07-26 Tue , 2016
もう終わりにしよう
「もう、終わりにしようか」

「え、終わりですか?」

「あなたが望めばの話だけどね」

「じゃあ、終わりにしたいです!」

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ってことで、次回、最後の通院(の予定)。
2011年1月から3回目のうつ病で通院し始め、足かけ5年半。長かった。

うつ病は治る。絶対に治る。わたしは今まで3回治してきたから分かる。

けど、、どうやって4回目を阻止するか。4回目の再発率は90%以上。
初めてうつ病にかかったときは原因はあったが、2回目3回目の原因は思い当たらない。
わたしにとってはそれが一番の問題。
18:08 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-25 Mon , 2016
昨日の続き(FAKEのネタバレあり注意)
なんか昨日、ブログ書くヒマがないってことから、ひょんなことでFAKE観た話になってしまって、それは別にいいんだけど、当初はそんなことを書く気がなかったし、そこまで真剣に書こうと思わなかったのでなんか言いたかったことを言い切れなかったような気がするので、今日、その続きを書くことにした。

が、FAKEまだ観てなくて、観に行こうと思ってて、なおかつネタバレが嫌いな人はここから読まないでね。特に映画の触れ込みの「最後の13分」だったっけ、11分だったっけ。あそこからあとのことをバッチリと書こうと思ってるので。

昨日も書いたけど、わたしは今回のこの事件については、大まかなことは知っているものの、当時(ばれたとき)にどんな風にさむらごうちさんが言われてたとか、どんな風にマスコミから取り上げられてたかということの詳細については全くと言っていいほど知らなかったので「ふーん」と思った程度だった。

なので、この映画の触れ込み「衝撃的な最後の13分(だったか11分)」っていうのは、何を意味しているんだろうということは、全部映画を見終わったあとに分かったんだよね。「なるほど、曲が作れないとか言われてた人が作ったってことか」と思って。正直なところ、わたしは最後の最後に森達也がさむらごうちさんに「今日で撮影を終わりにしようと思っているんですが、さむらごうちさん、まだ僕に何か隠していることやウソをついていることはありませんか」って聞いたところから、衝撃の13分(だったか11分)が始まるんじゃないか?ってちょっとワクワクしてしまったところがある。が、さむらごうちさんはその問いに対して「はい」も「いいえ」も即答せず、長い間考えて、そして答えたか答えなかったか分からないうちに映画が終わってしまった。

終わり方は森達也が当初から考えた上でこういう終わり方にしよう、と思ってやったんだと思った。

FAKEを観に来ている人って、自分が「騙された」って思った人もいるかも知れないし、でも大半はわたしみたいに「あんまり詳しくは知らないけど、なんか世間を騙していた人がいる」くらいな認識の人の方が多いような気はしてるんだけど、取り敢えずは「この事件について映画を観るまでは全く知らなかった!」って人はかなり数が少ないと思うの。

ってことは、観ている人のうちの十中八九は「この映画の主人公は世間を騙してた人だ」って知ってるわけだよね。そしてその人が何をするか、どういうことを言ってるか。それについて興味があるわけだよね。

昨日の日記にも書いたけど、大抵の人は人が自分を騙したとすると、もう信じられなくなる。「オオカミ少年」みたいな話だよね。「オオカミが来たぞ」って本当のことを言ったとしても、もう誰も信じてくれない。オオカミ少年の場合は、オオカミが来る、来ないで真実がはっきりするから、「オオカミが来たぞ」と言って本当にオオカミが来たら、ああ、オオカミ少年はたまには本当のことも言うんだな、と言うことは分かる(そんなこと思う前にオオカミに食われちゃってるだろうけど)。けど、物事、そんなに明確に「本当か」「ウソか」ということは分からない。前にも書いたけど、「これは信じられない」と思い込んだら、相手がいくら真実を語ろうと絶対にウソとしか思えなくなる。

なので、さむらごうちさんには申し訳ないんだけど、やっぱりどうしても「本当のことをこの人は語っているのだろうか」という「疑いの目」で見てしまうんだよね。

そして、映像というものはある点においては真実かも知れないけど、絶対に真実とは言い切れない。だって24時間貼り付いているわけじゃないから、撮影していないときにはどこで何をやっているか分からない。だから曲を作れたとしても「いや、これを見てもやっぱり自分だけで曲を作れたとは言えない」とかって簡単に思えてしまう。だからといって、じゃあ万人も納得させるような説明ができるのかというと、それは絶対にできない。だって、仮に本当に目の前で曲を作ったとしても「いや、事前に誰かに仕込まれた」とか疑えることだってできるから。だから、さむらごうちさんはもう、何をどう言ったって万人は納得させられないと思う。でもそれはこの映画を撮った森達也自身もよく分かってると思うのよね(わたしですら考え付くことだし)。

しかも、最後の最後に「僕にまだ隠していることやウソをついていることはありませんか」って聞くことって、観ている人が「これは真実か、そうじゃないか」って思っているその上にさらに「疑惑」を振りまいていることになる。

だってさ、もしさむらごうちさんが「はい」って即答したとしたら、本人が隠し事やウソをついてることを認めたってことだよね。もし「いいえ」って即答したら「うそっぽい。この人はなにかまだ隠し事があるな」って思えるよね。そして、実際にそうだったように長考した挙げ句「はい」って答えたら、隠し事やウソをついてたことになるよね。そして長考するってこと自体が「やっぱりこの人何か隠してるんじゃないか」って思わせるのに十分だよね。たとえ実際はこの後に「いいえ」って答えていたとしても。いや、もしかしたらさむらごうちさんは長く考えた上で「いいえ」って答えたのかも知れない。けど、その部分を敢えて削ったとすれば、、、この質問をしてこの姿を写してさむらごうちさんの答えを写さないままお終いにしたというのは、、、森達也はこの映画を観た人に対して「やっぱり怪しい」って思う方向に傾かせようと「演出した」ってことなんだよね。だから彼は別に誰の味方で誰の味方ではないということをこの映画で表明したかったわけでもない。

ではなぜ森達也はそういう印象を持たせたかったかというと、この映画は単に何が「真実」で何が「真実じゃない」ってことを描きたかったわけではない、ということだよね。もし何が「真実」で何が「真実じゃない」というのも重要ならば、きっと最後の質問にどう答えたかまで答えさせてから映画を終わらせると思うから。

(ちなみにこの結末の映像で、「まだ隠し事やウソをついてはいませんか」と言われ、それについて長い間考えていることに対して「この人は誠実な人だ」という印象だって持つことができると思う。だってあんなことを面と向かって言われたら、「あれ、自分はウソをついた覚えがないけど、もしかしたらこの人を騙したことが何かあるんじゃないか」って長く深く考え込んでしまうのもそんなに変なことではないからね。ただ今回は「この人一回ウソ付いたことがある人」というイメージが当初からあると「この人は実は誠実な人なんじゃないか?」と思えなくなる方が多いと思われる。しかも答えを写さないままに映画が終わるんだからなおさら)

わたしは全体的に思い返してみると「この映画は果たしてドキュメンタリーなのか?」って思うんだよね。ドキュメンタリーって普通、映画を撮っている人は被写体には影響せずに被写体がどうなるかは基本的には被写体任せだと思うんだよね。だけどこの映画はドキュメンタリーなんだけど、監督が明らかに被写体に対して働きかけてるよね。だってさむらごうちさんが曲を作るのは、森達也の「曲を作ってみないか」という呼びかけに対してだったから。それが最後の「衝撃の13分(だったか11分)」に繋がるんだから。ということは、森達也はこの映画に関しては半分「出演者」ということでもある。まぁ、それは映画の途中で「奥さんと3人で泥舟に乗っている」みたいな表現もしてたから(でも確かこの言葉は森達也が言ったんではなく奥さんが言った言葉だったと)、この映画の出演者の中には森達也も入ってるってことだよね。

「さむらごうちさんは曲は作れない」ということが、マスコミでそんなに大きく言われてたかどうかというのはよく覚えてないんだけど、もしそう言われてたとしたら映画の中で曲を作れたというとなると「曲を作れない」と報道されたのはウソだったことになる。ここでも映画を観た人は揺らぐんだよね。「あれ、報道されたことは真実ではなくて、さむらごうちさんもあながちウソばっか付いてる人ではなさそう」と。

だけど、上にも書いたけど、最後の最後の質問で、また怪しく思えるの(笑)「一体、何が本当なのか」って。気持ちが揺らぐんだよね。

多分、この「揺らぎ」を、映画を観ることによって森達也は「実感」させたかったのかなとわたしは思った。だから最後にあんな質問をして、結論を写さないまま終わったんだとわたしは思う。

だから、この映画は「何が真実で何が真実ではない」ってことを描きたかったわけじゃなく、一方的にさむらごうちさんの味方をしているわけでもなく、ただ、映画を観ている観客の「自分は何を信じて、何を信じられないのだろうという境界の感覚」に気が付いて欲しかったんじゃなかろうかと、わたしは勝手に思ってる。

なので、昨日の日記に書いたことに繋がってるんだよね、わたしのこの映画の感想って。
22:42 | (一般)映画・演劇のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-24 Sun , 2016
もう7月が終わるの?
光陰矢のごとし、で、もう7月も下旬。

今年は毎日きっちり勉強してます。
でもちょっとやり過ぎで10日ほど前から風邪気味なのが抜けない。
治ったようにみえるんだけど、ちょっとするとまたぶり返して、の繰り返し。

なので、ここ3日ほど休んでるんだけど、でもやっぱりきっちりとは治ってない。
うーん、セーブしながら勉強しなきゃいけないなあ、ということで、今日からまた再開。

最近は家で勉強ばかりで外出もほとんどしてない。
昨日はものすごーく久々、映画を観に行ったけど。今、渋谷でやってるFAKEという映画。
さむらごうちさんについては、元々音楽も聞いたことがなかったし、その後の騒ぎもほとんど知らないんだけど、でも内容は結構おもしろかった。でもこの映画は自分が「騙された」って思ってる人と、わたしみたいに「別に騙されたとは思ってないんだけどね、それまで知らなかったから」という人で印象がだいぶ違うんじゃないかなと思った。

とはいえ、さむらごうちさんについては、それまで一人で作曲していると思われたものが実は共作者がいたということについて「周囲を騙していた」ことは事実で、それがあるからこそ「もう信じられない人」と思われてしまったんだよね。

わたしは「騙された」とは思ってないけど、そういうことがあったと知っているので、やっぱり「この人はどこまで本当でどこからウソを言っているのか」という「疑いの目」を持ってしまっているのは確かなことで。

しかし、一旦「疑いの目」で見始めると、その人がどう弁解しようが、真実ではないと思われる「あら探し」をしてしまって、絶対にその人のことが信じ切れなくなる。

これって、以前わたしが「蒼のシンフォニー」というドキュメンタリー映画を観たときに感じたことと同じなんだよなあってFAKEを観ながら思ったの。まぁ「蒼のシンフォニー」は、「どうしても疑いの目を持ってしまう自分」に対して、「疑いの目を持って見ろ」と日本政府から「(いわゆる)北朝鮮は悪い国だ」と無意識に刷り込まれて思い込まされている自分に気が付いて「怖いなあ」って思ったわけで、それと今回のとはその点では比較にはならないのだが、しかし、では自分は何に対して信じられなくて、何に対して信じることができるのか、その境界は一体何なのか、って考えると結構面白いんだよね。

だって、人間誰しも何かに対してウソをついて生きてるわけで、というか、誰もが本音を隠して生きてたりするわけで、それが大きいことだったり小さいことだったり、その程度の差はあれど、でもそれを他人に見せないということは、やっぱりある程度他人に対してウソをついて生きてるわけだよね。だけど、大抵の人はそのウソを「見抜けてない」のか「無視」してるのか、それは分からないけど、他人を「信じることができる」。いや、ときには「あの人はウソをついている」と分かってても信じたいと思ってしまう。何度も何度も裏切られて騙されても。逆に1度でもウソをつかれたことが分かるとすべてが信じられなくなる。

それってなんでなんだろうねって不思議に思う。自分が「信じられる」ことと「信じられない」ことの境界線って一体どこなんだろう?そしてわたしは「信じたい」ものだけを信じて今後も生きていけばいいのか?今まで無条件に「信じている」ものに対しても少し疑いの目を持って見た方が、「信じられない」ものであっても信じる努力をしてみた方がいいのではないか、と思うこともある。

まぁFAKEを観ながら、蒼のシンフォニーのことを思い出し、改めてそんなことを思ったのだった。

FAKEについては、その他もいろんな感想があるんだけど、書き始めると長くなるので書かない。
大ウソ。気が変わって翌日続きを書きました。(2016.7.25追記)

まぁそんなわけで、あと1週間ほどで8月なんだよね。早いなあ。
でも今年は忙しくて多分、毎年書いてる8月6日のことは書けないだろうなあ。
これもネタはあるんだけどなあ。
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06-26 Sun , 2016
鯉の季節を過ぎても
野球が好きなレズビアンってそんなに少ないわけではないと思うんだけど、今までわたしが知り合ったレズビアンの中では「野球が好き」な人は、野球をやるのが好きな人で、見るのが好きな人はほとんどいなかった。わたしの彼女はまぁその中では例外で、わたしと同じく野球を見るのが好きな人だったんだけども、、ただわたしほど根強い「○○ファン」ってわけではなかったみたいで、今は2人してカープ戦を見ている(その点でもわたしは運がよかった)。

今、カープの調子がめっちゃいい。カープは最近は箸にも棒にもかからない成績だったので、すっかり聞かなくなってしまった言葉だけど、以前はスタートダッシュだけは得意だった。が、G.W.過ぎると失速するので「カープの活躍は鯉の季節まで」と言われていた。

で、久々に今年は鯉の季節以前からちらほら首位に立つようになり、でも「ま、どーせ、鯉の季節までよね」と思っていた。が、それも打線の奮起がありクリアした。しかし、交流戦はカープにとっては「魔の交流戦」で、終わってみればズタボロな成績、という記憶しかなく(それでも2009年だったかには勝ち越しているそうだが、全く記憶にない)、今年も「ま、覚悟はしとこ」と思っていたのだが、まさかの勝ち越し、しかも交流戦成績セ・リーグトップの3位。他の5チームはよくてトントン、ほとんど負け越しの成績だったのかな?なので、その時点で2位との差が6ゲームくらいだったっけ?これには驚いた。

が、まだまだ油断してはならない。なんてったって、カープは11.5ゲーム差をひっくり返されたことがあるのだ。「メークミラクル」で有名になっちゃった年だけど、確かにあれは最終的に讀賣が優勝した。が、追い上げは中日もすごくて、で、最終的に中日と讀賣が争って讀賣が勝ったんだよね。なので、2位との間に6ゲーム間があいてても、わたしにとっては「まだまだ」なのよ。11.5ゲーム差でも逃げ切れなかったんだから、15ゲームくらいないと、いや、20ゲームくらいないと安心できない。今の時点では2位との間は8ゲームになってて、よそのファンからすると「すごい開いてる」って感じがしてるだろうが、わたしの頭にはどうしても「11.5」という数字が消えないので、まだまだなのよね。というか、前半戦のこの時点でまだまだ先のことなんて考えられない。

確か、山本浩二が監督やった一番最後の年は、9月に13連敗かなんかやったんだよね。あの年は早々に監督続行のニュースが流れて、その直後に13連敗して、結局山本浩二は監督を辞任した。あの記憶もわたしにはあって。というか、カープについては嫌な記憶しか残ってなく(笑)、なので優勝、という言葉を発することすら今はまだ「早い」という気持ちなのだ。てか、優勝できるとは思っとらんし!!今まで何十年もいやな予感しか当たったことがないので、いい方に考えることができなくなってるのだ(爆)

2年ほど前までは、カープが関東に来たときは年1回くらい、彼女と観戦に出かけていた。が、「カープ女子」という言葉が流行るようになり、去年新井も黒田もカープに帰って来てカープファンもどんどん増えてしまい、去年からは「どうせチケット取れないよね」ってことで、球場で観戦はしてない。まぁもともと、関東のカープファンは多かったんだけどね!わたしは'90年代ごろから関東の球場(神宮、浜スタ、東京ドーム)に行ってたけど、東京ドームでの外野の応援ではまず座れたことがないし、神宮でも浜スタでもスカスカって思ったことがない(ただし、2000年代は関東の球場でカープを応援したことはないので、その間のことはよく分からない)。なのでわたしはイメージ的には「関東のカープファンはにわかではなく根強い」というのがある。今年はチームの成績が良いし、やっぱり観に行けないんだろうなぁ。

わたしはカープ初優勝時からのカープファンなのだけど、実際のところ「野球を見るのが好き」になってからは実はカープは優勝したことがないんだよね。小さい頃はカープが強かった印象もあるのだが、あのときは野球が好き、というよりカープ勝てばなんでもいいと思ってたので。。(要するに試合を見なくて結果だけ見て一喜一憂してた程度)なので死ぬ前に1回くらいはカープ優勝したところを見てみたいなと思っている。

が、まだまだそれを言うのは早すぎるけどね!これから15連敗くらいするかも知れんしね(という超悲観的カープファン)。
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06-24 Fri , 2016
今年は受けられるかな
資格を取りたいと思って2013年と2015年に行政書士試験の勉強を始めたつもり、だったのだが、2013年はうつ病からの回復がまだまだで全然やる気が起きず、去年は始めて早々に息苦しくなったり背中が痛くなったりで、それを治してからと思ってたら、結局1年経ってもよくならなかったので、もうこれはこの中でやるしかない、と思った2016年。

2年も勉強できなかったので、今年は相変わらず身体の調子は絶不調なのにもかかわらず、やる気だけは持続している。

今の時点では、まぁ科目の一通りは勉強したという感じか。でも記憶にはまだまだ定着してないけどね。

勉強を始めて分かったのだが、勉強しすぎると疲れて眠れなくなる。頭を使いすぎて興奮しちゃうみたいで。なので、夜遅く勉強すればするほど夜の寝つきが悪くなり、そして頭が痛くなる。そこで勉強を止めて休めば、また自然に眠れるようになる。なので本来の健康な状態(っていつのことになるんだろう?もう記憶の彼方くらい前のことだ)とはまだ程遠い状態なんだけど、それはもう自分の特性だと思うことにして、夜遅くまで勉強しないように注意してる。

それでも、去年の12月から試験勉強を始めたのだが、それまでは月60時間がやっとだったのに、先月辺りから月70時間を超えて勉強できるようになり、今月はまだあと1週間くらいあるけどもう70時間を超えている。4月は週に20時間以上勉強すると、次の週は疲れて1週間、何もできなかったんだけど、今はコンスタントに月20時間くらいは勉強できるようになっている。以前は「1週間に1日は確実に休む日を作ろう」と思って予定を立ててたら、1日休むと次の日も次の日もやる気が出なくて結局ずるずると休み続けてしまう、ということが分かった。ので、今は1日当たりの勉強時間を減らしてでも毎日やるようにしている。そのように決めたら月に70時間超えて勉強できるようになった。とはいえ、休みなしで勉強しているわけではなく、やっぱり何かの拍子に休んじゃう日はあるんだけど。

なので、何事も慣れとやり方で、ちょっとずつやっていくしかないんだよな、ということを実感している。特に健康を害している人間にとってはいきなり踏ん張りが効かないので、徐々にペースを上げていくしかない。しかも、上限はおそらく健康な人よりは限られているだろう。なんせ、疲れが溜まると眠れなくなってしまうのだ。疲れを溜めずに勉強するためには、どこかでブレーキをかけないといけない。そうすると1日当たりの勉強時間がどうしても限られてくる。なので、わたしが勉強できる時間はおそらく月80時間が上限に近いだろう。ということは、この限られた時間内にどうやって集中してやるか、なんだよね、これからの問題は。

行政書士試験の勉強は面白いかと言われると、まぁまぁかな。意外だったのは、民法が「面白い」と感じること。民法を勉強してると「なるほど、世の中はこういう仕組みになってたのか」って思う。要件、効果を覚えるのが結構楽しい。そして行政法はなんだかつまらなくて眠いということ。うーん、行政書士試験において、行政法がつまらないというのは結構まずいと思うんだけども(択一式の配点が行政法は一番高いので)。今後の勉強で行政法はまぁ楽しいと思わなくても、得意だと思えるようになるか、だよね。

勉強は予定通り進んでいるかというと、あんまりそういうことはなく、どれもこれも中途半端で終わってしまってる。これを今後、どうやってやっていくかが一番の問題。

まぁでも、やる気だけは今後も失われるとは思えないので(それより無理しすぎて物理的に勉強するのが不可能になってしまうことの方が怖い)、行政書士試験まであと150日切ったのかな?確か、来月の半ばくらいにあと100日だったと思うので、調子を崩さないように今後も勉強していこうと思っている。
23:12 | 自分の将来について | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
06-23 Thu , 2016
沖縄・慰霊の日
今日は沖縄・慰霊の日。
沖縄には縁もゆかりもないわたしにとっては、実はイマイチピンとは来ない日だ。
なので今日は全戦没者追悼式もすっかり忘れていて見なかった(去年は忘れず見た記憶があるが)。
8月6日の平和記念式典は毎年忘れずに起きて黙祷するのに。
8月6日は8月に入ると「あと○日」と無意識に考えてしまうのに。

でも縁もゆかりもないって多分、そんなもの。
広島、長崎に縁もゆかりもない大多数の人も8月6日と9日はそんなもんだろう。

うん。わたしは何が言いたいんだろうねー?
当事者の痛みは当事者じゃないと分からないと言いたいんだろうか。
でも、それだと「じゃあ問題は当事者だけで解決してください」になってしまう。
当事者は、痛みを抱えているから当事者なのに。
痛みを抱えながら、権力者と戦っていかなければならない。

だから、痛みを分かち合える第三者が応援しなくてはならない。
けど、第三者は当事者の本当の痛みはわからない。分からないから第三者なのだ。
だからこそ、当事者にはできない思い切ったこともできる。

が、それは果たして当事者を傷つけたりする行為ではないのか。
第三者はどう頑張っても当事者にはなれないし、だからこそ想像力が必要だ。
第三者は常に「自分の行動が当事者を傷つけていないか、当事者が本当に望んでいるのはどんなことか」を考えなければならない。
ときにはどうやっても当事者を傷つけてしまうようにしか感じられないこともあるだろう。
でも、だからといって第三者がそこから逃げると言うことは、当事者に「今の状態で我慢してね」と置き去りにすることなのだ。

これは沖縄だけの話ではない。
社会的弱者一般に当てはまる話だ。

その中で当事者でない自分はどうしたらいいのだろう。
絶対的な答えが見つかるはずはない。
いつもいつも迷いながら、でも強者に立ち向かうことだけは生きている限りやっていきたい。

なんか、あんまり慰霊の日とは関係なかったかな。
でも今日はそんな気持ち。
23:12 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
06-22 Wed , 2016
半年ぶりの歯科(口腔異常感症)
昨日は精神科の話で今日は歯科の話。
まぁ行ったのは同一日です。どうせ同じ敷地内にある病院だし(笑)

歯科はおよそ半年ぶり。前回は去年の10月だったか11月だったか。

まーなんていえばいいのか、口の方は相変わらずです。相変わらずどころか悪化してるかも。もうどこがどう、ということは表現しづらいから書けないんだけど、今でも相当気になるし、正直なところ、寝るときは気になって気になって仕方がない。だからうつぶせでいつも寝てます。うつぶせになるとちょっと気になるのが薄くなるような気がするので眠れるような気がするんだよね。睡眠障害の主な原因はこれだとは思わないけど、少しはこれも原因になっているような気もしないでもない。口の中が気になって眠りづらい部分って確かにあるからです。

でも、これも薬が効くわけではなく、もう何年もただ主治医に経過を話すだけで処方も何もされず。一体、お金払う価値があるんだろうか?って感じ。だって、向こうにとってはわたしは研究材料なわけだからねえ、、(ここの科にかかるときに事前に研究に使ってくださいってサインしてます)

半年前に話したことなんてもうすっかり忘れちゃってるので、まぁ相変わらずですってことだけを報告。ねばねばしたものに味が付いてるからまずいとか言ったかも。あのときは酸っぱくてなんか粉っぽいと話したような記憶がある。あと以前は「あ、状態がちょっと楽になってる」ってときがほんの少しでもあったことがあったんだけど、それももう最近はまったくない。いつも悪いか、ときによってもっと悪い。

主治医からは最新の研究結果として、脳の部分の左右のこの部分(詳しい部分は分かんないけど)のバランスがどうもよくないみたいなのが原因なんじゃないかーとか言ってた。で、アメリカの方で電磁波だったか、なにか忘れたけど、それを使った治療法みたいなのがあるんだと。だけど、わたしの場合はもうそれ以上に脳に電流流したことがあるので(修正型電気けいれん療法)「それで効かなかったんだから、こっちの方はもっと弱いわけだしおそらく効かないでしょうね」とのこと。まぁ、もしかしたら加減によって効く効かないがあって、強い電流を流して効かなかったから微弱なものが効かないとは即結びつくこともないだろうよとは思ったけど、「はぁそうですか」って答えておいた。だいたい、わたしはもうこの病気は死ぬまでの一生もんだと思って諦めて過ごしてるからね。

「いやいや、何かの拍子に治るかも知れない」と主治医は言うけど、まー、そうならない可能性が高いような気がする。てか、そんな漠然としたものに期待しても期待するだけ無駄だというか。今まで悪くなりはすれ、よくなったことがないのですっかり諦めている。そりゃ、気分悪いけどね。絶えず口の中が気持ち悪いんだから。これがなかったらもっと集中できるのになあとかいつも思うよ。けど、そうなっちゃったんだから仕方がない。いくら嘆いても泣きわめいても、状況は一切変わらないんだから。だったら我慢して普通なフリをして暮らしていくしかない。

てなわけで、次回診察はまた半年後になったけど、こちらの方もほとほと通うのに疲れてきた。まぁそうはいっても精神科の方にはまだ通ってるので、それが続く限りは「止めます」とは言いづらいのだが、だけど精神科の診察が終了になったらこちらの方も終わりにするつもり。まぁ主治医には、研究材料が1人消えちゃってその後の追跡調査が終了ってことになっちゃうから悪いなとは思うけど。でも、なんで話するだけでなんの処置もしてくれないのにわたしが金払わんといかんねん、って気持ちだからさ。

半年後、もう精神科終わってるといいなあ~。

あ、そういえば、昨日「前回の診察からまだ1回も頭が痛くなくてロキソニン飲んでない!」とか自慢げに書いたけど、昨日夜遅くまで勉強したら眠れなくなっちゃって、今日は頭が痛くてロキソニン2錠飲んじゃった。まずいまずい。
23:04 | 口腔異常感症のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
06-21 Tue , 2016
あとは睡眠障害のみ
病院に行ったのはもうだいぶ前のことだけど。

とにかく前回から今回の間は、夜遅くまで勉強すると脳が興奮するのか寝つきが悪くなってしまって眠れない、というのが問題だった。しかも眠れない時用にアルプラゾラム0.4mgを頓服としてもらってた(というか、1月だったかに1ヶ月分28錠出されたときの余り)けど、残りの錠数が1週間当たり1錠ほどしかなく、寝つきが悪くてもおいそれと飲めない感じだったんだよね。なので、眠れない日が何日か続き「もう今日は眠らなきゃやってられない」ってときだけ飲むような感じだった。

その結果、寝不足で頭が痛くなりそうな日が多くて頭痛の予兆がするときと、普段通り1日~2日長引く頭痛の時もあったりで、前回から今回の間にロキソニンは20錠近く消費してしまっててもう手持ちがなくなってしまった。

なので今回の診察時には、まず「アルプラゾラムを週2錠のペースで出してくれ」ということと、「ロキソニンがすっかりなくなってしまったので、これも20錠ほど出してもらえないか」と主治医に頼んでみた。

アルプラゾラムの方は「いいですよ」ってことで、次の診察までの週×2錠、の錠数を出してくれた(確か20錠くらいだったような)。が、ロキソニンは10錠しか出せないそうだ。ロキソニンって風邪引いたときには1日3錠×一週間分、すぐ出してくれるけど、こういう場合は結構出せないようになってるもんなんだね。なので「まぁロキソニンはいいです。足らなくなったら薬局で売ってるのを買うし」と言ったら「いや~、それもあんまりよくないんですよね」って言われた。まぁそうよね。10錠しか出せないというのは、それだけ薬剤管理されていると言うことで、薬局でバンバン買って飲んじゃったら、それは薬剤管理がきちんとされないってことになるだろうから。

結局のところ「次の診察日までにロキソニンが足らなくなったら、その前に予約入れて受診してください」と言われた。まぁ、それが正しい方法よね。。めんどくさいけど。

てなわけで、今のところはうつ症状はまったくなく、でも息苦しくて背中が痛くてたまんない、おそらく自律神経失調症みたいなのはあり、そして睡眠障害。自律神経失調症の方はもう見放されたので(笑)、取り敢えず睡眠障害が改善されたらと。

しかし、その診察から今に至って、もう数週間経つけど、最近疲れてるんで夜の寝つきはよく、結局アルプラゾラムは3錠くらいしか飲んでないかなあ。そしてよく眠れるからか、頭痛はあれから予兆さえなく、1錠もロキソニンは飲んでないかも。ただ、次の診察までまだ1ヶ月以上あるんで、この先はどうなるか分からないけどね。

前回は「今後、どうするか(これからも病院通いするか、それとも一旦止めるか)について次に話しましょう」とか言ってたけど、今回はやっぱり睡眠障害がまだ残ってるからと、そういう話は一切しなかった。うつ病の悪化は睡眠障害から始まることがあるので、やっぱりこれをきちんと治してから病院はサヨナラしたい。

【現在の処方】
なし(ただし、眠れないときに頓服として「アルプラゾラム」0.4mg×1)
18:49 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
06-04 Sat , 2016
6月4日
6月4日は虫歯の日、でもあるらしいが、天安門事件の日、である方が重要だと思っている。

この日は今から7,8年前から意識するようになった。が、この日にその関係の日記を今まで書いたことがないのは、だからといって何を書いていいのかすら分からなかったからだ。今も正直なところ、よく分かってない。大雑把に「中国の民主化運動」ってことくらいは知っている。この事件が起きたのは1989年で、わたしは当時大学2年生だったから、リアルタイムで覚えているのは確かなことだが、なんでそうなったのかはちっとも分からない。なので6月4日が来るたびに「今日は天安門事件の日だ」とは思うけど、それ以上に語ることはない。

今も正直全く同じ状況なんだけど、実はこの間「太陽がほしい」というドキュメンタリー映画を観た。この映画は班さんという中国人が制作した中国人の元日本軍「慰安婦」の人たちのことを取り上げた映画だ。中国人の元日本軍「慰安婦」の人たちは朝鮮人元日本軍「慰安婦」の人たちとは状況がちょっと違う。それは朝鮮が日本の植民地だったのに対して、中国は「敵国」だったので、捉えて監禁、その間に元日本軍兵士に強姦された人も多くいる。それ以外に朝鮮人元日本軍「慰安婦」のように慰安所を作られて、その中に入れられた人ももちろんいた。こういった人たちがどのように暮らしているかを丹念に追った映画だった。

中国人元日本軍「慰安婦」のことを取り上げた映画だと言うと、ある一定の人たちはすぐに「反日映画」とレッテルを貼るだろう。しかし、この映画は中国では上映できないそうだ。ある一定の人たちが言うように(というか、最近では中国に対する好感度が地に落ちてしまった日本人からすると、そう思う人たちが圧倒的多数なのかも知れないが)中国が「反日国」であって、中国人元日本軍「慰安婦」の人たちが被害を日本に訴えている「反日」の人たち、であるならば、この映画は中国という国から賞賛されて中国で上映されまくってるはずではないか?しかし、現実にはそういうことにはなっておらず、日本では細々とではあるが上映はできるが、中国では上映できないという。それはなぜか。

それは、中国政府と日本政府の思惑によって、中国政府から元日本軍「慰安婦」当事者の思いが抑えつけられているからだ。

この映画の中に元日本軍「慰安婦」だった人が「自分はこういう目に遭った」と中国で記者会見をしているシーンがある。その場面で軍なのか警察なのかはよく分からなかったけど、とにかく「政府側」の人たちがいきなり部屋の中に入ってきて「何をしてるんだ」と記者会見を止めるシーンがある。

もう一つ。元日本軍「慰安婦」だった人がカメラの前で「被害を訴えることが反逆罪になっても構わない。もうこんなに歳を取ってしまって先は長くないのだから」のようなことを言うシーンがある。

中国は「反日」国家だとしか思ってない人たちには「中国で日本から受けた被害をおおっぴらに言えないなんて信じられない」と思うだろう。かといって、わたしがこういうことを書いているのは、中国の肩を持って「中国は『反日』ではない」と言いたいわけではない。「反日」とかそうじゃないとか、○か×のようなそんな単純なことが言いたいわけではない。そこには個人の被害の訴えとは違う、国の思惑、というのがあって、そういうのがあるから現実はとても複雑になっているのだと言うこと。元日本軍「慰安婦」の人たちは中国人民からも貶められていて、とても肩身の狭い思いをして生きてきたということ(その国の一般の人たちに貶められているのは中国だけじゃなく韓国でも同じ。そして日本ではそれがあるから怖くてほんのごく一部の人しか「自分は『慰安婦』だった」とは言えなかった)。そして、政府同士や人民が誰も彼女たちのことを考えていないのだったら、「これをなんとかしなきゃ」と思った日中の市民同士が連帯しなければならないということ。

映画の中で何人もの中国人元日本軍「慰安婦」の人たちが出てきたが、今は誰一人生きてはいない。中に一人、'90年代から被害を訴えている人がいて(といえども、その人は自分の「直接の被害」を訴えてはいない。もちろん、この人も元日本軍兵士から監禁されて強姦された当事者だ。しかし、その人はそのことを問題にしていたんじゃなくて、実は別の殺された子供に対して繰り返し繰り返し「かわいそうだったから謝れ」と言ってるんだよね。なぜこの人は自分のことは問題にしないのかというと、おそらくこれを認めると、このおばあさんは自分の人生やりきれなかったから、真正面から受け止めたら壊れてしまうからじゃないかとわたしには思えた。そこには複雑な人間の心理状態、というのが現れていると思った)、その人は最初、本当に「日本(日本人)」というものが許せない、というものすごい厳しい表情や口調だった。

しかし、約20年に及ぶ撮影で、この人は死ぬ間際のインタビューがあるんだけど、そのときに言うんだよね。「日本の友だちのためにまだまだ自分は負けていられない」って。亡くなる直前の映像で本当に弱った状態だったし、こんな状態で自分を作ってはいられないだろうと思うので、この発言はこの人の本音だったと思う。結局、日本で裁判を起こしても訴えは通らなかった。中国で被害を訴えようとしても上から抑えつけられる。中国人民からは差別される。この人は生前、何一つ報われなかった。だから、本当は「よかった」って思っちゃいけないんだと思う。けど、わたしは亡くなる間際の「日本の友だちのために」という言葉を聞いて、ちょっとだけ「よかった」って思ったんだよね。

まぁそんなわけで、現実って言うのは○か×か、という単純に二分割できるほど簡単なものではないのだ、ということがよく分かる映画だった。

で、なんで6月4日にこの映画の紹介をしたかというと、まぁもう分かると思うけど、この映画の中で「なぜ天安門事件が起こったか」ということも少し触れているからだ。そしてこの映画が中国では上映できない、ということを聞いて、まだまだ「天安門事件」は続いているのだ、ということが分かったからだ。

いい映画だったので、機会があったら観て欲しいと思う。
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05-24 Tue , 2016
性的マイノリティーと男女共同参画・韓国の場合
20160507 094709


少し前の話だが、5月7日(土)にレインボー・ウィークの一環で「性的マイノリティと男女共同参画・韓国の場合」というイベントがあったので行ってきた。講師はリュ・ミンヒさんという韓国の性的マイノリティ当事者の弁護士さんだった。隣の国の性的少数者のことはずっと知りたかったことだし、それに一昨年、去年と韓国での性的少数者のパレードが反同性愛団体(主にキリスト教保守派の団体)から妨害されている、ソウル市もどちらかというとその動きに同調している、ということはちょっと耳に入ってきて知ってたので、そのような話も聞けるかなと思って期待していたが、期待以上の話が聞けたので、一応情報共有ということでここに書いておく。

パワーポイントを使いながらの発表で、もちろん韓国語での発表(パワーポイントは英語だけど)。それに通訳を介してなので、情報量は単位時間あたりに換算すると日本語で行われるときの半分以下だと思うが、そうとは思えないほどいろいろなことを話された。ちなみに時間は2時間ちょっとで、うち質問時間は30分あったかどうか。

韓国には「SOGI Lawyers」という人たちが4人いるそうで、10年前から活動している。発表ではこの5年間、この人たちがどういう活動をしてきたかをまず話した。ちなみに「SOGI」というのは、「LGBT」に代わる表現方法なのだが(日本でもこの言葉がいろんなところで紹介されている)、SO = Sexual Orientation(性的指向)、GI = Gender Identity(性自認)を指している。まぁ性的指向、性自認が「ない」人も含め、すべての人を包含する表現ということで(ということは、性的多数者も含むということ)、これはこの問題は「LGBT」だけじゃなく、すべての人を対象とする問題だということを表している言葉らしいのだが、「だからなに?」と言われることもなきにしもあらずな表現方法だなあと個人的には思っている。だから「LGBT」がいいかというと、それも違うんだけど(なのでわたしは以前からずっと「性的少数者」という言葉を使っている。「少数者」が気にくわないという人もいるらしいが)。

ちなみに「SOGI」で検索をかけるとこの「SOGI」と、それとは別に「葬儀」関係のことが出てくる。月刊「SOGI」という雑誌もあるらしく、最初これを知ったときはどっちの「SOGI」だか分からなかった(^^;(思わず「えっ、もうこんな雑誌まで出てるの?」って思ってしまった)

まぁそれはいいとして。この韓国のSOGI Lawyersとしての活動内容は、年に1回報告書を出すこと、他団体と協力して韓国の性的少数者当事者を調査していること。それから当事者弁護士などを集めてのキャンプとか、ここら辺はパワーポイントに書いてあるんだけど、どういう説明してたかは忘れたので具体的な内容はなんだったかよく覚えてない。

現在の韓国の法的な問題として、韓国には国家人権委員会というものがあるんだけど、これは法的拘束力がないので、法的拘束力がある差別禁止法を求めているそうだ。そして韓国では「反同性愛法」みたいなのはないんだけど、軍隊の中にはあるそうで、なので徴兵された人が同性愛者だと、それは性犯罪者になるそうだ。これはもともと米軍の規則か何かから引っ張ってきたそうだが、韓国ではこれがまだ生きているそうで、これについて今、裁判で争っているらしい。既に2回判決が出ていて、来月、3度目の判決が出てくるだろうとのこと。そして当然のことながら(って言っていいかは分からないけど)「同性婚(または同性パートナーシップ)」に関する法律はない。性別変更に関する法律はないが、2006年の判例で性別変更は認められたとのこと。要件などは日本と全く同じで、これは日本で少し前に「性同一性障害特例法」ができたことの影響を受けているとのことだった。

次に他団体と協力して調査したという調査内容の発表。ちなみにSOGI Lawyerの年次報告というのはこういうのらしい。今回説明した調査内容は「Key Results of the South Korean LGBTI Community Social Needs Assessment Survey」で検索したら、pdfファイルがダウンロードできるようになってるのでそこで見られる(URLは分からないのでリンクが張れない)。

調査対象は主にSNS繋がりだったかで調査したので、30代までの人たちでほとんど占められてしまったので、40代以降はバーなどに行って直接聴き取りをしたのだとか。それでもこの世代は全体の6.6%くらいしかいなかったので、回答にちょっと比重をかけて重くしている、とのことだった。この発表では「家族には絶対にカミングアウトできない。もし自分のことが家族に知れたら勘当される」とか「コミュニティには頼れない」という当事者の声の紹介、当事者が一体何を求めているかという質問では、差別禁止法を求めている人たちの割合が一番高い、次は同性婚を合法化とか(しかしこれは複数回答可)、カミングアウトはどんな感じでしているかという質問に対しては「一部のみ」「ほとんどしてない」がそれぞれ32.9%、27.6%と過半数を占めること(ちなみに「大部分している」が19.3%、「誰にもしていない」が20.3%)、などが指摘された。カミングアウトについての比率は日本と比べてあんまり大差ないような気もするけど(NHKが去年当事者に向けてアンケートをしたけど、まとめ方に相違があるので単純比較はできない)、でも当事者の声は日本よりやはりちょっと厳しめなような気がした。

次に国連の人権委員会が韓国に対してどのような勧告をしているかの内容だったが、ざっというと「差別禁止法をがないから制定しろ」とか、また、上に書いた軍隊での同性愛が犯罪となっている部分に対してもなくすように勧告されているとのことだった。ここら辺の勧告内容は、軍隊のことを除いてほとんど日本と同じなんじゃないだろうかと思う(細かい部分はいろいろ違うだろうけど)。

そして、最近の韓国国内での訴訟について。冒頭にも少し書いたけど、去年、ソウルでパレードを開催するときにゴタゴタ揉めた件。これは、ソウル市庁前の広場の使用をめぐるもので、当初、パレード開催団体は6月13日にパレードのオープニングセレモニーとパレードを開催する予定だった。が、反同性愛団体が同じ日の同じ時間にその場所を取っちゃったらしいのね。だから、パレード開催団体はオープニングセレモニーを6月9日にして、パレードを6月28日に変更したそうだ。韓国では使用許可は1ヶ月前に「早い者勝ち」で取るらしく、そのために性的少数者たちはその使用許可を取るために随分前からソウル市庁の前に並んでいた(あれ、警察署だったかな?)。この様子は当時当事者たちのtwitterなんかでも画像付きで流れてきたりしてたのを見たことがある。色とりどりの風船が浮かんでて、しかも「今日の夕食は○○にしよう!」なんて書かれてて(わたしが見たときはチキンとコーラだったかな?)、すっごく楽しそうだった。

使用許可はパレード主催団体が一番に出したんだけど、反同性愛団体も「自分たちが一番に出した」と言い張って、しかも、ソウル警察はどっちが先だったか答えなかったみたいなのね。だから、裁判を起こしたということだった。で、結果は、パレード主催団体が勝った。というのは、複数の警察の管轄にまたがる場合は、韓国の場合はその上の組織(名前は忘れた)に使用許可を提出しなければならないらしいんだけど、パレード主催団体はちゃんとそうしてて、反同性愛団体はそれをしてなかったらしいのね。だから、パレード主催団体が勝訴した、とのこと。去年は相手のミスでなんとかなったけど、今年はおそらく向こうもそんなミスはしないだろうから、どうなるんだろうかと言っていた。

もう一つの訴訟は「雨のち虹色財団」と韓国法務省。韓国の法務大臣が2015年6月にプライドパレードを見て「表現の自由は尊重しなければならないが、健全な社会のためには一定の制限がある。(ゲイプライドは)我々の社会の伝統的な価値観に合わないので、制限すべきと考える」って言ったことに対して、「雨のち虹色財団」(英語の名称は「Beyond the Rainbow Foundation」と言うらしい)がその発言の取り消しを求めて訴訟を起こしたとのこと。2015年11月20日に1回目の審問があって、法務大臣が発言、2回目の審問は2016年の1月中旬に行われる。

ここで「なぜ、韓国では反同性愛の運動がひどくなったのか」という説明が始まった。韓国のパレードって2000年が最初で、途切れがなく15回行われてきたのに、妨害にあったのは2014年からなのね。それ以前はまったく妨害がなかったそうだ。

今、猛烈に同性愛者に対して攻撃をしてくるのは、保守系のキリスト教団体なのだそうだ。韓国の宗教を信じている人の割合は、46.5%が無宗教、22.8%が仏教、18.3%がプロテスタント、10.9%がカトリック、そして残りの1.7%はどのどれでもない宗教、なんだそうだが(2005年調べ)、この中の「プロテスタント」が、このような団体を含んでいるらしい。韓国でプロテスタントは韓国の経済成長とともに発展してきたそうだ。経済活動の活発化と宗教がうまくマッチして、韓国のプロテスタント人口が増えたそうだ。が、1990年代からそれが減少し始めた。その理由は、教団の中での指導者の不倫だったり、なんかいろんなモラルの悪さが表面化したことによって信者数が減少し始めたみたい。なので、教会は信者離れを防ぐためと信者の獲得をするために、2000年代の半ばごろから性的少数者を敵にして叩き始めたということだ。そして、在米の韓国系教会の影響を非常に受けていて、資金もそちらから流れてきているとのことだった。

そこで、在米韓国人の同性愛に関する意識の調査結果を見せられたのだが、「同性愛は受け入れない」割合はなんと過半数以上の55%、「受け入れる」は40%。同じ調査の在米日本人が「受け入れる」68%、「受け入れない」22%に比べると対象的な結果になっている。在米韓国人の「同性愛を受け入れない」割合が高いのは、在米韓国系教会の影響が強いからではないかと言っていた。この調査はおそらくアメリカの同性婚合法化前のデータだろうけど、アメリカ自体が同性婚合法化してしまった現在、この人たちの意識はどう変わるのかねとちょっと思ったのだが、でもアメリカは広いから、強固に「同性愛反対」なコミュニティって今までのまま、あまり変わらないんだろうな。。いや、もしかしたら「アメリカはこうだけど、韓国ではこうなって欲しくない!」と思ってじゃんじゃん資金を韓国の保守系キリスト教団体に送るとしたら、やりきれないよなあ。。

ちなみに保守系キリスト教団体の人たちは「同性愛は祈祷で治る」と思っているらしい。なので、去年の6月のソウルでのパレードにも反対派の人たちが集まってきて、お祈りしてたとか(なんと無駄なことを)。

そういうわけで、韓国のクリスチャンコミュニティの中には性的少数者は安全でないみたいだ。日本でもそういう話は一部聞くけど、でも、外部から見ると(わたしは信者ではないので)「受け入れる」教会もいくつかあるよね。主にプロテスタントで当事者が牧師さんの教会とか。カトリックは法王自体がどうかで下が受け入れるかどうか決まるみたいで、今の法王は「同性愛者に対する差別は許さない」人みたい(ただし同性婚には反対してる)。ただ、その考えが末端のカトリック教会まで浸透してるかというと、それは十分に怪しいと思うが。。(ただ、法王はこう言ってますよ!とは言えると思う→が、実際のところ、神父さん含め教会内にそういう素地がまったくないところでいきなり「法王はこう言ってる」とは言いにくいだろうと想像する)

その後は「韓国での同性婚の合法化への動き」の話に移った。もちろん韓国では同性婚は合法ではないが、近年では「公開結婚式」を行うゲイカップルや、役所に婚姻届を提出するゲイカップルもいるらしい。「公開結婚式」では、多くの市民の人にも祝福されたものの、一部、過激な反同性愛な人が人糞を撒いたそうだ。その人が取り押さえられている写真を見た。自分とは直接関係がないはずなのに、なんでそこまで人を憎めるのか不思議。婚姻届は日本と同じく「妻となる人」「夫となる人」という欄があったので、そこを「配偶者1」「配偶者2」に書き直して提出したそう。

そして、当然のことながら婚姻届は不受理だったのだが、その根拠は韓国の民法826条1項と2項とのこと。韓国の憲法36条1項は日本の憲法24条と同じようなことを書いてある(婚姻は両性の合意のみに基づく)らしいのだが、韓国の憲法にこの文言が入ったのは、1980年代だったそうだ。これは日本の憲法24条から来たということで、入った理由も日本と同じく「男女平等」の理念だという。それまで韓国の憲法には「男女平等」の概念がなかったそうだ。そして韓国の民法も日本と同じく「夫婦」と表現しており、それが「婚姻は男女のみ」という根拠になっているらしい。これも日本と全く同じだよね。日本において、2014年の時点では婚姻届不受理の根拠は「憲法24条」だった。が、2015年の時点では憲法ではなく「民法」が不受理の根拠に変わってきている(これは日本の話)。ここで話した弁護士さんも言っていたが、それだったら民法の「夫婦」の文言を「配偶者」にすればいいだけのことではないかと。

韓国ではこの婚姻届不受理を受け、裁判を起こしたらしい。それが2015年の1月に提訴したらしいが、そこから1回目の審問までの間に、アメリカでの同性婚合法化のニュース(2015年6月)が入ってきた。それまで韓国社会はこのような問題はまったく無視で、マスコミにも見向きもされなかったらしい。去年のパレードの許可を取るための座りこみのときもそうで、ソウル市庁(警察署?)で性的少数者当事者たちが1週間にわたって順番待ちをしてたときも、ニュースにも何もならなかった。が、アメリカで同性婚が合法化されたことにより、その翌月、2015年7月に行われた審問のときはマスコミがすごい来て報道されたとか。

そういう話を聞くと「日本でもそういう傾向が大いにあるよね」と思う。だってアメリカが同性婚を合法化したときの様子ってなんか、アメリカが世界に先がけて同性婚を合法化した、みたいな受け止め方だったじゃん。西欧ではもうほとんどの国がそれまで同性婚を合法化していたにもかかわらず。ってことは、それまではまったく話題にもならなかったわけだよね。そういう意味で、日本はアメリカの影響を多大に受けていると言える。そして、韓国もアメリカの影響を多大に受けているが、それとともに日本の影響も大きいみたいなんだよね。よくも悪くも。それは今までの発表の中で話されたことでよく分かる。韓国の軍隊内で同性愛が犯罪になっているのは、アメリカの軍隊にそういう規則があったからだし、韓国の憲法の中に「男女平等」の理念が入ったのは、日本国憲法の影響だ。そして、韓国で性別変更が可能になったのも、日本で「性同一性障害特例法」ができたからなのだ。だから、ここで話した弁護士さんは「アメリカだけではなく、今後の日本の動きにもすごく期待している」と言っていた。日本に対しては、この先あんまり期待できないんじゃないかなあ。。とは思うけど(悲観的)そしてわたしは「韓国」という国は、こういう複雑な面を持っている国なんだということをちょっと実感した。簡単に一括りに「親日」とか「反日」という言葉では表すことなんてできるわけがないよね。

そして「ここ最近の動き」として、先月行われた、韓国の国会議員の総選挙について少し話してくれた。確か、政権与党が惨敗した選挙だったと思うが、韓国の政党の中では性的少数者の存在を認めている政党は左派政党の3つ。この度、その中の「正義党」は6人が当選したそうだ。そしてもう一つ、性的少数者当事者が注目していたのは「キリスト教自由党」という反同性愛の党。ここが比例で議席を獲得するかどうかに注目していたらしい。韓国では確か4%の票を獲得できれば1議席確保できるらしいのだが、今回の選挙では、この政党は2.63%しか票を獲得できず、議席は確保できなかった。途中で「1議席確保したかも!?」というニュースが流れてきて、性的少数者当事者たちは騒然としたらしい。しかし、議席は確保できなかったが、これからは政党補助金がもらえるとのことで、これが今後どうなっていくかは分からない、と話していた。ただ、最初の方で韓国のプロテスタントは全人口の22.8%を占めていると言ったが、今回のキリスト教自由党への投票数を見ると、プロテスタントの人たちの一部しか「反同性愛」ではないということは分かった、と言っていた。

この話に繋げて、この弁護士さんは、今の韓国国内の状況は性的少数者にとってとても厳しいけれど、将来のことに対してはとても楽観的なんです、と話していた。その根拠は、韓国人というのは、とても変化が早い国民なんだそうだ。2013年現在、韓国人のうち「同性愛を受け入れるべきか?」という質問に対して「はい」と答えたのは39%、「いいえ」と答えたのは59%いたそうだ。ちなみに同調査で日本人は「はい」が54%、「いいえ」が36%だった。しかし、2007年に調査したとき、韓国人が「はい」と答えたのはたったの18%で、それから6年後の2013年と比べると21%も増加している。ちなみに日本人はその間5%しか増加していない(2007年に「はい」と答えたのは49%)。アメリカは増加率2位でプラス11%(49%→60%)。韓国の増加率は断トツ1位だ。これが「変化が早い国民」の根拠だ。

しかも「年齢層別の同性愛への寛容度」というグラフを見ると(なぜかこのグラフだけ日本語なんだけど(^^;)どの国も年齢層が上がるにつれ寛容度も低いんだけど、韓国は日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの中でも60代以上は断トツ低い。まぁ、韓国の場合は20代もこの5カ国中1番低いんだけどね。だからだけどもっと時間が経てば、韓国ももっと寛容度が上がると考えられるのだ。でもそういう意味では日本の方がもっと将来は明るい感じだけどね。日本の20代の寛容度は7.0を超えていて(10.0点満点中)5カ国中2位、韓国の20代と日本の50代は同程度(およそ5.0)、日本の60代以上だけぐっと下がって3.5くらい(5カ国中4位)。

だから、韓国もこれから時代が進むにつれてもっと変わっていくだろうと思っている、と言っていた。

発表はこれでお終いで、あとは質問時間だった。わたしは発表の中で話された「コミュニティには頼れない」という当事者の声の意味がよく分からなかったので、それについて聞いたのと、あとは「地方の当事者はどうなんだろう」ということが気になったので、手を挙げて質問した。

「コミュニティには頼れない」というのは、韓国はいろんな団体があるものの、当事者のピアサポートみたいな団体はなく、ほとんどがこの弁護士さんたちのように「社会に訴える活動」をしているそうだ。なので、当事者が困っているときにサポートできるような団体をこれから作っていかなければならないって言っていた。あと、韓国での地方の団体って大邱に1つしかないらしい。韓国はもともとソウルに国民の人口の半分が住んでるし、それに国土が狭いから週末には地方からすぐソウルに来れてバーなどで発散できるって言ってたけど、でもそれって一時、日本でも同じだったんだよね。あ、全国民の半分は東京にはもちろん住んでないけど、地方の人が週末だけ東京で遊んで発散してまた帰る、ってことね。それだと地方に住んでいる性的少数者当事者は自分の地元では「ありのまま」でいられないってことを意味する。地元では自分を押し隠して、東京に出てきて発散するって、それってどうなの?ということは日本ではもうずっと前から指摘されていて、だからこそ、ここ数年の間、各地に性的少数者の団体ができて、そしてみんな地元で暮らしやすくなるために頑張ってる。

地方の人によく言われる。「東京はもっと頑張ってくれないと困る」と。「東京で話題にならないと地方ではどう話を切り出していいのかすら分からない」と。渋谷の同性パートナーシップ条例はその点、ものすごく話題になったので、それで地方も動きやすかったと。だから「東京には地方を牽引してもらわなくては困る」と言われた。

そうなんだよね~。そして地方の人が頑張ると、国内の底上げができて、全体がまた更に上がる、ということになるのよね。

わたしの問いの対する答えを聞いて、わたしはそんなことを思ったのだけど、もう時間がなかったし(わたしが一番最後の質問者だった。しかもジャンケンで勝って)、まぁいいやと思って何も言わなかった。それに地方の底上げよりも、判例とか法律の方が先にできるかも知れない状況かも知れないしね、韓国は(そういう意味では韓国は日本より「人々が声を挙げる」ということに対して抵抗感がないように感じる。これはとても羨ましい)。

ってわけで、知りたいと思っていた韓国の性的少数者の話が聞けてとても有意義なイベントだった。そういえば題名に「男女共同参画」ってなんで入れてあるんだろうねと最後に思った。ほとんどが性的マイノリティ、それも同性愛の話だったような(笑)まぁ、主催者の都合かな?

今年の韓国のパレードは多分来月だと思うけど(来月は各国でプライドパレードがあるね)、今年はどうなるんだろう。何も起こらなければいいなと思ってるけど。そして、いつかはわたしも韓国のプライドパレードに参加してみたいものだ。そのときまでに現地で通じる朝鮮語を話せるようになってたい!!(笑)
21:55 | (性的少数者)イベントなど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-16 Mon , 2016
ばこちゃん、3歳のお誕生日おめでとう
20160516 203721


今日は ばこの 誕生日
みんなで 集まって 一緒におめでとう

いくつ いくつ いくつになったかな
また一つ 大きくなった
年の数だけ手を叩こう

ぱん!ぱん!!ぱん!!!

ってことで、ばこは16日に3歳の誕生日を迎えることができました。
まぁでもばこが本当に生まれた日は分かんないんだけどね。推定です。

猫で3歳というともういい大人で、年齢的には「エネルギーのみなぎった男」なんだろうけど、今のばこはうちの中では相変わらず一番年下の甘えん坊の猫、と言った感じ。

それにばこはとても「うるさい男」だ。もーよく鳴いてよく鳴いて。高尾にゃんは寡黙な猫なので、本当に何かあるときにしか鳴かないんだけど、ばこは「今日まだおやつ食べさせてもらってないんですけどねー」とか「もうすぐご飯の時間だろー」とか「お腹空いたから早く食わせろー」とか「高尾ねーちゃんが遊んでくれませんー」とか「まま(ばこにとってはままとは彼女のこと)がどっかに行っちゃったー」とか事あるごとに鳴いてるし、それ以外にも「ばこがさっきからふにゃふにゃ鳴いてるけど、何が言いたくて鳴いてるんだろう?」って分からないこともしばしば。前はご飯の前によく鳴いてたけど、この1年でもっと違う場面でも鳴くようになった印象。しかも声色も何種類か使い分けるようになった。

「ままー」って完全に甘え声のときもあるし、「お腹が空いたんだよ!!」みたいに怒ってるときもある。「ごめんなさいー」って気弱に鳴くこともある。黒猫は顔の表情からは気持ちがうかがえないから、そうなってるのかな?高尾にゃんは鳴かなくても表情から「機嫌が良いね」とか「今は不機嫌だね」ってことがよく分かるんだけどねー。

まぁでもうるさいうるさい。特に朝と晩のご飯の時間前は本当にうるさい。食べる直前まで「お腹が空いたー」と鳴きわめいてる。うちは猫の夕ご飯の時間は21時にしてるんだけど、日によっては1時間も前から鳴いてるときがある。そして、わたしが重い腰を上げて「さあ作るか」というと、毎回毎回「ボクのお皿はこちらです~」ってお皿のあるところに誘導してくれる(朝ご飯以降、お皿は置きっぱなしなので)。そこを「ばこの食べる場所」に決めたのは、このわたしなんですけどね、、ーー;

そしてご飯の用意をする間、高尾にゃんはおとなしく鳥さんのおもちゃで遊んだりしてるんだけど、ばこは用意しているわたしの脚の周りをしっぽでこすりながら「早く!早く!お腹が空いたんだよ!!」って鳴きまくり。まぁなんというか、こちらが用意を始めたら5分しないうちに食べられるから、鳴かなくてもいいとか、そういうことは一切認識していないようで。ちょっと大人になったら分かるかなー、だって毎晩のことだもんねって思ってたんだけど、今のところは完全に大人になってもそこのところは全く認識していないようですーー;そしてご飯はいつも1分ちょっとでペロリと完食。早食いの猫は吐くことがある、というんで、だいぶ心配なんだけど、ばこは今までこういうことでは吐いたことがない。

ばこと高尾にゃんの食べ方はものすごい違いがあるので、食べてる間はばこと高尾にゃんは別々の部屋で食べさせてるんだけど、高尾にゃんがやっと食べ終わったのでばこを部屋から出すと、ばこは一直線に高尾にゃんのお皿の置いてあったところに向かって行って、高尾にゃんの食べ散らかした餌を丁寧になめ回す。「お前はハイエナかっ!」と言いたくなるような姿で。。特においしいオヤツをやったあとは、高尾にゃんのお皿を舐めたあとまた自分のところに戻っていって、自分のお皿を舐め、そしてまた高尾にゃんのお皿のところに戻って。。としつこい、しつこいーー;多分、こういう姿も高尾にゃんに嫌われる一因なんだよね、ばこ。。

現在体重4.9kg。以前、獣医さんから「この猫は骨格からして4キロ台の猫です」って言われたんで、あんまり太らせないようにしてるんだけど、気を緩めるとすぐに5キロになってしまうので注意してる。本当はもうちょっと痩せさせたいんだけど、なんせ今でも食欲が旺盛なので、4.9kgで精一杯。一時は4.8kgまで落としたことはあったけど、結局維持できなかった。

ばこは1歳になるかならないかくらいのときにいきなり血尿が出て、ストラバイト結晶ができててそれが結局尿道に詰まり、おしっこが出なくなったことがあったんだけど、それ以降はご飯の時にご飯に混ぜて強制的に水を飲ませてるので、今はpHも良い具合になってる。もう長い間、獣医さんに行ってちゃんと検査はしてないんだけど、家でpHペーパーがあるので、それで時折チェックしてる。pH低いときでも若干高めなのかなとは思うけど(pH6.4くらいがせいぜいかなあ)、まぁ今のところあまり気にしてない。というか、本当はもうそろそろ獣医さんのところにおしっこ持っていって検査してもらった方がいいかもねとは思ってる。

餌に水を混ぜると嫌がる猫ちゃんはいると思うんだけど(高尾にゃんもあまり好きではないので、ちょっと水の量を増やすとご飯食べなくなる)、ばこはいくら水を混ぜてもまったく気にしない。一応、最低限1回に80ccの水(実際は45度に温めたお湯)はやろうと思ってるんだけど、ばこの場合はいくら飲ませても全然嫌がらないので、一体、どのくらいまで水を飲むんだろうと思って段々増やしたことがある。そしたら1回に100cc以上の水を混ぜてもペロリと飲んでしまったので、怖くなってこちらが止めてしまった(笑)一回100cc以上飲ませると、1回のおしっこの量がものすごく多くなるんだもん。

その他ではまったく病気知らず。あっ!だけど、ばこには困ったことがあって、それは「ウールサッキング」ならぬ「ヒモとか毛皮」とか大好きで、食べちゃんだよね~(これ、去年の誕生日の日記にも書いてある!)。猫のおもちゃで、毛皮が付いた丸いボールなんかありますよね。あれを与えると、転がして遊ばずに毛皮を全部食べちゃったりする。ヒモも食べる。ので、毛皮ボールではもう二度と遊ばせないし(高尾にゃんがこういうの好きなのに!)、羽根の付いたおもちゃは厳重管理、ヒモは例えば人間のスエットのズボンのヒモとか寝間着のズボンに付いてるヒモとかも狙って食べるので、放置厳禁。これ、食べると消化できなくて吐く。ばこが吐くときは、変なものを食べたときだけ。しかも、吐くときの前には「ボク、なんだか気持ちが悪いです~」みたいな「ヨロヨロ~」って鳴くのですぐ分かる。こういうときは下痢もしたりするので、そういうときは病院行き。

ばこが食べちゃいそうな危ないものは、こっちも注意して隠したりするんだけど、ここ1年間の間では、彼女のブラジャーの後ろのホックがある部分の布(幸いホックとは反対側の金属のないところ)を食べてるのを発見した。「こんなものまで食べるの??」って思った。あのときはしばらくうんこが出るか注意したり、うんこが出たら中身は何が出たかを見たりしたんだけど、様子は全然変わりがなかったし、毎回毎回うんこ分解して見てるわけじゃないので、まぁ出ちゃったんだろうと思ってた。けど、数ヶ月経ってこちらが忘れた頃にいきなり「ヨロヨロ~」と言って吐いて、吐いた中身を見たら、そのブラジャーの布きれだったのでびっくりした。あれってすぐに吐いたりするわけじゃないのね。

だから、ものの材料を見て「これはばこが食べそうなものか、そうじゃないか」を考えるクセが付いた。そして、一度食べたものは絶対に次もやるから、絶対にばこの目には触れさせないようにして。これは本当に気をつけてる。まぁでもばこは、高尾にゃんと違って自分で探し出しては食べないので、その点では楽。高尾にゃんは賢いので、こちらが隠してても、人が見ていないときに自分の手をちょいちょいって使って、隠してあるものを引っ張り出してきちゃったりするから。

ばこは異食食いというのはあるけど、気をつけてるから、最近は病気等では病院には行ってない。だから獣医さんにも1年に1度、ワクチン打ちに行く以外は行ってない。しかし、ばこは尿道に結晶を詰まらせたときに少しの期間、動物病院に入院したことがあって、そのとき以来、そこの動物病院の獣医さん始め、動物看護師さんの人からめっちゃ可愛がられるようになった。まぁ、ばこは飼い主だけじゃなく、誰にでも愛想を振りまく猫だからね。。(飼い主冥利に尽きない猫)

去年もワクチンを打ちに行ったときは動物看護師さんの人からめっちゃ歓迎された。獣医さんがワクチンを打つ前にいろいろ健康診断をしたんだけど、聴診器を当てられたときにゴロゴロ言ってたらしく「ゴロゴロ言ってますね」って嬉しそうに言われたし(ホント、飼い主冥利に尽きない猫)、それにワクチンを打ち終わったので、再びキャリーの中に入れようとしても入らない!!病院の、診察台の上の方がいいっていう!!!(本当に飼い主冥利に尽きない猫(-o-))

ばこは、キャリーの中が嫌いなんだよね~。おまけにうちは車がないので、移動は自転車なのだが、自転車で移動中、大声で鳴きまくり!その声はまるで「ボクはこれからこの人に捨てられてしまうんです~」とか「たすけてください~この人に捨てられちゃいます~」とか「この人は今から猫を捨てに行きますよお~」とか、そんな感じの鳴き方としか思えない。で、鳴くと必ず周囲の人が振り返る。去年なんて病院に行く途中、信号待ちしてたらそこには散歩中と思われるどこかの保育園児みたいな子どもがたくさんいて、「猫ちゃんだ」「猫ちゃんだ」って大騒ぎになった(-o-)恥ずかしいったらありゃしない。。だけど、病院などの建物の中に入ると、ぴたっと鳴き止みます。だから病院の待合室ではとてもおとなしい。そして帰りにまた鳴きわめく。。。(-o-)(-o-)(-o-)

ばこはきっと、外で暮らしていくには大変だったろうと思うこともある。人に愛想をふりまく猫なので、もしかすると餌をもらえる家を5軒くらい作って、そこで愛嬌を振りまいてうまく餌をもらえる猫になるだろうとは思うけど(でもそうしたら、でぶでぶの猫になってるね!)、猫同士の争いにはどう考えても勝てそうにない。割と小心者なんだよね。それに戦うことも好まない。猫は一般的に外を見るのが好きだけど、ばこも好きでよく見てる。一度、網戸越しに外を見てたら、どうも好みの猫がやってきたらしく、網戸を突き破って外に出てしまった。そのときは、わたしは外出してたのか家にはいなくて、彼女だけがいたんだけど、どうやらなんか、ばこのいつもの「たすけてください~」系の鳴き声が外からしてくると思ったら、ばこが隣の庭でうずくまってたそうだ。あのときはホント、ばこが変なところに行かなくてよかった!と思ったけど、ばこにとってはもう外は怖くて動けないところなんだなあって思った。それ以来、滅多に網戸は開けないし、開けたときは必ずその部屋に人がいるようにしてるつもり。

そうそう、ばこはもう一つ、生命が危なかったことがあって。これも外を見る関係のことだったんだけど、風呂場の窓から外を覗くことも好きなのね。で、風呂場の窓のところに行くためには、一旦、風呂桶の蓋の上に飛び乗って、そこから風呂場の窓の縁に昇るんだけど、実は、あるとき、風呂桶に水を張りながら、蓋はしてないときがあったのだ。そこへばこがいつもどおり、窓の縁に行こうと、何も考えずに風呂桶のところに飛び乗ったら、蓋がなかったのでそのまま水の中にどぼんと落ちちゃった。あのときもわたしはいなくて、彼女だけが家にいて、しかも彼女の目の前でそれをやったみたいなのね。だから彼女がびっくりしてばこをすぐに風呂の中から引き揚げて、ばこはかろうじて水死は免れたのだけど、あれ、彼女の目の前でやってなかったら、ばこは水死してたはずで。。もうそれ以来、うちでは風呂桶の中に水があるときは絶対に蓋は開けてません。まぁばこも、あれ以降しばらくは風呂場には行かなかったけど。。でも、今はまた風呂場の窓から外を覗いてます。

ばこは、ものすごく人なつっこくて、人はどういう人でもまったく怖がらない猫なんだけど、それ以外のものは結構ビビリなんじゃないかと思う。実は掃除機が怖いみたいなんだよね~。でも、本当にビビリだったら、怖くて逃げ回るか隠れるかすると思うのに、ばこは怖いながらも見たがるんだよね。それがとても不思議。わたしが掃除機をかけてると、半分逃げるような体勢なのに、掃除機をじっと見てる。わたしがちょっと面白がって、掃除機の吸い込み口をほいっとばこのところに向けると、わーって逃げてくのに、気が付くとまた、近くで怖々見ている。これ、一体、なんなんでしょうね~(笑)ちなみに高尾にゃんはまったく動じない。高尾にゃんの本当にそばを掃除機掛けてても「なにそれ」って感じ。高尾にゃんの方が本当は肝が据わってるのかも知れない。ルンバの時もそうだった。

前に、ばこは「天然の睡眠剤」って書いたことがある。眠れないときにばこを連れてきて布団の中でなでなでしてると、知らないうちに寝てる。ばこの毛は本当にふわふわで、撫でるととても気持ちが良い。なので特に冬の間は暖かくて気持ちが良いので彼女は毎晩のようにばこを自分のところに連れてきては撫でて寝てた。ばこは布団の中で暑くなったら出ていく、みたいなことを繰り返してたが、あるときから自ら進んで布団の中に入ってくるようになった。といっても、寝るときではなく、わたしらが既に寝てる明け方の時間とかに。多分、ばこもそのままだと寒いから布団の中で暖かい思いをしたいんだろう。でもこちらとすると、いきなり寝返り打ったら布団の中にばこがいたりするのでびっくりする@@;

まぁ今はもうだいぶ暖かくなったから、こういうことはほとんどないけどね。。ちなみに高尾にゃんは冬になったら布団の上に来てそこで寝る。中には入らないなあ~。人の脚と脚の間で寝るのが好きで、そうすると身動きが取れないーー;

そうそう。高尾にゃんはうちに来てからはほとんど「高尾にゃん」で呼び方が統一されている。けど、ばこは名前の変遷が著しい(来た当初も、そんなことを書いた記事があるが)。ばこの本名は「陣馬」なのだけど、大抵は「ばこ」と呼ばれている。が、「ばこちん」とも呼ばれてるし、そこから「ばこばこちんこ」とも呼ばれてるし、そこから略して「ちんこ」とも呼ばれている。というか、そう言う呼び方はわたししかしないけど(^^;だいたい、わたしが「ちんこ」と呼ぶと、彼女はとても嫌がる(笑)彼女は大抵「じんくん」と呼んでる。病院の動物看護師さんの人からも陣馬は「じんくん」と呼ばれてる。確か、去年のケーキの文言は「じんくん、おたんじょうびおめでとう」だったかな。今年はわたしが注文したので「ばこちゃん、おたんじょうびおめでとう」になってる。まぁわたしもいくらなんでも「ばこちん、おたんじょうびおめでとう」とか「ばこばこちんこ、おたんじょうびおめでとう」とはケーキ屋さんの前では言えないので(^^;

てか、なんで「ばこばこちんこ」かというと、昔、わたしが小さい頃、こういう歌が流行ってたからだ。

アルゼンチンの子ども~子ども~子ども~
アルゼンチンの子ども~
アールゼーンチン子~


「ばこちん」と呼んでるうちにこの歌が思い浮かんで

ばこばこちんの子ども~子ども~子ども~
ばこばこちんの子ども~
ばーこばーこちん子~


って替え歌を作ったのだ(去年のばこの誕生日の日記を読んだら、同じこと書いてた(^^;)。

というわけで、ばこちんは、とても愛くるしいが上に、結構みんなから(わたしから?)弄ばれてると思う。。ちなみに未だかつて、ばこは「しゃー!」って言ったことがない。ばこはなんか割と細かいことは気にしなくて、鈍くて、多分、高尾にゃんと違ってあんまり頭が良くなくて、だから思わぬことをしでかしちゃったりもするけど、でも、大らかで、嫌がることをされても怒らなくて、人なつっこくて、誰にでも愛想を振りまいて、高尾ねーちゃんが大好きで、でも何も考えずに自分のしたいことを高尾にゃんにするから、高尾にゃんは怒って「しゃー」って言って逃げちゃうんだけど、どうして怒られたか分からなくて「高尾ねーちゃんが遊んでくれません~」ってふにゃふにゃ鳴いて、いたずらしてわたしたちに怒られると思ったら逃げずにごろんって寝ころんでお腹出してすぐに降参して、争いを好まない猫で、自分の意に沿わずにだっこされてもある程度は我慢してじっとしてくれる猫で、この猫は本当に性格が良くて憎めない。

わたしはばこを構うと、高尾にゃんが途端に不機嫌になるので、ばこは主に彼女がかわいがってる感じだし、ばこも彼女には信頼を置いてると思う(わたしはそれに加えて「ばこばこちん」とか、ばこの嫌がることたくさん言ってるから(^^;)。

ばこがうちに来たのは生後約2ヶ月半のときだけど、もうそこから3年近くが経った。早いなあ。本当はもうちょっとばこも大人になって、高尾にゃんからどうして嫌われてるかとか、ご飯もらえる直前まで鳴かなくてもちゃんとご飯は食べられるとか考えられるようになればいいんだけど、それはまだちょっと望めないかな。3歳になってもまだまだ「子ども」で「我が家の末っ子」、ばこちんです。

これからも楽しく暮らそーね!
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05-12 Thu , 2016
東京レインボープライドパレード2016
20160507 1522531


このブログ、最近ほとんどセクマイイベントのことについては触れてない。というより、わたしがほとんどそういうイベントに行かなくなっちゃったからなんだけどね。だけど、パレードはやっぱり行くかな。普段会えない人たちにも会えるしね。ってわけで、先週末、7日、8日にあった東京レインボープライドパレード2016に行ってきた。東京レインボープライドパレードって確か5回目だったよね。初めて2日とも行ってきた。ただし、今年もパレードで歩かなかったけど。

2日とも、とあるブースのお手伝いって感じかな。「人手が足らないから誰か助けて」と言われたので、どうせなんの用事もないから「いいよ」って手を挙げた。

やー、すごい人手でしたね。まぁ、わたしはさっきも書いたけどパレードの1日目には今まで行ったことなかったから、例年と比べて人手はどうこう、とは言えないけど、2日目の人手はどんなもんかはちょっと分かるので、それを考慮すると「今年はまた人が増えたなあ」という感じだった。てか、2日目はブース間の道を歩くのさえ人がたくさんいてとても大変で。。すごかった。

ブースは様々な団体で賑わってましたね。特に企業ブースが大幅増で、前はほんの数えるほどしかなかったし、確か数年前は企業ブースを出してたところは「おお!ここは応援してくれるんだ!」みたいに思ったけど、今年は企業数が多すぎて、なんだか全部把握しきれなかったような。ただやはり、外資系企業が多いこと、それから金融、保険関係の企業が目についたような。ただ、年々増えていく来場者を考えると、他の企業もイメージアップのために今後も参入してくるだろうなあと予想される。東京のパレード自体、母体が変わったりしてることもあって、前のパレードと比較するのはいいのか悪いのかは分からないけど、前のパレードは企業と言えば「ゲイに支えられている企業」が主だったことを考えると、確実に時代は変わって来ているなあと思われる。

そして、今年はパレードのコースが変わって、渋谷駅前の交差点をパレードできるようになったらしい。これ、20年前に第1回目のパレードが行われたのと同じコースなんだそうだ。でも、それからいろんな嫌がらせにあって、そこは通れなかったし、それよりずっと短い距離でのパレードコースだった。警察官も厳しくて、パレードの隊列も途中で信号で止められてしまったり。けど、今年、それがなくなったのは、まぁ渋谷区自体が「同性パートナーシップ条例」を作った自治体だと言うことが大きいだろう。そういう意味でもこのパレードは恰好の自治体「宣伝媒体」でもある。そして今年、パレードは18挺団もあったそうだ。パレードだけで参加者4,500人(公式発表)。これは4,500人しかパレードを歩く希望者がいなかったのではなく、定員が決まっているのですぐに埋まってしまうので歩きたくても歩けない人たちはきっとたくさんいるのではと思う。2日間の合計人数は70,500人で、70,000人を超えた。夏にパレードやってた頃は、毎年10,000人には満たなかったから(パレード自体1日だけなので単純には比較できないけど)、まぁそんなこんなで、10年くらい前の過去から知ってるものとすれば「大きく変わったなあ」と思わざるを得ない。

もちろん、これについては賛否両論あるだろう。この結果を見ると「やっぱり資本主義社会なんだなあ」と感じざるを得ないし、「強いものが勝つ世の中なんだな」って痛いほど感じるし、「強いものが、何が正しいか決める世の中なんだね」ってことをひしひしと感じる。

ただそうはいっても、このイベント自体が「弱者のイベント」なわけで。で、思ったのは、確かに楽しかったでしょうよ、ってこと。会場で少し話した知り合いのヘイトスピーチ関係の人からは終わって「みんなニコニコして楽しいイベントでしたね」って言われたし。ヘイトスピーチの現場ではもちろんこういう雰囲気は皆無だからね。まぁ、それはそれでいいんです。楽しい雰囲気だったのは事実だし。でもね、わたしは来てた人に言いたい。特に来てた異性愛者の人たちに言いたい。

楽しむだけで終わるの?会場で「Happy pride!」ってみんなと言い合ったらもうそれで終わり?

って。あのパレードから、楽しむだけ楽しんであとは何もしない、ということであれば、それは搾取だということを自覚しておいた方がいい。

なぜ性的少数者はあのようなイベントをするのか。別に異性愛者の人たちに楽しんでもらいたいと思ってやってるわけではないです。そんな奇特なことは誰もしない。では何が目的かというと、普段、自分のありのままの姿が「社会的に見えない存在」にされているからこそ、あの場で性的少数者が集まって「自分たちだって、あなたと同じこの社会で暮らしているのだ」という「可視化」をさせたいがためにやっているわけです。

なぜ可視化したいかというと、それだけの人が権利がなくて「困っている」からですよ。わたしなんかからすると、このまま行けば、彼女と(今の時点で)10年以上一緒に暮らしてても、病院で最後を看取れるかなんかそのときが来てみないと分からないし、今だって扶養家族にはなれないし、年金だって健康保険だって「個人」として払ってます。財産持ってても(うちらにはないけど)彼女は「配偶者」として当然の相続権はありません。これが「法的に保障されない」ということ。「結婚」してたら、それが「制度」としてすべて認められる(結婚の部分についてはいろいろ議論がありますけど)。それに比べるとわたしはやっぱり「権利がない」わけです。異性愛者は「結婚するかしないか」が選べる。けど、わたしたちは「結婚する」という選択肢がない。「結婚しない(できない)」という選択肢しかない。

「そんなことを認めると社会がおかしくなる」とか、あなたは言えますか?あなた既にそういう「権利」、自分で持ってるんですよ。生まれながらにしてなんの努力もしなくても。それはあなたが「多数者」だから当然なんですか?わたしはまだ「権利」を持ってない当事者からあれこれ言われるのは、意見の相違だからそれは仕方がないと思う。けど、権利を持ってる人間から「てめえに権利なんかやらない」と言われることだけは許せない。「少子化がー」って言う人がたまにいるんですけど(笑)、今、同性婚が導入している国がどんどん出てきて、その中で出生率が落ちた国って例外的に少なく、ほとんどの国では上がってる(世界銀行統計に基づく)。少なくとも事実を知ってから言ってくれ(知ったらこれが理由にはならないことが分かるけど)。だいたい「少子化がー」って言う人は、同性婚認めたら、同性愛者の数が増えるとでも思ってるのかな(笑)

まぁ、今、日本で同性婚を導入することに賛成している人は、過半数を超えてるらしいので(去年の11月にNHKがやった全国意識調査による)、「権利をやらない」と思う人の方が今では少数者なわけだけど。ただ、過半数を超えていると言っても、たった51%で、これはほとんど「誤差の範囲」と言ってもいいくらいの数字だ。これを6割7割に押し上げるのはパレードに参加した異性愛者の人たちにかかってるわけだよね。まぁそんなん当たり前だけどね。性的少数者だけで6割7割の数字が取れるわけがないんだから。取れたらそれは性的少数者じゃないわけで(笑)異性愛者の人たちの同意があって初めて「多くの人たちが賛成している」と言えるわけだ。

でも、多くの人たちに訴えかけるのは当事者だけがやらなきゃいけないことなのか?異性愛者はパレードで楽しい思いだけして「あとは頑張ってね~!わたしはあなたたちが頑張るのをそばで見てるから!!」って性的少数者に言うんだろうか?それってすごい都合よくない?それがわたしの言ってる搾取なのだ。

「じゃあ、どんなことをやればいいんだ」って思うだろうけど、まぁそれは自分で考えて下さい。それはこちらが「こうしてくれ、ああしてくれ」と言うべき問題ではない。そもそもそう言ったとしても、それをそのままやってくれるという保証はどこにもない。自分でよく考えて「これならできそう」と思うことを少しでもやってくれればいい。「何かをやる」ということは、別にどこかの団体に入って活動しなければならないことを意味しているわけじゃないです。そんなことやってるのは、当事者だってごく一部の人だけだし。少なくとも、わたしが言ってるのは、パレードに参加して「ああ楽しかった」で終わらせては欲しくないってこと。それだけです。

さて、ここまでどのくらいの人が読んだか分からないけど(笑)

今回のパレードの1日目、自民党の稲田議員が来たようです。来たようです、っていうのは、自分の目では確認できなかったからね。人が多すぎて。わたしが1日目、会場に着いてみたら、入口付近ですごい人だかりとカメラがいて「どこの誰が来たんだろう?」って思ったら、そうだったらしい。その場では分からなかった。あとで聞いた。

しかしなぜ急にこの人が?なんの関係もないのに?って思ってた。けど、この人が今年の2月だったかに自民党の中で性的指向・性自認に対する特命委員会だっけ、正式な名前は知らないけど、それを作ったらしいね。この委員会の中でのトップではないけど、実質、言い出しっぺ、の人だし、まぁ、自民党の政調会長だからね。で、もう一つ、当事者の中では前々から超党派の議連、ってものが存在してるということはよく知られたことだろうけど、こちらでなんとかならないの、という声がある。

わたし、特命委員会と議連の違いが分からなかったんだけど、聞くところによると、議連って、勉強会とか確かにやってるけど、議連の役割というのは「各党の動きを探る」ところに過ぎないと。要するに、政策とかを練るところではないらしいです。で、政策とかはこの「特命委員会」がやってるらしい(てか、つい最近、出したよね。「カミングアウトしなくてもいい社会を目指す」とかなんとかいうやつ。これ作ったの、そこです)。

今まで当事者団体が目指してきたのは「差別禁止法」の制定だった。それが単なる「理解促進法」になっちゃった。なぜかというと、自民党は「差別禁止」が嫌いだからだ。というか、自民党自体が「日本社会において、顕著な差別はない」って言い切ってる団体だからさ(ちなみにこのことは「国連」で明言したので、これは別に自民党だけの意見じゃなくて、これは日本政府としての見解になっている)。あ、これは性的少数者に対しての差別、というわけではなく、すべての事例においてです。それに「差別禁止法」を作ると誰かが悪用する可能性があるからできない、って言うんだってさ。具体的にどういう悪用をするか、教えてもらいたいくらいだけどね。っていうか、悪用されるっていうんだったら、悪用されないような法律作ればいいんじゃないの?それに加えて「何が差別か明確に決められない」って言うんだってさ。きっと「何が差別か決められ」たら、自分たちが差別してることを指摘されちゃうからだね(笑)基本的になぜ自民党が「差別禁止法」を作りたくないかと言えば、自分たちがそれを利用して差別できなくなるからじゃないかと思う。

例えば昨日、ちょうど障害者が国会参考人だったっけ、それで出席する予定でいたんだけど「話すのに時間がかかるから」と出席を拒否された人がいます、ということが話題になった。障害者の場合は既に「障害者差別解消法」という法律がある。これは割と踏み込んだ法律みたいで、国や地方自治体は障害者を差別してはならない、という条項があるらしい。こういうの多分、自民党嫌いだよね(笑)こういう法律があると「お前たち、差別してるじゃないか。法律にも差別って書いてあるのに、ダメじゃないか」って言われてしまう。法律がないと「根拠はありませんから、自分たちがやってることは法には触れません~!」ってことになる。結局、自民党が「日本には差別はない」と言って「日本の風土に差別禁止法はふさわしくない」と言ってるのは、こういう法律があったら自分たちが差別者だって突き上げられて困るからに他ならない。だって、差別しない人は、別にこういう法律あっても全然困らないもん。

まあただ。わたしは、性的少数者に対しては別に「理解促進法」でもいいじゃん~?って思わないでもない。こんなん、あってもなくても別に「あ、そう」って感じなんだけど。確かに法律で性的少数者のことに触れている、という点では大きな一歩ではあるだろうが、まぁ評価するとしたらそこだけか。って言えるのは、わたしは世間からそこまで差別されているとは思ってないからで、差別されているとしたら、上に書いた、法的に保障されていない、ということだけなのよ(もちろん、これがそこに繋がる第一歩だと言うことは理解してる)。まぁだから、第一歩としてのやり方はいろいろあるだろうね、というのがこれに対する評価で、絶対に「差別禁止法」じゃないといやだ、ということはない。

しかし、自民党のこの言い分、実は、他の分野と全く同じなんだよね。今、「ヘイトスピーチ対策法」というのが国会で成立するだろうと言われている、というか、今日、委員会で採決らしいから、ここで通ったら国会でも通るだろう。わたしはこっちの方は明確に「差別禁止法」にして欲しかった。差別する人を処罰して欲しかった。てか、これを放置したままでいいの?って今でも思ってるし。あ、この場合の差別は「人種差別」だけど。こっちの方は本当にひどい。「日本は明確な差別事象はない」って言われると、性的少数者に対しては「まぁ概ねそうかな」とは思える。が、ことに人種差別については「どの口が言ってんだ?」って思う。あれを差別と言わずして、何が差別なのか。というか、これはだれそれが、という個人ではなく、国自体がもう制度的に差別しまくってるからね。だから、差別法作りたくないのよ。自分たちが差別できなくなるから。今、案で出てるのは「啓発・啓蒙」だけで、そんなのみんな分かりきってる。外国人を差別してはならないのは、ほとんどの人が知ってることだし、ほとんどの人は差別してない。今、対策を取らなければならないのは、教育しても教育できなくて差別しまくってる人に対して、差別を禁止して、それに対する処罰が必要だと言っているのに、それができない。

挙げ句の果て、出して来た与党案がめちゃくちゃで(1年ほど前に野党から案は出ていた。自民党はそれを通したくなかったのと、でも廃案にすると日本政府は「こんなひどい差別が起こってるのに何もやってない」ってことで国際的に非難が高まるから、不抜けた法律案を出してきただけ)。この法律案の2条には「適法居住要件」というのが付けられていて、この中に当てはまらない人たちに「難民」や「アイヌ」の人たちがいる。この法律案、このままで通ったら、要するに「難民やアイヌの人たちに対して、差別するのを国が認めています」というのと同じことなのだ。「差別していいのはこの人たちですよ」って国が言ってるのと同じなのだ。非常に怖い。これこそこれが「悪用される法律」って言えないか??

ってことで、わたしはこちらの方が大問題なのだ。そして、昔から持論として「外国人を差別していい」と言ってるのは、この間パレードに来た自民党議員だ。なのでいくら「性的少数者の問題は人権問題であると分かった」と言っても、わたしはこの人自体受け入れられない。どんなに性的少数者に対して理解していようが許せない。人間、許せることと許せないことがあるが、わたしはこれだけは許せない。

ってわけで、なんでわたしが「自民党の言い分」についてこんなに知ってるかというと、特命委員会に呼ばれた人とこの2日間、直接話してきたからです(笑)ちなみに特命委員会に言って話してきたということは、本人が団体のブログで書いてたから別に秘密事項でもなんでもないけど。その人は地方在住者なので、わたしはこの人とは毎年この場で少し話すだけの関係だけど、それでも付き合い自体は多分10年近い。この人が「自民党の論理」についていろいろ教えてくれた(ちなみにこの人自身は自民党支持者ではなく、非常に現実的な人だと思う。今の国会はどうしても自民党が賛成しないと法案は成立しない。取り敢えず「これが一歩」と考えている人は一刻でも早く法律を制定させるのが目標だろうから、どうしても自民党と話をしなければならない)。その人は特命委員会に呼ばれて話してきたときのことを話してくれた。そこでは議員の無理解から、その人自身が傷つくこともたくさん言われたそうだ。「今、いろいろな話をして(議員が)差別はいけないって言ってたのに、その(傷つく)言葉を当事者である自分に言うのか!?」と思ったそうだ。ただ、それはやっぱり無理解から来るもので、理解したら多分大丈夫だろうとは言われた。わたしはその「自民党の論理(禁止法は日本にそぐわないとか)」がやっぱりおかしいと思うんで、わたしもその人にいろいろ意見を言ったけど、わたしの頭の中にあるのは、人種差別のことが第一であり、性的少数者第一の人にはほとんど通じなかったみたいだ。。てのはやっぱり、性的少数者の方だと、自民党の言い分もある程度まぁそうかなと思えてしまうわけで。難しいですね。

それにしても、ネット上で自民党議員が来たことについて、あれこれ読んだけど、事実誤認が多いんだよなあ~。稲田議員は勝手に来て勝手に帰ったわけじゃなく、主催者側もちゃんと来ることを知ってたし(呼んだわけでもないが、それはどの議員にだって「来てください」とは言ってないだろう)、5分で帰ったわけじゃない。確かに時間的には短かったと思う(1時間程度)が、それでも会場を一回りはしたと思う。気に入らない相手のことに対して、否定的に見たくなるのは分かる(わたしを含めてだが)。しかし、「主催者側は来ることを知っていたか、知らなかったか」「5分で帰ったか、帰っていないか」というのは、比較的容易に判断できることで(あんだけのSPだのカメラマンだのいるのに、勝手に来るわけはないよなとか)、事実じゃないことに対してあれこれ言うのもどうかと思ってる。それって、結局、自民党支持の人たちが事実じゃないことばっか言ってるのと結局やってることは変わりがないんじゃないかな~と思う。

そもそも評価というのは事実を知った上で始めることで、例えば「たった1時間しか来ないなら来るな」と思うか「1時間もいたんだから上出来だ」と思うか「そもそもパレード会場に来るな」と思うか「来たとしてもまったく評価できない」と思うかは個人による。事実自体が誤認なのに、その上で評価しても、それは正当な評価とは言えない。事実自体をどう知るか、についてはそれに関わった人に聞くのが一番じゃないかね。まぁそこら辺については、知りたい事象にも因るでしょうけど。

今回のパレードに参加して改めて「自分のやれることはやらなきゃね」と思った。もちろん、今まで何もやってなかったわけじゃなく、少なくとも自分がやりたいことはやってたけど、まぁそれを今後も続けて行こうかなと。細々とでもいいんだよね。っていうか、わたしは権力者じゃないから細々としかできないし。まぁでもそれでいいんだ。
14:57 | (性的少数者)イベントなど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-11 Wed , 2016
アメリカ・オバマ大統領が被爆地「ヒロシマ」を訪問
昨日の夜にこのニュースが流れた。おそらくほとんどの「日本人」は「喜ばしい」と思うだろう。
が、わたしは素直に「喜ばしい」とは思えない。その理由をいろいろ考えてみたが、うまくまとまらない。

でも、そのような気持ちを端的に言い表してくれている詩を思い出した。
----------
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ

(中略)
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
---------- 
超有名な、栗原貞子さんの「ヒロシマというとき」という詩だ。
全文切り取るのは、ちょっとまずいかなと思って一部のみ紹介した。が、もちろん「ここの部分を読ませたい」というところをわたしが切り取ったわけだから、かなり恣意的な作業が入っているとも言えるだろう。元の詩を読みたければ、是非「ヒロシマというとき」で検索してみてください。本人が許可を出して掲載している、というサイトが一番上に見つかるだろう。

栗原さんは被爆者だ。日本の行った加害行為については考えていない被爆者が大半の中、この人は日本の加害行為についても言及したし、日本に住む被爆者以外の、外国に住む被爆者のことについても目を向けた人だ。

この度のオバマ大統領の「ヒロシマ」訪問をただただ「ああよかった」としか思わなかった人は、ではなぜヒロシマとナガサキに原爆が落とされたのか、そこから考えて欲しい。

あるとき突然、エノラゲイが広島上空に原爆を落としていったわけではない。
12:14 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
04-18 Mon , 2016
人工地震はなんのためにあるのか?
最近、非常に大きな地震が熊本で起こったよね。わたしは普段から自分とはまったく関係がない人のブログをたくさん読んでるんだけど、この地震が起こった後に読んだブログの中に、この地震との関係性は明確には書いてなかったけど、地震が起こったことについて書きながら、その下にいきなり人工地震について説明しているYou Tubeが貼り付けてある記事があって。5分だけあなたの時間をください、みたいなタイトルだったかなあ。。つい、見てしまった。人工地震を否定してるのかと思ったら、思いっきり肯定してた映像だったのでびっくりした。

まぁ阪神大震災や東日本大震災が実は「人工地震」によって引き起こされたものだった、という陰謀論みたいなのは今までもネット上で散見されてたのは知ってた。100%有り得ないけど、まぁ本震は「人工地震」が引き起こしたのだと仮定しても、頻繁に続く余震までご丁寧に人工地震なのかしらとか考えると「それは無理があるんじゃない?」ってすぐ思えない?東日本大震災の震源は海の中で深さ10kmのところだったけど、そもそも地中10km(しかも地上じゃなく海の中)でどうやって大量の人を送り込んで施設を作るのか。海底の一番深いところって約10km(10000m)です(マリアナ海溝)。そこに人間が行くことがどんなに困難なことか。めっちゃ水圧かかる中で。技術的に不可能です。

なんて、わたしは地震は研究対象ではなかったのだが、一時期地震と非常に近い分野にいて(ちょうど阪神大震災の頃)、観測機器の貸し借りとかやってたし(ちなみにわたしはGPSを使った観測をしてた)、そもそも研究室の対象は「海底」だったので、周囲に「しんかい6500」に乗った人とかたくさんいて、海底に行くことがどんなに困難なものなのかを少しは知ってる。ちなみに「しんかい6500」は文字通り深さ6500mのところまでしか潜れない。なぜかというと、水圧がすごいから。3人乗りで、操縦士、副操縦士は絶対に必要(1人に何かあったら困るから)、研究者は1人しか乗れない。そしてトイレもない。そもそもそういう「大きな」スペースは作れないのです。水圧の関係で。深海は非常に寒いのにトイレに行けないものだから、行くたびにとても緊張すると聞いた。

今、こんな現状なのにどうやって海底10kmのところに核施設が作れるんだろう??

まあそれはいいとして。

では「人工地震」はあるのか。と言われると、ありますね。ではなんのために?と言われると、地震研究のためです。決して破壊目的のために「人工地震」があるわけではない。

じゃあなんで、地震研究のために人工地震があるか、というと、これは地震学者が一体、何を知りたくて研究しているか、ってことです。

地震を研究しています、というと、地震予知のために研究してるんだろうと思うと思うけど(わたしもかつてはそうだった)、地震学者って、基本的に「地球の中は何でできてるんだろう?」ってことを知りたい人たちで集まってます。それとなぜ地震が結びつくか、なんだけど、人は中身が分からないものに対して、どのようにアプローチをかけるかを考えたとき。

あ、あそこになんか中身の分からない箱が置いてある→でも自分のものじゃないから開けられないしな→でも中身に何が入ってるのか気になる→ちょっと手にとって揺さぶって中に何が入ってるのか考えてみよう→箱をカサカサ揺らす→ん?こういう音がするんだったら硬いものが入ってる?→もっと知るためにはもっと大きく揺らさなきゃ→箱をガサガサ揺らす

まぁ、こういう感じのことをするでしょう。地震はそれと同じってこと。要するに「中身が分からない箱」=「地球」、「ガサガサ揺らす」=「地震」ってわけですね。このようにしてわたしは研究室の人から説明してもらいました、当時。まぁわたしは地震(というか地球物理なんだけど)については素人だったので、素人には分かりやすい説明をせねばと思われたんでしょうね(笑)だから地震学者が地震を研究することって言うのは、地球の中身がなんであるかを地震によって知るためなのね。もちろん、地震学者が観測してるのは地震波だけじゃなく、わたしが研究に使ってたGPSでも地震を観測してるはずです。今回の熊本の地震も91cm動いたとか言ってるけど、あれはおそらくGPSを使った観測でしょう。GPSというと車のナビゲーションシステムとか今はスマホのアプリとか、様々なところで使われてるけど、あれとはまた違う観測システムでそれこそmm単位で測れるような精度を持つ測位法がある(わたしはこっちの方が専門だった)。その他でも重力計とか、海底だったら電磁気とか、いろんなもので地震を観測している。ちなみに地中にある断層の存在がどうして分かるかというと、重力を測ることによって分かります。

けれど、地震学者でも大きな地震がいつ来るか、まったく分からない。何しろ、上に書いたように大きく揺れれば揺れるほど地球の中身がなんであるかが分かるんだから、彼らはいつ、どこで大きな地震が来るのかが一番に知りたいはず。が、そんなことは分かるわけがない(地震予知できてないんだから)。ので、大きな地震が来た後にすぐに現地に入って観測機器を設置する。なぜって?それこそ、余震を測りたいからですよ。大地震の後の余震はそれなりに規模が大きいし、頻繁に来るから。

てなわけで、人工地震がなんで地震学者のためにあるのか分かったでしょう。いつ来るか分からない地震を測るより、人工地震を起こして初めから終わりまで効率よく観測したい、これが目的。なんだけど、人工地震ってしょぼい規模でしかできない。あと、わざわざ地中深くに埋めて爆発させる必要性はないので、基本的に地上0mの地点になる。ということは、人工地震の波形は、直下型地震の波形と非常によく似てるのは、当然なことです。今回の熊本の地震の震源は確か深さ10kmだったと思うけど、地球の半径およそ6400kmに比べてその中の深さ10kmというと、ほぼ「地表」と考えていい。なので今回の波形も人工地震の波形と非常によく似てるはずです。中学校の理科で地震はp波とかs波って習うと思うけど、直下はp波とs波が同時なので、p波はほとんど観測されない(震源から遠くなればp波が先に届く)。

なぜか「○○大震災は人工地震だった」の根拠にこの理屈が使われることがあるみたいなんだけど、これは当たり前のことです。人工地震自体はいわゆる「小規模」な直下型地震なんだもの。この2つの地震波の波形が似てるのは当然のことなのね。

わたしが見た陰謀的な「人工地震」の映像では「人工地震がある証拠」として新聞の記事が挙げられてたけど、あの中に「人工地震が大きすぎた」って大きい見出しがあった。あれは人工地震を起こす火薬の量を間違えたのかな。とにかく「大きすぎ」って評価されると言うことは、それ以前に人工地震は「だいたい大きさこのくらいで」という見積もりをされてたはずで(おそらく人工地震を起こすためには事前の国の許可などが必要なはず。だって小規模でも爆発させるんだからね)、観測したらそれより大きい観測値が出てしまったので、記事になったんだろう。でもそれは逆に言えば起こされた人工地震は「観測される」ということが目的だったことを示してるよね。

いろいろぐぐってみると、人工地震の陰謀論とともに、人工地震のデマとか、いろいろ反論も出てきたんだけど、なんか「人工地震は地震学者が観測するためにあるもの」という根本的なことが書いてなかった。なのでこれでは「でも人工地震ってあるんでしょ?何の目的で人工地震があるの?やっぱり破壊兵器なんじゃないの?」という疑問は払拭されないと思ったので取り敢えず書いてみた。ただ、今は人工地震って日本ではほとんどやってないんじゃないかな?地下核実験場を持つアメリカとかではもちろん、核の実験とともに地球の内部のことを知るためにいろいろ観測機器で測ってると思うけど。でもあのエネルギーだって、自然の地震のエネルギーに比べると微々たるものです(こっち系で人工地震の陰謀論を否定しているウェブサイトの方が多かったかな)。

。。。まぁでも多分、「陰謀論大好き」な人は「そうは言ったって、自分の想像が付かないところで何かが行われてるはずだ!現実的に考えたらいろいろおかしいのかも知れないけど、でも本当は信じられないような技術がこの世には存在してて、それが人工地震なんだ」って思い込んでると思うので、こういうこと言ってもおそらく信じないでしょうね。だったら逆に「なぜ自分はそのような(非現実的な)陰謀論を信じられるのか」を考えると結構楽しいと思うけどね。
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04-12 Tue , 2016
びょーいん
前回、「もうこれで病院通いは終わりかな」って書いた。

精神状態はもうここ3年以上、まったく悪くなることはなく、落ち込むこともやる気が出ないこともない。

いつも思うんだけど、やる気って出すものじゃないんだよなって回復したらそう思えるんだけど、やる気が出ないときは「自分がやる気が出ないのは、甘えてるんじゃないからだろうか」って思っちゃうんだよね。これはいくら繰り返し経験してもやる気が出ない状態になったときは「今は動けない時期なんだ」とは思えず、いつもいつも「自分が甘えてるからじゃないか」って思えてしまう。なので、うつ病は精神が落ち込んだり、やる気が出なかったりする病気だけど、本質的には「自分を責めてしまう病気」なんだって、自分では思うことにした。

ときどき「新型うつ病」の人のことを責める文章を読むことがあるのだけど、わたしはあれはうつ病以上に自分が責められる状況にあると思うんだよね。「なんで他のことはできるのに、仕事ができないのか」って、人からだけじゃなく、自分でも自分を責める状況になりやすいと思うんだよね。だってなんで自分が遊べても、仕事ができないのか、自分で考えても分かるわけないもの(そういう病気だから)。でもこの病気はまず「自分を責めないこと」ができないとよくならないと思うのよ。他の人から責められるよりも自分で自分のことを責める方が自分はよっぽどつらいのね。だって、自分のことは自分自身が一番よく分かってるもの。一番自分がよく分かってる人(自分)から責められるのよ。それはもう、逃げ場がないってことで。自分の弱みが一番分かってる人(自分)から、弱いところを責められるのよ。これは本当につらい。そしてこの状況で、自分を責めないようにするのは本当に難しい。だって、自分を責める種はどこにでも転がってるんだもの。「よし、自分を責めないようにするぞ」と決断したとしても、周囲の目からその人はただ楽しく遊んでいるようにしか見えないだろう。病気を治すために自分を責めないで精神に負担をかけないように行動していても、周囲は「仕事せずに遊んでばかりいる」って思えてしまって、その人を非難する。この状態は、風邪を引いて布団被って暖かくしているのに、他人が布団を剥いで、その上から冷水をかけてるって考えると分かりやすいかもね。

うつ病も、回復するときは「自分のやりたいこと」から徐々にできていくようになる。この病気は一晩寝たら一気に全快、なんてこと有り得ないからね。そして「昨日より今日の方がマシ」とも思えないのよ。前の日はよくても次の日は原因不明で一気に落ちたりするから。自分では「治っていく実感」がないのです。でも少しでも動けると周囲は「仕事せずに遊んでばかり」に見えるだろう。まああとは、上に書いたとおり。他人に責められる状況で自分を責めない、ということがどんなに難しいか。布団をはぎ取られて風邪を治すことがどんなに困難かを想像すると分かりやすいだろう(本当は風邪になんか例えられることでもないけどね。風邪は一気に治るかも知れないけど、うつ病は一晩寝ただけじゃ絶対に治らないから)。

あー、また全然関係ないこと書いちゃった(笑)まぁでも、わたしが「うつが治ったきっかけはなんですか?」って言われたら「自分を責めることを止めたこと」って真っ先に答えるよ。「なんで動けないんだろう」っていくら考えても答えなんか出てこないんだから。精神の落ち込みも、やる気の出なさも、努力して治るものじゃない。「やる気が出ない」ときに無理して動くと余計に悪くなるし。そして、動けないときは自分を責めれば責めるほど落ち込んで、病気なんかよくならないです。それに自分を過剰に責める、というのも病気だからかなという気がする。正常な人間は自分を殺したくなるほどは自分を責めないもの。自分を責めて責めて責め尽くした結果、自分をこの世から抹殺したいって思えるのは、やっぱり病気だと思うのです。だからその中で「自分を責めないようにする」っていうのは、本当に難しいことなのよ。まぁ確かに、うつ病になっても希死念慮が起こらない人もいるけどね。

こんな達観したことを書きながらも、わたしだってやる気が出ないときは今でも「自分に甘えてるからやる気が出ないんじゃないか」ってつい思ってしまう。やる気が出ることってごく自然の当たり前のことだから、やる気が出てて何かをやるときって、本人は「やる気を出している」という自覚がないのね。だから、逆に動けなくなると「やる気はどう出せばいいのか」って思っちゃうんだろうと思う。でもやる気が出てるときは、特に本人「やる気を出す」とは思ってないんだから、「やる気を出す」こと自体、病気じゃないときも病気のときも分かってないんだよね。うつ病は何回治っても、自分がなんで治ったのか、それがよく分からない。「やる気」は病気が治って「あ、今、自分にはやる気が出てる!ということは自分は回復してるんだ」とは自覚できないから。

というわけで、精神状態の落ち込みもなく、今は自分がやろうと思ったことを、体調と相談しながらやってる状況だけど(体調と相談しながらじゃないとすぐに無理してうつに逆戻りなので)、どうも睡眠の状況があまりいいとはいえなくてね。ぐっすり眠れた日とあんまり寝た気がしない日とまったく眠れない日があって、まったく眠れない日の翌日の体調がぐちゃぐちゃで。これを解決しないと、今は病院から離れるとちょっと怖いかな、という気がしてきたので、主治医と相談して、睡眠が安定するまでまだ通うことにした。

とはいえ、睡眠剤は出されてなく、最後の処方薬だったアルプラゾラム0.4mg、これ飲むとめっちゃよく眠れるようになったので(今まで朝晩1錠ずつ飲んでたとか信じられない)、実はこれが睡眠剤の頓服として使えるかしらと思って自己判断で飲んでたんだよね~。眠れないときにね。で、今まで実はこういうことをしてたので、よかったら頓服に睡眠剤を出して欲しい、と言ったら、手持ちにまだアルプラゾラムが残ってるんだったらそれ使って、と言われたので、そうすることにした。アルプラゾラムは最後「飲まない方向で」って言われたときに「でも、一応出しておくね」って言われて、28日分(1日1錠)処方されたのね。1月の最初の頃の診察時に。それがまだ12日分くらいあったんだよね。なので「分かりました」って答えて、それで終わり。

ああ、少し睡眠について教えてもらったんだった。と言ってもわたしが「寝る前に風呂に浸かるようにしてる」とか「夜、あまり遅くまで勉強しすぎないようにしてる(脳が興奮して眠れなくなる)」とかそういうことを報告したら「それはいいですね」とか言われたのだが、一点だけ、眠れる日は「寝過ぎに注意」と言われた。確かによく眠れた日はまだまだ眠くて起きたくない、って思うことがある。でもそれで寝てしまうと、その日の夜が眠れなくなるのよね。なので、今はその注意を守って、眠くてもできるだけ早く起きるようにしている。

病院に行って、そういうことに注意して過ごしたら、1週間、まともにぐっすり眠れて嬉しかった。けど、また今ちょっと眠れなくなって来ちゃってるかな。薬はあと8錠。足りるかどうか、すんごく心配~。

ってことで、次の病院は来月の終わり。睡眠が不安定なのがちょっと気になるけど、でも、今は体調の方が相変わらずだけどここ1ヶ月はコンスタントに動けてるし、勉強できてるし、それなりに満足。

しかしね~。2回目のうつのときにデパスが1日3回処方されて、でもそれを飲んでもまったく何も効いていない感じがしててさ。その当時、父親がデパスを「眠れなくなったときのお守り」みたいに言ってて「わたしはそれを飲んだって眠くもなんともならないよ。それ飲むだけで眠くなるなんて、症状が軽くていいね」って思ってた。でも今、アルプラゾラム1錠だけで眠れてしまうわたしは、そういう意味では症状が「軽く」なってる。アルプラゾラムはデパスよりも強くないし(効き目は長時間だけども)。

人って変われるんだよね~って思ったりしてる(意味が違う)

【現在の処方】
なし(ただし、眠れないときに頓服として「アルプラゾラム」0.4mg×1)
11:56 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
04-09 Sat , 2016
おれんまね
結局3月は1つしか書けなかった(^^;
のに加えて、1ヶ月間更新しなかったら変な広告がアップされて来ちゃったので。

てか、身体の調子がイマイチなのは相変わらずなんだけど、それにまったく比例せずにどんどん忙しくなってて。

ウルトラマンスタンプラリーの駅からのメッセージも、まとめてる途中で放り投げてるし、まとめると結構面白そうだということは分かってるんだけど、これはもう時間がなくて。どうやらだいぶ先になりそう。画像の加工も必要だしね。

資格試験の方は、順調とは言えないけど、こちらの方も諦めずにやってる。民法がやっぱり理解したり記憶したりするのに時間がかかってて、総論と物権はサクサクできたんだけど、債権総論で躓いてます。何がどう繋がってるのかで頭の中がわやになり、それを整理するのが大変というか。でも「あ、なるほど」って理解できたときは楽しいなと思う。分かったときに「いや~、民法ってよくできてるよな」って思うこともあるし、逆に「なにこれ、この制度」って思うこともある。ただ、債権総論もあともう少しで終わり。各論は総論より難しくないっていうから、ちょっとペースを上げてやっていきたいと思ってる。

自分自身に関することというか、まぁその周辺なことなんだけど、いろいろ動きがあって、この1週間は特にめまぐるしく動きました。また時間に余裕が出たときは書くと思うけど、どこまで書いたらいいのか少し悩むところではある。

書きたいことはいろいろあるけど、なんせ時間がないので今後は短めの記事をちょこちょこ上げる程度になるかな。
なんか今年は明けたときからまったく季節感がなくて、確かに暖かくなって桜も咲いて散り始めたけど、それがなにって感じでちっとも実感がない。季節の移り変わりのみで嬉しかったり楽しかったりできるのって条件が整わないとできないことなのかな。

ただ、今はやることが多くて、それはそれで幸せなことだと思うし、そういう自分の環境は楽しんでるつもり。
12:03 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-10 Thu , 2016
つきあい始めて丸15年
今日、3月10日はつきあい始めた記念日。2001年3月10日からつきあい始めたから、今日で丸15年になった。

ブログ始めてから、毎年この日には何らかの日記を書いてるはずだけど、当初から比べるとすごく意識が変わってるんじゃないかな。特にここ数年は。

なんというか、一緒に暮らしてるのは慣性というか、惰性というか、そんな感じ。こんなこと書いたら彼女から怒られそうというか、ムッとされるだろうけどね。それくらい、わたしは変わってしまった。

何が原因かというと、まぁ、わたしの人生観とか死生観が変わったんでしょう。あと性格の違いというのも確かにあると思う。わたしは悩みや解決が難しいことは、ただ聞いてもらうことだけですっきりしたりはしない。聞いてもらった上で、どう考えるか、それを教えて欲しいと思う。というのは、自分でいろいろ考えてるけど、自分で考えるのは限界がある。自分ではあらゆる面から見て検討していると思ってても、やはり一人の人間が考えることはどこか偏った面からしか見ていないはずだ。だから、自分と違う他人が別の角度から見るとどう考えられるか、そういうことが知りたい。自分の中で整理のついていない話だから他人に聞いてもらいたいわけじゃなく、自分とは違う角度から検討したらどうなるか、それが知りたい。だからわたしは彼女が悩んでることを聞くと、こうじゃないか、ああじゃないかと言ったりする。でもそれが彼女はうっとうしいんだと。彼女がわたしに話すのは、ただ聞いてもらえばいいからなんだと。それがすごい腹が立つんだよね。「ただ聞くだけでいい」んなら、こっちが真剣に話を聞かずに話半分で「うんうん」って相づち打っててもそれで満足なのか?わたしは単なる「聞くロボット」か?っていうか、ただ話を聞くだけでいい、という考え方がわたしにはよく分からない。んなら誰にだって話せばいいじゃん。まぁ話の内容によって話せる相手と話せない相手がいることは分かるが。「ただ聞くだけ」ってなんかとても生産性がなく、不毛な感じがするのだ。多分傾聴だけの「カウンセリング」がわたしに合わないのはそれが理由だろう。聞いてもらうだけで物事が解決できるなら、そんなに楽なことはない。そんな楽なことを悩んでいるのかと思えてしまう。

これ、よく「男性脳」とか「女性脳」とか「男女の考え方の違い」とかに押し込められてることだけど、必ずしも男女ってわけではない。わたしは特に自分が男性脳だとは思ってない。それよりも環境的なものが大きいと思っている。

まあそんなこんなで、わたしは彼女に相談することもなくなったし(しても無駄だから)、彼女から相談されることも多分ほとんどない。てか、もともとわたしは彼女から相談されることはほとんどなかったのよ。うつ病だったから。心に負担をかける相談なんて、彼女はわたしにできなかっただろう。わたしの長引く病気が二人の関係性を変えてしまったってことは多大にあるだろう。

ただ「言っても無駄」という考えは、わたしの中に広範囲に支配してて、今では悩みどころか、何を考えてるかということでさえ、ほとんど言ってないかもね。

なんというのか。わたしの中では彼女はとても「頭のいい人」なのだ。もうずっと。出会ったときから。で、わたしは自分で自分のことを相当に頭が悪いと思っているので、わたしが知っていることくらいは彼女が知ってて当たり前だという認識がどこかにあるのよね。だから、彼女がわたしの知ってることを知ってないとものすごい腹が立つ。彼女が(わたしにとってだが)「そんなの考えてて当然だ」とか「くだらない考えだ」とかをわたしに対して言うときにすごい腹が立つのだ。「そんな低次元な考えしか持ってないの?」って。それが態度に表れてしまうのか、わたしはよく「人を馬鹿にしたような態度だ」と言われる。が、それはまったく違う。わたしは、自分の頭が悪いから自分が知っていることは最低限だと思っている。それも頭が悪い自分がとても苦労して身に付けた知識だ。だけどそんなことくらい、頭のいい人は知ってて当然だと思っている。知ってて当然だと思うから知らないとものすごく落胆する。というか、こんなわたしでも知ってることなんだから、頭がいいアンタは最低限の努力ぐらいしてろよと思う。だから猛烈に腹が立つのだ。わたしは自分が上に立って馬鹿にしてるんじゃなく、下からそう見えるから無性に腹が立つのだ。むしろ上からだったら全然腹が立たないよ。他人が知らないことについて「知らなくて当たり前」だと思えるんだから。

でも多分彼女は言うだろう。「そんなの買いかぶりすぎだ」って。だけど、わたしはそれがダメなのだ。わたしが一旦好きになったり尊敬する人になった人って、「わたしより頭がいい人」認定してるってことで、だからわたしは彼女以外の人に対しても、わたしが知っているようなこと、考えているようなことは相手は当然のことながら既に知ってたり考えてたりするのは当たり前、と思ってしまう。尊敬できる人はいつまでも自分の上にいるのが当然って、なんかどこかで自分の中に染みついちゃってるんだよね。だから、一度落胆させられると自分の中にすごいダメージがあって「もういい」ってことになってしまう。ちなみにわたしは大抵の人は「自分より頭がいい」って思ってる。自分が「最低」という認識がすごくあるから。あとそして「頭が悪いから」って言って諦めて努力も何もしてない人もダメなのです。頭悪いなら努力くらいはしろよって思ってしまうので。

まぁ彼女に取ってみれば「なんなのそれ」ってことになるかも知れないけどね。

ってことで、性格の違いやらなんやらをここ数年でやっと自覚することができたから、二人の関係性が変わって来ちゃったのかもね。

毎年3月は一年中で一番気分的に楽で調子のいい月なのだけど、今年は全然そうじゃなく、ちょっと体調がめちゃくちゃになってます。毎日勉強しなくちゃいけないのも理由だろうし、ちょっと最近精神的にいろいろ来てたので、それも原因だと思うけど、今まで不調だった背中の痛みとか息苦しさに続いて今度はめまいがして来てしまって。。ここ1週間は勉強も止めて休んでたんだけど、休んでてもあまりよくならない。耳鼻科に行ったら「良性めまい」って言われて「良性めまいはめまいがしてても休んじゃダメ。動かないと治らない」って言われたけど、めまいがしてるのに動けってすごい怖い(笑)
12:55 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-22 Mon , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その2(盛り上がってた駅のようす)
その1の続き。

去年は時間がそんなに余裕があるわけではなかったので、じっくりと駅を観察してくることはなかったんだけど、それでもいくつかの駅に行くと「ああ、スタンプラリーを盛り上げようと思ってるな~」って思える駅があった。そして、今年も。まずは去年に引き続いて大崎駅。ここは去年に引き続いて今年も何枚か、独自のポスターを作ってた。

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大崎駅の今年のキャラクターはベムスターだったんだよね。ちなみにベムスターは去年の東京駅のキャラクター。まぁ、わたしはウルトラマンの怪獣や宇宙人などについてはほとんど興味がないので、どの怪獣が人気者だったのかとかまったく知らないんだけど。ああ、駅がどのようなキャラクターを選択しているか、これを分析すると結構面白かった。「人気キャラ好き」な駅とか、逆にマイナーなキャラクターを敢えて選択してる駅とか。大崎駅は、去年もそうだったけど、今年もかな~り力が入ってた駅のうちの1つでしたね。

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よーく見ると、こういうさりげないところにベムスターもいて。ちなみにこれはスタンプ台の反対側の後ろの方にあったチラシ置きのところに貼ってあったような。あ、あと、スタンプ台の上の方にもこんなのが。上にちょこんとベムスターがいますね(笑)大崎駅はきっと、こういうポスターの図案作るのが好きな駅員さんがいるのかな?

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あと、去年に引き続いての駅はもう一つ、御徒町駅。去年はゼットンで、今年はゴドラ星人。ちなみに去年は十条のキャラクターでした、ゴドラ星人。駅からのメッセージを読むと、去年の十条も今年の御徒町も「人の姿に変身して誰かを騙した」とか書いてあるので、きっと、印象深い宇宙人だったんだろう。ただ、去年の御徒町駅は駅中にそんなにベタベタ貼ってあった記憶はないんだけど、今年はすごかった。。

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こんな感じで下の方にある「ひとこと」と「つぶやき」が書いてあったんだけど、全部で何種類あったんだろう?一応、探せるだけ探してきたんだけど。。

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これが「ひとこと」。ビミョーに同じようなものも若干入ってるけど(笑)しかしこれだけでも8種類。さらに

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これが「つぶやき」。全部で6種類だと思うんだけど。。これ以上はわたしは発見できなかった。しかし、全部合わせて14種類。すごいです。ポスター、見て回るの結構楽しかった(笑)

しかし、実はこれよりすごい駅があったんだよね、今年。っていうか、去年はまったく印象にないのは、わたしが見落としてたんだろうか。じゃーん、有楽町駅。

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キャラクターはお馴染みバルタン星人、ではなく(笑)、バルタン星人の子ども、バルタン星人Jrだそうです。こんな感じで「(スタンプ台は銀座口改札だ!)」とか書いてあるんですが。。

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なぜか手書きのままのものもあり、上から貼ってあるのもあり、、これはこれで味があるんだけど(笑)そして「順調・快調・有楽町!」。。誰がこんなオヤジギャグを考えたんだろう(笑)まぁこれはここの駅を利用しているサラリーマンに向けた言葉なのかも知れません。順調!とか快調!とか無理矢理思い込まないといけないサラリーマンなんかがたくさんこの駅を利用してるんだろうな。。(余計なお世話か)尾久駅とか四ツ谷駅ってのは、バルタン星人とバルタン星人(二代目)がいるところで、バルタン星人については、これはわたしでも知ってるキャラクターだから、かなり有名でもあり、だからこのキャラにすごいこだわりを持つ駅があるんだろうなー、って今年の駅のキャラクターを見たときに思った。だって、尾久駅も四ツ谷駅も去年も「バルタン星人系」のキャラだから。四ツ谷が去年は「セミ人間」(バルタン星人の原型と言われている)、尾久は「バルタン星人」。四ツ谷と尾久のバルタン星人へのこだわりは並みではないっすね。そして今年のこの御徒町駅もすごかった。改札を出てスタンプ台のところに行くと、

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こんなのが。さらにスタンプ台に近づくと

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そんなに並ばない人がいるのか(笑)っていうか、「勝負はまだ1回の表だ!」というのはどうやらこの「バルタン星人Jr」の口癖だそうです。「1回の表」ってのは当然野球の「1回の表」だろうけど、これも駅なりに利用している人たちを励ましてるんだろうな。っていうのは、実はスタンプ台は銀座口にあるんだけど、中央口の方に行くと

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じゃーん、こんなんがあったのです。言っとくけど、中央口にはスタンプ台はないのよ。なのに、これ。すごいなあ、有楽町駅。そしてこのバルタン星人Jrのポスターの一つ一つに「ひとこと」が書いてあるんだけど。

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ホント、すごいねこれ。わたしはたまたま中央口に降りちゃったんでこれを発見したんだけど、もしかしたら他の駅もスタンプ台置いてない出口にこんなにすごいものがあったりしたのかなあ。もちろん全部の駅の全部の出口を見て回ることは不可能なんで、他のところは見て回らなかったけどね。多分、今年、駅の盛り上げ方No.1は有楽町駅だと思います。

その他、今年から参加した羽田空港第1ビル駅。

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見たところ、4種類のポスター。ここは地下駅なんだよね。そして、去年は同じ地下駅だった新日本橋駅のキャラクターでした。あと、こんなのもあった。これは目白駅と北柏駅。

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走る子どもが多いんでしょうか。しかし、わたしが見たところ、スタンプ押してるのは子どもより大人の方が圧倒的だったけど。。てか、子どもは親に連れられるような本当に幼い子どもで、例えば小学生同士とかそういうグループは見た記憶がないなあ(笑)そして取手駅。

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これ以外にそっけなく「西口改札外」って書いてあるポスターもあったんだけど、なぜかそのうちの何枚かは「お待ちしています」が貼ってあったという。こういう統一性がないのを発見するとつい、面白くて撮ってしまう。

で、そうそう。取手駅はスタンプ台の横にこんなのが。

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かわいいよね。そして、

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取手は唯一の茨城県内の駅。茨城県マスコット「ハッスル黄門」って初めて知った。その横の猫のキャラクターも。

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左と真ん中は北柏、右は南流山で。常磐線とか東の方はスタンプ台横にちまちま飾ってある系、って感じかな?そういえば、南流山といえば、去年はここ、ウルトラマンでした。で、今年はウルトラマンジャック。ヒーローが好きな駅だよね、ここは(笑)で、去年は「当駅のキャラクターはウルトラマン!」って誇らしげだったから、今年はどうかなーと思って期待してました。

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左が去年。右が今年。今年もウルトラマンじゃなかったにも関わらず、同じように貼ってました。んで、去年は気が付かなかったんだけど、こういうポスターも。

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確かに今年は「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」なわけで、そういう意味では「帰ってきたウルトラマン」であるウルトラマンジャックは、やっぱ今年のスタンプラリーの「主役」なんでしょうね。

それから、ここからは単発になるけど。まず千駄ヶ谷駅のアボラス。

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これ、実はスタンプ台の裏側で、駅の改札から見える方向なんだけど、かわいくてつい撮ってしまった。こういうちょっとしたことがわたしは結構好きなんだよね~。ああ、そういえば千駄ヶ谷駅は去年は独自の怪獣ポスターだったんだよね。

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こういう感じの。これは去年の全64駅でも1駅だけじゃなかったかなあ?ちなみに今年は独自の「怪獣」ポスター作ったところはなかったですね。

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そして五反田のダダ。駅の改札出る前の一角がコーナーみたいになってた。後日書く予定だけど、五反田のキャラクターの選定理由は今年も笑えました。去年はペスターで、ペスターはヒトデの怪獣らしいんだけど、ヒトデ=五角形=五=五反田、が選定理由だった。今年は、、なんとなく分かるでしょう(笑)ちなみにダダは去年の西日暮里駅のキャラクターでした。

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金町駅のキャラクター「モットクレロン」の人形。スタンプ台の横に置いてあった。こういうの、誰が作ってるんでしょうか。。

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今年、怪獣のポスターは1枚もなかった浜松町駅だったんだけど、ここには「ウルトラマンSHOP」ってのがあったらしいです。そこに飾られてたのが、このウルトラマンの人形。まぁこれは、駅自体が今年選定したキャラクターを盛り上げようって趣旨ではないと思ってるけどね。

あと、番外編で。浜松町駅、新橋駅では駅で押したスタンプを提示すると、参加特典で駅周辺のお店で割引があったりしたようです。

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わたしはこれしか発見できなかったけど、もしかしたら、他の駅にも参加特典があったかも知れないですね。でもこれって完全大人向けな感じ(笑)しかし、こうやって駅周辺のお店もどんどん巻き込んでいくのは面白いかも知れないです。

その3に続く。次はいよいよ「駅からのメッセージ」編です。
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02-21 Sun , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その1(ただしスタンプは押してない)
前に書いたように、1月12日から「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」というのをやってて、今年は去年と違って初めからやる気満々だったので、日にちに余裕を持って終わらせることができた。まぁ例によって画像処理に時間がかかってしまったので、今になっちゃったんだけど。これが集めたポスターの画像。

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全65駅中、62駅。去年は池袋だけ駅にポスターが貼ってなかったけど、今年はポスター貼ってないところが3駅に増えてた。ポスターが貼ってなかったのは、

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浜松町、馬橋、亀有の3つの駅。池袋駅は今年はあったのにね。。まぁこの中でも亀有は分かるのよ。亀有の今年のキャラクターは「クイントータス・キングトータス・ミニトータス」で、上の画像を見てもらえば分かるように、どうやらこの3匹(?)が一枚の画像になったものがなかったらしいんだよね。だから、作れなかったのかなあ?って気はしてる。けど、浜松町のゼットンなんか、去年は御徒町のキャラクターで、ポスターは作れないわけないし(しかも御徒町のポスターは独自のセリフが入ってて楽しかった)、馬橋も作るのは無理っぽいとは思えないんだけどな。まぁ馬橋は出口が1つしかないし、駅出たらすぐに分かるところにスタンプが置いてあったので、案内のポスターなんかいらないって思ったのかも知れないけど、ちょっと悲しかったな~。だって、同じく出口が1つしかない三河島は、

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出口案内が書いてあるところに「三河島駅」の文字。こういうのだったのよ。これでいいんだけどなあ。。

逆に池袋駅は今年もないだろうと思ってたら、結構あちこちベタベタ貼ってあったので、とても嬉しかった。っていうか、馬橋と亀有はまったく何もポスターが貼ってなかったんだけど、さすがに浜松町は、

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こんな矢印だけのポスターはあちこちにあり、、あれ。去年の池袋駅そっくり??ま、まさか、去年の池袋駅の駅長さん、浜松町駅に転勤したりしてないよね?(笑)

去年は「全駅集めよう」って決めて1日で全部回って(その前に集めてたのが21駅分あったので)、でも、途中で「駅からのメッセージ」も集めようって決めてからもう1回回ったので、スタンプラリーに使った日数は2日だったんだけど、今年は3日。それもわざわざこのためにだけ出たわけではなく、病院行くときとか、他の用事があったついでにその方面の駅を家を早めに出て回ったりしたもの。3日の内訳は、新宿から南側+新日本橋で1日、残りの山手線+総武線、中央線沿線で1日、残りの常磐線などで1日、という感じだったかな。

山手線の乗り間違えは今回は1回だけ。例によって電車が来てて出発しそうだったので、行き先も見ずに飛び乗ったら、今来た方向だったという。。これは去年、何回も同じことをしたので(アホですね)、今年は「1本乗り遅れてもいいから、今年は行き先を見てから乗ろう」と心に決めて、結局反対側に進んじゃうってことは、その1回しかなかった。てか、1回だけで十分って感じだよね。。同じこと何度も繰り返すなよって感じだよね。。しかし、常磐線は今年もよく分からないもんだから、何回か失敗した。快速と各駅の関係がよく分からん、あれは。あと快速も何種類かあるようで、最初はよく分からんもんだから、適当なのに乗って、取手まで最初に行ったのね。そこから東京方面に1駅ずつ戻ろうと思って。で、行きは各駅に止まって来たもんだから、帰りも全部止まるんだろうと思って取手駅に来たのに乗ったら、取手の次が柏でね。我孫子とか北柏とかすっ飛ばして戻っちゃった。まぁ、柏から我孫子行きが結構頻繁に出てるみたいだったので(千代田線経由の各駅の常磐線だよね、あれ)戻るのにそんなに時間はかからなかったんだけどね。

もう一つ。亀有から北千住でさぁ、着いた北千住の駅がどー考えても地下鉄で。「あれ?ここ出たら(地下鉄の駅でJRじゃないから)お金取られるんじゃね?」って思ってさぁ、もう一回亀有に戻ったのよ。でも、亀有って千代田線直通の常磐線しか止まらないみたいで。「???」って思いながらもう一回、北千住に戻って。これ以上行きようがなかったので、改札のところで「亀有から乗ったらこっちに来ちゃったんですぅ。本当は都区内パス持ってるから、JRなんですけど(汗)」って言い訳しようと思ってたら、北千住って、直接地下鉄とJRが繋がってるのね。。多分、去年も同じ間違いをしたはず。。去年は綾瀬から乗り換えられると思って、綾瀬駅のホームをずーっと歩いてたんだけど、全然行き先が違う電車の乗り換えホームだったってことしか覚えてなかったので、北千住で繋がってたことはすっかり忘れてた。てかあそこ、本当に普段乗り慣れてないと分からんわー。

去年「早く行ける」と思って使った埼京線の渋谷駅が飛んでもなく渋谷駅から遠いので今年は使わないようにしたとか、新日本橋に行くのに、総武線快速は東京駅で乗り換えると飛んでもなく遠く、しかも分かりにくかったので今年は品川から乗ったとか、そういう「改良」した部分もあったんだけどね。そうそう、去年迷った新松戸駅から武蔵野線乗り換えも今年はスムースに行った。

なので、今年は去年と違って割と全体的に余裕があったと思うんだけどな。疲労具合も去年は死ぬほど足が疲れたって感じだったのに、今年はそんなに疲れたとは思わなかったし。

ってことでその2に続く。今回は余裕があった分、駅に貼ってあるポスターなどもじっくり見て回れたので、その部分で発見したことなどを。

【追記】

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これにも書いたんだけどもさ。東京モノレールはわたしの出身大学の上を走ってて、大学在学中はよく大学の方からモノレールを見てたもんです。が、逆にモノレールに乗ることはなかったんで、いい機会と思って狙ったシャッターチャンス。これ、うちの大学のポンド側で停泊している「青鷹丸(せいようまる)」です。その手前にチラッと見えるのが「ひよどり」挺かな?うちの大学は3つ、大きな船を持ってて、この青鷹丸が一番小さくて約160トンだったか。一番大きいのは「海鷹丸(うみたかまる)」という船で、でかいので晴海に停泊してます。海鷹はわたしが大学生だったときは確か三世だったかな。1828.66トンだったか。しかし今は新しくてもっとでかいのができたはず。わたしは大学に入るまで、学校の中にポンドがあって、そして船が停泊しているということも知らなくてね。在学中はちょっと時間があるときは停泊中の青鷹丸に乗らせてもらったりしたもんでした(うちの学生だったら誰でも乗れたはず。まぁ当時の話で今はどうだかは知りません)。ちなみにポンドの反対側、モノレールの羽田進行方向の左側に大学のグラウンドや校舎が見えます。まぁそれも一瞬で通り過ぎちゃったけどね。

前に書いた天王洲アイルのことだけど。「随分昔の話になっちゃったんで、懐かしいかも」って思ったけど、よく考えたら当時は学校から歩いて行ったので(そういえば、当初は金網に穴が空いててすぐ行けてたんだけど、ほどなくして穴が埋められて遠回りせんといかんようになった)「天王洲アイル」駅で降りるのは初めてで懐かしさも何もなかった。。
22:19 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-17 Wed , 2016
ゴールが見えてきたかも
先日、病院に行ってきた。

主治医に「薬、頓服程度にしか飲んでません」って言った。前回28日分出てたんだけど、主治医から「薬は好きに切ってね」と言われたので、調子がいいときは飲まず、なんかとっても息苦しいなあってときだけ飲んでたのだ。トータルして10錠は飲んだかな。なんだけど、7錠目くらいに「薬飲んだらだるくて起き上がれなくなる」ようになったので、そこからは半分に割って、半分だけ飲むことにしてた。そのことを主治医に言ったら「起き上がれないほどになっちゃいますか、あの量で」みたいなことを言われた。確かに、あれを1日1錠飲んでたときは、そんなことなかったんだけどね。まぁ考えられる原因とすれば、前に飲んでた薬より今回の方が軽かったので、前から続けて飲んだときはそんなに副作用がなかったけど、今回は頓服的に飲んだから、ってのと、あとは薬の成分が蓄積されると副作用が少量で起きやすくなる、んだったかな?ただ、後者の理由はちょっと考えにくい。その少し前まで飲んでて副作用は出て来なかったんだからね。だから多分、前の薬、ワイパックスが次の薬、アルプラゾラム「サワイ」0.4mgよりも随分強かったから、ワイパックスから移行したときはだるくなったりしなかったんだろうね、と思う。

で、今回はそんなわけで薬の処方はなし。ついに飲む薬がなくなっちゃった。

思い切って主治医に「いつまで病院に通うんでしょうか」って聞いてみた。そうすると「うーん、難しいんですよね~」って。だから「それは、うつ病3度目が治っても再発率が高いからですか?」って聞いてみたら「そうなんですよ」と言われた。まぁ、3回目から4回目の再発率って90%だとどこかに書いてあったので、まぁもう寛解状態になってるとしても、ほとんど再発確定なんだよね、、「予約が取りづらいので、このまま通い続けるという手もありますが」と言われたけど、わたしはもう5年近く病院通ってて、もうしばらくは病院と縁が切りたいので「いや、一回、病院通わなくてもいい時期が欲しいんですけど」って言った。わたしは安定した時期がもう3年以上続いてるから大丈夫だって思ってたけど、薬飲みながらの安定だったので、それはどうやらカウントしないようだ。あくまでも薬を飲まなくなってから、どのくらい安定しているかをみるらしい。「どのくらい安定してたら病院通わなくていいですか」って聞いたら、「まぁ次の診察の時にまたそれは考えてみましょう」って。相変わらず息苦しいのとか、背中がバリバリで痛いのとかあるので、少し暖かくなってどうなるかみてみましょうと言われた。次の診察は来月の終わり頃になった。

ということは、最短だと次の診察で終わりってことになるのかな。ちょっとゴールが見えてきたかも。

ただ、今、最近ちょっと過活動だったのか、ぶっ倒れてる。熱があって(と言っても、微熱なんだけどね)そして頭が痛い。今日は1日中寝てたけど、薬が切れるとまた頭が痛くなる。だるいくせにあまり眠れない。風邪なのかなあ。インフルエンザではないと思うんだよね。熱もそんなに高くないし。やることたくさんあるから、早く治って欲しいんだけどなあ。。

【現在の処方】
なし
22:48 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-16 Tue , 2016
朝鮮大×武蔵美×芸大「となりあえば」展に行ってきた
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時間はぐっと今に戻って、今年2月の話。

わたしがこの展示会を知ったのは、instagramだった。最近わたしはtwitterのアカウントも持ってないし、FBも全く見ない。なのでこの手の情報はほとんど得られないんだけど、なぜかinstagramのほうで情報を流してくれた人がいて、それで知ることが出来た。というか、流してくれた人は全く知らない人なんだけど、こないだ日記に書いた去年の11月の武蔵美×朝鮮大の「突然、目の前がひらけて」展に、偶然、同じ日に行ったみたいなんだよね。「同じ日に行ったみたい」というのは、観に行ったあと、家に帰ってから覗いたinstagramにその人も「来てます」って画像をアップしてたからだった。これにはびっくり!「わたしも今日、行きましたよ~」ってコメントしたんだけど、同日同時刻に行ったとしても、元々知り合いじゃないんだから、どんな人だか分からない。なので今もどんな人か知らない人。で、多分、そういうこともあって、その人はこの展示会について知らせてくれたんじゃないだろうか。非常に有難いことなんですけどね。

ただ、今回は前回と違い、事前に「この日のこの時間に行きます」という連絡をしなければならなくなったらしい。が、どうもその連絡先はtwitterのアカウントで、それを持ってないわたしは連絡できない。とても図々しい話だけど、仕方がないのでわたしはその情報をinstagramに流してくれた人に「twitterのアカウントがない場合は、どうやって連絡を取ればいいんでしょう?」ってコメントした。そしたら親切にもその人がいろいろ向こうとやりとりしてくれて「こちらのメールアドレスにメールしてください」っていうことにしてくれた。なのでわたしは無事、そのメアドに連絡して、そして行けることになったのだ。

なんでそんなめんどくさいやりとりがあったかというと、会場が朝鮮大学校の中の展示室だったからだ。要するに、校門の前で朝鮮大学校の人が迎えに来てくれて、それで展示室まで一緒に行かなければいけない、そういうシステムになってしまった。帰りもそう。朝鮮大学校の人が校門まで送ってくれる。「なんでそんなことしなきゃいけないの?」って思う人もいるだろうけど、わたしはその部分はあまりなんにも思わない。まぁ向こうにも都合ってものはあるだろう。それに実際、このシステムはわたしにとっては結構よかったなと思っているのだ。なんせ、行き帰りの間に彼らと話せるんだから。前の「突然、目の前がひらけて」は、前の日記にも書いたけど、展示している側(武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科双方)が誰もいなかったので、一言も何も話せずに帰ってきた。それはとてもつまらなかった。だけど今回は違う。展示会をやってる人と話せるのだ。これはわたしにとってはとてもよかった。おかげでいろいろ思ってることを話したり聞いたり出来た。前の日記でわたしが気になった作品について、

> (そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

って聞けたのも、実はそのときだった。

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行きに玉川上水を歩いているとき、ふと、空を見上げたら美しかったので一枚。冬の空。

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玉川上水ってよく聞くけど、実際のところはほとんど知らず。こんなに長いものなんですね。ここは本当にいい散歩コースだと思う。

14時半に学校の正門のところで待ち合わせ、と約束した割に、向こうが来てなくて(笑)なかなか来ないもんで「正門のところで待ってます」ってメール入れて。10分くらい待ったかな。実はちょうどそのとき武蔵野美術大学から予約なしで来た学生がいて、受付の前で「予約してないと入れないんですよ、今回は」って言われてたんだけど、ちょうどわたしがいて迎えが来てくれることになってるし、じゃあ、まあいいでしょうってことになった。案外、臨機応変だった。

迎えに来てくれた人はどういう顔の人だったか全く覚えてないんだけど(いただいた「となりあえば」展のパンフレットの後ろにこの展示に関わった人の全身写真が載ってるのだが、この人だっけ?それともこの人だっけ?みたいな感じ、、、行きと帰りの人は多分違ってたと思うんだけど、それすら記憶曖昧)、いきなり「朝鮮大学校に来るのは初めてですか?」って聞かれた。もう一人の武蔵野美術大学の学生さんは初めてらしかったんだけど、わたしは去年の11月に来たのが初めてだった、と言ったら「今回はこういう(迎えに来るという)形になってしまってすみません」と言われた。

「でも、こうやって外部から観に来て下さる人がいると、わたしたちはやっぱりとても嬉しいです!」って言ってた。まぁそれはそうだろうね、、やっぱり自分の描いた作品は、一人でも多くの人たちに観てもらいたいって思うのは、そりゃあ描いた人の本能だろうからね。

会場に着いたんだけど、今回は、その作品を描いた人が多分、半分くらいはいたと思う。受付のテーブルの前に座ってた。で、展示会を観に来た人は、わたしの観てる途中何人もいたけど、受付の人と話してる内容を聞くと、割と武蔵野美術大学の人が多かったように思う。

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ご挨拶

この度は、朝鮮大学校美術科、武蔵野美術大学油絵科、東京藝術大学芸術学科有志によるグループ展「となりあえば」にお越しいただき誠にありがとうございます。
2014年秋、武蔵野美術大学油絵科に在籍する、日本学校で日々を過ごしてきた金真希が朝鮮大学校美術科1年生に送った、両校の交流を望む1枚の企画書からこの展示は始まりました。両校の学生は展示会に向けて交流を重ね、今自分が表現しようとしていること、自分のアイデンティティ、互いの日常などについて対話を行いましたが、その過程で直視せざるをえなかったのが異なる日常を送るお互いの「隔たり」でした。隔たりを意識すべきかせざるべきか、互いの関係を構築する中で導き出したのが「隣人」という言葉でした。
隣人とは、何らかの壁によって隔たれ、自分とは異なる日常を送る決定的な他者でありながらも、同時代に生きる者としてふとした瞬間に交わり、私たちの日常を彩ってくれる存在です。意識しようがしまいが、私たちは常に隣人、そしてその異なる日常に挟まれて生きているのです。
昨年秋、先輩方が企画した朝鮮大学校と武蔵野美術大学を会場として開催された『突然、目の前がひらけて』では、両校の間に学生によって展示期間中橋がかけられました。それは互いの隔たりを認めつつ、同時代に生きる「隣人」として行った一つの取り組みの象徴であると言えるのではないでしょうか。
今回展示します各作家の作品は、それぞれの日常の発露であるとともに、作品同士、作品と鑑賞者、鑑賞者同士など、様々な関係における「隣人」という存在の可能性を示唆しています。
「隣人」としての取り組みがさらに私たちとあなたという「隣人」への広がり、「隣人」のいる日常への気付きとなればと思っています。
「となりあえば」展一同



まぁ来てみないと分からないことだったが、この展示は決して去年の11月の「架け橋」の第二弾ではなく、交流自体はこちらの方が先とのことだった。しかもこちらの方は武蔵野美術大学の方も「ずっと日本学校で教育を受けてきた在日、大学に入るまで民族教育を受けてきた在日、そして日本人」とメンバーもバラエティに富んでいるようで、そういう意味で、前の「架け橋」は「武蔵美×朝鮮大」イコール「日本人×朝鮮人」だったわけなんだけど、今回はそうじゃなかった分、彼らの関係もまた「架け橋」とは違ったものになっているように感じた。あとは「交流の長さ」も影響してるよね、多分。それから「若さ」ってのはあまり関係がないかな?ただ、作品の作者らはまだ現在大学2年生で、「架け橋」に比べると確かに作品はまだまだ若かったです。でも、それがわたしにとってはとても「新鮮」に思えた。まだまだこの先変わっていく可能性が感じられる、とでも言えばいいのか。なんかとても上から目線で偉そうですけど(^^;

作品を観させてもらったけど、印象に残るものが多々あった。

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もっとも印象に残ったこれだけ撮って来た。題名は「表では読み取れない否定」。この人の一連の作品も飾ってあって、それぞれとても抽象的なものだったけど、わたしは分かりやすいのよりこういう絵が好きなんだよね~(笑)ただ、その中でもこれはとても分かりやすいと思う。でもね。「表では読み取れない」って言ってても、裏の部分で使われている色が表でも見え隠れしているという。表はそれを別の色で覆われたりもしてるけど。それは時折混じる「チラチラとした本音」を表してるんだろうか。

その他、今でも印象に残ってるのは(画像には撮っては来なかったんだけど)、多分、武蔵野美術大学の在日の人の作品だったと思う。自分のアイデンティティについて、小さなキャンバス(というの?)に何枚にも描かれた作品だった。絵の上にトレーシングペーパーが被せられてて、そこに多分、その人の思いを描いたのだろう。その中でもとても印象に残ってるのは友だちと並んでご飯を食べてる絵で、そこに「友だちが味噌汁を飲み終わったときに『ああ、日本人でよかった』という言葉の自分の感じる違和感」みたいな言葉が描いてある作品。「ああ、そうだろうな」って思うの、わたし。一方でこういう「日本人」の声も聞こえてくる。「そこまで自分は少数者に配慮しなければならないのか。だったらおちおち味噌汁飲んだ感想も洩らせないではないか」と。

違うんだよな。まぁこれを描いた人は本当はどう思ってるかは分からない。分からないんだけど、わたしが思うに、問題は「味噌汁が美味しいと感じるから日本人で良かった」という言葉そのものではないと思うのね。きっとそこには普段からの日本人の言動、「日本国内には日本人しか住んでいないと思っている発言」や「本当は日本国内には日本人以外の人もたくさん住んでいるのにそれが全く見えてない発言」が頻繁に彼らの口から発せられてるんだろう。それに象徴されたものとして「味噌汁が~」になってるんだと思う。だから、普段から何気ない一言の中に「日本には日本人以外の人たちもたくさん住んでるよね(そういう存在がいることをわたしは知ってるよ)」ということが入っていれば、多分、その人が味噌汁飲んで「日本人で良かった」といってもさして気にはならないだろう、と思うのだ。なんにせよ「いないもの」として扱われるのが一番つらいこと。もちろん、何故彼らが今ここにいるのか。どういう経緯があってここにいるのか。そういうことはもっともっと知られていかなければならないことなんだけどね(でないと、「在日です」「日本語うまいですね」という会話は永遠に繰り返されるだろう)。

ただ、この作品はちょっとストレートすぎてね~。わたしはもうちょっと「わけの分からない要素」ってのが好みなのでね。

で、もう一つ印象に残ったもの。これは東京藝術大学の人の作品。あの人は何を専攻してる人なんだっけ。作品は写真にキャプション付けたもの、それから自作の冊子。そこにも写真と文章が書かれてた。故郷の、多分もう亡くなったおじいさんの話と、おじいさんがかつて住んでいた家と、その回りの風景の写真。おじいさんは戦争体験者らしい。時に軍刀を取り出して、とかいう表現があったので、多分戦争でどこかに行ったんだろう。なんか、中身には具体的にどんなことが書いてあったかよく覚えてないのだが、寂れた風景と一風変わった家の写真とともに、とにかくとてもひんやりとする作品だった。

在日が「自分は一体何なのか」というアイデンティティを模索する作品は実は描きやすいと思っている。少数者とはそんなものだ。だが、マジョリティである日本人が「自分は一体何なのか」を表現しようとすると、それはかなり大変なことだ。だって、この日本で日本人であることは大多数で「普通」のことなんだから、普通はとても表現しにくい。だけどこの人は「自分の身内」を切り取ることによってその冷ややかな視線でそれは何か、を表しているような気がした。まぁ尤も、「自分は一体何なのか」が描きたかったわけではなく、本来愛すべき身内とされているものを、それとは別の感情で遠くから冷ややかに眺めている視線、それがわたしにとってはとても魅力的に感じたのかも知れない。決して感触はザラザラとしてはいない、むしろつるんとした冷ややかさというか、いや、そこは物体ではなく乾燥して冷ややかな空気と言えばいいのか。そのような感触がとても気になった作品だった。

それからこの展示会、真ん中に机が置いてあって、そこに数冊のファイルが置いてあったのね。ええと、4冊くらいあったかな。それが結構また面白くてね。朝鮮大学校の人が2人いたことは覚えてるけど、あとは1人だったか2人だったか。4冊ともその人の「作品集」みたいな感じだった。その中の1冊、ファイルがラップでグルグル巻きにしてあるのがあって、あれも印象深かったな~。ヌードの絵を描いてる人なのか、なんか自分がヌードになった絵を描いたみたいなのね。とにかく自分がヌードになるのが恥ずかしかった、そしてその画を人に見せるのが恥ずかしかった、だったら、ラップを巻いて分かりにくくしちゃえ!という。でも描いてる絵はかなり抽象的な絵なのよ。ちょっとやらしいチックなのもあったけど(やらしいという言葉はかなり語弊で、やらしくはないんだけど、なんというか、これは男女の絡みなのか知らん、と想像できるような作品があった)。

朝鮮大学校の2人のファイル、多分、そのうちの一人はわたしが上に挙げた「表では読み取れない否定」を描いた人のものだったような気がする(なんといっても、わたしは人の名前はすぐに忘れてしまうので、気になった人の名前も忘れてしまうのだ(涙))。でも、壁には非常に抽象的な作品ばかりだったものの、その人が高校(というか高級学校)時代に描いたというファイルの作品を見ると、これまた全然違うんだよね、、なんかイラストみたいな絵ばっかりだった。「へー、こういう絵を描いてた人が、ああいう絵を描くんだ」って、とっても面白かった。

そして面白いと言えば、その朝鮮大学校の2人のファイルは、習作、と言えばいいんだろうか。「授業でこういうのを描いて、それでこういうつもりで描いて、でもこういう風に書けばよかったかなあ」みたいなことが書いてある。これはかなり面白かった。

絵、というものは、描いた絵によって表現されるべきものであり、その絵について「これをこういうつもりで描きました」と文字や言葉で表現されるってのは本来おかしな話ではあるよね。だって、そうじゃないとなんで絵でわざわざ表現するの?って話になってしまう。そして受け取る側も本来はどういう受け取り方をするかは自由なはず。だがしかし、受け取る側はいつも不安なのだ。「これ、本当にこの解釈でいいのだろうか。描いた人は本当にこういう意図で描いているのだろうか」と。描いた本人は案外「どういう形で受け取られようが自由」って思ってる人が多いにも関わらず。わたしなんか何度も表現した人から「あ、そういう風にも思えるんですね~」と言われ、「あ、そういう意図で表現したんじゃなかったんだorz」って思う場面があり。だから本当にそれは気になるところなんだよね。

なので、こういうものを見せてもらえるととても有難いし、こういうものが見られるのは、とても貴重な機会なのだ。

中にね、朝鮮画の習作なんてのがあって、それもとっても興味深かった。朝鮮画っていうのは、そのファイルを見ただけの範囲だけど、水墨画のようで、でも多色なのよ。それがとっても鮮やかでね。習作なので決してうまいとは言い難かったが、それでも「こんな感じ」というのはよく分かって。それを観られたのも、とてもよかった。

わたしは本当は歴史より、朝鮮半島の古くからの文化や風習、あとは民族音楽、みたいなのに興味を持ってる。だけど、それを知ろうと思うと案外大変なのね。もしかしたらわたしはまだ「きっかけ」というものが掴めてないのに過ぎないのかも知れないのだけど。何しろ現在はいわゆる「北朝鮮」と「韓国」に分かれてしまっているので、古くからの文化や民族音楽がそこに「共通」してたのものなのかもよく分かんない。ただ多分、明確に分かれてしまったのがここ60年の話なので、そんなの、今までの歴史からするとほんの一瞬に過ぎないとは思うんだけど、それでもわたしは「別々のもの」と捉えざるを得ない。本当なら、別々なところから情報が来て、そこで「ああ、これは同じだ」とか「これが違う」とか判断できればいいのだけど、今の日本では韓国の方からは圧倒的に情報は得られても、いわゆる「北朝鮮」からはそういう情報はまず得られない。だからいくら韓国からの方のものを見ても、それは自分の中ではイコール「朝鮮半島の文化」でなく一旦「ペンディング状態」になる。それはとても悲しいとは思うんだが、まぁでもそういう状況を作ってしまったのはこの日本、というわけでもあり(もちろん100%とは言わない)、それを考えると「どうすればいいのだろう」ということになるのだが。

まあそんなこんなで、とにかく、わたしは中央の机に置いてあったファイルもとても良かったと思う。

で、帰りにまた校門のところまで朝鮮大学校の人に送ってもらったのだが、この展示会の感想など言ったり、またはちょっと聞きたかったことなど聞いたりして、それはとても楽しかった。今回のこのグループは全員大学2年生らしいので、今後交流を更に深めて、また展示会やってくれないかな~と思った。この人たちの絵がどういう風に変わっていくかを見たいと思った。

帰りの電車の中で、もらったパンフレットに書いてあったこのグループ展に関わった3人(朝鮮大学校、武蔵野美術大学、東京藝術大学)の対談(というか一人は司会なんだけど)を読んだ。対談を読んで、この展示会は前の「架け橋」の第二弾でもなんでもなくて、そういう位置づけをしてはならないんだろうけど、わたしは正直、こちらの方が肩肘張ってなくていいなあって思った。もちろん、この中でも「歴史認識」というのは重要な作業で、それなりにいろいろあったらしい。が、今回は武蔵野美術大学の方に多様な人たちがいたためか、それとも集まったメンバーの性格に因るのか、なんか「架け橋」の時に感じた悲壮感、困惑感ってのは全く感じなくて。なんかこのパンフレットによると「架け橋」の人たちはみんな「ストイックな性格」だったようですが(笑)そして本当のところはどうだったかはパンフレットだけではよく分からないんだけど、そういうところはこのメンバーでは軽々と乗り越えてしまった感はあった。もちろん「どちらの方がいい」という問題ではないのは分かってるけど。あとそれと。「架け橋」の方は、武蔵野美術大学側の一方的な思いで、朝鮮大学校側は果たしてどう思っているのか、それが直接的にはよく分からない感じになっていた。が、今回はパンフレットを読んで分かるように「双方の対話」が分かるのね(あ、パンフ自体は前の「架け橋」もあって、それを読むと双方の対談にはなってる。が、実はわたし、あれまだ全部読んでないのです(汗)時間がないのもあるが、細かい字でたくさん書いてあるので読むの結構大変そうなので後回しになってる)。なので、今のところの感想に過ぎないけど、こちらの方が親しみが持てる展示会だったな、と。そういう意味ではどうしてもこちらの方は「第二弾」ではないんだけど、第二弾として自分の中ではつい、位置付けてしまってます。「架け橋」から進化した、という意味で。いや、本当は違うのはよく分かるのよ。だけどつい、ね。

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帰りの玉川上水。そんなに長時間観てたってわけではないのに、もう夕方の雰囲気でした。
16:12 | その他 | トラックバック(0) | page top↑
02-12 Fri , 2016
God Bless Baseball(作・演出:岡田利規)
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これまた去年の11月の話。
てか、11月の話、どのくらい溜め込んでたんだっていう。。
(それもこれも結局は画像処理がネックだったってことで)

題名の「God Bless Baseball」というのは、演劇です。
これ、作った人は「日韓関係」を描きたかったみたいです。
といっても、いわゆる「歴史問題」とこの作品は全く関係がないです。
「野球」というものを通して、日韓とそしてアメリカ、の関係を描いてます。
どちらかというと、わたしは「日韓関係」というより「アメリカ」と「日韓」の関係を描いた作品だと思いました。

てか、わたしは大学生の頃、友だちがある小劇団(といってもかなり有名だった。今でもその劇団はあるみたい)に入ってて、
友だちに「今度これやるから観に来て」と言われては、
別の友だちと連れだって下北沢までよく観に行ったものだった。

その劇は、解釈が難解で、正直「結局この劇は何が言いたかったのだろう?」というものばかりだったが、
しかし、何が何だかよく分からないけど、なんとなく考えさせられることが面白かった。

この「God Bless Baseball」もちょっとそんな香りのする演劇だった。
とはいえ、そんなに難解な劇でもなかったとは思ってるけど。

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いつのことだったかは忘れたが、偶然、豊島区の中央図書館のある建物の前を通ってたときだった。
建物の前の柱に、この「God Bless Baseball」のでっかいポスターが貼ってあった。
それに気が付いて「へー、こんなのやるんだ、面白そうだな」って思ったが、結構高かったので最初は観に行かないつもりだった。
が、とてもとても気になった。第一、わたしは根っからの野球好き。
野球好きといっても、日本の野球にしか興味はなく、大リーグは全く興味が無いし、
韓国の野球については、若干興味があって、'90年代によく買ってた「週刊ベースボール」の中に
今は知らないが、その当時は1ページずつ韓国の職業野球、台湾の職業野球のページがあり、
それはわけが分からないながらも毎回読んでいた。だから、その当時、韓国にどういう名前のチームがあるか、くらいは知っていた。まぁそんな程度の野球好き。

しかし、この作者は野球は好きじゃないという。
一体、どういう視線で野球が描かれるのか。
それにとても興味があった。

すごくすごく考えて、そして「やっぱり観に行こう」って思った。
だって、映画だったらリバイバルの可能性はあるけど、
演劇って、多分ほとんど可能性はない。
あとで「やっぱり観に行けばよかった」って後悔するのが嫌だったから。

演劇に関して、どこまでネタばらしをしていいのかはよく分からない。
いつ、どこでこの劇がまた再演されるか分からない。
しかも、この劇、わたしが観に行った時点で既に韓国では上演されていたが、
アメリカでの上演は今年だという。今年のいつかは知らないけど。

舞台装置が、面白かった。
舞台装置を作ってる人も有名な人なんだそうな。そのときは知らなかったけど。
高嶺格さんって人。

舞台中央の上部にでっかい白い太陽みたいなのがあって。。
それは、「アメリカ」であり「父」であり。
最後はその「化けの皮」を剥がすのか、それとも解体させるのか。
あれは結構象徴的な行為で面白かった。

てか、わたしがこう書いても、観てない人にとってはなんのことやら分からないなあ、これでは。

トータルで言うと舞台上に4人の人が、そして実態は現れないけど「声だけ」の人が1人、出てきます。
舞台の上の4人は、2人が日本語を話す人、2人が韓国語を話す人。1人が男性、2人が女性、そして1人がイチロー。
「声だけ」は英語。英語しか話さない。
日本語、韓国語、英語がすべて分かる人が観客ではないので、台詞の大半は舞台の左右に1つずつあるスクリーン(?)で
日本語字幕、韓国語字幕、英語字幕が写るようになってた。

面白かったのは、日本語話者=日本人、韓国語話者=韓国人、じゃなかったところ。
劇を観る人の先入観としてそういうものがある。
その認識を見事に覆してくれて「わー、面白い」と思った。
とすると、舞台上に出てきた人たちの役は、日本人はイチロー含めて2人、韓国人が1人、国籍不明が1人、ということになるのか。

最初、「野球なんてルールが難しくて全く分からない」ということが蕩々と述べられる。
んー。イライラ。。
確かにサッカーと比べるといろいろ難しいかもね。
しかし「なぜ3ストライクで1アウトなんだ」とか「なんで表と裏があるんだ」とか「なんで9回まであるんだ」と言われても、
そこに明確な理由などないわけで。だって、そういうルールなんだから!
スポーツってものは、ルールがあるからこそスポーツで、しかも野球はそんなに難しいルールではない。
わたしは野球のルールが難しいと思ったことがない。小学生の頃、テレビを見て自然に覚えた。
ただ、野球があまり好きではない人にとっては、「野球好きじゃない理由」として、
そういうところにいちいち引っかかりたいのかな、という気はした。

てか、ここまで書いて、ほとんど「話の筋」を覚えていないことに気が付いた。
印象的な場面はここそこにあるんだけど。どこでどう繋がってたのか、もうほとんど覚えてない。

日本と韓国、それぞれの野球が始まった話。
野茂英雄とパクチャンホの話。
ヘテ・タイガースの話。
「みんな背番号51を付けてイチローになろう」
イチローの背番号51と台湾の51クラブの話。
「危ないから傘の中に入っていろ」というイチローの脅し。
アメリカの声は父の声でもあった。
「本当は野球なんて好きじゃなかった!父に無理矢理に野球チームに入らされた!」と叫ぶ日本人(しかし韓国語話者)の男性。
終始傘の中に入るのを拒否し、舞台装置に立ち向かう、国籍が明らかでなかった女性。
徐々に壊れてドロドロになっていく舞台装置。

野球、を巡っての話のはずだが、国の関係性も象徴している。
そういう意味では日本も韓国も同じ。

だから最初に書いたように「日韓関係」というよりは「アメリカ」と「日韓」との関係を描いた作品のように思えた。
だって「日韓」の配役と言語は入れ換えられるけど、「アメリカ」の言語は他とは入れ換えられない。
「アメリカ」は「英語」じゃなくちゃいけない。

面白かったです。
11:58 | (一般)映画・演劇のこと | トラックバック(0) | page top↑
02-11 Thu , 2016
第685回東京YMCA午餐会「ドイツの今」
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これも引き続き去年の11月の話。

まぁこれもひょんなところで知ったんだけどね。
てか、「午餐会」ってどう考えてもとってもキリスト教的な香りがするじゃん?
「午餐」の「餐」の字なんて「最後の晩餐」の「餐」と同じ文字だし(とてもくだらないこと言ってるような気がする)。
しかも場所がYMCAって、そりゃ、当然にキリスト教的なところでしょって。
なので、事前に予約するときに「キリスト教の信者じゃなくても参加できますか」ってメールで問い合わせしたら、
「信者じゃなくても全然構いません」
って回答が来たので、なら、参加しますってことで。
ご飯付きで参加費3,000円。

あー、参加の理由は単純な話。

「ドイツはなぜ今現在も謝り続けることができているのか」

これについて知りたかった。いや、もっと言えば、ドイツだって敗戦直後からずっと謝り続けていたわけではない。
強制的に働かされた人たちがアメリカの裁判所にドイツの企業を訴えた、ということだってあった。
(その昔、アメリカでは自分の国と全く関係ないものについても裁判できたそうな)
その補償は最初はごく一部の人たちだけだった(これは結構有名な話で、例えば強制収容所に入れられたユダヤ人の補償は真っ先に行われたが、同じように入れられた男性同性愛者についての補償はもっとずっと後だった)。
ドイツだって最初から率先して謝罪行為をしていたわけではない。
それがどうして、いつ、それが変わったのか。
どういうことがきっかけだったのか、その当時の国民の間ではどういう議論が起こったのか。
それが知りたかった。

というのも、この年の8月14日に「戦後70年 東アジアフォーラム-過去・現在・未来-」というイベントに出席してきたのだが
そのイベントにドイツから「記憶・責任・未来」財団の理事会アドバイザーって人が来ててね。
いろいろドイツのことについて話してくれたというか、わたしが印象的だったのは、第一部の記念講演の方ではなく、
課題別シンポジウムの方で話されたことなんだけど。

ドイツでは、今まで国防軍による「売春宿」(レジュメを翻訳した人によると、原稿を日本語に訳すときに「慰安婦」という言葉を最初は使っていたのだけど、どうも「慰安婦」という言葉にそぐわない。実態から考えると「慰安婦」よりも「売春宿」の方が適確だろうということで、この言葉に訳した、とのことだった)での女性強制性労働については全く注目されてこなかった。それはなぜか?「あった」んだけど、その他の方が中心となってしまって(ドイツはアウシュビッツなどの方が大きかったので)、それにかき消されてしまった、とは言っていたけど、やはりその中にも「その問題はとるに値しない問題」として放置されていた現状も確かにあった、みたいなのね。

で、その人は「この問題(慰安婦問題)は日本の方が進んでいます」と言っていた。
が、わたしは「そんなのすぐにドイツに追い抜かされるよ」って思った。
だって、その姿勢が全然違うもの。

しかし、そこでは「国民が自分たちが加害行為をしたことについて、どう思っているのか」ということは一切話されず、
というか、話す人が「そりゃ、謝罪するのは当然でしょ。で、どうすればそれが『謝罪』になるかなんだよね。それはやっぱり補償金払うことだよね」
という感じだったので、「こりゃ、次元が全く違うわ」と思い、
(しかし、補償金を払えばコトは済む、という趣旨で言ってるわけではもちろんなく、
根本に「謝罪し続ける姿勢」は絶対に忘れてはならない、その記憶は未来にも引き継ぐ、とのことでした)
それで「なんで日本とドイツはこんなに違いがあるんだろう?」と思って、
その後に一冊「日本とドイツ ふたつの『戦後』」という本を読んでみた。
なんか、そのことについて書かれてるかな、と思って。
んだけど、わたしが知りたかったことは全く書いてなかった。
(多分、これに関しては、別の本が出てると思うので読んでみたいのだが、今は時間が、、)

ちょうどその頃にこのイベントのことを知り、
「あ、じゃあ、ちょっといい機会だし、参加してみるか」って思ったのね。
だって、ドイツのこと、わたしは本当に何も知らないのだもの。
大学の第二外国語もドイツ語じゃないし。

会場に入ったら、その雰囲気の違和感に圧倒された。
まぁ、偏見と言ったら偏見なんだろうけど、ものすごく宗教臭い。
来てる人の雰囲気が、来てる人はほとんど高齢のおっさんばかりだったのだが、
なんというか、上品というか、穏やかというか、ちょっと気持ちが悪い感じ←
大声でゲラゲラ笑う下品なおっさんとか全くいない。

しかも会場の中ではうっすらクラシックのような上品な音楽が流れている。。
(こーゆーところは、わたしみたいなガサツな人間はそぐわない!!)って心の中で思った。

取り敢えず、お重のある席に座った。

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三段重ね。食べてるときに弁当の中身の画像を撮りたいと思ったんだけど、
それは恥ずかしいので止めました。まぁ普通の仕出し弁当でした。

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時間になり、式次第通りにコトは進んでいく。

最初の「開会の祈り(食前の感謝)」は、ホント困った。
って、もう何を話されたか具体的なことは覚えてないけど、雰囲気に違和感を感じて困ったことだけ覚えてる。
あ、例え他の人がみんな手を組んでお祈りしてても、わたしはしません。
だって信じてないんだもの。形だけマネしても意味ないし、第一信じてる人に失礼じゃん。
と思って、葬式以外の宗教行事に対しては、そういうときはただただボーッとしてます。

次の「Peace」ってのは、要するに「いただきます」ってのと同じことだと理解した。
「前と左右の方とご挨拶」と式次第には書いてあるが、
そうそう「Peace」とは言えんわな。

で、黙々とご飯を食べる。
てか、なんか緊張してご飯はどこに入ったのかさっぱり分からん感じだった。
だいたいわたしは人見知りなので、こういうときはまず誰かに話しかけたりはしない。
そして、わたしの外見はとても話しかけづらいのだろう。
誰かから話しかけられるという経験もほとんどない。
しかし、心の中では「誰か、わたしに話しかけてよ~。ここに迷える子羊ちゃんがいるんだから」と思っている。
まぁそんなことはどうでもいいか。

ご飯を食べ終わったらいよいよ、今回のゲストである小塩節さんって人のお話が。
てか、この人、結構有名な人らしいのよね~。
NHKのドイツ語講座とか担当した人らしい。
てか、その前に駐西ドイツ大使館公使、だったらしい。
大学の先生でもある。
1931年生まれって書いてあるから、結構なお年の人。

話は確か、日本とドイツの関係、から話したと思う。
てか、ほとんどもう覚えてない(^^;

最初にドイツに日本を紹介したのは、ケンペルって人で、この人は将軍綱吉に会った、とか。
で、そこで「小鳥だったら」という古いドイツの歌があるのだが(わたしはこの歌、小学生の時に習った)
それを将軍の前で歌ったらしい。
というわけで、そこで小塩さんはドイツ語で「小鳥だったら」を歌いはじめた!

小鳥だったら小鳥だったら飛びたいな
海を越えて 海を越えてどこまでも

青い空は青い空は広いんだ
だけど僕は だけど僕はチビだもの

大きくなったら大きくなったら飛行機で
世界一周だ 世界一周だ僕の夢

世界一周だ 世界一周だ僕の夢

ま、こんな感じの歌詞でわたしは習ったんだけど。
ただ、「飛行機で」とか、まぁ綱吉の時代にあるわけないから、
この日本語の歌詞はとってもとっても新しい、ってことだろう。
だけどメロディー自体はとても古くからある歌なんだってね。知らなかったけど。

あとはシーボルトとシュリーマン、だったっけな、日本と関係したドイツ人。
シーボルトはドイツに日本のイチョウを持って帰ったんだってね。

一番印象的だったのは、森鴎外の話だった。
てか、結局その話で分かるだろうけど、戦後のドイツの補償とか、そんなことについてはほとんど話さなかった。
まぁ、そうだよね。大学の専門、別にそういう関係ではないし。

森鴎外がドイツに留学して、そしてドイツ人の恋人がいたってのは有名だろう。
だって本人が「舞姫」とか書いてるもんね。
でも、どうやらその恋人を「捨てた」ってわけじゃなく、毎月お金を送金していた記録が出てきたとか?
それから、脚気の話もしたな。
当時、脚気の原因は分からなくて、陸軍の方はぴかぴかの白米が配給で食べられることが
当時の兵隊にとってはとても喜ばれて、でも、白米は配給でも、おかずの方は自費だったので、
みんな梅干し1つでご飯何杯も食べてたとか。で、脚気になっちゃった。
海軍の方は麦飯混じりで、それがとても不評だったけど、脚気の人はいなくて。
でも、不評だったので白米に変えたら、脚気が蔓延した、とか。
しかし、これと森鴎外の関係はなんだったか忘れた。
森鴎外は陸軍の軍医だったんだけどね。

あと、森鴎外の出身地は石見の国、だから島根県、になるのかな?
いや、津和野だから山口か。(津和野は島根県です!よく「萩・津和野」って観光地で一緒くたにされて、そして萩の方は山口県なので、津和野も山口だと思ってた時代があり)
彼の墓のことはとても有名だけど、
でも、生前、森鴎外は地元に1回も帰らなかったそうだ。

その理由はどうも、長崎から隠れキリシタンが津和野に連れて来られて、
そこで虐殺かなんか起こったんだよね。森鴎外の父親がそれに関係してたか、幼い森鴎外がそれを見たのか。
そこは忘れちゃったけど、どうやらそれですごい「贖罪の意識」があったらしい。
だから、死ぬまで故郷に帰らなかったんだと。

とはいえ、森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったらしいが、
しかし、著作の中に(なんだったか忘れた)とてもキリスト教的な一説があるらしい(それも忘れた)。
森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったけど、キリスト教的なものは彼の中にはあったのではないか、
そんな感じの話だった。

あとはドイツの経済的は話を少し。
あのときはちょうどフォルクスワーゲンの排ガス不正問題が大きかったときだったので。

てなわけで、今、覚えている話はこれくらいしかない、、、

まぁ、自分の知りたいこととは全く掛け離れてた話だったが。
しかし、「集団の中に入って感じる違和感」ってのが、この頃のわたしにとっては非常に面白く。
というのは、この国に住んでて、「違和感」を感じるときって、あまりないんだよねえ、わたし。
なので、この場所も結構わたしにとっては「おー、違和感、感じてる、感じてる」と思ってたんでした。

ただ、この頃は自分にとって割と違和感のあるところにばかり行ってたこともあり、
たまに違和感のない場所で、違和感のない人たちとしゃべると、とっても開放的なんだなあ
ってことも感じてて、人間って面白いなあって思ってました。
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02-10 Wed , 2016
武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展に行く
これ、去年の11月の話です(^^;

なんの記事にしてもそうだけど、画像を挿入する場合は、画像をそのまま使えなかったりするので(ここのブログの設定が、画像1枚2MB以内に決められてるのでそれに合わせないといけない)そういう作業で書くに至るまでの時間が結構かかる。旅行記が止まってる理由も同じです(^^;旅行記の場合は画像の選択などもあるので、その作業すらめんどくさい。。

という言い訳はこれくらいにして。

わたしが行った、この、武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展は、新聞記事などにもなってたので、結構色んな人が知ってたんじゃないかと思う。2015年11月13日から21日まで武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の共催で行われた展示会だ。といえども、実は展示会ではなく、両校の間に掛けられた「橋」の方に焦点が当てられていたような気がする。というか、わたしも行く前まで「橋」が作品だと思ってたし、行ったときにギャラリーに展示されてる絵はあったんだけど、ほとんど鑑賞するという感じじゃなかったから。行った後に「しまった、もう少し個々の絵をちゃんと見てくればよかった」って思ったほど。なので、当然のことながら撮って来た画像も橋やその周辺のことが中心になってます。そこのところは今でも本当に残念。。

さて。武蔵野美術大学と朝鮮大学校、当然のことながら(と言っていいのかは分からんが)今まで無縁だったので行ったことがないところです。正直、芸術系の学校なんて、本当に無縁なので「一体、どういう人たちが通ってるんだろう?」って思ってドキドキしたほど。ただ、最寄りの駅から歩いて20分ばかりかかるところにあるんだけど、行く途中は玉川上水のほとりをずっと歩く、本当に景色の素晴らしいとこだった。

展示室は学校の中にあるので、当然学校の門をくぐらないといけないのだが、迷わず武蔵野美術大学の方から入った。てかやっぱり朝鮮大学校にいきなり行くのは怖いって思いは確かにあったのは事実で。で、わたしが到着したときはお昼をちょっと過ぎてたので、お腹が空いててね。駅前はご飯が食べられるところが見つからなくて(かなり寂れてたので驚いた)、なので「あ~、どうせ学校の中には学食あるしな」って、展示を見る前に学食でなんか食べようって思った。で、校門のところにいる守衛さんに「今、朝鮮大と共同の展示会が、、」って話しかけたらすかさず「ああ、『かけはし』ね」って言われ。そのときに初めてこれが「架け橋」って呼ばれてることを知った。守衛さんはわたしに「あちらでやってます」って教えてくれたんだけど、その前に「すいません、お腹が空いたので学食に行きたいんですけど」と聞き直したら「じゃああちらです」って教えてくれた。「こういう形の建物で」って教えてくれたんだけど、初めて学校の中を歩く時ってなんであんなに緊張してしまうんだろう。

案内された建物の中に入って、地下1階の学食に行く。

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どうやら守衛さんに教えてもらったのは「第二食堂」らしい。てかなんで第二??第一はどこなん?「第九じゃない、第一だ!」ってかなり古い上にローカルなネタですが(笑)、まぁそれは全く関係がないとして、なぜ第二を教えてくれたのか、今でもそれは謎のうちの1つだったりする。。第一は古いんですかねー?別の校舎にあるんですかねー?

ショーウィンドウにいろいろな食べ物が載ってたが、こういうのから選ぶのはかなり苦手なので、無難なところで味噌ラーメンにする。こういうところで迷ってると部外者だとすぐにばれてしまうので(実際のところ本当に部外者なのだが)「いや、いつもここ使ってます」みたいな顔してようと思いつつ、やはり食堂のシステムがイマイチよく分からないので、まぁ思いっきり部外者でしたね(^^;

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確か「特製味噌ラーメン」だったか?味はまあまあだった。で、座って食べてると机の上にあったこんなのが目に入ってきた。

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「なにこれ?」と思って読んでみると、何故この学校に自分はいるのか、みたいなことが書いてある。一瞬「これって受験生向け?」って思ったんだけど、11月って全然受験の時期じゃないし。それに学校が作ったわけでもなさそう。家に帰ってから調べてみたら、これ作ったグループがあるみたいね。ただ、エピソードは今のところこれが最新みたい。残念、結構面白かったんだけどな~。でもこういうのを作って制作して学食に置く、なんてさすが美術系大学だなあ、なんて思った。

それ以外にも、これはまったく撮ってこなかったんだけど、学食の入ってる校舎はいろんなチラシが置いてあったり、貼ってあったりして、これも芸術系だなあって思った。いろんなチラシってのは、美術展もあったけど、なぜか演劇のお知らせなんかもあって、あー、こういう活動してる人が多いんだなあって思ったり。あと、学内のところに作品らしきものがちらほら見えたりして、そういうのを観察するのも面白かった。ただ、美術系の大学だからと言って、構内を歩いてる学生は他の大学とそんなに変わらない気もしたんだけどね。もっと派手な人とか歩いてるかと思ったのに(ってこれは偏見か(^^;)。

特製味噌ラーメンを食べた後、早速展示会の会場に。ただこの展示、学内に知らせるチラシなどは一切見当たらなくて「本当にこっちなの?」ってちょっと不安を覚えたよ。だいたい校舎の前ですらなんの知らせもないんだもの。。でも、そこの校舎に入るときに、ぷーんっていい木の香りがしてね。なんと言えばいいのか、えーと、材木置き場の匂い?それがとっても印象的だった。でも「なんで木の匂いが??版画とかで使ってるとか?でも版画の木でこんな校舎中匂うような木ってどんなに巨大な木なんだ?そんな版画があるんか?」ってわけが分からなかった。そんで誰に聞いたんだっけな、ああ、受付にいたあの子かな?「ここの校舎に入るときに木のいい匂いがしたんですが、あれはなんですか?」って聞いたら「木の匂いなんかしますかねー?ああ、多分彫刻学科でしょう」と言われた。彫刻!確かに版画より匂いそうだね←?

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これ、会場に着いたときに一番に目に入ったもの。でも、その横の展示室は

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これ、だったのよ。この時点でよく分からなくなってて。「え、橋じゃないの?橋はどこ?」って感じだった。結局、その場でいろいろ見た結果、橋はただ、両校の展示室を繋ぐものに過ぎない、ってことがようやく分かったのね。記事でもなんでも「橋が架かった」ってことに焦点が当てられすぎてて、そこに何か展示してるものがある、なんて知らなかったのよね。しかも、この橋を架けるということの作業が注目されすぎて、わたしもそのときはそこにしか目が行かなかったものだから。。画像には一切、人は写り込んではないんだけど、実際のところ結構人は来てた。思ってたよりたくさん。ちなみにわたしが行ったのは、17日(火)なので、平日の昼間にも関わらず、って感じだった。

取り敢えず中で何をやってるのか全く分からなかったが、中に入ってみた。展示してある絵は観たんだけど、あんまりしっかり観てない。。入口のところに橋を架ける際に話し合った年表(と言えばいいのか)と、そのときにメンバーが思ったことであろうことが付箋に書いてあってそれが貼ってあった。これも全体図を撮ってくるのを忘れた。。

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まぁ、こんな感じで書いてあったり貼ってあったりするものです。これが2mくらいあったかなあ?初めから読んでいると、もう、そのものが「わたしが思ったことがある」こと、だった。。この中には武蔵野美術大学側、の人たちが思ったことしか書いてないのね。朝鮮大学校の人たちの思いは直接自分で書いたものではなく、話し合ったときの印象深い発言を武蔵野美術大学の人が「書き留める」というだけ(例えば上の画像で行くと「チョンオギ『ふわふわとした嫌な気分』」の付箋など)。思いは一方方向、なのです。マジョリティー側の思い。最初の方は「会話噛みあわず 何を話せばいいのやら」とか「お互いを知るとは 一体どういうこと」などの途惑い。

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「ただ一緒に展示できればいいの?どういう展示にしたいの?」「展示会の意義を考える。どういう姿勢で?」「ちょんおぎが書いていた(書簡に)「多文化共生」「異文化交流」について ちょんおぎにとってそれらはどういうもの?」

まだまだここから始まったばかり、という感じ。でも当然のことながら、展示会、まぁ世の中にはいろんな美術作品の展示会があるけど、みんなこういうこと、真剣に考えてやってるんだろうな。共催となれば、ましてやいろんな立場が違い過ぎる人たちと一緒にやるということってね。

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「在日20世はどうなっていると思う?」

実は、わたしにとってはこの言葉がそのときはとても印象深かった。というのは、前の日記に金民樹さんのマダン劇「我が家のイヤギ」を観に行ったことを書いたんだけど、その劇の一番最後に年を取っておばあさんになった主人公がいうのね。「在日一世、二世、というのはこの日本で一歩、また一歩歩むということなのかも知れない」って。だからその言葉を借りると在日20世、ってのは、20歩歩んでる人、になるんだよね。これを見たときは「おお!」としか思わなかったけど、今はこの言葉はとても複雑な思いをわたしの胸の中に抱かせる。

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「在日問題、歴史認識について聞く 他人事みたいですよねといわれ凹む」「私の立場とは?」

両者間に避けては通れない話が出てくる。でも、わたしを含め、ここら辺の歴史認識、というものは圧倒的に知識がない。それはちょっと掘り返すだけで「日本の加害行為」が出てきてしまうからだ。なので表面的なことしか教えてもらえない。だから「他人事みたい」と言われてしまうのだろうし、逆に実際問題として最初は「他人事」の認識しか持てないのだろう。「自分がやったことではないのに」というのが、今、ほとんどの「日本人」(敢えてこの言い方)が思っていることだろうから。まぁでもそれを逆に「日本人側の被害者」としてよく扱われる「被爆者」に向かって同じことを言えるのかね?とは思う。「あなたが受けた被害はわたしにはなんの関わりもないからわたしには関係ありません。あなたの痛みはわたしには全く理解できません」と被爆者に向かって言えるかどうか。多分、そっちの方は言えないか、これを言ってしまえば自分はなんてひどい人間なんだって思ってしまうと思う。しかしなぜ一方では「わたしがやったんじゃないから関係がない」と言えて、もう一方には「関係ない」と言い切ってしまうことに躊躇いが起こるのか。「日本のやった加害行為はわたしには関係がない」と言い切れる人は、ちょっと考えてみた方がいいかもね。

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「大学の政治性というものをちょっと知る。うまく企画が運ば(れ)ない。」

この展示は自分たちの内面との戦いだけではなく、外側でも戦わないといけないものであったことが垣間見える付箋。確かにそういう部分は大いにあっただろう。特に「朝鮮大学校」とのやりとりに関して、自分たちの思うとおりに話が進まない、という場面は相当あったのではないかと想像されるし、「朝鮮大学校との共催」ということで(武蔵野美術)大学側、もかなり慎重になったのではないかと推測される。ここをどういう風に考えるのかは難しいと思う。わたしも一言では言えないし、ましてやこんなところには言わない(笑)ただ、わたしが今思うのは、まずやらねばならないのは「相手を知ること」だと思う。政治性は本当に難しいとは思うし、相手を知ったところで考え方は相容れないんだから、どうにもならないことももちろんあるのだが。。しかし、それでもまず、相手のことは知らなければならないと思う。

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「個と個の対話にこだわっていたが マイノリティ、マジョリティの枠にのっとって話すべき(?) (多分イライラしていた)」「結果、何もいえなくなった。はれものをさわるような感覚。これでは日本人と在日朝鮮人がとなりにいるヴィジョンが見えない」「自分が日本人であることがマジョリティであることに無自覚だった。(知らないことの暴力)きずつけていた」

ここら辺になると徐々にわたし自分がかつて同じことを思ったこと、その当時(これを見た去年の11月17日当時)も同じように思っていたことがどんどん出てくるようになる。でもわたしはこの人たちが羨ましかった。だって、彼らは「対話」を通してこのように感じているのだから。わたしはいろんなものを読んだり聞いたりして同じようなことを徐々に感じ始めてきたから、この思いは誰にぶつけることも出来なかった。もちろん、これを書いた人もだから相手にぶつけられた、ってわけではないと思うけど。自分が「マジョリティ」と気付いてしまったら、もうその気持ちは素直に「マジョリティ」の人たちにはぶつけられなくなってしまうのだから。でも、わたしは彼らが直接、人とかかわり合いになれるのが、とっても羨ましかった。わたし、自分の中にこういう感情を抱えているのが本当に苦しくてね。苦しくて苦しくて仕方がないときがあった。誰かに言いたくても誰にも言えなかった。相談したくても、相談出来なかった。

けど、もう一方の面から考えてみることがわたしにはできる。そう。「性的少数者である自分」としてからの面。相手を「異性愛者」として考えた場合、相手方の気持ちも分かってくるような気がする。「異性愛者」は何も苦労せずこの世を謳歌している。誰かを好きになって、向こうも自分を好きになり、つきあい始める。そのあと結婚という選択肢が目に入ってくる。そう、選択肢。「結婚する、しない」を「異性愛者」は自分の意志で自由に選ぶことが出来る。社会の仕組みが、自分が別にそう願ってなくても自然に整っている。「婚姻制度」の枠の中に入ってしまえば、相手は自分の配偶者となり、多大な権利が得られる。税金の仕組みの中にも相続の仕組みの中にも入れる。そういう法律的なことだけに限らず「妻です、夫です」と言えば、周囲はそれを完全に何の疑問もなく受け入れてくれる。相手が病院で意識不明になったときも「あなたは患者と血のつながりがないから病室には入れません」とは言われない。敢えて婚姻制度の枠の中に入らない人たちも、すべてではないが、ある一定以上のことは「結婚したもの」としてみなされる。そして「異性愛者」はそれを生まれたときから「当然」にあるものとして考えている。いや、もしかしたら「当然」とも思わないで暮らしているかも知れない。

そういう「異性愛者」の「あって当然」の無邪気な姿を見ると、わたしは無性に腹が立つ。「何も苦労せずに権利を得られるくせに、その上何も考えないで過ごせる身分なんて」と。しかし、それを言われた「異性愛者」はただ途惑うだけだろう。「え、だって、生まれる前からそれがあったんだし」って。そして逆に自分の持っている権利の大きさを自覚してしまったなら、持っていない相手に対して「自分という存在だけで相手を傷つけてしまうのではないか」と思って何も言えなくなるだろう。

結局、だいたいそういうことなんだよね。わたしは、この2つの立場を「日本人としてのマジョリティ」と「性的少数者としてのマイノリティ」という2つの面から見ることができるので、置かれた境遇についての双方の気持ちはちょっと理解できる。が、だからといって在日朝鮮人のこと全部分かるわけではないし、っていうか、だいたいそんな感じの気持ちだろうくらいで、その複雑な感情のすべては到底分かりっこない。在日朝鮮人の問題は、歴史問題が絡んでるし、戦後はすぐに国から一方的に日本国籍剥奪など、本当に理不尽な目に遭ってるのだから、そこのところは性的少数者の問題とは全く違う。そしてこんなことは有り得ないけど、それらのことが全部分かったとしても解決方法なんか見つかりっこない。マジョリティとマイノリティの間には、本当に深い溝があると思う。そこを埋めようと思っても埋められるものではないし、だから結局、「お互いの溝がなくなり、みな平和に暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」になる話ではないのだ。そしてそのことは、今回の「架け橋」に象徴されていることでもある。壁をなくせばいいという話ではない。壁は自分たちを守ってくれるものでもある、しかし、わたしたちは双方お互いに相手のことを知り合わなければならない。そして壁を「乗り越える」ということは、果たしてそこにどういう意味があるのだろう。そこのところを来た人たちにも考えてもらいたい、そんな展示だったのだろうと思う。

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「会って話すうちに以前にも感じていた居ごこちの悪さを思いだす。」「朝鮮大と武蔵美、そして境界にある橋。これだけで交流など内示的意味が成立する。」「『安易な友好ではない』というのは、ただ明るくポジティブな関係だけでなく、どうしても理解できないことがあったりして、何もトラブルなくスイスイと交流が進んできたわけではないという思いから。『交流』を全否定しているわけではないし、明るく楽しいことも色々あった」「北朝鮮という呼び方は日本が国として認めてない」「というハナシもあるが、、。差別語ではなく、今はふつうの呼び方として定着してきた感。」

きっと、これを読んでる人の中で「なんでこんな思いをして彼らと付き合わないといけないんだ、自虐的だ」って思う人もいるかも知れないと思う。が、本当にそれでいいのか?とわたしは思う。自覚していないマジョリティから、自覚し始めたマジョリティへ。そこに進むうちにどうしても「居心地の悪さ」というのは感じてしまう。わたしも「異性愛者」に言われたことがある。「性的少数者はいろんな人がいるので、自分が何かを話すと傷つけてしまうのではないかと思うと何も言えない。性的少数者のことを知れば知るほど、怖くなる」って。でもわたしはそれに対してどう答えればいいのかよく分からない。だって、それは「異性愛者」が今まで何も知らなかった、考えてこなかった証拠でしょう、って。今まで権力を持ちながらそれに無自覚だったのはあなたですよって。あなたたちは今までわたしたちを「いないもの」として扱ってきたでしょって。「いないもの」にされてわたしはどんなに悲しかったか、寂しかったか。そしてこれからもその思いはきっとまだまだ続くでしょう。でもマジョリティは「見て見ぬフリ」ができるから、「居心地が悪い」と思ったら、その場から立ち去ることが出来るだろう。そして一生、そういう人たちと関わらなければ、その人達が感じているつらさや生きづらさなんて無視して生きられるだろう。でもそれは、果たして「人間」として許されることなんでしょうか。「関わると自分がつらいから」という理由だけで見て見ぬフリをして生きていくのは人間として正しいことなんでしょうか?(本当は「正しい」という言葉を使いたくはないんだけど。この言葉嫌いだから)そこのところをもっとよく考えてくださいよ、と。

いわゆる「北朝鮮」という言葉。これがどうなのか、と判断することはとても難しいと思うし、実はまだ自分でもよく分かっていない部分がある。ただ、これも前の日記に書いたように、日本人(この言葉の使い方は本当に難しい)にとっては彼の地は「朝鮮半島」であって「韓半島」ではないわけなんだよね。そうするとただ「朝鮮半島の北の方にあるから」ってことで「北朝鮮」と読んでるだけ、という感覚なんだろうと思う、日本人はね。けど、「朝鮮半島」「韓半島」と2つ呼び名があるように、ここは政治的なイデオロギーが絡んできている問題である面がある。そしてそこの日本人の感覚ってのは「蚊帳の外」なわけで。なのでこの問題、あの国をどう呼ぶか、という問題については、わたしは今のところ本当のところは「よく分からない」んだよね。ただ、彼の国を「いわゆる『北朝鮮』」と呼ぶわたしは、やっぱり日本人としての感覚が主である、という認識を強くさせられることではある。。

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「歴史との向き合い方、受け止め方 まだどうやって関係すればいいのかわからない」「対話とは?不可能でも続けるとは?何かを知る、わかるってどういうことか迷走中、、、。わたしはずっとリエちゃんとチョンオギにとっては?マジョリティの市川なのか?」「在日問題について調べてもネットでまともなサイトを探すのが難しい」

ネットでこの問題について検索しても、マトモなサイトが見つからない、というのは本当にそうなんだよね。引っかかるのはおどろおどろしい「真実系」のサイトばかりで。まぁ確かにごく少数ですがまともなサイトは存在する。けども、手っ取り早いのは本を読むことかなあ。徐京植さんが書かれた「在日朝鮮人ってどんなひと?」なんかは中学生向けに書かれているので割と平易な文章で読みやすいと思います。

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「たくさん話した。バーっと吐き出すように話した気がする。」「2人にとってマジョリティとはと質問して意外とふわふわ?していた。未来の日本人も加害者なのか」「属性とは。切り離して考えることができること?」「自分の悪質な種?のようなものに気付く。はっきり分かったし、自ら認めた。その存在に」「マイノリティー/マジョリティー? 被害者/加害者? ずっともんもんとしていた土屋がその思いを言葉にできて嬉しそうだった。土屋もリエも身(ママ)をひらいたミーティングだと思う」「10月5日 話したいこと聞きたいことが話せて すごくよかった」「『あ!』りえちゃんとちょんおぎに自分がマジョリティとして自分が思っていたより強く?見られていることを実感する」

時は10月くらいらしいので、展示会のおよそ1ヶ月ちょっと前、というところだろうか。いろいろ話し合っていくうちに、徐々に何か発見するものや感じるもの、そしてそれを言葉に出して言えるようになった、ということだろうか。「悪質な種」、については、この人が感じたものとわたしが認識してるものはもしかしたら違うのかも知れないけど、わたしの中にも「悪質な種」と言えるものは確実にあるし、これはもう自分の中からは消し去れないだろうなと思う。けど、これを持っていることに気づけるというのは、自分のことをそれだけ客観的に見ることができるようになった、という意味でもないかと思ったりする。

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「立場的に相手の傷口にふれるようなことになってしまう それでもたとえ痛みをともなったとしても返事をしてくれた」「りえちゃんとカマキリの話」「マイノリティー・マジョリティーで考えたときの逃げ場のなさにとまどう」「『発言』というものへの恐怖心がどんどん大きくなる。私はいらぬことを言ってしまったのではないか。まちがっていることを言っているのではないか。。。 急に後ろめたさと後悔。 本当に「在り方」が分からなくなる。自分の告白に自信がもてなくなる。」

「分かった!」と思ったのに、また同じ思いが繰り返される。。でもそれは仕方がないんだよね。いくら話し合ったってお互いは「違う」ところにいるのだから。そしてそれが「マジョリティ/マジョリティ」という関係ならば、当然のこと、力を持っている方が少数者に対して「相手を傷つけてしまう。どうすればいいのか」と途惑うのは当たり前のことだよね。「こういう風な関係であればいい」なんていう答えはどこにもないわけなんだから。なんてわたしだって分かったような口を聞いてるけど、本当は分からないです。だけど人を絶対に傷つけない、というマニュアルなんてどこにもない。わたしはそのことがやっと分かったし、そして、自分が人を傷つけてしまう存在であるという覚悟だけはできたというか、ね。

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「橋が完成した夜にメンバーでへいのところに集まる。さくごしで話す。土屋さんと市川さん、ねころがる。灰原さんとチョンオギ、私はチョデミ側。で立っていた。あのとき初めて、『あっ、この空間いいかも、、、。』と思った。あの瞬間はとても良かった。」

なんかこの光景が目の前に浮かぶようだった。もちろんこれは到達地点ではなく、ただの「通過点」でしかないんだけど、でも、初めて空間が「いい」って感じることができたのは、今までのいろんな経験と思いがあったからだよね。

というわけで、この年表(?)を見るだけでもかなり時間がかかったのだが、しかし、これを読んだ後、じゃあなぜこの展覧会の名前が「突然、目の前がひらけて」になったのか、そこが引っかかった。だって、こんなことがあったあとでは全然「突然、」じゃない気がするんだけどって。まぁでも、両校との間に壁が出来たのは1960年代からだそうだから(武蔵野美術大学がこの地に来たのが1961年。朝鮮大学校はその前の1956年からあった)、その時間感覚で見ると「突然、」なのかも知れない、やっぱり。

で、橋。このギャラリーを出て、もうちょっと奥側に、それはあった。

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これは武蔵野美術大学側から見た橋。

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これが朝鮮大学校側から見た橋。

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そして誰もが撮るであろう、ボーダーライン。「こんなに薄いのか」と思う人もいるだろうし、「だけどものすごく厚い」と思う人もいるだろうし。「これを渡れるということにどういう意味があるのか」を感じる人もいるだろうし、ただただ単純に「渡った!」って人もいるだろうし。わたしは正直なところ、よく分からない。今だけ渡れたとして、それが何か意味があることなのか。しかしそれは今、評価できることではないとは思う。象徴的な「橋」はこの時点ではあったけれど、今(この日記を書いている時点)ではもうない。でも、これからこれがどこにどう繋がるかだよね。それは武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の関係だけではなく、ここの展示を観に行った人たちにも共通して。

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ちなみに武蔵野美術大学側にこれが置いてあり、一体これは何かと思ったら、夜間、橋の上に付けておく柵なんだそうだ。これは一体、誰のためになんのために必要だったのかはよく分からないが。。夜中に渡るなということでしょうか(笑)

で。武蔵野美術大学側から橋を渡って朝鮮大学校美術科に行くためには、この前に受付で名前と住所(いったっけ?)を書く必要があってね。で、番号がついた札を首からぶらさげないといけなかった。そして武蔵野美術大学側から入った人は、必ず武蔵野美術大学側から出ないといけない、ということだった。で、わたしも受付して、その後、この橋を通って朝鮮大学校美術科に行った。

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これは朝鮮大学校側の展示会の案内。

てっきり朝鮮大学校側にも武蔵野美術大学側と同じように受付があって人がいるのかと思いきや、そこには誰もいなかった。。。

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ただこんなものが置いてあるだけで。まぁでもこれは朝鮮大学校の学生向けでしょう。注意が朝鮮語で書いてあるし。朝鮮大学校教職員と学生は、とか読めるので、多分、こっちから行く内部関係者はこれを付けるようにっていうことでしょう。てか、偶然、ここに居合わせたときに、朝鮮大学校の学生と思われる子たちがこれを首にぶら下げて、一人が友だちに向かって「회사원~」って言ってるのが聞こえて(全部は聴き取れませんでした!(苦笑))、多分、首から札をぶら下げた姿が「会社員みたい」って言ってるんだろうなあ~と思ったら、なんかすごい微笑ましく思えてしまって。朝鮮学校はもちろん、学校内では朝鮮語を使わないといけないので、朝鮮大学校でもそれは同じこと、ましてやこうやって、わたしたちのような「部外者」が来るわけだから、なおのこと朝鮮語を使わなければならない状況だと分かってるけど(もちろん彼らはわたしたちと同じように日本語喋ってますけど、普段は)、でも、なんというか、やっぱりかわいいな~とか思っちゃってね。

ま、この展覧会で朝鮮大学校の学生と関われたのはここだけでした。あとは武蔵野美術大学も受付の人以外は全く誰とも関われなかった。美術展ってのは、そんなものなんだろうか。

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これが朝鮮大学校美術科のギャラリー。ちょっと寒々しいところでした(笑)武蔵野美術大学の方は武蔵美の学生、朝鮮大学校の方は、朝鮮大の学生、の展示かと思いきや、全然そんなことはなかった。ごちゃまぜでした。その中でかなり印象的だったのは、

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この絵だった。絵というか、まだスケッチのみなのか、それはよく分からなかったんだけども。

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これは一体、何を表しているんだろう?右側の人たちと左側の人たちが言い争っているのは分かる。しかしそれに混じってカメラを抱えた報道陣なんかの姿もある。とっても気になる作品でした。これはこれで完成品なんだろうか、とか。

しかし、この時点では分からなかったんだけど、これはこの時点ではまだ完成品ではなかったようです。というのも、今年の1月下旬に同じところで別の美術展があって、それにこれもまた飾ってあったそうです。わたしはその展示会のことを最終日に知って、それなので観に行けなかったけど。。これがどういう作品になってたのか。それがとても気になります(そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

朝鮮大学校側で作品を観ているうちにふと思った。「これって、朝鮮大学校側からも来られるんだよね?」って。だってさっき、武蔵野美術大学側のギャラリーに新聞が置いてあって、そこに「両方から入れる」って書いてなかった?と。で、武蔵野美術大学側の受付に戻って、そこにいた人に「朝鮮大学校側からも入れるんですかね~?」って聞いてみたら「多分入れないんじゃないかと思います」という答え。「えー?」と思ったが、やはりそこは試してみなければ。と思い、一旦、武蔵野美術大学側の受付に札を戻したあとに、武蔵野美術大学を出て(構内、迷ったヽ(;▽;)ノ)、そして朝鮮大学校の入口に向かった。

朝鮮大学校に向かう途中、ふと思いだした。ヤンヨンヒさんが書いた「ディア・ピョンヤン」の中で(映画の方じゃなく、著作の方)ヤンヨンヒさんが朝鮮大学校の学生だったときに、しょっちゅう学校を抜け出して演劇を観て、そして夜中に学校にまた忍び込む、みたいなことを書いてたよなって(朝鮮大学校は全寮制)。なんだー、この道かあーって。

で、学校の中に入ったら、受付があったのでそこで名前と住所書いて。そこで首からぶら下げる札と注意書きを渡されて。「写真、動画の撮影は美術科展示室内外と「橋」のみに限らせていただきます。」というところに赤い線を引かれて。

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まぁ確かに普段来ないところだから、撮りたくはなるよね。だけど、それをされると向こうがすごく迷惑、ってことも分かる。学校側がピリピリするのもいろんな理由があるんだよね。

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これが渡された通行書。こっちには番号とかは書いてなかったなー。

まぁでも展示会自体は既に観たものだったんでね。ただ、帰った後にもらったパンフレットみたいなものを読んでたら、そこで行かなかった場所があったことに気が付いた。てか、それはどこにあったんだか、今でもよく分からない。どうやったら行けたんだろう。どうやら2階っぽい??「アンケート用紙」って書いてあるけど(パンフレットに)、そこでアンケート書けたんだ!わたし、ここはそういうの全くないんだな?って思ってた。いろいろ思うところもあったのにー!ってことで、わたしはアンケート書いてません。いろいろな言いたい思いを抱えて全部持って帰ってきた。

とはいえ、ギャラリーの向こう側でちょっと扉が開いてたところを覗いてみたら、こんなものが。

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柿。朝鮮大学校の敷地内にある柿の木でできたものらしい。人には全く会えなかったが、この気持ちは嬉しかったです。なので、一ついただきました。

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家に帰って食べたけど、甘くて美味しかったよ!

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最後に。帰る途中、見かけた白い猫ちゃん。

しかし、事前に橋が架かることだけしか知らなかったので、創作したものが展示してあるとは思いもよらず。ちょっと本末転倒になってしまった感が否めない。しかも現地でその意図を把握出来なかった自分の失敗。「自分と同じ思いをしている」という嬉しさ、「でも同じことをこの人たちは大学生で感じることが出来たのだ」という羨ましさ。

その他、この展示会については本当にいろんなことを思って感じて。

でも、これはゴール地点じゃないし、これから先もまだまだ続くこと、なんだよね。
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02-09 Tue , 2016
書きたいことはたまってるんだけど
去年に引き続き、書いておきたいことはいくつかあるんだけど、なかなか時間が取れない。。

何かがあったときに書いてる記事を読んでもらえば分かるけど、わたしは書くと長くなってしまうので(笑)、やっぱ、時間はそれなりにかかるんだよね。そして、一気に書かないとそのときそのときで書きたいことが変わってくるので、数日間掛けて書くことが出来なくてね。なので、必然的にブログを書く量が減ってきてるわけだけど。

去年の終わりにも書いたけど、読書量もガクッと減った。今年はまだ1月に2冊しか本を読んでない。今月は0冊。何しろ時間がない。そんなに勉強ばっかりしてるわけではないけど、読書もわたしはまとまった時間に一気に読んでしまうタイプなので。まぁ図書館で借りた本は毎日ページ数決めて読んだりするけどさ、期限が来る前に読まなくちゃならないので。

てなわけで、去年までとは違った一日一日を過ごしてる。まぁ今のところはちゃんと資格試験の勉強は真面目にしとります。憲法終わってこれから民法。ノルマが決まってるので一度サボったら追いつくの大変。だから、他のことは差し置いてほとんどこればっかりなんだよね~。まぁ試験勉強なんてそんなものかも知れない。期日が来るからそれまで必死に勉強する。勉強は嫌いではないけど、覚えるのは苦手なのでそれがね~。っていうか、わたしはもともと記憶力があまりよくない方なので、年齢による衰えはあまり感じない。これはメリットかも知れない。覚えられる人にとっては「以前より確実に記憶力が衰えた」というのは結構ショックみたいです。わたしは今までの人生で「すごい、スラスラ覚えられる!」なんて一度も思ったことがないんで(^^;人の顔も覚えてないし、人の名前なんてもっと覚えてないし、よくテレビで「最近、人の名前が出てこなかったりしませんか?」などという老化現象を指摘するコマーシャルを見るけど、わたしは「そんなの、今に限ったことじゃないけど?」って感じ。それとももっと年を取らないとそう感じないんだろうか。。

そうそう、世に「記憶術」みたいなのがあり、例えば円周率を何万桁覚えてる、なんて人がテレビに出てきたりするけど。そこで言われるのが「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ってこと。でもわたし、あれ言われるたびに「そのストーリーはどうやって覚えればいいのか?」って思うんだよね。結局は何かを記憶しなければダメなんだよね。当たり前のことだけど。それが本人にとって覚えやすいものにする、ということなんだろう、結局。

そういえば、うちの最寄り駅の自転車置き場は、出すときに自分の自転車が置いてあるラックの3桁の数字を入力してお金を払うシステムになってるんだけど、わたし、あの数字を覚えるのは結構得意なんだよね。例えば「121」だと「11の2乗」って覚えておけばいいやとか、「324」だったら「3と3×8だな」とか、まぁ、置くときに「この数字は~」って分解して覚えやすくしてるんだけど(というか、こういう作業が実は好きだったり)、でも、ふと「じゃあ11ってどうやって覚えるんだろう?」って思うのね。「3とか3×8ってどうやって覚えるんだろう?」とかってね。でも、不思議なことにそれは忘れないの。それは覚える努力をしなくても覚えてるんだよね。なんでなのかは自分では分からない。

とすると、「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ことができる人は、もしかするとそのストーリーは覚えるものではなく、なんとなく頭の中に残ってるものなのかも知れないなあなんて思ったりして。でもそれって、記憶力自体がものすごくない?

なんてことは、あんまり勉強中には思ってません。そして最近、どんどん頭の中が飽和状態になっていってるのが分かる。。まあほとんど毎日、新しいことを頭に記憶しなくてはならないし、今まで記憶したことはもちろん忘れられないしね。

あー、6月くらいまでこういう生活続くんだけど、果たして途中で頭がパンクしないかな??ちょっと心配だったりして。
22:06 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-23 Sat , 2016
おしまいかい
精神科の通院、いつまでのことを書いたかすっかり忘れてるけど(汗)、取り敢えずは12月から1月の診察まではずっとアルプラゾラム「サワイ」0.4mgのみ夕食後1錠で、前回12月8日に書いた日記のときに飲んでた半夏厚朴湯は「結局効かなかったですね」ってことで終わりになってた。

で、1月の診察の時にアルプラゾラム「サワイ」0.4mgも「多分効いてないでしょう」ってことで、「もう飲まなくていいよ」と言われた。ただ、薬の切り方は好きにしてねってことで、一応、次回の予約の日までの分は処方されたんだけど、まぁ今は結構好き勝手に飲んでる。頻度はだいたい2日に1ぺんくらいだけど。でもこれ飲むとやけに夜の寝つきがいいので、ちょっとそれはまずいということで(わたしは今、自力で眠れるので)半錠にして飲んでる。っていうか、これ1錠飲むだけですげー眠くなるし、眠らないまでも身体がとてもだるくなってそれが困る。まぁ、抗不安薬だし、筋弛緩効果もあるわけだから、それはそれで「効いている」と言えるのだろうけど、ただ、わたしの症状(息苦しさ)の緩和にはなってないから、結局はわたしの症状に対しては「効かない」ってことなのよね。

しかし、今回の診察では主治医から「自分が診察するようになってから全く精神的な症状が出てない」と言われ、、この主治医に診てもらうようになってこの3月で丸2年になるのか?確かにそりゃそうなのだが、なんかまるで「あなた本当に病気だったの?」って言いたげだったので「そりゃ、調子悪かったから病院来てるんじゃん」と言いたくなった(てか、当初は本当に状態が良くなかったと言いました)。わたしは今回3度目のうつで、その初診は2011年1月だったけど、そのときに「うつは3回繰り返すと病名が変わって反復性うつ病という名前になる。そして、ぶり返さないために、治ってもその後長く病院に来てもらうことになる」っていう説明をされたんだけど。。その「長く」というのがいつまでなのか今でもよく分からないところはあるし、精神的な落ち込みは2012年12月限りでなくなってるので、もうそれを考えると3年はうつ状態になってない。3年もうつ状態になってない、ってことは、その後「長く」ってことになってるかも知れなくて、それを考えてももう通院は終わりだよと言われてるのかも知れない。

ただ、、息苦しいのは相変わらずなんだけどね。いや、少しはよくなってると思いたいのだが。でもときどきめちゃくちゃ息苦しいときがまだあるんだよね。

だけどそれに関してはもう「処方する薬がない」と言われているので、次回、もしかしたら「これで通院終わり」と言われるかも知れない。まぁそれはそれでとてもすっきりさっぱりすることは事実だけど。。病院通いはとてもめんどくさかったしね。しかし、症状がまだあるのに「もう終わり」と言われることはなんかすっきりしない気持ちもする。

なんだけどね~、息苦しさというのは、もしかしたら精神科ではなく心療内科の分野ではないかという気もしてて。まぁだからといって心療内科にすぐかかろうとは思ってないけどさ。

そんなこんなで、なんとなーく病院通いも終わりなのかなと思っている今日この頃。

正直とても忙しい。行政書士の勉強、ついに本格的に始めたし。それに前にも書いたけど腕の痛みやら息苦しさで体調があまりよくない。痛いのを我慢しているからか、毎回必死に息をしているからか、すぐに疲れてやる気がなくなる。そんなときは1日休む。そうすると次の日は取り敢えず「やろうかな」って気にはなってる。まぁだけど、今が一年中で一番寒い時期で、これを乗り越えたらなんとかなると思って我慢しながらやってる。

そんなとこです。

【現在の処方】
アルプラゾラム「サワイ」0.4mg×1/2を頓服的に飲んでる
23:59 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-12 Tue , 2016
今日から始まった!「ウルトラマンスタンプラリー2016」!!
ついこの間「忙しくて今年は何も出来ないかも!」なんて書いてたけど、やっぱ今年もこれが始まったら「うーん、今年はちょっと出来ない」とは思えない!!

てなわけで、12月の中旬に駅で見かけたこのポスター、発見したときは「おお、またやるのか!」と思って楽しみにしてたのよ。

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去年はなんとなしに駅に貼ってあるポスターの写真を撮ってたらそのうちに全部集めたくなって、全駅を回ることになってしまい、ほとんど全部集めた時点で「駅からのメッセージ」にはまり、これは全駅制覇とは行かなかったけど、ほとんど集めてそれぞれの駅の特徴なんか分かって面白いなーって思ったのよね(去年の日記→「全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー!その1(ただしスタンプは押してない)」「全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー!その2(駅からのメッセージ)」)。

それが今年もまたあるという。

「やってやろうじゃないの!今年こそ、全駅制覇だ!」


ってことで。

今日は用事があって渋谷と新宿に行ったので、そのついでにスタンプ台のところまで行ってきた。っていうか、スタンプ台の前にずら~って並んでてびっくりしただよ!!それも大の大人ばかり!(自分もそうだが、、)きっと、みんなわたしのように駅でポスター見かけて「やるぞ、やるぞ(わくわく)」って思ってたに違いない。去年は「全部集めよう」って決心したのはもう期間終了するギリギリのところだったから、スタンプ台の周囲を見まわす余裕などほとんどなかったけど、今回はまだまだ先があるので、じっくり見ようと。

まず行った渋谷。

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なんとなまはげ。つか、こんな怪獣いたんだね(笑)

で、スタンプ台のところへ行ったら、こんなのがずら~っと(左から右に4枚貼ってあった)。

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ぬぁんじゃこりゃ。なぜここまで秋田弁??と思って駅のメッセージを見ると。

渋谷


なんと、渋谷駅の駅長さんは秋田県出身なんだと。ほうほう、面白い理由でこの怪獣を選んだんですね~。てかその右の写真を見るとこれ、全部秋田県出身の駅員さん?こんなに秋田県出身の駅員さんがいたんだ、渋谷駅。へえ~っ。正直、去年の渋谷はあんまり記憶になかったりして。。

そしてスタンプ台には

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ウルトラマンエース(だよね?)が「今日は渋谷駅に来てくれてありがとう!!」と。くわ~、渋谷駅、今年は力が入ってますね!

そして新宿駅。一瞬、駅のポスターを見たときは「あれ?」って思った。だって、去年と同じキャラクター?(結構駅のキャラクターって印象深かったところは忘れてないものなんだなと思った)

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去年も「ウー」でした。しかし、今年はこのポスターよく見ると(二代目)って。去年は「ウー」で今年は「ウー(二代目)」なのか。渋いぞ、新宿!しかしどうしてこんなに「ウー」に拘ってるんだ(笑)ちなみに去年、新宿駅の怪獣だった「ウー」はどうやら今年は信濃町にいるようだ。この手の顔は結構「駅員に似たのがいます!」みたいなメッセージが書いてあったりするのだが、果たして信濃町はなんで「ウー」になったのか。ちょっと楽しみだ。

ちなみに去年の新宿駅のメッセージは、特に似た駅員がいたというわけではなく、この怪獣、どうやら優しい怪獣みたいね。

新宿


これが去年の新宿駅「ウー」のメッセージ。そして下が今年の。

新宿


やっぱり新宿駅はこの「ウー」が心優しいというところが好きみたいですね。てか、この怪獣の選定、同じ人がやったに違いない(笑)

今年もわたしはスタンプを押すつもりはないけど、こんな風にスタンプラリーを楽しむつもり。去年は64駅で今年は65駅だっけ?ただし、去年はあった南柏がなくなって、東京モノレールの天王洲アイルと羽田空港第1ビルが増えたんだよね。っていうか、東京モノレールかー!うちの大学の上を走ってるんだよな、東京モノレール。天王洲アイルはちょうど在学中に建設されてて、確か大学院の時にできたんだよな~。友だちとあそこで「メシ食おう」って行って、中華料理屋さんに入ったのはいいけど、高すぎて腹一杯食べられなかったのを思い出すよ(トホホ)
22:57 | その他 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-10 Sun , 2016
年明け10日
こんな言葉はないですね。「梅雨明け十日」をちょっと捩りました(笑)

「梅雨明け十日」って最近あまり聞くことなくなっちゃったけど、梅雨が明けると10日は晴天が続く、ということわざみたいなもんです。あ、あれか。最近は「今日、梅雨明けしましたー!」ってことは宣言しなくなっちゃったからかな、気象庁が。なんか「梅雨明けしたものとみられる」みたいな言い方になっちゃいましたからね。ん?だとすると、この言葉は気象庁が「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」をするようになって以降の言葉なのか?いや~、そんなことはない気もするなあ。どっちなんだろ?

てか、もう年が明けて10日も経っちゃったんですねー。思い返すと早い?いや、でも随分長かったような気もする?

ちょっと大変な正月ではありました。いろいろあって。

あと、12月から本格的(?)に来年度の行政書士資格の試験勉強を始めたので、まぁそれが最も忙しい理由かな。チャレンジ始めて3回目。しかし前2回はほとんど勉強できず。受験にすらたどり着けなくて。だからほとんど1回目の挑戦なんだけど、でも、意気込みが前2回とは違ってるので、今年はそれだけでも進歩した、ってことなんだろうか。特に去年は勉強やり始めたと思ったら息苦しくなって、で、息苦しいのを先に治そうと思って努力したけど結局は治らないまま1年過ぎてしまったので、もう治すのは諦めようってことです。息苦しいのを治してたら一生終わってしまう。

ただ今年、この試験勉強と朝鮮語3年目とあと時たま来る仕事、この3つやるだけで多分終わってしまうんじゃないかと。その他はほとんど手が回らない状況ではないかと。

本もここ数年は月3~4冊ペースだったけど、今年は無理かもなあ。去年いろいろ行ったイベントも今年は参加できないかもね。それより、旅行、今年も3月にどこか行きたいなあと思ってたけど無理かも。

なんてことを考えてたり。まぁでもいつかは何かやらなきゃ、この先進めませんからね。しかもこれに合格してももう一個その先に取りたい資格があるからね(司法書士ではない)。それ取るの、2年かかるそうだしね。とすると、最短でも3年かかり。一発で合格しないとそれ以上の時間がかかるということになる。。ただし、資格取ってもそれで食っていけるかどうかはまた別の話だけども。しかしそれでやりたいことができるようになるんだったら、まぁそれから先はそのときに考えればいいだろうってことで。

心配なのは、何かやろうとやる気を出すと体調を崩し、うつ病再発すること。これだけは人生の予定が狂うので勘弁して欲しい。なので、やりながら休むことも考えなければならないってことで、体力温存を第一に考えた方がいいだろうとは思ってるので、あまり無理しないようにする。けど、今年はもう既に無理しているような気がする、、、なんてったって、今年に入ってから、2日と連続して家にいたことがなく、今週も無理そうなんだよね。こりゃ疲れるわ。ただこの調子が続くと本気で体調崩しそうなので、今月後半は何も予定を入れないようにしよう。。(と言っても入ってきてはしまうのだけど)

取り敢えず今年の抱負というか、目標はこんなところかな。

まぁでも今でもかな~り体調悪いけどね。右腕が痛いのがすごくきつくなってきた。何年ぶりだろう、この痛み。2007年のシドニーに行ったときのことを思い出してしまう、、2008年の正月開けてからはほとんど寝たきりになってしまって。あんなことにはならないようにしたいけど、しかし、この腕の痛みもどうやって治まったのか覚えてない。あの頃は何もしてなかったので、きっとずっと休んでたんだろうけど(痛くてそれどころじゃなかったような気が)、あのときみたいにもう休めないしな。

正直、ちょっと困ってます。
23:00 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
12-30 Wed , 2015
もうこんな時期か
ブログに書きたいことはたまってるのに、忙しくて書く時間が全くないうちにもう年の瀬を迎えてしまった。
でも明日も忙しい予定だから、時間がある今日のうちに書いておく。

と言えども、最近はあまり季節感を楽しみたいと思うこともなく、365日(あるいは366日)普通の日で十分、という気がしている。まぁ猫の誕生日は祝いますけどね。

しかしまぁ、区切りではあるので、今年1年を振り返ってみると、今年はわたしにとって、とても不思議な年だった。

生きて考えてれば「なんでこれはこうなってるんだろう」と思うことが多々ある。本を読んでても疑問に感じることがあるし、日常を暮らしてても疑問に感じることはあるし、何かを見ても疑問に思うことがある。単純な知識問題ならともかく、何を手がかりに探せばいいのかさっぱり分からないこともある。

ところが今年はそれが「繋がる」ことがとても多かった。人に会ったり、イベント行ったり、学習会に参加したり、映画を観たり、劇を観たり、でもそれは特にその疑問を解決したいと期待して行ったわけではない。全く関係ないところで、でも自分の中で「あっ」って思うことがとても多かった。答えは見つからずとも、そのヒントになるものと出会うのだ。そのことをヒントにまた自分の中で思考を深め、そして行き当たる。しかしまた別のところでヒントと出会う。ヒントであったり、同じ思いをしている人に出会ったり。

今年はそんな、不思議な年だった。

ただ、だからといって「答え」が見つかったわけではない。というか、答えなんか見つかるような問題ではないと自分では分かっている。しかし、だからといってなぜ考えるのを止めないかというと、それは自分が人間だからだ、「人間は考える葦である」ではないか、なんて書くとカッコイイ~んだろうけどね(笑)別にわたしは人間だから考えているわけではなく、答えを探す行為が、今後自分はどうすればいいのか、自分は何が出来るのか、というある種の答えには繋がっていると思うからだ。要するに副産物で自分の行動が決められる、と言えばいいのか。疑問に思っている「答え」そのものは見つからないにしても。

多分、この中で一番大切なのは、疑問に思っている「答え」そのものではなく、「自分がどう行動するか」なんだと思う。ぐだぐだ自分の頭の中で考えてたって、それで世の中変わるわけはないんだもの。もちろん自分の行動には限界があって、行動したとしても世の中変わるわけはない。わたしは一声で世の中が変えられるような絶対的な権力者じゃないし、逆にそういう権力を持った人を忌み嫌っているから、自分は権力者にはなりたくないし。自分ができることは所詮、微々たるものだと思っている。けど「どうせ行動しても世の中変わらないよね」とブツブツ言ってるよりは、行動する方がよっぽどいい。それが自己満足に過ぎない、ということも十分承知だし、わたしはそれが自己満足であることに満足してるので、それはそれで構わない。とにかくわたしは行動をしなければならないと思う。そのこともはっきり分かった年でもあった。

わたしが主に考えていることは、過去のブログを読んでもらえば分かると思うが、「死刑」「宗教」「在日外国人(特に在日朝鮮人)」のことについてだけど、「死刑」については、今年、自分の考えに決着を付けることが出来た(もしかしたら、その結論についてはブログに書いてないかも)。「宗教」については、これは今も興味の対象。今年はいくつかイスラム教について書かれている本を読み、外観はどんな宗教なのかは一応分かったけど、でも人に出会ったわけではないので、まだ疑問満載。ただ、一つ一つの宗教についてではなく、「宗教」全体(なぜ宗教があるのだろうという疑問など)として考えるのもまた面白い。絶対に答えなんか出ないと分かってるけど、今のところは「人間がそれを必要としていた」と思っている。要するにひっくり返すと「宗教は人間が作った」なんだけど、それは仕方ないよね、わたしは宗教を信じてないんだから。また、わたしはずっと「宗教とは何か」という疑問もあったが、これはそれぞれの宗教、個々に「エッセンス」というものがあり、それは何かというものをそれぞれの教典から読み取っていく作業なのではないかと思っている。要するに、聖典に書かれていること一言一句が正しいのではなく、全体を読んだときに「共通する何か」があるんだろうと。そう考えると、おそらく仏教もキリスト教もイスラム教も(その他の細々した宗教についてはよく知らない)、根底に相通ずるものがあるのではないかと思う。

例えば聖書、キリスト教の教典である聖書だけども、旧約聖書の一番始めは「創世記」、いわゆる「天地創造」について書かれている(旧約聖書はキリスト教だけでなく当然ながらユダヤ教、そしてイスラム教の聖典でもある)。しかし、その1章と2章、全然違うことが書かれているのだ。1章では神は最初にいろんなものを創って、そして一番最後に人間を造った、と書いてある。それが6日目だったと。だがその直後の2章では、神はまず人間を造って、人間を助けるものを創ろうといって、他のものを創ったと書いてあるのだ。全く矛盾していることが書いてあるよね、直後に。しかも、大多数の人が読み始める最初のページ、おそらく一番読まれることが多いであろう箇所に。聖書ってどんなことが書いてあるんだろうと思っただけの信者以外の人だって1ページから普通読むだろうよ。これ、編纂するときになんでこんな矛盾しているものを載せてるんだろう、どちらか一方を削って「こちらが正解です」ってしなかったのはなぜだろう、そちらの方が都合がいいのになぜ敢えてそうしてないんだろう、と考えると、「聖書とは、一言一句を信じるものではないものである」と聖書自身が言いたいのではないかと思える。「聖書には矛盾していることも差別的なことも含んでいますよ。けども、それが聖書の本質ではないのです。しかし、この中には一本貫いていることは確実にあります。それが信じるものに値するものです」と言っているように思えるのだ。だから聖書で自分の都合のいいところのみを切り取ってそれを「聖書にはこう書いてある」と「教え」ている原理主義は、聖書自身が否定していることなのではないか、と。

尤も、わたしはだからといって聖書全部読んだことはありません(笑)ただ聖書というものは本当に奥が深い「読み物だ」とは思ってる。バベルの塔のところなんて、いつもいつも「よく昔の人がこんなこと考え付いたよなあ」って感心する(そういう意味ではわたしは聖書は「人が作ったもの」と思っている)。昨今の出来事で「バベルの塔」を思い浮かべることが、わたしはよーくあるから。

また、わたし、今年分かったことに「神(仏でもいいんだが、以下同じ)を信じる人は、神を通して人間を見ることができる人だ」ということがある。神を信じられない、わたしのような人間は「人間」でしかものが考えられない。別の視点から「人間」を見ることができない。しかし、神がいる人たちは、「神を通して人間を見ることができる」。このことが分かったときに正直「ちと悔しいな」って思ったのね。わたしは人間を「相対的」に見ることができない。わたしの中には「人間」しかないから。でも「神」という別の概念がある人は、神を通して人間を「相対的」に見ることができる。複数の視点を持っていることは、自己の考えを深められるだろう。そういう点で「悔しい」のだ。まぁだが、神を持っている人は「絶対的」なことが分かるかというと、そうじゃないけどね。神を信じている人たちの中の神は、やっぱり「相対的」なんだと思う。イメージ的には、この宇宙、絶対の座標軸があったとして、そこから見ると、個々の神の位置が違っている、みたいな感じになるかな。でもそれは仕方がないんだよね。人間自身が相対的なものなんだから。複数の視点が持てないから悔しいと思えども、神には出会わないと出会えない、ということもわたしは知っている。今後、出会うかどうかは今のわたしには分からない。出会ってないのだから、出会っていないまま、わたしは考えて行く。ただそれだけのことだ。

なんて話がとんでもなく抽象的なものになってしまったが、基本的に宗教とそこに住む人たちの文化や慣習、というものは非常に密接に関係してくるので、そういう意味でも個々の宗教を知ることは大切なことだと思っている。来年も個々の宗教を知ること、そして「宗教とは何か」「宗教はなぜあるのか」、この問題は引き続き考え続けて行きたい。まぁ、この疑問に答えなんかないと分かってるけどね(笑)

そして「在日外国人」、主に在日朝鮮人、在日韓国人、在日コリアン、なんて呼べばしっくりくるのかは分からないけど、その話。このことについて考えることは、本当にいろんなことを知らなければならない。歴史的な話だったり、法律的な話だったり、言語的な話(イメージ的には法的な論理というよりも感情的な言語を使用した論理と言えばいいのか)だったり、そしてその縁辺には元日本軍「慰安婦」の人たち(これについては現在、大きな動きがあったけれども、到底納得できない。だいたい謝罪する側が「このことは蒸し返すな」と言いつつする謝罪ってそれは本当に謝罪と言えるのか?まぁその他もいろいろ言いたいことがあるが)、そしてそこから「戦争被害」「戦争加害」、被爆二世としての自分、そして平和が脅かされている現在の「日本」。「在日」の問題を考えるとき、わたしの中にはこういうものがずっと連なって来ている。だからこそ、まずは「知ること」だと思っても、一度にたくさんのことを知ることは出来ないし、何しろ「知ること」といっても多岐に渡っているので膨大な量があるし、知ったらますます疑問が湧いてくるしで、そう考えると到底全部知ってから考えることなんて出来ない。だからこのことに関しては、今までわたしが「出会ってきた」人やものから少しずつ考えて行くしかないだろうと思っている。

ただ、今年に関して言えば、自分の中で一番はっきりしたのは「国とはなんだろう?個人とはなんだろう?国と個人との関係とはなんだろう?国と個人との線引きはどこなんだろう?」という疑問の方だった。これは今年わたしはいろんなものに出会ったけれど、何かに出会うたびにこの疑問はますます膨れあがってきた。そしてその答えは今のところ全く掴めてない。手がかりすらも分からない。しかしこのことが疑問になってきて、わたしは確実に前と変わってきていることを知った。わたしはつい最近、数年前に自分がこのブログに書いてたことを読んだ。そこには

わたしは決して、ジョン・レノンの作った「イマジン」のように「国が存在しなかったら」とは思わない。国家というものは必要なものだと思うから。ただし国家というアイデンティティを失わずに国と国とが緩い連帯を取ることはできないのかな、とは漠然と思っている。



って書いてある。このときは「国」というものに疑問を持っていなかった。でも、この考えは今年、変わった。上のことをわたしが書いたときに思っていたことは「もしこの地球が一つの国だったら」ということだった。でもこれは現実的に考えて有り得ないだろう。だって、一つの国になるとしたら、資本主義なの?社会主義なの?共産主義なの?とか、法律はどうなるの?とか通貨紙幣はどうなの?とか、そういう「現実的」なことを考えると「有り得ない」話だからだ。そういう意味でわたしは「国」というものに疑問を持たず「国家というものは必要だ」って書いた。

その理屈は今でも変わらない。しかし、一方、これまた現実的な話だが、国家が存在することによる弊害だってかなりあるのだ。「民主主義」とか「人権」という概念は、近年になり人間が発明したものだと思っているが、やはり根本的にこの世に生まれてきた人間は「人権」を持っているはずだ。幸福に生きる権利、自由に生きる権利は誰にでもあるはずだ(ただし「公共の福祉」に反してはならないと思う。「公共の福祉」って日本国憲法の文言だけど。で「公共の福祉」って「他人の人権を脅かさないこと」であって、単なる「人の迷惑にならない」とか軽い意味じゃないし、ましてや「国の都合の悪いこと」ではない)。ではその実現を果たすために「国」は絶対に必要なものなのか。「国」がなければすべての人は幸福に生きる権利、自由に生きる権利が持てないのかというと、全然そうじゃない。そのことの実現のためには特に「国」である必要性は全くないのだ。

ジョン・レノンの「イマジン」については、わたしはよく知らない。彼がどういう気持ちを込めて、この曲を作ったのかも全然知らない。けれど「国がないって想像してみて」というのは、まさにこういうことなんじゃないだろうかと。「地球上から国をなくす」というのは、アナーキストと言われるかも知れないが、わたしはそうじゃないんだよね。「人権」「民主主義」、そして「国家」このすべては人間が発明したものだとすると、わたしたちは国という概念を超える「何か」を発明することが必要なのではないかと。「この世に住む人たちがみんな自由に、幸せに生きている」そのことを想像しながら「では『国家』を超えるシステムとはなんだろう」って考えることが必要なのではないかと。

このことが、今年、わたしの分かったことで、去年までとはちょっと違ってきた部分だった。

「国と個人の関係」を考えたのは、正直、ここの部分だけの話ではなくね。ただ、今までは「国のイデオロギー」ってよく分からなかったんだけど、いろんなものに接しているうちにそれが見えてきた。と同時にわたし自身も知らないうちに国のイデオロギーによって洗脳されているんだ、ということも見えてきた。多分それはこの国で「日本人である」ということがどういうことか、少しながらも自分に「見えてきた」からだろうと思う。それまでは「日本人は日本で多大な権力を持っている」と言いつつ、でもそれは自分自身感じられなかった。が、そういう自分自身はべったりと「日本人の論理」で生きていた。そのことが少し感じられただけでも、わたしはとても嬉しかった。これを少し感じることができたということは、自分の「座標軸」をずらすことが可能だと言うことだから。

そしてこのずらした「視点」を保ちながら、来年に繋げていきたい。

最後に、うつ病的な視点から今年の自分を見てみる。

今年は比較的よく動けた年だった。多分、端から見ると「うつ病の人」には見えないだろう。そういう意味ではわたしも最早「うつ病」ではないと思っている。ただ、過剰に無理はしないように気をつけている。無理をしたら再発確実な反復性うつ病だからね。しかし以前と違ってきたのは「休んだら元通りになる」ってことだ。病気のときは身体がだるくてだるくて仕方がなかった。何をやるのもやる気が出ずに、多大に努力して動いていた、という感じがする。もう普通に動けていたときの状態が自分では分からなくなっていて「昔もやる気が出なかったけど、無理して身体を動かしていたのではないか」とずっと思っていた。何も考えずに身体がスッと動くなんて夢じゃないかって思ってた。

ところが、やっぱり身体って何も考えずにスッと動くものなんだよね。「やる気が出ない」というのは、出なかった頃は自分が怠けているのではないか、自分を甘やかしているのではないかってずーっと自分を責めてたけど、やっぱりそういうのは「病気の症状」だったのだ。そしてあのときは休んでも休んでも、寝ても寝てもずっとずっと身体のだるさは変わらないし、やる気も出たとは思えなかった。でも、今振り返って思うのは、やっぱり休んでも休んでも、寝ても寝ても身体が動かなかったりやる気が出ないときは、やっぱりそれは「休み方が足りない」んだってこと。休みが足りてきたら何も思わなくても身体がスッと動くし、何より何かやりたくなることができてくるのだ。

今も朝起きるとき、すごくだるくて起きる気がしない、起きるのが嫌な気分になることがある。そういうとき「あれ、自分はこれがデフォルトだったっけ?」って思う。だけど、その日、一日休むと翌日は動けるようになっている。朝、すんなり身体が動く。だから「あ、昨日はわたしは疲れてたんだ。だから起きれなかったのだ」って思える。うつ病のときは休んでてもあまりにも日々変わらなかったので、だるいのがデフォルト、みたいに思えちゃうのね。その感覚が今も残っているので、自分自身だるいときもそれは疲れではなく元からだと思ってしまうクセがある。けど、違うのね。今は一日で回復するようになったので、そういう意味でも「治ってきてるなあ~」って実感はあるし、身体がだるくて起き上がれなくても「今日は休もう」と素直に思える。

が、今ひとつ「治った」と言い切れないのは、疲れすぎると眠れないからだ。なぜか疲れすぎると眠れなかったり、眠りが浅くて全然寝た気がしなかったり、ってことは今でもある。なので「よくなってきている」けども「完全に治った」とまでは行ってないのだろう。だから、まだまだ油断大敵なのだが。。

今年1年は本当に充実した年だった。だが希死念慮は全然消えてない。むしろこれだけ活発に動いているのは「いつ死んでもいい。だけど悔いのない人生を送りたい」って思ってるからだし、もし明日死ぬとしても、わたしはそれで全然構わない。むしろその方が嬉しい。この世に自分が存在しているだけで苦痛だから。考えることも苦痛だから。息をしてるだけで苦痛だから。この世に未練なんか全くない。死んでこの世から早く消え去りたい。死んだら他人から自分のことを一切忘れられたい。この世にいたという痕跡を残したくない(死んだらこのブログも消去してもらう予定)。そしてわたしには「あの世」もない。「あの世」で自分が存在する、なんてそんな絶望的なこと、考えたくもない。わたしは「死んだら無になる」と思えるから、今、頑張れるのだ(だからわたしは宗教は信じたくても信じられない。宗教には「あの世」があるんだから)。死んでからいくら「あの世は何の悩みもない幸福な状況です」と言われても、自分が存在すると思っただけで苦痛なんだから、わたしにとっては幸福な状態であろうと苦痛なのだ。なんにせよ、わたしはわたしの存在自体をどこからも消し去りたい。これは明らかに「病的」なのは分かってるけど、これだけはもうどうしようもない。それは「病的」といっても、もうわたしの「一部」なのであり、そういう意味ではわたしは死ぬまでうつ病と「共存」していかねばならないのだろう。

よく他人から「生き生きしてる」とか「前に比べて元気になった」とか「顔色が良くなった」って言われるんだけど、確かに端から見るとその通りなんだろうと思うが、自分自身はあくまで「後ろ向き」に前に進んでいる感じだ。だって時間軸は前にしか向いてない。過去には絶対に戻れない。だとすると、前に進むしかないじゃないか。だけどわたしは自分が「生きたい」と思っては生きていない。自分で死ぬことができないから仕方なく生きている。だけど、生きている以上、悔いなく生きたい。「ああ、あれもやりたかった、これもやりたかった」「あそこに行きたかった、ここに行きたかった」と思いつつ死んでいくのはイヤだ。だから、わたしは今、できることを精一杯やる。一日一日を精一杯生きる。

来年もやりたいことはたくさんある。けど、それがいつ打ち切られても構わない。そんな思いを持って生きていく。

【追記】上の方で「創世記」云々、という話を書いたけど、あれは別にわたし自身が発見したことではない。このことについては、今年の不思議さを象徴するような話なのだが、直接的に「創世記」の1章と2章の書いてあることが矛盾している、ということについては今年読んだ「罪と死と愛と」という本に書いてあったものだ。そして「ではどうして矛盾しているものを直後に並べたのか」についての考察は、そこに書いてあったことを参考にわたしが大きく膨らませたものだ。実はここの部分、もう一つ、「男女」の造られ方が全く違う。このことについてはフェミニスト神学などが指摘しているということは以前から知っていたものの、問題はそこだけなのかと思っていたし、それがどういう意味を持つのかは考えたことがなかった。

そしてこの「罪と死と愛と」という本を知ったのは、「絞死刑」という大島渚の映画を観たからだった。そしてなぜそもそもこの映画を観ようと思ったかは、たまたま偶然チラシを見て知ったからだ。そう、順番を追って話すと、わたしはたまたまチラシを見て「絞死刑」という映画を知った。「観たい」と思ったのは、「小松川事件」という、これまたわたしは初めて知った事件だが(まあわたしが生まれる前の話なので)、貧しい在日の少年が2人の女性を殺害して死刑になった、という話を知ったからだった。事件は確か'56年頃起こって、'62年に死刑が執行された。死刑が確定した後、日本国内で助命嘆願が行われたらしい。それはあまりにも在日の少年が過酷な境遇におかれていたからだ。そして大島渚は'68年に「絞死刑」という映画を制作して上映した。'68年と言えば、ちょうどわたしが生まれた年だ。大島渚は「日本における在日朝鮮人の問題」としてこの映画を作ったらしい。わたしも「在日」のことについて描かれた作品だろうと思って観に行ったのだった。

ところが実際に映画を観ると「この映画のどこが在日朝鮮人に焦点を当ててるんだ?」という内容だった。わたしには「死刑制度について疑問を呈している」という映画としか思えなかった。そして内容も当時の人だったらそんなに細かい事件の背景は必要じゃないよね、というような映画だったので、事件自体のことははっきりしたことはよく分からないままの「なんか変な映画」だった。しかし観終わったときに、この映画を上映した主催の人が「小松川事件については、2冊の本が出ています」と教えてくれ、そのうちの1冊がこの「罪と死と愛と」だったのだ。ただこの本は少年死刑囚だった人と同じ在日の朴寿南さんという人との往復書簡集の一部だ。要するに手紙のやりとりのうちの重要な部分だけが抜粋されている本だった(重要な部分といっても、約300ページに2段組で書かれ、結構読むの大変だった)。そしてその他の1冊というのはこの2人の手紙のやりとりのすべてである「全書簡集」だ。けっきょく両方の本は手紙のやりとり、という形の本だったということだ。

「罪と死と愛と」を読んだら、これは在日というよりもキリスト教の話じゃないかと思った。そこに死刑囚ということは密接に絡んでいるが。というのは、この少年死刑囚は死刑が確定した後にキリスト教を信仰するようになっていたからだ。そこでは自分が死刑囚であるということと自分が犯した罪のこと、そして神とは信仰とは、ということが書いてある。確かに日本で生まれた朝鮮人、ということについても書いているが、この少年は生まれてから罪を犯して警察に捕まるまで、自分をあまり「朝鮮人」とは意識してないというか、本人は差別されるのでいつ周囲に自分が朝鮮人であるということがばれるか非常に恐れていたけれど、周囲は誰も彼のことを朝鮮人だと知った人はいなかったんだよね(雇い主は知ってただろうが。だって彼は就職の際も「朝鮮人だから」ということで大企業には就職できないのだ)。逆に「犯人は在日の少年だった」ということがクローズアップされすぎて本人はとても途惑っていただろうと書いてあった。彼は朴寿南さんとの手紙のやりとりにより、獄中、自分の民族意識に目覚めるのだ。だが、本を読んだ感想として、やっぱり主題は「信仰」にあるのではないだろうか、というのがわたしの感想だ。それくらい、信仰について書いてある内容が面白かった。上で「神がいる人は人間が客観的に見られて羨ましい」と書いたが、わたしがそう思ったのもこの本を読んでそう思ったからだ。

で、もうお気付きだろうが、なんとこの本は「死刑」「宗教」「在日」とわたしがそれまで別々に単独で興味を持ったことすべてが絡んでくる話で、その偶然さに非常にびっくりしたのだった。この話は今年、わたしに起こった「不思議さ」を象徴しているような話なんだけど、結局のところ、これは「象徴」に過ぎなくて、それ以外の分野でもあちこちで繋がったことが多かった。だから今年は本当にわたしにとって「不思議な年」だったのだ。
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12-09 Wed , 2015
子宮がん、検査を受ける目安
先々月に不正出血があり、そこでポリープが出来ていたので取ってもらったついでに、子宮頸がん検査と子宮体がん検査をしましょう、という話は以前に書いた。そして先月、ポリープの病理検査結果を聞いてきて、同時に子宮体がん検査をやってきたんだけど、その体がん検査の結果を最近聞きに行ってきた。まぁ、検査結果は10日で出るという話で、10日経っても電話がかかってこなかったので、異常なしなんだろうとは思っていた。

これで一連の検査等が終わったのだが、わたしは聞いておきたいことがあった。何しろ、婦人科なんてできるならお世話になりたくないところだ。多分、シスヘテ女性だって婦人科へはあんまり行きたくないところだろうから、レズビアンのわたしなんか本当に敷居が高い。行くたびに「わたしは女性とセックスする人間です」とは言いたくないから。かといって「異性愛女性前提」の話をされるのはきつい。問診票すら同性とセックスする人間のことを想定されてない。「いない」ものと想定されているわけだから、「いないもの」としてみなされている人間が「います」って言うことはとてもハードルが高い。今回行った病院は、まぁセクマイなら「ああ」って分かる病院なんじゃないだろうか。婦人科の診察が月に1回のとこ。ここはもともと「セクマイはいる」と想定されている、という安心感があるのでやはり心理的には行きやすい。そして婦人科の先生が来るのは月1回だけだからか、あの屈辱な体勢になる「内診台」がない。平坦なベッドの上に横たわって股開くだけ。これ、結構わたしにとっては楽だった。きっと体がん検査が全く痛くなかったのも、そういう心理的な面で緊張感がなかったからかも知れない。てなわけで、3回受診して話しやすくなってたところで常々「これはどうなんだろう」って思ってたことを聞いてきた。

まず、基礎体温計ってて疑問だったのは、基礎体温を測っていると排卵が起きていることは分かる。それによって生理が来るのも分かる。しかし、不正出血のときはそういう体温の変化に関わらず来るわけだから、それが不正出血なんじゃないの?って思ったが、無排卵の生理、というのがあるわけだから、体温に変化が無くても生理は来ますと言われた。そして、この年齢になってくるとダラダラと出血が続く傾向があるという。しかし、その出血が2週間以上続いたら、貧血になる恐れがあって止血しなければならないから、そのときは来てくださいと言われた。もちろん「何かある」可能性もあるという。なのでそれが病院に行く一つ目の目安。

もう一つは、頻繁に不正出血があること。数日おきに出血するなどのときも病院に来いと言われた。これが二つ目の目安。

以上が定期検査以外で「あれ」と思って病院に行く目安。

それ以外だと1年に一回は定期検査に来てね、と言うことになる。子宮頸がん検診はまず1年に1回、体がんは2~3年に1回かなあということ。これは体がんにかかりにくいからと言うことではなく、身体の負担を考えてとの理由なので、本当は体がんも1年に1回受けることが望ましいらしい。国保だと無料で検査が受けられるクーポンなんかが付いてくる年があるが、これの「子宮がん検査」は頸がん検査で体がんじゃないから、体がんを希望するならわざわざそう言わないとダメらしい。あ、体がん検査は40台後半くらいからね。体がんにかかりやすい年齢は、40台後半からだから。もちろんだからといってそれ以前の人は体がんにならないかというとそう言うわけではないが。まぁ40代後半以前はまれなことなので定期検査の必要性はないということだろう。

あと、気になってたのは卵巣がんなんだけど、これはひとまずエコーで腫れてるかどうかはチェックできるので、それが目安になるらしい。が、中には卵巣が腫れない卵巣がんもまれなんだけど、起こりうると。まぁもうそうなったら早期発見は無理ですってこと。今のところ医学にも限界はあるんだから仕方がない。わたしの場合は筋腫もあると言うことで、その大きさもチェックをしなければならないので、そのついでに卵巣は見てもらうことになる。

とまぁ、そんな感じで以前から聞きたかった子宮がんと卵巣がんについて聞いてきた。ちなみにわたしが行ってるこの病院は頸がん検査のキットは常時あるけど、体がん検査のキットはその都度持って来なければならないので、事前に予約するときに「体がん検査も受けたいです」って言わなきゃダメです。

しかしね~。前から思ってるけど「うちはセクマイフレンドリーです」って婦人科がもっと増えないかな。GIDの治療などで婦人科だってセクマイと全く関わりがないわけではないと思うんだよね(尤も、GIDはセクマイの中に入らない!という人もいるのは知ってます。そしてそれはそうだろうなという認識も持ってます)。婦人科の問診票で「セックス体験の有無」を聞くのは、単なる身体の中に入れる器具の大きさの違いだけって聞いたので(しかしそう考えると婦人科の医者は「セックス」というのは「女性器に男性器を挿入すること」としか認識していないということがよく分かるし、一人でもバイブで遊んでる人がいることなんか考えたりもしないんだろうと思ったりする)そこのところはもっといい聞き方をして欲しいなとか。最近「LGBTビジネス」という言葉が盛んに使われているけど(結婚式場とか保険とか)、こういうところだって「LGBTビジネス」の一つと言えるんじゃないだろうかね。
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