったのね、何も。あまり深く考えずに始めちゃった。不思議なんだけど、語学なんだから、単語覚えるのは当たり前なのに、それすら思い付かなかった。。5月くらいかな。先生から「これからは1課が終わるごとに単語テストをやります」って聞いたとき「あっ!単語覚えなきゃいけないんだ」って初めて認識したというか。。で、当初は「やったことを整理するため」に復習をやるようになって、そのうち予習してかなきゃ分かんないから、ちゃんと予習するようになって。問題は事前にちゃんと解いて。発音変化も記入して。でないと、わたし、他の人についてけないから。そんなこんなしてるうちに、徐々に朝鮮語にハマっていったのだ。

いや、朝鮮語は英語と違って本当に面白いんだよね。わたし、語学は英語の他に大学で第二外国語としてロシア語を選択したのだが、ロシア語は英語以上に分からん言葉でね。。だいたい、名詞が女性名詞、男性名詞、中性名詞の3つに分かれてるし、格変化が6つ?ロシア語って自分の名前すら格変化起こす言葉で、2年しかやらなかったけど、最後の方は何やってるのか全く分からない状態でした。というわけで、英語ももともと嫌いだし、ロシア語はもっとわけ分からなかったので、自分は語学は不得意なんだと思ってた。嫌いだったし。

だから、同じ語学なのに、ここまで楽しいのはどうして?って自分でも不思議でたまらない。

きっかけは、単語テストで単語を覚えたときのことだった。朝鮮語にも日本語と同じように独自の言葉と(日本語では「和語」、朝鮮語は「固有語」と呼んでるらしいけど)中国から来た「漢語」(朝鮮語では「漢字語」)ってのがあるらしい。で、朝鮮語の漢字語の読みは「音読み」の一つしかないの、基本的に。日本のように「自明」の「明」は「メイ」と読むけど、「明朝体」の「明」は「ミン」と読む、なんてことはない。なので、一つの漢字の読みを覚えてしまえば、知らない単語でも読み方知ってると書けちゃうのね。これは、元の漢字を知ってる日本語話者にとっては、とても有利だと思う。例えば「結婚」は「결혼」だけども、「結果」も「결과」で「結」の「결」って字は当たり前だけど共通してるのだ。しかも、読み方も日本語ととてもよく似てて、類推が可能なのだ(「結」に当たる「결」の読み方は「kyol」で、割と似てる)。これ、忘れちゃったら全く見当も付かない英語とは全然違う!多分、一番最初に「面白い」って思ったのは、これだったと思う。

で、ときどき日本語とは違う漢字が当てられてるものもある。例えば日本語で「勉強」は、朝鮮語では「工夫」という漢字語が当てはめられてて、「공부」(konbu)と書く。こういう違いがあるのも面白くてね。日本語の「頼る」が朝鮮語では「付託する」という漢字だったり、「注意する」が「操心する」だったりする。

「日本語との違い」というのはこれだけじゃなくて、例えば助詞の使い方だって、日本語と全く一致してるわけじゃないんだけど、そういうところがまた面白くてね。「タクシーに乗る」「友だちに会う」「誰それが好き」の助詞は、朝鮮語では全部「를/을」(母音終わりの単語の後と子音終わりの単語の後では使う文字が違う。母音終わりの単語のあとには「를」を使い、子音終わり単語のあとには「을」を使う。子音終わり=終声ありってことだから、あとに「을」が来るということは、要するに絶対に「連音化」が起きるってこと!わざと連音化を起こすようにしてるとしか思えない、、)を使う。でもこの「를/을」は基本的には日本語でいう助詞の「を」という意味なのだ(「何をしますか」の「を」のような)。そういう、言葉による違いっていうことから、なんとなく、文化の違いを感じ取れるんだろうなー。だから多分「面白い」と感じるんだと思う。英語と日本語は違いすぎて比較するどころじゃない。全く共通点がないんだから比較できない。だけど、朝鮮語は同じところもあれば違うところもある。だから、余計に「違い」が味わい深く感じられる。

あと、英単語に比べると単語が圧倒的に覚えやすい。単語がね、今のところ、2文字が圧倒的なの。英語って5文字6文字は当たり前だよね。しかも朝鮮語の動詞とか形容詞の場合、2文字のうちの1文字は「다」だから、実質覚えるのは1文字だけ(笑)漢字語の場合は上にも書いたように、読み方が日本語と似ている部分があるのである程度推測できる。最初は本当に覚えられているか、とても不安だったけど、慣れるにつれ「こんなものか」って思えてきた。英単語は一週間で100個は難しいと思ってたけど、朝鮮語の単語は一週間で100個以上覚えられるんだもん。それも比較的楽に。この歳になってでもだよ?わたし、自慢じゃないけど若い頃から記憶力はとても悪い。覚えるときは、書いて書いて書きまくってからでしか覚えられない。もちろん今も書いて覚えてる。覚え方は同じなんだけど、朝鮮語の単語の方がすんなり覚えられるんだよね~。1年間に作った単語カードは111単語×10冊、今、11冊目だから、少なくとも1110単語は覚えたってことになる。もちろんそれがすべて頭の中に残ってるとは言わないよ。きっと忘れちゃった単語が大部分だと思う。だけど自分の頭の中を「通りすぎた」ことは確か。

おそらく、そういうところがわたしが朝鮮語にハマった理由だと思ってる。一番最初に挙げた、読み方がローマ字読みとだいぶ掛け離れてても、単語が覚えやすかったり、「語順が日本語と同じ」とか「日本語と似てるところが多々ある」という部分でわたしはすごく救われていると思う。「ちょっと違ってる」って部分がすごくいい感じ。

少し前に、わたしはinstagramにこういう画像を投稿した。

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ちょうどこの日は単語テストの前日で、一生懸命勉強してたのに、なぜか高尾にゃんがその上に乗ってきて邪魔で勉強できないってところ。よく見ると単語カードには朝鮮語の単語が書かれてるのね。それを見たんだろう、韓国のフォロワーさんが

「한국어 공부하시나봐요」「글씨 예쁘게 잘 썼네요」ってコメントをくれた。

ええと。もちろん全部の単語を知ってるわけじゃない。わたしが最初の文で知ってる単語は「한국어」「공부하다」「시」「보다」だけ。「韓国語」「勉強する」「尊敬の시」「見る」ってことだけ。いや、もしかしたら「보다」って思ってる単語は「나보다」って単語かも知れない。あ。わたし、未だに辞書持ってない。だから、知らない単語は基本、よく分からない。たまに翻訳サイトに掛けてみたりするけど、結構めちゃくちゃだったりするものも多くて、あんまり使ってない。翻訳サイトは動詞、形容詞の原形では受け付けてくれないし。名詞だったらいいけど。で、この文章、正直細かいところまではよく分からない。でも、繋げると多分「韓国語、勉強なさってるように見えますね~」みたいな感じじゃないかと推測される。次の文章は「예쁘다」「잘」しか分からない(^^;「かわいい」と「よく」だけ。でも「かわいい」ってことは、高尾にゃんがかわいいってことかな?って勝手に解釈(笑)ただ、この当時はまだ習ってなかったけど、ほんの一週間前に用言の「으変格活用」ってのをやったので。「썼네요」というのは、「쓰다」+「ㅆ」+「네요」かも知れん。「書く」+「過去形」+「ですね」って意味になるが、そうすると何がかわいいんだろう???謎だ。

で、わたしは「고맙습니다.오늘 단어test 있어요(T_T)」と返事した。「有難うございます。今日、単語テストがあるんです(泣)」って書いたつもり。でも、わたし、テストって単語が書けないのでそこは英語を使った。「試験」って単語は知ってるんだけど(시험)、単語試験(단어 시험)っていうと、なんか硬いのかな~なんて思ったから。でも、そこら辺のニュアンスなんかは全然分かるわけがなく。まぁ書いたら書いたで理解はしてくれるだろうと思って。そしたら「100점 받으세요」って返事が来て。「점」「받다」「尊敬の세요」で、「100点受け取られて下さいね」って意味になる、直訳すれば。要するに「100点取ってね」ってことなんだろう。

「わー、この感覚、面白い」って思った。わたしだったら「単語テストがあるんです」って言われたら「頑張って下さい」とか、そういう類の言葉をかけるのがせいぜいで「100点取れ」なんて言えない(笑)まぁ個人差があって、この人はそういう人なのかも知れないけど、でももしかしたら、韓国では普通にこういう言葉をかけるのかも知れない、って考えたらとても面白いし興味深い。

でね。例えばこのやりとりを英語でやるとしたらどうだったのかなーって考えたのね。「今日、単語テストがあるんです」というのは、わたしの英語力だと「I will take a word test,today.」としか訳せない。しかもこの場合、定冠詞は「a」なの?「the」なの?それすらはっきり分からない。。(何年英語やったんだよ!)で、わたしの感覚だと「単語のテストがある」のが「わたしは単語のテストを受けます」って文章に変えるとすっごく違和感がある。「わたしは」を主語にすると、なんだか進んで単語テストを受ける感じがするので、英文の後に「(T_T)」を付けるのはなんだかおかしい感じがする。かといって、単語テストを主語にして「The word test exist.」ってやると、今度はとんでもなくおかしい英文になると、そういうのは分かる。「ある」は「exist」って訳しちゃダメだよね。で、もしかすると「I will take a word test.」でもいいのかも知れない。けど、なーんか違った感覚になっちゃうんだよね~。

多分、英語が嫌いな理由ってのはここにあって、どうしても自分が言いたいニュアンスとは全く別の言い方をしなければならないので、なんか自分が言いたいことを言ってるような気がしないから好きじゃないのかなって思ったりした。それに比べると、先方にニュアンスまではちゃんと伝わってるかは分かんないけど、取り敢えずわたしが言いたいことはそういう語順だったりするので、自分は安心なんだよね(笑)←むちゃくちゃな論理

てなわけで、同じ語学なのに英語とは全然違った感覚があるなとつくづく思う。そして、英語を習ってて単語や文法を次々覚えなきゃならないことに対しては本当に嫌悪感というか、いやぁな感じがしてたのに、朝鮮語は全然そんなことがない。むしろ「へー、面白い」って思っちゃうんだよね。違いがすごく面白い。英語は違いすぎてまったく比較できなかったけど、朝鮮語は今のところ似てる部分が多かったりするので、ちょっと違うところがとても面白い。やっぱり近い国なんだなーって思ったりする。ただ、近くても中国語はまた全然語順とか違うんだけどね。漢字の読み方も今の北京語とは全く違うし。中国と朝鮮半島は地続きなのに、なんで朝鮮語は中国語には似てなくて日本語と似てるんだろう?それがとても不思議だ。

朝鮮語、始める前は「どういう感じで習うんだろう?」って思ってた。そしたら段々習っていくうちに「そうか、朝鮮語って巨大な語尾の塊なんだ」って分かってきた。日本語も多分同じような教え方をするんじゃないかと推測する。そして日本語は動詞は5段活用で、形容詞はまた別の活用、形容動詞とかもあるけど、朝鮮語は動詞、形容詞一緒で、しかも活用が3つしかない。これは日本語に比べるととても楽だと思う。で、語尾とわたしが認識してるのは、動詞、形容詞の後ろにつく言葉だったり、本当の言葉の語尾だったり。まあでも、これからどういう風に変わっていくかは分かんないけどね。だってまだ、わたしは1年しかやってないもん。今のところは多分すごく簡単な文法なんじゃないだろうか、初級だし。で、来年の今頃はまた「騙されてたーーー!」って日記書いてるかも知れない(笑)

で、上にもちょっと書いたけど、実はまだ辞書持ってません(笑)

これはねー、先生が「まだ買わなくていい」って言ったんだよね。だから教科書の最後に載ってる単語集を辞書代わりにしてたし、そこに載ってる単語のみしか今は知らない。辞書って基本、動詞なんかは「原形」に直して引かなければならない。でも最初は原形なんか分かるわけない。だから、先生は「まだ辞書を買わなくてもいい」って言ったんだろうと思う。でも、これは却って気楽だったかも。逆にここまで来ると辞書を買うと言うことは、今後もうずっと勉強し続けるんだってことを意味するような気がして、辞書買うときは覚悟しなきゃなあって思ってる。といえども、来年度からはさすがに辞書は必要になってくるらしいけど。で、来年度ってもう来月なんだけど(笑)

。。。辞書、買いに行くか。
21:48 | 朝鮮語のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-10 Sat , 2014
文字を読める感動
4月から新たに朝鮮語(韓国語;でもわたしは朝鮮半島の言葉、ということで「朝鮮語」を使うこととする。ただし行っている講座名は「韓国語講座」なので、講座名のときはそちらを使う)を習い始めた。

直接的な理由はinstagramだった。そこでわたしはうちの猫の画像をアップしているのだが、どういうわけか、韓国に住む人からフォローされた。その人たちがアップする猫の画像がものすごくかわいいの。画像に付けられてるコメントは片方の人は英語なんだけど片方の人は朝鮮語で、わたしには全く分からない!それがとても悔しくてね。翻訳サイトで翻訳するんだけど、これがまたよく分からないのよ、、一回、英語で「猫ちゃんなんて名前?」ってコメントしたら、日本語で「○○です。これは日本語で△△って意味です」って返ってきた。たまに向こうが日本語でわたしの投稿した画像についてコメントしてくれることがあるんだけど、向こうも朝鮮語を翻訳サイトで翻訳したのか、日本語の意味がよく分からない。。日本語の意味が分からないとどうコメントしていいのか全く分からず手がかりさえない。それが分かってから、わたしは日本語で話さない人に対しては「翻訳サイトで正しく翻訳されそうな正しい日本語」で答えるようにしている。

だけどねー、やっぱ、向こうのコメント読みたいじゃない。向こうの画像を見ていつも「Cute!」と「かわいい」しかコメントが書けないって空しいじゃない。

ということで、前々から「やりたいな」って思ってた朝鮮語をついに習うことにしたのだ。

思えばわたしが韓国、という国に出会ったのは、2007年にシドニーに語学留学したときだった。語学学校にたくさんの韓国から来た人たちがいたの。そのことはリアルタイムでこの日記に書いてあるはずだけど(一例:近くて遠い国、韓国、しかしわたしはこの頃から朝鮮語を学びたいって書いてたのね)、彼らは本当に日本のことについてよく知っていた(まぁ日本のことと言っても主には芸能界のことだけどね)。わたしは自分がお隣の国である韓国のことについて何も知らない、というか、それまで何も思ってなかったことについてとてもショックだった。諸外国でも隣国ってのは正直、あんまり仲がよくないよね。それは知ってるけど、でもやっぱりお隣の国のことをある程度は知っておくってのは、当たり前のことじゃないかと思うのよ。そしてできれば仲良くしていきたい。そういう思いがずっとわたしの中にあるのよね。

(ちなみに在日の人との出会いはこの後で「そういや日本にも朝鮮から来た人たちがいるよね」と思ってあまり深く考えずにコミュニティに入っていったんだった。だからわたしはシドニーで韓国の人と知り合いになっていろいろ考えさせられることがなければ、今でも在日という人たちのことも「存在している」程度しか知らなかったと思う)

まぁ前置きが長くなったけど、そんなわけでわたしは朝鮮語を学ぶことにしたのだった。

そしてこの間ようやく一通りのハングルの読み方を教わったのだが、もう難しい、難しい。「ハングルはローマ字と同じで母音と子音が組み合わさってるだけだから、母音と子音が読めさえすれば、その文字は読める」って思ってたんだけど、そんなもんじゃないことがよーく分かった。確かに母音と子音の組み合わせではあるんだけど、母音が日本語の母音と比べてめっちゃ多い。子音も同じ。そして母音+子音、だけじゃなく、母音+子音+子音とか、母音+子音+母音、とか、母音+子音+子音+子音、なんて文字があって、日本語にはない発音がめちゃくちゃある。だから母音と子音の読み方は覚えていても読むのがすごく難しかったりするのだ。

しかも、文字は1文字に1つの読み方ではない。語頭にあるときは濁らないのに、語中にあると読み方が濁ったりする。朝鮮語は息の強さや高低が「文字の違い」になって現れるので(平音、激音、濃音)そのような概念がない(実はやってても意識してない)日本語話者にとると「発音できない」「違いが分からない」ってことになる。文字にある条件が付くと、発音が変わる、など、「ローマ字みたいだから分かりやすい」っていうのは、ちょっと違うんじゃないかと思ったりする。まぁ確かにハングルはとても合理的な文字だと思うし、日本語の文字(ひらがな、カタカナ、漢字)に比べるとそりゃ覚えるのは格段に簡単だと思う。けど「ローマ字と同じだから(簡単)」ってのとは全然違う。わたしは朝鮮語を習い始めてから「こんなはずじゃなかった!」と何度思ったことか。。(笑)

twitterを始めとするSNSに、最近は疲れて来ちゃって、今ではほとんどやらなくなってしまったんだけど、こないだ久しぶりにinstagramにうちの猫の画像をアップしたときのことだった。

わたしの少し前に韓国の人が画像をアップしていた。下には当然のことながら韓国語のコメントが。今までは全く読めないので「形」としか認識できなかった。ただ「見る」だけだった。それが、、

読めるではないか!(意味は全然分からないけど)

少なくとも、それが今までみたいに「形」じゃなく「文字」として認識できる。それはなんだかとても新鮮な瞬間だった。例えようもない気持ちだった。目に「文字として」飛び込んできた感じ。「読めた」という感動よりは「読めるんだ?」という驚きに近い感じ。

思えばわたしは「文字が読めた」ことで感動したことはなかったんだよね、今まで。だってひらがなはいつ覚えたのか記憶にないし、漢字を習って読めるようになってもそれは「当然だ」って思ってたし。英語だってアルファベットは中学校に入る前からどこで教わったかは知らないけど知ってたし、それに英語の単語って違ってるかも知れないけど、なんとな~くは読めるようになってるんだよね。

でもハングルは長い間「全然読めない」って状態だった。予備知識も全くなかった。手がかりすらなかった。そういう状態のものが読めるようになるとこんな気持ちがするのか、と。

そのとき、中学の頃、道徳の副読本だった「にんげん」に書いてあったことを思い出した。この「にんげん」というのは、主に部落差別のことについて書いてある本だったんだけど(大阪ではこういう副読本が作られてて無料で配られてた)この本結構分厚くてね。わたしは4月に新しい教科書が配られると、国語の教科書にどんな話が書いてあるかを真っ先に読むのが好きだったくらいなので、この道徳の副読本も文字が多くて読むのが楽しみだったんだよね。授業で使われた覚えは全くないんだけど(しかし道徳の時間って一体何をやったのかさっぱり覚えてないなー)個人的に読んでたんだよね。

その中には「識字教育」っていって、子供の頃貧しくて学校に通えなかった部落の人たちが、大人になってから夜間中学で文字を学んで、文字が読めるようになったときの感動、みたいな話が結構載っていた。

ちなみに今でも覚えているのは、文字が読めなかったのでバスの行き先が分からなくて、いつも仕方がないから人に「これはどこ行きのバスですか?」って聞いてた人が、文字が読めるようになったので人に聞かなくてもバスに乗れるようになった、という話と、文字を書けるようになって初めて自分の気持ちが文字で伝えられることの感動を書いた人の話かな。

わたしさぁ、なんだか自分がハングルちょっと読めるようになったときに「ああ、もしかしたらこんな気持ちなのかも」って思ったんだよね。もちろん状況は全然違うよ。わたしは文字が読めないことで人からバカにされたことはないし、蔑まされたこともない。だから「読めるようになった感動」は純粋に「読めるようになった感動」でしかない。読めなかったことによって、周囲といろいろあった人は、きっとそれだけじゃなかったと思うんだよね。だから気持ちが分かるといっても多分重みが全然違うと思うの。それは留意しておかなくちゃならないことだけど、でも「読めた」という嬉しい気持ちには多分いくばくかの共通点はあるんじゃないかと思うんだよね。

そういえば文字が読める、という話は「ハイジ」でもあったよね。ハイジはフランクフルトへ行ってとてもつらい目に遭うけど、教育を受けることの重要が分かったという点では、その先の人生を考えると行ってよかったと思えるんじゃないだろうか。

わたし、今回のことで「文字が読めるなんて素晴らしい!」って思ったのと同時に、文字を教わることの重要さと教育を受ける権利のことを考えた。よくさ、朝鮮学校に子どもを通わせる人が「民族の誇りとして朝鮮語を学ぶ重要性」を挙げるけれど、確かにそうだよね、と。まぁ「誇り」という言葉には若干違和感があったり、それについてはいろいろ思うところもあるのだけど、誇りじゃなくても「民族としてのアイデンティティ」にとって言語っていうのは本当に重要なものなんだと思う。少数民族が少数民族として教育を受ける権利がある、というのは、まさにこのことを言ってるんだと思う。

それから「教育を受ける権利」については、今の日本ではほぼ100%の人が日本語の文字が読めるので、あまり実感がないかも知れない。けれど、よく「数学(物理、または嫌いな科目)なんか、実生活でほとんど使うことがないんだから勉強しても仕方がない」とか「勉強は無駄。勉強は文字が読めて、算数なんて四則演算だけ分かればいい」って耳にするんだけど、そうじゃないと思うんだよね。

まぁこれ、わたしが理系で、文系の人からよくそういう風な言葉を聞くんで(笑)、数学とか物理の話に特化しちゃうけど、確かにサインとかコサインとかタンジェントとか覚えたって実際の生活に全然役に立ってないように思える。方程式解けなくても生きていけるかも知れない。まぁこの話は義務教育で区切るか、高等教育も含めるかで違ってくると思うんだけど、少なくとも、教育を受けて、ある概念が一時的にでも頭に入っているか、入っていないかで、その先の人生が大きく変わってくると思うんだよね。あ、これは別に「勉強できた方がいい大学に入れるから」って意味ではないよ。その人自身の「考え方」が違ってくると思うのだ。

人間の一生っていうのは概ね限られているから、人が一生かけて考えられることって限られてる。ある人がその人の一生を掛けて考えたことを踏み台にして、その後に生まれた人は考えを発展させる。しかしある人が一生掛けて考えたことが後世に伝わらなかった場合、後世の人はある人が考えた範囲かうまくいってもその少し上の範囲しか考えることはできない。例えていうと、ある人は階段1段分考えたとする。後世の人は教育を受けることによって、ある人が考えた階段1段分の考えを身につけ、さらに階段1段分の考えを発展させることができる。より高度な教育により段数が段々上がっていく。だから、後世の人はその前の人たちに比べると、出発点が一段も二段も上から出発できるのだ。

結局、教育って階段の段数なのだと思う。それは別に「世の中を発展させるため」だけではない。人として、人生を豊かに生きることにも繋がってくる。いろいろなことを知ることは、より広い視野を持つことに繋がる。人がいろいろなことを勉強しなければならないのは、結局生きていくためでもあるけど、人生をより豊かに生きるためでもあるんだよね。そこに数学や物理は関係ないって思われるかも知れないけど、数学や物理って別に数式解いたり公式を覚えることじゃなく、ものの考え方なのだ。そしてそれは自分が意識していないところで、微妙に自分の考えに影響していたり、自分の経験と合わさって、より深い考え方に発展させることができるだろう。「自分には関係ない」と思っていても、それを知れば自分が自覚していなくても階段は数段上がっているのだ。そう考えると、教育って本当に必要なものだし、だからこそ、人間には誰にでも「教育を受ける権利」があるのだなあと思う。

朝鮮語を読めるようになったことだけで、いろんな話に発展させてしまったが、でもね、わたしがこういうことを「実感」できて、さらにそれを「こういうことなのだ」って認識できるのも、今まで受けてきた教育のおかげなんだよね。
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