05-24 Tue , 2016
性的マイノリティーと男女共同参画・韓国の場合
20160507 094709


少し前の話だが、5月7日(土)にレインボー・ウィークの一環で「性的マイノリティと男女共同参画・韓国の場合」というイベントがあったので行ってきた。講師はリュ・ミンヒさんという韓国の性的マイノリティ当事者の弁護士さんだった。隣の国の性的少数者のことはずっと知りたかったことだし、それに一昨年、去年と韓国での性的少数者のパレードが反同性愛団体(主にキリスト教保守派の団体)から妨害されている、ソウル市もどちらかというとその動きに同調している、ということはちょっと耳に入ってきて知ってたので、そのような話も聞けるかなと思って期待していたが、期待以上の話が聞けたので、一応情報共有ということでここに書いておく。

パワーポイントを使いながらの発表で、もちろん韓国語での発表(パワーポイントは英語だけど)。それに通訳を介してなので、情報量は単位時間あたりに換算すると日本語で行われるときの半分以下だと思うが、そうとは思えないほどいろいろなことを話された。ちなみに時間は2時間ちょっとで、うち質問時間は30分あったかどうか。

韓国には「SOGI Lawyers」という人たちが4人いるそうで、10年前から活動している。発表ではこの5年間、この人たちがどういう活動をしてきたかをまず話した。ちなみに「SOGI」というのは、「LGBT」に代わる表現方法なのだが、SO = Sexual Orientation(性的指向)、GI = Gender Identity(性自認)を指している。まぁ性的指向、性自認が「ない」人も含め、すべての人を包含する表現ということで(ということは、性的多数者も含むということ)、これはすべての人を対象とする問題だということを表している言葉だとも思うが、「だからなに?」と言われることもなきにしもあらずな表現方法だなあと個人的には思っている。だから「LGBT」がいいかというと、それも違うんだけど。

ちなみに「SOGI」で検索をかけると「葬儀」関係のことも出てくる。月刊「SOGI」という雑誌もあるらしく、最初これを知ったときはどっちの「SOGI」だか分からなかった(^^;

まぁそれはいいとして。この韓国のSOGI Lawyersとしての活動内容は、年に1回報告書を出すこと、他団体と協力して韓国の性的少数者当事者を調査していること。それから当事者弁護士などを集めてのキャンプとか、ここら辺はパワーポイントに書いてあるんだけど、どういう説明してたかは忘れたので具体的な内容はなんだったかよく覚えてない。

現在の韓国の法的な問題として、韓国には国家人権委員会というものがあるんだけど、これは法的拘束力がないので、法的拘束力がある差別禁止法を求めているそうだ。そして韓国では「反同性愛法」みたいなのはないんだけど、軍隊の中にはあるそうで、なので徴兵された人が同性愛者だと、それは性犯罪者になるそうだ。これはもともと米軍の規則か何かから引っ張ってきたそうだが、韓国ではこれがまだ生きているそうで、これについて今、裁判で争っているらしい。既に2回判決が出ていて、来月、3度目の判決が出てくるだろうとのこと。そして当然のことながら(って言っていいかは分からないけど)「同性婚(または同性パートナーシップ)」に関する法律はない。性別変更に対する法律はないが、2006年の判例で性別変更は認められたとのこと。これは日本で少し前に「性同一性障害特例法」ができたことの影響を受けているとのことだった。

次に他団体と協力して調査したという調査内容の発表。ちなみにSOGI Lawyarの年次報告というのはこういうのらしい。今回説明した調査内容は「Key Results of the South Korean LGBTI Community Social Needs Assessment Survey」で検索したら、pdfファイルがダウンロードできるようになってるのでそこで見られる(URLは教えてくれんかった)。

調査対象は主にSNS繋がりだったかで調査したので、30歳代までの人たちでほとんど占められてしまったので、40歳代以降はバーなどに行って直接聴き取りをしたのだとか。それでもこの世代は全体の6.6%くらいしかいなかったので、回答にちょっと比重をかけて重くしている、とのことだった。この発表では「家族には絶対にカミングアウトできない。もし自分のことが家族に知れたら勘当される」とか「コミュニティには頼れない」という当事者の声の紹介、当事者が一体何を求めているかという質問では、差別禁止法を求めている人たちの割合が一番高い、次は同性婚を合法化とか(しかしこれは複数回答可)、カミングアウトはどんな感じでしているかという質問に対しては「一部のみ」「ほとんどしてない」がそれぞれ32.9%、27.6%と過半数を占めること(ちなみに「大部分している」が19.3%、「誰にもしていない」が20.3%)、などが指摘された。

次に国連の人権委員会が韓国に対してどのような勧告をしているかの内容だったが、ざっというと「差別禁止法をがないから制定しろ」とか、また、上に書いた軍隊での同性愛が犯罪となっている部分に対してもなくすように勧告されているとのことだった。ここら辺の勧告内容は、軍隊のことを除いてほとんど日本と同じなんじゃないだろうかと思う(細かい部分はいろいろ違うだろうけど)。

そして、最近の韓国国内での訴訟について。冒頭にも少し書いたけど、去年、ソウルでパレードを開催するときにゴタゴタ揉めた件。これは、ソウル市庁前の広場の使用をめぐるもので、当初、パレード開催団体は6月13日にパレードのオープニングセレモニーとパレードを開催する予定だった。が、反同性愛団体が同じ日の同じ時間にその場所を取っちゃったらしいのね。だから、パレード開催団体はオープニングセレモニーを6月9日にして、パレードを6月28日に変更したそうだ。韓国では使用許可は1ヶ月前に「早い者勝ち」で取るらしく、そのために性的少数者たちはその使用許可を取るために随分前からソウル市庁の前に並んでいた。この様子は当時当事者たちのtwitterなんかでも画像付きで流れてきたりしてたのを見たことがある。色とりどりの風船が浮かんでて、しかも「今日の夕食は○○にしよう!」なんて書かれてて(わたしが見たときはチキンとコーラだったかな?)、すっごく楽しそうだった。

使用許可はパレード主催団体が一番に出したんだけど、反同性愛団体も「自分たちが一番に出した」と言い張って、しかも、ソウル警察はどっちが先だったか答えなかったみたいなのね。だから、裁判を起こしたということだった。で、結果は、パレード主催団体が勝った。というのは、複数の警察の管轄にまたがる場合は、韓国の場合はその上の組織(名前は忘れた)に使用許可を提出しなければならないらしいんだけど、パレード主催団体はちゃんとそうしてて、反同性愛団体はそれをしてなかったらしいのね。だから、パレード主催団体が勝訴した、とのこと。去年は相手のミスでなんとかなったけど、今年はおそらく向こうもそんなミスはしないだろうから、どうなるんだろうかと言っていた。

もう一つの訴訟は「雨のち虹色財団」と韓国法務省。韓国の法務大臣が2015年6月にプライドパレードを見て「表現の自由は尊重しなければならないが、健全な社会のためには一定の制限がある。(ゲイプライドは)我々の社会の伝統的な価値観に合わないので、制限すべきと考える」って言ったことに対して、「雨のち虹色財団」(英語の名称は「Beyond the Rainbow Foundation」と言うらしい)がその発言の取り消しを求めて訴訟を起こしたとのこと。2015年11月20日に1回目の審問があって、法務大臣が発言、2回目の審問は2016年の1月中旬に行われる。

ここで「なぜ、韓国では反同性愛の運動がひどくなったのか」という説明が始まった。韓国のパレードって2000年が最初で、途切れがなく15回行われてきたのに、妨害にあったのは2014年からなのね。それ以前はまったく妨害がなかったそうだ。

今、猛烈に同性愛者に対して攻撃をしてくるのは、保守系のキリスト教団体なのだそうだ。韓国の宗教を信じている人の割合は、46.5%が無宗教、22.8%が仏教、18.3%がプロテスタント、10.9%がカトリック、そして残りの1.7%はどのどれでもない宗教、なんだそうだが(2005年調べ)、この中の「プロテスタント」が、このような団体を含んでいるらしい。韓国でプロテスタントは韓国の経済成長とともに発展してきたそうだ。経済活動の活発化と宗教がうまくマッチして、韓国のプロテスタント人口が増えたそうだ。が、1990年代からそれが減少し始めた。その理由は、教団の中での指導者の不倫だったり、なんかいろんなモラルの悪さが表面化したことによって信者数が減少し始めたみたい。なので、教会は信者離れを防ぐためと信者の獲得をするために、2000年代の半ばごろから性的少数者を敵にして叩き始めたということだ。そして、在米の韓国系教会の影響を非常に受けていて、資金もそちらから流れてきているとのことだった。

そこで、在米韓国人の同性愛に関する意識の調査結果を見せられたのだが、「同性愛は受け入れない」割合はなんと過半数以上の55%、「受け入れる」は40%。同じ調査の在米日本人が「受け入れる」68%、「受け入れない」22%に比べると対象的な結果になっている。在米韓国人の「同性愛を受け入れない」割合が高いのは、在米韓国系教会の影響が強いからではないかと言っていた。この調査はおそらくアメリカの同性婚合法化前のデータだろうけど、アメリカ自体が同性婚合法化してしまった現在、この人たちの意識はどう変わるのかねとちょっと思ったのだが、でもアメリカは広いから、強固に「同性愛反対」なコミュニティって今までのまま、あまり変わらないんだろうな。。いや、もしかしたら「アメリカはこうだけど、韓国ではこうなって欲しくない!」と思ってじゃんじゃん資金を韓国の保守系キリスト教団体に送るとしたら、やりきれないよなあ。。

ちなみに保守系キリスト教団体の人たちは「同性愛は祈祷で治る」と思っているらしい。なので、去年の6月のソウルでのパレードにも反対派の人たちが集まってきて、お祈りしてたとか。

韓国のクリスチャンコミュニティの中には性的少数者は安全でないみたいだ。日本でもそういう話は一部聞くけど、でも、外部から見ると(わたしは信者ではないので)「受け入れる」教会もいくつかあるよね。主に当事者が牧師さんの教会とか。カトリックは法王自体がどうかで下が受け入れるかどうか決まるみたいで、今の法王は「同性愛者に対する差別は許さない」人みたい(ただし同性婚には反対してる)。ただ、その考えが末端の教会まで浸透してるかというと、それは十分に怪しいと思うが。。(ただ、法王はこう言ってますよ!とは言えると思う→が、実際のところ、そういう素地がまったくないところでいきなり「法王はこう言ってる」とは言いにくいだろうと想像する)

その後は「韓国での同性婚の合法化への動き」の話に移った。もちろん韓国では同性婚は合法ではないが、近年では「公開結婚式」を行うゲイカップルや、役所に婚姻届を提出するゲイカップルもいるらしい。「公開結婚式」では、多くの市民の人にも祝福されたものの、一部、過激な反同性愛な人が人糞を撒いたそうだ。婚姻届は日本と同じく「妻となる人」「夫となる人」という欄があったので、そこを「配偶者1」「配偶者2」に書き直して提出したそう。

そして、当然のことながら婚姻届は不受理だったのだが、その根拠は韓国の民法826条1項と2項とのこと。韓国の憲法36条1項は日本の憲法24条と同じようなことを書いてある(婚姻は両性の合意のみに基づく)らしいのだが、韓国の憲法にこの文言が入ったのは、1980年代だったそうだ。これは日本の憲法24条から来たということで、入った理由も日本と同じく「男女平等」の理念だという。それまで韓国の憲法には「男女平等」の概念がなかったそうだ。そして韓国の民法も日本と同じく「夫婦」と表現しており、それが「婚姻は男女のみ」という根拠になっているらしい。これも日本と全く同じだよね。2014年の時点で、婚姻届不受理の根拠は「憲法24条」だった。が、2015年の時点では憲法ではなく「民法」が不受理の根拠に変わってきている(これは日本の話)。ここで話した弁護士さんも言っていたが、それだったら民法の「夫婦」の文言を「配偶者」にすればいいだけのことではないかと。

韓国ではこの婚姻届不受理を受け、裁判を起こしたらしい。それが去年の1月に提訴したらしいが、そこから1回目の審問までの間に、アメリカでの同性婚合法化のニュースが入ってきた。それまで韓国社会はこのような問題はまったく無視で、マスコミにも見向きもされなかったらしい。去年のパレードのときもそうで、ソウル市庁で性的少数者当事者たちが順番待ちをしてたときも、ニュースにも何もならなかった。が、アメリカで同性婚が合法化されたことにより、その翌月、2015年7月に行われた審問のときはマスコミがすごい来て報道されたとか。

ここまでの話を聞いてて、韓国はよくも悪くもアメリカと日本の影響を受けてるんだなあと思った。日本はアメリカの影響が多大なだけだけど。日本の憲法24条が韓国の憲法36条に導入されたこともそうだし、日本で性同一障害特例法が作られたら韓国の裁判所もそれと同じような判例を出したりするんだから。だから、ここで話した弁護士さんは「日本の動きにもすごく期待している」と言っていた。日本に対しては、この先あんまり期待できないんじゃないかなあ。。(悲観的)

そして「ここ最近の動き」として、先月行われた、韓国の国会議員の総選挙について少し話してくれた。確か、政権与党が惨敗した選挙だったと思うが、韓国の政党の中では性的少数者の存在を認めている政党は左派政党の3つ。この度、その中の「正義党」は6人が当選したそうだ。そしてもう一つ、性的少数者当事者が注目していたのは「キリスト教自由党」という反同性愛の党。ここが比例で議席を獲得するかどうかに注目していたらしい。韓国では確か4%の票を獲得できれば1議席確保できるらしいのだが、今回の選挙では、この政党は2.63%しか票を獲得できず、議席は確保できなかった。途中で「1議席確保したかも!?」というニュースが流れてきて、性的少数者当事者たちは騒然としたらしい。しかし、議席は確保できなかったが、これからは政党補助金がもらえるとのことで、これが今後どうなっていくかは分からない、と話していた。ただ、最初の方で韓国のプロテスタントは全人口の22.8%を占めていると言ったが、今回のキリスト教自由党への投票数を見ると、プロテスタントの人たちの一部しか「反同性愛」ではないということは分かった、と言っていた。

この話に繋げて、この弁護士さんは、将来のことに対してはとても楽観的なんです、と話していた。その根拠は、韓国人というのは、とても変化が早い国民なんだそうだ。2013年現在、韓国人のうち「同性愛を受け入れるべきか?」という質問に対して「はい」と答えたのは39%、「いいえ」と答えたのは59%いたそうだ。ちなみに同調査で日本人は「はい」が54%、「いいえ」が36%だった。しかし、2007年に調査したとき、韓国人が「はい」と答えたのはたったの18%で、それから6年後の2013年と比べると21%も増加している。ちなみに日本人はその間5%しか増加していない(2007年に「はい」と答えたのは49%)。アメリカは増加率2位でプラス11%(49%→60%)。韓国の増加率は断トツ1位だ。これが「変化が早い国民」の根拠だ。

しかも「年齢層別の同性愛への寛容度」というグラフを見ると(なぜかこのグラフだけ日本語なんだけど(^^;)どの国も年齢層が上がるにつれ寛容度も低いんだけど、韓国は日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの中でも60代以上は断トツ低い。まぁ、韓国の場合は20代もこの5カ国中1番低いんだけどね。だからだけどもっと時間が経てば、韓国ももっと寛容度が上がるとは考えられるのだ。でもそういう意味では日本の方がもっと将来は明るい感じだけどね。日本の20代の寛容度は7.0を超えていて(10.0点満点中)5カ国中2位、韓国の20代と日本の50代は同程度(およそ5.0)、日本の60代以上だけぐっと下がって3.5くらい(5カ国中4位)。

だから、韓国もこれからもっと変わっていけるだろう、と思っていると言っていた。

発表はこれでお終いで、あとは質問時間だった。わたしは発表の中で話された「コミュニティには頼れない」という当事者の声の意味がよく分からなかったので、それについて聞いたのと、あとは「地方の当事者はどうなんだろう」ということが気になったので、手を挙げて質問した。

「コミュニティには頼れない」というのは、韓国はいろんな団体があるものの、当事者のピアサポートみたいな団体はなく、ほとんどがこの弁護士さんたちのように「社会に訴える活動」をしているそうだ。なので、当事者が困っているときにサポートできるような団体をこれから作っていかなければならないって言っていた。あと、韓国での地方の団体って大邱に1つしかないらしい。韓国はもともとソウルに国民の人口の半分が住んでるし、それに国土が狭いから週末には地方からすぐソウルに来れてバーなどで発散できるって言ってたけど、でもそれって一時、日本でも同じだったんだよね。あ、全国民の半分は東京にはもちろん住んでないけど、地方の人が週末だけ東京で遊んで発散してまた帰る、ってことね。それだと地方に住んでいる性的少数者当事者は自分の地元では「ありのまま」でいられないってことを意味する。地元では自分を押し隠して、東京に出てきて発散するって、それってどうなの?ということはもうずっと前から指摘されていて、だからこそ、ここ数年の間、各地に性的少数者の団体ができて、そしてみんな地元で暮らしやすくなるために頑張ってる。

地方の人によく言われる。「東京はもっと頑張ってくれないと困る」と。「東京で話題にならないと地方ではどう話を切り出していいのかすら分からない」と。渋谷の同性パートナーシップ条例はその点、ものすごく話題になったので、それで地方も動きやすかったと。だから「東京には地方を牽引してもらわなくては困る」と言われた。

そうなんだよね~。そして地方の人が頑張ると、国内の底上げができて、全体がまた更に上がる、ということになるのよね。

わたしの問いの対する答えを聞いて、わたしはそんなことを思ったのだけど、もう時間がなかったし(わたしが一番最後の質問者だった。しかもジャンケンで勝って)、まぁいいやと思って何も言わなかった。それに地方の底上げよりも、判例とか法律の方が先にできるかも知れない状況かも知れないしね、韓国は。

ってわけで、知りたいと思っていた韓国の性的少数者の話が聞けてとても有意義なイベントだった。そういえば題名に「男女共同参画」ってなんで入れてあるんだろうねと最後に思った。ほとんどが性的マイノリティ、それも同性愛の話だったような(笑)まぁ、主催者の都合かな?

今年の韓国のパレードは多分来月だと思うけど(来月は各国でプライドパレードがあるね)、今年はどうなるんだろう。何も起こらなければいいなと思ってるけど。そして、いつかはわたしも韓国のプライドパレードに参加してみたいものだ。そのときまでに現地で通じる朝鮮語を話せるようになってたい!!(笑)
21:55 | (性的少数者)イベントなど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-16 Mon , 2016
ばこちゃん、3歳のお誕生日おめでとう
20160516 203721


今日は ばこの 誕生日
みんなで 集まって 一緒におめでとう

いくつ いくつ いくつになったかな
また一つ 大きくなった
年の数だけ手を叩こう

ぱん!ぱん!!ぱん!!!

ってことで、ばこは16日に3歳の誕生日を迎えることができました。
まぁでもばこが本当に生まれた日は分かんないんだけどね。推定です。

猫で3歳というともういい大人で、年齢的には「エネルギーのみなぎった男」なんだろうけど、今のばこはうちの中では相変わらず一番年下の甘えん坊の猫、と言った感じ。

それにばこはとても「うるさい男」だ。もーよく鳴いてよく鳴いて。高尾にゃんは寡黙な猫なので、本当に何かあるときにしか鳴かないんだけど、ばこは「今日まだおやつ食べさせてもらってないんですけどねー」とか「もうすぐご飯の時間だろー」とか「お腹空いたから早く食わせろー」とか「高尾ねーちゃんが遊んでくれませんー」とか「まま(ばこにとってはままとは彼女のこと)がどっかに行っちゃったー」とか事あるごとに鳴いてるし、それ以外にも「ばこがさっきからふにゃふにゃ鳴いてるけど、何が言いたくて鳴いてるんだろう?」って分からないこともしばしば。前はご飯の前によく鳴いてたけど、この1年でもっと違う場面でも鳴くようになった印象。しかも声色も何種類か使い分けるようになった。

「ままー」って完全に甘え声のときもあるし、「お腹が空いたんだよ!!」みたいに怒ってるときもある。「ごめんなさいー」って気弱に鳴くこともある。黒猫は顔の表情からは気持ちがうかがえないから、そうなってるのかな?高尾にゃんは鳴かなくても表情から「機嫌が良いね」とか「今は不機嫌だね」ってことがよく分かるんだけどねー。

まぁでもうるさいうるさい。特に朝と晩のご飯の時間前は本当にうるさい。食べる直前まで「お腹が空いたー」と鳴きわめいてる。うちは猫の夕ご飯の時間は21時にしてるんだけど、日によっては1時間も前から鳴いてるときがある。そして、わたしが重い腰を上げて「さあ作るか」というと、毎回毎回「ボクのお皿はこちらです~」ってお皿のあるところに誘導してくれる(朝ご飯以降、お皿は置きっぱなしなので)。そこを「ばこの食べる場所」に決めたのは、このわたしなんですけどね、、ーー;

そしてご飯の用意をする間、高尾にゃんはおとなしく鳥さんのおもちゃで遊んだりしてるんだけど、ばこは用意しているわたしの脚の周りをしっぽでこすりながら「早く!早く!お腹が空いたんだよ!!」って鳴きまくり。まぁなんというか、こちらが用意を始めたら5分しないうちに食べられるから、鳴かなくてもいいとか、そういうことは一切認識していないようで。ちょっと大人になったら分かるかなー、だって毎晩のことだもんねって思ってたんだけど、今のところは完全に大人になってもそこのところは全く認識していないようですーー;そしてご飯はいつも1分ちょっとでペロリと完食。早食いの猫は吐くことがある、というんで、だいぶ心配なんだけど、ばこは今までこういうことでは吐いたことがない。

ばこと高尾にゃんの食べ方はものすごい違いがあるので、食べてる間はばこと高尾にゃんは別々の部屋で食べさせてるんだけど、高尾にゃんがやっと食べ終わったのでばこを部屋から出すと、ばこは一直線に高尾にゃんのお皿の置いてあったところに向かって行って、高尾にゃんの食べ散らかした餌を丁寧になめ回す。「お前はハイエナかっ!」と言いたくなるような姿で。。特においしいオヤツをやったあとは、高尾にゃんのお皿を舐めたあとまた自分のところに戻っていって、自分のお皿を舐め、そしてまた高尾にゃんのお皿のところに戻って。。としつこい、しつこいーー;多分、こういう姿も高尾にゃんに嫌われる一因なんだよね、ばこ。。

現在体重4.9kg。以前、獣医さんから「この猫は骨格からして4キロ台の猫です」って言われたんで、あんまり太らせないようにしてるんだけど、気を緩めるとすぐに5キロになってしまうので注意してる。本当はもうちょっと痩せさせたいんだけど、なんせ今でも食欲が旺盛なので、4.9kgで精一杯。一時は4.8kgまで落としたことはあったけど、結局維持できなかった。

ばこは1歳になるかならないかくらいのときにいきなり血尿が出て、ストラバイト結晶ができててそれが結局尿道に詰まり、おしっこが出なくなったことがあったんだけど、それ以降はご飯の時にご飯に混ぜて強制的に水を飲ませてるので、今はpHも良い具合になってる。もう長い間、獣医さんに行ってちゃんと検査はしてないんだけど、家でpHペーパーがあるので、それで時折チェックしてる。pH低いときでも若干高めなのかなとは思うけど(pH6.4くらいがせいぜいかなあ)、まぁ今のところあまり気にしてない。というか、本当はもうそろそろ獣医さんのところにおしっこ持っていって検査してもらった方がいいかもねとは思ってる。

餌に水を混ぜると嫌がる猫ちゃんはいると思うんだけど(高尾にゃんもあまり好きではないので、ちょっと水の量を増やすとご飯食べなくなる)、ばこはいくら水を混ぜてもまったく気にしない。一応、最低限1回に80ccの水(実際は45度に温めたお湯)はやろうと思ってるんだけど、ばこの場合はいくら飲ませても全然嫌がらないので、一体、どのくらいまで水を飲むんだろうと思って段々増やしたことがある。そしたら1回に100cc以上の水を混ぜてもペロリと飲んでしまったので、怖くなってこちらが止めてしまった(笑)一回100cc以上飲ませると、1回のおしっこの量がものすごく多くなるんだもん。

その他ではまったく病気知らず。あっ!だけど、ばこには困ったことがあって、それは「ウールサッキング」ならぬ「ヒモとか毛皮」とか大好きで、食べちゃんだよね~(これ、去年の誕生日の日記にも書いてある!)。猫のおもちゃで、毛皮が付いた丸いボールなんかありますよね。あれを与えると、転がして遊ばずに毛皮を全部食べちゃったりする。ヒモも食べる。ので、毛皮ボールではもう二度と遊ばせないし(高尾にゃんがこういうの好きなのに!)、羽根の付いたおもちゃは厳重管理、ヒモは例えば人間のスエットのズボンのヒモとか寝間着のズボンに付いてるヒモとかも狙って食べるので、放置厳禁。これ、食べると消化できなくて吐く。ばこが吐くときは、変なものを食べたときだけ。しかも、吐くときの前には「ボク、なんだか気持ちが悪いです~」みたいな「ヨロヨロ~」って鳴くのですぐ分かる。こういうときは下痢もしたりするので、そういうときは病院行き。

ばこが食べちゃいそうな危ないものは、こっちも注意して隠したりするんだけど、ここ1年間の間では、彼女のブラジャーの後ろのホックがある部分の布(幸いホックとは反対側の金属のないところ)を食べてるのを発見した。「こんなものまで食べるの??」って思った。あのときはしばらくうんこが出るか注意したり、うんこが出たら中身は何が出たかを見たりしたんだけど、様子は全然変わりがなかったし、毎回毎回うんこ分解して見てるわけじゃないので、まぁ出ちゃったんだろうと思ってた。けど、数ヶ月経ってこちらが忘れた頃にいきなり「ヨロヨロ~」と言って吐いて、吐いた中身を見たら、そのブラジャーの布きれだったのでびっくりした。あれってすぐに吐いたりするわけじゃないのね。

だから、ものの材料を見て「これはばこが食べそうなものか、そうじゃないか」を考えるクセが付いた。そして、一度食べたものは絶対に次もやるから、絶対にばこの目には触れさせないようにして。これは本当に気をつけてる。まぁでもばこは、高尾にゃんと違って自分で探し出しては食べないので、その点では楽。高尾にゃんは賢いので、こちらが隠してても、人が見ていないときに自分の手をちょいちょいって使って、隠してあるものを引っ張り出してきちゃったりするから。

ばこは異食食いというのはあるけど、気をつけてるから、最近は病気等では病院には行ってない。だから獣医さんにも1年に1度、ワクチン打ちに行く以外は行ってない。しかし、ばこは尿道に結晶を詰まらせたときに少しの期間、動物病院に入院したことがあって、そのとき以来、そこの動物病院の獣医さん始め、動物看護師さんの人からめっちゃ可愛がられるようになった。まぁ、ばこは飼い主だけじゃなく、誰にでも愛想を振りまく猫だからね。。(飼い主冥利に尽きない猫)

去年もワクチンを打ちに行ったときは動物看護師さんの人からめっちゃ歓迎された。獣医さんがワクチンを打つ前にいろいろ健康診断をしたんだけど、聴診器を当てられたときにゴロゴロ言ってたらしく「ゴロゴロ言ってますね」って嬉しそうに言われたし(ホント、飼い主冥利に尽きない猫)、それにワクチンを打ち終わったので、再びキャリーの中に入れようとしても入らない!!病院の、診察台の上の方がいいっていう!!!(本当に飼い主冥利に尽きない猫(-o-))

ばこは、キャリーの中が嫌いなんだよね~。おまけにうちは車がないので、移動は自転車なのだが、自転車で移動中、大声で鳴きまくり!その声はまるで「ボクはこれからこの人に捨てられてしまうんです~」とか「たすけてください~この人に捨てられちゃいます~」とか「この人は今から猫を捨てに行きますよお~」とか、そんな感じの鳴き方としか思えない。で、鳴くと必ず周囲の人が振り返る。去年なんて病院に行く途中、信号待ちしてたらそこには散歩中と思われるどこかの保育園児みたいな子どもがたくさんいて、「猫ちゃんだ」「猫ちゃんだ」って大騒ぎになった(-o-)恥ずかしいったらありゃしない。。だけど、病院などの建物の中に入ると、ぴたっと鳴き止みます。だから病院の待合室ではとてもおとなしい。そして帰りにまた鳴きわめく。。。(-o-)(-o-)(-o-)

ばこはきっと、外で暮らしていくには大変だったろうと思うこともある。人に愛想をふりまく猫なので、もしかすると餌をもらえる家を5軒くらい作って、そこで愛嬌を振りまいてうまく餌をもらえる猫になるだろうとは思うけど(でもそうしたら、でぶでぶの猫になってるね!)、猫同士の争いにはどう考えても勝てそうにない。割と小心者なんだよね。それに戦うことも好まない。猫は一般的に外を見るのが好きだけど、ばこも好きでよく見てる。一度、網戸越しに外を見てたら、どうも好みの猫がやってきたらしく、網戸を突き破って外に出てしまった。そのときは、わたしは外出してたのか家にはいなくて、彼女だけがいたんだけど、どうやらなんか、ばこのいつもの「たすけてください~」系の鳴き声が外からしてくると思ったら、ばこが隣の庭でうずくまってたそうだ。あのときはホント、ばこが変なところに行かなくてよかった!と思ったけど、ばこにとってはもう外は怖くて動けないところなんだなあって思った。それ以来、滅多に網戸は開けないし、開けたときは必ずその部屋に人がいるようにしてるつもり。

そうそう、ばこはもう一つ、生命が危なかったことがあって。これも外を見る関係のことだったんだけど、風呂場の窓から外を覗くことも好きなのね。で、風呂場の窓のところに行くためには、一旦、風呂桶の蓋の上に飛び乗って、そこから風呂場の窓の縁に昇るんだけど、実は、あるとき、風呂桶に水を張りながら、蓋はしてないときがあったのだ。そこへばこがいつもどおり、窓の縁に行こうと、何も考えずに風呂桶のところに飛び乗ったら、蓋がなかったのでそのまま水の中にどぼんと落ちちゃった。あのときもわたしはいなくて、彼女だけが家にいて、しかも彼女の目の前でそれをやったみたいなのね。だから彼女がびっくりしてばこをすぐに風呂の中から引き揚げて、ばこはかろうじて水死は免れたのだけど、あれ、彼女の目の前でやってなかったら、ばこは水死してたはずで。。もうそれ以来、うちでは風呂桶の中に水があるときは絶対に蓋は開けてません。まぁばこも、あれ以降しばらくは風呂場には行かなかったけど。。でも、今はまた風呂場の窓から外を覗いてます。

ばこは、ものすごく人なつっこくて、人はどういう人でもまったく怖がらない猫なんだけど、それ以外のものは結構ビビリなんじゃないかと思う。実は掃除機が怖いみたいなんだよね~。でも、本当にビビリだったら、怖くて逃げ回るか隠れるかすると思うのに、ばこは怖いながらも見たがるんだよね。それがとても不思議。わたしが掃除機をかけてると、半分逃げるような体勢なのに、掃除機をじっと見てる。わたしがちょっと面白がって、掃除機の吸い込み口をほいっとばこのところに向けると、わーって逃げてくのに、気が付くとまた、近くで怖々見ている。これ、一体、なんなんでしょうね~(笑)ちなみに高尾にゃんはまったく動じない。高尾にゃんの本当にそばを掃除機掛けてても「なにそれ」って感じ。高尾にゃんの方が本当は肝が据わってるのかも知れない。ルンバの時もそうだった。

前に、ばこは「天然の睡眠剤」って書いたことがある。眠れないときにばこを連れてきて布団の中でなでなでしてると、知らないうちに寝てる。ばこの毛は本当にふわふわで、撫でるととても気持ちが良い。なので特に冬の間は暖かくて気持ちが良いので彼女は毎晩のようにばこを自分のところに連れてきては撫でて寝てた。ばこは布団の中で暑くなったら出ていく、みたいなことを繰り返してたが、あるときから自ら進んで布団の中に入ってくるようになった。といっても、寝るときではなく、わたしらが既に寝てる明け方の時間とかに。多分、ばこもそのままだと寒いから布団の中で暖かい思いをしたいんだろう。でもこちらとすると、いきなり寝返り打ったら布団の中にばこがいたりするのでびっくりする@@;

まぁ今はもうだいぶ暖かくなったから、こういうことはほとんどないけどね。。ちなみに高尾にゃんは冬になったら布団の上に来てそこで寝る。中には入らないなあ~。人の脚と脚の間で寝るのが好きで、そうすると身動きが取れないーー;

そうそう。高尾にゃんはうちに来てからはほとんど「高尾にゃん」で呼び方が統一されている。けど、ばこは名前の変遷が著しい(来た当初も、そんなことを書いた記事があるが)。ばこの本名は「陣馬」なのだけど、大抵は「ばこ」と呼ばれている。が、「ばこちん」とも呼ばれてるし、そこから「ばこばこちんこ」とも呼ばれてるし、そこから略して「ちんこ」とも呼ばれている。というか、そう言う呼び方はわたししかしないけど(^^;だいたい、わたしが「ちんこ」と呼ぶと、彼女はとても嫌がる(笑)彼女は大抵「じんくん」と呼んでる。病院の動物看護師さんの人からも陣馬は「じんくん」と呼ばれてる。確か、去年のケーキの文言は「じんくん、おたんじょうびおめでとう」だったかな。今年はわたしが注文したので「ばこちゃん、おたんじょうびおめでとう」になってる。まぁわたしもいくらなんでも「ばこちん、おたんじょうびおめでとう」とか「ばこばこちんこ、おたんじょうびおめでとう」とはケーキ屋さんの前では言えないので(^^;

てか、なんで「ばこばこちんこ」かというと、昔、わたしが小さい頃、こういう歌が流行ってたからだ。

アルゼンチンの子ども~子ども~子ども~
アルゼンチンの子ども~
アールゼーンチン子~


「ばこちん」と呼んでるうちにこの歌が思い浮かんで

ばこばこちんの子ども~子ども~子ども~
ばこばこちんの子ども~
ばーこばーこちん子~


って替え歌を作ったのだ(去年のばこの誕生日の日記を読んだら、同じこと書いてた(^^;)。

というわけで、ばこちんは、とても愛くるしいが上に、結構みんなから(わたしから?)弄ばれてると思う。。ちなみに未だかつて、ばこは「しゃー!」って言ったことがない。ばこはなんか割と細かいことは気にしなくて、鈍くて、多分、高尾にゃんと違ってあんまり頭が良くなくて、だから思わぬことをしでかしちゃったりもするけど、でも、大らかで、嫌がることをされても怒らなくて、人なつっこくて、誰にでも愛想を振りまいて、高尾ねーちゃんが大好きで、でも何も考えずに自分のしたいことを高尾にゃんにするから、高尾にゃんは怒って「しゃー」って言って逃げちゃうんだけど、どうして怒られたか分からなくて「高尾ねーちゃんが遊んでくれません~」ってふにゃふにゃ鳴いて、いたずらしてわたしたちに怒られると思ったら逃げずにごろんって寝ころんでお腹出してすぐに降参して、争いを好まない猫で、自分の意に沿わずにだっこされてもある程度は我慢してじっとしてくれる猫で、この猫は本当に性格が良くて憎めない。

わたしはばこを構うと、高尾にゃんが途端に不機嫌になるので、ばこは主に彼女がかわいがってる感じだし、ばこも彼女には信頼を置いてると思う(わたしはそれに加えて「ばこばこちん」とか、ばこの嫌がることたくさん言ってるから(^^;)。

ばこがうちに来たのは生後約2ヶ月半のときだけど、もうそこから3年近くが経った。早いなあ。本当はもうちょっとばこも大人になって、高尾にゃんからどうして嫌われてるかとか、ご飯もらえる直前まで鳴かなくてもちゃんとご飯は食べられるとか考えられるようになればいいんだけど、それはまだちょっと望めないかな。3歳になってもまだまだ「子ども」で「我が家の末っ子」、ばこちんです。

これからも楽しく暮らそーね!
23:22 | 二人と猫のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-12 Thu , 2016
東京レインボープライドパレード2016
20160507 1522531


このブログ、最近ほとんどセクマイイベントのことについては触れてない。というより、わたしがほとんどそういうイベントに行かなくなっちゃったからなんだけどね。だけど、パレードはやっぱり行くかな。普段会えない人たちにも会えるしね。ってわけで、先週末、7日、8日にあった東京レインボープライドパレード2016に行ってきた。東京レインボープライドパレードって確か5回目だったよね。初めて2日とも行ってきた。ただし、今年もパレードで歩かなかったけど。

2日とも、とあるブースのお手伝いって感じかな。「人手が足らないから誰か助けて」と言われたので、どうせなんの用事もないから「いいよ」って手を挙げた。

やー、すごい人手でしたね。まぁ、わたしはさっきも書いたけどパレードの1日目には今まで行ったことなかったから、例年と比べて人手はどうこう、とは言えないけど、2日目の人手はどんなもんかはちょっと分かるので、それを考慮すると「今年はまた人が増えたなあ」という感じだった。てか、2日目はブース間の道を歩くのさえ人がたくさんいてとても大変で。。すごかった。

ブースは様々な団体で賑わってましたね。特に企業ブースが大幅増で、前はほんの数えるほどしかなかったし、確か数年前は企業ブースを出してたところは「おお!ここは応援してくれるんだ!」みたいに思ったけど、今年は企業数が多すぎて、なんだか全部把握しきれなかったような。ただやはり、外資系企業が多いこと、それから金融、保険関係の企業が目についたような。ただ、年々増えていく来場者を考えると、他の企業もイメージアップのために今後も参入してくるだろうなあと予想される。東京のパレード自体、母体が変わったりしてることもあって、前のパレードと比較するのはいいのか悪いのかは分からないけど、前のパレードは企業と言えば「ゲイに支えられている企業」が主だったことを考えると、確実に時代は変わって来ているなあと思われる。

そして、今年はパレードのコースが変わって、渋谷駅前の交差点をパレードできるようになったらしい。これ、20年前に第1回目のパレードが行われたのと同じコースなんだそうだ。でも、それからいろんな嫌がらせにあって、そこは通れなかったし、それよりずっと短い距離でのパレードコースだった。警察官も厳しくて、パレードの隊列も途中で信号で止められてしまったり。けど、今年、それがなくなったのは、まぁ渋谷区自体が「同性パートナーシップ条例」を作った自治体だと言うことが大きいだろう。そういう意味でもこのパレードは恰好の自治体「宣伝媒体」でもある。そして今年、パレードは18挺団もあったそうだ。パレードだけで参加者4,500人(公式発表)。これは4,500人しかパレードを歩く希望者がいなかったのではなく、定員が決まっているのですぐに埋まってしまうので歩きたくても歩けない人たちはきっとたくさんいるのではと思う。2日間の合計人数は70,500人で、70,000人を超えた。夏にパレードやってた頃は、毎年10,000人には満たなかったから(パレード自体1日だけなので単純には比較できないけど)、まぁそんなこんなで、10年くらい前の過去から知ってるものとすれば「大きく変わったなあ」と思わざるを得ない。

もちろん、これについては賛否両論あるだろう。この結果を見ると「やっぱり資本主義社会なんだなあ」と感じざるを得ないし、「強いものが勝つ世の中なんだな」って痛いほど感じるし、「強いものが、何が正しいか決める世の中なんだね」ってことをひしひしと感じる。

ただそうはいっても、このイベント自体が「弱者のイベント」なわけで。で、思ったのは、確かに楽しかったでしょうよ、ってこと。会場で少し話した知り合いのヘイトスピーチ関係の人からは終わって「みんなニコニコして楽しいイベントでしたね」って言われたし。ヘイトスピーチの現場ではもちろんこういう雰囲気は皆無だからね。まぁ、それはそれでいいんです。楽しい雰囲気だったのは事実だし。でもね、わたしは来てた人に言いたい。特に来てた異性愛者の人たちに言いたい。

楽しむだけで終わるの?会場で「Happy pride!」ってみんなと言い合ったらもうそれで終わり?

って。あのパレードから、楽しむだけ楽しんであとは何もしない、ということであれば、それは搾取だということを自覚しておいた方がいい。

なぜ性的少数者はあのようなイベントをするのか。別に異性愛者の人たちに楽しんでもらいたいと思ってやってるわけではないです。そんな奇特なことは誰もしない。では何が目的かというと、普段、自分のありのままの姿が「社会的に見えない存在」にされているからこそ、あの場で性的少数者が集まって「自分たちだって、あなたと同じこの社会で暮らしているのだ」という「可視化」をさせたいがためにやっているわけです。

なぜ可視化したいかというと、それだけの人が権利がなくて「困っている」からですよ。わたしなんかからすると、このまま行けば、彼女と(今の時点で)10年以上一緒に暮らしてても、病院で最後を看取れるかなんかそのときが来てみないと分からないし、今だって扶養家族にはなれないし、年金だって健康保険だって「個人」として払ってます。財産持ってても(うちらにはないけど)彼女は「配偶者」として当然の相続権はありません。これが「法的に保障されない」ということ。「結婚」してたら、それが「制度」としてすべて認められる(結婚の部分についてはいろいろ議論がありますけど)。それに比べるとわたしはやっぱり「権利がない」わけです。異性愛者は「結婚するかしないか」が選べる。けど、わたしたちは「結婚する」という選択肢がない。「結婚しない(できない)」という選択肢しかない。

「そんなことを認めると社会がおかしくなる」とか、あなたは言えますか?あなた既にそういう「権利」、自分で持ってるんですよ。生まれながらにしてなんの努力もしなくても。それはあなたが「多数者」だから当然なんですか?わたしはまだ「権利」を持ってない当事者からあれこれ言われるのは、意見の相違だからそれは仕方がないと思う。けど、権利を持ってる人間から「てめえに権利なんかやらない」と言われることだけは許せない。「少子化がー」って言う人がたまにいるんですけど(笑)、今、同性婚が導入している国がどんどん出てきて、その中で出生率が落ちた国って例外的に少なく、ほとんどの国では上がってる(世界銀行統計に基づく)。少なくとも事実を知ってから言ってくれ(知ったらこれが理由にはならないことが分かるけど)。だいたい「少子化がー」って言う人は、同性婚認めたら、同性愛者の数が増えるとでも思ってるのかな(笑)

まぁ、今、日本で同性婚を導入することに賛成している人は、過半数を超えてるらしいので(去年の11月にNHKがやった全国意識調査による)、「権利をやらない」と思う人の方が今では少数者なわけだけど。ただ、過半数を超えていると言っても、たった51%で、これはほとんど「誤差の範囲」と言ってもいいくらいの数字だ。これを6割7割に押し上げるのはパレードに参加した異性愛者の人たちにかかってるわけだよね。まぁそんなん当たり前だけどね。性的少数者だけで6割7割の数字が取れるわけがないんだから。取れたらそれは性的少数者じゃないわけで(笑)異性愛者の人たちの同意があって初めて「多くの人たちが賛成している」と言えるわけだ。

でも、多くの人たちに訴えかけるのは当事者だけがやらなきゃいけないことなのか?異性愛者はパレードで楽しい思いだけして「あとは頑張ってね~!わたしはあなたたちが頑張るのをそばで見てるから!!」って性的少数者に言うんだろうか?それってすごい都合よくない?それがわたしの言ってる搾取なのだ。

「じゃあ、どんなことをやればいいんだ」って思うだろうけど、まぁそれは自分で考えて下さい。それはこちらが「こうしてくれ、ああしてくれ」と言うべき問題ではない。そもそもそう言ったとしても、それをそのままやってくれるという保証はどこにもない。自分でよく考えて「これならできそう」と思うことを少しでもやってくれればいい。「何かをやる」ということは、別にどこかの団体に入って活動しなければならないことを意味しているわけじゃないです。そんなことやってるのは、当事者だってごく一部の人だけだし。少なくとも、わたしが言ってるのは、パレードに参加して「ああ楽しかった」で終わらせては欲しくないってこと。それだけです。

さて、ここまでどのくらいの人が読んだか分からないけど(笑)

今回のパレードの1日目、自民党の稲田議員が来たようです。来たようです、っていうのは、自分の目では確認できなかったからね。人が多すぎて。わたしが1日目、会場に着いてみたら、入口付近ですごい人だかりとカメラがいて「どこの誰が来たんだろう?」って思ったら、そうだったらしい。その場では分からなかった。あとで聞いた。

しかしなぜ急にこの人が?なんの関係もないのに?って思ってた。けど、この人が今年の2月だったかに自民党の中で性的指向・性自認に対する特命委員会だっけ、正式な名前は知らないけど、それを作ったらしいね。この委員会の中でのトップではないけど、実質、言い出しっぺ、の人だし、まぁ、自民党の政調会長だからね。で、もう一つ、当事者の中では前々から超党派の議連、ってものが存在してるということはよく知られたことだろうけど、こちらでなんとかならないの、という声がある。

わたし、特命委員会と議連の違いが分からなかったんだけど、聞くところによると、議連って、勉強会とか確かにやってるけど、議連の役割というのは「各党の動きを探る」ところに過ぎないと。要するに、政策とかを練るところではないらしいです。で、政策とかはこの「特命委員会」がやってるらしい(てか、つい最近、出したよね。「カミングアウトしなくてもいい社会を目指す」とかなんとかいうやつ。これ作ったの、そこです)。

今まで当事者団体が目指してきたのは「差別禁止法」の制定だった。それが単なる「理解促進法」になっちゃった。なぜかというと、自民党は「差別禁止」が嫌いだからだ。というか、自民党自体が「日本社会において、顕著な差別はない」って言い切ってる団体だからさ(ちなみにこのことは「国連」で明言したので、これは別に自民党だけの意見じゃなくて、これは日本政府としての見解になっている)。あ、これは性的少数者に対しての差別、というわけではなく、すべての事例においてです。それに「差別禁止法」を作ると誰かが悪用する可能性があるからできない、って言うんだってさ。具体的にどういう悪用をするか、教えてもらいたいくらいだけどね。っていうか、悪用されるっていうんだったら、悪用されないような法律作ればいいんじゃないの?それに加えて「何が差別か明確に決められない」って言うんだってさ。きっと「何が差別か決められ」たら、自分たちが差別してることを指摘されちゃうからだね(笑)基本的になぜ自民党が「差別禁止法」を作りたくないかと言えば、自分たちがそれを利用して差別できなくなるからじゃないかと思う。

例えば昨日、ちょうど障害者が国会参考人だったっけ、それで出席する予定でいたんだけど「話すのに時間がかかるから」と出席を拒否された人がいます、ということが話題になった。障害者の場合は既に「障害者差別解消法」という法律がある。これは割と踏み込んだ法律みたいで、国や地方自治体は障害者を差別してはならない、という条項があるらしい。こういうの多分、自民党嫌いだよね(笑)こういう法律があると「お前たち、差別してるじゃないか。法律にも差別って書いてあるのに、ダメじゃないか」って言われてしまう。法律がないと「根拠はありませんから、自分たちがやってることは法には触れません~!」ってことになる。結局、自民党が「日本には差別はない」と言って「日本の風土に差別禁止法はふさわしくない」と言ってるのは、こういう法律があったら自分たちが差別者だって突き上げられて困るからに他ならない。だって、差別しない人は、別にこういう法律あっても全然困らないもん。

まあただ。わたしは、性的少数者に対しては別に「理解促進法」でもいいじゃん~?って思わないでもない。こんなん、あってもなくても別に「あ、そう」って感じなんだけど。確かに法律で性的少数者のことに触れている、という点では大きな一歩ではあるだろうが、まぁ評価するとしたらそこだけか。って言えるのは、わたしは世間からそこまで差別されているとは思ってないからで、差別されているとしたら、上に書いた、法的に保障されていない、ということだけなのよ(もちろん、これがそこに繋がる第一歩だと言うことは理解してる)。まぁだから、第一歩としてのやり方はいろいろあるだろうね、というのがこれに対する評価で、絶対に「差別禁止法」じゃないといやだ、ということはない。

しかし、自民党のこの言い分、実は、他の分野と全く同じなんだよね。今、「ヘイトスピーチ対策法」というのが国会で成立するだろうと言われている、というか、今日、委員会で採決らしいから、ここで通ったら国会でも通るだろう。わたしはこっちの方は明確に「差別禁止法」にして欲しかった。差別する人を処罰して欲しかった。てか、これを放置したままでいいの?って今でも思ってるし。あ、この場合の差別は「人種差別」だけど。こっちの方は本当にひどい。「日本は明確な差別事象はない」って言われると、性的少数者に対しては「まぁ概ねそうかな」とは思える。が、ことに人種差別については「どの口が言ってんだ?」って思う。あれを差別と言わずして、何が差別なのか。というか、これはだれそれが、という個人ではなく、国自体がもう制度的に差別しまくってるからね。だから、差別法作りたくないのよ。自分たちが差別できなくなるから。今、案で出てるのは「啓発・啓蒙」だけで、そんなのみんな分かりきってる。外国人を差別してはならないのは、ほとんどの人が知ってることだし、ほとんどの人は差別してない。今、対策を取らなければならないのは、教育しても教育できなくて差別しまくってる人に対して、差別を禁止して、それに対する処罰が必要だと言っているのに、それができない。

挙げ句の果て、出して来た与党案がめちゃくちゃで(1年ほど前に野党から案は出ていた。自民党はそれを通したくなかったのと、でも廃案にすると日本政府は「こんなひどい差別が起こってるのに何もやってない」ってことで国際的に非難が高まるから、不抜けた法律案を出してきただけ)。この法律案の2条には「適法居住要件」というのが付けられていて、この中に当てはまらない人たちに「難民」や「アイヌ」の人たちがいる。この法律案、このままで通ったら、要するに「難民やアイヌの人たちに対して、差別するのを国が認めています」というのと同じことなのだ。「差別していいのはこの人たちですよ」って国が言ってるのと同じなのだ。非常に怖い。これこそこれが「悪用される法律」って言えないか??

ってことで、わたしはこちらの方が大問題なのだ。そして、昔から持論として「外国人を差別していい」と言ってるのは、この間パレードに来た自民党議員だ。なのでいくら「性的少数者の問題は人権問題であると分かった」と言っても、わたしはこの人自体受け入れられない。どんなに性的少数者に対して理解していようが許せない。人間、許せることと許せないことがあるが、わたしはこれだけは許せない。

ってわけで、なんでわたしが「自民党の言い分」についてこんなに知ってるかというと、特命委員会に呼ばれた人とこの2日間、直接話してきたからです(笑)ちなみに特命委員会に言って話してきたということは、本人が団体のブログで書いてたから別に秘密事項でもなんでもないけど。その人は地方在住者なので、わたしはこの人とは毎年この場で少し話すだけの関係だけど、それでも付き合い自体は多分10年近い。この人が「自民党の論理」についていろいろ教えてくれた(ちなみにこの人自身は自民党支持者ではなく、非常に現実的な人だと思う。今の国会はどうしても自民党が賛成しないと法案は成立しない。取り敢えず「これが一歩」と考えている人は一刻でも早く法律を制定させるのが目標だろうから、どうしても自民党と話をしなければならない)。その人は特命委員会に呼ばれて話してきたときのことを話してくれた。そこでは議員の無理解から、その人自身が傷つくこともたくさん言われたそうだ。「今、いろいろな話をして(議員が)差別はいけないって言ってたのに、その(傷つく)言葉を当事者である自分に言うのか!?」と思ったそうだ。ただ、それはやっぱり無理解から来るもので、理解したら多分大丈夫だろうとは言われた。わたしはその「自民党の論理(禁止法は日本にそぐわないとか)」がやっぱりおかしいと思うんで、わたしもその人にいろいろ意見を言ったけど、わたしの頭の中にあるのは、人種差別のことが第一であり、性的少数者第一の人にはほとんど通じなかったみたいだ。。てのはやっぱり、性的少数者の方だと、自民党の言い分もある程度まぁそうかなと思えてしまうわけで。難しいですね。

それにしても、ネット上で自民党議員が来たことについて、あれこれ読んだけど、事実誤認が多いんだよなあ~。稲田議員は勝手に来て勝手に帰ったわけじゃなく、主催者側もちゃんと来ることを知ってたし(呼んだわけでもないが、それはどの議員にだって「来てください」とは言ってないだろう)、5分で帰ったわけじゃない。確かに時間的には短かったと思う(1時間程度)が、それでも会場を一回りはしたと思う。気に入らない相手のことに対して、否定的に見たくなるのは分かる(わたしを含めてだが)。しかし、「主催者側は来ることを知っていたか、知らなかったか」「5分で帰ったか、帰っていないか」というのは、比較的容易に判断できることで(あんだけのSPだのカメラマンだのいるのに、勝手に来るわけはないよなとか)、事実じゃないことに対してあれこれ言うのもどうかと思ってる。それって、結局、自民党支持の人たちが事実じゃないことばっか言ってるのと結局やってることは変わりがないんじゃないかな~と思う。

そもそも評価というのは事実を知った上で始めることで、例えば「たった1時間しか来ないなら来るな」と思うか「1時間もいたんだから上出来だ」と思うか「そもそもパレード会場に来るな」と思うか「来たとしてもまったく評価できない」と思うかは個人による。事実自体が誤認なのに、その上で評価しても、それは正当な評価とは言えない。事実自体をどう知るか、についてはそれに関わった人に聞くのが一番じゃないかね。まぁそこら辺については、知りたい事象にも因るでしょうけど。

今回のパレードに参加して改めて「自分のやれることはやらなきゃね」と思った。もちろん、今まで何もやってなかったわけじゃなく、少なくとも自分がやりたいことはやってたけど、まぁそれを今後も続けて行こうかなと。細々とでもいいんだよね。っていうか、わたしは権力者じゃないから細々としかできないし。まぁでもそれでいいんだ。
14:57 | (性的少数者)イベントなど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
05-11 Wed , 2016
アメリカ・オバマ大統領が被爆地「ヒロシマ」を訪問
昨日の夜にこのニュースが流れた。おそらくほとんどの「日本人」は「喜ばしい」と思うだろう。
が、わたしは素直に「喜ばしい」とは思えない。その理由をいろいろ考えてみたが、うまくまとまらない。

でも、そのような気持ちを端的に言い表してくれている詩を思い出した。
----------
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ

(中略)
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
---------- 
超有名な、栗原貞子さんの「ヒロシマというとき」という詩だ。
全文切り取るのは、ちょっとまずいかなと思って一部のみ紹介した。が、もちろん「ここの部分を読ませたい」というところをわたしが切り取ったわけだから、かなり恣意的な作業が入っているとも言えるだろう。元の詩を読みたければ、是非「ヒロシマというとき」で検索してみてください。本人が許可を出して掲載している、というサイトが一番上に見つかるだろう。

栗原さんは被爆者だ。日本の行った加害行為については考えていない被爆者が大半の中、この人は日本の加害行為についても言及したし、日本に住む被爆者以外の、外国に住む被爆者のことについても目を向けた人だ。

この度のオバマ大統領の「ヒロシマ」訪問をただただ「ああよかった」としか思わなかった人は、ではなぜヒロシマとナガサキに原爆が落とされたのか、そこから考えて欲しい。

あるとき突然、エノラゲイが広島上空に原爆を落としていったわけではない。
12:14 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
04-18 Mon , 2016
人工地震はなんのためにあるのか?
最近、非常に大きな地震が熊本で起こったよね。わたしは普段から自分とはまったく関係がない人のブログをたくさん読んでるんだけど、この地震が起こった後に読んだブログの中に、この地震との関係性は明確には書いてなかったけど、地震が起こったことについて書きながら、その下にいきなり人工地震について説明しているYou Tubeが貼り付けてある記事があって。5分だけあなたの時間をください、みたいなタイトルだったかなあ。。つい、見てしまった。人工地震を否定してるのかと思ったら、思いっきり肯定してた映像だったのでびっくりした。

まぁ阪神大震災や東日本大震災が実は「人工地震」によって引き起こされたものだった、という陰謀論みたいなのは今までもネット上で散見されてたのは知ってた。100%有り得ないけど、まぁ本震は「人工地震」が引き起こしたのだと仮定しても、頻繁に続く余震までご丁寧に人工地震なのかしらとか考えると「それは無理があるんじゃない?」ってすぐ思えない?東日本大震災の震源は海の中で深さ10kmのところだったけど、そもそも地中10km(しかも地上じゃなく海の中)でどうやって大量の人を送り込んで施設を作るのか。海底の一番深いところって約10km(10000m)です(マリアナ海溝)。そこに人間が行くことがどんなに困難なことか。めっちゃ水圧かかる中で。技術的に不可能です。

なんて、わたしは地震は研究対象ではなかったのだが、一時期地震と非常に近い分野にいて(ちょうど阪神大震災の頃)、観測機器の貸し借りとかやってたし(ちなみにわたしはGPSを使った観測をしてた)、そもそも研究室の対象は「海底」だったので、周囲に「しんかい6500」に乗った人とかたくさんいて、海底に行くことがどんなに困難なものなのかを少しは知ってる。ちなみに「しんかい6500」は文字通り深さ6500mのところまでしか潜れない。なぜかというと、水圧がすごいから。3人乗りで、操縦士、副操縦士は絶対に必要(1人に何かあったら困るから)、研究者は1人しか乗れない。そしてトイレもない。そもそもそういう「大きな」スペースは作れないのです。水圧の関係で。深海は非常に寒いのにトイレに行けないものだから、行くたびにとても緊張すると聞いた。

今、こんな現状なのにどうやって海底10kmのところに核施設が作れるんだろう??

まあそれはいいとして。

では「人工地震」はあるのか。と言われると、ありますね。ではなんのために?と言われると、地震研究のためです。決して破壊目的のために「人工地震」があるわけではない。

じゃあなんで、地震研究のために人工地震があるか、というと、これは地震学者が一体、何を知りたくて研究しているか、ってことです。

地震を研究しています、というと、地震予知のために研究してるんだろうと思うと思うけど(わたしもかつてはそうだった)、地震学者って、基本的に「地球の中は何でできてるんだろう?」ってことを知りたい人たちで集まってます。それとなぜ地震が結びつくか、なんだけど、人は中身が分からないものに対して、どのようにアプローチをかけるかを考えたとき。

あ、あそこになんか中身の分からない箱が置いてある→でも自分のものじゃないから開けられないしな→でも中身に何が入ってるのか気になる→ちょっと手にとって揺さぶって中に何が入ってるのか考えてみよう→箱をカサカサ揺らす→ん?こういう音がするんだったら硬いものが入ってる?→もっと知るためにはもっと大きく揺らさなきゃ→箱をガサガサ揺らす

まぁ、こういう感じのことをするでしょう。地震はそれと同じってこと。要するに「中身が分からない箱」=「地球」、「ガサガサ揺らす」=「地震」ってわけですね。このようにしてわたしは研究室の人から説明してもらいました、当時。まぁわたしは地震(というか地球物理なんだけど)については素人だったので、素人には分かりやすい説明をせねばと思われたんでしょうね(笑)だから地震学者が地震を研究することって言うのは、地球の中身がなんであるかを地震によって知るためなのね。もちろん、地震学者が観測してるのは地震波だけじゃなく、わたしが研究に使ってたGPSでも地震を観測してるはずです。今回の熊本の地震も91cm動いたとか言ってるけど、あれはおそらくGPSを使った観測でしょう。GPSというと車のナビゲーションシステムとか今はスマホのアプリとか、様々なところで使われてるけど、あれとはまた違う観測システムでそれこそmm単位で測れるような精度を持つ測位法がある(わたしはこっちの方が専門だった)。その他でも重力計とか、海底だったら電磁気とか、いろんなもので地震を観測している。ちなみに地中にある断層の存在がどうして分かるかというと、重力を測ることによって分かります。

けれど、地震学者でも大きな地震がいつ来るか、まったく分からない。何しろ、上に書いたように大きく揺れれば揺れるほど地球の中身がなんであるかが分かるんだから、彼らはいつ、どこで大きな地震が来るのかが一番に知りたいはず。が、そんなことは分かるわけがない(地震予知できてないんだから)。ので、大きな地震が来た後にすぐに現地に入って観測機器を設置する。なぜって?それこそ、余震を測りたいからですよ。大地震の後の余震はそれなりに規模が大きいし、頻繁に来るから。

てなわけで、人工地震がなんで地震学者のためにあるのか分かったでしょう。いつ来るか分からない地震を測るより、人工地震を起こして初めから終わりまで効率よく観測したい、これが目的。なんだけど、人工地震ってしょぼい規模でしかできない。あと、わざわざ地中深くに埋めて爆発させる必要性はないので、基本的に地上0mの地点になる。ということは、人工地震の波形は、直下型地震の波形と非常によく似てるのは、当然なことです。今回の熊本の地震の震源は確か深さ10kmだったと思うけど、地球の半径およそ6400kmに比べてその中の深さ10kmというと、ほぼ「地表」と考えていい。なので今回の波形も人工地震の波形と非常によく似てるはずです。中学校の理科で地震はp波とかs波って習うと思うけど、直下はp波とs波が同時なので、p波はほとんど観測されない(震源から遠くなればp波が先に届く)。

なぜか「○○大震災は人工地震だった」の根拠にこの理屈が使われることがあるみたいなんだけど、これは当たり前のことです。人工地震自体はいわゆる「小規模」な直下型地震なんだもの。この2つの地震波の波形が似てるのは当然のことなのね。

わたしが見た陰謀的な「人工地震」の映像では「人工地震がある証拠」として新聞の記事が挙げられてたけど、あの中に「人工地震が大きすぎた」って大きい見出しがあった。あれは人工地震を起こす火薬の量を間違えたのかな。とにかく「大きすぎ」って評価されると言うことは、それ以前に人工地震は「だいたい大きさこのくらいで」という見積もりをされてたはずで(おそらく人工地震を起こすためには事前の国の許可などが必要なはず。だって小規模でも爆発させるんだからね)、観測したらそれより大きい観測値が出てしまったので、記事になったんだろう。でもそれは逆に言えば起こされた人工地震は「観測される」ということが目的だったことを示してるよね。

いろいろぐぐってみると、人工地震の陰謀論とともに、人工地震のデマとか、いろいろ反論も出てきたんだけど、なんか「人工地震は地震学者が観測するためにあるもの」という根本的なことが書いてなかった。なのでこれでは「でも人工地震ってあるんでしょ?何の目的で人工地震があるの?やっぱり破壊兵器なんじゃないの?」という疑問は払拭されないと思ったので取り敢えず書いてみた。ただ、今は人工地震って日本ではほとんどやってないんじゃないかな?地下核実験場を持つアメリカとかではもちろん、核の実験とともに地球の内部のことを知るためにいろいろ観測機器で測ってると思うけど。でもあのエネルギーだって、自然の地震のエネルギーに比べると微々たるものです(こっち系で人工地震の陰謀論を否定しているウェブサイトの方が多かったかな)。

。。。まぁでも多分、「陰謀論大好き」な人は「そうは言ったって、自分の想像が付かないところで何かが行われてるはずだ!現実的に考えたらいろいろおかしいのかも知れないけど、でも本当は信じられないような技術がこの世には存在してて、それが人工地震なんだ」って思い込んでると思うので、こういうこと言ってもおそらく信じないでしょうね。だったら逆に「なぜ自分はそのような(非現実的な)陰謀論を信じられるのか」を考えると結構楽しいと思うけどね。
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04-12 Tue , 2016
びょーいん
前回、「もうこれで病院通いは終わりかな」って書いた。

精神状態はもうここ3年以上、まったく悪くなることはなく、落ち込むこともやる気が出ないこともない。

いつも思うんだけど、やる気って出すものじゃないんだよなって回復したらそう思えるんだけど、やる気が出ないときは「自分がやる気が出ないのは、甘えてるんじゃないからだろうか」って思っちゃうんだよね。これはいくら繰り返し経験してもやる気が出ない状態になったときは「今は動けない時期なんだ」とは思えず、いつもいつも「自分が甘えてるからじゃないか」って思えてしまう。なので、うつ病は精神が落ち込んだり、やる気が出なかったりする病気だけど、本質的には「自分を責めてしまう病気」なんだって、自分では思うことにした。

ときどき「新型うつ病」の人のことを責める文章を読むことがあるのだけど、わたしはあれはうつ病以上に自分が責められる状況にあると思うんだよね。「なんで他のことはできるのに、仕事ができないのか」って、人からだけじゃなく、自分でも自分を責める状況になりやすいと思うんだよね。だってなんで自分が遊べても、仕事ができないのか、自分で考えても分かるわけないもの(そういう病気だから)。でもこの病気はまず「自分を責めないこと」ができないとよくならないと思うのよ。他の人から責められるよりも自分で自分のことを責める方が自分はよっぽどつらいのね。だって、自分のことは自分自身が一番よく分かってるもの。一番自分がよく分かってる人(自分)から責められるのよ。それはもう、逃げ場がないってことで。自分の弱みが一番分かってる人(自分)から、弱いところを責められるのよ。これは本当につらい。そしてこの状況で、自分を責めないようにするのは本当に難しい。だって、自分を責める種はどこにでも転がってるんだもの。「よし、自分を責めないようにするぞ」と決断したとしても、周囲の目からその人はただ楽しく遊んでいるようにしか見えないだろう。病気を治すために自分を責めないで精神に負担をかけないように行動していても、周囲は「仕事せずに遊んでばかりいる」って思えてしまって、その人を非難する。この状態は、風邪を引いて布団被って暖かくしているのに、他人が布団を剥いで、その上から冷水をかけてるって考えると分かりやすいかもね。

うつ病も、回復するときは「自分のやりたいこと」から徐々にできていくようになる。この病気は一晩寝たら一気に全快、なんてこと有り得ないからね。そして「昨日より今日の方がマシ」とも思えないのよ。前の日はよくても次の日は原因不明で一気に落ちたりするから。自分では「治っていく実感」がないのです。でも少しでも動けると周囲は「仕事せずに遊んでばかり」に見えるだろう。まああとは、上に書いたとおり。他人に責められる状況で自分を責めない、ということがどんなに難しいか。布団をはぎ取られて風邪を治すことがどんなに困難かを想像すると分かりやすいだろう(本当は風邪になんか例えられることでもないけどね。風邪は一気に治るかも知れないけど、うつ病は一晩寝ただけじゃ絶対に治らないから)。

あー、また全然関係ないこと書いちゃった(笑)まぁでも、わたしが「うつが治ったきっかけはなんですか?」って言われたら「自分を責めることを止めたこと」って真っ先に答えるよ。「なんで動けないんだろう」っていくら考えても答えなんか出てこないんだから。精神の落ち込みも、やる気の出なさも、努力して治るものじゃない。「やる気が出ない」ときに無理して動くと余計に悪くなるし。そして、動けないときは自分を責めれば責めるほど落ち込んで、病気なんかよくならないです。それに自分を過剰に責める、というのも病気だからかなという気がする。正常な人間は自分を殺したくなるほどは自分を責めないもの。自分を責めて責めて責め尽くした結果、自分をこの世から抹殺したいって思えるのは、やっぱり病気だと思うのです。だからその中で「自分を責めないようにする」っていうのは、本当に難しいことなのよ。まぁ確かに、うつ病になっても希死念慮が起こらない人もいるけどね。

こんな達観したことを書きながらも、わたしだってやる気が出ないときは今でも「自分に甘えてるからやる気が出ないんじゃないか」ってつい思ってしまう。やる気が出ることってごく自然の当たり前のことだから、やる気が出てて何かをやるときって、本人は「やる気を出している」という自覚がないのね。だから、逆に動けなくなると「やる気はどう出せばいいのか」って思っちゃうんだろうと思う。でもやる気が出てるときは、特に本人「やる気を出す」とは思ってないんだから、「やる気を出す」こと自体、病気じゃないときも病気のときも分かってないんだよね。うつ病は何回治っても、自分がなんで治ったのか、それがよく分からない。「やる気」は病気が治って「あ、今、自分にはやる気が出てる!ということは自分は回復してるんだ」とは自覚できないから。

というわけで、精神状態の落ち込みもなく、今は自分がやろうと思ったことを、体調と相談しながらやってる状況だけど(体調と相談しながらじゃないとすぐに無理してうつに逆戻りなので)、どうも睡眠の状況があまりいいとはいえなくてね。ぐっすり眠れた日とあんまり寝た気がしない日とまったく眠れない日があって、まったく眠れない日の翌日の体調がぐちゃぐちゃで。これを解決しないと、今は病院から離れるとちょっと怖いかな、という気がしてきたので、主治医と相談して、睡眠が安定するまでまだ通うことにした。

とはいえ、睡眠剤は出されてなく、最後の処方薬だったアルプラゾラム0.4mg、これ飲むとめっちゃよく眠れるようになったので(今まで朝晩1錠ずつ飲んでたとか信じられない)、実はこれが睡眠剤の頓服として使えるかしらと思って自己判断で飲んでたんだよね~。眠れないときにね。で、今まで実はこういうことをしてたので、よかったら頓服に睡眠剤を出して欲しい、と言ったら、手持ちにまだアルプラゾラムが残ってるんだったらそれ使って、と言われたので、そうすることにした。アルプラゾラムは最後「飲まない方向で」って言われたときに「でも、一応出しておくね」って言われて、28日分(1日1錠)処方されたのね。1月の最初の頃の診察時に。それがまだ12日分くらいあったんだよね。なので「分かりました」って答えて、それで終わり。

ああ、少し睡眠について教えてもらったんだった。と言ってもわたしが「寝る前に風呂に浸かるようにしてる」とか「夜、あまり遅くまで勉強しすぎないようにしてる(脳が興奮して眠れなくなる)」とかそういうことを報告したら「それはいいですね」とか言われたのだが、一点だけ、眠れる日は「寝過ぎに注意」と言われた。確かによく眠れた日はまだまだ眠くて起きたくない、って思うことがある。でもそれで寝てしまうと、その日の夜が眠れなくなるのよね。なので、今はその注意を守って、眠くてもできるだけ早く起きるようにしている。

病院に行って、そういうことに注意して過ごしたら、1週間、まともにぐっすり眠れて嬉しかった。けど、また今ちょっと眠れなくなって来ちゃってるかな。薬はあと8錠。足りるかどうか、すんごく心配~。

ってことで、次の病院は来月の終わり。睡眠が不安定なのがちょっと気になるけど、でも、今は体調の方が相変わらずだけどここ1ヶ月はコンスタントに動けてるし、勉強できてるし、それなりに満足。

しかしね~。2回目のうつのときにデパスが1日3回処方されて、でもそれを飲んでもまったく何も効いていない感じがしててさ。その当時、父親がデパスを「眠れなくなったときのお守り」みたいに言ってて「わたしはそれを飲んだって眠くもなんともならないよ。それ飲むだけで眠くなるなんて、症状が軽くていいね」って思ってた。でも今、アルプラゾラム1錠だけで眠れてしまうわたしは、そういう意味では症状が「軽く」なってる。アルプラゾラムはデパスよりも強くないし(効き目は長時間だけども)。

人って変われるんだよね~って思ったりしてる(意味が違う)

【現在の処方】
なし(ただし、眠れないときに頓服として「アルプラゾラム」0.4mg×1)
11:56 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
04-09 Sat , 2016
おれんまね
結局3月は1つしか書けなかった(^^;
のに加えて、1ヶ月間更新しなかったら変な広告がアップされて来ちゃったので。

てか、身体の調子がイマイチなのは相変わらずなんだけど、それにまったく比例せずにどんどん忙しくなってて。

ウルトラマンスタンプラリーの駅からのメッセージも、まとめてる途中で放り投げてるし、まとめると結構面白そうだということは分かってるんだけど、これはもう時間がなくて。どうやらだいぶ先になりそう。画像の加工も必要だしね。

資格試験の方は、順調とは言えないけど、こちらの方も諦めずにやってる。民法がやっぱり理解したり記憶したりするのに時間がかかってて、総論と物権はサクサクできたんだけど、債権総論で躓いてます。何がどう繋がってるのかで頭の中がわやになり、それを整理するのが大変というか。でも「あ、なるほど」って理解できたときは楽しいなと思う。分かったときに「いや~、民法ってよくできてるよな」って思うこともあるし、逆に「なにこれ、この制度」って思うこともある。ただ、債権総論もあともう少しで終わり。各論は総論より難しくないっていうから、ちょっとペースを上げてやっていきたいと思ってる。

自分自身に関することというか、まぁその周辺なことなんだけど、いろいろ動きがあって、この1週間は特にめまぐるしく動きました。また時間に余裕が出たときは書くと思うけど、どこまで書いたらいいのか少し悩むところではある。

書きたいことはいろいろあるけど、なんせ時間がないので今後は短めの記事をちょこちょこ上げる程度になるかな。
なんか今年は明けたときからまったく季節感がなくて、確かに暖かくなって桜も咲いて散り始めたけど、それがなにって感じでちっとも実感がない。季節の移り変わりのみで嬉しかったり楽しかったりできるのって条件が整わないとできないことなのかな。

ただ、今はやることが多くて、それはそれで幸せなことだと思うし、そういう自分の環境は楽しんでるつもり。
12:03 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
03-10 Thu , 2016
つきあい始めて丸15年
今日、3月10日はつきあい始めた記念日。2001年3月10日からつきあい始めたから、今日で丸15年になった。

ブログ始めてから、毎年この日には何らかの日記を書いてるはずだけど、当初から比べるとすごく意識が変わってるんじゃないかな。特にここ数年は。

なんというか、一緒に暮らしてるのは慣性というか、惰性というか、そんな感じ。こんなこと書いたら彼女から怒られそうというか、ムッとされるだろうけどね。それくらい、わたしは変わってしまった。

何が原因かというと、まぁ、わたしの人生観とか死生観が変わったんでしょう。あと性格の違いというのも確かにあると思う。わたしは悩みや解決が難しいことは、ただ聞いてもらうことだけですっきりしたりはしない。聞いてもらった上で、どう考えるか、それを教えて欲しいと思う。というのは、自分でいろいろ考えてるけど、自分で考えるのは限界がある。自分ではあらゆる面から見て検討していると思ってても、やはり一人の人間が考えることはどこか偏った面からしか見ていないはずだ。だから、自分と違う他人が別の角度から見るとどう考えられるか、そういうことが知りたい。自分の中で整理のついていない話だから他人に聞いてもらいたいわけじゃなく、自分とは違う角度から検討したらどうなるか、それが知りたい。だからわたしは彼女が悩んでることを聞くと、こうじゃないか、ああじゃないかと言ったりする。でもそれが彼女はうっとうしいんだと。彼女がわたしに話すのは、ただ聞いてもらえばいいからなんだと。それがすごい腹が立つんだよね。「ただ聞くだけでいい」んなら、こっちが真剣に話を聞かずに話半分で「うんうん」って相づち打っててもそれで満足なのか?わたしは単なる「聞くロボット」か?っていうか、ただ話を聞くだけでいい、という考え方がわたしにはよく分からない。んなら誰にだって話せばいいじゃん。まぁ話の内容によって話せる相手と話せない相手がいることは分かるが。「ただ聞くだけ」ってなんかとても生産性がなく、不毛な感じがするのだ。多分傾聴だけの「カウンセリング」がわたしに合わないのはそれが理由だろう。聞いてもらうだけで物事が解決できるなら、そんなに楽なことはない。そんな楽なことを悩んでいるのかと思えてしまう。

これ、よく「男性脳」とか「女性脳」とか「男女の考え方の違い」とかに押し込められてることだけど、必ずしも男女ってわけではない。わたしは特に自分が男性脳だとは思ってない。それよりも環境的なものが大きいと思っている。

まあそんなこんなで、わたしは彼女に相談することもなくなったし(しても無駄だから)、彼女から相談されることも多分ほとんどない。てか、もともとわたしは彼女から相談されることはほとんどなかったのよ。うつ病だったから。心に負担をかける相談なんて、彼女はわたしにできなかっただろう。わたしの長引く病気が二人の関係性を変えてしまったってことは多大にあるだろう。

ただ「言っても無駄」という考えは、わたしの中に広範囲に支配してて、今では悩みどころか、何を考えてるかということでさえ、ほとんど言ってないかもね。

なんというのか。わたしの中では彼女はとても「頭のいい人」なのだ。もうずっと。出会ったときから。で、わたしは自分で自分のことを相当に頭が悪いと思っているので、わたしが知っていることくらいは彼女が知ってて当たり前だという認識がどこかにあるのよね。だから、彼女がわたしの知ってることを知ってないとものすごい腹が立つ。彼女が(わたしにとってだが)「そんなの考えてて当然だ」とか「くだらない考えだ」とかをわたしに対して言うときにすごい腹が立つのだ。「そんな低次元な考えしか持ってないの?」って。それが態度に表れてしまうのか、わたしはよく「人を馬鹿にしたような態度だ」と言われる。が、それはまったく違う。わたしは、自分の頭が悪いから自分が知っていることは最低限だと思っている。それも頭が悪い自分がとても苦労して身に付けた知識だ。だけどそんなことくらい、頭のいい人は知ってて当然だと思っている。知ってて当然だと思うから知らないとものすごく落胆する。というか、こんなわたしでも知ってることなんだから、頭がいいアンタは最低限の努力ぐらいしてろよと思う。だから猛烈に腹が立つのだ。わたしは自分が上に立って馬鹿にしてるんじゃなく、下からそう見えるから無性に腹が立つのだ。むしろ上からだったら全然腹が立たないよ。他人が知らないことについて「知らなくて当たり前」だと思えるんだから。

でも多分彼女は言うだろう。「そんなの買いかぶりすぎだ」って。だけど、わたしはそれがダメなのだ。わたしが一旦好きになったり尊敬する人になった人って、「わたしより頭がいい人」認定してるってことで、だからわたしは彼女以外の人に対しても、わたしが知っているようなこと、考えているようなことは相手は当然のことながら既に知ってたり考えてたりするのは当たり前、と思ってしまう。尊敬できる人はいつまでも自分の上にいるのが当然って、なんかどこかで自分の中に染みついちゃってるんだよね。だから、一度落胆させられると自分の中にすごいダメージがあって「もういい」ってことになってしまう。ちなみにわたしは大抵の人は「自分より頭がいい」って思ってる。自分が「最低」という認識がすごくあるから。あとそして「頭が悪いから」って言って諦めて努力も何もしてない人もダメなのです。頭悪いなら努力くらいはしろよって思ってしまうので。

まぁ彼女に取ってみれば「なんなのそれ」ってことになるかも知れないけどね。

ってことで、性格の違いやらなんやらをここ数年でやっと自覚することができたから、二人の関係性が変わって来ちゃったのかもね。

毎年3月は一年中で一番気分的に楽で調子のいい月なのだけど、今年は全然そうじゃなく、ちょっと体調がめちゃくちゃになってます。毎日勉強しなくちゃいけないのも理由だろうし、ちょっと最近精神的にいろいろ来てたので、それも原因だと思うけど、今まで不調だった背中の痛みとか息苦しさに続いて今度はめまいがして来てしまって。。ここ1週間は勉強も止めて休んでたんだけど、休んでてもあまりよくならない。耳鼻科に行ったら「良性めまい」って言われて「良性めまいはめまいがしてても休んじゃダメ。動かないと治らない」って言われたけど、めまいがしてるのに動けってすごい怖い(笑)
12:55 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-22 Mon , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その2(盛り上がってた駅のようす)
その1の続き。

去年は時間がそんなに余裕があるわけではなかったので、じっくりと駅を観察してくることはなかったんだけど、それでもいくつかの駅に行くと「ああ、スタンプラリーを盛り上げようと思ってるな~」って思える駅があった。そして、今年も。まずは去年に引き続いて大崎駅。ここは去年に引き続いて今年も何枚か、独自のポスターを作ってた。

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大崎駅の今年のキャラクターはベムスターだったんだよね。ちなみにベムスターは去年の東京駅のキャラクター。まぁ、わたしはウルトラマンの怪獣や宇宙人などについてはほとんど興味がないので、どの怪獣が人気者だったのかとかまったく知らないんだけど。ああ、駅がどのようなキャラクターを選択しているか、これを分析すると結構面白かった。「人気キャラ好き」な駅とか、逆にマイナーなキャラクターを敢えて選択してる駅とか。大崎駅は、去年もそうだったけど、今年もかな~り力が入ってた駅のうちの1つでしたね。

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よーく見ると、こういうさりげないところにベムスターもいて。ちなみにこれはスタンプ台の反対側の後ろの方にあったチラシ置きのところに貼ってあったような。あ、あと、スタンプ台の上の方にもこんなのが。上にちょこんとベムスターがいますね(笑)大崎駅はきっと、こういうポスターの図案作るのが好きな駅員さんがいるのかな?

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あと、去年に引き続いての駅はもう一つ、御徒町駅。去年はゼットンで、今年はゴドラ星人。ちなみに去年は十条のキャラクターでした、ゴドラ星人。駅からのメッセージを読むと、去年の十条も今年の御徒町も「人の姿に変身して誰かを騙した」とか書いてあるので、きっと、印象深い宇宙人だったんだろう。ただ、去年の御徒町駅は駅中にそんなにベタベタ貼ってあった記憶はないんだけど、今年はすごかった。。

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こんな感じで下の方にある「ひとこと」と「つぶやき」が書いてあったんだけど、全部で何種類あったんだろう?一応、探せるだけ探してきたんだけど。。

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これが「ひとこと」。ビミョーに同じようなものも若干入ってるけど(笑)しかしこれだけでも8種類。さらに

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これが「つぶやき」。全部で6種類だと思うんだけど。。これ以上はわたしは発見できなかった。しかし、全部合わせて14種類。すごいです。ポスター、見て回るの結構楽しかった(笑)

しかし、実はこれよりすごい駅があったんだよね、今年。っていうか、去年はまったく印象にないのは、わたしが見落としてたんだろうか。じゃーん、有楽町駅。

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キャラクターはお馴染みバルタン星人、ではなく(笑)、バルタン星人の子ども、バルタン星人Jrだそうです。こんな感じで「(スタンプ台は銀座口改札だ!)」とか書いてあるんですが。。

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なぜか手書きのままのものもあり、上から貼ってあるのもあり、、これはこれで味があるんだけど(笑)そして「順調・快調・有楽町!」。。誰がこんなオヤジギャグを考えたんだろう(笑)まぁこれはここの駅を利用しているサラリーマンに向けた言葉なのかも知れません。順調!とか快調!とか無理矢理思い込まないといけないサラリーマンなんかがたくさんこの駅を利用してるんだろうな。。(余計なお世話か)尾久駅とか四ツ谷駅ってのは、バルタン星人とバルタン星人(二代目)がいるところで、バルタン星人については、これはわたしでも知ってるキャラクターだから、かなり有名でもあり、だからこのキャラにすごいこだわりを持つ駅があるんだろうなー、って今年の駅のキャラクターを見たときに思った。だって、尾久駅も四ツ谷駅も去年も「バルタン星人系」のキャラだから。四ツ谷が去年は「セミ人間」(バルタン星人の原型と言われている)、尾久は「バルタン星人」。四ツ谷と尾久のバルタン星人へのこだわりは並みではないっすね。そして今年のこの御徒町駅もすごかった。改札を出てスタンプ台のところに行くと、

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こんなのが。さらにスタンプ台に近づくと

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そんなに並ばない人がいるのか(笑)っていうか、「勝負はまだ1回の表だ!」というのはどうやらこの「バルタン星人Jr」の口癖だそうです。「1回の表」ってのは当然野球の「1回の表」だろうけど、これも駅なりに利用している人たちを励ましてるんだろうな。っていうのは、実はスタンプ台は銀座口にあるんだけど、中央口の方に行くと

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じゃーん、こんなんがあったのです。言っとくけど、中央口にはスタンプ台はないのよ。なのに、これ。すごいなあ、有楽町駅。そしてこのバルタン星人Jrのポスターの一つ一つに「ひとこと」が書いてあるんだけど。

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ホント、すごいねこれ。わたしはたまたま中央口に降りちゃったんでこれを発見したんだけど、もしかしたら他の駅もスタンプ台置いてない出口にこんなにすごいものがあったりしたのかなあ。もちろん全部の駅の全部の出口を見て回ることは不可能なんで、他のところは見て回らなかったけどね。多分、今年、駅の盛り上げ方No.1は有楽町駅だと思います。

その他、今年から参加した羽田空港第1ビル駅。

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見たところ、4種類のポスター。ここは地下駅なんだよね。そして、去年は同じ地下駅だった新日本橋駅のキャラクターでした。あと、こんなのもあった。これは目白駅と北柏駅。

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走る子どもが多いんでしょうか。しかし、わたしが見たところ、スタンプ押してるのは子どもより大人の方が圧倒的だったけど。。てか、子どもは親に連れられるような本当に幼い子どもで、例えば小学生同士とかそういうグループは見た記憶がないなあ(笑)そして取手駅。

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これ以外にそっけなく「西口改札外」って書いてあるポスターもあったんだけど、なぜかそのうちの何枚かは「お待ちしています」が貼ってあったという。こういう統一性がないのを発見するとつい、面白くて撮ってしまう。

で、そうそう。取手駅はスタンプ台の横にこんなのが。

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かわいいよね。そして、

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取手は唯一の茨城県内の駅。茨城県マスコット「ハッスル黄門」って初めて知った。その横の猫のキャラクターも。

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左と真ん中は北柏、右は南流山で。常磐線とか東の方はスタンプ台横にちまちま飾ってある系、って感じかな?そういえば、南流山といえば、去年はここ、ウルトラマンでした。で、今年はウルトラマンジャック。ヒーローが好きな駅だよね、ここは(笑)で、去年は「当駅のキャラクターはウルトラマン!」って誇らしげだったから、今年はどうかなーと思って期待してました。

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左が去年。右が今年。今年もウルトラマンじゃなかったにも関わらず、同じように貼ってました。んで、去年は気が付かなかったんだけど、こういうポスターも。

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確かに今年は「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」なわけで、そういう意味では「帰ってきたウルトラマン」であるウルトラマンジャックは、やっぱ今年のスタンプラリーの「主役」なんでしょうね。

それから、ここからは単発になるけど。まず千駄ヶ谷駅のアボラス。

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これ、実はスタンプ台の裏側で、駅の改札から見える方向なんだけど、かわいくてつい撮ってしまった。こういうちょっとしたことがわたしは結構好きなんだよね~。ああ、そういえば千駄ヶ谷駅は去年は独自の怪獣ポスターだったんだよね。

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こういう感じの。これは去年の全64駅でも1駅だけじゃなかったかなあ?ちなみに今年は独自の「怪獣」ポスター作ったところはなかったですね。

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そして五反田のダダ。駅の改札出る前の一角がコーナーみたいになってた。後日書く予定だけど、五反田のキャラクターの選定理由は今年も笑えました。去年はペスターで、ペスターはヒトデの怪獣らしいんだけど、ヒトデ=五角形=五=五反田、が選定理由だった。今年は、、なんとなく分かるでしょう(笑)ちなみにダダは去年の西日暮里駅のキャラクターでした。

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金町駅のキャラクター「モットクレロン」の人形。スタンプ台の横に置いてあった。こういうの、誰が作ってるんでしょうか。。

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今年、怪獣のポスターは1枚もなかった浜松町駅だったんだけど、ここには「ウルトラマンSHOP」ってのがあったらしいです。そこに飾られてたのが、このウルトラマンの人形。まぁこれは、駅自体が今年選定したキャラクターを盛り上げようって趣旨ではないと思ってるけどね。

あと、番外編で。浜松町駅、新橋駅では駅で押したスタンプを提示すると、参加特典で駅周辺のお店で割引があったりしたようです。

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わたしはこれしか発見できなかったけど、もしかしたら、他の駅にも参加特典があったかも知れないですね。でもこれって完全大人向けな感じ(笑)しかし、こうやって駅周辺のお店もどんどん巻き込んでいくのは面白いかも知れないです。

その3に続く。次はいよいよ「駅からのメッセージ」編です。
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02-21 Sun , 2016
全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー2016!その1(ただしスタンプは押してない)
前に書いたように、1月12日から「帰って来たぞ!我らのウルトラマンスタンプラリー」というのをやってて、今年は去年と違って初めからやる気満々だったので、日にちに余裕を持って終わらせることができた。まぁ例によって画像処理に時間がかかってしまったので、今になっちゃったんだけど。これが集めたポスターの画像。

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全65駅中、62駅。去年は池袋だけ駅にポスターが貼ってなかったけど、今年はポスター貼ってないところが3駅に増えてた。ポスターが貼ってなかったのは、

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浜松町、馬橋、亀有の3つの駅。池袋駅は今年はあったのにね。。まぁこの中でも亀有は分かるのよ。亀有の今年のキャラクターは「クイントータス・キングトータス・ミニトータス」で、上の画像を見てもらえば分かるように、どうやらこの3匹(?)が一枚の画像になったものがなかったらしいんだよね。だから、作れなかったのかなあ?って気はしてる。けど、浜松町のゼットンなんか、去年は御徒町のキャラクターで、ポスターは作れないわけないし(しかも御徒町のポスターは独自のセリフが入ってて楽しかった)、馬橋も作るのは無理っぽいとは思えないんだけどな。まぁ馬橋は出口が1つしかないし、駅出たらすぐに分かるところにスタンプが置いてあったので、案内のポスターなんかいらないって思ったのかも知れないけど、ちょっと悲しかったな~。だって、同じく出口が1つしかない三河島は、

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出口案内が書いてあるところに「三河島駅」の文字。こういうのだったのよ。これでいいんだけどなあ。。

逆に池袋駅は今年もないだろうと思ってたら、結構あちこちベタベタ貼ってあったので、とても嬉しかった。っていうか、馬橋と亀有はまったく何もポスターが貼ってなかったんだけど、さすがに浜松町は、

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こんな矢印だけのポスターはあちこちにあり、、あれ。去年の池袋駅そっくり??ま、まさか、去年の池袋駅の駅長さん、浜松町駅に転勤したりしてないよね?(笑)

去年は「全駅集めよう」って決めて1日で全部回って(その前に集めてたのが21駅分あったので)、でも、途中で「駅からのメッセージ」も集めようって決めてからもう1回回ったので、スタンプラリーに使った日数は2日だったんだけど、今年は3日。それもわざわざこのためにだけ出たわけではなく、病院行くときとか、他の用事があったついでにその方面の駅を家を早めに出て回ったりしたもの。3日の内訳は、新宿から南側+新日本橋で1日、残りの山手線+総武線、中央線沿線で1日、残りの常磐線などで1日、という感じだったかな。

山手線の乗り間違えは今回は1回だけ。例によって電車が来てて出発しそうだったので、行き先も見ずに飛び乗ったら、今来た方向だったという。。これは去年、何回も同じことをしたので(アホですね)、今年は「1本乗り遅れてもいいから、今年は行き先を見てから乗ろう」と心に決めて、結局反対側に進んじゃうってことは、その1回しかなかった。てか、1回だけで十分って感じだよね。。同じこと何度も繰り返すなよって感じだよね。。しかし、常磐線は今年もよく分からないもんだから、何回か失敗した。快速と各駅の関係がよく分からん、あれは。あと快速も何種類かあるようで、最初はよく分からんもんだから、適当なのに乗って、取手まで最初に行ったのね。そこから東京方面に1駅ずつ戻ろうと思って。で、行きは各駅に止まって来たもんだから、帰りも全部止まるんだろうと思って取手駅に来たのに乗ったら、取手の次が柏でね。我孫子とか北柏とかすっ飛ばして戻っちゃった。まぁ、柏から我孫子行きが結構頻繁に出てるみたいだったので(千代田線経由の各駅の常磐線だよね、あれ)戻るのにそんなに時間はかからなかったんだけどね。

もう一つ。亀有から北千住でさぁ、着いた北千住の駅がどー考えても地下鉄で。「あれ?ここ出たら(地下鉄の駅でJRじゃないから)お金取られるんじゃね?」って思ってさぁ、もう一回亀有に戻ったのよ。でも、亀有って千代田線直通の常磐線しか止まらないみたいで。「???」って思いながらもう一回、北千住に戻って。これ以上行きようがなかったので、改札のところで「亀有から乗ったらこっちに来ちゃったんですぅ。本当は都区内パス持ってるから、JRなんですけど(汗)」って言い訳しようと思ってたら、北千住って、直接地下鉄とJRが繋がってるのね。。多分、去年も同じ間違いをしたはず。。去年は綾瀬から乗り換えられると思って、綾瀬駅のホームをずーっと歩いてたんだけど、全然行き先が違う電車の乗り換えホームだったってことしか覚えてなかったので、北千住で繋がってたことはすっかり忘れてた。てかあそこ、本当に普段乗り慣れてないと分からんわー。

去年「早く行ける」と思って使った埼京線の渋谷駅が飛んでもなく渋谷駅から遠いので今年は使わないようにしたとか、新日本橋に行くのに、総武線快速は東京駅で乗り換えると飛んでもなく遠く、しかも分かりにくかったので今年は品川から乗ったとか、そういう「改良」した部分もあったんだけどね。そうそう、去年迷った新松戸駅から武蔵野線乗り換えも今年はスムースに行った。

なので、今年は去年と違って割と全体的に余裕があったと思うんだけどな。疲労具合も去年は死ぬほど足が疲れたって感じだったのに、今年はそんなに疲れたとは思わなかったし。

ってことでその2に続く。今回は余裕があった分、駅に貼ってあるポスターなどもじっくり見て回れたので、その部分で発見したことなどを。

【追記】

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これにも書いたんだけどもさ。東京モノレールはわたしの出身大学の上を走ってて、大学在学中はよく大学の方からモノレールを見てたもんです。が、逆にモノレールに乗ることはなかったんで、いい機会と思って狙ったシャッターチャンス。これ、うちの大学のポンド側で停泊している「青鷹丸(せいようまる)」です。その手前にチラッと見えるのが「ひよどり」挺かな?うちの大学は3つ、大きな船を持ってて、この青鷹丸が一番小さくて約160トンだったか。一番大きいのは「海鷹丸(うみたかまる)」という船で、でかいので晴海に停泊してます。海鷹はわたしが大学生だったときは確か三世だったかな。1828.66トンだったか。しかし今は新しくてもっとでかいのができたはず。わたしは大学に入るまで、学校の中にポンドがあって、そして船が停泊しているということも知らなくてね。在学中はちょっと時間があるときは停泊中の青鷹丸に乗らせてもらったりしたもんでした(うちの学生だったら誰でも乗れたはず。まぁ当時の話で今はどうだかは知りません)。ちなみにポンドの反対側、モノレールの羽田進行方向の左側に大学のグラウンドや校舎が見えます。まぁそれも一瞬で通り過ぎちゃったけどね。

前に書いた天王洲アイルのことだけど。「随分昔の話になっちゃったんで、懐かしいかも」って思ったけど、よく考えたら当時は学校から歩いて行ったので(そういえば、当初は金網に穴が空いててすぐ行けてたんだけど、ほどなくして穴が埋められて遠回りせんといかんようになった)「天王洲アイル」駅で降りるのは初めてで懐かしさも何もなかった。。
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02-17 Wed , 2016
ゴールが見えてきたかも
先日、病院に行ってきた。

主治医に「薬、頓服程度にしか飲んでません」って言った。前回28日分出てたんだけど、主治医から「薬は好きに切ってね」と言われたので、調子がいいときは飲まず、なんかとっても息苦しいなあってときだけ飲んでたのだ。トータルして10錠は飲んだかな。なんだけど、7錠目くらいに「薬飲んだらだるくて起き上がれなくなる」ようになったので、そこからは半分に割って、半分だけ飲むことにしてた。そのことを主治医に言ったら「起き上がれないほどになっちゃいますか、あの量で」みたいなことを言われた。確かに、あれを1日1錠飲んでたときは、そんなことなかったんだけどね。まぁ考えられる原因とすれば、前に飲んでた薬より今回の方が軽かったので、前から続けて飲んだときはそんなに副作用がなかったけど、今回は頓服的に飲んだから、ってのと、あとは薬の成分が蓄積されると副作用が少量で起きやすくなる、んだったかな?ただ、後者の理由はちょっと考えにくい。その少し前まで飲んでて副作用は出て来なかったんだからね。だから多分、前の薬、ワイパックスが次の薬、アルプラゾラム「サワイ」0.4mgよりも随分強かったから、ワイパックスから移行したときはだるくなったりしなかったんだろうね、と思う。

で、今回はそんなわけで薬の処方はなし。ついに飲む薬がなくなっちゃった。

思い切って主治医に「いつまで病院に通うんでしょうか」って聞いてみた。そうすると「うーん、難しいんですよね~」って。だから「それは、うつ病3度目が治っても再発率が高いからですか?」って聞いてみたら「そうなんですよ」と言われた。まぁ、3回目から4回目の再発率って90%だとどこかに書いてあったので、まぁもう寛解状態になってるとしても、ほとんど再発確定なんだよね、、「予約が取りづらいので、このまま通い続けるという手もありますが」と言われたけど、わたしはもう5年近く病院通ってて、もうしばらくは病院と縁が切りたいので「いや、一回、病院通わなくてもいい時期が欲しいんですけど」って言った。わたしは安定した時期がもう3年以上続いてるから大丈夫だって思ってたけど、薬飲みながらの安定だったので、それはどうやらカウントしないようだ。あくまでも薬を飲まなくなってから、どのくらい安定しているかをみるらしい。「どのくらい安定してたら病院通わなくていいですか」って聞いたら、「まぁ次の診察の時にまたそれは考えてみましょう」って。相変わらず息苦しいのとか、背中がバリバリで痛いのとかあるので、少し暖かくなってどうなるかみてみましょうと言われた。次の診察は来月の終わり頃になった。

ということは、最短だと次の診察で終わりってことになるのかな。ちょっとゴールが見えてきたかも。

ただ、今、最近ちょっと過活動だったのか、ぶっ倒れてる。熱があって(と言っても、微熱なんだけどね)そして頭が痛い。今日は1日中寝てたけど、薬が切れるとまた頭が痛くなる。だるいくせにあまり眠れない。風邪なのかなあ。インフルエンザではないと思うんだよね。熱もそんなに高くないし。やることたくさんあるから、早く治って欲しいんだけどなあ。。

【現在の処方】
なし
22:48 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
02-16 Tue , 2016
朝鮮大×武蔵美×芸大「となりあえば」展に行ってきた
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時間はぐっと今に戻って、今年2月の話。

わたしがこの展示会を知ったのは、instagramだった。最近わたしはtwitterのアカウントも持ってないし、FBも全く見ない。なのでこの手の情報はほとんど得られないんだけど、なぜかinstagramのほうで情報を流してくれた人がいて、それで知ることが出来た。というか、流してくれた人は全く知らない人なんだけど、こないだ日記に書いた去年の11月の武蔵美×朝鮮大の「突然、目の前がひらけて」展に、偶然、同じ日に行ったみたいなんだよね。「同じ日に行ったみたい」というのは、観に行ったあと、家に帰ってから覗いたinstagramにその人も「来てます」って画像をアップしてたからだった。これにはびっくり!「わたしも今日、行きましたよ~」ってコメントしたんだけど、同日同時刻に行ったとしても、元々知り合いじゃないんだから、どんな人だか分からない。なので今もどんな人か知らない人。で、多分、そういうこともあって、その人はこの展示会について知らせてくれたんじゃないだろうか。非常に有難いことなんですけどね。

ただ、今回は前回と違い、事前に「この日のこの時間に行きます」という連絡をしなければならなくなったらしい。が、どうもその連絡先はtwitterのアカウントで、それを持ってないわたしは連絡できない。とても図々しい話だけど、仕方がないのでわたしはその情報をinstagramに流してくれた人に「twitterのアカウントがない場合は、どうやって連絡を取ればいいんでしょう?」ってコメントした。そしたら親切にもその人がいろいろ向こうとやりとりしてくれて「こちらのメールアドレスにメールしてください」っていうことにしてくれた。なのでわたしは無事、そのメアドに連絡して、そして行けることになったのだ。

なんでそんなめんどくさいやりとりがあったかというと、会場が朝鮮大学校の中の展示室だったからだ。要するに、校門の前で朝鮮大学校の人が迎えに来てくれて、それで展示室まで一緒に行かなければいけない、そういうシステムになってしまった。帰りもそう。朝鮮大学校の人が校門まで送ってくれる。「なんでそんなことしなきゃいけないの?」って思う人もいるだろうけど、わたしはその部分はあまりなんにも思わない。まぁ向こうにも都合ってものはあるだろう。それに実際、このシステムはわたしにとっては結構よかったなと思っているのだ。なんせ、行き帰りの間に彼らと話せるんだから。前の「突然、目の前がひらけて」は、前の日記にも書いたけど、展示している側(武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科双方)が誰もいなかったので、一言も何も話せずに帰ってきた。それはとてもつまらなかった。だけど今回は違う。展示会をやってる人と話せるのだ。これはわたしにとってはとてもよかった。おかげでいろいろ思ってることを話したり聞いたり出来た。前の日記でわたしが気になった作品について、

> (そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

って聞けたのも、実はそのときだった。

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行きに玉川上水を歩いているとき、ふと、空を見上げたら美しかったので一枚。冬の空。

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玉川上水ってよく聞くけど、実際のところはほとんど知らず。こんなに長いものなんですね。ここは本当にいい散歩コースだと思う。

14時半に学校の正門のところで待ち合わせ、と約束した割に、向こうが来てなくて(笑)なかなか来ないもんで「正門のところで待ってます」ってメール入れて。10分くらい待ったかな。実はちょうどそのとき武蔵野美術大学から予約なしで来た学生がいて、受付の前で「予約してないと入れないんですよ、今回は」って言われてたんだけど、ちょうどわたしがいて迎えが来てくれることになってるし、じゃあ、まあいいでしょうってことになった。案外、臨機応変だった。

迎えに来てくれた人はどういう顔の人だったか全く覚えてないんだけど(いただいた「となりあえば」展のパンフレットの後ろにこの展示に関わった人の全身写真が載ってるのだが、この人だっけ?それともこの人だっけ?みたいな感じ、、、行きと帰りの人は多分違ってたと思うんだけど、それすら記憶曖昧)、いきなり「朝鮮大学校に来るのは初めてですか?」って聞かれた。もう一人の武蔵野美術大学の学生さんは初めてらしかったんだけど、わたしは去年の11月に来たのが初めてだった、と言ったら「今回はこういう(迎えに来るという)形になってしまってすみません」と言われた。

「でも、こうやって外部から観に来て下さる人がいると、わたしたちはやっぱりとても嬉しいです!」って言ってた。まぁそれはそうだろうね、、やっぱり自分の描いた作品は、一人でも多くの人たちに観てもらいたいって思うのは、そりゃあ描いた人の本能だろうからね。

会場に着いたんだけど、今回は、その作品を描いた人が多分、半分くらいはいたと思う。受付のテーブルの前に座ってた。で、展示会を観に来た人は、わたしの観てる途中何人もいたけど、受付の人と話してる内容を聞くと、割と武蔵野美術大学の人が多かったように思う。

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ご挨拶

この度は、朝鮮大学校美術科、武蔵野美術大学油絵科、東京藝術大学芸術学科有志によるグループ展「となりあえば」にお越しいただき誠にありがとうございます。
2014年秋、武蔵野美術大学油絵科に在籍する、日本学校で日々を過ごしてきた金真希が朝鮮大学校美術科1年生に送った、両校の交流を望む1枚の企画書からこの展示は始まりました。両校の学生は展示会に向けて交流を重ね、今自分が表現しようとしていること、自分のアイデンティティ、互いの日常などについて対話を行いましたが、その過程で直視せざるをえなかったのが異なる日常を送るお互いの「隔たり」でした。隔たりを意識すべきかせざるべきか、互いの関係を構築する中で導き出したのが「隣人」という言葉でした。
隣人とは、何らかの壁によって隔たれ、自分とは異なる日常を送る決定的な他者でありながらも、同時代に生きる者としてふとした瞬間に交わり、私たちの日常を彩ってくれる存在です。意識しようがしまいが、私たちは常に隣人、そしてその異なる日常に挟まれて生きているのです。
昨年秋、先輩方が企画した朝鮮大学校と武蔵野美術大学を会場として開催された『突然、目の前がひらけて』では、両校の間に学生によって展示期間中橋がかけられました。それは互いの隔たりを認めつつ、同時代に生きる「隣人」として行った一つの取り組みの象徴であると言えるのではないでしょうか。
今回展示します各作家の作品は、それぞれの日常の発露であるとともに、作品同士、作品と鑑賞者、鑑賞者同士など、様々な関係における「隣人」という存在の可能性を示唆しています。
「隣人」としての取り組みがさらに私たちとあなたという「隣人」への広がり、「隣人」のいる日常への気付きとなればと思っています。
「となりあえば」展一同



まぁ来てみないと分からないことだったが、この展示は決して去年の11月の「架け橋」の第二弾ではなく、交流自体はこちらの方が先とのことだった。しかもこちらの方は武蔵野美術大学の方も「ずっと日本学校で教育を受けてきた在日、大学に入るまで民族教育を受けてきた在日、そして日本人」とメンバーもバラエティに富んでいるようで、そういう意味で、前の「架け橋」は「武蔵美×朝鮮大」イコール「日本人×朝鮮人」だったわけなんだけど、今回はそうじゃなかった分、彼らの関係もまた「架け橋」とは違ったものになっているように感じた。あとは「交流の長さ」も影響してるよね、多分。それから「若さ」ってのはあまり関係がないかな?ただ、作品の作者らはまだ現在大学2年生で、「架け橋」に比べると確かに作品はまだまだ若かったです。でも、それがわたしにとってはとても「新鮮」に思えた。まだまだこの先変わっていく可能性が感じられる、とでも言えばいいのか。なんかとても上から目線で偉そうですけど(^^;

作品を観させてもらったけど、印象に残るものが多々あった。

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もっとも印象に残ったこれだけ撮って来た。題名は「表では読み取れない否定」。この人の一連の作品も飾ってあって、それぞれとても抽象的なものだったけど、わたしは分かりやすいのよりこういう絵が好きなんだよね~(笑)ただ、その中でもこれはとても分かりやすいと思う。でもね。「表では読み取れない」って言ってても、裏の部分で使われている色が表でも見え隠れしているという。表はそれを別の色で覆われたりもしてるけど。それは時折混じる「チラチラとした本音」を表してるんだろうか。

その他、今でも印象に残ってるのは(画像には撮っては来なかったんだけど)、多分、武蔵野美術大学の在日の人の作品だったと思う。自分のアイデンティティについて、小さなキャンバス(というの?)に何枚にも描かれた作品だった。絵の上にトレーシングペーパーが被せられてて、そこに多分、その人の思いを描いたのだろう。その中でもとても印象に残ってるのは友だちと並んでご飯を食べてる絵で、そこに「友だちが味噌汁を飲み終わったときに『ああ、日本人でよかった』という言葉の自分の感じる違和感」みたいな言葉が描いてある作品。「ああ、そうだろうな」って思うの、わたし。一方でこういう「日本人」の声も聞こえてくる。「そこまで自分は少数者に配慮しなければならないのか。だったらおちおち味噌汁飲んだ感想も洩らせないではないか」と。

違うんだよな。まぁこれを描いた人は本当はどう思ってるかは分からない。分からないんだけど、わたしが思うに、問題は「味噌汁が美味しいと感じるから日本人で良かった」という言葉そのものではないと思うのね。きっとそこには普段からの日本人の言動、「日本国内には日本人しか住んでいないと思っている発言」や「本当は日本国内には日本人以外の人もたくさん住んでいるのにそれが全く見えてない発言」が頻繁に彼らの口から発せられてるんだろう。それに象徴されたものとして「味噌汁が~」になってるんだと思う。だから、普段から何気ない一言の中に「日本には日本人以外の人たちもたくさん住んでるよね(そういう存在がいることをわたしは知ってるよ)」ということが入っていれば、多分、その人が味噌汁飲んで「日本人で良かった」といってもさして気にはならないだろう、と思うのだ。なんにせよ「いないもの」として扱われるのが一番つらいこと。もちろん、何故彼らが今ここにいるのか。どういう経緯があってここにいるのか。そういうことはもっともっと知られていかなければならないことなんだけどね(でないと、「在日です」「日本語うまいですね」という会話は永遠に繰り返されるだろう)。

ただ、この作品はちょっとストレートすぎてね~。わたしはもうちょっと「わけの分からない要素」ってのが好みなのでね。

で、もう一つ印象に残ったもの。これは東京藝術大学の人の作品。あの人は何を専攻してる人なんだっけ。作品は写真にキャプション付けたもの、それから自作の冊子。そこにも写真と文章が書かれてた。故郷の、多分もう亡くなったおじいさんの話と、おじいさんがかつて住んでいた家と、その回りの風景の写真。おじいさんは戦争体験者らしい。時に軍刀を取り出して、とかいう表現があったので、多分戦争でどこかに行ったんだろう。なんか、中身には具体的にどんなことが書いてあったかよく覚えてないのだが、寂れた風景と一風変わった家の写真とともに、とにかくとてもひんやりとする作品だった。

在日が「自分は一体何なのか」というアイデンティティを模索する作品は実は描きやすいと思っている。少数者とはそんなものだ。だが、マジョリティである日本人が「自分は一体何なのか」を表現しようとすると、それはかなり大変なことだ。だって、この日本で日本人であることは大多数で「普通」のことなんだから、普通はとても表現しにくい。だけどこの人は「自分の身内」を切り取ることによってその冷ややかな視線でそれは何か、を表しているような気がした。まぁ尤も、「自分は一体何なのか」が描きたかったわけではなく、本来愛すべき身内とされているものを、それとは別の感情で遠くから冷ややかに眺めている視線、それがわたしにとってはとても魅力的に感じたのかも知れない。決して感触はザラザラとしてはいない、むしろつるんとした冷ややかさというか、いや、そこは物体ではなく乾燥して冷ややかな空気と言えばいいのか。そのような感触がとても気になった作品だった。

それからこの展示会、真ん中に机が置いてあって、そこに数冊のファイルが置いてあったのね。ええと、4冊くらいあったかな。それが結構また面白くてね。朝鮮大学校の人が2人いたことは覚えてるけど、あとは1人だったか2人だったか。4冊ともその人の「作品集」みたいな感じだった。その中の1冊、ファイルがラップでグルグル巻きにしてあるのがあって、あれも印象深かったな~。ヌードの絵を描いてる人なのか、なんか自分がヌードになった絵を描いたみたいなのね。とにかく自分がヌードになるのが恥ずかしかった、そしてその画を人に見せるのが恥ずかしかった、だったら、ラップを巻いて分かりにくくしちゃえ!という。でも描いてる絵はかなり抽象的な絵なのよ。ちょっとやらしいチックなのもあったけど(やらしいという言葉はかなり語弊で、やらしくはないんだけど、なんというか、これは男女の絡みなのか知らん、と想像できるような作品があった)。

朝鮮大学校の2人のファイル、多分、そのうちの一人はわたしが上に挙げた「表では読み取れない否定」を描いた人のものだったような気がする(なんといっても、わたしは人の名前はすぐに忘れてしまうので、気になった人の名前も忘れてしまうのだ(涙))。でも、壁には非常に抽象的な作品ばかりだったものの、その人が高校(というか高級学校)時代に描いたというファイルの作品を見ると、これまた全然違うんだよね、、なんかイラストみたいな絵ばっかりだった。「へー、こういう絵を描いてた人が、ああいう絵を描くんだ」って、とっても面白かった。

そして面白いと言えば、その朝鮮大学校の2人のファイルは、習作、と言えばいいんだろうか。「授業でこういうのを描いて、それでこういうつもりで描いて、でもこういう風に書けばよかったかなあ」みたいなことが書いてある。これはかなり面白かった。

絵、というものは、描いた絵によって表現されるべきものであり、その絵について「これをこういうつもりで描きました」と文字や言葉で表現されるってのは本来おかしな話ではあるよね。だって、そうじゃないとなんで絵でわざわざ表現するの?って話になってしまう。そして受け取る側も本来はどういう受け取り方をするかは自由なはず。だがしかし、受け取る側はいつも不安なのだ。「これ、本当にこの解釈でいいのだろうか。描いた人は本当にこういう意図で描いているのだろうか」と。描いた本人は案外「どういう形で受け取られようが自由」って思ってる人が多いにも関わらず。わたしなんか何度も表現した人から「あ、そういう風にも思えるんですね~」と言われ、「あ、そういう意図で表現したんじゃなかったんだorz」って思う場面があり。だから本当にそれは気になるところなんだよね。

なので、こういうものを見せてもらえるととても有難いし、こういうものが見られるのは、とても貴重な機会なのだ。

中にね、朝鮮画の習作なんてのがあって、それもとっても興味深かった。朝鮮画っていうのは、そのファイルを見ただけの範囲だけど、水墨画のようで、でも多色なのよ。それがとっても鮮やかでね。習作なので決してうまいとは言い難かったが、それでも「こんな感じ」というのはよく分かって。それを観られたのも、とてもよかった。

わたしは本当は歴史より、朝鮮半島の古くからの文化や風習、あとは民族音楽、みたいなのに興味を持ってる。だけど、それを知ろうと思うと案外大変なのね。もしかしたらわたしはまだ「きっかけ」というものが掴めてないのに過ぎないのかも知れないのだけど。何しろ現在はいわゆる「北朝鮮」と「韓国」に分かれてしまっているので、古くからの文化や民族音楽がそこに「共通」してたのものなのかもよく分かんない。ただ多分、明確に分かれてしまったのがここ60年の話なので、そんなの、今までの歴史からするとほんの一瞬に過ぎないとは思うんだけど、それでもわたしは「別々のもの」と捉えざるを得ない。本当なら、別々なところから情報が来て、そこで「ああ、これは同じだ」とか「これが違う」とか判断できればいいのだけど、今の日本では韓国の方からは圧倒的に情報は得られても、いわゆる「北朝鮮」からはそういう情報はまず得られない。だからいくら韓国からの方のものを見ても、それは自分の中ではイコール「朝鮮半島の文化」でなく一旦「ペンディング状態」になる。それはとても悲しいとは思うんだが、まぁでもそういう状況を作ってしまったのはこの日本、というわけでもあり(もちろん100%とは言わない)、それを考えると「どうすればいいのだろう」ということになるのだが。

まあそんなこんなで、とにかく、わたしは中央の机に置いてあったファイルもとても良かったと思う。

で、帰りにまた校門のところまで朝鮮大学校の人に送ってもらったのだが、この展示会の感想など言ったり、またはちょっと聞きたかったことなど聞いたりして、それはとても楽しかった。今回のこのグループは全員大学2年生らしいので、今後交流を更に深めて、また展示会やってくれないかな~と思った。この人たちの絵がどういう風に変わっていくかを見たいと思った。

帰りの電車の中で、もらったパンフレットに書いてあったこのグループ展に関わった3人(朝鮮大学校、武蔵野美術大学、東京藝術大学)の対談(というか一人は司会なんだけど)を読んだ。対談を読んで、この展示会は前の「架け橋」の第二弾でもなんでもなくて、そういう位置づけをしてはならないんだろうけど、わたしは正直、こちらの方が肩肘張ってなくていいなあって思った。もちろん、この中でも「歴史認識」というのは重要な作業で、それなりにいろいろあったらしい。が、今回は武蔵野美術大学の方に多様な人たちがいたためか、それとも集まったメンバーの性格に因るのか、なんか「架け橋」の時に感じた悲壮感、困惑感ってのは全く感じなくて。なんかこのパンフレットによると「架け橋」の人たちはみんな「ストイックな性格」だったようですが(笑)そして本当のところはどうだったかはパンフレットだけではよく分からないんだけど、そういうところはこのメンバーでは軽々と乗り越えてしまった感はあった。もちろん「どちらの方がいい」という問題ではないのは分かってるけど。あとそれと。「架け橋」の方は、武蔵野美術大学側の一方的な思いで、朝鮮大学校側は果たしてどう思っているのか、それが直接的にはよく分からない感じになっていた。が、今回はパンフレットを読んで分かるように「双方の対話」が分かるのね(あ、パンフ自体は前の「架け橋」もあって、それを読むと双方の対談にはなってる。が、実はわたし、あれまだ全部読んでないのです(汗)時間がないのもあるが、細かい字でたくさん書いてあるので読むの結構大変そうなので後回しになってる)。なので、今のところの感想に過ぎないけど、こちらの方が親しみが持てる展示会だったな、と。そういう意味ではどうしてもこちらの方は「第二弾」ではないんだけど、第二弾として自分の中ではつい、位置付けてしまってます。「架け橋」から進化した、という意味で。いや、本当は違うのはよく分かるのよ。だけどつい、ね。

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帰りの玉川上水。そんなに長時間観てたってわけではないのに、もう夕方の雰囲気でした。
16:12 | その他 | トラックバック(0) | page top↑
02-12 Fri , 2016
God Bless Baseball(作・演出:岡田利規)
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これまた去年の11月の話。
てか、11月の話、どのくらい溜め込んでたんだっていう。。
(それもこれも結局は画像処理がネックだったってことで)

題名の「God Bless Baseball」というのは、演劇です。
これ、作った人は「日韓関係」を描きたかったみたいです。
といっても、いわゆる「歴史問題」とこの作品は全く関係がないです。
「野球」というものを通して、日韓とそしてアメリカ、の関係を描いてます。
どちらかというと、わたしは「日韓関係」というより「アメリカ」と「日韓」の関係を描いた作品だと思いました。

てか、わたしは大学生の頃、友だちがある小劇団(といってもかなり有名だった。今でもその劇団はあるみたい)に入ってて、
友だちに「今度これやるから観に来て」と言われては、
別の友だちと連れだって下北沢までよく観に行ったものだった。

その劇は、解釈が難解で、正直「結局この劇は何が言いたかったのだろう?」というものばかりだったが、
しかし、何が何だかよく分からないけど、なんとなく考えさせられることが面白かった。

この「God Bless Baseball」もちょっとそんな香りのする演劇だった。
とはいえ、そんなに難解な劇でもなかったとは思ってるけど。

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いつのことだったかは忘れたが、偶然、豊島区の中央図書館のある建物の前を通ってたときだった。
建物の前の柱に、この「God Bless Baseball」のでっかいポスターが貼ってあった。
それに気が付いて「へー、こんなのやるんだ、面白そうだな」って思ったが、結構高かったので最初は観に行かないつもりだった。
が、とてもとても気になった。第一、わたしは根っからの野球好き。
野球好きといっても、日本の野球にしか興味はなく、大リーグは全く興味が無いし、
韓国の野球については、若干興味があって、'90年代によく買ってた「週刊ベースボール」の中に
今は知らないが、その当時は1ページずつ韓国の職業野球、台湾の職業野球のページがあり、
それはわけが分からないながらも毎回読んでいた。だから、その当時、韓国にどういう名前のチームがあるか、くらいは知っていた。まぁそんな程度の野球好き。

しかし、この作者は野球は好きじゃないという。
一体、どういう視線で野球が描かれるのか。
それにとても興味があった。

すごくすごく考えて、そして「やっぱり観に行こう」って思った。
だって、映画だったらリバイバルの可能性はあるけど、
演劇って、多分ほとんど可能性はない。
あとで「やっぱり観に行けばよかった」って後悔するのが嫌だったから。

演劇に関して、どこまでネタばらしをしていいのかはよく分からない。
いつ、どこでこの劇がまた再演されるか分からない。
しかも、この劇、わたしが観に行った時点で既に韓国では上演されていたが、
アメリカでの上演は今年だという。今年のいつかは知らないけど。

舞台装置が、面白かった。
舞台装置を作ってる人も有名な人なんだそうな。そのときは知らなかったけど。
高嶺格さんって人。

舞台中央の上部にでっかい白い太陽みたいなのがあって。。
それは、「アメリカ」であり「父」であり。
最後はその「化けの皮」を剥がすのか、それとも解体させるのか。
あれは結構象徴的な行為で面白かった。

てか、わたしがこう書いても、観てない人にとってはなんのことやら分からないなあ、これでは。

トータルで言うと舞台上に4人の人が、そして実態は現れないけど「声だけ」の人が1人、出てきます。
舞台の上の4人は、2人が日本語を話す人、2人が韓国語を話す人。1人が男性、2人が女性、そして1人がイチロー。
「声だけ」は英語。英語しか話さない。
日本語、韓国語、英語がすべて分かる人が観客ではないので、台詞の大半は舞台の左右に1つずつあるスクリーン(?)で
日本語字幕、韓国語字幕、英語字幕が写るようになってた。

面白かったのは、日本語話者=日本人、韓国語話者=韓国人、じゃなかったところ。
劇を観る人の先入観としてそういうものがある。
その認識を見事に覆してくれて「わー、面白い」と思った。
とすると、舞台上に出てきた人たちの役は、日本人はイチロー含めて2人、韓国人が1人、国籍不明が1人、ということになるのか。

最初、「野球なんてルールが難しくて全く分からない」ということが蕩々と述べられる。
んー。イライラ。。
確かにサッカーと比べるといろいろ難しいかもね。
しかし「なぜ3ストライクで1アウトなんだ」とか「なんで表と裏があるんだ」とか「なんで9回まであるんだ」と言われても、
そこに明確な理由などないわけで。だって、そういうルールなんだから!
スポーツってものは、ルールがあるからこそスポーツで、しかも野球はそんなに難しいルールではない。
わたしは野球のルールが難しいと思ったことがない。小学生の頃、テレビを見て自然に覚えた。
ただ、野球があまり好きではない人にとっては、「野球好きじゃない理由」として、
そういうところにいちいち引っかかりたいのかな、という気はした。

てか、ここまで書いて、ほとんど「話の筋」を覚えていないことに気が付いた。
印象的な場面はここそこにあるんだけど。どこでどう繋がってたのか、もうほとんど覚えてない。

日本と韓国、それぞれの野球が始まった話。
野茂英雄とパクチャンホの話。
ヘテ・タイガースの話。
「みんな背番号51を付けてイチローになろう」
イチローの背番号51と台湾の51クラブの話。
「危ないから傘の中に入っていろ」というイチローの脅し。
アメリカの声は父の声でもあった。
「本当は野球なんて好きじゃなかった!父に無理矢理に野球チームに入らされた!」と叫ぶ日本人(しかし韓国語話者)の男性。
終始傘の中に入るのを拒否し、舞台装置に立ち向かう、国籍が明らかでなかった女性。
徐々に壊れてドロドロになっていく舞台装置。

野球、を巡っての話のはずだが、国の関係性も象徴している。
そういう意味では日本も韓国も同じ。

だから最初に書いたように「日韓関係」というよりは「アメリカ」と「日韓」との関係を描いた作品のように思えた。
だって「日韓」の配役と言語は入れ換えられるけど、「アメリカ」の言語は他とは入れ換えられない。
「アメリカ」は「英語」じゃなくちゃいけない。

面白かったです。
11:58 | (一般)映画・演劇のこと | トラックバック(0) | page top↑
02-11 Thu , 2016
第685回東京YMCA午餐会「ドイツの今」
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これも引き続き去年の11月の話。

まぁこれもひょんなところで知ったんだけどね。
てか、「午餐会」ってどう考えてもとってもキリスト教的な香りがするじゃん?
「午餐」の「餐」の字なんて「最後の晩餐」の「餐」と同じ文字だし(とてもくだらないこと言ってるような気がする)。
しかも場所がYMCAって、そりゃ、当然にキリスト教的なところでしょって。
なので、事前に予約するときに「キリスト教の信者じゃなくても参加できますか」ってメールで問い合わせしたら、
「信者じゃなくても全然構いません」
って回答が来たので、なら、参加しますってことで。
ご飯付きで参加費3,000円。

あー、参加の理由は単純な話。

「ドイツはなぜ今現在も謝り続けることができているのか」

これについて知りたかった。いや、もっと言えば、ドイツだって敗戦直後からずっと謝り続けていたわけではない。
強制的に働かされた人たちがアメリカの裁判所にドイツの企業を訴えた、ということだってあった。
(その昔、アメリカでは自分の国と全く関係ないものについても裁判できたそうな)
その補償は最初はごく一部の人たちだけだった(これは結構有名な話で、例えば強制収容所に入れられたユダヤ人の補償は真っ先に行われたが、同じように入れられた男性同性愛者についての補償はもっとずっと後だった)。
ドイツだって最初から率先して謝罪行為をしていたわけではない。
それがどうして、いつ、それが変わったのか。
どういうことがきっかけだったのか、その当時の国民の間ではどういう議論が起こったのか。
それが知りたかった。

というのも、この年の8月14日に「戦後70年 東アジアフォーラム-過去・現在・未来-」というイベントに出席してきたのだが
そのイベントにドイツから「記憶・責任・未来」財団の理事会アドバイザーって人が来ててね。
いろいろドイツのことについて話してくれたというか、わたしが印象的だったのは、第一部の記念講演の方ではなく、
課題別シンポジウムの方で話されたことなんだけど。

ドイツでは、今まで国防軍による「売春宿」(レジュメを翻訳した人によると、原稿を日本語に訳すときに「慰安婦」という言葉を最初は使っていたのだけど、どうも「慰安婦」という言葉にそぐわない。実態から考えると「慰安婦」よりも「売春宿」の方が適確だろうということで、この言葉に訳した、とのことだった)での女性強制性労働については全く注目されてこなかった。それはなぜか?「あった」んだけど、その他の方が中心となってしまって(ドイツはアウシュビッツなどの方が大きかったので)、それにかき消されてしまった、とは言っていたけど、やはりその中にも「その問題はとるに値しない問題」として放置されていた現状も確かにあった、みたいなのね。

で、その人は「この問題(慰安婦問題)は日本の方が進んでいます」と言っていた。
が、わたしは「そんなのすぐにドイツに追い抜かされるよ」って思った。
だって、その姿勢が全然違うもの。

しかし、そこでは「国民が自分たちが加害行為をしたことについて、どう思っているのか」ということは一切話されず、
というか、話す人が「そりゃ、謝罪するのは当然でしょ。で、どうすればそれが『謝罪』になるかなんだよね。それはやっぱり補償金払うことだよね」
という感じだったので、「こりゃ、次元が全く違うわ」と思い、
(しかし、補償金を払えばコトは済む、という趣旨で言ってるわけではもちろんなく、
根本に「謝罪し続ける姿勢」は絶対に忘れてはならない、その記憶は未来にも引き継ぐ、とのことでした)
それで「なんで日本とドイツはこんなに違いがあるんだろう?」と思って、
その後に一冊「日本とドイツ ふたつの『戦後』」という本を読んでみた。
なんか、そのことについて書かれてるかな、と思って。
んだけど、わたしが知りたかったことは全く書いてなかった。
(多分、これに関しては、別の本が出てると思うので読んでみたいのだが、今は時間が、、)

ちょうどその頃にこのイベントのことを知り、
「あ、じゃあ、ちょっといい機会だし、参加してみるか」って思ったのね。
だって、ドイツのこと、わたしは本当に何も知らないのだもの。
大学の第二外国語もドイツ語じゃないし。

会場に入ったら、その雰囲気の違和感に圧倒された。
まぁ、偏見と言ったら偏見なんだろうけど、ものすごく宗教臭い。
来てる人の雰囲気が、来てる人はほとんど高齢のおっさんばかりだったのだが、
なんというか、上品というか、穏やかというか、ちょっと気持ちが悪い感じ←
大声でゲラゲラ笑う下品なおっさんとか全くいない。

しかも会場の中ではうっすらクラシックのような上品な音楽が流れている。。
(こーゆーところは、わたしみたいなガサツな人間はそぐわない!!)って心の中で思った。

取り敢えず、お重のある席に座った。

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三段重ね。食べてるときに弁当の中身の画像を撮りたいと思ったんだけど、
それは恥ずかしいので止めました。まぁ普通の仕出し弁当でした。

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時間になり、式次第通りにコトは進んでいく。

最初の「開会の祈り(食前の感謝)」は、ホント困った。
って、もう何を話されたか具体的なことは覚えてないけど、雰囲気に違和感を感じて困ったことだけ覚えてる。
あ、例え他の人がみんな手を組んでお祈りしてても、わたしはしません。
だって信じてないんだもの。形だけマネしても意味ないし、第一信じてる人に失礼じゃん。
と思って、葬式以外の宗教行事に対しては、そういうときはただただボーッとしてます。

次の「Peace」ってのは、要するに「いただきます」ってのと同じことだと理解した。
「前と左右の方とご挨拶」と式次第には書いてあるが、
そうそう「Peace」とは言えんわな。

で、黙々とご飯を食べる。
てか、なんか緊張してご飯はどこに入ったのかさっぱり分からん感じだった。
だいたいわたしは人見知りなので、こういうときはまず誰かに話しかけたりはしない。
そして、わたしの外見はとても話しかけづらいのだろう。
誰かから話しかけられるという経験もほとんどない。
しかし、心の中では「誰か、わたしに話しかけてよ~。ここに迷える子羊ちゃんがいるんだから」と思っている。
まぁそんなことはどうでもいいか。

ご飯を食べ終わったらいよいよ、今回のゲストである小塩節さんって人のお話が。
てか、この人、結構有名な人らしいのよね~。
NHKのドイツ語講座とか担当した人らしい。
てか、その前に駐西ドイツ大使館公使、だったらしい。
大学の先生でもある。
1931年生まれって書いてあるから、結構なお年の人。

話は確か、日本とドイツの関係、から話したと思う。
てか、ほとんどもう覚えてない(^^;

最初にドイツに日本を紹介したのは、ケンペルって人で、この人は将軍綱吉に会った、とか。
で、そこで「小鳥だったら」という古いドイツの歌があるのだが(わたしはこの歌、小学生の時に習った)
それを将軍の前で歌ったらしい。
というわけで、そこで小塩さんはドイツ語で「小鳥だったら」を歌いはじめた!

小鳥だったら小鳥だったら飛びたいな
海を越えて 海を越えてどこまでも

青い空は青い空は広いんだ
だけど僕は だけど僕はチビだもの

大きくなったら大きくなったら飛行機で
世界一周だ 世界一周だ僕の夢

世界一周だ 世界一周だ僕の夢

ま、こんな感じの歌詞でわたしは習ったんだけど。
ただ、「飛行機で」とか、まぁ綱吉の時代にあるわけないから、
この日本語の歌詞はとってもとっても新しい、ってことだろう。
だけどメロディー自体はとても古くからある歌なんだってね。知らなかったけど。

あとはシーボルトとシュリーマン、だったっけな、日本と関係したドイツ人。
シーボルトはドイツに日本のイチョウを持って帰ったんだってね。

一番印象的だったのは、森鴎外の話だった。
てか、結局その話で分かるだろうけど、戦後のドイツの補償とか、そんなことについてはほとんど話さなかった。
まぁ、そうだよね。大学の専門、別にそういう関係ではないし。

森鴎外がドイツに留学して、そしてドイツ人の恋人がいたってのは有名だろう。
だって本人が「舞姫」とか書いてるもんね。
でも、どうやらその恋人を「捨てた」ってわけじゃなく、毎月お金を送金していた記録が出てきたとか?
それから、脚気の話もしたな。
当時、脚気の原因は分からなくて、陸軍の方はぴかぴかの白米が配給で食べられることが
当時の兵隊にとってはとても喜ばれて、でも、白米は配給でも、おかずの方は自費だったので、
みんな梅干し1つでご飯何杯も食べてたとか。で、脚気になっちゃった。
海軍の方は麦飯混じりで、それがとても不評だったけど、脚気の人はいなくて。
でも、不評だったので白米に変えたら、脚気が蔓延した、とか。
しかし、これと森鴎外の関係はなんだったか忘れた。
森鴎外は陸軍の軍医だったんだけどね。

あと、森鴎外の出身地は石見の国、だから島根県、になるのかな?
いや、津和野だから山口か。(津和野は島根県です!よく「萩・津和野」って観光地で一緒くたにされて、そして萩の方は山口県なので、津和野も山口だと思ってた時代があり)
彼の墓のことはとても有名だけど、
でも、生前、森鴎外は地元に1回も帰らなかったそうだ。

その理由はどうも、長崎から隠れキリシタンが津和野に連れて来られて、
そこで虐殺かなんか起こったんだよね。森鴎外の父親がそれに関係してたか、幼い森鴎外がそれを見たのか。
そこは忘れちゃったけど、どうやらそれですごい「贖罪の意識」があったらしい。
だから、死ぬまで故郷に帰らなかったんだと。

とはいえ、森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったらしいが、
しかし、著作の中に(なんだったか忘れた)とてもキリスト教的な一説があるらしい(それも忘れた)。
森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったけど、キリスト教的なものは彼の中にはあったのではないか、
そんな感じの話だった。

あとはドイツの経済的は話を少し。
あのときはちょうどフォルクスワーゲンの排ガス不正問題が大きかったときだったので。

てなわけで、今、覚えている話はこれくらいしかない、、、

まぁ、自分の知りたいこととは全く掛け離れてた話だったが。
しかし、「集団の中に入って感じる違和感」ってのが、この頃のわたしにとっては非常に面白く。
というのは、この国に住んでて、「違和感」を感じるときって、あまりないんだよねえ、わたし。
なので、この場所も結構わたしにとっては「おー、違和感、感じてる、感じてる」と思ってたんでした。

ただ、この頃は自分にとって割と違和感のあるところにばかり行ってたこともあり、
たまに違和感のない場所で、違和感のない人たちとしゃべると、とっても開放的なんだなあ
ってことも感じてて、人間って面白いなあって思ってました。
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02-10 Wed , 2016
武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展に行く
これ、去年の11月の話です(^^;

なんの記事にしてもそうだけど、画像を挿入する場合は、画像をそのまま使えなかったりするので(ここのブログの設定が、画像1枚2MB以内に決められてるのでそれに合わせないといけない)そういう作業で書くに至るまでの時間が結構かかる。旅行記が止まってる理由も同じです(^^;旅行記の場合は画像の選択などもあるので、その作業すらめんどくさい。。

という言い訳はこれくらいにして。

わたしが行った、この、武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展は、新聞記事などにもなってたので、結構色んな人が知ってたんじゃないかと思う。2015年11月13日から21日まで武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の共催で行われた展示会だ。といえども、実は展示会ではなく、両校の間に掛けられた「橋」の方に焦点が当てられていたような気がする。というか、わたしも行く前まで「橋」が作品だと思ってたし、行ったときにギャラリーに展示されてる絵はあったんだけど、ほとんど鑑賞するという感じじゃなかったから。行った後に「しまった、もう少し個々の絵をちゃんと見てくればよかった」って思ったほど。なので、当然のことながら撮って来た画像も橋やその周辺のことが中心になってます。そこのところは今でも本当に残念。。

さて。武蔵野美術大学と朝鮮大学校、当然のことながら(と言っていいのかは分からんが)今まで無縁だったので行ったことがないところです。正直、芸術系の学校なんて、本当に無縁なので「一体、どういう人たちが通ってるんだろう?」って思ってドキドキしたほど。ただ、最寄りの駅から歩いて20分ばかりかかるところにあるんだけど、行く途中は玉川上水のほとりをずっと歩く、本当に景色の素晴らしいとこだった。

展示室は学校の中にあるので、当然学校の門をくぐらないといけないのだが、迷わず武蔵野美術大学の方から入った。てかやっぱり朝鮮大学校にいきなり行くのは怖いって思いは確かにあったのは事実で。で、わたしが到着したときはお昼をちょっと過ぎてたので、お腹が空いててね。駅前はご飯が食べられるところが見つからなくて(かなり寂れてたので驚いた)、なので「あ~、どうせ学校の中には学食あるしな」って、展示を見る前に学食でなんか食べようって思った。で、校門のところにいる守衛さんに「今、朝鮮大と共同の展示会が、、」って話しかけたらすかさず「ああ、『かけはし』ね」って言われ。そのときに初めてこれが「架け橋」って呼ばれてることを知った。守衛さんはわたしに「あちらでやってます」って教えてくれたんだけど、その前に「すいません、お腹が空いたので学食に行きたいんですけど」と聞き直したら「じゃああちらです」って教えてくれた。「こういう形の建物で」って教えてくれたんだけど、初めて学校の中を歩く時ってなんであんなに緊張してしまうんだろう。

案内された建物の中に入って、地下1階の学食に行く。

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どうやら守衛さんに教えてもらったのは「第二食堂」らしい。てかなんで第二??第一はどこなん?「第九じゃない、第一だ!」ってかなり古い上にローカルなネタですが(笑)、まぁそれは全く関係がないとして、なぜ第二を教えてくれたのか、今でもそれは謎のうちの1つだったりする。。第一は古いんですかねー?別の校舎にあるんですかねー?

ショーウィンドウにいろいろな食べ物が載ってたが、こういうのから選ぶのはかなり苦手なので、無難なところで味噌ラーメンにする。こういうところで迷ってると部外者だとすぐにばれてしまうので(実際のところ本当に部外者なのだが)「いや、いつもここ使ってます」みたいな顔してようと思いつつ、やはり食堂のシステムがイマイチよく分からないので、まぁ思いっきり部外者でしたね(^^;

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確か「特製味噌ラーメン」だったか?味はまあまあだった。で、座って食べてると机の上にあったこんなのが目に入ってきた。

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「なにこれ?」と思って読んでみると、何故この学校に自分はいるのか、みたいなことが書いてある。一瞬「これって受験生向け?」って思ったんだけど、11月って全然受験の時期じゃないし。それに学校が作ったわけでもなさそう。家に帰ってから調べてみたら、これ作ったグループがあるみたいね。ただ、エピソードは今のところこれが最新みたい。残念、結構面白かったんだけどな~。でもこういうのを作って制作して学食に置く、なんてさすが美術系大学だなあ、なんて思った。

それ以外にも、これはまったく撮ってこなかったんだけど、学食の入ってる校舎はいろんなチラシが置いてあったり、貼ってあったりして、これも芸術系だなあって思った。いろんなチラシってのは、美術展もあったけど、なぜか演劇のお知らせなんかもあって、あー、こういう活動してる人が多いんだなあって思ったり。あと、学内のところに作品らしきものがちらほら見えたりして、そういうのを観察するのも面白かった。ただ、美術系の大学だからと言って、構内を歩いてる学生は他の大学とそんなに変わらない気もしたんだけどね。もっと派手な人とか歩いてるかと思ったのに(ってこれは偏見か(^^;)。

特製味噌ラーメンを食べた後、早速展示会の会場に。ただこの展示、学内に知らせるチラシなどは一切見当たらなくて「本当にこっちなの?」ってちょっと不安を覚えたよ。だいたい校舎の前ですらなんの知らせもないんだもの。。でも、そこの校舎に入るときに、ぷーんっていい木の香りがしてね。なんと言えばいいのか、えーと、材木置き場の匂い?それがとっても印象的だった。でも「なんで木の匂いが??版画とかで使ってるとか?でも版画の木でこんな校舎中匂うような木ってどんなに巨大な木なんだ?そんな版画があるんか?」ってわけが分からなかった。そんで誰に聞いたんだっけな、ああ、受付にいたあの子かな?「ここの校舎に入るときに木のいい匂いがしたんですが、あれはなんですか?」って聞いたら「木の匂いなんかしますかねー?ああ、多分彫刻学科でしょう」と言われた。彫刻!確かに版画より匂いそうだね←?

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これ、会場に着いたときに一番に目に入ったもの。でも、その横の展示室は

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これ、だったのよ。この時点でよく分からなくなってて。「え、橋じゃないの?橋はどこ?」って感じだった。結局、その場でいろいろ見た結果、橋はただ、両校の展示室を繋ぐものに過ぎない、ってことがようやく分かったのね。記事でもなんでも「橋が架かった」ってことに焦点が当てられすぎてて、そこに何か展示してるものがある、なんて知らなかったのよね。しかも、この橋を架けるということの作業が注目されすぎて、わたしもそのときはそこにしか目が行かなかったものだから。。画像には一切、人は写り込んではないんだけど、実際のところ結構人は来てた。思ってたよりたくさん。ちなみにわたしが行ったのは、17日(火)なので、平日の昼間にも関わらず、って感じだった。

取り敢えず中で何をやってるのか全く分からなかったが、中に入ってみた。展示してある絵は観たんだけど、あんまりしっかり観てない。。入口のところに橋を架ける際に話し合った年表(と言えばいいのか)と、そのときにメンバーが思ったことであろうことが付箋に書いてあってそれが貼ってあった。これも全体図を撮ってくるのを忘れた。。

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まぁ、こんな感じで書いてあったり貼ってあったりするものです。これが2mくらいあったかなあ?初めから読んでいると、もう、そのものが「わたしが思ったことがある」こと、だった。。この中には武蔵野美術大学側、の人たちが思ったことしか書いてないのね。朝鮮大学校の人たちの思いは直接自分で書いたものではなく、話し合ったときの印象深い発言を武蔵野美術大学の人が「書き留める」というだけ(例えば上の画像で行くと「チョンオギ『ふわふわとした嫌な気分』」の付箋など)。思いは一方方向、なのです。マジョリティー側の思い。最初の方は「会話噛みあわず 何を話せばいいのやら」とか「お互いを知るとは 一体どういうこと」などの途惑い。

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「ただ一緒に展示できればいいの?どういう展示にしたいの?」「展示会の意義を考える。どういう姿勢で?」「ちょんおぎが書いていた(書簡に)「多文化共生」「異文化交流」について ちょんおぎにとってそれらはどういうもの?」

まだまだここから始まったばかり、という感じ。でも当然のことながら、展示会、まぁ世の中にはいろんな美術作品の展示会があるけど、みんなこういうこと、真剣に考えてやってるんだろうな。共催となれば、ましてやいろんな立場が違い過ぎる人たちと一緒にやるということってね。

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「在日20世はどうなっていると思う?」

実は、わたしにとってはこの言葉がそのときはとても印象深かった。というのは、前の日記に金民樹さんのマダン劇「我が家のイヤギ」を観に行ったことを書いたんだけど、その劇の一番最後に年を取っておばあさんになった主人公がいうのね。「在日一世、二世、というのはこの日本で一歩、また一歩歩むということなのかも知れない」って。だからその言葉を借りると在日20世、ってのは、20歩歩んでる人、になるんだよね。これを見たときは「おお!」としか思わなかったけど、今はこの言葉はとても複雑な思いをわたしの胸の中に抱かせる。

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「在日問題、歴史認識について聞く 他人事みたいですよねといわれ凹む」「私の立場とは?」

両者間に避けては通れない話が出てくる。でも、わたしを含め、ここら辺の歴史認識、というものは圧倒的に知識がない。それはちょっと掘り返すだけで「日本の加害行為」が出てきてしまうからだ。なので表面的なことしか教えてもらえない。だから「他人事みたい」と言われてしまうのだろうし、逆に実際問題として最初は「他人事」の認識しか持てないのだろう。「自分がやったことではないのに」というのが、今、ほとんどの「日本人」(敢えてこの言い方)が思っていることだろうから。まぁでもそれを逆に「日本人側の被害者」としてよく扱われる「被爆者」に向かって同じことを言えるのかね?とは思う。「あなたが受けた被害はわたしにはなんの関わりもないからわたしには関係ありません。あなたの痛みはわたしには全く理解できません」と被爆者に向かって言えるかどうか。多分、そっちの方は言えないか、これを言ってしまえば自分はなんてひどい人間なんだって思ってしまうと思う。しかしなぜ一方では「わたしがやったんじゃないから関係がない」と言えて、もう一方には「関係ない」と言い切ってしまうことに躊躇いが起こるのか。「日本のやった加害行為はわたしには関係がない」と言い切れる人は、ちょっと考えてみた方がいいかもね。

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「大学の政治性というものをちょっと知る。うまく企画が運ば(れ)ない。」

この展示は自分たちの内面との戦いだけではなく、外側でも戦わないといけないものであったことが垣間見える付箋。確かにそういう部分は大いにあっただろう。特に「朝鮮大学校」とのやりとりに関して、自分たちの思うとおりに話が進まない、という場面は相当あったのではないかと想像されるし、「朝鮮大学校との共催」ということで(武蔵野美術)大学側、もかなり慎重になったのではないかと推測される。ここをどういう風に考えるのかは難しいと思う。わたしも一言では言えないし、ましてやこんなところには言わない(笑)ただ、わたしが今思うのは、まずやらねばならないのは「相手を知ること」だと思う。政治性は本当に難しいとは思うし、相手を知ったところで考え方は相容れないんだから、どうにもならないことももちろんあるのだが。。しかし、それでもまず、相手のことは知らなければならないと思う。

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「個と個の対話にこだわっていたが マイノリティ、マジョリティの枠にのっとって話すべき(?) (多分イライラしていた)」「結果、何もいえなくなった。はれものをさわるような感覚。これでは日本人と在日朝鮮人がとなりにいるヴィジョンが見えない」「自分が日本人であることがマジョリティであることに無自覚だった。(知らないことの暴力)きずつけていた」

ここら辺になると徐々にわたし自分がかつて同じことを思ったこと、その当時(これを見た去年の11月17日当時)も同じように思っていたことがどんどん出てくるようになる。でもわたしはこの人たちが羨ましかった。だって、彼らは「対話」を通してこのように感じているのだから。わたしはいろんなものを読んだり聞いたりして同じようなことを徐々に感じ始めてきたから、この思いは誰にぶつけることも出来なかった。もちろん、これを書いた人もだから相手にぶつけられた、ってわけではないと思うけど。自分が「マジョリティ」と気付いてしまったら、もうその気持ちは素直に「マジョリティ」の人たちにはぶつけられなくなってしまうのだから。でも、わたしは彼らが直接、人とかかわり合いになれるのが、とっても羨ましかった。わたし、自分の中にこういう感情を抱えているのが本当に苦しくてね。苦しくて苦しくて仕方がないときがあった。誰かに言いたくても誰にも言えなかった。相談したくても、相談出来なかった。

けど、もう一方の面から考えてみることがわたしにはできる。そう。「性的少数者である自分」としてからの面。相手を「異性愛者」として考えた場合、相手方の気持ちも分かってくるような気がする。「異性愛者」は何も苦労せずこの世を謳歌している。誰かを好きになって、向こうも自分を好きになり、つきあい始める。そのあと結婚という選択肢が目に入ってくる。そう、選択肢。「結婚する、しない」を「異性愛者」は自分の意志で自由に選ぶことが出来る。社会の仕組みが、自分が別にそう願ってなくても自然に整っている。「婚姻制度」の枠の中に入ってしまえば、相手は自分の配偶者となり、多大な権利が得られる。税金の仕組みの中にも相続の仕組みの中にも入れる。そういう法律的なことだけに限らず「妻です、夫です」と言えば、周囲はそれを完全に何の疑問もなく受け入れてくれる。相手が病院で意識不明になったときも「あなたは患者と血のつながりがないから病室には入れません」とは言われない。敢えて婚姻制度の枠の中に入らない人たちも、すべてではないが、ある一定以上のことは「結婚したもの」としてみなされる。そして「異性愛者」はそれを生まれたときから「当然」にあるものとして考えている。いや、もしかしたら「当然」とも思わないで暮らしているかも知れない。

そういう「異性愛者」の「あって当然」の無邪気な姿を見ると、わたしは無性に腹が立つ。「何も苦労せずに権利を得られるくせに、その上何も考えないで過ごせる身分なんて」と。しかし、それを言われた「異性愛者」はただ途惑うだけだろう。「え、だって、生まれる前からそれがあったんだし」って。そして逆に自分の持っている権利の大きさを自覚してしまったなら、持っていない相手に対して「自分という存在だけで相手を傷つけてしまうのではないか」と思って何も言えなくなるだろう。

結局、だいたいそういうことなんだよね。わたしは、この2つの立場を「日本人としてのマジョリティ」と「性的少数者としてのマイノリティ」という2つの面から見ることができるので、置かれた境遇についての双方の気持ちはちょっと理解できる。が、だからといって在日朝鮮人のこと全部分かるわけではないし、っていうか、だいたいそんな感じの気持ちだろうくらいで、その複雑な感情のすべては到底分かりっこない。在日朝鮮人の問題は、歴史問題が絡んでるし、戦後はすぐに国から一方的に日本国籍剥奪など、本当に理不尽な目に遭ってるのだから、そこのところは性的少数者の問題とは全く違う。そしてこんなことは有り得ないけど、それらのことが全部分かったとしても解決方法なんか見つかりっこない。マジョリティとマイノリティの間には、本当に深い溝があると思う。そこを埋めようと思っても埋められるものではないし、だから結局、「お互いの溝がなくなり、みな平和に暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」になる話ではないのだ。そしてそのことは、今回の「架け橋」に象徴されていることでもある。壁をなくせばいいという話ではない。壁は自分たちを守ってくれるものでもある、しかし、わたしたちは双方お互いに相手のことを知り合わなければならない。そして壁を「乗り越える」ということは、果たしてそこにどういう意味があるのだろう。そこのところを来た人たちにも考えてもらいたい、そんな展示だったのだろうと思う。

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「会って話すうちに以前にも感じていた居ごこちの悪さを思いだす。」「朝鮮大と武蔵美、そして境界にある橋。これだけで交流など内示的意味が成立する。」「『安易な友好ではない』というのは、ただ明るくポジティブな関係だけでなく、どうしても理解できないことがあったりして、何もトラブルなくスイスイと交流が進んできたわけではないという思いから。『交流』を全否定しているわけではないし、明るく楽しいことも色々あった」「北朝鮮という呼び方は日本が国として認めてない」「というハナシもあるが、、。差別語ではなく、今はふつうの呼び方として定着してきた感。」

きっと、これを読んでる人の中で「なんでこんな思いをして彼らと付き合わないといけないんだ、自虐的だ」って思う人もいるかも知れないと思う。が、本当にそれでいいのか?とわたしは思う。自覚していないマジョリティから、自覚し始めたマジョリティへ。そこに進むうちにどうしても「居心地の悪さ」というのは感じてしまう。わたしも「異性愛者」に言われたことがある。「性的少数者はいろんな人がいるので、自分が何かを話すと傷つけてしまうのではないかと思うと何も言えない。性的少数者のことを知れば知るほど、怖くなる」って。でもわたしはそれに対してどう答えればいいのかよく分からない。だって、それは「異性愛者」が今まで何も知らなかった、考えてこなかった証拠でしょう、って。今まで権力を持ちながらそれに無自覚だったのはあなたですよって。あなたたちは今までわたしたちを「いないもの」として扱ってきたでしょって。「いないもの」にされてわたしはどんなに悲しかったか、寂しかったか。そしてこれからもその思いはきっとまだまだ続くでしょう。でもマジョリティは「見て見ぬフリ」ができるから、「居心地が悪い」と思ったら、その場から立ち去ることが出来るだろう。そして一生、そういう人たちと関わらなければ、その人達が感じているつらさや生きづらさなんて無視して生きられるだろう。でもそれは、果たして「人間」として許されることなんでしょうか。「関わると自分がつらいから」という理由だけで見て見ぬフリをして生きていくのは人間として正しいことなんでしょうか?(本当は「正しい」という言葉を使いたくはないんだけど。この言葉嫌いだから)そこのところをもっとよく考えてくださいよ、と。

いわゆる「北朝鮮」という言葉。これがどうなのか、と判断することはとても難しいと思うし、実はまだ自分でもよく分かっていない部分がある。ただ、これも前の日記に書いたように、日本人(この言葉の使い方は本当に難しい)にとっては彼の地は「朝鮮半島」であって「韓半島」ではないわけなんだよね。そうするとただ「朝鮮半島の北の方にあるから」ってことで「北朝鮮」と読んでるだけ、という感覚なんだろうと思う、日本人はね。けど、「朝鮮半島」「韓半島」と2つ呼び名があるように、ここは政治的なイデオロギーが絡んできている問題である面がある。そしてそこの日本人の感覚ってのは「蚊帳の外」なわけで。なのでこの問題、あの国をどう呼ぶか、という問題については、わたしは今のところ本当のところは「よく分からない」んだよね。ただ、彼の国を「いわゆる『北朝鮮』」と呼ぶわたしは、やっぱり日本人としての感覚が主である、という認識を強くさせられることではある。。

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「歴史との向き合い方、受け止め方 まだどうやって関係すればいいのかわからない」「対話とは?不可能でも続けるとは?何かを知る、わかるってどういうことか迷走中、、、。わたしはずっとリエちゃんとチョンオギにとっては?マジョリティの市川なのか?」「在日問題について調べてもネットでまともなサイトを探すのが難しい」

ネットでこの問題について検索しても、マトモなサイトが見つからない、というのは本当にそうなんだよね。引っかかるのはおどろおどろしい「真実系」のサイトばかりで。まぁ確かにごく少数ですがまともなサイトは存在する。けども、手っ取り早いのは本を読むことかなあ。徐京植さんが書かれた「在日朝鮮人ってどんなひと?」なんかは中学生向けに書かれているので割と平易な文章で読みやすいと思います。

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「たくさん話した。バーっと吐き出すように話した気がする。」「2人にとってマジョリティとはと質問して意外とふわふわ?していた。未来の日本人も加害者なのか」「属性とは。切り離して考えることができること?」「自分の悪質な種?のようなものに気付く。はっきり分かったし、自ら認めた。その存在に」「マイノリティー/マジョリティー? 被害者/加害者? ずっともんもんとしていた土屋がその思いを言葉にできて嬉しそうだった。土屋もリエも身(ママ)をひらいたミーティングだと思う」「10月5日 話したいこと聞きたいことが話せて すごくよかった」「『あ!』りえちゃんとちょんおぎに自分がマジョリティとして自分が思っていたより強く?見られていることを実感する」

時は10月くらいらしいので、展示会のおよそ1ヶ月ちょっと前、というところだろうか。いろいろ話し合っていくうちに、徐々に何か発見するものや感じるもの、そしてそれを言葉に出して言えるようになった、ということだろうか。「悪質な種」、については、この人が感じたものとわたしが認識してるものはもしかしたら違うのかも知れないけど、わたしの中にも「悪質な種」と言えるものは確実にあるし、これはもう自分の中からは消し去れないだろうなと思う。けど、これを持っていることに気づけるというのは、自分のことをそれだけ客観的に見ることができるようになった、という意味でもないかと思ったりする。

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「立場的に相手の傷口にふれるようなことになってしまう それでもたとえ痛みをともなったとしても返事をしてくれた」「りえちゃんとカマキリの話」「マイノリティー・マジョリティーで考えたときの逃げ場のなさにとまどう」「『発言』というものへの恐怖心がどんどん大きくなる。私はいらぬことを言ってしまったのではないか。まちがっていることを言っているのではないか。。。 急に後ろめたさと後悔。 本当に「在り方」が分からなくなる。自分の告白に自信がもてなくなる。」

「分かった!」と思ったのに、また同じ思いが繰り返される。。でもそれは仕方がないんだよね。いくら話し合ったってお互いは「違う」ところにいるのだから。そしてそれが「マジョリティ/マジョリティ」という関係ならば、当然のこと、力を持っている方が少数者に対して「相手を傷つけてしまう。どうすればいいのか」と途惑うのは当たり前のことだよね。「こういう風な関係であればいい」なんていう答えはどこにもないわけなんだから。なんてわたしだって分かったような口を聞いてるけど、本当は分からないです。だけど人を絶対に傷つけない、というマニュアルなんてどこにもない。わたしはそのことがやっと分かったし、そして、自分が人を傷つけてしまう存在であるという覚悟だけはできたというか、ね。

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「橋が完成した夜にメンバーでへいのところに集まる。さくごしで話す。土屋さんと市川さん、ねころがる。灰原さんとチョンオギ、私はチョデミ側。で立っていた。あのとき初めて、『あっ、この空間いいかも、、、。』と思った。あの瞬間はとても良かった。」

なんかこの光景が目の前に浮かぶようだった。もちろんこれは到達地点ではなく、ただの「通過点」でしかないんだけど、でも、初めて空間が「いい」って感じることができたのは、今までのいろんな経験と思いがあったからだよね。

というわけで、この年表(?)を見るだけでもかなり時間がかかったのだが、しかし、これを読んだ後、じゃあなぜこの展覧会の名前が「突然、目の前がひらけて」になったのか、そこが引っかかった。だって、こんなことがあったあとでは全然「突然、」じゃない気がするんだけどって。まぁでも、両校との間に壁が出来たのは1960年代からだそうだから(武蔵野美術大学がこの地に来たのが1961年。朝鮮大学校はその前の1956年からあった)、その時間感覚で見ると「突然、」なのかも知れない、やっぱり。

で、橋。このギャラリーを出て、もうちょっと奥側に、それはあった。

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これは武蔵野美術大学側から見た橋。

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これが朝鮮大学校側から見た橋。

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そして誰もが撮るであろう、ボーダーライン。「こんなに薄いのか」と思う人もいるだろうし、「だけどものすごく厚い」と思う人もいるだろうし。「これを渡れるということにどういう意味があるのか」を感じる人もいるだろうし、ただただ単純に「渡った!」って人もいるだろうし。わたしは正直なところ、よく分からない。今だけ渡れたとして、それが何か意味があることなのか。しかしそれは今、評価できることではないとは思う。象徴的な「橋」はこの時点ではあったけれど、今(この日記を書いている時点)ではもうない。でも、これからこれがどこにどう繋がるかだよね。それは武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の関係だけではなく、ここの展示を観に行った人たちにも共通して。

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ちなみに武蔵野美術大学側にこれが置いてあり、一体これは何かと思ったら、夜間、橋の上に付けておく柵なんだそうだ。これは一体、誰のためになんのために必要だったのかはよく分からないが。。夜中に渡るなということでしょうか(笑)

で。武蔵野美術大学側から橋を渡って朝鮮大学校美術科に行くためには、この前に受付で名前と住所(いったっけ?)を書く必要があってね。で、番号がついた札を首からぶらさげないといけなかった。そして武蔵野美術大学側から入った人は、必ず武蔵野美術大学側から出ないといけない、ということだった。で、わたしも受付して、その後、この橋を通って朝鮮大学校美術科に行った。

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これは朝鮮大学校側の展示会の案内。

てっきり朝鮮大学校側にも武蔵野美術大学側と同じように受付があって人がいるのかと思いきや、そこには誰もいなかった。。。

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ただこんなものが置いてあるだけで。まぁでもこれは朝鮮大学校の学生向けでしょう。注意が朝鮮語で書いてあるし。朝鮮大学校教職員と学生は、とか読めるので、多分、こっちから行く内部関係者はこれを付けるようにっていうことでしょう。てか、偶然、ここに居合わせたときに、朝鮮大学校の学生と思われる子たちがこれを首にぶら下げて、一人が友だちに向かって「회사원~」って言ってるのが聞こえて(全部は聴き取れませんでした!(苦笑))、多分、首から札をぶら下げた姿が「会社員みたい」って言ってるんだろうなあ~と思ったら、なんかすごい微笑ましく思えてしまって。朝鮮学校はもちろん、学校内では朝鮮語を使わないといけないので、朝鮮大学校でもそれは同じこと、ましてやこうやって、わたしたちのような「部外者」が来るわけだから、なおのこと朝鮮語を使わなければならない状況だと分かってるけど(もちろん彼らはわたしたちと同じように日本語喋ってますけど、普段は)、でも、なんというか、やっぱりかわいいな~とか思っちゃってね。

ま、この展覧会で朝鮮大学校の学生と関われたのはここだけでした。あとは武蔵野美術大学も受付の人以外は全く誰とも関われなかった。美術展ってのは、そんなものなんだろうか。

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これが朝鮮大学校美術科のギャラリー。ちょっと寒々しいところでした(笑)武蔵野美術大学の方は武蔵美の学生、朝鮮大学校の方は、朝鮮大の学生、の展示かと思いきや、全然そんなことはなかった。ごちゃまぜでした。その中でかなり印象的だったのは、

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この絵だった。絵というか、まだスケッチのみなのか、それはよく分からなかったんだけども。

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これは一体、何を表しているんだろう?右側の人たちと左側の人たちが言い争っているのは分かる。しかしそれに混じってカメラを抱えた報道陣なんかの姿もある。とっても気になる作品でした。これはこれで完成品なんだろうか、とか。

しかし、この時点では分からなかったんだけど、これはこの時点ではまだ完成品ではなかったようです。というのも、今年の1月下旬に同じところで別の美術展があって、それにこれもまた飾ってあったそうです。わたしはその展示会のことを最終日に知って、それなので観に行けなかったけど。。これがどういう作品になってたのか。それがとても気になります(そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

朝鮮大学校側で作品を観ているうちにふと思った。「これって、朝鮮大学校側からも来られるんだよね?」って。だってさっき、武蔵野美術大学側のギャラリーに新聞が置いてあって、そこに「両方から入れる」って書いてなかった?と。で、武蔵野美術大学側の受付に戻って、そこにいた人に「朝鮮大学校側からも入れるんですかね~?」って聞いてみたら「多分入れないんじゃないかと思います」という答え。「えー?」と思ったが、やはりそこは試してみなければ。と思い、一旦、武蔵野美術大学側の受付に札を戻したあとに、武蔵野美術大学を出て(構内、迷ったヽ(;▽;)ノ)、そして朝鮮大学校の入口に向かった。

朝鮮大学校に向かう途中、ふと思いだした。ヤンヨンヒさんが書いた「ディア・ピョンヤン」の中で(映画の方じゃなく、著作の方)ヤンヨンヒさんが朝鮮大学校の学生だったときに、しょっちゅう学校を抜け出して演劇を観て、そして夜中に学校にまた忍び込む、みたいなことを書いてたよなって(朝鮮大学校は全寮制)。なんだー、この道かあーって。

で、学校の中に入ったら、受付があったのでそこで名前と住所書いて。そこで首からぶら下げる札と注意書きを渡されて。「写真、動画の撮影は美術科展示室内外と「橋」のみに限らせていただきます。」というところに赤い線を引かれて。

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まぁ確かに普段来ないところだから、撮りたくはなるよね。だけど、それをされると向こうがすごく迷惑、ってことも分かる。学校側がピリピリするのもいろんな理由があるんだよね。

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これが渡された通行書。こっちには番号とかは書いてなかったなー。

まぁでも展示会自体は既に観たものだったんでね。ただ、帰った後にもらったパンフレットみたいなものを読んでたら、そこで行かなかった場所があったことに気が付いた。てか、それはどこにあったんだか、今でもよく分からない。どうやったら行けたんだろう。どうやら2階っぽい??「アンケート用紙」って書いてあるけど(パンフレットに)、そこでアンケート書けたんだ!わたし、ここはそういうの全くないんだな?って思ってた。いろいろ思うところもあったのにー!ってことで、わたしはアンケート書いてません。いろいろな言いたい思いを抱えて全部持って帰ってきた。

とはいえ、ギャラリーの向こう側でちょっと扉が開いてたところを覗いてみたら、こんなものが。

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柿。朝鮮大学校の敷地内にある柿の木でできたものらしい。人には全く会えなかったが、この気持ちは嬉しかったです。なので、一ついただきました。

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家に帰って食べたけど、甘くて美味しかったよ!

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最後に。帰る途中、見かけた白い猫ちゃん。

しかし、事前に橋が架かることだけしか知らなかったので、創作したものが展示してあるとは思いもよらず。ちょっと本末転倒になってしまった感が否めない。しかも現地でその意図を把握出来なかった自分の失敗。「自分と同じ思いをしている」という嬉しさ、「でも同じことをこの人たちは大学生で感じることが出来たのだ」という羨ましさ。

その他、この展示会については本当にいろんなことを思って感じて。

でも、これはゴール地点じゃないし、これから先もまだまだ続くこと、なんだよね。
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02-09 Tue , 2016
書きたいことはたまってるんだけど
去年に引き続き、書いておきたいことはいくつかあるんだけど、なかなか時間が取れない。。

何かがあったときに書いてる記事を読んでもらえば分かるけど、わたしは書くと長くなってしまうので(笑)、やっぱ、時間はそれなりにかかるんだよね。そして、一気に書かないとそのときそのときで書きたいことが変わってくるので、数日間掛けて書くことが出来なくてね。なので、必然的にブログを書く量が減ってきてるわけだけど。

去年の終わりにも書いたけど、読書量もガクッと減った。今年はまだ1月に2冊しか本を読んでない。今月は0冊。何しろ時間がない。そんなに勉強ばっかりしてるわけではないけど、読書もわたしはまとまった時間に一気に読んでしまうタイプなので。まぁ図書館で借りた本は毎日ページ数決めて読んだりするけどさ、期限が来る前に読まなくちゃならないので。

てなわけで、去年までとは違った一日一日を過ごしてる。まぁ今のところはちゃんと資格試験の勉強は真面目にしとります。憲法終わってこれから民法。ノルマが決まってるので一度サボったら追いつくの大変。だから、他のことは差し置いてほとんどこればっかりなんだよね~。まぁ試験勉強なんてそんなものかも知れない。期日が来るからそれまで必死に勉強する。勉強は嫌いではないけど、覚えるのは苦手なのでそれがね~。っていうか、わたしはもともと記憶力があまりよくない方なので、年齢による衰えはあまり感じない。これはメリットかも知れない。覚えられる人にとっては「以前より確実に記憶力が衰えた」というのは結構ショックみたいです。わたしは今までの人生で「すごい、スラスラ覚えられる!」なんて一度も思ったことがないんで(^^;人の顔も覚えてないし、人の名前なんてもっと覚えてないし、よくテレビで「最近、人の名前が出てこなかったりしませんか?」などという老化現象を指摘するコマーシャルを見るけど、わたしは「そんなの、今に限ったことじゃないけど?」って感じ。それとももっと年を取らないとそう感じないんだろうか。。

そうそう、世に「記憶術」みたいなのがあり、例えば円周率を何万桁覚えてる、なんて人がテレビに出てきたりするけど。そこで言われるのが「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ってこと。でもわたし、あれ言われるたびに「そのストーリーはどうやって覚えればいいのか?」って思うんだよね。結局は何かを記憶しなければダメなんだよね。当たり前のことだけど。それが本人にとって覚えやすいものにする、ということなんだろう、結局。

そういえば、うちの最寄り駅の自転車置き場は、出すときに自分の自転車が置いてあるラックの3桁の数字を入力してお金を払うシステムになってるんだけど、わたし、あの数字を覚えるのは結構得意なんだよね。例えば「121」だと「11の2乗」って覚えておけばいいやとか、「324」だったら「3と3×8だな」とか、まぁ、置くときに「この数字は~」って分解して覚えやすくしてるんだけど(というか、こういう作業が実は好きだったり)、でも、ふと「じゃあ11ってどうやって覚えるんだろう?」って思うのね。「3とか3×8ってどうやって覚えるんだろう?」とかってね。でも、不思議なことにそれは忘れないの。それは覚える努力をしなくても覚えてるんだよね。なんでなのかは自分では分からない。

とすると、「数字をものに見立ててストーリーで覚える」ことができる人は、もしかするとそのストーリーは覚えるものではなく、なんとなく頭の中に残ってるものなのかも知れないなあなんて思ったりして。でもそれって、記憶力自体がものすごくない?

なんてことは、あんまり勉強中には思ってません。そして最近、どんどん頭の中が飽和状態になっていってるのが分かる。。まあほとんど毎日、新しいことを頭に記憶しなくてはならないし、今まで記憶したことはもちろん忘れられないしね。

あー、6月くらいまでこういう生活続くんだけど、果たして途中で頭がパンクしないかな??ちょっと心配だったりして。
22:06 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-23 Sat , 2016
おしまいかい
精神科の通院、いつまでのことを書いたかすっかり忘れてるけど(汗)、取り敢えずは12月から1月の診察まではずっとアルプラゾラム「サワイ」0.4mgのみ夕食後1錠で、前回12月8日に書いた日記のときに飲んでた半夏厚朴湯は「結局効かなかったですね」ってことで終わりになってた。

で、1月の診察の時にアルプラゾラム「サワイ」0.4mgも「多分効いてないでしょう」ってことで、「もう飲まなくていいよ」と言われた。ただ、薬の切り方は好きにしてねってことで、一応、次回の予約の日までの分は処方されたんだけど、まぁ今は結構好き勝手に飲んでる。頻度はだいたい2日に1ぺんくらいだけど。でもこれ飲むとやけに夜の寝つきがいいので、ちょっとそれはまずいということで(わたしは今、自力で眠れるので)半錠にして飲んでる。っていうか、これ1錠飲むだけですげー眠くなるし、眠らないまでも身体がとてもだるくなってそれが困る。まぁ、抗不安薬だし、筋弛緩効果もあるわけだから、それはそれで「効いている」と言えるのだろうけど、ただ、わたしの症状(息苦しさ)の緩和にはなってないから、結局はわたしの症状に対しては「効かない」ってことなのよね。

しかし、今回の診察では主治医から「自分が診察するようになってから全く精神的な症状が出てない」と言われ、、この主治医に診てもらうようになってこの3月で丸2年になるのか?確かにそりゃそうなのだが、なんかまるで「あなた本当に病気だったの?」って言いたげだったので「そりゃ、調子悪かったから病院来てるんじゃん」と言いたくなった(てか、当初は本当に状態が良くなかったと言いました)。わたしは今回3度目のうつで、その初診は2011年1月だったけど、そのときに「うつは3回繰り返すと病名が変わって反復性うつ病という名前になる。そして、ぶり返さないために、治ってもその後長く病院に来てもらうことになる」っていう説明をされたんだけど。。その「長く」というのがいつまでなのか今でもよく分からないところはあるし、精神的な落ち込みは2012年12月限りでなくなってるので、もうそれを考えると3年はうつ状態になってない。3年もうつ状態になってない、ってことは、その後「長く」ってことになってるかも知れなくて、それを考えてももう通院は終わりだよと言われてるのかも知れない。

ただ、、息苦しいのは相変わらずなんだけどね。いや、少しはよくなってると思いたいのだが。でもときどきめちゃくちゃ息苦しいときがまだあるんだよね。

だけどそれに関してはもう「処方する薬がない」と言われているので、次回、もしかしたら「これで通院終わり」と言われるかも知れない。まぁそれはそれでとてもすっきりさっぱりすることは事実だけど。。病院通いはとてもめんどくさかったしね。しかし、症状がまだあるのに「もう終わり」と言われることはなんかすっきりしない気持ちもする。

なんだけどね~、息苦しさというのは、もしかしたら精神科ではなく心療内科の分野ではないかという気もしてて。まぁだからといって心療内科にすぐかかろうとは思ってないけどさ。

そんなこんなで、なんとなーく病院通いも終わりなのかなと思っている今日この頃。

正直とても忙しい。行政書士の勉強、ついに本格的に始めたし。それに前にも書いたけど腕の痛みやら息苦しさで体調があまりよくない。痛いのを我慢しているからか、毎回必死に息をしているからか、すぐに疲れてやる気がなくなる。そんなときは1日休む。そうすると次の日は取り敢えず「やろうかな」って気にはなってる。まぁだけど、今が一年中で一番寒い時期で、これを乗り越えたらなんとかなると思って我慢しながらやってる。

そんなとこです。

【現在の処方】
アルプラゾラム「サワイ」0.4mg×1/2を頓服的に飲んでる
23:59 | 3度目のうつのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
01-12 Tue , 2016
今日から始まった!「ウルトラマンスタンプラリー2016」!!
ついこの間「忙しくて今年は何も出来ないかも!」なんて書いてたけど、やっぱ今年もこれが始まったら「うーん、今年はちょっと出来ない」とは思えない!!

てなわけで、12月の中旬に駅で見かけたこのポスター、発見したときは「おお、またやるのか!」と思って楽しみにしてたのよ。

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去年はなんとなしに駅に貼ってあるポスターの写真を撮ってたらそのうちに全部集めたくなって、全駅を回ることになってしまい、ほとんど全部集めた時点で「駅からのメッセージ」にはまり、これは全駅制覇とは行かなかったけど、ほとんど集めてそれぞれの駅の特徴なんか分かって面白いなーって思ったのよね(去年の日記→「全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー!その1(ただしスタンプは押してない)」「全駅制覇、ウルトラマンスタンプラリー!その2(駅からのメッセージ)」)。

それが今年もまたあるという。

「やってやろうじゃないの!今年こそ、全駅制覇だ!」


ってことで。

今日は用事があって渋谷と新宿に行ったので、そのついでにスタンプ台のところまで行ってきた。っていうか、スタンプ台の前にずら~って並んでてびっくりしただよ!!それも大の大人ばかり!(自分もそうだが、、)きっと、みんなわたしのように駅でポスター見かけて「やるぞ、やるぞ(わくわく)」って思ってたに違いない。去年は「全部集めよう」って決心したのはもう期間終了するギリギリのところだったから、スタンプ台の周囲を見まわす余裕などほとんどなかったけど、今回はまだまだ先があるので、じっくり見ようと。

まず行った渋谷。

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なんとなまはげ。つか、こんな怪獣いたんだね(笑)

で、スタンプ台のところへ行ったら、こんなのがずら~っと(左から右に4枚貼ってあった)。

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ぬぁんじゃこりゃ。なぜここまで秋田弁??と思って駅のメッセージを見ると。

渋谷


なんと、渋谷駅の駅長さんは秋田県出身なんだと。ほうほう、面白い理由でこの怪獣を選んだんですね~。てかその右の写真を見るとこれ、全部秋田県出身の駅員さん?こんなに秋田県出身の駅員さんがいたんだ、渋谷駅。へえ~っ。正直、去年の渋谷はあんまり記憶になかったりして。。

そしてスタンプ台には

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ウルトラマンエース(だよね?)が「今日は渋谷駅に来てくれてありがとう!!」と。くわ~、渋谷駅、今年は力が入ってますね!

そして新宿駅。一瞬、駅のポスターを見たときは「あれ?」って思った。だって、去年と同じキャラクター?(結構駅のキャラクターって印象深かったところは忘れてないものなんだなと思った)

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去年も「ウー」でした。しかし、今年はこのポスターよく見ると(二代目)って。去年は「ウー」で今年は「ウー(二代目)」なのか。渋いぞ、新宿!しかしどうしてこんなに「ウー」に拘ってるんだ(笑)ちなみに去年、新宿駅の怪獣だった「ウー」はどうやら今年は信濃町にいるようだ。この手の顔は結構「駅員に似たのがいます!」みたいなメッセージが書いてあったりするのだが、果たして信濃町はなんで「ウー」になったのか。ちょっと楽しみだ。

ちなみに去年の新宿駅のメッセージは、特に似た駅員がいたというわけではなく、この怪獣、どうやら優しい怪獣みたいね。

新宿


これが去年の新宿駅「ウー」のメッセージ。そして下が今年の。

新宿


やっぱり新宿駅はこの「ウー」が心優しいというところが好きみたいですね。てか、この怪獣の選定、同じ人がやったに違いない(笑)

今年もわたしはスタンプを押すつもりはないけど、こんな風にスタンプラリーを楽しむつもり。去年は64駅で今年は65駅だっけ?ただし、去年はあった南柏がなくなって、東京モノレールの天王洲アイルと羽田空港第1ビルが増えたんだよね。っていうか、東京モノレールかー!うちの大学の上を走ってるんだよな、東京モノレール。天王洲アイルはちょうど在学中に建設されてて、確か大学院の時にできたんだよな~。友だちとあそこで「メシ食おう」って行って、中華料理屋さんに入ったのはいいけど、高すぎて腹一杯食べられなかったのを思い出すよ(トホホ)
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01-10 Sun , 2016
年明け10日
こんな言葉はないですね。「梅雨明け十日」をちょっと捩りました(笑)

「梅雨明け十日」って最近あまり聞くことなくなっちゃったけど、梅雨が明けると10日は晴天が続く、ということわざみたいなもんです。あ、あれか。最近は「今日、梅雨明けしましたー!」ってことは宣言しなくなっちゃったからかな、気象庁が。なんか「梅雨明けしたものとみられる」みたいな言い方になっちゃいましたからね。ん?だとすると、この言葉は気象庁が「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」をするようになって以降の言葉なのか?いや~、そんなことはない気もするなあ。どっちなんだろ?

てか、もう年が明けて10日も経っちゃったんですねー。思い返すと早い?いや、でも随分長かったような気もする?

ちょっと大変な正月ではありました。いろいろあって。

あと、12月から本格的(?)に来年度の行政書士資格の試験勉強を始めたので、まぁそれが最も忙しい理由かな。チャレンジ始めて3回目。しかし前2回はほとんど勉強できず。受験にすらたどり着けなくて。だからほとんど1回目の挑戦なんだけど、でも、意気込みが前2回とは違ってるので、今年はそれだけでも進歩した、ってことなんだろうか。特に去年は勉強やり始めたと思ったら息苦しくなって、で、息苦しいのを先に治そうと思って努力したけど結局は治らないまま1年過ぎてしまったので、もう治すのは諦めようってことです。息苦しいのを治してたら一生終わってしまう。

ただ今年、この試験勉強と朝鮮語3年目とあと時たま来る仕事、この3つやるだけで多分終わってしまうんじゃないかと。その他はほとんど手が回らない状況ではないかと。

本もここ数年は月3~4冊ペースだったけど、今年は無理かもなあ。去年いろいろ行ったイベントも今年は参加できないかもね。それより、旅行、今年も3月にどこか行きたいなあと思ってたけど無理かも。

なんてことを考えてたり。まぁでもいつかは何かやらなきゃ、この先進めませんからね。しかもこれに合格してももう一個その先に取りたい資格があるからね(司法書士ではない)。それ取るの、2年かかるそうだしね。とすると、最短でも3年かかり。一発で合格しないとそれ以上の時間がかかるということになる。。ただし、資格取ってもそれで食っていけるかどうかはまた別の話だけども。しかしそれでやりたいことができるようになるんだったら、まぁそれから先はそのときに考えればいいだろうってことで。

心配なのは、何かやろうとやる気を出すと体調を崩し、うつ病再発すること。これだけは人生の予定が狂うので勘弁して欲しい。なので、やりながら休むことも考えなければならないってことで、体力温存を第一に考えた方がいいだろうとは思ってるので、あまり無理しないようにする。けど、今年はもう既に無理しているような気がする、、、なんてったって、今年に入ってから、2日と連続して家にいたことがなく、今週も無理そうなんだよね。こりゃ疲れるわ。ただこの調子が続くと本気で体調崩しそうなので、今月後半は何も予定を入れないようにしよう。。(と言っても入ってきてはしまうのだけど)

取り敢えず今年の抱負というか、目標はこんなところかな。

まぁでも今でもかな~り体調悪いけどね。右腕が痛いのがすごくきつくなってきた。何年ぶりだろう、この痛み。2007年のシドニーに行ったときのことを思い出してしまう、、2008年の正月開けてからはほとんど寝たきりになってしまって。あんなことにはならないようにしたいけど、しかし、この腕の痛みもどうやって治まったのか覚えてない。あの頃は何もしてなかったので、きっとずっと休んでたんだろうけど(痛くてそれどころじゃなかったような気が)、あのときみたいにもう休めないしな。

正直、ちょっと困ってます。
23:00 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
12-30 Wed , 2015
もうこんな時期か
ブログに書きたいことはたまってるのに、忙しくて書く時間が全くないうちにもう年の瀬を迎えてしまった。
でも明日も忙しい予定だから、時間がある今日のうちに書いておく。

と言えども、最近はあまり季節感を楽しみたいと思うこともなく、365日(あるいは366日)普通の日で十分、という気がしている。まぁ猫の誕生日は祝いますけどね。

しかしまぁ、区切りではあるので、今年1年を振り返ってみると、今年はわたしにとって、とても不思議な年だった。

生きて考えてれば「なんでこれはこうなってるんだろう」と思うことが多々ある。本を読んでても疑問に感じることがあるし、日常を暮らしてても疑問に感じることはあるし、何かを見ても疑問に思うことがある。単純な知識問題ならともかく、何を手がかりに探せばいいのかさっぱり分からないこともある。

ところが今年はそれが「繋がる」ことがとても多かった。人に会ったり、イベント行ったり、学習会に参加したり、映画を観たり、劇を観たり、でもそれは特にその疑問を解決したいと期待して行ったわけではない。全く関係ないところで、でも自分の中で「あっ」って思うことがとても多かった。答えは見つからずとも、そのヒントになるものと出会うのだ。そのことをヒントにまた自分の中で思考を深め、そして行き当たる。しかしまた別のところでヒントと出会う。ヒントであったり、同じ思いをしている人に出会ったり。

今年はそんな、不思議な年だった。

ただ、だからといって「答え」が見つかったわけではない。というか、答えなんか見つかるような問題ではないと自分では分かっている。しかし、だからといってなぜ考えるのを止めないかというと、それは自分が人間だからだ、「人間は考える葦である」ではないか、なんて書くとカッコイイ~んだろうけどね(笑)別にわたしは人間だから考えているわけではなく、答えを探す行為が、今後自分はどうすればいいのか、自分は何が出来るのか、というある種の答えには繋がっていると思うからだ。要するに副産物で自分の行動が決められる、と言えばいいのか。疑問に思っている「答え」そのものは見つからないにしても。

多分、この中で一番大切なのは、疑問に思っている「答え」そのものではなく、「自分がどう行動するか」なんだと思う。ぐだぐだ自分の頭の中で考えてたって、それで世の中変わるわけはないんだもの。もちろん自分の行動には限界があって、行動したとしても世の中変わるわけはない。わたしは一声で世の中が変えられるような絶対的な権力者じゃないし、逆にそういう権力を持った人を忌み嫌っているから、自分は権力者にはなりたくないし。自分ができることは所詮、微々たるものだと思っている。けど「どうせ行動しても世の中変わらないよね」とブツブツ言ってるよりは、行動する方がよっぽどいい。それが自己満足に過ぎない、ということも十分承知だし、わたしはそれが自己満足であることに満足してるので、それはそれで構わない。とにかくわたしは行動をしなければならないと思う。そのこともはっきり分かった年でもあった。

わたしが主に考えていることは、過去のブログを読んでもらえば分かると思うが、「死刑」「宗教」「在日外国人(特に在日朝鮮人)」のことについてだけど、「死刑」については、今年、自分の考えに決着を付けることが出来た(もしかしたら、その結論についてはブログに書いてないかも)。「宗教」については、これは今も興味の対象。今年はいくつかイスラム教について書かれている本を読み、外観はどんな宗教なのかは一応分かったけど、でも人に出会ったわけではないので、まだ疑問満載。ただ、一つ一つの宗教についてではなく、「宗教」全体(なぜ宗教があるのだろうという疑問など)として考えるのもまた面白い。絶対に答えなんか出ないと分かってるけど、今のところは「人間がそれを必要としていた」と思っている。要するにひっくり返すと「宗教は人間が作った」なんだけど、それは仕方ないよね、わたしは宗教を信じてないんだから。また、わたしはずっと「宗教とは何か」という疑問もあったが、これはそれぞれの宗教、個々に「エッセンス」というものがあり、それは何かというものをそれぞれの教典から読み取っていく作業なのではないかと思っている。要するに、聖典に書かれていること一言一句が正しいのではなく、全体を読んだときに「共通する何か」があるんだろうと。そう考えると、おそらく仏教もキリスト教もイスラム教も(その他の細々した宗教についてはよく知らない)、根底に相通ずるものがあるのではないかと思う。

例えば聖書、キリスト教の教典である聖書だけども、旧約聖書の一番始めは「創世記」、いわゆる「天地創造」について書かれている(旧約聖書はキリスト教だけでなく当然ながらユダヤ教、そしてイスラム教の聖典でもある)。しかし、その1章と2章、全然違うことが書かれているのだ。1章では神は最初にいろんなものを創って、そして一番最後に人間を造った、と書いてある。それが6日目だったと。だがその直後の2章では、神はまず人間を造って、人間を助けるものを創ろうといって、他のものを創ったと書いてあるのだ。全く矛盾していることが書いてあるよね、直後に。しかも、大多数の人が読み始める最初のページ、おそらく一番読まれることが多いであろう箇所に。聖書ってどんなことが書いてあるんだろうと思っただけの信者以外の人だって1ページから普通読むだろうよ。これ、編纂するときになんでこんな矛盾しているものを載せてるんだろう、どちらか一方を削って「こちらが正解です」ってしなかったのはなぜだろう、そちらの方が都合がいいのになぜ敢えてそうしてないんだろう、と考えると、「聖書とは、一言一句を信じるものではないものである」と聖書自身が言いたいのではないかと思える。「聖書には矛盾していることも差別的なことも含んでいますよ。けども、それが聖書の本質ではないのです。しかし、この中には一本貫いていることは確実にあります。それが信じるものに値するものです」と言っているように思えるのだ。だから聖書で自分の都合のいいところのみを切り取ってそれを「聖書にはこう書いてある」と「教え」ている原理主義は、聖書自身が否定していることなのではないか、と。

尤も、わたしはだからといって聖書全部読んだことはありません(笑)ただ聖書というものは本当に奥が深い「読み物だ」とは思ってる。バベルの塔のところなんて、いつもいつも「よく昔の人がこんなこと考え付いたよなあ」って感心する(そういう意味ではわたしは聖書は「人が作ったもの」と思っている)。昨今の出来事で「バベルの塔」を思い浮かべることが、わたしはよーくあるから。

また、わたし、今年分かったことに「神(仏でもいいんだが、以下同じ)を信じる人は、神を通して人間を見ることができる人だ」ということがある。神を信じられない、わたしのような人間は「人間」でしかものが考えられない。別の視点から「人間」を見ることができない。しかし、神がいる人たちは、「神を通して人間を見ることができる」。このことが分かったときに正直「ちと悔しいな」って思ったのね。わたしは人間を「相対的」に見ることができない。わたしの中には「人間」しかないから。でも「神」という別の概念がある人は、神を通して人間を「相対的」に見ることができる。複数の視点を持っていることは、自己の考えを深められるだろう。そういう点で「悔しい」のだ。まぁだが、神を持っている人は「絶対的」なことが分かるかというと、そうじゃないけどね。神を信じている人たちの中の神は、やっぱり「相対的」なんだと思う。イメージ的には、この宇宙、絶対の座標軸があったとして、そこから見ると、個々の神の位置が違っている、みたいな感じになるかな。でもそれは仕方がないんだよね。人間自身が相対的なものなんだから。複数の視点が持てないから悔しいと思えども、神には出会わないと出会えない、ということもわたしは知っている。今後、出会うかどうかは今のわたしには分からない。出会ってないのだから、出会っていないまま、わたしは考えて行く。ただそれだけのことだ。

なんて話がとんでもなく抽象的なものになってしまったが、基本的に宗教とそこに住む人たちの文化や慣習、というものは非常に密接に関係してくるので、そういう意味でも個々の宗教を知ることは大切なことだと思っている。来年も個々の宗教を知ること、そして「宗教とは何か」「宗教はなぜあるのか」、この問題は引き続き考え続けて行きたい。まぁ、この疑問に答えなんかないと分かってるけどね(笑)

そして「在日外国人」、主に在日朝鮮人、在日韓国人、在日コリアン、なんて呼べばしっくりくるのかは分からないけど、その話。このことについて考えることは、本当にいろんなことを知らなければならない。歴史的な話だったり、法律的な話だったり、言語的な話(イメージ的には法的な論理というよりも感情的な言語を使用した論理と言えばいいのか)だったり、そしてその縁辺には元日本軍「慰安婦」の人たち(これについては現在、大きな動きがあったけれども、到底納得できない。だいたい謝罪する側が「このことは蒸し返すな」と言いつつする謝罪ってそれは本当に謝罪と言えるのか?まぁその他もいろいろ言いたいことがあるが)、そしてそこから「戦争被害」「戦争加害」、被爆二世としての自分、そして平和が脅かされている現在の「日本」。「在日」の問題を考えるとき、わたしの中にはこういうものがずっと連なって来ている。だからこそ、まずは「知ること」だと思っても、一度にたくさんのことを知ることは出来ないし、何しろ「知ること」といっても多岐に渡っているので膨大な量があるし、知ったらますます疑問が湧いてくるしで、そう考えると到底全部知ってから考えることなんて出来ない。だからこのことに関しては、今までわたしが「出会ってきた」人やものから少しずつ考えて行くしかないだろうと思っている。

ただ、今年に関して言えば、自分の中で一番はっきりしたのは「国とはなんだろう?個人とはなんだろう?国と個人との関係とはなんだろう?国と個人との線引きはどこなんだろう?」という疑問の方だった。これは今年わたしはいろんなものに出会ったけれど、何かに出会うたびにこの疑問はますます膨れあがってきた。そしてその答えは今のところ全く掴めてない。手がかりすらも分からない。しかしこのことが疑問になってきて、わたしは確実に前と変わってきていることを知った。わたしはつい最近、数年前に自分がこのブログに書いてたことを読んだ。そこには

わたしは決して、ジョン・レノンの作った「イマジン」のように「国が存在しなかったら」とは思わない。国家というものは必要なものだと思うから。ただし国家というアイデンティティを失わずに国と国とが緩い連帯を取ることはできないのかな、とは漠然と思っている。



って書いてある。このときは「国」というものに疑問を持っていなかった。でも、この考えは今年、変わった。上のことをわたしが書いたときに思っていたことは「もしこの地球が一つの国だったら」ということだった。でもこれは現実的に考えて有り得ないだろう。だって、一つの国になるとしたら、資本主義なの?社会主義なの?共産主義なの?とか、法律はどうなるの?とか通貨紙幣はどうなの?とか、そういう「現実的」なことを考えると「有り得ない」話だからだ。そういう意味でわたしは「国」というものに疑問を持たず「国家というものは必要だ」って書いた。

その理屈は今でも変わらない。しかし、一方、これまた現実的な話だが、国家が存在することによる弊害だってかなりあるのだ。「民主主義」とか「人権」という概念は、近年になり人間が発明したものだと思っているが、やはり根本的にこの世に生まれてきた人間は「人権」を持っているはずだ。幸福に生きる権利、自由に生きる権利は誰にでもあるはずだ(ただし「公共の福祉」に反してはならないと思う。「公共の福祉」って日本国憲法の文言だけど。で「公共の福祉」って「他人の人権を脅かさないこと」であって、単なる「人の迷惑にならない」とか軽い意味じゃないし、ましてや「国の都合の悪いこと」ではない)。ではその実現を果たすために「国」は絶対に必要なものなのか。「国」がなければすべての人は幸福に生きる権利、自由に生きる権利が持てないのかというと、全然そうじゃない。そのことの実現のためには特に「国」である必要性は全くないのだ。

ジョン・レノンの「イマジン」については、わたしはよく知らない。彼がどういう気持ちを込めて、この曲を作ったのかも全然知らない。けれど「国がないって想像してみて」というのは、まさにこういうことなんじゃないだろうかと。「地球上から国をなくす」というのは、アナーキストと言われるかも知れないが、わたしはそうじゃないんだよね。「人権」「民主主義」、そして「国家」このすべては人間が発明したものだとすると、わたしたちは国という概念を超える「何か」を発明することが必要なのではないかと。「この世に住む人たちがみんな自由に、幸せに生きている」そのことを想像しながら「では『国家』を超えるシステムとはなんだろう」って考えることが必要なのではないかと。

このことが、今年、わたしの分かったことで、去年までとはちょっと違ってきた部分だった。

「国と個人の関係」を考えたのは、正直、ここの部分だけの話ではなくね。ただ、今までは「国のイデオロギー」ってよく分からなかったんだけど、いろんなものに接しているうちにそれが見えてきた。と同時にわたし自身も知らないうちに国のイデオロギーによって洗脳されているんだ、ということも見えてきた。多分それはこの国で「日本人である」ということがどういうことか、少しながらも自分に「見えてきた」からだろうと思う。それまでは「日本人は日本で多大な権力を持っている」と言いつつ、でもそれは自分自身感じられなかった。が、そういう自分自身はべったりと「日本人の論理」で生きていた。そのことが少し感じられただけでも、わたしはとても嬉しかった。これを少し感じることができたということは、自分の「座標軸」をずらすことが可能だと言うことだから。

そしてこのずらした「視点」を保ちながら、来年に繋げていきたい。

最後に、うつ病的な視点から今年の自分を見てみる。

今年は比較的よく動けた年だった。多分、端から見ると「うつ病の人」には見えないだろう。そういう意味ではわたしも最早「うつ病」ではないと思っている。ただ、過剰に無理はしないように気をつけている。無理をしたら再発確実な反復性うつ病だからね。しかし以前と違ってきたのは「休んだら元通りになる」ってことだ。病気のときは身体がだるくてだるくて仕方がなかった。何をやるのもやる気が出ずに、多大に努力して動いていた、という感じがする。もう普通に動けていたときの状態が自分では分からなくなっていて「昔もやる気が出なかったけど、無理して身体を動かしていたのではないか」とずっと思っていた。何も考えずに身体がスッと動くなんて夢じゃないかって思ってた。

ところが、やっぱり身体って何も考えずにスッと動くものなんだよね。「やる気が出ない」というのは、出なかった頃は自分が怠けているのではないか、自分を甘やかしているのではないかってずーっと自分を責めてたけど、やっぱりそういうのは「病気の症状」だったのだ。そしてあのときは休んでも休んでも、寝ても寝てもずっとずっと身体のだるさは変わらないし、やる気も出たとは思えなかった。でも、今振り返って思うのは、やっぱり休んでも休んでも、寝ても寝ても身体が動かなかったりやる気が出ないときは、やっぱりそれは「休み方が足りない」んだってこと。休みが足りてきたら何も思わなくても身体がスッと動くし、何より何かやりたくなることができてくるのだ。

今も朝起きるとき、すごくだるくて起きる気がしない、起きるのが嫌な気分になることがある。そういうとき「あれ、自分はこれがデフォルトだったっけ?」って思う。だけど、その日、一日休むと翌日は動けるようになっている。朝、すんなり身体が動く。だから「あ、昨日はわたしは疲れてたんだ。だから起きれなかったのだ」って思える。うつ病のときは休んでてもあまりにも日々変わらなかったので、だるいのがデフォルト、みたいに思えちゃうのね。その感覚が今も残っているので、自分自身だるいときもそれは疲れではなく元からだと思ってしまうクセがある。けど、違うのね。今は一日で回復するようになったので、そういう意味でも「治ってきてるなあ~」って実感はあるし、身体がだるくて起き上がれなくても「今日は休もう」と素直に思える。

が、今ひとつ「治った」と言い切れないのは、疲れすぎると眠れないからだ。なぜか疲れすぎると眠れなかったり、眠りが浅くて全然寝た気がしなかったり、ってことは今でもある。なので「よくなってきている」けども「完全に治った」とまでは行ってないのだろう。だから、まだまだ油断大敵なのだが。。

今年1年は本当に充実した年だった。だが希死念慮は全然消えてない。むしろこれだけ活発に動いているのは「いつ死んでもいい。だけど悔いのない人生を送りたい」って思ってるからだし、もし明日死ぬとしても、わたしはそれで全然構わない。むしろその方が嬉しい。この世に自分が存在しているだけで苦痛だから。考えることも苦痛だから。息をしてるだけで苦痛だから。この世に未練なんか全くない。死んでこの世から早く消え去りたい。死んだら他人から自分のことを一切忘れられたい。この世にいたという痕跡を残したくない(死んだらこのブログも消去してもらう予定)。そしてわたしには「あの世」もない。「あの世」で自分が存在する、なんてそんな絶望的なこと、考えたくもない。わたしは「死んだら無になる」と思えるから、今、頑張れるのだ(だからわたしは宗教は信じたくても信じられない。宗教には「あの世」があるんだから)。死んでからいくら「あの世は何の悩みもない幸福な状況です」と言われても、自分が存在すると思っただけで苦痛なんだから、わたしにとっては幸福な状態であろうと苦痛なのだ。なんにせよ、わたしはわたしの存在自体をどこからも消し去りたい。これは明らかに「病的」なのは分かってるけど、これだけはもうどうしようもない。それは「病的」といっても、もうわたしの「一部」なのであり、そういう意味ではわたしは死ぬまでうつ病と「共存」していかねばならないのだろう。

よく他人から「生き生きしてる」とか「前に比べて元気になった」とか「顔色が良くなった」って言われるんだけど、確かに端から見るとその通りなんだろうと思うが、自分自身はあくまで「後ろ向き」に前に進んでいる感じだ。だって時間軸は前にしか向いてない。過去には絶対に戻れない。だとすると、前に進むしかないじゃないか。だけどわたしは自分が「生きたい」と思っては生きていない。自分で死ぬことができないから仕方なく生きている。だけど、生きている以上、悔いなく生きたい。「ああ、あれもやりたかった、これもやりたかった」「あそこに行きたかった、ここに行きたかった」と思いつつ死んでいくのはイヤだ。だから、わたしは今、できることを精一杯やる。一日一日を精一杯生きる。

来年もやりたいことはたくさんある。けど、それがいつ打ち切られても構わない。そんな思いを持って生きていく。

【追記】上の方で「創世記」云々、という話を書いたけど、あれは別にわたし自身が発見したことではない。このことについては、今年の不思議さを象徴するような話なのだが、直接的に「創世記」の1章と2章の書いてあることが矛盾している、ということについては今年読んだ「罪と死と愛と」という本に書いてあったものだ。そして「ではどうして矛盾しているものを直後に並べたのか」についての考察は、そこに書いてあったことを参考にわたしが大きく膨らませたものだ。実はここの部分、もう一つ、「男女」の造られ方が全く違う。このことについてはフェミニスト神学などが指摘しているということは以前から知っていたものの、問題はそこだけなのかと思っていたし、それがどういう意味を持つのかは考えたことがなかった。

そしてこの「罪と死と愛と」という本を知ったのは、「絞死刑」という大島渚の映画を観たからだった。そしてなぜそもそもこの映画を観ようと思ったかは、たまたま偶然チラシを見て知ったからだ。そう、順番を追って話すと、わたしはたまたまチラシを見て「絞死刑」という映画を知った。「観たい」と思ったのは、「小松川事件」という、これまたわたしは初めて知った事件だが(まあわたしが生まれる前の話なので)、貧しい在日の少年が2人の女性を殺害して死刑になった、という話を知ったからだった。事件は確か'56年頃起こって、'62年に死刑が執行された。死刑が確定した後、日本国内で助命嘆願が行われたらしい。それはあまりにも在日の少年が過酷な境遇におかれていたからだ。そして大島渚は'68年に「絞死刑」という映画を制作して上映した。'68年と言えば、ちょうどわたしが生まれた年だ。大島渚は「日本における在日朝鮮人の問題」としてこの映画を作ったらしい。わたしも「在日」のことについて描かれた作品だろうと思って観に行ったのだった。

ところが実際に映画を観ると「この映画のどこが在日朝鮮人に焦点を当ててるんだ?」という内容だった。わたしには「死刑制度について疑問を呈している」という映画としか思えなかった。そして内容も当時の人だったらそんなに細かい事件の背景は必要じゃないよね、というような映画だったので、事件自体のことははっきりしたことはよく分からないままの「なんか変な映画」だった。しかし観終わったときに、この映画を上映した主催の人が「小松川事件については、2冊の本が出ています」と教えてくれ、そのうちの1冊がこの「罪と死と愛と」だったのだ。ただこの本は少年死刑囚だった人と同じ在日の朴寿南さんという人との往復書簡集の一部だ。要するに手紙のやりとりのうちの重要な部分だけが抜粋されている本だった(重要な部分といっても、約300ページに2段組で書かれ、結構読むの大変だった)。そしてその他の1冊というのはこの2人の手紙のやりとりのすべてである「全書簡集」だ。けっきょく両方の本は手紙のやりとり、という形の本だったということだ。

「罪と死と愛と」を読んだら、これは在日というよりもキリスト教の話じゃないかと思った。そこに死刑囚ということは密接に絡んでいるが。というのは、この少年死刑囚は死刑が確定した後にキリスト教を信仰するようになっていたからだ。そこでは自分が死刑囚であるということと自分が犯した罪のこと、そして神とは信仰とは、ということが書いてある。確かに日本で生まれた朝鮮人、ということについても書いているが、この少年は生まれてから罪を犯して警察に捕まるまで、自分をあまり「朝鮮人」とは意識してないというか、本人は差別されるのでいつ周囲に自分が朝鮮人であるということがばれるか非常に恐れていたけれど、周囲は誰も彼のことを朝鮮人だと知った人はいなかったんだよね(雇い主は知ってただろうが。だって彼は就職の際も「朝鮮人だから」ということで大企業には就職できないのだ)。逆に「犯人は在日の少年だった」ということがクローズアップされすぎて本人はとても途惑っていただろうと書いてあった。彼は朴寿南さんとの手紙のやりとりにより、獄中、自分の民族意識に目覚めるのだ。だが、本を読んだ感想として、やっぱり主題は「信仰」にあるのではないだろうか、というのがわたしの感想だ。それくらい、信仰について書いてある内容が面白かった。上で「神がいる人は人間が客観的に見られて羨ましい」と書いたが、わたしがそう思ったのもこの本を読んでそう思ったからだ。

で、もうお気付きだろうが、なんとこの本は「死刑」「宗教」「在日」とわたしがそれまで別々に単独で興味を持ったことすべてが絡んでくる話で、その偶然さに非常にびっくりしたのだった。この話は今年、わたしに起こった「不思議さ」を象徴しているような話なんだけど、結局のところ、これは「象徴」に過ぎなくて、それ以外の分野でもあちこちで繋がったことが多かった。だから今年は本当にわたしにとって「不思議な年」だったのだ。
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12-09 Wed , 2015
子宮がん、検査を受ける目安
先々月に不正出血があり、そこでポリープが出来ていたので取ってもらったついでに、子宮頸がん検査と子宮体がん検査をしましょう、という話は以前に書いた。そして先月、ポリープの病理検査結果を聞いてきて、同時に子宮体がん検査をやってきたんだけど、その体がん検査の結果を最近聞きに行ってきた。まぁ、検査結果は10日で出るという話で、10日経っても電話がかかってこなかったので、異常なしなんだろうとは思っていた。

これで一連の検査等が終わったのだが、わたしは聞いておきたいことがあった。何しろ、婦人科なんてできるならお世話になりたくないところだ。多分、シスヘテ女性だって婦人科へはあんまり行きたくないところだろうから、レズビアンのわたしなんか本当に敷居が高い。行くたびに「わたしは女性とセックスする人間です」とは言いたくないから。かといって「異性愛女性前提」の話をされるのはきつい。問診票すら同性とセックスする人間のことを想定されてない。「いない」ものと想定されているわけだから、「いないもの」としてみなされている人間が「います」って言うことはとてもハードルが高い。今回行った病院は、まぁセクマイなら「ああ」って分かる病院なんじゃないだろうか。婦人科の診察が月に1回のとこ。ここはもともと「セクマイはいる」と想定されている、という安心感があるのでやはり心理的には行きやすい。そして婦人科の先生が来るのは月1回だけだからか、あの屈辱な体勢になる「内診台」がない。平坦なベッドの上に横たわって股開くだけ。これ、結構わたしにとっては楽だった。きっと体がん検査が全く痛くなかったのも、そういう心理的な面で緊張感がなかったからかも知れない。てなわけで、3回受診して話しやすくなってたところで常々「これはどうなんだろう」って思ってたことを聞いてきた。

まず、基礎体温計ってて疑問だったのは、基礎体温を測っていると排卵が起きていることは分かる。それによって生理が来るのも分かる。しかし、不正出血のときはそういう体温の変化に関わらず来るわけだから、それが不正出血なんじゃないの?って思ったが、無排卵の生理、というのがあるわけだから、体温に変化が無くても生理は来ますと言われた。そして、この年齢になってくるとダラダラと出血が続く傾向があるという。しかし、その出血が2週間以上続いたら、貧血になる恐れがあって止血しなければならないから、そのときは来てくださいと言われた。もちろん「何かある」可能性もあるという。なのでそれが病院に行く一つ目の目安。

もう一つは、頻繁に不正出血があること。数日おきに出血するなどのときも病院に来いと言われた。これが二つ目の目安。

以上が定期検査以外で「あれ」と思って病院に行く目安。

それ以外だと1年に一回は定期検査に来てね、と言うことになる。子宮頸がん検診はまず1年に1回、体がんは2~3年に1回かなあということ。これは体がんにかかりにくいからと言うことではなく、身体の負担を考えてとの理由なので、本当は体がんも1年に1回受けることが望ましいらしい。国保だと無料で検査が受けられるクーポンなんかが付いてくる年があるが、これの「子宮がん検査」は頸がん検査で体がんじゃないから、体がんを希望するならわざわざそう言わないとダメらしい。あ、体がん検査は40台後半くらいからね。体がんにかかりやすい年齢は、40台後半からだから。もちろんだからといってそれ以前の人は体がんにならないかというとそう言うわけではないが。まぁ40代後半以前はまれなことなので定期検査の必要性はないということだろう。

あと、気になってたのは卵巣がんなんだけど、これはひとまずエコーで腫れてるかどうかはチェックできるので、それが目安になるらしい。が、中には卵巣が腫れない卵巣がんもまれなんだけど、起こりうると。まぁもうそうなったら早期発見は無理ですってこと。今のところ医学にも限界はあるんだから仕方がない。わたしの場合は筋腫もあると言うことで、その大きさもチェックをしなければならないので、そのついでに卵巣は見てもらうことになる。

とまぁ、そんな感じで以前から聞きたかった子宮がんと卵巣がんについて聞いてきた。ちなみにわたしが行ってるこの病院は頸がん検査のキットは常時あるけど、体がん検査のキットはその都度持って来なければならないので、事前に予約するときに「体がん検査も受けたいです」って言わなきゃダメです。

しかしね~。前から思ってるけど「うちはセクマイフレンドリーです」って婦人科がもっと増えないかな。GIDの治療などで婦人科だってセクマイと全く関わりがないわけではないと思うんだよね(尤も、GIDはセクマイの中に入らない!という人もいるのは知ってます。そしてそれはそうだろうなという認識も持ってます)。婦人科の問診票で「セックス体験の有無」を聞くのは、単なる身体の中に入れる器具の大きさの違いだけって聞いたので(しかしそう考えると婦人科の医者は「セックス」というのは「女性器に男性器を挿入すること」としか認識していないということがよく分かるし、一人でもバイブで遊んでる人がいることなんか考えたりもしないんだろうと思ったりする)そこのところはもっといい聞き方をして欲しいなとか。最近「LGBTビジネス」という言葉が盛んに使われているけど(結婚式場とか保険とか)、こういうところだって「LGBTビジネス」の一つと言えるんじゃないだろうかね。
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12-08 Tue , 2015
ええっ、気付いてなかったの?
少し前だけど、病院行った。いつもの精神科。

わたしが「いや~、薬変えて眠れなかった原因ってワイパックスを断薬したこともあったみたいですよ~」って、前に書いた日記の内容のことを報告したら、主治医に「それはマズイ!」って言われた。。

てか、前回の時点で気が付いてなかったのか~、主治医~!みたいな感じ。。

ただ、何がマズイかというと、わたしは元々、睡眠剤なしで眠れていたのに、薬の効果で眠れていたのがまずかったみたい。まぁワイパックスと同系統のアルプラゾラムを飲んでるせいか、今回はセディールの時と違って3日ほどで元に戻ったのだけど、もしかしたらその眠りもアルプラゾラムの副作用で眠れてるのかも知れないというのはマズイらしい。そりゃ、元々眠れなくてそういうのが出てるのならともかく、自力で眠れてたんだから、その能力を削いでしまうってことになるのかも知れない。確か、眠れなくなってしまった人に対してこれまた同系統であるデパスなんかを処方されることがあるけど、わたしは2回目のうつがひどいときにあれを1日3回飲んでたけど、眠くもなーんともならなくて、不安もあんなので取り除けるとも思ってなくて「なんでこれ、出てるんだろ?」と思いつつ飲んでた。しかし同時期、父親が、眠れないときに飲むんだと言って、デパスをお守りのように持っていたが「あれで眠れるなんて信じれん」と思ってた(しかも半錠飲めば効くそうな)。きっと、眠れないときに処方されるのは本人の睡眠力を補うという意味で悪くはないんだろう。まぁ当たり前の話。

で、前回、アルプラゾラムの他に半夏厚朴湯も出てて、今回初めて「ちょっと息苦しいのが治まりつつあるかも」って状態になったものの、同時に飲み始めたので、どちらが効いているか分からない。。でもやっぱりアルプラゾラムの影響で眠れてるんならまずいよねってことで、アルプラゾラムを減らすことになった。1日朝晩2回だったのをまぁ1回減らす、みたいな?(ただし、減らし方は自由ですと言われて、一応処方上は1日2回で出てる)

なんだけど、現状のところ、朝1錠、夕食後半錠、という感じでアルプラゾラムは飲んでる。夕食後の半錠がなぜか減らせないというのは、これによって眠れなくなってたわけではなく、どうも寝る前に一番息苦しいのが出てきて「もしかしたら、これはアルプラゾラムを半錠にしているせいか?」と思ったりもするからだ。という時点でまず、半夏厚朴湯は効いてないんだな~という結論が出る。しかし、思い返すと別にアルプラゾラムを1日2回飲んでたときだって、疲れが一番たまる時間である夜の寝る前は息苦しいときはあったんだよね。ってことは、アルプラゾラムももしかしたら効いてないんじゃあ?って思わないこともない。しかし、これが精神病の難しいところで、薬を止めると息苦しいのがもっと復活してくるんじゃないの?と思えて止めることを躊躇ってしまう。というわけで夕食後は半錠なのだ。

正直、精神の薬はある程度「プラセボ」ってものがあると思ってる。偽薬ともいう。要するに小麦粉をカプセルに入れたものを「これはすごくよく効く薬ですよ」って言って飲ませると、それを信じた人は小麦粉でもある程度よくなる、という現象。だから「病は気から」って言われるんだけど、わたしはこの言葉、嫌いです。だってその「気」が病気になるんだもん。「気」が出ないのに、どうやって「気」を出すのよ。それは本人にとって苦しいことこの上ない。精神の病にとって一番回復の道に繋がるのは「楽になること」、これじゃないかとわたしは思う。だから、苦しいときは薬に頼ってもいいのよ、当たり前だけど。で、その効果が一定の「プラセボ効果」であってもいいの。楽になることが一番なんだから。

ただ、わたしがこう言えるのは「自分が依存になるほど薬は飲めない」体質だからって知ってるからだと思う。まず、身体が「この薬はもういらない」と判断したときは必ず身体に変な副作用が出てくる。それまで飲んでても全く起こってなかったことが。で、その副作用のおかげでその薬とは縁が切れる。そんなことを繰り返してきたので「楽になるなら薬を飲もうかな~、プラセボでもいいし」って素直に思えるのだ。

で、おそらく、アルプラゾラムはわたしの睡眠にはあんまり影響してない。半錠に減らした日も眠れなくならなかったし、逆に半錠飲んでも眠れない日もあるのよ。頭がぐるぐるしちゃう日とかは。だから、夕食後は半錠から1錠に戻そうかと思うこともない。だって、寝る前に息苦しくなるから。だけど、1錠に戻すのも抵抗感があるんだよね~。アルプラゾラム自体が効いてない気もしてて。ただ本当に「これ、効いてないわ」って確信を持てるほどではない。

というわけで、正直、この後どうするのかな~という感じ。まぁ、素直にこのことを主治医に話すけどさ。まぁでも今現在、息苦しいのより、背中と肩がめっちゃ痛い方の方がつらくなってる。頭を後ろに反らすと背中(と胸)が痛くて反らせないほど。

【現在の処方】
朝:半夏厚朴湯、アルプラゾラム「サワイ」0.4mg×1錠
夕食後:半夏厚朴湯、アルプラゾラム「サワイ」0.4mg×0.5錠
14:26 | 病名が分かった後のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
12-07 Mon , 2015
「ふたつのイヤギ」(日本大学芸術学部演劇学科 平成27年度総合演習IIIA)を観た
これも少し前の話になる。

最初、この公演のチラシを見たときに「あっ」って思った。「イヤギ」というのは朝鮮語で「話」という意味だ(チラシでは「物語」になってるけど、多分、大した違いはない)。「ふたつのイヤギ」というのは、その通り、この公演は「ちゃんぽん」という作品と「我が家のイヤギ」という作品の2つの劇が連続して演じられて、それで1つの公演となっている。「あっ」と思ったのは「我が家のイヤギ」を作った人の名前を見たからだった。「金民樹(キムミンス)」となっている。

わたし、今年の5月に「航路(항로)」というドキュメンタリー映画を観に行って、その映画に出てた人のうちの1人がこの金民樹さんだったのだ。金民樹さんは韓国籍を持つ在日で、映画の中ではもう一人、朝鮮籍を持つ在日、金哲義(キムチョリ)さんって人が出てくる。彼らはそれぞれ自分の劇団を持っているのだが、2人で「航路」という演劇ユニットを結成しているらしく、彼らの作った演劇が何回か、韓国の済州島の劇団から招聘されるんだけど、朝鮮籍を持つ金哲義さんは今の政権では韓国に行くことができないのね。それは以前この日記にも書いたとおり。朝鮮籍の在日が韓国に行けたのは金大中と盧武鉉が大統領だったときだけで、李明博から今に掛けてまた渡航できなくなった。韓国大使館に行って申請しても旅行証明書が出ないのだ。しかも済州島は金哲義さんのおじいさんの出身地で、自分にとっては全く縁がない場所ではない。縁がある場所なのに自分が行くことができないのだ。だから、韓国籍を持っている金民樹さんだけ毎年行って、行けなかった金哲義さんの書いた文章をそこで代読している。

このドキュメンタリー映画「航路」の中で彼らの作った「マダン劇」というものが出てくる。マダン劇というのは、韓国(だけなのか朝鮮文化なのかはわたしは今のところよく知らないが)の演劇スタイルらしい。マダンとは「広場」という意味らしいのだけど、文字通り舞台と観客が一体化する、というなかなか面白い(観客にとってはちょっとドキドキする)演劇スタイルだ。またまた話は飛ぶけど、わたしが去年、在日がやるお芝居で最初に観に行った、きむきがんさんのひとり芝居「在日バイタルチェック」というのも、今考えるとマダン劇の要素を取り入れてるものだったんだな、と思う。観客が突然、舞台の中の役者の1人として取り込まれるのだ。「在日バイタルチェック」はこれはこれで、とても素敵な舞台だった。この「在日バイタルチェック」もそうだったが、この航路の2人が作っている劇も「故郷・朝鮮半島を離れ、日本でどういう思いをしながらここまで生きてきたか」という在日の歴史を伝える、というのが主な内容だ。このドキュメンタリーを観てるとね、「ああ、一回この舞台を観てみたいなあ」って思ったの。でも彼らのマダン劇は大阪でやってて、東京には滅多に来ない。しかも東京でやると赤字になるのだと。しかもわたしはいつ、どこそこで彼らのやるマダン劇があるという情報は入ってこない。だから、「ふたつのイヤギ」のチラシの中に「金民樹」という文字を発見したときに「これは絶対に観に行かねば!」って思ったの。

20151114 102338


日本大学芸術学部はとても有名だってことは知ってたけど(昔、ラジオオタクでもあったし)、実際のところ、行ったのは初めての経験だった。まぁわたしは芸術とかほとんど無縁だからね~(笑)

ホールに入るとき、係員がいやに「前の方に座れ」だのなんだの言ってるなあと思ったんだけど、これはマダン劇だからなのだということをすっかり忘れてた。普通のマダン劇っておそらくこういうホール形式のところではやらないはず。本来なら「広場」のようなところでやる劇で、舞台と観客席の間はホール形式のような「断絶」はないんだろう。だから特に今回は「前の方に座れ」って言ってたんだろうなあ。本来、演劇のときはどの席が一番いい席っていうんだろうね?映画だったら見やすさを考えて真ん中からちょっと後ろにかけて、とか、音楽だったら音が混ざり合う2階席の一番前、とかだったりするけど(1階だったらやはり後方か)。よく分かんなかったので、かなり前方の方に座ったんだけど、今考えてみるとすごく危うかった!(笑)

事前に配られたパンフを読んでみると、この2つの劇、途中でカットしている部分があるらしい、時間の関係で。まぁ確かに普段だったら1つの劇はそれだけで観るものだから、カットしてある部分があるのは当然のことだろう。だが、わたしはそのカットしてある部分がとても気になって気になって。。はい、この劇を観た後でいろいろ調べて「ちゃんぽん」の方は元の脚本を探して読みました。もう一つも台本を売っているらしいので後日入手する予定。

「ちゃんぽん」は韓国で1980年に「光州事件」というのが起こったのだが、それが舞台になっているらしい。光州事件というと韓国の民主化運動の際、国が国民を弾圧した、ということしか知らなかったのだけど、それがコメディで描かれているという。一見、「この事件をコメディってどう描くんだろう?」って不思議な気持ちだったんだけど、これ、観てると本当に笑えるんだよね。ていうか、始まり方がすんごく面白くて。

普通、劇が始まる前って「ただいまより開演致します」とかアナウンスが流れるじゃん?違うのよ、これ。時間になったら突然人が出て来ていきなり始まるの。すっごいびっくりした。しかも前の方に座ってる観客2人が突然舞台の上に上げられて、そこでちゃんぽんを食べさせられるのだ!!あ、舞台の上の設定は、中華料理屋さんで。観客は、そのお店に来た「お客さん」という役を与えられる。いきなり舞台の上に連れて来られた観客はそりゃびっくりするし、うろたえるよね。「え、なんで自分が!?」「どうすりゃいいのよ?」みたいに。それだけでねー、笑えるの。舞台と客席との一体感はこんな感じで生まれる。そこで機転の聞く人ならうまく「役」になりきったりして、そこでまた観客席から笑いが起きる。これってすごいうまい劇のシステムだよね。ちなみにきむきがんさんの「在日バイタルチェック」も前の方に座ってるといきなり脈を取られたりするから、ご用心!(笑)

「ちゃんぽん」も「我が家のイヤギ」もネタバレしちゃっても構わないよね。劇って今までほとんど観に行ったことがなくて、観に行ったことがあるのは大昔、大学生の頃に高校時代の友だちがとある小劇団に所属していて、その関係で観に行ったのが何回か。下北沢でやってる系の演劇で、これ一体、どういう解釈をすればいいんだかっていう難しい感じの劇ばかりだった。そのときはそんなこと思わなかったけど、劇って映画と違って「古い演劇をリバイバルする」ことってなかなかないことなんだよなと。しかも演じる人は生身の人間だから、そのとき、そのときのことで、映画みたいに「へー、この人、こんなに若かったのか」なんてことは絶対にないわけで。劇ってその瞬間のものなんだと。「観たい」と思ったときしか観ることは出来ないものなのだ、そのほとんどは。そんな当たり前のことを今回、初めて認識し。なので、ネタバレしたところで、「これからこの劇を観るつもりだったのにバラされた-!」って人はほとんどいないだろうということでざっとあらすじを書いておく。

先ほど「ちゃんぽん」は光州事件を描いた作品だと書いた。舞台は光州にある、とある中華料理屋。36歳の男性が若い頃から修行して、お金を貯めてやっとのことで持てたお店だ。彼には異性の恋人がいる(ちなみにこの劇には同性愛者は出てこない、多分)。彼の恋人は喫茶店のレジの仕事か何かをやってる。彼は観客に対して貯金通帳を見せながら「今、やっと150万ウォン貯まった。けれど結婚するためには結婚式にいくらかかって、あれが必要でこれが必要で。。」と言い「もっとお金を貯めなければ」と言う。お店の従業員は2人。一人は実の妹。もう一人は実の弟のように面倒を見ている男。この妹と男も恋人同士、らしい。

実はこの設定、あとで脚本を読んだときに「あー、そうだったんだ」って初めて知ったのね。あまりにも「実の弟のように」面倒を見てたり、実の弟に対するような態度だったので、本当の弟だと思ってて、3人兄弟なのかと思ってたのよ。ここら辺、韓国人同士の「近しい関係」って本当に兄弟のようで、わたしには見分けが付かないのかも知れない、と思った。

お店に4人(主人公;社長、その恋人、従業員の男、社長の妹)が集まり「明日はピクニックだ」と言っている。そのためにカメラを借りてきたという授業員の男。光州の街は民主化を求める人たちでデモが起こり、政府は軍隊をそこに送り込んで鎮圧しようとしている。そのようなときに一本の出前の電話が入り、従業員の男が岡持ちを持って出前に行く。出前に行く途中の道で、腹を空かせた軍人2人が出てきて従業員に「その岡持ちを置いていけ」と命令する。従業員の男は「出前を届けてお金をもらってこないと社長に怒られるから置いていけない!」と言って拒否するんだけど、そこでもみ合いが起こって、岡持ちの隅に頭をぶつけて1人の兵士が怪我をしちゃうんだよね。

従業員がお店に帰ってきた後にテレビを付けると、テレビでは「一般の国民に混ざって北のスパイが入り込んで兵士に怪我をさせました!」と言っている。「北のスパイが民衆を煽って暴徒化させています!」と言っている。「軍隊はみなさまがた国民を守ると政府は発表していますから安心してください!」みたいなことを言う。ここの場面はテレビからアナウンサーが出てきて面白いと言ったら面白いのだが、クソですよ、クソ。韓国の放送局も日本の放送局も同じなんだなと。日本の放送局はどんなに国会前で人が集まってデモをしようが全く報道しなかったよね。安保法制の採決が行われる直前しか。しかも報道するとしたら「○人の逮捕者が出ました」とまるでデモに参加した人たちは暴徒たちであったかように大げさに報道する。韓国の放送局もそう。わたし、ついこの間の歴史教科書問題の時に偶然、朝鮮語の聴き取りに慣れるためにずっとKBS Worldを聞いてたんだけど、デモが起きる前には盛んに「歴史教科書」「歴史教科書」という単語が聞き取れた。が、デモが起こった後で「どうなったんだろう?」と思って聞いてみても、全く触れられないようだった。確かにニュースサイトでニュースになってはいたけど、その後どうなったんだ、あれだけ騒いでた「歴史教科書」の単語が全く出てこない。結局、報道機関なんてそんなもんなんだ、日本も韓国も。特に光州事件の時は韓国は軍事政権だったしね。でも、昔も今もそんなに変わりがないって!?とちょっと唖然としたのだった。

「北のスパイ」にされた従業員の男はそれは事実ではないことを外に伝えに行こうとするが、社長に止められる。そこからなぜか時は進み、次の日、ピクニックに行って帰った夕方の場面になる。そのあといろいろあって、岡持ちがふつけられた兵士は実はちゃんとした軍の兵士ではなく、単なる防衛(事前にもらったパンフレットによると、防衛軍というのは政府軍の戒厳軍や市民軍とは異なり、国内の徴兵制度において身体に不自由がある人、多めのお金を支払い、短い期間軍事訓練を受ける人のことで、韓国内では笑われるほどに低い身分の存在、なんだと)で、しかも仕事をさぼっている間に部隊から置いてきぼりをくらっていたことが分かる。そこで社長は兵士から銃だけは取り上げて、「もう勘弁してください」と言っている兵士たちを解放する。すると社長の彼女が務めていた喫茶店の店主から電話がかかってくる。デモで集まっている民衆にせめてコーヒーを届けようと道庁に行ったところで、銃で撃たれて死んだという。

それを聞いて従業員の男が「このままじっとしていられるか!」といって兵士から奪った銃を持って店から出て行く。妹もその後を追って出てしまう。止める社長。そこで場面が一転して、ピクニックの日に戻る。

楽しそうな4人の姿。サイダーを飲んだり、踊ったり。そこで前日、従業員の男が借りてきたカメラで記念写真を撮る。「タイマーが付いてるんだよ」って言いながら、またそのカメラを一番前の席の観客に預ける(笑)「あ、写真撮ってもらえますか?」って言いながら。それが遺影になる。ただ一人、生き残った社長が言う。

またあの日がやってきました。今日はこの町内あちこちでなくなった方たちをお祀りする日です。あのいまわしい春がくると、頭が辺になりそうです。春が、春じゃなく冬です。こころが寒いです。あの日以降、しばらくは何も手に付かなかった。死ぬこともできず、三人の墓を作って、また店を始めたところです。これ、見覚えありますか?通帳です。(中略)150万ウォンさえあれば、わたしたちの夢が実現するのに、1000万ウォン超えたのに胸の片隅にぽっかり穴が空いたようです。(後略)



この台詞を聞いたとき、わたしはそれまで泣いてなかったのに、思わず涙が目からにじみ出てきた。それは、これがただ「悲劇」であることに泣けたのではなく、何より、この事件が起こった日、1980年5月18日という日は、わたしの12歳の誕生日だったからだ(厳密に言うと光州事件は5月18日に始まったけど、その日に終わらずその先もっと激化して死者がたくさん出た)。あのときから35年しかまだ経っていない。ということは、まだまだ遺族がたくさん生き残っていて、今でもこの社長のような思いをわたしが生まれてきた日にしているだろうと、想像が付いたから。わたしがおそらくその当時一緒に住んでいた家族から「おめでとう」と言われた日に、まさに市民と軍隊が激突して亡くなった人がいるのだ。

東京新聞に今年「平和の俳句」というのが毎日載っている。いつだったか、ふと目にした俳句が「8月6日に広島で生まれたという複雑さ」みたいな俳句が載っていた。そのときは「まぁそうだろうね」としか思わなかった。実際、広島旧市内にあるお寺の中のお墓の墓碑銘を見ると「昭和20年8月6日」に亡くなった人がものすごくたくさんいることが分かる。その日は今でも「鎮魂の日」だ。その日に生まれてきた人の思いはどんなに複雑なんだろう。その俳句を目にしたときは「そうだろうなあ」としか思わなかったけど、このシーンを見てわたしはその俳句を詠んだ人の気持ちが初めて実感できたのだ。

もちろん12歳の誕生日のことなんて全く覚えてない。けど、そのときは韓国でそんなことが起こっているなんて全く知らなかったし、何より光州事件というのを知ったのは、2007年に「光州5.18」という映画が作られたときだった。この時に初めて「え。わたしの誕生日!?」って知ったのだ。この映画、観たいと思ってまだ観てないのだが。。

面白かった部分はほとんど説明を省いてしまったが、こういう悲しい事件でも途中で笑える場面にできるのって、これも「演劇ならでは」なのかなあと思った。映画だとまずこういう作り方はできないと思う。役者さんたちは何年生かすらよく分からないのだけど、どの人も結構印象に残った。ただ、一人二役とかあったみたいで、脚本を見ると「この人とこの人は別人なんだよね?」って初めて分かるんだが、劇を観ているだけでは「あの、最初に出てきたちゃんぽん食べに来た客は実は兵士だったの?」と思えてしまって、そこで「うーんと、えーっと?」と思ったりしてたので(一応、事前にもらったパンフでは二役の役名は書いてあるのだが。。)そこのところがすごく紛らわしかったように思う。あとはこの劇に関して言えば、台詞を噛んじゃった人が割といて、それがちょっと気になったかなあ。。あと「これは脚本の通りに行っていないのでは?」と思われる場面があって(食堂で兵士を捕まえてグルグル巻きにして、その上うるさかったので口にガムテープをしようとした場面)、あとで脚本を読んでみると確かに「ジャンノ(社長)、カウンターからテープを持ってきて、軍人たちの口をふさぐ。マンシク(従業員の男)も手伝う」と書いてあるんだよね。あの場面、確かジャンノではなくマンシクがガムテープで口をふさごうとしてたけど、ガムテープが手にくっついちゃってうまくふさげなかったのです。でもあそこはとっさの機転で「ええい、もういい」みたいな形であとはちゃんと繋げられてたんだよね。そこはすごく自然だった。まぁなんで気が付いたかと言えば、あそこでガムテープが付かない設定って変だと思ったから。ただそれだけの理由でした。

まぁそんなわけで、1つ目の「イヤギ」が終わった。少し休憩後、いよいよマダン劇「我が家のイヤギ」。

在日一世のおじいさんがリヤカーを引きながら出てくる。どうやら片足が不自由らしい。でも何やら「この話は自分が知らなかったお話」とか言ってる。このしゃべり方が在日一世らしいというのか、実際のところ、わたしは在日一世の人がどんなしゃべり方をするのかは聞いたことがないので分からないのだけど、きむきがんさんの「在日バイタルチェック」でもこんな感じで話している場面があったので、きっとそんな感じなのだろう。そこから物語は始まる。

身籠もった母親が出てくる。まだうまく日本語が喋れない。夫が北海道にいるらしく、それを追ってきたらしい。しかし青森でいきなり産気づき、そこで女の子が生まれる。だったっけな、よく覚えてないけど。。女の子にはお兄さんがいる。おじいさん、お母さん、お父さん、お兄さんと自分。女の子は廃品回収をしていたおじいさんのリヤカーに乗りながら、故郷、済州島の言葉を教わる。そして朝鮮人のための学校である朝鮮学校に通い始める(そのときは既に大阪にいる)。故郷にいる親戚から手紙が来ても、みな字が読めない。ので、一番歳は若いが朝鮮学校に行って文字を教わっている女の子が読む。みんな集まってそれを聞く。返事も女の子が書く。

近所の人たちが集まって宴会をする場面。貧しい中でも肩を寄せ合って生きていく人たち。ここでも観客が数人、舞台上に連れられていく。「いやー、しばらくやったなあ」とかいろいろ声を掛けられてすっかり「近所の人」になる。こういうところが「マダン劇」。

おじいさんが足の悪い理由が分かる。済州島4.3事件。これ、わたしもあまりよくは知らないのだが、解放後、韓国で選挙か何かあったときに、済州島の人たちが「アカだ」って言われて殺されたりしたんだよね。そこでせっかく解放後に日本から帰ってきた人たちがまた日本に戻って来た、そんな事件だったと思う。おじいさんはそれで足を悪くして、そして再び日本に戻ってきたのだった。が、やはり故郷が忘れられない。先祖もそこにいる。墓もある。というわけで、おじいさんとお兄さんはあるとき、済州島に帰るのだ。

ちなみにわたしはここで「あれ、帰国事業じゃなくて、自分の故郷に戻った人もいたんだ」と思ったが、まぁ日本と韓国が国交を回復した1965年以後であり、朝鮮籍から韓国籍に変えたら当然のことながら、韓国に戻れるということだよね。わたしはそれまであまりにも「帰国事業で朝鮮民主主義共和国に行きました」という話ばかりを知っていたので、ちょっと混乱した(^^;

それから数年後、おじいさんが病気になる。お母さんが心配して済州島に行くという。一人だけ韓国籍に変えて。しかし、お母さんが済州島に行っている間に韓国政府が日本に残っている家族全員に「朝鮮籍から韓国籍に変えなければ、母親は日本に戻さない」と言う。父親は悩む。なぜって子どもを朝鮮学校に行かせているわけで、当然のことながら朝鮮民主主義人民共和国側に付いている人だから。が、母親が日本に戻ってきたということは、不本意ながら家族全員、韓国籍に変えたということだろう。そこから父親は酒に溺れていく。
(しかしこの話って、蒼のシンフォニーを観たときとほぼ似てる感じなんだよね。パスポートが欲しければ、朝鮮学校を辞めさせろという、韓国側の主張。それは国と国とのイデオロギーの違いだから不本意ながらも仕方がないことなのかも知れないけれど、でも国の都合で引き裂かれている人たちを見ると「国」とは一体なんだろう、「国」と「人」の関係ってなんだろうって本当に考えさせられし、複雑な気持ちになるし、一体それをどうすればいいのだろうという気持ちになる)

お兄さんの方は済州島に帰ってしまったが、妹は朝鮮学校に通い、「朝鮮人」という民族を誇りに思って過ごしていく。そして朝鮮学校卒業後は歌舞団に入る。

お父さんがお酒を飲み過ぎて身体を悪くする。お兄さんがお見舞いにやってくるが、父親は面会を拒否する。すっかりきれいになった(それでもおんぼろな)朝鮮学校にお兄さんを案内する妹。かつてはお兄さんもそこの学校に通っていたのだ。

そこの場面がわたしは忘れられない。

妹は当然のことながら、自分たちの民族の言葉を「朝鮮語」という。しかし、韓国に帰って行ったお兄さんは「韓国語」という。妹は「なんで?うちら朝鮮半島から渡ってきて、朝鮮民族なんだから朝鮮語じゃないん?」という。お兄さんは「元は大韓帝国だったから、韓国語なのだ」という。

わたし、ここで初めて分かったんだよね。わたしは自分が朝鮮語のことを「韓国語」と呼ばずに「朝鮮語」と呼んでいるのは、この2人とは別の理由なんだと。わたしの理屈は、日本では朝鮮半島のことは「朝鮮半島」と呼び、また朝鮮戦争も「朝鮮戦争」と呼ぶ。学校でもそう習う。だから朝鮮語は「朝鮮語」なのだ。ここだけ「韓国語」にするとまるで「韓国の言葉」のようなイメージになってしまって、朝鮮民主主義共和国を無視しているように思えるのだ。だが、韓国では朝鮮半島のことは「韓半島」と呼び、朝鮮戦争のことは「韓戦争」と呼ぶ。だから「韓国語」なのだよね。韓国では今は本当に限られた言葉(例えば昔からある「朝鮮日報」とか)そういうときでないと「朝鮮」という言葉は使われない。

わたしの理屈は一見すると朝鮮民主主義共和国の理屈とよく似ていると思う。が、違うのだ。わたしはそこに「朝鮮民族だから」とか「朝鮮人だから」という理由はない。単なる、日本では「朝鮮半島」と呼び「朝鮮戦争」と呼んでいるから「朝鮮語」なだけだ。そしてわたしは何も不都合なことがない限りは「朝鮮語」を使うけれど、例えば韓国人の前で「朝鮮語」は使わない。それは彼らにとってとてもデリケートな問題だが、わたしは何かイデオロギーがあって「朝鮮語」と呼んでいるわけではないからだ。わたしは何のためらいもなく「朝鮮語」と「韓国語」を使い分けることが出来る。

その元になっているのは、何のことはない、わたしが「日本人」(ここでは日本に住むマジョリティとしての日本人ということ)だからなんだよなと。「在日当事者」ではないからだからなんだよなと。

んとね、「マジョリティであること」というのは本当に自覚しにくいことだ。なんてったって「普通」で言い表せてしまうのだから。「普通」ということはほとんどの人と共通点があると言うことで、だからこそ何も感じない。何も感じないところを何か感じろということはとても難しい。わたしはそれまでずっと「日本において日本人であるとはどういうことだろうか」ってずっと考えてきた。でも考えても考えても全然分からなかった。

蒼のシンフォニーを観に行ったとき、わたしはとてつもない違和感を感じた。しかしそれは「周囲が在日で自分が日本人」という違和感ではなかった。あの日記にも書いたけど、あのときは「知らない学校の同窓会に紛れ込んだ」ような違和感だった。あの場でわたしは、自分がマジョリティではなくマイノリティだと感じていた(当然のことながら、だからといってわたしはあの場所で「マイノリティ」だったわけではない。マジョリティとはただ数だけの問題ではない)。

だが、この場面を見たとき「なるほど、マジョリティとしての日本人とはこういうことか」と初めて分かったのだ。やっと自分の「立ち位置」がはっきりしたような気がした。今までわたしはもちろん韓国に対しても、いわゆる「北朝鮮」に対しても「今は、できるだけ公平に見よう」と思って来た。「今は」というのは、わたしがこの2つの国について、全くよく知らないからだ。全くよく知らないのに一つの些細な事実を取り上げて「これが真実だ」と思うのは偏見だ。わたしは自分が偏見を持つことが嫌だ。だからこそ、いろんな知識を知って、その上で判断したい。だが、肝心の「自分がどの場所から見ているか」がずっと自覚できなかったんだよね。だからそのことが分かってわたしは本当に嬉しかった。あの場面を見ながら「ああ、そうなんだ」って。自分のいる場所があの場面を観た瞬間「すとん」と来たというか。そして今後、いろいろなことを考えて行く上での大きな「鍵」をもらったような気がしている。あの「すとん」と腑に落ちた瞬間の感覚を大切にしていこうと思っている。もちろん一言注意しておくけど、これはナショナリズム的な意味の「日本人」ではないです。あくまでもマジョリティとしての「日本人」な感覚。「在日ではない」という感覚。そんな感じ。ただもしかしたらこの言い方は在日当事者にとって失礼に当たるかも知れない。「だから何なの」程度の話だろう、多分。でもこのことはずっとずっと自分でも考えて、でもずっと分からないことだったから本当に嬉しかったのです。

劇の内容について戻ろう。妹は歌舞団に入り「打倒、朴正熙!」を叫んでいる。一方、お兄さんは韓国で朴正熙を応援する側になっている。同じ血を分けた兄弟の中で分断が起こっている。ここは正直、わたしのような「部外者」には最も見えない部分だ。見えにくい部分でもある。だって、とてもデリケートなことだから。わたしは在日の人に向かって無神経に「分断ってどういうこと?それでどういうことが起こっているの?」とは聞くことは絶対にできない。本当はこういうことすら「書いていいのだろうか」と躊躇われる。だってわたしは「当事者」じゃないんだから。当事者たちの経験とか複雑な思いとか、それは「実感」することができないんだから。決して立ち入ってはならない部分。それを無神経に聞いてしまうことは単なる興味本位にしかならない。それは分かってる。だが、いろいろ考えていてこの部分に突き当たってしまうことって結構あるんだよね。わたしには今「見えている部分」と「全く見えない部分」があることは感じている。「全く見えない部分」は想像すら付かない。

うーん、これだと悪意を持つ人から見るととてつもない勘違いをされそうな言い方になってるな。「全く見えない部分」というのは、例えば今現在、在日の中で見えてる部分は「朝鮮学校」を中心としたものが多いということだ。しかし、在日全体の中で朝鮮学校と関わっている人って本当にごく少数だ。その他の部分はわたしには「全く見えない」。例えば性的少数者でいうと(これまた単純には比較して言えないのだが、イメージとしては)表に出てすごく目立ってる人もいるよね。カミングアウトしてテレビに出たりして。わたしだってある程度カミングアウトして生きてるし。ところがその「見えている部分」だけが性的少数者かというと全くそうではない。全く見えない部分で息をひそめて、いや、息をひそめてという言い方は悪いかも知れないが、ひっそりと暮らしてる人だっているわけだ、いろんな事情があって。もちろんその事情というのは「ゲイと分かると差別されるからカミングアウトできない」というのから「いや、性的少数者は一生日陰者として生きなければならないんだ」って考える人まで人の数だけ理由はあると思う。そして数からすると絶対にひっそり暮らしている人の方が多いと思う。でも見えないから世間からは「いない」ことにされる。「ゲイは芸術感覚に優れて」とかよく言われるけど、それは今現在「見えてる部分」がそうなわけであって、そうじゃない人の方がむしろ多いと思う。わたしが在日の人たちについての「見えない部分」というのはそれに似た部分がおそらくあるだろうということだ。もちろん全く同じではないのは当然だが。

ただ、わたしはその人たちを表に引っ張り出したいわけではない。「性的少数者は全員カミングアウトしろ」とは全く思ってないように。わたしが願っているのは、誰もがみな「暮らしやすい」世の中になって欲しいなあと思うだけ。それはそうなんだけど、見えない部分の人たちがどういう思いをしながら今の世の中をひっそり暮らしているのかと考えても、それはわたしから見えないんだから分からないです。性的少数者なら、わたしも当事者だからそりゃひっそり暮らしている人とも会う機会はある。どういう思いをしながら暮らしているかもある程度聞ける。でも在日は当事者じゃないので出会えない、わたしの方からわざわざひっぱり出して会いたいとは言えない。だから「分からない」のだ。だが分からないのは「いない」ってことではない。最低限でもそのことは肝に銘じておきたい。

というわけで、やっぱりこの辺の話がくどくどなるのは、もちろん誤解されたくないのもあるけど、複雑で分からないところが多いからだと思う。でも、分からないということを忘れなければ、いつかは何かあってまた「すとん」と来るかも知れない。一生分からないかも知れない(多分当事者じゃないのでこちらの方だろうけど)。出会うか出会わないかは今後の偶然に任せるしかない。

劇の続き。お兄さんは言う。「小国は、大国の都合でいつも振り回される。だから統一は絶対に実現しない!」と。そして故郷の済州島に戻っていく。亡くなったお父さんの遺骨と共に。しかしお兄さんはその後大変な目に遭っていることが分かる。日本に行ったとき朝鮮学校を訪れたことがばれて、あやうく逮捕されそうになったところを、以前、弁論大会で朴正熙からもらった賞状が出てきて逮捕されずに済んだ、と。

「小国は、大国の都合でいつも振り回される」、これは本当にその通りだ。といっても日本だって「大国」のうちに入っているし、何より第二次世界大戦後、同じ敗戦国だったドイツは東西に分裂したが、日本はしなかった。だけど日本の植民地だった朝鮮半島が分裂してしまった。んー、正直、ここら辺の歴史的な経緯については本当に概略しか知らないので、わたしは今、どうということもできない。そして世界の中では一応大国の部類に入っている日本だってアメリカという大国の前では小国だし、自ら進んでアメリカの言いなりになって、全然国民を大切にしていないことについてはとてもとても憤りを感じる。が、きっと朝鮮半島に住む人たちにとってはそれ以上の思いがあるだろう。だって間に日本が絡んでて、その日本はのうのうとアメリカ庇護の下で経済大国になったんだもの。では一体、自分はその中でどうすればいいんだろう。もちろんわたし個人の力でどうすることができるというわけではないが、でもだからといって誰も何もしなければ、強いものの言いなりになるだけだ。「念ずれば花開く」とか「小さなことからコツコツと」などの言葉が頭に浮かんでくるが(笑)、こればかりは知識を蓄えて時を待つしかない。何かアンテナを張っていれば、いつかは必ずどこかに通じる。それを信じて地道に歩むしかない。それが自分の出来ることと信じるしかない。この言葉は劇中で何回か繰り返されるのだけど、それを聞くたびに胸が痛かった。

その後、お母さんもぼけて亡くなる。すっかり歳を取った女の子(と言っても、もう白髪だ)。子どももいるし、孫もいる。「一世、二世と言うけれど、それは一歩、二歩と在日が歩んでいくことなのかも知れない」と最後に言う。「ああ、そうなのか」と思った。が、それはどの方向に向かって歩んでいるんだろう。人は時代と共に歩んでいるから、いつも同じ場所にはいない。そして一世と二世の思いは違うだろうし、二世と三世の思いも違うだろう。きっとそれが一歩であり二歩であるのだろう。実は、この言葉はまた、その後日、とあるところで思い出されることになる。このときはもちろんそんなこと知らなかったけどね。

この話は、途中からもうボロボロ泣けてきて。自分でも何でこんなに泣けるのかよく分かんないほど涙が出て来て止まらなかった。そして上に書いた3つのこと、「(自分の中での)マジョリティの位置」を発見してとても嬉しかったこと、そして「小国は大国に振り回される。だから、統一は絶対にしない」というお兄さんの言葉、最後に「在日一世、二世といいうのは、一歩二歩と歩むことなのかも知れない」という言葉が深くわたしの心の中に沈み込んだ。この劇を観に来て本当によかったと思った。

ただこのマダン劇、途中で朝鮮語が使われてたり、あとは在日の歴史を少し知らないと難しいかもなとは思った。その点、きむきがんさんの「在日バイタルチェック」の方が何も知らない人も理解しやすいかも知れない。あの話も本当によくできていて、在日の歴史が解放後から今の「高校無償化」の問題まで全部入ってるんだよね。これはホント、何も知らない人たちでもお勧めです。「在日の歴史」と言うけれど、実は在日の歴史だって日本の歴史の一部なんだよね。だって日本で起こったことなんだもの(「同化」という意味で言ってるわけではないです)。だから在日の歴史も、日本の歴史の一部としてやっぱり知っておかなければならないんじゃないかって、わたしはそう思うんだよね。このようなルーツを持つ人たちもこの日本で一緒に暮らしている。在日の中にこういう文化があること、もっと広い人に知って欲しいし、逆に在日の人だけのものにしておくのは本当にもったいない(ってそんなに偉そうなことわたしが言っていいのかどうかはよく分からないけど。なにしろ、わたしだって偉そうに語ってるけど、数年前までは全く知らなかったことなのだから。出会ったのは本当に偶然に過ぎなかったんだから)。「在日バイタルチェック」、今後も東京でやるかどうかは分かんないけど、去年、今年と東京でもやってたみたいなので、今後もまたこちらでやる機会もあるかも知れないですね。その他、大阪でやってるマダン劇も是非、また東京でやって欲しいなと思う。赤字になってしまう問題があるかも知れないが、赤字にならないためにもっとたくさんの人が観に来ないかな。

話が逸れた。「我が家のイヤギ」の方なんだけど、これが劇団タルオルムという金民樹さんの劇団でやったときはおそらくほとんどの役は在日の人が演じたんだろうなと思う。ちなみにこれは金民樹さん自身の話ではないです。金民樹さんが別の在日の人の話を聞いて、それを元にこの話を作ったそうです。今回は大学生で、んで多分、在日でない人が多く演じてたのではないかと思う。しかも観に来てた人はおそらく「日本大学芸術学部演劇学科」の中の人たちを知っているという人たちとか、やっぱり演劇関係者が多かったのかな。ということは、こちらもおそらく在日でない人、の方が多かったと推測される。

もちろん在日の役を在日じゃない人が演じても全くおかしくない。むしろ劇ってそういうものだと思う。が、在日の人がやるマダン劇はあまりにも「当時者性」というものが強いイメージがあるので、わたしは逆に在日の人がやる「マダン劇」はどういった雰囲気のものなのか、それがこの公演を観て、さらに強く感じられたんだよね。ただ、その逆を考えると(逆の逆なので話は元に戻っています)、わたしはあの場の雰囲気は違和感はなかったのね。それは実状はどうであろうと、自分の中に「この場にいるのはわたしと同じマジョリティである日本人が多いだろう」という思い込みがあったから。だからこそ、わたしは「朝鮮語」「韓国語」双方の主張を聞いたときに自分の中で「すとん」と落ちるものがあったのかも知れない。これがきっと当事者である在日が演じたとしたら、それを思うより「分断」のことの方が強く感じられてしまったかも知れないと今、思ったりしている。だが、そのことは劇を演じる人にとっては失礼な言い草だよね。演じる人によって演技力以外のところで説得性が変わるとしてしまうならば。だが、まだ本当のマダン劇を観ていない立場で想像するなら、きっと、マダン劇が行われるところでわたしは、この間の「蒼のシンフォニー」と同じ「違和感」を持つんじゃないだろうか。なぜなら、観に来る人は圧倒的に在日で、しかも朝鮮学校の校庭でやったり講堂でやったりすることも多いからだ。とするなら、わたしはまた「別の学校の同窓会に紛れ込んだ人」になっちゃって、そこでは「マイノリティ」を感じることになる(実際のところは全然マイノリティではないんだけどね。マイノリティというのはただ「少数」という意味ではないのだから)。とすると全く同じものを観たとしてもわたしはそこで「すとん」とならなかったのではないか。それを考えると「日本人の手でマダン劇をやった」ってことは(注;本当に日本人の手でやったかどうかは、事実かどうかは分からない。ただ、わたしの感覚としてだけど)、これはこれで大変な意味を持つということではなかろうか。だとすると、わたしが「偶然」出会ったこのことは、とても貴重な経験だったのではないかと。

演じた学生たちはすごく勉強しただろうと想像する、この劇をやるに当たって。劇の役作りについてはよく分かんないけど、でもその人を演じるのであれば、その人がどういう人なのか、今までどういう風に生きてきたかとか考えたりするよね、多分。だからこの劇を演じる上では学生はきっと在日の歴史のことについてうんと勉強したと思う。そして上でも書いたけど、おじいさんの口調なんて、本当にうまかったと思うし。しかもこの人、お兄さん役と実は二役だったんだけど、正直、気が付かなかったんだよね。それはお兄さんの幼少の時の役の人が、わたしには「女の子」に見えてしまったことも一因だろう(実際、女の人が演じたのがあることと、朝鮮語の名前はわたしには聞いただけでは男性なのか女性なのか区別が付かないので当初「姉妹」とばかり思い込んでしまってたのよね)。大きくなって出てきたとき「なんとなく似てる」とは思ったんだけど、帰ってパンフをよく見てみるまでは二役とは思わなかった。これってどう考えればいいんだろう?

あのね、初めにやった「ちゃんぽん」で主要な役をやってた人も、このマダン劇のちょい役(例えばお葬式の場面で棺を持つ人など)で出てくるの。そうすると「あっ、さっき出てきたあの人だ」とか分かっちゃうの。全然違う格好してても。それがなんかとても違和感があってね。「さっきあんな格好で出てたのに」とか。その役が印象深かったと言えばそうなんだろうけど、しかし、同じ劇の重要な役をふたつやりながら、同じ人に思えなかったというのは、うーん、どう評価すればいいのか。おじいさんとお兄さんは別人なんだから、当然「違う人」に見えるのは当たり前で(外見が似てたとしても)、そこのところの区別が役を演じる上でうまく付いていたと言うことなんだろうか。なんか不思議な感じです。

わたしはこの「総合実習IIIA」という授業の位置づけがちっとも分からないので、どういう人たちが演じてどういう位置づけの実習だったかはちっとも分かってないのだが(しかもアンケートには「照明はどうだったか」とか「大道具、小道具はどうだったか」とかいう質問があったんだけど、そんなのわたしには評価できないよ。照明とか小道具がいいとか悪いとかってどういうことなのかも分かんないんだから。というかその質問を読んで初めて「あ、照明とか大道具、小道具も学生がやってるのか」って初めて認識したほどだし。そういう質問があったこと自体、観に来る人って演劇関係者が多いってことだろうか?)この公演自体はとっても面白かった。「普段は在日の人が主体になって演じられる劇をそうでない人たち(これ、何度も言うけど実状は分かりません。わたしがそう認識しているだけ)が演じること」って本当はなんかものすごく意味があることだったんじゃないだろうか。ただ、だからといって日常的に在日の人たちが作ったマダン劇を日本人が「取り上げる」ことには反対だ。マダン劇は彼らのものなんだから。そことこことはきっちりと「線」で区切っておかねばならない。

本当は韓国で「ちゃんぽん」を観てみたいけど、さっき書いたように演劇はそう簡単にリバイバルするものではないから、観ることはできないだろうな。でも、この劇を観に来ている韓国の人たちがどういう反応をしながら観るのか、そういうことにも興味があったりする。でももし観るチャンスがあるとしたら、それまでに朝鮮語がもっともっと分かるようにしておかねば!

ちなみに「ちゃんぽん」の方は脚本を読んだが(これコピーするためにわざわざ都立中央図書館まで行きました)、カットしてある部分はなるほど、カットされてても話自体には影響はあまりないところだったなという感じかな。夢の中の話のようでした。拷問されるシーンだったけど。
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12-01 Tue , 2015
夏の東北旅行記 その3(人生初!山形・秋田)
今日から師走なんだけど、季節を無視した日記を書いてます(^^;

その2の続き。

わたしは昔から「枕が変わると眠れない」体質で、うつ病になってからはさらに「疲れたときの方が覚醒して眠れない」体質(というんだろうか?)になってしまった。しかもこれまた「睡眠不足だと頭が痛くなる」体質でね。よく歳を取ると「若い時みたいに何日も徹夜できなくなったー!」って言う人がいるんだけど、わたしは既に高校生の時から徹夜は無理だった。一回ねー、定期テストの時に徹夜で勉強してみたのよ。科目は物理で、しかもそれでもうテスト終了、というから最後はちょっと無理してみよっかな、みたいな感じで。

。。。散々だった。眠くて頭が痛いわでテストどころじゃなかった。なので「あ、わたしは徹夜無理」と思って、それ以来完徹したことない(睡眠障害で夜眠れなかったのは除く)。

でさー。旅行行くと必ず持っていくのは頭痛薬。絶対にどこかで疲れて頭が痛くなるから。長い旅行で途中、頭が痛くならなかったことがない。

そして3日目の朝、頭痛が起きちゃうんだよな~。1日目と2日目、よく眠れなくてね。身体はとっても疲れてるんだけどね。

8月3日(月)
というわけで、起きてみたら頭が痛かった。でも朝食は確か7時半って決まってたので無理矢理食べる。

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前日とメニュー違うけど、ここのYHは基本、和食なのね。前に来たときもそうだったと記憶してるが。。和食、洋食と日替わりになってるYHもあるよね。

朝食後、本当ならそれからすぐに出て、途中、ちょっと2駅ほど歩こうかなってプランを立ててたんだけど、頭痛いし、これ以上体力使ったらこの先持たない、と思って、1本電車遅らせて、チェックアウトギリギリまでYHで寝てることにした。だってねー、東京で旅行のプラン立ててたときは、東北ってこんなに暑いとは思いもしなかったのよ。夏の東北に行くのは初めてで、東北ってもっと「涼しい」イメージを持ってた。ところが仙台はほとんど東京の暑さと変わらない!「騙されたー!」って思ったね。尤も現地の人に聞くと「今年は異様に暑い」って話だったけど。。暑いと余計に体力奪われるじゃん。しかも頭が陽に当たるとこれまた頭痛の原因になるので。。

ご飯食べ終わってから2時間ほど寝てたら、頭が痛いのが治まってきたので「よかった」と思いつつ、YHを後にした。

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YHの最寄り駅、太子堂を10時11分発。太子堂から仙台まではなんかいろいろな線があって、どれに乗ったんだかはよく覚えてない。東北本線の他にエアポートなんたらとか、いろいろあるらしいね。

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仙台!てか、是非とも「むすび丸」が付いてる仙台駅の看板を撮りたいと思ったんだけど、前の日記にも書いたように今仙台駅ってなんかとっても構内を工事してるんだよね。これ、見つけるの結構大変だった。

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12時11分、仙台駅から仙山線に乗る。これからいよいよ山形へ。といっても山形までは行かないのだけど。実は人生、初めての山形県。山形は花笠音頭で天童とか尾花沢という地名は知っているけど、ああ、あと天童市は将棋の街だとかね。さくらんぼもそうかな?でもそれ以外のイメージって全くなかったです。

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13時26分、羽前千歳着。この先が山形なんだけど、山形まで行くとうまいこと奥羽本線に乗り継げないのね。まぁここから先は仙山線と奥羽本線の重複路線だからだと思うけど。

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電車が来るまで10分以上あったんで、駅のホームをブラブラしてたら、こんなものを発見。ここで線路内に物を落としたらわざわざ山形駅に連絡してそれで駅員さんに取ってもらわないといけないみたいで。でもそんなこと律儀にしてたら時間がどのくらいかかるんだろうかと思ったりして。山形からここまで駅員さんは何で来るのかな~とか、電車に乗り遅れたら飛んでもない目に遭うだろうなとか。

しかしここは本当に暑かった!確かに山形のここら辺って盆地だから余計に暑いとは分かってたけど、確か今までの日本での最高気温って山形が記録してたと記憶してるけど。で、ここで偶然iPodから流れてきた曲は、細川たかしの「津軽じょんがら」で、それを聞いたとき、ビミョーな感じだった。まぁここは津軽ではなかったけど、「津軽は雪ん中~♪」と歌われても全く想像が付かない(笑)あ、ちなみにわたしは別に細川たかしのファンではなく、数年前の紅白で細川たかしが「津軽じょんがら」を歌ったときにそれが頭から離れなくなっちゃって、次の年(って紅白の次の日はもう新年だが)の正月にiTunes storeでこの曲だけ買って、iPodに入れてたのだ。あと上にちょっと書いた花笠音頭もiPodに入ってて、なんでこんな曲が入ってるかといえば、わたしは日本の「音頭」が好きで何枚かCD持ってるからだった。沖縄民謡も好き。ただ、沖縄を除く日本の民謡はイマイチ。やっぱノリがいいのが好き。河内音頭も好き。まぁわたしの音楽の好みはそれだけじゃないけど、基本、日本の民族的なリズムってのは好きなんだよね。かけ声とか。エンヤコラセードッコイセ、とか(って河内音頭じゃん!)。まぁでもこの季節に聞く演歌などは、地元に近いけど、季節感が全く違うのですごーく違和感があって、それがとても面白かった。

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13時39分、奥羽本線、羽前千歳発。ところがこの電車ねー。既にものすごい人が乗ってて、危うく乗れないかと思うほどだった。ものすごい人、というのは、どうやら高校生みたいで。この日、集団登校日だったのかしら。多分、山形から乗ってきたんだよね、この子たち。でさぁ。びっくりしたんで未だにこの電車の中の光景が忘れられないんだけど、みんな電車の中で勉強してるの!!!@@;大抵、今どきはゲーム機持ってたりスマホの画面見てたりするじゃん。違うの。なんかねー、大きい画板みたいのをみんな持ってて、それを下敷き代わりにして書いたりしてるの。座ってる子だけじゃなく立ってても。画板をみんな持ってるってことは、いつも電車の中で勉強してるってことだよね。なぜかみんな、英語ばっかりやってたけど。しかも、子ども連れのお母さんに席を譲ったりしてて。ええ子や~、キミら。わたしはこれで山形県のイメージが変わりました(大げさ)。

そんな劇混みだった電車内も、途中でみんな降りていき。

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14時42分、新庄着。ここで1時間近く次の電車を待ったんだけど、もう暑くて暑くて。

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なんと34.9度。暑すぎて朦朧としたので駅の外を出ようとも思わなかった。しかしここ、新幹線の始発駅なんよね~。初めて知った。ローカル線と同じ線路を新幹線が走ってる区間なのよね。

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15時37分、新庄発。ここからも奥羽本線。途中、

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これなんて読むん?みたいな駅があり。「及位」はどうやったら「のぞき」と読めるのか?「のぞ・き」なのか「の・ぞき」なのか?「湯沢」って新潟にあったんじゃなかったっけ。ここ、山形、いや、もう秋田か、秋田だよね?ああ、そういえば新潟の湯沢は「越後湯沢」だったっけ。「越後」って付いてるのは、ここと区別するためだったのかとか。そして乗ってるうちに気が付くんだよね。。

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辺り一面が田んぼなことを!

んーなんていうのか。わたし、これまでここまで一区画が大きな田んぼを見たことがなく。すごいきれいだったー。わたし、この区間の奥羽本線の風景、この旅行の中でも印象に残る光景のNo.1です。

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そして本日の宿泊地、大曲YHがある飯詰駅、17時16分着。

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ここの駅は、当然のことながら(?)、無人駅でして。そこから30分くらいかなー、YHまで歩くのは。そう大した距離ではないし、なんてったって、周囲が田んぼだらけで本当に「わー」と思いながら、道を歩いてた。

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右側の画像の黒い点々は、カラスです。なんでかよー知らんが、何も植わってないところにカラスがたくさんいた。何かの種が蒔かれてたんだろうか。

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あまりうまいことは撮れなかったのだが、一応パノラマで。そういえば、3月に安曇野に行ったとき、安曇野YHの周囲も田んぼだらけだったけど、こんな感じなんだろうかとふと思ったりして。しかし本当に一区画が大きかった。秋田と言えば「あきたこまち」をすぐに思い出すけど、これらはみんな「あきたこまち」なんかしらん?

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大曲YH。入口があまりにも普通の家の玄関みたいだったので、そこじゃなく、もっとYHの入口っぽいのがあるのかしらと思ってその先に行ってみたのだが、そんなものはなかったので「ここから入るのかー」と。ペアレントさんはよーく喋るおじさんでした。おじさんと言っても、わたしとあまり年齢は違わないんだけども(汗)

「急な客が来なければ、今日は部屋に一人です」と言われて案内されたのが

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じゃーん。クーラーなし!「でも開けっ放しにしておけば、外から涼しい風が入ってくるから」と言われ、え、開けっ放し???夜中でも?「まぁだいたい夜中にここを通る人なんていないから!徘徊老人以外は(笑)」え、ああ、そうなんですか。。。てか、プライバシー全くないじゃんかーって思ったけど、実際、泊まってる間は誰も入ってこなかったです(当たり前か)。でも、最初の方はちょっと落ち着かなかったな~(笑)

ペアレントさんから「今、秋田は竿灯祭りの最中だけど行かないの?盛岡でもさんさやってるよ」と言われ「ああー、ここは青森に行く途中でどこかに泊まらないといけなかったから来ただけなんです」と答える。「もうさー、この時期は東北は夏祭りだからね、どこでも!」と言われ、そっかー、そういや仙台もこれから七夕だったし、夏の東北ってそういう意味では「日常」ではないんだと思わされる。「日常?日常だったら冬がいいね。冬の方が日常だよ」と言われる。ここのペアレントさんは、地元出身の人ではないようで、埼玉出身の人だったかな?脱サラしてYHを経営してるらしい。とにかくしゃべり好きな人で、聞けば周辺のたくさんの見どころを教えてくれる。わたしは既にこのときまでに「今、わたしの体験してるのは、東北じゃないような気がする」と思ってたので、次に来るときは寒い時期に来てみようかなと思い始めてた。ので、ここの冬の行き場所を教えてもらったりした。冬はここらは横手でかまくら祭などがあるらしいのだが、それ以外はやはり温泉だとか。ただ、わたしのような公共交通機関を利用するとなると、その選択肢はぐっと減るみたい。

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この日の夕ご飯。ちなみに野菜類はすべて、ペアレントさんが自分で作ったものだそう。右上の黄色いのは食用菊だったかな。左上の汁物は秋田名物「きりたんぽ」だそうだ。普通、きりたんぽは冬のものなんだけど、まぁここでは夏も出してくれてるみたい。きりたんぽ、初めて食べました。

この日は朝、頭痛かったし、それまであまり眠れてないしで、ご飯食べた後早めに寝ようと思ってすぐ風呂入って布団の中に入ったのだが、なんかねー、消灯の少し前に新しい宿泊客が来て、その人とペアレントさんがずーーーっと食堂で話してるんだよねー。部屋、あけっぱなしにしてるじゃん?何を喋ってるのか、内容までは分からないけど、それがうるさくてさー。だいたい消灯過ぎたら静かにしなきゃなんないんじゃん、誰だって。それにこんなにうるさかったら誰かが注意するだろうよと思ってしばらく放っておいたのだが、12時近くになってもまだ喋ってる!なんかちょっとウトウトしかけたんだけど、声で起こされてしまって、わたし、これ以上眠れなかったら次の日も頭痛じゃん、こりゃ言わんと分からんわと思って仕方なく食堂まで行って「すいません、もう消灯時間、だいぶ過ぎてるし」と言ったら「ごめんなさい!」と言われてすぐに終わったけど、もー、どうなっとるん、ここのYH。ペアレント自ら消灯時間無視するなー。って、わたしも今まで眠れてなかったもんだからね、これ以上眠れなかったらという恐怖心もあったんで、どうも済みません。

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夜になれば、そこそこ涼しくなると言われ、確かに寝る前の時点で25度を割ってたけど、ちょうど明け方一番寒いときに起きたので「今は何度だろ?」と思ってみたら、22度台だった。確かにこれだとクーラーなしで行ける。ペアレントさんとはわたしが歯磨きしているときに少し話したんだけど(冬の見どころなどもそのときに教えてもらった)「こんなに暑かったらクーラー付けないとダメかなあ。でも、クーラー付けても稼動日数が年間10日くらいなものだし、付けたら維持費がかかるんだよね。。」と言ってたので、翌日「わたしは別にクーラーいらないと思いますけどね」と答えておいた。

ちなみにここのYH、わたしが泊まったときは全部で3人くらいしか宿泊客がいなかったと思うけど、その次の次の週だったか、大曲の花火の時は満員になるんだって。ただ、経営はかなり厳しいみたいですね~。YHってわたしが高校生の時は夏休みとなればどこもいっぱい、予約取れないところもたくさんあったのに、最近は本当の客が減ってるのね~。まぁこれだけの施設を数人で使うとホテルに泊まるより部屋は広いし、一人部屋だし、風呂もそれなりに広いし、これまた一人で十分浸かれるし、というので、今はかなり「穴場」になってると思う。ただ、同じ部屋に同じ旅行者がいないので旅の情報交換などができないのは、ある意味YHの醍醐味もなくなってしまってるというのが現状か。寂しいね。

その4へ続く。
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11-30 Mon , 2015
夏の東北旅行記 その2(東北レインボーSUMMERフェスティバル)
その1の続き。

しかしなぜこの日程で東北旅行をしようと思ったかというと、「8月2日に仙台で『東北レインボーSUMMERフェスティバル』があるからそれを見に行くため」だったんだよね。わたしは地方に住んでたこともあったけど、セクマイの活動は東京以外ではやったことがなく、地方の人が地元でどんな活動をやってるか、地方のセクマイはどんな感じで暮らしてるのか、そういうのがずっと知りたかった。地方のセクマイの人がどんな思いをして日常生活を送っているか、しばしば耳に入っては来たけど、実際にその場に行ったことはないし、雰囲気も分からない。それに特に地方には長く活動をしている団体が数多くあり、そういうところから学ばせてもらいたいとも思っている。地方というのは仙台に限らずね。

それから、東京で行われるプライドパレードのときは地方からもたくさんの団体の人が来てて、そこでいろいろ話したりはするんだけど、いつもいつも東京でしか会わない、というのが嫌だった。だってそれは彼らにとっては「非日常」なわけで、わたしはそういう彼らの「日常」が知りたかった。それと東京のパレードなんかわざわざ行かないよ、って人もいるだろうからね。そういう人と会って話をしたかった。

東京に住んでる人は、ほとんど東京を出ることはない。いつもいつも地方から来る人を迎えるだけ。わたしが地方に住んでたとき、東京に住んでた友だちはいつも「今度はそっちに遊びに行くから!」って言ってたけど、実際は1度も来てくれたことはなかった。そりゃ確かにわたしが東京に行くのは友だちに会いに行くだけではなく、別の用事もあったりしたからだけど、だけどいつもいつも「こっちから会いに行く」のは不公平だと思った。東京の人は傲慢だと思った。そういう経験があるからわたしはそうはなりたくないって思ってるんだよね。こういう、いくつかの理由があって、わたしは今回東北に行ったのだ。

8月2日(日)
宿泊先の「道中庵YH」は夕食の提供はなくなっちゃったけど、朝食はあるので。

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お米は宮城県産のお米って書いてあったかな~。

「東北レインボーSUMMERフェスティバル」は13時からなので、YHにいられるギリギリ10時までは部屋でのんびりして、それから出る(YHは連泊でもチェックアウト時間以後に部屋にいることは出来ない)。

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YHの玄関先にあった「むすび丸」。かわいい。気に入ったんで撮っちゃった。

それから仙台駅まで行ってふらふらと~。仙台と言えば「萩の月」なので、そういうのを買ったり。しかし、よく考えてみれば仙台って帰りも通るところだったので、何もこの日に買わなくてもよかったんだよね。。。「萩の月」は本当にわたし大好きなんだけど、一つ一つ箱に入ってたりするのがあまり好きではなく。なんかどこかで簡易包装の「萩の月」が売ってると聞いてたので、ネットで調べてわざわざ買いに行く。と言っても仙台駅の駅ビルの地下だったっけ。

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「東北レインボーSUMMERフェスティバル」の会場は仙台市市民活動サポートセンターというところだったんだけど、そこで7月18日から8月9日まで「虹色七夕」という展示イベントもやってたのね。だからそれを見るためにちょっと早めに着いておこうと思って「萩の月」を買った後、そちらへ向かった。で、上の画像は全然関係ないですが、確かあおば通とどこか交差してる広い道を渡るときに、歩行者は地下に降りなくちゃならなくて、地下に行ったらそこにあったもの。これは一体なんなんでしょ?噴水の施設だったとか?冬になるとここから暖かい空気がぶわーっと吹き出すとか?(それにしても仙台はものすごく暑かったです!!)

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そして、会場の仙台市市民活動サポートセンター。なんだかすごーく立派な建物だった。そこの5階の展示スペースで「虹色七夕」をやってたので先にそれを見に行く。

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展示スペースは全体がこんな感じ。

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まぁ一角と言えば一角なんだけど、でも丁寧に読んでいくと全部読むのはかなりかかると思った。当事者のメッセージあり、東北地方のさまざまな団体の冊子あり、芸術作品みたいなのもあり。

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こんな感じ。そうそう、一番右の画像の下に貼り付けてあったのは、七夕に関する短い小説だったんだけど、読んでみたらすごく笑えて面白かったので全文撮って来ちゃった(いいのかしら?)。

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わたしはこれ系統の話が好きでね(笑)彦星は実はゲイって設定。まぁホントはこれじゃ織姫がなんだかいいヤツでかわいそうに思えてくるんだけどね~(一年中機織りなんて(涙))。

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「虹色天の川」という作品。確かこれ、学生団体の作品だったっけ?当事者かどうかは分からないけど、いろいろな人の願いが書かれてあった。中には「おにくたべたい」というのがあって、書いてるときにお腹が減ってたのかな?とか思ったり(笑)「同性愛は罪と言われた」というのは見ててつらいね、、

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やっぱり忘れちゃいけないのがこれ。なんだけど、時間がなくてほとんど読めなかった。ウェブサイトでも公開してると書いてあったので、読んでみようと思いつつ、まだ読んでない。

わたしがこの展示を見てるとき、他に1人だけいて、でもその人は当事者じゃなく、当事者のことが知りたかったから来てみたって言ってた。「東北のことはよく分かんないけど、多分当事者じゃなくても参加できる交流会とかたくさんあるんじゃないですかね~」って言っておいた。てか、このときはまだ知らなかったけど、実際、そうらしいです。

で、そろそろ時間になるかなーと思って今度は地下1階へ。

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エレベータ降りて会場の中に入るとこんな風船がたくさん。カラフルできれいでしたよ~。で、会場。

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なにやらここで話されるらしい。ただねー、会場全体の画像はありません。ていうのは、プライバシーの問題があって、誰が写り込むか分からなかったから撮れなかったんだよね。この舞台が一番前方として、その後ろに椅子が何列にも並べられていて、それを取り囲む壁際に地元の団体のブースがいくつか出てた。わたしが会場に着いたときはまだ全然客がいなくて「本当にこの座席、全部埋まるの?」って思ったんだけど、始まるに従って人が増える増える。結局席は全部埋まって、周囲に少し座るスペースがあったんだけど、そこまで人が座っているという、かなり盛況のようでした(確か、参加者108人だっけ?終わってから参加者人数発表の時に誰かが「煩悩の数と一緒」って言ってたことを思い出す(笑))。

でねー。実際、舞台の上でいろいろあったのも全部、画像には撮らなかったの。正直、どこなら大丈夫でどこがダメかよく分からなくて。うー、例えば名古屋のNLGRとかはそんなの気にしなくて誰にも聞かずにバシバシ撮っちゃってたけど、なんというか、「ここ」では誰が顔出ししてるかしてないか、ってのがよく分からず。なのでここからはほとんど画像はありません。わたしはステージイベントが始まるまでは各団体のブースに行って誰彼かまわず挨拶をしてました。かなーり変な人だったですね。すみません、、

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この会場がすばらしかったのは、こうやって耳が不自由な人のために話したことをパソコンに入力してこんな感じで出す、ってスクリーンがあったこと。これ、こんな感じでパソコンが4つあって、4人の人でやってました。どういう役割分担があるんだろう?って思った。

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こういうの、やってくれるシステムがあるようです、仙台って。見てたらなかなか大変そうだったけど、これだと一瞬聞き逃してもスクリーンを見れば分かるので、耳が聞こえても便利だった。

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これが始まったところ。ただしねー、フェスティバルは第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」、第2部「ステージ・パフォーマンス」だったのだが、このサービスは第1部だけだったんだよね。まぁ歌ったり踊ったりのステージ・パフォーマンスにはこういうのは必要ないのかなあとも思ったけど、でも、今、何をしているかちょっとだけ字幕の説明があった方が分かりやすいんじゃないかとは思った。リアルタイムで文字化しなくても、事前にどういうパフォーマンスをするかは分かってるんだから。

第1部「武田こうじポエトリー・リーディング&トークショー」は、武田こうじさんという人とあと地元団体の当事者、ゲイとバイセクシャルの人(確か女性自認の人だったか)の計3人のトークショーだった。地元では武田こうじさんは有名な人なのかも知れないけど、わたしは全く知らなくて。地元の詩人だったかなあ。時折、武田さんの作った詩を武田さん自らが朗読してた。

それが終わったあとは「Living Together in SENDAI」ということで、HIV/AIDSの手記朗読。なんか久々にこういうの聞いた感じ。わたしも以前、Living Together Loungeがあった頃はちょくちょく二丁目に行ってたんだけど、あれがなくなってからはHIV/AIDS啓発活動のイベントに行くことがなくなってしまって。名古屋のNLGRもとんとご無沙汰してるし。

そして第2部「ステージ・パフォーマンス」。最初は舞台の上で何人か出てきて女装姿で踊ってた。誰も知らない人なんで、その人たちの性自認などは全く分からないのだけど、男性に見えた人は4人くらいいて、女性に見えた人は1人いた。こういうところで男女混合で踊るのはかなり珍しいと思うけど、まぁわたしは最近、その手のイベントを見ることがないので、今現在それが珍しいのかどうかは分からない。踊りが終わったあとは一人で出てきて突然オペラを歌う人がいて、これはちょっと斬新。てのは、東京、大阪、名古屋などの大都市でやるイベントって性的少数者(主にゲイだと思うが)のパフォーマーがかなりいて、その人たちだけでできちゃうんだよね。この前にやった女装姿で踊るとか、あとはドラァグクイーンが出てきてパフォーマンスやるとか、それで一イベントできてしまうくらい人数がいる。だからこういうところで「ゲイ文化」の中には入ってないオペラを披露するってことはかなり珍しいのではないか。少なくともわたしはこれまで見たことはない。

なんていうのかな~。地方ではセクマイが少ないって言われる分、地域の人を巻き込んでいかないといけないのかなって思いつつ、でもこれはかなり重要で効果的ではないかと思う。セクマイはセクマイで固まってたって、理解者は全然増えないし、逆にセクマイで固まられると当事者でない人は中に入りにくくなる。けど、こうやって理解者を巻き込んで一つのイベントを作っていくのって、大変は大変だろうけど、別の理解者も増やすことになる。地方は人数が少ない分、そうやってやらなければならないんだろうけど、これは東京でもやってかなきゃいけないよね~。まぁ東京レインボーパレードでは、毎年大物ゲストを呼んで、コンサートみたいなのをやってるけどね。てか、わたしは東京で行われるこの手のパフォーマンスってあとは年末にやるgakuGAYkaiしか知らんわ。そういう情報、最近はホント集めてないから知らない。

まぁとにかく、このオペラのパフォーマンスは斬新でかなり気に入った(笑)

次は月子さんっていう、地元では有名なのかしら、ドラァグではないけど女装の人?がポールダンスのパフォーマンスをしたのだけど、その前に準備と言うことでその間に見た「青葉城恋歌」に合わせたPVが流れ。これがまたすごい笑えた。仙台駅とか、萩の月とか、青葉城址とか、広瀬川とか、仙台の有名どころが出てきて、月子さんと思われる人が男に振られるんだか振るんだか(よく覚えてない)、胸パッド代わりに萩の月入れてたり、それを食べたり、なんかすごく面白かった。「あー、仙台にとってはこういうのがベタで笑えるんだなあ」って思った。わたしはもちろん地元の人ではないから、同じものを見てても捉え方が違ってるとは思う。

ポールダンスって初めて見たんだけど、すごいね。本当はとてもとても画像に撮りたかったんだけど、撮っていいのか分かんなかったから、終わったあとの画像。

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あとで聞くと、後ろの方の人はバシバシ撮ってたそうです。が、わたしより前にいた人は一人もカメラ向けてなかったからな~。残念だった。これに垂直に身体を立てるのってすごい腕の筋肉が必要だよね。

てなわけで、ステージ・パフォーマンスも終わり、最後に抽選会。当たったらLGBTフレンドリーなスキー場だったっけ、そこのチケットがプレゼントされるとかだったけど、わたし、それに当たっても元々スキーやんないしってことで、「当たるな~」って思ってたら運よく当たらなかった(笑)ちなみにそのLGBTフレンドリーなスキー場、どこだったかは忘れた。会津とかだったっけ。なんか宮城県じゃないんだなあとは思った記憶はある。

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これが外れて持って帰ったチケットで~す。

会が終わって、前日同じ部屋に泊まった地元の人から聞いた回る寿司屋でも行くかと思ってたら、会場で知り合いになった人が親切にも夕飯に誘ってくれて、8人くらいで一緒に食べた。

そこでいろいろ地元の人の話が聞けて楽しかったけど、やっぱり震災の時の話になった。なんか地域によって全然違ったみたいだけど、地震起きてからライフラインが復旧するまでが大変そうだった。「1週間くらい風呂に入らなくても生きていけるって分かった」って話してくれた人がいるけど、そうなのか~って感じ。あとは「あの季節でよかった」って言った人も。電気が使えなかったから、冷蔵庫が役に立たなかったんだけど、まだ寒い時期だったから食べ物が腐らなかったって。それにこれから暖かくなる時期、というのも不幸中の幸いというか。住んでるところが基準以上に傾いたので全壊の対象になったとか、浸水してもう住めないのに半壊にしかならなかったとか、そういうことも聞いた。地震が起きてすぐに電気が来なくなったから、情報が全く来なくて、たまたま前の人がワンセグで見てたテレビをちらっと見たときに東京の画像が写ってたので、その人は「東京が震源地だったんだ!東京が壊滅したらどうなるんだろう」って思い込んでたとか。そんなことを面白おかしく話してたけど、まだまだあの震災に遭った人の記憶は鮮明なんだよね。

仙台ではいろいろ交流会などのイベントもあり、今度はそういうのに参加してみたいなあ~と思った。何回も行けるわけではないけど、1度は行ってみたい。

というわけで、楽しかったです、この日。お世話になった皆さん、本当に有難うございました。

その3へ続く。
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11-29 Sun , 2015
夏の東北旅行記 その1(出発!)
いつの話?と思われるかも知れないが、取り敢えず夏に東北を旅行したことは一応、書きたかったことなので。

ただ、もうあまりにも前の話のような気がしてて、あんまり覚えてないかも知れないので、撮った画像を中心に、淡々と書くつもり。

旅行期間は2015年8月1日(土)から8月10日(月)。主に「青春18きっぷ」で旅行したが、あれは5回限りなので、最後の日のみ普通の切符、つか、普通にSUICAを使った。

8月1日(土)
出発の日。8時22分、東京駅から東北本線に乗る。てか、電車の区別、何線なのか、実はよく分からない、複雑すぎて。鉄オタではないし。画像を見ると「上野東京ライン」とか書いてあるね。でも乗れればいいんです、電車は。わたしはそんな感じ。「何形」だとかは全く興味がありません。

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確か、この電車は割と空いてて、しかもボックス席だったような気がする。わたしのイメージだと「鈍行」=「ボックス席」だったので、それが当たり前だと思っていたというか、田舎に行くほどそうだと思ってた。だが違ったのね。ボックス席に座れたのは、ここだけで、これから先はほとんど全部長いすだったのだ。長いすはねー、外が見られないから嫌なのよね。わたしは鈍行列車で音楽を聞きながらボーッと流れていく車窓を見るのが大好きだから。

10時16分、宇都宮着。ここからさらに東北本線に乗る。10時26分発。

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わたし、宇都宮駅の看板を撮って気が付いたんだけど、駅の看板、漢字表記のところとひらがな表記のところがあるんだよね。東京駅は漢字だったけど、宇都宮駅はひらがな。統一されてないのが意外。駅名を漢字表記にするとかひらがな表記にするとか、どういう基準で決めてるんだろう?

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この電車の中には「とちまるくん」というキャラクターのシールがたくさん貼ってあって、栃木のそれぞれの名産とか名勝を紹介してた。撮った画像は駅員さんだったけど、宇都宮の餃子とか、日光東照宮の「見ざる言わざる聞かざる」とか、そんなのもあったんじゃなかったっけ。こういうキャラクターがいるの、ここで初めて知りました。てか本当に今、各地のキャラクターがあるよねえ。この旅でもいろんなところにいろんなのがあったよ。しかし、この電車はなぜかすごーく混んでた。。最後まで。

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11時17分、黒磯着。11時33分、黒磯発。さらに東北本線に乗って北上。この電車も混んでたんだよなあ~。しかもさっき書いたように最初に乗った電車以外はずっと長いすだったので、景色も見れず。ちなみに音楽はiPodに入ってる曲をランダムに聞いてたような。。てか、この旅は「ここではこの曲」というのはほとんどなく、ずっとランダムだったような。そうするとたまに面白い現象が起こるんだよね(笑)

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12時38分、郡山着。12時42分、郡山発。まぁね、ここは本当に記憶ないね。だいたい乗り換え時間4分だと、着いたときに駅の看板撮って、それからこれから乗る電車の画像撮ってたらそれだけで多分おしまい。てかそれだけのことができるか、かなりドキドキなんだよねー。

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13時28分、福島着。14時11分、福島発。ここで30分以上時間があったので、駅の改札を出て(青春18きっぷは乗り降り自由)すぐ近くにあった喫茶店みたいなところで昼ご飯を食べる。何食べたかな~。旅行中は基本、昼食抜きなんだけど、なんとなくお腹が空いたんだよね。でもそんなに食べたいとも思わなかったので、軽くサンドイッチを食べたんじゃなかったっけ。コンビニに売ってるようなサンドイッチだった。それとコーヒー。画像は撮ってなかったね。今気が付いたけど。

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15時36分、仙台着。取り敢えずこの旅行の目的地の一つ。なんか仙台駅はあちこち工事をしていて、看板も仮に付けた、みたいなのが多かった。しかし朝8時半から15時半まで7時間か。7時間というとすごく長い感じがするんだけど、感覚的には「あっという間」だった。しかしこの電車、気が付くと右側の画像のような「もし津波が起こったときは」という注意書きが貼ってあって「ああ、震災があったところなんだよなあ」って。

まぁそれは、この旅行の日程を組み立てるときから思ってたけどね。わたしは行きと帰りは同じ道を通って帰りたくない性分なので、いかに「一筆書き」で行って帰るかを考えながら乗る電車を決めてるんだけど、今、常磐線の一部がまだ動いてなかったり、山田線の一部が代行バスだったりで、日程を組み立てるのにかなり苦労したんだよね。てか、常磐線経由では絶対に戻れないので(原発の影響で電車が動いてない)、仕方がなく行きと帰りは同じ東北本線経由を使わざるを得なかった。ただ、わたしは生まれてから一度も鈍行で東北を旅行したことがないので、当然のことながら震災以降、ここら辺に来たのは初めてなのだ。

あ。しかし。仙台は行ったことがある。過去に1度。学会で。あと東北は「点」で行ったことがあるところが多くて。例えば先ほど乗り換えのために降りた郡山は友だちの結婚式で1度来たことがある。あとは青森。青森は今まで2回行ったことがある。大学の時の乗船実習で1回、去年1回。あとはなし。そのくらい、縁がうす~い土地なんだよね、東北って。わたしにとっては。福島から東北だから、東北って「結構近いんだなあ」と思ったのだが、実はまだまだこのときは分からなかった。東北ってものすごく広いんだということに。。

そして今の時点では震災の影響があったとは全く感じられなくて。まぁそういうところを通ってこなかったからだけど。

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太子堂。本日泊まる「道中庵YH」があるとこ。っていうか、上に仙台に来たことが一回あってと書いたが、そのときもここに泊まったんだよねえ~。ちなみに右側の看板の上に付いてるおむすびみたいなキャラクターは「むすび丸」というんだそうだ。これも初めて見た。

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来たのが昔過ぎてもう全然覚えてなかったんだけど、YHの入り口。ここはねー、かつて泊まったときは自家製のお米とか野菜とか、そんなのでご飯を作ってくれてたんだけど、今は朝食のみで夕食の提供はなしになってた。あのときはちょうど、お米が不作の年だったかで、安いタイ米か何かが大量に入ってきたときだったんだけど、ここでは自家製のお米を食べさせてもらったことを記憶している。というわけで、夕食の提供がないんだから、仕方がなく仙台に行って何か食べるか、ということにし、もう一度仙台駅へ。

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の前に、太子堂駅のすぐ近くにある「ヨークベニマル」。東北には縁もゆかりもないけど、ヨークベニマルを見ると「東北」って感じがする。というのは、昔、ヨークベニマルの社会人野球チームがあったからだ。

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仙台駅は7日から始まる七夕祭りのために、改札降りたらこんなふうになってた。

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駅のあちこちにこんなのがあってねー。70年連続開催できたのも、ずっと平和だったからだよなーとか、そんなことを思ってた。だって、予約投稿したからあの時点ではここにはアップされてなかったけど、8月6日の日記は既にもう書いてて、あの中で「高校野球が始まって今年で100年だけど、第97回なのは、途中、戦争の影響で中止になった年が何年もあったからだ」と書いてたから。この旅は平和について考える旅でもあった。というか、平和だから旅行できるんだなってずっと思いながら旅行してた。

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外から見た仙台駅。しかし仙台は東北一の大都市だからか、なんだかすげーでかかった。駅なんかもものすごくでかかったし。中国地方でナンバーワンであるはずの広島駅はこれに比べると格段にショボイんだが。。ってなんで広島駅が出てくるかというとよく分かんない(笑)きっと東京、大阪、名古屋以外で知ってる大都市は広島駅しかないからだと思う(笑)

夕食を食べる時間まではまだ少し早かったので、どこかに行こうと思ったのだが、どこかに行けるほどの時間の余裕はなく。本当なら青葉城址などに行ってみたかったのだが歩いて行くには遠すぎて。だとしたら、もうここしかないよね、ここ。

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「広瀬川~、流れる岸辺~、思い出は~、帰らず~♪」で有名な広瀬川。まぁ行ってはみたけれど、ただの川でした(笑)なんとかして面白いところはないかなあと思って脇の森みたいなところに入ってみた!

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遠くからみると「なんじゃあこりゃあ」って像が見えて、近づいてよく見てみるとこれはキリシタン殉教の碑らしい。「ふ~ん、そうなんだ」くらいしか思わなかったのだけど、キリシタンは九州のイメージが強いんだが、ここら辺にもキリスト教が入ってきてて殉教者っていたのね。で、像から離れて行こうとしたら。

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猫ちゃん!なんか小柄な猫ちゃんなのか、それともまだ仔猫なのかは分かんなかったけど、猫ちゃんがいた。あんまり近づくと逃げちゃうと思って望遠で。かわいかったー!

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森の中の道をざくざく歩いてたら、黒い羽根のトンボが(多分、思いっきり見にくいと思うが)。黒い羽根のトンボって初めて見たー!しかし、ここは工事中でその先は行けず。結局来た道を戻ることに。

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そうそう、仙台の街を歩いてるとこの銀行があるんだよね~。七十七銀行。ここも社会人野球チームを持ってる。前はなかなか全国大会に出てこられなかったけど、JTとかなくなってしまってちょこちょこ都市対抗などの全国大会にも出てくるようになった。てか、JTの応援は好きだったんだけどな、、、

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適当に歩いてたら、小学校があって、なんか土井晩翠の母校だとか。そこには「荒城の月」の作詞をしたって書いてあったけど、わたし、荒城の月=滝廉太郎で、作詞をしたのは誰か全く知らなかった。すいません、、、なんかこの学校の中に資料室があるらしいんだけど、まぁ、時間がなかったので(しかも夏休みだし)、行ってません。

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仙台の街はこんな感じだった。七夕祭り近しって感じなのかな?

で、夕飯なんだけど、仙台は「牛タン」しか思い浮かばなかったので、取り敢えず牛タン定食が食べられるお店に行って牛タン定食を。ありきたりなんだけど、事前情報これしか知らんかったんだもん。

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うーん、旅行中のメモが消えてしまったので詳細は忘れたけど、確かこれは特製じゃなく普通の牛タン定食で1300円くらいしたかなあ。特製のになるとちょっと高くて手が出ないよって値段だったので、普通のにしたんだけど、んー、なんかちょっと硬かった。特別美味しいとはあまり思わなかったな~。

YHに帰ったら、同室にもう一人の人が。なんかよく分からないけど、旅行しようと思ったんだけど、あまりにも暑かったのでめげて、地元のYHに泊まったんだとか。どこの人かはよく分からないけど、仙台のことについて詳しそうだったので、いろいろ美味しいとことか教えてもらったんだけど、地元で美味しいタイ料理とかカレー屋さんとか、うーん、、わたし、仙台でしか食べられないものが食べたいんだけど(笑)って感じでした。まぁ確かに地元に住んでる人と旅行客の行くところは違うよねえ。

というわけで、初日はこんな風にして終わった。その2に続く。
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11-28 Sat , 2015
47歳
今年は47歳の年。

毎年1回は年齢についての日記を書いてるんだけど、去年は12月に「生誕17000日目」って題名で日記書いてるね。それを見ると、今日は生誕17361日目。あれから360日以上経ったんだね~。

去年、47って数字は素数なだけであんまり魅力がないって書いた。確かにそれはそうなんだけど、年齢のところに「47」って書くのが結構好きだったりする。数字自体には魅力がないのになんでだろう?とても不思議だ。

そして、今の時期になると来年の年賀状の印刷の受付、みたいなので、年賀状のサンプルを見るようになったんだけどさ。そこに印刷してある「申」って文字を見ると「あらっ」って思う。そう、来年は年女なんだよね~。つか、48という数字のことばかり考えてて、年女と言うことはすっかり忘れてた。てか、別にだからどうということもないが。。

しかし、45を2年も過ぎてるのに未だ、四捨五入して50とは考えられない。きっとわたしの中に「50歳」に対する強固なイメージがあって、そのイメージと自分が合わないからじゃないか?と思ったりする。「50」というと社会的にも落ち着いてて老人に片足突っ込んでるイメージが多分あるんだろうね(笑)今のわたしはまだまだ落ち着いてるどころの騒ぎじゃないからなあ~。。

去年の「生誕17000日目」の日記を読むと、病状がよくなってきただの、でもやる気が出るとか出ないとか書いてあるけど、んー、去年から今年の1年はね、とにかく息苦しかったね。正直、今も息苦しい。ただ、去年よりはちょっとは楽になってきたかな?って思ってたんだけど、最近の寒さのせいか、またひどくなってきてしまった。。肩こりというか、肩こりと背中の痛みとが合体して(これは去年からだけども)、それがちょっとよくなったかなと思ったらまたひどくなるの繰り返し。。先週までかなり楽だったんだけど、1週間前からまたひどくなった。なんなの、これ。これと息苦しさの相互作用で正直、身体の方はあんまり楽に動けるとは言い難い。

しかも15年来の座骨神経痛持ちでとうとう、足先からしびれが出てきた。その影響か、座骨神経痛で痛い方ではない反対の方の腰が痛い。

ということで、上半身も下半身もボロボロなわけですが。これって老化現象って言えるの?

ただ、なぜか精神の調子だけはOK。やる気というのは、出ないときに「なんで出ないんだろう」って思うものなのね。最近は「やる気」のことを考えることはほとんどない。確かにやる気が出ないときもあるんだけど、そういうときは「まぁいいか」って思える。というのは、仕事なんかで動かなきゃいけないときはやる気なくても動けるようになったから。きっとこういうのが「普通の状態」というのだろう。しかし、わたしの場合はそこからすぐに奈落の底に落ちて行く感覚を味わうことができるので、というか、もううつ病やりすぎて、自分の中のその感覚が忘れられなくなったというか、ただそういうことだけだと思うけど、今もある一定の条件が揃えば、多分すぐ、うつ状態に戻るだろうなあということはなんとなく分かっている。

でもここ数年で見ると、この1年はきっとかなり調子がいいとは思う。先週なんか、ほとんど毎日外出していたし。その頃は息苦しさも背中の痛みも結構なくなってきてたし。ところがね。「ちょっとは休まなきゃ」と思って休んだ途端、息苦しくなるわ、背中の痛みや座骨神経痛の痛みもひどくなるわで正直「休まなかった方がよかったのでは」と思ったほど。しかもわたしは休むと途端に何もしたくなくなる。まるで「慣性の法則」そのものじゃないかって思った。

外部から力を加えない限り、動いている物体は永遠に等速直線運動をし続け、静止している物体は永遠に静止している。

ってやつね。とにかく動いている間は次に動くのが簡単なのだけど、一旦休んじゃうと動き始めるのがとても億劫になる。精神科の主治医に「わたし、休むと体調悪くなるみたいなんですよね~」と言ったら「そんなことないです!」と言われた。主治医によれば、背中などの痛みは動いてないから血の巡りが悪くなってるんじゃないかと言ったけど、確かにそれはその通りかもと思うが、それ以来、外出しても楽になることはない。あー、ホンマ、休むんじゃなかったわ。

去年は「やる」と言っていた資格試験勉強、結局息苦しさでできず。今年は息苦しくてもやります。
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11-27 Fri , 2015
「蒼のシンフォニー」特別試写会に行った
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だいぶ前の話になるが、「蒼のシンフォニー」(そらいろのしんふぉにー)という映画の試写会に行った。

きっと「何その映画。全然知らない」という人が多いと思う。これは「ウリハッキョ」「60万回のトライ」と同様に朝鮮学校を扱ったドキュメンタリー映画だ。実は「ウリハッキョ」「60万回のトライ」にもちらっと出てくるが、実際の映像はほとんどなかった場面がある。それは朝鮮高級学校(日本の高校に相当する)の「祖国訪問」の場面だ。朝鮮高級学校においての「祖国訪問」というのは、おそらく日本の高校でいう「修学旅行」に当たるとわたしは認識してるんだけど、まぁ「祖国訪問」の行き先は当然のことながら朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる「北朝鮮」だ。

ではなぜ先の「ウリハッキョ」と「60万回のトライ」ではその映像がほとんどなかったかというと、「ウリハッキョ」の監督さんは本国の韓国の人で、当然のことながらいわゆる「北朝鮮」には行くことができない。「60万回のトライ」は2人の監督さんで、一人は本国の韓国の人、もう一人は在日だったと思う。しかし、この在日の監督さんは確か、朝鮮学校には通ったことがない人なんだよね。だからこの映画も監督さん自らいわゆる「北朝鮮」には行けなかったのだ。で、この「60万回のトライ」では一人の生徒にカメラを託してて、「祖国訪問」の様子がちょっとだけ映像であることはあるんだけど、まぁ生徒が撮ったものだから、当然のことながらきちっとしたものではないのね。

ところが今回の「蒼のシンフォニー」は監督さんがいわゆる「北朝鮮」に行って「祖国訪問」の様子を撮ってきたという。わたし、それがとても「興味深かった」のね。単純に「観たい」って思った。だから、この映画に対しての「後援金」、いわゆる映画の制作費に当たるものだと思うけど、その募集をしていたときに、応援の意味を兼ねて少額だけどもお金を出してたのね。今回はその特典。そしてこの映画の一般公開は来年の春になるということで、そんなに先まで待てないよってことで行ってきたのだ。

ただ、行った後、映画の感想がここまで長い間書けなかったのは2つ理由がある。一つ目は「素直なわたしの気持ちを書いたら、当事者(この場合は在日認識がある当事者)の気持ちを傷つけてしまう可能性があるのではないか」と思ったこと。もう一つは「わたしが素直な感想を書いたとして、そこに全く悪意がなくても、悪意を持とうと思った人に対してはどうやったって悪意を持てるような印象を与えてしまうだろう」と予想されるからだ。当事者の気持ちを傷つけるのは嫌だし、悪意を持った人に悪い意味での「宣伝」になって伝わるのはわたしの本意ではない。それでずっと「どういう風に書けばいいのか」を考えていた。「書かない」という選択肢はなかったが、その「書き方」をずっと悩んでいた。が、あるとき思った。「正直に書こう」と。ただ、誤解や悪意を持たれるのは嫌なので、その都度、わたしがそれに対してどう考えたかを長々しく書こう、と。それでもきっと、文章ではわたしの気持ちはすべて伝えられないだろう。そのことについては予め言っておく。そして多分、これは「映画のレビュー」にはならないと思う。わたしが映画を観て印象に残ったこと、それについて考えたこと、それが主な内容になるだろう。

しかし、既にここから長々しい説明の一端に入るけど、これはあくまで「朝鮮学校」に関わりがある人たちの話だ。「朝鮮学校」=「在日」ではあるけれど、「在日」=「朝鮮学校」ではない(朝鮮学校は在日の「部分集合」ということ)。むしろ、在日の中で朝鮮学校に関わっている人たち(関わるというのは、朝鮮学校関係者、いわゆる朝鮮学校の卒業生やら家族やらということ)は在日の中でも少数の人に過ぎない。朝鮮学校とは全く関わりのない在日の人たちはいるし、数からするとこちらの方が「多数派」だ。朝鮮学校は今、生徒数が減少している。戦後70年近くの民族教育を担ってきた朝鮮学校が今、このような現状を迎えているのは、わたしはとても悲しいと思う。人数が少ないコミュニティの中に子どもを入れたくない(狭い世界の人間関係しか持てないことを避けたい)という理由で朝鮮学校に通っていても途中から日本の学校に転校してしまう、という例もよくあるらしい。現にこの映画では一人、中学時代はずっと1人で過ごした、という生徒が出てくる。それまでは同級生は5、6人いたんだそうだ。が、自分一人を残してすべて別の学校に行ってしまったと。この人、映画の中では言ってなかったけど多分、以前わたしが観た「アフタースクール 東日本大震災 東北朝鮮学校の記録part.2」というドキュメンタリーで出てきた子だよね?この「アフタースクール 東日本大震災 東北朝鮮学校の記録part.2」という映画は「東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20」というドキュメンタリー映画の続編で、制作したのは先に紹介した「60万回のトライ」を制作した監督さんたちだ。東日本大震災で校舎が壊れてしまった東北朝鮮学校が、仮校舎を作って移転した先での話なのだけど、そこで中級部にたった1人だけで学んでいる生徒がいる話が出てくる。その子が多分、東北朝鮮中級学校を卒業したあとに、茨城の朝鮮学校に来たんだろう。

あ、大事なことを言い忘れていた。この映画の舞台となっているのは茨城朝鮮初中高級学校だ。そこの高級学校の生徒に焦点が当てられている。朝鮮学校がどこにどのくらいの規模である、ということはわたしはよく知らないのだが、初級から高級まですべてある学校っておそらく数が少ないと思う。前に出てきた東北の朝鮮学校は初級と中級しかない。その上に行くには、家から離れた高級部がある学校に行かなければならない。茨城朝鮮初中高級学校には生徒たちの寄宿舎がある。実家が遠くてとても通えない人たちのためだ。中には実家が新潟で、初級学校から1人、寄宿舎にいるという生徒も出てくる。初級学校といえば、日本の学校では小学校だよ。小学1年のときから親元を離れて寮生活って、本当にすごい。来た当初は寂しくて仕方がなかったそうだけれど。土日に親元に帰って、月曜日の朝、親が新潟から茨城まで車で送る。子どもも大変だけど、親も大変だったと思う。しかしこの子はとても面白い子だった。そういや「60万回のトライ」にも面白い子が1人いたな。いわゆるムードメーカーというか。その子はもともとそういう性格だったんだろうけど、でも、小学1年生、あ、違った。初級学校1年生って言えばいいのかな?からの寮生活でも伸び伸びと育てられたから、その子のもともと持っていた性格が発揮されたんだろうな。

というか。ここからずるずるといろんな話が出てきそうになるんだけど、話を元に戻す。というわけで、わたしが言いたかったのは「在日」=「朝鮮学校」ではないこと。むしろ朝鮮学校に通っていない在日の方が多数派であるということ。そして「多数派」にも関わらず、普段のわたしの目からはそれはほとんど見えない、ということだ。だから、この映画を観て在日の人はこういう人たちなんだーって思うのは違う。わたしはわたしの目からはほとんど見ることができない多数の在日の人に思いを馳せる。ただ、うっすらとだけど「内部は複雑」だろうとは察しながらもね。性的少数者もそうだけど、世の中で「透明人間」をやってるのもつらいことです。

朝鮮学校が目立っている理由というのは、わたしが言わなくても大半の人は分かるだろうと思うが、朝鮮学校無償化排除問題、というのが大きい。そしてその背景にあるのは「朝鮮学校は朝鮮総聯と関係があること」、そして「朝鮮総聯がいわゆる『北朝鮮』に結びついていること」、そしていわゆる「北朝鮮」の拉致問題、というのがどうしても出て来ざるを得ない。

ただ。わたしは基本的に朝鮮学校は民族教育権にあたると思っている。権利というものは制限が付けられないから権利なのであって、そこで「こういう教育はするな」と介入するものは権利ではないと思っている。もちろん権利は無制限ではない。しかし「無制限ではない場合」というのは、あくまでも「他者が持つ権利とぶつかり合う場合」にのみ何らかの制限が付けられるべきだ。だからいくら「表現の自由は無制限だ」と言っていても、そこに他人の人格を貶める発言(特にマイノリティに対して)を無制限にしていいはずはなく、そこでは一定の制限を設けるべきだと思っている、というか、これはわたしだけがそう思っているわけではなく、これが国際標準な考え方で、わたしが今言ってるのは単に「ヘイトスピーチ」だけの話ではないです。というかヘイトスピーチ自体が「表現の自由に当たらない」、だからヘイトスピーチは規制できるとする考えもあるだろう。そこら辺の細かな違い(ヘイトスピーチは表現の自由に当たり、しかし、公共の福祉(これは各人が持っている権利がぶつかり合ってしまった場合の話で、人に迷惑掛けるとかそういう意味では全くない)を考えると一定の規制が必要であるという考え方と、ヘイトスピーチ自体が表現の自由には当たらないのだ、という考え方)はさておき、どちらにしても、どういう表現方法でも「差別はしてはいけない」というのは当然のことだろう。

先ほど「国際標準」と言ったのは、その元になる国連の「人種差別撤廃条約」が既にそういうことを決めているからだ。そしてよく、これを持ち出すと「でも日本政府は第4条の(a)と(b)は留保しているからヘイトスピーチは規制できない」と言われるが、だいたい公人の差別発言を禁止した(c)は留保していないし、それより何よりこの条約の第4条というのは第2条に対して特別に「刑法で定めなさいね」ということを言っているに過ぎなく、その大前提になるのは第2条なのだ。もちろん、日本政府はここの部分は留保してない。ていうか、ここの部分を留保したら人種差別撤廃条約の締結国になった意味がない。第2条には「締結国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。このため」とある。そしてこのために第2条では具体的に(a)から(e)が規定されているが特に(d)では「各締結国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる。」と決められている。そして日本の裁判所は2009年12月に起きた京都朝鮮高校襲撃事件の裁判において、あのときに朝鮮学校の人たちに向けられた言葉はヘイトスピーチで、そのヘイトスピーチは「人種差別に当たる」とした(平成22年(ワ)第2655号 街頭宣伝差止め等請求事件、69ページ「5 本件活動による業務妨害及び名誉毀損が人種差別撤廃条約上の人種差別に該当すること」)。また裁判所は「このことから,わが国の裁判所は,人種差別撤廃条約上,法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うものというべきである。」(、63ページ「第3 人種差別撤廃条約下での裁判所の判断について」)としている。なお、この件に関しては2014年(平成26年)12月9日に最高裁が上告棄却して判決は確定している。

話を戻した割に、あんまり戻ってない感じがするが(汗)、なぜこのような話が出てくるかというと、この手の話をすると必ず「どっちもどっち」ということを言われるからだ。違う。圧倒的に差別をする方が悪いに決まっている。ヘイトスピーチを撒き散らす方が悪いに決まっている。そのことを一番最初に言いたいからだ。先ほど「朝鮮学校に通う子どもが少なくなっている」と書いたが、こういうところも影響しているとわたしは思う。差別の標的にされるようなところに子どもを通わせたくない、そう思う親もいるはずだ。だとしても、それは朝鮮学校が悪いわけではなく、そこに対してヘイトを撒き散らす人たちが悪いのだ。「だってそこには朝鮮総聯が絡んでいて、北朝鮮と繋がっていて、北朝鮮は日本人を拉致したから朝鮮学校は攻撃されるのだ」って意見が絶対に消えないことは分かっている。しかし、どういう理由にしたって「だから差別していいのだ」という理由にはならない。差別はどういうことがあってもしてはならないのだ。朝鮮学校が朝鮮総聯と関わっていること、朝鮮総聯はいわゆる「北朝鮮」側であること、いわゆる「北朝鮮」が他国に住んでいた人を拉致したこと、これは事実だろう。でも、そのことをなぜ「個人」が引き受けなければならないのか、と思う。だって、わたし自身のことを考えたとしても、わたし=国ではない。

だが、本当のところを言えば、わたしだってそこのところはどう考えていいのかよく分からない。分からないことは2つ。一つ目は、国と個人の関係。国はどこまで国で、個人はどこまで個人なのか。国と個人は明確に違うとは分かっていても、今のわたしにはその間にまっすぐな線を引くことは出来ない。わたしは「国」として、自分の意見を言うつもりはないけれど、もし相手が「国」として発言した場合はどうすればいいんだろう?この間体験した「原爆を落としたことで早く戦争が終わったことを理解して下さい」という言葉。あのとき感じたのは、これは個人の言葉ではなく、国の言葉だよなあということ。そのような言葉に対して、わたしは何をどう言ったらいいのか。

そしてもう一つ。朝鮮民主主義人民共和国、という国のこと。国の事情からしても、もともとあまり情報が入ってくるということはないのだけれど、今の日本に住んでいるとあまりにも「偏った情報」しか入って来ない。日本では日々「北朝鮮は悪い国だ」という情報ばかりが流れてきて、知らないうちに「洗脳」されている。そりゃもちろん言論の自由がない国とか独裁とか思うよ。No.2であっても気に入らなければすぐに粛正されてしまうとか、あるもん。でも、入ってくる情報と言えばそういうことだけ。あとは核問題か。今の日本に住んでて、そういう情報しかわたしたちには与えられない。これは「洗脳行為」に等しいだろう。だから、わたしは知りたいのだ、あの国の、それ以外のことが。何かを判断するためには、まず、多くのことを知らなければならない。だからわたしは知りたいのだ。どういう人たちがそこでどういうことをして暮らしてるんだろう、どういう風に暮らしてるんだろうって。多分「何を思って」ということを知るにはとてつもなく難しいとは思うけど。っていうか、おそらくそれは今のところはそれは不可能だと思うけど。あーそこで「でも近づきすぎたら北朝鮮に洗脳される」って言うよね、すぐ(笑)んなわけないじゃん。逆にわたしは今のこのような日本の状況で、自分がかなり「洗脳」されていることに気が付いている。ともすれば「悪意」を持って見兼ねない。先ほど上で「映画の感想を書くまで、こんなに長くなってしまった理由」の2つ目に「わたしが素直な感想を書いたとして、そこに全く悪意がなくても、悪意を持とうと思った人に対してはどうやったって悪意を持てるような印象を与えてしまうだろう」と書いた。けども、何のことはない、どうしてこういう見方ができるかというと、知らず知らずのうちにわたしだって「悪意」を持って見てしまう自分に気が付いていたからだ。「これは、わたしを洗脳させようと思ってこんなに都合のいい、きれいな場面をみせてるんじゃなかろうか」って、つい、そういう「疑いの目」で見てしまう自分がいることに気が付く。そういうことを考えている自分自身がものすごく嫌でなんとかしたいけど、でもこの「洗脳」はなかなか解けてくれない。。。わたしの場合、そっちの方が相当深刻だ。

いわゆる「北朝鮮」のことばかりについて言い過ぎたけれども、この映画の中にも出てくるけど、実は近年、朝鮮学校を支えようとする韓国の人たちがいる。「モンダンヨンピル」という、東日本大震災に遭った朝鮮学校を支援することがきっかけで団体なんだけれども、韓国の歌手とか俳優さんとかなんかいろんな人が支援していて、毎年1回、韓国から日本にやってきて、コンサートなんかを開いてる。高校無償化の問題も応援してくれている。なので朝鮮学校は今や、北と南、両国で支えられているのだ。わたしには分からないけど、きっと、双方でとても難しかったりすることがあるんじゃないかと想像したりもする。けど、この輪が韓国でもっともっと広がって、そして朝鮮学校のことを知る韓国の人が増えればいいなあと思う。

なかなか話が元に戻らない(汗)もはや、映画の中の話をしているのかそれともまだ始まってないのか分かんなくなってきたけど、取り敢えず自分の中ではまだ話は始まってません(汗)長かったけど、ここから話は始まります(汗)

この特別試写会の会場に着いたとき、わたしはすごい「違和感」を感じたのね。それは、言葉だった。わたしは今まであんなに日本語と朝鮮語をちゃんぽんにして話している空間にいたことがなく。そこから感じた「違和感」だった。けど、違和感というとなんか言葉が悪いけど、なんていうのか、悪い意味ではなく、興味深いとか面白いとか、そういう感覚だろうか。この日本に住んでいて、こういう経験なんか滅多に出来ない。来ていた人はおそらくほとんどが朝鮮学校関係者だろう。なんか、来ている人はわたし以外はみんな親しい知り合いなんじゃないだろうかと思うほどだった(でも多分、わたしみたいな人もいたはずだと思うんだよねー)。まぁこの映画は朝鮮学校を題材としてて、それを朝鮮学校出身者が作ってるんだから当然の話だ。要するにわたしは「同窓会会場」に「別の学校の出身者」として紛れ込んでしまったのだ。そう思えば理解しやすい。ただ、違和感に拍車を掛けているのは言葉なんだけどね。

以前わたしは「60万回のトライ」の感想を書いた日記で、

わたしは、その時折混じる「日本語と同じ発音のような朝鮮語(かも知れない?)」と「使い分け」によって話される日本語に、違和感をものすごく感じた。多分これはわたしが一カ国語でしかしゃべれないからだと思うが、多分在日の人たち、特に朝鮮学校に通ったことがある在日の人たちにとってはこれが普通なんだよね。



って書いた。この日記を書いたのは2014年の3月で、わたしはこのとき朝鮮語は全く知らなかった。わたしが朝鮮語を習い始めるのは、この翌月の4月からだ。そして1年半後。わたしは彼らが日本語と朝鮮語をちゃんぽんで話す理由がちょっと分かる気がする。なんていったって語順が同じだから、途中で言葉を挟みやすいのだ。だからきっと、彼らの頭の中では「思い付いた言葉」をただ発してるだけなんだね。朝鮮語、日本語関係なく。そして、使ってる言葉はそんなに難しくなかった(笑)「あー、わたしでも意味分かるなあ」って思った。

そうそう、映画の中にね、「60万回のトライ」とは逆に、朝鮮学校唯一の日本人教師である藤代先生、という人が話す場面があるんだけど、あ、この藤代先生という人は、サッカーやってる人なのね。「祖国と母国とフットボール」だったかなあ。以前読んだ本の中にもこの人出てきて、わたしはこの本で彼のことを知りました。んでね、この人が映画の中で喋ってた言葉がね、主に日本語ではあるんだけど、ところどころ朝鮮語が混じってるのよ。もうどんなこと喋ったかは覚えてないけど、一言「オプソ」って言った場面だけは覚えてて、オプソって、없어、日本語でいうと「~ないので」って意味になるのね。あれ、「~ないので」は「없어서」じゃないかなあ?まぁ、それはいいんだけど、とにかく本来日本人である彼がそういうような言葉遣いをしてたものだから、会場から思わず笑いが漏れてね。それがとっても印象的だった。

でね、多分、わたしは「60万回のトライ」を観たときよりも言語に対しては意味が分かるようになっているし、言葉にしてもどうしてそういう言葉遣いになっちゃうかも分かるような気がするので、そちら方面は格段に理解力が上がったから、そういう面では「みんな、わたしの知らない言葉を喋ってる!」って感じではないのよ。だからあのときと比べると違和感は少なくなるはずなのに、実際自分がいる場面で、日本語と朝鮮語がちゃんぽんな場って今まで体験したことがなかったから「60万回のトライ」を観に行ったときよりもその場の違和感が強くて(あのときはどういう人たちが観に来てるかは全然分かんなかった)。でもね、なんだか分からないけどわたしはそういう「違和感」っていいなあと思うのよ、自分で。あのときわたしは違和感を感じながら「今の時間は貴重な体験だなあ」って思ってた。だって別の学校の同窓会に紛れ込むことなんてまずないじゃない(笑)ただ裏返せば、人生のほとんどの時間を違和感なく過ごせているこの空間では、わたしは紛れもなく「マジョリティ」側なんだなあと。うーん、細かいところを言えばちょっと違うところもあるけれどってこれについても、あとで書きます。

会場はほぼ満員でね。映画は確か日本語字幕付きだったか。まぁ字幕はいいんだけど、どういう人が話しているという身分とか名前とか出てくるんだけど(ドキュメンタリーに付きものの)、あの色彩のコントラストがちょっと見づらくて、結局誰が誰なのやらよく読めなくて分からなかったという。。それが残念でした。

映画自体は確か100分ちょっとではなかったかと思うんだけど、おそらく半分以上が「祖国訪問」のシーンだったかな。案外長かった、というのが正直なところ。わたしは「ウリハッキョ」や「60万回のトライ」のように祖国訪問はその映画の「ワン・シーン」みたいな位置づけかと思ってたから。

そしてこの映画、監督自らがナレーションやってるんだよね~。結構監督があれこれしゃべってるところも多かったけど、これはどうなのかな。例えば会場でもらったパンフの中に「韓国籍の生徒の両親に送られてきた1通の文書-『北韓(北朝鮮)を訪問した場合、国家保安法により処罰される可能性があります。パスポートが必要なら、朝鮮学校をやめさせてください』」と書いてあるんだけど、映画の中ではこれがほとんどそのままナレーションで説明される。朝鮮学校に通う子どもの国籍はさまざまで、韓国籍、朝鮮籍、日本国籍が入り交じっている。ちなみに朝鮮籍はいわゆる「北朝鮮」の国籍を持っているということではないのでご注意を。これは日本政府がかつて植民地時代に強制的に与えた日本国籍(その実、戸籍制度やいろいろな面で差別してたんだけど)をあるとき突然「あんたたち、外国人とみなすから」と言って取り上げて、取り上げた相手を勝手に「朝鮮籍にする」って決めたもの。だから、朝鮮籍自体は記号みたいなもので、国を表すものではない。いわば「無国籍」状態なわけだ。これ、外国に行って何かトラブルが起きたとしてもどこの大使館にも駆け込んで助けてもらえないと言うこと。とてつもなく怖い状態のままに置かれているのだ。まぁだけど、いわゆる「北朝鮮」には入国できる、朝鮮籍の人たちは。だが、いわゆる「北朝鮮」に入国できるのは実は日本国籍を持ってる人でも可能だ。

というか、いわゆる「北朝鮮」とは国交がないから日本国籍を持ったものは行くことができないって思ってる人も多そうだけど、実はそうじゃない。わたしだってお金払えばいわゆる「北朝鮮」に行くことができる。いわゆる「北朝鮮」は旅行することが可能な国だ。国交のあるなしは関係ない。だって、台湾だって日本は国交を持ってないけど(つか、日本は二つの中国を認めてないので台湾とは国交がない←てか、この件に関しても日本は台湾に対して本当にひどいことをしてるのだ。台湾を国と認めてた時期もあったんだからね)旅行できるでしょ。そしてもちろん日本国籍を持っているものは韓国にも行くことができるよね。でも「朝鮮籍」という記号を与えられた人は今現在、韓国に入国することは出来ない。李明博の前の政権、盧武鉉のときまでは朝鮮籍でも入国できたらしい(盧武鉉のときまでというか、金大中から盧武鉉までのたったの8年間のみ)。が、李明博以降、その流れを汲む今の朴槿恵も入国は出来ない。渡航はその時期の政権によって左右されるのだ。だから要するに、両国を何の問題もなく行けるのは、日本国籍を持ったものだけ、ということになる。韓国に住む韓国人は北にはもちろん行けないし、いわゆる「北朝鮮」に住む人たちだって南に行くことはできない。これを考えるとわたしは本当に複雑な気分になる。

というわけで、高級学校に通っているみんながみんな「祖国訪問」できるわけではないのだ。そのようなことを初めて知る。ついでにナレーションに話を戻すと、この場面ではそのことだけがサラッと伝えられ、それに伴う画像などは一切出て来ない。そりゃ当たり前のことだけど。プライバシーあるし。だからある程度、そういうことを説明するナレーションは必要だったと思う。が、最後の最後まで、あんなにしゃべるかなあ。まぁ、わたしはドキュメンタリーにはあまりナレーションは必要がないと考える人間なので、どうしてもそう思ってしまうのだけどね。あそこが一番、この映画で監督が言いたかったこと、ということなんだろうけど、もうちょっと自由にさせてもらいたかったな、というのが正直なところ。ネタバレになるのでここは具体的に何を言ったかには触れないけど。

平壌のホテルに着いたらすぐにテレビ付けて「テレビのチャンネルが2つしかない!!」って騒いでる生徒がなんともおかしくてね。でもきっと、日本で生まれ育った彼らにとっては、そのような部分を目の当たりにして考えることも多いだろうなと思った。

ただやはり、祖国訪問をして生き生きとしている姿は何というか、、どう理解すればいいのだろうと思う。確かに画面に写るいわゆる「北朝鮮」の人たちはとても親切で優しくて、素朴な感じがする。あんなに一緒に歌ったり、歌を熱く指導されたりすれば、別れるときは涙が出るだろう。しかし悪意を持って見るとそれがとてつもなく悪意を持って見れてしまう。「彼らは所詮『お客さま』扱いなんだろうし」とか「これで祖国に対して良い印象を持たそうと思ってるのか」とか「どうせ彼らにはいい部分しか見せないんだろう」とか「案内員と称して監視された中での行動だろう」など。もしかしたら「やはり朝鮮学校の生徒はみんな『洗脳』されてるんじゃないか」って印象を持つかも知れない。

だけどね、こうも考えたりする。わたしはいわゆる「悪意を持て」と洗脳されている人間だ。物事の片側しか知らされていない。しかし、彼ら(朝鮮学校に通っている生徒)は生まれたときから日本で育ってきてある程度裕福で自由な世界も知っている。彼らの方がわたしよりずっとずっと「両面」から物事を見ているはずだ。そして多分わたし以上に長く「国とは」とか「自分は」と悩み、考えているに違いない。上で「悪意を持って」と考えた部分なんか、きっと彼らだって十分そんな風に思える感覚も持っているに違いない。その部分は表には出せないけれど。

なお、なぜ朝鮮学校がいわゆる「北朝鮮」と関係するかは、戦後(彼らにとっては解放後)すぐに在日の人たちは子どもたちに朝鮮語を教える「国語講習所」というものを作った。ただ、設立の目的は「いつか本国に帰ったときに子どもたちが朝鮮語で話せないのはまずいから」という理由だったらしい。だが、歴史上、ここからいろんなことがあって彼らは本国に戻るよりも日本に残ることを選択した。そして、その後、朝鮮学校もいろいろな困難を乗り越えて今がある。その、一番苦しい、貧しい時代に在日の人たちに「彼らは我が国の同胞である」からと言ってお金を出してくれたのが、朝鮮民主主義人民共和国の金日成だったのだ。その当時の大韓民国は彼らのためには何もしなかった。だからこそ、今の朝鮮学校がある。

ということは、わたしは知識として十分知っている。ただ、当時の貧しい中、日本政府も韓国も自分たちを見捨てた中で、いわゆる「北朝鮮」だけは見捨てなかった、そのことに対しての「嬉しさ」というか、「感謝の気持ち」というか、それはわたしは「実感」はできないの、当事者じゃないから。確かに「嬉しかっただろうな」というのはある程度は分かるよ。でも、それはあくまでも「想像」でしかなく、「実感」ではない。きっと多くの日本人(と敢えて言うが)も同じだろう。まず第一、わたしなんか「貧しい」というのがよく分からないし。「貧しさ」が実感できないのだから、その上にある「助けてもらったという感謝の気持ち」だって当然実感できないだろう。だから、彼らの姿が「洗脳されている」ように見えてしまうのだ。今の若い彼らも多分、わたしと同じように「貧しい」ということがどういうことかは実感できないに違いない。けれど、自分たちのおじいさん、おばあさんたち、もしかするとお父さんお母さんだったり、ひいじいさん、ひいばあさんかも知れないが、彼らはそれで確実に救われた。それを考えるとやっぱり今現在の若い彼らだって「当事者」なんだよね。

映画の中で板門店を訪れるシーンがある。監督は北側から南側を見ているある生徒に「今どんな気持ちか」って聞くのね。その子は南側にルーツを持つ子で、でも朝鮮籍だから今、韓国に行くことはできない。おそらく今でも親戚や血の繋がる人は南側に住んでいるだろう。けど、会えない。わたしは「なんて残酷なことを聞くんだー、止めてあげてよ!」って思ったんだけど。この場面を観ると分かるように、「国」が彼らに対して直面しているのは確実だし、そして何も板門店に来て初めて分かることじゃない。きっと自分が気が付かないほど幼い頃から「国とは何か」「自分とは何か」という問いに直面して生きているんだろうと想像する。

だからね、わたしはそう考えると「何も言えないな」とも思うのよ。わたしが考えることなんて、彼らにとっては「まだそんなことを考えてるんだ、その歳で」って思うような初歩的なことなんだろうなと。「お前に言われんでも分かっとる」(カープの前田(智徳)風)って多分、思ってるだろうと。

それともう一つ言えるのは。祖国での彼らは本当に生き生きしているということだ。この気持ちはわたしにも分かる。いや、分かるような気がする。というのは、上にわたしは「人生のほとんどの時間を違和感なく過ごせているこの空間では、わたしは紛れもなく「マジョリティ」側なんだなあと。うーん、細かいところを言えばちょっと違うところもあるけれど」と書いた「細かいところ」に相当すること。

基本、わたしはほとんどの日常を違和感なく過ごしている。が、実はそうじゃないと気が付かされるときがある。それは、性的少数者のお祭り「プライドパレード」の会場に行ったときだ。あの時間、あの場所でいつも感じるのは「ああ、ここでわたしはありのままの自分でいていいんだ」ということ。あの会場では性的少数者もそうでない人も両方いるけど、少なくとも「性的少数者を受け入れている人たち」が集まる場所だ。性的少数者であることを否定されない場。気持ちはとてもすがすがしくて自由で、そして安心感がある。裏を返せばわたしは日常、意識してないけど緊張して窮屈な気持ちで生きてるんだなと思う。日常に戻っていくとその緊張も窮屈な感覚もよく分からなくなるんだけど、パレードの会場に行くと毎回毎回気持ちが解き放たれる。そして毎回毎回思う。「ああ、日常生活知らない間に抑圧されてるんだな」って。

きっと祖国に行った彼らもそういう風に感じたんじゃないだろうか。性的少数者は日常生活で予期しない部分で突然揶揄される言葉が出て来たり、異性愛者とは話が合わない部分もあったりするので話を合わせたりしなければならないことがあるけど、しかし日常的にヘイトに晒されているということはない。その点では朝鮮学校に通う彼らとは負担が違う。しかも祖国では自分たちを本当に大切に思ってくれて接してくれる。そりゃ、生き生きとして幸せな気分になるのは当然のことだろう。

あとそれから。先ほど「とても親切で優しくて、素朴な感じがする」って書いたけど。これについては複雑な気持ちもするんだよね。なぜかというと彼ら(いわゆる「北朝鮮」に住んでいる人たち)については確かにそういう面を持ってると思うんだけど、それは、苦しい中で生きてるからじゃないかとも思うのだ。敗戦後、日本人だってみんな貧しくて肩寄せ合って暮らしてきたということがまるで「美談」のように話されることがある。貧しかったけど「お前は大学に行け」といって兄は自分は進学せずに働いて自分の学費を稼いでくれた。そのおかげで自分は頑張って勉強して大学に進学した、という話も「美談」になる。一昔前までは田舎の人は純情で素朴な人たちと呼ばれていた。きっとこれらの話は全部「共通点」がある。

それとは別に、この映画の中で初級学校のときにパソコン入力コンクールで全国2位を取った子の話が出てくる。そのときその子はなぜか表彰式に呼ばれなかったそうだ。そこで「優勝なら誰も文句は言わないだろう」と言って、すごく努力をしてその後、優勝を勝ち取った。それも「文部科学大臣賞」だったそうだ。彼らを高校無償化から排除している文部科学大臣からその子は表彰された。

それは確かに「よくやったね!」と思う。が、その原動力は間違いなく「逆境の中」であったことも一因だろう。彼らに対してそのような目に遭わせてしまっている有権者であるわたしが素直に「よかったね」と言えるんだろうか。だけど先ほど書いたようにわたしはわたしで国ではない。だけどわたしは高校無償化排除を(自分の考えとは違うが結果的には)許してしまっている有権者であって、、と考えるとわけが分からなくなる。そしてその「栄光」を褒め称えることは「逆境」であることを許してしまっていることにはならないかと。

いわゆる「北朝鮮」に住んでいる人たちのことも同じで、国の体制のことや、国自体が不便なこと(停電もしょっちゅうするみたいだし)、そのことが彼らを「素朴」で「優しく」しているんじゃないかとすれば。そのことは「わー、いい人たちですね」って単純に思ってしまってはいけないのではないかと。だって「人間関係が昔のように濃密になりたいから再び貧しくなりたい」という人がいるだろうか?「一生懸命勉強するために再び貧しい生活になりたい」という人がいるだろうか?そう考えると「わー、いい人たちですね」って単純に言うことは「お前たち、ずっとその生活のままでいろ」と言っていることにならないか。

だからね、わたしはこの映画を観て、本当に複雑な気持ちがしたんだよね。。会場では結構すすり泣きの声とか聞こえてきて、やー、わたしとは全然違った視点から観てるんだろうなあとは思ったんだけど。

あ、そうだ。わたしがもらった試写会のパンフにはこの場面のことについて「そして、手にした優勝トロフィーに刻まれていた文字とは?」って書いてあるんだけど、その部分、カットされてなかったですかねー?映画の前にこの部分を読んでてちょっと期待してたんだけど、とうとうその部分は出てこなかったような?映画が終わってから監督を始め、この映画を制作した人たちの舞台挨拶があったんだけど、なんでも監督は当日まで映画を編集していたそうで。だからきっとその部分、削っちゃったんだよね(悲)パンフ作ったときにはあったけど。一体どういう文字が刻まれてたんだろう。。とても気になります。

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映画が終わったあと、挨拶する監督さん。

監督さんは「一人でも多くの日本人にこれを観て欲しい」と言っていた。わたしもそう思う。が、中には「悪意を持って」観てしまう人もいるのではないかと心配になったりもする。なんせ日本人の大半は「洗脳」されてるからね。どうか、そんなことにはならないで欲しいと思う。

しかし映画が終わったあとは本当に「同窓会」みたいで、わたしは映画を観てこの複雑な思いを事前にもらったアンケート用紙にどうやって書けばいいかとか思ってたんだけど、みんな感想書かずにすぐに会場から退出してしまって(会場がもう時間いっぱいだったと言うこともある)、ロビーでわいわいやってた。わたしはもちろんその中には入れないので(誰も知り合いおらんかったし!)アンケート書いて帰ろうと思ったんだけど、その時間もスペースもなかったので、仕方がないからそのまま帰っちゃったよ!(苦笑)

でもあの場で感じた「違和感」、あれは本当に貴重な体験だった。きっとこの先、あんな場に行けることは滅多にないんだろうな。そういう意味でもあのとき本当に行ってよかったと思う。
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11-16 Mon , 2015
子宮体がん検査受けてきた
先月書いた日記で、子宮口にポリープができてるのを取ったのと、ついでに子宮頸がん検査を受けたことを書いた。その結果を聞いてきたのだけど、そのときに子宮体がんの検査もしてもらった。あ、ポリープは悪性のものじゃなく、子宮頸がん検査でも異常なしだった。まぁポリープは前に1回できたものの再発で、1回目に取ったときも「病理に回します。1週間後、検査結果を聞きに来てね」と言われたのだが、めんどくさくて行かなかったのだ。どーせ、何か異常が見つかったら、こっちが行かなくても向こうから連絡来るだろうしね、、で、連絡も何もなかったので異常なかったんだなと思ってたの。だから今回も「多分、悪性ではないだろうな」とは思ってた。まぁでも、前回の日記にも書いたけど、だからといって丸っきり「シロ」だとは思ってません。じゃあ何のために検査受けたのよ、と言われると困るんだけど(笑)

検査結果を聞いた後、子宮体がん検査についての説明。何やら痛いとか、出血が何日か続くけど1週間以上止まらなかったら連絡しろとか、検査を受けると300人に1人の割合で腹膜炎だったかを起こす人がいるので、2、3日以内に腹痛が起きたら連絡しろだとか、なんか「こんな検査してホンマに大丈夫なんだろうか」と不安になって来た。てか、体がん検査がすっごい痛いってのは、わたしも何かどこかで聞いたことがあったんだよね。でも、こないだポリープ取ったときもめちゃくちゃ痛かったから(笑)あれ以上の痛さってどんな痛さなんだろうと少し興味もあった。

やっぱねー、一般の婦人科にある「内診台」と言われるものよりも、普通の診察台(とは言うものの、自動で上下する)の上に寝転がって股開く方がいいわ、わたし。あんまり屈辱的な感じもしないし。診察台で十分だとしたら、なんであれより高そうな内診台なんてあるんだろうか。あ、バスタオルは1枚、自分で持たされるけどね。

バスタオルを隔てているからか、まぁ物理的に目が付いている場所からは見えないところでやられてるからか、何をされてるのかはよく分かんなかったけど、最初にぶすっと器具を入れられた。これが痛かった。。。思わず「いて-」って言っちゃった。そしたら「まだ器具を入れただけだから、これからです」と言われた。「力抜いて、楽にして下さい」って言われたんで、あー楽にしなきゃなあと思って楽にした。で、そばにいた看護師さんに「消毒するものを」みたいなことを言ってて、それから「これから取りますね」みたいなことを言われて、どんなに痛いことが待ち受けてるんだろうと思ったら、何も感じないうちに「終わりました」と言われた。へっ?ホント?いつの間に?って思ったので「本当にもう取ったんですか?わたし、全然何も感じなかったんですけど」って言ったら「終わりましたよー。出血してるんで、ナプキンしますねー」って言われ、なんか独り言みたいに「器具入れるときが一番痛かったのね(笑)」って言ったのをわたしは聞き逃さなかったぞ!(笑)

終わってから「全然痛くなかったら、腹膜炎にもならないんですかね~」って聞いたら「感じ方は個人差がありますから。それとこれとは別です」と言われた。あ、でも結局その後もお腹痛くならなかったです。

家に帰ってから「ホンマにちゃんと採取できたんかな」と心配になった。だって注射より痛くなかったよ。注射とか採血のときに看護師さんに「チクっとしますね」って言われるけど、あれは本当にチクって感じるもん!てか、あの台詞、本当に大嫌いだもん。腕に意識のすべてが集中してしまって、痛くないものも余計痛く感じてしまうんじゃないかと毎回思ってるくらい。でも今回は本当に何も感じなくて。そういう人っているのかな?と思ってちょっとネットで調べてみた。

ええと。個人差がだいぶあるようです。あと体調にもよるらしい。医者の腕にもよると書いてあった。が、中に「子どもを産んだことがない人は痛い」って書いてあったのがあった。それは大ウソです。わたしゃ、子ども生んだことないもん。それに全然痛くなかったって人でも、検査を受けた後は下腹部に鈍痛が、と書いてあったのも読んだんだけど、わたし、それも全くなかった。検査を受けた前後で何かあったかと言われると、確かに少量の出血はあったよなー。けどポリープ取ったときの方が断然多かった。

検査を受ける前に医者から「この年齢だと毎年がん検査を受けた方がいい」と言われたのね。でもそれはなんの検査か分からなかったから「頸がん検査ですか?それとも両方ですか?」って聞いたら「まぁ両方毎年受けることに越したことはないけど、体がん検査は痛いので、2、3年に1回くらいでもいいですよ」って言われた。でもこれだったら毎年受けても全然大丈夫だわ、とは思った。体調にもよるそうだから、次に受けたときは痛いかも知れないけどね。まぁ本当に受けるかどうかは別問題として。だいたい、体がん検査は受けたとしても採取できる部分は一部だけなので、そこにがん細胞がないとがんって分かんないよーみたいなことらしいし。

そうそう、わたしはここ数年、基礎体温というものを計ってるんだけど(これはデータ集めてグラフにすると結構楽しい。今は計った後に数字記入するだけで自動的にグラフにしてくれるアプリがあるから本当に便利)、これまでは低いときでも36.6度くらい、高いときは37.4度くらいになって、なんでこんなに高いん?って思うことがしばしばあり。でも、先月はずっと低いままというか、下手すると今まで低かった36.6度より低い36.4度なんてこともある。そのことが不思議だったので、本当はそのデータを入れているiPad自体持っていけばよかったんだけど、忘れちゃったので仕方なく口頭で伝えると「それは排卵が来てないということです」と言われた。へー、そうなんだ。わたし、ずっと「どれが自分の『元の体温』と言えるんだろう」って思ってたんだけど、どうやら低いときが自分の体温らしいね。わたしは平均するとだいたい36.8度くらいだったので、ずっと平熱は36.8度だと思ってた。しかし、今はさらに低い体温になってるので、これは不思議。。

で、排卵が起きないと生理は順調に来ないそうだ。てか、なんだったっけ、排卵が来なくても生理が来るときはあるけど、それはある程度溜まったら、とかだったかなあ。なんかそんなわけで、周期的には来ないらしい。だから閉経に近くなると、生理が不順になるらしい。でも、それは「不正出血」かも知れず、その見分けが付かないから、閉経前後のわたしくらいの年齢は特にがん検診を受けた方がいいんだってさ。あとわたしの場合は筋腫もあるので、その大きさを確認するためにも1年に1度来た方がいいと言われた。あと筋腫があるとだらだら生理が続くときがあるが、2週間以上になるとさすがにまずいんで(少量でも)、そのときは病院に行ってねと言われた。

婦人科は、わたしにとって今までとても行きにくいところで、いろいろ知りたいことがあっても聞くことも出来なかったけど、やっぱ行ってみるものだと思った。でもそのためには自分のセクシャリティを向こうが分かってくれるところでないと、わたしは無理。婦人科ってとてもデリケートなところだから、やっぱ、気兼ねなく何でも言えるところでないと、自分が窮屈になっちゃう。

検査結果は1ヶ月後。でも本当は10日前後で出るらしく、わたしが行ってるところは1ヶ月に1度しか婦人科をやってない病院なので、また来月。「早く知りたかったら、別の内科の医師からでも伝えることはできます」と言われたけど、まだいろいろ聞きたいことがあるので、来月にした。でも、本当に何かあったら1ヶ月待たずにこっちに電話が来ると思うけどね。

会社の健康診断を初め、わたしは健康診断というものが大嫌いだった。その主な理由は「採血」だからだが、でも、そのデータの上がり下がりを見てると結構面白いので、わたしは最近年に2度、健康診断を受けている。なぜ年に2度受けられるかというと、東京に住んでいる被爆二世は無料で年に2度、健康診断を受けられるからだ。健康診断のうちの1度をがん検査に置き換えることも出来るらしいのだが、がん検査は異常のあるなししか分かんないし、そういうデータは集めても面白くないし。基礎体温を毎朝計ってるのも同じ。データ集め。これって実験観察みたいで本当に面白い。別にこの結果から「人間の身体はうまくできてるなあ」とは思わないけど、ただ生きてるだけでいろんな数字が出てくるのが面白い。これって多分、学生時代は実験系じゃなく、自然科学系だったからだろう。実験することで出てきた数字じゃなく、自然のものからデータを得る。そのデータから何か意味のあるものを読み取る。それってとても興味深い。

ちなみに今のところ、採血では貧血以外、全く異常はない。尿検査は毎度毎度引っかかる。なんでかはよく分からないけどね。一度、精密検査で腎臓のエコーをしたけど、腎臓には異常はなかった。異常がないので1年以上続いている息苦しさの原因も分かるはずはない。尿検査では毎度毎度潜血が出てるけど、どこから出血してるか分かんない。こういうのがあってもすべて「様子見」と言われる。未だにわたしの口の中はおかしい。口腔異常感症は全く治ってない。けど、検査してもどこも異常がないので「問題なし」。わたしはあのせいで起きてる間はずっと不快な思いをしてるんだけど、最近は誰にも何も言ってない。日記にもほとんど書いてないよね。でも一応、半年に1度は病院に行って先生に話してるよ。でもそれだけ。解決方法なし。薬さえ出ない。まー、わたしの口の中の不快さや、息苦しさによる生きづらさなんて、わたし以外は分かんないし、わたし以外は理解されようもないよね。「様子見」って言われて「こんなつらい思いをまだずっとし続けていかなければならないのか」って絶望し続けてる気持ちなんか医者には分かんないだろう。こういうことを言うとあまりよろしくないとは思うが、わたしは「典型的な症状」が出て「あなたはこの病気です」って言われることが結構羨ましいときがある。

健康診断ではどこも「異常ない」から健康体のはずだが、実際はこんなもん。だから「健康診断」はわたしにとってはただの「データ集め」に過ぎない。
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11-15 Sun , 2015
まだまだハマってる朝鮮語
半年に1度くらいしか朝鮮語のこと書いてないけど、実はまだ続けてる。去年の4月に始めてから1年半と少し。前の前の日記には、

で、来年の今頃はまた「騙されてたーーー!」って日記書いてるかも知れない(笑)

って書いたし、その前の日記にも

今後辞書を使えば「英語と同じ感覚だ」ってなって、嫌いになっちゃうじゃないかって不安がとても大きい。ああ、そんなことになりませんように。

なんてことを書いている。わたしには中学・高校の「英語嫌い」と大学時代の第二外国語で取った「ロシア語」の影響で「語学は自分に向いてないし、習ったらわけ分かんなくて絶望的な気分になる」という「決め付け」みたいなものが自分の中にまだあるのよ。だから、今はまだいいけど、いつか絶望的な気分になるんじゃないかと脅えているところがある。一番上の例で言うと、あのときからまだ約半年しか経ってなく「来年の今頃」にはまだなってない。だから、来年の今頃、すなわち来年の3月頃はそう思ってるかも知れない、まだそう思っているところがある。

しかし実際のところ、朝鮮語に対してはまだまだハマり続けている。辞書買って単語を調べ始めても嫌な気分にならなかった。嫌な気分にならないどころか、英語だと例えば単語の途中で「r」という文字があったとして(例えば「sovereign」とか)、そうすると「r?rってどういう順番だっけ、えーと、a、b、c、d、e、f、g、、、(頭の中でアルファベットの歌を歌う)」って未だにやらないと分かんないことがあるわけ。「それはお前がアホだからだ。何年間英語を勉強してたんだ」って言われると確かにそうなんだけど、どうしてもアルファベットの順番がすぐに出てこない。nはrの前だったか、後ろだったか、とか、sはmの前だったか後ろだったかとか。それが朝鮮語の場合はとても簡単に順番を覚えられるのだ。朝鮮語の辞書の母音の基本的な順番は「ㅏ→ㅓ→ㅗ→ㅜ→ㅡ→ㅣ」の順番なのだが、中には「ㅐㅔㅒㅖ」とか出てくる。でもこれらの順番まで入れて覚える必要はないのだ。その中の文字に基本「ㅏ」の文字が含まれていたら、その文字(ㅏ)の次を見ればいいから。

要するに「ㅐ」は「ㅏ」+「ㅣ」と考えられるので、「ㅏ」の次を、「ㅔ」は「ㅓ」+「ㅣ」と考えられるので「ㅓ」の次を見てみれば出てくる。「ㅒ」「ㅖ」も基本的には同じだ。「ㅒ」の文字は「ㅑ」+「ㅣ」だけども、「ㅑ」は「ㅏ」より一本棒が多いから「ㅏ」の次にあるのだ。ここでじゃあ「ㅐ」と「ㅒ」はどっちが先に出てくるかというと、「ㅐ」の方はあくまでも「ㅏ」が基本なので、こちらの方が先だ。

それに「ㅏ→ㅓ→ㅗ→ㅜ→ㅡ→ㅣ」の順番だって、「ㅏ」と「ㅗ」は陽母音、「ㅓ」と「ㅜ」が陰母音、ということさえ覚えておけば、縦長の陽母音のあとに縦長の陰母音、次も同じで横長の陽母音(ㅗ)のあとに横長の陰母音(ㅜ)、「ㅡ」「ㅣ」は両方陰母音だけども、「ㅜ」(ウ)の後は似てる読みの「ㅡ」(ウ)だと思えば(日本語と違い朝鮮語の「ウ」の発音は2種類あり、「ㅜ」は日本語より唇を突き出した「ウ」なんだけども「ㅡ」は唇を横に引っ張った状態で発音する「ウ」。日本語の「イ」の発音の口で「ウ」って言うような感じ)すっごく覚えやすいんだよね。覚えるというか、直感的に分かるって感じ?こういうところが実に合理的なの。

子音についてもよく「カナタラ~(ㄱㄴㄷㄹ)」って言うけど、最初の方はそれでいいとして、一番迷うのは「ㅈ」が「ㅅ」より前だったか後だったかなんだけど、わたしは「ㅇ」の前にあるのが「ㅅ」で後が「ㅈ」とだけは覚えてる。なぜ「ㅇ」を基準にしているかというと、「ㅇ」が出てくる文字が結構たくさんあるのよ。辞書で探してる最中「ㅇ」によく突き当たる。だから、それを知らない間に基準にしてた。

ただし、だからといってこれで全部すんなり辞書を引けるかどうかと言うとそうではなく。中に「ㅢ」とか出てくると「どっちを先に見ればいいんだっけ?」って迷うことはある。けど、順番の規則性を考えるより適当に探した方が早いので(あんまりこの手の文字が出てこないってこともある)そういう文字が含まれてたら適当に探す(笑)

要するに英語と違って文字の順番を「記憶のみ」に頼ることが少ないから、わたしには合ってるんだと思う。わたしは分からないものを分からないながらも丸のままに覚えるのがとても苦手。ただ、理屈を理解するとすんなり覚えられる。だから数学の公式なんかもそうなんだけど、っていうか、ああいうのはあまり「公式」として覚えようとは思ってなかった。しかし、理屈さえ覚えていれば公式は覚えなくても導けるんだけどね、ということをこの間会った人たちに話したところ「理系の人からはそう言われるんだけど、そもそもなんでxはxなんだかよく分からない。だから公式は分からなくても丸々暗記するんだ」と言われ。。確かにそこんところが分からなければダメなのかな。「x」って「何か分からないけど、まぁこういうのがあるはずです」みたいな感じだけどね。自分が知りたいもの、分からないもの、問われているものを「x」とする。そしてその分からないものがそこにあるようにして扱って式を立てる。すると式さえ導ければあとは四則演算等で計算してやれば、自然に分からないものが出てくるのよ。だから一度「x」の概念を導入すると、その前のそれを使わなかった時代(小学生の算数)の文章題は「x」を使わなければ解けなくなる。そんな感じなんだけどな、、、って話が逸れた。

4月からはクラスが1つ上がって初級の上、みたいなクラスになってる。ここでのメインは「下称形」と「間接話法」なんだけど、間接話法といったら「誰々がこれこれと言ってます」みたいな感じだったじゃない、英語では。でも朝鮮語の間接話法ってそうじゃなく、とても幅が広いみたい。「○○という△△」みたいなのも間接話法に入るんだって。要するに「富士山という山」みたいなものも「わたしは○○(名前)と申します」というのも間接話法の中に入る。「下称形」というのは、一般的に言うと「である」体のことで、小説や本、新聞なんかはこの文体なんだそうだ。今まで1年間やってたのはずっと「上称形」で、これは「ですます体」のこと。朝鮮語はこの「ですます体」が更に2つに分かれて「합니다体」と「해요体」に分かれる。あとはいわゆる「タメ語」の「해体」というのがあるはず(これはまだやってない)。で、なんで「下称形」と「間接話法」がセットになってるかというと、間接話法を使うにはまず文を下称形に変えられなきゃだめだかららしい。

あとは「기」とか「게」を用言につけて体言化(~すること)したり副詞化(~く、~に)したりする表現を主にやってるのかな。

わたしは元々、朝鮮語を始めたいと思った直接のきっかけがinstagramで猫を飼ってる韓国の人と繋がって、その人たちとコメントのやりとりをしたかったからなのだけど、そうすると「読む」「書く」ということが中心で、「聞く」「話す」はほとんど関係がない。それに書いてある文章の文法を分析して読む、ということの方がわたしは好きで、英語の時もそうだったけど、英語の場合はその文章の「構文」をまず分析してからってことをしてたので(これは大学受験勉強の影響がとても大きいと思う)朝鮮語もそういう方が慣れてると思うの。しかも、韓国ドラマとかK-popは全く興味が無いので、まず「聞く」ことがない。そして「読む」ことは音の変化もあって超苦手。未だに母音の読み方が違って先生から注意されるほど。。(トホホ)

授業は毎回、聴き取りから始まるんだけど(今やってるような内容ではなく、去年やってたような簡単な内容)これが聴き取れなくてね~。他の人たちは韓国ドラマを見ているからか、とても聴き取れるの。ていうか「なんでそんなに聴き取れるんですか?」って聞くと「ドラマを見てるからね~」って言われるの。確かに耳をそういうのに慣らさないと聴き取りってできないんだろうなと思ったんだけど、ドラマは興味がないから無理に見ることはできない。そこで考えたのが韓国のテレビとかラジオのアプリ。これ、探してみると結構あるのね。24時間ニュース専門とか。わたしは主に「KBS World Radio」または「KBSWorldOnair」というアプリでラジオを聴いてる。ダウンロードしたときはデフォルト言語が英語になってるけど、それを한국어にすると24時間放送が韓国語になる。それ以外にも「YTN」というニュース専門テレビのアプリもある。こっちの方は「字も付いてるよ」と教えてもらったのでダウンロードしたのだが、今のところまだどこに字幕が付いてるのか発見できず。少なくとも同じ画面ではないような気が。やはりすべて韓国語で書かれるとわけ分かりません。「設定」画面にしようとするとアプリ自体がすぐ落ちるので設定画面で何を設定するのかすら分かんないし。ドラマは会話だけど、ニュースは会話じゃないし、内容は結構難しいと思う。だけど、耳を慣らすために取り敢えずダウンロードして聞いている。それに先生によれば、ニュースは難しいようで案外「漢字語」を多く使われているので、日本語話者にとっては聞き取りやすいんだとか。確かに日本語でも難しい言葉は漢語になるよね。「取る」だって「取得する」になったり、「持つ」だって「所持する」になったりするもんね。確かに「取得する」「所持する」の方が一般的には硬くて難しいとされている言葉だけど、それを知っていれば、朝鮮語にもそれを流用できることが多いのかも知れない、ってことになるよね(と言いつつも、わたしもそこまで難しい単語を知っているわけではないので当然聞き取れはしないが。でも発音がなんだか似てて知らない単語でも「あれ?もしかして?」って思うことは少しだけあったりすることもある)。

ただ、ニュースでも分かるのは語尾だけ、ってこともよくある。さっき書いた体言化の「기」を使った「기 때문에(~のために、~のせいで)」という言葉は既に習ったのだが、これ「だけ」聴き取れることがよくある。しかしその前の言葉がわからないので「なんのために」なのかよく分からない。。「는데」(~なんですが)とかもそう。何が「~なんですが」かの具体的なことは分からないけど「なんですが」って言ってるなあ~とか。「부터~까지」(~から~まで)もよく言われる。でも何から何までかはよく分からない。。ちなみに「부터」は時間や順番に使われて、場所(例えば「ソウル駅から」とか)には別の言葉を使う。でもそこだけ聴き取れても具体的な意味がさっぱり分からないので、ストレスが余計にたまる(>_<)

あと聴き取れないのは数字。これは授業の中の聴き取りでもそうで、だからそれを克服したい!って思うんだけど、今のわたしはニュースの中でも数字の部分は「あ、これ、数字言ってる!」ってのは分かるのよ、なぜか。だけどそれが具体的な数字として頭に残らない。それに朝鮮語というのは連音化によって発音が変化しちゃうことが多く、例えば「100ウォン」だと、朝鮮語で書くと「백원(百ウォン、一文字一文字で発音すると、pek-won)」、これを連続して発音すると「배권(pegyon)」になっちゃうのよ。なぜかというと「백」の「ㄱ」が次の文字の「ㅇ」のところに入ってしまうのと、「ㄱ」の発音は語中に来ると濁っちゃうから。そうするとわたしの耳には全く知らない言葉のように聞こえてしまうのだ。まだ次に「パーセント」が付いた方が分かりやすい。パーセントは最初の子音が「ㅍ」だと思うので、これは連音化しないから。数字自体についてもこのことが言えて、例えば漢数詞「11」は「십일(십が十、일は一、一文字一文字発音すると、sip-ir)」なんだけど、これを発音すると「시빌(sibir)」となる(ㄹの発音については前も書いたけど、rなんだかlなんだかよく知りませんので適当な表記です。でもそういう類の発音にはなる)。ひどいのは「6」で、語頭の「6」だと「육(yuk)」だけど語中に来る場合の発音は「뉵(nyuk)」になっちゃう。日本語で電話番号をいうときは「ゼロサン サンハチロクイチ ロクイチゴウハチ」(数字は適当だからね!)って「6」はどこに来ても読み方は「ロク」だけど、朝鮮語だと「サンハチロクイチ」の「ロク」と「ロクイチゴウハチ」の「ロク」は違う読み方になる。これは鼻音化の関係だと思います。まぁ規則的と言えば規則的な発音のうちに入るけど。あと「16」とか「26」とか「十六」関係の発音はそれに加え更に鼻音化がもう一段階起こるので、ますます分からなくなる。「십육」の読み方が「심뉵(sim-nyuk)」だからね。

これに助数詞「日」がついて、例えば日付の「11日」なんかは「십일 일」(일は漢字の「日」でもある)になり、これを発音すると「시비릴(sibirir)」、要するにわたしの耳には「しびりる」と聞こえる。だからいくら11を「しびる」と覚えたとしても後に付く助数詞(上の説明で言うとウォンとか日とか。日本語も助数詞たくさんあるよね。本とか個とか)によってまた受ける印象が違って来ちゃうのだ。一番難しいのはさっき出た「十六」関係だけど、例えば「16日」は「십육 일(一文字一文字を読むと、sip-yuk-ir(=しっぷ ゆっく いる)」だけど、読み方は「심뉴길(=sim-nyugir=しんにゅーぎる)」になって「しっぷ ゆっく いる」とは全く別物。「しっぷ ゆっく いる」を早く読んで「しっぷゆっくいる」にしたとしても「しっぷゆっきる」くらいにはなるかも知れないが、絶対に「しんにゅーぎる」にはならない。だからもう「しんにゅーぎる」=「16日」って覚えるしかないのかなと。でも多分、別の助数詞が付くと全く分からなくなるな、これは。ちなみに「12」は십이で「しび」なんだけど、これが「12日」になると「십이 일」=「しびいる」で、「しびりる」の11日との違いが聞き取りにくい。。ということになる。日本語の発音で言われると分かるけどさあ。朝鮮語だったら分かんないわな、その違い。結局わたしはこの違いはまだ聴き取れてません。つい先日11日と12日だったので、ニュースでは随分この日付を言ってたような気がするけど、何が何だか分からなかった。それに、正解が何であるか分かるわけもないので、そこのところは聴き取れたとしても本当に合ってるかどうかは分からない。それが日本語字幕が付いてる韓国ドラマとの差かなあ~。

ただ。日本語では、助数詞に数字が付くと数字の読み方と助数詞の読み方、2つが変わってくるよね。例えば「一本」「二本」「三本」の読み方はそれぞれ「いっぽん」「にほん」「さんぼん」だ。「一」=「いち」と習っていても「いっ」になったりするし、「四」は「よん」って読むときもあるし、ものによっては「し」って読むときもある。「本」は基本は「ほん」という読み方だけど、付いてくる数字によっては「ぽん」や「ぼん」って読むことがある。まぁそういうのと似てるってことだよね。おそらく日本語を習っている人たちにとっては「なんじゃこれ!日本語ってこうなんだよ!!難しいよね!!!」って言いたくなるだろうな~と想像する(笑)日本語については考えたことがないんだけど、朝鮮語のように読み方に規則性はあるんだろうか。。でも「一日」(ついたち)「二日」(ふつか)「三日」(みっか)などを考えると規則性なんかない気がするんだが。それともこの読み方は「例外」なのかな?だいたい「一日」のどこまでが「つい」でどこからが「たち」か分かんないや。もしかすると「つ」「いたち」かも知れないし(まさか)。しかもだからといって「日」が「たち」と読むかというと、そんな読み方をするとは言えない気が。日本語を教えてる人はこういうこと、どうやって教えるんだろう?わたしが日本語を勉強していたとしたら「なんで一日は『ついたち』って読むのに、日は『たち』って読まないって言うんですか!ここで『たち』って読みがあるじゃないですか。なのになんで辞書には『たち』っていう読み仮名が書いてないんですか??」とか先生に聞きそう。。(調べてみたら「日」の読み方は「ニチ、ジツ、ひ、か」だそうです。。)多分、こういう理屈で考えても分からないことがあるから、わたしは語学が嫌いなんだと思うね。

ところでここで一旦話が逸れるが。今、読んでる本の中に「ゲーテは『外国の言語を知らない者は、自国の言語を理解できない』と言った。」と書いてあった。あ、これ別に語学関係の本ではないんだけど。そしてわたしは上に書いたように朝鮮語を勉強しながら、日本語のことをよく考える。これって英語を勉強していたときは全く考えたことがなかったんだけど。あまりにも言葉の構造が違い過ぎるので比較するとかしないとか思ったことがない。あとそれと「考え付かなかった」というのはあるかもね。若すぎて。例えば文章の構造の違いから思考の方向性の違いを考えるのは結構楽しいことなのかも知れない。主語が絶対にないといけない言語だとか、動詞が主語のすぐ後に出てくる言語だとか、名詞が女性名詞や中性名詞、男性名詞に分かれてる言語とか、どれも日本語の構造とは違っている。「そんなに性が大切なことなのか?」とか「なぜ男性名詞と女性名詞だけでなく中性名詞まであるんだろうか」とか、そういうことを考えるのは面白いことなのかも知れない。そこで「その言語を話す人たちの特徴」なんか分かるのかも知れない(一歩間違えると「●●は△△だ」と決めつけそうで怖いが)。きっとゲーテは幅広い意味で言ったんだろうね。言語ということだけではなく。思考回路という意味で。しかし、わたしは言語だから言語のことだけ考えている。そうすると日本語を勉強している人はこういうこと考えて話さなきゃならないのか~、結構めんどくさいのね、とかそんなことを思う。

日本語を勉強している人が日本語を勉強する上で「て形」ってものを教わるんだと調べて知った。「書いて」とか「買って」とかの「て」なんだけど、その前の文字がいくつかの種類に分かれるらしく「書いて」だったら「い」とか「買って」だったら「っ」とか「読んで」だったら「ん」とか、そういうことらしいんだけど、その説明を読んでてウンザリした。難しすぎる。どこやらの文字が何行(あ行とかか行とか)だったら「て」が付く、とかそんな感じだった。覚えるのがめんどくさすぎる。日本語を勉強している人は、そんなことを考えながら話してるのか、そんなことを思った。まぁでもゲーテが言ってることは合っている。わたしは朝鮮語を勉強することがなければ決して日本語のことだって知ろうとは思わなかったし、日本語を勉強している人の気持ちも考えたことがなかった。閑話休題。

そしてそれに加えて。朝鮮語には固有の数詞もある。日本語でも「いち」「に」の他に「ひとつ」「ふたつ」という数え方があるが、まぁそれと同じようなものなんだけど、日本語だとせいぜい「ここのつ」までしかないのに比べ、朝鮮語の固有数詞は99まである。しかも日本語では「ひとつ」「ふたつ」なんて、ものを数えるくらいしか使わないのに対し、朝鮮語は○時△分の「○時」の「○」、「●歳」の「●」は固有数詞なのだ(もちろんこの他にも固有数詞を使わなければならない助数詞はたくさんある)。日本語の「一つ」「二つ」に当たるものは「하나」「둘」「셋」「넷」、、だが、例えば「1時1分」は「한 시 일 분」(시=時で、분=分)になる。固有数詞「1」は「하나」なんだけど、このように次にすぐ助数詞が来ると「한」に変化する。そのように変化するものは1以外には2、3、4と20。そして。漢数詞は例えば「35」なら「三」「十」「五」と分けられるが、固有数詞は「三十」+「五」になる。要するに「十」(열)「二十」(스물)「三十」(서른)「四十」(마흔)「五十」(쉰)、、、という単語が「九十」(아흔)まであるのだ。だから、朝鮮語では99まで固有数詞で数えられる。で、これを覚えておかなければならないのは、年齢を言うときはこれを使わなければならないから。朝鮮半島において年齢っていうのは、敬語を使う上でとても大切な情報だ。だから、自分より年上か年下かを知るために割と出会ってすぐに年齢を聞かれるとか。なので「少なくとも自分の年齢は固有数詞で言えるように」と先生からずっと前に(固有数詞を習うのは随分最初の頃なので)言われました。。

ただ不思議と、わたしは他の数字は全く聴き取れないというか、いつ言ってるかさえ分からないのに「8」(여덟)「9」(아홉)だけは妙に聴き取れる。なので最近よく分からないけど、(韓国の)高校、8時10分から8時半、ということだけ聞き取れるニュースが何回もあり、始業時間が変わったのか知らん?とか、そういうことを想像してるんだけど、まぁその他のことは何も聴き取れないんだから、本当にこういう状態、イライラするー!ちょっとは分かって嬉しい反面。

数字の読み上げだけをするアプリなんかないのかしらって思って探したんだけど、あったよ、一応。でも助数詞付きではなかったのと、まったく連音化してなくて単独の数字しか読み上げないアプリだったので(日本語で言うと「十」「万」「五」「千」「三」「百」「八」「十」「五」みたいな)これは慣れるとすぐに聞けるようになってしまう。問題は連音化した言葉が聞けることだから、このアプリはあまり役には立たなかった。`

というわけで、本当に意外なんだけど、まだまだちょっとでも朝鮮語が知りたい、聞けるようになりたいと思って、いろんなアプリを探したり、何か分かりやすい参考書みたいなのはないかな~って探したりしている。最近「標準韓国語文法辞典」てのを買いました。やっぱこれから先の勉強は語尾だと思うので。。

そしてこんなにまだほとんど何も聴き取れないのに等しいのに、結構聴くのは楽しい。新しく習った文法、例えばさっき出てきた下称形や間接話法なんかも習うと面白い。英語だったら「もうやだ、、」って絶対に思うはずなのに、それを全く感じないのは多分、日本語にない概念がまだ出てきてないからかなあ。だって「時制の一致」とか「仮定法」とか「過去完了」とか、わたしは本当に嫌いだった。ああ「定冠詞」「不定冠詞」すら嫌いでした。もうね「a」をつけなきゃならないのかとか「the」かとか、分かんないよ、そんなの。そういうのが朝鮮語には一切ない。その点は日本語と同じ。これは本当に気が楽だよね~。ところどころ、動詞のあとに付く語尾と形容詞にのあとに付く語尾が違ったりするけど(しかも動詞と形容詞の区別も日本語とは少し違う部分があるけど)、そういうのはまだ理解できるから。

なのでinstagramにも半年前以上に書けることが多くなってる。てか、本当にそれが正しい韓国語なのかは分からないけど、自分の言いたいことを書いたあとに「韓国語はまだうまく書けないので、意味が分かるか心配です」みたいなことを最後に付け加えると「意味は分かりますよ~」とか「韓国語、上手ですね」とか返事を書いてくれるようになった(笑)ちょっとずつ進化してるようで、それはやっぱり嬉しい(最初は読めもしなかったんだから!)。ただ、やっぱり向こうの人が自分の画像につけてる韓国語は分かんないです。韓国にも「ネット言葉」みたいなのはあるらしいし、わたしはまだまだ文法も知らないことの方が多いからそれがネット言葉なのか、単なる文法を知らないのかも区別が付かない。で、こういうのを自分からわざわざ文法まで調べるようなことはしません。それやるとわけ分かんなくなって朝鮮語自体を嫌いになってしまう可能性があるから。今は習ったことだけしっかり身に付けようと思ってる。それだけでも結構大変なんだから。

というわけで、朝鮮語を習い始めてから1年半ちょっと。今のところはまだ大丈夫そう(笑)聴くことはこれでいいとして、あとは読みです。読むのも苦手。こればっかりは教科書を繰り返し読む練習しなきゃならないんだけど、あまりにも読めないんで一番気が重い。。でもこれも練習しやすいようにいろいろアプリ探してきた。「Audipo」ってアプリを使って最初は早さを0.75倍くらいにしてゆっくり目から練習して、1倍の速度で言えるように繰り返し読むのが一番わたしにとっては楽な方法かも知れない。でも正直あまりやってない。これはとってもまずい。クラスで一人で読まされる場面もあるんだけど、読めないと思うと余計に緊張して読めなくなる(>_<)。クラスは3人しかいないし(1年目の終わりまで4人だったのに2年目になったら1人辞めちゃった)、わたし以外の2人は本当によくできる人たちなので付いていくだけで精一杯。予習・復習はちゃんとやらないと付いてけないので、丸1日やんない日とかもあるけど、でも大抵の日は何かやってる。そう、まだまだやる気はある。

でも半年後くらいに「やっぱり語学は語学だったーーーーー!もうやだーーー!」って言ってるかも知れないとはまだ思ってる(笑)

【追記】ラジオはほとんど聴き取れないので、ここで触れる気はなかったのだが、、確かに「역사 교과서」(歴史 教科書」という単語はものすごい頻繁に聴き取れてて「これはかなり問題になってるな」とは思ってた。が、それ以上のことは残念ながら聴き取れる能力が今のわたしにはない。(日本語のニュースを読んで)わたしは歴史教科書を国定の1つに決めるべきではないと思うし、そういう意味ではデモに参加した韓国市民と意を同じくする。

もう一つ言うと、パリで起こったテロだが、こちらの方はちょっと複雑すぎて。。こちらの方は少し以前にアブドルバーリ・アトワーンさんという人が書いた「イスラーム国」という本を読んだのだが、もしこのテロについて単純に「テロは絶対に許さない」としか思っていなかったら、この本を読んでみることをお薦めする。この人はアラブ人の報道者なので非常に取材が行き届いている。変に情報が偏っていない。この人、殺されたりしないかしらと心配に思うほど。これを読むと(イスラーム国は欧米が生んだ、といわれる)欧米以外のアラブ諸国にもいろんな問題があると分かるし、そして何より思うのは、ここに関わっている国々は誰もみんな平和なんか望んでいないのだ、ということがすごくよく分かる。みんな自国の利益追求(石油、そしてお金)ばかり。なぜ今「イスラーム国」が生まれてしまったのか、そのことをもっとよく考えるべきだし、多分状況は複雑すぎてよく考えても解決方法なんかすんなり出て来っこない。「イスラーム国」自体も、原理主義ではあるが、原理主義ならネット使って情報拡散するなと言いたい。なんでこの部分だけ「現代的」なそれが許されるのか。自分たちにとって都合のいい解釈をするのであれば、それは「宗教を信じている」とは言えないのではないか(こんなこと無宗教者であるわたしになんか絶対に言われたくないと思うけど)。この本で、実は1つ日記を書こうと思ったんだけど(それくらい考えることはたくさんあった)、でも止めたんだよね~。もう図書館に返しちゃったし。約400ページとちょっと厚いが、この問題は少なくともこれくらいの分量がないと説明しきれないくらい複雑なのだ。

Pray for Korea.Pray for Paris.と書くのは簡単だ。だが、わたしはそれをしたくない。第一にわたしには祈るべき神はいないから。それも理由のうちの一つだが、こういう気持ちを書いて発散させるより、書きたい気持ちをぐっと抑えて自分に何が出来るのかを考えたい。人一人ができることはほとんどないのは分かっているけど、でもそれでもあがき続けて考え続けたい。
16:02 | 朝鮮語のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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