07-04,2009
07-03,2009
長崎は今日も雨だった
タイトルと、現在いるところは全く関係ありません(笑)
ただ、まさか雨が降るとは思ってなかったのでぷんすか。 ふー。なんだろ。 まだまだこれからだな、ってとこか。 「多様性」という言葉をあんなに自慢げに(?)言う人たちがいるというのは少し驚いたかも。 んー。わたしなんか既に「多様性」から逃れてどっか行きたいって気もするんだけどね。 まー、それから逃げられるわけじゃないんだけど。 明日帰京します。 しかし、ここではゲーセンの「太鼓の達人」、ノルマクリアしたら最大で3曲叩けるからびっくりした。 東京では最大2曲なのに。 今日は全部で12曲叩いてきた(笑) |
07-02,2009
明日わたしは旅に出ます
で、明後日帰ってきます(爆)
まー、ちとお忍びでって、日記に書いてちゃ「お忍び」でもなんでもないんだけどさー。 わたしにとっては将来を決める重要なことざんす。 どうなるかな。 あー、明日の今ごろは〜(古) はー、どうなってるだろう、、、、 |
07-01,2009
太鼓の達人
今、Wiiの「太鼓の達人」にはまってる(笑)
もともと、ゲーセンで去年彼女と二人で「やってみようか」ってやったのが最初だったんだけど、その中でも知ってる曲ってものすごい限られてた。それがThe Blue Heartsの「TRAIN-TRAIN」と、誰が歌ってるか分からないけど「夏祭り」、それだけ(笑)わたしは「さくらんぼ」も知ってるんだけどね。って、この3つは社会人野球の応援によく使われてるから(爆) ただ、、「TRAIN-TRAIN」は、社会人野球の応援ってより、大学時代の合気道部の同級生がカラオケのたびにこの曲歌ってたので、だから知ってた。ってこの曲って1988年に作られた曲なんだねー。わたしがちょうど大学に入った年で、んじゃ、あの当時は新曲歌ってたのかってびっくり。ま、この曲を彼はずっと歌い続けてきたわけだけど。だから、この曲を聞くと歌ってたTくんを思い出すのよね〜(笑) でもあのときは、歌詞も聞いてた(見てた)はずなのに、あんまり覚えてなくって、むしろ「太鼓の達人」をやり始めて太鼓叩きながら「あー、こういう歌詞だったのか」って思ってた。多分2番の「世界中にさだめられたどんな記念日なんかよりあなたが生きている今日はどんなにすばらしいだろう」から始まるところは、歌っている人から聞いている人が「肯定感」として受け取る、というよりも、わたしから彼女に対する「自分の気持ち」を歌った歌詞として認識してると思う。「見えない自由が欲しくて」云々ってところは、昔は共感してたと思う部分だけれど、今はそうだなあ〜、「自由」ってその人によりけり、というか、わたしにとっては既に「欲しいもの」ではなくなった、と思う、なんとなく。既にある程度自由だと思ってるからかなあ〜?でも、具体的に考えると、あんまり自由だとも思えないんだけど、でも逆に「何が自由なんだろ」とも思うのよね。そりゃ、いろいろ束縛されているものはあるけれど、それでもわたしの精神は比較的自由だと思う。それって、自分が大人になったのかなあって気はするけどね。でも、若いころ尖ってた自分もまだ自分の中には存在してると思うんだけどね。尖るところが若いころとは違ってきた、という感じなのかなあと、なんか言葉にしづらいんだけど漠然と思う。 とにかくこれを「太鼓の達人」の「ふつう」でやるのが好きで。「かんたん」の方はクリア(フルコンボ)しちゃって、今は「ふつう」でやってる。でも、これってかなりうるさいみたいで、一生懸命太鼓叩いてると階下の人から「ガンガン」(うるさい)って鳴らされるので、どうも力を入れて叩けなくて欲求不満度が増してきたので、今日は、ゲーセンに太鼓叩きに行ってきた。 昔は1player、200円だったのに、最近は100円なのね。わたしらいつも、2playerでやるので、これはラッキー。思う存分叩いてきた、つーか、彼女が「もう2,000円使ったから帰ろう」って言われてもわたしは「うーん、、」なんて思ってた(笑)ただ、手はボロボロになってて、両手の親指と小指の付け根と薬指の第2関節のところにマメが出来て、潰れてた。だから帰ってきてから手を洗ったら染みて染みて(苦笑) まーでもやっぱりWiiの太鼓より、ゲーセンの太鼓の方が叩き甲斐があって楽しかった。ただ、Wiiの方ではわたし、音(サウンド)を「もくぎょ」にしてるので、太鼓の縁を叩くと「チーン」って鳴るんだよね。あれはあれで結構面白いので好き。 ってことで、なんか最近日中は太鼓叩いて遊んでるわたしでした。やべやべ←? |
06-30,2009
ハートをつなごう 摂食障害 2日目
あれ。わたしはこのシリーズ、「依存症」の枠の中に入ってるのかと思ってたら、そうじゃなく、摂食障害で一つのテーマになったみたい、なのかな?今日、そんな感じで言われてたよね。ってことで、昨日はだから「依存症・摂食障害」って書いたんだけど、今日は摂食障害だけにしておきます。
で、昨日は問題提起だけで「???」で終わらせたけど、今日は回復した人(本人に言わせると回復したと言わないというか、最早どちらでもいいという感じだったが)が出て来たね。直樹さんっていう、26歳の男性でしたけど。でも、髪の毛がすげー長くって、髪の毛を伸ばしている理由については全くその中では言ってなかったけど、なんというか、中性的な感じでよかったです、というのは、単なるわたしの好みかしら(笑)って、わたしの男性の好みは、小学生の時からうーんと年上の人でしたが。。(小学生で「太陽にほえろ」の山さん(露口茂)が大好きだったの〜!中学で転校するときにクラスの人たちにサイン帳を回したんだけど、その中で友だちが「○○、ゴリさんが好きやってんな」って(大阪でしたから)。違うっつーねん。ゴリさんじゃなくて、山さんだっつーの。。って今さら訂正しても書いた相手は既にどこにいるかすら分からないけどね(苦笑) ってわけで、話が初っぱなからずれてしまった(苦笑) しかし、その直樹さんという人が摂食障害になったきっかけって、高校に入ってから、成績も伸びず、友だち関係もストレスになって、それで食べ物を思いっきり食べたくなったらしいんだけど。うぅぅん、、やっぱ人によってストレスのはけ口って違うんだよな、と。しかし、食べたあと自己嫌悪になって吐いていたら、体重がどんどん痩せていくのが分かって、それで「自分自身をコントロール出来る方法はこれだ」というように思っちゃったんだよね。他の部分で自分の思い通りには行かなかったから、体重を減らすことで自分をコントロール出来て、それが達成感を与えるようになったというか。 しかし、わたし思うんだけど、この「体重を減らす」というのね。これって、要するに現代の価値観じゃない?「痩せてたほうがカッコイイ」とか「痩せてたほうが美しい」とか。なんかさ、これって「男らしさ」とか「女らしさ」に通じる話だと思ってさ。番組の中でも「男性の摂食障害が増えている」と言ってたけど、それって「痩せた方がもてる」神話、というか、そういうものに価値観を持ってしまってるんだなあと。 わたしは自分の外見に関してはほとんど興味がなくて、鏡もほとんど見ないし、髪型が爆発してようが、日焼けで目が半分明いてなかろうが、そんなの全くお構いなし、の人間だから、そこに価値観を置く人の気持ちがよく分からないのね。「それは相手に対する最低限のマナーでしょ」って言われるととても耳が痛いんだが(苦笑)、それでもわたし、毎日風呂に入って頭も身体も洗ってるし、朝起きたら顔だって洗ってるし、最低限のことはしているつもり(ってこれが最低限か、うひゃーと言わないでおくれ)。その他のことなんて、わたしにとってはオプションなのよ。 逆にわたしは自分をきれいにすることによって人から誤解されるのが怖い。「え、表面はこんな人なのに内面はこんなに汚いところがあるのか」と思われる方がヤダ(笑)逆の方がいいじゃん。悪くても「やっぱり外見も汚いから心も汚いのね」ってことになるし(爆)わたしはそっちの方が気が楽なのだ。 って、ここでわたしの話をしても仕方ないわけで(苦笑) いやあ、わたしは人に比べると、ここら辺の感覚がとても人とは違うように思うのだが、でも、自分自身の中でそれで折り合いと理屈がついてるので、人からなんて思われようが気にしないのだー。それでいいのだー(ハイ、わたしは元祖天才バカボンのパパと同い年です。今、41歳の夏を迎えようとしております(笑))。 で、直樹さんもこうだからこう、という理屈がすごく分かりやすくて、それで体重が40kg台に減って、お姉さんに病院に連れて行かれて、そこで生活が不自由なのがいやで、太ることに決めて、1ヶ月で予定どおり退院した、しかし、体重が普通体重になったら、次は何を目標にしていいのか分からなくなって、不安になり、それでリストカットしてた、と言うんだけど。 すごく分かりやすい。なんていうか、この人は何か自分で自分をコントロールできていたらそれで安心というか、達成感があって「生きてる」って感じがしたんだろうけど、それ以外のところでは目標が見つからなかったというか、何を目標にしていいのか分からなくて不安だったというか。 で、そこで以前、本を読んだ自助グループをネットで見つけたかなんかして、電話したら、自分と同じ人がここにいた、と。既にそれだけですごく安心したというか、彼にとっては肩の荷が下りたというか、なんかふっと楽になった、という話だったような。なんかこの辺の話は、性的少数者のホットライン、みたいな感じもしたんだよね。多分、これは同性愛者だけなのかどうかはよく分からないけど、若い人で自分が同性愛者ではないかと悩む人のために、日本でいくつか電話相談出来るところがあって。それと似てるかもって思った。でも、そこで電話しただけで楽になったと感じられた直樹さんはある意味ラッキーだよね、多分、電話してもそれに灯りを見いだせない人もたくさんいるだろうなーって思ったのね。そういう人はどうすればいいんだろうって。 昨日出て来た「あや」さんも、自助グループでミーティングを経験したことがあるみたいなんだけど、みんな自分より症状が重くて、聞いているとなんとも言えない、と。んー、そういう意味では自助グループも程度が同じような人たちが集まった方がいいのかな、とかね。確かにそういうところではみな「不幸自慢」をして、誰が一番不幸かを言い合ってるような気がする、とか聞いたこと、あるけど。。 直樹さんがなぜ自助グループのミーティングでそういう風に思わなかったのかなあ〜?彼の場合は、自助グループの事務所に来て、それがすごく雑然としていて、思ってたのと全然違って、それでびっくりしたらしいけど。なんか、一つ一つのことが全部プラスの方向に動いてる感じがしたんだよね。 で、彼は他の人が話すことについて、自分との共通点を見いだし、それがとても「高いところに目標を設定していた」ことに気が付いたことも大きいと思う。。 しかし、話を聞いているとね、同じようなことに悩んでいても、そこで「何を頼りにするか(何に満足感を得られるか)」ということの違いだけで、根っこは同じような気がしたんだよね。。彼らの悩みとか持っている目標って、わたしにも共通することが多い。けど、わたしは幸いにも、そちらの方向(依存症)には行かなかった。ただ、それがわたしの場合は「うつ病」って形で出て来たのかなとは思うけどね。あとはわたしはなぜか知らないけど、自己肯定感がとても高いのね。特に初めてのうつ病から立ち直ったとき、そういう傾向が強く表われてきたと思う。それ以来、わたしは怖いものないもん、対人関係では(爆)自分が気に入らないことに対しては「いやです」とはっきり言うとか。別に全ての人に好かれようと思ってない、とか。嫌いな人には「嫌いです」って言いたいとか(笑)ただ、そうは言っても、うつ病はその後も1回やったんだけど(苦笑)ただ、2回目はホント、原因不明だからね。。 昨日「摂食障害は治そうと思った方が治らないんだ」というのは、なんとなく直樹さんの言うことを聞いて分かったような気がしたけど、じゃあ、どうやって「別に苦しいときは過食嘔吐しても構わないじゃん」って思えるようになるかというと、これは個人個人で違ってくるんだろうね。。 わたしは1回目のうつは薬飲まさずに自分で治したんだけど、そのきっかけは一つの言葉だった。多分、摂食障害の人にも自分なりの「転換点」みたいなのがあるはずなんだよね。それを自分でつかめたら、多分、ベクトルの向きが180度変わるんじゃないかと思う。ベクトルの向きさえ変えれば、ほとんど治った(?)も同然だもんね。 うーん、この一人一人がその「転換点」は何かを早く見つける方法ってないのだろうか。と思うけど、わたしもあの言葉に出会ったのは、本当に偶然だったからねえ。。 今日の番組はちょっと出来すぎ、と思う部分もあったけど、でも多分、その人その人で紆余曲折はあるにせよ、回復への道のりってこんなんだろうな、と、ま、概略は分かったってところかなぁ。だからといって、これはあくまでも「直樹さん」の場合であって、「あや」さんはまたこれから違った道が続いているんだと思う。でもスタジオの人に「きれいだ」って言われて「嬉しい」と思える心があるんだったら大丈夫、って思う。 なんか、昨日と今日で「完結」してしまったような気がするのだが、次は一体どういうことをやるんだろうと思う。まぁ、摂食障害の当事者としてみれば、まだまだの内容だとは思うんだけどさー。 でも、やっぱり一番思ったのは、「社会的な規範」や「社会的な価値観」に囚われすぎて、それが逆に自分を痛めつける行為になるんだろうなってことで。それを言うなら、若い、性的少数者の悩みだってこれと同じだよね、って思ったりする。彼らは自分が同性しか好きにならない、とか、自分の身体に嫌悪感を持つ、という「社会的な規範」から外れていることに対して悩むんだからさ。「自分は自分、人は人でいいじゃない」ってそういう「自己肯定感」ってどこで教育されるんだろうねって思ったりした。 相変わらずわたしは自分の経験を通しての範疇でしか理解が出来ないけれども(苦笑)。 うーん、難しいね。 |
06-29,2009
ハートをつなごう 依存症・摂食障害 1日目を見た
昔から「摂食障害(過食症、拒食症)」って言葉は知ってたし、どういう病気かは表面的に知ってた。けど、どうしてそうなるのかが「理解」できなかった。だからこの番組を見た。
今日はほとんど「あや」さんという人の病歴だけで終わっちゃったけどね。 それは今までわたしが本を読んだりして「知識」として分かってたことが、また映像で繰り返された、みたいな感じで、わたしの頭の「??」は増えていく一方だったかな。 でも、この人は母親から溺愛されていたらしいが、中2のときから始めたダイエットがきっかけで、それで最も痩せてたときの写真が映されたんだけど、外見的に見てもすぐに痩せこけててブキミな感じ(ごめんなさい)がするのに、親は何も言わないとは、これはどういうことだろう??この人は「親からは愛されていた」と言っていたけれども、その人には悪いんだけどさ、親に愛されてるってのは、子供がちょっとでもおかしかったら「どうしたの」とか、ましてやあんな身体になっちゃったら、無理にでも医者に連れて行くと思うよ?それなのに、逆に過食になっちゃって、出される食べ物以外では足らなかったら、親は一日2,000円くれたって、それって本当に「子供を愛してる」のかな、って思ったんだよね。 「愛する」ってことは、都合のいいときだけかわいがることじゃない、ましてや子供のいいなりになることではないと思うんだけど、この親は、どうも子供の都合が悪いところは見たくなかったように思えるのよね。子供の内面を見るのが怖いとか、そういうところは知りたくないとか、子供にそれを問いただすと子供が怒り出すんじゃないだろうかとか、なんかね、親子ってそういう「都合の悪い部分」を見せ合う関係だと思うんだけど、そうじゃないみたいなんだよね。 ってえらそうに書くけどさ。うちの親もそんな感じだからさ。なんとなく、分かるのよ。ただ、子供の頃は違ったけどね、うちの親は。しかしいつしかわたしが怖くなったのか、わたしの痛みの部分に触れなくなった。わたしは、、親を拒絶しながら、でも心のどこかで「親がどうしてわたしが拒絶しているのか、という理由を聞いてくれないかなあ〜」と思っていた。けど彼らは決してその部分に触れようとはしなかった。わたしが今、親との関係を一切断っているのは、多分、このことに対しての恨みだろうと思う。まー、わたしの場合は、ここに至るまで、さらにいろいろと親との関係の中であったんだけどさ。根本的な理由はここにあると思ってる。だから、この人の親の態度を聞くと、なんとなく自分と重なる部分があるなあって思ったんだよね。 だからといって、わたしはこの人が拒食・過食にまで至ったことは、やはり理解不能だ。「体重を減らしたい」と思って、いくら減らしていったとしても、まさか体重がなくなるなんてわけがあるわけがなく(肉体は存在してるんだから!)、「達成感はあっても目標がない」というのは、なんかやっぱりよく分からない。体重が減ることだけが興味の対象のようだけど、肉体を維持していくためには、最低限度の体重は必要だろう。でもそんなの体重減らしてる本人にだってよく分かってると思うんだけど。。しかも、痩せて「美しい」というよりは、「痩せすぎて気持ちが悪い(ごめんなさい。でも正直言って、あの体育祭かなんかのプラカード持ってる写真はすごく気持ち悪いとしか思えなかったの)」としか見えないのに、本人はそれでも平気なんだろうか、とか。。 うーん、それが分かってたら病気にならない、とも思うんだけどね〜。 で、拒食から過食になるのって、なんでだろうと思ってたけど、要するに「反動」なのかなと。 「あや」さんも親から「気分転換に東京に旅行に行こう」って言われて、そこから過食が始まったと言ってたので、そんなイメージを持ったんだけどね。というか、親が「気分転換に」って言ったってのは、やっぱりあの身体見て、なんかしなきゃいけないと思ったんだろうけど。。そこでなぜ医者に連れて行かない?と、わたしは疑問だったのよね。。子供が嫌がると思ったのだろうか。それとも自分たちの立場が悪くなるから?世間体が悪いから?うーん、そういう理由じゃないことを祈るけど。こういうところにも「子供の機嫌をとる親」みたいにね、わたしには思えてしまうのよ。。で、子供はそういうところでまた親に幻滅するんだけど、まぁこれってわたしの問題であって、ここに出てくる人の問題ではないかも知れないので(苦笑)どうしても、親との関係は、自分がとても悪い(悪いどころかって感じだけど)ので、自分の場合とごっちゃにしちゃう(苦笑)悪いクセだね。 しかし、それからずーーーっと過食が続いてると言ってて、しかも医者に行ったけれども、薬飲ませてあとは「自然に治ります」ってのはないんじゃないのかと。それ、医者が悪いんじゃないのかって思うんだけどさ。昔はともかく、今はネットってものがあるんだから、それで情報集めるとか、そういうことは考えないのだろうかって、わたしは2回目、うつ病にかかったときも(息苦しさが続くだけで、気分が滅入ると言うことは感じてなかった)、ネットで「息苦しい」とかで検索して、それで「あれ、これは自律神経失調症か、うつ病かも」って思ったんだよね。まー、思ってから医者に行くまで時間がかかったけど(苦笑)あと、今の病気、口腔内異常感症だって、これはネットでしか探しようがなかったと思う。まず、この症状を精神科の医者に言ったところで、治せないと思ったからさ。で、他の医者を紹介されるわけでもないし。だから、自分で動くしかない。 まー、ネットでの病院のクチコミも信頼できるかどうかってのは別だけどね。わたしの場合は幸いにも、その分野に詳しい人がいて、いろいろ教えてもらったりしたってことはあるけど。ちなみに2回目のうつ病にかかったときは、どこに行っていいのか分からなかったので、2chを見て行ったんだけど、最悪な医者だった(苦笑)あの医者のせいで、随分うつ病を悪くしてしまったと思う。結局、わたしは身体が動かなくなるまで働いて、動けなくなったところで入院、だったからさ。。あの動けなさってのは、本当にすごくて、例えるとしたら変だけど、ゴキブリが裏返しになって手足をバタバタさせている姿によく似ていたと思う。あー、立ち上がれないって言うのはこうなんだなあってあのとき思ったから。 って、なんかうつ病のわたしがチラチラしてるけど(苦笑) とにかく今日の放送では、「なんでもっと真剣に医者を見つけようとしないんだろう」とか「ネットで情報があるだろうに」とか、そんなことに「??」だったんだけど、でも最後まで話を聞いてみると「ここまで分かってるんだから、あとは本人の努力」と言ってるんだよね。努力って、多分、医者のことを調べたり、病気のことを調べたりってことも入ってると思った。で、本人の努力って分かってるのにしない、できない、というのは、やっぱりそれが怖いと思ってるからなのかなって思ったんだよね。わたしにもそういうことってたくさんあるから。なんというか、他のことはできて、あとは「本人の努力」だけになったとき、わたしはそういうことになりやすい。なんか努力することが怖いというかね、一旦やり始めたら、やり続けることは比較的簡単なんだけど、そのやるまでに時間がかかるというか。。 だから、この人もそうなのかなって。まー、人を理解するときは、「自分もこうだからなあ〜」って投影していくしかなくて、それで彼女が語った言葉だけで、自分が「これじゃ、そのことってわたしにとってはこういうことなのかな?」って反応してることが怖いけど。 ま、明日は今日の続きみたいなんで、わたしの疑問がいろいろと解けるかも知れないので楽しみにしておきます。 |
06-28,2009
体調悪い
こないだの頭痛続き以来、今度は食欲もなくなってしまってしまった。体重はあまり変わっていないと思うんだけど、いつもは「ろんたこかわいい」と言う彼女が「ろんたこ、最近きれいになってきた」って言うんだよね←のろけ
ただ、いくらきれいになったのが本当だとしても(多分、彼女の目が狂ってるとわたしは思うんだけどさ(笑))、今は本当に体力が落ちちゃって、昨日の空手は気温が高かったから、なんか耐えられないと思って休んで(苦笑)、今日はまぁ行ったんだけどね。 でも、、途中で立ってるのさえ気分が悪くなってきて、こりゃ脳貧血起こしかけてるわ、と思って「すいません、もう立っていられません」と恥ずかしかったけど、名乗り出て、んで休ませてもらった。他の人たちはちょっとしたら休憩になったようで、色々な人に「大丈夫?」って心配してもらったりしたんだけど、有り難かった。。もう気持ち悪すぎて、道場から出たところで水分補給もせずに寝転がってたんだけど「水分補給しました?」って聞かれて「いや、まだです」と言ったらわざわざわたしのペットボトル持って来てくれて飲ませてくれたり。。「外の方が涼しいから、こっちで休んだ方がいいよ」って言われて、わざわざ椅子を外に出してくれたり。 まぁちょっと休ませてもらって、最終的にはまた復帰したんだけどね。 しかし、帰ったら今度はだんだん頭が痛くなってきて。もー、またぁ?って感じ。。 で、市販の頭痛薬を飲んで寝たんだけど、夕方になっても治らない。今も正直頭が痛い。こりゃ、寝る前に今度は偏頭痛の薬を飲むかなあ。。ってとこ。 うーん、今は本当に体調が悪くて、体力が全然ない。例えば、ただ、電車に乗ったとき、席に座れなくて立ったままでいると、すぐに右耳が塞がってくる。だいたい空手の稽古してるときは、右耳が塞がった状態がもうデフォルトになってしまってるんだけど、最近はちょっと立っているだけで、耳が塞がってくる。これって、相当体力ない証拠なんだよね。 うつ病だったときも、最初は体力がなくて、すぐに耳がおかしくなってたんだけど、それが徐々に治って、出なくなってたのが、また再開。でも今度はどうも今の病気と関係があるような気がしてならない。というのは、どうも頭の右半分、特に顎や頬の辺りに違和感を感じてるんだよね、ずーっと。あ、でも明らかな違和感じゃなくて、微弱な違和感というか。一時に比べたらよくなったのかなとは思うけど、でもやっぱりまだ右側の口が開けにくいような気もするし、それは主治医にも訴えてるんだけど、顎関節症ではないようで。 で、うつ病のときは、ちょっとずつ体力がついていったような気もしてたし、実際そうだったと思うんだけど、今は、身体を使ったら使った分、消耗していく感じがして、なかなか体力どころではないような気がするんだよね。これって多分、口の中がいつも不快だからだと思うんだけど。でも、正直、どこからよくなっていくんだか全然分からなくて、このままでホント、いいのかな。。 これからだんだん暑くなってきたら、一発で夏バテしそうで怖い。。 しかし、あー、頭痛い。もう最近、こればっかりだよね。。薬は1日2回とか3回とかいろいろ変えてるんだけど、2回にすると口の中の調子が悪くなるみたいなので、やっぱり3回は飲まなくちゃいけないのかなって感じ。今は一日おきに2回、3回にしてるけど。3回にすると、出続けてる変な唾液みたいなのが、粘着質の大きいものになってきて、2回だとそれが割とさらさらっぽくなるのね。で、どっちかというと粘着質の大きいものの方が自分にとって楽みたいなの。だから、3回の方がいいのかなって自分では思ってるんだけど。 多分、頭が痛いのは、体調が悪いせいだと思う。食欲もなくなってきて、なんかあんまり食べられなくなっちゃったし、どんどん体力が低下してるんだよねー、、彼女からは「食欲がなくなっても食べなさい」と言われてるんだけど、確かに食べ始めるとお腹が空いてるのが分かる。でも、食べるのが億劫なんだよね。。はー、どうしよう。食べたくなくても無理矢理食べたら体力付くかしら。 |
06-27,2009
ルミエールってさー
いや、こないだ映画祭のチケット買いに、ルミエールに行ったんだけど(あ、あとBadiも買いました(笑))。
今までさぁ。「レズ地獄」なんかのビデオが置いてあった棚が一掃されちゃって、ゲイ関係の本に取って代わられてて、レズビアン向けの雑誌や本(って既に全部休刊、または廃刊になっちゃったけれども)が全くなくなっちゃった。外の方にちろりと「Carmilla」の売れ残りがあったそうだけど(彼女によると)。 で、「女性の方は男性同伴でも立ち読みはしないで下さい」って書いてあるの!ちょっと!!わたしは立ち読みはしないわよ!けど、Badi買うときは、中身を確かめるために見本誌をチラ見することはあるわよ!!それさえもいけないと言うのだろうか、、、 てーか、もともと入りづらかったルミエールがもっと入りにくくなっちゃったじゃんか。。 確かにゲイの人にとっては、ルミエールに女性が入るとやりにくいこともあるでしょーよ(苦笑)けど、こっちだって気軽にゲイ雑誌を買えるところといったら、ルミエールくらいしかないのよ。「なんでレズビアンがゲイ雑誌読むんだ!」って言われるかも知れないけど、いいじゃん、そういうものでしか得られない情報もあるんだから。別にだからといって、彼らの世界を荒らそうと思っているわけではないし。それに、付録のDVDはほとんど見たことがない。。グラビアまでは大丈夫になったけど、DVDはおそらく無理だと。。 それもこれも、レズビアン向けの雑誌や情報誌がないからなんだよねえ〜とも思うし、あったとしても多分、ゲイ雑誌1誌くらいは多分、知識を増やすために読むだろうなと思う。 ただ、今回初めて「成人向け雑誌」になったBadiを読んだんだけど。大判になったのは読みやすいが、随分薄くなっちゃって、しかも、そのまた中身の半分が広告という、えらく内容も薄くなったなあ〜って思った。小説の本数とか、絶対に減ってるし。もーびっくりしてしまった。 あ、Badiがどうなったかは別にいいとして。いや、でもちょっと規模縮小?って感じはしてて、やばいんじゃない、、って思ったりしてるんだけど。まぁ、時代はやっぱりネットで、もう雑誌の時代は終わったのかねえ。。ってちょっと寂しい。 ルミエールももうちょっとレズビアン向けのもの置いてよって思うんだけど、多分、買う人いないんだろうなと思う。あと、やっぱり女性には入って欲しくないのかねえ〜、、「男性同伴でも」って書いてあるってことは、ノンケカップルがゲイ雑誌冷やかしに見に来るのかしら、って思ったり。まさか、腐女子の人がキャーキャー言いながら見てたんだろうかと思ったり。ただ、張り紙自体はこないだ初めて発見したわけではなく、ずっと前から貼ってあったんだけどね。。でも、その一角にレズビアン向けのビデオとか置いてあったんで、まだ「居場所」があるんだなとは感じてた。でも今回、それが全部なくなっちゃってて、なんか女性自体、入ってはいけないところみたいになっちゃったというか。。 うーん、寂しいです。 |
06-26,2009
女子であること
21日のパフナイトは「男子であること 胸があること」という「トランス的」な特集で、最初に「男子であること」という映画を観たあとで、FtM、自分は一体なんなんだかよく分かんない、昔はFtMだと思ってたんだけど、今はどーでもいいというか、どっちでもないようなどっちでもあるような(という風にわたしは認識したんだけど)人たちが、トークをした。
といっても、前の3人が話してるだけじゃなく、時間が経つにつれて観客の人からも意見が出たりして(わたしもそのうちの一人ですが(笑))、なかなか面白い時間だったんだけど。わたしとしては、あの日を含め、頭痛に襲われっぱなしだったので、映画はあんまり真剣に観られなかったのが、残念と言えば残念。 そのあと、あの日、参加した人の日記を読んで、そこでもまたコメント付けたりして、あそこで個々が何を考えて話してたかとか、あとで振り返ってみたときとか、そういうのをずーっと考えさせられる1週間でね。ぼちぼち自分の中で溜まってきたんで吐き出したいと思ってるんだけど。 ただ、自分の頭の中で整理したことを書くんじゃなくて、今の状態は、むしろ自分の頭の中で整理できないから、取り敢えず出したいことは出して、それでなにか整理されるといいなあという状態でこれを書いている。だから、読んでる人はなおさら言ってることが分かんないかも知れない、というか、自分で自分の考えはこうだ、と人に説明する気で書いているんじゃないんで、多分、分からんと思う(笑) 基本的な自分の立場を書いておくと、わたしは生物学的には多分女性で、性自認は女性。女性であることに揺らいだという記憶はない。あと性的指向は女性、そのような自分が書いている。 そして性別違和を感じている人の本当の気持ちはわたしには分からない。ただ、今までいろんなものを読んだり聞いたりしてると、性別違和を感じている、ということは、自分の身体に違和感、ひどいときには嫌悪感を持っている人なのかなあと認識している。しかし、その度合はひとそれぞれで、それは人によって違うので、その人がそのときどきでどう言っているか、によってしか理解できないと思っている。この「理解」というのがすこし上から目線で気にくわないんだけど、ようするにその人が「自分はこれこれこうである」というのを素直に信じる、というか。そんな感じ。 だから、わたしは「その人が自分に対してそういってるんだから、何も文句を言う必要はないんじゃないの?」ってこと。だって、根本的なところで「性別違和がある」って言ってる人に対して「それはおかしい、間違っている」なんて言えないでしょ?それはわたしが同性愛者で「それはおかしい。同性愛者は間違っている」と言われることと同じことだと思っている。異性愛者はそれを問われないが、でも異性愛者だって同じだ。異性愛者に対して「それはおかしい。異性愛者は間違っている」と言われたら?ほとんどの異性愛者は「いや、そんなはずはない。この世の中は異性愛者が大半だからおかしくない」って言うだろうけど、それってただ「数が多いか少ないか」の問題だけじゃん。「多いから合っている」「少なければ間違っている」という理屈は理屈じゃないでしょ。 だって、学校に通っていたときのことを思いだしてみるといい。例えば数学や算数の答えで、引っかけ問題などで大多数の人は間違い、引っかからなかった少数だけ合っていた、って経験も誰もが何回かしているはずだと思う。だから「大多数がそうだからそれが合っている」ということではあるまい。もちろん、異性愛者も同性愛者も両性愛者もその他の人も「これが合っている」という答えすらないはずだが。結局は「その人によってどれも合っている」と考えるべきだと思っている。 って、なんか話が逸れたような気がする(汗) でも、わたしがあの映画を観て、そしてその後のトークで人が言っている意見を聞いていると、「ある違和感」をずーーーっと感じてたのは確かで。それは多分、あそこでは「自分がどうしたいか」ではなく「他人の目から自分はどう映っているか」の方に偏ってたからだと思う。わたしはずっと「他人の目なんかどうでもいいじゃん」と思ってたし、今でも思っている。 あそこのトークでまめたくんが「'70年代のフェミニストがブラジャーを焼いているところを見て、それでその中にナベシャツもぶちこみたい」って言った気持ちは、多分、ここに繋がってくるとわたしは思っている。要するにナベシャツを付けてないとなんで男に見られないんだ、どういう自分でも自分は男なんだ、って、わたしはそういう風に彼が言っていると解釈したんだけど違うかな。 ただ、、わたし、この'70年代のブラジャーを焼く話は、少し前に彼女に聞いてて「それは違うんじゃない?」って言ったんだよね。んー、火の中にコルセットや、そういう、無駄に身体を締め付けるようなものは確かに焼いても構わないと思う。しかし、、女性にとってはブラジャーって、正直なくては困る人だっているのだ。胸がでかい人はブラジャーをすることによって胸の重みを直接肩に感じなくて済む、といった「しなければならない理由」がある人もいると思う。まー、わたしなんかは、自分の胸の重みなどはどう頑張っても感じることが出来ないし、ブラジャーなんかあってもなくても同じ、みたいな人にとっては、確かに火の中にブラジャー投げ込んで「はー、すっきり。これで一生ブラジャーとはおさらばだー!」って思えるよ。けど、胸の重みをブラジャーで軽減している人にとっては、火の中にブラジャーを投げ込んだあとも、ブラジャーは必要なものだ。「解放のため」に投げ込んだブラジャーをまた日常生活で付ける、ということに対して、この行為は虚しさを感じるだけなんじゃない?ってわたしは彼女に言ったんだけどね。だから、わたしは「ブラジャー」を焼くという行為については、よく分からないんだよね。。「ブラジャーは象徴なんです」って言う人もいるだろうけど、だったら、ブラジャーじゃなくて他の、それこそコルセットとかそういうものを象徴にすればよかったのに、って、わたしは思ったりする。 あ、また話が逸れた。 ただ、性別違和を持っている人が「自分がそうなりたいもの」と自分を見比べて、自分はどうしたいのか、と考えるのは自然なことだと思っている。そう思ってるんだけど、しかし一方、わたしは自分自身のことを考えると、ちょっと違うような気もする。多分、わたしはそう思うのは、わたしには「性別違和」がないからだと思う。 そう、わたしはあの後「自分が女子であることとはどういうことか」をずっと考えてたんだけど、どんなにいろいろ考えても、それに何か意味があるとは思えなかった。他の人がどう考えているかは分からないんだけど、わたしは自分の行為が「男らしいか」「女らしいか」によって決まるわけじゃなく、ただ「自分がこうしたいからこうする」と考えて行動してきた。 前の日記にも書いたけど、わたしは見た目、あまり女らしくないみたいだ。だからしょっちゅう男と間違えられる。で、それで怒っていると「女らしい格好をすれば間違えられないよ」と言われたこともあるが、なんで既に女であるわたしが「女らしい格好」をしなけりゃならないわけ??わたしは「女らしい」んじゃなくて、既に「女」なんだよ。この「女であるわたし」がどういう格好をしようが、わたしが女以外のものになるわけないじゃん、ってわたしはそう思って生きてきたんだけど、んじゃあ、そう思える根拠は何?って思ったのね。 そうすると、その根拠は、生まれたときに医者が外性器を見て性別を判断するのと同じ、なわけで。わたしが「女である証拠を見せろ」と言われたら、全部脱いでやるー!これなら文句ないだろ、とおそらく根本のところでそう思ってるからだろうな、っていうことに気が付いた。 けどね、では「胸があったら女の人なの?」って思ったのね。そうすると「いや、胸があったってなくったって女じゃん」って思えるのね。そしてその答えをどんどん押し広めていくと「いや、外性器の形だけで性別を決めちゃいかんでしょ」ってことになるのね。そうすると、、残ったものは「頭で自分は男か女か」と考えることが、その人の性別ではないか、という気がしてきたのね。 だったら、FtMの人もMtFの人も(FtXもすべて含めてね)「自分はこうです」って思ったことを主張していけばいいじゃん?って思ったのね。身体がどうあれ、自分の思ってるとおりにすればいいじゃん、って。 でも、これは一方で「違うんでないの?」とも思ったのね。それは、性別違和を感じている人は、多少なりとも自分の身体に違和感や嫌悪感を持っている人だってこと。「頭の中では自分はこうなんだから」って考えても、やっぱり自分の身体が自分の思ったような形にならないと、そういう人たちの根本的な解決にはならないんじゃないだろうか、ということが一つ。 もう一つは、他人から見たとき。 この考えをずんずん推し進めていったとき、一つ思ったことがある。「the L word」の1シーズンでリサっていう、身体は完全な男性なんだけど、心は女性で、性的指向も女性だから「レズビアン」って人が出て来たわけ。その人のことを考えたの。わたし、その人のことは多分「レズビアン」として接することはできると思う。けどね、これが自分の恋人だとしたら、、と考えたときに「それは無理だ」と思ったのね。だって、心がいくら女性でも、肉体は男性なんだもの。やっぱ、わたしは男の身体は抱きたくない。彼女に「ペニスをディルドだと思って(笑))」って言われたんだけど、わたしはディルドに萌えるが、ペニスには萌えない。「何が違うの?」と言われると「いや、だから取りはずし可能なものと可能じゃないものは違う」としか言えない。。 ってことは、やっぱ自分も「見た目」で判断してるんじゃないか、って思うんだけど、でも根本的に男性の身体には魅力は感じないんだもん。だからわたし、レズビアンなんだもん。ここで「心が女性だから、肉体は男性の体つきしてても大丈夫」と言える人は、レズビアンじゃなくて、パンセクシャル(全性愛)なんだと思う。。 ということは、パンセクシャルの人よりもホモセクシャル(同性愛者)の人の方が多分、圧倒的に多いだろうから、自分が恋愛対象になるためには、やはりある程度は身体を変えた方が恋人は作りやすいのかな、と思ったりね。。ただ、パンセクシャルの人にしても、初めから自分はパンセクシャルだって気が付くより、自分のパートナーが性を変えたいと言いだして、それで徐々に変えていっても、その人をパートナーだと思える、そこで初めて「パンセクシャルだ」って分かる人が多いような気がするけど。 って、また何が言いたいのか分からなくなってきたけど、要するに、このわたし自身もパートナーは「女の身体を持っている人」じゃないとダメってことなんだよね。あと、頭で「男性」と思っているようなFtMの人とも付き合えないだろうなと思っている。あ、この場合パートナーとしてってことで、友だちだったら多分、どういう人でも友達になれると思うけど。だから、わたしにはパートナーの条件としては「ある一定の」条件が必要だってことになる。 と、ここまでは分かった。 しかし、未だに分からないのは、性別違和を感じていない人で、異様に「男らしさ」とか「女らしさ」にこだわっている人。わたしの考えとすれば、もう肉体が男性(女性)であるんだから、それ以上に「男らしい」とか「女らしい」って考える必要ないんじゃないの?ってこと。そういう人は「男(女)らしくしなくちゃ男(女)になれない」と考えてるんだろうか。自分のやりたいことを「男らしさ」と「女らしさ」で見比べて「あ、こっちは男(女)らしいから、こっちを選ぼう」って感じてるんだろうか。だとすると、わたしにとっては非常に複雑な考え方をしているとしか思えない。「自分がやりたいからやる」じゃなぜいけないの?それが今の社会規範で「男(女)らしい」って判断されたとしても、男(女)である自分がやるんだから、たとえ女らしいことを男性がやったとしても、別に女性になるわけじゃないでしょ。そこんとこがわたしには全く理解できない。 しかし「なんで自分が理解できないのか」を考えると、これまたわけ分かんなくなってくる。 子どもの頃のことを考えてみる。わたしには、、実は母親から「小さいときは男になりたいって言ってて、立ちションしてたことがある」って聞いたことがある。しかし、わたしはそういう記憶が全くない。わたしはそれを聞くまで「自分が男になりたかったときがあった」とは思いもしなかった。今もそういう記憶自体がないので「本当なのかなあ?」という気がする。逆に母親の履いてる靴やバッグなどの持ち物を持って、妹と庭を歩いているような写真が残っているし(まさか本人は「女装だ」と思ってたとは思えないし(笑))。 あとは「男は黒、女は赤」っていうランドセル分けは子供心に「いやだな〜」って思っていた。なぜって、わたしは黒いランドセルの方が格好良く見えたからだ。まー、こっちの方は、わたしが運良く私立の小学校に入れて、その小学校は男女ともランドセルは黒、だったので、それはすごく救われた。 ただ、、小学校4年から始めた剣道で、防具を注文するときだったと思う。男子はみんな「黒い胴」だったのに、わたしは女だからっていう理由で「赤い胴」を注文された。そのとき「赤い胴は赤胴鈴の助みたいでかっこいいぞ」と剣道の先生から言われたことが鮮明に記憶されている。けど、わたしは「赤い銅はカッコ悪そうで嫌だ、てーか、赤胴鈴の助みたいにカッコいいんだったら、なぜ男子にも赤い胴を付けさせないんだ」って思ってたんだけど、何も言えなくて、で、結局中3まで赤い胴を付けて剣道やってたんだけど。あのときくらいかな、自分の中で「不本意」だと思ったのは。 でもわたしは「赤」が嫌いだったわけじゃない。ただ、ランドセルとか、胴が赤いのは黒いのに比べてカッコ悪い、って思ってたんだよね。ということは、わたしには「カッコイイか」「カッコ悪いか」という基準で動いていた、ってことはあるかも知れないな。ただ、人からは「カッコイイ」とは言われたくなかったというこの矛盾(苦笑) んで、それ以外は「男女」で分けられて「女だから」と言ってやりたくもないことをさせられた、という記憶はない。逆にやりたくない面倒くさいことはだいたい「男子だけ」って言われて「女に生まれてラッキー♪」ってことは何度もあった。わたしは注射が大嫌いで、できるなら避けて通りたかったが、予防接種のときは、名簿順で、男子が先だから「先じゃなくてよかった」と思ってたし(笑) 親はわたしのことをどう育てたかったのかはよく分からない。クリスマスプレゼントや誕生日プレゼントの中で覚えてるのは、なんか「子どもミシン」みたいな、糸で縫い付けるヤツじゃなくて、単なる木工用ボンドでくっつけるような仕組みをしてたミシンをプレゼントされたことがあって、それで遊んでた記憶もある。一方、その当時はやっていた「仮面ライダーV3」のライダーベルトなんかをプレゼントされて、「へーんしん、トゥ!」なんて、高いところから飛び降りたりしてた記憶もある。これはホント小さい頃ね。 あとは「人形遊び」はしたことがない。「ごっこ遊び」も嫌いだったんだけど、これはわたしの根本に「自分は自分以外しかなりたくない」って頑なに思ってた部分があるからだと思う。わたしは「演じる」ことが大嫌いなのだ。だから、小学校のときに演劇で何かの役をするのは、本当に本当にイヤだった。わたし、こんなこと言いたくないのに、なんで台詞言わなきゃいけないんだ、とか思ってたし。「自分じゃなくなるもの」になるのが、小さい頃から本当にイヤだった。 「人形遊び」はしたことない、って書いたけど、それは「一般に考えられている人形遊び」というものをやったことがない、という意味であり、わたしは自分なりの「人形での遊び」はしていた。すなわち、わたしのやり方はまず「人形の首を全部もぎ取る」「服を全部脱がす」「人間には有り得ない格好をさせる(関節を逆に曲げたりすること)」、こういうことがわたしの「人形遊び」だった。当時、足を引っ張るとスカートがブワッと広がるしくみのリカちゃん人形かなんかがあったのね。わたしはその「広がる仕組み」が知りたかった。だから、人形の洋服を全部、脱がせてみた。そうしたら、なんてことはない、腰から傘の骨みたいなのが出てて、それが動くだけだった。それ以上のことは人形を分解しなくちゃならなかったので、できなかった。人形を壊してまでその仕組みが知りたい、と思ったわけではなかった。 というのが、わたしの「人形」に対する「扱い」だった。ほとんど「非人間的扱い」だったんだけど(苦笑) しかしこれがぬいぐるみとなると全然違っていた。ぬいぐるみは、、、溺愛した(苦笑)幼い頃「モンチッチ」を買ってもらったことがあるんだけど、それに「チッチ」って名前付けて、どこにでも持ち歩いていた。しかも、そのモンチッチが、あたかも自分の人格があるように設定して、わたしは一人遊びをしていた。そのうち、人形の布が擦り切れて中からなんか、プラスチックの粒みたいなのが出て来ちゃったりしたんだけど、そのたんびに母親に言って、今度はぬいぐるみの綿を入れてもらって、直してもらった。結局、あれはわたしがあんまりそれに執着しすぎるってんで、怒られたかなあ、、それともボロボロになってもう遊べなくなったのか。よく覚えてないけど。 実はわたしの「ぬいぐるみ好き」っていうのは、今でもずーーーーっと一貫してある。そして特に「ぬいぐるみ」じゃなくってもいいんだ、わたし(笑)なんとなく優しい肌触りのものが大好きで、ハンドタオルとか、そういうものにものすごく固執して偏愛していた。もちろん、名前も付けて。これが今でもずっと続いていると言ったら、驚きだろうか? 例えば、わたしはいつの頃からか覚えてないんだけど、寝る前のおやすみ用手袋の片方だけ、名前を付けてずっと一日中一緒だった。その手袋の名前は、、「ろんこ」(爆)。そう、わたしのハンドルネーム「ろん」ってのは、実はここから来てたりする。。よくハンドルネームのことで「なんで『ろん』って付けたんですか?」と言われて、今まで「ロンリーのろん、だよ」とか「ウーロン茶のろんだよ」とか適当に答えていたが。。実は「ろん」の「ろ」の字は「てぶくろ」の「ろ」の字から来てたりする(爆) 今ではmixi始め、ハンドルネームは「Ron」になってるが、ブログの題名を見ても分かるように、当初は(てか、セクシャルマイノリティーのサイトでのわたしのハンドルネームは)「ろん」だった(「Ron」でなしにね)。わたしは別に「ろん」という名前が、英語で言うと「Ronald」という男の名前の省略形だなんてまーーーーったく思わず、てぶくろ「ろんこ」がいたから、自分が「ろん」だったんだよね。なんでてぶくろが「ろん」で自分が「ろんこ」じゃないかというと、これは簡単で、わたしが単なる女性が好きってことだけだ(苦笑)「ろん」だとどうもあんまり女性じゃない感じがして、だからてぶくろに「ろんこ」って付けて、で、もともとどーせわたしは女だからどうでもいい名前「ろん」になったのだ。 「ろんこ」の話は途轍もなく長い話になるので省略するけど、今のろんこは象のぬいぐるみ「ぞお」と結婚して、「ぞうこ」(3歳)「ろんう」(2歳)「ろんぞ」(1歳)の3人の子持ち、という設定だ。で、今、実は「ぞうこ」は京都を旅行中、という、まさしく今でもわたしは「ぬいぐるみ」で遊んでるわけだけど。 こういうことが「女らしい」と判断されるものかどうか、なんて、わたしには関係ない。とにかくなぜか、ぬいぐるみやふわふわして肌触りがいいもの、については、わたしは名前を付けて、いつしかそれに性格もできて、その中で生きている。多分、これはずっと変わらないものだと思う。 一方、わたしは小学生の時から野球が好きで、放課後は男子に混じって野球やってたし、小学校の高学年になると、電気回路に興味を持ってお風呂ブザーを始め、ラジオなどを作ったりしてたし、高校に入学したら無線の免許を取って「CQ〜」ってやってたし、夏の時期は「スポラディックE層(Eスポ)が出て、とんでもなく遠くのFM局の電波が届かないかな」とか、FMラジオのアンテナだけでなく、AMラジオのアンテナを買ってきたり、そこだけ見るととても「男らしい」趣味を持っていた。 そういえば、随分前に小学校の友だちとオフ会をしたとき、同じクラスだったある女の人に「あのとき自分も野球がしたかった」と言われた。「んじゃなんで参加しなかったの?」って聞いたんだけど、彼女は多分、彼女なりの考えがあって参加できなかったんだろう。っていうか、その考えは多分、わたしにはないもの、理解できないものなんだろうな、と思ったんだけどね。 制服は中学までだったけど、好きだった。うちの高校は制服がないから、自分の好きな格好をしていってたんだけど、多分、今とほとんど変わらないと思う。ただ、たま〜に「女装」したくなるときがあって、そういうときは中学の制服のスカートを着ていったりした。そう、わたし、スカートってそれしか持ってなかったから(苦笑)で、そのときはクラスの人にびっくりされて「なんで?」とか言われて。「いやー、なんかこれ着たかっただけなんだけど」みたいな(笑) 普段ははかないスカートに対して、なぜ制服ならいいのかというと、わたしは「制服はきちっとしててカッコイイ」って思ってたんだよね。別に学ラン着たかったってことはないし。だから、例えば制服のある職場だったとして、それがわたしの目に「カッコイイ」って映れば、わたしは別にスカートでも構わないって思ってる。ただ、自衛官とか消防士、警察官の女性の制服って、、帽子がカッコよくないんだよね(爆)ただ、男性と同じ帽子だと、これまた女性には似合わないんだよね。。ってわけで、多分、わたしの価値観って「男」とか「女」じゃなくて、「何が自分にとってカッコイイか」なんだってことが、なんとなく見えてきたかも。。 ただ、前にも書いたけど、人から「カッコイイ」とはあまり言われたくない。。「かわいい」とは言われたいけど(爆) わたしはわたしのことを「自分は女だ」って思ってて、それは多分、周囲からいつも「男性」と間違われているから余計に「わたしは女なんだよ!!!」って過剰に思っている部分があるかも知れない。だから逆に言うとわたしは「性別違和」は感じないのかも、と思ったり。「自分の性を疑え」ってことで、いろいろ疑ってみたりしたんだけど、それによってわたしの性自認が揺らぐことはまずない。わたしは自分が女であるということに違和感はない。逆に男であると思うとすごく違和感がある、というか違和感どころか嫌悪感がある。男でも女でもない、と思うと嫌悪感はないが違和感はある。 ってわけで、わたしは自分のどこからどう見ても「自分は女だ」としか思えないのよね。。 「女子であること」はわたしにとってはどう考えても疑うべきことではなく、だから「女子であること」にわたしはこだわるけれど、ただその「女子」の中身は、わたしがやりたいと考えたものならなんでもその中に入ると思っている。で、わたしの基準は「男か女か」ではなく、「(自分の中で)カッコイイかカッコ悪いか」の方が重要なのかな。 で、人にはそれぞれそういう「基準」みたいなのがあって、それは他人がとやかく言うものじゃない、って、根本的にそう思ってる、ってことなのかなあ。だから世間の基準で動いてる人に違和感を感じるんだと思う。多分。いまのところはそういう結論。ってこれって全然結論じゃなくて、既に分かっていることではあったんだけど(苦笑) 取り敢えず、何が言いたい文章なんだかよく分からないけれど、吐き出したかったので吐き出してみた。 |
06-24,2009
06-23,2009
救いようがない、、
前々から「早く読まなくちゃ」と思ってた「そしてエイズは蔓延した」(上・下)を読み終えた。
しかし、、最後の最後まで救いようのない話で、読後感が非常に悪い。上巻の途中までは「もし、今度こういうことが起こったとすれば、自分は将来のことを予測して正しく判断できるだろうか」と思いながら読んでたんだけど、下巻の最後になればなるほど「あ、これは個人的にどうこうできるって話じゃないな」と思い、読み終えた後は絶望的な気分に。 多分、次にどこかで同じようなことが起こったとしても、この教訓は絶対に生かせない、と思った。だって、この本が上下巻2冊で終わったのも、結局は誰かの努力の結果ではなく、偶然が重なっただけだもの。。それ以上に、人間というもののありがちな嫌な部分をこれでもか、これでもか、と見せつけられる本だった。。 確かにこの本では実名を挙げて誰が何をやったのかがものすごく詳しく書いてある。けど、わたしはここに出てきた人で「結局エイズを蔓延する方向に賛成した人」を非難の目で見る、というよりは、これが人間の本質なんだろうなあ、、と思ってしまうのだ。もちろん、最初からエイズの恐さに気が付いている人たちもいる。しかし、その人たちが必死に政治家や、マスコミや、そしてゲイ団体に警告しようと、無視される、伝わっていかない、人権侵害だと逆に攻撃される、、、とにかく絶望の繰り返しなのだ。そして結局、エイズを世の中に知らしめたのは、こういう一握りの人たちの努力の成果では全くなく、ただ一人の有名人の死、なのだ。その前に何千人ものの死があったのにもかかわらず。 「これが人間社会なんだろうなあ〜」と思うと、本当にゾッとするほど悲しくて、悔しくて。 今は本当に救いようのない気分でいっぱい。 多分、人類はこの教訓を生かせない。 。。。読むんじゃなかった、かな(苦笑) |
06-22,2009
06-19,2009
取り敢えず
まだ一歩という感じはしないが、半歩くらいは進んだようである。
というか、玉砕じゃなくてよかった〜〜〜。 。。まだ玉砕する可能性は残ってるけどね。 さてさて。これからどうするか。 |
06-18,2009
食欲がなーい
これは別に昨日、今日始まったことではないんだけどね。
最近、あんまり食欲がない。 っていうか、お腹が空かないんじゃなくて、お腹は空くの。 お腹が空くんだけど、その「お腹が空いた状態が快感」なんだよね。 だから、食べたくない。 んー、わたしはストレスかかると、食欲が落ちる体質で。絶対に「やけ食い」などはできない。 ただ、いくら「快感」だと言っても、それからしばらく経つとそれ以上お腹が減って、今度は食べたくなる。 なので、せいぜい「1日3食」が「1日2食」になるくらいで。しかも、今はちょうどいいことに、薬は1日2回、朝と晩で、昼がない。これが「1日3回毎食後」だったら、食べたくなくても食べなきゃいけないと思うんだけど、今はそうじゃないので、1日2食でいい。 しかしそうすると、胃の大きさが小さくなるのか、1回当たりに食べる量も減るんだよねー。 ダイエットしたい人にとっては「羨ましい」と思うかも知れないが、体重が落ちたら、病気しやすくなるので(ただでも病気しやすいのに!)、本当は無理してでも食べなくちゃならないんだけどね〜。 といいつつ、めんどくさいから体重は長いこと測ってません(爆) 病院に行くといつも医者から「体重はどうですか?」って聞かれるんだけど「はぁ、まあ」って答えてるわたし。 ただ、体重は測らなくても、わたしは痩せてくると太ももから細くなっていくらしく「ジーンズ、がぼがぼだなあ」という感じがしてくるので「やば、痩せ始めた」ってことが分かる。でも、今はまだそう感じてないから、そこまでは痩せてはないらしい。 んー、この状態、いつまで続くかなあ〜? |
06-17,2009
ドカンとぶつかってみた
将来のことについての第一歩のため、今日はドカンと一発ぶつかってみた。
これで、粉々に粉砕されるか、それとも生き残れるか。 しかし、粉々に砕け散ってしまったら、この先どうしよう?? 不安で不安でたまらない。 最近、日記が超短めなのは、多分、このことがずーーーーーっと頭にあったから。 取り敢えず、こわごわではあるが、やっと一歩は踏み出せたが。 踏み出した足が電車にひかれて潰されませんように。。。(>_<) という祈るような思い。 |
06-16,2009
わたくしの、恥ずかしい映像
はい。恐れていたことがついに、起こりましたですよ(苦笑)
あれは忘れもしない、5月17日のIDAHO、新宿アクションの日。 わたしはその前にメッセージ担当として、すべてのメッセージに目を通していて「あ、これ読んだら泣くな」っていうのが、いくつかあったんで、絶対にマイクは握らないぞ、と思っていたのですが。。あの場所に行くと握りたくなるんですよね、マイク(苦笑)ってわけで、読んでたわけですが。やられたよ、最後のメッセージで。複数のカメラがこっちを写してるのはもちろん知っていたわけですが、こんな不様な姿を晒したくはなかった〜、、、(恥) というわけで、お楽しみ下さい←マゾ 【追記】この画像を撮ったのは、もちろん、わたくしの親と年齢の違う双子の弟akaboshiさんです。 テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記 |
06-14,2009
つぼみが出て来たよ(けいかほうこく)
「ミニバラはいつ、咲くのだろう」と前の日記に書いたんだけど、今日見たら、つぼみが出てるじゃないのよ!!んー、毎日観察しているようで、あるとき「あれっ?」って思うことばっかり、と言うことは、植物の生長ってそんなに早いということなのか。それとも「観察眼不足」なのか。
![]() これからは「いつ花が咲くのかな」とドキドキして待つわけだけど、何色の花が咲くのかな〜。わたしはバラなら真っ赤なのが好きだけど、どうやらこれはピンクか白しか咲かないらしい。缶にそう書いてあったんで。残念だわ。 しかし、こんなに順調に育って、そしてつぼみが付くとは思わなかった。 いやー、嬉しい。 |
06-13,2009
ジェンダーと身長の関係
今日は親と年が違う双子の弟と会ったんだけど(っていうか、今日はIDAHOのイベントの東京反省会の日でした)、昨日の日記に関して、面白いことを言われた。
つーか、彼はレズビアンの人がたくさんいるところで話してるときと、会社の女の同僚から話しかけられるときとの「差」を感じたことがある、と言う。それは「レズビアンの人たちと初めて話したとき、なんか冷たい感じがした」と言うのだ。「そういう意味で考えると、会社では自分は『男』と認識されているから、相手は一般的に『男に接するときの女性の態度』で話しかけるんだよね。それに比べてレズビアンの人は、ゲイなんかにどういう風に思われようが構わなくて、そのままの姿で話してくるから、最初『なんだか冷たいなあ〜』って感じたんじゃないか」って言ってた。そして「Ronさんは男性から話しかけられたとき、一般的に『男の人が女性に接している態度』、例えばちょっと甘い感じで話しかけられた、と感じることはないの?」と聞かれた。 それでわたし考えたんだけど。。あんまりそう感じたことがないし、例えば異動したばかりのほとんど知らなかった上司さえ、最初はなんだか遠慮してたような気もしないでもないけど、わたしがこのような人間だと分かると、結局はそういうのがなくなっちゃうんだよね。。 それにさらに思い出したけど、大学時代、わたしは合気道部に入部したんだけど、同級生で、ま、学科も一緒だった男子と途中まで帰り道が一緒だったので、クラブが終わったときはいつも一緒に帰ってたんだけど、彼は「自分はずーっと男子校だったから、女子とは恥ずかしくて話せないんだ」ってよくわたしに愚痴をこぼしてた。「ええと、あなたの前にいるわたしも女ですけど、一応」と言ったら「お前はなんだかよく分からないけど、話せるんだよ」と言われて、「一体、わたしと他の女子のどこが違うと言うんだろう」と複雑な思いをしたことがある。あ、でもこのときはわたし自身も自分がレズビアンだとは思ってなかったんで、レズビアンであることとは多分、関係ないと思う。 でね、弟と更に話していて「あー、Ronさんって背が高いからじゃない?ほら、他の女の人って自分より背が低いって印象だけど、Ronさんは僕と背の高さが同じくらいだし」って言われた。それ、確かにそうかも知れないなぁと思った。 わたしは身長が172cmあって、これはだいたい日本人男性の平均身長に相当する。ということは、わたしより背の低い男性は、日本には約半数が存在するわけ。女性ではわたしより明らかに背の高い、と感じる人はほとんどいない、というか、だいたい高くても同じくらいの身長かなーって思うことは最近まあまあある。 それで思い出したんだけど(思い出してばかりだね)、例えば、今、習ってる空手。わたしは今、一応、大人の白帯クラス、みたいなところに分けられてて、その中には男性も女性もいるんだけど、身長によって相手と組まされるときが多くて、そうするとわたしの相手は男性になるわけ。んでさ。こういってはナンなんだけど、女性同士やると、力ないのに更に相手にぶつけちゃいけないって思ってしまって、わたしも本気でできないんだよね。。向こうもなんかそんな感じだし。で「手加減しなくていいですよー」とは言うんだけど、なんか遠慮されるのかなあ。。わたしなんか、間違って、相手に顔面にパンチ喰らわせてしまったことさえあるのに。。(苦笑) でね、男性と組んでやるときは、向こうが手加減するの。それは分かるの。でもね、所詮白帯同士なので、いつもいつも「寸止め」ってわけにはいかず、どうしてもパンチ喰らったりするのよ(笑)それでも「別に平気」って顔してたら、多分、向こうもある程度慣れるんだと思う。まだ手加減されてるなと思うこともあるけど、まー、手加減してたら今度は自分の稽古にならないから、先生にすぐに注意されるしね(笑)で、わたしの場合は、相手が男性なので、まー、わたしのへなちょこパンチを食らわせても大丈夫だろう、ってことで、わたしの方が思いっきりできるので、これがありがたい。 よく考えてみれば、こういうことって案外あったように感じるのよね。合気道部のときも、身長合わせてたんで、わたしは同じくらいの背の高さかもうちょっと背の高い男子と組んでたし。 んー、そういうのも、わたしが常日頃恐れていた「男女差別(区別?)」がない方向に行ってたんだなーって。だから、逆に女扱いされなくて、こっちが楽だった、ってのはある。 昨日の日記書いて、彼女から「ろんたこってさ、生まれつきジェンダーフリーを実践してるんだよ」となんかミョーに感心してたけど、それがぶつからずに今まで続けられたのも、この身長がそうさせた、というのはかなりあるんだろうな。 なんて、今日は空手が終わってからコンビニに寄って夕飯買ったんだけどさ。見てしまった。おじさんがレジに打ち込むときに「29」という水色のボタンを押したのを。。。 をいをい。年齢はともかく、わたし、今日、半袖Tシャツ一枚よ?この胸(一応、Bカップ相当)が分からんのか!!とちょっと憤慨しながら帰ってきたのでした。。言っとくけど「女扱いされない」のと「女と認められない」ってのは別の次元の話だかんね!! |
06-12,2009
ジェンダーが分からん
いや、「ジェンダー」という言葉の定義はもちろん知ってるんだけど。
それを自分に当てはめて考えてみると、ぜーんぜん分からん。 第一、「女らしくしなさい」と言われた記憶がない。 記憶がないってことは、 1.言われてたけど、右から左 2.本当に言われたことがない のどっちかだと思うんだけど、記憶がないんだから、それ以上のことは分かるわけないわな。 しかもわたしは「年齢が上がるにつれ、男子は理屈っぽくなって女子はそれに叶わなくなる。んで、文系に進むのは女子で理系は男子が多い。で、社会人になると女性は冷遇される」って、どこで読んだのか知らないけど、将来はそういう風になるんだろうな〜と思って、密かにそれを恐れてたりしてた。 話は変わって小学校のとき。わたしはクラスのAってヤツと小学校1年から6年のときまでずっと同じクラスだったんだけど、最初からすんげー仲がよかった。Aってヤツは、動きもとろいし、体操もあんまり得意じゃなくて走るのは苦手だし、、ってちょっとみんなから馬鹿にされてたような男子だったんだけど、でもわたしとは本当に仲がよくて、Aってヤツは「オカマ」って呼ばれて、わたしは「オトコオンナ」って呼ばれて、「おまえら夫婦かよ!」とか周りに言われてたんだけど(それは記憶にある)、本人たちは「夫婦」と呼ばれてもピンと来ず(多分、性的に奥手だったんだと思う、というか、少なくともわたしは奥手だった)、「夫婦」と言われてもお互い相手を「異性」として意識するようなことはまったくなかったんだろう、そのままずーっと小学校終わるまで仲がよかった。 そいつがね、小学校の高学年になると急に理屈っぽくなりやがって(笑)、元来粘り強く努力できる性格だったのか、勉強もできるようになってきた。わたしは彼の「努力する」能力には適わないとなとは思ってたんだけど、負けるのってやっぱ悔しいじゃん。んでさ、わたしも彼に抵抗するため(爆)、屁理屈ばっかり考えるようになっちゃって、それが今の人格形成の一つになってるかも??(苦笑) 中学はわたしは大阪に行ったんで、そいつとはそれっきりなんだけど、今何してるのかな〜と思ったりする。 で、密かにいろいろ恐れてたんだけど、思ったような恐れって全然出てこなくて。で、しかも中学まで「将来は政治学を学びたいな」って思ってたのに、高校の時に数学の先生が好きになって、物理で「これが真実だ!」と感動してしまって、それから理系を目指すことになっちゃって。。 ついに社会人になったんだけど、わたしの職場は特殊で、男女の差がほとんどない、というかまるっきりない職場だったんで、わたしは「女で差別されて悔しい!!」って思いをしたことがない。。逆に重いもん持たせたりできるし、学校にいるときはめんどくさいことは全部男子に押しつけてたんで「女ってなんて楽なんだろ」って思ってた(爆)そーいう、都合のいいときだけ「女子」だったんだよね〜、わたしは。 というわけで、幼い頃から恐れていたことは、ついに来なかった。というか、未だに来ていない、と言うべきか。 でさ。わたし自身、生物学的な性は「女性」だと思う。いや、染色体まで調べたことはないので、本当に女性かは分からないんだけど、でも、一応、第二次性徴では女性に現われること全て現われたし、わたしは肉体的に自分が女性であることは疑ったことはない。 ただね、もう一つ「ジェンダー」ってのがあるじゃない? これがねー、、わたし、100%女性にあるとは思えないというか、絶対にないと思う。男と女のグレーゾーンのうちのどこかにあるんじゃないかと自分では思ってる。それか、その概念は理解できても、それが自分に当てはまるとは思えないので、そのスケールから全く外れてるか。 だけどね。肉体的には女性なのよ。 でさ、ジェンダーに関する本を読んでるとさ、「女性はあーだ、こーだ」と書いてあるのよ。それは理解できるのよ。だけどね、読んでると逆に「アナタ、女なんでしょ。女だったら社会に対して怒りなさいよ」って無言の圧力というか、そういうのを感じちゃうのよね。で、逆に「怒れなかったら女じゃない」みたいなことも感じてしまって、「えー、生物学的には女だけどさ、だからっていってジェンダーも100%女であるべきってわけじゃないよね」って言い訳したくなるのよね。なんというか、裏返せば「100%ジェンダー女じゃなきゃ、女じゃない」みたいに言われているような気がする。 なんだかさ、ジェンダーの本読んでて、逆に「女を押しつけられてる」みたいに感じてしまって、だから、わたしはジェンダー関係の本ってあんまり好きじゃないんだよね。読んでると「女であることに苦労を感じたことがないわたしって、人間として未成熟ってことなのかな」とさえ思えてしまう。でもそれっておかしいよね?別に女であることで苦労したことがないから、一人前の女じゃない、ってわけじゃないじゃん。でも、そういう気にさせられる。 確かに「女であることに苦労を感じたことがないのは羨ましい」ことかも知れない。でも、それって、どうしてそうなってるのか分からないのよ。別にそれを避けて通っているわけでもないし、うまく対処していると思ったこともない。知らないうちにそういう風に生きてきた、ってわけで。だからもしかしたら、「女らしくしなさい」とか、それに類することも今までたくさん言われて来たのかも知れない。けど、その言葉がまるっきり頭に入ってこないのはなぜ??? 多分、「女らしくしなさい」と言われて「女らしくしなきゃいけないんだ」って思って、自分がやりたいこともやれずに来た人もたくさんいるんだと思う。だから、そういう部分で悩んでいる人がいると思うんだけど、わたしはそれが理解できないんだよね、悪いけど。。「そんなこと言われてもやりたいことをやればいいじゃん」って、多分、無意識のうちに思ってるんだと思う。それによって、例えば孤立化したり、仲間に入れなかったりしてたかも知れないんだけど、本人は鈍いので、そういうことも感じたことがないんだよね。 だから、とても幸せな人間なのかも知れない。鈍いってのは、一つの才能かも知れない(^^; だからね、逆に「アンタ、女でしょ。だったら社会に対して怒りなさいよ」って言われても、、ってところがわたしにはある。それがわたしのいいところかも知れないし、人間としては未成熟か、経験値がないってことなのかも知れない。 というわけで、わたしは、6月21日(日)に行なわれるパフナイトを結構楽しみにしている。ってパフナイトの関係者でもないわたしがここで宣伝しちゃってもいいのかしら、、、(笑)某双子の弟のところから転載しちゃいます(ゴメン、弟よ)。 ------------- ここから ------------- 「男子であること、胸があること」 ――6月のパフナイトはトランス的特集! 6月のパフナイトは、関西クイア映画祭とのコラボレーションで、東京初の公開となるトランス映画『男子であること』上映会と、日々自分自身の「胸」や社会のジェンダー規範との格闘をくりかえす健気なファイター(!?)2人によるトークでお届けします。 トランスジェンダーも、そうじゃない方も、 自分の身体が好きな方も、好きじゃない方も、 ジェンダー規範に興味や関心がある方も、 どうぞふるってご参加ください。 【作品紹介】 『男子であること』 原題:Boy I Am 監督:Sam Feder and Julie Hollar トランスしても、前からのカノジョとうまくやっていけるの?男としてパスすると、レズビアン・コミュニティの一員でなくなるの?トランスして黒人男性になった時に受ける人種差別の方がひどいの?などなど、疑問を抱きつつ、3人のFtMが自分の言葉でトランスの道を語る。その話を通して、ホルモンを飲んだり、手術を受けたりして身体をかえることで、いかに生活の全てが変わるかを描くドキュメンタリー映画。FtM本人、パートナー、友人の生の声をはじめ、トランス男性にまつわる複雑な社会的事情を学術的、クィア・コミュニティ的に考える。 上映時間:70分 製作:2006年 米国 字幕:日本語/言語:英語 【トークゲスト】 ○フレイザー真実さん 名古屋大学大学院生。LGBTとアライをつなぐことで偏見の解消を 目指す団体2in20 nagoya代表。趣味はギター弾き語り。 【司会&トーク】 ○遠藤まめた パフナイトスタッフ。LGBTをめぐる様々な活動に首をつっこむ。 FTMだけど抹茶パフェくらいは(たぶん)注文できる。 ※今回のトークはyou tubeでの公開はありません。 「男子であること、胸があること」 ―6月パフナイトはトランス的特集! 日時:6月21日(日)15:30開場/16:00開演〜19時頃終了 主催:パフナイト 共催:関西クイア映画祭 会費:1000円 ※予約は不要。お気軽にお越しください。 会場:パフスペース …東京メトロ東西線早稲田駅下車、馬場下口(2or3b)より2分 馬場下町交差点を文学部の方向(左)に曲がり3軒目のビル。 ■地図はこちら。 TEL&FAX:03-5991-6117(浜田) ★パフスペースではセクシュアル・マイノリティ関連での使用には レンタル料を初回2000円引き、以降1000円引きする「セクマイ割引」 を行っています。ぜひご活用下さい! ■レンタル使用料金表 http://www.pafspace.com/riyou/riyou-2.html ■パフスクールカレンダーで空き状況をチェック! http://www.pafspace.com/schedule.html ☆関西クイア映画祭が東京にやってくる! ■詳しくは以下のHPをご覧下さい。 http://kansai-qff.org/2009/TOKYO/ ------------- ここまで ------------- |
06-11,2009
06-10,2009
割と記憶の彼方に飛びがちですが、、NLGR1日目
東京に帰ってきてから早2日経つけど、すっかり土曜日のことなんか忘れてしまっている(汗)
えー、まず、もらってきたもの。多いよ、結構。毎年のことだけど(笑) ![]() ただ、そうだな、去年はHIV/AIDS関係の冊子をたくさんもらってきたんだけど、今年は地方の団体が集まってるブースがあって、そこで例えば愛媛で作っている「コミュニティーペーパー」とか、浜松のサークル紹介のチラシだとか、あと、愛媛で今度ドキュメントの方の「ハーヴィーミルクとその時代」の無料上映会をするらしいんだけど、そのチラシとか、あと、大阪の「dista」(東京で言う「akta」みたいなところ)関係のものとか「LIVING TOGETHER KANAGAWA」って、こんなの見たことないな〜って思うものは片っ端からもらってきた(笑) でもねー。これ見てつくづく思ったんだけど、地方で地道に頑張っている団体が多いんだな、ってこと。わたしはどうしても東京に住んでいるから、これら地方の団体の情報って入ってきにくいものなんだけど、「ここの地域ではこういうものを作って配ってるんだ」なんて分かったのは、かなり勉強になった。そしてね、こういう風に一堂に介せる場所があるって、それもいいことだなあって。「ここではこういうことやってんだ。じゃ、うちもそうしよう」みたいな情報交換ができるじゃない? それに比べると東京ってどうしても規模が大きくなってしまうからか、こういう割と「地に足の付いた」というか、いや、決して東京のやってることが地に足が付いてないとは言わないんだけど(汗)、なんというか、やっぱ違うと思うんだよね〜。東京にもさ、規模は小さくても地元密着、みたいな団体があればいいのに、というか、東京はそういう団体がないのか?なんて逆に思ってしまったり。わたしが知らないだけなのかな。。 あ、それで。 ![]() さて、これはなんでしょう?って、これは各種コンドームでーす。この中から自分の気に入ったものを選んで答えたら、NLGR2009って書いてある赤いリストバンドがもらえますよってことだった。 ![]() ええ、ちゃんと答えたのでこれをもらいましたが(笑)ただ、どのコンドームがいいって言われてもねえ、、、わたしの使用用途を考えると、別にどれでもいいんだけどね(爆)中には「粒の力が!」なんて書いてあったのもあったけど、あれくらいの粒の大きさで何が変わるのかしら?って感じだった。だってさぁー、粒の力、より、断然、パールの力、の方がすごいわけでさ(爆)あ、最近は模造パールでなく、パチンコ玉みたいなのが入ってるのがありますね〜。あれは使ってても摩耗しないし、かなり強力(ってなんの話してるんだか〜♪)。あ、しかし。コンドームに使用期限があるなんて、わたしは今まで知らなかったのです!おーまいごっど。ま、わたしにとってはあんまり関係ないかなとは思うんだけど、今度から使うときは使用期限が早いものからにしよーっと(笑) で、わたしが頭が痛いのがようやく治って、池田公園に行ったときは「SMちっく運動会」というものをやってまして。途中からだったのでよく分からなかったのと、わたしはやっぱり「SMちっく」でも、SMって見るのもイヤなんだな〜って正直思った(笑)なんで、多分、その頃はいろいろブース回って知ってる人としゃべってたりした。その次の「ドラァグクイーンタイム」は、興味あったんだけど、ちょうど「SMちっく運動会」との間に、わたし、NLGR検査会さんがやってた「アンケート」に答えてたんだよね〜。 そのアンケートってのは「どっから来たか」とか「今いくつ」とか「性別」とか「過去に行ったことのあるもの」として、過去のNLGR、東京レズビアン&ゲイパレード、レインボーマーチ札幌、関西レインボーパレード、PLuS+が挙げられてたから、その中で行ったことがあるものをチェックして。それから「もし今回検査があったら検査を受けていたかどうか」とか「特定の人とアナルセックスをするときはどうするか」「不特定の人とアナルセックスをするときはどうするか」という質問で、回答が「必ずコンドームを付ける」とか「時と場合によって」とか「付けない」とか「分からない」で「アナルセックスをする気がない」という回答がなかったため、ものすごーーーーーーーく悩んだ。隣で彼女も「うーん」って言ってたから見てみたら、同じ質問で悩んでた(爆)まー、女同士でもアナルセックスできるというのはもちろん分かる。けど、実際してみようって思ったことがなかったので、この質問はすんごく難しかった。。あと、いろいろ質問があったと思うけど、印象に残ってるのはこれくらい。で、これに答えると、 ![]() もれなくエコバッグ(?)がもらえる。しかも、くるくる巻けばこの通り。ってことで、なんだかすごく目立つ色なんだけど(笑)もらってきたわ。中には「検査受けましょう」とか、検査場所の一覧の冊子とか、検査を受けることについての冊子とか、そうそう、あとはコンドーム、そういうものが入っていた。で、抽選でiPodが当たる、らしかったんだけど、残念ながら、iPodは当たらなかったわ。あと9番違いだったのにー!(笑) あ、終わってから「ドラァグクイーンタイム」を後ろの方から(なんせ、人が多かった)見てたんだけど、あれって、地元のドラァグさんなのかしら。司会の緑区カナコさんが「ドラァグ・クイーン・名古屋、略して、DQNって呼んでくださ〜い」って言ってたけど(笑)みなさん、リップシンクだったんだけど、中にはすごーい人やうぎゃーって言う人もいたけど、新人さんはただ口パクしてるわーみたいな感じで、見ててあんまし面白くなかったので(←失礼)、こういうのも場数を踏むと面白くなってくるのかなーと感じた。ホントはすごーいと思った画像とかうぎゃーって思った画像を撮りたかったんだけど、後ろの方だったんで、最後の最後、出演者全員出て来たところしか撮れなかった。 ![]() それからはバンドライブ、和太鼓ライブがあり。その後は前にも動画でチラッと紹介したけど「HIV陽性者手記の朗読」。今年は去年よりよかったと思う。そのせいか、ベンチはすべて埋まってたし(去年はガラガラ)、もしかしたら次に「ピンクレゲイー」のファイナルライブがあるからかな、とも思ったけど、去年だって、同じ順番だったんだよね。ま、去年のはラストではなかったわけだけど>ピンクレゲイー 【訂正】去年の順番は「ピンクレゲイーショー」の次に「HIV陽性者の手記朗読」でした。なわけで、どおりで人がいないわけだったんだよね>去年 で、わたしは既にDQNショーが終わった後からずーーーっと最前列のベンチに座ってたので、ピンクレゲイーのファイナルライブも最前列で見た。 ![]() もう、なにがどれだかよく覚えてないんだけどね(笑)これは多分、「カルメン'77」だろう。下にいろいろ着てるのが分かるね(笑) ![]() これは衣装を見れば分かりますね。「サウスポー」。なんか、デジカメのシャッター落ちる速度が遅くて、ほとんどぶれちゃってて、撮りながら「ぷんすか」してたんですけど。 ![]() 多分、左側の画像からすると、これは「ウォンテッド」かなぁ???それとも「S・O・S」??? ![]() あまりにもぶれるんで、モードを変えてみたらこんなに暗くなってしまった(笑)これは確か「モンスター」だったような。あのね、わたし、ピンクレディー後半の「カメレオン・アーミー」辺りから、全然分からなくなってしまって、「モンスター」もあやしいんだよねえ。。(苦笑) ![]() で、1曲歌い終わったら、次の曲のために服を次を次々脱いでいくんだけどさ(笑)なんかうまくいってなかったようで、こんなシーンが(笑)そういうのもひっくるめて魅せてくれます、ピンクレゲイー。 ![]() この曲は、、、分からない(笑)振り付けを画像で見ても分からんわ〜(苦笑) ![]() おそらくこれは「渚のシンドバット」。っていうか、右側の人、去年も「パンチラ」で魅せてくれたけど、今年は乳首を見せてくれました(笑)もう、ここら辺の観客との一体感はすごかったわ(爆) 【訂正】右の人は、去年もパンチラだけでなく乳首も見せてくれてたみたいですが(同じ服で!)、わたしの記憶はパンチラしか残ってませんでした。。 ![]() 確か、前の曲が終わった後、一旦、後ろのテントに入って、それから出て来たときはこの格好だったような。でも、正直、これ、なんの曲か忘れたー。もしかしたら「ペッパー警部」? あ、その前に「手話人(しゅわんちゅ)」さんたちが前で一緒になって踊った「ピンク・タイフーン」もあったんだけど、これは手話人さんたちが写っちゃうので、撮影はしませんでした。 ![]() これもなあ、、よく覚えてないんだよね(汗)だいたい、知ってる曲は撮りながらわたしも踊ってたんで、枚数が少ないはず。。(って分かるのはわたしだけか(笑)) ![]() これがラストの曲「UFO」。もちろん、知ってるから踊りまくったわ(笑)わたしがピンクレディーで踊れるのって「ペッパー警部」とこの「UFO」くらいしかないんだよね。特に「UFO」はかなり踊れるので、多分、ピンクレディーの絶頂期ってこのくらいにあったんじゃないか?もちろん、もっともっとその後もヒット曲を飛ばしてるわけですが。でも、振り付けをあまり覚えてないってことは、当時小学生のわたしにとってすごく難しくなっちゃったか(「サウスポー」なんかそうだし)、あんまり魅力的な振り付けじゃなかったか(って小学生にとって何が「魅力的」だかは分かんないけどさ(笑))。そういうわけで、「ピンクレゲイー」はこうして幕を閉じた。。。 ![]() わたしは、去年のNLGRと合わせて、まだ2回しか見たことがなかったんだけど、ホント、すごい人気でね〜。いや「ドラァグ・クイーン・タイム」もそうなんだけど、こういう「文化」って、普段はゲイナイトとか夜やるイベントが多いので、わたしは観に行けないのだ。。んで、そういうところに女性っているのかな、とか思ったりね。。なので、こういう機会にこういうものに触れられるというのは、本当に貴重なことなんだよね。こういうものも「ゲイ文化」に一つだとわたしは思っているから。。 もちろん、年に一回、(HIV/AIDSに対する)自分を確認しに行く、という目的があるから行くんだけど、こういうのを見れるチャンスでもあるんだよね。来年は10回目で一区切りの年になるはず。来年も行きますよ、NLGR。 テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記 |
06-07,2009
NLGR、2日目なんだけど。。
朝6時頃、頭が痛くて目が覚めちゃって。お腹も空いてたので、市販の頭痛薬は飲めないと判断して(あれ、空腹時に飲むと、いっぺんでお腹の中が荒れるのよね、、)、連日の服用はしたくなかったんだけど、偏頭痛の薬を飲んで、もういっぺん寝たら、今度は11時過ぎてた。。っていうか、この頭の痛くなり方が、なーんか薬の副作用っぽくてイヤなんだけど。
で、会場近くに名古屋では有名らしい「コメダ珈琲店」つーのがあるって彼女が言ってたので、朝食はそこで食べた。店の中に入ったら、NLGRでブース出してる知り合いの人たちがいて「ああ、こんなところでお会いしましたね」みたいな(笑) ![]() わたしはそこで「小倉トースト」というものを初めて食べた。けど、思ったより変な食べ物(?)じゃなく、まー、あんパンからあんがはみ出たもの、って感じだった。 それから会場に向かったんだけど、着いたときは、WINGさんの演奏の途中(高校三年生)で、その後、「翼を下さい」と「世界に一つだけの花」の演奏と合唱と手話での合唱(?)を聞いた。つか、今日の日差しはものすごく強かったので、ベンチに座って見てる人が少なくて。最後の方に行ったのに、余裕でベンチに座れた。つか、今回の合奏は、WINGさんだけじゃなくて、誰が参加してもいいって前から聞いてて、わたしもトロンボーンで参加しようと思ったらできたみたいなんだけど、楽器を持ち歩くのって、すごく大変だし(トロンボーンは長いからねえ、、楽器が)、TOKYO Pride Festivalが終わったばかりで練習もできないだろうし、それにNLGRは誰からも束縛されることなく気楽に来れることが嬉しいので、まー、今回はいいかな、と。でも、そこでは各地からの吹奏楽団の人たちが来てたので、思わぬところで「あらまー、来てたの」みたいなことが。「アナタ、名古屋まで来れたんだったら、なんで東京まで来れないのよ?トロンボーン、3人だけで大変だったのよ!!」と責めたり(爆) それから「僕らのゲイライフプロジェクト NLGR版」が毎年あるんだけど、で、「今年こそはじっくり話を聞こう」って毎年毎年思ってるんだけど、「そーいえば、昨日、ブースやってる知り合いから『明日は来て下さい』って言われてたよなあ。。」と思って、結局は各ブース巡りをして。 っていうか、なんてのかな。昨日もそうだったんだけど、ブース巡りしてると、知り合いが来てるんだよねー(笑)なんか、全然普段は接触がない人たちなんだけど、毎年NLGRの会場で会ってるよね、とか、この1年で新たに知り合いになった人が会場にいて「おお」みたいなこともあったり。ってことで、地元の人じゃない人と会う場所でもあるのよね、ここって。で、今年はわたしの数少ない(って1人だけだけど(笑))地元名古屋の知り合いも誘って、彼女と3人で一緒にブース回ったり、昨日はその人と一緒に夕食食べたりしたんだけどね。 去年もNLGRの会場で会って、今年も同じように会って話した人が、そのご当地の知り合いの人をわたしのパートナーだと思ったらしい。てか、彼、ゲイだから!!(爆)わたしはそのとき、別の人とちょっと離れたところで話をしてたんだけど、そこにいたわたしの彼女と知り合いとその間違えた人が「結局は『彼女です』って紹介しなかったRonさんが悪いってことにしておこう」と言って、知らない間にわたしが悪者になってたっていうか、わたしもその話を後で聞いてびっくりしたよ。。多分、一番驚いたのは、ゲイの彼だろう。。まさかレズビアンに間違われるとは(爆) ってわけで、結局、ブース一回りして、知ってる人と話したりしてから、もうNLGRはいいやって、会場を後にしてあとは3人でカラオケ(爆)つか、歌ったのは彼女を除いた2人。彼女は風邪でのどの調子がよくなかったので。いや〜、わたし、いっぺん彼と一緒にカラオケに行きたかったのよね。だから結局、同性結婚式は見なかったし、フィナーレも全然見なかった。まー、別に全部見なきゃいけないってこともないしねー。 なので今日は、上の画像と ![]() これしか撮らなかった(笑)まー、いいやね。 取り敢えず、そんなわけで、わたしの今年のNLGRは終わり。また来年。 あー、だけど、昨日の「ピンクレゲイー」の画像などは大量に撮った(けど、ほとんどがぶれてた(苦笑))ので、1日目のことは東京に帰ってからまた書くけどね。 コンドームも大量にもらったし(むふ)、使用期限が切れないうちにせっせと使わなきゃ。。←? テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記 |
06-06,2009
NLGR2009、1日目〜撃沈
前日から名古屋入りしたにもかかわらず、このホテルのベッドが異様に眠りやすかったので、朝10時過ぎても起きることができず、無理矢理起きたら頭が痛くなって、結局、会場に11時45分に着いたものの(開始予定は12時だった。実際は12時半〜)、そこからホテルに引き返し、頭痛薬を飲んで16時少し前までベッドで寝ていた。。(ふう)
NLGRで一番の目玉だとわたしが思っている、HIV陽性者手記の朗読。去年は司会のお二人が読んだんだけど、今年はどういう人選か知らないが、5人の人がそれぞれ1つメッセージを読んで、それぞれ感想を述べていた。そのうちの一つ。読んでいる人は、今年の司会者のうちの一人。自身も2人のお子さんを持っているらしく、声を詰まらせながら感想を言っていたのが印象的だった(感想を述べた部分は動画にはないが撮っておけばよかったと後で思った)。 BGMは朗読の前にやった和太鼓ライブのパフォーマーの人たちで、これもなかなかよかったと思う。 取り敢えず、一番大事なところだけ今日はアップ。 テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記 |
06-05,2009
06-04,2009
6月4日
20年前の今日、6月4日は、天安門事件が起こった日だそうだ。
今日、週1でもぐり込んでる大学の講義中にYou Tubeで見られる「六四天安門事件」を見せられた、というか見せてもらった。 うーん。20年前のわたしは21歳。 ちょうど、天安門で民主化運動をした当時の大学生とほとんど同い年ということになる。 しかし、当時のわたしは大学2年生だったが、全くと言っていいほど覚えてない。 新聞も読んだ記憶ないし、テレビのニュースを見た記憶もない。 わたし、あの当時、何やってたのか自分でも思い出せない。 大学1年のときは、大学入ったばかりで、印象深いし、大学3年になってからは専門の講義が始まったので、毎日実験とレポートを書くのが大変だった、ってことを思い出すんだけど、大学2年ってホント、何も覚えてないんだよね。夏に漁業実習があったことだけはよく覚えてるけど。。 今日の新聞をめくってみた(←読んだんじゃない)。天安門事件のことも載ってたけど、雲仙普賢岳で土石流が流れたことも書いてあった。こちらは18年前のことだそうだ。で、そっちの方はよーく覚えてるのよ。あ、そういえば、ちょうどこの頃だった、と思い出した。 うーん、不思議だ。 しかし、改めて思うのは、わたしはホント、もの知らないなーってことで。 いや、天安門事件のことだけじゃなくて。 近代以降の日本史すら知らない。 わたし、ホント、このまま日本人やっててもいいのか?って思うくらいで。 まーでも、今、学べる機会があるんだから、今のうちに学んでおこうと思う。 中国も相当ひどいよな、と思ってたが、今は足利で起こった冤罪事件。 日本も相当ひどいよな。。 「人を一人でも殺したヤツは死刑だー!」って言ってる人は、その人がもし冤罪であったとしても「死刑にしろー!」って言えるんだろうか。 日本に今まで冤罪であるのに死刑になった人は一人もいないのだろうか。 もし存在していたら、その人はどういう思いで死んでいったんだろう。 もちろん、一番悪いのは犯罪を起こした人だが、 容疑者の時点で、既に犯人扱いするマスコミ等、そしてそれを素直に信じてしまうわたしたち、 検察が起訴したらほとんど100%有罪になる日本の裁判。 どこをどういう風に変えれば、冤罪が起こらない、いや、起こりにくいシステムになるんだろうか。 って、話が中国から日本に飛んじゃったけど、 20年前に軍に殺された人たちに対して黙祷。 生きていれば、ちょうど自分くらいの歳だと思うと、遠い、関係のない国で起こったこととは考えられない。 |
06-03,2009
06-02,2009
ハートをつなごう LGBT第3弾 2日目
今日の放送は「公開収録」っぽかったですね。フェスティバルの雰囲気は昨日、伝えたってことでしょう。てーか、やっぱ今日の収録分は、当日はほとんど見てなかったみたい。彼女から「子ども5人育てたレズビアンマザーの人の話はみんな感心して聞いてた」って聞いてたけど、わたしにとっては見てないもんだから「どんな内容なんだろ?」って思ってた。あー、そういうことだったのね。
と言いつつ、今日の放送は、実はちょっと混乱してて。というか、混乱はしてないんだけど、なんていうかね、改めて「性同一性障害の人とは違うなあ」って思ったのね。いや、これは別にどっちがいいとか悪いとか言ってるんじゃなく、今回出てた人(中也さんって中原中也から取ったんだろうか?(笑))は、パートナーのことを普通に「妻」と言い、自分たちは「事実婚をしている」と言う。いや、それに文句を付けるわけじゃないんだけど、なんかねー、やっぱ違和感を感じちゃうんだよ。 確かに性同一性障害の人とそのパートナー、そしてその子ども、という関係は「新しい家族の関係」なのかも知れない。けど、一方では、自分のパートナーを「妻」と言い、戸籍変えてないから今の日本の法律では結婚できないから、事実婚だという。それって、結局、ヘテロの家族になろうとしてるんじゃない?って、いや、別にヘテロの家族が悪いと言っているわけじゃないんだけど、なんかね、どーしてもそういうところに引っかかりを感じてしまう、、 性同一性障害で、ヘテロセクシャルの人は、結局は既存の家族になりたがってるし、しかもなれるんだよな、と。いや、なんかそういうのが悪いって言ってるんじゃなくて、ただ、なんかねー、違和感を感じるんだよね。そこが、同性愛者と決定的に違うところだと思う。そういう意味では彼らは「性的少数者」ではないなあと思うわけ。いや、わたしから見るとね。 うーん、なんて書いたらこの複雑な気持ちを表現できるかな。別にそういうのが悪い、と言ってるわけではないんだけど、なんていうのか、例えばわたしと彼女の関係は、当然のことながらどちらが夫でどちらが妻ってわけではないし、もうそういう「概念」自体がない関係、と言えばいいのか。だから、わたしは彼女のことは「パートナーです」とは言えるけど「妻(夫)です」とは言えない。。そこんとこがやっぱり違うんだな、と思ったんだよね。。 今回の人の場合は、SRS(性別適合手術)はしてないらしいから、法律的な結婚はできないわけだけど、SRSして戸籍変更してる人で、ヘテロセクシャルだったら普通に結婚できるんだよね。。そのことはわたしにとってはとても羨ましいわけなんだけど。でも、中にはSRSして戸籍変えたことをパートナー以外には言わない人たちも存在するんだろうなって、今日のVTRを見て思ったんだけどね。 近くに自分の両親が住んでて、結構4人でご飯食べたりすることも多いみたいだけど、なんかVTR見てるとさー、この人のご両親は何か言いたいんだけど、それが言葉にならないか、それとも口に出してはいけないと思っているのか分かんないけど、見てて奥歯に物が挟まってるようなものの言い方に聞こえて仕方がなかった。そうじゃなかったらごめんなさいね〜。でも、ホント、聞いてて意味の分かるような言葉じゃなかったんだもの。。「え、結局何が言いたいのかさっぱり分からんじゃん」って思ったんだもの。。 ただ、何回も書いてるけどそれが悪い、ってんじゃなくてさ。あー、まだまだ関係性としては発展段階にあるんだな、と思ってさ。 んーでも、それまで付き合ってた人とは将来のこと考えると、結局は別れることになったって言ってたけど、これってやっぱり性同一性障害の人と同性愛者の違いなんだろうかって思ったよ。だって、うちらはこのままだと子どもが出来ないのは当たり前でさ(でも同性愛者だって子供を持とうと思ったら持てるのだよ)、ずっと二人で生きていくわけでさ、でも、別に二人が一緒に暮らしたいんだからそれでいいじゃん?って思うわけよね。だけど、性同一性障害の人は、なんというか、世間一般で言う「ちゃんとした家族」にやっぱ憧れてるのかな、とかね。まー、一組のカップルだけで判断すべきことではないんだけど、なんかそういうところが同性愛者とは違うのかなーって、思ったの。 そういう意味では、最後、尾辻さんが読んだ33年間一緒に住んで5人の子どもを育て上げたレズビアンマザーの話はすごかったね。もちろん、日本にもレズビアンマザーと呼ばれる人たちがいるのは知ってるよ。けど、ああいう風に語られたら、すごーい、って思う。周囲にはほとんど二人の関係は言っていないらしいんだけど、それでも近所のおばあさんが「二人の関係はフウフやキョウダイよりも濃い」(ここんとこ、カタカナだったのが印象的だった)と言った、と言うのは、やっぱすごいと思う。そうやって生きてきた人も確実に日本にいるんだな、と。 今の日本ではレズビアンマザーと言えばまだまだ、一回結婚して子どもができた人が、自分はレズビアンだってその後気が付いて、という場合の方が圧倒的に多いと思う。けど、アメリカなんかでは'80年代から「結婚したことない」レズビアンマザーがどんどん増えてって、それが今の同性婚との話とも絡みついてきたりしてるわけだけど(なんてったって、法的保障がないと「カップル解消」した場合、もう一方の親は「自分の子どもの面会権」なんかないもんね)、そういう意味では、若い同性愛者のカップルさんは「親に孫の顔が見せられない」って思い込まない方がいいと思う(笑)うちも彼女がもうちょっと若かったらな〜(って自分は産む気がまったくないです(苦笑))。 だから今回は、トランスジェンダーというよりは、性同一性障害と同性愛者、そして新しい家族像って感じで取りあげられてたけど、わたしは両者の間は似てるようで全然違うって思ったし、そういう事情を知らない人にはちょっと高度な内容だったかも知れない、って思ったりした。 まーでも昨日より今日の方が「公開録画」っぽかったかな、とは思う。雰囲気的には昨日の方が明るかったから好き(笑) でも本当は、あの間にあったエイサーやブラミの演奏が紹介されてたら、もっともっと楽しかったんだよ、ってことが伝わったと思うのにね。それがね、とても残念なんだよね〜。 そうそう、番組の最後の最後にやりましたね、あの「セクシュアリティ〜♪」っての。アレの声、気持ち悪いから止めてくれ〜(笑) |
06-01,2009
ハートをつなごう LGBT第3弾 1日目
いやー、見た見た、ハートをつなごう「LGBT第3弾 1日目」。
わたしは、事前にNHKの人から「会場で流されたわたしの(IDAHOのときの)映像は今回使いません」というお詫び(本当にお詫びだったのよ、わたし別に番組に出たいとは思ってなかったんで「お詫びされる必要はないです」って返事しておいたけど)されてたんで、楽な気分で見ることができた。 てか、あの中で顔出しして映った人の中で、わたし、何人知ってたんだろう??「あー、あの人、あの人、あれ?これカップルじゃないじゃん!なんかカップルらしく見えるけど、いいのかな〜(笑)」とか。まー、いろいろ楽しませてもらった(笑) 今回はタケシさんって人を中心にしながら、公開録画の模様を紹介している、みたいな感じだったけど、今回、ああいう場所に初めて来たら、最初は怖いかも知れないけど、でも直に開放感でいっぱいになるよね。「自分と同じ人たちがこんなにいる!」と思ったらさ、そりゃ、やっぱり嬉しいもんさ。普段は特に抑圧されているという感じはしないで暮らしているわたしでも、やっぱりパレードとか、そういう、性的少数者がたくさんいそうな場所では、本当に開放感に浸れる。東京なんかは二丁目があるけど、普段はほとんど行かないし、それにあそこが栄えるのはやっぱ夜だから。真っ昼間の明るいところで堂々と自分らしくいられると感じられる場所ってホント、滅多にないから、何回こういうところに参加してても慣れるってことはない。特に普段と変わる訳じゃないのに「あー、なんか解放されてる〜」って思うもの。ましてや初めての参加だったら、強くそう思うだろうと思う。 ただ、まー、わたしはあの場にいて、頭痛いながらも薬飲んで彼女に膝枕をしてもらいつつ、目をつぶりながら聞いてたけど、ホント、ともすれば「カミングアウト礼賛」みたいになっちゃっててね。だから、途中で「カミングアウトすることが一番なんじゃない、時と場所を考えて」みたいな「注意」もあったんだけどね。それは既にあの場にいたときから思っていたし、今日の番組を見てもそういう感じがしたというか、あの番組だけ見れば、そういう印象はちょっと薄まってたかな、とも思うんだけど(その間間にいろんな人のメッセージが挟み込まれてたんで)、うーん、やっぱこういう路線か、あとは自分を受け入れられなくて悩んでいる、という2つのことしかないのかよ、って感じもちょっとする。 カミングアウトねー、確かに大きい問題ではあるのだけれど。。わたしもまだまだカミングアウトの問題を抱えている、というか、生きてる間はこの問題をずっと持っていかなければいけないわけだけど(わたしの場合は、もう出て来ちゃった人間だからね。今さら隠せないでしょ)、カミングアウトってのは、本当に本当にめんどくさいんだよねえ、、、といって、今さら新たに会う人には一切言わない、なんて生活はやっぱ無理だし。結局、前に所属してた楽団も、全く言わなかったんで、自分が自分じゃないみたいですごく嫌だったし、だからといって、言える雰囲気じゃなかったので、結局あれこれ理由付けて(わたしは今病気ですからね〜)止めちゃったんだよね。ホント、最後の方は行くだけでつらかった。 今、空手の方がそういう感じで、でもまだ個人的なこととかそういうことは別に話したいとも思わないし、まだまだ他の人たちともそう仲がいい訳じゃないので、言わなくても平気なんだろうけど、これがもう少し経って、個人的な話もするようになったとしたら、そのときはどうなるかな、と思ってる。なんか、そんなことで自分のやりたいことができないなんて馬鹿げてると思われるかも知れないけど、わたしの場合はね、そのことを言わないと窮屈で窮屈で自分が自分じゃない感じがして、苦痛になってくるの。だから、カミングアウトってわたしにとっても本当に重大な問題なんだ。中途半端な関係だったらとても言えないと思うし、相手が1人ならまだしも、多数いたら、何がどう伝わるか分からないもんね。それこそ、一人一人にカミングアウトできるわけじゃないし。 わたし自身はそういう問題を抱えてる。普段の暮らしの中では多分、そう問題にはならないだろうけど、こういうときはちょっと負担だよね。 だからカミングアウトって初めてが一番緊張するわけじゃないわけなんだよね〜。。何回やっても慣れないもん。で、わたしの場合は対相手が多数でなければ、カミングアウトした後は別にどう思われたっていい、って思ってるから(そういう意味では過去に関係を築き上げてきた人へのカミングアウトが多いってことかな)、だから元職場の人にカミングアウト、とかしちゃうんだよねえ〜(笑) あの「された側はどう反応していいのか分からない」ってのはね、こないだ、と言ってももう何ヶ月前になるんだ?元職場の人と彼女とわたしが飲んだときに、元職場の人は彼女をどう扱っていいのか分からないみたいで、ほとんど彼女に話しかける人もなく(笑)、まー、彼女としては無理に話しかけられなかったんでよかった、って言ってるんだけど、ああいう態度が一般的なんじゃないだろうか。わたしの方は昔の話とかで盛り上がってたりしたけど。だけど、最後の最後、バス停までみんな送りに来てくれて、彼女に向かって手を握りながら「○○(わたしの名)をよろしく」って言ってくれたことは、わたしはこれからも絶対に忘れないだろうと思う。普段はメールで連絡し合うこともぜーんぜんないんだけどね、でも「こっちに来たときは連絡せえよ」と言われてるので(笑)、そうしてるだけなんだけど、そういうつき合いもあるってこと、そういうつき合い方が出来るってことは、わたしの財産でもあると思う。 なんて。番組のことは差し置いて、自分のことをつらつらと書いてしまったけど。カミングアウトは人それぞれ、時と場合によってすべてストーリーが違うので、まー、NHKとしても、これからもいろんな形で取りあげるんだろうとは思う。けど、それが毎回毎回同じような切り口にならないで欲しいなとは思う。わたしがああいうところでメッセージを書けないのは、既にもう、いろんな形のカミングアウトをしてきて、こういうことが一言で書けないからなんだよね。 まー、今回は、会場の楽しそうな雰囲気が映ってよかったんじゃないだろうか、と。なんか、いつもいつも性的少数者は孤独で悲劇的で、って、わたしはあの番組に使われてる絵がね、なんでいつも黒と青ばっかなんだ、あれだけでもなんかすごーくくらい感じがしてヤダ!ってこれは今も思ってるんだけど、んで、あの絵だけはもっとカラフルにして欲しいって思うんだけど、実際、性的少数者のイベントでは「虹色」でいっぱいなんだ。そこでは手を繋ぎたい人と堂々と手を繋げるし、抱き合ってても大丈夫だし、場合によってはキスしてても、、(爆)そういう日が、この日本でも1年に何回かある、まー、わたし自身は当日、いろいろあったし、NHKが入ることによっていろいろ「めんどくさいなー」って部分はあったんだけど、まー、こういう日があるんだよ、ということが分かってもらえたらと嬉しいかな、と今になっては思う。んで、これがフェスティバルじゃなくてパレードだったら撮しにくかったと思うから、フェスティバルでよかったね、って感じだけどね。 さて、明日の内容はなんだろう。わたしは第1部の方は、頭痛いながらもなんとなく聞いてたわけだけど、第2部は、Brass MIX!のスタンバイで早くから舞台裏で待機していたので、内容は全く知らないんだよね。 あ、個人的にはハートがくるくる回って手を繋いでるような感じとか、花びらみたいになった挙げ句、その下に「LGBT」という文字と共に「セクシュアリティー〜♪」って変な台詞(?)が流れなかったのがよかったと思う。あれ、会場で一番最初にやってみんな「はぁ?」って感じだったから。あれはいつ見ても「なんだかなあ〜」って思ってたんで、今回の放送みたいに絵だけでなーんも台詞がなかったのはよかったと思うって、些細なことだなあ(笑)あとは、やっぱ、あの絵を変えて欲しいね。あの絵は、話がどんなに明るくても、印象がすごく暗くなるから。せめてもうちょっとベースになる色を明るい色にして欲しいと思うなぁ。 |
05-31,2009
次郎物語 第5部
昨日「青臭い本を読んでいる」って書いたけど、それは「次郎物語」のことで、これは第1部が一番有名で、それが5部まであるってことを知らない人も多いと思う。でも、わたしはこの物語、最初の方はあまり好きじゃない。なんでこれが「子どもが読むべき児童図書」に挙げられてるのかさっぱり分からない。この話ってのは、第3部辺りから徐々に面白くなってくる、と自分では思っている。まー、わたしも最初に読んだきっかけは多分、児童の読む本として良書と挙げられていたからだと思うのだが、いつ、5部までの存在を知ったのか分からないし、初めて全部読んだときがいつだったのか、さっぱり思い出すことが出来ない。
でも、持ってる第5部の文庫本(新潮文庫)は昭和57年8月で第55刷だから、わたしが中学2年のときに買ったのだと推測される。実は、この「次郎物語」は、3部、4部、5部を先に買っていて、1部と2部が合わさった「次郎物語 上巻」(新潮文庫)は、その後で買い足したものだ。今は多分、「上巻」と「下巻」になっているのだろうと思う。 とにかく最後の方が好きだった、という印象しか持っていなかったが、今回、読み直してみて「ああ、やっぱわたしは第5部が一番好きだったんだな」と思ったのは、第5部の一文にエンピツで線が引いてあったからだ。それは「人間は大事な時ほど大らかでないと、的をはずしてしまうものだ。」という文章だった。いつ線を引いたのかは全く思い出すことが出来ないんだけど、過去にこの本を読んで、いつだか分からないけど、それを読んだときは、そういうことが大いに気に掛かっていたのかと思って少し笑えた。 今、40も一つ越えた、この歳になって、もう一度この第5部を読み返してみると、そんな一文じゃない、この第5部全体に渡って、この本を書いた「下村湖人」という人が、何を思ってこれを書いたのか、それが分かるような気がした。と言っても、この人、第5部を書いた1年後くらい('55年=昭和30年)に亡くなっているので、その後起こった日本の高度成長期なんかもちろん知らないだろうし、もう遠い遠い昔の話なんだけど、でも、今でも通じるところがある、というのは、日本人というものの性質ではなかろうか。 ちなみに第4部は5・15事件で主人公次郎が敬愛している中学校の教師、朝倉先生が諭旨退職、その少し後で次郎自身も中学を退学したところまで、その後、双方の東京での暮らしを描いたものが第5部で、ここには2・26事件が出てくる。いわゆる日本が戦争に突入していく時代を書いているのだが、わたしにはそれが「遠い昔の話」ではなく、むしろ今でも十分に通じる時代にまた逆戻りしているのではないかと、恐ろしい気持ちで読んでいた。 声の大きいものに、何の疑問もなくついて行ってしまう日本人の性質、お上(国)のやることに、今でもほとんど疑問を感じていない日本人の性質、精神論が好きな日本人の性質、そういうものすべてがあの戦争に飲み込まれていった背景ではないのか。 何かに異を唱えるとすぐに「反体制的」と言われる今の日本。反体制的ではなぜいけないのか、国が行なうことは全て正しいのか、それもほとんど考えないで体制側につく日本人。「愛国心」と言えば、国歌斉唱国旗掲揚だと思っている日本人、もっと「国を愛する」とはどういうことなのか、考えた方がいいのではないか。愛するものだからこそ、苦言を呈する、そのような愛し方もあるのではないか。 人間の基本的人権は、国家が保障しているものではなく、人間、そのものに与えられた普遍的な権利である。それを今、学校で教えているか?少なくとも、わたしの目には「昔の方が都合がよかった」と思っている人間に、将来国をになう若い人たちが、何も疑問を持たず、強い方に賛成し、弱いものへは自分の強さを見せつけていじめる、そんな教育を受けさせられているような気がしてならない。 そして、この本の魅力は、、その中で如何に生きていくべきなのかが随所に出てくることだ。確かにそれは一見「弱腰」に思えるかも知れないが、しかし、国全体が狂ってしまっているときに「これが正しい」と言うことは勇敢だけれども、しかしその人間は体勢に押しつぶされて殺されるだけである。そうではなく、来るべき「夜が明けた」ときにいち早く、新しい世界を作るために、自分自身を研ぎ澄ませておかなければならない、というのは、とても理に適ったことだと思う。わたしは今回、この本を読んでここの部分にハッとさせられた、ということがある。ただし著者は「ふたたび同じ道を歩まないように」という思いでこのような話を書いたのであろう。 そして、わたし自身は「いつか来た道」によってものも言えなくなる時代が再び来るとしたら、もうそれまでだと思っている。年齢的に言って、わたしは新しい世界を見ることはないだろう。だから、ますます「いつか来た道」の状態にしてはいけないんだと思う。 日本の教育にはもっと「人権教育」が必要だと思う。「権利が欲しい」と叫ぶ人々に、多くの目は「権利ばかり欲しがって義務を果たさない」と冷たい。それはとても悲しいことだとわたしは思う。なぜ、その人たちは権利を欲しがっているのか、自分はなぜ、その権利を持っているのか、権利を欲しがる人をすべて「反体制的」と非難する前に、「なぜか」ということを、自分の頭を使って考えて欲しい。どこかに書いてある意見をそのまま何も考えずに自分の意見にするんじゃなくて、そこにはどういうものが隠されているのかを考えて、自分の言葉として語って欲しいと思う。 もちろん、このことは誰かに向かって言ってるんじゃなくて、自分自身にも向けられた言葉だけどね。 ちなみにこの「次郎物語」は著者の構想では第7部まであったらしいが、それを永遠に読めないのは返す返すも惜しいところだと思う。わたしは次郎自身にはあまり共感はしないのだけれど、戦争中の次郎(とその周辺の話)と戦後の次郎(とその周辺の話)を読んでみたかった。それは、初めて全部通して読んだときの気持ちと変わらない。 なお、「次郎物語」はネットで全部読めるらしい。ちょっとびっくりしたけど、こういうものがあるとは知らなかった。 |
05-30,2009
多分とても疲れているんだ、わたし
最近は、あっちこっちでいろいろ人が話すことについて聞いているので、これはいつ、どこで聞いたのか忘れてしまったが、確か「多様な性」について述べられていたときだったと思う。そこでどういったことが具体的に話されていたのか、全く思い出せないのだが、そこで言われている「多様な性」について聞いていたら、なんとも嫌な気分になってきた。何が嫌だったかというと、ふと「多様な性を形作っているものは、一体何なんだろう?」と考え、そしてその「多様な性」というのは、異性愛者ではなく、同性愛者やいわゆる、性的少数者と言われる人たち、要するに自分たちのことではないかと思うと、やりきれない思いがして嫌だったのだ。
この世の中、異性愛者ばかりだと考えられている。だからそれだけではない、「多様な性」という言葉が出て来たのだろうし、その言葉自体は昔書いた「どこまでが多様な性なのか」とは思いつつも、それでも一応は納得している言葉ではあった。 しかし、、「では、その多様な性を形作っているのは何なのか」と考えたとき、それが自分たち性的少数者である、と思うと、なんだかやりきれない思いがするのである。そこには「多様な性を形作っているのは、性的少数者なんだから、自分のことは自分でやれ」と言われている気がして、、ただ、その考えは間違っているとは頭では分かっているのだが、なんだか「多様な性」が自分に押しつけられているような、そんな息苦しさを最近、感じているのだ。わたしは別に、好きで性的少数者になったわけではない。だから「多様な性」を支える気もない(もちろん、わたし一人で支えているわけでは全くないのだけれども)。でも、その重さがその数千分の一、いや、数千万分の一、だとしても、わたしはそれさえもう「支えるのは嫌だ」と思ってしまうのだ。もうどこかに逃げてしまいたいのだ。 このような些細なことに対してさえ、重圧感を感じて逃げたいなんて。。 多分、わたしはとても疲れているんだと思う。今月はIDAHOがあって、プライドフェスティバルがあって。。フェスティバルが終わって1週間、今週は結構休めた方なんだけど、ふと自分を襲う無力感、将来に対する不安、いろんな感情がないまぜになって、頭から離れない。 正直、この一週間は、出かけない限りは家で本を読んでいたりしたんだけど、そう、昔々、わたしが中学校くらいの時期に読んでいた本。これがまた、青臭くて青臭くてたまんない本なんだけど、それでも今読み返しても、あれからちょっとは大人になったとは言え「ああ、こういうものにわたしは影響されてきたんだな」ということが分かって、なんとなく複雑だった。「愛」や「運命」「良心」「正しさ」なんて言葉はわたしは反吐が出るほど大嫌いだが、でもわたしって、こういうものに多分弱い。弱いからそれが「大切なもの」なんて認めたくないんだと思う。だけど、わたしはやはりそのようなものに影響されて生きてきたのだ。「自分が自分であるためにはどう生きるべきか」「自分の中の正しさとは一体なんなのか」「自分に対してはウソをついて生きたくない」、これはすべて、中学生の頃に読んだ、それらの本に影響されているんだと、読み返してみてつくづくそう思う。認めたくないけど、認めざるを得ない。 ただ、その「今後の自分の人生」に関わることが、逆算していくともうそろそろ「初めの一歩」を踏み出さなければならない時期に来ていて、それもわたしを疲れさせている一因だろうと思う。「初めの一歩」を崩されたら、わたしには後がない。そう思うと足がすくんでそこから動けなくなる。 多分、今のわたしの状況ってそんなとこ。 疲れを癒すことが出来たなら、わたしは「初めの一歩」を踏み出すことが出来るのだろうか。 ただ、疲れを癒すことはとても苦手で、わたしの頭の中には「これがやりたくてもできない」ことばかりが頭の中を駆け巡っている。疲れていてもやるべきか、それとも疲れている間はやらない方がいいのか。それすら悩む。 今のわたしは「性的少数者である自分」を忘れたい。本を読んで考えるのも止めたい。ただ、くだらない話をして笑いまくりたい。。 |


















































