07-31,2014
ばこがうちにきて1年
今日はばこがうちに来てちょうど1年。1年前の7月31日にばこはうちに来た。

あれから1年かあ~。なんかもうずっとうちにいた気がする。1年とは言わず、2年も3年も。いや、高尾にゃんがうちに来てからすらまだ3年半なんだけど(^^;わたしらがこの地に引っ越してきてからもまだ1年半なんだけど。時間の認知の歪みがすごいな、わたし。

ばこは今、1歳と2ヶ月半くらい?1年前に来たときは、体重1kgちょっとだったけど、今は5.0kgの堂々とした体格に。というか、一時は5.3kgくらいあってお腹がたぽたぽしてたんで、今ダイエット中でここまで減らした。動物病院の獣医さんからはばこの体格だったら4kg台まで落とした方がいいかねえ~と言われているので、あと100gか200g減が目標。しかし猫の体重を落とすのは難しい。。

少し前ですが、こんな猫になりました。

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ばこは病気知らず、と言いたいところなんだけど、つい最近血尿を出して治療中。高尾にゃんと違ってばこは水を飲む猫だ!と感動してたんだけど、それでも飲み方が足りなかったみたい。。ばこの場合は石が尿道に詰まっちゃって、一回、膀胱洗浄をした。石って言うか、細かい砂みたいなのがたくさん膀胱に入ってたそうだ。見せてもらったけど。。ただ、今のところ、経過は良好で、昨日、病院におしっこ持って行くつもりだったのに、昨日病院が開いてる時間にばこはおしっこをしなかったので行けず、今日はおしっこ採取に失敗して全く取ることができなかったので、今日も行けず、、明日は行くことができるかな?

実は高尾にゃんとの関係はあんまりよくありません。ばこは高尾ねーちゃんのことが大好きなんだけど、高尾にゃんはばこのことはあんまり好きじゃないみたいなんだよね。。まぁそれは分かる。だってばこっていきなり高尾にゃんのことを後ろから抱きついてきたりするんだもの。。(もちろんばこは去勢済みです)あと、せっかく高尾にゃんの頭をペロペロしてても、これまたいきなり手で高尾にゃんの頭を抑えつけてペロペロしようとするんだもの。。高尾にゃんは乱暴なことが嫌いなんだよね。

乱暴と言えば、ばこは若いからか遊び方が激しい。ちょっとしたおもちゃでも目の前で振ると食いつきがよくてよくて。そして周りのことは全く見えなくなる。ジャンプしてあっちこっちに当たりまくる。だもんで、高尾にゃんはすごい遠慮がちになる。わたしが高尾にゃんと遊ぼうとしてもばこが先に出てくるし、例えばこを別室に閉じ込めて高尾にゃんとだけ遊ぼうと思っても、おもちゃを振るとその音でばこがここから出せ出せと鳴きだし、高尾にゃんはその鳴き声が気になって遊びに身が入らない。正直、もうどうすりゃいいのって思ってる。。

てなわけで、高尾にゃんが今回、体調を崩したのも、一因はばこによるストレスなのかな~なんて思わないこともない。。

ただ、最近はちょっとだけいい関係になってるんだけどね。これは今日の午前中のばこと高尾にゃん。

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こんな感じでちょっとずつ距離は短くなってるような気はするんだけどね。それもこれも、ばこは高尾にゃんが大好きだからなんだけど。。

うちにきて1年経って、ばこの性格もなんとなく分かるようになった。小さい頃は本当に物怖じしなくて人なつっこかったんだけど、その反面、何を考えてるのかさっぱり分からなかった。高尾にゃんはかなり小さいときに「お座り」を覚えさせられたんだけど(餌を与える前に「お座り」と言ったらちゃんとお座りするようになった)ばこは何度言っても分からない。基本的に餌をもらうために何かをする、何かをしたら餌をもらえるという概念自体が分かっていないようだ。高尾にゃんの時はそんなことを教えなくても共通認識としてちゃんとあったもんだから、そこが分からない猫がいるとは全く思わなくて。そしてそこから認識させることすらどうやっていいのか分からなくて。だから「まぁばこは仕方ないよね」で諦めた。

性格は相変わらず人なつっこくて、家に人が来ると誰彼構わずついて回る。うちにきた電気工事のおじさんとか、宅配便の人とかに愛想を振りまいて「こういう猫だったら飼ってみたいですね~」とか「かわいい猫ですね」っていつも言われる。

人に対してまったく恐れがないので、大らかなのかと思いきや、ちょっと神経質なところもある。雷が怖いみたいだし(高尾にゃんは全然怖くないみたい)、おしっこを取られるのが嫌いで、こっちがおしっこを取ろうとする気配を察するとなかなかトイレに行かない。しかもこっちがお風呂に入ってるとか、絶対に取れない状況の時にトイレに行く。こういうところはなかなかの頭脳派だ。

しかもしつこい。ばこは気に入ったおもちゃをガジガジするのが大好きなのだが、遊ばないときはいつも本棚の上の方に引っかけて置いている。それを執念深く下から飛んで取ろうとしたり、上から取ろうとしたり。1日何回もやる。こっちが危ないと思って本棚の中に隠しても(ガラスの扉になっている)外から見えるもんで、なんとかして取ろうと狙っている。絶対に忘れない。この執念深さは別のところにも発揮されてて、「いけません」と言われたことを何度も何度もやる。高尾にゃんなんか「いけません」って言われると、いけないことは人が見ている前ではやらない。いないときにこっそりやったりする。けどばこは怒られても何度も何度もやる。かといってばこも馬鹿じゃない。いけないことをやるときは、ばこがムシャクシャしているときだ。

ばこは高尾にゃんと「怒られる」という認識が違っているらしい。高尾にゃんは「怒られたら嫌だから、ママ達が見てないときにやろう」と思っているらしいが、ばこは「怒られる」ということは「自分に声を掛けてもらえる」と思っている。だからばこ自身が遊んで欲しいとか、何か声を掛けてもらいたいとき、ムシャクシャしてて構って欲しいときにわざと悪いことをする。「ばこ!」と怒ると「にゃーん」と甘えた声を出す。まぁかわいいといえばかわいいんだけどねー。

基本、ばこは高尾ねーちゃん大好きなのだが、人間にも甘えてくる。高尾にゃんのように寝ころんでいると身体の一部にぴたっとくっついてきたりはしないのだが、わたしが寝ている夜中に知らないうちにわたしの枕元に来て寝ているとか、朝、わたしが遅くまで寝ていると、ご飯を食べたあとのばこが「にゃーん」と言いながらベッドに上がってきて、わたしが布団の中に「入る?」と言って空間を空けてやるとその中に入ってきてゴロゴロ言ったりする。「撫でてください」ってやってくることもある。ただ、人間にはあまりくっつきたがらない猫だ。

あとそれから案外忍耐強い。高尾にゃんは拘束されるのが大嫌いだから、ちょっとでも撫で撫でするために拘束したりすると、もうしっぽをぶるんぶるん振って「嫌です!!」ということを主張し、そこから逃れようと抵抗し、一瞬のスキを付いて逃げていく。けどばこは逃げない。嫌な素振りはするけど割と黙って撫でられている。時々諦めたように「ふーっ」と深いため息を付いたりすることがある。まぁこっちもかわいそうだから5分くらいで解放するけどね。

あと、ばこは割と暑がりだと思う。今の季節、高尾にゃんは猫ベッドで寝てるけど、ばこは基本は床の上で伸びている。こんな風に。

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これ、今日の朝です(笑)こんな風に安心しきった様子でどこでも転がるので、うっかりして踏んづけそうになる(笑)

ってわけで、ばこもこの家に来て1年かー。これからも末永く高尾にゃんと2匹で暮らして欲しいと思ってるんだが、高尾にゃんの具合があんまり良くないんだよね、、昨日から3たび下痢をし始めて、今日は嘔吐も復活。夜になってまた動物病院に行ってきた。もう、体重がどんどん減って来ちゃって、わたしは泣きそうです、、どうか1日も早くよくなりますように。。
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07-29,2014
高尾にゃんの具合が悪い
彼女のことは一段落付いたと思いきや、今度は高尾にゃんが吐いたり下痢したりしてね。その前はばこが血尿出したりしたんで、わたしは彼女が骨折して以降、自分の病院を含めて本当に病院通いが続いている。まぁ今では彼女の病院には付いて行かないけど、動物病院に連れて行くのは今はどうしてもわたしじゃないとダメだし、うちは車がないので、わたしがその都度動物病院に猫を抱えて自転車で行かなきゃならない。まぁすごい遠くにあるわけじゃないけど、かなり大変な思いをしている。わたし自身、全く別のことで今、精神的に大ダメージ受けてて、調子があんまりよくないんだよね。。ふう、いつになったら終わるんだろ、この試練。まぁ人の人生に試練なんてないとわたしは思ってるんだけどね~。因果関係はあるが。

高尾にゃん、確か7月10日だったかの朝、ご飯を食べたあと吐いてね。午前10時頃だったかな。いつもは吐くとしたらご飯を食べた直後に吐くんで、数時間後ってのはほとんどないことなのね。しかもそのときに発見したんだけど、トイレじゃないところに下痢をしてて。毛布の上だったんだけど、高尾にゃんはよく毛布だったり布だったりラグだったりタオルだったり、まぁそういうところで時たまウンコすることがあって。そういうときは布がぐじゃぐじゃになってるから「あれ?」って感じで分かるんだけど、このときもそうだったから、直感的に「これはばこじゃなくて高尾にゃんだ」って。今まで吐いて下痢をすることなんて1回もなかったんで、すぐに動物病院に連れて行って診てもらった。

「梅雨時は動物もよく体調を崩して吐いたり下痢したりする」って言われて、吐き気止めと下痢止めの注射をされて、吐き気止めと下痢止めの薬が出て「これで様子をみましょう」と言われた。でね、ここから2日間くらいは下痢がまだ出てたんだけど、それ以降はちゃんとしたウンコになって。だけど吐くことだけは止まらなくてね。1日1回は必ず吐いてた。だけど、吐くタイミングがバラバラでね。食べたものをすぐ吐くときもあれば、朝、ご飯を食べる前に吐いたり、内容も透明な中に毛が入ってるのだったり、茶色だったり、いろいろで、何が原因か分からないの。高尾にゃんはもともとグルーミングが好きで、毛を吐くことが多いのね。多いと言っても何もやらないと1週間に1度程度かな。ブラッシングを2日に1回くらいやると吐かない。だけど、このとき毎日ブラッシングしても、毎日吐いてね。明らかに変だと。なんで、この1週間後くらいだったかな、前の晩吐いて、朝ご飯食べたあとも吐いたんで、また動物病院に連れて行った。

実は高尾にゃん、今年の2月にも吐いて病院に行って、そのとき血液検査してもらったのね。結果は全く異常なしで。なので「もう1回血液検査しても前とあんまり変わらないと思います」って言われて、取り敢えずはレントゲンだけ写してもらった。結果は異常なし。考えられるとしたら膵炎だって言われたけど、膵炎はもっとたくさん吐いたりするんだそうだ。で、そのときは下痢は止まってたんで、ちょっと薬が変わって、吐き気止め2種類が出た。ああ、あのときは確か、水分補給のために皮下点滴をしてもらったんだっけ。

家に帰って吐き気止めを飲ませてたんだけど、吐き気は治まらなくて、しかもまた下痢になって来たので、その数日後だったかなー、また病院に連れて行ってね。確かそのときは出した便を持っていったのかな。で、糞便検査をやってもらったんだった。虫はいないって言われたけど、やっぱり腸の調子がよくなくて、悪玉菌が増えている、これはおそらく大腸炎でしょうって言われて、吐き気止めと整腸剤をもらって帰ってきたんだよね。これでよくならなかったら、念のため、血液検査をしましょうってそのときに言われた。

で、その日の夜から朝に掛けて高尾にゃんは6回も下痢してね。しかもまずいことに次の日はいつも行く動物病院は休診日で。でもこれだけ下痢をしてたら放っておけないってことで、ちょっと離れた、初めて行く動物病院に連れて行くことにした。そこで「これこれこうで、病院かかってたんだけど今日は休診日で」って説明して、診察してもらうことになった。

診察室で今までの経緯を詳しく話したら「どこまで治療しますか?」って言われた。まぁそりゃそうだろう。次の日はいつも行ってる動物病院は開くし。取り敢えずつなぎで診てもらってもいいわけだしね。けど、わたしは高尾にゃんがかわいそうで、早く原因を究明して対応して欲しかったので「検査して欲しい」って言った。そこの病院の先生も「これだけ長く吐くのと下痢が続いているのは何か異常がある証拠で心配です」と言った。なので、血液検査とまたレントゲンを取ってもらった。結果は異常なし。だけど、膵炎の可能性があるから、外部に出して検査してもらうって言われた。それからこれからしばらく毎日皮下点滴しに来てくれって言われて、あとはご飯の量をいつもの半分に減らすように言われた。高尾にゃんは食欲だけはいつもと変わらなかったんで、これはちょっとかわいそうだったんだけどね。

それが先週の火曜日のことで、わたしはそこから毎日病院に高尾にゃんを連れて皮下点滴に通った。木曜日に膵炎の結果が出て、膵炎じゃないって言われた。金曜日だけは疲れ果てて頭が痛くて身体が動かなかったので、彼女に行ってもらった。。彼女は今はまだ自転車に乗れないのでタクシーで連れて行った。それでも高尾にゃんは金曜日の夜までは毎日吐いてたんだよね。。下痢も木曜日までしてた。

それだからか「異物を飲み込んでいないか、バリウム検査をしてみましょう」って金曜日言われたそうで、土曜日の朝にわたしが連れて行った。前日の21時以降は飲み食いさせるなって言われて。まるで人間の検査と同じだなって思った(笑)バリウム検査は、バリウムを飲ませて何時間後にレントゲン、って感じで何枚も撮るんだそうだ。検査が終わったら家に電話が来るって言われたんで、待ってたんだけど、18時を過ぎても電話がかかってこなかったんで、こちらから電話しちゃった。そしたら「まだ終わってません」って言われて。高尾にゃん、大丈夫かなって思った。まぁそれから30分くらいしたら「終わりましたから迎えに来てください」って言われたんで、すぐに行ったけど。

結果は何も飲み込んでないってことだった。だけど胃は確かにかなり荒れていると。それに、これから出てくるウンコの中になんか異物っぽいものがある。毛には見えない、でも何か分からないので、ウンコが出てきたらほぐして中身を見て下さい、って言われた。

帰ってきた次の日の夜に高尾にゃんはウンコした。最初の方は黒かったけど、途中からバリウムが混じった白いウンコが出てきた。仕方がないのでその出てきたウンコをジップロックというビニールの袋に入れて、そこの中にお湯を入れて、ロックしてビニールの外側からウンコを揉んで、ウンコの水溶液を作った。もちろんわたしだってこんなことはやりたくないけど、かわいい高尾にゃんのためだものね。そしてウンコの水溶液を今度はペーパータオルで漉した。漉したものを何度か洗ってまた漉して、それで出てきた内容物を調べた。ほとんどが毛だった。でも、毛に混じってなんか、ザラザラした砂粒みたいなのがたくさん出てきた。「これってバリウムの粒なんだろうか?」と思ったが、よく分からなかったので、内容物を取り敢えず乾かして、次の日にラップに包んで病院に持って行った。水溶液を濾過して内容物を調べる、なんて、小学校か中学校の理科の実験みたいで実はちょっと楽しかった(笑)だから理科の実験も日常生活に全く役に立たないわけじゃなく、どこで何が役に立つかなんて全然分からないよなって思った。

バリウム検査で異常がなかったら、最後にエコー検査をしましょうって言われてたので、バリウム検査から1日おいて、エコー検査をした。これが昨日。エコー検査も前日21時以降は絶食だそうだ。

高尾にゃんはもともと病院に連れて行くのはそんなに苦じゃない。キャリーバッグの中に入るのは好きじゃなくて嫌だって言うけど、入ってしまえばにゃんとも鳴かない。自転車で連れて行くときも何も言わない。一方ばこは泣きわめく。まるで「今からこの人は猫を捨てに行くんですー!ばこは捨てられちゃいますー!助けて下さいーーーー!」って言わんばかりに泣きわめく。街行く人に振り返られてとっても恥ずかしい思いをする。でも高尾にゃんは鳴かないのでそういう思いをすることもない。

病院で診察の順番を待っているときも鳴かない。キャリーの中でおとなしくじっとしている。診察室に呼ばれて診察台の上に乗せられても鳴かない。体温を測るために肛門の中に体温計を入れられるのは嫌みたいだけど、だからといって爪を立てたりすることもない。前はフーとかシャーって言うときもあったんだけど、今はされるがままで耐えている。

血液検査はさすがに抵抗するので、手からは取れなくていつも首から取るのだけど、それ以外の、今回やったレントゲンとかバリウムとか、すっごくおとなしくしてたそうで、いつもいつも検査してくれた人から「高尾ちゃんはやりやすかったです」と言われる。

それだから、わたしも高尾にゃんはとっても病院につれて行きやすいんだけど、それがなんだか却って不憫でね。高尾にゃん、ごめんね、ごめんねっていつも思う。さすがにバリウム検査で9時間くらい病院にいたときは一刻も早く帰りたかったらしく、わたしが迎えに行って、先生から検査の結果を聞いているときにニャーニャー小さい声で鳴いて「早く帰りたいよう」って言ってた。

わたしもさ、高尾にゃんが半日家にいないともう寂しくて。高尾にゃんはわたしが家にいるときはなにげにそばにいつもいてくれて、わたしがベッドに寝ころんでいると足元に来るし、わたしが机に向かっていると同じ部屋の中で転がっているし、ほとんどいつも、わたしの視界の中にいるんだよね。それがいないとなると、妙に寂しくてね。「ああ、いつも高尾にゃんの存在に慰められてるんだなあ」って実感したの。

なので、エコー検査でまた半日くらい病院、って言われて「うーん」って思ったんだけど、まぁこれが最後の検査だからと。高尾にゃんは、一時は餌の量が半分になったけど、金曜日の夜からは通常の量に戻ってた(いつも食べてるのじゃなく、療法食だけどね)。けど、土曜日は検査で朝から晩まで食べられず結局1食、日曜日はちゃんと食べたものの次の日の朝は何も与えられないので随分お腹が空いていたと思う。病院で体重測ったらかなり体重が減ってた。そして前日出したウンコの中身、わたしじゃ判断付かないので持っていって見てもらったんだけど、やっぱり何か分からないようだった。明確な異物ではなかったんだよね。まぁ異物って普通、紐とかプラスチックとか、そんなのらしいから。ちなみに出てきた砂粒みたいなのはバリウムじゃないって言われた。バリウムは粒じゃないそうだ。高尾にゃん、あんた、どこで何舐めたの。。??ただ、毛が多く混じっていたことから「毛玉症」と言えるかもと言われた。あ、もしエコー検査で異常がなかったらね。ただ、家に帰ってきて毛玉症(毛球症)について調べたら、消化器官に毛玉がたまる病気なんだってね。最悪の場合はたまった毛玉を手術で取り出さなきゃいけないんだとか。でも、先生はそういう意味で言ったんじゃないみたい。なるべく毛を排出することがこんな状態(吐き気や下痢)にならなくさせる対処法だと。そのためには餌を毛玉ケアの餌に変えるとか(実はもともと高尾にゃんの餌は毛玉ケアの餌なのだが)サプリを与えるとか、そういう対処方法しかないと言われた。要するに根本的な薬はないってことね。今回みたいに吐き気や下痢になったときに、対症療法として吐き気止めとか下痢止めが出るくらいしかないみたい。

まぁそんな説明をされたあと、高尾にゃんはエコー検査で病院に預けて、それからわたしは一旦家に帰った。エコー検査はバリウムとは違ってそんなに長いことかかる検査じゃないって言われてたけど、確かに病院から電話がかかってきたのは16時頃だったかな。なので、電話がかかってきてすぐに迎えに行った。

検査の結果はこれも異常なし。だから、朝に言った毛玉症でしょうねーと言われた。まぁわたしはバリウム検査、エコー検査ともう最悪のことしか考えてなかったので、少しホッとしたんだけどね。だって、ネットで調べれば調べるほど怖い名前の病気しか引っかかってこなかったんだもの。もちろん、最終的には内視鏡検査ってのがあるらしい。けどこの検査は全身麻酔をしなければならないのと、高尾にゃんの年齢を考えたら、そこまでしなくていいんじゃないかなあってことで、一応検査はこれで終了ってことになった。吐くのは金曜日の夜から止まってたし、下痢もその前の夜から止まってたので、餌も療法食から通常のものに変えていいですよー、ただし1週間くらい掛けてちょっとずつね、と言われた。薬はまだ飲ませないとダメで、もしかしたらまた吐き出したり下痢をしてしまう可能性もあるんだと。今止まってるからってずっと止まってるとは限らないですって言われた。ただ、次の通院は何もなければ薬が切れたときで、また吐き始めたりしたらそのときにすぐに来てくださいと言われた。

ってわけで、ようやく今のところは病院通いから解放されたのだけど、高尾にゃんはここ毎日病院に行ってたから警戒してるのか、今日は午前中ずっと部屋の隅のカーテンの影に隠れていた。

もうさ、本当に大変だったですよ!しかも、明日はばこのおしっこを取ってまた病院につれて行かなければならない。。上にも書いたとおり、ばこは病院につれて行く間、ひんひん泣きわめくのでつれて行きにくい。。まぁ病院の建物に入ってしまえばまた鳴かなくなるんだけど(診察室でも泣きわめくことはない。鳴くのは外でだけ。なんでだろ?)。

正直、大変な日々を送っております。。いや、おりましたって過去形にしたい。。今後、高尾にゃんが再び悪くなりませんように!

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昨日、検査が終わったあとの高尾にゃん。「やれやれ、えらい目に遭った」
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07-18,2014
ゆりかごのうた 大松達知歌集/大松達知
無知を晒すようで恐縮なのだが、一応学校教育で、短歌、俳句、川柳などは習ってきたはずなのだが、学校を卒業してうん十年経つと、正直「あれあれ?俳句は季語があって5・7・5?川柳は確か季語がなくて5・7・5・7・7だっけ?じゃあ短歌ってなんだっけ?」などということが起きていて、、これって生まれたときから日本に住んでいて、しかも日本語を母語としながらものすごく恥ずかしいことだよねとは思うのだが、でも、自分の暮らしの中に「歌」というものが本当に無縁なので、仕方がない部分もあるのかな、なんて思っている。

だからといって、「歌」に興味が全くないわけではなく、斎藤茂吉の歌集なども持ってるし(文庫本だが)、俵万智なんかも知ってるし、俳句はなんかしみじみとした趣があっていいなあと思ってるし、なんというかな、ここだけの部分で言えば「一般的なフツーの日本人の感覚」なんだろうという認識だ(普段は「フツー」というカテゴリーも「日本人」というカテゴリーも使いたくないんだけどね)。ただ、「歌」については今まであまり接点がなかったんだよね。積極的に探そうとも思わなかったし。

今回のこの「ゆりかごのうた」を知ったのは、偶然、東京新聞を読んだからだ。確か書評じゃなくて、コラムみたいなところだったと記憶しているのだが、「父親になった人の父親の目から見た短歌」みたいな感じでこの人ともう一人の人が紹介されてたんだよね。確か5月頃だったかなあ?その2人のいくつかの歌が紹介されてたんだけど、わたしはこっちの人の歌の方がなんとなくいい感じだなって思ったのと、歌集を出したばかり(もう一人の人のは確か雑誌で発表だったかな?)だというので「もしかしたら図書館にあるかもね」と思って探したら、案の定、図書館に置いてあって(ただし、新刊だったのでだいぶ待たされた)それで予約して読んでみたのだった。

題名が「ゆりかごのうた」なのと、新聞に紹介されていたのが「父親の目」ってことだけだったので、この歌集、全般にわたって「子育て中の父親の歌」なのかなって思ってたけど、実際に読んでみるとそういうことは全くなく、「2009年から2013年(38歳から42歳)までに書紙誌に発表した作品の中から444首を選び、第4歌集とします。」とあとがきに書いてあるように、実にいろんな歌が入った歌集だった。

この人のことは、東京新聞を読むまで全く知らない人で、どういう背景を持つ人なのかも全く知らなかったのだが、歌集を読んでいるうちに「あれ、この人、野球が好きな人なのかな?」って分かってきた。他にもお酒がすごく好きそうだとか、英語教師をやっているとか、子供が産まれたとか、誰かが亡くなったとか、どこそこに旅行に行ったとか、そういうことがぽつりぽつりと分かる歌集だった。

わたし、今まで俳句とか短歌って、「句を通して読んだ人の気持ちを想像する」とか「読んだ人を通して情景を思い浮かべる」ことだと思っていた。学校教育でもそういう教わり方をするからさ。もちろん、それは間違ってはないだろう。「何が書いてあるかを文法的に正しく解釈して、そしてその句が何を言おうとしているのかを考える」ことは、句の本質的なものを捉える上ではとても大切なことだとわたしも思う。けどね、わたしはこの歌集の中の一つの短歌に出会ったとき、それまでとは違うものを感じたの。「ああ、短歌を読むってことは、自分の中にこういう感情を湧き起こすことがあるんだ」って思った。

打者を見つつ走者を見つつ送球を見つつ過ぎたりこの世の五秒


この句を読んだとき、「うわっ!」と思ったのね。それはまさしく、わたしが経験したことだった。

わたしは今はほとんどプロ野球オンリーになっちゃったけど、かつては社会人野球が大好きで、休みのほとんどを社会人野球観戦に注ぎ込んでた時期があった。年間100試合ほど観ていた。いろんな球場へ観に行ったけど、わたしは大抵バックネット裏の中段で、ホームより少し3塁側の席が定位置だった。そこからだと投手も打者も守っている人たちもランナーもみんな、一瞥できるからだった。

野球っていうのは、ものすごく奥が深いスポーツで、一人一人の心理状態、配球、守備位置、作戦、選手が持っている技量など、いろいろなところにアンテナを張り巡らせて、いろんなことが感じられるからわたしは好きなのだ。ただ野球をほとんどやったことがないわたしには、セオリー通りの作戦などは分かるけれど、配球とか細かいことは実はよく分からない。分からないし、それが間違っているかも知れないんだけれど「もしかしたらこうなんだろうか?」って自分なりに感じて解釈する。それがまたたまらなく面白い。

ああ、言葉にするとすごくつまんなくなってうまく説明できないな。ある場面、一方のチームはチャンスに、一方のチームがピンチに追い込まれる。ここでキャッチャーはピッチャーにどういう球を放らせるか、ピッチャーはキャッチャーの構えたところにボールを投げることができるか、バッターの狙い球はどんなものか、ランナーのリードの具合はどうか、ベンチの指示はどう出ているのか、野手の守備位置はどうなってるか、キャッチャーが打たせようとしている方向に野手はちゃんと守っているのか、高まる声援(社会人野球の応援はすごい!)、いろいろなことを観察して感じようとするわたし。「野球ってなんて面白いんだろう!」と感じる瞬間。そしてピッチャーがボールを投げて、、

この句を読むとね、あのときのわたしの気持ちがばーっと蘇ってくる。この句の中の「五秒」っていうのは、まさにわたしが打者を見て投手を見てランナーを見る、その「五秒」なんじゃないかと。

わたしがこの句を読んで真っ先に思い出した試合がある。

1999年7月25日、都市対抗野球大会3日目の第3試合。横須賀市(日産自動車)対大阪市(日本生命)の試合。7-8で迎えた9回の表、横須賀市の攻撃。2アウト1塁からタイムリーで1点返して同点にしたあと、大阪市のピッチャー土井は四球を出して2アウト1塁3塁。ここで横須賀市の黒須がセンター前にタイムリーヒットを打って逆転するのだが、まさにヒットを打つ直前、わたしは上に書いたとおり、投手を見、打者を見、ランナーを見、野手を見、盛り上がる応援を聞いた。これから起こることについてワクワクし、息を呑んだ「五秒間」だった。そしてその後、センターに抜けた黒須のヒットはスローモーションの映像としてまだわたしの頭の中に鮮明に残っている。あの試合を観た帰りにわたしは繰り返し「野球って本当に素晴らしい」って思った。野球を観ることは、わたしにとって数少ない「生きててよかった」と思えるものだった。

野球は間延びして面白くない、と言われることが多々あるけれど、あの「間」があるからこそ、野球は面白い。その間、いろんなことを感じられるから。それは独りよがりで事実とは違う解釈だったとしても、全然構わないと思っている。だって、そう感じたのはわたしだから。わたしがそう感じたということは「事実」なのだ。そして自分で感じたことは、自分の胸にだけに留めておく。自己満足でいい。

と、ここまで書きつつ。。この句を再び見ると

を見つつ走者を見つつ送球を見つつ過ぎたりこの世の五秒


なんと、「打者」だと思っていたのが「打球」ではないか!

あー、なんということ。ここが「者」であるか「球」であるかによって、この「五秒」は全く別の「五秒」ではないか!たった1文字の違いで場面が全然違ってくる。ああ、やっぱり俳句とか短歌って怖い。。

打球を見て、走者を見て、送球を見る、というのは、打者が打った後、のことだ。この人はロッテファンらしく、千葉マリンスタジアムに行ってロッテを応援する様子をいくつか短歌にしてるんだけど、きっとロッテの選手がヒットを打ったんだろう。その打った打球を見て、それからおそらく塁上にいたランナーの様子を見て、そして相手のチームの野手からの送球を見たってことなんだろう。それはそれで緊張感が伝わってくる一句なのだけど。。

わたしは特定の社会人野球チームは応援してない。けれど、プロ野球だったら、もう誰がなんと言ってもカープファンだ。同じ野球でありながら、社会人野球とプロ野球、特定の応援しているチームがある場合とない場合によって、わたしは野球の見方が全く違う。社会人野球は純粋にゲームとして楽しんでいる。どっちが勝っても負けても別に関係ない。ただ、緊張感のある試合が観たい。けれど、プロ野球は何が何でもカープの勝ちが観たい。どんなに大量得点差でゲーム自体は全然つまらなくなってしまったとしても、カープが勝っていたら満足するし、僅差で負けたらやっぱり悔しい。まぁそりゃあ、「いい勝ち方」ってのはあるから、いくら勝っても「こんなんじゃダメだよ!」って思うこともあるが、、

だからわたしはこの人が「打者を見つつ走者を見つつ送球を見つつ」と詠んでいて、その中に投手のことが入っていないのは、それは「応援しているチームがあるからだ」と思っていた。そして「その瞬間」の前の「五秒」のことを詠った歌なんだとばかり思っていた。そして「ああ、短歌って人の詠んだ句から自分の経験したことを思い出せる手段でもあったんだ」って、そう思った。

けど、あー、そうだったんだ。今回はそうではなかったんだね。

この句を作った人からすると「自分が作ってない句を勝手に作り上げてあれこれ言うな」って思われるだろうけど、確かに作った人を冒涜する行為ではあるよな。。ごめんなさい。だけど、わたしは本当に嬉しかったのだ。だって、あの句を読めば、あのときの、わたしの気持ちが自分の脳の中にパーッと蘇ってくるんだもの。

ちなみに、正しい句を読んで、これまた思い出した試合がある。

1995年6月20日。カープヤクルト戦。わたしはこの試合を広島市民球場で観ていた。9回裏4-6でカープは負けていたが、なんとノムケン(野村謙二郎現カープ監督)が逆転3ランを打ったのだ。このときは、ファンとしてすごく興奮した。「ノムケン、ありがとう!よー打ったな!!」って言いたかった。試合が終わったあと、球場前でノムケンの出待ちをした。「ありがとう、ありがとう!」って気持ちを伝えたかった。けど、本人を目の前にしてわたしは何も言えなかった。。言葉にしなければ相手には伝わらないが、「ありがとう」という言葉では自分の気持ちが伝えきれないと思ったからだ(それ以上に声を掛けるのが恥ずかしかったんだけど(^^;)。

「この世の五秒」はきっと、球場はファンの声援でいっぱいだったんだろう。「走れ、走れ」という声や「やったー」という声や「いいぞー!」って声が聞こえたんだろう。この句にはそういうことは何も書いてないけれど、でもわたしにはそれが聞こえる。

この人の野球に関する一連の句は、この人が球場のどこに座ってて、どういう応援をしているか、それがものすごく分かってね。全く見も知らぬ人なんだけど、球場でビールを飲みながら応援している姿がありありと浮かんでくる。それがとても不思議な感覚だった。わたしは人の短歌を読んでてあんまりその人の「生きている姿」を思い浮かべたことはない。どちらかというと、なんかセピア色のフィルターを通して見るような、なんとなく古ぼけていて、自分とは関係ない遠い世界であるような感覚がある。だけど、この歌集は全然違ってた。ちゃんと色が付いてた(笑)

この歌集、この人の生きている痕跡みたいなのが分かって、とても面白かった。歌集なんて、本当に今まで無縁で、あとこういうのを読むと「何か正しいことを感じなきゃ」みたいなプレッシャー?があって(学校教育の弊害か?)すごく敷居が高かったんだけど、これは本当に自然に読めた。

例えば英語教師として生徒のことをを詠んだ歌などもユーモアがあって面白かったし、あとこの人、お酒が好きなのね。「子供が産まれた」ってことでどんなことが書いてあるのかなって思ってたけど、まぁ正直それは「ふーん、そうなんだ」としか思えなくて(なんせ、わたしは人の親にはなったことがないからね)、実際のところはわたしは別のところ(=野球)に大いに反応した。

この歌集は「第4歌集」ということらしいので、前に3作出てるはずなんだよね。そっちの方も読んでみたいな。

ただ、一文字で意味が全く変わってしまう怖さ、ってのをこれを書いててモロ感じてしまった。正直、文語体はあまり正確に捉えることができなくて「まぁ適当でいいよね」って思ってたのだが。。あんまり適当でもよくないってことだよね。でも、それを気にしてたらまた敷居が高くなっちゃうしなあ。難しいとこです。でもこんなこと言ってたら、真剣に三十一文字を考えて作っている人に対して悪いなとも思う。

【追記】奇しくも今日は、プロ野球はオールスターゲーム第1戦。カープの選手がびっくりするほど多くスタメンで出場している。そして、東京ドームでは都市対抗野球大会が始まった。もう何年も観に行ってないけどな~、今年はどうしようかな。観るとハマるからなあ、あれは。
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07-16,2014
薬が減る
昨日は彼女の退院の日だったんだけど、わたしの精神科の診察日でもあって。だから午前中は彼女の病院に行き、午後からは自分の病院に行った。

4月から新しい主治医に変わったんだけど、なんかねー、イマイチなんだよね。前の主治医から「若い人です」って言われてたんだけど、確かに経験値がなさそう、、なんかとても頼りない感じ。まぁ経験値がないのと頼りないのはまた別の問題かなとは思うけど、わたしはなんでもそうなんだけど、はっきりした人が好きなんだよねえ~。はっきりした人とは自分と合う、合わないがはっきりしてるから、その後の対応もしやすいんだけど、はっきりしない人は何をどう考えてるのかさっぱり分からないので苦手。まぁでも関係は患者と医者なんで、嫌いと思ってても付き合わなきゃなんないけどね。でもはっきりしてる人はすぐに「あーもうこういう医者だったら別の病院行こう」ってすっぱりこっちも決められるけど、はっきりしない人にはダラダラなっちゃう傾向にあるよね。

とはいえ、わたしの薬に対する感受性を考えると、これからまた一からやり直すには怖すぎるものがあるんで、今のところは病院変えようとは思ってないですけどね。

前回の診察のときに「もしかしたらもう睡眠剤はいらないかも」って話してたんだけど、取り敢えずは出してもらってたのね。でも結局ほとんど飲まずに眠れたし、いくつか前の日記にも書いたんだけど、この睡眠剤があるせいでわたしは1ヶ月に1度の通院を余儀なくされていたので、早く切りたかったんだよね。

それと、ジプレキサ。これも前回の通院後から一切飲んでない。前回3月頃にジプレキサを復活させたのは、肩が凝ったり背中が痛くなったりしたので、前の主治医から「飲んでみてはどうでしょう?」って言われたので飲んだのだったが、わたしは肩が凝ったりしたのは冬で寒いからだと思ってたので、夏にどうなるか試したいって言ってたんだよね、そのときから。前の主治医は「じゃ、それは新しい先生に相談して下さい」って言ってたんだけど、前回、わたし、言い忘れちゃった。

けど、前はジプレキサ飲まなくなって2ヶ月ほどで肩が凝ったりしてきたので、今回止めるとすれば7月に入ってからではなく、6月のうちに止めておかなければならない。9月もまだそれなりに暑いけど、そこから先は寒くなってくるので、寒さが理由でないことを証明するためには、6月から止めて、8月9月は様子を見ておいた方がいいんじゃないかと思ったからだ。

てか、これは自分の身体を使った人体実験だなあと思うのだけど、まぁわたし自身はこういう実験は結構好きだったりする(笑)

だいたいジプレキサと言っても0.5mgしか飲んでないので、飲んでも飲まなくても気分的には全く変わらないのだ。ただ、わたしの場合、調子が悪いと精神的じゃなく、身体的にしんどい症状が出て来やすいみたいなので、前の主治医はそれに対してジプレキサが有効だと思っていたと思う。前の主治医も比較的頼りない感じだったけど、でもちゃんと聞いてみると「自分はこう思うのでこうしてます」ってことをはっきり言う人ではあったので、そこからわたしの意見を言って、どうするのが一番いいのかを話せたんだよね。他の病気はどうだか知らないけど、精神の病気って長くかかるからか、自分の納得しない薬とか飲みたくないじゃん。調子が悪いときは医者に全面的に任せるにしても、わたしの場合、もう気分的な落ち込みは1年半以上ない。反復性うつ病の場合、落ち込みがなくなっても、今までみたいに「じゃあもう治りましたね」ってことはないので、今後もあと数年は病院のお世話になると思ってるけど、でも、やっぱり飲んでも仕方ないと思う薬は飲みたくないのだ。

なので昨日の受診時に「後付けになってしまって申し訳ないんだけど、ジプレキサも止めてます」と言った。まぁ上に書いたような理由を言ってね。主治医としてはわたしとの付き合いが短く、何も言いようがなかったと思うんだけど、飲まないことによる影響が出てないことを聞いてから「分かりました。取り敢えず止めてみましょう」と言った。

わたしねー、この主治医とは4月からだけど、ちょうど初めて診察を受けた日が、ちょうど彼女の骨折直後でね。かなりハイテンションだったと自分でも思う。それでそのとき「今はこういうハイテンションなんだけど、だからといってこれは『躁状態』ではないと思う」って言った。ほれ、リーマスって双極性障害の薬だからさ。前の主治医がリーマスを投与するにあたって「もしかしたら双極性II型かも知れない」って言ってたのが気になっててね。でもわたしは今まで躁状態にも軽そう状態にもなってない(躁状態、軽そう状態の定義に全く当てはまらない)から、自分では双極性障害とは思ってないんだよね。彼女に聞いても「ろんたこは違うと思う」って言う。

って説明したつもりなんだけど、前回(6月)の診察でまた話に「躁状態がうんたら~」って話が出てきて、わたしは「いや、わたしは躁状態になったことはないです」って話すんだけど、主治医はそれを認めない感じがするのね。少しでも可能性がある場合は否定できないって感じで。一回「かも知れない」って思われたことを覆すのは難しいなと思った。わたしは自分でうつ病だと思っている。希死念慮が全く消えないからね。あと、眠らなくても平気な状態なんかになりっこない。だって一晩でも徹夜すると頭が痛くなるので、わたしは高校1年の定期テストで1回徹夜して以来、徹夜はしたことがないのだ(1回で懲りた)。ってことを長々と説明しても言い訳してるみたいに聞こえるので、そんなことは言わないし、もし今も希死念慮があるって知ったら、別の意味で警戒されてしまうと思って言わなかったんだけどね。

ってわけで、今月もそういう話を繰り返ししたくなかったので、今回はそういうことは一切話さなかった。まぁ話さなくてもこれからの付き合いの中でそうじゃないって分からせるしか方法はないよなと思うから。

今の主治医は、今のような調子のいいときは別にいいんだけど、調子を崩したときはまずいんじゃないかと思ってる。まぁ調子はもう崩れないとは思ってるけど、でも3回うつ病繰り返した人の4回目の再発率は90%なんでね。まぁ4度目のうつももう確定に近いとは思ってるんだけど。。でもできるならそれが来るのはずっと後にしたい。

もちろん、薬は飲みたくないんで、ゆくゆくはリーマスも止めたいとは思ってるけど、でもまぁまずは単剤でどこまでいけるかだな。

次の診察は、もう1ヶ月の縛りがなくなったので、1ヶ月半後になった。こちらの方も徐々に期間を延ばして、病院に通う日数を少なくしたいと思ってる。

今回の処方。
リーマス(100mg)、ロキソニン(頓服10回分)
13:49 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-15,2014
退院しました
昨日、手術が終わったあとに「痛い、痛い」と言ってたので、どうなるのかなと思ってたんだけど、今朝になったら痛みが引いたようで、今日、無事に退院しました。

昨日1日は歩いちゃいけなかったので、トイレも車いすで看護師さんが付いてきたらしいんだけど、今日になったらもう歩いていけたって言ってたので「人間の快復力ってすごいなあ」と思いました。まぁ患部はしっかりとなんかすごく幅広のテープでがっちり固定されてるから傷口は開いたりはしないとは思うんだけど、でもそうは言っても骨が見えるくらいまで切開したと思ったら、なんだか地面に足を付けるのが怖そう(^^;

今日は朝8時少し前に彼女から「多分退院できる」というメールがあったので、10時頃に病院に行って、会計が出るのを少し待って、その後お金を払って家に帰ってきた。

まーこれで一応、今回の件は一安心。2週間後に抜糸で、抜糸したら普通に歩いていいとのこと。

いやー、ここまで来るのは結構長かった。4月中旬だから3ヶ月以上?この間、外出はほとんど車いすだったし(彼女が一緒の場合)、怪我をする前は買い物係はどちらかというと彼女の役割だったのに、それがすべてわたしに回ってきて、それが外出嫌いなわたしにとっては結構大変だった。。

まぁでも、自分の負担が増えた割には、わたしの体調はすごく悪くなったわけではなく、多少の負荷をかけられても大丈夫だったってことが証明されたので、わたしとしても少しは自信になったかな。うつ病からの回復って、別に誰かに「こうしなさい」って言われるわけじゃなく、手順がないので、自分がそろりそろりとやっていくしかないんだよね。そういう意味ではいい試練にはなったかな。
22:34 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-14,2014
手術終わりました
無事に手術が終わった~。

前回は骨が折れてたから歩けなくて手術室まで車いすで行ったんだけど、今日は歩いて手術室に入っていった。手術は前の人が終わってからってことで、一応11時からとは言われてたんだけど、11時半頃だったかなあ。前の手術のときは朝イチで、しかもなんか緊張の面持ちで手術室に向かったんだけど、今回は2回目だからか割と余裕がある顔をしてた。

しかし手術室の周辺ってなんで同じ臭いがするんだろうね。わたしは以前、今通ってる精神科の病院で「電気けいれん療法」ってのを10回やるために手術室に10回入ったことがあるんだけどさ、あのときの手術室に入ったときと同じ臭いがするから、なんかあそこの前を通ると自分が手術室に入ったときのことを思い出すんだよね~。なんていうの?臭いが青い感じがする。臭いには色はないんだよ!って思われるかも知れないけど、ちょっとひんやりしてて冷たい感じの臭いなんだよね。乾いた空気の感じの臭い。背中が少しぞくっとするような臭い。かなり大きな病院なので、手術室が一体いくつあるのかはついに最後まで分からなかったんだけど、10回も手術室に入ったので、すごく大きな手術室もあれば、「あれ?」って思うほど小さな手術室もあった。手術室に入るときは、手術を受ける患者のベッドがずらっと並んでて、まるで駐車場に入る車になったみたいだって思った。一度自動ドアの中に入ると待たされるところがあって、そこから「何番の手術室に入ってください」みたいなアナウンスがあって、それで手術室に連れて行かれる。

まぁ彼女の病院はそこまで大きくないから、駐車場に入る車みたいなことはないんだけど(第一、歩いて手術室に入るし)なんか臭いでそういうことを思い出してしまったりしていた。

その後はお昼ご飯食べたり、待合室で本を読んでたりした。終了予定は2時間後って言われたけど、前回は終了予定時間より30分も前に「終わりました」って声を掛けられたので、今回も早めに終わるかな?と思ったけど、きっちり2時間後に終わった。前回は待合室で待ってたら看護師さんに「終わりましたよ」って言われて、そこから手術室の前まで迎えに行ったんだけど、今日はなぜか最初に待合室に執刀医が来て「手術終わりました。ピンは全部取りました」などの説明があった。わたしが「あの、、本人は?」と聞いたら「まだ手術室です。わたしは終わってすぐにこちらに来たので」と言われたので「じゃあここで待っていればいいですか?手術室まで行かないで」とまた聞いたら「あと5分もすればこちらに来ると思いますので、ここで待っててください」と言われた。ので、エレベータの前で待ってたら、看護師さんに「終わりましたから手術室まで行きましょう」と言われたので結局手術室まで行ってきた。なんじゃらほい、、

手術室から戻ったらいつも思うんだけど「病人」になってるんだよねー。点滴の管に繋がれてるし、酸素マスクはしてるし。

病室に戻ってきてからは、彼女と話ができるわけでもなく(ずっとうとうとしてるので)すごくヒマだったんで、1時間くらいしてから家に帰ってきた。前回は酸素マスクを取って、水を飲むまで病室にいたんだけど、今回はもういいやと思って。ただ、わたしが病室を出るちょっと前から「足が痛い、痛い」って言ってたので「看護師さんに痛み止めを頼んでみる?」って聞いて、痛み止めの入った点滴を追加してもらった。

帰ってきてしばらくしてから彼女からメールがあったんだけど、痛みはあんまり取れてないみたい。あんまり痛いようだったら睡眠剤もらって強制的に寝るんだよって返事したんだけど、どうなってるかな。

取り敢えず、予定では明日退院なんだけど、あんまり痛いようだったら明後日まで退院を伸ばすみたい。

痛くなってないといいなー。
21:38 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
07-13,2014
再入院しました
っていっても、予定通りなんだけどね!

4月の終わりの手術で足にピンを埋め込んだ彼女。あれから8週間以上経って、再びCTを撮ったところ、めでたく骨がくっついたということで、この度、その除去手術をすることになった。前回は諸事情があって10日ちょっと入院してたけど、今回は今日入院、明日手術、明後日退院の2泊3日。おそらくあっという間に家に帰ってくることだろう。

一応、明日は手術なので、わたしも前回同様朝から病院に行く予定。今日も入院したあとに彼女の病室に行ったんだけど、看護師さんはみんな彼女のことを覚えていたらしい。まぁ前回10日以上、入院したからねえ。。で、わたしのことも覚えていてくれたのか、明日手術の際に何時に病院に行ったらいいかとか、当たり前のように看護師さんに教えてもらった。

前回の手術はちょっと恐怖感あったみたいだけど、今回は2回目ということと、ピンを除去して早くせいせいしたいって気持ちが強いみたいで、どちらかというと「手術を待ち望んでる」って感じ?まぁ、わたしは経験したことがないのでよく分からないんだけど、足にピンを埋め込んでると地面に足を付けるとピンが折れそうな気がして怖いんだと。それからピンを埋め込んでるせいかどうか分からないけど、足の表面がときおり電気が走るみたいに「ピリッ」となるから、しょっちゅう「痛い、痛い」って言ってる。ピンを除去してそれがなくなってくれるといいんだけどね。

ピンを取り除くんだから、もう一回患部を切るみたいなんだけど、それでも再び松葉杖になることはないとか?うーん、もうすぐに地面に足を付けて歩いても大丈夫ってことなんだろうか。リハビリにももう来なくていいかも知れないと言われているらしい。今までかなり丁寧にリハビリしてきたんだけど、最後の最後はこんなものなのかなあ?

まぁなんにしても、明日の手術はうまくいきますように。ピンを取り出すだけと言っても、全身麻酔なのでやっぱりちょっと心配なのは心配。
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07-01,2014
猫は天然の睡眠剤
もう今日から7月になっちゃったね。今年も半分終わったわけか。なんか早いような、、

わたしは前回の精神科の診察(先月17日)の数日後から睡眠剤を飲むのを止めている。「もうなくても眠れるだろうな~」って思ったので止めた。

飲むのを止めてから何か変わったってことはない。止めた日の眠りはすごく浅かったけど、あれっていつもそうなんだよね。でもわたしが飲んでるハルシオンは超短期しか効かない薬なので、眠りの深さには大して影響はないはずなんだよね。それでも止めた日はそういうことが起こるってことは、睡眠剤って精神的に影響するもんなんだよなって思う。いや、睡眠剤自体が精神への影響を及ぼしているんじゃなく、飲むという行為が安心感をもたらすというか。飲んでないと「眠れないんじゃないか」と不安に思う。不安に思うと本当に眠れなくなる。

睡眠剤を切るとき、一番やっかいなのがこれだ。飲んでも飲まなくても大して変わりないって思ってるのに、飲まないと不安になって眠れなくなる。睡眠っていうのは物理的に薬が効く以上に精神的なものの影響が強いと思う。

わたしはもう今まで何度も睡眠剤を切ってはまた使い、を繰り返してるので、睡眠剤を切ることにもある程度慣れている。睡眠剤を切るコツは「睡眠剤の力で寝ていると感じられるときは絶対に薬を止めないこと」かな。睡眠って本当に大切で、眠れないと今度は精神に影響を及ぼす。眠れないことで気分が悪くなって落ち込んだりする。それは本末転倒だから。「睡眠剤を飲まないと眠れない身体になるんじゃないか、依存症になるんじゃないか」って思いがちだけど、まぁわたしの場合の話だけど、数年飲んでても別に依存症にはならなかった。わたしは中途覚醒がひどかったので、導入剤だけじゃなくユーロジンなんかも飲んだけど、あれを飲んでも中途覚醒は治らなかったな。結局、中途覚醒を治すには、うつ病自体がよくならないと無理だった。睡眠剤はハルシオンの他にはドラール、マイスリー、ロヒプノール、ロゼレム、アモバンなんかを飲んだことあるかな。でもアモバンは苦くて1回で変えてもらった。ロゼレムは全く効かなかったのでこれもすぐ止めた。長く飲んだのは、ドラール、マイスリー、ロヒプノール、ハルシオンかなあ。もちろんいっぺんに処方されたわけじゃないけどね。一番酷いときは3種混合だったかな?ドラール、ロヒプノール、ユーロジンとか、マイスリー、ロヒプノール、ユーロジンとか。今は睡眠剤の3種混合はできないらしいけどね。ドラールは朝起きたときに頭が痛くなる副作用が出たので中止になったことを思い出す。あと、睡眠剤としてデパスが出ることがあるらしいけど、わたしはあれでは全く眠くならなかった。デパスは確か抗不安薬として1日3回飲んでた時期があったけど、結局効果は全く感じられない薬だったな。

睡眠剤じゃないけど、ジプレキサは眠りに多大な影響を及ぼした。寝ても寝ても眠くて全く起きられない。量を減らすと途端に睡眠が浅くなる。減らしたあと睡眠の深さが元に戻るまでに1週間くらいはかかったかなー。

まぁ「こんなに飲んでても大丈夫かな」って思っても眠れるうちはしばらくそれを続けてたほうがいいと思う。そのうち何となく「これ、なくても眠れるような気がする」って思うようになる。そしたら試しに飲んでる量の2/3にするとか1/2にしてみる。眠れなくて不安になったときは元に戻す。「まだ、今は減らす時期ではなかったんだ」と思って。わたし、別に薬使って眠れてるんならそれでいいじゃんって思うんだよね。だってその方が楽なんだもの。わたしが薬止めたいと思うのは、単に寝る前に薬飲むのがめんどくさいのと、薬の効果の前に眠れるようになっちゃうから、薬の意味をなさないなと思うから。そういう状態なのにわざわざ飲みつづけてるのって馬鹿みたいだからね。そして薬止めてて、また何かあって眠れないなと思ったら、頑張らずにすぐ薬は再開しちゃう。だって眠れない方がつらいんだもの。それに別に飲んでたって時が来たら止められるから。睡眠は精神の影響を受けやすいのでちょっとでも止めることに不安に感じたらそれはまだ時期じゃないってこと。決して焦らない。

毎日、コンスタントに眠れだすと、だんだん「薬飲まなくても眠れるんじゃないか」って思って来る。わたしの場合、薬止めても大丈夫かなって思い出すのは、薬を飲んだ直後なのに眠れること。薬って効き始めるまでに時間がかかるから、本来薬が効いて眠くなるのなら、15分から1時間くらい待たないとダメだ。けど、それ以前に寝ちゃうってことは、要するにそれは自力で寝てるってことなんだよね。それが実感できるようになればだんだんと「薬飲まなくても眠れる自信」が付いてくる。まあ睡眠剤の止めどきのタイミングってこんな感じかな、わたしは。とにかく睡眠剤を止めるためには「自力で眠れる自信」がなければダメだと思う。ここで焦って自信がないのに睡眠剤を止めちゃって、それで眠れないってことが分かると、精神的に余計に「睡眠剤がなきゃ眠れない」って思いこんでしまって(身体が自然にね)、逆に止めづらくなっちゃうんだよね。だからわたしはよほど自信がない時じゃないと「止めよう」とは思わない。

でもいっぺんに睡眠剤を飲まなくするのはちょっと不安なので、取り敢えず「止めよう」と思ったときは、それまで飲んでた薬を半分にして寝てみる。わたしは今回、金ハルだったのだけど、しばらくは半分に割ったのを飲んで寝てた。それでしばらく寝てみて、それでも眠れると思ったら、薬を止める。薬を飲む、飲まないっていうのは本当に安心感が違うんだよね。どんなに「半分にしても眠れたんだから飲まなくても大丈夫だ」って思っても、やっぱり薬を飲む行為ってなぜか安心感があったりするんだよね。それがたとえ半分でも。それを振り切るのは結構大変だ。

なので、話が最初に戻るが、薬を飲まずに寝た最初の日って眠りが異常に浅かったり、途中で目を何度も覚ましちゃったりするんだろう。ただ、次の日にはもう普通通り眠れるけどね。これで何日も眠りが浅かったりするようであれば、それはまだ身体が睡眠剤は必要だって言ってることなので、無理しないで薬を復活させた方がいい。復活させても「飲まなきゃ眠れない身体になっちゃったんだろうか」なんて思わない。今はまだ、自分は薬が必要なんだって、ただそれだけのこと。いつかは飲まなくて済む日が来るのは確かだから。

てなわけで、今は睡眠剤は飲んでないんだけど、その代わり最近いい睡眠剤を見つけてね。

それは、猫。

うちは高尾にゃんは拘束されるのがすごく嫌いなのでできないのだが、ばこは比較的従順に身体を撫でさせてくれる。なので、寝る前に「ばこちゃん、一緒に寝よ」と言ってばこをベッドに連れて行って、横で寝かせてあとはひたすら撫でる。

ばこの毛はふわふわでとっても気持ちが良い。それに撫でるとすぐにゴロゴロ言い出して、それを聞いてるわたしまで気持ちがよくなってきてしまう。そうしていると、知らないうちに半分くらい寝てたって分かるときがある。意識ははっきりしててあれこれ考えてるつもりだったのに、ふと我に返ると今考えてたことが何も思い出せない、みたいな。そうなるともうばこがいなくても大丈夫。すぐに眠れる。ばこは何分か経つと布団の中に入っているのが暑くて耐えられなくなるみたいで出ていく。残念ながら朝まで一緒に寝てくれることはない。ただ、ばこも撫でられているうちに眠くなるのか、布団から出たところでぱったり寝てしまうことはある。だいたいがわたしの枕元なんだけど、そうなるとばこに枕の大半を占領されてしまう。が、まあそれは全然構わない。

わたしが眠くならないうちにばこが出て行ってしまうことも多々ある。けど、それでも不思議とその後絶対に眠れるんだよね~。

というわけで、今のところ、睡眠剤代わりのばこがわたしを眠らせてくれる確率は100%。そう、一度たりとも眠れなかったことはないのだ。これってすごい。昨日なんか昼間にちょっと寒かったので、布団にくるまって、布団の中でiPadを見てたりしたのだが、ばこがぐるぐる言いながら布団の中に入りたいとやってきて(ばこは自ら布団の中に入ってくることも多々ある。撫でて欲しいのかな)布団の中に入れてやり、撫でてたら、別に昼寝する気は全くなかったのにその後、数時間眠ってしまった。。そう、ばこを撫でると寝たい、寝たくないにかかわらず、自動的に寝てしまうのだ。。

これは本当にすごい天然の睡眠剤だ!もうばこは手放せない!!

ちなみに今飲んでる薬は、リーマス100mgのみ。ジプレキサも処方されてるんだけど勝手に止めてます。前々から0.5mg飲んでも効き目ないんじゃないの?って思ってたし(なんせ1/5錠だしね)、2月か3月にジプレキサが復活したのもうつが酷くなったというんじゃなくて、背中が痛くて仕方なくなっていやいや飲まされた、っていうのが理由だったので、痛くなくなった今、止めてみて、それでまた痛くなったらジプレキサが効いてたんだなって分かるから。わたしは背中が痛くなったのは、冬で寒かったからじゃないかなって思ってるんだけど、前回はタイミング的に重なってしまったのでよく分からなかったのだ(主治医と意見が対立した)。なので夏に一回どうなるか試してみたかったんだよね。まぁ次の診察の時に主治医には言います。睡眠剤は止めてみようと思ってるって言ったんだけど、ジプレキサについては言うのを忘れてしまったので。

ハルシオンには30日処方のしばりがあるので、これが出されてる間は1ヶ月に1回は病院に行かなければならない。それがとてもめんどくさい。そういうことも睡眠剤切りたいなって思う理由にはなっている。ジプレキサは今処方されてるのは0.5mgで、薬局で粉状にしてるみたいなのね。これがめっちゃ時間がかかるのよ、処方の時に。シートでほいっと出されるのは簡単なんだろうがね。それでわたしは薬局で長く待たされるのがものすごくいやなのだ(誰だって待たされるのは好きじゃないと思うけど)。ってわけで、こういうのも薬を切りたい理由の大きい理由になっていたりする。だいたいこの1年間以上、わたしは全く落ち込んでないのだ(小さな落ち込みはそりゃあるけど、それは生きてりゃ落ち込むこともあるだろうよ。この世で落ち込まない人などいるんだろうか?)。反復性うつ病は安定してからも数年病院に通わないといけないらしいが、その点はもう分かってるのでいいのだが、それでも飲む薬は最小限にしたいよなって思っている。
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06-22,2014
北海道、青森旅行6日目(帰京)
さて、旅行6日目。いよいよ最終日。

昨日うっかりして書き忘れたが、実は青函トンネルを通るとき、わたしの頭の中では「津軽海峡、冬景色~♪」の音楽が鳴り響いていた。ホント、いつも思うんだが、ベタだよねえ。「津軽」って字を見るだけで自動的に頭の中で音楽が始まるんだもんね。だけど、どうしても歌い出しが思い出せない。彼女に「あおもりーえきはゆきーのなか、の前の歌詞、なんだっけ?」って聞いたんだけど、彼女も思い出せない。一生懸命考えてやっと「うえのはつのやこうれっしゃおりたときから」っていうのを思い出した。

しかし、この曲名曲だよね。今まで歌詞の意味も考えずに歌っていたが、今回、頭の中で歌詞を考えていて初めて「この人は青森駅から青函連絡船に乗って北海道に行く人の曲なのだ」って認識した。それまで津軽とか青森とかのイメージが強くて、そこからさらに北に行く人って理解してなかった。それになんだかよく分からないけど、わたしの中では北海道より青森や下北半島の方が寒くて暗いイメージがあって、そしてそれが演歌と結びついちゃってた。青函連絡船が通ってた時代のことはわたしは知らないが(大学3年のときには既に青森駅近くに八甲田丸が展示されてた)、この曲ができて以降は、青函連絡船に乗ったとき、この曲を思い浮かべた人は多いんだろうな~。しかし、そう考えると演歌って別に普段は意識してないのに、自分の身体に入り込んじゃってるなーって思う。尤も最近の演歌の新曲って全く知らないが。

さて、朝起きて、ご飯を食べに行った。札幌のホテルからずっと朝食はホテルに付いてる朝食バイキングなどを食べてたんだけど、函館までは全部朝食別料金だった。青森のホテルを探すとき、青森はどこのホテルも朝食付きだった。普通、朝食付きのときの朝食って結構しょぼいイメージがあったんだけど、わたしが泊まったホテルは今までのお金を払って食べた朝食バイキングと全然変わらないくらいの質だった。これには結構びっくり。まぁ、宿泊料金の中に朝食の代金が入ってるのかも知れないが、だからといって宿泊料金が他のところと比べて特別に高いってわけじゃなかったのよ。

そのホテルはフロントと同じ階に食堂があったんだけど、彼女と一緒に下に降りていったら、前日、わたしと同じく友人の婚姻届を見守ってた人がいたんでびっくり。「あ、同じホテルに泊まってたんですねー」って話をした。その人はもう既に朝食を食べたらしく「ここの朝食、おいしかったですよ」って教えてくれた。こういう偶然の再会みたいなの、わたしは好き。

ご飯を食べた後はしばらく部屋のベッドの上で寝てたが(疲れてるんだもん!)もうすぐチェックアウトぎりぎりの時間になるというので、ホテルをチェックアウト。友人のところに向かった。

友人のところでしばらくのんびりして、お昼近くになったのでお昼を食べに行こうってんで、なんかどっかのお店に行った。そこで確か、海鮮丼を食べたんだけど、これがすっごく美味しかった!わたし、普段は朝もお腹が空かないし、昼も動かないと全然お腹が空かないので、このときも実はあんまりお腹は空いてなかったんだけど、それでもあっという間に食べちゃった。海鮮丼を持ってくるときにお店の人が中に入ってる魚の名前を教えてくれたんだけど、地元名の魚が多くって、正直、何が何やら分からなかった。

ご飯を食べた後は「もう駅に行った方がいいよ」と言われたので、タクシーに乗って新青森駅に。車いすでなければ青森駅から電車に乗って新青森駅に行けたのだが、前日に青森駅の人に聞いたら「その乗り継ぎ時間では車いすだと難しい」って言われてたんだよね。確か、乗り継ぎ時間4分だったっけ、8分だったっけ。その1本前にするとものすごく前に青森を出なきゃならなかったので「タクシー使うかねえ?」って言ってたの。

札幌ドームの時もそうだったけど、電車で行けば数百円で済むのに、タクシーだと何千円もかかる(青森駅から新青森駅までは何千円もしないが)。車いすで移動っていうのは、つくづくお金がかかるもんなんだなと思った。

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青森駅と違って新青森駅は近代的だった。エレベータですぐに改札に行けて、そして改札で「車いすです」って言ったんだけど、なんと「ここの電車は全部バリアフリーだから自分で乗って下さい」って言われた。そんなこと言われたの初めて!一体、バリアフリーってどういうバリアフリーなん?って思ったけど、確かに段差はなかったが、列車とホームの間には溝があって、わたしは彼女を乗せた車いすが動かせなかったorz

どこがバリアフリーじゃヽ(`Д´)ノウワァァァン

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確か「はやぶさ」だったかな、新幹線。なんかやたら中がきれいだった。新車?って思ったけど、置いてあった公衆電話に「この電話は新札が使えます」って書いてあったので「新札??いつの話?」って思った。結局、新しかったんだか古かったんだかはよく分からない。。

でもここの車いす席はよかった。この旅行でいろんな車いす席に座ったんだけど、同行してるのに席が離れちゃう車両があって(車いすの人は隣の席がない)そういうのはつまんなかった。まぁ車両にはいろんな事情があるだろうけどね、、(新幹線みたいに3つの席が並んでるとは限らなくて、左右2席、2席しかないところがあるから)これができるのか可能かは分からないんだけど、彼女みたいに少しなら自力歩行できる人だったら、わざわざ車いす席を取らないで、車両の一番後ろの席を確保できれば、すき間に車いすを収納できて普通の席に座れるので、それがいいのかなって思った。

この日の青森は曇っていたが、東京に近づくにつれ雨が降ってきたり。わたしは東京から仙台までは新幹線で行ったことがあったのだが、この日ついに陸路での青森、東京間が繋がった。しかし、仙台の次が大宮って、、新横浜の次が名古屋みたいなもんか?

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というわけで、東京着。東京に着いたら雨がいっぱい降っててびっくりした。

東京駅ではホームでスロープを持った駅員さんが待っててくれた。やっぱりスロープは必要だと思った。

そこから乗り換えの電車のホームまで駅員さんが誘導して連れて行ってくれたのだが、東京駅はなんて複雑なの!!普段エレベータを意識してないからだと思うけど、あれは事前に分かってないとすごく迷うと思う。でも分かってないと、前にも書いたけど、途中でお店に入ってお土産や弁当は買えない。。駅員さんに誘導されるとどこにも寄れないのだ。東京駅って普段見ないお土産とか結構売ってるので、わたしは見て歩くのが好きなんだけどな~。弁当も最近、地方の弁当を売ってるので喜んで買ったりしてるんだけどな。まぁわたしの場合は今回だけだろうけど、ずっと車いす生活してる人はこういう場合はどう対応してるんだろう?

最寄りの駅に着いたらさらに雨が激しく降っていて、これは歩いて帰れないので(元々傘を持って行かなかった!)タクシーで帰ろうということになった。この旅行では本当にタクシーよく使ったな。

それにしても、この旅行では実に様々なことを経験できて、本当によかった。いろんなことを感じ、いろいろなことを思った。彼女ともたくさん話したし、いつもより身近に感じられて楽しかった。この旅行で思ったこと、感じたことを今後の自分の生活の中で生かしていきたいと思う。

天候に恵まれた旅行だったが、まさか帰ってきてから東京は丸一週間、雨が降り続けるとは全く思いもしなかった。。
13:36 | 二人で行った旅行のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
06-21,2014
北海道、青森旅行5日目(青森で同性の婚姻届提出を見守る)
今回「旅行しよう!」って決めたのは、青森に住む友人から「6月に役所に婚姻届を出そうと思ってるんだけど、元気だったら見守りに来て」と言われたのがきっかけだった。

わたしはいつか、青森に行きたいと思っていた。今回のことがなくても多分行ってたと思う。もっと後になっただろうけど。それは以前、この友人とは違う別の地方に住む人がtwitterで「東京の人は自分の地元に行きたい、行きたいって言うけどほとんど来ない。地方に住む人ばかりが東京に何度も行っている」と呟いているのを見たことがあったからだった。

地方に住んでて東京に友だちがいるけど、結局いつも会うのは東京でばかり、という経験はわたしもしてる(わたしの場合は東京に住んでたことも地方に住んでたこともあるから両方経験してるけど)。確かに東京の方が人がたくさんいるし、ものもイベントもたくさんあるから、イベントに行くついでに友だちに会って、なんてこともできる。できるんだけど、自分だけがいつもいつも東京に行くっていうのは、なんだかなーって思ってしまう気持ちもあるんだよね。だからその友人には「いつか青森に行くね」って言ってたんだけど、ちょうどいい機会だし行ってみようって思ったのだ。

ちなみにその友人と初めて会ったのは、いつ、どこでだったのかちっとも覚えてない(笑)ただ、わたしがこっちに戻ってきたのは2005年だし、その翌年から性的少数者などの集まりに行きだしたので、おそらく2006年か2007年から知り合いだったんじゃないかなと思う。今回友人と「初めて会ったのはいつだっけね」と話をしたんだけど、双方とも覚えてなかった。ただ、それからもつかず離れずでその友人とは「すっごく仲が良い」ってわけじゃないと思う。いつも偶然どこかで出会って、少し話してからまた離れる、って感じ?だけど、わたしはその友人をとても尊敬してるし、信頼もしている。

その友人はとても目線が低い人。生まれ育ってきた環境が全く違うのでそれは仕方がないことだと思うのだけれど、わたしはいつもその友人の目線の低さに脱帽する。わたしは同じものを見てもその目線にはなれない。まぁそれはそれで仕方がないことだと思うけど、でも、いつも言ってることを聞くと「ああ、すごいな」って思う。そこら辺はうまく言葉では言い表せないんだけど、自分には持っていないものを持っている人。だから尊敬している。

実はわたしがレインボー・アクションって団体で、2年前かな?ゆるカフェとかもカフェってのをやってみようかなって思い始めたときに相談したのが、その友人だった。こういうものをやってみようと思ってるんだけどどう思う?って。もちろんレインボー・アクション内で事前に話し合ってもいたけど、そことは関係ないところで誰かに相談したいと思って思い浮かんだのが、その友人だった。

まぁその友人とは、そういう関係。

さて、旅行5日目。まず、函館から青森に向かった。

実は青森に行くのはこれで2度目だったんだけど、そのときは船で行ったので(昨日書いた大学3年生の時の漁業実習で、小樽に上陸した後、太平洋側を通って晴海に帰ろうとしたところ、台風が来ているということで陸奥湾に停泊ということになり、そのついでだから青森に上陸しようということになった。で、余談だがちょうどその日は「ねぶた」の日で街中すごい人、すごい鈴の音だったのを記憶している)陸路を通って青森に行くのは初めてだった。

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確か「スーパー白鳥」って電車だと思うんだけど、これで青森まで2時間くらい?間、30分くらいは青函トンネルの中だったかな?青函トンネルに入る前にもいろんなトンネルをくぐるんだけど、丁寧に「次は第一○○トンネル」だとかの表示が出た。青函トンネルに入ってるときは「この上は海なんだ」って思うと結構怖かった(笑)「トンネルが水圧で潰れたら、一瞬のうちに死んでしまうんだろうな」とか思ってた(笑)でも、こうやってどこでも地下では地続きなんだよなって思ったら、とても不思議な気持ちがした。そして人間は普段は地球の表面で細々と暮らしてるんだよな~って思った。

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青森駅に着いたんだけど、青森駅って業務用エレベータしかないんだって。だから車いすとともにわたしも普段は一般人が通れないところを歩いたんだけど、これは貴重な経験でした。チラシとか駅舎を季節ごとに飾る物(造花とか)がたくさん置いてあった。すごい古びた感じのところだった。まぁ一般客用のエレベータが整備されないくらいのところなんだから、職員用の通路なんかにはお金はかけられないんだろうね。

駅を出て、取り敢えずホテルに荷物を置いて、それから昼ご飯を食べて、友人のところに行った。前回いつ会ったのか思い出せないほどで(笑)、でもまぁ変わってなかった。他の人もたくさん来てたんだけど、みんな知らない人ばかり。わたしはこういうとき、知らない人に話しかけるのが苦手なんだよね~。そして多分「話しかけづらそうなオーラ」を出してるんだろう、絶対に向こうからも話しかけてこないんだよね(爆)以前はそれでも無理矢理こちらから話しかけて知り合いになりたいって思ったりもしたんだけど、最近はまぁいいや別にって感じなので、ほとんど黙ってた。そのうち幾人かと知らないうちに話したりもしたんだけど、どこの誰かを全然聞かなかったので、今になっても誰なんだか分からない人が結構いたりする。まぁ縁があったらまたどこかで会えるやね。

なんとなく役所に行くのは15時って決めてたみたいなんだけど、でも結局それより早く役所にみんなで行ったみたい。友人のパートナーさんは「緊張する~」って言ってたけど、わたしにはあんまりピンと来てなくて。

そもそも友人が「同性同士で婚姻届を役所に出そうと思う」って聞いたとき、わたしは「うわー、すごいな」って思ったの。前々から「日本で同性同士で婚姻届を役所に提出した話を聞いたことがない。誰かやればいいのに」って話は聞いてたし、わたしらもしてた。誰も提出していないところで「日本では憲法24条に『両性の合意』って書いてあって、だから結婚は男女しか認められてない」って言われてたけど、でも誰も提出してないんだから、本当に受理されないのかは分かんなかった。今まで分からないところで議論してたわけだよね。もしかしたら受理されるかも知れなかったんだから。きっと今まで同性同士で婚姻届を役所に提出した人たちはいたのかも知れないが、でも、その話は一般に性的少数者の活動をしている人の間では聞こえてこなかったんだよね。

わたしらも「婚姻届出そうか」って話はしたことがある。けど、わたしはともかく、彼女の方はカミングアウトしてない親や身内がたくさんいる。もし婚姻届を役所に提出したとして、カミングアウトしてない親や身内の人が知ったらどうなるだろう、って考えるととてもじゃないが怖くてそんなことはできなかった。だから「もし、わたしらがうんと歳を取って80歳とか90歳になってもまだ日本で婚姻届が出されてない状況だったらそのときは出そう。80とか90になればもう怖いものなんかないもんね」って話をしていた。

だから今回、友人らが婚姻届を出すって聞いたときに「すごいな」って思ったのだ。きっとそこからすぐに「裁判だ!」って考える人もいるだろうし、それ以前に「婚姻届を出すとは、婚姻制度を強化する恐れがあって許せん」って考える人もいるだろう。婚姻届を出すってことは、そんなぐちゃぐちゃところに自分の身を置くということだ。それを考えると、とてもじゃないがわたしには怖くてそんなことはできない。それを敢えてやるということがどんなにすごいことなのか、いやおそらく友人たちは「すごいこと」とは考えてなくて、ただ「やってみなきゃ分からない。今後なんてどうなるか知らない」って思ったのかも知れない。婚姻制度の強化については確かにそれはそうなのだが、でも、だからといってわたしらに「権利がない」状況は事実なのだ。いや、「権利がない」状況はもしかしたら「そう言われている」だけで、婚姻届を提出したら受理されて得られる権利なのかも知れない。今まで誰もそれをやってこなかったので、そういうことすら分かっていないのだ。だから受理されなかったとしても、それは今後のための第一歩。何も、誰も分からなかったことからの一歩なのだ。

役所に着いて、まず整理券を取った。そこから番号を呼ばれるまで結構待った。わたしは遠くにいたので聞こえなかったのだけど、友人のパートナーさんが「婚姻届を出しに来た」って整理券配ってる人に言ったら「おめでとうございますって言われた」って言ってた。

青森市役所は寒くってね。なんかすっごく風の通りがよくて寒かった。だけど、地元の人はほとんど半袖を着てた。。わたしは上着をホテルに置いてきたことをとっても悔やんでいた。一応、長袖Tシャツだったんだけど、それ1枚だったから本当に寒くて寒くて。。

そしていよいよ番号が呼ばれて友人たち2人が役所の人に婚姻届を提出した。

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総勢10人ちょっとで行ったと思うんだけど、みんな二人の様子を見るわけでもなく、知り合い同士で話すわけでもなく、ただ、受付の前にずらっと置いてある長いすに座ったままずっと前を見ていた。わたしは長いすの最後列の後ろでずっと立ったんだけど。おそらくあそこにいた一般市民の人は、誰も今、婚姻届を出した2人を見届けているなんて思わなかっただろうなと思う。

わたしは婚姻届を提出した二人と役所の人の会話を聞いたわけじゃないし聞こえてきたわけじゃないので、ここからはわたしの見たままなんだけど、役所の係の人はまず、二人の話を聞いた後、一旦奥に行った。これはおそらく推測なのだが、係長クラスの人に聞きに行ったんじゃないかと思う。そしてその後長い間戻ってこなかった。これもおそらく推測なのだが、自分でいろいろ考えてたんだろうと思う(受理できないのであれば、法律の根拠が必要なので)。

その間わたしたちは上に書いたとおりずっと前を見ていたのだが、全然関係ない役所の人数人が書類棚の影からちらちらっとこちらの方を見た。それもちらっと見てはすぐに書類棚の影に隠れる。こちらを見て「一体、どういう人たちなんだろう?」って思っているような好奇の目。わたしはすごく嫌な気がした。しかも、後であのとき来てたみんなと話したら、全員がその視線に気が付いていた。あそこでは誰も何もしゃべってなかったのに、みんなチラチラ見られていたことに気付いていたのだ。役所の人は隠れながら見ているので気が付かれないと思ってそういうことをやったのだろうが、全くそんなことはなく、みんな気が付いていた。役所には実に様々な人が来ると思う。「何か訳ありげ」な人が来たら、役所の人(おそらくその中でも数人だと思うけれど)はそのたびにああやって書類棚の影からちらちらと見てるんだろうか、、あれは本当に止めて欲しいと思ったし、誰が来たってちらちらと向こうから見られる筋合いはない。本当に感じが悪かった。

わたしはずっと係長らしき人の姿を見ていた。係の人が相談に行って、何かあるなら係長自身も動くはずだと思ったからだ。しかしその人はずっと動かなかった。途中で電話したり(電話があったのか自分から電話したのかは分からない)してたけど、それが今回の婚姻届と関係あるとはあまり思えなかった。

正直、係の人が奥に引っ込んでからこんなに待たされるとは思ってもみなかった。婚姻届を提出した二人はずっと受付のところに座ったままだし、係の人はいつ帰ってくるかも分からない。「こんなに待たせるんだったら『時間がかかるので何分後に来て下さい』って言って解放してくれよ~」って思った。戸籍の届出の待ち人数も、まぁ1人か2人だったが少し増えてたし、友人たちがいるところ以外の受付は1つしかなく、他に待ってる人にとってはかなり時間を取られたんじゃないかなと思ったからだ。

そうこうしてるうちにやっと係の人が戻ってきた。分厚い黒い六法全書らしきものを持ってきた。そこで友人たちはいろいろと係の人とまたやりとりをしていた。聞くところによるとここで「両性の合意の両性というのは、一般に男女のことです」って言われたらしい。

あー、あれからしばらく経ってしまったんで、ここら辺の記憶は薄いな。長く説明されたのか、短かったのかはよく覚えてない。もしかしたら、ここで友人が泣いてしまって、役所の人が後ろに置いてあるティッシュを取って渡したかも知れない。わたしはそれを見ながら「なんでここにティッシュなんて置いてあるんだろ」って漠然と思ってた。友人がなんで泣いたかは後で聞いたんだけど、覚えてない(^^;確か、役場の人にちょっと無遠慮なことを言われてそれで泣いたって言ってたような、、

しかし、役所の人が手に取りやすい後ろの方にティッシュが置いてあったってことは、ここで戸籍届や戸籍の変更届を出す人は、何かいろいろ事情があって泣かれるのかなあって後で思った。婚姻届が受理されてうれし泣きをする人がいるのだろうか、誰かと縁を切ってうれし泣きをする人がいるんだろうか、子どもの出生届をして嬉しくて泣くのかなあ?誰かが亡くなって、抹消届を出すときに悲しくて泣くんだろうか。そう考えると、日本人の人生の節目には戸籍が付いてくるもんなんだよね。なんか複雑。わたしは基本的にこんなんで人間の関係性を縛られたくないと思う。「家族」ってだけで誰かの面倒を見なきゃいけなくて、「家族じゃない」ってことで誰かの死に目にも会えない。家族かどうかを判断されるのは、すべて戸籍にどう書いてあるかによる。今、もし彼女が倒れて意識不明になって面会謝絶になったとしたら、法律的に家族(というか親族)じゃないわたしは病院側に面会を断られる可能性が大きい。わたしと彼女の関係はそういう危険性を常に孕んでいるってことなのだ。そしてこれが「権利がない」ってことなのだ。

というわけで細かいところはよく覚えてないんだけど、覚えてるのは「あと1時間くらいしたらまた来て下さい」って言われたことだった。そのときの時間はもう16時頃で「え、役所って17時までなんじゃないの?」って聞いたら「ここは18時までやってるって言われた」って言われたことだった。1時間待たされる理由は「婚姻届を受理できないのだが、今まで婚姻届の不受理の証明をしたことがないので、それについて内部の者と検討する」って言われたり「不受理すること自体がまだ分からないので、その点を含めて内部の者と検討する」って言われたり、どっちがどうなんだかわたしにはよく分からなかった。なのでこの時点では「もしかすると受理される可能性もまだ残ってるのかもよ?」って言ったりしてた。もし受理されたとしたら、わたしも彼女とここで婚姻届を提出しちゃおうか、なんてことを勝手に思ってたりした。

1時間待たされるというので、見守っている人たちと友人ら全員がそこを立って、近くの喫茶店へ行って時間を潰した。話がついたら携帯に電話がかかってくるとのことだったが、1時間と10分経ったときに、役所の人から電話があった。なので、もう一回、役所に向かった。

17時過ぎた役所はもうあまり人がいなかった。特に戸籍の受付は待ってる人は誰もいなかったんじゃないかな?なので係の人にすぐに呼ばれて、そしていろいろ説明を受けているようだった。もう結論は出ているので早かった。結果は不受理。なので提出した婚姻届は返された。不受理証明が出るので、希望するなら出しますよってことで書類を書かされたんじゃないかな?聞くところによると、1通450円だとか。勝手に不受理しながら、不受理証明は金取りますよ、っていうのはなんとも納得がいかないところであるけれど、まぁ市長の公印ついてるから仕方がないんだろうなあ、、

しかし、不受理証明をもらうまでがまた、時間がかかってね~。結局不受理証明を受け取ったのは17時40分頃だったかな。不受理の理由は「憲法第24条第1項」だった。そして役所として、地方法制局(要するに国の機関)に問い合わせたとのことだった。地方法制局から本庁(法務省)に問い合わせたかどうかは知らない。問い合わせ内容も不受理理由はこれでいいのかを聞いたのか、それとも不受理証明の書き方を聞いたのかは知らない。

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日本国憲法第24条第1項を根拠とする不受理というのは、要するに「両性の合意」の「両性」というのは、男女に限るもの、と解釈されたようだった。

日本国憲法第24条
一 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

不受理されたって分かったときに、一番に思ったのは「ああ、わたしと彼女の関係は国では認められないってことなんだな」ってこと。もちろん国に認められるだけがすべてじゃないと思うよ。別に国のお墨付きをもらわなくたって、わたしと彼女は付き合って14年目になるんだから。一緒に暮らして8年経つんだから。けど、上にも書いたように「認められない」ってことは、権利がないってことなのだ。財産をもらう権利がない。配偶者控除がない。公営住宅にも入れない。死に目に会えないかも知れない。彼女が判断能力を失ったとき、自分がどんなに彼女のためになるようなことをしたいと思っても、法的には無関係なのでできない。世間が彼女を「パートナー」として認めてくれない。男女という組み合わせであったら、そこには愛情など何もなくても紙切れ一枚で婚姻が認められ、夫婦としての権利が与えられる。わたしらはどんなに相手を思いやってもそれが認められない。もちろん、愛情があることが何にも増して一番だとは思わないけどさ。でも同性同士の婚姻は、双方がどんなに望んだとしてもこの国では認められない。

それが、この日、正式に分かったことだった。

もちろんわたしはこの判断はおかしいと思っている。この憲法が制定された時点で、なぜ第24条に「両性の合意」という文字が入れられたかという経緯を考えると、それは決して「同性婚の禁止」を意味していたわけではないからだ(ここら辺のことは「新憲法の誕生 (中公文庫)」を読むといい。この本は、現在の日本国憲法がどのように誕生したのかが非常に詳しく書いてある。一部の人が言うように、日本国憲法はGHQの押しつけでたったの1週間でできた、なんてことは全くない。逆に日本人の政治家や官僚がいかにして自分たちにとって都合の悪いものを現憲法から排除しようとしてきたかがよく分かる本だ)。「両性の合意」という文言は一般に「家庭生活における個人の尊厳」そして「男女平等の観点」から入れられたと言われている。

戦前の明治憲法下では婚姻は家と家同士の結びつきだった。婚姻は両家の家長同士で決めることができ、そこに結婚する本人たちの意志はなくても婚姻させることができた。だから現在の憲法では「両性の合意のみに基づいて成立」、すなわち本人たちの意志、本人たちの合意がなければ婚姻することができない、とされた。わざわざ「両性」という文言になったのは、その当時、同性で婚姻するということは想定外であったからだと思う。想定外であることは、すなわち憲法制定時には同性婚という概念がなかった、ということは、この憲法は同性婚を禁じているわけではない、と解釈されるべきではないか。まぁこれはわたしの考えじゃなく、わたしが自分で考えたわけでもなく、一般に同性婚を認めてもいいと思っている人たちの考えだけどね。

それから一般的に法律のことを考えるときには「立法の主旨」を一番に考えないといけないよね。「立法の主旨」とは「なぜこのような法律が作られたのかを考えろ」という意味だけれど、これを考えることなく、ただ法律に書いてあることの文言だけで判断されることは許されない。でも、今回のこれは、どう考えても「立法の主旨」は考えられていない。ただ文言が「両性」になっているから、「両性」とは一般的に男女を差すから、ってことでしか判断していない。明らかにこれは間違った判断だとわたしは思う。憲法は改正せずとも憲法24条の立法の主旨を考えたとき、これは同性婚は禁止していない、むしろ個人の尊厳を尊重し、法の下の平等を尊重する現憲法の理念に即して考えると同性婚は現憲法の下で認められているものと思っている。

それにしても、、悔しいよね。わたしは本当に悔しかった。それに悲しかった。わたしたちの関係が国から認められない。国は認めてくれない。それが本当に悔しくて悲しかった。

まぁだからといって、わたしが婚姻制度を欲しているかというとこれはまた別の問題なのだけどね。これをいうと読んでる人の頭がぐじゃぐじゃになっちゃうかも知れないのだが、実はわたしは特に彼女と婚姻したいとは思っていない。特に現時点の婚姻制度の下ではね。それは「夫婦同姓」ってことが実は大きい。わたし、彼女の名字になりたいとか思ったことないし、彼女に自分の姓を名乗って欲しいなんてことも全く思ってない。わたしが狙っているのは同性同士の事実婚の関係だ(彼女はどう思ってるのかはわたしは知らない)。しかし、今は同性同士の婚姻が認められない以上、同性同士の事実婚という概念も有り得ない。事実婚は法律婚あってのものだからだ。だから、わたしは同性婚を求める。もちろん事実婚はイコール法律婚ではない。事実婚は遺産相続が認められてない。そういう点があるけれど、でも、わたしは今のところは事実婚がいい。ただ、中にはやっぱり「同性婚したい」って人ももちろん多いだろう。異性愛者は結婚するかしないか、法律婚するかしないかを選ぶことができる。でもわたしらにはその選択肢は全くない。その選択をしないまでも選べるか、選べないかということは全然違うことなのだ。だからわたしは同性婚を求める。

わたしの友人がこの不受理を受けて今後どうするかは知らない。友人たちのことだから、この辺はしっかりと自分たちの考えの元に進んでいくと思ってるし、その判断をどうしようとわたしは友人たちの考えを尊重する。

わたしは今では全くtwitterを見なくなってしまったので、今回、いろいろ反響があったらしいことは知っているが、具体的に誰が何をどう言ってるかは全く知らない。でもやっぱり、いろいろな反響があったらしいと聞くと今後、友人たちの知らないところで何かがあったり、何かを言われたりすることがあるんじゃないかと心配している。

不受理証明を受け取って、役所を後にした。

夜は、お店を貸し切って「残念会」をした。手巻き寿司やらホタテの焼いたのやらがたくさん出て、とっても美味しかった。この頃には誰かは全然分かんないけど、来てた人と話すようになって、いろんな話をした。

わたしはまた、青森に来たいと思った。今度はこんな特別な日じゃなくって、何でもない日に行きたいと思った。多分、絶対にまたここに来る。そう思った。

夜の10時過ぎにみんなと別れてホテルに帰った。
いい日じゃなかったけどいい日だった。

翌日はいよいよ帰京する日。
この旅の終わりの日。
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06-20,2014
北海道、青森旅行4日目(函館で百万ドルの夜景)
なんか旅行に出てから「車いすで外に出たことによる憤りの多さ」みたいなのが中心になってるなーって、今まで書いたのを読み返してみるとそう思うんだけど、実際、憤りを多く感じたのは確かです。彼女に腹を立てたのも事実。でも、それは瞬間湯沸かしみたいで、長続きしなかったんだよね。わたしの怒りって普通は一旦怒ってしまったらなかなか怒りがおさまらないで、数日続いてたのに。

これって案外怒りを数日続けると、とてもじゃないけど彼女の車いすを押すことができないって、頭のどこかで思ってたのかも知れない。怒りながら誰かの面倒をみるのは不可能だから。だから、わたしにしてみれば素晴らしく切り替えが早くなったんじゃないかってちょっと思ったりする。まぁ怒らないのが一番なんだろうけど、それは無理。

それに怒ってたばかりじゃなく、前にも書いたけど車いすを押しながらの方が彼女との会話がたくさんできて、今回は本当に今までのどの旅行よりも彼女とたくさん話した気がする。なのですっごい楽しかったのだ。まぁでもここにはそういう他愛ない彼女との会話は書いたりはしないからね、、(笑)

さて4日目。前の日も天気よかったけど、この日もよかった。

この日の午前中はホテルでのんびりし、10時半頃チェックアウト。そのまま歩いて札幌駅に出て、昼食の弁当などを買い、そして函館行きの電車に乗るために、改札前の待ち合わせ場所みたいな、長いすがずらっと並んでいるところで座って時間を潰していた。

すると彼女の方にいきなり駅員さんが声を掛けて来た。「函館にいらっしゃる方ですか?」って。まさにその通りだったんだけど、ちょっとびっくりした。わたしらだいたい20分くらい前に行けばいいかなって話してたのね。それより前にまさか向こうから声を掛けてくるなんて思ってもみなかった。

その駅員さんは親切に改札を通ってエレベータに案内してくれ、ホームまで連れて行ってくれた。駅員さんがいるとエレベータが非常に乗りやすい。他の乗客の人も「車いすの人がエレベータに乗ります」と言われると、先に乗せてくれるから。でも逆にね、いないと冷たいんだ。。もう何回も同じこと書いてるけどさ。「だから先導してくれる駅員さんが必要」なんじゃなくって、駅員さんがいなくてもエレベータに乗りやすい環境って作れないのかな。

駅員さんに先導してもらうのはとっても有難いのだが、これだと全く寄り道ができないのね。エレベータに乗る前にちょこっと売店に寄りたいと思っても(買うものが決まってるわけじゃなく、なんか面白そうなお土産物がないかな~とかちょっと見るだけ)、駅名の書かれた看板の写真が撮りたくても、駅員さんに先導されるとひたすらまっすぐに目的地(ホームや出口)に向かうだけ。わたしは個人的に

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こういう駅の看板(っていうのかな)を撮るのが好きなんだけど、駅に着いた途端、ホームで駅員さんが待ってて、そして出口に誘導してくれると、こういう看板の写真を撮るのが難しい。いや、歩いてる途中にちょっと見かけたら「ちょっと待って下さい」って言って撮れるのだけれど(実際そういうこともあった)、電車を降りてからすぐにエレベータがあったり、出口があったりすると、わざわざ逆行して看板のあるところまで行くのが難しいの。。いや、それはこっちが「駅の看板撮りたいんで」って言えばいいんだろうけどね。ただ、帰りに東京駅の地下で弁当買って帰りたかったんだけど、それはさすがに言えないなあと思ったよ。「弁当買ってくるまでここで待ってて下さい」とはねえ。だからといって、東京駅はとても複雑で、自分と彼女だけでは絶対に(乗り換えの)駅のホームまでたどり着けないと思った。

わたしら、普段何気なくどこでも好きに行けて好きなことをしてるけど、車いすで移動するとそれができないことが多々あるんだなあと思った。あ、でも駅によっては電車からスロープだけ用意してあとは勝手に行って下さい、ってところもあったし、「最後まで誘導しましょうか?」って聞いてくれる場合もあった。駅員さんが車いすを押してくれるところもあった。だからそれは駅によっても駅員さんによっても対応が違うんだろう。

まぁそんなこんなで電車に乗って出発。北海道の車窓を楽しんだ。天気がよかったので、本当にきれいな北海道の風景だった。ただ、地理にそんなに詳しいわけじゃないんで、どこを走ってるかはグーグルマップさんに教えてもらいました(笑)

洞爺湖辺りでわたしの頭の中に、あの例の「はーるばる来たぜ 函館へ~♪」って歌がグルグル流れ出し。おいおい、函館はまだまだじゃないかって思いと、なんてベタなんだろうってあきれる思いとでまたグルグルし。。そう、わたしの人生の中で初の函館訪問だったのだ。本当にはるばる函館に来ちゃったのだ。

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ちなみにここの駅はホームと通路と改札が全部バリアフリーなので、とても楽だったです。っていうか、こんなに楽なのに駅員さんが車いすを押してくれた。

しかし、函館は寒いのなんの!なんで札幌より南にあるのにこんなに寒いんだと思った。確かこれは白老に行ったときも感じて、、地形的な何かがあるのかも知れないけど、札幌が30度のとき、たった電車で1時間かそこらしか行ってないところ(白老)がその半分の15度だなんて、信じられなかった!でも、暑かったのは札幌のみで、実は次に行った青森も寒かったんでした、、ということは、札幌が例外なのか?

駅からすぐホテルにチェックインした。部屋に入って少し休んだり、夜は函館山からの夜景を観に行く予定にしてたんだけど、そこまでどこをどう行ったらいいかとかその他の見どころを彼女がホテルのフロントに聞きに行ったりした。ホテルの部屋もめっちゃ寒かったので、わたしはすぐに荷物から長袖Tシャツと上着を出し、それから部屋全体を暖めるために暖房を入れた。けどしばらく経ってもなかなか暖かい風が出てこなくて、、

まぁいいかと思い、結局、予定を立てたあとに外出したのだが。夜になってもまだ寒くて、でもエアコンからなかなか暖かい風が出てこなかったので、彼女がフロントに電話したら、なんと、もう中央操作でエアコンから暖かい風は出なくなってたんだってさ!「寒い寒い」って言いながら暖かい風が出るのを待ってたけど、結局それは冷房の風だったんだってさ!フロントの人に「外の方が暖かいと思いますよ」って言われたと彼女が言ってた。なんなんだよ、それは。。。

外に出る際にもあまりにも寒く、わたしは手袋をして車いすを押した。東京を出るときに「まさか、手袋まではいらないよね」と思いつつも、まぁ上着のポケットに入ってるから出すのが面倒でそのまま入れてきたんだけど、まさかそれが役に立つとは。。まぁしかし、手袋をして歩いてる人は他にだーれもいなかったのは事実だけどね。でもわたしはそれがあるおかげで随分助かった。

最終的には函館山に行こうと思ってたけど、途中にある教会とか寺院とかは坂がきつすぎて車いすでは無理でしょうってフロントの人に言われたので、それだったら海沿いの倉庫群の方を回ってみようってことになった。日没の30分後くらいの時間が美しいと言われたんで、その日の日没時間がだいたい19時だったかな。18時半目指して函館山のロープウエイに乗ろうってだいたい決めておいた。函館山のロープウエイについては、事前に車いすでも乗れることを確認していた。

倉庫群に行くまで、ずっと広い通りを車いすを押しながら歩いて行ったんだけど、朝に海産物を食べさせてくれるお店が多いのかしら?夕方通ったらもう全くお店は開いてなくて、朝の方が活気があるのかなあ~?だからなのか人通りもほとんどない。道を歩いてる人なんかいない。ただ、倉庫群に近づくにつれ観光客がいたような?彼らは一体どこから来たのかしら?歩いて移動してなかったのかしら。あ、街には至る所でタクシーが待ってた。道の角々というか、建物の出入り口ごとに何台ものタクシーが待ってた。なので実はとってもタクシーが捕まえられやすいところだったんだよね~。車いすの人にとってはこれはとても便利だった。乗りたいところで乗れるんだから。初乗りも札幌と比べると安かった。

倉庫群は海の近くで、海の近くにはこんな漁船が留まってた。

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この2つは角度を変えて撮った同じ船なんだけどね(笑)そう、イカ釣り船!集魚灯がたくさん並んでて、しかもイカ釣り機が両舷にずらっと。水大出身のわたしからすると、こういうのはもう見るの大好き!この船を見ながら操業しているところを思い浮かべる。これ全部にイカがかかってるところは壮大だろうな。ちなみにわたし自身、大学3年のときに学校の船(もちろん漁船。まぁ1,800トン以上ある漁船なんだけど)に乗って大和碓近辺(あくまでも近辺で大和碓じゃない)に行ってイカ釣り実習をしたことがある。大和碓近辺の深さ3,000m近いところでね。もう全くと言っていいほど釣れなかった(爆)むなしくイカ釣り機だけがぐるぐる回っててね。何分かに1回、イカが引っかかる程度しか釣れなかった。そういう思い出がわたしにはあります。

倉庫群に行って、倉庫の中に入ってどんなお店があるのか覗いてみたんだけど、わたしはあんまり興味は惹かれなかったなー。彼女は寒かったので靴下を買いました。でも買って正解だったみたい。このあとすっごく寒かったから。

時間もいい時間になってきたんで、タクシー拾って函館山のロープウエイ乗り場に行った。いやー、教会や寺院に行こうなんて思わなくて正解。めっちゃ急な坂の途中にあった。こんなんじゃとても車いすは押しては歩けない。雰囲気はとても異国情緒溢れるみたいなんだけど、、惜しかったな。また機会があって、彼女がそのときまでに歩けるようになってたら(歩けるようになってると思うけど)今度はこっちの方面に来たいと思った。

ロープウエイ乗り場は少しずつ人が多くなっているようだったけど、車いすで来たと言ったらすぐにエレベータのところに案内してくれたし、ゴンドラには優先して一番最初に乗せてくれた。おかげで一番いいところで外の景色を見ることができた。

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これがロープウエイで登っているときに見えた函館市街の景色。

頂上(っていうのかしら?)に着いたらね、展望台なんだけど、うわー、こんなに観光客がいたのかってほど人がいて、しかも夜景の景色のよさそうなところにずらっと人が貼り付いてた。で、展望台で一番高いところはそこからさらに階段を上らなきゃいけなくて、車いすでは行けなかったので彼女は車いすを降りて杖を付きながら上まで登っていったんだけど、これがすごく怖くてね。夜景のきれいな時刻になるにつれ、どんどん人で溢れかえってきて、なんか修学旅行で子どももいっぱい来てたし、階段から夜景がきれいに見えるもんで、階段に立つ人がたくさんいて登れるところがホント、人一人分くらいしか空いてなくて、しかもどんどん暗くなってくるもんだから怖くてね。彼女に付いて歩こうにもスペースがないもんだから結局、わたしは一人で先に行くことになってしまった。

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これが日が沈むところ。夜景がきれいな函館市街地とは逆の方向。こっちの方は割と人が少なかったんだよね。

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これが「百万ドルの夜景」と言われる函館市街地の夜景。確かにきれいだった。風がすごく強くて寒かったけどね。で、夜景ってそんなに長時間見るものではないから人がコロコロ変わっていくんだけど、スペース的にも車いすの人は到底入って行けないような雰囲気だったし、一体車いすでないと移動できない人はどうやってこの景色を見るんだろうって思った。そう思ったらね、やっぱり今の時間は無理なんじゃないかと。おそらくこの時間が一番人が来る時間だと思う。日が段々暮れて景色が変わるとき。徐々に暗くなっていく風景を一番見たいと思うだろうと思った。だって現にわたしらだってだからこの時間に来たんだから。

けどね、わたしらがそう考えたのは「何も障害がない前提」で物事を考えちゃったからなんだよね。前日の札幌の地下道や札幌ドームへ行く道もそうだったけど、わたしは車いすで街を移動したことがなかったから「フツーの感覚」と同じ感覚で街を歩こうとした。でも、そこは車いすにとってはとっても不便な街だった。おそらくこのままずっと車いす生活や車いすを押す人の生活を続けなきゃならないんだったら「車いすで街に出るのはこんなに不便だったんだ。じゃあもう街に行くのはよそう」って思ったと思う。だって普通に出かけるのよりも数倍疲れるんだもの。体力的なものだけじゃなくて精神的に疲れるんだもの。

だからきっと、この夜景を見るのもね、こんなに人がめちゃくちゃ多い時間じゃなくってもっと前後にずらすと思うの。夜景じゃなくて昼間の風景とか、もっと夜遅い時間とか。そうしたら人が減ってて車いすでも見やすくなるだろう。

けどさぁ。だったら車いすの人間は一番きれいな風景を観られないっていうわけ?

正直、わたしはどうすればいいのか分かんないのよ。人の群がるところで、一番前のスペースを確保しようと思ったら、健常者だって努力しなきゃならない。っていうか、あの場でわたしは「健常者の怖さ」を目の当たりにしたの。今まで他のどの場所だって「車いす」を見たら人は道を譲ってくれた(エレベータは除くけど)。でもそれは健常者に余裕があるときであって、こういう場所みたいな「早い者勝ち」な場所だと自分のことしか考えなくなるので、誰も譲ってはくれないし、身体が不自由なことも考慮してくれないので怖い。でもだからといって「譲ってくれ」「配慮してくれ」とは言えない。言いづらい。だってみんな余裕がないのだもの。

これと似たような状況がラッシュアワーの電車に座りたい人じゃないかなってちょっと思った。始発駅の電車に乗るときなんだけど、扉が開いた途端、みんな一斉に座席に向かう。みんな座りたいので殺気立ってるよね。あの場で「自分は今日はしんどいから席を譲ってくれ」とは言えない。逆に座れたときは誰にも席を譲りたくないって思うから。座れたことでホッとして「今日は座れてよかった」と思う自分がいるから。

でも一方、身体が不自由な人はこの時間を避けて電車に乗れというの?好きな時間に電車に乗れないなんて理不尽じゃないか。そうも思う。

譲りたくない人の気持ちも分かるし、でもそういう健常者に配慮して生きざるを得ない障害者の状況は心が痛む。わたしはこれまで散々「道を譲れ!」「エレベータに乗る車いすの人のことを配慮しろ!」って今まで言ってきたけど、でもこのような状況はどうすればいいのか。わたしは自分自身疲れているときにやっと座れた席を誰かに譲ろうとは思わない、いや、思えない。常に誰かに席を譲りたいなんて優しい心は持ってない。だからこの問題は正直なところ、今の自分にはどうすればいいのか分からない。

けどその分、車いすや身体の不自由な人はきっとどんどん街に出づらくなってる。「ちょっとでも人がいないところに」「ちょっとでも人がいない時間に」って思ってたら、どんどん外には出られなくなる。「あーまた外に出ると気を遣うのか」って思ったら外に行きたくなくなる。わたしも普段なら人がいる、いないとか、街が歩きやすいかそうでないか、そんなこと今まで全く考えたことがなかったけれど、そういうのを常に考えて行動している人たちがいるんだろうな、そして自分もそういう立場に置かれたらだんだんと行動範囲が狭くなっていくんだろうなって思った。

帰りのロープウエイは待っている人がものすごくたくさんいてどうなるのかと思ったんだけど、結局は「車いすです」って言ったら待たずに乗せてくれた。ただ帰りはゴンドラに一番先には乗せてはくれず、一般客と一緒に中に入ったんだけど、これまた夜景がきれいな場所を確保したい一般客が我先に入っていったんで怖くてね。健常者の怖さというのをつくづく感じたよ。

確かに行きも帰りもほとんど待たずにロープウエイに乗れて、特に帰りはおそらく車いすじゃなかったら2~30分以上は待ってただろうから、配慮されてよかったといえばよかったとは思うけど。でもさ、本音を言えばこの程度で配慮されてよかったとはちっとも思わなかったの。トータルで見れば、やっぱり車いすは割が合わない。体力も精神力も健常者より遣って、それでもやっぱり同じにはなれない。それって「当たり前じゃん」って思われるかも知れないけど、果たして同じじゃないことが当たり前でいいことなんだろうか。

そんなこんなで4日目も終わった。疲れていたので夜は一瞬の間に寝てしまった。

5日目に続く。。
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06-15,2014
北海道、青森旅行3日目(札幌ドームでカープ観戦)
3日目。

この旅行を決めたとき、まず考えたのが「もしかしたら交流戦の時期じゃない?」ってことだった。わたしの頭の中ではかなり高い割合で「野球」が来る。シーズン中はそんなに観に行くわけじゃないけど、やっぱり何かあったときは、まず野球。ってことで、日程を調べたら、札幌行ってる間にちょうどカープの試合があるじゃん!「なんてラッキー!」と思い、チケット開始日に内野指定席を予約した。

しかし、その後に彼女が骨折してしまった。旅行は車いすで行くしかない。球場は?普通の席には座れない(席にたどり着くまで、階段がたくさんあるから)。どうしよう、、と思ったが、事情が事情だし、取り敢えず日ハム球団に電話して、指定席を車いす席に替えてもらえないか相談した(野球観戦自体を中止にする考えはこれっぽっちもなかった)。球団に電話したら「チケットのキャンセルはできません」と言われた。が「事情がありますし、内部でちょっと話し合ってみます」とそのあと言われた。一旦電話を切ったあと、しばらくして向こうから電話がかかってきた。「事情が事情なのでキャンセルできます。手続きして下さい」って。車いす席は球団が取り扱ってないみたいだ(ローソンチケットのみだったかな)。なので「今までの指定席を車いす席に振り替えることはこちらではできないので、こちらではキャンセルし、ローソンで車いす席を取り直して下さい。しかし、車いす席も残席わずかなので、こちらの指定席をキャンセルする前に車いす席を取りに行って、車いす席が取れたらこちらをキャンセルして下さい」と言われた。そのとき「いや、でも車いす席が取れなかったからといって、指定席に座れるわけじゃないんだよ~」と思ったが、別にここでそういうことを言っても仕方がないので黙ってた。

そして球団から言われたとおり、先にローソンで車いす席を予約した。それから指定席のキャンセル手続きをした。でもね、球団の人はとっても親切だったよ。その後に手続き方法を書いたメールが球団から来たんだけど、そこにはわざわざ「お大事になさってください」って書いてあったし。だからそのあとの続きに「今後とも、ファイターズへ熱いご声援を賜りますよう、何卒よろしくお願いいたします」って書いてあったのを読んだときは、思わず「カープファンでごめんなさい」って思っちゃった(笑)

ただね、車いす席ってどうも3塁側しかないみたい?(日ハムは3塁側がホーム側)車いす席自体は、1塁側、3塁側って分かれたチケットは販売してないです。チケット取ってみたら「3塁側」って書いてあって「あれ?」って思ったんだけど。。しかも車いす席は安いと思う。1枚1,500円だった。だからなのか、2人で来てて、2人とも車いすじゃない人がいた(大半は車いすの人か、車いすと付き添いの人だったけど)。

まぁこういうことが旅行に行く前にあったのだが。

旅行3日目ともなると、疲れがだいぶたまってきているのが分かった。特に足の裏が痛くてね。立っているのと押して歩くのが苦痛で。この日は夕方から野球がある以外はフリー。取り敢えず札幌駅目指して歩きましょうってことになったのだが。。ちなみにホテルは大通公園近くのホテルだったので、札幌駅までは結構距離があったんだよね。急ぐときはタクシーで行き来してたけど、この日は時間が豊富にあったので、歩いて行ってみようってことになったのだ。

しかしこの日の札幌は最高気温が30度越すってことで、本当に暑い!ちょっと車いすを押して歩いただけで首筋を汗が流れる。なので、大通公園から地下に入ることにした。ここからずっと札幌駅まで地下を通っていけるのだ。大通公園から地下に入るエレベーターはすぐに見つかって、地下道に行けたのだけど、車いすを押しながら気になったのは「車いす用の出口の少なさ」(要するにエレベーターの少なさ)だった。歩行者用の出入り口はそこここにあるのに全部階段のみ。「ここで災害が起こったら、わたしはどうやって外に出たらいいんだろう?」って何度も思った。

とにかく疲れがたまっていた。途端に不機嫌になる。「なんでわたしが車いすを押して歩かなきゃならないの?」「車いす押して歩くと人に気を遣ったり、道路の状態(段差とか)に気を遣ったり、もう体力だけじゃなく精神力も疲れてるのになんでこんなことしなきゃならないの?」。「なんで彼女が骨折して、わたしがこんな大変な目に遭わなきゃいけないんだよ」って思いが自分の中でどんどん膨らんできて。。結果、それは彼女に当たることになるのだった。。といっても当たっても仕方がないことは頭では分かってるんだけど、疲れてると自分の感情って本当にコントロールしにくいのね。まあその閾値が低いのは、相手が彼女だからなんだけど。。

札幌駅で昼ご飯を食べること以外、何も決めてなかったが、札幌駅に着く前に本屋があったので少し寄ってみたら、そう言えば前日行ったアイヌ民俗博物館のことを思い出し「北海道にならもしかしたらアイヌの本のコーナーがあるかも」と思って探してみた。が、そこはそう広くもない一般的な本屋さんだったので、そういや紀伊國屋書店とか大型の本屋さんがないかなと思って調べてみたら、札幌駅の近くに紀伊國屋書店があるって分かったので、そこに行った。

1階にはなさそうなので、2階かなと思ったのだが、エスカレータは目の前にあるのに、エレベータは見たところない。わたしがあまりにも機嫌が悪かったからか、彼女は「ろんたこはエスカレータに乗って2階に行って。わたしは自分で探して行くから」と言われ、わたしは言われたとおりにした。あとで彼女に聞いて分かったんだけど、紀伊國屋、1階のエレベータは一旦、店の外に出ないとダメなのね。2階は店の中なのに。もともと全く知らないところなのに、いきなり車いすで出かけるというのは、もしかしたらとても無謀なことをしているのかも知れない、と段々思い始めてきた。

結局、紀伊國屋では「アイヌの歴史――日本の先住民族を理解するための160話」って本と「アイヌ差別問題読本―シサムになるために (プロブレムQ&A)」って本、2冊を買った。ちょうどその前日「和人と交流する前のアイヌの歴史ってどうなってるんだろう?」って疑問に思ったので「アイヌの歴史」って本はタイミングが良かった。しかもこの本は5月末に発売されたばかりの本のようだ。あと差別についても知りたかったので「アイヌ差別問題読本」を買った。その他にもたくさんアイヌに関する本はあったんだけど、どれも割と高かった(「アイヌの歴史」も税込みで3,000円以上する)。

いろいろな本をパラパラめくってるときに、なんか「アイヌの真実」みたいな本があったので、なんの気なしに手にとって読んでみた。そしたら「アイヌの歴史のこれは嘘」みたいなことが書いてあったので「なんだこれは?」って思ったのだが、アイヌの歴史については全く知らないので、それが本当なのか嘘なのか分からないのでなんとも言いようがないなあと思ってたら、次に「和人によって差別されていたのは嘘」って書いてあって、その証拠に「差別しなかった和人も中にはいた」みたいなことが書かれてたので「ああ、要するに『関東大震災の時に朝鮮人を助けた日本人についてどう思いますか』って在日の人に聞いて『朝鮮人差別はなかった』って言わせたい人と同じなんだな」って思った。これ、本当に聞かれるんだよ。わたし、前にmixiで在日コミュに入ってたことがあったんだけど、本当にこんなことを聞く人がいてびっくりした。助けた人は誰の誰べえさんって名前がはっきりしてるみたいなんだけど、逆に名前が伝わってるってことは、すごく珍しかったってことじゃん?みんなが差別している中で、差別しなかったから名前とか記録が残ってるんだよ。差別してた人の名前が残ってないのは、差別していた人が大多数だからじゃん。

それに「差別はなかった」って人がいつも使うのは「差別してなかった人たち」でしょ?今で言うと例えばヘイトスピーチに対してカウンターを行っている人たちのことだ。もっとずっと将来に今の時代のことを「ヘイトスピーチをしていた人に対して、カウンターを行っている人たちもいた。だから差別はなかった」って言うの?それはすごくおかしいことじゃない?それに、その時代、差別をしてなかった誰の誰べえさんは、今現在「差別がなかった証拠」として差別主義者に名前を挙げられてるのはとっても不本意だと思うんだよねえ。。

ってことで、どこの分野でも同じような人がいるんだなあと思ったのだった。

紀伊國屋をあとにして、ご飯食べたりいろんなことをして、さて、いい時間になったので札幌ドームに行きますかって地下鉄の事務室に「福住駅に行きたいんですけど」って駅員さんに声を掛けたときだった。彼女が「あっ、しまった!!!チケット、ホテルに置いてきた!!!」って言い出した。そこでわたしが爆発。だってこれからホテルに戻ってまたさらに駅に行って札幌ドーム?

わたしさぁ。前の晩、彼女が「じゃあ明日は朝ゆっくりして、適当なところでホテルを出て、それから直接ドームに行こう」って行ったときから何回か「チケット、忘れてないよね?」って聞こうかなって思ってたんだよね。でもまぁ自分から言ってることだし、まさか忘れないよねと思ってその都度言葉を飲み込んでたんだけど。。ああ、やっぱり聞いておけばよかった、なんであのとき聞いておかなかったのか、聞いていればこんな目に遭わなかったのにと思って自分で自分が腹立たしく、その腹立たしいのを全部彼女にぶつけてしまった。

駅員さんには福住駅ではなく、大通駅までってことで急遽、行き先を変えてもらって地下鉄に乗ったのだが、札幌の地下鉄って、車いすが通れる幅の改札って本当にエレベータの近くにしかないのね!?適当なところで入ろうとしたら自動改札のところで車いすがはまっちゃって、結局、彼女には数歩歩いてもらって、車いすは折りたたんで通ったり、本当に踏んだり蹴ったりだった。もう腹が立って腹が立って。。車いすで自由に通れない地下鉄のシステムに腹が立って、初めて通るところだからエレベータもどこにあるか全く分からない、探すのに手間がかかって腹が立って、歩ける人よりもさらに遠回りすることにも腹が立って、そしてチケットを忘れてきた彼女にも腹が立って、チケットの確認をしなかった自分にも腹が立って。車いすを押しながら彼女をガンガン責めたりした。他に人が乗ってるエレベータの中でも怒りまくっていたので、周りがシーンとしちゃったりして、、

あのさー、わたしは東京の新宿の地下道や地下鉄がどうなってるとか、車いすで行ったことがないので分からないんだけど、札幌の地下鉄ってエレベータだけで外に出ようとするとすっごく大変なのだ。地下2階とか地下1階があって、地下1階でわざわざエレベータを乗り換えないと地上に出られないようになってたりするらしいのだ。エレベータにはちゃんと「EV地上乗り換え」って表示があったんだけど、それを見てわたしがその階を押して降りようとしたら、一緒に乗ってた人が「その上でも地上に出られますよ」って言ったもんで、それを信用して上まで行ったら、そこからはなんと階段しかなくって、車いすでは上がれない。「いい加減なこと言うな!!!」って本当にキレそうだった(ってキレたけど、彼女に)。

本当に、初めて行くところで何も下調べをせずに行くとこんな目に遭うんだと思った。けど、逆にこれって、いかに車いすのことを考えて地下鉄が設計されてないってことだよね?地下鉄だけじゃなく、ふらっと入れるお店もそうだ。わたし今回、札幌ラーメンを食べることを楽しみにしてた。けど、わざわざ行ったとしても車いすで入れるかどうか分からない。ラーメン屋といえば、人気店は人がずらっと店の前に並んでいたりする。その中で車いすだとどうなのか。お店だってバリアフリーとは限らない。ラーメン屋は店内がめちゃくちゃ狭いところもある。わたしはもうこれ以上、人に気を遣うのは嫌だった。ただでさえ道を通るだけでも相当気を遣って押して歩いているのに。なので今回はほとんどラーメンは食べなかった。きっと車いすの人はこうやってどんどん外に出ていきたくなくなるんだろうって思った。

ホテルでチケットを取ってきて、それからまた大通公園に向かう。ホテルの人から「ここら辺の近くではあのビルにエレベータがあって、そこから地下に行けます」と言われていたので、そのビルから行こうとしたが、なんとそこもエレベータで降りたあと、なぜかエスカレータで上がって地下に行くようになってた!なんのためのエレベータなんだか??仕方なく、彼女は立ってエスカレータに乗ってもらい、わたしは車いすを折りたたんでエスカレータに乗った。「もういやだ!!!!」って何度も思った。。確かに「車いすの人は係員を呼んで下さい」ってインターホンがあったりしたが、このためにわざわざ人に来てもらうって、そんな時間の余裕はなかったし、それにあれはとても心理的な負担が大きい。。1歩も歩けない人だったら呼ばないと無理だが、、

ようやく乗れた福住行きの地下鉄は、もうその日のカープ戦を観に行く人でいっぱいだった。そのときようやく気が付いた。「帰りはもっと混む」ことに。。試合終了後の電車がどんなに混むかは、今までの観戦経験からよく知っている。あの中を車いすで行くなんて、想像するだけで絶対に無理だ。そこでわたしは彼女に「帰りはタクシーにしよう」って言った。あ、タクシーを使うことは、彼女からホテルを出る際に「そんなに大変だったらタクシーで行こう」って言われてて、でもそのときは「タクシーはもったいないからやだ」って言ってたんだよね。だって、地下鉄だったら一人、240円で行けるけど、タクシーだと何千円ってかかるんだよ、、わたし本当は行きも帰りも地下鉄のつもりだった。けど、帰りは物理的に無理だと判断した。。

話は前後するが、前日、白老駅でこんなポスターを見た。

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そのときは「ふふん、受けて立つ!!」って思ってた。その前の試合、カープは勝ってたからね。で、わたしはさりげなく(?)、こんなTシャツを着て行ってた。

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2年前だったか、カープと赤い羽根の共同募金がコラボしたTシャツ。カープ坊やが赤い羽根に乗っている絵だ。

福住駅から札幌ドームまでは遠いと聞いてたんで(一回行ったことあるんだけどすっかり忘れてた)、だいぶ覚悟してたら、そんなに遠くは感じなかった。ただしここでも「エレベータはどこ?」って係員の人に聞いたりした。「この先ももう一つ階段がありますが、その横をずっと行くとエレベータがありますのでそれに乗って上に行って下さい」って係員の人に言われた。一つ目のエレベータは割と目に付くところにあったので、地元の人はよく知っているからか、車いすじゃない人がたくさん乗っていた。ところが二つ目のエレベータはかなり奥まったところにあって、そこまで行ってエレベータに乗ろうという車いすじゃない人は1組の夫婦(らしき人たち)しかいなかった。要するにそれ以外の人は「そこまで行ってまではエレベータを必要としない」人たちだったのだ。

まぁね、エレベータを必要とするかしないかを車いすかそうじゃないかで分けることはとても危険なことだと思っている。電車に座りたい人が必ずしも老人や身障者じゃないみたいに、目に見えない障害を持っていたり、わたしみたいにその日はとても疲れてて「どうしても座りたい」って思うように「ちょっとエレベータに乗りたい」って思う人もいるだろう。だから車いすを使ってない人がエレベータに乗ってたからといってそれは必ずしも非難されるべきことじゃないと思う。けどさ、やっぱり一方で便利なところにあるエレベータは使って、そうじゃないところのエレベータは使わずに階段でってなるなら、エレベータを使うしか選択の余地がない人のために空けてよって思っちゃいけないだろうか?

今回の旅行で思ったのは、使いやすいところにあるエレベータほど人がたくさん乗っていて、車いすの人は使いにくいってことだった。使いにくいところにあるエレベータは人は使ってない。けど「なんでわたし、こんなに回り道しなきゃいけないんだろう」って何度も思った。。うん、エレベータを使うことは問題ないことかも知れない。けど、車いすに乗っている人がいたら、その人を優先してあげようよ、、本当にね、「どうぞ」って降りる人、一人もいなかったの。みんな素知らぬ顔をして「車いすの人は乗れませんよ」オーラを醸し出してるの。だから、わたしは今後はエレベータは極力乗らない、乗ってたとしても、車いすの人が待っているときは率先して降りようって思ってる。何回やり過ごしても上から(下から)大量の人が乗ってきて途中からは乗れないってことが本当にあるんだよね。

ま、そういうわけでドームに着いて、座席を探したらこんなところだった。

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車いすの人はそのまま車いすで観戦、付き添いの人はパイプ椅子を持ってきて座るというものだった。確かにいつも観戦するような内野席よりは目の位置が高くて、選手はちょっと遠かったけど、その分、外野が広く見渡せて、外野の守備がよく見られたのでよかったかな。あと、座席の幅が普通の席よりもだいぶ広かったので足が十分伸ばせてよかった(笑)

カープファンは結構来てて、外野席の一角は赤く染まっていた。

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ただ、それ以外は全部日ハムファンだった。当たり前と言っては当たり前なのだが、関東のセ・リーグの試合って球場の半分くらいカープファンなので、実はあまりビジターって感じはしないんだよね。東京ドームはそうでもないと思うけど、わたし、基本的に東京ドームは行かないし。なので久々に「敵地で闘う!」みたいな感じだった。

試合が始まって早々に先発の篠田が自ら2点タイムリーを挙げて「おお!」と思ったのもつかの間。3回にすぐ同点に追いつかれたと思ったら、その後中田に3ランくらってあっという間に5ー2と逆転された。そこからもカープは日ハムの投手があんまりよくなくて散々出塁するんだけど、全く点には結びつかず。逆に日ハムはランナーを出すと必ずホームに戻ってくる。ってことでじゃんじゃん点を入れられ、結局10-2で負けたのだった。。(そして余談ではあるが、この日からカープはなんと9連敗!やっと今日、6/1以来の2勝目で連敗脱出した)

わたし、この試合観ながらね、「圧倒的多数の応援の中で負けてるチームを応援してるときの気持ちって、なんかマイノリティの気持ちと似てるな」って思ったの。圧倒的多数の勝ってるチームの応援者に「なんだ、弱いなこのチームは」って言われたときの気持ち。あ、もちろんこんなこと言われてないけどね(笑)でも「弱いな」って言われて言い返せない惨めな気持ちと、誰かに「同性愛者気持ち悪い」って言われたときの気持ちってちょっと似てるんじゃないだろうか。もちろん同性愛者であることの負い目なんかないけど、でもどこかで圧倒的多数の社会に対してビクビクしてしまう気持ちは持ってるんだよ、わたし。

テレビなら負けた途端に「相手のヒーローインタビューなんか見れるか、ケッ!」てなもんで、即座に消してしまうんだけど、まぁ滅多に札幌ドームなんか来られないからねってことで、最後の最後まで観てた。そしたらね、ヒーローインタビューが終わったあとに

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球場を暗くして、こんな花火が上がった。日ハムは、ホームで試合に勝ったら必ずこれをやってるのかしら?

というわけで、札幌の最後の晩は終わった。

4日目に続く。。
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06-09,2014
北海道、青森旅行2日目(アイヌ民俗博物館)
2日目。

この日は白老町にあるアイヌ民俗博物館に行った。

わたし、北海道には何回も行ったことがあるけれど、それまでアイヌの人たちを意識したのはこのときの1回くらいしかなく。それ以降も何をどう知ったらいいのか分からなくて、気にはなってたんだけど、そのまま放置していた。

ところがね。つい最近「なぜ、いまヘイトスピーチなのか」って本を読んだら、その中の1章がまるまるアイヌについて書かれたものだったのね。アイヌの人たちの権利を明治政府がどのようにして奪っていったのか、政策を中心にして書かれた章だった。それを読んでさ、わたし「うわ、こんな歴史わたし全然知らんじゃん」って。アイヌの人たちに対して差別や偏見があるというのは知っていたけれど、こういう風にして一民族が滅ぼされていった、ということについては全く勉強不足だった(旧土人法くらいは知ってたけど)。んーでもね、そういうものがどういう本に書いてあるのか、どういう本を探せば自分の知りたいことが書いてあるのかがよく分からなかったんだよね。

実はこの本を読む前から「今回はアイヌ民俗博物館に行こう」って思ってた。友人と話してて「北海道に行くんだよね~。んで、1日丸まま空いてる日があるんだけど、どこに行こうかなって思ってるんだ」って言ったら「こういうのがありますよ」って教えてくれたの。そのときに行こうと決めてたんだけど、本当にタイミングがよくこの本を読んだ。この本を読んで「絶対に行かなければ」って思ったから。

んで、事前に白老までどうやっていくのか時間などを調べたんだけど、札幌から速い電車で行こうとすると午後になっちゃうんだよね。わたしは事前にアイヌ民俗博物館のウェブサイトを調べて、そこでお昼ご飯を食べたいと思ったので、苫小牧まで速い電車で、そこから30分待ち合わせして普通電車で行くルートを考えた。それだと午前10時台に白老駅に着くことが出来る。行きの電車は前日、札幌駅に着いたときに買って、そのとき車いすであることも同時に告げたんだけど(ただ、買うのにめっちゃ時間がかかった。1時間以上窓口で待たされた)、帰りの電車の切符を買うのをすっかり忘れてて、行きの苫小牧で待ってた30分の間に買った。

特急に乗ってるときは気が付かなかったんだけど、苫小牧からの普通電車に乗ってたら「そういや無人駅ではどうやって車いすで乗り降りするんだろう?」って気が付いた。旧国鉄の駅って、その当時から確か半分くらいが無人駅じゃなかったっけ?わたしは普段「駅には人がいるもの」って思って、それが当たり前の感覚なんだけど、実はそうじゃない駅が多数あるわけなんだよね。そのことに初めて気が付いた。

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白老駅では駅員さんがスロープを持って待っててくれた。その駅員さんに「帰りの電車は○時○分ので帰りますので、よろしくお願いします」って告げたら「その時間、白老駅は1人しかいないので介助できません」と言われた。そのとき「あ、そうなのか」って思った。自分でやるしかないんだなって。今の彼女は自力歩行は杖を伴ってはあるが、一応可能だ。だから電車には彼女は自分で杖を付いて歩いてもらって乗り、わたしは車いすを抱えて入ればいい。だけどそれが可能じゃない人は電車に乗せるのはかなり大変だよなあって。かなり大変どころか、車いすごと持ち上げて乗せるには数人いないと無理だ。まぁ田舎に住んでいる車いす生活の人って自分で車移動してて、電車なんかにはほとんど乗らないんだろうけどね。でも、車いすの人には「電車に乗る」という選択肢が一つ消えるのは確かだよね。そのような選択肢を消してしまっていいのだろうか、、と思った。ただ選択肢を消さないためには人員確保が必要で、そのためには費用がもちろんかかる。都会なら「頑強な男数人でなんとかしてやれよ」って思うけど、田舎の電車に乗っている人は人数も少ないからほとんどそれは期待できない(だろうと思う)。うーん、難しい。だからといってわたしは車いすの人の選択肢が狭められて当然とはまったく思わないんだけどなあ。ただこの旅行では、車いすで外に出ることはとても不便、ってことが本当に身に染みた。これはまだ始まり。

白老駅に着いた途端。「さむっ!」って思った。6月2日は札幌では最高気温が30度を超えると言われてて、実際、朝ホテルを出たときも全く寒くなかったんだよね。なので上着を持ってきてはいたんだけど「ま、いらないね」と言ってホテルに置いてきてしまったのだ。天気アプリで白老町の最高気温を見てみたら、15度くらいだった。「札幌の半分!」ってびっくりした。だって札幌より南にあるし、札幌から電車で1時間くらいのところだし、札幌とそんなに大差ないと思い込んでた。上着を持って来なかったことに対して、その日1日中後悔しました。。車いす押してるときは汗をかくほどだったんだけど、押さないと寒くてね。ただ、天気はすごくよかった。画像を見れば分かると思うけど、雲一つない晴天でした。空気が(寒かったけど)気持ちよくて、「ああ、北海道!」って感じがした。

白老駅からアイヌ民俗博物館まで、1kmほどあるっていうので、最初はタクシーで行こうかって話してたんだけど、白老駅で待っているタクシーなど1台もなく。まぁ別に歩いて行けばいいよねってことで、車いす押しながら向かった。少し寒かったけど、でも道は広かったし(少しボコボコしてて押しづらかったけど)景色は綺麗だし、とっても気持ちがよかった!近くには自然保養林などがあるらしく、車いすでなければちょっと行ってみたかったなって思った(また来ればいいんだけど)。

しかしそこで車いすを押していると、今まで思ったことがなかったようなことがふと、頭の中に思い浮かんだ。

クララの車いすを押して歩くハイジの姿とわたしが重なったのだ。

最初は「え?なんで突然、アルプスの少女ハイジが??」って思ったけど、どうやら北海道の自然とアルプスの自然が自分の中で結びついちゃったようで。思わず

なんて発想が貧困なんだ。。。

と苦笑した。しかもそのあとで、わたしの頭に思い浮かんだのは「北の国から」のさだまさしのあの音楽!ここでも

なんて発想が貧困なんだ。。。

って思いましたよ。ホント、ベタすぎるものしか思い浮かばないのね、わたし、、でも、正直、北海道に来てこの音楽が思い浮かんだのは、そう何回もないんじゃないかな。テレビで「北の国から」の連続ドラマをやったのは多分、わたしが中学1、2年の頃で「北海道の田舎」に対するわたしのイメージってのは、あそこでできあがったんだと思う。いやもう、ほとんどあれしかないと言っても過言ではないだろう。だから発想が貧困なんだよな~。典型的な都会人だよね。まぁほとんど都会でしか暮らしたことがないのは事実なんだけど。

1kmもあると思ってたのに、景色を見ながら彼女とあれこれ話してたらすぐに着いた。車いすってさ、前にも書いたんだけど、押す人と乗ってる人の距離感がいいの。押しながら話せる。今回はいつもより彼女と多く会話したような気がするし、並んで歩くのとはまたちょっと違って、もっと近い感じの距離感を楽しめた。それはよかったと思う。

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着いてチケットを買ってたら、係の人に「もうすぐ茅葺きの家(チセ)でコタンの解説とアイヌ古式舞踊をやる」って言われて、それで走ってその場所に行った。

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左がチセと呼ばれる茅葺きの家。このように5件ほど並んで建てられている。右がチセの中に吊ってあった鮭。去年の秋に近くの海で獲ってきたものだそう。それを冬の間は外に干して腐らないようにして、それから家の中に持ってきて天井から吊って、家の中のいろり(っていうのかな?)で自然に燻製にするそうだ。いろりの火は絶対に絶やさないって聞いた。この燻製は公演が終わったあと、チセを出たところで売ってたが、わたしらは酒を飲まないんで燻製はあんまり食べないんだよね。ってわけで、見ただけで買ってきませんでした。

公演は最初、男の人(って決めつけるのは嫌なんだけど、まぁ多分男性自認の人だと思う)が出てきてアイヌについてのいろんな説明があった。北海道の地名の8,9割がアイヌの言葉由来なこと、チセについて、アイヌの女の人たちは唇の周りに刺青をしていたこと、そんな話だったかな。とても落ち着いた声の人だった。だけど、わたしはいくつかの話でちくちく自分の心に突き刺さるものを感じた。

チセについて。実際のチセはこんなに大きくない。このおよそ1/3~1/4程度。このような建築物は今は建てられない。これは文化財として許可を受けたもので、今はアイヌはこのような家には住むことができない。

なのでアイヌは今は「あなたたちと同じ」ような家に住んでいる。

アイヌの女の人は12,3歳頃から少しずつ口の周りに刺青を入れることをしていて、これを完成させることが大人の女として認められることだった。しかし、この刺青は明治政府に禁止された。それでも刺青を入れる人も中にはいたが、今現在、生きているアイヌの女の人で刺青を入れている人はいない。

この人は「アイヌは和人から差別された」なんて一言も言ってない。同化政策をとられたとも一言も言ってない。だけど、この人はどんな気持ちで説明してるんだろう。1日に4度も5度も。それを考えるとたまらなくなってきた。このときはまだ、他の施設を回っていなかったので、どういうものがどういう風に展示されているのか分からなかったけど、回ってるうちに「ああ、ここは単なる『民俗博物館』なのだ」ということが分かってきた。確かにアイヌの民族や文化を紹介する施設なのだが、ではどうしてこれらのものが今に伝わってこなかったのか、なぜ「民俗博物館」として展示されるような対象になってしまったのか、それについてはほとんど何も書いていないに等しかったのだ。これを除いては。

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その人はまた、チセに積んである漆器の箱(容器?正式な名称は忘れた)について「これは和人が作ったもので、鮭100匹分や熊(何頭か忘れた)と交換したものです。この箱が多くある家ほど『狩りに優れた家』としてアイヌの人たちから賞賛されました」と説明した。わたしはそれを聞いてふと「和人が来る前のアイヌの生活ってどのようなものだったんだろう?」って思った。んだけど、それに関するものは一切なし。

確かにね。「民俗学」として調査の対象にならねばこういったものは残されなかったんだと思う。アイヌは自分自身の文字を持っていなくて、自分たちの歴史を紙に書いては残してこなかった。しかし、いろんなことを口伝えで伝えていっているのだ。それは今でもユーカラは残ってるよね。残ってるけどおそらくそれが全部ではないんじゃないか。それ以外にも口伝えで伝えられていたものはあったんじゃないだろうか。アイヌ民俗博物館にあったアイヌの文化や生活は「和人と交易」があって以降のものしかなかった。「それ以前」、アイヌの人たちはどこでどのように生きていたのか、どういう暮らしをしていたのか。そういうことには一切、触れられてなかった。

実はその疑問を博物館を出たところにある、ミュージアムショップのレジにいた人にちょっと聞いてみたのだ。アイヌの人が着ていた刺繍の入った服も布の生地は和人との交易で手に入れたものなんだとか。「それ以前はどういうものを着てたんですか?」と聞いたら「植物の繊維を編んだものだったと思います」と言われた。「そういえば、和人との交易以前のアイヌの人の暮らしって全然この展示じゃ分かんないですね」って言うと「それは分からないんです。今、調査中です」って言ってた。本当に調査中なのかは分かんない。もうどんどん同化が進んじゃってるなかで、今から突然何か新しい事実が分かるというのだろうか。調査中って、遺跡とかそういうものがあるんだろうか。

あと、博物館を見て回りながら思ったのは、この展示では「アイヌの人たちがどこでどうやってどのようにして暮らしていたのか」が全く分からないということだった。確かに文化や習慣などは分かる。なんだけど、一体、アイヌの人たちは和人が来る前は北海道のどこの地域に住んでいたのか。海の近くなのか、山の中なのか、平野なのか、それが全く分からない。かつてどういう地域にどうやって暮らしていたのかさっぱり見えないため、なんか分かったような分からないような、とても変な感じなのだ。文化だけ見せられて「ここでこういう人たちが暮らしていましたよ」と言われても。。例えば遺跡なんかで出土物だけじゃなく柱の穴とかあると「ああ、ここでかつて人が暮らしてたんだなあ」って想像ができる。だけど「北海道で」と言われても具体的なイメージがつかめない。まさかどこでどうやって暮らしているかすら分からなかったってことではないよね??

それが博物館の展示物を見ながら思ったことだった。

あと「アイヌの人たちと神」の関係が面白くてね。アイヌの人たちは自分の身の回りにある木や動物などは全部神の国から来たもの、と考えていたらしい。だから神の国から来たものはとても大切にしていたし、熊送りの儀式(イヨマンテ)などは動物を神の国に戻してやると考えていたらしい。ところが面白いのは、アイヌの人たちは死んだら神の国に行くとは思ってなかったようだ。少なくともアイヌの人たちの葬式の説明文にはそのような説明はしてなかった。なんだったっけな、この世と同じような生活をすると考えられてて、そのような生活ができるために日用品などを一緒に埋めてたらしいんだけど、そこは「神の国」だとは書いていなかった。ということは、アイヌの人以外は神の国にいて、アイヌの人たちは神とは繋がってないことになる。これってとても面白い考え方だなーって。自分たちが神にならないのはいいよなって(笑)

民俗博物館は結構人が来ていた。近くにとても大きい駐車場があるのだが、観光バスが何台も止まっていたし、1時間に1回ある公演も毎回人がそれなりに集まっていたようだった。博物館内のすべての説明文は、日本語、英語、中国語、韓国語がついていた。それだからか外国人も結構来ていたようだ。

博物館を出たあとは、ちょうどお昼だったので、博物館の前にあるミュージアムカフェでご飯を食べた。

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「オハウセット」ってやつと

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「ペネイモ」ってやつ。

オハウセットは塩味のつゆの中に人参、大根、じゃがいもなんかの野菜がたくさん入ってて、それに鮭が一きれ入ってる汁だった。ご飯は粟みたいなのが混ぜてあったかな。なかなか美味しかった。ペネイモはなんか素朴な味でほんのり甘かった。でもあんまり「じゃがいも」って感じがしなかったな。なんかちょっとしたデザートみたいな感じで食べた。

そのあとは、湖畔を見て歩いた。ここの場所って「ポロト湖」って湖の近くにあるんだよね。それが天気がいいのもあって、ものすごく綺麗でね。

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ただ、ここも元からアイヌの人たちが住んでた場所じゃなく、1965年に白老市街地にあったアイヌ集落をポロト湖畔に移設・復元したものらしい。うーん、どういう意図があって移設したんだろう。なんかそういうことがとても気になる、、

ここは手工芸の実演とか体験学習なんかもあるらしいんだけど、手工芸をやってるチセに行ったら「実演中なので中に入らないで下さい」って書いてあって見られなかったし、体験学習は事前予約なのね。。ってわけで、結局14時くらいで博物館を出て、それからまぁのんびり海を見たりしながら駅の方に行きましょうってことになった。ここ、本当に海の近くなのだ。って海のすぐのところを道が走ってるので、そこを目指して車いすを押して行ったのだが。

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室蘭街道、だったかな?ここに出るまでとても大変で、しかも車いすでは到底行けなかった(途中、舗装してない砂利道があったので)。だから、わたしだけ様子を見に行ったんだけどさ。道幅がものすごく広くて、そして横断歩道がないorz なので、車は恐ろしいほど飛ばしている。もう怖くて怖くて(^^;画像だけ撮ってそそくさと戻りました。

しかし、これだけ道幅が広くてさ、車も結構走ってたのに、道を歩いてる人がほとんどいなかった。。そこを車いすを押して歩くのは楽しかった。駅まですごい回り道して、しかも駅を通り越して商店街みたいなところまで行って、本当にこの日はものすごくよく歩いた。けど、疲れをほとんど感じなかった。しかし、そこで身体が疲れていないはずはなく、翌日は朝から足の裏が痛くなり、そしてわたしは不機嫌になっていくのだった。。

3日目に続く。
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06-07,2014
北海道、青森旅行1日目
旅行から昨日帰ってきた。

前の日記の最後に「ずっと笑顔で旅行できればいいな」なんて書きながら、朝、家を出る直前、つまらないことで大喧嘩したわたしたち。あーあ、最初から何やってんのかねえって感じ。車いすで出るってことで、彼女の方はいつになく緊張していたようだった。

最寄りの駅には事前に電話した際に「当日30分前にお越し下さい」と言われてたので、きっかり30分前に行って「○○分の電車に乗りたいんですけど」と言ったら「ホームでお待ち下さい」と言われ、ほとんど30分、駅のホームで待った。すげーヒマだった。。まぁ空港まで何本も乗り継ぎしなきゃならないので、事前にどれに乗っていくかということは決めておかなきゃならないとは思うんだけど、わたしはてっきり改札通る前に待たされると思ったので、それはすごく意外だったし、本当に30分も時間が必要なのか?って思った。

日曜日の午前中に移動ってことで、電車は結構空いてた。ので、思ってたより楽だった。空港に着いてから、車いすで乗るってことを航空会社に申告しなければならなくて、窓口に行こうとしたんだけど、その窓口がめっちゃ混んでる。でもまぁこんなもんだろと思って待ってたら1列目になって窓口からよく見えるようになった途端、窓口の誰かが案内をする人に「車いす優先の窓口があるからそちらに案内してあげて」と言ってて、それでわたしたちは別の、もうちょっと離れたところにある優先窓口に案内された。そういう窓口が用意してあるなんて、全然知らなかった!優先窓口では車いすの人が結構いたので、車いすに普段から乗ってる人には有名な窓口なんだろうか。

優先窓口で搭乗手続きを済ませたあとは、車いすの乗り換え。なんか飛行機に乗るための普段の車いすより少し幅が狭い車いすがあるみたいなんだよね~。普段の車いすは他の荷物とともにそこで預けられた。車いすを乗り換えてから手荷物検査を受け、搭乗口に。そこで待ってたら係員の人に声をかけられて、いの一番に飛行機の中に案内された。しかもそこから飛行機の中までは係員の人が車いすを押してくれて。飛行機が新千歳空港に着いてからも荷物受け取りの場所までは全部係員の人が車いすを押してくれた。新千歳空港は車いすの場合、一旦、これから飛行機に乗る人の待合室のところに出るのね。多分、これしかエレベーターがないんだと思う。まぁ自分が押したわけじゃないから別にいいんだけど、でも普通に行くよりかなり歩いた。そう、この旅は本当によく歩いた!普段なら階段を使うところをスロープのあるところまで行かなければならない、スロープの坂はゆるやかにするために長い距離が必要だ。エレベーターが近くにない!1日目はまだそんなに疲れてなかったからなんとも思わなかったけど、3日目くらいになるとわたしはどんどん疲れていって、そして彼女とつまらぬことで言い合いになったりした。。

新千歳空港から札幌までは電車だったんだけど、改札で「車いすです」って言ったらすぐに通してくれて、全然待たずに電車に乗れた。旅はここからずっとJRで移動だったんだけど、JRはおおむねエレベーターも整備されてたし、駅員さんも親切だったし、結構快適だった。

ホテルに着いてから少し休んで(その日は朝早かったのですごく眠かった)それから少しプライベートな用事。

まぁいろいろ思ったことがあったし、それを書きたい気もするんだけど、プライベートなことなんで止めておきます(笑)

20時半ごろ終わってホテルに帰ってきて、ホテルに付いてるレストランでコーヒーを飲んだあと部屋に戻ってすぐ寝る用意。疲れてるはずなのに、なんかあんまり寝た気がしなかったな。

というわけで、1日目はおしまい。
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05-31,2014
世話する方とされる方
彼女が骨折して歩けなくなったので、車いすを借りた。でも全く歩けなくなったわけではなく、松葉杖を使って歩いている。ただ、松葉杖って両手が塞がるのでものが持てないんだよね~。なので本人の移動はできるのだが、ものを持って歩けないのでそのたびにわたしがどうにかしなくてはならない。これが結構ね、彼女の入院中は自分一人のことだけやればよかったんだが、彼女が退院してからは彼女の分までわたしが動かなくちゃならなくなり、なんか絶えずくるくる動き回っているような感じに囚われた。

あ、1週間前に両手松葉杖から、片手松葉杖になり、今は室内では松葉杖を使わなくても歩いていいと言われているので、わたしも結構楽にはなったんだけど。

だけど外はそういうわけにはいかず。もちろん外でも片手松葉杖で歩いていいって言われてて、実際一回松葉杖で歩いてみたんだけど、怪我した足の方に負担を掛けない歩き方をしなくてはならないため、めっちゃ速度が遅くしか歩けないのだ。あのスピードではわたしが合わせるのがとても負担なのと、時間がものすごくかかるために彼女はすごく疲れるらしい。到底買い物などはできないと言うことが分かり、外で買い物をするときは車いすで出るようにしている。できるだけいろんな経験をしたいってことで、車いすで電車にも乗ったし、役所にも行った。

わたし、実は車いすを押して歩くのは初めてでね。いろいろ発見も多かった。

車いすで一番よかったなと思うのは、押しながら彼女と話ができることだった。普段同じ道を二人で自転車に乗って通っているが、自転車ってのは話しながら走れないんだよね。だからいつも道で何か発見して彼女に「ねえねえ!」って言いたいときもグッと我慢してそのうちその話を忘れてしまうことが多かった。でも車いすだと話しながら歩ける。これはすっごく楽しいの。それが一番車いすでよかったなと思うところ。

ただ道路で車いすを押すのが一苦労なところもある。今まで全く気が付かなかったんだけど、道路って排水のためかどうかは知らないが、右か左に傾いてるところがあるんだよね。どちらかに傾いていると、ただ押して歩くだけでは勝手に曲がっていくので、曲がらないように押して歩くのが結構大変なのだ。腕に力がかなりいる。

それとよく言われてるけど道路の段差ね。あれ、ほんのちょっとしか段差がなくても車いすでは登れないの(わたしに腕の力がないからなんだけど)。彼女は今は立って少し歩けるので、そういうところは立ってもらって移動してもらってるけど、もし全然歩けない人だったら押す人は大変だな、と。お店って今まであんまり考えたことなかったけど、入口が段差になってるところが結構あるんだよね~。あと入口が狭くて車いすなど到底入れないところ。だから事前にどこで買い物する、と決めるときはそこに段差があったか、車いすでも入れるかってことを考えるようになった。もちろん、車いすでは入れなさそうなところは、彼女はお店の入口付近で待っててもらって、わたしだけ買い物に行く、ってこともやった。逆に道路からバリアフリーで入れるお店はなんだか嬉しくてね(笑)今までそういう視点で考えたことなかったから、新鮮な感じがしている。

車いすを押して歩いているときは、周囲の人は結構気遣ってくれている。けど、こっちも気遣う。なんかどうしても「迷惑かな」って思ってしまう。彼女は「いいんだよ、大きい顔して通っても。車いすより歩いている人の方が身軽なんだから」って言うんだけど、どうしてもわたしは周囲に「すみません、すみません」と言いながら道路の端っこを通ってしまう。こういう感覚ってなんなんだろうね。わたしは別に普段から「障害者が大きな顔して歩くな」って思ってないんだけど、自分がこうなるとなんか大きな顔して歩いちゃいけないような気になってくる。わたしも知らないうちに「人に迷惑掛けたらいけない」って世間から思わせられて育ってきたんだろうなぁと思ったりする。

道を歩いてるときは気遣ってくれるんだけど、一番「うわー」って思うのは、エレベーターに乗るときね。あのときはほとんど気遣ってくれないね(苦笑)確かに「自分一人が降りても車いすは乗れないし」って思うんだろうなって思うよ。やっと来たエレベーターだろうしね。しかし、こっちの移動手段はエレベーターしかないんだよね。わたしは今度からエレベーターに乗ったときに車いすの人が待っていたら、率先して降りようと思いました(笑)

あと、車いすを押して歩くと不思議な感覚になることに気が付いた。それは妙にテンションが高くなって、ともすれば「彼女の保護者」みたいな感覚になってしまうことだった。それに気が付いたのは、彼女の用事で役所に行ったときだった。そこの窓口は椅子が2つ置いてあるけど、車いすのスペースがなかった。なのでわたしは彼女を近くに待たせて、役所の人に「本人はそこにいます」って言って、でもわたしが申請書書いたりハンコ押したりして手続きをやったんだけど、終わったあとに彼女に「なんか自分が無能力者になったような気がしてとても不愉快だった」と言われた。

わたしとしてはわざわざ椅子をどかして車いすのスペースを作って彼女に申請させるより、待っててもらって自分でやった方が早いと思っただけだった。だからそう言われたときに「わたしがやった方が早いでしょ」って反論したんだけど、でもあとでよく考えてみると全くその通りだったなって。世話をする方は世話される方が何ができて何ができないかを把握して判断するより、全部自分がやった方が早いのでついつい全部やってしまう。そしてそのことに対して満足感を覚えたりするのだ。満足度が高いものは彼女の手足となって動くことよりも、例えば申請書を書くなど、動かないことの方、頭を使うことの方だってことも分かった。わたしは彼女を支配したいとは全く考えてないと思っていたが、もしかして無意識のうちに支配したいと思ってるんじゃないかと思った。これってすごく怖いよね。

なので、このこと以降、わたしは彼女が今、何ができて何ができないかっていうことをその場その場で考えるようになった。確かにいちいち考える方がわたしにとってはめんどくさい。けど、彼女は歩けないだけでその他は全く問題ないわけだから。無意識のうちでも人を支配してしまうってことは怖いよなあと思っている。

それから、世話をする方とされる方に必要なものにも気が付いた。それは笑顔。穏やかな心。どうしても今はわたしの方が負担が大きいので、ときどき堪忍袋の尾が切れて怒りが爆発する。そうなるとどうなるかというと、世話したくなくなるのね。でもわたしが怒ったって世話しなくてよくなるわけじゃない。彼女だって世話をされたくなくてもされないといけない。そうするとね、やっぱりどうしたって世話をする方が強い立場になる。「やってやってるんだ」って気持ちになる。「いいよ、もう世話しないから」って思ったりもする。わたしは彼女じゃないのでやってもらってる方のそのときの気持ちは分からないんだけど、悔しいだろうなって思うの。彼女も気分が悪いだろうなって思うの。

だから怒ったときはできる限り早く怒りを鎮めようと思っている。そんな気持ちじゃ出かけられないからね。怒ること自体を止めたいのだが、人間的にわたしは未熟でなかなか「怒らない」ってことはできない。でも怒りを持ち越さない努力をしたら、今まではケンカしたら数日口を効かなかったのが、長くても半日くらい(そういう場合はだいたい夜を挟んでいる)になった。これは大幅な進歩だと思っている。

そんなわけで、外出時はこれからもまだまだ車いすで移動すると思うのだけれど、実は明日から札幌と青森に旅行に行くことにしている。もともと骨折する前から決めていたことなのだが、いろいろ事情があって車いすを使ってでも旅行することにした。予約は全部連絡したり取り直したりしたし、事前にどうやったらいいかを問い合わせたりして結構大変だった。けど、こういう経験ってなかなかできないのでいい経験にはなった。

明日からその予定通り行動するだけなのだが、どうなるか、、楽しみでもあり不安でもある。

ずっと笑顔で旅行できればいいな。
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05-18,2014
カープ、カープ、カープ広島、広島カープ
今年のカープは今のところ非常に調子がいい!

いや、調子がいいというよりも、ちょっと地力がついて強くなってきた感じ?
前は連勝してても「今は単に(投打の)噛み合わせがいい時期なんだな~」としか思えなかったけど、今の試合運びは本当にソツがない。少しのスキを付いて進塁する。守備のいい選手も出て来て、エラーも去年までみたいにポロポロしなくなった。

なので当初は「どうせ調子よくてもせいぜい鯉の季節までよ」と思っていた。カープのスタートダッシュ成功、でも鯉の季節まで、は定番だったからね。

けど今年、テレビで試合を見てると「おっ、これは?」って思うことがある。「今までとはなんか違う」と。今はまだ、まだまだ先は長くて期待するのも本当に早すぎると思うのだけど、ちょっとずつ期待がふくらみ始めてきた(だからまだ早すぎるのは分かってる(笑))。

去年、CSに出られるかも知れない、ってことでにわかに注目されたのが「関東のカープファンの女の人」、すなわち「カープ女子」だった。関東の球場がカープファンで埋め尽くされていると言われているけど、もともと外野席には毎回それなりのカープファンは集まってたんだよね。わたしが球場にカープを応援しに行き始めたのは'90年代なのだけど、既にその頃の神宮、浜スタ、東京ドームの外野は関東のカープファンでいっぱいだった。内野席までは及んでなかったと思うのだけどね。東京ドームなんていつ行ってもカープの外野応援席で席が取れたことがなかった。まぁそんなに気合いを入れて早くから行ったりしてなかったのも原因ではあると思うけど、東京ドームのビジターの応援席って本当に一角しかないので、それ以外のところに行くと全部讀賣ファンだらけなわけ。なので球場の係員の人に「2階はもう満員ですので3階に行って下さい」と止められても、袋に入れた赤い応援バットを見せ「わたしはカープファンなのでカープの応援席に行きたいです」って無理に入れてもらったりしたっけ。。(当然席は満員なので立ち見です)

神宮は「もしかしたらヤクルトファンよりカープファンの方が多くない?」みたいなことは当たり前だったし、わたしのイメージでは関東のカープファンはずっと昔から一定いた、って感じなのです。

ただ、去年浜スタとか神宮に行ったけど、確かに内野席でもあんなにカープファンがいたのは見たことがなく、ここにも来たかって感じだった。しかも内野でスクワットしまくるんで(スクワット=カープの応援はトランペットに合わせて立ったり座ったりする)観にくいったらありゃしない。。せめて内野席ではおとなしく観ようよ、って思うのだけどね。

ちなみにカープのスクワット応援は既に'90年代にはありました。わたしもその頃は20代だったので、やってましたよ~(爆)あれは他球団のファンから結構「やってみたい応援」になってたみたいで、わたしが球場で応援してるときに後ろの方で女の子たちが「スクワット応援、面白い!これ、やってみたかったんだ」ってキャーキャー言いながらやってたりするのを何回か見たことがあります。

わたし自身は'75年、カープの初優勝時からのカープファン。当時小学一年生。それまでは野球というものは全然知らなかった。カープが初優勝した翌日だったかな、親が駅のスタンドでスポーツ新聞全部買ってきて、それで野球というものとカープを知ったのだった。あ、親は広島出身なので当然(当然でもないか)カープファンね。わたしはそのとき以来、なんの疑いもなくカープを応援してきた。あ、でも'90年代に入るまで、わたしは野球そのものの面白さは全く分からず、ただ結果を見て「カープ勝ってるな」って思ってただけだったけど。

「江夏の21球」は小学校3年のときで、リアルタイムで(もちろんテレビだけど)見てた。すっごいドキドキして怖くて見れなかったので、障子の影からチラチラと見てたのを思い出す。あのときはカープ全盛時代だったな~。

東京でずっと育ったわたしなんだけど、周囲には必ず誰かカープファンがいて(周囲って親じゃなく友だち)、そんなにマイナーな感じもしてなかった。逆に讀賣ファンです、って言う人が全くいなかったので(讀賣ファンだったけど、選手をFAで取りまくる球団の体制に嫌気が差して横浜ファンになったって人はいた)わたしは一体東京ドームで応援してる讀賣ファンは一体どこから湧いてくるんだろう?って不思議に思ってたし、正直今でも不思議だ。。

野球そのものの面白さが分かったのは、'92年の日本シリーズ、ヤクルト対西武の7試合がめちゃくちゃ面白かったからだ。「ああ、野球ってこんなに面白いんだ」って思った。それ以来、熱心なカープファンになった。沖縄や宮崎のキャンプを見に行ったこともあるし、東京から毎年カープのファン感謝祭に行ってたりもした。特に好きな選手は大野投手だった。それから音選手と山田選手かな?とにかくバッティングが渋い選手が好きだった。音は前田(智徳)のバッティングの師匠と言われてたんだけどな。低めの球の打ち方がめっちゃかっこよかった。。音と山田は山本浩二が監督のときに星野(当時中日の監督)に「借りた選手だから返す」って行って中日に戻って行っちゃったんだけど、あのときはホント泣いた。。球場での応援は関東を中心に1年間に12、3試合ほどかな?東京ドームにはほとんど行かなかったからね。そして極めつけは「カープを応援したい!」ってことで、就職先を広島にしたことだった。ただ、そうやって広島に行った割には広島いたときは社会人野球にはまっちゃって、ほとんどカープの応援には行かなかったんだけど。

カープが最後に優勝したのは'91年(平成3年)。そう、わたしが熱心なカープファンになってから、カープはまだ1度も優勝したことがないのだ。その間メークドラマされたり(でもあのときは中日がすごかったイメージがあるのよね)、Aクラスにも全く入れない年が続いたりしたけど、一昨年、CS争いに絡めた頃からちょっとずつチームが変わってきた。

去年までは「堂林、ノムケンからひいきされとるんじゃない?」って思ってて「堂林は出すな」って思ってたけど、今年は「結構堂林いいじゃん」って思ってた。思ってた矢先にあんなことになってしまいましたが、、、

しかもカープの選手を見ると、なんかイケメンが多くなってるし!昔は石原みたいなんがゴロゴロしとったけどな~。時代は変わるな~。これだといわゆる「カープ女子」が増えるのも分かるよね、みたいなことを思ってたりしてる(笑)まぁカープファンが増えることはいいこと。確かに「にわかが」ってついつい思っちゃうこともあるけど、まぁ観に来てくれるファンが増えて収益が上がれば、もしかしたらいつかFAで選手が取れる日が来るかも知れない!などと、まぁカープは'90年代、「清貧球団」って言われてましたからね~。でもいつまでも清貧じゃ勝てんのよ。もうFAで選手が流出「のみ」するのはまっぴらじゃ(マエケンが次に流出しそうじゃけど。。)。たまには誰かをFAで取って欲しい!とわたしは思っている。

まぁペナントレースはまだまだ先が長くてこれから先、調子を落とす日々、負け続ける日々が絶対に来るのは分かってるけど、でも、、

今年はちょっと期待していい?
13:46 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-16,2014
ばこにゃん、1歳のお誕生日おめでとう!
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きょうは ばこの たんじょうび
みんなで あつまって いっしょにおめでとう
いくつ いくつ いくつになったかな
またひとつ おおきくなった
としのかずだけ てをたたこう

ぱん!

ってことで、陣馬は今日、1歳の誕生日(推定だけど)を迎えた。

高尾にゃんのときと同じように、人間用のケーキをケーキ屋さんで注文し、そして陣馬はいつも通りのご飯で、うちらが夕食後にケーキを楽しんだのだった(笑)

陣馬は今、「ばこ」とか「ばこにゃん」と呼ばれている。ケーキ屋さんにケーキを注文するときに「じんばちゃん、おたんじょうびおめでとう」か「ばこちゃん、おたんじょうびおめでとう」か迷ったんだけど、ばこちゃんでいいかなってことになって、ばこにした。しかし、ケーキ屋さんに「メッセージを付けて下さい」って言ったのはいいんだけど、いざ口に出して「ばこちゃん」と言おうとするとなんか恥ずかしくて言えなかったので「こういうのでお願いします」と言って書いてきた。

ばこはうちに来て、今10ヶ月半くらいになるのかな?

最初は何を考えているのか分からなかったし、高尾にゃんなら生後数ヶ月でマスターできたご飯前の「おすわり」が、ばこは何回やらせようとしても意味すら理解できないみたいだったし(これは今でもそう)、なんていうのかな、「この猫と意思疎通できる日が来るんだろうか?」って思ってたけど、最近、だんだんばこはこういうのが好きなんだよね、とか、こんなことがしたいのねってことが分かるようになってきた。

第一、高尾にゃんと比べると、ばこはおしゃべりなのだ。高尾にゃんは滅多に鳴かないが、ばこはよくにゃんにゃん鳴く。ムシャクシャするときも鳴くし、ここに行きたいのにドアが閉まってて行けないってときも鳴く。あと寂しいときなのかな、わたしたちがいない部屋にわざわざ行って鳴いたりする。

悪いこともする。悪いことっていうのは、人間にとって都合の良くないことなんだけど、例えばテレビの裏に入ったりする。テレビの裏にはケーブルテレビの配線だの、電話の配線だのが結構あって、ここに入られるとコンセントから抜けちゃったりするのね。だから入ったら怒るんだけど、ばこはどうやら悪いということは分かっているようだ。だけど入るので、わたしたちから「ばこ!」って怒られると「にゃーん」って鳴く。

あと夜寝る前に高尾にゃんとばこにおやつ(といっても普段与えているカリカリを何粒か)を与えてるんだけど、ばこは「ばこおいで~」というとちゃんと来る。なかなか賢い。

それからばこは高尾にゃんと比べても、それ以上に人間が好きみたい。わたしが寝ていると布団の近くまでやってくるので、布団を持ち上げながら「ばこにゃん入る?」っていうと、入ってきてしばらくじっとしている。暑いのはあまり好きじゃないみたいで、しばらくして暑くなったら出ていくけど、高尾にゃんは全くこういうことが嫌いなので、わたしたちはそれを楽しんでいる。わたしが寝ころんでテレビ見てても知らないうちに足元に来て一緒にゴロゴロしてたりする。

ばこはとってもかわいい猫なのだ!

わたしはそれをようやく最近認識した。小さい頃は「こんな猫、何を考えているのか分かんなくてかわいいと思えない」って思ってたけど、最近ようやく心の底から「ばこにゃんかわいいね~」って言えるようになった。どうやらわたしは子猫はあんまりかわいく思えないみたい。だからこれからもっともっとかわいく思えるようになるんだろうな~。

今のばこは、体重が5.2kgで、ちょっとお腹がたぽたぽしているので減量中だ。ただ、上から見るとくびれはあるように見えるんだよね~。お腹の皮がたぽたぽするのは、この猫の特徴なのかしら。体重については今度、動物病院に行く機会があったら聞いてみるつもり。

高尾にゃんとの関係は、、残念ながら、あんまりよくない。ケンカばかりしている。もうね~、これは仕方ないのかなって思ってる。冬は割と近づいて寝てたりして「おっ、これは」って思ったこともあったんだけど、彼女が入院したりしてる間、わたしがバタバタしてたらケンカばっかするようになっちゃった。今まではずっと家にわたしも彼女もいて当たり前だったから、猫たちはその環境の変化に敏感に反応しちゃったんだよね。彼女が退院して、二匹ともかなり落ち着いたと思うんだけど、でもまだ骨折前と同じような状態じゃないと思う。まぁ今は彼女がまだあんまり一人で動けなくて、わたしがバタバタしてるからね。。そういうところも猫の態度は影響していると思う。

まぁでもばこはばこなりにかわいくなってきたし、これから2歳、3歳となるうちに、まだまだ今よりももっと意思疎通ができるようになるんじゃないかと思うと楽しみだ。
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05-10,2014
文字を読める感動
4月から新たに朝鮮語(韓国語;でもわたしは朝鮮半島の言葉、ということで「朝鮮語」を使うこととする。ただし行っている講座名は「韓国語講座」なので、講座名のときはそちらを使う)を習い始めた。

直接的な理由はinstagramだった。そこでわたしはうちの猫の画像をアップしているのだが、どういうわけか、韓国に住む人からフォローされた。その人たちがアップする猫の画像がものすごくかわいいの。画像に付けられてるコメントは片方の人は英語なんだけど片方の人は朝鮮語で、わたしには全く分からない!それがとても悔しくてね。翻訳サイトで翻訳するんだけど、これがまたよく分からないのよ、、一回、英語で「猫ちゃんなんて名前?」ってコメントしたら、日本語で「○○です。これは日本語で△△って意味です」って返ってきた。たまに向こうが日本語でわたしの投稿した画像についてコメントしてくれることがあるんだけど、向こうも朝鮮語を翻訳サイトで翻訳したのか、日本語の意味がよく分からない。。日本語の意味が分からないとどうコメントしていいのか全く分からず手がかりさえない。それが分かってから、わたしは日本語で話さない人に対しては「翻訳サイトで正しく翻訳されそうな正しい日本語」で答えるようにしている。

だけどねー、やっぱ、向こうのコメント読みたいじゃない。向こうの画像を見ていつも「Cute!」と「かわいい」しかコメントが書けないって空しいじゃない。

ということで、前々から「やりたいな」って思ってた朝鮮語をついに習うことにしたのだ。

思えばわたしが韓国、という国に出会ったのは、2007年にシドニーに語学留学したときだった。語学学校にたくさんの韓国から来た人たちがいたの。そのことはリアルタイムでこの日記に書いてあるはずだけど(一例:近くて遠い国、韓国、しかしわたしはこの頃から朝鮮語を学びたいって書いてたのね)、彼らは本当に日本のことについてよく知っていた(まぁ日本のことと言っても主には芸能界のことだけどね)。わたしは自分がお隣の国である韓国のことについて何も知らない、というか、それまで何も思ってなかったことについてとてもショックだった。諸外国でも隣国ってのは正直、あんまり仲がよくないよね。それは知ってるけど、でもやっぱりお隣の国のことをある程度は知っておくってのは、当たり前のことじゃないかと思うのよ。そしてできれば仲良くしていきたい。そういう思いがずっとわたしの中にあるのよね。

(ちなみに在日の人との出会いはこの後で「そういや日本にも朝鮮から来た人たちがいるよね」と思ってあまり深く考えずにコミュニティに入っていったんだった。だからわたしはシドニーで韓国の人と知り合いになっていろいろ考えさせられることがなければ、今でも在日という人たちのことも「存在している」程度しか知らなかったと思う)

まぁ前置きが長くなったけど、そんなわけでわたしは朝鮮語を学ぶことにしたのだった。

そしてこの間ようやく一通りのハングルの読み方を教わったのだが、もう難しい、難しい。「ハングルはローマ字と同じで母音と子音が組み合わさってるだけだから、母音と子音が読めさえすれば、その文字は読める」って思ってたんだけど、そんなもんじゃないことがよーく分かった。確かに母音と子音の組み合わせではあるんだけど、母音が日本語の母音と比べてめっちゃ多い。子音も同じ。そして母音+子音、だけじゃなく、母音+子音+子音とか、母音+子音+母音、とか、母音+子音+子音+子音、なんて文字があって、日本語にはない発音がめちゃくちゃある。だから母音と子音の読み方は覚えていても読むのがすごく難しかったりするのだ。

しかも、文字は1文字に1つの読み方ではない。語頭にあるときは濁らないのに、語中にあると読み方が濁ったりする。朝鮮語は息の強さや高低が「文字の違い」になって現れるので(平音、激音、濃音)そのような概念がない(実はやってても意識してない)日本語話者にとると「発音できない」「違いが分からない」ってことになる。文字にある条件が付くと、発音が変わる、など、「ローマ字みたいだから分かりやすい」っていうのは、ちょっと違うんじゃないかと思ったりする。まぁ確かにハングルはとても合理的な文字だと思うし、日本語の文字(ひらがな、カタカナ、漢字)に比べるとそりゃ覚えるのは格段に簡単だと思う。けど「ローマ字と同じだから(簡単)」ってのとは全然違う。わたしは朝鮮語を習い始めてから「こんなはずじゃなかった!」と何度思ったことか。。(笑)

twitterを始めとするSNSに、最近は疲れて来ちゃって、今ではほとんどやらなくなってしまったんだけど、こないだ久しぶりにinstagramにうちの猫の画像をアップしたときのことだった。

わたしの少し前に韓国の人が画像をアップしていた。下には当然のことながら韓国語のコメントが。今までは全く読めないので「形」としか認識できなかった。ただ「見る」だけだった。それが、、

読めるではないか!(意味は全然分からないけど)

少なくとも、それが今までみたいに「形」じゃなく「文字」として認識できる。それはなんだかとても新鮮な瞬間だった。例えようもない気持ちだった。目に「文字として」飛び込んできた感じ。「読めた」という感動よりは「読めるんだ?」という驚きに近い感じ。

思えばわたしは「文字が読めた」ことで感動したことはなかったんだよね、今まで。だってひらがなはいつ覚えたのか記憶にないし、漢字を習って読めるようになってもそれは「当然だ」って思ってたし。英語だってアルファベットは中学校に入る前からどこで教わったかは知らないけど知ってたし、それに英語の単語って違ってるかも知れないけど、なんとな~くは読めるようになってるんだよね。

でもハングルは長い間「全然読めない」って状態だった。予備知識も全くなかった。手がかりすらなかった。そういう状態のものが読めるようになるとこんな気持ちがするのか、と。

そのとき、中学の頃、道徳の副読本だった「にんげん」に書いてあったことを思い出した。この「にんげん」というのは、主に部落差別のことについて書いてある本だったんだけど(大阪ではこういう副読本が作られてて無料で配られてた)この本結構分厚くてね。わたしは4月に新しい教科書が配られると、国語の教科書にどんな話が書いてあるかを真っ先に読むのが好きだったくらいなので、この道徳の副読本も文字が多くて読むのが楽しみだったんだよね。授業で使われた覚えは全くないんだけど(しかし道徳の時間って一体何をやったのかさっぱり覚えてないなー)個人的に読んでたんだよね。

その中には「識字教育」っていって、子供の頃貧しくて学校に通えなかった部落の人たちが、大人になってから夜間中学で文字を学んで、文字が読めるようになったときの感動、みたいな話が結構載っていた。

ちなみに今でも覚えているのは、文字が読めなかったのでバスの行き先が分からなくて、いつも仕方がないから人に「これはどこ行きのバスですか?」って聞いてた人が、文字が読めるようになったので人に聞かなくてもバスに乗れるようになった、という話と、文字を書けるようになって初めて自分の気持ちが文字で伝えられることの感動を書いた人の話かな。

わたしさぁ、なんだか自分がハングルちょっと読めるようになったときに「ああ、もしかしたらこんな気持ちなのかも」って思ったんだよね。もちろん状況は全然違うよ。わたしは文字が読めないことで人からバカにされたことはないし、蔑まされたこともない。だから「読めるようになった感動」は純粋に「読めるようになった感動」でしかない。読めなかったことによって、周囲といろいろあった人は、きっとそれだけじゃなかったと思うんだよね。だから気持ちが分かるといっても多分重みが全然違うと思うの。それは留意しておかなくちゃならないことだけど、でも「読めた」という嬉しい気持ちには多分いくばくかの共通点はあるんじゃないかと思うんだよね。

そういえば文字が読める、という話は「ハイジ」でもあったよね。ハイジはフランクフルトへ行ってとてもつらい目に遭うけど、教育を受けることの重要が分かったという点では、その先の人生を考えると行ってよかったと思えるんじゃないだろうか。

わたし、今回のことで「文字が読めるなんて素晴らしい!」って思ったのと同時に、文字を教わることの重要さと教育を受ける権利のことを考えた。よくさ、朝鮮学校に子どもを通わせる人が「民族の誇りとして朝鮮語を学ぶ重要性」を挙げるけれど、確かにそうだよね、と。まぁ「誇り」という言葉には若干違和感があったり、それについてはいろいろ思うところもあるのだけど、誇りじゃなくても「民族としてのアイデンティティ」にとって言語っていうのは本当に重要なものなんだと思う。少数民族が少数民族として教育を受ける権利がある、というのは、まさにこのことを言ってるんだと思う。

それから「教育を受ける権利」については、今の日本ではほぼ100%の人が日本語の文字が読めるので、あまり実感がないかも知れない。けれど、よく「数学(物理、または嫌いな科目)なんか、実生活でほとんど使うことがないんだから勉強しても仕方がない」とか「勉強は無駄。勉強は文字が読めて、算数なんて四則演算だけ分かればいい」って耳にするんだけど、そうじゃないと思うんだよね。

まぁこれ、わたしが理系で、文系の人からよくそういう風な言葉を聞くんで(笑)、数学とか物理の話に特化しちゃうけど、確かにサインとかコサインとかタンジェントとか覚えたって実際の生活に全然役に立ってないように思える。方程式解けなくても生きていけるかも知れない。まぁこの話は義務教育で区切るか、高等教育も含めるかで違ってくると思うんだけど、少なくとも、教育を受けて、ある概念が一時的にでも頭に入っているか、入っていないかで、その先の人生が大きく変わってくると思うんだよね。あ、これは別に「勉強できた方がいい大学に入れるから」って意味ではないよ。その人自身の「考え方」が違ってくると思うのだ。

人間の一生っていうのは概ね限られているから、人が一生かけて考えられることって限られてる。ある人がその人の一生を掛けて考えたことを踏み台にして、その後に生まれた人は考えを発展させる。しかしある人が一生掛けて考えたことが後世に伝わらなかった場合、後世の人はある人が考えた範囲かうまくいってもその少し上の範囲しか考えることはできない。例えていうと、ある人は階段1段分考えたとする。後世の人は教育を受けることによって、ある人が考えた階段1段分の考えを身につけ、さらに階段1段分の考えを発展させることができる。より高度な教育により段数が段々上がっていく。だから、後世の人はその前の人たちに比べると、出発点が一段も二段も上から出発できるのだ。

結局、教育って階段の段数なのだと思う。それは別に「世の中を発展させるため」だけではない。人として、人生を豊かに生きることにも繋がってくる。いろいろなことを知ることは、より広い視野を持つことに繋がる。人がいろいろなことを勉強しなければならないのは、結局生きていくためでもあるけど、人生をより豊かに生きるためでもあるんだよね。そこに数学や物理は関係ないって思われるかも知れないけど、数学や物理って別に数式解いたり公式を覚えることじゃなく、ものの考え方なのだ。そしてそれは自分が意識していないところで、微妙に自分の考えに影響していたり、自分の経験と合わさって、より深い考え方に発展させることができるだろう。「自分には関係ない」と思っていても、それを知れば自分が自覚していなくても階段は数段上がっているのだ。そう考えると、教育って本当に必要なものだし、だからこそ、人間には誰にでも「教育を受ける権利」があるのだなあと思う。

朝鮮語を読めるようになったことだけで、いろんな話に発展させてしまったが、でもね、わたしがこういうことを「実感」できて、さらにそれを「こういうことなのだ」って認識できるのも、今まで受けてきた教育のおかげなんだよね。
13:29 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
05-03,2014
パートナーが入院したとき
というわけで、今回彼女が入院したわけなんだけど、同性パートナーが入院したときに、病院はどう対応したかってのを書いておく。

と言っても、結論から言うと全然問題はなかった。

いつもはわたしはプライバシーもあるので、彼女の診察には立ち会わないんだけど、今回は診察室に連れて行かないと自分じゃ歩いて行けない状況だったりしたので、一緒に診察室に入って医者がどう診察したとかどんなことを言ったかを聞いた。入院しなければいけないってときに初めて「ご家族ですか?」って聞かれた。

ご家族って言われると、それは正しいんだけど、対外的に彼女のことを「家族です」というと、わたしのことは彼女の子どもと間違われるので(なんでやねん!)、家族です、とは言えず「パートナーです」って答えることになる。だけどそうすると一回で分かってもらえないんだよね。「はぁ、パートナー?」って感じ。なので「同性のパートナーです」ってはっきり答えた。でも、それを言って別に驚かれたりはしなかったし、ただ「あぁ」って言われただけだった。

でもこの「患者との関係」は医師や看護師など、会う人ごとに尋ねられて、「パートナーです」って言うたびに「??」って顔をされるので少々疲れた。。まぁね、同性カップルが病院にやって来て入院することなんて数少ないだろうよ。。けど、そういう人たちも「存在する」「病院にやってくる」というのは認識して欲しいよ。。

で、入院する際には同意書だったかな~、忘れたけど、患者の署名とか家族の署名、みたいなのが必要なんだよね。これはわたしが3年ほど前に精神科に入院したときもそうだったけど、そのときは彼女に書いてもらって。今回はわたしが書いた。彼女との関係についてはただ「パートナー」って書くとまた分かんないって思われるぞって思ったので、めんどくさいことのないように「同性パートナー」って書いておいた。

たったこれだけで、わたしはその後病院では別にどうってことなかったのだが、あとで彼女に聞くと看護師さんにはわたしのことは「パートナーさんが」とかって言われたそうだ。だから、ああいうのってちゃんと書いておけば、看護師さんたちの共通認識になるんだなーって思った。

あと、彼女の部屋は大部屋だったので、常時数人の入院患者さんがいたんだけど、別に関係を聞かれることもなく(当たり前か)、パートナーさんだと思われていたようだ。

まぁ意識のある入院患者の場合は病院側の対応もこんなものかも知れないね。

ちなみに、わたしが通っている精神科のことだけれど、主治医がこの春に替わったことは前の日記にも書いた。わたしの場合は過去に具合が悪かったときは、彼女と一緒に診察室に入ったりしたので当然のことながら、主治医にはカミングアウトをしている。今回、新しい主治医に初めて診察を受けるに当たって「ちゃんと引き継ぎされてるかな~」って思ってたのだけれど、それはちゃんとされてるようだった(初っぱなの診察で「彼女が入院してしまって今大変なんです!」って話をするとは思わなかったよ、、)。

あ、だけどね。彼女の病院ではわたしは同性パートナーとは認識されてたようだけど、わたしの名字までは認識されてなかったです。なのでわたしは彼女の名字と同じに呼ばれてました。手術が終わったあとに呼ばれたときも彼女の名字で呼ばれたし、なのでまぁ扱いは結婚してて夫婦同姓な人と一緒ってことかな。それはそれで、ビミョーなんだけどね。なんか「自分」って人間が無視されてるように感じられるので。事実婚なんかの関係の人も同じ名字で呼ばれるのかしらね、、

彼女が入院した病院は、割と大きめの病院だったみたいなんだけど、まぁこんな感じでしたということで。誰かの何かの参考になれば。
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05-02,2014
退院しました
昨日、彼女が退院した。
先々週の土曜日からの入院だったので、12日間くらい?
まぁ過ぎてしまえばあっという間だったというか、長かったというか。

思ったより全然寂しくはなかったのだが、身体はそうは思ってないようで、体調がめちゃくちゃ悪い。
特に食欲があんまりない。まぁわたしは食事を作るのが大嫌いで、食事を作るなら、自分がお腹空いても我慢した方がいいって思う方なので、それに合わせて食欲がなくなってるのかも知れない。

しかし、退院してからの方が大変かも。。

というのは、彼女は足のピンを取るまでは足を付いてはならないって言われてて、松葉杖に片足歩行なのだ。当然のことながら移動することすら大変で、手に持って何かをするなんてことはできっこない。ってことは、従来、彼女一人でできることが、できない、すなわちわたしが細々動かないとダメってことなのだ。。

入院してた頃は毎日の病院通いが大変だったけど、家の中では当然のことながら一人だったので自分のことだけで動けばよかった。けど、彼女が退院してからは自分以外のことでも動かなくちゃならなくて結構大変。まぁわたしが大変大変言うもんだから、彼女はできる限り自分で動こうとはしてるけどね、、

この状態が少なくともピンを抜く予定の2ヶ月後まで続くっていうのがどうしてもピンと来なくて(ダジャレになってしまった)イマイチ実感が湧かないような、とてつもなく先が長いような、、はぁ疲れた。
18:05 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
04-28,2014
手術が終わりました
毎度のことながら、自分じゃなくて彼女が手術受けたんだけどね。

今朝は9時に手術室に入ると聞いていたので、8時半ちょっと前に病院へ。しかし前の晩は2時半過ぎまで起きていたので、超眠かった、、←自業自得

病室に行ったら既に看護師さんが来てて、あれこれやってた(怖いのであんまり見てない)。そして9時ちょっと前に病室を車いすで出発。わたしも手術室前まで付いていった。んー、手術前は何を話したのかあんまりよく覚えてない。。前日、全身麻酔で3時間って聞いてたんだけど、看護師さんに手術室から別の部屋で待ってろと言われ、そのときに「どのくらいの時間になりますか?」って聞いたら「2時間半の予定です」って言われたからそのつもりでいたら、実際のところ、2時間後に「手術は終わりました」って呼ばれて、そんでまた手術室前に行って、彼女を迎えに行った。

まぁ全身麻酔ってさー、一瞬で気を失うので、本当にその間何やられてるかは全然分かんないんだよね。わたし、3年前に口腔異常感症の治療のために「電気けいれん療法」ってのを受けたんだけど、それで計10回、全身麻酔やったんだよね(ちなみにその治療で病状が楽になったかというと全然変わりませんでした)。あのときに全身麻酔ってすごいな~って思ってね。手術室に入って麻酔医の人に「ちょっと沁みますね~」って言われ、本当に点滴のところから腕が沁みるなーって思った瞬間、ボンって目の前がシャットダウンするというか、真っ暗になって意識を失って、あの感覚は結構気持ちがよくてわたし好きでね(笑)今回も彼女に「麻酔のかかる瞬間って楽しいよ」って言ってたくらい。んで、どーせ、その後のことは分かんないからね。わたしの場合、いつも目が覚めたらもう病室に戻ってきてて、どこでどうやって手術台から自分のベッドに戻されてるんだか、結局最後まで分からずじまいだった。

手術後、手術室から出てきた執刀医でもある主治医から、手術室の前で説明を受けた。説明って言ってもものの1分か2分だけだけど。。左足の甲に小さいピンみたいなのを数本、大きいピンみたいなのを3本埋め込んだんだって。小さいのはもう取り出さないらしいけど、大きいのは8週間後に取り出すって言われた。ってことは、7月にまた再入院ってことだね。で、ピンが入ってる間は足を付かないで歩いて下さいって言われた。

その後、病室に戻って、彼女の顔見てた。彼女は麻酔からまだはっきり覚めてないみたいで、眠いって言って半分寝てた。麻酔がかかる瞬間が楽しいってわたしが言ってたので、期待してたらしいんだけど、彼女は知らないうちに眠ってしまってたと言っていた。酸素マスクもしてたけど、それは術後2時間で取れたかな。お腹を切ったわけじゃないので、水も4時間後に飲めた。水が飲めた時点で、わたしは家に帰ってきた。それ以上いてもあんまり役には立たないし、それに何より、わたし、すごく眠かったので。。

ちなみにわたしといえば、今日はお昼ご飯を病院の食堂で久々に1食がっつり食べたためか、お腹がびっくりしてしまい、そのおかげでその後腹痛を起こし、病院のトイレに立て続けに4回も行ってしまったのだった、、

彼女は明日の朝まで点滴はやり続けているようだ。わたしが病室にいたときは足のあちこちが痛い、って言ってたけど、帰ってメールしてたら「今は傷のところしか痛みがない」って書いてあった。まぁ早い人は手術の翌日に退院らしいので、こういうのってすぐに傷が塞がってしまうんだろうな。ちなみに彼女はまだ少し入院して様子見だそうだ。でも少なくとも今週中には退院できるだろうとのこと。あともう少しだ~。
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04-27,2014
手術前夜
わたしがじゃなくて、彼女の手術前夜だけどね。

当初の予定通りというか、本当は予定より1週間遅れなんだけど、でもまぁその翌週に受けられることになって本当によかった。明日の午前中に手術室に入るみたい。全身麻酔で3時間の予定だって。結構かかるのね、、

わたしは「家族の人、来て下さい」ってんで、朝から病院に行って説明やらなんやら聞いて、その後は手術が終わるのを待ってる。何の本、持っていこうかな~。

ところで、わたしの体調があんまり良くない。前に比べると眠れるようになったというか、逆に起きるのが嫌で、1日の半分くらい布団の中にいるような生活をしている。食欲はほとんどない。無理矢理1日に1食は食べるようにしてるけど。。(っていうか、最低でも1.5食くらいは食べるようにしている)。

わたしの場合、とてもややこしい性格をしていて、食べるときは普通に食べる。好き嫌いもメジャーな食料はあんまりないというか、嫌いなのはミョウガとか牡蠣とかはんぺんで、そんなのは毎日毎日食べるもんじゃないし、外食でも普通に出てくるものじゃないので、避けて通っていけるようなものだ。食べることは嫌いではない。嫌いじゃないんだけど、食べ物に関してはなんだかいろんなところにプレッシャーがあってね。

例えば、お腹いっぱいの時は食べ物を見たくない。食べ物を見ると「食べろ」って迫って来るみたいで、お腹いっぱいの時に食べ物の買い物はできない。売ってるものだから買わないと迫ってくることはないのに、迫ってくるみたいに見えるの。だから買い物はお腹が空いている時じゃないとできない。これ、回転寿司でもそうでね。ものすごくお腹が空いているうちは寿司も食べられるし見れるけど、満腹になると回ってる寿司を見るだけで気持ちが悪くなってくる。別に自分が皿を取らなければ食べなくていいのに、ダメなんだよね。だからすぐに「出よう」ってことになる。

これがね、食欲がなくなると同じなの。食べ物を見ると気持ちが悪くなる。家に何か食料があると「これを食べなきゃいけない」ってプレッシャーがすごい。そのプレッシャーで逆に食欲がさらになくなる。消費期限が短いものなんか、ものすごい負担。期限が長いものでもある程度負担。冷蔵庫の中にものがあると思うと負担。あと、食べ物の話もダメ、、食欲ないのに食べ物のことを考えると気持ちが悪くなって、逆に精神的な負担がひどくて動けなくなっちゃう。

「だったら食べなきゃいい」

確かにその通り。お腹空かないんだから、お腹空くまで食べなきゃいい。んだけど、そうするとなにか道に外れた気がするんだよね。最低でも、1日1.5食は食べないと悪いことをしたような気分になる。.5食というのは、まぁいつもの半分くらいの量ってことで、今は昼間にいつもの半分くらいの量のご飯を食べて、夕食が1食分、まぁ少なめの1食だけど、そんな感じ。

「道に外れた気がする」っていうのは、自分でもよく分かんないんだけど、それをきちんと守らないと罪悪感があるというか、なんていうのかな~?もうとにかく絶対に無理矢理でも食べないといけない感じがするの。なんでそうなったかは自分じゃ全くよく分からないのだ。。これがなければ食べることへのプレッシャーも感じずにすんで、もっと楽に生きられるのになって思う。

ちなみにわたしは食事を作るのが大嫌いで、作るのにはとても精神力がいる。でも外食は嫌いなの。とんでもないややこしいヤツなんだけど、でも自分の作る料理は自分の口によく合っていると思う。なんだけど、作るのは嫌いなんだよね。掃除や洗濯はそんなに苦じゃなくできるのに、料理だけはダメなの。自分でも「なんで?」って思うんだけどね。

あと、ここにきて「見捨てられ不安」のトラウマが再発してしまっている。別に今回は一人でも寂しいとか不安ってことは全くないのに、身体が全然動かない。。これは過去にいろいろあってね。あのときは立ち直ろうと自分で考えられるいろんなことで自分を鼓舞して頑張ったんだけど、結局うつ病を発症してしまった。。一生懸命自分を鼓舞して頑張っても結局は立ち直ることなんかできず、頑張っても頑張っても浮上するどころかどんどん下降していった経験があるから、今ではもう頑張ることすらできず、すぐに身体が動かなくなってしまうんだよね。何をする気力も全く湧かない。一日寝てるだけ。でも、そうするとあのときのものすごいつらい気分が蘇ってきて、、もう20年以上前のことなのに、昨日のことのように思い出せる。完全にトラウマだと思う。

それとセットで思うのは、なんでさ、わたしはいつもいつも「会いたい」って言う方で、誰かに「会いたいから絶対に会いに来て」って言われないんだろう。。と。なんかわたしっていつも誰かのお荷物で、いらない人間じゃん、って。おそらくこれがわたしが「この世からいなくなりたい」って思い始めたきっかけかもね。まぁ普段は別に誰かから絶対に必要とされたいとは思ってないけど、でも、自分が弱っているときって、誰かから必要とされたいと思うものなのかも知れないね。それは自分が誰かを必要としてるから。でもわたしはもう誰かに「助けて」とは言えない人間になってしまった。。だってそれを言って一時的に誰かに助けられたとしても、それは一時的に気が紛れるだけで、根本的な解決方法じゃないから。誰かはわたしのことを絶対にずっと(といっても永遠ではないのだけど)は気をかけてはくれないのだ。一時的に助けられて、そして放っておかれて、ということをわたしは何度も何度も繰り返している。そして放っておかれるたびに絶望的な気分になる。わたしは「助けて」と言い続けなければ誰も助けてはくれないのかと。そういう思いをするくらいなら、ずっと寂しくても一人の方がいい。
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04-23,2014
彼女が入院しました
なんと今、彼女が入院している。

コトの始まりは先週の月曜日。午後に二人で買い物に行って帰ってきたときのことだった。自転車で出かけたのだが、家の前で彼女が自転車ごと倒れてしまったのだ。確か左足だったっけ、左の方向に倒れて左足が自転車と彼女の身体の下敷きになり、ぐぎっといってしまった。彼女はよく足を捻挫したりするのだけど、それにしても倒れてから起きあがるまで相当かかったし、何よりすごく痛そうだったので、すぐに近くの整形外科を受診した。

彼女は「捻挫だよ」って言ってたんだけど、整形外科でレントゲンを撮ったときに医者から「レントゲンでは映らないんだけど、どうも骨折っぽい感じがするから、もうちょっと大きな病院に行ってCTを撮ってもらった方がいい」と言われた。「明日、大きな病院を紹介するからもう一回うちに来て、それからデ-タを持って紹介先に行って下さい」と言う。

なので、翌日また病院に行って簡単な診察をしてもらい、デ-タをもらって大きな病院に行こうとしたら「今日は予約は取れなかった。最短で金曜日の午前中です」と言われ、仕方なくその日はそれで帰ってきた。

金曜日、大きな病院に紹介状を持って行った。見るなり「骨折っぽいですね、これは」って言われてCTを撮った。そしてその後また診察室に入って結果を見たら「やっぱり骨折です。これは手術した方がいいから入院して下さい」と言われ、入院するために入院前検査って言って、血液検査やら肺のレントゲンやらいろんな検査をして、もう一回診察室に入った。もう、このとき何時になってただろ?あの日は午前中に病院に行ったのに、ほとんど一日中病院にいたような気がする。。

で、診察室に入ったら医者に「検査の結果が悪くて、これじゃ手術ができないかも知れない。今の時間はもう診察できないから明日また来て別の科の診察を受けて下さい」と言われ。。結局土曜日も病院に行った。そこでこの検査結果を見せたら「こんなんじゃ手術どころじゃない。今すぐ入院して下さい!!」と言われ、なんと土曜日から入院。。

結局月曜日に手術の予定だったんだけど(だから金曜日の時点で「日曜日に入院して下さい」と言われていた)、やっぱり一週間延期した方がいいって言われ、今は別の病気の治療をしている。

足だから「自分で勝手に病院に行ってね」ってわけにはいかない。それにうちは車を持ってないので移動はすべてタクシー。それなりに大変だ。しかも病院では「ご家族の方ですか?」と言われ続け(当たり前なんだが)、でも「はい」っていうと娘さんだの息子さんだのって全然違うことを言われるので、そのたびにカミングアウトしなきゃならなくて、それがとてもめんどくさかった。一言「パートナー」って言ってもすぐに理解してもらえないんだよね。そこに「同性の」って付ければ「ああ」って分かるみたいなんだけど。やっぱまだまだ見えない存在なんだなと、実感させられる。

わたしは入院してからも毎日お見舞いに行ってる。昨日はわたしも自分の病院の日で、新しい精神科の主治医に話をしてきたんだけど、彼女が入院してからというもの、身体が疲れてるのに入眠しづらかったり、あとは寝てると思うのに全然寝た気がしなかったりしてるので、取り敢えず睡眠剤を復活させたと言った。それから食欲がほとんどない、と。わたしは何かあるとすぐに食べられなくなっちゃうんだよねー。お腹空いてるのが快感になって、食べ物を見ると気持ちが悪くなっちゃう。精神的に非常に興奮状態にあるようなんだけど、まぁ眠ったらなんとかなるかなと思うのと、わたしの場合、ちょっと薬をいじるとすぐに副作用が起きてしまう可能性があるので、まぁそれは今後も興奮状態が治まらなかったり、精神的に不調になったら考えましょうってことになった。彼女も入院して5日か。昨日初めてちょっと寝た気がしたけどね。ただ身体はめっちゃ疲れてるような気がするのに、あんまり疲れた感じがしない。。あとで疲れがドッと来ないといいけど。

取り敢えず彼女の手術は来週の月曜の予定だ。でもそれはまだ本決まりじゃない。それに手術したとしても、転科して別の病気の治療になる予定。なので、いつまで入院するんだか。。まぁそんなに長くはないだろうけど。

わたしは今まで自分が入院することはあっても、身近な人が入院したことはあまりない。人を毎日見舞うなんて、初めての経験なのだ。うーん、これから年を取るにつれ、こういうことが多くなるのかな。なのでわたしもいつまでもうつ病じゃいられないよね、、なんて思っている。思っていたからといって、うつ病が早く治るわけじゃないけどね。

現在の処方(もちろんわたしの)。リーマス100mg、ジプレキサ0.5mg(夕食後)、金ハル(就寝前)
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04-15,2014
セクマイの映画祭
わたしが所属しているレインボー・アクションという団体が主催で、ゴールデン・ウィークに映像祭をやるそうです。

正直、どの作品がどういう作品なのかって全然把握してないので、どれがオススメとは言えないのですが(笑)、まぁわたしは前々から見たかったけど、見逃してた「百合子、ダスヴィダーニヤ」が見てみたいかな。題名の「百合子」っていうのは、宮本(中条)百合子で、この人と湯浅芳子って人の話なんだけど、わたしが湯浅芳子を知ったのは'90年に出た別冊宝島の「女たちを愛する女たちの物語」ってムック本だった。この頃はまだ湯浅芳子は生きてたんだよね。インタビューが載ってた。この頃('90年代)の印象としては、レズビアンの世界はウーマンリブの影響が強くてね、正直なところ「女同士の恋愛」と「女同士の連帯」がごちゃごちゃになってる感がするんだけど、まぁそれは歴史的な背景から仕方なかったような気はする。湯浅芳子なんて、女には選挙権すらなかった時代で、その中でいろんな女の人たちが自分たちの権利拡張についての活動をしてるときだったから、今というより'90年代とも単純に比較はできないと思うのだけれど、ただその中にも確かに「女を愛する女」は存在していたわけよね。湯浅芳子はこのインタビューの中で「自分はレズビアンだ」とは明確に言ってないのよ(そう言われるとそうかも知れない程度)。だけどまぁ生きてきた歴史を考えると仕方がないのかなって気はする。

そしてこの「女を愛する女たちの物語」と同時期に、この映画の原作本「百合子、ダスヴィダーニヤ」が出版されたんだよね。わたし、この本リアルタイムで本屋で見たんだけど「買おうかな」って迷ってるうちに手に入らなくなってしまった。で、ずっと古本を探してたんだけど見つからなくてね~。手に入ったのは数年前だった。それでまぁ読んだんだけど、ほとんど細かい印象は忘れてしまってて(汗)、大きな印象としては「吉武輝子の『女人吉屋信子』に似ている」というものだったんで、正直、あんまり面白くなかったんだろうと思う←オイ

吉武輝子の「女人吉屋信子」はねー、女同士の恋愛ってより、連帯の方をものすごく強調してる本で、それは別に女同士の恋愛を否定してるってわけじゃないんだけど、この人あんまり女同士の恋愛について考えてないんじゃないだろうかって思えたんだよね。わたしら別に自分を虐げる男が嫌いで女同士でいるわけじゃないから。まぁでもこの感覚は本当に新しいんだと思うよ、そう考えてみると。今では「同性愛は異性愛と性的な指向の向きが逆なだけで、恋愛感情は同じです」って言うけどもさ、ことに女同士の関係ってのは、今よりももっと権利のない時代だからね。必然的に女同士が力を合わせて生きていかなきゃならない時代だったわけよ。なので、ある意味仕方ないんだと思う。ただこの本、あまりにも「おいおい」ってところが多かったんで、逆に印象に残ってるんだよね~(笑)

てなわけで、この映画(百合子、ダスヴィダーニヤ)ができた、ってときももちろん知ってたんだけど、体調悪かったりなんかして、結局観に行けなかったんだよね。この映画の中には、わたしの大好きな俳優さんのうちの一人である大杉漣さんが出てるので、そういうのも含め「見たいなあ」とは思ってる。

あとの作品は知らんです。けど、この映像祭初上映のものがあったり、大画面で見ることができる機会であったりするらしいです。詳しい告知はこちら

--------------- ここから開催告知 ---------------
このたび、レインボー・アクションでは「第1回レインボー・アクション映像祭」を開催します。

セクシュアル・マイノリティの視点から、現代の社会を問い直す、
国内外の映画・映像を上映し、同時に、関係者によるトークイベントも実施します。

映画・映像を通じて生まれることばや思考を大切に、
普段はなかなか語りにくいことについても語れる場を提供する映像祭です。

多くの方のご参加をお待ちしております。

●日程 2014年5月4日(土・祝)~6日(火・祝)
●会場 東京ウィメンズプラザ ホール

上映予定作品
『 ジェリー・フィッシュ 』(監督:金子修介)
『 百合子、ダスヴィダーニヤ 』(監督:浜野佐知)
『 for you 』(監督:ペ・フィギョン)*本作は日本初公開です
『女として生きる』(監督:江畠香希)

*この他の作品も上映する予定です。詳細は現在調整中です
*監督や関係者によるトークイベントも実施予定です

●料金 前売り券:1,000円/1プログラム 当日券:1,200円/1プログラム
*全日フリーパスも発売予定です。購入方法等は決まり次第ブログにてご案内します。

◎最新情報はこちらからご確認ください◎
http://rainbowaction.blog.fc2.com/blog-entry-194.html


☆プレイベントも実施決定!
●日時 2014年4月29日(火・祝)19:00~21:30(18:30開場)
●会場 アップリンク ファクトリー

*内容等の詳細については、決まり次第発表いたします

☆レインボー・アクション Xラウンジによる関連イベントも合わせて実施します!

「性自認ってなに??いろんな性自認の人の話を聞いてみよう!」

●日時 2014年5月4日(日・祝)18:30〜20:30(18:00開場)
●会場 都内公共施設(お申し込みの方にお知らせします)
●資料代 500円

◎詳細はこちらからご確認ください◎
http://rainbowaction.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

関連イベントのみ、定員制のため、事前の申し込みが必要です。
参加ご希望の方は、rainbowaction.xlounge@gmail.comまでご連絡をいただければと思います。


(本映像祭は株式会社ラッシュジャパンのLUSH JAPANチャリティバンクによる助成を受けて実施されます)
--------------- ここまで ---------------
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04-11,2014
非当事者であること/ルポ京都朝鮮学校襲撃事件を読んで
「ルポ京都朝鮮学校襲撃事件」って本を読んだ。

図書館で借りてきた本だったので、期日前に読まなければいけなかったのだが、最初の一週間ほどは読むのがつらくて最初の一章だけ読んで、ほとんど放置していた状態だった。けれど、それでは期限が来てしまう。意を決して続きを読んだ。苦しかった。何度も泣きそうになった。いや、実際涙が流れた。けれど不思議と「続きが読みたい」って思わせるような本だったので、残りは2日ほどで読めた。

んーなんて言えばいいんだろう。「差別を受けるってこういうことなのか」って改めて思わせられる本だった。この本には差別を受けた人の心理状況がどうなっていくかが丁寧に書かれている。それは「いじめを受けた子どもの心理」だったり「DVを受けている人の心理」だったりに、ものすごく似ていると思ったりする。過去にいじめにせよ、DVにせよ、被害者の心理状態を綴った本を読んだり、テレビを見たことがある。だから「差別を受ける」ってことはどういうことかについて、これが初めて読む本じゃない。初めてじゃなかったんだけど、大きな衝撃を受けた。もちろんだからといって、わたしは特に「朝鮮学校が受けた差別はいじめやDV被害と比べてもひどい」って言うつもりは全くない。わたしはこれらを比べるつもりはない。ただ「心理状態が似ている」って思っただけだ。

そしてこのような朝鮮人差別は今に始まったことではない、というか、昔からずっとずっとあって、戦争が終わってからもあって、そして恥ずかしいことに今も続いている。そう、これは恥なのだ。政府や警察、裁判所、文科省、国のすべてが朝鮮人差別をしている。国民の大半はそれを黙って見ている。一部の国民は直接朝鮮人差別をする。これが恥じゃなくて一体何が恥なのか。

人間には本能として「誰かを差別したい」って気持を持っていると思う。わたしにだってある。わたしだって「人を差別してはいけない」ってこういう場所で書くけどさ、実際はしてると思うよ(笑)人の心なんて裏では何を考えてるか分かんないよ(笑)黒くてドロドロしたものが自分の中にあることをわたしは自分で知っているし、そういうものを持っていることについてはいけないことだとは思わない。でもわたしはそれを絶対に表には出さないでおこうと思っている。表に出さないことが「自分のプライド」だと思っているから。まぁこの「プライド」に対してもいろいろあるのだけれど、まぁそれは自分が書きたくないことなんで書かない(笑)

だから「差別はしてはいけない」と書いても、実際は「差別は自分の表に出すな」ってことだと思ってるんだよね。

あ、差別をすることと人を嫌いになるってことは違うことだと思っている。自慢じゃないが、わたしには嫌いな人がたくさんいる。今、現在でもね。わたしは人を好きになることは滅多にないが、嫌いになることはものすごくたくさんある。よく「好き嫌いが激しい」っていうけど、わたしは好きがなくて「嫌いが激しい」人間だ。そして「嫌いな人と嫌いあう」ってことは「好きな人と好きあう」ってことよりも嬉しいって思ってる。中学生の時にクラスですごく嫌いな人がいて、向こうもわたしのことが嫌いみたいだったので、とても嬉しかった。今でもその人の名前と顔を覚えてるくらいだから、嫌いあってたことがよほど嬉しかったのかしらね。ただ、それはあくまで「個人対個人」のことだ。誰かを味方に付けて「一緒にあの人を嫌いあおうよ」と誘ったりはしない。人の好き嫌いなんて、極めて個人的なものだからだ。

差別と嫌いの違いって、「人間としての尊厳を傷つけるか否か」ってことじゃないかって思う。「人間としての尊厳」、まぁ別に「人間としての」って付けなくてもいいかなとは思うんだけど、「自分が自分であること」というのが尊厳なのかなあ。そして「自分であること」は決して「変えられない属性」じゃないと思うの。以前「自分で変えられない属性について差別するのは止めましょう」ってツイートがどこからか流れてきたときにわたし、「だったら変えられる属性について差別するのはいいのかなあ?」って思ったんだよね。自分で変えられない属性ってのは、人種だったり民族だったり性的指向だったりするわけだよね。じゃあ、変えられる属性って何だろう?って思ったんだけど、例えばね、人間が太ってるとか痩せてるとか、そういうのかな?って思ったんだよね。まぁいくら食べても太らない人は属性が変えられないかも知れないが、太ってる人は食べるの制限したら痩せられるでしょ。でもさ、太ってる人に「デブ」って言ったら言われた方は傷つくよね。それってゲイが「ホモ」って言われて馬鹿にされて傷つくのと同じだと思うの。そこに「変えられる属性」と「変えられない属性」の違いはないよね?それにさ、今や性別だって変えられるわけだよ?性別が変えられるから女を差別していいってことにはならないよね。

だからさ、結局さ、どういうことでも、変えられる属性でも変えられない属性でも、それについて差別することを表に出してはならないのだとわたしは思う。

なんかいつも感想を書くつもりが、話が変な方向に飛んじゃうんだけど(苦笑)

この本、よくできてて「ルポ」っていいつつ、いろいろな登場人物の過去の話とかうまく絡み合っててね。でもわたし、人の名前を覚えるのが苦手でね。日本の名字とか名前はそれでもあまり忘れないんだけど、不思議なことに名前が漢字でも横に朝鮮読みのフリガナが振ってあると途端に覚えられなくなる(笑)なので、取り敢えず申し訳ないんだけど勝手に漢字を「日本語読み」させてもらっている、この手の本は、、そして何度も登場人物が出たり入ったりするんだけど、これがね~。「あれ、この人誰だっけ?」って思うのよ、毎回。特に朝鮮の人は「金」って名前の人が多いもんですごく戸惑う、、まぁ半分くらい読んだら「ああ、この人だったよね」って思い出すけどさ。

しかし登場人物の過去の話などを読むと、本当に日本は昔から国を挙げて朝鮮人差別してたんだなと思うし、在日の人はこんな誰も味方がいない中でよくここまでやってこられたなあって思う。周りに味方がいなかったから、結束力が強いのだろうし、身内意識も強いのだろう。

わたしさ、この「結束力」や「身内意識」を目の前にすると、ああ、わたしはどんなに仲間に入りたくても仲間になれないなって思って寂しい気持ちがするの。それはわたしは決して「当事者」にはなれないってこと。前はそれが理解できなかった。なんとか一生懸命努力して認められたら「当事者」の仲間入りができるかなって思ってた。けど、逆に考えてね。アライ(=性的少数者を支持したり支援したりする多数者)が当事者になれるかというと、それは絶対に無理だから。第一、差別されて差別される気持ちは痛いほどに分かっても、それは自分に突き刺さってこない。差別されて身を引き裂かれるようなつらさは当事者じゃないと絶対に分からない。だから「所詮、シスヘテ(=シスジェンダーヘテロセクシャルのこと。シスジェンダーとは身体と自分が考えている性別が一致している人のこと、ヘテロセクシャルは異性が好きになる人のこと。要するに世間一般の人のこと)はシスヘテだよね」って心の底で思っちゃう。結局のところ、それなのだ。いくら、わたしが朝鮮の人に理解を示そうと、わたしは彼らにとって「差別する側の人間」なのだ。そういう危険性を持っている人間を身内扱いなど絶対にできないだろう。

でも。ってわたしは思う。非当事者なら、非当事者にしかできないことがあるのではないかと。それがね、この本には結構書いてあるのよ。ヒントがいろいろ。そういう意味ではこの本はとてもわたしの役に立ったし、今後、わたしは自分自身どうしていけばいいのかが少しだけ分かったような気がしている。

「当事者」と「非当事者」っていうのはね、いろんな場面でわたしの中に出てきて考えさせられる。わたしは「性的少数者当事者」だけど、非当事者であるものの方が圧倒的に多い。当たり前だけど。例えばさ、「凶悪犯罪被害者」について、わたしは非当事者だ。「自死遺族」についても非当事者だ。「北朝鮮拉致問題」に対しても非当事者だ。世の中の、ほとんどのことに対して、わたしは「非当事者」だ。

だからね、わたしは「非当事者」であることを貫きたいと思う。物事の、一つ一つによって自分の思いから立ち位置が変わってくると思うんだけど、一つ一つのものに対して「どういう角度で物事に向かうか」というのを意識的にやっていきたい。

世間は一般に「当事者(被害者)の気持ちになって」考えがちだ。例えば凶悪犯罪で重罰化をして欲しい、という被害者や関係者がいる。死刑制度存続を訴えたり、加害者を死刑にして欲しいと考える人たちもいる。それはそれでいいし、そういう思いは止められないと思う。けど、被害者や関係者以外の「非当事者」まで「同じ」になることはないと思う。非当事者は、非当事者であるからこそ、「加害者の犯罪に至った境遇、同じ事件を起こさないためにも社会をどう変えていったらいいのか」や「死刑制度があっても犯罪の抑止にはならないこと、であれば、どのようにしたら犯罪が減るのか」など、様々な視点からアプローチすることができる。もちろん中には被害者に寄り添う人もいるだろう。非当事者に課せられた使命は、長期的な展望で「どうやったら悲しむ人が減るのか、生きづらい人が減るのか、多くの人が住みやすい世界になるのか」を考えることだと思う。

それは「北朝鮮拉致問題」でも同じでね。っていうか、在日の人は「加害者」でもなんでもないんだから、攻撃する先が間違ってると思うけど、あんまりにも被害者寄りの人が多いと思うのよ。非当事者として何ができるか、この問題に関しては非常に難しいと思う。基本、国と国の問題だし。だけどさ、だからといって、在日の人を責めるのは間違ってる。もちろん彼らの中には北朝鮮を支持する人がいるだろう。けど、それはね、今までいろんな政治的な事情に翻弄されてきたっていうのがあるわけなんだよね。人の心っていうのは、そう簡単にすぐには変わるもんじゃない。もちろんわたしはその気持ちを「変えるべきだ」とは思わない。それは個人の自由だもの。ただ、誰が見ても国による拉致はいけないことだよね。それは多分、分かってると思うし、だからこそ複雑な思いを抱いている人もきっと多いんじゃないかと想像する。そういう気持ちは全く無視して、ただ拉致被害者とその周辺の人のことしか考えてなくて、在日の人を非難中傷していいものなんだろうか?

非当事者というのは、当事者じゃないから双方の気持ちや状況を考えることができるんだよね。それはきっと非当事者「特権」なんだろうと思う(笑)

こういうことを言うとね、すぐに「自分が被害者になったらどうするんだ」とか「被害者の気持ちを考えろ」って言う人がいるんだよね。それはね、被害者になったときに考えるよ。もちろん、今のわたしとは全く整合性が取れない考えになるかも知れない。だけどそれはそれでいいじゃないと思う。当事者になって、当事者でなければ分からない苦しみや痛みを持ったときに、わたしがどう考えるかは、今のわたしじゃ分かるわけがない。加害者が憎くて憎くて「死刑にして欲しい」って考えるかも知れない。でもそうじゃないかも知れない。それはそのときになってみないと分からないことだ。

少なくとも、今の「非当事者」としてのわたしは、非当事者のうちに非当事者の立場でやっていきたいって思ってる。もちろんできる範囲のことでしかやれないけどね。

また本の話に戻るけどねー。わたし、一番グッと来たのが「裁判を起こすかどうかの話し合い」のところだった。わたし、もっともっと軽く考えてた。そういう意味では「裁判所は公正だ」って思ってたの。もちろん、いろいろな思惑があって裁判所が公正じゃないことは知っていたが、でもまだどこかでそういうものに対しての「信頼」があったんだよね。でもさぁ、そこでも国を始めいろいろな人に痛めつけられた人たちは、躊躇してしまうんだよね。「そうなのか」って思ってちょっとショックだった。そして前に書いたけど今、朝鮮学校無償化排除問題で、全国で何ヶ所か、裁判を起こしている学校や生徒たちがいる。その裁判を起こすときも、こういう悩みや苦しみがあったんだろうなと推測される。わたしはあのとき「生徒が痛々しい」って書いたけれど、そして本当にそう思ったのだけれど、そういうのは通り越してるんだ、そう思ったらショックだったし、涙が出て来て仕方がなかった。だって理不尽なんだもの!どう考えても理不尽じゃん。国もそこに住んでる国民も誰も味方してくれないんだよ。味方どころか国を挙げて自分たちを攻撃してくるんだよ。わたしはなんで無条件に人が差別されている土地に平然と暮らしているの?誰かが傷つけられてて、それをどうして黙っていられるのか。

こういうこと書いてると「朝鮮人に味方する反日」とか「嫌なら日本を出て行け」とか思ってる人もいると思う。正直、わたしは「国」という枠組みは好きじゃない。「国」という枠組みがあるせいで、わたしたちは「国」からいろんなことを管理され、抑圧される。だから「国」という概念なんて滅びてなくなれって気持ちもある(かといって、アナーキストと言ったら全然違うのだが。。っていうかそこまで深くは考えていない)。しかしね、今現在「国」という枠組みがある以上、「こういう国でありたい」「こういう国であったらいいな」っていうのをわたしは持っている。今の日本はそれからどんどん外れて行ってるの!国はそこに住む人々のためにあるものであって、決して国があるから人々がいるわけじゃない。わたしは人々に寛容な社会であって欲しいと思う。人権が護られる国であって欲しいと思う。それは引いては「わたしが住みやすい社会」に繋がっているから。わたしが「こういう国になって欲しい」という要求は、それはやっぱりこの国が好きになりたいんだという思いがあるからだと思う。今の世の中が嫌いだからと言って、すぐ出ていくか、出ていかないかと考えるのは、わたしはよく分からない。好ましくない状態だからこそ、好ましい状態にしたい。ただそれだけだ。

この本ね、読んでて2箇所違和感があった。

1回目、学校が襲撃されたあとにバザーをやるんだけど、やった後にね、近隣住民に挨拶に行ったときにこう言われるの。

応対した(マンションの)副会長の対応は違っていた。大人たちのマナーの悪さを指摘しつつ、彼は言った。「ここのマンションは鴨川沿いで景観が良い、環境が良いということで入居してくる。新興住宅地のような感覚で入ってくる新しい人たちは、在日が多い地域だとか、歴史的経緯とか何の予備知識もない。だからこの公園や学校の様子を見てびっくりして反応してしまうのもやむを得ない側面もある。誤解、偏見から悪感情を持ってしまうところもある」。そして付け加えた。「努力せなアカンで」(51p)


終了後、地域に挨拶に回った。「行ってもいいのものかアカンものか分からなかったけど、『やっぱり行かなアカンやろ』って、二、三人で組んで、一組二、三ヶ所を回った」という。すると地域住民の何人かはバザーにも来て、物品を購入していた。ある年配の女性にこう言われた。「こんなんやったら全然問題ないんや。アンタら大人がちゃんとせなアカンねん。子どもらはきちんと挨拶するええ子ばかりやで」
 一緒にいたオモニ数人で思わず声を出して泣いた。「(略)でも会ってみると、何のことはない同じ人間だったんですよね。同じように、人間として、同じ目線で、年長者として私たちを諭してくれたのがうれしくて。私たち、何か自分たちを一段下のところで考えてしまってたのかなって。学校の問題だけじゃないと思う。在日ってどこか根無し草みたいなところがあるから。ほっとしたら涙が出た」(51p-52p)

読んで「えっ!?」っと思ったのね。これを書いた人でさえ、どうやらこの住民たちの発言を好意的に受け取っているようだ。でもさ、この本を読むと本当に朝鮮学校の教師を始め、保護者たちは近隣住民に対して理解を求めようといろんな努力してるのね、ずっとずっともう何十年も。もうそれは涙ぐましいほどで。なのにまだ「努力しなきゃならないの?」。わたしさぁ、これ読んで本当に腹立たしかったんだよね。歴史的経緯とか予備知識がないのは、それは誰の責任だよと。性的少数者のことでもさ、マジョリティは「知らないのが当たり前。教えられるのが当たり前」って思ってる人がいるけど、そんなん冗談じゃないよ!ちゃんと本読めよ!たくさん出てるよ!!知らないことを恥と思えよ!「分からないので教えて下さい」っていう気持ちで教えてもらえよ!もう、こういう「マジョリティの横暴さ」が嫌でさ。まぁ言われた在日の人たちの反応を責める気はなくて、本当によくやってるなと思うんだけど、こういうね、近隣住民の「横暴な」発言。さも「認めてやった」と言わんばかりの発言。わたしすごーく腹立った。

あと2箇所ほど気になるところがあった。それは金尚均さんのところで

金尚均も彼のパートナーも

って書いてあるのが2箇所ほどあるのよ(1箇所は39p、もう1箇所は63p。)。

これさぁ。ドキッとしたよ。「えっ、彼はゲイなの?」って。「パートナー」っていう言葉はわたし、どうしても「同性パートナー」に結びつけて考えてしまうところがある。そういうところに「ゲイダー」がピピピッと働く。まぁこんなのはゲイダーとは言わないかも知れないけどさ(笑)だけどね、続きを読むと彼には4人も子どもがいることが分かるの。ああ、なんだ、ノンケさんね。。(ふっ)みたいな(爆)

でもね、この本、他の人の夫婦関係のときに「パートナー」という言葉は使ってないのだ。しかも1箇所だけじゃなく2箇所ともなると、この金さんは取材を受けるときに「ここ、こういう風に書いて」って著者に注文付けたんじゃないだろうかって想像したりする。となると、金さんがこういうところの表現に気を配ってるってことは、例えばジェンダーの問題なんかにも気を配ってる人なんじゃないかと推測する。

それからねえ、1箇所、誤植を見つけた。

「朝鮮人が井戸に妻を入れた」(76p)

これさぁ、見つけたときに思わず不謹慎だったけど、笑っちゃいました。妻じゃないよね。これさぁ~、なんでこうなっちゃったんだろうね。字が似てるからかな?なんにせよ、次の版が印刷されるなら、改めておいた方がいいんじゃないかなと思います。

結局のところ、この事件に対しては裁判が行われ、一審では勝訴したものの、裁判所は「民族教育権」について全く触れなかったというところに、もうなんていうかね、国の機関の汚さを感じるというか(これを認めると後の「朝鮮学校無償化排除裁判」に不利になると予想される)この期に及んでまだ朝鮮人差別するのかって思って情けなかった。それに「ヘイトスピーチ」を犯罪とすると表現の自由と絡んでくるそうだ。もしそういう法律ができたとしても国に逆手にとられて「正統な批判」が犯罪になってしまう恐れがある、と。確かにそうだよね。でもだったらさ、ヘイトスピーチを犯罪にするんじゃなくて、わたしが前に書いたように「人種差別禁止法」の制定を目指すのはどうだろうかと思ったりする。もちろんこれでは性的少数者に対するヘイトスピーチは取り締まれないことになるけれど、でも、正直、わたしは今、一番問題なのは「外国人に対する差別」だと思っているから。もうずっとずっと100年くらい続いた(日韓併合が1910年だからね)朝鮮人に対する差別、もうこんなこと止めようよ。本当に切に切に願う。
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04-09,2014
春が来た
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今年も春が来た。

てか、もう街のソメイヨシノは散っちゃったかも知れないけど、うちの桜は満開だ。ついでにわたしが植えたんじゃないが、毎年咲くらしいチューリップも咲いた。去年は咲いた途端に強い風が吹いて、すぐに花びらが散ってしまったんだよね。だから、今年は長持ちして欲しいんだけど。。

今年は珍しく、ソメイヨシノが満開の時に、花見を数回やった。花見と言っても散歩がてらとか病院帰りとかに桜が沢山咲いているところに行って花を見てきただけなんだけどね。改めて、日本は(日本と言っては大げさかも知れないが、少なくとも東京は)桜がこんなに大量に植えてある国なんだなあって思った。

なんかね、今年は桜を見ながら「この光景をよく目に焼き付けておこう」って思ったのね。「例えば、この桜がわたしにとって最後の桜になるかも知れないけど、この光景を覚えておいたら別にいいよね」って。いや、別に自分がすぐに死んだりはしないと思うけどさ(笑)、でももし最後だとしても別に悔いはないよねって。あ、いや、別にだからといって死にたいとかそんなんじゃないよ。いや、違うか。まぁ絶えずすぐにでも死にたいとは思ってますけどね(笑)、でも別に死ななくったっていいんだけど、なんかそういう気持ちで日々生きていくのがいいのかなって、最近なんかそんなことを思っている。

「精神状態あんまりよくないんじゃないか」って思われるかも知れないけど、特に悪いわけでもなく。

ただ、わたしは4月が嫌いだ。中学の時から、4月は組替えがあって、人見知りなわたしはそれが苦痛でたまらなかった。2学期が終わる頃になんとなくクラスに溶け込めて、3学期は天国みたいに感じるのに、また4月になると組替えがあって地獄に突き落とされる。これの繰り返しだった。「なんで毎年組替えがあるんだろ」ってずっと思ってた。これは社会人になっても同じだった。4月は異動の時期で、前年と同じメンバーなんてことはまずない。中高生のときみたいにクラスに知らない人が大半ってことはなかったけど、なんとなくやりづらかった。

そういうのを毎年毎年繰り返すたびに4月が嫌いになっていった。今はどこも属してないから、そういうのとは関係がないはずなのに、世間が4月ってだけでなんか嫌な気分になる。世間的には「新生活でわくわく」ムードなんだろうけど、わたしはそれが不安な気持ちに翻訳されてしまう。条件反射ってやつだ。

まぁそういうのは、蓋して通りすぎるのを待つのみなのかな。
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04-07,2014
マウスピース作った
一旦、書きかけたブログが飛んでしまい、同じ内容のものを書くのが苦痛だったのでちょっと放置してた。しかし、もう一回、同じことを書くという行為がなぜこんなに苦痛なのか、、同じものは二度と書けないからってことなのかな。

ええと、マウスピースを作ったというか、3月末の歯科受診のとき「今のままだと苦痛で耐えられない。マウスピースを作って欲しい」と言ったのだけれど。

今のわたしの歯科受診は半年に一度。行ってわたしの歯の苦痛を話すだけ。治療方法がないから向こうは話を聞くだけ。それでなぜかわたしの方がお金を取られる。カウンセリングじゃないからっていうか、カウンセリングで苦痛が取れたらすごいと思うけど、もちろん話をしただけでは全くすっきりすることもない。苦痛を話してどうこうってことじゃないのだ、この症状は。なのにお金を払う。なんだかな~って毎回思っている。なのでもう医者通いはいいかなって思ってるんだけど、向こうがなんだかんだ言って引き留めるのだ。ってことで、ここ1年半くらいは半年に1度の受診になっている。

マウスピースの話は、前に一度したことがあって、でもそのときは作ってくれなかった。その理由はよく分からないけど、作ったとしてさして効果がないってことだったと思う。だけどわたしはあのとき無理矢理にでも苦痛を訴えて作ってもらえばよかったと思っている。だって結局マウスピース、作ることになったんだもん。わたしの場合、上の歯と下の歯を噛み合わせると、歯が溶けたように感じられ、そこからぶにぶにした味の付いた(酸っぱい!)冷たいものが口の中にどろ~っと出てくるような感じがする。それはもう寝てる間もそうだし、起きてる間はもちろんそうだし、1日24時間、感覚が変わることはない。せめて味さえ付いてなくて、普通の唾液みたいだったらいいのにって思うんだけど、もう、口の中に溶けてなくなることはない酸っぱくてまずい飴を舐めているような感覚なのだ。これがずっと続くんだから、本当に不快で気が狂いそうだ。

とにかく、歯と歯を合わせたくないんだけど、出てくるぶにぶにしたものが気になってつい、歯と歯を合わせてしまう。本能的にそのぶにぶにしたものを取り去りたいがために絶えず歯と歯を噛み合わせて舌で舐めている。そうすると他のことに全く集中できない。本を読んでてもテレビを見てても何をしても絶えず口の中が気になる。口の中に半分集中力を取られながら、いつも何かやっている(例えば今だってブログを書いている)。これでは何かに本気を出したくても、全然集中ができないから、いつも何かに気を取られたような気がして不完全な感じがするか、いつも以上にもっと集中しないと集中できないので極度に疲れる。

多分ね~、この病気にかかる前は、普段でも上の歯と下の歯はそんなに合わせてなかったんじゃないかって思うのよ。唾液もこんなに気になったことはあまりないし。なのに、ぶにゅぶにゅ出てくるもののせいで、それが気になって気になって仕方がない。つい、上の歯と下の歯を合わせてしまう。そして多分これも半分歯が溶けたように感じられるのでよく分からないんだけど、きっと普通の状態だったらきつく噛んだりしてるんじゃないかって思ったりする。だって、わたしそれで頻繁に頭が痛くなるんだよね。顎が疲れるまでは感じないのだけれど。あと口の中がとても狭くなったように感じる。なんというか、いつも口をぎゅっとつむった状態だから、口の中の頬の肉にシワが寄ってしまって取れないんだよね~。だからやっぱり今の状態って不自然なんだと思う。だけど意識して自然な状態ってできないもんで。というか、最早自然な状態がなんだったか分からないもんで。

上の歯と下の歯が物理的に合わない状態にしたらぶにぶにしたものが出て来なくなるんじゃないかと思って、それでティッシュを噛んだり、アイスクリームの平たい棒を細かく切ったものを右の歯と左の歯に2箇所入れてそれを噛んだりしたこともあった。でもね~、ティッシュはすぐに唾液でベタベタしてくるし、アイスクリームの棒は噛んでないと外れちゃうんだよね。ティッシュにしてもアイスクリームの棒にしても外れるから、結局いつも歯と歯を噛み合わせてないとダメなんだよね。絶えず歯と歯を噛み締めてるのも案外疲れるのだ。それにこれだと結局やっぱり口の中が気になって仕方がない。

ってわけで、今回、主治医には「このままだとつらい」ってことを強調して、だから「マウスピースが作りたい」と言ったのだが、前回は「うーん」って言ったくせに、今回は「是非作りましょう!」ってすぐに言われて「えっ、えっ?」ってなったのだが。。まぁだけど主治医によると、ティッシュ噛んだりアイスの棒噛んだりする人は結構いるみたいで。「あー、みんな考えることが同じだよな」って思った。だいたい身近な材料ってそれくらいしかないよね。で「マウスピースはアイスの棒よりちょっとマシ程度ですけどね」って言われた。うん、分かってる。もう元通りに戻るなんて期待しちゃいないし、思ってもいない。でも「ちょっとマシ」になるだけでも、全然違う。とにかく歯と歯を噛み合わせない方法が欲しい。そうすれば、ぶにぶにしたものがなくなるし、変な味の付いたものを飲み込まなくても済む。もうわたしのこれは、治療方法がない。治らないと諦めている。けど、それなら対症療法でどうにかして気にならない方法はないか。もう、そういう考えで行くしかない。

ってわけで、その日歯型を取ったのだけれど。はー、しんどかった。ちなみに上の歯だけね。

それから一週間後。歯科に行った。マウスピースはできあがってて、あとは少し調整するのみってことだった。

できたマウスピースは透明で固く薄いプラスチックのものだった。「喉は強い方ですか?」と言われ「いえ、弱い方です」と答えたのだが、、マウスピースを付けるとオエッとなってしまったので、端っこをちょっと削ってくれた。あんまり削りすぎると強度が足りなくなって割れるとのことで、本当にちょっとだけ削ったので、最初と大して差はないと思った。あとはマウスピースについての説明をちょこっとされたかな。「付けたままご飯は食べない方がいいです」と言われたが、正直、これを付けたままご飯って食べられるんだろうか。。わたしは絶対に無理。付けたままだとご飯が飲み込めずにオエッとなる、多分。。それに、わたしはご飯を食べてるときはあんまり歯が気にならないんだよね。歯と歯だけを合わせると、歯が溶けている感じに思えるのに、ご飯を食べたときだけはそうは思わないの。なので「マウスピース付けたままご飯は食べません」って答えたのだけど。

ちなみにこのマウスピースは保険が効いて5000円弱くらいだと思う。その日の診察料含めて5000円ちょっとだったので。

マウスピースができてから、今日で約一週間くらい?主治医に「アイスの棒よりちょっとマシ程度」って言われたんだけど、まぁ当たらずとも遠からずって感じかな。確かにぶにょぶにょしたものは歯と歯が合わさってないから出てこない。それはすごい楽。でも、なんか唾液は相変わらず味があるんだよね。口の中に入ってるプラスチックの板はまるで溶けないあめ玉を舐めているようだし。あと、上の歯と下の歯を噛み合わせると噛み合わなくてとても変な感じ。あのね~、本当はわたし、上の歯と下の歯を噛み合わせて落ち着きたいんだよね。それがこれだとちょっと無理って感じ。マウスピースって上の歯と下の歯を噛み合わせることができるヤツってないのかな。

わたしが考えて「これが楽そう」って思うのは、マウスピースとは呼ばないかも知れないが、塩ビかなにかのちょっと柔らかい素材で歯の半分くらい被せるもの、なんだけど、こういうのってどうやったら作れるのかなあ~って思う。わたしの場合、前側の歯は合わせてもぶにぶにしたものが出てこなくって、奥歯がそうなので、奥歯だけ被せるものがあったらなって思ったりする。誰かわたしと共同開発してくれないかな~って思うけど、でもそんなん開発しても需要がないよね、、

まだちょっとねー、マウスピースの圧迫感はある。だから、マウスピースを入れてはしゃべりにくい。すぐにオエッとなってしまう。まぁマウスピースって多分、付けたまま生活することを想定されてないよね。いろいろぐぐって調べてみたんだけど、ほとんどは寝てる間に使えってことになってるようだし。これって慣れるのかな。よく分かんない。

ただ、本当にティッシュとかアイスの棒よりはマシな感じはする。

ちなみに知らなかったんだけど、マウスピースは使ってるうちに亀裂が入ったり、擦り切れて穴が空いたりするらしい。消耗品なのね、これ。

まぁ一件落着じゃないけど、これでちょっとは集中できるようになって欲しい。。歯のことばかり気になるのは本当につらい。

取り敢えずまた半年後に再受診。
17:42 | 病名が分かった後のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
03-28,2014
好きになる性別はどこで決まるのか
昨日、駅のホームで電車を待ってたら、わたしの少し前に髪の毛が短くて、ちょっと金髪で背が高くて細身の女の人がいた。顔は見えなかったけど、ちょっとわたしの好みだったので(笑)、ドキドキしつつ、電車に乗ってその人に近づいてみた。

。。。見たら男性だった。中性っぽい顔つきをしてたけど、のど仏が出てた。

その途端「なーんだ、男だったのか」と思い、ドキドキした気持ちが思いっきり失望感に変わった。

「あー、わたし、性別で人を判断してるんだなあ」ってそのとき思った。

よく「わたしは同性愛者を受け入れてます」って人の中で、同性愛を肯定するつもりで

「愛に性別は関係ない」

っていう人がいるんだよね。

違います!同性愛者の好きになる相手は性別が決まってます!同性愛者は選んで同性が好きになります!異性は選びません。だから同性愛者の愛は性別が大いに関係があります!

その点、選んで異性を好きになる人と、対象は違うけれど同じなんだよね。性別が関係なく好きになる人は、一般的にはバイセクシャルか、パンセクシャルの人ってことだろう(デミセクシャルとかポリセクシャルも該当するっちゃ該当するかも知れないけど、中には該当しない人もいるから、まぁ一般的にはバイセクシャルかパンセクシャルってことになるんじゃないでしょうかと思う)。

だけどね。じゃあ「好きになる女性」ってなんなんだろ?と思うわけですよ。

「女性」って一体どういう人のことを指すのと。

わたしは、電車の中で見た人を女性だと思ったときはドキドキして見て、男性だと思った途端落胆した。同じ人なのに。でも、じゃあ女性の何にドキドキし、男性の何に落胆したのか。それを考えると結構難しいんだよね~。

人の性別は何によって決まるかというと、染色体、性ホルモン、性分泌、外性器、内性器、だったっけ、、でもどうやってその人が男性か女性かが決まるかというと、生まれたときの外性器の見た目、だ。人は生まれたとき、医師が外性器を見てそして男性か女性かが決まる。その男性とか女性ってのは、あくまでも「戸籍上」ということだ。しかも細かいことを言うと戸籍には性別は書いてない。書いてあるのはあくまでも「親との関係」だ。

ただ、日本では戸籍上の性別が、本人の社会的な性別になっている。生物学上の男性、女性とは言うなれば、外性器しか一致していない。もちろん中には外性器で判断がつかない場合もあるわけだけど。

外性器が男性だからと言って、内性器まで男性とも限らない。逆もしかり。性染色体がXYだから男性でXXだから女性とも限らない。そう考えると、何が男性で何が女性なのか、わたしは本当に性染色体も性ホルモンも性腺も外性器も内性器も全部女性じゃないと女性として好きにならないのか、と言われると、自信がない。

だいたい、わたし自身の性染色体なども正直、調べたことがないので分からないのだ。わたしが本当に完全に女性かというと、調べてないので分からない、というのが本当だ。なのにわたしは自分のことを女性だと思っている。もし、わたしが女性かどうかを調べて、もし、肉体的に完全な女性ではない、という結果が出たとしても、わたしは自分のことが女性であるとしか思えない。多分、この世界で生きてる人の大半がわたしと同じだろう。

とすると、わたしが自分のことを「女性である」と思っていることは、全く根拠がないことになる。たまたまわたしの肉体の一部は女性だと思うが、それだけを根拠に「女です」とは言えない。だから性別は「頭の中のもの」に過ぎない、というのが、今のところのわたしの結論だ。

でもね。「好きになる性別」は違うのだ。「頭の中が女性」という人だったらどんな人でも好きになるかというと、実はわたしはそうではない。肉体が女性じゃないと好きにならない。肉体が女性だったら、性染色体がXYでもいいかと言われると、そこはよく分からない。じゃあXXYだったらと言われるとそれもよく分からない。だけど一度でも男ジェンダーで育てられた人はちょっと嫌だなあって思ったりもする。もちろん、身体が女性でも男ジェンダーの人は好きにはならない(と思う)。すると、性別だけじゃなく、ジェンダーも関係あるのかよってことになる。

「性別は頭の中のもの」と言いながら、好きになる相手の性別は「頭の中のもの」だけじゃなく、身体やジェンダーが関係してくる。それはちょっと公平じゃないんじゃないの?って思うのだが、こればっかりは仕方がないんだよね、、

異性愛者の人も「自分が好きになる異性とは何か?」を考えてみるのも面白いんじゃないかと思う。中には「頭の中が自分と異性だったら、身体はどっちでもいい」って人もいると思うし。というか、実際いるしね。まぁそこのところの許容範囲(と言えばいいのか?)は女性の方が広いような気はするけれども。
22:57 | (性的少数者)自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-25,2014
3月は別れの季節
昨日は精神科通院と、あと半年ぶりの歯科受診の日だった。

精神科は主治医とはこれが最後。お薬手帳によれば2011年4月からの付き合いだから、丸3年間お世話になったことになる。最初、この主治医に変わったときはなんかとても頼りなく思えていらいらしたこともあったんだけど、思えばそれは、患者の意志を尊重してるってことなのかなと思う。ただ、状態が悪くて決断できないときに「この薬はどうですか」とは聞かないでよって思ったりもまだしてるけどね、、状態が悪いときは「この薬が○○さんにとっていいと思います」って言って処方して欲しいって思ってる。こっちは藁をもすがる思いなんだから、、

だけど、この主治医は話はよく聞いてくれる人で、わたし、大学病院の精神科って3分治療だと思ってたんだけど(過去、でかい病院(not 大学病院)に行かされたときがあって、そこでは医者自らが「うちは3分治療ですよ」って言ってて、本当にその通りの3分治療だった。わたしはそれで悪化して入院した)主治医は長いときは30分も話を聞いてくれたことがある。大抵は15分くらいなのだが、それでも同じ病院の他の医者に比べるとかなり時間は長い方だと思う(患者を呼び出す声で誰は診察時間が短いとかすぐ分かる)。予約診療だが、1人に時間がかかるので時間がすごくずれこむこともあったけど、まあ自分の話もたくさん聞いてもらってるし、他の患者さんも具合が悪いときはたくさんしゃべることがあるよねと思って、あんまり気にしなかった。というか、わたしが病院に行くのはだいたい昼前後なのだが、「主治医、昼ご飯食べてないよね?」って思うこともしばしばだった。

昨日の診察は、最近わたしが調子がいいこともあって和やかムードだった。

身体が痛いところや調子の悪いところはまだ残ってはいるが、それでも今月中頃からは睡眠剤を飲まなくても眠れるし、それに朝起きるのも以前と比べると早くなったし、なにより前は全く朝はお腹空かなくて、ひどいときはコーヒー1杯で十分だったところが、最近はなんと朝起きるとお腹が空いているのだ。少し前に比べると信じられないほどいい方向に進んでいる。

主治医はわたしが「最近はやりたいことがやれる」と言ったら「躁状態」に入ったのではないかと少し心配していたようだったが、いや、体調自体がいいんですと上のような説明をしたら、納得したようだった。躁状態だったら、夜は眠れないもんね。っていうか、双極性II型の躁状態ってどういう状態なのかはよく知らないが。てか、わたしはII型なの?確か自立支援の診断名に「双極性」とは書いてなかったような気がするけど、、(反復性うつ病だったような気がする)

そんなわけで、わたしは「体調が良いのでジプレキサを0.5mgにして欲しい」と言ったのだが、主治医は「いや、薬が効いてるみたいだからこのままにした方がいいと思います」と言い。ジプレキサを止めたのは確か去年の10月くらいだったかな。12月に入ってから調子が悪くなったのは、主治医は薬を止めたからだと思っている、と言った。しかしわたし自身はそう考えてなくて、季節のせいだと思っている。今、調子がよくなったのも暖かくなったからだと思うと主治医に言った。結局、主治医はわたしの考えを尊重してくれた。まぁまた調子悪くなったら戻せばいいだけの話だしね。

ってわけで、今回は調子がいいからそんなに話すことはないかなと思ってたんだけど、それでも終わって時計を見てみたら15分経ってたのでちょっと驚いた。

歯科受診の話は来週に。結局「つらい、苦しい」って訴えたら、マウスピースを作ることになって、昨日歯型を取って来たんだよね。それができあがるの来週なんで、来週にまとめて報告。

今回の処方。リーマス100mg、ジプレキサ0.5mg(夕食後)、金ハル(頓服10回分)
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03-24,2014
引っ越して1年
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今の家に引っ越してきて1年が過ぎた。

引っ越した当初は、毎日毎日手続きや部屋の片付け、買い物などでヘトヘトだったことを思い出す。あの当時のことを思い出すと、体調は悪くないと思っていたが、新しいことをやるのが不安だったり抵抗感があったりしていたような気がする。けど、性格的にあまり延ばし延ばしやるのが好きではないので、結構無理してやっていた。

4月からいろいろ動いて、無理矢理始めたこともあったが、結局それは続けることができなくて、一旦中断にした。それとともに大学の勉強も中止して本格的に休むことにした。決めたのは確か6月に入ってだったと思う。

それ以来1年近く、結構のんびり過ごしてきた。今は好きなときに本を読んだり、週1回程度だけどボランティアをしたりしている。少し前に「調子がよすぎて不安」と書いたが、最近はそれを感じなくなった。

調子がいいと自然とやりたいことがどんどん出てくる。もちろん、やりたいことを全部やるのはまだ無理だと思って少しずつ動くことにしているが、ちょっとずつ、無理しない範囲でやりたいことをやるようにしている。こないだは庭に「インカのめざめ」というジャガイモの種芋と彼岸花を庭に植えた。

「インカのめざめ」は去年、札幌に行ったときに食べたおいしかったジャガイモだ。「来年は絶対に庭で育てよう」と思ってたのだが、ジャガイモを植えるのはこの時期と知り、それまでずっと待っていたのだ。正直、野菜の栽培をするのは小学生のとき以来で、自分が主体になって植えたことはほとんど経験がない。芋を育てるのは初めてだ。事前にネットでいろいろ植え方などを調べたのだが、たまたまEテレを見てたら「ジャガイモの育て方」をやってたので、それを参考にして植えた。

彼岸花は、わたしが大好きな花で前々から植えたかったものだ。新美南吉の「ごんぎつね」の中に、兵十のお母さんの弔いの場面に彼岸花が出てくる。その情景がものすごくわたしは大好きで、だからずっと彼岸花を植えたいと思っていた。プランターでもよかったのだが、ちょうど庭が付いている家に引っ越せることになって、それだったら庭に植えようと思ったのだ。最初は赤い彼岸花だけにしようかなと思っていたが、いろいろな彼岸花を見るとちょっと他の色の彼岸花も植えたくなって、結局赤い彼岸花を10本、黄色い彼岸花を3本、白い彼岸花を3本、計16本植えた。

庭で土いじりをしていると、なぜか気が休まる。そこに暖かい日差しがあるとさらに今度は気分がよくなってくる。

陽に当たる、というのは不思議なものだ。それまでわたしは大して気分がよくなることはなかったのだが、毎日朝起きて日が照っているととても嬉しくなる。日の差す時間がとても貴重な時間に思える。庭に出る以外のときは、最近は大抵陽が当たる部屋で寝ころんでいるのだけれど、全身にポカポカ陽に当たりながら、ぼけーっと庭を眺めている時間がとても幸せな時間に感じられる。なんとも言えないしみじみとした趣というか、なんか、古文に出てくる文章みたいな感じだけど(笑)、「あーこの時間生きられて幸せだった」って本当に思えるんだから、日光ってどんなに威力のあるものなんだろうって思ってる。だってわたし、2007年に口腔異常感症を患ってから、口の中がずっと気になって気持ち悪くて幸せだなんて思えなかったんだもの。もちろん、日を浴びても口の中の気持ち悪さは全然変わらないが、それでも日を浴びている自分と陽が当たっている庭を眺めることは、ちょっとわたしを「幸せ」な気分にしてくれる。はっきりいって、もうそれで十分じゃん?って思ったりもする(だからといってこの先ずっと生きていきたくなったかというとそれはまた全然別の問題)。

ここに越してきて1年、その大半をわたしは休んできた。でもまだもうちょっと休もうって思ってる。ただ、ちょっとずつ行動範囲を広げていって、そしてそのあと自分の目標に向かって進もうと思っている。気分が落ち込んでいたときは「このままずっとやる気が出ないままだったらどうしよう」って思ってた。けど、調子がよくなると自然とやりたいことが見つかってくる。最近「やる気というのは、出ないときだけ感じるものなんだな」って分かった。やる気が出るときはあんまり「さぁ~、やる気が出たぞ」とは思わない。なんか、自然に行動できてる。だから、やる気がどうとかはあんまり考えないことにした。

うつ病は治る。治るけれども再発率が高い。特にわたしのように3度再発したら、4度目の再発率は90%なんだそうだ。ということは、もうほとんど4度目のうつも確定なのだが、まぁなってしまったら仕方がない。というか、もううつ病のままでいいかな、だけど、今の調子が続くんだったらそんなに悪くはないかなと思っている。あとは歯の状態がもうちょっと気にならない方法があれば言うことがないのだけれど。。

【画像左】インカのめざめを植えたところ
【画像右】彼岸花を植えたところ
00:22 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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